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世界史B 第6回報告課題
新潟県教育委員会認可通信教育 世界史B 第6回報告課題 提出期限 8月5日(火) 1.(西ヨーロッパ世界の成立)下の文章を読み、以下の問いに答えなさい。 [ 教 pp.92∼ 95] ( 8問 ) ローマ帝国の北方にいた( あ )民族は、紀元前後にローマ帝国の拡大とともにローマと接触し、 徐々に農民や軍人としてまずは平和的に流入していた。4世紀後半、東方からアジア系の( い ) 族が侵入すると(あ)民族は大移動をはじめ、その主な移動先となった西ローマ帝国はその混乱の中 で 476年 滅 亡 し た 。 ( あ ) 民 族 の な か で も ( う )王国が勢力を拡大した。5世紀末、(う)のクローヴィ スはカトリックに改宗して、ローマ教会やローマ人の支持を受けて勢力を拡大した。8世紀末に(う)の 王になった( え ) は 800年 に ロ ー マ 教 会 か ら ロ ー マ 皇 帝 の 冠 を 受 け 、 西 ヨ ー ロ ッ パ 全 体 の 支 配 者 と なることを示した。彼の帝国はのちに3分割され、A東(う)王国はドイツの、西(う)王国はフランスのも ととなった。 この時代の西ヨーロッパは国王や皇帝を頂点とするB封建制を取っていた。また、C多くの農民が 荘園と呼ばれる騎士たち領主の土地に住み、移住や転職を制限されていた。一方、「祈る人」として 高い身分とされていたのが聖職者たちである。一時、腐敗によって信頼を失いかけたが、改革運動に よって権威を高め、聖職者の頂点に立つ教皇はD皇帝や国王と権威を争う事もあった。 (1) 文 中 の 空 欄 あ ∼ え に 適 し た 語 句 を 答 え な さ い 。 < 教 pp.92∼ 95> (2) 下 線 部 A に つ い て 、 オ ッ ト ー 1 世 が 帝 位 に つ い て 成 立 し た 帝 国 は 何 か 。 < 教 pp.93∼ 94> (3) 下線部Bについて、封建制(封建的主従関係)の説明を完成させよ。 (4) 下 線 部 C に つ い て 、 こ の 時 代 の 農 民 た ち は 何 と い う か 。 < 教 p.95> (5) 下 線 部 D に つ い て 、 1077年 に 皇 帝 ハ イ ン リ ヒ 4世 が 教 皇 グ レ ゴ リ ウ ス 7 < 教 p.94> 画像削除 世に謝罪した事件(写真)を謝罪した地名を取って一般に何というか。 < 教 p.95> あ い え (2) う (1 ) 主君は臣下による領土( (3) (4) 主君が )の支配を保障し、そのかわり臣下は をするときには主君の (5) 世 B⑥-1/4 への参加が義務付けられた。 2 . ( ヨーロッパ世 界 の 変 動 ) 下 の 文 章 を 読 み 問 い に 答 え な さ い 。 [ 教 pp.96∼ 100]( 8問 ) 教 皇 権 が 高 ま り を 見 せ た 11 世 紀 に イ ス ラ ム 勢 力 が 西 に 進 む と 、 ビ ザ ン ツ 皇 帝 は 教 皇 に 救 援 を 求 め た 。 そ れ が き っ か け と な っ て 1095年 の ク レ ル モ ン 公 会 議 で 聖 地 ・ ( あ )への軍隊派遣が決定され た。これ以降7度にわたる十字軍が派遣されることになった。A2世紀近い十字軍の活動でヨーロッパ は 大 き く 変 動 し た 。 B 14 世 紀 に 入 る と 国 王 は ロ ー マ 教 皇 の 保 証 を 必 要 と し な く な り 、 各 国 の 国 王 が 勢 力争いを行うようになった。フランス王はローマ教皇に強制して南フランスの( い )に移住させた。 これを教皇のバビロン捕囚という。これにたいして教会上層部の混乱と堕落を批判する動きが出てく た。ベーメン<ボヘミア>の( う )は俗化した教皇を批判し、異端として処刑された。こうした批判 が宗教改革につながっていく。 中世ヨーロッパは「森のヨーロッパ」と呼ばれる時代であり、それは「赤ずきんちゃん」などのグリム 童話にもよく残っている。また、Cキリスト教を中心とした文化が形成された時代である。また、「ローラ ンの歌」や「アーサー王物語」、古代ゲルマンの伝説をもとにした「 え 」のような騎士道文学が生ま れ、吟遊詩人が活躍した時代でもある。 (1) 文 中 の 空 欄 あ ∼ か に 適 し た 語 句 を 答 え な さ い 。 < 教 pp.96∼ 100> (2) 下線部Aについて、その説明として適切なものを以下から1つ選 教皇の影響力は大きくなった ② 木材や毛皮、海産物などの取引が主のハンブルクなど北ドイ ツの都市はおとろえた ③ (3) 写真A ① 画像削除 び 、 番 号 で 答 え な さ い 。 < 教 pp.96∼ 98> 都市に支援された王が大きな力を持つようになった 下 線 部 Aに つ い て 、 そ の 変 動 の 中 、 北 イタリアの 各 都 市 は 隆 盛 し た 。 その中の一つ・フィレンツェの豪商として有名な一家はなにか。 < 教 p.97、 図 p.81> (4) 下 線 部 B に つ い て 、 14世 紀 に 農 民 の 地 位 は 向 上 し た が 、 そ 為 で あ る 。 さ て 、 こ の 疫 病 は な に か 。 < 教 p.97> (5) 画像削除 下 線 部 C に つ い て 、 12世 紀 に 入 る と 、 ケ ル ン 大 聖 堂 (写 真 A ) 写真B れはある疫病の流行によって農村の人手不足が深刻となった のように高い塔ととがったアーチ、そしてステンドグラス(写真 B)が飾られる建築様式が教会に広く取り入れられた。さてこの 様 式 を 何 と い う か 。 < 教 p.100> あ い う え (2) (3) (5) 様式 (1) (4 ) 世 B⑥-2/4 家 3.(ヨーロッパ世界の変動/英仏の「成立」) 下 の 年 表 を 見 な が ら 、 以 下 の 問 い に 答 え な さ い 。 [ 教 p.78,93,pp.96∼ 99] ( 10問 ) <図p.76を主に参照のこと> イングランド(イギリス)史 1066 Aノルマンの占領 =( あ )1世の即位 1154 プランタジネット朝成立 =アンジュー伯アンリが ヘンリ2世として即位 1199 ジョン失地王の即位 =フランスでの領地の大半失う 1215 失地・重税などジョンの失政 =( い )<大憲章>に調印 フランス史 そ の 1180 フィリップ2世(尊厳王)即位 =ジョンから多くの領土を奪う 1096 十字軍の始まり 1189 B第三回十字軍 1356 C金印勅書 画像削除 1492 ︵か︶ 1302 ( う )の召集 1328 カペー朝の断絶 =ヴァロア朝の成立 1339 イングランド王・エドワード3世、カペー朝との血縁関係を主張して フランス王位を主張=( え )戦争が始まる 1346 クレシーの戦い=イングランド長弓隊にフランス騎士軍団壊滅 1356 ポワティエの戦い=エドワード黒太子の活躍でイングランド大勝 1381 ( お )の乱 1358 ジャックリーの乱 1364 シャルル6世(賢王)即位 1399 プランタジネット朝の途絶 =フランス王家一時優勢に 1413 ヘンリ5世即位 (後に仏王位継承権確保) 1429 ( か )の登場で オルレアン攻防戦勝利 =シャルル7世の即位 1453 カスティヨンの戦い;イングラ ンド王はフランス領のほとんど失う =( え )戦争が終わる 1455 ばら戦争(∼85) 他 Dレコンキスタ完成 ※イギリスとイングランドの違いについては世界史用語チェックを参照のこと (1) 文 中 の 空 欄 あ ∼ か に 適 し た 語 句 を 答 え な さ い 。 < 教 pp.98∼ 99> (2) 下 線 部 A に つ い て 、 そ の 説 明 に 適 さ な い も の を 1 つ 選 び 、 番 号 で 答 え な さ い 。 < 教 p.93> ①もともとバルカン半島周辺に住む海の民でヴァイキングとも呼ばれる。 ②北アメリカやキエフやノヴゴロドにまで活動範囲を広げた。 ③ノルマンディ公国やシチリア王国はノルマン人が立てた国である。 (3) (4) 下 線 部 B に つ い て 、 第 三 回 十 字 軍 を 迎 え 撃 っ た ア イ ユ ー ブ 朝 の 建 国 者 は 誰 か 。 < 教 p.78> 下線部Cについて、ブランデンブルグ辺境伯やケルン大司教など金印勅書によって神聖ロー マ 皇 帝 を 選 ぶ 権 利 を 持 つ 7 人 の 大 領 主 を 何 と 呼 ぶ か 。 < 教 p.99> (5) 下 線 部 D に つ い て 、 そ の 説 明 の 説 明 を 完 成 さ せ よ 。 < 教 p.99> あ い う え お か (1 ) (2) (3) (4) 半 島 北 部 の キ リ ス ト 教 徒 が お こ し た 「 国 土 回 復 運 動 」 。 15世 紀 に は (5) 地中海沿岸の と半島中部の 世 B⑥-3/4 が合同し運動を完成させた。 《世界史用語チェック》 カール大帝ってシャルル・マーニュ? カール大 帝 は フランク王 国 の 国 王 、 ランゴバルド王 国を征服し、王国最大の領土を築く王国最盛期 の 王 で す 。 さ て 、 ドイツ史 は 「 カール大 帝 」 と 出 て く る 彼 、 フランス史 で は 「 シャルルマーニュ」 っ て 出 て き ま す 。 同じ人なのに違う名前ってこと?そんな馬鹿な、 と 思 う か も 知 れ ま せ ん が 実 は そ う な ん で す 。 ドイツ の カール (Karl) は フランスで は シャルル (Charles) 、 ち な み に イ キ ゙ リ スだ と チ ャ ー ル ス ゙ ( C h a r l e s ) で す 。 同 じ 事 が い ろ ん な 名 前 で 起 き ま す 。 イギリスの キャサリンは フランス で は カトリーヌ、 ロシアだ と エカチェリーナに な り ま す 。 イギリ スの ヘ ン リは フ ランスの ア ンリ 、 イ キ ゙リスの ウィリア ム は フランス で は ギョームで す 。 国名を一文字で表すと…… 昔は外国の国名を漢字で表していました。例 え ば 「 亜 米 利 加 」 = アメリカ、 「 仏 蘭 西 」 = フランス、 と いった具合。それでは長いので一文字で国名を 表すようになりました。今後も使うので覚えてお いてくださいね。 アメリカ= 米 フランス= 仏 ドイツ= 独 イタリア= 伊 スペイン= 西 オランダ= 蘭 ロシア= 露 オーストラリア= 豪 この位までは現代でも使います。 プロイセン= 普 オーストリア= 墺 トルコ= 土 ギリシア= 希 メキシコ= 墨 スイス= 瑞 ブラジル= 伯 ラテン(語 )= 羅 ポルトガル= 葡 この辺になるとかなりマイナーかな? 王 は フランス語 し か 話 せ な い フランス人 ) と フランス王 家 の 、 フランス国 内 の 勢 力 争 い が ス タ ー ト の 戦 い な ん で す よ 。 一 方 、 こ の 頃 グレートブリテン島 の 西 部 に は ウェールズ、 北 部 に は スコットランド と い う 国 も 別 個 に 存 在 し て い ま す 。 イングランド王 家 が 百 年 戦 争 に 負 け、その前後の征服活動やら、王家同士の結婚 やらで合同し、連合王国を形成するのはもう少 し 後 の 事 で す 。 サッカーや ラグビーが 好 き な 人 は イギ リスの ナショナルチームは 無 い こ と は ご 存 じ で し ょ う が 、 そういった事情なんですよ。 サラディン サラディン(サラーフ=アッディーン)は 12世 紀 に アイユーブ 朝を打ち立てた人。彼をさらに有名にしている のは第三回十字軍です。第三回十字軍はドイツ 皇 帝 ・ フリードリヒ1 世 <別 名 バルバロッサ(赤 ひ げ )>、 フ ランス王 ・ フィリップ2世 <別 名 尊 厳 王 (あ る い は 征 服 王 )>、 イングランド王 ・ リチャード1世 <別 名 獅 子 心 王 >、 と 各 国 史 上 で も 有 名 な 王 が 並 ぶ 、 い わ ば 「オールス ターメンバー」で 構 成 さ れ て ま し た 。 そ れ を 敵 に 回 し て サラディンは ま さ に 獅 子 奮 迅 の 大 活 躍 。 結 局 十 字 軍 側 は 聖 地 奪 回 を 諦 め ま す 。 イスラーム教 徒 側 か ら は 聖 戦 の 英 雄 と し て 讃 え ら れ 、 キリスト教 徒 側 からも捕虜に対する寛大さなど文化的・人道的 な 態 度 で 高 い 評 価 を 受 け 、 ヨーロッパ騎 士 の モデル ともされます。一方重税を廃止し、学校の設置 や イスラーム研 究 奨 励 な ど 功 績 を 残 す 人 物 で す 。 森のヨーロッパと教会建築 イングランドはイギリス? 今 一 般 に 言 わ れ て い る イギリスは グレート ブリテン 及 び 北 アイルランド連 合 王 国 、 United Kingdom= UK なんて言ったりしますよね。でも、世界史の教科 書でイギリスと出てきたときは注意が必要です、 イングランドの こ と を イ ギ リ ス と 呼 ん で い る こ と も あ る の で す 。 イングランドは 大 問 3 で 取 り 上 げ た よ う に ノ ルマンコンクェストで ノルマンディ公 = フランスの 諸 侯 で あ っ た ギョーム(英 語 だ と ウィリアム)に 占 領 さ れ た の で す 。 わ か り や す く 言 え ば イギリスは フランスの 一 部 に な っ ちゃんたんですね。ですから、後に始まる百年 戦 争 も 、 イ ギ リ ス v sフ ラ ン ス 、 で は な く フ ラ ン ス の 大 領 主 (アキテーヌ公 )で あ る イギリス王 ( 戦 争 初 期 の 現在のヨーロッパと言うと、非常に明るいイメ ージなのかも知れません。しかし、中世ヨーロッ パは森に囲まれた時代、まさに「森のヨーロッ パ」です。うっそうとした森林の中に一部切り開 かれた荘園がある、そう思ってください。だから ヨーロッパの民話などから森は「恐ろしい」ところ というイメージが浮かぶのです。一方で、森は多 くのけものを養い、木の実やキノコなどの森の恵 みを人間に与える豊かさ、そして「神聖さ」をあ らわします。ゴシック様式の教会では上からステ ンドグラスを通して降り注ぐ光は礼拝者に天国 を印象付ける一方、森の持つ神聖なイメージに もつながると言われます。 第6回目の提出課題、ご苦労様でした。第1分冊もこれで終わりです。前期試験に向けてがんばってく だ さ い 。 授 業 ・ レ ポ ー ト に つ い て ( 前 期 全 体 で も 結 構 で す )、 感 想 を 記 入 し て く だ さ い (裏 面 使 用 可 )。 世 B⑥-4/4