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エジソン経営史 〜発明開発事業の組織化と企業家精神〜
足立 辰雄 目 次 Ⅰ エジソンのプロフィル Ⅱ エジソンの発明 Ⅲ 白熱灯システムの開発と成功 Ⅳ 発明の量産体制と組織化(メンロパーク研究所) Ⅴ 電流戦争の敗北 Ⅵ GEの成立とエジソンの失墜 Ⅰ.エジソンのプロフィル Nancy Elliott Edison エジソンの母。 スコットランド系のイギリス 人とニューイングランド系の アメリカ人の子孫。小柄な身 体だが、逆境に負けない忍耐 力と精神力をもち、深い信仰 心と学問への情熱をもってい た。学校教育に馴染めなかっ たエジソンを一人で教育した。 文学の古典や自然科学書を読 み聞かせた。 Thomas Alva Edison(1847-1931) オハイオ州ミランのエジソン家の7 番目の子として生まれる。自由奔 放で探究心旺盛なため「なぜ?」 「どうして?」を連発し大人を困 らせたという。幼尐時から化学実 験に興味をもち、鉄道の新聞売り 子を経験しながら電信技術を修得 する。 自分の目で観察し自分で行動し、 物を創ることをポリシーとした。 エジソン14歳の時の写真。 Samuel Edison ,Jr., カナダの反政府活動に加わったが 失敗してオハイオ州ミランに逃亡、 そこで材木や穀物商を営んだ。商 売は不振で、家計と家事は母親が 切り盛りした。笞を使った躾は厳 格で、幼尐の頃、エジソンは父親 から「ばかにされている」と感じ た。母親とは異なり父親の話はほ とんどしない。時折現すエジソン の残忍な性格形成に与えた影響は 大きかったのではないか。 現たミの意父一オ 在めラ誕を親八 、、ン生表の四ハ ミエはをし兄七イ ラジ海喜ての年オ ンソ運ん 名二 のン業で 前月州 生一で近をの十、 家家栄所中 一ミ ははえに間 日 エポた知名 にラ ジーがらに 七ン )ソト、せしと番 にンヒ鉄てた友目の よ生ュ道回。人の生 っ誕ー業っ高ブ子家 て地ロのた齢ラと 維協ン発とのッし 持会に達い父ドて 管(引でう親レ生 理 っ衰。はイま さ 越退当、大れ れ しし時息尉た て たたの子に。 敬 い 。 Alva Birthplace Association, Inc る 。 Thomas Edison 最 初 の 妻 、 メ ア リ ー ( Mary Stilwell Edison 人一一 の八八 子八七 供四一 が年年 残、、 さ脳結 れ充婚 た血当 。で初 急の 逝写 、真 二、 九一 歳六 だ歳 っ。 た金 。髪 後の に美 三人 。 ) 二 番 目 の 妻 ( Mina Miller Edison Llewellyn Park い創付にマ員る陵にニけスりマ残 う始け無イに。にあュた信エイさ 。者て償ナなエ二るーエ号ジナれ のあではっジ三田ヨピをソはた 理る譲、たソ万園ーソ使ン著 3 念」渡エ。ンド郊クーっか名人 に「しジ はル外郊ドてらなの 則市「ソ こで型外も求アル子 り民エン の売住(あ婚プイ供 たのジ死 結り宅マるしロスを いたソ後 婚に地ン。そー・育 」めン、 を出にハ二のチミて とのとこ 機さ求ッ人場をラて 言居のの にれめタはでしーく い住記邸 名てたン、イたとれ 残地憶宅 実い。か自エ。いる しとはと 共た ら分ス馬う新 てい私土 にさ 列たの車実し 立うの地 上れ 車ち回の業い ちこ記を 流た での答中家妻 去の憶政 階も 一新をでのを っ公に府 級の 時居とモ娘捜 た園刻機 のでの間をりーでし とのみ関 一あ丘) つルあた 。 ) Ⅱ エジソンの発明 印刷電信機 株式や金相場の情報 を送信する機械。 1871年、ニューアー クのエジソン工場で 製造されたもの。 蓄音機(1877年) カーボン式送話器 1879年、エジソンによっ て改良された炭素送話器 と石墨(チョーク)受話 器。使用中はハンドルを 回し続けなければならな かったが、ベルの磁石式 送話器より評判は良かっ た。 円筒は直径8㎝、30㎝の軸に錫箔 が固定されハンドルでまわして録 音、再生する。当初、話す機械と 呼ばれ、エジソン自身、自分の声 の再生音を初めて聞いて肝をつぶ した。 最初の声の記録は歌の歌詞だった。 「メリーさんの羊、真っ白だメ リーちゃんが行くとついていく」 左:ウェストオレンジ研究所で 活動写真映写機(motion picture projector)を操作するエジソン 1897年 左下;最初の活動写真映写機 (1889年) 右下;映画の版権を初めて取得 したフィルム。エジソンのス タッフのくしゃみを記録したも の。 1888年6月16日午前5時 記録しにくい錫箔をつけた円筒形から蝋でできたレコードとサ ファイアの針をもつピックアップ式の装置を考案した。蓄音機 の改良のために3日間の不眠の仕事を終えて研究室から出てきた 時の写真。この写真は「発明家中のナポレオン」と評されてエ ジソン蓄音機会社の宣伝用ポスターに使用された。 ジのるとははい二炭 ソ全。技炭一う十化 ン体白術化八。一フ の構熱的さ八特日ィ 着想化原れ○許にラ 想にす理た年の成メ の位るの木一申功ン 優置電両綿月請しト れづ球立糸二は、に たけのをか十一十よ 点白高図ら七八三る で熱抵っな日七時白 あ灯抗たりで九間熱 るの物壮、あ年半灯 。開質大エる十にの 発をなジ。一わ実 を送構ソ馬月た験 試電想ン蹄一っは み・かの形日て一 た配ら経の、輝八 た電生済高特き七 こシま的抵許続九 とスれ合抗のけ年 がテて理物許た十 エムい性質可と月 エ ジ ソ ン 白 熱 灯 Ⅲ 白熱灯システムの開発と成 功 エジソンの白熱灯事業の構想(エジソン・ノート抜 粋) 1.ガス灯の市場調査を行い、ガス価格に対抗しうる価格の設定 を図り、耐久性、安全性、操作容易性を強調する。 2.電灯数とは無関係にいつでも同じ光を提供する(寿命約2000 時間)配電区間の電圧を維持する。 3.蒸気力を電気エネルギーに変換する発電機の考案。(中央発電 所方式)装置の開発。 4.電流を分割するシステム(並列回路)と白熱電灯の高抵抗物質 の開発。 5.電気エネルギー使用量を測定する装置(メータ)や地下導線管 の埋設。 立街 と灯 うで とも しガ てス い灯 たは 。ア ー ク 灯 に 対 し 経 済 的 に 優 位 に 直列回路は公園や街灯、灯台などで一斉に 点灯、消灯されて使用されたが、屋内回路 には不向きであった。並列回路は梯子状に 導線が配され各電球が独立して操作される 利点から屋内回路に適している。エジソン は並列回路を実用化した最初の技術者であ る。 電源から電灯へ伸ばされた導線から生じる 抵抗の増大によって初期の電圧が低下(電 圧降下)し、電源から遠い所ほど電灯が暗 くなる。この欠陥を補うために、電源に近 い所の幹線を尐し太くする樹木式配電方法 が考案された。しかし、この方式は実用的 ではなかったので、1883年、三線配電方式 に発展した。 1880年代のニューヨークの通りは架空 配線方式のため、何千もの電線が空中 に張り巡らされ感電の恐れがあり通行 人の安全を脅かしていた。 出所)Mark Essig,Edison &The Electric Chair, 2003,p.138. アーク灯(高電圧)や電信用の 電線が架空に配置されていたの で、ガス灯に対する安全性を強 調するためにも地下に導線管を 敷設した。右の図はマンハッタ ンを中心とするニューヨークの 敷設計画である。 マンハッタンでエジソン電灯の地下 導線管を埋設する工事(スケッチ) ニュージャージー州ウェストオレンジ 研究所のタイムレコーダー(世界初) 1997年6月27日現地撮影(足立) Ⅳ 発明の量産体制と組織化 (メンロパーク研究所) 研究所のスタッフ 上から2列目の中央の白い服装の人 物がエジソンである。エジソンの 斜め右後ろが数学者アプトンであ る。 メンロパーク科学村 の全景(スケッチ) メ ン ロ パ ー ク 研 究 所 の ス タ ッ フ 一 覧 ( 一 ) メ ン ロ パ ー ク 研 究 所 の ス タ ッ フ 一 覧 ( 二 ) メンロパーク研究所 (1階は左図、2階は下 写真) エジソン特許の量産化-1(1879年4月〜1881年12月) エジソン特許の量産化-2(1881年12月〜1882年9月) Ⅴ 電流戦争の敗北 交 流 の 経 済 性 の 優 位 交流の採用 1893年、ナイアガラ電力会社は 交流を採用、ウェスチングハウ スとの間で最初の契約を交わし た。直流に対する交流の優位が 市場で確定し、電流戦争は交流 の勝利に終わった。 世界初の電気椅子 ウェスチングハウスの交流を利用した死 刑執行用の最初の椅子。エジソン社が死 のイメージと危険性を交流にもたらすよ うに電気椅子への交流の採用を画策した。 1893年に実用的に改良されて電気椅子に よる死刑が執行された。 出所)Mark Essig,Edison &The Electric Chair,2003,p.138. Ⅵ GEの成立とエジソンの失墜 Edison General Electric Company社の Schenectady工場 (1891年) Thomson Houston社の Lynn工場(1892年 ) G E の 成 立 ( 一 八 九 二 年 ) エジソンは新会社の一取締役に! チG ャE ーの ル初 ズ代 ・会 コ長 フ( ィ社 ン長 ) 、 晩 年 の エ ジ ソ ン ( 一 九 一 七 年 ) 参考文献・資料 ○足立辰雄「独占成立前史のアメリカ企業と管理」上林貞次郎・笹川儀三郎編著『企業・経営の史的展開』ミネル ヴァ書房、1990年、第5章所収。 ○足立辰雄「発明開発事業と特許(1)(2)(3)〜GE成立前史の企業経営・管理〜」『立命館経営学』第24巻2 号(1985年7月)、第24巻3号(1985年9月)、第25巻5号(1987年1月)。 足立辰雄訳「エジソン特許目録」『宮崎産業経営大学経営学論集』第5巻2号(1992年3月)。 ○Matthew Josephson,Edison,1959,矢野徹他訳『エジソンの生涯』新潮社、1962年。電流戦争については殆ど 触れていない。エジソン伝記として定評あるが、絶版のため入手困難。 ○John Ambrose Fleming,Fifty years of Electricity,1921,フレミング、日本語訳『近代電気技術発達史』科学主 義 工業社、1942年。絶版。 ○Harold C.Passer,The Electrical Manufacturers1875-1900:A Study in Competetion, Entrepreneurship, Technical Change,and Economic Growth,1972. ○Frank Lewis Dyer,Thomas Coomerford Martin,Edison;his life and inventions,1910. ○John Winthrop Hammond,Men and Volts:The Story of General Electric,1941. ○Neil Baldwin,Edison:Inventing the Century,1995.『エジソン;20世紀を発明した男』三田出版会,1997年。最新 版のエジソン伝記。 ○Mark Essig,Edison &The Electric Chair,2003. ○The Hall of History Foundation,A Century of Progress:The General Electric Story,1981. ○Lawrence A.Frost,The Thomas A.Edison Album,1969. ○名和小太郎『起業家エジソン』朝日選書、2001年。自然科学と経済の両面からエジソンをとらえている。