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カンボジアインターン報告書
Asia Resource Connection カンボジアインターン報告書 2013 年 7 月 8 日~11 月 2 日 横浜市立大学 国際総合科学部国際総合科学科 政策経営コース ARC 市坪愛 @Mlup Baitong カンボジアインターン生 目次 ・インターンに参加した理由 ・インターン先紹介 ・活動内容 - Kampong Speu での活動 - Stung Treng での活動 - Kampong Thom での活動 - Chambok での活動 - Cambodia Asia Collection ・カンボジアの生活様式 ・大変だったこと、苦労したこと ・インターンを通して学んだこと、感じたこと ・今後の目標 ・インターンを検討しているあなたへ ≪インターンに参加した理由≫ 私は中学 3 年生の時に研修でフィリピンに行って以来、途上国の諸問題に関心を持ち、 貧困をなくしたいと言う思いを抱いて大学では経済学を専攻しています。昨年、所属して いる経済政策ゼミで政策立案の論文コンテストに出場したのをきっかけに、社会問題に対 して政策提言を行うことに、大変やりがいを感じました。そこで、実際に途上国へ滞在し、 真の問題を発見、それに対して現地ではどのような取り組みがなされているのかを学びた かったため、カンボジアの NGO でのインターンに参加することを決めました。 ≪インターン先紹介≫ 私が 4 ヶ月間お世話になったインターン先は、カンボジア現地の環境 NGO、Mlup Baitong(以下、MB)です。Mlup Baitong はカンボジアの言語、クメール語で「緑の影」 と訳されます。クメール語の名前ですので、現地の人々からも親しみやすい名前になって います。 MB はその名の下、カンボジアの美しい自然を保護しつつ、その村に住む人々の 生活も援助していくことが主な活動目標です。 近年、世界中で森林破壊が進んでいます。その自然の恩恵を受けながら生きてきた村人 たちは居場所をどんどん失い、貧しくなっていく一方です。森林破壊は動植物を絶滅危機 にさらすだけでなく、そこで暮らす人々たちの生活も奪ってしまいます。MB はそのような 問題意識のもと、自然と人々を両方守り、両者が共に生きていける持続可能なしくみをつ くっていく活動を行っています。 MB の母体は国際 NGO で、1998 年に設立され、2001 年より現地 NGO へと移行し、2003 年に内務省に認定されて以来、完全に独立した現地 NGO となり、現在まで年々活動の場を 広げています。主なドナーは EU、Oxfam、アジア開発銀行などです。 2013 年の活動ターゲットエリアは以下の 8 つの州です。 Kampong Speu 州、Kampong Thom 州、Stung Treng 州、Siem Reap 州、Battambag 州、 Pursat 州、Kampong Chhnang 州、Kampot 州です。 上の写真は Kampong Speu 州のオフィスです。 ≪活動内容≫ 先ほど紹介したターゲットエリアの内、Kampong Speu 州、Stung Treng 州、Kampong Thom 州の 3 つの州に滞在しました。 【Kampong Speu での活動】 まず、最初に滞在したのは Kampong Speu 州(以下 KS)です。この州は首都プノンペ ンから 1 時間半ほどの距離にあります。ここでは約 2 ヶ月滞在し、スタッフに同行してフ ィールドワークを行ったり、オフィスから一番近い村に行って英語と日本語を教えたりし ました。 <Community Forestry Management and Livelihood Improvement> KS に滞在中は、主に Community Forestry Management and Livelihood Improvement (CFMLI)というプロジェクトに同行しました。このプロジェクトには大きく 2 つの活動 軸があります。一つは、Community Forestry(CF)と言う、簡単に言えば自然保護活動。 そしてもう一つは Self Help Group(SHG)と言う、村バンクのようなグループを設立、援 助することで村人の生計を支援する活動です。 まずは CF の活動について説明致します。MB は近年の自然破壊を問題意識として設立さ れた環境 NGO です。この CF の活動はまさに自然保護のための活動なのです。外国企業や 政府に森林が買い取られ、伐採されてしまったり、そうでなくても利益を求めて多くの国 民が自然を奪ってきました。かつては自然の恩恵を受けながら生きてきた村人たちが、自 然を失い、生活もどんどん苦しくなっていきます。CF は彼らの自然は彼ら自身で守ってい くという考えに基づくものなのです。CF で保護された区域は行政にも認められていますの で、森林伐採を勝手に行うことはできません。CF のメンバーは CF 区域の周辺に住む村人 たちで構成され、彼らで保護区域や地図の作成、パトロールを行います。MB はその活動に 一緒に参加するなどして村人を支援しています。 CF 設立の手続きを行っているグループの活動に参加しました。CF が完全に出来上がる まで大きく 11 のステップがあります。このグループは現在ステップ 8 です。実際に山に登 って保護区域をさらに細かくブロック分けする作業をしました。 左上の写真はブロック分けをしている時の写真です。右上の写真の黄色と緑の支柱が CF 保 護区の境界線です。 それから、保護区内にどんな木や植物があるのか把握するための、インベントリーにも 参加しました。インベントリーもステップ 8 に分類されます。これは木の幹の周囲を測っ たり、数を数える作業なのですが、広大な保護区内全ての植物を行っていては到底終われ ないので、いくつかのスポット(50m×50m)内のみ行います。このスポットの数や場所 は面積から計算式で算出し、GPS を使ってスポットまで行きます。 スポットに到着したら左上の写真のようにロープを張り、50m 四方の正方形を作ります。 その中で右上の写真のように幹の周囲を測り、数を数えて記録していきます。 続いて SHG の活動について説明致します。SHG はメンバーになった村人たちが決めら れた出資金額(例えば 1 株 5000 リエル、日本円で約 125 円)を毎月出資し、集まった資金 を用いて、メンバー間でローンを行うことが出来ます。借りたお金で豚や鶏の飼育などの マイクロビジネスを始める人、農業の肥料代などの足しにする人、子供の医療費にあてる 人、理由は様々ですが、村人がまとまったお金を借りやすく、生計に役立てることができ るのです。利子をつけて返さなければなりませんが、国内銀行の利子より低く、貧しい家 庭でもローンしやすいと村人からも好評です。 左上の写真は、SHG を新たに設立している様子です。SHG の説明を行い、興味を持った 村人がメンバーになります。この時にリーダー、副リーダー、アカウンタント、出資額、 利子、ルールなど同時に決めてしまいます。そして右上の写真は別の村で、12 の SHG の リーダー、副リーダー、アカウンタントを集めて、毎月のレコードの仕方についてトレー ニングを行っている様子です。SHG の活動はお金を扱い、帳簿の付け方など少し難しいこ とをしなければならないのでこのように定期的にトレーニングを行ったりして MB は村人 をフォローしています。 <Increase Access to Public Information> KS オフィス滞在中は、CFMLI だけでなく他のプロジェクトの活動にも数回、同行させ て頂きました。ここでは Increase Access to Public Information(IAPI)の活動に参加した ことについて報告致します。 IAPI はその名の通り、公的な情報へのアクセスを拡大しようとする活動です。地方に住 む人々は情報にアクセスすることが難しく、そ こで情報の格差が生まれてしまいます。その格 差を是正しようとしたり、情報の公開を促進し たりするのがこのプロジェクトです。 左の写真は IAPI が行っている会議です。この 会議には村の代表が集まり、選挙における情報 へのアクセスについて、グループディスカッシ ョンなども取り入れつつ MB スタッフのプレゼ ンを聞いていました。 <Promotion of Adaptive Farming to Climate Change> KS 滞在中、同行させて頂いたプロジェクトでもう一つ、Promotion of Adaptive Farming to Climate Change(PAFCC)があります。このプロジェクトは気候変動に対応しつつ、 農家の人々を支援するプロジェクトです。 左上の写真は、MB が支援しているモデル農家の畑です。Integrated Farming System (IFS)という、家庭菜園、家畜、魚の養殖などを全部一緒に同じ土地内で行う手法を農家 に導入しています。この畑では、同じ畑の中に数種類の野菜が育てられており、1 種類何ら かの原因で全滅してしまっても他の野菜は問題ないそうです。また、右上の写真は農家の 人々を集めて化学肥料についてトレーニングをしている様子です。農業に関する専門知識 を補うため、外部から講師を招いて開催します。 <英語、日本語レッスン> 約 2 ヶ月の滞在期間中、英語と日本語を週 3 日、Kraing Serey 村で教えていました。10 歳以下の子供たちに 1 時間、10 代の子供たちに 1 時間英語を教え、その後の 1 時間は子供 と大人混合で日本語を教えました。授業経験などない私がいきなり海外で英語と日本語を 教えることになり、私に務まるものかと不安でした。子供たちが新学年を迎える前の長期 休暇であったこともあり、毎回たくさんの生徒たちが私の授業に来てくれました。多い時 は 50 名もの子供たちが出席しました。私自身、クメール語を覚えたり絵を描いたりするこ とで子供たちに分かりやすい授業を日々心がけました。最初にあった不安はすぐに解消さ れ、毎回生徒たちに会うのが楽しみで教えること自体を楽しむことができました。 というのも、子供たちはいつも熱心に私の授業を受け、クメール語もまだ充分に書けない 6 歳くらいの子供まで一生懸命勉強していました。そんな子供たちの姿を見て、私も刺激を 受けました。 日本語の授業は、そもそも日本語の需要はこの村にあるのかと疑問を抱いていましたが、 初回から最後まで 20 名程度の生徒たちが出席してくれました。初めて学ぶ日本語に難色を 示しながらも皆、楽しく学んでいました。日本語の授業をするにあたって、2 ヶ月後には私 と簡単な会話ができることを目標に計画立て、授業を進めました。 ひらがなの発音から始まった授業も、最終回では単語をつないで文章を作るところまでい きました。そして私の目標も達成され、生徒たちは自己紹介もできますし、私の簡単な問 いかけにも答えることができるようになりました。このように結果が出せると非常にやり がいを感じ、嬉しく思いました。 【Stung Treng での活動】 Stung Treng 州はカンボジア最北部の州で あり、ラオスとの国境沿いの州でもあります。 首都プノンペンからは車で約 9 時間の道のり です。私はここに 2 週間滞在しました。Stung Treng 州には 2 つの MB オフィスがあります。 Stung Treng タウンという州の中心部にある 街と、Preah Rumkel という州の中でも最北 部の、ラオス国境沿いの街の 2 つです。最初 の 1 週間は Stung Treng タウンに、後の 1 週 間は Preah Rumkel に滞在しました。いずれの街でも毎日スタッフに同行し、ミーティン グや農家訪問など行いました。 Stung Treng タウンでは CIP ミーティングに参加しました。このミーティングでは村や コミュニティの問題点を挙げ、その問題に対する解決策を議論していました。右上の写真 がその時の写真です。 ここで取り上げられた問題は、交通事故、森林伐採、衛生問題、教育、出産、国籍問題 です。このように自分たちの住む地域について問題点を議論する場を設けることは良い機 会であると感じました。 続いて、Preah Rumkel では SHG や CF のメンバーにインタビューをする機会を頂きま した。インタビューの話をする前に、Preah Rumkel のことを少しご紹介します。この街は 先述した通り、ラオスの国境沿いです。メコン川をボートで渡れば 3 分ほどでラオスに到 着します。この街は自然を活かしたエコツーリズムとして観光客に知られており、ホーム ステイやメコン川でのカヤックなどのアトラクションを楽しむことができます。そして一 番の見どころは、メコン川に生息するイルカが見れることです。私も滞在中何度も見まし た。 左上の写真はラオスからカヤックで渡って来た観光客たちです。私はカンボジア側から 撮影をしていますが、向こう側に見えるのがラオスです。この川でイルカが 6 頭生息して います。右上の写真はホームステイ先が並んでいる通りです。 さて、SHG メンバーとのインタビューについて話を戻します。メンバーに SHG につい てどう思っているのか尋ねたところ、お金を借りやすく子供が病気にかかった時などに大 変助かる、生活が以前より楽になったと回答がありました。私がインタビューしたグルー プは、多くの SHG の中でもうまくいっているグループで、特にリーダーは SHG で借りた お金を利用して、メコン川で獲れる魚をラオスとカンボジア両国で売るビジネスを営み、 収入が増えたとのことです。また、別の SHG のリーダーともお話をする機会を頂き、MB が支援を止めても SHG は続けていきたいか尋ねたところ、「はい」と答えていました。さ らに彼の夢は SHG の規模をもう少し拡大し、村の小さな銀行として村人に利用してもらう ことであると話していました。 【Kampong Thom での活動】 Kampong Speu 州、Stung Treng 州に続き、Kampong Thom 州で 3 週間滞在しました。 この州はプノンペンと、アンコールワットで有名なシェムリアップとのちょうど真ん中に 位置する州です。ここにも 2 つのオフィスがあるので、最初の 2 週間は Kampong Thom タ ウン、後の 1 週間は Tumring という街に滞在しました。 Kampong Thom タウンでは、SHG や CF のフォローアップ、ミーティングに同行しま した。 左上の写真は、SHG の月 1 回の出資をし合う日の様子です。緑のノートが帳簿のような もので、出資額やローンの金額など記録していきます。そして右上の写真は SHG ミーティ ングの様子です。このミーティングでは、SHG のメンバーから離脱したい人がいたのでそ の手続きを行っていました。 Tumring では、CF のインベントリーに参加しました。 Kampong Speu とは違い、落葉性の森林ではなく常緑樹の 森林で、樹木の数も圧倒的に多く、作業が難航しました。 右の写真のように、幹の周りが 3m を超える木もたくさん ありました。 Tumring では籐の木がたくさんあります。左 の写真は籐で作られた家具です。ハンディクラ フトチームが手作りで作成しています。 【Chambok での活動】 インターン最後の 3 週間は、Kampong Speu 州の山奥の村、Chambok に滞在しました。 今までは MB のスタッフといつも一緒に行動していたのですが、ここでは完全に一人で村 にホームステイをしました。Chambok はプノンペンから車で約 3 時間の、キリロム国立公 園と隣接する山間に位置しています。ここも、Preah Rumkel と同様に自然を活かしたエコ ツーリズムとして有名です。一番の見どころは高さ 40m もある滝です。そして Chambok の観光業は村人たちだけでマネジメントが行われており、子供のダンスチームによるショ ーを見れたり、ホームステイはもちろん、村の女性グループが経営するレストランもあり、 観光客にとってはとても充実した旅となります。カンボジア国王も、Chambok を推奨され ており、今ではエコツーリズムの成功例として国内のみならず海外でも有名です。 私はここで Kraing Serey 村同様、英語と日本語を教える機会を頂きました。毎日 1 時間 ずつ、3 つの授業を行いました。10 歳以下の子供たち、10 代の子供たち、そして日本語の 授業。 左上の写真は 10 歳以下の子供たち対象の授業の様子です。最初は Hello しか言えなかっ た子供たちも、3 週間の授業を経てようやく How are you?の問いかけに答えてくれるよう になりました。Kraing Serey 村では英語の話せる子がいて、訳してくれていたのですが今 回は話せる子が全くいなかったので、拙いクメール語で授業を行いました。右上の写真は 10 代の子供たち対象の授業です。中学生の生徒が多かったので英語が少し話せる子が多く、 会話を中心とした授業にしました。写真のように、外国人観光客が来た際には観光客にお 願いして生徒と簡単に会話をしてもらっていました。私が Chambok で授業をするにあたっ ての目標が、生徒たちに英語で話すことを楽しんでもらうこと、間違いを恐れないでとい うことを伝えることでした。最初はかなり恥ずかしがって英語を話すことを躊躇していた 生徒たちも、観光客と楽しそうに話している様子を見るととても嬉しく思いました。 日本語の授業は、3・4 人の生徒に囲まれて個人指導のようなアットホームな感じで行い ました。彼らはローカルガイドで、日本人観光客と話したいということで簡単な挨拶を教 えました。 また、Chambok 小学校にてピアニカとリコーダーの弾き方を教える機会も頂きました。 Chambok 小学校には、愛知県西尾市立花の木小学校の皆様が寄贈してくださった楽器がた くさんあります。しかし Chambok には音楽の先生がいないので誰も楽器の弾き方を教える ことができないのが現状でした。少しでも力になりたいという私の要望を、Chambok 小学 校の校長先生は快諾してくださり、小学校で楽器の使い方を教えることになりました。 私のミッションは、ドレミファソラシドを教えることでしたので、右上の写真のような教 材も使って子供たちが覚えるまで教えました。先生も一緒に授業に参加してもらい、賑や かに楽しく音楽を学びました。 【Cambodia Asia Collection】 私が MB でインターン中、8 月に Cambodia Asia Collection(CAC)というイベントが 行われました。このイベントは、カンボジア・日本友好 60 周年記念事業のひとつでもあり、 カンボジアと日本の芸術文化交流を通じて国際支援を行うといったものです。外務省認定 の事業でもあります。今回の CAC では、特に若者のファッション文化、ダンスを中心とし たパフォーマンスがステージで披露されました。 私のインターンをコーディネートしてくださっている ARC さんを含めた実行委員、ユー ス委員の方々、パフォーマー(フレア・ラ・モードさん、モデルさん数名)のみなさん、 サポーターの方々を含めると総勢約 60 名の日本人の方々がカンボジアへいらっしゃいまし た。私のインターン先、MB がカンボジア側のパートナーとしてイベントに参加していると いうことで、私もこの 5 日間日本人のみなさんに同行させて頂きました。 左上の写真はワークショップにて日本の大学生が、彼らの生活についてプレゼンを行っ ている様子です。右上の写真は CAC のステージで孤児院の子供たちが伝統ダンスを踊って いる様子です。このステージは表現活動を通して国際支援を行うという、新しい形の援助 です。表現活動は奪ってはならない大切なものです。そして表現活動は言語なしに、国境 を越えて人々をつなげることのできるものであると CAC を通して心の底から感じました。 委員のみなさんはイベント後、孤児院へ訪問したり、Chambok へ訪問して花の木小学校 からの楽器を寄贈したりしました。孤児院の子供たちは本当に礼儀正しく、可愛らしさに 溢れた子供たちです。一列に並んで手を合わせて出迎えてくれることから始まり、私たち が帰る際は手を振りながら走ってバスを追いかけてくれました。私は今でもあの笑顔が忘 れられません。 ≪カンボジアの生活様式≫ みなさんはカンボジアと聞いてどんな生活様式を想像しますか。実は首都プノンペンは 想像以上に発展しています。 上の写真は私がプノンペンで 2 ヶ月間借りていた部屋です。カンボジア人の家族が住む家 の一部屋を間借りしていたのですが、裕福なお家で、日本の家より良い環境でした。 ホストファミリーのみなさんはとても親切で、休 日にはプノンペン郊外にピクニックやドライブ に連れて行ってくれました。また教育熱心な家庭 で、小学校 6 年生のホストシスターまで英語を話 していました。プノンペンのインターナショナル スクールはかなりレベルが高く、裕福な家庭の子 供は皆そこに通います。 さて、私が地方のオフィスにいる間はスタッフと一緒にオフィスに寝泊まりしました。 左上の写真がオフィスの女性部屋です。これは最もスタッフ数が多い Kampong Speu 州 のオフィスで、女性 7 名、男性 15 名です。プノンペンのホームステイ先はお湯が出るシャ ワーがついていましたが、ここでは右上の写真のように桶に溜まった冷たい水をかぶって いました。もちろん洗濯も手洗いです。 続いて、Chambok での生活様式です。 上の写真は私が Chambok でお世話になったホームステイ先です。プノンペンの家はモダ ンで洋風な家ですが、村の家はカンボジアの伝統的なスタイルです。広い庭に鶏や豚など の家畜を飼っていたり、裏庭では野菜をたくさん栽培していたりします。そして寝室には 蚊よけネットが必須です。ここでの浴室もオフィス同様、シャワーはなく桶に溜まった水 をかぶっていました。 ホームステイ先はローカルガイドさんのお宅です。 彼は英語を流暢に話しますが、学校へ行ったことは なく、村にやって来た NGO の講師や観光客から学 んだそうです。彼の家族はみな英語が話せないため、 クメール語でコミュニケーションをとりました。い つも私のことを気にかけて下さり、本当の家族のよ うに接してくれました。私も彼らとコミュニケーシ ョンをとりたいがためにクメール語を必死で覚え ました。 プノンペンではインフラがかなり整備されているので、水も電気も困ることはほとんど ありません。ただし停電は頻繁に起こります。一方で、ちょっとプノンペンから出ると地 方では水も電気も充分ではありません。特に乾季では地方での水不足が深刻です。雨季に 溜め池や壺に水を溜めておかないと乾季に生活用水がなくなってしまう家庭もあります。 そのために地方において井戸は非常に重要な役割を果たします。パイプラインが整備され、 水もいつでも使えるオフィスでも、水道をひねれば時に小さな虫が入っていたり、水が茶 色かったりと衛生的な問題を解決できていません。 また、Chambok では電気も畜電器に充電するか、モーターの発電機を回して利用するか のいずれかです。Chambok は道路も整っていないため、赤土のでこぼこの道を通らなけれ ばなりません。車やバイクが通るたび砂埃がひどく舞います。 このようにプノンペンと地方の格差は一目瞭然なのです。貧富の差もありますが、イン フラの面や教育の面でもかなり差があります。 ≪大変だったこと、苦労したこと≫ 一番大変だったことは、やはり全く異なる生活環境への対応です。お湯が出ない、まし てやシャワーもないお風呂に入るのも初めてでしたし、桶に入った水で歯も磨かなければ なりません。洗濯も全て手洗いです。夜、暗すぎてお手洗いにも行けません。何もかもが 日本とは異なる環境での長期滞在は、私に新たな気づを与え、日本での当たり前のことに 感謝の気持ちを抱かせてくれました。日本人の多くの人はとても耐えられない環境だと思 います。私はそんな中、その経験自体を楽しみ、むしろ貴重な体験にありがたく感じてい ました。こんな経験は二度と出来ないかもしれない、ならば楽しんでしまえという発想の 切り替えをすることで対応し、乗り越えました。苦労したことは正直ぱっと思い浮かびま せん。私は英語が話せる方だったのでコミュニケーションにも苦労しませんでした。クメ ール語も少しづつ覚えていき、最終的には地方の人々と会話できるレベルまでいけました。 語学力がそれほどなくても、英語を話さなければどうにもならない状況に置かれると、人 は話せるようになるものです。 ≪インターンを通して学んだこと、感じたこと≫ 私がインターンを通して学んだことは、チャンスをいかに自分のものにするかというこ とです。チャンスはたくさん転がっています。それを掴むかどうかは自分次第です。私は カンボジアでインターンをするという一歩を踏み出し、異国の地でいろんなことに挑戦し ました。やってみる前から無理だと思って躊躇することがもともと嫌いだった私なので、 その性格が今回のインターンでフルに発揮され、そのおかげで多くの経験を積むことが出 来ました。それから、何事も目標を持って取り組む重要性を学びました。英語を教えるに しても、目標を持ってやらなければ達成度も得ることができません。特に長期的な目標を 持つことが大切です。それは私たちの人生にも当てはまります。何か目標がないと漠然と 生きて、日々を過ごしてしまいます。目標があるとそれに向かってまた小さな目標をたて たり、計画したり、目標への道さえ楽しんでしまうことができます。そして最後に、人と の出会いの素晴らしさを学びました。カンボジア滞在中にたくさんの方々に出会いました。 出会いは人の人生を変え得るものです。一期一会という言葉があるように、ひとつひとつ の出会いを大切にして、そこから繋がるネットワークを広げていきたいと強く感じました。 ≪今後の目標≫ 私の今後の目標は、まずはこのようにカンボジアで経験したことを発信することです。 アウトプットすることは非常に重要です。カンボジアのことを一人でも多くの人に知って もらいたい、真実を知ってもらいたい、それが私の思いです。そして長期的な目標として は、私が持ったネットワークを使って日本とカンボジアをより一層繋ぐことです。日本が 高齢化なのに対し、カンボジアの人口ピラミッドは本当にきれいなピラミッド型で、若者 が多いです。平均年齢が 20 代という驚きの事実もあります。そんなカンボジアで私は若者 の漲るパワーを感じました。カンボジアの若者と日本の若者をつなげる役割に少しでも貢 献できたらと思います。 ≪インターンを検討しているあなたへ≫ 私の報告書を読んで少しでもカンボジアのインターンに興味を持った学生のみなさん、 是非参加してみてください。先述した通り、日本では決して経験できないことが山ほど経 験出来ます。一歩踏み出すのが怖いかもしれません。しかし勇気を持って踏み出した先に は素晴らしい、一生ものの経験がそこにはあります。前にも述べましたが、チャンスはた くさんあります。そのチャンスを自ら無駄にするのはとてももったいないです。待ってい ても自分のものにすることは出来ません。カンボジアと日本を繋ぐ橋の一部に一緒になり ましょう!! 最後に、カンボジアでのインターンを実現させて下さったアジア・リソース・コネクシ ョン(ARC)さん、現地でお世話になった Mlup Baitong の皆様、心の底から感謝申し上 げます。 ARC インターン生 市坪愛