...

ユダヤ人』: スタンダールにおける反小説

by user

on
Category: Documents
21

views

Report

Comments

Transcript

ユダヤ人』: スタンダールにおける反小説
Kobe University Repository : Kernel
Title
『ユダヤ人』 : スタンダールにおける反小説
Author(s)
岩本, 和子
Citation
近代,71:49*-67*
Issue date
1991-12
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81001624
Create Date: 2017-03-30
『ユ ダ ヤ 人』
- ス タ ンダール に お け る反 小 説 -
岩
本
和
子
スタンダールには 『ユダヤ人』 という死後出版の不思議な未完の短篇がある。
不思議なと言 ったのは、 い くつかの点で 「スタンダール的」 でない小説 だか ら
である。 たとえば、 この物語 は基本的に一人称で語 られている。正確 には、何
度か 「聞 き手」が口をはさむ対話形式 なのだが、物語全体 を支え る 「
作者」 の
ディスクール (
主人公 とは別人であるために 「
三人称形式」の原因 となる) も、
いわゆる 「
作者介入」 も見 られないように思われ る。長 ・中 ・短篇のいずれに
せよ、 「
小説」の ジャンルに分類 されているスタンダールの作品 は、 まず三人
称過去時制で語 られ るのか一種のきまりのよ うに我 々読者が期待す るところな
。『ユダヤ人
のである (1)
。 また、 タイ トルが 目を引 く
(フ ィ リッポ ・エプ
レオ)LeJui
f(
Fi
l
i
ppoEbr
e
o)
』 のように、主人公 の固有名 は括弧 に入 れ ら
れ、彼の属す民族名 (もしくは彼の担 う生来の特質 と言 って もいいか もしれな
い)が大 きく掲 げ られているのである。 ところでスタンダールの小説作品には、
アルマ ンス、 リュシア ン ・ルーヴェン、 ヴァニナ ・ヴァここ等、主人公 の名前
をそのままタイ トルに持っ ものが非常 に多 い。 これは強烈 な個性を持っ一個人
の情熱的な生を描 く、 スタンダール小説 におな じみの題材 の反映 と言え るので
はないか。 とすればあえて括弧 に入れ られた フイリッポ ・エプ レオの個性 より
もここではある集団、ある複数 の人々の総体的な特質がテーマなのであろうか。
しか もその人 々とは、特 に西 ヨーロッパでは歴史的 に迫害 され、軽蔑 された対
象であった。 タイ トル として も、主人公 に選ばれ る人物 として も、 スタング一
一4
9-
ルにおいてかな り特殊である。
以上 のような理由か ら、筆者 はこの未完の短 いテクス トが気 にな っていた。
1
8
5
5
年、 ミシェル ・レヴィ版 (2) に初 めて収録 されて以来、現在、プレイヤッ
ド版、 ビブ リオフィル版等に も、邦訳全集 に も収 め られ、我々は 『ユ ダヤ人』
を比較的楽 に読 める (3)
。 しか し、 この作品 につ いての ま とま った研究 はあ
まりないようである。本稿では、 テクス トの形式 と 「ユ ダヤ人」 というテーマ
の局面か ら検討 を試 み、 スタンダールの執筆活動 における位置や意味を考えて
みたい。
Ⅰ ルポルタージュか ら小説へ
一言
苦りの形式
まず、 『ユ ダヤ人』 の内容を簡単 に紹介 してお こう。
4
5
才のユ ダヤ人 フイリッポ ・エブ レオは、 ヴェネツィアに向か う船中での一
8
1
4
年 、3
0
才の時の 《
呪い ma
1
6
d
i
c
t
i
on
≫ と自分のフラン
夜、同船 の客達 に、1
ス旅行の話 を始 める。1
8
0
0
年 ヴェネツィアで父親 の死後、わずかのお金 を持 っ
て家を出た 「
私」 フイリッポは- ンカチや靴 の売買で小金 をため始める。やは
8
0
5
年 には
り家を出ていた母や妹 にその金を盗 まれ るが、金銀細工商で成功 、1
結婚 を考え る。恋 していたのは同国人 (ユダヤ人)の娼婦 ステラで、苦労の末、
彼女の父親 と二人の兄の同意を得 るが、結婚前夜、彼 らは祝儀 と揃えたばか り
の家具を盗んで逃 げて しまう。商売 の破産か ら盗人扱 いされた 「
私」 はステラ
を金銀細工商 に奉公 させて残 し、パ ドグァに行 く。有名な弁護士 に取 り入 り、
金を貯 めてステ ラと結婚、 しか し母 と妹 にまた盗 まれ、 ザラに身を落ち着ける。
衣服 を納 めていたクロアテ ィア人部隊の中隊長 に誘われ、酒保商人 として行軍
に参加す る。 この頃 「
私」 はもはや妻 を愛 さず 「
金 しか愛 していなか った」
。
ローザ ンヌで提携 したペ ランと共に リヨンに着 き、 タバ コの密輸入をする。
デ ィジ ョンで大儲 け した夜、ペ ランと、 あるクロアテ ィア人 とのけんかが原因
で兵士達 に店を襲撃 され る。 さ らにペランは兵士 との決闘ざた も起 こし、 「
私」
は彼 と別れ る。 リヨンか らヴァランスへ行 き、偶然知 り合いの連隊の伍長ボナ一
一5
0-
ルの宿屋 に泊 まる。 ボナールは妹 のカ トリーヌと 「
私」 との結婚を強 くすすめ、
小 さな店 まで貸 して くれ る。 カ トリ-ヌも 「
私」 に激 しく恋す るが、 「
私」 に
はザ ラに残 した妻が障害 とな る。1
8
1
4
年 の秋、 ヴァランスをあ とに した 「
私」
を、 カ トリーヌは召使 でか まわないか らそばに置いて くれ と追 いか けて くる。
リヨンで共 に時計 とダイヤの商 いを し、 1年半 の間かな り豊 かに暮 らす。
が、 ある日知 り合いのユ ダヤ人が妻 の手紙 を届 け、運命 が急変す る。妻 よ り
もむ しろ息子の不幸 に心 を動か され、 ある夜、 カ トリーヌに全財産 を残 して、
「
私」 は密かに リヨンを駅馬車 であとにす る。 ここで、 カ トリー ヌの 《呪 い》
による不幸 が始 まる。国境で時計 の密輸 を試 み るが失敗、税関吏 に 「ユ ダヤの
犬 め」 と罵 られ、 その税関吏を短刀で殺 し急流 に投げ込んで しまう。そ してスザ近 くで馬車が転覆、 「
私」 は片足を折 る。「《カ トリー ヌが おれ を呪 ったの
だ、 と私 は考 え た。 天 は正 しい。 おれ は見 つ け られて二 カ月後 に は絞 首刑
だ。》 そ う したことは何 も起 こらなか った。」 ここでテ クス トは終わ る。
おそ らく物語の本題 であろう 《
呪 い》の話 は始 まったばか りであ り、 テ クス
トは1
8
1
4
年 までの フイリッポの生 い 1
7
.
ち、 つ ま り前 置 きが大部 分 を 占め る。
「あとでお話す るつ もり」 のペ ラン氏 の死 について も、 そ こまで た ど り着 いて
いないC いか に も突然打 ち切 られ、二度 と顧み られ ることのなか った未完 のテ
クス トの様相 を持 って いるo元 々即興的 ・速筆 のスタ ンダールであ るが、 おそ
らく最初の状態のまま残 された このテクス トのエク リチュールはと りわけ生 々
しく、我 々にその生成過程 をみせて くれ るはずである。
それでは、 テクス トの対話形式 につ いて検討 してい こう。
冒頭文であ るフイ リッポ ・エブ レオの最初の言葉 にまず注 目 したいo
「その ころ私 は非常 に美男で した----」(
4)
この書 き出 しが スタンダールの小説 と して はいか に例外的であるかは、他 の作
品の冒頭部を無作為 に数例 引用 してみればわか る。
「
1
7
9
6
年 5月1
5日、 ボナパ ル ト将軍 は ミラノへの入城を果た した ( --)」
-
(
『パルムの僧院』)
-5
1-
-
「
1
8
2*年 5月のよ く晴れた朝、 ドン ・プラス ・ブス トス ・イ ・モスケ ラ
は、1
2
人の騎馬巡査 を従 えて、 グラナダか ら一里ばか りのアルコロテの村
」(
箱 と亡霊』
)
-乗 りこんで きた。 『
6
連隊
「
1
8
2*年 の夏、 うっとうしい雨のある夜の こと、 ボル ドー駐 屯の9
」(
付 きの若 い中尉がカフェか ら引 きあげて きた。 『ほれ ぐす り』
)
「
1
8
2*年 の春の宵 の ことである。 ローマ中がざわめいていた。
」(
『ヴァニ
ナ ・ゲァここ』)
過去 のある出来事を回顧的に語 るときの、 いわゆ る伝統 的 な三人称過去形 の
「
物語」 の冒頭 一 時 と場所 の設定 一 の常套手段 を スタンダール はと って い
る。 それに対 して 『ユダヤ人』 は唐突 に一人称で始 まるだけでな く、 このよう
な設定 も欠 いているのである。 それは物語の 「
始 まり」で はな く、続 いていた
雑談をある時点で切 り取 ってそ っくり写 しとった ものに見える。 「その ころ」
や数行後の 「さっきか ら話題 に していた 《
呪 い≫ と私の フランス旅行の話 に戻
りま しょう」 という言述 は、談話の断片 とい う特徴 を裏付 ける。
回想風 に始 め られたテクス トはす ぐさま他者 の声 の介入 によって純粋な もの
ではな くなる。
」 (5)
「- だけど今で もなかなかたい した ものですよ。
そ して フイリッポが、 「あなたがたキ リス ト教徒」だけでな くユ ダヤ人 にさえ
軽蔑 された貧乏人 だ ったと言 うと、 「あなたがた」である 「聞 き手」 はこう口
を挟む。
」 (6)
「- 軽蔑す るなんて この上 ない間違 いです よ。
テクス トはこのよ うにフイ リッポと彼 の話 に聞 き入 るキ リス ト教徒 (おそ らく
大部分 はイタ リア人)達の言葉 を、何の説明 も加えずに写 しとる、 いわばルポ
ルタージュにな っている。M.
パ ルデ ッシュは 『ユ ダヤ人』 の紹介 の中で、
「
作者 は姿を消 し、読者の期待す る彼 の好奇心のいっ もの領域 や スタ ンダール
的風景 はどこにも現れない」(7) と言 う。 また J.
ムローはこれを加筆 も修正
もないユダヤ人の 「回想録」 と見倣 した上で、やはり 「
作者介入」のないこと
-
5 2
-
を指摘 している (8)
。確かにス タンダール小説で はいっ も、 「作者 」 を名乗
る「
私」が しば しば顔 をだ して 自分 の意見 を述べ るのを我 々 は知 っている。 そ
れは社会 ・文明論、登場人物 の行為 の批評、読者への呼び掛 けや言 い訳など様々
な ものであ る。
しか し果 た して 「
作者」 (ここでは 「
書 き手」 と言 った方 が よいだ ろ うが)
は「
証 言」 の報告者 と しての立場 を厳密 に守 り、主観 を混ぜ ないでいることが
できるだろ うか。我 々はこれか らそれに疑問を投 げか けてい くことにす る。
テクス トでは しば らく 「聞 き手」 の声 は消え、 フイ リッポの回想 が続 く。再
び聞 こえ るのは 3ペー ジ後 である。
「- だけど、 あなたが フランスでその犠牲 にな った とい う 《
呪 い≫ か ら
」(9)
は随分離れています よ、 と私 は言 った。
さらに 2ペー ジ後の声 と、 それ に続 くフイリッポの言葉 である。
「- それがあなたの奥 さんだか ら、 フイ リッポ夫人ですね、 と彼 の話 を
聞いていた皆が 言った。
- ええ、皆 さん、 そ してや っと私 の旅行 の話 で、その後が 《
呪い》です。
」
(
1
0)
「
聞 き手」 は、 「
書 き手」 で もある 「
私」 とその他複数 の人 々であることがわ
呪 い≫
かる。 この 2つの声の介入 は、予告 されなが らなかなか辿 り着かない 《
とい う本題を喚起 させなおす ものである。 フイ リッポの生 い立 ち とい う長 い前
置 きをある意味で は総括 し、物語 を推進す る役 目を担 っていると言 えよ う。 し
か も主人公たる 「
私」 の名 「フイリッポ」 は後者 の引用箇所 で初 めて テクス ト
上に現れた もので、我 々読者 には、 この説 明的な 「聞 き手」 の介入がなければ
知 らされ得 ないのである。
その次の 「聞 き手」 の二回の介入 はすで に最後 の ものだが、話 は 3分 の 1の
ところまで しか進 んでいない。
「[フイリッポ]- どう しよ うもあ りません、皆 さん、 私 は もはや妻 を愛
していませんで した。
-5
3-
-
なんです って !と私 は言 った、 あのかわいそ うな ステ ラを ? あなた
にあんなに忠実だ ったのに。」
「- ああ、 あなたは野宿 をよぎな くされたのですね、 と私 は言 った。」
3
11
g
これ以降 「聞 き手」 の存在 は、 フイリッポが 「あなた」「あなたが た」 と稀 に
呼び掛 ける時を除 いて、殆 ど忘れ られて しまう。結局 は回想的な形式 になって
しまうのである。 ここでは、 「聞 き手」 の介入は、妻への愛 を失 った、 という
よりむ しろ金銭 しか愛せな くな った 「
私」 を、語 りの リズムの変化 によって印
象づ ける効果 を持 っているよ うである。前述 のように、物語 の要所での総括的
な役割 もあるだろ う。最後 の引用では、 「あなたにあんなに忠実 だ った」 ステ
ラ、 という表現 に も注 目 したい。 フイ リッポの話 の中には、少 な くともテクス
ト上 は、 ステ ラの忠実 さを示すいかなるエ ピソー ドも、 いかなる形容詞 も兄い
だせないのである。
我 々はこういった点 に 「書 き手」である対話の報告者の作為を垣間見 ること
がで きるのではないだろ うか。つ ま り 「聞 き手」 とは、 フイリッポと共に船上
にいる 「
登場人物」であると同時に、語 られた内容以上 の情報を持つ、 いわば
一段階上 の語 りの審級 にいる 「
書 き手」 の思考を、直接反映す るもので もある
のだ。
「
書 き手」 の存在 はまた、 「聞 き手」が殆 ど不在 となる後 ろ 3分の 2におい
て も、暗示 されているD実際の船上での一夜の歓談 において、聞 き手達が長 い
間全 く口を挟 まなか ったとはまず考え られないことか ら、 その作為 は感 じとれ
る。 さ らにこの部分では、 フイ リッポの話 の中での 「
登場人物」の声、つまり
会話 の直接の提示や、 フイ リッポ自身の 「内的独 自 mon
ol
oguei
nt
6
r
i
e
ur
」つ
まり船上 の一夜 よ りも過去 の声 の、直接 の提示が非常 に多い。 しか もこれ らは
前 3分 の 1において は殆 どなか った ものである。 テクス トは要す るに回想的 と
い うよ りも回想録的にな っている。 もはや 「話 された」言葉の写 しではな く、
「
書かれた」 もの とな り、 フイ リッポは背後か ら支え る 「
書 き手」 の単 な る媒
-5
4-
介者 と化 したように見え るのである。
「
書 き手」の言述である三人称のいわゆる 「
地の文」 は明確にその 「
書 き手」
の存在を知 らせ るものだが、実 は 『ユ ダヤ人』 に も 「
地の文」 を兄 いだせ る。
「と皆が言 った」等 の短 い
「
聞 き手」の介入の部分の引用で も 「と私 は言 った」
ものがあ ったが、 まとまった もの も 2文 はどある。 引用 しよう。
」(
1
2)
「そ してそのユダヤ人 は、優 しい敬意 を こめて帽子 を脱 いだ。
「
皆 は笑 いだ した、それほどユダヤ人のその叫びには、真の情熱があった。
」
(
1
3
)
「
作者介入」 のように寄骨ではないが、 「優 しい敬意」
「
真 の情熱」 等 には確
かに 「
書 き手」の主観が込 め られている。 ごく短 いこの 2つの異質 な文 はテク
ス ト全休の中で印象的である。
こうして我々は一見完壁 に姿を消 していると考え られていた 「
書 き手」 の介
入を認めることがで きる。
。『ユ ダ
さて、 この 「
書 き手」像 は当然 スタンダール自身に重ねあわせ得 る
ヤ人』のエ ピグラフ 「トリエステ、1
8
3
1
年 1月 1
4、1
5日 Tr
i
e
s
t
e
,l
e
s1
4e
t
1
」 は執筆の場所 と時期 を示 し、 作 品の成 立事情 に関 わ る唯一
1
5j
a
n
v
i
e
r1
8
3
の情報である。そ して実際、当時、前年11月末か らイタ リアの トリエステ駐在
のフランス領事の職を得ていたスタンダールは、 1月 6E
iか ら1
0日まで フイウ
メ (トリエステの東7
7
km、ユーゴスラビア領 リエカのイ タ リア名) に旅行 し
た (
1
4)
。 そこでおそ らくフイリッポ ・エブレオという名 の実在 のユ ダヤ人 か
ら直接、 または彼の友人か ら話 を聞 いたのではないか、 と従来言われている。
しか しこの推測の根拠 は、次 の 『リュシア ン ・ルーヴェン』手稿-の書 き込
。「彼 らは目元 にこの うえない侮辱を こめて話 さずにはお らず、
みだけである
」(
1
5) テクス ト内
決 して フイウメのユダヤ人のように侮辱 されは しなか った。
の 「聞 き手」 は 「
私」即 ち旅行中のスタンダールと、同行の友人たちか同船 の
客たちということになるだろうが、 「あすの朝 にはヴェネツィアに着 く」船 の
-5
5-
上 という設定 は、 フイウメにごく近 い トリエステに帰 るはずの実際の行程 とず
れ る. また 「
心地 よい微風」 も、一月の北 イタ リアにあ っては無理な描写であ
る。 『ユ ダヤ人』 の内容 と事実 との間の真偽 を問 うことは情報不足を別に して
も意味がないであろう。我 々は、 このテクス トがおそらく事実のルポルタージュ
を基底 に しなが らも、 あ くまで も 「
書 き手」の意図による架空の 「
短篇小説作
品」 であるのだ とい うはか はない。
それな らば 『ユダヤ人』 は、 スタンダールが創作活動 において常 に心掛 けて
いた 「
小 さな本当の事実 p
e
t
i
t
sで
ai
t
svr
ai
s
」 の観察 による 「
真実」の呈示を、
その形式 においてかな り忠実 に (
他のどの作品 よりも)実践 した ものとも言え
るので はないか。 スタンダールは実際 には 「
短 い物語 r
6c
i
t
sc
our
t
s
」 は書 か
なか った (
書 けなか った)、彼 は 「
小説 の断片 r
r
agme
nt
sder
omans
」 を残
しただけだ と言われ ることがある (
1
6)。確かに同時代 の優 れた短篇作家 メ リ
メ らに刺激 され模倣 しようと したが、それほど成功 しなか った。つ ま り p
e
t
i
t
s
で
ai
t
svr
ai
sの集積 によって 「筋」 を展開す るにはそれな りの時 ・空間の長 さ、
即 ち枠組 の大 きさが必要 なために、 む しろ長篇 において本領 を発揮で きたので
ある (
1
7
)0
『ユダヤ人』 の寸断 された未完のテクス トは、文字 どお り 「断片」 として、
その集積 によって r
oman を織 り上 げるであろうもの、要す るに r
oman の中
の- エ ピソー ドを成す もの として扱 い得 るのではないだろうか。 この点 に関 し
て、我 々は長篇 『パルムの僧院』 の冒頭部 に挿入 された、作者 らしき 「
私」 と
ロベール中尉 との対話のエ ピソー ドを思 い起 したい。主人公 ファブ リス誕生 1
年前 の ミラノの描写 に始 まった物語 に、遥か後 にな ってこの時の ミラノ入城の
思 い出話 をす る元 ナポ レオ ン軍中尉 のロベールと、 その親 しい友人 らしき 「
私」
との対話が、唐突に混入す るものである。 ロベール中尉 はファブ リスの実の父
と暗示 される人物 だが、 その後の物語内では、 ワーテルロー戦の最中にファブ
リスとすれ違 うだけで、あ とは全 く登場 しない。 「
私」 なる人物像 も、謎のま
ま二度 と再 び姿 を現 さない (
1
8)。前後の叙述 とはきわめて異質 な、 この対話
-5
6-
によるエ ピソー ド部分が、形式上 『ユ ダヤ人』 の全体 と酷似 しているのである。
このエピソー ドは 『ナポ レオ ン覚え書 き』中で もスタンダール自身 との対話 と
して使われた、一つの pe
t
i
tf
ai
tvr
aiであったのだ.
さらに旅行記 との頬似 も指摘 してお こう.領事職 と任地の退屈 さは、 フイウ
メ旅行を皮切 りに、一生 スタンダールを旅 に駆 り立て ることになる。旅行か ら
0日の夜、早 くも知人への手紙で 「倦怠 と寒さで死にそうです.(・
・
・
・
・
・
)
戻 った 1月1
」(
1
9) と嘆 く彼 は、同年 4月にはもっと退屈で死 に
文明の果てに来ています。
そうな、社交界 もない寒村チヴィタグェ ッキアに転任 させ られ る。当時 イタ リ
アを支配 していたオース トリアの警察 に、 自由主義者 として脱 まれたためであ
る。 『ユダヤ人』 も旅先での見聞録 だが、 スタンダールの数多 い旅行記 は単 な
る観光案内ではな く、見聞 による挿話の集積で もある。 また 日記風の 日付を始
め虚構が多 く、旅行者の 「
私」 も例えば鉄 の商人 という架空の 「
登場人物」だっ
たりす る。 いわゆる 「
作者介入」風の主観的意見の開陳 に も事欠かず、かな り
小説的要素が混 じっているのである。
スタンダールの作品群の ジャンル分 けの難 しさは周知 のことである。 『ユダ
ヤ人」
1は結局、そのような分類困難 な小説や旅行記の狭間にあるテクス トなの
ではないか。わずか 2日間の、退屈 と寒 さを紛 らすための手す さびとはいえ、
想像以上 にスタンダール的なエク リチュールの特徴 を持 っているのである。
Ⅱ
「ユ ダ ヤ人」 神 話
-
「虚 栄 」 と 「情 熱 」 の テ ー マ
次 に 『ユ ダヤ人』 のテーマについて考察す ることに しよう。
「
好奇心の強 い人 々に
AUXCURI
EUX」 とい うェ ピグ ラフは象徴 的で あ
O「ユダヤ人」 とはスタンダールにとって、 そ して彼の想定す るフランス人
る
読者たちにとって も、 まず 「
他者」であ り特殊 な人種であ り、その人生談 は充
分興味深い一つのエ ピソー ドなのであろ う。 タイ トルを重視すれば、 フイ リッ
ポの人生 は何 よりも 「ユダヤ人」 というものの表徴であ り、匿名的な もの とな
る。 それではスタンダールのユダヤ人観 とは実際にどのような ものだ ったのだ
-5
7-
ろうか。
まず背景 として、特 にフランスの ロマ ン主義作家たちのユダヤ人観 を確認 し
てお こう。1
4
世紀頃には東へ行 っていたユダヤ人 たちは、 ルイ1
4
世 の時代 にフ
ランスへ再入国 した。 オース トリアか らアルザスを獲得 したフランスは、同時
にかな り多勢 のゲ ッ トーのユ ダヤ人を引 き受 けることにな ったのだという。 そ
の後 1
5
0
年間の彼 らの暮 らしは、 ささいな金貸 しと古着の商 いであった (
2
0
)
0
モ ンテスキューやル ソー らのユ ダヤ人 に対す る寛容主義的な思想を経て、大革
命期の 「
人権宣言」 は国籍や宗教等 のあ らゆる差別を排除す るものであった。
1
7
91
年 には、 ロペス ピェールや ミラボーの支持 を得て、国民議会の投票で フラ
ンスのユ ダヤ人 は平等 の権利 を持つ 「
市民」 となる
(
2
1
)。
9
世紀初 めの人 々にとって、ユ ダヤ人 たちは相変わ らず異質 な共同体
しか し1
に属す、暗い呪われた民族 であ った。 そ して、バルザ ック、ユゴーらを筆頭に、
当時のロマ ン主義作家 たち もこの昔 なが らの一般的イメー ジを共有 し、作品内
で もおおむねステ レオ タイプ化 されたユ ダヤ人像を用 いていたようである。∫.
バー ンベルグはロマ ン主義文学 のユダヤ人 のイメージを挙 げている。高利貸 し
であること、無信仰であること、宜 しく見えて も金持 ちであるか容易 に金持 ち
にな り得 ること、 の三つである (
2
2
)
。元 々キ リス ト教会が、 利子 をつ けて金
を貸す ことを大罪 と考えたために、金融業が専 らユダヤ人の仕事 とな ったこと
か ら、 このよ うな神話が生 まれたのである (
2
3). 二番 目の イメー ジにつ いて
も、神 を敬 いなが らも地上的な ものに固執す る人 たちへの、キ リス ト教徒の側
か らの見方 であろう。
ロマ ン主義作家が、反ユ ダヤ主義 とい う偏見を断 ち切 った大革命の原則を基
本的に支持す るものたちであ ったはず に も関わ らず、差別的なイメージを作中
人物 に課 したのは、比較的単純 な理 由によるO -つの文学運動 として強力に大
衆 の心 をっかむために彼 らは中世以来民衆 の抱 いている受 け入れやすいイメー
ジを強調す ることに したのである。 これを代弁す るよ うな A.ドレフユスの言
作家 の第-の義務 は、観客を楽 しませ ることである。即
葉を引いてお こう。 「
-5
8-
ちその好 み と習慣 を尊重す ることであ る。 も し私がユ ダヤ人 を舞台 に乗 せ たな
ら、結局 は当然 の ことなが ら高利貸 しか詐欺 師か裏切 り者 か卑劣 な人物 を創 ら
」(
2
4) さ らに当時の ロマ ン主義演劇 を刺激 した シェ
ざるを得 なか っただろ う。
イクス ピアの影響が拍車 をか ける。 とりわけ 『ヴェニスの商人』 の、陰険 な鷲
鼻の商人 シャイロ ックのイ メージは強烈 で、 当時 (そ して現在 に至 るまで)典
型的ユ ダヤ人 と して定着す る。
スタンダールは こうした同時代 の人 々 と同 じ 「
神話化」 されたユ ダヤ人観 し
か持 っていなか ったよ うに思 われ る。特 にシェイクス ピアの影響 は大 きいはず
である。元 々劇作 を志 していた作家 に と って、 ロマ ン主 義 宣 言 書 と もな った
『ラシーヌとシェイ クス ピア』 を始 め この大劇作家への賛 嘆 の念 を こめ た言 及
8
0
8
年
には事欠かない。 自由 ・解放の旗 手ナポ レオ ンが実 は1
3月 1
7日にユ ダヤ
人差別の法令 を発令 した張本人で あ った ことも、一般 の人 々同様知 らなか った
ようである (
2
5
)。 ナポ レオ ンとはス タンダールが、 そ して ジュ リア ン ・ソ レ
ルやフ ァブ リスがあんなに も熱狂的 に憧 れた人物 だ ったのであ る。
政治 ・風俗 ・社会風刺 に長 け、民族 や時代 に応 じた相対主義 を標梼 す るスタ
ンダールであるが、 いわゆるユ ダヤ人問題への言及 はあま りない。 それ故 に独
自の 「ユ ダヤ人」論 とい った ものは期待で きないが、以下、数少 ない言及 を具
体的に見 てお こう。
例えば、 『
赤 と黒』 において タレール伯爵 とい うユ ダヤ人 が、 ラ ・モール邸
の夜会 の場面で描かれている。少 し長 いが引用 してお こう。
「ラ ・モール嬢 のほうの グループはまだ賑やかだ った。彼女 は友達 と一緒
にな って、かわ いそ うな タレ-ル伯爵 をか らか うのに一所懸命だ った。 そ
れ は、王様 たちに民衆 と戦 う軍資金 を貸 し付 けて、 しこたま もうけたので
有名なあのユダヤ人 の一人息 子なのだo そのユ ダヤ人が、息子 に月一万 エ
キュの収入 と、一つの、悲 しいかな !あま りに も知 れわた った名前 とをの
こして、近 ごろ死 んだぼか しだ った。 こうい う妙 な立場 におかれたのだか
ら、 よほど単純 な性格 を して いるか、 でなければ充分 の意志力が必要 なわ
ー5
9-
けである。 ところが不幸 に して、 この伯爵 は取巻連中におだて られては、
次 々にあ らゆる生意気 な考えをいだいている、 そ うい う坊 っちゃんにす ぎ
ないのだ った。
」(
26)
不正 をはた らく冷酷な金融業者 とい う典型的な 「ユ ダヤ人」がいかに も戯画的
に描かれている。 しか もラ ・モール嬢 と共 に、 「
作者」 も皮肉 と軽蔑のあ りっ
たけを こめた主観的意見を 「介入」 させ、容赦がない。
『リュシア ン ・ルー ヴェン』 の書 き込みには本稿ですでに引用 した 「フィウ
メのユ ダヤ人」 とい う言糞があった。 そ こで は 「ユ ダヤ人」 とは 「
侮辱 される」
対象 としてあたか も慣用句 のように使われて さえいる。
ずっと若い時期の1
8
0
8
年 1月1
4日付 けの日記にも言及がある。ブランシュヴィッ
クの 「ユ ダヤ人 らしい繊細 さを備えた」 ヤコブソンなる人物が措かれているが、
ここで も彼 の 「隠せ得 ないほどの虚栄心」 と金銭の話である (
27
)
。
それでは、 『ユ ダヤ人』 においてはこういった 「
神話」 はどのように現われ
ているだろうか。 まず、 もっとも目立っ ものが、金銭へのこだわりである。フイ
リッポ自身、始 めにこう宣言 している。
「
1
81
4
年 には、私 は金 を とて も愛 していました。それは、私が今までに知 っ
た唯一 の情熱です。
」(
28)
また、すでに引用 した三つ 目の 「
地 の文」 は、妻 よりも金 を愛 したユ ダヤ人 に
対す る 「聞 き手」 たちの噸笑 なのである。
「- 皆 さん、事実 は、私 はもはや金 しか愛 していなか ったとい うことで
す。 ああ、 そんなに も私 は金 を愛 していま した !
皆 は笑 いだ した、 それほどユダヤ人 のその叫びには、真の情熱があった。
」
(
下線部 は原文 イタ リック体) (
2
9)
また、 フイリッポは十 スーばか りの- ンカチ八枚 の売買か ら、実 に様々な商売
を重ねてい くのだが、我 々の目を引 くのは、逐一品物の価格や稼 いだ金額が細
か く語 られていることである。
ところで、上記 の引用文で興味深 いのは、 「
情熱 pas
s
i
on」 とい う言葉が金
一6
0-
銭 を対象 と して使 われていることである。 そ もそ もスタ ンダールの作品 におい
s
s
i
on とは常 に肯定的な意味 に使われる行動のエネルギーであ り、はっ
ては、pa
きりと 「
虚栄 va
ni
t
6
J と対立す る ものであ る。 そ して彼 の考 え る vani
t
6と
は、近代 ブル ジ ョワ社会 に特徴 的な金銭- の関心 を始 めと した世俗的 な ものに
t
bの象徴 が逆説 的
はかな らないOつ まり 『ユ ダヤ人』 にあ って は、 その vani
に行動のエネルギーであ り、物語 の推進役 とな っているのであ る。
しか も、手元 にある金銭 の額 を追 ってみ るとお もしろい ことに気づ く。 出発
点の2
0フランか ら1
0
0
0フラン、1
5
0
0フラン、1
4
0
0
0フ ラ ン、1
5
0
0
0フ ラ ン、1
8
0
0
0
フランと次第 に増 え、 そ して最終部、 カ トリーヌの 《呪 い》が関わ るとき、一
0
0フランか ら1
0
0フランとな り、 さ らにそ こか ら2
0フラン横取 りしよ うと
挙 に5
した税関吏を殺す ことにな る。 ここでは金銭 の数字 の変化が、 そのまま上昇 と
急落のいわば 「ドラマ曲線」 を描 いて いるとい うこともで きるので はないだろ
うか。 このよ うに、金銭 に執着す る神話 と しての 「ユ ダヤ人」 を表面的には題
材 としつつ、結局 はいっ ものよ うに 「スタンダール的」 な情熱 ・エネルギーの
テーマが何 らかの形 で奥底 に流 れて いるのである。
スタンダールの書 き物 には実 は、 「迫害 されたユ ダヤ人」への同情 を告 白す
。『ローマ散策』
る肯定的な言及 も、筆者 の知 り得 る限 りで は一度 な されている
8
2
7
年1
2
月 6目付 けで、 ユ ダヤ人地 区の古代建造物 を訪 れた 「
私」 が、法王
の1
パ ウロ四世 に始 まる迫害 (
1
5
5
6
)でゲ ッ トーに押 しこめ られたユ ダヤ人 に思 い
を馳せた後、 こう言 うのであ る。
「
私が報告すれば ジャコバ ン派 と見倣 されかねない これ らすべての様 々な
迫害 に も関わ らず、 そ うい った ものが この不幸 な民族が今 だにモ-ゼの戒
」(
下線部 引用者)
律 に固執 している、すぼ らしいエネルギーなのである。
(
3
0)
ここで も 「ェネルギー」 とい う言葉が使 われているが、圧倒 的な古代 の建造物
に何 もか も忘 れて極端 に感激す るスタ ング-ルの性格 を別 と して も、 「ユ ダヤ
人」 の宗教 に関わ る慣習 にはプ ラス面 もあるようだ。 モーセの法 は 「あれをす
一6
1-
るな、 これをす るな」 とい う否定文であ り、 ユダヤ人 は、 はっきりと禁 じられ
ていることさえ しなければ何を して もよい、 とい う柔軟性 を持つ ことになった
のである。つま り、 ユ ダヤ主義 の宗教的歴史観か ら言 うと、神 は人間に行動の
自由を与 えたのである。 それが成功であれ失敗であれ、人間は自らの行動に対
して責任 を負 うのだ、 と神 は主張で きるとい うことに もなる (
31
)
0
この宗教 とい う要素 も、 『ユ ダヤ人』 の ドラマ (
劇的事件) を創 りだす意外
に大 きな要因 とな っているように思われ る。 フイリッポはユダヤ教徒 と して、
自らの運命の変化 を事 あるごとに神の御業 に帰 している。例えば1
8
0
0
年か ら1
8
1
4
年の商売の成功 を 「
神の御加護」 と考え、 「
優 しく敬意を こめて帽子をとっ
た」
。 そ して、 カ トリー ヌ との別 れ に端 を発 した不運 の始 ま りにつ いて は、
「
神 は私が幸福であることを望 まれなか った」せいであ り、 旅立 ちを決定 した
のが 「神の啓示」 な らば、その旅立 ちのせいで 「たちまち神 の恩寵 は私をお見
捨てにな った」 のである。 「
最初の犯罪」である税関吏の殺人 は、 「
悪魔が私
をそそのか した」 ことになる。
さらにユ ダヤ教の戒律 もテクス トを支配 しているのがわか る。
「
1
8
0
5
年、私 は1
0
0フランの元手を持 っていた。 そ こで私 は、 我 々の戒律
が結婚 を命 じていると判断 した。私 はこの義務 を果 たそ うと考えた。
」(
32
)
ユ ダヤ人の 「
離散」 の時代が始 まって以来、ユ ダヤ人の人 口が減少することが
ないように、嬰児殺 しと独身主義 には重 い罰が与 え られているという。雑婚 も
禁止 された (
33)。ユ ダヤ人である妻 のステラの存在 は、従 って、 フランス人
のカ トリーヌとの結婚 にとって想像以上の障害なのである。後者 との幸福な生
活 の描写が続 く間は主人公がユダヤ人である事 を我 々に殆 ど忘れさせ る。 しか
し結局 は 「
知 り合 いのユ ダヤ人」 によって、 フイ リッポは再 びユダヤ人社会へ
と呼び戻 され るのである。 ここには、 ユダヤ共同社会の結束 の強 さも反映 され
ている。つまり常 に自分 たちの共同社会の者の面倒 は自分 たちでみるという戒
律 に従 った彼 らの慣わ しである。
ところで、何度 も予告 されなが ら、遂 にその始 まりに しか辿 り着 けなか った
-6
2-
《
呪い》 とは何だろうか。 フイリッポほ、捨て られたカ トリ-ヌが投げか けた
ものだと繰 り返す。 しか し我 々には、降 りかか る災難の原因がカ トリーヌの ≪
呪い》のせいにされる根拠が全 く知 らされず、 む しろ不 自然 にさえ見える。 そ
れよりも、 この迷信 じみたものへの こだわ りは、 「
異教的」「邪教 的」 な雰囲
気を付与す る役 にたっているのではないか。 《
呪い≫ とは実の ところ、 キ リス
ト教徒 との恋愛 に対する、ユ ダヤ教 の神による罰 と考え ることも不可能ではな
いだろう。 その意味で、 《
呪い》の物語 はさらに続 け られたな ら、 きわめて ロ
マン派好みのテーマの ものにな ったであろう。
『ユダヤ人』 は 「にがい後味のす る」草稿で、 「荒地 に自生 した ヒースのよ
うな無名の一生命への共感な き観察」であり、作品 として 「
特 にす ぐれた もの
34)、我 々にはむ しろ主人公 の波乱 に満 ち
でもない」 と室井庸一氏 は言 うが (
た冒険談 と軽快な文体 は心地良 い。 そ こには、主人公 の 「自伝的 a
ut
obi
ogr
a-
p
h
i
que
」扇 吾りといい、寝泊 りす るところや食料 ・衣服等の身の回 り品 (ここ
ではそれが金銭 なのだが)への絶 え間ない関心 といい、母や妹に始まる 「
悪人」
達の登場 といい、む しろ、 フランスの ロマ ン主義者達 も大 いに影響を受 けた、
「
悪漢小説 r
omanpi
c
ar
e
s
que
」 との類似 さえ見 る ことがで きよ う。 何 よ りも
語 られた 「
過去」の フイリッポは 「す らりとした体つ きと稀 に見 る美貌」 の若
者であった ことも忘れてはな らない。 これは明確 に 「スタング-ル的」 な主人
公の外貌である。 その上 このユ ダヤ人 はヴェネツィアに住むイタ リア人で もあ
る。イタリアとはスタンダールにとって情熱 ・エネルギーのまさに代名詞であ
り、 『ユダヤ人』 の主人公の奔放 な行動力 は、その代名詞 に充分ふ さわ しいの
である。
ー6
3-
註
(
1
) 小説 (
r
oman,nouv
e
l
l
e)に分規 されているスタンダールの作品で、 一人称形式
の ものは他 にも数編 あることを確認 してお こう。
Souu
e
ni
rd'unge
nt
i
l
homT
neL
l
aue
J
l・「私」 -主人公が、文字通 り自己の想
omb によ ってRomanse
tNoz
L
U
e
l
l
e
s
ルの最初 の小説作品 と して Roman Col
(
1
85
4) に収 め られ たが、 彼 の作 であ ることを疑 問視 す る研究者 もい る (He
nr
i
。
Mar
t
i
ne
au,Pi
e
r
r
eMar
t
i
no,Vi
c
t
orDe
lLi
t
t
o)
Phi
l
i
be
T
・
tLe
s
c
al.主人公の知 り合 いである 「私」が語 る 「パ リにおけるある金
持 ちの素描」で、 「
私」 も主人公 と関わり、 「
物語世界内」 に登場す る。
Si
rJohn Ar
mi
t
age
,LeLac de Ge
n占
u
e:M.
de Sac
y (Ed.du Se
ui
l
,
c
ol
l
e
c
t
l
Onl
'
I
nt
6
gr
al
e
) はこれ らを nouv
e
l
l
e というより aut
obl
Ogr
aphl
e と見
ne
s
tAbrav
anelの pr
6
f
ac
eによる.)
ている。 (ビブ リオフィル版の Er
同 じ一人称小説 といって も以上 のように様 々で、 『ユ ダヤ人』 の対話形式 的な もの
は他 にないと言 ってよいであろう。
(
2
) Nouu
e
l
L
e
si
na
di
t
e
s
,Mi
c
he
lL6
v
y,1
8
5
5.
(
3
) RoT
nanSe
tNouu
e
l
l
e
sI
I,a
d. 6
t
abl
i
ee
tannot
b
eparHe
nr
iMar
t
i
ne
au,
《
Pl
昌
i
ade
》,Gal
l
i
mar
d,1
9
4
8,(《
LeJui
f(
Fl
l
i
ppoEbr
e
o)
港 i
pp.
1
2
0
3
1
1
2
1
7
)
.
Romanse
tNouu
e
l
l
e
s,t
e
xt
e6
t
abl
i
,annot
昌e
tpr
b
f
ac
昌parEr
ne
stAbr
av
ane
l
di
t
l
On,Ce
r
c
l
eduBi
bl
i
ophi
l
e,1
9
7
0,(《
LeJui
f(
Fi
l
i
ppoEbr
e
o)
港:
Nouv
e11e 6
pp.
3
3ト3
51
).
『スタンダール全集 5』人文書院、1
9
7
7
、(
『ユダヤ人 (フイリッポ ・エ ブ レオ)
』
西川長夫訳 :pp.
3
9
2
1
4
0
8
)
0
本稿では ビブ リオフィル版をテクス トとし、引用のページはこの版の ものを示す。
(
4) 《
J'
昌
t
ai
sal
or
sf
or
tbelhomme…》p,
3
3
3.
(
5
) 《
- Mai
sv
ous6
t
e
se
nc
or
er
e
mar
quabl
e
me
ntbi
e
n.
.
.
》p.
3
3
3.
(
6
) 《
- Onal
epl
usgrandt
or
tdem6
pr
i
s
e
r"》p.
3
3
3.
(
7) Maur
l
C
eBARD白cHE ;St
e
ndhalr
omanc
i
e
r,La Tabl
e Ronde,1
9
4
7,
p.
2
3
4.
-6
4-
(8) Je
an MOUROT ,St
e
ndhal e
tl
eT
・
OmaT
t
, Col
l
. Phar
e
s, Pr
e
s
s
e
s
Uni
v
e
r
s
i
t
ai
r
e
sdeNanc
y,1
9
87,p.
1
51.
(
9
) 《
-
Mai
snousv
oi
c
ibi
e
nl
oi
n,di
s
j
e,del
a mal
舌di
c
t
i
on don上v
ous
av
e
zもt
6vi
c
t
i
mee
nFr
anc
e.
〉p.
3
3
6.
(
1
0
) 吃
Commec'
e
s
tv
ot
r
ef
e
mme,Cr
e
s
tMmeFi
l
i
ppo,di
r
e
ntt
ousc
e
ux
quil
'
6
cout
ai
e
nt
.
- Oui
,me
s
s
i
e
ur
s,e
te
れf
i
nv
oi
cュv
e
ni
rl
'
hi
s
t
oi
r
edeme
svoyage
s,e
t
,
apr
も
S,l
aT
naL
b
di
c
t
i
on.
》pp.
3
3
8
3
3
9.
(
l
l
) 《
Quevoul
e
z
vous,me
s
s
i
e
ur
s,j
en'
ai
mai
spl
usmaf
e
mme.
-
Quol
!di
s
j
e,c
e
t
t
epauv
r
eSt
e
l
l
a,qulVOuSaV
ai
t昌
t
6s
if
i
d昌
l
e
?
〉p.
3
3
9,
J
e,v
ousf
Gt
e
sobl
i
gedebi
v
aque
r.
》p.
3
4
0.
《
Ah!di
s
-
(
1
2
) 《
Etl
ej
ui
fs
ed6
couv
r
i
tav
e
cunr
e
s
pe
c
tt
e
ndr
e.
〉p.
3
3
4.
(
1
3
) 《
Toutl
emondes
emi
tar
i
r
e,t
anti
ly av
ai
tdev
rai
epas
s
i
on dams
c
e
t
t
ee
xc
l
amat
i
onduj
ul
r
.
港p.
3
3
9.
(
1
4) Cr
.桑原武夫 ・鈴木 昭一 郎 編 『ス タ ンダール研 究 』 白水 社 、 1
9
8
6、 p.
2
9
0
(
「
年譜 」
)
0
(
1
5
) 《
I
I
snemanque
ntdepar
l
e
rdel
af
ac
onl
a pl
usout
r
age
ant
esouss
e
s
.Luc
i
e
n
ye
ux e
tne s
ontpoi
ntout
r
age
sc
omme l
ej
ui
fde Fi
ume.
〉 1
Le
uwe
n,Ce
r
c
l
eduBi
bl
i
ophi
l
e. t
.
EL
,p.
3
8
8,unenot
emar
gl
nal
edat
a
Bdu
21nov
e
mbr
e1
8
3
4,
(
1
6
) 蛋
(
…)i
ln'
apasb
c
r
i
tr
6
el
l
e
me
ntde
且r
6
Ci
t
scour
t
s,mai
squ'
i
lnousa
飢u
r
e de
l
al
S
S
6 de
sf
r
agme
nt
sder
omans.
》 :He
nr
iMARTI
NEAU ;L'
,Al
bi
nMi
c
he
l
,1
9
51,pA2
0.
St
e
ndhal
(
1
7) 《
Bi
e
n qu'
i
l且i
t6
c
r
l
tun C
e
r
t
ai
n nombr
e de r
6C
i
t
sc
our
t
s,St
e
ndhal
appar
ai
tpl
us占
.1
'
ai
s
edansl
er
omanquedamsl
a nouv
e
l
l
e. I
ll
uif
aut
dere
s
pac
epourd昌
v
e
l
oppe
rs
e
sbe
auxdonsd'
anal
ys
t
ee
tdeps
yc
hol
ogue.
):
I
bt
d,p.
41
8.
(
1
8
) この謎の 「語 り手」 - 「私」を含め、 スタンダールの 5長篇小説 におけ る様 々な
「
語 り手」の考案を別稿でおこなった。 (
< スタンダールにおける 「
語 り手」の問題>
『フランス語 フランス文学研究』No51
、 日本 フランス語 フランス文学会、1
9
8
7、pp.
-
65
-
4
45
4
0
(
1
9
) ア ンスロ夫人への手紙。Cr
.『スタンダール研究』、前出、p.291(「年譜」)0
(
2
0
) Cr
.
マ ックス ・エ ・デ ィモ ン ト/藤本和子訳 『ユダヤ人一神 と歴史のはぎまで -』
朝 日選書、朝 日新聞社、1
9
8
4
、下巻、pp.
1
0
01
01
0
(
2
1
) Cf
.C.
LEHRMANN ;L'
El
を
T
nantj
ui
fdamsl
al
乙
t
t
b
n
at
ur
ef
r
anc
ai
s
e
,t
.I
.
,
De
sOr
i
gl
ne
S Al
aR6vol
ut
i
on,Ed.A
l bi
nMi
c
he
l
,1
9
6
0,pp.
1
5
21
5
5.
(
2
2) Cf
.Jac
que
s BI
RNBERG ;<Ene
r
gi
ee
ti
nr
ami
eou l
ar
e
v
i
t
al
i
s
at
i
on
e
ndhalCl
ub Nol
l
l,1
5 av
r
i
l
de
ss
t
6r
6ot
ype
s. L
e t
h占meduJul
f
> i
n St
1
9
8
6,pp.
1
8
91
9
0. 第一 ・第二 のイメージにつ いては、同論文にも引用 してある1
8
7
6
年 の リトレ辞典の 《
Jui
r
》の定義 によ く対応 し、それ によれば イメー ジが一層 わか
ると思われる。 ここに も写 しておきたい。
《au f
i
gur
昌e
tf
ami
l
i
らr
e
me
nt
,c
e
l
ui qui pr
e
^
t
e a us
ur
e ou qui v
e
nd
e
xor
bi
t
amme
ntc
he
re
t
,e
n g6
n6
ral
,qui
c
onque c
he
r
c
he A gagne
r de
l
'
ar
ge
ntav
e
c apr
e
t
6》 《Le
s Jui
f
sc
har
ne
l
st
i
e
nne
ntl
e mi
l
i
e
ue
nt
r
el
e
s
c
hr
6t
i
e
nse
tl
e
spai
e
ns:
1
e
spai
e
nsneconnai
s
s
e
ntpol
ntDi
e
ue
tn'
ai
me
nt
quel
at
e
r
r
e. Le
sJui
f
sc
onnai
s
s
e
ntl
ev
ralDi
e
ue
tn'
ai
me
ntque l
a
t
e
r
r
e;l
e
sc
hr
b
t
i
e
nsc
onnai
s
s
e
ntl
ev
r
aiDi
e
ue
tn'
ai
me
ntpoi
ntl
at
e
r
r
e.
[
unepe
ns
6
edePas
c
a]
]
》
(
2
3
) Cf.マ ックス ・エ ・ディモ ン ト、前出、下巻、p.
6
4
0
(2
4) 《Lepr
e
mi
e
rde
v
oi
rdel
'
aut
e
ure
s
tdepl
al
r
eau S
Pe
C
t
at
e
ur,Cr
e
s
t
庄一
di
r
eder
e
s
pe
c
t
e
rs
e
§goGt
se
ts
e
§ habi
t
ude
s. Sijav
ai
s ml
S un Jui
f
e
ns
c
6ne,jaurai
s6t
6 nat
ur
e
l
l
e
me
ntobl
l
g6 d7
e
nf
ai
r
e un usur
i
e
r,Ou
un e
s
c
roc,ou un b
r
a1
t
r
e,un Vi
l
ai
n pe
r
s
onnage e
nf
i
n.
》A.
DREYFUS;
LeJui
fa
ut
hを
a
L
r
e,Ac
t
e
se
tconf
e
r
e
nc
edel
aSoc
i
昌
t
bde
s昌
t
ude
sj
ui
v
e
s,1
8
8
9,
p.
LI
I
.
(
2
5
) Cf
.Jacque
sBI
RNBERG :o
p.
c
i
t
.
,p.
1
9
0.
(
2
6) 《
Legr
oupedemade
moi
s
e
l
l
edeLa Mol
e6t
al
te
nc
or
e pe
up1
6. El
l
e
6t
ai
t oc
c
upe
e av
e
cs
e
s ami
sa s
e moque
r du mal
he
ur
e
ux comt
e de
Thal
e
r. C'
6t
ai
tl
ef
l
l
s unl
que de c
ef
ame
ux J
ui
f
,C
61
6br
e par l
e
s
r
l
C
he
s
s
e
s qu'
i
lav
ai
tac
qui
s
e
se
n pr
e
A
t
antde l
'
ar
ge
ntaux r
oi
s pour
-6
6-
f
ai
r
el
ague
r
r
eauxpe
upl
e
s. Lej
ui
fv
e
nai
tdemour
i
r,l
ai
s
s
anta sonf
i
l
s
c
e
ntml
l
l
e6
c
usder
e
nt
eparmoi
s,e
tunmom,h6
1
as,t
rop c
onnu!Ce
t
t
e
pos
i
t
i
on s
i
ngul
1
6
r
ee
atexl
g6 de l
as
l
mpl
i
c
i
t
6 dans l
ec
ar
ac
t
占r
e, ou
be
auc
oupdef
or
c
edev
ol
ont
6. Mal
he
ur
e
us
e
me
nt
,1
ec
omt
en'
昌
t
ai
tqu'
un
bon homme gar
nl de t
out
e
s s
or
t
e
s de pr
e
t
e
nt
i
ons qui 6
t
ai
ent
》Le Rou
ge e
tl
e No乙
r, 1
n RoT
nanS e
t
l
nS
pi
r
e
l
e
s par s
e
sf
l
at
t
e
ur
s.
,《
P1
6
i
ade
》Gal
l
i
mar
d,p.
4
6
6.
Nouu
e
l
l
e
sI
(
2
7
) Jour
nal
,i
n αuu
r
e
si
nt
i
me
s, 《
Pl
さ
i
ade
》,Gal
l
i
mar
d,p.
1
9
2.
)j
'
ai
mai
sbi
e
nl
'
ar
ge
nte
n1
81
4;C'
e
s
tl
as
e
ul
epas
s
i
onquej
eme
(
2
8
) 質(‥.
s
oi
sj
amai
sc
onnue.
Bp.
3
3
3.
al
te
S
t
,me
s
s
i
e
ur
s,quej
en'
ai
mai
spl
usque1
7
ar
ge
nt
. Ah!j
e
(
2
9
) 《- Lef
l
'
ai
maL
SbL
e
n!
Toutl
e monde s
e mi
ta r
i
f
e,t
anti
l y av
al
tde v
r
al
e pas
s
i
on
dansc
e
t
t
ee
xc
l
amat
i
onduj
ui
r
.
港p.
3
3
9.
(
3
0) 《Mal
gr
6t
out
e
sc
e
sv
e
xat
i
ons,e
t bi
e
n d'
aut
r
e
s qui me f
e
r
ai
e
nt
S,t
e
l
l
ee
s
tl
'
admi
r
abl
e 6ne
r
gl
e
pas
s
e
rpour]
ac
obi
ns
iJ
el
e
sr
appor
t
al
,
(
…)
≫
Se
av
e
cl
aque
l
l
ec
epe
upl
emal
he
ur
e
uxt
l
e
nte
nc
or
eal
al
oideMo'
l
PT
・
ome
nade
sdamsRome,l
n Vo
yage
se
n hal
i
e,《P1
61
ade》,Gal
l
i
mar
d,
p.
71
6.
1
) Cf
. マ ックス ・エ ・デ ィモ ン ト、前出、上巻、p.
41
、p.
1
60
(
3
(
3
2) 《
En 1
8
0
5,j
'
av
al
Sun C
api
t
aldeml
l
l
ef
r
anc
s. Al
or
sj
eC
OnSi
d6r
al
c
ompl
i
rc
e
quenot
r
el
o主nousor
donnedenousmar
l
e
r;J
eSOnge
ala ac
de
v
oi
r.
》p.
3
3
5.
1
2
7
0
(
3
3
) Cf
.マ ックス ・エ ・デ ィモ ン ト、前出、上巻、p.
(
3
4
) 室粗 肴-『ス タンダール評伝』読売新聞社、1
9
8
4
、p.
2
8
6
.
-6
7-
Fly UP