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性 教 育 に 取 り 組 む す べ て の 方 に お す す め し ま す 二二二二「
川患春期の性・人聞の生を語ろうl
桜映画社のア ニメ性教育シリー ズ
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この [
性 教 育 シ リ ー ズ] は
、
討を主
観た人が、自由に考えを出し合う話し合いによって
より理解を深められるよう、
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ーナレーションにしてあります。
1 dfi〈 府警~
学校の授蟻やグループで、あるいはご
この新しいタイプの教材を、ぜひ、ご活用ください 1
+VHS/ 日 本 語 版 定 価 各 2
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0円(消費税別)
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鳩
ふたりの調べ
第二次性徴をむかえた、男の f・女の f
それぞれの心 とからだの変化 を、ファン
タジーの世 界をまじえて伝えます 。
1分 ( 小学' I: - ~':j 校 ' l :l f 'J )
.アニメーショ
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新しい関係
若い男女の rJI に :::J~ / I : える愛情を t1!i き、↑生
とそれに伴 う感情の動きや責任について、
避妊や性病にも触れて諮りかけます 。
3分 (中学 '
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中原道子さん
差 別 の な
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(まとめ/稲邑恭子)
社 会 を
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「皇軍慰安婦問題から見えるもの」
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…… 4
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四 人 冗 語 木 村栄 野 村 康 子 津 田 正 夫 武 田 秀 夫
- ホ スピス千夜一夜物語
森津純子………位
・ わがままなまま,私のまんま
三 沢 史 子 . ..
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叩
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井 内 好 子 ..
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きき耳ずきんの森から
- 木を植えた日
蒔 田 直 子 … …・
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- オホーツクの潮風荒く
江 口 凡 太 郎 … ….
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- 居場所考
水田
宗 子 … …5
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。編集後記
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表 紙 デ ザイ ン/加 藤 由 美 子 題 字 ・目次 /川│口民子,河村理恵カ ソ ト1)
1
1口民子 .加 藤 由 美 子
ザ
ミ
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9
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5
特集
大シンポジウム
自 立 し た 女 と 男 を
AIDSと性
「出会うということ」
大石敏寛小貫大輔…….......4
(まとめ / 中村泰子・山下ひろみ)
大予防と共存のメッセージのはざまで
た ん べ … ・ … … …・
1
6
大
大沼もと子…...
.
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…2
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自分のからだをとり戻すために
大 おんなのことばで語りたい
中村泰子............但
# 春のつどいに参加して
小平
陽一 .
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- 家庭科一遊ゅう・惑わく
ー エイズと向きあう ー
山 田 順 子 浅 井 由 利 子 … … … "…2
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- こ れ で、バッチリ家庭科玉手箱…②
林 咲子北山裕子................剖
- 共学家庭科の窓…②
石川
│ 尚子…・…“…i
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8
- 家庭科転職情報《男性編〉…②
南野忠、靖.........…… 6
1
特集
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Sと性
え石敏克さん
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9
4W e春のつどし、より プロフィール
おぬきだいすけ 1
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8年から 5年間す
ンパウロのソ γ ベーラ(貧民街)で、シ
aタイ Tー思想に基づいた教育、医療
を実践するグループに参加。現在、エ
イス患者のネッ トワーク作 りに奔走中。
著書に『耳をすまして聞いてごらん』。
お お い し と し ひ ろ 動 くゲイとレズビ
7 ンの会(通称アカー)を基豊富として、
エイズをめぐる問題に ついての発言ゃ
緩助活動を行つ 。現在、国際エイズ会
議の準備に会議組織委員会の P W A小
委員会スポークスパーソンとして活蹴。
出会いがという言葉に、
H
-日常の中に存在するエイズ
大 石 私 は H I Vに感染しています。旧年の冬、包歳か
このシンポジウムを企画した時、この
感染者である大石さんとの出会い、エイズという病いとの出会い、
お歳の頃に感染の事実を知りました。エイズのボランテ
かで軽い気持ちで検査を受けたら、自分だけ陽性という
しれないと思って受けたわけではなくて、友だちと何人
エイズ検査を受けたときも、自分が感染しているかも
ぐことができなかったんですね。
自分自身の中でいくら情報や知識があっても、それを防
いたにも関わらず、 H I Vに感染してしまったんです。
ィア活動をしていて、十分知識や情報というのは持って
そして自分自身のセクシュアリティとの出会いという三つの意味
と思いを込めました。ただ、﹁いい話を聞いたね﹂で終わるので
はなく、参加者それぞれが、自分自身の中に何か引っかかりを持
当日は、エイズというちょっと構えてしまいがちなテーマを話
ってくれればいいな'・:と 。
す前に、参加者の緊張を解き、時間と場所を共有していることの
H
を送りあったり、音楽に合わせて体を揺すったりといっ
心地良さを作ろうと、ヨガで体をリラックスさせたり、輸になっ
て μ気
次に二つの状況を設定して、自分は何を感じ、どう対応するか
結果を聞かされて。その時は頭が真っ白っていうんです
た、体ほぐしから始まりました。
ということを考えて、紙に書いてもらうワークショップを取り入
か、ガンガンガ 1 ンという感じで何も考えられなかった
は、誰かに殺してほしいと思うほど落ち込んでいたんで
は、ああ自分はもう死んでしまうんだと:::。しばらく
んですね。発病しているわけではないのに、もうその時
れました。一つは全く偶然に見知らぬ人に繁華街で声を掛けられ
意気投合してお互いに好意を持ったとき、相手からホテルに誘わ
れたらどうするか。
すけれど、友だちがみんな普通に側にいてくれるのを感
もう一つは、お互いによく知っていて、長い間に信頼関係が築
かれていて、好意を持っている相手から誘われたらとうするかと
5時加分ごろまで仕事
をして、帰って食事して、日時ぐらいからワープロ打ち
ていますので、結構ハードです。
今、私 は会社に行きながらエイズのボランティアをし
じて、それがすごくうれしくて支えになりました。
いう設定でした 。 そ の 聞 い に 答 え る こ と で 、 自 分 の 性 に 対 す る 考
え方、行動を認識し直してもらい、エイズを身近な問題として考
えてもらうきっかけになればと考えたからです 。
それらの回答に対するお二人のコメントと会場からの質疑など
た。 以 下 は そ れ を ま と め た も の で す 。 (中 村 泰 子 ・ 山 下 ひ ろ み )
も交えながら、お二人に今一番伝えたいことを話してもらいまし
3
ういうふうに生活を送りたいのかというのが、まだまだ
ない限り、感染者が何を考えてどういった生活をし、ど
どうしてそこまでやるかというと、そこまでやっていか
ころです。その弱いところから入り込んで来たものです
目を背けたくなる、避けたくなる、ごまかしたくなると
この一部というのは人聞にとって一番弱い、考えにくい、
という日常の一部から感染してくるんだと考えてほしい。
エイズを考えるときにまず、エイズというのは性行為
日本では伝わりにくいんじゃないかと強く思いますので、
から、こんなに世界中に感染者が増え、猛威を振るうこ
出して寝るのが2時3時という状態が毎日なのですけど、
ちょっとくらい無理しても活動していこうと思ってやっ
とになったんだと思うんです。
H I Vの感染に関しては、﹁日常では感染しません。
ています。
日常で感染してしまったんだと思っているんですが、ど
に関しても、私自身は日常だと思っていますから、私は
ですが、果たしてそうなのか。さきほど話したセックス
を例に出して、だから日常では感染しませんよと き守つん
手したり、くしゃみしたり、風呂に入ったりということ
ね。ただ引っかかるのは、日常という言葉なんです。握
聞かされると思・つんですけど、確かにその通りなんです
それは恐れることはないんですよ﹂っていうことをよく
や配偶者がいながら別の人とセックスした場合に、
る人は悪い人だと排除してしまっている 。 それだと恋人
のに、今のエイズ教育では不特定多数の人とセックスす
けじゃない。そんなことはみんな本能的に分かっている
言われがちだけど、実際は全員が一対一を保っているわ
う。一対一の関係が全てで、それ以外は不道徳みたいに
ては一対一の特定の性関係を肯定するほうにいくでしょ
います。恋愛が入ってくると、社会の圧倒的な意見とし
恋愛の問題とエイズは分けて考えなければ駄目だと思
-道徳観では語れない
うも世間では、日常では感染しないんだと強く訴えるた
ずいことをしてしまった﹂と思い、絶対に人には 言 えな
だから、学校・友人・会社の中に感染者がいたとしても
めに、セックスと日常生活というものを 二 つに分けてし
くなります。純潔を通したい人はそうすればいいけど、
﹁ま
まっているんじゃないかと思います。
6
か、一つの価値観を押しつけようとしても、それでエイ
そうじゃない人もいるわけです。どれがいいとか悪いと
危険であると 言 って、感染者の日常から完全に性行為と
も関わらず、
一方ではコンド lムをつければ大丈夫だと 言 っているに
一方では感染者・不特定多数との性行為は
ズの予防はできないです。
切り離して、エイズに感染しないためのル lルをきちん
けども、今の状態ですと、
ただ、私は思うんです
いうものを奪い去ってしまっていると思います。
と教えるべきだと思います。一対一でも、一対多でも共
誰が感染しているか、感
だから学校教育では、恋愛に関する価値観や道徳観は
通の最低限の共通のル lルというのはありますから。
エイズの予防啓発活動のパンフレットによくこんなこ
ね。私のように、感染し
は分からないわけですよ
染していないかというの
危険な行為、安全な行為 H。こ
同性愛者であればコンド lムをつけないでアナルセック
間であればコンド!ムをつけないで挿入するとか、男性
との性交って書いてあるんです。確かに感染者と、男女
との性行為です。もう少しひどいものになると、感染者
の危険な行為の中に必ず含まれるのが、不特定多数の人
プンにしていない人に対
そうではない、全然オー
くと思うんです。けど、
ているんだなと考えてい
最初からこの人は感染し
ていますと 言 っていれば、
H
スをしてしまうとかであれば、確かに危険なんですね。
しては、感染しているか
とが書かれています。
ただそれとは別の言い方で、コンド lムをつければ大丈
自分だけはとか、 相手
ないと思うんです。
いないかは日常的に考え
﹂
の 二点はすごく矛盾するんじゃないかと思います。
7
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夫ですよ、だからコンド lムをつけましょうと言ってい
。
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‘
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見はあると思いますし、 これからもいろんなことはある
しまって、何でそういう行動が取れないのか、そういう
とか、危険な行為は止めましょうとかの一点に終始して
というと、エイズの予防にはコンド lムをつけましょう
う現状の中で、今の予防啓発活動というのは、どちらか
入れて持ってきてくれるっていうことがあるんですね 。
ういうふうに、感染を知った友人がどこかから情報を仕
驚いて自分たちで情報を集めて作ったものなんです。そ
これは、ある感染者の友人が、あまりに情報がないのに
ここに、 SHIPという情報機関紙があるんですが、
と思います。
行動をとるためにはどういうことをしたらいいのかが語
そうやって情報を沢山得た患者、感染者が、結局一日で
ことは、感情が高ぶるとどこかへいってしまう。そうい
は大丈夫と 言 っているし、一回だけならとか、エイズの
られていない。そこをやらない限り、 HIV感染はなく
も長く生きていけるんじゃないかと思いますので、多く
いけるような状況になればいいなと強く思います。
の患者、感染者が、ごく親しい友人や恋人や親に 言 って
ならないと思います。
-支え合っていく
私自身は、エイズというのはひどい差別や偏見を受け
関係ができている人は理解してくれましたので、特に嫌
も話していったんですが、私の場合、一対一できちんと
断したときに、実は、という感じで友人や家族や会社で
関係を作っていって、これなら話しても大丈夫かなと判
ことでもそういう面はありましたから、徐々に周りとの
は本当に多様で、それぞれの価値観に合わせて話してい
いくんだという:::。また性に関するそれぞれの価値観
染者の立場で、同性愛者の立場でエイズのことをやって
のやりたいことや立場がはっきりしたとは思います。感
からというので関わっていたんですけれど、今は、自分
以前はエイズの問題も、皆がやるからとか同性愛者だ
AV
自分のやりたいことがはっきりした
な目に遭ったということはないんです。でも、テレビな
かないと、なかなか聞いている人に入っていかないし、
るというのは知っていましたし、同性愛者であるという
どで一方的に私のことを知った人にはいろんな誤解や偏
8
エイズの問題は解決しないんだということも、活動を通
して見えてきました。
だんだん 言われるようになってきています。
今度高校で話す機会があるんですけれど、若い人たち
ぼくが初めてエイズのことを知った時、エイズは同性愛
にはなるべく話していきたいと思っています。十年前に
あえてセックスの話をするんですが、エイズを道徳観の
者の病気だと思われていたので、﹁同性愛者なのか?﹂
ぼくはセックスのとらえ方や価値観に興味があるので、
矯正に利用しようというのは嫌いだし、そういう運動な
とりあえず、今の自分を受け入れるところからしか次
と言 われそうで誰にも聞けなかったですから。でも、あ
に進めないと思います。感染のことも同性愛者というこ
らばぼくはやらない。それぞれの価値観を尊重した上で、
セックスするとき女性は常に、妊娠という危険性を伴
とも受け入れて、そこを自分の原点にして、﹁ではそれ
の時正確な知識があったら、僕は今感染していなかった
っていますが、男性はエイズによって初めて、セックス
それにあったエイズの防ぎ方を教えていくべきだと思い
がリスクを伴うものだという感覚を持つようになったの
にどう取り組んでいくか﹂ということが出てくるんだと
かもしれない。
かもしれません。でも、セックスに対する意識が変わっ
思います。
ます。
たかというとそうでもない。変わっていればもっと社会
も変わるはずです。結局自分だけは大丈夫と思ってる。
薬の方法や効果が違ってくるんですね。女性のエイズへ
女性では違うわけだから、薬の使い方一つ取っても、投
性に対する認識も、体やホルモンのバランスも、男性と
は違うんです。今までエイズと一括りにしてきたけど、
というとき、 二人の間で合意が取れて、 H I Vのことが
ない、あるいは陽性の赤ちゃんが生まれるかもしれない
お互いに H I Vに関して理解していて、うつるかもしれ
は、例えば、感染している人と感染していない人の場合、
取るべき云々という質問が出たのですが、結婚に関して
先ほど会場から、結婚する時に鴎性かどうか証明書を
*
の取組みが医療の現場ですら遅れているということが、
ただ、男性にとってのエイズと女性にとってのエイズ
*
理解できて、なおかつ思った以上に難しい社会の壁も 二
人で解決していこうというのであれば、子どもを作って
も構わないと思うんですね。なぜなら、子どもを作る、
来て、人類の歴史の中でこの段階で訪れたときに、それ
がもたらす社会の変化というのはあるわけですよ。
今の僕たちの時代の中でエイズほど不思議な、人の感
出させるドラマチックな面があると思うんです。そうい
情を揺さぶる病気はなかなかないですよね。人の心を揺
かなければならないんですけど、子どもを作る作らない
うエイズが持ってきているものを、制度とかを簡単に改
作らないは、社会が決めることでなくお互いが決めるこ
は当事者の問題で、生まれてくる子どもが感染していれ
革するだけで、エイズの数を減らすということに究極の
さぶって、安定していた社会を揺さぶって、そこで、新
ば不幸になると決めつけたり、相手に感染させてしまえ
目的を置いてしまったら:::。例えばキューバでは、感
しいものが出てこなくてはいけないという気持ちを生み
ば感染した人が不幸になると決めつけて、周りが反対す
染の可能性のある人は全員強制的に検査を受けて、それ
ので、その地域、園、行政で差別の問題とかをやってい
るのは間違っていると思うんです。意見を 言 うのは構わ
が陽性であるということであったら、ある一定のところ
とだから。確かに生きていく中で様々な問題があります
ないけれど。
マ
A エイズがもたらしたもの
まって、キューバの社会がひっくり返った時に、何十年
けど、そういう社会の中で、例えばカストロが死んでし
に生活の場を移さなきゃいけないという制度があるのだ
小貫全く大石君の言った通りだと思・つんですよ。たい
僕は去年までブラジルで五年間生活していて、そこで
というギャップを追いつけなかった社会は、瞬く聞にエ
エイズの活動やってたんですね。今、偉そうなこと言っ
がい 二人の意見は食い違うんですけど(笑)。制度だけ
なかったらね、何のためにエイズがわざわざ今、人類の
てるけど、最初の頃やってた活動というのは﹁エイズ来
イズで満ち満ちてしまうだろうと思うんです。
社会に訪れているのかつてところを見逃がしてしまうと
変わっても駄目ですよ。制度だけ変わって人聞が変わら
思うんですね。間違いなくエイズという病気が今ここへ
1
0
たよ、すごくやばいんだよ、みんなそんなこと知らない
でしょ﹂っていう、警鐘を鳴らすということに尽きてた
きているんですよ。
そういう時代を、安全な所に身を置くんじゃなくて、
ている人たちが持っている根性というか、そういうもの
エイズは自分の人生と関係がある、というところで生き
そういうことやってる中で、空しいことが一つあるわ
が僕に与えてくれたメッセージというのは、大切なのは
と思うんですよ。
け。それはコンド!ム使いなさいと 言 ったとしても、コ
性のテ l マを語れるようにしようという、そういう力
どうすればエイズと関係なくなるかというテクニックじ
が今存在する気がするんですね。だからさっきの陽性検
ンド lムなんて、向こうの人の生活レベルから考えたら、
ような社会でね、僕たちが言ってるように使うなんてこ
ゃない、ということだったと思う。
とはもともと不可能な状況でそういう話をしている。そ
査云々の話にしても、今僕たちが生きている時代の僕た
一個買うのに給料の印分の1 の値段払わなきゃいけない
れでなくても、例えば、売春をしている人たちゃ、ドラ
ッグをしている人たちゃ、もうすぐストリートチルドレ
ンになりそうなM歳ぐらいの男の子たちを相手に話して
いる時に、何かすごく違うんじゃないかと:::。ふと思
ったのは、コンド lムさえ使っていればね、自分はエイ
ズから手を洗ってね、エイズがもたらそうとしているも
のに何も疑問を感じないで、今まで通り生活していてい
いのかっていうこと。
危険なことをしてもみんなが感染しちゃうという単純
な病気じゃない中で、そんなに危険じゃない生活してて
も、それでも、少しは感染する可能性を秘めた人生を生
1
1
の生き方じゃないし、勿体ないですよ。
えているとしたら、そんなの今の時代を生きている人間
を生きるにはどうしたらいいのかつてことを、いつも考
は生まれないで、それが 一つの完壁な人生として、それ
子どもが コ一人生まれて、あるいは 二人生まれて、あるい
ちの恋愛、僕たちの結婚というのは、人が 言 うような、
ったんですね。
自分の人生だということができないような時期が少しあ
たり、自分の人生の中で一番大き・なテ l マであることを、
いけないというル!ルの中で参加しなくちゃいけなかっ
ているからとか、あるいは逆に自分のことを公表しちゃ
ろそういう中で、助けられているか らとか、世話になっ
それが問、叩年の頃から、グ!ッと変わ ってきて、感
っていったときに、僕たちは居合わせた。そういう感染
染者の人たちがどんどん中心になって活動するようにな
僕がたまたまブラジルにいた時期っていうのは、ブラ
者の人たちが作っているグループがたくさん生まれてく
-感染者に学ぶ
ジルのエイズの活動がものすごく活発に変化を遂げてい
る中で、僕たちみたいな地域で活動している人たちが、
の活動をするっていうのは、レクチャーが中心で、どん
うになっていった。
らって、いろいろ話をしていただくということをするよ
一緒にあるキャンペーンをやる時、その人たちに来ても
om年,代後半というのは、エイズ
た時期だったんですね
けで、エイズの活動っていうと、感染していない人たち
大石君のメッセージの中にも出てくるけど、カミング
な病気なのか、どうしたら防げるかっていう話をするだ
がボランティアとして感染している人たちのことを関心
アウトっていうのは、必ずしもテレビに出るとか新聞に
すらない。そうじゃなくて、今、自分が居合わせた場面
を持って、どうしたら助けてあげられるかっていうこと
ところが、そういう中で、ものすごく矛盾が強くなっ
でね、そのことがお父さん、お母さん、恋人、今隣り合
出るとかじゃなくて、あるいは名前を出すということで
てきたんですよ。感染していない人たちが主役である時
わせた人とか、こういう小さなミーティングで話をする
が中心の課題だったんですね。
代が、ずっと続いちゃつた。感染している人たちはむし
1
2
たう頃こ
僕エに、と
なイなブと
んズつラか
かのてジ
、活、ルそ
最動そでう
初のうすい
の新いごう
頃しうくこ
にい活たと
エパ動くな
イワがさん
ズ l引んで
のがつのす
話あ張人
をるったそ
すんでちれ
るでいがを
見差う強ろ調と予にどでごうることすくし、
だ別と調がすを防あんあくたんときよよて 9
0
とだ、し、るすとるなる怖めだと、ねうく年
か と 今 て そ 。 ご い と に と い に ぞ 関 自 。に れ 代
、か度しれとくうか身か病、と係分
なる初
逆偏はまをこ強こ、近、気す 言 あの
つよめ
の悪い効果を生んじゃって、それはいけないということ
で、今度はエイズというのはそんな日常では感染しませ
んよということを強調して、簡単にうつる病気じゃない
んだということを 言う。でもそうすると、じゃ、関係な
いんだというふうに、結局また関心が薄れちゃうってい
う変な中で、これはバランスよくやらないといけないと、
こっちの話をしたらこっちの話も必ずするようにしたん
です。でもそれだと、また、聞いてる人は混乱しちゃっ
て、エイズというのは怖い病気だと聞かされた瞬間に怖
くない病気だって聞かされて、何言 っているんだという
ことになっちゃって、すごいジレンマがあった。
その中で、感染者の人と一緒に活動ができるようにな
ったときに、感染者の人が自分で自分の人生を語ってく
れるんですね。世の中にいろんな形の寄付がある中、お
金を寄付するとか、労働を寄付するとか、ボランティア
もいろいろあるかもしれないけど、その中で自分の人生
を寄付してるっていう、ものすごく高いレベルの寄付行
為として、自分の人生を語ってくれるということに居合
わせた時に、何か今まですごい低次元で悩んでいた悩み
が全部解消しちゃうんですよ。
1
3
ちょっと見せたいと思います。最初の頃使っていたビデ
素晴らしい人がいて、その人が作ったビデオがあって、
そういうことを向こうで一緒にやっていた人の中に、
うして僕が、って疑問じゃなくて、どうして私たちが、
いく中であるときふっと気づくことがあって、それはど
って思うんだ。そのときはとても辛いけど、乗り越えて
は、どうして僕が催ってしまったのか、どうして私が、
ていることを知ったとき、一番最初に僕たちが考えるの
オというのは、いわゆるウィルスとはとか、免疫はとか
っていう疑問がそこで問いかけられるべきだったってい
-連帯することの意味
いう話がパ l ッとコンピューターグラフィックで出てく
うことに気づいたんだ﹂って 言うんですね。
僕たちは生きていく中で、いろんな病気をやってきて、
るようなビデオを使っていたんですね、そういうビデオ
は自分で見てもつまらないから、人に見せてもつまらな
それぞれの病気のときに、よく考えてみるとそれを墳に
いうのを経た時に、ふっとそれまでの子どもと全然違う、
いだろうなと思いながら見せていたんだけど、自分の映
例えば感染している女の子が﹁私の名前はパ卜リシア
もう新しい子どもになったと感じることがあるんですね。
して人生変わるときってありますよね。うちの子どもな
です。私は口歳です。私は日歳のときに恋人とのセック
病気というものに、その人の人生の中にその病気がやっ
像とメッセージを寄付してくれて、叩人ぐらいの人たち
スで感染しました。口歳の女の子がエイズに感染してい
てきたということに一つの使命というか意味があるんだ
んか見ていると、子どもが寝込んでおたふくかぜで四日
るって、それは辛いことですよ﹂とすごく短い 言葉をこ
って感じることがあるんだけれど、世界に広まる疫病と
が自分の人生について少しずつ語って、それをまとめた
こで語っているシ 1 ンがあったりとか、そういうふうに
してのエイズっていうのは、
間熱出して寝てたとか、かぜで熱出して寝てたとかって
してできているビデオで、最後のところに、このビデオ
っている意味だけじゃなくて、人間、人類の社会みんな
ビデオなんですね。
を作る中心になったある感染者の人が出てきて、一つの
にとって一つの意味があるんだと気づくときに全てが変
一人一人の人生に対しても
メッセージを言うんですね。それは、﹁エイズに感染し
1
4
いうことなんだと 言 っているんですね。
皆で取り組んでいく中で、大切なのは﹁連帯する﹂って
わるんだということを彼が 言 っていて、そういう病気に
うようにしているんですね。
て、人の前で話すチャンスがあると、必ずそのことを 言
とを 言っ ていて、僕はそのメッセージに強く共感を受け
彼の 言う連帯というのは、感染者の人たちが 自分のグ
ループを作るとか、ボランティアの人たちが連帯してい
くとかそういうことだけを 言 っているんじゃないんです
よ。﹁私たちにとって連帯というのは、エイズだけじゃ
なくて、それはエイズの背景になっている難しい社会問
題、それは南北の貧富 の格差だとか、ストリートチルド
レンの問題だとか、 売春だとか、ドラッグを使う人たち
の人生だとか、いろんな人類の、社会がこれまでごまか
して脇に避けて取り組まないでいた問題に取り組んでい
る人たちみんなの間で、連帯を作っていくことなんです
よ﹂って 言うんですね。
そして、その連帯というのはどうすれば出来るかって
いうと、﹁私にとっての連帯というのは、お 五 いをじっ
と見つめ合うということなんです。そしてお互いをじっ
と見つめ合う中で、お互いの中にある自分と違う人生、
自分と違う人がそこにいるということを知ることなんで
す。そしてそのことに感謝することなんです﹂というこ
1
5
圏直園風聞
の
メッセージのはざまで
と
性と女性の写真がそれぞれ載ってい
る大きなポスターが一枚ずつ、狭い
掲示板に目立つように貼られたけど、
結局僕がピクツとしただけで、友人
や先生から、その話はついぞ出なか
った。
周囲の親しい人は、僕が血友病患
者だということを知っている筈だか
ら、ちょっとはそういう話が出ても
よさそうなもんだけど、出ない。僕
も、今の状況じゃ、自分の感染を打
が貼つである。あなたがもし友人から打ち明けられたら、
掲示板にも、一年程前から、エイズ予防財団のポスター
ポスターであるかのようにやり過ごす。僕がいる学校の
応している。そして何食わぬ顔で、それが映画や広告の
ン等のポスターを見つけると、いつも小さくピクッと反
者は、駅の掲示板や庄の中に AIDSの予防キャンペー
に恐ろしいからこそ感染予防に気を付けなければならな
る。単純に考えたって、 AIDSは死に至る病で、非常
らその 二 つのキャンペーンを見ると、ちょっとずれてい
寝キャンペーン﹂の 二 つが主流だ。でも、感染者の僕か
ためにコンド!ムを使おうねという﹁予防キャンペーン﹂
と
、 AIDS患者・ H I V感染者との共生を訴える﹁共
現在の AIDSキャンペーンは、 H I Vに感染しない
ち明けるなんて、そう簡単にはできないから、話が出な
あなただったらどうしますか、というあのポスター。男
ー・予防と共生のメッセージは両立しない
〆
ミ
くても丁度具合がいいんだけど。
ん
僕は H I Vに感染している。僕に限らず、患者・感染
T
こ
AIDSと性
特集
1
6
いと人々の恐怖心に訴えた後で、でも、その恐ろしい H
I Vを持っている人とは仲良く共存しましょうねって 言
うなんて、そんなリスキ!なセックスをした僕を人は責
気付いたのは、冬の終わり 。 つれあいを妊娠させてしま
昨年の秋、 つれあいが 子どもを産んだ。つれの妊娠に
って、も、無理なことは明らかだろう。
2 ・予防メッセージの重圧
AIDS予防キャンペーンのメッセージって、 二つの
からの重圧を受けるだろうなという思い。ものすごく重
れを妊娠させてしまうなんて非常識すぎる﹂という周囲
僕の前に立ちふさが っていたものは、﹁感染者なのにつ
めるかもしれない。ちょうど寒さがまだ厳しい時期で、
決まり文句に要約できてしまう。﹁コンドl ムを使いな
かった。つれあいとずっと考え悩んだ。そして辿り就い
クスしたって、コンドlムを使用すればいいじゃない。
セックスしてはいけないと言う。不特定多数の人とセッ
は防げると言いながら、それでも、不特定多数の人とは
ことだった 。 つれは春と真夏に、 二度血液検査を受けた
二者をはっきりと峻別して考えなければならないという
ととと、この 子が生まれてくることとは別問題であり、
た結論は、僕らがリスキ!なセックスをして責められる
その寒さが僕らを責め立てているようだつた。その時の
でもこれって、矛盾している。コンドl ムを使えば感染
さい﹂と﹁不特定多数の人とのセックスは避けなさい﹂。
それにコンドiムを使うことは、望まない妊娠や S T D
で強調する意味は何だろう?こんなところに、昔っか
のセックスは避けなさい﹂を今、 A I D Sキャンペーン
れるべきことだったし、そうすると﹁不特定多数の人と
は確かに受け入れ難い話だろう。でもこれが感染者であ
る僕の日常だ 。僕だってセックスしたいし、子どもがで
とれ以上の感染拡大を防ぐために躍起になっている人に
る人が読んだら、めくじら立てて非難するかもしれない。
こんな話、予防キャンペーンに一生懸命取り組んでい
が、どちらも陰性で、無事出産した。
らの道徳観みたいなものが入り込んでいるんじゃないか。
きれば、産んで育てる。つれあいのお腹にいる子どもを
(性行為感染症)を避ける意味でも、従来もっと強調さ
いに子どもができた時だ。
そんなことに気付かされたのが昨年の春のこと。つれあ
1
7
﹁でも、そんなことを恐れているようじゃあ、どうせこ
った。
いうことを皆に知られてしまう恐ろしさがあったからだ
るH I Vを持った人間が、リスキ!なセックスをしたと
い止まらせそうになったのは、性的接触によって感染す
体をマイナス・イメージで捉えてしまうことだ。そこに、
未感染者ばかりではなく、 P W A本人までもが、自分全
として自然と認識されてしまう。そして一番問題なのは、
方だと、 P W Aまでも﹁危険なもの﹂﹁避けられるもの ﹂
ろしい病気だよって伝えるだけ。そういった情報の流れ
までのそういうキャンペーンって、 AIDSは非常に恐
どういうふうに描かれたかよく分からないけれど、これ
の先、長生きなんかできないさ﹂と踏ん切りを付けた時、
患者・感染者がこれだけいるのに、誰もカム・アウトで
産んで育てるという、至極当たり前のことを、僕らに思
初めて僕は、少しずつ人に自分の感染を話し出し、この
きない原因が一つあると思う。
共存キャンペーンの無意味性
病気と積極的に関わるようになった。患者・感染者の心
底からの声を社会に向けて発信し、未感染者の声にも耳
予防キャンペーンよりも、もっと P W Aに近づいて理
を傾ける﹃戸円・5 山口巾﹄という小冊子をつくり出したの
も、それからだった。この頃漸く、予防キャンペーンが
こない。何故って、理屈を言えば既に僕はあなたの横で
解を深め合おうというのが、共存キャンペーンだ。でも
この問、ヨーロッパ一多い患者・感染者を抱えるフラ
一緒に生活しているし、でも自分の感染をあなたに打ち
いかに感染者である僕の行動を抑制してきたか、思い知
ンスで、民放テレビ各局が共同してゴールデン・タイム
明けられないからこそ、いろんなことで思い苦しんでい
感染者としての僕は、この共存キャンペーンにもピンと
に数時間、コマーシャルもなしで AIDSの特別番組を
様々な催しがあって世論は高まったように思えた。特に
昨年の世界エイズ・デlは、日本でもかつて無いほど
るんだから。
史上初めてのことで、これ以上の感染拡大防止が訴えら
れたそうだ。その放送で P W A 9 2 1巾ヨ
s
z
u
m
)-が
放映したというニュースを見た。フランスのテレビ放映
らされたんだ。
3
1
8
んな、エイズになんかなるなよ﹂。それまでのりの良い
た時だ。曲の最中にボーカルが観客に呼び掛けた。﹁み
と僕も好きなアーティストが歌っていたので僕も見てい
は派手だった。コンサートを生中継で放映していて、割
﹂
戸
口
付
﹂
戸
間
恒ZZEZのコンサートやテレビ・コマーシャル
替えしようか﹂となるだろうか。この社会で公明正大に
弱気になった暴力団の人は、﹁じゃあ、堅気の商売に鞍
ら当たり前のように 言われるようになり、景気が悪くて
るなんて、おとぎ話的すぎる。この標語が街の人の口か
も追い出されて暴力団が暴力団としてやっていけなくな
ばそれで問題は解決されるわけじゃないし、どの街から
れるのがたまらなくつらいのだったら、最初から暴力団
曲にすっかりいい気分になっていた僕は、さっと冷めて
共存キャンペーンって、何を具体的に訴えたいのか分
なんてやっていない。その人達に対して﹁追放﹂﹁街の
暴力団やっている暴力団なんていないだろうし、追放さ
からないよ。もっと具体的に﹁共存っていうのはこうい
しまった。
うことですよ﹂って示してくれなきゃあ、普通は行動で
よく通る道路の歩道橋に掛かっている横断幕に﹁追放し
を考えると分かり易いかもしれない。昨年のこと、僕は
まないのか、反対に、追放されそうな立場の人間のこと
い恐怖、おどろおどろしい嫌悪感である。自分たちに対
語から連想されるのは、追放される者への一方的で物凄
という視線が読み取れない。
であり 、現実にこの社会で生きている一人の人間である
の標語には、追放される者も赤い血の流れる生身の人間
敵﹂という、いわば崖から突き落とすような言葉を浴び
せる考え方が僕には分からないんだ。﹁追放しよう××﹂
きない。
よう、暴力団は街の敵﹂という標語を見つけて、のけぞ
してそんなマイナス・イメージを投げかけた人達の中に、
AIDSと共存しようという試みが何故遅々として進
ってしまった。僕だって、暴力団といったら、麻薬とか
暴力団の人は 戻っ て行 こうとするだろうか。
かぶから、いない方がいいかなって正直を 言えば思う 。
訴えて 、暴力団を この社会 から排斥しようとするこの標
つまり 、人々が持 っている潜 在的な恐怖感や嫌悪感に
﹁
追放﹂﹁街の敵﹂という
恐喝とか暴力のマイナス・イメージが真先に頭に思い浮
でも﹁追放しよう﹂って、この街から暴力団を追い出せ
1
9
われるのは、﹁ AIDSとともに﹂であって、﹁ P W A
存しようという試みがあまり功を奏していないように思
語が非常に無意味である事と同じように、 A I D Sと共
ずっ平静になっていった。彼女がこの時期に逃げ出さな
に生活しているのを彼女も僕自身も確認して、ちょっと
年と経っていくうちに、僕が以前と全く変わらずに普通
が流れたりするとピリピリしていた。でも、数か月、
しく思えたし、彼女もテレビで A I D S関連のニュース
一
い血の流れる生身の人間であるということを考慮に入れ
いで、僕は本当に彼女に感謝している。
とともに﹂ではないことに象徴されている。暴力団も赤
ていない先の標語と同じく、 A I D S共存キャンペーン
宮市﹄の編集に携わって、沢山のお便りをいた
決して P W Aに向けて送られることはない。そういう意
とに関して印象に残っているお便りがあった。 H I V感
だいた。その中でも、﹁一緒にいて、支える﹂というこ
﹃国・︻・︿O
味では、この共存キャンペーンのメッセージも、未だ感
のメッセージは未感染者に対して送り続けられるのみで、
染拡大予防のキャンペーンと同じ性質のものに止まって
ったなと思う。僕と彼女が僕の H I V感染を知ったのは、
僕とつれも、こんな日常を取り戻すのに随分時間がかか
理な H I V感染を認めることができなくても 、感染して
感染原因からしか見ていない 。しかし本人は 、全く不条
との難しさがここにも 表れていると感じる。親であって
も、子どもが H I Vに感染しているという事実を 、その
させられたことは理不 尽 でどうしても受入れられない ﹂
という趣旨のことが 書 いであった 。共に生きるというこ
﹁受容とは言 っても、輸入血液製剤によって H I V感染
そして、その父親からもう一度いただいたお便りには、
染した血友病の息子を持つ父親からのお便りだ。僕はそ
病の受容﹂の大切さについての私見を書いた。
の返答に ﹁
いると感じるんだ。
4 ・予防キャンペーンと共存キャンペーンを超えるも
の
今、この原稿を書いている隣の部屋で、生後約半年に
約3年前、一緒に暮らし始めて数ヵ月後のことだった。
いる自分の心と体の折り合いをつけて、生活していかな
なった子どもが泣き、それをつれあいがあやしている。
最初の頃は、僕は自分自身がたまらなく汚らしく、恐ろ
2
0
くてはならない。そして実際に生活している。この事実
を受け入れる、つまり側にいて支えるということこそが、
共に生きるということだと思う。
きっと、 AIDSを 取 り 巻 く 現 在 の 状 況 を も っ と 良 い
ものにしていくためのキーワードは、﹁触れ合うこと﹂
なんじゃないかと思う。感染者と未感染者とが触れ合う
こと、それは何も物理的な接触でなくたっていい。﹃国・
5rm﹄ の よ う な 紙 面 で P W Aの 思 い に 触 れ て み る こ
・
円
とだって﹁触れ合うこと﹂になるだろうし、ボランティ
ア に 参 加 し て P W Aと 関 わ っ た ボ ラ ン テ ィ ア の 人 の 話 を
聞くことだって﹁触れ合うこと﹂になるだろう。職場の
同 僚 と ﹁A I D Sに つ い て 、 ど う 思 う ﹂ っ て 話 し て み る
こ と だ っ て 、 相 手 の 中 の AIDSに 触 れ 合 う こ と に な る
んじゃないかな。多分、予防や共生のキャンペーンなん
かじゃ、きっとこれ以上何も変わらないだろうから。
﹃
H ・I-voice﹂ の 購 読 を ご 希 望 の 方 は 、 購
績離婚
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占R
世属柑
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v
・一V10 ψ
mg議512376一H一
1
.
⋮
梶原公子
﹃女と男の未来
地は、 ﹁
火の国﹂
学﹄本書の発信
R
-
か(あつか )熊本
熊本。語るは、執⋮
、
県家庭科サークル のメン
バ ー十五名。地球にやさし い暮らし方を
女と男のよりよい パートナーシ ップを、地域に被ざした生活者を
しかし本書で私が最も感動したのは、練りあげられた授業報告
目指して、魅力溢れる実践が語られている。
もさることながら、その底流には必ず先生と生徒の共感を伴 った
交流が基盤にな っているところである。
家族の形によいも悪いもない ﹂の
例えば石橋満里子さんは、 ﹁
ウソ ﹂としか書かなか ったA君。このことがず っと
﹁
授業で、 ﹁いろいろな家族・いろいろな暮らし方﹂を描いてある
絵を見せて子ともたちに感想手}書いてもらう。その絵をしばらく
眺めた後、
気になりつつ、 一連の授業をすすめる石橋さん。授業の中での先
先生、いつかプリ
生の体験談に触発され、やってきた A君は、 ﹁
ウソ﹄と書いと ったろうが:::﹂と心の中を語る。
ントに ﹃
彼は確実に自分について、家族について考えはじめている﹂と
﹁
知識は感情を通さなくては、生徒の血肉にはならないことを強
確信する石橋先生・・:。
く感じる一冊、た。 (農文協一九O O円)
2
1
寧
AIDSと性
自分のからだを
とり戻すために
大沼もと子
に他人事と言えることだろうか。
安と 恐れ:::。エイズチェック の結果が出る まで の十日
余りの 日々 を思 いおこすと、それは、 自分 の中 にある外
国人 (
特に 非白人)へ の偏 見や自分 のセ クシュア リテ ィ
の問題、人間関係の中で最もプライベートでデリケート
な場で現れる 自分の 弱さと出会うことだ った。
一体どのようなエイズだったら、 私は私自身を受け入
れられただろうか・・・・・・。
私は私自身のからだを本当 に知り、かけがえのないも
のとして生きてきたのか。
快
H
H
の
女のからだは男によって開発されるもの、女が自分か
ら性的欲求を表現することは恥ずべきものと、
H
H
であるかを知り得ずに、こうありたい
H
決定権すら私は持ってこなかった 。私自身が何を が快
に参加し
で、何を
感染者との出会いの場
weの会﹂主催の
M
たのは、私自身がHIV感染しているのではないかとい
と思う関係はどこで実を結ぶのか。私の欲望は空転する 。
﹁
う不安と恐怖に陥った日々を過ごした経験があったから
その関係はいつも私のからだを裏切り続けた。私のから
ていたことが分かった時、反射的に浮かんだのは、エイ
たこと、そしてその彼が複数の女性と性的な関係を持っ
自分の虚しさを埋めたいという、乾きに似た感情:::。
なんてなかった 。 ただ大切にされたい、必要とされたい、
いつだって愛情の収支バランスが釣り合 っていること
だはなんと多くの沈黙を強いられてきただろう。
ズに感染しているかもしれないという訳の分からない不
自分の交際していた男性が外国人であり、黒人であっ
不快
だった。
H
HIVに感染して生きる。それは私にとって、そんな
特集
2
2
熱砂の砂漠で自分を癒してくれる水源を探すような徒労
ない女たち。この国でエイズに感染して生きることは女
H
に奉仕させら
と男とでは決定的に違う。
男らしさ
を繰り返し、私が見てきたのは私が見たいと思った量気
れ支配されるセックスはもうたくさんだ﹂と絶望的に声
l
w
を出してみるとき、女と男の聞に横たわっている閣は深
7
楼にすぎなかった。
セックスの場で自分が望んでいないことにノ lを言 う
こと、自分を主彊することに何故そんなにためらいを感
。
、 男女の間で本当 に豊かで対等な関係とはどういうこと
コンド lムをどちらが用意するかという日常のレベル
いけるのだろう。 心もとなくとも流れ出している私 自身
ない限り、どうや って自分のからだを自分のものにして
させられた性の﹁思い込み﹂の呪縛から 自 らを解き放た
なのか、それはどうやって築いていけるものなのか。そ
で起きる問題ですら、率直 に語り合うことは私にとって
じるのか。ノーを 守えない、 言 わないことが女のやさし
一
号
さという思い込み、その背後に潜んでいる見捨てられる
難しいことだった。 男 の生 理や欲望に従って作られたセ
が生きたいと願っている水脈を、 自分自身のからだを通
れらの課題をエイズという病は私に 与えてくれた。従属
ッ ク ス 観 (子孫を残すという目的も 含めて)にどんなに
して掘り起こしてい く ことでしか、自分を 生 き切れない
ことへの大きな不安:::。
私が抑圧されてきたか 。
私がこの シ ンポ ジウムに参加して 一番感じたことは、
のではないかと 思っ ている 。
恐怖、辱められ、傷つけ られる恐怖:::。ある 意味で女
どのように自分の中でエイズという病を受け入れていく
望まない妊娠をするかもしれない不安や、強姦される
のセックスは死のイメージと結びついてきた。そしてさ
のかということだった 。 そのことを問わずに、感染者へ
の理解や連帯は生まれようがないという気持ちがあるか
ら。 その 意味で、感染者との出会いの場は自分自身と 直
らにエイズへの恐怖が加わる。
たちが引き換えてきたものは:::。買春 によってエイズ
面せざるをえない場でもあった 。
男の欲望を自明のものとして、愛という名のもとに女
に感染した男を許し、献身する女の役割を演じざるを得
2
3
おんな のことばで
ただ、ここでもたくさんの男たちが語り行動している
り、すっかり楽しんでしまった。
中で、ステージに登場した女性は 二人だけ、観客席にも
女性の姿が少なくて(講演会なんかだと女性のほうが多
いのにね)、女にとってエイズはこんなにも語りにくい
ものなのだなあと改めて感じた。
女としての私にとって、エイズ って何だろう:::そう
考えた時、どうしても引っ掛かってしまうものがある。
うと妙に緊張してしまって、同性愛に何の偏見もないと
いるこのカッコイイ男の人たちがみんなゲイなのかと思
私は自分で驚いた。女の人がほとんどいなくて、周りに
時の何か場違いなところに来てしまったような感覚に、
ンのファイナルイベントに参加した。最初会場に入った
通称アカ l) 主催のセイファ lセックスキャンペー
会 (
先日、大石さんに誘われて、動くゲイとレズビアンの
を飛び越えないで、こだわりに正直じゃないといけない
エイズが私から離れていくような感じがするのだ。感情
と思うと、どこか納得できない感情が自分の中にあって、
か理解していなかったのだと思う。区別しちゃいけない
と思っていた私は、エイズを人権の問題として、頭でし
不当 な差 別や偏見はいけないと 言 う。本当 にその通りだ
どんな経路で感染しようと感染者・患者に区別はない、
れど、分けられるというのも男の論理のような気がする。
子
エイズを道徳観や恋愛で語ってはいけない、買売春の
思っていた自分の、そういう感覚がなんだか情けなくて、
んじゃないかと思った。そうして、恨みや憎しみの対象
問題も分けて考えないといけないと大石さんは 言 ったけ
正直言うと少し怖かった。でも、多彩なプログラムはど
泰
としてのエイズが私の中にあるのだと気づいた。
語
れもよく工夫されていて面白く、次第に居心地がよくな
中
り
f
こ
村
AIDSと性
特集
2
4
女にとって、今でも、セックスは語れない。私も子ど
な今の私がエイズに感染したら、私はエイズを受け入れ
の体への配慮も持てない甘ったれた男とのセックスで、
と、コンド lムをつけてとすら言えない女が、そんな女
らないことだらけの中で、嫌われるのではないかと思う
し、隠すべきものという意識は消えなかった。訳の分か
ほんとに知りたいことは聞くことも話すこともできない
まま﹁治さない﹂で、さらに変だなと思っても安心して
のからだや性器の状態を﹁知らない﹂と、﹁気づかない﹂
染症だから、必ずボ lダレスに感染していくのに、自分
よね﹂とうなずくことがたくさんあった。エイズは性感
女﹄カラダからだの会編)を読んだ。﹁そうだ、そうだ
そんな時、池上千寿子さんの講演記録(﹃AIDSと
るどころか、恨みと憎しみしか持てそうにない。
H I Vウィルスを体に入れてしまったら、エイズはます
検査にも行けず、性関係を問うことになるから予防につ
もを産むまで、性にまつわることは元談では話せても、
ます女にとって語れない、抱え切れない、恐怖と傷にな
いてすらパートナーと話し合えず、誰にも相談できない
わたし
りはしないか:::。
構造。自業自得とか自己責任ということで﹁語らない﹂
という状態が、じわじわと性感染症を広げていくという
望まない妊娠、中絶、強姦:::。男はセックスがそうい
まま、最終的に雛寄せが女と子どもにくるのが性感染症
女にとってセックスは常に何らかの不安と恐怖を伴う。
うリスクを伴うのだという意識を持ったことがあるのだ
だということ。
不特定多数とのセックスが危険と言われるけれど、そ
ろうか。エイズで男は変わるのかと思っていたけれど、
多分、さっぱり変わっていない。男が変わらないという
れは自分にとって特定だから大丈夫と思うのは錯覚で、
いればそれは不特定多数になるんだということ。そして
ことは、今まで以上の敏寄せを女が食らうことになるじ
自分のからだやセックスを、自分の問題として意識し
エイズは無症状の潜伏期間が十年あるから、いまセック
相手が自分以外の人と、つまり 二人以上とセックスして
てこなかった、そしてからだに男への恨みを抱え込んだ
スをするということは、相手の過去十年間を含めてセッ
ゃないか。そう思うと怒りがふつふつと沸いてくる。
まま自分を語れない、それが女である私の現実だ。 こん
2
5
クスすることになって、その中で誰かがウィルスを持っ
ていて、自分の人生を生きることに正直だから、迫力が
んて何もない中で、自分の心ゃからだをとても大事にし
や周りのせいにしていて、そんな中でエイズに感染した
ていたら自分にもうつることがあり得る、もう線の引き
そして陽性の人に対してカウンセリングする場合﹁ 二
ら、夫が許せないというのは、それまで自分の人生を引
あるんだよね。自分のやりたいことができないのを家族
度と感染しちゃいけない﹂ということがとても大事だと
き受けてこなかったってことなんじゃないかな。今の生
ょうがないんだということ。
いうこと。予防しないセックスをすることが H I Vウイ
んて、とてもできないよ﹂と言った。ほんとそうだよね、
活とか家族とかを守ることばかりに懸命で、自分の人生
自分にとって特定と思っていた男とのセックスで、 H
そんなに潔くは引き受けられないけれど、女はもっと強
ルスを何度も体の中に入れること、つまり何度も感染を
I Vウィルスを繰り返し体に入れられたとしたら、相手
くならなきゃね、自分のために。
を生きていないなんて寂しいと思うんだよね。自分の人
への恨みと共に、自分すら否定したくなる。そういう関
そして女にとってのエイズは、語れなかった自分の性を
繰り返すことになるなんて初めて知った。他にも、知ら
係しか作れなかった自分、セックスでノ!と ヲ'九なかっ
言
一
た自分を責めることになる女っていったい何なのだ。さ
引き受けていかないと、自分を問われることなく関わる
生を生きる度胸がなきゃ、エイズを引き受けて生きるな
らには、買う男より売る女を責め、排除しようとするの
良識的な運動として、実感を伴わないまま宙に浮いてし
ないこと、はっとすることがたくさんあった。
も女だとしたら:::割り切れない思いばかりが残る。
まうような気がしてならない。
*﹁AIDSと女﹄の購読をご希望の方は1090円
わたし
女が語らないとエイズは変わらないのかもしれない。
﹁女にとってのエイズって、女という性への恨み、男へ
の恨み、そんなものをひきずるような気がする﹂と私が
(送料込)を郵便振替で(京都8159144
ラダからだの会)にお振込みください。
言 ったら、小貫さんは﹁ブラジルの、特に僕の暮らして
たようなファベ lラの女性たちって、失うようなものな
カ
2
6
だした 。後方の参加者は、時折とがめるように後ろを振り返る 。
集中力がそれてしまうのだろう 。お母さんは恐縮したように一生
懸命 子供をあやしている。イライラする参加者よりも、そのお母
さんの方がとても気の毒に思えてきた 。﹁気にすることないです
よ﹂と声を掛けたか った。 でも掛けそこなった 。とうとう、後列
の若い女性がつかつかとお母さんのところに歩み寄り、何やらさ
さやいた。お母さんは子供を連れて、会場の外に出てい った。と
一Lも冷たい感じがした。そして、排除という言葉が頭に浮かび上
が った。﹁エイズを聞きにきているのに:::そんな 1L
さんはき っと話を聞きたかったのだろう 。 心の中で拍手した。で
一
再び、そのお母さんは子供を連れて会場内に戻 ってきた 。お母
一
月
三
一O 日、
も相変わらず子供はじ っとしておれず、むずか ったりはしゃいだ
りしている 。お母さんは困っている 。 そのうちの1人の女の子が
we主催の H I Vのシンポジウムに参加した 。
行きの電車の中で本を読んでいた 。途中の駅から、お年寄りの
﹁
おじちゃ│ん ﹂と言って 私のところに寄 ってきた 。下の 男の子
それが私には耳障りにな ってきた。もう集中して本を読めなくな
った。 それがい ったん気になりだすと、とうにもならなくなる 。
喜 んだ 。で も、時折振り向く参加者の答めるよ うな 視線に、身が
こんなこと、それまで子供の苦手な私にはなか ったことなのに 。
も寄 ってきて私の膝の上に乗 った。 そしてはしゃいでいる 。 エッ、
だんだん苦痛にさえな ってくる 。とうとう席を立 って、その場を
逃れることにした 。少し腹立たしい気持ちにな っていた 。
でお母さんと閉じ 気持ちの場 を共有できたことに、先程声を掛け
縮む思いもした 。子供の 一挙手一 投足にハラハラドキドキ 。こ れ
四人グループが乗り込んで、私の隣の席に陣取った 。たちまちお
しゃべりが始ま った。とりわけすぐ隣のおばあさんの声が大きく、
横浜の H I Vの会場はほとんと満席の盛況だった。よかった、
も自然に感じとれ、エイズという重い気分もほぐれて、私はホツ
い った。最 後に、お母さんから ﹁ありがとうこざいました ﹂と言
そこな った悔いが晴れてい った。 そしてエイズの講演は終わ って
私の内面に変化が起きたのかなあ、と勝手な推測をして、勝手に
よかった。障害者の方も、子連れのお母さんもいた 。 それがとて
とした気分で嬉しか った。集会の後半、後ろの子供達がむずかり
2
7
っていた 言葉、それをふと思いついた 。 その存在で、とれだけ私
﹁イノセン ト H無垢な者 ﹂、大江健 三郎が正月のテレビ対談で言
われた 。嬉しか った。
んも後列の参加者もイライラしないで済んだことだーたのに。
ぬ仕事を放り出して、にわか保父さんに替わっていれば、お母さ
催者側の スタッフ(?)だ
て外に行 っていればよか ったと思 った (
後の祭りだ!) 。私は主
7
たのだから、ビデオの担当なとつまら
たちは生かされることだろう。多くの場合、私たちは排除ばかり
共通するような気がする
除につながるように思う 。参加費を払 って来ている参加者は、集
子供を半強制的にそれに押し込んでしまうのはやっぱり隔離や排
子供の問題は、 w
eでも永遠のテ ー マだ。保育をすればいい?
に迷惑を掛けることに後ろめたさを感じてきた 。 そう周囲からも
oある障害者が、﹁これまで自分は他人
をしてきた 。障害者の問題も、エイズの問題も、子供の問題にも
強制されてきた。それで卑屈にな ったりもした。でも、これから
テlプで演奏を聞いている方が私には合 っている 。
連れは許されないし、演奏中は咳ひとつでも気を使う 。演奏はよ
か ったけれと、とても窮屈な空間と時間だ った。料理をしながら
中して聞きたいだろうし話したいだろう 。 それはとても良く分る 。
先日、久々にクラシックの演奏会を開きにい った。もちろん子
﹁
受容﹂、それがエイズ問題でもキーワード
は堂々と迷惑を掛けて生きて行きたい﹂と言 っていたことが思い
出された 。﹁ 共生﹂
になるような気がしている 。
さて、電車の中の私と、会場での私、ま ったく逆の立場を経験
した 。﹁受入 れ﹂ということで言えば、電車の中のおしゃべりお
ばあさんを私は受け入れることはできなか った。一方、会場での
はしゃぎ回る子供は受け入れることができた 。むしろ、迷惑めい
た視線をこちら側に向けた参加者の方を受け入れることができな
かった。電車の中の私は避難ができた。会場の参加者は避難しに
くか った。 でも、避難しようと思えばできたはずだ 。集中して聞
きたければ、前の席に移動すればよい。前に椅子がなけりゃ、減
そうだつた。見当違いだろうか?この二つの経験を自分でもう
笛に座 って聞けばいい。そんなふうにも思 っていた 。私の感覚は
まく整理ができないでいる 。ただ、あの時、私が子供を連れ出し
2
8
向
1
)
贋茨
子木
-高
浅等
井由枝
学
"
つ
利
子
庭
?.科
屯 f
J
~'jJ
'
.
く
三
あ
くらしと教育をつなぐw
e﹄幻年6月号)と同じように
前、浅井さんが実践された﹁デ!トレイプ﹂の授業(﹃
H I V感染者からの手紙をもとにシナリオをつくり、以
合った結果、世界エイズデlに某ラジオ局に寄せられた
一緒に一年生を担当している浅井さんといろいろ話し
ぶだけでなく、自分の問題として考えてほしいと思った。
ついての授業は 二時間ばかりとなったが、単に知識を学
待をテl マに授業をしたいと思っていたため、エイズに
わかり、 N夫はやり場のない怒りを C子にぶつけた。そ
にだけ打ち明けた。その後、 N夫が感染していることも
にも友人にも相談できず、その時につきあっていた N夫
に行く。検査の結果は﹁陽性﹂だった。そのことを、親
んな不安に襲われた C子は、数日後、病院に検査を受け
いう。自分も H I Vに感染しているかもしれない:::そ
を買ったこともあり、誰から感染したのかわからないと
感染していることを知らされる。 Gは過去に海外で女性
︽
C子は、過去につきあっていた Gから、彼が H I Vに
状況の設定は次のようにした。(以下要約)
身を置いて考えてみようということになった。
家
して 二人の関係は途絶えてしまう。 C子は、 H I Vに感
期は、子供の発達や近頃大きな問題となっている児童虐
•
・
・
.
込
・
.
う
-女と男の家庭科新時代・
と
目立
大
阪
山府
二学期の終わり頃の保育分野の一年女子の授業。三学
a
vはじめに
き
あ
i
二
コ
イ
ズ
H I V感染者やその恋人、友人などの立場にそれぞれが
2
9
月s
をもって生きていくことを決意する︾
て
、 N夫の両親のもとで共にエイズと闘いながら、希望
闘っていきたいと話す。 二人は、一晩中語り合う。そし
かった。そんな折、突然 N夫が訪ねて来て、ショックで
C子のことをひどく責めたととを詫び、 一緒にエイズと
地で強り暮らしを始めるが、定職にもつけず生活は苦し
!﹂と言われ家を追い出される。 C子は誰も知らない土
に知れ、﹁エイズにかかるような娘はうちの娘じゃない
と理解できる N夫さんていい人ゃん﹂とか、どうも第 三
ると、﹁この母親ひどいよな1﹂とか﹁うつした人のこ
意見を紙に書いてもらった 。生徒の話し合いを聞いてい
自分だったらどういう行動をとるか話し合い、でてきた
-Eグループ (
C子さんの友人の 立場)
それぞれの 立場に立 って、自分だ ったらどう感じるか 、
・Dグループ (N夫さんの立場 )
・Cグループ (
C子 の母親の立場 )
-Aグループ (C子さんの立場)
-Bグループ (Gさんの立場)
染していることを隠し続けたが、ふとしたことから母親
a
vいよいよ授業
なふうに受けられるの?﹂と聞くと答えはあやふや。一
たら必ず感染するの?﹂とか﹁エイズ検査はどこでどん
ある程度はわかっているようだが、﹁感染者と S E Xし
徒に質問してみた。保健の授業でも勉強しているので、
うつした
く 暮 ら し て い け る ?﹂と問いかけてみた。すると、﹁ 一
緒に暮らしていても、どこかで C子に対してかこいつが
で、﹁もし自分が N夫なら、 C子と何のわだかまりもな
立って考えてみることは、生徒にとって難しいようなの
者として批判や批評をする意見が多い。その人の立場に
冊ずつ配った﹃エイズ﹄(一橋出版)を使って説明した。
も﹂という本音もでてきた。しかし、冗談ぽく﹁私やっ
まず一時間目に、エイズがどんな病気であるのか、生
残り叩分程度は、自由にこの本を読んでもらうことにし
たらショックで白髪になってしまうわt﹂と軽い調子で
題に真正面から向きあって考えることが、もしかしたら
明るく言い合っている様子を見ていて、エイズという問
H
と思ってしまい、それが態度にでてしまうか
たが、かなり関心はあるようで、真剣に読んでいた。
次の時間、前述したプリントを配って各自読んでもら
い、座席によって五つのグループに分けた。
3
0
・生徒の意見より
恐いのかもしれないな、と思った。
で授業を進めた。
気がしたが、その時は何も言えず、モヤモヤした気持ち
まず、﹁女を買うなんて許せない﹂﹁最低 ﹂ ﹁二度と
会いたくない﹂と Gさんを責める意見が出た。そこで、
意見を発表することにした。
つしまくる ﹂という意見まであった。また、友達の立場
なら﹁どこかで軽蔑の目を持ってしまうかも﹂﹁打ち明
らす ﹂ ﹁友達には 言わない、所詮他人だし信用できない﹂
﹁
うつされた相手を罵る ﹂など。﹁自暴自棄になって つ
v
に感染していると知れば、﹁人里から離れてひっそり暮
生徒の意見は、かなり本音が出ていた。自分が H I V
﹁もし Gさんが血液製剤で感染していたら?﹂と聞いて
みると、﹁それなら仕方ない﹂﹁かわいそう ﹂という意
グループでの話し合いの後、順番に各グループで出た
見に変わってしまった。性感染、特に買春による感染は
う
けられでもどうしていいのかわからないから困る ﹂ ﹁
わべだけのつきあいになる﹂﹁うわさ話として友達とお
自業自得、という考えがはっきり出ている。
てしまった。売る人がいるから買う人がいる、という理
てやっていることやから﹂と、あっけらかんと答えられ
いるから ﹂ ﹁売買春については、悪いこととは思わへん
のん?﹂と聞くと、﹁別に。だってお互いが納得しあっ
のは仕方ないことやもん。だって売る女の人がいっぱい
彼女たちの意見はこうだつた。﹁男の人が女の人を買う
染したことを許してあげられる﹂という意見を出した。
と、ありきたりな 言葉でしめくくり、時間切れとなった。
いのか、そのことをまず考えていくことからはじめたい﹂
自分が H I V感染者であれば、周りの人にどうしてほし
ける、と言いきる自信がなかったからだろうか。結局、
﹁
共に生きるというのは難しいことかもしれないけれど、
V感染者と接する時、他の人と何ら変わりなく接してい
たらいいのか 戸惑ってしまった。それは私自身も、 H I
本音を聞いていくうちに、今度は私がどう言ってまとめ
もしろおかしく話してしまうかも﹂という意見。生徒の
屈はどうも納得できないし、両者納得の上で売買春が成
予定していた 二時間のエイズの授業を終えて、疑問を
そんな中で、あるグループは最初から、﹁買春して感
立しているので構わない、と言い切ってしまうのは違う
3
1
も売る人がいるから買う人がいる、というのは納得でき
悔しかった。血液製剤で感染した人はかわいそう、性感
感じながらも、うまく生徒にそれを説明できない自分が
を考えてほしいと話した。
リントにして配り、孤独に病気と闘 って いくことの辛さ
る必要がなくなってくるんじゃないか﹂という意見をプ
ガンも自業自得となり、ほとんどの病気に手を差しのべ
また、売買春に対しては﹃エイズ教育テキスト﹄より、
という意見があったので、﹃エイズ教育テキスト﹄(宗
があることなどを紹介した。感染者の声を聞いてみたい
と、感染者と非感染者との理解を深め合うネットワーク
また、 H I V感染者として力強く生きている人がいるこ
ければ発症を遅らせることができるということを話した。
Vに感染したとしても、栄養や過労、ストレスに気をつ
ということで、必ずしも﹁エイズ H死﹂ではなく、 H I
あまりにも暗いイメージをもっているからではないか、
見がこれだけでてくるのは、エイズという病気に対して
次の時間は、まず、感染者と関わりたくないという意
ソくささを感じて、次のようにしめくくった。
受け入れられていない自分に気づいた。自分の言葉にウ
ハツとし、買春によって H I Vに感染した男性を、まだ
うやら買春する男性を責める方向に向かっている自分に
疑問を投げかけてみた。しかし、話していくうちに、ど
関係ではないから、売買春が起こりうるのではないかと
る、ということを説明し、いろんな場面で男女が対等な
だようにみえる時でも、売春は何らかの強制の結果であ
話した。そして、たとえ本人が自由意志でその道を選ん
紹介し、既婚男性の買春体験は約 3割もあることなどを
ら斎藤茂男さんの﹃この貧しいセクシユアリティよ﹄を
試算された資料や﹃ひと﹄(太郎次郎社回年 6月号)か
0
染は自業自得という考えも気になるし、売買春について
ない。浅井さんと相談して、もう二時間とることにした
像恒次他・学研 ) より、石田吉明さんの﹁病者が病者で
﹁正直なところ、私も買春によって H I Vに感染した人
海外買春ツアーによる H I V感染者がどれくらいいるか
いられる社会を﹂という意見を抜粋し、朝日新聞の記事
血液製剤で感染した人は気の毒
から池上千寿子さんの ﹁
だって受け入れていかなくてはいけないというところは、
・再度挑戦して・.
だが、性感染は自業自得というのなら、たばこによる肺
3
2
ひっかかっている。売春についても、どうしても生きて
とはいかないが、それぞれ自分の問題として考えられた
しかし、売買春については﹁日本も男女平等になって
という面では、この授業をやってよかったと思う。
段としてでも、やっぱりそれは絶対あってはならないこ
きたといわれるが、まだまだうわべだけで、見えない所
いくのに必要な最終手段として残しておくのか、最終手
となのか:::。今の社会の状況を考えるとはっきり言い
では改善されていないのだと気付いた。本当の男女平等
今ある社会に疑問を抱いた意見も多かったが、一方では
きれない。ごめん﹂
﹁売春はある意味ではモテない男達にとって一種の幸せ
の社会が来ない限り、売買春はなくならないだろう﹂と、
エイズの授業に対する生徒の意見は、﹁先生は n恐が
を与える。またその人達がいてくれなかったら強姦など
.授業を縫えて
らないで:::nと言ったけど私はやっぱり恐い﹂﹁エイ
また、﹁売春をなぜ 一つの 仕事として認めてあげないの
の悲劇が増えてくるのではないか﹂という意見もあった。
度をとるかわからない﹂と、まだまだ不安は残っている
だろう﹂﹁ Hをするのが楽しい人は、楽しいことが仕事
ているけれど、実際 H I V感染者に会ったらどういう態
ようだ。しかし、﹁グループで話し合った時にでた否定
になるのだから最高だと思う﹂という意見があったのは、
ズは差別とかあって、それは悪いことやと頭では分かっ
ρなんでそう思ってしまう
売春をする人達の厳しい実情を伝えきれなかったためか、
的な意見に対して、先生から
んやろ ? Hと聞かれて、エイズの人に手を差しのべるこ
冬休みの課題で﹃閉じられた履歴書﹄(兼松左知子)を
それとも、それが彼女たちの性に対する考え方なのか。
n助け
読んだ生徒は、﹁私は買春を絶対に許さない﹂と断言し
とを強制されているのでは:::と感じたが、授業を受け
ていくうちにエイズ患者の人の気持ちもわかり、
n
たかった。時間も確かになかったが、私もかなり勉強不
ていたのだが:::。このことについてはもっと話し合い
H助けてあげよう
という気持ちになった﹂﹁簡単ではないけれど、買春に
足で、売買春に対する自分の意見さえ、しっかり定まつ
Hという気持ちから
よって感染した人でも受け入れられる様に成長したい﹂
てあげなあかん
と感じた生徒もいたのは、とてもうれしかった。全員が、
3
3
ていなかったことを反省した。
﹃
(山田順子)
なった﹂﹁ A I D Sは確かに暗くてやりきれない函もあ
るけど、感染者 一人一人は普通の人であり、明るくて楽
の日本語版ビデオ﹁ A I D S﹂とザ・ネlムズ・プロジ
立場に立って考えてみた後、ニューヨーク市厚生局制作
たいと思った。 H I V感染者やその恋人、友人、母親の
けを教える形ではなく、心で感じるような授業をしてみ
リアルキルトとの出会いだった。ひとりひとりが、家族
けになったのは、
ている。私自身、 A I D Sについて真剣に考えるきっか
ようで、そんな自分がうれしかった﹂という感想を書い
信がなかった。でも、きょうは頭から心へ浸透してきた
頭ではわかっていても心の部分で受け入れられるかは自
も大きくて鮮やかだったことが印象的だった﹂﹁今まで
ェクトの活動を紹介した英語のビデオを見た。
﹁
A I D S﹂では nこんな事でエイズはうつらない nと
や恋人、友人にとって、かけがえのない存在だったのだ
しい人たちなのだ。メモリアルキルトが思っていたより
いうことが、次々、日常生活のいろんな場面が写しださ
ということが強く感じられた。 二年前の文化祭には、母
we﹄十一月号の小貫大輔さんへのインタビューを読
れて、わかりやすい。生徒は、女の子三人が避妊法につ
子感染により H I Vに感染した赤ちゃんに、おくるみや
んで、大変共感し、エイズの感染予防についての知識だ
いてフランクに話し合っている場面をみて、うらやまし
テディベアを生徒たちと作り、アメリカの A B Cキルト
weの会や、 weフォーラムでのメモ
がっていた。また、弟がエイズにかかったことで初めて
人たちを軽蔑していたお兄さんが﹁エイズがゲイのせい
自分の弟がゲイであったことを知り、それまで、ゲイの
までどちらかというと避けてきた、買売春や同性愛の問
A I D Sについて授業で取り組むことは、私たちが今
(﹀百回国同
2225cE-Z) に送ったりもした。
だなんて言う奴らがいたら絶対許さない﹂と言う場面で
関われることになるため、大変である。しかし、それだ
題等に目を向けさせられ、ひとりひとりの性のあり方が
もうひとつのビデオの中でメモリアルキルトを見て、
けやり甲斐のあるテ!マであり、授業のやり方や生徒と
は、強く心を動かされた生徒が多かった。
﹁抱きあい涙をふいている人をみて、私まで胸があっく
3
4
どのような関係をつ くっ ていくか、教師自身が変わって
Oザ・ネlムズ・プロジェクト
AIDSに倒れた人々
の家族や恋人、友人の手で縫われたキルトと共に、多く
( 井由利 子)
浅
いくことの必要性等を考えさせられた授業だった。
q
二人の授業 つくりへの 過程と生徒の受けとめかたは、この報告か
さて、浅井さん・山田さんの実践報告に話を戻しましょう。ぉ
O年二月号を ζ参照ください 。)
に有効です。 (詳しくは ﹃
教育科学社会科教育﹄明治図書一九九
ます 。議論の面白さを体験し、議論のしやすい雰囲気をつくるの
私は、毎年社会科教育学のはじめの時間に、﹁神経衰弱 ﹂をし
ぐって、自ずと議論が盛り上がります。
衰弱の要領で、取るカードの枚数を競う のです。区別と差別をめ
ドを二O枚│ 三O枚つくり、数人のグループで、トランプの神経
八七年、 サンフラ ンシスコで 始まった
の人達と AIDSについて考えていこうとする組織で、
21ωNglmEH
Oビデオ﹁ AIDS﹂(十八分)二万六千円
問い合わせ教育図書
-﹁家庭科遊ゅう惑わく﹂へのお便り
浅井さん ・山田さんの﹁エビと貿易ゲ │ム﹂(四月号)読ませ
ていただきました 。生徒の反応に応じて柔軟に対応し、同僚とコ
ミュニケ ーションをとりながら 、家庭科以外の広い分野にもたえ
﹁現代社会より家
ずアンテナを張り:::。意欲的な授業ずつくりに脱帽です。
私が高校で﹁現代社会 ﹂を担当していた頃、
ことがあります。﹁ エビ ﹂ の授業は、まさしく一つの証拠ですね。
なるとうんと面白くなりそうですね﹂と、家庭科の先生と話した
らよく伝わってくるのですが、授業者のねらいはどこにあり、そ
庭科の方が、暮らしからとんとん広げていけるので、男女共修に
﹁貿易ゲ ーム﹂は、イギリスの N G Oであるクリスチャン・エイ
目標がとの程度達成されたのかを、もっと明確に記されたほうが、
のねらいに照らして、生徒の受けとめかたをとう評価されたのか 、
J
ドによ って開発されたゲ│ムです。何度や っても熱中できるゲ ー
ムで、大学の授業でもとりいれてい ます。
いては、雑誌﹃授業づくりネットワ ーク﹄(学事出版)が役に立
読者には親切かも知れませんね 。授業報告(記録)の書き方につ
︻※大津さんは貿易ゲ │ムの発案者です。︼
ついでに、﹁神経衰弱ゲ ーム あ っ て い い 違 い と あ っ て は な
ちます c (大津和子)
らない違い﹂(私がつくったゲ ームですが)も、対象を選ばず楽
しめます。たとえば、﹁出席簿は男子が前で女子が後ろである ﹂
0キ ロ、 女子は七 キロ走る ﹂なとの カ │
﹁
校内マラソンで男子は 一
3
5
は出ません 。 また、これも素材を変えることで、ドレープの出方が変わり、
日常着からパーティ用までの応用が可能という優れもの 。居合わせた常連
さんのお墨付きですり
〈丸いブラウス〉
()L_、ブラウス型紙〉
ケープの様なもの、
という想像をかけ離
れ、自分が 「あんこ 」
となって中に入る
ス ア ヴ ず 相 =0
.
5
ど
:
)
;
で
i
使用量
}
d
,
,
(ウ オヴン ャー却1Iしたノド綿)
IIO '~ ンチ恥 l メート ル90 '~ / 一人
「ドラやきブラウス 」
が登場しました の丸
い布を 2枚合わせる
だけで、ブラウスが
できる?図を参照)
これも発想の奇抜さ
にド肝を抜かれました。襟のドレープが生きて、素敵です。
見るもの、着るもの全てが洋服のパターンというしがらみから解放され
ていました 。体をいじめない楽な服を作ろうという気持ちをしばらく忘れ
ていたので、新鮮でした の
もう 一つ感じたことは、素材選びです の ここの服はどれも肌ざわりがよ
く
、 着て気持ちよいものばかり o 同じ綿素材でも、こうも違うものか、 一
見ゴワッとしてそうでも着ればさわやか。織りが違えば、こうも着心地が
変わるものなのかと思いました 。 また、柄も、和模様(縞など)をポイン
卜使いにしたりして、服にエッセンスが与えられています 。一見地味なよ
うですが、イキな服が多く、内 山さんのセ ンスに感服して帰 ってき ました 。
服を気持ちよく着るとはどういうことか、素材を生かすとはどういうこ
とかを体験できたことは貴重でした 。早速、お むすび‘パンツや、 ドラやき
ブラウスの製作にかかるメンバーです。 (まとめ /林咲子・北山裕子)
J
Wモ ン ペ ハ ウ ス 目 黒 区 自 由 が 丘 1-28-8 自由が丘デパート (03-3718一1606)
・,伝言板(1)
被服文化史やファッションについての授業をしてみたいので、参考になる
本や資料教えて下さい。(小林由佳
大阪府立東住吉高枝
2
1
0
67
0
23
8
3
8
) (~車いす
を2
0台借りてきておこなった媛業が生徒に好評でした。(西本和代
2
1
0
7
87
8
19
427)
3
6
家庭科玉手箱
詰
由
藍
「丸いブラウスを見に行かない ?
'Jの一言で、訪れたのは“モンペハウス"。
僅か 3坪程のスペースに溢れんばかりの謎とアイデアが潜む場所でした 。
〈モン ペ〉
W eの夏季フォーラムでご存じの方も多いと思いますが、ここには色、素
材、デザインを変えて沢山のもんペがありました 。内山さんのやさしい言
葉にのせられて、あれもこれもと試着したところ、すぐに全員が 「すごく
楽!
サイズもまるで私のために作られたよう!Jと叫び出しました 。
えワ
私達はどうみても同体型とは思えない 。 ウエス卜は袴式なので腰の
カーブまで体にフィットさせられる 。 また下にはひし形の当て布がされて
いて、ジ ー ンズとは比較にならないはき心地。構成は、和服同様に曲線がな
体に合う 」 というのは、自分の体に沿うように裁断、縫製された服
い。 i
であり、そのためには、しっかり寸法を測り、良いパターンを起こすこと
だとどこかで思っていたのに、乙このモンペは誰にでも合い、表示も 「フ
リーサイズ 」のみ
η
「昔はパターンなんてなかったもんね 」 という内山さ
んの一言に、ドキッとさせられました 。 また、素材、デザインを変えるこ
とで、作業着としてしかイメージできなかったもんペが、外出着としても
十分に通用することも発見 Lました 。 (取材を忘れ、 ー着購入) 。
くおむすび‘
パ ンツ 〉
最近流行のカルソンパンツのように、パンツと 言 えば、布が足にはりつ
いている、というイメージがあるのですが、このおむすびパンツは、 トル
コのシャルワールに似て布の中で足が踊ります。構成は摩詞不思議です。
一枚の布を折り紙のよう
3
7
ι山折り、谷折りして縫い合わせるだけ 。余り布
一、男女平等教育教材その二
識をぬぐい去るきっかけにならないものだろうか。.
男性の家庭科というと、下宿暮らしゃ単身赴任に役立つ
生活技術だけを期待する向きがある。それも大切だろう
が、そこにとどまらず、﹁男は仕事、女は家庭﹂という
性による役割分業意識を改める可能性に期待したい。:・
・:小学校から高校までの一貫した男女共修は、生徒たち
に生活と社会の場での平等の意味を教える。同時に社会
女共学が社会的認知を得たことを喜ぶと同時に、責任の
石川尚子
自体も、その実践から多くのことを学ぶはずである﹂
ここには家庭科が新しく生まれ変わることへの期待、
4月からいよいよ高等学校での男女共修が始まる。そ
重さもひしひしと感じる。そこで今回の教材紹介も、男
特に男女平等教育への期待が込められていて、家庭科男
れが私たちが考える共学家庭科の理想からかけ離れたも
女平等教育に関するものを取り上げることにしたい。
(1) 共学家庭科への期待
のであったとしても、制度面での男女同一カリキュラム
上述の社説が掲載された五日後、同じ朝日新聞家庭欄
(2) 女性の情報誌
世の中の空気も変わりつつあるように思う。最近、私は
に﹁女性の情報誌次々と自治体で﹂と題して、発刊が
が実現するのである。こうした家庭科の変化を受けて、
ひとつの感慨に打たれた。ぞれは、本年三月二八日の朝
これまでも様々な女性情報誌が発行されてきたが、自治
相継いでいる女性情報誌関連の記事が掲載されていた。
体の女性施策が増えるにつれて、最近新しいものがぞく
のような文章(抜粋)を読んだからである。
﹁:::性差別を生む社会や学校の中の土壌は、なかなか
ぞくと創刊されているという。前回は立川市作成の男女
日新聞社説の﹁男女平等につながる共修に﹂と題する次
入れ替えるのがむずかしい。家庭科共修はそういった意
3
8
ラット﹂、徳 島市 ﹁シンフォニー﹂、鹿児島県﹁ハーモ
ー入れて!﹂、相模原市 ﹁ともに﹂、 京都市 ﹁
イl ・フ
性あおもり﹂、東京都﹁東京の女性﹂、三鷹市﹁コーヒ
という女性情報誌も発行している。その他、青森県﹁女
平等教育用教材マンガを紹介したが、岡市では﹁ウィズ﹂
かを確認していただきたいと思う。
運び、どのような事業があるか、どのような資料がある
数多︿発掘できるであろう。ぜひ近くのセンターに足を
ーの講座や情報の中からも、男女生徒を揺さぶる教材が
女性問題は男性問題であることを考えれば、女性センタ
ニー﹂など、同種のものがたくさんある。
これらは、﹁女と男のいい関係﹂﹁働くって素敵だ﹂
﹁男女がともに参画する社会の実現を ﹂などのテーマを
掲げて、男女役割分担意識 や性差別の解消、女性の自立
や社会進出、男女共生社会実現にむけての問題提起や啓
発などを、カラl 刷りの読みやすい、分かりゃすいスタ
(3) 各地の女性センター
イルで提供しており、教材づくりの上で参考になる。
weフォーラムの会場にしたこともある国立婦人教育
会館をはじめ、北海道﹁道立女性プラザ﹂、茨城県﹁県
立婦人教育会館﹂、東京都﹁女性情報センター ﹂、足立
区﹁女性総合センター﹂、横浜市﹁横浜女性フォーラム﹂、
静岡市﹁女性会館﹂など 、全国各地には百館以上の女性
センターや婦人会館があり、そこには女性問題に関する
数々の資料がそろえられている。
3
9
レビで﹁老﹂の文字を見掛けると自然に目が吸い寄せら
な生活をしている私にはとりわけ深刻な問題で、新聞テ
五年前に痛めた腰の後遺症と運動嫌いで既に老後のよう
老い。誰もが﹁いずれ行く道﹂とはいいながら、 二十
と娘に教育されて、料理のレパートリーを増やしている
験期には、勉強を教えるために早く帰宅し、最近は、妻
たばかりの彼は、社内共働きを通していて、子どもの受
大手術を無事にのりこえた同僚がいます。同代に入っ
す。その彼が﹁身の置き所がない﹂と嘆くのです。大病
と嬉しそうに言う人ですから、仕事人間とは一味違いま
ところが先日面白いことに気がつきました。男と女の
後のリハビリ期間中ということで、好きなお酒とカラオ
れてしまいます。
老いの受け止め方がひどく違うのです。女が五十代とも
ケを禁じられていて、﹁読書も T Vもあきた﹂、特に休
妻の証言によれば、彼は公園はもちろん映画や展覧会
なれば、程度の差こそあれ、かなり具体的な関心を持っ
有料老人ホl ムがいいとか、女友達と一緒にコiポラテ
も一人では行かない(行けない)のですって。これって、
日をどう過ごせばいいのか苦痛でしかたないと。
ィプハウスをつくるとか、女三人寄れば何時間でも盛り
定年退職後、妻の後を﹁ワシも一緒に﹂とついて歩くと
ています。看て貰うなら娘がいいとか同居は嫌だとか、
上がるのが老後の話題です。ところが男の場合、﹁考え
いうあの﹁恐怖のワシ族﹂そのものではありませんか。
状を知らないか、男は長生きしない、ころっと死ねると
過ごすのは無理みたいですね。老後というと、介護とか
っていないと、老後というゆっくり流れる時間を幸せに
どうやら仕事と家庭以外に第三の場所や人間関係を持
たこともない﹂が殆どで、せいぜいが﹁動けなくなった
多寡を括っているのか、或いは男の老いを看取るのは女
死の問題をすぐ思い浮かべますが、健康な人の老いも結
ら病院へ入れてくれりゃいいよ﹂という程度。老いの惨
の仕事・妻の領分で、男の考える問題ではないとでも思
(N・Y)
子栄
構大変だと思います。そんなに簡単に死ねる時代ではな
いだけに。
康
(K・S)
村村
っているのでしょうか。先行き不透明な高齢化社会で、
ほんとに不思議ですよね、野村さん。
人
野木
4
0
﹁ぼくの精神には一筋の白髪もないし/年寄りくさいや
夫夫
た雲﹄というこの不遜な詩の一節を、ぼくもまた秘かな
美 男 子 で /二十 二歳﹂マヤコフスキl の﹃ズボンをはい
に積み上げ、これを厚板に挟んでネジでしめあげる。が 、
針で紋様を彫り、その小さな画片が数十枚たまると柱状
女が一入、銀箔をかぶせた 二センチ四方のボール紙に
ンスの狂いが、しめあげていく力の強さについに耐え切
か老い除け nのオマジナイとして持ち歩いてきたのでし
﹁金沢のオヤジ﹂﹁定年後﹂﹁椎間板ヘルニア悪化﹂
れず露 呈して、柱は崩れる。女は歯をキリツと鳴らし再
び挑戦する。再びの瓦解。女は男のもとを去る。
数年後、遍歴の旅から 戻 った女は、十セ ンチ四方のボ
企業社会という修羅場では、老いだの病いだの、わず
度はピクともしない 。女の美しい冷笑。映画の題名も当
上げ、男の前で、ぎりぎりとしめ上げてみせる。が、今
ール紙の枠にやはり銀の紋様を施した小さな額縁を積み
かでも周囲に弱みを見せたが最後、たちまち降格・出向
私は目覚めてから驚いて英和辞書を引いてみました。
然のように決まっている。﹃クラッシュ﹄。
ンが介護休暇制度が必要だとしていますが 、実施されて
と、︿Crash- - 激しく崩れる﹀。覚えのない英
(T・H)
うつつ
いるのは 1割強。ぼくを含めて男たちにはいまのところ
語がちゃんと辞書にのっている!私において、現実と夢
い﹀は既に始まっているんですよね、きっと。
﹁過労﹂と﹁死﹂との聞に﹁老い﹂を想像する余裕が精
(T・M)
の境界が溶けるように︿人間﹀が捜れかけている、︿老
・レッドカlドです。産能大学の調査では 7割の企業マ
たえが湧いてきません。
ームをやってみたのだけれど、いっこうにリアルな手ご
etcetc、 n老い Hという字を書いて何日も連想ゲ
﹁萎んだゆめ﹂﹁シニアハウス﹂﹁長寿時代文化の復権﹂
繊細きわまる工芸品のひとつひとつにひそむ微妙なバラ
りに映画の構想を練っています。
朝方、妙にリアルな夢をみました。夢の中で私はしき
秀正
た。効き目に疑いをはさんだこともなく。
さしさもない/世界を声の力で撃ちくだき/ぼくは進む
田 田
神的にも時間的にもないのです。というよりは高いツケ
を予感しつつも認めたくないのでしょうね。
41
式津
子供に恵まれず夫と 二人暮らしをしていたところ、犬が
出の旅路の支度をする準備を妨げることはしなかった 。
﹁う:::ん 。心配らね﹂
私も家族も病名こそ告げなか ったものの、 Aさんが死
がちゃんとできるらか・・・・・・﹂
倒れ、続いて Aさんも倒れてしまったのである。検査の
それが Aさんと私達との暗黙の了解となり、 Aさんは兄
Aさんは六十三歳、胃癌だった。 Aさんは病気で倒れ
結果、 4 ヵ月の命と診断された Aさんには、夫の介護を
弟達を通して、自分の死後の準備を着々と行っていった。
るまで、脳梗塞で寝たきりの夫と 二人暮らしをしていた。
する力は残っていなかった。
そしてある日 、 Aさんの状態が急に悪化し、血圧が四
十まで下がった 。Aさんは言った。
﹁家の畳の上で死にたい 。家で死ねないなら、せめて死
そこで、異例のことではあったが、私は 二人を同じ病
りは夫、と判断したからであった。案の定、入院後も A
室に入院させることにした。 Aさんにとって一番の気掛
ぬ前に家を見たい﹂
結局、兄弟 一同の了承の上で、私は Aさんを自宅に連
さんは体の動くかぎりは夫の世話を自分でやろうとした。
しかし、確実に病魔は Aさんの体を蝕んでいった。とこ
一時間ほどキョロキョロとあ
る人はいねえつけな:::﹂
と言 った。庭には色とりどりのチ
ここに咲いてたって誰も見てくれ
庭中の花さ、持っていってくれ。
かけたな。看護婦さん達に土産に
﹁もうええ、帰る:::。迷惑さ、
たりを見回すと、安心したように、
て
、
れていくことにした。 Aさんは自宅のベッドに寝かされ
語
物
ス夜
ピ一 向
ス夜
ホ千
ろで、 Aさんには、親戚一同のたっての希望で病名は知
らせていなか った。しかし、日々
弱りゆく自分のからだと向き合い
ながら、﹁死﹂を予感していたの
だろう。 Aさんは時折こんな言葉
を漏らしていた。
﹁私のほうが先にいったら、とう
ちゃんがどうなるか心配だて。そ
れに家ん中の事らって周りのもん
f.
.
.
.
森津純子
4
2
夫は溢れる一棋を拭おうともせず
るんだよ:・:・﹂
さんは、兄弟達が山のようなチュ
不自由な言葉で一生懸命﹁ Aよ
:
・
ユlリップが咲き誇っていた。 A
ーリップを抱えて庭から戻ってく
あり:・がと:::﹂と声をかけた。
の中で Aさんはさらに私に哀願し
病院へ戻った後、薄れ行く意識
別れを惜しみあった後、 Aさんは
れや﹂と声を掛け合った。十分に
世話になった。ゆっくり眠ってく
兄弟達も口々に﹁ありがとう。
た
。
うして Aさんは病院へ戻った。
るのを満足そうに眺めていた。そ
私に言った。
いるのが、生かされていることが辛い。ずっと眠らせて
心配なことは全部片付きました。今はこうやって起きて
中、帰らぬ人となった。 Aさんは自分で選んだ夕焼けの
﹂
・落ち始め、ほどなくして Aさんは眠
ゆっくりと点滴が
﹁お願いします ・・・・
﹁先生、後生ですから、もう眠らせてください。もう、
くだせい ﹂
﹁先生、わしらからもおねげえします。 Aを眠らして楽
ように鮮やかな樫色の着物をはおって旅立っていった。
﹁じゃあ、ずっと眠り続けるようなお薬を使いましょう。
兄弟遣も口をそろえていった。私は静かに領き、
の小さな包が届けられた。
﹁
Aのやつが﹃死んだら先生にはこれを送ってくれ﹄っ
そして、 Aさんの初七日も終わったころ、私の元に一つ
りについた。その十日後、 Aさんはみんなに見守られる
にしてやってくだせい﹂
死ねる訳ではないけれど、その時まで眠り続けることは
て言ってたんです。葬式の段取りから、お返しの物まで
最後の最後まで、 Aさんらしい最後だった。
自分で決めていったんですよ﹂
できます。何かお話しておきたいことはありませんか﹂
﹁とうちゃん、おめえのことだけが心配らって。私がい
ねえようになっても、みんなに可愛がってもらって生き
4
3
L¥ という中原道子さん。
アナーキーで心優しい中原
さんが惹きょせられた東南
アジアの国々一ーその地方
分権的なゆるやかな社会は、
人間本来の自然なあり方が
そのまま許されるような社
会のひとつのモデルになる
のかもしれません。
なか眠ら・みち こ
早稲 田大学国際部教綬。専門は γ レーン F
<t、特に日本との関係史。目下泰緬鉄道で
強制労働 さ せられた マレーシ 7011労務者 J
の調査中。著書に『昭和史の消 せない真実』
(岩波書庖) チェ,プスイーシンガポールの
日本長たらー J(めこん)なと の
r
講演記録
皇軍慰安婦問題
から見えるもの
中原道子さん
戸籍もパスポートもいらな
*記録された血
天皇家がどうしていままで尊重されてきたかというと、
いて、何千年かの歴史の中では異民族の王朝というのが
のです。だから、中国の歴史は王朝がどんどん変わって
皇家と同じ長さの血統を持っているはずなのだけど、我
する唯一の証拠は、血なんです。私たちだって誰でも天
人、ブラジル人の労働者と日系以外の労働者の違いとい
の労働者の問題につながります。その中で、日系ペルl
これは、今問題になっている外国人のオーバーステイ
たくさんある。そのあたりが日本人とは血の概念が全く
々はそれを記録しなかった。天皇と我々の違いは﹁記録
うのも、血だけなんです。つまり、日本の政府が日系の
日本で唯て先祖代々血がつながっているんですね。天
された血﹂の問題なのです。そして、そういう延々と血
人たちだけを合法的な労働者として許すのはなぜかと言
違うんですね。
のつながった家系というのは、おそらく世界中見てもな
うと、日本の血なんですね。平民から皇太子妃を迎える
皇家が、自分達が他の人間と違うんだということを誇示
いのではないかと思います。
革命というのは、革は変える、命は天命ですから、天命
八九年の大日本帝国憲法に明記されて以来、それは禁じ
いうことがあった。ところが、明治になってから、一八
日本の過去の歴史においては、女が天皇の位に就くと
のを嫌がったのも、血が薄まるという危慎からです。
が改まるということ。中国の政治理論では﹁王たる者は
中国の王朝の考え方と比べてみると分かるのですが、
天命を与えられて、王になる﹂のであって、王がもし間
戦後、女性は、形の上だけでも一応、法的には男性と
られたのです。今の憲法では男系ということは書かれて
忠孝や男尊女卑といったコンセプトだけを輸入したので
平等の地位を獲得したわけですが、そこから天皇家の女
違った政治をすると、これは天命が失われたと考えるん
すが、中国の儒教思想というのは、本来、王朝が機能し
性は除外されています。近代日本の家制度は男系血統主
いませんが、皇室典範にはあります。
なくなったときは誰でもそれを倒していい、そのような
義で、女性は跡継ぎの男子を産む存在でした。妻が男子
です。日本は、そういう都合の悪い理論は切り捨てて、
権利があるのだ、という革命理論を最初から持っていた
4
5
なり、天皇家に嫁いだ平民は妃殿下となる。それは天皇
天皇家です。天皇家の内親王は他家に嫁がされて平民に
と許されていました。そのような家父長制家族の典型は
を産まないとき、夫が妾を持ち男子を儲けることは公然
軍慰安婦﹂とも言う。従軍というのは気持ち悪いという
慰安婦という言葉自体何か非常にいやな言葉です。です
けですね 。女にと っては毎日強姦されるわけですから、
で、使っています 。慰安婦というのは男が慰安されるわ
鈴木裕子さんは ﹁皇軍慰安婦﹂という言葉を 、本の中
から、ある人は﹁強制慰安婦﹂という言い方をし 、﹁ 従
った
の跡継ぎを産む可能性があるからです。天皇家に入 ・
女性の唯一の存在理由は子どもを産むということです。
ので、鈴木さんは﹁皇軍慰安婦﹂と言っているわけです 。
した。でも、常に被害者であったかというとそうではな
性は権利を全く認められておらず、その意味で被害者で
実を把握した表現です。日本人はどうも何かを直視する
合があります。まあ、性の奴隷と言ったほうが、より現
英語の新聞はEZo
天皇家を頂点とする近代日本の家父長制社会では、女
くて、正妻であればその社会的地位は認められていたの
というのはすごく嫌なんですね。外国語で言うと、衝撃
今でもあるでしょう。夫に本気で恋愛されたら困るけど、
っている公娼制度の一種の変形だと思うのです 。確かに
はなくて、日本の近代化が始まったときから日本人が持
皇軍慰安婦というのは、戦争中にパツと出てきたので
rHlmHEmと書く場
で、男性の売春を容認し、その相手の娼婦たちを蔑視す
が薄れるでしょう。ですから、強姦もレイプと言う。私
浮気なら目を限るとか、日本人じゃ嫌だけど、外国人な
その時代、男性には性的に非常な自由があったように見
Z O B Sとか、
ることによって、抑圧される側でありながら差別する側
はきちんと日本語で強姦と言うべきだと思います。
ユ
でもあるという二重の構造に置かれたのです。これは、
ら目を膜るとかね。目を眠るということは、相手の女性
えていて、その実、男達がエンジョイしていた性という
のは、完全に国によって管理された性でした。つまり、
して考えるという。女性たちの聞でも、そういう差別が
あるわけです。
国家によって許可され管理された公娼制度があって 、娼
を人間として認めまいという差別ですね、相手をモノ化
*皇軍慰安婦と公娼制度
4
6
が許され、女をモノのように売り買いをしてきたから、
は、兵隊達の性をどうするかという問題です。公娼制度
またま戦争という状態に陥って、まず、軍隊で考えたの
婦は必ず、性病の検査を受けさせられていた。それがた
的に違うところです。
安婦が植民地から集められていた日本とは、そこが基本
うケl スもありましたが、植民地を持っていて八割の慰
ってから、強制的に女性を連れてきて慰安所にするとい
在する売春宿を軍隊の指定宿としたんです。占領地に入
後、年に一度か二度の休暇を出す。だから 、ある人は国
米英など、他の国では、一つの大きな作戦が終わった
自分達の性をどうコントロールするかというときにごく
自然に女を買うことを考えるし 、管理するほうも、軍隊
で慰安所を作って、兵隊違の性を管理しようとする。
ないんです。女を人間とは見ていない 。 しかも、書類の
いないのですから、この世に人権があるという考え方が
然な人間集団です。兵隊自身、自分の人権が認められて
国を襲い、略奪、殺人、強姦をするという、非常に不自
R&R(田市聞け&宮22HES) ということで、大休場所
ここに行ってもいいよ ﹂とチケットを渡して、そ う いう
場所に行かせるという管理はしていない 。米国の場合、
どうしようと、ぞれを軍隊や国家が﹁週に 一度、お前は
目的にどこかに行 くとか、でも、それは個人の自由で、
に帰って、家族に会うかも知れないし、ある人は売春を
中で、﹁土人慰安婦﹂という言葉を使つであるように、
を決める。それはタイのバンコクだったりフィリピンの
そもそも軍隊というのは、男性だけが、大挙して、他
その上に非常にはっきりとした人種偏見があった。
マニラだったり 。 そこへ、兵隊がどっと行くわけ。ただ、
で軍隊が慰安所を作ったのはドイツだけなんですね。た
個人の判断なのですね。宿にいる女性というのは、いろ
ですから、売春宿に行くかどうかというのは兵士個人
ではないと。
そこで兵士が何をしようと、軍隊や政府が管理するもの
*戦争犯罪としての慰安婦問題
慰安婦の問題は何が問題なのかと言いますと、軍隊が
だ、日本とドイツの違いは、ドイツでは、第一次大戦の
んな事情があった にせよ 、それぞれ自由意志でなってい
あれば必ずセックスの問題は考えるんだけど、日本以外
時に、植民地を全部取られてしまっているので、既に存
4
7
ところが、日本の場合、軍隊が植民地の人聞を崩して
出て来られるまでに、時聞が必要だったのです。アジア
のです。なぜ今ごろ、と言われますけど、その人たちが
いう女性達を迎え入れるような社会ができていなかった
連れてきて、強制的に売春婦にした。ことに性病にかつ
全体の変化ということなしには、慰安婦問題は表に出て
るわけで、どんなに貧しくてもならない人もいたのです。
ては困るから、処女を連れてくるわけです。大体、十五、
来られなかった 。今までこれだけ時聞がかか ったのは、
人たちに呼びかけて、信頼関係が生まれて、そして初め
六歳の少女です。そういう年齢の子をまず強姦してしま
次に、ドイツの場合は、戦後日本が東京裁判で裁かれ
て﹁自分は慰安婦だった ﹂と言えるようになったのです。
この四十五年間にアジアでも女性の地位が非常に高くな
たようにやはり連合国に裁かれたのですが、彼らは更に
朝鮮でも、フィリピンでも、インドネシアでも、常に
う。そして、慰安所に入れる、ですから、これは完全に
その上に、自分達で自国の戦争犯罪を裁判にかけている。
最 初 に 調 査 を 始 め た の は 女 性 で す 。 女性が組織を作り裁
り、その女性達が支援団体を作って調査をし、慰安婦の
日本はそれをしなかった 。東京裁判は連合国のやったこ
判でもバックアップをするという、そういうことがなけ
れば、元慰安婦は言い出せません 。 それと、自分の親族、
戦争犯罪です。これが大きな問題の一つ。
とです。日本人自身があの戦争は何だったのだろうかと
何も言われないというときになって初めて告白できる。
よく考えて戦争犯罪を裁いたということはなかった。日
ことに慰安婦の問題は、﹁私は慰安婦だった﹂と言え
家族が生きている場合でもずっと秘密にしてきでいるか
家族が死に絶えるまで黙って我慢している。もう誰にも
るのに四十五年かかっている。特に朝鮮のように儒教道
ら、インタビューにも、ほかの人たちに分からないよう
本人は自ら戦争責任をとったことは一度もないのです。
徳が非常に強い社会で、いったん慰安婦であった人閣を
自民党政権は慰安婦問題の関与を否定して、あれは民
に大変気を使いました。
で、帰れずにそのまま異国で死んでしまった人もいれば、
間の業者が連れ歩いていたのだとしましたが、中央大学
社会が受け入れますか?受け入れないのですよ。それ
そこでくらしている人もいる。戦争の終わった後、そう
4
8
の吉見先生が、はっきりした軍隊の関与の証拠を提示し
という結婚のシステムもいいのかどうか。それもやっぱ
き継いで行く。母親にとっては、この子は自分の子ども
り財産を継続させるためにあるわけで、スマトラなんか
にまちがいないと分かりますが、男には分からないです
たので、宮沢政権の時、初めて政府は事実を認めました。
女が自分をアイデンティファイするのは何によってか
よね、血液検査なんかのない時代は。だから、女が自分
は世界でも最大の母系制社会ですが、娘が家や土地を引
というと、日本人の場合、戸籍です。戸籍を見ると、戸
の産んだ娘に財産を遣す母系制というのは、ごく自然な
*戸舗もパスポートもいらない
主は男で、女は常に、戸主に対して娘であるか妻かとい
かたちなんです。
私たちは二十世紀を自由な時代であると考えています
うかたちでしか自分をアイデンティファイできない。ま
夫が会社をやめて無収入になったとき、大学の書類に、
た、子どもも、嫡出子、非嫡出子と差別される。
が、国家の許可なくては一歩も外へは出られない、つま
トなんかないわけですから、自由に旅ができた。今私た
戸主は稼いでいる私、と思って自分の名前を書いたら、
戸籍というのは、なくてもいいんです。私たちは世界
ちは、パスポートがなければ、この島から一歩も出られ
り、法を犯さなければ国を出られないという状況です。
中そういうものがあるのだと思うけど、実は日本、中国、
ない。パスポートを見るたびに、国に管理されているん
事務局から﹁離婚したのですか?﹂と言われました。戸
韓国だけ、つまり、家制度のあるところだけです。家制
だ、この島から出られないんだ、と意識せざるを得ない
近代国家が成立した十九世紀の前を考えたら、パスポー
度があるから、戸籍がある。だから、マレーシアに行く
わけです。戸籍もパスポートもなくして欲しい。私は、
主が収入がなくても、夫が戸主なんですって。
と、もともと家制度がないから、家の名前、つまり名字
す。家族関係などもなくていいと思ってしまうほうです
I Dは、いつ、どこで生まれただけでいいと思っていま
ですから、私は﹁家﹂というのが本当に諸悪の根源で
から。それは年をとるにつれて過激になってきています。
がないんです。
あると思います。そうやって考えていくと、一夫一婦制
4
9
グル-1..:
/e
'
グ
三十歳をむかえたばかりの先頃、﹁諮問がある﹂という父のリクエストに応え
て実家に帰ると、案の定、﹁結婚問題をどう考えているんだ?﹂とのお言葉が
待っていた。結婚って問題なの?などとチャチヤを入れながら、﹁私の人生
はお父さんが死んでからも続くわけだから、責任とってもらうわけにはいかな
いじゃない?自分の人生については誰よりも真剣に考えてる ﹂と返答した。
そう、結婚はともかくも、どんな人生を誰と歩んで行きたいのかについては、
高校か大学の初めの頃、﹃手袋をさがす﹄という向田邦子のエッセイを読ん
もうかれこれ十年近く考え続け、いろいろと努力もしてきたのだ。
だ。彼女が若い頃の日本の冬は今よりも寒くて、誰もが必ず手袋をしていたの
に、納得のいく手袋がどうしても見つからない彼女は、どれも買わないまま素
手でひと冬を通し、職場の上司からそんな生き方を反社会的だと責められる、
そういうストーリーだったと記憧している。私には、まるで自分のことのよう
L
H
ではないが、ものの考え方
と語り合ったのだ 。
に感じられたし、類が友を呼んでか友人たちも同様で、半ば悪らい予感にとら
われながら、﹁私たち、手袋さがしそうだね
男性に関する私のこだわりは、いわゆるこ ニ高
M許せる範囲 Hは狭い。
や政治的な傾向ではたぶんマイナーな部類だ。頭の中身や外見の好みだってあ
る。これにフェミニズム的な基準が加わるといよいよ
そんなわけだから、金の草椎じゃないけれど、職場には居そうもない人種を求
めて菜花婿学校に顔を出したり、紹介してくれるという話にはなるべく応じて
とにかく多くの人に会ってもみた。一方では、﹁こちらだって﹃自分の人生設
手袋がみつからない
三 沢史 子
5
0
h~主主吉村 - i
l
i
c
w
1
品
。
」
計にこの女は合うか?﹄なんて目で見られるのはまっぴらなんだから、他人を
手動のように物色するのも違うだろう 。
一 緒に育っていくものだというし、謙
虚にならねば ﹂と、あんまりピンとこないまま、適 当な相手と結構長く付き合
っていた時期もある(ひどい話だ)。でも結局は、わがままな自分を誤魔化し
きれないと悟る結果に終わってしまった。
私は一人でいても平気なタイプだし、恋愛至上主義は大嫌いだ。なのにそん
な努力をしてきたのは、たぶん自分が他者を受け入れられると証明したかった
からだ。また、﹁あなた色に染まる ﹂という意味ではなく、相互作用の結果両
OO主義、特定の男の好み等、自分以外の
めていたのは、他者ではなく自分自身の成長なのかもしれない。
者が変化してくことに、多大な期待を抱いていたというのもある。結局私が求
社会の常識や組織の論理、宗教、
ものによって生き方を変えたくない縛られたくないと、ずっと思ってきた。フ
ェミニズム的な考え方をすごく持っていながら、﹁フェミニストです﹂と言え
ないのも、その言葉のイメージが悪いからではなく、明日以降の自分を縛って
しまうのが恐いからだと思う。向分の選択に従って、常に自覚的に変化してい
きたい、そのための余地をいつも留保しておきたい、というわけだ。
これが最近少しだけ変わってきた。頭で考えた条件(人権意識の有無とか)
よりも身体つきや仕草に直観的に惚れる傾向が出てきたのだ(これまでは身体
や肉欲をずいぶん疎外してきたので)。たぶん私にとってはいい傾向。自我に
縛られた不自由な状態から抜けられるかもと、ちょっと期待している。
5
1
人民。什什内好子
総。中畝治子
南の島からたらの芽が送られてきました。海からはわかめととこぶしが届き、
庭先には蕗や菜葉花が咲き乱れて、タ備の卓は豊潤な贈り物で賑わいました。
日ごろは忘れがちですが、こんな日には大自然からのめぐみに、ついふたつの
手が合わさってしまいます。
この芽吹く時は、天候も目まぐるしく変わりゆき、その中に住んでいる私た
ちの心身も変調をきたしがちです。冬の寒さに耐えるためにしっかり蔵されて
いたものが盛んに発散して皮膚の表面に出たがっています。不用になった老廃
物をすっきり出して気持ちよく春を過ごし、来たるべき夏を楽しく迎えるため
にも、季節のうつろいに応じたもので、しかも出来るだけ住んでいる土地のも
のを(身土不 一己、できるだけ根や葉を捨てたりせずに生命全体のものを(一
物全体)いただきたいというのは、あまりにもあたりまえのことですよね 。
医食同源ということをうたっている東洋医学では﹁陰陽五行説﹂に基づいて
食養をおこなっています。これは古代中国人の直感や経験によって集大成され
たもので医学の知識というより生活に密着させて身につけるとなかなか妙です。
宇宙開のものすべては陰、陽の性質をもったものとしてわけられ、しかもど
のひとつのものも陰と陽の両側面をもち、陰陽には相互依存、相互制約、相互
転化の関係があります。食べ物でいうならば、天に向かって上に伸びていく拡
散する力をもっ葉菜、果菜、海草は陰性の性質を持ち、大地に向かって下に根
をはる求心的な力をもっ根菜は陽性の性質をもっています。
五行というのは、上の表のように自然界を構成する基本物質を﹁木火土金水﹂
5
2
五五液五主 j
根
五;
志
五
五
色;
味;
五季
五;
五
肺;
臓
五;
五
悪 i ~ i ~ i m i ~ i ~ i ~ i ~ i HR i ~ i 行
風i
涙:
筋;
眼i
怒:
青 酸i
春:
胆:
肝:
木
暑:
汗(
藤
舌:
言)
赤(
苦(
夏(
信
心(
火
:
用;
として一切のものに当てはめ、そのかかわりにおいてとらえる考え方です。簡
単に言ってみますと、木をこすり合わせると火が生まれ、火が燃えつきると灰
めぐ
となって土にかえり、土が重なりさまざまな物質(金)となり、水を生じ、水
の流れるところに木が育ちます。この循りは、母から子が生まれる関係として
相生といい、この関係がくずれると相剖となり、木は金石にいためつけられ、
火は水に消され、金は火に溶かされてしまうことになります。
しおから い
食べ物は五つの味に分類され、その味によって、﹁酸は肝・胆に入り、苦は
る﹂というふうに内臓と密接な関係をもっています。たとえば甘い物(自然の
心・小腸に入り、甘は牌・胃に入り、辛は肺・大腸に入り、繭は腎・蹄脱に入
甘さ)は牌を補うものですが、とりすぎると糖尿病になり、またむしょうに甘
いものが欲しくなるとか、塩からいものをとりすぎると腎臓を悪くし、体の色
は黒ずんで、冬の寒さにからきし弱く、少しの物音にもびくつとしやすいとい
うようなことが起こります。
この五行の考え方はすべてにあてはまるわけではなく、時としてあまりにも
分類好きの人たちのこじつけに思うことさえありますが、食べ物の性質や調味
が、人体の臓器ばかりか感情にまで影響を及ぼすことなど、いろんな示唆を与
えてくれます。今回はあまりにも膨大な陰陽五行説に触れてしまって、ほんの
'''J
、rlo
一部分しか紹介できませんでしたが、このことを応用した調理法、調味法を次
回でお伝えできたらと思います。
ウチの相方が日く、﹁腹を減らして食えるだけでありがたいよ﹂。
5
3
土
湿 挺:
関 唇:
忠 黄!
甘!
土!
胃j牌 ;
土
寒)
沸;
宅j鼻 (憂 j白j辛;
秋;
露j肺)金
燥!
唾j
骨;
耳:
議
日
,,,黒 嗣 冬 j
続
-腎(
水
!
に頑張ってください nやて 1 │ 。
ビールを買いに出たまま一緒に手紙
﹁ママ・マキ夕、
ル君という男の子から小切手の受領サ
インが送られてきた。
お元気ですか﹂。拙い文字でほんの一
ずで私はマニラへ行こうと企てた。 2
を読み、一時間も一戻らないことが続く
あげたという気になるより、フィリピ
歳になったばかりの沙羅を残して一人
行か 二行の手紙が届き、私たちの文通
ンで日本の企業がやっている悪業のひ
旅。乙と 3年ばかりお産と子供の国籍
ようになって間もなく、私もこの京都
とつでもやめさせた方がずっとよいに
問題に手一杯で押さえてきた私の
が始まった。マルコス大統領がマラカ
私とポlルをひき会わせたのは近所
決まっている、こういうの恥ずかしい
府八木町の人たちが始めた ﹁マイセア
の酒屋の西村さんだった。晩7時すぎ
なあ:::。私が言うと、西村さんはた
気を吸ってみたい。それからボルネオ
ニアン宵殿からヘリコプターで逃げ出
にビlルを買いに行くと、レジの横に
﹁
して
した頃だった。文通を始めて半年たら
手紙の束があり、たいてい西村さんは
いへんまじめな顔で私を見て、
ヘ行って熱帯雨林乱伐の現場を自分の
万なにがしかのお金を送って何かして
辞書を片手にうなっていた。時々、目
あげるのと違う。自分が受け取ること
目で見て、ピースボlトに合流し、シ
教育里親の会﹂に登録をした。年間一
を赤くして鼻をすすっていることもあ
の方が実は大きいんやで。心がふれ合
ほんとうに、そうかもしれないね:::
タl直後、農民デモに軍隊が発砲して
チケットを握ってハラハラしていたら、
死者が出た 。払い戻しのきかない格安
春になると小学校二年生になるボl
8年前の冬のととだった。
H
が動き出したのだ。今のマニラの空
H虫
る。マニラの子供たちから送られてき
マニラは、マルコス派軍人のクlデ
ンガポールまで船で行こうという計画。
ーー
僕は
H
きます。おばあちゃんも病気に負けず
学校が終わるとガソリンスタンドで働
ばあさんを励ましてるんやで。
って身近に感じることが僕らには大事
蒔田直子
ゃ。関わるってことゃな﹂と言った。
-8年目のマニラ
この手紙みてみ、 9歳の子が里親のお
木を植えた日
た手紙を訳しているのだった。
連載...第 1
0回
3
:
4
に連絡を取った。翌朝 7時前、私が泊
学金事務をとりしきっている西本神父
い。約束の場所で会えず、マニラで奨
に私が本当に来ると思わなかったらし
た。ポール君のお父さんは時が時だけ
私の発つ日の朝、空港の閉鎖が解かれ
出る前の家族に迎えられて、ココナツ
タと貼つであった。日曜の朝、ミサに
ーツで演説するコリノの写真がペタペ
ヤの墜には何枚もの聖画と、黄色いス
に来た伯父さんも暮らしていた。ベニ
に両親と 3歳の妹、セプ島から出稼ぎ
家に入った。六畳一間ほどの板張の家
また 二度めの出産。おっぽいとウ ンチ
の時期大忙しで休みがとれない 。私も
いるが、私の職場である大学の寮はこ
が大好きなこと:: 毎年3月には奨
。
:
学金手渡しと交流のツアーが組まれて
二人の妹が生まれたこと、絵を描くの
た。お父さんに仕事がないこと、更に
西村さんの言ったとおり ﹁
受けとるも
羽
まっていたホテルにお父さんに連れら
れたポlル君が現れた。お父さんの背
中にかくれて恥ずかしそう。お父さん
は2年前、 セプ島での農業をあきらめ
てマニラに出てきたばかりで、タガロ
グ語しか話せないから、お互い、うん
うんと顔を見て笑い合うほかない。ど
うやって意志疎通したのか不思議だけ
ようなおかしをごちそうになった。ポ
の﹂ははかりしれなかった 。私の貧し
と仕事の日々に追われていた。けれど
をつなぎ、プンプン飛ばすジプニlを
ールをひざに抱くと、 7歳というには
れど、お父さんとポ1ル君と3人で手
乗りついでポlル君の住むサンタアナ
﹁
アジアのどとかでおきる、私
の生活と深く関わっているはずのひど
ても、
い想像力ではどんなに情報を手渡され
ポールは私の娘たちと同じように成
悲しいほど軽くて小さかった 。
二人並んで歩けない狭い通路に雨水
長し、英語の手紙はだんだん長くなっ
の町へむかつた。
があふれ、渡してある木ぎれを渡って
J
;
)
いできごと﹂は実感まで行きつけず、
その場限りの憤りで忘れてしまえた。
ポールと会ってから自分の感受性が
も僕はそのことをつらいと思ったこと
数名の子供に奨学金を手渡し、子供の
マニラ行きは倒歳のおばあちゃんを筆
けてとうとうマニラへ行った。今回の
3月に年休とるからねと一年言い続
かんで立っていた。ずっと私を見てい
リ ル ! 彼 は 8年前と同じようにはに
大きな人たちの列へ:::。ポール・シ
を擁した。ハイスクールやカレッジの
い。手渡しの仕事が終ると私はボ 1ル
手でサインをしてもらい、ひとりひと
ニラの児童売春のことも、ポールと過
頭に制人。圧倒的な老人パワーだ。西
たのに動けずにいた。私たちは 5秒く
はない﹂。今ならもう一回会えると思
ごした二日間の時間を通してしか考え
村さんのような人が訳してくれる手紙
らい、どうしていいかわからず、まじ
りと手を握って見つめ合う、子供たち
られなかった。ボールのパパのように
を励みにし、ひと日会いたいという人
まじとお互いを見つめ合った。あの時
った。あの 2日間を 7年ほどかけてゆ
島々からマニラへ向かう人の流れ、そ
ばかり。 3月日日午前9時、気温はと
の面影はそのままに、彼は私よりも背
が作ってきた花の首飾りで首が回らな
れから更に日本へ。前年から但年まで
うに初度を越え、 p ・ゲパラ小学校の
が高いのだ。ポlルが小さな声で、マ
っくり消化した自分を感じていた。
の6年問、エンタティナl の就労ビザ
講堂は千三百人の子供たちの熱気で破
マ・マキタと言って一歩出てきた時、
少しずつ変わってきているのに気がつ
で日本へ来た女性は加万2千人。よそ
裂しそうだった。奨学金は一人一人の
私はたまらなくなって泣き出した。ポ
のこともマ
ではなく私の町で関係が始まるように
子供に手渡す。この朝 6時頃から子供
ールが近づいてきて私たちは抱き合っ
H
なった。私は彼女たちとも出会うよう
たちと親御さんが学校の門が開くのを
人を食うバナナ
になっていた。
待っている。握手でもみくちゃにされ
た。汗と涙でグチャグチャのポlルは、
H
ボールはハイスクールに進学した。
て会場へ入り、千三百人の光る目、目
いた。
数学と美術が好きな彼は、外が明るい
8年前と閉じ懐しいココナツのにおい
がした
の中を歩くとひざがガクガクと震えた。
﹁
ママ・マキ夕、ハイスクールの友人
現地スタッフに手助けされながら三十
問、あの家の戸口に坐って勉強する。
は中流以上の家庭の子ばかりです。で
5
6
はその後もエスカレートの一途をたど
持ち上がりで今年も担任です 。ところ
で、彼女達の金髪化、ミニスカート化
4月になり、前のクラスをそのまま
然な赤色になってしまったのを 、今回、
ので染めた色がだんだん落ちて 、不自
たのです 。 これが 、かなり前のことな
彼女は、本当に地毛を黒くしてしまっ
その時は正直な申告だと信じているの
私に、脱色したと 言 いました 。私も、
っています 。私も﹁指導に苦慮してい
不自然な赤色で指導され、不満に感じ
﹃それいけ1 2 A﹂
る﹂ ことになっているのですが、クラ
で、染めてくるように指導しました。
スはとてもいい雰囲気なので、本当は、
た親の電話でこの件がようやくわかっ
頭髪指導はまいりました。何よりシ
たのです 。
あり 、より徹底した頭髪の指導をして
ョックだったのは、 M子がすぐに私に
います 。多数の生徒が染め直し、
影当日さらに、もう 一度染めるように
とやや髪の赤い子です 。自己申告を私
頭髪で時々問題になるのが、もとも
しまうことも、 M子の大きな課題とし
﹁
N O﹂と 言えないで泣き寝入りして
また、自分が不当な扱いをされた時に、
本当のことを言えなかったことです。
一時
新年度には、生徒の個人写真撮影が
たいして気にしていません。
日
地毛を他県めたM子
M名も指導されました。かなり不満を
では、
は信じているのですが 、子ども遠の中
期よりかなり黒髪に戻りましたが、撮
こぼしていましたが、それでも、翌日、
素直さにびっくりしてしまいます 。金
うのです 。 こう いう陰口を恐れて 、あ
とい う見方を 、どうしてもされてしま
(
紋別南高校凡太郎)
力﹂が乏 しいのではないかと感じます 。
る彼女達は、見方をかえると ﹁
生きる
て見えてきました。全体的に素直すぎ
さらに黒く染めてきました。あまりの
髭に見慣れていて、久々に黒髪にもど
る検査で M子は、地毛にも関わらず、
S
7
﹁
なんで 、あの子だけ いい の !﹂
った姿に妙な違和感を感じました 。
江
口
ヌマゅ4〆
居 場 所 考②
男の居場所
:
:
:
水 田宗子
家は男にとっても重要な居場所である。しかし、その重要性は女の場合より、以上に象徴的で
あり、暗喰的である。女にと って家は現実生活を営む場としての文字通りの居場所、まずなに
よりも身体的な居場所であるのに比べて、男にと っては家は社会的地位や成功の象徴であり、
アイデンティティの象徴であることが先に立つ 。 男の甲斐性とは一家を構えることであり、男
にと って家族を持つことと家を持つことは同義語でもある。
家父長的家族制度は、 男 の居場所としての家の制度化である 。貧族社会から封建社会へ移行
する時期に書かれた﹃源氏物語﹄では、光源氏が生まれ育 った二条院から出て、自分の屋敷六
条院を建て、そこに自分の女たちを住まわせるのだが、それを源氏の成長と社会的地位の確保
と安定を表す事業として描いている。もっとも、源氏の社会的成功と反比例するように、彼の
個人的な生活、中でも愛情生活の破綻がこの時から始まるという物語の進展とな っているのは、
皮肉というよりは、作者の女性としての鋭い視点の反映と見るべきなのだろう 。
一国一城の主になることは封建社会に住む男の夢であ った。マイホ ームを持つこと、そして
5
:
8
〆?7.t-劣匁4〆
そこに自分の世界を構築することは、封建時代から近代へと時代が変わ っても受け継がれた男
の夢に違いないようだ 。 しかし、一国一城の主は、自分の城の中に家族ばかりでなく、一族郎
党を抱え養い、そこに政治の場を設けた 。 つまり、城は職場でもあったのである。近代社会は、
この男の城である家を職場から切り離して、純粋に個人の場、私生活の場としていった 。職場
という公の場と、家という個人の場の距離は、近代になるにつれてますます広がってい ったの
である。 近代の男たちは、仕事に関わること、公共に関わることを家から排除してい って、し
家の中のスペースも狭くなった 。 職 場 へ の 距 離 も 遠 く な り 、 し だ い に 外 に 出 て い る 時 聞 が 長
だいに家には家族、それも妻と子だけが残るようにな った。
くな って、男が家の中で占める時間も場所も、そして権威も縮小していく。養 っているはずの
女は、家計を取りしきり、育児を取りしきり、やがて定年にな って、や っと家に住もうとして
帰 ってくると、女が主にな っていて、男の住む場所は片隅に追いやられている 。 ひとい場合に
は、なくな っている 。台所はもちろん、食堂も居間も寝室も、すべて女の居場所と化している
のである。帰ってきた男のいる家は、男にとってばかりではなく、女にとっても居心地が悪い。
近代社会は女の居場所を家の中にあらためて限定しようとしたが、男にと っては心の居場所
と身体の居場所を希引離したものにしてい った。近代文学の大きなテ l マのひとつとな った旅は、
男たちの心の居場所の探究である 。 田舎から都会への身体的移動が、人間的成長と社会的成功
への道として定着していく近代の教養小説は、同時に、心のふるさとの喪失と探究をその中核
に据えている。故郷を出てしま った男には、帰るところがない 。故郷と働く場の黍離は、近代
社会の中で生きる誰もが経験してきたことだが、故郷喪失による心の居場所の消失にともな っ
て、放浪とともに、探究としての旅が主要なテーマとな っていく 。
5
9
,77.併4〆
近代文学を寅く旅のテーマは、その裏テーマとして、地下室への沈潜という内面への旅を併
せ持 っていることに注目すべきだろう。ポオやドストエフスキーやカフカやベケ ットなと、こ
れら地下室の住人たちは現代のオタク族の先達だが、彼らは外(公)に出て行くことを拒否し
こでの密かな楽しみゃ覗き見・:。
たために家 H家族をも失 った者たちである。 他者を逃避しての自分だけの隠れ家への沈浴、そ
ポオやアッシヤ│は館の崩壊と共に死ぬが、家屋の破壊はアッシャ 1家という家系の滅亡で
あり、アッシヤ│個人の内面の崩壊でもある。それは文字通り中世的世界の終駕を意味してい
﹁群衆の人 ﹂は、 定着どころか休息する場も失 った、名もなく顔
る。 ポ オ は ま た 一 方 で 、 心 と 身 体 の 居 場 所 を 失 って都会の雑踏の中を街復する、都市遊民を
群衆の人﹄で描いている。
﹃
もない近代人である。
仁 -ji--i
引年3月に城西大学国際文化教育センターが主催した﹁第二回環太
平洋女性学会議﹂における発表の一部とシンポジウムの記録を水田さんが責
任編集された﹃女性の自己表現と文化﹄(田畑書庖一六O O円)は、ポスト・
モダンのフェミニズムや女性の表現の方向性を探る刺激的な本です。米国、
フィリピン、オーストラリアなとで活慮中の先鋭な女性映像作家、フェミ-一
ズム文芸・映画批評家を招いて、水田宗子、藤本由香里、三枝和子、高良留
美子、荻野アンナなどの鋒々たる顔ぶれが論陣を張 っています。 (編集部﹀
6
0
3月初日、赴任先が決まった。大阪
府立少路高校、全日制普通科の男女共
学校だ。パンザlイ !
﹁どの高校に決まっても自分なりにが
﹁
教室の中で女と男が、ああでもない、
して当の共修学年を担当することにな
い。男女共修元年に男性家庭科教員と
の選択食物を担当することになるらし
こうでもないと議論し合う声が聞きた
るなんて、ちょっと出来すぎ!と言
も、心の中では、
くて家庭科の教員をめざしてきたのだ。
われそうなことになってしまった。
んばるだけです。人は必要とされる場
でごめんなさいを言って、今回ばかり
授業をする者には荷が重い。小さな声
理解できる。でも、はじめて家庭科の
存在がどれほど貴重なものであるかは
り、その現場で奮闘しておられる人の
い学校での取り組みが大切なものであ
ったことは本当に嬉しい。共学ではな
と思っていたのだ。男女共学校に決ま
ないぞ﹂
育委員会が言つできたらただじやおか
にピッタリじゃない﹄なんてことを教
の家庭科教員だったら工業高校なんか
のだが、僕は家庭科教員としては全く
切さをアピールする絶好のチャンスな
考えると、夜も眠れない。家庭科の大
の申し込みをどう迎え掌ったものかと
ので、 NHKテレビの早速の授業取材
る。とは言っても、内心はドキドキも
授業の中身が決まるのだ、と思ってい
本当の意味では、彼らに出会ってから
ことを話し合うために行くのだから、
行くのではなく、生徒たちといろんな
それに、僕は立派な講義をするために
分と忙しく、何の準備も出来ていない。
とはよく聞かれるけれど、年度末は随
﹁
もう大分準備は出来てるの﹂
ぜひ、普通科に行きたい。女だけ、男
所に自然に行くようになっているもの
は心から喜ばせてもらうととにしよう。
だけの教室なんて見たくもない。﹃男
なんですよ。ハハハハハ:::﹂
の初心者、-年生坊主の 4月なのだ。
《男性編》
僕はどうやら 1年生の授業と 3年生
家庭科転職情報
なんて悟ったようなことを言っていて
6
1
M EN 'S G U I0 E
す屋
村
AMP
Rh戸
言 わ せ て も ら うwe の こ と f
4月 号 ア ン ケ ー ト 回 答 の 続 き だ よ
(﹁シルバ ーからゴールドへ﹂もよか
山家族を疑ってた特集。家族を疑っている
から。
ったなと思ってたら幻年度だった) 。2、3
月号は気のせいかいつもより誤植が多いよう
﹁家族のユリ
に思いました。聞はじめのうちは﹁かりん区
便り﹂が好みだったが最近は、
イカ﹂あるいは﹁気のカレンダー﹂が好み 。
間﹁老い ﹂について 。それと関連して、人間
観みたいなこと 。老いる、機能が失われてい
く、という捉え方は、つまりは人聞をどう見
ているんだろうと恩う。 ﹁看護﹂ について の
凶今回一 緒に入 っていたチラシを見て、
we
の方々からゴスイセンを: にならんでいる
﹂
・
人々と、
の会の人々というのは重なって
いないのかなと思った 。自薦もありではない
かしらと思ったりもしました 。私は自分のか
we﹂の宣
かわっているミニコミで勝手に﹁
伝したんですけど、こういうの勝手にや って
よ い で す か ? 私は時々﹁W E﹂を読んでる
人ってどんな人なのかなと思います。たとえ
ばそんなに家庭科のセンセイが多いのかな、
とか 。 (私の よ う な の は 異 端 な の か な
とか)男女比はどれくらいとか、どういう年
代の人が読んでいるのか。図書館などで入れ
てるところは全国でどこがあるか:。そうい
うのが私は知りたいです。 で、私は再スター
ト時から読んでるけど﹁読者参加型の雑誌﹂
だというのが掲げられているとは知らずにい
た奴です。
(L・大阪府・女・却代・非教員
次
山6月号﹁家族を疑う﹂ 。中学校の家庭科
で家庭生活をやるんだ けど、ま ったく教科書
をムシして﹁家族って何ワ﹂からスタートす
か﹁い っし ょに住んでいる ﹂とかい ろいろ言
る。子ども逮は﹁血がつながっている 。﹂と
うけど、だんだんそのどれもあてはまらない
ことに気付いてくる 。その過程が面白い 。結
論は出ないけど、家族そのものが?な存在だ
ということは中学生でもわかるみたい 。そう
いうまっただ中にいたので、この特集はタイ
ムリーだった 。山 ﹁
子育てから見える風景﹂
自分も子育て中だし、男子 と保育をや ったり
するので、共感できる部分が多かった。間何
がテl マでも面白いと思う。だけど、意識と
実態のギャップを知りたい 。凶今、身近な出
来事、話題をテl マに﹁書く﹂という作業に
取り組んでいます。 これが恩ヲていたよりず
ーっと難しい 。やってみてはじめて、毎月こ
れだけの内容のものを出しつづけることの大
変さがわかったというところです。
6
2
今、巷でいろいろ言わ れ ているこ と は十年
we﹂ を読むと書いてあるんです。今
W E﹂に書いであることは、十年後巷の話
﹁
前の ﹁
題になりそうなことだ ともき一守えます。 この十
年のギャップを趨められる手だてが欲しい 。
we﹂ でいろいろな
つまり仲間 が 欲し い。 ﹁
講座を企画してください 。広 島 で や っ て く だ
さい 。 そ し て い ろ ん な 人 に 知 っ て も ら う。私
﹁e﹂ で と り
w
が本を持って歩いたところでしれている 。講
師の方にはボランティアで
あ げ た テ l マ で 、 講 座 を 開 い て ほ し い で す。
準 備 そ の 他 も ろ も ろ 、 私 、 引 き 受 け ま iす。
考えてください 。
(
香 川 恭 子 ・広島県・女・ 初 代 ・家庭 科教 員 )
山6月 号 ﹁ 家 族 を 疑 う ﹂ の 中 の ﹁ 税 金 ・年
てしかるべきだと思います。扱 い が 小 さ い た
め、読者がその重要性を掴み切れないのでは
(男女の役割分担を否
という危倶も抱きました 。 現に、現状の年金
(社会)にあっても、
定 す る ) 改 革 が あ っ て も し か る べ き で す。今
非教員
、ぇ宇品十フ。
続きは今号にはさみこんでる号外を見てね
(この
藤 原 美 和 子 ・兵 庫 県 ・女 ・
ω代
に税金計算をしていたことに恥ずかしさを覚
いる私が、その意味を理解せず、ただ機械的
、 税金 の 算出 を 仕 事 にし て
特別控除によ って
ある、まして、年末調整にて、社員の配偶者
経理の資格を持ち、経理、総務実務経験の
いうことの意味に思いが至りませんでした 。
妻の所得金額により夫の控除額が変わる﹂と
働く妻の控除ではなく、夫の控除であること
すら、遠藤 み ち 氏 指 摘 の ﹁ 配 偶 者 特 別 控 除 は
制度は女に不利という認識を持っていた私で
ゃ 、 少 し ず つ 家 庭 内 の 改 革 は 広 が って
妻は家事をする﹂という図式
おり、特に若い世代においては
は稼ぎ
は 崩 れ て き て い ま す。 しかる に家 庭 外 ( 社
会 ) は 相 も 変 わ ら ぬ 世 帯主(夫) 優遇制度が
残 ってい ま す。 これか ら はこち ら の 方 面 の 改
革も、国民の中か ら 声 を 挙 げ て い か な け れば
な ら な い と 思 い ま す。税 金 、 年金の不平等、
一般 に そ の 認 識 が 根
夫優遇は専門家の聞では以前から指摘されて
いたようですが、広く、
we﹂誌は、
付いているとは 言え ま せ ん 。 ﹁
家庭内の男女の平等と共に、家庭外の 平等に
we﹂誌の読者だけで
E空干;│
( 目へ
1
E
l
の
い O のお
よ七 4 便
う八
吉は
も眼を向け、せめて﹁
も、当面は啓発していくべきではないでしょ
な
金 は 家 族 単 位 で は な く 個 人 単 位 で ﹂ を挙げま
weの理念が男女の役割分担を否定する
します。
うか 。 このような記事は遅きに失した感すら
また、こういう非常に重大な提言は、わず
か2 ページではなく、大々的に取り上げられ
五 W
一
e
) 関
す。
も の な ら 、 ま ず 、 共 に 働き 、 共 に 家 事 を す る
一方 の 家 庭 外
﹂とは当然の生活様式といえます。 そ れ が 家
庭内の改革であるなら、
6
3
八
彦
回
青 〒
O i
- t
f6
5
7
o
│
の
こ
野
上
通
よ
だ 西
編
夫
白星編集後記
.ラッシュの電車で通学し始めた息子は、
鞄を少しでも軽くするために、お弁当を
学食で買うと言い出す。内心アホかいな
と思いつつ、布、も朝、少し楽ができるの
もいいなと、お弁当代を渡すことにした。
そして一 日目、 「すっごくう まい弁当だ
よ」、週半ば「まあまあ……」、週末「来
週から母さんのでも、いいかナ…… J。
生意気なこの言い方に、ムムッとしなが
ら、シャイな彼なりの“お弁当コール"と
考え直し、思いつ切り手抜きをしながら
“母さん弁当"を作る・…・ つもり。(有坂)
大
・『ぼくはジョナサン…エイズなの J(
月書応)を読んで、自分たちにできること
をと集まった子と‘
もたちが、 A
I
D
Sについ
て学び、考え、行動している会があります。
小学生から大学生までの百人ものメンバ
ーが、それぞれ部会を作って、活動中。
ジョナサン君を招いたり、子どもの感染
者と交流したり、いろんな出会いで得る
ものは大きいだろうなあ……。「ジョナサ
ン君の会ーエイズを学ぶ子ども実行委員
会」の連絡先は、大月書庖の首藤(しゅ
とう)さんまで o 2
1
0
33
8
1
42
9
3
1 (中村)
・先日、外出の途中で寝てしま った娘を
抱いて混んだ電車に乗り込むと、 50代
後半の女性が「重いでしょ」と 言 って席
を譲ってくれた。 r
子供がこの位の頃は、
私にも夢や希望があったのよ。子供はす
ぐに大き〈なって離れていくから、今が
一番幸せな時ね」と 言葉を続けた。 r
今
が一番幸せ」 と言われでも、反抗期突入
でほとほと手をやいている今の私にとっ
てはピンとこないが、それでも何か救わ
れる思いがして、娘の寝顔をしみじみと
眺めていた。 (野瀬)
+家庭訪問があるから掃除 L
なくちゃと
書いたのは確か 2年前でしたね。またそ
の時期が巡ってきて、子供達に手伝わせ
たら「大掃除だね、これは」と娘。とい
うことは、わが家は 2年聞大掃除らしき
ものをしてないということか。当の 5年
生の息子は、朝になって宿題をや ってい
たけど、やり切れなくて、 「ゅうべ、掃
除をしたからやれなかった」と正直に言
いましたと、家庭訪問にいらした先生は
部屋を見回しながらおっし ゃった。お陰
でしばらくは気持ちがいいよ ~ o
河村)
*昨年の 4月号、 1
2月号に寄稿して下さ
った吉田敦彦さんが翻訳された本が出ま
した。ジ ョン・ p. ミラー 「ホリスティ
ック 教育J (
春秋社 2987円)。
「近代文明」の行きづまりからうまれた
様々な分野の多様な代案をリンクさせ、
心と身体、知性と直観、社会的変革と個
人の内面の変革なとの統合の行方を示唆
した魅力的な本。東洋医学やシュタイナ
一教育なと‘に惹かれつつも、これ っきゃ
ないという蛸壷的世界にははまりたくな
いという方にぜひお薦めです。 (稲邑)
しi
購読華来未納の印のついた封筒が送られ
てきて、ギョ ッとなさった方や不愉快に
恩われた方がいらしたのではと申し訳な
く思いつつ、もう 一度だけ送らせていた
だきます。お気持ちがあっても、忘れて
いらしたりお忙しかったりの方と、購読
中止のおつもりの方と、こちらではどち
らなのか測りかねますので、ごめんなさ
い。恐縮ですが、購読中止の場合は、ご
一報下さいますようお願い致します。
尚、請求が行き違いになりました折り
はお許し下さい。 (
編集室
〉
lく ら し と 教 育 を つ な ぐ -We
干2'
25 神奈 川県横浜市緑区市か尾町 1161-8
VoL3 No.2 HI!
l4年 5月 15日発行
共学 舎内 宮 ・ FAX 045くf
l
7
4)3101
│ 定価 600円 ( 本 体583阿)
郵 便 娠 替 東 京 3-754314 W E編集主
l 年間嶋読料/定価6HOO円(送料共 〉
三 菱 銀 行 大 久 保 責 庖 普 0264724
い 発行 /W eの 会 編集/楢邑恭子 河村 ふ み 中 村 泰子 印刷 /C
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記 5 2
6
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家族は変わたか
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とその変容
主 六 、 ﹁ 家 族 の 戦 後体制﹂
ヒ引世紀への
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内ノトず
qノ 嗣 相 ﹂ ノ バ ν J t J占I 1 パラダイム
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説刊豆FiτHFH起請、足寸﹀吋消費者は:.
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