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2 - RGSシャンソン研究会

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2 - RGSシャンソン研究会
No.2
2010年 1月 1日発行
り、専ら仏軍関係の資料の翻訳や
時に自作の詩やエッセイを投稿し
ていた。中には「ノーモア・ヒロ
シマズ」という反戦詩まがいのも
のもあった。
かくして部活に夢中であった私
ではあるが、月に一、二度の外出
の楽しさは格別、中でも友人との
鎌倉散策が最も多かった。史跡に
恵まれた古都のたたずまいに魅
せ ら れ た の は 当 然 で あ る が、 制
服の防大生に注がれる市民の視線
も暖かく、行きつけのシャンソン
喫茶は、まさに私達のオアシスで
あった。ある時レオフェレの声で
アポリネールの「ミラボー橋」が
流れて来た。フランス語の授業で
習った歌詞そのままに、私はつい
口ずさんでいた。以来、シャンソ
ンはフランス語の学習そのものと
なり、アフターファイブの趣味な
が ら、 戸 川 昌 子 先 生 に 師 事、 レ
パートリーも百を超え、苦節九年、
五〇歳でを過ぎて晴れて人前で歌
うお許しを頂いた。今では北海道
帯広から二回公演を依頼されるな
ど、ささやかながら歌手冥利を味
わっている。
室長)
(筆者は元総理府ヘリコプター運用
1
星野 亮
今 か ら 半 世 紀 前 の こ と、 私 は 若 者 が 青 春 の 情 熱 を 燃 焼 さ せ る に
横 須 賀 市 小 原 台 に あ る 防 衛 大 学 最適な環境であった。
の 学 生 で あ っ た。 一 般 の 大 学 生
日課は正課とともに課外活動が
活 と は 異 な り、 全 寮 制 で、 外 出 重 視 さ れ、 運 動 部 は 全 員 加 入、 文
は 制 服 で 土 日 祝 日 の み、 門 限 も 化 部 は 自 由 が き ま り で あ っ た。 少
夜 の 九 時 半 整 列 点 呼 と、 い さ さ 年 の 頃 か ら 高 所 が 好 き で あ っ た 私
か 窮 屈 で あ っ た が、 青 少 年 時 代 は、 陸 上 要 員 な が ら 迷 わ ず グ ラ イ
まき
英 国 に 留 学 さ れ た、 時 の 校 長 槇 ダ ー 部 に 入 部 し た。 構 内 の グ ラ ン
とも お
智 男 先 生 の「 真 の 紳 士 を 育 成 す ド 一 杯 に 使 う プ ラ イ マ リ ー( 初 級
る 」 と い う 教 育 理 念 の 下、 戦 前 機 ) に よ る 発 着 訓 練 は、 基 本 の 反
の軍学校には無い雰囲気があり、 復 で 厳 し い も の で あ っ た が、 定 期
休暇時には民間飛行場等でセコン
ダ リ ー( 中 級 機 ) を ウ ィ ン チ や 自
動 車 で 曳 航 し、 一 気 に 三 百 メ ー ト
ル上空まで上昇する場周飛行の訓
練 が 行 わ れ、 空 を 飛 ぶ 素 晴 ら し さ
の 虜 に な っ て し ま っ た。 教 官 は 部
外 の 一 流 教 官、 中 に は 高 度 の 日 本
あきら
記録を持つ島森 彰 氏もいた。合宿
)
終 了 時 に は、 国 際 航 空 連 盟( FAI
公 認 の 滑 空 記 章 章、 B 章 の テ ス
ト に 合 格、 後 年 パ イ ロ ッ ト の 道 に
進む契機となった。
つ ぎ に 文 化 部 は 校 友 会 誌「 小 原
台」の編集を所掌する文芸部に入
▲星野 亮氏(NASA にて)
A
羽山 セイ
昭 和 の 初 期、 フ ラ ン ス よ り 自 分 の 中 に 素 直 に 入 り 込 ん で い
来 た シ ャ ン ソ ン は、 シ ャ ン ソ くのを感じたのです。
ンとして我が国の歌のジャン
シャンソンは人生を三分間の
ルに受け入れられています。
中にドラマとして歌い込んでい
私 も こ の シ ャ ン ソ ン に 魅 せ ま す。 そ の 時 々 で 聞 い た シ ャ ン
ら れ、 シ ャ ン ソ ン サ ー ク ル に ソ ン の 歌 は、 自 分 の 歩 ん で き た
入り、歌っています。
人 生 と 比 べ、 今 ま で に 感 じ て き
たまたま行った横浜のデュ たいろいろな出来事を思い出さ
モ ン で 日 野 さ ん の 作 曲 し た 日 せてくれるのです。
本生まれのこの曲を聴きまし
あ の 若 か り し 日 の 出 来 事、 そ
た。なんともいえぬメロディー し て 懐 か し い 思 い 出 が、 頭 の 中
に、 私 は シ ャ ン ソ ン を 感 じ、 によみがえります。
「日本で生ま
れたシャンソ
ン」といった
今回のテーマ
を望まれたと
き、 こ の「 砂
のジュテーム」
を私は推薦し
たいと思いま
した。
羽山さん
砂のジュテーム 愛に満ちた日もあった 激しい嵐に泣き濡れた日も
時は移ろい流れてゆく 枯れ葉は歌う別れの歌
今、魂の隙間から
こぼれ落ちる枯れ葉
冬にすべてが死んでも
めまいのように花は目覚め
ジュテーム この香り
ジュテーム 忘れないで
ジュテーム あの日の永遠
ジュテーム 忘れないで
乾いた夢 砂漠のようね
幻の愛を待ち続ける
遠くまどろむ 砂のジュテーム
白い蝶になって去ってゆく
今、魂の隙間から
こぼれ落ちる枯れ葉
冬にすべてが死んでも
金色の枯れ葉に生命変えて
ジュテーム この香り
ジュテーム 忘れないで
曲 日野敦子
詩 雪月水葉
ジュテーム あの日の永遠
ジュテーム 忘れないで
間奏
〈セリフ〉枯れ葉は歌う
この別れの歌を
冬にすべてが死んでも
めぐる季節 花は乱れ
幻の愛をひとり待ち続ける
今、魂の隙間から
そっと囁く 砂のジュテーム
冬にすべてが死んでも
燃える生命ある限り
(ジュテーム この香り ジュテーム 忘れないで
ジ ュ テ ー ム あ の 日 の 永 遠
ジュテーム 忘れないで)
〈リピート〉
の『 日 本 生 ま れ の シ ャ ン ソ ン 』
●メロディーは、近日刊行の予定
第一巻に掲載。
2
57
ADIEU
Adieu というタイトルのシャンソンはいくつかあり、日本では Yvette Giraud の歌ったこの詩が有名だ。どう
いうわけか、同じメロディーに Adieu, Addio, Sognio di Gloria!(さらば、栄光の夢)とイタリア語のサブタイ
トルのついたものもあり、しかも全く違うフランス語の歌詞がついて歌われている。Yvette Giraud 版の CD
についている原詩にはミスプリントが数カ所あり、訳詞に苦労した。このようなことはシャンソン歌詞の印刷
物にはかなりあるようだ。それにしても、シャンソンの原詩検索に便利な Paroles.Net が閉鎖中なのは残念だ。
Celle qui t’a pris à moi, je devrais la maudire
Pourtant, vois-tu mon amour, je me force à sourire
Elle est charmante et tu l’aimes, cela doit suffire
Puisque ton bonheur est là, c’est fini, oublie-moi
私からあなたを奪ったあの人、ほんとはあの人を恨んでもいいはずよ。
でも、あなた、私は微笑もうとしているの。
彼女は魅力的だし、あなたは彼女を愛している。それだけで十分よ。
だって、あなたの幸せはそこにあるのですもの。それでいいの、
私のことは忘れて。
Adieu, toi que j’ai tant aimé
Adieu, toi qui m’a tout donné
Tu m’avais fait le serment de m’aimer pour la vie
Oui, mais ton cœur brusquement en decide autrement
さよなら、私があんなに愛したあなた。
さよなら、私にすべてをくれたあなた。
あなたは私を一生愛してくれると誓ったわ。
そう、でもあなたの心は突然、ほかに愛を決めてしまったのね。
Adieu, puisu’il faut nous quitter
C’est mieux, je ne veux pas pleurer
Nous avon eu, souvien-t’en, des années si jolies
Que rien qu’en les évoquant on ferait un roman
さよなら、私たち別れなければいけないのね。
それでいいの。でも私は泣かないわ。
ねえあなた、思い出してよ、私たちが過ごしたあのすてきな歳月を。
あまり楽しくて、あの頃のことは何も思い出そうとしなくても、一
冊の小説が作れるはず。
Mais le destin qui nous sépare
Ne peut pas nous désunir
Tant u’il reste dans ma mémoire
L’empreinte de nos souvenirs
Adieu, je garde au fond de moi
Tes yeux et l’echo de ta voix
Ton souvenir est vivant
C’est lui qui me caresse
Auprès de moi, je te sens
Invisible et présent
Adieu, toi que j’ai tant aimé
Adieu, toi qui m’a tout donné
3
戦場に咲いた花 ララ・アンデルセン
メンタルな歌は全世界に流れていっ
たのだった。
一九四一年秋、ララは思っても見
ないファンレターの洪水に見舞われ
る。
「ララ・アンデルセン様」「リリー・
マ ル レ ー ン 様 」、 差 出 人 は す べ て 前
線の兵士たち、アフリカからのもの
が多かった。二年前に録音したあの
歌が兵士たちの間で大きな反響を呼
んでいた。戦争が終わると、ソ連兵
もアメリカ兵もイギリス兵も、ドイ
ツの各都市を占領するや、レコード
第一次大戦に従軍した詩人ハン
屋に飛び込みたった一枚のレコード
ス・ ラ イ プ は、 そ の 思 い 出 を も と 「リリー・マルレーン」を買い求めた。
に詩集『港の小さなオルゴー』を出
やがて、ララは連合軍の将校たち
版する。一九三八年、作曲家ノルベ
に探し出され、再び劇場へと連れ出
ルト・シュルツェはそのなかの「リ
される。初夏のベルリン、空襲で荒
リー・マルレーン」が特に気に入っ
れ果てた劇場、若さも失い、疲れ果
て作曲し、若く、美しい、酒場の歌
て。やつれたララは、低く、か細い
い手、ララ・アンデルセンに捧げた
声で「リリー・マルレーン」を歌い
が、レコードは六〇〇枚しか売れな
始めた。しかし、彼女は恐らく、こ
かった。
の歌の第二小節以降を歌う必要はな
そ の 頃 ド イ ツ 軍 は、 連 合 軍 と ア
かったろう。客席を埋め尽くした連
フリカで激しい砂漠の戦闘を繰り広
合軍の兵士たちは、それぞれの音程、
げていた。バルカンを制したドイツ
それぞれの国の言葉で、この歌を合
はベオグラードから喧伝放送を始め
唱し、彼女の歌を盛り上げた。すべ
た。それは毎夜 時 分からアフリ
ての人の目に涙が溢れていた。この
カ前線のドイツ兵のために流された。 時初めて「リリー・マルレーン」は
けれど、歌は敵味方の境を越え、連
平和の歌として高らかに鳴り響いた。
合軍の兵士たちの間にも知れ渡って
リリー・マルレーン!
いった。兵士たちは聞いた。兵舎の
( 鈴 木 明 著『 リ リ ー・ マ ル レ ー ン
片隅や塹壕の中、息を潜め聞くラジ
を聴いたことがありますか』より
オで、戦車の無線機で。このセンチ
松浦進一・記)
21
でも、私たちを別れに導く運命も
私たちをほんとうに引き裂くことはできないわ。
私の記憶の中に、
私たちの思い出の軌跡の残っている限りは。
さよなら、私の心の奥深く守っていくわ。
あなたの眼差し、あなたの声の響きを。
あなたの思い出は生き続けている。
それが私をやさしくいやしてくれる。
私のすぐそばに、眼には見えないあなたとそこに居るあなたとを感
じている。
さよなら、私があんなに愛したあなた。
さよなら、私にすべてをくれたあなた。
港 町 横 浜、 中 華 街 と 山 下 公
園 の 間 に あ る こ の 店 は、 も う
開店してから二〇年にもなる
だ ろ う か。 現 在 は ピ ア ニ ス
トの日野敦子さんが二代目の
オーナーとして経営している。
シャンソン界の一流歌手が出
演 し て お り、 落 ち 着 い た 店 の
雰囲気とともに来客を楽しま
せてくれる。
時 に は、 オ ー ナ ー の 日 野 さ
んがお客の作詞した曲を歌っ
て、 聞 か せ て く れ る こ と も あ
る。 休 日 は 日 曜・ 月 曜 だ が、
少人数のライブなどのイベン
ト に も 使 え る そ う な の で、 直
接相談するとよい。
ま た、 シ ャ ン ソ ン や フ ラ ン
ス語ののレッスンも開かれて
い る の で、 受 講 す る こ と も で
きる。
中 華 街 が す ぐ 隣 に あ り、 食
事のあとのひとときを楽しむ
のもよいし、山下公園の散策のつ
いでに立ち寄るのも、また元町で
のショッピングをついでに楽しむ
のもよいだろう。
皆さんのお好みコースで、この
デュモンでシャンソンを楽しんで
はいかがですか。
マリンタワー
元町通り
朱雀門(南門) 石川町駅方面
横浜市中区山下町一〇〇 —
三
リレント山下町1F
電話〇四五 —
六四一 —
二九六八
営業時間午後七時〜十一時
ステージ午後七時半〜
休 日 は 日・ 月( 貸 切 申 込 み 可。 直
接お問い合わせください)
出演者などのスケジュールはイン
ターネット http://www.dumont.
に詳しい。
co.jp/
元町中華街 3 番出口
本町通り
高速道路と川
エクセレント
コースト
dumont
キクヤ
中華街方面)
スリーエフ
朝陽門(東門)
山下公園
海岸通り
●「日本生まれのシャンソン」ホームページ http://rgschanson.com
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