...

戦略的思考を取り入れたリアル・オプション − 離散 2時点モデルによる分析

by user

on
Category: Documents
25

views

Report

Comments

Transcript

戦略的思考を取り入れたリアル・オプション − 離散 2時点モデルによる分析
戦略的思考を取り入れたリアル・オプション
− 離散 2 時点モデルによる分析 −
今井潤一†
∗
渡辺隆裕‡
June 2, 2005 (ver 5.32)
概要
本論文では,従来のリアル・オプションの枠組みにゲーム理論を取り入れたモデルを構築し,競
合状況における企業の不確実性下での意思決定とその柔軟性について分析を行う.具体的には,1 期
間後の需要が不確実で,2 企業が存在する 2 時点の簡単な投資競争モデルを考える. 本論文では,こ
のモデルを包括的に分析し,投資費用の大小により,リアル・オプションの価値が変化することを
示し,その閾値を求めて,起こりうる結果をすべて分類した.また,意思決定において有利な立場
にあるはずの企業が,投資の柔軟性を持つことによって,一方の企業よりもプロジェクト価値が小
さくなってしまう柔軟性の罠と呼ばれる現象が,ある投資費用の範囲において起きることを示した.
∗ この研究は
2002 年度文部省科学研究費補助金基盤研究 (14580482) およびそれに続く 2005 年文部省科学研究費補助金基盤
研究 (17510128) の助成を受けている.研究代表者である古川浩一教授に感謝する.もちろん,あろうべき誤りは筆者たちが責
任を負うものである.
† 東 北 大 学 大 学 院 経 済 学 研 究 科 ,〒 980 − 8576 仙 台 市 青 葉 区 川 内 27-1 Email:[email protected],
http://www.econ.tohoku.ac.jp/ jimai/
‡ 首 都 大 学 東 京 都 市 教 養 学 部 ,〒 192-0397 東 京 都 八 王 子 市 南 大 沢 1-1 Email:[email protected],
http://www.nabenavi.net
1
1
はじめに
不確実性下における企業の経営意思決定時に,将来の環境変化に対応した経営の柔軟性を含めて評
価を試みるという,いわゆるリアル・オプション・アプローチ (Real Option Approach) が近年注目を集
めている.リアル・オプションの研究は,金融資産におけるオプション評価理論を資本予算に関する
意思決定に応用する手法として始まり,経営の意思決定に柔軟性を含んだ新しい思考方法として,学
術界のみならず,実務界からも注目度が高い.既にいくつかの企業では,このアプローチを用いた投
資によってめざましい成功を収めていると言われており,1 ,リアル・オプションに関しての研究は近
年,大変盛んになってきている2 .
しかしながら,これまでの多くのリアル・オプション・アプローチでは,原油価格が変動するもと
での原油採掘戦略,地価が変動するもとでの不動産開発戦略などのように,不確実性の源泉はすべて
自然の確率過程としてモデル化されている.すなわち,確率過程そのものは制御不可能なものである
として分析が行われ,このような不確実性に対して戦略的な思考を取り入れていない.ところが,現
実には,新技術の最適な採用時点を考える問題や,似たような効果を持つ薬剤の開発競争のように,
競合他社の意思決定こそがリスクの大きな要因であるような業種が多数存在する.例えば,Brickley,
Smith and Zimmerman(2000) は競合他社の意思決定が大きな影響を与える業界の例として,航空機製
造業(ボーイング社とエアバス社),ソフトドリンク (コカコーラとペプシコーラ),コピー機(キャ
ノンとゼロックス),写真フィルム (コダックと富士写真フィルム) などを上げている.このような企
業の意思決定を分析するために,従来のリアル・オプション・アプローチで利用されているフレーム
ワークは十分ではなく,競争戦略を組み込んで分析する必要が指摘されている.
リアル・オプションにゲーム理論的なアプローチを取り入れる必要性は比較的早くから認識されて
いたが3 ,ゲーム理論との融合モデルの分析はまだ十分とは言い難い4 .本論文では,不確実性下の競
合状況をモデル化するため,従来のリアル・オプション・アプローチのフレームワークにゲーム理論
を取り入れたモデルを構築し,競合状態を無視した場合のモデルと比較することで,競合状況の存在
が企業の意思決定に与える影響について分析を行う.具体的には,2 企業 2 時点の投資競争モデルを
考え,各時点で両企業が投資するか,しないかを意思決定するモデルを考察し,投資コストによって,
2 企業の投資行動がどのように変化するかを導出した.
リアル・オプションは,その名の由来からも分かるように,金融資産におけるオプションの考え方
である「条件付請求権」のアイディアを企業の実物投資に対する意思決定に応用したものである.代
表的なリアル・オプション分析5 では「投資する」「投資しない」という NPV 的な意思決定に加えて,
「投資を延期し,将来に状況が好転した場合にのみ投資する」という「条件付意思決定」を考慮するこ
1 例えば,Nichols(1994)
によるアメリカの製薬会社メルクの例や加藤 (2000) を参照.
and Trigeorgis(2001) の本には,これまでの代表的なリアル・オプション研究と最近の研究がまとめられている.
3 例えば Kester(1984), Ang and Dukas(1991),Grenadier(2000a), Brickley et. al.(2000),Smit(2001)
4 Dixit and Pindyck(1994,chapter 9) は不確実性下の投資の意思決定問題に関して,競合状況を考慮した最初の研究のひとつで
あると言える.また投資の競合状況を分析する場合には,ゲーム理論を利用するのではなく,完全競争を想定しその結果生まれる
均衡状態を分析する研究もいくつか存在している.例えば,Leahy(1993),Williams(1993),Baldursson(1998),Grenadier(2000b)
などは均衡理論を利用した分析を行っている.また,Trigerogis(1991, 1996 chapter9) や Kulatilaka and Perotti(1998) は競争状態
を確率過程やコスト構造に外生的に組み込むことによって投資プロジェクトの分析を行っている.
5 例えば,Dixit and Pindyck(1994) 参照.
2 Schwartz
2
とが大きな特徴である.したがって,投資が将来にもたらす価値を分析する場合に,古典的な NPV 法
で「現在すぐに投資する」という意思決定がなされる場合にも,リアル・オプションによる分析では
「投資を延期する」という意思決定がなされることがある.言い換えるとリアル・オプション分析にお
いて「現在すぐに投資する」という意思決定がなされるためには,延期の価値がゼロでなければなら
ないことを意味している.
ところが,企業の意思決定が独占的でなく,競合相手が存在している場合には,自企業の意思決定
は競合企業の意思決定の影響を受けると同時に,相手側の企業の意思決定にも影響を与える.特に,
競争状況下においては,相手より先に投資を行うことが高い収益をもたらす「先手有利 (preemption)」
という状況が多く存在する.先手有利の状況が生まれる理由としては,
(1)その市場での企業イメージ
の確立や名声の獲得,(2) ブランド信仰による固定客の獲得,(3) 技術のリーダーシップ獲得,(4) 学習
効果による費用軽減などが考えられる6 .このような先手有利の状況下においては,
「待って投資する」
ことよりも「現在すぐに投資する」という意思決定がより重要である可能性がある.独占的な意思決
定が可能な場合には,延期オプションの価値が正であるが故に待つという選択をする場合にも,競合
他社が存在する場合には,相手に先に参入されて後手に回るよりも,延期オプションを放棄しても先
手を確保する方が重要である場合が生まれるからである.つまり先手有利の状況下における最適意思
決定では,先手をとることの価値が延期オプションと競合することとなる.
「現在すぐに投資する」と
いう意思決定は,投資が将来にもたらす価値が,
(相手を考慮しない)リアル・オプションで計算され
る値より小さくてもなされる可能性がある.本論文もこのような観点に着目し,先手有利の状況を仮
定し, 早期投資行使の優位性と意思決定の柔軟性を用いる利点とのトレードオフについて分析を行うこ
とを目的としている.
このようなゲーム理論とリアル・オプションの研究において,不動産投資をモデルに 2 企業の投資競争
モデルを分析した Grenadier(1996) は本論文に密接に関係する論文である.この論文では,2 企業のどち
らが先手となりどちらが後手となるかは,くじを引いて決めるようなモデル化となっており,ゲーム理
論的から見て競合状況の分析が十分に行われていない.Huisman and Kort(1999), Huisman(2001) はこの
点を指摘し,確実性下における投資競争を厳密にゲーム理論として分析した Fudenberg and Tirole(1985)
の論文を需要の不確実性を組み込んだモデルに拡張し,この問題を厳密に定式化し分析を行っている.
この論文は,参入のタイミングについても分析をすることが可能である.しかし連続時間で厳密にゲー
ム理論の定式化を行うと均衡点が存在しないという問題点を解決するため,微小時間に無限回の繰り
返しゲームを行うというモデル化を行っている7 .
これらの論文の焦点は,連続時間モデルにおいて対称な企業を考えた場合,自分が最適行動を起こす
タイミングは,相手にとって最適なタイミングでもある,という点である.すなわち,相手が投資しな
いという条件が所与の場合には投資すべき最適なタイミングであっても,相手企業が投資するならば
自分が待った方が良いと言う状況が均衡に出現するのである.一般のリアル・オプションモデルでは,
意思決定を行う前後における自然がもたらすキャッシュフローの変動要因(例えば需要の変化)は滑
6 Cottrell
and Sick(2001) 参照.
7 これらの研究以外にも,Huisman
and Kort(2000),Garlappi(2000),Murto and Keppo(2002), Pawlina and Kort(2002),
Weeds(2002), Thijssen, Huisman and Kort(2002),Lambrecht and Perraudin(2003) などが連続モデルや,より洗練されたモデル
を用いて,競合状況を考慮したリアル・オプションの問題を分析している
3
らかに変動するがゲームを取り入れたモデルでは,このような理由から不連続性が生じる.Fudenberg
and Tirole(1985),Huisman and Kort(1999), Huisman(2001) は,これを解決するために微小時間の無限回
離散時間繰り返しゲームをモデルに導入しているのであるが,2 企業の最適な投資タイミングにおけ
る 2 企業の行動に対して,直感的な示唆が得られ難くなっている.また,連続時間モデルは,プロジェ
クトを開始することで永久にキャッシュ・フローが得られたり,通常の投資決定の機会の離散性を無視
するなど,必ずしも現実を上手に反映したモデルになっていない.
本論文の焦点は,このような最適な投資のタイミングが競争企業間に同時に現れることから起きる
問題を,離散モデルで表現する事でより明確にし分析する事である.このような状況では,一方の企
業が投資したときは一方の企業が投資しない方が良いという結果が均衡になる「弱虫ゲーム」と呼ば
れる状況が出現する.本論文では,この点を指摘し,更にこのときに一方の企業が優位になる均衡点
が選択されると言う仮定をおくことで,その優位性が企業の競争にどのような影響を与えるかを考察
する.
本論文の成果は,設定したモデルの均衡点において 2 企業がどのように行動するかを投資費用の大
きさに場合分けして完全に特徴づけた事にある.これによって,以下のような含意を得ることができ
る.まず,企業が意思決定の柔軟性を持つこと,すなわちリアル・オプションを有することに価値が
あるのは,不確実性がある程度大きい場合に限られる.本モデルにおいては,需要の期待増加率の相
対的な大きさによって表現できる.需要の増加率がその期待値に対して小さい場合は,リアル・オプ
ションの価値は,出現しない.
需要の増加率がその期待値に対して大きい場合は,リアル・オプションの価値が出現する可能性が
あるが,それは投資費用の大小に依存する.投資費用が非常に小さい場合や大きい場合は,両企業と
も最初の期に投資するか,どの期にも投資しないという結果になるため (リアル・オプションが価値を
有せず競争の影響もない.投資費用がある範囲に入ることで,リアル・オプションの価値が現れたり,
競争の影響として有利な均衡点が選択される企業の優位性が現れたりする.
ところが,投資費用がある範囲にある場合,有利な均衡点が選択される企業が,逆に相手企業に対し
て不利になる状況が出現する.具体的には有利な均衡点が選択される企業がどの期にも投資せず,そ
の相手企業が投資を行うという現象が現れる.この逆説的な現象を本論文では「柔軟性の罠」と呼び,
その理由について詳しく考察する.柔軟性の罠は,競争状況をモデル化していない通常のリアルオプ
ションアプローチでは決して現れない.
本論文のような離散時間モデルにより,競合状況を単純かつ直感的な示唆を得ることを目的とした
研究は他にも行われている.Smit and Ankum (1993) のモデルは,本論文のモデルにかなり近いモデル
である.Smit and Ankum (1993) は 3 時点 2 企業の投資競争を展開形ゲームを分析し,2 企業が対称で
ある時と、非対称で企業 A が優位なときの 2 つの数値例を分析した。その結果,(1) プロジェクトの
現在価値が小さいときは,延期のオプションが大きな価値を持つこと,競争に優位な企業は劣位な企
業が参入してくる恐れは少ないので,市場が良い状態になるか相手が参入してくるまで延期オプショ
ンを使うべきであること,(2) プロジェクトの現在価値が大きく不確実性も少ないときは、延期のオプ
ションの価値が小さく,延期による機会費用の損失が大きい.この場合は,競争に優位な企業は早い
時期に参入し,競争に劣位な企業は市場が十分に成長するまで投資を待つべきであること,(3) 競争に
4
劣位な企業は,先手をとることが優位であり,プロジェクトの現在価値が正であるならば即時参入す
るかもしれないが,この場合は競争優位な企業が後から参入してくることで,価値は減じられ,場合
によっては現在価値が負になるかもしれないこと,などを示した.これらのモデルは,本論文の結論
の一部と類似した結果を示している.しかし与えられたモデルが 1 つの数値例であり,費用やキャッ
シュフローや不確実性について,すべての場合を包括するようなモデルとはなっていない.
Smit and Trigeorgis (2002) の論文は,経済学の産業組織論でよく用いられる投資を考慮した複占競争
を分析している.Smit and Trigeorgis (2001) のモデルは 2 つのステージから成り立っており,最初のス
テージでは一方の企業のみ戦略的な投資を行うことができる.後のステージでは,需要の変動に応じ
て収益が変化する 2 期間 2 項モデルが想定されており,需要の実現値や最初のステージにおける投資
額によって,同時参入による Nash 均衡,Stackelberg の意味におけるリーダー,フォロワーの形成,1
企業のみが参入する独占状態の確立などが起こりうることが,数値例によって示されている.そして,
これらの各ケースに置いて,企業は競合他社に関して攻撃的な戦略を打ち立てるべきか,あるいはそ
うでないのかなどについて定性的な問題を議論している.ただ,彼らの研究では,どのような条件で
あれば同時参入や一方の企業のみの参入が起こるかという問題には焦点が絞られていない.したがっ
て,2 項モデル 2 期間という単純なモデルではあるが,需要の柔軟性のもと延期の柔軟性と競合状況
が企業の意思決定にどのような影響を与えるかについて必ずしも明確な分析結果が得られていない8 .
これまでの離散時間モデルを用いた研究の大部分は,競合状況が企業の意思決定に対してどのよう
な影響を与えるかについて数値例を用いて説明することに主眼が置かれている.これらの研究は,競
合状況を考慮したリアル・オプションという新しい分野がいかに重要であるか啓蒙を行うためにも必
要不可欠な研究であるといえよう.しかし,これらの研究は,数値例を示すのみにとどまり,より包括
的な,すなわち競合状況下に置いてもなお柔軟性の価値が大きくなる条件や,競合により柔軟性の価
値が失われてしまう条件,さらには不確実性と柔軟性,競合の定性的な関係などを分析するには至っ
ていないと考えられる.本論文は,将来の需要が不確実で,かつ競合他社が存在するような簡単なモ
デルを数値例から一般的な形にモデルを拡張し分析することを主眼としている.
論文の構成は以下のとおり.まず 2 章では本研究で扱うモデルを提示し,3 章においてはその分析
結果を提示する.まず 3.1 節では,1 期における企業の行動を分析し,2 企業がゲームに直面した際に
弱虫ゲームと呼ばれるナッシュ均衡解が複数現れる問題が発生すること,それにより分析が困難にな
る事を指摘する.本論文では,対象で同等な二つの企業の競争モデルを考察するが,複数均衡が複数
現れたときのみ一方の企業に有利な均衡が選択されると仮定し,この点だけ企業に非対称性を持たせ
て分析する.3.2 節では,0 期,1 期の投資競争がどのようなになるかを分析し,投資費用の大きさに
従って均衡点における結果とゲームの解を分類する.4 章では,均衡点とゲームの解を解釈し,リア
ル・オプションが価値を持つ条件,競争の影響を考察し,柔軟性の罠について考察する.
8 Joaquin
and Butler(2000) は連続モデルを用いて似たような設定の分析を行っている.
5
2
モデル
本論文で考察するモデルは,不確実性と競争に直面する 2 企業の 2 時点における投資の意思決定の
問題である.本モデルは,投資に関する多くの意思決定問題に当てはまる.例えば,Grenadier(1996)
が連続時間モデルで分析した以下のような不動産の投資問題が,このモデルに当てはまる.同じ地域
にビルを持つ2つの企業 A,B が新しくビルを立て替えるかどうかを考えているとしよう.両企業は
ともに現在のビルから収益を得ているが,新しいビルに建て替えれば,現在より大きな収益が得られ
る.ただし,建て替えのためには建設費用がかかる.将来のビルの需要には不確実性があり,既存の
ビルも新しいビルも,1 期後に得られるキャッシュ・フローがそのときの需要に応じて変動する.した
がって各企業は需要の変動に対する不確実性から,今期にビルを建て替えるより 1 期後まで待ち,需
要の変動を観察してから意思決定すべきもしれない.しかし一方で,どちらかの企業がビルを建て替
えて,もう一方の企業が建て替えなかった場合は,新しいビルの需要が大きくなることでキャッシュ・
フローが増加し,古いビルの需要は小さくなってキャッシュ・フローが減少すると考えられる.このよ
うな競争状態を考慮すれば,相手より先に今期にビルを建てたほうが良いかもしれない.
本論文で扱うモデルは上記のような状況で,
「ビルを建て替える」という選択肢を「投資をする」と
し,
「ビルを建て替えない」という選択肢を「投資をしない」として一般化した,2 時点 2 企業の競争
状況における投資の意思決定モデルである.
2 つの企業を A,B とする.以下,1 つの企業を i(i = A,B) で表すときは,相手企業を j で表す.
例えば,i = A としたとき j = B とする.Yt (t = 0,1) を期間 t における需要とする.期間 t(t = 0,1)
におけるキャッシュ・フローは DNi Nj Yt で表すものとする.ここで,DNi Nj は,2 企業の投資状態に
よって与えられる 1 単位の需要に対する 1 期間のキャッシュ・フローを表わすものとし,Nk (k = A,B)
を企業 k の投資状態で以下のように定義する.

 0 企業 k がその時点までに投資している
Nk =
 1 企業 k がその時点までに投資していない
例えば企業 i にとって D01 は,企業 i(自分)が投資しておらず,企業 j (相手)が投資しているとき
の 1 単位の需要に対する 1 期間に生まれるキャッシュ・フローを表わす.
各企業の投資競争は以下のように行われる.まず時点 0 の初めに需要 Y0 が確定し,各企業は,0 期
に投資を行うか,行わないかの意思決定を両企業同時に行う.その結果 0 期の Ni ,及び Nj が決定す
る.企業 i の時点 0 におけるキャッシュ・フローは DNi Nj Y0 で与えられる.次に需要が変動し,期間
1 の初めに需要が Y0 から Y1 に推移する.
仮に,本モデルにおける不確実性である需要 Yt と同じリスク構造を持つ証券が完備市場で取引され
ているとしよう.この場合には複製ポートフォリオを使った無裁定条件のアイディアを投資プロジェ
クトの評価に利用できる.また,Mason and Merton(1985) が主張しているように,リアル・オプショ
ンの原資産と同じリスク構造をもつ資産が観測可能であるなら,オプション評価理論を用いて投資プ
ロジェクトを評価できると考えることもできる.いずれの場合も,リスク中立確率と安全利子率を用
いて投資プロジェクトを評価することができる.しかし,本論文のモデルのように需要の不確実性を
モデル化した場合には,上のような考え方を理論的根拠とすることは困難である.なぜなら,特定の
6
製品に対する将来の需要を市場で観測することはほとんど不可能であるからである.そこで,本論文
では多くのリアル・オプション研究で想定されている状況と同じ立場をとる.すなわち,資本資産評
価モデル (CAPM) に代表される均衡モデルが成立していると仮定する9 .均衡モデルを想定する場合
にも,投資家がリスク中立的であるとみなして評価することができることが導かれている.特に,本
モデルにおける原資産の不確実性である需要の変動は,市場全体のリスクとは無関係の完全なプライ
ベートリスク (アンシステマティック・リスク) と見なすことができる.CAPM より,投資家はアンシ
ステマティック・リスクに対してリスク・プレミアムを要求しない.したがって,以下では各企業が
リスク中立的であるとし,安全利子率を用いて投資プロジェクトの評価を行う.
1 期間後の需要の変動に関しては,確率 p で Y1 = uY0 に,確率 q で Y1 = dY0 に推移するものとし,
p > 0,q > 0,p + q = 1 とする.投資を 0 期に行わなかった企業は,再度 1 期に投資を行うかどうか
の意思決定を行う.また 0 期に投資すれば,追加費用なしでその効果は 1 期にも続くものとし,0 期
に投資している企業は 1 期の初めには意思決定する必要はない.両企業とも 0 期に投資を行わなかっ
た場合は,1 期の意思決定も両企業同時に行う.この 1 期の意思決定により,企業 i の期間 1 における
キャッシュ・フローが DNi Nj Y1 で与えられる.1 期間の安全利子率を R − 1 で与え,d < 1 < R < u
を仮定する.ここで需要のの期待増加率を µ とすると µ = pu + qd とかける.よって,Y1 の期待値は
E[Y1 ] = puY0 + qdY0 = µY0
である.投資する場合は,その期に投資費用がかかるとし,各企業の投資費用を I で表す.投資費用
は 0 期と 1 期において変わらないと仮定する.この設定では,資金の時間価値を考慮すると 1 期の投
資額が相対的に小さくなっている.すなわち,投資費用の面からみると延期する方が有利になる設定
である.
各企業は同じ需要であれば,投資をする(しない)方が得られるキャッシュ・フローは高い(低い)
とし,それは相手が投資をしない(した)方が,より高い(低い)ものとする.すなわち
D10 > D11 > D00 > D01
を仮定する.
また分析にあたっては,次の 2 つの仮定をおく.
仮定 2.1 (先手有利の仮定) 相手が投資していないときに自分が投資する(自分が先手)時のキャッシュ・
フローの増加分は,相手が投資しているとき(自分が後手)の時のそれよりも大きい.すなわち
D10 − D00 > D11 − D01
が成立する.
以上の設定のもとで,2 企業は以下のような投資競争を行う.
9 均衡モデルを利用したリアル・オプションの評価式の導出の理論的根拠については,Cox and Ross(1976),Constantinides(1978),
McDonald and Siegel(1984,1985) を参照すると良い.池田 (2000)はより一般的な形で均衡モデルを利用したオプション評価
について書いている.今井 (2004) の第 3 章では,リアル・オプションに関する様々なアプローチとそれらが利用できる条件に
ついて述べられている.
7
各企業は,期間 0 に投資しなかった場合は,期間 1 では需要の増減に依存して期間 1 のキャッシュ・
フローを最大にするように投資の意思決定を行う.期間 0 の初めには,期間 1 での上記の意思決定を
想定したうえで,2 時点での投資プロジェクトの価値が最大になるように,投資の決定を行う.
以上より 2 企業の意思決定は 2 期間のゲームであり,ゲームの木は,図 1 のように表現できる.
ゲームの解と均衡における投資行動
3
本章では,2 章で構築したモデルにおけるゲームの解とそのゲームの解における各企業の投資行動,
すなわち均衡上の結果を導出し,投資費用によって分類する.なお結果に対する含意と考察は次の章
で行う.
3.1
1 期における各企業の行動
本章では,図 1 のゲーム木における部分ゲーム完全均衡点を,投資費用によって分類し,その結果
を解釈する.
まず最初は企業 i の 1 期における最適反応戦略を考察する.企業 i の 1 期における最適反応戦略は,
(1) 相手企業が投資を行った時と (2) 行わない時, の 2 つのケースに分けられる.これは,厳密には,
(1) 相手企業 j が 0 期も 1 期も投資を行わないとき
(2) 相手企業 j が 0 期に投資を既にしているか,又は 0 期に投資をしなかったが 1 期に投資を行うとき
という 2 つのケースに対応する.
まず相手企業 j が 0 期に投資をしなかったときの,企業 i の 1 期における最適な意思決定について
1
1
考える.1 期に投資したときの 1 期の価値を vin
,1 期に投資しないときの 1 期の価値を vout
とし,そ
1
1
を計算すると,
− vout
の大小関係を比較する.vin
1
1
vin
− vout
= (D10 Y1 − I) − D00 Y1 = (D10 − D00 )Y1 − I
となる.ここで I1u ,I1d を
I1u = (D10 − D00 )uY0 , I1d = (D10 − D00 )dY0 .
と定義すると,0 期に投資しなかった場合の 1 期の最適な意思決定は I1u ,I1d によって,以下の命題 3.1
のように表現できる.
命題 3.1 相手企業 j が 0 期も 1 期も投資を行わないときの,0 期に投資をしなかった企業 i の 1 期に
おける最適な意思決定は以下の通りである.
• I < I1d の場合,需要の増減に関わらず投資する.
• I1d < I < I1u の場合,需要が増加した時は投資して,需要が減少したときは投資しない.
8
需 要 増加
Θ
投資
する
需要減少
B
投資する
B
資
す
る
投資
しな
い
加
需要増
投
Θ
投資しない
投資する
需要減
少
B
A
投資しない
投資する
A
Θ
投資しない
投資する
需要 減
少
投
資
い
な
し
投
加
需要増
る
す
資
A
投資しない
B
B
A
投
資
投資
増加
需要
し
な
い
投資
する
る
投資 す
投 資し
る
投資 す
しな
い
B 投資
Θ
B
需要
減少
投資
A
投資
する
しな
い
ない
しない
る
投資 す
投 資し
ない
る
投資 す
B 投資
しない
破線は情報集合を表す。
各意思決定点上のラベルは意思決定者を示し、A,Bはそれぞれ企業A,Bを、Θは需要の増減を選
択する自然を表す。
図 1: 競争状況における 2 企業のゲームの木
9
• I > I1u の場合は需要の増減に関わらず投資しない.
なお,投資費用が境界値 (I = I1d , I1u ) にある場合は,均衡が無限に現れるため分析が難しくなる.現
実には,このような境界値と全く同一な値に費用が現れる可能性は無視できるため,今回はこのよう
な境界値での分析は対象からはずしている.
これと同様に相手が 0 期に投資すると仮定したときの閾値,I2u ,I2d を
I2u = (D11 − D01 )uY0 , I2d = (D11 − D01 )dY0 ,
と定義すれば,以下の命題 3.2 が成立する.
命題 3.2 相手企業 j が 0 期に投資を既にしているか,又は 0 期に投資をしなかったが 1 期に投資を行
うとき,0 期に投資をしなかった企業 i の 1 期における最適な意思決定は以下の通りである.
• I < I2d の場合,需要の増減に関わらず投資する.
• I2d < I < I2u の場合,需要が増加した時は投資し,需要が減少したときは 1 期に投資しない.
• I > I2u の場合は需要の増減に関わらず投資しない.
0 期に投資をしなかった企業 i の 1 期の最適な意思決定は,相手企業 j が 0 期に既に投資している場
合は,企業 i のみの意思決定問題であり,命題 3.2 より求めることができる.これに対し,相手企業 j
も 0 期に投資していない場合は,企業 i の最適な行動は企業 i のみの意思決定問題ではなくゲームと
なるため,そのゲームの解を考えなければならない.この場合,企業 i,j は 1 期に図 2 のような 2 人
標準形ゲームをプレイする.
投資する
投資しない
投資する
( D11 Y1 − I, D11 Y1 − I)
( D10 Y1 − I, D01 Y1 )
投資しない
( D01 Y1 , D10 Y1 − I)
( D00 Y1 , D00 Y1 )
図 2: 両企業がともに 0 期に投資しない時の 1 期の部分ゲーム
この状況においてもし,
D11 Y1 − I < D01 Y1
D10 Y1 − I > D00 Y1
が成立するならば,各企業は「相手が投資するならば自分は投資をしない方が良く,相手が投資し
ないならば投資をする」方が良い.この状況はゲーム理論において弱虫ゲーム(チキンゲーム)と呼ば
れる状況となる.すなわち,相手が投資を行わない弱虫(=チキン)ならば,自分が投資を行った方
が有利になるが,両企業が投資した場合は,両方が投資をしなかった場合より悪くなってしまう,と
10
いう状況である.弱虫ゲームにおいては「企業 A が投資し,企業 B が投資しない」という戦略の組
と,
「企業 B が投資し,企業 A が投資しない」という 2 つのナッシュ均衡が存在する.なお,戦略を
確率的に選択する「混合戦略」を許せば,さらにもう 1 つのナッシュ均衡が存在する.
ナッシュ均衡が複数存在する場合は,どのナッシュ均衡をゲームの解と考えるかで分析結果が異な
る.この問題は,このような企業の投資競争,競合状況でのリアル・オプションの分析を行う上で大き
な問題点の1つとなっている.ナッシュ均衡が複数存在する場合に,どのナッシュ均衡をゲームの解と
考えるべきかという問題は均衡選択の問題と呼ばれ,ゲーム理論では大きな研究課題である.ノーベル
賞を受賞した 2 人のゲーム理論家 Harsanyi と Selten は,Harsanyi and Selten (1988) において,一般的
なゲームにおいてただ 1 つの均衡をゲームの解として選択する理論を提唱した.この理論は Harsanyi
and Selten の均衡選択理論と呼ばれる.後に,Kandori, Mailath and Rob (1993) は,進化論的ゲーム理
論という枠組みの中において均衡の選択理論を構築し,その結果が Harsanyi and Selten の均衡選択理
論と同じ結果となることを示した.この 2 つの論文はゲーム理論におけるもっとも代表的な均衡の選
択理論である.これらの均衡選択理論によれば,対称的な弱虫ゲームの解は,両企業が混合戦略を用
いるようなナッシュ均衡となる.両企業が全く対称であるので「片方の企業が投資し,片方の企業が
投資をしない」という非対称な結果はゲームの解となりえないことからも理解できよう.山口 (2001)
は,この例と同様の問題を分析しているが,そこではこの混合戦略の均衡点がゲームの解として用い
られ分析がなされている.しかしながら両企業が確率的に戦略を選択する混合戦略の考え方は,ゲー
ム理論においてはよく認知された考えとはいえ,一般的に受け入れられにくい結果であるとも言える.
弱虫ゲームの状況における均衡選択の問題は,2 時点における投資競争だけではなく,多くの投資
競争の分析に共通して現れる問題でもあり,リアル・オプションとゲーム理論を融合させる研究にお
けるもっとも大きな課題の 1 つである.Grenadier(1996) はこの問題に対し「企業 A が投資し,企業
B が投資しない」という結果と,
「企業 B が投資し,企業 A が投資しない」という結果が確率
1
2
で起
こると考えた.Fudenberg and Tirole(1983) は,不確実性のない 2 企業の投資のタイミングを決定する
ゲームにおいて,ある時点でこのような意思決定に直面した場合,両企業が投資をしなければ,再度
投資をするかどうかを,非常に短い時間の間に再度決定できるとし,どちらかが投資をするまで無限
に終わらないゲームを考えることで,この問題を分析した.この分析では,Grenadier(1996) と同じよ
うに「企業 A が投資し,企業 B が投資しない」という結果と,
「企業 B が投資し,企業 A が投資し
ない」という結果が確率
1
2
で起こる.Huisman (2001) はこの結果を不確実性のある 2 企業の投資のタ
イミングを決定するゲームに応用し,リアル・オプションとゲーム理論を融合させたモデルを分析し
た.Fudenberg and Tirole(1983), Huisman (2001) の結果は非常に興味深いが,モデルがかなり複雑で
あることから,リアル・オプションとゲーム理論の関係を直感的に理解できるようなモデルになって
いない.
そこで本論文においては,図 2 の状況では「企業 A が投資し,企業 B が投資しない」という均衡が
選択されると仮定する.そしてこれを「企業 A 優先ルール」と呼ぶ.すなわち本論文では,費用や収
益は同じであるが,完全に競合して複数の均衡点が存在する場合においては,企業 A が自企業に有利
にことを進めることができるできると仮定する.このような状況は,現実にも観察することができる.
白物家電のようなほぼ同等の性能を持ち,ほぼ同じ価格帯の製品を製造する企業を考えてみよう.も
11
ちろん,各企業は他社の製品と差別化するために,様々な機能やサービスを行っているが,細かい性
能にこだわらない人々にとって,それらの製品はほぼ同等の製品と見なせる.このような製品の細か
い仕様にこだわらない購買層に対する場合でも,完全に競合する場合には,各企業のブランドイメー
ジ,業界の慣習,産業内の政治力といった通常のモデルでは考慮しにくい要因によって,企業間に暗
黙の順位が存在し,均衡が複数存在するような究極の場面で (のみ) それが明示的に作用するというこ
とが考えられる.本論の単純なモデルにおいては,このような状況を「企業 A 優先ルール」としてモ
デルに組み込み,競争状態における企業 A の有利性が,どのような効果をもたらすかについて焦点を
当てる.
仮定 3.1 (ナッシュ均衡における企業 A 優先ルール) 部分ゲーム及び全体ゲームにおいて均衡点が複数
存在する時は,企業 A にとって有利な均衡点が選択されるものとする.
以下では,このような「企業 A 優先ルール」のもとで,どのような結果が得られるか,また「企業
A 優先ルール」が企業 A と企業 B のプロジェクト価値にどのような影響を及ぼすかについて分析する.
図 2 の部分ゲームの解は,投資費用 I の大きさによって表 1 のような (a) から (f) までの 6 つの場合
に分けることができる.左下部の空欄は仮定 2.1(先手有利の仮定)より起こりえない場合である.
I < I1d
I1d
<I<
I < I2d
I2d < I < I2u
I > I2u
(a)
(b)
(c)
(d)
(e)
I1u
I > I1u
先手有利の仮定よ
(f)
りありえない場合
表 1: 1 期のゲームの投資費用による場合分け
(a) から (f) の各場合における需要の増減に対応する部分ゲームの解は,命題 3.1 と命題 3.2 より求め
ることができる.例えば (b) の場合を考えてみる.需要が増加した場合の各企業 i の意思決定は,相手
企業 j が投資してきたとき I2d < I < I2u より投資することが最適であり(命題 3.2),相手企業 j が投
資しないときも,I < I1d より投資することが最適である(命題 3.1).したがって需要が増加した場合
は「投資する」ことが各企業の支配戦略となり,部分ゲームの解は(投資する,投資する)
(両企業と
も投資する)となる.次に需要が減少した場合を考える.相手企業が投資してきたときは I2d < I < I2u
より投資しないことが最適であり(命題 3.2),相手企業が投資しない場合は I < I1d より投資するこ
とが最適である(命題 3.1).したがって需要が減少した場合は支配戦略は存在しない.純戦略の Nash
均衡は2つあり (弱虫ゲーム),
「企業 A が投資し,企業 B が投資しない」
(投資する,投資しない)と,
「企業 A が投資せず,企業 B が投資する」(投資しない,投資する)である.したがって仮定 3.1(企
業 A 優先ルールの仮定)より,部分ゲームの解は(投資する,投資しない)となる.
同様にして考えてゆけば,両企業が 0 期に投資をしないときに直面する 1 期の部分ゲームの解は,
以下の命題 3.3 として表すことができる.
12
命題 3.3 両企業が 0 期に投資をしないときに直面する 1 期の部分ゲームの解は表 2 となる.ここで各
セルにおいて,上段は 1 期に需要が増加する場合の部分ゲームの解を表し,下段は 1 期に需要が減少
する場合の部分ゲームの解を表している。このとき,戦略の組の左側が企業 A を,右側が企業 B の行
動を表わし,例えば (In,Out) は、「企業 A が投資し、企業 B が投資しない」ことを示している.
I<I2d
I<I1d
I2d < I < I2u
(a)
(In ,In )
(In ,In )
I1d < I < I1u
I>I1u
I>I2u
(b)
(In ,In )
(c)
(In ,Out )
(In ,Out )
(In ,Out )
(d)
(In ,In )
(In ,Out )
(e)
(In ,Out )
(Out ,Out )
先手有利の仮定より
起こりえない領域
(f)
(Out ,Out )
(Out ,Out )
表 2: 投資費用により場合分けされた 1 期の部分ゲームの解
これらの結果をもとにして,両企業の 0 期での意思決定を考える.このとき,次に定義される値と
投資費用の大小関係が重要な役割を果たす.
q
1+ R
d
p ,
1− R
qd
1+
D01 )Y0 1− Rp .
R
I1α = (D10 − D00 )(1 +
µ
R )Y0 ,
I1β = (D10 − D00 )Y0
I2α = (D11 − D01 )(1 +
µ
R )Y0 ,
I2β = (D11 −
µ
と u の大小関係によって 2 つの場合に場合分けされる.こ
リアル・オプション的意思決定は,1 + R
こで次の命題が成立する.
命題 3.4 1 +
(i)
1+
(ii)
1+
証明
µ
R
µ
R
µ
R
と u の大小関係と,Iku ,Ikd ,Ikα ,Ikβ ,(k = 1, 2) について,以下の関係が成立する.
ならば
Ikβ > Ikα > Iku > Ikd
≤ u ならば
Iku ≥ Ikα ≥ Ikβ > Ikd
>u
k = 1 すなわち,I1u ,I1d ,I1α ,I1β について記す.k = 2 でも全く同様に示すことができる.
まず I1α と I1u ,1 +
I1α > I1u
⇔
1+
µ
R
µ
R
と u,及び I1β と I1u の大小関係が同値であること,すなわち,
>u
⇔
I1β > I1u
が成立することを示す.これは I1α > I1u の大小関係を,以下のように同値関係に変形してゆくことに
13
よって示せる.
I1α > I1u ⇔
µ
R )Y0 > (D10
µ
1+ R
>u
pu+qd
1+ R >u
pu
1 + qd
R >u− R
p
1 + qd
R > u(1 − R )
I1β > I1u
(D10 − D00 )(1 +
⇔
⇔
⇔
⇔
⇔
− D00 )uY0
さらに I β と I α の大小関係は,I1β と I1u の大小関係と同値であることを示す.これは,
I1β − I1α
= (D10 − D00 )( R+qd
R−p )Y0 − (D10 − D00 )(1 +
µ
R )Y0
1
(R(R + qd) − (R − p)(R + µ)}
= (D10 − D00 )Y0 { R(R−p)
p
= (D10 − D00 )Y0 { R(R−p)
((R + qd) − u(R − p)}
p
R+qd
R (D10 − D00 )Y0 ( R−p
β
p
u
R (I1 − I1 )
=
=
− u)
であることより,成立する.
最後に
R+qd
R−p
> 1 > d より,常に I1β > I1d が成立する.したがって,これらのことより命題は証明
された.
ケース 1:1 +
Q.E.D.
µ
R
> u の場合
命題 3.5 ケース 1 における両企業の均衡での行動結果は,投資費用によって,以下の表 3 のようになる.
I<I2α
I>I2α
I < I1α
(i)両企業ともに0期に投資する
(ii)企業Aは0期に投資し,企業B
はどの期にも投資しない
I > I1α
先手有利の仮定より起こりえな
い領域
(iii)両企業ともにどの期にも投
資しない
表 3: ケース 1:投資費用によるゲームの結果の場合分け
ゲームの解は表 4 のようになる.
命題 3.5 は均衡における行動を表したものである.均衡に現れない点も含め,すべての意思決定点
でどのように企業が行動するかを示したものがゲームの解であり,表 4 はすべての場合のゲームの解
を記述したものである.表 4 では,各セルの最上段に 0 期の同時ゲームの戦略の組,2 段目には 3 段目
にはそれぞれ,両企業が 0 期に投資しなかった時の 1 期の需要が増加したときの戦略の組合せと,減
少したときの戦略の組合せが示されている.カッコの中の左側は企業 A を右側は企業 B を表してい
る.最下段は,一方の企業 i が 0 期に投資し,もう一方の企業 j が 0 期に投資しなかったときの 1 期
目の行動を表している.左側が需要が増加したときを表し,右側は需要が減少したときを表している.
なおこの場合は企業 j が A であっても B であっても戦略は同じなので 1 つしか記述していない.
14
なお均衡における行動は同一であっても,均衡経路以外の行動が異なることがある.例えば表 4 の
第 1 行目 (I < I1d ) の左側の 2 つのセル (I < I2d ,I2d < I < I2u ) に注目する.もし,両企業が 0 期に投資
せずにその後需要が減少した場合は,I < I2d の場合は企業 B は投資を行うが,I2d < I < I2u の場合は
企業 B は投資を行わない.しかし,均衡では「両企業とも 0 期に投資するという結果となるため,こ
の均衡経路から外れた場合の行動の違いは結果には現れない.よって,ゲームの解における戦略が表
4 のように細かく 10 通りに場合分けされているのに対し,投資行動の結果は表 3 のように 3 通りにし
か場合分けされない.
I<I1d
I1d < I < I1u
d<
I1
I<I2d
I2d < I < I2u
(In ,In )
(In ,In )
(In ,In )
In In
(In ,In )
(In ,In )
(In ,Out )
In Out
(In ,In )
(In ,In )
(Out ,Out )
In
Out
α
I < I1
先手有利の仮定より
起こりえない領域
I2d < I < I2α
I>I2α
(In ,In )
(In ,Out )
(In ,Out )
Out
Out
(In ,Out )
(In ,Out )
(In ,Out )
Out Out
(In ,In )
(In ,Out )
(In ,Out )
(In ,Out )
(Out ,Out )
Out Out
(Out ,Out )
Out
Out
(In ,Out )
(Out ,Out )
(Out ,Out )
Out Out
(Out ,Out )
(In ,In )
(Out ,Out )
(Out ,Out )
Out
Out
(Out ,Out )
(Out ,Out )
Out
Out
I>I1α
表 4: ケース 1:ゲームの解
命題 3.5 は,表 4 から導く事ができる.したがって証明ではゲームの解が表 4 のようになることを
示せば良い.
証明のアウトライン
ここで 0 期に両企業が直面する 2 人同時ゲームにおいて,1 期の部分ゲームの解を前提にして,プ
ロジェクトの価値をゲームの利得と考えた利得行列を図 3 に定義する.
投資する
投資しない
投資する
( vM , vM )
( vL , vF )
投資しない
( vF , vL )
( vA , vB )
図 3: 0 期のゲーム
ここで vL は企業 i が 0 期に投資し,企業 j が 0 期に投資しないときの企業 i の利得,vF は企業 i が
15
0 期に投資せず,企業 j が 0 期に投資したときの企業 i の利得,vM は両企業が 0 期に投資したときの
利得,vA ,vB は両企業ともにが 0 期に投資しなかった時の企業 A,B の利得を表している.両企業
がともに 0 期に投資しなかった時は,先手有利の仮定より 1 期に非対称な結果が起こり得るので利得
を区別しているが,それ以外のときは利得は対称である.
ここで
vM = (D11 Y0 − I) +
1
µY0 D11
R
であり,他の利得は投資費用の値により 1 期の部分ゲームの結果が異なるために,投資費用毎に異な
る式となる.そこで投資費用の値を命題 3.3 に従って場合分けを行い,ゲームの解を求める.ここで
はまず (b) の I < I1d ,I2d < I < I2u の場合を例としてゲームの解の求め方を示し,残りの場合について
は付録で証明する.
(b) の場合の証明
vF ,vL は
vF = D01 Y0 +
1
{p(D11 uY0 − I) + qD01 dY0 )}
R
vL = (D10 Y0 − I) +
1
(pD11 uY0 + qD10 dY0 )
R
となる.次に両企業が投資しなかった場合の 1 期においては,命題 3.3 より,需要が増加した場合は両
企業とも投資し,需要が減少した場合は企業 A が投資して企業 B が投資しない.このことより,vA ,
vB は,
vA = D00 Y0 +
1
{p(D11 uY0 − I) + q(D10 dY0 − I)}
R
vB = D00 Y0 +
1
{p(D11 uY0 − I) + qD01 dY0 }
R
となる.ここで,
vM − vF = (D11 − D01 )(1 +
qd
p
p
)Y0 − (1 − )I = (1 − )(I1β − I)
R
R
R
となる.I1β > I であるから,vM > vF である.次に,
vL − vA
1
R)
=
(D10 − D00 )Y0 − I(1 −
>
(D10 − D00 )dY0 − I = I1d − I > 0
より,vL > vA である.また vA > vB であるから vL > vB .したがって,企業 A も企業 B も「投資
する」が支配戦略となり,ゲームの解は「両企業とも 0 期に投資する」となる.
他の場合も同様に証明でき,これについては付録に示す.
16
Q.E.D.
ケース 2:1 +
µ
R
ここでケース 2 の結果は,さらに L0 と V B の大小関係によって,場合
≤ u の場合
分けがなされる.L0 と V B の大小関係を分けるのは,以下に定義される I1S0 である.
I1S0 = I1β (1 −
p
pu
)+
Y0 (D10 − D01 )
R
R
ここで
I1S0
=
I1β (1 −
=
(D10 −
>
pu
(D10 − D00 ) R+qd
R Y0 + (D10 − D00 ) R Y0
>
(D10 − D00 )(1 +
p
R)
pu
R Y0 (D10 − D01 )
R+qd
D00 ) R Y0 + (D10 − D01 ) pu
R Y0
+
µ
R )Y0
= I1α
より I1α < I1S0 であることが分かる.I1u と I1S0 の大小関係は条件によって異なる.
命題 3.6 ケース 2 における両企業の均衡での行動結果は,投資費用によって,以下の表 5 のようになる.
I<I2β
I <
I1β
I2β < I < I2u
I>I2u
(i)両企業ともに0期に (ii)企業Aは0期に投資 (iii)企業Aは0期に投
投資する
する.企業Bは0期には 資し,企業Bはどの期
投資せず,1期に需要 にも投資しない
が増加すれば投資し減
少すれば投資しない
(v)企業Bは0期に投資
し,企業Aはどの期に
も投資しない
(柔軟性の罠)
I1β< I < min{I1S0 , I1u }
min{I1S0 , I1u } < I < I1u
先手有利の仮定よ
り起こりえない領
域
(iv)両企業ともに0期
にには投資せず,1期
に需要が増加すれば投
資し減少すれば投資し (vi)企業Aは0期には投
ない
資せず,1期に需要が
増加すれば投資し,減
少すれば投資しない.
企業Bはどの期にも投
資しない
(vii)両企業ともにど
の期にも投資しない
I > I1u
表 5: ケース 2:投資費用によって場合分けされたゲームの結果
証明については付録に示した.
命題 3.6 も命題 3.5 と同様に,ゲームの結果は同じでも,ゲームの解における戦略の組合せは,更に
投資費用によって細かく場合分けされる.表 6 は表 4 と同様にすべての場合のゲームの解を完全に記
述したものである.ここで I1β < I < min{I1S0 ,Iu1 } の行は I1S0 > I1u (すなわち min{I1S0 ,Iu1 } = I1u )の
場合には存在しない領域となる.
4
分析結果
本章では,前節のゲームの解と均衡点での企業の投資行動の結果を解釈し分析する.
17
I<I1d
I1d <
I <
I1β
I<I2d
I2d < I < I2β
I2β < I < I2u
I>I2u
(In ,In )
(In ,In )
(In ,Out )
(In ,Out )
(In ,In )
(In ,In )
In In
(In ,In )
(In ,Out )
In Out
(In ,In )
(In ,In )
(In In)
(In ,Out )
In Out
(In ,Out )
(In ,Out )
Out
Out
(In ,Out )
(In ,In )
(In ,Out )
(In ,Out )
(Out ,Out )
In Out
(Out ,Out )
In
Out
(Out ,Out )
Out Out
(Out ,In )
β<
I1
S0
I < min{I1
,
I1u
(Out ,Out )
(In ,Out )
(Out ,Out )
(In ,In )
(Out ,Out )
Out Out
(Out ,Out )
}
min{I1S0 , I1u } < I < I1u
先手有利の仮定より
起こりえない領域
In
Out
(In ,Out )
(Out ,Out )
Out
Out
(Out ,Out )
(Out ,Out )
(Out ,Out )
I>I1u
Out
Out
表 6: ケース 2:ゲームの解
企業が意思決定の柔軟性を持つこと,すなわちリアル・オプションを有することに価値があるのは,
不確実性がある程度大きい場合に限られる.本モデルにおいては,需要の期待増加率を割り引いた
1+
µ
R
と需要の増加比率 u によって,まずそれは現れる.ケース 1 は,需要の増加比率 u は,1 +
µ
R
に対して小さい.この場合は不確実性が小さいためリアル・オプションの価値は,どの場合にも現れ
ない.表 3 より,ケース 1 では,投資費用が小さい時に企業は 0 期に投資し,投資費用が大きい場合
にはどの期にも投資せず,オプションを用いる事はないことが分かる.
表 3 において,企業 A 優先ルールによる企業 A の優位性は投資費用が (ii) の範囲にあるときに現れ
る.I < I1α の場合は相手が投資しなければ,自分が投資したほうが良い場合である.したがって競争
状態になく相手企業が投資を行わないならば,投資を行った方が良い.しかし I > I2α である場合は,
もし相手が投資するならば,自分は投資しないほうが良い場合である.この場合は,0 期に弱虫ゲー
ムが起きており,両企業が投資を行えば共倒れになる.均衡点は一方の企業が投資し,一方がしない
というものであるが,企業 A 優先ルールより企業 A が投資する均衡点が選択される.したがって投資
費用が (ii) の範囲にある場合は,企業 A の優位性が現れる.別の見方をすれば投資費用が (ii) の範囲
にある場合,企業 B は競争がなければ(相手が投資をしなければ)投資を行うはずだが,2 企業が競
争している場合は投資を行わない.すなわち競争の影響が現れる場合であると考えられる.
需要の増加比率 u は 1 +
µ
R
に対して大きいケース 2 は,不確実性が大きいため,リアル・オプショ
ンに対する価値が存在する可能性のある場合であり,その点ではケース 1 より興味深い.以下,表 5
を詳しく見てゆく.
投資費用が (i) の範囲になる場合は投資費用が小さいため両企業とも 0 期に投資し,(vii) では投資費
用が大きすぎるため両企業ともどの期にも投資しない.このように投資費用が,小さい場合や大きい
18
場合は,たとえケース 2 であってもリアル・オプションが価値を有せず競争の影響もない.
投資費用が (iii) のエリアに含まれる場合はケース 1 の (ii) と同様で,企業 A は 0 期に投資を行い,
企業 B は投資を行わない.企業 B は独占状況ならば投資を行うはずだが,競争状況にあるが故に投資
を行わない.両企業ともにオプションの価値はないが,競争の影響があり企業 A の優位性が現れる範
囲である.
(ii),(iv),(vi) はリアル・オプションが価値を持つような範囲である.すなわち,少なくとも一方の
企業は 0 期に投資を行わず,需要の増減に応じて 1 期で投資を行うか行わないかを意思決定する.(ii)
では,企業 A は 0 期に投資を行う.これは 0 期では,一方の企業が投資をするならば,もう一方は投
資をしない方が良いような状態になっているからであり,企業 A の優位性が現れる.結果として,企
業 B のみが,リアル・オプションを持つことになる.(iv) は,両方の企業がともにリアル・オプショ
ンを有する範囲であり,企業 A の優位性は特に現れない.(vi) は企業 A のみがリアルオプションを持
つエリアである.
注目すべきは (v) の場合である.投資費用がこの範囲にある場合は,リアル・オプションと競争の影
響が逆説的な結果を生む.この場合には,企業 B が 0 期に投資し,企業 A はどの期にも投資しない.
この分析結果は,従来のリアルオプションアプローチからは得られない競争と不確実性の存在から発
生する新しい結果の一つであるといえる.これについて詳しく見てゆこう.
(v) では両企業とも 0 期で投資しない場合,1 期で需要が増大するときは「企業 A 優先ルール」のた
め企業 A が投資して企業 B は投資せず,需要が減少するときには,両企業とも投資しないことが均衡
戦略となる.企業 B から見れば,たとえ 0 期で投資を延期しても,1 期で投資することはなく,意思
決定の柔軟性を有効に行使する機会は存在しない.これに対し 0 期で一方の企業が投資する場合には,
もう一方の企業は需要の増減に依存せず 0 期でも 1 期でもどの期でも投資しない方が良い.企業 A の
0 期の最適な戦略は,もし企業 B が 0 期に投資しないならば,オプションを有して不確実性を見極め
1 期に意思決定をすることである.しかし,企業 B が 0 期に投資するならばどの期でも投資しないこ
とが最適な戦略になり,0 期においては,企業 B の戦略にかかわらず投資しないことが支配戦略とな
る.一方,企業 B は 0 期に企業 A が投資するなら投資せず,企業 A が投資しないなら投資する.支配
戦略の存在より,企業 A が 0 期に投資しない結果,企業 B は 0 期に投資する.以上から,均衡点では
「企業 B が 0 期に投資し,企業 A はどの期にも投資しない」という結果となる.このように (v) では
「柔軟性をもつが故に競合状況で相手に投資機会を奪われてしまう」という均衡戦略が実現する.本論
文ではこの状況を「柔軟性の罠」と名付けた10 .
競争状況がない場合には,柔軟性の存在は企業にとって通常好ましいが,競争状況では必ずしもそう
ではなく逆効果になる可能性がある.上記の 0 期における有利な立場のプレーヤーが,不利な場のプレー
ヤーに負けてしまうという現象は,ゲーム理論では起こることが知られており(例えば McMillan(1992)
の「合理的な豚」,Dixit and Nalebuff(1992) の「瀬戸際外交」,渡辺 (1994) の「背水の陣」),企業 B
のような拘束力が自分にとって有利に働く例もコミットメント効果として多く知られている.
柔軟性の罠は,競争状況をモデル化していない通常のリアルオプションアプローチでは決して現れ
ず,本分析から得られる大きな含意であると言える.本論文では,企業 A 優先ルールという通常の
10 なお
(v) のケースは,I1S0 < I1u の場合にのみ現れ,I1S0 > I1u の場合は現れない.
19
ゲーム理論分析では置かないアド・ホックな均衡選択の仮定により導かれている.Imai and Watanabe
(2004) は,本論文と同様なモデルで各期に企業 A が先手で行動し企業 B が後手で行動するモデルを分
析し,このようなモデルでも先手で有利なはずの企業 A と後手で不利な企業 B に対し同様な現象が起
こることを示している.すなわち,柔軟性の罠は,アド・ホックな均衡選択の仮定であるが故に導か
れる問題ではないことが分かる.
5
結論と今後の課題
本論文では,不確実性下の競合状況をモデル化するため,従来のリアル・オプションのフレームワー
クにゲーム理論を取り入れたモデルを構築し,競合状態を無視した場合のモデルと比較することで,競
合状況がいかに企業の意思決定を変化させるかについて分析を行った.製品の需要が 2 期間の 2 項モ
デルにしたがうと仮定し,先手有利の状況下における競合 2 企業の最適戦略をゲーム理論を利用して
分析した.各企業がとりうる戦略としては純戦略のみに限定し,Nash 均衡が複数存在する場合には,
外生的に一方の企業が有利であるとの仮定をおくことで,複数の均衡点から 1 つを選ぶ方法をとった.
その結果,本研究では投資延期の柔軟性と競合の相互関係を包括的に分析した.また,これまで指摘
されていない現象として,
「柔軟性の罠」と呼ばれる有利なはずの企業がリアル・オプションを持つが
故に,不利なはずの企業に後れをとり,投資の機会を失うという現象が起こりうることを示した.本
研究で構築したモデルは,包括的な分析を行うために極めて単純なモデルであった.そこから導き出
せる結論は現実問題に対する示唆に富むものもあるが,一方で単純すぎて現実問題に適用できない部
分も多い.不確実性のより現実的な設定や多期間モデルへの拡張によって,より現実的な世界を忠実
にモデル化し,実際の企業の意思決定に役立つモデルを構築することが今後の大きな課題である.
付録
付録では,命題 3.5 と命題 3.6 の証明を行なう.
命題 3.5 の証明
まず vM と vF の大小関係を比較する.ここでどの場合においても,
vM = (D11 Y0 − I) +
µ
D11 Y0
R
が成立する.また vF は

1


 D01 Y0 + R (D11 µY0 − I)

vF =
D01 Y0 + R1 {p(D11 uY0 − I) + qD01 dY0 }



 D Y + µD Y
01 0
R
01 0
I < I2d
I2d < I < I2u
I > I2u
となる.I < I2d の場合,
vM − vF
= (D11 − D01 )Y0 − (1 −
1
R )I
> (D11 − D01 )dY0 − I = I2d − I > 0
20
(1)
であるから vM > vF である.次に I2d < I < I2u の場合は,
vM − vF
qd
R)
= (D11 − D01 )Y0 (1 +
β
1
p (I2
(1− R
)
=
− (1 −
p
R )I
− I)
(2)
となり,I < I2u < I2β であるから vM > vF となる. 最後に I > I2u の場合は
vM − vF = (D11 − D01 )Y0 (1 +
µ
) − I = I2α − I
R
(3)
であるから,I2u < I < I2α では vM > vF ,I > I2α では vM < vF となる.
次に vL と vA ,vB との大小関係を,命題 3.3 の表 2 で示された 6 つの場合に分けて比較する.まず
vL は
vL =



(D10 Y0 − I) +


µ
R D11 Y0
(D10 Y0 − I) +



 (D Y − I) +
10 0
1
R (pD11 uY0
µ
R D10 Y0
I < I2d
+ qD10 dY0 ) I2d < I < I2u
I > I2u
となる.
(a) の場合は,
vA = vB = D00 Y0 +
1
(D11 µY0 − I)
R
であるから,
vL − vA
=
(D10 − D00 )Y0 − (1 −
>
(D10 − D00 )dY0 − I
=
I1d
1
R )I
(4)
−I >0
となり vL > vA = vB .(b) の場合は本文に既に示した通り vL > vA > vB .
(c) の場合,
VA = D00 Y0 +
1
(D10 µY0 − I)
R
であるから,
vL − vA
1
R )I
=
(D10 − D00 )Y0 − (1 −
>
(D10 − D00 )dY0 − I = I1d − I > 0
(5)
より,vA > vB を使うと vL > vA > vB .
(d) の場合は
vA = vB = D00 Y0 +
1
{(pD11 uY0 − I) + qD00 dY0 }
R
であるから,
vL − vA
=
(D10 − D00 )Y0 (1 +
=
(1 −
β
p
R )(I1
qd
R)
− (1 −
p
R )I
− I) > 0
より vL > vA = vB .
21
(6)
(e) の場合は
vA = D00 Y0 +
1
{p(D10 uY0 − I) + qdD00 Y0 )}}
R
であるから,
vL − vA
=
(D10 − D00 )(1 +
=
(1 −
β
p
R )(I1
qd
R )Y0
− (1 −
p
R )I
(7)
− I)
である.この場合,I < I1u < I1β であるので vL > vA > vB .
最後に (f) の場合は
VA = VB = D00 Y0 +
vL − vA
µ
D00 Y0 であるから,
R
=
(D10 − D00 )(1 +
=
I1α − I
µ
R )Y0
−I
(8)
となる.したがって I1u < I < I1α では vL > vA = vB ,I > I1α では vL < vA = vB となる.
以上の結果より 0 期の利得の大小関係を投資費用ごとに場合分けすれば,表 7 を得る.
I < I1d
I < I2d
I2d < I < I2u
I2u < I < I2α
I > I2u
vM > v F
vM > v F
vM > vF
vM < vF
vL > vA = vB
vL > v A > v B
vL > v A > v B
vL > vA > vB
vM > v F
vM > vF
vM < vF
vL > v A = vB
vL > v A > v B
vL > vA > vB
vM > vF
vM < vF
vL > vA = vB
vL > vA = vB
I1d < I < I1u
I1u < I < I1α
先手有利の仮定よりありえない場合
vM < vF
I > I1α
vL < vA = vB
表 7: 投資費用により場合分けされた 0 期の利得の大小関係
この結果からゲームの解を求めると図 4 が得られることが分かり,これより命題 3.5 が成立するこ
とが分かる.
Q.E.D.
命題 3.6 の証明
命題 3.5 と証明の順序は同じであり,vM ,vF ,vL ,vA ,vB の式も同じであるから,これを用いて大小
関係を比較してゆけば良い.まず vM と vF の大小関係について調べる.I < I2d の場合は,式 (1) より
vM > vF である.I2d < I < I2u の場合は,式 (2) と I2d < I2β < I2u であることから,I2d < I < I2β の場
合は vM > vF であり,I2β < I < I2u の場合は vM < vF となる.I > I2u の場合は,式 (3) と I1α < I1u
より vM > vF となる.
次に vL と vA ,vB の大小関係を考える.(a) の場合は式 (4) より vL > vA = vB ,(b) の場合は式 (3.1)
より vL > vA > vB ,(c) の場合は式 (5) より vL > vA > vB となる.
22
(d) の場合は,式 (6) と I1d < I1β < I1u であることから,I1d < I < I1β の場合は vL > vA = vB であり,
I1β < I < I1u の場合は vL < vA = vB となる.
(e) の場合を考える.vL と vA の大小関係は式 (7) より,I1d < I < I1β の場合は vL > vA であり,
I1β < I < I1u の場合は vL < vA となる.(e) の場合は vL と vB の大小関係についても調べなければな
らない.この場合は
VB = D00 Y0 +
1
(pD01 uY0 + qD00 dY0 )
R
となるので,
vL − vB
=
(D10 Y0 − I) +
=
(D10 − D00 )(1
=
I1S0 − I
µ
1
R D10 Y0 − (D00 Y0 + R (pD01 uY0
pu
+ qd
R )Y0 + (D10 − D01 ) R Y0 − I
+ qD00 dY0 ))
となる.I1u < I1S0 の場合は常に vL > vB が成立する.I1u > I1S0 の場合は,I1d < I < I1S0 の範囲では
vL > vB で,I1S0 < I < I1u の範囲では,vL < vB となる.
最後に (f) の場合は式 (8) より vL < vA = vB となる.
以上の結果より,0 期の利得の大小関係を投資費用ごとに場合分けすれば,表 8 を得る.表 8 で
I1β
< I < min{I1S0 ,I1u } の行は I1S0 > I1u (すなわち min{I1S0 ,I1u } = I1u )の場合には存在しない領域と
なる.
23
24
I > I1u
min{I1S0 ,I1u } < I < I1u
I1β < I < min{I1S0 ,I1u }
I1d < I < I1β
I < I1d
vM < v F
vM < v F
vL > v A = vB
vM < v F
vM > vF
vL > vA = vB
vL < v A = vB
表 8: 投資費用により場合分けされた 0 期の利得の大小関係
先手有利の仮定よりありえない場合
vL > vA , vL > vB
vL > v A > v B
vL > vA > vB
vL < vA = vB
vM < v F
vL < vA , vL < vB
vM < v F
vL < vA , vL > vB
vM < v F
vL > vA > vB
vM < v F
vL > v A = vB
vM < v F
vM > vF
I > I2u
vM > vF
I2β < I < I2u
I2d < I < I2β
I < I2d
参考文献
[1] Ang, James S. and Stephen P.Dukas(1991), ”Capital Budgeting in a Competitive Environment”, Managerial Finance, Vol.17, No.2/3, 6–15.
[2] Baldursson, F.M.(1998), ”Irreversible Investment under Uncertainty in Oligopoly”, Journal of Economic Dynamics and Control, Vol.22, 627–644.
[3] Brickley, James, Clifford Smith and Jerold Zimmerman(2000), ”An Introduction to Game Theory and
Business Strategy”, Journal of Applied Corporate Finance, Vol.13, No.2, Summer, 84–98.
[4] Constantinides, George M.(1978), ”Market Risk Adjustment in Project Valuation”, The Journal of Finance, Vol.33, No.2, May, 603-616.
[5] Cottrell, Tom and Gordon Sick(2001), ”First-Mover (Dis)Advantage and Real Options”, Journal of
Applied Corporate Finance, Vol.14, No. 2, Summer, 41–51.
[6] Cox, John C. and Stephen A.Ross(1976), ”The Valuation of Options for Alternative Stochastic Processes”, Journal of Financial Economics, Vol.3, 145-166.
[7] Avinash K. Dixit, Barry Nalebuff(1993),Thinking Strategically, W.W. Norton & Company.
[8] Dixit, Avinash K. and Robert S. Pindyck(1994), Investment under Uncertainty, Princeton University
Press.
[9] Fudenberg, D. and J.Tirole(1985), ”Pre-emption and Rent Equalisation in the Adoption of New Technology”, Review of Economic Studies, Vol.52, 383–401.
[10] Garlappi, L.(2000), ”Preemption Risk and the Valuation of R&D Ventures”, Discussion Paper.
[11] Grenadier, Steven R.(1996), ”The Strategic Exercise of Options: Development Cascade and Overbuilding in Real Estate Markets”, The Journal of Finance, Vol.5, 1653–1679.
[12] Grenadier, Steven R.(2000a), ”Option Exercise Games: the Intersection of Real Options and Game
Theory”, Journal of Applied Corporate Finance, Vol.13, No.2, Summer, 99–106.
[13] Grenadier, Steven R.(2000b), ”Equilibrium with Time-to-build: A Real Options Approach”, Project
Flexibility, Agency, and Competition, edited by Michael J. Brennan and Lenos Trigeorgis, Oxford University Press, 275–296.
[14] Harsanyi, J. C and R.Selten(1988), ”A General Theory of Equilibrium Selection in Games”, MIT Press,
Cambridge.
[15] Huisman Kuno J.M and P.M.Kort(1999), ”Effects of Strategic Interactions on the Option Value of Wating”, Discussion Paper.
25
[16] Huisman, Kuno J.M. and P.M.Kort(2000), ”Strategic Technology Adoption Taking Into Account Future
Technological Improvemens: A Real Option Approach”, Discussion Paper.
[17] Huisman, Kuno J.M.(2001), Technology and Investment: A Game Thoretic Real Options Approach,
Kluwer Academic Publishers.
[18] Imai, Junichi and Takahiro Watanabe(2004),“ A Two-stage Investment Game in Real Option Analysis ”,
working paper.
[19] Joaquin, Domingo Castelo and Kirt C. Butler(2000), ”Competitive Investment Decisions: A Synthesis”, Project Flexibility, Agency, and Competition, edited by Michael J. Brennan and Lenos Trigeorgis,
Oxford University Press, 324–339.
[20] Kandori, M., Mailath, G. J. and Rob, R. (1995), ”Learning, Mutation and Long Run equilibria in
Games”, Econometrica, 61, 29–56.
[21] Kester, W. Carl(1984), ”Today’s Options for Tomorrow’s Growth”, Harvard Business Review, Vol.62,
No.2, March-April, 153–160, reprinted in Real Options and Investment Under Uncertainty/ Classical
Readings and Recent Contributions, edited by Eduardo S. Schwartz and Lenos Trigeorgis(2001), The
MIT Press, 33–45.
[22] Kulatilaka, Nalin and Enrico C. Perotti(1998), ”Strategic Growth Options”, Management Science,
Vol.44, No.8, August, 1021–1031, reprinted in Real Options and Investment Under Uncertainty/ Classical Readings and Recent Contributions, edited by Eduardo S. Schwartz and Lenos Trigeorgis(2001),
The MIT Press, 499–516.
[23] Lambrecht, Bart and William Perraudin(2003), ”Real Options and Preemption under Incomplete Information”, Journal of Economic Dynamics and Control, Vol.27, 619–643.
[24] Leahy, John V.(1993), ”Investment in Competitive Equilibrium: The Optimality of Myopic Behavior”,
Quarterly Journal of Economics, Vol.108, No.4, 1105–1133, reprinted in Game Choices/ the Intersection of Real Options and Game Theory, edited by Steven Grenadier(2000), Risk, 97–121.
[25] Mason, S.P. and R.C. Merton(1985), ”The Role of Contingent Claims Analysis in Corporate Finance”,
Recents Advances in Corporate Finance,edited by E. Altman & M. Subrahmanyam, Homewood, IL:
Richard D. Irwin, 7–54.
[26] McDonald, Robert L. and Daniel R. Siegel(1984), ”Option Pricing When the Underlying Asset Earns a
Below-Equilibrium Rate of Return: A Note”, Journal of Finance, Vol.39, No.1, 261–265.
[27] McDonald, Robert L. and Daniel R. Siegel(1985), ”Investment and the Valuation of Firms When There
is an Option to Shut Down”, International Economic Review, Vol.26, No.2,June, 331–349.
[28] McMillan, J. (1992), Games, Strategies and Managers, Oxford University Press.
26
[29] Murto, Pauli and Jussi Keppo(2002), ”A Game Model of Irreversible Investment under Uncertainty”,
International Game Theory Review, Vol.4, No.2, 127–140.
[30] Myers, Stewart C.(1984), ”Finance Theory and Financial Strategy”, Interface, Vol.14, No.1, JanuaryFebruary, 126–137, reprinted in Midland Corporate Finance Journal, Vol.5, Spring, 1987, 6–13,
reprinted in Real Options and Investment Under Uncertainty/ Classical Readings and Recent Contributions, edited by Eduardo S. Schwartz and Lenos Trigeorgis(2001), The MIT Press, 19–32.
[31] Nichols, Nancy A.(1994), ”Scientific Management at Merck: An Interview with CFO Judy Lewent”,
Harvard Business Review, Vol.72, No.1, 89–94, reprinted in Real Options and Investment Under Uncertainty/ Classical Readings and Recent Contributions, edited by Eduardo S. Schwartz and Lenos
Trigeorgis(2001), The MIT Press, 633–639.
[32] Pawlina, Grzegorz and P. M. Kort(2002), ”Strategic Capital Budgeting:Asset Replacement under Market Uncertainty”, Discussion Paper.
[33] Schwartz, Eduardo S. and Lenos Trigeorgis(2001), Real Options and Investment Under Uncertainty/
Classical Readings and Recent Contributions, The MIT Press.
[34] Smit, Han T.J. and L.A.Ankum(1993), ”A Real Options and Game-Theoretic Approach to Corporate Investment Strategy Under Competition”, Financial Management, Autumn, 241–250, reprinted in Game
Choices/ the Intersection of Real Options and Game Theory, edited by Steven Grenadier(2000), Risk,
21–37.
[35] Smit, Han T.J.(2001), ”Acquisition Strategies as Option Games”, Journal of Applied Corporate Finance, Vol.41, No.2, 79–89.
[36] Smit, Han T. J. and Lenos Trigeorgis(2001), ”Flexibility and Commitment in Strategic Investment”,
Real Options and Investment Under Uncertainty/ Classical Readings and Recent Contributions, edited
by Eduardo S. Schwartz and Lenos Trigeorgis, The MIT Press, 451–498.
[37] Smit, Han T.J. and Lenos Trigeorgis(2002), ”R&D Option Strategies”, Discussion Paper.
[38] Thijssen, Jacco J.J., Kuno J.M.Huisman and Peter M. Kort(2002), ”Symmetric Equilibrium Strategies
in Game Theoretic Real Option Models”, Discussion Paper.
[39] Trigeorgis, Lenos(1991), ”Anticipated Competitive Entry and Early Preemptive Investment in Deferrable Projects”, Journal of Economics and Business, 143–156.
[40] Trigeorgis, Lenos(1996), Real Options: Managerial Flexibility and Strategy in Resource Allocation,
The MIT Press.
[41] Weeds, H(2002), ”Strategic Delay in A Real Options Model of R&D Competition”, Review of Economic
Studies, Vo.69, No.3, 729–747.
27
[42] Williams, Joseph T.(1993), ”Equilibrium and Options on Real Assets”, Review of Financial Studies,
Vol.6, No.4, 825–850, reprinted in Game Choices/ the Intersection of Real Options and Game Theory,
edited by Steven Grenadier(2000), Risk, 71–95.
[43] 池田昌幸 (2000), オプション評価と企業金融の理論,東京大学出版会.
[44] 今井潤一 (2004),リアル・オプション:柔軟性を考慮した意思決定,MBA コーポレート・ファイ
ナンス・シリーズ,中央経済社.
[45] 加藤俊春 (2000),「ケーススタディ:ペトロブレイス社とアムゲン社の事業投資評価:リアル・オプ
ション・アプローチの実態と効果」, ダイヤモンド・ハーバードビジネス, August-September, 86–95.
[46] 渡辺隆裕 (2004), 「図解雑学 ゲーム理論」,ナツメ社.
[47] 山口浩 (2001), リアル・オプションと企業経営, エコノミスト社.
28
Fly UP