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ホセ・アスンシオン・シルバと 20世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) 真 下 祐 一 はじめに コロンビアの国民詩人ホセ・アスンシオン・シルバ(José Asunción Silva 18651896)の作品は、詩人の死後、国内外の文学者や研究者などコロンビア文学史の形 成に大きな影響力を持つ読者たちによって評価されてきたが、こうした読解は、詩 人を創作に向かわせた動機を再生しつつ、その伝搬の過程でコロンビア抒情詩の伝 統とでもいうべきものの重要な部分となってきた。 本稿およびこれに続く論考では、 様々な関心が合流するため、多様な視点から考察されるべき文化的伝統の形成過程 において、人間存在についての省察に基礎的地平を切り開くものとしての文学的営 為の内部で、詩的創作意欲がいかに保たれてきたかに着目する。 今回は、 「沈黙」 や「幼 年期」といった、詩人の作品の読解にしばしば用いられるキー・ワードを解釈しつ つ、詩的創造の文化的伝統との関わりといった次元を主題化するため、長編詩「解 放者像の足下で(原題:Al pie de la estatua) 」における、断片化される語りの時間の 諸部分の連関と各部の呼応についての分析を行う。この、これまであまり顧みられ ることのなかった詩テクストでは、一見空虚なものと映る詩的現在時が実に多様な 含意を生み出しうることがわかるだろう。1 かなり長いものだが、まずは全文を訳出する。 解放者像の足下で カラカスへ 荒々しい戦いに 疲れた半神の偉容を備え - 383 - 真 下 祐 一 死の憂愁を湛え 無言の銅像は聳える。 時の襲来に挑みながら 自由となった国々の楯となる 大理石の礎石の上 壮大な戦歴を物語る。 昇る栄光の陽を浴びる 厳格な横顔は その高みから歴史の 広大な地平を支配するかのようだ。 勝利の鋼が大地に向け 気高く憂いに沈む姿とともに傾ける 高貴な世界が 銅像の重々しい様子のうちに垣間見える。 われわれ人間の鑑として聳える この至高の記念碑は湛えている、 群衆の叫びの届かない 墳墓の悲しみと 寺院の荘厳たる偉容を。 花咲く、広やかな庭園が像を取り囲み その足下に広がっている。微風が 瑞々しい花冠の匂いをまといつつ 花々の間を駆け抜ける。 朝の光は輝き、明るい噴水の 水泡の中へ七色の光彩を放ち、 密に生い茂った 緑の下、 黒い大地の芝生の上、 はしゃぐ子供たちの群れが見え隠れし、 - 384 - ホセ・アスンシオン・シルバと 20 世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) 揺れる輪の中で弾み、 ふくよかで湿った口から洩れる 笑いと叫び声で、 金色の巻き毛の頭と 仄かに上気した初々しい頬で、 儚い喜びと ほほ笑む生の牧歌を作り上げ、 英雄像の銅の叙事詩が 透明な空に向かって重々しく聳える その礎石の下、 ひっそりとしたこの場所を活気づける。 その光景は、無関心に 通り過ぎようとする者の内奥で 祖国への愛を詩的に鼓舞せずには 何も語らない。 視線を 詩人はそこへと注ぐ。 彼と、なのだ、魅惑の調べの内に 事物の魂がその言葉を交わすのは。 彼に向けられたものなのだ、 澄んだ像の表面に生える 幾世紀もの口づけの印である 緑がかる灰色の微かな苔の秘められた声は。 そして、古の聖堂の影は彼に語りかける 神秘的な伝説を。 大いなる戦いの無敗の英雄を想起させる 高い礎石の上の 質朴な銅像が詩人の目に止まるやいなや、 存在の内奥から彼に伝わる - 385 - 真 下 祐 一 正体不明の声が聞こえてきて、 彼は広やかな庭園でその歩みを止める。 どこから訪れるのか知れないその声は 魂の底から彼にそっと話しかける。 「この銅像を見よ、さあ、見上げよ、 なんと高らかに聳えていることか、無力な物質の 内なる憩いのうちに。 なんという厳かな威容を 時と死に打ち勝った この巨人の像は誇ることか。 竪琴を奏でよ、 王座を、帝国を、群衆そして都市を、 いくつもの時代を吹き抜けるたびに 粉々にしてきた 長い歳月の烈風も 像の思いに沈む額に触れるやいなや おとなしい微風に変わる様を語るため。 「豊かな平原で先住民は 幸福に暮らしていた。親しき者の手で 埋葬されたその乾いたミイラは もう何世紀も前から忘れ去られた 虚ろな地下堂の底に眠る。 湖のほとり 陽の光が隠れると、水が 暗く翳り茫漠とした光景を織り成す場所へ 数世紀も前に、冒険を追い求めるスペイン人が 密林を貫き、 軽やかな駿馬に水をやるため、 - 386 - ホセ・アスンシオン・シルバと 20 世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) 辛い旅に疲れ到達した。 その荒く重い足音が 叢の中の眠れるつぶやきを目覚めさせた。 「影のように過ぎ去っていったのだ! 誰が彼らの名前を記憶にとどめようか? 忘却の深い闇をさ迷える民よ、 いかにして、おまえたちは、 歴史の判決を逃れてしまうのか! どれほど多くの世代が忘れ去られ 今日、知られざるものの陰に眠るのか、 肥えた大地に溶け込み、 そこでは堆肥から芽が伸び始めているが、 彼らがその繁栄と闘争と悲嘆の 痕跡として残したものは、 一羽の鳥が空の透明な青さを 横切り後にするときのものとたいした違いがないのだ! 「幾世代が失われたことか!だが、よく聞くがいい、 唯一度、唯一の世代が スペイン領アメリカを贖う戦において 他に抜きんでる偉大さを示したのだ。 未来の詩人たちが讃えるべき あまりに多くの名前を、やがて来る人々が 語るべきあまりにも多くの武勇伝を残し、 その数は宇宙がその深淵に隠し持つ星の数より 世界中の浜辺に転がる貝殻の数よりも多いのだ! - 387 - 真 下 祐 一 「大いなる偉業を語れ あの若き世代の、敢然と 母なるスペインに正面から挑んだ戦いへ その血を、財を、命を捧げた者たちの勲を。 闘争に明け暮れた荒々しく勇ましい時代を、 逞しい肉体と完全な魂を持った 屈強な戦士たちを讃えよ、 彼らは鎖に繋がれた南アメリカ全土を その旗を高々と翻し、 騎兵たちの力強い疾駆に導かれ 駈け廻った、若い国々を その喇叭の響きで鼓舞しながら。 まるまるひとつの大陸に自由を与え、 スペインの支配を埋葬した 不屈の努力と激甚な戦闘が語られる 高鳴る詩連に脈打つ うねりの内に 祖国の父の姿を 浮かび上がらせよ、その足跡は 過去の 暗い底部から輝きを放つ、 あたかも静かな美しい夜に 光輪を冠したジュピターが 虚空にあまたの星辰が放つ明りを 青ざめさせるがごとく。 「おまえの詩の高鳴りが喚起するのは 抑圧されたアメリカを救済するという 至高の決意を胸に、孤独にも、 - 388 - ホセ・アスンシオン・シルバと 20 世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) 夜まったく人気のなくなった 帝国の記憶を留めるローマで この英雄がかの重大な宣誓を行った 静まり返った妙なる時刻の余韻ではない。 それはまた、散弾が、 砲撃の粗く鈍い反響が、 南アメリカの兵団の 雷光のごとき気勢が シッドやペラーヨの子孫からなる 壊滅した軍隊に慄きと 極度の不安を植え付ける一方、 戦場の鳴り響く轟音に包まれた 彼の瞳の中に理念が 電光とともにまたたく瞬間でもない。 またそれは、勝利の女神が恋する女のごとく リマック川の激流に喉の渇きを癒す 彼の精力漲る駿馬の後を追い、 狂ったようにその身を委ねつつ 彼を執拗に追い続けたときのことでもない。 至高の悦びの 豊かな実りを、彼の五感に 肥沃なリマが手向けたときのことでもない。 また大陸全体が一致団結し 彼をその父と呼び 「戦時と平時の審判」と称え、 その名が地上の隅々まで その誉れを告げ知らせたときのことでもない。 そうではない、勝利の叫びとともに 彼の耳に、植民地期の - 389 - 真 下 祐 一 鎖の千切られる音が響く 歓喜の時の記憶ではない。 その敗北において語れ、 深い落胆の場面を、 スペインの刃に その槍は折れたかに見え、 神聖なる大義は失われ、 一滴の涙が瞳からこぼれ、 声は喉に詰まり、 それでも志気と力を取り戻さんがため、 熱の寒気に 震える体に鞭打って 「勝利するのだ」と叫ぶ様を。 9 月の暗い夜の 悲しみを讃えよ、 その黒い記憶が今もわたしたちにのしかかるあの日を。 ひとりの女性の愛が語るに忌まわしき犯罪を未然に防いだ、 謀叛者たちが彼の寝室を 襲ったあの晩を。そして語るのだ、 彼の全存在を打ちひしぐかのような あまりにも深い絶望を。さもしい野心が、 たわわに実る穂の豊かな収穫を 彼が夢見たその沃野に 貧しい根を張り巡らせ、 あたかも雑草が 若い芽の活力を絡み取り 奪い去ってしまうがごとき様を。 微塵となった大いなる夢を語れ! 最初の兄弟殺しの諍いの - 390 - ホセ・アスンシオン・シルバと 20 世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) 同胞同士が殺し合うことのおぞましさを、 高邁な計画を描く 大いなる夢想は失われ、 アンデスのあまりにも広い谷間が 殺し合う兄弟たちの血で染まる様を! おお、語るのだ、 暗い神秘のパノラマに光がさし、 彼のまなざしには未来が開陳され、 その深く抉る鷲の目で すべての時の終焉を見わたし、 ラテンアメリカを待ちかまえている 闘争と恐怖の将来を予見したときのことを。 彼の最後の日々の 憂愁を語れ。 岸辺に立ちすくみ、ただ 深い悲しみだけが 緑色の波が寄せるのを見つめている様を。 彼の最後の苦しみを語るのだ! 他の者たちは彼の口に注がれた 不死の甘い汁を語ろう。おまえは苦汁を語るのだ。 廃墟の至高の 魔術を知るおまえは、 悦びの虚しき泡沫を逃れるおまえは、 悲しみのうちに慰めを見出すことに慣れたおまえは、 異彩を放つその詩行の中で、 彼の栄光に包まれた額の上に、 人間の忘恩が被せた 茨の冠のことを語るのだ。 その詩篇を英知であふれさせよ。 - 391 - 真 下 祐 一 神秘的な調和を湛え、 語ればその口が浄化されるような、 イザヤの燃えさかる炭のごとき詩篇を。 それを焼ける香の一粒に変えよ。 その偉大さに見合った雪辱を果たせ。その燃焼は 大地を揺るがし、濃い煙の柱が立ち昇れば、 その畏敬すべき影の重々しい表情は 柔らかなほほ笑みに変わるだろう。 「回想される栄光とともに おまえの存在の繊維一本一本が震えるとき、 そこを伝わる詩が鳴り響くにまかせよ、 弾む鍵盤から伸びる弦の上 旋律へ音色が響き伝わるように。 その声はか細くとも 無数の人々の合唱が応えよう。 太陽の光にたゆたえ、聖なる詩行よ! 精神の高鳴る琴よ、鳴り響け! 昇り来たれ霊感よ、詩人よ、詠え! そんなことができようか! (内部での対話中、詩人は 答える)威厳ある銅像が 重く誠実な感情に訴えつつ暗示するすべては もう、古典的な言辞に範を求めた 形式の内に描き出されている。 それはラテン文学の重厚な命脈を 汲む者によって手掛けられ、 混ざりものを篩い落とし、 - 392 - ホセ・アスンシオン・シルバと 20 世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) 鉱脈中最も澄んだ黄金を採り出し、 丹念に鋳造されたものなのだ。 名高き戦士の横顔が彫り込まれた金貨のように 磨きあげられた詩連は輝く。 おお、悲劇的な戦の記憶よ! おお、闘争と勝利の記憶よ! わたしたちの脆弱な 矮小なる世代には、 叙事詩の舞台に無謀にも飛び込み、 われらが国々の栄光を讃えることなどできはしない! おお、終わりゆく世紀よ、 おまえには大いなるものの感情が欠けているのだ! 寡黙な詩作者がどんなに多くの部分を寄せ集めても、 広大な壮麗さは失われ、 マンドリンの弱い音色は与えられようが、 戦場の喇叭の猛々しい音は鳴り響かないのだ。 おお精霊たちよ、 「祖国と自由」を声高に求め、 悲劇の戦場に命を落とした者たちよ、 わたしたちが感じるのは誇りというよりも、屈辱だ、 もしわたしたちがこの取るに足らぬ生を あなたがたのそれと比べたならば! わたしたちはかつて屈強であった種族の 病弱な末裔のようなものだ。 わたしたちは歴史の陳列棚の上に パレスティナの遠方、 十字軍の遠征において 先祖が身に纏った - 393 - 真 下 祐 一 楯や兜や剣や 鋼鉄の鎧を眺めているにすぎない。 こうした想念とともに、わたしたちの世代は地面を見つめる、 翳る恥辱を噛みしめながら。 もし過酷な戦場で その勇敢さと牢固さで敵を後退させたかの戦士の 重い武具を、わたしたちが身につけようものなら、 ろくな抵抗力もない両肩は その重みに耐えかねるだろう… ああ、祖国の父よ! わたしたちの頌歌などあなたには余計なものだ。 あなたの記憶は力強い船のように 暗い大洋を進んで行く。 その硬い竜骨の前に歴史は開き、 船はやがて未来の岸に辿り着こう。 あなたの栄光の持続を前に あなたを詠おうとするわたしたちの 軽佻な言葉は 記念碑を取り囲み輪舞する この子供たちが立てる か細いはしゃぎ声のようなものだ。 そう遠くない日、波乱の生に別れを告げ 彼らは灰となり墓中に眠ろう。 その日もあなたの不滅の栄光を称える銅像は 空にくっきりと浮かび上がっていることだろう。 そう告げると詩人は、広やかな庭園に まなざしを向ける、そこでは、微風が - 394 - ホセ・アスンシオン・シルバと 20 世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) 瑞々しい花冠の匂いをまといつつ 花々の間を駆け抜ける。 朝の光は輝き、明るい噴水の 水泡の中へ七色の光彩を放ち、 密に生い茂った 緑の下、 黒い大地の芝生の上、 はしゃぐ子供たちの群れが見え隠れし、 揺れる輪の中で弾み、 ふくよかで湿った口から洩れる 笑いと叫び声で、 金色の巻き毛の頭と 仄かに上気した瑞々しい頬で、 儚い喜びと ほほ笑む生の牧歌を作り上げ、 ひっそりとしたこの場所を活気づける、 解放者像の銅の叙事詩が 透明な空に向かって重々しく聳える その礎石の下で。 (1895 年 10 月 28 日) 1.作品の評価について ホセ・アスンシオン・シルバの詩作にはふたつの傾向があることがよく知られて いる。ひとつは、そこで未知なるものへの問いかけが、詩における神秘的なものの 推し量りがたい深みとへ迫るような、シルバの詩の超越的な側面を形成する。もう ひとつは、「苦い滴(Gotas amargas) 」と題された一連のアイロニカルな詩作品など に代表される自己批評を含んだ創作において顕著となる。シルバは当時のコロンビ ア屈指の知識人でもあった。 すでに定説となっているこの二面性を確認したうえで、 - 395 - 真 下 祐 一 「解放者像の足下で」を読み直してみたい。この長編詩は、詩人の死後 1898 年に 隣国ベネズエラで発表された。作品制作の動機は、一見、時を超える詩人像の鋳造 とも、時代の先端を行く知識人の横顔の描出とも無関係に思われる。この詩は、南 米解放の英雄シモン・ボリーバル(Simón Bolívar 1783-1830)を讃える目的で、あ る外交式典で朗読されるべく、注文を受けた詩人が手掛けたものである。その背景 には、外交的な理由だけではなく、ベネズエラの首都カラカスで外交官として働い た経験もあった詩人の個人的な事情もあるようだが、評伝的側面にはここでは触れ ない。 この作品のこれまでの一般的な評価を集約するふたつの見解を示しておく。シル バの詩の重要性を純然たる抒情詩的なもののうちに求める批評家たちはこの作品の 価値について否定的である。アンデス大学のエドゥアルド・カマーチョ・ギサード は言う。 「詩人であり、失敗した小説家でもある(シルバは) 、苦痛に満ち、疑いを 投げかけながらも、研ぎ澄まされていくロマン主義的創作の道を捨て、叙事詩制作 を試みるやいなや、 「解放者像の足下で」の 18 世紀的なレトリックの陥穽にはまる」 (Camacho Guizado 1982:671) 。とは言え、同じこの研究者は、この作品の注目に値 する部分を指摘する。それは、詩人による、想像力の黄金時代である幼年期の謳歌 と関わる部分である。だが、「幼年期の価値を称えることは、もちろん、現在や未 来の価値の下落を招く。すなわち人間関係が樹立される時代の価値が認められない のだ」 (Camacho Guizado 1977:XXI) 。人間関係を内実とする歴史が背景となるこの 作品では、幼年期は他の抒情的作品におけるがごとき積極的な意味を失うかに見え る。このような観点から読まれれば、変質した幼年期になぞらえられる詩人が生き る時代についてこの詩篇が伝えているのは「栄光に満ちた過去に対する退廃した現 在時」 (XXIII)とでもいうことになる。コロンビアの抒情詩の伝統がシルバという 出発点から、なぜ、また、いかに形成されていくのかを追及することに関心がある 本稿は、まず、次の問いかけを行う。叙事詩的とされるこの詩作品において、現在 時について別の解釈はできないだろうか。過去への詩人の生来的傾倒、また題材の 社会的、政治的な重さによって見えにくくなっている現在の時間が意味するところ をあえて問うことで、詩人の創作が今日も伝えようとしている何か、伝統の核、少 なくともその一断面に迫ることはできないだろうか。今見たように作品の価値につ - 396 - ホセ・アスンシオン・シルバと 20 世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) いて否定的なカマーチョ・ギサードは後年次のように述べている。 「詩篇ではなく メタ詩的なテクストであろうとする、こう言ってよければ、歴史的また文学的な考 究たらんとする、奇妙で面白い作品」 (1996:537)2。 また、有力な批評家アンドレス・オルギンは、明晰さが詩人にその最悪の作品群 を生み出させるにいたったと言う。そのひとつが「解放者像の足下で」である。理 知が詩人に与えたのは、オルギンによれば、「ホセ・アスンシオンではない全ての もの。彼は偉大な詩人だったが、彼が偉大だったのは、自分自身について、自らの 幼年期、成人期の生の体験について、作品に反映している極めて深い個人的な体験 について語る時だけだ」 (Holguín 1988:364-365) 。シルバの詩作品中最長の「解放 者像の足下で」は、詩人ホセ・アスンシオン・シルバの不在、彼の作品の光り輝く 詩的価値を支える中核たる、いわば充実した幼年期の不在によってひときわ注目を 浴びるということになる。こうした見解を受け、本稿が提示する仮説は次の問いの かたちをとる。批評家たちがそろって指摘する作品の一見空疎な暗さは、コロンビ アの国民詩人シルバの二側面、抒情性と知性、この二つを密かにつなぐのみならず、 この作品を、詩人論、作品論を超えた、より広大で様々な議論を呼ぶような文脈へ、 まさにその語りの形式をして結びつける契機を宿してはいないだろうか。 2.ボリーバル神話と語りの断片化 テクストの分析にあたり、サンタンデール産業大学の研究者アナ・セシリア・ア ベジャネーダ(Ojeda Avellaneda 2002)の著作を参照する。シルバがテクスト作成 にあたり活用したに違いないボリーバル頌歌群の俯瞰的一覧を提供してくれるこの 研究者の関心は、詩に限らず様々な文学作品に見られるボリーバル神話の歴史的 形成過程にあるが、「解放者像の足下で」へのコメントは本稿にとっても有益であ る。アベジャネーダの貢献は次の 6 点に集約される。①シモン・ボリーバルの像は、 詩人が自らの思想、感情を表現するための口実として機能している。②メタ詩的レ ベルでシルバの詩学の表出を看取することができる。③現在時の否定的評価、ノス タルジーと不確かな未来時から来る不安が混然となっている。④英雄ボリーバルの 人間的側面への関心、特にこの南米の解放者の最後の日々への注視が際立っている。 - 397 - 真 下 祐 一 ⑤作品は解放の武勲の直接的な称揚ではなく、ボリーバルの神話化の新たな段階を 告げる想起の試みである。⑥輪郭のぼやけていく過去は、次第に揺るぎないものと なっていく神話と対照的である。 この 300 を超える詩行からなる長大な作品は、各連間のスペースによって 10 の 様々な長さのシークエンスに分割される。さらに、そのうち比較的長いものには下 位の分節がある。各連において支配的な時間に関する表徴に注意を払いつつ、そこ で何が語られているのかを見てみよう。なお、先に示した拙訳は、詩人の死後 100 年を記念して出版された『詩集』 (Silva 1996)に拠るものであり、この先も詩行か らの引用は同書より行うが、文脈に合わせ適宜調整する(多義を生かし解釈する必 要がある場合は可能な訳をカッコに入れて示す) 。 まず第一節、解放者ボリーバルの銅像は「死の憂愁を称え」つつ、そこから「広 大な歴史の地平を支配するか」に見える高みに屹立する。詩の語りの現在時はタイ トルが示すように「解放者像の足下に」見出される。そこでは、像がそこに設置さ れた庭園に収まる程度に縮小された自然の姿態の合間、「ほほ笑みかける生/と儚 い喜びの牧歌」を奏でる「はしゃぐ子供たちの群れ(子供じみた群衆)」の様子が 見てとれるが、それは「黙し」 、 「厳格で」 、 「重々しく」 、 「高貴で」 、「荘厳なる」モ ニュメントの有り様と対照的である。この叙事詩的なものと儚い逸話的なものの間 に、この鮮明な対立に影を落とすべく作中詩人が登場する。詩人の有り様はこのコ ントラストを背景に特有の意味を際立たせるだろう。この詩人は、「幾世紀もの口 づけの印」を滲ませる遠い過去の「神秘的な伝説」を伝える事物の「秘められた声」 を聞き分ける能力を持ち、時間的広がりの深みを仄めかす、漠としてはいるがその ことよっては狭められはしない記憶の持ち主である 。解放者像を目前にしたこの 作中詩人の内部に、すぐに「正体不明の声」という姿なき登場人物が挿入される。 この声は詩人の存在の「最奥部」から「魂の底」から詩人に語りかける。この声が 語るところは引用符にくくられ記されているのだが、詩人に英雄の不死不滅を讃え よと命ずる。英雄の威厳を前にして、猛々しい風に譬えられる破壊的な時は屈服し 微風に変わる。 第二節は 14 行からなる短い連である。 「正体不明の声」 は語り続ける。ここでは、 アメリカ先住民たちの忘れられた歴史とスペイン人たちの到来が告げられる。同様 - 398 - ホセ・アスンシオン・シルバと 20 世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) に短い第三節、声は植民地支配の下「影のように」姿を消し、 「忘却の深い闇」に葬 られた人々の存在を想起する。この二つの短い節は、語られていることに対する描 写のつましさの埋め合わせを求めつつその補完を、物語の最終部で見出すよりない。 第四・五連目で「正体不明の声」は英雄の解放への戦いの偉大さ回想し、詩人に 次のように命ずる。 「出現させよ/祖国の父の姿を。その足跡は/過去から輝いて 湧き出す/その陰る底部において」。最長となる第六節でも声は命じ続ける。ここ で声は詩人の課題を特殊なものにする。頌歌の題材として、英雄の輝かしい勝利の エピソードではなく、その礎となる苦い体験を「その敗北において語れ」と命じる のだ。「微塵となった大いなる野望を/最初の兄弟殺しの諍いの/同胞同士が殺し 合うことのおぞましさを語れ」 。さらに命令は続き、 詩人に、 南アメリカの解放者が、 彼自らの尽力によって独立を達成しようとしている大陸の統合と自由に関し抱き得 たであろう最も問題を孕んだ予見を回想せよと言う。「闘争と恐怖の将来が/ラテ ンアメリカを待ちかまえている」 。 「アンデスのあまりにも広い谷間が/殺し合う兄 弟たちの血で染まる様を!」 。英雄の属する過去とそこから予言された未来の次元、 作者シルバの現在でもある時間との結びつきがここで示される。まさにこの先取り されていた未来に結びつく、解放者のイメージから迸り流入してきた過去の時の再 現において、内なる声は英雄の「最後の日々の/憂愁」という詩作のテーマ、英雄 の主観的現実を不滅なものとして言語化するという詩人の真の課題を告げる 。強 調しておくべきなのは、解放者ボリーバルのイメージはその完成のため、未来の地 平へ向けられた彼のビジョンを想起することを必要とするが、この地平はまた、語 りの現在時を巻き込むものである、ということだ。 短い第七連で最後の命令が告げられる。未知の声が要求する英雄を称える詩=歌 は、作中詩人の内的振動を伝えるものでなければならないが、それは詩人が英雄の 生との接触から受ける感動にほかならず、この詩=歌は「数え切れぬほどの人々」 のコーラスに伴われよう、ということが語られる。 「正体不明の声」はこれをもっ てその役割を終える。先に引いた研究者たちが指摘していた詩の原理とも取れそう な、詩が何を語るべきか、についての表明がそれだ。神秘的な、未知なる声が求め ているのは、特権的な歴史的瞬間を共感によって我がものとする詩的主観の内奥か ら湧出する共同体の賛歌とでも言えようか。しかし、その音はついに聞かれること - 399 - 真 下 祐 一 がないだろう。 第八連、未知の声に応答する詩人の対話=独話がここから始まる。ミゲル・アン トニオ・カロ(Miguel Antonio Caro 1843-1909)のよく知られた作品への言及がある。 コロンビアの大統領(任期:1894-1898)ともなったカロもボリーバルを称える長 編詩を残しているが、作中詩人によれば、この文人は英雄像が霊感を通じ与えうる ような全てをその古典的詩行において語りつくしてしまった。詩人は自らの限界を 次の一般化のうちに認める。 「わたしたちの脆弱で/矮小な世代」 。続く第九連、独 白する詩人はこの劣性化を嘆く。英雄たちが属した世代の偉大さが、共有された現 在時の卑小さと比較される。第十節、詩人が未知の声に応えるようには創出するこ とのできないいわば不在の頌歌が、この作品の冒頭の子供たちが発する小さな叫び 声と比較される。栄光の記憶の永続性を前に、詩人の内から不能感が溢れ出る。こ れとともに作品全体の枠を形成する語りの現在である外的時間が、回想と反省がそ こで展開したすでに多重化していた主観的、内的時間の虚ろな内奥から還帰する。 最終連では第一連の舞台、叫び声を上げる子供たちがいる庭園がふたたび視界に入 ってくる。その光景へと、解放者像の足下に自らを見出す作中詩人は、最後のまな ざしを向けるのだ。 さて、先に見たように影響力ある批評家たちによっては高く評価されていない、 ホセ・アスンシオン・シルバがその自死のほぼ半年前に完成した、こうような内容 の作品から、執筆に至る状況に関わってくる公式なテーマ(英雄礼賛)と、後半の 作中詩人の独白に溢れる挫折感、不能感を差し引いたら、そこには何が残るだろう か。そこには何もない、ということになるかもしれない。というのも、作中詩人は 未知の声の要請に応えるようにしては自らの言葉で何ごとも語り出しはしないのだ から。しかし、作中詩人は、作品冒頭に登場する子供たちの無邪気で理解不能な小 さな叫び声、彼らを待ち受けるのは、すでに英雄によって歴史の偶発性の内に予感 され告げられていた不透明な未来である、この子供たちの言葉をめぐる有り様と比 較されるよりないような失語状態のうちに見出されることを思い出そう。そのとき、 この自らの言葉を欠く存在が英雄のネガティブな分身として浮上してきて、作品の 叙述は実は、ときに重なり合うかのようなこのふたりの登場人物に現像される二極、 歴史と詩の語りをめぐり織り成されていたことを仄めかす。作中詩人が内部の未知 - 400 - ホセ・アスンシオン・シルバと 20 世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) なる声という分身を持つ設定も、この物語のふたつの焦点からの、いわば立体的読 み解きに合図を送るものだ。作中詩人内部の未知の声は、虚しくも両者を仲介しよ うとする。この声が果たしている役割のひとつはというと、英雄の勲を不滅なもの として讃えつつも、未来時への憂慮とも結びついていた英雄の人間的、主観的部分、 その弱さへの言及にあった。この英雄の人間化を促す声の介入にも関わらず、作品 執筆の動機の一部である公式なモチーフ(頌歌の作成)は、同じその声によって絶 えず命令として繰り返され、それに対して作中詩人は沈黙の内「否」の一語を持っ て答えるよりない。この答えをもってしてすでに二重化していた作中詩人は、完全 に引き裂かれるが、この分裂は物語の枠の外部で生じている葛藤に跳ね返ってきて いる。超越的仲介者であろうとする「声」は、実作者シルバの介入の印と見てとれ るメタ詩的意識を導入しつつ、同時代の歴史に対峙することを自らに課した文学の 被る困難が問題化される作品外の地平を露わにするために招き入れられたものでも あったのだ。詩人の「弱さ」はレトリックを操る能力に関するものではない。その 能力についてならば実作者シルバが、偽古典的の誹りを受けながらも形式的制作術 の巧みさを十分に見せつけている。作中詩人が、そして実作者シルバ、さらにはひ ょっとしたら英雄ボリーバルまでが共有する「弱さ」は、作中に対象化された超越 的な詩法の効力を留保してしまう社会的なものまた歴史的なものに対する詩の言葉 の緊要な債務に由来するのだ。 3.現在時が語らないこと 作中詩人の失語と子供たちの声との比較は悪戯なものではない。また子供たちの 姿が見える同一の舞台が作品冒頭と終末に現れることにもしっかりと注意すべき だ。ジョルジョ・アガンベン(Agamben 2003)が幼年期(infancia)という言葉の、 ニヒリズムに帰結する西洋形而上学に基礎を据えるある声の向こうに詩の場所を指 し示す働きについて語源的な解釈を行っていることに着想を得て言うならば、幼年 期の者(infante)とは話さない者(in-fante) 、なのだ。この言葉を未だ持たずにいる という状態についての熟慮は、アメリカ先住民たちや植民地期の被支配者たちにつ いての記憶のあり方と興味深い連結を可能にする。 - 401 - 真 下 祐 一 歴史的素材を扱った長篇詩「解放者像の足下で」における詩の場所の隈取り、す なわちぼかしと際立ちの相関からなる効果を求め、この作品の語りを支える時間的 表徴の関連に再度目を向けよう。作品の語りの展開は始まりと終わりにおける同一 舞台の反復によって循環性を与えられている。その舞台とは、聳え立つ解放者像の 足下で無邪気に戯れる子供たちがいる公園である。この反復は、作品に完結性を与 えるための形式的解決策であるだけではなく、同一場面に異なる内容を吹き込まず には済まない。繰り返される同一の詩行群は冒頭と終末で同一のことがらを告げる のではない。この場面を貫く一見保持され続けてきたかと見える現在時は循環構造 に由来する変質を被ることで内部に深い層を見出しているのだ。 詩中には少なくとも四つの異なる語りの声に対応した四つの時間が流れている。 最初の語り手は冒頭の場面を語る者だ。作品の枠となる現在時を印しつつ、詩篇の 始まりと終わりを告げる役割をこの語り手は担っている。二人目の語り手となるの は、作中詩人が自分の内部に聞く、命令を下す「正体不明の声」である。三つ目の 声の持ち主は、この神秘的な声に応える作中詩人に他ならない。そして四人目の語 り手とは、反復される終末部で再来する最初の語り手である。同一者であるはずの この語り手は時間の屈折と深化が生む差異によってその同一性を侵食されている。 第二、第三の声、内なる声と作中詩人が関わる時間について考えてみよう。すで に見たように、未知なる声は南米の解放者シモン・ボリーバルの歴史を物語る。こ の語りが現在化しようとしているのは、その中でこの英雄の弱さ、脆さ、あるいは 戸惑いが露呈するある過去である。未知の声の回想はある焦点をめぐりなされ、ま さにそのことによって歴史的な時間はある意図を有する記憶の時として活気づけら れる。その意図とは、記念碑的英雄の偉業の回顧というよりも、その人間的深層を 掘り下げることにある。このある過去時の擬似現在化の成功の鍵である回想の深化 に並行して、もうひとりの主人公、作中詩人の人間性に関しても読者によってその 理解が確立されていくだろう。彼は自らに課される崇高な使命を前にためらいを覚 えてしまうのだ。ともあれ、この回想の焦点の内面化によって歴史全体が再文脈化 される。そこでは、公式な勲の語りのうちでは気づかれなかった多くの問題を孕ん だ過去の意味が際立ってくる。この過去の現勢化はひとつの義務を含意している。 それは過去を負債として保ち続けることであり、この負債とは読解が拠り所とする - 402 - ホセ・アスンシオン・シルバと 20 世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) 詩のコミュニケーションの地平で、過去の作り手のひとりとしての読者に移譲され る負債である。この記憶は、解放によって独立を成し遂げた国々の未来についての ボリーバルの不吉な予見から、読者の現在に向けての架橋に他ならない。そこに新 たな生きた文脈が成立する。 作中詩人の無力の独白である三つ目の声は、同様に内的あるいは主観的だが別の 主体に属する、もうひとつの時間があることを告げる。すでに他の詩人たちによっ て回想され讃えられた過去を前に作中詩人の内的葛藤が展開するのを支える時間で ある。作中詩人の独白中に挿入された間テクストの存在は、詩人の葛藤の異なる次 元、詩作、あるいは文学史に関わる別の地層があることを明らかにする。作中詩人 が感じる屈辱感、あるいはその挑戦は二重のものである。まず、それは過去の独立 の偉業に加わった人々に対するものであり、さらに、作中詩人に先立ち詩法を確立 し作品を残してきた詩人たちに対するものである。 このように枝分かれしていく物語の時間のうちで、コミュニケーションの現在と、 公式な歴史とその集合的母体が課す選別的記憶によって支えられる過去は好対照を 成す。この現在が現在である、現在となるのは、まず、過去による否定を被るため なのだ。だからこそ、ある苦難がこの現在にあることのあり方となる。それは、言 うべきであろうことを言うことができないでいる、ということから生じる苦難でも ある。そのとき、話すことができずに、しかしそこにいる者は、どのようにしてそ の現在を積極的に伝達しうるのか。 作品の冒頭と終末で繰り返される舞台に戻ろう。不滅の記念碑となった解放者の 銅像に見守られ、子供たちは冒頭では無責任な無邪気さを振りまいていた。それは 「牧歌」であり、爾後語られようとする重苦しい悲劇的過去とは響き合うことのな い自発的な生のエピソードである。だが、この非協和性は、物語の終部では、同じ 光景の反復のうちで、予知された未来の不安と重なり合う現在時の、祀られた過去 の理想からは分断された、ある非共鳴性に伴いそれを強化するものであることが聞 き取られる。この解放者によって予知されていた未来、詩の語りによって共有され た現在の一部は、負債(歴史的義務を果たすこと)の解消を求め続け、いまや現在 時の心配である。この負債は、ポール・リクールの語る歴史家の負債であるだけは ない。歴史家は「過去に負債を持つ。死者たちを認知しなければならないという債 - 403 - 真 下 祐 一 務。それが歴史家を弁済能力のない負債者にする」 (Ricœur 1996:837-838)。それは、 実は、現在時に参入するすべての者たちの負債なのだ。この様なメッセージの反響 とともに、この詩の物語の極めて悲劇的なビジョンが開示される。二項間の対立は そこで最も激化した形をとる。過去と現在の対立は、主観的なものと集合的なもの のそれと重なり合い増幅される。こうした構成が暗示しているのは、間主観的なコ ミュニケーションであろうとする詩の語りは集合的過去を葬り去ることはできない ということにすぎないのだろうか 。過去は解放者の秘められた主観性の掘り起こ しを介して現在に参入してきている。この現在は、過去から見た未来でもあるとい う定めを、過去の活性化とともに引き受けざるを得なかった。ところが、この主観 が連帯しうる同時代の世代は、子供じみた戯れにうちに自らの言葉を奪われている のだ。その状況を忘却と呼ぶこともできるだろう。すると、密かにその間にはこの 忘却が忍びこんで来ようとする幼年期と予言的なものの関係は、こうした脈絡が明 るみに出ることで忘却に抗し競合的となり、詩の語りの現在はこの脈絡の内に自ら を見出す者、生身の読者の沈黙の苦難として生きられる。彼もまたこの予言に関わ る負債から自らの歴史を、この負の伝統の一部を作り上げていくという課題を担う 者であるのだから。「解放者像の足元で」において、詩の語りは、こうして、それ に固有の伝達を完遂する。 時間の、現在、過去、未来、三相への分節を保持しつつ、そのいずれかに支盤を 持つ構成部分からなるこの詩作品は、語りの展開による分岐と合流(過去の現勢化、 過去と現在の通流、未来であった現在の承認)を経て、読者を語られることと、語 られないことのつながりの理解へと誘導する。分化した語りの声は、ボリーバル神 話を異化するが、これを別の次元に追いやりはしないとすれば、その起源に見出さ れる同胞たちに対しての現勢化される憂慮を際立てずにはおかず、その最も聞き取 りにくい部分、歴史の迷路で迷子になったかのような子供たち=語らない者たち、 言葉以前の存在は、最終部に再登場する解放者像を取り囲む子供たちの、何かを訴 えかけてくるような、今や人を落ち着かなくさせるざわめきのうちに帰還する。 - 404 - ホセ・アスンシオン・シルバと 20 世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) 4.結びにかえて 沈黙と空虚 シルバという突出した詩人の登場から始まるコロンビアの文学的伝統の形成にお いて、現在時の沈黙が意味するところを問題化するため、もう一度ポール・リクー ルが語りの時間について述べている書物からの引用を行う。「バンヴェニストから わたしたちが学んだように、現在を有するためには、誰かが話すということが必要 なのだ。すると現在時はある出来事とそれを告げるディスコースとの一致によって 指し示されることになる」 (Ricœur 1996:790)。本稿がこれを手始めに追跡を試み るコロンビアの文学的伝統において、シルバには極めて意味深長な場所が与えられ ている。その場所は、イスパノアメリカの歴史において、解放者シモン・ボリー バルが占める場所にどこか通じる点がある。この比較対照の可能性は、コロンビア の詩人、批評家フアン・グスターボ・コボ・ボルダがイスパノアメリカの文学的独 立を意味したモデルニスモ(新時代主義)の主唱者ルベン・ダリーオ(Rubén Darío 1867-1916)をボリーバルと比較したことのうちにすでに示唆されていたのだが (Cobo Borda 1985)、さらに拡大していくこのアナロジーとともに、文学の革新と なった出来事の底部に、その時代の文学と社会との関係に含まれていたことすべて に関わるような、まったく異質な何かの始まりを見てとりたくなる。それを捕まえ ようとするとき、本論の考察を続く論考に接続する次の問いが、わたしたちの前に 浮上する。どのようにして沈黙が建立する時間はその現在を生み出し続けるのか、 沈黙がなんらかの集合的時間の尺度を打ち立てうるとして。この問いは、近代世界 の始原をヨーロッパ人によるヨーロッパ人にとっての新大陸の発見に求めたとき、 近代の葛藤とともに生まれることによって混沌とした歴史を母体とするよりない混 血のアメリカという地域への問いかけの中にもその木霊を聞くことができる性質の ものかもしれない。 この沈黙が、世界史の中に挿入される独立後のイスパノアメリカ諸国の周辺性 の印でもある虚ろさの証であるならば、文化的建設の試みは不在の基盤の上に築 かれた虚構的再生産のうちに瓦解するかに見える。この点に関してカマーチョ・ ギサードの言葉を引用する。 「幻想のような独立と虚構の至上権とともに(中略) 新大陸はその自由を想像し、その「魂」あるいは、その支配層がヨーロッパのも - 405 - 真 下 祐 一 のであると信じるものに奇妙にも似た「存在」を作り上げる」 (Camacho Guizado 1977:XVIII)。語らない者の沈黙は歴史的には無効なものでしかない。世界史にお いて、これらの幼い国々は、すでに、あるいはもともと持ってはいないものについ ての微かなつぶやきを発するにすぎないのだから。本稿が研究対象とするような文 化的伝統の意義をすくい上げるためにはこの沈黙を別の仕方で解釈しなければなら ない。そうした試みへ向けて、シルバを、シルバ論を再読していく。例えばリタ・ ゴールドバーグの論文(Goldberg 1986)はそうした関心からを読み直すことができ る。この研究者はシルバの詩における沈黙を対立する様々な現実を分節する地点と してとらえる。存在や無はこの沈黙のうちに合流し、アガンベンが指摘するような 子供=語らぬ者の可能性を回復するだろう。本稿の続編では、特殊な時間性に支え られた、文化の基層の創建である詩的沈黙の特異性を、歴史的虚無への応答として のコロンビアの詩的伝統の内部において了解するための考察をさらに続けていきた い。 註 1 本稿はコロンビア・ディスコース分析学会の 2010 年学会録に掲載された論 文「La reminiscencia inconclusa: José Asunción Silva y la construcción de la tradición lírica colombiana en el siglo XX( I ) 」の日本語版である。引用文の翻訳はすべて 筆者によるものである。スペイン語以外の言語の著作からの引用は文献リスト に挙げたスペイン語版からの重訳となる。 2 この指摘はシルバの作品の受容史についての考察にとっても重要である。シル バの唯一の小説『De sobremesa』の本格的な評価が始まるのは比較的最近のこ とである。 3 この導入部分については興味深いことが指摘できる。解放者像の足下の子供た ちの姿と事物の秘められた声を聞き分ける詩人の登場を告げる部分は、1883 年の「窓(原題:La ventana) 」という初期の詩のある場面の書き換えである。 「解 放者像の足下で」のメタ詩的特徴のひとつ、自己言及は、作中詩人の登場との 関わりでこのような仕方でも与えられている。 - 406 - ホセ・アスンシオン・シルバと 20 世紀コロンビア抒情詩の伝統( I ) 4 後にコロンビアのノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケスは小説『迷 宮の将軍』 (原題:El general en su laberinto(1989) )によってこの課題を果た すことになる。 5 過去は葬り去られることがないのみならず、そこから死者たちは蘇生する。シ ルバの詩における「死」については第二部で論ずる。 文献リスト Agamben, G. (2003). El lenguaje y la muerte. Valencia: Pre-textos. Camacho Guizado, E. (1977). Prólogo. En Silva, J. A. Obra completa (pp.IX-LII). Caracas: Biblioteca Ayacucho. . ( 1982 ) . La literatura colombiana entre 1820 y 1900. En BarneyCabrera, E. et al. Manual de historia de Colombia Tomo II (2a.Ed.) (pp.613-693). Bogotá: Procultura. . (1996). Poética y Poesía de José Asunción Silva. En Silva, J.A. Obra Completa (2a.Ed.) (pp.533-566). Madrid: Colección Archivos. Cobo Borda, J. G. (1985). Prólogo. En Antología de la poesía hispanoamericana (pp.9-54). México: Fondo de Cultura Económica. Goldberg, R. (1985). El silencio en la poesía de José Asunción Silva. En Alstrum, J. J. et al. José Asunción Silva, vida y creación (pp.385-402). Bogotá: Procultura. Holguín, A. (1988). José Asunción Silva. En Arciniegas, G. et al. Manual de literatura colombiana Tomo I (pp.339-368). Bogotá: Procultura/planeta. Ojeda Avellaneda, A.C. (2002). 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