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全国の多職種が強力サポート

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全国の多職種が強力サポート
徳洲会グループは「生命だけは平等だ」の哲学の下、創設以来、離島・へき地医
療に取り組んでいる。これを継続するために欠かせないのが、全国のグループ病
院からの応援だ。サポートする職種は多岐にわたるが、徳洲会は2年次の初期研
修医に離島・へき地病院での地域医療研修を実施、後期研修医にも同地での研修
を義務化し、貴重な戦力になっている。今号では徳洲会の離島・へき地医療を支
このほか
内科外来、
救急外来、
病棟、上部
内視鏡検査
と語りかけ、患者さんと
ポートしていきますね」
診では指導
週2回の回
などに加え、
上級医指導の下、数多く
える“ 応援 ”についてリポートする。
層撮影)を敢行。あわせ
家族の不安を取り除いた。 医から身体
診察のポイ
の処療を行ったことで
湘南藤沢病院での研修
て脳神経外科医のいる病
院に転院手続きを取り、 「 最 低 限 の 処 置 は 自 信 を
待以上の経
ントを教わ
とりわけ熱が入った。週
験をするこ
中には訪問診療の機会が
に1日、午後に4人前後
とができま
もってこなすことができ
こうした知識・技術と
の患者さん宅を訪問。担
同院搬送1時間後には転
同じくらいに大切だと感
当患者は計
るなど「期
多くの初期研修医が、
じたのが、多職種のスタ
ないため、名瀬病院では
離島・へき地病院で緊急
ッフへの感謝の気持ち。
ました」
。
事態にうまく対応できる
院搬送を開始した。
初夏の午後、埼玉県西
か不安を抱えながら現地
人に上った。 し た 」
。同
部の山間に位置する皆野
らによるベッド移乗中に
た患者さんが、救急隊員
吐の主訴で救急搬送され
包まれていた。頭痛・嘔
の不安は完全には消えま
でしたし、最後まで、そ
医も「当初はかなり不安
応変に対応した鈴木研修
入りする。この時は臨機
療〟を追求するだけでは
果を得るには〝正しい医
ク が 必 要 で、
「最善の結
々の力以上にチームワー
パワー不足だからこそ個
離島・へき地病院はマン
ら胃がんを疑い、上部内
腹部エコーと血液検査か
たのが先の患者さん。高
そのなかでも印象深かっ
スキルの重
診療所からの紹介で来院。 身体診察の
血圧と貧血により地域の
要性を改め
での問診や
へき地病院
時に、
離島・
自動車保険は紹介キャンペーン中
鮮明だったのに、呼びか
不安があるなら、先回
不十分。つねに多くの人
者さんと家族の希望で積
視鏡検査で確定診断。患
底鏡を持参するのが望ま
診器以外にも個人的に眼
て実感。聴
担当の入院患者さんの回
瀬戸内病院では毎朝、
成松研修医も「内科、外
を診なければならない。
頭 頚 部 外 科 を 志 望。
「専
将来は外科、なかでも
は病棟対応や救急搬送な
正午まで一般外来、午後
診を行った後、9時から
り返る。
んに対応しました」と振
わず、さまざまな患者さ
科、小児科と診療科を問
離島では多様なケース
に助けてもらっているこ
しいとの気付きも得た。
門性をもちながらも総合
ど時間外に来院する患者
にも赴いた。
りして考えるしかない。
極的な治療はせず、疼痛
か がく
けても 下顎呼吸でまるで
緩和を行い在宅療養に移
とうつう
とを自覚するべきだと感
同院は稼働病床数12
反応がない。
的に診療でき、患者さん
さんへの対応を行った。
行。その後、亡くなった。
嶺研修医が行った。
や家族から信頼される医
めに、多くの臨床医学書
つねに最悪の事態を想定
「初診から診断、緩和治
師が目標です」と抱負を 「 1 日 当 た り の 外 来 は 多
を 持 参 し た。
「なかでも
0床に対し医師5人(7
療、訪問診療、看取りま
人、入院は常
とう けい
「本人が希望しているた
で、非常に貴重な経験を
語る。
総合診療の重要性実感
家族から告げられたひと
末期の胃がん患者さんの
修中に受けもった高齢の
った。冒頭の言葉は、研
瀬徳洲会病院で研修を行
島県の奄美大島にある名
くすか。医師の土台を築
に対し、いかに最善を尽
まる“正解”のない問題
を吐露。誰にでも当ては
とがあります」と胸の内
だろうか』と思い返すこ
が、
『あれで良かったの
分の加計呂麻島にある加
1回、同島から船で約
医となった4月以降は週
島県)で研修。後期研修
瀬戸内徳洲会病院(鹿児
約5カ月間、奄美大島の
研修医は2〜7月までの
の成松裕之・外科系後期
時
人ほど担当しまし
た 」。 当 直 や 訪 問 診 療 も
羽生総合病院
(埼玉県) 行った。
言だ。赤嶺研修医は「今
くうえで重要な経験を積
初診から看取りまでを赤
め、できるだけ自宅に帰
させていただきました」
し診療にあたった。頼り
ジに何について書かれて
したいです」
と 振 り 返 る 一 方、
「家族
月時点、常勤換算)と慢
しかもこの日は休日。打
いるかまで把握するほど
湘南藤沢徳洲会病院
(神
の希望で本人には、がん
後は訪問診療・看護を通
んだ。
初診から看取りまで経験
てる手は限られ、現場に
使い込んでいる医学書。
奈川県)の赤嶺苑佳・初
の告知をしませんでした
じ、ご自宅での生活をサ
計呂麻徳洲会診療所
(同)
30
性的なマンパワー不足で、 になったのが、どのペー
焦 り が 漂 う な か、「 不 思
また、札幌東病院で行っ
期研修医(2年次)は6
25
ました」
。
(2面に続く)
療する貴重な経験を積み
診・身体診察を頼りに診
検査機器がないため、問
麻診療所では採血などの
必須です。また、加計呂
一般内科に関する知識は
薬の細かい使い方も含め
感染症に多く遭遇します。
症といった生活習慣病や、
高血圧、糖尿病、高脂血
幅広い診療に備えるた
議と冷静になれました」
てきた月8回(救急科ロ
〜7月の2カ月間、鹿児
ER(救急外来)当直で
15
い時は約
と当時、札幌東徳洲会病
回)の
は笑顔を見せる。
指導医を呼び出すタイミ
徳 洲 会 保 険 セン タ ー
スケールメリットでお得感
ングも念頭に置きながら、 じました」と鈴木研修医
おう と
嘔 吐 、突然、意識喪失し
せんでした」と吐露。
30
ーテート時は月
皆野病院で研修を受ける
院から地域医療研修で同
院に入っていた鈴木康
大・初期研修医(2年次)
は振り返る。
鈴木研修医は所見から
クモ膜下出血の再出血と
判 断 し、 す ぐ
に 気 管 挿 管、
血圧に留意し
つ つ C T( コ
ンピュータ断
「瀬戸内での経験すべてが一生の財産」と成松
研修医(左から 2 人目。右が朴澤医局長)
発行:一般社団法人徳洲会 〒102-0083 東京都千代田区麹町3-1-1 麹町311ビル8階 TEL:03-3262-3133
制作:一般社団法人徳洲会 編集室 〒102-0083 東京都千代田区麹町3-1-1 麹町311ビル8階
TEL:03-6272-3687 FAX:03-3263-8125
Email:[email protected]
BEINGS ARE CREATED EQUAL
1048
月曜日
9 月12 日
ALL LIVING
No.
12/SEP. 2016
患者さんの話に耳を傾けなが
ら丁寧に診療する赤嶺研修医
病院は緊迫した雰囲気に
「最悪の事態を想定し診療し
ていました」と鈴木研修医
たのだ。それまで意識は
徳洲会グループ職員向けに福利厚生の一環で、保
険代理店として各種保険を取り扱っている徳洲会保険
センター。MS(メディカルサービス)法人から業務移
管し、4月以降、一般社団法人徳洲会保険事業部が運
営している。
徳洲会保険センターのスタッフ
8月中 旬 に は 公 式 ホ ー ム ペ ージ(http://
www.tokuhoken.com)をリニューアルするなどサービス充実に務めている。損害
保険を中心に幅広い商品をそろえ、取り扱い保険会社も損保大手5社をカバー。
徳洲会職員は団体保険制度を運用する同センターを通じて契約することで、グル
ープのスケールメリットにより、通常と比べ割安に保険に加入できる。
同センターが目下、アピールしているのが自動車保険。9月末までに、あと約500
台の加入があれば割引率がさらに拡大し、加入者全体でメリットを享受できる。
職員だけでなく同居親族も契約可能で、現在の等級を引 8 月中旬にリニューアルした
き継ぐことが可能。退職後も割引率は引き継げる。9月末ま サイトは下記の QR コードか
らアクセス可能
での成約を対象に紹介キャンペーンも実施中だ。
同事業部の友清善夫・課長補佐は「団体保険に切り替え
るだけで、多くの方の保険料が下がります。この機会に一
度見直してはいかがでしょうか。福利厚生の一環ですので、
私たちは皆さんと同じ目線に立ち、保険の相談に乗ること
ができます。見積もりは無料です。ぜひ、ご相談ください」
と呼びかけている。
20
脈々と“生命だけは平等だ”
美しい自然は離島の魅力(写真は鹿児島県の徳之島)
生 命だけは平等だ
い の ち
聞
新
洲
徳
❶ 平成 28 年 9 月 12 日 月曜日│ No.1048
徳洲会グループ離島・へき地病院
全国の多職種が強力サポート
離島研修はバックボーンとなり
“一生の宝”
瀬戸内徳洲会病院院長
上山 泰男
お
や す
か み や ま
い の ち
1986年、奄 美 群 島 ( 有 人
ろ
島は奄美大島、加計呂麻島,請
よ
1年で143件でした。
の病院や職員個々人の多大な犠
(1面から続く)
経験豊富な医師・薬剤
当直も週に3回担当。
判断に迷うケースがあれ
ば、すぐに山本院長に相
談する。
「当直に入ると、
ターネット通話を介した
チングドクターとのイン
に勤務。現在、山本晃司
島徳洲会病院
(鹿児島県)
屋久島病院での研修が
から地域医療研修で屋久 「医師冥利に尽きます」
。
研修医(2年次)は8月
スタートして1カ月が経
じないという話を聞いて
し ん で い る。
「言葉が通
つ慣れ、休日は自然を楽
島での生活にも少しず
た言葉を聞いたりすると、 みとおした。
ぶんべん
まだまだ未熟だと痛感し
ます」
。それでも患者さ
んが元気な姿で家に帰る
今後もそれは継続していくと
カンファレンスなどに参
院長の指導を仰ぎながら、 ったが、順調に経過。と
師との交流をもつ機会に
できたように感じていま
確信します。一方で、徳洲会の
加。総合外科医を志望し
姿 を 見 た り、
「しんどい
ん。しかし、各病院にはCT(コ
活動は地元に大きな経済効果も
ていることから、週2日
牲が払われています。私たちは、
す」と笑顔を見せる。
年間に6691件の
朴澤憲和・医局長主催の
また、
ミニ勉強会や島根県の離
うけ
分 娩 を扱っています。全国的な
の搬送などで国や県などの公的
ま
産科医不足で徳之島病院でも
サポートがありますが、かくも
ろ
島、与路島、喜界島、徳之島、
年から産婦人科医が不在となり
よ」と来院した患者さん
どの生活習慣病について
け
沖永良部島、与論 島 の 8 島 ) 初
ましたが、グループ病院の応援
島病院とのカンファレン
から診療後に「この病院
勉強。ガイドラインも読
か
の徳洲会病院とし て 徳 之 島 徳 洲
長期間にわたる、きめ細やかな
ス、 月 1 回 の ジ ョ エ ル・
岸和田徳洲会病院(大
に来て良かった」といっ
ンピュータ断層撮影装置)やM
もたらしています。全島の徳洲
いましたが、意思疎通で
まさのり
私の離島勤務は 徳 之 島 が 最 初
RI(磁気共鳴画像診断装置)
会職員は計約2000人で、支
週2回の院長回診に同行。 くに内科については、研
も恵まれた。指導医で加
会病院が開設され ま し た 。 現 在
で産科医療は継続できました。
離島への医療・介護の提供は、
ブランチ・湘南鎌倉総合
阪府)の伊藤雅矩・初期
です。病院内の雰 囲 気 は 都 市 部
など高額機器が設置され、脳外
来院する地元・瀬戸内町
こうした仲間のサポートに、い
では、群島内には 徳 洲 会 グ ル ー
離島に専門医が常駐もしくは
徳洲会グループ全体の共同作業
病院(神奈川県)ティー
のふつうの中規模 病 院 と 同 じ で
科、心臓外科、心臓カテーテル
億
計呂麻診療所長も務める
プの病院が7施設 、 診 療 所 が 4
来島していたとしても、医療機
で維持してきたのです。
した。徳之島の青 年 は エ ネ ル ギ
払われる人件費総額は年間
つも感謝しています。患者さん
施設あり、さらに 看 護 ・ 介 護 施
器がなければ医療は完結しませ
ッシュで力強い感 じ で し た が 、
など待機手術に加え、高度な救
13
15
高齢の方々はむし ろ 物 静 か で 、
設も
内科を中心に事前準備
施設ありま す 。
外科の処置を行う成松研
修医
山本院長の診療を見守る伊藤研修医(右)
10
い ま す。 さ ら に、 高 度 な 知 識・
物腰柔らかな印象 を 受 け ま し た 。 命 救 急 、 緊 急 手 術 に も 対 応 し て
業者との商取引などを合わせた
円以上です。固定資産税や地元
ず外来を共にした。時間
出身の整形外科医師と必
担当患者さんの回診を行
医師からアドバイスをも
出勤日は外来と訪問診療、 修前に岸和田病院の先輩
せん。生活面の悩みをし
これまでほとんどありま
そんなに苦労したことは
奄美群島ではシ マ ( 集 落 ) ご
らい、高血圧や糖尿病な
多様な年代や疾患を診ま
師を目指す。
患者さんに信頼される医
研修での経験を生かし、
いですね」と伊藤研修医。
がもうちょっとあるとい
いて挙げれば、娯楽の場
っ て い る。
「1日に外来
〜
がある時は薬局を訪問。
技能・経験をもつ看護師をはじ
人、入院では
支出総額136億円が、地元に
とに異なる文化や 伝 承 が あ り 、
還元されています。
では
めとした医療従事者の存在が不
こうした地道な努力が
すが、いろいろな経験が
しまぐち
島口 (方言ではな く 独 立 言 語 )
医療、訪問診療などを行う地域
実を結び、内科に関する
積めるので、やりがいを
人の患者さんに対応。
間に限定しても、全国の徳洲会
での医療連携の中心病院です。
感じます」
。
的に向上した。
を弾き、島唄を歌 い 、 は じ ま り
病院から奄美群島への応援者数
知識や、それまで経験の
さかのぼ
が万葉の時代以前にまで遡る両
ない関節内注射・トリガ
ー注射など外科プライマ
ほうざわのりかず
伊東直哉先生、
朴澤憲和先生
(現・
は医師1328人、看護師15 『徳洲新聞』909号の直言で、
瀬戸内病院医局長)が瀬戸内病
リに関する手技も身に付
遠隔サポート強化
6人、薬剤師228人など計2
院や加計呂麻徳洲会診療所での
しています。とくに朴澤
現状の奄美の医療・介護を維
から数多く学んだこと、若い医
先生は年齢も近いことも
け た。
「指導してくださ
師たちの離島での活躍の継続と、
あり、診療だけでなく医
体験をふまえ、離島は総合診療
徳 洲 会 グ ル ー プ か ら の 専 門 医・
これを循環するシステムの重要
変勉強になりました。心
持・継続し、また新しく開発さ
専門職の定期的な支援が欠かせ
性を強調されています。
の底から尊敬していま
った先生方に本当に感謝
ません。都市部の徳洲会グルー
離島研修で得た経験は研修医
れた治療を離島で行うためにも、 の“最高の舞台”で、患者さん
昨年度、離島ブ ロ ッ ク の 全 病
プの各病院が、さらに専門性を
の バ ッ ク ボ ー ン と な り、
“一生
業務の合間を縫ってインスタン
ト焼きそばで昼食をすませる
緊急時に加え回診時も
年間救急搬送件数は1万件以上、ウォーク
イン(徒歩来院)も含めると毎年4万人以上の 「ジェネラリストの
救急患者さんを受け入れている湘南鎌倉病院 マインドを忘れない
で」と荻野委員長
のER(救急外来)
。同院の初期研修医はロー
テートしている診療科にかかわらず月4、5回はER当直を担うの
が習わしだ。
「当院の救命救急センターは、三次(超重症)だけでなくウォー
クインも受け入れるのが特徴。
軽症から重症まで、
あらゆる疾患・
症状の方を診療する機会があります」と、同院で初期研修医の
教育を統括する荻野秀光・研修委員長(外科部長)
。こうした“重
症度・疾患にかかわらず、すべてを受け入れる” 同センターで
の診療経験が、離島・へき地研修時に大きな威力を発揮する。
とはいえ、まだまだ上級医に相談が必要な場面は多々ある。そこで同院は、
地域研修中の初期研修医からの相談窓口をERに設置した。どの時間帯にも
必ずいるスーパーバイザー
(スタッフ医師または後期研修医のチーフが担
当)が中心となり、質問に24時間・365日対応している。
「離島・へき地から当センターに電話がある時は、たいてい緊急事態。徳洲
会の『断らない医療』という理念は、何
も当院の患者さんだけに適応されるも
のではないと思います」と大淵尚・救命
救急センター長は気概を見せる。緊急
事態であれば同院以外の徳洲会病院の
研修医からの相談にも応じる考えで、す
「離島・へき地研修中の研修医の相談に応じ
るのも私たちの役目」と大淵センター長(右) でに何件かアドバイスしている。
し ま んちゅ
奄美群島への応援者数が
院や徳洲会インフ ォ メ ー シ ョ ン
高め、充実・発展することによ
年度は計2196人に
システムが集計し た デ ー タ に よ
り、全国から研修医もさらに多
師としての姿勢なども大
年間 ( 2 0 0 0 〜
までは離島医療にまった
す 」 と 成 松 研 修 医。
「今
これからも全国の徳洲会職員
く興味がなかった」もの
の宝”となります。
の一人ひとりが、日々の業務を
の、
「島に還 元 で き る だ
く集まります。彼らが研修の場
通じ奄美の離島医療・介護の現
けの知識・技
630万人以上の 方 々 が 徳 洲 会
場を支えていただきますよう、
術力を培い、
として来島することが、離島医
お 願 い 申 し 上 げ ま す。
「生命だ
人生を離島医
病院の外来を受診 、 約 2 7 5 万
仲間のサポートにいつも感謝
けは平等だ」
、この哲学を胸に
療に投じても
療の維持に直結しています。
受けています。こ の 間 、 救 急 車
受け入れ件数は3 万 6 8 9 5 件 。
これらの医師・医療従事者の
経済効果もたらし地元に還元
る奄美群島内の徳 洲 会 グ ル ー プ
切れ目のない派遣には、派遣元
自衛隊などのヘリ コ プ タ ー に よ
各病院からの島外 搬 送 は 、 こ の
いい。目標が
秘め、皆で頑張りましょう。
人の方々が入院・ 診 断 ・ 治 療 を
年)に限っても 、 奄 美 全 島 で
ると、この
15
湘南鎌倉
総合病院
湘南鎌倉総合病院(神奈川県)は、初期・後期
研修医の離島・へき地研修中を遠隔サポート
する体制を強化中だ。電話や画像・動画転送シ
ステムなど駆使し、緊急事態の相談に対応。
りました。
手をかざす島の踊 り な ど 、 日 本
瀬戸内徳洲会病院は救急救命
20
の古代文化が島人により継承さ
年4月からの1年
可欠です。
30
196人に上ります。
さんしん
が現在も使われています。三線
28
薬剤に関する知識も飛躍
96
れていることを、 後 に な っ て 知
14
14
14
平成 28 年 9 月 12 日 月曜日│ No.1048 ❷
聞
新
洲
徳
生 命だけは平等だ
奄美群島のきめ細やかな医療と介護は
徳洲会グループ全体の共同作業で維持
多職種が奮闘努力
い の ち
また、地域の方々が困ら
ないよう病院を維持する
ため、グループ内で協力
する仕組みは大事だと、
入り、応援の受け入れ体
制の基礎を築いてから中
堅クラスを送る方針。
「人手不足の病院はひと
で、それを支えるのはグ
洲会の大切な柱のひとつ
徳洲会グループでは医師以外のさまざまな医療職も部会ごとに応援体制を組み、 りました」(冨名腰看護師) 「離島・へき地医療は徳
負担をかけないために必
大切なスタッフに大きな
にとってもハードです。
てはならず、ベテラン勢
スケジュールなど調整
ループの使命です。応援
要な配慮だと思います」
各部会
徳洲会グループ薬剤部
は、出す側と受ける側が
とリハビリ部会の札本篤
りで何もかもこなさなく
会は半期ごとに応援スケ
交流する機会になり、相
改めて考える機会にもな
月か
支援した施設の看護 責
リハビリテーション部会、臨床工学部会の取り組みや応援経験者の声を紹介する。
グループを挙げて離島・へき地の病院支援に注力している。看護部門、薬剤部会、
出向先では障害者病棟を
ジュールを作成。
レベルアップとリフレッシュ
がっている。
義を高く評価する声も 挙
ることから、教育的な 意
護師が成長して帰って く
地の看護体験を通じ、 看
付きもあります」
ことで、新たな発見や気
患者さんへのケアを行う
ありましたが、慢性期の
え初めた時はとまどいが
ちの患者さんの人数が増
には薬学部がないため、
築。「 鹿 児 島 県 や 沖 縄 県
地に限らず応援体制を構
師不足のため離島・へき
めてある。全国的に薬剤
らの予定は4月までに固
院(鹿児島県)の応援業
1年間、屋久島徳洲会病
4月から
年夏の2カ
年3月までの
朋子薬剤師は2015年
福岡徳洲会病院の浦田
ます」
(高橋部会長)
互理解にもつながってい
会病院リハビリ科責任者
加。さらに、鹿児島徳洲
在宅と場所を選ばずに参
士(PT)として病棟、
会長自ら、いち理学療法
院(鹿児島県)に札本部
部会長。
病院(神奈川県)の渡邉
そこで湘南藤沢徳洲会
するのが難しいからだ。
めの講習会や学会に参加
クとなり、自己研鑽のた
いは大きいです。今後は、 運用、メンテナンスなど
知ることができ、やりが
さんの退院後の経過まで
の急性期病院と違い患者
事は多忙ですが、都市部
「離島・へき地病院の仕
は各種医療機器の管理や
臨床工学技士(CE)
ました」
(嘉納浩文室長)。
担うことが大切だと考え
島・へき地医療を全員で
を担っている。医療機器
最近では名瀬徳洲会病
門は離島・へき地病院に
「所属病院ではICU(集
離島病院では薬剤師の確
務に従事。
宏樹・リハビリ部会副部
の存在感が増す現代医療
けんさん
対し、どんな支援体制を
中治療室)で急性期の 看
保がさらに難しい」と薬
月間の応援に続き2度目。 だった興裕之PTも常勤
徳洲会グループ看護部
敷いているのか――。
護に取り組んでいます が 、 合 病 院 ( 千 葉 県 ) の 冨 名
剤部会の高橋智部会長は
こう話すのは鎌ケ谷総
一般社団法人徳洲会看
腰理恵看護師だ。8〜9
ビリの楽しさも伝えてい
を決断したという。主に
に魅力を感じ、長期応援
ら8年目の作業療法士
(O
ートするため福岡病院か
9月からは興主任をサポ
ある程度、下地が整った
洲会リハビリスタッフの
式の勉強会の動画、③徳
勉強会の動画、②実技形
ムを構築。①講義形式の
臨床工学部会はブロッ
どに対応できるCEの存
る離島で、機器の故障な
人の出入りもしばしば滞
きょう と う ほ
赴任し、橋頭堡を築いた。 ブを利用した教育システ
「患者さんとの距離が近
くは離島・へき地病院だ。 調剤業務を行った。
人分の応援枠を設定。多
く、職員同士の横のつな
クごとに人手が足りない
在意義は大きい。
病院に計
で欠かせない存在だが、
の障害者病棟で看護業務
2年目以降の薬剤師が対
学会発表プレゼンテーシ
病医院をサポート。離島
「離島応援を通じ、若い
静仁会静内病院(北海道)
きたい」
。
に取り組んでいる。3年
象で、1人2カ月以上の
T)と5年目のPTが常
ョン資料――の3点をウ
病院は鹿児島徳洲会病院
スタッフにCEの仕事の
の調査をもとに、応援を
バーしている。各病院へ
きていると感じています。 枠を複数人がリレーしカ
「とても貴重な経験がで
受ける病院と出す病院の
を痛感しましたが、とて
が広く、初めは勉強不足
ひとりがカバーする範囲
将来的には地元出身の常
一時的なサポートであり、 どこからでも閲覧できる
入ったとしても、応援は
納室長は笑顔を見せる。
が頻繁に起こり、物資や
とくに台風によって停電
目の看護師で、出向は今
がりも強く感じられまし
勤で入り、体制を強化。
リハビリスタッフに公開、 と南部徳洲会病院(沖縄
ェブにアップし、徳洲会
県)が中心となってフォ
大切さを伝えたい」と嘉
も貴重な経験が得られま
なかでも鹿児島病院は
の常勤者に向け、ブロッ
また、同部会では、な
当する。
ク内勉強会などを開催し、
役職に関係なく、臨床工
による奨学金、徳洲会職
瀬病院の応援で、十数年
「徳洲会の原点である離
へき地職員の知見更新の
ようにした。すでに多く
マッチングを実施。業務
離島・へき地での採用
徳洲会リハビリテーシ
員による小中高生対象の
ぶりに家屋調査(患者さ
かなか外部に研修に出ら
ョン部会は応援対象を、
職業説明会などが功を奏
んが自宅で生活
れない離島・へき地病院
スタッフの退職・休職に
し、地元出身の職員が増
できるか家屋を
学室所属の全スタッフが
ともない施設基準が維持
えるなど改善傾向にある
評価)など実施、
もち回りで離島応援を担
できない病院、または業
が、
「教育体制が整って
生活背景まで考
札本部会長は今回の名
務量に比して圧倒的に人
いなければ、せっかく入
慮するリハビリ
一助となっている。
員が不足している病院を
職したスタッフも長続き
状況は各自治体や徳洲会
最優先と規定している。
しません」と札本部会長。 の楽しさを再確
す」と訴えている。
考慮するべきだと思いま
フの教育や質の向上まで
く、
「そこにいるスタッ
長は、応援するだけでな
南部病院の赤嶺史郎技士
知見の更新もフォロー。
場合によっては、まず室
これは高い交通費がネッ
認した。
長クラスのベテラン勢が
不足箇所にベテラン勢
勤スタッフが必要となる。 の資料をアップし、
離島・
数値化し、より公平性を
担保する仕組みを昨年導
入した。
臨床工学技士の存在意義
回が初めてだ。
滞在とし、1人分の応援
た。人数が少ないため、
ただ、仮に常勤態勢で
ローしている。
今年度は
護部門の佐々木和子部長
福岡徳洲会病院
離島・へき地病院のリハ
支援により成長期待
会長が中心となり、ウェ
任者からは、離島 へ
・き
公平性担保の仕組み導入
担当しています。受けも
「離島病院では患者さん
との距離が近く感じられ
ます」と浦田薬剤師
のリハビリ科主任として
は、
「マンパワーの安定と
看護の質の向上を目的に、
16
した」
(浦田薬剤師)
岸和田徳洲会病院(大阪府)消化器内科は離島病院への応援診
療を積極的に実施。上下部内視鏡など各種スクリーニング検査から
胆道系処置、ESD
(内視鏡的粘膜下層剥離術)など高度な内視鏡診療
まで現地で手がける。
常勤医20人、後期研修医6人という同科の応援先は10病院・1診
療所に上る。実績は、4月は12人で計67日、5月は13人で計86日、6月
は13人で計68日、7月は14人で計102日、8月は16人で計138日に達す
る。奄美大島にある名瀬徳洲会病院(鹿児島県)に対しては上級医
が週替わりで切れ目なく応援に入る体制を整え、教育施設としての
役割ももたせるなど活動が広がりを見せている。
応援体制の確立に尽力した岸和田病院の尾野亘・消化器内科部
長は「症例の多い当院で医師を集め、技術を身に付けた医師を離
島に派遣することで、
“生命だけは平等だ”という徳洲会の哲学に基
づいた医療の実践を目指しています」とアピールする。
期待される診療形態は離島の病院ごとに異なり、総合診療や夕診、
当直業務を求められることもある。この
ため「内視鏡検査・治療が得意な総合診
療医」という位置付けで、取り組んでいる。
「今後は離島医療のなかで育った人材
が当院のような教育・応援の基幹病院を
つくり上げ、より多くの仲間とともに離島
離島の病院でも高度な内視鏡診
医療に貢献できればと考えています」と 療を実施。写真は名瀬病院で下
尾野部長は抱負を語っている。
咽頭のESDを実施した時の様子
出向先の静仁会静内病院で患者さんのケアにあ
たる
14
量などを一定のルールで
屋久島病院で 1 年間にわたり応援業務に従事
体制を構築し
ています」と
説明する。今
はく り
44
離島の恵まれた自然環境
10
苦しい胸の内を明かす。
福岡徳洲会病院は毎月70人以上の職員が徳洲会グ
ループ病院を支援している。このうち離島・へき地病
院の割合は約半数を占め、8月も7職種35人が北海道
から沖縄県まで全国の徳洲会病院にサポートに入った。
毎月、一定程度の支援を行うには、職員の理解が
欠かせない。たとえば看護部では、キャリアアップの
過程で適宜、離島・へき地医療に対する理解を促す
工夫を施している。
「当院の看護部では計画に沿って原
則、2年目以上の看護師が出向します。各部署で調整
するので個々の看護師はもちろん、各部署のリ
ーダーの理解が重要です」
(倉掛真理子・看護
部長)
看護師の入職時や看護師長を対象とした研
修などで、徳洲会の哲学や理念を示すとともに、
離島・へき地病院に対する支援の意義や取り
組みを説明。昨年は屋久島病院で行った九州
ブロックの研修に、離島・へき地の病院を訪れ
たことのない看護部長クラスや看護師長クラス
が参加した。
倉掛部長は支援するメリットを強調する。
「限
られた資源のなかで看護を行うことによるレベ
ルアップはもちろん、ふだんと違う場所や自然
豊かな環境のなかで過ごすことにより、リフレ
ッシュ効果も期待できます」
。
離島・へき地では透析機器の運用・
メンテナンス需要が高い
年度の対象は
内視鏡が得意な総合診療医
9施設だ。
離島11施設を積極応援
26
月の2カ月間の予定で、
「新たな発見や気付きが
あります」と話す冨名腰
看護師
年間計画を立案し、支援
岸和田徳洲会病院消化器内科
生 命だけは平等だ
聞
新
洲
徳
❸ 平成 28 年 9 月 12 日 月曜日│ No.1048
い の ち
のオープンがあります。同院
のひとつに徳之島徳洲会病院
離島・へき地医療の思い出
もちろん救急を断ったこと
は徳洲会初の離島病院として
で充実を図っています。
はありません。限られた資源
1986年に開院。その 年
与論徳洲会病院(鹿児島県)院長 久志安範
を救えるか、医師の使命をつ
ことです。離島では医療資源
をどこまで救えるか」という
もうひとつは「目の前の人
なく、人としても成長できた
療で、私は医師としてだけで
します。離島・へき地での医
ねに突き付けられている気が
阪府)の産婦人科医師だった
当時、野崎徳洲会病院(大
議しました。
める医師が集まり、運営を協
前から関西の徳洲会病院に勤
療が理想です。こ
以上でも独歩で外来受診され
あり、それをくみ
には微妙な違いが
を行っていますが、
朝礼でラジオ体操
プライマリケアを実践されて
ません。当時、徳洲会内外で
合診療)を担わなければなり
を2人分確保しなければなり
場合によっては航空機の座席
までの送迎を必要とするほか、
送するには、付き添いや空港
患者さんを島外の病院に搬
エピソードは開院3カ月目に
くれるとのことでした。ただ
を務めるにあたり、大きな支
ったり、精神科医師に全科当
いた医師に指導を仰ぐととも
直を依頼したりしました。
に、“ 全 員 野 球 ” で 診 療 に あ
と交流した時、鹿児島県で校
えになっています。徳之島病
長になるには、3年間のへき
院で地元の小・中学校の先生
チャーターし、1本の試験管
地勤務が必要と知りました。
し、鹿児島空航からの便があ
を鹿児島市から徳之島まで搬
りません。そこでセスナ機を
gの未熟児を早産。未熟児の
送しました。到着後、すぐに
対応した妊婦さんです。その
ER(救急外来)の当直は
外搬送ではなく、医師に来島
呼吸が不安定なため、鹿児島
妊婦さんは妊娠 週で980
全員で分担、手術なども全員
市立病院に相談すると、治験
徳洲会もこの方式に習い、幹
してもらうよう努力したのを
部になる職員は離島・へき地
覚えています。
未熟児に投与すると、みるみ
上させ、手当ての心を共有し
付き合いをし、診察技術を向
こうした経験は私が院長職
いなくなるので、島の人たち
離島では応援の医師がすぐ
ます。
勤務を体験してほしいと思い
る酸素濃度が上昇、一同感激
強会の抄録集が並んでいて、
しました。
開始間もない医薬品を送って
でサポート。さらに応援で入
個人的に印象に残っている
生駒市立病院(奈良県)院長 今村正敏
最新号は第 回、7月 日に
ーン・Uターンが寄与すると
りました。地方創成にはIタ
て離島医療に携わることにな
院に戻り脳神経外科医師とし
総長を務めた後、再び名瀬病
にした『離島医療白書』も継
れている奄美の医療をテーマ
ました。隣に遠慮がちに置か
は貴重な原石を見る思いがし
など集積があり、その新鮮さ
医療から得られたインパクト
多種多様な症例報告や離島
力で、早期発見による予防的
外科スタッフや放射線科の努
する活動を続けています。脳
月に「簡略」脳ドックを実施
ービスの一環として、生まれ
思います。
行うマインドを醸成できたと
ました。離島・へき地医療を
いますが、テレビ会議システ
どは間歇的・日常的に行って
遠隔画像診断や症例相談な
が、1周遅れだとしても本当
ど都市部よりも遅れています
島は医療、社会状況、交通な
は長くいる医師こそ良い先生
口の端に上りますが、出戻り
続発刊してほしい記録です。
ていく姿に大きな共感を覚え
の〝Dターン〟も結構有望な
『徳洲新聞』でも紹介された
と信頼してくれます。何より
うに説明しています。高齢で
ルートになるのではないかと
ありました。南の島の人々は
」というイベントも
AMAMI
いますが、その先がけになれ
ックに対する関心が高まって
ばありました。検診や人間ド
Japan Physical Club in 医療につなげたこともしばし
あるでしょう。超急性期、急
へき地医療に利するところが
(症例検討会)も、今後の離島・
ムを利用したカンファレンス
えていますが、離島では助け
居や老老介護などの問題を抱
います。都市部の高齢者は独
は先頭を走っているように思
うような気がしています。離
に見えますが、私はどうも違
島より医療が進んでいるよう
市部の場合、いろんな面で離
も安心感があるからです。都
独居の方が多く、内地に家族
考えています。出戻り感覚で
お祭りが大好きです。若い医
合いの精神があり、高齢者に
名瀬病院健康友の会へのサ
がいる場合は家族に電話連絡
医局の書架に“びっくりぽ
性期への対応とともに、回復
優しいのです。だからこそ、
たように思います。
離島のほうが人として先頭を
走っていると思えるのです。
期、慢性期、さらには予防と
大事な使命です。
いった医療に対応することも
師や医学生が群れ集い、裸の
高齢者医療は最先端を行く
名瀬徳洲会病院(鹿児島県)名誉院長 板垣徹也
ん ”。 奄 美 ブ ロ ッ ク 研 修 医 勉
かんけつ
し、治療方針を決めていかな
奄美の離島医療を見わたすと、 「
捉え、接していきます。
とを最大限活用していく場と
ますが、逆に今まで学んだこ
る環境を申し訳なく思ってい
い資源のなかで医療を提供す
いくつかの目に見える積み重
しました。東京西病院で院長、 発刊。
から東京西徳洲会病院に転勤
年前に名瀬徳洲会病院
患者さんの負担軽減を考慮
しました。徳洲会以外の医師
った医師にも全科当直を依頼
家族の負担軽減を考慮し、島
は医師はそれぞれの専門分野
ウェブ動画で紹介
たることをスタッフ間で確認。 ません。このため患者さんや
とともにプライマリケア(総
にも同じような対応で、大学
と思います。当院を大切に思
の た め 医 療 知 識・
当院しかありません。島外で
を調べたら「患者さんすべて
技術の向上はもち
附属病院の小児科医師にER
が親戚同士だった」なんてこ
ろんですが、特別
当直や産科手術に入ってもら
回り、各施設で2週間程度、
とは日常茶飯事。島にいると
診療の科目増加、
私も参画。徳之島病院開院後
診療を行いました。医師が少
大家族のなかで過ごしている
MRI(磁気共鳴
は同院に勤務しました。島で
ないため、さまざまな場所か
感覚になります。患者さんか
画像診断装置)や
ってくれる島の人たちのため
ら医師が応援に入りますが、
らの“感謝の度合い”は大き
に今後も努力していきます。
彼らから自分の専門でない診
く、医療従事者としての喜び
の受診は患者さんの負担が増
開院当時の徳之島病院
えるため、島内で完結する医
が少なく、与論島では病院は
今も多い時は週5日開催。
のひとつが終業後の懇親会で、 のなかで、どれだけ患者さん
人や医師としての原点がある
離島・へき地医療は人とし
て、医師としての原点を教え
てくれます。ひとつは、人と
の交流の大切さ。私は医師に
なって5年目くらいまで南部
徳洲会病院(沖縄県)に在籍
しながら、鹿児島県の沖永良
部島や喜界島、加計呂麻島な
療科や、知らない地域・病院
ど奄美の徳洲会の医療機関を
の話を聞くのは新鮮でした。
像保管電送システ
PACS(医用画
1998年に現職に就いて
を実感できます。
ム )、 電 子 カ ル テ
す。 島 内
以来、できるだけ人と交流す
ている方が多く、これは初め
喜界島を離れたことがない
28
患者さんとの交流も活発で
は人間関
の導入など、ハー
たとえば、驚い
ド・ソフトの両面
ある病室
す。奄美の離島は高齢化が進
た時の感嘆詞「あ
え、取り組んできました。そ
私は脳
み、高齢の方ほど最終言語は
係 が 濃 く、 る機会を病院で設けたいと考
神経外科
げー」、「はげー」
都市部の
て喜界島を訪れる医療従事者
患者さんに接するほど、言葉
奄美方言では体操
「どんな場所でも生命だけは
平等だ!」
徳洲会グループはインターネ
ット上の動画サイト
「YouTube」
に、
グループ病院の取り組みを
紹介する番組を毎月配信。
渡部院長(右)
と小林梢リポーター
今回は都心から電車で1時
間ほど、ベッドタウンとして発展する昭島市にある東京西徳洲
会病院を訪ねた。
徳洲会グループ初の東京の病院として2005年にオープンし
た同院は、内視鏡下手術支援ロボットや小線源放射線治療装
置など先端医療機器を導入。
また「断らない医療」を実践、年間7,000件余りの救急搬送、
20,000件以上のウォークイン患者さんを受け入れている。
渡部和巨院長は「患者さんに寄り添う、患者さん目線で、と
もに共感できる職員がいることが、ものすごく大事です。患者
さんのために良い職員を育てていける病院にしていきます」と、
人材育成に余念がない。
番組へのアクセスは、徳洲会グ
ル ープ の ホ ームペ ージ(http://
www.tokushukai.or.jp)のトップ
画面にあるバナー
「どんな場所で 徳洲会のホームページにあるこの
バナーをクリックすると、 番組に
も生命だけは平等だ!」
をクリック! アクセスできる
再び名瀬病院で診療する板垣・名誉院長
奄美方言です。ちなみに 歳
病院では医師は専門科だけで
められます。離島で働くよう
の動作を表す言葉
せます。当院では
になってから、医師としての
の壁により、訴えを十分理解
いまだに理解できずまわりの
東京西徳洲会病院
患者さんに寄り添って
共感できる職員が大事
3
くてはなりません。その苦労
16
11
は島ならではと思います。患
離島・へき地医療を経験することは医師人生のなかで、どんな意義
があるのか――。徳洲会で若かりし頃、離島・へき地医療を経験し、
その後、同地の徳洲会病院院長に就任した医師や、都市部に戻り病
院長を務めている医師、都市部の病院長を経験後、再び離島に戻っ
た医師に、当時の取り組みや苦悩、今の心境などを語ってもらった。
ねがありました。
「離島・へき地医療の意義」
者さんや研修医たちには少な
57
医 で す。
生きていけますが、離島では
が一番驚くネタです。
取るのに頭を悩ま
医師としてすべての知識が求
本来の姿を自覚できるように
動作を盗み見するばかり。だ
方言ほどあり、
之島のなかにもさまざまな方
からこそ、外来では言葉がだ
が
言があるとわかっていたので
めならボディーランゲージで
心配です。約3年勤務した徳
なりました。離島に赴任して、 できていないのではないかと
最も苦労するのは言葉の壁で
すが、喜界島にも集落によっ
研修医たちには、入院から
て言葉の表現に微妙な差異が
退院までの治療計画を島の事
と、身振り手振りで溶け込む
しないことがあり、患者さん
ことを心がけています。
が付き添いの家族に困った顔
情に合った形で考えていくよ
喜界徳洲会病院(鹿児島県)院長 浦元智司
を見せることがあります。
あると知りました。時々、私
12
が理解していた表現では通用
徳 洲会 病院 長が語る
「目の前の患者さんを助ける」思いで診療す
る久志院長(手前)
90
意思疎通の難しさ楽しさ実感
診療時に方言に悩みながらも意思疎通を図
る浦元院長(右)
平成 28 年 9 月 12 日 月曜日│ No.1048 ❹
聞
新
洲
徳
生 命だけは平等だ
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