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トヨタ世界戦略車
第 2特集 連載 2006 年、トヨタ自動車が静かに生 産台数で世界一となった。 第 トヨタ、既に世界 1 位に 1 回 本誌の計算では生産台数で事実上、 地 球 視 座 米ゼネラル・モーターズ(GM)を追い 10 代 目 の 世 界 戦 略 車 ︱ ︱ 50 %の上海 GM や上海 GM 五菱汽車 カ ロ ー ラ 抜いている。これは集計方法の違いに よるものなので説明が必要だろう。 両社が公式に発表しているデータで は、GM が918 万台に対して、トヨタ が901 万台。依然としてGM がトップ のままだからだ(63 ページの図) 。 GM の算出対象は、GM 本体や子会 社のほかに、GM 側の出資比率が (出資比率 34 %)のような中国の拠点 など6 社以上の合弁会社を含む。 ト ヨ タ 格、 ﹁ 世 界 最 強 ﹂ へ の 一方、トヨタが発表しているのは連 結世界生産台数で、トヨタと日野自動 車やダイハツ工業などの子会社だけを 含み、中国などのトヨタ側の出資比率 50 %の拠点は除外している。そこで 50 %出資の会社までの生産台数を数 えると、トヨタ発表の901 万台に、中 国の 3 合弁会社の 28 万台、チェコの合 弁会社のうちのトヨタ車 10 万台、そし てGM との合弁会社である米NUMMI で生産するトヨタ車 35 万台などを積 み重ねられる。 つまりトヨタは広義のグループで 「974万台」 を生産し世界一をつかんだ。 闘 先んずべし とは トヨタグループの創始者、豊田佐吉氏 (1867 ∼ 1930 年) の遺訓としてまとめられた「豊田綱領」の一節。元 本は「研究ト創造ニ心ヲ致シ 常ニ時流ニ先ンスヘシ」 (研究開発に打ち込み、時流の先を行こうとの意) で、 今でもトヨタの経営の核とされている。 62 NiKKei Business 2007 年 2 月 26 日号 題字:石塚 静夫 確かに、このところトヨタは新工場 ス」だった。金色に輝く車体からは、 もトヨタの動きが目立っている。 の建設や新車投入などが目白押しだ。 欧州での販売台数が100 万台を突破し 業績も過去最高の更新は確実。2007 世界最大の販売市場である米国(約 破竹の勢いで伸びるトヨタの勢いが見 年 3 月期の連結売上高は 23 兆 2000 億 1655 万台)には、昨年 11 月に面積約 て取れた。そして、中国では「カムリ」 円(前期比 10.3 %増)、純利益は 1 兆 810 万m 、東京ドームの173 倍という の現地生産に着手し、今年にも日系で 5500 億円(同 13.0 %増)を見込む。こ 巨大な敷地を持つテキサス工場を稼働 は最大手の乗用車メーカーとなりそう。 うした順風下で、1937 年に創立され 2 させた。ここでは、大型ピックアップ トラックの新「タンドラ」を年 20 万台 生産する。2006 年の米国でのトヨタ たトヨタは今年 70 周年を迎える。記 富士重やいすゞとも新手 かつあき 念の年だが、社長の渡辺捷昭は年頭の 今春には資本提携した富士重工業の 挨拶で「盤石な基盤を築く年にしたい」 全体での販売台数は 250 万台を確保。 北米工場(SIA)で、カムリの生産も始 2007 年にはさらに 10 %の上積みを狙 まる。いすゞ自動車との提携は 4 月に 世界の自動車業界は今、激しく動い っている。 も詳細が発表される。商品面では、高 ている。業界の盟主、GM と米フォー 昨年 9 月、パリ・モーターショーで 級車ブランド「レクサス」の旗艦車種 ド・モーターは凋落が著しい。各地で 発表したのは、「カローラ」と車台を 「LS」を刷新。新型エンジンを搭載し 環境規制も強まり、さらなる再編も進 共有している欧州向け戦略車「オーリ 高い燃費性能とパワーを両立した。 みそう。その中で、世界最強の地位を 昨年 11 月には、国内でハイブリッ ド車「プリウス」が 5916 台売れ、販売 台数ランキングで 5 位に滑り込んだ。 とさらなる進化を訴えた。 固めるために、トヨタは「今こそ変革 を」と社内の危機感を高める。 グローバル競争で勝ち続けようとす 発売から 3 年以上を経たクルマ る幹部や社員の苦悩と達成感とは― が、仕様変更などもなく上位に返 ―。この連載では、トヨタの現場を歩 り咲いた例は珍しい。どの地域で き、最強への格闘を浮き彫りにする。 1月から名古屋駅前の新 。 オフィスも稼働(左) 業績好調でも危機感を 強める渡辺捷昭社長 事実上、世界一となったトヨタ トヨタとGMのグループでの (2006年) 世界生産台数 GMとの合弁会社 (NUMMI) のトヨタ ブランド車 35万台 チェコの合弁会社 (TPCA) のトヨタ ブランド車 10万 中国の合弁会社 (天津一汽トヨタ、 広州トヨタ、 四川一汽トヨタ) 28万 公 表 値 901万台 公 表 値 918万台 公表値= 公表値= 連結対象会社のみ 上海GM、 (日野自動車・ダイハツ工業含む) 上海GM五菱汽車などの 合弁会社分を含む 合計 974万台 トヨタ自動車 (写真:高木 茂樹) ゼネラル・ モーターズ NiKKei Business 2007 年 2 月 26 日号 63 第 2特集 特に今回は装備も “豪華” 。 例えば、駐車時に運転者が簡単に後 世界人気車の進化へ団結 トヨタで最も売れているクルマは何 でしょう? 3200万台売るお化け商品 ろを確認できる後方カメラとモニター を標準装備した。また新開発の 1.8 リ ットルエンジンや CVT(無段変速機) う。今も世界 16 の工場で生産され、 などにより、国土交通省が決めた測定 144 の国・地域で販売されている。 基準で 1 リットル当たり17.2km という 昨年10 月、世界の先陣を切って「10 このクラスで最高水準の燃費を実現し 代目カローラ」が発売されたのは日本 た。それでいて車両価格は約140 万円 「カローラ」と分かった人はまずま だった。人気タレントの明石家さんま からと割安。改めてカローラに対する ずの“自動車通” 。しかし、それが 1966 や浅田美代子、さらに木村拓哉らの豪 トヨタの力の入れ具合を印象づけた。 年の発売から世界で累計 3200 万台以 華メンバーによる大量のテレビCM も 芸能人と違って決してCM には出て 上を売れたと聞けば驚く人も多いだろ 話題になっている。 こないが、生みの親である開発総責任 者は、商品開発本部第 2 トヨタセンタ ーのエグゼクティブチーフエンジニア (ECE)、奥平総一郎だ。注目を集め カローラに座る開発総責任 。 者の奥平総一郎氏(上) アイシン・エィ・ダブリュ岡 崎東工場の CVT ラインに 。 立つ安江秀樹氏(中) 藤田博也 CE は国内向け カローラの生みの親 64 NiKKei Business 2007 年 2 月 26 日号 (写真:高木 茂樹) た「10 代目」の出来栄えについて「運 界で販売するこの看板車種を入れ替え 世界全拠点に同じ品質の部品を供給で 転してもらうと、良さがもっと分かっ る。開発計画を説明し、 「とにかく一 きる会社を選んだという。 てもらえます」と話す。 番であり続けたい。そのために一番売 ファミリーカーの開発者らしく、い れるクルマを作ります」と宣言した。 初代開発者からも “指令” つもはユーモアに富み笑顔が絶えない 1966 年に発売された初代の値段は 実は、これまでは同じカローラ用の 奥平だが、その表情が緊張に震えた時 43 万2000 円。1100cc のエンジンを積 同じ部品でも、北米用とアジア用など がある。それは今から3 年前。10 代目 み、大人が 4 人乗れば座席はいっぱい ではサイズが若干違い互換性がないも の開発計画の全体像を関係者に明らか だったが、まさに日本のモータリゼー のがあった。それを奥平は変えたかっ にした日のことだ。 ション牽引の役割を果たした。発売か た。1 つの部品は 1 つの 2004 年 4 月、愛知県豊田市トヨタ ら 40 年で、年間販売台数が首位でな 図面に基づいて作られ、 町のトヨタ本社、サプライヤーセンタ かったのはわずか 4 年だけという根強 世界どこでも同じように ーの大会議室に 200 人余りが集まっ い人気を誇る。 車両を組み立てられる。 た。壇上に立った奥平は、カローラの その人気を踏み台に、新型カローラ これこそ 10 代目のカロ 開発総責任者として、自らの役割の重 は最初から世界各地で生産・販売する ーラが目指した真の世界 さを骨身に染みて感じていた。 ことを前提に開発を進めた。 「世界の 戦略車としての姿だ。 2006 年 10 月の日本を皮切りに、世 モータリゼーションをリードする」大 奥平がその思いを強く 役を担いたいからだ。日本をはじめ欧 したのは、初代カローラ 米や中国、アジアの中産階級に向ける の開発責任者、長谷川龍 「ストライク商品」がカローラなのだ。 「地球視座」 開発に当たり、奥平が開発のメンバ 年 91 歳で、第 2 次世界大戦では戦闘 機を開発していた。長谷川は、既に引 ーに意識させた言葉だ。日本からすべ 退して悠々自適の生活を送っている。 てを見るのではなく、世界全体での最 彼はトヨタでこのクルマを作る時、 適解を求めていこう、と。今年 51 歳 「日本だけではダメだ。最初から、欧 と、カローラより 10 歳年上の奥平は、 州で、世界で戦うことをにらんで開発 入社後セダンなどの車両開発を担当 した」と力強く語った。 し、小型車「イスト」などの開発責任 者を務めてきた。そうした経歴が買わ れ 2003 年に小型車全体の開発を統括 する役目を任された。 その奥平が最初に手をつけたのは、 各国の規制情報や要求要件を集めるこ とだった。例えば、歩行者の頭部衝突 安全基準は欧州が最も厳しく、北米は 「やはり世界を見ていたところは同 じだった」と奥平は自信を深めた。 当然、新カローラは、燃費、価格な ど多くの面で、世界を凌駕するモデル であることが求められる。それを達成 するのは簡単ではない。 そのための秘密兵器が、カローラに 初めて搭載したCVT だ。 ほとんど規制されていない。こうした 2 つの弾み車を金属のベルトで結 規制があれば、最も厳しい基準に合わ び、最も効率の良い組み合わせでギア せて設計することで、現地での細かな 比を決めることができる。そしてこの 変更を防ごうとしている。 システムは、燃費を 10 %程度も向上 調達も同じだ。ブラジルから英国、 (写真:村田 和聡) 雄と話す機会を得た時からという。今 できる。9 代目のカローラは、1.8 リ 日米、南アフリカ共和国まで幅広い工 ットルエンジン搭載車で 1 リットル当 場で生産するだけに、部品の調達にも たり 16.0km の燃費だった。装備など 気を使った。なるべく部品メーカーも が増えて車体が重くなった新型で逆に NiKKei Business 2007 年 2 月 26 日号 65 第 2特集 燃費を同 17.2km に引き上げるのに、 この装置は不可欠だった。 変速機の出遅れで苦闘 奥平を助けたのは、社内から集まっ た精鋭たち。その 1 人が当時 CVT 技 開発する部隊だったからだ。 悪くなかった。すると、今度は CVT を 安江が配属された当時、トヨタは変 導入したいという新車の開発者が次々 速機としては 4 速 AT(自動変速機)を と出てきた。当初はトヨタの北海道の 重視していた。日産自動車などが CVT 生産子会社だけで作る予定だったもの の開発に成功し始める中、トヨタは出 の、急遽グループのアイシン・エィ・ダ 遅れていた。 ブリュでも生産することが決まった。 術室長だった安江秀樹だ。 「性能は与 80 年に入社した安江は、変速機な 量産開始の 1 年半前のことで、それか えられた要件を満たせ どの開発に携わってきた。他社との技 ら安江のチームの仕事量はほぼ 2 倍に た」と達成感を見せるが、 術協力を得ながら小型 CVT などを生 増えた。 み出し、ついにカローラ向けの開発に 難題が続いた時、安江はこうメンバ いる」 と悔しそうに話す。 乗り出した。ある日、総勢 30 人の開 ーに話した。「今の開発はトヨタだけ 品質のばらつきを安定化 発陣は CVT の新たな可能性を発見す のためにやっているんじゃない。10 % するため、量産の 1 年前 る。CVT に使う金属のリングは断面 燃費が向上すれば、10 %クルマが増 に急遽部品の焼きつけ工 が台形になっており、その角度は 11 える余地ができる。地球のためにやっ 程を1 つ追加したためだ。 度とされている。これを約 7 度にする ているんだ」 。そして皆で突き進んだ。 「コストは少し上回って それでもカローラの完 と、変速のスピードが速くなる。 日本で発売されたセダンは「カロー 成は団結の結晶だ。実は 全員が沸き上がる中、試作を終えた ラアクシオ」と名づけられている。国 CVT はトヨタの苦手分野だった。1999 ところでこの開発は頓挫した。特許の 内市場が縮小する中で、昨年もカロー 年、東富士研究所(静岡県)に異動に 問題がクリアできず、7 度の方は製品 ラは年間販売台数首位を死守した。 なった安江は、 「えらいところに来た 化の道が閉ざされてしまった。数カ月 な」と実感したという。施設のことで 分の作業が水泡に帰した。 はない。その配属先が、CVT を先行 国内向け「カローラアクシオ」 は団塊世代を狙う。 後方モニター(右)などの運転 支援機能が彼らの支持を集め ている 66 NiKKei Business 2007 年 2 月 26 日号 幸い、11 度の方の試作品の評判も 国内向けカローラの開発の陣頭指揮 を執ったのは、今年 49 歳のチーフエ ンジニア (CE)の藤田博也だ。奥平の ニ ュ ー ト ヨ タ ウ ェ イ カローラが示す利益拡大モデルの長短 カローラが誕生した 1966 年を、日本 おろそかになりがち。そうならず、地に足 バル車を揃え、市場の状況に応じて投 では「マイカー元年」 と呼んでいる。大衆 をつけた開発をここでも続けていること 入する。米国ではカムリが 44 万台を売 車として基本的な性能を十分に備えた がトヨタの強み」 と指摘する。 り、ベストセラーの座を保っている。まず このクルマは、43 万2000 円という魅力 的な価格付けでヒットを呼んだ。 こうした基幹商品を、経営学では「ベ ーシックロード」 と呼ぶ。ベーシックロー 短期的な業績回復策として、高級品を こうした商品を楔として打ち込み、消費 投入しても、ベーシックロードの強化をな 者の間で「トヨタ」 ブランドの認知度を高 いがしろにしていれば、いずれ会社全体 め、次にピックアップトラックやSUV (多 が弱っていくことになると言う。 目的スポーツ車) などの収益性の高い車 種を投入してきた。 ドこそが収益の源であり、そこから得た 日本では、昨年 14 万 3176 台を販売 利益を高級品などに回していくというサ したカローラは、今や世界144 の国と地 一方で、この事業モデルの弱点は、い イクルができれば、その企業は強くなる。 域で販売されている。欧米、中国、アジ ったん不具合が出た場合には、数十万 競争上のポジショニングを考えるうえで アなどで見ても、品質や価格面で正面 台という規模の巨大リコール(回収・無 基本的な視点であり、 トヨタ自動車は 41 から競い合う強い現地系の競合車は見 償修理) につながりかねない点だ。世界 年前からそこに手をつけていたことにな 当たらない。それほど強いベーシックロ 各地で使用する同じ部品に設計上の問 る。現在のトヨタの世界販売台数のうち ードの投入により各地で収益の柱が立 題が起きれば、従来にない規模での対 カローラは約16%を占めるという。 ちやすくなる。それが、海外展開の歯車 策が求められる。事実、2005 年度には を加速させている。 トヨタは国内販売分だけで192 万7386 一橋大学教授の伊丹敬之は「普通の 会社では利幅の大きい高額品に会社全 このほかに、 トヨタは上位車種の「カ 体が向いて、ベーシックロードの開発が ムリ」 と小型車の「ヴィッツ」などのグロー 台がリコールの対象になるなどで、こうし た問題に頭を悩ませてきた。 そこで、今回のカローラでは開発段階 での検査を大幅に増やし、この問題を 未然に防ごうとしている。具体的には、1 回 200 項目余りに上る検査を 3 回実施 したという。その中には、耐久性の確認 カローラが のために壊れるまで稼働部を動かすな 走る国々 ど、従来より厳しいものも含まれる。 世界144カ国 累計3200万台以上 ンの開発に当たった。 駐車支援装置も目玉に ラックまで商品群は多彩だが、基幹のカ ローラの出来がトヨタの進路を大きく左 右する。その構図は今も昔も変わらない。 ■■はカローラを販売している国や地域 部下として、国内向けのセダンとワゴ ハイブリッド車から大型ピックアップト そこで、藤田が開発の目玉にしたの 「このクルマはトヨタが世界のお客さ が、ダントツの運転支援装備だった。 んと関わり合う接点。それだけ役割も セダンには後進時に後方を写すカメラ 重い」 。今後欧州、中国、そして米国 とモニター画面を標準装備し、最廉価 と順に新型に切り替えていく。 ただ販売にも課題があった。軽自動 の 1500cc クラスで税金込みで 150 万 トヨタグループの創始者、豊田佐吉 車が大ブームの中で、多くのユーザー 円を達成。このクラスでは初の標準化 翁はこう語っている。 「障子を開けて を捉えられるか。藤田が狙ったのは団 で中高年の支持を集めている。 みよ、外は広いぞ」 。国や業界の中に 塊世代の夫婦だ。ミニバンや大型セダ 試作段階で使ってみた藤田は「絶対 とどまらず、外に目を向けるように諭 ンから軽自動車へ移ろうとする彼らを に売れる。カローラに載せてくれ」と、 した。量質ともに世界最強の自動車会 引き寄せ、さらに旅行や趣味への出費 電子技術の開発チームに申し入れた。 社となるトヨタには、広い視野ととも と競って、自動車を買う興味と原資を 新型カローラの発売のために世界各 確保させなければならない。 地を飛び回っている奥平は、こう言う。 に足腰を常に鍛える姿勢がある。 =文中敬称略(伊藤 暢人) ■■■ NiKKei Business 2007 年 2 月 26 日号 67