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プロバスだより第96-100号【PDF】

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プロバスだより第96-100号【PDF】
言
集 ・発 行 ・情 報 委 員会
東京八王子 プロバスクラ
と
2003∼ 2004年
度のテ
ー
。 。 3.11 .13
一
一
。
マ 「 喜 び を 分 か ち合 お う 支 え あ え る仲 間 にな ろ う 」
第 96回 例会報告 (司会 田 中例会委員長)
日時 平 成 15年 10月 9日 (木)午 後 0時 30分 ∼ 2時 30分
場所 エ ル シー 八王子 4階
出席者 会 員 50名 (出席率 79%)
来賓 八 王子 南RC 力 田
賀谷恵会長
1 会 長挨拶
ー
ー
皆様 こん にちは。 今 日はおに しい 中 を東京八王子南 ロ タ リ クラブ の加賀谷会長 の ご出席 を頂 き
有 り難 う ございます。キ ンモ クセイが咲 いて いる とい うのに、ス トー プを入れ る とい う不順 な天候で
ございますが、皆様 一 ヶ月如何お過 ごしで ございま したで しょうか。お元 気な お顔 が並 んでいるお 姿
を見て、嬉 しく存 じます。つ い先 日の新 聞で、 面 白い記事 を見 た のですが、 「
長寿大 国 日本 の秘密は
」 とい う外国のメディアが発信 したものです。そ の中で、殆 どのメデ ィアは科学的な解釈 としては、
精神的なゆ とり、食生活にあるといっていますが、英国のデイ リーテレグラフの着 目点は大豆食品だ
そ うです。納豆 の中には更年期障害 を抑制す る成分があるといわれています。それか ら、布団の上 げ
下げ、和式 の トイ レ等は非常に筋肉を動かす ので、高齢者 の長寿 に貢献 していると書かれて います。
アメリカのタイム誌は、カ ロ リー を採る量が世界の中で20%位 低 いか ら、但 し若年層はフ ァス トフー
ドのカ ロ リー の高 い食品を取っているのでランクが落ちるだろう、と述べています。英国のタイムズ
は、魚 中心 の和食が長寿 の秘訣ではないかと書 いています。
最終的 には長寿の理由は 「
解けそ うで解けない謎」とされ、神 のみぞ知ると結論付けて いました。
日本で 100歳を越えた方が 2万 人いる と発表されてお り、八王子市内でも、はちおうじ健康づ くり推
進協議会が11月 4日 に発足 いた しますが、下は助産婦会 といいますか ら、おなかの赤ちゃん、上は八
老連 という高齢者 の組織 まで、全市を挙げて種 々の団体 で構成されて います。
この協議会 の活動 の大きな柱 の一つは 「レクレー ション」、色 々な遊びの中か らくよくよしないで リ
体力づ くり」、運動で健康を保つ、三つ 目は 「
ラックス したものが健康づ くりに役立つ、二つ 目は 「
医療」で病気 になった らいち早 く対応 しようというものです。私共 の年齢 になると、健康づ くりが ど
んなに大切か、ベ ッ ドの中での長生きよりも、クラブ活動 しなが ら長生きする方がベ ターではな いか
と思 います。
私事 で恐縮ですが、今 日は誕生 日で ございます。丁度、長女 の社会的育成指導 に手を染めたのが36
年前であ り、振 り返ってみます と人生の半分を奉仕活動に従事 してお り、区切 りの良 い年度 です。奉
仕活動 は自分 自身 に戻って くるものが多 く、自分が与えたものよ りも子供達 の笑顔 の中か らパ ワー を
情けは人
貰 い、多 くの仲間ができ、色 々なところで支えて いただいてお ります。昔、修身の時間に 「
のためな らず」 と教わったと思 いますが、 この年齢 になって本当に自分の為なんだと、 自分 の為 に、
人の為 に奉仕 をした ら自分の所に戻つて くるのだ、と実感 し、 この年齢 まで病気一つせずに飛び回れ
た体 を産んで くれた親に感謝 し、支えて くれた多 くの人達にも感謝 しなが ら歩んでゆきたいと思 いま
す。
皆様 も地域社会に奉仕すると言 うことは、与えることばか りでは無 いのだと考えて頂きた いと思 いま
す。 これか ら、いち ょうまつ り、学習サ ロン等地域に対する奉仕活動が続きますが、クラプ会員、全
一
員で力を合わせて頑張ってゆきたいと思 います。 来 月の野外研修サ ロンを楽 しみにして、 この か
月をお元気 にお過 ごし下さい。
2 来 賓挨拶 八 王子南 ロー タリー クラブ 加 賀谷会長
一
皆 さん、今 日は。我々の例会ですと先週に続 いてということになりますが、 ヶ月は早いものですね。
ー
ー
ー
お陰様で私 も南 ロ タリ クラブで 3ヶ 月間をクリア しました。順調 に推移 してお り、クラプの皆
様 に感謝 を申し述べたところです。立川会長さんは じめ、会員皆様 もますます順風満帆に来てお られ、
先月お伺 いした時に多摩 ロー タリー クラブの人達がプロバスクラプを作 りたいとい うことで来所され
ましたが、八王子プロバス クラブの名前が世 の中に通ってきた証拠だ と思います。 大 変勉強にな り
参考 にしたいと言 つて帰 られましたが、私共 も素晴 らしいことだと思 います。
20周年事業 も近 くな り、プ ロバスクラブは10年 というわけで、折角だか ら一緒 にやった らどうか と
い う意見 も一部会員か らあ り、差 し支えなけれ ば、プロバス次期会長 さんとも相談 してゆきたいと考
えてお ります。 時 期は 2月 の18,19日 あた りを予定 してお りますが、 2年 といってもす ぐ来て しま
います ので、前 もってお話 しさせていただきます。 ま たゴルフのお誘 いを頂 き、一組 の枠 を作って
貰 い有 り難 うございました。
-1-
当クラブも、来年 5月 にロー タ リー クラブ世界大会、地区大会等イベ ン トが続きますが、その合間 の 3月 に
は合 同 コ ンペ を計画 してお りますので、是非多数の ご参加 を頂けるようご案内申 し上げます。
3 幹 事報告 (下山幹事)
幹事報告 の あと、鶴 田副幹事よ り報告があ りますので、よろしくお願いいたします。
1)国 境 を越えたボランティア活動の八王子ボランティアネ ッ トワー クの講演会 (10月25日 )の チケ ッ トが
残 ってお り、本 国申し込みを受付ける
2)大 阪プ ロバス クラブ (全日本プ ロバス クラブ事務局)か ら、オー ス トラリア ・ケアンズ市で、プロバス国
際ランデブー2003が 開催 され、 日本か ら大阪と鹿児島のクラブが参加 した との報告があった
3)各 クラブ宛 に生涯学習サ ロンの資料を送付 しているが、尼崎プロバスクラブか ら 「
生涯 学習サ ロンの成功
ロバス
おめで とうございます。八王子 プ
クラプを尊敬 してお ります。」 との礼状が届 いた
(鶴田副幹事)
「
プ ロバス クラブとは」 という小冊子 を配布 しましたので ご覧下 さい。ロー タリー クラブのホー ムベー ジに
は 「
クラブ奉仕」 「
国際奉仕」 の 4つ が謡われてお り、その中の 「
職業奉仕」 「
社会奉仕」 「
社会奉仕」 の
項 目の 中にプ ロバス クラブについて書かれて いるので 、その概要を説明 します。
(小冊子 によ り説明のため、省略)
また、 このホー ムベー ジの中で、八王子 プ ロバス クラブの 「
生涯学習サ ロン」についての紹介 も掲載 され
ています。
4 委 員会報告
○ 例会委員会 (田中委員長)
・毎例会では、出欠 の人数を早 く正確 に掌握 し、食事 の手配等行ってお りますが、当日の朝 になって も欠席連
絡 のな い方がお ります。本 日も 4名 が無断欠席 となってお ります。今後 このような ことが な いよ うに、 ご協
力をお願 いいた します。
・次回例会 11月13日は野外研修 と一緒 にな ります。
○ 情報委員会 (武田委員長)
・プ ロバス だよ りの投稿お願 いの用紙 を配布 しました。よろしくお願 いします。
・プ ロバス広場欄 (不定期な記事)を 設け、同好会 の案内 を掲載 しました。 同好会 に参加 したい、新 しく仲間
を誘い同好会 を作 りた い時は、当該同好会または研修委員会 に申請 して ください。
・会員 の動き欄では皆 さんの活動の紹介 をしますので、情報 をお寄せ下さい。
・ホームペー ジの開設について 、10月2日理事会でプレゼ ンテー ションを行 いました。
年内 に纏め、1月 1日 に公開できた らと思います。内容 としては当クラブの経歴、生涯 学習サ ロンテー マ紹
介 を掲載 します。
① 会員委員会 (中野委員長)
新規加入希望者 が 1名 あ り、審査す る事 にします。
① 研修委員会 (須藤委員長)
・11月13日野外研修 の参加費5,000円を集めさせていただきました。現在、 48名 の参加者 となっています。
以後 、都合が悪 くなった方は早めにお知 らせ下さい。 トイ レ付きバスの要望 については、参加人員 を考慮の
上、例会委員会 で検討 ・決定致 します。当日は朝 7時 と早 いのですが、一 日だけ早起きして下 さい。また、
身軽な服装で参加 して下 さい。
・研修 につき ご意見 ・要望 があ りました らお知 らせ下さい。
① 地域奉仕委員会 (宮崎委員長)
・先月の例会で皆様 にアンケー トのお願 いを致 しましたが、全員 に近い回答があ りお礼 申 し上げます。 これを
元 に、来 年 の学習サ ロンの話 し手 を委員会で選 ばさせていただき、後 日、会長 と委員長名で ご依頼 いた しま
す。そ の折 には、400字 程度 の話 の概要、希望 日時を ご提出下さい。今回のテー マは 「
緑 と環境づ くり」 と
し、関連す るテーマを選 びます。
・いちょうまつ りでの協力は、従来、八王子図書館で不要 となった本を配布 していましたが、今年は新 しい企
ふるさとの歴史」
画で、小中学生 に描 いて貰った絵 を、展示するお手伝 いをす ることにな りました。絵 は 「
がテーマで、文化的な行事 を中心に、美術大学や、小中学校の先生、プロバスクラブ担当者で選定 ・表彰 し、
いちょうまつ りの期間中、作品を中央図書館に展示 します。
・野外サ ロン当 日、 いちようまつ りの手形を販売 しますので、 ご協力お願 いします。
5 卓 話 (橋本鋼 二会員)
テーマ :国 際協力事業団の技術協力に参加 した経験か ら私の今回の話は、国際協力事 業団 (」 ICA)の
地域協力について、配布 の レジュメによ りお話 しします。農水省 に勤め、幾度 か技術協力や交流 に加わって
プ ロジェク トに参加、また海外研修生の受け入れ も行 いました。農水省を退職後、2001年 まで三年半 の間、
大豆生産技術協力のテー ム リー ダー として活動 しました。
JICA:本
年 の10月1日独立行政法人化
ICA技
(1)」
術協力 の種類
① 専門家派遣 技 術や経験 を伝えるが、国際機関から要請を受け日本人の専門家を現地に派遣する。分野
をいうと公共公益事業や農業水産業、エネルギー、商業、観光、保健医療、社会福祉等様々な業種があり、
-2-
現地 で知識 を伝 え、途上国 の人づ くりに貢献 して いる。期 間は 1 年 以 上 と 1 年 以下があ り 1 1 0 カ 国で1 7 5 0
名派遣。
② 研修員受 け入れ 技 術や経験 を学ぶ ことだが、先方 の行政マ ンや技術者 を日本 に呼 んで官公庁や大学、 自
治体等 で研修 させ、タイ、韓国、イ ン ドネシア、バ ラグアイで東南アジアガ多い。
③ 機材供与 必 要な機材 を送るが、機材のみを送って も機械は動かないので、農機具、工作機械、通信機、
医療器具等 が使えるようになるまで、人 とのつなが りが前提 となっている。 日本人技術者が帰った後 に、 日
本で学んだ研修生達が知識 を活か し動か している。
④ プ ロジェク ト方式技術協力人材育成 と機材供与を組み合わせて、プ ロジェク トを作 るのだが、数名 の専門家
が長期常盛 して各分野 に分 かれ指導 している。
一
⑤ ボランティア派遣青年海外協力隊や シエア海外ボランテ ィアな ど、国民参加型の国際協力で 」AICAが
ー
般市民か ら募集、シエ アは40歳 か ら70歳 の人で、現地人 と共に先方で国づ くりを手伝 うが、分野はスポ ツ
や語学関係 まで と幅広 く含 まれている。募集 には50カ 国300名 とある。
③ 開発調査 途 上 国 に対 して、開発 の青写真作 りやア ドバイ スなどを行 う。
2.協 力分野
① 食料分野 生 産能力向上、開発、農業経営 ・農民組織 の指導
② 環境分野 環 境 の汚染対策
③ その他 の分野 産 業分野、保険 。医療分野、教育、国の政策作 りな どの分野
④ 技術協力以外 の協力 無 償資金協力で学校や病院を作った り、時には地震や水害の緊急援助 もある。その他
日系人移住者へ の融資や子弟 の 日本語教育な ど。
の
私 技術協力経験
1.バ ラグアイ
南米大陸 の 中央 にある内陸国で、面積は 日本並み、人 口は北海道 くらいで大豆の輸出は世界第 4位 の農業
国である。 日本か ら1950年 ∼ 1960年の高度成長 の直前まで移住が進み、移住地 を開拓 して、大豆 。小麦な
どを生産 している。人によっては、都会 に出て商工業、医療、教育な どの分野 にも進出 し、現在では二世、
三世 を加えて約7,000人の 日系人が居住 している。 日本 の国際協力は南米ではプラジルに次 いで重要視 され、
技術協力、経済協力、金銭融資な どの協力もある。農業移住者 が多かったが、外国での暮 らしでは言葉の問
題か ら始 ま り、必ず しも専門家 ではない様々な人達が移住 し、一家で50ヘ クタールを割 り当て られ、森林 を
開拓 したが、途中で離脱 した人も少な くなかった。
2.パ ラグアイにおける 日本 の技術協力事例
専門家 の派遣 は、個別 とプロジェク トのみで60人前後、ボランティア派遣は、青年協力隊が40∼ 50人 に
移住者 の 日系人数名、シエ アは数名 と移住者の 日系人 1名 、研修員の受け入れは100名前後、予算は91年 ∼
95年 間で 168億 円 と言われている。
3.プ ロジェク ト方式技術供与
農業 では大豆研究 ・小農家向け野菜 ・特定地域水利開発、医療では健康 ・看護 ・助産婦継続強化、環境で
は造林 ・湖 の汚染調査、産業では測定計器 の指導 ・職業能力促進セ ンター の建設
4.大豆研究プ ロジェク トの狙 い と成果
今 までに多 くの協力が行われ、 日系移住者がバ イオニ アになって、大豆栽培が発展 した。安定生産 と生産
地拡大 のために、必要な試験研究 について5名のチームで活動。研究機関の整備 と研究者 の養成 に協力。成
果は新 しい品種 の育成や土壌 の異なる放牧地での大豆栽培、人工衛星を利用 した土壌診断などが挙げられる。
JICAの
技術協力の基本は現場主義で、相手 の国の人 と一緒 になって、 目標 に向けて努力 しや りが いのあ
る仕事である。
6 そ の他
① お茶の会 (矢崎安弘会員) 10月 26日 ・10時30分 市 民文化祭 の一環でクリエイ トホールにて行われる茶
会 に 7名 参加予定。
② 囲碁 の会 (矢崎安弘会員) 10月 23/24日 藤 野 ・障谷温泉 14名 参加 申し込み。
健康 と美容 に桑 でまちお こし」 によ り説明
桑 と健康の話」 「
③ 桑 と健康のお話 (大野聖二会員)配 付資料 「
があった。機会 を見つけ、桑の業でできた商品を紹介 したい。
長町幸雄会員 か ら、桑の効用 について、糖尿病 にきくとの こと、また前橋市 も桑の都の本家 と主張 している
な どの話があつた。
7 プ ロバス ソング斉唱
8 閉 会 (大高副会長)
4日 ほど昔の会社の仲間17名で、私が運転手 とな り山形 ・福島 ・新潟へ と行 った。米沢へ 「
なせばなるな
さねばな らぬ ・・・」上杉神社 ・記念館 を訪ねた。昨年20名だったが欠ける人もでた。健康であ りた いので、
無理 をせず風邪 を引かず、毎 日を感謝 の気持ちで過 ごしたいと思 う。
次回、野外例会 でまたお会 いしましょう。
立川会長 の誕生 日お祝 い として、加賀谷南RC会 長か ら記念のワイ ン ・時計 のプレゼ ン トがあった。
次回例会 11月
13日
R八 王子駅南 日
(木)、 野外研修 と合併 集 合 :午 前 7時 」
-3-
◎投稿
須藤英雄君 の
急逝 を悼 んで
横浜プロバスクラブを訪れて
平原 俊 彦
去 る10月10日、横浜 プ ロバス クラプの例会 に出席 し、
八王子プ ロバ
我が東京八王子プ ロバ スクラブについて 「
スクラプの歩んだ道」 と題す る話をしてきました。横浜
プ ロバス クラブは設立 されたのが約 3年 前、私たちも多
少な りともお力添えをして、今 日に至っています。最近
一
同クラブよ り、 時40名 いた会 員 が頓 に減少 しつつ あ
り、活動 ももう一つ活発でな い、そ こで、全国的にも最
大 の会員 を擁 し、積極的 に活動 している八王子プ ロバ ス
クラブの状況 について話 をして貰 いた い、 との依頼があ
り、その要請 に応えたものです。
当 日の例会は、馬車道 にあるレス
トランで実施、出席者は全会員27
名 中、 18名 (内女性 2名 )で し
た。昼食後、1時 間半程 タイ ト
ルの話 をし、更 に席を代えて喫
茶部で、中心メンバーの方々と懇談しました。
私は、タイ トルにある様に我がクラプの設立から現在の
活動の状況までを、資料 をもっていろいろと説明しまし
た。同時に、今年度の活動方針である 「
仲間意識 を高め
るためのクラブ活動並びに対外的な活動の展開」につい
て、結成以来の運営方針である 「
会員の連帯 と地域への
知的貢献」を元 に、具体的に話 をしました。横浜の会員
の皆さんは大変熱 いに耳を傾けて下さり、いろいろな質
問が出ました。中でも多かったのは、①会員 を増加する
には、②会員 に魅力を持たせるには、などの質問です。
それには何と言つても、全員が参加し色々な活動を自ら
の手作 りで、実行してゆくこと、これにより参加意識が
高まり、同時に会員増加 に繋がるのではないか、と話 し
ました。また、ロータリークラブとの連携が希薄な様な
ので、これにはお互いに交流を盛んにすべき、との意見
を述べ ました。加えて、会員の平均年齢が高いようなの
で (平均7暢難調 、もっと若い (といっても60歳以上
ですが)会 員 を増やすべきではないか、ともお話ししま
した。最後の懇談では、色々な話題で話に花が咲き、終
わる時を忘れるほどでありました。
韓
美女軍団に囲まれた あ りし日の須腰さん
-4-
矢崎 安 弘
須藤君が 10月26日 (日曜 日)15
時05分 に急逝 され ました。 虫 の
知 らせか 日曜 日の夜、図 らず も
い らっ しゃ
須藤宅 に電話 をし 「
「
いますか ?」 と言った ところ、 主人は今 日、亡 くな
りました」 と言われ、愕然 としました。まさに青天 の
需麗 とは このことです。普段は病気 の話な どした こと
は無 く、共に仕事 をし、楽 しく酒を酌み交わ し、歌を
うた い、語 りあった仲で した。 ごく最近 になって、喉
の左側 の リンバ腺がはれて医者 に行 き切 開した ところ
、精密検査 を即刻受けるようにいわれた と言 って,医
療セ ンターヘ検査 のため通 って いたのです。奥 さんに
伺 った ところ、肺ガ ンと肝臓ガンになっていた との こ
とで した。
顧みます と、須藤君 とは同 じ中学、高校 に通 った 同期
の桜で した。学部 こそ違 いましたが、同じ大学で した。
共 に過 ごした学生時代 といいます と、昭和2研 砕 月に東
京府立第二 中学校 (現在 の立川高校)に 入学 し、その
年 の8月 に終戦 とな り、その後、新制中学、更 に新制高
校 となるなど学校制度がめまぐる しく変わる時代でした
中学 に入 ります と、A組 か らH組 まで 8ク ラスもあ り、
同学年 の生徒数は300名を超え る大所帯で した。 中学 ・
高校 の 6年 間 に何 回も何回もクラス替えがあ り、須藤
君 と同 じクラスになった ときもあれば別れ別れになっ
た時期 もあ りました。少な くとも卒業直前の高 3ク ラ
スの面 々は、比較的覚えていますが、その中には須藤
君は入 っていませんで した。なにしろ50数年前 の こと
ですのではっき りは覚えていませんが、須藤君はそ の
当時、弁舌爽やかでマルクス主義 に凝 っていたように
記憶 しています。
私 のプロバス クラブヘ の入会 に当たっては紹介者 にな
って貰 いました。入会直後 に配属 されたのは例会委員
会で、須藤君が委員長で、 いろいろと指導 を受けま し
た。また死 の直前 まで研修委員長で、また ここで私は
一緒 にな り副委
員長 として補佐 してまい りました。
この間、彼 の仕事熱 きさや、細か い気配 り、緻 密な計
画 の立て方な ど大変感心 させ られた ものです。人格 円
満 にして、かつ指導力を持 った人で した。 人生 80年
の時代 になって、未だ 10年 あったのに、 と思 うと残
念でな りません。 ご家族 は、奥 さん と息子 さん二 人、
娘 さん一 人お り、お子 さん達はみな立派 に成人されて
お り、その点では須藤君 も心残 りは無 い と信 じます。
最後 に、亡 き友 の冥福 を皆 さん と共 に祈 る次第です。
合掌
扁集 ・発行 ・情 報委 員会
東京八王子プロバスクラ
2003.12.11
▼
`
2003∼2004年 度のテーマ 「一喜びを分かち合おう 。支えあえる仲間になろう一」
第 97回 例会報告 (司会 田 中例会委員長)
日時 平 成 15年 11月 13日 (木)午 前 7時 30分 ∼午後 7時
場所 野 外研修 、移動例会 として西東京 バスの車 中 にて 実施
出席者 会 員 42名 (出席率 67%)
開会 に先立 ち、去 る10月26日 に ご逝去 された、 前研修委員長、故 ・須藤英雄様の ご冥福 を祈 り 1分 間 の黙
祷 を捧 げた。
1 会 長挨拶
過 日、須藤 さんが亡 くな られ ま した。私たちは悔 しい思 いで 一杯です。須藤 さんは これか らの この クラ
プを背負 っていただ く人であっただけに、 ご本人が 一番悔 しい思 いでいただろうと思 い ます。 「 朝 には
紅顔 あ りて、タ ベ には白骨 となる」 という言葉を、 どこかのお葬式で聞 いた ことが あ ります。今 まさにその思
いが致 します。人間 の平均寿命 か ら見れば、十数年早 いよ うに思いますが、人生の終焉 を考 えます と、 逆 に
長 い入院だ とか、苦 しまれ る ことが 少なか ったのが救 いで はなか ったか、 との思 いが致 します。謹んで ご
冥福 をお祈 り申し上げます。
さて、 今 日は、研修 旅行 で横浜 へ 行 く事 にな ります。私 としては、 横浜港 は初 めての訪 間 にな ります
が、つ い私 の郷里である神戸 と比 較 して しまいます。横浜港 の方が神戸港 よ り、60年 も早 く開港 された と
伺 っています。神戸 は阪神大震災後 の復興ぶ り、地下鉄網 の充実 と 5年 前 に比べ て大き く変化 した。 本 日
は、横浜 の地理、歴史 に詳 しい野 口先生、宮崎地域奉仕委員長 の案 内で勉強できる ことを楽 しみ に してお
ります。
今年 も後 1回 だけの例会 を残す事 にな りました。元 気 に過 ごしたいと思 います。
2 理 事補充 の件
研修委員長 の補充 につ き、副委 員長 の矢崎安弘会員 の選任 を満場 一致で承認 した。
3 新 入会員 の紹介
八木 啓 充 (やぎ ひ ろみ つ)
住
会員番号 83
推薦者 :宮 崎浩平会員
生
年 月 日 :昭 和 11年8月21日
所 :〒 193-0933八 王子市山田町1606-25
電話舌/FAX:0426-66-2744
前職 :日 本 コンベ ンシ ョンサ ー ビス (株)
趣味 :男 声合唱、山歩 き
4 幹 事報告 (下山幹事)
(1)は ちお うじ健康づ く り推進協議会が発足 した。 当プ ロバ スクラブも正 式 に加盟 したので、行事 の際
は会 員 の ご協 力をお願 いす る。
(2)須 藤 さんの ご遺族 よ り、 ご厚志 を頂戴 した。
5 委 員会報告
○ 例会委員会 (田中委員長)
1月 の例会 は、例 年 どお り新年会 を兼ねて 1月8日 (木)午 後 5時 よ り実施す る。
場所 :京 王プラザホテル八王子 4階 扇 の 間
新年懇親会 の 内容 については検討 中であるが、新 しい年 の 出発 に相応 しい内容 にしたい。
12月の例会時 に最終人員 の確認 と会費 を徴収す る。
○ 情報委員会 (武田委員長)
プ ロバス だよ りは今 回追悼文 を掲載 したので、当初予定稿 の記事 は次 回に先送 る。
○ 会員委員会 (中野委員長)
会員 の増強 につ いて、協 力をお願 いす る。
① 研修委員会 本 日の研修旅行 の主 催であ り、訪 問先 ・車 中の世話等 に注 力 していただ く。
O地 域奉仕委員会 (宮崎委員長)
(1)11月 22、23日 は い ち よ う祭 りで 、今 年 は八 王子 の歴 史 と文 化 に 関す るテ ー マ で 市 内 の 小 、 中
学 生 に 絵 を描 い て も ら い200点 余 を審 査 ・選 抜 (12日 、鶴 田 、 中野 両 会 員 参 加 )し た もの を
-1-―
中央 図書館地下ホ ー ル に展示す る。 これ らの展示物 の保全管理業務 を各 委員会 に分担 してお 願 いす る。
また、恒例 の手形 の販売 をす るので、 ご協 力をお願 いす る。
( 2 ) 生 涯学習サ ロ ンの開講式、閉講式 の講 師、テ ー マ及 びサ ロンにお ける講 師 の 障容 も決 まった。2 0 日 まで
に印刷物 に したいので、題名 ・日程 の変更要望が あれば連絡 して ほ しい。
6 プ ロバ ス ソ ング斉唱 は移動例会 につき、取 りや め。
7 閉 会 ( 大高副会長)
次 回例会 1 月
8 日 ( 木) 午 後 5 時 0 0 分 、場所 : 京 王プ ラザホテル八王子 4 階 扇 の 間
ー ト
野 外 研 修 レポ
朝 7時 、JR八 王子南 口集合。参加者 42名 。改須藤前研修委員長が最 も気 に して い た早朝か らの出発時間で
あったが、遺志が通 じ予 定通 りのスケ ジュー ルで出発で きた。午後 か ら雨 とい う天気予報 だったが、陽が さ した
り曇 った りの天気で、 この一 日を過 ごす ことが 出来 た。バスは国道 16号 を南下 し、 一 路金沢文庫 へ 。車 中で改須
藤会員 の ご冥福 を祈 り黙祷、そ の後例会議事 に移 った (例会 の議事録 は前 出)。 矢崎新研修委員長が今 回 の野外
研修 の 目的 を紹介 し、配布 された研修委員会編集 の テキス ト (これが内容 の充実 した資料で あった)を もとに、
野 日会 員 か ら横浜 の歴 史 と八王子 の関係 につ いて、丁寧なガイ ド説明が あった。往路 も順調 に進 み、10時 過 ぎ
に現地到着。金沢地 区 の道路 が狭 く、 一 寸離れた住宅地で下車。称名寺 に入 山 した。
①称名寺 ・金沢文庫見学 (10:10∼11:30)
称 名寺境 内 にある朱色 の太鼓橋前で全員 の記念撮影 。各 自参拝、散策 の後 、金沢 文庫 に入 る。 学芸員 による
真言律宗 ・金沢 山称名寺 の出来 、本尊弥勒菩薩 の説明 を受 けた後 、文庫 の教室で、金沢文庫 の成 り立 ちの ビデ
聖地か ら雲 にのってや って くる」 とい う表現 は、人 々
オ を見 、特別展 「
雲 にのるかみ ほ とけ神仏」 を鑑 賞。 「
の神仏 を身近 に感 じたい とい う願 いが現れて いる と言 う ことらしい。約 50点 の重 要文化財 、他 の資料 の展示
が あった。
○昼食 中 華街 にある 「
同較別館」 で 中華料理 を楽 しむ。 (12:00∼13:10)
○横浜 開港記念館 (旧イギ リス領事館)(13:30∼ 14:30)
企画展 は 「日刊新 聞、誕生ス ー 『
横浜毎 日新 聞』 と文 明開化 の横浜 一」
ー
ペ
ここで は館 員 によ り1854年 リ 上 陸時 の 開港 に関す る説 明が あった。 ペ リー は 日本 人 の前で は顔 を出さな
か った ので、似顔絵 は数種類 あ り、 どれが 本物 に近 いのか は分 か らな い との こと。
モ ー ルス電信機や蒸気機関車 の模型な どが展示 されてお り、当時の 日本では想像で きな い 品物 が贈 られて いた
ことが 分 か る。
①神奈川県 立歴史 博物館 (旧正金銀行本店)(15:00∼ 16:30)
この博物館 は関東大震災で焼失 を免れた石造 りの 3階 建 て建造物 で ある。
重要文化財 一かながわ考古展」の開催 中。
特別 展 として神奈川県文化財保護条例制定 50周 年記念 「
ボ ランテ ィア の説 明員が大勢お り、二 手 に分かれて説明 を受 けた。
この特別展で は、神奈川県域 にある遺跡 を紹介、旧石器時代、縄文時代 か ら、近代 ・現代 までの人 々の生活 を、
時代毎 に五つのテ ー マパ ー クに分 け、時代時代 の埴輪、土器か ら始 ま り、陶磁 器 、美術工芸品、古文書 、模型
等 の 出土 品、製作作品が展示 されて いた 。説 明員が丁寧 にガイ ドして くれ、出発 の時間が延 びた くらいだ。
今 回 の研修 は展示会 の鑑賞が多か ったので、時間的 に厳 しいスケジュー ルで あったが、色 々な発見が あ り充実
した一 日で あった。八王子 と横浜 は案外近 いので 、再度、ゆっ くりと訪れて街並 み を見 なが らそぞ ろ歩 き も悪 く
至
!落
韻│ │
はな いな と感 じた。 帰
路 の車 中で、飲 み物 も
配 られ、歓談が進 んだ
。恒例 のい ち ょう祭 り
通行手形 も販売 され、
ほぼ完売 のよ うで あっ
た。 この野外研修 の企
画 を して いた だき、実
踏 の上、完壁 な計画 を
立てて いただ いた改須
藤会員、矢崎委員長、
そ して研修委員会 の皆
さん にお 礼 を申 し上 げ
ます。
-2-
同好会短 信
プ ロバ ス 囲碁会 一 泊旅行
吉田 信 夫
1 0 月 2 3 日 ∼ 2 4 日 の 2 日 間 にわた り、J R 藤 野駅か ら程近 い障馬 山の麓 の 障谷温泉で、囲碁大会 を行 った
この宿 には、宿 の主 人 の道楽 による立 派 な 囲碁対局 室が あ り、素晴 らしい環境 の下、熱戦 を繰 り広 げた。宿 に着
き、昼食後か ら夕方 まで 囲碁 、風 呂 ・宴会 の後 、
再 び深夜 まで 囲碁 、翌 日は朝食後 、昼過 ぎまで 囲碁 と、 まっ
た く囲碁三昧 の 2日 間で あつた。
ー
参加者 14人 がA、 Bの 2グ ル プに分かれ、勝敗 を競 った
ー
ー
結果 、Aグ ル プで は矢崎安弘 さんが、 Bグ ル プでは浅輪
豊治 さんが優勝 された。
A,B両
グル ー プ とも実 力伯仲 し、特 にAグ ル ー プは最後 の
最後 まで、優勝 の行方 は分か らなか った。 この様 に囲碁
ま
に どっぷ りと漬か った経験 は、 皆 さん初 めてのよ うで、 「
たや ろ う」 との声が強 く出て いました。
最後 に、 この楽 しい企画 を継 めて くださった矢崎安弘 さん に
お礼申し上げます。
写真 は矢 島氏提供
同好会短信
第 7回
「
プ ロバ ス ク ラブ」 ゴル フ コ ンペ
西志村光治
“
"こ
と八王子 カ ン トリー クラブで、 11月20日 開催 された。
日増 しに晩秋が深 まる八王子近郊 の はちかん
当 日はあ いに くの小雨煙 るチ ョイ寒 の、 ゴル フには い ま い ち の 日和で はあったが、濡れた もみ じや楓 は深紅 に
ー
鮮や か に染 ま り紅葉 の進 んだ グ リ ンで あった。
今 回は八 王子 南 RCか ら加賀谷会長様 ほか 4人 のゲス トと会員 15名 による競演 で あった。
ー
トリッキ ー なイ ンコー ス、長距離 のア ウ トコー ス、共通 して難 しい砲 台 グ リ ン (逆戻 りして ラフヘ )、 小雨
にけぶ る殆 ど見 えな い グ リー ンの旗 、等 々の難条件 の 中で行われた。
一
優勝 橋 本義和氏 、 準 優勝 矢 島 雄氏 、 三 位 ・ニ ヤ ピン 森 田貢士氏 (南RC)
ー ー
新 ベ リア方式 のため、優勝 こそ 逃 したが グ ロス85(39,46)と い うス パ 会員 に驚嘆 と共 に挑戦意欲 をか き
一
立て られた 日で あつた。
次回 コンペ 開催予定 来 年4月 15日 (木)、 場所未定。 幹 事 :橋 本氏、鶴 田氏
-3-
と観心寺参詣紀行 其 の 1
11月22・23日 い ち ょうまつ り
小学生による八王子 の歴史絵画展での一 こま
L工縄ぱ 一
き田 田
日日翻
圏圏
皿田&
-4-
難
﹁ゴ
石井 貸
の
に在
る臨
は上恩方狐塚
石井家 菩提寺
済宗南禅
山の
寺派 の高蔵 山興慶禅寺 。 詩 人中村雨紅 の 「
お寺」 の情景 にビッタ リの環境 で、境内 には 「
夕
「
焼 けの鐘」や ふ る里 と母 と」 の碑 が造 られて い
る。 雨 紅 の生家はバス停 2つ 先 の 「
宮 ノ下」 に
ある。
興慶寺 の檀家有志 は寺 に所縁 の ある地 を尋ね る
研修旅行 を毎 年 のよ うに行 っている。 私 も退職
後毎回参加 しているが、今年 は住職 同士が南禅寺
で一緒 に修行 した縁で高野 山参詣 となった。 宿
坊 は高野山準別格本山蓮華定院。 関 ヶ原 の役後
、真 田昌幸 ・幸村父子が信州 上 回城 を長男信幸 に
託 し、仮寓 とした ところで、別名真 田坊 といわれ
ている。
高野山までは片道 500 k mを 越え、高速道路 あ
れば こその道程。 秋 の 日は短 く、山中である こ
とも加わって到着は暗 くなって いた。 車 中で焼
酎 を飲み過 ぎた訪 りは免れぬが、精進料理 の夕食
最 中、突然頭 の 中が空 白状態 とな り息苦 しさを覚
える。 調 度類 のない 白熱球 のほの暗 い灯 の下、
時間 の経過が もどか しく悶 々 とす る。 和 尚が一
緒 の旅だか らと気 を静め、夜半過 ぎにウ トウ トし
たが 目覚め るとかな り寝汗 をかいていた。 翌 朝
6時 の勧行 で先祖供養 を祈 るが、標高 1,000m近
い開け放たれた本堂 での 1時 間は寒気が身 にしみ
る。 高 野山大学 の学 生なのか10人 近 い外国人 の
姿 も見受け られた。
816年 僧空海が嵯峨天皇か らこの地 を賜 り、真
言 の根本道場 を開設 したのが高野 山の始 ま りで、
高野 山真言宗総本山は金剛峰寺。 明 治以後 一 山
の本坊たる伽藍 (青巌寺)が 金剛峰寺 と定め られ
た。 本 山を中心 に多 くの堂塔伽藍が建ち並ぶ。
高野山は秀吉 による戦火は免れて いるが、度重
なる雷火 による焼失があ り多 くの寺 院 の建物は明
治後 の もの と。 諸 堂 には多数 の美術品が所蔵 さ
れていて、密教美術 の宝 庫 とも言われて い る。
中国 に学んだ空海 は、真言密教第八祖 として遍
照金剛 の名 を与え られてお り、今 日で も真言宗 の
葬儀では参会者が南無大師編照金剛 と唱和 し鎮魂
す る。 空 海は原理 ・実践 ・心理面か ら即身成仏
の思想 をその著 「
即身成仏義」 の 中で説 いている
。 835年 山 中の岩窟で 「
虚空尽 き、衆生尽 き、
浬槃尽きなば我が願 い も尽きなん」 と未来永劫 の
衆 生救済 を誓 い入定 (永遠 の座禅)し たが、 この
地 に建立 されているのが奥 の院で空海 の御廟があ
る。 空 海入定信仰 の隆盛 に伴 って 高野 山は繁栄
して ゆ く。 奥 の院一帯は撮影禁止地域、境内の
清流 にはアマゴが泳 いでいた。
室町後期 の社会 の混乱 の 中で高野 山の荘園は失
われていくが、豊 臣家や徳川家 の帰依 もあって諸
国 の大名達が盛んに檀縁 を結び墓石 を建立す る。
日本総菩提所 ともいわれる五 輪塔 の墓石群で、
一 の橋か ら奥 の院 に至 る 2kmの 山 に
中 林立 して
いる。 下 部か ら方形 。円形 ・三 角形 ・半月形 ・
団形 を積み重ねた塔が五 輪塔。 こ の五 形 は密教
の標識 で宇宙 の生成要素である五大 (地 ・水 ・火
・風 ・空をい う)を 形 どると共 に大 日如来 のシン
ボル として尊崇 され る。 現 在 の卒塔婆 の輪郭 も
五輪塔 を形 どった もの。 講 釈はさてお いて、樹
齢 を重ねた仄暗 い杉林 の 中、所狭 しと並ぶ五 輪塔
群 は異様な雰 囲気 を醸 しだ し霊気す ら感 じる。
奥 の院参詣 を終えた帰路、杉 を伐採 して造営 し
た新設墓地 に自蟻供養塔があった。 宗 派 を問わ
ぬ高野山だが苔む した五輪塔 は何 を思 い何 を語 ろ
うとして いるのだろうか。
高野山下山 の車 中で高校時代か らの友であった
改須藤英雄氏逝去 の メール を受 ける。 昨 夜 の不
調 は虫 の知 らせだったのか、無常 の想 い一 入。
ご冥福 をお祈 りす る。
2003∼ 2004年 度のテーマ 「―喜びを分かち合おう ・支えあえる仲間になろう一」
2004年
も輝 いて過 ごせ るように
立川冨美代
プ ロバス クラブの皆様 、明けましておめで とうございます。 2004年 の新春を健
やかにお迎えされました ことをお喜び申し上げます。
例年、新年例会 ,新年懇親会が終わ ります とす ぐに 「
学習サ ロン」が始まります。
ー
「
クラブ全員 の力を結集 して、 自然 と緑」のテ マ を軸 に充実 したサ ロンの展開を
期待 いた してお ります。
シルバーエイジを輝 いて過 ごすために」 と言 うの
昨年 のサ ロンテーマの中に、 「
ー
があ りました。 ク ラブのメンバ が等 しく考えることで しょう。 輝 いて過 ごす
為 には会 員それぞれが考 える ことで すが、や は り第 一 番 に健康ではないで しょうか。私 たちの年代 は健 康な
して輝 いて過 ごせ る と思 います。 今 年 は大
日々 を送れ る ことが幸せで あ リー 番望んで いる事です。 そ
へ
阪 のプロバス全 国大会参加、八王子市健康 づ くり協議会 の参加等、 また地域 社会 へ の奉仕 と幅広 く活動で
きます よ う健康 に留意 をして、会 員 一 人一 人が輝 いて欲 しいと願 ってお ります。
◎第 98回 例会報告 (司会 田 中例会委員長)
日時 平 成 15年12月11日 (木)午 後 0時30分 ∼2時30分
場所 八 王子エル シー
出席者 会 員 50名 (出席率 80%)
来賓 八 王子南 ロー タ リー クラブ 加 賀谷恵会長 、広瀬武彦幹事、 川 崎西 ロー タ リー クラブ 斉 藤 尚
雄会長、斉藤 二 郎 プ ロバ ス創立準備委 員長 、三間悌 司次期会長予定、片 岡登美夫次期筆頭理事予
定、武笠博行次期幹事予定
1.会 長挨拶
八王子南 ロー タ リー クラブ会長 と幹事が毎月 ご出席 して頂 き、厚 くお礼を申し上げます。また本 日は川
崎西 ロー タリー クラブの会長 を始め、4名 の皆様がお見えにな りました。新たに川崎でもプ ロバスクラブ設
立の機運が高まり、その準備の一環 として当クラブを視察されるとのことで、大変光栄に思ってお ります。
先月の野外研修例会は、研修委員長 の突然 の死去 というアクシデン トにもかかわ らず、よい研修 をして
いただきました。また地域奉仕委員会中心 に 「
いちょうまつ り」の奉仕を頂き有難 うござい ました。
一
最近、教育 の現場が荒れてお ります。それ も 昔 と違 い、子供ではな く指導者に問題が多 いと聞 いてい
ます。ガーディアン ・エンジェルズとい う、夜の盛 り場で、青少年の行動のパ トロールをしているグルー
プの隊長の話を聞きました。1979年にニュー ヨー クにできて、 日本では阪神大震災を期 に発足 したもので、
赤 いベ レー帽 とジャンパーで新宿、池袋、渋谷な どで夜の盛 り場 のこどもたちのパ トロールをしています。
最近は特 に麻薬や性犯罪が多 く、年齢がとても低年齢化 してお ります。長 く社会教育の現場で少女たちを指
導 してお ります と、いくら教育現場が荒れて いまして も、 こどもたちを健全 に育成するには家庭教育が原
点であると思 います。 10月に ドイツか らオー ケス トラを招聘、その団長の子供たちへ の躾はしっか りした
もので、 ヨー ロッパの家庭教育 の程度 の高さを感 じました。私たちの年齢 では、 自分 の子女でな く孫の時
代ですが、心身ともに健康 に育てるために、 しっか りと見守って行きたいと思います。
2.来 賓挨拶
○加賀谷八王子南 ロー タリー クラブ会長挨拶
先月は野外例会だったので、出席できず、今 日は2月ぶ りですが、皆様 お元気で、 しか も本 日は川崎西か
らお客様 をお迎えし、うれ しく思います。
(プロバス クラブについて緩 々、 ご説明があった)
-1-
O斉 藤川崎西 ロー タ リー クラブ会長挨拶
川崎西 ロー タ リー クラブは、会員84名を擁 し、70乃至80%が 例会 に出席 しています。 当 ロー タ リー ク
ラブの創立40周年記念行事 として、プロバス クラブ設立の機運が盛 り上がっています。 こ の面で の先輩
である貴クラブの実情をお伺いしたいので、本 日多数 の者が参 りました。 ど うぞよろしくお願いします。
3.新入会バ ッジ授与
会長よ り前日入会の八木啓充会員 にバ ッジ授与。
4.幹事報告 (下山幹事)
① プ ロバス クラブ規約 の最新版を配布 した。改訂 の部分 の徹底 と会員委員会 による会員増強 の際、オ リエ
ンテー ションに使 って行きた いとの趣旨である。なお第 8条 の例会時間が実際よ り30分 短 く書かれて
い るが 、現 実通 りにや るので 規 約 は機 会 を見 て訂 正 され るべ き もの と考 えて くだ さい。
②本 日の配席 について委員会別 にしたが、後 に情報委員長 の説明があるとお り全員 にご協力をお願 いした
いことが あったためである。
③ l月 18日 (日)に 八王子健康づ くり協議会のシンポジウムが計画 された。参加乃至手伝 いの要請があ
るのでお心 に留め置き願 いた い。
④今後 、例会席上での全員配布 の印刷物は、事前に理事会、関連委員長 に届け出るようお願 いしたい。
但 し、会場受付付近 の机 上に置 いて、持ち去 り自由の印刷物 については制限 しない。
5.委員会報告
○例会委員会 (田中委員長)
本 日の例会 には、会員62名 中50名が 出席、出席率は80%。
○情報委員会 (武田委員長)
第8回生涯学習サ ロンに対 して、八王子市及び市教委 の後援 の許諾 を得た。 ま た市の広報紙 へ の掲載 (
1月15日号)も 申請 した。 従 前 のサ ロンのテーマ記録 の電子 ファイル化は、橋本副委員長 の尽力 によ り
実現。
校正は当委員会 の委員全員が分担 して当たるが、会員に協力をお願 いすることもある。
会員動向 :野 国会員 八 王子南RCで 「
八王子千人同心」をテーマに卓話を行 った。
○会員委員会 (中野委員長)
会員 の異動 について :須 藤さんが逝去、小坂 さんが退会、関戸会員、小山会員が休会 となった。
○研修委員会 (矢崎委員長)
空席 となっている研修委員会副委員長 に加藤会員が選任 された。
同好会 の補助金 申請書 の提出を願 いたい。
①地域奉仕委員会 (宮崎委員長)
① いちょう祭 りにおいて、 図書館 にお ける児童 らの絵画の展示 に協力した ことに関 して、いち ょう祭実行
委員会よ り感謝の辞 を受けた。 関 所手形は40枚を販売。
② 生涯学習サ ロン案内の配布、共通テーマ は 「自然 と緑」。 (サロンテーマ詳細内容 の説明があった)
③サ ロン受講選択テー マの提出並びにサ ロン当日の役割分担について次回例会 まで決定す る。
6.卓話
川 博 孝会員
北
テーマ 「
八王子空襲 と浅川地下工場」、副題 「
アメリカは八王子 をどのように認識 し、
どのように空襲 しようとしたか」
米軍 が、 攻撃 目標 として八王子 を どのよ うに位置づ けて い たか は、米軍側か ら得 られ た資料 によ る
と、 まず第 一 に、八王 子 が鉄道 の要衝 (railroad junction)で
Tabulation
ある ことで す。 資 料 「
of targets in Tokyo area」
いか
を見 る と、
に米軍 が八王子 駅 の構造配置 につ き綿 密な事 前調査 を行
ったかがわか ります 。 (配布 された八王 子駅 の構造配置 図 による と、八王子駅 構 内 の 信号所 、転車台
(ター ンテ ー プル )、 それ に線路 の側線が21本 ある ことまで描かれて いる。)第
二 に、八王 子が人 口
の集積地で ある ことです。配布資料 によ り分か る とお り、八 日町交差点 を標 準点 として、半径 約 2キ ロメ
ー トル の範 囲が、八王子 の 中心部ですが、 これが
焼夷弾攻撃 によ り焦土 と化 しました (配布 の地 図 によ
る と、八 日町交差点 の標準点 に向か って、3本 の攻撃軸が、南西方 向か ら、共 同墓地、、 旧裁判所 、八
-2-
王子 中学校 をそ れぞ れ経 て八 日町交 差点 に収 飲 す るよ うに描 かれ て い る) 。
他 方 、米 軍 のわが 国軍事 施 設 、軍需 施 設 に 関す る調 査 は、完壁 とは いえ ませ んで した。 米 軍 は浅川 地 下 工
場 の 建 設 が な され て い る こ と を 終 戦 まで 探 知 で き ませ ん で した 。 配 布 の 「浅 川 地 下 工 場 ( A s a k a w a
U n d e r g r o u n d P l a n t ) の 全体 配置 図」 の とお り、地 下 工 場 網 が張 り巡 らされ て い ます が 、 これ は終 戦後 「
米 国 戦 略 爆 撃 調 査 団 」 の 調 査 に よ り米 国 が は じめて 知 った こ とで す 。 こ の 図面 に よ る と、地 下 工 場 は 、
A , B , C ( 日 本 語 図面 で イ 、 口 、 ハ ) の 3 地 区 に 分 れ て お り、広 範 な もの で す 。
【
補 足 説 明 ( 卓話 の 時 間 内 で 話 せ なか った 内容 をま とめ ま した ) 】
① 地下壕 の総面積 ∼ABC地 区 の合計は31,566平 方 メー トル、約9500坪 余 り。 (参考 :東 京 ドー ムの面 積 は
15,151坪、約 6割 の広 さに相 当) 約 6ヶ 月 の突貫工事で完成 した地 下壕 の進捗度合 いは平均で約 75∼80%、
終戦 まで に完成 した航空機用発動機 はわずか10合 に過ぎなかった との こと。
②米軍 か ら見た8月 2日 の空 襲 ∼ テ ィエ ア ン島か ら169機 が飛来。 同 日に富 山、長 岡、水戸 も空襲 。1機 に8ト
ンの焼夷弾 を搭載 、種類 は2種 類 でイ、エ レク トロン爆弾、 口、油脂焼夷弾2種 類 の合計は約 1590ト ン。
③ 市 の南南西、西南西方面 か ら侵入、八 日町 の照準点(平均着弾点)に向け焼夷弾 を投下 の件。
*慣 性 の法則 を利用 、高度 、速度 を綿密 に計算 し、手 前でボ ー ル を投 げるよ うに、手前で落下 させ る。 真
上だ と命 中率が落 ちる。 自機 も真上だ と危 な い (巻き込 まれ る)∼ 原爆 の場合 も同 じ。
④ 当時 の八王子市 へ の主な疎 開者 ∼水原秋桜子 、(俳人)、吉 田秀和(音楽評論家)、大 内兵衛 (東大教授)、市川
房江 (婦人運動家)等 。
③ 地下壕 のA地 区 の奥 の 半分 は大信工業 というプ ラステ ィック関係 の会社が買収、 しいたけの栽 培や ワイ ン
の貯蔵場所 として使用 していたが、鉄柵が設 け られ半分 よ り先 には入れない。 現 在、文化庁が戦跡(戦争遺
跡)50箇所 の指定 を計画 し、大信工業 と折衝 中 との こと。
⑥現在 の 開放状況 ∼原則 として 月 に1回見学 の機会 あ り∼ 団体 20名 以 上、個人は各人が保存会 へ個別 に連絡、
人数が揃 い次第、説明者が誘導、説明。 *数 ヶ月先 まで予 約 で一 杯 との こと。
7.プロバス ソング斉唱
8.閉会 (大高副会長)
おせち料理 とファース トフー ド、食材の自給率について考える。 今 年 も無事にプロバスクラブが終了できた こ
とに感謝する。
次回は、新年例会 平 成 16年1月8日 (木)午 後5時 (京王プラザホテル八王子4階 扇 の問)
*同 好会案 内
・ゴル フの会 4月 15日 (木)「 本
目武カウン トリー 」 にて 開催、幹事 (橋本 ・鶴 田)参 加受付 中
・囲碁 の会 毎 月第 1・ 3金 曜 日開催 1月 第 1金 曜 日 (2日 )は 休会
,お 茶 の会 12月
は 12日 (金)納 め会開催
-3-
か と頭 をよぎった。
境内には建掛塔 ( 重文) 力 S ある。 菩提寺 へ の報恩 の
ため、正成は 3 問 四方茅葺 二重塔建立 を志 したが、討
死 によ り 1 階 部分 のみ の未完成 に終わ って しまった。
茅葺 き屋根は風化が進み境 内か ら飛散 したのか 2 ∼ 3
年 ものの実生 の杉が根 を張 つていたのが 印象的 で 無情
さのみが残 る。
研修旅行 を記録 したアルバム も 9 冊 とな った。次 回
は平成 1 6 年4 月 開基亀 山法皇7 0 0 年御忌 に南禅寺参詣が
決 まって いるので、体調 を整 え周 囲 に迷惑 をかけぬよ
と観心寺参詣紀行 其 の 2
石井 賃
山は和歌
山
、
高野
県だが 檜尾 山観心寺は大 阪府河 内
長野市 に在 る河 内地方最大 の古利。 創 建 は奈良時代
前期 の役小角 による雲心寺 といわれて いる。 寺 伝 に
よれば空 海が当地 三 度 目の巡錫 の折、国家安泰衆生除
厄祈願 のため、如意輪観世音菩薩 (秘仏 ・国宝)を 刻
み、本尊 とし観心寺 に改称 とある。 寺 に所蔵 され る
縁起資材帳 (国宝)に よれば、空海の弟子実恵 とその
弟子真紹 によ り本格的造営が行 われ、定額寺 として隆
盛 していたよ うだ。 何 回か の改修が あったが 7間 四
方単層入母屋造 りの本堂 (金堂)は 国宝 で、和様 ・禅
宗様 ,大 仏様 の折衷様式 の代表的遺構 とされている。
南北朝時代短期間だが南朝第 2代 後村 上天皇行在所
とな り裏手 の 出中に陵墓 もある。
観心寺は楠木正成所縁 の寺 として知 られて いる。
正成は 8∼ 15歳の間楠木家菩提寺 である当寺 の 中院 で
修行 した。 四 書 五経等 は比叡 山 の僧滝覚坊 に学 び、
大江広元 の 曽孫時親 に兵法 を伝授 されている。 南 河
内 の一 家族 であった正 成が、歴史上 に登 場す るのは
1331年後醍醐天皇 による鎌倉幕府執権 北条氏討伐 の元
弘 の乱 で、笠 置 山に逃れた天皇 は夢で正成 を知 ると太
平記は伝 えている。 敗 れた天皇は隠岐へ配流 とな る
が、翌元弘 2年 天皇 の皇子護良親王が吉野 で挙兵、正
成 も呼応 し少数 の手兵 で 数万 の幕府軍 を相手 に知 謀奇
略 を巡 らせ翻弄 した千 早城攻防は 、兵法 家 としての正
成 を確 固た るものに した。 朝 廷側 に帰順 した足利高
氏 (後に尊氏)や 新 田義貞 の参戦があ り、1333年鎌倉
幕府 は滅亡 し所謂建武 中興が実現す るのだが、 この新
政 も公武対立 ・確執 に加 え失政か ら人心特 に武士 階級
に不満が募 り2年 半 で崩壊す る。
反朝廷 の旗色 を鮮 明 に して鎌倉 に下 った尊氏は大軍
を擁 し京 に向か うが、義貞 ・正成 連合軍 に比 叡山で 敗
れ、九州 へ敗走す る。 こ の折 、正成 は 「
義貞 を誅伐
せ られて尊氏卿 を召 し入れ されて 君臣和睦候 へ か し」
と上奏、公 家 によ り却下 され るが、正成は時代の趨勢
を見抜 く力量 を備 えて いたよ うだ。
1336年再軍備 した尊氏は東 上 を開始 し、兵庫湊川 で
義貞軍 と対時孤立化 させ る。 天 皇か ら義貞救援 の諮
問を受 けた正成は、今尊氏軍 と正面衝突 して も勝算無
く他 日を期す べ しと献策す るのだが採用 されず死 を決
意 して湊川 に赴 き、天皇 を守護す る ことが任務 と義貞
を説 きそ の退路 を確保 して 自身は激戦 の木 自刃 して果
てる。 「 青葉茂れ る櫻井 の ・・・」イヽ
学唱歌 にあっ
・
で
た正成 正行別離の情景は太平記 物語 られている。
真偽 は別 として我 々の年代 では心 を打 つ 。 勝 利 し
た尊氏は朝敵 の悪名 を避 けるべ く持 明院 ・大覚寺両皇
統 の対立 を利用 し新帝 を擁立、後醍醐天皇は吉野 に遷
都 ―南北朝時代が幕 を開ける。
日本史 の復習 を した ことにな ったが、尊氏は正成 の
首級 を菩提寺である観心寺 に送 り届 けている。 開 山
堂 の横 に首塚が祀 られ五輪塔が 建 立 されている。
ふ と阪神淡路 震災後 の神戸湊川神社は どうな っている
うにせねばと思っている。
(おわ り)
人勢は暦 年齢 で判定できな い
長 町幸雄
人生 に卒業 はない。 人 はた とえ病魔 に道遇 して も、
死 の 問際 まで生命維持戦略の選 択 と実行 に対す る 自助
努力を怠 ってはな るまい。
外科医 の私 にとって、記憶 に残 る高 齢者手術症例 は少
な くない。
昭和 62年 、男性、86歳 、上腹部不快感 を訴えて近 医 を
受診 した。 上 部消化管 内視鏡検査で、噴門直下 の IC
病変(管状腺癌)を指摘 され、 当院 に入院 された。 腎 機
能障害(BUN30mg/dl、 CRE2.Omg/dDが あ り、高齢 のた
め、体 に負担 の少な い 内視鏡治療 を選択 し、YAGレ ー
ザ ー 照射治療(10日間隔で計4回 )を行 った。 3回 目の
治療後 に癌遺残 を認め、4回 まで治療 を継続 した。
4回 目の治療 の6時 間後、 上腹部痛、筋性防御(腹壁筋の
緊張)を認めた。 腹 部単想 線撮影 の所見 で横 隔膜下
に遊離ガス像 を確認 し、 胃穿孔性腹膜炎 と診断 した。
白血球 の増加 はな く、全 身状態 も良好 のため、 局部
麻酔 で腹腔 内 ドレナー ジを施行 して 治療 したが、入 院
中に急性胆 の う炎 を併発 し、曰阻 D(経 皮経肝胆道 ドレ
ナ ー ジ)で軽快 した。 lヵ 月後退院 され、 日常生活 に
復帰 された。 退 院後 3ヵ 月 のフ ォ ロー ア ップで、胃内
視鏡検査 を行 った ところ、再び噴門直下 に IC様 病変 を
指摘 され、再入院 された。 こ の とき私 は、 本人 の 日
常生活 の状況 と意欲 の充実、身体予備能 力が十分であ
る ことな どの総合 判断で、私か ら手術 を勧 め、 噴門側
胃切除術 を行 った。 出 血 も少量で、無 輸 血3時 間 の手
術 を終 え、lヵ月後 に退 院された。 90歳 まで(術後4年
)ご健在で した。
この症例では、初 回入院時 のイ ンフォー ム ド ・コ ン
セ ン トに対 して、家族 の 「
超高齢 の父 には手術 リス ク
が大 きす ぎる」 との判断が、本人 の意欲 にブ レー キ を
か けて いたよ うです。 後 日、 「
なぜ初 めか ら手術 し
て くれなか ったのか?」 と尋ね られ、平身低頭 して 「う
― ん」 と答 えただけで、互 いに笑 い あった思 い 出が あ
る。
この 症例 が教 訓 とな り、そ の 後 は、 高齢 者 で も 「・ ・
人勢 の あ る人 」 には、 余 生 に十 分 な可 能性 を残 して あ
げた い と心掛 けて きた。
アルファ ・クラブ (胃を切った人 (胃と腸 。医師 と患
者 の情報誌)11月 号 第 257号よ り)
-4-
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万
R,卜
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第 9 9 号, 寸
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▼
編 集 ・発 行 ・情 報 委 員 会
2 0 0 4
2 . 1 2
2003∼ 2004年 度のテーマ 「一喜びを分かち合おう 。支えあえる仲間になろう一」
◎第 99回 定例会報告(司会 田中例会委員長)
日 時
平成 16年 1月8日 (木)午後 5時 ∼ 6時
八王子京 エ プラザ ホテル
場 所
出席者 会員56名 (出席率 90%)
来賓等 八王子市黒須市長
八王子南 ロー タ リー クラブ 加 賀谷恵会長、廣瀬武彦幹事
1会 長挨拶
新年 の挨拶
今年 一 年元気 で仲 のよいプ ロバ ス活動 を実施 して行 きた く思 い ます。 本 日は、特別来賓 として、黒須
八王子市長 の ご臨席 をいただ くと共 に、来賓 として八王子 南 ロー タ リー クラプ の加賀谷会長 、広瀬幹事 に
ご出席 をいただいてお ります。 後 ほ どご挨拶 をいただ くよ うお願 い して ございます。 ま た昨年末 には
南 ロー タ リー ク ラブの素敵なク リス マ ス ・パ ー テ ィー にもお 招 きいただきま した。
昨年 、暮か ら正 月にか けて神戸 にお いて、天侯 に恵 まれた 中での朝 日の上 昇 の 素晴 らしさに接 し、 迎 える
新年 の平穏 を強 く願 いま した。 し か し 日本 国内 の状況 を見れ ば、 自衛 隊員 のイ ラク派遣 も近づ いて きま
した し、それ に伴 うテ ロについての心配 も生 じてきました。 更 に 中国 のサ ー ズの問題 、アメ リカ のBSE
の 問題な ど国内外 の事件等 も起 きてお り、平和で ある事 の重 要性 を強 く認 識す る ことにな りま した。 更
に、昨 年 の冷夏 に伴 う米 の不作、本年 にか けて の暖冬 の経済的影響 も気 にな る ところです。 本 年そ のよ
うな事 のないよ う願 うものです。
地域 の活動 について は、医 師会 な どとの共催 しての八王子市健康 づ く り協議会 の活動 も実 働 に入 ります。
健康 づ くりにあた っては、皆様 の ご協 力 をいただき成功 をお さめたい と思 い ます。
本会 としては来 月か ら学習サ ロンが始 ま ります。 第 8回 のサ ロ ンにつ いて皆様 には現在 い ろ い ろ ご準備 い
ただいてお りますが、 これ もまた大成功す るよ う会 員 一 致 して 努 めたい と思 います。 本 年 一 年、 プ ロバ
ス ク ラブ員 として 一 人 一 人が健康で輝 いて活動す るよ う強 く希望 したい と思 います。 ま た1月25日 には八
王子市長選挙 が ございますが、八王子市が住 みよ い元気な街 とな る契機 にな るよ う認識 して 参 りた い と存
じます。
2黒 須八王子市長挨拶(要旨)
新年挨拶
平素 の市政 につ いての理解 と支援 に感謝 いた します。 又 、 プ ロバ スクラ
プの定例会(新年会)にお招 きいただき嬉 しく思 ってお ります 。 私 も早 い も
ので 市長 として4年 を経過 し今 月28日 が任期満 了です。 皆 様 の協 力 の下 に
4年 の任期 の職務 に取 り組んで来 ま した。 4年 間 の市政 に於 いて は八王子
の街 をもっ と元 気 で活 気 の ある街 に しな けれ ば と思 い、第 1に 職員 の意識改
革が必要であ り、そ の方 向で の努 力 を しま した。 特 に職員 の市政 につ い
ての コス ト、ス ピー ド、更 に危 機感覚 を持 って の意識改革が欠 くことの出
来な い もので ある と共 に市政 に於 ける行財政改革 の必要性 を認識 し、現今
の厳 しい経 済状況下 に於 いての取 り組み を しました。 何 事 も一 挙 に実現
は難 しいけれ ど職員 の意識 も徐 々 に変化 し、 日々努力 をす るよ うにな って
きました。 私 の任期中、職員定数 を370名減 じ(人件費では30億 円以 上)、更 に3200億 円あつた借金 も今
年 の決算で約一割 を減 らし2900億 円にしました。
今後は これ らの施策 と共 にOd〕「oneの 市づ くりを目指す ことを重点 としています。 一 例 を挙げれば全
国で初めて の不登校児 ・生徒の解消 の為 の小 ・中一貫校 を国の経済改革特区に応募 し、小泉首相 の賛同も
得 て本年4月 にオー プンす るつもりであ ります。 4年 間私 は市政 において植物 を育 てる土づ くりを行って
きました。その結果幾分 の明るさも認め られ、今後はその土壌に首を植え、花 を咲かせるよ う努力 したい
と思っています。
今後 のご理解 とご支援 をお願いする次第 で ございます。
-1-
3来 賓紹介 ・挨拶
八王子 南 ロー タ リー クラブ会長 加 賀谷恵様、幹事 廣 瀬武彦様
◎挨拶
・加賀谷会長
新年 の挨拶
昨 日の七 車 の食事 の負担 につ いての話が あったが 皆様 と共 に私 も健康 に留意 して いき たい。 お 陰様で
ラブ会等 へ の 出席 をさせて いただき本分 をまっ とういた したい と思 います。
4幹 事報告(下山幹事)
年頭 にあたっての幹事報告 として3点 を挙 げる。
① 八王子市健康づ くり推進協議会 と八王子市医師会 の共催 による 「
痴果はど こまで予防できるか」につい
ては1月18日(日)13:00∼16:00に八王子市民会館で実施 される。 プ ロバ スクラブも共催団体なので会員
の方 々の参加を是非お願 いした い。 お 手伝 い等はな く参加のみである。 参 加 の方はレジュメ(印刷物)
の 中のハガキを個人でお出し下 さい。
②同協議会 で5月16日(日)の市民健康 の 日に様 々なイベ ン トを催すが、その企 画等 の準備 の為 のワー キ ング
・グルー プにプロバスクラブか ら下山、鶴 田、宮崎会員等が参加する。
③ 5月23日大阪で全 日本プ ロバス クラプの開催が決定 した。
全 日本か ら100余名が参加するとの事で当会 として も無視できないので1名の出席を登録 しておいた。
5委 員会報告
◎例会委員会(田中委員長)
。本 日の出席率90%
。11月の定例会 については、野外例会 と一緒だったため、不参加者には内容 プリン トを渡せなかった。申
し出てほ しい。
・次回は2月12日(木)エルシィを会場 として定例通 り実施する。
・本 日は例会後、第 2部の新年宴会 を当ホテルで実施する。
◎情報委員会(武田委員長)
・過去 の学習サ ロンのまとめをしているが校正 を含めてほば終了 した。 修 正が必要な箇所 もあると思わ
れ るので、お渡 ししたプリン トを参照 し修正 の 申 し出をお願 いしたい。
・過去 の記録 については書式、バ ランス等の相違 も目立つのでポイ ン トを定めて記録するよう今後進めた
い
。
◎会員委員会(中野委員長)
。名簿 の作成 は半年 に一 度行 って い るが、 ミス プ リン トも考慮 し、2月 にお 渡 ししたい。
・名簿 の訂正箇所
野 日さんの住所 :日 野市 → (正)八王子市
向 山さんのマ ンシ ョンの名前が誤 って いる
新入会員 の野木 さん、八木 さん、退会会員 の小阪さん、須藤 さんにつ いて 、追加 ・削除がなか つ た。
・親睦旅行 につ いて
本年 は柏 崎市 の刈羽原子 力発電所 の予定。 6月 16日 ∼ 17日 観光 バス利用。
参加希望 は2月 に調査す る。
◎研修委員会(矢崎委員長)
特 にな し
◎地域奉仕委員会(宮崎委員長)
①来月の生涯学習サ ロンに向けて、本 日リピー ター に通知 を出した。
② 生涯学習サ ロン担当者一覧表 について 印刷 に誤 りがあった。
・司会 :下 山→下 田と訂正
・井戸端会議 の記録 :藤 野→浜野 と訂正
③本 日お渡 ししたサ ロンの概要紹介 について変更がある。
・話 し手、近藤さん の都合 によ り3週 目の近藤 さん→4週 目に入 り4週 目の宮崎さんが→3週 目に入 る。
④サ ロンについて
。話 し手 :サ ロン当 日の器具 ・備品等 の調査用紙 を早め に提出 してほしい。
・会員 :前 回 にお渡 ししたサ ロン当 日の出席希望 の調査用紙 を提出してほしい。
6そ の他
。お茶 の会
1月の例会は13日、午前 10時か ら阿部 さん宅(1月は初釜 の為会員外 の参加 も歓迎)
-2-
・囲碁 の会
1月16日(金)台町市民セ ンター
7プ ロバス クラブ ・ソング斉唱
8閉 会(大高副会長)
本年 も皆 さんと共に、健康 に留意 しなが ら元気 に活動 をしていきたい。 市 政 の安全で安心できる街づ くり
の運動 にも会 として協力 していきたい。
02004年
新年懇親会 午 後 6時 ∼ 8時 30分 (例会 に引き続 き、京エ プ ラザホテル)
司会進行 山崎修 司例会委員
1 開 会 立川会 長 の挨拶で にぎやか に 開会 とな る。
2 乾 杯 大野聖二会員 の発声 によ り祝杯
3 懇 親 ピンゴゲー ム、カラオケで楽 しむ。 終わ りには全 員 で肩 を組 んでの大合 唱 とな り、若 き時 代 の思
4 閉 会
い出がよみがえった一時であった。
石井賃前会長
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ホームベー ジ公開
1月 30日 、東京八王子 プ ロバス クラブのWebベ ー ジを公開 しました。
URL httpプ /―
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プ ロバ イダー はBIGLOBEで 、花わ らべ広告社 のホームペー ジURLを 利用 させていただいてお ります。
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や メー ル の宛先、 フ ァイル転送な どの情報が ある一 意なア ドレス。
WWW: 佃
orld wide Web) 磁 車
材的Veb
ハ イ バ ー テキス トとい う概念 を採用 した情報検索 ・表示 システムの名称。欧州核物理学研 究所
“
で 開発 され た ドキ ュメ ン トシステムで、開発 プロジェク ト名が W o r l d W i d e W e b " で あった。
八王子 の商 い
野未孝雄
八王子 の高 い は足利時代か ら月の六 と八 の 日に 開設
された六斎市 場 か らは じまった。 そ して、元八王子
城が天正十八年 に落城 した。 そ の後 、城下三宿が移
転 して甲州街道 に沿 う宿場 として形 成 され た のは常設
の市場が置 かれてか らの事で あった。 こ の 頃、千人
同心が警護 に派遣 され 同心 の人気 が上 り市場が活気づ
いて いる。 商 売気があって、屯 田兵で あ り己 を弁
えて と、 この気性が良 い方 向 に進 んだ と見 る人 もいて
、 特 に 甲斐 の産物 の流れ は同心 の 力が大 きい と人は
言 う。 色 々 と各地 の産物 も集荷 され る様 になって、
日を追 う事 に賑わ いが加わ り、 自信 の 品物 の取 引 も多
くな り、市場対市場 の紛争 も起 った。 横 山、八 日市
、対八幡 、八木市 の利権 をめ ぐって六 年余 の審議 を経
て も結論が得 られず に、又 一 方 では近辺 の 商人層 の台
頭が 目立 って きて、各地での小 市場が乱立 し、暫 し八
王子 の市場 の取 引が脅か され る様 にな った。 昔 も今
-3-
も新興商人の輩 出によって既存 の市場 の表微 は明 白で
ある。 明 治 にな って織物 は好調 に移行 して いたが、
それ と共 に混乱 も生 じ、明治八年 に八王子織物商組合
を設立 して 市場 の整理 を行 った。 市 場 を横 山、八 日
市 二 ヶ所で四 と八 の 日に交互 に 開 く事 に定 めた。 こ
れ によ り織物の販売 も上手 く流通 の波 に乗 って行 くよ
うにな った。
第 一 次大戦 の影 響 によ り物価 が急騰 した事 で、 東京
府 は社会 救済事業 として公設市場 を五 ヶ所設置 した。
卸 関係 として 青果市場 を旭 町、本町 に鮮魚市場 を設
立 した。 一 般 日用 品市場 として横 山町、八木 町、追
分町 に開業 し市民 の利便 に供 された。
お解 りの様 に、八王子 の商店街 は過去 の歴史 の様 に街
道 は一 本道 で、落城以後そ の儘 に横 山を起点 として前
と横 に進展 した と見 える。 当 時 の様子 は昭和十 四 年
の調査 の分布 図で伺 える。 そ れ による と、 中央線 の
高 の一 帯 は少数 の家 と広 い畑 で 占め られて い た。 ま
た小売店 は1,567戸で横 山町が224戸 、全 体 の10パ ー セ
ン トにあたる。
戦争が続 き経済 も統制体制 の影響 を受 けて、各商店
も単な る窓 目的な機能 だけを維持す る事 にな り、転業
廃業が多 くな り、八 月二 日の終戦 を迎 えた。 翌 年 二
月二 日に物価統制令が公布 された。
商店街 の復興 も順調 とは言 えなか ったが、そのよ うな
中で多 くの市民 に受 けた のが 露天商で、 日毎 に増えて
需用 に応 じられ るよ うにな り、駅前広場、八幡 さまの
境 内、な どで衣類、食品等様 々な物 を扱 った。 昭 和
二 十 五 年 には露天 商組合 の規模 は三 倍 になったよ うだ
。 こ の年 に物資統制令 が解 除 された。 商 いの 自由
化 に商人は急速 に動 きだ した。 昭 和 二 十八年 には食
料 品販売が 一 位 、次 いで衣料 品で、年 を追 う毎 に店 は
増加 して行 った。
戦後 の複興 も進 んで、アー ケー ドも架設 されて 賑わ い
まるき(現在 のエル シー)
も多 くな った。 そ の頃 に、 「
「
いの
の
うえ(現在 八 日町 シダ ックス)」の二つの百
」、
大丸」、 「
伊勢丹」、 「
貨店 が誕生 した。 つ いで 「
「
「
「
田丸屋」、 岡島」、 西武」、 丸井」 と百 貨店 が
そ ごう」 の み とな った。 今 迄で も
連ねたが、今 は 「
出店 に際 して はあ らゆる方法 をもって調 べ 、臨んだ と
思 うが、何 とも不思議 な怖 さを感ず る。
昭和三十五年の都の統計年鑑 に参考 になる数字が出て
い る。
商 店 の 販 売額 (円)
八 王子
28,117,530
立 )i1
21,074.956
武 肩i野
15,242,825
4,573,711
府中
町 田 5,930,058
現 在 の 数字 が不 明な ので 比較 は 出来 な いの だが 、時 の
流 れ は想像 が 出来 な いほ ど早 い速 度 で動 いて い る。
立 川 、 町 田、武 蔵 野 の三 市 は今 、八 王子 の上 に位 置 し
て いるので はな いか と、思 わ れ る程 の 勢 い に満 ちて い
る。
八 王子 の地 面 は大 きす ぎて 、大 変 だ。
◎連載 ガ ンの検診について想う その1
長町 幸雄
は じめ に
1998年 、厚 生省(現厚 生労働省)は老人保健法で義務付
け られ た全 国市町村で実施 して いる5種 類 のがん検診 に
対す る国の負担金 を打 ち切 った。 こ の年 に筆者 も定
が
年退官 とな った。 ま た、厚生省が組織 して いた 「
ん検診 の有効性 に関す る研究班」 が、肺癌 、胃癌、乳
癌、子宮体癌 の検診では有効性が証明できず、大腸癌
と子宮頸癌 には有効性があるとの内容 を報告 した。
今はがん検診 の見直 し時代 に入ったようである。
小稿で私が選んだテーマのヒン トをまず紹介 しておき
たい。
第39回 日本癌治療学会総会(2001年 ・広島)で峠哲也会
癌
長 が企画 したパネルデ ィスカ ッションのテー マ は 「
検診 の問題点」であった。 こ のテーマの選択は、が
ん検診の検証 を果敢 に試みた、時宜 を得たものであっ
た。不 肖私は会長 か ら特別発言 を命ぜ られた。 こ の
機会 を与え られた時は、直腸癌で手術後 7ヵ 月日、直腸
機能障害“級)と回腸 による人工肛門を持 つ 身障者 であ
-4-
った。後述す るが、群馬県 でがん検診 の リー ダー シ ッ
プをとって い た現役時代 には 自身 に課 して いた検 診 を
、わずか3年 間留守 にした後 の癌発見であった。 癌 を
媒体 にした医師 と患者の一 人二役 の体験記 を表題 に選
んだわけである。
1.健診 と検診考
健康診断を指す 「
健診」は、病気 の早期発見や健康状
態 の把握 を目的にした検査であ り、労働安全衛生法で
義務付け られた職域健診や、老人保健法で義務付け ら
れている地域健診な どがある。 他 方、 「
検診」は、
がん検診のように特定疾患の有無を調 べ る点で内容が
異な る。 健 診 も検診 も、受診者が病気 を意識 しない
段階で医師 の診察 を受けることに関 しては同 じである
。 時 代 を遡 り、1979年 「
消化管 の健診を考 える」 と
い う特集が 『胃と腸』誌 上に組 まれていた。 そ こで
は消化管癌 の他にも肺癌、子宮癌、乳癌、前立腺癌そ
の他 の癌 も取 り上げられて いた。 特 集 のと りまとめ
をされた市川平二郎先生は、“ 「
健診」 とは、医師が
外見病気でな いものに対 し健康か否かを診断す ること
Ⅲ
である と定義 され、さらに 「目標は遠 いが、時には夢
を追って可能性 を追求 してみようではないか」 といっ
た意味の言葉 を添えて いた のを思 い出す。 もちろん夢
の意味すると ころは、がん検診であ り、早期癌発見 法
であ り、その方法の敷術 を意識 していたはずである。
2.がん検診は往 く ∼ 検診 の勧めとそ の矛盾
癌検診 の問題点」で
前述 のパ ネルディスカ ッション 「
討論 された 内容 に改めてスポ ッ トを当ててみよう。
登場 した11人のパ ネ リス トたちが対象に扱 った癌の種
類は異な ったが、従来か ら用い られて いた検診手法 を
基礎 にしなが ら、結果の解析 に工夫を凝 らしたものか
ら、独創的 ・計画的 に早期発見 に役立つ方法 を追求 し
ているものまでさまざまであった。 概 して検診手段
は完成の域 に達 している感があった。 私 のまとめの
一言は 「
検診 の過去か ら現在 までの成果 に満足せず に
、理想 を目指 してさ らなる新風 をがん検診に吹き込む
ことが大切であろう」であった。
ここで、集団検診が容認 される条件は何か?について
考察 してみたい。 前 述 のとお り、早期診断技術 は既
に完成 に近 いはずである。 し か し、それ らの方法 を
駆使 して無症状の不特定多数 の集団の中か ら癌の拾 い
出 しに必ず成功するとは限 らな いし、 「
診断できる こ
と」 と 「
発見できる こと」が同義でな いことも歴史で
明 らかである。私見 を述べ させていただ くと、集団検
診が容認される条件 として① 一次的な発見方法が容易
であ り、② 正確度が高 く、③費用 と手聞 と発見率な ど
を基 にして計算できる効率が許容可能な範囲な どの場
合であろう。 が ん検診 の矛盾点は、外来受診患者 の
うちで、がん検診 と人 間 ドックのいずれをも定期的に
ついでに胃も腸 も調べ てお
受けて いな い人に対 し、 「
きましよう」 と言 い出せな い保険診療上のタブーであ
ろう。 私 も人 間 ドック的な検査 を外来で行 うことは
できない捷 を破 る違法行為は行わず に、年 に1回の検診
または人間 ドックを受けることを勧めてきた。 「
楽し
い付 き合いや 旅行 を1回省いてで もお願 いします」 と懇
願 した ことが一再な らずある。 た だ し、検診 を受 け
ていれば100%必 ず癌か ら逃れることができるとは限 ら
な い。 私 の場合 のよ うに、恐 らく過去 に行 った検診
という名の捜査網 か ら逃れる癌 もあるはずだか らであ
る。
( 続く)
編 集 ・発 行 ・情 報委 員会
東京八王子 プロバスクラブ
▼
2 0 0 4 . 3 . 1 1
2003∼ 2004年 度のテーマ 「一喜びを分かち合おう 。支えあえる仲間になろう一」
プロバスだより100号を記念して
‐ 一
輝 け る会 員 諸 氏 の 足 跡 一
幹事 下 山 邦 夫
々の
歴代幹事の方
骨折 りで幹事の手元 にプロバス便 り第 1号 か らのファイルが引き継がれて い ます。つい
でに言い添えると、八王子プロバス準備会便 り1∼ 4と 東京八王子プ ロバ スクラプ創立総会次第 も付いてい
ます。今号 100号 の節 目に幹事か らひと言纏めて置 いた らどうか とのア ドバイスがあ りましたが、第 1号
に幹事よ りの記事があって釣 り合 いが とれてよいので 引き受けました。
フ ァイルを捲 り返 して見て思 うことは山ほどありますが、最 も痛感 させ られるのは、当初か ら会員 の皆様
が、充実 したクラブにしようと思い、活動 して来た様子が紙面上に滲み 出て いることです。歴代情報委員会
の方 々のご苦労は この生々しい記録が残って いることで報われるで しょう。
に向けて、生きている我がプ ロバ スク ラブの、そ して会員 が活用 し頼 りになる
今後 も200号 、1000号
々のご
奮闘を祈 ります。 第 1号 に載って いる幹事 の言葉を借 り、 「
便 りとして、担当の方
情報委員 の ご尽
力もさることなが ら、会員諸氏 のご協 力をお願 いします」 と申 し添えましょう。輝けるプ ロバ ス会員 の足跡
が残 り続 けますように。
時 所 者 会 賓
席
日場 出 司 来
☆ 第 100回 例 会 議 事 録
平成 16年2月 12日 (木)午 後 12時30分 ∼ 14時30分
エル シー 八王子
53名 (出席率 85%)
田中例会委員長
八王子南 ロー タ リー クラブ 加 賀谷恵会長、廣瀬武彦幹事
1.会長挨拶
今 日はほんとうに、スプリング ハズ カムといった感 じで しょうか、そんな 中、本 日は記念すべ き100
回の例会 とな りました。
八王子南 ロー タリー クラプの加賀谷会長、廣瀬幹事 さんが、お忙 しい中、毎回 ご出席を賜 り、ほんとうに
有難 うございます。
皆 さんに義理チ ョコをお配 り致 しました。私達 の時代は、チ ョコ レー トに対する思い入れがあ ります。
昭和 1桁の人間か らちょっとあとの人達には、終戦直後、進駐軍が持込んできたハ エ シー の板チ ョコには特
にそ うだと思 います。神戸では食料のかわ りに、 コンピー フ、ハ ー シー の板チ ョコ、バターが配 られ まし
た。チ ョコ というとハ ー シー のチ ョコ レー ト、そのあと明治 のミル クチ ョコ レー トの思 い出があ ります。
さて、情報委員長 はじめ、プロジェク トの皆 さんが立派なホームペー ジを立ち上げて くれました。後 ほ
どプ ロジェクターで皆 さんにお 目にか けるようになってお りますので、忌禅のないご意見 を頂きたいと思
ってお ります。
そ していよいよ学習サ ロンも2週 間後 にな り、地域奉仕委員会 をはじめ皆 さんの努力で今年 もグラン ド
“
"と
ー
い うことで、先 日も、新聞に面白い記事が出てお りました。米 ・欧 の学者が集 まっ
テ マ 緑 と環境
て地球温暖化 がいまのレベルで進行すれば、50年先には地球 上の37%の 動物が死減する。但 し人類が努力
して、温暖化防止 に努めれば17%に とどまる。 こ れに対 して、逆 の意見 をいう人もお り、動物は環境が
変われ ばそれに適応出来る。従 ってそんなに死ぬ ことはな いとい う。
学者達が喧喧譜語やってお りますが、私達 も地球温暖化防止 に努めねばな りません。今回は東京緑化推進
委員会 の室長が私達 のす ぐ回 りの緑について いろいろお話を頂けるので、 とて もよい勉強が 出来るのでは
な いか と思ってお ります。一人でも欠席のないよう参加頂きた い。
順次、春が来ていろいろお忙 しくなって くるとは思 いますが、健康に留意 して頑張って頂きたい。
-1-
2 来 賓挨拶 八 王子南 ロー タ リー クラブ加賀谷会長
立川会長 に義理チ ョコのお 礼 の言葉 の あ と、プ ロバスの例会 には任期 まで皆勤で出席 したい。 また、 ロ
ー タ リー は毎週ですが、習慣付 けれ ばそ うで もな い。
ー
ー
ー
時間を作 る とい う ことは最初 は大変だつた。毎週 で ある為社員 が ロ タ リ の例会 を忘れ、スケジ ュ ル
ー
を入れて しまうことも度 々 あった。 しか し時間が経 つ と社員 も理解 をして くれ、仕事 のスケジュ ル をあ
けるよ うになった。
そ こで時間 とは どうい うものか考 えてみると、有態 にいえば、地球が46億 年前 の ビ ッグバ ンで出来 た と
き、そ こに空 間 が出来て、初 めて時間が生れた。我 々 日常生活 では 10分 遅れ よ うが、進んで いよ うが、
さ した る影響 はない。
た とえば JR駅 の時計 も、商業周波数 といつて新潟 の糸魚川 か ら静 岡の富 士川 を結ぶ線 の以北 を50ヘ ル
ツ、以南が60ヘ ル ツ とな っている。
これは 明治維新 に関西電 力 の前身 の会 社 がアメ リカか ら買つた発電機が 50ヘ ル ツ、南側 の方 は ドイツか ら
ー
買 った発電機が 60ヘ ル ツ とい う ことで今 日まできて いる。 この周波数 をベ ス に時計 は作 られてお り、従
ってある意味ではかな りいい加減であ る。秒単位でみ る と大幅 に狂 っているが時間単位軸 でみ ると安定 し
て いる。現実 には 1∼2分 狂 って いよ うが列車 の運行 には支障はな い。
この時間は、地球 の公転 365日 、 これ を時間 の軸 として 1日 24時 間、1時 間3600秒 と決 めた。 これ は
1967年 前 の話 で あ り、そ の後地球規模 で人間 の移動 が活発 にな り、 どこかで絶対的時間 が必要 にな ってき
た。2003年 6月 に産業総合研究所が絶対 的 に近 い時計 を作 った。 これはヘ リュウム の原子 をもとに した大
変正確 な もので20000万 年 に1秒狂 うか どうか とい うもので、 日本が初めて外 国か ら与え られな いで 独 自に
作 った もので、世界 に 4∼ 5個 しかな い とい うもので ある。
今 日は時間 とい うものにつ いてお話 いた しました。
3幹 事報告 下 山幹事
市民健康の 日」に市民健康づくり協議会が富士森グランド、市民体育館を中心にイ
① 5月 16日 (日)の 「
'か
ー
ベ ン トを行なう。当ルフ ら総務担当として下山、鶴日、宮崎の3名 が参加する。なお他のメンバ に
も手伝 いを依頼することもある。
・
フ
② 3月 28日 (日)に東海大学八王子病院で健康づくりのシンポジュウムが行なわれるが、 これには当クラ
は参加 しないがこの種の催 しがあることを伝えておく。
① 学習サ ロンでのビデオ撮影 をすることを決定。撮影製作はアマチュア映像連盟の西沢会長に依頼。
以上 3点 の報告があつた。
4委 員会報告
(1)会 員委員会 (中野委員長)
ー
① 本 日配布の名簿 (2ベ ジ)に やや見にくい点あり次回までに修正する。
② 親睦旅行の件
(イ)場
(口)日
(ハ)申
(二)担
所
時
込
当
:新 潟県相崎刈羽原子 力発電所
:6月 16日 (水)∼ 17日 (木)1泊
:3月 例会 で受付予定
:研 修委員会 、会員委員会
2日
最低でも40名 程度は参加して欲しい。
③ 退会届 会 員No6 1 小 山 祐 三氏
(2)情 報委員会(武田委員長)
ー
ー
ー
① 当クラブのホ ムペ ジをプロジェクタ を使用してビジュアルにその概要を紹介。
② プロバス便 り、次回は 100号 記念 となる為、良い企画、アイデアを募集
③ 学習サ ロン記録者の変更
なお、ホームページに関して会員から気づいた点並びに提案があればその線に沿って検討する。
(3)研 修委員会 (矢崎委員長)
特になし
(つ 地 域奉仕委員会 (宮崎委員長)
①学習サ ロンに関して
-2-
(イ)受
(口)会
(ハ)一
(二)各
講票 については 開講式 当 日に渡す。
員 のテ ー マ選択、本 日中に提 出 して欲 しい。
般会員 の応募 72名 (前回差 5名 超)
委員会、各 メンバ ー ヘ の協 力依頼
(ホ)井 戸端会議のデータとして使用する為のアンケー ト用紙の配布。
(5)例 会委員会 (田中委員長)
① 本 国の出席状況 :会員 62名 中 53名 出席 出 席率 85%
② 学習サ ロン開講式 :2月 26日 (木)13時 30分 当 日は昼食なし
次回例会 :3月 11日 (木) 通 常より30分 繰上げ 12時 より開催。 サ ロン開講は 14時 。
5卓 話 野 田正久会員
二 つ の 古 文 書 か ら学 ぶ 」
テーマ 「
「
憲法発布 と養老金下賜」 「
建家売渡護」 野 口家 に伝わる明治 22
の二つの
年
古文書に基づいて卓話が進め られた。
「
憲法発布 と養老金下賜」について
養老金を下賜 された木寄ナ ヨなる女性は存在 しない。野 ロナヨの誤 り
ではないか、 どうして間違えたのかは不明である。 こ の後木寄ナ ヨ
及びそ の関連する系譜の詳細な説明。
また、 この文書 の印が、下川 口村、上川 日村、犬 目村、楢原村、山入
村戸長役場印 となってお り、江戸 時代 の村名がそ のまま使われてお
り、合併前の連合役場 印 とな っている。
何改 このような養老金が下賜 されたかを考えてみると、木寄ナフが 77歳 の喜寿でそ のお祝 いと明治憲法
発布 の国民へ のPR的 意味合 いがあったと推測 される。
この時代は、前述 の明治憲法発布 の年でもあ り、町村合併があ り、更 には明治 18年 頃 に起きた困民党事
件 の指導者 の特赦 もあった。八王子―新宿間の 甲武鉄道 の開通 もこの年 であった。
「
建家売渡護」 について
野口由蔵から野 口則久への売渡護であり、文書には既 に川口村犬 目野 口由蔵となっている。内容は居宅、長屋
等の売却代金を40円 で売渡すというものである。
興味深 いのは土地の売買よ りも家 ・屋敷の配置、構造であ り、 自給 自足 の生活 をみることが 出来る。例え
ば屋敷 の周囲の竹やぶ (竹の子、籠 の材料等)、 やぶ椿 (食料、灯油)、 樫 の木 (炭)、 敷地内の渋柿 (
“
"
食料、渋紙)、 お茶 の木、ゆず、といったものである。更に家 の間取図をみると畳の部屋が おかいこ
の部屋 に変わ る等、当時 の農家 の生活振 りが何える。
このように明治憲法発布以降社会的にも大きな変化があった。具体 的 には明治 22年 には所有地 の登記
が行なわれた。江戸時代 ・明治 の初めの農民は畑 ・土地を一つの道具 として考えて いた。金にかえるもの
とか、財産 という考え方はなかった。 このような考え方は今でもあり農村改革はこれを理解 しないと出来ない。
こうした考え方が変わってきたのは戦争が契機 となっている。一つ は配給制度であって農家 も米を食ベ
られるようになった。そ して戦後 の農地改革によって一つの財産 として、金に替え られるものに変化 して
きた。
戦前は 95%が 農民 の時代であ り、それが現在では 4∼ 5%の 時代 に変わってきた。その結果 自給 自足
の国家か ら食料輸入国家へ と変わってきた。
そんな ことを考えなが らこれ らの古文書をみてきました。
6 そ の他
ゴルフ同好会 橋 本会員
第 8回 プ ロバス コ ンペ 開催 についての案内
・ 日時 : 4 月1 5 日( 村
・場所 :相 武カン トリー
・参加予定人員 :20名 5組
7 プ ロバス ソングの斉唱
-3-
8 閉 会 のことば 大 高副会長
壬生義士伝」 を読 んだが、一貫 して武士道 を貫 くというテーマで ある。武士道 とは己を犠牲 に
浅口次郎 「
して人を助けるという精神であると思 う。米国でもこれが見直されてきて いるのか 「トワイライ ト ・サムラ
イ」 (たそがれ清兵衛)が アカデ ミー賞 にノミネー トされた りして いる。
武士の情」 という言葉がある。情けとは思 いや りである。思いや りの心 をもって支えあ
武士道 というと 「
う仲間になろうと思 う。今 日は 100回 の記念すべ き例会、 これをもって 閉会 といた します。
☆第 8回 生涯学習サロン開講
2月 26日、東京八王子 プ ロバ スクラブ主催、八王子市、八王子市教育委員会後援 の第 8回 生涯学習サ ロン
が始まった。今回、通年で8年 目となる。今 日のプログラムは開講式 と特別講話である。参加者は会員を含め
101名の盛況であった。
会長 の開講挨拶 の後、来賓 として、黒須隆一八王子市長殿、加賀谷恵東京南 ロー タ リー クラブ会長 (代理
大野聖二)殿 のご挨拶があ り、式が進行 した。
その後、今回サ ロンの話 し手 の紹介 とそれぞれの話 し手か ら自分のテーマの概要 の説明があった。
今回は共通テーマ として、やさしい環境作 り 「自然 と緑」の講座が盛 り込 まれている。
特別講話は 「
森林は私たちの大切なパー トナー」 と題 して、矢野好彦氏 (東京緑化推進委員会緑化推進室
室長)の 話があった。はじめに、昨年 9月 、東京MXテ レビで放映された r森林 の現状」をビデオで視聴 し、
東京多摩 の森林 の現状 と保全のための取 り組みについて理解する事ができた。東京の総面積の36%が 森林 と
い う数字は以外に知 られていない。 「
東京都森づ くり推進プラン」について レジュメと資料 によ り詳 しい解
「
の
の
り、また
説があ
緑 募金」事業 紹介があった。
水源涵養地 として、水害防止 のため森林地域 の保全は大切であ り、恩恵を受ける1200万都民が もっと考え
なければな らない課題であると感 じた。
3月 の生涯学習サ ロン日程
之 二久 弘
茂聖 正安
平成 16年 を占う一音訓 占い
幕末を戦った多摩人
カナダと自然
岡 野 口崎
岩大野矢
14:00∼ 16:10
第 1週 3月 11日 (木)
続 ・美術 あれ これ裏話
-4-
第 2週 3月 25日 (木) 14:00∼
歌唱 の楽 しみ
五
痴呆 一そ の理解 と対応
石
お金 と私 たちの暮 らし
佐
楽しいガーデエング
西
16:10
十嵐 淳
田 正 巳
々木研吾
久保哲夫
ヵ
口
リフォルエア
・ドライバーズ ・ライセンス
誌
田子 稔
昭和32年 (1957)、私は第一 回の駐米勤務でサ ンフラ
ンシス コに赴いた。生活 に欠かせないものは先ず車。
早速友 人 に教わ り運転 の練習 を 開始。 まず筆記試
験 を受 けた。 私 の前列 3名 (勿論米 国人)は3人 とも
落第。 外 国人の私は合格。 実 地試験 も合格。早速
ボンコツの中古車を買つた。
当時、米国には車検はな いため、中古の当た りはずれ
は激 しい。ある日の夕方、私 はシスコ郊外 の片側 2車
線 の一 般道 を走 って いた。 日 本 のよ うな渋滞 はな
く、前方後方 とも私の視界 には車 の姿 はない。 と 突
然、私 のポンコツ車がエンジン故障でへた り込み全 く
動かな くなって しまった。周 辺は林 と海辺が続き人家
はない。 杞 憂が現実 のものとな り、私 も車の外でヘ
た り込み途方 に くれて しまった。 と ころが、で あ
る。 し ばらく経って進 か被方 か ら近寄って来た後続
車が ピタリと止ま り、ド ライバーが駆け寄 り事情を聞
き、早速彼の手持ちの発煙衛 を3本 ほど発火 して くれ
た。又、その次の後続軍 も止まり、同様に発煙筒を発
火 し数 マイル先の民家に私 を運び、電話を借 り牽引車
の手配 をして くれた。
米国赴任三 ヵ月後 の出来事である。 こ れが私の第一
回日のカルチャー ショックだ った。
そ の後種 々の カルチ ャー シ ョックの洗礼 を受 けた
が、そ の過程で感 じとった事 の一 つ は、私 はク リス
チ ャ ンではないが、 ピュウリタンたちによ り建国され
たこの国の人達には、 「
無償 の隣人愛」 「
富は神か ら
の預か り物」等 を始めとしたプロテスタン トの教義 と
価値観が幼 い子供 の頃か ら体に染みついているのでは
ないだろうか と言 う事である。
例えばプロバスの母体 の米国 ロー タ リー クラブでは、
国旗 に忠誠の宣誓を行 い、第二の国歌アメリカ ・ザ ・
ビュー ティフルを合唱 し、その一節[神は兄弟愛をあな
たの善の冠 として援 けたもう]を繰 り返 し歌 い、例会が
始まる。 麻 薬に汚染され、銃による殺人等多数の凶
悪な犯罪が一方 にはび こり、力を背景に強引な駆け引
きで自国の権益を主張する米国を賛美する積 もりはな
いが、古き良き日本 の文化が敗戦によ り全面的に否定
され、教科書が真っ黒 に塗 りつぶされ、心の拠 り所を
未だ に失 った儘の我が国 と比べ 、歴史は僅か二百数十
年ではあるが建国時 の教義が脈 々 として多数 の人 の心
の奥深 く受け継がれているアメ リカが、 ロス ト ・ジェ
ネレー ション世代の私 には羨ま しい。
私 の前列3人の人達は筆記試験で落第 したが、私 には
未だ本当の意味 のカ リフォルニ ア ・ドライバーズ ・ラ
イセ ンスを貫 う資格はないようだ。
-5-
武 田 洋 一郎
は何時
って
も、老若
書店
行
男女、人が多 い。 八 王子
には
4つ
駅界限
、駅 の 北 日に3店 舗、南 日
大 きな書 店が
に1店 舗 ある。 本 屋 へ行 く目的は勿論 、新刊書の購 入
や本 の探索 ということだが、 もう一 つの楽 しみがある。
それは出版 各社 が発行 して いるA5サ イズ の 小冊子
(読書情報誌 といっている)の 収集 である。
図書 (岩波書店)、 本 の旅人 (角川書店)、 波 (新潮
社)、 ち くま (筑摩書房)、 本 の窓 (小学館)、 本 (
講談社)、 青春 と読書 (集英社)、 一 冊 の本 (朝日新
聞社)、 草恩 (草思社)、 星星映 ・ボ ンツー ン (幻冬
社)、 未来 (未来社)、 UP(東 京大学 出版会)、 本
郷 (吉川弘文館)… …・
な どな ど。
本来 は各社が 出版す る図書 のサ マ リー を紹介す るため
の冊子 だが、所謂 、図書 目録 ある いは刊行物 目録 とは
違 って、 中身が とて も濃 いので ある。
自薦 ・他薦 の書評、イ ンタ ビュー記事、随筆、対談、
連載 もの、小論文、 エ ッセイ等 、様 々 な態様 の 内容で
とて も面 白 い。 勿 論 、新刊 。近刊 の紹介記事 もある。
執筆者 は作家、 評論家、詩人、各界 の専門家等 々バ ラ
エ ティに富 んでお り、 この なかの連載小説が単 行本 に
な るケー ス も多 い。
ほ とん どの ものは頒布価格が税込み100円 (幻冬社 は
200円 、集英社 は90円 )で あるが、大型書 店 では これ
らをサ ー ビスで 無料配布 して くれて い るのである。
内容 の一 例 を示そ う。
「
草思」 2002・ 9月 号 は特集 で 「日本人の顔、 いい顔
わ るい顔」 を掲載 して いる。
いい顔 を しているな」 と
昔 の 日本人 の写真 を見 る と 「
感心 して しまう。 幕末 の武 士や 町人で も風格が ある。
最近では こ うい う顔 はめっき り見か けな くな った。 …
とい う書 き出 しで、 各界 の専 門家がそれぞれ の立 場で
論 じている。
日本人 の顔 は どのよ うに変わ ったか 馬 場悠男
(国立科学博物館人類研究部)
醜男論 、美人論
小谷野敦
(明治大学講師)
流行 の顔、イ マ ドキ の顔
津鳴敬介
(ホリプ ロ 。マネー ジ ャー)
顔 を変える楽 しみ
折
登琴夫
・
ニ
ト
(オリ
クリ ック院長)
それぞれのテーマ はなかなか含蓄 があ り、面白く読め
た。 政 治家 の顔 をみても戦後 の吉田茂、岸信介 とい
ったいかにも政治家 らしい風格のある顔が今は見 られ
な い。
食物を噛む力は、普通は体重 とおな じくらいだが、最
近 の子供たちは平均で体重 の半分 くらいの 力 しかな
く、軟弱な顔 になっている。 今 の 日本では小顔が も
てはやされているが、食生活 の改善等、未来 の顔は私
達大人の責任で守 らねばな らな い と結んでいる。
かように知識 の宝庫 ともなる情報誌であ り、皆 さんも
是非お手にとってみ られた ら如何だろうか。
がん検診 について想 う そ の 2
-医 師 の立 場、患者 の立 場か らの雑感 一
長町 幸 雄
3.がん検診 と保険外診療併用 の 問題
最近、規制緩和 を巡 って、健 康保険 による診療 と保険
以外 の診療 との併用、すなわち 「
混合診療」 の 問題が
議論 の的 になって い る。 日本 の保険制度 は国民皆保険
制、現物給付方式およびフリー アクセスが特色である。
したが つて 日本では混合診療は禁 じられて いる。
ここでがん検診 にスポ ッ トを当てて考 えておきたい こ
とは、一 次検診で正確度 に疑間を生 じさせな いため、
よ り優れた癌発見 を熱望す る人には、初めか らそ の経
費 を自分 で負担 して も らう以外 にはないであろう。
もちろん 自ら進 んで高 い検査費用 を支出す る ことも厭
わないで、わが身を癌か ら守 る手段 の選択肢 として最
初か ら精密検査 レベ ルの癌検査法 に身を委ねれ ば、そ
のメリッ トはあるはずである。 癌 を対象にしない場
合でも、川島康生氏 のように、“混合診療の導入が他
の患者へ の医療水準を低下させず、全体 の医療水準の
Ⅲ
引き上げともなる と提唱 してお られる学者 もある(読
売新聞、論点、2003年3月13日)。
これに対 し、混合診療 に警鐘を鳴 らす立場か らは、混
合診療が 日本 の医療保険制度 を破壊す ることになる。
お金を持っている人だけが良い医療を受けられるこ
とにな り、米国のように低所得者や高齢者な どの弱者
い
は切 り捨て られる という桜井秀也氏 のよ うな批判 も
ある(読売新聞、論点、2003年3月28日)。
混合診療 の賛否を筆者は問題に取 り上げるつ もりは
ないが、 こと癌 の検診 に関 しては癌発見 の遅れが一個
の生命 リスクの拡大 と死 を意味する内容 も含 むので、
早期診断 には 自費で の精密検査を受ける行為 を制度を
盾 にして 中止させる必要 はないと考えて いる。 例 え
は悪 いが、身体 を乗せて運ぶ 自家用車 の車検 に黙って
大金をはた くことには無頓着であるのに、家族の悲劇
を招 く可能性 もあるわが身の点検 には投資をため らう
感覚には賛同しかねるので ある。
4.がん検診 と私 とのかかわ り
私 は定年退官 した1998年3月 まで群馬県民健康会議
大腸癌部会長 の職を兼ねて いたが、在任中に担当県職
員や県内自治体などに対 して提案 。実施を依頼 した こ
とがいくつかある。 そ れ らを要約すると、①検診で
は被検診者 を増や し、②費用効率がよく、③ 正確度で
満足 できるスクリーエ ング法 の開発に努める こと、④
要精検対象者 には、受診 日と診療施設 の可及的早期通
知 の徹底、⑤精密検査 には全大腸内視鏡検査を標準視
野 に入れ、⑥施設間での検査手技 の不均一 を避け、⑦
-6-
これ ら検査 のル ー テ ン化 に対応できる医 師 の訓練 を広 く
頻 回 に実施す る ことな どで あった。 実 は これ らの施策
の成果 を確認できず に業なかば に して定 年退官、謄 をか
んだので ある。 不 可思議な ことに、対癌施策 の音 頭
取 りを して い た私 自身が直腸 癌 にな った ので あ る。
対応活動停止後3年 目であつた。
5.がん検 診 の体験か ら得た落ち穂拾 い
前項で、正確度で満足できる癌ス ク リー エ ング法 の 開
発 の必要性 を取 り上 げたが、 この 問題 は、 手段 を見直せ
ば従来か ら用 いて いる 同 じ検査法で も精度 の 向上が得 ら
れ るはずである と予測 は して いたが、広 島で のパ ネルデ
ィスカ ッシ ョンを聴取 して確信 に変わ った。 し か し、
がん検診の経済的評価 は、わが国で検診が続 く限 り、常
に関心 を持 っている必 要があろ う。
検診 の広報活動や教育 の徹底的普及 は、現状 に鑑みて も
努力が必要な ビッ トホールである。 が ん検診の 「
原点」
は、実施す る側 の技術 の向 上 と拘治 で あ り、 これ な しで
は診断精度の向上は得 られないこともまた事 実であろう。
6.がん検診 の未来展望 とそ の 問題点
既 に米 国では、21世 紀 に入 り約20個 の癌 関連遺伝子
が検査できるよ うにな り、健康 にみえる人が癌 にな る リ
ス クの見積 も りも試み られ るよ うになって いる。 特 定
の癌 を初 期段階で発見す る ことも可 能 にな って きたよ う
である。
近未来 には、がん検診 に遺 伝子 が導入 され る事態が招 来
すれ ば、遺伝子診断 の 内容や信頼性、結果 の解釈な どに
つ いての統 一 訓練 も必 要 となる。 何 よ りもプ ライバ シ
ー保護な どが今 よ りも厳 しくな り、対策 も急務 とな る。
新たな問題点 を挙 げれ ば際 限がな いが、い くつか を例示
してみよ う。癌 リスクが高 い ことが 告 げ られた個 人は保
険加入、雇用、結婚な どの社会 問題が、従来 は考 え られ
なかった レベ ルで問題 にな り、各種 の差別 も派生す る。
何 よ りも、遺伝子診 断 の 高 コス トが問題 にな るで あ ろ
う。それ を負担す るのは誰か? 国 か保険会社 か個 人か
な どの 問題が起 こる。
診断 の対象が問題 となる とすれ ば、差 し当た り、家族 に
特定 の癌発症者 のいる人が対象 になるで あろ う。 そ の
他、診断 を拒否す る権利 の ある個 人 に対す る対応 も大切
である。遺伝子 の使 い方がデ メ リッ トにな らな い ことを
望みた い。 「 時 には夢 を追 って、可能性 を追求 してみ
よ うではないか」 と市川平二郎先生が 約20年 前 に唱 え
たがん検診 の夢 の実現が眼前 に迫 ったよ うで ある。 た
だ し、個人情報保護 も同時 に重 要課題 とな る ことは 、ポ
ー ル ・マ ー ク氏(米ス ロー ン ・ケタ リング記念がんセ ン
ター 名誉総長)の予言 して いる とお りで あろ う。
7.医師 の立 場、患者 の立 場か ら癌 を考 える
「
他人事ではな いがん検診」 とい う言葉か ら、 この項 は
話 を進めたい。 私 事で恐縮だが、定年 にな って生 まれ
改郷 に帰 つた。 こ の地域は昭和4(1929)年か ら終戦後
の昭和 23(1948)年まで亡父が八王子市で開業外科医 と
して活躍 し、絶大な信頼 を得て い た ところで あ り、今
なお多数 の父 を慕 う古老が住 んでお られ る。 あ りがた
迷惑 といっては 申 し訳な いが、 これ らのお歴 々や小学
校時代 か ら高校時代 を通 じての同窓生な どが、親父の
よ うに地域医療 に貢献 して も らえるもの と、不 肖私 に
過度 の期待 を して待 ちか まえて いたので ある。
悠 々 自適 の夢 は破れ、若千 の 名誉職 の他 に地域 のボ
ランテイア活動 の生活 を始 める ことになった。 紙 数
の都合 で詳細 は省 くことにす るが、私 の小学校 ∼ 高校
時代 の級友が既 に理事 とな って活躍 して いた東京八 王
子 プ ロバス ク ラブ(ProfessionalとBusinesttmanの 頭
文字 をとった合成語)に誘 い込 まれた。 高 校時代 の 同
第 一線 を退
級 生Y.S君 とM.K君 の勧誘 の殺 し文句は、 「
いた専門的職業人や実業 人たちが、そ の豊かなキ ャ リ
アを活か しなが ら、互 いに親睦 を図 り、社会 に貢献す
る非政治的、非宗教的 、非営利的な団体 だか ら、君に
は うって つ けだ」 とのたまった。 か くして私 は医療
知識 を駆使 して医療 コンサル タ ン トをもって市民 に貢
献す る ことになつた。
まもな く前記 のY.S君 とM.K君 は、2年 以 内 に癌で他界
した。 両 君 の他 にも出身小学校 を異 にす る高校 同窓
生が3人 いるが、私 を含 め4人 中2人 が癌(肺癌 と直腸癌)
の術後 であ り、 クラブの健康管理責任者 の対癌戦略 は
複雑 で多忙 を極 めて いる。 平 均年齢 69.8歳、会 員数
64名 のクラプの会長職 を1年前 に辞 したが、25%の 会員
が癌 の経験者 で ある事実 は、高齢社会 の縮図 ともいえ
る。 既 に失 った前述 の友 人 の死 に際 しては、 「この
悲 しい現実 を踏 まえ、癌 の恐 さを改 めて認識 しよ う」
と癌 の手術 を終 えたばか りの会長 の私が弔辞 を述 べ た
の も奇怪な話であろ う。 こ んな経緯 もあって、私 の
“
ア ドバ イスは 楽 しい旅行 を1回省 いてで も自費 による
"に
癌検査(精密検 査)をしてみよ う 変わ った。
8.私が今 一 番 囚つている ことは何 か
私 は 自分 で 自分 に遍告
各地 で行 う市民公開講座 で 「
知 をした」話 をす る ことに して いるが、講演 の後 で、
「
先生は 自分 が医師であ りなが ら、なぜ癌 にな ったの
ですか?」 しか も 「ご自分 の専門 の病気 で手術 をなぜ拘
と い う質 問 を受 ける と情 けな くな る。 答 え は こう
だ。 「 医者 も人間だか ら。 病 気 も、 自分が診療 に
一
携わ ってきた患者 さん と目線 を合わせて、 緒 に味わ
って いるのさ !」 とうそぶ き、開き直 って いる。 医
師 も患者 の立 場 にな ってみる と、患者の心 の痛 さを感
人にとって癌になるこ
ずる ことができる。本当に。 「
とは、長寿 の証である。 今 後、超高齢社会 に突入す
ると、個体 を構成す る細胞数70兆 もある人の生存 にか
かわる機能を持 つ遺伝子 のわずかな破綻 によ り、異質
の生命体 である癌 を生 じるボテ ンシャルが増すか らで
-7-
医師 の立 場」
ある」 と説明 して済 ませて きた従来 の 「
ー ドを加 えて
「
のエ
ピソ
に、 さ らに次 の 患者 の立 場」
いる。
2001年 3月 、 日本高齢消化器医学 会議主催 の第 2回 市
直腸 癌 を見 逃 され な いた め の 要諦
民公 開講 座 で 、 「
は、お 医者 さん に必 ず 肛 門指 診 を して も らう ことで
す 」 と聴衆 に呼びか けた ので、帰宅後入浴 した折 に、
一
念 のために 自分 で肛門内に指 を入れ、言行 致 を企て
た。 肛 門か ら10セ ンチ離れた部位 に腫題 を触れて愕
然 とした顛末 を語 つて いるので ある。 現 在 は再発 も
転移 もない ことも付言す るが、患者 の病み がわか り、
「
従来 よ りも講演 内容 に真実味 と凄みが加わ った」 と
言われて いる。
おわ りに
WWaves』 編
日本遍病態治療研究 会 の和文機関誌 『
二
の
ご
を受 け、た
の生
か
用命
ら執筆
教授
越喬
集委員長
12回
7月
され
る第
に開催
日本癌病態治療研
またま本年
究 会 の 当番 世話 人が広 島大 学 ・峠哲 也 教授 で あ る こ
の発行 がそ の機会 に合わ せて 行われ
と、FWWaves』
る ことを教 えて い た だ い た。 題 名 は何 に と考 えた
ー
癌検診 の 問題点」 のテ マで、峠哲也教授 が企
末、 「
画されたバ ネルディスカ ッション(2001年 ・広島)に参
加 させていただいたのも何か の ご縁 と愚考 し、 自身の
癌体験 を合わせて筆 を執 らせて いただいた。
近況
今が一番若 いと思って いる。 国 内医学関係では 日
本消化器病学会理事、 日本実験潰瘍学会理事、東京医
大がん研究事業団理事な どとして、地域医療 では 日野
市立病院運営協議会会長 として微力を注 いでいる。
国際的 にはDeputy Covernor ofthe American
よびDeputy
Biographcal lnstitute(USAjお
Director Ceneral of the lnternational graphical
ow ofthe Amencan
な どの他 にF e ■
Centre(U.Ю
中で ある。
sと
C o ■e g e o f S t l r g e o nして活躍
日本 癌 病 態 治 療研 究 会 誌 W i W a v e s V o l . 9 N o 。1
2003よこり
プロバスだより
東京八王子プロバスクラブ
発行 :情報委員会
編集 ・
第1号
◎第 1回例会
1995年 11月 9日 午 後 6時 ∼9時
エルシイ八王子 4階 ホール
場 所
ビ ジター (八王子南 R.C) 5名
出席者
会員 31名
員
例会内容 司 会 :ヨ │1会
:大
開会挨拶
野会長
来賓挨拶 :増 田南 R,C会 長
出席南 R.C会 員の紹介、挨拶
プロバス賛歌発表
“
会食 ・歓談 (大道芸披露)
しり取 り漫画 と1分 間スピーチ
日 時
いま興味 ・関心を持つていること』
テーマ 『
閉会挨拶 :藤野副会長
◎興味をお持ちか、 してみたいことの集約 (アンケー ト結果)
ハイキング 志茂 濱 野 藤野 山 田 大 野 (幸)
国内旅行
岩岡 田 中 田 淵
順不同
梅木 清水 田 淵 北 原 石井 平 原
森下 志茂 ヨ ││
志茂 立 川 北 原 平 原 清 水 桂
ゴル フ
志茂 濱 野 北 原 大 野(聖)田 子
岩岡 加 藤 大 山
輸
社交ダンス
森下 藤野 梅木 清水
樹 ト カ藤
茶道
察
田子 梅 木 清 水 田 中
/1ヽ
臣
rr
石井 桂 田 子
濱野 石井
藤野 石 井 森
購
田子
庭 い じり
米田
餅
大野 建∋ 田子 山 田 ガ 判「田 淵 森
清水 桂 岡 田 田 淵 北 原 田 子
大野 鰹∋ 小 町 岩岡 森
俳句
石井 大 野 (幸)
石井 加藤
志茂 大野(聖)加 藤 大 山
吟詠
大野Gp 田 淵
音楽鑑賞
立川 近 藤 北 原 平 原 岩 岡 清 水
テ ニス
ス キー
登山
食べ歩き
郷土史研究
蜘
子
説
山田
桂
囲碁
近藤 大 野 廻動 平 原 力藤 大 野 (詢
毅
立川 田 子 小 町
騨
田子
翻
田淵
軸
大野 建勤 田 淵
カラオケ
森下 志 茂 藤野 梅木 米 田 小 阪
田中 岡 田
骨董品鑑賞
ドライプ
桂
読書
森
岩岡 田 淵
田子
◎幹事より
●北原情報委員長 のご努力で第 1号 ができました。 こ れから第 2号 、第 3号 と号を重ねるにしたがつて内容 も、よ
り充実 したものになつてい くことと期待いた しますが、 これを進めていくのは情報委員 のご尽力 もさることなが ら、
ネタ」を提供 して下さることが一番だと思います。
会員の皆様がこれに盛 り込む取つて置きの 「
プ ロバスだより発行のお祝いを申し上げます とともに、今後の皆様のご協力を切にお願いいた します。
●郵便振替 日座開設
この度郵便振替 日座を開設いた しました。 こんごの会費納入にご利用下さし、
日座番号-0015併 7■2971 名 称 一東京八王子プ ロバスクラブ
編集縫記
第 1回 の会報を作 つてみました。 これからも毎月、出席できなかつた会員向けに、例会
の中身 と力、 各委員会の活動状況、催 し物 のご案内、会員通信欄などを盛 り込んで発行 し
ていきたい と思いま坑
皆様から会員にお伝えしたい情報や、クラブヘの提言などが ございましたら、 どしどし事
務局までお申し込み下さし、
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