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イギリスに原型をもつテラスハウスの米・豪における展開

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イギリスに原型をもつテラスハウスの米・豪における展開
研究No.0412
イギリスに原型をもつテラスハウスの米・豪における農開
一連棟式都市型住居の高効率居住環境持続システムの解明一
主査市原出*1
委員渡邉美樹*2
イギリスに原型をもつテラスハウスはアメリカやオーストラリアでそれぞれ独自の展開をしてきた。本研究では,その都市における
高効率居住環境を持続してきた仕組みとして,従来から研究されてきた街路側の要素に加え,ミューズ,バックヤードという裏側の要
素に着目し,その形態要素と空間形式及びそれらの変形過程を捕捉することによって,その今日的な意味,これからの都市住居におけ
る可能性について検討した。その結果,ニューヨークにおいてはミューズの消滅とそれに代わる表側の裏口の出現オーストラリアに
おいてはミューズの変質が確認でき,原型のもつ機能を維持,代替しながら展開されていることが明らかになった。
キーワード
1)テラスハウス,2)ロウハウス,3)ミューズ4>バックヤード,5)ブルックリン・ハイツ,
6)ワシントン・スクエア・ノース,7>パディントン,8)サウス・メルボルン
DEVELOPMEN丁OFENGLISH'「ERRACEDHOUSESINAMERiCAANDAUSTRA〕A
-AStUdyonRowHousesSustεjningGo◎dEnvironment疲)rUrbanDwel量ing一
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of曲stUdyiStOexamine舳distin(miveelernentsonbo出sidesofstroetandb蜘面k聯㎞ggood曲andwel㎞g㎝vim㎜㎝tA3aI削1ち虻iS
oon血med出atmewswasdisappearedand臓placedby`もackdoof'onlhe丘℃ntinNewYb温(andenlargedandoperiedinAustralia.Itmeans仕旧tthe
formof出e鰍dhouseshasbeeiitransfomiedineachcountryindfferentwayanddoesstillwotktodayduetOitSdiversity,
1.研究の背景及び目的・対象・方法
された都市改造,すなわち新たに建設された大通りとア
1-1研究の背景
パートメントハウスの組み合わせによる高密化である。
欧米諸都市の中心部には伝統的な街並みが維持されて
後者は都市に留まる人々の住居として定着した。そして,
いる。それらを形成する建築群の内,イギリスに原型を
そのフロア毎にあるいはフロアの一部を住空間として所
もつテラスハウス(terracedhouse)は,植民地化の過程
有する形式は日本の集合住宅の祖型と考えられる。それ
で新世界にもちこまれ,アメリカやオーストラリアの諸
に対して,近代以前から持続的に都市を形づくってきた
都市に根づいている。それらは原型のもつ空間構成上の
テラスハウスは,土地との1対1対応をもつ都市型住居
特質を維持しながらも,それぞれの場所から与えられる
であり,現在ある「近代的な」集合住宅と郊外住宅とい
様々な条件によって独自の展開をしてきた。その点に関
う2つの形式とは異なる住まい方,そしてそれに対応す
する学術的なトレースはなされていない。
る住居形式を示唆してくれるものと期待できる。
東京ではここ数年住宅の都心回帰が活発化し超高層マ
ンションが数多く計画,建設されている。しかしながら
1-2研究目的・対象e方法
都心部に「住まう」こととその建築のあり様との関係は
アメリカ東海岸のロウハウス(rowhouse)注1)とオース
十分に検討されてきたとは言いにくい。近代化の過程で
トラリア南東部のテラスハウスの具体的形態,空間構成
都市の環境悪化が引き起こした住まい方の変化には,大
の歴史的展開について明らかにする。それらの3世紀以
きく分けて2つの方法があったと考えられる。一つはイ
上に渡って維持されてきた高効率注2)居住環境持続システ
ギリス,アメリカで急速に発展した近代的な意味での郊
ムは,2つの側面をもっている。一つは,従来から注目
外の出現である。そしてもう一つは大陸の諸都市で実行
され分析されてきた街路側の特徴であり,今一つは,バ
*1東京工芸大学教授
*2足利工業大学講師
一153一
住宅総合研究財団研究論文集No.32,2005年版
ックヤード,ミューズという裏側の要素によるものであ
る。ここでは,街路側の要素に加え,とくに裏側の要素
の変形,展開を明らかにすることを目的とする。
アメリカ,オーストラリアにおける展開に着目する理
由は,それぞれの場所への対応という点で,その他の地
域に適用する上で参考になると考えられることにある。
予備調査で得られた知見をもとに,以下のとおり現地調
査対象地区を選定した。アメリカではニューヨーク・マ
ンハッタンのワシントン・スクエア・ノース(Washington
SquareNorth),同・ブルックリンのブルックリン・ハイ
ツ(BrooklynHeights)。オーストラリアではシドニーの
図1-1ブルックリン・ハイツの位置
パディントン(Paddington),メルボルンのサウス・メル
ボルン(SouthMelbourne)。衛生上の問題や経済発展に伴
う建て替え等によって,各都市とも最初期のテラスハウ
スはまとまった形では現存しない。これらの4地区はい
ずれも,19世紀前半以降の都市拡張期にダウンタウンに
隣接して計画的に建設され,よく保存されている。
現地の資料館等注3)でそれぞれの地区の19世紀後半の
サイトマップ,図面を収集し,現地調査対象地区の確定,
その後実測,写真撮影を行った。それらをもとに配置図,
立面の連続写真を作成し,形態要素の抽出と空間構成の
分析を行った。さらに,各地区の形態要素,空間構成を
原型と比較し,その変形,展開にっいて検討した。
図1-2パディントンの位置
ここではニューヨーク,シドニーの典型的事例として
ブルックリン・ハイツ(図1-1)とパディントン(図1-2)を
一
一⊥
ストリート
中心に記述する。
く、クヤド
2.ロンドンのテラスハウスの概要
「一
2-1街区構成と住戸の空間形式注4)
く、クヤ
ロンドンの街路は必ずしも格子状ではなく,街区の大
きさも様々であるが,その構成は基本的に図2-1のとお
ストリート
りである。街区は街路と直交して短冊状に区画される。
一
主屋は街路に面して建ち,パーティウォール注5)を共有し
ー
一
図2-1ロンドンの典型的街区構成
て連続する。街区中央に半私的サービス通路であるミュ
麗
ーズ(mews)注6)があり両端にゲートが設けられる。この
通路に面して馬小屋兼御者の住戸であるミューズがやは
0.31韓
り連続して建つ。主屋とミューズとの間にバックヤード
がある。
'¢
簿
典型的住戸の空間形式については,図2-2に示すとお
り,街路からセットバックして主屋が建っ。そのセット
1
バック部に歩道,ドライエリア,ストゥープ(stoop)注7)
L三鰹ゴ
があり,歩道の下は倉庫である。ストゥープで1m程上
がって玄関,ホL・一一一ルが裏まで抜け,前後に2室。主階に
はパーラー,食堂があり,地階が台所その他のサービス
図2-2ベッドフォード・スクエア北側住戸の平面・断面図
空間,2階以上が寝室で屋階に使用人室。バックヤード
側の増築部であるバックエクステンションに水回り,そ
隣接する住戸で同じ側に設けられる場合と2戸一で接し
してその幅は敷地幅のおよそ半分,その先にミューズと
て設けられる場合がある。その配置はホール,さらに街
いう構成をしている。また,バックエクステンションが
路側要素である玄関,ストゥープの位置にも反映される。
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住宅総合研究財団研究論文集No.32,2005年版
協議会(BrooklynHeightsAssociation'sHousing
2-2街路側と裏側の特質
街路側は壁面線が厳格に定められ,一切の突出物さえ
Committee)設立後である。闘争の後,1965年にニューヨ
認められない等,統一的都市景観を形作る均質で調和の
ーク初の歴史保存地区指定を受け,歴史的建造物そのも
とれた形態,形式が維持されてきた。一方,裏側はバッ
のの保存が約束された。加えて,1967年にやはりニュー
クヤードの最小面積に規制がある他は比較的自由に改変
ヨーク初の高度制限地区を獲i得し,新たに建てられる建
される。ミューズは半私的なサービス空間として,都市
物も含む地区全体の環境維持が図られることとなった注8)。
生活の文字通りの裏側として機能してきた。これが表向
きを保ちながら,本来狽雑な都市生活を持続的に可能に
してきた要素と考えられる。ただし,ロンドンのミュー
ズにも変化が見られ,かつての馬小屋が独立した住居と
なっている例があり,その場合,通路としてのミューズ
はその住居の前面道路となって,私的な裏側としての性
質は既に失われている。
3.ブルックリン・ハイツのロウハウス
3-1歴史的背景
ニューヨークはマンハッタン最南端のバッテリーパー
クから北へと発展した。現在のウォール街(WallSt.)に
図3-11860年以前の建物を示すブルックリン・ハイツのマップ
城壁を築いたオランダ統治下のニューアムステルダム。
イギリス支配下,そして建国後に城壁を越えて都市化が
3-2ブルックリン・ハイツの街区とロウハウスの概要
進み,必要に応じて個々の地所にしかれた格子状街路。
農地として開発された地区全体は少数の地主によって
その無秩序な開発に対して1811年に制定されたグリッド
状街路によるニューヨーク計画。南北方向のアヴェニュ
所有されており,その形状はイーストリバー端を間口と
ーと東西方向のストリートによる徹底した格子状街路は,
して内陸に延びる細長い短冊状をしていた。マンハッタ
ニューヨークの都市構造を決定した。ニューヨークの旺
ン計画以前のマンハッタンの街区が個々の地所の形状に
盛な経済活動は業務・商業地区が住居地区をのみこむ形
よっていたのに対し,ここでは地所をまたがる形で規則
で進行し,最初期のロウハウスはまとまった形では現存
的な街路が形成された。ニューヨーク計画以降のマンハ
しない。それ故,6丁目のワシントン・スクエア・ノー
ッタンの一般的な街区のスケールは約200ft×1,000ft(約
スのロウハウス群は,1830年代の貴重な例となっている。
61m×305m)であり,また南北方向のアヴェニューは
100ft(約30.5m),東西方向のストリートは60ft(約18.3m)
そうした北への拡張に加え,イーストリバーを挟んで
ローワーマンハッタンの対岸に位置するブルックリンに
の幅をもつ。そのためアヴェニューが幹線道路であり,
開発が及ぶ。1814年,イーストリバーを渡るフルトン・
ストリートが補助的というヒエラルキーをもつ。街区の
フェリー(FultonFerry)開設を期に,ターミナルを中心
奥行きが小さいことと,このヒエラルキーに従ってアヴ
にブルックリン・ハイツは急激に都市化され,2年後に
ェニュー側に先にロウハウスが建設されたことが,ミュ
は村が設立された。17世紀のオランダ統治下に農業用地
ーズ消滅の主たる原因ではないかと推測されるが,その
として開発された土地は25ft×100ft(約7.6m×30.5m),
他,投機目的の開発業者が売地面積を最大化しようとし
ないし2戸分を3戸で分割して16.7ft×100ft(約5.1m×
たこと,交通機関発達の影響などが指摘されている。
30.5m)の敷地に区画された。当時の地主の名前は,ミダ
それに対して,ブルックリン・ハイツの街区は奥行き
ー(Middagh),ピエールポント(Pierrepont),ピックス
200ftを保ちながら,長さは200ftから700ft(約213m)
(Hicks),レムゼン(Remsen),ジョラルモン(Joralemon)
を超えるものまで様々である。とくに,マンハッタンと
等の通り名として今も記憶されている。
異なり方位による規則性が見られず,街路幅員はピエー
1814年から南北戦争までの半世紀に地区全体がロウハ
ルポント通りの60ft(約18.3m)を除いて50ft(約15.2m)
ウスによる都市的環境へと整備され,この間に建てられ
でほぼ一定であり,かつ街区は東西に長いものと南北に
た建築物の内619が1960年時点で存在している(図3-1)。
長いものとが混在している。
その19世紀的環境を保全する動きは地下鉄開通の1910
ニューヨークの都市開発は地主が土地を区画,整備し
年頃に始まったが,本格的運動に発展したのは1958年の
て投資家に分譲するかたちをとったために,地区全体を
地区保全改良会議(theCommunityConservationand
統一的に計画するにはいたっていない。多くの場合数戸
ImprovementCounci!),ブルックリン・ハイツ連合住宅
単位で建設され,そこが売れると次の投資を行い,徐々
一155一
住宅総合研究財団研究論文集No.32,2005年版
に開発が進行していった。そのため大土地所有制のロン
一硅
ドンで,例えばグロースター・プレイス(GloucesterPl.)
一」\む
のように,ほぼ同じファサードをもっジョージアン様式
}
のテラスがおよそ1mile(約1.6km)に渡って連続するよ
うなことはない。規模やデザインの異なるロウハウスが
混在していることが街の表情を変化に富んだものにして
いると同時に,開発の時期は地区毎にほぼ同じであるた
⊥一]
めに,様式的にはある程度統一感がある。
ブルックリン・ハイツには1816年のロット(Lott)によ
るサーベイ以前の建築は全く残っておらず,現存するも
のは,それ以降の木造2階建てから19世紀半ば以降のレ
ンガやブラウンストーンによる4ないし5階建てまでで
ある(図3-2,3)。様式的には,19世紀アメリカ建築史そ
のままに,フェデラル,グリーク・リヴァイヴァル,ゴ
シック・リヴァイヴァル,ロマネスク・リヴァイヴァル,
イタリアネイト,ルネッサンス・リヴァイヴァル,ラス
キニアン・ゴシック,クイーン・アン,コロニアル・リ
図3-2ロウハウスの平面・立面・断面図(57WillowSt.)
ヴァイヴァル,ネオ・クラシック,近代の各様式が存在
東西をピックス通り(HicksSt.)からプロムナード,南北
をピエールポント通りからクランベリィ通り(Cranberry
1}12
1
鞍難欝
調査対象は,ブルックリン・ハイツ地区全体の北西部,
3
を破壊する否定的なものとして捉えられている。
21
塗捻.
2]
謬'綜「
齢・・"
」
ッサンス・リヴァイヴァルまでで,近代については環境
一Qり幽凱焔℃℃自∼
している。その内,南北戦争以前の歴史的なものはルネ
2L]
Wi]lowSt
1cnl【Ll!Ilx}u
図3-3馬小屋をもつロウハウス(24MiddaghSt.)
St.)までの,東西約200m,南北約450mの11街区であ
る。初期のロウハウスが多く現存し,かつ東に隣接する
した。比較のため図6-1,2,3を見開きに同スケールで併
カドマン・プラザ(CadmanPlaza)の再開発の影響も受け
記する。サンボーン火災保険地図は高い精度で評価され
ていない地区である。
ており,現況との寸法の相違は確認されなかった。街区
形状の変化もなく,唯一の相違点はクイーンズ・ブルッ
3-3資料と調査方法
クリン・エクスプレスウェイ建設による,プロムナード
2005年2月28日から3月13日まで現地調査を行った。
以西の断面形状で,今回の調査に対する影響はなかった。
事前に入手した1887年のサンボーン火災保険地図
(SanbornFireInsuranceMap)注9)から歴史保存地区全
3-4街路側各要素の類型化と考察
体のサイトマップを起こし,国会図書館及びコロンビア
対象171戸の街路側の構成について,1)主アプローチ,
大学エイヴリィ図書館で他年度版を再調査,確認作業を
2)フロントヤードのレベル,3)サービス用入口の位置,4)
行った。その上で,以下の事項について調査した。
その他のサービス動線の4項目について類型化を行った。
1)道路形状,道路幅員,長さ等を確認し,街区形状の1887
1)主アプローチ
年以降の変化と現況を知る
U上階レベル型:ストゥープによって上階にアクセス
2)各住戸のエントランス部分等の街路側の要素について
F街路レベル型:街路と同レベルにアクセス
調べ,建築形状の変化と現況を知る
D下階レベル型:階段で下階にアクセス
3)連続立面写真撮影により建築の外観の詳細を記録する
2)フロントヤードのレベル
4)対象地区内のロウハウスのHABS(HistoricAmerican
Nナシ
BuildingSurvey)注10)の実測図を調査し,上記3項目
S街路レベル型:街路と同レベルにフロントヤード
と合わせ,ミューズに代わるサービス動線を見出し,
B下階レベル型:下階レベルにフロントヤード
その具体的形式・形状を捕捉する
D街路・下階レベル型:両レベルにフロントヤード
調査・分析で得られた配置図を図3-8に,連続立面写
3)サービス用入口の位置
真の例を図3-9に示す。シドニー・パディントンにおい
Nナシ
ても同様の分析によって配置図,連続立面写真を作成し
S街路レベル型:街路と同レベルにサービス用入口
一156-一
住宅総合研究財団研究論文集No.32,2005年版
に主入口を持つ例が28戸,16%と少なくない
B下階レベル型:下階レベルにサービス用入口
4)ストゥープの方向は4例を除いて建物本体に直角であ
D街路・下階レベル型・両レベルにサービス用入口
さらに,SとBについて,サービス用入口が建物本体
る。街路からのセットバックが十分にとられ,比較的
に設けられる場合と,ストゥープ下の側面に設けられる
狭い街路との組み合わせで住戸側に引き寄せられた心
地よい空間を形成している
場合に分け,それぞれM,Sとした。
5)ミューズに代わる裏動線として機能しているサービス
M主屋型:建物本体に入口
用入口をもつ住戸は171戸中133戸,78%である。こ
Sストゥープ型:ストゥープ下の側面に入口
4)その他のサービス動線
の内,入口が街路レベルにあるものが43戸,下階レベ
0歩道開口型:歩道面の水平の開口がサービス動線
ル,つまりドライエリアにあるものが87戸である。さ
Mミューズ型:ミューズがサービス動線
らにそれぞれ入口が建物本体につく場合,ストゥープ
Aアリイウェイ型:アリイウェイ注ll)がサービス動線
につく場合に分かれる。この入口は地階ホールを介し
対象地区内に現存するロウハウスの各住戸の形式を,
てキッチン,バックヤードへと接続される(図3-2)
6)歩道面に搬入用の水平開口をもつ例が36例あり,そ
上記類型に従って5桁のアルファベット(3)がNの場合,
の内31例はサービス用入口と併存している
4)がない場合は3ないし4桁)で表記した(図3-4,5,8)。
7)ミューズをもたないため,街路側が裏口をも兼ねるこ
その結果を集計し表3-1にまとめた。
とが確認されたが,このためフロントヤードがゴミ置
難懇雛響鱒驚継:罫:強
き場等裏側の要素に占領されている例が少なくない
さらに調査対象地区外も含め,ブルックリン・ハイツ
のバックヤード側の特徴は以下のとおりまとめられる。
1)バックエクステンションは,図3-8に見られるように
形状がまちまちであり規則性がない。その中で,オー
左図3-4街路側要素・UBBS型の例(15PierrepontSt)
プンギャラリーあるいはティールームになっている例
右図3-5街路側要素USSM型の例(46WI口owSt)
が現存し,1840年代から50年代にかけてのロマンテ
ィック・ムーブメントとの関係が指摘される
2)バックヤL-一一Lドの先に馬小屋をもつものが現況で1例の
表3-1ブルックリン・ハイツの街路側要素の集計
uYPE一 11U,D,S,S1FYPE} D一YPE み確認できるが,その場合も角地の住戸であり馬小屋
1U,S,S,M1612U,S,S,S,051F,S,S,M31D,S,B,02
は側面で街路に面している(図3-3)
2U,S,S,S1313U,S,B,M,012F,S,B,S12D,S,N,01
3)グレイス・コート(GraceCourt)に,バックヤードが
3U,S,B,M1014U,S,B,S,063F,S,N,013D,B,N,01
通りに面する例がある。街路が平行でなく襖形に拡が
4U,S,B,S1615U,B,S,M,014F,N,S,S14D,B,B,S1
った結果,正面を向けるものとバックヤードが露出す
5U,S,N,0216U,B,B,S,0125F,N,S,015D,S,N13
るものとが併存することとなったと考えられる(図3-6)
6U,B,S,M117U,D,B,S,016F,N,B,M26D,B,N10
4)同様にコロンビア・ハイツのバックヤードはプロムナ
7U,B,B,M1118U,N,S,M,027F,S,N7
8U,B,B,S2319U,S,N18F,N,N1
ードを介してイーストリバー,ローワーマンハッタン
9U,N,B,M120U,S,N-slde1
へ向けて開かれている。ここはとくに景観に優れ,主
10U,D,B,S2計126計17計28
屋の西面はその環境を享受するようにつくられている
5)グレイス・コート・アリイ(GraceCourtAlley)(図
図3-8,表3-1からブルックリン・ハイツのロウハウ
3-7)とハンツ・アリイ(HuntsAlley)はミューズとして
スの街路側の特徴について以下のことが言える。
機能した。現在では住居に転用されているが,1887年
1)ブルックリン・ハイツの調査対象地区は,ピエールポ
のサンボーン火災保険地図は主屋,バックヤードとの
ント通りを除いて街路幅は約15.2m,街区の奥行きは
伝統的関係を示している
約61mに統一されている
2)基準となる約61m幅の街区には8戸から12戸の住戸
きげぱがぐ アハ げ みノオノリヘハゐ
購驚㌧享'携㌧・'撚編
が建つ計算になるが,街路にヒエラルキーがないため,
配列に規則性が見られない。すなわち,街区の角地で
は正面と側面が不規則に現れる
3)主アプローチはストゥープによって上階にアクセスす
る例が171戸中126戸と74%を占め,伝統的形式が維
灘1鑑鞍鰻講覇撫総麟i麟露…灘
鑓鑑鑑灘灘1 糞講難灘欝難i欝i講蕪妻繰灘鞍譲灘蠣
左図3-6グレイス・コートに面するバックヤード
持されている。しかし,ストゥープをなくして,下階
右図3-7グレイス・コート・アリイ
一157一
f-1宅総合研究財団イ11i多冠論文集No.32,2005イ1版
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住宅総合研究財団研究論文集No.32,2005年版
4.ワシントン・スクエア・ノースのロウハウス
に露出している
東西をユニヴァーシティ通り(UniversityPl.)とマク
以上のように,原型のもつ表裏の関係は解消され,そ
ドーガル通り(MacdougalSt.),南北をウェヴァリィ通り
れに代わる要素が導入されていることが分かった。
(WaverleyP1.)とクリントン通り(ClintonPl.)に囲まれ
6.パディントンのテラスハウス
た2街区を調査対象とした(図4-1,2)。
6-1歴史的背景
ここは,ニューヨークでは例外的に開発当初からミュ
ーズが形成された。その要因は以下の2点であると考え
都心部の再開発事業によって歴史的建造物の街区が失
られる。ワシントン・スクエアがニューヨーク計画以前
われる中,パディントンは,シドニー中心から僅かには
の,その北側がそれ以降の街区割りに従っているため街
ずれていたために大きな開発から逃れ,現在まで当初の
路が平行でなく,街区が懊形をしており,奥行きが
景観を残す地域である。この地は1840年に,新たにヴィ
264ft(約80.5m)から328ft(約100m)と例外的に大きいこ
クトリア・バラック(VictoriaBarrack)を建造する敷地
と。地主が上質の住環境とミューズ建設を土地リースの
として選択された。シドニー港が位置するポート・ジャ
条件としたこと。このようにロンドンの原型に対する知
クソン(PortJackson)とタスマニア海に張り出す岬へ通
識は当然もっていたにもかかわらず,全体としてミュー
じるサウス・ヘッド・ロード(SouthHeadRoad,現在オ
ズのない街区を形成していった真の理由は不明である。
ックスフォード通り)沿いのほぼ中間地点にあり,中継地
とみなされたことが決定の要因である(図1-2)。ヴィク
トリア・バラックの計画が決定してから,商業地区とし
撫灘継
て発展する可能性を見込んで周辺地区の分譲が開始され
た。特にオックスフォード通りを挟んだ現在のパディン
トン地区は,大勢の投資家の不動産投資ターゲットとな
り,みるみる分譲の領域を広げた。1860年代前半は,2
左図4-1ワシントン・スクエア・ノースのロウハウス
∼3部屋の小さな平屋住居が街区に対してランダムに軒
右図4-2ワシントン・ミューズ
を並べる状態であり,人口は1863年当時で2,700人であ
ったが,1890年までの30年間にはパディントンの400
5.イギリスのテラスハウスとの比較と考察
エーカーの土地に3,800軒もの住居が建設され,人口は
以上,ニューヨークのロウハウスを調査することによ
20,000人へと膨れあがった。特にゴールド・ラッシュ以
って得られた知見をまとめる。
降,植民地の経済が急激に発展した後に迎えた建築ラッ
1)パーティウォールを共有して住戸が連続し,規模が4
シュの時期(1870年∼1880年)には,シドニー中心地区に
層程度で地階を有することなど原型と同様である
労働者のための居住施設がなくなり,上流階級の馬車通
勤者はベイエリアの邸宅へ移動する中,中心地区から「徒
2)街路側正面にはストゥープ,フロントヤードないしド
ライエリア,あるいはその両方をもち,やはり原型に
歩圏内」にあるパディントン地区は,労働者のベッドタ
近い構成,形式を留めている
ウンとしての役割を果たした。その後パディントンは,
3)ニューヨークの街区には原則的にミューズは存在しな
労働者の居住地区であること以外特に顕著な産業が発達
い。例外的に奥行きの深い街区にミューズ,レイン,
せず,シドニーから経済的な自立をしないまま快適な住
コート,アリイと呼ばれる細街路があり,ロンドンの
環境を築いた(図6-4)。
ミューズと同様に機能した場合もある
4)ミューズがないため,街区の空間構成は大きく異なる。
蠕叫.::..,∴.Ll.冨総,1・.、滑..黒・il
街区の長辺に正面を向けて連続するのではなく,街区
騰砦
の4周を取り囲むため,バックヤードは街路からは見
えない私的性格のより強い空問になっている
5)同時に,問題のサービス動線は個々の住戸の街路側の
「裏口」にその役割を依存する。イギリスのテラスハ
ウスもドライエリアに下階への入口があり,サービス
の機能をある程度担っている。しかし,ニューヨーク
の場合は歩道面に開口を設けざるを得ない場合がある
など,必須の要素である
藍
6)裏側の機能が街路側に依存するため,フロントヤード
がゴミ置き場に,街路が駐車場にと裏側の要素が表側
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図6-4パディントン,1868年のサイトマツプ
一160-一
住宅総合研究財団研究論文集No.32,2005年版
6-2パディントンの街区とテラスハウスの概要
テイラー通り(TaylorSt.),東西をハーグレープ・レイ
当時,植民地の都市近郊あるいは郊外の土地は,測量
ン(HargraveLane)からカレドニア通り(Ca!edoniaSt.)
された後におおよそ以下の3通りの形式で所有された。
までの南北約300m,東西約200mの地区である。1970年
1)州都(ニューサウスウェールズ州はシドニL-一一一,ヴィク
にパディントン市がテラスハウスの調査結果をまとめた
トリア州はメルボルン)の港を出発点として中心地区に
資料PaddingtonAplanf'orpreserva亡ion,ThePaddington
街区割りし,公用地を残して分譲する
Society,1970によると,パディントンの中でも「テラス
2)都市近郊においては,官僚への譲渡や入植者,赦免さ
ハウスの特徴を持った一般的に良好な建物群」と分類さ
れた流刑者へ譲渡する
れており,資料価値が高い。
3)政府の測量や探検がなされていない地区においては,
懸1纏纏
a)さらに街区割りして分譲する
b)不動産業者がまとまった土地を所有者から買い取って
璽灘鱒
分譲する
c)不動産業者が街区割りおよび住宅建設を行って借家と
懸麟
牧農者が開拓を行って占拠する
それらに対して,
鹸
左図6-5パディントンの街路側(WindsorSt.)
して投資家に売却する
右図6-6パディントンのレイン(PaddingtonLane)
d)不動産業者が街区割りや住宅建設を行って借家とする
等の形式で更に細分化して所有された。パディントン地
6-3資料と調査方法
区の植民当初の所有形態は主として2),その後はa)∼d)
2004年9E2日から15日まで現地調査を行った。そ
の様々な形式で分譲がなされたが,中でもc)が多く,1870
の際,ニューサウスウエールズ州立図書館古文書館で入
年当時で336軒の賃貸住居に255人のオーナーがいたと
手した1868年のサイトマップPlanofPaddington
いう記録がある注12)。まず1区画を購入して住居を建設
Estate(図6-4)を参照し,以下の事項について調査した。
し,その賃料を貯蓄して数年後に隣の区画を購入すると
1)現地道路幅,長さを確認し,1868年以降の街区の変
いう例もあり,購入単位も建設単位も小規模であった。
化を知る
住宅地区においては,先の分譲の例に見るように,分譲
2)各住戸のエントランス部分など主要部分の実測によっ
の段階で既に街区が細分化されている。
て,建築形状の変化を知る
このように,テラスハウスは,投資規模が小規模でか
3)連続立面写真撮影により建築の外観の詳細を記録する
つ中産階級の核家族向け賃貸住居であったため,建設費
調査によって得られた配置図が図6-1である。実測に
用が最小限ですむ形式(=2階建て,部屋数3∼4,煉瓦
よると,1街区は3.6chain(約72m)×10chain(約201m)
造スタッコ塗りで簡易な装飾)が定着しており,特にパデ
を単位とt.,街路幅が1chain(約20.1m),レイン幅が
ィントン地区はその典型例といえる。特定の建築家に設
15ft(約4.6m)である。正面側(図6-2)は,2∼3戸単位
計を依頼する例は極めてまれであり,殆どは近隣の建設
でパーティウォールを共有しており,道路の傾斜によっ
業者によって建設されたものである。外観上の特筆すべ
て高さが変化している箇所,隣接住戸との間が2重壁に
き特徴として,バルコニーとバルコニーにつくアイアン・
なっている箇所がある。正面側道路の路肩には自動車が
ワークがあげられる注13)。テラスハウスにおけるバルコ
縦列駐車され,パーキングとなっている。レイン側(図6-3)
ニーの起源にっいては不明であるが,既に戸建て住居に
のファサードは正面側と大きく異なり,その多くが高い
おいて定着していたヴェランダを取り入れ,カタログか
塀を築きシャッターを閉め切った状態となっており,上
ら取り寄せられるアイアン・ワークで簡易かつ効果的な
部を屋上庭園とする例,ガレージのみの例,あるいはバ
装飾を施したと推測される。その後,1890年の不況で不
ックヤードに住居を増築している例など様々である。
動産ブームが崩壊,破産者が続出した後にテラスハウス
6-4街路側,レイン側各要素の類型化と考察
の流行が廃れ,郊外の戸建て住宅の流行に代わった。1910
年にパディントンは既に「第一級のスラム街」と称され,
調査した事例について,1)正面アプローチ,2)バルコ
空き家となったテラスハウスが放置されたが,1960年代
ニーの形状,3)レインの用途,4)レイン側のファサード
以降,アジア人やイタリア人の移民が急増した際に,都
をもとに,以下のような類型化を行った。
心部に近接したテラスハウスを改装して住まうようにな
1)正面アプローチ
り,活気を取り戻してより今日に至る(図6-5,6)。
1-a直進型:ストゥープが道路に対して直角
今回調査対象としたのは,パディントン地区全体の東
1-b曲折型:ストゥープが道路に対して平行
側に当たる,南北をエリザベス通り(E!izabethSt.)から
1-nなし:ストゥープなし
一161一
住宅総合研究財目圃移ピ論文集No.32,2005年版
表6-1パディントンの街路側,レイン側各要素の集計
2)バルコニーの形状
2-a1面開放型:両側が袖壁
Street,Lane一 1234
2-b3面開放型:3面が解放
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2-c封鎖型:居室化
HargraveLn.S35C4017120317
HargraveSt.N3500321200
2-dなし:バルコニーなし
2-n1階建て
3)レインの用途
3-a幅が1.5m未満で自動車の侵入が不可
HargraveSt.S322660292100
WinsorLn.NC1316813000
WinsorLn.S36C3118441014
WinsorSt.N3600330300
3-b幅が1.5m以上2.5m未満で自動車の侵入は可
3-c幅が2.5m以上でバックヤ・一一一一ドへの駐車が可
WinsorSt.S444040422000
PaddingtonLn.NC6329200400
4)レイン側のファサL-一…ド
4-a木板張り+出入り口
PaddingtonLn.S34C6018540010
PaddingtonSt.N3112261403
4-b木板張り自動車パーキング+出入り口
4-c鉄製シャッター
7.サウス・メルボルンのテラスハウス
4-dコンクリートや煉瓦の壁
これまでシドニー近郊のテラスハウスの典型例を見た
4-eコンクリートや煉瓦の壁+出入り口
が,最後にメルボルン近郊のテラスハウスを概観する。
4-f分家の正面
メルボルンへの入植はシドニーに47年遅れた1835年で
4-gスケルトンの柵
ある。都心の周辺部に住宅街が形成されたのは,ゴール
4-h鉄製シャッター+出入り口
ド・ラッシュ(1852年)後である。メルボルン近郊のテラ
4-n裏側がレインに面していない
スハウスは,富を得た後に建てられたので,イギリスの
以上の分類を街路毎に行い,作成した結果を表6-1に
原型を比較的とどめた(当時にとっては理想的な)テラスハ
まとめた。図6-1及び表6-1より以下の見解が得られる。
ウスも見られる。カールトン・ガーデン東側の「ロイヤ
1)パディントンの調査対象地区は,街路約13.2m(両側に
ル・テラス」がその一つで,メルボルンのやや寒冷な気
歩道約3.4m)とレイン約4.6m(両側に歩道部分約1m)で
候によりバルコニーが必須ではなく,ゆったりとした前
敷地の奥行きが32-33mの街区が規則的に形成されてい
庭を持つ連棟のテラスハウスが見られる。正面外観は当
る
時のまま保持されているが,レイン側は様々な改修が成
2)街区に形成される住居の戸数は,32-36戸程度で(間口
約5.5m)と平均しており,44戸の街区は,間口が極端
され,外部階段が2∼3層までのびており,現在は1軒
に5∼6世帯(主に単身)が住まう状況である(図7-1,2)。
に狭い(約3.5m)住戸が含まれている
メルボルンの近郊リゾートとして発展したアルバー
3)ストゥープに関しては,1-a直進型が圧倒的に多く,
ト・パーク周辺にも豪奢なテラスハウスが建っており,
これは,正面道路から住居までの奥行き(前庭)が広い
とくにセント・ヴィンセント庭園を前にして建つセント・
(1.5-2.5m)ことを示す
ヴィンセント・テラスは,中央のペディメントにテラス
4)バルコニーに関しては,2-aが圧倒的に多く,これは,
の名前が記され,「一っの邸宅のように」見せた壮麗な
パーティウォールが袖壁(防火壁)およびバルコニーと
外観をもつ。ここでは,敷地の奥行きが広く,レインの
庇の構造体を兼ねていることを示している。2-cも若
幅が5m以上と広いため,レイン側に分家が建設されて
干数見られるが,歴史的町並み保存指導注14)により,
いる例が多かった(図7-3,4)。
今後増えることはないと思われる
また,アルバート・パーク北部のサウス・メルボルン
5)レイン側のファサードについては,4-cが多い。これ
はゴールド・ラッシュ後の人口増加とメルボルンの建築
は,裏側の多くが駐車場となっていることを示す。改
ブーム時の需要に応えた産業都市であるが,産業が衰退
修が許されている注15)レイン側の部屋の増築,屋上庭
した現在も当時の面影を残している。メイン通りに取り
園の設置などによりプライバシーが保護される。自転
囲まれた街区内に,タウン・ホールを起点として1層な
車,自動車の出入りは殆どレイン側で行われ,かつ正
いし2層のテラスハウスが建っており,形式はパディン
面側のバルコニーで展開していた半屋外空間の性質は
トンで見た小規模なテラスに類似する。ここでは,ロの
バルコニーからレイン側へ移行しつつあると思われる
字状にメイン通りが取り囲み,鍵型に0.9∼1.5mの狭い
6)敷地の奥行きの広さを利用して,4-fのように別の家
裏道(名前も付いていない)が通る例が見られた。この様に
が建築されている例もあった
狭い裏道は,かつて汚物搬送用通路として使われたもの
7)パディントン通り北側には,敷地の傾斜に対応して,
であるが,現在は機能していないため悪臭がただよい衛
地下室が作られている住戸もあった
生上も防犯上も劣悪な環境となっている(図7-5,6)。
一162一
住宅総合研究財団研究論文集No.32,2005年版
じケがめゑ へ
トになっている注16)例は見られない。これは,所有者
鞍盤蓋義
左図7-1ロイヤル・テラスの街路側
が複数であること,建築の時期がまちまちであるため
街区ごとの統制は成されなかったことによる
9)歴史的建造物,景観保存の行政指導は,パディントン
地区においてきびしく,正面道路側の意匠は保持され
ている。裏側の改修は条件内で許可されており,バッ
クヤードの多くはガレージとなっていた
右図7-2ロイヤル・テラスのバックヤード
以上のように,オーストラリアのテラスハウスもまた,
睡㌔孝
・"、㌃'続ミ♂♂論
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葬{嚇,.、眉….、
宅の関係性を合理的に解決した住宅形式であることにお
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景観と融合し,かつ表裏を使い分けるといった都市と住
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顎纏∴榊
雛盤
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いてイギリスの原型の機能を十分に備えており,歴史的
背景及び風土条件から,2∼3棟単位やバルコニーなど
の展開が見られたことが分った。
碧
図7-3セント・ヴィンセント・テラスの街路側
図7-4セント・ヴィンセント・テラスのレイン
9.まとめと今後の展望
イギリスのテラスハウスに特徴的な街路側と裏側の各
要素の形式は,アメリカ,オーストラリアにおいてそれ
ぞれ独自に変化していることが把握できた。一つはニュ
羅鍵
ーヨークにおけるミューズの消滅と,それに代わるデバ
イスとしての街路側の「裏口」である。一方,オースト
ラリアでみられたのは,より公的性格を強め,街区をむ
左図7-5サウス・メルボルンのテラスハウスの街路側
しろ切り分け,街区の一体性を保証しないというミュー
右図7-6サウス・メルボルンのテラスハウスのレイン
ズの変質である。テラスハウスは背面でペアになり,そ
れによって街区を形成する。そうした原型のもつ特質は
8.イギリスのテラスハウスとの比較と考察
いずれの場合もそのままの形では維持されていない。そ
以上,オーストラリアのテラスハウスの調査を行うこ
のことはむしろ,都市の裏側の形式の多様性を示してい
とにより,得られた知見をまとめる。
ると言える。ただし,アメリカでより早い時期に都市化
1)テラスハウスの基本形は,2∼3棟がパーティウォー
の進んだフィラデルフィアやボストンではミューズが存
ルを共有して連続しており,2層が最も多く平屋も見
在しており,その歴史的経緯を総体として捕捉するため
られるが,地下を有する例はまれである
に,これらの都市の調査,分析が今後の課題である。
2)2層正面に奥行きの広い(1∼3m)バルコニーが配され,
オーストラリアのテラスハウスでは街路側のバルコニ
主屋と独立した屋根で覆われている
ーは欠くことのできない要素である。生活の場として機
3)パーティウォールがバルコニーまで張り出す例が多い
能している様子はみられないが,街路との間の中間領域
が,これは構造上と防火上の利点を併せ持っている
として,独特の景観を形成する重要な要素である。同様
4)主屋(切り妻屋根あるいは寄せ棟)とバックエクステ
のロマンティック・ムーブメントの中で,ニューヨーク
ンション(切り妻屋根あるいは片流れ),裏庭の形式は
のロウハウスにはバックヤードにオープンギャラリー,
イギリスの原型と類似する
ティールームがっくられ,バックヤードの「自然」を享
5)ストゥープは,バルコニー下のポーチに至る階段とし
受する装置として機能した。ここにも,それぞれの場所
て配されているが,主に半地下を形成するためのもの
での展開の相違が表れている。
ではなく,道路と床レヴェルを調整するための機能に
街区や住戸のスケール,密度についてはイギリスとア
メリカが同等,オーストラリアは小規模,低密である。
留まる
6)敷地の裏側にはレインと呼ばれる裏道が配され,2.5m
テラスハウスが建ち並んだ19世紀末の状態で,街路を含
以上(自動車の進入可)の場合には裏庭をガレージとし
まない街区内での容積率を概算したところ,ブルックリ
ている
ン・ハイツでは220%を超え,パディントンではおよそ
lOO%である。都市において地面に接しながら,高密に,
7)レインの出入り口には,イギリスのミューズのように
門はなく,裏庭の塀により侵入が防止されている
快適に住むことは,それぞれの場所の条件に応じて様々
8)街路とレインによって,テラスハウスの表裏がはっき
に変形可能なテラスハウスという形式で達成可能である
りしているが,イギリスの原型のように裏同士がセッ
ことが確認できた。
一163一
住宅総合研究財団側ラ巳論文集No.32,2005年版
<注>
14)参考文献13)参照℃
1)テラスハウスのアメリカにおける一般的名称。テラスハウスは,
15)同上規定による。
16)イギリスでは多くの場合,街区全体が一体的に開発されたため,
街路より一段高いところに主階があるという特徴を示すのに対し
通路としてのミューズとそれを挟む両側の馬小屋としてのミュー
て,ロウハウスは住戸が連続することを表現している。
ズも一体のものとして計画される。そのことは一筋違いの街路に
2)ここで高効率という用語は,直接的には郊外住宅に必然的な「通
勤」がもたらす時間やエネルギーの浪費を解消すること,そして
面するテラスハウスの裏側同士が対になっていることを意味し,
都市部に高密にすなわち効率的に住むことを意味する。通勤は家
ミューズゲートによる管理もそれによって可能になっている。
族内での性別分業を促進し,その結果近代家族の諸問題の一因と
もなっている。通勤を必要としない,しかも今ひとつの近代的居
〈参考文献〉(主要なもののみ示す)
住形式であるアパートメントハウスに欠けている接地1生をもっ住
1)MUTHESIUS,Stefan,TheEnglishTerracedHouse,YaleUniversity
Press,NewHaven,1982
居形式としてのテラスハウスが今日いかに可能か。そのことを検
2)LOCKWOOD,Charles,BricksandBro;vns亡one「TheNevvYorl(Ro1v
討する基礎データを提供することを意図している。
Housθs1783-1929,Rizzoli,NewYork,1972
3)LANCASTER,Clay,01ゴBrooklynHeights:ThθNθwYork'sFirs亡
3)資料・文献調査を行った機関は以下のとおりである。ニューヨー
Suburb,DoverPublishingInc.NewYork,1979
クのロウハウスについては,国会図書館ブルックリン公共図書
4)OldBrooklynHθights1827-1927,TheBrooklynSavingsBank,New
館,ブルックリン歴史協会,ブルックリン美術館,コロンビア大
York,1927
学エイヴリィ図書館ニューヨーク歴史協会,ニューヨーク大学
5)MERLIS,Brian,Brooklyn'Thel{'ayJ亡IVas,Israelowitz
Publishing,Brooklyn,2003
バプスト図書館,ニュースクール大学アダム&ソフィー・ギムベ
6)MERLIS,BrianandROSENZWEIG,LeeA.,Brooklyn」Ueigh亡s&
ル図書館ニューヨーク公共図書館。シドニー,メルボルンのテ
Obwηtown,IsraelowitzPublishing,Brooklyn,2001
ラスハウスについては,ナショナル・トラスト・オーストラリア,
7)YOUNGER,WilliamLee,Ol(iBroo1(lyn'JnEarlyPhotographs
1865-1929,DoverPublications,Inc.,NewYork,1978
ヴィクトリア州立図書館,サウス・メルボルン市役所,国立資料
8)MANBECK,JohnB.(ed.),Thθ/)bfg力わoヱ'7]ooa「sofBrooA・lyn,Yale
館ヴィクトリア公文書館ニューサウスウエールズ州立図書館古
UniversityPress,NewHaven,1998
文書館,パディントン図書館シドニー博物館,スザンナ・プレ
9)HARRIS,LutherS。,AroundIVashing亡oηS(1uarθ'!4ηlllustr∂ted
イス博物館。
HistoryofGrθθn;vichYil!ag・θ,TheJohnHopkinsUniversity
Press,Baltimore,2003
4)イギリスのテラスハウスにっいては参考文献1)がバイブル的な文
10)RoivhousθManual,NewYorkCityLandmarkPreservation
献であり,テラスハウスの多様なタイプとその歴史的変遷等につ
Co㎜ission,NewYork,1995
いて詳しい。ここでの記述はこれと1996年に市原が行ったロンド
11)BOYD,Robin,Aus亡ralianUgliness,PenguinBooksLtd.,London,
1968
ンにおける現地調査による。
12)KELLY,Max,Pa(fdockFu!lofHouses'Padding亡on1840-1890,
5)テラスハウスの隣接する2戸で共有される戸境壁,少なくとも建
DoakPress,Paddington,1978
設時の所有関係を示すとともに,イギリスにおいては,土地と同
13)Pa(fding亡onDevelopmθn亡Ooη亡rolplan,WoollahraMunicipal
Counci1,WQollahra,1999
様に借り手が改変することは認められていない。
14)Pa(ゴ(fing亡on!4planforprθsθrva亡ion,ThePaddingtonSociety,
6)ミューズは本来馬小屋を意味する。テラスハウスのバックヤード
Paddington,1970
のサービス用通路に面して連続して建っため,この通路もミュー
15)Thθ(≡beo;vthofaCi亡yMθlbourne1850-1900,TheStateLibrary
ofVictoria,MeIbourne,1992
ズと呼ばれるようになった。
16)CuttenHistoryCo㎜itteeoftheFitzroyHistoricalSociety,
7)街路レベルより一段高い主階玄関にアクセスする階段。
Fi亡zroy:Melbourne'sFirs亡Suburb,HylandHouse,Melbourne,
8)参考文献3),pp.vii-xxxii参照。
1989
9)19世紀後半以降,火災保険料算定のためにサンボーン火災保険会
17)Ci亡yofSou亡hMelbourne∂ndI-Zlus亡ra亡θゴHandbook,Periodicals
Pub.,MelbQurne,1905
社によって調査,作成された地図。建物の規模,構造,仕上げ,
18)South煽θ1わoりrηθ智Heri亡∂9θ,CityofMelbourne,Melbourne,1988
消火設備の程度等が記載されている。道路,敷地境界も明確であ
るため,都市計画や建築の分野でも貴重な資料となっている。
〈図版出典〉
10)歴史的アメリカ建築調査。アメリカの歴史的建築物を記録する
図3-1:参考文献3),pp.204-205を補正
ための組織で,建設省(UnitedStatesDepartmentofInterior)
図6-4:PlanofPaddingtonEstate1868,Sheets15,16,22を合成
の管理下にある。主に取り壊しや移設の際に調査が行われ,記録
は国会図書館に保管されている。
〈研究協力者〉
11)イギリス,アメリカ,オーストラリアのいずれにも見られるサ
天野佑介:田中雅美建築設計事務所修士(工学)
ービス用動線の1つ。街路とバックヤードをっなぐトンネルのよ
(04年:東京工芸大学大学院修士課程2年)
うな通路。幅は人が1人通れる程度の小さなもので,1住戸に1
小林貴弥:進藤建築設計事務所修士(工学)(同上)
つある場合と,隣接2住戸で共有する場合とがある。
小山春菜:ライブ環境建築設計修士(工学)(同上)
12)参考文献12)参照。
岩瀬知己,宮崎晋一郎:東京工芸大学大学院修士課程2年
13)アイアン・ワークの装飾を施したフェデレーション様式の建築を
井田千晶,北島知恵高橋菜生:同1年
「フィリグリー」と呼ぶ。
一164一
住宅総合研究財団研究論文集No.32,2005年版
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