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No.5
大阪大学理学部化学高分子学教室永契会
No.5
巻頭
目
永契会会長桑田敬治
本年度より野桜俊一先生の後任を勤めさせて頂くことになりました。
身に余る大役で、前任者の残された多くの有意義な成果には及ぶべくも
ございませんが、微力を尽くして、責を果たしたいと存じます。現在の
様に立派な同窓会に成長しました永契会を、会員の皆様の御援助、御協
力のもとに一層、皆様の御期待に添い、無くてはならぬものとなるよう
にその活動のあり方などを考えていきたいと思います。
10代の終りから20代の前半にかけて、4乃至9年に亘る知的成長と自
己形成の中心的期間を同窓に過ごしたその共通の体験は、年と共に連帯
態や郷愁を深めて行きます。同窓会を支えるこの様な、会員の皆様の気
持を大切にし、同窓会が、失われた歳月の思い出を見出し、これについ
1987年10月26日発行
新村教授は、六配位コバルト(、錯体を中心とする遷移金属錯体の合成
および分光学的研究を行い、多くの業績を挙げられ、この分野の発展に
大きく貢献された。分光化学系列に関する研究から出発し〔Coa4b2〕型
錯体のシス.トランス異性体の第一吸収帯の分裂に関する一般則を発見
したが、これはその後の角重なり模型など、錯体の電子構造に関する理
論の発展に、-つの重要な実験的基礎を与えた。また、キラルな錯体に
おける絶対配置と円偏光二色性との関係、およびキラルな錯体を含む多
成分係の溶解度に関する研究でも国際的に著名であったが、ヘテロポリ
イオンの構造や、遷移金属錯体のボーラログラフイーなどについても優
れた業績を挙げられた。
新村教授は、「無機化学」(朝倉書店1984)や「配位立体化学」(培風館
1972(改訂版1981))などの優れた教科書の執筆者としても知られていた。
昭和62年7月これらの活躍に対し、勲三等旭日中綬章が援与された○
て語り合える心の故郷であるようにと望みます。
新村陽一先生の御逝去を悼む
永契会はさらにまた、毎年、新会員を何十人も迎え入れています。こ
の新会員の皆さんは、産業界に、また研究、教育の場に、まさに第一歩
筑波大学化学系教授曰高人才(新4)
を踏み出そうとし、大学外部の社会がどのようなものか、どの様に自分
でしょう。卒業後2,3年乃至数年を経て、今後の進む道を改めて見直
大阪大学理学部教授、新村陽一先生(1日16回)は去る7月1日会議中
に倒れられ、意識を回復されないまま7月15日不帰客となられました。
そうとしている方もあるでしょう。この様な時期には、先輩や同窓生が
先生がこんなに早く私共の前から去ってしまわれようとは夢のようで、
を待ち受けているかを、期待といくらかの不安をもって注視されている
辿った道や辿ろうとしている道をいろいろと知りたいと思われるのでは
まして追悼の言葉など老へられない心境であります。新村先生には中之
ないでしょうか。先輩の体験や、そこで得られた知恵は、後輩の皆さん
島の旧理学部槌田研究室時代から現理学部新村研究室へかけて20年余り
にとって、この上ない指針になると期待されます。
研究生活を共にさせていただき、多くのことを教えられ、また何かと御
迷惑をおかけ致しました。こう書いている今も先生の柔和なお顔が浮ん
できます。しかし先生は逝ってしまわれました。私は先生の豊かな学識
この様に、同窓会が、先輩と後輩を結ぶパイプとして、さらに、いろ
いろの分野へ進出し、いろいろ異なる体験を持っている皆さん方の交流
の広場として機能できることを念願しています。
さしあたり、ニューズレターへの皆様の、自由なお便りをお待ちして
と温厚、高潔はお人柄を敬慕し、常に先生と研究生活を共にし得たこと
を誇りとしていましただけに一入深い,惜別の情を禁じ得ません。
新村先生の突然の御逝去は先生の御貢献が大きいものであっただけに、
います。
錯体化学界は勿論のこと無機化学の分野にとって余りにも深い痛手であ
ります。先生の御研究は金属錯体に関する広範な分野にわたっており、
新村陽一教授急逝
新村陽一教授(旧16回)は、去る7月1日クモ膜下出血のため理学部
会議室で倒れ、吹田市内の国立循環器病センターに入院加療中のところ、
7月15日午後2時37分逝去された。享年61歳。
告別式は、、7月17日に吹田市桃山台の千里会
特にその立体化学の系統的研究と、恩師槌田龍太郎先生の分光化学系列
を発展された業績は世界的に光彩をはなち、その一端は先生の名著、配
位立体化学、に見ることができます。新村先生はもの静かな読書人、思
索の人であり、そして断固とした意志の人でありました。その深く、豊
かな学識と化学に対する見識とは先生の温厚なお人柄のうちに確固たる
土台をなしていました。最近、先生は新しい立場から無機化学を体系づ
館で執り行われ、また、9月30日に理学部葬が
けようと文献を集められ、楽しそうに構想を語っておられました。先生
理学部大講義室で執り行われた。
の温容を思い、その胸の内をおし計ると、何故もう幾許かの天寿が与え
理学部葬は黙祷で始まり、告別の辞を葬儀委
員長である永尾汎理学部長が述べられた。続い
て功績顕彰は千原秀昭教授が述べられた。弔辞
られなかったのかと限りなく悲しく、残念でなりません。
最後に謹んで、心から亡き新村陽一先生の御冥福をお祈り申し上げ、
御遺族の御安泰を念じ拙文を閉じさせていただきます。
を次の各氏からいただいた。大阪大学総長
熊谷信昭殿。日本化学会近畿支部長松田治和I
熊谷信昭殿。日本化学会近畿支部長松田治和殿。錯体化学研究会会長
斉藤一夫殿。化学教室主任馬場宏教授。友人代表木田茂夫殿。門下生
代表海崎純男殿。そして弔電披露、「故人の面影」としてスライド上映
のあと、永尾汎理学部長と奥様の新村暁代殿の挨拶があった。そして理
学部葬は参列者全員の献花をいただいて閉じられた。
新村教授は、昭和25年大阪帝国大学理学部化学科を卒業後、大阪大学
理学部助手、講師、助教授を経て、同41年1月教授に就任された。
新村先生について思い出されること
大阪府立砂川高等学校教諭藤田正紀(修29)
新村先生には、大学院の入試の口頭試問で鉄アンモニウムミョウバン
に関する質問をされ、全然答えられなかったのが最初の思い出として残
っています。
永契会ニューズレター
(2)
その後四年間研究室でお世話になりましたができの悪い学生だったの
でずいぶん迷惑をかけてしまったのではないかと思います。
’81年に研究室に入った時は11人の学生がおり活気に満ちあふれていま
した。後に新村先生が、
信じられない気持ちです。
先生は、遠足では一定のペースで着実に歩かれ、忘年会や新年会でも
量はかなり飲まれたようですがペースの乱れることのない飲み方でした。
また新しいゲーム等には特に強い関心を示されたように思います。
「漫画研究会の顧問になってくれと頼まれてなぜ私のところへ来たの
先生の生活は、12時に談話室で昼食をとられるほかは教授室からほと
かよくわからなかったが、廊下に漫画の本が沢山積んであったからだろ
んど外出されずに文献調査等の仕事をされていました。授業では淡々と
う。」
した語り口ながら内容はよく吟味されしっかり構成されていたように思
と言われたのはこの頃だったと思います。以後、三年間は四年生が一
人も入らず、学生数も減り、'85年には2人、翌年は私も含めて2人とも
抜けて新四年生2人になってしまいました。今年に入って多勢の四年生、
院生が入ってきて再び活気をとりもどしたと聞いていた矢先だったので
います。また修論を見ていただいた時、ほとんど全部手直しされ研究に
対する厳しい姿勢を教えていただきました。
何事にも几帳面な先生だけに計報には驚きました。今は御冥福をお祈
り申しあげるほかに御恩に報いる方法がないのが残念です。
佐多直康先生追悼の辞
“夕焼け、小焼けで……,,
昭和女子大学教授奥山春彦(3回生)
名古屋市立大学薬学部教授岸本博(旧'9)
去る7月1日、佐多直康先生がスイス・ローザンヌの御別宅にて逝去
されました。13日に、先生は満84才の誕生日を迎えられるところでした。
謹んで、先生の御冥福をお祈り致します。
御遺志により告別式は行なわず、「佐多先生を偲ぶ会」を門下生一同
が8月9日午後3時から理学部塩見記念室にて開くことになりました。
会場には奥様のシャルロット夫人と御息女直子様、甥御の螺良氏はじめ
-高同級生、理学部現職及び旧職員の先生、専門の(1日称)膠質学での
御友人等、先生に御縁の深かった方々50名程お見えになりました。
去る7月1日毎年夏を過ごされるスイス・ローザンヌの別荘で永眠さ
れた。あの広い肩と厚い胸に羽織った派手なチェックのジャケットがよ
く似合う先生のお姿に接することは、もはや、できなくなりました。明
治36年7月13日が誕生日ですから、84才、歳に不足はありませんが、頑
丈な先生には、未だ十数年はと、門下生は先生の特許「無公害内燃式発
電所」の上がりによる祝賀会を期待していました。
大阪育ちで北野中学、-高、東大・理・化と進学されⅢ6年卒業され
た。日本におけるコロイド学の先覚、鮫島実三郎先生に師事され、1928
化学・高分子学教室から贈られた供花等に囲まれた先生の御写真を前
年から高名なEHaberを所長にいただくKeiserWilhelm研究所に留
にして、門下生代表奥山春彦氏の挨拶の後、黙禰。芝教授から叙正四位
の位記が伝達された後、奥様は先生が亡くなられるまでの経緯をフラン
学、コロイドー界面科学の開祖HFreundlichの研究室で勉強された。
帰国後は塩見理化学研究所員として、亡命して大工試にいた、これもコ
ス語で詳しく述べられました。普段は日本語で話される方ですが、それ
ロイド学の権威、vonWeimarnの知遇をえて爆発法によるコロイドの
では意を尽くせぬからと伺いました。御息女が通訳されました。故郷を
製法の研究などを行ない学位をえられた。大阪帝国大学発足にともない、
遠く離れた病床にある先生に童謡の「夕焼け、小焼け」などを唱われた
由、胸のつまる思いでした。その後、級友の原田先生が-高時代の裏話
や同級生6名と共に寮歌合唱、コロイド化学者ワイルマンの相弟子であ
った重名先生が回顧談、大学同門の伊勢村先生が阪大時代の思い出話、
基礎工学部今市教授と金沢氏(-高同級生)力撫公害エンジン開発に注
講師、助教授をへて1942年増設されたコロイド学担当の教授となり、1964
がれた先生の情熱をそれぞれ披露された。螺良氏の挨拶の後、門下生の
奥山政高氏が盛夏の中をお越し頂いた方々に謝辞を述べて、閉会した。
〔分析機器室〕紹介
■1-
画瀞'し薑iiiilii鐘iiili蝋iliiミ輔蓼I.
石橋に移転して22年目を迎え各部屋共ベテランのオペレーターに最新
の機械、益々円熟味を加えて参りました。
年定年退官された。先生のご研究はコロイド、界面科学全般にわたるが、
主要なものを以下に列挙しておこう。超音波のコロイドヘの応用(分散解
こう・凝集・乳化・溶解状態の高分子の解重合・乳化重合など)界面活
性剤溶液の研究(粘度・拡散・吸収スペクトル・高分子との相互作用な
ど)煙、泡沫、ペントナイト、寒天ゲルなど。
退官後は趣味の一つ自動車に興味をもたれ、ダイハツエ業の顧問など
もされていたが、排気ガスによる大気汚染に関心を注がれ、ユニークな
発想による無公害エンジンの開発に`情熱を燃やされ数多くの特許を内外
で申請された。平素先生は無口であるが、座談がすきで、よく芦屋のお
宅でパーティーを開かれ、愛妻シャルロッテ夫人のおもてなしをうけた。
不肖の弟子、お礼を述べる機会を失したが、先生のご冥福を祈る。
ンを装備2台共オンラインになりました。種々のプログラムを開発し更
に分析法の改良研究によって精度、正確度、共一段とアップしておりま
す。今年の4月に日本化学会から化学研究技術有功賞を受賞された奥宮
さんと紅一点の林さんが腕をふるっています。
赤外分光分析室では従来の分散型、遠赤、に昭和58年度よりフーリエ
質量分析室で勝昭和54年サントリーの寄附による日本電子、JMA-
変換赤外分光光度計が加わり微(小)量分析及び差スペクトルが容易にな
Ol-SG、で分子量2000位まで測定可能となり、FDやFAB、などの
りました。更にフロッピーディスクによる種々のデーター処理が可能と
イオン化法も付いています。コンピューターでデーター処理も出来るよ
なっています。ぐっと貫禄の出て来た石川さんと少し若い山本さんが頑
うになりました。安達広さんが奮闘中です。
張っています。
ラマン分光分析室では、日本分光R-800分光器でこれに装備されてい
NMR室では、XL-100、FX-90Q、TもOの3台に理学部、基礎工
るデータープロセッサーを使い、微弱なラマン光も積算によって測定可
学部、共同利用で最新鋭のGX-500が基礎工学部に設置されこれまで困
能となりました。又レーザーにより分解しやすい着色試料もサンプリン
難だった測定も可能となっています。又年内に固体の測定も可能なGX
グ等の工夫により出来るようになりました。オペレーターの大浜さんも
-400も入る予定で各研究室の期待に答えられるようになって来ました。
健在です。
李さん、土居さん、安達清治さんのベテランが活躍中です。
以前元素分析室におられた広部友子さんは退職され、信州白馬でペン
ション「おもちゃ箱」を経営中、一度訪ねてあげて下さい。
元素分析室では、柳本CHNコーダー、MT-2型、MT-3型にマイコ
永契会ニューズレター
(3)
「卒業31周年同窓会(新制4回)」
サントリー(株)洋酒研究所室長今井滋郎(新4)
〔定年退官にあたって〕
龍谷大学理工学研究所教授小泉光恵(仁田研究室)
今までは他人事のように思ってきた定年退官がわが身のこととなって、
去る3月31日筆者は大阪大学を退官した。思え
ば戦争の傷跡のまだ生々しかった昭和25年に始
まり、貿易摩擦の真中に終ったこの37年間は、わ
が国にとって建国以来かつてない目まぐるしい
変動の時期であった。
戦後の学制改革が否応なく進む中で阪大に着
任した私は教養部の前身の分校に身を置くこと
鱒
竈iiFl1iiil露,
になったが、旧制高校でもなく大学でもない雰
になったが、旧制高校でもなく大学でもない雰囲気の中で、自らの経験
不足も加わってただひたすらに戸まどいを感ずるのみであった。その頃、
筆者に物心両面にわたり強力な支援を与えて下さったのが仁田教授・
渡辺教授・桐山助教授(いずれも当時)をはじめ当時の仁田研究室の方
々であった。中之島の旧理学部の南側一角を占めた当時の仁田研は30名
に及ぶ大世帯で、戦後の疲弊からまだたち直っていない当時としては、
筆者のような“外様,,の面倒などみることは容易なことではなかったに
このクラスは3,4年に一度集まっていましたが、今年は卒業31周年
を記念して初めての宿泊同窓会を企画しました。卒業が昭和31年でした
から昭和62年はダブル・スコア年に当ります。-ナニ、30周年が幹
事の都合で一年遅れただけです。そういえば、先生方をお招きしての20
周年も実は一年遅れて21年でした。何しろこのクラスは、教養4年間と
相違ない。
修士を含め在学8年以上が何人かいて、短大ならぬ長期大学的雰囲気を
昭和30年代も終りとなると、わが国の経済復興と相まって、大学の整
備も進み、筆者も産研に研究室を開設して、研究も組識化されてゆくの
であるが、大学に身を置く限り、誰もが絶ち切りがたい研究への,情熱に
光明を与え続けて下さった故仁田先生をはじめ皆様方の御厚意に今更の
もっているのでいつも遅れがちです。
ように感謝せざるを得ない。
明治生れの時代ははるか彼方に去り、今や大正生れの時代も終ろうと
している。思えば戦争に、経済と科学技術の復興に身をすりへらして来
た私共であったが、一面充実した60年でもあった。その生涯のうちの最
も意義ある時期を有意義に送らせて頂くことに力を借して下さった大阪
大学理学部。それは私の戸籍上の母校ではないが、生涯忘れ去ることの
できない心の故郷の一つである。その前途に栄光あれ。
広島地区永契会だより
広島大学理学部教授小村幸友(旧13回)
広島地区で永契会の集りが持たれるようになったのは何時の頃からか
5月22日(金)夕「みのお山荘」に集まり翌土曜日は京都近郊のサント
リー・ピールエ場と山崎のウイスキー蒸溜所を見学しました。東は筑波
から西は小倉まで21人相集い泊り込みの気楽さからじっくりと酒を汲み
交わし、産学問の情報交換や議論に花が咲きカラオケとは縁遠い宴会で
したが、杯がすすむにつれ日頃は学生相手に殊勝な顔付きの大学教授も
いつの間にやら学生時代まる出しの言葉が飛び交い始めました。
翌朝あいにくの小雨、ジャンボ・タクシーの車窓からお猿さんを見な
がら京都方面へ。まず桂ブルワリーを見学、タンクから出たばかりの生
ビールやモルツ、カールスベルクを飲み比べ、雨も上った庭の芝生で案
内のお嬢さんも交えた記念撮影。このクラスは髪の毛は大分無くなった
が一人も亡くならず全員健在です。
山崎デイステイラリーでは見学のあとバーのある室に坐り込んで看板
迄いろんなタイプのウイスキーやカクテルを賞味して、記念写真でもハ
レーションを起した見事に光り輝く4人の人に次回同窓会の幹事役をお
願いして散会しました。
さだかではないが、福井大先輩(旧3回)を中心に広大理学部在籍の同
新制10回卒業25周年同窓会
窓生が小じんまりと集ったのが始めではなかろうか。その後昭和52年広
大工学部にも博士課程が設けられ、総合科学部も発展して、これらの学
大阪大学理学部助教授祖侠道夫(新10)
部に赴任される永契会員もふえ、昭和53年頃からは毎年1回定期的に同
窓会を催している。会員は現在では15名になっているが、うち3名は広
証盃囲
大を退官され私学に移られたOBで、他は理学部3名、工学部7名、総
合科学部1名、YMCA学園1名という分布である。従って広島地区と
同窓会における話題は、久關を叙し、同窓の個人消息から、各学部の
情報交換、阪大と広大の環境のちがいなど皆さんご賢察の通りであるが、
とりわけ広大は現在広島市の東方約30kmの東広島市への統合移転計画が
が大幅におくれ、全学の移転完了は69年3月になる予定であり、これに
伴う種々の不便を何とか解決出来ないものか大きな話題となっている。
また広大は今年3月の入試がB日程グループで、阪大・京大・九大など
との併願が可能であったため多数の合格者が他大学に流れた事実が深刻
な悩みとして話された。最後にこの欄をかりて当地区在住で広大外の永
契会員がおられたら是非ご連絡下さるようお願いします。
1鐘一
進行中で、工学部は既に昭和57年3月に移転をしたが、後続学部の移転
雛蝋纈
は申せ殆んど広大関係者であり、探せばもっと他大学、研究機関にも会
員がおられるかもしれない。
‘
、
「公害」という言葉も「ハイテク」という言葉も無く、唯々高度経済
成長を続けていた昭和37年に卒業し、早くも四半世紀が過ぎました。こ
の機会に、各人が歩んだ25年を語り、恩師の先生方にも聞いていただき、
併せて感謝の意を表すべく同窓会が計画されました。
(4)
永契会ニューズレター
6月13日、箕面観光ホテル桂別邸に6名の先生方(廣田、村橋、湯川、
松島、関、中川の諸先生)をお迎えし、化学系卒業生31名のうち26名が
卒業生45名のうち参加者は17名。外国在住の方、仕事が忙しくて参加で
集りました。出席者全員が25年の重みを感じさせる名スピーチを披露し
思いました。ビールを飲みながらの夕食は10年振りに会った人もいて少
ました。中には会社の命運を一手に担っているような意気盛んなものも
あり頼もしい限りでした。進歩の早い今日、25年の隔世の感に驚きつつ
も、変らぬ研究遂行の姿勢を確認しあいました。先生方からは近況と人
傾けるほどにすっかり10年前に戻ってしまい時間を忘れ夜中まで談笑し
生訓、なお一層の激励を受け、恩師の有難さを今更の如く感じ入った次
変わらず、つい昨日卒業したような錯覚にとらわれました。翌日はケー
第です。
ブルカー、ロープウェイ、遊覧船を乗り継いで大湧谷から芦ノ湖へと遊
その後、ゆかたの「制服」に着替え、夜更けまで談笑が延々と続きま
きない方など、人生の中で最も忙しいこの時期にしてはよく集まったと
しぎこちないところもありましたが、その後場所を変えてウイスキーを
ました。職場では責任ある立場にいる人達も、この時だけは学生時代と
びました。芦ノ湖畔で昼食をとり10年後の再会を誓おうとする時、誰彼
した。新制10回は、物故者が一人もおらず、また紅三点すべてがクラス
となく5年後という声がおこり、結局5年後に再び同窓会を持つという
メートと結ばれているユニークなグループです。自然発生的に持ち上っ
ことで解散しました。今回来られた方はもちろん、来られなかった方に
た同窓会開催の立案には、阪大残留の3名が当りました。坂田祥光君は
会の案内と進行を、森島洋太郎君は会場交渉と会計を、小生は始末記を
分担しましだ。出席者全員の御協力で楽しく盛会に終ったことを感謝し
も5年後にはお会いできることを期待しています。
ます。
卒業20年目の同期会
日製産業(株)科学機器海外部艫康彦(高5)
L蝋〈鰯
田所研究室同窓会
大阪大学理学部教授小林雅通(名誉会員)
田所宏行先生が昭和58年4月に御退官されてから毎年5月3日の祝日
我々、昭和42年卒の同期生は大阪、東京などでローカルな同窓会を比
較的よく開いている方である。全国規模となると5年前に母校の大講議
室を借用しての開催以来となる。昨今、東京集中化が進み、入学時には・
豊橋以東の出身者が皆無であったにもかかわらず、最近は東京近郊在住
者が増加、今回の同窓会は東京主導型で行う事になった。
誰かがアレンジしてくれればそれに乗つかって楽しむと云うスマート
な同期生が多い中、徳山ソーダ(株)勤務の松村氏が孤軍奮闘してくれ、
9月5日に熱海温泉で一泊の同窓会となった。当日は東京、大阪を中心
に全国から21名(女性2人を含む)が参加、温泉で一泊と云う事もあり
非常にリラックスし、盛り上った会合となった。お互いに20年振りに会
った仲間も多く、久し振りに学生時代に戻り、爆笑の中、近況や思い出
話しが延々と夜中の3時頃迄続いた。特に今回は時間も充分にあったの
で非出席者全員にも話題が及び、近況を知っている人による紹介や学生
時代のエピソードなどが次々に披露され、同窓生全員が話題の姐上に乗
った一晩であった。
次回の同窓会は大阪の予定で、学部に残っている数少ない仲間の一人
である妻鹿氏が幹事となり、3~5年後を目度に企画してくれる事にな
っている。今回参加されなかった方も次回は是非の参加を期待していま
す。
化学科25回生の集い
大阪府立門真高校教諭原田和嘉子(新25)
時の経つのは早いもので私達化学科25回生が卒業して10年が過ぎまし
た。この区切りの年に同窓会を開こうということで、福本さん、冬広さ
ん達にお世話頂き、5月30日箱根の静雲荘に集まることが出来ました。
に千里阪急ホテルにおいて田所研同窓会を開いてきました。会員数は
175名で、会長は香西恵治氏(新制2回、帝人)、副会長は森本孝克氏
(新制8回、松下テクノリサーチ)にお願いしています。会員諸氏の大
多数は年令的に社会の各界で中枢として活躍しておられる時期に当りま
すが、多忙の中を遠方の方を含めて毎年30~40名出席され、先生御夫妻
を囲んで団楽の時を過しております。今年の参加者は30名でした(写真)。
また、会員の比較的多い東京地区と中国地区で不定期的に先生御夫妻を
お招きして会を開いています。
田所先生は非常にお元気で、毎年、北海道、十和田湖、八ヶ岳、阿蘇
山など各地を御旅行なさったお話しをされ、現役の会員の方が勇気づけ
られることになっています。会員諸氏の活躍の様子を知るのも楽しみの
一つで、毎年各分野での受賞などが披露されますが、今年は安楽秀雄氏
(高分子15回、積水化学)の科学技術庁長官賞と田代孝二氏(高分子11
回、阪大理)の繊維学会、桜田武賞の受賞がありました。会員諸氏の種
々な情報をお寄せ下さいます様お願いします。
|I
永契会ニューズレター
「爾汝会」
(5)
1587年に始まる竜野醤油醸造の昔の用具文献資料を集めたうすくち醤油
大阪市立大学理学部有機化学研究所大須賀昭夫(1日17)
第46回爾汝会総会が9月19日初秋の好天に恵まれた竜野と姫路で斎木
睦彦氏(旧11)の御世話で33名の会員が出席して開かれた。爾汝会とは
小竹無二雄先生の門下159名(内永契会員129、故人35)の集まりである。
会の名称は“じじょかい',と読み、mit-einanderduunddustehen
既ち君・僕で呼び合う仲間の会という意味を持っているそうである。そ
の名のとおり会員一同仲好く小竹先生の亡くなられた後も毎年先生の御
資料館を見学。帰路旧姫路高校の前を通って昔を偲び、白露城前の市立
美術館でこれまた西播磨の生んだ竹久夢この展覧会で大正浪漫を懐かし
んだ(?)次第。実は``夢二'’は小竹先生が62才の時に使い始められた
雅号で(晩年は“夢翁',)ある。先生は御自身の名前の無と同じ音の夢
の字を好まれた。前出の記念碑(写真)の字も先生の御筆跡の“夢”で
ある。爾汝会ではこの字を型どった記念のタイピンを昨年作成し、一同
愛用している。(購入希望の方は芝研究室楠本氏まで)
命日(9月18日)に近い土曜日を例会の日に定め、多忙な方もスケジュ
ールを調整して一堂に会し、佐治敬三氏(1日8)寄贈のビール、洋酒を
頂いて歓談しているのである。昨年は丁度小竹先生の10年忌で、サント
リー研究所の庭にある先生の記念碑の前に集まったが、今年は初めての
試みで総会に先立ちバスによる小旅行が計画された。午後1時姫路駅前
に集合、山陽色素KKの前を通って、竜野へ。竜野は播磨の小京都と呼
ばれる赤穂城受け取りで有名な脇坂氏の城下町で、播州手延そうめん、
淡口醤油はここの名産品である。わが国で最も親しまれている童謡“夕
焼け小焼けの赤とんぼ,,の詩人三木露風の生誕地としても知られている。
その露風と、-高の寮歌“春欄漫、鳴呼玉杯に”の矢野輿安嶺、西田哲
学の鬼才三木清など竜野が生んだ現代の文化人の遺品を集めた霞城館、
“永契会寄附について,,
(4)浅野浩、梅田勝、梅原明、奥戸浩、金丸文一、菊川国彦、澤田秀雄、
ニューズレターNo.4紙上にて、理想的な永契会運営法一永契会積立基
田端一喜、田井噺、中西滋子、中村廣治、山田安定。(5)岩本英次、岡康
金の増加一の趣旨を会員諸氏に御知らせ申し上げたところ、会員多数の
正、奥田幸男、河盛阿佐子、杉原秀雄、鈴木忠、鷲見正雄、中村晃、畑田
御賛同を得、226万4千円(476件)(昭和62年9月まで)御寄附を頂
耕一、吉川史朗、和具正克。(6)梶浦武彦、川嶋重保、西村寧、藤岡一
戴致しました。この寄附金は趣意のとおり永契会運営に役立てる所存で
介、藤重良二、森永豪、吉川雅晴。(7)青木孝雄、岡野貞夫、岡本忠
士、小川禎一郎、蒲池幹治、佐々木昭夫、藤原孫三郎、藤原椒郎、松尾
嘉浩、山本正夫。(8)小国信樹、津田秀雄、浜本義人、南登代子、村
山弥、森本孝克、森本護、山田徹也。(9)小野勝弘、小野浩、柴山漢
ざいます。ここに寄附者御氏名を記載し、謹んで御礼申し上げます。
なお、御失念の方や、振替用紙を紛失された方のために、今回も振替
用紙を同封致します(送付事務簡素化のため全員送付)ので、上記寄附
募金の越旨を御理解の上、御協力下さるようお願い申し上げます。
(幹事一同)
(名誉会員)泉美治、呉祐吉、小林雅通、佐多直康、竹林松二、馬場宏、
林晃一郎、廣田鋼蔵、宮澤辰雄、村橋俊介。(旧制)(1)井上隆之、
桐山良一、中村章、水野健次郎、森幸次郎。(2)目武雄、福島正。
(3)奥山春彦、勝村龍雄、小島昇蔵、関集三、福井憲二、吉田統一。
(4)黒谷寿雄、田中博、田中龍馬、森田利文。(5)於勢真輔、音在
清輝、竹嶋宇策、萩原信衛。(6)神澤得之助、三宅勲。(7)大塚
斉之肋、中川正澄、西本秀雄。(8)尾崎良和、齊藤喜彦、島津嘉男、
菅原忠、富樫英一。(9)大崎健次、加藤俊二、島本宗祐、中崎昌雄、
結城平明。(10)佐竹一夫、畠山英夫、藤井浩、芳岡四郎、吉村嘉男。
(11)相澤吉彦、今永勇二郎、桂博二、小竹宏志、中田弘、堀部純男、
山崎太郎、吉川要三郎。(12)小佐井輿一、篠崎善治、富永直友、野桜
俊一、宗近道郎。(13)大川太郎、梶浦正英、久米三四郎、小村幸友、
三輪外史郎、山口仁平、山下威治。(14)千原秀昭、中西正七、塙輝雄、
星埜禎男、薮内百治、和田悟朗。(15)桐山秀子、栗林俊介、藤井克美、
宮原和彦、三輪霞。(16)乾利成、木田茂夫、黒川実雄、澤夏雄、中條
澄、槌田昭三、永井定、森徹、山口正雄、吉田崇。(17)浅井正、伊藤
尚夫、大須賀昭夫、榊原俊平、芳崎保。(18)大島輝夫、奥山典生、小
林堯、早野和夫、松井芳樹、松本昭、森寛。(19)岩田志郎、奥田暢、
川面博司、桑田敬治、佐藤良生、高石勝比古、高橋萠、田川太一、永井
章文、永田明穂、渡瀬秀夫。(新制)(1)稲畑慶四郎、岡本雄作、)11
戸峯子、河波徹、栗田博行。佐々木弘次、菅江謹一、高科直光、田中賢
治郎、短田英一、中島隆雄、吉田信男。(2)国則武司、奥田みよ子、
香西恵袷、鈴木仁一郎、中西豊、福地尚樹、山崎尚、山崎博史、山本,悟
而。(3)浅田衛、岩附均、斉藤保、佐藤忠雄、藤井富美子(弥策)。
人、吉岡斌、安福克敏。(10)伊藤億章、五百蔵弘典、江村和朗、川合
實、菊澤賢二、坂田祥光、清水晃、祖棟紀子、祖侠道夫、竹内英麿、中
原理人、藤三郎、山下伸典。(11)佐古光聰、増成紀彦、丸川栄子、丸
川雄浄、山本景炸。(12)伊勢村知子、田中秀明、深瀬快。(13)竹島
雅之、中村稔、新田百合子、正井治夫。(14)赤松汎湖、阿竹徹、大
坪徹夫、奥田隆夫、小野寺夏生、桜井正憲。(15)伊藤祥輔、奥正興、
佐々木義弘、妻鹿友弘、薮内令子。(16)加茂直樹、斎藤光雄、清水保美、
田中寿夫、松浦誠。(17)荒川隆一、鵜川清、嶋和雄、桝井美弘、松田
一弘、宮地勲。(18)相本三郎、上田哲男、江口太郎、三村栄紀。(19)
石飛裕、辻喜良、任田康夫。(20)荒井裕志、河野敬一、中辻慎一、由
利秀樹。(21)安達芳雄、井上太一、木村章、垂水有三・(22)尾崎芳昭、
吉川信一、塩入明、杉谷充久、津江月義男、吉川正則。(23)東洋司、
池上伯郎、池中一裕、筒井謙之、古山昌利、森山昭彦。(24)大谷茂樹、
片岡源史、小林典彦、中村利夫、西川禎一、村田和生、矢野茂生、山本
晃嗣。(25)安蘇芳雄、小笠原孝治、田中弘一郎、原田繁春、原田和嘉子、
古川純一、向坂隆一朗。(26)江部肇、久保恵司、小西邦和、夏目文嗣。
(27)岩佐孝、植村幸永、尾崎好秋、杉村高志、瀬川純、村上義樹、森本
聡。(28)東文子、蔭山信夫、竹原豊浩、村川恵、村川惠美。(29)岩梨
規近、神谷宏、菊本芳和、駒田泰生、新家浩一、高尾敏文、柳内和美。
(30)大浦剛、勝谷成男、鷲見信二郎、洞正男。(31)今中宏真、大倉裕二。
(32)中井孝尚、山根常幸。(33)北澤学、森治樹。(34)加納佳代子。
(高分子)(1)伊勢村護、今井康晴、宇野敬一、太田浩二、古武弥英、
高橋成年、滝川隆平、安田源。(2)大西晋央、岡本佳男、菊川清、木
本新、沢田正実、名越文哉、松本嘉生。(3)青山正、上山憲一、大喜
多泰郎、柿田秀人、永井敏夫、林雄太郎、、若槻康雄。(4)石原英昭、
高橋宣人、田嶋弘、中野凱生、林善久、福井宗夫、藤井孝宏。(5)
田辺泰弘、藤田桂丸。(6)拝田治、松村和浩。(7)大野隆夫、越
永契会ニューズレター
(e)
智浩、松下哲夫、三松啓子。(8)梅谷幸平、田中友美子、前田卓郎。
(9)柏原章雄、菅野悦次、馬場眞、舟槻源右衛門。(10)竹本修明。
(11)神山政樹、高萩隆行、田代孝二、宮下哲、八瀬清志。(12)岩井
燕、打土井正孝、内藤一美、本岡正則。(13)楠木正巳、宮木義行。
(14)住谷充弘、長沢晴司、菜嶋健司、早瀬修二、東畑好秀。
(15)安楽秀雄、岩根久、渡部武。(16)伊藤恵啓、楠山英夫、平松幹
弘、吉永和夫、吉永曜子。(17)岡本一起、柏木保寛、竹谷誠、玉置勝
巳、矢野正裕。(18)酒井泉、松原良明。(19)秋元英郎、鎌田悦雄、
西俊弘。(20)天野道之、井上敬二郎、榎本晴光、川瀬りさ、桜井和朗、
中西猛、野嶋将晴、深瀬啓子。(21)楠山みどり。(22)武田淳子、宮
下拓。(23)岸田誠一、田中弘滋、渕野英俊。(修士)(3)大滝忠昭、
高木定夫、沖恒平衛。(5)山本和彦。(10)植田育男、小保方隆夫、
塩原友雄。(11)小林正道、杉崎昌和。(12)尾島+郎、田端英世。
(13)石塚靖子、今泉文武、大熊英夫。(14)竹内泰平、吉田憲鐡。
永契会会員各賞受賞者一覧
(15)有田斉。(16)芝崎靖雄、新矢靖夫、山田強。(17)三島正章。
(18)長谷川真二、峰松宏行。(19)福111清史。(20)神野正文。
(21)堀田久範、森垣政和。(22)田口秀樹。(24)吉川幸宏。(25)
村上茂樹。(26)島津省吾、松清繁男。(28)八巻直人。(30)東井隆
行。(博士)(36)吉原敏雄。(37)高野常広。(40)植木龍夫。
(42)溝田忠人。(44)綱島群、中嶋弘、吉村彰雄。(45)成田元。
(46)長谷川弘。(49)孫淳信。(50)太田信昭、藤堂栄司郎。(54)
西谷新二・(59)吉朝朗。(研究室関係)(真島)岡原國男、大田満夫、
小西信一郎、川崎博、迫田直一、野村昇、松田源治、新崎輝子。(呉)
山崎貞子、荻野和彦、中尾公宣、妹尾鹿造。(仁田)影山光太郎、長谷
昌紀、西山誼行。(槌田)小稲則夫、森田秋子、松岡延子。(田所)
福田健、達家清明、浮田實、植田豊。(小竹)荒川久雄。(谷)植田京
子。(野桜)山本統平、辰巳正和、三国利美子。(池田)横山友。
(藤田)本間輝武。
昭和61年度永契会収支報告
昭和61年度(昭和61年3月23日~昭和62年3月14日) の会計決算が、
日本化学会賞(大阪大学理学部教授)
池田重良(名誉会員)
3月14日の総会において下記の通り承認されました。
日本化学会学術賞(大阪大学理学部教授)
菅宏(旧19)
終身会費(85人)
日本化学会化学技術有功賞(大阪大学理学部技官)
奥宮正和(分析機器)
高分子学会賞(大阪大学理学部助教授)
則末尚志(高4)
寄付金(428件)
日本レオロジー学会有功賞(大阪大学理学部助教授)
足立桂一郎(修13)
繊維学会櫻田武記念賞(大阪大学理学部助手)
田代孝二(高11)
科学技術庁長官賞(研究功績賞)(積水化学工業㈱メディカル
事業部研究員)
(収入の部)前年度からの繰越金
8,000円
1,689,500円
利息
123,548円
計
(支出の部)
5,201,667円
総会費
80,000円
印刷費・データベース作成及び管理費
378,093円
通信費
191,380円
弔費
1,640円
振込・振替・信託手数料
(大阪大学理学部・理学研究科化学・高分子学関係)
新任
植田育男(昭和61年10月1日)産業科学研究所
(有機合成薬品部門)
停年退官
小泉光恵(昭和62年4月1日)産業科学研究所
(合成無機材料部門)
23,680円
事務費
67,656円
計
742,449円
次年度への繰越金
囚團
423,000円
会誌代
安楽秀雄(高15)
(昭和61年9月~昭和62年8月)
2,957,619円
4,459,218円
(永契会会計幹事文珠四郎秀昭)
幅集後記無事No.5刊行。これもひとえに会員諸氏の積極的な御協力
のお陰でございます。このレターのマンネリ化を防ぐためにも、今後共
同期会、研究室関係の同窓会のみならず、小人数の集いの便り、会員の
現況便り等の御寄稿を期待しております。またレターについての御意見
等も編集部へ御寄せ下さい。このレターが御手元に届くことをもって住
所確認を致しておりますが、会員住所録の整備が永契会の最重要事業で
ございますので《・住所変更等は御一報下さい。
吉川要三郎(昭和62年4月1日)教養部(化学)
死亡
新村陽一(昭和62年7月15日)理学部化学科(無機化学講座)
国囹(M年,0月以降、敬称略)
原沢四郎(槌田)、藤井弥策(新3)、古川弘三(1日19)、
佐多直康(名誉会員)、新村陽一(旧16)、三雲正敏(高分子3回)
以上の方々の御冥福を心より,お祈りします。
永契会ニューズレターNo.5
発行日1987年(昭和62年)10月26日
発行所大阪大学理学部化学高分子学教室内
~
氷
契会
編集代表者山本景詐(内線4197)
〒56O豊中市待兼山町1-1
06(844)1151(代表)
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