...

ーキリ 、 一ママ、 一ツパナシ

by user

on
Category: Documents
3

views

Report

Comments

Transcript

ーキリ 、 一ママ、 一ツパナシ
一キリ、一ママ、一ッパナシ
一その基本義と提示方法一
藤城浩子
キーワード
ーキリ・一ママ・一ッパナシ・スキーマ・メタファー
1. 本稿の立場
近年、日本語教育という観点から文法研究のあり方について様々な提案がされている。そ
こには、「無目的な文法」から「聞く、話す、読む、書く、それぞれの目的に応じた文法」
への移行を推進する立場(野田2005など)と、認知言語学を基礎として、ある表現のスキ
ーマやプロトタイプを追求していく立場(森山2002、松田2004など)がある。前者は特定
のコンテクストにおける言語使用に重点を置き、後者は言葉の基本義に重点を置くと考えら
れる。本稿では、そのどちらも重要な視点だと考えるが、ここでは基本義とその提示方法を
探るという作業をしていく。
基本義に重点を置くことに関しては、いくつかの問題点がしばしば指摘される。一つは、
基本義を取り出す作業は難解で抽象的な議論に終始しがちで、具体的な言葉の「使い方」に
繋がらないという点である。これに関して、本稿では、基本義を探るとは、コンテクストを
捨象することではなく、その表現が使われるできるだけ多くのコンテクストを観察し、その
表現を一つの表現たらしめている要因を探ること、また、その要因がどのようなコンテクス
トで、どのような意味として発現するかを探っていくことだと考える。つまり、基本義を探
ることと、コンテクストの中での用法を整理していくことは、表裏の関係にあり、それほど
かけ離れた作業ではないと考える。また、先行研究には、杉村他(1998)など、基本義(イメ
ージスキーマ)をアニメーションで提示し、その効果を検証した研究もある。ただ、そこで
対象とされた「あがる、いれる」などの多義動詞のスキーマは、比較的、視覚情報に置き換
えやすいが、意味を視覚的に表すのが困難な文型も多い。そこで、本稿ではメタファーを用
い、抽象的な基本義を把握しやすい身近なイメージになぞらえて提示する方法を提案する1。
基本義に重点を置くことの問題点の二つ目として、意味理解には個人差があり、基本義も
流動的なものだということがある。細川(2002)は、「「文法」のありようは、人間一人一人に
よってすべて異なる」ため、研究者の見出した「文法」はその研究者個人のものにすぎない
とし、これを学習者に押し付けることへの疑問を呈している。これに対して、本稿では、こ
れまでの経験から、教師の示す基本義は、学習者の意味獲得の手がかりとなるにすぎないと
考える。学習者は、与えられた基本義を、あらかじめ持っているスキーマや、自分の日本語
早稲田大学日本語教育研究
体験に応じて自由に解釈し、調整していくカを十二分に持っており、こちらが提示した基本
義を理解の手がかりとはするものの、それを楽々と乗り越え、自分の言語世界を作っていく。
また、言葉は、言葉自身を説明するメタ言語としては不十分なものだが、イメージによる意
味提示は、言語に縛られた固定的な意味規定や規則説明を省略できる分、鮮明でありながら、
自由な解釈と調整を容易にしうるのではないだろうか。ただし、手がかりにすぎないにせよ、
それをより有効な手がかりとするためには、それが①理解しやすく、より多くの人の「脇に
落ちる」ものであり、②より多くの現象を説明するものであることが求められる。
本稿では、このような立場から、一キリ、一ママ、一ッパナシについて考察する。なお、本
研究は、学習者からの「一キリと一ママの使い方がわからない」という質問から出発している。
この質問を受けて考えた説明が、本稿で示す一キリ、一ママの提示方法の原型となっているの
だが、それが意外なほどの功を奏し、その学習者が自ら次々と例文を作り出してみせたとい
う経験があり、ここからこのような形でイメージを伝えるのも、有効な方法の一つなのでは
ないかと考え始めた。本稿では、この提示方法が功を奏した要因として、それが、①文型の
使い方が、ある程度見えてくるような基本義を反映したものであった、②学習者があらかじ
め持っているスキーマを利用した提示方法となっていた、などの要因があると考え、用例の
中での文型の使われ方と基本義との対応関係を探り、その上で、基本義と提示方法との対応
関係を示した。なお、一ッパナシは一キリ、一ママと似た用法を持っため、考察対象に加えた。
2. 先行研究における一キリ、一ママ、一ッパナシの用法分類と、意味規定
2。1. 一キリ
ーキリの用法に関しては、文化庁(1971)が以下のような分類を示している。
①「「それだけ」という意味を表す。」eg.「あなたの持っている本は、これきりですか。」
②「「∼きり……ない」という形で,「∼だけ……(ある)」の意味を表す。」
e.g.「京都へはまだ一度きり行ったことがない。」
③「「ある動作が終わったまま,次の動作が始まらない。」というような意味を表す。」
e,g.「朝早く出かけて行ったきり,夜になっても帰ってこない。」
日本語教育学会(1982)は、①を「副助詞」として取り上げ、その意味を「それを限りとし
てそれ以上に及ばない」とし、③を「接続助詞」として取り上げ、その意味を「前で述べて
ある動作の結果の状態が続いていて,それを止める動作が起こらない」こととしている。②
は、渡邊(2002)が指摘するように、衰退の傾向にあるようである。
一キリの基本義については、根来(1967)に「それだけと限定する意を示す」という記述が
ある。また、森田(1980)は、「“物事の終わり”“最後”」を一キリの意味としている。
2.2. 一ママ
森田(1980)は、一ママの用法を以下の3つに分類している。
①「事の成り行きに従う「まま」」e.g.「頼まれるままに金を渡す」
②「対象に手を加えない「まま」」e.g.「肉を骨付きのまま買って来iた」「見たままを報
附する」
③「その状態が変化していない意の「まま」」e.g.「電気がついたままだ」
一キリ、一ママ、一ソパナシ
また、久池井(1995)は、次のように、一ママを「デ系」と「二系」とに分けている2。
・「デ系」:「S1の状態が自然の成り行きとして変化しないでいる時にS2溺起こった」様子を
表記 e.g.「二入はたったまま(で)しばらく顔を見合わせていた。」
・「二二」:「S2はそれに先だって存在するS1次第で変化する」「∼するのに任せて」
e.g.「田中先生は学生たちに町を案内されるままに黙ってついて行った。」
一ママの基本義に関しては、「事態・事柄に変化が加わらずにある状態」臓田1980)、「前
で述べてある動作の結果の状態が続いていて,それを止める動作が起こらない,又は,続い
ている間に,次に述べる事態を迎える,といったことを表す」(日本語教育学会1982)、「あ
る状態の維持という意味があり、この状態は何かに帰属するもの、何かに対する全体・部分
の関係を内包している」(内丸1999)、「‘ガ格’が‘V’終了により発生した状態にあり続け
ていることを表している」(渡邊2000)などの記述があり、「変わらない」、「状態が続く」、「維
持」などの側面を含むことについてはコンセンサスがあると考えられる。
2.3. 一ッパナシ
須賀(2003)は、動詞のアスペクト的意味から一ッパナシを分析し、前接する動詞の特徴(「継
続動詞的用法」か、「瞬間動詞的用法」か)によって、一ッパナシの意味を分類している。
・「継続動詞的用法」の動詞+一ッパナシ:
「その動詞が表す動作・行為が継続していること」を表す。e.g.「かれこれ3時間も
歩きっぱなしだ。」
・「瞬間動詞的用法」の動詞十一ッパナシ:
「その動詞が表す動作・行為の後に通常想定される事後処理が行われず放置された状
態」を表す。e.g.「テレビをつけっぱなしで家を出てしまった。」
また、渡邊(2000)は、「動詞の連用形+ぱなしだ」を7つに分類し、すべての一ッパナシに
共通する「‘ガ格’が度を越えてある状態にあり続けていることを表している」という意味
を指摘し、この「ある状態」のあり方を、「持続している」、「繰り返している」、「‘V’終了
により発生した状態にあり続けている」など、7つのタイプに分けている。
一ッパナシの基本義としては、森田(1980)に「なすべき始末を怠って、そのままの状態に
してあること」という記述がある。また、渡邊(2000)は、一ッパナシの7っの意味は、いず
れも「‘ガ格’が度を越えてある状態にあり続けていることを表しているという点において
互いに派生関係にある」としている。小西(2001)は、「(なんらかの事態のあと)そのままで
ある、という状態を叙述する」ことを一ッパナシの「語彙的意味」としている。
3. 問題のありか
先行研究での意味記述を見ると、「前で述べてある動作の結果の状態が続いていて,それ
を止める動作が起こらない」という記述が一キリ、一ママに共通していたり(日本語教育学会
1982)、更に、一ッパナシにも、「(なんらかの事態のあと)そのままである、という状態を叙
述する」(小西2001)などの意味が指摘されているなど、3形式には意味の重なりがありそう
だ。しかし、3形式の何が重なり、何が異なるかという点は十分に明らかになっていない。
また、(1)∼(3)は学習者3の作文に見られた例だが、教師が聞き出した学習者の表現意図か
ら考えると、(1)は一キリ、(2)は一ッパナシ、(3)は一ママを用いた方がより自然だと思われる。
このようなケースを説明するには、3形式の重なりと異なりを明らかにする必要がある。
(1)彼とは3年前に会ったままです。4 (学習者の作文)
(2)会社は製品を売ったままです。 (学習者の作文)
(3)私の国には2年間立ったきりの人がいます。 (学習者の作文)
次に、各形式の基本義について見ていくと、一ママについては、「変わらない」「ある状態
が続く」という点でコンセンサスがあり、この意味が様々な一ママの用法に共通する基本義
だと思われる。しかし、一キリ、一ッパナシに関しては検討の余地がある。
一キリの場合、根来(1967)の「それだけと限定する」は、副助詞的な一キリに重点がおかれ
た説明で、接続助詞的な意味が説明しにくい。また、ダケとの境界がわかりにくい。一方、
森田(1980)の「“物事の終わり”“最後”」は、接続助詞的用法を中心に捉えており、やはり
全体をカバーしていない。
一ッパナシに関しては、森田(1980)が、「「一ぱなし」は「放し」で、なすべき始末を怠って、
そのままの状態にしてあること。初めの行為はいちおう最後まで完全になされたのであるが、
その跡始末を全くしない“……したまま放置する”状態をいう」としているが、これは須賀
(2003)が「瞬間動詞的用法」の動詞につく一ッパナシの意味として示した「その動詞が表す
動作・行為の後に通常想定される事後処理が行われず放置された状態」とほぼ同じと見てよ
いだろう。とすると、これは、ッパナシの意味の一部を表してはいるが、全体をカバーする
ものではない。また、渡邊(2002)は、「度を越えてある状態にあり続けていることを表して
いる」という基本義を提示しているが、次の(4)は、「度を越えてある状態にあり続けている」
ことではなく、始末を怠っているという放置状態そのものを表すために用いられていると考
えられる。これは「★3年間売りっぱなし」のように、継続期問を表す表現が共起しにくい
ことからもわかる(c.f「3時間歌いっぱなしだ」)。
(4)伝の心は大阪の業者から購入したけれど、売ったら売りっぱなしで全然相手にし
てくれないそうです。(http:〃alphatec.tea・㎡ty;comleat/2005/071post_f861.htmD
このように、一キリ、一ッパナシに関しては、その基本義についても検討の余地がある。
これらの点をふまえ、以下、4節では、結論を先取りする形で3形式の基本義を規定し、
その上で、5節、6節で3形式の類似点と相違点を考察する。同時に、4節で規定した基本
義が、各形式の類似点、相違点にどう反映されているかを観察し、これにより規定の妥当性
を検証する。7節では基本義を反映した提示法について考察する。
4. 各形式の基本義
一キリに関しては、「限定」にも「物事の終わり」にも繋がる要素を、「連続性が断ち切ら
れる」ことと考え、次のように基本義を規定する。
一キリの基本義:
発話者がある事柄の「連続性が断ち切られる」という側面を捉えて提示していることを表す。
一ママに関しては森田(1980)の立場を踏襲するが、「変化が加わらない」ということは、同
時に、「ある状態の維持」(内壁1999)と捉えられると考え、次のような基本義を想定する。
一キリ、一ママ、一ッパナシ
ーママの基本義:
発話者がある事柄の「状態や内容が変わらずに維持される」という側面を捉えて提示して
いることを表す。
一ッパナシに関しては、「事後処理」(須賀2003)や「跡始末」(森田1980)だけでなく、あ
る過程の開始後の局面における放置をも表すと考え、次のような基本義を想定する。
一ッパナシの基本義:
発話者がある事柄の「通常なされる操作や調整がない状態に放置される」という側面を捉
えて提示していることを表す。
なお、「操作や調整」という表現を用いたが、これは人為的なものとは限らない。例えば、
(5)、(6)における操作・調整は、「賭けや株価というものは、勝ったり負けたりするものだ」
という自然のバランスや、確率的なバランスのもたらす操作・調整である。
(5)っ一か最近競馬負けっぱなしでヤバイです。 (http:〃www.geocities.cojp/)
(6)そういえば、yahooの株価、上がりっぱなし。時価総額2591520百万円2兆5915
億円。すげえ。 (http:〃blog.drecomjp!naitoldaiy1200309/19)
以上、ここでは各形式の基本義の本稿における規定を示した。以下では、3形式の比較を
通して、これらの意味既定の妥当性を検証していきたい。
5. 各形式独自の用法
各形式とも、他の2形式とは意味や働きが全く異なる独自の用法がある。比較の出発点と
して、この独自の用法を、4節で規定した基本義と照らしながら見ていく。
5.1. 副助詞的用法の一キリ
副助詞的用法の一キリは、助数詞、指示詞、動詞のル形に付き、範囲や数量が一キリに前接
するものに限定されることを表す。これは、一ママ、一ッパナシには置き換えられない。
(7)気が付けば、今年は10年ぶりに1人{きり/★まま/★ぱなし}のクリスマスイブ
か∼。 (htな):〃mitahiroaldjugemjpノ?cid=4)
(8)へやにはっくえが一つ{あるきり/?あるまま/*ありっぱなし}で、ほかには何も
ない。 (文化庁1971)
この副助詞的用法では、「連続性が断ち切られる」という基本義が空間的に働き、ある事
物が、ある空間に、他からの連続性を断ち切られて存在していることを表すと考えられる。
5.2. 「事の成り行きに従う」ことを表す一ママ、「対象に手を加えない」ことを表す一ママ
森田(1980)の分類①「事の成り行きに従う」ことを表す一ママ、および、②「対象に手を
加えない」ことを表す一ママの一部は、一キリ、一ッパナシに置き換えることはできない。
(9)我が国は、アメリカに{言われるまま/嗜われたきり/信われっぱなし}にイラク戦争を支
持し、アメリカに言われるままに有事立法を作り、アメリカに言われるままにイラク特措法を成
立させました。(http:〃www.netlaputa.nejp1∼ei−en/fピeneレjieitai.htm、分類①の一ママ)
早稲田大学日本語教育研究
(10)「お前は昨夜夢を見た。その{見たまま/視たきり/禽見っぱなし}を話しなさい。」
(http:〃www12。ocn」nejp/∼tetsuo/kloku.htln、分類②の一ママ)
いずれも一トオリに近い意味を持ち(「言われた通り」、「見た通り」)、前接する内容を維持
し、手を加えぬまま実行、伝達することを表している。この用法では、「変わらずに維持さ
れる」という基本義が、時間軸上に認識されるのでなく、空間的に認識されている。
一キリでも、一ママでも、他の2形式と意味の重なりが生じるのは、基本義が時間軸上に働
く場合である。一キリ、一ママ、一ッパナシの「断ち切られる」、「維持される」、「放置されて
いる」という基本義が時問軸上に実現すると、そこに「変化をもたらす過程が(それ以上)
起こらない」という含意(一キリの場合は、「出来事の連続性が断ち切られた後、それ以上何
も起こらないという含意)が生まれ、ここに3形式の接点が生じると考えられる。
5.3. 「動作・行為の継続」、「繰り返し」を表す一ッパナシ
ーッパナシに関しては、「通常なされる操作や調整がない状態に放置されている」という基
本義が、どの時点で具現化されるかで、捉えられる状況が変わってくると考えられる。具現
化のタイミングが、①動作・行為の開始後であれば、「2時間歌いっぱなし」のような「動
作・行為の継続」(須賀2003)を捉え、②完了後であれば、「テレビがっきっぱなし」のよう
な完了後の放置状態を捉える。③出来事や行為のサイクル(例えば、(5)における「負ける→
勝つ→負ける」というサイクル)の開始後に放置されれば、「最近、負けっぱなし」のよう
な「度を越えて繰り返している」(渡邊2000)状態を表す。
一キリや一ママは、このように多様な局面を捉えることはできず、①の「動作・行為の継続」
や、③の「繰り返し」を表す一ッパナシは、通常、一キリや一ママには置き換えられない。
(11)続いてカラオケに行きました。2時間2人で{歌いっぱなし/?歌ったまま/?
歌ったきり}でした。 (「動作・行為の継続」、http:〃kasen.chujp!owa血1e/)
(12) 『{間違えっぱなし/間違えたまま/?間違えたきり}のクルマ選び』
(「繰り返しの継続」、清水草一、テリー伊藤著、楽書ブックス)
(12)の「間違えたまま」は、表現自体は成り立つが、通常、「繰り返し」でなく、一度間違え
たことを、ずっと勘違いし続けている状態を表す。
以上、各形式独自の用法を検討し、そこには、4節で規定した基本義が反映されていること、
意味の重なりは各形式の基本義が時間軸上に実現される場合に生じることを論じた。
6. 一キリ、一ママ、一ッパナシの相違点
ここでは、3形式の基本義が時間軸上に実現されており、3形式の意味に重なりが生じて
くる用法について、「維持・継続」、「変化」、「平均・通常からの逸脱」という3つの要素を
軸にして、考察していきたい。
6.1. 「維持・継続」
6.1.1.一キリと「維持・継続」
次の(13)は、「ほおばる」という行為が「維持・継続」している状態で、次の「言う」とい
一キリ、一ママ、一ッパナシ
う行為が発生することを表しているが、このような状況を一キリで表すことはできない。
(13)肉を口にほおばった{ままで/★きりで}内藤は言った。(『一瞬の夏』沢木耕太郎)
これは、一キリの「連続性が断ち切られる」という基本義が時間軸上に実現されると、そ
れまでそこにあった事物や事態が目の前から消え去ることが含意され5、これが「維持・継
続」と矛盾するためだと考えられる。一キリ節の後件には打ち消しの表現が付くことが多い
という指摘がしばしば見られるが(文化庁1971、グループ・ジャマシイ1998など)、これ
も、「連続性が断ち切られたことで、それまでそこにあった事物や事態が目の前から消える」
という特徴を反映した現象と言えるだろう。
(14)朝早く出かけて行ったきり、夜になっても帰ってこない。 (文化庁1971)
ただし、「連続性が断ち切られる」という意味を実現していれば、否定の形でなくとも、(15)
のように一キリを使いうる。逆に、否定形が用いられていても、そもそも前件と後件の事態
間に断ち切られるべき連続性が見出せない(16)のような場合は、一キリが用いにくい。
(15)別に深い意味があったわけではなく、話の接ぎ穂にすぎなかったのだが、内藤は
うんと答えたきり黙り込み、少ししてから思い切ったように言った。
(『一瞬の夏』沢木耕太郎)
(16) ?日本に来たきり、サソカーをしていない。 (学習者の作文)
6.1.2.一ママにおける「維持」
一ママは、基本義に「維持」の意が含まれるため、「維持」という側面が必須だと考えられ
る。例えば、(17)には「維持」の意味が含まれないため、一ママが使いにくい。
(17)そういえば、今朝{食べたきり/?食べたまま}、何も口にしてないや。
(http:〃bbsjssd£org/eva/kako/999/999021517.html)
冒頭に挙げた(1)、(2)が不自然に感じられたのも、「維持」という側面が見出しにくいためだ
ろう。しかし、例えば、(1)の「彼とは3年前に会ったままです」という例も、「3年前に会
ったとき以来、状況が変わらない」という側面を前面に出したいのであれば、自然な表現と
なりうる。(18)では、前後の文脈により「3年間ずっと会ったまま」という解釈が却下され
るため、「それ以来、会わない状態が維持されることになる」との意味が汲みやすい。
(18)大学時代の仲間とは、(仲間の)結婚式に会ったまま会えなくなる人間もいるが、
彼もその一人である。 (http:〃yaplog.jp/snafkin_yσdaily/200505/10)
ところで、一キリは「継続・維持」という性質とは相容れず、一ママは常に「維持」の意味
を伴うとすると、一キリと一ママの用法が重なるのはどんなときだろうか。
(19)地方の興業ビザで入国している友人宅に遊びに行った{きり/まま}帰って来な
い。 (http:1/www.tanteisya.com/tokyo/braidal−sagLり
(19)では、一キリを用いると、出来事の流れが断ち切られ、そこで終わってしまったという
消失感を表し、一ママを用いると、遊びに行った状態が維持され、「まだそこにいる」という
維持感を表す。このように、一つの状況が別々の側面から捉えられ、「断ち切られた」とも、
「維持している」とも解釈できる場合に、一キリ、一ママが入れ替え可能となる。また、同じ
状況を「放置している」と解釈できる場合には、一ッパナシとも置き換え可能になる。
(20) 「お手伝いに{任せっぱなし/任せたまま/任せたきり}にしないで、掃除、洗
濯、飯作りすりゃいいんだ」 (『太郎物語』曽野綾子)
早稲田大学日本語教育研究
さて、一ママが表す「維持」には、大きく分けて、「事態成立後の状態の維持」と「内容の
維持」があると考えられる。「内容の維持」は、(21)のように、「維持」が空間的に認識され
る場合に実現されるが、これは時間的な「継続」は表さず、5.2.で見たように、一ママ独自の
用法となる。
(21)見た蛙に切り取る京都 (http:〃wwwwisiwig・kyoto.con11)
一方、「事態成立後の状態の維持」とは、(22)∼(24)のようなもので、「維持」の意が時間
軸上に実現された場合に、この意味が現れてくる。
(22) MD5パスワードとシャドウパスワードはチェックがついたままにする。
(http://www. na.rim.oLjp/∼f士ies/diary/pc/2003!200310a.htm)
(23)夕べ食べたままの状態で器がコタツの上に置いてある。
(http://marubon.cocolog−nifty:com/kikuko/2005/04/)
(24)今日はゼミ前の3限が休講になったから、お昼を食べたまま学食でどうでもいい
時間をつぶすことにした。 (http:〃www.hit・pressjp/kataomo∬01.html)
この「事態成立後の状態」は、「動詞+テイル」の表す「結果の状態」と共通する部分も
あるが、同じではない。例えば、(22)の「ついたまま(にする)」は「ついている」と置き換
え可能だが、(23)、(24)の「食べたまま」は、出来事の痕跡とでもいうべき側面を捉えてお
り、「食べている」とは置き換えられない6。また、一ママの表す「維持」は、もともと時間
的な「継続」を表すものではないため、「維持」の意味が時間軸上に認識される場合であっ
ても、「継続」を表すとは限らず、例えば、(23)、(24)の一ママ節には、継続時間は補いにく
い。
6.1.3.一ッパナシにおける「維持・継続」
一ッパナシは、「維持・継続」を表す場合も、表さない場合もある。「放置される」という状
況がどの局面で実現されるかで、一ッパナシが捉える局面が変わってくることについては5節
で触れたが、このうち「維持・継続」を積極的に表すのは、①の動作・行為の開始後の局面を
捉える一ッパナシだと考えられる。この場合、(25)のように継続時間を表す表現と共起しうる。
(25)続いてカラオケに行きました。2時間2人で{歌いっぱなし/?歌ったまま/?
歌ったきり}でした (http://kasen.chujp/owarine/、(11)を再掲)
一方、以下のような例では、(26)から順に「維持・継続」という局面が抽出しにくくなる。
(26)こわいので、明日のオフに備えて今夜はACアダプタをつなぎっぱなしにしてお
こうと思います。 (http:〃tantan.main.jp/blog/archives/2003/121)
(27)テレビを見ていないのに、テレビがつけっぱなしになってはいませんか。
(http:/1www.town.kiyosu.aichijp/kiyosu/topics/1601/1601−5.htm)
(28)食べたら食べっぱなし、飲んだら飲みつぱなし、読んだら読みつぱなし、脱いだ
ら脱ぎっぱなし、着たら着っぱなし! (http:〃uglエbabybals.net/)
(26)はACアダプタをつないだ状態を意図的に「維持・継続」させる様子を表しているが、
(27)、(28)では、「維持・継続」という側面より「放置」という局面に重点が置かれており、
(28)は、継続時間を表す表現と共起しにくい(e.g.「#飲んだら3時間飲みつぱなし」)。3
節でも触れたように、(28)のような一ッパナシは、「度を超えた継続」という局面を捉えるた
めに用いられているのではなく、放置されていること自体を表すために用いられていると考
一キリ、一ママ、一ッパナシ
えられる。
6.2. 「変化」
次に「変化」という側面について見ていく。一ママは、「変化」という局面がなく、以前か
ら続いていたことが、そのまま変わらずに続く場合にも、用いることができる。
(29)ずっと2対1で{変わらぬまま/士変わらぬきり/歯変わらないっぱなし}でゲー
ムセットでした。 (http:〃www.ibaraki・asahi.com/kousie)
これに対し、一キリは、以前からの状態がそのまま変化なく続く場合には用いられない7。
これは、「連続性が断ち切られる」という「変化」が一キリの基本義に含み込まれていること
を反映していると考えられる。そのため、「一テイタ」という形の状態性述語に一キリがつい
た場合も、(30)のように、その状態を最後に、それを断ち切る変化が起こったことを表す。
これは、(31)の「一テイタ+ママ」が、変わらずに続く状態を表すのと対照的である。
(30)Wordよりすぐれているところがたくさんあるのにビックリしました。14、5年
前に一太郎を使っていたきりだつたので… Wordは検定1級を取得していま
すが、物足りないと感じることは多々ありましたから。
(http://wwwichitaro.com/word/voice/change.html)
(31)その時から何箇所か歯に隙間がのこっていたままだったので、今回矯正の再開を
考えています。(http:〃wwwsmileget,com/cgibin/bbs2000i/millibbs.cgi?log=1091)
一ッパナシもまた、以前から続いていて、「開始または完了」という変化がない状況を表す
ことはできず、(29)で一ソパナシを使うことはできない。これは、「前接する:事態が開始また
は完了後の放置状態を表す」という一ッパナシの基本義を反映した性質だと思われる。
これらの特徴のためか、(32)の形容詞、(33)の名詞など、変化という局面を想定できない
述語には、一キリも一ッパナシもつかない。
(32)映像をデジタルに。{きれいなまま/★きれいなきり/歯ぎれいっぱなしで}残そう
(ピクセラPixeDVIEX V6r3.0キャソチコピー)
(33)妻は寝室でパジャマ{のまま/★きり/歯っぱなしで}、寝転がって本を読んでいた。
(htΦ〃www20cn.nejp〃一kazmノ」IPmid13.htm皿)
6.3. 「平均・通常からの逸脱」
6.3.1.一ッパナシにおける「平均・通常からの逸脱」
渡邊(2000)は、「度を越えてある状態にあり続けている」という一ッパナシの特徴から、「持
続することが好まれる傾向にあり」、「平均的な持続時間というものが存在しない」(34)のよ
うな例では、一ッパナシが用いられないことを指摘している。
(34)?太郎は身なりを整えっぱなしだ。(c.£太郎は服を汚しつぱなしだ。)(渡邊2000)
ここでは、一ッパナシのこのような特徴を「平均・通常からの逸脱」として考えていく。
まず、「度を越えてある状態にあり続けている」場合だけでなく、先に見た(4)や(28)のよ
うに、放置状態そのものを表しており、継続時間を表す表現と共起しえない一ッパナシにも、
「平均・通常からの逸脱」という要素はみられる。(4)、(28)を(35)、(36)として再掲する。
(35)伝の心は大阪の業者から購入したけれど、売ったら売りっぱなしで全然相手にしてく
れないそうです。
早稲田大学日本語教育研究
(http:〃alphatectea・皿戯ylcomleat/20051071post」861.html、(4)を再掲)
(36)食べたら食べっぱなし、飲んだら飲みつぱなし、読んだら読みつぱなし、脱いだ
ら脱ぎっぱなし、着たら下っぱなし! (http l〃ugly,babyballs.net/、(28)を再掲)
(34)のような例も、「平均的な持続時間というものが存在しない」ためというよりは、一般
的に、「身なりを整えた状態」が通常、「汚している状態」が「通常からの逸脱」と考えられ
るため、「身なりを整えた状態」に「通常からの逸脱」という側面は見出しにくく、そのた
め、特別な文脈がなければ、成立しにくいのではないだろうか。ただし、「一旦身なりを整
えだしたら、身なりを整えっぱなし」のように、一旦始めた動作がコントロールなく続く様
子を捉えている場合は、この限りでない。
一ッパナシがこのように「平均・通常からの逸脱」を含意するのは、「通常なされる操作や
調整がない」という基本義のためだろう。そして、「操作や調整がない」こと自体に焦点が
あれば、「放置」という逸脱を表し、「操作や調整なく、ある状態が続く」という点に焦点が
あれば、「度を越えた継続」という逸脱を表すのだろう。
また、一ッパナシは「悪いイメージを伴う」(小西2001)ことが多いとの指摘もある。確か
に、「逸脱」という性質は、「悪いイメージ」を喚起しやすい。しかし、「逸脱」という特徴
さえ満たしていれば、(37)、(38)のように、好ましい事態でも表しうる。
(37)この場所栃錦千秋楽を待たずに勝ちっぱなしで優勝を決めていたが、どうしても
勝ちたい一番だった。 (http:〃www.kosya.net/tochishαhtm)
(38)英語学習CDやテープやMDのおすすめ活用法は、まずは「かけつぱなし」にし
て繰り返し聞くことです。 (http;〃homepage 1.nifけcom/samito/cd.htm)
6.3.2.一ママにおける「平均・通常からの逸脱」
一ママにも「平均・通常からの逸脱」に見える性質がある。三宅(1995)は、沢田(1990)の指
摘に言及し、一ママの使用には「通常は起こらない、あるいはふさわしくないと見なされる
状況を含意する、というような運用論的な条件も課せられる」と述べている。
(39)パジャマを着たまま、{外に出た/#寝た}。 (三宅1995)
(40)パジャマを着て、{外に出た/寝た}。 (三宅1995)
同じように「付帯状況」を表していても、「パジャマを着エ寝た」は自然だが、「パジャマを
着たまま寝た」というのは、「この人は普段はパジャマを脱いで寝る」などの文脈がなけれ
ば不自然である。三宅(1995)には、これ以上の議論はないが、本稿では、これは、一ママの
基本義に「変わらずに維持される」という否定の意味が含まれるためだと考える。
王(2003)は、「否定は常に肯定に依存して使われる」とし、「肯定的な想定が否定を条件づ
ける場によって先行されなければ」、否定文は使われないことを指摘している。
例えば、「昨日は雨が降らなかった」という発話を聞いた場合、「雨が降ると予想していた」、
「降ってほしかった」など、「降らなかったこと」をわざわざ述べることが意味を持つよう
な「肯定的な想定」を思い浮かべるだろう。「一テ」で表される付帯状況の否定「一ナイデ」
の場合も同様で、(41)は自然に理解できるが、(42)は不自然に感じる。もしくは、「この人は
何かの理由でいつも制服を着て寝るのだ」という想定を作り上げて理解しようとするだろう。
(41)昨日はパジャマを着ないで寝た。 (作例)
(42)昨日は制服を着ないで寝た。 (作例)
一キリ、一ママ、一ッパナシ
一ママの場合、否定の形はとっていないが、あえて「起こらなかった変化」を表すことの
裏側に、「肯定的な想定」(例えば、「一般的には(そのままではなく)変化が起こるのだろ
う」など)が喚起され、それが「通常は起こらない、あるいはふさわしくないとみなされる
状況を含意するというような運用論的な条件」として表れるのではないだろうか。ただし、
「一般的には(そのままではなく)変化が起こる」という程度の「肯定的な想定」が設定で
きれば十分であり、「逸脱」とまでは言えない(43)のような例も多い。
(43)学校からかばんを持ったまま児童館にきます。「連絡帳」を出して、「ただいま!」と言
って来館し、職員は「お帰り!」と迎えます。
(http:〃www17.ocn.nejp/∼white56/gakudouho止u.htm)
以上の一キリ、一ママ、一ッパナシの類似点と相違点を次表にまとめる。
表1 各形式の特徴
維持・継続
一キリ
一ー
一
}マ
一ツパナシ
常に「維持」を表す
表す場合もある
変化
通常・平均からの逸脱
どこかの段階で必ず必要
「変化」のない「維持」も表しうる
どこかの段階で必ず必要
一
「逸脱」に見えるものもある
「逸脱」という特徴が必要
以上、一キリ、一ママ、一ッパナシの類似点と相違点を、それぞれの独自の用法も含めて見
てきたが、これらについては、4節で規定した基本義に基づく説明が可能であった。これは、
この規定の妥当性を裏付けていると同時に、この基本義から、各形式の使い分けや、使い方
の基準が、ある程度予想できるということも示していると考えられる。
7. 指導方法
ここでは本稿で規定した基本義を効果的に学習者に伝えるために、身近なモチーフを利用
したメタファーを通して、学習者の既存のスキーマや経験・知識を活性化させながら意味提
示をする方法を提案する。以下に、それぞれの基本義の提示例と、本稿で見た学習者の作文
に対する説明例を紹介する。
7.1. 一キリ
【提示例】出来事の連鎖を表す絵を切って捨てる。「切って捨てる」という行為の持つスキ
ーマと重ね合わせながら、「連続性が断ち切られる」という基本義を示すことによって、「連
続性がなくなる」ことと同時に、「目の前から消え去る」というニュアンスをも提示する。
図1接続助詞的用法 (出来事の連続性が断ち切られる)
時間軸
鍵例・一・一一
早稲田大学日本語教育研究
図2 副助詞的用法 (他との連続性が断ち切られる)
例:二入きり
【説明例】紙が切り捨てられてしまい、後に何もなくなるため、「維持・継続」の意は表せない。
図3
図4
》
●
e
,
時間軸
■
,
9
》
}
時間軸
例:?2年間立ったきり
c.f 2年間立ったまま
⇒「立った」以降の絵が切れて消えてしまい、
⇒立ったことの「維持」を表す一ママが自然。
「立ち続けている」ことが表されにくい。
7.2. 一ママ
【提示例】同じ部分を持つ複数の絵を並べ、「変わらずに維持される」という基本義を示す。
図5 状態の時間的な維持
,
,
﹁
例:木に登ったまま
時間軸
・
時間軸
f
例:本を頭に載せたまま、歩く。
P9 “
﹄
》
⇒次の動作が始まっても、「本を頭
に載せた」という部分は変わらない。
図6 内容の空間的な維持
例:夢で見たままを話す。
一キリ、一ママ、一ッパナシ
【説明例】ある状態が変わらず維持されることを表し、「その後何もない」ことは表さない。
図8
図7
「 9
● ‘
ュフ 図フ
ュフ =フ
. .
@質 「
O o
早@ くフ
時間軸
例 ?3年前に会ったまま
c.£ 3年前に会ったきり
⇒「3年間ナらと会ったまま」
⇒「会う」→「電話で話す」→「会う」などの
流れが断ち切られることを表す一キリが自然。
という意味の方に意識が向きやすい。
7.3. 一ッパナシ
【提示例】「通常なされる操作や調整がない状態に放置さる」という基本義を反映するメタ
ファーに「リモコン」を用い、「リモコンを放り出す」という行為に対して、学習者があら
かじめ持っているイメージを利用する。
①実際に教室のテレビをつけ、つけた時点でリモコンを放り出すことによって、操作や調整
(コントロール)の不在を示す。(図9「テレビがっけっぱなし」)
②出来事の流れを操作・調整するリモコンを途中で放り出すイメージを提示。図10、11、12)
図9 眼冠 例:テレビがつけっぱなし
テレビの
j )
潟cRン
oイ・
図10
「食べる→片づける」と
「う流れをコントロール
キるリモコンを、食べ終
’、・孤
ヌ 例:食べっぱなし
@ (動作完了後の放置状態) どr一ひ
墲チた時点で放り出す。
図11
「食べる→やめる」 ノ 》
あ騰 例,__し (動作・行為の継続)
ニいう流れをコントロー 舳くコ
汲キるリモコンを、食べ
nめた時点で放り出す。
図12
’ 嘱.ヌ 例:株価が上がりっぱなし (度を越えた繰り返し)
「株価の上下」を 」
@ コントロールする
@ リモコンを、株価が
@ 上がり始めた時点
@ で(神が)放り出す。
早稲田大学日本語教育研究
以上、3形式の提示例を示した。私自身のこれまでの実践では、「∼きり」と言いながら、
実際に紙を切ってみるなど、それぞれの文型の特色を活かした意味理解活動の後、一キリ、一
ママ、一ッパナシを含んだ歌のタイトルや歌詞、詩を読み、それぞれの基本義が、作品にど
う現れ、歌や詩の雰囲気にどう影響しているかを話し合ってみる、また、その上で、歌を実
際に歌ってみる、歌詞を演じてみる、などの活動を行ってきた8。様々な感覚を使った活動
が、学習者のそれぞれの意味理解をより深く支えると考えるためだ。
8. まとめと今後の課題
本稿では、一キリ、一ママ、一ッパナシの基本義を規定し、3形式の類似点、相違点が基本義
を反映していることを検証した上で、その基本義の提示方法を提案した。なお、本稿で示し
た基本義は、各形式が隣接する他の表現との使い分けも説明できることを想定している9。
今後、3形式が隣接する他の表現との関係についても、分析をしていきたい。
注
1藤城(2005)では、抽象性の高い「ノダ」に関して、メタファーを用いた提示方法の概要を示している。
2久池井(1995)は、「デ系」を、更に「並列」と「直列」とに分類している。
31997年、マレーシア工科大学予備教育課程での2年目の学習者。
4用例中の下線はすべて筆者による。また、各形式の比較のために、{}を用いた例では、{}内の
初めに挙げたものがオリジナルの形である。
5渡邊(2000)が、「消失する」という表現を、一キリの接続助詞舶用法のスキーマ説明の中で用いている
が、本稿ではこの性質は「連続性を断ち切る」という基本義がら派生したと考える。
6いわゆる「継続動詞」の一テイル形は、通常は「結果の状態」を表しにくいが、一ママや一ソパナシが
つくと、「テレビがつけたままだ/つけっぱなしだ」のように、「事態成立後の状態」を表す。これは、
渡邊(2000)が指摘するヲ格とガ格の交代現象にも関わってくる特徴だと考えられる。
7ただし、5,2.で述べたように、「連続性が断ち切られる」という変化の後は、そこに存在した事物が消
失し、「それ以上、変化を引き起こす過程は何も起こらない」ことが含意される。つまり、一キリは、
「変化→無変化1という2っの段階を捉えて表す際に用いられる。
8授業設計の際、鈴木真理子さん主催の「遊びと学びの会」の皆さんから多くの示唆をいただいた。
9例として、一キリと一ダケの境界について少し触れておく。渡邊(2002)は、副助詞的な一キリは、一ダケ
と置き換え可能だが、一ダケから一キリへの置き換えは困難な場合があるとしている。
(a)これは,あなた一人{?きり/だけ}の所有物ではない。 (渡邊2002)
これについて、渡邊(2002)は、一キリを含む文を意味構成から9つに分類し、(a)はそのどれにも該当
しないために一キリが使えないとする。しかし、(a)と同じ構造を持つ(b)では一キリが使える。
(b)だって人生は一人きりのものだけど、誰かと共に走っている時が確実にあるんだからね。
(http:〃nagoya.cool.nejp/dayfbrnight1Review12003!2003_09_01_2,html)
また、次の(c)の一ダケを一キリに置き換えたものは、渡邊の分類のうち工類(渡邊2002:p.139)に該当す
ると思われるが、一キリの使用は不自然である。
(c)ローチーターには2年目の女の先生がもう一人{だけ/?きり}いて、豪快で酒飲みでさっ
ばりしているなんとも男前?な人なのだが(笑)…(http:〃www4.ocn.nejp1一!nami20001)
これらの使い分けに対しては、一キリの基本義からの説明が可能である。「連続性が断ち切られる」様
子を捉える一キリは、ある事物が他の事物から切り離され、孤立しているという側面を表す。(b)が自
斜なのは、他との連続性を断ち切ることで他者を強く排除し、「たった一人のあなたのもの」という
点を強調しているためだろう。逆に、(a)や(c)では、孤立や、他者排除の意味を示す必要がなく、一キ
リが使いにくい。これに対し、一ダケは、ある分量や範囲を区切って提示する形式で、他を強く排除
するというニュアンスは伴わないため、(a)∼(c)いずれの例でも自然に用いることができる。なお、一
一キリ、一ママ、ッパナシ
ダケには、「がんばったらがんばっただけ、結果が出る」のように、「限定」の意味すら薄らいでいる
用法もある。
参考文献
内丸裕佳子(1999)「「名詞の形式化」に関する一考察一「まま」の場合一」『筑波応用言語学研究』6
王学群(2003)『現代日本語における否定文の研究』日本僑報社
久池井紀子(1995)「「まま(儘)」の機能と下位分類一主文と従属文の関係を中心に一」『国際学友会日本
語学校紀要』18
グループ・ジャマシイ(1998)『教師と学習者のための日本語文型辞典』くろしお出版
小西正人(2001)「現代日本語の「∼ぱなし」とアスペクト的意味一動詞の意味論への予備的考察として
一」『京都大学言語学研究』20
沢田奈保子(1990)「接続形式と含意一類義表現の使い分けの仕組みを追及して一」(未公刊修士論文)大
阪大学
須賀章夫(2003)「金田一の動詞分類の再評価一「V一つぱなし」「V一ておく」の分析を通して一」『人文論
究』72(北海道教育大学)
杉村和枝・赤堀侃司・楠見孝(1998)「多義動詞のイメージスキーマー日本語・英語間におけるイメージ
スキーマの共通性の分析一」『日本語教育』99
日本語教育学会(1982)『日本語教育事典』大修館書店
根来司(1967)「〈副助詞 現代語〉きり」『国文学 解釈と教材の研究』12−2学丸瓦
野田尚史(2005)「コミュニケーションのための日本語教育文法の設計図」『コミュニケーションのための
日本語教育文法』野田尚史編(くろしお出版)
藤城浩子(2005)「本質的なイメージを伝えるためのメタファーを用いた文型導入一文末のノダを例に一」
『日本語教育方法研究会誌』12−1
文化庁(1971)『外国人のための基本語用例辞典』
細川英雄(2002)『日本語教育は何をめざすか言語文化活動の理論と実践』明石書店
松田文子(2004)『日本語複合動詞の習得研究認知意味論による意味分析を通して』ひつじ書房
三宅和宏(1995)「∼ナガラと∼タママと∼テー付帯状況の表現一」『日本語類義表現の文法(下)』(宮
島達夫・仁田義雄編)くろしお出版
森田良行(1980)『基礎日本語2一意味と使い方』角川書店
森山新(2002)「認知的観点から見た格助詞デの意味構造」『日本語教育』115
渡邊ゆかり(2000)「「動詞の過去形+ままだ」述語文と「動詞の連用形+っぱなしだ」述語文の意味的相
違『広島女学院大学 日本文学』
渡邊ゆかり(2002)「付属語「きり」の用法の変遷について一江戸語・東京語を中心に一」『日本語科学』
12国立国語研究所
Fly UP