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部員による解説集(PDF) - 一橋大学・津田塾大学経済学研究会

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部員による解説集(PDF) - 一橋大学・津田塾大学経済学研究会
第 33 回
一橋祭シンポジウム
「経済学から見る
今後の日本の労働形態」
主催:一橋・津田塾大学経済学研究会
目次
ページ数
はじめに
第一部 労働の歴史
第一章 労働法のはじまり
第二章 若者の労働の歴史
第三章 女性の労働の歴史
第四章 高齢者の労働の歴史
第五章 外国人労働者の労働の歴史
………2
………2
………4
………6
………10
………12
第二部 現在の政策
第一章 若者と労働
………18
………18
第二章 女性と労働
第三章 高齢者と労働
………21
………39
おわりに
1
第一部 労働の歴史
第一部では、主に日本の労働の歴史について法整備を中心に述べる。第一章では、世界史
を踏まえたうえで労働法の成立過程を振り返り、第二章から第四章では第二部でも扱う若
者、女性、高齢者の労働について触れる。最後に、現在新たな労働力としても注目されてい
る外国人労働者の歴史について扱う。
第一章 労働法のはじまり
労働とは、人間が生を営む上で欠かせない行動である。衣食住を得るためや家族のため、
太古の人々でも現代人でも労働する。それを統率するのが労働法であることから、労働法の
重要性は言わずとしれる。そこで、労働法を言及することにおいて、そもそも労働法とはど
のような性質をもち、どのような歴史的文脈の中で作り出されたのかを確認するのは必要
なことであろう。本章では、これらの疑問を解決していきたい。
労働法とは、労働を中心にして成り立つ人と人との関係を規律する法のことである。ほと
んどの場合、労働には人間関係が存在する。一般には、管理職などの、労働者を用いて「働
かせる者」と、労働者である「働く者」に大きく分かれる。簡単に言ってしまえば、労働法
とはこのような労働に関わる二つの立場の人間同士の軋轢を解決するために作られたとい
えるだろう。ではここで、歴史に照らし合わせて、労働法の誕生と展開を見ていく。
歴史は近代の西ヨーロッパに遡る。当時、イギリスでは清教徒革命、名誉革命を通して、
フランスではフランス革命を通して、それぞれ市民法という近代法の支柱となる法律が制
定された。当時の市民法は、富める者も貧しき者もとにかく皆平等であることを定めたもの
であるが、これは現在からみるとその意味合いが強すぎた。つまり、未熟であった古典的近
代市民法では、現実を無視した自由平等を原則としたことにより、本来は労働者より立場が
強いはずの雇用主と、相対的に立場的に弱い労働者を、平等であり、また公平に自由である
としてしまったのである。この結果、利潤を追求したい雇用主は、自分個人の自由で労働者
に過酷な労働環境、労働を強いることができる権利を得ることとなった。この権利は、労働
者は雇用主の使役を拒否する自由選択の権利があるということの代償として認めざるをえ
なくなって生まれたのだが、産業革命とともに増えた人口による労働需要に対して労働供
給は小さすぎ、結果として労働者は雇用主の横暴を認めて少額でも金銭を得るという生活
を選ばざるを得なくなった。かくして、一般民衆の権利を保障するための市民法は、近代以
降の資本主義の形成に伴い、労働者と雇用主の力関係に大きな不平等が生じさせ、労働者達
は過長な労働時間、劣悪な労働条件の下での労働を強いられ、また低賃金しか払われず、ひ
どく搾取されることになった。
こうした悪状況は、イギリスに限らず、他国家でも、市民法の成立、そして職業供給、労
働者数を急激に増加させることになった産業革命によって加速した。この解決のために、労
2
働法は作られたのである。すなわち、労働法とは、こうした労働者の立場を悪くしてしまっ
た市民法を反省し、労働者の生存を保障するために、市民法原理を否定または修正するとい
う原則のもと誕生したのである。ちなみに、このように現実にそぐわないゆえに市民法を修
正する形で制定された法律を社会法と呼ぶ。すなわち、労働法は社会法に属する。
ここで、具体的に歴史的な労働法の法の明文化を挙げると、世界で初めて労働法に属する
法律を制定したのは、19 世紀初期のイギリスである。この頃のイギリスではすでに市民法
が制定されており、前述のように弱い立場にあるはずの労働者と強い立場にいる雇用主が
対等とみなされていたことから、雇用主は国民が認めるその市民法を武器に、世界で初めて
おこった産業革命によりはじまった資本主義的工場生産のなかで、劣悪な環境、長時間労働、
低賃金労働を労働者達に押し付けた。このような状況は世界的にもイギリスが初めてであ
ったため、それに対する解決策もイギリスが初であったともいえる。それが、1802 年に制
定された「徒弟の健康および風紀に関する法律」
(いわゆる工場法)である。これは、年少
者の労働時間、衛生面、教育面について、雇用主に一定の義務を課すという、世界初の労働
者保護立法である。これは、記念すべき世界初の労働法なのではあるが、対象者、内容、と
もに限定的であり、また、法律といえども強い強制力がなく、あまり効果をもたらさなかっ
た。しかし、これを皮切りに、1833 年の同国の「一般工場法」では、12時間労働、9歳
未満の労働禁止、13歳未満の児童労働は週48時間、一日最高9時間労働、18歳未満の
夜業禁止、工場監督官・工場医の設置などが定められ、対象者の範囲が広まり、以後、労働
法はイギリス以外の国でも制定、成長し、その対象は成人女性にも拡張され、効果の実効性
を高めるべく、監督制、罰則制が導入されていった。例えば、ドイツでは 1918 年にワイマ
ール憲法のなかで労働組合の組織、活動を保証し、1935 年にはアメリカではワグナー法が
制定され、行政機関が積極的に労使関係の安定に役割を果たすことを定めた。
日本における労働法は、文明開化後の明治時代で、富国強兵策のなか導入された厳しい工
場労働に対し手が打たれ、1911 年に工場法が制定されたことからはじまる。これは女子、
年少者に関する最低年齢、最長労働時間等、労働者一般に関する業務上の傷病、死亡につい
ての扶助制度等を主な内容としていたが、最低水準のものであった。その後も職業紹介法、
労働者災害扶助法、労働者災害扶助責任保険法、商店法、さらには日中戦争中の 1937 年に
は工場就業時間制限令、賃金統制令などが発令、立法されていった。これらの労働者の保護
という概念は企業にも受容され、戦後の労働基準法制定の基盤となった。ちなみに、日本で
初めて「労働法」という名称での講義を行ったのは、一橋大学(当時は東京商科大学)であ
る。
労働法は、第二次世界大戦後、急速に世界的に展開し成長する。これは世界中の植民地が
列強の支配から独立し、植民地被支配のその経験から労働者である自身たちを保護する労
働法を定めたこと、さらには、先進国では著しい経済成長のもと、国家のケインズ主義的福
祉国家化によるものである。特に、先進国では、一、労働法などの労働者の社会保護を充実
させる、二、これにより労働者の生産性が高められ賃金が増加する、三、消費が拡大する、
3
四、経済が成長する、そして一に戻る、という良循環が形成されており、労働法は世界的に、
急激に成長した。
日本は第二次世界大戦敗北後、GHQ の指導のもと労働関係の近代化が行われ、労働組合
法、労働関係調整法、労働基準法、職業安定法、失業手当法、失業保険法、最低賃金法、緊
急失業対策法などが制定されていった。その後も朝鮮特需や高度経済成長により前述の良
循環が発生し、職業訓練法、炭鉱離職者臨時措置法、雇用対策法、新・職業訓練法、中高年
齢者雇用促進法特別措置法などが制定された。
しかし 1973 年を境に、主に二つの理由から、以後の労働法の成長は遅行し、さらには多
くの労働者にとってその恩恵が感じにくくなっていった。
一つは、1973 年の石油危機が発生したことである。これにより経済状況が世界的に著し
く悪化し、前述の良循環は崩壊し、むしろその循環が反転して悪循環に陥ってしまい、これ
に伴い労働法の成長は遅行しはじめた。
そして二つ目の理由は、社会的に、労働市場の構造転換が起こりはじめたことである。す
なわち、経済成長の減速に伴うケインズ主義的福祉国家の危機、医療の発達による寿命の延
長に伴う高齢労働者の増加、また、1979 年に国連総会で女子差別撤廃条約が結ばれさらに
促進した、女性の労働市場参入、そして、先進国での労働のサービス化、情報化、グローバ
ル化やインターネットの使用などのデスクワークの増加、雇用の流動化などの、雇用形態の
多様化などの構造変化が生じてきたことである。これらは従来の労働法では対応していな
い範囲であり、本来ならばこれらに労働法を対応させていかなければならないのだが、不景
気に伴い労働法の改善が遅行してしまうこと、それに伴い、労働者のために利潤を減らした
くはないという企業が、目先の利潤を減らしてしまう労働法に賛同しないこと、そして、急
激に科学技術、政治情勢、国際情勢、労働市場の構造、などが移り変わるため、新たに対応
した労働法でもすぐに対応できなくなってしまうこと、などといった理由により、労働法と
いうものが現実の労働者に恩恵をもたらしづらくなったのである。かくして、高齢者労働者、
女性、そして彼らの労働市場の参入に煽られる若者、大きく分けてこれら三種類の労働者達
は、労働法の恩恵が受けられず、厳しい状況に立たされているのが現状である。
日本でも、1972 年に「勤労婦人福祉法」
、1985 年に「男女雇用機会均等法」
、1999 年に
「男女共同参画社会基本法」が制定され、女性の社会進出が進んでいること、日本の平均寿
命が男女平均で世界一であるのに伴い高齢労働者人口が増加していること、そして少子高
齢化や教育方針の変化、求められる能力の高学歴化に煽られる若者、これら三つの要素によ
り、日本の労働市場の構造は大きく変化していることがわかる。
第二章 若者の労働の歴史
近代社会の労働環境では、多くの場合若者は弱者である。若者は年長の労働者に比べ職業
技能が不足しており、労働市場における価値が自然と低くなるために年長の労働者よりも
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立場が弱くなるのはある程度は自明なことではある。失業率を見てみると年齢との間に負
の相関があることが分かる。
では、労働の歴史において若者とはどのような存在であってきたのだろうか。若者は常に
弱者であったのだろうか、それともその立場には変遷があったのか。以下、そのような点に
着目し労働の歴史を振り返ってゆく。
第一節 近代以前の若者の労働
産業革命以前の社会において、若者の、特に児童の労働環境は劣悪であった。資源の利用
方法がそれほど効率的でなかった時代、何人もの人間を養うことは難しいことであった。そ
のため、当時の社会において児童は劣悪な栄養条件の中で厳しい労働をすることを余儀な
くされ、児童の死亡率はとても高いものとなっていた。また、子どもを養う経済的余裕が無
いために口減らしのために子どもを奉公に出すことも多かった。この頃の大人にとって、児
童は自己の生存のために利用する消耗品としての性質も持っていたのである。
そのような状況は、産業革命により資源を効率的に活用できるようになり養うことので
きる人間の数が多くなったことで変わってゆくこととなる。技術革新により労働者一人あ
たり産出量が飛躍的に上昇し、児童の労働力は親にとって貴重なものとなったのだ。親にと
って子どもは貴重な食料を消費する厄介な存在から、死なれては困る貴重な収入源へと変
わったのである。
しかし、児童の労働条件は産業革命によっても改善したとは言い難かった。労働の場こそ
家庭内や奉公先から工場に変わりはしたが、一日 14 時間労働などの過酷な労働を強いられ
る等、子どもが親の搾取の対象である状況は依然として続いていたのである。むしろ、産業
革命は技能を必要としない単純作業の労働を増やしたため、経営者にとって児童は賃金の
安い労働力として大人よりも便利な存在であった。このような状況は児童の酷使を制限・禁
止する法律、工場法が成立するまで続くこととなる。
第二節 児童労働の禁止後
工場法等、法律によって児童労働が禁止されるようになり、子どもが親に搾取されること
は無くなっていった。しかし、より若い労働者のほうが、職業技能が比較的低く労働市場に
おける競争力が低いために賃金が低くなりがちであるため、経営者にとって都合の良い存
在である、という事実自体には変化がない。児童労働を制限する法律で保護されない年齢の
若年労働者は、自らの労働力を売らないと生活すら出来ないという弱い立場の下で労働契
約を結ばざるを得ず、非人間的な奴隷的労働が横行した。そのため、雇用者側の契約の自由
が一部制限され、労働者が団結して雇用者と交渉する権利が認められることとなる。これが
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労働法の誕生である。
第三節 高度経済成長期以降の日本における若者の労働
このようにして生まれた労働法は、第二次大戦後の経済成長と結びついてさらなる発展
をとげてゆく。労働法などの社会的保護の充実により賃金が引き上がり社会保障も充実し
て国民の購買力が向上すると、それにより消費が拡大し投資が刺激されて総生産量が上昇、
上昇した総生産のおかげで社会的保護もより充実し労働者の生活水準がより向上しさらに
総生産を押し上げる、という、労働法をはじめとする社会的保護と経済成長が結びつきなが
ら国の社会と経済が発展してゆく循環が政府の認識として存在し、また高度経済成長期に
於いては実際にそのように機能していた。そのため労働法の整備は国家にとっても重要な
事項となり、活発化していっていた労働運動も相まって労働者の労働環境は改善してゆく
こととなる。若者についても、社会の発展とともに教育制度が充実、大学進学率も上昇して
ゆき、労働市場における自己の競争力を高める機会に恵まれるようになった。
第三章 女性の労働の歴史
第一節 産業革命期から戦時期までの女性の労働
1890 年代から 1940 年代の日本において、労働に従事する女性の大部分は一次産業や自
営業に就労しており、二次産業を中心とする雇用女性労働者は非常に少ない存在であった。
しかし、1880 年代から、後半から 1907 年ごろにかけて展開された日本の産業革命をけ
ん引した紡織工業に就労する労働者の圧倒的多数が女性労働者であった。紡織業のほかに
も、マッチ、煙草、麦稈真田、花筵、石炭部門にも女性労働者は集中しており、そのうち石
炭部門以外の女性労働者は 20 歳未満が大多数であった。女性労働者の集中していた部門は
いずれも代表的な輸出製品であり、日本の産業革命期において女性労働者は重要な役割を
果たしたといえるだろう。一方でこのような女性労働者は貧しい農村出身あるいは都市貧
困層である場合が多く、近代的な自立した賃金労働者とは一線を画していた。
第一次世界大戦期が始まる頃になると、日本の産業構造はそれ以前とは異なるものにな
った。重化学工業の発達に伴い、女性が多く就労していた紡織工業の重要性は相対的に低下
した。そのため、女性労働者の比率は 1914 年から 1919 年の間に 9 ポイント低下した。
また、就労する女性の年齢構成自体にも変化が生じた。1911 年に公布された工場法が
1916 年に施行されたことによって、同法第二以上の規定に従い、12 歳未満の幼年労働者の
使用が禁止された。それまで様々な産業において雇用されいていた女性のうち、幼年者が一
定の割合を占めていたため、この工場法の施行により、それまで工場労働においてある程度
の役割を担っていた女性や幼年者の雇用が整理された。
6
この工場法の施行は、
「年期制度」の実質的な崩壊も、もたらした。
「年期制度」とは、女
性が織物業に就労する際に、手織機に熟達するまでの数年は年期契約として伝習性という
名目で雇用され、その期間は一定の給料を定めないといった人身拘束的な制度であった。こ
の年期制度は幼年女性の徒弟の使用と現物給付で成り立っていたが、工場法第 22 条で職工
の賃金は通貨で払うことが定められ、さらに先述のように幼年女性は工場で雇用されるこ
とを禁止されたため、年期制度は崩壊することとなったのである。
さらに、工場法施行規則(1916 年)の違約金禁止規定によって、雇用契約書から前貸金
に関する事項が切り離され、雇用契約は就業の意味だけを持つものとなった。
第一次世界大戦終了後には、ワシントン軍縮による影響を受けて、重化学工業は成長の勢
いを失った。したがって、産業構造においては相対的に紡織工業の比率が大きくなり、結果
的に紡織工業中心の産業構造が続いた。これに伴い、1920 年代の工場労働者全体に占める
女性労働者の比率も 1919 年のものとほぼ同率であった。
この状況に伴い 1926 年には改正工場法が施行され、女性の雇用形態にも変化が生じた。
この改正法では、深夜業禁止の猶予期間が短縮されたため、綿紡績業における女性の深夜労
働が促進された。しかし、昭和恐慌の前後からは設備技術の革新により必ずしも女性の労働
力の増加に頼るとは限らなくなった。
一方で 1926 年に改正された工場法施行令の第 27 条の 4 により、職工 50 人以上の工場
においては、工場長による就業規則の作成が義務付けられ、これが就労者にとっての明確な
雇用条件となった。
1937 年に日中戦争が勃発すると、日本では再び重化学工業が発展し、これにより、工場
労働者全体に占める女性の比率は低下することとなった。しかし、日本の臨戦体制が本格化
すると、女性の労働力が再び必要とされた。1941 年の国民勤労報国協力令が公布され、編
成されることとなった国民勤労報国隊には、14 歳以上 25 歳未満の女性が含まれていた。こ
れを機に、女性を兵士になる男性に代替する労働力として扱う動きが加速した。1943 年 1
月になると、生産増強勤労緊急対策要綱において、男性の就業が制限あるいは禁止され、実
質的に女性の雇用が促進されることとなった。さらには、1944 年には女性の雇用を促進す
るために、緊急国民動員対策要綱によって各産業別・事務所別の女性所要目標率が定められ
た。
このように、日本の産業革命から戦前の女性の工場労働には、国策が大きくかかわってい
た。
第二節 日本国憲法成立以降の女性の労働
本節では、日本国憲法成立以降の女性に関する労働法の歴史を 2016 年版働く女性と労働
法,ジェンダーの法律学,困る前に必読の Q&A 働く女性の労働法を参照してまとめた。日
本国憲法は 1946 年に公布され,その翌年の 1947 年に労働基準法が制定された。まずは,
7
この労働基準法に関して見ていく。この労働基準法は日本国憲法の次の 2 つの規定を受け
て制定された。1 つ目は,憲法 25 条 1 項のすべての国民に「健康で文化的な最低限度の生
活を営む権利」を保障することであり,2 つ目は,27 条 2 項の勤労条件に関する基準を法
律で定めることだ。この労働基準法の中で,特に,4 条は男女同一賃金の原則を規定してい
る。この原則は,法の下の平等を保障する憲法 14 条を受けて 3 条の均等待遇とともに設け
られた。この年は,労働省が発足され,婦人少年局が設置され,また民法改正で「家」制度
が廃止された年でもある。翌年,1948 年には世界人権宣言が採択された。日本は,1951 年
に ILO(国際労働機構)に加盟した。ILO は性差別禁止を様々な個別的分野で条約や勧告の採
択をすることで具体化していったが,まずは,その年,ILO が「同一価値の労働についての
男女労働者に対する同一報酬に関する条約」
(100 号)と同勧告(90 号)を採択した。日本
は,これを 1967 年に批准したが,その趣旨は労働基準法 4 条に規定されているとして,新
たな立法措置はとらなかった。そして 1987 年,労働基準法は改正された。この改正で労働
時間 1 週 40 時間の限度が明記されたが,その実施は先送りされた。そして,1990 年に ILO
が「夜業に関する条約」(171 号)及び勧告 178 号を採択したが,その趣旨は昭和 23 年の「工
業に使用される女性の夜業に関する条約」が一部の女性に限った保護であることから全て
の男女労働者の夜業に関する保護が必要であるということだった。その後,日本でも 1997
年には,労働基準法に関して男女均等待遇のために女性保護規定が廃止された。1997 年の
改正により深夜業に関する女性保護規定が廃止された。満 18 歳以上の女性に対する深夜業
午後 10 時から午前 5 時までの就業の規制が全面的に廃止された。また,1997 年の改正時
点では実施が見送りされた労働時間 1 週 40 時間の限度が全業種で実施された。そして,男
女間の賃金の格差について,その大きさが依然として変わらないことから日本は ILO から
再三にわたって改善を求められ,厚生労働省が研究会を設置し,2002 年に「男女間の賃金
格差問題に関する研究会」が報告を出した。この報告を受けて,翌年も 2003 年に厚生労働
省は「男女間の賃金格差解消のための賃金管理及び雇用管理改善方策に係るガイドライン」
を作成し,改善を目指した。また,2010 年には「男女間賃金格差解消に向けた労使の取り
組み支援のためのガイドライン」を作成した。それには,賃金や雇用のあり方を見直すため
の視点や,社員の活躍を促すための実態調査といった支援ツールを盛り込んでいる。また,
この年に労働基準法の改正が行われ,法定割増賃金率増した。2015 年には同一労働同一賃
金推進法が施行された。
次に,男女雇用機会均等法に関して見ていく。国連が昭和 54 年に採択した女性差別撤廃
条約に日本がこの年に批准したこと,また働く女性が増加し平等意識が高まる中で差別定
年制など様々な差別に対し,多くの女性が批判や疑問の目を持つようになったことによっ
て昭和 60 年に男女雇用機会均等法が制定された。しかし,この法律は女性だけに適用され
たため女性のみの分野を認めているとして差別が残っていると批判された。金城(2007 年)
は「男女雇用機会均等法は,条約を 1985 年までには批准するという国の内外への公約を実
現するためには,どうしても制定しなければならない法律として,企業などの強力な反対を
8
押し切って,1985 年に制定された。しかし男女雇用機会均等法を制定したら,日本経済は
行き詰まるとの企業の反対が強く,国もそれに対して有効な指導力を発揮できないまま,極
めて不完全な形で成立した。制定の過程で明らかになったのは,効率的とされた日本経済が
女性差別の上に成り立っていることと,人権としてのジェンダー平等より,効率性を優先す
る企業の論理がまかりとおるという日本の企業社会の現実であった。」(p.113)とし,男女
雇用機会均等法の制定の過程から当時の女性差別に言及している。また,男女雇用機会均等
法が制定されると,多くの企業がコース別管理制度を導入し,総合職,一般職という枠組み
が作られ,一般職に就くのは女性のみとされ,基幹労働者は男性という状況はあまり変わら
なかった。そして,男女雇用機会均等法は 1997 年に改正された。この改正により,企業が
禁止条項に違反し,厚生労働大臣のそれに対する勧告などに従わなかった場合,その企業名
を公表できるようになった。一方で,1986 年の男女雇用機会均等法制定時に批判されてい
た女性だけに適用するという枠組みはかえず,指針で一定の「女性のみ」の取り扱いを禁止
の対象とした。また,この均等法改正により,一般的に女性に対する時間外・休日労働及び
深夜業に関する保護が廃止された。そして,2006 年に男女雇用機会均等法は再び改正され
た。この改正により,セクシュアルハラスメント防止に関しては,事業主の配慮義務から事
業主に必要な措置を講じることを義務づけた。東京都産業労働局雇用就業部労働環境課
(2016 年)は,
「雇用均等室への相談もセクシュアルハラスメントに関する事例が多く,厚
生労働大臣による助言等もセクシュアルハラスメントに関するものが大半を占めていたと
のことですから,均等法上明確にされたことは,大きな意味があると思われます。
」(p72)と
し,この改正内容の重要さが主張されている。また,この改正に伴い新設されたものがある。
その 1 つは,9 条 4 項の妊娠中及び出産後 1 年以内に行われた解雇を無効にすることだ。
他には,迅速かつ柔軟な解決をするために個別労使紛争を民事裁判でない方法で審理する
労働審判制度がスタートした。また,法律全体を男女双方に適用することになった。その後
2013 年にも改正されている。現在の男女雇用機会均等法は国連の女性差別撤廃委員会や
ILO から,再三にわたり日本政府に対し,国内法に取り込むようにとの勧告が出されてい
た間接差別禁止を盛り込んでいる。
その他にも女性の労働に関する様々な法律が制定されている。パートタイム労働者が歴
史的に増大したため,1993 パートタイム労働法(短時間労働者の雇用管理の改善等に関す
る法律)が制定された。また,女性の活躍について 2015 年に女性の職業生活における活躍
を迅速かつ重点的に推進することによって,男女の人権が尊重され,かつ豊かで活力のある
社会を実現することを目的として,女性の職業生活における活躍の推進に関する法律が成
立した。育児に関することについても「育児休業,介護休業等育児又は家族介護を行う労働
者の福祉に関する法律」
(育児・介護休業法)があるが,これは女子差別撤廃条約と ILO 家
族的責任条約に基づき,男女共に適用される法律として施行されている。最初は,1991 年
に育児休業法として制定され,その後,介護休業法も法制度化され,育児・介護休業法とな
った。平成 24 年までは一部の規定に関しては常時 100 人以下の労働者を雇用する事業主に
9
ついて適用されることになっていたが,現在では全ての事業主に適用されている。
男女雇用機会均等法が女性差別撤廃条約に日本が批准したことにより制定されたことや
ILO から男女間の賃金格差の大きさの改善を求められて厚生労働省が研究会を設置しガイ
ドラインを作成したことなど,多くの場合,日本の女性の労働に関する法律は国際的な動き
の影響を受けて成立している。また,男女雇用機会均等法が最初の制定時には女性だけに適
用していたが,その後男女共に適用の対象となったことや ILO がかつて一部の女性を対象
としていたものから男女共を対象とした夜業に関する条約を新たに 1990 年に制定したこ
となど,最初の女性のみを対象とする法律から改正を重ね男女共を対象にする法律に変化
をしたものが多かった。
第四章 高齢者の労働の歴史
2016 年の日本が抱える大きな課題の一つは迫りくる超少子高齢化社会にいかに対応する
かである。生産年齢人口が急速に減少する中でどのように労働量を維持し持続的な経済成
長を成し遂げるかは日本にとって最重要課題といえる。その中で、労働量を維持する政策と
して考えられるのは高齢者の労働参加を呼び込むことである。高齢者が長年の経験・知識を
生かし労働参加することで労働を維持することは可能である。ここでは高齢者の労働に関
する政策を、法制度を中心に考えていくことにする。また高齢者の労働と密接に関係してく
るのが年金制度である。日本では、全員加入を原則とする年金制度が存在し人々の退職後の
所得の大部分を補っている。しかし、日本の年金制度は賦課方式を採用しているため少子高
齢化社会では一般会計からの大規模な国庫負担がなければ理論上持続不可能であり、また
今後年金支給額は実質的に減少していくことを考えると、高齢者が労働参加して年金以外
の所得獲得手段を準備することは重要になってくる。
第一節 世界の高齢者に対する法制度
EU 諸国では、経済不況、若年労働者の過剰供給を背景に、特に 1980 年代以降、政労使
が一体となって早期引退を促した。その結果、特にドイツ、フランス等の欧州大陸諸国では、
早期引退が文化として定着してしまった。(中略)近年の人口高齢化は、税及び年金等社会
保証負担の増大の見通しとあいまって EU 各国において、政策転換を促している。
欧州は 90 年代後半以降、
「活力ある高齢化(アクティブ・エイジング)」を大きな政策目標
として掲げている。また、高齢者雇用就業を一層推進するため、2001 年のストックホルム
欧州サミットで、高齢者(55 歳〜64 歳)の EU 平均就業率を 50 パーセントまでに引き上
10
げる目標が設定された。
第二節 1990 年までの高齢者雇用の法律について
1971 年(昭和 46 年)5 月 25 日に高年齢者等の雇用の安定等に関する法律「中高齢者等
の雇用の促進に関する特別措置法」として制定される。
中高年齢者の労働能力の開発やその他中高年齢者の雇用の促進、職業紹介の際の求人者に
対する指導、助言等の内容を定めたものである。
その後 1986 年(昭和 61 年)4 月 30 日「中高年齢者等の雇用の促進に関する特別措置法
の一部を改正する法律」に基づき、題名が「高齢者等の雇用の安定等に関する法律」と改称
される。その後複数回に渡り改正が行われている。最新は平成 25 年 4 月 1 日に施行されて
いる。
第三節 1990 年~2000 年
高齢者、特に 60 歳定年直後でまだ高い労働意欲を持つ 60~64 歳の失業率は図1からわ
かるように経済状態にかかわらず高い傾向にある。高齢者は作業効率が低下しており、また
人材育成への投資をしたとしても数年で離職する可能性が高いため収益性が乏しく企業に
とって積極的に雇用するインセンティブが存在しない。1990 年代初頭のバブル崩壊後日本
は「失われた 20 年」と言われる低成長期にはいった。この間国家財政も苦しくなったこと
から年金制度改革が行われた。具体的には老齢厚生年金の見直しが行われ、定額部分の支給
開始年齢を平成 25 年までに段階的に 60 歳から 65 歳まで引上げられることになった。これ
に合わせて高齢者雇用安定法も改正され 60 歳定年が義務化された。ここで、60 歳までの雇
用の安定は確保されたことになるが年金受給開始年齢が引き上げられるに伴い 60 歳から
65 歳までの雇用を推奨する必要性が生じた。
第四節 2000 年~2010 年
2000 年以降の日本経済はリーマンショックが起こるまで、輸出産業中心に戦後最長の景
気拡大期間を迎えた。しかし、この間国家国家の財政状況は悪化し、少子高齢化も進んだこ
とから年金改革・高齢者雇用促進はより深刻な課題となっていた。2000 年の年金制度改革
では老齢厚生年金の報酬比例部分の支給開始年齢を平成 37 年までに段階的に 60 歳から 65
歳まで引上げることを決めた。さらに 2004 年には抜本的な年金制度改革が行われた。マク
ロスライド方式を導入することで実質的な年金給付の抑制が行われることになった。それ
に合わせ高齢者雇用安定法も改正された。65 歳までの高齢者の雇用確保が義務化され、企
業は①定年年齢を 65 歳まで引き上げるか、②希望者全員を 65 歳まで継続雇用するか、③
定年制度の廃止のいずれかを求められるようになった。多くの企業は②を採用し、60 歳で
11
定年後の高齢者を再雇用することが多い。企業は再雇用の形で雇用すれば、定年前に比べ安
い賃金で高齢者と契約を結ぶことができるためである。
第五節 2010 年~現在
2010 年以降日本経済はリーマンショック後の最低水準からは回復したものの為替相場の
急激な変化に苦しんでいる。また、国家財政は社会保障関係費の拡大により債務残高が膨れ
上がり、少子高齢化も着実に進行している。このよう中で、年金を含める社会保障関係費の
抑制・高齢者の雇用促進は一層重要な課題となっている。2012 年に高齢者雇用安定法は改
正され、企業は定年後の希望者全員を 65 歳まで継続雇用する制度の導入を義務付けられる
ことになった。
現状 65 歳までの雇用の安定は確保されたといえるが、65 歳以上の高齢者についても労
働参加ができるような環境作りも必要である。日本の平均寿命は世界的に見ても高く、医療
制度も整っていることを考慮すれば 65 歳以上の高齢者も勤務時間短縮などの環境が整えば
十分働くことが可能である。また、定年後も高齢者が働き続けることで社会との関係を保つ
ことが可能である。少子高齢化で労働人口が減少する中では高齢者にも労働参加してもら
い労働量を確保することが不可欠である。
図 1)出典:内閣府 『平成 26 年版高齢社会白書』
第五章 外国人労働者の労働の歴史
第一節 戦前
日本において多数の外国人が来日するようになったのは、1910 年の韓国併合以後である。
12
朝鮮人は自ら職を求め、あるいは徴用され、宗主国であった日本にやって来た。戦後も、朝
鮮半島における政治的・経済的混乱を目の当たりにした在日朝鮮人たちの多くが日本に留
まった。
第二節 戦後
連合国軍総司令部(GHQ)は、当初日本の民主化を最重要課題ととらえ、民主的な政策
を支持していた。外国人に対しても、「平等に法律の保護を受ける権利を有する」とする旨
の条文が日本国憲法に盛り込まれるはずであった。しかし、冷戦が激しくなり、労働組合や
共産党の影響が強い在日朝鮮人を危険視するようになり、結局その条文は憲法に明記され
なかった。さらに、日本政府及び GHQ は 1947 年に外国人登録令(現外国人登録法)
、1951
年に出入国管理令(現入管難民法)を施行し、朝鮮人らを厳しく管理するようになった。日
本国籍がないことを理由に、恩給をはじめとする戦後補償や、国民年金などの社会保障から
排除した。
第三節 権利獲得
1950~60 年代、アメリカでは、黒人主体の公民権運動により、制度的な人種差別が解消
されていったが、日本でも、朝鮮半島における南北分断の固定化が明確になると、韓国・朝
鮮人は事実上帰国を断念し、日本に定住するようになる。そして、2 世を中心に日本での権
利獲得運動に乗り出すこととなる。
ベトナム戦争を背景に、日本政府は 1969 年から 4 回にわたり在日外国人の政治活動禁止
などを盛り込んだ出入国管理令の改正案を国会に上程すると、在日韓国・朝鮮人は日本人の
若者らとともに強く反対、成立を阻止した。1970 年には、愛知県の在日 2 世・朴鐘碩(パ
クチョンソク)が、外国人であることを理由に日立製作所から社員採用を取り消され、提訴
し勝利して、当時としては異例であった大企業への入社を果たした。1976 年、在日 2 世の
金敬得(キムキョンドク)が司法試験に合格、司法修習生を日本国籍者に限定していた最高
裁の方針を変更させ、初の外国人弁護士となる。
日本は 1979 年に国際人権規約、1981 年に難民条約、1985 年に女性差別撤廃条約に加入
した。これに伴い、国民年金や国民健康保険、公営住宅などから外国人を排除していた国籍
条項が廃止された。1978 年からインドシナ難民、1982 年から条約難民の受け入れが始まっ
た。
第四節 バブル景気と人手不足
第一項 人手不足
1980 年代の前半期までに、日本の輸出は順調に拡大し、貿易黒字が累積されていった。
13
このような中で、アメリカの対日貿易赤字の解決策として、円高誘導が合意された(プラザ
合意)
。これにより一時的に円高不況に陥るが、衰退産業の整理や知識・サービス部門を中
核とする産業構造への転換、公共投資の拡大や金融緩和などにより、80 年代後半には景気
は回復、好況を持続することになる。
やがて好況が加熱するも、金融緩和は持続され、バブルが膨らんでいった。こうした中で、
労働力の需要が顕著となり、人手不足が叫ばれるようになる。
この労働力不足はさまざまな要因によりもたらされた。労働供給側の高学歴化により従
来ほどには柔軟に需要拡大に対応できなくなったことや、若年層の職業観・労働観が変化し、
都市的ホワイトカラー的職種への就労を志向する傾向を示すようになったことなどである。
こうして人手不足に悩んでいた中小企業は、観光目的で入国した外国人を現場で労働力
として活用し始めた。しかし、このような外国人を雇用することは出入国管理法の下では
「不法」であり、外国人労働者は「不法就労者」となる。アジアや中東諸国からの出稼ぎが
急増し、ニューカマーと呼ばれるようになったが、企業と外国人とのトラブル、日本人住民
と外国人とのトラブル、外国人相互のトラブルなどが多発し、不法就労外国人の問題が社会
問題となった。
第二項 制度改正
前述のとおり企業の人手不足に直面していた政府は、1990 年施行の改正入管難民法で、
多くの企業が日系人を「合法的に」雇用することを可能にした。日本政府は、高度経済成長
期の 1967 年における閣議了承以降、外国人の単純労働者は受け入れないとの政策をとって
きたが、この改正入管難民法では、日系人合法労働者の在留活動になんら制限がないため、
単純労働分野での就労も可能となり、顕著であった単純労働分野の人手不足はかなり緩和
されたとみられる。
しかし、日系人労働者は賃金が高すぎるとし、依然として東南アジア諸国などからの不法
就労者を雇用し続ける雇用主も多かった。一部では、研修生の名目で受け入れた外国人を、
人手不足の分野で相対的に安い研修手当のままで労働者として就労させるという状況も生
まれた。
1993 年には、外国人研修・技能実習制度が創設された。これは、在留期間の 2 年間を前
半の研修、後半の就労(雇用)という形で組み合わせた制度である。労働者側のできるだけ
高い賃金で働きたいという要請と、使用者側の人手不足を埋めたいという要請になんとか
応えようとした苦心の策であるが、これが円滑に機能するか、そして労使の関係者の満足度
がどの程度のものなのか、多分に疑問がもたれた。
一部の受入れ機関においては、やはり不適正な受入れが行われ、研修生・技能実習生が実
質的に低賃金労働者として扱われるなど問題のある事例が増加したため、2010 年の法改正
により、実務研修を伴うものについては原則として雇用契約を締結した上で実施させ、実務
研修中の研修生が、労働関係法令上の保護を受けられるようになった。
14
第五節 バブル崩壊後
バブル崩壊後も、やはり日本と発展途上国間の経済格差を背景に、ニューカマーは増え続
けた。しかし、アジア諸国の経済発展に伴い、日本企業は激しい競争にさらされることとな
る。このような中で企業は「正社員」を少数精鋭化し、
「非正社員」を「必要なときに必要
なだけ」確保するという雇用形態をとるようになり、外国人労働者はパート・請負などの形
態で活用されることとなる。
やがて 1992 年に入り、収益面でも深刻な事態を訴える産業が続出するようになると、外
国人労働者の解雇や、契約期限が切れた後に再雇用されないケースが目立つようになる。職
を求め日本にやってきた外国人労働者の中にも、仕事にありつけない者がみられるように
なった。外国人労働者は、代々木公園や上野公園、あるいは全国の外国人労働者の多い地域
の駅前広場などに集まり、仕事についての情報を交換するようになったが、1993 年の夏に
なると、公園整備、麻薬や偽造テレフォンカードなどの犯罪の温床となっているなどの理由
で追い出されてしまった。
第六節 不法滞在者の管理強化と高度人材の受け入れ強化
日系人や研修・実習生は工場などで単純作業に従事しているが、前述のとおり、日本政府
は外国人の単純労働者は受け入れないとの建前を堅持しており、1993 年には推計 30 万人
に達した不法滞在者に対しては、強制送還後の再来日を拒否する期間を 1 年から 5 年、さ
らに 10 年に延長したり、不法滞在者を雇用した経営者への罰則を新設したりするなど、非
妥協的な態度をとっている。
一方、専門的知識、技術を持つ外国人は、入国要件緩和などにより受け入れを進めている。
日系人については、派遣切りの相次いだ 2009 年、内閣府に定住外国人施策推進室を設け、
外国人住民の多い自治体でつくる外国人集住都市会議などと協力しながら、就職や教育を
支援しつつある。
第七節 受け入れ提案と排外主義、外国人の管理強化
日本の人口維持、高齢化の解消のために、政府や自民党、日本経団連などから、単純労働
者や移民の受け入れが提案されるようになった。他方で、排外主義的な動きも台頭してきて
いる。
2001 年のアメリカ同時多発テロ後、先進諸国はテロ対策として、外国人の出入国管理を
厳格化している。日本も 2007 年、入国時の指紋採取、写真撮影を導入した。さらに、2009
年に入管難民法などを抜本改正して、在日外国人の管理を格段に強めている。これにより、
合法滞在者は住民票に登録され、行政サービスが受けやすくなる一方、不法滞在者は就労が
難しくなり、住民票にも載らず、行政サービスを完全に絶たれることとなり、外国人支援者
らで作る「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」や人権団体アムネスティ・インターナ
15
ショナル日本などは法改正に強く反発している。
【第一部
参考文献】
<日本語文献>
太田 聰一, 橘木 俊詔 (2012)『労働経済学入門』有斐閣.
大前朔郎編(1983)
『労働史研究』啓文社.
共同通信社取材班(2011)
『ニッポンに生きる————在日外国人は今』現代人文社.
金城清子(2007)
『ジェンダーの法律学』有斐閣.
小池和男(2016)
『
「非正規労働」を考える————戦後労働史の視角から』名古屋大学出版会.
佐竹眞明(2011)
『在日外国人と多文化共生―地域コミュニティの視点から』明石書店.
菅野和夫(2012)
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東京都産業労働局雇用就業部労働環境課編(2016)『2016 年版働く女性と労働法』東京都産
業労働局雇用就業部労働環境課.
中窪裕也, 野田進(2013)
『労働法の世界』有斐閣.
西成田豊(2007)
『近代日本労働史————労働力編成の論理と実証』有斐閣.
日本労働研究機構(1997)
『リーディングス――日本の労働⑨労働の国際化』日本労働研究
機構.
橋口昌治(2011)
『若者の労働運動―——「働かせろ」と「働かないぞ」の社会学』生活書院.
水町勇一郎, 連合総合生活開発研究編(2010)
『労働法改革』日本経済新聞出版社.
村上信彦(1971)
『明治女性史————中巻後篇』理論社.
安枝英訷, 西村健一郎(2009)
『労働法』有斐閣.
依光正哲(2005)
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<ウェブサイト>
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(http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/06519710525068.html)
( 2016 年8月 31 日。)
衆議院『中高年齢者等の雇用の促進に関する特別措置法の一部を改正する法律』
(http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/10419860430043.html)
( 2016 年8月 31 日。)
内閣府『平成 26 年版高齢社会白書』
(http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2014/zenbun/26pdf_index.html)
(2016 年 8 月 31 日。)
独立行政法人労働政策研究・研修機構『欧州の高齢者雇用対策と日本』
16
(http://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2006_11/world_01.html)
(2016 年8月 31 日。
)
法務省『新たな研修・技能実習制度に係るQ&A』
(http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri07_00011.html#1-2)
(2016 年 9 月 1 日。
)
17
第二部 現在の政策
第二部では、若者、女性、高齢者の労働の現状、またそれにかかわる現在の日本の政策に
ついて述べる。
第一章 若者と労働
第一節
若者の失業と離職
離職率とは、一定の期間の内、どれだけの人数が仕事を離れたかを表す指標であり、失業
率とは、働く意思及び能力もあるのに仕事につけない人の割合を表す指標である。故に、離
職率が高くなると、それに伴い失業率も高くなる。このように失業率と離職率には深い関係
がある。そこで今回は、失業率に重きを置いて考えていきたいと思う。
完全失業率の推移
図2)出典:総務省統計局「労働力調査」, 厚生労働省職業安定局「職業安定業務統計」
上図からわかるように、戦後の日本では 1948 年から 1955 年まで安定して上がり続け、
1955 年には完全失業率は 2.5%にもなった。これは、戦時中の疎開工場の閉鎖による大量
解雇や中小企業の倒産により失業者が増えたというのが要因となっている。そこで、政府は
公共事業において失業者を優先する措置などをとったが、あまり成果は見られなかった。
1955 年からは 1961 年の頃は岩戸景気と呼ばれ繊維・機械の輸出好調を背景に工場建設な
ど企業の設備投資が盛んに行われた。それにより、雇用の需要が高まり完全失業率は下がり
続けた。1960 年からは安定して 1.2%ぐらいを保っているが、これは高度経済成長期によ
る好景気の影響である。1975 年からは徐々に失業率が上がり続けるがこれは、バブル経済
によるものだと思われる。しかし、1990~1993 年にかけてのバブル崩壊に伴い、急激に失
18
業率が上がった。21 世紀に入ってからは非正規雇用の促進化もあり、一時的に失業率は改
善の動きを見せている。また、景気の回復も大きな要因であった。しかし、2007 年夏以降
の金融危機、さらにリーマンショックに伴う景気悪化で失業率も上昇していく。景気動向に
左右されやすい若年層ほど急激に失業率の値が変化しやすくなっている。
現在の若者は、離職率が高いために、ゆとり教育のせいだとか根性がないだとか言われて
います。しかし、本当にそうでしょうか。今日の日本では、ブラック企業が多くあります。
というのも、以前の日本の企業は新入社員を徐々に育てていくという方針をとっていまし
たが、今では若年労働者を使い捨てのように扱っています。また、過労死という言葉も以前
では中間管理職のような年配の人がなるイメージでしたが、今日では若者にも多く使われ
ようになっています。もともと日本は外国と比べると働きすぎているのです。日本は外国と
異なり、長期雇用慣行と年功序列賃金制が採用されているために会社を辞めることが想定
外となっているのである。また、日本の企業は中途採用の枠が非常に少ないことも知られて
います。だから、自身の雇用を保証するには会社がつぶれないように働くしかないのである。
その為に、働きすぎることが日本では、美徳のように捉えられています。
このように、働きすぎを強要するブラック企業がはびこる日本で若者の離職率が多くな
るのはその仕事を辞める人の精神的な弱さにあるのではなく、働きすぎを強要する日本の
企業にあるのだと思います。そのブラック企業がなくならない理由は、若者たちが過労によ
り自らの命を投げ出したりするにも関わらず、一つに若者の精神力の弱さから若者が命を
落としたと考える日本国民の考え方と、もう一つに企業との癒着により過労を防止する法
律を作らない日本の政治にも問題があると言える。つまり、日本のある企業で過労死が起こ
ったとしても、その一人の命は企業の利益よりも優先されるべきものではないため、今後こ
の労働環境での労働を強いたら、もう一人犠牲になる人がいると考えられるにも関わらず、
その労働環境を改善することはしないのだ。また、サービス残業という言葉が当たり前にな
っている日本では、どんどん残業代を払わなくても働かせるための法制度が整備されてい
る。ブラック企業というのは大手企業にもある話だ。若者の失業率が高い理由もここにある
と言える。大学を失業したとしても、ブラック企業では働きたくないが為に慎重になりすぎ
ると、就活さえままならないのだ。
第二節 インターンシップ政策
インターンシップは若者のミスマッチによる離職を抑制するために、国として平成 9 年
以降推進されてきたが、新卒者の卒後 3 年以内の離職率は多少の変動はあるものの平成 9
年以降ほぼ横ばいである。
19
大学卒業者の卒業後 3 年以内離職率の推移
図 3)出典:厚生労働省『学歴別卒業後3年以内離職率の推移』
この観点から、インターンシップ推進によるミスマッチ解消効果は薄いといえる。
また、
「インターップの推進に当たっての基本手考え方」(平成 9 年 9 月 18 日文部科学省・
厚生労働省・経済産業省策定、平成 26 年 4 月 8 日一部改正)では、企業がインターンシッ
プ等で取得した学生情報の広報活動・採用選考活動 における取扱いの考え方について、基
本的に学生情報は、広報活動・採用選 考活動に使用できないとしている。しかし、実態で
はインターンシップにより優秀な学生を選抜している面はあり、また学生自身をそのこと
を期待してインターンシップに応募している面は否めない。こうした点から、インターンシ
ップが適切に推進されているとは言えない。しかし、インターンシッププログラムを実施す
る大学や参加する学生は増加しており確実にインターンシッププログラムは日本に広まり
つつある。
図 4)出典:文部科学省
『平成 26 年度 大学等におけるインターンシップ実施状況について』
20
第三節 トライアル雇用
トライアル雇用とは厚生労働省が行う若年者に向けた雇用政策の一つである。おもな特
長は厚生労働省によると、
1)事業主は、原則3か月間の試行雇用(トライアル雇用)を行うことにより、対象となる
労働者の適性や業務遂行の可能性などを実際に見極めた上で、トライアル雇用終了後に本
採用するかどうかを決めることができます。
2)事業主は、当該試行雇用期間に対応して、対象労働者1人あたり月額4万円(最大 12 万
円)の奨励金を受け取ることができます。
3)対象労働者は、実際に働くことを通じて、企業が求める適性や能力・技術を把握するこ
とができます。※一定の要件を満たした場合に限ります。
また、トライアル雇用を利用する求職者にも賃金が支払われる。つまり、求職者はトライ
アル雇用を通じて未経験の仕事を経験でき、事業主はトライアル雇用を通じて求職者の適
正、技術などを把握し、本採用を見極められるのである。トライアル雇用の目的は若年層の
非正規労働者が、正規雇用に就くきっかけや機会を得られるようにすることである。就職支
援のため厚生労働省が主体となって、若年層の非正規労働者や失業者向けにトライアル雇
用を行っている。前述のように、若年層の非正規雇用が背景にある。図1のように 2011 年
以降、15 歳から 24 歳のフリーターの数は減少傾向にあるが、25 歳から 34 歳のフリーター
の数は増加傾向にある。この状況の理由のひとつとして、新卒で採用されなかった若者は、
非正規雇用として働くケースが増えているということだ。日本では「新卒一括採用」とよば
れる採用の習慣が昔からあり、新卒採用されなかった若者は、非正規雇用として働くことが
多くなり、正規雇用として採用される機会が少なくなっていくのだ。
第二章 女性の労働と行政
第一節 女性の労働市場
現代の日本は深刻な少子高齢化の進行により生産年齢人口の減少が危惧されているが、
その中で女性労働力を最大限に活用しようとする試みがなされている。まずは、日本におけ
る 1990 年代から現代の女性労働市場の推移およびその時代背景について考えていきたい。
図 1 を見てほしい。これは女性全体の人数に対する労働者数を示したものである。平成 2
年には約 2593 万人だったものが平成 26 年度では約 2824 万人にまで増加している。労働
力率でみても 49.2%にまで上昇している。
21
図5)出典:厚生労働省『働く女性の状況 平成 26 年度』
さらに、図5で年代別における女性の労働力の現状を見てみる。今まで、日本では女性の
年代別労働力率が M 型カーブ状になってしまっていることが問題視されてきた。これは、
女性が初めは正社員として雇用され働くが結婚や育児等を機に退職し、子供が大きくなり
再びパートや非正規社員として労働市場に復帰することによるものである。平成 26 年度の
ものをみてみると、35~39 歳を底とした M 字型カーブになっている。しかし、平成 16 年
と比較すると 30~34 歳では労働力率が約 9%上昇しており M 字型カーブが緩やかになっ
ている。また、さらに 30~34 歳において配偶者の有無で比較してみると、有配偶者に限定
した労働力率では約 11.8%上昇しており、未婚者労働力率の 0.2%上昇をはるかに上回って
いる。このことから 10 年前に比べ女性が結婚や育児等を理由に一時退職することが減って
いることがうかがえる。しかし、依然として有配偶者は未婚者と比較し、平成 26 年度では
労働力率が最大で 25~29 歳の 30%以上、下回っていることは事実であり、結婚を理由に
退職することは減ってきたとはいえ決して少なくないのが実情である。また、非労働者人口
に目を向けるとそのうちの 418 万人は就業を希望しており、その中でも女性は 315 万人お
り約 75.3%を占めている。図7を見ると男性に比べ女性の方が潜在労働力率に比べ実際の
労働力率が低くなっていることが問題になる。
22
図6)出典:厚生労働省『働く女性の状況 平成 26 年度』
図7)出典:総務省『情報白書 平成 26 年度版』
23
有配偶者の女性労働力率の上昇は共働き世帯の増加を意味している。図8では共働き世
帯数と片働き世帯数の推移が示されている。1990 年代以前は男性が外で働き女性が専業主
婦として家庭を守るという片働きが主流となっていたが、1990 年代後半以降は共働き世帯
数は増加し片働き世帯数は減少する傾向が続いている。この図が女性の社会進出における
周囲の取り巻く環境が変化していることを示している。1990 年代に起きたバブル経済崩壊
以降はグローバル化が進行したこともありこれまでの一億総中流社会を支えてきた「終身
雇用」や「年功序列制」などが改められるようになり、また不況によってリストラに追い込
まれる企業も増加し雇用に対する不安も増大した。そのため、夫婦共働きの世帯が増大した
のである。
図8)出典:厚生労働省『女性の就業状況の変化』
これまでは女性の労働者数そのものに着目していたが、次に女性の雇用形態を見てみた
い。すると正規雇用者は 2005 年度には 1018 万人であったのに対し 2015 年度では 1042 万
人とほぼ横ばいで推移しているのに対し、非正規雇用者は 2005 年度では 1126 万人だった
のが 2015 年度には 1345 万人と約 1.2 倍に増加している。このことから、女性の労働力の
上昇は非正規労働者数の上昇によるところが大きいことがわかる。これは、前述のバブル経
済崩壊に伴う不況の影響を多分に受けていると考えられる。
このように数値データを見ていくと、女性の社会進出は確実に進んでいることは間違い
ないが、それでも雇用環境や潜在労働力に対する実際の労働力に対するギャップなども見
えてくる。
第二節 女性を取り巻く労働環境
労働環境、特に女性の労働環境に焦点があてられたものとして有名なのは『女工哀史』で
あろう。ここに示されるのは紡績工場で働く女性の劣悪な労働環境であり、このような劣悪
な労働環境などは産業革命期のイギリスにも見られたものでもある。またさらに昔の江戸
24
時代には長子相続を原則とする封建的家族制度が築かれて女性の権利は強くなかったが、
女性の労働環境のみが悪かったとするものは少ない。そのため女性の労働環境を論ずる際
に最も重要であるのは、日本では男女の賃金格差が依然大きいこと、また管理職や国会議員
に女性が少ないことであると考えられる。そのため以下では労働環境と賃金に焦点を当て
て議論をしたい。
女性が男性と同様に就労するための障壁として考えうるのは、第一に女性が労働職とし
て労働市場に参入することに対する障壁、第二には女性を長期的なキャリアや管理職から
遠ざけようとする障壁である。第一の障壁に関しては、現在女性が働くこと自体に対する抵
抗感を持つ人は多くなく障壁はほぼないということが図9からわかる。一方で、第二の障壁
に関しては男女の賃金格差が示すように未だ大きな障壁となっている。この障壁は具体的
に言うと出産、育児、結婚等によるキャリアの断絶や会社内での男女差別意識がこれに当た
るだろう。
以下では、女性の賃金と労働環境の関係と女性のライフワークバランスとその希望に関し
て述べた後、女性の就業率が高いスウェーデンと日本の比較をし、さらに資生堂において起
きた具体例を挙げて考察を行う。
図9)出典:内閣府男女共同参画局
『男女共同参画白書平成 21 年度版「女性が職業を持つことについての考え」
』
そもそも我が国においてなぜ男女間の賃金格差があるのか。厚生労働省の調査によると、
大きな要因となっているのは職階と勤続年数である。また男性は勤続年数が長いと職階が
高い傾向があるが女性は男性ほどその傾向が強くないとも述べられている。この原因とし
て考えられるのはかつて女性が結婚や出産を機に退職する者が多く十分に職業訓練がなさ
25
れていなかったということであり、また現在でも、リスク回避的な企業は職業訓練が無駄に
ならないよう出産や結婚で退職する可能性のある女性社員に十分な職業訓練を与えないだ
ろう。この根本的原因は女性が出産や結婚を機に退職してしまう可能性が高いというもの
がある。労働環境を改善することで継続的な就労が可能となり男女間の賃金格差は縮小を
図ることができるだろう。
女性の労働に対する希望はどのようになっているのだろうか。内閣府の国民生活白書平成
18 年度版第2章女性のライフサイクルと就業を見ると 2 割の女性が専業主婦を希望する一
方、7 割ほどの女性が結婚・出産後も就業を希望している。しかしながらのその希望通りに
ことが運ぶ人は半数に留まる。
この原因は出産前に退職した人と結婚前に退職した人では大きく異なる。結婚前と後で
は就業率は 20 パーセントほど低下しており、このうち半数はもともと専業主婦になる予定
のものであったと考えられる、また退職理由のトップが結婚に伴う転居であったことから、
結婚を機に退職する女性は労働環境との関連は薄いだろう。一方で出産を機に退職した人
の退職理由はトップこそ自分の手で子育てがしたい(53.6%)という理由のものの次いで来
るものが育児と仕事の両立の自信がなかった(32.8%)就労・通勤の関係で子を持って働け
ない(23.3%)など多くの理由に労働環境の関連性がみられる。
女性におけるライフステージの希望と現実
図 10)出典:総務省『総務省白書平成 26 年度版「我が国の労働力人口における課題」
』
また、産業医科大学雑誌『妊娠中の労働による健康影響とストレス』によると妊娠中に就
労している女性の多くが勤務時間内に妊婦検診を受けることができないことや、子供の保
26
育への不安を持っていること。また約 4 割の妊婦が職場での周囲の無理解に対して不満を
持っていると述べられている。
上の図 10 を見ていただけるとわかるが、希望と現実が乖離しているのは子供の手が比較的
かからなくなった時期にフルタイムの仕事を希望している人、在宅の仕事を希望している
人であることがわかる。また特徴的なことは、既婚子供なしの女性の労働状況が希望と大き
く乖離していることだ。女性が結婚を機に退職する理由で男性や両親の希望により退職す
る人は全体の 10 パーセントほどであるので十分な説明とは言えない。これについてはここ
では詳しくは考察しないが、男性のライフステージの希望と現実を精査することでわかる
ことがあるかもしれない。
以上のことから、仕事をする気のある女性にとっての最大の障壁は育休・産休によるキャ
リアの断絶だと考えられるだろう。これは企業単位で可能な職場環境の改善、意識の変革も
大切であるが、それ以上に行政主体の育児のしやすい社会を作りあげることが肝要である。
その理由については以下でスウェーデンと日本の比較を通して考察してゆく。
日本と比べて女性の地位や就業率の高い国としてよく挙げられるのはスウェーデンであ
る。スウェーデンでは日本にあるような女性の年齢階級別労働力率でのM字カーブは見ら
れない、また育児休暇の取得率も非常に高くなっている。日本とスウェーデンでは何が違う
のだろうか。日本とスウェーデンで大きく異なるのは税制、財政、社会保障制度である。日
本における国民所得に占める税と社会保険料の割合は 38.9%となっており、スウェーデン
の 59.0%に比べかなり少額となっている。それに伴い手当も厚くなっており対GDP比社
会保障給付費は年金と医療にはわずかな差しかないが、家族手当や再就職手当が日本と比
べ目立って高くなっている。企業の意識も大きく異なる。日本企業での育児休業を取得しな
い理由の多くが「職場の雰囲気や仕事の状況から」というものとなっている、これはおそら
く育児休業を取ることにより職場の他の人への負担が増大することを指すのだと思われる
が、ここで企業の対応を見てみるとスウェーデンと日本は大きく異なる。育児休業したもの
の業務をどうするかの対応はスウェーデンでは臨時契約社員を雇うが 74.4%次いで業務を
分担する 54.2%となっている。その一方で日本の企業では業務を分担するが 51.7%となっ
ており、臨時契約社員を雇うは 39.7%にとどまっている。またスウェーデンでは育児休業
を取ることについての不満を持つ者も非常に少ない。このような企業の対応の違いの原因
はいくつか考えられる。第一には臨時契約社員を雇うほどの余裕のない企業は淘汰されて
しまっているということだ(これは日本に不安定な経営状態の企業が多く存在するともい
える)
。スウェーデンにおいては連帯的賃金政策が採用されており、また社会保障費の負担
の多くは企業がするようになっている。自動車メーカーのサーブとボルボがそうであった
ように政府が経営難の民間企業を救済することもないのである。第二には政府が経営効率
を犠牲にしてまでの雇用維持を企業に求めていないということだ。国際競争力のある企業
には大きな雇用創出は期待していない一方で、個々人のセーフティーネットである介護、保
27
育、医療、教育などの分野で雇用を創出し、そこが主に女性が活躍する場となっている。し
かしながら、日本が女性の地位向上、就業率向上のためスウェーデンの真似をできるかとい
うと、ほぼ不可能である。というのもスウェーデンの女性が労働できているのは文化的な側
面以上に金銭的・制度的背景があるからであり。それはスウェーデンが 1940 年代から築き
上げてきた税制・財政・社会保障制度があるからである。スウェーデン政府は均衡予算原則
を採用しており、緩やかな成長と持続可能性を重視している。日本と違いスウェーデンの企
業では退職金はなく、また基礎年金の制度も廃止され所得比例年金に一元化され政府は年
金システムの補完的な担い手に終始している。加え、介護や子育ては家庭外にて担うという
のが通例である(これは負担の大きさを考えると共働き家庭では当たり前である)。またス
ウェーデンの女性の就労率の高さは文化的側面が大きいと思われるかもしれないが、スウ
ェーデン自体がキリスト教であり女性を尊重する側面がことさらに強いわけでもない、違
いがあるとするならスウェーデンが第二次世界大戦中に社会的弱者を支える仕組み作りに
力を入れ、その一環で育児環境が整ったということだ。
このようにスウェーデンと日本では根本的に異なっているため簡単に真似できるような
ことは少ない。また次で詳しく述べるが企業単位でできることも大きくはないであろう。以
上のことから、女性の働きやすい社会を作るには行政主体の育児・財政的支援が必要である。
女性の労働に関して近年の日本で大きく世間を賑わせたのは資生堂の育児時短労働者の
過剰な優遇を取りやめるというものである。これは「資生堂ショック」とも呼ばれた。資生
堂は8割を女性社員が占める会社である。このことを考えるとこの問題には男性や両親と
いったものの影響は大きいとは考えられず、日本の一般的な問題である可能性もありうる。
そもそも資生堂が育児休暇取得者の優遇を取りやめた理由は第一に業績の悪化、第二に
育児中でない社員の不平感である。育児休暇・時短勤務を取った社員はなかなかそこから復
帰してこないのである。というのも時勤務から復帰したらすぐに残業ありのフルタイム業
務になってしまうので、保育園・幼稚園の送迎などを考えるとなかなか復帰しづらい。その
ためいつまでたっても時短勤務からフルタイムにシフトできずほかの社員の負担増につな
がる。一方で育児休暇取得者による不満も存在した。それは会社復帰後に出世コースから外
されるということだ。これは世間において女性差別の一種だとされてきたが、大半が女性社
員である資生堂でも起こるとなると事情が異なってくる。これはマタハラだともいえるか
もしれないが、根本的には日本企業の出世のシステムに問題があるのだろう。長期間働いて
いれば同じ仕事でも高い給料をもらえ、出世も早いという暗黙の了解があるのかもしれな
い。
ほかにも様々な問題が考えられる。管理職のマネジメント能力の欠如、男性の家事への無
関心(これは子供がいる家庭の男性の勤務時間が独身の男性に大して非常に長い傾向があ
るという理由も含むので、一概に男性が悪いとも言えない)
、幼稚園や保育園、学童保育に
子供を預けることが困難であるという行政の問題などである。これらの問題は互いに密接
28
に関わりをもつだろう。家庭における子育ての大半を女性が占めるのであれば、その女性は
時短業務にせざるを得ないだろうし、そうすると企業はほかの社員に長時間労働を求めそ
の社員を出世させる要因ともなりうる。その社員に家庭があったら、その現象はほかの企業
でも繰り返されることだろう。
そう考えると、今女性の労働環境に必要なものは女性に限ったものではなく、長時間労働
の廃止、および託児所、保育園、幼稚園、学童保育等の育児に関する施設の充実であるだろ
う。育児施設の充実や慣例化している長時間労働は企業単位で解決できる可能性は低いた
め、行政の介入が必要である。また女性の側もライフワークバランスを考えて、家庭での育
児は可能であるのか、難しいのであれば男性に任せることはできるのか。ベビーシッターや
ハウスキーパーなど家庭の役割を外部に任せることはできないかということも視野に入れ
てみることも必要である。以上のことは実証的な研究がまだ無いため、あくまでも具体的事
象の考察である。
第三節 雇用者側からみた女性雇用
本節では、女性雇用に対して企業側はどのような意識の変化があり、またどのよう
な数字の変化があったのかを論じる。女性雇用の過去と現在を比較するとともに、女性雇用
が企業にとってどのような意義があるのかを調べる。結論として、女性労働は改善された部
分はあるが管理職の女性の数が少ないなどの問題はあり、少子化の現在さらなる女性が活
躍できるような会社の制度作りが求められている。また、企業側も女性の雇用や活躍には積
極的な姿勢を示していることを主張する。
以前、女性の社員は就業したとしても結婚・出産・育児によって退職する人が多く、出産
後に復職するとしても、育児との両立のためにパートタイムの仕事に就職することが多か
った。結婚年別に見た結婚前後の妻の就業変化(図 11)を見ると結婚退職が 10%ほど少な
く、第一子出正年別に見た出産後の妻の就業変化(図 12)を見ると出産退職の割合こそ増
えてはいるが、就業継続する人のうち育休の利用者の割合が増えている結果となった。この
結果より育児休暇を取りやすくなっており、会社側が働く女性を応援している姿勢が見え
る。
29
結婚年別に見た結婚後の妻の就業変化
70.0
60.0
50.0
40.0
30.0
20.0
10.0
0.0
就業継続
結婚退職
1985~89
1990~94
結婚後就業
1995~99
結婚前から無職
2000~04
不詳
2005~09
(注)1 対象は初婚同士の夫婦。
2
第 11 回、第 13 回、第 14 回調査の結婚後 15 年未満の夫婦を合わせて集計(客体数 10,764)
図 11)出典:社会保障・人口問題研究所
『出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)(夫婦調査)
』
しかし、出産退職の数はここ数年で上昇しており、やはり子育てと仕事の両立できる環境
ができているとは言えない状況である。
(注)1 対象は初婚同士の夫婦。
2
第 12 回~第 14 回調査の第 1 子が 1 歳以上 15 歳未満の夫婦を合わせて集計(客体数 9,973)
図 12)出典:社会保障・人口問題研究所『出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調
査)
(夫婦調査)
』より国土交通省作成
30
また、管理職についている女性も少なく女性の管理職の割合(図 13)に書いてあるよ
うに係長までは女性の割合も多くなっているが、課長や部長など役職の位が上がるほどに
あまり上昇しなくなり、その割合も低くなるのである。その理由の一つとして育児で職を
離れてしまうことがあげられる。今の日本の多くの会社ではキャリアの形成には連続した
長期の労働が必要とされており、育児などの理由で一時職場を離れる女性がキャリアを形
成しづらい社会となっているのである。
図 13)出典:厚生労働省『賃金構造基本統計調査』より国土交通省作成
このように企業側も女性の社員の必要性を高く評価し、彼女らが働きやすいように会社
の環境を変える努力は育児休暇の上昇から読み取れるが、十分に達成できているとは言い
難い。
現在、経営戦略の重要なテーマのひとつは女性活躍推進である。このテーマの始まりは
1986 年に施行された男女雇用機会均等法がきっかけである。このころは差別撤廃という、
人権の視点から進められていた。2000 年ごろからはそこに少子化対策の視点も加わってき
ました。少子化は日本の重要な問題であり、女性の社会進出が少子化を加速させないように
企業に配慮を求める政策が出てきた。そこで、女性の活躍推進のテーマもいかに出産後も辞
めずに続けられるかに焦点があてられ、企業の施策は育児休業や短時間勤務制度の整備が
中心となった。しかし、育児支援だけでは解決しなかった。そこで経済産業省は経営戦略と
しての女性活躍推進リードしてきた。例えば、女性だけでなく、高齢者、障がい者など多様
な人々を推進している会社を表彰する制度である。また、これは中小企業に多いことだが、
優秀な人材を集めていたら必然的に女性が多くなり、入ったからにはやめてほしくなく活
躍して欲しいので個別の事情に対応していたら女性の活躍推進が重要な課題となった。少
子化が進めば若年労働力を揃えることが、難しくなり、その時に高齢者や外国人に比べて制
31
度改革や環境整備があまり必要としない女性の労働力が必要である。つまり、働く女性を惹
きつける力があるかどうかが今後の企業にとって大きな影響を与えるので女性活躍推進が
重要な経営戦略のひとつとなったのである。
企業の女性育成の1つとしてメンター制度というものを行っている。メンターとは目上
の立場でなおかつキャリアや両立に関する問題について、相談することができ、アドバイス
をくれる人のことである。これは、目上の人と話す機会が直属の上司とその上司くらいしか
なかった女性にとって言いにくかったことを相談する機会ができることとなった。
また、企業がこれからの女性活躍推進を進めていく中でいくつかの企業は制限を設け数
値目標を掲げているのである。数値目標は多少強引な手段かもしれないが、企業側の女性活
躍には積極的な姿勢が示されているのである。今後少子化は進むと思われており、企業側も
女性の雇用、管理職の女性の増加を応援しているといえる。
<管理職に占める女性の割合に目標を立てている企業の例>
企業名
目標
アサヒグループホールデ
2021 年までに女性管理職比を 20%にする
ィングス(株)
カルビー(株)
2020 年までに女性管理職比を 30%以上にする
シャープ(株)
2018 年までに女性管理職比率を 5%に引き上げるための各
種施策の強化・推進
不二電機工業(株)
チーフ職に占める女性社員の割合を 10 年以内に 20%以上
にする
(株)ダスキン
2020 年迄に管理職の 15%以上
(株)東急コミュニティー
2017 年 3 月までに女性管理職を 10%にする
前田建設工業(株)
2020 年までに女性管理職の倍増を目指す(当時 16(17)
人)
大東建託(株)
2020 年までに 5%
朝日生命保険相互会社
平成 32 年度末までに、女性リーダー比率 30%程度を目指
す
住友生命保険相互会社
2020 年度末までに女性管理職比率を 33%以上といたしま
す
表1)出典:内閣府男女共同参画局『女性の活躍「見える化」サイト』
32
第四節 女性の労働と行政
第一節から第三節を通し、女性を取り巻く労働についての様々な問題の背景や現状を考
察し、そしてそれらの問題について労働環境や企業の取り組みについて論じてきた。以下
では、主に日本政府が行っている女性の労働の推進、労働環境の改善のための取り組みに
ついて述べる。
現在行われている行政の取り組みの一つが、
『待機児童解消加速化プラン』1である。こ
の『待機児童解消加速化プラン』は官邸が打ち出した、待機児童解消にむけた保育の受け
皿拡大を目指すための策定であり、平成 25 年度から平成 29 年度末の 5 年間で新たに 50
万人分の保育の受け皿を確保することを目標としている。第 2 章でも述べたように、保育
園に子供を預けられないという問題は、女性の産後復帰を阻む大きな要因と言える。まず
は日本における待機児童問題の原因と現状、それらの問題に対する政府の取り組みを考察
したい。
(以下考察するのは認可保育園に限定する。
)
待機児童問題には大きく分けて二つの側面が存在する。一つ目は保育施設そのものの供給
が需要と合致していないという点である。厚生労働省のデータ2によると、保育所等の総数
は年々増えている。先に挙げた『待機児童解消加速化プラン』の効果もあってか、平成 27
年度の合計数は高いものとなっている。
(図 14)
1 保育所等関連状況取りまとめ(平成 27 年4月1日)
2 厚生労働省「保育所等関連状況取りまとめ(平成 27 年4月1日)
」
33
図 14)出典:厚生労働省『保育所等関連状況取りまとめ』
さらに、単純に全国の保育園入園希望者と保育所定員を比較すると、保育所定員が児童数
を上回っていることもグラフ(図 15)を見ればわかる。
図 15)出典:厚生労働省『保育所等関連状況取りまとめ』
それではなぜ、
「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログ3が日本中で注目と共感の
的になったのだろうか。これには地域によって待機児童数と保育所数の儒教バランスが取
れていないために起こった問題であるということができる。厚生労働省が発表したグラフ
(図 16)では首都圏及び大都市等の人口集中が進んでいる地域とその他地域で待機児童数
が大きく異なっていることがわかる。統計上、全国的な保育所数が採用児童数を上回って
いても、保育所が必要とされている都市部に十分な供給がなされない限り、この待機児童
問題は解決されたとは言えないだろう。
3 匿名ブログ「保育園落ちた死ね!!!」
(http://anond.hatelabo.jp/20160215171759)
34
図 16)出典:厚生労働省『保育所等関連状況取りまとめ』
この保育施設の問題に対して、
『待機児童解消加速化プラン』では賃貸方式や国有地も
活用した保育所整備が進められている。これは主に施設整備費の積み増しを行い、スピー
ド感のある施設整備を推進するというものである。特に都市部では賃貸方式の導入や国有
地を活用することによる保育施設の拡大が行われている。(図 17)実際に、財務省が発表
したデータ4では、表2のように契約締結が進んでいる。特に待機児童数が深刻な東京都で
は、平成 25 年度以降、保育関係利用での国有地契約(定期借地契約・売却を含む)が 16
件あり、活用の推進がなされている。
4 財務省
「待機児童解消のための国有地の活用状況について」
35
表2)出典:財務省『待機児童解消のための国有地の活用状況について』
図 17)出典:厚生労働省『保育所等関連状況取りまとめ』
もう一つの大きな側面は、保育士不足の問題である。先に述べたように施設自体が足り
ないのも大きな原因の一つでもあるが、いくら施設を新たに開設したとしてもそこで働く
保育士がいなければ施設は何の意味も持たない。以下では保育士不足の問題について考察
する。
厚生労働省の調査5によると、平成 27 年度では約 43 万人が保育所等で働いている。先
に述べた平成 27 年度の採用児童数(約 237 万人)を踏まえても十分な人数とは言い難
い。では、保育士資格保有者を増やせば良いのかというと、単純にそれだけでは解決でき
ない。その理由を表しているのが、日本における潜在保育士数である。潜在保育士とは、
「保育士資格を持ち登録されているが、社会福祉施設等で勤務していない者」であり、そ
5 厚生労働省「保育所等関連状況取りまとめ(平成 27 年4月1日)
」
36
の数は平成 27 年度時点で約 76 万人である。ここから、単純に保育士の資格を有する者が
少ないのが保育士不足の問題でないことは明らかであろう。さらに保育所保育士の経験年
数を見てみると、経験年数が 7 年以下の保育士が全体の約半数を占めており、ベテランと
言われる保育士の割合が少ないことがわかる。(表 3)
表 3)出典:厚生労働省『保育所等関連状況取りまとめ』
保育所で働く保育士の男女比は全体でおよそ 9:1 であるという職業特性を考慮する
と、このデータからは、結婚・出産を機に一度職場を離れた女性がなかなか職場復帰する
ことが出来ず、その結果潜在保育士数も上がっているのではないか。
東京都福祉保健局が平成 26 年度に行った働く保育士を対象に行われたアンケート6で
は、
「職場に改善してほしい条件」といて約 6 割が「給与・賞与等の改善」と答えてい
る。次に多い回答が「職員数の増員」「事務・雑務の軽減」、さらに「未消化(有給等)休
暇の改善」などが挙げられており、一般企業でも改善が必要とされるような基礎的なシス
テムや労働環境への不満の高さがうかがえる。これらの問題点を改善するために行われて
いるのが、
『待機児童解消加速化プラン』内での保育士の処遇改善という項目である。こ
れは、保育所運営費の民間施設給与等改善費(民改費)を基礎に、上乗せ相当額を保育所
運営費とは別に交付するというものであり、7年目以降も継続して勤務することで、交付
金の加算率が上昇する仕組みになっており、先に述べた、「ベテランが少ない、職場復帰
のモチベーションが少ない」という問題の解決を狙っている。しかし、平成 26 年度の調
査で全体の平均月収が約 22 万円という全国的にみても少ない金額であり、さらに今後保
育士需要が高まるという点から考えると、単なる交付金のみではなく、賃金体系や雇用体
系に抜本的な改善が必要とされる。
6 東京都福祉保健局
「東京都保育士実態調査報告書」
37
もう一つ、現在行政が強化させている取り組みとして、『ポジティブ・アクション』が
挙げられる。ポジティブ・アクションについて、内閣府男女共同参画局は以下のように説
明している7。
ポジティブ・アクションについて、一義的に定義することは困難ですが、一般的には、
社会的・構造的な差別によって不利益を被っている者に対して、一定の範囲で特別の機会
を提供することなどにより、実質的な機会均等を実現することを目的として講じる暫定的
な措置のことです。
ポジティブ・アクションそのものは、対象を女性に限ったものではないが、行政の取り
組みとしては、厚生労働省や内閣府男女共同参画局が女性の活躍推進を行っている。行政
はポジティブ・アクションを推し進めることで女性の能力発揮の促進だけでなく、企業に
も様々なメリットがあるとし、企業にポジティブ・アクションの普及を促している。具体
的な取り組みとしては、シンボルマーク「きらら」の制定、ポジティブ・アクション情報
ポータルサイト8の開設、ポジティブ・アクション推進企業の表彰、女性の活躍推進協議会
の開催、ポジティブ・アクション宣言9の発表等が挙げられる。また、アベノミクス成長戦
略の一環として、
「すべての女性が輝く社会づくり」10の推進を行っている。ポジティブ・
アクションの具体的効果については、各企業の状態やアプローチ方法によって異なるた
め、一概に成功・失敗といった評価を行うことは難しいが、行政による監視や後方支援の
役割は大きいと言える。
日本は先進国の中でも女性の管理職の割合が極めて低い。ただこの取り組みでは、単に
数を増やすことのみに集中すると役職に適当ではない女性が選ばれる、また適役の人物が
いない、逆に男性が差別されているのではないかといった指摘もある。ポジティブ・アク
ションの男女雇用機会均等法における違法性は、厚生労働省が
均等法では、労働者に対し性別を理由として差別的取り扱いをすることを原則禁止してい
ますが、第 8 条において、過去の女性労働者に対する取扱いなどが原因で生じている、男
女労働者の間の事実上の格差を解消する目的で行う「女性のみを対象にした取組」や「女
性を有利に取り扱う取組」については法に違反しない旨が明記されています。
というように説明している11が、格差の解消の時期や程度についてどのような線引きをお
こなうのか、これも今後行政の判断や意向が重要とされるであろう。女性の管理職を増や
していく試みは革新的ではあるが、ただ数字をあげることのみに囚われると様々な弊害が
7 内閣府男女共同参画局『ポジティブ・アクションとは』
8 厚生労働省 『ポジティブ・アクション情報ポータルサイト』
9 女性の活躍推進協議会 『ポジティブ・アクション宣言』
10 首相官邸 『すべての女性が輝く社会づくり』
11 ポジティブ・アクション情報ポータルサイト
ポジティブ・アクションの具体的な進め方
38
生ずると同時に根本的な問題の解決には至らない。現在行われている行政の取り組みの具
体的内容やその効果について様々な視点から検証する姿勢は今後より必要とされる。
第三章 高齢者と労働
これからの日本では、人口減少や少子高齢化が進み労働力人口は減少し従属人口比率が
増えていく。こうしたなか、就業意欲のある高齢者の労働力を活かすことは貴重な労働力の
確保策として機能するであろう。そこで、この章では高齢者の雇用・労働について考える。
まず、高齢者について就業状況等のデータを示す。その後、高齢者に対する政策について見
ていく。
第一節 高齢者に関するデータ
第一項 高齢者の比率
平成 28 年 3 月 1 日現在の高齢者(65 歳以上)は 3427 万 3 千人であり、総人口 1 億 2696
万 3 千人に対する割合(高齢化率)は 27%である。なお、高齢化率が 7%を超えた社会を
「高齢化社会」
、14%を超えた社会を「高齢社会」、21%を超えた社会を「超高齢社会」と呼
び、日本は 2007 年に「超高齢社会」に進んだ。
<高齢化の推移>
図 18)出典:内閣府『平成 27 年度版高齢社会白書』
39
これによると、平成 72(2060)年には高齢化率は約 40%になると推計されている。日本
の高齢化率は世界で最も高く、またこれからも高くなることが予測されている。
高齢者の割合が急速に高まったのは昭和 30 年以降。戦前は明治時代から高水準の出生率が
長期的に維持されていたために、人口ピラミッドはいわゆる「富士山型」
。戦後の急激な出
生率の低下により高齢者の割合も高まっていく。
昭和 30 年の 5.3%から昭和 45 年には 7.1%
に達し、国連の『人口高齢化とその経済的・社会的意義』に基づき「老化した国」となる。
「福祉元年」と言われる。昭和 60 年に 10.3%となり、30 年間で比率 2 倍、実数値 2.6 倍と
なる12。
高齢者に年少人口を合わせ、従属人口と定義される。昭和 30 年から 60 年にかけて、老年
人口指数(高齢者数/生産年齢人口数)は 8.7%から 15.1%に上昇した。一方、年少人口指数
は低下したためこの期間において従属人口指数は低下している13。
従属人口指数は平成に入ると上昇に転じ、2000 年代に高齢者と年少者の内訳の大小関係が
逆転する。2025 年に老年人口指数が 50 を超え、2055 年には 80 近くまで到達する推定14。
第二項 就業、失業、離職率
総務省の「労働力調査」によると、平成 27 年度の 65 歳以上就業者は 737 万人で、全就
業者における割合は 11.5%。高齢者失業者数は 15 万人で失業率はおよそ 2%であった。
「雇
用動向調査」によると平成 27 年度の 65 歳以上男性離職率が 22.8%、女性離職率が 21.3%
であり、入職率に比べどちらも 10%ほど高い。
<就業比率と推移>
図 19)出典:内閣府『平成 28 年版高齢社会白書』
12 岡崎陽一(1987)
『現代日本人口論』p197.
13 同上
14 国立社会保障・人口問題研究所『従属人口総数の推移』
40
昭和 30 年から 60 年にかけて高齢者における労働力率は低下している。農業等の、高齢
者に主に就業環境を与える産業が経済構造の中で減衰していったこと、及び年金制が成熟
し賃金を得る必要性が下がったことが理由として挙がる15。
有効求人倍率(求職者あたりの求人)は 40,50 代で最も低く 0.51 倍、その後上昇し 65 歳
で 0.57 倍である。二人に一人程度の求人しかない現状となっている。労働力調査によると、
55 歳以上で最も多い「仕事に就けない理由」は「求人年齢」であり、4~5 割を占めている
16。
第三項 就労形態
<平成 27 年度高齢者雇用形態>
図 20)出典:内閣府『平成 27 年版高齢社会白書』
平成 24 年就業構造基本調査によると男性の非正規職員・非正規従業員の比率は 55~59
歳で 14.3%であるが、60~64 歳で 57.1%、65 歳以上で 73.9%と、60 歳を境に大幅に上昇
している。一方、女性の場合、55~59 歳で 62.9%、60~64 歳で 76.5%、65 歳以上で 74.1%
となっている。上昇幅は小さいが、女性も 60 歳を境に上昇している。
第二節 高齢者はなぜ働くか
日本の高齢者に就職意欲は国際的にも高い。OECDによる 2015 年の調査では 55~64
歳の就業率は日本 70%で調査対象国中 6 番目に高い。この高い就労意欲を活かし「生涯現
役社会」を作り出すことが必要となる。高年齢者の就業を考えるにあたり、まず高年齢者な
15 岡崎陽一(1987)
『現代日本人口論』p147.
16 小崎敏男(2014)
『人口高齢化と労働政策』p66.
41
ぜ働くかについて考えたい。橘木(2011)は、高年齢者の就業理由に関して、第一に、働く
ことに多くの時間を費やしてきた労働者たちが、引退したのち何をすればいいかわからず、
できるだけ働きたいと希望すること。第二に、高年齢者の所得分配において、二極分配が進
んでおり、低所得の高年齢者を中心にして所得を稼ぎたいという希望が強く、一部の高所得
の高年齢者も高齢生活の備えたいと希望する、あるいは家族に多くの遺産を残したいと考
えること。第三に、年金給付の開始年齢の引き上げに伴い、定年で引退することで生じうる
賃金収入も年金給付もない無収入状態を避けるために引退年齢を引き延ばすことを挙げて
いる。
第一の理由に関して、高年齢者にとって働くことは、生活の糧としての賃金獲得の手段だ
けでなく、生きがいとしての側面も大きい。寿命の延びに伴い、老後という期間が数十年と
いう長い期間を持ったライフステージになったことで、より一層ワークライフバランスを
考えることが重要と言える。
第二の理由に関して、年金制度基礎調査(平成 24 年)によると、収入の状況に関して公
的年金以外の収入ありと答えた割合が、全体で 37.1%、64 歳以下は 65.3%、65~69 歳は
51.1%と「就業している年金受給者」の割合が高い。年金と就業を組み合わせることで所得
を確保しなければいけない低所得層の存在が多いことがこの背景にある。
第三の理由に関して、厚生年金の支給開始年齢の引き上げに伴い、改正高年齢者雇用安定
法が施行されている。これにより、企業は①定年の引き上げ、②継続雇用制度の導入、③定
年の定めの廃止のいずれかの措置を制度として実施することが義務化された。平成 27
(2015)年 6 月 1 日現在、従業員 31 人以上の企業の 99.2%で実施済みである。このうち
継続雇用制度導入した企業が 81.7%と大部分を占める。
(この理由については後に定年制と
の比較をする中で論じることとする。)そして、60 歳定年企業における定年企業における定
年到達者のうち、継続雇用された人は 82.1%、継続雇用を希望しない定年退職者は 17.7%、
継続雇用を希望したが継続雇用されなかった人は 0.2%であった。こうした政策の結果、51
人以上規模企業における 60 歳以上の常用労働者数は約 276 万人で雇用確保義務化前(平成
17 年)に比べ、約 171 万人増加した。
一方で、次のデータもある。内閣府が平成 27 年に 60 歳以上の男女を対象に実施した「高
齢者の生活と意識に関する国際比較調査」によると、収入の伴う仕事を続けたいかという質
問に対して、続けたいと回答した高齢者は 44.9%であった。これら 2 つの調査は調査対象
が異なるため安易に比較はできないが、仕事を続けたいと答えた高齢者が 45%であるのに
対して、継続雇用された割合が 82%と大きく異なっている。高齢者の中には、所得が低い
とか年金給付金が少ないなどといった経済的な理由から、仕方なく働いている人が多いと
考えられる。このような人に対しては、若いころあるいは中年期の賃金が低かったことが考
えられるので、賃金格差の是正をするような、中長期的な政策が必要となる。
高齢者雇用を左右するものとして、年金制度の他に定年制および定年前後の離職制度が
考えられる。ここでは、定年制について取り上げ、高齢者雇用安定法において定年の引き上
42
げ・廃止よりも継続雇用を実施した企業が多かったことについても説明する。一般に、労働
者は訓練や学びによって生産性が高まるが、高齢になってくると肉体的な衰えや新しい技
能の習得が遅いことなどにより生産性が落ちてくる。定年制はこうした生産性の落ちてき
た高年齢の労働者を強制的かつ合法的に解雇できる制度として有効である。また、日本では
年功序列的な右上がりの賃金カーブが根強いため、若いころは生産性以下の賃金が与えら
れ、年を重ねると生産性を上回る賃金が与えられている。そのため、定年の引き上げ・廃止
という手段をとると、企業にとって生産性の低い高年齢者に高い賃金を払い続けるという
デメリットがある。その結果、多くの企業が 60 歳定年には手をつけず、定年時に一気に賃
金を下げた上で再雇用するという対応を取っている。しかしこうした定年時の賃金調整は
労働者のモチベーションにマイナスの影響を持っていると思われる。これを解消するため
には、より連続性の強い賃金制度を目指すべきであり、年齢や勤続年数によらない能力に依
存した賃金・昇進体系、定年に依存しない雇用調整への移行が必要であり、実際、賃金カー
ブはフラット化してきている。
第三節 現在行われている政策
上で上げた高齢者雇用安定法や、高年齢者の雇用環境の整備を行う事業主に対する助成
である高年齢者雇用安定助成金の支給、多様化する高齢者のニーズに対応するためシルバ
ー人材センターの活用などにより高齢者の就業機会の確保、高年齢者就労総合支援事業の
実施(ハローワークに高年齢者雇用相談窓口を設置し、職業生活の再設計に向けた支援やナ
ビゲーターによる就労支援等)など。
第四節 必要な政策
日本が深刻な高齢化を経験している今、年齢にかかわりなく意欲と能力に応じて働くこ
とのできる「生涯現役社会」の実現に向け、高年齢者の就業促進を行うことが必要である。
そのための政策を、これまでに触れてきたことも併せて考えたい。
第一項 年金制度の改革
厚生年金制度は日勤労所得により高齢者の労働市場からの引退を可能とさせる制度であ
る。しかし、在職老齢年金制度という制度により、働きながら年金をもらう場合に働き方に
よってはその一部がカットされてしまう。これを避けるために、労働者側は労働供給を制限
することが考えられる。これは望ましくない。高齢期の就業選択に関わらず、本来もらえる
はずの生涯年金受給額を変わらないようにする制度が、労働供給を促すことになるだろう。
第二項 年齢を基準としない雇用制度
生涯現役社会を実現するために、企業の雇用制度の改革も必要となる。定年制度はもちろ
んのこと、募集・採用における年齢制限も見直す必要がある。⑵の2で有効求人倍率は 65
43
歳で 0.57 倍であり、労働力調査によると、55 歳以上で最も多い「仕事に就けない理由」は
「求人年齢」であり、4~5 割を占めていると指摘していた。これをふまえれば、年齢制限
を解消できれば労働需要が増えることが予想される。そのためには、現行の賃金・処遇の改
善が必要だ。年功的な賃金や昇進を見直し、能力や成果によった賃金に変えること。賃金・
処遇の毛艇基準の明確化が行われないといけない。また多様な就業形態を提示できるとよ
い。
第三項 職業訓練(人的資本投資)
高齢者の労働意欲が高く、年齢によらない雇用制度ができたとして、高齢者側に企業が求
める能力が無いならば意味が無い。公共訓練所や職業訓練機関の整備・充実させること。人
的資本投資に充てられる時間を作り出すために労働時間を短縮するような政策も価値があ
る。
【第二部
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