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卒業を控えて? - 大阪教育大学
卒 業 を 控 え て 自分なりの4年間 第一部 教養学科 芸術専攻 舩田 彩加 「大学は自由なところで、なにもかも自分次第」 と どうかも分からない状況で、不安もありましたが、昨 いうのは、大学生に向けてよく言われることのひと 年3月に2体が公式キャラクターとして認められた つです。 時は、 とてもほっとしました。 はっきり言って、あまり希望を持たずに大阪教育大 そこに至るまでにはいろんな人と衝突したり、批 学に入学した私にとっては、 「そんなものは恵まれた 判されたり、 しなければならないことに振り回された 環境にいる人が言うインチキだ!」 と思っていました。 り、何もかも嫌になって、 「本当にこのプロジェクトを それでも「何とかしないと…」 という焦燥感にから やる意味があるのか」 「なんて大変なプロジェクトを れ、アートイベントに出展をしてみたり、友人の展覧 始めてしまったんだろう」、そんな考えが頭を過るこ 会をみてへこんでみたり、ボランティアで日本語を ともしばしばありました。 教えてみたり、 リコーダーの練習をしてみたり、怪し しかし昨年の11月の神霜祭で、2体が着ぐるみと い宗教勧誘をしてくる人と親しくなってみたり(真似 なって、私たちの手から離れたところでたくさんの しない方がいいです)、 コピーライターの講座に通っ 人と関わっているのを見たときに、 このプロジェクト てみたり、九州に免許合宿に行ってみたり、いつのま に携わっていてよかったと心から思えました。 にかいろんなことをしました。 「大学は自由なところで、なにもかも自分次第」 と 学内で行った活動で一番印象的だったのは、平成 いう、ひねくれ者の私にとっては少々うさん臭く感じ 24年度の学生チャレンジプロジェクトで採択してい られた言葉も、 この4年間であながち間違いでない ただいた「大教キャラクター策定プロジェクト」で と思えるようになりました。 す。最初は、 「大学にオリジナルキャラクターがいて、 大学という場所に限らず、 どんな環境にいても、 おしゃれなグッズとかあって、学園祭とかで着ぐるみ 自分なりに好奇心を持って行動していれば、意義の が出てきたら、面白そう」 という思いつきでした。 ある時を過ごせるのでは、 と今は感じています。 公募からはじめ、選考や決選投票、グッズの作成、 いろんな人にご迷惑やご心配をかけてしまった大 様々なことを先生や広報係の方の助言も頂きなが 学生活ですが、良い人たちに出会えたおかげで面白 ら、有志6人の学生でなんとか行いました。当初は い時を過ごすことができました。先生、友人、家族、 キャラクターを策定しても、それが公式化されるか 関わったすべての方々に感謝を申し上げます。 1 2 卒 業 を 控 え て 私の四年間 第一部 教養学科 自然研究専攻 神野 朱香 振り返って考えると、私の大学生活はその半分以上 た。その間に同回生の仲間とは、合宿室に泊まり込ん を、部活動が占めていたように思います。 4年前の4 で話し合いを行ったり、笑い合ったり、喧嘩したり、大 月、私は新入生歓迎パーティーに参加し、初めてモダ 変なことも多くありましたが、なんでも話すことがで ンダンス部のパフォーマンスを観ました。そこで踊る きる仲間ができたことは、私の誇りでもあります。 先輩方の姿がとても素敵で、その時に入部を決意し 大学のうちにいろんなことを経験しておいた方が ました。入部後に、五月祭や神霜祭などたくさんのイ いい、 ということをよくいいます。でも決してこれは、 ベントで踊りを披露し、多くの人々に楽しんでもらった たくさんのアルバイトをするやたくさんのサークルに ことはとてもいい思い出です。ただ、イベントでダン 所属すればいいということではないと思います。私の スを披露するまでには、部活を辞めたくなるほど、 しん 大学生活を振り返ると、他の人に比べ、経験したアル どいことやつらいことが多々ありました。 しかし、その バイト1つ、部活動1つで決して多くのことをやってき たび、同回生や先輩方が励まし、元気をくれ、私は人 たとは言えません。 しかし、今の私を作り上げたのも、 の温かさを感じ、人を思いやる心を学びました。また、 大学での勉強やアルバイト、モダンダンス部での経験 3回生の時には部長を務めました。それまでの私は、 だと思います。大学生活の中で、 これだけは力を入れ 人の前で意見を言うことも苦手だったのに、部員全員 て取り組んだと胸を張って言えるようにしてくださ を引っ張っていくことができるのかとても不安でし い。そしてその中で、楽しいことつらいことたくさんの た。 しかし、 「やるしかない!」 この気持ちだけで、一年間 経験をしてください。 部長を務めあげました。たくさんのプレッシャーや達 在校生のみなさん、新しく大教生になったみなさん 成感を感じ、 「一年前の私とは違うな」 と自分で認識で が、何事にも怖がらず挑戦し、充実した大学生活を過 きるほど、 自身を成長させることができた一年でし ごして、大教を卒業されることを願っています。 卒 業 を 控 え て 4年間で得られたこと 第一部 学校教育 理科教育専攻 西村 祐紀 私はこの4年間、 この大学での生活や様々な経験 かし、初日の教室に入って数分、子どもたちの笑顔 を通して、自分自身大きく変わることができたと思 を見るとその不安は吹っ飛びました。小学校実習の います。 4週間と中学校実習の2週間、授業の準備などは大 私の大学生活4年間は、決して順風満帆なもので 変でしたが、子どもたちと触れ合える時間は本当に はありませんでした。3回生からお世話になっている 楽しかったです。最終日、子どもたちと別れるのが辛 研究室の活動、アルバイトとして勤めてきた塾の仕 く、まだ実習を続けていたいと思えるような素晴ら 事、2年間会長を務めたサークル、様々な場所で迷惑 しい実習になりました。 をおかけしてしまいました。 しかし、失敗する度に私 また研究室の活動の一環として行われている科 はその失敗から成長することができたと思います。 学館活動は、本当にいい経験になりました。お世話 大学入学当初は、 「とりあえず教員になれればい になる学校の先生方との打ち合わせ、前日までの綿 い」 と消極的に考え、そのままでは実りのない4年間 密な準備、当日の運営など、実際の教育現場でも必 になっていたと思います。 しかし、大学で出会った先 要となることをいろいろ経験することができました。 生方や先輩方・同じ学科の同期の友達、サークルで また、子どもたちに理科に関する様々な現象を説明 出会った仲間、アルバイトの塾の講師の仲間、様々 し、それを聞いた子どもたちが「なるほど!」 と思って な人々との出会いを通して、その考え方も変わり、 くれると、教えることの楽しさも実感できました。 積極的にいろんなことに挑戦し、いろんなことを経 この4年間でえられた様々なものを胸に、来年か 験できました。 ら学校現場で頑張っていきます。お世話になった皆 大学生活で一番印象に残っているのは、やはり教 様、本当にありがとうございました。 育実習です。実習に行く前は、 とても不安でした。 し 3 4 卒 業 を 控 え て かけがえのない経験 第一部 学校教育 理科教育専攻 森野 宅麻 本学で過ごした4年間のなかで1番の思い出は、 保、支援協力学生の育成などなど、 めまぐるしく活動 『障がい学生修学支援ルーム』での1年間でした。3 していました。そして、9月の教育実習に突入しまし 回生の後期、 『 障がい学生修学支援ルーム』に支援 た。直前に急な変更があったりと不安もありました 協力学生として登録をしました。タイピングの速さ が、始まるとほとんど問題なく遠隔情報保障をする を生かして、障がい学生への情報保障活動を行え ことができました。そして、教育実習を終えて帰って る、 というところに興味を持ったからです。そのとき きた学生に、 「 遠隔情報保障があったから、実習を は、週に1回講義での音声を文字入力をする基本的 しっかりできた」 といわれたときは、内心涙が出そう な活動だけでした。そんな中、3回生の3月頃に、 「遠 でした。このような活動があったからかはわかりませ 隔での情報保障を行ってくれないか」 という話を職 んが、12月に行われた 「聴覚障害学生支援に関する 員さんからいただきました。そのとき本学には、遠隔 実践事例コンテスト2013」 では、準PEPNet-Japan 情報保障を行う設備も何もなく、 まさに1から始める 賞をもらうこともできました。大学時代にこのような ということでした。私はそのとき 「やりたい!」 と感じ、 経験をすることができて、本当に良かったと思いま 9月の聴覚障がい学生の教育実習に間に合うよう す。尽力していただいた本学の教職員の方々、他大 に、遠隔情報保障システムの構築を始めました。初 学の方々、そして支援ルームの学生のみなさん、あ めは設備も技術もなく戸惑うばかりでしたが、教職 りがとうございました。最後ではありますが、本学の 員の方々と相談したり、先進校である筑波技術大学 学生のみなさんには、本当にやりたいと思うことを の先生に教えてもらうなどして、徐々に軌道に乗り 見つけて、それに向かって突っ走っていただけたら 始めました。複数の方法から教育実習にあったもの な、 と思います。 の選択、機材の確保、遠隔情報保障を行う場所の確