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Title Author(s) 英訳聖書に何が起こったか : その一 三宅, 雅明 Editor(s) Citation Issue Date URL 大阪府立大学紀要(人文・社会科学). 1979, 27, p.89-109 1979-03-31 http://hdl.handle.net/10466/12221 Rights http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ その一 英訳聖書に何が起ったか 英訳聖書に何が起ったか 翻訳文書としての聖書 総 序 ■ その一f 明 えたといわれる。一千有余の異った言語による訳例を網羅した書物も 訳出された言語−差異が顕著な方言を含めて一の数は、一六〇〇を超 ざる翻訳の歴史である。一九七七年までに聖書の全体もしくは一部が 意識にも上らない。このことは、聖書なら聖書という経典の普遍性− あると思われる。まして翻訳による意味の膨脹、収縮、変改の可能性は という明確な認識は、少数の専門家を除けば、一般には極めて稀薄で 右のような事実が存在するにもかかわらず、聖書が翻訳文書である ︵1︶ られているから、これらを考慮に入れれば、その知的営為の量と質は 畏怖にあたいする。原典書風と訳出言語という二つの言語が固有に担 っている背景文化の接点において、翻訳という架橋作業は倦まず擁ま のような錆誤が、ある特定の言語に訳出された聖書の表層テクストと 意味世界を比較研究することを妨げるのであれば、事態は深刻である 問題を無視するとなると、それは明白な現実誤認である。加えて、そ 移植し賦活させるのは、けだし至難という一語に尽きるであろう。真 九七七年末現在において、聖書の全体が訳出された書語の数は二六 ︵1︶ 聖書協会世界連盟︵q謬溶巴国三〇ω8剛。瓜。ω︶の統計によれば、一 註. といわねばならないっ ず続けられていく。ある文化の宗教の言語を他の文化の宗教の言語に で釈明できるかもしれない。しかし何の躊躇もなく翻訳にまつわる諸 耕行されてい蘂袈て・同一の言語への翻訳ですら・繰り返し試み る現象なのである。 文献に対して翻訳者が驚異と私淑の念をもって当るのとは次元の異な 場がありうることは、そめ一斑である。この特異な思弁は、哲学上の 書に見出されるあらゆる言葉を神の霊感によるものとする信仰的な立 リストテレスの著作の場合とは異質の翻訳上の諸問題を内包する。聖 雅 言語の差、文化の差を超える一を主張することによって、ある程度ま 一・闘・一 聖書の歴史は、その現実が雄弁に物語るように、絶え 宅 摯な努力と強靱な信念が聖書の翻訳をその基底において支えているの である。翻訳こそ聖書の生命の根源にほかならない。 さりながら、翻訳という行為は原典からの乖離を不可避的に招来す る。翻訳によって聖書の表層テクストと意味世界は確実に揺れ動く。 しかも聖書はその宗教文書としての性質から、たとえばプラトンやア 一89一 三 ︵2︶ ↓ミ馳。暮ミ.貸↓ぎ議犠ミ§旨偽ミ題と題された鎮骨の書物︵d切oo讐 六、新約のみの訳は四二〇、部分訳は九四五、計一六三一に達した。 枕荘ミ・・目O鳶︶があり、 一三九九にのぼる異った言語への訳出例 が丹念に収集翻刻されている。 一・一・二 本稿は聖書が翻訳によって普及するものであるという 事実を過酷なまでに認識することを研究作業の基盤に据えている。ギ リシア語︵コイネ︶で記された新約聖書のうちでも、イエス自身の言 ︵1︶ 葉に帰される部分︵・ギア︶は既に第一次の翻訳である。イエスは、 その誕生と宣教の地パレスティナの当時の日用語であったアラム語を 語ったからである。聖書の研究が歴史的背景の解明や原典の本文批評 に止まるのでないかぎり、この翻訳という問題はどこまでも付き纒う。 聖書の原典を記述した古代雷語、即ちヘブル語、アラム語、ギリシア 語に無磯に通暁すれぽ、翻訳上の諸問題は殆ど霧散するが、大多数の 聖書外典の一部の原語をアラム語に帰する説がある。 晒・一・三 一九六〇年代、七〇年代は、英訳聖書の歴史にとって 大きな変革の時期であった。これを巨視的に捉えて、一八八○年以降 の一QO年間を、十六世紀から十七世紀初頭にかけての時期に続く第 二の激動期とみなせば、より真糧に近づくと思われる。その帰結とも いえる最近の二十年間の訳業は、本稿がとりわけ注目するところであ 郁本稿の研究作業は奇しくもそのδ○年が終らんとする一九七九 この二十年間には少くとも三つの優れた英訳聖書が出現した。しか 年から開始される。 も従前のような﹁ティンダル、欽定訳﹂系統⑤の徹訂ではな︽、それぞ れが相当な準備期間を経た新しい訳業であった。その第一として、英 国国教会を含む共同訳的な色彩を有する﹃新英語聖書﹄︵↓ぎき亀 肉轟、画纂切§鳴︶が一九六一年の新約部分の刊行をもって開始され、 一 れらの古典言語に通じても、現代人にとって、それらは、やはり外国 力の成果といえる﹃イェルサレム聖書﹄︵寒恥㌃、蕊ミ§窪審︶が登場 たのであったQその間、一九六六年には、現代英国のローマ・カトリ ック系の聖書学者とイニルサレムのフランス嬰書考古学学院の国際協 九七学年に完成を見るに及んで英訳聖書の歴史に大きな里程標を築い 語なのであり、ネイティヴな言語ではないから、その理解は当事者自 した。知的な雰囲気に譲れた翻訳である。他方、プロテスタント系の 現代人にとって、そのことが絶望的な要請であるからには、聖書は依 ︵2︶ 然として翻訳文書であることを免れない。厳密に考えれば、たとえそ 身のネイティヴな言語の干渉を必然的に蒙らざるをえない。これは行 ﹁ティソダル撹欽定訳﹂の旧訳および改訂訳を含め二十種前後に達す ︵3︶ る。新約聖書のみの版も加えれば、その数は更に増大する。 性を具えた新訳が世に出され、今日容易に入手できる英訳聖書は、 上述の三種の翻訳を代表格にして、その前後に相当数のそれぞれ個 る。 れら三つの訳業は詳細にそのテクストを検討する価値があると思われ ≧ミ匂馳ミミ§亀亀、防南ミ豊簿謬盗§︶が一九七六年に刊行された。こ 翻訳として有力な地歩を占めると目される﹃現代英語訳聖書﹄ ︵○。ミ 語説がある。たとえば、聖フランシスコ会による日本語訳﹃マタイ 新約聖書の福音書の幾つかについては、少数意見ながらアラム語原. マタイ﹄の存在を認めている︵中央出版社、 一九六六年、九一一 による福音書﹄に付された﹁四福音書概説﹂の記者は、﹃アラム語 二頁︶。 旧約聖書正典のごく小部分は、アラム語が原語である。更に、旧約 一90一 b。 為としては既に広義の翻訳にほかならないのである。 ︵2︶ ︵1︶ 註 ︵1︶ ︵2︶ ︵3︶ ︵← が、いわゆる﹁正典﹂とされる文書をどの程度まで収めているかとい 書に差のある何種類かの版が同時に存在しているからである。それら 的に問い直してみる必要がある。﹁聖書﹂という名のもとに、収録文 これを帰結となすのは、あるいは早まっていよう。近々再び新たな 意を確認しておく。 面倒でも、﹁聖書﹂および﹁旧約﹂・﹁新約﹂という名称の語源と語 証明している6 の異なる多くの聖書が拮抗しつつ流布している実情が何よりもそれを はありえても、そのまま直ちに普遍化できるものではない。収録文書 者、あるいは執筆者が所属する教派の信仰的な良心を満足させること 出される記述であろうとも、教派本位の発言とみなすほかない。執筆 めてかかることは、いかに多くのプ目テスタント系の聖華日概説書に見 聖書を何の留保もなく旧約主九文書、新約二七文書、計六六文書と決 う問いに置き換えてみると、より鮮明に問題を捉えることができる。 翻訳の気運が膨湊として高まってくることも十分予測できる。 一、二の例外を除き、旧訳の改訂は行なわれなかった。この傾向は 今後も続くであろう。 ↓譜Oミ§。。ミ§§肺ヒ◎8曹ミ国ミ塁幡。§ま↓ミミhミ帖§防 くぎa震毒pおお︶︾噛ミ裳§↓襲騎§§馬⇒§ま寄§§畿§匂 ︵N◎口恥O零9ゆ石門 目りの刈︶のような書物の題名と編集方針は、本稿の視 座から考えても示唆に富む。墾書の理解は監訳の集成の上に成り立 つ質 一・一・四 如上のような英訳聖書を一通り瞥見するだけでも、 ︵1︶ しての発言ではない︶の経典︵替。国。落曽臨讐霞。︶の謂である。 ﹁聖書﹂︵聾。しコ一三㊦︶とは、キリスト教︵ユダヤ教の立場を無視 ー肖ッパ各国語において梓三二圃匡⑦︵または各.国語固有の綴字︶と 語源的には﹁書物﹂という意味をもつ、昏①玄乞⑦.を英語およびヨ 記して﹁聖書﹂の意に用いるときには、確実に宗教的な眼差しがこ る。 められている。昏。蔭子。とは魯oo︷暮。玄甑。ωではないのであ .玄匿。.という語は、もともと古代のナイル川下流の岸辺に繁茂 していたカヤツリグサ科のカミガヤツリ、一名パピルス草︵ρ博ミぴ は、この﹁紙﹂を﹁巻物にして制作された書物も、同じギリシア語で 博§ミ恥︶め髄をギリシア語でゑ穂薯と呼んだことに⋮渕源がある という。この灘を寄せ集めで紙状に延伸乾燥させたものも、延いて 呼称したのであった。のち、このゑ禽。への指小辞寒灘“遷の複 数形勲駝ミが、パピルス製の巻紙に筆写された旧約墾書の各文書 の写本を指すのに適用された。更に、キリスト教ぶ成立してから 一91一 クストの表層構造の差が意外に大きいことが容易に汲みとれる。それ 較究明するところにある。本稿の蓑題の繭部をなす﹁何が起ったか﹂ の真意は、新訳が踵を接して出現したという外的事実を示唆するに止 まらず、より細密に、それぞれのテクストの表層構造の種々絹の解明 甕書とは、いかなる文書を収めたものであるかを即物 幽・二 正典・外典・偽典 とその評価をも包含しているのであるσ ・二・ 註 ぞれが主張と立場を判然と訳筆に反映させているからである。﹃ジェ ームズ王欽定訳﹄︵↓ミ臨ミ魯ミ蹄ミぎ越智ミ§馬宍軌旨喚旨§鳴砺ざお帖§” δH一︶だけが唯一の権威をもつ時代は過ぎ去りつつある。否、半永久的 一語に尽きる。本稿の研究目的は、それぞれの新訳の生命が精々数十 の訳版を推奨するにせよ、客観的に見るかぎり現状は正に渾沌という も、特にどの版に権威があるというわけでもない。特定の教派は特定 <巽ωご口なき時代に差しかかっている。数多くの翻訳が提供されて に過ぎ去ったというのが筆者の率直な印象である。今や︾偉鉾5ユN$ テ 註 年どまりと見込まれている事実にひるまず、各訳版の内実を十分に比 英訳聖書に何が起ったか一その一 は、新約聖書の写本をも含めた名称になった。ラテン語では単数女 性形で三蓋貯と表示され、このラテン謡形から、ヨーロッパ各国 を極め、稗益されるところ大である。 き§§さ&富民ぴ矯ρ畑●切。鐸醜≦8閃碧島国・図ぢα自讐2翁昌αq嵩。・げ まず旧約関係文書の範疇を第一図に示す。 にどのように扱われているかを組織的に考察する。 典﹂、﹁外典、﹁偽典﹂の区別と、それらが各系統の聖書において現実 められているか、あるいは収められていないか、即ち世にいう﹁正 酬・二・二 一歩進めて、聖書にはどのような文書がどのように収 コ ロ ゆ り ㌶鉱。。蜀識8ξ↑臼≦自一ω︶鳩く9潤︵剛W⑦﹁画論帥昌ω鳩 一Φ刈q︶が詳細 語の語形が生じたのである。なお別の説によれば、フェニキアの交 易港ビュブ揖ス ︵切q穂。ハ︶一現レバノンのジュベール︵密冨ε 一は、パピルス紙の集散地であったところがら、その名をもつに至 り、この港の名が直接に﹁紙﹂一二の名としてギリシア語に入った とされる。 成立し、キリスト教側から見て自らの聖典ともなったユダヤ教の経 ﹁旧約﹂︵梓ずO A︶一岱 ﹂門⑦ω件9臼①昌仲︶はキリスト教でいう﹁新約﹂が 典を﹁旧約﹂と呼びならわしたときに名称として有意味なものにな った。﹁新約﹂を容認しないユダヤ教にとっては、このような名称 一92一 ・二・三 図式的に正典A、第一、一正典B、外典C、偽典Dに区分 典Pseudoepigrap血a; は存在しない。︿旧約﹀とは、唯一絶対神ヤハウェ︵吋β。げ≦Oず︶ど 〔記号説明〕 イスラエル民族の指導者モーセ︵ヨαゆ。貫竃。器。・︶との間の土地占 A:正 典Canon;Cano臓三cal Books B:第二正典Deuterocanon{ca1 Books 典Apocrypba;Apocryphal BoQks d:外 有と専一的帰依に関する︿契約﹀︵冨誌導⋮60く。銘馨︶を指す。 ﹁遺言﹂︵齢Oω叶Ωρ旨PO昌仲︶の意を分有していたからである。いずれにせ ﹃セプトゥアギンタ﹄︵ギリシア語訳聖書︶は、 この︿契約﹀を .勲袋葱鉛と表示したが、.幾分不適切な訳語であったといわれる。 幅_一 よ、旧約聖書は、ギツシア籍では鵠ミ黛建勲亀愚還となり、次に 、 1 \\\こ二 8ω雷ヨ。韓§としたのであった。 1’一一軸、、 !! 成立した﹃ウルガータ﹄︵ラテン語訳聖書︶は、これに準じてく。εω 遍的な救済の︿約束﹀を記したものであり、旧約聖書の名称と整合 一, \\ D 、 、 ﹁新約﹂︵けずO ヴ引①d噸 ↓Oooけ9ρ言O昌再︶は、イエス・キリストによる普 は、ヨーロッパ各国語に継承され今日に至っている。﹁聖書﹂︵匪。 させて、§轄愚勲勲慧§と呼称された。﹃ウルガータ﹄ではぎ葺§ 冨ω$ヨ⑦簿置ヨとなる。爾来このラテン語の旧約・新約聖書の名称 A /ーーーー、、\ Pseudoepigraphical Books D;偽 国匿⑦︶は、これら旧約.・新約聖書の総称である。 *ヘブル語の冨誌欝 は基本的には﹁契約﹂ ︵、§昌鳴30馨。﹁ の卑二①目。馨冨仲≦oo昌け毛。想碧菖①ω.の意味ではなく、.帥ヨゆ8三§. あるいは、oげ諏鵯鉱。昌.の意とされる。このヘブル語の言語的神学 に欄する文獄としては↓ミミ磯蹄ミbミ軌§筒遣亀き馬Oミ釜争 的分析は、旧約聖書の理解の質を左右する重要な問題であり、これ 第一図 旧約関係文書の範疇 ② ローマ・カトリック系の聖書は、正典A、第二正典Bを含み、 み存在し、B・C・Dは全く含まれない。 ω 今日のヘブル語原典﹃ビブリア・ヘブライヵ﹄には、正典Aの 旧約聖書は、もともと一つ一つの文書ごとに流布したと推測され、 不可侵性を発揮するのである。 文書の謂と考えられる。ひとたび正典性が付与されると、驚くほどの に、教会の信仰原理を打ち樹てる規範としての権威と正統性を有する エント総会議において自らの正典文書を決定した。正典とは、要する られていったゆ他方、ローマ・ガトリック教会は、一五四六年のトリ CとDは存在しない。この立場によれば、CとDは区別されず、一括 特にプロテスタント系の立場において正典の意義がより意識的に捉え して外典とみなされる。 る。これらの文書群がコーデクス︵Oa⑦×︶として一つに綴られるに そのような場合には、︿正典V意識は必然的に乏しかったと考えられ した文書の位置づけに関しては、大要、次のような四つの異った立場 ③ 英国国教会系の聖書は、、正典Aを含み、更にBを含んだCを外 がある。 典として一定の価値を与えている。この立場は折衷的︵︿幽⇔言O画一9︶で、 及んで、︿正典﹀の意識も自ずから鮮明になっていったであろう。コ ーデクスが制作されたのはキリスト教の成立以後であり、ユダヤ人た ちが伝統的に尊重した﹁律法﹂以外の正典文書が最終的に結集された 味を保持しつつ、比喩的に基準、法則などの意が加わったと思われる。 ど︶を語幹として形成された。樟、直線を引く道具など拡大された意 このギリシア語は、セム系諸語︵ヘブル語ρぎ07.アッシリア語留昌な ㍗息。りの複数形に由来ずる。この形容詞が名詞勲禽蝕︵諸々の書物︶ に冠されたのであった。︵アタナシナスは名詞形腎。竃愚袋を用いてい ﹁外典﹂を示す英語.︾言。蔓唱冨.は、ギリシア語の形容詞匙嶺 ㈲外 典 に権威と価値の両面で正典に劣る書物を指すのに適用されるに至り、 P じく、正典Aのみ存在し、B・C・Dは全く含まれない。 のも正にそのような時期においてであった。 ω第二正典 これらの文書は純正典と区別されずに、この系統の聖書に収められて を正典扱いにして、これを﹁第二正典﹂と呼称した。しかし現実には、 ローマ・カトリック教会は、いわゆる正典のほかに、幾つかの文書 おり、﹁第二正典﹂乏いう名称も範疇も殆ど無意味になっている。 文書に適用され、しかも﹁正典﹂の意に用いられたのは、アレクサン み。︶語義は﹁秘匿された書物﹂、﹁難解な書物﹂、﹁極意書﹂など多様 場合によっては﹁異端書﹂、﹁偽書﹂の意すら帯びるようになった。 で、ときには腎雲黛き§り︵黙示︶の意にも用いられた。しかし次第 ドリア主教アタナシオス ︵︾嗣げ四目90ω一〇ω℃ 鱒Φ魑iIQ●刈●σ︶の﹁第三九復活祭書 自㊤\b。o︶の﹁列王紀ラテン語訳序文﹂を蝶矢とするといわれる。近代 典﹂の意に用いたのはヒエロニムス︵野芝匪ロω当量。叢論躍。。・ω蒔O\9﹁ 英国国教会系は、外典を信仰原理の決定において権威性には欠ける 簡﹂︵三六七年﹀が最も早い例とされる。﹁外典﹂と明確に対比して正 ではカルヴァγ︵︸$昌O巴く言”窃8一嶺罐︶などによる宗教改革以後︵ 一93一 外典は純然たるプロテスタント系の場合ほど排除されない。 ω 純然たるプロテスタント系の聖書は、ヘブル語原典の場合と同 一・二・四 上述のような区分の根幹をなす正典、外典、偽典とは、 その本質からいえば、どのような文書を指すのか。各々の語の語義を ω正 典 手がかりに検討する。 英語の.69口op.は、﹁葦﹂を意味するギリシア語靴§§に基く。 一 その 一 英訳聖書に何が起ったか ものの、教会が信徒の生活規範を教示するのに有用であるとして、 ﹃セプトゥアギンタ﹄にあってヘブル語正典にない文書をこの範疇に ︵1︶ 区分し、正典に次ぐ位置を与えたのであった。 して一切の権威を付与せず、歴史的にも正典性の根拠を認めない。こ 他方、プロテスタント系は、外典は神の霊感によるものではないと の系統の英訳聖書の収録文書はヘブル語正典と一致するのが通常であ る。 これとは対陳的に、ローマ・カトリック系が外典の多くを第二正典 ガータ﹄に含まれていること、古代のキリスト教会が礼拝に使用した として受け入れるのは、それらが﹃セプトゥアギンタ﹄および﹃ウル ことなどに基いていると考えられる。 本稿は、外典については、右記三つの立場のいずれにも直接依拠せ ず、現今存在している英訳聖書の諸版にこれらの文書が実際に含まれ ている事実に立脚し、それらが少くとも二種以上刊行され比較対照が 可能なかぎりにおいて、正典一第二正典を含む一に接するのと同等の 視座と方法によってそれらを扱うことにする。 ㊥偽 典 英語、憎ω窪幽8慧σq雷℃げ9.︵﹁偽名の書﹂の意︶も日本語訳﹁偽典﹂も、 ここに区分ざれる文書の内容から見て名称として適切さを欠く。﹃イ まれていないが、﹃ウルガータ﹄には収められている。 いわゆる外典のうち、エズラ第二書は﹃セプトゥアギンタ﹄には含 合に言及するに止め、直接には比較検討の対象とはしない。 ︵1︶ 一〇〇NyくOド日讐や賢㊤Or愚①ωを参照されたい。 ︵2︶寒偽﹂ミ“巷遷、ミ.恥b蹄職。遣亀蓮ミ。ミ鳴馳導ミ鳩20≦団。爵”︾びぎoq偶。戸 騨・二・五 以上の記述をより鮮明にするため、旧約関係文書の正 典外典楽典別、各回本別の詳細を一覧表にして掲げる︵第一表︶。 エズラ”ネヘミア記との関連において各版本に差異が見られ複雑に入 繍・二・六 第一表のうちエズラ第一書・第二書は、ヘブル語正典 ラ第一書・第二書の名称自体は英国国教会のものである。 り組んでいるから、その明細を表にして示す︵第二表︶。なお、 エズ 一・一・七 次に正典に属する三九文書を念のために第三表に示す。r 構成と順序はローマ・カトリック系を除く英訳聖書各版本に共通のも のである。︵﹃ビブリア・ヘブライヵ﹄は第一表において便宜的に三九文書と 記したが、実際には独自の名称と構成によって二四巻に纒められている。詳 でいる。かつて正典に近い位置を占めていた場合でも時空を限っての シリア語など東方諸国語写本により伝承されたものをかなり多く含ん て、経典としての権威性が外典よりも一層稀薄な文書の総称である。 分明な多くの文書の部分または断片を含んでいるが、ここでは一括し 外典、偽典に区分されてきた文書のほか、﹃外典創世記﹄など帰属不 掲げる。いわゆる﹁死海文書﹂︵∪①器ω魯ω臼。一一ω︶は、従来、正典、 一・二・八 偽典の範疇に属する文書のうち主要なものを第四表に 細については項目一・一二・一の甜述を参照されたい。︶ ことであった。この範疇は外側の輪郭が幾分曖昧であり、これに属す てその存在を示しておくに止める。 ンタープリタ!ズ四書辞典﹄のように.筈Oo9ω置。牙δ貯ω.のごと ︵2︶ き名称を用いて対処するのも一法である。﹁偽典﹂とは、端的にいっ る文書を完全に目録化することは困難であると判断される。 偽典には複数の英訳の存在が考えられるが、本稿としては必要な場 一94一 註 英訳聖書に何が起ったか一その一一 第一衷 範士 文 書 名 ビブリア・ セプトウア ヘブライカ ギソタ ウルガータ 第三表) ○ エズラ第一書 新英語聖書 イェルサレ ム聖書 現代英語訳 聖書 ○ ○ 欽定 訳 ○ ○ 39文轡(詳細は A 旧約関係文書各版異同一覧表 エ・ズラ第二書 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 1 ○ ユディ ト書 ○ エステル記追加 ○舘該劣 ○ ○ ○誌漱乞 ソロモンの知恵 ○ ○ ○ ○ ベン・シラの知 ○ ○ ○ ○ バ ル ク 書 ○ ○ ○ エレミアの手紙 ○ ○ ○ ○豪蔦 アザリアの祈り と三童子の歌 ○髭乏丈劣 ○ ○ ○舞天告 スザンナ物語 ○ ○ ○ ○同上 ○ ○ ○同上 ○ ト ビ ト 書 1 ○ B・C 恵(集会の書) ○ ○ ベ ル と 竜 ○ マナセの祈り i ○ ︸ 一=「一「甲「δ「「重二[三=、 マカベア第一書 ○ ○ ○ マカベア第二書 マカベア 第三書 マカベア 第四書 (文書の詳細は D 第四表) I1 1 収録文書合計 〔記号説明〕 ソロモソ の詩篇 39 561531・4 46(51) 39 ○印 収録文書 一印 非収録文書 第二衷 エズラ第一書・第二書各版異同一覧裏 ビブリア・ 語 ヘラ ブ記 ︵ ル 正典 工 ズ (ヘブル語正典ネヘ ヘブライカ セフトゥア ギンタ エズラ= エ.ズラ ネヘミア記 第二書 イェルサ レム聖書 現代英語 訳聖書 エズラ第一書 エズラ記 エズラ語 エズラ記』 エズラ第二書 ネヘミア記 一95一 3 ス ズ ラ エズラ第四書 (エズラ第五書) 典二 エズラ第三書 エ書 エ書 外典エズラ第二書 エズラ第一書 欽 定 訳 典一 外典エズラ第一書 新英語聖書 外第 外第 ミア寵) ウルガータ ネヘミア記 ネヘミア記 第四表 旧約聖書偽典一覧表 名 書 名 即 名 文 名 文 第三衷 旧約聖書正典一覧衷 文書 吟 書 文書名 創 世 出エジプト記 アボス 十二族長の遺訓 ;1シビュラの託宣 アダムとエパの生涯 エチオピア語エノク書 士 ﹁ル マカベア第四書 ヨシュア記 師 エステル記 アモス書 ヨ ブ 記 オバデア書 伝道の書 雅 歌 イザヤ書 ツ サムエル記・上 サムエル記・下 書書 ギリシア語バルク黙示録 天 ナ カ マカベア第三書 昇 ヨエル書 ヨ ミ シリア語バルク黙示録 の ‘篇 言 ソロモンの詩篇 セ ー ネヘミア記 詩箴 モ ダニエル書 足ズラ記 ホセア書 記記 イザヤの殉教と昇天 民申. ■ ビ 数命 書 ・ル レ ピルケ べ ヨ スラヴ語エノク書 記記﹂記 アリステアスの手紙 歴代誌・下 記 ナホム書 ババクク書 ゼパニア書 列王紀・上 置レミア書 ハガイ書 歌 ゼカリア書 列王紀・下 哀 歴代誌・上 エゼキエル書 マラキ書 「死海文書」に含まれる一 部の文書 、 C !1 、 ノ / / \ \ ノ 、}一’ 〔記号説明〕 A:正 典Canon;Canonical恥oks B:使徒教父文書Apostlic Fathers C:外 典Apocrypha;Apocryphal Books 一96一 一・二・九 次に、新約関係文書について、正典、外典などの区別 、、ーー−一,一!ノ / \ \ は特有の﹁使徒教父文書しがあり、旧約関係文書に見られる﹁偽典﹂ \ //!{\\ 、 \ !! \\ と実状を考察する。その範疇は第二図の通りである。新約関係文書に ! ’、 の区分は、ここでは存在しない。 ’ リ へ ’ 、 /−f−1ーー、\ 場合砥ど複雑に入り組んではいない。キリスト教各教派の間でも、正 欄・二・一〇 新約関係文書は、その所属を巡って旧約関係文書の らいえば、新約は聖書ではないから、ここでも問題はない。本稿にお 典についての見解の差は今日では殆ど見られない。ユダヤ教の立場か いて検討する英訳各版本は新約正典については収録文書もその順序も 完全に一致している。現今の二七巻に最終的に固定したのは四世紀ご ろであり、長年月に及ぶ選択と排除を経て確立されたものであった。 初期キリスト教会は、二世紀半ばごろから、ユダヤ人キレスト教徒の 律洗優先主義、ーグソ:シ、ス的神秘主義、更にはマルキナン派⋮のイエス 第二図新繍係靖の鱗 英訳聖書に何が起ったか一その Bの.﹁使徒教父文書﹂にあたる英語.︾宕の窪o男9昏o話.は、この 順序と同一である。 ● ︵1︶ 仮現論、モンタノスの霊化運動と競合し、その葛藤の過程から半ば必 呼称のまま、キリスト教の正統派の立場から使徒時代の息吹きをもっ て新約の気風を表現している文書を指す。現正典の幾つかの文書より 立の基準は、イエスから福音伝道の権威を授けられた使徒たちに起因 古いものも含まれる。次に述べる外典に属する文書に比して、正統派 然的に正典を結集していったのであった。初期キリスト教会の正典確 た記録としては、前述のアタナシオスが同じ書簡において新約正典二 する文書を規範化するところにあったと思われる。なお文献に残され の教会からも、さほど異端視されず、その多くが正典に次ぐ位置を付 C 外典(主要なもののみ) 称 名 マタイによる福音書 テモテへの第一の手紙 マルコによる福音書 .ルカによる福音書 テモテへの第二の手紙 テトスへの手紙 ヨハネによる福音書 ピレモンへの手紙 使 徒 行 伝 ヘブル人の手紙 ヤコブの手紙 コリント人への第一の手紙 ペテロの第一の手紙 コリソト人への第二の手紙 ペテロの第二の手紙 ヨハネの第一の手紙 }勅⋮駕 デ とロロブリ’ rトマス福音書 アグラファ(イエスの書葉) トマスによるイエスの幼時の物語 アトセペパヤオカ ニコデモ福音書 ヤコブ原福音書 ゴハネの黙示録 ヨハネの第二の手紙 コロサイ人への手紙 ユダの手紙 クレメソスの第二の手紙 デォオグネトスへの手紙 イグナティオスの七つの手紙 ベルマスの牧者 ○ 、 四 八 ス五 簡 ル三 書 ピ七 復 パ○ 伝伝往録録録・一 X母黙黙黙巡 有行吻示示示澱 称 、名∬ 1 ウ、 ・, ・ペテβ福音書 パピアスの.断片 クレメソスの第一の手紙 名 , .称 称 ▽97一 七巻を掲げているのが早い例である。現在の収載順序は、ナジアンゾ ポリュカルポスの殉教 1バルナパの手紙 ポリュカルポスの手紙 十二使徒の教訓(ディダケー) 名 称 B 使徒教父文書 名 ペテロ行伝 パウロ行伝 ヨハネ行伝 ヨハネの第三の手紙 工ペソ人への手紙 ピリピ人への手紙 テサロニケ人への第一の手紙 正 A 名 β一マ人への手紙 ガラテア人への手紙 典 称 テサロニケ人への第二の手紙 スのグレゴリオス︵O﹁OoqO門圃Oρ ωboゆ﹂臼物ぴLωQ◎㊤\切O︶の正典目録rの記与 載されている。この範躊の文書は特に言及する場合を除き本稿の視野 第五衷 新約関係文書範疇別名称一覧表 の外に置かれるO Cの外典に区分される文書は、旧約聖書外典とは異った性格をもっ ている。新約聖書外典には旧約関係文書でいう偽典に分類されるもの が多く含まれるからである。この分野の指導的研究者である荒井献教 授の詳細な目録によれば、﹁ナグ・ハマディ文書﹂︵2帥叩出馨卍巴一課, ︵2︶ 再9。蔓︶を加えて、その数は九三に達する。新発見の資料が今後追加さ れることも予想されるから、この範躊の外側の輪郭は、旧約聖書偽典 の場合より一層曖昧である。正統派から異端視された各教派の独自の 文書を積極的に包含するとなると一段と膨脹する。この範疇も本稿は ・三 原典・古代訳・現代英語訳 一・三・一 ヘブル語正典﹃ビブリア・ヘブライカ﹄は、いうまで もなく旧約聖書の原典であるから少し丁寧に調べておく。︵ただし、恥 在の原典は完全オリジナルではなく、特定の写本を底本とし、他の写本類を 校合して本文を構成したものである。︶ ヘブル語正典は文書の性質により三つに区分するのが伝統的である。 そのうち﹁律法﹂︵日。§貫卜僧≦︶に属する文書は、紀元前四〇〇年ご うに正典化された。続いて﹁預言者﹂文書︵2伊玄.営脚寄。嘗。富︶が前 ︵1︶ 二〇〇年ごろ正典に加えられ、﹁緒書﹂︵憂きび百⋮国&。。q這娼冨︶を付 ダヤ教のラピたちのヤムニア会議においてであった。この三区分は、 加して最終的に正典を結集したのは、紀元後九〇1一〇〇年前後のユ 正典化された順序を示すとともに、経典としての重要度の願をも反映 していると思われる。 . む無\謡︶は、キッテル︵閃&。なぽ二一eが編集した旧版︵第三版︶の ﹃ビブリア・ヘブライヵ﹄の最新版︵衷§轟ミ畑ミ軌§憩ミ零議§鴇鼻 衣鉢を継ぎつつ、より厳密に、底本としたレニングラード.コーデク ス︵9ユ賃冨巴昌oq﹁巴窪のジ切一8︶との校合を重ね完壁を期したもの である。伝統的な三区分を目次、三嘆などで明示していないが、今そ ︵2︶ れらを補いつつ、収録文書の名称と順序を示せば第六表のようになる。 正典文書の合計数字二四は、意質的にか偶然にか、イスラユル十二 支族の倍数にあたる。サムエル記、列王紀、歴代誌に上・下の区劉が 書名は、その相当数が﹃セプトゥアギンタ﹄系の伝統をひく今日の欧 一98一 原則的に比較研究の対象とはしない。 ﹃ルカによる福音書﹄とパウロの十通の手紙をもとにキリスト教史 マルキオン︵窯震90ロ︶は、 ロ;マを本拠地として、一五〇年ごろ 上初めて︿正典﹀を絹集した。正統派教会の正典作成は、これによ 仮象説を推進して正統派教会から異端として排斥された。 り大いに刺激を受けたといわれる。マルキオンは、ユダヤ教の﹁律 法﹂に現われるのとは異った愛の神を唱道し、更にイエスの肉体の モソタノス︵7角O二一”昌◎oΩ噛 lH刈O︶は、小アジアを中心に熱狂的な 霊化運動を起し、教会の指導的組織的態度を論難した。これは同時 に正統派教会の使徒絶対主義の否定でもあった。 約詳細正典の理解に側面から手がかりを提供すると思われる。 異端の烙印を押されたマルキオンとモンタノスの教説は、現行新 ているから、これらを別個に計算すれば、ローマ・カトリック系を除 なく、十二人小預言書を一括し、エズラ記、ネヘミア記を一纒めにし 一・二・門田 新約関係文書を各範疇ごとに榊覧褒によって示せば 米や日本の翻訳聖書の文書名と異っている。旧約聖書はヘブル語を原 く全ての英訳聖書各版本の正典三九巻に整合する。ヘブル語正典の文 第五褒のようになる。 覧﹂を参照されたい。 ︵2︶ 叢書﹃聖書の世界﹄ ︵講談社︶別巻第三巻所収の﹁新約聖書外典一 ︵1︶ 註 第六表 rビブリア・ヘブライカ』収録文書の名称と順序 名 区 老 そしてヤハウェはモーセを呼んだ(レビ記) これらが名前(出エジプト記) 荒野で(民数記) これらは名前(申命記) 士 師 王たち(列王紀) サムエル エレミ ア イ ザ ヤ ェゼキエル 十二人(ホセア,仙山ル,アモス,オバデ ア, ヨナ, ミカ,ナホル,ノ〉・ク ク,ゼパニア,ハガイ,ゼカリア, マラキ) 篇ブ 箴 書 原典に準拠すべきであろう。︵第六表においては、ヘブル語正典の文書名 が﹃セプトゥアギソタ﹄系の慣習的なそれと大ぎく異っている場舎には、慣 習的な文書名を括孤内に記しておいた。︶ 現今のヘブル語正典を構成する資料は、正典が結集されてから約一 千年前後も経過した時点での写本に拠っている。︵紀元前後のものと推 建される﹁死海写本﹂は﹃イザヤ書﹄を除き、部分あるいは断片に止まり、 全面的にそれに依拠できない。︶ ヘブル語正典の伝承写本の正確さは定評 のあるところだが、それにもかかわらず各写本によって幾分本文の裏 層構造に差があるといわ回る。なお今日の正典の原資料は、基本納に ああ(哀歌) エズラ享ネヘミア 日々の事柄(歴代誌) はマソラ本文︵護餌。陰◎脱①仲陣O 内門O×け︶である。これは ユダヤ教の学者たちが連綿と本文を保存研究し転 ︵3︶ 写伝承してきたものである。ヘレニズムの時代以 後、ユダヤ人たちの多くがヘブル語から離れてい った歴史的事実は、聖書を記述したヘブル語を文 書にのみ残存させ、これがかえって本文の崩れを せた。バビロニア学派とティベリア学派に分 的に聖書本文を伝承する傍ら、子音のみのヘ ブル文字に母音記号を付して意味を明確化さ 六世紀ごろから十世紀ごろにかけ、マソラ学 者︵﹁マソうしとは﹁伝統﹂の意︶は、本格 る。 ば、一〇〇九年または一〇〇八年の写本であ レ・ニングラード・コーデクスは、奥書によれ るのは、ギリシア系統の名称である。 ﹁律法﹂を﹁五書﹂︵け﹃O ︼℃Oづ魯9一〇環6げ︶とす 最小限に止める結果になったと推定される。 ︵3︶ ︵2︶ ︵1︶ 註 系の伝本である。 グ ラ ー ド ・ コーデクスは、ベソ。アシエル 出現した。前述のレニン 記号を付したものを採用 し て い る 。九世紀から十世紀には、このテ イベリア学派に二人の 大 学 者、 ベン・アシェルとべン・ナフタリが ヘ ブ 、 ティベリア学派の複雑な かたれるが、今日の印刷 ル 語 塑 書は エスアル ダニエル している。 の内容と順序は同一であり、もちろん英訳聖書各版本のそれとも一致 定本とされる。表層構造に多少の差異が認められるものの、収録文書 一・三・三 新約聖書正典の原典は、一般に次の二種のテクストが 俵道者 の §黛ミ寄神君ミ偽載ミ§恥ミ象“ く ー99一 詩ヨ 置 書 諸 ヨシュア 冠 預 H はじめに(創世記) 法 律 1 称 分 典とするからには、文轡の区分はともかく、その名称くらいはヘブル その一一 英訳聖書に何が起ったか ル ツ 歌の中の歌(雅歌) つたかどうかも含めて一もしくは異ゆた伝承的立毛をもウていたと考 ら構成した標準的な版本である。校異は詳細に脚注に示している。最 ト教会の正式の聖書に採用され、キリスト教の急速な普及に貢献した れておく。 ㊥ヴァティカン写本︵Oo儀oX<ρ臨。餌昌ロの︶ 四世紀のものと推定される。旧約正典、旧約外典、新約正典の ㈲ シナイ写本︵Oo岱。図Ω昌9。三〇億。摩︶ 殆ど全てを含む良質な写本である。 約関係は正典全てのほか、﹁.ハルナバの手紙﹂と﹁ヘルマスの牧 これも四世紀のものと推定される。旧約関係に欠損が多い。薪 の アレクサンドリア写本︵︵90図 ﹀一①翼魯昌傷﹃剛昌信。◎︶ 者﹂を含む。 む。﹁マカベア第三書・第四書﹂及び﹁クレメンスの第一の手紙・ おそらく五三紀の写本である。旧約正典、新約正典の殆どを含 第二の手紙︶も収められている。 られ、このうち約一九〇〇値増は、サマリア本文と﹃セプトゥアギン マソラ本文とサマリア本文との間には、大小六〇〇〇個所の相違が見 音文字で自らの﹁叢書﹂︵﹁律法﹂︶を制作した︵前五世紀一男二世紀ごろ︶。 山に神殿を建てる傍ら、ヘブル語の方書的変異であるサマリア語の子 サマリア.教団は、イェルサレムのユダヤ教団に対抗して、ゲリジム ω ﹃サマリア五線﹄︵サマリア語訳︶ を一括してその輪郭を示しておく。 一・三・四 ﹃セプトゥアギンタ﹄以外の古代訳のうち有力なもの く1︶ 代表的写本として次の三つを考慮してよい。新約関係についても触 が定本といえる。 のであった。なお現今の印刷版本はラールフス︵︾琴。匹即9匡臣ω︶の版 えられる。いずれにせよ、﹃セプトゥアギンタ﹄は、のち初期キリス ネストレ︵苛げΦ昏⇔鼠オ。弩。︶が先行の諸版を校合し折衷的な立湯か ’ 新版︵第二五版、一九六一二年︶は、息子の甲≦520。。二〇と、アーラ ソト︵︸︵離﹃幹﹀一鱒雛α︶により改訂を施された。 幻 寒馬O§神﹀鳶ミ§恥ミ§偽§、 ︵ 聖書協会世界連盟版としてアーラントその他の編集により一九六六 年に初版が公けにされた。利用しうるかぎりの彪大な資料を精細に取 捨選択し学問的に完壁を期している。本文テクストの信慧性は、これ に並ぶものがない。鮮明な印刷とあいまって、前記ネストレ版が長年 もち続けた規範的な位置を奪うものと予測される。最新版は一九七五 年の第三版である。なお劉冊として七百数十頁に及ぶ本文校異注解 ︵︾↓曇、§、G。ミ§§ミ遷§き馬Oミ轟きミ寄恥ミ§ミ︶が刊行されて いる。 ︵⑦愚、§鷺ミ貸︶即ち﹃七十人訳﹄ギリシア語聖書をとりあげる。成立 開ニニ・四 次に聖書翻訳史の第一頁を飾る﹃セプトゥアギンタ﹄ 時期は前三世紀ないし前一世紀と推測され、しかもヘブル語原典より も古い時代の写本︵四世紀のもの︶が残っていることもあって、幾つ かの古代訳のうちでも最も資料的な価値が高いものである。この訳業 ︵1︶ はアレクサンドリアのディアスポラ︵離散者︶としてのユダヤ人たち の必要に応えて生まれた。かれらはヘブル語からもアラム語からも離 れ、もっぱらギリシア語を使用していたのである。本来は﹁律法﹂の みの訳であったが、次第に地の文書が追加翻訳され、最終的にはヘブ ル語正典に含まれない外典文書や若干の偽典文書をも包括した厩大な ものに発展していった。収められた文書の性質から判断されるかぎり では、アレクサンドリアのユダヤ人たちはパレスティナのユダヤ人た ち︵ヘブル語正典を伝承︶とは異.つた正典感覚1そもそも正典意識があ 一100一 耀 タ﹄とが一致するといわれる。 ついてはヘブル語から直接訳出された。 .<巳ぴq讐櫛.と呼称されたの めて聖書全巻を訳したもの︵四〇五年完成︶をいう。旧約関係文書に これは、先行する古ラテン語訳の弊を正すため、ヒエロニムスが改 翻訳のあり方が強いていえば原典の逐語訳風のものであったのに対し、 程などを明確に述べている。﹁ティンダルー−欽定訳四改訂訳﹂系統の 約、旧約外典、新約のそれぞれの序文をもち、翻訳の動機、方針、過 ﹁欽定訳目改訂訳﹂系統の英訳聖書の慣行を破り、全体の序文、旧 ω﹃新英語聖書﹄ 聖書三種について、その概略を記しておく。 は、ローマ・カトリック教会において﹁共通して﹂用いられたからで 直訳口調を脱していることが大きな特徴である。時として多少敷衛訳 ② ﹃ウルガータ﹄︵ラテン語訳︶ り最初の印刷書物となり、一五四六年には、トリエント総会議におい ある。このラテン語訳は、一四五六年ごろ、グーテンベルクの手によ を置き、原典の意図を汲みとって訳出しようとしたものと判断される。 的な表現も見出される。現代イギリス英語の自然な語法の使用に力点 刊行形式にも独自性がある。旧約・旧約外典・新約を同一装槙にし てローマ・カトリック教会の正式の聖書本文となった。現行の印麟テ クストは、一五九二年のクレメンス八飯釜︵ぎ蒼ミO♂§ミ§騎︶の改 訂版である。なおウィクリフ︵匂Oぽ降 ≦矯6一凶鵠O℃ 一もQbりO\N⑩lI◎◎劇︶による英 てそれぞれ§恥≧§薯N篤怨窪ミ鳴のタイトルのもとに罫Oミ 寄象亀§§斜審奪89瀞3↓ミ冬ミ寄亀蟄§偽ミをサブ・タイト ③ と新約の問に挾みこんだ全一冊版、及び旧約外典を削除した合本版が ルとして付加した瓢ぴ碧雲国歌ユ§があり、更に、旧約外典を旧約 ω 幾つかの内容の異った写本が伝承されている。 したアラム語による﹁解釈﹂が次第に固定し書物化したものであった。 化したユダヤ人たちが教会堂での聖書朗読に際してヘブル語本文に付 れに大英聖書協会、スコットランド聖書協会が助力し、のちに英国及 考えられる。この訳業に参加した教派は、英国国教会、スコットラン ド教会、ウェールズ教会会議、アイルランド教会会議など九団体、こ リスト教会各教派の悶に起っているエキュメニズムの一つの現われと ﹃新英語聖書﹄は一種の共同訳に近い立場をとっている。現今のキ ﹃タルグム﹄︵アラム語による敷祈訳︶ ﹃タルグム﹄︵↓ぎミ黛§︶は厳密な意味では翻訳ではなぐ名称自体 いずれもω欝巳錠露国象ユ。謬として世に送られている。 旧約部分は﹃セプトゥアギンタ﹄からの重訳ではなく、ヘブル語原 びスコットランドのローマ・カトリック教会もオヴザーヴァーの資格 一101一 訳は、﹃ウルガータ﹄からの重訳である。 が示すように﹁解釈﹂である。ペルシア帝国の侵攻を契機にアラム語 典からの直接訳︵二世紀ごろ︶と推定されている。新約部分は五世紀 で加わったのであった。 ﹃ペ シ ッ タ ﹄ ︵ シ リ ア 語 訳 ︶ ごろ訳出された。﹁ペシッタ﹂という語は記号や脚注がなくて﹁簡素 ② ﹃イェルサレム聖書﹄ 英訳聖書には地名を直接冠したものは比較的少いが、この訳版の名 な﹂の意と思われる。シリア教会が五世紀に東西に分裂した結果、東 方系ネストリオス派伝本と西方系ヤコブ派伝本に差異が生じ、前者を 称は、イェルサレムの地に一八八九年に創設されたドミニコ会聖書研 のちフランス聖書考古学学院と改称して現在に至っている。この団体 究所に由来している。この研究学院の実力は世界的に認められており、 、℃①ω二二。.後者を.℃①ω冥妄鋤、と区別して呼称する場合もある。 ・三・四 本稿において訳文検討の主要な対象に据える現代英訳 〕 その一 英訳聖書に何が起ったか ると思われ、まずフランス語版︵貯窪§逆心§防ミ偽§︶を一九五 は聖書をヨーロッパの主要な言語に訳出しようとする意図をもってい 供しているのに対し、この訳語には、イギリス英語版とアメリカ英語 に分けるが、いずれも便宜上のことであり、それぞれの動機が互いに われる。今それらを個条書きにして掲げておく。外的条件と内的条件 目として多くの英訳聖書が出現したのは、それなりの理由があると思 一・三・六 項目一・一・三で述べたように、一九六〇年ごろを境 ついては、本稿の進行とともに触れる機会があるはずである。 版とがあり、テクストの表層に幾らかの相違が見られる。この差異に 六年に完成し、続いて一九六六年に英語版とドイツ語版を出版した。 英語版には、英国のローマ・カトリック系の学者たちも総力を挙げて 協力した。英語版の本文自体は原語からの訳出であるが、先行のフラ ンス語版に負うところ大であると表紙裏に記されている。 絡み合っていることは指摘するまでもない。 翻訳の方針は、英国の今日的性格にふさおしい訳文の提供と、神学 ている。結果は、幾分保守的な雰囲気を漂わせつつ、洗練された、読 的思考を深めるのに十分な実質を盛りこんだテクストの具現に置かれ ω新しい写本︽特に新約聖書関係の写本の発見と研究により ω外的条件 本文を以前よりも正確に解明構成できるようになったこと。更に、 みやすいイギリス風の英語となって現われ、ω9巳oa国会銘。昌には さわしい形式と表現をもって訳出されたのと、 一般に 、臼。いoa. 一102一 詳注も付された。特に目立つところは、詩の部分の翻訳が、それにふ 諏イネの研究の進展、比較宗教学の成果、考古学上の発見などが もたらした知識が加わり、これらを原典の解釈に織りこむことが 蛛v︶と訳されている神名を原語のまま、団詫び≦oげ.とした点にある。 ㈲ 各教派が独自の立場から独自の訳版を志向したこと。 いずれも、この訳業の見識を示すものである。 正式の書名として08織さ§切愛鳶という思い切った表現を掲げ、 求が存在すること。 09 アメリカ国内にアメリカ英語による翻訳を求める潜在的欲 可能になったこと。 伝統的な訳語に縛られない口語訳であることを明確に打ち出している。 ②内的条件 に強いこと。︵このことはまた苦心の訳業の生命を危険にさらす要因で ω 日常の生きた英語が急速に変化し、新しい訳への期待が常 帽・三・七本稿における英訳各版本の比較研究は、その原点的な の文明の逼塞感が人々を聖書へ赴かせていること。 と。︵美的格調を重んじる態度とは逆の方向である。︶ ⑭ 前項と関連して、解りやすい英語表現への要望が根強いこ もある。︶ 聖書協会世界連盟が出版母体となって旧約と新約を合わせ世界各地に 前記二種の訳がそれぞれ複数の刊行形式をもちつつも同一の本文を提 が仇になって、訳文などに美的深みの欠如を露呈するところもある。 入して、この面からも理解を促す工夫が施されている。ただし親切心 ろが少い訳文を創出している。線画のイラストレーションを数多く挿 論に拠りつつ、英語を母国語としない人々にも困難を感じさせるとこ 提供されるに至ったものである。訳文の特徴は、前記二種とはまた違 った意味において日常語風の文体をもつところにある。新しい翻訳理 纔Z六年︶が契機となり、旧約聖書の訳へと発展し、 一九七六年、 もとも之アメリカ聖書協会の手によって開始された新約聖書の翻訳 ㈲ ﹃現代英語訳聖書﹄ (「 (一 ﹃欽定訳﹄は、一六一一年、それまでの幾つかの英訳聖書の集大成 この記念碑的な訳業にりいても若干触れておく。 基準として﹃ジェームズ王欽定訳﹄をたえず顧みることになるから、 は前項に準じるもの、△印は折にふれて検討するものを示す。また記 ある・︵本稿の進行とともに新たに入手可能となる版本があれば、その都度追 のになっている。以下に列挙するのは本稿が使用する墨筆版の目録で 個性を言い現わしており、訳文の実質とも絡んで甚だ興味をそそるも 号Aは旧約正典、記号Bは旧約第二正典、記号Cは旧約外典を含むも 加掲載する。︶◎印は本稿が主として比較研究の対象とするもの、○印 のを指す。続く数字は各訳版の初版の発行年を示す。タイトルからあ \ として、ティンダル訳を基底に据えつつ完成を見たものであった。ル 合と同じく、母国語への深い信頼から生まれ、聖書がもつ普遍的な性 との記載事項は筆者が用いた訳版の記事と、若干の説明とである。 9唱∴寒奪8蓬潜趨ミ<ミOミ§切ミ§§蝋 ︵ミδ℃ZO≦嘱O円犀”︾じdω’ 一103一 ター︵7臼βゆ﹃仲一口 いq蝕げΦ﹃℃ 一門竪H釦蒔⑪︶のドイツ語訳聖書︵一五三四年︶の場 なった。先行するティンダル版などが内容に直接関係のない欄外注記 質とあいまって、その後の母国語の歴史に重大な影響を及ぼすことに ︵既にその概略を記した訳版については説明を省略する。︶ ω 旧約聖書・新約聖書の双方を含むもの を施していた態度を斥け、本文のみを示すという範型を聖書出版の歴 史に残した。オリジナル版は旧約外典を含めて出版されたが、 一八〇 ◎AC一六一一 ︾ミぎ、勘鼠峯薦鳶§禽さ凌馬§℃ピ§αo昌鱒ρ 四年に大英聖書協会が設立されたのち、旧約外典問題はかまびすしく、 して刊行されるに至った。現在流布している﹃欽定訳﹄の諸版は、い 削除したり復活させたりしたあと、一八二六年から旧約外典を切り離 ミ切ミさ誘画§博ピO馬射O﹃ρ¢●”﹃欽定訳﹄の △AC一八八五 §馬ミミ亀駄奪亀§筐§恥ミ帖ミ、ミ§、切ミぶ い。昌9貸O.9惣門§恥魯6悪亀馬§、ミミ・ 改訂版。今日からすれば資料価値以上の意義は乏 題にするなどの場合を除き、この改変したテクストに拠ることにする。 ずれも綴字を現代式に修正しており、本稿においても特殊な綴字を問 行当時既にその擬古的文体を指摘されたが、翻訳文体として稀に見る 時としては思い切った自由な文体のもの。 §馬bリミ馬ミ鳴蕊蹄肉蔓傍詞い。嶺匙8”ρq。 ξ智寓。曲舞計20≦団。爵”国96興.私訳。当 ︾﹀貯ミS§蕊ミ識§ミき“勲功素望9。田富仲9 ﹃欽定訳﹄は先行訳の集大成としての性格からも窺えるように、刊 △A 一九二八 しい。 しうるものになっている。さりながら、内容からいえば、底本の問題、 訳者たちの原典理解能力の限界など今日の水準からすれば、かなりの 欠陥を有することも事実である。 即これは、ρ内.OαqαO昂が首唱した基本英単 語八五〇語に立脚しつつ、総語彙を一〇〇〇語に 一・四 研究対象英語諸版本 一・四・一 上述の主要現代英語訳三種及び﹃欽定訳﹄のほかにも本 図O藁”O●d.℃噸これは鵠§野畑土竃鴇§のア △AC一九五二 さミ怨載恥ミ§ミ雷、総§ミき聴許ミ馬矯20≦ 止めた訳版である。 自らの主体的立場をどう主張するかを表示しつつ、﹁それぞれの訳版の 称に苦労のあとを偲ばせている。これらの名称は、他の訳版と異なる 稿が検討の対象とする数多くの英訳聖書が存在しており、それぞれ名 △A 一九四九 高雅雄渾な格調を顕現し、ほぼ同時期のシェイクスピアの英語と比肩 一 ぞの 英訳聖書に何が起ったか △A 一九六〇 O A 一 九六五 の改訂版。新発見の写本資料を利用し、また認イ 〇A 一九七八 @A 一九七六 メリカ版︾§ミ§蕊⑦ミ蕊§達.§盗§︵§一︶ ネの研究成果に基く原典解釈を織⋮りこんでいる。 さミ﹄§ミ甘魯蕊⑦鷺§ミ馳導黄ピ9=9寓9壕0㌣ Oo&きミ恥密守隷㍉§§、肋肉蔓軌罫さ蕩馬§”q切の● 押蓋。 き¢ 吐き鳶% ﹀慰ミ ミ鮎ミ蕊ミ馬§蕊ミ §、鴇。§ ーヨーク国際聖書協会によるやや保守的なプロテ O頴§鳥屋①唱達ρ]≦ざ窪αqgp”Noβ傷。﹃︿櫛p ニュ スタント系の最新訳。 §“﹄§魯ミbロ§♪Zo≦団自汀Uo⊆び冨傷9。零全 OAC一九六四∼ 一罵O﹃昌冨”聞O鐸昌α9鼠O昌男hΦのの℃轟び出Oρけδロoo・こ れも﹄ミミ馬§§盟§§ミさお馬§の改訂版。 五九巻の構想で目下継続進行中の大規模な詳解つ 幾らか私的な色彩を帯びる。 ︷§馬︾ミ黛慧ミ露量黄O触9。渉畠図9嘗器=≦凶9学 きの訳業。ミ●閃●︾霧二σqげ計∪・2●周お。傷§9昌 を主幹として各教派が協力している。完結間近で h昌”N◎雛傷。讐9p原典が多義的な性質をもつ個 所に複数の英訳を同時併記した版。 のもの。 あれば、本稿もよヶ積極的に研究対象とするはず §恥﹀耐ミトさ穿ミ§§斜O鋤渇ぴざO器oqo犀” ② 新約聖書のみのもの 一九六九 軌↓けO≦O同塵”。陰]≦O。◎件¢謬畠O話露昌ユ簿鑓⑦切箭冨矯と Oげ誌の鉱”昌U騨。§け霞oH”8諺拶二§9ド個人訳。 銘打っている。 国黛鉱oP電9。霧ぽ幹巴ぴ嘱︸・切・℃慧霞陽℃Zo≦ 一九七二 寒﹀⑤§・隷帖§ミミさ譜、蕊肉蔓蹄勘㌧幻。<δΦ住 尾O蒔”窯僧6琶筥潜P フィリップス訳として著名 のものQ好評と伝えられ.る。 §恥寄亀蕊、ミミ、肋﹀⑤ミ§砺ミ§馬ミ博い。昌島。貸切㌍ 構・五・一 一104一 ◎AB一九六六 暴恥㌣ミ器鳶ミ切馬ミ騨H◎昌幽。謬”U胃8Pい。亭 ケ簿瓢俸↓a画 OA 一九六九 §馬§奪蕊卜縞震馳導智㍉↓漕ぎミ旧幕偽§ さ三口§矯O鑓昌ユ図9覧器L≦凶。匿αq㊤罠No昌含ミ§ これはO●<o蒔田覧を指導者とするグル⋮プの る。国際ギデオン協会版新訳聖書はこの版に拠っ 手になるき幕ミ遭さ、鴇§を改訂したものであ ているQ 一九七三 霧・翻訳上の諸注意を添えた専門家向けのものゆ 研究の立場と方法 一・五 昌。陣ω”↓旨爵罫私的な訳だが好調な売れ行きと 野 に お い て 的営為が集積さ れ た分 は 、 恐ろしいまでの学問的精力が傾 聖書及びその翻訳の研究のような現在までに鷹大な知 伝えられる。タイトルの通り、かなり徹底した敷 §恥卜画手鑓切鉢鳶もミ愚零aミ妻管。緯oP目学 つき。 ﹀ヨ〇二$のメンバーによるカトリック訳。注解 これは↓げφ09。昏。ぎ露出ざ9一︾のω8冨鉱。旨。隔 §恥︾§ミ画§蕊ヒ6き黄2①≦<oN犀“劇。昌N黄窪● 昏ρd●男 ◎AC一九七〇 §馬﹀耐ミ鍵篤罫急き黄Uo雛岱。昌”9q・℃。 △ A B 一 九七〇 △A 一九七一 △ △ △ びq α蔓 注され、原典の精査、歴史的な裏付け、神学的な釈義など多方面にわ たる検討が加えられてきた。このような領域を対象化して、新たな、 屋上屋を架す作業は、たとえ翻訳版本の研究であれ、先達の業績の恩 恵なしに遂行することは全く不可能である。本稿としては、これらの もりである。聖書のような宗教的”歴史的文書の取扱いに関しては、 学習的営為の成果を基盤に、対象にあくまで謙虚に研究を遂行するつ 右のような態度で臨むほかないであろう。ただし聖書を宗教的師歴史 的文書とみなすことを偏見視されるのなら、筆者は語るべき言葉をも たない。聖書は特定の歴史の時代における人々の僑仰の記録なのであ 惹。従って研究の場を理論的もしくは儒仰的抗いの場とすることのな いよう自戒すべきである。そのためには、旧約聖書、新約聖書のそれ サレルモノVを指し示すときに成立つ。これらの記号学的用語は、音 一。。鶏一一㊤雛︶の概念を拡大して文字雷乾にも適用したものである。即 声言語を言語研究の中心に据えたソシュール︵国葭臼轟巳α。留塁の霞㊥・ ち、音声または文字という感性的手段︵記号表示.能記︶が何らかの精 のである。聖書においては、このく意味サレルモノVの世界は深淵を 神的意味︵記号意味・燐記︶を担うときに成立する現象を言語と考える されているものを概念化して眼前にもちだすことは最終的には専門家 秘めつつく意味スルモノ﹀に分節されて人々に提供されている。秘匿 の手に委ねるとして、いずれはく意味サレルモノVの洞察につながる 根抵部分をなすく意味スルモノV即ち狭義の表層テクストの構造の研 究︽そ、出発点になるはずのものである。英訳聖書の研究は、この トの研究は英語学ではないから、単に語彙、語法、文法現象の研究に く意味スルモノVの解明なくしては存立しえない。ただし英訳テクス を思量し、それらが原典の意図をどう表出しえているかを見極めると 止まらず、表層構造のあらゆる側面i美的スタイルの問題も含めて一 一105一 ぞれをひとたび歴史の磁場へ返し、ふたたび現代へ回帰させるという 手続きを循環させつつ、至上版の本文の言語相の分析に当らねばなら ない。 いう、ゆるやかな、しかも包括度の高い立場を維持して事に当るのが 望まれるのである。 場合、次のごとき二つの基本軸を設定し、それらを縦横に絡み合わせ 一・五・三このようにして言語の相に着眼するとなれば、本稿の て英訳テクストの比較検討を計るのが賢明な方策といえよう。 く意味スルモノVとく意味サレルモノVとの複雑な関係は、言語を ω 言語の対象指示性と含意性 とである。ただし言語といえども、それが思念の表出であるかぎり、 のか1実在のものであれ観念上のものであれ一を指し示すとともに、 単に思念の運搬具とみなす考えを斥ける。︿意味スルモノVは、何も 意を孕むからである。いかなる言語表現にも、この指し示しと心意の ︿意味サレルモノVとの関係構造において必然的に言語の藷り手の心 いかに言語の相を強調しようとも、言語の問題は遂には思念の問題で ・五・二 言語表現は一般にく意味スルモノVが何らかのく意味 あることを筆者は理解しないわけではない。 仰原理をもってせず、あらゆる事象を言語の相の下において捉えるこ 点を合わせ、すべてをここに凝結させ、そこから遠近感覚を用いて解 ,釈を整序することを意味するのでもない。方途は唯一つ、実存的な僑 うに操作することを意味するのではない。またイエス・キリストに焦 点は、無理強いをして旧約聖書の字句を斬約聖書の観念に適合するよ たっては同質のものとみなすということである。さりながら、この視 には外典を含めて一の全体を一つの大きな環と考え、解釈と研究にあ ’ここで特に強調しておきたいことがある。旧約聖書・新約聖書一時 その一 英訳聖書に何が起ったか ふくらみが同時に存在する。︵宗教の言語もしくは文学の言語は、その意 味実質の多くを、この心意のふくらみがもたらす核に依存している。しかも、 この中核が魅憾と難解の双方を招来するのである。︶今、指し示しに﹁対象 指示性﹂、心意のふくらみに﹁含意性﹂という概念を立てれば、あら ゆる言語表現は、これら二つの性質を極とし、いついかなる場合もそ れら二つの極性を保持しつつ、具体的にはいずれかの極に引き寄せら れて出現するものであるといえる。現われ出た言語が対象指示性の強 い様態のものか、含意性の強い様態のものかは、’改めて考慮を要する 問題である。とりわけ聖書のような経典を扱うときには極めて鮮烈な 課題となる。即ち、これら二つの言語様態が聖書の一字一句にどのよ うに機能しているかを見極めること、これが肝要なのである。 ② 言語の具象性と抽象性 く意味スルモノVとく意味サレルモノVとの結合において現われる 異象的な表出と抽象的な表出の差異も注目にあたいする。ただし前項 との重なり合いは無視できない。聖書は、一方において、それが蔽っ ている歴史の長さ、思想の深化の過程一特に旧約の世界と新約の世界 の差i、片雲風土的特質一聖書の研究から風土性を捨象するのは大き な錯誤である一などからして、多様な具象性ないし形象性を有する。 他方、その思弁的世界が、往々、より高度の抽象性ないし観念性の次 元へ艶翔けのぼるから一書層テクストは、たえず具体と抽象の間を揺・ れ動く。換言すれば、論理︵戸ゴス︶に深まる西欧的表出の内部に微 細な感性の嚢を何重にも秘めており、感性︵パトス︶に深まる東洋的 ︵1︶ いずれ詳述するが、たとえば﹃創世記﹄︵O§恥駐︶は少くとも三つ 以上の成立期と思想と文体を異にする資料の統合体とみる解釈が有﹂ 力である。冒頭から二章四節前半までの部分と、その直後の部分は、 せている。ただし、これは、言語の必然の姿からして、抽象性のな 二つの異った資料に依拠しており、抽象性と具象性の対照の妙を見 かにも具象性が、具象性のなかにも抽象性が微妙に交錯しつつ存在 しうることを無視しての発言ではない。 哺・五・三 聖書の翻訳の研究は、当然のことながらく意味スルモ ノVの表面的な分析と、︿意味サレルモノVの浅薄な把握に終始すべ きものではない。書語の諸相の解明に支えられつつ、少くとも次の三 つの視座が同時に導入されねばならない。 ω 歴史背景への遡及 聖書をその基盤において担った民族、即ち古代イスラエルの民の歴 レニズム世界の全体の、また特定の地域の史的状況の把握も望まれる。 史の理解が何よりも必要である。新約聖書の時代に入ってからは、ヘ 見出すべき真実は、各時代の原文書の記者が特定の歴史風土において 表現しようと意図したことなのである。このような歴史的な問題は同 密接につながる。従って本稿は英訳聖書の訳文の研究とはいえ、右に 時に原典自体の成立の動機と過程、更には写本の制作と伝承の問題に 述べた意味での歴史背景にも足を踏み入れねばならない。これは聖書 ばれるものである。 研究においては.匡σqず窪6二二〇凶のヨ、︵水源遡及を目指す批判研究︶と呼 ︵1︶ 聖書は︿意味スルモノ﹀の固有の美に輝き、︿意味サレルモノ﹀の透 ここで解釈というのは聖書研究において一般に.o×oぴqo臨ω、に区分 ω意義解釈への参入 表出の内部に強靱な論理の芯を幾重にも秘めているのである。されば、 明な思惟に充ちる! されているものを指し、、o×℃o。・三8、の謂ではない。ただし、o×”o・ 鷺鐵O鴛.から高度の神学的解釈を除く意味で使用する。、O×o灯Qoω冨.の 一106一. 註 ‘ 語源であるギリシア語の動詞聖職養は晃導する﹂の意から読 み解く﹂の意まで拡っており、本稿においても、この程度の柔軟さを 保持したい・原典もしくは訳版の言語の構造が部分的全体的に意図し ている意味世界に鈍感であったのでは訳文の研究すら覚束ない。本稿 が翻訳研究としては時に不当なほどこの問題に紙幅を割く根拠もここ に存するのである。 ③文体への配慮 言語表現が意図している意昧領域を十分に伝えるには、その意味領 域に特有の文体の現出が必要である。宗教の隆典は哲学上の著作とは 異質の独自の言語様態をもっている。この独自性は論理的意味の表出 に尽きるものではない。精神が高揚すれば語り手はそれに適合した主 観の含意の激しい言語を用いる。旧約聖書の何分分一かは詩の形式で 書かれているから、言語の含意性の問題は一段乏鮮烈となる。 これに呼応して翻訳の文体も類似の様相を呈する。翻訳聖書は文章 の質が優れていなければ価値は激減する。訳文の審美性ないし表現効 果が重要性を帯びる所以である。この見地から考、兄れば、文体とは、 語彙の選択、語と語との結合のような統語法から始まり、リズム、響 、ざミ霞6馨憲のヨ.︵下流指 ば極めて激しくなる◎本稿は聖書の翻訳が直面するこれらの緊張関係 に眼を背けることができない。 向批判研究の意︶と呼ぶこともある。 ︵1︶ 他方、本文批評︵酔O属甲信二一 〇﹁一紳凶O一〇自重︶を 一・五・四ド如上のような研究立場と研究方法の設定は、厳密を期 せば、逆効果を招来する虞れがある。遺漏を生じさせまいとする配慮 は自ずから折衷的態度に堕する。没個性を理想化するからである。聖 書の翻訳文体における没個性の称揚は、それを基準として訳文を比較 ない。殆ど無性格のものを良しとするのでは、角を矯めて牛を殺す畿 検討すれば、平々凡々たる訳業を価値ありと錯視することになりかね りを免れまい。比較研究がともすれば陥り易いこの弊を脱するには、 文学作品を評価するときの眼差しを必要とするであろう。 胴.、・五・五 本稿にはなお次のような幾つかの制約が存在するゆ 一つの宗教の言語を異質の文化背景をもつ他の言語に訳出するとき、 まず原典は第一次の変換を遂げるが、これを更にその翻訳語を母国語 とはしない人間が読解批評するときには、その過程に第二次の変換が えて、ある特定の視座を据え、そこから研究を進めれば、この変換は 加わることが予想される。これが、ここでいう制約の第一である。加 一段と特殊な屈折を強いられる。これに対する筆者の弁明は唯一つ、 この要請は更に突き詰めて思量すれば、聖書の訳出言語が、その時 きつく。時代の言語におもねるのみでは優れた訳業の成就は夢のまた 局外者が真実発見に赴く際の有利性のみである。 第二の制約は一層深刻である。本稿のような研究作業の基本的要請 ことである。浅学の筆者にはその用意がない。碩学の二大な研鑛の跡 として当事者にヘブル語とコイネのある程度の読解能力が前提される 夢℃ある。力学的ともいえるこの関係は、その訳出言語が文語体から 口語体までの言語の水準の内部においていかなる位置を占めるか、ま た美的格調尊重と平易な表現尊重の二律背反をいかに克服するかに端 的に現われる。その時代の言語の一般水準から罪離するとなると摩擦 一107一 註 代全体の言語の位相との間に、いかなる関係を切り結ぶかの問題に行 ならない。 る。聖書の翻訳は、この複合した言語過程を自らのものとしなければ き・格調、比喩の処理など幾層もの言語の質にまで及ぶ概念の謂であ その一 英訳聖書に何が起ったか に追従する以外に道はない。 第三に、しかも極めて厄介な制約として、監訳版が採用した原典テ クストが必ずしも明確でなく、加えてそれらが互いに異っていること が挙げられる。別個の表層構造をもつテクストから訳出すれば翻訳文 に差異が生じるのは当然だからである。底本となったテクストの一つ 一つの追求は不可能事であり、従ってこれは本稿のような研究のアキ レス腱となる。これがために筆者は、ひととき、本稿の構想全体を放 ストの差異は共通部分に比し僅少であり、しかも本質部分には差異は 棄しようと思ったほどである。辛うじて思い止まったのは・原典テク に揺動する。 少いとする判断からであった。これが錯覚であれば本稿の基盤は確実 脚.六 課題の纒めと本論への展望 一.六.欄 筆者が本稿!息の長いシリーズになる一において試み ようとすることは、大要、一つの主要な課題と、付随的な二つの課題 に纒めることができる。 主要な課題は現代の英訳聖書正典一旧約については外典も含める一 悪幽魂の衷層テクストを徹底的に比較対照して評価を行なうことであ い。判断の基準は、宣教的な立場に謳われず、訳業の言語としての充 る。た、兄ず﹃欽定訳﹄に回帰しつつ作業を進めることはいうまでもな 実度を問うことにある。言語は思念の表現であり、本稿の場合・思念 とは宗教的な思念であるから、それに合致した研究の座標軸一言語の 様態の分析一を設定するわけである。 この見地から聖書を眺めるとき相反する二つの立場が浮かびあがる。 その一は、イスラエル民族の歴史風土の母胎から創意に富む言語表現 の口回けを得て成立した原表現は、異質の母胎から生まれた言語に筆 価には翻訳できないとする立場である。他は、原蓑現を、民族を超え 人類に共通の思念の表出とみなす立場である。本稿の視座は、これら 二つを相補的なものとして捉え、前者を真蟄に追求すれば必ず後者に 行きつくと確書するところに置かれる。翻訳の言語相を探ちことは、 聖書とはいかなる文書であるかの解明に通じる。黍稿が理想とする聖 書の翻訳は、直訳的正確さを失うことなく原意を裏出し、加えて文体 の出銭を創出しつつ、教派的宣教的配慮から生ずる原意の変改の櫨小 なものと規定できる。 一.六.二 付随的な課題の一は、英語自体の語彙・語法・文法・ 文体の質の時代的な差異一特に十七世紀初頭と現代の差iについての 多い英訳聖書のなかから日本語訳と併せ読むのが望ましい優れた訳業 実証的な知識を得ることである。他の一は、臣本ん分電瀞どレで・数 を二、三選び出すことである。 一.六.三 本稿の研究作業は、かなりの年月にわたって継続して 試みられるから、その期聞のうちには、錯誤の修正、新しい解釈の発 見、補足すべき事項の追加などの必要が生じるのであろう。また新訳 は﹁総理﹂以下、全ての部分に見出し番号を付して後日の追加補正の が登場すれば、そのテクストの検討も迫られるであろう。従って本稿 ﹃創世記﹄を第一とするが、以後必ずしも現行英訳聖書の配列順には 便に具えている。本論において取り扱う文書の順序は、さしあたり 従わないことを予めお断りしておく。 一・七 使用版本略称一覧 ① 訳文研究の対象としての英訳聖書零本 扁..七.一 以下の二部門に分け、本稿において使用する各版本の 略称を輔括して掲げる。 一108一 孔 その一一 英訳聖書に何が起ったか 〆一く §偽ミ蛇馬恕駄§誘馬O§ §偽\点き。ミN鳴駄寄翅翼蕊㌦§偽ミ薦智§霧さ蕩智§ ︾﹀慰ミぎ蕊ミ識O蕊ミ聾紳恥切篤ミ偽 因く §偽ミ◎馬越犠⑦ミ§、概さ誘馬O蕊 寒笥切導鳶篤§津魯O肉蔓詠勘 ︼≦O凍僧暮 切じd闘 寒智、ミ。リミ偽§切暮鳶 寒︾§Nミミ切導鳶 ﹀貯ミ﹄§偽、勘亀§⑦ミ蕊§ミ切詠智 ”ω< Z>ω⇔d ︾日& §鳴§§、蕊卜◎薦ミミ切き鳶︵↓冨Zo≦bdo艮90団 匂切 竃い切 き鴨﹀耐ミ\一§偽、勘自蕊bdき鳶 §僑﹀耐ミ肉這馬簿切詠鳶 OoO織﹀貯ミ。。切画ミ翁§織亀、り肉譜、傍討忘δき§ §鴨卜帖ミ薦ヒロ詠智 く臼のδ昌︶ 2>切 Z国切 [切 ↓国く §偽︾§ぎ、切馬魯鷺 き耐buき智..﹀慰ミミ牒ミ§ミ馬§§賊奪鴇。§ §軸﹀貯ミトさ穿ミ§恥§帖 乞一く ︾昌6ずじ⇔ 掌馬寄亀蕊、◎帖O、り⇔﹀碍ミ寄絵犠§恥謡、 憲﹀蕾ミ寄恥ミ慧醤味軌§さ魯、蕊肉蔓勘魯 Zい↓. 勺拶躍嵩℃oo ↓Z↓ ミミ蕊、︵o巳8畠ぴ団切・言﹂≦o欝oq臼︶ ︾§魏ミミ◎︾§§鳴蕊ミ遷。蕊ミ恥O、ミ神尋ミ§⇔ミ・ 。爵⑦影yqo、織窺馬識O§ §偽Oミ偽袖﹀慰ミ寒絵貸§偽蕊、 ︵①象け。畠ぴ団閑・﹀冨昌ユ卿 Nミ討睾識Oミ. \ ﹀ごミミ§§物ミ§鳴§帖ミ§Oミ偽ミ︵o&仲。山び同国曾Zoωユ。︶” 密ミミミ騨、ミ馬額⑦、ミ牒雪、鷺蕊⇔ミ 原典及び古代訳各版本 切国ω ② 2↓O rO2↓ OZ↓.↓O ぴ×× 憲、ミ轟ミミ︵o象齢。傷び団︾・”四巨hの︶ ︵一九七九年二月二八日脱稿︶ 一109一