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人間の悲運は涙をさそい出し、 心の底を深く打%ー)。

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人間の悲運は涙をさそい出し、 心の底を深く打%ー)。
(その7)
佐々木
一
人間の悲運は涙をさそい出し、心の底を
健
ディドロ『絵画論』
訳と註解
誰もが知っているわけでないこと
表情に関して誰もが知っていること、
-
究として、ロマッヅォ『絵画垂術論』
一
(PaO-O「当む22〇・ご已訂≠Q丸亀こ、弓≠内乱屯へ㌻甘こ§♪
ということが、情念と絵画の結節点をなしている。次に言及するR・ド・ピールは、絵画論、における情念の研
然感じているはずの情念を表現することが、重要だや茎ある。「心の動きは身体の
いて情念に言及している。特に歴史画における真実味の点で、主題である劇的状況の中に居る作中人物たちが当
り、デッサンと構図、彩色法と明暗法が、絵画の主要部分である。だがそのアルベルティも、構図の文脈にお
題を形成していたものではない。アルベルティによれば、「絵画は輪郭と構図と採光と
のの新しさの面がある。ここでいう..e眉reSSiOコ、、とは「感情の現われ」であるが、これは絵画の古典的主
美学や美術論の中の術語としては新しい概念である。その新しさには、問題としての新しさの面と用語そのも
初めにこの章の主題について三一口しておこう。「表情」と訳したのは.√召reSSiO㌔
(表現)であるが、
第四章
-
の第二巻を挙げていな情念が身体現象の上に現われてくるという事実は、デカルトが「情念の
互gコeSe已かrieurs)」として体系的に論じたものであ態そしておそらくはその
アカデミーの会長、シャルル・ル・ブランが講演の主題としてとり上げるに至短ル●ブランに
は.√召reSSi。コ、、の概念と結びつけて語られる。彼の伝える.√召reSSiO㌔概念は、注目に値する。それは、
第一義的には感情との特別な結びつきを持っていない。
私見によれば2眉reSSiOnとは、描写しようとする対象のありのままで自然な性格のことである。それは
必須のもめであり、絵画のすべての部分に入ってくるものであって、タブローはe召reSSiOnなしには完
壁なものとはなりえない。個々の事象の真の性格をしるすのもそれであるし、われわれが物体の性質を見分
けたり、また人物像が動きをもつように見え、虚構された一々のものが本物であるように見えるのも、それ
によることである。……
本日明らかにしようと思うのは、e眉reSSiOnがまた情緒すOu諾mentS
de--賢e)をしるす部分でも
あり、これによって情念の効果は目に見えるようになる、ということであ短
この第一の意味は、個々の対象や事象の個的な存在感、すなわち、いかにもそのものらしいという感じもしく
は効果に他ならない。このような感じは、日本語の「表情」の語を充てて理解することができよう。引用した
最初の一文のみを取り出して考えるなら、この表情は、絵画以前の現実の中にも認められるかのように見える。
しかし、注意すべきことは、この「表情」の意味での用法が、当時の辞典にも見られない特殊なものであった、
ということである。一六九四年の初版のアカデミーの辞典を見ると、果汁をしぼり出すこと、そして言語表現
の意味につづいて、第三番目(かつ最後)
に絵画用語が挙げられているが、それは「情念の生きいきとした自
然な再現」と定義されている。つまりそれは、ル・ブランの第二の意味である。これだけの資料によって、彼の
第一の意味がこの第二の意味を一般化したものと断ずることは、行きすぎであろう。しかし、少くとも、第二
の情念の表現という意味の万が一般に知られていたものであり、第一の意味の方は特殊な、従って言わば専門
expressiOコと呼んでいる現象であるが、アカデ、、、-の辞典を見るかぎり、それも絵画の中の表現と
用語的な性格のものであった、ということが窺われる。情念の外的表現としての「表情」は、現在われわれが
普通に
してしか考えられていない。
(〓ハ六八)である。これは、五四九行のラテン語の詩の形で
このような「表情」の術語としての位置を考える上で、二つの事実を参照するのがよい。先ず第一はシャル
ル=アルフォンス・デュフレノワの『絵画論』
iコくeコtiO)、デッサン、色彩の三つを数え
ここには七十一の教え(praeceptuヨ)が述べられているが、その二十九番目が「情念へAffectus)」で
書かれ、R・ド・ピールのフランス語訳及び註解つきの形で公刊された、フランス最初の体系的絵画論である。
ある。だが、デュフレノワは絵画の部分(pars)として、構想
もしくは表情が、伝統的な区分の枠をはみ出した問題であることを示している。そのことは、デュフレノワと
これが新しい問題意識であったことを暗示している。
もう一つの事実は、ル・ブランの指導下にあったアカデミーにおける「表情」の位置である。絵画と彫刻にお
いて、知的な側面と実践的な側面のあることを認め、前者のゆえに、このl一つの美術が「自由垂術(ふrtS
〓bかra亡X)」としての資格を有することを主張したアカデミーは、一六七〇∼七九年の間、「確かな規則
三
特にド・ピールの註解が、情念の表現を霊感もしくは天分古かコーe)と結びつけているという事実と相侯って、
(拉
蔚統的宣揚に立ち、情念はデッサンから色彩に移るような場所に
(
(r伊g-es
ass已・rかsこ
を確立する努力を展開する。一六七〇年にはデッサン、七二∼七八年には人体の様々
し、外延についての説明は、同じく「おしなべて(eコg㌢耳aこ」という点に関係している、と思われる。
の外延を述べている。俳優垂術が引き合いに出されるのは、定議の中の「或る感情の形象」ということに関係
定義に説明を加えている。説明はまだ続くが、この最初の二段は、俳優塾術との照応関係と、「表情」の現象
この三つのパラグラフは、l行だけの第一パラグラフが「表情」を定義し、あとの二つのパラグラフがその
5を持っている。
町か、同じ町でもそれぞれの家が、同じ家でも各個人が、同じ個人でもそれぞれの瞬間が、その顔つきと表情と
世界のどの部分をとってもその中のそれぞれの国が、同じ国でもそれぞれの地方が、同じ地方でもそれぞれの
絵画に精通していない俳優はつまらない俳優であり、人相に精通していない画家はつまらない画家である。
表情はおしなべて、或る感情の形象である。
本文に入ることにしよう。
えられるから、ディドロがそれをどのように理解していたかは、大いにわれわれの関心を惹くところである。
して絵画論の中に根を下していた、と見るべきであろう。しかし、その概念内容は流動的なものであったと考
題を提起したというわけではない。むしろ、ル・ブランから一世紀弱の時間を経て、表情は一つの主要問題と
従って、ディドロが構図に先立って表情を論じていることは、注目に値することではあるが、全く新しい主
集成された。このことから、表情が新しい課題として、重要性を獲得するに至ったことが窺われる。
なプロポーション、七五年には表情、七八年には構図と明暗法、七九年に色彩の、それぞれについての規則が
(旦
四
この二つの説明は、緊張関係に置かれている。一方は表情を個人の、特に顔に位置づけるのに対し、他方は、
それを世界のあらゆる部分の中にみとめているからである。これがル・ブランの二つの意味に対応しているこ
とは、言うまでもない。ただし、ここでは人の感情表現が基本であり、それが敷術されて他の諸現象に及んで
いる、と考えられる。そのことは、先ず俳優のことが語られていることからも、また表情の外延を枚挙する際
に、最後に「個人」を挙げて、「顔つきと表情」との結びつきをはかっていることからも、窺われる。注意し
てみると、「個人」以外にディドロが「表情」をみとめている場所は、一見万象に及んでいるようであるが、
自然対象は挙げられておらず、精神的個性をもった人間の集団に限られている。このことからしても、ディド
ロは人の感僧表現を原型として表情を考えている、と見てよいであろう。
排優に対して「絵画への精進」を要求している一文を読むとき、われわれはディドロの演劇論の中の中心的
(一七五七)や
th㌫tre)と呼びつつ、前者を重視する思想である。文字通り「絵になるような」、少い言
テーゼの】つを想起する。それは、演劇表現の二つの類型を区別し、喜一方を「タブロー」、他方を「演劇的大
事件;Oup
(一七五八)において劇作法もしくは詩学の上の概念であるが、俳優に絵画への関心を要求する
五
から、意味が比喩的な方向にスライドしているように思われる。排優を引き合に出して言われる▲.、physiOコ○ヨie、、
「相貌」一般を指して用いられ誕、ここでは、その本来の意味に基きつ
る」及び「顔つき」と訳したのは.、physiOコ○ヨiste、皮び、.physiOコ○ヨie、、である。この語は、比喩的に
排優は表情の垂術家である。その表情は、特に顔に集中しているように思われる。訳文中「人相に精通してい
の中の表現に通暁することが必要と思われるからである。
思想と通じている。何故なら、絵画をモデルとして構想された場面を演ずるには、俳優も絵画(特に歴史画)
『劇詩論』
葉と深い意味をはらんだ所作によって構成される場面である「タブロー」は、『私生児対話』
de
ほ、当然、「人相」の意味だが、国や町などについて言うそれは、相貌の意味に近づいてくる、という次第で
ある。
六
に気づくだろう。
定義の説明がつづく。先ず「心の動き(ヨOu<eヨeコtS
言われ、それは「表情の巨大な集成(亡n
reCue〓-ヨヨeコSe)」
誌ヨe)」が、顔のすみずみにまで、外化されて
であると断定されている。ある歴史画を画
より重要な。とは、。の表情と美醜の判断との結びつきに関する議論である。九行目に
ということである。.、e苫reSSiOコ、、はあくまで「顔つき」と同義であり、外化された結果の、目に見える
くることが示される。注意すべきは、この外化の動きそのものをへ.e眉reSSiOコ、、の語義と考えてはならない、
de
りするものが常に、善い性質を映し出す像、もしくは、悪い性質のかなりはっきりした刻印である、ということ
なりの容貌を見ながら、自分の心をさぐってみたまえ、そうすれば、君をひきつけたり、君に嫌悪感を抱かせた
美や醜について我々の下す判断の根底をなすものである。友よ、このことをよく銘記してはしい。或る男なり女
10これらすべての表情の巨大な集成である。我々でも誰もがその小さな貯えをそれなりに持っており、それこそ、
分にも、である。目は輝き、曇り、活気を喪い、空ろに錯乱し、凝視する。そして、画家の偉大な想像力とは、
彼の顔の上に、と書いたが、そうではない。彼の口の上に、彼の頬の上に、彼の目のなかに、彼の顔のどの部
のような彼の心の動きはどれも、明瞭かつ歴然として間違えようのない文字で、彼の顔の上に描き出されてくる。
人が怒り出す、注意深くしている、好奇心を示す、愛する、憎む、軽蔑する、見下す、讃嘆する。そして、こ
喜
くとしよう。対象となる劇的な状況の中にいる人物が、どのような様子をしているかを想像することが、画家
には必要となる。その想像の働きとは、そのような状況の中にいる人がどのような表情をしているかを、口の
形や眼差その他について具体的に思いうかべることである。この働きは、類似の状況の中での人の表情を数多
く知っていることを基本とし、その組み合わせと部分的な変更を加味することから成り立っている。これが
「画家の想像力」の実態であり、ディドロの美学の中心思想の一つである「かん」の概念や「関係の知覚」の
思想にも通じている。これと同じメカニスムが、鑑賞者の側にもあり、そこに美醜の判断の基礎がある。ここ
で、作り事から受け手へと立場が変るにつれて、.美醜という契機が導入されることに注意しなければならない。
情念もその表情も、それ自体は美醜の対象ではなく、精々道徳的な対象である。では、そのような対象を正確
に或いは生きいきと描いた画像が美しい、と言われるのか。これも注意すべき点だが、そうではない。デイド
ロがここで言う美醜は、決して垂術的表現の質に関する評言ではない。道徳的現象がいかにして美醜の現象に
転換するのかと言えば、そこに道徳的価値と美的価値との顕著な平行関係が見られる。「善い性質を映し出す
像〓ヨage)」こそが「君をひきつける」ものであり、美なのである。事象が行為の連関から切り離されて
「像」となっていること、すなわち観想対象となっていることが、価値の範疇が道徳的なものから美的なもの
に移る前提としてある。しかし、積極的価値である美の基礎は、あくまで道徳的な善性にあるのである。「関
係を知覚」する想像力の働きの中には、このような道徳的な次元での連想が含まれている、と考えなければな
らない。
君の目の前にアンティゾウスの像があるものと思ってくれたまえ。その日鼻立ちは美しく、整っている。その
頬は広くふくよかで、健康であることを示している。我々は健康を好んでいる。それが幸福の大もとだからであ
七
宣
20
る。彼.はおだやかな様子をしているが、我々は安息を好んでいる。彼は考え深く賢明そうな様子をしているが、
である。
rか〓e已○コet-a
lヽ
の次第が説明される。「健康」、「安
sagesse)」などが、像の全体を美しいと判断させるもとにな
この美しい顔の目鼻立ちのすべてをあるがままにしておこう。そしてただ口の片方の端をひき上げて見たまえ。
「善い性質」
息」、「思索や明智二a
アンティノウス像の美しさを例として、前段で語られた「美醜の判断」
我々は思索や明智を好んでいる。像の他の部分はここでさておくとして、専らその頭部だけを考えることにしよ
う。
入らない
(もしくは、意にそわない)
(ヨOiコS
p-aire)」
結果をつくり出すから、像はそれだけ醜くなる、
いる。それとともに、美しいアンティノウス像に、歪みが加えられることになる。その歪みは、「さほど気に
同じ説明が続くが、ここでは、八′九行にあったそっな、顔の局部に刻印される表情に力点が
であろう。
竺一分するようにしてみたまえ。すると腹のうちが見えず、内気で陰険な男が出来上る。君はこんな男を敬
の身を案じたい気分になるであろう。口の両端をもとにもどし、まぶたをおろして、虹彩の半分をおおい、瞳を
げ、目をよく見開かせてみたまえ。すると不道徳漢の顔つきができ上るわけで、君が人の子の父であるなら、娘
り上誓みたまえ。性格は倣慢篭のとなり、さ嘩君の意にそわなくな
すると表情は皮肉なものとなり、その顔はさほど君の気に入らなくなるであろう。口をもとの形に戻し、眉をつ
る
或いは少くとも美しさを滅ずる、と言うことができよう。しかし、ありのままのアンティノウス像の「善い性
な「性格言aract賢2〉」として捉えられるところが顕著である。そのことは、「娘の身を案じる」とか「敬
質」が、美しさとして表象しえたのにひきかえ、これらの歪みの結果は、美醜の範噂よりは、そのまま道徳的
遠する」という言葉の上に、はっきりと読み取られる。これらは道徳的な反応を示す言葉であって、これらの
表情に対しては、美的な反応よりも道徳的な反応の方が相応しい、という考えの反映と解される。ここにも、
道徳と美との二つの領域の微妙な重なりあいの関係かみとめられる。
もう一点、ここでは表情が、瞬間的な情念の表われというよりも、恒常的な性格の表われとして、受けとめ
られている。これも注意すべき点であろうが、そのような捉え方の由来は、ここでは、おそらく単に、対象が
彫像という静止したものを基にして、そこに変更を加えたものであることにすぎないように見える。
年令によって趣味はそれぞれである。くっきりした輪郭の真赤な唇、半ばひらいて笑みをたたえた口、白い美
しい歯、屈託のない歩きっぶり、自信ありげな眼差し、大きく開いた胸もと、上を向いた鼻は、十八才の頃の私
を喜ばせ、あとをつけたいという気にさせたものである。今ではもう、放蕩は私に向いていないし、・私も放蕩に
30向いていないから、私の足をとめさせ、魅了してくれるのは、つつましやかでしとやかな、歩調もかたくはにか
みやで、だまって母親のわきを歩いてゆくような若い娘である。
美醜の判断が、対象の「善い性質」に基くとすると、その「善い性質」の捉え方次第によっては、その相対
性を認めなければならなくなる。先儲的な命令の次元ではなく、現実の態度決定の場面で考えるならば、その
時々の状況によって態度が変ってくるはずだからである。ここでディドロは、非常に明快な事例をとり上げて、
九
35
趣味の年令差を論じている。
よい趣味を持っているのは誰か。十八才の私であろうか。五十才の私であろう或。の問いには、
私は答えたことであろう。きまってるさ、後者の方だ。」
出るであろう。誰かが十八才の私に、次のように言ったとしよう。「ねえ君、放蕩の絵姿と美徳の絵姿とでは、
どちらが美しいだろうか。
本心を白状させようと思えば、一般的で抽象的な言葉遣いによって、情念に偽装を与えてやらねばならない。
十八才の時には、私に渇望の気持を起こさせたのは、実の絵姿ではなく、快楽の顔つきだったからである。
趣味の年令差という判断の多様性は、どの判断が正しいのかというメタ判断を要請する。すなわち、美の判
断の相対性の事実は、その反面において、絶対的基準に対する期待を伴っている。この問題についてディドロ
は、「直きに答が出るであろう」と言うが、その後の論述は、必ずしも明快に解答を示しているとは言えない。
例によって、文意は明瞭である。十八才の時には、直裁なきき方で問われても、本音を洩らさず、建て前で答
えるものである。「一般的で抽象的な言葉遣いによって偽装を与える」ならば、情念のままに美醜を判断し、
ことが必要である、という説
cOuriこ」、とつけ加えていることは、何を意味しているのか。勿論、表面的な意味とし
告白するであろう。だが、この若者には、「美の絵姿〓ヨage)ではなく、快楽の顔つき」が「渇望の気持を
起こさせる〓aire
ては、若者が、実は美でなく快楽に惹かれているので、「情念に偽装を与える」
明である。だが、その言葉遣いに注目すれば、若者が好むのは「美の絵姿」ではなく、「快楽の顔つき」
る、ということであり、言いかえれば、美は直接的な道徳的反応とは別の所にある、ということに他ならない。
しかし、これは美と道徳との二つの領域を切りはなすものではない。道徳の領域そのものにおける、見かけと
であ
-
実体との二重性の問題である。何故なら、三三行目に「美徳の絵姿」と呼ばれているものこそが、三六行目に
言う「美の絵姿」に他ならず、この点では、美と道徳の照応関係は保たれているからである。すなわち、美は
十八才の表層の道徳的判断ではなく、五十才の真正の道徳的判断に従う、ということである。そのことを知っ
ているからこそ、若者もその感情を偽るのであろう。
表情は、それがどのような感情によるものか不確かな面を残しているかぎり、弱いものかもしくは偽物である。
当人の性格がどうあれ、その平常の顔つきが、美徳について君の抱いている観念に合致しているかぎり、彼は
君をひきつけることであろう。これとは逆に、もしも彼の平常の顔つきが、悪徳について君の持っている観念に
人が自分で自分の人相をつくり上げるということがある。顔は、基調をなす情念の性格を帯びることが習慣に
40合致するならば、彼は君を遠ざける結果となるであろう。
なると、その性格をはなさなくなるわけである。また、人が自分の人相を自然から受けているということもある。
そして、生れたときに受け取ったままの人相を、そのまま保持したに相違ない、という事例である。自然は気ま
ぐれに、我々を善良なものとしてつくりつつ悪漢のような顔を与えるということがあったし、逆に我々を邪悪な
45ものとしてつくりつつ善良な顔を与えてくれるということもあった。
の言葉にすぎない。
この冒頭の二行は、形の上では、本章冒頭の二行と同じく、定義のような印象を与える。簡潔で断定的空言
い廻しをつかっているからである。しかし、内容を見れば、それはつなぎ二raコSitiOコ)
しかも、それは、前後の部分に対して、かなり誤差のあるつなぎである。先ず、前の部分で言われていたこと
は、表情の弱さではなく、十分に強い表情に対して、観念が歪みを与えることであった。「偽物」の所がある
一一
としても、それは観念の上の偽物であって、表情の上の偽物ではない。また次の部分に注目すれば、そこには
確かに「偽物」の表情のことが言われている。しかし、その偽物性は、「どのような感情によるものか不確か
な面を残している」というような理由によるのではなく、或る明瞭な感情を表現していて、しかもそれが当人
の真の感情もしくは性格とは符合しないゆえに、偽物なのである。従って、ここのつなぎとして正確な部分だ
けを抽出すれば、表情に関わる偽物性、という点に尽きるであろう。これまで語られてきたのは、道徳的判断
の上での真正の判断と、快楽に基く判断のギャップの問題であり、言うまでもなく、後者の方に偽の性格があ
る。これに対して、以下、この部分で語られているのは、平常の表情と真の性格とのギャップの問題であり、
その場合には、表情そのものが偽なのである。これは明らかに別種の、より実体的な問題である。
ここで論じられている現象は、道徳的判断と美の判断の平行関係の限界を画するものである。前の部分で論
じられていた事例では、判断の迷いや偽装ということはあっても、真の判断を下している「五十才のディドロ」
の場合には、問題の二つの領域の照応関係は確固として保たれていた。美徳こそか美なのであった。それに対
して、ここでは、当人の性格とは異なる顔つきをした人物について、われわれか必要的に誤った美醜の判断を
下す、ということが言われているのである。美醜の判断、すなわち、その人に惹かれるかどうかは、その人の
真の性格によるのではなく、彼の「平常の顔つき」によるのである。その場合でも、その判断の原理は美徳か
悪徳かということにあり、顔つきか美徳や悪徳についてわれわれの抱いている「観念」に合致しているか否か
によって、判断が下されるのである。従って、美の判断は、原理においては道徳的価値に準拠し、しかも、言
右に引用した三つ目(最後)の段落は、この性格と表情のギャップの根拠を説明している。これは言わば自
に、すなわち表層の感覚的所与にとどまる、ということである。穏健な、もしくは常識的な考えであろう。
わばその照準においては、道徳的判断が人の真の性格を捉えようとするのに対して、実の判断はその顔
一二
然の嘘の現象であり、その説明には、ディドロの苦心の跡が認められる。われわれは、性格とは異なる「偽の」
表情に、つくりものをみとめようとするのではないか。しかしディドロの考えは違う。ギャップは、自然の所
産をそのまま保持した場合にのみ存在しうる。これに対して、後天的に人相をつくるということは、不可能な
ことではないが、これは「習慣」によって、その「情念の性格」を身につけてしまった場合にかぎられている
から、ここでは性格自体の変化につれてその表情(人相)が変ったのであって、ギャップは存在しえない、と
いう。とになる。表情と性格の雫離に関して、本質的に嘘はありえ
る、とするこのディドロの思想は、必ずしも練り上げられたものではないが、注目すべきものであるQ
もう一つ、表情を語りながら、実は顔つきを問題にしている、ということ、すなわち、刻々の変化ではなく
ィノウス像の文脈では、同じ傾向について、それが、像という静止したものを対象としているところから生れ
恒常的な相において問題を捉えている、という点も、注目すべきところである。右の第六パラグラフのアンテ
た、と考えておいた。しかし今回はそうは言えない。それは、表情に関して偽という性格を追いつめた結果、
必然的に生れたものである。刻々の表情に関しては、意図的にそれを偽ることも、またかくすことも可能であ
る。それは問題とはならない。問態となるのは、恒常的なギャップが存在する場合だけであるQ何故なら、こ
の場合には、そして。の場合においてのみ、頑判断と道徳的判断と
そしてまた、絵画表現の場合には、原則として、瞬間的な表情と性格の表われとの差異はない、と言えよう。
ここで識別された美の判断の特徴は、絵画の場合には、そのまま妥当する、と言ってよい。だが、以下におい
てディドロは、この性格と表情との間の実体的位相の問題に、しばし没頭する。
かつて私はフォブール・サン・マルソーに長らく住んでいたが、その奥まった辺りに、可愛らしい顔をした子
一三
定
供らをよく見かけたものだった。十二・三才になり、やさしさがこぼれるようであったその目は、不敵な燃え
るようなものとなった。その感じのよかった小さな口は、奇妙な形に歪んでしまった。そしてとても丸やかであ
ったあの首は、筋肉で盛り上るようになった。広くなめらかだったその頬のあちこちに、固いもり上がりができ
50るようになった。彼らは中央市場や市で見かけるような人相となった。腹を立てあったり、悪口を言いあったり、
なぐりあったり、叫んだり、一銭銅貨をめぐって髪をむしりあったりしたおかげで、さもしい打算と破廉恥とそ
して立腹の様子を身につけてしまい、それが一生ついてまわることとなった次第がある。
に、「魂もしくは自然が」とあることに注意しよう。この
は魂とは逆の人相を与えることもあるのである。従って、魂がある表情を顔に与える、ということは、
み合わせていることになるが、善悪の対比を主題にしているようにも思われない。もし善悪を対比させるのが
実は習慣による人相の形成の実態に他ならない。すると、この二つのパラグラフは、悪い人相と善い人相を組
「自然」
「もしくは(Ouこは二つの同義語をつなぐ用例であろうか。そうはt亭えない。前段で言われていたように、
題の展開である。だが、二段目の冒頭(五三行目)
べきではないか。すなわち、先ず習慣による人相の形成、次いで自然によって与えられた人相という一組の話
の事柄の展開ではない。それらはむしろ、前段で述べられていたことを、同じ順序で繰り返している、と見る
した所、具体例から一般的命題を引き出したかのように見える。しかし、内容的には、これらはそのような同一
この二つのパラグラフは、一つ目が具体例の記述であり、二つ目が一般的な言葉で語られているので、一見
55ている顔を君は好意を以て迎えることであろう。この顔は、すべての人の共通語で書かれた推薦状である。
心象を心のうちにもっているわけであるから、君はこの顔を感じ捉えることであろうし、これらの美徳を物語っ
ぁる人の魂が、もしくは自然が彼の顔に、親切、公正、東口の表情を与えたのであ
一四
′■lヽ
主眼であるならば、悪い人相に対する「忌避」の反応についての言及があってしかるべきであろう。結論的に
亭えば、ここの構成は次のように考えるべきである。
ここの二つ目のパラグラフは、その三つ前の、三八行目より始まるパラグラフと対応し、表情とそれに対す
る人の反応とを語って、サンドイッチ式に中間の二つのパラグラフをはさみ込み、全体を一つのまとまりにし
ている。この中間部分は、表情の形成過程に関する説明の部分である。このフォブール・サン・マルソーの子
ったのは、この具体例のことが既に念頭にあったからであろう。但し、この枠構造の全体の論点は、必ずしも
供らの具体例は、前段の「習慣」に関する論の補足であり、前段において、この部分の言葉が相対的に少なか
その枠の部分(表情に対する反応)にあるわけではない。この「反応」の議論は、美醜の判断という問題を構
成していた基本的話題である。既に見たように、それか、美の判断と道徳的性質との対応の限界を明らかにす
る脈絡の中で、表情と性格の率離の事例が引き合いに出され、その一環として表情の形成が語られたのであっ
た。そしてこの「形成」と「判断」という二つの主題は、ここでもつれが解かれるわけではなく、後に(八四
行以下)再び「判断」の問題が言及される。しかし、当面は、「形成」の問題が体系的に展開されてゆくこと
になる。
どの生活状態にも、それぞれ固有の性格とその表情とがある。
以下展開されてゆく性格=表情の類型論を開始する言葉である。「性格」というのは、三八行目にあったこ
の語と同じく、われわれが普通に人の性格として考えているものと、基本的には変らない。ただし、われわれ
が性格というときには、個人の性格を考えているであろうが、ここでディドロが語るのは「生活状態」に対応
一五
56
する類型的な性格である。「生活状態二mtat
論述を参照するならば、それはまず「未開」
de-a
三e)」とは、基本的な生活形態を指し、以下の具体的
の生活と社会生活とに大別され、後者は様々な階級や政体に分け
て考えられている。重要なことは、これが習慣を形成し、その繰り返しが性格=表情の後天的な決定要因にな
っていることである。右に「画家の想像力」.に関して見たように、ディドロにおいて馴染みの思想である。
未開人は、引き締り、力強く、はっきりした目鼻立ちをし、髪は逆立ち、ひげは濃く、四肢は厳密この上ない
プロポーションにかなっている。彼を損いうるものがあったとすれば、それはどのような営為であろうか。彼ほ
狩をした、走った、猛獣と闘った、身体を鍛えた。彼は、生命を保持し、自分の同類を生み出すという、二つあ
60つてそれ以外にはない自然の仕事を行った。彼には厚かましさや差恥心を感じさせるところが全くない。浮猛さ
-.∨
ヽ
一六
を混じえた誇り高い能菱。その頭はしゃんともたげられ、凝視の眼差をしている。彼はその森の中では主
彼のことを思うほどに、その住居の孤独と自由さがいよいよしのばれてくる。物を言うとき、身ぶりは倣然とし、
その言葉は力強く短い。彼は法ももたず、偏見も持っていない。その心はかっとなりやすい。彼は絶えず戦争状
態の中にいる。彼は身のこなしがしなやかですばしっこいが、それでも彼は強い。
彼の連れ合いは、その日鼻立ち、眼つき、物腰とも、文明社会の女性とはちがっている。彼女は裸であるが、・
そのことを気にかけることもない。平原を、山の上を、森の奥を、彼女は夫のあとについて歩いた。夫の骨折り
仕事を手伝い、子供を両の腕で抱いて運んだ。その乳房を支えるような衣服は何もない。その長い髪は乱れてい
る。彼女の身体は素晴しく均斉がとれている。その夫の声は富のようにひびき、彼女も大きな声をしている。そ
の眼差しには、夫の眼差しほど断固としたところはない。彼女はよりたやすく恐怖を覚える。彼女はすばしっこ
0
65
70
′一■lヽ
「素晴しく均斉がとれている」)
の他に、道徳あるいは「性格」の面でも、
しかない、
(一七七三年)があり、文明社会の法や道徳や宗教
「性格と表情の形成」を追求しているように思われる。自然状態に関する
かなり観念的に表象された未開状態、もしくは「自然状能ごである。画題としては特殊なものであり、ディド
ロも、絵画という論の枠組をこえて
ディドロの思想としては、『ブーガンヴィル航海記補遺』
sau<age〉には、生命の保持と種族の保存という「二つあってそれ以外にはない自然の仕事」
を批判し、フリーセックスを称える論調が、よく知られている。ここでも、基本的な見方は同じである。未開
人(】e
(「厳密なプロポーション」
という考えは、タヒチにおけるフリーセックスを肯定する思想につなかっている。そして肉体の面での積極的
な評価
未開人を肯定的に捉えていることが、用語の上にはっきりとみとめられる。「厚かましさ」や「差恥心(hOコー
の欠如、「誇り高さ(〓ert・〇」、「自由〓raコChise)」などが直接の形容であるし、その他、高く
もたげた頭、しつかりした眼差し、大きな声などは、明らかにその性格を表現する特徴として示されている。
te)」
71社会生活の中では、職人、貴族、平民、文人、聖職者、役人、軍人など、
と表情をもっている。
市民の階級のそれぞれが、その性格
ここに枚挙されているのは、ニ宇つまでもなく、ディドロの周囲にいた「市民たち」の類型である。聖職者-
職人の仲間では、ギルドの習慣があり、店先と仕事場での顔つきがある。
(各
の類型を念頭に置いているからであるし、従って、その枚挙も体系的というより、経験的である。目をひくのは、
職人が特筆されていることである。枚挙の筆頭に置かれているだけでなく、短いながら独立したパラグ.ラフを充
一七
貴族しフルジョワー民衆という基本的階級の数え方にくらべると、ずっと細分されている。それは「性格=表情」
(祖
てて、職人の生活の細部が語られている。これはディドロの父の顔であり、『百科全書』執筆のために彼のつ
きあった職人たちの顔であるに相違ない。
どの社会もそれぞれの政体をもち、そしてどの政体も特徴的性質をもっている。この特徴的性質は、現実にあ
75らわれていることもあるし想定されているにすぎないこともあるが、その政体の魂であり、支えであり、原動力
となっているものである。
生活習慣の性格形成力に基く考え方に従えば、政体が性格を形づくる。以下政体別の性格を述べるに先立つ
この一段には、逆の面のことが指摘されていて興味深い。各政体の「特徴的
が、その政体を動かし、支え、生かしている、というのである。従って、政体とその国民の性格は相互に支え
あうもの、と言えよう。
共和国は平等の政体である。そこではどの国民も自分を小さな君主のように思っている。共和国民の能
尊大で厳格、誇り高いものとなろう。
君主国では命ずる者と服する者とがあり、その性格、表情は、愛想のよさ、優雅さ、温和さ、名誉心、粋のそ
独裁政体の下では、美は奴隷の美であろう。柔和で、従順で、おずおずとして、用心深く、哀れっぽく、慎ま
しゃかな顔を、描いて見せてくれたまえ。奴隷は頭をたれて歩く。自分に斬りかかってくる構えの刀に頭をさし
出しているような様子を、いつもしている。
モンテスキューが『法の精神』で分析したような各政体の、性格=表情の分析である。君主国のそれとして
「誇り高さ
描かれ密るのは、ブルボン朝の下におけるフランスのものに相違ない。独裁
感じられ、逆に共和制に対しては共感を寄せていることが窺われる。そして、共和制の性格には、未開人の性
格として描かれていたものと、共通性のみとめられるところが面白い。自由とそこから生れる
〓iertヱ」の点で、両者は符合している。
独裁制を扱うパラグラフの中に..MOn-re2・ヨOi、、(措いて見せてくれ)とあるが、ここには、画家を読者
として想定している意識が窺われる。言い換えれば、ここでの性格=表情の類型が、画題の一部を構成してい
る、ということに他ならない。
そして共感とは何であろう。私の理解するところではそれは、二人のひとを、一目見たときに、直ちに、最初
85に出会ったときから、寄せあい結びつける、あの瞬発、突然の、思考をまじえない衝動である。何故なら、共感
は、この意味においてさえ、妄想などでは全くないからである。それは、或る美徳に具わる、瞬時に相互に惹き
っけあう力である。美しさからは感嘆の念が生れる。感嘆の念からは、評価が、所有欲が、そして愛が生れる。
ここで突然、文脈の逸脱に出くわす。直前の数パラグラフは、政体とそれに固有の性格や表情を語っていて、
その話題と、このパラグラフの主題である「共感」とは直接つながらない。そして更に次のパラグラフの冒頭
(八八行)を見ると、「以上、諸性格と様々なその顔つきとを述べてきた⊥という趣旨の言葉で
り、これは、ここの一パラグラフをとばして、その前の部分の総括と見るべきである。つまり端的に言えば、このパ
ラグラフは余分のものという印象を与える。他方、共感という主題は既に現われており、「当人の性格がどうあれ」
一九
雪穴虎で始まるパラグラフと、「あの人の魂か」(五三行)で始まるパラグラフの中で出会ったものであ
も、その第二のパラグラフの末尾とこのパラグラフとは、そのままつなげて理解することのできるような、一貫した関
係が認められる。すなわち、美徳を映し出す顔は「共通語で書かれた推薦状」であり、誰からも好かれるか、それと
いうのも、共感とは美徳に具わる魅力への自然な反応だからである、という具合である。このつながりは緊密なも
のであり、本来は言とまりのものであった、と断言したくなるほどである。だが、たとえ推敲の
ラフを組みかえる操作が行われたとしても、現在われわれが扱っているこのパラグラフが、いかにしてこの場所に
置かれえたのか、という問題は残る。考えるべきは、あくまでも前のパラグラフとの間の、ありうるつながりであ
る。わたくしがかろうじて想定しうるのは、A独裁政体の下での奴隷状態は、共感しうるようなものではなく、
「斬りかかる」ような態度をかき立てる。何故なら、共感とは……Vというつなかりだけである。これは前段
の末尾の言葉についての註釈として、次のパラグラフを位置づける考えである。
では何故、その註釈が必要なのか。前段の独裁政体のパラグラフの内容だけを見れば、このような註釈は不
要と思われる。そこで、ここの共感についての説明が、前にある同主題の二つのパラグラフ(特に第一のもの)
の内容と、殆ど変らず、共感の概念を導入したことを除けば、単なる繰り返しである、という事実に注目しよ
ぅ。そして共感もしくは判断を語るこれら三つのパラグラフの間にはさまれているのは、性格‖表情の形成と
多様性に関する論述である。この形成と判断という二つの主題は、相補的な関係にある。すなわち、産出と受
用という点でも相補的だが、より重要なこととして、形成の過程が多様性を示すのに対して、判断もしくは共
感の過程は、美徳を根拠とする規範的一元性を示している、ということがある。ディドロは、多様性の現象を
語るたびに、この規範的一元性の面にも言及してバランスをとろうとしたのではないか。そうだとすれば、今
問題としている共感のパラグラフは、直前の独裁制のパラグラフの註釈というよりは、政体と性格=表情の類
型的多様性を語った部分全体についての補足ということになる。つまり、これらの政体の生み出す性格のそれ
ぞれについて、われわれは共感したり反撥したりすることかある、そのことは明示的に語られてはいなかった。
しかし、右に指摘したように、ディドロの書き方には、そのような反応を窺わせるところが確かにある。その
ような気持を前提として、ディドロはここで、美徳を持ち出すことでその正当化を行った、と解されることに
なる。
の意味のもの
(ダランベール)
と「交感」
の意味の生理学的な意味のもの
(ジョクール)
へ.syヨPathie、、
「共感㌃yヨPathie)」の概念そのものについて二言しておこう。『百科全書』における
の項目は、「親和力」
(イヴォン神父
当㌘こと「感
があるだけで、後者の冒頭には「共感」に相当する意増挙げられて
意味でのミsyヨpathie、、のメカニスムに関する説明は、「愛;ヨOur)」
(フーケ、米く会a〉の一部分に見られる。いずれの説明も同巧異
ドロにおける美徳概念の重要性を示していることは間違いない。
集積をこえた先験的な原理を設定している。それですべての問題が解決するわけではないが、少くとも、ディ
な考えは、この二つの項目には見られない、ということに注目しよう。美徳に基く共感という考えは、経験の
美醜の判断を結びつけているのも、この考えに基いてのことであった。しかし、美徳を共感の根底に置くよう
や反応を規定するという考えは、再三指摘しているようにディドロにおいても顕著なもので、現にこの表情と
よって、後者については、自分との類似性(resseヨb-aコCe〉によって説明している。経験の集積が次の判断
なものに分け、前者については、過去の経験の中で自分の好んだもの愛したものとの適合性(cOnfOrヨit、e)に
曲で、後者が「器官における配置」を持ち出すのに対して、前者はより詳細に、共感を身体的なものと精神的
性・感情(sensibi〓tか、Sen二ヨeコこ」
i
以上、諸性格と様々なその顔つきとを述べてきたか、これですべてというわけではない。この知識に更に加え
て、人生の様々な場面を深く経験することがなくてはならない。これについて説明しよう。それは即ち、人間の
90幸福と悲惨とを、そのあらゆる面において、研究しておかなければならない、ということである。いくさ、餞饉、
ペストの流行、洪水、雷雨、あらしなど、感受性をもつ自然、無機的な自然を、その激動の相において捉えなく
ばならない。「彼女の歩きぶり、いかにも女神を思わせる」と詩人が言うときには、そのような姿を心の中で探
てはならない。史家たちの書をひもとき、詩人の想いで、琴満たし、彼らの描
二二
ように昇ってゆくのである。この苦痛は深い感銘を与えながらも、おぞましい感じを与えることがない。君の画
面に目をとめることも、そこから目を離すこともできないように、してはしい。
全体としては、先ず人生の様々な場面をよく識ることの重要性を語り、次いで、情念の表現における特に顔
の描法の問題へと移ってゆく、という形で、一種の移行部を形成している。
冒頭で「以上の諸性格とその顔つきに関する議論ですべてというわけではない」と言って、ディドロが画家
;コe
と言っているが、具体的には「いくさ、餓饉、ペスト……」などで、必ずしも現実の直接経
に要求するのは、人生の具体的な場面を経験し、認識することであるQ彼は「深い経験
2召かrienceこ
験とは限らないように思われる。「史家や詩人」の書物を通して得られるものを含めて、彼は「経験」と言っ
prOfOnde
苦しんでいるが埼顔を見せているわ要はない。それでも、烈しい苦
やさしい情念と力強い情念を識別し、それらの情念を、つくり顔なしに表現しなければならない。ラオコーンは
95どってみなくてはならない。そして、そのなかでとるべきものが何であり、捨てるべきが何であるかを感じとり、
し求めなければならない。詩人か、「悠然として高波の、上に頭をのぞかせて」と言うときには、この頭部を形
(絶
prOfOコdぎeコこ、おぞましい感じ〓ゴOrre亡r)を与えることがな
を挙げることができる。それは、苦痛という素材にひきずられて、美的な表現の配慮を忘れた
の二つの場合がある。ウァトレは「優美」を気取ったものの側を強調して考えているが、ディドロの
二三
とディドロが同じ概念を分ちあっていたとするならば、この個所におけるディドロの趣旨は、効果を狙って表
することをいましめて、垂術的な潤色をはどこすべきことを主張しているように見えるからである。ウァトレ
ていることは、大いに注意する必要がある。何故なら、ディドロの文は、一見したところ、苦痛を直裁に表現
例では、「洪面」というその本来の意味に近く考えられている。特にウァトレが不自然さを中心に置いて考え
SiOコ)」
における単純さ」に反するものであり、「優美らしく見せるか、表情をつくっているか二〇uer--e苫reSJ
クチュアルな問題であったことが窺われる。そしてその内容について言えば:・gュヨaCe、、とは、「自然模倣
が「かつてないほど頻繁になってゆくべきもの」であるという認識が示されており、当時の垂術現象の中でア
『百科全書』第七巻(一七五七)の≧griヨaCe、、の項(ウァトレ著、冨b)を見ると、先ず、この
もののことである。
griヨaC2rこ
を、情念に関して、確保する思想である。そしてこの思想を要約的に示す概念として「作り顔(gコヨaCe‥
い」という点に集約される。。れは、嘩対象と窒素材の次元と区別し
「深い感銘を与えながら(affecter
次の部分につながる問題、それは情念の表現法である。そしてディドロの主張は、たとえ苦痛を表現しても、
や叙事詩などに構想を汲み、そこに想像力を働かせてなされていた、ということを示唆する思想である。
く必要がある。「画家の想像力」は右の九行目に言及されていた。そしてこれは、歴史画の制作か、歴史書
ができる。また、ウェルギリウスの引用文に関連して、想像力の働きが強調されていることにも、注目してお
ているのであり、ここに、美的体験を擬似現実体験として捉えるイリユージョニスムの美学の一端を見ること
正
情を誇張することを戒めたものと考えるべきである。これは、抑制を説く彼の「逆説」の美学と符合している。
註
(第四章続く)
二四
(An-コquiry
iコtO
the
aコd
Bea亡ties.〇f
MOderコ)』
(一四三五)
Paiコニコヂaコd
iコtO
the
Mer〓s
theヨOSt
Ce-ebrated
(一七六〇年。仏訳が六十三年に出版され、ディドロはその書評を書いている)
Reヨar琶eS…こ彗ぶ
A邑計Qニ¢♂く○-・声MOu-○コー一票ナp・NO-を見よ
(三輪福松訳、中央公論美術出版、昭和四十六年、三八頁。)尚、これが標準的な思
から学びとった、という可能性を示唆している(B昇dah-肖-冨・00こ。
PaiコterS}AコCieコt
アルベルティ『絵画払巴
C・A・Du
想であったことについては、声TatarkiewicN,寧訂;3、ミ
ト・A→什▲㌣Q.勺ゐや声ご喜〓
de
同書、四九頁。
Of
としている。ブクダルは、ディドロがこの言葉を、アイルランドの垂術愛好家ダニエル・ウェッブの著書『絵画美の探究
したものである。ディドロは同じ句を、第五章の本文中にも引用し、「模倣垂術の最も美しい原理の一つ」(<erコi㌢eヨ00)
し、深く感動する場面。言うまでもなく、この「悲運」の描写が、見る者に与える感動の力を念頭に置いて、エピグラフと
不安を覚えていたアエネアスが、そこの神殿に描かれた絵の中に、自らが逃れでてきたトロイア滅亡の戦いの一場面を見出
ウェルギリウス『アエネイス』第一巻四六二行。訳は泉井久之助(岩波文嘩、一九七六年)による。北アフリカに漂着し、
FresコOye二raduit2コfranの℃-S∵コrichy
nhaユes
Brun、C冨ヽ㌻…Q芸ニー…雪…丸。さ屯㌻㌻已mミ苫ミ訂已れ㌻缶乱芸苫邑。岸テクストは
『情念論』 (一六五〇年)第一〇七∼一二一六節。
摘している(0?Cこ●一pP●NO→∼NOヱ。
の指摘はその註の中にある。尚、ロマッヅオの書物が心理学的研究の面で特徴があるという点は、タルルキュヴィッチも指
;-atkiコeRepriコこp・-芦表題にド・ピールの名はないが、ラテン語の原文を翻訳し註をつけたのは彼であり、問
de
たものである。Cf■≧OSQ〓Q
知…慧
乱Q
℃芸Cぎさ已害恥.NO
N-●priコteヨpS-纂○-p・諾・
の死後、アンリ・テストラン(芽コry・Teste〓n)の手で〓ハ九六年に初めて公刊されたにすぎず、講演の年代は推
Le
(⊥
言
(且
互
甘) (且
ヨ旨+三三至上諺
前註に挙げた雑誌に再録されたテクスト(p●冨)による。
traduit
『1冨喜ヂ
Fraコ℃-S、eコrichy
Remarques-βa毒ヨeコtか.
CO-Oris-N。監itiOコーParisこS∽・pp・-†-ひ一-00⊥P芦芦
乱Q℃Q㌻トミQ乱Q C・A・ぎ
d}uコDia-Oguesur-e
de
P・畠-・
Pierre
丁寧=亭∫
p・謡)と言っている。
P〓es}PP・-00〒芦
を見よ。
de-a-aコ習e
で、これ
Riche】et.nOuくe〓e監itiOコ二」-「yOコ.-宗ヱには、その語義は
には、素描的な図版が添えられて
いたから(cf・Tatarkiew-cz.註丸子
i〓・×「くi・)こちらの方は、ディドロにも見るチャンスはあったはずである。
点添えたもので、より図式的である。だが、テストランの出版した初版(同じ註を見よ)
録されている。それらは、比率の助けとなる補助線を引いた上に、正面からの図二点を並べ、その間にプロフィルの図を一
ル・プランは個々の情念の「表情」をデッサンしていた。そのうちの二十三点が、右の註(且に挙げた雑誌の本文のあとに再
という点にも注意する必要があろう。
意深くしている」という、こなれない訳語を選んだ。また、「注意」の中には、耳をを傾けるという態度も含まれている、
以外にはない。因みにこの項は初版のリシュレ
(〓ハ八〇)と全く変らない。
ミatteコtif、、これを「注視している」と訳すこともできようが、ここでは「心の動き」として考えられているので、「注
挙げられていない。その..PhisiOコ○ヨie、、の項が挙げている語義は、一に「人相学」、そして第二に「顔つき」
f-aコ℃ise.aコCieココeetヨOderne.de
ディドロの用語法には、その意味合いが確かにみとめられるが、増補版のリシュレの辞典(DictiOココaire
第七五六号、一九八七年六月、五八1六〇頁)
例えば、cf・くerコi耳e-0000・この概念については、拙稿「絵画の時代としての十八世紀-思想
→atarkiewicz、。?CこJ
FresコOy.〇ヲCこ・-Vく・N∽?諾‥de
に、「表情はデッサンと等しく色彩の中にある」
で以て魂そのものを描く」;く・Nご∼㌶‥。9Cこ・〉 PP・U00・芦傍点引用者)と言われている。ル・ブランはより直裁
場所は「色彩」の部分より前に位置しているが、三部への分割が厳格なものとは言えないし、また本文中に「わずかの色彩
eコ
ごcyコiぎe、、この語は初版のアカデミーの辞典には収録されておらず、初版リシュレにも「キュニコス派」の意味しかない
第一章に既出。△門その1》二三∼二四行目、二〇∼二一頁参照。
二五
ト、Aヱ
Du
とがある。例えば、デブレオ氏が、諷刺詩人レニエについて語りつつ・、『E-si
d亡SOコトardi
ses
riヨeS
c軋i….
増補版リシュレには、次のような語義がつけ加えられている。「時にはこの形容をあまりにきわどい表現に対して与えるこ
二六
という位のものである。
な役割を担っている。しかし、悪徳という日本語の与える毒々しい印象とは逆に、ここで考えられているのは、精
蛮原語は三言2、、であり、・「美徳」に対するものとしては「悪徳」とも訳される。事実、この文脈で
してこれは、ディドロの本文とも符合する。
に英訳を出したス、、、スが唯一のもので、彼は「皮肉なの意味ではなく、みだらな(riba-d)の意味である」としていた。そ
この引用は、『詩学』第二の歌妄七-八行であるが、この用語を説明した註釈家は、わたくし
そしてその卑猿な脚韻の大胆な音によって、/彼が屡々慎しい耳を驚かせることのないならば。』と
de
de-占strapade●これはMayの
d2-a<i2i≡・Esl■rapad2としているが、現在の地図では、この名称の通りは
ない)は、ムフタール街とどく近い所で、パンテオンの南側に位置するが、右掲の柴田付図を参照すると、ここはサント・
表記による。<2rコi耳2はrue
これが参考になる。)なお、一七四九年以後ディドロが住んだエストラバード街(rue
-七、七〇、四一頁に拠る。また、パリの中の地域の区分については、同書付図八-九頁に「パリのセクション」図があり、
まって住む所であった。(これらの点については、柴田三千夫『パリのフランス革金一九八八年、重昂
に住んでいた。(<erコi㌢2〉この二つの地区は新開地で、手工業を基盤として、重民層の居住区であり、地方出身者が固
MOuff2tard)に、この地区に住んだ。そしてその中間の時期はフォブール・サン・タントワーヌ(r亡e→raくerSi耳e)
部への広がりを指しており、新婚期のディドロは、王四三∼四四年(rue
Saiコー・くictOこと一七四六∼四九年こue
メイによれば、フォプール・サン・マルセルのことである妄ay-コ○-2念)。それは、現寧フテン区と呼ば
情」を、われわれが区別して判断する、ということと思われる。
上の差異があるからである。これは画題が静止した対象であるか、劇的状況の中に置かれているかによって、描かれた「表
「原則として」と言うのは、肖像画の場合には「性格」が、歴史画の場合にはむしろ「情念」が描かれる、というジャンル
いたとしても、「習慣」の力によってそれは修正される、と考えるべきではないのか。この点のつめがなされていない。
(出自然の気まぐれは、何故修正されないのかQすなわち、その性格に従って悪行を重ねた場合、生れつき美しい顔つきをして
霹
缶
れる。)
ミchaqu20rdre
seコーireN、、のごe、右、前出の。sOコ<is品2、、を指すものと解した。これを中性代名詞として、前文の
とは異なる。
ミcOrPS、、を。cOrpS
d2C〓Oy2コS、、となっている。このヴアリアントに従っても、「個人」という所を
d2ヨかーiers、、すなわちギルドを指すもの、と読む。
柴田、上掲書、四九-五〇頁参照。
ァスの前に現れた乙女を、はじめから彼は女神と見破ったが、それが他ならぬ母ウェヌスであることを知る部分。
ウェルギリウス『アエネイス』第一巻四〇五行、泉井訳、上掲訳書四六頁。嵐にはこ憬れてリピュアの岸に漂着したアエネ
いるものである。
次の個所は、補巻の、、sヨPa-hie‥言Ora-e)、、という二行からなる項目(Sup・目∴Nご)が、参照個所と
『国制』像-モーブ一期を中心として-」、樋口謹一編『空間の世紀』、一九八八年、筑摩書房
「デスポティスムという言葉は一八世紀後半のフランスに頻出する非難の.言葉である。」
(石井三記「一八世紀フランスの
る。なお.、ci-Oyeコ、、(市民)は、都市の住民であって、一階級の名称ではない。同じく「市民」
「個人の類型」として考えれば意味が通じる。しかし、表現としてはネージョン版の「階級」の方が文脈によく符合してい
している)は‥.chaq莞indi<idu
d2Ci-OyeコS、、ビュイッソン版とメイの版本(ストックホルムに残る『文垂通信』のテクストを底本と
を指すからこそ、もとの名詞=くisa駕からかなり離れた二番目の文で、代名詞へ、ce-ui、、を用いることができた、と思わ
ていて、この.√e-亡i、、は「顔」を指していることも、私の読み方の支えになっている。(∼OuS訂s2コーir2N--がへ∼isage
れる。また、ミ萱-ニe
seコーireN、、のあと、理由節をはさんで、ミ2-くOu:-acc亡ei≡reNCe-ui
qui…・・とつづい
の由来は、これまでの文脈からして、表情を見ただけでは判断がつかないことゆえ、このような読み方には難点がみとめら
ぅが、前文に従えば、厳密にはそのような意味にならず、「魂や自然が顔に徳の表情を与えていること」を指す。この表情
を受けると解することも可能であろう。だが、その場合、内容から期待される意味は「顔に徳が表われていること」であろ
le
ジュヌヴィエーヴの「セクション」に属すもののように見える。
▲ごOuS
同書一二七行、同訳書二二頁。海神ネプトゥヌスが、アエネアスの艦隊をもてあそぶ嵐の海を見渡し、これから風を鎮めよ
二七
蜜
詔〉
巫至∋8
雷
睾
事
うとするところ。
る。(B象dah-H〓∽
sqq.)
ッシング(『ラオコーン』一七六六)と符合しているが、それは両者が等しくバークから構想を汲んだことによるものであ
ン』の図版の一葉を部屋に飾っていた(版本の註52〕。またブクダルによれば、詩画の異同に関するディドロの思想は、レ
蛇との言葉の上でのつながりがあるので、より適切な用語法である。ちなみに、G・メイによれば、ディドロは『ラオコー
効果)
動詞..serpeコter、、は、第一章において、.cOコSpiratiOコg賢㌢a-e、、(身体の各部分の働きが協力してつくり出す全体的
S〇.第〓早八六行、《その2》一五頁)。ここでは、ラオコーンを襲った大
に関連して用いられていた(<erni㌢e
二八
R巴-e已○コSSur-a
(『思想』一九八九年二月号所収)を参照のこと。
拙稿「幸福としての共生-十八世紀フランス美学の一側面」
悲劇に関する同様の区別には、デカルト(『情念論』第一四七節)やフォントネル(『詩学考察
pOかtique』第三十六節)の先例があるはか、ポワローの『詩学』第三の歌の冒頭の二行(『蛇やおぞましき怪物の類の中
にもなし、/術もて写しとられて、目を楽しませえぬものは。」)も同様の思想を示していた。
わぎ
変
玉
(鑓
Fly UP