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一九九五年ロシア下院選挙の分析 (下)
Kobe University Repository : Kernel Title 一九九五年ロシア下院選挙の分析(下)(Процесс и ит оги выборов Госуд арст венной Думы Российской Фед ерации в 1995г. (2)) Author(s) 森下, 敏男 Citation 神戸法學雜誌 / Kobe law journal,46(1):67-125 Issue date 1996-06 Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 Resource Version publisher DOI URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81004840 Create Date: 2017-03-30 一九允五年ロシア下院建摂詳の分祈(下) 町 男 -九九六年六月 敏 神一一戸法学雑誌 第四六巻第-号 一九九五年ロシア下院選挙の分析(下) 第一章 下院議員選挙の実施︿訪問号) 第二章 選 挙 結 果 の 分 析 ( 本 号 ) (一)共産党書諸国体の選挙綱領 合己その他の選挙団体の選挙綱領 25 選挙結果の分析 (四)選挙結果の評価 ︿五)ロシア共産党左は何か 第二愈遍挙結果の分析 (-v共産量系櫨団体の選挙綱領 下 旧ソ連・東欧の多くの固で旧共産党は社会民主主義政党へと転換し、政権に復帰している。ロシア共産党も九五 森 党は、以下にみるように、東欧賭固やバルト諸国の旧共産党と異なり、社会民主圭語化したとはいえない。 ロシア共産党は-九九O年八月に創立大会を開いた。それ以前はソ連邦共産党主の=霊化を遊付るために、 まず社会主義の歴史的な位置づけについて、綱領は次のような認識に立脚している Bそれは、資本主義と社会主 この綱領(プラウグ九千al一三ごの特徴を概観してお乙う・ まった文書である。 ア連邦共産党の綱領を採択した e これが現在のし乙ころ共産党の戦略的自練、基本政策を知るととのできる最もまと になるが、共産党自身は、自ちを、旧共産党の正当な後継者を以て任じている。九五年-月の第三国大会は、ロシ 復活を遂げた。先の大統領令との関係で言えば新生ロシア共産党は、旧共産党左は別の組織として出発したとと ている。その後ロシア共産党は、九三年二月に第三回大会を聞き(ジュガノフ民を中央執行委員会の委員長に選出)、 1 ム) って共産党組織は解体を命じられた,との大統領令の合憲性は憲法家判所で争われたが、精巣として合憲判決がで 八年までは冒シア社会民主労働量ーが存在したコ一九九一年八月のクーデター事件を経て、エリツィン大統領によ ど、独自の共産党組織が存在した。また金速邦共産党が結成される以前の一九二四年まではロシア共産党l 一九- ア共和国の独自の共産党組織は存在しなかったのである(他のソ連邦加盟共和国には、ヴクライナ共和園共産党な ロ れるのである。 しているとか、豊かな先進資本主義国の一口憶の人口とそれによって搾取される周辺諸国住民の闘の矛盾が強調さ パリズムの読点からなされているのが新しい点である。つまり資本主義の浪費約性格がエコロジ酌な限界に達 との場合、資本主義の矛盾俗、古典的な資本家階級と労働者階級の対立という階級的側面においてではなく、グロ 義との原則的な争いについて、まだ歴史的な決着はついていないとし、改めて資本主義の危機について論じている@ シ 年︼二月の下院選挙で躍進したが、さらに九六年六月の大統領選挙で勝利する可能性もある@しかし、 ロシア共産 " X L ' 維 誌 学 法 戸 神 九九五年ロシア下院選挙の分析(判 それに対置される社会主義のイメージは、抽象的で分り難い・資源の全般的な節約の原則、生量的労働の知的労 働への転化、労働にお付る創造的契機の増大、安定した消費水準の保証と社会的消費の拡大、ポスト工業的テクノ ロジーへの移行労働の社会化の進展といった ζとが列挙されている図 このように、資本主義の基本矛盾の捉え方の点では、伝統的なマルクス主義の見解とは大きく食い違ってきてい るようにみえる。先進資本主義諸国では、労働者階級は、貧困k抑圧に暗いで資本家階級と対決するというのでは なく、むしろ豊かな社会の中で飽食状態にあり、資源を掴渇させるほどに浪費している。そして社会主義革命を必 然とする資本主義の基本矛盾は資杢主義の内部(労使関係)にあるのではな︿、資源や環境の許容性の限界とい う外部参図と先進国と発畏途上国の聞の外部矛盾によって説明されているのである。それに代るて会未来の社会 主義像について、具体的なイメージは錨かれていない。ただ守生産手段の社会主義的所有諺障が支面的 と L なる﹂と されているだけであり、結局は伝統的な社会主義論と比べて相違があるようにはみえない。 次に、現実のロシア史の評価の問題である。十月革命とその後のスターリン時代の工業化農業集団化の歴史は 肯定的に評価されている。短期聞で工業化を成し遂げ、犬祖国戦争に勝ち抜いたことが、ぞれを証明しているとい うのである。ただその過程で余儀なくされた集権的手法が不当に絶対化され、下からのエネルギを摘み取るよう になったと指摘されている。フルシチヨフ時代には、惣自の基礎の上に社会主義を建陵す川、き時がきたにもかかわ らず、西側障問国の古い宝アルが無批判的に模倣され、社会主義の発展を阻害したという。 B ソ遁共産党内には、当初よりプロレタリア的傾向と小ブルジョア 社会主義を正しく発展きせることができなかった原因は、ソ連共産党に問題があったからだし乙自己批判的な指摘 もなされている。しかしその内容は奇妙である 的傾向、民主主義的傾向シ官僚主義的傾向の対立があり、その闘争の中から実際の政治路線が形成されてきたとい う。とのことを考慮しなければ、スタリン、フルシチヨフ、プνジネフなどの役割も客観的に評価することがで " きないというのである。この部分は極めて抽象的で、二つの潮流なるものの具体的な盗は見えてとない。 ともかく この綱領が、歴代の指導者の中で高︿評価しているのは、 レl-一ンを除けばアンドロポフだ砂である。他方で党の 裏切者とされているのは、ゴルパチヨロフ、ヤコブレフ、 エリツィン、 シヱワルナゼである。 スターリンに対す各評 価は留保されており、スタリン批判の精神は基本的仁は欠落している。そごまで歴史解釈は後退している。あの 悲惨な廃業集団化も、﹁大衆的な建設的熱狂と弾圧の結合という矛盾 Lした側闘をもっしときれ、半分は肯定されてい る gそしてソ連邦崩壊後の現状は、党のごつの潮流が最終的に分離したものだ左説明されている。つまり共産党の 流れには、 トロッキー、 ぺリヤからゴルバチョフ等氾至る小ブルジョア的官僚主義的傾向しと、 レl ニンからアン ドロポフに至るプロレタリア的・民主主義的傾向があり(その聞に、 スターリン、 フルシチョフ、プレジネフのあ のロ 説の をア t霊 喜夫 に野 は蛮 、で そた のめ B の主 景 草 阪な 領 軍 あ西 がに る側 f主 E聖 書 君 舎 i が、 害 事 れら らか い脱 ての る出 。の 次に政治制援については、新しい憲法の制定をめざし、﹁ソビエトその他の人民権力形態の復活﹂を提げているだ あるだけである。 外国貿易の園家独占、銀行の国家統制、先端産業の圏家支援。価格政策については寸価格の安定化と引き下げしと 反して横領された財産の再固有化しという項目があるから、私有化には極めて否定的な態度をとっていると思われる a 経営)を承認する。企業の私有化の是非について直接の記述はないが、国家的所有の略奪の中止や勤労者の利益に まず経済体制に関わる政策は次のようである。土地の私有は禁止される。農業の形態は多様性(集団雇営や個人 章議 ,<と いまいな政権がある)現在はそれが分裂してエリツィン政権とロγア共産党の対一立として現象しているという奇怪 道シ なロシア史像が縮かれているのである i f 内容は次のようである。 i i な主 " ' n . 詑 緯 学 法 戸 神 一九九五年ロシア下院選穆の分析(下サ n げ で 、 それ以上に鮮しい内容はほとんどない。ソビエト制の復晋といい、 最高代表権力縁関に報告義務を負う凸民族 1 信任政府をつくる﹂左いうのであるから、伝統的なソビエト体制を志向しているようである。権力分立体制、大統 領制、望室主義、憲法議判扇、複数政党制などについての言及はない。選挙制度については明確でないが、寸権力機 関への最大限可能な勤労者の代表性の保証﹂という表現からみる色、社会主義時代の非民主的役選挙を想起させる。 そもそもこの綱領には、寸民主主義﹂という言桑が登場しないのが特徴的である(共産党は改革派を批判する場合、 彼らを寸民主主義者﹂と呼んで攻撃しており、ロシアの共産主義者にとって民主主義とは吾定的意味あいをもった 言桑なのである三﹁自由﹄や﹃人権﹂という言葉は多少でて︿るが、かつて共産党が支配していた時期も、自由と 人権は保障されていることになっていた。しかも自由や人権の寸現実の実現﹂などし ζ、かつてのソビエト憲法と同 じよラな表現が登場するのは、以前レ同じように、自由ど人権の抑孟の別名のように読める。 次に社会政策の点では、人による人の搾取の廃止、労働、住宅、社会保障の権利、年金生活者・障害者の保護、 家族の保護、目減りした貯蓄の補償、犯罪対策などが掲げられている白文化政策の固で除、ロシア・ソビエト史や ν1ニンへの静慢の中止、ロシアの伝統文化の尊重、西欧主義・アメリカニズム・拝金主義暴カ道徳的選扇 個人主義の批判、ロシア諸亘族の伝統的な宗教の尊重などが掲げられているのが特微弱である。 民族政策や外交政策、軍事政策については次のように述べられている。諸民族の友好と協力関係の困復、単一連 邦国家の段階的閏復、ロシアの国際的構成を強化するような対外政策人民に武器を向け設い軍事ドクトリンの策 ラウダ紙)ロシア共産党の選挙綱領をみてみよう。 民主主務の否定に、そのことは縄的に表現されている a次に、下院選挙を控えて、九五年九月七日に発表された(プ 以上のように、 ロシア共産党の新綱領を見る限り、共産党の戦略的姿勢に変化があったとは思われない白墨伺と 宅 n n " 誌 総 学 訟 戸 神 選挙綱領は、﹁わがソピエト祖国のために Lと題きれている。またスローガシし乙しでは、﹁ロシア、労働、人民権 力、社会主義﹂が掲げられており、一見して古めかしいものを感じる四九一年八月の国家非常事態要員会のク!デ タ1事件を﹁ソ連邦と社会主義を擁護する鼠み﹄し乙肯定的に評価し、その失敗後の事態を、旧ノメンクラトゥlラ とあらゆる種類のペテン師逮が手を組んで行ったクーデターとみなしている。またこれまで、いろいろな政治勢力 がさまざまの約束をしできたが、実行きれたことはほとんどなく、唯-実行されたのは、ジりノフスキーが約挙し ていたウオツカの値干げだという,同時に、ジリノフスキーについては、彼はいろいろ約束しながら、実際には大 統領 E政府を支持してきたと批判している。共産党の還挙綱領は、共産党のこれまでの活動を誇り、ロシアの現状 を批判的に分析した後に、今後の政策を展開するのであるがそれは次の一一段階に分けて譜じられている。 まず下院還挙の後には、望苦肉で人民・愛国派の結集をめざし、次の政策の実現を図る。①労働棒、住宅権など の社会的諸権利の回復、価格統制、必需品の価格引下げ、②土地・地下資源の全人民的所有の回復、国家の強化 市民の福祉の観高からの生産手段の非園家化・固有化の両手段の利用、③一包囲の独立二体性の保証、ロシアの統 E 一のための諸民族の友好 協カ関孫の回復、@ペロペジ協定の破棄と単一連邦園家の段階的回復の条件の創造、⑤ 大園ロシアの利益に遭う自主的外交政賞、ロシアの利益・尊厳を損なう国際条約の破棄、⑥祖国外に居住する同胞 の権利の保護、@圃家の安全を保障し、人民に対して軍事力の使用を許きない軍事ドクトリンの策定、⑧情報に接 する市民の権利の保健⑨人民愛国プロックによる大統領候補者の遷致。 次いで、大統領選挙に勝利した後は、次のような政策を実行するという。共産党は、大統領制度にそもそも反対 であるが、過渡期の聞は、クデタl (エリツィン政権による社会主義権力の打倒のとと)の結果を克飯するため に、大統領権カを利用するという。その下で組織される人民信任政府は、次の政策を実行する。①新経済コースの 実施l視艇・信用関税政策の改革、圏内生産への投資の園家規制、資金資源の圏外流出阻止、②最低賃金・最 一九九五年ロシア下院選畿の分析(下) n 位年金制奪入、預金の目減り補償、失業根絶、③組織犯罪との容赦なき闘い、⑨国家機関・企業(所有形態を関わ ない)銀行などに対する人民統制の復活、不労所得を得るすぺての抜砂道の板絶、⑤私有化による国有財産・全人 民財産の略奪の根絶(市民総全人民財産の共同保有者になる)、天然資通戦略物資の貿易の闘家独占、⑥技術・食 糧の自立、エコロジ的安全、⑦すべての農庚(コルホーズ員、ファ lマl) の支援。 以上のような政策によって、-改革﹂がもたらした破滋的結果を克阪し、それから再生したロシアは、旧ソ連を構 成した共和国の政府k人民に対して、単}連靖国家の自発的援活を呼びかりるという a過渡期が完了すると憲法集 会を招集し、その策定した新憲法案を人民投票で採択する左いう。そとでの権力形態は﹃ソビエト形態 Lとされ、 園家元首と政府はソビエトに従属する。なお外交政策については、反帝国主義、反アメリカ主義の傾向は引き続き )P E いる。例えぽ、ゴルバチョフ時代の共産党政治局員で、旧ソ連邦の第一副首相を務めたマスリュコフ氏は共産党 主主義の方向へ向いつつあったが、まだ遣い距般があった)の流れを汲むグループは、もっと柔軟な館長良をとって もっ kも共産党も一枚岩ではなく、 いくつかの潮流がある固ゴルバチョフ期の最後段階のソ連邦共産党(社会民 形態を優先するて複数主義的政治システム、グラlスノスチに賛成であると霧っているが。 O!一一四)のイタピュ 1の中で除、多ウクラ}ド経済(社会的 集団的所有 ガノフ委員畏は、プラウグ紙(九五1 一 ただ弘有の否定とソビエト権力であり、伝統的批共産党の成案そのもの往のである・ただ選挙綱領とは別に、ジュ 主義も憲法裁判所もない。複数悪党制も民主的選挙制もない.所有の複数性も市場経済も栓い。そ乙にあるのは、 こでも民主主義の語は周いられていない。自由と人権の鰐も基本的には登場しない。権力分立も法治国家也、勝会 以上のように、選挙綱領を見ても、 そこには新しい要素、社会民主主義的な要素を見い出すことはできない。こ 五-一一一九 (独立九五l 一一一一 01 チエチェンについては、前提条件なしに話し合いを奇うことを提唱している (独立九 , > 強 一 一l七三 とはばかげたことだと語っている(プラウダ九五l 一 L 機関に従属するときれているから、 ソビエト型権力が志向されているのである。園際政策の商では、+八固としての 制度についてはほとんど触れられていないが、﹁刷新されたソビエト形態﹂による人民権力を説き、政府は人民代表 は人民に返還し、不当に安︿私有化されたものは差輸の支払いを求める白戦略物資の輸出は国家独占とする。政治 批判し、旧ソ連邦時代の社会保障政策の復活を脱いている。私有化政策の結果を点検し、違法に私有化された財産 の自由と国家的規制の結合を説いている。ショック療法と、それによる少数の奮者と多数の貧民への社会の分裂を 有形態︹国家的・集団的・社会的・私的所有)の併存に賛成している。土地の私有には反対している図また生産者 的・大国主略的性格は共産党より強いようにみえる。経済政策の点では、多ウクラド経済を説き、さまざまの所 のイデオロギーがE商に出てこない分だけ柔軟に見える点もある(私有の一応の容認など)が、復古的愛困主義 九五九二一三との派砿、旧共産党と反動面の連合体であり政策にもそれが反映している白社会主義、共産主義 権カを人民へ 次にルイシコア元ソ逮邦首相や反動派のパプ1リン氏らの 1 派の選挙綱領を見てみよう(プラウダ し、私有化の停止を主聾している eただ私的所有一般については、それ訟すでに存在しており、それを認め在いこ 社会になると考えているようである。彼は、拙速の私有化が多数者の犠牲において一部の成金を生んだことを批判 ムが未完成であるととを瑳歯に、国家が経済に関与しないのは時期尚早左買っているから、将来は市場経済中心の るわりである。そして指令的・官僚的経済システムを批判し、計画と市場原理の統合を脱いている。市場メカニズ 多数者の利益が直接に実現されるし ζいう.資本主義社会においても、多数者の利益が実現されていると認識してい 本を所有し権力を握る少数者の利益を適して実現される Lのに対して、社会主義は、多数者が資本と権力を所有し、 ーの本質はどこにあるかという聞いに対して、悶屈は次のように答えている e資本主義は、﹁多数者の利益が、大資 の候補者リストに名を逮らね、当還を果したが、同氏の主張はかなり柔軟にみえる。経済におげる社会主義のイデ " 間 誌 緩 学 法 戸 神 一九允五年ロシア下積鍾拳の分析 C } ) 花 ロシアの地位の復活、独立した外交政策の展開を説き、旧ソ連邦を構成した諸人民の再統合を主張している。 との旅は、経書政策の点ではやや柔軟に見える。しかし、多様な所有制度を認めるといっても、ルイシコフ氏に よれば、生産手段の半分以よは国家が所有し、それ以外は労働集団が棒式を保有するような株式会社︿人民企業) L は、 形掻を中心に考えているのである。また同氏は、同派は政党ではないから社会¥主義を掲げていないだりでその選 挙綱領の内容は﹁無条件に社会主義的であるL K語コている(プラウグ九五l 一 一 一l六 ) 。 1 和とパンを各家庭へ 共産党の友党Pあり、共産党の農業支部にすぎないともいわれる農業党の選挙綱嶺 平 )。それは、反農民的役急進改革振の政策が、 次のような主張を掲げているヲラ吹ダ九五九一九、イ九究九三O 雌難生産を低落させ、ロシアを食糧依存圏にしたと批判する g権力形館については、ー衰の人民権力﹂と言っている だけで、具体的なイメージほ湧いてこない@地方自治や地方行政長官の選挙制が強調されているが、代表機関によ る執有権力の統制といわれているから、ソビエト型に近いものであろう。ペロペジ協定の破棄による単一連邦国家 の復面というスロガンもある a経済政棄については、﹁社会志向型市場経済﹂や﹁国家によって規制きれる生産の 社会的セクターの強化、私企業活動の発展、協同組合選動の国家支援による混合経済システム﹂が提唱されている。 実施された孟有化についてはその合法性を点検し、違法なものがあれば勤労者に返還するという。農業雨ヰ地の私 有は許きれず賃貸︿アレシダ)と欄読可能終身占有権のみが許される@混合経済体創や市場経済がともかくも容 認されているし、価格規制も過渡的政策し乙されているから、共産党に比べれば柔軟であり、政策的に共産党に近い とはいえ、共産主義的なイデオロギー色は姿を消している。改革で生まれた個人経営の銀民(フアマ)の政治 的趨度は明櫨でないが、 一部のファ l マ1団体訟、農業党を支緩している。 農業党党首ラプシン氏は、土地市有の周題について、もう少し群しく論じている。それによれば、人績はさまぎ まの所有形態をつくりだしてきたが、そのうちどれが最も効率的であるかはだれも証明しなかったというロ つまり 7 6 l l " 神 戸 法 学 錐 誌 。所 f手 業て z ? 需Z 都け 量E 私。 富 里 i壁 i 一人 自 主 主 品 昔 詩 Le周派は、ゴルバチョフ以来の改革と非妥協的に 宣言するのである。 レニン流に、議会主義を否定し、暴力革命を説いているように Lζ 会両院の解散、全ロシア・ス}一プイキ委員会への纏カの委鎮を要求するという。金ロシアストライキ委員会は隆 具体的な形趨は状況に依るとしながらも、金ロシア・ストライキ委員会を組織し、大統領と政府の即時の辞職と議 質を暴露するための要求という。そして闘争の基本手段としては、金ロシア政治ストライキを提唱している。その 理権のもとに委議することなどを掲げている。しかしとれらは現在の体伽干では実現するはずがなく、現体制の本 制定、労樹権無料教育・無料医療住宅権などの成果の復活、企業はその要求に基づいて労働集団の完全経営管 同派は、当面の要求課題として、物価の制限、所得の物価スライド制、賃金・年金等の遅配を犯罪 Lζする法律の 現める。 いかなる制限も臨めない﹂ て選挙の結果によって手放すことはないというのである。したがって﹃われわれはロシアにお砂る革命について、 働し乙資本の力関係で決まるのであって、議会の選挙で決まるわ砂でほないし乙いう a有産階級位、その権力を、決し 闘ってきたととを誇る。そして現在は﹁反革命が完成した﹂状況と評価し、改めて革命を説くのである。問題は労 司社会主義の道への転換﹂、ーソビエト社会主義共和国連邦の再生 ヲウグ九五l 一一二五)を見てみよう。同派は、次の三つを綱領的課題として掲げている。寸ソビエト権カの復活﹂ 的なグ凡 lプのように見えたが、結果的に怯あと一歩で五パーセントの壁を突破する勢いをみせた)の選挙綱領(プ 共産主義労働者畳、クリュチコフ氏らのロシア共産主義者党、アンピ lロア氏ちの智勘ロシアその池が結集、泡沫 次に過激な共産主義者のグループである﹁共産主義者l労働ロシアソ連邦のために﹂(チュリキン氏らのロシア 五1 一 01一八)。 し有 九九五年ロシア下院湿挙の分析(下) 7 7 時革命政府を任命し、 ソビエト憲法制定の人民投票を実施する。議会や大統領に代ってソビエト権力が復活する a ソビエト権力が復面した後の政策として、同派の綱領は次のような課題を列挙している。私有化に関する法令を 破棄し、土地・企業などの全人民的所有を復活さぜる aすべての投機的商業を禦止する。ロシアの資源の私的な持 出しは国家に対する裏切り行為である。外国貿易の国家独占。寄生者層やマフィアから没収した資金で勤労者の預 金の目減りを補償する。ゴルパチヲプ、エリツィンの署名したすべての国際協定を点検し、有害なものは破棄する。 ロシア連邦共産党の方は穏健な社会民主主義的な政 生産・商品の分配・価格に対する全面的な労働者・人民の統制を行う。ソ連邦の復活。 このような旧態依然とした共産主義者が存在するおかげで Zガノフ氏の略歴。 一九四四年生まれ・ 一九六九隼、ォリヨル教育大学物理・数学学曹卒業、その間六三年六 党であるかのような耐象を一部に与えているという効果はあるようである。 ジ で哲学博士の学位を受付た。九三二年三月のロシア連邦共産党第一一回大会で、申央執行委 L 民主的な政治姿勢、 テエチヱンへの軍事介入などによって、大統領との聞で矛盾を深めてきたガイグル氏の﹁ロシ もともとエリツィン政権を支えてきた勢カでありながら、 エリツィン大統領による中間派よりの政策展開ゃ、非 (ニ﹀その他の遡挙厨体の運動綱領 どと語っている(イ九五三五)。 員会委員長位選出される(イ九孟l九九三彼自身は戦後育ちであるから、共産党による卸圧など経験しなかったな 化の基本的傾向とメカニズム 都市生活様式の発展計画の基礎﹂という論文で惇士候補と怠る・九豆年に酋文﹁現代ロシアにおげる社会的政治的変 六年は兵役に就く・七八年i八-年ソ逮共産党中央委員会社会科学アカデミーで学び、大学院を終?し、﹁口社会主義的 1 J一間進ロシア の経済政策も、ーロシアの民主的選択し派と共通点があ L ロシアは調主でも エリツィン政権に反対してきたヤプロコの政策は、次のようである (コメル九五 る。これまでの政策の誤りは、ポスト社会主義社会における金融の安定の現実性を信じてきたことにある白同派は、 一二一四コ同派の政策は、乙れま守ロシアで採用されてきたIMF型の改革に代る対案であることが強調され それに対して、改革派であるが ) a 十分に豊かであり繁栄のためには政府の交替だUで十分だといった考えがあるようである(コメル九亙一二 的位リベラリズムの立場が提唱きれている。このような政策が提唱される前鑓的な認識として 1 の人格と権利の優起性 人 L というととで怠り、国家はとの権利と自由の保証のためにこそ必要しとされるという古典 とができるという。同時に税制改事で滅視を行い、生亙厘と雇用の促進を刺激する。同派の政策の基調にあるのは、 月で年間インフレ率は二口パーセントに下り、その後のさ一年間は年間インフレ率を一 Oパーセント以下に抑えるこ ない支出はしてはならず、中央銀行は財政赤字を埋め合わせるための信用を創造してはならない。そうすれば六カ る。同派は、ロシア経済の現状に楽観的であり、厳しい財政・金融政策の継続を主張する。財政に組み込まれてい 財政相を務めたボりス・フョ!ドロフ氏の 民の権利と自由の伍大という原別である︿ロ週報九孟-一 l-四、ィ九五!六二八}。 の許可制から届出制への転換に関する法家も準備しているという。とれら諸策の基礎にあるのは、園家に対する市 金から社会的保護ヘ)、経済成長の条件の創設などを掲げている。納税者の権利保護、預金者の権利保護、経済活動 る e民主的選択訴は、そのような政策ではなく、税制改革、私有の保護、財政支出の優先順位の変更(略奪的補助 1 に鑑煽の番をさせる 況の下において、一部の勢力のように、経済への国家の介入を説︿のは 猶 Lようなものであ そこでは国家的所有と私的所有、権力し ζ私有が結びついており、さまざまの腐敗を生みだしている。このよう合状 1 僚資本主義しと特徴づけている。 アの民主的選択 L派の主張は、次のようである。同氏は、今自のロシア経済を 官 " ' 汎叫 誌 確 学 法 戸 神 一九九五年ロシア下院選婚の分析(下〉 r o インフレと闘うために財政支出を削属したり、貨幣溜還を仰制するととは、ロシアの産業構造に適合しておらず、 そのため産業の衰退と住民の貧題化、経済の犯罪化を招いたと批判する。それに対して﹁柔軟な貨幣・財政政策 L を提唱し、月一五lニOパーセントのインフレ率は許容範闘であるとするのが同派の経済政策の特徴である。中期 的に貨幣量を統制討能性、予見可能性、安定性の範囲内花お砂ばよく、経済の構造的制度的改孝の実現のために 十分な貨幣流通を確保しなければならない白そのためインフレ財政への部分的復帰が必要である。経済の成長が始 まれば、インフレの問題はおのずから解決される。次に経済の構造改革については、私企業が現実に活動する麗争 的市場を創綾するため、国家管理、金融システム、社会的インフラの整備が必重である。私有化の問題で重要なの 倍、企業の株式を、労働集団や国家から機関投資家(銀行、投資基金、保険会社、年金会社!大商業会社)に移転 するこし乙である。国家は、国民的優先課題として、住宅建設、安価な国産車生産、航空機生産、科学部門などに特 典付きの投資を行う。また金属政策の緩和によって、社会部門の資金を増やし、中産階級を創造することが可能に なるという・ 政治の商では、梅カ機関相互闘の権限の明確化を要求している。議会に対する政府の責任のどり方を明確にし、 L の関揺の強 大統領の権限は制限し、非集権花を進めるという e外交・防衛については、旧ソ連邦を檎屈した園々 乙 化、軍制改革、核の均衡の維持などを説いている。ぞの他、社会政策、民族政策などが展開されている (イ九五九 • 以上のように、代表的な改革派一三派の政策の展開をみると、改革派内部の経済政策をめぐる基本的な争点は、 ネタリスト的な金融・財政の引き続め政策か、ケインズ的なインフレ政策かしという点にあるようにみえる図 医師で実業家のスピャトスラフ・フョlドロフ氏の勤労者自治党の政策隊、スロガン的な簡単な内容しか分ら ないが、新しい技術による経済の発展と勤労者の生活の向上lこれが同派の基本的主張である(トル1ド九査一一一 マ = ) 一 01 新技術開発のために最大阪の投資を骨ぃ、新技術をもっ西欧投資家の引き入れを図る。臣家のインフラ一の 豆Oパlセン}を株式化し、市民および企業に譲渡する。無統制な資源の輸出の禁止、農産物と工業製品の価格の 平等化、独占企業の規制、新技術導入の場合の関税長止、企業利潤税の一時的廃止。畠宵牟が自分のビジネスを始め られるように育成する、企業の登録は許可制ではなく届出制にする、国家機構を半分から=一分の一に削減する等々。 E 新しい企業の保護 育成に重点をおいた政策が列挙されている。 次に中間派的な濯挙団体の政策をみておこう。 エリツィン与党のチェルノムイルジシ首相の﹁わが家ロシア﹂が、新聞に公表した政策は次のようである e民主化や経済改革では住民の支持は得られな を導入するが、土地位ぞれを耕作する者にのみ帰属すべきであり、過渡期に怯土地市場の国家規制が必要である。 有を認める、ファ Iマ・コルホズ・ソフホーズの支援、農業生産者間の公平な麓争。土地前場(土地の売買) i l )。あらゆる形懲の土地所 この土地政策は、後にもう少し詳細に展開されている(トル1ド九五l 一 二 二a は、土着の村共同体の権利を侵害するものではない﹂と付加されている。 を合む改革 Lを保証するとか、﹁土地正有権の確固たる法的基礎を創造する Lときれている。岡持に、﹁土地私有権 は反対する Lとか、経営形鼠の自由な選択に賛成するというようにトlンを弱めたうえで、寸土地の私有形態の鉱大 1 史的に形成されてきた経営形態の掌命的破壊に いからであろう。ただ土地問題にだ砂は触れている sそとでは 歴 になるはずの、経済改革と政治制度については何も書かれてい合い 族的利益に通った外交政扇風の展開 (NATOのロシア園境への鐙近を許きない)なども列挙されている。一番根幹 うにすると約策している a医療左敏育の充実、環境保譲も説いている巴腐敗・犯罪との闘い、民族紛争の解決、民 低年金でも人間としての尊厳を維持しうる生活水準を保証できるよ いる e賃金は物価よりも迅速に上昇させる、且m ド九宣l 一一一一六)。同派は、賃金未払いや年金問題で住民の不満が強いことを意識し、まずこの問題を承りよげて ト ル , . . l l " 神 戸 法 掌 銀 誌 -,九九五年ロシア下防包室参切分析(下) 私的セクター、 プァ1マl経営への特別支援。 L という矛盾するものを一つに結合するし乙いうのである。﹁わが家ロジア﹄ 同派を代表する寝詮家であるショ1ヒン氏は、同派の経務路線を寸社会的国家的リベラリズム﹂と呼んでいる。 ﹁社会的志向性﹂と﹃市場リベラリズム は、西欧の政党に範を求めるとすれば、イギリスの保守党と労働党を一つにしたような政治集団であり、﹁リベラル﹂ と﹃社会民主主義 L の中聞に位置し、両者の関を定期的に揺れ動いているという。この派が依拠する層は民族資 本家、銀行資本家、中小ビジネス界、国産品生産者であるという(コメル九豆l 一一二五万 同派は、-方で、このところ物価の上昇率が鈍化し(九二年は三六倍、九三年は一 O倍、九四年は三四倍、九 五年は了九倍と予想、週貨の為替欄場が安定し、生彦低下も鹿をつき始めたことを指摘し、九六年からは経済が 九五-一一一干土ご。 好転することを予測する。周時庄市民の不満が集中している賃金(鉱山労働者、教師、医師)や年金の遅配問題 o、トルlド7 に早急に寺セ打つ k約束している︿トル1ド九五l 一一一一 一元ソ連邦第一副首相で統一産業党党首、私有化・外国投資協力国際基金理事畏のシェルパゴプ氏ゃ、独立労組連 盟議長シマコフ氏、産業界の大物でロシア産業家企業家同盟絶裁のポリスキl氏らの﹁ロシアの労働組合・産業 家労働同盟﹂(以下、労働同盟﹀の主張は次のようである(トルド九五一一一四)@ 働刀働同盟の特徴は、本来その利害が対立しているかにみえる産業家と労働組合の図績を説く点にある。現在のロ シアにおいては、基本矛盾は、労使の聞にあるのではな︿、商品生産者とそれを窒息させるようなマフィア的・ノ メンクラ?ゥlラ的資本の聞にあるという固現段階でまず必要役のは、度業家と労働組合が一体となって、圏内生 産の回復のための条件を形成すべきだというのである B明確な資本主義路線をとっているが、経済に対する国家統 イデオロギーはない。 制色はロシア人共同体会議より強い。しかし政治色が薄く、 ロシア人共同体会離のような愛国主義、民族主義の " ~ 市場メカニズムの利用と西欧の経験の利用に賛成だが、その盲目的な模倣には反対という。私有化の社会的結集 に対する再検討が必要であり、動併刀者が企業の還命に修響を与え、その利益に参加できるようにすべきだという。 計画と国家規制のメカエズムの積極的活用と必需品位対する価格規制の導入を説いている。土地所有制について は、土地の私的利用ヒ集団的利用の平等性の保鉦と奮いであるだけで明確でないが、土地ほ緋作する者の占有を認 m J めるだ砂で、売買は許さない (土地投機の禁止)という趣旨のようである。腐敗や 罪との闘争も、経済の正常化 の視点から重視されてい μる a 労働同盟は周ちを中省孟需と位置づげているが、共産主塾覇者の一連の社会的要求左見解を共有すると述べ、ソピ 寸ロシアの女性 L派の選挙綱領(イ丸豆l 一一五、トルlド7 1九五l 一-一八l 一四)は、寸人間﹂、寸家族h ﹁ ロ エト期の金成果を回復し利用するととが必要だと主張している・ただし過去に戻ることは不可健たとも述ぺている。 " ' 誌 については、字の保護、子をもっ親が労働できる条件の創造等が掲げられている。﹁ロシアにおける平和 Lでは、民 九五七一一六)。 の場合、実際に彼女が念頭においているのは、医療、教育など公共性の強い部門の私有化についてである (プラウグ 一定の枠内に制限することを主張し、国家新有の犠牲において私有を発展させることには反対している。ただしそ めたこともある)は、私有はすでに存在しているという現実から出発しなげればならないと腐りながらも、それを 主義の立場を、とっており、体制選択上の立場は明確でない。同派幹部のラホワ女史(エリツィン大統領の顧問を務 場経済土地の所有形舗の複数性、土地市場の国家規制などが列挙されている。この会派は、前議会でも是々非々 主国家の建設、連邦制度、立孟・執行・司法権力の建般的協力、全ロシア人の福祉の向上のための手段としての市 賃上げ、教育民惜の実現、然科医療制度の発展、住宅の保註、エコロジー的安全の保証等々を要求している。﹃家族 シアにお砂る平和﹂の三つの部分から成る。まず﹃人間﹂では、社会権的な内容を列挙し、安全な労働条件の保証、 • 学 戸 濠 神 L 一九九五年ロ νア下院選診の分析(下) 回 中道左派の結集区失敗したルイプキンプロッタは、次のような主張を行っていた。策飲諸国の旧共産党のよう 1 会志向﹂の改革でなければならない。私有化 に、社会民主主義を志向する。改革の継続を主張するが、それは 社 は国家の統制下で行うべきである。すでに合法的に行われた私有化は有効であるが違法なものは法的に処理しな 砂ればをらない・今後の私有化については、新しい法的な基礎の上に行うべきである︹独立九貫一一一八三 -時は日の出の如き勢いをもっていた穏健な反動派、ロシア人共同体会議の選挙綱領は、次のようである(イ九 五一一一九、トル 1ド九五i 一 二l六、独立九五l 二 一l 一四、ィ九五l 一 L 1 場メカニズムし﹁市民の所有﹄ 市 の問題や、民族主義、愛国主務の要求がかなり詳細なのがこの派の特徴である@犯罪や役人の腐厳と 統制下におき、南極官吏の罷免権、重要大匿の任命に対する周意績を付与するよう要求しているのが目立つ程度で 政治制度については簡単にしか触れていない。議会に立法権のみならず統制権を与え、大統領を含めその厳格な 対し、園内産業を優遇し、外国資本の無統制な流入には反対するとしている@人民の生活保障も強調されている。 対しているから、事実上私有化には反対しているように読める。ロシアを西欧諸国への原料供給地とすることに反 ている者に帰属すると寄かれているが、その所有形態依明確でない。投機の対象となるような土地の細分化には反 集団所有に塞づく経済活動の不可侵性を説き、国家による介入を否定する項目もある。土地は、そこに住み、働い 造になっている。市場経済をうま︿機能きせるために国家の役割を重視するというのである。他方で、個人所有・ 1 争の自由﹂などを掲げ、これらを実現するための﹁国家の高度の責任 (私有とは言わないて 競 Lを説︿という構 まず経済政策をみると、周派は基本的には資本主義路線をとっている@ぞれは、 。 九 国家的・精神的再生とロシアの全民族との同盟、旧ソ逮邦地峨のロシア市民の国家的支援などが唱えられ、 ロシア の闘いの強化治安機関の強化・軍隊の再建などが強調されている gまた自立外交の推進、ロシア人民の民族的・ ﹁安全 あ る 。 8 凶 の積神的文化の意義が強関されている。外受政策においては、西欧左ロシアの利害は対立するという考え方が基礎 ロシア人共同体会議は、国家資本主義的な政治潮涜であり、共産主義的なイデオロギーとは無縁で にある。また岡ソ連邦の再統合を志向している (独立九五-二一 01 ﹂のように ある。ただ自由と民主主義の価値に触れることはな︿、パタナリスティックな統制社会が想定されているようで ある。穏健な反動的潮流という ζとになるが、商欧型民主主畿に批判的な点で共産主義者と統一戦線を倒臨む可能性 はある。リーダーのスココフ氏は、かつて首相の座をチエルノムイルジン氏仁奪われたかたちになったこともあっ ソ連邦の版図を単一のロシア園家に統一し、それを構成した旧共和国などは、単一国家内の照(州)に務下げする O)。ソ連邦の復活ではな︿、旧 よりは穏健な外交路線として、やや胸を徹でおろす向きもある(独立九豆l 一 ol一 ーヵサス、クリミア、中央アジアまで鉱大することだという。独特の外交戦略ではあるが、反西欧主義的な共産党 対しては自制し、大トルコ帝園の創設を妨けるなどと語っている。大トルコ帝国というのは、トルコの勢力が、コ A 願制}の創綬を要求する。外美民&鳳ではドイyとの接近を優先し、アメリカとは紛争を遜付中国に な軍隊 志 市場経済と国家規制を結合するという。経済的に酉側の付属物になることを拒苦し、国家保安委員会の復請と強力 を支持するという。現行憲法の大統領制共和国に賛成している@経済制度については多ウクラード経済を支持し、 して位置付けているが、これは自由民主党という名称と同じく欺飾的柄、ある。政治制度については多党側民主主義 次のような選挙政策を打ち出した(イ九五一 ol七)。まず自らを、従来と同様区左右の極端旅を排除した中央旅と たし、その後犬きな変化はないので、ことでは簡単に述ぺる。自由民主党は九五年九月に第穴回党大会を開催し、 最後にネオファシストの自由民主党の政策であるが、それについては、九三年の選挙の分析の際に詳細に紹介し ている(独立九五一一一豆)。 て、大続編や首相に対しては厳しい趨度をとっている。チエルノムイルジン氏は長期間投獄されるべきだとも筒つ " " 2 ま 維 学 槍 戸 神 一九九五年ロシア下院選挙の分析ぐ門 8 5 左いう。 これら諸国体の政策の親逗性や距離、諸団体の相互関係を一示すためのさまざまの試みがある。市場優位か規制重 視か、民族主義的かどうか、民主的かどうかといった二つ、あるいは三つの座標軸を設けて、平函的、あるいは立 体的に各選挙団体の位置を示す試みもある(コメル九豆一 01五、独立九亙l 一一一一四コしかしそれらは問題を纏 雑にしているだけで、あまり成功しているように見えない。これら複数の座標軸怯相宣に関連しているから、各政 治団体の院の争点は結局のところ、改革か保守か、あるいは資本主義か社会主義かkいった問題に収赦していくの である。したがって、改革派、中間派、保守派(その中に共産派と反動派がある)といった常椴的な区分がなお有 効であろう a 吉一)遣事蹟呆の分析 g ソ連邦崩機後五年目を迎え、そ 今回の選挙の有聖嘉数は一億七四九万六五五八人、投票総数は六九二O万四八一九で、設票率は六回・図パー セントであった。政治不信の高まりにもかかわらず、かなり商い投棄率であった れは、改革に対する評価、体制転艇の是非を明確に意思表示するととが可能な段階にきていることを意味している といえよう。 まず表③は、比例選挙の得票状況を示すものである。既述のとおり、前回(九三年)の選挙では、一三団体が比 例選挙に参加し、そのうち八団体が豆パセントの基単を趨えて議席を獲得した。この八団体に設じられた禦は八 七パーセントに逸した。他方で今回の選挙では四三団体が参加し、参加団体が多いため票が分散したこともあって、 1 ロシア人共同体会議﹂﹀、=一豆パーセント以上が三つ(﹁勤労者自治党 L セント台にさ一つ(寸ロシアの女性﹂、-共 風席を獲得したのはわずか四団体に左どまった。かなり有力な団体が四パ lh 産主事弱者l労働ヨシアlソ連邦のために﹂、 存在したため、五パーセント条項の問題性が改めて浮 L) 解釈が導きだされる左いうのである。選挙集計の中開発表の段階では、死票が五0 ・四パーセントに遣しCいたた おりである。選挙法には関連するような規定はないが、憲法の定める人民主語の原則や平等原則から、そのような 宛票が過半数に遣した場合は選挙は無効とすべきではないかという主張が、選挙前に行われていたとEは血病述のと さて議席を獲得した四団体の得票の合計は五0 ・五パーセントである。四九五パーセントの票は死票となった a き彫りにされた。 ﹃ロシアの民主的選択統-民主主義者﹄、﹁ロシア農業党 " " 一 ニlニ=一)。しかし、結果的には、議席に結びついた票は辛うじて過半数に遣したのである。 比例選挙花お砂る当選者の決定方法(下被援員選挙法第七O条)を今回の事例に適用すれば、表②のようになる・ 五パーセント条項を突破した四団体の総得票数を、比例選挙の議員定数一一一一五で除した結果を一議席当りの必要得 票数し乙する e この数字で各国体の得票数を除し、その場合の商の整数部分がまず各団体に配分される。これによっ て一一ニ=一議席の毘吾が決定する。残る二議席は、先の商の小数部分の多い国体に配分されることになる。いわゆる 最大剰余方式である。とれによっで表②のように、四つの団体聞での睡眠腐の配分が最終的に決定される。 今回の比例選挙の餓席配分には、 一つ新しい要素が付け加わった。比例選挙は全面が一選挙区であるが、各函体 の候補者各徳は、全国名簿と地方名簿に分かれており全国名簿には一一一人までしか掲載できない。地方名簿の場 合、地方の分割の仕方は各団体によってさまざまである。例えぱロシア共産党の場合は、全国を一一口の地域に分げ ていたが、ロシア自由民主党の場合は、逮邦構成主体別に八七の地積名簿を作成していた。この場合、各団体内部 人 ( で、議席はどのように配分されるのであろうか。それは、まず全国名簿を優先したうえで、残りは各団体毎に先と 同じような方法で決定される。例えば共産党の場合、九九議席が恩分されたが、そのうちます全国名簿の一 名 め、この間題が具体化し、 ルイプキン氏やハカマダ氏が憲法裁判所に提請を準備するという騒ぎに栓った(イ九千五i ' " 言 悲 緯 学 法 戸 神 簿には一一一人掲議されていたが、 そのうち一人は小選挙区で当選したので除外される)に歯応分きれる。残る議席は 八八である。そこで共産党の総得票数を八八で除し、その摘を一議席当りの必要得票数とする。一一O の各地織の僅待 感数をこの一議席当りの必要得票数で除して、各地域名簿からの当選者を決定することになる。残余の議席は、や はり最大剰華方式で配分きれることになる。したがって得票率の高い地域から、より多︿の議員が選出されるとと になる。共産党の場合ウラル方面、酋シベリア、北西部(ムルマンスクなど)などは二議席しかないが、南部ロ シア(クラスノグ1ル 、ス タプ は 九ロ議l席 ポり 、な 中 ど部 )シ ペ り ア ( ケ メ ロ ポ 、 ノ ポ シ ピ ル ス ク な ど ) は 八 議 席もある。他の地域は四議席前後である。 党派別の得票状況の評価については、次項で論じる。 表③は、当選議員の基礎的データを示している q党派別の議席数の評価については、やはり次項で誼じる。とと でまず指摘すぺきことは、小選挙区の政面(選挙団体)化が進んだというこ 乙 L である。前聞は還挙団体に所属して いる議員は四0 ・六パーセントで、六割近くの議員は無所属であったが、今回は六五・八パーセントが図揮所属議 員である。小選挙区では地方の有力者が当選し易かったのであるが、今回は中央への系列化が進んだ。 L 一 三 a八パーセント、﹁人で遷ぷ﹂回二・六パーセント、-党と人の もっとも小選挙区の場合、有権者の授票行動し乙しては、﹁党より人﹂を判断基準にすることが多いという。そスク ワ市民を対象とした調査によれば、﹁党で選ぷ 双方﹂二一 -Oパーセント、﹁その他﹂九・八パーセント、寸分からないし二 7 八パセントである(イ九五一一 E ニ四コ比例選挙で敗北した選挙図体からも、ジャフライ、ルイプキン、パ今イロヲ、ゥラジlミル ルイセン ルイシコフ、 セルグイ・コワリヨフ、 スピ ストラフアヨードロフ b アルチヱムタ一フソフ ロシアの民主的選択﹂派のガイダル氏は、 1 ケ コ、ポロボイ、ポリスフヨードロプ、ラホヲ、 ハカマグ、 スタヨポイトヮ、グロモフ、プlニッチ(前進ロシアて パプ!リシ ル)などの有名人が当選している吉メル九云l=一一九)。ただし ド そ ー九九五年ロシア下震活挙の分析{下) ' " 関 l l V l 雑 誌 学 法 戸 神 のような方法を潔しとせず小選挙区には立候補しておらず、結果として鼠席を失った(イ九五l 一一一二六、コメ ル九豆一-一九三 議員の平均年齢は、前回は四六歳であったが、今回は四七歳と少しだけ高齢になった。党派別に見ると、共産党 1 が家ロシア﹂のガラジ欝員(学者)で七三歳、最年少位、共産党のミチl ナ韓国 H A わ モスクワ大学学生) 農業党、可権力を人民へ﹂など共産党系議員に比較的高齢者が多いかち、共産党の躍進しと高齢化は関係がある。最年 長は、 と自由民主党のセメノプ職員(下院フラクシヲンの専従洛動家)の二二歳である。 女性議員は-0・ニパーセントで、前周下院の一三・-パーセントから少し誠少した。﹁ロシアの女性﹂派が比例 選挙で議席を翠得できなかったととが、大きな原因である。﹁ロシアの女性 L派のラホワ女史は、議席の少なくとも 三五パセントは女性際員が占めるぺきだと主張していた(イ九宣1 一一五)が、女性議員の社会主義時代(当時 は約三分のごからの減少傾向は続いている。党語別では、共産党とヤプロコが、比較的女性議員が多い。今回の 女性議員四六人中一四人は比例選挙三一-一人は小選挙区の選出である a党派が名簿を提出する比例選挙において、 女性は不利な扱いを受砂ているととになる。社会層別では、女性議員が比較的多いのは前下院醸員二七人)、地 方議員(五人て新企業経営者(四人)、学者(四人)、前上院餓員(三人)、法律家(三人)などである。 今回は比例選挙においては、モスクワ居住者を減らす措置がとられた(既述)が、それでも下院全体で三三三 μ セントがモスクワ(州・市﹀層住者であり(前回は三四・九パ)セント)、あまり変化はみられない固とれは比 パl 例選挙の地方名簿にもモスクワ居住者が釜緯概されているし小選挙区でも、 モスクワ在住者が地方で立候補するこ とがあるからである。自由民主党やヤプロコは、モスクワ居住者の比率が高い。毛スクワ暦盆者一五O人のうち、 比例選挙遜出が九三入、小選挙区選出が五七人である。比例選挙の場合、当選者を出した図団体の全園名簿に掲載 された候補者は四八人だから、ぞの全員がモスクワ居住者で、しかも全員臨席を確保した(小選挙区にも重複立候 一九先.Ii年ロシア下議選挙の分析(下) 的 i 警 がた 上場 位合 れ挙 i i 52 i i なの に位 4 1 Z量 る候 f i 書Z のる ニ仮 三定 五し のて 2亀 方 司E 、地 市四 州 受 特に小選挙区では、四了一ニパーセントがそうである。前上院議員も含めると、下涜全体で三八%が前議員となる。 なお表④の下欄にみるよラに、現職議員の当選率は高︿、一五八人(一一一五・一パーセント)が前下院鎗員である。 共産党官僚に代って、企業家と知職人が婚えたという点に、変化の基本構図があるといえる。 議員に占めるその割合も増加してきた。社会主義時代に権力を名目および実質において握っていた労働者・農民主 受けていたというのが筆者の持論であるが、社会主義の崩療の中で、中間層の代表として知識人の役割が増大し、 Uられたという事情による。社会主義時代に利益を字受していたのは社会の上層と下層であり、中間層が不利益を 僚が大き合権力を握っていることは現在も同じである。国家官僚が今回の選挙で減少したのは v議員との兼任が禁 いる。社会主義のもとでは、共産党官僚(園家官僚と通常重複するが)が支配階層守成していた aもっとも国家官 行しつつある社会において必然的な現象である。臣家(党)官僚も減った。これも社会孟義権力の崩壊を反映して 民が設減したのは、社会主義が崩壊したととの直接的な結果である。企業経営者が橋大したのも、資本主義へと移 には、体制の転袋に対応した大きな変化が窺える。まず賞働者農民が隊威し、企業経営者が増えた。労働者農 した)。表④の下に、社会主義時代の八周年と今回の選挙を比較した場合の変化の基本的な特徴を示している。そと T - 次に表④により、議員の社会構抵の変化をみよう(九口年のロシア最高会議の選挙結果はスペスの関係で省略 ペツジ将軍(トゥ1ラ州)などの有名人がいる。 (ポロネジ州)、ルイジコフ元ソ逮首相(ペルゴロド州てルキヤノフ一一冗ソ逮邦俵高会議議長(スモレンスク州)、レ B その 中には、コlズイレフ前外相(ムルマシスク州てシヤフライ前劃首相(ロス}プ州)ルイプキン前予院議長 配分されているのは二六議席であるから、モスクワ居住者がモスクワ以外で当選したのは三一人というととになる・ ス補 開 江町 神 戸 法 学 雑 誌 前下院議員について位、 ロシアで発表された当選者リストには前の職業が書いてない (下院鱗員と奮いである)が それは九三年選挙のデータを見れば分かる。しかし現在では議員職が職業化しているから、これはそのまま前趨員 として扱う ζとにした.ただし比較の便宜のため、前議員は欄外に香いCいる。 議員の職業の変化の大きな流れについては概述のとおりであるが、その他の特徴について触れれば、次のようで ある。新し︿登場した職業として、議員秘書ゃ、議会内会派の事故 a 担当者(党活動家に分類)がある。政党政治化 が進みつつあることの反映であろうか・地方官僚は減り、地方議員は増えた B労働者・農民(農民といってもコル ホズ議長などの農業官僚であるが)が、絶対数は少ないが微増し、団体役員、各種吾専門家も若手増えた。芸術家 などの文化人はやや増えたが、学必省、法律家は減少した。医者は姿を消した。年金生活者が微増し、無職者は減少 した。掌者・研究者が滅り実業家が胤唱えているととは、体創転換が理念の時代から実務の時代に移行したことを窺 わせる。 表の中で、図体役員というのは、芳働組合、企業家の国体、その他(元予審官で、ペレストロイカ初期に権力の 人権擁援基金﹂や、ルイシコフ元ソ連首相の﹁社会団体ユ 不宜を暴く爆弾発言で有名になったグドリャン民の 1 ラシア﹂など)である a法律家(六人)は、弁護士ニ入、検察官三人(元ロシア最高会議副議長で共産党畿員のガ ラチヱワ女史は、ウラジオストック市の剖検事)、労組の法律専門家一人である。専門家というのは、経営コンサル タントなどである。無職二人は、元里高会議副議長で九三年のモスクワ厳正事件の扇動者の中心人物の一人だった 、 エリツィン大統領の地元のスベルドロフスク州の知事(エリツィン大統領任命)でありながら、 ポ ロ ユ シ 氏 LC 九五年八月の知事選挙でロツセリ氏(一度はエリyイン大統領に知事を解任きれながら、選挙で復活した)に敗北 したストラホフ氏である。 以上は以前の臨会全体と九豆年の下院の選挙結果をマクロな観点から比較したものであるが、血友⑤は、下院につ 一九九五年ロシア下院選挙の分析(下) いてのみ、九三年と九五年の選挙結果をより詳細に比較したものである。 表⑥は、主要な選挙団体についてその社会構成を示したものである@まず共産党の特徴をみよう。絶対数は多 2一 くはないが、議員秘書は一人の例外︿自由民主党)を除き、全員共産党であり、労働者も全員そうである。年金生 活者、島根育者(中学校長などてコルホーズソフホーズ員なども、ほ左んど共産党である e党活動家や社会的弱者 1 働者。とインテリ﹂の党といラことになっているが、入党資格に制限はな 労 層に強いのが共産党の特徴のようにみえる。掌者は他の団体に比べて少ない。他方で、意外立ことに、新企業経営 者も共崖党議員が最も多い。共産党は、 C 二四)。 く、ジュガノフ氏によれば、﹁愛国的気分の企業家﹂も党員になりうるという一(プラウダ九五l 一 例えば、共産党議員の中には、赤い実業家として有名なウラジ lミル・セマゴ議員がいる・彼はモスクワ商業ク 1 ロシアのビジネス﹂の議長国の一人でもある。彼が共産党員になったのは、イ ラプの総支配人としてレストランやカジノを経営し、その他コンサルタント業、仲介業、建築資続品工業など手広 く事業を展開している。円卓会議 のの 宮警 警高 4 高 のは 。 かの とへ 霊I ちい 共と うな i書 部に 有限 に制 i i 雪 量 入も と 治 ま るな にピ なジ と ろ希 とマ うス 語ン てと つに 室 に 対 す ( ノlボエ・プ る 王 い・新企業経営者層と学者もかなり多い.前下院議員は少ない.ヤプロコは前下院議員が四割を趨ぇ、自由民主党 主党に共通している。ーわが家ロシア Lは、首相をリーダーとした﹁権力党﹂にふさわしく、中央・地方の官僚が多 この三つの社会層で八割を超える。新企業経営者や党活動家が多く、学者が少佐いという特徴は、共産党と自由民 自由民主党舗員の特徴は、過半殺が前下院織買だということである巴次いで新企業経営者層と党活動家が多く、 たカ デオロギーによるのではなく、﹁倫理的 L鏡点からだという。彼によれば、共産党は極めて道徳的な党であり、もは るや レミャ九云!四一一 不権 信力 に次いで多い e他に学者が多いのが特徴であるが、それ以外はいろいろ分散している。企業経営者層は少一ない。訴 " 9 ロ n . 官 憲 緯 学 法 戸 神 間 警 主 主 普 企っ きi の前 財下 雪 量 が員 1 i ても るが でな る多 ; た 新 喜 九O年のロシア人民代議員大会の代穏員選挙の結果については、矧漏 J 九九四年ロシア新裁会の成立(上)﹂(﹃怖 組無 宮習に的中している。 まず事前の予想と、選挙結果とを比較してみよう。今回の選挙では実に多くの予想がマスメディアを還して発表 きれていた a主事吾は、そのうち比較的予想が当ったものを三つ示したものである。特に共産党の得票率の予想は見 (政党)、政治勢力の消畏という第点から、選議 結 e 果のもつ政治的な意味について考察したい. 前項では、主として、議員の社会構成の点から、九五年選挙の結果を分析したのであるが、とこでは、選挙団体 (困)還掌結果の肝個 農業八人ジャーナリスト文化分野の勤務員九人。 労働者七人、経営者二九人、各νペルの議員四五人、講師教師医者玄人、軍人一入、学者科空勤務員二八人 b) 小選挙虚の場合 農業一七人、ジャーナリスト・文化分野の勤故調員一九人. 労働者二六人、経省者四二人各レベルの議員六O人、勝飾・教師-医者八人、軍人六人、学者・科学勤務員四一入、 a v比例沼拳の場合 共産党の立候補者の社会的構成について、共産党路次のように発表している・ 戸法学韓誌﹄築四三巻四号)第一章﹁一九九O年ロシア回説会の統計的分析し参照。 1 2 多 ー九九五年ロシア下院選挙の分析(下} 犯 させるといった戦略が噂きれていた(強立九五l 一 一六三結果的には、 党は悪役イメージの強い政党であり、通常の世論調査ではその支持は商に表れ難い。自由民主党の支持者は、支持 結巣的にはそのとおりに去った左思われるが、しかしその程度は予想よりはるかに小さかったのずある。自由民主 ア人共同体会裁は支持層が欝合しているとみられ(塑斗九五一一一一九)、前者の票を後者が食うと予想されていた。 しかし董を開けてみると、ロシア人共同体会議は五パセントの壁を破れず惨勘厭であった。自由民主党とロシ 切 を首相に任命することにより、同派を政権内にとり込み、穏健愛圏派と共産党の聞に襖を釘ち込んで共産党を孤立 持率を予想する者も凶た{独立九五l 一一一八)。ロシア人共同体会識が摩進ずれば、大統領は同会識のスココプ氏 人共同生議は、当初大量進が伝えられ、その後やや落ち着いたが、それでも茸論調査では一 Oパーセント近い支 前固と比べれば得票率は半裁したが、しかし予怨をはるかに超える善戦であった@他方で前評判の高かったロシア と事実九五l四二l士 一 、 恒通報九五一 一一一一一、独立九五一 一l-八、諭拠と事実丸歪 ないかという予想が多く(イ九云l 一一一一 Oて比例選挙では議席を獲得できないとする見芳もかなりあった︿論拠 七 -大方の予想が外れたのは、自由民主党色ロシア人共同体会議であった。自由民主党は五バ 1セントぎりぎりでは l 一-、ィ九五l 一 一 一l一 一 ) @ もなお共産党のカを過小評価し、一パーセント説等、楽観的な見方も多かった{狸立九豆一 一一八ロ新聞九五 制経済下の物不患の再来を心配し、早くも砂箱、穀類、缶詰の買占め騒ぎも起こった(イ九五l 一 ol一二。それで コメル九五一 ol 三 ト ル ド 九 豆 一 O 一二、イ九亙一 Ol六)@下院選 おける共産党の勝利を予怨して、統 ι 共産党二一載織とアンピ1 ロア氏のロシア共産主義労働者党一議席) が占めたのである(ロ新閣九五l 一 o!一 ; i ロシア人共周笠審議﹂と答えていた可能性がある a自由民主党ほ前回の選挙 1 率を減らしてはいない。しかし、急進改革派の寸ロシアの選択﹄から、中間的な ロシアの民主的選択﹂も 1 わが家ロシア 1 L へと、与党の基 前固なみである。今回は改革派の分裂が目立ったが、-前進ロシア﹂その他の改革派の票を合わせれば、与党も支持 1 が家ロシア の票と合わせれば、ほぽ は、﹁ロシアの民主的選択﹂が激減したが、新しく登楓惜した﹁政権党﹂の わ L 倍に増え、自由民主党は約半分になり、両者の地位がちょうど入れ代ったようになっている。他方で政権与党の方 党(改革派と保守派)の支持率には、それほど変化がなく、その内訳が変っただけのようにみえる。共産党が約二 一 一 表⑨は、政党の消長を且取も端的に示す比例選挙の得票率を前回k比較したものである。この表を見る限り、与野 には体舗の転換を受げ容れているように思われる・ 表⑨は有権者の投票行動を基礎づ防たはずの、住民の意識調査の結果である。これをみると、住民は、基本的 考えていないようである。 と受砂取られたからだろうと語っている(ノ lポ エ プ レ lミャ九五 l四七一四コ同派の政策に問題があったとは ルノムイルジン首相を、時には支持し、臨時には批判するといった態度をし乙ったことが有権者にはあいまいな態度 惨敗した。三年間でとれだけ支持率が域少した理由を訊ねられたガイダル氏は、同派が、ェりツイン大統領やチェ A 立九五l 一ll 四万ガイダル氏の セント程度の得崇率し乙いうのは、敗北を意味しよう 独 ント条項をクリアーできなかった。﹁わが家ロシアしは、だいたい予想通りであったが、政権党でありながら一Oパ ﹁ロシアの女性﹂も予想が大き︿外れた。 二Oパーセントを予想するものさえあったが、結果的には、五パーセ あるようである。 行動が多く、その点からも今回は激減するごとが予想されていた。しかし、その支持基盤にはなお侮れないものが で大層進したが、すでに未知の魅力も干からび、その後の情動にも目覚しいところはなく、むしろスキャダラスな 政党を聞かれれば、無難なところで ' " 語 審 紅別 雑 学 滋 戸 神 九九豆年ロシア下院遺著書の分析(下) % a保 盤拡大きく保守的な方向ヘシフトしている。改革派野党のヤプロコは健闘したと言われるが、実際には前回より得 、﹁統一合意党 L 、守ロシア民主党﹄合どの中間派は激減しまたは消戒した 票率を下げている。ーロシアの女性 L 守派の農業主も半減している。 以上のような得票の変化の基本的な流れは、次のように推測できる。共産党へはは、農業党その他の保守中間 派の票k 自由民主党の票が涜れたのであろう。自由民主党の票は、共産党の外、ーロシア人共同体会醸﹂などの愛 園主義勢カに流れたと恩われる a﹃ロシアの民主的選択﹄は壊滅状況であるが、その冒頭は一部は他の改革派や﹁わが 家ロシア﹂に向かったであろうが、他はさまぎまの方向に遷散霧消していったのではないか。 (C) 表⑩は、下院の議席数の変動を示したものである・先にみたように、比例選挙の得票率の点では、与野党の得票 にそれほど差がなかったとはいえ、小選挙区の当選者も含めた議席数の点では大きな変動があった B表⑪の が示しているように、小選挙区でも保守派の厩進には目覚しいものがあった。ほぽ倍増している a他方で改革派左 中間派は、大き︿票を減らした目下院の総議席をみると、共産党は約二一一倍に掛唱え、一五七議席となった。下院職席 ア﹂は八分の一の小勢力である。 EUY は比例選挙での得暴率で のさ一五パーセントを占め、第一党である。自由民主党は、ほほ現有議席を維持した。得票率で減少していたヤプロ コも、議席では二倍近くとなった。与党 1 わが家 (a) この数字からみると、改軍派の減少分がそのまま申闘派に流れ、ーすぺでに反対﹂と﹁無効 Lが保守派に流れ 表面は、有権者の支持率と獲需議席率が対応していないととを示したものである。 B 一四・七パーセントの議席しか糧持していないのである。これは五パセント よ ある b) たかのようである。いずれにしろ、九三年と比較して、その増減は数パ lセン?程度である。しかし表 ( ニ0 ・七パーセントの得票合がら を増やしている。 つまり保守派は、四六・穴パーセントの得票で、六五・=五セントの議席を獲得し、改革派は、 うに、比例選挙で獲得した購席数でみると、保守派は、改草派と中間派の犠牲のうえに、 -口敏パーセントも畿席 の 9 6 1 削 詑 学 雑 法 戸 神 条項のために、議席を獲得できなかった改革派や中間派の犠牲においで、共産党や自由民主党が過大に際腐を与え られたためである。 e改革派はじり 縮局、小選挙区の議席も含めた下院の総議席の変化は、表 (d) のようになる。九三年選挙では、保守、中間、 改革一二一派の議席数の比除、だいたい四三三であったが、今回は六二・五一・五となった 貧状般である g他方で保守派は六割という大部隊となった。中間派の一部の開請を得れぽ、大統領の拒杏権を覆え (a) によれば、共産党支持者の約半分は五五歳 したり、憲法改正の発議に必要な三分のニの多数を確保することは、比較的容易となった。 さて表⑫は、各選挙団体の支持層を分析したものである。その 以上(現在ロシアの男の平均寿命が六口歳を割っているととなど考えるし乙、五五歳というのは、日本とは遣い、か なりの高齢である)ということになる。改革派の支持者は若い世代が多く、次いで極右の自由民主党も青年向きの 自由民主党の支持者の半分は中等教育も終了していないことになる。 政党のようである。学歴をみると、共産党 LC 特に反知性主義的な自由民主党の支持者には、商学歴者は少ない。改革派支持者ほど商学雇者が多い。 表 (b) によれば共産党支持者の半分近︿は年金生活者である。先の高齢者の支持分布しと対応している。自由 民主党の支持者の約半分は労働者である。改革派のヤプロコと政権党の﹁わが家ロシア﹄は、専門家企業家が欄 対的に多い。改革志向、商学歴と対応している。改事派は大都市に、保守派は農村・地方都市に支持層が多い。表 (d﹀によれば、生活状況の点で共産党レ一自由民主覚の支持層ほ似遭っており、生活苦を訴える者が多い。﹁わが家 ロシア Lとヤプロコも似通っており、生活がーさほど悪︿ない﹂という人が相対的に多く、﹁もう耐えられない﹂と いうし者が相対的に少ない。しかし、ともか︿全体としては、生活状況は非常に惑い a 1 会主議の復語﹂というスローガンへの質量を問うている。ー社会主義﹂という表現は、社会民主 、 社 表( d )は 主義的合意味にも解しうるから、﹁共産主義の復活﹂について質問すれば、答は違っていたかもしれない(宣確に言 1 産主義﹂段階ではなかったから、寸社会主義の復語﹂という表現は正しいことにな えば、崩壊前のソ速邦はまだ 共 るが)。共産党支持者でも、このスローガンに質成するの砿豆八パ1セシ?しかいない。自由民主党支持者は反対震 見の方が多いが、 それでも約三分の一がとのスローガンに賛成しているのは興味深い。また﹃わが家ロシアL Kヤ プロコは、共に賛成者は少ないが、それでも後者の方が質成者が多い。﹁わが家ロシア Lは共産主義者に妥協約な点 があるが、しかし官僚資本主義者として、体制の選択においては資本主義志向ははっきりしている。他方でヤプロ コは、理語的には共産主義し乙まったく相容れないが、社会民主主義的な志向があるため、先のスローガンに対して 同調する人が相対的に多いのであろうか。 表⑬ほ、主要選挙団体の都市農村別得票率を比較したものである(先の表⑫の ( b ) も参照)。これをみると、 改革派は大都市に強︿、保守派は地方都市・農村を支持基盤としていることが分かる。共産党は大都市でも健闘し ているが、自由民主党は特にモスクワなどニ大都市では支持されてい合い。﹁わが家ロシア﹂とヤプロコは、二大都 市では共産党をよ図って了三位を分け合っている。五パーセント条項を超えられなかった﹁ロシアの民主的選択 も、三大都市では一口パーセントを超えて、第四位である。 きで、特に表を作成することはしなかったその他のデータを、ここで若干紹介しておきたい e役曝するに当って 隊左 投直 あト 甘 いで 量 ま 査た i ZR l ZZ 1 氏え 持 L わ・ 一番影響を与えたのは何かという調査(金ロシア世論研究センター)では、テレピでの党指場者の発言が四Oパー i i セント、映画による宜盈一三一パーセント、知人などの助言-Oパーセント、有名人ジャーナリストなどのコメン 住E EJγ 7喧 導 ト九パセント、 ラジオによる宣雇九パーセント、郵便受付に入れられたパンフレットなど七パーセント、党の指 草者 八パーセント、共産党一-7 一パーセント、﹁わが家ロシア﹂九・七パーセントで、 轡 ) 7 →九九五年ロシア下院運酔の分析(下〉 ~ 錦 が家ロシア﹂と同じ程度という。また別の部隊での謁査では寸ロシア人共同体会議 Lがトップだという(捻立丸豆 Ti-一二三いずれにしても、軍隊内では左右の保守派支持者が多く、改革旅・民主派は少主いようである。 一 一 産業界がどのような政治努力を支持しているかについてのデータがある(イ九五l八l 一七ーその中で明確な傾向 が窺えるのは、銀行家は改革派(右派および中遭右最)を、農工複合体は保守派(左派)を支持していることであ 休は保守(中道左派)にやや近く、右狛ガス複合体、金属 る。他は、概して政治傾向は明確でないが、軍産複 Ah 工業、機械製造業などは、チエルノムイルジン首禍の中道右派に親近感をもっているようである。 さてロシア共産党は、九六年一月、第四回中央委員会を聞き、選挙の結集を総括している(ロシア・プラウダ九六 一-八三その中で、投票率が高い地域ほど共産党の得票寧も高いという事実を指摘している。金体の投渠率は Z )。共産党自身も、先の総指の中で酵しい分析を行っている(ロシア・プラヲダ九六一一八三 九 同 九 豆 二 一l O 一 一 比例選挙で、共産党が五Oパセント近い得票率を誇るのは、北オセチア共和国とケメロポ州である。後者の場合 先にも部分的にみたが、選挙結果の地域別の分析もかなり行われている (独立九六l 一一一六コメル九五l 一一一! が共産党に投票した勘定になるわ妙である(イ九六l 一一-一可 州では貧民が多く、四五パーセントにも達するが、共産党の得暴率は圏三パーセントであった。ちょうど貧民全体 は二五パーセントであり、共産党の得票率は一一-一・三パーセントであった。との数字は対応している。またぺンザ ある﹂という見出しを掲げ、次のような指摘をしている。金ロシアで貧民(最低生活費以下の収入しかない住民) また別のデータであるが、イズベスチャ紙は、﹁人民が共産主強者に按察するために綜、人民を貧民にする必要が ある。つまり有権者の政治憲議が商い地域ほど共産党は高い支持を得ているというのである。 は、得票率は一二パセント、投票率が七五S八Oパーセントの地域では、得票率低三ニパ!セシトだというので 六四・四パーセントで、共産党の得票率は一一二・三パーセントであるが、投票率が五03豆五パーセントの地域で . " 誌 維 学 法 戸 神 九九五年ロシア下院選挙の分析(下) 奮は ゲレ イ 1 ヨ " O 昇伺 る州 のの はボ 、ス ア、 デト イウ 、 . ' 利フ 国民 グ共 グ産 ス党 タの ンリ 共ス 買 よ カつ 重 度 ラた チこ エが ヤと ボ大 き チく よ 喜 ケし スて 共い 和る 園。 オ票 リ率 、得 l 四 夕刊パ タセ ムン リ ポト L 一つはそスク ポロネジ州、 サラ一トア州であり、 クールスク 一九回図パーセント、共産党一五・Oパ セ シ ト 、 ャ プ ロ コ } 五 (独立九宜l 一二一一七)。 O パセシト﹁ロシアの民主的選択﹂ 合は改革の結果がともか︿も現れており、改革による受益著の屑が形成されてきていることを物語っているようで 一了六パーセントである (ロ新耐九五-一一一九三ここでは改革派が健闘しているのが分かる。 そスクヲ市の場 ロシマノ 議席も獲得していない。モスクワ市における主要会選挙団体の得票率(ただし最終的な数字ではない)は、-わが家 ンクト・ペテルプルタの犬都甫やスベルドロフスク州などである e この三つの地域では、小選挙区でも共産党は一 ワ州を取り囲む諸州︹特に南部 Lζ酉部)他は北コ}カサス方両である。他方で共産党が弱体なのは、毛スクヮ、サ 以上を地図の上で確認してい︿と、共産党が強い支持層をもっごつの地域が浮かぴょがってくる。 州、リペツク州、 スモレンスク州、タムポア州、 トゥペリ州ではご議席を独占している。 四議席中=一議席を獲得したのが、 スタブロ lポ リ 週 ペルゴロド州 ヤザン州、 スモレンスク州ウリヤノプスク州である。小選挙区での識梓の獲得ぶりを速邦構成単位別にみると フ州である。三Oパーセント台は、チュワシ共和国アムール州、ペルゴロド州、プリャンスク州、 ペンザ州、 ル エ 3亭 、 と ふ る l一 一 一l 一九)巴保守派(共産 Lと評価している(イ九五 四 0 ・八パーセントにすぎず前固と基本的な変化はないしというのである・保守派の聞で地位の交代があった(自 系、自由民主党、農業費)は、九三年選挙では四三ニニパセント、今回は労働ロシアなどのグループを加えても ﹁九五年選挙は、ロシアが鋭い動きを望まないことを示した きて今居の選挙結果について、共産党の躍進の意味を過小評価する見解もある Pイズペスチャ紙のラティス氏は、 あ 衛民主党と共産党)だ砂で、保革のバランスにほ変化はないという見方もある (モスクワ・ニュース九五l 豆0 1二 。 " ' また、韻会で反政府誌が伸張しても、議会の権限が小さいから、何もできないだろうという楽観的な見方もある。 言 語 のの 係お にい おて いは が、今後はこのような閣題が具体化していとう。 て保 霊 主 主 長 てぷ たと きこ がが 、多 九か ニつ 告 だ i i 連 ソ O ま後 での はロ 中ア シ 2t露 伺の プ保は ラ守 員員町 l派改 トに草 にす中 代る開 表傾派 さ向 れが保 る顕守 よ著派 道主義者﹄も敗北した﹂と、中間派に対して冷たい態度をとっている {ロシアプラウダ九六一一八コ中間派の た乙とが指街きれている(イ九五l 一一l五 l 、トルlド九五l 一 一 一l九コ他方で共産党の方も、﹁偽善的ないわゆる﹃中 議会内で、当初は共産党などの保守派と共同歩調をとることが多かったが、徐々に政権に歩み寄る傾向が生じてき いる。このような状況の中で、改革派と中間派に一定の協調関係が生まれている a例えば﹁ロシアの女性﹂派は、 関係仁あるし、同派の閣僚は次々に解任された。他方で中間派のテェルノムイルジン首相が大統領に忠誠を奮って 改孝派稼れを起こしているとととも相関関係にある。エリツィン大統領は﹁ロシアの民主的選択﹂派と一定の緊張 その後、後に残った穏健な中間派は、エりツイン政権にやや接近する傾向がみられた。これはエリツィン政権が うな過滋な中間派は解体した a であった。 そして九三年一 O月のヱリyィン・クーデターによってルy コイ氏、 のな も左中間派は、 イデオロギー的には共産主義者ではなかったが、改草のもたらした結果に対する不満から、具体的 i F 行われ、少数の旗織鮮明なグループに整理された@そして中間派の位置づ砂が変化してきたように恩われる。もと 今回の選挙では、比例選挙で議席を獲得した団体が四つに留まったことに表れているように政治勢力の淘汰が された(イ九豆一 関する法案を提案した。賛成一 O九、反対五六で否決(可決に怯二二六票必要 1保留や欠席が多︿否決となった) 業に大きな影響がでてくるのは当然である。九五年一 O月、共産党のプラチシェフ議員は私有化企業の再毘有化に しかし下院は立法機関であり、当総ながら法律を制定することができる。蟻会で審議中の土地法典その他の立法作 . " ' 肱 山 1 雑 学 法 戸 神 内実はなお多械ではあるが、今後の政局は、改革中間派対保守派の対抗関係のうちに展開していく傾向がでてく るであろう。 ところで共産党と自由民主党の関係はどうか。前回九三年の還挙では、躍進したこの両党が、互いに協力する姿 勢もみせていた。しかし現在ではその可能性は薄れている。ジュガノフ氏は、ージリノアスキーは、あらゆる問題で ロシアプラウグ九六 L( ζ1一二)と エリツィンとチ孟ルノムイルジンを支持している﹂とか {プラウダ九五l 一 01二四て﹁ヂマゴギツシュなにせ 反対派﹂し乙批判し、﹁あらゆる原則的な問題において我々の立場は両立しない 断言している。下院議長に選出されたセレズニヨフ氏(共産常しは、大統領選挙でエリツィン対ジリノフスキ!の 決還になったときは、エリツィン氏を支持せざるをえないと語っている(イ九六一二七)。他方でジリノフスキー 1 敵 ﹂ 氏も、﹁共産主義者が全体主義を促進するようなパリアントを提案するなら、議々はそれを支持することほできない。 τ 九三年の段階では、エリツィンという強力な 我々は過去に一一戻ることは望まないしという(独立九五一一一二一一 を前にして両者は接近することにメリットがあった@しかし今や、ヲリノフスキ氏はジュガノフ氏の目下の同 盟者になることは我慢できないし、ジュガノフ氏にとっても、スキャンダルにまみれたジリノアスキーどの同盟は 逆効果でしかない。犬統領選のライバルである以よ、両者が連合する可能性は低い(ノ1ポエプレ iミヤ九孟l五 一 f恒夫﹃第 L( ﹃社会主義務のうどき﹄九二号、 こ。共産党と自由民主党が手を組むという葱 2 m固家会議の選挙 i イ九六l 一 七ヲ有権者も、共産党の支持者で自由民主党にも担割近感をもっ者は少なく、自由民主党の支持者も、共産党より も﹁わが家ロシアしゃヤプロコに親近感をもっている 川川 一九九六年て中西治 1ロシアの下院選挙左最近の政治情勢 L︿﹃ロシア・ユーラシア経済調査資料﹄ 一九九六年三月コ 4 rの統訂町の一部は、次でも紹介されている。稲 夢のような状態は、当面選付られそうである。 1 九九五年ロシア下院議挙の分析{下) 1 0 1 共シ 1 五年国家会議選挙における北と繭﹂三社会主義法のうとき﹄九四号、 稲子恒夫 九 一九九六年)でも、共産党支持者 ロシア共産党とは何が i ; 、産 共党 る・ こコ をュ とミ ロシア共産党の語る柔軟な政策は、共産党が社会民主主義化したこ めズ たム 止ニ かに 杏ぼ かん もた 単と 純い 重 量 はに 党ぎ のな でで ああ う 仮 に り は成熟した社会民主主義ではなく、 ユロ・コミユニズムのロシア的パリアントだと語コている(独立九六l=一!主コ 喜 E が共 もってそれらが社会畏主主義政党に転換したと論じる者低いない。カプlスチン氏(哲学博士)は、ロシア共産党 との証拠には決しでならない。西欧諸国の共産党は、早︿からきらに開明的な主張を展開していたが、そのことを であったととはいうまCもない。とのように れを家臨しようとしているのであるが、 レl ニン時代のそれが、社会主援の目的ではなくそれへの過渡的な戦術 も過極的な政策にすぎないであろう。ジュガノフ氏は、レニンが多ウクラド制を認めていたことを板拠に、そ るかのような柔軟栓発言もしている。しかしそれは、単なる戦術的配慮にすぎないかもしれないし、そうでなくて 最逗のロシア共産党は、験会や大統領の選挙を目前にして、複数政党側を認め、私有を含む所有の多様性を承認す が変質しつつあるとすれば、それは社会民主主設的な方向へではなく、むしろ逆に反動的な方向にである。確かに ロシア共産党の綱領その他の基本文献をみる限り、それは伝統的な共産党から脱皮していない。あるいは共産党 i i の地域分布が地図入りで紹介されている。 五 ついて敷延して論じておこう。 ) 2 ロ 事7 政々 あロ 車t をの Z存 最い なう 、す 名ぃ 称の ろる 誌 z 署 共 ' " 肋 1 " 仰 戸 法 学 一九九五年ロ γ ア下院選挙の分析ぐ下) ' " 陪 産党が社会民主主義化したとすれば、共産党という名私を維持するはずがない・東欧・パルト縮図の社会民主主義 化した旧共産党(もともと必ずしも共産党を名乗っていたわけではなかったが)はいずれも名称を変更している。 ただこの場合、逝低必 ず T しも莫?はない。共産主義政党でありながら、カ今ラlジ品の目的もあって、他の名称 に変更するととはありうることである。 -九世紀の共産党が社会民主党を名乗っていた{ロシアの場合は社会民主 労働党)ように@ ロシアでも、現在のロシア共産党は、赤{共産主義)かピンク︹社会民主主義)かという議請が行われている・ ぞれは共産党の軍進を危険とみなすかどうかという別の問題とも関連している。共産党肱社会民主主義化しつつあ るという認識は、共産党の躍進をそれほど危険視しない態度と結びつく。他方で、共産党は変っていないという認 織は、その雌進を危検視する鐙虚し乙結びつき易い。しかし、それぽかりでもない a旧態依然たる共産党には未来は ないという曹胤からの楽観主義もある。 うとしているとみなしている。 i F 社会基盤の変化を感じとったジュガノプ氏が、社会民主主義的方向へ、また民族・愛国主義的方向へ軌遁修孟しょ 彼は、ジユガノフ民が西欧諸国の銀行家との会議で、自分は共産主義者ではないと言ったという発言を左りあげ、 国では、歴史的にも、人口学的にも運命は尽きた L.古い世代が消えてい砂ぽ、共産主義も消えるというのである・ フ氏がそうである。寸失産主義ルネッサンスのいかなる不市遊性もない。オーソドックスな共産主義の教義は、わが 一方で共産党の愈阪伎を過小評価する声があった。ポリス・フヨードロ 選挙前に寸ロシア通報﹂紙は、民主勢力の選挙協カを狙って、改革派のリーダーによる紙上の﹁円卓会議﹂を開 ︿ロ超越椋九五l一一 i二一一一)@そこでは " た ヒ 1 0 ' "判 神 戸 法 学 雑 能 主義を掲げ、 ソビエト権力の復活、ソ遺留邦の再興、私有化された所有の釧勧告などの主張をしているからである。し たがって、彼は、共産圭義者が権力を掌揮するようなごとがあれば、再び革命(反革命)と内戦の危検性があると g これも 警告する。ハカマグ女史も、共産党の評価について宜按には跨っていないが、次の選挙で、私有、議会制民主主義、 E 政治的 経済的自由の散が勝利すれば、流血の惨事、内戦の脅威が現実化すると危機感を震わにしている 共産党が変化したとは信じていない者の発言である。ガイグル氏は、共産党がプロレタリア国際主義主私有への憎 悪を放棄し、民族・愛国主義に変質したことを指摘しているが、それは危険性が強まったことを意味するだけで、 もちろん社会民主主義化したととを意味しない。 ロシアの主だった民主振の領袖は、 ポリス・ 社会民主主義者を名乗るアレクサンドル・ヤコプνプ民も共産党が社会民主主義化したとはみていない。ャプ りンスキ氏は、この慌についてほ何も発言していない。このように フ ョ lドロフ氏を除いて、共産党が社会民主主義化した(しつつある)とはみなしていないようである。なおガイ グル氏は、選挙後、-東欧の従雇共産党は社会民主主義の側に真に進化したが、わが圏の皇帝共産党は民族社会主義 g の側に進化したしと述ぺている(イ九五一一一l二六三そして選挙の結果をロシア民主主義の敗北と評価し、今後厳 しい試諌の時期が続くと予想している。 その他の論者の見解もさまざまである 共産党は社会民主主義化したという認識に近いのは、次のような見解である, スベルドロフスク州知事で、選挙一回体寸祖国の維新﹂のリーダーのロツセリ氏は、共産党の力を過小に評価し、 選挙でもあまり得票できないだろうと予想していた。またジュガノフ氏は市場経済仁質成しているとか、かつての 体制に戻そうとすれば内戦になることを彼はよ︿知っているとか、私有化はすでに終っているため共産党には何も できず、議会が再園有化法を制定しても大統領は署名しないだろう、と胃ぅ。そして共産党に未来はなく、年とと もに消滅していくだろうと予想している。予備軍としてのコムソモ lルもピオネ1ルも現在は存在しないからであ (論拠と事実九五四一一三三 グングロフ氏(哲学博土候補)は、次のような独特な主張を展開している。社会の形成には、暴力を用いる方法 (ポリシェピズム﹀と、対等者の討議と適切な決定による方法(民主主義)の一一つがあるkいう.そして革命前の ピョ lトル犬帝やストルイピンなどもポリシェビズムの方法を用いたという。現代のロシアでは、アンピlロフ、 チュルキシ、 シヱ 1 エン、アンドレ1 エワなどの極左は、共産主義的ポリシェピキであり、他方でエリツィン、 イグル、 チ Zパイス、ポリス・フョ lドロフなどはりペラル・ポリシエピズムだというのである。それに対してリ ぺラル民主主義者は、ゴルバチョフ、シヤタlリン、ヤプリンスキ1、ポポフ、ルイセンコなどだという。そして 共産主義的な民主主義者として、サハロフ博士の外に、ジュガノァ、ラプシン、スタロドヮプツぷフ、スピャスト ラフ・フヨードロフを上げている。結局彼によれば、共産主義とポリシュピズムを同一視してはならず、共庭主義 と資本主義のそれぞれにポリシェピズムと民主主義があるというのである aそして現政権のポリシエピキ的資本主 義 に は 反 対 ア ン ピ1ロフらのポリシヱピキ的共産主義にも反対、ャプリンスキーらの民主的資本主義にも反対し、 現在のロシア共産党を民主的共産主義者として擁護するのである(独立九五l 一一一-一九)。 共産党の綱領の内容から、共産党はもはや共産主義を放棄しているとする解釈もある。綱領の中には共産主義の 需がなえそれは目標として縄けられていないというのであるごとの場合、党のリーダーも綱領の超章者も正直だ ったと認めなければならない。彼ら低共産主義を建設すあことをまったく望んでおらず、そのような際組は実務ネ う砂 にで みは えな る" し確 の具 も体 i と的 産と Ei Z E f z 警 条 の f T R てて i幸 うれ ノ!ポ千プレ 1ミヤ九五回三l 八 i九三正確に言えば、綱領の中には共産主麓の 雲Z しに 量 処 義う #よ t ち 発 r い欄 いき 表て L( カ 当 方 益 可能と理解しているのでああ のい よわ ガ る 2事 かな F 院選痛の令析(下) 一九九五年ロシア 国 ; i 邦共 の雇 E本気 ぃ ロし シた 厳い アと のは 然 E ? ifさ で分 し た共 そ業 れが 、の 共来 てれ しの 一 量 号 事 つれ しい てを かう いそ と家 えの 52か す 聖 tti かて 言 与 i fR 語 義坦 る圃 聖 書 がぎ れ屋 線た 4、 ミ すロ るノ 予氏 想は し、 E書 売 量 しは EE れに につ 働き く、 可生 能産 宅金の z 事 るは 。終 か九 は底 逆を るそ かし もて し経 れ済 なの い好 よ . ' う共 ち転 t 霊 いの J 好い 転う す やや新しい視点(エコロジーの視点など)から 資本主義批判を展開していることは際述の 喜Z がと とおりである。 とフ ロシア共産党の綱領は 判である固ミロノフ氏によれば、共産党は、ロシア的共同体左集聞主義の党なのである aしかし、 ζの点について、 からの来来からの批判ではなく、過去からの、共開体を破鏡する市場に対する家父長主義的反動の視点からの批 ミロノフ氏によれば、ロシア共産党の資本主義批判は、マルクス的な、進歩的なものではないという。それは友 シア経済が改善される可能性は少ないが、そのことについては、今後は共産党も責任を問われる立場になる・ る政治の表舞台に躍り出たが、その乙とによって化の皮が剥れてしまった@共産党が躍進しても、それによってロ 産党への幻惣は崩壊する可能性がある e九三年の選挙で贋造した自由民主党は、それまでの彫の存在から、自の当 1 昏の開始﹂でもあるというのである q権力を分有するととによって、共 諺を引いて、共産党の勝利隊、同党の 黄 1 功ほど危険なものはない﹂という ってその支持基盤は縮小しているという(独立九五l 一一一二八三また彼は、 成 の支持基盤は年金生面者と衰退部門(石炭産業、軍需産業の一部)の労働者であるが、経済的・自然的な理由によ 共産党不変論の立場であるが、共産党の﹁黄昏 L について語るのは、政治研究所長のミロノフ氏である。共産党 宅 ともとユートピアであり、 宮 霊 がな 守 主 共 遣の i i てじ 存こ あ 掲旧 党が共産党でな︿なるなどと言うことはできない。 そは 産と のも タ蕃 し点 量T し同 現 も て砿 警ま ,~ " 誌 雑 学 法 神 戸 九九.E年ロシア下院選挙の分析(下) ,~ イミングに共産党は登場したことになる。改革派政権が、人民の非難を浴びつつ犠牲を払って展開してきた政策が やっと実を筋ぴ始めた時共産党はその成果を刈り取ることができるのである。 共産党の社会民主主義化を否定すると同時に、その危険性を指摘するのは次のような論者である。 大統領府長官だったプイラトフ氏俗、﹁そこ(東欧)では、権カに戻った旧共産党が決してポリシェピズムに一一反る ととはなく、社会民主主義を発展させるだろうとい主義慣があるが、ロシアではそのような確信はなえまたあり えない・なぜなら流血の過去をもち現在もそれを放棄していない共産党は、その復活自体危険であるから﹂とい う。同氏は、共産党の権力復帰を許さない唯一の方法として共産党に対抗しうるような、民主主義者主社会民主 主義者による統一社会民主主義政党を創設することを提唱している(イ九六l 一 l一一七三 ジャーナリストのアリパツツ氏は、楽観主護者は共産党を共産主義政党ではなく、社会民主主義政党とみなして いるが、それは遣うという固た と L えロシア共産党が多ウクラード経済を主張したとしても、ぞれは決して全体主義 体制左矛盾するものではない図社会民主主義政長の成長のためには、多数者の独裁に対抗するカのある市民社会主 民主主義の成熟が必要であるが、ロシアにはそのいずれも存在していないというのである︹イ九五七l 一七三 社会民主主義者を自称しているリピツキl氏(旧自由ロシア人民党)は、ロシアの共産主読者は、社会民主主義 ω精神から遠く、自らを閉しており、むしろ愛国主義的 者にとって最も重要な価値であるインタナショナリズム な立場を強めていること、﹁純粋な報復主義 L的傾向があって、いかなる社会民主主語者とも協力しようとしないと となどを根拠に、その社会民主主義的性格を否定している(独立九五l 一 二 ニ 。 共産党は、その主張を使い分げているという説もある。ショ!ヒン氏によれば、ジュガノア氏は、対外的国際 的には社会民主主義者的に接舞っているが、園内では老人向きの話をして、使い分けているという(トルド九亙 一一一一 01 実際ジュガノフ氏は、世界経済フォラムにおいて、アメリカの実業家遣と友好的に対応し自ら祉 会民主主義者であるかのような印象を与えることにある極度成功した官通報九六三二八コまた分析家イ1ゴリ・ プl ニン氏今中央政治工学﹂総支配人)によれば、ジ品ガノア氏は、世論に対しては、ある程度社会民主主議者と a して銀舞い、党内向付にはオーソドックス全共産主義者として対応しているという(ノ lポエ・プレ lミキ九主上二六 01 いずれの場合も、そのホンネは﹁共産主義者﹂の側面にあるとみているのである 一 共産党が社会民主主義化していることを否定する立場からは、先のフイラトフ氏のように、本来の社会民主主義 政党の結成の必要性が説かれる a ミロノフ氏は、ロシアの場合イタリア型(共産党が社会民主主義政党に転換し た)は困難なので、フランス型を追求すべきだという・かつてのアランスでは、強力な共産党が存在したが、有力 な社会民主主義政党は存在しなかった。ミッテラン氏が社会民主主義者を糾合して共産党に対抗する勢力を形成し ルイプキン、グロ毛フ、ポポフ、 シェルパコフ スピャトスラフ・フヨドロフなどの たように、 ロシアも社会民主主義勢力を結集するこし乙が、共産党を凌ぐ唯-の方法だというのである。之の場合、 念頭におかれているのは グルプである。リーグにはゴルバチョフ氏かルシコフ氏︹モスクワ市長)が適任だという(塑立九五二一一 。 プ 可 粛正されるだろうという予想もある(独立九五l 一 一 l二一一一)。ともかく現状では、この人民愛国語の指導権のもとで、 五九九コこの中で、ジユガノフ氏らの人民愛国旅が現在主流派であるが、そのうち正統派共産主義者によって オフ氏)、共産主轟の潮流(コソラポワ女史)、人民愛国語(ジユガノフ氏﹀の三つの潮流があるともいわれる(イ九 という(独立九五!一一一二八三また同じような見方であるが、 ロシア共産党内には社会民主主義的湖沼︿クプツ そとには正統派の原則主義者、社会民主主義者、官僚的国家主義者、プロレタリア国際主義者などが雑居している いることとも関係がある。例えば、ミロノフ氏によれば、ロシア共産党結いくつかの政党の戦術的な聖鼻であり、 ロシア共産党に対する見方が分かれるのは、 ロシア共産党が一枚岩の党ではなく、さまざまな潮抗を抱え込んで ) 1 ω 誌 X l V I 雑 学 法 戸 神 共産党は復古的・大国主義的色彩を強め、反動派との聞の接点を求めて勢力の鉱犬を狙っているという見方は多い。 マルクスの平等主義をロシア共同体の平等主義的 例えば、ゴルバチョフ氏に近い哲学者ツイプコ氏によれば、ージュガノフは、 マルクス主義の初発の全体主義的基 71ナ) の全体主義的基礎と結合し 礎をロシア共同体(オプジ4 伝統と結合しようとしている﹂(独立九五l 一一九﹀という a ロシア共産党が私有を答定するのも、単に社会主義の 理念によるもの?はな︿、 ロシア共同体の伝統によるものだというのである。その点では、ジユガノフの戦術は、 ﹁封建的社会主議の幻想﹂だともいってい マルクス主義をロシア的伝統のうえに受容して内容を変容させたスターリンの方法に似ているという。その思想は 1 古約ロマンティシズム﹂であり、﹁封建的・前ブルジョア的余韻﹂、 復 る。ジュガノフ氏自身、﹁民族共産主義しという批判に対して、民族的﹃板﹄から切り離された政党はロシアでは未 来はないと語り、その民族玉義的性格を否定していない(プラウグ九五一 ol二四三 ロ遁報九六l士一一六三カプ1スチン氏も ロシア共産党は、﹁形態は赤で、内容は白﹂ このような点に注目して、ジュガノフは、赤(共産主義者)でもピンク(社会民主主義者)でもなく、﹁白﹂(反 だという見方もある 車 っ て う 点 で f う のインターナショナリズムとは、 現シ ロ 在ア の人 冒に シよ アる 量 量 事 量 従の 来カ のム 霊 ? とグ 書 量 的外 異な なに にの ての つも いで るも と ま Z宅 ナりズムと毘族主義批判は、少数民擦の自己主張を抑圧するうえで好都合だったからである。 つまり旧ソ連共産党 ? 速においてインターナショナリズムを説くことは、大民族たるロシア民族において有利であった。インタナシヨ つてのソ連においては、﹁民援主義し怯否定され、乙の言葉は否定的な意味あいにおいて周いられていた.しかしツ あったような共産主義者l園際主義者ではないことは疑いない﹂(独孟九五l 一 一 一i一一七)という人もいる。確かにか 党が民族主義的であるのは今に始まったととではない。﹁ぞれ(ロシア連邦共産党 uが、その歴史的先行者がそうで と語っている(強立九六三丁五万もっともこの寸白﹂なるもの一を、民族主義的潮涜として捉えるとすれば、共産 動 し た が 九九五年ロシア下晩過撃均分析 C 下} 四 共フ "1 o 証 ? u o 凹 喜 志 維 学 法 神 戸 ない. で砿現雀のロシア共産党は旧ソ遮共産党の路線を完全に継承しているのかといえば、やはり異なる要素はある。 E ﹃白﹂(反動派)という意味は、単に民族主義を意味するだ砂でなく、体制 イデオロギーとしての共産主義の否定 を、つまり反共主義の意味を含んでいる。ロシアの左翼と右翼は、四版図の回復、民族主義・大圏主義という対外 的な路線のみならず、自由と民主主義に対する嘗成、統制型経爵の要求など、経済政治体制の銀幹において共通 する点が多い。今や右翼と左翼の相違は相対化きれているのである。しかし両者の聞にはもちろん相違がある。 両者は、同じ統制型経済でも、私有と市場経済に対する評価は異なる。私有と市場経済を容認したうえでの統制 E と、統制緩漏の枠内での部分的な私有 市場経済の容認との相違である。その相違は、ある条件のもとでは妥協が 可能であろうが、終極的には非和解的とをるような性格のものである。イヂオロギ附には、人間(労働者階級) の解放等々の理念に支えられた体制か否かという相退がある。それは社会政粛その他のなかで具体的に争点となり うる, いずれにしても閏幽と民主主義は抑圧されるが、 それが一貫したイデオロギーによるか否かによって、具体 的な形態は異なる。反動派による抑圧は粗暴であるが、根雇的な制御註はできない。共産主義者は、相対的にスマ l トであっても、核防道のない確実な抑圧を用意する。 このように、両者は、体制原理のよでは、線本的に対立する両極に位置している。しかし現在のように共産党 と反動派が微妙に共鳴し合っているのは必ずしも過渡期の一時的現象とはいえず、両者には反市民社会という点で 遜底するものがある。この点を遠路として、ロシア共産党が、共産主務的な共産党から、反動的役共産党へ(つま り結局は共産党ではなくなる)と転換していく可能性はある。そのときロシア共産党は、赤でもピンクでもな︿、 ﹁白﹂になることになる。 共産党の性格を考えるうえで現在の共産党を支えている階級的基盤が何であるかという問題が重要になる。共 一九九五年ロシア下院選者慣の分析(下) m 産党自身は、新しい労働者階級をその存立の基盤と考えているようである (ロシアプラウダ九六一一八三体制 転換によって新しい資本・賃労働聞係が形成されつつあるから、新しく形成された賃労働者が共産党の茎維となる 1 しい労働者階級﹂はやや遭った意味であり、ポスト産業社会にお防る知的労働者 可能性はある︿共産党のいう 新 といった意味であるが)。しかし各種調査をみる限り、共産党が新しい労働者階級の中に強力な支待塞盤をもってい るようにはみえない。その最大の支持蕃盤は年金生面者などであり、その共産主義は﹁ノスタルジア共産主義﹂(カ プiスチン) という性格が強いのである。 ロシア共産党が政権を掌握した場合、ロシアの未来はどうなるのか。経済危機が鹿を突いているとすれば、タイ ミング的には、共産党による保護主義的な政貨がうまく適合する可能性もある。しかしその場合も旧体制の復活に は継ながらないであろう。旧体制の崩複は不可逆であり、歴史を元に戻すことはできない・むしろそれは資本主義 への軟着陸へと継ながっていくととになろう。皮肉なととに、共産党が資本主義への体制転換を上首尾に実現する というととに怠るのである。共産党政権下で経済が好転した場合、共産党自身が変質していく可能性がある。しか しそれは、期待されるような社会民主主義的な方舟であるとは隈らない。園権主義的、反動的、民族主義的な方向 への変質である可能性も高い。その場合、共産主義のイデオロギーは放棄きれ、共産党は共産党であるととを止め、 反動的な資本主義民党に転換することになる。他方で、共産党の政権干でも経済の復興はならず、混乱が続いた場 合、共産党は百円ぴ政権を子放さぎるをえない状況が︿る・その場合、平和的に政権の交替が行われるとは限らない。 一七八九年のフランス革命の後、フランス社会の近代化は一直線の道を進んだわげではない。テルミrlルの反 パり・コミュ 1 ンがあった。 ロシアの体制転換も長期的な視野でみる必要がある。 動があり、 ナポレオンの富市政があり、 主政復古があった。さらにナポレオン三世の帝政もあった。七月箪命があり、 一一月草命があり m n . 維 誌 学 法 戸 神 その後大統領選診を簡にして共産党の主張は、さらに、わずかではあるが、柔軟になっている面がある a九六年二 e に憲法の遵守を拒否しているため、憲法と締役法に違反しており、司法省による霊録は違法であり、したがって渥拳に も参加を認めるべきではなかった主いうのである。まア共産党は窓忌の改正も提唱しているが、そのためには憲忌聖 ることを狙っているはずだ左いうのである︹ロ通報九六一一七三 を鋼集する必要がある Bしかし憲法福まま献はまだ制定されて凶ない.したがって共産党は、違法な方訟で憲法を改正す E なおロシア共産党の存在は憲法違反犯という主張もある。共産党の綱領は現存憲法を長人民的と規定し、アプリオリ れているのである︿ロシア・プラウダ九六1三一一二 共産党支持者だげでは当選は不可能でおるから人民愛国認なあ層が標的ときれており、それに合わぜた政策が展開さ 1 国 会主義的なイデオロギー色が薄れ、社会主義という曾柔も登場しない.代って 祖 Lという言桑が頻業にでて︿る・ すれば、﹃育英の﹂というのは曲者であるが(ロシア・プヲウグ九六-一二一一之さらに大統領選挙の還掌綱領では、社 月の第四回党協裁会でのジュガノア演説では、ー真の権カ分立 Lを肯定する発言もある。伝統約な共産党の周語法から 1 1 1 3 一九丸五年ロシア下院選券の分析{下〕 表 ① 比 例 選 挙 の 選 挙 固 体 別 得 票 数 ( ロ シ ア 新 聞 % 年 1月 6 " ' 教 問 ロシア自由民主党 わが家ロシア ヤプロコ 時プ一 室?を 当一ん% 挙一切 幅三票 比一一﹀ ②一( 表﹁ ロシア共産党 時 船 神戸法学雑誌 l l " 1 5, 4 3 2 . 9 6 3 7 . 7 3 7 . 4 3 1 1 . 0 0 9, 2 9 1 下 . '67,384 合 計 3 4 . 9 4 7 . 0 6 9 (b) 総得票数 ( 3 4, 9 4 7, 0ω} よ 定 数 ( 2 2 5 )" "1 5 5, 3 2 0 . 3 ([謡腐当り必要得票数) ( , )各団体の得票数 7 1議席当り¢必要得票数 ロシア共産党 ロシア自由民主党 わが家ロシア ヤプロコ 1 5 . 4 3 2 . 9 6 3 +1 5 5, 3 2 0 . 3= 9 9 . 3 6 7 . 1 3 7. 43 1+1 5 5 . 3 2日 3 = 4 9 . 8 2 7ω9.291 +1 5 5 . 3 2 0 . 3= 4 5 . 1 3 4, 7 6 7, 3 8 4ム 1 5 5, 3 2 0 . 3= 3 0 . 6 9 この商の塾教部分の霞席数がまず各国酔に配分されあ。つまり共産党広旬、 0議席である。そ¢合計は 自由民主党は錦、わが家ロシアは'"、ヤプロコは 3 2 2 3となる 残る 2議席除、先の商のd数部分が多い団体へ、つまり自由民 a 主党ヒヤプロコに l議晴づづ追加的に配分される。 (d)したがって、結果は次のようになる。 9 9議席 ロy ア共産党 ロシア自由民主党 わが家ロシア ヤプロコ 合 計 5駿席 "議席 3 1議席 2 2 5 1 1 腐 1 1 5 九九玄年ロシア下積遷挙均分析{下) 表③ 9 氾年下院選挙選挙団体別当選者のず 小選挙区 比 1 列選挙 タ 合計(%) 女性数 年院 首都塵 党 5 8 99 1 5 7 ( 3 5 . 0 ) 1 7 5 1 4 2 ア 1 0 4o 5 5( 12 . 2 ) 4 4 8 1 7 党 l 5 0 51(1 1 . 3 ) 4 1 コ 1 4 3 1 4 5 ( 1 0 . 0 ) " 2 1 党 2 0 2 0 (4. 4 ) . 5 1 1 ロ' ; / 7の 民 主 的 選 択 9 日(2.日) 47 4 権力を人民へ 5 3 5 産 共 わが家ロ 自 ヤ 由 民 プ 農 y 主 ロ 業 1 。 。 。 。 ι " 。 。 6 4 3 9 9 (2 . 0 ) ロ νア 人 共 同 体 金 融 5 5 ( Ll} 47 1 ロ ア 3 3 (O . 7 } 3 5 2 ルイプキン連合 3 3 ( 5 1 3 ロシアの女性 3 3 (0 . 7 ) 4 6 1 パムフィロワ連合 2 2 ( 0. 4 ) 4 0 2 その他の詰団体 1 1 1 1 (2 . 4 ) 1 5 0 7 属 7 7 7707.1 ) 1 1 4 8 1 7 計 2 2 5 前 無 合 進 所 シ 2 2 5 隼齢は 1 9 9 市年末の時点での平均年齢。首都闘は 4 5 0( 10 0 ) 2 3 4 6 ( 10 . 2 ) " 1 5 0 モスクワ市・毛スクワ州居住者数 n ' 神戸法学雑誌., " ソ連邦・ロ 年はソ遅刻 一 表④ ソ連邦 ロシアの『議会』の社会調成の変信回概要 国家(党官僚) 企業経営者 労働省農民 知徳人 その他 (党官僚は例年のみ) 8 4 年ソ連邦最高会議 28.7% 3.0% 50.0% "日% 4.8% → 隼ロシア下院 9 5 14.3% 27.2% 5.4% 28.3% 24.8% m 表⑤ 九先丘玉年ロシア下族議墨司書ア分析(下) ロシア下院議員の社会的構成の犯年と 9 5年の此輩(95 年の場合、前議員 は欄外に示した) 1 伺5 年盟挙 年選挙 1 9 9 3 比例代表 小選挙区 "'年合計 比伊代表 小選挙区 "年合計 人数(%) 人数(%) 人数(%) 人数(%) 人数(%) 人数(%) 3 4( 15 . 1 ) 4 8 (8 . 6 ) 2 4( 15 . 3 ) 1 3( 1 1. 8 ) (l . S ) 3 O (8 .1 ) 3 中央官僚 3 5( 15 . 6 ) 1 9 (8 . 7 ) 5 4(12. 2 ) 7 (4 . 5 ) 4 (3 . 3 ) 1 1 (3 . 9 ) 党活動家 1 0 (4ι) 4 0( 18 . 3 ) 5 0( 1 1 .3 ) 1 6 ( ] 0 . 2 ) 1 3( 10 . 6 ) 2 9( 10 . 4 ) 地方酷会輯員 2 (ι9 ) 1 2 (ι5) 1 4 (3 . 2 ) 7 (4 . 5 ) 1 6( 13 . 0 ) 2 3 (8 . 2 ) 地方官僚 2 6 ( 1 1 . 6 ) 4 0( 18 . 3 ) 6 6( 14 . 9 ) 3 3 ( 21 . 1 ) 2 9 ( 2 3 . 6 ) 6 2 ( 2 2 . 2 ) 旧企業管理者 6 (2 . 7 ) 1 2 (5 . 5 ) 1 S (4 . 1 ) 5 (3 . 8 ) 8(ι 5 ) 1 4 (5 . 0 ) ( } (2 . 3 ) 4 (2 . 5 ) 3 (2. 4 ) 7 (2 . 5 ) 企業等専門家 5 (2 . 2 ) 5 (2 . 3 ) l 新企業管理者 企業労働者 l (0. 4 ) 。 (0 . 0 ) 2 (0 . 9 ) 3 (0 .7 ) 7 (4 . 5 ) 5 ) 2 (1 . 3 ) 2 (0 . 9 ) 2(0, l (0 . 8 ) ソプホーズ員 l (ι.) 4 (1 . 8 ) 4 (3 . 3 ) 4(1 . 4 ) コルホ ズ員 5 (1 .0 。(0 . 0 ) 1 (0自 ) 5 (2 . 3 ) 21 (4 . 7 ) 9 (5 .7 ) 8 (6 . 5 ) 3日4 学者・研究者 5 . 6 ) 1 0(自1) 2 ( 2 3 . 3 ) 2 6 ( 1 1 . 8 ) 7807, 2 ) 2 1 0 ( 4 . 4 ) l l ( 5 . 0 ) 2 1 ( 4 . 1 ) l O ( 6 . 4 ) 3 ( 2, 4 ) イ 人 文 じ 9 (4 . 0 ) 1 2 (5 . 5 ) 2 1 (4 . 7 ) 2 (1 .3 ) 4 (3 . 3 ) 律 家 法 団体世員事 医 教 者 育 軍 事 者 人 年金生活者 a 時 そ 他 l 7 ( 6.0 3 3( 1 1. 8 ) 1 3 ( 4, 7 ) 5 (2 . 2 ) 3 (1 . 4 ) 5 (1 .4 ) 。(0 . 0 ) 。( 0 . 0 ) 。( 0, 0 ) (1 .0 1 c0 . 6 ) 2 (1 .6 ) 3 (1 .0 l (0. 4 ) 4 (1 . 8 ) 5 (1 .4 ) 2(札9) 5 (2 . 3 ) 7 (1 .6 ) l (0 . 6 ) 3 ( 2.4) 4 .9 ) 3 (2 . 4 ) 6 (2 . 2 ) (1 (0 . 9 ) 3 (0 . 7 ) 3 l (0. 4 ) 2 2 ( 0 . 1 ) 日( 3 . 6 ) 7 (3 . 2 ) 1 5 (3 . 4 ) l(0 . 6 ) l (0 . 8 ) (1 .8 ) 7 (1 . 6 ) l (0 . 6 ) 。(0 . 0 ) l (0 . 4 ) 3 (1 . 3 ) 4 2 2 5( 10 0 ) 2 1 9( 10 0 ) 叫4 ( 1 0 0 ) 前下院議員 前上院議員 総合計 1 57 ( 10 0 ) 1 2 3( 10 0 ) 2 7 制1 0 0 ) 6 0 4 2 2 5 旧日一冊 計 3 (1 . 3 ) mm9一出 合 職 の 1 6 (7 .1 ) 8 (2 . 9 ) 3 (1 .0 神戸法学雑誌"" 表⑥ 95 年下院選挙、主要選挙団体の議員の社会構成 . u ' " 一九丸五年ロシア下院選挙U分析(下) 表⑦選挙前の支持率の調査結果 ( , )全ロ世輸研究センタ の 爾 査 (イズペスチャ 9 5 1 1 1 7 、数字は%) ロシア共産党 6月 1 8 9月 1 8 コ 1 2 1 2 わが家ロシア 8 7 8 6 6 6 4 1 2 ヤ プ ロ ロシアの女性 ロシア人共同体会議 勤労者自治党 自 由民主党 ロシアの民主的選択 ロシア農業党 1 1月 2 3 1 0 1 0 8 8 8 5 6 3 8 7 7 6 4 5 (b)(Vox popu 1i)の調査 (0)デ ニ ン ( 政 治 工 学 セ ン タ )の予想 (独立新聞 9 5 1 2 -9、数字は%) υ ポエ・プレ ミ ャ9 5 3 6 1 0数字肱知 ロシアの民主的選択 2 2 . 9 1 0 . 9 1 0 . 0 9 . 5 6 . 5 5 . 7 4 . 8 ロシア廃業党 4 . 4 前進ロ 4 . 4 3 . 8 2 . 4 1 .5 0 . 9 0 . 8 0 . 3 ロシア共産党 わが家ロシア ロ Y アの女性 ヤ プ ロ ヨ ロシア人共同体会議 自 由民主党 シア 勤労者自治覚 国 犬 権力を人民へ J レ 続 わ イプキン連合 , 合意党 β 祖 国 産 共 自 主 20~25 党 7~14 ロシア人共同体会議 12~14 わが家ロシア 12~14 由 民 党 神戸浅学雑誌札" ~O 表⑥住民の怠臓爾査 ( , )住民の不満の対象の調査(全百世総研理センタ コ メルサント・デーリー 95-71 8,数字砿%重被回答) 物 価 犯 罪 失 禦 の 上 の 僧 者 昇 調 首 の " ' 大 7 6 . 5 5 9 . 2 4 9 . 6 貧富町差の拡大、富の不公平な配合 4 8 . 4 3 2 . 2 圃境付近での武装紛争 2 6 . 9 国家権力の弱体性ー無力性 ・文化・遭僅性の危機 2 6 . 7 2 6 . 6 化 2 5 . 7 賂 2 4 . 5 2 1 .4 経草寺危棒、工業・農業の生産低下 モラ fレ 環 境 腐 民 の 悪 敗 族 賄 間 係 関 の 現 降 張 の紛争 1 0 . 9 1 0 . 0 ファシズム・過激主曹の脅成 6 . 0 食料品・生活必需品の不足 画 軍 そ の 事 の 指導部 裁 強 他 内 を の 挙 止 づ ' 脅 た 威 者 3 . ' 6 . 0 ロ1 一九九五年ロシア下院沼挙め分析作〉 xP o凹 l i、"年の夏 敬、独立新聞問 1 1 3 0 ) (b)住民の政治意識調変(Vo イ)共産主義体制はロシアに最もふさわしいと思う念. イエス濁% ノー 5 4% ロ〉ー定の状況下で闘が再び社会主義に戻るこ kはありうるか。 イエス 2 1% ノ ,,% ハ)ロシアが危機から脱出しうるのは、どの場合か。 29% 国家聞折有のみに基づ〈縫漢に戻る 必要な国家新制を残しつつ私的内タターを鉱大する 43% 国家セクタ と私的セクターの現庄の水準を維持する 1 6 泌 ニ)雇用されて働〈のと、自分で事裁を行うのと どちらがよいか. 2% 自営 2 2 % 雇用労働者 5 ホ)国営企業で働くのと、それ以外と どちらがよいか. 2% 非国営企業 41% (私企業1 6 %、合弁企業1 2 % ) 国営企業 4 へJたくき人働けば収入が増える念場昨得格差も大きくなるのと園家カむF平等を遜 。るために寓を平等に分間ずるのと、どちらがよいか。 6% 後者 3 5% 前者 5 ト)社会に単の共還の見方があるのと、多様な見方があるのと、どちちがλ異 に とって有益だと思うか。 単の見方 2 8 % 多様な見方 6 0 % チ)多覚制の是非 是 4 5% 非 3 3% リ〕人民によって遺品された盤機関位制限されない強力な個人権力ム個人の統治 を自民限する集団的権力形態のいっそうの強化と、どちちが人民に kって有雑だ と思うか。 5% 集団的権力 50% 個人権力 3 ( , )住民の政治意識調査(金ロシア世論研究センタ一、"年 8-9月、イズぺ 5 1 0 1 3 ) スチャ 9 イ)西欧の径請援効なしでロシア恰やっていけるか。 い砂る 7 5% い防ない 15% ロ)外交と内政はどちらを優先すべきか。 8 出 内政花% 外交 1 ハ)ソ連郊の解体について 残念に思う者 70% 以よ ソ連邦。一回復は不可能と患う者 5 3 % ソ連邦の回復以可能と思う者 2 8 % ヱ)エリツィシ政権下ではプレジネフ時代より住民の権利は守ちれていないと考え る者 8 附% ' " 神戸法学雑誌 X L V I 表 ⑨ " 年 と9 5 年の比例遷挙におりる得泉率羽上回安(数字は%) 9 3年 9 5年 ロシア連邦共産党 1 2 . 40 2 2 . 3 0 ロシア自由民主党 2 2 . 9 2 1 1 . 1 8 わが家 ロ 1 0 . 1 3 シア コ 7 . 8 6 6 . 8 9 の女性 ロシアの民主的選担 8 . 1 3 1 5 . 5 1 ロ シア座業党 , . 自 由 4 . 6 1 3 . 8 6 3 .7~ ロシア統 合窓党 6 . 7 3 0 . 3 6 ロ シア民主党 5 . 5 2 プ ヤ ロ シ 7 ロ ( 9 3 年の数字肱ゴメルサント・ヂイり 9 5 -1 2 1 9 同95-4-4による。 「わが家ロシア」を除き、 9 凶年に議席を纏得した団体のみ掲歳したJロ シアの民主的運猷』は、犯年初場合は「ロシアの週択』と称していた J 表⑩ 9 3年と 9 応年の下院選挙における会議(団体)の畿日席数の'"綾 "年遍埠 " 2 2 2 拓 党 3 3 町 5 0 " 7 6 5 2 2 3 2 3 ロシア自由民主党 農 ロ 業 ロシアの民主的選択 権力を人民へ " 5 5 " ロシアの女性 合意覚 ロシア民主党 その他ー無所属 " " " " ' " ' " 4 4 4 2 0 9 9 ロシア人共同体会聾 ロシア統 9 5字選挙 コ わが家ロケア プ 9 5 7 2 " " ' 5 5 5 5 " 2 1 4 5 ロシア連邦共産党 ヤ 9 4 1 1 3 4 4 4 2 1 " ' 0 1 6 ' 4 4 3 5 3 1 9 5 4同 "凶年 1月"日は下続発足直後略隼, " 2日はエりクイン大統領の解任に関する 符別委員会の設置決諜菜が否決された直後) ' " 一九九三Z 年ロシア下院選挙の分析(下) 表⑪ 9 旧年と 9 5竿の選挙の政治潮流の得票率の比較(イズペスチャ 9 5 1 2 2 3 同紙では「左派』、「右派」という言葉が用いられているが、例えば自由民主党 のような極右も「左派」に分類されるという矛盾が生じている。したがって ことでは、左派は保守派、右派は改革派左呼ぶこ左にする。保守派は共産党 権力を人民ヘJ、「共産主義者労働ロシア ソ連邦の 自由民主党、農業覚、 r ために』、 r大国』など、改革派除、「ロシアの民主的選択」、ヤプロコ、勤労者 、「前進ロシア」など、中間派は、統一合意覚、ロシア民 自治賞、 r共同事業J 主党、市民同盟、「ロシアの女性」、「わが家ロシア~, ;ロシア人共周体会議」、 「ルイプキン漣合」などである。なおここでの数字は、最終結果以前のもので あるから、多少不正確である。) (,)仕掛選挙の得票率(%)の変池 。 保守派 中間採 1 鉛3 4 0 . 2 3 . 1 改革派 2 5. 4 > 9 9 5 4 6 . 6 十6 . 6 2 7 . 8 十9 . 7 2 0 . 7 9 . 7 網目減 すべてに反対 3 . 9 2 . 8 Ll 無効 7 . 6 2 ., ;; ( b )比例選挙で漫得した蟻席数(%)の変化 保守派 1 9 9 3 1 9 9 5 噌減 中間派 2 3 . 6 ".3 十1 5 . 5 製L O 2 6 . 6 1 4 . 7 3 . 6 1 .9 1 ( , )小選拳区でE 獲得した議席数 保守派 1 9 9 3 1 9 9 5 増減 改軍派 4 9 . 8 2 8 . 6 5 3 . 3 十2 4 . 7 C % )の変化 中貰l 派 .5 41 2 8 . 5 1 3 . 0 改革派 2 9 . 9 1 8 . 2 1 l. 7 (d)下院全議席の変1 e 1 9 9 3 1 9 9 5 保守派 1 7 6( 3 9 . 2 % ) 2 6 1( 5 9 . 3 % ) 増誠 寸<>,十20.0%) 中間派 1 4 6( 3 2 . 5 % ) 1 0 9( 2 4 . 3 % ) 371 自 2%) 改革派 1 2 7( 2 8 . 3 % ) 7 4( 16 .4%) 5 3 (-11.8%) 神 戸 法 学 雑 誌 l l . " ' 表 ⑫ 各 選 挙 団 体 の 支 持 基 盤 ( 19 9 5年 1 2月 末 の1 印 0 人を対象とした世論調査の 結果、イズベスチャ 96-1-11o各 列 の 数 字 は 縦 に 合 計 す れ は1ω%になる t まず の も の で あ る 。 実 際 に は 『 そ の 他Jや「無回,",が省略されているので、ぞう な っ て い な いJ (同団体支持者の年齢と学歴(数字は%) 自由民主党 共壷覚 1 82 5 4 05 5揖 2 4蘭 1 0 5 3 9歳 5 4歯 以上 高等教育 中等教育 それ以下 わが家ロシア 9 2 9 " 30 3 2 J3 '9 1 0 26 4 " " 5 C 3 1 3 1 1 9 5 3 5 1 2 5 ヤプロコ 1 5 J J 2 8 25 30 " 25 ( b )団 体 支 持 者 の 職 業 と 住 所 ( 数 字 は % ) 共産党 企 業 1 8 2 9 家 専 門 家 労 働 者 大 小 市 都 市 3 1 5 2 3 ' 8 2 3 2 2 出 4 3 2 3 2 3 1 村 農 わが家ロシア 2 4 " 年金生活者 モスクヲ市 都 自由民主党 J6 3 7 ヤプロコ 4 2 1 n " 20 7 1 3 3 8 J3 2 8 2 1 3 9 1 5 ( , )団体支持者の生活水準(数字は%) 共産党 さほど恵くない、生活できる 生活は園建だが、耐えられる 6 5 1 もう耐えられない 3 9 自由民主党 由主家ロシア ヤプロコ 1 0 25 1 6 " 5 7 6J 1 5 1 1 3 9 (d)' 社会主義の復活」のスローガンに対する団体支持者別の賛否(数字は%) 金体 賛 成 反 対 無回答 3 1 " ' 2 1 共産党 58 2 日 2 2 0 自由民主党 " " 2 2 わが家ロシア u 6 5 2 1 ヤプロコ " " 2 1 '" 九九五年ロシア下喰選挙均分析(下} 表 ⑮ 還 挙 団 体 の 都 市 農村別得票率 (回年比例選挙、独立新聞9 6 -12 6 、ロシア新聞9 5 1 2 1 9 、数字は%) 都市住民の比率 有権者の比率 わが家ロシア プ ロ コ ロシアの民主的選択 ヤ . . 産 共 党 Y 連邦のために 業 自 由 民 党 主 党 大都市 大都市 都市 その他 1 0 0 1 6 . 7 1 6 . 9 90~ lO O ω-9 附 G宋 欄 1 4 . 9 3 3 . 7 9 . 0 6. . 3 4 . 6 7 . 2 1 5 . 4 9 . 6 9 . 7 11 .9 1 4 . 4 4 . 1 1 7 . 2 3 . 5 2 0 . 4 2 . 1 0 . 3 2 . 8 3 . 6 1 .3 4 . 6 3 . 0 1 2 . 8 96 4 . 3 1 . 8 2 6,6 6 . 1 7 . 7 1 3 . 4 (二大都市とはそスクヲ市とサンタト・べレルプルク市である。都市住民の比率と は、各カテプリーにおりる都市住民の比率、すなわち都市化の程度を示している.有 権者の比率とは、全有権者がとの四つのカテゴリーに占める比率告示しており、検に 加算すれば100%となる.選挙図体のうち「ソ連邦のために」の正式名称は 「共産主 義 者 労 働 ロ シ ア ソ連邦のために」である。}