Comments
Description
Transcript
議事録1(基調講演)(PDF:266KB)
平成26年度「救急の日」シンポジウム 「東京都の災害医療の更なる充実に向けて ~東京DMAT 創設後10年の取組と今後~」 ≪基調講演 杏林大学医学部救急医学教室 主任教授 山口 芳裕 氏≫ 皆さん、こんにちは。杏林の山口でございます。 それでは、30分お時間をいただきまして、災害医療の基本的な考え方と東京DMATの考え 方、こういうことを、少し基本に戻ってお話をさせていただきたいというふうに思います。 東京DMATができるよりもはるか前から、災害が起これば、医療者は災害現場で活躍をして まいりました。しかしながら、その多くは、災害現場に出ていくというよりは、災害で発生した 傷病者を受け入れて、あるいは、安全なテントの中までは出向いても、そこで受け入れて処置を するというような活動にとどまっていたわけです。 この活動に大きな見直しのきっかけが訪れたのは、阪神・淡路大震災でした。この震災におき ましては、もちろん医療者は全国からボランティアのように集まりました。しかしながら、一つ には72時間の壁、これはこの震災に限らず、いろんな災害でこの72時間を過ぎると、それか ら以降、救出されても非常に予後が悪いということは知られていたんですけれども、やはりこの 阪神・淡路大震災のときも、72時間を越えると、救出されても命を救うことは難しいというこ とがはっきりしました。早くしなくちゃいけない。加えて、その時間内であっても、例えば倒壊 した建物の中で挟まれている人を消防機関が救助すると。ああ、助かった、ありがとうと言いな がら、救助した途端に心臓がとまってしまう。いわゆるクラッシュシンドロームというような形 で、患者を目の前で失ってしまうという経験を多数したわけです。すなわち、現場に医療者がい てくれたなら、もっと初療から、その最初の段階から適切な医療が提供できたなら、助けられた はずの命がある。これがいわゆるプリベンタブルデスというものですけども、こういう患者さん が200人、あるいは報告書によれば700人いたなんていうことも言われたわけです。こうし た反省に基づきまして、訓練を受けた医療者が災害現場にいち早く出向いて、そこから医療を開 始すると、そういう仕組みが必要じゃないかということで検討が始まったわけでございます。 東京都は、それに先んずる数年前から、ビッグレスキューを初め、さまざまな特徴ある災害訓 練をしてまいりました。そこで、全国に先駆けて、この東京DMAT、ちょうど10年前に発足 したわけでございます。そして、当初7病院から始まったこの東京DMATは、現在25 病院、 隊員数も今年度は1,000名を超えるまでになりました。要請された出場件数は500件を超 1 えております。 ところで、災害医療、どんな考え方でこれまで進んできたんでしょうか。医療者はどういう動 機づけで災害現場に行くんでしょうか。これは、いわゆる哲学の系譜をどうも追いかけているよ うな、そんなイメージがございます。なぜ、医療者は災害現場に行くか。一つは幸福のためです。 これ、アリストテレスという人は、幸福は人間にとって最高の善であり、究極の目標であると言 っています。こうした考え方に基づいて災害現場に行く人は、自発的にしたいこととして捉えて いるわけです。すなわち、行きたいから行く、です。災害現場に立つ高揚感、あるいは被 災者の ために役に立つという達成感や満足感というのは強力な人間の欲望です。ですから、この欲望の ために行く。災害が起こるといても立ってもいられないという人、医療者には結構います。自分 の欲望のために行く、こういう側面があることは否めない。でも、だからといって、それは非難 に値するかというと、必ずしもそうではありません。ヘーゲルという人は、人間的な欲望は、他 人の欲望に向かわなければならない。他人の欲望に向かっていれば、これは正義である。そうす れば、結局、災害現場に行くのは自分の欲望でも、被災者にとっての欲望と、これは ベクトルが 一致する部分もあります。ですから、欲望で行っても、決して非難には値しない、そう思います。 しかし、もう一方で、カントという人は、他人が困っているときに、何かのお返しを期待しな いで、自分の能力に応じて他人に貢献する。これは人間の義務だと言っています。欲望や感性に 依拠した行為は普遍性を持たない。すなわち、行きたいから行くという人は、どんな災害でも期 待できるかというと、そうではないわけです。行きたいと思っても、何か事情があれば、今回は やめておこうということがあるかもしれません。だから、義務だから行く にしなければいけない んだというのがこの考え方です。こういう意味では、義務としての災害派遣、災害現場へ行くこ とを課すという枠組み、これは一つ、大事だなということがわかります。 一方、被災者にとっては、この災害医療というのはどういう側面を持つでしょうか。ここに、 ベンサム、功利原理としての災害医療の側面がございます。これは、人々の幸福をふやす行為こ そが正しい。減らす行為は正しくない。したがって、最大多数の最大幸福を求めるのが正しい災 害医療のあり方だと。そうあってくれなきゃ困るというのが被災者にとっての災害医療 じゃない でしょうか。でも、この要求に応えるためには、個々の医療者がばらばらに現地に入って、目の 前の傷病者、目の前の被災者を片っ端から対処するという方法では、恐らくこの功利原理として の災害医療を満足することはできないはずです。すなわち、組織的に、システマティックに、し っかりした情報をもとに展開しないと、この功利原理としての災害医療には応えることができな いわけです。 加えて、この功利原理としての災害医療というのは、結果を求めるという側面があります。例 えば、幸福を求めて入る災害医療者たちは結果を問われる。どう 考えるでしょうか。特に我が国 の災害医療というのは、行ったらありがたがられる、感謝される、拍手をもって迎えられる。そ 2 して、被災者のほうも、こんな大変なところに来てくれたんだから、多少結果が悪くても、とて もぜいたくは言えない。こんなふうな心情原理のもとに災害医療は発展しています。ですから、 こうした責任倫理というのは、日本の風土にはあってこなかった。あるいは、その幸福を求めて 欲望で入る医療者たちは、この責務を負わされることはなかったわけです。 そこで、災害医療は、社会契約説の側面を持たざるを得なくなるわけです 。すなわち、社会は 個人間の契約に基づくものだ。国家の災害に際して、生命の危機に瀕した国民を救済することは、 国家にとっては契約の履行であり、義務である。ですから、この義務を果たすためには、国家は、 あるいは都は、果たすための医療者を契約で確保しなければいけないわけです。加えて、確保し た医療者は、ある一つの指揮権のもとに、組織的に整然と活動してくれなければ困るわけです。 このことを官僚制といいます。いわゆる軍隊のようなあり方ですね。 災害医療は、こうしたさまざまな考え方の系譜を経ながら、必要な人材の確保には契約をもっ て、そして、契約された医療者は義務をもって、そこに赴く。そして、赴いた先では、官僚制の 枠組みの中で組織的に動くことが必要だと、これが災害医療の考え方の系譜というわけです。 じゃあ、実際はどうでしょうか。医者は組織戦を戦えない。これは消防機関、警察機関、自衛 隊の方々、多くの方がおっしゃっていることです。どうしてかというのは、先ほど、欲望で出て いくと申しましたけれども、いわゆるボランタリズム、ボランティアという言葉で出ていっ てい る。そして、このボランタリズムというものに甘えているという側面があることを否めないと思 います。ボランタリズムというのは、自発的で、ほかの人のために無償でいろんなことをする。 非常に崇高な貴重な考え方です。何かしたからといって、インセンティブを求めるわけじゃない。 しかし、根底にはやっぱり欲望がある。例えば、中越地震のときには、外傷チームとして出てい った隊は、外傷を診たいんだと。外傷の患者さんを探すわけです。新潟中越地震で外傷の患者さ んは、ほとんどいません。多くは、避難所にあふれた高齢者のいわゆる内因性疾患、 高血圧の患 者さん――日本有数の高血圧地帯です。ですから、高血圧の薬が欲しい。全部家に置いてきてし まった。血圧が不安定で、血圧だけでもはかってほしい。しかし、自分たちは外傷チームだと。 血圧ははからん。あるいは、それは違うチームにやってもらうということで、こういうニーズに 応えられた医療チームは非常に少なかったわけです。 このボランティアで現場に入った医療チームに、いや、こういうふうにしてください、こっち に行ってください、あるいは、この救護所に入ってくださいという、いわゆる官僚制の軍隊のよ うに指揮されて、命令されて、どこどこで入る、これは当時は真っ平御免だったわけです。すな わち、ボランティアという考え方と、この官僚制の仕切りというのには、重大なフリクション、 コンフリクト、摩擦があったわけです。 これは東日本大震災の前、平成20年度の総務省消防庁の消防と医療の連携に関する検討会の 3 中で、厚生労働省、総務省消防庁が議論して、なかなか折り合いがつかないで、結果的に県の災 害対策本部の外にDMATの現地対策本部が置かれた図、これは報告書の中にあるものそのまま なんですけども、こういうことが以前は起こっていたわけです。すな わち、厚生労働省は、国は というよりは、医療者はと言ったほうがいいかもしれません。医療は独立して存在すべきだ。医 者のニーズの判断に応じて医療は展開すべきだ。人の命は何物にもかえがたいものだ。それに対 して、総務省消防庁は、いや、こうした大規模な災害においては、指揮・統制、これは何より大 事だと。ぜひ、医療もこうした枠組みの中に置いてほしい。こういう対立があったわけです。 実際、これは東日本大震災でのドクターヘリの運航実態ですけども、ドクターヘリは、現地へ はほとんど公的なニーズに従って出ていったのではありません。そして、ドクターヘリが着陸す る際には、運航計画、管制に基づいた運用ではなくて、独自の判断で動いていたという実態がこ こにあらわれているわけです。こうした医療と消防、あるいは医療と災害を仕切るプロの組織的 な動きとの間には、非常に重大なコンフリクト、摩擦が存在していたわけです。その中で、東京 DMATは消防の指揮下ということをはっきりと打ち出しているわけです。これは要綱に書かれ ている文章そのままです。東京DMATは指揮本部長の指揮下で活動する。すなわち、消防の指 揮下で活動する。明確に書いてあるわけです。 これが打ち出されたころは、ですから、東京DMATは医療者の魂を消防に売ったのか、こう いう表現さえされました。これは他県から言われただけではありません。東京DMATの身内か らもそういう発言がありました。ですから、指揮下ではなくて ――指揮下というのは同じ組織内 の上下関係ですから、指揮下ではなくて統制という、違う組織間がお互いにコントロールし合う、 そういう関係の表現にしようよというような意見も根強くあったわけです。 一方、消防の指揮下に入る。だから、東京消防庁側もDMATの安全管理をぜひ行ってくださ い。安全管理をお任せしたい。こういう医療側からの要望に対して、当初は、東京消防庁の警防 の方々の中には、いや、大きな災害が起これば、首都直下が起これば、我々は火を消すのに人が 足りなくなる。そういう状況の中で医者の面倒を見れるか。そういう医療者につき合っている暇 はない。そういうことを明確に言われる方もいらっしゃったわけです。 しかし、そうした両者のいろいろな考え方をダイレクトにぶつけ合って、そして、東京DMA T、医療者側と東京消防庁はお互いの理解を深めて、結局、この日本で唯一のというか、世界に もまれに見る消防の指揮下の1,000名にも及ぶ医療チームというのが現存するわけです。 先ほどもちょっと写真が出ていましたけども、東日本大震災の際には、私は東京消防庁のハイ パーレスキュー隊と一緒に、福島第一原発に参りましたけども、連携してくれた東京消防庁の隊 が、1日に魚肉ソーセージ1個、菓子パン1個しか割り当てがない中で、何日目かに温かいカッ プラーメンが届くと、真っ先に届けてくれました。寒くてどうしようもなくて、仮眠なんかとれ 4 るような状況じゃない中で、貴重な寝袋をこっそり二重にしてくれました。 こうした東京消防庁のDMATに対する配慮は、気仙沼に入った隊も同じように受けたと言わ れています。東京消防庁の連携隊は何と言ったかと。我々は自分たちの命にかえても、DMAT の隊員の方々を無事東京まで送り届けるのが義務だと、こういう思いの中で東京DMATが活動 できることこそが、我々の誇りとするところであります。 さて、10年を迎え、今後、この東京DMATはどういう方向に発展していったらいいか、こ の辺のことを少しお話しさせていただきたいと思います。 これまでお話ししたように、東京DMATは東京都が育て、そして、東京消防庁との密接な連 携の中で育ってまいりました。しかし、これは都民のための組織であります。当然のことながら、 それ以外のステークホルダー、周りにたくさんあるわけです。今までは、それらに意見をお聞き して、それらのニーズに応える余裕はなかった。しかし、10年を経て少しずつ、このほかのス テークホルダーのご意見やご要望、ニーズにもできるだけ応えていく、これは必要なことだと思 います。 ですから、どんな災害に対して、どんな活動をするか。そのために、どんな戦略で、どういう ことを目標にするか。この策定プロセスには、ぜひ従来の都及び東京消防庁以外の ステークホル ダーの方々にも、積極的にご発言いただくべきだというふうに考えております。 そして、そのためには、東京DMATは、従来以外のニーズに応えるために必要な知識や技術、 こういうものをさらに別途獲得する必要があるかもしれません。また、資機材も、従来の物とは 別の物を用意しなければいけないかもしれません。さらには、従来、要綱の中で明記されていな かったような災害に対しても、活動を期待されるかもしれません。そのかわり、そのためには、 どんな災害が起こる可能性があるのか。どんな危険なものが東京にはあるのか。あるいは 、起こ り得るのかということについて、誠実に情報を教えていただく必要があると思います。いわゆる インテリジェンスという部分です。 そして、これを具現化するためには、もちろん、こうした理念、コミュニケーション、ネット ワーク、こういうものも大事ですけども、最も大事なことは、三つ目の、従来の都、東京消防庁 以外の組織との間にも、きちっとした文書の取り交わし、契約あるいは要綱等の整備が必要だと いうふうに思います。 こうしたことを一つ一つ丁寧に整理し、できるだけ多くのステークホルダーの方々、組織のニ ーズに応えていけるように、東京DMAT、これから頑張っていきたいなというふうに思うとこ ろであります。 5 これまで東京DMATは、災害が起こったときに、それに対処する。いわゆる受動的なクライ シスマネジメントという立場から10年間やってまいりました。しかし、これからは東京オリン ピックなんていうことも踏まえながら、むしろ能動的に、予防的にも、あるいは万一何かが起こ ったときにも、被害をできるだけ少なくするために、むしろ攻めて、能動的 にこの災害にかかわ っていく。こういう姿勢も今後必要だろうというふうに考えるところでございます。 東京DMATは、これまで国内では最も行政にしっかりとフォローしていただきながら、そし て東京消防庁の全面的な協力の中で育ててきていただきました。これからは、もちろんその連携 をさらに強化することに加えて、先ほど申しましたように、それ以外の組織、いわゆる、先ほど ステークホルダーと申しましたけれども、そうした関連機関との連携を模索、そして強固にしな がら、さらに進化していきたいと思うところでございます。 皆さんのさらなるご理解とご協力をお願いして、私の話を閉じさせていただきます。どうもあ りがとうございました。 (平成26年9月10日 東京都庁第一本庁舎5階大会議場にて) 6