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満井秀城 - 浄土真宗本願寺派総合研究所

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満井秀城 - 浄土真宗本願寺派総合研究所
浄土真宗総合研究 8
浄 土真 宗 と し て の ﹁
葬 儀 ﹂ の意味
はじ め に
満
丼
秀
城
2010年 1月、高名な宗教学者島 田裕巳氏 によ って、﹃
葬式は、要らな い﹄と の衝撃的タイトルを有す る新
書が出版された。 日本仏教が、 ﹁
葬式仏教﹂と批判され て久 し いし、高額 な ﹁
戒名料﹂をはじめとす る葬儀 の高
額化 ・華美化や、お布施 の不透明性など、今 のような葬式 のあり方 でよ いのかと いう批判もまた、 これま でも幾
度も出されて来た。 こう い った、 いわば潜在的鬱積 に、
一気 に火を点けた のが同書 であ った。著者 の知名度 の高
さや、センセーショナルなタイトル、廉価な新書版、 これら商業的にも有効 ・巧妙な手法も相侯 って、大きなイ
ンパクトをもたらした ことは記憶 に新しく、筆者は個人的 に ﹁
島 田ショック﹂と呼んでいる。
ところが、と言うか、 2011年3月 11日に、あ の東 日本大震災が発生し、死者及び行方不明者が 2万人を
超えるという大惨事とな った。突然に生命を失 った人 の無念さ、家族を失 った遺族 の悲しみ、住居や田畑や職場
を失 った絶望感や、
ある いは原発事故 にともなう放射線 への恐怖と理不尽な風評被害など へのやり場 のな い怒り、
こう いったさまざまな事態を見聞きするに つけ、当たり前 のように過ごし ている自分 に罪悪感を覚える日々が続
いている。また 一方で、あ のような非常時 の中 でも暴動が起 こるわけでもなく ︵一部 には非道な行為も報道され
、人々は秩序を持 って行動 し、悲惨な中 でも感謝 の思 いを表す被災者 の人たちに、諸外 国のメデ ィ
ては いたが︶
¨
0
一
,
浄土真宗としての「葬儀」の意味
6
一時帰宅を許可された被災者が、真 っ先 2
アは、 こぞ って称讃 の記事を載せていた。そう いう 一連 の報道 の中 で、
葬式が出せな い﹂ こと への二
に仏壇 の位牌を探そうとする姿や、家族を失 つた こと自体 への悲しみととも に、 ﹁
葬儀不要論﹂は、表面的 には、 い ったん沈静化したように見える。
重 の悲しみを吐露している姿が報じられ、﹁
しかしながら、﹁
葬儀不要論﹂が受け入れられ、支持された必然性自体は、実 は何も変わ って いな いと言うべ
きだろう。勿論、﹃
葬式は、要らな い﹄ に対 して、反論を意 図する書物は いく つも刊行されたし、寺院 や僧侶 の
葬儀不要論﹂が再燃して
一定 の努力をして来た ことも事実 である。しかし、それ でもなお、 いつ、また ﹁
側が、
、﹁
。 これらの根本的疑間
なぜ葬儀は必要な のか﹂
葬儀は本当 に必要な のか﹂
もおかしくはな いと筆者は考 える。 ﹁
に、われわれは、まだ充分な 回答を示しているとは思えな いのである。本稿は、その意味 での回答 の 一端を意図
するも のである。
人 間性 ﹂ と ﹁
儀礼﹂
一 ﹁
右 のような意味 で、浄土真宗 にお いて葬儀は いかなる意義と必要性をも っているのかは、お互 いが、し っかり
と足元を見据えておかねばならな い課題 である。そ こには、浄土真宗 の教義 にふさわし い葬儀 のあり方はどうあ
るべきか、教義 ・教学的押さえが不可欠なのは言うま でもな い。
葬送儀礼﹂と いう形態自体 は、浄土真宗 の成立以前から行われて来たし、また、個体を形成す
その 一方 で、﹁
葬送儀礼﹂と いう形式を持 つのは、おそ
る地球上 の全ての生物にお いて、死は不可避 である中 で、死に対して ﹁
葬儀﹂とは、人類 の歴史 におけ る文化的 ・社会的営為と言 えるのであ って、
らく人間だけ であろう。 つまり、﹁
教義 ・教学的アプ ローチだけでなく、社会的 ・文化的 アプ ローチが必要 でもある。
浄土真宗総合研究 8
人間﹂たる所以は何な のか。 ﹁
人間﹂とは、どう いう存在な のか。 この点 に ついては、
人間﹂ の ﹁
そもそも ﹁
政治的動物﹂と いう定義付
古来からさまざまな議論がなされて来た。著名なと ころでは、 アリ ストテレ スが、 ﹁
けを行 った ことが良く知 られ ている。しかし、 この定義には、ギリ シャの都市国家 の発想が前提とな っており、
遊牧民が除外され、ある いは逆 に、ある種 の社会性を持 つ昆虫ま でも含ん でしまう ことになりかねな いと いう批
﹁
ほとんど の﹂
判がある。また、生物学的 に、﹁
羽毛 のな い二足歩行動物﹂と定義するとしたら、ほとんど の動物 ︵
とは、カンガルーや ニワトリは除かれるから︶とは区別できるとしても、 この定義には、情緒的側面が欠落し て
人間﹂
人間性﹂については何も語 っていな いと の批判がある。そ こで、今 日、一般的に用 いられ ている ﹁
いるし、﹁
筆者 の愚見では、これとて ﹁
情
フランクリンの ﹁
道具を製作す る動物﹂とされているのだが、
の定義としては、B・
、 いわば ﹁
人間的霊性 ︵
精神性︶
緒的側面﹂
﹂と でも言うべきも のが充分 に表され ているとも思えな い。芸術を創
人間は
バ ンセ﹄ にお いて ﹁
造する感性力が等閑視され ているように思う のである。哲学的 には、パ スカルが、﹃
思考する動物﹂とでも言えるだろうか。
考える葦 である﹂と述べている ことが著名 であり、 この指摘 に即せば、﹁
勿論、他 の動物 でも、何らかの思考がなされ、それによ って行動 の判断がなされているはず であ るが、日の前 の
自己を認識﹂し、 ﹁
意味や意義を聞う思
判断だけでなく、 二歩先、三歩先を見越す想像力、あるいは哲学的 に、 ﹁
人間性﹂ の指標と考えることが できるかも知れな い。
考﹂を、ひと つの ﹁
意味づけ﹂ の行動
﹁
儀礼﹂とは、まさしく ﹁
人間性﹂ の 一面であ るとすれば、﹁
意味や意義を間う こと﹂が ﹁
成人式 ︵
元服︶
通過儀礼﹂と称し ている。 ﹁
一般的 には、それを ﹁
﹂
であると考 えることができるのではな いか。
結婚式﹂など、さまざまな節目々々にお いてなされる儀礼 ・儀式は、何らかの成長や変化 の意味や意義を表
や ﹁
葬式﹂もまた、他者 の死をどう意味づけ、そして自分もまた、特定 の他者が存在しなくな っ
明する行為である。﹁
7
2
た中 でのあり方や意味を自己形成していく行為 であると言えるだ ろう。
浄土真宗としての「葬僣」の意味
8
ど んな生物 も ﹁
死﹂ は認識 し て いる であ ろ う し、だ か ら こそま さ しく必 死 に ﹁
死﹂ を避 け る行動 を と る。 そ し 2
て親 は子を必 死 で守 ろうとす る。 し か し、鳥 でも猫 でも 、あ る いは社 会 生 活 を す る蟻 でも 、 死んだ 子 や仲 間 に対
し て、 いわゆ る ﹁
弔 い﹂ の儀礼 は行 わな いであ ろう。 死んだ ら直 ち にあ き らめ る の であ る。 そ こに ﹁
人 間性 ﹂ の
一つのヒ ントがあ るよう に思 う。 つま り、 他者 の死を 厳粛 に扱 う ﹁
儀 礼 的 存在 ﹂ と でも 言 いう るも のが 、 人 間 の
根 底 にあ る の ではな いか。 ウ ィト ゲ ンシ ュタ イ ンが 、 ﹁
人 間 は儀式 的 動 物 であ る﹂ と述 べ て いる のは 、 ま さ に こ
の意 ではな いか。今 は, ここま でを仮 説 的 に提 示 し てお いて、次 に、 これ に沿 って、少 しく 具体 的 な考 察 を 試 み
る こととす る。
二 ﹁
死生観﹂
儀礼﹂と ﹁
﹁
儀礼﹂ のあり方には、その人 の価値観、﹁
死生観﹂とでも いう べきものが大きく関わ っていると思 っている。
死んだら、どうなるのか﹂と いう認識 の相違によ って、儀礼行動が変わ って来ると考えるのである。以
つまり ﹁
下に、そのことを論じてみる。
愛し い人や、かけがえのな い人を亡くした時、人はみな、等しく悲歎 に沈む。 この点 にお いては全く同等と言
、生死 に関わる価値観 によ って、
えるのだが ︵
勿論、関係性そ の他 によ って、悲 しみ の深さには浅深があるが︶
次 の段階としての行動様式が大きく異な って来 ると思われるのである。
、﹁
死んだ らおしま い﹂
人間は死んだ らゴ ミにな る﹂と いう考 え方があ るだろう。
まず 一つの価値観として、﹁
遺体処 理﹂ にしか過ぎ な い。そ こには、
この場合 にとられる行動は、火葬 にしろ何 にしろ、死者 に対 し ては、﹁
存命中 の尊敬 の念は別として、死んだ途端 に、死者 に対す る尊厳はなく、ただ絶望 のみが残り、最終的には忘却
浄土真宗総合研究 8
│
怖れ (祟 り)一
鎮魂・ 除霊 (② )
不安
追善供養 (③ )
T―
L_
迷 っている
絶望 と忘却 (① )
報恩感謝 (④ )
死んだ らお しまい
ゴ ミになる
浄土往生
着を持 っているがゆえの不安﹂とでも いうべき位相があるよう に思 い、敢えて別
9
類型を立 てた。 この場合 の行動様式が、 ﹁
追善供養﹂ である。迷 って いる死者 に 2
怖れ﹂も混在して いるかも知れな いが、﹁
恐怖感﹂と いうよりも、 ﹁
愛
のような ﹁
。 そ こには、﹁
があ るであろう。﹁
祟 り﹂
ち ゃんと成仏 してく れ て いるだ ろうか﹂
﹁
迷 っている﹂とみる場合 でも、﹁
怖れ﹂と いうよりも、 ﹁
不安﹂と感ず る場合
。︵
第2類型︶
部類 に入るであろう ︵
そのために ﹁
お祓 い﹂をす ることになる︶
除霊﹂、ある いは ﹁
死機﹂も、 この
や ﹁
鎮魂﹂と いう儀式 であ る。神道 にいう ﹁
慰霊﹂
と いう ﹁
怖れ﹂である。 この価値観における行動様式は、﹁
祟り﹂に対して、﹁
﹁
迷 って いる﹂場合 の第 一類型とし ては、﹁
霊魂 のようなも のが祟 りをなす﹂
る﹂と認識す るも ので、 この部類 には、さらに二類型 に分かれる。
二番目の死生観とし ては、死者が何らかの形 で存在す るが、それが ﹁
迷 ってい
な い、自己を再認識する行動方法 ではな い。 ︵
第 1類型︶
それは単なる ﹁
死体処理﹂ の方法 でしかなく、死者 への尊厳や、他者 の死にとも
体﹂から ﹁
骨﹂ への ﹁
移行﹂とみることもできるが、仮 に墓 に埋葬 したとし ても、
﹁
終焉の儀式﹂は成立す るであろう ︿いわゆる ﹁
死
お別れ会﹂は、この部類か。︶し、﹁
﹁
死んだらおしま い﹂であれば、
次 の段階 への統合は成り立たな い。強 いて言えば、
、
の段階 へと移行し ︵
移行︶
次 の段階 への移行を完了する ︵
統合︶のが手順であ る。
、そ こから次
﹁
分離︱移行︱統合﹂と図式されるように、ある段階を終え ︿
分離︶
され てしま うだ け であ る。 こ の類 型 には、お そ らく儀 礼 は存 在 しな いの ではな いか。 そも そも ﹁
通 過儀 礼 ﹂ では、
の悲 しみ
浄土真宗 としての「葬僣」の意味
0
第 3類型︶ 3
対して、遺 った者が、死者 に代わ って善行を行 い、それを死者 に与えようとす るも のである。 ︵
故人は浄土に往生され仏 になられた﹂と認識する立場 であ る。
われわれ浄土真宗 の価値観 であ って、﹁
四番目が、
怖れ﹂に対しては ﹁
敬 い﹂である。 これに基く儀礼は、
不安﹂に対しては ﹁
安心﹂であり、﹁
この価値観に立 てば、﹁
﹁
本願力 にあ ひぬれば むなしくすぐるひとぞなき﹂ の和
報恩感謝﹂に他ならな い。浄土真宗 の葬儀 にお いて、﹁
讃を読誦することに ついて、ご本願に出遇 い、空 し い人生 ではなく真実 の人生を歩んだ故人 の遺徳を偲び、遺 っ
た者も、同じく、ご本願に遇えた ことを再認識する感謝 の儀式 である こと の意義が、 いっそう深く味 わわれる こ
とになるだろう。﹁
如来浄華 の聖衆は 正覚 の華より化生し て﹂ の和讃 に ついても、故人がす でに浄土 の聖衆と
第 4類型︶
して往生されていることを讃える意味を味わう ことが できるだろう。 ︵
ペ ット葬﹂は、 この葬儀形式は成り立たな いのではな いか。かわ い
因みに、 この観点からすれば、 いわゆる ﹁
が ってきたペ ットの死は、家族 同様 に悲し い出来事 に違 いな いし、大切にしていたペ ットの死によ って、世 の無
常 に思 いを致す機縁 ではあるだろう。しかし、彼らが、本願力 に出遇 った真実 にかな った生き方をしていたと讃
理屈 の上 では、彼らも広門示現の相としての仏身 であると見る
嘆 できるかと いうと、疑間に感ぜぎ るをえな い ︿
。
ことも可能 ではあろうが、そのペ ットに対して、はたしてそう いう接し方をして来ただろうか︶
図表参照︶が、 この
それはともかくとして、死者 に向か っての行動様式として、右 の四類型 に分類してみた ︵
ような分かれ方をするのは、ひとえに、教えに遇 っているかどうかに起因するし、教 えに遇う ことによ って価値
観が変わることもよくあることである。
死んだらおしま い﹂と いう価値観だ った人が、肉親 の死によ って、
但し、現実には複雑な事例も多 い。例えば ﹁
仏壇 に手を合わす身にな ったと いう事例 の場合、価値観 の変化 の原因が、教 えに遇 った ことによるも のか、あ る
いは肉親 への情愛によるものな のか判じられな い場合もあるであろう。しかし、肉親 への情愛 のみによ っている
浄土真宗総合研究 8
場合 には、第3類型に属すると考 えるべき ではな いか。﹃
歎異抄﹄ の有名な 一文 に、﹁
親鸞は父母孝養 のためと て、
一返 にても念仏申したる こと、 いまだ候はず﹂ ︵
註釈版 p834︶とあるのは、父母 。兄弟 ・夫婦など、親 し い
人 への情愛が、自力 への落とし穴 になることを厳しく見 つめた言葉 であるように思う。従 って、第4類型 への転
化は、やはり教えに基くも のと考える。
そ こで、次節では、浄土真宗 の教 えが、ど のように儀礼形式を意義付けるかに ついてを考 えてみた い。
三 真宗 教 義 と 、 ﹁
儀礼 ﹂ の形式
摂取不捨﹂と ﹁
平生業成﹂
︵一︶﹁
摂取不捨﹂ の意味 に ついて、 ﹁
小経讃﹂国宝本左訓に、次 のように記されている。
宗祖は ﹁
摂めとる。ひとたびとりて永く捨 てぬなり。摂 はも のの逃ぐるを追は へとるなり。摂はをさめとる、取は迎
へとる。︿
註釈版p571脚注︶
﹁
ものの逃ぐるを追は へとる﹂とは、私たちが、ど こを向 こうとも、つね に阿弥陀如来 は、私たち の方を向き、
むしろ背を向けて逃げるばかり の私たちを、追 いかけ詰めに追 いかけて、 ついには南無阿弥陀仏 でくるめとる仏
であることを示す。私たち の側は、 いつ、どんな状態 で、仏を忘れることになろうとも、如来 の側は、 つね に忘
れることがな い。﹁
ひとたび とりて永く捨 てぬなり﹂とは、 ひとたび如来 の御手 に抱かれたも のは、必ず仏 にな
ることを示す。念仏ひと つで何故さとりを ひらく ことが できるのか、その理由が ﹁
摂取不捨﹂ であり、ひとたび
平生
阿弥陀如来 の御手に抱かれた念仏者は、必ず仏になると いう ことである。それが、 ﹁
現生正定衆﹂ であり、 ﹁
︲
3
業成﹂ である。
浄土真宗 としての 「葬饉」の意味
2
﹁
死に方﹂を問題視しな いのである。
平生業成﹂ の法義は、臨終を問題としな いと いう こと であり、つまりは、﹁
3
自死 o自殺者 に対する偏見も、 この観点から解きほぐす ことも可能 ではな いか。
遺体﹂ に対して読
枕経﹂は、臨終 の来迎を求めるも のではな いし、 ﹁
儀式 の性格 の点から言えば、 いわゆる ﹁
報恩感謝﹂ の仏事 ・法事 である。
経するのでもな い。今生 の最期 にあた っての ﹁
まだ生き ているのか、それとも、もう死ん
ある和上 の寺院に枕経の依頼 の電話があ ったとき、そ の和上は、﹁
と言われると、﹁
それなら手遅れだ。お通夜から行く。
でいるのか。
と聞くそうである。﹁
もう亡くな っています。
﹂
﹂
﹂
と答えるそうである。 ここまで言えるようになるのは簡単な ことではな いと思うが、原理 。原則論から言えば正
論 である。
弥陀同証﹂
︵
二︶﹁
往生即成仏﹂と ﹁
、﹁
﹁
往生即成仏﹂は、﹁
平生業成﹂
現生正定衆﹂からの論理的必然 であるが、浄土 に往生した者は、浄上 の上
徳 によ って、直ちに仏と成ることを表す法義 であ る。美し い清流からの川の流れも、ある いは工場排水や家庭排
海水﹂の ﹁一味﹂となる。
水など によ って汚れた川の水 であ っても、ひと つの同じ海 に流れ着 いた途端 に、同じ ﹁
論註﹄性功徳 の釈 に望め合わ
如衆水入海 一味﹂と讃えられている。凡聖 一味 の意義 でもあり、﹃
これを宗祖は、﹁
せると、﹁
往生即成仏﹂ の根拠 でもある。
追善供養﹂が全く意味をなさな いのは
浄上 の往生人が、直ちに ﹁
仏﹂と成られて いると いう ことを知れば、﹁
供養﹂は当然なしうるものではある
応供﹂とあるので、﹁
仏﹂ の十号 の内 には ﹁
明白 である。言うま でもなく、﹁
、すなわち仏徳讃嘆 に他ならな い。 つまりは、故人を仏
追善供養﹂ ではなく、﹁
讃嘆供養﹂
が、その ﹁
供養﹂は ﹁
として敬 い、仏として讃嘆するのである。
浄上真宗総合研究 8
更 には、 この浄土 の往生 人 の証果 は、 ﹁
弥 陀 と 同証﹂ でも あ る。 ﹁
阿弥 陀 経﹄ の名 義段 に ﹁
及其 人 民﹂ とあ る の
は、 阿弥 陀如来 の果徳 が、 そ のま ま浄 土 の往生 人 に及ぶ こと を 示 し て いる。 つま り 、往 生 人 は、 阿 弥陀 如 来 と 同
じ証 りを 得 て いる のであ る。
したが って、 阿弥陀 如来 の仏 徳 を 讃嘆 す る こと が 、 そ のま ま故 人が 仏 と成 ら れ た徳 を讃 え る こと にな る の であ
り、 阿弥陀如来 と 同じ徳 を ひら いた故 人 であ るが ゆ え に、故 人 は、 残 った私 た ちが念 仏申 す 身 にな る こと を 、 最
も喜 び 、 ま た安 心 し ても ら え る はず であ る。 ま た 、 仏飯 など のお供 えは 、 過去 帳 の前 に は供 えず に、 あ く ま で、
ご 本 尊 の前 に供 え る。 この ことも 、 ﹁
弥 陀 と 同証 ﹂ な るが ゆ え であ る。
また、時 折、 仏壇 に、 タ バ コや ワ ンカ ツプ のお 酒 など が 供 え られ てあ る ことを 見 か け る ことが あ る。 故 人 が生
前 好 きだ った物 を供 える心情 も 理解 でき なく も な いが 、故 人 は既 に浄上 に往生 さ れ、 仏 にな られ て いる の であ れ
ば 、 そ のような執着 は存 在 し な いはず であ る。 私 たち の主 食 であ るご 飯 を 、感 謝 の意 にお いてお供 えし、 ま た菓
子や 果物 など も、あ と でお さが りと し て頂戴 す る感 謝 の表 明 な の であ る。
このよう に、 浄土真 宗 の教 義 を 正 しく ふま え る こと によ って、 仏事 ・法 事 のあ り方 に ついて、 そ の謂 わ れ や所
以が 理解 でき る ことが多 い。
︵
三︶﹁
還相廻向﹂
宗祖は、﹃
教行信証﹄ の ﹁
教文類﹂冒頭に、﹁つつしんで浄土真宗を案ず るに、二種 の回向あり。
一つには往相、
、
二 つには還相なり。
註釈版Pl35︶
と述 べられ
﹂︵
る
よ
に
浄
土
真
う
宗
の
法
義 の綱格は、﹁
往還﹂の二回向 であり、﹁
往
。
、
還 の二回向 そが、
﹂
こ
浄
土
真
の
宗
教
義
の
特
で
あ
色
る
葬
儀
の
で
場
言
え
ば
故
人
の
最
後
の
の
仏
徳
讃
嘆
場
で
あ
る
と
と
3
もに、故人の最初 の還相 廻向 の場 でもあ ることが、同時成立 していると言え、葬儀 のあり方も、 この観点から再 3
浄土真宗 としての「葬僣」の意味
4
3
構築することも可能 ではな いか。
還相廻向﹂ の法義に照らして考 えてみた い事例がある。
さらには、 ここで、もう 一つ ﹁
、
、
一歳 にも満たな い幼児、あ る いは乳児が亡くな ったとしよう。 両親 は深く悲 しむが そ の悲しみの内 に ﹁こ
の子は、成仏 できるのでしょうか。
﹂と訊かれたら、何と答えたらよ いだろうか。
、
まず、大前提として踏まえておかねばならな いことは、仏教とは本来、自己を間うも のであり 他者 の往生 の
全 てのことに ついて言える ことだが、
我 々凡夫 に知見できるも のでもな い。
また、
得否を説明するものではな いし、
差
業論﹂
も、
他者 の説明論理とな った瞬間に、いわゆる﹁
仏教 ではなくなる。 ﹁
他人を説明する論理とな った途端 に、
迷 っているでしょうね。
﹂と答 えるのも誤り で
別業論﹂ へと転落する。したが って、今 のような問 いに対して、 ﹁
大丈夫ですよ。成仏しているでし ょう。
﹂と答えるのも、また誤りであると言わぎ るをえな い。あくま で
あり、﹁
仏知見 の領域 であり、我々凡夫 の伺 い知 るべきものではな いからである。
還相 廻向﹂ の法義 に照らし てみた時、次 のよう に味 わう ことは可能かも知れな いと思 って いる。
その上 で、﹁
一歳にも満たな い幼児 であれば、寺 で聴聞した こともなければ、念仏 の 一返も称えた ことはな いであろう。そう
しかし、
浄土真宗 の ﹁
還
迷 っている﹂としか言えな いのではな いかと思うが、
他宗 の論理であれば ﹁
であるのなら、
﹂と気付 いた時、そ の時点か
相 廻向﹂ の法義 に照らすと、 ﹁この子のおかげ で、私が仏 に手を合わす身 になれた。
」ヽ
結
﹂と味わえる世界もあ
ら振り返れば、﹁この子は、還相 の菩薩として、私 に教化するために生まれてくれた のだ。
るようにも思う。繰り返すが、他者を説明する論理ではなく、あくま でも、自己に引き取 った上 での味 わ いとし
てであるが。
四
浄土真宗総合研究 8
以上 述 べ来 た った ことを 総 じ て、 ﹁
浄 土 真 宗 ﹂ にお け る葬 儀 の意 義 を ま と め て言 えば 、 次 のよ う に言 いう る で
あ ろう。
す な わ ち、浄 土真宗 と し て の葬 儀 と は、 世 の無 常 に思 いを いた し、 自 ら の死苦 に向 き合 う場 であ ると と も に、
愛 別離苦 の悲 し みに向 き合 いな が ら、念 仏 者 と し て歩 ん で来 ら れ た故 人を 偲び 、故 人 も、そし て後 に遺 った 者 も 、
とも に阿弥陀如 来 の慈悲 の中 にあ る ことを 再確 認す る仏縁 であ り 、仏徳 讃嘆 と、 本 願 に遇 えた こと への報 恩感 謝
の儀式 が 、 ﹁
浄土真宗 の葬 儀 ﹂ であ る。
遺 族 にと っては、悲 し い縁 ではあ りな が ら仏 縁 と し て受 け 止 め、 さ ら には、 お 互 いが 支 え合 って生 き て いる こ
と や、人 と人 と の つなが りを 味 わ う こと のでき る場 でも あ る。葬 儀 は、故 人 にと っても遺 族 にと っても、 人 間が
人 間 であ る こと の証し でも あ ると 思 う。
五 最後 に ﹃
改 邪炒﹄ の記述 に ついて
浄 土真 宗 と葬 儀 に ついて論 じ る場 合 、 ﹃
改 邪紗 ﹄ の中 で、 宗 祖 の言葉 と し て引 かれ てあ る ﹁
某 ︿
親鸞︶ 閉眼 せ
ば 、賀茂 河 に いれ て魚 にあ た ふ べし﹂ ︵
註釈 版 p 9 3 7︶ に触 れな いわけ には いかな いであ ろう。 これを も って、
直ち に ﹁
葬儀 不要論﹂ に結 び つけ る論 調 もあ るか ら であ る。
まず 、この話を扱 う場 合 、いく つか の位 相 を仕 分 け し ておく 必 要 があ る。 ① ﹃
改 邪砂 ﹄ の文 脈 、② 宗 祖 の文 脈 、
③宗 祖 の文 脈 が 不明 の場 合 、 ﹃
改 邪紗 ﹄ と は い った ん切 り離 し て、 この語 単体 と し て の文 意 を う か が う 、 の 三段
階 で論ず る ことと しよう。
5
①の ﹃
改 邪抄﹄ の文 脈 は 、本 文 か ら明確 に窺 われ る。
3
浄土真宗 としての「葬僣」の意味
6
・しかるに往生 の信心 の沙汰をば手がけもせずして、没後葬礼 の助成扶持 の 一段を当流 の肝要とするやうに 3
。
中略︶、ただ世間浅近 の無常講 とか のやうに諸人おもひなす こと、 こころうき ことな
談合するによりて ︵
り
oこの肉身を軽んじて仏法 の信心を本とすべき ことをあらはしますゆゑなり。
、
この二点 の中間に先 の宗祖 の引文があり、 これらを承け て ﹁これをも っておもふに いよ いよ喪葬を 一大事と
すべきにあらず﹂と結論している。
信心の沙汰﹂をせず に、ただ世間的な事情 での集まりに終わ ってしまうようなあり方 では意
まず 一点目は、﹁
聖日と、先 の宗祖が語 ったとされる文言とは、必ずしも ストレートに繋
味がな いとされる点 である。ただ、 このム
そのゆえは﹂ のような理由句
そのゆえに﹂﹁
が ってはいな い感がある。 この 一点目の主張と、宗祖 の言葉とは、 ﹁
か つは﹂と、並列句、ある いは論旨
か つは本師聖人 の仰せに いはく﹂とあ るように、﹁
としての引文 ではなく、﹁
、
の転換をなす接続詞で結ばれている ことからすれば、先 の宗祖 の文 は、 一点目と全く の無関係 ではな いとしても
肉身を軽 んじて仏法 の信心
直接 には、 二点 目の論旨 の根拠として引 用されていると見受けられる。すなわち、﹁
を本とす べき ことをあらは﹂すためであ る。
葬
﹁
生身 の肉体に執着しな いと いう ことであろう。しかし、むしろ、それだから こその ﹁
肉身を軽んじて﹂とは、
、
儀﹂でもあると思う。葬儀を区切りとし て、人としての肉体 への執着から離れ、仏となられた意義を偲び 仏と
して敬う儀礼が、葬儀 の意義 であり、意味 でもある。さらにまた、人としての名残りである遺骨 への執着から離
本来は仏壇 には置かず、中陰壇を設ける︶や床 の間に遺骨を置 いたまま にするのではなく、
れ、いつま でも仏壇 ︿
納骨﹂も、執着を離 れるためと いう
葬儀﹂も ﹁
しかるべき墓地 に安置 ・埋葬するのが、納骨 の意味 でもある。 ﹁
信心 の沙汰﹂をしな い形だけ
葬儀﹂がそうな った時、それはもはや ﹁
意義を併せ持 つ仏事 ・法事な のである。 ﹁
浄土真宗総合研究 8
の儀礼 ではな いであろう。
覚如上人が、﹁
喪葬を 一大事とす べき にあらず﹂と結ばれた のは、葬儀 の全否定 ではなく、あくまで信心為本、
﹁
信を 一大事とすべき﹂ であ って、本末を転倒してはならな いと の教示 であると考える。
次に② の宗祖 の文脈に ついてであるが、 この言葉は ﹃
改邪砂﹄ のみに見られ、厳密 には宗祖 の言葉かどうかさ
え断定 できな いし、宗祖 の言葉 であ ったとしても、そ の前後 の文脈に ついては、
一切何もわからな い。
そこで③ ﹃
改邪砂﹄ の文脈から、 い ったん切り離し、仮 に宗祖 の言葉とした上 で、 この語自体を単体 とし て、
その文意を窺 ってみる。
現在 の感覚からすれば、 この ﹁
賀茂河にいれて魚 にあたふべし﹂との語は、まさしく衝撃的 で、壮絶なイメー
ジを与 える。何より、いま現在、これを忠実 に実行したなら、﹁
死体遺棄﹂として法的に厳罰に処されることになる。
だから こそ衝撃的な響きを持 つのであ るが、 この言葉を単純 に ﹁
葬儀不要論﹂に直結させるのは短絡に過ぎ ると
思われる。
と いうのも、現在 の、葬送 = ﹁
火葬﹂と の既成概念は、実 は歴史的には、そう古 いも のではな い。多くは、近代 ・
明治以降 であり、近世 。江戸期 では ﹁
土葬﹂が主流 であ ったし、中世前期ま では ﹁
風葬﹂が 一般的 であ ったとさ
れている。﹁
風葬﹂とは、 ﹁
死体を地上 に放置して、それ以後何もしな い﹂やり方、 つまりは野ざらしである。 こ
の ﹁
風葬﹂が 一般的な葬法 であ った時代と、現代 の感覚と では、﹁
河 にいれて﹂と の意味も大きく異なる。 ﹁
地上
、
に放置して﹂
鳥や犬の餌 になることと、﹁
賀茂河にいれて魚 にあたえ﹂ ることと、
大きな差異はな いのではな いか。
実際、﹁
京都 でいえば都市部 にあ る死体を集め て鴨川に棄 てるような作業﹂が 一般 に行われ、おそらくそ のため
京都 で鴨川の河原が平安京 に含まれなか った﹂とされ ている。 このような時代 にあ って、﹁
に ﹁
賀茂河に いれ て﹂
7
との言葉は、﹁
特別な葬法 にしな いでほし い﹂くら いのメ ッセージなのではな いか。 ﹁
華 々しく仰 々し い葬式 にす 3
浄土真宗 としての「葬僣」の意味
8
葬 式 は 要 らな い﹂ と 言 って いるとす る のは些 か短 3
る必要 はな い と いうく ら いの意 味 であ って、 これを も って ﹁
﹂
遺
た だ び と ﹂ の扱 いは でき な か った、 言 わば ﹁
絡 ではな いか。 ただ 、宗 祖を 思慕 す る当 時 の人 た ち にと って、 ﹁
、
族 心情 ﹂ とし て、手 厚く葬 った と いう こと にな る の ではな いだ ろう か 。 そ の、宗 祖 を 思慕 す る人 たち の根底 には
信中 心 ﹂ を強 調 した の で
信中 心﹂ の仏 事 とし て営 ま れた に違 いな い。 だ か ら こそ覚如 上 人 も ﹁
宗 祖 が残 され た ﹁
あ る。
浄土 ﹂ の有 無
信 ﹂ の沙 汰 な く 、 ﹁
信 ﹂ を 通 さ な け れば 無意 味 であ る。 ﹁
浄土 真 宗 にお いては、全 てに ついて、 ﹁
葬 儀 ﹂ を 論 じ ても 無意 味 であ る。 し か し ま た 同時 に、 信 あ れ
信 ﹂ を 通 さず に ﹁
を論 じ ても戯 論 に過ぎ な いし、 ﹁
葬 儀 ﹂ が必然 とな る の であ る。 そし て、
ば こそ、仏徳 や師徳 を讚嘆 せず にはお れな いの であ って、信 あ れば こそ ﹁
多 く の参 列者 が仮 に未 信 の人 であ つた と し ても、 縁 あ る人 の死を 通 し て、信 心獲 得 の仏縁 とな るよ う に、 阿弥 陀
世 間﹂ の集 ま りが 、 ﹁
信 ﹂ の場 へと転ぜ られ る こと にな る。 そ のた め
如 来 の慈悲 を伝 え て いく。 それ によ って、 ﹁
には、葬儀式 は、 厳粛 か つ丁寧 にお勤 め せ ねば な らな いのであ って、 これ は僧 侶 ・寺 院 の側 の最 低 限 の心 得 でも
あ ろう。
註︼
︻
。
大法輪間、 1963︶
︵
1︶圭室諦成 ﹃
葬式仏教﹄ ︵
日本葬制史﹄ 釜口
川弘文館、 20 12︶などがあ る。
︵
2︶最近 の成果としては、勝 田至編 ﹃
講談社学術文庫、 1977︶ P28。
現代文化人類学 入門﹂ ︵
︵
3︶ P ・ボ ック著、江淵 一公訳 ﹃
杖 下隆 英 訳、ウ ィトゲ ンシ ュタイ ン全集 第 6巻、大 修館書店 、
金 枝篇﹄ に ついて﹂ ︵
︵
4︶ L ・ウ ィトゲ ンシ ュタイ ン ﹁フレイザ ー ﹃
1975︶ P402。
初期 仏教 にお いては、 この世限り の勝負 とし て、多分 に、
︵
5︶総合研究 所 の研究部会 での意見交換 の場 にお いて、あ る研究 員から ﹁
﹃
解脱﹄ と称
無﹄ と言わず に ﹃
涅槃﹄ や ﹃
﹁
死んだ らおしま い﹄的発想 ではな いか﹂ と の意 見が出 された。別 の研究 員 からは、 ﹁
浄土真宗総合研究 8
し ている ことは、現在 言われ て いる ﹃
死んだ らおしま い﹂ とは異質 ではな いか﹂と の意見もあ った。 筆者 とし ても、今 日の ﹁
死
んだらおしま い﹂は、 ﹁
断見﹂ に属す ると考 え て いる。
︵
6︶註 ︵
3︶前掲書 Pl80。
︵
7︶キリ スト教やイ スラム教 の論理 に ついては、立 ち入 った考察 が でき な いが、キリ スト教 の宗教 音楽 とし てのレクイ エムは ﹁
鎮
魂曲﹂と訳し て いる。 但し、 レク イ エムは昇天を祈 る曲 であ るか ら、 正し い翻訳 でな いとも言わ れ て いる。 しかし ﹁
昇天を祈
る﹂行為は、 ﹁
往き先が未定﹂ と いう意味 では、 この第 2類型、も しく は次 の第 3類型かと思う。
︵
8︶法然聖人 にも ﹁
還相 廻向 ﹂ に近似 した表 現はあ るとす る見解もあ るが、往還 の二回向 を教 学と し て体系化 された のは宗 祖 を候
つことになる。 ﹁
往還 二回向﹂ の直接 の出所 であ る ﹃
論註﹄ に ついて、 ﹃
選択集﹄ では冒頭 の難 易 二道 の文を引く のみ であ る。
︵
9︶近世江 戸期 に盛 んに行われた ﹁
小児往生 ﹂論争 は有名 であ る。教 学 研究所 ︵
現総合研究所︶ブ ツクレ ツト ー0, 理不教と現代社
△
2003︶等を参照願 いた い。
ご ︵
0︶註 ︵
︵
2︶前掲書 p3。
1
︵
H︶註 ︵
2︶前掲書 pl43。
39
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