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報告書 - 教育文化総合研究所
「東日本大震災・原発災害と学校」 研究委員会報告書 本編 国民教育文化総合研究所 2016 年 3 月 目 次 はじめに Ⅰ 地震・津波・原発が学校にどのような負の現実をもたらしたのか……………………… 5 1.3・11 被災校 地震・津波等被災校 原発被災校 A ほかの定義 2.図 1 - 15(被災地図) Ⅱ 3・11 後の教育現場と社会への提案……………………………………………山口幸夫 23 1.地震・津波・原発災害とはどういうことだったのか 2.教育の現場が強制的に被っている実態 3.困難をどのように克服できるのか、あるいは、できないのか 4.教育の根本を見直す Ⅲ 3・11 被災校の東北 3 県全数調査報告………………………………………………………49 1. 東日本大震災・原発災害と学校 調査要項 2. 岩手県 小学校・中学校 平山瑠子 3. 岩手県 高等学校・特別支援学校 一木玲子 4. 宮城県 小学校・中学校 神田英幸 5. 宮城県 高等学校・特別支援学校 大森直樹 6. 福島県 小学校・中学校 大橋保明 7. 福島県 高等学校・特別支援学校 大橋保明 8. 朝鮮初中級学校 大森直樹 Ⅳ 3・11 被災 1523 校 ─調査報告からみえてきたこと─ … …………………………………… 大森直樹 117 付 1 兵庫教育文化研究所防災教育部会「東日本大震災にかかる避難児童生徒に対する支 援状況アンケート調査 -兵庫県の公立小・中学校を中心に-(2015 年度) 」結果 概要 付 2 宮城県教職員組合「被災校における追悼碑、追悼式、震災記録集についての調査結 果一覧」 付 3 3・11 被災校 調査記録 付 4 3・11 被災校 調査シート 記入要項 付 5 3・11 被災校 調査シート ―1― はじめに 大森直樹 「平成 23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震」と東京電力福島第一原子力発電所事故 による災害(「3・11 災害」)下において子どもたちが直面している困難は大きい。困難に 押しつぶされることなく生きていくため、子どもたちは奮闘を強いられている。保護者や 教職員によるサポートのもつ意味もかつてないほど大きくなっている。だが、 「3・11 災 害」がもたらした問題は、個人の力だけで解決するには、大きく重すぎる内容を含んでい る。この問題を解決するためには、人々の力を結集させた中長期的な展望に支えられた社 会的な取り組みが必要になる。 かつて戦後日本教育界における 1950 年代の課題の 1 つは、すべての子どもに教育を受 ける権利を保障することだった。この社会的課題の存在を人々に知らせたのが、東北山村 における中学生の作文だった。 「私はまいにち学校にもゆかず、すみ山にゆきました。私 は『みんなのように学校にゆけたらな』とおもっているときがたびたびあるのです」 。こ の作文は、同級生の作文や詩とあわせて教育実践記録『山びこ学校』 (青銅社、1951 年、 無着成恭 編)に収録・刊行され、子どもたちが仲間と交歓し共に学ぶことの大切さを 人々に理解させた。だが、こうした教育実践の力だけでは、教育権の保障に不可欠な教育 財政措置までは達成ができない。このとき文部省は、全国の教育費を教材費から教職員給 与まで正確に把握するための調査を行っていた。その調査が基礎となり、1952 年義務教 育国庫負担法と 1958 年義務標準法がつくられ、子どもの教育権を継続的に保障するため の土台ができた。子どもと教職員による教育実践と文部省職員による調査・政策立案。結 果として、立場をこえた協力が課題の解決を進めた。 いま 2011 年以降の日本教育界における最大の課題は、 「3・11 災害」がもたらした諸問 題の解決を図ることにある。何が問題で、どう解決するべきなのか。私たちは、3 つの作 業を通じて、問題の所在と解決の道筋を明らかにすることに取り組み、その結果を本報告 書にまとめることにした。 第 1 は、問題の所在と解決の道筋を明らかにする手がかりを、東北の子どもたちの言葉 から得て、本研究の基本指針とすることだった。宮城県沿岸の小学生は、津波による人々 の落命の現実を前にして、遺された人々にとってもっとも必要なことがわすれないことで あることを書きとめている。 「わたしはわすれない 豆腐屋のおじちゃんが みんなを避難させて 自分だけは 津波に流されたことを・・ わたしはわすれない ―2― 大震災の記憶の すべてを」 (池田賢市・大森直樹「3・11 後の教室の風景-地域・家族・自分を見つ める雄勝小のとりくみ」 『世界』2013 年 6 月号) 福島県内陸の高校生は、原発事故後に何が起きたのか、現象の背後にある本質にせま り、それにどのような思いを対置するべきかを、教室でつぶやいている。 「先生、福島市ってこんなに放射能が高いのに避難区域にならないっていうの、おか しいべした(でしょう) 。これって、福島とか郡山を避難区域にしたら、新幹線を止 めなくちゃなんねえ、高速を止めなくちゃなんねえって、要するに経済が回らなくな るから避難させねえってことだべ。つまり、俺たちは経済活動の犠牲になって見殺し にされるってことだべした。俺はこんな中途半端な状態は我慢できねえ。 」 (中村晋・ 大森直樹『福島から問う教育と命』岩波ブックレット 879、2013 年) これらの言葉のもつ意味は大きい。 「わすれない」 「本質にせまる」 「我慢しない」 。そう した言葉が表現され、受け止められ、共有されて、未来に結びつけられていく。そうした 学校をつくっていくことが必要だ。この基本指針を得て、私たちは、第 2 と第 3 の作業に 取り組むことになった。 その第 2 は、「3・11 災害」が教育現場にもたらした負の現実を正確に把握するための 調査を行うことだった。「3・11 災害」は複合災害と言われるが、学校の被害を的確に把 握するための分析枠組みを国も自治体も学会も持っていなかった。このため、東日本には 「3・11 被災校」がいくつあるのか、校数を数えあげる調査を、まだ誰も行っていない。 そこで私たちは、 「地震・津波等被災校」 「原発被災校 A」などの概念をつくり、両者の 重なりも含めて、「3・11 被災校」の定義を新たにつくった。次に、その定義にもとづき、 岩手県・宮城県・福島県のすべての「3・11 被災校」を数え上げた。 「3・11 被災校」の定 義に際してもっとも留意したのは、「ここが被災校だ。この学校では震災をわすれない取 り組みを続けていくことがとくに求められている」 、そうした現場実感と乖離しないよう に定義をつくることだった。 こうした調査の結果を簡潔にまとめたのが、 「Ⅰ 地震・津波・原発が学校にどのよう な負の現実をもたらしたのか」である。 「3・11 被災校」の定義の詳細、及び、東北 3 県 における「3・11 被災校」の特定・分析の詳細については、 「Ⅲ 3・11 被災校の東北 3 県 全数調査報告」における平山瑠子・一木玲子・神田英幸・大橋保明・大森のレポートと 「Ⅳ 3・11 被災 1524 校─調査報告からみえてきたこと」がまとめている。 第 3 は、「3・11 被災校」とそれをとりまく教育界にいま何が起きているのか、現象の 背後にある本質をつかみ、従前の教育の何を生かして何を改めるべきか、解決の道筋を明 らかにすることだった。まず私たちは、 「3・11 被災校」の現状を明らかにするための基 ―3― 本的な概念を吟味するところから研究に着手した。放射線被ばくとは何か、シーベルトと は何か。ひとつひとつの概念を、自明のものとは考えず、再考を重ねた。従前の概念だけ では分析ができないときには、 「歴史津波」をはじめとする新たな概念も考案した。次に 私たちが重視したのは、1986 年のチェルノブイリ原発事故と 1995 年の阪神・淡路大震災 の経験を活かすことだった。ウクライナで 30 年間続けられている対策が日本ではなぜ講 じられないのか。兵庫県で 20 年間続けられている「震災をわすれないとりくみ」の成果 をどうしたら「3・11」後の教育界に活かせるのか。 こうした検討の結果を山口幸夫が取りまとめたのが、 「Ⅱ 3・11 後の教育現場と社会 への提案」である。 本研究をふまえた今後の展望にも触れておきたい。これまでも、私たちは、兵庫県に 1995 年度より措置された教育復興担当教員の配置が東北にも必要だと主張をすることが できた。だが、本研究をふまえれば、東北 3 県の「3・11 被災校」1,101 校(小・中・高・ 特、2014 年度現在)に 1,101 人の教育復興担当教員の配置が必要だとより具体的な提言を 行うことができる。配置された教員の果たすべき役割についても議論のための叩き台を用 意できるだろう。とりわけ、日本では前例のない「原発被災校」の課題を明確にするため 本研究が活用されることが期待される。 「原発被災校 A」は東北 3 県と茨城・栃木・群馬・ 埼玉・千葉各県に及び、「原発被災校 B」はより広域に分布する。これらの学校に在籍す る子どもたちの健康、給食、学習の現状はどうなっているのか。これまでも、被ばくした 子どもにはウクライナでいまも実施されているような「保養」への参加を保障する必要が 知られていたが、これからは、東日本の何校の何人の子どもたちに「保養」に参加する権 利を保障するべきなのか。より具体的な議論が可能になる。 この間、私たちが、いつも自分たちに言い聞かせてきた言葉がある。 「被災の現実を受 け止めるのは簡単なことではない。でも一度受け止めることができると、そこにある問題 を克服する歩みをはじめることができる」 。チェルノブイリ原発事故の被災者と阪神・淡 路大震災の被災者から学んだことを言葉にしたものだ。 実際、子どもと保護者と教職員が被災体験と正面から向き合うまでには、長い時間がか かることが多い。まだ向き合うことを躊躇している人たち、いま一歩を踏み出した人た ち。多くの人たちに本書の内容が届いて、子どもたちの未来のいのちを守るための取り組 みの輪がひろがっていくことを、私たちは切望している。 ―4― Ⅰ Ⅰ 地震・津波・原発が 学校にどのような負の現実を もたらしたのか ―5― Ⅰ-1 3・11 被災校、地震・津波等被災校、原発被災校 A ほかの定義 3・11 被災校 1~8 の 1 以上が該当 地震・津波等被災校 1~4 の 1 以上が該当 原発被災校 A 5~8 の 1 以上が該当 原発被災校 B 5~11 の 1 以上が該当 1 .児童生徒が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 1) 2 .教職員が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 2) 3 .避難場所としての利用、支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保管等の 利用、他校の再開場所としての利用、及び、仮設住宅等の設置場所としての利用が行わ れた学校(地震・津波等被災校 3) 4 .校舎損壊を受けて、他校間借、空き校舎や他施設等の利用を行った学校(地震・津波 等被災校 4) 5 .原子力災害対策本部による警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の設定に ともない避難指示を受けて臨時休業あるいは臨時移転を行った学校(原発被災校 1) 6 .文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が設定した自主的避難等対象区域に位置した 学校(原発被災校 2) 7 .子ども被災者支援法による支援対象地域に位置した学校(原発被災校 3) 8 .環境省が設定した汚染状況重点調査地域に位置した学校(原発被災校 4) 9 .文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メートル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ市町村に位置する学校(原発被災校 5) 10.福島第一原子力発電所事故により校庭、プール等の除染を行った学校(原発被災校 6) 11.福島第一原子力発電所事故により校庭の線量測定、プールの線量測定、給食の線量測 定、モニタリングポストの設置等を行った学校(原発被災校 7) ※定義の詳細は本書第Ⅳ部参照 ―6― ―7― ―8― ―9― ― 10 ― ― 11 ― ― 12 ― ― 13 ― ― 14 ― ― 15 ― ― 16 ― ― 17 ― ― 18 ― ― 19 ― ― 20 ― ― 21 ― ― 22 ― Ⅱ Ⅱ 3・11 後の教育現場と 社会への提案 ― 23 ― Ⅱ 3・11 後の教育現場と社会への提案 山口幸夫 1. 地震・津波・原発災害とはどういうことだったのか 1)東北地方太平洋沖地震と巨大津波 2011 年、春まだ浅い 3 月 11 日の 14 時 46 分ころ、東北地方の東方沖で M(マグニチュー ド)9.0 の巨大地震が発生した。気象庁は「平成 23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震」 と命名した。 震源は三陸沖の、宮城県牡鹿半島の東南東、約 130 キロメートルの深さ 24 キロメート ル付近で、震源断層面は岩手―茨城県沖の南北に約 450 キロメートル、東西の幅、約 200 キロメートルという長大なものであった。この断層面の破壊は約 3 分間という異例に長い 時間にわたった結果、断層面に約 20〜30 メートルという大きなずれが生じた。その間、 地震波を放出しつづけ、各地に激しい揺れをもたらした。 地震波が地上に達して起こす地面の揺れを地震動というが、その強さをしめすのが震度 である。気象庁は震度を数値化し、0 から 7 までを 10 階級に分けている。最大の震度 7 が宮城県栗原市で観測された。震度 4 以上の地は北海道東部から中部地方にまで及んだ。 福島県双葉郡大熊町に位置している東京電力福島第一原発は震度 6 強の激しい地震動に見 舞われた。地震で福島県須賀川市のため池が決壊し、中学生がひとり死亡した。 震源断層面の破壊によって海底が約 3 メートル隆起する地殻変動が起こった。これに よって、地震発生からまもなく 10 メートルを超える巨大な津波が岩手・宮城・福島の海 岸に押し寄せた。15 時 16 分、釜石湾、大船渡港で津波が防潮堤を乗り越えた。岩手県陸 前高田市では 15 時 30 分には家屋を呑み込んで、あっという間に、街中にひろがった。山 側から海に流れ入る川という川を津波は遡上した。津波の高さ「遡上高」は、宮古市・姉 吉地区で 38.9 メートルに達し、明治三陸津波(明治 29、1896 年)の最大値(大船渡市三 陸町綾里)38.2 メートルを上回った。 火災も発生した。15 時 45 分、岩手県山田町の数か所で火の手があがったが、消火作業 ができない。18 時 39 分、岩手県大槌町内は火の海状態になり、しかも、強い風でさらに 火はひろがった。翌、3 月 12 日の 15 時 50 分、山田町の火災は海の方向へ向かった。山 林火災も起きた。 2)歴史地震、歴史津波による被災 江戸時代からのことわざに、 「地震、雷、火事、親父」というのがある。この世の怖い 順にならべたといわれるが、まっさきに、地震とあるのは、ほんとに地震が怖いものだと されていたからであろう。 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、か ― 24 ― ためし よのなか すみか つ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世中にある人と栖と、またかくのごと し」 の書きだしで知られる『方丈記』(鴨長明、1212 年)は、人の世の無常を述べた随筆であ ると学校で教わった。 『方丈記』の前半には地震という天変地異の怖ろしさが次のように 記述されている。 養和のころ(1181 年ころ)と記憶するが、と長明はことわって、 「大地震があった。その惨状もまた稀有のものであった。山は崩れて河を埋め、怒濤 の津波がおしよせて陸地を水一杯にした。土がさけてそこから水がわきいで、また巨 岩がわれくずれて谷にころげこんだ。船は波に翻弄され、馬は足のふみ場に迷うあり さま。京都の近辺いたるところの堂や塔がひとつのこらず倒れ傾いた」 (唐木順三訳) 。 『理科年表』(丸善)をみると、長明の生きた 12〜13 世紀の時代に先立って、9 世紀末 ころから M6〜8.5 くらいの大地震が京阪神地方で頻繁に起きていたことがわかる。現代 の地震学者・石橋克彦はこれらの地震は南海トラフによる巨大地震であったにちがいない と解釈している。いうまでもなく、近々、確実に起こるであろうから念入りな対策・準備 が不可欠だとされるのが、この「南海トラフ巨大地震」である。 それにしても、そんな古い時代のことがどうして判るのか。 地震についての記述が残っている古文書、古地図、金石文、寺院の過去帳などを広く集 め、古い時代に起こったことを推察する学問分野がある。このような、地震に関する信頼 に足る史料によって過去の歴史的な地震を研究する分野が歴史地震学である。歴史学者と の協力が必要で、口承や伝承、また、地形・地盤・遺跡・津波の痕跡などの物的証拠など も重要だという。ちなみに、日本では、太陽暦が採用され器械的地震観測が始まった 1872 年あたりまでの地震を「歴史地震」と呼んでいる。本書では、津波についても同じ ような意味あいで、 「歴史津波」という呼び方をすることにしたい。 『方丈記』が書かれた 背景には、地震・地殻変動・津波・火災・出水・大風・飢饉などによる大きな災害が、人 の手ではどうしてみようもない、諦めるしかないもの、と受け止められていた現実があっ たと思われる。 つい最近の 1995 年 1 月 17 日に、淡路島北部から神戸、芦屋、西宮、宝塚にわたる広い 地域に起こった M7.3 の「平成 7 年兵庫県南部地震」は、大規模な火災を伴ってたいへん 深刻な被害をもたらした。 「阪神・淡路大震災」である。このとき、関西には地震は起き ないといわれていたので、つい日頃の備えを怠ったと多くの市民たちが受け止めた。その ように発言した科学者もいた。 幕末の 1854 年、安政南海地震が起こったさいの歴史津波として「稲むらの火」物語が ある。しかし、それも、 『方丈記』という古典の教えも、 『六国史』などの古い歴史書の記 ― 25 ― 述も、生かされなかった。 「天災は忘れた頃にやってくる」という地球物理学者・寺田寅 彦のごく最近の有名な警告もまた、忘れられていたのであった。 3)東日本大震災の自然災害性と人災性 災害をどのようにして避けることができるだろうか。地震が起こることを止めることは できないが、地震による被害は小さくすることはできる。耐震構造にする、耐震補強をす る、火災発生を防ぐ対策を講ずるなどである。自然災害を技術的な工夫によってできるだ け減じようとする考えである。 人工物の原発が地震によって生む災害は、基本的に、避けることは可能である。原発は 人間が作ったものであるからには、原発を止め、核燃料をとりだし、燃料保管プールの耐 震構造を十分なものにしておけばよい。広範に放射性物質が飛散するのだけは防ぐことが できるだろう。もっとも、常に、ここまでの対策を講ずることは、廃炉にすることにひと しい。原発の存在をなくするにひとしい。 かつて寺田寅彦が「天災と国防」という文章の中で、文明が進むほど天災による被害が 大きくなる事実を十分に自覚して、ふだんから対策を講じておかなければならないのに、 そうなっていない、と注意したのは 1934 年であった。 「室戸台風」が大阪・神戸を中心に、 死者 3,066 人、家屋の全壊流失 4 万戸という大きな被害をもたらした、その 2 カ月後の文 章である。先に引いた「天災は忘れた頃にやってくる」の元になった歴史的事実である。 津波対策は可能だろうか。このたびの東日本大震災を経験して、岩手・宮城・福島 3 県 の太平洋岸地帯では、将来やってくるであろう大津波を阻止する防潮堤を作るのか、大津 波でも到達しないような高台に住宅を建て街づくりをするのか、意見が分かれている。後 者の選択をすれば、身近に海を見て、海とともにという暮らしはできない。前者の選択を すれば、目の前に巨大な壁がそびえ、海と隔離されたような日々をおくることになる。 作家・吉村昭によると、大津波とのたたかいは克服できるのではないか、という。 「三 陸沿岸は、リアス式海岸という津波を受けるのに最も適した地形をしていて、本質的に津 波の最大災害地としての条件を十分すぎるほど備えているといっていい」 。しかし、明治 29 年(1896)、昭和 8 年(1933)、昭和 35 年(1960)の三度の津波での被害は明らかな減 少傾向がみられる、と吉村は数字を挙げている。死者数は、順に 26,360 人、2,995 人、 105 人であり、流失家屋は 9,879 戸、4,885 戸、1,474 戸であった。被害が減少したとはいえ、 この数字の大きさには驚かざるをえない。津波避難訓練、避難道路の建設、防潮堤の建 設、高地への移転など、さまざまな取りうる方法で努力したというのである。 三つの津波と、四度目の昭和 43 年(1968)十勝沖地震津波を経験した岩手県田野畑村 の古老が、 「津波は時世が変わってもなくならない。必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人た ちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにいないと思う」 ― 26 ― と語った言葉は、印象深いものとして残っている、と吉村は書き遺した。 岩手県洋野町・八木地区では、 「津波てんでんこ」と教え伝えられてきた。また、避難 訓練してきたおかげもあって、東日本大震災の巨大津波で、一人も犠牲者が出なかった。 第Ⅱ部 3 章でとりあげるが、知識と経験を伝えていくことの意義は、まことに大きいので ある。 4)変動帯日本列島の地震・津波と原発―福島原発の現実 プレートテクトニクス理論が地震学、地球物理学の基本として世界的にも認められたの は 1960 年代の後半である。ここで、プレート(plate)とは地球の表面を形成している十 数枚の、厚さ 10 キロメートルほどの岩盤をさす。現在では、プレートは十数枚ではなく、 数十枚あるのではないかと考えられている。テクトニクス(tectonics)は構造学とか構造 地質学のことである。プレートは年に数センチメートルほど動くのだが、プレートがぶつ かったり、片方のプレートが沈みこんだりするところでは、地震が起こり、地盤が隆起し たり、沈降したりする。 この考え方によると、日本列島は太平洋プレート、北米プレート(オホーツクプレー ト)、フィリッピン海プレート、ユーラシアプレートの 4 枚のプレートがぶつかりあって いる世界的にめずらしい場所で、変動帯(mobile belt)と呼ばれる。当然のことながら、 地殻変動や地震活動が活発に起こる。火山活動も盛んで、地震に伴う津波もめずらしくな い。 福島第一原発が激しい地震動に耐えることができたのか、地震動には耐えたが津波に よって核燃料のメルトダウンという過酷事故が引き起こされたのかは、事故から 5 年後の 今日でも、結論をみていない。議論が続いている。しかし、すくなくとも 1 号機に関して は、津波が到達する前に、破局が始まったことには疑問の余地はない。 起こった事実とその原因とを客観的に評価できないというのも、プラント内と周辺の放 射線量が高くて、調査ができないことが主たる理由である。さらに、直接的に責任を負う 東京電力が情報を出し渋っていることも、大きな理由である。事故に関しては、東京電力 福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調) 、当時の政府、東京電力自身、そして、 民間グループの四者による調査報告書が公けにされている。いずれも限界があるが、その 中で、国会事故調による報告書がもっとも信頼度が高い。 放射性物質が広く東日本を汚染した福島原発事故は極めて深刻なものである。1986 年 のチェルノブイリ原発事故にならぶ最悪の放射能災害をもたらした。詳しくは第Ⅱ部 2 章 でふれるが、ここでは一点だけ指摘しておきたい。国会事故調は、 「政界、官界、財界が 一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜』が生 まれた」ところに、事故の根本原因があるとした。その結果、安全対策が先送りされた、 という分析である。いわば、福島原発事故は人災であるという結論である。 そこで言う人災をもたらした根本原因に教育問題がどのように関係しているか、暗黙の ― 27 ― 重い問いかけがひそんでいるように思う。 5)小活 2011 年 3 月 11 日に東北地方をおそった巨大地震は大津波を伴い、東日本に歴史的な惨 状をもたらし、いまだ、復興は成っていない。日本列島には古来、絶え間なく大小の地 震、地殻変動、火山噴火、津波などによって被災してきた歴史がある。しかし、その過去 を忘れがちであった。語り伝え、学び継ぐことが不十分だった。現代科学は、日本列島が 世界的に稀有な変動帯に位置していることを教えている。天災は終わることがない。阪 神・淡路大震災と東日本大震災・原発災害とは、今後の世代の教育の場に確実に伝えてい かねばならない。 【参考文献】 (1)国会事故調報告書、2012 年 6 月 (2)石橋克彦『南海トラフ巨大地震 歴史・科学・社会』、岩波書店、2014 年 3 月 (3)吉村昭『三陸海岸大津波』 、文春文庫、2011 年 4 月(第 9 刷、第 1 刷 2004 年 3 月) (4)黒田光太郎・井野博満・山口幸夫編『福島原発で何が起きたか-安全神話の崩壊』 、岩波書店、 2012 年 11 月 (5)山下祐介『東北発の震災論―周辺から広域システムを考える』、ちくま文庫、2013 年 1 月 ― 28 ― 2. 教育の現場が強制的に被っている実態 1)東日本に広く飛び散った放射性物質 福島第一原発が炉心溶融した過酷事故(シビアアクシデント)の因果関係は 5 年目の今 日でもはっきりしない。事故の主原因が地震であったか、それとも津波であったか、現在 も、とくに、柏崎刈羽原発の再稼働問題を抱える新潟県の技術委員会の場で議論は続いて いるが、決着はついてはいない。だが、地震が主原因である可能性がつよい。津波を防ぐ ための防潮堤をつくればよいとする原発推進の立場がある。浜岡原発でも柏崎刈羽原発で も長大な防潮堤が建設された。だが、地震こそが主原因ならば、防潮堤で済む話ではな い。耐震設計と耐震工事とがより重要である。それが叶わなければ、廃炉しかない。 事故の因果関係は別として、大量の放射性物質が福島第一原発から環境に放出されたこ とはまぎれもない事実である。放出量については、外国を含めていくつかの推定がある。 正確なところは定かではないが、チェルノブイリのときの約 5,200 ペタベクレル(ヨウ素 換算値)にたいし、約 900 ペタベクレル、つまり約 6 分の 1 程度というのが妥当ではない かとされている(ペタは 1015、千兆をあらわす) 。また、チェルノブイリの場合はほぼ全 量が陸地に降下したが、福島事故では放出量のおよそ 9 割は原発の東側に位置する太平洋 に出たとみられる。 国内のどこに、どのくらいの放射性物質が飛び散ったかは、おおまかには、航空機によ るガンマ線の測定で判定され、地図ができている。東日本は広範に汚染されたが、一様に 汚染されたのではない。福島第一原発から同心円状に汚染が広がったのでもない。風向き と降雨に大きく左右されるからである。しかも、地域によっては、相当の濃淡がある。プ ルームとよばれる放射性物質を濃く含んだ気流(放射能雲)が通った経路、滞空時間、そ のときの雪や雨の影響など、条件によってちがいが生じている。放射性物質は学校も子ど もたちの通学路も関係なく降り注いだのであった。 いいたて このために、同じ福島県内でも、原発から北西に 30〜40 キロメートル離れた飯舘村は もっとも深刻に汚染された。福島県全体でいえば、13 パーセントに相当する 1,800 平方キ ロメートルの土地が、年間 5 ミリシーベルトという高い空間線量を発する可能性のある土 地になった。 農水産物の汚染については、福島県のほかに、5 年後の今日でも、静岡、長野、東京、 新潟、宮城、岩手などの地域、地区などによって、茶、山菜、川魚、野菜、米、食肉など がキログラムあたり数十〜100 ベクレル超という汚染の例がつづいている。国の基準値は 100 ベクレル / キログラムなので、数〜数十ベクレル / キログラムならよしとするのか、 1 ベクレル / キログラムの汚染食品でも避けるのか、住民・市民自身がどう考えるか、そ して、判断・選択とが問われているのである。 とくに、学校の給食を含めて、子どもたちの食は大人と同じようにはいかない。子ども たちは大人より、放射線影響を遥かに大きく受けることが知られているからだ。学校の教 ― 29 ― 職員は否応なしに、この現実に直面させられたわけである。 「原発安全神話」は崩壊した。事故後に新設された原子力規制委員会は、今後、原発が 過酷事故を起こすおそれがあることを認めた。だが、いざ事故というときに住民がどう やって避難するかについては、所掌外だと言う。九州電力川内原発 1、2 号機と関西電力 高浜原発 3 号機とは、新規制基準のもとで再稼働したが(順に、2015 年 8 月、10 月、 2016 年 1 月)、住民の避難については、原発立地の首長に一切は任された。だが、実効性 ある避難計画は無い。 いざ、事故というときに、そもそも避難が可能だろうかと考える。病院の入院患者、要 介護者、学校の児童や教職員たちをどのように、被ばくなしに避難させられるだろうか。 福島事故のときには、情報が無く、また、錯綜し、かえって放射能レベルの高い地域に避 難した人たちもある。道路は渋滞し、長時間かかった例も多かった。季節、天候、時間帯 などに左右されるうえ、地震で山が崩れ、道路が陥没し、橋が落ちているかもしれない。 とうてい計画通りの避難は期待できない。学童含めて住民を被ばくさせることになるのは 疑いの余地がない。 2)住民避難と放射線被ばく 福島県が福島第一原発から半径 2 キロメートルの住民に避難指示を出したのは、3 月 11 日 20 時 50 分だった。国は 21 時 23 分には半径 3 キロメートル圏に避難指示、10 キロメー トル圏内は屋内退避指示を出した。だが、住民は事故の中身を知らず、着の身着のままで 避難させられた。多くの人たちは、すぐに帰れると思っていたふしがある。確かな情報が ないまま、どこに避難すべきか判らずに、避難先が幾度も変わることがあった。6 回以上 も変えた住民が原発に近くの住民に多くみられた。避難先が放射能汚染の高い地区だった 例もある。 このような事故は起こらないと信じ込んでいた「神話」があり、東京電力も政府もメル トダウンへ向かって刻々と変わる原子炉内状況を把握できず、的確な指示を出すことがで きなかった。 福島第一原発事故によって、福島県民だけでおよそ 14 万 7 千人(2011 年 8 月末現在) が避難した(2010 年 4 月の福島県人口 203 万人の約 7.2 パーセント) 。内訳は、警戒区域 (原発から 20 キロメートル圏)で約 7 万 8 千人、計画的避難区域(20 キロメートル以遠 で年間積算線量が 20 ミリシーベルトに達するおそれのある地域)で約 1 万人、緊急時避 難準備区域(半径 20〜30 キロメートル圏で、計画的避難区域および屋内避難指示が解除 された地域を除く)で約 5 万 8 千人である。ちなみに、2015 年末の時点で 10 万人をきっ て、99,991 人になったと福島県は発表した。 チェルノブイリ事故で子どもたちに甲状腺がんが多発したことはよく知られている。原 発から放出された放射性ヨウ素(ヨウ素 131)の半減期は 8 日という短さなので、初期被 ばくの測定が重要であった。しかし、今回は事故から 2 週間以上たってから、1,000 人程 ― 30 ― 度の児童に直接測定がされただけだった。住民の被ばく防護にも役に立たなかった。 福島県住民にたいしては、3 月 13 日から 31 日まで、約 11 万人超の避難者や地元住民 にたいして、体表面スクリーニングが行われた。これは着衣、靴、リュックや皮膚表面か らのベータ線をサーベイメーターで測定するものである。ところが、スクリーニングの基 準値が従来の 1 万 3 千カウント(1 分間のカウント数)から 10 万カウントに引き上げら れてしまった。ここで、1 万 3 千カウントは、呼吸による 1 歳児の甲状腺等価線量 100 ミ リシーベルトに相当する。10 万カウントは、890 ミリシーベルトに相当する高線量である。 1 万カウントを超える人たちの数がかなり多く、全身除染するための水を確保することが できなかったから、といわれる。起こってしまうと、このように、現実に即すしか手がな くなる。深刻な事態といわねばならない。 3)チェルノブイリとフクシマ 国際原子力・放射線事象評価尺度(INES)によると、1986 年のチェルノブイリ原発事 故と 2011 年の福島第一原発事故とは、ともにレベル 7 である。レベル 8 以上というのは 存在しないので、この二つが世界最悪の原発事故なのである。1979 年のスリーマイル島 原発事故はレベル 5 であった。 チェルノブイリとフクシマとは事故の中身に異なるところがある。チェルノブイリの事 故は核暴走事故であった。黒鉛減速軽水冷却炉 1 基の原子炉の核反応が制御できなくなっ たのである。わずか数秒のあいだに 2 度以上の大爆発が起こり、原子炉が壊れ、核燃料棒 は粉々になって吹き上げられ、花火のような火柱が夜空にあがった、という。重さ 1,000 トンもある原子炉の上蓋が飛び上がって垂直に落ち、建物の屋根も吹き飛ばされて、原子 炉のなかの大量の放射性物質が環境に飛び散った。推定では、原子炉の中にあったヨウ素 131 の 50〜60 パーセント、セシウム 137 の 30〜50 パーセントが放出された。 他方、フクシマの事故は炉心溶融事故であった。隣り合った複数の原子炉 3 基で事故が 起こるという、世界初の事例でもあった。沸騰水型原子炉で、じわじわとメルトダウンが 進行した。その進行を止めることができず、冷却に失敗した。水素爆発が起こり、1、3、 4 号機の建屋上部が吹き飛んだ。溶け落ちた核燃料と原子炉の内蔵物の混合がれきは格納 容器の中にとどまっているか、底を破っているのか判らない。長期間にわたって水で冷や しつづけなければならない。しかし、大量の地下水が流れ込むので、1 日 400 トンのペー スで放射能汚染水が増えつづけている。 環境に大量の放射性物質を放出し、環境を汚染し、住民を被ばくさせた点では共通する が、チェルノブイリとフクシマとでは、子どもたちにたいする事後の施策では大きな違い がある。 ウクライナ国立放射線医学研究センターではチェルノブイリ事故いらい、30 年間、5 万 人以上の子どもたちを診療してきた。そこで見られるのは、呼吸器、心臓血管系、内分泌 系、胃や食道、肝臓、すい臓などの病気にかかる子どもたちが増えていることだ。事故が ― 31 ― その原因の一つであることは間違いないと考えられている。そこで子どもたちの「保養」 に国家事業として取り組んでいるのである。社会政策省に保養庁が新設されて保養事業を 担当しているという。保養の大きな意味は、きれいな空気と水のもと、放射能で汚染され ていない食べ物、飲み物をとって、心配なく大地で遊び、水辺でたわむれることができる からである。 そのような保養所が 1,000 カ所以上もあるという。たとえば、黒海に面する港町オデッ サにある子ども向けの保養地には最大 600 人を収容できる施設があり、子どもたちは 1 回 に 21 日間滞在するというのである。滞在中の子どもたちには、若手の先生がつきそって いる。病院もついているし、プライベートビーチもあって、学ぶことも遊ぶこともできる のである。 ひるがえって、日本ではどうか。沖縄から北海道まで各地の住民・市民たちがボランテ イアで保養受け入れの運動をしている。いずれも、献身的な活動である。しかし、おのず と小規模にならざるをえない。原発を推進してきた電力や政府は、子どもたちの保養には 関心がうすい。事故を起こしたことの責任をどう考えているのだろうか。保養を必要とす るほどの被ばくはないと考えているのだろうか。国家体制のちがいで済ませてはならな い。ひとの、とりわけ将来の長い子どもたちのいのちと健康にかかわる問題だとおもうの である。 4)ベクレル(Bq)とシーベルト(Sv) ここでベクレルとシーベルトについて、整理しておきたい。 ベクレルは放射能の強さを表す単位である。その放射性物質が 1 秒間に何回崩壊する か、崩壊数で表わした客観的な数値である。ベクレルそのものは、人への影響については 何も表さない。拡散についても何も表さない。 シーベルトは、放射線に被ばくしたとき人の体にどれくらいの影響があるかを表す単位で ある。人という生きもの相手の話なので、シーベルトにはどうしても、あいまいさがつきま とう。科学的ではないという理由で、シーベルトを使いたくないという科学者もいるほどだ。 「放射線管理区域」という特別な場所がある。放射線や放射能を扱う人たちを放射線に よる障害から守るために設けられている。その基準は、放射性物質による表面汚染密度が アルファ線を出さない放射性物質で 4 ベクレル /cm2(4 万ベクレル /m2)を超えるところ、 そのおそれがあるところであり、外部放射線については実効線量が 3 カ月あたり 1.3 ミリ シーベルト、年間にすると 5.2 ミリシーベルト、毎時 0.60 マイクロシーベルトが放射線管 理区域の設定基準である。 チェルノブイリ事故のあと、1991 年に当時のソ連で「チェルノブイリ法」という法律 がつくられた。放射性物質のセシウム 137 が 1 平方メートル当たり何ベクレル沈着したか で汚染の線引きをした。また、その汚染では人間がどれだけ被ばくするかをミリシーベル トに換算した。表にしめす。 ― 32 ― チェルノブイリより 4 倍も高い福島の避難基準 放射線量(mSv/ 年) 福島の区分 チェルノブイリの区分 ・50 超 帰還困難 移住の義務 ・20 超〜50 以下 居住制限 (同上) 避難指示解除準備 (同上) (居住可能) (同上) ・1 超〜5 以下 (同上) 移住の権利 ・0.5〜1 以下 (同上) 放射能管理 ・20 以下 ・5 超 (注)チェルノブイリでは、5mSv/ 年超の場所は原則的に立ち入り禁止 チェルノブイリ法では、第 3 ゾーンの 1 ミリシーベルト / 年以上は移住権利ゾーンに なっている。放射線管理強化ゾーンが 0.5 ミリシーベルト / 年以上である。日本の福島と 比べると、なんと大きな違いであろうか。学校に通う成長期の子どもたちは何ミリシーベ ルト / 年ならば我慢してよい線量なのか。国や地方行政は措いて、私たち自身はどう考え るべきだろうか。 5)原発による放射線被ばくの評価 現在、福島事故の避難住民にたいして政府が 2017 年 3 月までに避難指示を解除する目 標は、「空間線量」が年間 20 ミリシーベルト以下、とされている。3・11 以前は、公衆の 年間追加被ばく線量は 1 ミリシーベルト以下、とされていた。この大きなちがいをどう考 えたらよいのだろうか。なんとも分かりにくい。さきに、 「放射線管理区域」の例をあげ たが、もう一つの実例をみてみよう。 しまはしのぶゆき 1991 年に、嶋橋伸之さんという青年が 29 歳と 1 カ月の若さで慢性骨髄性白血病により 死亡する事件があった。死後、遺族が 1993 年 5 月に労災認定を申請し、翌年 7 月に認定 された。工業高校を出た 18 歳の嶋橋さんは頑健な青年だったが、中部電力浜岡原子力発 電所で計測装置の保守管理の仕事についてから被ばくするようになり、約 10 年間で 50.93 ミリシーベルトを被ばくした。これは累積線量であり、平均すると、年間に約 5.1 ミリ シーベルトであった。残された「放射線管理手帳」の記録によると、最大に被ばくしたの は 1987 年の 1 年間で、約 9.8 ミリシーベルトであった(図 1) 。 1 年間で 20 ミリシーベルトの線量の地に住むからといって、1 年間でまるまる 20 ミリ シーベルトを被ばくするわけではないだろう。放射線をある程度は遮る屋内で過ごす時間 もあるからだ。逆に、屋外で近くの森や林からの放射性物質の飛散によって、余分に被ば くすることもあろう。それにしても、20 ミリシーベルトの 4 分の 1 に当たる 5 ミリシー ベルトという線量は嶋橋さんが平均して 1 年間に浴びた線量であり、 「放射線管理区域」 における線量でもある。 文部科学省は 2011 年 4 月 19 日付で通知を出し、幼児、児童、生徒が受ける放射線量の ― 33 ― 図 1 嶋橋さんの被ばく線量(藤田祐幸『知られざる原発被曝労働』岩波ブックレット 390、1996 年による) 限界を年間 20 ミリシーベルトと暫定的に規定した。その根拠として、国際放射線防護委 員会(ICRP)の 2011 年 3 月 21 日の声明「今回のような非常事態が収束した後の一般公 衆における参考レベルとして、1〜20 ミリシーベルト / 年の範囲で考えることも可能」を 挙げている。 現在の福島では、次のような考え方で避難民の帰還が用意されつつある。1 日 24 時間 のうち、屋外で 8 時間、屋内で残りの 16 時間を過ごすと仮定する。屋内は放射線を遮蔽 する効果があるので、その効果を 40 パーセントとみなし、1 時間当たりの線量を X マイ クロシーベルトとする。20 ミリシーベルトは 20,000 マイクロシーベルトだから、次式か ら X を求めると、X = 3.8 マイクロシーベルト / 時となる。 (X × 8 × 365)+(X × 0.40 × 16 × 365)= 20,000 3・11 以前、年間 1 ミリシーベルトという公衆の被ばく限度というのは、自然界からの 値に追加した線量値である。これを上の式と同じように計算すると、0.19 マイクロシーベ ルト / 時になる。言い換えると、この値が、事故などによって追加されたと推察される放 射線の 1 時間当たりの値である。そこで、自然界からの放射線量 0.04 マイクロシーベル ト / 時(0.4 ミリシーベルト / 年)を加えて、0.23 マイクロシーベルト / 時という値が、3・ 11 以前は、判断の目安になっていたわけである。 以上をまとめると、日本では ・日常生活の場が 0.04 マイクロシーベルト / 時程度より大きければ、原発からの日常 ― 34 ― 的な放射線放出か、核実験の影響など、何らかの理由によって空間線量が増えてい る。 ・0.23 マイクロシーベルト / 時(2.0 ミリシーベルト / 年)を超えていれば、3・11 以 前の公衆の被ばく線量限度を超えている という判断になる。 6)1 ミリシーベルト(mSv)の危険 2007 年度に国際放射線防護委員会(ICRP)が一般公衆にたいする被ばく線量限度(自 然放射線由来をのぞく)を年間 1 ミリシーベルトと勧告した。その根拠と思われることを 以下にのべる。あらかじめ言うと、年間 1 ミリシーベルトという値は決して安心してよい 値ではない。 ①公衆は日常生活においてさまざまなリスクに曝されている。たとえば、バスなどの公 共輸送にも偶然の死のリスクがある。放射線以外でさまざまなリスクを受け入れてい るわけである。それら、いろいろなリスクすべてを合わせると、死のリスクは年間で ほぼ 10 - 5(10 万分の 1)である。 ②全身が放射線に曝されて、ある確率で死に至る場合を考える。そのときのリスク係数 (1 シーベルト当たりの発生確率)をおよそに見積もって、10 - 2(100 分の 1)とする (臓器それぞれについて値が定められている)。いま、X シーベルト被ばくしたとき、 社会的に受け入れられる死のリスクとして 10 - 5(10 万分の 1)を採用すると、 10 - 5 = 10 - 2(1/Sv)× X(Sv) である。すなわち、X = 10 - 3 シーベルト= 1 ミリシーベルト となる。これが国際 放射線防護委員会の考え方の中身である。 ③だが、この考え方に従うとしても、10 - 5 はそのままで、リスク係数を 10 - 1 と見な せば(すなわち、10 シーベルトで必ず発生する) 、X は 10 - 4 シーベルト、つまり、0.1 ミリシーベルトになる。 ④こう見てくると、1 ミリシーベルトという値は厳密なものではないと同時に、安心し てよい値とは言えないことが分かる。しかも、免疫不全、老化、白血病、循環器の障 害など、死以外のさまざまな疾患は考慮されていない。 ⑤さらにまた、ひろく受け入れられている LNT 仮説(これ以下なら安全だという「し きい値」は存在しない。直線的にリスクは減っていくが、どんな低線量になっても放 射線のリスクは存在するという仮説)に矛盾している。LNT 仮説には、限度という ものが存在していないから、年間の被ばく線量限度という概念は成り立たないのであ る。 ― 35 ― ここで、東日本大震災の被災地の岩手県宮古市で、臨床医として放射能汚染問題に取り 組んできた岩見億丈医師の主張に耳を傾けたい。岩見医師は放射線被ばくのリスクについ て、共通の評価値の浸透をのぞむ、と新聞紙上で意見をのべている(河北新報、2015 年 12 月 17 日付) 。 日本産業衛生学会が放射線とがん死亡の因果関係を検討し、毎年改定する「許容濃度等 の勧告」で公けにしている。それは現在、科学的信頼性が最も高い有害物質リスク評価の 一つ、と岩見医師はいう。2015 年版勧告によれば、18 歳男性が毎年 3.2 ミリシーベルト の被ばくを 67 歳まで受け続けると、100 人中に 1 人の過剰がん死亡が一生のうちに起きる。 また、18 歳男性が毎年 1 ミリシーベルトの被ばくを 27 歳まで受け続けると、1,000 人中 に 1 人の過剰がん死亡が起きる。ただし、これは外部被ばくだけで内部被ばくは評価して いない。また、10 歳未満の子どものリスク値は、20 歳代成人の値の 2 から 3 倍である。 そうのべた上で岩見医師は 10 万人に 1 人の過剰がん死亡リスクから 18 歳の若者を守る ためには、50 年間、毎年 0.003 ミリシーベルト未満の被ばくにとどめなければならない、 臨床医のリスク管理感覚からいえば、ICRP の被ばく限度「1 ミリシーベルト」はあまり にも高すぎる、というのである。 一般にはなじみがないかもしれないが、現代医療では、患者への十分な説明責任が求め られている。たとえば、正確な診断のために画像診断の検査で造影剤を使うことがある。 その際の副作用で 100 万人に 1 人から 2 人前後の死亡リスクがある。このリスク値を医師 が患者に説明し、患者の同意を文書で確認して、患者の自己決定権を尊重して医療行為を 行う、と岩見医師は言う。福島第一原発事故で放射線被ばくによる健康被害リスクでさま ざまな情報が出ているが、被災者と医師は戸惑いを感じてきた。被災者、避難者、医療従 事者、行政、司法が共通認識として放射線リスク評価値をもつべきだ、という主張であ る。 がん死だけではない。すでに触れたように、チェルノブイリ事故の被災者は、多種多様 の疾患に子どもたちも大人も悩まされている。フクシマによって、これからどれほどの健 康障害が現れるか、その人たちにどのような手当てが可能か。 7)子どもたちの甲状腺がん チェルノブイリ事故の場合、事故から 4 年目に子どもたちに甲状腺がんが多数見つかっ た、という報告がある。フクシマではもう 4 年半をすぎているので、おなじようにみなす と多数の患者が見つかっていて不思議ではないことになる。 しかし、専門家と称する人たちの間で、調査結果にたいする主張が真っ向から対立して いるのが現状である。まず、報告されている事実をのべよう。福島県が実施した県民健康 調査の甲状腺検査では、18 歳以下のおよそ 30 万人を調べた結果、2015 年 11 月 30 日まで に悪性または悪性疑いと診断された人は 151 人いる。そのうち、105 人が手術で悪性と確 定した。 ― 36 ― この数値をみて、福島県内で 18 歳未満の住民で標準の 20〜50 倍という桁違いのレベル で甲状腺がんが多発している、というのが一方の主張である。標準の発生率とは、国立が んセンターの公表データから、年間 100 万人中 3 人〜5 人だという。福島でのデータは 「スクリーニング効果」や「過剰診断」によるものとしてはとうてい説明できず、疫学的 検討もくわえて、原発事故による影響以外の原因は考えられないとする。 他方、原発事故による放射線被ばくが原因ではない、福島県民の被ばく量はチェルノブ イリの人たちより、はるかに少ないと主張する専門家がいる。いずれも、県側に立つ人た ちで、早くから「100 ミリシーベルト以下なら安全」と繰り返し、公衆に語ってきた人た ちである。それら両者が公開の場で討論することは行われていない。成立しないようであ る。科学者同士のあいだのこのような対立は原子力という国策に科学者がしばられている からであろう。科学も、科学者もけっして中立ではないということである。 前者の主張は、2011 年に 19 歳以上であった県民の甲状腺がん症例の把握や甲状腺がん 以外の悪性疾患や、非がん疾患の症例把握とそのためのシステム構築に力をいれるべきだ と続く。また、福島県内の空間線量率の高い地域においては、妊婦や若年者を優先させ た、保養・避難を含む一層の放射線防護対策が望まれる、と結論する。こちらは、まこと にもっともだと思う。 8)後始末の作業員の被ばく 平常時であっても、原発の作業員は元請け、下請け、孫請け、ひ孫請けと何重もの下請 け構造の中にいる。労働者が過酷な仕事を強いられ、親方にピンはねされながら働いてい ることはひろく知られている。彼らは法定限度(1 年間で最大 50 ミリシーベルトまで、5 年間で 100 ミリシーベルト)を超える被ばくをすれば、雇い止めになる。そのような使い 捨てにされる労働者の犠牲なしには、原子力発電は成り立たないのである。 福島第一原発事故の後の、3 月から 4 月にかけて構内で緊急作業に従事した人数は東京 電力によれば、8,338 人であった。全員が被ばくした。111 人は 100 ミリシーベルト以上、 緊急時だからと限度の 100 から 250 ミリシーベルトに引き上げられたのに、これを超えた 人は 6 人、最高が 687 ミリシーベルトであった。この人たちには、家族があり、子どもた ちもいる。親や兄を心配している子どもたちは、とうてい原発の過酷事故をうけとめるこ とができないだろう。 福島事故以前に労働災害認定を受けた人は 10 人を数える。その人たちの中で、最高被 ばく線量の 129.8 ミリシーベルトの人が急性リンパ性白血病、9 人は 100 ミリシーベルト 以下だ。もっとも低い被ばく者は 5.2 ミリシーベルトで白血病である。2015 年 10 月、厚 労省は福島第一原発で 15.7、それ以前の被ばくが 4.1 の計 19.8 ミリシーベルトを被ばくし た労働者の労災認定を発表した。 このことから推察すると、福島事故による労働者の健康障害は想像を超えたものではな いか。この人たちの被ばくは終わらない。何十年と続くのである。 ― 37 ― 9)小活 地震と津波が重なって、福島第一原発の過酷事故が引き起こされた。 「原発安全神話」 は完全に崩壊したが、同時に、福島・宮城・岩手の東北三県をはじめ東日本の各地が放射 能によって深刻に汚染された。学校もその中にある。児童、教職員、住民、作業員すべて が放射線被ばくしながら生きざるを得ない現実である。1 ミリシーベルトの危険について ものべた。 【参考文献】 (1)白石草『ルポ チェルノブイリ 28 年目の子どもたち─ウクライナの取り組みに学ぶ』 、岩波ブック レット 917、2014 年 12 月 (2)Study2007『見捨てられた初期被曝』 、岩波科学ライブラリー239、2015 年 6 月 (3)名取春彦『放射線はなぜわかりにくいのか 放射線の健康への影響、わかっていること、わからな いこと』 、あっぷる出版社、2013 年 1 月 (4)藤田祐幸『知られざる原発被曝労働 ―ある青年の死を追って―』、岩波ブックレット 390、1996 年1月 (5)産業衛生学雑誌「許容濃度等の勧告(2015 年度)」、産衛誌 57 巻、2015、146〜217 ページ ― 38 ― 3.困難をどのように克服できるのか、あるいは、できないのか か さい ユーラシア大陸の東端に、花綵のように南北に長い弓なりの日本列島には、古来、自然 災害が繰り返し、繰り返し、発生してきた。それは一つの国のなかでありながら、地震、 津波、台風、火山噴火、出水、集中豪雨や豪雪など、地域特有の現れ方をする。その災害 を生き延びるために、地域で暮らす人たちはさまざまに工夫をこらし、生活の知恵を磨き あげてきたのである。それを語り継ぎ、教え継いできたのである。 1)「津波てんでんこ」 近年、歴史地震とともに歴史津波のようすも明らかにされてきた。地震は逃げるいとま がないが、津波が来たら逃げるしかない、他に方法がないことは、語り伝えられ、受け継 がれてきた。しかし、どのように逃げるのか。 岩手県洋野町・八木地区では、津波が来たら他人のことをかえりみずに、一人ひとり、 勝手に逃げろと教えられてきた。 「津波てんでんこ」の教えだ。消防団は、いざという時 に備えて、避難の段取りと経路をルール化して日頃の訓練のなかで繰り返し演習してきた という。その成果であろう、3・11 巨大津波で子どもたちにも、消防団にも、ただひとり の犠牲者も出なかった。 だが、宮城県石巻市の大川小学校の場合は様子が異なった。児童 108 人のうち 70 人が 死亡、行方不明 4 人(2012 年 7 月現在) 、教職員 11 人のうち 10 人が死亡した。大半の児 童は学校での集団避難中に津波の犠牲になった。この地域に「津波てんでんこ」の教えが あったかどうかは定かではない。北上川を遡上してきた濁流に巻き込まれながら押し流さ れ、校庭裏の山側にたどりつき、斜面をよじ登って助かった小学生 3 人と中学生 1 人がい る。大人 12 人も同じ場所に流れ着き、助かった。 学校では、ある幅は許されるものの、集団の規律は重んじられる。日常が「てんでん こ」では、教育は成り立たないと考えられているからだと推察される。しかし災害時だ け、てんでんこに行動できるだろうか。さあ、いまから、てんでんこに逃げろ、という指 示を誰がするのか。また、誰かが、その判断をできるのか。教育の場である学校と児童・ 生徒たちとの関係は日常的にどうあるべきか、難しい課題が残った。 2)自然をどう見るか―ふところ深い自然、猛威をふるう自然 か さい この花綵列島に住み暮らしてきた私たちには、自然の美しさを賛美する詩歌や文学にこ とかかない。山や川や紺碧の空、清澄な湧水、花の咲き乱れる湿原、深紅に燃える全山の うるわ 紅葉などを思い浮かべる。 「美しき天然」というながく愛唱された歌もある。いまでも、 山は碧く、水は清きふるさと、とうたう。それらは、いちいちもっともではあるが、自然 には、もうひとつの猛威をふるう面があることを忘れてはならない。災害列島という面 が、まぎれもなく花綵列島のもうひとつの顔である。 ― 39 ― 近代、現代の技術と科学は災害を防ぐ、被害を少くするために、自然そのものを変えよ うと努めてきたところが大きい。津波や洪水を防ぐために堤防を築き、ダムをつくる。建 築物の耐震設計を進め、耐震構造に改める。雪崩を避けるためにトンネルを掘り、山を崩 す。交通の便をよくするために速い電車を開発して、時間短縮をはかる。つまるところ は、人間社会のために列島を改造するという考えにたどりつく。ひとくちにいうと、私た ちは工業化社会を目指してきたのである。自然とともに生きるのではなく、自然を切り離 し、自然に左右されない国土をつくるという考えである。一応は、安全性を確保したうえ でとは言うが、利便性の高い社会を目指してきたわけである。そのために、石炭、石油、 ウランという化石エネルギー資源を使い放題に使った。ここで、 「化石」とは、人工で再 生できないという意味である。 それが国家目的になり、教育をはじめあらゆる面で主役になってくると、どうなるか。 各種の専門家集団が形成され、異論を排除する決定がされるようになる。エリートこそが ものごとをきめる、地域の古老や先人の経験に学ぶことに価値を見出さなくなる。 これらにたいする重大の教訓が「3・11 災害」であったのではないか。自然現象も科学 と技術の力でなんとかなると思い込んでいたところはなかったか、という反省である。科 学技術を最大に利用したとしても、人間には出来ることと出来ないこととがある。それを 見極めなければならない。 3)一人ひとりのいのち、持続の可能性 人ひとりのいのちは有限である。その有限のいのちを次の世代へ引き継ぎ、引き継いで 社会の持続性が可能となる。宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』は、このことを示唆し ているのではないかと思う。この童話では、天候という自然現象に左右される個人と集団 とが描かれる。 天候不順が二年続き、両親は死を選んで、その代わりにブドリとネリの幼い兄妹を生き 延びさせる。二人は苦労しながら成長するが、やがて転機が訪れる。再び冷たい夏がやっ てきたのである。火山技師になっていたブドリは、カルボナード島に渡って、その火山を 爆発させることができないかと考える。もし、爆発が起これば、火山から炭酸ガスが大量 に噴出するだろう。そうなれば、炭酸ガスが地球の大循環の上層の風にまじり、その中に 地球全体がつつまれるだろう。すると、下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球の 気温は平均で五度くらい暖かくなるだろう、というのがブドリの考えだった。いのちをか けたブドリの試みは成功して、気候はどんどん暖かくなって、その秋は普通の作柄になっ た。ひとりのブドリの死と引き換えに、村人たちは冷害を避けることができた、という童 話である。 現代の科学からすると、火山が爆発すれば、むしろ寒冷化をまねくのではないか、そも そも、個人の努力によって人工的に火山の爆発を誘発できるのか、という疑問がたちどこ ろに湧く。そこは、童話のことなので措くとして、本質は個と集団の関係、持続可能な社 ― 40 ― 会のありようという問題である。集団の持続のために個が犠牲になる、あるいは、個を犠 牲にすることを認めるわけにはゆかない。1992 年にブラジルで開かれた地球サミット「環 境と開発に関する国連会議」の主題は、 「持続可能な開発」の可能性であった。 「将来の世 代のニーズを満たす能力を損なうことがないようなかたちで、現在の世界のニーズを満足 させること」は、人類の欲望をどのように律することができるのかである。現在につづい ている問題である。千葉県三里塚の農民が国の強制に強く抵抗した空港建設反対運動のな かで、「児孫のために自由を律す」という思想に到達した例もある。 突然の地震で圧死し、逃げ損ねて津波に流され、人生を断ち切られた一人ひとりはまこ とに痛ましい。ひとりの周りには、数多くの友人知人が、保護者が、先生たちがいたであ ろうに。ブドリとは異なって、何かこころざしを達成しようとしてやむを得ず、いのちを 失ったというのではない。しかし、生涯をかけてやりたかった夢を、それぞれが持ってい たであろうに。自然災害の恐ろしさと残酷さを深くかみしめないわけにはいかない。 夢と夢をつないでゆく。そういうつながりが日々の学びと暮らしのなかで実現できるよ うでありたいと思う。学校というところは、それがもっとも実現できそうな場の一つであ る。 4)時間はあやつることができない―放射能の寿命 しゅん 自然界には旬というものがある。人の手では何ともできない。地球環境がうみだす大気 の流れ、水の動き、天気の移り変わり、植物や動物の生理等々、あるがままの自然のこと わりの中で人は生きてきた。人そのものも、自然の一部である。 だが、近代、現代になって、人は自然の外にある、人が自然を改変しようという考え方 が起こってきた。そのひとつの顕れは、時間というものをあやつろうとする科学技術であ る。旬というものにしばられない、むしろ、旬そのものをなくそうとするものである。野 菜や果物などで、かなり旬は失われてしまった。海流の変化でさんまの旬が変わったなど と語られるが、若い世代には、旬ということばが死語になりかかっている。 もうひとつ例をあげれば、時間の短縮である。物理的時間を変えることはできないか ら、一定の時間内にできる作業量を増やすことである。移動量をふやすことも時間の短縮 に相当する。かりにそのような時間を工業的時間と呼ぶことにすれば、近代、現代社会は 工業的時間をどれだけ短縮できるかが、おおきな目標であった。科学や技術の重要な研究 目的の一つである。能率化の促進などという。念のためにいうが、効率化ではない。こち らは、エネルギーをどれだけ節約できるかを表す指標である。 「3・11 災害」でもっとも厄介な後始末は放射能汚染である。除染ということばが頻繁 に使われているが、汚染を取り除くことはできない。著しく汚染された場所から、放射性 物質の混じった土やがれきをすくい上げて、よその場所に移すことはできる場合がある。 幾分かは汚染レベルが下がることはある。森林の除染は方法がない。 根本問題は、放射性物質にはその放射能に固有な半減期というものがあり、その半減期 ― 41 ― にしたがって放射能の強さが減衰していくのを待つしか、方法がないということである。 薄めることはできる。広範にばらまけばよい。それでも、半減期にしたがって待つことに は変わりない。1 半減期で放射能の強さは二分の一になる。10 半減期でほぼ千分の一に、 20 半減期で百万分の一になる。放射性物質にたいしては、工業的時間というものはない。 自然時間しかないのである。 福島第一原発から出た放射性物質で 5 年後の現在も環境中に大量に生き残っているの は、放射性セシウム 137 である。半減期が約 30 年なので、5 半減期の 150 年で 32 分の 1 になる。10 半減期の 300 年で千分の一、20 半減期の 600 年で百万分の一というわけである。 待つしかないのが、 「3・11 原発災害」のおおきな特徴だということができる。 5)何を、どのように学ぶか このように見てくると、「3・11 災害」を経た私たちは、何を、どのように学ぶか、お のずと浮かびあがってくるのではないか。自然というものをどのように考えるか、であ る。 なにもかも便利になった現代社会。それを支えてきたのは、化石エネルギー資源の使い 放題で、能率向上を最優先してきた考えかたであった。人間は、あたかも、自然の外にい るかのように考えて、自然を人間のためにつくりかえようと努力してきたわけである。 しかし、自然界は巨大で複雑である。自然界に起こることをあらかじめ、仔細に窺い知 ることなどはできようはずがないことであった。このことを自覚することが、まず第一で ある。自然災害がいつ起こるのか、事前に知ることはできない。 第二に、自然の時間に寄り添い、自然とともに生きる知恵を学ぶことである。地域に特 有な自然現象を知り、自然の声に耳を傾けることである。古くから語り継がれてきた地域 の生き方を学ぶことである。 そのうえで、他地域の自然の姿を学ぶことである。さもないと、他地域のひとたちへの 共感が湧きにくいだろう。この地球上には、さまざまな文化があり、固有の歴史があるこ とを知らなければならない。 最後に、人災をどう防ぐことができるか、である。いざとなれば、人間がコントロール できず、甚大な被害を社会におよぼすような施設は、作るべきではない。原子力発電所は その典型だと言うことができる。 6)小活 工業化社会では、盤石の地盤と一年中快適なようにコントロールされた工場を想定し、 厳密に管理された規格製品を大量に生産する。私たちが生きている日本列島の自然は、き わめて多様であり、管理できる対象ではない。日本列島が置かれている自然環境をよく知 ることが不可欠である。これまでは、自然にたいする見方、考え方がきわめて不十分だっ た。「3・11 災害」を踏まえて、私たちの学びは根本的な反省を強いられている。 ― 42 ― 【参考文献】 (1)土木学会編『人は何を築いてきたか 日本土木探訪』、山海堂、1995 年 8 月 (2)山口幸夫「自然との共生」 、教育総研理論講座・21 世紀を拓く教育、第二巻『共生・共育を求めて』 ―関わりを見直す、所収、明石書店、1996 年 (3)大森直樹『大震災でわかった学校の大問題 被災地の教室からの提言』、小学館、2011 年 8 月 (4)岩手県高等学校教職員組合『2011 東日本大震災 語り継ぐ 3・11 その時学校は そして』 、2012 年3月 (5)宮城県教職員組合『子どもの「いのち」を守りぬくために 東日本大震災を心に刻む〜学校で何が あったのか 語りたい , 残したい , 伝えたいこと〜』第 3 集、2014 年 9 月 (6)福島県教職員組合『震災・原発事故記録集 3・11 福島の教職員 東日本大震災、東京電力福島第 一原子力発電所事故下で』 、2015 年 3 月 ― 43 ― 4.教育の根本を見直す 1)いままでの日本の教育、これからの教育 児童、生徒、学生の学力が論じられない日はないといってよい。早期教育の是非が論じ られ、よい学校を選ぶには、といった話題にあふれている。そして、どの分野でも、学力 を身につけた人材育成を唱え、学力ある人材を求める、という。 だが、そもそも学力とは何だろうか。受験学力のことを指すのだろうか。センター試験 の点数や、難関大学に入れたか、という話なら簡単だが、そうでもなさそうである。教育 を熱心に考えている人たちは、受験学力よりも「生きる力」が大事だという。そこで言っ ていた「生きる力」は「3・11 災害」にさいして発揮されたのか。ほとんど無関係だった のではないか。同時に、受験学力も関係なかったのではないか。もし、そうであるなら ば、改めて「生きる力」とは何か、学力とは何か、考え論じなければならない。いままで の日本の教育のどこに問題があって、どのように変えていくべきか、である。 近代日本では、選抜試験をして、 「優秀な人材」と称する人たちを選んできた。その試 験に合格するためには、選抜試験の過去の課題をしらべ、それが解けるようになる訓練を 重ねる。いわゆる受験勉強である。今現在の自分に興味がない教科やテーマであっても、 試験に受かるために努力をする。中央省庁の官僚になれば将来が約束されるとあれば、受 験勉強も苦ではないという人たちがいる。そのような人たちがこの国のリーダーになって きたのが、実際のところだろう。そのコースから外れても、災害列島の社会の中で、その 人ならではという生き方を生きている人たちはいくらでもいる。 「3・11 災害」はしかし、こういう社会の仕組みにおおきな疑問を投げかけたと考える。 なぜあれほどの犠牲が出るのを防ぐことができなかったのか。どこに問題があったのか。 日本のリーダーと目され、自他ともにそれを認めてきた人たちに責任があるのではない か。とりわけ、福島第一原発の過酷事故について、どうなのか。国家政策として進めてき た原子力振興に関わった、専門家、官僚、文化人、マスコミ関係者、財界人などの責任を どう考えるのか。 語られることが少ないが、そのような〈人材〉を世に送り出してきた日本の教育界に も、おおきな責任があるのではないか。そう考えるとき、今後の日本の教育をどう進めて いくべきなのか。 2)坂の上をめざした明治の教育 150 年前、近代日本の統一国家として明治国家が出発したとき、一日でも早く欧米諸国 に追いつくことが最大の国家目標であった。教育は国の大本とされ、 〈優秀な人材〉の育 成が図られた。基本的なやりかたは、欧米に習うことだった。日本全国から集め、選抜し た下級武士たちをエリート技術者にしあげるために、お雇い外国人教師を招いて、おおき な国家予算を使った。その典型を工部大学校(1877〜1886)にみることができる。近代日 ― 44 ― 本のハードな基盤をつくったのは、ここの卒業生たちであった。サムライエンジニアと呼 ばれた工部大学校の卒業生たちの中で、志田林三郎は明治中期の技術思想を代表する論客 だが、アイザック・ニュートンを評して、ニュートンが造幣局長官になって 1 週間に銀貨 を製造する高が以前より 8 倍になった、と能率が向上したことを高く評価したものであ る。 1886 年、日本に初の帝国大学ができた。のちの東京大学である。工部大学校はそれに 合併する。この年の「帝国大学令」第 1 条には 「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ、及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的 トス」 とある。坂の上をめざしてまっしぐらの方針が現れている。第二次世界大戦後できた「教 育基本法」 (1947)はこれを否定し、 「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」 を基本理念に掲げた。国家主義は否定され個人こそが大事だとされた。しかし、国家がか ならずしも必要としなくとも、知そのものや文化のために欠かせない学術技芸は片隅に追 いやられていった。その後の現代史をみると、このことが明白にうかがわれる。戦後ただ ちに、産業を盛んにし国を豊かにするために科学技術を奨励するという、科学技術立国主 義とでもいうべき国家方針が認められていくからである。工業化社会をめざし、それを実 現することによって国を富ます思想が主流になっていくのである。 3)国益・国策の下の〈人材〉育成 すでに明治期から、時間短縮を是とする教育方針が打ち出され、しかも、国家が必要と し国家がもとめる学術技芸を教授する、となれば、戦後の教育の理念の実現は困難な道を 歩まざるをえなかったわけである。 上に、能率や時間の考え方について触れたが、人間がどうにもできない自然の時間と同 じように、一人ひとりの子どもが持つ、その子だけの時間の物差しというものがある。ふ つうには、個性とよばれ、発達段階のちがいと理解されているものに当たるだろう。 「教 育基本法」が言う、個人の尊厳に属するものである。したがって、 「教育基本法」の精神 に照らせば、国家が教育を一律に管理監督してはならないのである。一人の人間もきりす てない教育の場を用意するのが国家の仕事である。教育の中身と方法とに中央政府が介入 してはならないのである。国家がもとめる人間、つまり、人材という概念は成立しないの である。人材とは、明治国家的な国家に役立つ人間という考えからしか出てこない概念で ある。 国家が国策を決め、それにそって体制をつくっていくとき、適応する人間とそうでない 人間とが出る。1950 年代に、原子力を進めるという国家方針が定まったとき、これに呼 応して、国家にとって都合のよい専門家グループが形成された。じっさいに日本の「原子 力ムラ」はそのようにしてできたのである。そこでは、個人の尊厳やいのちの尊重は二の ― 45 ― 次、三の次で、国家の意向が最優先された。これを止めることは極めて困難であること は、現代史がしめすとおりである。 原子力だけではない。いろいろな分野で「ムラ」が形成され、そこの専門家という人た ちがものごとを決めてゆくのが現代日本の特徴である。市民や住民はカヤの外に置かれて いる。そういう構造の中で、 〈人材〉ということばが国家にとって有用に生きてくるので ある。 この構造が続くかぎり、研究費と研究場所を提供されて否という研究者、とくに科学 者、技術者はほとんど存在しない。存在できないと言ってもよい。また同時に、市民・住 民の側には、専門家にお任せする意識が生ずるのは避けがたいであろう。 「3・11 災害」 をうんだ根本構造に、このことがあるのではないか、と考える。これをどうやって克服で きるだろうか。 つとに A. ワインバーグがトランス・サイエンスの時代と指摘し、提案したように、 「ム ラ」に属する専門家と称する人たちと住民・市民とが対等な立場で、時間の制約なしに、 議論を尽くすことが国家主義を超える希望のある方法ではないかと思う。そのためには、 専門家の側だけでなく、住民・市民の側にも、従来の概念を乗り越えた思想が必要であろ う。それを準備できるかもしれない場は学校教育の現場ではないか。 4)「持続可能性」と「責任」―ドイツ倫理委員会 福島原発事故の後、原発をやめるといち早く決めたのはドイツであった。メルケル首相 は福島第一原発の過酷事故に衝撃を受けた。技術先進国の日本で起きたからである。メル ケル首相はただちに「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を招集し、2011 年 4 月 4 日から 5 月 28 日まで設置した。この委員会は 2 人の委員長と 15 人のメンバーから成 る。原子力をすすめようとする専門家は委員のなかにいない。元連邦環境大臣、リスク社 会学者、元連邦教育大臣、プロテスタントとカトリックの教会代表、哲学者、環境政策研 究者などが並んでいる。 もともとドイツでは長い厳しい議論の末、いずれ脱原発だという合意が国をあげてなさ れていた。1998 年に誕生した社会民主党と緑の党の連立政権は 2000 年に脱原発法と再生 可能エネルギー法とを提出していた。当時のシュレーダー首相は、原発はミスを許されな い技術システムであり、原子力は人類が制御できない科学技術だという認識をしめしてい たのである。なによりも、安全性にこそ基本的な疑問があるというわけである。ドイツの この態度はチェルノブイリ事故による深刻な食品被害、環境被害の体験からきている。 倫理委員会は、連邦政府が原子力利用についての責任ある倫理的な判断の理由と、その 結果を全体的に考察するために設けられた、という。ドイツの安全な未来は、保全された 環境、社会的正義、健全な経済力という持続可能性の 3 本柱から成り立つと合意がなされ ていたのである。 きわめて限られた短い設置期間のあいだに、さまざまな関係者、団体から意見を聴き、 ― 46 ― 公聴会をひらき、委員間では率直な意見を交わし、合意にこぎつけることができた。 ドイツで脱原発が可能になって、事故の当事国である日本ではなぜできないのか、とい う問いがある。両者のおおきなちがいは、日本が明治以来、中央集権国家であり続けたの に対し、ドイツでは地方分権改革が行われ、連邦国家に再編されたことにあるという指摘 は説得性がある。許認可をふくめて、何もかも中央政府が行う日本のような国では、政府 と業界と地方とがもたれあいの構造をなして、責任をとる体制をとることができない。原 発の是非を議論する独立の第三者機関というものが存在できない仕組みになっているので ある。さらに奥底には、民族性の相違があるかもしれないと思う。片や森の民として文明 やおよろず を築いてきて唯一神を信仰する人々、片や大陸と離れた災害列島で八百万の神々に囲まれ てきた人々、という地理的歴史的相違はどのように作用しているか。別の課題である。 教育こそ国の大本としてきた日本という国が、もっとも肝心な、無責任体制の軌道を修 正する構造、をつくることができなかったのは確かである。 5)教育政策について 教育の基本は何かと問えば、 「一人の人間もきりすてない」場を用意することである。 教えたり、訓練したりは二の次である。これに沿って政策が決められるべきだが、 「3・11 災害」のあとの教育政策をみていると、じっさいには「きりすて」が進んでいる。放射能 は自然時間に従って忠実に消えていく。それを待つしかないことは、科学が教えているこ とである。だが、科学の教えに反して、国は放射能で汚染された地域に帰還せよとの政策 を進める。緊急時にはやむを得ないとして、年間 20 ミリシーベルトまではよしと言いだ している。原子力や放射線利用を促進しようという国際団体の進言を取り入れるのであ る。 「やむを得ない」と言うが、何がやむを得ないのか。人口が減少する、街が消える、 地域が消滅する、避難者の生活援助がつづかない、さまざまな理由を挙げているが、これ らはすべて、本質ではない。 いまや教育の本質に立ち返るべきである。どんな一人の人間もおのれの生を全うできる ための政策を考えよ。国家第一主義を捨てるべきである。 弓なりに長い災害列島の特徴をふまえ、地方と地域の違いを認識し、中央政府がとりし きる一律な教育方針を廃止するべきである。中央政府ができるのは、十分な予算措置だけ である。それ以外の地方のことは地方に任せよ。 教科に分けて、教科ごとに各学年の到達目標を決めることをやめる。そもそも、人は、 教科に分けて生きているのではない。学びは融通無碍、自由自在に、知り、学ぶのであ る。地域の職能者とまじわり、物の性質を知る。地域に生きてきた人たちとあそび、自然 を知ることが大切である。津波が来たら、勝手に逃げなければならない。豪雪地では、冬 季の単独の行動は危険である。こうやって「生きる力」が養われるのである。 「3・11 災害」は、一人ひとりの人間がどうやって生を全うできるかを考え直すきっか けを与えてくれたと思う。このことを誰もが心の底に固くとどめることが犠牲になった人 ― 47 ― たちへの責務である。 6)小活 エリートを養成することから始まった明治日本の国家主義教育を考え直す機会が「3・ 11 災害」によって与えられた。無責任体制の日本の制度を変えることが教育によって可 能だろうかを考察した。大量生産・大量消費・大量廃棄の現代社会はしかし、持続可能で はない。社会の持続可能性のためにも、一人の人間もきりすてない教育の場がもとめられ ているのである。初中等学校での教科主義についての疑問を提示した。 【参考文献】 (1)三好信浩『明治のエンジニア教育 日本とイギリスのちがい』、中公新書、1983 年 6 月 (2)飯田賢一『科学と技術』 、日本近代思想体系 14、岩波書店、1999 年 2 月 (3)A.M.Weinberg “Science and Trans-Science”, Minerva,vol.10, no.2, 1972 小林傳司『トランス・サイエンスの時代』、第 4 章、NTT 出版、2007 年 6 月 (4)安全なエネルギー供給に関する倫理委員会『ドイツ脱原発倫理委員会報告 社会共同によるエネル ギーシフトの道すじ』 、吉田文和、ミランダ・シュラーズ編訳、大月書店、2013 年 7 月 ― 48 ― Ⅲ 3・11 被災校の東北 3 県 ― 49 ― Ⅲ 全数調査報告 Ⅲ 3・11 被災校の東北 3 県全数調査報告 1 東日本大震災・原発災害と学校 調査要項 2015 年 7 月 6 日版 国民教育文化総合研究所 東日本大震災・原発災害と学校研究委員会 調査目的 「平成 23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震」と東京電力福島第一原子力発電所事故 による子どもと教職員の被害を学校ごとに明らかにし、併せて、同地震と同事故による被 災校(3・11 被災校)における移転・統廃合の動態と教職員配置の推移を明らかにして、 被害を受けた子どもと教職員に関わる現状と課題の解明に役立てることを本調査の目的と する。本調査は 2014 年 5 月〜2016 年 3 月に実施するものとする。 調査対象 岩手県・宮城県・福島県における公立の小学校・中学校・高等学校・特別支援学校・中 等教育学校、及び、朝鮮初中級学校の 2010〜2014 年度の状況(5 年分) 。 調査項目 ・調査項目は「3・11 被災校の特定に関わる 8 項目」と「3・11 被災校の動向に関わる 6 項目」による合計 14 項目から構成する。 3・11 被災校、地震・津波等被災校、原発被災校 A の特定 ・本調査では「3・11 被災校の特定に関わる 8 項目」のうち 1 項目以上が該当した学校を 3・11 被災校と特定する。 ・本調査では「3・11 被災校の特定に関わる 8 項目」のうち第 1 項から第 4 項の 1 項目以 上が該当した学校を地震・津波等被災校と特定する。 ・本調査では「3・11 被災校の特定に関わる 8 項目」のうち第 5 項から第 8 項の 1 項目以 上が該当した学校を原発被災校 A と特定する。 追加候補項目と原発被災校 B の特定 ・ただし「3・11 被災校の特定に関わる 8 項目」だけでは、子ども・教職員・保護者の生 活実感からは被災校と認識されている学校が被災校の特定から外れてしまう事例があ る。このため「3・11 被災校の特定に関わる追加候補項目」を「3・11 被災校の特定に 関わる 8 項目」の末尾に付し、調査研究に活かすものとする。 ・具体的には「3・11 被災校の特定に関わる 8 項目」のうち第 5 項から第 8 項、及び、 「3・ ― 50 ― 11 被災校の特定に関わる追加候補項目」のうち第 9 項から第 11 項、以上のうち 1 項目 以上が該当した学校を原発被災校 B と特定することを入手した資料の範囲内で行う。 ・また、本調査では「3・11 被災校の動向に関わる 6 項目」の調査を行うが、被害を受け た子どもと教職員に関わる現状と課題を明らかにするためには他にも調査すべき項目が ある。このため「3・11 被災校の動向に関わる追加候補項目」を「3・11 被災校の動向 に関わる 6 項目」の末尾に付し、今後の調査研究に活かすものとする。 3・11 被災校の特定に関わる 8 項目 1 .児童生徒が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 1) 2 .教職員が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 2) 3 .避難場所としての利用、支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保管等 の利用、他校の再開場所としての利用、及び、仮設住宅等の設置場所としての利用が 行われた学校(地震・津波等被災校 3) 4 .校舎損壊を受けて、他校間借、空き校舎や他施設等の利用を行った学校(地震・津 波等被災校 4) 5 .原子力災害対策本部による警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の設定 にともない避難指示を受けて臨時休業あるいは臨時移転を行った学校(原発被災校 1) 6 .文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が設定した自主的避難等対象区域に位置し た学校(原発被災校 2) 7 .子ども被災者支援法による支援対象地域に位置した学校(原発被災校 3) 8 .環境省が設定した汚染状況重点調査地域に位置した学校(原発被災校 4) 3・11 被災校の特定に関わる追加候補項目 9 .文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メートル当た り 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ市町村に位置する学校(原発被災校 5) 10.福島第一原子力発電所事故により校庭、プール等の除染を行った学校(原発被災校 6) 11.福島第一原子力発電所事故により校庭の線量測定、プールの線量測定、給食の線量 測定、モニタリングポストの設置等を行った学校(原発被災校 7) 。 3・11 被災校の動向に関わる 6 項目 1 .3・11 被災校の統廃合 2 .3・11 被災校の児童生徒数、及び、学級数の増減 3 .3・11 被災校の教職員数の増減、震災対応の教職員加配及び兼務発令の動態 4 .3・11 被災校に東北地方太平洋沖地震発生時に在籍していた教職員(原被災校教職 ― 51 ― 員)の動態 5 .3・11 被災校の非正規教職員の割合の動態 6 .子どもと教職員が死亡・行方不明となった学校における追悼碑等の設置、追悼式の 実施、震災記録集の編纂について 3・11 被災校の動向に関わる追加候補項目 7 .3・11 被災校における空間線量 8 .保養の取り組み 9 .原発被災校における児童生徒の積算被ばく線量 10.原発被災校における児童生徒の甲状腺検査結果 付記 東北 3 県で被災した子どもが転入した学校の調査については、 「東日本大震災の影 響により、震災前の居住地とは別の学校で受け入れた幼児児童生徒」1 万 8,307 人(文 部科学省調査 2015 年 5 月 1 日現在)が 47 都道府県(東北 3 県も含む)の学校に在籍し ていることをふまえ、兵庫教育文化研究所防災教育部会が 2015 年度に行った「東日本 大震災にかかる避難児童生徒に対する支援状況アンケート調査 」の結果概要を参考資 料として本書巻末に付すものとする(付 1) 。 ― 52 ― 2 岩手県 小学校・中学校 平山瑠子 調査対象 2010 年度当初の岩手県は、公立の小学校 392 校(本校 390 校・分校 2 校) 、中学校 190 校(内訳は本校 189 校・分校 1 校)があり、計 582 校を調査対象とした(休校中の学校は 含めない) 。2011〜2014 年度の調査対象校数は次表のとおりである。 2014 年度当初の岩手県は、公立の小学校 345 校(内訳は本校 344 校・分校 1 校)とな り 2010 年度比 47 校減、中学校 169 校(本校 168 校・分校 1 校)となり 2010 年度比 21 校 減、総計 514 校で 2010 年度比 69 校減だった(いずれも休校中の学校に関しては含めな い)。 表 調査対象校(岩手県 小学校・中学校) 年度 2010 2011 2012 2013 2014 校種 小 中 小 中 小 中 小 中 小 中 校数 392 190 376 186 370 179 360 175 345 169 計 582 562 549 535 514 3・11 被災校の特定に関わる 8 項目に関して 1 .児童生徒が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 1) 児童生徒が死亡・行方不明となった学校に関しては、岩手教育会館が作成した資料 「3・11 東日本大震災 岩手県小中学校支部別 罹災状況一覧 2013 年 3 月 31 日現在」 (国 民教育文化総合研究所「東日本大震災と学校」資料収集プロジェクトチーム『資料集 東 日本大震災・原発災害と学校-岩手・宮城・福島の教育行政と教職員組合の記録』明石書 店、2013 年、30 − 40 頁所収)が、児童生徒の死亡について学校ごとの記載を行っている (同資料には行方不明についての記載はない) 。同資料によると、この項目に該当したのは 14 校の児童生徒死亡 34 人だった。死亡数がもっとも多かったのは陸前高田市立小友中学 校における生徒 8 人、次に多かったのが陸前高田市立高田小学校における児童 7 人だった。 2 .教職員が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 2) 前記した岩手教育会館が作成した資料によると、この項目に該当したのは 2013 年 3 月 時点で 3 校 3 人だった。内訳は、釜石市立鵜住居小学校が教職員死亡 1 人、宮古市立磯鶏 小学校が教職員死亡 1 人、遠野市立鱒沢小学校が教職員死亡 1 人だった。なお、遠野市立 鱒沢小学校の教職員死亡については、教職員組合へのヒアリング(2015 年 8 月 21 日)に より判明した。 ― 53 ― 3 .避難場所としての利用、支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保管等の 利用、他校の再開場所としての利用、及び、仮設住宅等の設置場所としての利用が行 われた学校(地震・津波等被災校 3) 岩手県教育委員会「避難場所になった教育施設の状況」 (岩手県教育委員会『岩手県教 育委員会東日本大震災津波記録誌』2014 年、265 − 274 頁所収)ほかからは、この項目に 該当する学校が以下のように整理できる。 2010 年度は、小学校 92 校、中学校 48 校、計 140 校(学校名は本書別巻の調査シート 一覧参照、以下同) 。避難場所としての利用は、盛岡市や遠野市など内陸の学校でも行わ れ、沿岸部の学校では広範に行われた。沿岸部の学校の多くでは、避難場所としての利用 とあわせて支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保管等の利用が行われた。 2011 年度は、小学校 57 校、中学校 28 校、計 85 校。前年度末、多くの学校で避難場所 としての利用が解消。新年度となり、多くの学校で他校の再開場所としての利用、及び、 仮設住宅等の設置場所としての利用が始まった。 2012 年度は、小学校 26 校、中学校 14 校、計 40 校。前年度 8 月中旬までに、すべての 学校で難場場所としての利用が解消。多くの学校で他校の再開場所としての利用の解消も 始まった。仮設住宅等の設置場所としての利用は継続した。 2013 年度は、小学校 16 校、中学校 11 校、計 27 校。内訳は、他校の再開場所としての 利用が 4 校(小学校 2 校で大船渡市立蛸ノ浦小学校、宮古市立重茂小学校、中学校 2 校で 大船渡市立大船渡中学校、釜石市立唐丹中学校) 、仮設住宅等の設置場所としての利用が 26 校(小学校 16 校で大船渡市立盛小学校、大船渡市立末崎小学校、大船渡市立蛸ノ浦小 学校、大船渡市立猪川小学校、大船渡市立大船渡北小学校、陸前高田市立広田小学校、陸 前高田市立米崎小学校、陸前高田市立竹駒小学校、陸前高田市立横田小学校、宮古市立鍬 ケ崎小学校、宮古市立赤前小学校、宮古市立重茂小学校、宮古市立田老第三小学校、山田 町立大沢小学校、山田町立山田南小学校、山田町立織笠小学校、中学校 10 校で大船渡市 立第一中学校、大船渡市立大船渡中学校、大船渡市立末崎中学校、大船渡市立綾里中学 校、陸前高田市立第一中学校、陸前高田市立横田中学校、大槌町立吉里吉里中学校、宮古 市立第二中学校、田野畑村立田野畑中学校、野田村立野田中学校) 。 2014 年度は、小学校 16 校、中学校 11 校、計 27 校。内訳は、他校の再開場所としての 利用が 3 校(小学校 1 校で大船渡市立蛸ノ浦小学校、中学校 2 校で大船渡市立大船渡中学 校、釜石市立唐丹中学校) 、仮設住宅等の設置場所としての利用が 26 校(前年度に同じ) だった。岩手県内の学校校地における仮設住宅の解消の始まりは、2015 年 1 月 28 日の宮 古市立田老第三小学校における解消の事例まで待たなければならない(岩手県『いわて復 興の歩み─ 2011 − 2015 東日本大震災津波からの復興の記録』2015 年 12 月、25 頁) 。 ― 54 ― 4 .校舎損壊を受けて、他校間借、空き校舎や他施設等の利用を行った学校(地震・津波 等被災校 4) 岩手県教育委員会「学校の再開状況」 ( 『岩手県教育委員会東日本大震災津波記録誌』 275 − 277 頁所収)ほかからは、この項目に該当する学校が以下のように整理できる。 2010 年度は該当なし。「3・11」は学期末だったため、校舎損壊を受けた学校が同年度 内に他校間借や、空き校舎や他施設等において教育活動を行うことはなかった。 2011 年度は小学校 14 校、中学校 11 校、計 25 校。大船渡市・陸前高田市・釜石市・大 槌町・宮古市・山田町・岩泉町の学校では、津波による校舎損壊を受けて他校間借、空き 校舎や他施設等の利用が行われた。内陸部の盛岡市立厨川中学校においても、地震による 校舎損壊を受けて他校間借が行われた。 2012 年度は小学校 10 校、中学校 8 校、計 18 校。大船渡市では、2012 年 3 月まで他校 間借をしていた大船渡市立越喜来小学校と大船渡市立崎浜小学校が、両校の間借先だった 大船渡市立甫嶺小学校校地において 2012 年 4 月から 3 校統合(大船渡市立崎浜小学校と 大船渡市立甫嶺小学校の廃止と両校児童の大船渡市立越喜来小学校への編入)を行うこと により 2 校の他校間借を解消している。 2013 年度は小学校 5 校、中学校 2 校、計 7 校。陸前高田市では、2013 年 3 月まで他校 間借をしていた陸前高田市立気仙小学校が、間借先だった陸前高田市立長小学校校地にお いて 2013 年 4 月から 2 校統合(陸前高田市立長小学校の廃止と同校児童の陸前高田市立 気仙小学校への編入)を行うことにより 1 校の他校間借を解消。あわせて、2013 年 3 月 まで他校間借をしていた陸前高田市立広田中学校・陸前高田市立小友中学校・陸前高田市 立米崎中学校が、2013 年 4 月から 3 校統合(陸前高田市立高田東中学校の新校設置)を 行うことにより 3 校の他校間借を解消している。 2014 年度は小学校 2 校、中学校 2 校、計 4 校。内訳は、大船渡市立赤崎小学校(2011 年 4 月より大船渡市立蛸ノ浦小学校に間借)、釜石市立唐丹小学校(2011 年 4 月より釜石 市立平田小学校に間借、2012 年 1 月より釜石市立唐丹中学校校庭の仮設校舎に移転) 、大 船渡市立赤崎中学校(2011 年 4 月より大船渡市立大船渡中学校に間借し 2014 年 7 月に仮 設校舎を建設移転)。陸前高田市立気仙中学校(2011 年度末廃止の陸前高田市立矢作中学 校校舎を利用) 。 5 .原子力災害対策本部による警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の設定に ともない避難指示を受けて臨時休業あるいは臨時移転を行った学校(原発被災校 1) この項目に該当した学校はなかった。 6 .文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が設定した自主的避難等対象区域に位置した 学校(原発被災校 2) この項目に該当した学校はなかった。 ― 55 ― 7 .子ども被災者支援法による支援対象地域に位置した学校(原発被災校 3) この項目に該当した学校はなかった。 8 .環境省が設定した汚染状況重点調査地域に位置した学校(原発被災校 4) 2010 年度に汚染状況重点調査地域は設定されていないため、この項目に該当した学校 はなかった。 2011 年度に岩手県内で汚染状況重点調査地域に指定された自治体は 3 市町(一関市、 奥州市、平泉町の全域) 、該当校は 104 校(小学校 72 校、中学校 32 校) 。 2012 年度は 104 校(小学校 72 校、中学校 32 校) 。 2013 年度は 100 校(小学校 68 校、中学校 32 校) 。 2014 年度は 91 校(小学校 60 校、中学校 31 校) 。 3・11 被災校の特定に関わる追加候補項目に関して 9 .文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メートル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ市町村に位置する学校(原発被災校 5) 岩手県内で文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メート ル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ自治体は一関市と奥州市であり該当する学校 は以下のように整理できる(一連の航空機モニタリングは 2011 年 4 月〜2012 年 5 月実施 のため 2012 年度以降を分析) 。 2012 年度は 101 校であり、内訳は、小学校 70 校、中学校 31 校。 2013 年度は 97 校であり、内訳は、小学校 66 校、中学校 31 校。 2014 年度は 88 校であり、内訳は、小学校 58 校、中学校 30 校。 10.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭、プール等の除染を行った学校(原発 被災校 6) 前出『岩手県教育委員会東日本大震災津波記録誌』には、校庭の除染について次の記述 がある。 「低減措置を実施する目安である空間線量率(毎時 1µSv 以上)を確認した箇所 の除染作業は業者委託や職員により、平成 24 年 7 月までに 10 市町村 145 校で実施された。 (除染の判断基準は、毎時 1µSv 以上であるが、測定の高さは市町村判断による。 )また、 「汚染状況重点調査地域」に指定された、奥州市、一関市及び平泉町では、詳細測定の結 果平均値が毎時 0.23µSv 以上あった学校等の面的除染を行った」 (144 頁) 。 11.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭の線量測定、プールの線量測定、給食 の線量測定、モニタリングポストの設置等を行った学校(原発被災校 7) 。 『岩手県教育委員会東日本大震災津波記録誌』によると、岩手県教育委員会は 2012 年度 に「東日本大震災津波に係る市町村教育委員会の対応に関する調査」を行い、次のことを ― 56 ― 明らかにしている。校庭の線量測定、プールの線量測定に関しては、 「全市町村において 学校等(教育委員会所管施設で、公立幼稚園、小学校、中学校)敷地内の空間線量率を測 定し、プール水は 13 市町村 124 校、土壌は 6 市町村 48 校において測量を実施した」こと。 給食の線量測定については、 「学校給食食材等の放射性物質濃度の測定は、平成 23 年度に 4 市町村、平成 24 年度に 25 市町村が開始し、原発事故由来による放射性物質セシウム 134 及び 137 について(市町村によってはヨウ素 131 も)測定している」 (144 頁)こと。 3・11 被災校の特定 2010 年度 582 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 145 校(小学校 95 校、中学校 50 校)で 24.9 パーセント。 2011 年度 562 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 203 校(小学校 137 校、中学校 66 校)で 36.1 パーセント。 2012 年度 549 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 165 校(小学校 113、中学校 52 校)で 30.1 パーセント。 2013 年度 535 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 144 校(小学校 97 校、中学校 47 校)で 26.9 パーセント。 2014 年度 514 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 132 校(小学校 86 校、中学校 46 校)で 25.7 パーセント。 地震・津波等被災校と原発被災校 A の特定 2010 年度の 582 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 145 校で 24.9 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 0 校。 2011 年度の 562 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 102 校で 18.1 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 104 校で 18.5 パーセン ト、地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 3 校で 0.5 パーセント。 2012 年度の 549 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 61 校で 11.1 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 104 校で 18.9 パーセン ト、地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 0 校。 2013 年度の 535 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 44 校で 8.2 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 100 校で 18.7 パーセント、 地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 0 校。 2014 年度の 514 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 41 校で 8.0 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 91 校で 17.7 パーセント、 地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 0 校。 ― 57 ― 原発被災校 B の特定 原発被災校 B を特定するための十分な資料を得ていない。 3・11 被災校の動向に関わる 6 項目に関して 1 .3・11 被災校の統廃合 2011 年度の 3・11 被災校 251 校について、年度末に廃止された学校は 3 校(大船渡市 立崎浜小学校・大船渡市立甫嶺小学校・宮古市立愛宕小学校) 。 2012 年度の 3・11 被災校 129 校について、年度末に廃止された学校は 13 校(一関市立 達古袋小学校・一関市立摺沢小学校・一関市立渋民小学校・一関市立曽慶小学校・一関市 立薄衣小学校、一関市立門崎小学校・陸前高田市立長部小学校・大槌町立大槌北小学校、 大槌町立安渡小学校、大槌町立赤浜小学校・陸前高田市立広田中学校、陸前高田市立小友 中学校、陸前高田市立米崎中学) 。 2013 年度の 3・11 被災校 114 校について、年度末に廃止された学校は 12 校(奥州市立 白鳥小学校・奥州市立上野原小学校・奥州市立白山小学校・奥州市立古城小学校・奥州市 立赤生津小学校・奥州市立母体小学校・一関市立長坂小学校・一関市立田河津小学校・一 関市立松川小学校・宮古市立鵜磯小学校・宮古市立千鶴小学校・一関市立猿沢中学校) 。 2013 年 4 月には、一関市立大東小学校・一関市立川崎小学校・遠野市立遠野東中学校・ 陸前高田市立高田東中学校の 4 校が設置。前 2 校については、その立地が原発被災校 4 に 該当することから新設の 3・11 被災校とみなす。後 1 校の陸前高田市立高田東中学校につ いては、3・11 被災校の特定に関わる 8 項目に該当しないため 3・11 被災校とみなさない。 ただし、同校の母体となった陸前高田市立広田中学校・陸前高田市立小友中学校・陸前高 田市立米崎中学校のはいずれも 2011〜2012 年度の 3・11 被災校であり、陸前高田市立小 友中学校は児童 8 人が津波の犠牲となった学校であり、3・11 被災校の課題を引き継いで いる学校である。 2014 年度の 3・11 被災校 104 校について、年度末に廃止された学校は無かった。2014 年 4 月には、一関市立東山小学校が設置。同校については、その立地が原発被災校 8 に該 当することから新設の 3・11 被災校とみなす。 2 .3・11 被災校の児童生徒数、及び、学級数の増減 2010 年度の 3・11 被災校 145 校について、小学校 95 校の児童数 24,031 人、学級数 1,014、 中学校 50 校の生徒数 12,418 人、学級数 450。 2011 年度の 3・11 被災校 203 校について、小学校 137 校の児童数 23,230 人、学級数 1,156、中学校 66 校の生徒数 13,369 人、学級数 513。 2012 年度の 3・11 被災校 165 校について、小学校 113 校の児童数 19,006 人、学級数 955、中学校 52 校の生徒数 10,539 人、学級数 422。 2013 年 度 の 3・11 被 災 校 144 校 に つ い て、 小 学 校 97 校 の 児 童 数 16,033 人、 学 級 数 ― 58 ― 844、中学校 47 校の生徒数 9,186 人、学級数 373。 2014 年 度 の 3・11 被 災 校 132 校 に つ い て、 小 学 校 86 校 の 児 童 数 15,708 人、 学 級 数 811、中学校 46 校の生徒数 8,997 人、学級数 362。 なお、2011 年度の 3・11 被災校 203 校(小学校 137 校、中学校 66 校)における児童生 徒数(児童数 23,230 人、生徒数 13,369 人)について、2010 年度の同 203 校(小学校 137 校、 中学校 66 校)における児童生徒数(児童数 24,069 人、生徒数 13,643 人)を母数として百 分率を求めると小学校 96.5 パーセント、中学校 98.0 パーセント。 3 .3・11 被災校の教職員数の増減 2010 年度の 3・11 被災校 145 校について、小学校 95 校の教員数 1,634 人、中学校 50 校 の教員数 1,026 人。 2011 年度の 3・11 被災校 203 校について、小学校 137 校の教員数 1,937 人、中学校 66 校の教員数 1,242 人。 2012 年度の 3・11 被災校 165 校について、小学校 113 校の教員数 1,612 人、中学校 52 校の教員数 1,018 人。 2013 年度の 3・11 被災校 144 校について、小学校 97 校の教員数 1,415 人、中学校 47 校 の教員数 898 人。 2014 年度の 3・11 被災校 132 校について、小学校 86 校の教員数 1,316 人、中学校 46 校 の教員数 891 人。 なお、2011 年度の 3・11 被災校 203 校(小学校 137 校、中学校 66 校)における教職員 数(小学校 1,937 人、中学校 1,242 人)について、2010 年度の同 203 校(小学校 137 校、 中学校 66 校)における教職員数(小学校 1,892 人、中学校 1,210 人)を母数として百分率 を求めると小学校 102.4 パーセント、中学校 102.6 パーセント。 4 .3・11 被災校に東北地方太平洋沖地震発生時に在籍していた教職員(原被災校教職員) の動態 2011 年度の 3・11 被災校 203 校について、小学校 137 校における原被災校教員は 1,530 人、中学校 66 校における原被災校教員は 983 人。2011 年度の 3・11 被災校の教員数を母 数として百分率を求めると、小学校は 79.0 パーセント、中学校は 79.1 パーセント。 2012 年度の 3・11 被災校 165 校について、小学校 113 校における原被災校教員は 827 人、 中学校 52 校における原被災校教員は 550 人。2012 年度の 3・11 被災校の教員数を母数と して百分率を求めると、小学校は 51.3 パーセント、中学校は 54.0 パーセント。 2013 年度の 3・11 被災校 144 校について、小学校 97 校における原被災校教員は 419 人、 中学校 47 校における原被災校教員は 294 人。2013 年度の 3・11 被災校の教員数を母数と して百分率を求めると、小学校は 29.6 パーセント、中学校は 32.7 パーセント。 2014 年度の 3・11 被災校 132 校について、小学校 86 校における原被災校教員は 242 人、 ― 59 ― 中学校 46 校における原被災校教員は 190 人。2014 年度の 3・11 被災校の教員数を母数と して百分率を求めると、小学校は 18.4 パーセント、中学校は 21.3 パーセント。 5 .3・11 被災校の非正規教職員の割合の動態 2010 年度の 3・11 被災校 145 校について、小学校 95 校の非正規教員は 123 人、中学校 50 校の非正規教員は 136 人。2010 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正規教員 の百分率を求めると、小学校は 7.5 パーセント、中学校は 13.3 パーセント。 2011 年度の 3・11 被災校 203 校について、小学校 137 校の非正規教員は 139 人、中学 校 66 校の非正規教員は 150 人。2011 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正規教 員の百分率を求めると、小学校は 7.2 パーセント、中学校は 12.1 パーセント。 2012 年度の 3・11 被災校 165 校について、小学校 113 校の非正規教員は 139 人、中学 校 52 校の非正規教員は 139 人。2012 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正規教 員の百分率を求めると、小学校は 8.6 パーセント、中学校は 13.7 パーセント。 2013 年度の 3・11 被災校 144 校について、小学校 97 校の非正規教員は 149 人、中学校 47 校の非正規教員は 125 人。2013 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正規教員 の百分率を求めると、小学校は 10.5 パーセント、中学校は 13.9 パーセント。 2014 年度の 3・11 被災校 132 校について、小学校 86 校の非正規教員は 124 人、中学校 46 校の非正規教員は 114 人。2014 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正規教員 の百分率を求めると、小学校は 9.4 パーセント、中学校は 12.8 パーセント。 6 .子どもと教職員が死亡・行方不明となった学校における追悼碑等の設置、追悼式の実 施、震災記録集の編纂について まだ調査に至っていない。 ― 60 ― 3 岩手県 高等学校・特別支援学校 一木玲子 調査対象 2010 年度当初の岩手県には、公立の高等学校 82 校(内訳は本校 65 校、定時制 9 校、 専攻科 1 校、通信制 1 校、通信制分室 1 室、分校 3 校、分校定時制 1 校、分校通信制 1 校) 、 特別支援学校 23 校(内訳は本校 13 校、高等部 1 校、分校 2 校、分教室 7 室)があった。 これら計 105 校を対象にした調査結果を以下に記したい。 なお、2014 年度当初に岩手県では、公立の高等学校 79 校(内訳は本校 65 校・定時制 7 校・専攻科 1 校・通信制 1 校、通信制分室 1 室、分校 2 校、分校定時制 1 校、分校通信制 1 校)の 3 校減、特別支援学校 25 校(内訳は本校 13 校、高等部 1 校、分校 2 校、分教室 9 室)の 2 校増で計 104 校となり、2010 年度に比べて、合わせて 1 校減であった。 高等学校の 3 校減は、定時制 2 校募集停止(2012 年 3 月岩手県立黒沢尻工業高等学校 定時制、2012 年 3 月岩手県立水沢商業高等学校定時制) 、分校 1 校閉校(2012 年 3 月岩手 県立岩泉高等学校田野畑校:本校に統合)である。特別支援学校の 2 校増は、岩手県立盛 岡みたけ支援学校二戸分教室(中学部) (2013 年 4 月設置) 、岩手県立花巻清風支援学校 遠野分教室(中学部) (2012 年度 4 月設置)である。 各年度の推移は以下の表のとおりである。 表 調査対象校(岩手県 高等学校・特別支援学校) 年 度 2010 2011 2012 2013 2014 校 種 高 特 高 特 高 特 高 特 高 特 校 数 82 23 82 23 79 24 79 25 79 25 合 計 105 105 103 104 104 ※高等学校には、定時制、専攻科、通信制、通信制分室、分校、分校定時制、分校通信制 を含む。 ※特別支援学校には、高等部、分校、分教室を含む。 被災校の特定に関わる 8 項目 1 .児童生徒が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 1) 沿岸部の学校の児童生徒の死亡・行方不明については、 「岩手県沿岸の県立学校被災状 況 その 2」(岩手県高等学校教職員組合『2011 東日本大震災 語り継ぐ 3.11 その時学 校は そして』「 (2012 年、16 頁) (以下、 『語り継ぐ 3.11』とする)に 2012 年 3 月時点の 調査結果の記載があり、また国民教育文化総合研究所東日本大震災と学校資料収集プロ ジェクトチーム編『資料集 東日本大震災・原発災害と学校 岩手・宮城・福島の教育行 政と教職員組合の記録』 (明石書店、2013 年、42 頁) (以下、 『資料集』とする)に同じ資 ― 61 ― 料がある。内陸部の学校については、岩手県立前沢高等学校の生徒 1 人が沿岸部で死亡し ていることが、岩手県高等学校教職員組合との協議時に判明した(2014 年 12 月 25 日) 。 以上を踏まえると、この項目に該当したのは、高等学校 14 校 52 人、特別支援学校 2 校 3 人、合計 16 校 55 人であった。 高等学校の該当校は、岩手県立高田高等学校 22 人、岩手県立大槌高等学校 6 人、岩手 県立大船渡東高等学校 5 人、岩手県立釜石商工高等学校 5 人、岩手県立宮古水産高等学校 3 人、岩手県立大船渡高等学校 2 人、岩手県立山田高等学校 2 人、岩手県立住田高等学校 1 人、岩手県立宮古高等学校 1 人、岩手県立杜陵高等学校宮古分室 1 人、岩手県立宮古北 高等学校 1 人、岩手県立宮古商業高等学校 1 人、岩手県立久慈工業高等学校 1 人、岩手県 立前沢高等学校 1 人である。特別支援学校の該当校は、岩手県立気仙光陵支援学校 2 人、 岩手県立久慈拓陽支援学校 1 人である。 2 .教職員が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 2) 沿岸部の学校の教職員の死亡・行方不明については、前記した『語り継ぐ 3・11』 (42 頁:2012 年 3 月時点)と『資料集』 (42 項)に記載がある。内陸部の学校について岩手県 高等学校教職員組合に確認したところ、教職員の死亡・行方不明はなかった(2014 年 12 月 25 日)。 以上を踏まえると、この項目に該当したのは 2 校 2 人であった。内訳は、岩手県立高田 高等学校の教職員 1 人、岩手県立久慈工業高等学校の教職員 1 人である。 3 .避難場所としての利用、支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保管等の 利用、他校の再開場所としての利用、及び、仮設住宅棟の設置場所としての利用等が 行われた学校(地震・津波等被災校 3) 「岩手県沿岸の県立学校被災状況その 1」 ( 『語り継ぐ 3.11』 、15 頁) 、 「学校の再開状況(平 成 23 年度)」(岩手県教育委員会『岩手県教育委員会東日本大震災津波記録誌』 (2014 年、 269 頁、275 頁) (以下、 『大震災津波記録誌』とする。 )によると、この項目に該当したの は、2010 年度は 29 校(内訳は、高等学校 25 校、特別支援学校 4 校) 、2011 年度は 12 校(内 訳は、高等学校 11 校、特別支援学校 1 校) 、2012 年度は 3 校(高等学校 3 校) 、2013 年度 と 2014 年度は 2 校(高等学校 2 校)である。 2010 年度 29 校のうち高等学校 25 校の内訳は、避難場所として利用された学校は 21 校 (岩手県立盛岡第三高等学校、岩手県立盛岡第四高等学校、岩手県立遠野高等学校、岩手 県立一関第一高等学校、岩手県立一関第二高等学校、岩手県立高田高等学校、岩手県立釜 石商工高等学校、岩手県立宮古高等学校、岩手県立宮古高等学校定時制、岩手県立宮古工 業高等学校、岩手県立宮古商業高等学校、岩手県立久慈高等学校、岩手県立久慈東高等学 校、岩手県立大船渡高等学校、岩手県立宮古北高等学校、岩手県立住田高等学校、岩手県 立大船渡東高等学校、岩手県立久慈工業高等学校、岩手県立釜石高等学校、岩手県立大槌 ― 62 ― 高等学校、岩手県立山田高等学校。遺体安置所、自衛隊の駐屯、警察や消防隊の在駐、ヘ リポート等の、避難場所以外での利用が 11 校(岩手県立遠野緑峰高等学校、岩手県立一 関第二高等学校、岩手県立大槌高等学校、岩手県立宮古高等学校、岩手県立宮古高等学校 定時制、岩手県立宮古北高等学校、岩手県立久慈工業高等学校、岩手県立千厩高等学校、 岩手県立釜石高等学校、岩手県立大船渡東高等学校、岩手県立山田高等学校) 。他校の再 開場所が 3 校(岩手県立宮古商業高等学校と岩手県立宮古水産高等学校、岩手県立大槌高 等学校) 。仮設住宅の設置が 3 校(岩手県立高田高等学校、岩手県立宮古水産高等学校、 岩手県立岩泉高等学校田野畑校)である。特別支援学校 4 校の内訳は、避難場所として利 用された学校は 4 校(岩手県立盛岡青松支援学校、岩手県立気仙光陵支援学校、岩手県立 宮古恵風支援学校の 3 校が 3 月解消、岩手県立釜石祥雲支援学校が 4 月解消) 、避難場所 以外での利用が 1 校(気仙光陵支援学校、3 月解消)である。内容は自衛隊の駐屯である。 2011 年度の 12 校の内訳は高等学校 11 校、特別支援学校 1 校である。高等学校の該当 校は以下である。避難場所として利用された学校は 10 校(岩手県立住田高等学校が 4 月 解消、岩手県立大船渡東高等学校、岩手県立久慈工業高等学校が 5 月解消、岩手県立釜石 高等学校、岩手県立大槌高等学校、岩手県立山田高等学校の 3 校が 8 月解消) 。避難場所 以外での利用が 4 校(岩手県立千厩高等学校、岩手県立釜石高等学校が 5 月解消、岩手県 立大船渡東高等学校、岩手県立山田高等学校が 7 月解消) 。他校の再開場所が 3 校(岩手 県立宮古商業高等学校と岩手県立宮古水産高等学校が 8 月解消、岩手県立大槌高等学校が 9 月解消)。仮設住宅の設置が 3 校(岩手県立高田高等学校、岩手県立宮古水産高等学校、 岩手県立岩泉高等学校田野畑校)である。 特別支援学校 1 は、避難場所として利用された学校が岩手県立釜石祥雲支援学校(4 月 解消)である。内容は自衛隊の駐屯である。 2012 年度は高等学校 3 校で、避難場所以外での利用が岩手県立大槌高等学校(1 月下旬 解消)、仮設住宅の設置が 2 校(岩手県立高田高等学校、岩手県立宮古水産高等学校)で ある。 2013 年度と 2014 年度は高等学校 2 校で、仮設住宅の設置が岩手県立高田高等学校と岩 手県立宮古水産高等学校である。 4 .校舎損壊を受けて、他校間借、空き校舎や他施設等の利用を行った学校(地震・津波 等被災校 4) 『語り継ぐ 3.11』(15 頁)、『大震災津波記録誌』 (275 頁)によると、この項目に該当し たのは高等学校 2 校であった。 内訳は、他校間借が岩手県立宮古工業高等学校(2011 年 8 月末日まで) 、空き校舎や他 施設等の利用を行ったのは岩手県立高田高等学校(2015 年 3 月まで)である。 ― 63 ― 5 .原子力災害対策本部による警戒区域・警戒的避難区域・緊急時避難準備区域の設定に ともない避難指示を受けて臨時休業あるいは臨時移転を行った学校(原発被災校 1) この項目に該当した学校はなかった。 6 .文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が設定した自主的避難等対象区域に位置した 学校(原発被災校 2) この項目に該当した学校はなかった。 7 .こども被災者支援法による支援対象地域に位置した学校(原発被災校 3) この項目に該当した学校はなかった。 8 .環境省が設定した汚染状況重点調査地域に位置した学校(原発被災校 4) 2011 年 12 月 19 日の環境省報道発表資料「放射性物質汚染対処措置法に基づく汚染状 況重点地域の指定について(お知らせ) 」によると、岩手県内で汚染状況重点調査地域に 指定された自治体は一関市、奥州市、平泉町の 2 市 1 町である。2011 年度の 105 校中、 同自治体に立地した学校は 22 校であった。 (2011 年度末岩手県立水沢商業高等学校定時 制廃止により 2012〜2014 年度は 21 校)内訳は、高等学校 16 校、特別支援学校 6 校である。 該当校は、高等学校は、岩手県立杜陵高等学校奥州校定時制、岩手県立杜陵高等学校奥 州校通信制、岩手県立水沢高等学校、岩手県立水沢商業高等学校 岩手県立水沢商業高等 学校定時制、岩手県立水沢工業高等学校、岩手県立水沢農業高等学校、岩手県立前沢高等 学校、岩谷堂高等学校、岩手県立一関第一高等学校、岩手県立一関第一高等学校定時制、 岩手県立一関第二高等学校、岩手県立一関工業高等学校、岩手県立花泉高等学校、岩手県 立千厩高等学校、岩手県立大東高等学校である。 特別支援学校は、岩手県立前沢明峰支援学校、岩手県立一関清明支援学校、岩手県立一 関清明支援学校山目校舎、岩手県立一関清明支援学校あすなろ分教室、岩手県立一関清明 支援学校千厩分教室(小学部) 、岩手県立一関清明支援学校千厩分教室(中学部)である。 3・11 被災校の特定に関わる追加候補項目に関して 9 .文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メートル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ市町村に位置する学校(原発被災校 5) 岩手県内で文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メート ル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ自治体は一関市、奥州市、平泉町の 2 市 1 町 である(一連の航空機モニタリングは 2011 年 4 月〜2012 年 5 月実施のため 2012 年度以 降を分析) 。 2012 年度の 103 校中、同自治体に立地した学校は 21 校であった。内訳は、高等学校 15 校、特別支援学校 6 校である。 ― 64 ― 該当校は、高等学校は、岩手県立杜陵高等学校奥州校定時制、岩手県立杜陵高等学校奥 州校通信制、岩手県立水沢高等学校、岩手県立水沢商業高等学校 岩手県立水沢工業高等 学校、岩手県立水沢農業高等学校、岩手県立前沢高等学校、岩手県立岩谷堂高等学校、岩 手県立一関第一高等学校、岩手県立一関第一高等学校定時制、岩手県立一関第二高等学 校、岩手県立一関工業高等学校、岩手県立花泉高等学校、岩手県立千厩高等学校、大東高 等学校である。 特別支援学校は、前沢明峰支援学校、一関清明支援学校、岩手県立一関清明支援学校山 目校舎、岩手県立一関清明支援学校あすなろ分教室、岩手県立一関清明支援学校千厩分教 室(小学部) 、岩手県立一関清明支援学校千厩分教室(中学部)である。 2013〜2014 年度の該当校も 2012 年度と同じだった。 10.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭、プール等の除染を行った学校(原発 被災校 6) 『大震災津波記録誌』 (142 頁〜146 頁)によると、2011 年 11 月 7 日以降 2011 年 12 月 27 日の間に「土壌処理等の除染作業を完了した」とあり、2011 年度は 11 校がこれに該当 した。内訳は、高等学校 8 校、特別支援学校 3 校である。該当校は、岩手県立水沢高等学 校、岩手県立水沢工業高等学校、岩手県立前沢高等学校、岩手県立一関第一高等学校、岩 手県立一関第二高等学校、岩手県立一関工業高等学校、岩手県立花泉高等学校、岩手県立 千厩高等学校、岩手県立前沢明峰支援学校、岩手県立一関清明支援学校、岩手県立一関清 明支援学校山ノ目校舎である。 11.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭の線量測定、プールの線量測定、給食 の線量測定、モニタリングポストの設置等を行った学校(原発被災校 7) 。 「もう一つの震災 岩手にも放射能が」 『語り継ぐ 3.11』 (122 頁〜124 頁)によると、 「そ んな中、直後の 3 月 21 日の一関工業高校の職員はグランドで 1 時間ごとに空中放射線の 測定を始めています。これによると 3 月 15 日までの平均 0.11µSv/h 前後のものが 21 日に は平均 0.28µSv/h、最高値 0.65µSv/h にまで上がっています」とある。次いで、行政の測 定は 6 月からはじまる様子が記載されている。つまり、2010 年度の該当校は岩手県立一 関工業高校の 1 校である。 また、 『大震災津波記録誌』 (142 頁〜146 頁)によると、校庭の線量測定については「県 立学校全校の測定を平成 23(2011)年 11 月 7 日までに終え、いずれも校庭等の場所で文 部科学省の目安を下回っており、健康に影響を与えるレベルではないことを確認した。 」 とあり、2011 年度以降は全校が該当。 給食の線量測定については、 「自校調理で学校給食を実施の 11 県立学校に測定機器を設 置し」(2012 年 4 月以降開始)とあり、2012 年度に 11 校が該当。該当校は、岩手県立盛 岡視覚支援学校、岩手県立盛岡聴覚支援学校、岩手県立盛岡となん支援学校、岩手県立盛 ― 65 ― 岡峰南高等支援学校、岩手県立花巻清風支援学校、岩手県立前沢明峰支援学校、岩手県立 久慈拓陽支援学校、岩手県立気仙光陵支援学校、岩手県立杜陵高等学校、岩手県立盛岡工 業高等学校、岩手県立釜石高等学校である。また、 「提供後給食の学校給食における放射 線物質の有無や量について調べるモニタリング検査を国の委託事業により県内 5 施設で実 施」 (2012 年 10 月〜2013 年 2 月)とあり、2012 年度には給食を提供している全校が該当。 モニタリングポストの設置については、 「測定機器(サーベイメーター)7 台を各教育 事務所等に整備(2012 年 1 月)し、各県立学校において定期的(原則月 1 回)に校地内 の空間線量率の測定を行っている」とされ、2012 年度以降は全校が該当。 3・11 被災校の特定 以上を踏まえると、2010 年度の 105 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災 校は 32 校(高等学校 27 校、特別支援学校 5 校)で 29.5 パーセント。 2011 年度の 105 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 41 校(高等学 校 32 校、特別支援学校 9 校)で 39.0 パーセント。 2012 年度の 103 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 36 校(高等学 校 28 校、特別支援学校 8 校)で 35.0 パーセント。 2013〜2014 年度の 104 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 36 校(高 等学校 28 校、特別支援学校 8 校)で 34.6 パーセントだった。 地震・津波等被災校と原発被災校 A の特定 2010 年度の 105 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 32 校(高 等学校 27 校、特別支援学校 5 校)で 30.5 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した 原発被災校 A は 0 校。 2011 年度の 105 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 21 校(高 等学校 18 校、特別支援学校 3 校)で 20.0 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した 原発被災校 A は 22 校(高等学校 16 校、特別支援学校 6 校)で 21.0 パーセント、地震・ 津波等被災校かつ原発被災校 A は 2 校(高等学校 2 校)で 2.0 パーセント。 2012 年度の 103 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 16 校(高 等学校 14 校、特別支援学校 2 校)で 15.5 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した 原発被災校 A は 21 校(高等学校 15 校、特別支援学校 6 校)で 20.4 パーセント、地震・ 津波等被災校かつ原発被災校 A は 1 校(高等学校 1 校)で 1.0 パーセント。 2013 年度及び 2014 年度の 104 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被 災校は 16 校(高等学校 14 校、特別支援学校 2 校)で 15.4 パーセント、第 5〜8 項のいず れかに該当した原発被災校 A は 21 校(高等学校 15 校、特別支援学校 6 校)で 20.2 パー セント、地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 1 校(高等学校 1 校)で 1.0 パーセント。 ― 66 ― 原発被災校 B の特定 2010 年度の 105 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいずれかに該当した原発被災校 B は 1 校で 1.0 パーセント。 2011 年度の 105 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいずれかに該当した原発被災校 B は 105 校で 100 パーセント。 2012 年度の 103 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいずれかに該当した原発被災校 B は 103 校で 100 パーセント。 2013 年度及び 2014 年度の 104 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいずれかに該当 した原発被災校 B は 104 校で 100 パーセント。 3・11 被災校の動向に関わる 6 項目に関して 1 .3・11 被災校の統廃合 2010 年度の 3・11 被災校 32 校について、年度末に廃止された学校はなかった。 2011 年度の 3・11 被災校 41 校について、年度末に廃止された学校は高等学校 2 校で、 水沢商業高等学校定時制(原発被災校 A)と岩泉高等学校田野畑校(地震・津波被災校) であった。 2012 年度から 2014 年度の 3・11 被災校 36 校について、年度末に廃止された学校はな かった。 2 .3・11 被災校の児童生徒数、及び、学級数の増減 2010 年度の 3・11 被災校 32 校について、高等学校 27 校の生徒数 12,293 人、学級数 310、特別支援学校 5 校の児童生徒数 334 人、学級数 116。 2011 年度の 3・11 被災校 41 校について、高等学校 32 校の生徒数 12,193 人、学級数 334、特別支援学校 9 校の児童生徒数 540 人、学級数 131。 2012 年度の 3・11 被災校 36 校について、高等学校 28 校の生徒数 11,064 人、学級数 308、特別支援学校 8 校の児童生徒数 490 人、学級数 108。 2013 年度の 3・11 被災校 36 校について、高等学校 28 校の生徒数 10,495 人、学級数 302、特別支援学校 8 校の児童生徒数 509 人、学級数 117。 2014 年度の 3・11 被災校 36 校について、高等学校 28 校の生徒数 10,174 人、学級数 297、特別支援学校 8 校の児童生徒数 538 人、学級数 125。 3 .3・11 被災校の教職員数の増減、震災対応の教職員加配及び兼務発令の動態 2010 年度の 3・11 被災校 32 校について、高等学校 27 校の教員数 1,124 人、特別支援学 校 5 校の教員数 356 人。 2011 年度の 3・11 被災校 41 校について、高等学校 32 校の教員数 1,216 人、特別支援学 校 9 校の教員数 393 人。 ― 67 ― 2012 年度の 3・11 被災校 36 校について、高等学校 28 校の教員数 1,118 人、特別支援学 校 8 校の教員数 346 人。 2013 年度の 3・11 被災校 36 校について、高等学校 28 校の教員数 1,090 人、特別支援学 校 8 校の教員数 349 人。 2014 年度の 3・11 被災校 36 校について、高等学校 28 校の教員数 1,092 人、特別支援学 校 8 校の教員数 360 人。 「教職員への対応と人的体制の取り組み」 『大震災津波記録誌』 (97 頁)によると、 「東 日本大震災津波の対応のため、沿岸部の教職員を中心に移動凍結など定期人事異動を見直 した」とあり、2011 年度は、県立学校教員は「退職補充等を除き沿岸部移動を凍結。そ れに伴い内陸部の異動凍結。 」 、事務局・教育機関の事務職員等については「基本的には当 初の内示通り」で、 「ただし、被災地域に配置要請の新採用者については居住環境等を考 慮し見直した」とある。兼務発令はなかった。 4 .3・11 被災校に東北地方太平洋沖地震発生時に在籍していた教職員(原被災校教職員) の動態 2011 年度の 3・11 被災校 41 校について、高等学校 32 校における原被災校教員は 1,070 人、特別支援学校 9 校における原被災校教員は 334 人。2011 年度の 3・11 被災校の教員 数を母数として百分率を求めると、高等学校は 88.0 パーセント、特別支援学校は 85.0 パー セント。 2012 年度の 3・11 被災校 36 校について、高等学校 28 校における原被災校教員は 671 人、 特別支援学校 8 校における原被災校教員は 195 人。2012 年度の 3・11 被災校の教員数を 母数として百分率を求めると、高等学校は 60.0 パーセント、特別支援学校は 56.4 パーセ ント。 2013 年度の 3・11 被災校 36 校について、高等学校 28 校における原被災校教員は 515 人、 特別支援学校 8 校における原被災校教員は 133 人。2013 年度の 3・11 被災校の教員数を 母数として百分率を求めると、高等学校は 47.2 パーセント、特別支援学校は 38.1 パーセ ント。 2014 年度の 3・11 被災校 36 校について、高等学校 28 校における原被災校教員は 371 人、 特別支援学校 8 校における原被災校教員は 86 人。2014 年度の 3・11 被災校の教員数を母 数として百分率を求めると、高等学校は 34.0 パーセント、特別支援学校は 23.9 パーセン ト。 5 .3・11 被災校の非正規教職員の割合の動態 2010 年度の 3・11 被災校 32 校について、高等学校 27 校の非正規教員は 148 人、特別 支援学校 5 校の非正規教員は 65 人。2010 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正 規教員の百分率を求めると、高等学校は 13.2 パーセント、特別支援学校は 18.3 パーセン ― 68 ― ト。 2011 年度の 3・11 被災校 41 校について、高等学校 32 校の非正規教員は 167 人、特別 支援学校 9 校の非正規教員は 53 人。2011 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正 規教員の百分率を求めると、高等学校は 13.7 パーセント、特別支援学校は 13.5 パーセン ト。 2012 年度の 3・11 被災校 36 校について、高等学校 28 校の非正規教員は 173 人、特別 支援学校 8 校の非正規教員は 46 人。2012 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正 規教員の百分率を求めると、高等学校は 15.5 パーセント、特別支援学校は 13.3 パーセン ト。 2013 年度の 3・11 被災校 36 校について、高等学校 28 校の非正規教員は 168 人、特別 支援学校 8 校の非正規教員は 50 人。2013 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正 規教員の百分率を求めると、高等学校は 15.4 パーセント、特別支援学校は 14.3 パーセン ト。 2014 年度の 3・11 被災校 36 校について、高等学校 28 校の非正規教員は 182 人、特別 支援学校 8 校の非正規教員は 54 人。2014 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正 規教員の百分率を求めると、高等学校は 16.7 パーセント、特別支援学校は 15.0 パーセン ト。 6 .子どもと教職員が死亡・行方不明となった学校における追悼碑等の設置、追悼式の実 施、震災記録集の編纂について 第Ⅳ部参照。 ― 69 ― 4.宮城県 小学校・中学校 神田英幸 調査対象 2010 年度当初に宮城県には、公立の小学校 447 校(本校 437 校・分校 10 校、2010 年度 休校の白石市立福岡小学校不忘分校・白石市立福岡小学校長峰分校・白石市立深谷小学校 三住分校は除外)、中学校 217 校(本校 213 校・分校 4 校)があり、計 664 校を調査対象 とした。 2014 年度当初に宮城県は、公立の小学校 400 校(本校 393 校・分校 11 校、2014 年度休 校の白石市立福岡小学校不忘分校・白石市立福岡小学校長峰分校・白石市立深谷小学校三 住分校・白石市立福岡小学校八宮分校は除外)となり 2010 年度比 47 校減。中学校 208 校 (本校 204 校・分校 4 校)となり 9 校減。総計 608 校で総数については 2010 年度比 56 校 減だった。 表 調査対象校(宮城県 小学校・中学校) 年度 2010 2011 2012 2013 2014 校種 小 中 小 中 小 中 小 中 小 中 校数 447 217 440 217 429 213 410 209 400 208 計 664 657 642 619 608 3・11 被災校の特定に関わる 8 項目に関して 1 .児童生徒が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 1) 宮城県内の児童生徒の死亡・行方不明については、宮城県教職員組合が宮城県教育委員 会による 2012 年 7 月 20 日の調査結果をまとめた「宮城県内学校犠牲者数」 (国民教育文 化総合研究所「東日本大震災と学校」資料収集プロジェクトチーム編『資料集 東日本大 震災・原発災害と学校-岩手・宮城・福島の教育行政と教職員組合の記録』明石書店、 2013 年、44 頁所収、以下『資料集 東日本大震災・原発災害と学校』とする)に記載が ある。同資料によれば、小学校 33 校で死亡 167 人・行方不明 19 人、中学校 22 校で死亡 68 人・行方不明 7 人、あわせると 55 校で死亡 235 人・行方不明 26 人だった。石巻市立 大川小学校では死亡 70 人・行方不明 4 人の犠牲が出た。 2 .教職員が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 2) 沿岸部の学校の教職員の死亡・行方不明については、前記した宮城県教職員組合「宮城 県内学校犠牲者数」に市町村職員を除いた教職員の死亡数について記載があり、名取市立 名取第一中学校 1 人、石巻市立大川小学校 10 人、石巻市立吉浜小学校 1 人、石巻市立荻 浜中学校 1 人、気仙沼市立松岩小学校 1 人、気仙沼市立馬籠小学校 1 人、南三陸町立戸倉 ― 70 ― 小学校 1 人、南三陸町立戸倉中学校 1 人だった。小学校 5 校で 14 人、中学校 3 校で 3 人、 あわせると 8 校で 17 人が死亡である。朝日新聞、河北新報ほかの記事には、石巻市の小 中学校に ALT(外国語指導助手)として勤務していた米国人女性が、震災時に石巻市立 万石浦小に勤務しており、近くの石巻市立万石浦中に児童を避難させた後、自転車で帰宅 途中に津波の犠牲となり死亡したことが記されており、石巻市立万石浦小の教職員の死亡 を 1 人と数えた。総計は、小学校 6 校で 15 人、中学校 3 校で 3 人、合計 9 校で 18 人が死 亡である。 3 .避難場所としての利用、支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保管等の 利用、他校の再開場所としての利用、及び、仮設住宅等の設置場所としての利用が行 われた学校(地震・津波等被災校 3) この項目に該当する学校を明らかにするための十分な資料が得られていないが、以下 2 件の資料から特定が出来た内容を記したい。 ・宮城県教職員組合『子どもの「いのち」を守りぬくために 東日本大震災を心に刻む 第 3 集』 (2014 年 9 月)61〜64 頁 ・宮城県教育委員会「東日本大震災に伴う公立学校等の被災状況について 2014 年 10 月 31 日現在」 2011 年度は 378 校であり、内訳は、避難所として利用されたのが 356 校(下記の表参 照)、他校の再開場所等として利用されたのが 47 校(仙台市立中野栄小学校、仙台市立東 宮城野小学校、仙台市立七北田小学校、仙台市立根白石小学校、仙台市立南光台東小学 校、仙台市立将監中央小学校、仙台市立住吉台小学校、仙台市立西山小学校、仙台市立桂 小学校、仙台市立六郷中学校、仙台市立蒲町中学校、仙台市立折立中学校、仙台市立八乙 女中学校、仙台市立南光台中学校、丸森町立丸舘中学校、名取市立不二が丘小学校、亘理 町立逢隈小学校、山元町立山下小学校、山元町立坂元小学校、七ヶ浜町立向洋中学校、亘 理町立逢隈中学校、亘理町立吉田中学校、大崎市立古川西中学校、大崎市立古川北中学 校、大崎市立古川南中学校、栗原市立志波姫中学校、石巻市立湊小学校、石巻市立渡波小 学校、石巻市立貞山小学校、石巻市立開北小学校、石巻市立万石浦小学校、石巻市立飯野 川第一小学校、石巻市立橋浦小学校、東松島市立小野小学校、女川町立女川第二小学校、 石巻市立大原小学校、石巻市立石巻中学校、石巻市立門脇中学校、石巻市立稲井中学校、 石巻市立山下中学校、石巻市立万石浦中学校、石巻市立飯野川中学校、石巻市立河北中学 校、東松島市立鳴瀬第一中学校、女川町立女川第一中学校、南三陸町立伊里前小学校、気 仙沼市立気仙沼小学校) 。 2012 年度は 27 校であり、いずれも他校の再開場所等としての利用(仙台市立中野栄小 学校、仙台市立東宮城野小学校、仙台市立六郷中学校、仙台市立折立中学校、名取市立不 二が丘小学校、亘理町立逢隈小学校、山元町立山下小学校、山元町立坂元小学校、亘理町 立逢隈中学校、亘理町立吉田中学校、石巻市立稲井小学校、石巻市立開北小学校、石巻市 ― 71 ― 立中里小学校、石巻市立飯野川第一小学校、石巻市立橋浦小学校、東松島市立小野小学 校、女川町立女川第二小学校、石巻市立住吉中学校、石巻市立門脇中学校、石巻市立稲井 中学校、石巻市立飯野川中学校、石巻市立河北中学校、東松島市立鳴瀬第一中学校、女川 町立女川第一中学校、南三陸町立志津川小学校、南三陸町立伊里前小学校、南三陸町立志 津川中学校) 。 2013 年度は 18 校であり、いずれも他校の再開場所等としての利用(仙台市立中野栄小 学校、仙台市立東宮城野小学校、仙台市立六郷中学校、仙台市立折立中学校、名取市立不 二が丘小学校、山元町立山下小学校、亘理町立逢隈中学校、亘理町立吉田中学校、石巻市 立稲井小学校、石巻市立開北小学校、石巻市立中里小学校、石巻市立飯野川第一小学校、 石巻市立住吉中学校、石巻市立門脇中学校、石巻市立稲井中学校、南三陸町立志津川小学 校、南三陸町立伊里前小学校、南三陸町立志津川中学校) 。 2014 年度は 12 校であり、いずれも他校の再開場所等としての利用(仙台市立中野栄小 学校、仙台市立東宮城野小学校、仙台市立六郷中学校、名取市立不二が丘小学校、山元町 立山下小学校、亘理町立逢隈中学校、亘理町立吉田中学校、石巻市立門脇小学校、石巻市 立稲井小学校、石巻市立二俣小学校、石巻市立門脇中学校、南三陸町立志津川小学校) 。 東日本大震災において避難場所としての利用が行われた宮城県の公立小中学校 学校数 児童生徒数 職員数 避難者数 1 仙台市教育委員会 171 38,722 2,162 108,201 2 大河原教育事務所 15 4,656 326 1,933 3 仙台教育事務所 71 28,623 1,812 29,486 4 北部教育事務所・ 栗原地域事務所 20 7,119 440 7,723 5 東部教育事務所 53 13,897 1,016 30,411 6 登米地域事務所・ 南三陸教育事務所 26 5,472 465 11,558 356 98,489 6,221 189,312 計 4 .校舎損壊を受けて、他校間借、空き校舎や他施設等の利用を行った学校(地震・津波 被災校 4) 項目 3 で参照した資料によると、2011〜2014 年度におけるこの項目の該当校は以下と なる。 2011 年度は 51 校であり、内訳は、他校間借りや他施設等を利用したのが 48 校(仙台 市立荒浜小学校、仙台市立中野小学校、仙台市立東六郷小学校、仙台市立折立小学校、仙 台市立蒲町小学校、仙台市立南光台小学校、仙台市立将監小学校、仙台市立将監西小学 校、仙台市立西山中学校、仙台市立七北田中学校、仙台市立根白石中学校、仙台市立南光 台東中学校、仙台市立住吉台中学校、丸森町立丸森東中学校、名取市立閖上小学校、亘理 ― 72 ― 町立荒浜小学校、亘理町立長瀞小学校、山元町立山下第二小学校、山元町立中浜小学校、 七ヶ浜町立七ヶ浜中学校、名取市立閖上中学校、亘理町立荒浜中学校、大崎市立古川第一 小学校、大崎市立古川東中学校、栗原市立志波姫小学校、登米市立石越中学校、石巻市立 門脇小学校、石巻市立湊第二小学校、石巻市立渡波小学校、石巻市立大川小学校、石巻市 立相川小学校、石巻市立吉浜小学校、東松島市立野蒜小学校、東松島市立浜市小学校、石 巻市立雄勝小学校、石巻市立船越小学校、女川町立女川第四小学校、石巻市立谷川小学 校、石巻市立湊中学校、石巻市立渡波中学校、石巻市立大川中学校、東松島市立鳴瀬第二 中学校、石巻市立雄勝中学校、女川町立女川第二中学校、南三陸町立戸倉小学校、南三陸 町立名足小学校、気仙沼市立南気仙沼小学校、南三陸町立戸倉中学校) 、自校も含めて仮 設校舎等を利用したのが 3 校(仙台市立西多賀小学校、仙台市立愛宕中学校、仙台市立七 鄕中学校) 。 2012 年度は 47 校であり、内訳は、他校間借りや他施設等を利用したのが 27 校(仙台 市立荒浜小学校、仙台市立中野小学校、仙台市立東六郷小学校、名取市立閖上小学校、亘 理町立荒浜小学校、亘理町立長瀞小学校、山元町立山下第二小学校、山元町立中浜小学 校、名取市立閖上中学校、亘理町立荒浜中学校、石巻市立門脇小学校、石巻市立湊小学 校、石巻市立大川小学校、石巻市立相川小学校、石巻市立吉浜小学校、東松島市立浜市小 学校、石巻市立雄勝小学校、石巻市立船越小学校、女川町立女川第一小学校、女川町立女 川第四小学校、石巻市立大川中学校、東松島市立鳴瀬第二中学校、石巻市立雄勝中学校、 女川町立女川第二中学校、南三陸町立戸倉小学校、南三陸町立名足小学校、南三陸町立戸 倉中学校) 、自校も含めて仮設校舎等を利用したのが 21 校(仙台市立西多賀小学校、仙台 市立折立小学校、仙台市立蒲町小学校、仙台市立南光台小学校、仙台市立将監小学校、仙 台市立将監西小学校、仙台市立愛宕中学校、仙台市立西山中学校、仙台市立七北田中学 校、仙台市立南光台東中学校、七ヶ浜町立七ヶ浜中学校、名取市立閖上中学校、大崎市立 古川第一小学校、大崎市立古川東中学校、栗原市立志波姫小学校、登米市立石越中学校、 石巻市立湊第二小学校、石巻市立渡波小学校、東松島市立野蒜小学校、石巻市立湊中学 校、石巻市立渡波中学校) 。そのうち 1 校(名取市立閖上中学校)は間借り・仮設校舎両 方を利用。 2013 年度は 30 校であり、内訳は、他校間借りや他施設等を利用したのが 14 校(仙台 市立荒浜小学校、仙台市立中野小学校、仙台市立東六郷小学校、名取市立閖上小学校、亘 理町立長瀞小学校、山元町立山下第二小学校、亘理町立荒浜中学校、石巻市立門脇小学 校、石巻市立湊小学校、石巻市立大川小学校、石巻市立雄勝中学校、南三陸町立戸倉小学 校、南三陸町立名足小学校、南三陸町立戸倉中学校) 、自校も含めて仮設校舎等を利用し たのが 16 校(仙台市立西多賀小学校、仙台市立折立小学校、仙台市立蒲町小学校、仙台 市立南光台小学校、七ヶ浜町立七ヶ浜中学校、名取市立閖上中学校、大崎市立古川第一小 学校、大崎市立古川東中学校、栗原市立志波姫小学校、登米市立石越中学校、石巻市立湊 第二小学校、石巻市立渡波小学校、東松島市立野蒜小学校、石巻市立雄勝小学校、石巻市 ― 73 ― 立湊中学校、石巻市立渡波中学校) 。 2014 年度は 18 校であり、内訳は、他校間借りや他施設等を利用したのが 10 校(仙台 市立荒浜小学校、仙台市立中野小学校、仙台市立東六郷小学校、名取市立閖上小学校、亘 理町立長瀞小学校、山元町立山下第二小学校、亘理町立荒浜中学校、石巻市立門脇小学 校、石巻市立雄勝中学校、南三陸町立戸倉小学校) 、自校も含めて仮設校舎等を利用した のが 8 校(仙台市立蒲町小学校、仙台市立南光台小学校、七ヶ浜町立七ヶ浜中学校、名取 市立閖上中学校、石巻市立大川小学校、東松島市立野蒜小学校、石巻市立雄勝小学校、石 巻市立渡波中学校) 。 5 . 原子力災害対策本部による警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の設定に ともない避難指示を受けて臨時休業あるいは臨時移転を行った学校(原発被災校 1) この項目に該当した学校はなかった。 6 .文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が設定した自主的避難等対象区域に位置した 学校(原発被災校 2) この項目に該当した学校はなかった。 7 .子ども被災者支援法による支援対象地域に位置した学校(原発被災校 3) この項目に該当した学校はなかった。 8 .環境省が設定した汚染状況重点調査地域に位置した学校(原発被災校 4) 宮城県内で汚染状況重点調査地域に指定された自治体は 9 あり(石巻市、白石市、角田 市、栗原市、七ヶ宿町、大河原町、丸森町、山元町、亘理町) 、2011 年度の該当校は 173 校、内訳は小学校 118 校、中学校 55 校(2010 年度は汚染状況重点調査地域の指定なし) 。 2012 年度は 163 校、内訳は小学校 113 校、中学校 50 校。 2013 年度は 148 校、内訳は小学校 100 校、中学校 48 校。 2014 年度は 141 校、内訳は小学校 93 校、中学校 48 校。 3・11 被災校の特定に関わる追加候補項目に関して 9 . 文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メートル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ市町村に位置する学校(原発被災校 5) 宮城県内で文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メート ル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ自治体は 7 あり(白石市、角田市、栗原市、 七ヶ宿町、丸森町、山元町、及び、亘理町の全域)、2012 年度 95 校、2013 年度 84 校、 2014 年度 79 校が該当(一連の航空機モニタリングは 2011 年 4 月〜2012 年 5 月実施のた め 2012 年度以降を分析) 。 ― 74 ― 10.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭、プール等の除染を行った学校(原発 被災校 6) 特定するための資料を調査期間中に得られなかった。 11.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭の線量測定、プールの線量測定、給食 の線量測定、モニタリングポストの設置等を行った学校(原発被災校 7) 。 宮城県教育委員会「東日本大震災について 2014 年 10 月 31 日」に以下の文と表の掲 載があり、2011 年度全 658 校が該当、2012 年度全 642 校が該当、2013 年度も全 619 校が 該当。2014 年度については特定するための資料を得られていない。 「県から全市町村に貸与する簡易型放射線測定器などにより、学校・幼稚園・保育所等 の校庭・園庭等の放射線量を一斉に測定し、結果をホームページで公開している。 」 平成 23 年度 平成 24 年度 平成 25 年度 6〜7 月 7〜8 月 7〜8 月 1,622 施設 1,645 施設 1,645 施設 最大値(µSv/h) 0.76 0.38 0.38 平均値(µSv/h) 0.13 0.09 0.07 164 施設 29 施設 なし 期間 施設数 結果 0.23µSv/h の施設数 3・11 被災校の特定 2010 年度の 664 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 59 校(小学校 35 校、中学校 24 校)で 8.9 パーセント。 2011 年度の 658 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 491 校(小学校 324 校、中学校 167 校)で 74.6 パーセント。 2012 年度の 642 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 225 校(小学校 149 校、中学校 76 校)で 35.0 パーセント。 2013 年度の 619 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 195 校(小学校 129 校、中学校 66 校)で 31.5 パーセント。 2014 年度の 608 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 178 校(小学校 117 校、中学校 61 校)で 29.3 パーセント。 地震・津波等被災校、原発被災校 A の特定 2010 年度の 664 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 59 校で 8.9 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 0 校。 2011 年度の 658 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 409 校で ― 75 ― 62.2 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 173 校で 26.3 パーセン ト、地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 91 校で 13.8 パーセント。 2012 年度の 642 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 105 校で 16.4 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 163 校で 25.4 パーセン ト、地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 43 校で 6.7 パーセント。 2013 年度の 619 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 79 校で 12.8 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 148 校で 23.9 パーセン ト、地震・津波等被災校かつ原発被災校(定義 A)は 32 校で 5.2 パーセント。 2014 年度の 608 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 64 校で 10.5 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 141 校で 23.2 パーセン ト、地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 27 校で 4.4 パーセント。 原発被災校 B の特定 2010 年度の 664 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 項のいずれかに該当した原発被災校 B は 0 校。 2011 年度の 658 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 項のいずれかに該当した原発被災校 B は 658 校で 100 パーセント。 2012 年度の 642 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜1 項のいずれかに該当した原発被災校 B は 642 校で 100 パーセント。 2013 年度の 619 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 項のいずれかに該当した原発被災校 B は 619 校で 100 パーセント。 3・11 被災校の動向に関わる 6 項目に関して 1 .3・11 被災校の統廃合 宮城県教育委員会「設置・廃止等学校一覧(2013 年 5 月 2 日から 2014 年 5 月 1 日まで) 」 ほかから以下のように整理できる。 2011 年度の 3・11 被災校 491 校中、廃止は 12 校(小学校 6 校・中学校 6 校) 2012 年度の 3・11 被災校 225 校中、廃止は 25 校(小 19 校・中 6 校) 。2012 年 4 月には 前年度に廃止の丸森町立丸舘中、丸森町立丸森東中学校、丸森町立丸森西中学校、丸森町 立大内中学校の 4 校統合により丸森町立丸森中学校が設置。その立地が原発被災校 4 に該 当することからこれを新設の 3・11 被災校とみなす。 2013 年度の 3・11 被災校 195 校中、廃止は 8 校(小学校 7 校・中学校 1 校)だった。 2013 年 4 月には前年度に廃止の石巻市立相川小学校、石巻市立橋浦小学校と石巻市立吉 浜小学校の 3 校統合により石巻市立北上小学校が設置。その立地が原発被災校 4 に該当す ることからこれも新設の 3・11 被災校とみなす。 2014 年度の 3・11 被災校 178 中、廃止された学校はない。2014 年 4 月には前年度に廃 ― 76 ― 止の七ヶ宿町立関小学校と七ヶ宿町立湯原小学校の 2 校統合により七ヶ宿町立七ヶ宿小学 校が設置。その立地が原発被災校 4 に該当することからこれも新設の 3・11 被災校とみな す。 2 .3・11 被災校の児童生徒数、及び、学級数の増減 2010 年度の 3・11 被災校 59 校について、小学校 35 校の児童数は 9,633 人、学級数は 409 学級であり、中学校 24 校の生徒数は 6,701 人、学級数は 247 学級。 2011 年度の 3・11 被災校 491 校について、小学校 324 校の児童数は 102,351 人、学級数 は 4,248 学級であり、中学校 167 校の生徒数は 51,328 人、学級数は 1,875 学級。 2012 年度の 3・11 被災校 225 校について、小学校 149 校の児童数は 28,691 人、学級数 は 1,406 学級であり、中学校 76 校の生徒数は 17,858 人、学級数は 692 学級。 2013 年度の 3・11 被災校 195 校について、小学校 129 校の児童数は 26,821 人、学級数 は 1,291 学級であり、中学校 66 校の生徒数は 15,685 人、学級数は 598 学級。 2014 年度の 3・11 被災校 178 校について、小学校 117 校の児童数は 24,549 人、学級数 は 1,194 学級であり、中学校 61 校の生徒数は 14,337 人、学級数は 552 学級。 また、特別支援学級の児童生徒数および学級数は、上記の内数として年度ごとに、小学 校 が 2010 年 度 112 人 61 学 級、2011 年 度 1,437 人 618 学 級、2012 年 度 412 人 221 学 級、 2013 年度 419 人 212 学級、2014 年度 419 人 211 学級、中学校が 2010 年度 79 人 38 学級、 2011 年度 684 人 291 学級、2012 年度 249 人 112 学級、2013 年度 206 人 97 学級、2014 年 度 205 人 91 学級。 なお、2011 年度の 3・11 被災校 491 校(小学校 324 校、中学校 167 校)における児童 生徒数(児童数 102,351 人、生徒数 51,328 人)について、2010 年度の同 491 校(小学校 324 校、中学校 167 校)における児童生徒数(児童数 105,577 人、生徒数 51,913 人)を母 数として百分率を求めると小学校 96.9 パーセント、中学校 98.9 パーセント。 2012 年度の 3・11 被災校 225 校(小学校 149 校、中学校 76 校)における児童生徒数(児 童数 28,691 人、生徒数 17,858 人)について、2010 年度の同 225 校(小学校 149 校、中学 校 76 校)における児童生徒数(児童数 31,472 人、生徒数 18,215 人)を母数として百分率 を求めると小学校 91.2 パーセント、中学校 98.0 パーセント。 2013 年度の 3・11 被災校 195 校(小学校 129 校、中学校 66 校)における児童生徒数(児 童数 26,821 人、生徒数 15,685 人)について、2010 年度の同 195 校(小学校 129 校、中学 校 66 校)における児童生徒数(児童数 28,972 人、生徒数 16,094 人)を母数として百分率 を求めると小学校 92.6 パーセント、中学校 97.5 パーセント。 2014 年度の 3・11 被災校 178 校(小学校 117 校、中学校 61 校)における児童生徒数(児 童数 24,549 人、生徒数 14,337 人)について、2010 年度の同 178 校(小学校 117 校、中学 校 61 校)における児童生徒数(児童数 26,549 人、生徒数 14,649 人)を母数として百分率 を求めると小学校 92.5 パーセント、中学校 97.9 パーセント。 ― 77 ― 3 .3・11 被災校の教職員数の増減、震災対応の教職員加配及び兼務発令の動態 2010 年度の 3・11 被災校 59 校について、小学校 35 校の教員数は 635 人、中学校 24 校 の教員数は 562 人。 2011 年度の 3・11 被災校 491 校について、小学校 324 校の教員数は 6,497 人、中学校 167 の教員数は 4,139 人。 2012 年度の 3・11 被災校 225 校について、小学校 149 校の教員数は 2,350 人、中学校 76 校の教員数は 1,655 人。 2013 年度の 3・11 被災校 195 校について、小学校 129 校の教員数は 2,147 人、中学校 66 校の教員数は 1,416 人。 2014 年度の 3・11 被災校 178 校について、小学校 117 校の教員数は 2,017 人、中学校 61 校の教員数は 1,348 人。 また、兼務発令については、宮城県教育委員会「教職員兼務発令一覧(2011 年 4 月 1 日)」1〜11 頁によると、公立小中学校へ 443 人《内訳は義務→義務 426 人(96.2%) 、教 育事務所等→義務 17 人(3.8%)》が兼務発令された。職名で集計すると、教諭による兼 務が 368 人(83.1%) 、教頭による兼務が 42 人(9.5%)で、新教頭の兼務が 18 人(4.1%) 。 宮城県教育委員会が、国に対し、加配定数の追加措置を要望して、国より追加内示が あったのは、2011 年 4 月 28 日に公立小学校 134 人(うち養護教諭 10 人) 、公立中学校 78 人(うち養護教諭 12 人) 、特別支援学校 4 人、義務教育諸学校合計 216 人(うち養護教諭 22 人)だった(文部科学省「東日本大震災への対応のための教職員の加配定数について (4 月 28 日追加内示分)」「同(6 月 24 日追加内示分) 」大森直樹ほか編『資料集 東日本 大震災と教育界─法規・提言・記録・声』明石書店、2013 年、240〜244 頁) 。 4 .3・11 被災校に東北地方太平洋沖地震発生時に在籍していた教職員(原被災校教職員) の動態 2011 年度の 3・11 被災校 491 校について、小学校 324 校における原被災校教員は 4,740 人、中学校 167 校における原被災校教員は 2,876 人。2011 年度の 3・11 被災校の教員数を 母数として百分率を求めると、小学校は 73.0 パーセント、中学校は 69.5 パーセント。 2012 年度の 3・11 被災校 225 校について、小学校 149 校における原被災校教員は 1,149 人、中学校 76 校における原被災校教員は 808 人。2012 年度の 3・11 被災校の教員数を母 数として百分率を求めると、小学校は 48.9 パーセント、中学校は 48.8 パーセント。 2013 年度の 3・11 被災校 195 校について、小学校 129 校における原被災校教員は 674 人、 中学校 66 校における原被災校教員は 455 人。2013 年度の 3・11 被災校の教員数を母数と して百分率を求めると、小学校は 31.4 パーセント、中学校は 32.1 パーセント。 2014 年度の 3・11 被災校 178 校について、小学校 117 校における原被災校教員は 413 人、 中学校 61 校における原被災校教員は 307 人。2013 年度の 3・11 被災校の教員数を母数と して百分率を求めると、小学校は 20.5 パーセント、中学校は 22.8 パーセント。 ― 78 ― (参考) 2011 年度の 3・11 被災校 491 校(小学校 324 校、中学校 167 校)における原被災校教 員(小学校 4,740 人、中学校 2,876 人)について、2010 年度の同 491 校(小学校 324 校、 中学校 167 校)における原被災校教員(小学校 6,526 人、中学校 4,074 人)を母数として 百分率を求めると小学校 72.6 パーセント、中学校 70.6 パーセント。 2012 年度の 3・11 被災校 225 校(小学校 149 校、中学校 76 校)における原被災校教員 (小学校 1,149 人、中学校 808 人)について、2010 年度の同 225 校(小学校 149 校、中学 校 76 校)における原被災校教員(小学校 2,363 人、中学校 1,604 人)を母数として百分率 を求めると小学校 48.6 パーセント、中学校 50.4 パーセント。 2013 年度の 3・11 被災校 195 校(小学校 129 校、中学校 66 校)における原被災校教員 (小学校 674 人、中学校 455 人)について、2010 年度の同 195 校(小学校 129 校、中学校 66 校)における原被災校教員(小学校 2,095 人、中学校 1,398 人)を母数として百分率を 求めると小学校 32.2 パーセント、中学校 32.5 パーセント。 2014 年度の 3・11 被災校 178 校(小学校 117 校、中学校 61 校)における原被災校教員 (小学校 413 人、中学校 307 人)について、2010 年度の同 195 校(小学校 129 校、中学校 66 校)における原被災校教員(小学校 1,912 人、中学校 1,278 人)を母数として百分率を 求めると小学校 21.6 パーセント、中学校 24.0 パーセント。 5 .3・11 被災校の非正規教職員の割合の動態 2010 年度の 3・11 被災校 59 校について、小学校 35 校の非正規教員数は 82 人、中学校 24 校の非正規教員数は 109 人だった。2010 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非 正規教員の百分率を求めると、小学校は 12.9 パーセント、中学校は 19.4 パーセント。 2011 年度の 3・11 被災校 491 校について、小学校 324 校の非正規教員数は 715 人、中 学校 167 校の非正規教員数は 680 人だった。2011 年度の 3・11 被災校の教員数を母数と して非正規教員の百分率を求めると、小学校は 11.0 パーセント、中学校は 16.4 パーセン ト。 2012 年度の 3・11 被災校 225 校について、小学校 149 校の非正規教員数は 287 人、中 学校 76 校の非正規教員数は 314 人だった。2012 年度の 3・11 被災校の教員数を母数とし て非正規教員の百分率を求めると、小学校は 12.2 パーセント、中学校は 19.0 パーセント。 2013 年度の 3・11 被災校 195 校について、小学校 129 校の非正規教員数は 289 人、中 学校 66 校の非正規教員数は 264 人だった。2013 年度の 3・11 被災校の教員数を母数とし て非正規教員の百分率を求めると、小学校は 13.5 パーセント、中学校は 18.6 パーセント。 2014 年度の 3・11 被災校 178 校について、小学校 117 校の非正規教員数は 312 人、中 学校 61 校の非正規教員数は 279 人だった。2014 年度の 3・11 被災校の教員数を母数とし て非正規教員の百分率を求めると、小学校は 15.5 パーセント、中学校は 20.7 パーセント。 ― 79 ― 6 .子どもと教職員が死亡・行方不明となった学校における追悼碑等の設置、追悼式の実 施、震災記録集の編纂について 子どもと教職員が死亡・行方不明となった学校 59 校について、2015 年 3 月実施、宮城 県教職員組合調査により作成された「3・11 被災校における追悼碑、追悼式、震災記録集 についての調査結果一覧」によると、追悼碑・プレート・植樹等が設置されている学校は 16 校、追悼集会の実施又は予定している学校は 25 校、震災記録集(追悼文集)などを製 作又は製作予定の学校は 11 校だった(付 2 参照) 。 ― 80 ― 5.宮城県 高等学校・特別支援学校 大森直樹 調査対象 2010 年度当初の宮城県は、公立の高等学校 90 校(本校 80 校・定時制 5 校・分校 4 校・ 通信制課程 1 校。宮城県岩ケ崎高等学校の創造工学科鶯沢校舎は分校と数えた) 、特別支 援学校 20 校(本校 18 校・分校 2 校、仙台市立鶴谷特別支援学校を含む) 、中等教育学校 1 校があり、計 111 校を調査対象とした。2011〜2014 年度の調査対象校数は次表のとおり である。 2014 年度当初の宮城県は、公立の高等学校 88 校(本校 77 校・定時制 6 校・分校 4 校・ 通信制課程 1 校)となり 2010 年度比 2 校減。2 校減は、3 校廃止(2010 年度末宮城県鶯 沢工業高等学校、2011 年度末仙台市立仙台図南荻陵高等学校、2013 年度末宮城県女川高 等学校)と 1 校設置(2014 年度仙台市立仙台工業高等学校定時制)による。特別支援学 校は 22 校(本校 19 校・分校 3 校、仙台市立鶴谷特別支援学校を含む)となり 2010 年度 比 2 校増。2 校増は、2 校設置(2011 年度宮城県立利府支援学校富谷校、2014 年度小松島 支援学校)による。中等教育学校は 1 校で 2010 年度比増減なし。総計 111 校で総数につ いては 2010 年度比の増減がなかった。 表 調査対象校(宮城県 高等学校・特別支援学校・中等教育学校) 年度 2010 2011 2012 2013 2014 校種 高 特 中 高 特 中 高 特 中 高 特 中 高 特 中 校数 90 20 1 89 21 1 88 21 1 88 21 1 88 22 1 計 111 111 110 110 111 3・11 被災校の特定に関わる 8 項目に関して 1 .児童生徒が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 1) 宮城高校教育ネットワークユニオン「宮城県高等学校・特別支援校被害状況」 (全 2 頁、 2014 年 12 月 5 日作成資料)によると、この項目の該当校は 36 校であり、内訳は、高等 学校が 34 校(死亡 77 人・行方不明 8 人) 、特別支援学校が 2 校(死亡 5 人・行方不明 0 人) だった。生徒の死亡・行方不明が 5 人を超えたのは宮城県石巻商業高等学校 10 人(死亡 10 人) 、宮城県亘理高等学校 10 人(死亡 9 人、行方不明 1 人) 、宮城県石巻西高等学校 9 人、宮城県石巻北高等学校 6 人、石巻市立女子商業高等学校 5 人。 2 .教職員が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 2) 前記の「宮城県高等学校・特別支援校被害状況」によると、2010〜2013 年度における この項目の該当校は 3 校であり、内訳は、石巻市立女子商業高等学校(行方不明 1 人) 、 ― 81 ― 宮城県女川高等学校(死亡 1 人)、宮城県立角田支援学校(死亡 1 人)の 3 校。2014 年度 の該当校は、宮城県女川高等学校が 2014 年 3 月に廃止になったことに伴い 2 校。 3 .避難場所としての利用、支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保管等の 利用、他校の再開場所としての利用、及び、仮設住宅等の設置場所としての利用が行 われた学校(地震・津波等被災校 3) この項目に該当する学校を明らかにするための十分な資料が得られていないが、以下 5 件の資料から特定が出来た内容を記したい。 ・宮城県教育庁高校教育課「東北地方太平用沖地震災害に対応した県立高校再開の方向 性について」2011 年 4 月 1 日 ・宮城県教育庁高校教育課「県立高校仮設校舎の建設場所について」2011 年 4 月 5 日 ・宮城県教育庁高校教育課「石巻市立女子商業高等学校の学校再開の方向性について」 2011 年 4 月 28 日 ・宮城県教育委員会「東日本大震災について 2012 年 6 月 30 日」 (国民教育文化総合 研究所「東日本大震災と学校」資料収集プロジェクトチーム編『資料集 東日本大震 災・原発災害と学校』明石書店、2013 年、714 − 723 頁所収) ・宮城県教育委員会「東日本大震災について 2014 年 10 月 31 日」 2011 年度は 13 校であり、内訳は、他校の再開場所(間借・仮設用地)として利用され たのが 13 校(宮城県亘理高等学校・宮城県柴田農林高等学校・宮城県石巻商業高等学 校・石巻市立女子高等学校・宮城県石巻北高等学校・宮城県石巻西高等学校・宮城県加美 農業高等学校・宮城県登米高等学校・宮城県上沼高等学校・宮城県米谷工業高等学校・宮 城県気仙沼高等学校・宮城県気仙沼西高等学校・宮城県本吉響高等学校) 。 2012 年度は 8 校であり、内訳は、他校の再開場所として利用されたのが 3 校(石巻市 立女子高等学校・宮城県石巻北高等学校・宮城県気仙沼高等学校) 、仮設住宅等の設置場 所としての利用されたのが 4 校(宮城県水産高等学校・宮城県石巻北高等学校飯野川校 舎・宮城県気仙沼西高等学校・宮城県志津川高等学校) 、仮設店舗の設置場所として利用 されたのが 1 校(宮城県女川高等学校) 。 2013 年度は 7 校であり、内訳は、他校の再開場所として利用されたのが 2 校(石巻市 立女子高等学校・宮城県気仙沼高等学校) 、仮設住宅等の設置場所としての利用されたの が 4 校(宮城県水産高等学校・宮城県石巻北高等学校飯野川校舎・宮城県気仙沼西高等学 校・宮城県志津川高等学校) 、仮設店舗の設置場所として利用されたのが 1 校(宮城県女 川高等学校) 。 2014 年度は 6 校であり、内訳は、他校の再開場所として利用されたのが 3 校(石巻市 立女子高等学校・宮城県石巻北高等学校飯野川校舎・宮城県気仙沼高等学校) 、仮設住宅 等の設置場所としての利用されたのが 4 校(宮城県水産高等学校・宮城県石巻北高等学校 飯野川校舎・宮城県気仙沼西高等学校・宮城県志津川高等学校) 。なお、2013 年度末にお ― 82 ― ける宮城県女川高等学校の廃止後も、2014 年度の同旧校地では仮設店舗の設置場所とし の利用が続けられている。 4 .校舎損壊を受けて、他校間借、空き校舎や他施設等の利用を行った学校(地震・津波 等被災校 4) 項目 3 で参照した資料によると、2011〜2014 年度におけるこの項目の該当校は以下と なる。 2011 年度は 5 校であり、内訳は、宮城県農業高等学校(5 月 9 日より宮城県亘理高等学 校・宮城県柴田農林高等学校・宮城県加美農業高等学校に間借) 、宮城県水産高等学校(5 月 9 日より宮城県石巻北高等学校の仮設校舎) 、石巻市立女子商業高等学校(5 月 16 日よ り宮城県石巻商業高等学校・石巻市立女子高等学校・宮城県石巻西高等学校に間借) 、宮 城県気仙沼向洋高等学校(5 月 9 日より宮城県米谷工業高等学校・宮城県気仙沼西高等学 校・宮城県本吉響高等学校に間借、11 月 1 日より宮城県気仙沼高等学校の仮設校舎) 、宮 城県志津川高等学校(5 月 9 日より宮城県登米高等学校・宮城県上沼高等学校に間借、8 月 19 日より自校) 。 2012 年度は 4 校であり、内訳は、宮城県農業高等学校(2011 年 9 月 1 日より農業・園 芸総合研究所の仮設校舎) 、宮城県水産高等学校(宮城県石巻北高等学校の仮設校舎、 2013 年 1 月 8 日より自校)、石巻市立女子商業高等学校(宮城県石巻商業高等学校・石巻 市立女子高等学校・宮城県石巻西高等学校に間借、1 月 10 日より石巻市立女子高等学校 の仮設校舎) 、宮城県気仙沼向洋高等学校(宮城県気仙沼高等学校の仮設校舎) 。 2013 年度及び 2014 年度は 3 校であり、内訳は、宮城県農業高等学校(農業・園芸総合 研究所の仮設校舎) 、石巻市立女子商業高等学校(石巻市立女子高等学校の仮設校舎) 、宮 城県気仙沼向洋高等学校(宮城県気仙沼高等学校の仮設校舎) 。 5 .原子力災害対策本部による警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の設定に ともない避難指示を受けて臨時休業あるいは臨時移転を行った学校(原発被災校 1) この項目に該当した学校はなかった。 6 .文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が設定した自主的避難等対象区域に位置した 学校(原発被災校 2) この項目に該当した学校はなかった。 7 .子ども被災者支援法による支援対象地域に位置した学校(原発被災校 3) この項目に該当した学校はなかった。 ― 83 ― 8 .環境省が設定した汚染状況重点調査地域に位置した学校(原発被災校 4) 宮城県内で汚染状況重点調査地域に指定された自治体は 9 あり(石巻市、白石市、角田 市、栗原市、七ヶ宿町、大河原町、丸森町、山元町、及び、亘理町の全域) 、2011〜2014 年度を通じて 28 校(高等学校 23 校、特別支援学校 5 校)が該当(2010 年度は汚染状況 重点調査地域の指定なし) 。 3・11 被災校の特定に関わる追加候補項目に関して 9 .文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メートル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ市町村に位置する学校(原発被災校 5) 宮城県内で文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メート ル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ自治体は 7 あり(白石市、角田市、栗原市、 七ヶ宿町、丸森町、山元町、及び、亘理町の全域) 、2012〜2014 年度を通じて 15 校(高 等学校 11 校、特別支援学校 4 校)が該当(一連の航空機モニタリングは 2011 年 4 月〜 2012 年 5 月実施のため 2012 年度以降を分析) 。 10.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭、プール等の除染を行った学校(原発 被災校 6) 特定するための資料を調査期間中に得られなかった。 11.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭の線量測定、プールの線量測定、給食 の線量測定、モニタリングポストの設置等を行った学校(原発被災校 7) 。 宮城県教育委員会「東日本大震災について 2012 年 6 月 30 日」に「県立学校について は、平成 23 年 7 月 5 日から 19 日にかけて週に 1 回校庭等を測定し、結果をホームページ で公開した。 (平均値 0.11 最高値 0.39 最低値 0.04:単位は µSv/h) 」とあり、2011 年 度は全 111 校が該当。 2012〜2013 年度については、宮城県教育委員会「東日本大震災について 2014 年 10 月 31 日」に以下の文と表の掲載があり全 110 校が該当。2014 年度については特定するため の資料を得られていない。 「県から全市町村に貸与する簡易型放射線測定器などにより、学校・幼稚園・保育所 等の校庭・園庭等の放射線量を一斉に測定し、結果をホームページで公開している。 」 ― 84 ― 平成 23 年度 平成 24 年度 平成 25 年度 6〜7 月 7〜8 月 7〜8 月 1,622 施設 1,645 施設 1,645 施設 最大値(µSv/h) 0.76 0.38 0.38 平均値(µSv/h) 0.13 0.09 0.07 164 施設 29 施設 なし 期間 施設数 結果 0.23µSv/h の施設数 3・11 被災校の特定 2010 年度の 111 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 38 校(高等学 校 35 校、特別支援学校 3 校)で 34.2 パーセント。 2011 年度の 111 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 56 校(高等学 校 50 校、特別支援学校 6 校)で 50.5 パーセント。 2012 年度の 110 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 53 校(高等学 校 47 校、特別支援学校 6 校)で 48.2 パーセント。 2013 年度の 110 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 53 校(高等学 校 47 校、特別支援学校 6 校)で 48.2 パーセント。 2014 年度の 111 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 52 校(高等学 校 46 校、特別支援学校 6 校)で 46.8 パーセントだった。 地震・津波等被災校と原発被災校 A の特定 2010 年度の 111 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 38 校(高 等学校 35 校、特別支援学校 3 校)で 34.2 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した 原発被災校 A は 0 校。 2011 年度の 111 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 42 校(高 等学校 39 校、特別支援学校 3 校)で 37.8 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した 原発被災校 A は 28 校(高等学校 23 校、特別支援学校 5 校)で 25.2 パーセント、地震・ 津波等被災校かつ原発被災校 A は 14 校(高等学校 12 校、特別支援学校 2 校)で 12.6 パー セント。 2012 年度の 110 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 40 校(高 等学校 37 校、特別支援学校 3 校)で 36.4 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した 原発被災校 A は 28 校(高等学校 23 校、特別支援学校 5 校)で 25.5 パーセント、地震・ 津波等被災校かつ原発被災校 A は 15 校(高等学校 13 校、特別支援学校 2 校)で 13.6 パー セント。 2013 年度の 110 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 40 校(高 等学校 37 校、特別支援学校 3 校)で 36.4 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した ― 85 ― 原発被災校 A は 28 校(高等学校 23 校、特別支援学校 5 校)で 25.5 パーセント、地震・ 津波等被災校かつ原発被災校 A は 15 校(高等学校 13 校、特別支援学校 2 校)で 13.6 パー セント。 2014 年度の 111 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 39 校(高 等学校 36 校、特別支援学校 3 校)で 35.1 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した 原発被災校 A は 28 校(高等学校 23 校、特別支援学校 5 校)で 25.2 パーセント、地震・ 津波等被災校かつ原発被災校 A は 15 校(高等学校 13 校、特別支援学校 2 校)で 13.5 パー セント。 原発被災校 B の特定 2010 年度の 111 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいずれかに該当した原発被災校 B は 0 校。 2011 年度の 111 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいずれかに該当した原発被災校 B は 111 校で 100 パーセント。 2012 年度の 110 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいずれかに該当した原発被災校 B は 110 校で 100 パーセント。 2013 年度の 110 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいずれかに該当した原発被災校 B は 110 校で 100 パーセント。 3・11 被災校の動向に関わる 6 項目に関して 1 .3・11 被災校の統廃合 前記の「宮城県高等学校・特別支援校被害状況」 、及び、宮城県教育委員会「設置・廃 止等学校一覧(2013 年 5 月 2 日から 2014 年 5 月 1 日まで) 」により以下のように整理で きる。 2010 年度の 3・11 被災校 38 校について、年度末に廃止された学校はない。 2011 年度の 3・11 被災校 56 校について、年度末に廃止された学校はない。 2012 年度の 3・11 被災校 53 校について、年度末に廃止された学校はない。 2013 年度の 3・11 被災校 53 校について、年度末に廃止されたのは宮城県女川高等学校 (地震・津波等被災校) 。 2014 年度の 3・11 被災校 52 校について、年度末に廃止されたのは 4 校であり、石巻市 立女子高等学校と石巻市立女子商業高等学校(いずれも地震・津波等被災校かつ原発被災 校 A、2015 年 4 月に石巻市立桜坂女子高等学校が設置) 、宮城県上沼高等学校と宮城県米 谷工業高等学校(いずれも地震・津波等被災校、2015 年 3 月に宮城県米山高等学校・宮 城県登米高等学校商業科と共に廃止され 4 月に登米総合産業高校が設置) 。 ― 86 ― 2 .3・11 被災校の児童生徒数、及び、学級数の増減 2010 年度の 3・11 被災校 38 校について、高等学校 35 校の生徒数 22,065 人、学級数 607、特別支援学校 3 校の児童生徒数 539 人、学級数 124。 2011 年度の 3・11 被災校 56 校について、高等学校 50 校の生徒数 27,228 人、学級数 764、特別支援学校 6 校の児童生徒数 674 人 学級数 172。 2012 年度の 3・11 被災校 53 校について、高等学校 47 校の生徒数 25,992 人、学級数 727、特別支援学校 6 校の児童生徒数 687 人 学級数 171。 2013 年度の 3・11 被災校 53 校について、高等学校 47 校の生徒数 25,533 人、学級数 717、特別支援学校 6 校の児童生徒数 690 人 学級数 167。 2014 年度の 3・11 被災校 52 校について、高等学校 46 校の生徒数 25,134 人、学級数 710、特別支援学校 6 校の児童生徒数 653 人 学級数 162。 3 .3・11 被災校の教職員数の増減、震災対応の教職員加配及び兼務発令の動態 2010 年度の 3・11 被災校 38 校について、高等学校 35 校の教員数 2,048 人、特別支援学 校 3 校の教員数 267 人。 2011 年度の 3・11 被災校 56 校について、高等学校 50 校の教員数 2,648 人、特別支援学 校 6 校の教員数 395 人。 2012 年度の 3・11 被災校 53 校について、高等学校 47 校の教員数 2,525 人、特別支援学 校 6 校の教員数 413 人。 2013 年度の 3・11 被災校 53 校について、高等学校 47 校の教員数 2,520 人、特別支援学 校 6 校の教員数 425 人。 2014 年度の 3・11 被災校 52 校について、高等学校 46 校の教員数 2,477 人、特別支援学 校 6 校の教員数 417 人。 なお、宮城県教育委員会が、国に対し、加配定数の追加措置を要望して、国より追加内 示があったのは、2011 年 4 月 28 日に高等学校 20 人、6 月 24 日に 8 人(養護教諭、栄養 教諭等、事務職員の合計) 、計 28 人だった(文部科学省「東日本大震災への対応のための 教職員の加配定数について(4 月 28 日追加内示分) 」 「同(6 月 24 日追加内示分) 」大森直 樹ほか編『資料集 東日本大震災と教育界─法規・提言・記録・声』明石書店、2013 年、 240〜244 頁) 。 兼務発令については、宮城県教育委員会「教職員兼務発令一覧 教育職員 宮城県立学 校(2011 年 4 月 1 日) 」12〜14 頁によると、高等学校が 89 人(高校→高校 87 人、教育庁 →高校 2 人)、特別支援学校が 22 人(支援→支援 15 人、小学校→支援 5 人、中学校→支 援 1 人、センター→支援 1 人) 。同資料により、2011 年度の 3・11 被災校(異動先の新所属) から他校(異動前の旧所属)への兼務発令を得た教員を数えると、高等学校は 27 校 39 人、 特別支援学校は 3 校 6 人。他校(異動先の新所属)から 3・11 被災校(異動前の旧所属) への兼務発令を受けた教員を数えると、高等学校は 17 校 89 人、特別支援学校は 2 校 14 ― 87 ― 人だった。 4 .3・11 被災校に東北地方太平洋沖地震発生時に在籍していた教職員(原被災校教職員) の動態 2011 年度の 3・11 被災校 56 校について、高等学校 50 校における原被災校教員は 2,077 人、特別支援学校 6 校における原被災校教員は 302 人。2011 年度の 3・11 被災校の教員 数を母数として百分率を求めると、高等学校は 78.4 パーセント、特別支援学校は 76.5 パー セント。 2012 年度の 3・11 被災校 53 校について、高等学校 47 校における原被災校教員は 1,513 人、特別支援学校 6 校における原被災校教員は 232 人。2012 年度の 3・11 被災校の教員 数を母数として百分率を求めると、高等学校は 59.9 パーセント、特別支援学校は 56.2 パー セント。 2013 年度年度の 3・11 被災校 53 校について、高等学校 47 校における原被災校教員は 1,141 人、特別支援学校 6 校における原被災校教員は 178 人。2012 年度の 3・11 被災校の 教員数を母数として百分率を求めると、高等学校は 45.3 パーセント、特別支援学校は 41.9 パーセント。 2014 年度の 3・11 被災校 52 校について、高等学校 46 校における原被災校教員は 842 人、 特別支援学校 6 校における原被災校教員は 120 人。2014 年度の 3・11 被災校の教員数を 母数として百分率を求めると、高等学校は 34.0 パーセント、特別支援学校は 28.8 パーセ ント。 5 .3・11 被災校の非正規教職員の割合の動態 2010 年度の 3・11 被災校 38 校について、高等学校 35 校の非正規教員は 297 人、特別 支援学校 3 校の非正規教員は 47 人。2010 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正 規教員の百分率を求めると、高等学校は 14.5 パーセント、特別支援学校は 17.6 パーセン ト。 2011 年度の 3・11 被災校 56 校について、高等学校 50 校の非正規教員数は 406 人、特 別支援学校 6 校の非正規教員数は 51 人。2011 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として 非正規教員の百分率を求めると、高等学校は 15.3 パーセント、特別支援学校は 12.9 パー セント。 2012 年度の 3・11 被災校 53 校について、高等学校 47 校の非正規教員数は 412 人、特 別支援学校 6 校の非正規教員数は 67 人。2012 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として 非正規教員の百分率を求めると、高等学校は 16.3 パーセント、特別支援学校は 16.2 パー セント。 2013 年度の 3・11 被災校 53 校について、高等学校 47 校の非正規教員数は 422 人、特 別支援学校 6 校の非正規教員数は 61 人。2012 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として ― 88 ― 非正規教員の百分率を求めると、高等学校は 16.7 パーセント、特別支援学校は 14.4 パー セント。 2014 年度の 3・11 被災校 52 校について、高等学校 46 校の非正規教員数は 419 人、特 別支援学校 6 校の非正規教員数は 74 人。2012 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として 非正規教員の百分率を求めると、高等学校は 16.9 パーセント、特別支援学校は 17.7 パー セント。 6 .子どもと教職員が死亡・行方不明となった学校における追悼碑等の設置、追悼式の実 施、震災記録集の編纂について 調査期間中に資料を得られていない。 ― 89 ― 6.福島県 小学校・中学校 大橋保明 調査対象 2010 年度当初の福島県には、公立の小学校 505 校(内訳は本校 497 校・分校 8 校) 、公 立の中学校 236 校(内訳は本校 236 校)があり、総計 741 校を調査対象とした。なお、こ れ以外に休校中の小学校分校が 5 校あった。2011〜2014 年度の調査対象校数は、次表の とおりである。 2014 年度当初の福島県には、公立の小学校 472 校(内訳は本校 467 校・分校 5 校)と なり 2010 年度比 33 校減、公立の中学校 227 校(内訳は本校 227 校)となり 2010 年度比 9 校減、総計 699 校で 2010 年度比 42 校減だった。これ以外に休校中の小学校が 1 校、中 学校が 1 校あった。 表 調査対象校(福島県 小学校・中学校) 年度 2010 2011 2012 2013 2014 校種 小 中 小 中 小 中 小 中 小 中 校数 505 236 496 236 484 235 477 231 472 227 計 741 732 719 708 699 ※上記は、分校を含み、休校を除いた数値である。 <追記> ・各年度の休校は、次のとおりであった。 〔2010 年度〕郡山市立河内小学校夏出分校、耶麻郡西会津町立奥川小学校弥平四郎分 校、耶麻郡西会津町立尾野本小学校上谷分校、大沼郡昭和村立昭和小学 校小野川分校、大沼郡昭和村立昭和中学校小野川分校 〔2011 年度〕耶麻郡西会津町立奥川小学校弥平四郎分校、耶麻郡西会津町立尾野本小 学校上谷分校、大沼郡昭和村立昭和小学校小野川分校、大沼郡昭和村立 昭和中学校小野川分校 〔2012 年度〕大沼郡昭和村立昭和小学校小野川分校、大沼郡昭和村立昭和中学校小野 川分校、いわき市立田人第一小学校荷路夫分校、いわき市立田人第二小 学校南大平分校 〔2013 年度〕いわき市立田人第一小学校荷路夫分校、いわき市立田人第二小学校南大 平分校 〔2014 年度〕福島市立大波小学校、福島市立茂庭中学校 ・2014 年度相双地区の事務局移転校(生徒数ゼロ)を含む。 ― 90 ― 3・11 被災校の特定に関わる 8 項目に関して 1 .児童生徒が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 1) 児童生徒が死亡・行方不明となった学校については、文部科学省「東日本大震災による 被害情報について」第 208 報(2012 年 9 月 12 日時点)の内容を整理した国民教育文化総 合研究所作成の資料( 「東日本大震災と学校」資料収集プロジェクトチーム編『資料集 東日本大震災・原発災害と学校-岩手・宮城・福島の教育行政と教職員組合の記録』明石 書店、2013 年、24 − 28 頁所収) 、警察発表をもとに平山瑠子が作成した「東日本大震災・ 原発災害 幼児児童生徒犠牲者名簿」 、および福島県教職員組合による調査研究等による と(以下、特に記載のない場合は、同様の出典に基づく) 、2010〜2014 年度におけるこの 項目の該当校は以下となる。なお、原発事故に伴う避難等により死亡確定の時期までは正 確に把握できなかったため、2014 年度までに判明している数値のみを以下に示す。 該当する小学校は 7 校であり、内訳は、いわき市立豊間小学校 2 人、新地町立新地小学 校 2 人、相馬市立磯部小学校 11 人、南相馬市立高平小学校 2 人、南相馬市立大甕小学校 5 人、南相馬市立鹿島小学校 2 人、南相馬市立八沢小学校 1 人だった。 該当する中学校は 9 校であり、内訳は、須賀川市立長沼中学校 1 人、いわき市立豊間中 学校 1 人、いわき市立田人中学校 1 人、双葉郡浪江町立浪江東中学校 2 人、相馬市立中村 第二中学校 1 人、相馬市立磯部中学校 5 人、南相馬市立原町第三中学校 1 人、南相馬市立 鹿島中学校 3 人、南相馬市立小高中学校 4 人だった。なお、須賀川市立長沼中学校 1 人は、 農業用ダムの藤沼湖の決壊による死亡である。 2 .教職員が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 2) この項目に該当した学校はなかった。 3 .避難場所としての利用、支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保管等の 利用、他校の再開場所としての利用、及び、仮設住宅等の設置場所としての利用が行 われた学校(地震・津波等被災校 3) 当該調査で入手できた資料等からは、2010 年度は 3 校であり、内訳は、避難場所や遺 体安置所等として利用されたのが 3 校(福島市立北沢又小学校、いわき市立中央台南小学 校、南相馬市立原町第二中学校)だった。 2011 年度は 23 校であり、内訳は、他校の再開場所等として利用されたのが 23 校(福 島市立下川崎小学校、伊達郡川俣町立川俣南小学校、郡山市立河内小学校、いわき市立 郷ヶ丘小学校、いわき市立中央台北小学校、いわき市立中央台南小学校、いわき市立高久 小学校、いわき市立四倉小学校、いわき市立江名小学校、南相馬市立鹿島小学校、南相馬 市立八沢小学校、南相馬市立上真野小学校、伊達郡川俣町立川俣中学校、伊達市立梁川中 学校、伊達市立松陽中学校、伊達市立桃陵中学校、郡山市立逢瀬中学校、田村郡小野町立 浮金中学校、いわき市立中央台北中学校、いわき市立藤間中学校、いわき市立湯本第二中 ― 91 ― 学校、南相馬市立原町第二中学校、南相馬市立鹿島中学校)だった。 2012 年度は 7 校であり、内訳は、他校の再開場所等として利用されたのが 7 校(福島 市立下川崎小学校、伊達郡川俣町立川俣南小学校、いわき市立中央台南小学校、いわき市 立豊間小学校、南相馬市立鹿島小学校、いわき市立湯本第二中学校、南相馬市立鹿島中学 校)だった。 2013 年度は 6 校であり、内訳は、他校の再開場所等として利用されたのが 6 校(福島 市立下川崎小学校、伊達郡川俣町立川俣南小学校、いわき市立豊間小学校、南相馬市立鹿 島小学校、伊達郡川俣町立川俣中学校、南相馬市立鹿島中学校)だった。 2014 年度は 6 校であり、内訳は、他校の再開場所等として利用されたのが 6 校(福島 市立下川崎小学校、伊達郡川俣町立川俣南小学校、いわき市立豊間小学校、南相馬市立鹿 島小学校、伊達郡川俣町立川俣中学校、南相馬市立鹿島中学校)だった。 なお、本調査の対象外ではあるが、他校を受け入れたいわき明星大学や福島高等専門学 校等の高等教育機関、旧二本松市立針道小学校や旧田村市立春山小学校、旧会津若松市立 河東第三小学校等の廃校、建物や敷地等を提供した民間企業があったことを付記してお く。 4 .校舎損壊を受けて、他校間借、空き校舎や他施設等の利用を行った学校(地震・津波 等被災校 4) 2010 年度は、この項目に該当した学校はなかった。 2011 年度は 9 校であり、内訳は、他校間借りや他施設等を利用したのが 9 校(伊達市 立梁川小学校、伊達市立保原小学校、田村市立菅谷小学校、田村郡小野町立浮金小学校、 いわき市立豊間小学校、いわき市立永崎小学校、南相馬市立真野小学校、いわき市立豊間 中学校、いわき市立四倉中学校)だった。 2012 年度は 6 校であり、内訳は、他校間借りや他施設等を利用したのが 6 校(伊達市 立梁川小学校、田村市立菅谷小学校、双葉郡広野町立広野小学校、南相馬市立真野小学 校、いわき市立豊間中学校、双葉郡広野町立広野中学校)だった。 2013 年度は 4 校であり、内訳は、他校間借りや他施設等を利用したのが 4 校(伊達市 立梁川小学校、田村市立菅谷小学校、南相馬市立真野小学校、いわき市立豊間中学校、 ) だった。なお、南相馬市立真野小学校は、津波による校舎損壊のため南相馬市立鹿島小学 校に間借りしていたが、2013 年度末をもって閉校となった。 2014 年度は 3 校であり、内訳は、他校間借りや他施設等を利用したのが 3 校(伊達市 立梁川小学校、田村市立菅谷小学校、いわき市立豊間中学校)だった。 5 .原子力災害対策本部による警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の設定に ともない避難指示を受けて臨時休業あるいは臨時移転を行った学校(原発被災校 1) 2010 年度に警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域は設定されていないため、 ― 92 ― この項目に該当した学校はなかった。 2011 年度に警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域に指定された自治体は 12 市町村(川内村、田村市、南相馬市、飯館村、広野町、楢葉町、大熊町、葛尾村、富岡 町、浪江町、双葉町、川俣町)、該当校は 57 校であり、内訳は、小学校 37 校(伊達郡川 俣町立山木屋小学校、田村市立古道小学校、田村市立岩井沢小学校、いわき市立久之浜第 一小学校、いわき市立久之浜第二小学校、双葉郡浪江町立浪江小学校、双葉郡浪江町立幾 世橋小学校、双葉郡浪江町立請戸小学校、双葉郡浪江町立大堀小学校、双葉郡浪江町立苅 野小学校、双葉郡浪江町立津島小学校、双葉郡葛尾村立葛尾小学校、双葉郡双葉町立双葉 南小学校、双葉郡双葉町立双葉北小学校、双葉郡大熊町立熊町小学校、双葉郡大熊町立大 野小学校、双葉郡富岡町立富岡第一小学校、双葉郡富岡町立富岡第二小学校、双葉郡川内 村立川内小学校、双葉郡楢葉町立楢葉南小学校、双葉郡楢葉町立楢葉北小学校、双葉郡広 野町立広野小学校、南相馬市立原町第一小学校、南相馬市立原町第二小学校、南相馬市立 原町第三小学校、南相馬市立高平小学校、南相馬市立大甕小学校、南相馬市立太田小学 校、南相馬市立石神第一小学校、南相馬市立石神第二小学校、南相馬市立小高小学校、南 相馬市立福浦小学校、南相馬市立金房小学校、南相馬市立鳩原小学校、相馬郡飯舘村立草 野小学校、相馬郡飯舘村立飯樋小学校、相馬郡飯舘村立臼石小学校) 、中学校 20 校(伊達 郡川俣町立山木屋中学校、田村市立都路中学校、いわき市立久之浜中学校、双葉郡浪江町 立浪江中学校、双葉郡浪江町立浪江東中学校、双葉郡浪江町立津島中学校、双葉郡葛尾村 立葛尾中学校、双葉郡双葉町立双葉中学校、双葉郡大熊町立大熊中学校、双葉郡富岡町立 富岡第一中学校、双葉郡富岡町立富岡第二中学校、双葉郡川内村立川内中学校、双葉郡楢 葉町立楢葉中学校、双葉郡広野町立広野中学校、南相馬市立原町第一中学校、南相馬市立 原町第二中学校、南相馬市立原町第三中学校、南相馬市立石神中学校、南相馬市立小高中 学校、相馬郡飯舘村立飯舘中学校)だった。 2012〜2013 年度は 38 校であり、内訳は、小学校 25 校(伊達郡川俣町立山木屋小学校、 田村市立古道小学校、田村市立岩井沢小学校、双葉郡浪江町立浪江小学校、双葉郡浪江町 立幾世橋小学校、双葉郡浪江町立請戸小学校、双葉郡浪江町立大堀小学校、双葉郡浪江町 立苅野小学校、双葉郡浪江町立津島小学校、双葉郡葛尾村立葛尾小学校、双葉郡双葉町立 双葉南小学校、双葉郡双葉町立双葉北小学校、双葉郡大熊町立熊町小学校、双葉郡大熊町 立大野小学校、双葉郡富岡町立富岡第一小学校、双葉郡富岡町立富岡第二小学校、双葉郡 楢葉町立楢葉南小学校、双葉郡楢葉町立楢葉北小学校、南相馬市立小高小学校、南相馬市 立福浦小学校、南相馬市立金房小学校、南相馬市立鳩原小学校、相馬郡飯舘村立草野小学 校、相馬郡飯舘村立飯樋小学校、相馬郡飯舘村立臼石小学校) 、中学校 13 校(伊達郡川俣 町立山木屋中学校、田村市立都路中学校、双葉郡浪江町立浪江中学校、双葉郡浪江町立浪 江東中学校、双葉郡浪江町立津島中学校、双葉郡葛尾村立葛尾中学校、双葉郡双葉町立双 葉中学校、双葉郡大熊町立大熊中学校、双葉郡富岡町立富岡第一中学校、双葉郡富岡町立 富岡第二中学校、双葉郡楢葉町立楢葉中学校、南相馬市立小高中学校、相馬郡飯舘村立飯 ― 93 ― 舘中学校)だった。 2014 年度は 35 校であり、内訳は、小学校 23 校(伊達郡川俣町立山木屋小学校、双葉 郡浪江町立浪江小学校、双葉郡浪江町立幾世橋小学校、双葉郡浪江町立請戸小学校、双葉 郡浪江町立大堀小学校、双葉郡浪江町立苅野小学校、双葉郡浪江町立津島小学校、双葉郡 葛尾村立葛尾小学校、双葉郡双葉町立双葉南小学校、双葉郡双葉町立双葉北小学校、双葉 郡大熊町立熊町小学校、双葉郡大熊町立大野小学校、双葉郡富岡町立富岡第一小学校、双 葉郡富岡町立富岡第二小学校、双葉郡楢葉町立楢葉南小学校、双葉郡楢葉町立楢葉北小学 校、南相馬市立小高小学校、南相馬市立福浦小学校、南相馬市立金房小学校、南相馬市立 鳩原小学校、相馬郡飯舘村立草野小学校、相馬郡飯舘村立飯樋小学校、相馬郡飯舘村立臼 石小学校) 、中学校 12 校(伊達郡川俣町立山木屋中学校、双葉郡浪江町立浪江中学校、双 葉郡浪江町立浪江東中学校、双葉郡浪江町立津島中学校、双葉郡葛尾村立葛尾中学校、双 葉郡双葉町立双葉中学校、双葉郡大熊町立大熊中学校、双葉郡富岡町立富岡第一中学校、 双葉郡富岡町立富岡第二中学校、双葉郡楢葉町立楢葉中学校、南相馬市立小高中学校、相 馬郡飯舘村立飯舘中学校)だった。 <追記> ・2011 年度のいわき市立久之浜第一小学校、いわき市立久之浜第二小学校、いわき市立 久之浜中学校については、計画的避難区域に準じて臨時移転(いわき市内)が行われた ので、本項目の該当校として数えている。 6 .文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が設定した自主的避難等対象区域に位置した 学校(原発被災校 2) 2010 年度に自主的避難等対象地域は指定されていないため、この項目に該当した学校 はなかった。 2011 年度に自主的避難等対象地域に指定された自治体は 23 市町村(福島市、二本松市、 伊達市、本宮市、桑折町、国見町、川俣町、大玉村、郡山市、須賀川市、田村市、鏡石 町、天栄村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町、相馬市、新地 町、いわき市) 、該当校は 484 校であり、内訳は、小学校 329 校、中学校 155 校だった。 2012 年度は 480 校であり、内訳は、小学校 325 校、中学校 155 校だった。 2013 年度は 475 校であり、内訳は、小学校 323 校、中学校 152 校だった。 2014 年度は 467 校であり、内訳は、小学校 319 校、中学校 148 校だった。 7 .子ども被災者支援法による支援対象地域に位置した学校(原発被災校 3) 2010〜2012 年度に子ども被災者支援法による支援対象地域は設定されていないため、 この項目に該当した学校はなかった。 2013 年度に子ども被災者支援法による支援対象地域に指定された自治体は 33 市町村 ― 94 ― (福島市、郡山市、いわき市、白河市、須賀川市、相馬市、二本松市、伊達市、本宮市、 桑折町、国見町、大玉村、鏡石町、天栄村、西郷村、泉崎村、中島村、矢吹町、棚倉町、 矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町、広 野町、新地町、田村市、川俣町)、該当校は 538 校であり、内訳は、小学校 367 校、中学 校 171 校だった。 2014 年度は 530 校であり、内訳は、小学校 363 校、中学校 167 校だった。 8 .環境省が設定した汚染状況重点調査地域に位置した学校(原発被災校 4) 2010 年度に汚染状況重点調査地域は設定されていないため、この項目に該当した学校 はなかった。 2011 年度に汚染状況重点調査地域に指定された自治体は 41 市町村(福島市、郡山市、 いわき市、白河市、須賀川市、相馬市、二本松市、伊達市、本宮市、桑折町、国見町、大 玉村、鏡石町、天栄村、会津坂下町、湯川村、柳津町、会津美里町、西郷村、泉崎村、中 島村、矢吹町、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿 町、三春町、小野町、広野町、新地町、田村市、南相馬市、川俣町、川内村、昭和村、三 島町)、該当校は 599 校であり、内訳は、小学校 408 校、中学校 191 校だった。 2012 年度は 592 校であり、内訳は、小学校 402 校、中学校 190 校だった。 2013 年度は 583 校であり、内訳は、小学校 396 校、中学校 187 校だった。 2014 年度は 574 校であり、内訳は、小学校 391 校、中学校 183 校だった。 <追記> ・2011(平成 23)年 12 月 28 日 除染特別地域に 11 市町村、汚染状況重点調査地域に 40 市町村が指定される。 ・2012(平成 24)年 2 月 28 日 柳津町が汚染状況重点調査地域に追加指定される。 ・2012(平成 24)年 12 月 27 日 昭和村が汚染状況重点調査地域の指定を解除される。 ・2014(平成 26)年 11 月 17 日 三島町が汚染状況重点調査地域の指定を解除される。 3・11 被災校の特定に関わる追加候補項目に関して 9 .文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メートル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ市町村に位置する学校(原発被災校 5) 福島県内で文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メート ル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ自治体は 53 あり(福島市、会津若松市、郡 山市、いわき市、白河市、須賀川市、喜多方市、相馬市、二本松市、田村市、南相馬市、 伊達市、本宮市、桑折町、国見町、川俣町、大玉村、鏡石町、天栄村、南会津町、北塩原 村、磐梯町、猪苗代町、会津坂下町、湯川村、柳津町、三島町、会津美里町、西郷村、泉 崎村、中島村、矢吹町、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川 ― 95 ― 町、古殿町、三春町、小野町、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江 町、葛尾村、新地町、飯舘村) 、該当する学校は以下のように整理できる。 2012 年度は 702 校であり、内訳は、小学校 473 校、中学校 229 校だった。 2013 年度は 691 校であり、内訳は、小学校 466 校、中学校 225 校だった。 2014 年度は 682 校であり、内訳は、小学校 461 校、中学校 221 校だった。 10.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭、プール等の除染を行った学校(原発 被災校 6) 調査期間中に十分な資料を得られていない。 11.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭の線量測定、プールの線量測定、給食 の線量測定、モニタリングポストの設置等を行った学校(原発被災校 7) 。 文部科学省が 2012 年度に実施した「学校給食モニタリング事業」において、 「モニタリ ング対象及び検査回数 1 福島県:県内の全市区町村(59 か所)を対象とし、1 市町村当 たり 167 回程度とする」とあり、県内全域の小中学校で学校給食の線量測定が行われたこ とがわかるが、測定を行った学校を特定するための十分な資料は得られていない。 3・11 被災校の特定 2010 年度の 741 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 19 校(小学校 9 校、中学校 10 校)で 2.6 パーセントだった。 2011 年度の 732 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 627 校(小学校 426 校、中学校 201 校)で 85.7 パーセントだった。 2012 年度の 719 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 620 校(小学校 420 校、中学校 200 校)で 86.2 パーセントだった。 2013 年度の 708 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 611 校(小学校 414 校、中学校 197 校)で 86.3 パーセントだった。 2014 年度の 699 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 602 校(小学校 409 校、中学校 193 校)で 86.1 パーセントだった。 なお、2010 年度の 3・11 被災校 19 校には「行政措置前 3・11 被災校」を含めていない。 「行政措置前 3・11 被災校」とは、2011 年 3 月 11 日以降約 3 週間にわたり「3・11 災害」 への対応を経験しながら、2010 年度末(2011 年 3 月 31 日)に閉校したことにより、その 後の原発災害への対応等を中心とした「行政措置」を受けなかった福島県内の学校で、も し学校が存続していたらその地理的位置により 2011 年度以降に「行政措置」を受けて 3・ 11 被災校に特定されていた学校を指す。 「行政措置前 3・11 被災校」は、小学校 10 校(伊 達市立泉原小学校、石川郡古殿町立田口小学校、石川郡古殿町立宮本小学校、石川郡古殿 町立大原小学校、石川郡古殿町立山上小学校、石川郡古殿町立大久田小学校、石川郡古殿 ― 96 ― 町立論田小学校、田村市立牧野小学校、いわき市立田人第一小学校荷路夫分校、いわき市 立田人第二小学校南大平分校)に及び、これを 2010 年度の 3・11 被災校 19 校に加えると 計 29 校(小学校 19 校、中学校 10 校)となり、2011 年度 732 校比で 4.0 パーセントとなる。 福島県の小学校および中学校における 3・11 被災校の全体像は、2011 年度の最大値 627 校に、 「行政措置前 3・11 被災校」10 校と 2012 年度以降の新設校 7 校を加えた計 644 校 となる。 地震・津波等被災校と原発被災校 A の特定 2010 年度の 741 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 19 校で 2.6 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 0 校だった。 2011 年度の 732 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 43 校で 5.9 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 627 校で 85.7 パーセント、 地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 43 校で 5.9 パーセントだった。 2012 年度の 719 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 25 校で 3.5 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 620 校で 86.2 パーセント、 地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 25 校で 3.5 パーセントだった。 2013 年度の 708 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 22 校で 3.1 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 611 校で 86.3 パーセント、 地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 22 校で 3.1 パーセントだった。 2014 年度の 699 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 21 校で 3.0 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 602 校で 86.1 パーセント、 地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 21 校で 3.0 パーセントだった。 原発被災校 B の特定 原発被災校 B を特定するための十分な資料を得られていないが、入手した資料の範囲 内で整理すると以下のようになる。 2012 年度の 719 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいずれかに該当した原発被災校 B は 704 校で 97.9 パーセントだった。 2013 年度の 708 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいずれかに該当した原発被災校 B は 693 校で 97.9 パーセントだった。 2014 年度の 699 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいずれかに該当した原発被災校 B は 684 校で 97.9 パーセントだった。 3・11 被災校の動向に関わる 6 項目に関して 1 .3・11 被災校の統廃合 2010 年度の 3・11 被災校 19 校について、年度末に廃止された学校はない。ただし、 「行 ― 97 ― 政措置前 3・11 被災校」の小学校 10 校(伊達市立泉原小学校、石川郡古殿町立田口小学 校、石川郡古殿町立宮本小学校、石川郡古殿町立大原小学校、石川郡古殿町立山上小学 校、石川郡古殿町立大久田小学校、石川郡古殿町立論田小学校、田村市立牧野小学校、い わき市立田人第一小学校荷路夫分校、いわき市立田人第二小学校南大平分校)について は、すべて年度末に廃止された。 2011 年度の 3・11 被災校 627 校について、年度末に廃止された学校は 11 校であり、内 訳は、小学校 9 校(伊達郡国見町立小坂小学校、伊達郡国見町立藤田小学校、伊達郡国見 町立森江野小学校、伊達郡国見町立大木戸小学校、伊達市国見町大枝小学校組合立大枝小 学校、田村市立上大越小学校、田村市立下大越小学校、東白川郡塙町立片貝小学校、東白 川郡塙町立片貝小学校矢塚分校) 、中学校 2 校(会津坂下町立第一中学校、会津坂下町立 第二中学校)だった。また、新設された学校は 1 校であり、内訳は、小学校 1 校(石川郡 古殿町立古殿小学校)だった。 2012 年度の 3・11 被災校 620 校について、年度末に廃止された学校は 12 校であり、内 訳は、小学校 9 校(石川郡平田村立永田小学校、石川郡平田村立西山小学校、東白川郡塙 町立高城小学校、会津坂下町立板下小学校、会津坂下町立若宮小学校、会津坂下町立金上 小学校、会津坂下町立広瀬小学校、会津美里町立本郷第一小学校、会津美里町立本郷第二 小学校) 、中学校 3 校(田村郡三春町立桜中学校、田村郡三春町立沢石中学校、田村郡三 春町立要田中学校)だった。また、新設された学校は 4 校であり、内訳は、小学校 3 校 (伊達市立大枝小学校、伊達郡国見町立国見小学校、田村市立大越小学校、 ) 、中学校 1 校 (会津坂下町立板下中学校)だった。 2013 年度の 3・11 被災校 609 校について、年度末に廃止された学校は 7 校であり、内 訳は、小学校 4 校(いわき市立田人第二小学校、いわき市立石住小学校、いわき市立貝泊 小学校、南相馬市立真野小学校) 、中学校 3 校(田村郡小野町立浮金中学校、いわき市立 石住中学校、いわき市立貝泊中学校)だった。また、新設された学校は 3 校であり、内訳 は、小学校 3 校(会津坂下町立板下南小学校、会津坂下町立板下東小学校、会津美里町立 本郷小学校)だった。 2014 年度の 3・11 被災校 602 校について、年度末に廃止された学校は 15 校であり、内 訳は、小学校 11 校(石川郡石川町立母畑小学校、石川郡石川町立中谷第一小学校、石川 郡石川町立中谷第二小学校、石川郡石川町立山形小学校、石川郡石川町立南山形小学校、 石川郡石川町立川辺小学校、いわき市立沢渡小学校、いわき市立三阪小学校、いわき市立 差塩小学校、いわき市立永戸小学校、いわき市立永井小学校)、中学校 4 校(石川郡石川 町立沢田中学校、いわき市立三阪中学校、いわき市立差塩中学校、いわき市立永井中学 校)だった。また、これ以外に休校中の中学校 1 校(福島市立茂庭中学校)が廃止となっ た。 ― 98 ― 2 .3・11 被災校の児童生徒数、及び、学級数の増減 2010 年度の 3・11 被災校 19 校について、小学校 9 校の児童数は 2,379 人、学級数は 107 学級であり、中学校 10 校の生徒数は 2,000 人、学級数は 83 学級だった。なお、3・11 被災校に「行政措置前 3・11 被災校」を加えた 29 校について、小学校 19 校の児童数は 2,735 人、学級数は 141 学級であり、中学校 10 校の生徒数は 2,000 人、学級数は 83 学級だっ た。 2011 年度の 3・11 被災校 627 校について、小学校 426 校の児童数は 93,526 人、学級数 は 4,394 学級であり、中学校 201 校の生徒数は 51,337 人、学級数は 2,012 学級だった。 2012 年度の 3・11 被災校 620 校について、小学校 420 校の児童数は 89,577 人、学級数 は 4,258 学級であり、中学校 200 校の生徒数は 49,897 人、学級数は 2,100 学級だった。 2013 年度の 3・11 被災校 609 校について、小学校 414 校の児童数は 87,246 人、学級数 は 4,182 学級であり、中学校 197 校の生徒数は 49,280 人、学級数は 1,990 学級だった。 2014 年度の 3・11 被災校 602 校について、小学校 409 校の児童数は 85,162 人、学級数 は 4,138 学級であり、中学校 193 校の生徒数は 48,049 人、学級数は 1,949 学級だった。 また、特別支援学級の児童生徒数および学級数は、上記の内数として年度ごとに、小学 校 が 2010 年 度 28 人 8 学 級、2011 年 度 1,158 人 302 学 級、2012 年 度 1,268 人 316 学 級、 2013 年度 1,330 人 338 学級、2014 年度 1,460 人 371 学級、中学校が 2010 年度 19 人 7 学級、 2011 年度 570 人 171 学級、2012 年度 601 人 182 学級、2013 年度 641 人 197 学級、2014 年 度 716 人 209 学級だった。 なお、2011 年度の 3・11 被災校 627 校(小学校 426 校、中学校 201 校)における児童 生徒数(児童数 93,526 人、生徒数 51,337 人)について、2010 年度の同 627 校(小学校 426 校、中学校 201 校)における児童生徒数(児童数 102,758 人、生徒数 53,570 人)を母 数として百分率を求めると小学校 91.0 パーセント、中学校 95.8 パーセントだった。 3 .3・11 被災校の教職員数の増減、震災対応の教職員加配及び兼務発令の動態 2010 年度の 3・11 被災校 19 校について、小学校 9 校の教員数は 154 人、中学校 10 校 の教員数は 182 人だった。なお、2010 年度の 3・11 被災校に「行政措置前 3・11 被災校」 を加えた 29 校について、小学校 19 校の教員数は 226 人、中学校 10 校の教員数は 182 人 だった。 2011 年度の 3・11 被災校 627 校について、小学校 426 校の教員数は 6,706 人、中学校 201 校の教員数は 4,262 人だった。 2012 年度の 3・11 被災校 620 校について、小学校 420 校の教員数は 6,461 人、中学校 200 校の教員数は 4,149 人だった。 2013 年度の 3・11 被災校 609 校について、小学校 414 校の教員数は 6,387 人、中学校 197 校の教員数は 4,116 人だった。 2014 年度の 3・11 被災校 602 校について、小学校 409 校の教員数は 6,282 人、中学校 ― 99 ― 193 校の教員数は 4,099 人だった。 また、兼務発令については、小学校が 2010 年度 0 人、2011 年度 187 人、2012 年度 57 人、 2013 年度 59 人、2014 年度 42 人、中学校が 2010 年度 0 人、2011 年度 140 人、2012 年度 26 人、2013 年度 28 人、2014 年度 21 人だった。ただし、2011 年度の計 327 人には、8 月 以降に再開した学校(例えば、広野町立広野小学校など)の 4 〜 7 月期兼務が含まれてい ない。これらを考慮した場合の人数は、約 480 人と推計される。なお、兼務発令を含む教 職員人事等に関する資料として、国民教育文化総合研究所「東日本大震災と学校資料収集 プロジェクトチーム」編『資料集 東日本大震災・原発災害と学校-岩手・宮城・福島の 教育行政と教職員組合の記録』 (明石書店、2013 年、450-482 頁)を参考にした。 なお、2011 年度の 3・11 被災校 627 校(小学校 426 校、中学校 201 校)における教員 数(小学校 6,706 人、中学校 4,262 人)について、2010 年度の同 627 校(小学校 426 校、 中学校 201 校)における教員数(小学校 6,764 人、中学校 4,179 人)を母数として百分率 を求めると小学校 99.1 パーセント、中学校 102.0 パーセントだった。 4 .3・11 被災校に東北地方太平洋沖地震発生時に在籍していた教職員(原被災校教職員) の動態 2011 年度の 3・11 被災校 627 校(小学校 426 校、中学校 201 校)における原被災校教 員は、小学校 4,874 人で 2011 年度の同 426 校の教員比 72.7 パーセント、中学校 3,014 人 で 2011 年度の同 201 校の教員比 70.7 パーセントだった。 2012 年度の 3・11 被災校 620 校(小学校 420 校、中学校 200 校)における原被災校教 員は、小学校 3,295 人で 2012 年度の同 420 校の教員比 51.0 パーセント、中学校 2,046 人 で 2012 年度の同 200 校の教員比 49.3 パーセントだった。 2013 年度の 3・11 被災校 611 校(小学校 414 校、中学校 197 校)における原被災校教 員は、小学校 2,120 人で 2013 年度の同 414 校の教員比 33.1 パーセント、中学校 1,318 人 で 2013 年度の同 197 校の教員比 31.9 パーセントだった。 2014 年度の 3・11 被災校 602 校(小学校 409 校、中学校 193 校)における原被災校教 員は、小学校 1,266 人で 2014 年度の同 409 校の教員比 20.1 パーセント、中学校 792 人で 2014 年度の同 193 校の教員比 19.3 パーセントだった。 5 .3・11 被災校の非正規教職員の割合の動態 2010 年度の 3・11 被災校 19 校について、小学校 9 校の非正規教員数は 24 人、中学校 10 校の非正規教員数は 23 人だった。2010 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正 規教員の割合を求めると、小学校は 15.6 パーセント、中学校は 12.6 パーセントだった。 なお、2010 年度の 3・11 被災校に「行政措置前 3・11 被災校」を加えた 29 校について、 小学校 19 校の非正規教員数は 44 人、中学校 10 校の非正規教員数は 23 人だった。2010 年度の 3・11 被災校の教員数を母数として非正規教員の割合を求めると、小学校は 19.5 ― 100 ― パーセント、中学校は 12.6 パーセントだった。 2011 年度の 3・11 被災校 627 校について、小学校 426 校の非正規教員数は 721 人、中 学校 201 校の非正規教員数は 571 人だった。2011 年度の 3・11 被災校の教員数を母数と して非正規教員の割合を求めると、小学校は 10.8 パーセント、中学校は 13.4 パーセント だった。 2012 年度の 3・11 被災校 620 校について、小学校 420 校の非正規教員数は 642 人、中 学校 200 校の非正規教員数は 596 人だった。2012 年度の 3・11 被災校の教員数を母数と して非正規教員の割合を求めると、小学校は 9.9 パーセント、中学校は 14.4 パーセント だった。 2013 年度の 3・11 被災校 609 校について、小学校 413 校の非正規教員数は 670 人、中 学校 196 校の非正規教員数は 607 人だった。2013 年度の 3・11 被災校の教員数を母数と して非正規教員の割合を求めると、小学校は 10.1 パーセント、中学校は 14.7 パーセント だった。 2014 年度の 3・11 被災校 602 校について、小学校 408 校の非正規教員数は 647 人、中 学校 192 校の非正規教員数は 613 人だった。2014 年度の 3・11 被災校の教員数を母数と して非正規教員の割合を求めると、小学校は 10.3 パーセント、中学校は 15.0 パーセント だった。 6 .子どもと教職員が死亡・行方不明となった学校における追悼碑等の設置、追悼式の実 施、震災記録集の編纂について 調査期間中に十分な資料を得られていない。 ― 101 ― 7.福島県 高等学校・特別支援学校 大橋保明 調査対象 2010 年度当初の福島県は、公立の高等学校 96 校(本校 86 校・定時制 3 校・分校 6 校・ 通信制課程 1 校)、特別支援学校 22 校(本校 14 校・分校 7 校、福島市立福島特別支援学 校 1 校を含む)、中等教育学校 1 校があり、総計 119 校を調査対象とした。2011〜2014 年 度の調査対象校数は、次表のとおりである。 2014 年度当初の福島県は、公立の高等学校 95 校(本校 86 校・定時制 3 校・分校 5 校・ 通信制課程 1 校)となり 2010 年度比 1 校減、特別支援学校 22 校(本校 14 校・分校 7 校、 福島市立福島特別支援学校 1 校を含む)となり 2010 年度比増減なし、中等教育学校 1 校 で 2010 年度比増減なし、総計 118 校で 2010 年度比 1 校減だった。 表 調査対象校(福島県 高等学校・特別支援学校・中等教育学校) 年度 2010 2011 2012 2013 2014 校種 高 特 中等 高 特 中等 高 特 中等 高 特 中等 高 特 中等 校数 96 22 22 22 22 22 計 119 1 95 1 95 118 118 1 95 1 118 95 1 118 ※高校には、分校、定時制、通信制のほか、中等教育学校 1 校を含む。 ※特別支援学校には、分校のほか、市立 1 校を含む。 3・11 被災校の特定に関わる 8 項目に関して 1 .児童生徒が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 1) 児童生徒が死亡・行方不明となった学校については、文部科学省「東日本大震災による 被害情報について」第 208 報(2012 年 9 月 12 日時点)の内容を整理した国民教育文化総 合研究所作成の資料( 「東日本大震災と学校」資料収集プロジェクトチーム編『資料集 東日本大震災・原発災害と学校-岩手・宮城・福島の教育行政と教職員組合の記録』明石 書店、2013 年、24 − 28 頁所収) 、警察発表をもとに平山瑠子が作成した「東日本大震災・ 原発災害 幼児児童生徒犠牲者名簿」 、および福島県教職員組合による調査研究等による と(以下、特に記載のない場合は、同様の出典に基づく) 、2010〜2014 年度におけるこの 項目の該当校は以下となる。なお、原発事故に伴う避難等により死亡確定の時期までは正 確に把握できなかったため、2014 年度までに判明している数値のみを以下に示す。 該当する高等学校は 8 校であり、内訳は、福島県立いわき海星高等学校 1 人、福島県立 磐城農業高等学校 1 人、福島県立浪江高等学校 1 人、福島県立相馬高等学校 2 人、福島県 立相馬東高等学校 7 人、福島県立相馬農業高等学校 1 人、福島県立小高工業高等学校 6 人、 福島県立新地高等学校 9 人だった。 ― 102 ― 2 .教職員が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 2) 教職員が死亡・行方不明となった学校については、文部科学省「東日本大震災による被 害情報について」第 208 報(2012 年 9 月 12 日時点)の内容を整理した国民教育文化総合 研究所作成の資料( 「東日本大震災と学校」資料収集プロジェクトチーム編『資料集 東 日本大震災・原発災害と学校-岩手・宮城・福島の教育行政と教職員組合の記録』明石書 店、2013 年、25 頁所収)、および福島県教職員組合による調査によると、2010〜2014 年 度におけるこの項目の該当校は以下となる。 2012 年度は 2 校であり、福島県立双葉高等学校 1 人、福島県立小高工業高等学校 1 人 だった。 2013〜2014 年度も 2 校であり、内訳に変化はなかった。 3 .避難場所としての利用、支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保管等の 利用、他校の再開場所としての利用、及び、仮設住宅等の設置場所としての利用が行 われた学校(地震・津波等被災校 3) 当該調査で入手できた資料等からは、2010 年度は 1 校であり、内訳は、避難場所や遺 体安置所等として利用されたのが 1 校(福島県立原町高等学校)だった。 2011 年度は 36 校であり、内訳は、他校の再開場所等として利用されたのが 36 校(福 島県立福島商業高等学校、福島県立福島西高等学校、福島県立福島北高等学校、福島県立 福島南高等学校、福島県立川俣高等学校、福島県立梁川高等学校、福島県立安達高等学 校、福島県立二本松工業高等学校、福島県立安達東高等学校、福島県立郡山北工業高等学 校、福島県立あさか開成高等学校、福島県立光南高等学校、福島県立小野高等学校、福島 県立葵高等学校、福島県立会津工業高等学校、福島県立猪苗代高等学校、福島県立坂下高 等学校、福島県立磐城高等学校、福島県立磐城桜が丘高等学校、福島県立平工業高等学 校、福島県立平商業高等学校、福島県立好間高等学校、福島県立相馬高等学校、福島県立 相馬東高等学校、福島県立原町高等学校、福島県立聾学校福島分校、福島県立大笹生養護 学校、福島県立郡山養護学校、福島県立あぶくま養護学校、福島県立西郷養護学校、福島 県立石川養護学校、福島県立会津養護学校、福島県立猪苗代養護学校、福島県立平養護学 校、福島県立いわき養護学校、福島県立相馬養護学校)だった。 2012 年度は 9 校であり、内訳は、他校の再開場所等として利用されたのが 9 校(福島 県立福島明成高等学校、福島県立福島北高等学校、福島県立川俣高等学校、福島県立安達 高等学校、福島県立本宮高等学校、福島県立猪苗代高等学校、福島県立原町高等学校、福 島県立聾学校福島分校、福島県立聾学校平分校)だった。 2013 年度は 7 校であり、内訳は、他校の再開場所等として利用されたのが 7 校(福島 県立福島明成高等学校、福島県立福島北高等学校、福島県立安達高等学校、福島県立本宮 高等学校、福島県立猪苗代高等学校、福島県立原町高等学校、福島県立聾学校平分校) だった。 ― 103 ― 2014 年度は 7 校であり、内訳は、他校の再開場所等として利用されたのが 7 校(福島 県立福島明成高等学校、福島県立福島北高等学校、福島県立安達高等学校、福島県立本宮 高等学校、福島県立猪苗代高等学校、福島県立原町高等学校、福島県立聾学校平分校) だった。 4 .校舎損壊を受けて、他校間借、空き校舎や他施設等の利用を行った学校(地震・津波 等被災校 4) 2010 年度は、この項目に該当した学校はなかった。 2011 年度は 4 校であり、内訳は、他校間借りや他施設等を利用したのが 4 校(福島県 立湯本高等学校、福島県立いわき海星高等学校、福島県立磐城農業高等学校、福島県立あ ぶくま養護学校安積分校)だった。 2012 年度は 2 校であり、内訳は、他校間借りや他施設等を利用したのが 2 校(福島県 立磐城農業高等学校、福島県立あぶくま養護学校安積分校)だった。 2013 年度は 1 校であり、内訳は、他施設等を利用したのが 1 校(福島県立磐城農業高 等学校)だった。 2014 年度は 1 校であり、内訳は、他施設等を利用したのが 1 校(福島県立磐城農業高 等学校)だった。 5 .原子力災害対策本部による警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の設定に ともない避難指示を受けて臨時休業あるいは臨時移転を行った学校(原発被災校 1) 2010 年度には警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の設定はされていない ため、この項目に該当した学校はなかった。 2011 年度に警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域に指定された自治体は 12 市町村(川内村、田村市、南相馬市、飯館村、広野町、楢葉町、大熊町、葛尾村、富岡 町、浪江町、双葉町、川俣町)、該当校は 11 校であり、内訳は、高等学校 10 校(福島県 立双葉高等学校、福島県立浪江高等学校、福島県立浪江高等学校津島校、福島県立富岡高 等学校、福島県立双葉翔陽高等学校、福島県立原町高等学校、福島県立相馬農業高等学 校、福島県立相馬農業高等学校飯舘校、福島県立小高商業高等学校、福島県立小高工業高 等学校)、特別支援学校 1 校(福島県立富岡養護学校)だった。 2012〜2014 年度は 9 校であり、内訳は、高等学校 8 校(福島県立双葉高等学校、福島 県立浪江高等学校、福島県立浪江高等学校津島校、福島県立富岡高等学校、福島県立双葉 翔陽高等学校、福島県立相馬農業高等学校飯舘校、福島県立小高商業高等学校、福島県立 小高工業高等学校) 、特別支援学校 1 校(福島県立富岡養護学校)だった。 ― 104 ― 6 .文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が設定した自主的避難等対象区域に位置した 学校(原発被災校 2) 2010 年度に自主的避難等対象区域は設定されていないため、この項目に該当した学校 はなかった。 2011〜2014 年度に自主的避難等対象区域に指定された自治体は 23 市町村(福島市、二 本松市、伊達市、本宮市、桑折町、国見町、川俣町、大玉村、郡山市、須賀川市、田村 市、鏡石町、天栄村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町、相馬 市、新地町、いわき市)、該当校は 75 校であり、内訳は、高等学校 59 校、特別支援学校 16 校だった。 7 .子ども被災者支援法による支援対象地域に位置した学校(原発被災校 3) 2010〜2012 年度に子ども被災者支援法による支援対象地域は設定されていないため、 この項目に該当した学校はなかった。 2013〜2014 年度に子ども被災者支援法による支援対象地域に指定された自治体は 33 市 町村(福島市、郡山市、いわき市、白河市、須賀川市、相馬市、二本松市、伊達市、本宮 市、桑折町、国見町、大玉村、鏡石町、天栄村、西郷村、泉崎村、中島村、矢吹町、棚倉 町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野 町、広野町、新地町、田村市、川俣町) 、該当校は高等学校 67 校、特別支援学校 17 校だっ た。 8 .環境省が設定した汚染状況重点調査地域に位置した学校(原発被災校 4) 2010 年度に汚染状況重点調査地域は設定されていないため、この項目に該当した学校 はなかった。 2011〜2014 年度に汚染状況重点調査地域に指定された自治体は 41 市町村(福島市、郡 山市、いわき市、白河市、須賀川市、相馬市、二本松市、伊達市、本宮市、桑折町、国見 町、大玉村、鏡石町、天栄村、会津坂下町、湯川村、柳津町、会津美里町、西郷村、泉崎 村、中島村、矢吹町、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川 町、古殿町、三春町、小野町、広野町、新地町、田村市、南相馬市、川俣町、川内村、昭 和村、三島町) 、該当校は 89 校だった。内訳は、高等学校 72 校、特別支援学校 17 校だっ た。 <追記> ・平成 23 年 12 月 28 日 除染特別地域に 11 市町村、汚染状況重点調査地域に 40 市町村 が指定される。 ・平成 24 年 2 月 28 日 柳津町が汚染状況重点調査地域に追加指定される。 ・平成 24 年 12 月 27 日 昭和村が汚染状況重点調査地域の指定を解除される。 ― 105 ― ・平成 26 年 11 月 17 日 三島町が汚染状況重点調査地域の指定を解除される。 3・11 被災校の特定に関わる追加候補項目に関して 9 .文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メートル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ市町村に位置する学校(原発被災校 5) 福島県内で文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メート ル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ自治体は 53 あり(福島市、会津若松市、郡 山市、いわき市、白河市、須賀川市、喜多方市、相馬市、二本松市、田村市、南相馬市、 伊達市、本宮市、桑折町、国見町、川俣町、大玉村、鏡石町、天栄村、南会津町、北塩原 村、磐梯町、猪苗代町、会津坂下町、湯川村、柳津町、三島町、会津美里町、西郷村、泉 崎村、中島村、矢吹町、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川 町、古殿町、三春町、小野町、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江 町、葛尾村、新地町、飯舘村) 、該当する学校は以下のように整理できる。 2012〜2014 年度は 115 校であり、内訳は、高等学校 92 校、特別支援学校 22 校、中等 教育学校 1 校だった。 10.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭、プール等の除染を行った学校(原発 被災校 6) 調査期間中に十分な資料を得られていない。 11.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭の線量測定、プールの線量測定、給食 の線量測定、モニタリングポストの設置等を行った学校(原発被災校 7) 。 文部科学省が 2012 年度に実施した「学校給食モニタリング事業」において、 「モニタリ ング対象及び検査回数 1 福島県:県内の全市区町村(59 か所)を対象とし、1 市町村当 たり 167 回程度とする」とあり、県内全域の特別支援学校で学校給食の線量測定が行われ たことがわかるが、測定を行った学校を特定するための十分な資料は得られていない。 3・11 被災の特定 2010 年度の 119 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 9 校(高等学校 9 校)で 7.6 パーセントだった。 2011 年度の 118 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 103 校(高等学 校 83 校、特別支援学校 20 校)で 87.3 パーセントだった。 2012〜2014 年度の 118 校中、第 1〜8 項のいずれかに該当した 3・11 被災校は 101 校(高 等学校 81 校、特別支援学校 20 校)で 85.6 パーセントだった。 なお、2010 年度の 3・11 被災校 19 校には「行政措置前 3・11 被災校」を含めていない。 「行政措置前 3・11 被災校」とは、2011 年 3 月 11 日以降約 3 週間にわたり「3・11 災害」 ― 106 ― への対応を経験しながら、2010 年度末(2011 年 3 月 31 日)に閉校したことにより、その 後の原発災害への対応等を中心とした「行政措置」を受けなかった福島県内の学校で、も し学校が存続していたらその地理的位置により 2011 年度以降に「行政措置」を受けて 3・ 11 被災校に特定されていた学校を指す。 「行政措置前 3・11 被災校」は、高等学校 1 校(福 島県立富岡高等学校川内校)で、これを 2010 年度の 3・11 被災校 9 校に加えると計 10 校 (高等学校 10 校)となり、2011 年度 118 校比で 8.5 パーセントとなる。 なお、福島県の高等学校および特別支援学校における 3・11 被災校の全体像は、2011 年度の最大値 103 校に、 「行政措置前 3・11 被災校」1 校を加えた計 104 校となる。 地震・津波等被災校と原発被災校 A の特定 2010 年度の 119 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 9 校で 7.6 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 0 校だった。 2011 年度の 118 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 45 校で 38.1 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 98 校で 83.1 パーセント、 地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 40 校で 33.9 パーセントだった。 2012 年度の 118 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 19 校で 16.1 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 98 校で 83.1 パーセント、 地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 18 校で 15.2 パーセントだった。 2013〜2014 年度の 118 校中、第 1〜4 項のいずれかに該当した地震・津波等被災校は 16 校で 13.6 パーセント、第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A は 98 校で 83.1 パー セント、地震・津波等被災校かつ原発被災校 A は 15 校で 12.7 パーセントだった。 原発被災校 B の特定 原発被災校 B を特定するための十分な資料を得られていないが、入手した資料の範囲 内で整理すると以下のようになる。 2012〜2014 年度の 118 校中、第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいずれかに該当した原発 被災校 B は 115 校で 97.5 パーセントだった。 3・11 被災校の動向に関わる 6 項目に関して 1 .3・11 被災校の統廃合 2010 年度の 3・11 被災校 9 校について、年度末に廃止された学校はない。ただし、 「行 政措置前 3・11 被災校」の高等学校 1 校(福島県立富岡高等学校川内校)は、年度末に廃 止された。 2011〜2014 年度については、該当する学校はなかった。 ― 107 ― 2 .3・11 被災校の児童生徒数、及び、学級数の増減 2010 年度の 3・11 被災校 9 校について、高等学校 9 校の生徒数は 4,187 人、学級数は 117 学級だった。なお、3・11 被災校に「行政措置前 3・11 被災校」を加えた 10 校につい て、高等学校 10 校の生徒数は 4,197 人、学級数は 118 学級だった。 2011 年度の 3・11 被災校 103 校について、高等学校 83 校の生徒数は 45,363 人、学級数 は 1,211 学級であり、特別支援学校 20 校の児童生徒数は 2,076 人、学級数は 591 学級だっ た。 2012 年度の 3・11 被災校 101 校について、高等学校 81 校の生徒数は 42,805 人、学級数 は 1,136 学級であり、特別支援学校 20 校の児童生徒数は 2,130 人、学級数は 616 学級だっ た。 2013 年度の 3・11 被災校 101 校について、高等学校 81 校の生徒数は 40,941 人、学級数 は 1,105 学級であり、特別支援学校 20 校の児童生徒数は 2,079 人、学級数は 613 学級だっ た。 2014 年度の 3・11 被災校 101 校について、高等学校 81 校の生徒数は 40,290 人、学級数 は 1,092 学級であり、特別支援学校 20 校の児童生徒数は 2,082 人、学級数は 613 学級だっ た。 なお、2011 年度の 3・11 被災校 103 校(高等学校 83 校、特別支援学校 20 校)におけ る児童生徒数(高等学校 45,363 人、特別支援学校 2,076 人)について、2010 年度の同 103 校(高等学校 83 校、特別支援学校 20 校)における児童生徒数(高等学校 47,858 人、特 別支援学校 2,108 人)を母数として百分率を求めると高等学校 94.8 パーセント、特別支援 学校 98.5 パーセントだった。 3 .3・11 被災校の教職員数の増減、震災対応の教職員加配及び兼務発令の動態 2010 年度の 3・11 被災校 9 校について、高等学校 9 校の教員数は 423 人だった。なお、 2010 年度の 3・11 被災校に「行政措置前 3・11 被災校」を加えた 10 校について、高等学 校 10 校の教員数は 434 人だった。 2011 年度の 3・11 被災校 103 校について、高等学校 83 校の教員数は 3,932 人、特別支 援学校 20 校の教員数は 1,578 人だった。 2012 年度の 3・11 被災校 101 校について、高等学校 81 校の教員数は 3,655 人、特別支 援学校 20 校の教員数は 1,566 人だった。 2013 年度の 3・11 被災校 101 校について、高等学校 81 校の教員数は 3,628 人、特別支 援学校 20 校の教員数は 1,569 人だった。 2014 年度の 3・11 被災校 101 校について、高等学校 81 校の教員数は 3,615 人、特別支 援学校 20 校の教員数は 1,562 人だった。 また、兼務発令については、高等学校が 2010 年度 0 人、2011 年度 6 人、2012 年度 2 人、 2013 年度 1 人、2014 年度 2 人、特別支援学校が 2010 年度 0 人、2011 年度 73 人、2012〜 ― 108 ― 2014 年度 0 人だった。 なお、2011 年度の 3・11 被災校 103 校(高等学校 83 校、特別支援学校 20 校)におけ る教員数(高等学校 3,932 人、特別支援学校 1,578 人)について、2010 年度の同 103 校(高 等学校 83 校、特別支援学校 20 校)における教員数(高等学校 3,897 人、特別支援学校 1,497 人)を母数として百分率を求めると高等学校 100.9 パーセント、特別支援学校 105.4 パーセントだった。 4 .3・11 被災校に東北地方太平洋沖地震発生時に在籍していた教職員(原被災校教職員) の動態 2011 年度の 3・11 被災校 103 校(高等学校 83 校、特別支援学校 20 校)における原被 災校教員は、高等学校 2,942 人で 2011 年度の同 83 校の教員比 74.8 パーセント、特別支援 学校 1,223 人で 2011 年度の同 20 校原被災校教員比 77.5 パーセントだった。 2012 年度の 3・11 被災校 101 校(高等学校 81 校、特別支援学校 20 校)における原被 災校教員は、高等学校 2,124 人で 2012 年度の同 81 校の教員比 58.1 パーセント、特別支援 学校 915 人で 2012 年度の同 20 校原被災校教員比 58.4 パーセントだった。 2013 年度の 3・11 被災校 101 校(高等学校 81 校、特別支援学校 20 校)における原被 災校教員は、高等学校 1,568 人で 2013 年度の同 81 校の教員比 43.2 パーセント、特別支援 学校 652 人で 2013 年度の同 20 校原被災校教員比 41.6 パーセントだった。 2014 年度の 3・11 被災校 101 校(高等学校 81 校、特別支援学校 20 校)における原被 災校教員は、高等学校 1,144 人で 2014 年度の同 81 校の教員比 31.6 パーセント、特別支援 学校 465 人で 2014 年度の同 20 校原被災校教員比 29.8 パーセントだった。 5 .3・11 被災校の非正規教職員の割合の動態 2010 年度の 3・11 被災校 9 校について、高等学校 9 校の非正規教員数は 77 人だった。 なお、2010 年度の 3・11 被災校に「行政措置前 3・11 被災校」を加えた 10 校について、 高等学校 10 校の非正規教員数は 81 人だった。2010 年度の 3・11 被災校の教員数を母数 として非正規教員の割合を求めると、高等学校は 18.7 パーセントだった。 2011 年度の 3・11 被災校 103 校について、高等学校 83 校の非正規教員数は 707 人、特 別支援学校 20 校の非正規教員数は 297 人だった。2011 年度の 3・11 被災校の教員数を母 数として非正規教員の割合を求めると、高等学校は 18.0 パーセント、特別支援学校は 18.8 パーセントだった。 2012 年度の 3・11 被災校 101 校について、高等学校 81 校の非正規教員数は 602 人、特 別支援学校 20 校の非正規教員数は 312 人だった。2012 年度の 3・11 被災校の教員数を母 数として非正規教員の割合を求めると、高等学校は 16.5 パーセント、特別支援学校は 19.9 パーセントだった。 2013 年度の 3・11 被災校 101 校について、高等学校 81 校の非正規教員数は 620 人、特 ― 109 ― 別支援学校 20 校の非正規教員数は 338 人だった。2013 年度の 3・11 被災校の教員数を母 数として非正規教員の割合を求めると、高等学校は 17.1 パーセント、特別支援学校は 21.5 パーセントだった。 2014 年度の 3・11 被災校 101 校について、高等学校 81 校の非正規教員数は 606 人、特 別支援学校 20 校の非正規教員数は 338 人だった。2014 年度の 3・11 被災校の教員数を母 数として非正規教員の割合を求めると、高等学校は 16.8 パーセント、特別支援学校は 21.6 パーセントだった。 6 .子どもと教職員が死亡・行方不明となった学校における追悼碑等の設置、追悼式の実 施、震災記録集の編纂について 調査期間中に十分な資料を得られていない。 ― 110 ― 8.朝鮮初中級学校 宮城県・福島県 大森直樹 調査対象 2010 年度当初の東北 3 県には 2 つの朝鮮学校があった。学校法人宮城朝鮮学園が運営 する宮城県仙台市にある東北朝鮮初中高級学校(東北朝鮮学校、高級部は 2009 年より閉 校中)と学校法人福島朝鮮学園が運営する福島県郡山市にある福島朝鮮初中級学校(福島 朝鮮学校)である。両校における 2010〜2014 年度の取り組みを調査対象として、以下の 資料ほかから得られた内容を記したい。資料①は大森による 2011 年 4 月 29 日の東北朝鮮 ク ヨ ン テ 学校訪問の記録であり、資料②は 2012 年度まで福島朝鮮学校長だった具永泰と大森が原 発災害下の福島朝鮮学校の記録をまとめたものである。 ① 大森直樹「東日本大震災と朝鮮学校」『教育実践アーカイブズ 04』東京学芸大学教 育実践研究支援センター、2011 年 11 月 ② 具永泰・大森直樹編『原発災害下の福島朝鮮学校の記録-子どもたちとの県外避難 204 日』明石書店、2014 年 3・11 被災校の特定に関わる 8 項目に関して 1 .児童生徒が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 1) 両校とも該当しない。 2 .教職員が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 2) 両校とも該当しない。 3 .避難場所としての利用、支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保管等の 利用、他校の再開場所としての利用、及び、仮設住宅等の設置場所としての利用が行 われた学校(地震・津波等被災校 3) 2010 年度の東北朝鮮学校については、資料①に次の記載があり該当。 「震災後、朝鮮学 校の教員らは、学校に寄せられた支援物資を 1 日 2 食にしながらも近隣の避難所に配って いました。4 月 4 日の『京都新聞』が次のように報じています。 〔以下は『京都新聞』か らの重引・・引用者〕 。東北朝鮮初中級学校(仙台市太白区)は校舎の壁が崩れ、傾いた。 近所の高齢者らは敷地内の寄宿舎に身を寄せた。教師は宮城県内の避難所数ヶ所を訪れ、 朝鮮総連や全国の在日の人から届いた支援物資で、数百人分のおにぎりや豚汁、焼き肉な どの炊き出しをした」 (資料① 100 頁) 。 2010 年度の福島朝鮮学校については、資料②に次の記載があり該当。2011 年 3 月 11 日 の震災当日、福島朝鮮学校は、 「生徒たちをとりあえず親元に帰すことを決定し、スクー チョンソンチョル ルバスを出発させた」 「学校はその後、行政管轄内の避難所に指定され」 (鄭成哲「避難生 ― 111 ― 活と合同生活の歩み」資料② 13 頁) 、近隣の避難住民(在日朝鮮人と日本人)といわき市 からの十数人の避難住民(在日朝鮮人と日本人)を受け入れ、教職員が泊り込みで対応を した。教職員が原発事故について知ったのは、テレビを通じてだった。その後に、 「未来 ある若者たちをそれぞれの地方に送り返そうという学校側の対応措置がとられた。これに より教員たちの半数以上が 3 月 17 日に地方にかえることになり、教職員たちは一旦職務 を終え、それぞれの実家などに帰郷することになった」 (同 14 頁) 。だが、教務主任鄭成 哲は、「そのまま学校に残り、避難民たちとともに避難生活を送ることにした。学校内の 事情にも詳しく知りうる人間が一人残っているほうがいいのではないかという判断のた め」(同 14 頁)だった。 4 .校舎損壊を受けて、他校間借、空き校舎や他施設等の利用を行った学校(地震・津波 等被災校 4) 2011 年度の東北朝鮮学校については、資料①に次の記載があり該当。 「鉄筋の校舎は南 側に 2 度傾き、もう使うことはできません。人影のない校舎に入ると、1 階の職員室の壁 は内側に崩れ落ちていました。〔2011 年度の・・引用者〕新学期が始まり、いま子どもた ちは、かつての寄宿舎を仮校舎として勉強をしています」 (資料① 100 頁) 。寄宿舎の利用 は 2012〜2014 年度も続けられた。 福島朝鮮学校については、地震による校舎損壊は軽微であり、校舎損壊を理由とする他 校間借等は行われていないので該当しない。資料②に次の記載がある。 「鉄筋コンクリー トで覆われた校舎、寄宿舎ともにヒビが入った程度だし、大きいヒビもそこから崩れだし たりする様子は見えず、地盤が傾いたりする様子等も見受けられなかった」 (鄭成哲「前 掲稿」資料② 12 頁)。後述するように、同校は 2011〜2012 年度に新潟朝鮮初中級学校に おいて 203 日に及ぶ他校間借を行うが、それは校舎損壊を理由とするものではなく、原発 災害の子どもへの影響を軽減するための取り組みだった。 5 .原子力災害対策本部による警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の設定に ともない避難指示を受けて臨時休業あるいは臨時移転を行った学校(原発被災校 1) 両校とも該当しない。 6 .文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が設定した自主的避難等対象区域に位置した 学校(原発被災校 2) 2011〜2014 年度の福島朝鮮学校が該当(2010 年度は自主的避難対象区域の設定なし) 。 7 .子ども被災者支援法による支援対象地域に位置した学校(原発被災校 3) 2013〜2014 年度の福島朝鮮学校が該当(2010〜2012 年度は支援対象地域の設定なし) 。 ― 112 ― 8 .環境省が設定した汚染状況重点調査地域に位置した学校(原発被災校 4) 2011〜2014 年度の福島朝鮮学校が該当(2010 年度は汚染状況重点調査地域の指定な し)。 【被災校の特定に関わる追加候補項目】 9 .文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メートル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ市町村に位置する学校(原発被災校 5) 2012〜2014 年度の福島朝鮮学校が該当(一連の航空機モニタリングは 2011 年 4 月〜 2012 年 5 月実施のため 2012 年度以降を分析) 。 10.福島第一原子力発電所事故により校庭、プール等の除染を行った学校(原発被災校 6) 福島朝鮮学校については、資料②に次の記載があり該当。 「総工費約 2 千万とも言われ る除染作業と学校の補修工事は現在〔2011 年 11 月時点・・引用者〕行われている。1. (ママ) 運動場の掘り起こし(現在進行中) 2.学校と寄宿舎の破損 個 所の修理(業者との作業) 3. 校内にひまわりや菜の花の植樹(20 代〜30 代の青年活動)4.高圧洗浄機での除染や側溝 の清掃(100 名を超える動員数)5.校内の徹底的な拭き掃除(福島に残った保護者たち の活動)」(鄭成哲「前掲稿」資料② 19〜20 頁) 。 11.福島第一原子力発電所事故により校庭の線量測定、プールの線量測定、給食の線量測 定、モニタリングポストの設置等を行った学校(原発被災校 7) 。 福島朝鮮学校については、資料②に校庭の線量測定の記載があり(15 頁) 、モニタリン グポストの設置も行われていることから該当。 3・11 被災校の特定 2010〜2014 年度にわたり東北朝鮮学校と福島朝鮮学校が 3・11 被災校(第 1〜8 項のい ずれかに該当) 。 地震・津波等被災校と原発被災校 A の特定 2010 年度、東北朝鮮学校と福島朝鮮学校がいずれも地震・津波等被災校(第 1〜4 項の いずれかに該当) 。第 5〜8 項のいずれかに該当した原発被災校 A はなし。 2011〜2014 年度、東北朝鮮学校が地震・津波等被災校(第 1〜4 項のいずれかに該当) 、 福島朝鮮学校が原発被災校 A(第 5〜8 項のいずれかに該当) 。地震・津波等被災校かつ 原発被災校 A はなし。 ― 113 ― 原発被災校 B の特定 2011〜2014 年度、福島朝鮮学校が原発被災校 B(第 5〜8 項、及び、第 9〜11 校のいず れかに該当) 。 3・11 被災校の動向に関わる 6 項目に関して 1 .3・11 被災校の統廃合 両校とも該当なし。 2 .3・11 被災校の児童生徒数、及び、学級数の増減 福島朝鮮学校については、資料②の記載から 2011〜2012 年度の子どもの増減が以下の 通り(資料② 119 頁) 。 表 福島朝鮮初中級学校の生徒数(12 月時点) * 年度 初1 初2 初3 初4 初5 初6 中1 中2 中3 計 2011 2 2 0 2 5 0 1 2 2 16 2012 0 1 2 0 2 4 0 1 1 11 * ** 初 1 の 1 人は 2012 年 1 月に新潟に転居した。 初 5 の 1 人は 2011 年 7 月に日本の学校から転入。翌 2012 年度に初 6 に上がり 2 学 期の途中で日本の学校に戻った。 ** 3 .3・11 被災校の教職員数の増減、震災対応の教職員加配及び兼務発令の動態 福島朝鮮学校については、資料②の記載から 2011 年度の教員数は 8 人(資料② 100 頁) 。 4 .3・11 被災校に東北地方太平洋沖地震発生時に在籍していた教職員(原被災校教職員) の動態 福島朝鮮学校については、資料②の記載から 2011 年度の教員 8 人はいずれも原被災校 教職員だったことがわかる(資料② 100 頁) 。 5 .3・11 被災校の非正規教職員の割合の動態 両校について、資料①②には記載なし。 6 .子どもと教職員が死亡・行方不明となった学校における追悼碑等の設置、追悼式の実 施、震災記録集の編纂について 両校とも該当しない。 ― 114 ― 3・11 被災校の動向に関わる追加候補項目に関して 7 .被災校における空間線量 福島朝鮮学校については、資料②に 2011 年 4〜5 月頃の空間線量の記述がある。 「県下 で平均 2.2µSv 程だったのに対し、朝鮮学校は最高で運動場の 0.9µSv、部屋の中などは震 災以前と変わらず、0.05µSv の数値を維持していた」 (鄭成哲「前掲稿」資料② 15 頁) 。 8 .保養の取り組み 福島朝鮮学校の子どもと教職員は、2011〜2012 年度に 203 日に及ぶ新潟朝鮮初中級学 校における滞在を行い、1 泊 2 日の栃木朝鮮初中級学校における宿泊を含めると両年度内 に 204 日の県外滞在を行った。本調査研究では、この取り組みを、 「原発災害下の学校集 団避難」 (学校集団避難)と「原発災害下の保養」 (保養)という 2 つの概念で整理したい。 「原発災害下の学校集団避難」は、学校を単位として放射性物質の汚染地からより汚染 の少ない地域への移転を行い、放射性物質による子どもへの被害を軽減しようとする取り 組みである。 「原発災害下の学校集団避難」には、政府(原子力災害対策本部)の避難指 示を受けて学校の臨時移転として行われた場合と(原発被災校 1 が相当) 、政府の避難指 示を受けることなく教職員と保護者の判断により行われた場合がある。管見の範囲内で は、後者の「原発災害下の学校集団避難」について、唯一の事例が福島朝鮮学校における 2011 年度の取り組みである。福島朝鮮学校では、2011 年 3 月 11 日に子どもを帰宅させて から臨時休業に入ったが、3 月 23 日に予定していた卒業式を 4 月 8 日に従前の校舎で行い、 11 日には入学式も行った。この時点では、福島朝鮮学校は、従前の校舎における学校の 再開を当面の方針としており、4 月には従前の校舎で授業を行っていた。だが、4 月 29 日 の授業参観後の保護者会において、「各家庭の意見や思い、今後の考え等を一つ一つ公開 してもら」うことが行われ、「2 時間議論した末の結論が、 「新潟、もしくは茨城、朝鮮大 学校へ全校生が避難し生活する(当面 2 週間) 」 」 (鄭成哲「前掲稿」資料② 16 頁)ことに なった(同日同校では保護者会に先立ち長浜バイオ大学教授蔡晃植による放射線被ばくに ついての講演も行われた) 。その後、 「色々な状況と照らし合わせた結果、新潟の学校〔新 潟朝鮮初中級学校・・引用者〕が福島を受け入れてくれることとなった」 (同 16 頁) 。教 職員と子どもたちは、 「当面 2 週間生活」と「全校生、全教員寄宿舎生活」を基本方針と して、5 月 15 日より新潟朝鮮初中級学校における合同教育と合同生活に入った。 「当面 2 週間が 1ヶ月に延び、1ヶ月が 2ヶ月に延び 1 学期までとなり」 (同 17 頁) 、2011 年度の合 同教育と合同生活は、12 月 3 日まで行われた。同年度の福島朝鮮学校では、県外滞在は 160 日(その中で、新潟滞在は 159 日、新潟朝鮮学校における合同登校は 132 日)になっ た(資料② 108〜113 頁) 。 「原発災害下の保養」は、子どもの生活と学習の一部を年間数日〜数十日間に限って汚 染の少ない地域において行う取り組みである。2012 年度の福島朝鮮学校では、県外滞在 (新潟滞在)は 44 日(その中で新潟朝鮮学校における合同登校は 38 日)となり、これを ― 115 ― 「原発災害下の保養」の取り組みとみなすことができる。ただし、福島朝鮮学校は、2012 年 2 月 20 日の時点では、 「2012 年度も合同教育と合同生活を継続する」ことと「合同教 育は中期 1ヶ月、短期 2 週間を基本周期に実施する」 (資料② 93 頁)ことを計画しており、 「原発災害下の学校集団避難」を 2012 年度にも継続することが考えられていた。だが、3 月 10 日に福島朝鮮学校で開かれた保護者会において、 「2012 年度も合同教育と合同生活 を継続する」ことは合意されたが、実施期間については、中期 1ヶ月については見合わせ て、短期 2 週間を中心とすることが合意された。このため、2012 年度は、2011 年度と比 べると新潟朝鮮学校における滞在日数を縮小して、5 月(15 日間) 、7 月(3 日間) 、10 月(11 日間)、11 月(15 日間)の計 44 日間の日程により、合同教育と合同生活が行われた。 ― 116 ― Ⅳ 3・11 被災 1523 校 ─調査報告からみえてきたこと─ Ⅳ ― 117 ― Ⅳ 3・11 被災 1523 校─調査報告からみえてきたこと 大森直樹 一 調査対象 2010〜2014 年度の岩手県・宮城県・福島県(東北 3 県)における公立の小学校・中学 校・高等学校・特別支援学校・中等教育学校、及び、朝鮮初中級学校の数は以下の通り だった。2010 年度の総計が 2,324 校、2014 年度の総計が 2,156 校。統廃合により 168 校が 減じている。 表 1 東北 3 県の調査対象の校数(2010 − 2014 年度) 2010 小 中 特 等 朝 小 岩手 392 190 82 23 0 0 宮城 447 217 90 20 1 福島 505 236 96 22 計 1,344 643 268 65 総計 小 中 高 特 等 朝 小 376 186 82 23 0 0 370 179 79 24 0 0 1 440 217 89 21 1 1 429 213 88 21 1 1 1 1 496 236 95 22 1 1 484 235 95 22 1 1 2 2 1,312 639 266 66 2 2 1,283 627 262 67 2 2 2,324 2,287 2013 2014 高 2012 小 岩手 360 175 79 25 0 0 345 169 79 25 0 0 宮城 410 209 88 21 1 1 400 208 88 22 1 1 福島 477 231 95 22 1 1 472 227 95 22 1 1 計 1,247 615 262 68 2 2 1,217 604 262 69 2 2 2,196 中 高 中 高 特 等 朝 2,243 特 等 朝 総計 中 高 2011 特 等 朝 2,156 二 3・11 被災校の特定に関わる 8 項目について 1 .児童生徒が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 1) この項目に合致する学校を地震・津波等被災校 1 と規定し「平成 23 年(2011 年)東北 地方太平洋沖地震」と東京電力福島第一原子力発電所事故による被災校(3・11 被災校) の条件のひとつとした。 文部科学省が発行した「東日本大震災による被害情報について」第 208 報(2012 年 9 月 14 日、 「文科 208 報」)によると、2012 年 9 月 12 日時点で、死亡が確認された児童生 徒は 479 人(岩手 80 人、宮城 325 人、福島 74 人) 、行方不明は園児・児童・生徒・学生 と教職員をあわせて 74 人(岩手 23 人、宮城 41 人、福島 10 人)である(東北 3 県外の地 における園児・児童・生徒・学生の死亡・行方不明はない) 。だが「文科 208 報」では、 ― 118 ― 学校ごとの児童生徒の死亡・行方不明の数が明らかにされていない。本調査においては、 東北 3 県の 5 教組(岩手県教職員組合・岩手県高等学校教職員組合・宮城県教職員組合・ 宮城高校教育ネットワークユニオン・福島県教職員組合)による調査ほかを参照して、地 震・津波等被災校 1 について、以下表の学校数を得た。総計は 2012 年度現在 145 校。こ の数字は 2014 年度に 133 校になる(第Ⅰ部図 5) 。生徒 8 人が死亡した陸前高田市立小友 中学校が 2012 年度末に廃止されるなど、当該校の廃止が重ねられたからである。 児童生徒の死亡が、当該校の児童生徒・保護者・教職員に与える悲しみ、事後の教育活 動に与える影響については、「平成 7 年(1995 年)兵庫県南部地震」の被災校において今 日まで重ねられてきた教育実践(注 1)、及び、3・11 後の教育実践が明らかにしている。友 だちを亡くした児童生徒、子どもを亡くした保護者にとって、忘却がもっともつらいこと であることもふまえて、133 校、及び、廃止された当該校の学区を引き継ぐ学校では、 「震 災を忘れないとりくみ」を重ねることが課題になっている。この課題に関しては教育界が 留意するべきことがある。いま 1995 年の阪神・淡路大震災から 20 年を経た芦屋市立打出 浜小学校において「震災を忘れないとりくみ」を牽引している教員の一人が永田守教諭で あるが、自らも被災者である永田が被災の事実と向き合うまでには 6 年を要した(注 2)。教 育界は、東北 3 県の学校に「震災を忘れないとりくみ」を外部からいたずらに求めるので はなく、まず、その困難と重要性を事実にもとづき理解することが肝要である。 表 2 東北 3 県の地震・津波等被災校 1(2012 年度) 児童・生徒が死亡・行方不明となった学校 ( )内は死亡・行方不明の計 該当なしの中等教育学校と朝鮮学校は表から除外(以下同) 小 中 高 特 計 岩手 9(20) 5(14) 14(52) 2(3) 30(89) 宮城 33(186) 22(75) 34(85) 2(5) 91(351) 福島 7(25) 9(19) 8(28) 0(0) 24(72) 計 49(231) 36(108) 56(165) 4(8) 145(512) 2 .教職員が死亡・行方不明となった学校(地震・津波等被災校 2) この項目に合致する学校を地震・津波等被災校 2 と規定し 3・11 被災校の条件のひとつ とした。 災害後の教育界では「教師自身が被災者であるということは、なかなか自分たちからは 言いにくい現実」(注 3)があるが、教職員の被災についても事実の共有が必要である。ここ (注 1)桜井輝之・中村信治・守本明範編『阪神・淡路大震災 20 年─私たちは、震災を忘れない』 兵庫県退職教職員協議会芦屋支部、2015 年。 (注 2)大森直樹「震災を忘れない学校─芦屋市立精道小学校の取り組みと 3・11 後の課題」『世 界』855 号、2014 年 4 月号。 ― 119 ― での教職員とは、公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律(義 務標準法、1958 年 5 月 1 日法律第 116 号)と公立高等学校の適正配置及び教職員定数の 標準等に関する法律(高校標準法、1961 年 11 月 6 日法律第 188 号)にもとづき配置され ている教職員(注 4)、及び、両法によらずに配置されている教職員(ALT(外国語指導助 手)、市町村が独自に学校に配置した職員等)とした。 教職員の死亡について、 「文科 208 報」によると、2012 年 9 月 12 日時点で確認された のは 38 人(岩手 9 人、宮城 24 人、福島 3 人、東京 2 人)である(幼稚園や大学の教職員 も含めた統計) 。教職員の行方不明は園児・児童・生徒・学生とあわせて 74 人であること しかわからない。また、 「文科 208 報」では、学校ごとの教職員の死亡・行方不明が明ら かにされていない。本調査では、東北 3 県 5 教組による調査ほかを参照して、地震・津波 等被災校 2 について、以下表の学校数を得た。総計は 2012 年度に 19 校。この数字は 2014 年度に 17 校になる(第Ⅰ部図 6) 。教員 1 人が死亡した宮城県女川高等学校が 2013 年度末に廃止されるなど、当該校の廃止があるからである。 表 3 東北 3 県の地震・津波等被災校 2 ─教職員が死亡・行方不明となった学校(2012 年度) ( )内は死亡・行方不明の計 小 中 高 特 計 岩手 3(3) 0(0) 2(2) 0(0) 5(5) 宮城 6(15) 3(3) 2(2) 1(1) 12(21) 福島 0(0) 0(0) 2(2) 0(0) 2(2) 計 9(18) 3(3) 6(6) 1(1) 19(28) 3 .避難場所としての利用、支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保管等の 利用、他校の再開場所としての利用、及び、仮設住宅等の設置場所としての利用が行 われた学校(地震・津波等被災校 3) この項目に合致する学校を地震・津波等被災校 3 と規定し 3・11 被災校の条件のひとつ とした。避難場所ほかとしての利用が解消した学校については、解消が行われた次の年度 より地震・津波等被災校 3 の規定を外した。 文部科学省が 2011 年 3 月 11 日より発行を始めた「平成 23 年(2011 年)東北地方太平 洋沖地震による被害情報について」(注 5)とこれを 4 月 1 日に改題した「東日本大震災によ (注 6) る被害情報について」 (2012 年 9 月 14 日「文科 208 報」まで発行)には、 「避難先となっ ている学校(文部科学省において把握できたもの) 」の一覧が掲載されており、同資料の (注 3)植松なおみ「福島からの問いかけに─ 1996 年度日教組第 46 次教研にリポーターとして 参加」前掲『阪神・淡路大震災 20 年─私たちは、震災を忘れない』15 頁。 (注 4)校長、副校長及び教頭、主幹教諭、指導教諭、教諭、養護教諭、栄養教諭、助教諭、養 護助教諭、講師、実習助手、寄宿舎指導員、学校栄養職員、事務職員。 ― 120 ― 発行次数が多いことから「避難先となっている学校」の動態を知る上で手がかりを与えて くれる。だが、同資料には「避難先となっている学校」の定義が記されておらず、当該校 において、他校の再開場所としての利用や仮設住宅等の設置場所としての利用が行われて いても、それが「避難先となっている学校」としてカウントされていないことがある(注 7)。 「避難先となっている学校」の定義については、大きく 2 つの方向性がある。1 つは、 校舎や体育館が住民の避難場所となっている学校と狭く定義すること。もう 1 つは、当該 校以外の機関や人(一般行政・自衛隊・他校・避難住民等)により、当該校の教育活動以 外の目的で施設の利用が行われている学校と広く定義すること。管見の範囲で、後者の定 義をもっとも包括的に行っているのが岩手県教育委員会『岩手県教育委員会東日本大震災 津波記録誌』(2014 年)である。同書は、避難場所等になった学校の状況を、①避難場所 の利用、②避難場所以外での利用(支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保 管等)、③学校の受入れ等、④仮設住宅の設置に 4 分類している。本調査では、同書にお ける包括的な定義をふまえて、あわせて校庭に仮設店舗の設置が行われている事例がある ことを加味して、標記の項目を設定し、以下表の学校数を得た。2014 年度時点でも地震・ 津波等被災校 3 が岩手 29 校、宮城 18 校、福島 13 校、計 60 校に及んでいる。 表 4 東北 3 県の地震・津波等被災校 3 ─避難場所としての利用ほかが行われている学校 (2010 − 2014 年度) 該当なしの中等教育学校は表から除外(以下同) 「-」は資料未入手により不明(以下同) 2010 2011 2012 2013 2014 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 岩手 92 48 25 4 0 57 28 11 1 0 26 14 3 0 0 16 11 2 0 0 16 11 2 0 0 宮城 − − − − 1 243 135 13 0 0 15 12 8 0 0 10 8 7 0 0 8 4 6 0 0 福島 − − − − 1 12 11 25 11 0 5 2 7 2 0 4 2 6 1 0 4 2 6 1 0 計 総計 312 174 49 12 0 46 28 18 20 0 30 21 15 1 0 28 17 14 1 0 547 94 67 60 (注 5)大森直樹ほか編『資料集 東日本大震災と教育界─法規・提言・記録・声』明石書店、 2013 年、89 − 95 頁所収。 (注 6)同上書 118 − 165 頁所収。 (注 7)一例を示すと、「文科 208 報」には、「避難先となっている学校」について「無し」とす る記述がある。しかし、「文科 208 報」が発行された 2012 年 9 月時点とそれ以降の時点でも、 他校の再開場所としての利用や、仮設住宅等の設置場所としての利用が行われていた学校は多 き り き り い。筆者が訪問した範囲でも、岩手県の大槌町立吉里吉里中学校グラウンドにおいて 2011 年 3 月 28 日に着工し 4 月 29 日に完成した仮設住宅 80 戸において被災者の生活が続けられていた (2015 年 7 月訪問)。 ― 121 ― 4 .校舎損壊を受けて、他校間借、空き校舎や他施設等の利用を行った学校(地震・津波 等被災校 4) この項目に合致する学校を地震・津波等被災校 4 と規定し 3・11 被災校の条件のひとつ とした。他校間借ほかが解消した学校については、解消が行われた次の年度より地震・津 波等被災校 4 の規定を外した。 「文科 208 報」には、校舎損壊を受けて他校間借等をしている学校について記載がない が、3・11 から年月を経ても他校間借等を継続し仮設校舎・仮設体育館における教育を 行っている学校は多い。以下表の学校数を得た。2014 年度時点でも地震・津波等被災校 4 が岩手 5 校、宮城 22 校、福島 4 校、総計 31 校に及んでいる(第Ⅰ部図 7) 。 表 5 東北 3 県の地震・津波等被災校 4 ─他校間借等をしている学校(2011 − 2014 年度) 2011 2012 2013 2014 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 岩手 14 11 2 0 0 10 8 1 0 0 5 2 1 0 0 2 2 1 0 0 宮城 32 19 5 0 1 31 16 4 0 1 21 9 3 0 1 13 5 3 0 1 福島 7 3 1 0 4 2 1 1 0 3 1 1 0 0 2 1 1 0 0 53 32 10 1 0 45 26 6 1 1 29 12 5 0 1 17 8 5 0 1 計 総計 2 88 79 47 31 5 .原子力災害対策本部による警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の設定に ともない避難指示を受けて臨時休業あるいは臨時移転を行った学校(原発被災校 1) この項目に合致する学校を原発被災校 1 と規定し 3・11 被災校の条件のひとつとした。 臨時休業あるいは臨時移転が解消した学校については、解消が行われた次の年度より原発 被災校 1 の規定を外した。 「文科 208 報」には、警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域( 「避難 3 区域」 ) から臨時休業あるいは臨時移転を行った学校について、以下の記述しかない。 始業の状況(平成 23 年 5 月 23 日現在) 福島県相双地区の一部の学校を除き、すべて始業済み。 ※相双地区の小・中学校については、避難先の学校に転学・事実上の就学による受入 れ、または緊急時避難区域外の施設にて再開済み。 ※相双地区の高等学校については、サテライト方式により学習機会を確保。 相双地区の小・中学校について、 「緊急時避難区域外の施設にて再開済み」とあるのは、 相双地区の小・中学校が臨時休業または臨時移転を行った事実に対応した記述である。相 双地区の高等学校について、 「サテライト方式により学習機会を確保」とあるのは、相双 ― 122 ― 地区の高等学校がサテライト方式と呼称された臨時移転を行った事実に対応した記述であ る。だが、これらの記述からは、臨時休業と臨時移転を行った学校の校名と校数が不明で あり、いかなる施策により行われたかも判然とせず、臨時移転がすべて県内にとどまった 事実もわからない。原発事故による学校の臨時休業と臨時移転という、日本教育史上前例 のない事態について、事実の記録に不備がある。 「避難 3 区域」に所在した学校の臨時休業と臨時移転の全体を把握するためには、原子 力災害対策特別措置法(1999 年 2 月 17 日法律第 156 号)により 2011 年 3 月 11 日に設置 された原子力災害対策本部(本部長は内閣総理大臣菅直人)が発した 2 つの「指示」によ る 3 つの施策を概観する必要がある。 1 つ目の施策は、4 月 21 日の「指示」による警戒区域の設定だった(4 月 22 日設定、 2013 年 5 月 28 日双葉町解除により解除、144 頁資料 5 参照) 。福島第一原発事故 20 キロメー トル圏を原則立ち入り禁止とするもので、3 月 11〜12 日に出されていた 6 つの避難指示(注 8) よりも厳しい規制措置だった。これを受けて、警戒区域の学校を所管していた福島県 7 自 治体(小学校・中学校は南相馬市・浪江町・双葉町・大熊町・富岡町・楢葉町、高等学 校・特別支援学校は福島県)の教育委員会は、同区域の学校に対して臨時休業と臨時移転 (いずれも県内)の措置をとった(注 9)。 2 つ目の施策は、4 月 22 日の「指示」(注 10) による計画的避難区域の設定だった(4 月 22 日設定、2013 年 8 月 8 日川俣町解除によりすべて解除) 。20 キロメートル以遠で年間 積算線量が 20 ミリシーベルトに達するおそれのある区域の住民を対象として、 「原則とし ておおむね一月程度の間に順次当該区域外へ避難のための立退きをおこなうこと」を求め た。これを受けて、計画的避難区域の学校を所管していた福島県 5 自治体(浪江町・川俣 町・葛尾村・飯舘村と福島県)の教育委員会は、同区域の学校に対して臨時休業と臨時移 転(いずれも県内)の措置をとった(注 11)。 計画的避難区域の設定については、国が責任をもって住民を避難させる被ばく線量の基 準が 20 ミリシーベルトに定められたことの意味も大きかった。後述する 1991 年チェルノ ブイリ法が、5 ミリシーベルト以上の地域を「避難義務ゾーン」に指定し、1 ミリシーベ (注 8)2011 年 3 月 11 日 20 時 50 分に福島県知事が 2 キロ圏内に避難指示(福島第一)、21 時 23 分に原子力災害対策本部長が 3 キロ圏内に避難指示(福島第一)、12 日 5 時 44 分に原子力災 害対策本部長が 10 キロ圏内に避難指示(福島第一)、7 時 45 分に原子力災害対策本部長が 3 キ ロ圏内に避難指示(福島第二)、17 時 39 分に原子力災害対策本部長が 10 キロ圏内に避難指示(福 島第二) 、18 時 25 分に原子力災害対策本部長が 20 キロ圏内に避難指示(福島第一)。 (注 9)その 2011 年度の校数は、臨時休業が小学校 8 校、中学校 3 校、臨時移転が小学校 9 校、 中学校 5 校、高等学校 6 校、特別支援学校 1 校。中村晋・大森直樹『福島から問う教育と命』 岩波ブックレット 879、2013 年、48 − 49 頁。 (注 10) 『資料集 東日本大震災と教育界─法規・提言・記録・声』269 − 271 頁所収。 (注 11)その 2011 年度の校数は、臨時休業が小学校 2 校、中学校 2 校、臨時移転が小学校 4 校、 中学校 2 校、高等学校 1 校、特別支援学校 1 校。『福島から問う教育と命』48 − 49 頁。 ― 123 ― ルト以上の地域を希望すれば移住できる「移住権利ゾーン」に指定したことと比較する と、20 ミリシーベルトがきわめて高い値であることがわかる(128 頁資料 1 参照)。 3 つ目の施策は、これも 4 月 22 日の「指示」による緊急時避難準備区域の設定だった (4 月 22 日設定、9 月 30 日解除、資料 5 参照) 。計画的避難区域を除く福島第一原発事故 20〜30 キロ圏の大部分を緊急時避難準備区域に設定した。その「指示」は、同区域の居 住者に対して、 「常に緊急時に避難のための立退き又は屋内への退避が可能な準備を行う こと」を求め、あわせて、 「引き続き自主的避難をし、特に子供、妊婦、要介護者、入院 患者等は、当該区域内に入らないようにすること」を求めており、さらに、 「保育所、幼 稚園、小中学校及び高等学校」に対しては、 「休所、休園又は休校とすること」を求めて いた。これを受けて、緊急時避難準備区域の学校を所管していた福島県 5 自治体(南相馬 市・田村市・広野町・川内村と福島県)の教育委員会は、同区域の学校に対して臨時移転 (いずれも県内)の措置をとった(注 12)。 以上を概括すると「避難 3 区域」とは原子力災害対策本部の「指示」にもとづく 20 ミ リシーベルト超、あるいは 30 キロ圏の区域であり、この区域の学校に対しては市町村と 県の教育委員会による臨時休業あるいは臨時移転の措置がとられた。臨時休業あるいは臨 時移転を行った原発被災校 1 については、以下表の学校数を改めて得た(第Ⅰ部図 8) 。 原発被災校 1 は福島県内に限られている(注 13)。 表 6 東北 3 県の原発被災校 1 ─避難指示を受けて臨時休業・臨時移転を行った学校 (2011 − 2014 年度) 該当なしの中等教育学校、及び、岩手県と宮城県は表から除外(以下同) 2011 2012 2013 2014 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 福島 37 20 10 計 1 0 68 25 13 8 1 0 25 13 47 8 47 1 0 23 12 8 1 0 44 6 .文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が設定した自主的避難等対象区域に位置した 学校(原発被災校 2) この項目に合致する学校を原発被災校 2 と規定し 3・11 被災校の条件のひとつとした。 (注 12)その 2011 年度の校数は、小学校 12 校、中学校 7 校、高等学校 2 校。『同上書』54 頁。 (注 13)原発被災校 1 と密接な関係をもつ原子力災害対策本部の施策には特定避難勧奨地点も あった。避難指示区域外で局所的に放射線量が高い地点を原子力災害対策本部が指定し、住民 に避難を促した施策で、積算線量が 1 年 20 ミリシーベルト(政府の考え方によると 1 時間 3.8 ミリシーベルト)を超えるおそれがあった南相馬市・伊達市・川内村の一部で計 281 世帯が指 定された(2014 年 12 月 28 日南相馬市解除によりすべて解除)。南相馬市内で指定された世帯に ついては宮城県に引っ越した小学生の事例が報道されている(「特定避難勧奨 全て解除」『朝 日新聞』2014 年 12 月 29 日)。 ― 124 ― これに関連する政策に変更があっても、一度原発被災校 2 と規定した学校についてはその 規定を続けるものとした。当該校では福島第一原発事故による影響が継続するからである。 2011 年 12 月 6 日、文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会は、中間指針の追補により 福島県 23 自治体( 「避難 3 区域」外に拡がる地域)を自主的避難等対象区域に設定した。 自主的避難等対象区域からの自主避難者や滞在者の損害額について、子ども及び妊婦につ いては 40 万円、それ以外の者については 8 万円を目安とした。損害の項目は、①生活費 の増加費用、②精神的苦痛、③移動費用とされ、対象としている期間は、子ども及び妊婦 を対象とする 40 万円については、事故発生から 2011 年 12 月末までの損害とした(上記 以外の者を対象とする 8 万円については、事故発生当初の時期の損害とした) 。また、東 京電力は、上記金額のほか、対象期間中の避難に伴い特別に負担された費用に対する賠償 として、18 歳以下であった者または妊婦で自主的避難をした場合は、1 人あたり 20 万円 を上記 40 万円に追加して支払うとした。 自主的避難対象区域における学校のあり方については、それを強く規定している国の判 断があることに注目しておかなければならない。文部科学省による「校舎・校庭等を平常 どおり利用して差し支えない」とする判断である。この判断は、2011 年 4 月 19 日の文部 科学省の通知( 「4・19 通知」 )(注 14)により福島県下の「避難 3 区域」外の地域(20 ミリ シーベルト以下、30 キロメートル圏外)を対象として発出され、8 月 26 日の通知( 「8・ 26 通知」 )(注 15)に継承されて今日まで継続している。だが、福島県下の「避難 3 区域」外 の地域においても放射性物質による汚染はひろがっており、平常通りの学校生活を子ども に送らせることに不安を感じ、自主避難をした世帯が多くあった。自主的避難等対象区域 (注 14)文部科学省「福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について (通知) 」 ( 「4・19 通知」 ) 『資料集 東日本大震災と教育界─法規・提言・記録・声』319 ‐ 324 頁所収) 。同通知の要点は 2 つあった。1 つは、空間線量が一定基準(校庭・園庭で 1 時間 3・8 マイクロシーベルト、 「4・19 通知」の考え方(資料 2 参照)により 1 年 20 ミリシーベルト)以 下と判断された学校に対して「校舎・校庭等を平常どおり利用して差し支えない」との判断を示 したこと。2 つは、空間線量が一定基準(上同)以上と判断された学校に対しても、校庭・園庭 での活動時間を制限すれば「校舎・校庭等を平常どおり利用して差し支えない」との判断を示し たこと。これにより「避難 3 区域」外ではどんなに線量が高くても教育活動を行うことが容認さ れた。 (注 15)文部科学省「福島県内の学校の校舎・校庭等の線量低減について(通知)」 (「8・26 通知」 『資料集 東日本大震災と教育界─法規・提言・記録・声』344 ‐ 348 頁所収)。同通知の要点は 2 つあった。1 つは、空間線量が新たな一定基準(校庭・園庭で 1 時間 1 マイクロシーベルト、 「8・ 26 通知」の考え方により年 1 ミリシーベルト、ただし「4・19 通知」の考え方を踏襲すれば年 5 ミリシーベルト) (資料 2 参照)以下と判断された学校に対して、校舎・校庭等を平常どおり利 用して差し支えないとの判断を示したこと。2 つは、空間線量が新たな一定基準以上と判断され た学校に対しても、 「屋外活動を制限する必要がありませんが、除染等の速やかな対策が望まし いと考えられます」との判断を示したこと。これにより「避難 3 区域」外ではどんなに線量が 高くても教育活動を行うことが引き続き容認された。この「8・26 通知」が学校の空間線量の基 準値として現在も効力をもっている(2015 年 7 月 14 日時点)。 ― 125 ― における賠償措置は子どもたちが避難する権利を保障するための措置としては不十分なも のであるが、文部科学省としても避難する権利の保障を求める人々の動きを無視できずに 実施されたものだった。そのことをふまえ、本項目を設定したものである。 「避難 3 区域」外の地域における居住者の不安を倍加させている要因の 1 つに、現行の 「8・26 通知」における放射線量の「考え方」がきわめて特殊でわかりづらいこともある。 この点については後掲の資料 2 を参照していただきたい。 原発被災校 2 については、以下表の学校数を得た(第Ⅰ部図 9) 。原発被災校 2 も福島 県内に限られている。 表 7 東北 3 県の原発被災校 2 ─自主的避難対象区域の学校(2011 − 2014 年度) 2011 2012 2013 2014 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 福島 329 155 59 16 計 560 1 325 155 59 16 1 323 152 59 16 556 1 319 148 59 16 551 1 543 7 .子ども被災者支援法による支援対象地域に位置した学校(原発被災校 3) この項目に合致する学校を原発被災校 3 と規定し 3・11 被災校の条件のひとつとした。 これに関連する政策に変更があっても、一度原発被災校 3 と規定した学校についてはその 規定を続けるものとした。当該校では福島第一原発事故による影響が継続するからであ る。 2013 年 10 月 11 日、国は、東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする 住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律 (子ども被災者支援法、2012 年 6 月 27 日法律第 48 号)にもとづき「子ども被災者支援法 基本方針」の閣議決定を行った。この「基本方針」にもとづき、 「原発事故発生後、相当 な線量が広がっていた福島県中通り・浜通り(避難指示区域等を除く)を法第 8 条に基づ く「支援対象地域」とする」 (復興庁資料)ことが行われた。指定されたのは福島県 33 市 町村だった。施策の基本的事項について復興庁は、 「被災者支援施策パッケージ(平成 25 年 3 月 15 日発表)に盛り込んだ施策のほか、福島近隣県を含めた外部被ばく状況の把握、 自然体験活動、民間団体を活用した被災者支援といった施策について拡充・検討予定」 (「第 2 − 5 − 1 図 子ども被災者支援法基本方針概要」 )とした。 支援対象地域における学校のあり方を強く規定しているのも、先述した文部科学省によ る「校舎・校庭等を平常どおり利用して差し支えない」とする判断だった。だが、支援対 象地域の指定に関わる上記の政府資料は、同地域について、 「原発事故発生後、相当な線 量が広がっていた」事実と「支援」の必要を認めている。そのことをふまえ、本項目を設 定したものである。 原発被災校 3 については、以下表の学校数を得た(第Ⅰ部図 10) 。原発被災校 3 も福島 ― 126 ― 県内に限られている。 表 8 東北 3 県の原発被災校 3 ─支援対象地域の学校(2013 − 2014 年度) 2013 小 福島 計 中 2014 高 特 朝 小 高 特 朝 367 171 67 17 1 363 167 67 17 1 623 中 615 8 .環境省が設定した汚染状況重点調査地域に位置した学校(原発被災校 4) この項目に合致する学校を原発被災校 4 と規定し 3・11 被災校の条件のひとつとした。 汚染状況重点調査地域の指定が解除された地域についても、一度原発被災校 4 と規定した 学校についてはその規定を続けるものとした。当該校では福島第一原発事故による影響が 継続するからである。 環境省は、平成 23 年 3 月 11 日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の 事故により放出された放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法(放射性 物質汚染対処特措法、2011 年 8 月 23 日法律第 110 号)にもとづき、汚染状況重点調査地 域の指定について説明をしている。 「その地域の平均的な放射線量が 1 時間当たり 0.23 マ イクロシーベルト以上の地域を含む市町村を、地域内の事故由来放射性物質による環境の 汚染の状況について重点的に調査測定をすることが必要な地域として、市町村単位で指定 するもの」 。 「指定を受けた市町村は、調査測定の結果に基づき、具体的に市町村内で除染 実施計画を定める区域(1 時間当たり 0.23 マイクロシーベルト以上の区域が対象)を判 断」する。除染は「放射性物質汚染対処特措法に基づく基本方針において、長期的な目標 を追加被ばく線量が年間 1 ミリシーベルト以下となることとしており、併せて 2 年間で一 般公衆の年間追加被ばく線量を約 50%減少した状態を実現すること等の目標を設定」し て行う。 「追加被ばく線量が比較的高い地域については、必要に応じ、表土の削り取り、 建物の洗浄、道路側溝等の清掃、枝打ち及び落葉除去等の除染等、子どもの生活環境の除 染等を行うことが適当」としており、 「追加被ばく線量が比較的低い地域については、周 辺に比して高線量を示す箇所があることから、子どもの生活環境を中心とした対応を行 う」(注 16)ことが適当であるとしている。. 汚染状況重点調査地域は、2011 年 12 月 28 日に 8 県 102 市町村、2012 年 2 月 28 日に 2 県 2 町、総計 8 県 104 市町村を指定(資料 3) 。当該地域であっても会津若松市のように 市の意向で辞退した自治体については指定が行われていない。指定を解除した地域は、 2014 年 11 月 17 日までに 5 自治体(2012 年 12 月 27 日福島県昭和村・群馬県片品村・同 (注 16)環境省「放射性物質汚染対処特措法に基づく汚染状況重点調査地域の指定について(お 知らせ) 」2012 年 2 月 24 日。 ― 127 ― 県みなかみ町、2013 年 6 月 25 日宮城県石巻市、2014 年 11 月 17 日福島県三島町)ある。 汚染状況重点調査地域における学校のあり方を強く規定しているのも、先述した文部科 学省による「校舎・校庭等を平常どおり利用して差し支えない」とする判断だった。だ が、上記の政府資料は、同地域について、 「事故由来放射性物質による環境の汚染」と「除 染等」の必要、さらに「子どもの生活環境を中心とした対応」の必要を認めている。その ことをふまえ、本項目を設定したものである。 原発被災校 4 については、以下表の学校数を得た(第Ⅰ部図 11) 。原発被災校 4 は東北 3 県のほか茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉の 5 県に及んでおり、その学校数を明らかにす ることも今後の課題である。 チェルノブイリ原発事故後の旧ソ連国内(ウクライナ、ベラルーシ、ロシア)では、 1991 年チェルノブイリ法により、土壌表面に沈着したセシウム 137 の濃度をもとに放射 能汚染地域が資料 1 の 4 つのゾーンに分類されている。被ばく線量をみると、原発被災校 4 は、チェルノブイリ原発事故後の「移住権利ゾーン」以上に相当すると考えることがで きる。 表 9 東北 3 県の原発被災校 4 ─汚染状況重点調査地域の学校(2011 − 2014 年度) 2011 2012 2013 2014 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 岩手 72 32 16 6 0 72 32 15 6 0 68 32 15 6 0 60 31 15 6 0 宮城 118 55 23 5 0 113 50 23 5 0 100 48 23 5 0 93 48 23 5 0 福島 408 191 72 17 計 総計 598 278 111 28 1 402 190 72 17 1 396 187 72 17 1 391 183 72 17 1 1 587 272 110 28 1 564 267 110 28 1 544 262 110 28 1 1016 998 970 945 資料 1 チェルノブイリ法による汚染地域の区分 汚染地域区分 土壌汚染(セシウム 137) 1 平方メートル当たり 被ばく線量 1 年当たり 特別規制ゾーン(第 1 ゾーン) 148 万ベクレル以上 - 避難義務ゾーン(第 2 ゾーン) 55.5 万ベクレル以上 5 ミリシーベルト以上 移住権利ゾーン(第 3 ゾーン) 18.5 万ベクレル以上 1 ミリシーベルト以上 放射線管理強化ゾーン (第 4 ゾーン) 3.7 万ベクレル以上 0.5 ミリシーベルト以上 白石草『ルポ チェルノブイリ 28 年目の子どもたち-ウクライナの取り組みに学ぶ』 (岩波ブックレット 917、 2014 年)15 頁、今中哲二『放射能汚染と災厄-終わりなきチェルノブイリ原発事故の記録』 (明石書店、2013 年) 180〜181 頁より作成。 ― 128 ― 三 3・11 被災校の特定に関わる追加候補項目について 9 .文部科学省の航空機モニタリングの測定データにもとづき推定 1 平方メートル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ市町村に位置する学校(原発被災校 5) この項目に合致する学校を原発被災校 5 と規定し、3・11 被災校の特定に関わる追加候 補項目とし、あわせて、原発被災校 B の条件のひとつとした。一度原発被災校 5 と規定 した学校についてはその規定を続けるものとした。 日本原子力研究開発機構福島技術本部福島環境安全センター鳥居建男ほか『広域環境モ ニタリングのための航空機を用いた放射性物質拡散状況調査』 (独立行政法人日本原子力 研究開発機構、2012 年 12 月、2 〜 6 頁)によると、2011 年 4 月 5 日に文部科学省により プレス発表された「文部科学省及び米国エネルギー省航空機による航空機モニタリングに ついて」を起点とする一連の航空機モニタリングは、2011 年 4 月から 2012 年 5 月に行わ れた。この航空機モニタリングの測定データにもとづき、沢野伸浩(金沢星稜大学女子短 期大学教授)が推定した 1 平方メートル当たり 4 万ベクレル以上の汚染領域をもつ市町村 は 1 都 9 県 102 市町村に及ぶ(注 17)。本調査では、この 102 市町村に 2010 年度以降に位置 した学校を東北 3 県について明らかにした(第Ⅲ部参照) 。 放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律(1957 年 6 月 10 日法律第 167 号)は放射線管理区域を「1 平方センチメートル当たり 4 ベクレル」と定めている。これ を平方メートル当たりの数値に直せば「1 平方メートル当たり 4 万ベクレル」となり、原 発被災校 5 は、放射線管理区域の基準以上の汚染地域をもつ市町村の学校と考えることが できる。 資料 1 の内容をふまえれば、原発被災校 5 は、チェルノブイリ原発事故後の「放射線管 理強化ゾーン」以上にほぼ相当すると考えることができる。 10.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭、プール等の除染を行った学校(原発 被災校 6) この項目に合致する学校を原発被災校 6 と規定し、3・11 被災校の特定に関わる追加候 補項目とし、あわせて、原発被災校 B の条件のひとつとした。一度原発被災校 6 と規定 した学校についてはその規定を続けるものとした(第Ⅲ部参照) 。 11.東京電力福島第一原子力発電所事故により校庭の線量測定、プールの線量測定、給食 の線量測定、モニタリングポストの設置等を行った学校(原発被災校 7) 。 この項目に合致する学校を原発被災校 7 と規定し、3・11 被災校の特定に関わる追加候 補項目とし、あわせて、原発被災校 B の条件のひとつとした。一度原発被災校 7 と規定 した学校についてはその規定を続けるものとした(第Ⅲ部参照) 。 (注 17)沢野伸浩『本当に役に立つ「汚染地図」』集英社新書、2013 年、149 頁 ― 129 ― 四 3・11 被災校、地震・津波等被災校、原発被災校 A の特定について 「3・11 被災校の特定に関わる 8 項目」のうち 1 項目以上が該当した 3・11 被災校、第 1 項から第 4 項目の 1 項目以上が該当した地震・津波等被災校、第 5 項から第 8 項の 1 項目 以上が該当した原発被災校 A、及び、地震・津波等被災校かつ原発被災校 A について、 その 2010〜2014 年度の校数は以下となった(表 10〜13) 。それぞれの 2014 年度の全体像 については第Ⅰ部の図 1〜4 を参照していただきたい。 表 10 東北 3 県の 3・11 被災校(2010 − 2014 年度) 2010 2011 2012 2013 2014 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 岩手 95 50 27 5 0 137 66 32 9 0 113 52 28 8 0 97 47 28 8 0 86 46 28 8 0 宮城 35 24 35 3 1 324 167 50 6 1 149 76 47 6 1 129 66 47 6 1 117 61 46 6 1 福島 9 10 9 0 1 426 201 83 20 1 420 200 81 20 1 414 197 81 20 1 409 193 81 20 1 計 139 84 71 8 2 887 434 165 35 2 682 328 156 34 2 640 310 156 34 2 612 300 155 34 2 総計 304 1,523 1,202 1,142 1,103 表 11 東北 3 県の地震・津波等被災校(2010 − 2014 年度) 2010 2011 2012 2013 2014 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 岩手 95 50 27 5 0 67 35 18 3 0 41 20 14 2 0 29 15 14 2 0 26 15 14 2 0 宮城 35 24 35 3 1 264 145 39 3 1 63 42 37 3 1 48 31 37 3 1 39 25 36 3 1 福島 9 10 9 0 1 23 20 33 12 0 14 11 16 3 0 12 10 15 1 0 11 10 15 1 0 計 139 84 71 8 2 354 200 90 18 1 118 73 67 8 1 89 56 66 6 1 76 50 65 6 1 総計 304 663 267 218 198 表 12 東北 3 県の原発被災校 A(2010 − 2014 年度) 2010 2011 2012 2013 2014 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 岩手 0 0 0 0 0 72 32 16 6 0 72 32 15 6 0 68 32 15 6 0 60 31 15 6 0 宮城 0 0 0 0 0 118 55 23 5 0 113 50 23 5 0 100 48 23 5 0 93 48 23 5 0 福島 0 0 0 0 0 426 201 80 18 1 420 200 80 18 1 414 197 80 18 1 409 193 80 18 1 0 0 0 0 616 288 119 29 1 605 282 118 29 1 582 277 118 29 1 562 272 118 29 1 計 総計 0 0 1,053 1,035 ― 130 ― 1,007 982 表 13 東北 3 県の地震・津波等被災校かつ原発被災校 A(2010 − 2014 年度) 2010 2011 2012 2013 2014 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 岩手 0 0 0 0 0 宮城 0 0 0 0 0 58 33 12 2 0 27 16 13 2 福島 0 0 0 0 0 0 0 計 0 総計 2 1 0 0 0 19 13 13 2 0 15 12 13 2 0 0 23 20 30 10 0 14 11 15 3 0 12 10 14 1 0 11 10 14 1 0 0 83 54 44 12 0 41 27 29 5 0 31 23 28 3 0 26 22 28 3 0 0 2 0 0 0 0 193 1 0 0 0 0 102 1 0 0 0 0 1 85 79 五 3・11 被災校の動向に関わる 6 項目について 1 .3・11 被災校の統廃合 東北 3 県は、3・11 被災前から児童生徒数の減少を要因の一つとして学校の統廃合が進 んでいる地域だったが、これに 3・11 被災が重なり統廃合が加速している。本調査は、地 域における学校の存続の意味の大きさもふまえ、3・11 被災校の統廃合の動態を把握する ことを試みた。学校の統廃合は、旧 2 校のうち 1 校が廃止になり 1 校が存続する場合、旧 2 校がいずれも廃止になり新校が設置される場合などがあるが、その全体は廃止と新設の 一覧によって以下の表により把握できる。ただし設置された新校のうち、3・11 被災校の 条件を欠いた学校は以下の表に含めていない。なお、設置された新校が 3・11 被災校の条 件を満たすのは、いずれも汚染状況重点調査地域に設置され原発被災校 4 と規定された場 合である。廃止となった 3・11 被災校は、2011 年度 28 校、2012 年度 54 校、2013 年度 28 校、2014 年度 19 校、累計 129 校に及ぶ。3・11 被災校については、その経験を明らかに して教訓を汲み未来に活かすことが求められているが、すでに廃止となった 125 校につい てもその経験を引き継ぐことが東北 3 県のみならず教育界全体の課題になっている。 表 14 東北 3 県における 3・11 被災校の廃止(2010 − 2014 年度) 2010 2011 2012 2013 2014 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 岩手 0 0 0 0 0 3 0 2 0 0 10 3 0 0 0 11 1 0 0 0 0 0 0 0 0 宮城 0 0 0 0 0 6 6 0 0 0 22 7 0 0 0 7 1 1 0 0 0 0 4 0 0 福島 0 0 0 0 0 9 2 0 0 0 0 0 0 4 3 0 0 0 11 4 0 0 0 0 0 0 0 18 8 2 0 0 41 13 0 0 0 22 5 1 0 0 11 4 4 0 0 計 総計 0 0 28 9 3 54 ― 131 ― 28 19 表 15 東北 3 県における新設の 3・11 被災校(2010 − 2014 年度) 2010 2011 2012 2013 2014 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 小 中 高 特 朝 岩手 - - 0 0 0 - - 0 0 0 - - 0 0 0 2 0 0 0 0 1 0 0 0 0 宮城 - - 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 福島 0 計 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 3 1 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 3 2 0 0 0 6 0 0 0 0 2 0 0 0 0 総計 0 1 5 6 2 2 .3・11 被災校の児童生徒数、及び、学級数の増減 東北 3 県の 3・11 被災校の児童生徒数と学級数については、表 16 と 17 の数を得た。2 つの表からは、年度ごとの 3・11 被災校の児童生徒数と学級数を知ることができるが、年 度を通して児童生徒数と学級数の増減について検討することは難しい。表 10 において明 らかにしたように、3・11 被災校それ自体に毎年大幅な増減があるからである。年度を通 して児童生徒数と学級数の増減について検討するため、2011 年度の 3・11 被災校 1,522 校 について(朝鮮学校は含めない。表 10 参照) 、その児童生徒数と、当該校の 2010 年度の 児童生徒数を比較したのが表 18 である。2010 年度の 442,556 人が 2011 年度に 423,648 人 となり 18,908 人減少している。2011 年度 423,648 人の数字が、仮に被災が無かった場合 に 2011 年度に想定された児童生徒数と比べてどれだけ小さい数字であるかについては資 料を得られていないが、3・11 被災校の児童生徒数の動態を知るうえで、また、教職員配 置の検討を行うときにも、ここで得た数字には一定の意味がある(阪神・淡路大震災後の 児童生徒の転出数が 26,341 人だった) 。日本の公立学校の教職員数は、義務標準法と高校 標準法により各県の新年度の児童生徒数を基礎数として算出されその配置が行われるから である(以下は朝鮮学校を分析の対象に含めない) 。 表 16 東北 3 県の 3・11 被災校の児童生徒数(朝鮮学校を除く 2010 − 2014 年度) 2010 小 中 2011 高 特 小 中 2012 高 特 小 中 高 特 岩手 24,031 12,418 12,293 334 23,230 13,369 12,193 540 19,006 10,539 11,064 490 宮城 9,633 6,701 22,065 539 102,351 51,328 27,228 674 28,691 17,858 25,992 687 福島 2,379 2,000 4,187 0 93,526 51,337 45,363 2,076 89,577 49,897 42,805 2,130 873 219,107 116,034 84,784 3,290 137,274 78,294 79,861 3,307 計 総計 36,043 21,119 38,545 96,580 423,215 ― 132 ― 298,736 2013 小 岩手 16,033 宮城 中 2014 高 小 中 509 15,708 高 特等 8,997 10,174 538 26,821 15,685 25,538 690 24,549 14,337 25,134 653 福島 87,246 49,280 40,941 2,079 85,162 48,049 40,290 2,082 計 130,100 74,151 76,974 3,278 125,419 71,383 75,598 3,273 総計 9,186 10,495 特等 284,503 275,673 表 17 東北 3 県の 3・11 被災校の学級数(朝鮮学校を除く 2010 − 2014 年度) 2010 小 2011 2012 中 高 特 小 中 高 特 小 中 高 特 岩手 1,014 450 310 116 1,156 513 334 131 955 422 308 108 宮城 409 247 607 124 4,248 1,875 764 172 1,406 692 727 171 福島 107 83 117 0 4,394 2,012 1,211 591 4,258 2,100 1,136 616 計 1,530 780 1,034 240 9,798 4,400 2,309 894 6,619 3,214 2,171 895 総計 岩手 3,584 17,401 2013 2014 小 中 高 特等 小 中 高 特等 844 373 302 117 811 362 297 125 598 717 167 1,194 552 710 162 613 4,138 1,949 1,092 613 897 6,143 2,863 2,099 900 宮城 1,291 福島 4,182 1,990 1,105 計 12,899 6,317 2,961 2,124 総計 12,299 12,005 表 18 東北 3 県の「2011 年度の 3・11 被災校の児童生徒数」と「当該校の 2010 年度の 児童生徒数」 (朝鮮学校を除く) 2010 2011 増減 小 中 高 特 小 中 高 特 小 中 高 特 24,069 13,643 12,599 553 23,230 13,369 12,193 540 ▼ 839 ▼ 274 ▼ 406 ▼ 13 宮城 105,577 51,913 27,640 664 102,351 51,328 27,228 674 ▼ 3,226 ▼ 585 ▼ 412 10 福島 102,758 53,570 47,858 2,108 93,526 45,363 2,076 ▼ 9,232 ▼ 2,233 ▼ 2,495 ▼ 32 232,404 119,126 88,097 3,325 219,107 116,034 84,784 3,290 ▼ 13,297 ▼ 3,092 ▼ 3,313 ▼ 35 岩手 計 総計 442,952 51,337 423,215 ― 133 ― ▼ 19,737 表 19 東北 3 県の「2011 年度の 3・11 被災校の教員数」と「当該校の 2010 年度の教員数」 (朝鮮学校を除く) 2010 小 中 2011 高 特 小 中 増減 高 特 小 中 高 特 岩手 1,892 1,210 1,227 391 1,937 1,242 1,216 393 45 32 ▼ 11 2 宮城 6,526 4,074 2,648 383 6,497 4,139 2,648 395 ▼ 29 65 0 12 福島 6,764 4,179 3,897 1,497 6,706 4,262 3,932 1,578 ▼ 58 83 35 81 180 24 95 計 総計 15,182 9,463 7,772 2,271 15,140 9,643 7,796 2,366 ▼ 42 34,688 34,945 257 3 .3・11 被災校の教職員数の増減、震災対応の教職員加配及び兼務発令の動態 1995 年 1 月 17 日の「兵庫県南部地震」後の教職員配置の教訓(阪神・淡路大震災の教 訓)をふまえれば、3・11 被災下における教職員配置の要諦は 3 つあった。第一、文部科 学省が「前年度の児童生徒数による教職員配置」を行うことを基本方針として迅速に打ち 出すこと( 「激変緩和措置」 ) 。平時のように新年度の児童生徒数に準拠して教職員定数を 算定すれば、震災による児童生徒の県内外避難により教職員定数が減じてしまう(注 18)。 第二、文部科学省が第一の基本方針と同時に「教育復興担当教員の加配措置」を行うこと を基本方針として迅速に打ち出すこと( 「復興担措置」 )(注 19)。兵庫県で 1995〜2009 年度 に配置された教育復興担当教員(2004 年度から心のケア担当教員に名称変更)とは、 「復 興を専門とする教員で、授業は 10 時間程度担当しますが、子どもたちの心のケアの問題 も含め震災に関わる仕事が中心」とされ、 「震災を忘れないとりくみ」の企画や運営につ いても行ってきたことが知られている。第三、県教育委員会と地方教育委員会が、新年度 の定期人事異動を凍結する方針を迅速に打ち出し、上の基本方針に応じた内容の教職員配 置を実際に行うこと。 上記第一に関しては、2011 年 4 月 6 日に文部科学省が「東北地方太平洋沖地震に伴う 平成 23 年度の学級編制及び教職員定数の取扱いに係る当面の対応について(事務連絡) 」 (注 20) (「4・6 事務連絡」 ) を発している。そこには、 「5 月 1 日現在の定数と仮に被災が無かっ (注 18)阪神・淡路大震災後の兵庫県において県内外に避難した児童生徒数は 2 万 6341 人(1995 年 2 月 14 日時点)だったが、1995 年度の教職員定数の大幅な削減は回避された。福島県の場合、 3・11 災害により県内外に避難した子どもの数は 2011 年 5 月 1 日時点で 1 万 5471 人である。文 部科学省「東日本大震災により被災した幼児児童生徒の学校における受入れ状況について(5 月 1 日現在) 」2011 年 6 月 1 日( 『資料集 東日本大震災と教育界─法規・提言・記録・声』96 − 106 頁所収)参照。 (注 19)兵庫県では 1995 年度に 128 人、1996 年度以降に 207 人の加配措置が行われ大震災後の 教育実践を牽引した。資料 4、及び、前掲「震災を忘れない学校─芦屋市立精道小学校の取り組 みと 3・11 後の課題」参照。 (注 20) 『資料集 東日本大震災と教育界─法規・提言・記録・声』224 − 226 頁所収 ― 134 ― た場合に同日で想定された児童生徒数を前提に算定した定数との差を上限として加配を措 置」の文言があり、 「前年度の児童生徒数による教職員配置」という阪神・淡路大震災後 の教訓が一定程度活かされていた。だが、そこには、 「被災県の学校において、教育活動 再開のため、被災した児童生徒の実態把握や地域・家庭との連携等への対応に教職員定数 を必要とする場合」という条件が付されており、この条件の解釈には幅が生じていくこと になった。教育現場が「教育活動再開のための対応」を広く解釈すれば要求する加配数を 大きくできたが、狭く解釈すれば要求する加配数は小さくなった。上記第二に関しては、 文部科学省は基本方針を出していない。第三に関しては、岩手県が 1 年凍結、宮城県が凍 結なし、福島県が 8 月まで凍結した。 3・11 被災下の教職員配置について、2011 年末に文部科学省は次の評価をしている。 「公 立学校教職員定数の加配措置では、被災県等からの要望に迅速に応じ、まず緊急の対応が 必要なものについては 4 月 28 日に義務教育諸学校分と高等学校分合計 424 名を追加措置 し、追って、6 月 24 日に合計 656 名を追加措置し、全体で 1080 名の追加措置を行うなど きめ細やかに対応しました」(注 21)。だが、3・11 被災下における教職員配置についてはま だ明らかになっていないことが多い(注 22)。 本調査からは 3 つのことを指摘したい。1 つは、 「全体で 1080 名の追加措置」が「激変 緩和措置」としては一定の役割を果たしたと考えられること(その手がかりの一部を表 18 と表 19 として示した) 。2 つは、 「復興担措置」が基本方針の不在もあり行われなかっ たことである。ただし、「4・6 事務連絡」の文言「被災県の学校において、教育活動再開 のため、被災した児童生徒の実態把握や地域・家庭との連携等への対応」の中には、兵庫 県の教育復興担当教員が現場で果たしてきた役割と重なるところもあった。この間の加配 措置は、政策の文言上は「激変緩和措置」と「復興担措置」という 2 つの側面を持ち、そ の政策の実態においては「激変緩和措置」1 本で機能することが多かったと概括できる。 今後、政策の文言上の 2 つの側面を、その政策の実態においても 2 本の柱で具体化するこ とを教育界の課題として指摘しておきたい。 「復興担措置」を具体化するためには、加配 数について事実にもとづいた数字の積み上げが求められるが、その数字の算定に際して本 調査で明らかにした 3・11 被災校数は一定の叩き台になるだろう。 3 つは、原発災害による県外への教員配置の事例がみられたことと、この事例のもつ意 味の大きさである。2011 年度以降、福島県双葉町の住民が埼玉県加須市に集団避難した (注 21)文部科学省『東日本大震災からの復旧・復興に関する取組についての中間的な検証結果 のまとめ 第一次報告書』2011 年 12 月 22 日(『資料集 東日本大震災と教育界─法規・提言・ 記録・声』421 − 427 頁所収)。 (注 22)3・11 被災下の教職員配置については、検証を試みた論文に大森直樹「東日本大震災後 の教員配置の検証─福島の兼務発令を中心に」 『季刊教育法』 (173 号、エイデル研究所、2012 年) があり、関係資料 10 件を収録した『資料集 東日本大震災と教育界─法規・提言・記録・声』、 及び、関係資料 62 件を収録した『資料集 東日本大震災・原発災害と学校─岩手・宮城・福島 の教育行政と教職員組合の記録』がある。 ― 135 ― ことに伴い、双葉町の公立小・中学校の教員(2011 年度は 6 人)を加須市の公立小・中 学校に勤務させることが行われてきた。3・11 被災下において、県外への学校集団避難を 行ったのは福島朝鮮初中級学校に限られたが(第Ⅰ部図 12 参照) 、日本の公立学校におい ても義務教育標準法の運用により県外への教職員配置は可能だったのである。原発が再稼 働されている今日、原発災害下における県外への教職員配置とそれを基礎とする学校集団 避難について、改めて検討を行うことの必要性を提起しておきたい。 震災に対応した兼務発令については、管見の限り岩手には事例がなかった。福島の兼務 発令は、福島第一原発事故により臨時休業と臨時移転を行った学校に配置されている教職 員を実質的に別の学校等に配置した事例が多かった。宮城の兼務発令は、岩手・福島のよ うに 2011 年度の人事異動を凍結しなかったことを背景として、同年度に異動先の学校 (新所属)に配置された教職員を、異動前の被災地の学校(前所属)に兼務させて業務に 当たらせた事例が多かった。 なお本調査項目以下における教職員とは、基本的に義務標準法と高校標準法にもとづき 配置されている校長、副校長及び教頭、主幹教諭、指導教諭、教諭、養護教諭、栄養教 諭、助教諭、養護助教諭、講師、実習助手、寄宿舎指導員、学校栄養職員、事務職員とし ている。ただし、事務職員については、義務標準法、及び、高校標準法にもとづいて配置 されている事務職員と、両法にもとづかずに配置されている事務職員の判別が難しいため 本報告書においては分析から除外せざるをえなかった。 4 .3・11 被災校に東北地方太平洋沖地震発生時に在籍していた教職員(原被災校教職員) の動態 3・11 被災の事実に対応した教育活動を行う上で、3・11 被災校に地震発生時に在籍し ていた教職員(原被災校教職員)が果たす役割は大きい。原被災校教職員は、3・11 震災 時の子どもの被災や生活について見聞をもち、3・11 被災下の教育実践の土台となる地域 の被災についても見聞を有しており、2011 年度以降に 3・11 被災校に配置された教職員 と協力をして子どものケアや教育実践を重ねてきた事実が知られている(注 23)。 3・11 被災下の人事異動については実施についても凍結についても教育現場に正負の影 響があり、その評価は慎重に行わなければならない。本調査では、2011〜2014 年度にお ける原被災校教員の動態について、以下表の事実を明らかにした。 (注 23)池田賢市・大森直樹「3・11 後の教室の風景─地域・家族・自分を見つめる雄勝小のと りくみ」 『世界』844 号 2013 年 6 月号。 ― 136 ― 表 20 東北 3 県の原被災校教員の在籍率(朝鮮学校を除く 2011 − 2014 年度) 岩手 小 中 高 特 小 中 高 特 小 中 高 特 小 中 高 特 総 計 宮城 福島 計 岩手 小 中 高 特 小 中 高 特 小 中 高 特 小 中 高 特 総 計 3・11 被 災校数 137 66 32 9 324 167 50 6 426 201 83 20 887 434 165 35 1,521 2011 教員数 原被災校 在籍率 3・11 被 (A) 教員数(B) B÷A×100 災校数 1,937 1,530 79.0% 113 1,242 983 79.1% 52 1,216 1,070 88.0% 28 393 334 85.0% 8 6,497 4,740 73.0% 149 4,139 2,876 69.5% 76 2,648 2,077 78.4% 47 395 302 76.5% 6 6,706 4,874 72.7% 420 4,262 3,014 70.7% 200 3,932 2,942 74.8% 81 1,578 1,223 77.5% 20 15,140 11,144 73.6% 682 9,643 6,873 71.3% 328 7,796 6,089 78.1% 156 2,366 1,859 78.6% 34 34,945 25,965 74.3% 1,200 宮城 福島 計 3・11 被 教員数 災校数 (A) 97 1,415 47 898 28 1,090 8 349 129 2,147 66 1,416 47 2,520 6 425 414 6,387 197 4,116 81 3,628 20 1,569 640 9,949 310 6,430 156 7,238 34 2,343 1,140 25,960 2012 教員数 原被災校 在籍率 (A) 教員数(B) B÷A×100 1,612 827 51.3% 1,018 550 54.0% 1,118 671 60.0% 346 195 56.4% 2,350 1,149 48.9% 1,655 808 48.8% 2,525 1,513 59.9% 413 232 56.2% 6,461 3,295 51.0% 4,149 2,046 49.3% 3,655 2,124 58.1% 1,566 915 58.4% 10,423 5,271 50.6% 6,822 3,404 49.9% 7,298 4,308 59.0% 2,325 1,342 57.7% 26,868 14,325 53.3% 2013 2014 原被災校 在籍率 3・11 被 教員数 原被災校 在籍率 教員数(B) B÷A×100 災校数 (A) 教員数(B) B÷A×100 419 29.6% 86 1,316 242 18.4% 294 32.7% 46 891 190 21.3% 515 47.2% 28 1,092 371 34.0% 133 38.1% 8 360 86 23.9% 674 31,4% 117 2,017 413 20.5% 455 32.1% 61 1,348 307 22.8% 1,141 45.3% 46 2,477 842 34.0% 178 41.9% 6 417 120 28.8% 2,120 33.2% 409 6,282 1,266 20.2% 1,318 32.0% 193 4,099 792 19.3% 1,568 43.2% 81 3,615 1,144 31.6% 652 41.6% 20 1,562 465 29.8% 3,213 32.3% 612 9,615 1,921 20.0% 2,067 32.1% 300 6,338 1,289 20.3% 3,224 44.5% 155 7,184 2,357 32.8% 963 41.1% 34 2,339 671 28.7% 9,467 36.5% 1,101 25,476 6,238 24.5% ― 137 ― 5 .被災校の非正規教職員の割合の動態 3・11 被災下の教職員配置について事実の解明と検証を進める上で非正規教員の割合の 動態を無視することができない。現在の教育現場で非正規教員は重要な役割を果たしてい るが、その割合の動態については、事実の解明と意味の検証が必要である。3・11 被災下 の教員配置における要の位置に義務標準法と高校標準法の運用があることをふまえ、ここ での非正規教員は義務標準法と高校標準法に基づき配置されている数に限って分析を行い 以下の数字を得た。 表 21 東北 3 県の 3・11 被災校の非正規教員率(朝鮮学校を除く 2010 − 2014 年度) 岩手 小 中 高 特 小 中 高 特 小 中 高 特 小 中 高 特 総 計 宮城 福島 計 2010 3・11 被 教員数 非正規 非正規率 3・11 被 災校数 (A) 教員数(B) B÷A×100 災校数 95 1,634 123 7.5% 137 50 1,026 136 13.3% 66 27 1,124 148 13.2% 32 5 356 65 18.3% 9 35 635 82 12.9% 324 24 562 109 19.4% 167 35 2,048 297 14.5% 50 3 267 47 17.6% 6 9 154 24 15.6% 426 10 182 23 12.6% 201 9 423 77 18.2% 83 0 0 0 0% 20 139 2,423 229 9.5% 887 84 1,770 268 15.1% 434 71 3,595 522 14.5% 165 8 623 112 18.0% 35 302 8,411 1,131 13.4% 1,521 ― 138 ― 2011 教員数 非正規 非正規率 (A) 教員数(B) B÷A×100 1,937 139 7.2% 1,242 150 12.1% 1,216 167 13.7% 393 53 13.5% 6,497 715 11.0% 4,139 680 16.4% 2,648 406 15.3% 395 51 12.9% 6,706 721 10.8% 4,262 571 13.4% 3,932 707 18.0% 1,578 297 18.8% 15,140 1,575 10.4% 9,643 1,401 14.5% 7,796 1,280 16.4% 2,366 401 16.9% 34,945 4,657 13.3% 岩手 小 中 高 特 小 中 高 特 小 中 高 特 小 中 高 特 総 計 宮城 福島 計 岩手 小 中 高 特 小 中 高 特 小 中 高 特 小 中 高 特 総 計 3・11 被 災校数 113 52 28 8 149 76 47 6 420 200 81 20 682 328 156 34 1,200 2012 2013 教員数 非正規 非正規率 3・11 被 教員数 非正規 非正規率 (A) 教員数(B) B÷A×100 災校数 (A) 教員数(B) B÷A×100 1,612 139 8.6% 97 1,415 149 10.5% 1,018 139 13.7% 47 898 125 13.9% 1,118 173 15.5% 28 1,090 168 15.4% 346 46 13.3% 8 349 50 14.3% 2,350 287 12.2% 129 2,147 289 13.5% 1,655 314 19.0% 66 1,416 264 18.6% 2,525 412 16.3% 47 2,520 422 16.7% 413 67 16.2% 6 425 61 14.4% 6,461 642 9.9% 414 6,387 670 10.5% 4,149 596 14,4% 197 4,116 607 14.7% 3,655 602 16.5% 81 3,628 620 17.1% 1,566 312 19.9% 20 1,569 338 21.5% 10,423 1,068 10.2% 640 9,949 1,108 11.1% 6,822 1,049 15.4% 310 6,430 996 15.5% 7,298 1,187 16.3% 156 7,238 1,210 16.7% 2,325 425 18.3% 34 2,343 449 19.2% 26,868 3,729 13.9% 1,140 25,960 3,763 14.5% 宮城 福島 計 3・11 被 教員数 災校数 (A) 86 1,316 46 891 28 1,092 8 360 117 2,017 61 1,348 46 2,477 6 417 409 6,282 193 4,099 81 3,615 20 1,562 612 9,615 300 6,338 155 7,184 34 2,339 1,101 25,476 2014 非正規 非正規率 教員数(B) B÷A×100 124 9.4% 114 12.8% 182 16.7% 54 15.0% 312 15.5% 279 20.7% 419 16.9% 74 17.7% 647 10.3% 613 15.0% 606 16.8% 338 21.6% 1,083 11.3% 1,006 15.9% 1,207 16.8% 466 19.9% 3,762 14.8% ― 139 ― 6 .子どもと教職員が死亡・行方不明となった学校における追悼碑等の設置、追悼式の実 施、震災記録集の編纂について 阪神・淡路大震災下の教育現場では「震災をわすれないとりくみ」が重ねられている が、その経験を東北 3 県に活かすには慎重さが要求される。先述したように東北 3 県には 行方不明の子どもと教職員が 74 人いて、放射性物質に汚染された避難指示区域等の校舎 には立ち入ることさえできず、震災と向き合うための前提がまだつくられていない。だ が、被災者の苦しみには共通点も多い。兵庫における「震災をわすれないとりくみ」か ら、3・11 被災校の課題を整理すると 5 点にまとめることができる。 ①被災した子ども・保護者・教職員の苦しみは数十年以上の長期に及ぶ。そのことをす べての子どもと教職員が理解すること。 ②被災者が前を向いて生きていくためには、震災と向き合う学習の機会が必要であるこ と。 ③そうした学習の機会をつくりだすうえで学校の追悼式のもつ意味が大きいこと。 ④学校の追悼式に着手し継続するうえで、震災記録集をつくることと校内に追悼碑・プ レート等を設置することの意義が大きいこと。 ⑤追悼碑・プレート等の設置、追悼式の実施、震災記録集の編纂には、被災校ごとに 様々な開始時期があることを関係者が理解すること。 以上の視点をふまえ、子どもと教職員が死亡・行方不明となった学校における追悼碑・ プレート等の設置、追悼式の実施、震災記録集の編纂について、とくに被災地の当事者の 意向に十分配慮をして調査を進めた(巻末の付 2 参照) 。 六 3・11 被災校の動向に関わる追加候補項目について-保養を中心に いずれも原発災害に関わる 4 つの項目を調査要項に掲げた。その意味については第Ⅱ部 で論じたことをふまえ、ここではとくに保養について論じておきたい。 原発災害下の保養(保養)については、1986 年のチェルノブイリ原発事故後にソ連及 びソ連解体後のウクライナ・ベラルーシ・ロシア 3 国で取り組みが重ねられている。ウク ライナの場合、放射性物質の汚染地で生活している子どもを対象として、公費により年 21 日間、汚染の少ない保養地に子どもを移動させて宿泊させ、子どもに安全性の高い食 事の提供をはじめとする療養を行うことが今日まで続けられている。 3・11 被災下の保養には、①民間団体が子どもへの保養を希望する保護者の要望に応じ て 1 回数日の保養を実施するものが主流となっているが、②伊達市では 2012 年度から市 内 21 小学校のうち 9 校が新潟県見附市における 3 日間の「移動教室」に取り組んでお り(注 24)、③福島朝鮮初中級学校では 2012 年度に新潟朝鮮初中級学校におけるのべ 44 日 (注 24)白石草「福島の子どもたちに『自然』を─伊達市「移動教室」の試みが問うもの」『世 界』839 号、2013 年 2 月号。 ― 140 ― 間の「合同生活」に取り組んでいる(注 25)。以上は、民間・自治体・民族学校の動きであ り、3・11 被災下の保養について国の動きは遅い(注 26)。 3・11 被災下の保養について、これまでは保養を必要としている子どもが何県の何校に 在籍しておりその総数が何人に及ぶかについての調査と議論が行われてこなかった。本調 査を手がかりの 1 つとして調査と議論を前進させることが求められている。 七 今後の課題 稿を閉じるにあたり本調査研究に残された今後の課題を 3 点について述べたい。1 つは、 本調査研究による学校段階の分析をふまえて、3・11 災害の実態を一人ひとりの子どもに ついても明らかにすることである。3・11 災害の影響、とりわけ原発災害の影響は、一人 ひとりの子どもの避難経路、被ばく線量、健康調査の経過まで見なければ明らかにするこ とができない。 2 つは、本調査研究で用いた分析概念を手がかりにして、東日本の全域における 3・11 災害の実態を明らかにすることである。地震・津波等被災校は東北 3 県外にも拡がってお り、原発被災校 A は東北 3 県とあわせて茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉各県に分布して いる。本調査研究では原発被災校 B についても概念を組み、東北 3 県における当該校の 分析に着手したところであるが(第Ⅲ部参照) 、その拡がりは原発被災校 A よりもさらに 広範囲に及んでいる。それらを明らかにしなければ 3・11 災害の全体に近づくことはでき ない。 3 つは、まずは本調査研究が提起した 3・11 被災 1,523 校(2011 年度)を叩き台の 1 つ として、3・11 災害の実態についての議論をひろく教育界で共有していくことである。3・ 11 被災校の定義についても、研究の手続きについても、不備があれば改めていきたい。 (注 25)具永泰・大森直樹編『原発災害下の福島朝鮮学校の記録─子どもたちとの県外避難 204 日』明石書店、2014 年。 (注 26)3・11 被災下の保養に関する動きとして、2013 年度から予算措置された復興庁による「福 島県の子供たちを対象とする自然体験・交流活動支援事業」がある。事業目的は「福島県内の 子供を対象として、学校や社会教育団体等が実施する自然体験活動や県外の子供たちとの交流 活動を支援することにより、 「子供の元気復活」に資する」こととされ、事業概要は以下とされ ている。 福島県内の幼児・児童生徒(小中学生)を対象に、福島県内の学校または社会教育団体が実 施する以下の事業に対し、事業実施に必要な経費(宿泊費、交通費、活動費)の 1/2 を補助す る。 ・自然体験活動(キャンプ、ハイキング、自然観察、農林漁業体験等) ・福島県内と福島県外の幼児・児童生徒との交流活動 福島県内(1 泊以上)※ただし、社会教育団体等が実施する場合は、夏休みや冬休みを 利用した 1 週間以上 福島県外(1 週間以上)※ただし、福島県が適当と認めた場合に限る 実施者 福島県(教育委員会) ― 141 ― 教育界をはじめ社会が立場をこえて被災の事実に向き合い、子どもたちの未来のいのちを 守る取り組みを前進させていくため、本調査研究にいささかでも資するところがあれば著 者たちにとってこれにすぐるよろこびはない。 資料 2 放射線量の考え方 毎時 3.8 マイクロシーベルトは年間 20 ミリシーベルト(文部科学省 4・19 通知 2011 年 4 月〜夏期休業終了前) 考え方 放射線量が 1 時間 3.8 マイクロシーベルトの学校における、1 年の追加被ばく放射線 量は 20 ミリシーベルトにあたる ○ 3.8 マイクロシーベルトの内訳 ・自然界からの放射線量 0.04 マイクロシーベルト ・事故による追加被ばく放射線量 3.76 マイクロシーベルト その前提① ○ 1 日のうち屋外に 8 時間、屋内(遮へい効果 0.4 倍)に 16 時間滞在するという生 活パターンを想定し、子どもの生活全般(24 時間×年 365 日)を対象とする 1 時間 3.76 マイクロシーベルト×(8 時間+ 0.4 × 16 時間)× 365 日< 1 年 20 ミ リシーベルト 毎時 1 マイクロシーベルトは年間 1 ミリシーベルト(文部科学省 8・26 通知 2011 年 夏期休業終了後〜現在) 考え方 放射線量が 1 時間 1 マイクロシーベルトの学校における、1 年の追加被ばく放射線量 は 1 ミリシーベルトにあたる ○ 1 マイクロシーベルトの内訳 ・自然界からの放射線量 0.04 マイクロシーベルト ・事故による追加被ばく放射線量 0.96 マイクロシーベルト その前提② ○学校では屋外に 2 時間、屋内(遮へい効果 0.4 倍)に 4.5 時間滞在するという生活 パターンを想定し、子どもの学校生活のみ(6・5 時間×年 200 日)を対象とする 1 時間 0.96 マイクロシーベルト×(2 時間+ 0.4 × 4・5 時間)× 200 日= 1 年 1 ミリ シーベルト 備考 「その前提②」は特殊なためこれを「その前提①」に戻すと次のような「考え方」が 導かれる 1 時間 0.96 マイクロシーベルト×(8 時間+ 0.4 × 16 時間)× 365 日= 1 年 5 ミリシー ベルト 放射線量が 1 時間 1 マイクロシーベルトの学校における、1 年の追加被ばく放射線量 は 5 ミリシーベルトにあたる ― 142 ― 毎時 0.23 マイクロシーベルトは年間 1 ミリシーベルト(環境省 2011 年資料) 考え方 放射線量が 1 時間 0.23 マイクロシーベルトの場における、1 年の追加被ばく放射線量 は 1 ミリシーベルトにあたる ○ 0.23 マイクロシーベルトの内訳 ・自然界からの放射線量 0.04 マイクロシーベルト ・事故による追加被ばく放射線量 0.19 マイクロシーベルト その前提③ ○ 1 日のうち屋外に 8 時間、屋内(遮へい効果 0.4 倍)に 16 時間滞在するという生 活パターンを想定し、生活全般(24 時間×年 365 日)を対象とする。 1 時間 0.19 マイクロシーベルト×(8 時間+ 0.4 × 16 時間)× 365 日= 1 年 1 ミリ シーベルト 資料 3 汚染状況重点調査地域(2011 年 12 月 28 日と 2012 年 2 月 28 日に指定) 下線は 2012 年 2 月 28 日指定 市町村数 指定地域 岩手県 3 一関市、奥州市及び平泉町の全域 宮城県 9 石巻市、白石市、角田市、栗原市、七ヶ宿町、大河原町、丸森町、 山元町及び亘理町の全域 福島県 41 福島市、郡山市、いわき市、白河市、須賀川市、相馬市、二本松 市、伊達市、本宮市、桑折町、国見町、大玉村、鏡石町、天栄村、 会津坂下町、湯川村、三島町、昭和村、会津美里町、西郷村、泉崎 村、中島村、矢吹町、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉 川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町、広野町及び新地 町の全域並びに田村市、南相馬市、川俣町、川内村及び柳津町の区 域のうち警戒区域又は計画的避難区域である区域を除く区域 茨城県 20 日立市、土浦市、龍ケ崎市、常総市、常陸太田市、高萩市、北茨城 市、取手市、牛久市、つくば市、ひたちなか市、鹿嶋市、守谷市、 稲敷市、鉾田市、つくばみらい市、東海村、美浦村、阿見町及び利 根町の全域 栃木県 8 佐野市、鹿沼市、日光市、大田原市、矢板市、那須塩原市、塩谷町 及び那須町の全域 群馬県 12 桐生市、沼田市、渋川市、安中市、みどり市、下仁田町、中之条 町、高山村、東吾妻町、片品村、川場村及びみなかみ町の全域 埼玉県 2 三郷市及び吉川市の全域 千葉県 9 松戸市、野田市、佐倉市、柏市、流山市、我孫子市、鎌ケ谷市、印 西市及び白井市の全域 計 104 (環境省報道発表資料より作成) ― 143 ― 資料 4 兵庫県教委の教育復興担当教員配置 年度 教育復興担当 教員数 心のケア 担当教員数 要ケア 子ども数 1995 128 調査せず 1996 207 3812 1997 207 4089 1998 207 4106 1999 207 4105 2000 207 3392 2001 180 3142 2002 130 2549 2003 65 1908 2004 55 1337 2005 36 808 2006 16 492 2007 13 341 2008 9 169 2009 4 74 兵庫県教職員組合・兵庫教育文化研究所編『いのち やさしさ まなび─兵庫発の防災読 本』(アドバンテージサーバー、2005 年)ほかより作成 資料 5 警戒区域・計画的避難区域の解除と帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除 準備区域への再編(原子力災害対策本部指示) 自治体(再編実施日) 帰還困難 区域 川内村(2012 年 4 月 1 日) 居住制限 避難指示解除 区域 準備区域 ○ 田村市(12 年 4 月 1 日) ○ 14 年 10 月 1 日に一部 ○ 14 年 4 月 1 日 南相馬市(12 年 4 月 16 日) ○ ○ ○ 飯舘村(12 年 7 月 17 日) ○ ○ ○ 楢葉町(12 年 8 月 10 日) ○ 大熊町(12 年 12 月 10 日) ○ ○ ○ 葛尾村(13 年 3 月 22 日) ○ ○ ○ 富岡町(13 年 3 月 25 日) ○ ○ ○ 浪江町(13 年 4 月 1 日) ○ ○ ○ 双葉町(13 年 5 月 28 日) ○ 川俣町(13 年 8 月 8 日) 避難指示解除 準備区域の解除 15 年 9 月 5 日 ○ ○ ○ (2015 年 9 月 10 日時点) ― 144 ― 付属資料 付属資料 ― 145 ― 付 1 「東日本大震災にかかる避難児童生徒に対する支援状況アンケート調査 -兵庫県の公立小・中学校を中心に-(2015 年度)」結果概要 兵庫教育文化研究所防災教育部会 アンケート配布 2015 年 8 月 10 日 回収締め切り 9 月 25 日 該当分会 1154 分会(小学校 762 校、中学校 345 校、特別支援学校 24 校、幼稚園 16 園、 その他 7 校が対応) 回答分会 832 分会(小学校 596 校、中学校 213 校、特別支援学校 15 校、幼稚園 8 園 が対応) 回答率 72% 1 あなたの分会には、東日本大震災での被災が理由で転入してきた、児童・生徒がい ますか。 ① ( 81 校 )今もいる ② ( 47 校 )震災後はいたが今はいない ③ ( 667 校 )今までいなかった ④ ( 37 校 )わからない 2 児童・生徒はどこから避難されてきましたか? 該当される都府県名をお答えくだ さい。また、人数もお答えください。※複数回答可 ① 過去にいた人数 ( 88 )人 岩手県( 3 )人・宮城県( 17 )人・福島県( 43 )人 その他( 25 東京都、茨城県、千葉県、神奈川県、埼玉県、群馬県、不明 ) ② 現在いる人数 ( 124 )人 岩手県( 1 )人・宮城県( 9 )人・福島県( 75 )人 その他( 42 東京都、茨城県、千葉県、神奈川県、埼玉県、栃木県、不明 ) 3 学校で受け入れ時、受け入れ後(もしくは、現在) 、何らかの配慮をされましたか? された場合、具体的にお答えください。 (1)受け入れ時 A.保護者から話を聞いた ・被災の状況や心配事、学校への連絡や要望などを聞きとった。 ・保護者が給食の材料の産地を気にしていたので、栄養教諭との連携を密にした。 (放 射能避難のため) ・修学旅行については、関東方面の件を強く拒否していた。 B.被災状況、現在の様子などを教職員で共通理解をした ・保護者からの要望で、どこから避難してきたかは言わないようにした。 ― 146 ― ・本人の被災状況、現在の様子など。言葉かけに配慮した。 ・通常の転入生と同様に受け入れた。 C.学習の準備物の確保と児童生徒への事情説明をして理解をはかる ・学用品の準備(費用は市教委負担) 。 ・受け入れ前に学年の生徒へ事情説明。 D.心のケアをしていく ・母親と児童が本校のスクールカウンセリングの先生にカウンセリングを受ける。 ・震災に関する映像や写真などトラウマになっているみたいなので、防災に関する授業 をする場合は休ませるなど配慮した。 (2)受け入れ後(もしくは、現在) A.子どものようすを見ておき、保護者との連絡を密にしていく ・給食の食材の産地、魚や牛乳への放射能の心配があり、代替食や弁当の準備など。 ・防災学習・防災訓練の内容を事前に確認した。 ・震災関連の援助費について。就学援助情報提供。 B.学校全体・クラス全体のこととしてとりくむ ・現在、なるべく震災のことも含めて東北の話題を気に留めクラスの中で話題にする。 ・クラスの他の児童にも特別配慮の件、話をして理解を求めている。 ・学級に居場所をつくるようにした。 C.心のケアにあたる ・PTSD の症状が出たこともあるので、その時は職員集合で周知し SC へつないだ。 ・スクールカウンセラーの先生に関わっていただいている。子どもの授業の様子や学 力・生活面で気づいたことでアドバイスをもらったり、保護者と面談をして、心の安 定を図ったりしている。 D.その他 ・給食においての配慮を他の児童にはふせている。 4 現在、避難されている児童・生徒の様子で気になることおよび課題と思われることが あれば、お書きください。また、そのことに対してどのような実践をされましたか。 A.子どもが精神的に不安定になっている。母親も心配である ・日頃は気になることは見られないが、何かのきっかけで問題が起きないか常に考えて いる。 ・無口になり、人との関わりが少なくなった状態で転入してきた。 ・トラウマになるくらい大きなものであったことや、根深いものであると感じた。 ・フラッシュバックで当時のことを思い出してしまうのではないか。日頃の話題の中で も地震・放射能・津波などのキーワードになるような言葉を使うときは気になる。 ― 147 ― B.家族の生活が不安定になっている ・給食の食材について、保護者の不安があること。 ・父親が単身赴任で、母親の気持ちが落ち着かず、その不安定さで子どもも落ち着きが ない。 ・高校進学に向けて金銭面についての不安である。 ・進路に関する情報不足のため不安になっている。 C.防災学習や訓練をおこなう時の不安がある ・地震を想定した避難訓練や防災訓練をおこなう時に、フラッシュバックで当時のこと を思い出してしまうのではないか。また、日頃の話題の中でも地震・放射能・津波な どのキーワードになるような言葉を使うときは気になる。 ・教科書に地震の教材(稲むらの日)が載っていて、本人は少し当時のことを思い出し たようだった。 D.実践されたこと・よかったと思えること ・少しの異変でも気づいていけるように、日常生活の行動を注視している。 ・放課後は個人支援で学習している。母とも十分に連絡をとるようにしている。 ・担任が抱きしめたり声かけしたりして、安心させるようにしたことで、以前は、フ ラッシュバックして、情緒が不安定になることもあったが、今は特に表面上はなく なった。 5 東日本大震災被災地・被災校等と連携した教育活動があればお書きください。 (1)被災地への募金 ・今年度、実施している……………………27 小中学校 ・以前、募金活動をしたことがある………27 小中学校 (2)被災地校との交流 A.ピンポイントで学校との交流 ・仙台市 A 小学校との交流。手紙のやりとり、PTA と連携してカイロ等の物資贈与。 ・生徒会が企画し、2012 年度から仙台市立 B 中学校と交流。全校生の折り鶴でメッセー ジの額を贈るなど、代表者 3 名が学校を訪ねるなど交流。 ・2015 年 1 月 17 日、 「震災メモワール」吹奏楽部が参加。気仙沼市 C 小学校 5 年生 40 名との交流。防災学習、合同合唱を本校体育館にて。今年度も交流学習を計画してい る。 ・ベルマーク収集活動を通じ、E 中学校と交流を続けている。メール、手紙、教員の行 き来。 ・石巻市 F 小学校との姉妹校交流。2011 年 5 月 23 日に調印。映像や写真、文書などに よって学習等の交流をおこなっている。現在は主に「SKYPE」を利用したインター ネット交流が主である。 ― 148 ― ・石巻の小中学校教職員と豊岡市の教職員とバスケットボールを通した交流を続けてい る。 ・3 年生・5 年生で作っている米を、メッセージをつけて岩手県の G 小学校に送ってい る。 ・部活動による被災校との交流し合いをおこない励ましやエールを送った。 B.被災地・地域との交流 ・高学年・委員会が主体となった東日本との交流を色々な形でおこなっている。 ・加古川市 PTA 連合主催で、南三陸への被災地訪問と現地でのふれあい。生徒会の絆 プロジェクト、被災地の子どもたちの訪問や被災地の子どもたちを励ますための企 画。 ・児童会で年に 3 回名取市の仮設住宅の方々に全校が手紙(メッセージ)を書いてお届 けしている。 ・「命を守る森の防潮堤」として使われる苗木を育てている。 ・ポケットティッシュにメッセージを入れ、宮城県の学校へ送付した。 ・2015 年度中学生高校生防災ジュニアリーダーによる東日本大震災の被災地支援に 2 名が参加した。 C.交流を考えている ・「つなごう!心と心、歌と歌」9 月予定。 〈内容〉 ・震災を経験していない子どもたち が実際に震災にあった町や人と出会い、状況を理解し、人々の思いに沿った上で震災 について考える。震災があった地に立ち、思いを込めて歌「しあわせ運べるように」 「笑顔の向こうに」を歌う。 ・2 年後(2017 年度)の修学旅行において、何らかの交流ができないかと考えている。 D.交流ではないが… ・直接的ではないが、毎年北野夏祭りで使用する行灯の模様描きを 3 年生がとりくんで いる。その時、東日本の被災地に向けたメッセージを書いている。 ・仙台市教育委員会の方に来ていただき、子どもたちに話を聞かせていただいた。 ・保護者にボランティアに行かれた方がおられ、その方に講演していただいた。 ・被災者の方々にエールを届けるための「歌おう NIPPON」プロジェクトで配信され た『ほらね』を文化祭の 1 年生学年合唱曲としてとりくませている。 ・南相馬市の小学校で担任が作った歌を、給食時などに本校で流して聞いた。楽譜にも おこした。 ・「一万人の花が咲くプロジェクト」 (NHK)に応募。歌「花が咲く」が放送された。 6 その他、東日本大震災で避難している子どもやご家族について、お考えのことがあ ればお書きください。 A.一日でも早く元の地域で安心して安全に暮らせることと学校教育の復興を願っている ・岩手など沿岸部では、まだまだ避難の長期化が予想されるので今後も何らかの支援が ― 149 ― 必要である。 ・生活面だけでなく金銭的な補助も必要であると考える。募金活動の継続を。 ・政府に対してこれからもはたらきかけていこう。日本中で助けていかなければならな い。 ・子どもはもちろん保護者のケアも必要だ。 ・被災した子どもたちや家族のために心理の専門家(カウンセラー等)をできるだけ配 置してほしいと思う。 ・「いつも応援しています」 「いつも気にかけています」というメッセージを送り続ける ことが大切だと思う。 ・避難されている児童生徒やご家族の精神的・経済的負担は大変なものだと思う。組合 活動を通して、その負担の軽減に役立ちたいと思う。 ・早期復興に向けたとりくみを日教組がもっとはたらきかけをしてほしい。 B.震災を風化させないようにとりくまなければならない ・メディアも継続した報道をしてほしい。 ・子どもたちに伝え、子どもたちができることを考えさせたい。 ・震災当時の記憶を風化させないためにも、 「防災教育」を学校で続けていきたい。 ・被災が理由で転入してくることがあれば、温かく受け入れたいと思っている。 C.東京電力福島第一原発事故から派生した問題にとりくまなければならない ・福島から避難している子どもは放射能や地震の恐怖を未だに感じていると思う。何ら かの手立てが必要だ。 ・放射能の被害について正確な学習が必要。変な噂で避難する子が嫌な目にあわないた めに。 ・まだ自宅に帰ることがかなわない方々や恐怖が癒えない方々がいる中、原発再稼働と はいかがなものか。 ・福島県の放射能汚染危険区域が解除になっているが、本当に大丈夫なのだろうか。 ・国や東電が支援するよう国民が正しく判断するのが本筋だが、兵教組も支援する体制 を今後も続けてほしい。 D.その他に気になっている点 ・いま自分たちができることは災害に対して経験からの知識を次世代へと受け継ぎ、組 織として心のケアを必要とする児童を見守ることだと思った。 ・東京オリンピックに莫大なお金を使ったり、安保関連法案に力を注いだりするより も、被災地の復興に十分な予算をあてたり、原発問題の解決にむけて努力したりする のが先だろうと思っている。 ・特に障害のある生徒に支援できることがあれば協力したいと思う。 ・震災・学校支援チーム(EARTH)員の体験談からの情報や話は貴重である。 ― 150 ― 㻝㻠 㻝 㻞 㻞 㻝 㻞 㻠 㻝 㻝 仙台市立四郎丸小学校 仙台市立七郷小学校 名取市立閖上小学校 名取市立下増田小学校 名取市立名取第一中学校 名取市立増田中学校 名取市立閖上中学校 㻟 㻠 㻡 㻢 㻣 㻤 㻥 㻝㻜 岩沼市立玉浦小学校 㻝㻝 岩沼市立玉浦中学校 㻝㻞 亘理町立高屋小学校 㻝㻟 山元町立山下第二小学校 㻝㻠 山元町立坂元中学校 㻝㻡 山元町立山下中学校 㻝㻢 塩竃市立塩竃第三中学校 㻝㻣 七ヶ浜町立七ヶ浜中学校 㻟 㻡 㻝 㻞 㻝 㻝 仙台市立岡田小学校 㻞 㻝 㻝 児童生徒 児童生徒 教職員 死者数 不明者数 死者数 仙台市立荒浜小学校 学校名 㻝 番号 児童生徒・教職員の死者数等 は2012年7月段階の人数 ― 151 ― ある ない ある ある ある ない ない ない ない ない ない 㻝 2015年2月に亡くなった生徒4名(ほかに小学 生1名)の名前を刻んだ「命の碑」を建立。 毎年3月に実施している。亡くなった子が卒業する年 度に一緒に卒業させる形で卒業式を実施。2016年3 ない 月に、小学校で犠牲になった児童の入学年に合わ せ、追悼集会を予定している。 ある ない ある 2012年3月設置。「2011年3月11日、私たちの 大切な仲間が津波の犠牲になりました。私た ちは、笑顔が絶えなかった2人のことを決して 忘れません。」 2015年2月実施。被災の記念碑の除幕式(全校生徒 ない で)。2015年3月は町主催の会に参列。 ない ない 毎年3月11日に追悼の式(朝会)を実施。 2011年10月設置。支援でキャサリン、ジェンキ ない ンスが来校して植樹を行った。 ある 毎年3月11日午後2時46分に追悼行事として行って ない いる。 毎年3月11日 ※朝会で亡くなった子の話をしてい る。 全校集会で校長講話、現在の閖上地区の様子のス ライドショー、黙とう、防災についての話等を行う予 ない 定 2012年3月設置。亡くなった生徒の名前が14名 書かれている。これは学校ではなく遺族会が ある 建てました。 ある ない ない ない ない 㻟 被災の記念碑はPTAと同窓会が共同で建立し ない ました。 亡くなった子どもや教職員の追悼集会の実施状況 今年の3.11の予定 ない ない ない 㻞 ない 亡くなった子どもや教職員の追悼碑、プレー ト、 植樹などがありますか。碑文の内容 ※1~3無記入は、回答の無かった学校 震災記録集「希望の光」 津波被害、避難所運営の記録集「伝える」 亡くなった子どもや教職員の追悼に関わる 震災記録集(追悼文集)など 被災校における追悼碑、追悼式、震災記録集についての調査結果一覧 ※子どもや教職員が犠牲になった学校59校(閉校前でカウント)に依頼→45校から回答 宮城県教職員組合 2015年3月実施 付2 ― 152 ― 㻡 㻠 㻟 石巻市立吉浜小学校 (現北上小) 㻟㻝 㻟㻞 石巻市立門脇中学校 㻟㻟 石巻市立湊中学校 㻟㻠 石巻市立荻浜中学校 㻟 㻝 㻞㻤 石巻市立雄勝小学校 石巻市立橋浦小学校 (現北上小) 㻣㻜 㻞㻣 石巻市立大川小学校 㻟㻜 㻠 㻞㻢 石巻市立鹿妻小学校 石巻市立相川小学校 (現北上小) 㻞 㻞㻡 石巻市立大街道小学校 㻞㻥 㻞 㻣 㻞㻠 㻟 㻞㻠 石巻市立万石浦小学校 㻞㻟 石巻市立稲井小学校 㻞㻞 石巻市立渡波小学校 㻞㻝 石巻市立釜小学校 石巻市立湊第二小学校 (現湊小) 㻝 㻝㻥 石巻市立湊小学校 㻞㻜 㻟 㻝㻤 石巻市立門脇小学校 㻝 㻞 㻝 㻠 㻝 㻝 㻠 ない ない ない 㻝 ない ない ある 㻝 ある 㻝㻜 ない ない ない ない ない ある ない ある 2012年3月設置。 2013年3月設置 被災の記念碑、閉校記念碑はある。 被災の記念碑、閉校記念碑はある。 2012年3月設置。 ない ない ある ある ある ある ある ない ある ない ない ない ない ない 亡くなった子どもの保護者の意向等を考慮し、実施 しなかった。今年は3月11日(みやぎ鎮魂の日)を臨 ない 時休業とし、追悼する。 閉校記念誌をつくった 閉校記念誌をつくった 閉校記念誌をつくった 2012年3月発行。震災記録集(一部に追悼文) 「東日本大震災の記録~1年後の子どもたち (ある) の声~」→1年後の子どもたちの思いを綴った 作文集。その一部に亡くなった友達(1名)へ の手紙を入れた。 2012年と13年の3月に実施。卒業式前に追悼の意を 込めた全校集会を開いた。震災後の運動会にて、 生徒のコメントを風船に乗せて全校で飛ばした(9 ない 月) 今年は9月になるが、運動会で生徒のコメント を一緒に風船を飛ばす予定。 毎年3月11日前に 毎年3月11日前に 毎年3月11日前に 2011年12月実施 特定の子どもに向けてではないが、卒業式を挙行 する前に出席者全員で黙とうを捧げた。特定の子ど ない もに向けてではないがこの3月も臨時集会を予定し ている。 特別にそれだけを取り上げた会はありませんが、臨 時朝会で黙とう等を行っています。今年もみやぎ鎮 ない 魂の日の前日に臨時朝会を行います。 2012年から毎年3月に実施。今年は3月10日の朝に ない 追悼と感謝と希望の日集会を開催。 ない ない 毎年3月実施。卒業予定だった児童のご家族に連絡 をし、卒業証書の授与を行っています。いろいろなイ ない ベントはたくさん、そして突如行われているようで す。 ない 2012年3月、卒業式で卒業証書(番号無し)を家族に 手渡した。この3月は祈りと誓いのつどいを実施予 ない 定。 わか 3月10日実施予定 らない ある ない ある ― 153 ― 㻞 㻞 石巻市立大川中学校 (現河北中) 㻟㻥 東松島市立矢本東小学校 㻝 㻠㻞 東松島市立赤井南小学校 㻝 㻟 㻞 㻝 東松島市立鳴瀬未来中学 校 女川町立女川第一小学校 (現女川小) 女川町立女川第一中学校 (現女川中) 気仙沼市立南気仙沼小学 校(現気仙沼小) 㻠㻢 㻠㻣 㻠㻤 㻠㻥 㻡㻝 気仙沼市立松岩小学校 㻡㻜 気仙沼市立鹿折小学校 㻟 㻠 東松島市立矢本第二中学 㻠㻡 校 㻠㻠 東松島市立矢本第一中学 校 㻥 㻝 㻠㻝 東松島市立赤井小学校 㻠㻟 東松島市立野蒜小学校 㻝㻜 㻠㻜 東松島市立大曲小学校 㻟㻤 㻝㻞 㻢 㻟㻣 石巻市立青葉中学校 㻟㻢 石巻市立稲井中学校 㻟㻡 石巻市立渡波中学校 㻞 㻝 㻝 㻝 㻝 㻝 㻝 その 他 ない ない ない ない ない ない ある ない ない ない ない ない ない ない ない 2012年11月実施。寄贈していただいた文庫の感謝 ない の会で、追悼も行った。 ない 図書室に遺族から寄贈された文庫がつくられ ある た。 ない 同上。 3月11日の町の追悼式には任意の参加。学校にい る、士気だけ参加、欠席(公認)など、心情に配慮し ない た形で迎えます。 ない 女川一小、二小、四小、一中、二中で閉校文 集を作成。それらの中に追悼の意が込められ ている原稿も含まれています。また、2012年 夏、青志社から「まげねっちゃ」で、当時の小中 5校が分担して震災の記録を発行しています。 閉校記念誌をつくりました。 毎年3月11日。毎年3月11日に追悼集会を実施。今 年も同じく実施。 卒業式で、亡くなった子どもへの証書の授与を行っ ない たり、黙とうを行った。 3月は生徒集会を企画中。 改めて追悼集会を行っているのではなく、入・卒業 式前の黙とう、集会時に亡くなった児童の名前を校 ない 長が話したりして、年に何回か追悼の意を込めて行 われている。 2012年3月実施。卒業に際しては、保護者の意向を 確認した上で、代理の児童に卒業証書(通し番号な し)を授与しています。3月11日には「祈りの集い」を ない 開催しています。 今年は3月11日、業前の時間帯 に全校で「祈りの集い」を予定しています。 追悼集会は3月11日の業間に開きますが、子ども・ 教職員に限定してのものではありません。 ない 入学式や卒業式において黙とうを行い、哀悼の意を 表す場面はあったが、そのための集会等は行って ない いない。 卒業式の前に全員で黙とう(1分間)を行った。 ない わか らない ない 女川二小の校舎を間借りしていたのでそのよ ある うな発想にいたっておりません。 閉校記念碑を建てました。 2011年11月設置。セブンイレブンさまから11 本(寄贈時で9名死亡、2名不明が確認されて おりました)の桜をいただき、木のポットに仮植 ある えしており、2014年6月、プールわきに定植しま した。 ない ない ない ない ない ― 154 ― 㻡㻥 南三陸町立戸倉中学校 (現志津川中) 㻝 㻝 㻡㻣 気仙沼市立志津川小学校 㻝 㻞 㻝 㻡㻢 気仙沼市立階上中学校 㻡㻤 南三陸町立戸倉小学校 㻝 㻝 㻡㻡 気仙沼市立鹿折中学校 㻡㻠 気仙沼市立気仙沼中学校 㻝 ない 㻝 ない ない ない ない 㻡㻟 気仙沼市立大谷小学校 㻝 㻝 ある 㻡㻞 気仙沼市立馬籠小学校 閉校記念碑がある。 わか らない ない ない ない ない 2012年11月設置。「災害のない地域を祈念し て」「子供たちの成長と絆を願いこぶしの花の ごとく」(「こぶし」の植樹とともに) 亡くなられ ある た職員の親御さんからこぶしの植樹と追悼碑 の建立があった。 ある ない ない ない 毎年、教室に亡くなった児童用の机といすを準備し てある。教室に常に写真が飾ってある。毎年、担任 ない になった先生が自宅を訪問している(震災の日) 2012年3月実施。お別れ集会。卒業式の呼びかけの ある 中で。今年は、みやぎ鎮魂の日の集会を予定。 「復興の旗」戸倉中生の写真・作文集のようで す。善王寺小での生活の頃に作り、志津川中 に引っ越したころに完成したそうです。ほか に、志津川中は震災の記録集「光と緑と夢の ある学校~387日間の歩み」、戸倉中は閉校 記念誌「白鷗」を作成した。 2013年6月発行「○○さん、たくさんの笑顔をあ りがとう」~○○さんを偲んで・・・~ ※○○ さんは亡くなった先生 付 3 調査研究の記録 研究委員会 第 1 回 2014 年 5 月 19 日 日本教育会館(千代田区) 研究の目的と計画について 第 2 回 6 月23 日兵庫県教育会館(神戸市) 1・17 後の教職員配置について 調査 要項について 第 3 回 7 月29 日 日本教育会館 原発による被災について 第 4 回 8 月29 日 日本教育会館 調査要項について 第 5 回 9 月29 日 宮城県教育会館(仙台市)兼第 1 回研究調査会議 第 6 回 10 月27 日 福島県教育会館(福島市)兼第 2 回研究調査会議 第 7 回 11 月10 日 日本教育会館 調査シートについて 第 8 回 12 月 5 日 日本教育会館 非正規の概念について 第 9 回 12 月12 日 第 1 部 宮城県教育会館 兼第 3 回研究調査会議 第 2 部 宮城県工業高等学校(仙台市) 兼第 4 回研究調査会議 第 10 回 12 月22 日 福島県教育会館 兼第 5 回研究調査会議 第 11 回 12 月25 日 第 1 部 岩手県教育会館(盛岡市)兼第 6 回研究調査会議 第 2 部 岩手県高等学校教育会館 兼第 7 回研究調査会議 第 12 回 2015 年 1 月 19 日 日本教育会館 調査要項と調査経過について 第 13 回 3 月 2 日 日本教育会館 調査要項と調査経過について 第 14 回 3 月 24〜25 日 敷島館(神奈川県湯河原町)調査要項と調査経過について 第 15 回 4 月20 日 日本教育会館 調査要項と調査経過について 第 16 回 5 月18 日 日本教育会館 調査要項と調査経過について 第 17 回 6 月15 日 日本教育会館 調査経過と中間報告書原稿について 第 18 回 7 月 6 日 日本教育会館 調査経過と中間報告書原稿について 第 19 回 8 月 3 日 日本教育会館 日本教育学会ラウンドテーブル打ち合わせ、 ゲスト白石草さん、中間報告書原稿について 第 20 回 8 月21 日 日本教育会館 日本教育学会ラウンドテーブル報告準備 第 21 回 9 月28 日 日本教育会館 調査経過と最終報告書原稿について 第 22 回 10 月28 日 日本教育会館 調査経過と最終報告書原稿について 第 23 回 11 月30 日 日本教育会館 最終報告書についてと『教育と文化』座談会 第 24 回 12 月 7 日 日本教育会館 最終報告書について 第 25 回 12 月12 日 日本教育会館 調査データ確認について 第 26 回 1 月10 日 日本教育会館 最終報告書について 第 27 回 2 月 3 日 日本教育会館 最終報告書について ― 155 ― 研究調査会議 第 1 回 2014 年 9 月 29 日 宮城県教育会館 3 県 5 教組と協議 第 2 回 10 月27 日 福島県教育会館 福島県教職員組合と協議 第 3 回 12 月12 日 宮城県教育会館 宮城県教職員組合と協議 第 4 回 12 月12 日 宮城県工業高等学校 宮城高校教育ネットワークユニオンと協議 第 5 回 12 月22 日 福島県教育会館 福島県教職員組合と協議 第 6 回 12 月25 日 岩手県教育会館 岩手県教職員組合と協議 第 7 回 12 月25 日 岩手県高等学校教育会館 岩手県高等学校教職員組合と協議 第 8 回 2015 年 7 月 4 日 岩手県教職員組合仮事務所(盛岡市)岩手県教職員組合と協議 被災地調査等 第 1 回 2014 年 6 月 23 日 兵庫教育文化研究所震災資料室 第 2 回 9 月 30 日 岩手県において山田南小学校・山田北小学校(山田町) 、釜石市、陸 前高田市教育委員会を訪問 第 3 回 10 月 28 日 福島県において楢葉町教育委員会・楢葉南小学校・楢葉北小学校・ 楢葉中学校(移転先のいわき市) 、富岡第一小学校・富岡第二小学 校・富岡第一中学校・富岡第二中学校(移転先の三春町) 、浪江小 学校・津島小学校(移転先の二本松市)を訪問 第 4 回 2015 年 3 月 宮城県において本研究委員会と宮城県教職員組合による追悼碑等 についてのアンケート調査実施 研究経過報告 2014 年 7 月 27 日 フロラシオン青山(港区)第 24 回教育総研夏季研究集会第 2 分科会 テーマ 東日本大震災・原発災害と学校の検証─ 3・11 後の教育政策と教育実践― 運営 大森直樹 伊藤書佳 報告 平山瑠子 大橋保明 大森直樹 2015 年 8 月 21 日 日本教育会館(千代田区)第 25 回教育総研夏季研究集会第 3 分科会 テーマ 東日本大震災・原発災害と学校─「3・11 被災校の調査研究」 運営 「東日本大震災原発災害と学校」研究委員会・伊藤書佳 報告 一木玲子 大橋保明 神田英幸 平山瑠子 山口幸夫 コメント 鈴木永輝 藤澤大 板橋眞一 柴口正武 2015 年 8 月 28 日 お茶の水女子大学(茗荷谷)日本教育学会第 74 回大会ラウンドテー ブル テーマ チェルノブイリ原発事故と阪神・淡路大震災をふまえた東日本大震災・原発 ― 156 ― 災害下の学校の課題─ 3 つの調査報告から 運営 一木玲子 大橋保明 報告 白石草 大橋保明 平山瑠子 ― 157 ― 付 4 調査シート記入要項 1 .2010 年度の「被害児童生徒数」欄には、児童生徒の死亡と行方不明の総数を記入す る。 2 .2010 年度の「被害教職員数」欄には、教職員の死亡と行方不明の総数を記入する。 3 .2010〜2014 年度の「避難所・遺体安置所等の開設」欄には、避難場所としての利用、 支援物資保管・自衛隊等の基地・遺体安置・遺失物保管等の利用、他校の再開場所とし ての利用、及び、仮設住宅等の設置場所としての利用が行われたことを資料から確認で きた場合に 1 と記入する。 4 .2010〜2014 年度の「間借り校舎・仮設校舎」欄には、校舎損壊を受けて、他校間借、 空き校舎や他施設等の利用を行ったことを資料から確認できた場合に 1 と記入する。 5 .2011〜2014 年度の「臨時休業・臨時移転」欄には、原子力災害対策本部による警戒 区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域の設定にともない避難指示を受けて臨時休 業あるいは臨時移転を行ったことを資料から確認できた場合に 1 と記入する。 6 .2011〜2014 年度の「自主的避難等対象区域」欄には、文部科学省の原子力損害賠償 紛争審査会が設定した自主的避難等対象区域に位置した場合、あるいは、位置した履歴 のある場合に 1 と記入する。 7 .2013〜2014 年度の「子ども被災者支援法支援対象地域」欄には、子ども被災者支援 法による支援対象地域に位置した場合、あるいは、位置した履歴のある場合に 1 と記入 する。 8 .2011〜2014 年度の「汚染状況重点調査地域」欄には、環境省が設定した汚染状況重 点調査地域に位置した、あるいは場合、位置した履歴のある場合に 1 と記入し、それ以 外の場合は 0 と記入する。 9 .2010〜2014 年度の「被災校の統廃合」欄には、学校の廃止があった場合に- 1 と記 入し、学校の設置があった場合に 1 と記入する。 10.2011〜2014 年度の「兼務発令 出」欄には、当該校に籍を置きながら他校への勤務 を命じられた教員数を記入する。この教員数は「教職員数」欄の内数とする。 11.2011〜2014 年度の「兼務発令 入」欄には、他校に籍を置きながら当該校への勤務 を命じられた教員数を記入する。この教員数は「教職員数」欄の外数とする。 ― 158 ― 付5 被災校の特定に関わる項目 年度 学校名 被災校の動向に関わる項目 子ども被災 被害児童生 被害教職員 避難所・遺体 汚染状況重 被災校の統 児童生徒数 間借り校舎・ 臨時休業・臨 自主的避難 者支援法支 徒数(死亡・ 数(死亡・行 安置所等の 点調査地域 廃合 (総数) 仮設校舎 時移転 等対象区域 援対象地域 開設 方不明) 行方不明) 原児童生徒数 増減 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 2010 2011 2012 2013 2014 ― 159 ― 1 / 1 ページ 学級数(総 数) 特別支援学 教職員数(本 原被災校教 特別支援学 兼務発令出 兼務発令入 級児童生徒 籍) 職員 級数 数 非正規教職 員数 大森 直樹(おおもり・なおき) 「東日本大震災・原発災害と学校」研究委員会委員長。東京学芸大学准教授。教 育学。著書に『大震災でわかった学校の大問題―被災校の教室からの提言』(小 学館) 、編著に『資料集 東日本大震災と教育界』『資料集 東日本大震災・原発災 害と学校』 (ともに明石書店)など。 一木 玲子(いちき・れいこ) 筑波技術大学准教授。インクルーシブ教育。著書に『分けないから普通学級のな い学校―カナダ BC 州のインクルーシブ教育』 (共著/アドバンテージサーバー)、 「特別支援教育における包摂と排除」『公教育における包摂と排除』(共著/八月 書館)など。 大橋 保明(おおはし・やすあき) 名古屋外国語大学准教授。教育社会学。いわき明星大学准教授在職中に東日本大 震災を経験。論文に「原発事故後における高校生の避難生活と意識-楢葉町を事 例として」 『いわき明星大学大学院人文学研究科紀要(11)31-44 2013 年 3 月』な ど。 神田 英幸(かんだ・ひでゆき) 兵庫教育文化研究所副所長。兵庫県の公立小学校教員在職中に震災・学校支援 チーム(EARTH)の一員として国内外で被災した学校の復興支援活動に従事。 論文に「東日本大震災と教育のこれから」『教育と文化』64 号など。 平山 瑠子(ひらやま・るこ) 東京学芸大学研究員。専門は教育実践。論文に「安倍政権の一五教育法と教育現 場」 『世界』862 号(共著)など。季刊フォーラム『教育と文化』(アドバンテー ジサーバー)に「被災地の子どもたちのいま」を連載中。 山口 幸夫(やまぐち・ゆきお) 原子力資料情報室共同代表。市民科学者の立場から発言を続ける。共著書に『21 世紀のエコロジー社会』 (七つ森書館)、『まるで原発などないかのように』(現代 書館) 、 『みんなの放射能入門』 (アドバンテージサーバー)など。 「東日本大震災・原発災害と学校」研究委員会報告書 本編 2016 年 3 月 11 日発行 編集・発行 国民教育文化総合研究所 東京都千代田区三崎町 3 丁目 3 − 20 スカイワードビルディング 6F 電話 03(3230)0564 印刷・製本 東京文久堂 教 育 総 研