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那覇市(沖縄県)

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那覇市(沖縄県)
那覇市(沖縄県)
◆市の概要(平成 23 年 9 月末日現在)
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面積:39.23k㎡ ( 豊見城市と按分した推計面積 )
人口:319,799 人
世帯数:138,188 世帯
一般会計予算:1,241 億 5,000 万円
那覇市は、沖縄県の政治・経済・文化の中心
地であり、最も人口の多い都市である。また、
那覇国際空港や那覇港を擁することから、沖縄
県の玄関口としての役割も担っている。
沖縄本島南部の西海岸に位置し、東シナ海に
面しており、中央部がほぼ平坦で、周辺部に小
高い丘陵地帯が取り巻くように展開し、市内を
東から西に国場川や安里川が流れ、東シナ海に注いでいる。
気候区分は、亜熱帯モンスーン地帯に属し、四季を通じて平均気温 22℃、平均湿度
77%、年間降水量は 2000mm 以上と高温多湿な気候ではある。
連日、気温 30 度前後の蒸し暑く長い夏と、気温 16∼17℃の暖かく短い冬に分けられ
る。春と秋の区別はあまりない。
春から夏にかけては雨量が比較的多く、夏から秋には熱帯低気圧の通過路となり、毎
年数個の台風が来襲する。特に、沖縄近海が台風の進路変更点になっているため、台風
通過の際、長時間にわたり強風にさらされる。
<歴史>
19 世紀、西洋諸国の異国船が来航し、日本開国の前年の 1853 年にはペリー提督が那
覇に上陸、 1879 年(明治 12 年)の廃藩置県により、那覇に県庁が置かれたことによ
り、首里に代わって那覇が沖縄県の政治・経済・文化の中心地となった。
1921 年(大正 10 年)5 月 20 日、特別区制が廃され、他府県同様の一般市制が施行さ
れ、那覇は、市となった。
こうして沖縄県の県都として栄えた那覇市だったが、太平洋戦争末期の 1944 年(昭
和 19 年)10 月 10 日の大空襲で市域の 90%を焼失、さらに引き続く沖縄戦によって完全
な焦土となり、多年にわたって築いたまちは灰じんに帰してしまった。
戦後那覇は、米軍の全面占領下にあり、立入禁止区域となっていたが、1945 年(昭
和 20 年)11 月産業復興の名目で陶器製造産業先遣隊が壺屋一帯に入域し、1946 年(昭
和 21 年)1 月 3 日付けで糸満地区管内壺屋区役所が設置され、那覇復興が始まった。
その後民政府などの中央機関が漸次那覇に移転し、1949 年(昭和 24 年)12 月 9 日、
米軍政長官シーツ少将は、那覇を沖縄の首都とすると発表、その後、旧那覇市街が漸次
解放されるようになり那覇は、再び繁栄をとりもどすことになった。
1950 年(昭和 25 年)8 月 1 日みなと村を編入、さらに 1954 年(昭和 29 年)9 月 1
日、首里市、小禄村を合併。 1956 年(昭和 31 年)には、立法院で首都建設法が制定
され那覇は沖縄の首都として整備されることになり、1957 年(昭和 32 年)12 月 17 日
には懸案の真和志市との合併を実現し、いっそうの発展を遂げていった。
1972 年(昭和 47 年)5 月 15 日、多年の要求であった祖国復帰が実現し、日本国憲法
が適用される中、那覇は沖縄の県都として都市基盤が一層整備され、今日人口約 32 万、
市域面積約 39k ㎡の近代都市となっていった。
◆なは教育の日について
<目的と要綱>
那覇市は、教育に対する市民の意識と関心を高めるとともに、那覇市の明日を担う子
どもたちの健やかな成長を願って、家庭、地域、学校、企業及び行政が連携し、市民全
体で教育に関する取組を推進するため、なは教育の日を設けた。
2007 年(平成 19 年)5 月 1 日制定された、
「なは教育の日」を定める要綱の中で、12
月 9 日から翌年の 1 月末日までを、「なは教育の期間」と定め、さまざまな取り組みを
推進している。この中で中核的イベントが、「なは教育の日」式典である。
<背景と歴史>
沖縄戦の艦砲射撃や空爆等により、破壊、焼失によっ
て荒廃した那覇市は、終戦後、教育を目的とした学校開
設の気運が高まっていった。
1946 年教員要請の為の文教学校が創設され、1948 年に
は本土にならい6・3・3制度が制定され、食べてゆく
事はままならない過酷な状況下でありながらも教育に対
する熱意は大変旺盛であった。
1949 年 12 月 9 日教育行政を行う為の教育委員会を、
那覇市を含め、10 の教育委員会が設置され、また、沖縄
県全島に教育委員会並びに教育長が設置されたことから、
この日を戦後の那覇市の教育の原点と捉え、市民協働で
子どもの教育を復興へと導く記念すべき日として、毎年、
12 月9日を「なは教育の日」と制定した。
<イベント、式典>
「なは教育の日」式典はこれまで4回行われてきた。
前回(第4回 2010 年 12 月 11 日(土))行われた式典では、「広げよう みんなの
中の 知の翼」をテーマに第1部 中学生の勇壮な旗演技で幕を開け、続いて、児童・
生徒が文化・スポーツなどで優秀な成績をおさめたことを讃えて表彰する那覇教育長表
彰、社会教育功労者表彰、善行表彰、なは教育の日作品入賞者表彰が行われた。
続く、第2部では新成人のみなさんによるスペシャルアトラクション芝居「はばた
け!なはの子」が行われた。
今年もイベント・式典(第5回)があり、以下のようなプログラムが予定されている
ところである。
「なは教育の日」式典プログラム
平成 23 年 12 月 10 日(土)開催予定
オープニングアトラクション
― ― ― 第1部 ― ― ―
開会
「なは教育の日」実行委員長挨拶
教育長挨拶
表彰
教育庁表彰
※児童生徒を対象
社会教育功労者表彰
※社会貢献に 5 年以上取り組んできた大人対象
善行表彰
※模範となる行ないをした児童生徒とそれを指導した大人対象
作品入賞者表彰
※啓蒙活動のポスターと標語の入賞者対象
市長挨拶
議長挨拶
「なは教育の日」宣言
― ― ― 第2部 ―
フォーラム
パネルディスカッション
アトラクション
終演
―
―
<予算>
「なは教育の日」に対して、那覇市からの予算は組まれておらず、収入は、関連団体
からの協賛広告収入が主であり、式典の予算はわずか約 20 万円である。ただし、プロ
グラムやポスター等の印刷代は、生涯学習課から印刷費として 30 万円を計上している。
次年度の課題としてさらに事業を拡大させるべく予算要求をしていきたいとのこと。
<所感>
自治体独自で教育に限定した式典とイベントを組むことは、大変興味深い。
なは教育の日の認知度を向上させる事にはまだ課題が残るとの説明であったが、那
覇市民が教育について市民皆で考えようという取り組みは大変素晴らしいと思う。
とかく教育は学校が担うものだとの意見が多い中で、家庭、地域、学校、企業、行
政が連携して教育に関わってゆく姿勢にその意気込みを感じた。
杉並区においては、各学校内での表彰やスポーツ栄誉賞等の褒章はあるが、教育に
限定した式典イベントは無い。今後、子供たちや教育に携わる方々に対し、こういっ
た取り組みについては検討の余地はあると思う。
また、質疑の中で、この式典の事業費がスポンサー等の協賛金のみで賄われている
ことに多くの委員が感心していた。
式典中心のイベントはマンネリ化に陥る疑問もあったが、この取り組みが実行委員
会制の中で企画を毎年検討しなおしている点は評価できる。
第5回目となる式典が 2011 年 12 月 10 日に行われる予定だが、式典の内容は昨年と
は違う試みを行うとの事で成功を祈っている。
◆中核的生涯学習施設について(牧志駅前ほしぞら公民館・図書館)
<那覇市の公民館>
那覇市には、中央、牧志駅前ほしぞら、小禄南、
首里、若狭、石嶺、繁多川の 7 つの那覇市立公民館
と図書館を併せ持つ複合施設がある。
公民館では、サークルなどの学習・文化活動の場
として市民講座、家庭教育学級、成人講座、少年教
室、親子ふれあい教室など、さまざまな講座を開催
し、市民の生涯学習の場として活用されている。
この中で、「牧志駅前ほしぞら公民館・図書館」は、
公民館と図書館の他にプラネタリウムの施設がある。
沖縄県内のプラネタリウム施設は、海洋博公園の海洋
文化館と、この牧志駅前ほしぞら公民館・図書館だけで
ある。
<設置の背景と歴史>
青少年の健全育成の場として、また、青少年教育の中心的施
設としての役割を担う為、
「沖縄子どもを守る会」が全国各方面
から寄付を募り、沖縄少年会館という名称で、プラネタリウム
を備えた宿泊教育施設を建設した。
1972 年(昭和 47 年)5 月に沖縄が本土に復帰後、1979 年(昭
和 54 年)に那覇市に譲渡され、1980 年(昭和 55 年)4 月に新
しく那覇市久茂地公民館として開
館した。
その後、館内に児童館や図書館
を開設しつつも、老朽化が進み、
改修・補修を繰り返したが、老朽
化の進行は避けられず、2010 年(平
成 22 年)12 月那覇市議会におい
て、久茂地公民館・図書館を閉館
廃止し、新しい公民館・図書館を
設置する条例が可決され、久茂地
公民館・図書館機能を移転するこ
とになった。
解体予定の久茂地公民館
2011 年(平成 23 年)7 月 8 日、牧志駅前に、公民館・図書館・プラネタリウムの施
設備えた複合施設が開設され、久茂地公民館の機能をすべてここへ移転しました。
また、2011 年(平成 23 年)4 月、築 45 年になる久茂地公民
館は、耐久調査の結果、解体が決定され 2012 年(平成 24 年)
2 月解体実施予定となった。
なお、久茂地公民館に設置されていた、プラネタリウムM−
1型(マース)は日本で初めて開発されたプラネタリウムであ
る。
この記念すべき機器は、牧志駅前ほしぞら公民館・図書館の
最新式プラネタリウム室の入口に展示されている。
プラネタリウムM−1型
<特徴>
この施設の場所は、那覇の戦後の復興を支えた国際通りに面している。
国際通りは、現在も県下最大の繁華街であるが、かつて、河川の氾濫やバスロータリ
ー周辺に住宅密集地域を抱え、火災の危険性を常に抱えていた。
そこで、歴史・文化に根ざした亜熱帯庭園都市を目指し、1979 年(昭和 54 年)より、
再開発が進められ、その後、2011 年(平成 23 年)7 月「さいおんスクエア」として生
まれ変わった。
約2.3ha の敷地内には、商業施設、ホテル、そして3階に牧志駅前ほしぞら公民館・
図書館がある。また、同敷地内には25階建の住宅施設棟もある。
<所感>
那覇市の取り組みとして、7つの複
合施設すべてが、公民館と図書館を併
設しており、生涯学習を基準に考えた
施設であることが伺える。
さらに、石嶺公民館には、図書館の
ほか、温水プールとトレーニングルー
ムを併設している。
今回伺った、牧志駅前ほしぞら公民館・図書館は、今後、
那覇市の生涯学習施設の中で中核的役割を担ってゆくとの事
だが、自主サークルの展開、各種講座、さらにはプラネタリ
ウム上映ソフトの充実が今後のカギになると思われる。
ただ、施設の立地場所が繁華街の近隣に存在することはポ
イントが高い。
また、質疑の中で委員から、南国のこの地でのプラネタリウムの必要性は無いのでは
との問いに対し、那覇市も都市化が進み、夜間都市部の照明が夜空を照らす、いわゆる
光害により、夜間の星空が、東京の空とあまり変わらないと
の状況であることから、天文分野の教育には欠かせない存在
であることが伺えた。
公民館と図書館を併設する事で、生涯学習の場としては理
想的である。これを杉並区で検討した場合、敷地の確保等の
問題で難しい側面はあるが、従来からある図書館内に小規模
数の研修室を設ける事や、 図書館の近隣に研修施設を配置す
るなど検討する価値があるのではないかと思う。
また、別の視点から、公共施設が単独の建築物で存在する必要はない事をこの牧志駅
前ほしぞら公民館・図書館は示してくれた。
杉並区内でも一部の機能を商業施設内に設ける試みはあるが、さらに発展した検討も
必要ではないかと思われる。
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