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プライバシー保護および個人情報保護をめぐる日・米の

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プライバシー保護および個人情報保護をめぐる日・米の
プライバシー保護および個人情報保護をめぐる日・米の法理論および判例理論
――その顕著な違い――
九州大学
阪本昌成
はじめに――報告のねらい(Aims of my Address)
Warren & Brandeis, The Right of Privacy, 4 HARV.L.REV. 193(1890)が公表されて
から 100 余年。
(1)日本の研究者は、「不法行為法上のプライバシー権」がアメリカの判例学説に定
着したかのように論ずる傾向にあるが、実は、そうではない。この権利は、実に危うい基
盤しか持っていない、とみるほうが適切である。
(2)日本の学説・判例は、アメリカ産のプライバシー権論を、換骨奪胎して取り入れ
ている。プライバシー侵害不法行為の成立要件にしても、違法性阻却事由にしても、日本
の理論は特有の(ときに奇妙な)展開を示してきている。
(3)日本の憲法学における通説は、プライバシー権とは自己情報コントロール権だ、
と説いているのに対して、アメリカにおいては「不法行為プライバシー(Tort Privacy)/情
報プライバシー(Information Privacy)」の区別を重視し、前者を原型(プロトタイプ)とし
て後者の管理可能性を解明しようと試みられている。
(4)アメリカのプライバシー研究者は「情報プライバシー」の主観的利益性、または、
個人情報の管理可能性の論拠づけに苦悩しており、相当数はその試みを断念している。そ
の試みのなかで、最も注目される接近法が、個人情報を財産権として位置づけることはで
きないだろうか、という見解である。これは、表現形式に著作権という「財産権」を付与
する発想にヒントを得ている。が、個人情報の財産権モデルは、著作権の理論構成とは似
て非なるものとなる。
(5)アメリカにおいては、不法行為プライバシーに対しても、自己情報コントロール
権という新種のプライバシーに対しても、表現の自由または(および)自由な情報流通と
の対立に留意し警戒的である。特に、個人情報に関する財産権モデルは、自由な情報流通
を阻害することになるだろう、と警戒されている。
Ⅰ
アメリカにおけるプライバシーの権利(Right to Privacy in America)
1.アメリカにおけるプライバシー類型論(Taxonomy of Privacy in America)
プライバシーの類型についてアメリカに定説はない。ざっと見ただけでも、「領域プラ
イバシー/意思決定プライバシー/情報プライバシー」、「物理的プライバシー/情報プ
ライバシー」、「不法行為法上のプライバシー権/情報プライバシー権」、「非開示とし
てのプライバシー権/情報プライバシー権」と多様である。これらのうちの最後の項にあ
るのが、わが国憲法学での通説とされている「自己情報コントロールとしてのプライバシ
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ー権1)」に相応している。
2.アメリカにおけるプライバシー権の評価(Evaluation of Privacy Right in America)
(1)私は、冒頭において、プライバシーの権利は、実に危うい基盤しか持っていない、
と述べた。この事情を分節して説明すれば、次のようになる。
第 1。不法行為プライバシー権は integrity に欠け、独立の権利とはいえない、とする論
者も多い(この論者は、身体の自由や財産権へと還元されるべし、と主張していることか
ら「還元論者」reductionists2)と称されている)。
第 2。プライバシー権は自己情報をコントロールする権利だ、と主張する論者は少ない。
還元論に強く反対する論者も3) 、自己情報がプライバシーに属するとは考えておらず、“
プライバシーとは他者のアクセスを制限すること”と不法行為イメージを prototype とし
て、それ固有の権利性(非還元性)を論じているのである4)。
第 3。不法行為プライバシーのなかでも、プライバシー提唱の契機となった、マスメデ
ィアによる「私生活の公表」(Public Disclosure of Private Facts)事案においても、不
1)参照、渋谷秀樹・赤坂正浩『憲法1人権〔第 3 版〕』(有斐閣、2007)243-244 頁、佐藤幸治『憲法〔第
3 版〕』(青林書院、1995)453~54 頁、芦部信喜・高橋和之補訂『憲法〔第 4 版〕』(岩波書店、2007)
119 頁等。日本の判例は通説を採用しているとは思われないので、私は本文での記述を「判例・通説」と
はしなかった。後掲注 17)参照。アメリカにおける「自己情報コントロール権」の代表作は A.Westin,
PRIVACY AND FREEDOM (1967)であり、これが日本の学説に強い影響を与えた。
2)プライバシー権といわれているものは、いくつかの伝統的な権利に「還元」されてはじめて理解可能
となるとする「還元主義」学派としての代表的論者が J. Thomson である。See J.Thomson, The Right to
Privacy, 4 PHIL.
&
PUB. AFF. 295, 328 (1975)である。ここでわれわれは、不法行為の大家にして、
RESTATEMENT (second)
OF
LAW
OF
TORTS においてプライバシーの項目を担当した W.Prosser 自身が還
元論者であって、“プライバシー権といわれているものに統一的な法益を発見することは困難である”と
語っていたことを想起すべきだろう。See W.Prosser, Privacy, 48 CAL. L. REV. 383 (1960). また、不法
行為プライバシー概念をも否定する古典的論考として、D.Zimmerman, Requiem for a Heavyweight: A
Farewell to Warren and Brandeis’s Privacy Tort, 68 CORNELL L.REV. 291 (1983);H.Kalven,Jr.,
Privacy in Torts Law――Were Warren and Brandeis Wrong?, 31 LAW & CONTEMP.PROB. 326 (1966)
を、それぞれみよ。H.Kalven は、(a)プライバシー権は、さまざまな権利--身体の不可侵性(自由)、精神的
静謐利益、名誉等――-のリストの言い換えであること、(b)これら既存の権利がプライバシー権といわれている領
域を有益にカヴァしていること、(c)既存の法益は、プライバシーよりも重要だと論じたのである。
3)「反還元主義」学派の業績としては、R.Gavison,
Privacy and the Limits of Law, 89 YALE L.J. 421
(1960) ;Ch. Fried, Privacy, 77 YALE L.J. 475 (1968) ; E.Bloustein, Privacy as an Aspect of Human
Dignity: An Answer to Dean Prosser, 39 N.Y.U.L.REV. 962, 984 (1964)をそれぞれ参照。
4) See, e.g., R.Gavison, supra note 3, at 429〔秘密・匿名・孤独の複合体であって、他者のアクセスを
制限すること〕;T.Gerety, Redifining Privacy, 12 HARV.C.R.C-L.L.REV. 233, 236 (1977)〔親密行動情
報を管理すること〕;R.Murphy, Property Rights in Personal Information: An Economic Defense of
Privacy, 84 GEO.L.J. 2381, 2384 (1996)〔客観的にみて私的な個人情報を管理すること〕。
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法行為の成立を認める裁判例は少ない(マスメディア勝訴とされることが圧倒的である)
5)
。
(2)次のいくつかの引用文に日本のプライバシー研究者は、どう感ずるだろうか。
「プライバシー権の素性は高貴であっても、
文明社会において同権利の重要性は最も
低い」6)。
「過去の違法行為または不道徳な行為〔に関する情報は〕、その人が友情、尊敬また
は信用に値するか否かを評定するための資料である。
この秘匿を法的に保護するとす
れば、それは、市場における財の虚偽広告を違法としていることと矛盾してくるだろ
う」7)。
「社会の評判・評価(reputation)を『権利』として扱うことも〔経済学の見地から
すれば〕ナンセンスである。なぜなら、評判・評価とは他者がわれわれについて考え
ているところをいうのであって、誰も他人の思考をコントロールする権利を持つはず
はないからだ。これと同様に、他者に知られている情報をコントロールして彼らの抱
く見解を操作する権利など誰も持つことはない。プライバシーの名のもとでなされよ
うとしていることは、まさにこのコントロールである」8)。
上の第1のものは、プライバシー権が second-order right にすぎないことを9)、中間のも
のは、一定種の個人情報(日本法においては、不法行為プライバシーの中核として扱われ
ている種類の個人情報)が不法行為法による保護に値しないことを、最後のものは、自己
情報にはコントロール権が付与されるはずはないことを、それぞれ率直に主張している。
これに対して、日本の通説(学説)は、次のⅡで概観するように、プライバシーの権利
をもって、人の道徳的な生存・自律にとって必要不可欠の、重要な「人格権」だと位置づ
5)Murphy, supra note 4, at 2388 は、こう述べている。「不法行為プライバシーは、失敗作だった。
伝統的なコモン・ロー上の権利〔名誉毀損や不法侵入〕を補充してきた点にかぎっていえば、この不法行
為は成功したといえるものの、〔原告が〕情報開示から保護されることは〔判例上〕ほとんどなかった」。
〔〕内は阪本。
6)R.Epstein, Privacy, Property Rights, and Misrepresentations, 12 GA.L.REV. 455, 463 (1978).
Murphy, supra note 4, at 2382. Murphy は、プライバシー権は 2 級の権利だという主張には正面から回
答されたことがない、という。また、この論争に関しては、Peikoff, The Right to Privacy: Contemporary
Reductionists and Their Critics, 13 VAN.J.SOC.POL'Y & L. 474 (2006)を参照せよ。
7)R.POSNER, THE ECONOMICS OF JUSTICE ,269 (1981). 〔〕内は阪本。
8)Ibid., at 253 . 〔〕内は阪本。
9)Posner は“狭義のプライバシー権(不法行為プライバシー)は、道具的権利または intermediate な権
利である”ともいう。See ibid., at
274;Murphy, supra note 4, at 2385.
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けている。
日米の法的思考の違いは大きく深い。
3.「私事の公表」不法行為と表現の自由(Public Disclosure Torts and Freedom of
Expression in America)
日米におけるプライバシー権に関する見方の違いは、「私事の公表」の不法行為事案に
典型的に表れる。
アメリカ法においては、ある言明が原告のプライバシー権を侵害する不法行為であると
いうためには、原告は、(a)“private facts”に属し、(b )“public domain” または“public interests
”には属さない事実であって、(c)“highly offensive”な事実を、(d)被告が fault によって、
(e)不特定多数に伝播したことを、主張・立証しなければならない(この主張・立証をすれ
ば、原告の prima facie case=「一応有利な主張」となる)。
この不法行為事案が連邦最高裁においてまで争わることは数少ないが、それでも、すべ
てにおいて最高裁はマスメディア勝訴としてきている。また、不法行為事案の法域である
州においては、たとえば、前科の公表をもってプライバシー侵害である、と判断した裁判
例は、State of California を除いて、まず存在しない10)。このことは、わが国の判例・通説
と比べて実に興味深い(日本の判例については、後掲注 13)での前科照会事件、「逆転」
訴訟をみよ)。
Ⅱ
日本におけるプライバシーの権利(Right to Privacy in Japan)
1.学説にみるプライバシー権の類型論(Taxonomy of Privacy in Japan’s
Academic Field)
日本の学説は、アメリカにおける類型論を知りながらも、「不法行為プライバシー/情
報プライバシー」の双方を、人が道徳的に生存するに必要不可欠な「人格権」として統合
しようとする。この統合のためか、不法行為事案においても、自己情報コントロール権説
によって紛争解決しようとすることが適切である、と憲法学における通説11)(および判例
10)真実情報は自由に大量に思想の市場に流通すればするほど望ましい、とアメリカの論者、なかでも「法
と経済学」(Law & Economics)に通じた論者は考えている。前掲注 5 の本文における Murphy からの引
用文も参照のこと。
11)日本においては、佐藤幸治、市川正人、竹中勲らの「情報プライバシー学派」は、アメリカにおける
情報プライバシー学派のこの視点を修正して、個人情報をいくつかの層に分けながら、データ・バンク社
会の問題、特に、国家の機関(行政機関)による個人情報収集・蓄積等に対処しようとしている(アメリ
カの情報プライバシー学派の関心は、民間部門の法的規制に主に向けられている)。たとえば、佐藤幸治
教授は、個人情報を「プライバシー固有情報/プライバシー外延情報」に分類し、後者について、こうい
う。「公権力が正当な政府目的のために、正当な方法を通じて〔プライヴァシー外延情報を〕収集・保有
・利用しても、直ちにはプライヴァシーの権利の侵害とはならない。しかし、このような外延情報も悪用
されまたは集積利用されるとき、個人の道徳的自律の存在に影響を及ぼすものとして、プライヴァシーの
権利侵害の問題が生ずる。“データ・バンク社会”の問題は、まさにこれである。この問題は、公権力との
関係にとどまらず、私人間でも生ずる」。佐藤幸治「プライヴァシーの権利と個人情報の保護」宮田豊先
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の一部12))は考えてきているようであり、アメリカのように、不法行為プライバシーを原
型として考えようとはしていない。
なお、「人格権」は日本国憲法 13 条にいう「幸福追求権」のひとつであり、公法・私法
に通底する権利として保障されている、と通説は解している。
2.判例にみるプライバシー権(Privacy Right in Court Cases)
日本におけるプライバシー訴訟は、圧倒的に不法行為事案である。日本の不法行為法は、
①被告が故意または過失によって、②原告の法的保護に値する利益を、③違法に侵害した
か否か、を問う法制である。このことと関連して、最高裁がプライバシー権それ自体を取
り上げてその権利侵害の有無につき判断した裁判例は少ない。最高裁は、名誉か、名誉感
情か、プライバシーか信用か、はたまた、精神への意図的侵襲行為か(intentional infliction
of emotional distress)かを区別することも少ない。そのために、プライバシー権侵害の成立
要件も違法性阻却事由も個別化・明確化されてきてはいない13)。
プライバシー侵害の不法行為について、その成立要件を明らかにした重要先例が『宴の
あと』東京地方裁判所の判例である。そこで述べられた成立要件――(a)故意または過失、
(b)要秘匿性のある私的事実(私事性)、(c)非公知性、(d)公表(公開性)、(e)感情侵害
性――は、上のⅠでふれたアメリカのそれとは異なっているものの、「私事性」「非公知
性」および「(現実の)感情侵害性」に言及したことは慧眼であった。
ところが、その後の下級審判例は、自己情報コントロール権説の影響を受けて、プライ
バシーの保護範囲を、
(ア)マンション購入のさい販売会社に開示した勤務先の名称および電
話番号をマンション管理会社に開示されないこと14)、(イ)住所・氏名・電話番号をNTT
電話帳に同意なく記載されないこと15)、(ウ)NTT電話帳に搭載された眼科医の氏名、職
生古稀記念『国法学の諸問題』(嵯峨野書院、1996)59~60 頁、ただし、〔〕内は阪本。
12)判例としては、たとえば、眼科医の診療所の所在地、電話番号等のネット掲載に関する神戸地判平成
11・6・23 判時 1700 号 99 頁参照。後掲注 16)およびその本文も参照。
13)たとえば、弁護士からの前科照会に対して区役所が回答した事案に関する最 3 小判昭和 56・4・14
民集 35 巻 3 号 620 頁(前科前歴をみだりに公開されないことは、法律上の保護に値する利益である);
ノンフィクション小説「逆転」に関する最 3 小判平成 6・2・8 民集 48 巻 2 号 149 頁(前科照会判決と同
旨);フィクション小説「石に泳ぐ魚」事件に関する最 3 小判平成 14・9・24 判時 1802 号 60 頁(問題の
小説は名誉、プライバシー、名誉感情を侵害する)等参照。これと対照的な最高裁判例として、大学から
の講演会参加者リストの警察への提供についての損害賠償請求事案である「江沢民」事件に関する最 2
小判平成 15・9・12 民集 57 巻 8 号 973 頁(プライバシーに明確に言及);長良川リンチ殺人事件報道訴
訟における最 2 小判平成 15・3・14 民集 57 巻 3 号 229 頁(名誉侵害とプライバシー侵害とを明確に区別、
ただし、プライバシー侵害の成立要件および違法性阻却事由についてはなお曖昧)参照。
14)東京地判平成 2・8・29 判時 1382 号 92 頁、ただし、正当目的に基づく利用であり違法性を欠くと判
断された。
15)東京地判平成 10・1・21 判時 1646 号 102 頁(10 万円の慰謝料支払いを命ず。ただし、原告が電話帳
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業、診療所所在地、電話番号をパソコン通信ネットワークへ無断搭載されないこと 16) 、等
へと拡大した。これらは、いずれも「非公知性要件」「感情侵害性要件」「公表要件」を
厳格に捉えようとしておらず17)、アメリカの判例と対照的である(これらの事案は、公表
の要件に欠けることを重視すれば、プライバシー侵害訴訟であるというよりも、契約違背
または信頼違背の事案として法処理すべきであったか18))。
Ⅲ
自己情報コントロール権としてのプライバシー(Privacy as a Right to Control of One's
Own Information )
1.社会構造の変化と「自己情報コントロール権」(Changes of Social Structure and
Information-Control Right )
情報プライバシーは、社会構造の変化、サイバースペースにおける個人情報利用を意識
して提唱された。大量に個人情報を収集利用している組織体が、断片的な個人情報をコン
ピュータ・ネットワークにて連結して当該人物の像(profile)を作り上げている、という
わけである。F.カフカ(F.Kafka)の『審判』(THE TRIAL)でのイメージが情報プライバシー
論を産んだといえばわかりよいか19)。
この新種のプライバシー論は、断片的情報の収集または利用だけでは、情報主体
(information subject)のプライバシーを違法に侵害しているとはいいがたい現状を、社会構
造変化に訴えることによって打破する戦略である。すなわちこれは、個々人のマイクロ単
位でみれば、彼の権益を違法に侵害してはいないとはいえ、社会的なマクロでみれば、人
間の行動変化させかねない情報取扱い(information practices)が社会構造化されてきて
に記載しないよう要求したにもかかわらず、NTT が誤って掲載した事件)。
16)前掲注 12)にあげた神戸地判平成 11・6・23 判時 1700 号 99 頁。
17)本文に挙げた裁判例とは対照的に、週刊誌 FLASH プライバシー侵害訴訟に関する東京地判平成 18・
3・31 判タ 1209 号 60 頁は、自己情報コントロール権としてのプライバシー権について「法的保護に値し
ないと解するのが相当である」と判断している。堅実な思考だと私は思う。また、前掲注 13)でふれた「江
沢民」事件最高裁判決も、名簿に対して原告が秘匿性への合理的期待を有している点を重視しており、自
己情報コントロール権そのものではない。
18)銀行と建設会社とが協力してアパート形成勉強会の案内状に、建設社名入りの封筒に「お客様番号」
を印字した宛先ラベルが貼付されているのを受領した原告が、自分の番号を外部に流したことはプライバ
シー権の侵害である、と主張した事案において、東京地判平成 3・3・28 判時 1328 号 98 頁は、守秘義務違
反か否かを問うた(結論は消極)。公表要件を厳格に考えるとすれば、この種の事案はプライバシー侵害
事 件で はな い、と 考え るの が適 切であ る。 アメ リカにお ける 厳格 な publicity 要 件に 関し ては 、
RESTATEMENT (SECOND) OF TORTS §652D cmt. a. (1977)を参照せよ。
19)See D. Solove, Privacy and Power: Computer Databases and Metaphors for Information Privacy,
53 STAN.L.REV. 1393 (2001).
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いることを重視し、「秘匿性パラダイム」に依拠してきた従来のプライバシー概念を乗り
越え、予防的な法制度を作り上げようとする戦略である(社会構造と個々人の行動とを関
連づけて、ある法理論を作り上げようとしている点で、これは、フェミニズム法学派
Feminism-law school の論調と似ている)。
2.「法と経済学」学派の分析(Some Analyses of
Information Privacy by the Law &
Economics School )
「法と経済学」学派であれば、この社会構造の変化を次のように説明し直すだろう。
社会構造の変化というマクロの視点は、「市場の失敗」(market failure)のことである。
つまり、巨大組織体が外部効果(external effects=ある自発的な行為が、第 3 者にその同意
なく、負担または費用を課したり移転したりすること)を発生させているにもかかわらず、
どの組織体が外部効果を発生させているか、特定は困難な状況下で(ちょうど、工業地帯
の工場群が公害を発生されているために、住民が空気清浄機を購入せざるをえなくなった
り、医師の診断をときに受けざるをえなくなっているように)、その費用(個々人にとっ
ては権利侵害とはいえない程度の cost)を情報主体に押しつけている、という現象である
20)
。また、情報プライバシー学派のいう「情報格差」とは、情報の非対称(asymmetry of
information)を指す。これも市場の失敗をもたらす要因であって、これを是正するには、個
人情報を業として専門的に収集利用している組織体に対して、情報取引の実態を情報開示
するよう義務づけるとよい21)(この開示義務を、情報プライバシー学派は、情報主体の自
己情報へのアクセス権と呼ぶのである)。
この「法と経済学」学派がいうように、情報プライバシー問題の微妙さは、「加害者」
を特定できない点、費用(「被害」)が公衆に分散されてしまっている点、にある。この
状況を法学の言葉で表せば、“権利侵害のケースとして扱い難い問題領域”である。この
課題を「自己情報コントロール権」という主観的法益に訴えかけることによって解決しよ
うとしても、運動(立法)論としては成立するものの、権利論としては成功の見込みは薄
い、と容易に予想できる。
3.個人情報の商品化?(Commodification of Personal Information?)
個人情報の「市場の失敗」は、どこに真の原因があるのか。
20)民間組織が、個人情報収集利用にあたって負の外部効果を情報主体に押しつけている、という主張
がどこまで通用するものか、経済学者であれば、問い直すだろう。たとえば、G.Stigler, An Introduction
to Privacy in Economics and Politics. 9 J.OF LEGAL STUD. 623, 625 (1980)は、民間組織はその保有する
データの誤りを少なくしようとするインセンティブを持っていること、情報収集・蓄積・加工にそれ相応
の費用を支払っていること等について経済学の見地から論じている。
21)アメリカの連邦法に関するかぎりでも、民間組織の収集利用する個人情報を規制する法律や、情報
主体に自己情報へのアクセス権を法認している法律は多数にのぼっているが、これらは、結局のところ、
非効率で、「立法の失敗」の効果を情報主体に押しつける結果となる、と論じている経済学者の見解につ
いては、G.Stigler, supra note 20, at 627 を、また、コミュニケーションにおける効率性を妨げ、誰の利
益にもならないとする「法と経済学」の見解については、R.POSNER, THE ECONOMICS OF JUSTICE, supra
note 7, at 245ff.をみよ。
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それは、個人情報が公共財(public goods)としての性格をもっていることと関連してい
る。すなわち、ある個人情報がいったん流通させられた場合、その個人情報を何人かが消
費したからといって、消えてなくなるわけでもなく、また、情報主体が伝播を防ごうとし
てもそれは不可能なほどコストがかかる。かかる公共財的性格のゆえに、個人情報は無限
に流布し続け、いずれは情報主体のプライバシー(不法行為プライバシーでいう要秘匿領
域)までをも人目に晒すだろう。
こうならないためには、情報主体は自己情報の管理権を持っていることを法的に論拠づ
ければよいだろう。
個人情報の管理可能性の法的論拠について、アメリカの論者は、次の 3 つのいずれかを
展開し、これを梃子に法律制定を手に入れようとしている22)。
第1は、
個人情報を個人の自律または個人の尊厳という利益に基礎づけることである23)。
第2は、個人情報に財産権的な属性を見出そうとすることである24)。
第3は、契約法的理論構成である25)。
これらの接近法のうち、アメリカにおいて最も論争の的となっているのが、第 2 の見解
である。これを「個人情報の財産権モデル」と呼ぶことにしよう。
個人情報の財産権モデルのねらいは、次の 2 点である26)。
第1点。情報主体が自己情報の販売権を持つことになって、自己情報の価値を判定し、
価格を自分で事前に決定でき、価格を自由に変動させることができる点である。
第2点。現在は社会的費用となっているものを企業が内部化(internalize=外部費用を考
慮)できるようになる点である。そうなれば、企業は収集し提供するデータが何であるかを
知り、無駄な収集・利用をやめ、よりよき投資判断をすることができることにもなる。
以上の 2 点とは別に、財産権モデルは、国家による公法規制を最小化できる、という副
次的な利点をも持つ。財産権モデルによれば、EU 指令が求めるような監督機関は不要で
あるばかりでなく、企業は内部監督部門を設置することも不要となる(EC 指令の 17、18
条は、この設置を義務づけている。このモデルは、欧州のデータ保護型では硬直的になり
すぎており個人情報保護にとって効率ではないことにも配慮しているのである)。
22 ) See M.Peek, Information Privacy and Corporate Power: Towards a Re-Imagination of
Information Privacy Law, 37 SETON HALL L.REV. 127, 129 (2006).
23)See , e.g., Bloustein, supra note 3;___,Privacy Is Dear at Any Price: A Response to Posner`s
Economic Theory, 12 GA.L.REV. 429 (1978);Th.Scanlon, Thomson on Privacy, 4 PHIL.& PUB. AFF. 315
(1975).
24 ) See, e.g., D.Freedman, Privacy and Technology, in THE RIGHT
TO
PRIVACY 、 E.Paul et al.,
eds.(2000).
25)See , e.g., P.Samuelson, Privacy as Intellectual Property ?、52 STAN. L.REV. 1125 (2000).
26)See ibid, at 1130.
- 57 -
4.個人情報の財産権モデルの通用力(Re-Examination of the Property-Model of
Personal
Information)
個人情報の財産権モデルは、「コースの定理」(Coase Theorem)を念頭に置いているのか
もしれない。同定理のいいたいことは、こうだった。
《取引費用が高すぎるために交渉を阻害している場合には、資源の効率的な利用は所有
権がどのように割当てられているかに依存する》。
これまでの個人情報取引が外部効果を発生させているというのであれば、個人情報に対
して明確な財産権を与えれば、外部効果も内部化され、そのぶん、効率的に関係者が利用
できるようになるのではないか、というのである。これが成功すれば、社会的費用を発生
させることもなく、情報主体の地位も取引相手の地位も良化(better-off)され、しかも、社
会的効用(social utility or public utility)も増大することになる。
“財産権は、公法的規制を基本的に排除して、主体間の同意によって自由に取引するこ
とをわれわれに可能にする。このことは、情報主体にとっても、取引相手にとっても望ま
しばかりでなく、資源を効率的に配分することになる”という命題は、魅力的にみえる。
ところが, “そうなるとは限らない”と、財産権モデルは経済学に通じた論者から批判
されている27)。
同モデルの難点をあげてみよう。
①まずは、個人情報を財産化したとしても「市場の失敗」が予測される、という点であ
る。
個人情報市場がうまく機能するかどうかは、プライバシー価格の差別化を消費者が手に
入れることができるかどうかにかかっている(「価格の差別化」とは、生産されたものに
対する需要の弾力性に応じて、生産者がそれぞれ価格を設定することをいう28))。
差別化に成功するにためは、企業は、情報主体のプライバシー選好(privacy preferences)
を知ったうえで、各人の威嚇値(threat value)以上の価格を弾力的に設定しなければな
らない(威嚇値とは、Xが自己情報を開示しないことに置く価格のことをいう29) )。とこ
ろが、各人のプライバシー選好は主観的で多様であって、これに応じた弾力的価格の設定
は困難である(この困難さは、情報という財に特有である。この点については、下流にお
ける利用制限の困難さと関連しており、すぐのちに解明する)。
②次は、個人情報を財産化したとしても、ある流通過程においては、個人情報は相変わ
らず公共財的性格を払拭できない、という点である。
個人情報の主体は、車その他の通常の所有物の売却の場合とは違って、利用目的P1 に
27)See, e.g., POSNER, THE ECONOMICS OF JUSTICE, 14, supra note 7, at 245ff.;Samuelson,supra note
25;D.Zimmerman, Information as Speech,Information as Goods:Some Thoughts on Marketplaces
and the Bill of Rights, 33 WM & MARY L.REV. 665 (1992).
28)See POSNER, ECONOMIC ANALYSIS OF LAW 283 (6th ed. 2003).
29)参照、R.クーター=Th.ユーレン、太田勝造訳『新版 法と経済学』(商事法務、1997)116 頁。
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ついては、A会社に自己情報を販売して良いと考えているが、利用目的P2 についてはそ
うでない(会社Xには販売して欲しくない)、と考えているかもしれない(車の売却であ
れば、
所有者は売却後、
自分の中古車の利用目的や転売先を重要視しないのが通例である)。
ところが、自己情報をいったん企業Aに売却した後は情報主体は自己情報が下流に流れて
いくことを統制できない。たとえ下流を見通して、そこでの販売価格を見積ったうえでA
社に販売しようとしても、転売価格を予想することは困難だろう。個人情報が商品化され
れば、それは市場において自由に取引きされ、下流になればなるほど、情報主体の管理可
能性は弱まり、情報プライバシー保護水準は低下していくだろう。法律によって、無断の
転売を禁止したとしても、企業は、禁止違反の費用を上乗せして売買するだろう30)。
③個人情報に対する主体の管理権は、情報の自由な流通、なかでも、表現の自由を制約
する強力な論拠となりかねない、という点にも留意されなければならない31)。このことは、
すでに著作権との関連で大きな論争を喚んできた論点である32)。これまで何度もふれてき
たように、プライバシー権は論拠薄弱であって、表現の自由と対立したとき、原告がプラ
イバシー侵害を理由としても勝訴の見込みは薄い。こう見越す原告は、事案に応じて、プ
ライバシーに代え著作権侵害を主張する傾向にある、という33)。個人情報の財産権モデル
は、著作権よりも表現の自由を浸食していくかもしれない。
情報主体に排他的な管理権を法認するとなれば、影響を受けるのは、実は、表現の自由
だけではない。「法と経済学」学派のリーダー、R.Posner は、財産権モデルは人びとの
社会的交渉・接触における取引費用を高いものとしてしまって、社会的効用を低下させる、
と指摘したうえで、個人情報における財産権を個人に割り当てるべきではない、と結論し
ている34)。
おわりに(Conclusion)
(1)不法行為におけるプライバシー概念ですら、その内実および外延は明確ではない。
表現の自由と対立したとき、アメリカの裁判例は、その曖昧さを「公表されれば、通常人
が衝撃を覚えるほどの要秘匿性・私事性」によって削り取ってきただけでなく、メディア
30)See P.Schwartz, Property, Privacy, and Personal Data, 117 HARV.L.REV. 2055, 2091 (2004).
31)See, e.g., E.Volokh, Freedom of Speech and Information Privacy: The Troubling Implications of a
Right to Stop People From Speeking About You, 52 STAN.L.REV. 1049, 1063 (2000).
32)See, e.g., Zimmerman, Information as Speech, supra note 27.
33)先駆的な業績として、See ibid.. Zimmerman は、財産権の利益は見えやすいのに対して、表現の自
由のもたらす利益は遠方にあって霞んで見えるという。See ibid, at 673.
34)See R.Posner, The Right to Privacy, 12 GA.L.REV. 393-404(1978).
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による newsworthiness(ニュース価値)の抗弁35)に寛容であることによって、表現の自由
の萎縮させないよう配慮してきている。
これに対して、日本におけるプライバシー権と表現の自由との対立は、アメリカと比べ
れば、前者優先の傾向が顕著である。この原因は、第1に、プライバシー権概念の曖昧さ
に疑問を寄せないで、重要な人格権のひとつである、という法学者の先入見にある。第2
は、表現行為によるプライバシー権侵害は、不法行為法上の紛争であって、直接には憲法
問題ではないという法学者の思いこみである(表現の自由との調整に気づかれているとし
ても、それは違法性阻却事由のレベルで法技術的に処理すれば足りる、と扱われているよ
うに私にはみえる。ところが、プライバシー領域における違法性阻却事由についての法準
則は、日本においてはいまだ形成されてはいない)。
(2)日本におけるプライバシーとされる範囲は、「自己情報コントロール権」説の影
響によって、さらに膨張してきている。このコントロール権も、「人格権」のひとつとし
て位置づけられ、情報主体がはたして自己情報を管理できるものか、自己情報が人格性と
どのように関連しているのか等について疑問視する声は顕在化していない。たしかに、特
定可能な第三者が個人情報を本人に無断で違法に収集・利用していることを、「自己情報
コントロール権」によって制限しようとすることは不合理な考えではない(この収集・利
用が不法行為に該当するかどうかは、収集方法の相当性や利用目的の必要性・合理性いか
んにかかっている)。ところが、情報社会における個人情報の収集・利用の主たる問題点
は、先にふれたように、断片的な情報が誰によって収集・利用されているか不透明のなか、
利用・収集組織が外部効果を情報主体に押しつけている、という点にある。これを主観的
権益(すなわち、人格権)侵害だ、と理論構成することは困難である。
(3)情報社会が持っている不公正感または不気味さは、無数の民間組織が、秘匿性を
持つとは限らない大量の個人情報を人知れず収集し、それぞれの利用目的に合うよう加工
し、外部提供し、また、別の組織体が人知れず加工し、外部提供するなかで、社会的費用
35)私は、本文中において、「プライバシー領域における違法性阻却事由についての法準則は、日本にお
いてはいまだ形成されてはいない」と述べた。日本における不法行為プライバシー事案は、同時に、名誉
毀損事案として提起されることが多い。名誉毀損であれば、「公共の利害」、「真実性または真実相当性」
...
を抗弁として援用できるだけでなく、「社会的評価」が低下するおそれを主張すれば足りることもあって、
プライバシー侵害の事件において、名誉毀損法の抗弁を活用することが原告にとって有利になるからであ
る。このことが影響して、日本におけるプライバシーに独自の法準則は未成熟のままとなっている。これ
に対して、アメリカのプライバシー判例は、名誉毀損とは独立した抗弁を類型化してきた。それが、たと
えば、「有名人の法理」(test of public figure)、「公けの記録の法理」(test of public record)である。これら
のほかに、「公衆の関心事の法理」(test of public interest )があるが、裁判所(または裁判官)が思想の自
由市場に代替して、公衆の正当な関心事であるか否か判断することに対しては、警戒感が強い。そのため、
相当数の先例は、「公衆の関心事の法理」に代えて、newsworthiness(ニュース価値)の抗弁を好む傾
向にある。See D.Zimmerman, Requiem for a Heavyweight, supra note 2, at 351s.アメリカにおける名誉毀損事
案における特権の理論は、複雑すぎて正確な理解を妨げているとはいえ、「公正な論評の法理」(Fair
Comment Rule)にせよ「現実の悪意ルール」(Actual Malice Rule)にせよ、プライバシーにおける defense
とは別個独立である。
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は消費者(情報主体)に押しつけられている、という点にある。アメリカにおいては多数
の企業が集積的効果としてもたらすこの外部性を内部化できないものか、法学者たちは検
討してきた。その結論がどうであれ、この論争は、(i)個人情報に管理可能性があるのか、
(ii)この可能性を法認したとき、社会的効用(情報の自由な流通)は増大するのか、を真
剣に追い求めるものだった。この論争に学ぶべき事柄は、想像以上に多いと私は確信して
いる。
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