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PDF/1MB - 日本カナダ学会
ニューズレター 日本カナダ学会 第97号 ・ 2014 年 3 月 発行人:杉本公彦 編集人:宮澤淳一・福士 純 事務局 : 〒 564-8511 大阪府吹田市岸部南 2-36-1 大阪学院大学流通科学部 杉本公彦研究室内 TEL:080-3868-1941・FAX:03-6368-3646 ・ http://www.jacs.jp ・ [email protected] (電話等の受付:水・金曜日・午前 11 時~午後 4 時) 郵便振替口座 00150-2-151600 第 10 代目会長退任の御挨拶 杉本 公彦 私が第 10 代目の会長に就任したのは 2010 年 4 月 1 日でした。 早いものでこの 3 月 31 日に退 任することになりました。 在任期間中、 副会長としてあらゆる面から支えていただきました下村雄紀 会員、佐藤信行会員、岩﨑利彦会員、加勢田博会員と、事務的側面から献身的に御尽力くださっ た福西和幸、新山智基両会員に、これまで賜ったご指導とご協力に、心より深く御礼申し上げます。 この4年間では、 年次研究大会を青山学院大学、 大阪学院大学、 関西大学、 神田外語大学で 開催し、 それぞれ大きな成果を上げることができました。 その研究成果は、 年報編集委員会による 査読付き学会誌『カナダ研究年報』第 30 号~第 33 号の発刊という別の形にも残すことができました。 東北の震災の影響で、 我々の年次大会の開催も危ぶまれましたが、 ご準備いただいていた文京学 院大学から大阪学院大学に変更し、 無事に終えることができました。 会員の皆様が、 日程と場所の変 更にもかかわらず、 たくさんお越しくださったこと、 またカナダ大使-ジョナサン・T・フリード大使 -が、 このように困難な時期こそ何かお手伝いしましょうと、 基調講演をしていただきましたこと、 こうし た皆さんの想いが結実した大会であったと回顧しております。 カナダ新政権の政策転換により、 我々カナダ学会が享受させていただいていた予算を縮小 せざるを得ない事態となり、 学会の組織運営が非常に厳しくなりました。 また、 カナダ政府の新 政策である 「Understanding Canada Program」 によって、 我々の学会運営方針も大きな転換 を図らざるを得ませんでした。 こうした事態のなかで、 これまでの基盤事業および特別企画事 業を継続し、 かつ学会を健全な経営のもとで発展させようと、 指針を策定してまいりました。 第一に、 ファンド縮小に伴い、 会計年度ごとに完全な予算執行を実施すると共に、 地区研究 会の予算を有効に利用するため、 地区研究会発行のニューズレターを電子化しました。 第二に、 常設委員会とは別の会長諮問委員会という形で 「将来構想委員会」 という時限的な組織を創設 しました。 この委員会では、 カナダ学の教育と普及という目標のもと、 若手研究者の育成や、 国 ( 次ページに続く ) JACS Newsletter No.97 (March 2014) // 本号の内容 : 第 10 代目会長退任の御挨拶 (杉本公彦) / ●追悼 ・ 小畑精和会員 :「名誉の戦死」( 池内光久 )/ 小畑先生を偲んで ( 仲村 愛 ) ● リレー連載 : なぜカ ナダ研究をしているのか (第 4 回) 「私のカナダ研究―穀物科学を主とする学際研究」 (草野毅徳) ●書評 : 大村敬一著 『カナダ ・ イヌイトの民族誌 日常的実践のダイナミックス』 (岸上伸啓) / 小畑精和著 『カナダ文 化万華鏡―― 「赤毛のアン」 からシルク ・ ドゥ ・ ソレイユへ』 ( 室 淳子 ) ● 事務局より (「トラベル ・ グラント」 募集について , 第 27 回日本カナダ学会研究奨励賞論文募集 , 会費納入について (お願い) , 事務局移転 のお知らせ) ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ● 編集後記 The Japanese Association for Canadian Studies / L’ Association japonaise d’études canadiennes 際学会との連携強化を図ることを検討しまし 米フランス語の普及功労賞」 を授与されるまで た。 この結果、 「若手研究者育成委員会」 を は、 あまりお人柄を存じ上げなかったが、 2004 立ち上げ、 若手研究者が 「PANCS」 など海 年当時の石原慎太郎東京都知事の仏語蔑視発 外で研究発表する機会を増やすため、 「研究 言に対して猛然と発言撤回を求めて大新聞に 奨励賞」 を利用できるよう、 育成プログラムを 反論を書き、 裁判に持ち込んだときには 「凄い 策定しました。 第三に、 会員自らが専門的知 先生だ!レジョンドヌールものだ!」 と唸ったも 識を持たない学問領域を理解するため、 『はじ のだった。 めて出会うカナダ』や『新版史料が語るカナダ』 2003 年の JACS 研究大会で、 竹中豊会員 などの刊行に続き、 『カナダ豆事典』 を編集 ・ や小林順子会員とともにシンポジウムに参加さ 刊行しました。 なお、 多くの会員が原稿執筆 せて頂き、 ケベックにおける 「静かな革命」 以 にご協力していただいたことに対し、 この場を 後の言語政策と経済成長との関係について発 お借りして御礼申し上げます。 表したことが御縁となって、 明治大学における 最後にこの 4 年間におけるカナダ学会の組織 「現代ケベック講座」 に参加して欲しいとの先 改革が可能となったのは、 カナダ大使館からの 生からのご要請があり、 産業経済に関する講義 ご援助とカナダ学会の皆様からのご支援 ・ ご協 を受け持って 10 年が過ぎた。 力でした。 4 月からの新執行部の下村雄紀新 その間 2008 年、『ケベックを知るための 54 章』( 明 会長、 佐藤信行副会長、 田中俊弘新副会長 石書店 ) が出版され、小畑先生が発起人代表となっ に対しても、 皆様からの多大なご支援 ・ ご協力 て日本ケベック学会 (AJEQ) が発足し本格的にイン をお願いしたいと思います。 今まで本当にあり ターディシプリナリーなケベック研究組織が発足し がとうございました。 た。 小生も微力ながら主に JACS の諸先生から助 言を頂いて AJEQ の規約 ・ 細則の起案や役員選 (日本カナダ学会会長 ・ 大阪学院大学) 挙制度の枠組み作りなど担当してきたが、 小畑初 * * * <追悼 ・ 小畑 精和 会員 1952-2013 > 代会長御自身が先頭に立って頻繁に理事会を主 「名誉の戦死」 宰するいっぽう、 明治大学和泉キャンパスでコピー 池内 光久 を取ったり、 選挙人名簿を作成したりと、 八面六臂 「090-7944-6176」・・・・・「090-7944-6176」・・・・・・ の御活躍ぶりが今でも眼に焼き付いている。 「090-7944-6176」・・・・・「090-7944-6176」・・・・・・ 2013 年には日本 ・ ケベック交流 40 周年記念 「お掛けになった電話番号は現在使われてお 事業の一環として 『遠くて近いケベック』 が出版さ りません。 番号をお確かめになって、 お掛け直し れたが、 原稿執筆の打合せの段階で 「検査入院 ください。・ ・ ・ ・ 」 そうか、 そうだったのか。 嗚 にちょっと行ってきます。」 といったメールを頂いた。 呼矢張り小畑先生は通信不能の彼方へ旅立って 検査なら何てことないな、 自分もそろそろ検診を 仕舞われたのだ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 受けねばと思っていた。 ところが 11 月下旬になっ 小畑さんとの出会いは、 小生が 1998 年に て忽然と旅立たれたとの不条理な悲報に接したと 明治大学生田キャンパスで開催された日本カ きには思わず息を呑んだ。 「こりゃまるで名誉の戦 ナダ学会 (JACS) 国際研究大会の募金委員 死じゃないか。」 と思わず知らず呻いてしまった。 長を仰せつかった頃だった。 飯野正子会長(当 さらに小畑先生は昨年 3 月には 『カナダ文化 時) や故大川美雄元駐加大使などのもとで募 万華鏡』 を上梓されたが、 今から考えると、 恐 金業務を担当したが、 主催校を代表する小畑 らくはそう遠くない時期の旅立ちを微かに予感さ 理事が開催準備に心を砕いておられた様子が れるような筆致が感じられ、 渾身の御努力を傾 今でも想い出される。 同年に小畑さんが 「北 けられたのだと思う。 この書物は単にカナダ文化 ニューズレター第 97 号 (2014 年 3 月 ) 2 日本カナダ学会 を紹介するだけに留まらず、 鋭い文明批評に満 先生と非常に懇意だった当時の私の指導教授 ちた評論であり、 カナダ ・ ケベック研究の地平 もその場にいて、「カナダ研究はいいぞ」 となっ を新たに切り開いた傑作であるといっても過言で たのです。 恐らく先生は冗談のおつもりでした。 はない。 ケベックを愛しカナダ研究に命を捧げ ですが私は小畑先生からのこの 「口説き」 を た小畑精和教授の偉大な業績にカナダとフラン 真に受け、 進路をあっさり変更してしまったの コフォン諸国は大いに感謝すべきであろう。 です。 思い返してみれば、 私が本当に本気に (日本カナダ検定協会副理事長、 日本カナダ学会 なって即刻行動し始めたので、 言い出しっぺ 監事、 日本ケベック学会監事) の小畑先生ご本人は後から慌てていらっしゃっ * たような気がいたします。 ともあれ、 こうして私 小畑先生を偲んで は、 小畑先生の長い教員生活の中で博士課 仲村 愛 程の学生第一号、 つまり実質的な一番弟子と 日本のカナダ ・ ケベック研究のパイオニアの なる栄誉に浴する幸運に恵まれました。 お一人であられた小畑精和先生 (明治大学政 ところで、 上述の同大学政治経済学部のケベッ 治経済学部教授、 同大学教養デザイン研究科教 ク講座は、 小畑先生が 2002 年に開講されたもの 授) が、 約 2 年半にわたる喉頭癌との闘病生 です。 歴史、 政治、 経済、 社会、 文化など多 活の末に、 2013 年 11 月 22 日にご逝去され 角的にケベックを学ぶことができる、 日本で初め ました。 小畑先生はお亡くなりになる一週間前 てケベックのみを対象にしている講義です。 小畑 に 61 歳のお誕生日を迎えられたばかりでした。 先生のご功績は、 何よりも日本とケベック、 日本 私は、 明治大学政治経済学部の学生として、 とフランス語圏、 日本とカナダの架け橋であり続け また、 同大学教養デザイン研究科で小畑先生 たことですが、 その一つにこのケベック講座を挙 の研究生として、 約 7 年間お世話になりました。 げることができるでしょう。 それから、 少し大学の カナダ学会の会員の皆様の哀しみを代表し、 内輪話になりますが、 私が在籍する教養デザイン 小畑先生への並々ならぬ報恩感謝の思いを込 研究科は、 2008 年に博士前期課程が、 2010 年 めて、 小畑先生の思い出を振り返りつつ、 追 に博士後期課程が開設されたばかりなのですが、 悼の言葉をここに紡ぎたいと思います。 小畑先生は創設者のお一人でした。 したがって、 私と小畑先生の出会いは 2006 年、 明治大 小畑先生なくして、 現在カナダ学会に所属し研 学の夏季語学研修に大学 3 年生で参加したと 究者を目指す私は存在しなかったのです。 もしあ きでした。 トゥールーズでの1ヶ月間の語学研 のとき小畑先生が誘ってくださらなかったら、 私と 修に際し、 小畑先生が引率の先生だったので カナダとの出会い自体なかったことでしょう。 小畑 す。 フランス文学科の学生が大半を占める中、 先生は、 多くの出会いと人生を切り拓くチャンスを 数少ない政経学部の学生ということで特に親し 私にたくさん与えて下さりました。 くしてくださりました。 研修後も、 学内ですれ違 また、 小畑先生は研究者でいらっしゃったと う度に 「よぉ愛ちゃん!」 と気軽に声をかけて 同時に教育者でいらっしゃいました。 いつもご くださったものです。 私とカナダと小畑先生を 多忙にも拘わらず非常に面倒見がよく、 先生で めぐる転機は 2010 年 12 月の暮れに突然訪れ たいへん多くの学生から慕われていらっしゃいま ました。 2010 年度の明治大学ケベック講座の した。 また、 小畑先生は戦う方でいらっしゃいま 懇親会に、 私は人数合わせで参加していまし した。 公正と正義を好み、 反体制的で、 マジョ た。 そこで小畑先生から、 「教養デザイン研究 リティの中のマイノリティに目を向け、 弱者の味 科へきてケベック研究をやらないか」 と持ちか 方でいらっしゃいました。 あまりにも力いっぱい けられたのです。 修士 2 年のことでした。 小畑 生きていらしたせいでしょうか。 こんなにも早い ニューズレター第 97 号 (2014 年 3 月 ) 3 日本カナダ学会 お別れに胸が痛みます。 「君にふさわしい人物を紹介しよう」 と、 神戸の元 学問の師であったばかりでなく、 人生の師で 町の飲み屋で馬場伸也先生を紹介され、 「日本カ もあった小畑精和先生、 ありがとうございました。 ナダ学会」 を初めて知ることとなった。 「気が向い 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 たらいつでもどうぞ」 と名刺をいただいたのがウン (明治大学 ・ 院) のつきで、 その年の 9 月 (1983 年) に奈良の帝塚 * * * 山短期大学で開催された第 8 回年次研究大会に <リレー連載> 参加し、 会員となった。 JACS 会員としての最初の なぜカナダ研究をしているのか(第4回) 仕事は、『カナダ研究の諸問題』 (1987 年) の編集・ 「私のカナダ研究――穀物科学を主とする学 発行であった。 すなわち、 GRL 所長の K.H.Tipples 博士に原稿を依頼し、 その和訳に従事した。 際研究」 1983 年 4 月に、 「神戸学院大学カナダ研究会」 草野 毅徳 1982 年 2 月から 1983 年 2 月までの 1 カ年間、 カ を発足させ、 村井衡平法学部長 ・ 赤穂榮一薬学 ナダはマニトバ大学 (UM) の Dr. W. ブシュク 部助教授らを中心にカナダの大学との交流が画策 研究室で小麦タンパク質の研究に従事したのが、 され、 幾多の努力の末、 1986 年にケベック州モン 私のカナダ研究の始まりである。 神戸学院大学創 トリオール市郊外にあるジョン・アボット・カレッジ (J 立 10 周年記念事業として、 若手教員の海外研究 AC) と交流協定が締結されるに至った。 その翌年 出張制度が始まり、 私は 「関西穀物科学研究会」 から本学学生を彼地に送り、 実用英語学習 ・ ホー (「日本穀物科学研究会」 の前身) の創立者であ ムステイによる異国交流 ・ 「ジャパン ・ ナイト」 と称 り初代会長の松本 博先生 (大阪女子大学教授) する催しを通しての文化交流が実施されることとな のご推薦で、 小麦研究の世界的権威であるブシュ り、 現在に至っている。 その間、 JAC と隣接する ク教授を紹介されたのである。 松本先生とブシュク マギル大学農学部に所属する農業経済学教室の 先生とは長年の親友で、 これまでにも日本から多く H.G.Coffin 博士とも親交を結び、 本学の国際 ・ 学 の穀物科学者をカナダへ送っておられた。 際共同研究において貴重な存在となっている。 カナダの穀物産業は公私共にウィニペグが中心 1986 年に大阪にカナダ総領事館が開設され 地であり、 官公庁および民間の多くの機関が存 てから 2007 年 3 月末の閉館まで、 初代総領 在しており、 産官学間の相互交流も盛んであっ 事マイケル・スペンサー氏から 6 代アラン・ た。 中でも、 GRL(Grain Research Laboratory: 穀物研 エドワーズ氏に至るまで、 日本カナダ学会関 究所 ) は、 マニトバ大学のブシュク研究室および植 西支部とは幾多の交流が生まれた。 また関西 物科学教室と密接な関係にあり、 常に往来があっ 日加協会や日本カナダ会等在関西のカナダ関 た。 なかでも、 私にとって幸いしたのは、 所長の 係団体との親睦を深めることもできた。 K.H.Tipples 博士と副所長クラスの松尾龍一博士 日本カナダ学会第 20 回年次研究大会 (1995 がブシュク先生の親友であったことで、 何かと便宜 年 9 月 30 日―10 月 1 日) が神戸学院大学で開 を図っていただけた。 殊に、 英会話に不慣れな私 催され、 神戸学院大学カナダ研究会のメンバー にとって、日系人の松尾博士の存在は大きかった。 (村井・草野・赤穂・岡本隆・井上薫・大島俊之・他) 当時、 ウィニペグには日本総領事館があり、 が主軸となって、 阪神 ・ 淡路大震災直後の被 西部カナダの農産物の情報収集に援助を受け 災地キャンパスに全国から多数の会員を受け入 た。 総領事やマニトバ日系人協会の方々と剣 れた。 (メインテーマ : 「カナダと日本の新しい人間 道仲間となり、 種々便宜を図っていただけた。 環境――21 世紀への展望」) カナダから帰国後、 ことある毎に 「カナダ」 を連 1980 年にリューブリャーナで第1回が開催され 発する私に対して、 飲み友達の法学部の教授から て以来 3 年毎に各地で持ち回り開催されている ニューズレター第 97 号 (2014 年 3 月 ) 4 日本カナダ学会 「国際ソバシンポジウム」 の第 7 回大会が 1998 て、 『カナダの穀物産業と日本の食生活』 と題す 年 8 月、 ウィニペグで実施された。 モーデン るもので、 基調講演として、 前マギル大学農学 農事試験場でソバの育種研究に専念していた 部教授で、 当時ノバスコシア農科大学長であった C. キャンベル博士らが主導された。 博士とは、 G. カフィン博士に 「Canada-Japan Trade in the 私は 1982 年夏ウィニペグ滞在中に知己となり、 New World Order」 を語っていただいた。 1995 年に信州大学農学部で第 6 回が開催され 2004 年 11 月には、 日本穀物科学研究会 た折再会しており、 このたびのウィニペグでの大 30 周年記念大会が大阪で開催された折、 W. 会には多数のソバ研究者 ・ 関係者らと乗り込み、 ブシュック ・ マニトバ大学名誉教授に特別 再会を寿ぎ、 カナダにおけるソバ研究 ・ 生産の 講演として 『21 世紀の食の安全、 健康志向 いや盛んを祈念した次第である。 を目指した食品開発の展望』 を熱弁を奮っ て い た だ い た。 こ の 時、 カ ナ ダ 小 麦 局 お よ 1997 年 12 月 13 日には、 神戸学院大学にお びカナダ総領事館の後援をいただいた。 いて 『生命倫理シンポジウム―臓器移植の現状 と展望 : 日本とカナダの場合』 が開催された。 神戸にある学際的研究機関および市民団体を 開催主体は、 神戸学院大学内に発足して間もな ベースにして、 2000 年 3 月 25 日には、 兵庫県 い 「生命倫理研究会」 で、 メンバーの大部分は 立神戸学習プラザにおいて、 シンポジウム 『関西 「カナダ研究会」 会員でもある。 後援として、 カ とカナダ』 が開催された。 日本カナダ会 ・ 汎太平 ナダ大使館・カナダ総領事館・日本カナダ学会・ 洋フォーラム ・ ひょうご大学連携事業推進機構と 汎太平洋フォーラムの支援を得て、 「臓器移植 の共催であった。在大阪カナダ総領事館の P. キャ 関係法案」(1997 年 10 月 16 日に施行)をめぐって、 ンベル総領事の基調講演、 宇喜多秀俊 ・ 外務省 カナダ ・ クイーンズ大学社会学部で医療社会学の 文化第二課長の特別講演、 大島襄二・西浜久計・ 分野で活躍中のJ.D.マックスウェル博士(関 草野毅徳の各 JACS 会員および河合純子 JCK(日 西学院大学客員教授) を招聘し、 この分野の本学 本カナダ会) 事務局長によるパネル・ディスカッショ における主軸である石原 明法学部教授のお二人 ンが盛大に行われた。 当日配布の 「講演要旨 を話題提供者とし、 人文学部 ・ 薬学部 ・ 経済学 集」 には関西出身で在カナダ日系人の方々のメッ 部等の生命倫理研究会メンバーがディスカッサント セージも多数盛り込まれ、 会場にはカナダ関係品 として討論し合った。 も盛り沢山用意され、 参加された多数の一般市民 にも大好評であった。 また、 文部省科学研究費等を活用して、 マ ギル大学の H.G.Coffin 教授を交えた共同研究 このようにして、 私の 「カナダ研究」 は、 多 も進められた。 (H.G.Coffin, T.Kusano, E.Akaho, くの方々のご支援 ・ ご教導を得て、 本来の穀 K.Inoue, T.Nishihara, T. Okamoto, “Effects of Ca- 物科学を凌駕して広く学際的研究へと広がっ nadian Grain Industries of Food and Nutrition Cir- ていった。 今後更に間口を広げるか、 奥行き cumstances in Japan,” Journal of International Food を深めるか、 カナダと日本との相互関係の波に & Agribusiness Marketing , 2(3/4) 146-169 (1991).) 任せようと思う。 (神戸学院大学名誉教授) 一方、 『カナダ研究年報』 にも、 「日本およ * * * びカナダにおける医薬品、 穀物流通形態の比 <書評1> 較研究」、「カナダの穀物産業」、「カナダの大麦」 大村敬一『カナダ・イヌイトの民族誌――日 等の論文を報告している。 常的実践のダイナミックス』大阪大学出版会、 日本穀物科学研究会と日本カナダ学会との共 2013 年 8 月、432 頁・本体価格 7140 円 催によるシンポジウムの開催も貴重である。 2002 岸上 伸啓 年 3 月のことで、 大阪の毎日新聞社ビルにおい イヌイットとはカナダ極北地域をおもな生活領域 ニューズレター第 97 号 (2014 年 3 月 ) 5 日本カナダ学会 とする先住民である。 著者の大村敬一氏は、 カ ら、 制度を再生産もしくは変化させてゆく循環的 ナダ国ヌナブート準州クガールク村において 1989 な生成過程」 (136 頁) と再定義している。 これは、 年以降継続してイヌイット文化について現地調査 在来知の定義というよりも大村氏の在来知を研究 を行なってきた。 そしてイヌイット語に熟達した同 するためのアプローチないしは視点を要約してい 氏は、 イヌイットの生業活動から色彩分類や身体 るといえる。 第 3 章以降では、 その枠組みに従っ 観までさまざまなテーマについて興味深い成果を て記述と分析が行われる。 数多く発表してきた。大村氏の数ある研究の中で、 第 3 章「「大地」との絆」では、イヌイットのナビゲー 本書は、イヌイットによる極北環境でのナビゲーショ ションの技法を概観するとともに、 イヌイット社会の ン (自在に移動する活動の全体) を在来知のひと 歴史と現在の政治 ・ 経済 ・ 社会システムを記述 つとして記述し、 分析した力作である。 する。 その上で、 ナビゲーションに民族表象 (民 第 1 章 「極北人類学の功罪」 では、 極北人 族を特徴づけるマーカー) としての意味を与えてい 類学においてイヌイットの在来知と世界観がどの る 「大地」 とのきずなについて論じている。 現在 ように取り扱われてきたかを詳細に検討している。 のイヌイットにとって彼らが活動し、 歴史を育んで その結果、 イヌイットの在来知をめぐるこれまでの きた場である 「大地」 は、彼らの民族的アイデンティ 研究は、 在来知を近代科学とは本質的に異質で ティの基盤となっている点が強調されている。 相互に理解不可能な知識の体系であるかのよう 第 4 章 「「イヌイットのやり方」 の戦術」 では、 に描きだしている点やそれが創り出されたり、 変 ナビゲーションにおける実践が、 「白人のやり方」 化したりしてきた点を見落しており、 本質主義に とは異なる 「イヌイットのやり方 (「思慮」 ある大人 陥っている点を指摘している。 これらの問題は、 としての振る舞い方)」 という 「伝統」 をいかに構 アイヌ文化など特定の文化を不変かつ固有で、 築し、 再生産しているかを検討し、 イヌイットの経 核心部分を有する独立したモノのような実体と見 験世界を記述している。 本章と第 5 章 「生活世 なす文化観に由来している。 このため、 1980 年 界の現実」 では、ド・セルトーの実践における 「戦 代半ば以降、 文化人類学者は、 この本質主義 略」 と 「戦術」 の区別を援用し、 近代科学が対 的な文化観を乗り越え、 文化を研究するための 象を客体化することによって構造的な把握を目指 新たな方法を模索してきたが、 いまだ満足のいく すのに対し、 イヌイットの在来知は臨機応変な個 解決策は見つかっていない。 本書の目的のひと 人の対処によって創り出される点を強調している。 つはその解決策を提示することである。 さらに、 第 5 章では、 日常的実践に基づい 第 2 章 「交差点としての民族誌」 では、 在来 て在来知を捉えなおすとともに、 「大地」 がイヌ 知研究の本質主義を乗り越え、 在来知を記述、 イットにとってどのような意味を持っているかにつ 分析するための方策として、 ジーン・レイブ (1995) いて検討する。そしてイヌイットにとって大地とは、 の個人に焦点を当てた実践論の視点に検討を加 歴史と未来が刻み込まれてゆく記憶の貯蔵庫で えている。 そして在来知は個人の実践によって絶 あり、 彼らの記憶を共有し、 歴史的な紐帯を生 えず変化していく動的な過程として捉える新たな み出す場であると結論づけている。 さらに日常 研究デザインを提案している。 本章では、イヌイッ 実践に着目する文化研究の可能性について論 トの在来知を 「制度のレベルにある記号体系と政 じている。 そして終章 「日常的実践のダイナミク 治 ・ 経済 ・ 社会構造の弁証法的関係から生じる ス」 では本書の成果が要約されている。 信念もしくは信念間の駆動されるイヌイット個人が 本書はイヌイット文化や在来知に関する先行研 矛盾によって、 それら制度の条件下でそれら制 究を十分に踏まえた上で、新たな枠組みを提起し、 度を資源として活用することで、 自らの生活世界 それに基づいて個人の知識の生成に関する記述 のレベルで実践を展開しつつ知識を構築しなが と分析が行われているという3つの点で、 独創性の ニューズレター第 97 号 (2014 年 3 月 ) 6 日本カナダ学会 ある研究ということができる。 また、 ド ・ セルトーの 点がわいてくるが、 それは本書がきわめて斬新で、 戦略と戦術の区別を利用して、 科学的知識は戦 挑戦的な著作であるからである。これまでのイヌイッ 略に重きが置かれ、 イヌイットの在来知は戦術に ト研究の中心的課題は厳しい自然環境の中で彼ら 重きが置かれている点を指摘することによって両 がいかにして適応してきたかを解明することであっ 者の違いを上手に説明している。 さらに、ナビゲー たが、 本書はこれまでのイヌイット研究があまり取り ションを 「イヌイットのやり方」 の戦術として紹介し 扱ってこなかったイヌイットのナビゲーションを新し ている第 4 章は、 調査に基づく具体的で貴重な い視点から研究したものであり、 イヌイット文化に関 事例が紹介されており、 大変に興味深い。 これら する必読文献のひとつになることは間違いない。 の成果を生むことができたのは、 大村氏が現地社 日本におけるイヌイット研究は、 1960 年代以 会に溶け込み、 良好な人間関係を築き、 調査を 降、岡正雄、蒲生正男、祖父江孝男、岡田宏明、 継続してきたたまものであると考える。 かかる意味 岡田淳子、 宮岡伯人、 小谷凱宣、 本多勝一、 で 、 本書は大村氏と現地のイヌイットの人びととの スチュアートヘンリ ( 本多俊和 ) らによってカナ 協働に基づく成果であるといえる。 ダ極北地域やアラスカにおいて展開され、 多大 一方、 本書を読むことによっていくつかの疑問 な成果をあげてきた。 その一方で 、 それらのほ がわいた。 本書は、 本質主義の問題を乗り越え とんどが日本語で発表されているため、 残念な ようとする意欲的な研究であるが、 レイブの個人 がら海外ではほとんど知られていない。 大村氏 に焦点を合わせた実践論とセルトーの戦術 ・ 戦 のような若い世代の研究者には、 本書のような 略の援用によって、 はたして本質主義は乗り越 研究成果を英語など外国語で積極的に発表し えられたといえるのか疑問が残る。 すなわち、 著 て欲しいと思う。 大村氏の今後の研究のさらなる 者が採用した方法でイヌイットの実践を描き出し、 展開に期待したい。 特徴づけていることは、 在来知の変化を認める点 ( 国立民族学博物館 ・ 総合研究大学院大学 ) を除けば、 従来の客観的として批判されてきた研 * 究と大きく変わるものではない。 また、 在来知の <書評2> 定義に実践を加えたことによって、構築主義の「文 小畑精和『カナダ文化万華鏡――「赤毛のア 化」 (人びとによって構築される実践と言説) の定 ン」からシルク・ドゥ・ソレイユへ』明治大 義と同じになり、 知識の研究というよりもより広い 学出版会、2013 年 3 月、412 頁・本体価格 3,300 円 対象についての実践と言説の研究となっている。 室 淳子 さらに、 イヌイットの視点に立つとしながら、 個人 本書は、 文学を通して浮かび上がるカナダの文化 の知識の生産と共有の問題を考察するにあたっ の諸相を紐解き、 カナダにおいて築き上げられて て、イヌイットと白人 (主流) 社会との権力関係 ( 相 きた特徴的な性質や価値観、 それらの変容、 そ 互作用 ) は取り扱われているが、同じコミュニティー して現在の多文化状況について論じたものである。 内のイヌイット間の権力関係が等閑視されている 著者の小畑精和会員が明治大学政治経済学部の 点が気にかかった。 最後に、 大村氏は表現力に 「アメリカ文化研究 (カナダ)」、 「アメリカ地域論 (カ 優れ、 流暢な文章を書く一方で、 本書では重複 ナダ)」、 「ケベック講座」 (ケベック州政府寄付講座) する内容が多い点も気になった。 そして個人的 で行った講義をもとに、 明治大学出版会による学 には、 第1章と第2章の学史や方法論の部分は 術的教養叢書 「リバティブックス」 のひとつとして 要点を簡潔にまとめ、 第 3 章と第 4 章で展開し 出版されたこの本は、広く知られた作品や映画、歌、 ているような事例の生き生きとした記述に、 より多 アニメーション、 舞台芸術の考察を含め、 初学者 くのページを割いて欲しかった。 に分かりやすいように、 ひとつひとつの概念や文化 本書を異なる立場から読むと、 いくつかの疑問 ニューズレター第 97 号 (2014 年 3 月 ) 事象を丁寧にかみくだいて解説してくれる。 7 日本カナダ学会 本書は、序論と、第一部「サバイバル」、第二部「あ 景は、 カナダの厳しい冬の描写を最小限に抑え、 りのままの現実 ・ 見えにくい現実」 から成る。 序論 アンが愛読するイギリスの牧歌的な風景を綴る詩 では、 第一章において、 文化そのものを捉える視 の美学によって形成されたキッチュな価値観に基 点のあり方について考察される。 まえがきにおい づいて変形されるが、 それは裏返した形でカナダ ても説明されるように、 文化を固定した枠ではなく、 的な側面を示すものだ。 マリラやアヴォンリー村の 絶えず 「ずらし」、 揺さぶることによって活性化され 人たちはサバイバルの第 1 の態度を示すが、 そ るものと捉え、 カナダの文化を単一のものとして捉 の滑稽さを唯一指摘するアンはコミュニティーの外 えようとする向きには慎重だ。 文化が他との比較に から来るいわば移民のような存在として捉えること よって強調される側面があることや、 多様性を国是 ができる。 アンが成長していく物語は、 カナダ的 とするカナダの文化への理解が必要であることが前 ではないアンがカナダ的な現実に回収されていく 提として示される。 第二章においては、 本書の議 物語だとする議論は面白い。 キッチュの概念は、 論の鍵となるリアリズムやキッチュの考え方が説明さ 植民地において宗主国の文化が模倣され、 しか れる。 小説を通した現実認識の単純化、 新聞や し完全な模倣をなさずにわずかに生まれる差異が テレビ等によって再構築された世界とありのままの もたらしうる抵抗に可能性を読む、 ホミ ・ バーバの 世界とを容易に混同しがちな私たちの思考、 日常 ミミクリーの議論にも重なるように思うが、 このふた 性を異化することで活性化を促す芸術の役割、 あ つの概念のずれと、 ミミクリーが持つような抵抗の りのままの現実を観察するだけでなく合理的な説明 可能性をアンのキッチュにも読み取ることができる を加えるリアリズムの手法、 現実の対象に価値をみ のか、 考えてみる余地はありそうだ。 サバイバル いだせず、 出来合いのイメージにモデルを見いだ の議論はさらに、 フランス系のケベック開拓農民た し、 そこに迎合することによって快感を得る近代人 ちの伝統にとどまる生き方を理念として描くルイ ・ エ のキッチュなど、 本書の議論ばかりでなく、 私たち モンの 『マリア ・ シャプドレーヌ』 (1916) (第四章)、 の日常を考察する上でも興味深い論考だ。 近代化が進むにつれ、 土地と結びついた伝統的価 第一部 「サバイバル」 においては、 マーガレッ 値観の反復性が崩壊し、 運命として希望のない都 ト ・ アトウッドのサバイバルの概念をもとに 6 つの 会に出て行かざるをえない様をありのままに描いた 作品が検証される。 まず第一章では、 アトウッド ランゲの 『三十アルパン』 (1938) (第五章) へと続 のサバイバル概念が示される。 カナダ文学に見い く。 第六章では、イヴ・テリオーの 『アガグック物語』 だすことのできる、 自然の厳しさや文化的 ・ 内面 (1958) における白人文明との接触によるイヌイット社 的な困難さの中で勝利感を味わうことなくただ生き 会の変容が取り上げられる。 殺人を犯したアガグッ 延びる人々の典型的な 4 つの態度がここに説明 クを匿う村人たちの同族意識と近代の法との対立関 される : 第 1 の態度――犠牲者であることを否定 係が面白いが、 この章で論じられるアガグックが志 する、 第 2 の態度――犠牲者であることは認める 向する個人主義と女性の地位向上に対する理解に が、 それを運命のせいにする、 第 3 の態度―― ついては、 カナダにおける当時の社会変化をテリ 犠牲者であることを認めるが、 その役割を演じるこ オー自身が作品の中に含みこんだものと考えるのが とを拒否する、 第 4 の態度――創造的な非犠牲 慎重ではあるだろう。 最近の批評では、 その後に 者。 第二章は、 映画 『タイタニック』 (1997) を第 2 登場する先住民作家たちがむしろコミュニティーを の態度を示すカナダ的なサバイバルの好例として 重視した描写を行い、 テリオーとの異なりを見せるこ 紹介する。 第三章は、 アトウッドが自身のサバイ とも指摘されている。 第七章では、 ガブリエル ・ ロ バル論の例として含まなかった『赤毛のアン』 (1908) ワの 『束の間の幸福』 (1945) において示されるモン をイギリス系のサバイバルを示す例として取り上げ レアルのイギリス系とフランス系の間の格差について る。 アンの想像力によって生み出される明るい風 触れ、 束の間の幸福を味わうばかりで現実を認識 ニューズレター第 97 号 (2014 年 3 月 ) 8 日本カナダ学会 せず、 サバイバルの態度を取り続けるフロランチー 章では、 日本カナダ文学会のシンポジウムにお ヌらの姿を読む。 しかし、 ジャンに唯一見いだす いてアキ ・ シマザキを語る熱い口調が思い出さ ことのできる現実を直視する生き方に、 サバイバル れた。 小畑会員のご冥福を心よりお祈り致しま 精神に終わることのない新たな人物の登場を見てと す。 (名古屋外国語大学) る。 第八章では、 再び 『赤毛のアン』 を 『束の間 * * * の幸福』 との比較において取り上げ、 アンが模倣 ( ( (事務局より) ) ) する価値観がイギリス詩であったのに対し、 フロラン ◆「トラベル・グラント」募集について チーヌのキッチュのモデルが大衆文化 (ファッション 2014 年度 (2014 年 4 月 1 日~ 2014 年 3 月 31 日) ま 誌) にあること、 また両作品においてキッチュを照 での間に、 カナダおよびカナダ以外の国 (日本を除 射する視点があることが、 既成の価値観を揺るがす く) で開催される国際会議などでカナダ研究につい 可能性を持ちうると論じられる。 て報告をする本学会会員に旅費一部補助の制度で 第二部 「ありのままの現実 ・ 見えにくい現実」 す。 本学会会員によるカナダ研究の成果を広く海外 においては、 主に 1960 年代以降のカナダの変 に発信し、 研究の交流や国際化を図るのが目的で 容と多様化が取りあげられ、 本書のタイトルにあ す。 ただし、 トラベル ・ グラントは旅費の一部を補助 る 「万華鏡」 の意味がさらに説得力を持つ。 ア するのが趣旨ですので、 旅費のすべてをカバーする メリカとの社会的・外交的な性格の違い (第一章)、 ものではありません。募集要項は次のとおりです。(1) フランコフォンの現状 (第二章)、 カナダを代表す 支給人数と支給金額:1 名につき 5 万円・最大 2 名。 る 4 曲の歌 (第三章)、 マーガレット ・ ローレンス (2) 支給対象者:応募時点において日本カナダ学 の 『石の天使』 (1964) とジャック・ゴドブーの 『や 会会員であること。 原則として、 専任の勤務先を持 あ、 ガラルノー』 (1967) (第四章)、 フレデリック ・ たない会員。 専任の勤務先を持つ会員でも応募出 バックのアニメーション作品 (第五章)、 日系作家 来ますが、 優先度は低くなります。 (3) 応募締切日: ジョイ ・ コガワとアキ ・ シマザキ (第六章)、 移民 2014 年 4 月末および同年 8 月末日 (年 2 回)。 (4) 作家ネゴヴァン・ラジック、マイケル・オンダーチェ、 応募書類: ①本学会所定の応募用紙 (日本カナダ イン・チェン、 ワジディ・ムアワッド、 ダニー・ラフェ 学会のホームページに掲載)、 ②国際会議。 などで リエール (第七章)、 ケベック舞台芸術 (第八章) の報告が正式に受け入れられたという文書 ( メールも と幅広く取り上げられている。 伝統的な価値観や 可 )、 ③出張に関する費用 (航空運賃、 滞在費、 参 サバイバル意識から脱して現実と向き合おうとす 加登録料など) の見積書。 (5) 審査方法:日本カナ るこれらの作品がもたらす複数性は、 とりもなおさ ダ学会役員会における審査機関 (対外交流 ・ 共同研 ずカナダ社会の現在の多文化状況を表すが、 多 究委員会) により事前審査を行い、 それぞれ 5 月お 文化共生がもたらす幻想と現実の困難さをも本書 よび 9 月の役員会にて最終決定します。 (6) 出張後 は指摘している。 複数性の認知と他者に対する の義務:①帰国後2週間以内に報告した論文を , 郵 好奇心、「共に生きる厳しさを実感する」 姿勢とが、 送にて学会事務局に提出すること。 ②出張に関わる 時折日本の現実に振り返ってみせる本書の議論 費用の報告書 (学会ホームページ掲載の所定の書式)。 の中で強調されている。 (7) その他の事項 : ①当該年度内でトラベル ・ グラン 小畑会員が闘病中であることを知っていた私 トの予算額 (10 万円) が満額執行されなかった場合 は、 本書の出版の知らせに少なからず驚きを覚 でも、 原則として、 残額を次年度への繰越は行いま えた。 と同時に、 執筆を続ける小畑会員の研 せん。 ②出張期間は当該年度内に終了しなければ 究者としての姿勢に敬意を抱きもした。 本書を なりません。 ③このグラントを支給された会員は、 原 拝読し、 小畑会員のカナダ文学に対する造詣 則として再度応募することはできません。 ④書類送付 の深さに改めて感服する。 日系作家を扱った 先 ・ 問い合わせ先 : 〒 564-8511 大阪府吹田市岸 ニューズレター第 97 号 (2014 年 3 月 ) 9 日本カナダ学会 部南 2-36-1 大阪学院大学流通科学部杉本公彦研 問い合わせ:電子メールまたは FAX にて事務局まで。 究室内 日本カナダ学会事務局 (2014 年 4 月 1 日 ◆会費納入について(お願い) 以降、 〒 658-0032 兵庫県神戸市東灘区向洋町中 現在会費の納入を受け付けております。 前年度までの 9-1-6 神戸国際大学経済学部下村雄紀研究室内 会費を未納の方は、 直ちに納入下さい。 過去 3 年分 日本カナダ学会事務局)。 (当該年度を含まず) の会費が未納の場合、 学会から ◆第 27 回日本カナダ学会研究奨励賞論文募集 の発送物停止等をもって会員資格を失うことになります 日本におけるカナダ研究の促進と育成を目的として、 のでご注意下さい。 一般会員:7,000 円・学生会員: 優れた研究論文を募集します‥‥(1) 応募要件: 3,000 円 ( 学生会員は、 当該年度の学生証のコピーを提 カナダ研究に関する論文で、 応募締切日より起算 出のこと ) 。 郵便振替口座:00150-2-151600。 加入 して過去一年以内に発表されたか、 未発表のもの。 者名 : 日本カナダ学会。 来年度以降、 自動振替に移 テーマや領域は問わない。 用語は日本語 ・ 英語 ・ 行希望の方は事務局までご連絡ください。 必要書類を 仏語のいずれか。 (2) 応募資格:日本国民又は日 お送りします (自動振替による口座引落は 7 月です)。 ご 本在住者であって、 応募締切日において次のいず 協力願います。 なお、 4 月以降に会員区分の変更の れかに該当する者、 (a) 大学院に在学している者、 (b) ある場合は直ちに事務局までお知らせ下さい。 大学院を修了又は退学してから 5 年未満の者、 (c) ◆事務局移転のお知らせ 満 40 歳未満の者。 (3) 原稿枚数:邦文は横書き 2014 年 4 月 1 日より事務局が移転いたします。 以 で 400 字× 80 枚相当を上限とする ( 含・図表 / 脚注 )。 下、 所在 ・ 連絡先等です。 業務時間 ・ 曜日、 ま A4 判ワープロ仕上げが望ましい。 欧文は 15,000 語 た情報に変更のある場合は、 HP ・ 5 月予定の会費 以内 ( 含 ・ 図表 / 脚注 ) = A4 判ダブルスペース。 請求等のご案内時にお知らせいたします。【所在】 いずれの場合も 1 論文につき、 コピー 2 部 ( 正副合 〒 658-0032 兵庫県神戸市東灘区向洋町中 9-1- 計 3 部 ) を送付すること。 著者名、 論文名、 所属、 6 神戸国際大学経済学部下村雄紀研究室内/ 略歴、 連絡先 (郵便及び電子メール) をカヴァーレ 【電話】 :080-3868-1941 /【FAX】 :03-6368-3646 ターに明記すること。 また、 応募書類は返却しない。 /【E-mail】 :[email protected] (4) 論文の推薦:応募要件に該当する既発表論文 * * * について、 執筆者が応募した場合のほか、 学会役 ★編集後記 ・・・2002 年の加藤普章会長就任時より ニューズレターの編集に携わってまいりましたが、 今 号で役務を終えます。 最初は藤田直晴編集長、 続 いて浪田克之助編集長のもとで「編集デスク」として、 企画を考え、 原稿を依頼しました。 「いただいた原 稿は書き直しを求めるものではない」 と指導されて いたにもかかわらず, 大御所の会員にも厚かましく も加筆修正を求めましたし, 若手会員の推敲を手 伝ったこともあります。 たいていは快く応じてくださり、 その結果生まれた改訂稿はいっそう説得力を増しま した。 執筆者各位に改めて御寄稿に感謝申し上げ ます。 2006 年より藤田会長、 2010 年より杉本公彦 会長のもとで編集長を務めましたが、 その頃には歴 代の 「デスク」 担当の大岡栄美会員、時田朋子会員、 福士純会員がむしろ推進役となり、 編集能力を発揮 してくれました。 毎号に告知原稿を寄せてくださった 事務局スタッフにも助けられました。 皆さんありがとう ございました。 The last but not the least, 佐藤信行 副会長にもお世話になりました。 今年度より完全に 電子化されましたが、 それまで本務校の生協に版 下を持ち込んで印刷を発注してくださったのはいつ も佐藤副会長でした。 そしてニューズレターをお読 みくださった会員の皆さんにも感謝申し上げます。 4 月からの下村雄紀会長下での新編集に、 どうかご 期待ください。 (jm) 員が推薦した場合、 これを他薦の審査対象論文とし て取り扱う。 (5) 締切:2014 年 5 月 31 日 ( 必着 )。 (6) 送付先:〒 564-8511 大阪府吹田市岸部南 2-36-1 大阪学院大学流通科学部杉本公彦研究 室内 日本カナダ学会事務局宛 (2014 年 4 月 1 日以降、 〒 658-0032 兵庫県神戸市東灘区向洋 町中 9-1-6 神戸国際大学経済学部下村雄紀研 究室内 日本カナダ学会事務局宛) (「JACS 研究奨 励賞応募論文 」 と朱筆 )。 (7) 賞・賞金・特典:最 優秀論文賞 1 名に正賞および副賞 (5 万円)。 優秀 論文賞 (佳作) 2 ~ 3 名に正賞および副賞 (2 万円)。 なお最優秀論文賞の受賞論文は、 未発表のものに限 り、 規定に基づいてカナダ研究年報に掲載することが できる。 (8) 発表および授賞式:2014 年 10 月、 関 西学院大学における第 39 回年次研究大会にて。 (9) ニューズレター第 97 号 (2014 年 3 月 ) 10 日本カナダ学会