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トレント公会議とプロテスタンティズム

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トレント公会議とプロテスタンティズム
コメント1:トリエント公会議とプロテスタンティズム
2013 年 11 月 30 日 踊共二(武蔵大学)
男女の貞操と結婚を教会の教えに従って秩序化することは、カトリックにとってもプロテスタントに
とっても非常に重要な改革の一里塚であった。カトリックの場合、聖職者の独身制を再確立しながら信
徒の婚姻の規律化が行われたことはアルフィエーリ博士の報告のとおりである。プロテスタントの場合
は、聖職者にも結婚を許し、同一の婚姻の理想と実践の指針によって単線的な道徳改革が推進された。
このように婚姻をめぐる価値観と実践の方法は新旧両教会では大きく異なっていた。しかしその社会的
帰結には共通点があった。カメンによれば、西欧の家族道徳は宗教改革とカトリック改革によって変化
を被り、夫が妻に暴力をふるったり殺害したりすることを許す慣習法は次第に否定され、17 世紀に家族
構成員の間の敬意や愛情が重視されるようになり、愛に基づく結婚という表現も資料のなかに登場する
ようになるという。
アルフィエーリ博士は、その報告のなかで、近世のカトリックとプロテスタントの間には「身体の規
律化」に関して大きな違いがあると指摘している。カトリック教会は人が独身であることを理想的状態
とみなし、肉体的な欲望の統御を効果的かつ現実的に行うための議論を詳細に展開し、聖職者の独身制
と信徒の結婚の統制を通じて秩序を保とうとした点でプロテスタントにみられない特徴を有しており、
その身体的統制は個々人の内面(良心)の統制ないし支配を前提としていたとされる。その統制は告解
を通じてなされたというのがアルフィエーリ先生の主張である。これは他の近世史家たちも強調すると
ころで、ロニー・シャーは、近世に頻度を増した告解の秘蹟が罪の自覚と自己吟味を信徒に促し、個人
の意識を高めさせ、聴罪司祭もまた詳細な告解規定書を用いるなかで自己規律化を試みたと論じている。
告解が重要な役割を果たしたことは、ミラノ大司教ボロメオが告解の秘蹟の神聖性と威厳とパーソナル
な性質を守るために考案した告解ブースにも表れている。告解の秘蹟は「魂の征服」をもたらし、いわ
ゆる「宗派化」の推進剤となり、道徳改革の進展を促したとされる。それは一定の成果を収めたと考え
られる。聖職者の秘密結婚ないし同棲生活は、聖職者の道徳だけでなくその聖職者に寄り添う信徒層の
道徳の問題でもあるが、この私的結婚の慣習は衰退に向かい、たとえばドイツのケルン大司教区では都
市部では 17 世紀半ばまでに一掃され、農村部でも 17 世紀末にはなくなるとされる。
ところで近世カトリックの良心論は中世神学の延長上にあるが、プロテスタントのそれは伝統を破壊
していた。そこでは良心は原理的に「個人」に帰され、たとえ過誤に陥っていても教会権力による強制
の対象にはならない。カトリック教会の伝統では教会(と国家)は「過誤に陥った良心」は(必要なら
強制力をもって)正されねばならない。この点でプロテスタントの良心は自立的でカトリックの良心は
従属的であった、といえるかもしれない。しかしこの対比は正しいのであろうか。プロテスタント世界
において 18 世紀以前に個人の「良心の自由」が認められたのはオランダのような例外的な地域だけであ
り、それも私的礼拝の自由という限定的範囲においてであり、ドイツでもスイスでも公認宗派以外の教
えを信じる者は弾圧を受け、改宗を迫られ、また政治的・社会的な危険性を理由に刑罰の対象になった。
他方、カトリック世界に関しては、個人の良心はつねに教会の統制下にあったといって良いのか、問い
直し、調べ直す必要を感じる。これはアルフィエーリ博士に質問したいことの一つである――この問い
への回答は「カトリックの良心論はたんに上から統制を求めておらず、罪と赦しをめぐる[司祭と信徒
の]ネゴシエーションを可能にしていた」というものだった。
近世史研究者のなかには「宗派化」の成果は大きくなかった結論する人が多い。カトリック世界にお
ける告解と聖体拝領の再活性化も、きわめて熱心なエリート層と面従腹背の信徒大衆の乖離を生んだだ
けだと論じる者もいる。
「良心の征服」はカトリック信徒の間で本当に幅広く起こっていたのだろうか。
これもアルフィエーリ博士にたずねてみたい点である――この問いに対しては「告解だけでなく洗礼や
結婚の秘蹟も人間の内面をカトリック的にする[宗派的にする]作用を持続的に及ぼしており、一定の
成果があったと考えられる」というものだった。なお近世の民衆世界には、人間の犯す罪に対する神罰
への恐怖が確実にあり、また死後の魂の救いに対する願望も広く共有されていたと考えられるから、そ
のことが司牧者(牧会者)としての聖職者の権威を保たせていたと思われる。民衆世界をいわば唯物論
的に説明することはできない。しかし(だからこそ)聖職者の権威は彼らの人格や品位に左右された。
どれほど優れた教理問答書や告解規定書が作られても、信頼に足る司祭や牧師がいないところでは「宗
派化」ないし人間の内面の変革は推進されようがなかった。異なる宗派勢力が隣接して存在する状況が
ドイツやスイスやオランダやフランスまた中東欧で広く見られたことも、単一的な「宗派化」の妨げで
あったと考えられる。けっきょく「宗派化」という現象は、時と場所によって「濃淡」のある「まだら
模様」にたとえるべきものかもしれない。
(以上)
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