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Newsletter2012春

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Newsletter2012春
JSICR
Newsletter
Japanese Society for
Interferon & Cytokine
Research
No.33 2012年春号
第77回日本インターフェロン・サイトカイン学会学術集会のご案内
ISICR Newsletterより
審良静夫先生 Gairdnar賞 受賞 記念特集
特集: 復興への取り組み ほか
日本インターフェロン・サイトカイン学会事務局
〒663-8501 兵庫県西宮市武庫川1-1
兵庫医科大学免疫学・医動物学 内
JSICR Newsletter No.33
《ご 案 内》 第77回日本インターフェロン・サイトカイン学会学術集会を下記のごと
く開催いたしますので、多数ご参加いただきますよう、お願い申し上げま
す。 メインテーマ: サイトカイン研究の近未来:基礎と臨床のクロストーク 会
期: 平成24年6月21日(木)~22日(金) 会
場: 神戸商工会議所 (電話:078-303-5801) 〒650-8543 神戸市中央区港島中町 6-1 会
長: 西口 修平 (兵庫医科大学 内科学講座 肝・胆・膵科) 学会事務局: 兵庫医科大学 内科学講座 肝・胆・膵科 〒663-8501 西宮市武庫川町1番1号 TEL 0798-45-6472 FAX 0798-45-6474 学会ホームページ: http://jsicr77.umin.jp/ 会場案内:神戸商工会議所 電車ご利用の場合 「JR 三ノ宮駅」、「阪急三宮駅」、「阪神三宮駅」からのりかえ。ポートラ
イナーで 10 分。「市民広場」駅下車。北へ徒歩約 5 分 お車ご利用の場合 神戸大橋より真ん中の車線を直進。 会 場 ア ク セ ス に つ い て の 詳 細 は ホ ー ム ペ ー ジ
http://www.kobe-cci.or.jp/contact/access/をご参照下さい。 1
JSICR Newsletter No.33
ご挨拶 拝啓 このたび、第 77 回インターフェロン・サイトカイン学会を担当させ
ていただき光栄に存じます。平成 24 年 6 月 21 日、22 日の両日に神戸
商工会議所で開催させていただきますので、多くの先生方にご参加いた
だきたいと存じます。今回のテーマは、「サイトカイン研究の近未来:
基礎と臨床のクロストーク」とさせていただきました。 さて、私はこの学会(当時は、インターフェロン研究会)に参加させて頂
いて今年でちょうど 30 年になります。1982 年に消化器内科医でありなが
ら、大学院は生化学教室に入るように求められ、指導教授の森澤成司先生
から「IFN による肝再生抑制の機序解明」をテーマに与えられました。こ
の研究の最大の難関は、購入すれば当時極めて高価であったマウス IFN が
大量に必要なことでした。しかし、この研究会の席上で東レ基礎研究所の
小林茂保先生が、「タンク 1 杯分のマウス IFN をあげるよ」とご快諾して
頂いたことで、私の学位が出来上がりました。さらに、我々消化器内科医
にとって IFN は抗ウイルス物質としての認識しかありませんでしたが、本
学会では、当初から IFN の抗腫瘍作用や血管新生抑制作用などの多面的な
生理活性が検討されていました。これらの研究成果に触発されて C 型(当
時は非 A 非 B 型)慢性肝炎・肝硬変に対する IFN の発がん抑制作用の臨床
研究を開始し、IFN がC型慢性肝疾患からの肝発癌を抑制することを初め
て明らかにしました。日本の消化器病関係の学会では、この知見は当初ま
ったく容認されませんでしたが、本学会で好意的に受けとめて頂けたこと
が、逆風を跳ね返して論文化することに繋がりました。このように、私は
本学会を通じて基礎研究の最新情報を入手し様々な恩恵に浴してきたの
ですが、現時点では臨床から基礎への情報発信がまったくできていません。
今回は、その反省も込めてメインテーマにあえて「クロストーク」という
言葉を選びました。 今回、学会を企画するに当たり、第一に臨床医に本学会の魅力を実感し
て頂き、今後の臨床的な研究活動に役立つ内容であること、第二に、臨床
研究の最新のトピックスを厳選して基礎研究者に紹介すること、を重視し
ました。基礎研究においてフォーカスを充てるべき内容は、私には判断し
かねますので中西憲司本学会会長と筒井ひろ子先生のお力をお借りしま
した。具体的には、臨床と基礎の双方から 1 名ずつのオーガナイザーを選
2
JSICR Newsletter No.33
び3つのシンポジウムを設けました。シンポジウムに取り上げなかったテ
ーマでの重要な演題は、優秀演題としてオーラル発表の機会を設けていま
す。また、ポスター発表についても十分な討論時間を設けておりますので
奮って応募頂きたいと存じます。さらに、教育講演を基礎・臨床系それぞ
れのオピニオンリーダーの先生方から、その分野のオーバービューをお願
いしております。 最後に、学会が担う役割として、一般社会への貢献、すなわち市民への
情報発信が重要視されるようになりました。そこで、学会のサテライト企
画として市民向けの公開講座を平成 24 年 6 月 23 日に兵庫医科大学平成記
念会館で行います。学会が開かれます神戸の街は、元々中華街、異人館な
ど多くの観光スポットを有しており、今は平清盛を偲んだイベントが各地
で開かれています。学会の翌日までお泊まりいただいて、市民公開講座に
ご参加いただくとともに、神戸観光で日頃の研究の疲れも癒していただき
たいと思います。 敬具 平成23年3月吉日 第77回日本インターフェロン・サイトカイン学会学術集会会長 西口 修平 (兵庫医科大学 内科学講座 肝・胆・膵科) 3
JSICR Newsletter No.33
《学術集会プログラム》 シンポジウム 3 テーマ 座長 1 座長 2 1 藤田尚志 (京都大学) 朝比奈靖浩 (武蔵野赤十字病
院) 2 岩倉洋一郎 (東京大学) 3 清野 宏 (東京大学) テーマ ウイルス増殖制御機構の 最新情報 宇野賀津子 T 細胞サブセットと疾患 (パストゥール研) 松本譽之 (兵庫医科大学) 粘膜免疫 優秀演題口演セッション 座長 1(基礎分野) 座長 2(臨床分野) 米原 伸 (京都大学) 榎本平之 (兵庫医科大学) テーマ 優秀演題口演セッション 教育講演会(ミニレクチャー) 演者 1 西口修平 (兵庫医科大学) 2 松島綱治 (東京大学) 義江 修 (近畿大学) 3 平野俊夫 (大阪大学) 西口修平 (兵庫医科大学) リウマチと IL-6 4 門脇 孝 (東京大学) 山本徹也 (兵庫医科大学) アディポサイトカイン 座長 テーマ 中西憲司 会長講演 (兵庫医科大学) 4
ケモカイン JSICR Newsletter No.33
市民公開講座 兵庫医科大学におけるサイトカイン研究と臨床応用 平成記念会館 6 月 23 日(土曜日) 14 時~16 時 05 分 演者 座長 テーマ 1 佐野 統 西本憲弘 リウマチの抗サイトカ
(兵庫医科大学) (和歌山県立医科大学) イン療法 2 西口修平 (兵庫医科大学) 河田則文 (大阪市立大学) 慢性肝炎のインターフ
ェロン治療 3 松本譽之 (兵庫医科大学) 樋口和秀 (大阪医科大学) 炎症性腸疾患の抗サイ
トカイン療法 《日程》(若干の変更・追加の可能性があります) 初日 開会式 09:00~11:00 シンポジウム 1 11:10~11:40 教育講演 1 13:10~14:00 ポスター発表(偶数) 14:10~14:40 教育講演 2 14:40~15:10 教育講演 3 15:20~17:20 優秀演題口演セッション 2 日目 09:10~11:10 シンポジウム 2 11:20~11:50 総会 13:10~14:00 ポスター発表(奇数) 14:10~14:40 教育講演 4 14:50~16:50 シンポジウム 3 閉会式 5
JSICR Newsletter No.33
《演題募集要項》 1. 発表形式 1)シンポジウム 1:ウイルス増殖制御機構の最新情報 2)シンポジウム 2:T 細胞サブセットと疾患 3)シンポジウム 3:粘膜免疫 4)一般演題(ポスター発表) ※優秀な演題は口演発表になる場合がございます。 2. 演題登録締め切り 平成 24 年 4 月 27 日(金曜日) 3. メール宛先 [email protected] 4. メール記載事項 件名は [インターフェロン演題登録] として下さい。 本文に以下の事項を必ずご記入ください。 •
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筆頭発表者の氏名 所属 所属先住所/電話番号 メールアドレス 発表形式 「シンポジウム 1」
「シンポジウム 2」
「シンポジウム 3」
「一般演題」の何
れかを記載して下さい。 演題内容 発表内容について、「基礎」か「臨床」の何れかを記載して下さい。 5. 抄録の様式 Office Word の.doc, .docx ファイルにて以下の様に作成し、 添付書類としてメールにて送付してください。 6
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A4 サイズ 1 枚以内とし、上下に各 3cm、左右に各 2.5cm の余白をとる。 フォントは、MS 明朝、Times または Times New Roman とする。 タイトルのみ Bold 14 ポイント、他は Normal 12 ポイントとする。 タイトルから 1 行空けて、発表者名、発表者の所属を記載する。 筆頭者以外が発表する場合は発表者に下線を引く。 所属が複数存在する場合は、氏名の右肩に上付き文字で 1,2 と数字を振
り、所属の項目に列挙する。1 行空けて、本文を記載する。 本文から 1 行空けて、キーワードを 3 つ記載する。 6. 応募資格 発表に際し筆頭演者は、日本インターフェロン・サイトカイン学会の会員であ
ることが必要です。 未入会の方は、下記学会ホームページ「入会案内」より入会手続きをお願いし
ます。 日本インターフェロン・サイトカイン学会ホームページ 7. 演題の採否 •
•
演題の採否および最終的な発表形式につきましては、会長にご一任くだ
さい。 演題の採否はメールにてご連絡いたします。 8. その他 採択された演題は、本学術集会ホームページにて公開いたします。 閲覧には、パスワードが必要です。 パスワードは、日本インターフェロン・サイトカイン学会の会員の皆様に後日
メールにてお知らせいたします。 9. 演題登録に関するお問い合わせ先 第 77 回学術集会事務代行 株式会社サンプラネット 〒541-0041 大阪市中央区北浜 2-3-6 北浜山本ビル 3F Tel:06-6232-3873 Fax:06-6232-0440 [email protected] 7
JSICR Newsletter No.33
日本インターフェロン・サイトカイン学会では学会奨励賞をもうけております。応募規
定、応募要領は下記の通りです。なお、不明な点などあればお尋ねください。多数の優秀
な若手(平成 24 年 5 月 31 日で 45 歳以下)研究者の応募をお待ちしていいます。平成 24-25
年度の選考委員は以下の 5 名です。 藤田尚志(委員長)、岩倉洋一郎、米原伸、中西憲司、松島綱治 応募の締め切り:2012 年 5 月 31 日(月)必着 宛て先:日本インターフェロン・サイトカイン学会事務局 〒663-8501 兵庫県西宮市武庫川町1-1兵庫医科大学免疫学・医動物学教室 内 応募者は以下の事項につき記載して、封書にてお送り下さい。(封書の表に奨励賞応募書類
在中と朱記して下さい。) i) 氏名、年令、生年月日 ii) 所属 iii) 過去 3 回の学術集会(2009 年〜2011 年)で発表済み、あるいは本年(2012 年)発
表予定の研究内容(抄録集あるいは発表応募抄録のコピー)。1 編ないし数編 iv) 上記研究に関連して発表した学術論文の別冊、あるいは受理論文、1 編ないし数編 v) 学術論文に掲載されている共同研究者全員の署名による応募承諾書(形式自由) vi) 応募理由 (800 字程度で研究のどの点がインターフェロン・サイトカインの進歩に
寄与しているかを明確に記載すること。) なお、奨励賞応募規定は以下のとおりです。 日本インターフェロン・サイトカイン学会奨励賞応募規定 1. 奨励賞は、本会会員にうち学術集会においてインターフェロン・サイトカインの進歩
に寄与するすぐれた研究を発表した若手研究者に授与する。 2. 奨励賞は、毎年 2 件以内とし、各々賞状および副賞(1 件当たり 10 万円)を贈呈する。 3. 応募資格は以下の通りとする。 i) 応募の暦年度を含め過去 3 年間に本会学術集会において 1 回以上発表したもの。 ii) 応募の締めきり時において 45 才以下のもの。 4. 応募者は以下の事項につき記載して、封書にて本会宛に送付すること。 i) 氏名、年令、生年月日 ii) 所属 iii) 本会学術集会において発表済みないし予定の研究内容。1 編ないし数編 iv) 上記研究に関連して発表した学術論文の別冊、あるいは受理論文、1 編ないし数編 v) 学術論文に掲載されている共同研究者全員の署名による応募承諾書 vi) 応募理由 8
JSICR Newsletter No.33
A message from the new ISICR President,
Chuck Samuel
Dear Colleagues,
It is an honor and special privilege to begin my term as
President of the International Society for Interferon and
Cytokine Research. Leon Platanias, our past president who
completed his term at the end of 2011, deserves enormous
thanks for his leadership in so ably guiding our Society during
the past two years. Among the initiatives that Leon ushered
along following the initial efforts of Otto Haller during his
presidency is the immensely important one that our
membership embraced by vote in January: the merger of
ISICR and the International Cytokine Society. The merger
between ISICR and ICS to form a society to be known as the
Cytokine and Interferon Society was endorsed by a strong
majority of both memberships; 89% of the ISICR and 95% of
the ICS votes cast were for the merger. During the upcoming
year, I will be working with David Wallach, President of ICS,
together with our Board of Directors and their Council, as we
move to the next phase on the path toward formation of the
new society that represents our common interests.
During the formative period of the new society, the ISICR
Board of Directors and the ICS Council agreed the merger
should take place in a manner that recognizes to the extent
possible the aspirations and cultures of both the ISICR and
ICS. To help assure an orderly transition during the upcoming
period, the current officers of the two societies will remain in
position and act and work together as the merger process
progresses, prior to election of new Officers by the new
society membership in 2013. The plan is for the new
President to assume leadership in 2014, along with new
committees. During the current year 2012, the ISICR and ICS
each will need to elect three members for a Nominations
Committee that will play an important role in selection of
candidates for our future officers.
Our decision to merge and form the new Cytokine and
Interferon Society is an important milestone in the evolution of
our society structure. Interferon was the first cytokine
discovered, and as many of you know, our society began as
the International Society for Interferon Research founded by
Bill Stewart. I was a Charter Member of ISIR. As additional
cytokines were discovered, we evolved to become the
International Society for Interferon and Cytokine Research.
Now, driven by the increasing overlap of interests between
the ISICR and ICS societies, we are merging to form the
Cytokine and Interferon Society.
2
I hold a special place in my scientific heart for interferon, and
like many of our ISIR / ISICR members, I have spent most of
my scientific career studying aspects of the interferon
response, in my case, in the context of viral infection with
focus on PKR and then ADAR1. One of the activities that we
have enjoyed as society members is the annual meeting.
From the early days of meetings in Rotterdam and Heidelberg
and Clearwater Beach, Florida, when the science largely
concerned biological activities of interferons including their
antiviral actions for which they were discovered, to the
meetings in Washington, Kyoto, Florence and San Francisco
that included the application of recombinant DNA technology
for the cloning of type I and II IFNs, the annual meetings
have been a main event of the Society. As discoveries then
were made in understanding signal transduction and
transcriptional control mechanisms, both for the action and
the induction of IFNs, increasing overlap emerged between
studies with interferons and other cytokines that subsequently
led to joint meetings between ISICR and ICS, most recently in
Montreal, Chicago, and Florence. In September 2012 the
10th and final Joint meeting prior to merger will be held in
Geneva. Exciting science, and also our culture of friendships,
has been an important aspect of the annual international
meetings and society membership for over three decades.
We hope, and anticipate, that the new Cytokine and
Interferon Society borne by the merger will be a vibrant and
strong organization, with a collegial culture that captures
opportunities that enhance both the basic research and
clinical application aspects of interferons and other cytokines.
While some challenges exist globally in the research-funding
arena, both in academia and the private sector, we are
hopeful that the funding climate will soon improve. Our new
Society will need to devote enhanced effort for research
funding for its members, as well as awareness of science
policy issues that impact the work of our members. With
bright new investigators entering the cytokine and interferon
fields from different paths and backgrounds, and bringing
with them new technologies and cross disciplinary
approaches, we look forward to exciting new advances in the
future.
With best wishes,
Chuck Samuel
President, ISICR
ISICR Business Office: [email protected]
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TEL: 301-634-7250
•
FAX: 301-634-7455
•
www.ISICR.org
JSICR Newsletter No.33
A LOOK AT THE HISTORY OF THE
by Bob Friedman
Reviewing in my mind the history of the ISICR (originally the
ISIR) in preparing myself to write this short piece, I came to the
conclusion that, all things considered it is a story of success.
ISICR has, to a large extent, fulfilled the goals its members had
for the organization. As stated in its constitution, these are to
promote the exchange of knowledge in interferon and cytokine
research through meetings, seminars, reports, and publications,
and to initiate and participate in programs related to interferon
and cytokine research. In addition, the ISICR has taken on the
function of insuring that as many of its members as possible are
able to attend its meetings. In carrying out its functions, and
achieving these objectives, ISICR has managed to maintain a
positive financial balance all during its history. Credit for the
success of ISICR, I believe, is due to the leadership and the
members of the organization. They have been unstinting in their
input of time and effort in achieving its goals.
APRIL 2012 I VOLUME 19 I NO. 1
3
10
JSICR Newsletter No.33
A LOOK AT THE HISTORY OF THE
continued
Although the first meeting that was designated officially as an
ISIR function was held in Rotterdam in 1983, it was hardly
the first international meeting of scientists interested in
interferon research. The credit for that has to go to a session
organized by Jan Vilcek and held in 1964 at a rather spooky
castle-like location near Bratislava in the then Communistruled Czech Republic. It was attended by a fair percentage
of the handful of scientists at the time carrying out research
on interferon along with some scientific notables in the fields
of microbiology and infectious disease from the US, and
Western and Eastern Europe. Attendees included Andre
Lwoff, who was awarded a Nobel Prize two years later. It was
the first opportunity for many of the early workers on
interferon to get to know one another. The meeting was such
a success that Jan was granted the privilege of spending a
short vacation with his wife in Vienna, rare in Czechoslovakia
at that time. They took this opportunity to continue their trip
westward, ending up in New York City where they still reside.
Thus, even the first international interferon meeting had
some very positive, long-term effects.
From that time until the formal organization of the ISIR in 1982,
interferon meetings were sporadic and invitations to them
seemed capricious. A potential organizer would obtain funds
from a pharmaceutical company interested in antiviral
research, or from a government, and then put together a
meeting, inviting the investigators who it was thought might
contribute significantly to the meeting or were pals of the
organizer. There was no review of submitted abstracts, but very
often, depending on how much money the potential organizer
had raised, funds were available to cover the costs of
attendance by the invited investigators. Publication of
submitted abstracts or of the meeting’s proceedings was
erratic. Such meetings, held in desirable locations about once
year, began to be noticed by the scientific community, and
consequently interferon research acquired the reputation of
being rather frivolous and of ambiguous merit. At a meeting of
The Infectious Disease Advisory Committee of the NIAID I
attended in the early 1970s, a distinguished specialist in viral
diseases asked whether people were still working on that stuff
when the question of whether to support interferon research
came up. Remember that in 1980, it had only recently been
realized that there were several interferons, none of which had
been purified, or cloned, and it was still respectable to believe
that antiviral activity was the only biological effect of interferons.
4
What really sustained the limited interest in interferons in
the 1970s and early 80s was a belief that they would
eventually prove to be effective antiviral agents, which
indeed they did become. This hope was sustained at that
time by the production of small amounts of partially
purified human interferon in the laboratory of Kari Cantell
in Helsinki. Cantell’s interferon was used in studies by Tom
Merigan with moderate success in the treatment of some
viral infections, notably Hepatitis B. In 1974 there was a
report (later shown to be flawed) from Sweden that
Cantell’s interferon was effective in treating cancer
patients. This paper prompted great interest in interferons
as possible cures for a wide range of tumors, and in
response Matilde Krim organized a meeting in New York
City in 1975 to increase the level of enthusiasm for the
field. The possible anticancer properties of interferons
discussed in this meeting were critical, I believe, in moving
several leading laboratories into successful efforts to clone
the interferon genes.
All of this rather amorphous structure began to be
organized at a meeting in 1982 when Bill Stewart
suggested the formation of an ISIR and the initiation of the
publication by the society of The Journal of Interferon
Research. These propositions had a somewhat mixed
reception for two major reasons. Many members of the
group felt that the new journal and organization would
separate interferon scientists to some extent from the
mainstreams of research in virology, cell biology, and
immunology. Also, although he had a fine record as an
investigator, Bill Stewart’s character had a rather clouded
reputation. Despite the reservations that some investigators
had, however, Stewart’s suggestions carried the day, and
the ISIR and the JIR were born with Bill as its first
President and as first Editor-in-Chief of the journal. Plans
were made for a first formal meeting of the organization in
Rotterdam in 1983. By the time of the second meeting in
Heidelberg, a constitution for the organization had been
adopted, and a two year length of office for the presidency
had been established. The first full-term president was Ed
de Maeyer. Stewart took over as Secretary of the
organization in 1985, but by 1988 the position was very
capably assumed by Sid Pestka, who held the job until
2006 with the exception of 1984-85, the term of Sid’s
presidency. Ernest Knight served as ISIR’s first Treasurer.
ISICR Business Office: [email protected]
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•
TEL: 301-634-7250
•
FAX: 301-634-7455
•
www.ISICR.org
JSICR Newsletter No.33
A LOOK AT THE HISTORY OF THE
continued
The organization of meetings became more formal with
submission of abstracts, and their publication in the JIR. The
selection of platform speakers became more of a committee
decision rather than depending on the sole caprice of the
organizer of the meeting. The Meetings Committee, under
the enthusiastic leadership of Kathy Zoon, and later of Chris
Czarniecki, began to take a greater role in the planning and
financing of meetings. Due to the administrative efforts of the
Meetings Committee and of the organizers of the individual
meetings, the ISICR was often able to use to whatever profit
was accrued from the meetings to further its goals.
relationship as Mr. Milstein was very intrigued by interferon
and its possible clinical use. The Milstein Family, including
Seymour’s wife Vivian and son Philip, have continued to
finance this award every year since, and has in addition
contributed significant amounts to the society in the form of
travel grants. In recognition of their generosity, ISICR
hosted a dinner to honor Mr. and Mrs. Milstein at the 1997
annual meeting in San Diego. Luckily, I was able to obtain
funds for this affair from an independent foundation. The
timing of this dinner was fortunate as Mr. Milstein died just
a few years later.
By the time of the 1989 meeting in Florence the growing
importance of the cytokines was recognized by the
organization, its name was changed from ISIR to ISICR, and
the title of the journal, from JIR to JICR; in the same year the
ICS was formed. Prior to the 1994 meeting in Budapest,
Howard Young edited the first issue of The Interferon
Newsletter, a regular publication that has proven to be
invaluable to the members of the ISICR. By 1996, the
administrative and accounting paperwork of the ISICR had
become too complex for the Secretary and the Treasurer to
continue to undertake, and most of this responsibility was
transferred to FASEB, with oversight still residing in the
elected officers of the society. It had become quite clear in
1996 that the aims of ISICR and ICS to a large extent
coincided, and it made no sense for both organizations to
compete by running meetings at separate sites and times, so
the first joint meeting of these societies was organized in
Geneva that year. The joint meetings have been resounding
successes both scientifically and financially for the two
organizations.
An additional society award, the ISICR Distinguished Service
Award, was in initiated at the 2010 meeting in Chicago.
Howard Young and Sid Pestka, whose contributions to the
society were previously noted, were its first recipients.
The Awards Committee ably run by Paula Pitha-Rowe, later
by Kathy Zoon and Bob Silverman and now by Bob
Silverman has carried on the laborious task of selecting the
recipients of the Milstein and other awards. Committees of
the ISICR also dealt and continue to deal with Nomenclature
and Standards relating to interferons. The Proceedings of
these committees are recognized internationally. In 1994
Norman Finter and I, during my 1996-7 presidency, urged
the society to form an Archives Committee to collect
information relating to the early years of interferon research
at a time when most of those who had participated were still
living. The records collected are now housed at The
Wellcome Foundation for the History and Understanding of
Medicine at the Wellcome Foundation in London.
The success of the joint meetings of ISICR and ICS naturally
led to a movement in both societies to amalgamate, forming
a new organization tentatively to be named The Cytokine and
Interferon Society. This year the membership of both
societies overwhelmingly supported their unification. So, in a
way this piece is intended to celebrate the life and honorable
demise of ISICR, and to subject it to an autopsy (I am after
all a pathologist). Let us hope that the resurrected ISICR in
the form of the CIS is at least as successful an entity as were
its two precursor organizations.
The first of the Honorary Member Awards was given at the
1984 Heidelberg meeting to Jean Lindenmann and Yasuti
Nagano, who might rightly have been considered at the
time the original, still- living interferon investigators. In
1988 the first Milstein Award for outstanding research on
interferon, initiated by Mr. Seymour Milstein in memory of a
dear friend who had carried out research on interferon, was
awarded to Tadatsugu Taniguchi. Mr. Milstein had made
initial contact with Sid Pestka, and they developed a close
APRIL 2012 I VOLUME 19 I NO. 1
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JSICR Newsletter No.33
ISICR と ICS と の 統 合 に つ い て
International Society for Interferon and Cytokine Reseach (ISICR)は、Internatioal
Cytokine Society(ICS)と統合することが予定されています。両会の会員の投票において
統合が強く支持され、2012 年から統合に向けて動き、会長の選出などを経て、2014 年から
は新しい体制で Cytokine and Interferon Society として活動を開始します。
詳細は、ISICR の HP(http://www.isicr.org)やニュースレターをご覧ください。
なお、次回の ISICR の大会は、ICS との合同開催で、9 月 11 日-15 日にスイスのジュネ
ーブにて開催されます。
詳細は、http://www.cytokines2012.com をご覧ください。
iPhone や Android 用のアプリで情報を見ることも出来ます。
http://cytokines2012.com/index.php/cytokines-app
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JSICR Newsletter No.33
The 10th Joint Annual Meeting of the International Cytokine Society (ICS) and
the International Society for Interferon and Cytokine Research (ISICR) will take
place in Geneva at 11th-14th September, 2012.
Call for Abstracts
Registration Fees
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JSICR Newsletter No.33
2011 年カナダ・ガードナー国際賞
京都大学ウイルス研究所感染防御分野 竹内 理
4-500 人もの参加者のある盛大なパーティ
ーで、カナダ厚生大臣や、在カナダ大使も
参加されました。日本からは、審良先生の
恩師である岸本忠三先生ご夫妻、審良先生
の弟子である大阪大学竹田潔先生、審良研
究室から河合太郎先生、竹内が参加しまし
た。写真にも有りますように男性は全員タ
キシードのフォーマルな受賞パーティーで
した。各受賞者によるスピーチも行われ、
大阪大学免疫学フロンティア研究センタ
審良先生によるスピーチはこれまで指導を
ー(IFReC)の審良静男拠点長が 2011 年カナ
受けてきました私たちに取りましても感動
ダ・ガードナー国際賞を受賞しました。カ
的なものでした。
ナダ・ガードナー国際賞はラスカー賞と並
翌日には “ADVANCES IN IMMUNO-
んで医学・生命科学の分野で最も権威ある
LOGY AND INFLAMMATION”と題した
賞の一つです。受賞対象研究は、
「感染に対
ガードナーシンポジウムが開催され、岸本
す る 自 然 免 疫 応 答 を 誘 導 す る Toll-like
先生や米国 NIH の William Paul 博士を始
receptor ファミリーとそれらの認識する病
めとした高名な研究者による講演を聴くこ
原体構成成分に関する画期的な発見」であ
とが出来ました。このように、私たち参加
り、フランス・ストラスブール大学 Jules A.
者としましても大変得がたい経験をするこ
Hoffmann 教授との共同受賞です。2011 年
とが出来、今後の研究に対しましても大変
は DNA メチル化の発見に対しても 3 人に
励みになるものでした。
ガードナー賞が贈られました。
去る 10 月 27 日、トロントにおいて 2011
年ガードナー賞受賞講演、及び授賞式が執
り行われました。まず、トロント大学にお
いて満員の聴衆の中、審良先生、Hoffmann
教授による受賞講演が有り、続いて、トロ
ント・ロイヤルオンタリオ博物館において
授賞式及びガラディナーが開催されました。
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JSICR Newsletter No.33
本授賞式の様子はガードナー財団ホームページや在カナダ日本大使館のページでも紹介さ
れています。
ガードナー財団ホームページによる授賞式の様子
http://old.gairdner.org/photogallery/2011-canada-gairdner-awards-dinner
在カナダ日本大使館による紹介記事
http://www.ca.emb-japan.go.jp/JapaneseSite/Taishikan/Ishikawa-taishi/canada_gairdn
er_award_11.htm
授賞式レポート
プリンセスマーガレット病院放射線腫瘍科 内野 三菜子
今回、審良先生の Gairdnar 賞 受賞に際
ントン、カルガリーいずれの講演も大変に
しまして、トロントでの先生のご案内とい
盛況で、学生たちに非常に大きな感銘を与
う大役を Gairdner 財団より仰せつかりま
える講演であったと担当より伝え聞いてお
した、プリンセスマーガレット病院放射線
ります。
腫瘍科臨床フェローの内野三菜子と申しま
トロントでの行事のメインはインシュリ
す。今回は Gairdner 財団の「中の人」とし
ン発見の碑のある医学部本館での講演、そ
て、授賞式の舞台裏をほんの少しだけレポ
して授賞式で、私の役目は主にこの二つの
ートをさせていただきたいと思います。
行事のご案内でした。授賞式の会場は
今回の先生のご滞在は何と言っても本当
Royal Museum of Ontario のメインホール
にタイトなスケジュールでありました。普
で、これもカナダ式にしては珍しく、受賞
段 Canadian と一緒に仕事をしていて、イ
スピーチ用のマイクチェックがあり、
「只今
ベントの際にここまで勤勉かつ綿密なスケ
マイクのテスト中」としっかり日本語でチ
ジュールを組むようなことは私自身は思い
ェックをしていただきました。授賞式前の
当たらないのですが、トロントに入られて
受賞者限定のレセプションは一般入場者の
からも早朝の飛行機で移動しながらエドモ
入れない旧門側のホールで、写真撮影セッ
ントン、カルガリーと講演を回って再びト
ションを兼ねたものとなっており、審良先
ロントに戻っていただいて授賞式という過
生も、他の受賞者の先生から、あるいは
密スケジュールで、折角遠路をお越しいた
Gairdner 財団から、レッドカーペット上の
だいたのに、ナイアガラの滝はおろか、街
アカデミー俳優よろしく、写真撮影のリク
すらもゆっくりご案内することも叶わず、
エストに引っ張りだこでした。授賞式は、
お好きと伺っていた美術館にも結局足をお
イギリス連邦における正式行事の例にもれ
運びいただけなかったのはご案内する側と
ず、タータンチェックのキルトを穿いたバ
してはとても残念でした。しかし、エドモ
グパイプ奏者に伴われての入場から始まり、
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JSICR Newsletter No.33
石川駐加日本大使も臨席されるという大変
“怒涛の一週間”の後、Dr. Dirks 始め、
盛大で豪華な式でありました。残念ながら
講演やレセプションで同席したトロントの
手伝いの私は授賞式そのものにはご一緒で
研 究 者 た ち か ら は 会 う 人 ご と に 「 Dr. きませんでしたので、会での様子は竹内先
Akira の仕事は素晴らしい。直接お話しす
生のレポートにお譲りしたいと思います。
るととても真摯な方で、とても感激した。
翌日も昼はトロント大学の学生との交流
これからも良い交流をもてたらと思う」と
会・講演会と続き、ようやく解放された夕
の言葉を頂きました。私はほんの少し、お
方に、岸本先生をはじめ日本から来られた
手伝いにも入らない程度の名ばかりのご案
大阪大学の皆様とお食事をご一緒させて頂
内でしたが、全く違う分野であっても興味
きました。移民の街トロントで何とかほっ
深い話をお伺いすることができ、とても勉
として頂ける味をと思い、中華料理店にご
強になる時間を過ごすことができました。
案内させて頂きましたが、お口に合いまし
Gairdner 財団および代表 John Dirks に
たか、どうでしょうか。。。その翌日にはも
代わりまして、先生の遠方からのお越しと
う日本へ戻られるという強行軍で、しかも
素晴らしい講演に感謝の意を表しまして、
後から、出発日当日まで財団代表 Dr. Dirks
結びとしたく存じます。お忙しい中、本当
からの強い希望で朝食をご一緒されたこと
にありがとうございました。
も伺い、つくづくタイトなスケジュールに
本当に申し訳なく思います。
President Dr. Dirks と審良先生 17
JSICR Newsletter No.33
特集 復興への取 り組み
福島に於ける放射線から健康を守る学習会奮闘記
〜 免疫・サイトカイン研究者としての取り組み 〜
(財)ルイ・パストゥール医学研究センター 宇野賀津子
3.11 の地震、津波、そして原発事故
武夫先生と議論しました。また京都大学の
地震、津波、原発事故の映像をみながら、
先輩、内海博司京大名誉教授(原子炉)や
京都にいて、私に出来ることは何か、研究
丹羽大貫京大名誉教授(放生研)にも、特
者として何か出来ないか、と考えていまし
に低線量放射線の生物への影響について、
た。原発事故以降、放射線の影響に関して、
色々と尋ねました。さらに、専門書から一
ネット上では色々な意見が乱れ飛んでいま
般書まで、放射線の影響を大きく言われる
した。特に低線量放射線に関しては、マス
方から、それほどでもと言われる方まで、
コミでも笑ってすまされないような、間違
反原発からやや推進派?と思われる本を、
った意見が飛び交っていました。また、科
手当たり次第に買って読みました。この間
学者と称する人が、福島県は危険だから、
に読んだ本は、50 冊をゆうに超えます。ま
子供は少なくとも皆避難すべきという一方、
た広島・長崎の原爆被害者の疫学調査や、
低線量放射線はむしろ健康に良いという方
チェルノブイリ事故のがんリスクの論文も
もいて、色々な情報が錯綜していました。
調べました。
原発事故に対する深刻な評価はむしろ外国
そんな中で、低線量放射線の影響が、が
から、入ってきました。
んや老化へのリスクとなれば、これまで自
あまりの情報の混乱に、少しでも正しい
身が行ってきたがんと免疫の研究、がんの
情報を発信したいと、友人の坂東昌子さん
進展を抑制する食事、抗加齢食や生活の研
(元物理学会会長・愛知学院大名誉教授、
究が役に立てるのではと思うようになりま
現 NPO 法人あいんしゅたいん代表)と低
した。また、ルイ・パストゥール医学研究
線量放射線研究会を立ち上げました。幸い
センターで長年行ってきた生きがい療法学
私のもとには、女性研究者や高校の同級生
習会の経験も役立つように思いました。そ
のメイリングリストなどから、色々な情報
して、情報発信には小回りがきくというこ
が入ってきました。また坂東さんの元にも、
とで、私も理事の一人である、あいんしゅ
物理学会や素粒子論グループからの情報が
たいんのホームページに、作ったスライド
入ってきました。これらの情報をもとに、
を掲載することにしました。
毎日のように坂東さんや松田卓也先生(神
戸大名誉教授、宇宙論)と議論しました。
低線量放射線の影響情報発信とその影響
がんリスクということでは、当研究所の藤
まず、3 月 29 日に「低線量放射線の影響:
田晢也先生、放射線ということでは長谷川
理解を深めるために」を、掲載しました。
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JSICR Newsletter No.33
またその後7月半ばに更新版である「低線
思いました。
量放射線の生物への作用を検証する:がん
JSICR Newsletter では低線量放射線の
リスクと免疫の役割」を、理研(和光市)
影響を、事細かに説明するのは適切ではな
での講演や京都大学での講演で話したもの
いと考えます。詳細は、あいんしゅたいん
をもとに、掲載しました。理研での講演の
の東日本震災情報発信ページ
内容は、その後福島で、放射線計測をされ
(http://jein.jp/earthquake-disaster.html)
ていた志水隆一先生の目に触れることとな
やルイ・パストゥール医学研究センターの
ります。そして日本学術会議の放射線計
ホームページ掲載のパストゥール通信
測・説明会チ−ムに加わってほしいとの要請
(http://www.louis-pasteur.or.jp/Ptsuushin201
を受けたのです。 2.pdf)
をお読みください。結果的に、低線量放射
低線量放射線の生物への影響:研究者とし
線の影響が、かなりの部分活性酸素による
ての視点から
となれば、活性酸素の害を減少させるよう
私自身、低線量放射線の影響を過大に
な食事は、これまでに私ががんを予防する
伝え、パニックを煽る研究者に憤りすら感
食事で調べてきた知識が役立つことが解り
じました。十数年前に経験したエイズパニ
ました。また、がんのリスクと免疫機能に
ックを思い出しました。エイズウイルス
ついては、これまでの研究から、何よりも
(HIV)感染のリスクを過剰に言うことによ
免疫機能を強化することこそ大事だとの確
り、多くの感染者が傷つきました。その頃
信がありました。放射線の影響を過大にい
血友病の方の半分ぐらいは HIV に感染して
い、福島県にいたら 10 年の間に皆がんにな
いた事が明らかになっていましたので、学
るといった、論調にだんだん腹立たしくな
校に通う血友病の方は HIV の陰性証明をだ
ってきました。がんリスクにおびえる方が、
してくれないと、学校へ来てもらっては困
よっぽど、免疫力を低下させ、がんリスク
ると言われ、登校すら危うくなりました。
を上げるのではないかと思った次第です。
患者と接点のある医師たちは、一生懸命日
私自身これまで 25 年以上にわたり IFN
常生活では感染することはありませんと、
産生能を初めとして色々な方の免疫機能を
説明してまわりました。この時期エイズ教
測定してきた経験があります。図 1 に宇野
育に係わった私は、この経験を通じて、リ
の IFN-α産生能の個人史をしましました。
スクを過大にいうも過小にいうも、無責任
IFN-α産生能は、ルイ・パストゥール医学
と思いました。
研究センターで長年にわたり測定している
リスクを過大に言うことは、事の本質を
独自の免疫機能です。この低下もまたがん
見誤る、今からでも出来る事があるのに、
リスクが増大することを私達は明らかにし
それも出来なくなってしまうと思いました。
ています 1。風邪や尿道炎など、体調の悪い
低線量放射線の影響が、がんリスクとなれ
時に意識して測定していますので、スパイ
ば、ストレスの方が悪影響を及ぼすのに、
ク状に低下が認められます。しかしながら、
そんなに恐怖を煽ってどんな益があるのと
この個人史のなかで、最低の値は、京都大
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JSICR Newsletter No.33
図1 学の動物学教室で、マウス小屋の掃除をし
の影響が大きいと確信しました。
ていて、ケージに忍び込んだ蛇に出くわし、
低線量放射線の影響については、広島長
おなかのふくらんだ蛇と目があった時、そ
崎の結果から、主としてがんリスクが心配
れはもう怖い思いをした 2 時間後に測定し
されています。100 mSv 以下では、明らか
た値です。この経験を通じて、私自身恐怖
な影響は検出されていないというのが現状
による免疫機能低下は、何にも増して強大
です。現在、私はむしろ加齢炎症
であることを実感しました。
(inflammaging)という視点から、低線量
また、がんのセカンドオピニオンをもと
放射線の影響を注意深く見守りたいと考え
めて当研究所に来られた方が、故岸田綱太
ています。
郎先生とお話をされ、治療に希望をもたれ
加齢炎症:老化に伴う炎症で、IL-6 や
たとたん、顔があかるくなり、次週はまだ
TNF-αなどの上昇が報告されています。と
何の治療もしていないのに、NK 活性や IFN
くに IL-6 については、生命予後との関連が
産生能が上昇したのも見てきました。今、
報告されています 2。実際、広島長崎の被爆
福島の多くの地域で問題となっている位の
者のデータでも、被曝線量と IL-6, CRP と
放射線量なら、免疫力の強化や抗酸化食で
の有意な正の相関がしめされています 3。つ
そのマイナスの影響は克服できると確信し
まり、加齢炎症、老化もまた低線量放射線
ています。むしろ、過剰に低線量放射線の
の影響といえるでしょう。ただ、その程度
影響を心配するあまり、野菜を食べない、
は、個人のライフスタイルでも変わります。
子供を外で遊ばせない、等の方がマイナス
生活習慣病の予防を心がける食事で、結果
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JSICR Newsletter No.33
は大きくかわってくるでしょう。また、当
我々チームの特徴はなんといっても、単
学会の会員の中には、精神的症状とサイト
に講演をするだけでなく、この学習会に先
カインについての研究をされている方もお
立って、事前に地区を回り、車内および学
られると思います。福島市でお話したとき、
校や集会所などでは降りて特に念入りに放
日赤の医師の方が、要するに低線量放射線
射線の計測をしていることです。測定され
の影響を克服する食事は、生活習慣病予防
た空間線量は 0.1 - 0.7 µSv/h 程度、学校の
の食事指導でいいのですね、と言われまし
グランドは 0.2 - 0.5 µSv/h の範囲にあり、
た。そうです。このような視点から、イン
特にグランドの除染効果が現れていること
ターフェロン・サイトカイン学会に出来る
を、計測時に私達は実感していました。校
こともあるのではと思っています。
庭の汚染土は運動場の中央に埋めたとのこ
と。子供たちにとって一番放射線の低いと
低線量放射線の影響学習会 in 白河
ころはグランドともいえ、しいていえば、
日本学術振興会 産学協力研究事業に係
おおいにグランドで遊ぶのがいいというこ
る説明会チーム(通称:学振—放射線計測・
とですね、となりました。このことは講演
説明会チ−ム)の一員として、福島県白河市
するものの確信となりました。詳細は、前
にての学習会に参加しました。10 月、11
出の資料やホームページをご覧下さい。
月、12 月と毎月 2 - 3 カ所で放射線から健
今回は、チームリーダーの志水、越川先
康を守る学習会を開催、結果的に白河市全
生(阪大)、放射線計測の木村先生 域で開催する事になりました。学習会は、
(阪大)、永井先生(三重大)、佐瀬先生
夜 6 時から開かれ、9 時すぎまで開かれま
(徳島大)、長谷部先生(東邦大、放射線
した。基本的内容は以下の通りで、チーム
科)、というすごいチームでいきました。
リーダーの志水隆一阪大名誉教授と越川孝
ともかく、始まる前は緊張した面持ちの
範大阪電気通信大教授の指導のもと、以下
方々が、終わる事には皆様ニコニコして帰
の学習会が進められました。
っていかれて、よかったなと思いました。
(1)低線量放射線の生物への影響と食の重
中には、少しパニックに陥っているかたも
要性 宇野賀津子(ルイ・パストゥール医
おられたのですが、講演会のあとの個別相
学研究センター)
談で、子供の肥満も返ってよくないのです
(2)放射線と環境汚染、その除去方法 佐
ねと言われました。子供にもっと野菜を食
瀬卓也(徳島大)
べて、これからは外でも遊ぼうと言ってお
(3)地区周辺の放射線測定結果から 木村
られました。こられたときよりは、少し微
吉秀(阪大)、永井滋一(三重大)
笑みもみられるようになって、帰られまし
(4)放射線と医学 長谷部光泉(東邦大、
た。こういうのをみていると、本当に、チ
放射線科)or 宮崎 真
ームで行ってよかったと思いました。 (5)質問にお答えします! Q&A 全員
改めて、このような計測に参加して、今
(6)個別相談(希望者)
回の事故がとても大変なものであると言う
ことを実感しました。校庭の除染は出来て
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JSICR Newsletter No.33
も、その周囲の山はとても出来ません。雨
て、あとの1週間分を福島へ行ったり、放射
降る毎に少しずつですが、校庭にも流れ込
線関連の勉強にあてるという生活が続いて
んできます。でも一方で、山々の木々が大
います。でも、この一年で知り合った人の
量の放射線を受け止めてくれたとも考えら
幅はとてつもなく、広くなりました。いわ
れます。福島の方々はこれから先まだまだ、
ゆる還暦も過ぎました。研究者として今ま
放射線と向き合って生きて往かねばならな
で研究してきたことで社会に貢献できるこ
いと思いました。多分、白河あたりの放射
とがあるなら、それなりの役割を果たせれ
線量は、健康への影響もあったとしても、
ばと思うしだいです。
わずかでしょう。むしろその何倍も、風評
やストレスによる被害の方が大きいかも知
れません。問題点は問題点として伝え、解
参考文献
決可能な部分は順次解決していくことで、
1. Uno K, Hirosaki M, Kakimi K, Tominaga
皆様に前向きになっていただくことが必要
M, Suginoshita Y, Hasegawa G, Fukui M,
と思いました。学習会に参加された人は、
Nakamura N, Shirakawa T, Kishida T.
かなりの方がそうであり、また学習会を通
Impaired IFN-alpha production and the risk
じてそうなったと思いました。 of cancer development. J Interferon
その後、白河市だけでなく、福島市、郡
Cytokine Res., 27, 1013-1017,2007
山市、伊達市とお話する場は広がっていま
2. 宇野賀津子 免疫のアンチエイジング す。研究者として自分の立ち位置だけはき
綜合臨床 第 60 巻第 3 号 p.343-350,
ちっとした上で、科学的知見に基づいたお
2011
話をしていきたいと思います。私自身の研
3. Kusunoki T, Hayashi T. Long-lasting
究は、最近は種々の疾患患者での多項目サ
alterations of the immune system by
イトカイン同時測定結果から、病態を読み
ionizing radiation exposure: Implications
解くことに移りつつあります。月に数回、
for disease developmentamong atomic
測定してあとはコンピューターの前での解
bomb survivors. Int. J. Radiati. Biol., Vol.
析時間が長くなっています。この1年、今ま
84, No.1, 1-14, 2008
で1ヶ月かかってしていた事を、3週間でし
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JSICR Newsletter No.33
サイトカインハンティング、印税を学会に寄付いただきました! 一昨年出版したサイトカインハンティングは売価を抑え、出来るだけ多くのかたに買っ
ていただくため、初版は印税無し、第 2 刷から印税を受け取るという契約で出版しました。
本年 3 月末までに 1,120 部が売れました。印税は 32,640 円、これは著者方のご好意により、
学会に寄付いただきました。改めて著者の方々にお礼申し上げます。なお、本はまだ少し
残部があります。まだ読んでいない方は、この機会にお買い上げいただきますよう、ご案
内申し上げます。
ISBN 978-4-87698-973-7 A5 版 300 頁 定価 3,570 円 23
JSICR Newsletter No.33
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< Photo of the Issue >
ユキヤナギ(学名:Spiraea thunbergii)の雪白の花
写真提供:宇野前編集長
表紙
「佐賀藩主鍋島直正公の別邸 神野公園の桜」
「晴天の松本城と満開のしだれ桜」
「東大医科研の桜と背後の旧・公衆衛生院本館」
写真提供:吉田編集長、角田編集委員
<編集後記> 宇野前編集長の企画、「サイトカインハンティング」は一冊の本にまとめられ、学会内外
から高い評価を得ました。これに続く企画を考えておりますが•・•・•・こういうのを""bbiigg sshhooeess ttoo ffiillll""と言うのでしょうか•・•・•・ 今号では、審良先生のガードナー賞受賞に関して、同行された竹内先生とアテンド役を勤
めたトロントの内野先生に授賞式のレポートを書いていただきました。 内野先生はJJSSIICCRRのメンバーではありませんが、とあるSSNNSSを通じての吉田の知己だっ
たことから今回寄稿いただく運びとなりました。その“とあるSSNNSS”、最近は海外の学会で
知り合いになったら、メールアドレスを交換するよりそちらのアカウントを確認すると言
うような時代になってきてますね。普段ろくな事書いてないのでちょっと忸怩たるもの
が•・•・•・(吉田) 京都は今年は特に寒い日が続き、ユキヤナギ、桜、柳、レンギョウ、一斉に花が咲きまし
た。(宇野) 今号の表紙の写真、本会とは全く関係ないのですが、「桜」ということで今回初めて提供
させていただきました。こちら松本で桜が咲くのは4月下旬となりそうですが、国宝松本
城は一見の価値ありです。また、岩倉教授の東大定年退職により長年過ごした医科研から
去ることになりました。その思い出を込めての一枚です。(角田) 
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