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2006~2015 2015・11.21 静岡市日中友好協会

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2006~2015 2015・11.21 静岡市日中友好協会
2006~2015
静岡・富士山
世界遺産
杭州・西湖
2015・11.21
静岡市日中友好協会
目次
静岡市日中友好協会創立60周年を祝して
衆議院議員 上川 陽子
1
創立60周年をむかえて
会長
大石 惇
2
協会をふりかえってみて
副会長
安蔵 忠夫
3
これからの日中友好活動
理事長
藤波 和之
4
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」
副会長
田辺 義明
5
日中関係を思う
会員
藤田
5
日中友好協会の活動
理事
黄 教奇
6
妮莎のこと
理事
川井 陽子
7
天を以て属する友好の絆
会員
桃井 流翆
7
61年目に向かって
事業委員長 楊 暁冬
子
中国大使館との交流
8
9
春節を祝う
11
中国への旅
12
シルクロード文化の都ホータンとカシュガルの印象
副会長
岩間 弘政
13
径山寺の思い出
会員
松林 貫一
14
中国との縁
理事
丹羽 昌三
15
中国における植林活動
静岡県日中友好協会第三期黄河流域緑化協力事業への参加
16
副会長
植木 喜美彦 16
文化芸術活動
18
浙江省青少年民族芸術団公演
18
日中友好文化の集い
19
講演会の開催
20
交流のつどい
22
静岡市番町市民活動センターイベントへの参加
24
各種イベントへの参加
25
社会貢献活動
26
余暇を楽しむ
27
中国撮影考
副会長
大石 久雄
27
地図を楽しむ
理事
海野 賢利
28
親子写真展を開催
会計監査
小池 豊
28
亡き人を偲ぶ
30
追悼・鈴木重郎先生
会長
大石 惇
30
村山元会長を偲ぶ
理事長
藤波 和之
31
鵜殿先生を偲ぶ
理事長
藤波 和之
31
元市長・河合代悟氏を偲ぶ
副会長
安蔵 忠夫
32
石田徳行前会長を偲ぶ
理事長
藤波 和之
32
2015年度役員一覧
33
創立60周年記念式典
編集後記
静岡市日中10年の歩み
34
36
37
静岡市日中友好協会創立60周年を祝して
衆議院議員
上川 陽子
静岡市日中友好協会創立60周年、誠におめでとうございます。
貴協会は、60年もの長きにわたり、市民レベルの草の根交流を推進され、日中両国
間の友好親善に貢献されました。歴代理事長はじめ役員・会員の皆様に深く敬意を表
しますと共に、心から感謝申し上げます。
昨今の日中両国の関係は、ご承知のとおり、歴史認識や領土問題をめぐり厳しい状
況が続いておりますが、この局面を打開するためには、伝統ある貴協会による地道な
民間交流を絶やすことなく継続し、日中両国民が互いに理解し合い、信頼の絆を深め
ることが大切です。
私も、日中友好議員連盟の一員として、戦略的互恵に基づく日中の平和と友好関係
が強化されるよう、誠心誠意努力して参る所存です。
本日の60周年記念式典が、協会の永年の業績に思いを馳せると共に、若い世代が
日中両国の歴史を学び、新たな交流の一歩を踏み出す機会となりますようご祈念申し
上げます。
最後に、貴協会の今後益々のご発展と会員の皆様方のご活躍をお祈り申し上げ、
お祝いの詞とさせていただきます。
1
「創立60周年をむかえて」
静岡市日中友好協会会長
大石
惇
静岡市日中友好協会は今年創立60周年を迎えます。60年は「本卦(ほんけ)がえり」とよばれ、
60年で再び生まれた時の干支にかえる還暦に当たります。
市日中友好協会も現在まで日中関係が政治的にギクシャクした時も、日中友好の志の基に60年
間もの長い間、活動を続けてこられたことに敬意を表するとともに、過去に係ってこられた会長や事
務局長や他の会員の皆様に心から感謝いたしております。「継続は力なり」と言われますが、この6
0年間の積み重ねは、当協会にとっても大きな底力となっています。
還暦を迎えた本会はこれからの未来に向かって進まねばならないと思います。さて、どのような新
しい目標を掲げたらいいのでしょう。
私は、本会がまだ経験していない静岡市が中国のいずれかの都市と姉妹都市を結ぶことに力を
入れることではないかと考えます。中国の国土は広大で東西南北それぞれに異なった気候風土を
持ち、食も文化も言葉も異なります。今まで中国というと中国全土を思い浮かべ、27省を対象に対
応してきた感があります。それではあまりに広範囲でかえって捉え方に間違いが起こりやすいので
はないかと思われます。各省の間には政治的にはある程度同じであっても、歴史的、文化的、資源
的、経済的な違いがあります。私は中国を一つの国とは考えずに、我々の概念として一つの省を一
つの国と考え、中国はそれらの省国が集まった連邦国、あるいは合衆国と考えた方が理解しやす
いと思うのです。アメリカもロシアも中国も、あのような大きな国を一つの政府が治めきれるとは思
わないからです。人間の統治能力の限界を超えているのではないかと。
さて、静岡市が姉妹都市を結ぼうとした場合にどこの都市が適当だろうかを考えてみますと、今ま
では、姉妹都市提携というと、産業や文化などで似た都市同士が結ばれているのが普通ですが、
そのような組み合わせは、共通の課題があり歩み寄りやすく提携しやすいことから結ばれており、
現今ではほとんど出尽くした感があります。これからの姉妹都市提携は、性格の異なる都市同士の
結びつきが望ましいと考えています。
なぜなら、私たちは、自分達が持っていないものを持っているところに夢と憧れを持つものだと思
います。そのような都市が、お互いの都市に憧れを持ち合う関係って素晴らしいことではないでしょ
うか。そう考えた場合、私は中国の中でも新疆ウイグル自治区のウルムチ市などは、静岡市の相
手都市として最も適している都市ではないかと思います。大雑把に言いますが両都市は似ていると
ころが全くない。新疆ウイグル自治区はユーラシア大陸の臍に当たり、どの海からも2000キロ以
上離れている。広大な沙漠があって地平線がみられ、乾燥地で夏は暑く冬は寒い。石油や天然ガ
スやレアアースなどの鉱物資源が豊富。日照時間が長く昼夜の気温格差が大きくて良質の農作物
が収穫できる。果物もミカン以外はすべて生産できる。海の魚と海産物以外はすべて自給自足出
来る豊かな土地である。ウルムチ市はシルクロードを通じての東西文明の交流の歴史があり、25
の数民族の住む多様性に富む地域で独特の風俗と食文化を持つ魅力的な地域の首都である。
国際交流は、異文化との接触による理解と協調であるとするなら、ウルムチ市と静岡市が姉妹都
市になれば中央アジアや中東との接点ともなり、こんな恰好な相手は無いように思えてきます。会
員の皆さんのご支援をいただき、何とかして協定締結まで努力したいと考えています。
2
「協会を振りかえってみて」
静岡市日中友好協会副会長
安蔵
忠夫
静岡市日中友好協会は「日中日ソ国交回復県民会議準備会」に集まった有志により、結成準
備会が作られ、静岡市教育会館に置いて1955年(昭和30年)10月15日に結成され、初代会
長に片山平吉(弁護士)が就任されました。
その後、1957年10月16日には来賓として静岡県知事斉藤寿夫氏の出席のもとで、静岡県
庁三階会議室で静岡県日中友好協会の結成大会が開かれました。
その後、1958年2月静岡市日中友好協会は総会を開き、「日中友好協会静岡支部」との名称
を変えました。この年8月には台湾海峡にて、「金門・馬祖島で中国と台湾の交戦が勃発これを
めぐって、中国内部の対立に発展し、やがて文化大革命へと繋がっていきました。
1979年8月12日には「日中平和友好条約」が調印され、その年の12月12日静岡駅前の日
興会館(今のTOKAI)に於いて「日中平和友好条約締結静岡県民祝賀会」が開かれ時の静岡
県知事「山本敬三郎氏」と中国大使「符 浩氏」が出席され盛大に挙行されました。
1979年11月には、静岡市長 荻野順平氏を団長とする「静岡市民の翼友好訪中団」が中国
「西安市」を訪問し、両国人民の友好の証として、西安市動物園と静岡市日本平動物園との間
で動物交換の話がまとまり、翌年、当時、静岡市立日本平動物園の飼育課長の任務をしていた
私が、飼育職員2名を連れて、横浜港を後に、中国上海港で荷揚げし、直ちに贈呈動物を上海
動物園で休息させ、その後、上海東駅より専用列車にて、中国大陸(内陸)800Kmに「キリンと
ダチョウ各一番」を両国市民の友好親善の証として動物園贈呈に一役かかわれた事が今でも
誇りに思っております。その後も何回か動物交換が行われました。
1979年11月29日に、規約の改正が行われ、本来の「静岡市日中友好協会」の名称にもど
り今日に至っています。
1986年10月第1回「浙江省少年少女民族音楽団」を招へい、静岡市民文化会館並びに市
内の中高で交流の公演を行い日中友好に大きく貢献し、以降3年目毎に行うことを日中行事と
して定着させてきました。その後、{浙江省青少年民族芸術団}と名称を変えて今日までの第11
回までは順調に開催されてきましたが、残念なことに昨年12月21日に第12回静岡公演は最
後になって中止となりました。誠に残念でした。その原因としては、尖閣諸島の日本の国有化宣
言に対する報復ではないでしょうか?
幸いに、本年度は「第15回 浙江省青少年民族芸術団」が10月17日~27日まで静岡県内
で、特に21日~24日の4日間は静岡市内の小学校に於いて講演が予定されています。
政治によって両国国民が培ってきた友好の絆が簡単に断ち切られることは断じて許されるべ
きでないことを祈り、子々孫々に至るまでの友好親善でありたいと願うものであります。
事務局からのお知らせ
静岡市日中友好協会は本協会の趣旨に賛同してくれる会員を常時募集しております。年会費は、正
会員3600円、家族会員1000円です。気軽にお問合わせ下さい。
電話:054-255-2114
携帯:090-5638-5352(藤波) メール:[email protected]
3
「これからの日中友好活動」
静岡市日中友好協会理事長
藤波
和之
一年前の2014年9月、日中の団体が共同で、日中関係についての世論調査を行った。
その結果がインターネット上に掲載されていた。それによると、中国の印象を「良くない」
と回答した日本人は93%、10年前の調査以来、最悪であった。日本に否定的な印象を抱く中国人は
86.5%であった。 一方、相手国に対する国民感情の悪化を問題だと考える人は日本人で79.
4%、中国人で70.4%に上がった。日中首脳会談について「必要」と答えた日本人が64.6%、中国
が人52.7%に達し、関係改善に向けた意欲は両国民ともに強い。
最近、中国人の訪日と爆買について、マスコミを賑しているが、中国人が日本を訪れた日本の印象
はどうか気になるところである。インターネット上に数多く寄せられている。その内容を見ると、日本人
が当然と思っていることが中国人にとっては驚きらしい。「日本人の素養は世界1位だという統計が出
ているが、私は日本にいる間にまさにそれを感じた。このような素養があったからこそ、戦後の日本経
済は大きく成長したのだろう。」「日本は確かに清潔。中国は比べものにならない。」「反日も日本に
行って帰ってくると親日になる」「日本人は嫌いだけれど、衛生面で優れていることは認めざるを得な
い。その上、自発的に行動するし、自分で自分をだますことはしない」など、称賛するコメントが多く、
日本を批判するコメントは見当たらない。
当協会の状況に目をやると会員数の減少と会員の老齢化である。1991年における当協会の会員
数は約530人、現在の会員数は約80人。何を行うにしても、参加者が少なく、十分な活動ができない
状況にある。一協会だけで行事を行うことは難しい、最近では、清水日中計画の鎌倉バス旅行に当
協会が参加したり、中国大使館訪問など当協会の計画に清水日中に参加してもらっている。春節・新
年会は中国交流会と共催で実施している。また、静岡県華人華僑総会の創立に協力した。今後、力
を合わせ友好活動を行っていきたい。
また、他団体が行うイベントにも積極的に参加していきたい。現在、入居している番町市民活動セン
ターには色々な情報が集まる。退去時期を迎えているが番町活動センターとの結びつきは大事にし
て行きたい。
中国からの豪華客船が清水港に寄港した折、日本を知ってもらう良い機会であることから当協会の
会員にボランティア通訳を引き受けていただいた。日中友好を深める良い機会であり、今後このような
機会が増えると思われる、大いに協力したい。
今後とも他団体との協働により日中友好活動を進めたい。
当協会は60年の歴史があるが、現在、協会として取り組むべき中国との姉妹都市はない。
会長が言われている異なる資質の都市同士が友好提携するのも一つのあり方と言うのも新しい方
向と思われ模索する必要がある。静岡県と浙江省の友好提携は資質が類似していることにあり、良
いと思われる。当協会としても今まで交流事業には参加させていただいてきた。
友好提携の実現性の問題であるが、行政の問題、清水日中との関係など静岡市として取り組むに
は難問が多いと思われる。当協会と中国地方政府の対友協との提携も視野に進める必要がある。会
員の方々の力も借りて進めて行きたい。
なお、静岡市は当協会の顧問天野県議の仲介で上海市奉賢県と2011年に友好交流の覚書を結ん
でいる。当協会で出来ることがあれば協力して行きたい。
4
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」
静岡市日中友好協会副会長
田辺
義明
わたくしは「還暦」を迎えた。まだ助教授の時代に、中国社会科学アカデミー(社科院、北京)に1
年間の滞在研究をした。しかし最大の獲物は妻だった。まさに「虎穴に入らずんば虎児を得ず」で
あった。「なりゆき」というには恐ろしいもので、勢いと流れで入籍まで行ってしまった。
北京滞在中、研究の一方、中国人学者から新疆の漢族女性を紹介された。すでに中国研究では
三菱総研の「日本のチャイナウオッチャー(中国観察者)」にリストアップされていたが、中国女性と
は交際したことがない。インテリ揃いと思い込んでいた。そこに現れたのが田舎から出て来た妻で
あった。歳の差はあっても、お互いまだ若かった。
義姉は新疆ウイグル自治区から、同地で陸上選手だったので体育大学を卒業し、高校教員に就
いていた。その北京に居候していたのが妻である。両親ともに文化大革命で内地を追われ(下
放)、新疆で結婚した。岳父も現在は故人だが、生前は党の基層幹部であった。そこからも中国の
辺境の事情が分かったが、手続きのために北京とウルムチを往復した。国際線なみの3,000kmの
行程である。
北京での研究では、ちょうど5年に1度の「党大会」があって、中央の指導体制と社会構造が仔細
に考察できた。ともかく家庭をデッチ上げて帰国となった。
急いで帰国した理由は別にあった。中国の有名なトイレ事
情に起因する病気である。静岡への帰省と同時に専門病院
で入院手術だった。昔話しだが救われた気がした。もうムス
メ(華織という)も中学生になった。
なおオチは後年、同僚教授と公費研究で、北京などを巡っ
た。同僚は最後に「中国のトイレはいい」と世間とは真逆を
言った。理由は?と訊ねると「どこにも手頃な紙がある」。ま
さか・・・と思い「中国では紙を流さずカゴに入れる」と説明。
彼の顔は見る見る青ざめて「な、なんで、それを言ってくれな
かった!」と怒鳴られた。いい大人に排便の仕方なぞ教えて
いられるか。「墓穴に入らずんば」中国だった。
「日中関係を思う」
静岡市日中友好協会会員
藤田
子
日中友好協会創立60周年おめでとうございます。今年戦後70周年ですからこの会は戦後早くも10
年目に、日中仲良くしましょう。と立ち上げられたのですね。私は縁あって歌のメロディの美しさにひ
かれ中国の歌の会に参加させていただいております。他、中国語講座の縁で、北京、上海、武陵
源、承徳ツアー旅行で九寨溝等すばらしい旅行へも行きました。同じアジアの同類項という感じがし
て親しみがあり好きです。しかしテレビ、新聞のニュースを見ると戦後70年も立っているのに今だに
5
中国、韓国の日本に対するあつれきは歴史認識に欠けていると大変なものです。私は昭和16
年生まれですが、学校ではアジアの国に対して侵略戦争、特に中国、韓国に対して漠然と第
二次世界大戦と学校で教わった記憶があります。日本の侵略戦争という言葉を知らず通って
きました。70年も立つというのに今だに深い憎しみを持っているのですから、今年ほど感じた
ことはありません。もちろん何代もの総理大臣が反省し、お詫びを言っても許されないのです
から、軍国主義だったとはいえ計り知れないものがあったのですね。国民の上に立つ政治家、
メディアの人達は、国民の幸せを一番に、他国と仲良く、世界平和を目指して行ってもらいたい
ものです。それと同時に私達も信頼のおける任せられる政治家を選挙で選ばなければいけな
いことを痛感しております。
「日中友好協会の活動」
静岡市日中友好協会理事
黄
教奇
私は20数年前中国から来日し、県下で書・篆刻を教えています。書家であります。私は弛ま
なく日中友好に努力しているのを見て、常に感動しております。
最近、政治に起因しているが日中両国の関係が低調になっていることを感じます。
例えば、2004年、中国重慶で起こったサッカー騒動(サッカー・アジアカップでの日本・ヨル
ダン戦での反日行動)の時、政府間の交流はしばらく中止されました。しかし、日中友好協会
は日頃の日中友好活動を発展し続けました。けれども、多くの方々は痛恨の思いを持ったと思
いますが。日中友好の信念は揺らぐ事がなかった。これは日中友好協会の人々が良い素養と
素質を持って居ることにあります。日中友好事
業は立派な事業であります。私は『つばさ』が
200号を迎えたとき、この事業が更に立派に
希望を持てるものとなっていると確信します。
歴史は前に向かって進展し、後退することは
ありません。私達日中友好協会の一人一人が
この立派な事業のゆるぎない推進者であるこ
とに違いないと思っています。
2014年に生まれ故郷の上海のホテルに
「黄教奇作品工作室」と名付けたギャラリー
朱印状の家康印を復刻
(左 久能山東照宮落合宮司
右 本人)
を、2015年5月には育ててくれた地元静岡に
アトリエ「平斉芸苑」を開設しました。
日中文化交流の場として、日中友好活動の場としてお役に立てばと願っております。
「つばさ」100号記念号への投稿に加筆 藤波和之)
事務局からのお知らせ
静岡市日中友好協会は本協会の趣旨に賛同してくれる会員を常時募集しております。年会費は、正
会員3600円、家族会員1000円です。気軽にお問合わせ下さい。
電話:054-255-2114
携帯:090-5638-5352(藤波) メール:[email protected]
6
ニーシャ
「妮莎のこと」
静岡市日中友好協会理事
川井
陽子
かれこれ20年近くなるでしょうか。
県日中の事務所へ県立大学の中国人留学生、オラン・サンダンさん(女性・蒙古族)が訪ねて来ま
した。用件は「私の小学生の娘を帰宅後に面倒を見てくれる方を捜してほしいのですが・・・・・・」話
を聞いてみると彼女は薬学部の学生で実験があると途中でやめられないので、自宅へ帰るのが夜
になって、娘の世話ができないことがあり、困っています、ということでした。彼女の自宅は池田、小
学校は東豊田小でした。
ちょうどその時、事務所に居合わせた静岡日中副会長の故今川修道先生が、「うちの女房がみれ
るかも知れない」と言ってくれました。
話はトントン拍子に進み、妮莎は今川先生の奥さんに世話になることになりました。学区が同じで
好都合でした。妮莎はこの時、中国のおばあさんのところから日本の母親の元に呼び寄せられた
ばかりで、日本語は話せませんでした。しかし今川夫人と彼女はすぐ打ち解けて、問題なく過ごせ
ました。
学校生活でもすぐクラスのみんなと馴染め、言葉も上達が早かったそうです。
東豊田小の校長が紅林卓男先生で、彼は清水日中の設立者であったことも幸いし、みんなに見
守られて楽しい日々を過ごしました。
その後成長した彼女のことは私は知らずに過ごしていましたが、現在わが市日中が在籍している
静岡市民活動センターのある会合の席上「ふくろうの会」の代表者が発言し、「私は子どもの頃外国
からやってきた者です。今、静岡にも外国人が大勢いるので、その人たちの子育て、教育などの支
援をしようと友人たちとこの会を立ち上げました」と述べました。会が終わってから彼女に「あなたは
どこの国から来たんですか?」と聞いたら「川井さん、しばらくです。私は妮莎です」とのこと。蒙古
族特有の堂々とした体格と品格。立派なお母さんに成長していました。
今川夫人と今でも行き来しているそうです。日中友好協会の人脈が次世代の活動家を生み出し
た、うれしいできごとです。
日中友好協会を信頼して尋ねて来てくれたお母さんのオラン・サンダンさんに私たちの方からお
礼を言いたいですね。
(2015.10.15)
「天を以て属する」友好の絆
橘書道会・会員
桜井
流翠
静岡市日中友好協会創立60周年を心よりお慶び申し上げます。こうして筆をとると、静岡県書道
連盟創立60周年の記念事業として訪れた(平成19年4月)、中国での思い出が鮮やかに甦ってまい
ります。『王羲之の生涯を訪ねて』120名の大きな訪中団でした。書聖・王羲之の足跡をたずね、墓
参・記念植樹・紹興市『蘭亭』での曲水の宴・人民大会堂での交流書会‥中国の皆様の温かいおも
てなしを受け、心の中に沢山のお土産を頂いてきました。また、連盟創立65年の年は静岡県・浙江
7
省友好提携30年という節目の年と重なり、174名という大訪中団を結成。公式行事として浙江
省対外友好協会への表敬訪問をはじめ、浙江省書法家協会の先生方との交流書会等、日中
友好の絆を更に深めた旅となりました。
尖閣諸島問題で日中関係に緊張が高まり、各団体がつぎつぎ訪中を断念した中での訪中は
送りだしてくれた家族には心配をかけましたが『領土や政治の争いを文化に拡大するべきでは
ない。書を始めとする文化の力こそ、平和へのつながる道なのだ。』と参加者の誰もが感じた
貴重な体験でした。
漢字の源流である中国。漢民族によって造り出された漢字を素材として、書道は成り立って
いると言って過言ではありません。また広大な大陸で生き抜く知恵や術(すべ)を説く中国古典
からも日本人は多くのことを学びました。
荘子は『天を持って属する者は窮禍患害に迫られて相収む』といっています。「天を以って属
する」とは、深い信頼関係で結ばれていることで、そういう友人関係なら苦境に立ったときでも
親身になって助け合うということだそうです。
現在、日中関係は難しい状況にある部分もありますが。しかし、日本と中国が書という文化
で、これからもずっと寄り添って共に歩んでいけるよう高い志を持って前に進んでいけますよ
う、祈念申し上げ、お祝いの言葉と致します。
「61年目に向かって」
静岡市日中友好協会事業委員長
楊
暁冬
皆さん、こんにちは。静岡市日中も、早や創立60周年になりました。私自身も2010年6月
に事業委員長の任を受けてから6年になろうとしているところです。
振り返ってみると、日中両国間には色々な事件が起きました。2010年9月7日の尖閣諸島
(中国名:釣魚島)漁船衝突事件、2012年9月11日の尖閣諸島国有化問題など、日中関係
をギクシャクさせました。漁船衝突事件が起きたのは、私が会員の松谷議員、宮澤議員と共に
小嶋市長(当時)の親書を持って湖南省長沙市を訪問し帰国した矢先でした。湖南省対外友好
協会、長沙市対外友好協会、省政府及び市政府を表敬訪問し、関係者と協議し、これから互
いに交流を深めようと友好往来の話を色々と確認しましたが、事件の影響で往来交流は寸断
されてしまいました。
しかし、このような最悪の雰囲気の中でも、市日中の役員、会員たちは気を弛めることなく、
市民レベルの草の根交流活動に地道に取り組み、日中文化の集い、日中交流バーベキュー、
料理教室の開催、日中双方を理解する講演会、訪中団の派遣、訪日団の受け入れ、中国地
域に関する勉強会など多数開催してきました。また、中国大使館との交流も積極的に行い、民
間交流の重要性を再認識することが出来ました。
国レベルでは、2014、2015年の日中首脳会談、2015年の3000人訪中団派遣が実現
し、日中関係がようやく回復しつつあります。このような良い方向に向かっているムードの中
で、61年目へと踏み出した静岡市日中が、新しい役員、会員を迎える事が出来ました。今後ま
すます、地域の個性を生かし、時代にあった交流活動を開催していきながら更なる会員の増加
に繋いでまいりたいと思う所存です。
8
中国大使館との交流
2005年10月15日、ブケ東海において当協会の創立50周年の記念式典が開かれた。中国大
使館孫美嬌参事官が「これからの日中関係」と題してご講演をして頂いた。
2013年2月17日、アイセル21での春節・新年会には程中国大使夫人である汪婉参事官をお迎
えし。日中関係が極度に冷え込んでいる中、難しい問題が発生した時には「民が官を促す」を発揚
して両国間解決に努めてと挨拶された。会終了後、日本平、久能山を訪れ、日本平ホテルにてささ
やかな宴会の後、帰京された。
この時、汪参事官から大使館にぜひ来てくださいとのお言葉を頂き、2013年11月12日、チヤー
ターバスで、中国大使館を静岡日中、清水日中、中国交流会など45名で訪問した。あいさつ、映画
(シンクロナイズドスイミング井村雅代コーチの中国での活躍ぶり)のあと、中国点心を味わった。汪
参事官を始め大使館のみなさんの温かいおもてなしを受けた。
2014年2月9日の春節・新年会には中国大使館から孫永鋼一等書記官が臨席されお祝いの言
葉を頂いた。会の前には、食工房で水餃子作りをお手伝いされた。
前回の中国大使館訪問の後、大石会長から大使館の庭に金木犀(静岡県の樹)を植えさせもらう
と好いなとの声があり、2015年3月25日、静岡市の樹のハナミズキの苗を持参し、大使館の庭に
創立60周年の記念植樹をして植えさせていただいた。潘参事官から「中日友好の決意を込めて、
本日植樹した木を育て、友好の実を育てましょう」と歓迎の言葉を頂いた。安蔵忠夫訪問団長が「こ
の度、絆の深さの具体的な証としてハナミズキの植樹を行った。この樹がしっかりと根付き、成長
し、両国国民の友好親善の架け橋となってくれるものと確信します」と挨拶された。
中国大使館玄関で汪婉参事官を囲んで
9
久能山東照宮落合宮司が汪参事官に解説(2013.02.17)
日本平ホテルにて汪参事官を囲んで(2013.02.17)
紅葉山庭園で静岡抹茶を楽しむ汪参事官(2013.5.25)
アイセルにて孫書記官が餃子を茹でる(2014.02.09)
中国大使館の庭での記念植樹(右潘参事官)
10
春節を祝う
2008年2月3日までの春節の行事は丸子梅園で梅田さんの好意により行われた。梅の香り
のなか、二胡の音色のもと、紹興酒を片手に中国留学生たちが作った水餃子の味は忘れられ
ない思い出がある。丸子梅園の閉鎖に伴い2009年からはアイセル21に会場を移した。アイ
セル21の食工房での水餃子造り、作られた水餃子を大音楽室に運び味わいながら、参加者
同士の懇親を図った。
中国大使館から汪婉参事官(大使夫人)、孫書記官の参加を得て、顧問の上川衆議院議員
も出席され盛大に行われた。一層の日中友好親善が深められた。
挨拶を交わす孫一等書記官と上川議員
祝辞を述べる汪婉参事官
懐かしい春節梅祭り
夜桜乱舞を踊る中国交流会
餃子を作る参加者
全員が楽しめるゲーム
11
中国への旅
友好を深めるためには相手の国に行き、その国の自然や文化に触れ、その国の人達と触れ
合うことが一番である。
当協会としては独自の特徴ある旅行計画をたて行った。
1998年、2000年、2002年と、寧波から西安まで3回に分けて、「遣唐使たちのたどった
道」を自転車で、 学校訪問や名所旧跡を周った。
2005年、2006年には西安~敦煌~トルファンまでシルクロード列車の旅を実施した。
また、県日中協会等が実施した植林緑化活動、
記念式典、訪問団などへも参加した。
会員個人でも、中国の自然、文化に魅せられて
中国各地を訪れている。
その時の旅の思い出をお寄せ頂いた。
遣唐使1400年記念祭(西安)
シルクロードの旅
華中旅遊博覧会(武漢)
静岡県・浙江省友好提携25周年記念式典
チベットの旅・ポタラ宮殿
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「シルクロード文化の都」
〈ホータンとカシュガルの印象〉
静岡市日中友好協会副会長 岩間
弘政
活気にあふれるホータンの街。北京から3,000Km。北にタクラマカン砂漠、南に6,700m
級の山々が連なる緑と水と人々と果物があふれるシルクロードの南路最大のオアシスだ。かっ
ては「大宝關(ウテン)国」が栄え、大乗仏教、なかでも法華経が流布し、優れた仏教芸術を生
み出したところである。人口15万。市と周辺7県を合わせた「ホータン地区」では、150万の
人々が暮らしを営んでいる。街に出れば自動車がけたたましくクラクションを鳴らしながら通り
を走る。しかし、今でも欠かすことのできない重要な交通手段がロバ車。通りを行くロバのゆっ
くりとした足どり、人なっこい笑みを投げかけてくれる陽気な人々。シルクロードの旅情を感じさ
せてくれました。
シルクロードのオアシスである天山南路の西端にある街、それが新疆ウイグル自治区第二
の都市、カシュガルだ。漢の張騫(ちょうけん)や三蔵法師もおとずれたこの街は、かっては疏
勒(そろく)と呼ばれ、仏教が盛んであったという。
しかし、現在のカシュガルは当時とまったく面貌を変えたイスラム教の街となっている。
街の中心のエイティガール寺院では、毎日五回の礼拝に多くの教徒が訪れ、その周辺のバ
ザールはウイグル族の女性が着るカラフルな服の生地、ウイグル人の帽子など、彼らの生活
に密着した用品がたくさんうられている。ここカシュガルは、他の新疆の街と違いウイグル人の
比率が漢民族よりかなり高く(漢民族の約三倍)最も新疆らしい街といえる。「カシュガルに来な
ければ新疆に来たことにならない」と大通りの横断幕に書いてあった。
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「径山寺の思い出」
静岡市日中友好協会会員
松林
貫一
杭州大学の授業を終え、電車バスを乗り換え、長楽(チャンルウ)へ着く。此処から危険な山道
を、人間、荷物一杯の小さなバスで径山寺に向う。二十才前后の若者が、車内に居る異な男(私)
を見付け、お前は日本人だろう。歳は幾つだと尋ねる。私は
(ツァイツァイ)当てて御覧んと三、
四回遣り取りし、学生証を見せ、七十四才と解ると、いきなりお前は兵隊で中国に来て何人殺した
と凄い見幕である。ハッと緊張した。落ち付いて俺は海軍で中国へ来たことも無い。人を殺した事も
無い。彼は透かさず、何んの為に中国へ来たんだ。其処で私は口から出る儘に捲くし立てた。日本
は昔、遣隋使遣唐使として、修行僧、学識を求める学徒達を派遣して、佛教、道教更に生活に密着
する食品の作り方、薬の調剤、茶樹の種等持ち帰り、日本全国に広め、日本文化の礎を築いたの
だ。中国は恩のあるすばらしい国である。其れを知り度くて径山寺へ来たんだ。彼はすっかり喜ん
で煙草を差し出した。途中下車の彼と固い握手をして別れた。怪しげな中国語で身を揺すり、手真
似を交え一心に喋った。自分でも甘口に喋ったなあと感心した。「窮すれば通ずる」か。
午后六時過ぎお寺に到着しました。夕食後大広間の寝室のベットの上で、老年の執事から「漫話
径山」と云ふ小冊子を頂き、其の内容に基づいて夜遅くまで話を伺いました。
中国人の弟子達が日本へ渡り弘教され、天皇より国師を賜はった僧は何人かあるでしょうが特に
三人、無学祖元は仏光国師、一山一宇は一山国師、隠元隆琦は、大光普照国師と書かれてありま
した。又沢山の修行僧の中で三人、圓尓、覚心、紹明、夫々聖一国師、法燈円明国師、円通大応
国師などの称号で贈られたとありました。静岡に縁ある聖一国師は皆さん良くご存知ですが。紹明
即ち円通大応国師も駿河国安部郡出身で、羽鳥の建穂寺(現在廃寺)から最后は鎌倉の建長寺の
住持となる。
建長寺のことは藤波理事長が「つばさ」七月一日発行113号に詳細に述べられております。
径山寺に残されて居る北条時宗の書状を見ると、密接な関係が保たれ、固い絆が結ばれた当時
の面影が頭の中に浮かんで来る様な感じを受け、径山寺を後にして、大学の宿舎に帰りました。
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「中国との縁」
静岡市日中友好協会理事
丹羽
昌三
一九八二年十一月一日 一四時五十五分に北京空港に降り立つ。私の中国への第一歩で
あった。これは静岡市教育委員会中国派遣視察団の一員としてであった。八日間に渡り北京・
洛陽・西安の三都市を訪問、視察をした。
その間、派遣団の世話をして下さったのは当時、静岡市日中友好協会事務局の増田千次郎
氏、細美和彦氏の両氏であった。帰国後、直ちに静岡市日中友好協会に加入する。
一九八五年、私の長男が勤めている会社より香港に赴任を命じられる。その関係で二回目
の中国訪問となる。
一九八九年 長男が中国女性と知り合い娶ることとなる。嫁の両親、親戚との交流で上海を
訪れることが多くなる。中国語を覚える必要があると思い勉強を始める。
一九九四年、中国語を学ぶ仲間と会話の勉強と称し、数回中国を訪れる機会を得る。こちら
の言葉は、どうにか伝わったようだが、相手の言葉が十分理解できず『听不憧』だった。十年近
く学んだ中国語、ままならず。
二〇〇四年 孫の通う香港日本人学校の運動会にと香港へ。二〇〇七年 長男が上海に転
勤となる。上海日本人学校の運動会にもと訪れる。
その後、長男が日本への転勤となり、中国訪問の機会はないまま現在に至っている。長
男は再度、上海に赴任しているのだが・・・。 縁遠くなった昨今である。
天津の街角で
事務局からのお知らせ
静岡市日中友好協会は本協会の趣旨に賛同してくれる会員を常時募集しております。年会費は、正
会員3600円、家族会員1000円です。気軽にお問合わせ下さい。
電話:054-255-2114
携帯:090-5638-5352(藤波) メール:[email protected]
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中国における植林活動
1998年の長江流域等の大洪水を契機に、中国では自然災害の防止や森林資源回復のための
植林活動が展開されている。中国の植林活動を支援するため、「日中緑化交流基金」が設立し、2
00年から日本の民間団体が中国側カウンターと協力して行う植林緑化事業に対する助成を行って
いる。 静岡県日中友好協会では助成をうけ中国での植林活動を行っている。地区協会もその活
動に協力をしてきた。現在、湖北省考昌県衛店鎮緑化事業が行われている。
「静岡県日中友好協会の第三期黄河流域緑化協力事業への参加」
静岡市日中友好協会副会長
植木
喜美彦
2009年4月13日から7日間、中国河南省新郷市長垣(チョウエン)県と山東省淄博(ズーボウ)市
高青県の2ヶ所で、静岡県日中友好協会が行った緑化協力事業に参加した。
この事業は、1999年小渕首相が訪中の際、中国の植林緑化活動を支援するため、100億円規
模の緑化協力基金構想が発表され、2000年度に「緑化協力基金」として設立され始まった。この
事業は、我が国の民間団体などが中国側の受け入れパートナーと協働して森林造成等を行うこと
が対象で
(1) 生活環境林(薪炭林及び果樹林を含む)の造成
(2) 防風林、防砂林、防雪林、水害防備林、土砂流出防止林、水源涵養林等の造成
(3) 砂漠化域及び荒廃地復旧のための植林
(4) 野生動物自然保護区等における植林
(5) その他環境保全のための植林
静岡県日中友好協会が2008年度までに行った事業実績は
第一期
2003年度
980万円 (河南省)
2004年度 1270万円 (河南省)
2005年度 1500万円 (河南省)
2006年度 1550万円 (河南省)
第二期
2007年度 1750万円 (河南省)
第三期
2008年度 1417万円 (河南省)
2008年度 1221万円 (山東省)
なお、今回までの中国側のカウターパートナーは中華全国青年連合会(中青連)である。
(一) 河南省新郷市長垣県
黄河北岸の農村地帯で、現在欧風の街造りが急ピッチである。黄河中流域のこの附近は川幅が
4~5Kmもあり、上流からの堆積土で河床は堤内側より高く、昔から氾濫し易い所で、現在河床の
一部を浚渫して堤防の内側を幅広く補強しており、そこに楊樹とニセアカシアを植樹した。
(二) 山東省淄博市高青県
高青県は、湽博市(2400~2500年前の斉国の都)から約80Km北で、黄河河口から100KM
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位上流にある。この街も建設中のビルがいたるところに見られたが、景気が一服している時(2009
年当時)なのかどこも工事中断が目立った。
植樹は、黄河の右岸堤防沿いに設けられた洪水防止用植林区域内で行なった。樹種は楊樹、
柳、黒松等である。又黄河小支流の流域に造成中の公園地に八重桜の植樹も行った。
高村郷植裁地
河南省鄭州高村郷植林記念碑・記念式典
湖北省考昌県植栽予定地
湖北省林業庁幹部と昼食
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文化芸術活動
浙江省青少年民族芸術団公演
1983年1月、中国民族音楽代表団を招聘し、静岡市民文化会館を始め県下各地の学校、文化
会館で公演した。これが浙江省青少年民族音楽団の招聘につながる事業であった。1986年、浙
江省少年少女民族音楽団として、来静したのが始まりで、以降三年ごとに開催された。2008年に
は学校公演、一般公演を静岡市市民文化会館中ホールで催した。団員の会員宅でのホームステ
イ、もくせい会館での歓迎会、大道芸の観賞、市内でのショピングなど会員と団員との友好を深め
た。その後、毎年、静岡県を訪れ、公演を東、中、西地区で受け持つこととなった。2012年、尖閣
諸島問題で日中関係が悪化し、芸術団の訪日が中止となった。学校公演の予定も決まり第12回
の一般公演も清水日中協会が清水マリナートを確保し、チケット販売も開始し、準備万端の段階で
突然中止となった。
2013年は東部地区の担当であったが準備が不十分で開催不可能となった。急遽、静岡市内で
の公演になり、一般公演は10月19日、静岡労政会館での開催となった。もくせい会館で歓迎会、
クーポール会館で昼食を囲んでの歓送会を行った。
大道芸を楽しむ団員
静岡市民文化会館で団員を囲んで
会員宅でのホームステイ
舞台公演中
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文化芸術活動
日中友好文化の集い
日中両民族は同じ漢字を使う「同文同種」の間柄である。同じような文化でありながらその内
容は可なり違う側面がある。
日本と中国は末永く仲良く付き合って行かねばならない隣国である。相互理解を深めるため
に、お互いに相手の文化に触れることが大切である。
「書法入門」について話す黄理事
「中国音楽友の会」の中国語の歌
吉田晴美さんの中国茶の話
中国伝来の楽器・尺八の演奏(東海道金谷塾)
出
演
:
中
国
交
流
会
公
宇
と
鄒
吉
強
理事会員(日中共同)で内モンゴル語の歌披露
中国東北地方の芸能・中国漫才「小品」
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講演会の開催
部外の著名人をお招きして講演会を中国交流会と共催で開いた。
段 躍中(ジャーナリスト)
2012年6月2日、アイセル21で開催された第29回定期総会におい
て、楊事業委員長と同郷の湖南省出身で、東京在住の中国人ジャーナ
リストである段躍中氏が「これからの日中関係ーー在日中国人と中日
民間交流」をテーマにした講演をして頂いた。
「20年前に来日した頃、巣鴨駅の公衆電話の中へカバンを忘れ、気
がついて捜しに行ったところ無事にそのまま置いてあったことの驚きは
新鮮であった。日本は買い物や水、自動販売機など多方面で安全・安
心な国である。現在の中国は一党独裁ですが、人々はブログなどを通して、指導者の腐敗に
気づき始めた。日本のマスメディアは外国人の犯罪ばかりを強調して報道しているような印象
だ。外国人留学生の明るい記事をも掲載してほしい。自分は在日中国人のことを日本語で発
信している。大手の新聞へも投稿している。日中作文コンクールをもう7年続けている。日本人
は中国語で、中国人は日本語で。西武池袋の街角で毎週日曜日「日曜中国語サークル」を開
催している。現在全国7ヶ所で行っているが静岡では楊さんが主催している。日本では漢語
角、中国で日語角、これが民間交流、相互理解促進に絶好な方法でしょう。」
白西 紳一郎(社団法人日中協会理事長)
2013年6月23日、アイセル21大会議室で、
講師の白西紳一郎氏が「今、日中関係は何が
問題か」と題して話された。
白西氏は自民党・野田毅氏が会長を勤める
「日中協会」の理事長である。
問題提起として、「尖閣」「靖国」問題で誰が本
当のことを言っているのか。
--1972年、田中角栄と周恩来両首脳は「尖閣
問題は棚上げする。」と暗黙の了解をしている。
胡錦涛前総書記(左2)と白西紳一郎氏(右1)
アメリカが「日米安保の範囲内」と言ったのは前
国務長官のクリントンで現在はジョン・ケリー新
国務長官でその下のキャンベル国務次官は「尖閣国有化は危機を招く」と野田政権に警告して
いる。アメリカは尖閣を利用して日本と中国を天秤にかけているのではないかと思われる。
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瀬野 清水(せの
きよみ 前重慶総領事)
2013年8月25日、アイセル21大会議室で、講師
の瀬野清水氏が「外交官が見た日中関係、平和共存
への展望」をテーマにした講演をして頂いた。
瀬野氏は、外務省在勤中、通算25年を中国で過ご
し、中国が改革開放政策によって日々変化していく様
子を外交官として中国の内側から観察した。
問題提起として、「日中間には2000年の往来の歴史
瀬野氏(左)、雲南省山岳地帯の農民と
がありながら、何故ギクシャクするのか。」 から
① 明治維新以降の日本のアジア蔑視と中国のトラウマ。(先生と生徒の関係。力への信仰)
② ナショナリズムと歴史教育の非対称性。(歴史認識、尖閣諸島をめぐる問題)
③ 日本の「失われた20年」と中国の急速な経済発展。(日本の妬み、自信を強める中国)
どうすれば仲よく付き合えるのか。
① 中国は50年、100年単位で見る必要: 問題の解決を急がない。龍の文化。アジア的解決法
② 程よい距離感: 両雄並び立てるか。ハリネズミ理論。信頼関係の醸成が急務
③ あるべき理想の姿をイメージ: 思いは形になる。「中国の夢」とは。日本の向かう先は
三潴 正道(麗澤大学教授)
2013年10月27日、アイセル21大会議室で、講師の三潴正道氏が
「これで氷解、日本と中国誤解の源」をテーマにした講演をして頂いた。
講演のポイント:
・「価値観・観点の違い-ー相手も五千年 」
・中国人に愛国心はあるの?
・“先にお礼”か“後でお礼”か?
・中国人と儒教:「孝」は百行の本 ・謝り方
・中国人は商業民族
・中国は能力主義
など
田岡 俊次(フリージャナリスト)
2014年11月15日、静岡市職員会館で「現代の世界とこれからの日
中関係」と題して講演された。
田岡俊次氏はフリージャーナリストで元朝日新聞編集委員を務めた。
2014年4月の安倍首相とオバマ大統領との会談の中で尖閣問題に
ついて話し合われた。
田岡氏は安倍首相に直接「中国に対して言葉を慎み、挑戦的な言動を
しないように」と申し上げた。オバマ氏は日本に対して尖閣は安保条約の
適用よりは日本に対中関係改善を要求したが、その内容が報じられていない。
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交流のつどい
日中友好協会会員相互の親睦を深め、他団体との連携を深めるために、総会の後の親睦会
の開催、野外でのバーベキュー、清水日中との交流会の実施、中国交流会との忘年会の共同
開催等、静岡県日中友好協会等実施の訪中団歓迎会などへの参加を積極的に行っている。
中国交流会との忘年会
人民中国社来静、王衆一総編集長挨拶(2103.5.20)
藁科川でのバーベキュー
瀬野清水元重慶総領事を囲んで清水日中との交流
浙江省訪問団を囲んで
中国旅行団とカラオケを楽しむ
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交流のつどい
2011年6月30日田辺市長表敬訪問
湖南省及び長沙市対外友協との交流(2010.9.2)
浙江省青年友好代表団歓迎会
河南商城県訪静視察団との交流会(2012.4.18)
浙江省来静友好交流団(2007)
浙江省友好協会との交流(2006)
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静岡市番町市民活動センターイベントへの参加
当協会の事務所は呉服町の朱宮ビルで県日中と同居していたが、2010年11月静岡市番
町市民活動センターに入居した。静岡市番町市民センターでは設立を記念して、記念イベント
を毎年開催している。2011年10月21日開設2周年記念イベントが開かれ、当協会も参加し
た。パネルによる当協会の事業の紹介と模擬店に出店し「麻婆豆腐丼、茶卵、鶏手羽煮」の販
売を行った。2014年4月に番町活動センターの異文化理解教室で楊理事が湖南省について
のDVD及び講師自作のパワーポイントで説明会を行った。5周年記念には中国人書家・篆刻
家黄教奇の門下生を講師に迎え、「やさしい篆刻」教室を開いて、中国芸術に触れてもらった。
6周年には、四川料理『躍飛』の小澤さんが手作りの小肉饅頭、胡麻団子を販売した。
やさしい篆刻教室
楊さん調理の風味手羽先等を売る
異文化理解教室(湖南省についての紹介会)
小肉饅頭など完売
川井さん調理の茶卵などの販売
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各種イベントへの参加
静岡市国際交流協会などの主催のイベントに、日中友好協会のPR、活動資金に少しでも役立
てばと参加した。
2013年2月3日、青葉公園で静岡県がNPOの自立
を促進させようと募金活動、バザー、チャリティオーク
ションを行った。
当協会はひと張りのブースを借り、シュウマイ、茶たま
ごの販売、中国切手をオークションに出して、僅かばか
りの活動資金を稼いだ。
毎年開催される静岡市国際交流協会の「国際交流
フェスティバル」に参加した。中国茶たまご、手作り餃
子・肉饅の販売、協会の活動記録写真の展示と中国伝
統グッズの販売を行った。また、四川大震災など災害
青葉公園活動(2011年10月23日)
への募金活動も行った。
2011年10月23日国際交流フェスティバル
2013年3月3日協会活動展示
2010年10月24日小嶋市長餃子を試食
2008年3月11日協会活動展示
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20007年11月国際交流フェスティバル
四川大震災募金活動(2008年6月)
2011年2月6日春節会の静岡新聞記事
2013年2月17日春節会の静岡新聞記事
社会貢献活動
日中友好活動以外に社会貢献活動で活躍されている会員の方がおられる。
日本太鼓
静岡市日中友好協会理事
村上
潤子
静岡ハンデキャップ太鼓の会の代表をやって
おります。太鼓を通じて障害者の交流場を広げ
ようと1999年結成し、メンバーは代表の私と私
のほか知的障害者など身体に障害を抱えてい
る人とスタッフ、約25人で構成されている。
日本太鼓ではほとんどが譜面を見ながらの演
奏はしない。これは記憶力、脳細胞の運動にな
る。知的障害、ダウン症、自閉症などの障害を
持つ人達の教育に有効であると思っています。
一人が出す音が徐々にみんなの音と重なり会い、やがて大きく、力強く。楽しい曲へと変わって行
き、そんな響きを聞くと、私を元気にしてくれて、みなさんに感動です。
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社会貢献活動
芸名:「春風翡翠」
静岡市日中友好協会理事
小泉
啓子
今から数年前、腹話術で自閉症の子どもさんが治ったという事
例を「幼児と保育」で知って、これぞ自分の使命感との一瞬の思
いを抱いて、伊豆天城で開催の春風イチロー師匠の研修会に参
加して特訓を受け、ご指導のおかげで、その時3級の資格を取
得できました。
地元中学校に勤務しながら、人形「ケンちゃん」を連れて児童
館、幼稚園、小学校、敬老会などからの依頼があって、お話会も
腹話術で開かれました。
平成20年2月にロゴス腹話術研究会主宰春風イチロー氏から
芸名「春風ひすい」の芸名を頂きました。翡翠は、古来、中国の
五徳「人義礼智勇」を持った大変縁起のよい石で、今では珍重されている宝石であると言われていま
す。まあ、なんと素晴らしい芸名を師匠よりいただいたことかと。感謝。感激です。
「金剛石もみがかずば、玉も光もならざらん」
私もロゴス(ギリシャ語で言葉という意味)腹話術の技を磨いていきなさいという意味で名前を頂い
たと思っています。
余暇を楽しむ
会員の中には色々な趣味を持っている方々が多い。中にはプロ並みの腕を持っている方もいる。
「中国撮影考」
静岡市日中友好協会副会長
私が中国に興味をもったのは、会社を退職して間もない頃で
した。それまで長いこと写真に減り込んでいたので帰静して早
速上海の撮影のツアーに参加、始めて踏む土地なので撮影成
果は薄かったが、古き良き雰囲気に心を引かれ中国への関心
を深めたものでした。
爾来二十年余り二十回ほど中国の撮影に参加しましたが、
徐々に中国も都市部の発展が進み、面白味が少なくなり撮影
の行く先も自然と貴州省より奥へと広がり、一番引き寄せられ
たのがシルクロードでした。
その頃はシルクロードへ行く交通機関もままならず、砂漠を行
くバスも再三に渡りスリップして動かなくなり苦労しましたが、撮
影に応じてくれた女性にラブレターを送ったのも若さが残る思い
出です。今一番心に残っている写真二枚あります。一つは雲南
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大石
久雄
省の奥地に行った時は、十人ほどの小さな学校の子供たちを撮影した折、そこを離れる折、子供達
が手を振って私を見送った顔、山地で過ごす淋しそうなうらやましいそうな面影を撮った一枚です。
お蔭でこの一枚が二科展に入選しうれしく思いました。もう一枚は北京での撮影で、当時は天安門
広場も一般の多数の人達が群れ、楽しんでおり、にこやかに振舞う女性を探して撮った一枚です。
これも運よく中国主催の写真コンテストで一位を獲得、遠路天津における表彰式に参加したこと
は忘れられません。
しかし、ここ数年の日中関係がよくない昨今、中国への渡航も気が進まず、淋しく感じております。
前期の天安門の姿を撮ることはむつかしいでしょう。、明るさに溢れた中国が作られることを心から
望んでいます。
「地図を楽しむ」
静岡市日中友好協会理事
海野 賢利
旅に出る時は2万5千分1地形図をはじめての所は持っていく。植生、集落等色々な事がわかる。
平成25年11月から新たな2万5千分1地形図が刊行されはじめた。
新たな地形図は一見、従来の2万分5千分1地形図の表現や色づかいが変わっただけのようにも
見えるが、実は、地図の作り方や内容が大きく変わっています。
2万5千分1地形図は、我が国全域を覆う最も大縮尺の基本図として長年にわたって整備、
更新されてきた。基本的には空中写真撮影→図化→編集→印刷という作業工程に大きな変化はな
く、また成果は基本的には印刷図という形で提供されてきた。
平成21年から電子国土基本図に変更された。
地形図の過去50年でも最も大きな変化を迎えた。地形図の印刷はかっての色版刷の地図印刷
から多色刷〈マルチカラー〉印刷へ変更され、これを機に多くの色が地図記号にも使われる様に
なった。高速道路の緑色など。また地形の表現が分かり易くなる様にと陰影〈シェーディング〉が採
用された。
送電線の表記がなくなるという話もあったが再び地形図に送電線が描かれることになった。さらに
現在の地図から歴史をたどることもできる記念碑記号を残すことになった。
地形のシャドー表現が最も目立つ変更点だ。
建物は橙色に着色され、これまでの黒一色より識別しやすくなった。道路では高速道路が緑色
に、国道は赤に、国道番号はおにぎり型に変更になった。
この新しい2万5千分1地形図は月50面づつ発行されている。書店で手にとってみてはどうでしょ
うか。
3色刷は1枚278円、多色刷のものは1枚339円です。
「親子写真展を開催」
静岡市日中友好協会会計監査
小池 豊
市日中創立60周年おめでとうございます。私も、入会して30年になり、皆さまにはいろいろとお
世話になっております。今回は、私の趣味写真について述べさせさせていただきます。
写真を、共通の趣味として、私と息子は長きに渡り写真を楽しんでいます。家の中では孫たちをモ
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デルに、日々、写真談義に花が咲きます。
今年の3月、呉服町のギャラリーで、親子写
真展を開催しました。当初、多少の不安もあり
ましたが、いざ、開催してみると写真に関わる
人や、家族ずれなどで連日会場を埋めるほど
のお客様で成功裏に終了しました。
私は、写真を始めてから、もう55年くらいにな
ります。もちろん、当時は白黒フイルムで、カメ
ラはボックス型、35ミリカメラが普及し始めた頃
でした。人物を並べて撮る記念写真が主流で、スナップ写真など撮る人は少ない時代。カメラ
を手にした頃の私は、身近な物を片端しから撮り続けました。浅間山や駿府公園にもよく出掛
けました。
私の写歴は長いですが、写真内容は、一向に上達しません。しかし、撮り続けたことで、その
資料も膨大です。現在は、その沢山のフイルムを整理しているところですが、その中には 、素
朴で自然 な風景や、古き、良き時代に出会った人達が、懐かしく蘇ってきます。幼かった、息
子や娘も成長し、いまは子を持つ親になり頑張っています。息子も、いつからか写真をやるよう
になり、今では、子供たちをモデルに撮りまくっていて、私以上の凝りようです。
そんな時、息子が“おやじ、俺と写真展をやらないか?”と持ち出して来たのでびっくり。
古いネガで良ければと応じ、昔と、現在の写真を対比して出すことに決まり、計画しました。そ
の開催のために家族も総動員で、親戚、職場、学校、友人、などにPR。その結果、遠くは千葉
県や愛知県、神奈川県からも、また、新聞で知った人達や、通りがかりに立ち寄ってくれた人
達もいて、総人数では450人位の人達に出会うことが出来ました。大成功でした。なかでも、3
0年くらい前に出会った、中国の友人親子が柏市から来てくれたのには感動しました。
私達の展示した写真の評価はともかく、ファミリー的な横のつながりや、交流が出来たことが
とても嬉しかったです。写真の”力”って凄いなと思いました。
白黒フイルムからカラーフイルムになり現在は、デジタルカメラの時代。シャッターを押せば
誰でも綺麗な写真が撮れる時代ですが、やはり、写真を撮り続けることが、記録にもなり、思い
出になるのではないでしょうか。
私は、今年80歳になります。子や孫の写真はもう卒業です。富士山が綺麗な日には静岡空
港に豪華客船が来れば清水港に・・・カメラ2台担いでダイナミックな”夢”を求めて。もう少し頑
張ります。有難うございます。
事務局からのお知らせ
静岡市日中友好協会は本協会の趣旨に賛同してくれる会員を常時募集しております。年会費は、正
会員3600円、家族会員1000円です。気軽にお問合わせ下さい。
電話:054-255-2114
携帯:090-5638-5352(藤波) メール:[email protected]
29
亡き人を偲ぶ
当協会の発展に寄与し、惜しまれつつ亡なわれた方々が多くおられる。
会員の方々から故人への追悼のお言葉を頂いている。また故人から元気なころ広報誌「つばさ」へ
投稿して頂いている。ここに追悼の言葉と投稿文を掲載し故人の冥福を祈りたい。
「追悼・鈴木重郎先生」
静岡市日中友好協会会長 大石 惇
鈴木重郎先生! 静岡での日中友好への礎を作っていただきありがとうございました。先生の友
好にかける情熱と強い意志を私たちは引き継いで、重要な隣国である中国と末永い協力関係を築
いて行きたいと思っています。
鈴木重郎先生と私の最初の出合いは、県日中友好協会が河南省鄭州で日中緑化交流基金を
いただいて、最初の植林事業に参加してほしいと誘いを受けた時からでした。
2003年、鄭州市郊外の高村郷での植林に参加し、行動中いろいろお話しする機会がありまし
た。私が新疆ウイグル自治区で植林をやっているなら、この事業の植林が済んだ後、植え付けた苗
がちゃんと根付いているか、現場が申請した内容に沿って実施しているかの監視者として関わって
くれないかとの申し出があり、引き受けることになりました。それから県日中友好協会に深くかかわ
ることになり、県日中の植林事業に植林後毎年岸本三郎氏と小野貞夫氏とともに調査を行って報
告してきた。静岡県日中友好協会のプロジェクトは、2003年から2005年まで河南省鄭州市の高
村郷で300haの植林を行い、さらに引き続いて、 鄭州市恵済区古栄鎮において2年間で200haの
植林を続け、またさらに、2008年から河南省新郷市長垣県と山東省淄博市高青県の2か所にお
いて、合計8年間植林事業を継続してきました。
鈴木重郎先生とは現地の調査報告や次年度の計画など意見交換を続けて行くうちに、おたがい
の信頼は深まり、お付き合いの時間は短かったものの数十年来の老朋友的お付き合いだったと私
は感じています。
私は1987年から新疆ウイグル自治区の伊犁州で、野生リンゴの群落の保護活動を続けており、
そのことを鈴木会長にお伝えすると、大変よろこんでいただき心からの励ましをいただきました。野
生リンゴの保護活動に私財から50万円の寄付をいただき、本当にありがたかったことを忘れること
はできません。
新疆伊犁地区での活動を続けながら、より良い方向に打開策を探して、活動がスムーズに出来る
ように必死だった。このとき、県日中の最初のプロジェクトであった鄭州の高村郷の植林計画書を
見て驚いた。2003年の協議書締結の際に、本協会の鈴木重郎会長と調印を交わされたのが中
華全国青年連合会の胡偉会長でした。その胡偉会長が新疆ウイグル自治区政府の副主席として
栄転されておられることをお聞きし、是非一度お会いいたしたいものと考えておりました。
2007年3月16日に、中華全国青年連合会系列の中青旅の総経理の鄭穂氏と日本部長の李新
革氏を通じて、胡偉副主席との面会希望申請書を提出しましたが、却下されてしまいました。その
原因は、私のNPO法人「西域生態系保全フォーラム」ではなく、日中友好協会として来るなら面会
してもよいというものでした。翌年、鈴木重郎会長の推薦書と面会希望申請書を再提出したところ、
一発でOK、2008年の9月4日に長年の念願が適いお会いすることができました。日中友好協会
の底力を見た思いでした。
30
その場では、1992年から伊犁地区園芸科学研究所と協同で、新源県に「天山有用植物資源圃」
を建設したことや、2005年4月30日には、静岡大学農学部と新疆農業大学との間に研究交流協
定が締結したこと、その年の8月には静岡大学の学長が新疆農業大学を表敬訪問し、2006年9
月には、静岡大学農学部の大学院生及び学生の18人が新疆農業大学を訪問して学生と交流を
行い、有意義な1週間を過ごさせていただいたことなど話しました。
副主席は、新疆と静岡県の間に相互理解と協力が深まってきておる現状から、将来、姉妹協定を
結び益々交流が深まってゆくことを希望されていました。豊富な自然資源と、歴史的文化遺産の集
積している新疆と友好関係を結ぶことは、静岡県にとっても価値あることと考えられますと。鈴木会
長にも機会があったら是非ウルムチに来ていただいて、お会いしたいとのご希望でしたので、近い
うちに是非ウルムチにお連れしたいと伝えました。実現することをたいそう喜んで居られましたが、
その4日後の9月7日に鈴木重郎会長は突然お亡くなりになってしまわれ(私が知ったのは帰国1
週間後で)、夢は実現しませんでした。
鈴木重郎会長をウルムチにお連れして、胡偉副主席と旧交を温められ、そして、伊犁での私の野
生リンゴの保護活動の進展状況をお見せしたかった。鈴木会長が私と胡偉副主席を会わせてくれ
たのかと何か因縁めいたものを感じないわけにはいきませんでした。
鈴木重郎先生には、今まで心情的、精神的なご教授を沢山いただき本当にありがとうございまし
た。真の意味で日中関係が永続的に好転するよう、これからも努力することをお誓いいたします。ど
うか、天国からお見守りください。 合掌
「村山正平元会長を偲ぶ」
静岡市日中友好協会理事長 藤波 和之
2014年11月25日、高校時代のクラスメイトから村山先生の逝去の知らせが入った。
2ヶ月前先生が健康を害されているとのことで、先生不在でクラス会を開いた。先生から叱られたこ
となど思い出話に花が咲いたばかりであった。
高校の3年間クラス担任であった。数学を担当されており、数学が比較的好きだったことから親し
みを感じた。高校卒業後、静岡を離れておりましたので、時たまに開かれるクラス会でお会いする
だけでした。退社し静岡に帰り、人に勧められて静岡市日中協会に加入しましたら村山先生が会長
をされているのには驚いた。旧交を温めた次第であった。
「故人を偲ぶ 鵜殿昌子さん」
静岡市日中友好協会理事長 藤波 和之
2014年7月26日、93歳で帰天された。葵区城内町の静岡カトリック教会において葬儀が営ま
れた。私も参列させて頂いた。
先生はお茶の水女子大学を卒業された後、静岡雙葉学園の国語の教師をされた。
当協会では副会長、顧問をされ色々と教えていただいた。私が理事になり、理事会に出席したと
きお一つ如何ですかと差し出された「那智黒」の味は先生の思い出として今も残っている。
当協会の忘年会の時、私の靴と間違えて帰ってしまったことがあった、家に帰り家内に事情を話
すと、先生にしばらく会っていないから、一緒に行って会おうかと言うことになり、二人揃って先生の
お宅にお邪魔した。忘れられないエピソードである。
31
「元市長河合代悟氏を偲ぶ」
静岡市日中友好協会副会長 安蔵 忠夫
私と河合代悟元市長との関係は、私が静岡市立日本平動物園に飼育課長として勤務していた
頃、当時の荻野準平氏が市長で自冶省より副市長として就任していた時代でした。 荻野市長と河
合代悟両氏はともに動物園が大好きで休日等の時間があると良く立ち寄って元気な動物の姿をみ
ては満足そうに帰えられました。
その後、日中友好親善を旗印として、静岡市日中友好市民の翼を編成し上海・西安・北京を訪問
しその際、西安市に於いて、両国市民の友好のしるしとして動物交換の話がだされ、帰国後、動物
交換の話を進める指示があり、慣れない交渉を重ねた結果、西安市からは「キリン・ダチョウ」一番
を要望され、静岡市からはもちろん「ジャイアントパンダ」を要求しましたが、この動物は中国の友好
親善の国策として原則、各国一番で、日本では上野動物園に送られており絶対無理と説明されま
した。その後、西安市から贈呈動物は小型であるが、中国国内では第一級のレッサーパンダ一番
いと本場のキンケイ、ひげわし各一番いが贈呈動物とされました。人口46万の静岡市が内陸800
キロ西安市に大型動物を贈呈することは予想以上に大変な事業でありました。その後、「静岡市友
好親善動物贈呈団」を編成し、その団長となり関係職員6名と共に西安市動物園にて盛大な贈呈
式を行うことが出来ました。そんな仕事上の思い出がよみがえってまいりました。
その後、河合さんは、自ら団長となり数多くのの訪中を重ね市民レベルの日中友好親善を掲げ、
訪中に対する思いに誰にもまねの出来ない働きをされました。公職を退りぞいた後も時間の許す限
り訪日される中国の方々と友好を深められ、又、多くの留学生・学者・文化人との関係交流を深め
今では、「静岡の河合」先生で通用されるほどの親中派の一人でありました。動物園でのご縁によ
り近くでそのお人柄の接することが出来ました事は私にとりまして幸せなことであります。心よりご
冥福を祈ります。(つばさ108号投稿)
「石田徳行前会長を偲ぶ」
静岡市日中友好協会理事長 藤波 和之
石田德行前会長の逝去の情報を頂いたのは理事長をやられている財団法人静岡市文化振興財
団からであった。その内容は石田理事長亡くなられたが葬儀は家族で済ました。そっとしておいて
ほしいとのことで、財団としても何もしないとのことでした。しかし、会長にはたいへんお世話になっ
た。温厚な方で当協会の催しには必ずご出席され、正副会議(現在の役員会)にも出席され、適切
なアドバイスを頂いた。静岡県立商業高校で社会科を教えられていたと聞く、静岡県立図書館館長
も勤められ、「葵文庫の会」代表もなされていた。県立図書館の前身である葵文庫、さかのぼれば
静岡学問所について詳しくご講演もされたようでした。
御線香を挙げさせて頂きたいと奥様にお願いし、県日中の福田さんとご自宅に伺った。体の調子
を崩し、正副会議にも欠席で心配のところであった。自宅で吐血し、呼吸困難で亡くなられたと聞く。
室内はうず高く本がそのまま積まれていた。まだ「日中」の印刷物も山積みであるとの手紙を奥様
から頂いた。
当協会としては良きリーダーを失った。 合掌
32
2015年度役員一覧
役
会
顧
職
長
問
副会長
理事長
理 事
会計監査
氏
名
大石 惇
上川 陽子
鈴木 和彦
木宮 健二
天野 一
狩野 正明
増田 千次郎
加藤 文昭
西頭 德三
安蔵 忠夫
佐藤 三郎
岩間 弘政
大石 久雄
植木 喜美彦
田辺 義明
藤波 和之
鈴木 時雄
川井 陽子
深沢 和一郎
黄 教奇
小泉 啓子
村上 潤子
丹羽 昌三
海野 賢利
楊 暁冬
鈴木 蔦子
松浦 晴峰
武本 慶一
公 宇
小池 豊
名倉 培之
歴 代 会 長
歴 代 理 事 長
初 代
片山 平吉(1955.10~1963.10)
高橋 雄一郎(1975.4~1979.11)
第2代
池谷 信一(1963.10~1967.6)
鈴木 重郎(1979.11~1986.2)
第3代
鈴木 重郎(1867.6~1979.11)
寺田 隆司(1986.2~1992.2)
第4代
諏訪 卓三(1979.11~1995.3)
村松 昭司(1992.2~2001.4)
第5代
村山 正平(1995.4~2004.3)
植木 喜美彦(2001.5~2010.5)
第6代
石田 徳行(2004.5~2011.5)
藤波 和之(2010.5~現在)
第7代
大石 惇 (2011.55~現在)
33
静岡市日中友好協会創立60周年記念
記 念 式 典
〈大石 惇会長挨拶〉
〈中国大使館孫永剛一等書記官祝辞〉
〈上川陽子衆議院議員秘書村松潮見氏祝辞〉
〈静岡県日中友好協議会理事長栗原績氏祝辞〉
34
映画上映
「東京に来たばかり」
中国日本共同制作 キャスト 倍賞千恵子 他
国も年代も越えた友情が新しい人生の扉を開くー。中国人青年と老
婦人との心温まる交流を描く感動ドラマ。囲碁の腕を磨くべき日本に
やってきた中国人青年が、囲碁の名門一家の承継者である老婦人
と出会い、交流を深めていく姿を描く心温まる感動ストーリー。名女
優・倍賞千恵子を主演に迎え、かつて日本で留学生活を送ったジャ
ン・チンミン監督が、自らの体験をもとに作り上げた。
祝 賀 交 流 会
〈乾杯〉
〈静岡県華僑華人総会邱信男会長挨拶〉
〈孫書記官、大石会長、清水日中池田会長歓談〉
〈孫書記官挨拶〉
35
来賓中国大使館書記官静岡市内案内
日本平・久能山東照宮
(案内役岩間副会長・楊事業委員長)
〈姫岡権宮司による案内解説〉
〈岩間副会長・姫岡権宮司・孫書記官・曹さん〉
〈桜エビを楽しむ懇親会〉
平
成
二
七
年
一
二
月
吉
役 日
員
一
同
と
一
緒
に
頑
張
り
た
い
と
思
い
ま
す
。
次
の
創
立
7
0
周
年
に
向
け
て
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ん
願
い
し
ま
す
。
掲
載
も
考
え
て
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り
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す
の
で
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投
稿
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何
か
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り
ま
し
た
ら
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ば
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へ
の
関
係
か
ら
失
礼
さ
せ
て
い
た
だ
き
ま
す
。
載
す
べ
き
記
事
が
ご
ざ
い
ま
す
が
紙
面
の
〈富士山を背景にした日本平〉
に
お
礼
申
し
上
げ
ま
す
。
ま
だ
多
く
の
掲
た
り
、
ご
投
稿
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て
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さ
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ま
し
た
方
々
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創 。 来 に 活 と く こ
立
な も 動 思 だ れ
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年
方 年 さ り し 会
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々 の さ ま た 員
記
に 日 げ す 皆 の
念
感 を て 。 様 方
誌
謝 迎 く ま の 々
の
申 え だ た 力 を
編
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集
上 こ り 日 え め
に
げ と 、 中 の 支
あ
ま が 残 友 賜 え
36
が
出
来
ま
し
た
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ま
し
て
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立
6
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周
年
を
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え
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こ
と
静
岡
市
日
中
友
好
協
会
も
お
蔭
を
持
ち
編
集
後
記
静岡市日中10年の歩み(2006~2015)
第6代会長石田德之(2004.5~2011.5)
年月
2006.
静岡市(県)友好協会の動き
1 春節・日中梅祭り(丸子梅園)
4 浙江省人民友好協会代表団交流会
5 第23回定期総会(マイホテル龍宮)
8 シルクロード列車の旅
第7代会長 大石 惇(2011.6~)
年月
日本・世界の動き
2006. 9 安部晋三内閣発足
10 第3回国際交流フェスティバル(クリエイターセンター)
11 日中友好交流の集い(アイセル21)
2007.
2 春節・日中友好梅まつり(丸子梅園)
2 新年親睦会(静岡グランドホテル中島)
5 第24回定期総会
8 友好バーベキュー大会(藁科川)
世界金融危機(世界同時不
10 第4回国際交流フェスティバル(クリエイターセンター)
2008.
2007. 3 能登半島地震
7 新潟県中越沖地震
9 福田康夫内閣発足
2 新年親睦会(静岡グランドホテル中島)
2 春節・日中友好梅祭り(丸子梅園)
況)始まる
2008. 5 四川大地震(中国)
9 麻生太郎内閣発足
5 第25回定期総会(静岡グランドホテル中島)
6 四川大地震街頭募金(呉服町)
8 残留孤児トーク(アイセル21)
2009. 1 バラク・オバマがアメリカ大統
領となる。(米国)
10 浙江省青少年民族芸術団公演
(静岡市文化会館)
2009.
9 鳩山由紀夫内閣発足
2 春節・新年会(アイセル21)
行政刷新会議設置
5 第26回定期総会(静岡グランドホテル中島)
(事業仕分け)
8 バーベキュー大会(藁科川)
10 日中友好中秋音楽会(アイセル21)
2010.
2010. 5 上海国際博覧会開催
2 春節・新年会(アイセル21)
5 第27回定期総会
6 管直人内閣発足
10 第7回国際交流フェスティバル(クリエイターセンター)
10 日中友好文化の集い(アイセル21)
11 協会事務所を静岡市番町市民活動センターに
小惑星探査機「はやぶさ」が
帰還する。
9 尖閣諸島中国魚船衝突事件
移転
2011.
2011. 3 東日本大震災 M9.0
死者躍15,000名 経済
被害約23兆円
2 春節・新年会(アイセル21)
5 第28回定期総会(静岡市職員会館)
市日中協会長に大石惇が就任
5 東日本大震災義捐金募集
6 サッカー女子W杯なでしこ
ジャパン優勝
5 田辺新静岡市長表敬訪問
次のページに続く
37
6 日中友好文化の集い(アイセル21)
10 番町市民活動センター2周年記念行事に参加
10 日中友好文化の集い(アイセル21)
6 中国西湖世界文化遺産
に登録される。
9 野田佳彦内閣発足
10 第8回国際交流フェスタ(クリエイターセンター)
2012. 1 春節・新年会(アイセル21)
4 {つばさ}100号発行
4 浙江省友好提携訪日代表団歓迎会(東海軒会館)
2012. 5 東京スカイツリーが開業
9 尖閣諸島国有化
12 第2次安倍晋三内閣発足
6 第29回定期総会(アイセル21)
7 ホームページ開設
http://shizuoka-china.com/
8 清水日中交流会(味楽亭橋本)
9 第12回浙江省青少年民族芸術団訪日中止
12 前会長石田徳行氏逝去
26 静岡県浙江省友好提携30周年記念式典式典(杭州市)
2013. 2 春節・新年会(アイセル21)
2013. 3 習近平を国家主席に選出
中国大使館汪婉参事官(程大使夫人)来静
5 マイナンバー法公布
2 「ちゃりフェス静岡」(青葉公園)
6 「富士山ー信仰の対象と
3 第9回国際交流フェスタ(クリエイターセンター)
芸術の源泉ー」が世界文
5 第30回定期総会(静岡市職員会館)
化遺産に登録れる。
6 白西紳一郎氏講演会(アイセル21)
8 瀬野清水氏講演会(アイセル21)
9 番町市民活動センター4周年記念行事に参加
9 2020年オリンピックの開
催が東京に決定される。
10 第13回浙江省青少年民族芸術団公演(静岡労政会館)
三潴正道氏講演会(アイセル21)
11 中国大使館訪問(中国大使館・浜離宮公園)
2014. 2 春節・新年会(アイセル21)
中国大使館孫永剛一等書記官来静
5 静岡県日中代表団(中国武漢)
6 第31回定期総会(静岡市職員会館)
8 清水日中交流会(はしもと)
10 番町市民活動センター5周年記念行事に参加
11 田岡俊次氏講演(静岡市職員会館)
11 鎌倉大仏と横浜中華街バス旅行(清水日中)
11 村山正平元会長逝去
2015. 3 春節・新年会(アイセル21)
3 中国大使館訪問(中国大使館・柴又帝釈天)
大使館内に創立60周年ハナミズキ記念植樹
6 第32回定期総会(静岡市職員会館)
9 番町市民活動センター6周年記念行事に参加
11 創立60周年行事(静岡市職員会館)
第5代理事長植木喜美彦(2001.5~2010.5)
38
12 「和食・日本人の伝統的
な食文化」が無形文化遺
産に登録される。
2014. 4 消費税が8%となる
9 御嶽山噴火
12 第3次安倍晋三内閣発足
2015. 6 地方創生関連法案公布
9 安全保障関連法案可決
第6代理事長藤波和之(2010~)
祝 6 0 周 年
祝 6 0 周 年
中国料理
日月楼(ニチゲツロウ)
〒422-8066 静岡市駿河区泉町4-38
TEL054-689-4035
FAX054-689-4034
営業時間
昼 11:00~14:00(土・日~15:00)
夜 17:00~24:00
ホームページ:http://www.nichigetsuro.com
駐車場あり
祝 6 0 周 年
本格中華料理
四川京
宴会メニュー【お一人様 3000~7000円】
4000円の場合:前菜3品・主菜8品・スープ・デザー
ト。ご予約の方には、かめ入り紹興酒(150ml)1本サー
ビス、他に四川火鍋コース・薬膳鍋などもあります。
沓谷本店 静岡市葵区沓谷6丁目15-3
℡ 054-265-4008
鷹匠支店 静岡市葵区鷹匠2丁目21-12
℡ 054-251-7881
営 業 時 間 AM 11:00~PM 2:00
(年中無休) PM 5:00~PM10:00
祝 6 0 周 年
ギャラリー眼科
院長 邱 信男
〒420-0031
静岡市葵区呉服町2-6-10
レイアップ呉服町ビル3階
TEL 054-272-3661
FAX 054-272-3662
祝 6 0 周 年
中国・アジア食材
望
月
営業時間:11:00~19:00
定休日:月曜日
〒420-0839
静岡市葵区鷹匠1丁目2-3
TEL・FAX:054-272-7550
ホームページ:http://www.food-mkt.com
祝 6 0 周 年
鍼・灸・小児はり
日漢堂鍼灸院
診療日 月~土 水、午後のみ
休診日 日曜、祝日
静岡市葵区呉服町2-3-1
ふしみやビル6F
電話:054-255-7013
お電話で御予約下さい
祝 6 0 周 年
中 国 交 流 会
代表 楊 暁冬
中国新疆ウイグル自治区での野果林の保全
と植林事業
事務局:静岡市葵区大岩3-9-6
西域生態系保全フォーラム
電話: 070-1622-6688
FAX: 054-298-6969
E-mail:[email protected]
http://blogs.yahoo.co.jp/china_japan2009
『星期日漢語角』参加者募集中!
祝 6 0 周 年
特定非営利活動(NPO)法人
理事長:大石
惇
事務局:〒421-2124
静岡市葵区市久保口組2181-5
TEL/FAX : 054-296-6536
E-mail: [email protected]
URL: http://www.saiiki-forum.net/
(活 動 場 所:アイセル21)
祝 6 0 周 年
祝 6 0 周 年
書道・篆刻 黄 和 会
会長 黄 教奇
静岡市駿河区有明6-1-505
☎ 054(287)7222
会員募集中 会長宅へ連絡願います
事務局からのお知らせ
祝 6 0 周 年
静岡市日中友好協会は本協会の趣旨に賛同
静岡市日中友好協会 理事
ファイナンシャルプランナー
してくれる会員を常時募集しております。年会
費は、正会員3600円、家族会員1000円で
す。気軽にお問合わせ下さい。
電話&FAX:054-255-2114
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メール:[email protected]
武本 慶一
生命保険に関する素朴な疑問、御相
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