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多民族、多文化社会 でも、“マレーシア人”という ひとつの国民を目指す
多民族、多文化社会 でも、“マレーシア人”という ひとつの国民を目指す 末廣昭 東京大学社会科学研究所 ISS, University of Tokyo Fukuoka. September 14, 2008 1 Part 1 マレーシアという国 2 半東部マレーシア サバ・サラワク 3 人口(万人) 25,000 20,000 15,000 10,000 5,000 0 日本 人口(万人) 12,775 マレー シア フィリ ピン タイ インド ネシア シンガ ポー ル ベトナ ム 2,639 8,697 6,576 22,205 442 8,437 4 10リンギ 紙幣の表 古い紙幣も 新しい紙幣も、 独立時の 国王である トゥンク・ アブドゥール・ ラーマン の肖像 5 5リンギ紙幣の 裏のデザイン 古い紙幣は、 イスタナ・ ヌガラ(王宮) 新しい紙幣は、 「開発」の 象徴である ツインタワー 新空港の デザイン 6 一人当たりGDP(ドル) 35,000 30,000 25,000 20,000 15,000 10,000 5,000 0 7 一人当たりGDP(ドル) 6,000 5,000 4,000 3,000 2,000 1,000 0 一人当たりGDP(ドル) マレーシ ア 5,718 フィリピ ン 1,344 タイ 3,136 インドネ シア 1,640 ベトナム 723 8 ASEAN加盟国の宗教別分布 100% 90% 80% 70% 60% 50% その他 40% キリスト教 30% 仏教 20% イスラーム教 10% 0% 9 農林水産業の雇用 100% 90% 80% 70% 60% 50% 40% 30% 20% 10% 0% インド人 華人 マレー人 1970年実績 1990年目標 インド人 10 10 華人 21 29 マレー人 68 60 10 製造業の雇用 100% 90% 80% 70% 60% 50% 40% 30% 20% 10% 0% インド人 華人 1970年実績 1990年目標 インド人 5 10 華人 65 40 マレー人 29 50 マレー人 11 経営管理職の雇用 100% 90% 80% 70% 60% 50% 40% 30% 20% 10% 0% インド人 華人 マレー人 1970年実績 1990年目標 インド人 8 10 華人 66 39 マレー人 22 49 12 株式会社資本の所有分布 100% 90% 80% 70% 60% 50% 40% 30% 20% 10% 0% 外国人 華人 マレー人 1970年実績 1990年目標 外国人 61 30 華人 23 40 2 30 マレー人 13 マレーシアの大いなる実験 *マレーシアは「マレー人」のみの国家 ではない。 *多民族社会、多文化社会を尊重。 *憲法でイスラームを国教、マレー語 を国語と定義する。 *「マレーシア人」という、新しい「ひと つの国民」を目指す。 14 Part 2 シャムスル先生の紹介 15 福岡アジア文化賞の授賞記者会見:2008年7月 16 京都大学の院生を現地で指導する:2006年 17 シャムスル先生の著作:マレーシアのブミプトラ政策 2004年刊行 1986年刊行 18 シャムスル先生の紹介 1951年 ヌグリ・スンビラン州生まれ 1976年 マラヤ大学で開発社会学修士 1977年からマレーシア国民大学(UKM)。 91年から教授。 1983年 オーストラリで社会人類学博士号。 2003-07年 UKM西洋学研究所IKON。 2007年から UKM民族問題研究所。 フランス、アメリカ、大阪の民博、京都大学な どの客員教授・研究員として活躍。 19 Part 3 パネリストの紹介 20 鳥居高さんの編集した著作:マレーシアのブミプトラ政策 1989年刊行 2006年刊行 21 鳥居高さんの紹介 1986-97年 アジア経済研究所動向分 析部でマレーシア、ブルネイ担当。 1991-93年 マレーシア国民大学(UK M)の客員研究員。 1997年-現在 明治大学商学部。 2006年から経済産業研究所研究員 *マレーシアの政治経済、スルタン制、 東南アジアの政治などを専攻。 22 清水展さんの著作:フィリピンの調査にもとづく 2003年刊行 23 清水展(ひろむ)さんの紹介 1976-79年 東京大学博士課程在学中にフィリピン 留学(アテネオ・デ・マニラ大学) 1985-2006年 九州大学比較社会文化研究院。 1995-2005年 サバ州でフィリピン人出稼ぎ労働者 の生存・適応戦略について現地調査 2006年から 京都大学東南アジア研究所 *1976-79年、84-85年、91-92年フィリピン滞在 *民族と文化、災害と自力更生、植林運動、日本 人高齢者のフィリピン移住・長期滞在、地方都 市の国際交流などに関心 <はぐれ雲だより>の個人HPを運営 24 小野山亮さんの活動:NGO福岡ネットワーク(FUNN) アジアを中心に、 人権・平和・国際交流 などについての ボランティア活動、勉強会、 などさまざまな活動を 行っています 堅い「勉強会」ばかりでは ありません。右の写真は、 「タイの食事の日」の メニューです 25 小野山亮さんの紹介 • 主に平和・人権・民族の分野でNPO/NGO活動 に、一貫して、従事する。 • 1998年 アメリカン大学で国際法律学の修士号 を取得(平和・人権・民族など)。 • 2000-2005年 反差別国際運動(IMADR)。 • 2005-2007年 アジア太平洋資料センター (PARC) スリランカ・ジャフナ事務所。 • 2008年 NGO福岡ネットワーク(FUNN)で活動 • 個人ブログ「スリランカ・ピースレポート」運営。 26 Many ethnicities, many cultures, one nation: The Malaysian experience Professor Shamsul Amri Baharuddin Universiti Kebangsaan Malaysia Public Forum Presentation at Fukuoka, 12 September 2008 Malaysia: A nation in ‘stable tension’ The positive impact of a traumatic experience of the ethnic riot, May 13 1969 Serious reflections and actions post-1969 Re-establishing stability: ‘stable tension’ Cautious optimism Openness but deep in ‘sensibility and sensitivity’ Rational & reasoned approach “Tongue wagging, not parang waving” Reasoned and rational discussions Instance 1 of “tongue wagging” Instance 2 of “tongue wagging” The Ethnic Relations Module Instance 3 of “tongue wagging” The concern of a historian The ethnicised but calm discourse on the NEP General Elections May 1969: ethnic riot; General Elections March 2008: no ethnic riot Maintaining a middle ground Learning to live in a state of ‘stable tension’ Working hard to maintain peace & political stability through continuous negotiation at all levels No one is special, everyone is special Nation-building must continue: Bangsa Malaysia as a ‘Nation-of-Intent’ However, ‘unity is not uniformity’ Lessons learnt Survival of the nation is primary Economic development not enough Political maturity is necessary Endorsement from a Nobel Prize winner Good and sensible management of governance The role of social science and humanities 多民族国家のマネジメント :Management and Multi-Ethnic country ´ ´ ´ ´ ´ 1.多民族国家:「絶妙な」民族構成比率 マレー系を中心としたブミプトラ:圧倒的ではない過半数 華人:存在感のある30% インド人:無視できない10% 2.恵まれた天然資源(天然ゴム、スズ、木 材→天然ガス・石油など)と小規模な人口 ² →マネジメントしうる規模の国 1959年 1964年 1969年 1974年 1978年 1982年 1986年 1990年 1995年 1999年 2004年 2008年 ´ 政権党・ 政権党の 政権党と 下院総議 野党の獲 議席獲得 野党の得 席数 得議席数 率 票率の差 104 74/30 71.2 3.6 104 89/15 84.8 16.5 144 74/70 51.3 -10.2 154 135/19 87.7 20.8 154 131/23 85.1 14.4 154 132/22 85.7 21 177 148/29 83.6 14.8 180 127/35 70.6 6.2 192 162/30 84.4 27.8 193 148/45 76.7 11.1 222 198/21 89.2 27.6 219 140/82 63.9 3 ただし、小選挙区制のため死票の発生 ´ 1.民族間の「契約」:連邦憲法の制定 ´ マレー語を国語、イスラームを公式の宗教 マレー人社会の長であるスルタンと国王制度 ←出生主義に基づく市民権 ´ ´ 2.民族間の「再契約」:1971年の連邦憲法の 改正 ´ →民族間の4つの問題については国会を含む公開の 場では議論しない。 1.国民戦線: 「マレーシア国民」があたかも隊列 を組んで政府を組織しているかのような擬制の確保 2.「政党」の特徴 「民族」別政党がマレーシア政党の基本的特徴 半島部とボルネオ島(サバ、サラワク州)の民族構成 の違い →政治空間が半島部、サバ州、サラワク州の3つ →連立与党の形成 連盟党:UMNO,MCA,MIC 国民戦線(BN):半島部の3党以外の地域政党 +サバ州、サラワク州政党 マレーシア“国民”からなる国民戦線 Malay Chinese Indians Sarawak Sabah ★民族“間”には与・野党の政治勢力が存在する。 ★マレー人が相対的に優位に立つものの、「参加が保証される」華人、イ ンド人政党の意味。 1969年の総選挙後の民族間暴動 ´ 「マレー人はなぜ貧しいのか」 ´ →富の民族間での不平等 ´ →社会階層の固定化:職業と民族の固定化 ´ →1971年から新経済政策(NEP;19711990) ´ (例)マレー人への機会の分配 ´ ´ ←機会を奪われた民族の不満 ´ 民族間でケーキを切る角度(分配)を決める ´ →毎年、より大きなケーキを製造 ★誰を“コック”にするか 華人、日本などの外国資本 マレー人 ★切った後のケーキをどのように分けるか 国内安定化の政治装置の必要性 ´ ←“政治不安定”と“暴力装置(血)”の記憶と時間 ´ ←インドネシアとの大きな違い ´ (具体例) ´ ①1969年5月13日事件の記憶 ´ ②非常事態宣言時代の記憶 ´ マレーシア全体 マレー人世帯主の年齢別分布 華人世帯主・年齢別人口構成 マレー人世帯主・年齢別人口構成 1969年時点で18歳(記憶世代) ´ 18歳以下(NEP世代) ´ →2000年時点で49歳以下 ´ マレーシア世帯主の65.7% ´ マレー人世帯主:65.6% ´ 華人世帯主:58.6% ´ インド人世帯主:69.9% ´ 1.多民族国家・マレーシアは1969年の民族 暴動を契機にして、政治・経済の両面で民族 間の安定を図る“マネジメントシステム”を導 入し、機能させてきた。 ´ 2.今問われているのは「民族内」安定メカ ニズム。 ´ 3.しかし、民族間安定のメカニズムも「記 憶の政治」の機能が薄れてきた。 東マレーシア(北ボルネオ)・ サバ州から見た多民族 多文化社会の可能性 京都大学東南アジア研究所 清水 展 私自身のサバ州調査経験 • 1998~2005、毎年の夏休みに、サンダカン、 タワオ、コタキナバルなどで滞在調査。 順次3つの調査チームの一員。 「東南アジア島嶼部における国際移動に関する文化人類学的研究」 「ウォーラセア海域における生活世界と境界管理の動態的研究」 「ボルネオ及びその周辺部における移民・出稼ぎに関する文化人類学 的研究」 研究テーマは、 1)国境の海を越え、フィリピンからサバ州 (東マレーシア)に出稼ぎに来るフィリピン人労働者の生存 戦略、現地適応、アイデンティティの変容と再構築。 サバ州の魅力 • キナバル山(東南アジア最高峰 - 4,095m ) • ダナムバレー、他の森林保護区(フタバガキ科の密林) • キナバタンガン川ジャングル・クルーズ • (象、ワニ、天狗サル、犀鳥) シパダン島(世界有数のダイビング・スポット) しかし、大量の森林伐採(1960年代後半~1980年代→日本 に輸出)。 その後に油ヤシの大規模プランテーション開発。 ↓→限られた地域にのみ「手つかずの豊かな自然」。 • 研究の魅力(テーマ)として、2)多民族・多文化社会サ バ州の民族間関係と調和・安定のメカニズム。 サバ州の歴史と現状 • • • • 1881 英国北ボルネオ特許会社 1941~1945 日本軍の占領 1946~ 英国の直轄植民地 1963年 マレーシア連邦(半島で1948成立)加入 • 2000年国勢調査で人口は260万人(総人口の10%強)。 • サバ州の「ブミプトラ(土地っ子)」は約80%。中華系13%、 インド系0.5%、その他6%。 • マレーシア全体では、 「ブミプトラ」 は65%、中華系26%、 インド系7.7%。 サバ州の特徴 • 「ブミプトラ(土地っ子)」の比率が高い。ただし、 - カダサン・ドゥスン(18.4%,内陸)、バジャ ウ(17.3%, 海岸)、マレー系(15.3%,平野)の3グループ。 - 宗教的に、イスラム教徒(63.7%)、キリスト教徒 (27.8%)、仏教徒(6.4%)。 • マレーシア全体では、イスラム教徒は60.4%、仏教徒(19.2%)、 キリスト教徒(9.1%)、ヒンドゥー教徒(6.3%)、儒教・道教など の中華系の宗教(2.6%)。 • フィリピンとインドネシアから、大量の出稼ぎ労働者。 それぞれ40~50万人と、70~80万人。州の人口の半分ほどに相当。その 大半が、裏口(Back Door)から入国する、Undocumented Worker. フィリピン・ミンダナオ島との比較 • フィリピンのミンダナオ島南西部では、キリスト教徒とイスラム教徒のあいだ • の緊張・対立・紛争が続く。 1972年にホロ島でモロ民族解放戦線の蜂起、政府軍との全面衝突。 1976年のトリポリ和平協定後も衝突。 ↑←ミンダナオ島へのキリスト教移住者の激増、土地問題。 1903年、人口33万人の76%がイスラム教徒。 2000年、1,450万人の19%がイスラム教徒。 ↑←マニラ中央政府の強権的な対応(マルコス開発独裁)への反発。 • サバ州では、宗教的・民族的な緊張や対立は激化せず。異な る宗教・民族間の共生と交流。 イスラム教徒とキリスト教徒の通婚も多い(ただし、イスラムに改 宗の必要)。 • 『文明の衝突』(ハンチントン 1996) とは違うシナリオ、希望の 所在。 多民族共生への方途の違い • 半島部マレー マレー人ムスリム、華人、インド人の3民族が、 「文明」の境界を明確にすることで棲み分け、対立を回避。 • サバ州 「文明」の境界を融解させることによる共生の実践。 「文明」と「文明」の間での移籍や多重的な所属が可、容易。 ↑←諸「文明」の辺境、最果ての地 ↓ → 宗教的にゆるく、政治的に無定見との批判も。 しかし、「戦わないナショナリズム」、「自信のないナショナリスト」の可能 性。自信がないのは、明確な理念や方針をもつが、それでは人々を思い どおりに動員できない、という限界の自覚から。 山本博之 『脱植民地化とナショナリズム:英領北ボルネオにおける民 族形成』東大出版会、2006年。 サバ州の経験から思うこと • 宗教的、民族的、文化的な純粋さを希求することの 危うさ。いいかげんさ、ゆるさ、の良さ。 (純粋さの希求は、唯我独尊、異文化や他者の排除と表裏一 体になる危険)。 • ひとつの国に「多くの民族、多くの文化」があること は、グローバル化と人の大移動(出稼ぎと移民)、と いう今の時代では当たり前に。 ↓→日本も、そうなってゆくだろうときに、「ひとつ の国」としてのあり方、内実をしっかり考える必要。 • 昔、マハティール首相の「ルック・イースト」(1981~)、 今、日本が「ルック・サバ、マレーシア」を!