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日本バイオロギング研究会会報 - 生物圏情報学講座

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日本バイオロギング研究会会報 - 生物圏情報学講座
日本バイオロギング研究会会報
日本バイオロギング研究会会報 No. 100
発行日 2014 年 12 月 04 日 発行所 日本バイオロギング研究会(会長 荒井修亮)
発行人 三谷曜子 北海道大学 北方生物圏フィールド科学センター
〒040-0051 北海道函館市弁天町 20 番 5 号
北海道大学北方生物圏フィールド科学センター水圏ステーション 函館臨海実験所(生態系変動解析分野)
(函館市国際水産・海洋総合研究センター内 219 号室)
tel: 0138-85-6558 fax: 0138-85-6625 E-mail [email protected]
会費納入先:みずほ銀行出町支店 日本バイオロギング研究会 普通口座 2464557
もくじ
会長・歴代事務局から一言
「バイオロ・キング?!」動物目線と市民目線
荒井修亮(京都大学フィールド科学教育研究センター・農学研究科)2
「祝100号」
三田村啓理(京都大学 情報学研究科)2
「達成できたこと、そして達成すべきこと」
佐藤克文(東京大学大気海洋研究所)3
「バイオロギング研究会会報 100 号によせて」
高橋晃周(国立極地研究所)4
「もう10年?まだ10年?」
三谷曜子(北海道大学北方生物圏 FSC)4
幹事から・一言編
5
幹事から・寄稿編
「近況報告」
仰木裕嗣(慶應義塾大学政策・メディア研究科)8
「海に端を発し、山に登る」
山本麻希(長岡技術科学大学工学部生物系)8
新しい発見
「新しくない発見」
佐藤克文(東京大学大気海洋研究所)9
-1-
会長・歴代事務局から一言
「バイオロ・キング?!」動物目線と市民目線
荒井修亮(京都大学フィールド科学教育研究センター・農学研究科)
事務局の三谷さんから、来月の会報が100号になるのでな
にか書いて欲しいとのメールを貰って、改めて「創刊号」を手に
取りました。2006年6月1日付けで「日本バイオロギング研究
会会報 No.1」を出したのは、事務局を引き受けてから直ぐのこ
と。本研究会は敢えて学会誌を出さないという中で、年会費5
000円は高すぎる、年に1回のシンポジウムだけというのでは、
あまりにサービス内容が貧弱だ、という議論。これに応えてユ
ーザーが自らコンテンツを更新できるウィキ(Wiki)を使った
HP の公開を提案した訳です。放っておいても記事が集まるの
で、それをまとめれば、会報を毎月出すことなど朝飯前のホイ
サッサ・・・と考えたのが、この会報の始まりです。しかし、なか
なか記事は集まりません。結局、「身内」と「コネクション」を駆
使してのコンテンツ集めが毎号続くことに。転機は第16号「干
潟のアイドル」でした。写真を大きく掲載することで、紙面を埋
めるという技が定着、今に至っています。
さて、先日開催された函館での記念すべき第10回シンポジ
ウムの懇親会でのこと。なにげに会場入口の看板の写真を FB
に上げたところ、友人から即座に「いいね」とともにコメント。「い
ったい何処の王国?」。何のことか最初は分からなかったので
すが、再度、看板を見ると、「バイオロキング シンポジウム様
(写真)」。笑ってしまいました。なるほど、世間的には「バイオ
+ロギング」はまだまだ知られていない。大学や一般市民向け
の講義で、バイオロギングの言葉の由来を説明し、今では
「Bio-logging」で検索すると一瞬で数万件がヒットする、と自慢
気に話している訳ですが、市民目線ではまだまだ特殊な言葉
なのですね。第100号が一つの区切りとして、「バイオロ国の
王様」たちのこれからの益々の活躍を期待して、乾杯!
写真 函館の懇親会会場入口にて
「祝100号」
三田村啓理(京都大学 情報学研究科)
研究会会報をまとめているファイルが厚さと重さでそろそろ
悲鳴をあげそうになっていた。あと数報も増やせば留められな
くなるし、次のファイルをあらたにつくらないと、と思っていた。
会報100号の足音が聞こえ始め、残り1歩となったところで、
現事務局の三谷曜子さんから連絡が届いた。そして研究会
初代事務局の一人として、記念すべき100号に寄稿する機
会をいただいた。
京都大学は2006年度から2007年度にかけて初代事務
局を担当した。会報発行のための原稿の取りまとめ、印刷、発
送などの骨の折れる作業は、荒井修亮会長ならびに奥山隼
一さん(京大フィールド研)、安田十也さん(水研セ西海水研)、
市川光太郎さん(京大フィールド研)らが中心となってすすめ
た。彼らが毎月会報を発行する基礎を作り上げたのだ。その
後、東京大学、極地研究所へとバトンが渡り、現在は北海道
大学が毎月会報を発行しつづけている。締切日という暗黙の
圧力が毎月迫ってくるが、歴代の事務局は冷静かつ沈着に発
行作業を進め、1回も発行を延期したことはなかった。これま
で事務局を担当した方々、ならびに執拗な原稿依頼にも笑顔
で寄稿してくださった会員にお礼を申し上げたい。
会報がまとめられている厚く重くなったそのファイルをゆっくり
とめくると、新しい研究成果とともに鳥類、哺乳類、爬虫両棲
-2-
類そして魚類など、多種多様な生物が眼に飛びこんでくる。洋
の東西を問わず会員が海や山を彷徨してやっとの思いでたど
りついた場所で、苦労の末に撮影した自慢の写真だとすぐにわ
かる。見る機会の少ない、はたまた聞いたことすらない生物を
毎号見られるのはきわめて貴重だ。また、生物の後ろに広が
る、ヒトを寄せつけない屹立した山々、氷雪に覆われた白の大
地、どこまでも続く青い海は筆舌に尽くしがたいほど美しく、一
度は訪れてみたいと思わせる。生物や景色とともに写る会員
にも自然と眼に留まる。「おお、A 君、若いなー」、「えー、B 君、
こんなにやせていたのか!」など私のことは高い棚に上げて自
然と口元がゆるんでしまう。一石二鳥、いや一石三鳥とはこの
ことである。
昨今、バイオロギングと名のつく本が幾つも本屋に並ぶように
なった。会報がもととなり多数の会員が執筆した本もあれば、
会員個人の粉骨砕身の末に世に送り出された本もある。さら
にはテレビやラジオなどのメディアに頻繁に出演する会員もい
る。これらの会員の努力により、研究者だけでなく、世間にもバ
イオロギングの名前が少しずつ知られるようになった。継続は
力を産むことが多い。高い志のもとワクワクどきどきする研究を
続けていけば、おのずとバイオロギングの魅力はさらに増すだ
ろう。厚くて重いファイルを2冊、3冊とめくりたい。
「達成できたこと、そして達成すべきこと」
佐藤克文 (東京大学大気海洋研究所)
めでたく第100号が発行されたことを機に、これまで私たちが達
成できたことを振り返り、達成できていないことの中で、今後是非
とも成し遂げたいことを記してみた。
・第一回国際シンポ
mostと違ってfirstの記録は永遠に破られることはない。例えば、
イチロー選手の大リーグシーズン最多安打記録262安打は将来
破られる可能性があるが、中山雅史選手の日本人ワールドカップ
初得点の記録は永遠に破られることはない。今年で第5回を数え
た国際バイオロギングシンポジウムは今後も続くであろうが、第一
回国際シンポジウムが2003年に東京で開催されたという事実は
永遠に消えることはない。当時、国立極地研究所で助手を務め
ていた私としては、ちょうど自分の研究が成果を結びつつあったこ
ともあり、研究以外に労力を割くことになる国際シンポジウムの開
催には反対であった。しかしながら、内藤靖彦先生のご尽力によ
り、数々の雑音を振り切り、障害を乗り越えて第一回シンポジウム
は開催された。
・継続性
2004年にバイオロギング研究会が発足し(初代会長 坂本亘先
生)、2006年に京都大学の荒井修亮先生が2代目会長を引継ぎ、
さらに会の事務局が京都大学大学院情報学研究科に置かれて
からずっと、毎月発行される会報が全会員に配布されている。
「毎月出さなくても良いのではないか」とか「HP上で随時情報が更
新されれば、紙を刷らなくても良いのでは」といった意見が度々幹
事会でも出たが、荒井会長兼事務局長がこのペースを維持して、
次にバトンタッチした。毎月発行されるこのニュースレターこそ、会
の実態であるように私には感じられる。2008年度に2代目として私
が事務局長を引継ぎ、ようやく次の高橋さん(国立極地研究所)
にバトンタッチできるとホッとしかけた2011年3月末に東北地方太
平洋沖大地震と津波が起きた。当時、オーストラリアのホバートで
開催されていた第4回国際バイオロギングシンポジウムに出席して
いた私たちは、3月20日に帰国し、大槌町にある国際沿岸海洋研
究センターの瓦礫撤去に勤しむ中で、意地の特大号を最後に出
すことができた。「津波でも途切れなかったのだから」という事実は、
その後、高橋さんから2014年4月に三谷曜子さん(北大FSC)に引
き継がれ、今後も大きなプレッシャーをかけ続けることになる。
・研究室と人数が増えた
私がバイオロギングに関わり始めた頃、国内で進学先に悩む余地
はなかった。極地研と京大しかやってなかったからだ。その後、当
時の大学院生達が職に就き、准教授や教授として生き残った結
果、バイオロギングができる研究室は増えた。2011年に国立科学
博物館で企画展「バイオロギング」を開催した際に集計した時は、
17研究室を数えた。その後、研究会シンポジウムや会報で知らな
い若手会員の名前を度々目にするようになった。何とも嬉しいこと
だ。今、国内にはバイオロギングをできる研究室がいくつあるのだ
ろう。
・若手会員が多い
私が所属している水産学会や生態学会では、若手会員が少ない
ことに頭を悩ませ、あれこれ対策を考えている。日本バイオロギン
グ研究会は、若手会員が多い。総会に参加する若手会員比率
がこれほど高い学会は他に見たことがない。私の研究室には、幸
い10名を超える大学院生が所属している。驚くべきことに半数以
-3-
上が博士課程在籍者だ。大学院生、特に博士課程進学者確保
に苦労している他の分野の先生達からは常々うらやましがられて
いる。この若者達の行き先が足りないという大問題は残されてい
るものの、現状としては嬉しい限りである。
・ジェンダーバランス
国会議員や大学教授などの女性比率が低いことが問題となって
いる。東京大学も女子学生の割合を増やすことに躍起になってい
る。そんな中で、バイオロギングに関わる女性の比率は、ご本人
達は「まだまだ」というかもしれないが、私が見る限り他分野に比
べれば相対的に多い。バイオロギングで学位を取った女子学生
が北大准教授になったことも、後輩達を大いに勇気づけたことだ
ろう。今後もますます女性がこの分野で活躍できるよう、我が研
究室では彼女たちを最大限に優遇して、等とは全然思っていな
い。迫り来るウーマンパワーに押され気味の今日この頃だ。
・認知度
科研費を申請したり、日本学術振興会特別研究員に応募する際、
申請先として分科や細目を選ばなければならない。平成25年度
より、一覧表の中で分野:生物系農学、分科:水圏応用化学、細
目:水圏生産化学Bのキーワードに「バイオロギング」が登場した。
国内の正式な場ではバイオロギングは認知されたといえるかもし
れない。これはこれで重要だが、国民の多くに知れ渡っているか
というと、残念ながらそれほどではない。例えば、小学生の息子は
「レプトセファルス」という単語を知っている。4年生の国語の教科
書に、東京大学大気海洋研究所の塚本勝巳先生によるウナギ
産卵場発見の話が掲載されているからだ。町中を歩く高校生達
が「バイオロギング、やばくね」とか言ってくれる日は訪れるだろう
か。
・国際性
坂本健太郎さん(北海道大学大学院獣医学研究科)はPLoS One
のエディターを務めている。私が思うに、エソグラファーを紹介す
るたった1本の論文(Sakamoto et al. 2009 PLoS One)でその
地位を勝ち取ったもので、「しかるべき人達はよく見ているものだ
なあ」と感心せざるを得ない。今後、日本人がどれだけ国際誌の
エディターのポジションを勝ち取れるかは重要だ。同じくPLoS One
のエディターを務めているYan Ropert-Coudertさん(フランスの
CNRS所属)は、総合研究大学院大学で学位を取得した。ちなみ
に、バイオロギングという言葉は第1回国際シンポのオーガナイザ
ーであったヤンさんの発案だ。日本でバイオロギングをメインに学
位を取り、アカデミックポジションにつく外国人はその後聞かない。
今後の課題だろう。
・いつかはNature, Science
自分の研究成果が新聞やテレビで紹介されると素直に嬉しいもの
だが、「そんなにスゴイ発見なら、なんでNatureやScienceに載ら
ないの」と誰かに言われているような気がしてならない。ただの気
のせいかもしれないが、その事はずっと心に引っかかっている。
「バイオロギング研究会会報 100 号によせて」
高橋晃周
(国立極地研究所)
事務局として、会員名簿を管理し、毎月会報の原稿を集め、
レイアウト・印刷を行い、封筒詰めして発送する作業は、楽な
仕事ではない。これだけの作業が、事務局を引き受けた研究
室のボランティアで 100 号も続いてきたのは驚きである。歴代
事務局としてこれらの作業に関わった教員、ポスドク、院生の
みなさまには心から感謝したい。そして、私が関わった昨年度
までの3年間、依頼に応えてこころよく原稿を書いて頂いた
方々、依頼がなくても原稿を投稿して頂いた方々、とりわけ毎
号欠かさず締切前に原稿を送ってくださった S.K.さんに、この
場を借りてお礼申し上げたい。
さて、毎月発行されている会報は、このままのペースで行け
ば 9 年後には 200 号を迎えることになる。しかし 9 年後、私た
ちはまだバイオロギング研究会として活動を続けているのだろ
うか。私としては、その頃には、もうバイオロギング研究会は存
在しなくなっていることを願いたい。逆説的だが、研究会がなく
なった時こそ、バイオロギングが一部の研究者が使う特殊な
研究手法から、誰もが使える普遍的な研究手法へと昇華した
ときだと思うからである。
10 年前、この研究会が立ち上がったころには、「バイオロギ
ング」という言葉は世にほとんど出回っていなかった。投稿論
文に Biologging と書いたら、「勝手な言葉を作るな」と査読者
から怒られたこともある。それが今では欧米の研究者の論文
にも Biologging という言葉を見るようになった。日本でもバイ
オロギングを使っている研究室は着実に増えている。バイオロ
ギングは、一部の研究者が使う特殊な手法としては着実に定
着した。
しかし、バイオロギングは行動・生態研究における普遍的な
研究手法として、もっと多くの研究者に役立つはずである。以
前こんな趣旨の文章を読んだことがある。「自分は動物行動
を研究する生物学者だが、細胞や遺伝子などミクロなスケー
ルで研究をしている生物学者たちをうらやましく思う。なぜなら
ミクロの生物学者は顕微鏡や遺伝子解析装置など、ミクロの
世界を見るための新しい研究の技術を次々手にしてきたから。
でも動物行動のようなマクロなスケールでの研究では、私たち
はあいかわらず双眼鏡を手に動物を追い続けており、観察を
革新する技術をまだ手にしていない…」。
バイオロギングが行動・生態といった動物のマクロスケールの
研究において、ミクロスケールでの研究における顕微鏡のよう
な、少し学べば簡単に操作でき、どこの研究室でも当たり前の
ように使われている手法となったとき、バイオロギング研究会
は自ずとその役割を終えるだろう。私たちは手法のユニークさ
ではなく、発見のユニークさを旗印に、それぞれの学問分野で
研究を発展させているだろう。そんな研究会の将来を願って
いる。
もう 10 年?まだ 10 年?
三谷曜子(北海道大学北方生物圏 FSC)
バイオロギング研究会のシンポジウムが第 10 回となったの
に引き続き,今号で会報も 100 号となりました.私たちは 94 号
からですので,まだ 7 号分しか編集に携わっていません.100
号まで発行できたのは一重に,事務局の歴代の方々,そして
これまで研究会を育てて下さった皆様のおかげだと感謝して
おります.
人間で言えば,0 歳から 10 歳は,めまぐるしく成長する年で
す.昨日できなかったことが翌日にはできるようになっている,
出張からしばらくぶりに帰ると,我が家の子どもたち(現在 7 歳,
4 歳,2 歳)がいっぱいしゃべれるようになっていたり,絵が描け
るようになっていたり,自分のことを「おれ」と言うようになってい
たり,乳歯が抜けていたりと日々の成長を感じます.このような
時期はいちばん大変かもしれませんが,いちばん面白い時期
かもしれません.
また,「10 年」というと,「何でも,10 年続けていればプロにな
る」と D3 の時に犬ぞり探検家の山崎さんに言われた言葉も思
い出します.
人間が生まれてから,一人前になるのは 20 年ですから,10
年は「まだ 10 年」,しかし既に大人になった人間が 10 年何か
を続けていれば一人前になる,その場合は「もう 10 年」.日本
バイオロギング研究会にとっての 10 年は,どちらの 10 年でしょ
うか.
-4-
本研究会の目的は,「バイオロギング研究の普及,促進活
動を行い,並びにその成果を通して海洋が海洋生物,さらに
地球環境への理解を深めるための教育や広報活動を行うこと」
であると会則の第 3 条に書いてあります.バイオロギング研究
の普及,促進活動は 10 年の間にずいぶんと進められ,ある一
定の成果が出てきています.一方,教育・広報活動は,終わり
が見えません.日々,新しい技術の発展と新しい発見があり,
毎年,新たな学生が入ってくるからです.
人を育てるのも,組織を育てるのも,本質的には一緒だと思
います.時間をかけ,労力をかけることが大切です.そして教
育活動というものは,すぐには成果が見えてこないものでもあり
ます.巷においても「人を育てるコストを誰が負担するのか」と
いう問題は,少子化や,企業による人材育成機能の低下とし
て顕れており,それが高等教育の場においても影響しているの
は皆様ご存知の通りだと思います.
事務局である当研究室も,学生 25 名(うち学部生 7 名)の
大所帯で,毎年これからの時期は卒論,修論などのまとめに
てんやわんやしています.毎年,怒濤の冬が終わり,春になる
と新たな学生が入ってきて一から教える,その繰り返しです.
このように研究・教育活動を行う中で,バイオロギング研究会
の運営というボランタリーな活動を,研究会に所属する学生た
ちを巻き込みながらやる際に(しかも,博士課程には進まずに
就職する学生が多い中で),自分としてどれだけのコストをかけ
られるのか,そしてどのようにしたら学生の教育や研究にも正
の影響を与えるか,ということを考えています.
私は博士課程から PD 時代にかけて,同じくらいの規模の会
の会長をしていました.その会は当時,多くの方の献身的な努
力の賜物として 20 年ほど続いていましたが,やはり「これから
研究業績を積んで,職を得なければならない時期に,これほ
どの時間をかけてやるべきことか」というのは,事務局の PD や
学生同士で,たびたび議論になりました.しかし,その会を主
体的にやることで,名前を覚えてもらったり,共同研究の話が
スムーズにいったりとメリットもありました.
一方,バイオロギング研究会の事務局では,学生には「お手
伝い」として参加してもらっているだけなので,彼らのメリットに
なることがあるのだろうか,と悩んでいます.「お手伝い」として
許容できる時間と労力のコストの分岐点はどこにあるだろうか,
せめて将来,このような作業が何らかの役に立てば良いのだ
けれど,などと思ってしまう次第です.
100 号,というおめでたい記事の中でしたが,あえて事務局
の現状を書かせていただきました.いつも,事務局への皆様の
暖かいお言葉は,大変励みになります.が,事務局の仕事も
私一人でできるものではなく,学生や任期付の助教,PD が手
伝ってくれてこそですので,もし機会があれば,お手伝いをして
くれている人たちのことも気にかけていただきたく,よろしくお願
いいたします.また,会の運営に関わる人たちにとって,長期
的な観点から利になるような活動をしていきたいと考えており
ます.今後ともよろしくお願いいたします.
幹事から・一言 編
バイオロギング研究会の幹事の方々から一言,もしくは原稿
をいただきましたので,紹介させていただきます.
赤松友成(水産工学研究所)
ニュースレター100 号、おめでとうございます。この間に、多くの
新しい発見と新しい先生方が生まれました。これからどんな展
開がなされるのかとても楽しみです.
荒井修亮(京都大学フィールド科学教育研究センター・農学
研究科)
ずいぶん昔に会長をお引き受けしましたが、そろそろバトンタッ
チの時期ではと考えています。よろしく!」
-5-
上田宏(北海道大学北方生物圏 FSC)
BLS 会報 100 号、誠におめでとうございます。これも一重に歴
代の事務局長を初めとする関係者の無償のご努力の賜物と
感服いたします。我が国発と言っても過言でないバイオロギン
グ手法が、世界的規模で様々な研究成果をあげていることは
非常に嬉しい限りです。バイオテレメトリー手法にもデータの蓄
積・解析にはロギング手法が使用されており、今後はバイオロ
ギングとバイオテレメトリーの垣根が無くなっていくのではと推測
しております。しかし、バイオロギングとバイオテレメトリーのどち
らも動物行動を解析する手法の一つであり、これらの手法を
活用していかに謎に満ちている動物行動のメカニズムを解析
するかが重要だと思います。若い研究者の方たちが、新しい
発想で動物行動のメカニズムを解明されていくことを祈念して
おります。
奥山準一(京都大学フィールド科学教育研究センター)
もっぱらウミガメ研究をしておりましたが、最近は色々な生物に
手を出しています.研究会の Wiki と Facebook を事務局長の
命を受けて、管理してます。
佐藤克文(東京大学大気海洋研究所)
卒業研究でウミガメにロガーをつけて以来、ずっとバイオロギン
グをやってます
高橋晃周(国立極地研究所)
昨年度まで 3 年間、事務局長を務めました。研究会カレンダ
ー企画の存続を危惧しています。多くの写真投稿をお願いし
ます。
内藤靖彦
バイオロギング研究会の発足に関わった者として、100 号に辿
りついたことを喜んでいます。100 号記念は研究会の大きな成
果です。しかし、その間の苦労を知っているのは実際に会誌の
発行に携わってきた事務局の方々だと思います。継続するこ
とへの成果が何らかの形で見えることを願っていますが、これ
も研究会の課題ではないでしょうか。幹事の一人としていろい
ろ考えてみたいと思います。
-6-
牧口祐也(日本大学生物資源科学部海洋生物資源科学科)
2004 年、私が学部 4 年生のときにはじめてバイオロギング研究
に携わり今年で 10 年が経ちました。現在も当時と変わらずサ
ケに関するバイオロギング研究を行っています。研究会報 100
号という節目を迎え、微力ながらこれからもバイオロギング研
究会の発展に尽力していきます。
三谷曜子(北海道大学北方生物圏 FSC)
本年度より事務局やってます.今年はシンポジウムもやりまし
た.学部から修士は坂本先生,荒井先生,博士課程から内
藤先生にご指導いただき,D1 から自分のテーマとしてバイオロ
ギングをやっています.今日の自分は昨日の自分よりも先へ
進んでいるように!学生時代の内藤先生のお言葉です.
光永 靖(近畿大学農学部)
BLS 会報 100 号おめでとうございます。何でも聞いてください。
何でも答えます。
第 7 回シンポジウムを主催した程度で、日頃は研究会にさほど
貢献できていませんが、今後共よろしくお願いします.
宮崎信之
現在、世界の学術関係者は、今後数十年を見据えて、新しい
視点からの国際プロジェクト「Future Earth」を立ち上げることを
企画しています。日本では、JAMSTEC の山形俊男博士が
中 心 に な っ て 、 「 Future Oceans 」 の 一 環 と し て 「 SIMSEA
(Sustainability Initiative in the Marginal Seas of South and
East Asia)」を立ちげ、ICSU (世界学術会議) から 2 年間の調
査準備費を獲得しました。現在、私はこの会議(11 月 19-20
日)が開催されているフィリピンのマニラに来て計画案を議論し
ており、Bio-logging Science をこのプロジェクトに組み込むこと
の重要性を関係者に説明しているところです。「Future Earth」
に関しては、日本では日本学術会議が対応し、先日、JST か
ら新しいプログラムとして日本版「Future Earth」を推進するメッ
セージが発表されたところです。今後、国際プロジェクトと国内
プロジェクトに「Bio-logging Science」を組み入れ、若い世代の
研究者が新しい研究を展開してくれることを期待して、議論し
ているところです。
宮本佳則(東京海洋大学大学院海洋科学技術研究科)
ユーザー視点からの機器開発と応用をしています。バイオロ
ギングとバイオテレメトリーの複合化がこれからの課題と思って
います。
依田憲(名古屋大学大学院環境学研究科)
-7-
渡辺伸一(福山大学海洋動物行動学研究室)
2001 年 10 月、ある研究会で内藤先生の講演を聴いたのが、
わたしとバイオロギングとの出会いでした。当時、すでにパワー
ポイントでの講演が主流になってきた中で、レトロに OHP シート
をかざして、現在の研究会幹事たちの新しい成果を(発表時
間を無視して)じっくりと語ってくれました。
一枚一枚の OHP シートの中のこれまでに見たこともないデー
タに驚き、方法論を超えたバイオロギングの確かな可能性に
興奮しました。内藤先生の鋭い眼光が、わたしだけに向けられ
ているような気がして「いつかこの人を驚かすような研究がした
い」と決意したのを昨日のことのように憶えています。まだその
目標は叶っていませんが「え、あれから 13 年!先生もうちょっ
と待ってください。いま書いている論文はなかなかいいと思いま
す。」
綿貫豊(北海道大学水産科学院)
バイオロギングによって今まで思いも寄らなかった多くのことが
わかってきました。生態学だけでなく認知科学や環境科学分
野への貢献も始まっています。そこで、以前から自らに問うて
いるのにいまだに答えがでないのが、この技術によってのみ問
題として浮かび上がる「バイオロギング的な疑問」があるのか、
ということです。
幹事から・寄稿 編
近況報告
仰木裕嗣(慶應義塾大学政策・メディア研究科)
2003 年に極地研で開催された国際バイオロギングの研究
集会に参加して以来,バイオロギングに知恵と体力と根気をも
ってぶつかる皆さんの生き様に感銘を受け,その後研究会の
会員になり,そして幹事として 10 年が過ぎました.会報が 100
号を迎えるにあたって,これを継続していただいた皆様に深く
感謝しております.
皆様と異なり,私の研究対象はヒトです.特にヒトのダイナミ
ックな運動である,スポーツを対象にして研究を進めてきまし
た.バイオロギングとの接点は,ペンギンロガーと呼ばれていた,
加速度ロガーを水泳選手の腕の動きを観測するために用いる,
というでした.それ以来,ヒトの運動計測を目的にしたロガー,
無線ロガーなど多くのものを開発して水泳以外にも様々な研
究対象に広げてきました.
研究するために,本番のレース会場で撮影も試みました.デ
ータを解析している途中ですが,きっと面白い成果が得られる
はずです.きっと,巧い騎手にはそれなりの技術があるであろう,
と予想しています.
野生動物と異なり,ヒトを対象にしている私のような変わり種
も迎え入れてくれている,この研究会の皆様方にいつも感謝し
ています.今後も研究会が益々発展して行くことを祈念してご
挨拶とさせていただきます.
2014 年 4 月には,セイコーエプソン社との共同開発により,
ゴルフスイングを評価するための装置,M-Tracer が発売され
ました.これは研究室のメンバーである,太田憲先生の研究
成果ですが,最先端のテクノロジーを凝縮したセンサデバイス
です.TV で CM も流していますので,ゴルフ好きの方は是非
お試しください.遂に,センサデバイスで計測して無線によりデ
ータを転送し,スマートフォンで計算処理して,可視化を行な
う,というところまでたどり着きました.同様他社のものとは,全く
異なる製品になっています.是非,手に取ってご覧ください.
ほかにも,ライフワークである,水泳や水中運動用のロガーを
たくさん開発しており,いずれ陽の目をみることを期待して研究
を続けています.
バイオロギングという視点からみますと,3年前から,わたし
たちはサラブレッドの走りについて研究を始めています.JRA,
日本中央競馬会競走馬総合研究所との共同研究によって,
サラブレッドが高速疾走するメカニズムを知るための研究です.
ヒトの研究と同じ手法で力学解析を行なっています.今年は,
東京府中競馬場で騎手が乗った本当のレースにおける走りを
海に端を発し、山に登る
山本麻希(長岡技術科学大学工学部生物系)
BLS 会報 100 号おめでとうございます。私がまだ極地研の
大学院生だったころ、巻末の 4 コマ漫画の内藤先生があまりに
もよく似ていて読むのが楽しかったなぁ・・・というのを思い出し
ます。
私が極地研に来たのは、早稲田大学 3 年生の頃、当時、目
からビームを出しそうな気迫のある内藤先生のところに大学か
ら出向のお願いをしに伺ったのが最初でした。大学の指導教
官に、「極地研がイルカの研究を始めるらしいから、内藤先生
に話を聞きに行ってごらん。」といわれ先生の部屋の扉をノック
したのです。ところが、そこで矢継ぎ早に、「君はなぜイルカの
研究がしたいんだね?君、イルカは 1 体何キロあるか知ってい
-8-
るのか?200kg だよ。それを君一人で持てるのかね?」と質問
の嵐を浴びるわけです。私は、ガーン!という圧倒的なショッ
クに押され、半べそをかきながら、「私は動物の社会学や行動
学に興味があり、イルカという種にこだわっているわけではあり
ません。」とか細い声で答えたところ、「よーし、では君はイルカ
にこだわっているのではないんだな。うちの助手の加藤が亜南
極でとってきたアオメウという鵜のデータがあるので、君は卒論
でそれを解析しなさい。」と、まんまと先生の策略にはまってか
ら、早 20 年、今も鵜を追いかけています。なんとも懐かしい思
い出です。
当時を振り返ると、水中は動物の姿が見えにくいだけにバイ
オロギング手法でなければわからないことも多く、多くの学生や
院生が水生の動物を対象としていました。私もアオメウに始ま
り、ウトウ、ウミウ、アデリーペンギン、カワウなど、思えば海鳥ば
かりを相手にしていたものです。博士号を後、6 年間新潟県の
高校理科教員として働いている間はバイオロギングを封印し、
真面目に教育活動に専念していました。その後、故あって、現
在所属している長岡技術科学大学工学部生物系の助教とし
て着任しました。着任当時は、自分の古巣のカワウやオオミズ
ナギドリを研究していましたが、山に囲まれた新潟ですので、
次第に、ニホンザル、ツキノワグマ、イノシシなどの大型哺乳類
の研究も始めるようになりました。しかも、工学部に所属してい
ることから、より応用的な、人間に役立つ科学技術というところ
に重点を置いて研究をしています。
今年の 4 月、准教授に昇任したのを機に、野生動物管理工
学研究室を立ち上げました。野生動物と人間が共存するため
には、野生動物を適正に管理する必要があります。野生動物
の管理には、動物の生態に関する科学的なデータに基づいた
順応的管理が欠かせません。また、野生動物による農林水
産業被害を防ぐためには、多くの労働力が必要です。しかし、
中山間地域の過疎化、高齢化を考えると、工学技術を活かし、
少しでも労働量を抑えていくことが大切です。もちろんその中に
はバイオロギングの手法も欠かせません。工学的な技術を生
態学の分野に取り入れ、それを野生動物と人間の共存に活
かすことが私の研究室の目標です。「工学部でなぜ野生動物
なんですか?」とよく人に問われます。しかし、工学部は、近く
に機械や電気に詳しい先生がたくさんいるため、共同研究がし
やすいという利点があります。また、近年、大学の地域貢献が
重要視されていますので、米どころ新潟の農作物を守るうえで
は、野生動物管理工学は工学部になくてはならない学問だと
いわれるように頑張りたいと思っています。H27 年度は、長岡
でバイオロギングシンポジウムの開催が決まったと幹事会から
報告を受けました。私が守ったお米で作った日本酒をたくさん
御用意しておきますので、是非、多くの皆様からの御参加を
心よりお待ちしております。
新しい発見
「新しくない発見」
佐藤克文(東京大学大気海洋研究所)
私のノートはバインダー形式で、大きくFutureとPastに分か
れている。日々の細々とした打ち合わせから、研究上のひらめ
きは後者に時系列順に記される。前者のFutureにはカレンダ
ー形式の予定表が含まれるが、その前にTo doリストがある。そ
のリストの冒頭には今後書くべき論文のタイトルが列記されて
おり、無事受理を勝ち取ったら、タイトルは削除されていく。こ
れまで、20年近くリストのトップに居残り続けた論文タイトルを、
この度無事削除することができた (Sato 2014)。
私は1995年に「産卵期ウミガメの体温決定機構に関する研
究」と題する学位論文を京都大学に提出して学位を取得した。
博士論文に含まれる内容は、既に4本の論文として公表され
ているが、タイトルにも記した一番肝心の部分をなかなか公表
できずにいた (Sato et al. 1994, 1995, 1997, 1998)。こ
の論文は、アカウミガメの体温と外部水温の挙動を、じんわりと
発熱する物体の熱拡散現象として説明してみせたもので、ア
カウミガメ雌成体に見られたある程度の定温性は、体が大き
いことによる物理的特徴としてもたらされると結論づける内容
だ。熱拡散方程式にウミガメの経験水温をinputし、計算され
た体温と実測された体温がぴたりと一致したときの感動を今で
も覚えている。
この思い入れの深い論文を私はまずNatureに投稿し、次に
Scienceに投稿した。いずれもエディターリジェクト。次に投稿し
たEcologyではレフリーに回ったものの、辛辣なコメントとともに
リジェクトを知らせるメールをエディターより受け取ってしまった。
当時、私は国立極地研究所で学振PDをしながらペンギンの行
-9-
動研究を始めつつあった。1996年に世界初となる加速度デー
タをキングペンギンから取ることに成功し、それを解析してペン
ギンの行動を調べることに夢中になってしまった。1997年に極
地研の助手に採用されると、今度は1998年から2000年にかけ
ての昭和基地越冬が待っていた。「極地研究所の助手として
越冬の準備をする」という言い訳は自分自身に対して完璧に
作用し、ウミガメ体温論文は堂々と後回しされる運命となっ
た。
その後2004年に東京大学海洋研究所国際沿岸海洋研究
センターの准教授として、岩手県大槌町に赴任した。南極の
動物以外にも、オオミズナギドリやらウミガメやらの調査立ち上
げに夢中になっているうちに月日はどんどん過ぎていく。得られ
るデータの解析は大学院生達にゆだね、自分自身は様々な
水生動物から記録された遊泳速度を使った比較行動学に夢
中になってしまった。全てが順調に回っていた2011年3月に地
震と津波が起こって、千葉県柏市にある大気海洋研究所へ
の移動を余儀なくされた。津浪後の数年間は非常事態のハイ
テンションが継続し、科学博物館における企画展「バイオロギ
ング」なんてものを開催したり、既にある程度まで解析が済ん
でいた論文(Sato et al. 2011 JEB, Sato et al. 2013 Sci.
Rep.)を書いたりしているうちにハタと気がついた。「解析する
べき生データが無い!」
ここ数年は、新たなフィールドを立ち上げては学生にそれを
任せるというやり方で研究を進めてきたため、「これは私のデ
ータ」といえるものがなくなってしまったのだ。身分も教授へと
変わり、ますます研究の第一線から遠ざかっていきそうな状況
に追い詰められて、ようやく懸案の論文公表を再開させること
にした。生データや資料は津波で流れてしまっているので、今
更解析をやり直すこともできない。20年間熟成させ続けた結
果、物理モデルで動物の体温と外部温度の挙動を説明する
やり方にはもはや新規性はない。というか、世間のモデル研究
はずっと先に行ってしまった。で、どうする?と考えた挙げ句、
ウミガメの産卵間隔を体温が大きく左右するという現象と絡め
て考察することとなった。JEBに投稿したところ、2ヶ月であっけ
なくアクセプト。もし、解析のやり直しを命じられていたらThe
endであったところを救われたのであった。
もっとも、全てが上手くいったわけではない。当初、指導して
いただいた先生や野外調査を共にした仲間達との共著論文と
して準備していた論文も、20年も寝かせ続け、上記の経緯を
経ているうちに人間を取り巻く状況は大きく変化した。単著で
投稿したことを詫びるメールを皆に送ったところ、一人を除く全
員から温かい返事を受け取ることができた。研究会所属の若
い世代の皆さん。ネタを熟成させるのもほどほどに。
引用文献
Sato et al. Correlation between stomach temperatures and
ambient water temperatures in free-ranging loggerhead turtles,
Caretta caretta. Marine Biology 118:343-351 (1994).
Sato et al. Body temperature independence of solar radiation
in free-ranging loggerhead turtles, Caretta caretta, during
internesting periods. Marine Biology 123:197-205 (1995).
Sato et al. Decline of the loggerhead turtle, Caretta caretta,
nesting on Senri Beach in Minabe, Wakayama, Japan.
Chelonian Conservation and Biology 2:600-603 (1997).
Sato et al. Internesting intervals for loggerhead turtles,
Caretta caretta, and green turtles, Chelonia mydas, are
affected by temperature. Canadian Journal of Zoology
76:1651-1662 (1998).
Sato et al. Stroke rates and diving air volumes of emperor
penguins: implications for dive performance. Journal of
Experimental Biology 214:2854-2863 (2011).
Sato et al. Neutral buoyancy is optimal to minimize the cost
of transport in horizontally swimming seals. Scientific Reports
3:2205; DOI:10.1038/srep02205 (2013).
Katsufumi Sato. Body temperature stability achieved by the
large body mass of sea turtles. Journal of Experimental
Biology 217: 3607-3614 (2014).
編集後記
S・K
バイオロギング研究会が発足した 10 年前というと私は,スラ
ムダンクに憧れた中学校生活を送っており,そのころは将来,
生物の研究はおろかバイオロギングという面白い研究に自分
が携わるとは夢にも思っていませんでした.ただ昔から「生きも
の地球紀行」のような世界に憧れていたので,気付けば北大
に入り,バイオロギングに触れ,いつの間にか会報の編集を任
されていました(笑).今回創刊号でこれまで研究会が築き上
げてきた 10 年間を知り,若い世代の 1 人としてまだまだがんば
っていきたいと改めて思いました.【MT】
記念すべき 100 号を来年度のカレンダーとともに発送いたし
ます。表紙の写真は今までに会報などで使用された写真で
「100」を作りました。皆様の写真はあるでしょうか?発行日で
ある 12/4 は私の誕生日!狙ったわけではありません。偶然で
すよ、偶然・・・。【YM】
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会費納入のお願い(お早目の納入を!)
■会費の納入状況は、お届けした封筒に印刷されて
います。振込先は、本会報の表紙をご覧ください。正会
員5000円、学生会員(ポスドク含む)1000円です。
■住所・所属変更される会員の方はお早めに事務局
メール:[email protected] までお知らせく
ださい。
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