Comments
Description
Transcript
Kobe University Repository : Thesis
Kobe University Repository : Thesis 学位論文題目 Title グローバル・デモクラシーへ向けた国連の取り組み : 加 盟国への民主化支援と、国連自体の民主化への動きを中 心に 氏名 Author 杉浦, 功一 専攻分野 Degree 博士(政治学) 学位授与の日付 Date of Degree 2002-03-31 資源タイプ Resource Type Thesis or Dissertation / 学位論文 報告番号 Report Number 甲2524 URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/D1002524 ※当コンテンツは神戸大学の学術成果です。無断複製・不正使用等を禁じます。 著作権法で認められている範囲内で、適切にご利用ください。 Create Date: 2017-03-30 序章 民主化の課題と国連 1 デモクラシーの世紀 20 世紀はデモクラシーの世紀であった1。20 世紀に入った時点では、依然として衆愚政 治として批判されることが多かったデモクラシーは、20 世紀の終わりには、統治原理とし て争われることは稀になった。21 世紀もまたデモクラシーの世紀が続きそうである。しか し同時に、デモクラシーの定義や民主化の方法はながらく争われてきた。その争いは、21 世紀に入った現在、さらにいっそう複雑な様相を呈しつつある。 2003 年 3 月のイラク戦争前後、「デモクラシーの帝国」(藤原帰一)と呼ばれるようなア メリカによる強引な民主化の促進のあり方が国際的な議論を呼んだ2。同時期、日本国内で は、そのイラク戦争や戦後復興への日本の国際協力について、「国際社会全体の意思を受け た」国連安全保障理事会(以下、安保理)の決議が必要かどうか激しい議論が起きた。し かし、その安保理自身、一部の大国に拒否権という特権を与える「非民主的な」機関とし て長年批判されてきたものである。また、「先進民主主義諸国」が集まる先進国首脳会議(サ ミット)では、グローバル化を一部の先進諸国政府が押し進めるやり方に対して、その「非 民主性」を批判する NGO によるデモが近年必ず見られるようになった3。同時に、1992 年 の国連環境開発会議(UNCED)に象徴されるように、国際的な意思決定の場での NGO の 躍進が、一部諸国政府の強い反発を呼びつつも「国際関係の民主化」として注目されるよ うになった。他方で、各国国内の民主政治に目を転じてみると、日本や欧米諸国では投票 率の低下に象徴されるように民主政治の空洞化が言われ、多くの発展途上国では民主政権 の権威主義化が見られる。 一見ばらばらに見えるこれら「デモクラシー」や「民主化」をめぐる現象の背景には、 あるべき民主的な世界秩序をめぐる争いが存在している。例えば、アメリカの強引なまで の国家の民主化促進の背後には、すべての国家が(アメリカが定義する意味で) 「民主的」 なものとなるべきだとする世界秩序観がある。それに対抗する勢力も、弱者による政治参 加の重視など、異なった民主的な世界秩序観を有して行動している。おそらく、人民の支 1 配というデモクラシーの理念が世界全体で実現された状態としての民主的世界秩序、すな わち本書で「グローバル・デモクラシー」と定義するもの自体は、ほとんどの者が望まし いとするであろう。しかし現在の世界においては、その目標及び実現方法に関する主張が 様々に存在し、争われているのである。 1945 年に設立された国際連合(以下、国連)においても4、デモクラシーや民主化、ひ いてはグローバル・デモクラシーをめぐる争いがその歴史に現れてきた。デモクラシーの 理念は、国連憲章そのものには言葉として現れないものの、「機構の目的と原理に含まれて いるという意味で、国連憲章に根ざしたもの」であり5、「憲章は民主的国家とその諸国間に おけるデモクラシーの構想を提供している」6。しかしながら、設立後ながらく国連におい ては加盟国の民主化の問題に触れることは、デモクラシーの内容をめぐる東西両陣営の争 いと内政不干渉の原理への配慮からタブーであった。また、国連の機構内部における、す なわち諸国家間のデモクラシーとは、一国一票に基づく国家間の平等のことであることが 当然視された。ところが現在では、国連は平和活動などを通じて加盟国の民主化に積極的 に関わろうとしている。また、加盟国を押しのける形での国連への NGO の参加拡大が「国 連の民主化」として評価されるようになった。しかし同時に、国連による国内の政治体制 への関与を恐れる声も依然根強い。また、NGO の参加拡大は一国一票制度を基調とした国 家間の枠組みを崩しかねないとして、それらを批判する声も存在する。このような加盟国 と国連自体それぞれの「民主化」をめぐる国連における動きは、今後の国連と国家及び人々 の関係を問うものである。そして、これらの動きは決して個別に存在しているではなく、 その背後には、加盟国や国連事務局、国連に関わる NGO、学識者、市民、それぞれが抱く 民主的な世界秩序、すなわちグローバル・デモクラシーの構想の違いが存在しているので ある。むしろ、世界秩序全体に関わる包括的な視点から見ない限り、それら国連の将来に 関わる争いの国際関係全体と連動した本当の意義を理解することはできない。 そこで本書の主たるテーマは、国連においてどのように加盟国への民主化支援活動が形 成され7、他方で国連自体の民主化はどのように追求されてきたのかを考察し、それによっ て、国連全体としては、どのようなグローバル・デモクラシーを目指そうとしているのか、 また、そこにはどのような争いや問題が存在しているか明らかにすることである。言い換 えると、本書は、グローバル・デモクラシーの視点を用いて、広い意味での「民主化」へ 2 の国連の関わりを考察するものである。それはまた、デモクラシーや民主化、グローバル・ デモクラシーの議論をいっそう豊かなものにし、今後の世界秩序を占う試みにもつながる。 この序章では、まず国家や国際関係におけるデモクラシーや民主化の状況を改めて概観 し、国連を含む国際社会が直面する様々な「民主化の課題」を明らかにする。その上で、 本書における議論の鍵概念であり、分析の視点であるグローバル・デモクラシーについて 簡単に説明する。最後に、改めて国連と民主化の課題、グローバル・デモクラシーそれぞ れの関係に触れつつ、本書の構成を説明したい。 2 デモクラシーの状況と民主化の課題 現在、世界では、ほとんどの国家、集団、個人が「デモクラシー」を人類にとって価値 あるものと認め、その実現を目指している。しかし、デモクラシーが人類にとって不可欠 とされたのは、人類史の長さからいうとつい最近のことに過ぎない。 「人民による支配」というデモクラシーの理念は、紀元前 5 世紀、古代ギリシャに生ま れた。しかし、古代ローマにおける共和政の後、中世におけるフィレンチェなど地中海沿 岸の都市国家を除いて、ながらく政治体制としてのデモクラシーは存在しなかった。それ が近代に入り、1 7 世紀のイギリス市民革命、18 世紀のアメリカ合衆国の独立とフランス 革命を経て、近代国民国家と主権国家体系の発達に合わせて議会制民主主義へそのあり方 を変えつつも、欧米諸国においてデモクラシーは再び発達していった8。第 2 次大戦を経て 20 世紀後半になると、「人民の意志は、統治の権力の基礎である」(世界人権宣言第 21 条 3 項)というデモクラシーの理念は国内でも国際的な場でも望ましいとされ、自由や人権と 並んで人類にとって実現すべき最も重要な基本理念の一つとなった。しかし、冷戦の間は、 西側は「自由民主主義」、東側は「人民民主主義(民主集中制)」を主張するなど、デモク ラシーの具体的な制度・方法のあり方について世界全体の合意は存在しなかった。 それが冷戦終結前後より、デモクラシーを取り囲む状況に大きな変化が訪れた。第 1 に、 世界全体で国家の民主化が急激に進んだ。1974 年のポルトガルを皮切りに始まったとされ るいわゆる「民主化の第 3 の波」は、1989 年に冷戦が終結すると、急速に加速した9。そこ でいう「民主化」とは、西側先進諸国の自由民主主義体制(リベラル・デモクラシー)を 3 範として、自由主義経済が導入され、自由で公正な競合的選挙が実施されることであった。 アメリカの NGO、フリーダムハウスの統計によると、2002 年現在、「民主主義国家」は、 全国家数の約 3 分の 2 である 121 カ国を数えるとされる10。 この自由民主主義体制を求める世界的な民主化の流れは「歴史の終わり」を飾るものと さえいわれた11。「歴史の終わり」のテーゼによると、地球全体でデモクラシーの理念が達 成されるためには、すべての国家が自由民主主義体制を採用すればよいのであり、現在、 それに向かって歴史は進みつつあることになる。実際、その流れにあわせて、国際機構や 政府間会議でデモクラシーに関する規範が生み出され、各国政府や国際機構、国際 NGO に よる民主化支援活動も活発になされるようになった。 他方で、民主主義体制へと移行したばかりの国家は、それが定着するまでに様々な困難に 直面するようになった。現在もなお、多くの国家で、政権が安定せずクーデターが頻発し ている。また、特定の人物へ権力が集中し、議会が無視され抑圧的な政策が取られるなど、 民主的に選ばれた政権の権威主義化も指摘されている12。他にも、政治エリートの民主主義 体制への忠誠心の欠如や、不正や汚職、政府の統治能力の不足、民族間の紛争の存在、政 党組織や市民社会の未発達、民主的政治文化の未成熟、経済的苦境など、民主化の定着を 阻む要因の存在が指摘されている。しかし、民主化を阻む要因は、そのような国内的なも のだけではない。グローバル化による貧富の格差の拡大や、世界銀行や国際通貨基金(IMF) による構造改革や経済の自由化の押し付けなど国際的な要因も民主化に悪い影響を与えて いるとされる13。 第 2 に、欧米先進諸国など古くからの民主主義国家では、 「民主主義の終わり」といわれ るように14、既に冷戦終結以前より議会制度を中心にした従来の民主主義体制が揺らいでい る15。国内社会において、都市化と高齢化が進んで社会階層が変動し、環境問題への注目な ど有権者が関心を持つ争点の多様化しているにもかかわらず、既存の政党は、それらの変 化に対応して国民の意思を十分に汲み取ることができていない。また、経済成長の停滞に よって財政赤字が拡大し、従来の福祉国家路線が行き詰まりつつある。加えて、国家の巨 大化によって、政界・財界・官僚の癒着など政治構造が硬直化していった。そのため、一 票を投ずることへの無力感が生じ、投票率は低下し、国民の政治への不信は高まっている16。 多くの国家で新たな民主化が進んでいる一方で、それらの国々が目標とする既存の民主主 4 義国ではデモクラシーへの幻滅が広がっているという「民主主義のパラドックス」が生じ ている17。 第 3 に、そもそも、国家の相互依存とグローバル化によってデモクラシーの基盤であっ た国民国家そのものが変容し、同時に、国家を超えた(transnational)場での意思決定や 活動が人々への生活へ直接的に与える影響が大きくなりつつあるとされる18。 まず、先進国・発展途上国問わず、政治や経済、文化のグローバル化と国家間の相互依 存の深化によって国内外の政治的・社会的環境が大きく変化し、主権国家としての自律性 が低下してきた。そのため、従来の(自由)民主主義体制を支えてきた、あるいは支える はずの諸前提が揺るがされつつある19。 経済の自由化とグローバル化は、各国の政府に対して、国際的な競争に勝つために、労 働条件や移動労働者などへの規制を緩和・撤廃し、財政の健全化のために国民が求める福 祉政策を縮減するよう圧力をかけ、その流れに逆らう政策の選択を制限している20。また、 経済のグローバル化は、先にも述べたように、経済発展を進めうる一方で不平等の拡大に よる反民主的な効果も持ち21、途上国の政治体制の民主化を妨げている22。先進国において も、高齢者、女性、少数民族、移民などの弱者へのしわ寄せをもたらし、政治体制を不安 定化させている。文化のグローバル化は、地球規模で文化の普遍化と多様化を生み、従来 の(自由)民主主義体制の前提とされてきた国民の文化的同質性を掘り崩している。さら に、グローバル化と相互依存の深化は、国際金融市場の不安定や環境問題のように、一国 では対処できない問題も急増させた。 そのようなグローバル化と相互依存によって生じる問題へ対処するために、「グローバ ル・ガバナンス」といわれる国家を超えた統治メカニズムが発達していった23。現在、国際 的な問題を取り扱う国際制度が、環境や金融など各政策領域に作られている。しかし、そ れら国家を超えた場での意思決定においては、その影響を受ける人々の意思が反映され民 主的なコントロールが及んでいるとはいえない場合が多い。もともと、国家を超えた場で のデモクラシーとして、国家間の平等を求める「国際(国家間)民主主義」が主張されて きた24。国家を超えた意思決定は平等な国家間の合意ないし一国一票制に基づく多数決によ ることが予定されてきた。しかし実際の国際機構では25、国際官僚といった国家以外の行為 主体の影響力が強まりつつある。世界貿易機構(WTO)や欧州連合(EU)では、国家の権 5 限の委譲が進むことで、従来の国家議会を通じた民主的なコントロールはますます低下し ているといわれる26。また、国際機構など国家によってつくられた国際制度だけでなく、多 国籍企業や国際 NGO など私的な行為主体による意思決定や活動も、ますます人々の生活に 影響を与えるようになりつつある。そのため、グローバル・ガバナンスの諸制度や影響力 の強い私的な組織の意思決定や運営に人々の声が反映されるよう、その「民主化」を求め る声が高まってきた27。 以上のようなデモクラシーをめぐる状況が 21 世紀に入った現在存在している。それにあ わせて、以下のように、国家の民主化、既存のデモクラシーの再活性ないし深化、国家を 超えた場の民主化、という国際社会における 3 つの民主化の課題が指摘できる。それぞれ、 実際の政治の場でも学問の上でも盛んに議論がなされている。 第 1 に、国家の民主化をどのように進めればよいか、特に、国際社会による民主化への関 与のあり方が問われている。国家の民主化の目標をめぐっては、少なくとも、自由で公正 な選挙が定期的に実施され、同時に、表現の自由といったそれに関わる諸権利が制度的に 保障されることが最小限の条件であることで国際的な合意が成立しつつある28。ただし、今 なお中国やキューバ、北朝鮮などは独自の「人民民主主義」を主張し続けている。また、 そもそも選挙の実施を中心とした手続きに重点を置いた民主化は、先進諸国にとって好都 合である経済の自由化を押し進める道具であるという批判が依然存在する29。 国際的な民主化支援活動については、特に冷戦終結前後より活発になされ、諸国の民主化 に貢献してきた。しかし、その是非や内容をめぐって、多彩な論争が存在している。まず、 どのような民主化支援が民主化の促進にとって有効か、という支援側の方法論的な議論が ある30。また、逆に支援される側に立って、欧米諸国やそれらが支配的な国際機構による民 主化支援活動は、西欧型民主主義体制の一方的な押し付けであり、新たな植民地主義であ るという批判がある。その批判には、アジア的民主主義論のように文化的な見地からのも のもあれば31、民主化が一方的軍事的介入の口実になる危険性の指摘のように、国家主権の 原理に基づくものもある。また、先に述べた経済的な観点からの批判もある。中でも、ア メリカによる国際的な民主化の促進をめぐる議論が盛んに行われている32。 第 2 に、既存のデモクラシーをどのように再活性化させるか、また、理想の実現へ向けて いかに深化させればよいかという問題がある。A・ギデンズのいう「民主主義の民主化」の 6 問題である33。このデモクラシーの再活性化や深化に関する議論としては、以前より、直接 民主主義や参加型民主主義の主張や運動がある34。最近でも、デモクラシーの根源である「人 民の支配」を追求することを求めるラディカル・デモクラシーの議論が活発になされてい る35。具体的な試みとしては、住民投票の試みや職場や学校といった社会的領域への民主的 参加が行われている。また、直接的な政治運動やネットワーク作りによって、環境問題や ジェンダーの問題など新たな争点へ取り組む NGO/NPO 活動や市民運動が活発に行われ ている36。 このような取り組みは、必ずしも既存の民主主義諸国だけではない。新興の民主主義諸国 おいても盛んである。場合によっては、国家の政治体制は非民主的であるにもかかわらず、 参加型開発や社会運動を通じて、自らに関わる事柄を民主的に決定しうるような努力がな されているケースも存在する。さらにそのような各国での NGO による活動や社会運動が国 境を超えて連帯し、世界全体をつなぐネットワークが形成される場合もある37。 第 3 に、国際機構といった国家を超えた場をどのように民主化するかという課題がある。 この民主化の課題は、デモクラシーが都市国家で生まれ、それが近代国家へと適用された 変化に次ぐ、国家を超えた場へのデモクラシーの「第 3 の移行」ともいわれる38。しかし、 国家の超えた場の民主化に関しては、国家の民主化のような最低限の条件に関する合意は いまだ存在せず、後にみるように様々な議論がなされている状態である。例えば、国連安 保理の拒否権の廃止を求める議論のように国家間の平等を求めるものもあれば、政府代表 が民意を代表したものになるよう全ての加盟国に民主化を求めるものがある。他にも、世 界の人々を直接代表する超国家的議会の設立を求めるもの、NGO やそのネットワークなど いわゆる「市民社会」の直接的な参加を求める要求がある。 本書では、これら民主化の課題のうち、第 1 の国家の民主化と第 3 の国家を超えた場の 民主化に対する国連の取り組みに焦点を当てる。 3 グローバル・デモクラシーの議論 以上のように、現在、国内外のデモクラシーの状況から、大きく 3 つの民主化の課題、あ るいは争点を導き出すことができる。しかし、従来、各課題の目標及び実現方法は、相互 7 に結び付けられることが少なく、個別に考察されてきた。そのために、例えば、各国への 民主化支援と国際的な意思決定との結び付き、といった各課題にまたがる問題の考察が困 難であった。後に見るように、国連の民主化支援活動は、経済援助拡大や国際経済機関の 「民主化」による国家間の平等促進を主張する発展途上国と、他方で、経済援助拡大や機 構改革には消極的で、しかし民主化を積極的に要求する欧米諸国が対立する中で形成され た。また、政府間主義に基づく理事会以外に、直接市民によって選ばれる欧州議会を持つ 欧州連合(EU)では、後者に押される形で、メンバーシップの停止さえ含めてより積極的 に EU 加盟国内のデモクラシーを支える手続きが形成されつつある39。これらの例では、国 家の民主化への支援と、国家を超えた場の意思決定やその民主化の問題が連関している。 そこで本書では、人民の支配というデモクラシーの理念が世界全体で実現された状態で、 民主的世界秩序である「グローバル・デモクラシー」の概念を通じて、それらの民主化の 各課題に対する国連の取り組みを有機的に結び付けて分析する40。 先にも述べたように、民主化の各課題への取り組みは、あるべき世界秩序の構想と結び付 いている。例えば、国家の民主化は市民社会による運動によって進められるべきで、国際 社会はその市民社会の育成を支援すべきという主張や、既存の民主主義諸国における NGO/NPO や市民運動によるデモクラシーの再活性化の議論、NGO の積極的な参加によっ て国際機構の民主化を進める主張は、いずれも世界市民による政治への直接参加を重視す る世界秩序観に基づいている。他方、国家政治体制のあり方は各国民自身が決めることで あり、国際社会は一切介入すべきではないという主張と、国家間の平等の推進による国家 を越えた場の民主化の要求は、伝統的な主権国家システムに基づく世界秩序観に基づいて いる。このように、それぞれの行為主体が抱くグローバル・デモクラシーの構想の実現に は各民主化の課題への取り組みが不可欠であると同時に、国家レベルと国家を越えたレベ ル双方を含む包括的な概念であるグローバル・デモクラシーの構想の違いが各課題への取 り組みの違いに反映されているのである。 グローバル・デモクラシーの議論は、名こそ違えども古くより存在してきた。しかし、こ れまでの議論は、第 1 に、抱かれるグローバル・デモクラシーの構想がそもそも様々に存 在し、それらの間で矛盾や対立があることが視野に入れられてこなかった41。特に、グロー バル・デモクラシーの構想の一つに過ぎないコスモポリタン・デモクラシーがグローバル・ 8 デモクラシー自体と同一視される傾向があり、主権国家の平等と内政不干渉を原則とする 世界秩序の構想もまたその一つでありうることが見逃されてきた。そのため、あるグロー バル・デモクラシーの構想では主権国家の枠組みが尊重される一方で、違う構想では、そ れはむしろ「非民主的」なものとして批判されるという現象を捉えることができなかった。 第 2 に、これまでの議論は目指すべき目標や構想のみを語るものが多く、そのような目標 が実際の政治においてどのように実現へと向かっていくのかまで議論したものは限られて いた。すなわち、国家の民主化の議論にあるような、グローバル・デモクラシーへの世界 の「移行理論」あるいは「民主化理論」が欠けた状態である42。 第 3 に、これまでグローバル・デモクラシーの議論は、民主化の各課題への配慮において 不均等であった。すなわち、国際機構の民主化や国際会議の運営のあり方など国家を超え たレベルの民主化に焦点が置かれ、国家の民主化やそれへの国際的関与の問題は必ずしも 十分には視野に入れて議論されてこなかった43。 そこで、グローバル・デモクラシーの議論に関して、本書では、第 1 に、多様なグローバ ル・デモクラシーの議論を整理し、それらのモデル化を試みる。第 2 に、国連を事例とし て、グローバル・デモクラシーの実現に向けた実際の政治過程を検証する。第 3 に、国家 レベルの民主化だけでなく、国家レベルの民主化への国際的な取り組みにも焦点を当てる。 そもそも、グローバル・デモクラシーをはじめとする世界秩序観は、その実現を目指す行 為主体の行動を通じて、現実の政策形成や機構改革に影響を及ぼす44。国際連盟や国連もま た、国家間の平等と民族自決を柱とするウィルソンらの理想主義の影響を強く受けて設立 された。国際社会における国家や国際機構、NGO などの行為主体がどのようなグローバ ル・デモクラシーの構想を抱き、また、それらの構想が、個々の民主化の課題への取り組 みを通じてどのように現実の世界に反映されるかは、今後の世界秩序の行方を占う上でも 重要である。実際、2003 年 3 月のイラク戦争で強く現れた、自国流のデモクラシーを世界 に推し進めようとするアメリカの行動は、今後の世界秩序のあり方の観点から盛んに議論 された45。3 つの民主化の課題への様々な取り組みを、グローバル・デモクラシーという概 念から総合的に結び付けて議論することは、個々の問題のみならず、今後の世界のあり方 を考察する上で不可欠である。このように、本書は、国連を事例として、グローバル・デ モクラシーの議論自体に貢献することも狙いとしている。 9 4 グローバル・デモクラシーと国連 国連もまた、民主化の各課題との関わりを通じて、グローバル・デモクラシーをめぐる争 いと密接に関わってきた。ブトロス=ガリ前事務総長も『民主化への課題』で述べたよう に、国連は、加盟国と国家を超えた場の双方の民主化に携わってきた46。1993 年のカンボ ジアでの UNTAC の活動をはじめ、国連は平和維持活動とともに加盟国の民主化支援に力 を入れてきた。他方で、国家を超えたレベルにおいては、国際協力を通じて国家間の平等 を促進するとともに、1992 年リオデジャネイロで開催された国連環境開発会議をはじめと して国際政治への NGO の参加を奨励してきた。 しかし同時に、冷戦の対立のためにデモクラシーの言葉が憲章に記されなかったことに象 徴されるように、国連による両民主化への取り組みには、民主的な世界秩序をめぐる複雑 な争いが反映されてきた。冷戦終結の時期までは、国家におけるデモクラシーや民主化の 問題は半ばタブーとして無視される一方で、総会の一国一票制が「民主的」な決定方法と して賞賛された。それが冷戦後は、加盟国の民主化が求められる一方で、国家間の枠組み の変更を意味する NGO の参加拡大が国連の「民主化」として求められるようになった。こ のような状況の変化は、国連に関わる加盟国、官僚、NGO、知識人それぞれにグローバル・ デモクラシーの構想が異なり、また変化するために生じる。そもそも国連は、それがもつ 普遍性と権威から、様々なグローバル・デモクラシーをめぐる争いが反映されやすい。し かしこれまで、国連の民主化支援活動とそれ自体の民主化への取り組みは、別々に議論さ れて、全体的な世界秩序の観点に結び付けられて考察されることは少なかった47。 そこで、グローバル・デモクラシーと国連の関係に関して、本書は、第 1 に、国際社会に おける行為主体としての国連は、21 世紀に入った現在、どのようなグローバル・デモクラ シーを求め、またどのように実現しようとしているのか、その方向性を明らかにする。第 2 に、国連内部において、グローバル・デモクラシーに関わる争いがどのように行われてき たか、その政治過程を解明することを試みる。第 3 に、グローバル・デモクラシーの各モ デルは、国家の民主化への国際的な関与のあり方と国家を超えた場の民主化の目標に関し て、その特徴が特に表れている。そこで、国連はどのタイプのグローバル・デモクラシー 10 を目指し、またその実現にどれだけ成功しているかを理解するために、加盟国への民主化 支援と国連自体の民主化への取り組みに焦点を当てる。本書でなされるこれらの試みは、 デモクラシーや民主化が重要な国際的問題となり、他方で国際社会における国連自体の地 位の低下が危惧される中で、国連にとっては取り組まれなければならないものである48。 5 国連の政治過程へのアプローチ 本書は、最も普遍的な国際機構である国連の政治過程を扱う。そもそも、国際機構は 20 世紀後半に急速に増大し、その権限も強くなっていった。特定の政策領域では、世界貿易 機関(WTO)のように、加盟国に対して法的拘束力を持つ決定を下しうる場合さえある。 国際機構がどのように機能し、どのようにその制度や活動を変化させるかは、「政府なき統 治」やグローバル・デモクラシーの今後を考える際に非常に重要である49。しかし、現在、 国際機構研究は、(新)現実主義や国際レジーム論、グローバル・ガバナンス論といった国 際関係の諸理論・諸アプローチの中に埋もれ、国際関係論における独立した研究分野とし てのアイデンティティーを失っている50。国際機構に関する研究をいっそう豊かなものにす るには、国際機構そのものの焦点を当てた実証的な研究が必要である。 国際機構に焦点を当てて国際関係の主要な諸理論を再検討すると、国際機構研究はいく つかのアプローチ、すなわち現実主義的、自由主義的、社会学的、構造主義的、組織論的 各アプローチに整理できる51。第 4 章の始めでまとめるように、各アプローチは、加盟国間 の力関係、国際機構が持つ機能、規範・価値の変化、国際経済構造、国際機構の組織とし ての特性といったものを、国際機構の制度及び活動を変化させる要因として注目する。そ れぞれ国際機構の一面を見るものであり、国連を含めた国際機構の分析の際に組み合わせ ることが可能である。本書でも、国連における民主化支援活動と国連自体の民主化の政治 過程を、それらの要因に注目しながら考察する。本書は、その作業を通じて、国際機構研 究に貢献するものである。 6 本章の構成 11 以上をまとめると、本書の目的は、第 1 に、国際的な民主化支援活動及び国際機構の民 主化それぞれへの国連の取り組みの実態を、国連内部の政治過程を踏まえながら明らかに することである。第 2 に、その作業を通じて、国連全体としてはどのようなグローバル・ デモクラシーを目指そうとしているのか、その方向性を明らかにすることである。第 3 に、 本格的な考察が始まって日が浅いか、研究分野としての独立性に欠けている、国際的な民 主化支援、国際機構の民主化、グローバル・デモクラシーの議論及び国際機構研究といっ た各分野の研究に国連の事例を通じて貢献することである。 本書の研究対象の先行研究は、いずれも複数の学問領域に分散しているか、そもそも乏 しい。そのために本書の構成では、先行研究の整理と分析枠組みの新たな構築に重点が置 かれる。まず第Ⅰ部では、デモクラシー及びグローバル・デモクラシーの概念を整理する。 第 1 章では、民主的といいうる条件を示した上で、デモクラシーの諸議論を、先の民主化 の課題に適合するように一定の枠組みを用いて整理する。無限の議論が存在する中で、デ モクラシーに関する最小限の定義と基準は、議論を進める上で不可欠である。次に、本書 におけるデモクラシーの定義と民主的といいうる最低限の要件を示す。その上で、第 2 章 では、民主化を通じて目指す全体的な目標であるグローバル・デモクラシーの思想を概観 し、諸モデルにまとめる。それら諸モデルは、国連がどのようなグローバル・デモクラシ ーを目指しているかを測る指標となる。同時に、それらは、加盟国など国連に関わる行為 主体がそれぞれ抱くグローバル・デモクラシーの構想の多様さが、国連による民主化支援 活動及び国連自体の民主化に影響を及ぼしていることを明らかにする際の手がかりとなる。 国連はどのタイプのグローバル・デモクラシーを目指し、またその実現にどれだけ成功 しているかを理解するには、加盟国への民主化支援と国連自体の民主化への取り組みを詳 細にみることが有効である。そこで第Ⅱ部では、国連による加盟国の民主化支援に焦点を 当てる。第 3 章では、国家の民主化はどのような過程を経て行われ、また、国際的な民主 化支援活動にはどのようなものがあるか、国連以外の国際的行為主体による支援を概観す る。第 4 章と第 5 章では、そもそも内政不干渉の原則から加盟国の民主化支援には消極的 であった国連において、民主化支援活動がいかに形成されてきたか、その歴史的形成過程 をみる。第 6 章では、その結果できあがった国連の民主化支援活動が、第 3 章でみた民主 化の過程及び他の機関による支援と比べて、どのような特徴をもつかをまず明らかにする。 12 次に、その特徴が実際の加盟国の民主化に与える影響を、カンボジアの事例を通じて検証 する。 第Ⅲ部では、国家を越えた場の民主化の一部として、国連自体の民主化の動きをみる。 そもそも、国家を超えた場の民主化の目標は、国家の民主化と比べると程遠く不明瞭な状 態である。そこで、第 7 章では、現在の国家を超えた場の民主化をめぐる議論をまとめる。 第 8 章では、国連においてはその民主化がどのように模索されてきたかを、1980 年代後半 以降の国連改革の中にみる。 結章では、以上の考察を踏まえて、各民主化の課題への取り組みにおいて国連はどのよ うに取り組み、どのような成果を挙げてきたのか、また、それらを総括して国連はどのよ うなグローバル・デモクラシーを目指しているのか、最後に、国連の事例から、グローバ ル・デモクラシーの議論に関して、どのような一般的な知見を得ることができたかを明ら かにする。結論を先取りするならば、国連は、第 1 に、全体目標としての明確なグローバ ル・デモクラシーの構想を抱くに至っていない。第 2 に、グローバル・デモクラシーへ向 けた民主化の各課題について、まず、加盟国の民主化については、目標は明確になりつつ あるものの、その支援の制度は不十分であり、実績は必ずしも芳しくない。国連自身の民 主化については、民主化の目標そのものが明確ではなく、どの目標も十分に達成してきた とはいえない。第 3 に、以上のような国連の状態をもたらした要因は、グローバル・デモ クラシーへ向けた国際社会の取り組み全般にも現れているものである。 1 「デモクラシー」の用語について、本書では、理念と制度の両方を含む広いものとして使 用する。ただし、「自由民主主義」「直接民主主義」のように、一般的な言い回しが既に存 在するとき、あるいは引用の際には基本的にそのまま使用する。 なお、本書において「民主主義」よりも「デモクラシー」を使用する理由のひとつは、 日本語の「民主主義」には 、天皇主権に対する人民主権、共産主義に対する民主主義とい うように、そもそもイデオロギー的な傾向を有しており、それを避けるためである。阪本 昌成『リベラリズム/デモクラシー』有信堂高文社、1998 年、184-185 頁参照。 2 藤原帰一『デモクラシーの帝国』岩波書店、2002 年参照。 3 本書における「NGO」は、とりあえず、非政府的で非営利的な組織を意味する。NGO の 語そのものは国連憲章の規定より生まれたものである。馬橋憲男『国連と NGO-市民参加 の歴史と課題』有信堂高文社、1999 年、4-7 頁参照。現在では、「市民社会」の概念ととも に、さまざまな意味で用いられている。文脈に応じて、その意味や役割が変化するので注 意が必要である。NGO を、その方向性(開発か人権かなど)や活動のレベル(国際的か地 域的かなど)という「本質的特徴」(descriptor)と、アカウンタビリティーや効率性、参加 の程度などの「付随的特徴」(contingent descriptor)で分類したものとして、Vakil, Anna C., “Confronting the Classification Problem: Toward a Taxonomy of NGOs”, World 13 Development, Vol.25, No.12, 1997, pp.2057-2070 参照。 4 本書における「国際連合(国連)」は、特に指定しない限り、総会、安全保障理事会、経 済社会理事会、事務局などいわゆる「国連本体」のみならず、専門機関やプログラムなど 「国連システム」も含む。ただし、世界銀行や IMF などブレトンウッズ機関は含まない。 また、文脈によって、国家と同様に国際関係における「単一の行為主体」として扱うこと もあれば、様々な行為主体が相互作用を行う「場」としても用いる。内部の意思決定によ って国連としての単一の「意思」が生まれるが、その過程が本書の考察対象の一つである。 5 White, Nigel D., “The United Nations and Democracy Assistance: Developing Practice within a Constitutional Framework”, in Peter Burnell (ed.), Democracy Assistance: International Co-operation for Democratization, London: Frank Cass, p.67. 6 Report of the Secretary-General, Agenda for Democratization, U.N. Doc.A/51/761, 20 December 1996, para.28. 7 本書でいう「民主化支援活動」 (democtatization assistance activities)とは、後にも述 べる通り、対象国の合意に基づくか強制であるかを問わず、民主化を促進し、あるいはそ れを阻害する要因を除去・予防するため、国内的な主体や環境・構造に対して行う、外部 の行為主体による直接的関与のことである。「デモクラシー/民主化支援」 (democracy/democrtaization assisitance)は合意に基づく活動のみを、他方、「デモクラ シー/民主化促進」(democracy/democratization promotion)は対象国の合意を得ない民 主化の推進活動も含む意味合いで用いられることが多いが、ここではほぼ同義で用いる。 8 Held, David, Democracy and the Global Order, Polity Press: Cambridge, 1995(佐々木 寛ほか訳『デモクラシーと世界秩序―地球市民の政治学』NTT 出版、2002 年), ch.2,3,4. 9 サミュエル・ハンチントン著、坪郷實、中道寿一、藪野祐三訳『第三の波: 20 世紀後半の 民主化』、三嶺書房、1995 年; Potter, David, David Goldblatt, Margaret Kiloh, Paul Lewis (eds.), Democratization, Cambridge: Polity Press in association with The Open University, 1997. 10 Freedom House, Freedom in the World 2001-2002. 11 Fukuyama, Francis, The end of history and the last man, New York: Free Press, Toronto: Maxwell Macmillan Canada, 1992(渡部昇一訳『歴史の終わり(上)(下)』三笠書 房、1992 年) 12 Diamond, Larry, Developing Democracy: Toward Consolidation. Baltimore, Md.: Johns Hopkins University Press, 1999, ch.2;O’Donnell, Guillermo, “Delegative Democracy”, Journal of Democracy, Vol.5, No.1, 1994, pp.55-69. 13 民主化の国際的側面については、ハンチントン、前掲、84-98 頁;Whitehead, Laurence, The International Dimensions of Democratization: Europe and the Americas, Oxford: Oxford University Press, 1998;木暮健太郎「民主化における国際的要因の諸相」『国際政 治』128 号、2001 年、146-159 頁参照。 14 ジャンマリ・ゲーノ著、舛添要一訳『民主主義の終わり』講談社、1994 年。 15 近年の国家や民主主義体制の変容については、以下を参照。Cox, Robert W., “Democracy in hard times: economic globalization and the limits to liberal democracy”, in Anthony McGrew (ed.), The Transformation of Democracy? Cambridge: Polity Press, 1997, pp.49-72;Held, 1995, op.cit.;Held, David, “Democracy and Globalization”, Global Governance, Vo.3, No.3, 1997, pp.251-267;Held, David, “The transnational of political community: rethinking democracy in the context of globalization”, in Ian Shapiro and Casiano Hacker-Cordon (ed.), Democracy's edges, Cambridge: Cambridge University Press, 1999, pp.84-111;Held, David, Anthony McGrew, David Goldblatt and Jonathan Perraton, Global Transformations, London: Polity Press, 1999, ch.1;McGrew, Anthony, “Globalization and territorial democracy: an introduction”, in McGrew (ed.), op.cit., pp.1-24;岩崎正洋『議会制民主主義の行方』一藝社、2002 年;小林誠、遠藤誠治編『グロ 14 ーバル・ポリティクス-世界の再構造化と新しい政治学-』有信堂、2000 年。 16 ギャラップ・インターナショナルの調査では、自国政治で民意が反映されていると感じ ている人の割合は 4 割未満である。Gallup International, Governance and Democracy-the People’s View, 2000, [http://www.gallup-international.co./survey18.htm]. 17 アンソニー・ギデンズ著、佐和隆光訳『暴走する世界―グローバリゼーションは何をど う変えるのか―』ダイヤモンド社、1999 年、144 頁。 18 本書でいう「国家を超えた」 (transnational)は、権限的に主権国家の上位にあるとい う意味での「超国家的」(supranational)と国家間関係としての「国際的」 (international) の意味を含んだ上で、一国家の中だけでは収まらない、複数の国家にわたる、あるいは国 境を超えて、という意味である。ただし、「国際 NGO」のように、本書の「国家を超えた」 と同じ意味であっても、その言い回しが一般的であるときには、「国際」または「国際的」 を用いる。なお、「グローバル」(global)や「コスモポリタン」(cosmopolitan)は、地球 全体を示す概念として用いる。See, Holden, Barry, “Introduction”, in Barry Holden (ed.) Global Democracy. London and New York: Routledge, p.2; Archibugi, Daniele, “Principles of Cosmopolitan Democracy”, in Daniele Archibugi, David Held and Martin Köhler (eds.), Re-imagining Political Community: Studies in Cosmopolitan Democracy, Cambridge: Polity Press, 1998, pp 216. 19 See, Held, 1995, op.cit.;Held, David, “Democracy and Globalization”, Global Governance, 3, 1997;Held, 1999, op.cit.;Held, McGrew, Goldblatt and Perraton, op.cit.;McGrew, op.cit. 20 See, Cox, Robert W., op.cit., pp.49-72. 21 グローバル化がもたらす功罪については、例えば、2000 年に開催されたミレニアムサミ ットへ向けたアナン国連事務総長の報告書「われら人民」(‘We the Peoples’)を参照 (U.N.Doc.A/54/2000)。 22 Cerny, Philip, “Globalization and the erosion of democracy”, European Journal of Political Research, Vo.36, No.1, 1999, pp.1-26. 23 グローバル・ガバナンスの議論について、大芝亮「グローバル・ガバナンス論について」 『外交時報』No.1314、1997 年、4-12 頁;大芝亮、山田敦「グローバル・ガバナンスの理 論的展開」『国際問題』No.438、1996 年、2-14 頁;グローバル・ガバナンス委員会著、京 都フォーラム監訳『地球リーダーシップ-新しい世界秩序を目指して-』NHK 出版、1995 年;渡辺昭夫、土山實男編『グローバル・ガヴァナンス』東京大学出版会、2001 年参照。 本書における「グローバル・ガバナンス」は、国家間関係や国際機構、NGO の国際的なネ ットワークを中心にしたものであり、国家レベルは原則として含まない。 24 「国際民主主義」については、桐山孝信『民主主義の国際法』有斐閣、2001 年、6-7 頁 及び終章;日下喜一『現代民主主義論』勁草書房、1994 年、6 章;高野雄一『国際組織法 (新版)』有斐閣、1975 年、8 章参照。 25 本書における「国際機構」とは、国家間の条約で設立された、いわゆる「政府間国際機 構」を指す。ただし、実際の運営が国家中心である、あるいは、そうあるべきことを前提 としているわけではない。 26 例えば、欧州連合(EU)における国家議会の民主的コントロールの低下問題について、 荒島千鶴「構成国国会の審査制度による EC 立法過程の民主的統制」 『日本 EU 学会年報』 第 21 号、2001 年、222-266 頁参照。 27 Held, 1995, op.cit.; Nye, Joseph S. Jr., “Globalization’s Democratic Deficit: How to Make International Institutions More Accountable”, Foreign Affairs, Vol.80, No.4, 2001, pp.2-6;Scholte, Jan Aart, “Civil Society and Democracy in Global Governance”, Global Governance, Vol.8, No.3, 2002, pp.281-304;古城佳子「国際経済-経済のグローバル化と ガヴァナンスの要請」渡辺・土山、前掲、259 頁。多国籍企業の「民主化」に関する議論に 15 ついては、Thompson, Grahame, “Multinational corporations and democratic governance”, in McGrew (ed.), op.cit., pp.149-170. 28 Fox, Gregory and Brad R. Roth (eds.), Democratic Governance and International Law, Cambridge: Cambridge University Press, 2000;Franck, Thomas M., ‘The Emerging Right to Democratic Governance’, American Journal of International Law, Vol.86, No.1, 1992, pp.46-91. 29 Gills, Barry, Joel Rocamora, and Richard Wilson (eds.), Low Intensity Democracy: Political Power In the New World Order, London; Boulder, Colo.: Pluto Press, 1993. 30 例えば、日本について、国際協力事業団『民主的な国づくりへの支援に向けて―ガバナ ンス強化を中心に―』国際協力事業団、2002 年 3 月参照。 31 この点の議論については、猪口孝「アジア型民主主義?」猪口孝、エドワード・ニュー マン、ジョン・キーン編、猪口孝監訳『現代民主主義の変容―政治学のフロンティア』有 斐閣、1999 年、124-136 頁参照。 32 例えば、Cox, Michael G., John Ikenberry and Takashi Inoguchi (eds.), American Democracy Promotion: Impulses, Strategies, and Impacts, Oxford: Oxford University Press, 2000;大津留(北川)智恵子、大芝亮編著『アメリカが語る民主主義―その普遍性、 特異性、相互浸透性―』ミネルヴァ書房、2000 年;藤原、前掲、参照。 33 ギデンズ、前掲、149-151 頁 34 イアン・バッジ著、杉田敦ほか訳『直接民主政の挑戦-電子ネットワークが民主政を変 える』新曜社、2000 年;C・ペイトマン著、寄本勝美訳『参加と民主主義理論』早稲田大 学出版部、1977 年参照。 35 川原彰「ラディカル・デモクラシーとグローバル・デモクラシー-重層化する民主主義 の問題領域-」『年報政治学 1999』日本政治学会、岩波書店、1999 年、167-180 頁;千葉 眞『ラディカル・デモクラシーの地平』新評論、1995 年;千葉眞「デモクラシーと政治の 概念―ラディカル・デモクラシーにむけて―」 『思想』No.867、1996 年、5-29 頁参照。 36 このような政治の形態は「ニュー・ポリティクス」 (新しい政治)といわれる。賀来健輔、 丸山仁編著『ニュー・ポリティクスの政治学』ミネルヴァ書房、2000 年参照。 37 国境を超えた社会運動については以下を参照。Cohen, Robin, and Shirin M. Rai (eds.), Global Social Movements, London and New Brunswick: The Athlone Press, 2000; Della Porta, Donatella, Hanspeter Kriesi and Dieter Rucht (eds.), Social Movements in a Globalizing World. Basingstoke: Macmillan, New York: St. Martin's Press, 1999; Florini, Ann M. (ed.), The Third Force: The Rise of Transnational Civil Society, Tokyo: the Japan Center for International Exchange and Washington, D.C.: the Carnegie Endowment for International Peace, 2000. 38 Dahl, Robert A., “A Democratic Dilemma: System Effectiveness versus Citizen Participation”, Political Science Quarterly, Vol.109, No.1, 1994, pp.21-34. 39 山本直 「EU と民主主義原則―EU 条約 7 条をめぐって―」『同志社法学』 53 巻 6 号、2002 年、614-644 頁 40 本書以外の 「グローバル・デモクラシー」の概念や議論については、Holden (ed.), op.cit.; 川原彰「重層化する民主主義の問題領域」内山秀夫、薬師寺泰蔵編『グローバル・デモク ラシーの政治世界-変貌する民主主義のかたち』有信堂、1997 年、3-15 頁;川原彰「ラデ ィカル・デモクラシーとグローバル・デモクラシー-重層化する民主主義の問題領域-」 『年報政治学 1999』日本政治学会、岩波書店、1999 年,167-180 頁を参照。 現在のところ、統一されたグローバル・デモクラシーの定義は存在しない。川原は、「グ ローバル・デモクラシー」について、従来の一国の民主主義の空間的拡大とともに、国家 の枠組みを超えた政治共同体(「グローバルな次元」)と国家に対抗する生活空間(「ローカ ルな次元」)それぞれへの民主主義原理の浸透、という三つの側面を含むとしている。川原 、1997 年、前掲、3-4 頁;川原、1999 年、前掲、168 頁。本書の「グローバル・デモクラ 16 シー」の概念は、国家(あるいは、国際機構などそれに類するもの)と生活空間の関係に ついては明確にしていない。 41 例外としては、McGrew, Anthony, “Democracy beyond borders? : Globalization and the reconstruction of democratic theory and politics”, in McGrew (ed.), op.cit., pp.231-266;McGrew, Anthony, “From global governance to good governance: Theories and prospects of democratizing the global polity”, in Morten Ougaard and Richard Higgott (eds.), Towards a Global Polity, London: Routledge, 2002, pp.207-226 参照。 42 「訳者あとがき」デヴィッド・ヘルド著、佐々木寛ほか訳『デモクラシーと世界秩序― 地球市民の政治学』NTT 出版、2002 年、329-330 頁。 43 コスモポリタン・デモクラシーの代表的論者であるヘルドは、デモクラシーの思想的系 譜を分析した著書において、国家(政府)と市民社会の「二重の民主化」の戦略を提示し ている。しかし、自身が提起するコスモポリタン・デモクラシーの理論とそれは、結び付 けて議論していない。デヴィッド・ヘルド著、中谷義和訳『民主政の諸類型』御茶の水書 房、1998 年、399-408 頁参照。 44 Knight, W. Andy, A Changing United Nations: Multilateral Evolution and the Quest for Global Governance. New York: PALGRAVE, 2000. 45 例えば、 『論座』2003 年 4 月号の「テロリズムと帝国」の特集を参照。 46 Report of the Secretary-General, Agenda for Democratization, U.N. Doc.A/51/761, 20 December 1996 (以下、Agenda for Democratization). 最上の「機構内民主主義」と「機構 外民主主義」の議論も参照。最上敏樹「思想としての国際機構」『社会科学の方法第 2 巻』 岩波書店、1994 年、177-209 頁。最上敏樹「国際機構と民主主義」『世界政治の構造変動 2』 岩波書店、1995 年、81-141 頁;ダニエレ・アルチブギ「国連での民主主義」猪口・ニュー マン・キーン編、前掲、171-181 頁も参照。 47 例外が、Agenda for Democratization;武者小路公秀「国連の再生と地球民主主義」武者 小路公秀、明治学院大学国際平和研究所『国連の再生と地球民主主義』柏書房、1995 年で ある。 48 デモクラシーや民主化が国連にとって重要な課題であるという指摘は、例えば以下を参 照、Annan, Kofi A., “Democracy as an International Issue”, Global Governance, Vol.8, No.2, pp.135-142;Agenda for Democratization;UNDP, Human Development Report 2002: Deepening Democracy in a Fragmented World. New York: Published for the United Nations Development Programme by Oxford University Press, 2002. 49 Rosenau, James N. and Ernst-Otto Czempiel (eds.), Governance Without Government: Order and Change in World Politics. Cambridge: Cambridge University Press, 1992. 50 Reinalda, Bob and Bertjan Verbeek, ‘Autonomous Policy Making by International Organizations: Porpose, Outline and Results’, in Bob Reinalda and Bertjan Verbeek (eds.) Autonomous Policy Making by International Organizations, London: Routledge, 1998, p. 1. 51 この点については、 拙稿「国際機構研究の諸アプローチに関する一考察」 『国際研究論叢』 第 16 巻第 2 号、2003 年の議論を参照。 17 第1章 デモクラシーの条件と議論の整理 1 序論 序章では、デモクラシーを取り囲む現在の状況から民主化の課題を導き出した。民主化の 課題として、第 1 に、国家の民主化、第 2 に、デモクラシーの再活性化とその理念のさら なる追求、第 3 に、国家を超えた場の民主化の模索があることを述べた。しかし、各民主 化の課題の目標や方法をめぐっては、様々な試みと議論がある。民主化の目標である国家 の民主的政治体制の内容をめぐって、ながらく国際的な論争があった。国家を超えた場の 民主化については、従来のデモクラシーの議論が暗黙裡に国家を前提としてきたため、そ の目標そのものがいまだ模索中である。また、それら民主化の各課題への取り組みを方向 付けるグローバル・デモクラシーの構想も数多く存在する。国連もまた、それら民主化の 課題のうち、特に第 1 と第 3 の課題に関わる。これらの議論は国連の場においてもなされ、 国連による民主化の諸課題への取り組みにも現れてきた。 そもそも、デモクラシーの議論は無限に存在する。その中で議論を進めるためには、民主 的といいうる最低限の条件と民主性の程度を測る基準を示す必要がある。また、デモクラ シーの各議論の特徴を測る枠組みも不可欠である。そこで本章では、まず、J・ライヴリー の議論を手がかりに、民主性の基準を考察する。次に、デモクラシーの中心原理の枠組み を元に、多様なデモクラシーの議論を整理し直し、民主化の各課題を模索する手がかりと する。 2 デモクラシーの条件 「人民」(demos)の「支配」(kratos)というその語源より導くならば、「デモクラシー」 とは「人民の支配」である1。しかし、「人民」とは誰で、「支配」とはどのようなものであ るか、また、デモクラシーの原理が適用されるべき人間の活動領域はどこまでで、どうで あればそれが実現されたといえるかについて明確な合意がない2。そもそも「デモクラシー」 はきわめて多義的な概念であり、様々な議論がなされてきた3。 18 その中で、イギリスの政治学者ライヴリーは、デモクラシーの中心原理を政治的平等と する。政治的平等とは、政治的意思決定に対する人民の影響の平等を意味する4。この政治 的平等に基づいた人民の参加こそが、デモクラシーにおける支配の形態であるとする。そ の政治的平等には、選挙における一人一票のような手続きのような形式的平等だけでなく、 経済的な諸資源の平等など個人を取り巻く環境も必要な条件として含まれる5。人民の支配 は、そのように広く捉えた政治的平等に基づかなければならない。しかし、人民の支配の 形態は、選挙における投票から、議会の行政府へのコントロールや人民の直接参加まで様々 に考えられる。そこでライヴリーは、デモクラシーと呼びうるには最低限何を満たさなけ ればならないか、また、どれがより民主的であるかについて、次のように最高条件から最 低条件までを列挙した6。 1 全員が、立法、一般政策の決定、法の適用、および政府の行政に関与すべきである という意味で、全員が統治すること。 2 全員が、重要な決定作成、すなわち一般的な法律、一般的政策の決定に個人的に関 与すること。 3 治者が、被治者に対して責任を負うこと、言いかえれば、治者が被治者に対して自 らの行動を正当に理由付ける義務があり、かつ、被治者によって解任されうること。 4 治者は、被治者の代表に責任を負うこと。 5 治者は、被治者によって選挙されること。 6 治者は、被治者の代表によって選出されること。 7 治者は、被治者のために行動すること。 どの条件が採用されるかは、自由や秩序などデモクラシー以外の価値との関係による7。 しかし、ある政治体制が民主的であるためには、最初の条件 1 から条件 4 のうち一つ以上 が満たされなければならない8。条件 1 と条件 2 のうちどちらか一つを満たすものを「直接民 主主義」(direct democracy)とし、条件 3 と条件 4 のうちどちらか一つを満たすものを「責 任ある政府」(responsible government) とする9。その一方で、デモクラシーについて選 挙を通じたエリート間の競争であるとする、シュンペーターらのエリート主義的なデモク 19 ラシー論は条件 5 と条件 6 を、旧共産主義諸国にみられた「人民民主主義」は条件 7 を、 それぞれ強調するものである10。しかし、それらは、人民の参加を求めず、その平等への要 求を認めないので、人民の支配を構成するには不十分である11。 このように、ライヴリーは、政治的平等に基づく参加をデモクラシーの中心原理とし、 ある政治体制がどの程度民主的であるかを測る基準を示している。中心原理にかなって民 主的であるためには、単なる選挙の実施だけでは十分ではなく、常に治者が被治者やその 代表に責任を負わなければならない。それらが満たされた上でさらに被治者が直接政治過 程に参加することは、基本的により好ましいこととなる。この議論は、古代ギリシャのポ リスで生まれた人民全員の直接参加に基づく民主政治をデモクラシーの理想的形態としつ つも、なおかつ現代の議会制を中心とする現実の民主主義体制の存在を踏まえた上で、デ モクラシーと呼びうる条件を示したものといえる。 ライヴリーのように、政治的平等とそれに基づいた人民の参加をデモクラシーの中心原 理とする論者は多い12。確かに、人民が「支配」しているといいうるには、自らの意思を政 治的な決定に反映させ、行使される権力が自らのために使用されるようにコントロールす る「参加」が不可欠である。同時に、人民全員の意思が反映されるためには、それぞれが 平等に扱われ、対等の条件で参加する必要がある。もちろん、理念上の望ましさと実現可 能性は別であり、先に挙げた上位の条件ほど実現性は低くなるといえる。そのため実現可 能性との妥協が実際には必要であり、その妥協点は論者によって結局異なることになる。 しかし、数限りないデモクラシーの議論が存在する中で、一定の「デモクラシー」と呼び うる条件を示し、なおかつその「民主性」の程度を測るには、ライヴリーの議論は有効で あるといえる。本書においても、この「政治的平等に基づく参加」をデモクラシーの中心 原理とする。また、ライヴリーの諸条件にあるように、民主的と呼びうる状態について、 治者の選挙による選出と被治者への責任の存在を最小限の条件としつつ、多様な民主的段 階を想定する。それに合わせて、本書での「参加」の概念は、単に意思決定の場に居合わ せて自らの意思を伝えることだけでなく、ライヴリーの条件 3 や条件 4 にもあるように、 統治者に対する結果的な責任の追及を含めた、何らかの間接的な関与や影響、コントロー ルを含むより広い概念とする。 以上の議論を具体的に国家の政治体制に当てはめると、それが民主的であるためには、 20 政治権力の交替が定期的な自由で公正な競合的選挙に基づき、また、それを確保するため に結社の自由などの制度的な保障が存在することが最小限必要となる。このような最小限 の条件を満たす国家の政治体制を、本書ではさしあたって「手続き的な最小限の民主主義 体制」(procedural minimum democracy)とする。国際法や民主化研究、援助の実務の多 くは、ほぼ同内容の民主主義体制をデモクラシーとして定義している13。これが第 1 の民主 化の課題である国家の民主化についてその最初の目標となる。第 2 の民主化の課題である デモクラシーの再活性化及び深化は、この最小限の要件を踏まえた上で、より高位の条件 を実現することを模索することとなる。 他方で、第 3 の民主化の課題である国家を超えた場でのデモクラシーや、世界秩序に関 わるグローバル・デモクラシーの議論については、この条件を単純に応用することは困難 である。ライヴリーの議論自体、主として国家における民主的な政治体制を想定している。 確かに、国家を超えた場においては、具体的に誰が治者で誰が被治者であり、被治者はど のような方法で参加し代表され、治者はどのように責任が問われるか不明確である。国家 と国家を超えた場の両方を含むグローバル・デモクラシーの構想についても、様々な議論 がある。しかし、ここでみた中心原理や条件は、議論を進める上での手がかりとなる。 3 デモクラシーの中心原理と議論の整理 次に、今後の議論を容易にするために、デモクラシーの中心原理である「政治的平等に 基づく参加」について一定の枠組みを作ることで、デモクラシーの概念をめぐる様々な議 論を、民主化の各課題に沿う形で整理したい。 中心原理の枠組みとは、すなわち、 (a)「誰が」参加するのか、すなわち参加の主体につ いて、(b)「どこへ」参加するのか、すなわち参加の対象について、(c)「どのように」参 加するのか、すなわち参加の方法について、最後に、(d)「政治的平等」のあり方である。 (a)の参加の主体とは、主権者、すなわち政治参加の主体である政治的共同体の構成員 である。ここでの第 1 の問題は、主権者のメンバーシップの範囲である。国家における民 主主義体制では、それは国家の国民であることが自明とされてきた。しかし、外国人参政 権の問題のように、具体的に誰が「国民」で「有権者」かについては長らく論争がある。 21 また、学校の運営への民主的参加では参加者が教職員・父母・生徒に限定されるように、 参加の対象によって主権者が一部に限られることがある。第 2 に、主権者全員が直接参加 することはまれであり、実際の参加者がどのように主権者を代表するかが問題である。そ れは(c)の参加の方法にも関わる問題である。 (b)参加の対象とは、主権者が自ら参加したり、あるいは民主的なコントロールを及ぼ す対象である。国家における民主主義体制では、国民は、主として議会や大統領選挙を通 じて国家の政治に参加する。司法に対しても、日本における最高裁判所裁判官の国民審査 制度のように、何らかの民主的コントロールが行われる場合がある。参加の対象は、中央 の政府機関だけではない。地方議会や住民総会のように、地方の政治へ国民(住民)が参 加する場合もある。職場や学校、家庭などの社会的・私的な領域や、国際機構など国家を 超えた場が民主的な参加の対象になることもある14。 (c)参加の方法とは、(a)で決められた主権者が、(b)の参加の対象へどのように参加 するかである。国家の民主主義体制では、その方法は主に定期的な議会選挙を通じた間接 的な代表である。それ以外にも、労使政策の決定でのコーポラティズムのような機能的代 表がある。特定の問題についての国民投票や住民投票、政策の提案(イニシアティヴ)、公 職者の解職請求(リコール)など、政治過程に直接参加し影響を及ぼす方法もある15。ほか にも、自ら政治家になるなど直接公務に参加する方法もある。街頭でのデモやロビー活動 など非公式な直接参加もある。 (d)政治的平等とは、主権者またはその代表が政治的活動に参加する際の、影響力の平 等のあり方である。民主主義体制では、選挙の投票における一人一票や政治活動の自由な ど、形式的な機会の平等がある。しかし、形式的平等だけでは政治的影響力の平等の保障 には十分ではないとして16、経済的再配分や社会的弱者への特別な配慮を通じてより実質的 な平等を求める議論も存在する17。また、形式的であれ実質的であれ、平等を保証するため に票決方法など意思決定の方法も問題となる18。少数民族など少数者へ配慮し、多数決では なくコンセンサスや全会一致で決定を行う場合もある19。 以上のそれぞれをどう規定するかによって、国家や国家を超えた場などでの民主的制度 は変化する。この枠組みは、広範な合意が形成されつつある国家の民主主義体制とは異な り、いまだ議論が発展の途上にある、デモクラシーの再活性化と深化の試みと国家を超え 22 た場の民主化の模索において特に重要となる。 国家における手続き的な最小限の民主主義体制をこの枠組みから見ると、(a)主権者は 原則として国民であり、間接代表制をとる。(b)参加の対象は議会が中心であり、(c)参 加の方法は議員の選挙を通じた間接的な方法が主である。(d)平等のあり方としては、普 通選挙権にみられるように、形式的な平等が中心となる。 この手続き的な最小限の民主主義体制の存在を踏まえて、その各特徴を変化させたり、 新たな民主的制度で補うことで、第 2 の民主化の課題であるデモクラシーの再活性化と深 化が模索されている。例えば、(a)参加者について、日本の地方自治体の住民投票におい て在住外国人や未成年者を含む動きがある。(b)参加の対象についても、政府機関だけで なく、企業など社会的な領域にある組織へも民主的参加を拡大する提案がある。(c)参加の 方法については、住民投票や住民参加、NGO/NPO、新しい社会運動など、直接的な参加を 求める議論が盛んである。(d)平等については、機会の平等だけではなく、実質的な平等 やそれを満たすためのアファーマティヴ・アクションを求める議論がある。 第 3 の民主化の課題にある国家を超えたデモクラシーについては、先にも述べたように、 上に挙げたデモクラシーの中心原理の各項目で合意が少ない。そもそも、国家と同等の「政 府」や「議会」が存在せず、環境が大きく異なっていることが大きな理由である。詳しく は第 7 章で議論するが、 (a)の参加者について、そもそも伝統的な国際政治の概念では国 際関係における「主権者」は、主権国家とされてきた。しかし、現在では国家以外の非政 府的組織(NGO)や国際機構、あるいは個人も国家を超えた意思決定の場に独立した主体 として参加するようになりつつある。そのため、国家を超えたデモクラシーの主たる参加 者に関して、主権国家に限定するものと、直接に「人々」とする主張が存在する。前者に はいわゆる「国際(国家間)民主主義」がある。後者には、D・ヘルドの「コスモポリタン・ デモクラシー」(cosmopolitan democracy)の議論がある20。 (b)の参加の対象について、国家を超えた場においては、国家における政府のような集 権的な意思決定の場が存在しないため、外交交渉や国際会議、国際機構、超国家議会など 公的といいうるものから、多国籍企業や国際 NGO、国境を越えた社会運動による私的な意 思決定の場まで様々に考えうる21。 (c)の参加の方法についても、参加者を国家とする場合、国連総会のように参加の主体 23 全員が直接参加する方法と、理事会のように間接的に代表が選ばれる方法とがある。参加 者を人々とする場合、欧州議会のように間接的な代表もあれば、国連経済社会理事会の NGO の協議制度や、プロジェクトに影響を受ける人々が意見を述べることができる世界銀 行の「査察パネル」(Inspection Panel)のように22、より直接的な参加方法もある23。ただ し、国家が民主的な体制を採用している場合、そもそも政府代表が人々を間接的に代表し ているとみることもできる。また、NGO によるロビー活動から、1999 年 7 月に WTO 閣 僚会議が開かれたシアトルで見られた街頭デモまで、非公式な参加方法もある24。 (d)の政治的平等については、主たる参加者を国家とする場合、一国一票制や全会一致、 またはコンセンサスによって形式的(絶対的)な平等が保障されうる25。しかし、国家ごと の国力の差は大きいことから、世界銀行における出資額による加重票制のような機能的(相 対的)な平等のあり方が求められる場合もある26。主たる参加者を人々とする場合、欧州議 会の投票のような一人一票制による形式的平等がある。国際機構への参加での南北 NGO の 差のように、各集団・個人間の相対的な影響力の差が問題となる場合もある27。 4 小括 本章では、まず、ライヴリーの議論に従い、デモクラシーの中心原理を「政治的平等に 基づく参加」と規定し、民主的といいうる条件を検討した。治者が被治者(の代表)に責 任を負うことが最低限必要であることを述べた。そのように一定の制約を設けた上で、政 治的平等に基づく参加というデモクラシーの中心原理からデモクラシーの議論を整理した。 国家における民主化については、どのような制度が存在すれば民主的であるかに関して、 その最小限の条件が比較的明確である。実際、国家におけるデモクラシーとは手続き的な 最小限の民主主義体制であることで次第に国際的な合意ができつつある。問題は、国家を 民主化するために、国際的な支援のあり方はどうあるべきかになる。デモクラシーの再活 性と深化を目指す民主化の課題に関しては、中心原理の枠組みの各項目ごとに一定の方向 性が存在している。対して、国際機構の民主化を含む国家を超えた場の民主化に関しては、 目指す目標そのものが不明確な状態である。 以上の本章の作業によって、無限ともいえるデモクラシーの議論に対して、各議論の特 24 徴を明らかにする共通の枠組みとその民主性の程度を測る一定の基準を設けることができ た。しかし、繰り返すように、各民主化の目標及び取り組み方は、結局のところ、全体目 標としての民主的な世界秩序、すなわちグローバル・デモクラシーの構想によって異なっ てくる。それによって、民主的/非民主的の捉え方も変化する。そこで次章では、グロー バル・デモクラシーの思想の歴史を概観した上で、それを、本章で設けたデモクラシーの 中心原理の枠組みを用いながら、いくつかの諸モデルに整理したい。 1 デヴィッド・ヘルド著、中谷義和訳『民主政の諸類型』御茶の水書房、1998 年、3 頁; Sørensen, Democracy and Democratization: Processes and Prospects in a Changing world, 2nd (ed.) Boulder: Westview Press, 1998, p.3. 2 ヘルド、前掲、4 頁;Lively, Jack, Democracy, Oxford: Basil Blackwell, 1975(櫻井陽 二・外池力訳『デモクラシーとは何か』芦書房、1998 年), pp.8-9. 3 デモクラシーの概念の発達・変化については、差しあたって、ヘルド、前掲参照。. 4 Lively, op.cit., p.35, 邦訳 1 頁. 5 Ibid., pp.27-29. 6 Ibid., p.30, 邦訳 50 頁;Held, 1996, op.cit., 邦訳 5-6 頁;日下喜一『現代民主主義論』勁 草書房、1994 年、40-42 頁も参照。 7 Lively, op.cit., p.31. 8 Ibid., p.42. Ibid. Ibid., pp.33-34, and 37;Schumpeter, Joseph Alios, Capitalism, Socialism, and Democracy, London, 4th ed., 1952(中山伊知郎・東畑精一訳『資本主義・社会主義・民主主義 9 10 (上巻)(中巻)(下巻) 』東洋経済新報社、1962 年)も参照。 11 Lively, op.cit., p.42. 12 例えば、Sen, Amartya, “Democracy as a Universal Value”, Journal of Democracy, Vol.10, No.3, 1999, pp.3-17;Dahl, Robert A, On Democracy. New Heaven and London: Yale University Press, 1998(中村孝文訳『デモクラシーとは何か』岩波書店、2001 年) 13 民主化研究でこの定義と同様のものには、ダールの「ポリアーキー」の議論がある。Dahl, Robert A., Polyarchy: participation and opposition. New Haven: Yale University Press, 1971(高畠通敏・前田脩訳『ポリアーキー』三一書房、1981 年)。フーバーらの「形式的 デモクラシー」(formal democracy)や、ポッターの「リベラル・デモクラシー」の定義も 同様の内容である。Huber, Evelyne, Dietrich Rueschemeyer, and John D. Stephens, “The Paradoxes of Contemporary Democracy: Formal, Participatory, and Social Dimensions”, Comparative Politics, Vol.29, No.3, 1997, pp. 323-342.;Potter, David, “Explaining democratization”, in David Potter, David Goldblatt, Margaret Kiloh, Paul Lewis (eds.) Democratization, Cambridge: Polity Press in association with The Open University, 1997, pp.3-5. ほかにも、Diamond, Larry, Developing Democracy: Toward Consolidation. Baltimore, Md.: Johns Hopkins University Press,1999, ch.1.;Collier, David and Steven Levistsky, “Democracy with Adjective: Conceptual Innovation in Comparative Research”, World Politics, Vol.49, No.3, 1999, pp.433-434;Preworski, Adam, “Minimalist conception of democracy: a defense”, in Ian Shapiro and Casiano Hacker-Cordon (ed.) Democracy's Value. Cambridge: Cambridge University Press, 1999、 pp.23-55;岩崎正洋「民主主義とはなにか-制度としての民主主義、制度化としての民主化」 岩崎正洋、工藤裕子、佐川泰弘、B.サンジャック、J.ラポンス編著『民主主義の国際比較』 25 一藝社、2000 年、275 頁;サミュエル・ハンチントン著、坪郷實、中道寿一、藪野祐三訳 『第三の波: 20 世紀後半の民主化』三嶺書房、1995 年、5-12 頁。また、デモクラシーの手 続き的定義の議論全般については、三上了「移行論におけるデモクラシー―いわゆる手続 き的定義についての一考察―」『早稲田政治公法研究』第 63 号、2000 年、83-113 頁参照。 国際法については、Fox, Gregory and Brad R. Roth, Introduction: the spread of liberal democracy and its implications for international law, in Gregory Fox and Brad R. Roth (eds.), Democratic Governance and International Law, Cambridge: Cambridge University Press, 2000, pp.1-22;Franck, Thomas M., The Emerging Right to Democratic Governance. American Journal of International Law, Vol.86, No.1, 1992, pp.46-91.;桐山孝信『民主主義の国際法』有斐閣、2001 年を参照。 外交や援助の実務については、本書第 3 章及び Burnell, Peter (ed.), Democracy Assistance: International Co-operation for Democratization, London: Frank Cass, 2000 所収の論文参照。 14 企業、学校、近所への民主的参加について、Cook, Terrence E. and Patrick M. Morgan (eds.), Participatory Democracy. San Francisco: Canfield Press, 1971 参照。特に企業や職 場でのデモクラシーは盛んである。See, Dahl, Robert A., A Preface to Economic Democracy, Cambridge: Polity Press, 1985(内山秀夫訳『経済デモクラシー序説』三嶺書 房、1988 年);C・ペイトマン著、寄本勝美訳『参加と民主主義理論』早稲田大学出版部、 1977 年。家庭でのデモクラシーについて、Giddens, Anthony, The transformation of intimacy: sexuality, love and eroticism in modern societies. Cambridge: Polity Press, 1992(松尾精文・松川昭子訳『親密性の変容 : 近代社会におけるセクシュアリティ、愛情、 エロティシズム 』而立書房、1995 年) ;アンソニー・ギデンズ著、佐和隆光訳『第3の道』 日本経済新聞社、1999 年、第 4 章参照。 15 蒲島郁夫『政治参加』東京大学出版会、1998 年;イアン・バッジ著、杉田敦・上田道明・ 大西弘子・松田哲訳『直接民主政の挑戦-電子ネットワークが民主政を変える』新曜社、 2000 年参照。 16 平等の視点から、投票の問題をみたものとして、Dahl, Robert A., A preface to democratic theory. Chicago: University of Chicago Press, 1956(内山秀夫訳『民主主義理 論の基礎』未来社、1970 年), ch.3 参照。 17 Macpherson, C. B., Democratic Theory: Essays in Retrieval, Oxford: Oxford University Press, 1973(西尾敬義、藤本博訳『民主主義理論』青木書店、1978 年) 18 Lively, op.cit., pp.9-28 参照。 19 Lijphart A., Democracy in Plural Societies: Comparative Explanation, Yale University Press, 1977(内山秀夫訳『多元社会のデモクラシー』三一書房、1979 年). 20 Archibugi, Daniele and David Held (eds.), Cosmopolitan Democracy: An Agenda for a New World Order. Cambridge: Polity Press, 1995;Held, 1995, op.cit.;佐々木寛「『グロ ーバル・デモクラシー』論の構成とその課題-D・ヘルドの理論をめぐって-」『立教法学』 48 号、1998 年、142-182 頁;田口富久治「D・ヘルドのコスモポリタン民主主義論」 『立 命館法学』245 号、1996 年、34-69 頁参照。 21 多国籍企業の民主的コントロールについて、Thompson, Grahame, “Multinational corporations and democratic governance”, in Anthony McGrew (ed.), The Transformation of Democracy? Cambridge: Polity Press, 1997, pp.149-170 参照。国境を 超えた社会運動については、Cohen, Robin, and Shirin M. Rai (eds.), Global Social Movements, London and New Brunswick: The Athlone Press, 2000 参照。 22 Woods, Ngaire, “Making the IMF and the World Bank more accountable”, International Affairs, Vol.77, No.1, 2001, pp.92-93. 23 NGO が国際的な意思決定にどのような方法で影響を及ぼしているかについては、Spiro, Peter J., “New Global Communities: Nongovernmental Organizations in International 26 Decision-Making Institutions”, The Washington Quarterly, Vol.18, No.1, 1995, pp.45-56 参照。 24 シアトルの事態については、Gill, Stephen, “Toward a Postmodern Prince? The Battle in Seattle as a Moment in the New Politics of Globalisation. Millennium: Journal of International Studies, Vol.29, No.1, 2000, pp.131-140 参照。 25 国際的な意思決定の方式と平等の関係については、位田隆一「国際機構における表決制度 の展開」『国際法の新展開』東信堂、1989 年、115-151 頁;猪又忠徳「南北交渉におけるコ ンセンサス決定の意義」『法学研究』第 56 巻 3 号、1983 年、207-250 頁;大谷良雄「国際 組織と国家平等理論」『国際法外交雑誌』第 68 号第 2 巻、1989 年、98-116 頁;深津榮一、 渡部茂己「国際機構の表決手続きに見る国家平等原則の展開」『日本法学』第 50 巻第 2 号、 1984 年、74-106 頁参照。 26 筒井若水「国際組織における多数決の条件(一)(二)」 『国家学会雑誌』第 80 巻第 11・12 号、 1967 年,641-665 頁、第 81 巻第 1・2 号、1968 年、82-108 頁。 27 三上貴教 「不均衡の国連 NGO-本部所在地の分析を中心に―」『修道法学』第 22 巻第 1・ 2 合併号、2000 年、255-275 頁参照。 27 第2章 グローバル・デモクラシーの思想と諸モデル 1 序論 「グローバル・デモクラシー」を、人民の支配というデモクラシーの理念が世界全体に おいて実現された状態であり、望ましい民主的世界秩序と定義すると、それは名前こそ違 えども古くより様々に議論されてきた。しかしながら、最近のグローバル・デモクラシー をめぐる議論は、国家を相対化して多層的な民主的世界秩序を構想する「コスモポリタン・ デモクラシー」の思想と同一視され、その多様さが認識されていない。その最たる理由は、 伝統的なデモクラシーの受け皿であった国民国家がグローバル化によって変容し、デモク ラシーの実現は国家を超えたスケールで考えざるを得ないという認識の増大である。 しかし、国民国家の変容そのものは、グローバル・デモクラシーの追求において国家の 民主化よりも国家を超えた場の民主化の模索を優先する理由にはならない1。そもそも、コ スモポリタン・デモクラシーの議論では、ほぼすべての国家が民主化されている欧米地域 を暗黙のうちに前提とする傾向が見られる。しかし、世界全体でみると、ごく最近まで民 主化された国家は欧米諸国などごく一部に限られた。しかも、安定した民主主義国家は今 なお少ない。そこで、国家の民主化をより重視して、すべての国家が民主化された状態に なることこそが世界全体でデモクラシーが実現された状態であるとする主張も古くより存 在してきた。 本章では、コスモポリタン・デモクラシーの議論を相対化し、グローバル・デモクラシ ーの議論として他にどのようなものが存在してきたかを考察する。思われてきた以上に、 多様なグローバル・デモクラシーの構想が存在する。その多様さが要因の一つとなって、 すべての陣営がデモクラシーを唱えながら世界秩序観に相違が生じるという奇妙な状態が 生まれているのである。 2 グローバル・デモクラシーの思想の歴史 グローバル・デモクラシーの思想は、デモクラシーの思想そのものと同様に、まず、近代 28 欧州における自由主義・理想主義の思想の中で発達していった。18 世紀末のフランス革命 において、人民主権は人類普遍の統治原理であると宣言された。その後、アメリカの独立 を経て、19 世紀にかけてデモクラシーは次第に普遍的な統治原理として、世界各国の政治 体制に適用されるべきものとして主張されるようになった2。その際、基本的にデモクラシ ーは近代国家の統治原理とみなされ、その実現は国家単位で考えられたが、中にはデモク ラシーを国際関係と関係付けて検討するものもあった。その代表は、18 世紀の自由主義・ 理想主義の思想家であるカントによる『永遠の平和のために』である。そこでは、世界各 国が「共和制」を採用すれば戦争はなくなるというテーゼが主張された3。また、デモクラ シーの思想家であるルソーは、直接民主制に基づく小国による、国家連合を提唱した4。 さらに 19 世紀後半以降、現実の国際関係が主権国家システム(ウェストファリア・シス テム)として発達するに従い、20 世紀に入ると、グローバル・デモクラシーの思想は大き く 3 つの流れに分かれていった。 一つ目は、主権国家システムを前提とするものである。それは、先のカントの思想にも みられるように、すべての国家の民主主義体制への移行と主権国家の平等に基づく国家間 関係を組み合わせた、いうなれば「民主主義諸国の共同体」(Community of democracies) を目指すものである5。20 世紀の初めには、アメリカ大統領ウィルソンによってリベラル・ デモクラシーと民族自決に基づいた世界秩序が模索された6。第 2 次世界大戦後になると、 それは欧州審議会(Council of Europe)や北大西洋同盟(NATO)などに受け継がれ、そ れらの設立条約では民主主義国家であることが加盟国の条件とされた。 二つ目は、上記の思想の中でも、主権国家間の平等と民族自決を特に重視する思想であ る。国家の民主化はあくまで各国民に委ね、国際社会は関与しない。第二次大戦後に植民 地より独立した国家の多くは、その植民地経験より、国内の政治体制は各国の民族・国民 が自ら決定するものであるとして、主権国家の平等を主張し、民族自決権と国家の内政不 干渉の原則を重視する傾向が強かった。そのため、国際社会によって各国の民主化が積極 的に支援されることは少なく、大戦後も、民主主義諸国の共同体は欧米先進諸国にとどま り、むしろ世界全体ではこの主張が主流となっていった。実際に設立された国際連盟や国 際連合は、この思想の流れを強く受けることとなった。 最後は、現存の主権国家の上位に集権的な世界規模の国家、いわゆる「世界国家」や「世 29 界連邦」を求めるものである7。そこでは、超国家の政府に軍事力が集中し、超国家的な裁 判所が設けられ、司法上の強制的管轄権が認められる。また、世界の人々より直接議員が 選出される超国家議会が設けられ、そこでなされる立法は国家や人々に対して直接法的拘 束力を有する。この世界国家・連邦の思想は、19 世紀の欧州での地域的な連邦主義から始 まり8、第 1 次大戦後には世界全体へと適用することが構想された。その思想は、第二次世 界大戦中から直後にかけて盛んなり、様々な運動がなされた9。例えば国連でも、設立当初 より、国家より構成される現在の総会とは別に、世界中の人々より直接に代表が選ばれる 「第二院」あるいは「人民総会」(people’s assembly)を設けるべきであるという主張がな されてきた10。ただし、それは東西対立の中で実現されることはなかった11。 それでも、その超国家的な構想の一部は、第 2 次世界大戦後、欧州共同体(EC)におい て不完全ながらも実践された。EC の一部である欧州議会は、当初は各国議員から構成され たが、1979 年からは議員は直接欧州市民より選ばれるようになった12。しかし、超国家的 な政治統合は、国連はもとより、最も進んでいた西欧においてさえも、加盟国のナショナ リズムの勃興とともに 1960 年代後半以降停滞した13。そこでは、国家の主権をより上位の 権威に委譲するということそのものへの抵抗感が、多くの国家・国民の間で依然強かった。 また、世界連邦のような超国家は、主権の委譲によって従来の国家議会の権限を侵害し、 同時に、超国家的な官僚制には国家における以上に民主的コントロールが及びにくいなど、 構造的に非民主的なものになりやすい危険性も指摘されてきた。 ただし、第一次世界大戦後の国際連盟や第二次世界大戦後の国際連合といった世界的国際 機構の設立では、いずれの思想もある程度反映されたといえる。例えば、「民主主義諸国の 共同体」や世界連邦政府の設立を望む者たちの目からは、それらの設立は、その目標へ向 けた第一歩ないしは通過点と見られていた14。いずれにせよ、1960 年代頃までには、グロ ーバル・デモクラシーの思想には、主権国家システムを基盤として、国家の民主化を積極 的に条件するものと、特に各国民の自主性に委ねるものがあり、他方で、超国家的な政治 統合を進めてその超国家的政府の民主化を志向するもの、あわせて 3 つの流れが存在する こととなった。しかし、冷戦の間は、デモクラシーの規範そのものが、東西のイデオロギ ー対立の対象となり、また内政干渉の口実として恐れられたこともあり、グローバル・デ モクラシーの議論そのものが進展しなかった。 30 この状況は、冷戦終結前後になると急激に変化した。序章でも述べたように、イデオロギ ーの対立は終わり、「リベラル・デモクラシー」の勝利が謳われ15、世界各国で民主化が急 速に進んだ。この流れを受け、デモクラシーが国際関係に与える影響を考察する研究や民 主化への国際的な支援活動が再び盛んになった。 第 1 に、各国家の民主化の進展を大きな世界的な潮流として扱い、各国の民主化の要因や 民主化過程の共通点と違いを探る体系的な研究が盛んになった16。特に、国際的な民主化支 援や経済のグローバル化の影響など、民主化における国際的な側面が注目されるようにな った17。第 2 に、各国の民主化が世界全体の平和に与える影響を研究する、デモクラティッ ク・ピース論が盛んになった18。第 3 に、実際の民主化が進み、デモクラシーに関わる規範 が国際社会で急増したことより、民主的統治への国際的な権利とその体系を考察する「デ モクラシーの国際法」に関する議論も現れた19。第 4 に、国際援助の実務でも、民主化支援 活動が国際機構や各国の援助機関で制度化されていった20。1990 年代前半より、OECD 諸 国、国連、EU、米州機構(OAS)、全欧安保協力機構(OSCE、1995 年までは全欧安保協 力会議)などが相次いで民主化支援活動を活発に行うようになった21。 このような世界的な規模での国家の民主化の進展とそれに関わる研究の進展を受けて、ま ず、民主主義諸国による共同体としてのグローバル・デモクラシーの構想が再び盛んにな った。例えば、2000 年 6 月には、「民主主義諸国の共同体へ向けて」(Toward a Community of Democracies)と呼ばれる国際会議が、アメリカの強い後押しを受け、107 ヶ国の外相を 集めてワルシャワで開かれた22。 しかし同時に、主権国家そのものの変容や国家を超えた活動の活発化の現状を踏まえた、 新たなグローバル・デモクラシーのあり方も模索されるようになった。その背景には、第 1 に、グローバル化による既存の民主主義体制の影響・変容に対する認識の高まりがある。 グローバル化と国家間の相互依存がと、それに対応して発達した「グローバル・ガバナン ス」といわれる地球規模での統治メカニズムが23、国家の議会など既存の民主的制度に影響 を与え、デモクラシーの基盤である国民国家そのものを変容させていることが注目される ようになった。 第 2 に、国際的な場の民主化を求める声の高まりがある。国際制度・国際機構自体の民主 性に関する問題が指摘され、政治的な場でも取り上げられるようになった24。例えば、欧州 31 連合(EU)では、1992 年のマーストリヒト条約締結前後より、各加盟国議会の民主的コ ントロールの低下と欧州議会の権限の弱さが「民主主義の赤字」として問題になっていっ た25。また、1990 年代前半の国連主催の会議を皮切りに、新自由主義的なグローバル化に よって生活を脅かされている弱い立場の人々を代表する NGO のいっそうの参加が、国際的 な場の「民主化」として求められるようになった。 これらの状況を受けて、国家の民主化だけではなく、既存の民主主義体制の変容や国家を 超えた場の民主化を踏まえてグローバル・デモクラシーを追求する動きがみられるように なった26。その代表的な議論として、ヘルドらのコスモポリタン・デモクラシーの議論があ る27。それは自由主義的な視点から個人の自律の実現を目指すが、その実現のために、主権 国家の相対化の状況を踏まえてつつ、地方、国家、国際レベルといった多層的な民主的政 治構造を構想する。同時に、1999 年のシアトルでの WTO 閣僚会議で起きた反グローバル 化のデモのように、直接的な人々の国家を超えた運動を通じて、「下からの」グローバル化 や世界秩序の民主化を求めるラディカルな主張も生まれた28。 3 グローバル・デモクラシーの諸モデル 以上見てきた思想的な系譜と現に存在する具体的制度を踏まえて、グローバル・デモクラ シーの構想はいくつかの理念的なモデルに整理することができる。ただし、ここでいう「モ デル」とは、必ずしも実際に存在する状態や制度ではなく、特徴を強調した「理念型」で ある29。それを求める要求や議論及び、それに近いあるいは向かいつつある状態や制度がみ られるだけである。それにもかかわらず、現状を評価し将来の方向を探る際に、それらモ デルは有用である。 各グローバル・デモクラシーの特徴を明らかにするにあたって、第 1 章で説明したデモク ラシーの中心原理に関する枠組を用いる。すなわち、(a)参加の主体(主権者) 、(b)参加 の対象、(c)参加の方法、(d)平等のあり方、それぞれについてどうであるかによって、 各モデルの特徴を明らかにしたい30。また、それぞれのモデルの実現という「民主化」の方 法に関して、国家の民主化への国際社会の関与及び国際機構の民主化への態度とともに示 す。ついで、考えられる国際機構の役割について述べる(本章末尾の表 1 を参照) 32 (1)ウェストファリア・モデル ウェストファリア・モデルは、主権国家が特定の領域を排他的に支配し対外的に平等であ る伝統的な主権国家システムあるいは「ウェストファリア・システム」を前提とする31。そ のために、グローバル・デモクラシーの語で一般に想起されるイメージとは違っており、 その構想に含まない議論も多い。しかし、ウェストファリア・システムを前提としつつも、 国家における政治体制と国際関係それぞれのあり方及びそれら両者の関係において一定の 民主的な形態を規定することは可能である。前章で考察した民主的といいうる最低条件を 踏まえた上で、グローバルなデモクラシーの構想の一つと考えうる。 (a)このモデルでの主権者は、国家を単位とする国民の集まり、いうなれば「諸国民」 (nations)である。具体的な国家を超えた場の政治過程へは、国民の意志を代表している と自動的に推測される主権国家(の代表)のみが参加する。それら主権国家間は形式上平 等である。国家間関係は外交儀礼や国際法といった国際規範によって規律されており、そ こでは諸国家の共同体である「国際社会」が形成されている32。 (b)参加の対象は、政府間国際機構や外交会議など、国家間の交流が行われる場すべて である。対象となる政策の範囲は、諸国家がその領域下のすべての活動を排他的に支配し ているため、やはりすべての領域となる。 (c)参加の方法は、基本的に、主権国家(の代表)が上で挙げた対象に直接に参加する。 (d)国家間の政治的平等の形態は様々である。端的な形式的平等としては、意思決定に おける全会一致の手続きがある。しかし、少数者に拒否権が与えられることになり、かえ って不平等になる可能性がある。そこで、国際機構の多くでは、一国一票制に基づく単純 多数決の制度が導入されている33。ただし、実際の国力の違いやその国際機構に求められる 機能を考慮して、相対的な平等として加重表決制や拒否権の制度が導入される場合もある。 いずれにせよ、多数決は、「多数者の専制」の危険性がある。そこで、実際の意思決定では、 全会一致と多数決の弊害をともに避けるために、票決は行わずにインフォーマルな合意形 成を求めるコンセンサスによる決定が発達している34。 このモデルの実現については、あくまでも国家間の合意に基づいて行われる。その実現に 33 好ましい環境とは、国際法や外交儀礼など主権国家システムを支える国際的な規範が整い、 国家間の権力政治が一定程度抑制された「国際社会」の成熟である。発展途上国の主張に みられるように、国民所得など国家間に存在する実質的な不平等を緩和するために、国際 的な再分配が要求される場合もある。 国家の民主化に関して、原則として、国家における政治体制の選択は各国民自身に委ねら れ、国際社会の介入は認められない。もし諸国家が民主的政治体制の内容とその実現を国 際的に合意したとしても、それを、いつどのように実現するかは各国家に委ねられる。国 際的な民主化支援は、むしろ民主的な国際関係を脅かす可能性のあるものとして警戒され、 あくまで被援助国側の要求がある場合にのみ支援が行われる。ただし、本書の視点からは、 このモデルがグローバル・デモクラシー足りうるためには、国家の政治体制について最小 限の手続き的な条件が満たされなければならない。 国際関係の民主化としては、主権国家の平等に基づく「国際(国家間)民主主義」が求め られる。 このモデルでは、国際機構は、国家間関係を中心とした国際政治ではそもそも主体的な役 割は認められない。それでも国際機構は主権国家の平等を保障し促進する場にはなりうる。 実際、国連を通じてこのモデルの実現が追求されてきた35。1970 年には、主権国家の平等 と内政不干渉の原則を維持するために、「友好関係原則宣言」(2625(ⅩⅩⅤ))が国連総会で 採択された。また、多くの加盟国によって、国連のさらなる「民主化」として安保理の拒 否権の廃止による国家間の平等の促進が主張されてきた36。 現在の国際法や実際の国際機構の運営からみても、このモデルの実現の程度は既に高いと いえる。実際、国連憲章 2 条 7 項の規定にもあるように、国連をはじめとする多くの国際 機構がこのモデルの諸前提に近い運営を原則とする。しかし、このモデルによるデモクラ シーの理念の実現可能性には、次の問題がある。第 1 に、冷戦終結以後、手続き的な最小 限の民主主義体制を求める国際的な規範が、「国際(国家間)民主主義」に基づいて決定さ れたにもかかわらず、内政不干渉の原則を盾にそれを実現しない国家があるという矛盾し た状態が生じている。第 2 に、国家間の政治的平等に関し、前述したように、もともと国 家の国力には大きな格差が存在し、形式的な主権国家の平等と矛盾する部分が大きい。第 3 に、最近では、国際機構や NGO、多国籍企業など、国境を超えて活動する国家以外の行為 34 主体が登場している。主権国家のみからなる「国際(国家間)関係」と「国際社会」とい う、このモデルの前提そのものが現実にそぐわなくなりつつある。第 4 に、破綻国家にみ られるように、国家は何らかの形で国民の意思を反映しているとはそもそもいえない状況 が存在している。 (2)世界連邦モデル このモデルは、グローバル・デモクラシーの伝統的な構想の一つである。このモデルで は、諸国家の上位に集権的な世界政府が存在しており、国家はアメリカにおける州のよう な存在である。世界政府は、国際的な課税の権限や軍隊など、現在の主権国家と同じ機能 を有する。それによって、国家間の対立は無くなり、地球規模の問題の効果的な解決が可 能になる37。デモクラシーの諸制度が適用される場も、世界政府の諸機関とその活動領域が 中心となる。 (a)このモデルにおける主権者は、いわば世界大の一つの「国民」(nation)である。 主権者は世界市民としての共通のアイデンティティーを持つ個人からなり、共通の文化と 価値が共有される「世界共同体」が存在する。(b)参加の対象について、国家を超えた場 には世界政府と超国家的な議会が存在し、それが参加の主な対象となる。超国家議会は、 世界政府を民主的にコントロールする。(c)参加の方法は、超国家的議会への選挙による間 接的な参加が中心である。ただし、超国家的なレファレンダムのような直接的な参加も考 えられる。(d)政治的平等としては、原則として選挙における一人一票制のような形式的 平等が重視される。ただし、国家が解消されていない段階では、各国家の人口や経済水準 に配慮して、議員数の割り当てが工夫される38。 どのようにこの民主的な世界連邦を実現するかについては、第 1 に、自由主義的な国家 連合を経て世界連邦へ至る方法が考えられる。国際関係論の(新)機能主義の思想では、 国家間の経済統合が国家間の相互依存を高め、超国家的な権威へと国家の主権を委譲し、 最終的に政治統合へ至るという「波及効果」(spill-over)が想定されてきた39。第 2 に、こ のモデルはアメリカのような連邦国家を想定するが、それと同様に、各「国家」 (state)の 契約(憲法制定)によって成立する可能性もある40。しかし、いずれの場合でも、共通のア 35 イデンティティーなどの文化的・経済的諸条件が形成され、国民国家と同程度に世界全体 が一つの共同体として成立していることが必要となる。 国家の民主化については、そもそも国家そのものの重要性が低い。何よりも国家を超え た場の民主化が重視され、超国家的な議会制民主主義の制度が導入される。 このモデルでの国際機構は、モデルの実現を促進する主体となり、その実現後は、各国家 の政府の上位に立つ世界政府(の一部)となる。特に、国連を世界連邦へと発達させる構 想がながらく存在してきた41 現状では、地域的な試みである EU にその兆候が少しみられる程度で、実現には程遠い42。 このモデルによるデモクラシーの理念の実現における問題点は、第 1 に、国民国家と同 様の文化的・経済的条件を地球全体で整えることは極めて困難であることである。第 2 に、 このモデルの実現においては国家間の合意が考えられるが、国家が自らの主権の消滅につ ながる合意をするかどうかは疑問である。第 3 に、そもそもこのモデルは、国家以上に民 主的なコントロールが及びづらい超国家的な官僚制や高い文化的異質性や経済格差など、 その民主的正統(当)性に問題が生じやすい構造を抱えている43。このモデル全体としては、 どのように世界政府をつくるかといった困難が多く、実現性が乏しいといえる。 (3)自由主義的民主主義諸国共同体モデル このモデルは、端的に言うと民主主義国家による国家連合であり、ウェストファリア・モ デルと世界連邦モデルの中間形態である44。このモデルでは、ウェストファリア・モデルと 同様、国家レベルと国家を超えたレベルそれぞれの政治過程や社会は原則として分離され る。国家レベルでは、自由主義経済とともに、手続き的な最小限の民主主義体制が求めら れる。他方、国家を超えた場では、ウェストファリア・モデルと同様、主権国家の平等に 基づく国家間関係、「国際(国家間)民主主義」が求められる。ただし、国家間の交流は活 発であり、国際レジームや政府間国際機構を通じて積極的な国際協力が望まれ、国境を超 えた活動のコントロールや国際的問題の解決が目指される45。 (a)このモデルにおける主権者は、各国の人民の集合体、いわば「諸人民」(peoples) である。国際機構など国家を超えた場では、自由選挙の実施など一定の基準を満たす民主 36 的政治過程によってコントロールされる各国政府が、各国人民を代表して参加する。そこ ではウェストファリア・モデルと同様の主権国家の平等に基づく「国際社会」のみならず、 人権、デモクラシー、自由主義経済など自由主義的な諸価値・制度が共有され、経済的な 相互依存関係によって結ばれている「国際共同体」が成立している46。 さらに、国内と国家を超えた両レベルには、個人が自発的に結成した団体からなる「市民 社会」が存在し活発に活動する。ただし、このモデルでの市民社会は自由主義的なもので あり、デモクラシーとの関係はむしろ間接的である47。市民社会は、NGO だけでなく私的 利益を追求する企業も含めた自発的結社からなり、基本的に国家やそれに類する政治的権 威から自律して活動する。必要な場合に、市民社会は、政党の支援やロビー活動などを通 じて政府へその要求を表出する。同時に、公的権力をチェックし恣意的な介入から自由を 守ろうとする。この市民社会は国境を超えても存在する 48。国際機構などに対して、特定 の利益実現のために働きかけを行い、場合によっては協力して国境を超えた問題の解決に あたる49。 (b)参加の対象は、国家においても、国家を超えた場においても、「公的」な領域に限定 される。国家においては、民主的な参加の対象は、議会をはじめとした政府の諸機関の活 動領域に限定される。経済活動や文化の問題などは、「私的」領域あるいは「(市民)社会」 の問題として、民主的な参加の対象には含まれない。 国家を超えたレベルにおいては、先に述べたようにウェストファリア・モデル同様、政府 間国際機構や国家間関係が、国家による参加の対象となる。しかし、国際機構や国家間が 規制する政策領域は、国家における政府の役割と同様に、狭く限定されるのが望ましい。 国境を超えて個人や団体によってなされる経済活動も含めた活動もまた、できるだけ自由 であることが求められる。 (c)参加の方法は、国家レベルでは、自由で競合的な選挙を通じた間接的な代表が中心 である。ほかにも、利益団体による議会や政府へのロビー活動など非公式で直接的な参加 も行われる50。国家を超えた場では、基本的に、国家レベルにおいて民主的コントロールを 受ける政府の代表が、総会など意思決定の場へ直接参加する。ただし、各国国民から見た 場合は政府を通じた間接的な参加といえる。 (d)政治的な平等については、国家の中においては、一人一票制のような形式的な平等 37 が中心である。また、機会の平等に必要な選挙の自由・公正を保障するために、結社・言 論の自由などの制度的条件が求められる。国家を超えた場では、主権国家間の形式的な平 等のほかに、加重票決制のように人口や経済力、軍事力などに基づく機能的(相対的)な 平等も求められる。 このモデルを実現する過程に関して、国家の民主化については、外国政府や国際機構を通 じた国際的な支援が積極的になされる。そこでは、被援助国の合意に基づいた支援のみな らず、援助への政治的コンディショナリティなど(半)強制的な支援も行われる。民主的 政権の転覆の際には、使節団の派遣にとどまらず、経済制裁や国際機構でのメンバーシッ プの停止など強制的な措置も行われる。ただし、それは、国際機構の決議や事前に結ばれ た条約の規定など諸国家の広い意味での合意に基づく。 国家を超えた場の民主化については、ウェストファリア・モデルと同様に国家間の合意に よる。望ましい環境として、「国際社会」の成熟とともに、「国際共同体」が求められる。 経済の自由化などを押し進めるグローバル化はこのモデルでは基本的に好ましく、民主化 の主体となる中間所得層を増やし、デモクラシーや人権、自由などへの意識を生むなど国 際共同体の形成を促進するものである。 このモデルにおける国際機構は、第 1 に、ウェストファリア・モデルと同様に、平等な国 家間関係を促進・維持する役割を担う。第 2 に、国際機構は、国際協力の促進や国際的な 問題の解決、経済のグローバル化や国家間の相互依存の促進を行うことで、自由主義的な 「国際共同体」を構築し維持する。第 3 に、国際機構は、国家の民主化とその定着を促進・ 維持するための支援を積極的に行う。それらの支援は原則として基本的に国家の合意に基 づいて行われなければならない。しかし、国際機構の加盟の条件が、ヨーロッパの国際機 構の多くのように、政治体制が民主的であることを要求するため、民主的な政府が非合法 的に転覆された場合、強制的な措置や、メンバーシップの停止が行われる場合もある。 このモデルに近い実例としては、地域的なものではあるが、欧州審議会、NATO、現在の 全欧安保協力機構(OSCE)、米州機構(OAS)などがある。いずれも、国家間の形式的な 平等な関係を維持しつつ、加盟国に対して民主的な政治体制を採用することを求めている。 それらの機構では、各国の民主化を促進するため、基本的に加盟国の合意に基づきつつも 国際的な選挙監視や民主化支援が盛んに行われている51。また、アメリカが中心となって進 38 める「民主主義諸国の共同体」会議にも見られるように、先進民主主義諸国の多くは、こ のモデルに近似の国際秩序を目指した外交政策を展開している。 しかし、問題点としては、第 1 に、ウェストファリア・モデルと同様に、国家を超えた場 で「国際(国家間)民主主義」を実現し維持することは現状では困難になりつつある。こ のモデルでは国家間の相互依存とグローバル化の促進を望ましいとするが、それが各国へ 不均衡に効果を及ぼし52、前提となる国家の領域に対する排他的な統制と主権国家間の平等 を損なっている。確かに、国際的な法制度上では国家が依然として国際関係において第一 の地位にあり、主権国家はいずれも平等とされる53。しかし、国家間の経済格差の拡大によ って、主権国家間の実質的な政治的平等はいっそう失われつつある。 第 2 に、人々は自らに影響のある国家を超えた場での決定や活動を、国家の代表を通じて すべてコントロールしうるというこのモデルのもう一つの前提が崩れつつある。そもそも 外交の領域は伝統的に議会のコントロールが及びづらい54。また、集団的な決定が行われる 中では、個々の国家の意思が通る比重は低い。それがさらに、国際機構の権限の拡大や多 数決制度の拡大、扱われる政策に関する情報の大量化・複雑化によって、国家代表を通じ た民主的コントロールはますます困難になりつつある。国内の政治過程においても、国境 を越えた活動の拡大によって関係者の利害関係は複雑になり、国家の代表が国際的な場で 「国民」としての単一の意志を代表することは困難になりつつある。 第 3 に、このモデルの実現のため、国際的な民主化支援が積極的に行われるが、それは一 方で、国益追求のための内政干渉の口実として利用され、国際民主主義の内政不干渉の原 則に抵触する可能性がある。そもそも、手続き的な側面のみを重視した民主化は、経済の 自由化と組み合わされることで、一部先進諸国の利益追求の道具になりかねない55。手続き 的な民主化は、海外投資や紐付きの政府間開発援助(ODA)の実施を正当化する。第 4 に、 逆に、内政不干渉の原則を盾に、国家の民主化に十分な支援がなしえなかったり、破綻国 家の場合のように合意そのものが不可能な場合もある。 (4)コスモポリタン・モデル56 このモデルは、主権国家間の平等原理、人民主権の原則、世界政府的な超国家的権威の存 39 在、という上記 3 つのモデルの特徴を組み合わせつつ、さらに人民による直接参加を重視 するものである57。このモデルでは、グローバルな統治の構造として、地域的な共同体から 地方自治体や国家、さらには超国家的国際機構まで含む「新しい中世」ともいえる多層的 で多中心的な民主的世界秩序が構想される58。しかし、そのような多層構造にもかかわらず、 一定の強制力を持つ超国家機構と、 「コスモポリタン公法」と呼ばれる共通の立憲的な法構 造が存在し、さらにはそれを支える共通のアイデンティティーと価値を有した地球規模の 共同体が形成される。 このモデルは、超国家的権威の存在を想定する点では世界連邦モデルと共通しているが、 国家を完全に下位に吸収した唯一の世界政府を想定しない点では異なっている。ウェスト ファリア・モデルとは、国家間関係をこの多層的な統治の構造の中で依然として重要とす る点で共通性している。自由な個人からなる(市民)社会の存在を想定し、自由主義的な 価値を尊重する点では、自由主義的民主主義諸国共同体モデルとの共通性がある。ただし、 デモクラシーが適用される範囲は、後に述べるように、社会的領域まで含む広いものであ る。このモデルにおいては、自由主義的民主主義諸国共同体モデル以上に市民社会の役割 が重要となる。このモデルでの「市民社会」は、より公共的な役割を担い、市民による直 接的な参加を通じて国内・国家を超えた両レベルのデモクラシーを支え維持する。ただし、 市民社会の組織は、企業のような単なる営利目的の団体よりも、NGO が中心である。 (a)主権者は、「世界市民」としての共通のアイデンティティーを有する、いわば単一の 「人民」(people)である。ただし、世界連邦モデルとは違い、世界市民としてのアイデン ティティーは最上位のものではなく、人々は国民や民族などとともに複合的なアイデンテ ィティーを有する。国家を超えた場では、民主的に選出された各国政府だけでなく、NGO や市民社会も人々の意思を代表する。また、人権やデモクラシー、自由主義経済など自由 主義的な価値が浸透している「世界共同体」が存在している。 (b)参加の対象は、地域的な共同体から、国家、超国家的国際機構まで多様である。そ れぞれに議会のような民主的な制度が設けられ、それぞれで構成員の意思が集約されるこ とで各レベルの官僚機構に民主的なコントロールが及ぼされる。また、国際機構、政府、 地方自治体など公的機関だけでなく、多国籍企業や職場、学校、NGO など、人々の生活に 影響を与える社会的な領域も民主的な参加の対象となる。それぞれの対象に対して主権者 40 のうち具体的に誰が参加するかは、どこで問題が最も効果的に解決され、また、誰に影響 を与えるかによって決まる59。例えば、地球温暖化問題は、国際的に取り組まれるのが最も 効果的であり、具体的な参加者は地球温暖化の影響を受ける人々や団体となる。教育の問 題だと、地域共同体レベルで取り組まれるのが望ましく、その参加者は、保護者、生徒、 教職員、地域住民となる。 (c)参加の方法は、参加の対象によって変化する。地域的な共同体への参加の場合は、 より直接的な住民の参加が可能である。中央政府へは、議会を通した間接的な参加のほか、 ロビー活動やデモなど直接的な参加も並行して行われる。 国家を超えた場においても、多様な参加の方法が存在する。国家の代表を通じた従来の間 接的な参加のほか、超国家的な議会制度によるより直接的な参加も考えられる。さらに、 このモデルの場合、特定の人々の利益を代表しながら国境を超えて活動し、かつ一定の公 共的な役割を担う「世界市民社会」が、国際機構や国際会議といった国家を超えたレベル の意思決定に直接参加する。そもそも、世界市民社会を構成する国際 NGO や国境を超えた 社会運動による自律的な公共的活動自体が、人々の直接的な政治参加の対象になる。また このモデルにおいて、国内・国家を超えたレベル両方の NGO や市民社会は、国際機構や加 盟国の活動をチェックし、政策提言を行い、政策の実施過程へ協力するなど、国際機構と の関係で協力的・対抗的の両方の性格を併せ持つ。 (d)政治的平等のあり方もまた、誰がどこにどのように参加するのかによって変化する。 原則として、個人の形式的な平等が最も重視される。しかし同時に、現実に存在する不平 等の存在に注目して、実質的な平等も求められる。 このモデルを実現するための方法について、第 1 に、国家の民主化については、政府への 働きかけや支援だけでなく、市民社会による下からの民主化にも期待がかけられる。国際 的な支援の主体についても、政府や国際機構による支援だけでなく、国境を越えた市民社 会による民主化支援も望まれる。第 2 に、国家を超えた場については、国際機構や国際制 度の権限強化と民主化が同時に求められる。他方で、国家の下位レベルにある地方自治体 への分権化と民主化も必要とされる。そこでは、NGO の参加など市民の直接参加も積極的 に促される。第 3 に、各レベルの民主化においては、社会的な領域までが民主化の対象と なる。第 4 に、グローバル化は、民主化を促進する環境として基本的に肯定される。グロ 41 ーバル化によって、人々の能力は強化され、各レベルの市民社会の出現が促進され、世界 の民主化の原動力となりうる60。しかし同時に、グローバル化に対しては、それによって貧 富の拡大や文化の多様性の消滅など、民主化を阻害する可能性のあるものとして注意が払 われる。 このモデルでは国際機構は様々な役割を担う。第 1 に、超国家的な統治メカニズムの一部 を担うものとして、自らが民主化の対象となる。そこでは、国家だけでなく市民社会の参 加を求めるというインプットの側面とともに、実際に問題を解決し人々の意思を実現する というアウトプットの側面も重視される。第 2 に、地方分権化や、労働組合や NGO など市 民社会組織の育成を行うように61、国家を含めて各レベル民主化を促進し、維持する役割も 果たす。 このモデルは、国家主権の権限が、上位(国家を超えたレベル)と下位(地域的レベル) へ実質的に委譲されつつある現在の世界の状況を踏まえたものである。このモデルに近い 実例としては、地域的なものではあるが、現在の EU が挙げられる。そこでは、 (新)自由 主義経済、デモクラシー及び、人権という共通の価値観と、それらを守るための法体系と 欧州委員会や欧州議会のような超国家的な機関が存在している。同時に欧州理事会や閣僚 理事会の存在に見られるように、国家は依然中心的な存在でもある。加えて、各国の地方 自治体など地域レベルへの分権化も進みつつある。このように国家の権限は上方と下方へ と移され、EU は多層的なガバナンスのシステムとなりつつある。ほかに、現在発達しつつ あるグローバル・ガバナンスは、多層的なガバナンスのメカニズムを通じて環境問題や経 済のグローバル化に伴う問題などの解決を図りつつ、そこに民主的な参加を求めるもので あり、このモデルに近いといえる62。 このモデルに関わる問題として、第 1 に、EU における「補完性の原理」のような基準作 りは試みられているものの63、超国家的機構と国家の関係など、民主的参加の形態にも影響 を及ぼす多層的統治のメカニズムの権限関係や役割分担が依然明確ではない。第 2 に、世 界連邦モデルほどではないものの、世界市民としてのアイデンティティーの成立、超国家 機構への国家主権の委譲、超国家的官僚制の民主的コントロールの問題など、その実現に は多くの課題が達成される必要である64。 42 (5)ラディカル・モデル このモデルの特徴は、第1に、主権者について、自由主義的民主主義諸国共同体モデルや コスモポリタン・モデルと異なり、自律した個人としてよりも、むしろ民族や経済階級な どの所属する社会、文化、経済的集団によってそのアイデンティティーや価値観が規定さ れる社会的な人間像を前提とする65。その上で、第 2 に、発展途上国、少数民族、経済的・ 社会的弱者など、虐げられた人々や集団の声が、より政治の場に反映されることが望まし いとする。そのため、自由主義的民主主義諸国共同体モデルやコスモポリタン・モデルと は対照的に、先進諸国や国際機構によって推進される経済のグローバル化や自由化に対し ては、それが人々の平等や人間的な生活の機会を奪うものとして批判的である66。第 3 に、 議会などを通じた間接的な参加よりも、人々のより直接的な参加が重んじられる。その意 味でデモクラシーの「根源的な」(radical)あり方が重視されるモデルである。 このモデルにおける「市民社会」は、国家や国際制度に対して、協力的というよりもむし ろ対抗的である。コスモポリタン・モデル以上に、国家や国際機構における既存の支配権 力とは対抗的であり、これまでのあり方とは異なるオルタナティヴな政策の提言を積極的 に行う67。特に少数民族、経済的・社会的弱者など社会的に弱い立場にある人々や集団の意 思を伝え実現する役割を担うことが、市民社会に期待される68。また、先にも述べたように、 社会における不平等、特に自由主義経済やグローバル化によってもたらされる抑圧や不平 等に批判的である。場合によっては、1999 年の WTO のシアトルにおける閣僚会議のよう に、デモなど直接的な反対行動を行うこともある69。 (a)主権者は、いわば単一の「人民」(=people)である。ただし、先にも述べたように、 具体的な参加の単位としては人々が所属している集団が重視される。その集団には、民族 や経済的階級、文化・言語・宗教的共同体、地域共同体などがある。NGO や草の根組織な ど各集団の組織が人民を代表する。 (b)参加の対象は、公的な機関のみならず、経済活動など人々の生活に影響を与える社 会的な領域まで含まれる。例えば、国家においては、職場や開発プロジェクトへの参加が 含まれる。国家を超えた場においては、国際機構・制度や国家間関係のみならず、多国籍 企業やマスメディアなども民主的なコントロールの対象となる。 43 (c)参加の方法は、社会運動、デモやロビー活動、草の根活動など直接的な方法が重視 される。 (d)政治的な平等については、人間としての能力を実現しうるよう、実質的な平等が重 視される70。そこでは、所得、文化的差別、ジェンダーなど多岐にわたる要因によって参加 の機会が阻まれている可能性が考慮される。実質的平等を保障するために、単なる一人一 票が与えられるよりも、少数者に対してアファーマティヴ・アクションといった特別な配 慮が行われるべきであるとする。 このモデルの実現方法については、第 1 に、国家の民主化、国家を超えた場の民主化の いずれにかかわらず、先に挙げた集団自身からなる市民社会やその国境を超えたネットワ ークによる「下からの」主体的な運動が重視される。第 2 に、他のモデルのように、民主 化の明確な到達点を設定しない。民主化の過程は、より継続的なものであり、不公正の是 正や弱者・少数者の声を拾い上げる運動が常に行われるべきと考えられる71。 国際機構の役割については、そもそも国際制度が特権階級によって支配の道具とみなされ る72、また集権的・階層的な組織を好まないこのモデルの特性上、大きな役割を担うことは ない。それでも、第 1 に、NGO や草の根共同体など、弱者や少数者を代表する集団へのエ ンパワーメント、第 2 に、各国や集団間の不平等を拡大する現在のグローバルな構造の抜 本的な是正への取り組みが国際機構に求められる73。 このモデルを示唆する実例としては、NGO や草の根組織による活動の活発化、国境を超 えた社会運動やネットワーク作り及び、国連会議、WTO 閣僚会議、サミットの会場周辺と いった場での NGO や集団による直接行動がある。これまで国家や国際的な意思決定の場に 反映されなかった声を届けるようとする動きが活発になりつつあり、このモデルの萌芽が 見られる。 このモデルに関わる問題としては、第 1 に、現在の統治体制や社会構造への反対運動は 確かに活発に行われているものの、現行に替わる具体的な構想にいまだ欠けていることで ある。第 2 に、このモデルの主体である NGO や市民社会の人々の声を代弁する役割への期 待が強すぎるあまり、それら自体の民主性の問題がややもすれば軽視される傾向がある74。 4 各モデルの関係 44 以上の 5 つのグローバル・デモクラシーのモデルを関係付けるならば、主権国家システ ムを重視する程度と、(新)自由主義的なグローバル化をどの程度肯定するかどうかで、図 1 のように示すことができよう。ウェストファリア・モデルと自由主義的民主主義諸国共同 体モデルは、既存の主権国家システムを重視するが、世界連邦モデルとラディカル・モデ ルはそれを積極的に解体することを望む。コスモポリタン・モデルは国家間の枠組みを残 しておりそこまで極端ではない。自由主義的・民主主義諸国共同体モデルとコスモポリタ ン・モデルは、自由主義的なグローバル化を原則として肯定的に捉える。対して、ラディ カル・モデルはそれに否定的であり、ウェストファリア・モデルも主権国家のコントロー ルを脅かす可能性からやや否定的である。 このような関係から、どのグローバル・デモクラシーを目指すかによって、民主化への 国際的な関与のあり方や国家を越えた場の民主化の目標、ひいては何をもって「民主的」 あるいは「民主化」とするかの認識が異なってくる。例えば、非立憲的な民主的政権の転 覆という事態に対して、欧米民主主義諸国が政権回復のために経済制裁を一方的に行うこ とは、ウェストファリア・モデルを目指す勢力にとって、転覆自体は好ましくないものの、 「非民主的」な行為である。他方で、それは自由主義的民主主義諸国共同体モデルを目指 す勢力にとってはむしろ望ましいことである。また、ある国際機構において NGO の参加が 政府代表に肩を並べるまで拡大することは、ウェストファリア・モデルを目指す勢力にと っては「反民主的」な過程である一方で、コスモポリタン・デモクラシーやラディカル・ デモクラシーを目指す勢力にとっては国際機構の「民主化」である。 45 図 2-1 (主権国家システムを重視する程度) 強 ウェストファリア 自由主義的民主主義諸国 ・モデル 共同体モデル (自由主義的グローバル化に対して) 否定的 肯定的 コスモポリタン ・モデル ラディカル・モデル 世界連邦 モデル 弱 (筆者作成) 5 小括 以上本章では、グローバル・デモクラシーの思想を概観し、中心原理の枠組みから、グ ローバル・デモクラシーをいくつかのモデルに整理した。実際に世界全体がどのモデルの 方向へと向かいつつあるかを知るためには、3 つの民主化の課題、すなわち、第 1 に、国家 の民主化への動きとそれへの国際的な支援、第 2 に、デモクラシーの再活性化と深化を試 みる動き、第 3 に、国家を超えたデモクラシーの模索、それぞれへの国際社会全体の取り 組みと現状を具体的にみる必要がある。 その点で、次章でもみるように、国連や地域的な国際機構において採択された条約・宣 言・決議を見る限り、どの国家も、自由で公正な競合的選挙に基づく政府とそれを制度的 に保障するための諸権利が保障され、またそのための政治制度が存在するという、いわゆ 46 るデモクラシーの手続き的な最小限の定義をみたすべきであることで、広い国際的な合意 ができつつある。その合意に基づいて、民主化を支援・維持するための活動も広がってい る。例えば、EU、全欧安保協力機構(OSCE)、米州機構(OAS)、アフリカ統一機構(OAU) といった地域的な機構では、加盟国が民主的であることをメンバーシップの条件としてい る。多くの先進諸国の政府開発援助(ODA)では、対象国が民主的であることが援助の条 件とされている。それらの点では、国際社会が実現を目指すグローバル・デモクラシーの 目標は、内政に国際社会はできるだけ関与しないウェストファリア・モデルから、民主化 の促進と維持に積極的な自由主義的民主主義諸国共同体へと変化しつつあるといえる。 他方で、WTO や EU のように国際機構への国家の権限の委譲が進み、同時に NGO をは じめとした市民社会の活動が各国内や国連も含めた国際的な場への参加の要求が活発にな りつつある。その点では、コスモポリタン・モデルやラディカル・モデルを求める動きも 次第に高まりつつあるといえる。 いずれであれ、ここでまとめた諸モデルは、国際社会の各行為主体がどのようなグロー バル・デモクラシーを求めているか、また、世界がどのようなグローバル・デモクラシー をどの程度実現しつつあるかを測る際の指標となる。同時に、グローバル・デモクラシー の各支持者の間での対立を捕らえるのが容易となる。国連においても、関わる加盟国や国 際官僚、NGO、知識人それぞれが抱くグローバル・デモクラシーの構想が違っているため、 加盟国の民主化支援活動や国連自体の民主化が影響を受けてきた。 次章以降では、民主化の課題のうち、国家の民主化と国家を超えた場の民主化に国連が いかに取り組み、全体としてどのようなグローバル・デモクラシーが目指されているかを 見ていく。 同様の趣旨で、Wendt, Alexander, “A comment on Held’s cosmopolitanism”, in Ian Shapiro and Casiano Hacker-Cordon (ed.), Democracy's edges. Cambridge: Cambridge University Press, 1999, pp.127-133 参照。 2 デヴィッド・ヘルド著、中谷義和訳『民主政の諸類型』御茶の水書房、1998 年、第 4 章。 3 カント自身は三権分立を柱とした「共和制」と権力が人民に集中する「民主制」を分けて いる。本書の議論からは、前者がむしろ現在の民主主義体制であり、後者は必ずしも民主 的とはいえない、いわゆる「民主集中制」である。イマヌエル・カント著、土岐邦夫訳「永 遠の平和のために-イマヌエル・カントによる哲学的草案」『世界の大思想 11 カント<下 >』河出書房新社、1970 年、405-447 頁。 4 後藤正人「ルソーの小国連合論」田畑忍編著『近現代世界の平和思想』ミネルヴァ書房、 1996 年、40-43 頁参照。 1 47 5 原則として主権国家を法の主体とみなす国際法では、今なおすべての国家が民主的となっ た状態を「グローバル・デモクラシー」とする傾向が強い。See, Marks, Susan, The Riddle of All Constitutions: International law, Democracy and the Critique of Ideology, Oxford: Oxford University Press, 2000, p.3. See also, Crawford, James and Susan Marks, “The Global Democracy Deficit: an Essay in International Law and its Limits”, in Archibugi, Held and Köhler (eds.), Re-imagining Political Community: Studies in Cosmopolitan Democracy. Cambridge: Polity Press, 1998, pp.72-90. 6 進藤榮一『現代アメリカ外交序説―ウッドロー・ウィルソンと国際秩序―』創文社、1974 年の第 1 章及び第 8 章を参照。 7 Mitrany, David, A Working Peace System. Chicago: Quadrangle Books, 1966, pp.152-157;Yunker, James A., “Rethinking World Government: A New Approach”, International Journal on World Peace, Vol. 17, No.1, 2000, pp.3-33;最上敏樹『国際機構 論』東京大学出版会、1996 年、259-261 頁参照。 8 例えば、19 世紀にサン・シモンはヨーロッパ共通政府の構想を提示している。H・スガ ナミ著、臼杵英一訳『国際社会論-国内類推と世界秩序構想』信山社、1994 年、50-59 頁。 9 例えば、1947 年には世界連邦運動(WFM)が作られ、国連経済社会理事会の協議資格を 有している。日本においても、1948 年に、上記機関の日本支部である世界連邦運動協会が 尾崎行雄らによって結成された。協会のホームページ、[http://member.nifty.ne.jp/uwfj/] 参照。 10 Clark, Grenville and Louis B. Sohn, World Peace and through World Law, Cambridge, MA: Harvard University Press, 1966;リチャード・フォーク、アンドリュー・ ストラウス「グローバル議会の設立を提唱する」『論座』2001 年 4 月号、238-245 頁;渡部 茂己「新国際秩序と国連総会の意思決定手続き」『国際政治』第 103 号、1993 年、43-56 頁。 11 Yunker, op.cit., pp.5-8. 12 金丸輝男『ヨーロッパ議会: 超国家的権限と選挙制度』成文堂参照。 13 田中俊郎『EU の政治』岩波書店、1998 年、20-26 頁参照。 14 例えば、カーの国連への評価を参照。E.H.カー著、井上茂訳『危機の二十年 : 1919-1939』 岩波書店、1996 年。また、戦間期前後の理想主義思想家たちの国際連盟や国連への評価に ついては、デーヴィッド・ロング、ピーター・ウィルソン編著、宮本盛太郎/関静雄監訳 『危機の 20 年と思想家たち―戦間期理想主義の再評価―』ミネルヴァ書房、2002 年参照。 15 Fukuyama, Francis,The end of history and the last man. New York: Free Press, Toronto: Maxwell Macmillan Canada, 1992.(渡部昇一訳『歴史の終わり(上)(下)』三笠書 房、1992 年) 16 See, Sørensen, Georg. 1998b. Democracy and Democratization: Processes and Prospects in a Changing world, 2nd (ed.) Boulder: Westview Press, 1998;サミュエル・ ハンチントン著、坪郷實、中道寿一、藪野祐三訳『第三の波: 20 世紀後半の民主化』三嶺書 房、1995 年。 17 See, Pridham, Geoffrey, “The International Context of Democratic Consolidation: South Europe in Comparative Perspective”, in Richard Gunther, P. Nikiforos Diamandouros, and Hans-Jürgen Puhle (eds.), The Politics of Democratic Consolidation: Southern Europe in Comparative Perspective, Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 1995, pp.166-203;Whitehead, Laurence, The International Dimensions of Democratization: Europe and the Americas. Oxford: Oxford University Press, 1998;木暮健太郎「民主化における国際的要因の諸相」『国際政治』128 号、2001、 146-159 頁;恒川惠市「序論『民主化』と国際政治・経済」『国際政治』第 125 号,2000 年、1-13 頁 18 例えば、 Russett, Bruce with the collaboration of William Antholis et al., Grasping the 48 democratic peace: principles for a post-Cold War world, Princeton, N.J. : Princeton University Press, 1993(鴨武彦訳『パクス・デモクラティア: 冷戦後世界への原理』東京 大学出版会、1996 年) ;土佐弘之「知的植民地主義としてのデモクラティック・ピース論」 『平和研究』第 22 号、1997 年、43-55 頁;永田尚見「二つのデモクラティック・ピース論」 『国際協力論集』第 6 巻第 1 号、1998 年、83-109 頁;エドワード・マンスフィールド、ジ ャック・スナイダー「民主化は本当に世界を平和にするのか」 『中央公論』1997 年 7 月号、 367-386 頁参照。 19 本書第 1 章、注 13 のデモクラシーの国際法に関する文献を参照。 20 本書第 3 章参照。 21 主要な地域的国際機構におけるデモクラシーの扱いについては、 U.N.Doc.E/CN.4/Sub.2/2001/32 を参照。 22 会議のホームページ、[http://www.democracyconference.org]参照。第 2 回の閣僚会議は 2002 年 11 月に韓国のソウルで開催され、民主化の国際協力について話し合われ、「ソウル 行動計画」が採択された。See, [http://www.ccd21.org/conferences/ministerial]. 23 グローバル・ガバナンス(論)については、本書序章の注 22 の文献参照。 24 世界銀行、IMF、WTO をめぐる議論については、Woods, Ngaire and Amrtia Narlikar, “Governance and the limits of accountability: the WTO, the IMF and the World Bank”, International Social Science Journal, No.170, 2001 参照。 25 「民主主義の赤字」については、Wallace, William and Julie Smith, “Democracy or Technocracy? European Integration and the Problem of Popular Consent”, Western European Politics, Vol.18, No.3, 1995, pp.137-157;遠藤乾「さまよえるヨーロッパ連合- デモクラシーとテクノクラシーの狭間-」『世界』,1997 年 11 月号、308-318 頁;勝井真理 子「EU の「民主主義の赤字」とその克服の模索」『法学政治学論究』第 33 号、347-378 頁; 杉浦功一「欧州連合(EU)の民主的正当性の問題」(1999 年度修士論文、神戸大学);中 村研一「ヨーロッパは政治共同体たりうるのか」佐々木隆生・中村研一編著『ヨーロッパ 統合の脱神話化』ミネルヴァ書房、1994 年、68-95 頁を参照。 26 代表的なものとしては、Holden, Barry (ed.), Global Democracy. London and New York: Routledge, 2000;Held, David, Democracy and the Global Order. Polity Press: Cambridge, 1995(佐々木寛ほか訳『デモクラシーと世界秩序―地球市民の政治学』NTT 出版、2002);McGrew, Anthony (ed.), The Transformation of Democracy? Cambridge: Polity Press, 1997;猪口孝、エドワード・ニューマン、ジョン・キーン編、猪口孝監訳『現 代民主主義の変容―政治学のフロンティア』有斐閣、1999 年;内山秀夫・薬師寺泰蔵編『グ ローバル・デモクラシーの政治世界-変貌する民主主義のかたち』有信堂、1997 年;星野 昭吉『世界政治の原理と変動―地球規模問題群と平和―』同文舘出版、2002 年、第 7 章。 27 本書第 2 章注 20 の参照。 28 See, Cox, Robert W., “Civil society at the turn of the millennium: prospects for an alternative world order”, Review of International Studies, Vol.25, No.1, 1999, pp.3-28; Falk, Richard, Predatory Globalization: A Critique. Cambridge: Polity Press, 1999; Gills, Barry K. (ed.), Globalization and the Politics of Resistance, Basingstoke: Macmillan, New York: St. Martin's Press, 2000. 29 McGrew, Anthony, “Democracy beyond borders? : Globalization and the reconstruction of democratic theory and politics”,.McGrew (ed.), op.cit., p.242. 30 本書と同様に、多様なグローバル・デモクラシーの構想をモデル化する試みとしては、 マクグリューの議論がある。そこでは「リベラル国際主義」(liberal internationalism)、「ラ ディカル共同体主義」(radical communitarianism)、「コスモポリタン・デモクラシー」 (cosmopolitan democracy)の分類がある。「人民(demos)とは誰か」、「支配(rule)はどのよ うなものか」 、「デモクラシーの目的は」への考え方で、それぞれの特徴をあらわしている。 49 本論文もこのマクグリューの議論を参考にしている。See, McGrew, op.cit. 本書のモデルとの関係は、「リベラル国際主義モデル」は、自由主義的民主主義諸国モデ ルに近いが、後者はより国家間関係を重視している。「ラディカル共同体モデル」は、ラデ ィカル・モデルに近いが、前者はより共同体主義志向である。「コスモポリタン・デモクラ シー」は、コスモポリタン・モデルに近いが、前者の方がより自由主義的で個人主義的で ある。本書でいうウェストファリア・モデルの主たる主張は、グローバル・デモクラシー にはむしろ相容れないものとして扱われている。また、世界政府(連邦)モデルは、そも そも構想に含まれていない。マクグリューのモデルは、全体的に、コスモポリタン・デモ クラシーへの規範的志向が強いものといえる。 31 ヘルドの「国連憲章モデル」を参照。See, Held, op.cit., ch.4. 32 Bull, Hendly, The Anarchical Society: A Study of Order in World Politics, London: Macmillan Press, 1977(臼井英一訳『国際社会論』岩波書店、2000 年) 33 位田隆一「国際機構における表決制度の展開」 『国際法の新展開』東信堂、1989、115-151 頁参照。 34 猪又忠徳「南北交渉におけるコンセンサス決定の意義」『法学研究』第 56 巻 3 号、1983 年、207-250 頁参照。 35 例えば、G-77 諸国のシンクタンク、サウスセンターの報告書を参照。South Centre, For a Strong and Democratic United Nations: A South Perspective on United Nations Reform, 1996, in Joachim Müller (ed.), Reforming the United Nations: New Initiatives and Past Effort. Hague, London, Boston: Kluwer Law International, 1997. 36 Fassbender, Bardo, UN Security Council Reform and the Right of Veto. Cambridge: Kluwer Law International, 1998, pp.301-305. 37 Seidelman, Reimund, “The Search for a New Global Order: Rehabilitating the Idea of the Global State”, in D. Bourantonis and M. Evriades (eds.), A United Nations for the Twenty-First Century, Boston: Kluwer Law International, 1996, pp.46-47. 38 See, Clark and Sohn, op.cit.;Yunker, op.cit. 39 Haas, Ernst B., The Uniting of Europe: Political, Social, and Economic Forces, 1950-1957, Stanford, Calif.: Stanford University Press, 1958. 40 See, Archibugi, Daniele, “From the United Nations to Cosmopolitan Democracy”, in Archibugi and Held (eds.), in Archibugi, Daniele and David Held (eds.), Cosmopolitan Democracy: An Agenda for a New World Order. Cambridge: Polity Press, 1995. 41 例えば、小谷鶴次『戦争放棄から世界連邦へ』TOSHINDO 出版サービス、1990 年、第 三部参照。 42 Seidelmann, op.cit., p.47. 43 グローバル・ガバナンス委員会著、京都フォーラム監訳『地球リーダーシップ-新しい 世界秩序を目指して-』NHK 出版、1995 年、22 頁。 44 アルチブギは「連合モデル」(the confederation model)と呼ぶ。Archibugi, 1995, op.cit., pp.130-132. 45 Keohane, Robert O., International Institutions and State Power. Boulder: Westview Press, 1989. 46 Taylor, Paul, “The United Nations in the 1990s: Proactive Cosmopolitanism and the Issue of Sovereignty”, in Robert Jackson (ed.), Sovereignty at the Millennium, Oxford: Blackwell Publisher, 1999, p. 128. 47 市民社会の類別に関して、遠藤貢「 『市民社会』論-グローバルな適用の可能性と問題」 『国際問題』No.484、2000 年,2-16 頁参照。 48 自由主義的な国境を越えた市民社会(transnational civil society)の概念については、 Wapner, Paul, “Governance in Global Civil Society”, in Oran R. Young (ed.) Global Governance, The MIT Press: Massachusetts, 1997, pp.65-84 参照。 50 49 Ibid., p.80. D.ニコルス著、日下喜一・鈴木光重・尾藤孝一『政治的多元主義の諸相』御茶の水書 房、1981 年参照。 51 See, Burnell, Peter (ed.), Democracy Assistance: International Co-operation for Democratization, London: Frank Cass, 2000;Padilla, David and Elizabeth Houppert, “International Election Observing: Enhancing the Principle of Free and Fair Elections”, Emory International Law Review, Vol.7, No.1, 1993, pp.73-132. 52 See, Held, David, Anthony McGrew, David Goldblatt and Jonathan Perraton, Global Transformations, London: Polity Press, 1999. 53 スティーブン・D. クラズナー「グローバリゼーション論批判」渡辺昭夫、土山實男編『グ ローバル・ガヴァナンス』東京大学出版会、2001 年、45-68 頁。 54 Kaiser, Karl, “Transnational Relations as a Threat to the Democratic Process”, in Robert O. Keohane and Joseph S. Nye (eds.), Transnational Relations and World Politics, Harvard University Press: London, 1971. 55 Gills, Barry K., ‘American Power, Neo-liberal Economic Globalization, and Low-Intensity Democracy: An Unsatable Trinity’, in Michael Cox, G. John Ikenberry and Takashi Inoguchi (eds.), American Democracy Promotion: Impulses, Strategies, and Impacts, Oxford: Oxford University Press, 2000, pp.326-344. 56 ここでの「コスモポリタン」は、カルダーの「コスモポリタンの語は、政治的制度に適 用されるとき、諸国家の主権に制約を課し、しかし自身は「国家」を形成しない、ガバナ ンスの層を示唆する」という用法に準拠している。Archibugi, Daniele, “Principles of Cosmopolitan Democracy”, in Archibugi, Held and Köhler (eds.), op.cit, p.216. 57 このモデルについては、ヘルドのコスモポリタン・デモクラシーの議論から強く示唆を 受けている。McGrew, op.cit., pp.249-253 を参照。ただし、現実の状況と他のモデルとの 関係に合わせて、本書独自のモデルとして整理している。 58 「新しい中世」の概念については、Bull, op.cit.;田中明彦『新しい「中世」-21 世紀の世 界システム-』日本経済新聞社、1996 年参照。 59 ヘルドは、問題によって影響を受ける「範囲」(extensiveness)、問題の影響の「程度」 (intensity)、解決手段の「比較効率性」(comparative efficiency)によって、問題が扱われる レベルをテストして決めることを主張している。Held, 1995, op.cit., pp.235-237. 60 ジェームズ・N・ロズナウ「激動の世界と国連」ジェームズ・N・ロズナウ/イーアン・ ジョンストン著,功刀達朗監訳『国連-地球社会の選択1 激動の世界と国連/湾岸戦争の 教訓』PHP 研究所、1995 年、13-124 頁 61 UNDP/CSOP, UNDP and CSOs-Building Alliances for development, 1998, [http://www.undp.org/csopp/CSO/NewFiles/docbuildall.htm] 2001/04/18. 62 グローバル・ガバナンス委員会、前掲。 63 和達容子「欧州連合における『補完性原理』―マーストリヒト条約化の議論を中心に―」 『法学政治学論究』第 35 号、1997 年、1-31 頁参照。 64 国民としてのアイデンティティがすでに堅固に存在する中で、国家を超えたアイデンテ ィティの形成の困難さを指摘する議論として、Kymlicka, Will, “Citizenship in an era of globalization: commentary on Held”, in Shapiro and Hacker-Cordon (ed.), op.cit., pp.112-126;Wendt, Alexander, “A comment on Held’s cosmopolitanism”, in Shapiro and Hacker-Cordon (ed.), op.cit., pp.127-133 参照。 65 このモデルについては、マクグリューの「ラディカル共同体主義」 (radical communitarianism)のモデルを参照。See, McGrew, op.cit., pp.245-249。 66 スーザン・ジョージ著、杉村昌昭訳『WTO 徹底批判!』作品社、2002 年参照。 67 例えば、経済成長を重視する政府や政府間国際機構が行う開発に対して、環境や住民の エンパワーメントを重視する「オルタナティヴ」な開発を担う能動的な存在として NGO を 50 51 捉えた議論として、ジョン・フリードマン著、齊藤千弘、雨森孝悦監訳『市民・政府・N GO―「力の剥奪」からエンパワーメントへ』新評論、1995 年参照。 68 注 28 の文献及び、佐藤幸男「NGO と国際協力の政治学」西川潤・佐藤幸男編著 『NPO/NGO と国際協力』ミネルヴァ書房、202-251 頁参照。 69 Gill, Stephen, “Toward a Postmodern Prince? The Battle in Seattle as a Moment in the New Politics of Globalisation”, Millennium: Journal of International Studies, Vol.29, No.1, 2000, pp.131-140. 70 その状態としては、 「ケイパビリティ」と自由に関するセンの議論を参照。アマルティ ア・セン著、池本幸夫ほか訳『不平等の検討』岩波書店、1999 年 71 千葉は、このような民主化の運動を、ウォーリンの言葉を借りて「小文字のデモクラシ ー」という。千葉眞「デモクラシーと政治の概念―ラディカル・デモクラシーにむけて―」 『思想』No.867、1996 年、5-29 頁。 72 この点は、マルクスから新国際経済秩序(NIEO)の議論にまでいたる国際機構の構造主 義な見方を参照。Archer, Clive, International organizations, 3rd (ed.) London; New York: Routledge, pp.152-164. 73 UNDP による市民社会組織(CSO)の構築への支援について、UNDP/CSOP, op.cit.参 照。また、このような国際機構の役割を求める主張を、ゾニンセンは、冷戦後の経済のグ ローバル化を進める先進諸国を中心とした「ポスト覇権多国間主義」に対して、「新しい多 国間主義」と呼んでいる。See, Zoninsein, Jonas, “Implications of the Evolving Global Structure for the UN System: A View from the South”, in Michael G. Schechter (ed.), Innovation in Multilateralism, Basingstoke: Macmillan, New York : St. Martin's Press, Tokyo : United Nations University Press, pp.166-201. 74 Scholte, Jan Aart, “Cautionary Reflections on Seattle”, Millennium: Journal of International Studies, Vol.29, No.1, 2000, p.119. 52 表 2-1 グローバル・デモクラシーの諸モデル (a) 加 る は か 参 す の 誰 (b) 参 加 の 対象 ウェストファ リア・モデル 世界連邦モデ ル 自由主義的民 主主義諸国共 同体モデル コスモポリタ ン・モデル ラディカル・ モデル 主権者/代表 者 諸 国 民 ( nations ) / 各国政府 国 民 (nation)/ 超国家議会議 員 諸 人 民 (peoples)/ 民 主的な各国政 府 人 民 (people)/NGO など 社会の特徴 「国際社会」 「世界市民社 会」 「国際共同 体」と、自由 主義的市民社 会 国家を超え たレベル 政府間関係 (外交・国際 機構等) 超国家的議会 など超国家 (世界)政府 機関 主として政府 間関係(外 交・国際機構 等) 人 民 (people)/ 各国政府、超 国家的議会議 員 及 び NGO など 自由主義的な 多層的社会 (世界市民社 会、自由主義 的市民社会、 地域的共同体 を含む) 各レベルにお ける公的機関 (国際機構、 中央政府、地 方政府)を中 心に、社会的 領域の組織・ 活動も 国家レベル (c) 参 加 の 方法 国家を超え たレベル 議会など政府 機関 国家代表の直 接参加 超国家(世界) 国家代表の直 議会を通じた 接参加 間接参加 (d)重視される政治的 平等 国家間の形式 市民間の形式 的(一国一票) 的平等 と相対的(加 重表決制) 国家間の形式 的と相対的平 等と、市民間 の形式的平等 超国家議会を 通じた間接参 加と、NGO 等 による直接参 加 議会を通じた 間接参加と市 民の直接参加 国家間の形式 的と相対的平 等と、市民間 の実質的平等 国家 の 民 主 化 へ の 国 際的関与(第 3 章参 照) 国際 機 構 の 民 主 化 の 主目標(第 7 章参照) 近い実例 要請がある場 合のみ 強制的措置も 含めて積極的 市民社会への 支援も重視 国家レベル 国家議会を通 じた間接参加 そもそも重視 されない 国際(国家間) 超国家的議会 民主主義 制民主主義 国連 アメリカなど 連邦国家 (筆者作成) 53 国際(国家間) 各目標の複合 民主主義 OSCE 、 欧 州 欧州連合 審議会 民族・文化・ 伝統的な地域 的共同体の偏 在 生活に影響を 与えるすべて の活動領域 NGO 等 に よ る直接参加 市民間の実質 的平等(特に 社会的弱者へ のエンパワー メント) 市民社会への 支援を重視 NGO に よ る 直接民主主義 社会運動、 NGO の ネ ッ トワーク 第3章 1 国家の民主化と国際社会 序論 1980 年代半ば以降、世界的に国家の民主化が進んだ。フリーダムハウスによると、2002 年現在、121 を数える国で民主主義体制が採用されている1。しかしながら、民政移管後の 軍事クーデターや、政権による汚職や不正、人権抑圧、経済危機などが相次ぎ、国民の民 主主義体制としてのデモクラシーへの幻滅が広がっている国家も多い2。旧ソ連諸国内外で の民族対立やコンゴ(旧ザイール)をめぐる近隣諸国の介入などに見られるように、諸国 の民主化が平和な国際関係の構築に結び付いていない例もある3。他方、韓国や台湾、タイ、 チリのように、競合的な選挙を経て政権交替が平和的になされ、権威主義体制への後戻り がもはや考えられず、民主主義体制が定着しつつある国家も多い。また、新たに(再)民 主化が模索されている国家も見られる。21 世紀がはじまった現在、世界全体としては、民 主化の「第 3 の波」が終わり、民主化の進展と後退が相殺しあう「均衡の状態」(a period of stasis)にあるといえる4。 このような状況の中で、国家の民主化は、依然として重要な国際的な課題である。国家の 民主化の目標として満たすべき手続き的な最小限の要件に関して、次第に国際的な合意が できつつある。そこでの問題は、国際社会はその実現にどのように関与すべきかになりつ つある。実際、冷戦終結以降は特に、諸外国政府、国際機構、国際的な非政府組織(NGOs) といった国際的な主体が、国家の民主化を促進し維持するために多岐にわたる活動を行っ てきた。しかし他方で、民主化支援に対する不満や反発も根強く存在する。例えば、2003 年 4 月のナイジェリアでの大統領選挙では、欧州連合(EU)の選挙監視団が選挙を不正な ものと断定したにもかかわらず、選挙に勝利したオバサンジョ大統領は、それを一方的な 間違った判断であり内政干渉であるとして非難した5。民主化支援をめぐる同様の問題は、 1999 年のペルーの大統領選挙、2002 年のジンバブエの大統領選挙と相次いでいる。 国連もまた、1990 年代初頭以降、加盟国への民主化支援活動を活発化させてきた。現在 では、平和活動の枠組みにとらわれず、また、内容的にも選挙支援にとどまらないより幅 54 広い民主化支援活動が目指されている。同時に、国連においては、デモクラシーに関する 規範作りが進んでいる。民主的な政治体制の要件はながらく争われてきたものの、後にも みるように、現在では、自由で公正な競合的選挙の実施とそれを保障するための権利の制 度的保障及び、選出された議会の政府における実効的権限の存在が最小限必要であること、 すなわち手続き的な最小限の要件を満たすことが、国連の一連の決議や実践を通じて確認 されつつある。しかし他方で、現在の国連の民主化支援活動は6、あくまで加盟国からの要 求を支援の条件とし、しかもその内容は選挙支援に偏っており、それでは「民主主義の貧 弱な(impoverished)バージョン」を進めているだけで、真の民主化を支援するには不十 分であるという批判も存在する7。 そこで、この第Ⅱ部では、国際社会における国際的な民主化支援活動の状況を踏まえた 上で、国連による加盟国への民主化支援活動の歴史的形成過程及び現在の支援体制の特徴 を明らかにする。ただし、一連の作業では、他の民主化の課題、特に国家を超えた場の民 主化との連関に注意しなければならない。例えば、国際経済の不平等な構造のように、国 家自体の努力や直接的な国際援助のみでは解決し得ない要因も存在する。その場合、国家 の民主化を促進するために、国家を超えた場の民主化も視野に入れる必要が生じる。国家 の民主化と国家を超えた場の民主化のつながりは、国連の場においても重ねて主張されて きた。そのような各民主化の課題間の連関は、本書におけるグローバル・デモクラシーの 視点においても重要である。 本章では、国連の民主化支援活動そのものを検証する前に、国家の民主化の過程について 整理し、国際社会の諸行為主体は民主化にどのように関与しているかを概観する。国際的 な民主化支援活動はここ 10 年の間活発に行われ、今後も国際協力の一つとして重要な分野 にも関わらず、その体系的な考察は少ない8。本章の作業は、国連の民主化支援活動の特徴 を明らかにし、それが果たして加盟国の民主化に有効かどうかを評価する土台として不可 欠である。 2 国家の民主化の目標 第 1 章で論じたように、具体的に、国家の政治体制が民主的であるためには、政治権力 55 の交替が定期的な自由で公正な競合的選挙に基づき、また、それを確保するために結社の 自由などの制度的な保障が存在することが、最小限必要となる。このような最小限の条件 を満たす国家の政治体制を、本書ではさしあたって「手続き的な最小限の民主主義体制」 としている。その手続き的な最小限の民主主義体制が国家の民主化の最初の目標であるこ とで国際的な合意が次第に形成されつつある。 まず、国際法や比較政治学、援助の実務の多くは、ほぼ上記の内容を民主主義体制=デ モクラシーとして定義している9。また、実際に国際機構で採択されている決議も同様であ る。例えば、後にもみる国連人権委員会で 1999 年に採択された「デモクラシーへの権利」 決議 1999/57 では、民主的統治への権利に含まれるものとして、(a)見解・表現・思想・ 良心・信教・結社・集会の自由への権利、(b)メディアを通じて偏向のない情報と意見を 求めえる権利、(c)法の支配、(d)自由な投票手続き、定期的で自由な選挙、普通選挙の権 利、(e)立候補の平等な機会を含めた政治的参加の権利、 (f)透明で責任のある政府、(g) 市民が立憲的あるいはほかの民主的手段を通じて自らの政府システムを選べる権利、(h) 自国の公的サービスにアクセスできる権利が挙げられている(2 項)10。列国議会同盟(IPU) の「デモクラシーに関する一般宣言」11、2001 年の米州機構(OAS)の「汎アメリカ民主 憲章」(Inter-American Democratic Charter)、90 年 11 月の OSCE の「新しい欧州のため のパリ憲章」 、2000 年の「民主主義諸国共同体へ向けて」と題された国際会議で採択された 「 ワ ル シ ャ ワ 最 終 宣 言 」( Final Warsaw Declaration: Towards A Community of Democracies)12などでも上記の諸要件がデモクラシーに不可欠なものとして含まれている。 また、民主的な「政治体制」という場合、競合的選挙の実施とそのために必要な諸権利 の保障といった手続き的要素のほかに、それらを有効にしかつ支える政府の構造が必要で ある13。まず、人権の尊重、法の支配、公正な政府といった諸価値が、政治家や官僚など統 治に関わる主要な行為主体の意識に浸透し、守られることが重要である。また、閣僚の人 事や選挙の候補者の決定、官僚の採用過程において、民族的な配慮や公正な採用手続きが 求められる。軍隊への十分な文民統制や、人権を尊重し公正である警察も不可欠である。 紛争後の国家においては、それらに加え、紛争当事者の武装解除と軍の再統合が不可欠で ある14。地方分権を含めた政府の構造の再構築を行い、法の支配の向上や公的セクターのア カウンタビリティーや透明性の改善、政府の能力構築と官僚のリフォームといった政府の 56 いわゆる「グッド・ガバナンス」の実現も必要である。 さらに、民主主義体制を支える社会的環境も求められる15。民主的決定を自らのものとし て受け入れうる素地として、国民としての統一性やアイデンティティーが一定程度必要で ある16。また、人権、法の支配、政治参加への意欲といったデモクラシーに不可欠な諸価値 を尊重する政治文化も欠かせない17。国民の意思を集約し、国民に情報を提供し、政治家を 育成する、政党や政治運動も不可欠である。自由で独立したメディアの存在も重要である。 一定の経済発展も、民主主義体制の成果であると同時にその基盤でもある。 このように国家の民主化には、競合的な選挙の実施とそれを保証する諸制度と、それら を支える政治、社会、文化的環境の整備が必要であることで国際的な合意が形成されつつ ある18。このような手続き的な最小限の民主主義体制へと国家の政治体制を転換することが が、国家の民主化の目標である。国連も、後にみるように、そのような民主主義体制を民 主化の目標とするに至っている。ただし、選挙も人権の保障制度も、例えば選挙区制度の ように、具体的には多様な形態が存在する。選挙の自由や公正さの判断を含めて、ある政 治体制が民主的であるかの判断は実際には多くの困難が伴う。 3 国家の民主化の過程 次は、上記の目標へと向かう民主化の過程についてまとめる。国家の民主化が進んでい く段階は、一般的に、大きく「移行」「定着」「深化」の段階に分けられる19。「移行」その ものは、「1 つの政治体制と他の政治体制の合間(interval)」である20。そこで、民主主義 体制への「移行」とは、権威主義体制から政治体制が民主的なものへと転換することであ る。「移行」の段階では、非民主的体制内部の穏健派と強硬派への分裂、体制側と反体制勢 力との交渉や憲法の改正、軍の政治への介入の停止などを経て、自由で公正な選挙の実施 が行われる。この「移行」の段階はさらに、長期にわたる政治闘争が行われる「準備段階」 (preparatory phase)、各勢力間で民主化への合意や協定ができる「決定段階」(decision phase)に分けることができる21。政治体制が民主的なものへと「移行」したかどうかを測 る基準は、最初の自由で公正な競合的選挙の実施である22。 民主主義体制の「定着」とは、もっとも単純な意味では、移行が完了した後で権威主義体 57 制への逆戻りの可能性がなくなった状態である23。そのためには、デモクラシーのルールが 「社会的、制度的、心理的生活において深くルーティン化され、内在化されること」が必 要である24。民主主義体制の定着は、移行に比べて到達点が明確でない。そのため、定着し たかどうかを測る基準はいくつか提案されている。その一つに、定期的に自由で公正な競 合的選挙が実施され、民主的な手続きに従って平和的に政権交替が行われているかどうか がある25。しかし、この基準では、戦後の日本のように政権交替がほとんど行われない場合、 定着しているか判断できない。そこで、重要な政治的勢力の間で、民主的な基本的政治的 枠組について広く合意が成立しているかみる必要がある26。仮に政権交替が行われなくとも、 主要野党は現在の体制下で競合的な選挙に参加し続け、国民の間でも体制そのものの変革 を目指す大規模な運動が存在していないことが確認されなければならない。 「深化」とは、民主主義体制においてデモクラシーの理想がいっそう実現されることであ る。深化が課題となっている諸国は、主として先進民主主義諸国である。例えば、女性・ 少数民族などこれまで政治参加で不利な立場に置かれていた人々がより平等に参加できる ようになることや、社会保障が充実し所得が実質的に平等になることなどが深化に含まれ る27。職場への民主的な参加のように、そもそも政府機関とは無関係な民主的制度もある。 しかし、深化に関する合意された基準は存在しない。この「深化」の段階は、最小限の手 続き的な民主主義体制を踏まえて、その再活性化やデモクラシーの理念の更なる追求を行 う段階であり、本書においてはむしろ別の民主化の課題に含まれるものである。本章では、 この段階は検討の対象には含まれない。 以上、民主化の過程をまとめると、権威主義体制→移行の準備段階→移行の決定段階→移 行の完了(最初の自由で公正な選挙の実施)→定着期→定着の完了(民主的な手続きに基 づく政権交替の継続)→深化の段階、となる。しかし、このような民主化の過程はこの矢 印の順に一方向で進むのではない。権威主義体制へと逆戻りしたり、形式的に選挙は実施 されたものの人権が侵害されるなど実質的に民主化が停滞する可能性もある28。あるいは、 移行→権威主義体制へ逆行→再移行と同じ過程を繰り返す場合もある。このように、民主 化の過程は一直線ではなく、段階を測ることにも困難が伴う。しかし、各段階によって目 指す目標とそこで働く諸要因が異なっており、国際的な民主化支援にとって、被支援国が 移行期にあるか定着期にあるの区別は重要である。 58 4 国際的な民主化支援活動 本書でいう「国際的な民主化支援活動」とは、対象国の合意に基づくか強制であるかを問 わず、民主化を促進し、あるいは阻害する要因を除去・予防するため、国内的な主体や環 境・構造に対して行う国際的な行為主体による直接的関与である。上でみた民主化の過程 の各段階において、多種多様な国際的行為主体が働きかけを行っている。そこで次に、民 主化の各段階に働く諸要因と、それらに対して行われる支援をみる。もちろん諸要因に関 しては依然様々な議論がある。ここでは、国際社会の諸行為主体による民主化支援活動が、 民主化のどの段階のどの要因を重視しているか理解するための基礎として、民主化の研究 及び支援の実務において概ね合意されてきた事項を整理するにとどめる。 (1)民主主義体制への移行の準備段階 移行の準備段階においては、民主化を促進しようとする勢力とそれを阻害しようとする勢 力が競い合う。この段階では、国内の各行為主体の行動や選択が重要である29。それら主体 には、政治家や官僚、軍隊など公的主体から、資本階級や教会、労働組合、共同体組織な どいわゆる「市民社会」まで含まれる30。ただし、どの主体が民主化を支持するか、あるい は逆に阻害に向かうのかは、短期的な経済動向の変化や経済発展の水準など国内の環境 的・構造的要因に影響を受ける31。 後にみるように、外国政府、国際機構、国際 NGO といった国際的行為主体も、この段階 に民主化を促すための様々な支援を行っている。しかし逆に、東欧におけるかつてのソ連 のように、占領や植民地支配を通じて非民主的な政治体制を強制しつづけ、民主化を阻害 する場合もある。また、冷戦時のアメリカのように、安全保障上の考慮から権威主義的な 政府に対して支援が行われることもある32。 同時に環境的・構造的な国際的要因も存在する。第 1 に、情報メディアの発達に伴い、近 隣諸国の民主化が伝わることで国民の意識が変化し、民主化を求める動きが強まるという ホワイトヘッドのいうところの「感染」(contagion)33、あるいはハンチントンのいう「デモ 59 ンストレーション効果」がある34。第 2 に、デモクラシーに関する国際的な規範の形成やそ の広がりがある35。民主的統治を支持する国際条約や国際機構の決議は、非民主的な国家の 政府への圧力を生み、民主化を目指す勢力を勇気づける。ただし、民族自決や内政不干渉 の原則のように、国際的な民主化圧力を防ぐことに利用されうる国際的規範も存在する。 第 3 に、国家間の経済的な相互依存の深化と経済のグローバル化の進展がある。1980 年 代前半の債務危機は、中南米諸国の民主主義体制への移行の原因を作った。80 年代後半の 経済発展の遅れと停滞は、旧ソ連のペレストロイカと引き続く中東欧諸国の民主化を促し た36。逆に、一部アジア諸国のように民主化よりも経済発展を優先させる口実となることも ある。第 4 に、国際的な紛争や戦争も体制移行に影響を与える。フォークランド戦争後の アルゼンチンのように、戦争での敗北は、権威主義体制の正統性を大いに損ない、民主主 義体制への移行のきっかけを作ることがある37。 以上のような要因が働くこの段階で行われる国際的な民主化支援活動には、次のような ものがある。第 1 に、最も強制的なものとして、敗戦に伴う占領を通じた日本の民主化の ように、軍事的な占領や威圧を行って強制的に移行させる方法がある。ただし、2001 年 9 月の同時多発テロ後のアフガニスタンへの攻撃や 2003 年 3 月のイラク戦争のように、介入 する側に相当の実際的な強制力が要求される。また、内政不干渉の原則が依然根強く存在 していることから、民主化という目的が、国連による強制的措置や人道的介入の法的根拠 になるかについては依然否定的な意見が強い38 第 2 に、半強制的な方法として、経済制裁を含めた外交的圧力や、開発援助等に民主化を 政治的コンディショナリティ39、あるいは民主化を機構に加盟する際の要件にするといった 方法がある40。逆に、移行を約束すれば多種の援助を与えるというプラスの誘因を与える方 法もある41。ただし、これらの方法が実効的であるためには、支援側が足並みを揃え、また 対象国側に援助や加盟を求める動機がなければならない42。 第 3 に、より間接的に、民主化を支える国際的環境を作る方法がある。まず、冷戦終結前 後の東欧や中国でみられたように、既に市民の間で民主化への要求がなされているときに、 それに対して国際社会が市民の動きに支持を表明(あるいは黙認)する方法がある。この ような支援は、インターネットの発達など情報化が進んだ現在においては、一定の有効性 をもつ。しかし、国際的な支持が湧き上がった 1989 年の天安門事件のように、結局は中国 60 の民主化を促進できずに終わる可能性もある43。他にも、民主化を促進するような国際的な 法的・規範的環境を構築する方法がある。デモクラシーや民主化に関する国際条約や宣言、 決議を国際的な場で採択することで国際的な規範を作り、民主主義体制以外の政治体制の 正当性を減少させ、民主化を促すことができる。 第 4 に、経済発展や市民社会の育成など、民主化を促す国内的な環境・条件の構築を目指 す支援がある。例えば、1960 年代のケネディ政権下のアメリカは、経済発展が結果的に政 治発展につながるという近代化論に基づいて経済援助を行った44。また、政治に直接関わら ない市民社会の組織へ支援を行い、間接的に民主化を求める要求が生み出される基盤を作 る支援もある。例えば、1975 年に全欧安保協力会議(CSCE)において採択された人権に 関するヘルシンキ宣言は、東欧諸国における国内の人権 NGO の発達と人権の状況の改善要 求と告発を促し、最終的に東欧諸国の市民による民主化運動を促した45。アメリカ国際開発 局(USAID)は、冷戦終結以前より、「非政治的」で「技術的な」開発援助として市民社会 組織への支援を行い、結果として民主化を促す環境を作るという戦略を採ってきた46。 (2)民主主義体制への移行の決定段階 決定段階においては、権威主義体制側の一方的な決定や、体制側と反体制勢力間での交渉 による合意、あるいは民衆の蜂起による革命によって、民主主義体制への移行が決定され る47。決定される内容には、憲法の改正、法制度の改正、現職政治家の留任・辞任、抑圧に 関わった者の追及・恩赦、反体制勢力の武装解除・編入、自由で公正な選挙の実施時期が 含まれる。準備段階と決定段階は連続的な場合が多いが、決定段階の方では、主体の行動・ 選択がさらに重要となる。ただし、移行の決定へと向かう直接的な引き金には、政治的・ 経済的危機による政権内外の政治対立や大衆の蜂起などがあるが、それらは先の準備段階 で挙げた長期的な要因を受けて生じる場合がある。この段階でも、様々な国際的要因が関 わる。戦争での敗北や連鎖的な経済危機、他国の民主化といった国際的な事件が、移行決 定の直接の引き金になることがある。 移行の決定段階における国際的な民主化支援には、第 1 に、外国や国際機構が、民主主義 体制へ移行する決定そのものや、憲法も含めた移行後の政治制度や法構造、移行の具体的 61 な実施過程を一方的に決める方法がある。第 2 に、準備段階と同様に、半強制的な方法が ある。決定を渋ったり妨害する勢力に対し、援助の約束や制裁をちらつかせ、その移行後 の政治体制の内容をより民主的なものにするよう外交的圧力をかける方法がある。第 3 に、 当事者とともに民主主義体制への移行に関する協議に直接参加して、移行後の政治制度や 実施過程などについて話し合うことがある。このような関与は、1991 年 10 月のパリ合意 に至るカンボジアの和平のように48、内戦終結の過程の一環として行われる民主化の過程に、 仲介者・調停役として外国や国際機構が参加するときによく行われる。紛争解決の手段と しての民主化を働きかけ、移行後の政治制度や実施過程について助言・援助を行う。第 4 に、ある国家の移行への動きを国際機構等の決議で歓迎・支持したり、移行へ向けた動き の進展にあわせて経済援助を増額することで、間接的に民主化を支持し後押しする方法が ある。 (3)最初の自由で公正な選挙の実施段階 民主主義体制へ移行することで決定・合意が成立した後は、民主的な政権の発足へ向けて、 新たに憲法や選挙法の制定・改定が行われ、中立な選挙管理委員会の設立や改革、選挙監 視人の選定と教育、市民教育、政党の形成、報道の自由化、軍隊の民政移管、反政府武装 勢力の武装解除などが行われる49。その際、採用する選挙制度や、野党の育成・支援、マス メディアへの平等なアクセスの保証、選挙管理員会の構成といった問題が生じる。 この最初の競合的選挙の実施段階でも、様々な形で国際的な支援が行われる。第 1 に、カ ンボジアにおける UNTAC のように、国際的な主体が丸抱えで選挙の実施機関の設立から 監視、さらには一定の行政活動まですべて請け負う支援がある。しかし、費用や国家主権 の問題があり、少数の例に限られる。 第 2 に、国際選挙監視団の派遣が行われる場合がある。選挙監視は、外国政府、国際機構、 国際 NGO などによって行われえる。個々に監視を行う場合もあれば、国連等によって一つ の国際選挙監視団として調整される場合もある50。特に紛争後最初の選挙の場合、互いへの 不信感が強いため、中立とされる国際的な選挙監視活動はいっそう不可欠となる51。選挙監 視活動によって選挙の正当性を判断するためには、選挙の早い段階からの監視が必要であ 62 る52。そのような十分な時間が見込めない場合、支援側は支援を拒否することもある。紛争 後最初の選挙の場合は、選挙前の十分な紛争当事者の武装解除が、選挙運動の平穏や、選 挙結果への各勢力の反応に影響する。1992 年のアンゴラの選挙では、当初のスケジュール を厳守するあまり選挙前に十分な武装解除が行われず、選挙後、結果を認めない敗れた側 が武装蜂起を行い内戦が再発した53。 選挙の開票・集計後、その結果や不正の存在をめぐって争いが起きる場合がある。その際、 国際的な選挙監視団の判断が争いを鎮める上で重要な役割を果たす。1986 年のフィリピン の大統領選挙後、アメリカがマルコス政権へ圧力をかけたように、選挙結果を受け入れる よう外交的な圧力や説得を行う場合もある54。しかし、92 年のケニアにおける大統領選挙 の結果をめぐってアメリカとフランスが分裂したように、国際選挙監視団内部で、選挙の 正当性について評価が分かれることがある55。また、2003 年 4 月のナイジェリアのように、 国際選挙監視団と被援助国政府が結果の正当性をめぐって争うこともある。 第 3 に、選挙への財政的・技術的な支援がある。技術的な支援には、選挙法の制定への助 言、監視人の教育などがある56。選挙監視に関わる国内の NGO への支援が行われる場合も ある57。選挙の正当性を直接判断する必要がない分、支援する側の政治的なリスクが少なく なる。 (4)民主主義体制の定着期 定着期では、デモクラシーのルールが「社会的、制度的、心理的生活において深くルーテ ィン化され、内在化されること」が課題である58。定着期には、民主化の促進・阻害それぞ れに働く多様な要因が存在する。 これまでの段階と同様、政治家や政党、市民社会など、民主化を促進し民主主義体制を支 える個人・集団の行動も重要である59。他方で、国内的な行為主体によって民主主義体制の 定着が阻害されることがある。例えば、軍事クーデター等の非合法的な手段を通じて、民 主主義体制そのもののが転覆される場合がある。あるいは、民主的に選ばれた政権自体が、 議会の停止、人権抑圧、報道の規制など、民主主義体制に不可欠な要素を侵害する場合も ある60。このような国内的な行為主体による民主化の阻害に対して、多種の国際的な対応が 63 行われてきた61。 第 1 に、1989 年のパナマへのアメリカによる軍事介入のように、一国あるいは複数の同 盟諸国によって、一方的に強制的な軍事的措置を行う方法がある。しかし、このような介 入は依然として国際法上認められ難く、国際的な正当性を獲得しづらい62。また、相手国民 自身の支持も得づらく、必ずしも好ましい結果を生むわけではない63。 第 2 に、非軍事的な強制的措置がある。1993 年のハイチや64、1997 年のシエラレオネに 対する国連安保理による禁輸措置のように、国際機構を通じて強制措置を実施する方法が ある65。ほかにも、国際機構のメンバーシップの停止がある。例えば、アフリカ統一機構 (OAU)では、1999 年のアルジェでの首脳会議において、非合法に政権を奪取した指導者 の参加が認めない決定を行った66。また、米州機構(OAS)の憲章(第 9 条)や EU のアム ステルダム条約(第 6、第 7 条)では、民主化を損なう行為に対するメンバーシップや権利 の停止の可能性が定められている。ただし、それらの手段は、EU では加盟国の 3 分の 2 の多数決が必要など決定のハードルが高い場合が多く、加盟国間の利害対立から実際には 機能しない可能性がある67。 第 3 に、強制的な措置ではなく、非難の声明を行いつつ、説得・仲介のための使節団派遣 など外交的に民政移管・回復を促す方法もある。1992 年のペルーのフジモリ大統領による 憲法の停止の事態に際し、米州機構(OAS)は特別使節団を派遣してフジモリ政権との対 話を行い、民政回復への道筋について交渉を行った68。 第 4 に、上記のように、民主化を阻害する行為が起きてから反射的に行動するのではなく、 民主化の具体的な進捗状況をモニターして予防する方法もある。例えば、予防効果が期待 されている。また後にみるように、EU では、民主主義も含めた加盟基準(「コペンハーゲ ン基準」)に基づいて、1997 年以降毎年、EU 加盟を希望する国家の基準達成の進捗状況を 評価し、全欧安保協力機構(OSCE)では、民主制度・人権事務所(ODIHR)を通じて各 国の状況を監視し調査を行っている。 次に、この定着段階では特に構造的・環境的な要因が重要である。それらは、国家(政 府)の民主的統治能力、社会、文化、経済の 4 つに大きく分けることができる69。 第 1 に、国家の民主的統治能力が定着に影響を与える。それは、さらに、国家の制度と その能力及び、国家と社会の関係の 2 つに分けることができる70。まず、国家(政府)の制 64 度化とその能力構築は、民主化にとって重要である。仮に民主的な選挙が行われたとして も、政府に有効な政策を立案し実施するだけの能力がない場合、国民の支持は失われ民主 主義体制の定着は困難になる71。政治的に中立で有能な官僚制や、政策の立案・実施に必要 な機関・法制度の整備、公正な採用システム、腐敗・汚職を防止するためのメカニズム、 政策の形成・実施過程における透明性の確保などが必要である。人権や民主的価値を尊重 する警察や、国家の政治に介入しない軍隊も不可欠である72。政府の活動の合法性を監視し、 権力の濫用や汚職を防ぐ司法制度も求められる73。 国家の能力構築に対しても、国際的な支援が盛んに行われている。国連開発計画(UNDP) をはじめとした国連システムや74、世界銀行など多くの国際機構、先進諸国など外国政府、 国際 NGO が、「(グッド・)ガバナンス」の支援の一環として援助を行っている75。ただ し、これらの国家の制度化と能力の構築は、経済開発など民主化以外の目的でも行われ、 政府全般に必要とされるものである76。 また、定着段階には、国民の意思が国政に正確に反映されるように国家と社会を結び付け る制度や構造が必要である。具体的には、社会における国民の意思を吸い上げ、それを国 政の場に集約して反映させることができる安定した政党や、国民全体の選好を反映しつつ 政治が安定するよう工夫された選挙制度、政策を立案し国政全体を監視する能力を持った 議会が必要である77。そこで、政党の育成などへの国際的な支援が広く行われている78。紛 争終結後の場合、反政府武装勢力を政党に転換するための支援が行われる。政党機能を維 持するための資金集めや政策立案の方法を学ぶためのセミナーが開催されている。 第 2 に、民主主義体制の定着には、労働組合、宗教組織、NGO、草の根組織、共同体組 織などによって構成される市民社会の発達が必要である。市民社会は、国家の活動をチェ ックし、国民の間で連帯感や信頼を育成することで民主化を支える79。同時に、犯罪組織、 テロ組織、民兵組織など、民主化の定着を阻害する「非市民社会(運動)」(uncivil society) を防がなければならない80。市民社会を育成するために、先進諸国、国際機構、国際 NGO による国際的な支援が行われている。ただし、市民社会への支援は、民主化支援活動とし て行われることもあるものの、開発や人権、環境といった他の目的のために行われること の方が多い81。 ただし、ここまでみてきた、政府の統治能力や国家と社会との関係、市民社会の発達の程 65 度は、過去の植民地支配などその国家固有の歴史や82、旧体制勢力の影響力の残存程度から 影響を受けるため83、国際的な支援にはおのずから限界がある。 第 3 に、文化は、民主主義体制の定着に対して促進・阻害両方の影響を与える84。まず、 民主主義体制の定着には、「民主的な政治文化」が一定程度以上必要である85。それは、民 主的政治体制への広い忠誠心・愛着が存在し、民主的諸価値が受容されている状態である。 また、直接に政治体制への態度と関係しなくても、国民としてのアイデンティティーや、 人権や市場経済といった普遍的な価値観の共有は、デモクラシーを支える文化的基盤を提 供する86。そのため、多くの国際的な民主化支援プログラムでは、民主的な政治文化をつく るために教育に対する支援が盛り込まれている87。 国内の民族・宗教集団の構成も重要である。民族や宗教の分裂状況や、各集団の民主的諸 価値に対する態度及びそれらの集団間の関係は、民主主義体制の定着に影響を与える88。最 悪の場合、内戦にまで発達する可能性がある。そこで、少数民族や先住民族及び特定の宗 派が移行後の政治体制において不平等や抑圧を感じないように政治参加の平等に配慮する ことが、民主主義体制の定着には必要である。例えば、政府レベルでの代表制度において 全民族集団が代表されるようにしたり、そこでの意思決定の方法について、多数決よりも コンセンサスを中心にするなどの工夫がある89。他にも、少数の集団を代表する市民社会組 織(CSO)と政府とが密接な関係を築くことや地方分権の推進がなされている90。国際的な 支援として、少数民族や先住民族を保護するための規範作りや、地方分権や少数民族を代 表する組織への支援が行われている91。 第 4 に、経済的要因は民主主義体制の定着に重要な影響を与える。まずは、経済発展であ る。経済発展は、中産階級を育成し民主主義体制の社会的基盤を作ることで、民主主義体 制の定着を促進する92。また、民主化は実際には経済発展を必ず促すわけではないが93、国 民が民主化を支持する理由には、デモクラシーは生活の安定・向上をもたらすという「神話」 が往々にして含まれる。経済発展という具体的な成果を残さない場合、民主主義体制自体 の正統性が失われる可能性がある94。そこで、民主化支援の一環として開発援助が行われる ことがある。紛争後の国の復興支援では、民主化と経済復興は支援の中心である。また、 民主化間もない発展途上国が集まる国際会議では、たいてい民主化と経済発展の結び付き が強調され、先進諸国にいっそうの開発援助が求められる。さらに、開発援助をもとにな 66 されるプロジェクトでの人々の参加が、人々に民主政治への参加の訓練として位置付けら れることもある95。 次に、国内外の経済構造は、民主主義体制の定着に強い影響を与える。発展途上国にお ける経済の構造調整や冷戦後の東欧諸国における経済体制の移行は、その国家における労 働組合の組織化の程度や経済階級の構成に影響を与えた。それに伴う各階級の民主主義体 制への態度の変化と新たな同盟・対立は、民主主義体制の定着に強い影響をもたらしてき た96。また、経済のグローバル化は、一部の国に経済発展をもたらす一方で、国家間の経済 的不平等を拡大し続け、多くの途上国の経済発展自体とその成果の平等な配分を困難にし、 民主主義体制の定着を妨げている97。 重要なことは、このような経済のグローバル化や自由主義的な国際経済体制が、世界銀 行、IMF、世界貿易機関(WTO)といった国際経済機関や G-7 など国際レベルの意思決定 によって維持・促進されていることである。多くの途上国は、世界銀行や IMF が定める構 造調整プログラムを受け入れ、経済の自由化を進めなければ、経済開発のための援助が見 込めない98。また、それら機関においては、出資額に応じた加重表決制度などのため、途上 国の発言力は形式的にも実質的にも弱い。そのため、経済的に脆弱な国家は、国内事情に かかわらずそれら機関の意向に従わざるをえず、その取りうる政策の範囲は制約を受ける こととなる99。成立してまもない民主的政府は、国民が求める福祉政策を継続して開発援助 を受け取れないか、福祉の切り下げなど国民の痛みを伴う政策を行うことで経済援助を受 け取るかのジレンマに陥らざるをえない100。どちらの場合でも、結局は国民の不満が高ま ることとなり、民主主義体制の定着は脅かされることとなる。 ここで、国家の民主化と国家を超えた場の民主化との関連が生じる。このような不平等 な状況に対して、1974 年に国連総会で宣言が採択された「新国際経済秩序」(NIEO)樹立 以来、発展途上諸国によって、不平等な国際経済構造と国際経済機構の変革を求める動き がある。また最近では、1999 年のシアトルにおける WTO の閣僚会議や 2001 年のジェノ バでの G-8 サミットでみられたように、市民による反グローバル化のデモが盛んに行われ ている。国家を超えた場の民主化と国家の民主化を結び付ける議論は、後にみるように、 国連の民主化支援活動の形成過程でもたびたび現れてきた101。 67 (5)グローバル・デモクラシーの各モデルにおける民主化支援 以上のように、多様な民主化支援支援が存在する。第 2 章で見たように、どのような支援 が行われるかは、実施機関がどのようなグローバル・デモクラシーを求めるかによる。改 めて簡単にまとめると、次のようになる。 ウェストファリア・モデルを求める場合、そもそも民主化は各国内の内政事項に関わるこ とであり、民主化支援は国家の要請がない限り行われない。支援内容も求める側の意向に よって決められる。 自由主義的民主主義諸国共同体モデルの実現を目指す場合、国家は民主的であることが求 められるため、積極的な民主化支援が行われる。支援は原則として合意に基づくものの、 国際機構で多数決によって採択された決議を含めるなど、合意の存在は広く解釈される。 民主的でない国に対しては、民主化するように積極的な働きかけがなされる。定着段階に ある国での民主主義体制を覆すような事態に対しては、メンバーシップ停止等の強制的措 置も含めた積極的な対応が行われる。支援や働きかけの対象は、政治エリートや、選挙の 実施、議会制度、ガバナンスの向上など、政府機関に関わるものが中心である。このモデ ルでは、民主化支援はこのように「トップダウン」方式の特徴を帯びる。 世界連邦モデルを目指す場合、国家そのものが地方自治体のような存在であり、国家にお ける民主化への関心そのものが低い。 コスモポリタン・モデルを目指す場合も、積極的な民主化支援がなされる。しかし、政府 機関を中心とし、強制的措置さえ含む「トップダウン」方式の支援だけでなく、より自発 的な民主化を重視する「ボトムアップ」方式の支援も重視される。そこでは、市民社会の 育成や民主的政治文化の形成、再分配を伴う経済発展など、民主化を促す社会的な環境作 りが行われる。 ラディカル・モデルを目指す場合、いっそう「ボトムアップ」方式の支援が望まれる。国 家の民主化においては、NGO や草の根組織など市民社会による下からの運動が重視される ため、国際的な支援として、それら市民社会の組織へのエンパワーメントが行われる。ま た、グローバル化や経済構造など民主化を阻む構造的な要因への対処も重視される。その ため、国際的な経済構造を支える意思決定のメカニズムの変革も視野に入れられる。 68 5 各国際的行為主体の民主化支援活動 次に、主要な国際的行為主体による民主化支援活動の特徴をみていく。それぞれ多様な支 援を行っているが、ここでは以下の点に注目する。第 1 に、各機関におけるデモクラシー の定義である。基本的に先の最小限の手続き的な民主主義体制の要件は含まれるものの、 どの要件を重視するかで違いがある。第 2 に、その機関が追求する(地域的なものも含む) 国際秩序の構想及び、そこでのデモクラシーの位置付けである。多くの機関は民主化(支 援)のみを目的としない。平和や経済開発、人権といった他の価値との関係の中に民主化 は位置付けられ、支援活動の優先順位及びその内容もそれに合わせて変化する。 第 3 に、先に述べた民主化のどの段階にどのような支援を行っているか、また、どの段階 に重点を置いているかである102。移行期に重点を置くのか定着期に重点を置くかで異なる。 また、選挙支援に関して、自前の監視団の派遣に積極的か、むしろ技術的な支援に重きを 置いているかでも特徴が現れる。さらに、政府機関の支援の重点を置くのか、あるいは市 民社会の育成など社会まで支援対象に含むのかでも異なる。 第 4 に、民主化支援は、大きく分けると、民主化への阻害行為に対して制裁的に行われる 「ネガティヴ」な支援と、被援助国の合意に基づいて行われ、民主主義体制の諸要件の実 現そのものを支援する「ポジティヴ」な支援があるが、それぞれの内容及び比重はどうで あるかである103。ネガティヴな支援には、民主的政権が転覆されたり、現政権が権威主義 化したときに行われる。外交圧力から、経済援助への政治的コンディショナリティ104、国 際機構のメンバーシップの停止、軍事的措置も含む強制措置まである。ただし、それには、 一方的で恣意的になされるものと、対象国も事前に合意した手続きに従って実施されるも のとがある。他方、ポジティヴな支援には、国際選挙監視団の派遣や政府機関強化への支 援、市民社会育成への支援がある。もちろん、国際選挙監視団の勧告にも関わらず政府が 不正行為を改めないとき、制裁を課すというように、両者が連関することもある。 第 5 に、民主化支援に関わる公式の手続き・制度と実際の運営の区別である。公式に定め られた手続きにかかわらず、実際の運営では、国益や地域戦略への配慮によって支援の対 象地域や支援方法が恣意的・選択的に行われる場合がある。 69 以上の点に注意を払いながら、ここでは国連との比較という観点から、民主化支援活動 を明示的に行っている代表的な国際的行為主体を取り上げる。なお、世界銀行のように、 民主化に一定の影響を及ぼしうる活動を行っていても公式に民主化への支援を掲げていな い機関は、ここでは取り上げない105。 (1)米州機構(OAS) OAS は、100 年にわたる汎米州主義運動の結晶として、1948 年に設立された106。OAS の歴史は、圧倒的な影響力を誇り、両アメリカ大陸を反共と自由主義経済地域として維持 したいアメリカと、その力を利用しつつも支配を恐れる他の加盟国との関係に特徴付けら れる107。結果、アメリカの意向に従いデモクラシーを擁護するための活動が OAS を通じて 行われる一方で、66 年のドミニカ共和国への共同干渉のように、その国益のために利用さ れることもあった108。同時に、1970 年代にかけての加盟国の権威主義化に何ら手が打たれ ず、また OAS が国連のような強制的手段を有しないなど、主権国家原則も尊重されてきた。 1980 年代前半には、南米諸国の民主化が始まり、1985 年に採択された OAS 憲章改正の カルタヘナ議定書では、デモクラシーの促進が機構の目的の一つと明確に規定された(現 憲章 2 条(b)と 3 条(f))。1986 年には、総会決議 837 が採択され、いまだ民主主義体制を再 建していない加盟国に民主化するよう呼びかけられた。90 年 6 月には、「民主主義促進ユニ ット」(UPD)が設立された。91 年の総会では、 「代議制民主主義」決議が採択され、民主 的な政治過程及び民主的政府による正当な権力行使が阻害されたときの対応が定められた。 そこでは、事務総長が常設理事会の会合を召集する規定が定められた(1 項)。常設理事会 は事態を検証し、10 日以内に臨時の外相会議あるいは特別総会を開催するかどうかを決め る。92 年には、憲章を改正するワシントン議定書が採択され、民主的に選出された政府が 非合法的に転覆された加盟国の参加資格が、上記の決議の手続きに沿って開催された特別 総会の決定によって一時停止されうることが規定された(3 章 9 条。ただし、発効は 97 年 9 月)。93 年になると、まず、「デモクラシーと発展を促進するためのマナグア宣言」が採 択され、デモクラシー、平和及び発展が不可分であることが宣言された109。同年、総会は 決議 1235 を採択し、デモクラシーへの障害及び、その克服に関するセミナー、研究、調査、 70 現状分析の組織化を UPD の活動に含めた。 1994 年 12 月のマイアミにおける第 1 回米州諸国首脳会議では、米州諸国が「民主的諸 社会の共同体」(a community of democratic societies)であることが宣言された。宣言の 中で、「民主主義体制は、すべての基礎条件の中でも、自由で透明な選挙に基づくものであ り、また、すべての市民が政府へ参加する権利を含む」とされた110。宣言を実施するため に採択された行動計画を受けて、95 年 6 月事務総長は執行命令 95-6 を出し、UPD を再編 し、幹部調整官事務所、民主的制度構築、選挙技術支援、情報・対話/デモクラシーに関 するフォーラム、特別プログラムのセクションに分けた。このような積極姿勢には、市場 経済とともに民主主義の「拡大」戦略に力を入れるアメリカのクリントン政権の影響が大 きい111。 1998 年 4 月、サンティアゴでの第 2 回米州諸国首脳会議では、その宣言の中で「民主的 文化は、すべての人口を含まなければならない」とし、教育の強化と市民社会の積極的な 参加を促進することが決められた112。2001 年 4 月のケベックシティーでの第 3 回米州諸国 首脳会議の宣言では、「この半球のある国家での民主的秩序の非立憲的な変更及び妨害は、 その国家の政府が米州諸国サミットプロセスへ参加することの克服し得ない妨げとなる」 「汎米州 ことが述べられた113。さらに、これらの民主主義体制への脅威に対処するために、 民主主義憲章」(the Inter-American Democratic Charter)の制定を準備することが決めら れた(ただし、ベネズエラは留保した)。この汎米州民主主義憲章は、同年 9 月のペルーに おける特別総会で採択された。その内容は、これまでの、宣言や決議の内容を集約したも のである。 このような歴史的過程を経て発達した OAS の民主化支援活動は、大きく、総会決議 1080 ないし憲章の改正条項に基づく民主化を脅かす状況への対応と、UPD による支援に分けら れる。前者は、事務総長による常設理事会の招集、理事会による情勢の判断と外交努力、 失敗の場合、理事会による特別総会の招集、資格の停止という過程を経る。経済制裁など 強制措置については、ハイチの場合のように国連安保理の特別な授権がない限り、OAS と しては実施し得ない。決議 1080 の手続きは、1991 年のハイチ、92 年のペルー、93 年のグ アテマラ、96 年のパラグアイと発動された114。しかし、OAS の監視のもと不正が疑われた 2000 年のペルーの大統領選挙でも、主権と内政不干渉への伝統的な関心は根強く、決議 71 1080 の手続きは行われずに総会決議が改めて採択され、改善方法を話し合うため高級使節 団の派遣が行われることとなった115。 後者は、選挙監視団の派遣から、民主的制度の構築まで幅広く支援が行われる。選挙監 視団の派遣は積極的である116。国連とは異なり、加盟国の要請に基づいて事務総長の判断 のみで監視団を派遣しうることがそれを促している。当初は小規模で短期の選挙監視活動 が多かったが、次第に選挙過程全体を監視する大規模で長期的な選挙監視活動が多くなっ た。また、現在では、体制移行後 2 回目以降の選挙への派遣が大半である。加えて、UPD のプログラムでは、選挙監視のみでなく、市民社会の育成を含めた包括的な支援が目指さ れている。そこでは、先住民族やより脆弱な集団を各種活動の意思決定過程に巻き込むこ とが試みられているように、参加型のデモクラシーといった民主化の深化を目指す支援も 存在する117。 (2)欧州連合(EU) そもそも EU は、EC 時代より西欧型の民主主義体制を採用していることを加盟の条件と してきた。同時に加盟前に提携協定を結ぶことで、1960~70 年代にはスペインやギリシャ の民主化を促してきた118。しかし、EU/EC の民主化支援活動は、冷戦終結以降、急速に発 達した。その内容は、現加盟国、主に東欧諸国である EU 加盟候補国、途上国を中心とし たそれ以外の地域、それぞれで支援や対応が分けられる。 1997 年 10 月に採択された(99 年 5 月発効)アムステルダム条約では、デモクラシーを 加盟国の共通の原則とし(第 6 条 1 項)、それを損なう行為に対しては、欧州議会の同意を 得た上で、欧州理事会での 3 分の 2 の特定多数決でメンバーシップや権利が停止される可 能性が定められた(第 7 条)119。2001 年 2 月に採択されたニース条約(未発効)では、デ モクラシーの原則に違反する危険性が生じた段階で対応することを定めた予防手続きが同 7 条に新たに加えられた。加盟国の 3 分の 1 ないし欧州議会、あるいは欧州委員会の提案に より、理事会が調査・勧告ができる手続きである。 また、冷戦終結以降、EU の東欧諸国への拡大が問題となっているが、1993 年には、人 権や法制度、経済状況とともに、民主主義体制が加盟基準としてコペンハーゲン欧州理事 72 会で採択された(「コペンハーゲン基準」)。97 年以降毎年、それに基づいて、EU 加盟を希 望する国家の基準達成の進捗状況を評価し、その上で必要な支援を行っている120。アムス テルダム条約におけるデモクラシー原則の採用も、東欧諸国拡大を睨んでのものである121。 EU 域外の援助に共通する政策の指針として、1991 年 11 月に、開発に関する閣僚理事会 は、「人権、デモクラシー及び開発」と題される決議を採択し、民主化を EC 及び加盟国の 開発協力の目的かつ条件とした122。92 年の一般問題理事会では、新たに締結される中東欧 諸国との協定すべてにおいて、人権、デモクラシー、市場経済原理が尊重されないときそ の停止を認める条項を含むべきことが決定された123。95 年には、すべての第 3 国との締結 において同様の条項が含まれるべきであることが決定された124。 発展途上国への民主化支援政策は、対外援助として欧州委員会によって実施されている。 1993 年に発効したマーストリヒト条約以降、対外援助は「共通外交安全保障政策」(CFSP) の枠組の中で行われている。もともと、世界各地域への援助プログラムごとに行われてい たが、そのうち民主化と人権への支援に関わる予算が、94 年に「デモクラシーと人権のた めの欧州イニシアティヴ」(EIDHR, Chapter B-70)として一本化された。2000 年には総 額 9700 万ユーロにのぼる125。そのうち特に民主化に関わる支援には、人権教育、女性の人 権の促進と保護、デモクラシーと法の支配の促進、NGO への支援、民主主義体制への移行 と選挙プロセスへの支援がある。 1999 年 4 月には、理事会で規則 975/1999 が採択され、民主化と人権への支援活動を EU が行うための明確な法的根拠が与えられた。そこでは、法の支配、権力の分立、政治と市 民社会での多元主義、グッド・ガバナンス、国家・地域・ローカルレベルへの人々の参加、選 挙過程、文民と軍の機能の分離、それぞれを促進することが目標として設定された126。こ れらの実施に関して、委員会の対外関係担当部局である DG1 内に「人権及び民主化ユニッ ト」が存在するものの、地域担当部局に関連業務が分散しており統一性に欠けている127。 さらに、各地域ごとに EU の開発援助に関してパートナーシップ協定が結ばれており、そ こに「デモクラシー条項」が織り込まれている。例えば、2000 年 6 月に締結されたアフリ カ・カリブ・太平洋諸国(ACP)への援助に関するコトヌゥ協定では、人権、グッド・ガ バナンスとともに、デモクラシーの尊重を参加国の義務とし(9 条 2 項)、パートナーシッ プはそれを促進することが定められた(同 4 項)。その義務を、特別な場合を除いて満たし 73 損ねたときは、他の締結国及び EU の閣僚理事会に、受け入れられうる改善の方法と必要 な情報を示さなければならない。また、そのために、他の締結国を招いて協議を行わなけ ればならず、その協議は侵害後 15 日以内に始められ、60 日以内で終わらなければならない。 協議の拒否ないしは、協議の結論が受け入れられないものであったときには、「適切な措 置」が採られる(以上、96 条 2 項(a))。この「適切な措置」は特定されていないものの、 資格停止が最後の手段として考えられる(同(b))。2002 年 2 月、ジンバブエの大統領選 挙のために派遣された EU の選挙監視団が、政府によって国外退去させられた事態に対し、 この協定に基づいた手続きが行われた。この事例の場合は、最終的に一般問題閣僚理事会 が経済制裁を決定した128。しかし、加盟国であれ加盟国外であれ、メンバーシップ資格の 停止を超えた制裁的措置の手続きは明確には定められておらず、加盟国間のその都度の外 交合意に拠る。マーストリヒト条約は国連安保理の決議に基づく制裁措置のみを EU に認 めている、という主張が加盟国では多数である129。 (3)全欧安保協力機構(OSCE) 全欧安保協力機構(OSCE)の前身である全欧安保協力会議(CSCE)は、もともと軍事 上の信頼醸成と人権擁護を基礎として東西間の対話と交流の促進を試みたものであり、政 治体制の変革をそもそも目的としたものではなかった。民主化支援活動を開始したのは、 1990 年 7 月のコペンハーゲン文書からである。コペンハーゲン文書では、デモクラシーを 構成するあるいはその基礎となるものとして、法の支配、人権の尊重、自由選挙の定期的 実施、政党結成の自由、メディアへの公平なアクセス、民主的価値の教育を保障すること で加盟国は合意した130。同年 11 月の「新しい欧州のためのパリ憲章」では、人権とデモク ラシーを冷戦後の欧州の規範として確認した131。そこではデモクラシーとして、複数政党 制とそれに基づく自由選挙が強調された。東側に国々で実施され始めた選挙を監視するた めに「自由選挙事務所」が設けられた。従来の人権擁護に加えて、選挙・民主化支援を CSCE が行うようになった理由は、第 1 に、西側諸国の安全保障にとって、民主化による東側諸 国の安定化は必要でり、東側諸国の大半が既に加盟していること、第 2 に、欧州審議会に 加盟していないアメリカが望んだこと、第 3 に、法的なアプローチを採る欧州審議会より 74 も CSCE が政治的で制度的に柔軟性を有していたこと、第 4 に、東側諸国自身が、EC 加 盟へ向けた西側諸国のお墨付きと支援を求めたことが挙げられる132。 デモクラシーの規範の形成に比べて、民主化支援活動の制度化は遅れていたが、1992 年 1 月のプラハ外相会議で、民主化支援は人権活動とともに CSCE の活動の(軍事的と対の 意味で)「人的側面」としてくくられ、自由選挙事務所は、それら人的側面全体を扱う「民 主制度・人権事務所」(ODIHR)に改編された。また、人的側面の履行会議が定期的に開 かれることとなった。さらに同年 7 月のヘルシンキ首脳会議では、紛争予防のための早期 警報機能も付与され、ODIHR の活動は、予防外交及び包括的な安全保障の中での位置付け もなされるようになった133。 1997 年の常任理事会では、それまでの活動の評価を受けて、ODIHR の再編成が行われ、 選挙監視活動については、従来の短期的なものから、選挙活動からメディアの利用まで含 めた長期的な監視へと重点が置かれるようになった。また、議長国議長と常任理事会に結 果が報告されることとになった。一連の派遣手続きは、ODIHR に対する参加国の招待、必 要調査使節団の派遣、選挙監視使節団(長期、短期)の派遣、選挙の報告の作成という過 程を経る134。選挙過程に疑義があった場合は、政府に対して改善勧告がなされる135。97 年 のコペンハーゲン外相理事会では「メディアの自由に関する OSCE 代表」が設けられた。 OSCE による民主化支援の特徴は、第 1 に、選挙からメディアまで幅広く支援の対象と していることである。第 2 に、ODIHR と人的側面の履行会議を通じて、定期的に監視を行 っていることである。 (4)アフリカ連合(AU)/アフリカ統一機構(OAU) アフリカ連合(以下、AU)の前身は、アフリカ統一機構(OAU)である。OAU は長ら く、南アフリカのアパルトヘイト政策に関するもの以外、デモクラシーや民主化に関する 支援を行ってこなかった。1981 年 6 月に OAU 首脳会議で採択され、86 年 10 月に発効し た、「人及び人民の権利に関するアフリカ憲章」(バンジュール憲章)には、参政権に関す る規定が織り込まれたが(13 条)、一党体制を正当化しうるものであった136。1991 年にな って、ザンビアの選挙に対して、はじめて小規模な選挙監視団が派遣された137。1996 年夏 75 までに、33 ヶ国の 50 の選挙に監視団が派遣された138。1990 年代後半になると、民主化を 支援するための制度が急速に発達した。2001 年 5 月には、アフリカ連合制定法(the Constitutive Act)が発効し、02 年 7 月に AU は発足した。制定法は、民主的な諸原理と制 度、人民の参加及びグッド・ガバナンスの促進をその目標として掲げている(3 条)。また、 非立憲的制度を通じて政権を奪取した場合に機構への参加が停止される可能性が明記され ている(30 条)。 AU においては、民主的な政権の非立憲的な転覆に対する明確な対応手続きが発達しつつ ある。1990 年代後半、OAU 加盟国諸国にクーデターが相次ぎ、その対応に迫られた。97 年には、シエラレオネでのクーデター対して、政権の変更の拒否と非難が行われた。また、 先にも述べたように、99 年のアルジェでの首脳会議は、以後非合法に政権を奪取した指導 者の参加を認めない決定を行った139。これらの対応が次第に制度化されていった。 2000 年に採択された「政府の立憲的変更に対する OAU の対応の枠組みに関する宣言」 では、まず、非立憲的変更とみなされる事態が明確に列挙されている140。軍事クーデター や傭兵、武装した反体制集団による民主的政府の打倒及び、在任の政府が選挙後勝利した 政党に権力を譲らないといった事態が挙げられている。上記の事態が発生したとき、直ち に、議長あるいは事務総長によって非難がなされ、立憲秩序を回復することが求められる。 その後、1993 年の設立された「紛争予防・管理・解決メカニズム」の「中央機関」(Central Organ)が召集され、その問題が扱われる。最大 6 ヶ月間の間、秩序回復に向けて、事務総 長によって対話と働きかけが行われる。その間当該政府のメンバーシップは一時的に停止 される。6 ヶ月を過ぎても回復されない場合は、制裁が実行される可能性がある。制裁には、 当該関係者のビザの発給停止、政府間コンタクトの制限、通商制限などが含まれる。 他に、2001 年 7 月にルサカにおける首脳会議で採択され、同年 10 月に改称された「ア フリカ開発のための新しいパートナーシップ」(NEPAD)は、自らの発展のための開発計 画をまとめたものである。そこでは従来以上に積極的に自助努力を強調し、その一環とし て健全なデモクラシー及びガバナンスの実現が謳われている141。具体的な進捗状況の審査 のために「アフリカン・ピア・レヴュー・メカニズム」(APRM)が設置され、任意の加盟 国に対し技術評価チームによる実地審査とそれを元にした評価がなされることが予定され ている。デモクラシーと政治的統治に関しては、人権に関する諸国際規範の遵守や公正な 76 政治制度、女性の政治参加や弱者の保護、効果的な汚職防止制度など一定の基準をもとに 審査がなされる。 選挙監視団の派遣は、加盟国からの要請に基づいて事務総長に判断で行われる142。2003 年現在、国際民主主義選挙支援機関(International IDEA)の支援を受けつつ、選挙監視 のガイドラインの制定や選挙に関する信託基金の設立へ向けた動きが行われている143。 OAU の民主化支援の特徴は、第 1 に、クーデターなど民主的政権の非合法的・非立憲的 な転覆に対して、明確な対応手続きを有していることである。それには、民主主義体制へ の移行以後も、クーデターなどが相次ぐ加盟国の現状を反映している。第 2 に、NEPAD に みられるように、民主化と経済的・社会的秩序との結びつきが強調されていることである144。 しかし他方で、選挙監視活動などを行う資金が不足しており、十分な支援活動が行いうる かどうか、また、本心では民主化を望まない加盟国政府によって定められたメカニズムが 機能し得ない危険性が危惧されている145。 (4)アメリカ アメリカは、建国当初より、多分に安全保障や国益擁護と関係しながらも、世界において デモクラシーを擁護し促進することに熱心であった146。第1次大戦後は民族自決とともに デモクラシーの拡大を図り、第 2 次大戦では、それをデモクラシーを守るための戦いと位 置付け、戦後、日本とドイツを民主化し、欧州の民主主義諸国を守る軍事同盟として NATO を設立に中心的役割を担った。1960 年代には、ケネディ大統領が米国国際開発庁(USAID) を作るなど経済開発援助に熱心であったが、そこには近代化理論に基づいて経済発展を通 じて民主化を導くという狙いがあった147。 1975 年に対外援助法が改正され(ハーキン修正) 、対外援助に人権擁護を条件として結び 付けるセクション 116 が付け加えられた。83 年には、レーガン政権のもと、「プロジェク ト・デモクラシー」と題される民主化支援プログラムが議会に提示された。反共政策のプ ロパガンダとしての性格が強く、その提案自体は否決されたものの、同年、全国民主主義 促進財団(NED)が創設された148。NGO として設立することで内政干渉の問題を避けつ つ、財政支援を行うことで政府の外交政策の方針に沿った援助を行う狙いがあった(いわ 77 ゆる QUANGO)。このように、アメリカの外交政策は、デモクラシーの名のもとに介入を 行う場合がある一方で、内政干渉の問題に注意を払いあからさまな民主化への支援を避け る傾向もあった149。また、アメリカの開発援助を担う USAID のラテンアメリカ・カリブ諸 国局のもとで、民主化支援プログラムが開始された。同時に、83 年のグレナダ侵攻のよう に、依然、冷戦戦略を強く受けた介入がデモクラシーの名のもとで行われた。 1990 年には、議会は東欧民主化支援法(SEED 法)を可決し、USAID は「デモクラシ ー・イニシアティヴ」を提示した。それらでは、デモクラシーは市場中心経済への移行を補 完し、経済成長を支える手段と位置付けられた。91 年 11 月には、「デモクラシーとガバナ ンス」という政策文書が出され、デモクラシー・イニシアティヴの 4 つの対象として、民 主的代表の強化、人権の尊重の支援、法に則った統治の推進、民主的価値の強化が挙げら れた。93 年に就任したクリントン大統領は、デモクラシーと人権の促進に高い価値を与え、 経済的競争性と国家安全保障とともにアメリカ外交の 3 本柱の一つとしたように、民主化 支援活動に積極的であった。2000 年には、アメリカがイニシアティヴを取って、先に述べ た「民主主義諸国の共同体へ向けて」と題される国際会議がワルシャワで開催された。 アメリカの民主化支援活動の特徴は、第 1 に、 「デモクラシーの促進はアメリカの重大な 国益を増進する」と、民主化支援を明確にアメリカの国益促進と関連させていることであ る150。実際、エジプトや中米といったアメリカにとって戦略的に重要な地域に支援の重点 が置かれてきた151。逆に、戦略的利益のために権威主義体制を容認することもあり、「ダブ ル・スタンダード」と批判されることも多い152。第 2 に、権威主義国家に対しても、内政 干渉の非難を避けるよう配慮しつつも、民主化を促すために支援を行っている。民主化の 段階でいうと移行準備期にも支援を行っている。第 3 に、選挙支援から市民社会の育成ま で民主化支援としての対象が幅広く、特に市民社会に対して支援の重点を置いている153。 その理由には、民主化を望まない権威主義体制に対しても、内政干渉の問題を回避しつつ 支援ができることや、アメリカ国内での市民社会再生の試みの影響などが挙げられる154。 (5)その他の先進諸国(日本、ドイツ、フランス) 日本はそもそも政治的要素の強い民主化支援活動には消極的であり、最近になって行わ 78 れるようになったに過ぎない。1991 年 4 月に ODA4 指針が採択され、92 年 6 月には、「政 府開発援助大綱」(ODA 大綱)が閣議決定された。そこでは、政府開発援助供与の際に、 軍事支出の動向や、ミサイル・大量破壊兵器の開発、市場志向型経済導入努力とともに、 開発途上国における人権・民主化の促進に注意を払うことが明記された。当初は、政治的 コンディショナリティの発動には消極的であったが、次第に被援助諸国による人権・民主 化の侵害に対して、開発援助を停止する政治的コンディショナリティを発動することが慣 行になっていった155。ただし、明確な基準をもとに自動的に発動されるのではなく、相手 国の経済社会状況や日本との二国間関係などを踏まえて、総合的に発動は判断される。 他方、1992 年制定の「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(国際平和協 力法)に基づく国際選挙監視団への協力がある。93 年のカンボジア UNTAC のもとでの総 選挙から 2002 年の東ティモールの大統領選挙に至るまで行われてきた156。 また、国際協力事業団(JICA)によって、ODA の一環での民主化関連支援も行われてい る。そこでは特に、ガバナンス支援と経済援助に重点が置かれている。JICA は、その理由 を、日本の民主化支援の欧米諸国に対する「比較優位」は、民主化の構成要素のうち、民 主的制度自体よりも、民主化を機能させるシステム(主にガバナンス)と民主化を支える 社会経済的基盤にあるためとしている157。96 年には、政府はリヨン・サミットにおいて「民 主的発達のためのパートナーシップ」(PDD)を表明し、途上国の自助努力を重視しつつ、 行政から警察、市民社会の育成までの支援を行うことを基本方針とした158。最近では、民 主化支援活動と紛争予防や平和構築とのつながりを強調している159。 ドイツの「ポジティヴ」な民主化支援活動は 1960 年代はじめに始まり、もっぱら、政府 からの資金提供を受けた政治財団(Stiftungen)を通じて行われてきた160。政治財団は、 政党などの育成を支援する。政治財団は政府より資金を受け取るが、そのためには議会に 議席を持つ政党から承認されなければならない。受け取る資金の額は、政党の議会での議 席数割合に比例する。この制度のため、背後にある政党の特色がその民主化支援にも現れ やすい。例えば、キリスト教民主同盟(CDU)とつながりのあるコンラット・アデナウア ー財団(KAS)は、キリスト教的な価値の促進に力を入れ、キリスト教系の市民団体やビ ジネスグループを支援する。他方、社会民主党(SPD)とつながりのあるフリードリヒ・ エーベルト財団(FES)は、労働組合の育成を積極的に支援する161。 79 政治財団の援助は、内政干渉の問題になりやすい政治参加の促進よりも、むしろ社会経 済的条件のように非政治的な側面の改善に重点が置かれてきた。それでも、政治財団を通 じた民主化支援は、当初からドイツにとっての外交の道具であり、特に冷戦下では、対ソ 連封じ込めの手段の一つとしての側面を有していた162。冷戦終結以後は、政治参加の促進 に力が入れられるようになり、政治財団自身の裁量が増した。1990 年代半ばには、政治財 団全体は、対外援助の 4 パーセント相当を受け取るようになり、ここ 10 年は毎年 1 億 5 千 万ユーロを受け取っている。 現在の政治財団による支援の全体的な特徴は、経済協力開発省が定めた援助の公式のマ ンデートに基づき、人権などに関する市民教育や市民団体の育成に重点が置かれているこ とである。マンデートは 30 年以上前に定められたもので、民主的な政治文化が育たなかっ たワイマール共和国時代の失敗の経験に根ざしている163。選挙監視については、OSCE や EU によって編成される国際選挙監視団へ、ドイツ政府から監視員が積極的に送られている 164。また、ドイツの民主化支援は、人権政策と同様、欧州審議会、OSCE、EU との協調を 重視している165。そのため、外交圧力や経済制裁、政治的コンディショナリティといった 「ネガティヴ」な民主化支援は、その外交枠組みで決定されることが多い。 フランスについては、まず、1990 年 6 月のフランスのラボールでのフランス・アフリカ 諸国首脳会議におけるミッテラン大統領の演説(「ラボール宣言」)によって、民主化が対 アフリカ援助に条件付けされることとなった166。しかし、日本の ODA 大綱のような公式の ガイドラインは存在していない。また、その適用には基本的に慎重な姿勢がとられてきた。 民主主義体制の転覆に対しても、96 年のニジェールでのクーデターでは、一時的な援助停 止と中途半端な外交圧力にとどまり、他方、93 年の民主化以降の中央アフリカでの軍の反 乱に対しては積極的に軍事介入したように、その対応は一定していない。「ポジティヴ」な 民主化支援については、自由で公正な選挙の実施が重視される。特にアフリカに対する選 挙支援においては、フランス政府による丸抱えの支援が行われることさえある。他方、市 民社会の育成といったなど他の民主化支援のプログラムは発達していない。全般的に、フ ランスの国益が伝統的に強いアフリカ諸国に支援の重点が置かれている。 (6)国際 NGO ほか 80 民主化支援を行う特異な機関としては、「国際民主主義選挙支援機関」(International IDEA、以下、IDEA)がある。1995 年に、北欧諸国やインド、ウルグアイなど一部政府と、 汎アメリカ人権機関といった国際 NGO の協働によってつくられた。現在では、特に国連と 協力しつつ、広範な民主化支援活動を行っている167。実際に、後に見るように、報告書や 国際会議を通じて国連の民主化支援活動の形成に大きな影響を与えている168。 IDEA の活動は、持続的な選挙の実施のための支援から、政党の育成、女性の政治参加 の促進、地方レベルの民主制度の構築まで多岐にわたる169。その方法は、主として、それ ら民主制度に関わる情報や知識の収集と提供が中心である。選挙監視や資金の提供といっ たことは行われない。例えば、IDEA は、「デモクラシーの状態(State of Democracy)プ ロジェクト」を通じて、各国国民が自ら、自国の民主制度の機能を測定できるようにする ことを試みている。 次に、民主化支援に関わる国際 NGO については、活動の難しさや政治的な関与を嫌う 傾向から、開発などの分野に比べてそもそも数が少ない。その多くは、被援助国での民主 化に関わる国内 NGO の支援や国際選挙監視団への参加を中心とした活動を行っている。当 然経済制裁といった制裁的な措置は行い得ないものの、政府間国際機構や各国政府よりも 厳しい基準で選挙過程と結果を監視することで、(国際)世論に働きかける。 例えば、日本の NGO の「インターバンド」は、東ティモールなどアジア諸国の紛争後 の平和再建過程における選挙監視活動を行っている170。バンコクに拠点を置く「アジア自 由選挙支援ネットワーク」(ANFREL)は、上述のインターバンドといった国際的な活動を 行う NGO や被援助国内の NGO と協力して、人権教育や国内監視員の育成、自身による選 挙監視活動を行う171。東ティモールといった紛争後の最初の自由選挙からバングラディッ シュの定着期の選挙まで幅広く支援を行う。 5 小括 最後に、3 節でまとめた民主化への過程と 4 節でみてきた各行為主体の支援をあわせて整 理すると、表 3-1 のようになる。ただし、厳密な比較は困難であり、表は各主体の支援の特 81 徴を理解するために大まかに示したものに過ぎない。また、比較が難しい国際 NGO も省い ている。 表 3-1 主要な国際的行為主体による民主化支援の態様 移行期 準備段階 決定段階 選挙段階 支援内容 (有無) (有無) (有無) OAS (加盟国の大半が移行済み) EU ( 対 △ △ ◎ MS 外) EU(MS) (移行済みを加盟条件) OSCE (移行済みを加盟条件) AU ○ △ ◎ アメリカ ◎ ◎ ◎ 日本 × △ ○ ドイツ × △ ○ フランス × △ ◎ 国連 △ △ ○ 定着期 対転覆 ◎ ◎ ◎ ○ ○ ◎ ○ △ △ △ EO/EA ◎/○ ◎/○ ×/× ◎/◎ ◎/△ ◎/◎ △/○ ◎/○ ◎/○ △/○ 政府関連 ○ ◎ × ○ ○ ◎ ◎ ○ ○ ◎ 社会関連 ◎ ○ × ◎ △ ◎ △ ◎ △ △ MS=加盟国、◎=支援(対応)の制度があり積極的に実施。○=制度はあるが実施は消極 的。△=制度化されていないが実施されることもある。×=制度化も実施もほとんど見られ ない。EO=自前の選挙監視団を派遣、EA=技術的選挙支援。 (筆者作成) 支援活動に関する全体的な特徴としては、第 1 に、いわゆる「デモクラシー条項」の制 定が進んでいることである。特に国際機構において、民主化を国際機構の加盟の条件にし たり、クーデターなど反民主的な行為に対して制裁を課す手続きを採択することが増えて いる。第 2 に、民主主義体制の定着に焦点を当てて、選挙にとどまらない包括的な支援が 目指されている。第 3 に、しかし手続きの存在が積極的な実施と結び付いていないのも事 実である。そこには国家の利害や国家主権の原理との関係が多分に影響している。 また最近では、各行為主体間の民主化支援活動の調整が試みられつつある。例えば、110 カ国の国と国際機構を集めて開催された第 2 回の「民主主義諸国共同体」の閣僚会議では、 「ソウル行動計画」が採択されたが、そこでは民主化を促進する国際的な活動の調整が求 められた(同 6 節)172。他にも、先に述べたように、IDEA は AU と協力して国際的な選 挙監視の基準作りを行っている。 82 表 3-1 には国連の支援活動の特徴も先取りして記載している。国連による民主化支援活動 もまた、民主化の各段階に働く諸要因に対して働きかける形で支援を行ってきた。さらに、 他の国際機構や国家、NGO とともに、民主化支援活動を調整することも試みつつある。以 下の章では、国連と民主化との関わりと民主化支援活動の特徴を具体的にみていきたい。 フリーダムハウスの基準による。See Freedom House, Freedom in the World 2001-2002. 2 Diamond, Larry, Developing Democracy: Toward Consolidation, Baltimore, Md.: Johns Hopkins University Press, 1999, ch.2. 3 エドワード・マンスフィールド、ジャック・スナイダー「民主化は本当に世界を平和にす るのか」『中央公論』1997 年 7 月号、1995 年、367-386 頁。 4 Diamond, 1999, op.cit., p.61. 5 [http://news.yahoo.com/news?tmpl=story2&u=/ap/20030426/ap_on_re_af] 2003/04/27. 6 ただし、後にもみるように、現在、国連本体においては、明確に「民主化支援」と銘打った 予算プログラムは存在していない。 7 Gassama, Ibrahim J., “Safeguarding the Democratic Entitlement: A Proposal for United Nations Involvement in National Politics”, Cornell International Law Journal, Vol.30, No.2, 1997, pp.287-333. 8 例えば、日本では、岩崎正洋「民主化支援と国際関係」 『国際政治』第 125 号、2000 年、 121-146 頁;国際協力事業団『民主的な国づくりへの支援に向けて―ガバナンス強化を中心 に―』国際協力事業団、2002 年 3 月参照。 9 本書第 1 章の注 13 参照。 10 国連人権委員会決議 2002/46「デモクラシーを促進し定着させる更なる手段」 (Further measures to promote and consolidate democracy)の 1 項も参照。 11 U.N.Doc.E/CN.4/1998/NGO/71. 12 [http:///www.democracyconference.org/declaration.html 2001/04/13 より入手。 13 山口は、 「政治体制」の構成要素として、(1)体制を支える正統性原理、(2)政治エリー トの構成とリクルート・システム、 (3)国民の政治意思の表出と政策の形成にかかわる制 度と機構、(4)軍隊と警察からなる物理的強制力の役割と構造、(5)政治システムによる 社会の編成化の仕組み(例えば、官僚制など制度的要素と公共政策-筆者)、の 5 つを挙げ ている。山口定『政治体制』東京大学出版会、1989 年、9 頁。 14 Kumar, Krishna, “Postconflict Elections and International Assistance”, in Krishna Kumar (ed.), Postconflict Elections, Democratization, and International Assistance, London: Lynne Rienner Publishers, pp. 5-14. 15 山口は、そのような社会的環境を「政治的共同体」と呼ぶ。山口、前掲、11 頁。 16 ロストウは、自然な国民としての感覚に基づく「国民的統一性」 (national unity)を民 主化に不可欠な背景としている、Rustow, Dankwart A., “Transitions to Democracy: Toward a Dynamic Model”, Comparative Politics, Vol.2, No.3, 1970, pp.350-352. 17 Almond, Gabriel A. and Sindey Verva, The Civic Culture: Political Attitudes and Democracy in Five Nations, Princeton University Press, 1963(石川一雄ほか訳『現在市 民の政治文化-五カ国における政治的態度と民主主義-』勁草書房、1974 年);Diamond, 1999, op.cit., ch.5. 18 日本国際協力事業団(JICA)の調査研究では、民主化の構成要素として、 「民主的な制 度」、「民主化を機能させるシステム」、「民主化の社会経済基盤」を挙げられている。国際 協力事業団『民主的な国づくりへの支援に向けて―ガバナンス強化を中心に―』国際協力 事業団、2002 年 3 月、3-5 頁参照。また、後に述べる国連の報告書では、「デモクラシーの 1 83 文化」(democratic culture)として挙げられている。そこには、民主化にとって必要な政 治・社会・文化的な条件である、政党と政治運動や自由で独立したメディアの存在、市民 教育を通じた政治文化の構築が含まれる。U.N.Doc.A/50/332 and Corr.1, 7 August 1995, paras.11-38. 19 See, Dahl, Robert A., On Democracy, New Heaven and London: Yale University Press, 1998, p.2(中村孝文訳『デモクラシーとは何か』、岩波書店、2001 年) 20 ギジェルモ・オドネル、フィリップ・シュミッター共著、真柄秀子、井戸正伸訳『民主 化の比較政治学-権威主義支配以後の政治世界-』未来社、1986 年、34-35 頁。 21 Rustow, op.cit.;Sørensen, Democracy and Democratization: Processes and Prospects in a Changing world, 2nd (ed.) Boulder: Westview Press, 1998, pp.39-45;大芝亮『国際 組織の政治経済学』有斐閣、1994 年、18 頁も参照。ただし、ロストウはこの移行段階に、 合意された民主的なルールが国民全体に浸透していく「習慣化段階 Habituation」をさらに加 えているが、本書においては、内容的に「定着」の段階に含まれる。See, Diamond, 1999, op.cit., p.65. 22 岩崎正洋は競合的選挙の実施を非民主主義(体制)から民主主義(体制)への「敷居」 であるとする、岩崎正洋、「民主化支援と国際関係」、前掲、136-140 頁。 23 Schedler, Andreas, “What is Democratic Consolidation?”, Journal of Democracy, Vol.9, No.2, 1998, pp.91-107;サミュエル・ハンチントン著、坪郷實、中道寿一、藪野祐 三訳『第三の波: 20 世紀後半の民主化』三嶺書房、1995 年、229、257-258 頁。「定着」に 関する議論について、Diamond, 1999, op.cit., ch.3;Gunther, Richard, P. Nikiforos Diamandouros, and Hans-Jürgen Puhle, “Introduction”, in Richard Gunther, P. Nikiforos Diamandouros, and Hans-Jürgen Puhle (eds.), The Politics of Democratic Consolidation: Southern Europe in Comparative Perspective, Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 1995, pp.1-31;Leftwich, Adrian, “From democratization to democratic consolidation”, in David Potter, David Goldblatt, Margaret Kiloh, and Paul Lewis (eds.) Democratization, Cambridge: Polity Press in association with The Open University, 1997, pp.517-536;Linz, Juan J. and Alfred Stepan, Problems of Democratic Transition and Consolidation: Southern Europe, South America, and Post-communist Europe, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1996;三上了「「定着論」再考―そ の両義性が意味するもの」『早稲田政治公法研究』第 61 号、1999 年、169-190 頁参照。 Linz and Stepan, op.cit., p.5. 25 ハンチントン、前掲、229 頁参照。 26 See, Gunther, Diamandouros, and Puhle, op.cit., pp.12-17;Diamond, 1999, op.cit., ch.3. 27 オドネルとシュミッターのいう「社会化」である。オドンネル・シュッミッター、前掲、 46-51 頁 28 Schedler, op.cit. 29 Rustow, op.cit.;オドンネル・シュミッター、前掲;ハンチントン、前掲、第 3 章 30 オドンネル・シュミッター、前掲、58-67 頁;Diamond, 1999, op.cit., pp.233-239 参照。 市民社会と民主化について、Potter, David, “Explaining democratization”, in Potter, Goldblatt, Kiloh, and Lewis (eds.) op.cit., p.28;川原彰『東中欧の民主化の構造: 1989 年 革命と比較政治研究の新展開』有信堂高文社、1993 年参照。 31 ハンチントン、前掲、59-71 頁;Huber, Evelyne, Dietrich Rueschemeyer, and John D. Stephens, “The Paradoxes of Contemporary Democracy: Formal, Participatory, and Social Dimensions”, Comparative Politics, Vol.29, No.3, 1997, pp. 323-342;Haggard, Stephan and Robert R. Kaufman, “The Political Economy of Democratic Transitions”, Comparative Politics, Vol.29, No.3, pp.263-283. 32 Carothers, Thomas, Aiding Democracy Abroad: The Learning Curve, Washington, D. 24 84 C.: Carnegie Endowment for International Peace, 1999, p.60;Diamond, Larry, “Promoting Democracy in the 1990s: Actors and Instrument, Issues and Imperatives”, A Report to the Carnegie Commission on Preventing Deadly Conflict, Carnegie Corporation of New York, 1995 [http://ccpdc.org/pubs/diamond/diamond.htm] 2001/11/26;Potter, op.cit., p.21. 33 Whitehead, Laurence, The International Dimensions of Democratization: Europe and the Americas. Oxford: Oxford University Press, 1998, pp.5-8. 34 ハンチントン、前掲、98-104 頁。 35 第 1 章、注 13 のデモクラシーの国際法の文献を参照。 36 Potter, Goldblatt, Kiloh, and Lewis (eds.), op.cit., pp.515-516. 37 オドンネル・シュミッター、前掲、59-60 頁。 38 Byers, Michael and Simon Chesterman, “’You, the People’: pro-democratic intervention in international law”, in Fox and Roth (eds.), in Gregory Fox and Brad R. Roth (eds.), Democratic Governance and International Law, Cambridge: Cambridge University Press, 2000, pp.284-288. 39 See, Diamond, 1995, op.sit.. なお、 「政治的コンディショナリティ」とは、「経済援助の 目的の一つは、単に開発途上国の経済成長を支援するだけではなく、開発途上国における 人権保障状況を改善し、また民主化を促進することであると考え、被援助国が人権保障や 民主的制度の確立に努力することを経済援助を受ける条件とする政策のこと」である。大 芝亮「国際政治経済―資本主義、民主主義とガバナンス―」星野昭吉・臼井久和編『世界 政治学』三嶺書房、1999 年、186-187 頁参照。 40 See, Burnell, op.cit., pp.8-9;Diamond, 1995, op.cit.;Pridham, Geoffrey, “The International Context of Democratic Consolidation: South Europe in Comparative Perspective”, in Gunther, Diamandouros, and Puhle (eds.), op.cit., pp.166-203. 41 Burnell, Peter, “Democracy Assistance: The State of the Discourse”, in Peter Burnell (ed.), Democracy Assistance: International Co-operation for Democratization, London: Frank Cass, 2000, p.9. 42 Diamond, 1995, op.cit. 43 田中明彦「天安門事件以後の中国をめぐる国際環境」『国際問題』No.358、1990 年、30-45 頁参照。 44 Carothers, op.cit., pp.20-22;Potter, op.cit., pp.11-13. 45 吉川元『ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE): 人権の国際化から民主化支援への発展過 程の考察』三嶺書房,1994 年参照。 46 Blair, Harry, “Donors, Democratization and Civil Society: Relating Theory to Practice”, in Michael Edwards and David Hulme, NGOs, States and Donors: Too Close for Comfort., London: Earthcan Publications, 1997, pp.26-27. 47 ハンチントン、前掲、第 3 章。 48 Brown, Frederick, “Cambodia’s Rocky Venture in Democracy”, in Krishna Kumar (ed.), Postconflict Elections, Democratization, and International Assistance, London: Lynne Rienner Publishers, 2000, pp.87-90;Roberts, David W., Political Transition in Cambodia 1991-99: Power, Elitism and Democracy. Richmond: Curzon Press, 2001, ch.1. 49 See, United Nations Department for Development Support and Management Services, Elections: Perspectives on Establishing Democratic Practices, United Nations Publication, 1997. 50 国連や地域的国際機構による選挙監視の事例については, Padilla, David and Elizabeth Houppert, “International Election Observing: Enhancing the Principle of Free and Fair Elections”, Emory International Law Review, Vol.7, No.1, 1993, pp.73-132 参照。 51 Kumar, Krishna, “International Assistance for Post-Conflict Elections”, in Burnell 85 (ed.), op.cit., p.192. 52 U.N.Doc.A/48/590, para.60. 53 Ottaway, Marina, “Angola’s Failed Elections”, in Kumar (ed.), op.cit., pp.133-151. 54 Ibid. Diamond, 1995, op.cit. 選挙に必要な技術については、United Nations Department for Development Support and Management Services, op.cit.参照。 57 See, Chand, Vikram K., “Democratization from the Outside In: NGOs and International Efforts to Promote Open Elections”, in Thomas G. Weiss (ed.), Beyond 55 56 UN Subcontracting: Task-Sharing with Regional Security Arrangements and Service-Providing NGOs, Basingstoke, Hampshire: Macmillan, Press New York: St. Martin's Press, pp.160-183. 58 Linz and Stepan, op.cit., p.5. 59 Diamond, 1999, op.cit., ch.6. 60 Diamond, 1999, op.cit., ch.2;O’Donnell, Guillermo, “Delegative Democracy”, Journal of Democracy, Vol.5, No.1, 1994, pp.55-69;Zakaria, Fareed, “The Rise of Illiberal Democracy”, Foreign Affairs, Vol.76, No.6, 1997(ファリード・ザカリア「市民的自由なき 民主主義の台頭」『中央公論』1998 年 1 月号、331-350 頁, 1998 年) 61 ハンチントン、前掲、261-264 頁。 62 Byers and Chesterman, op.cit. 63 パナマのケースでも、選挙で当選したとされる候補者からの招聘の存在といった正当化 が試みられた。See, ibid., pp.274-279. 64 クーデターそのものは 1991 年に発生している。 65 Byers and Chesterman, op.cit., pp.284-290;Fielding, Lois E., “Taking the Next Step in the Development of New Human Rights: the Emerging Right of Humanitarian Assistance to Restore Democracy”, Duke Journal of Comparative and International Law, Vol.5, No.2, 1995, pp.329-377. 66 U.N.Doc. A/56/499, para.29. 67 Reiter, Dan, “Why NATO Enlargement Does Not Spread Democracy”, International Security, Vol.25, No.4, 2001, pp.53-54. 68 Boniface, Dexter S., ‘Is There a Democratic Norm in the Americas? An Analysis of the Organization of American States’, Global Governance, Vol.8, No.3, 2002, pp.372-373. 69 リンツとステファンは、定着に関わる 5 つのアリーナとして、 「市民社会」、「政治社会」 (政党など) 、「法の支配」、「有能な国家官僚機構」(=実効的な国家)、 「経済社会」 (統制 経済と完全市場経済の中間)を挙げている、Linz and Stepan, op.cit. 70 ダイヤモンドは、定着に必要な課題として「 (民主主義体制の)深化」 (democratic deepening)、 「政治的制度化」(political institutionalization)、「体制のパフォーマンス」 (regime performance)のうち、後者 2 つが、ここでの国家の制度構造とその能力に関わ るものであり、最初のものは国家と社会の関係に関わるものである、Diamond, 1999, op.cit., pp.73-77 参照。ただし、ここではその両者を密接に関連するものとして、まとめて扱う。 71 Burnell, op.cit., pp.19-20;Diamond, 1999, op.cit., pp.75-77. 72 Diamond, 1999, op.cit, pp.93-96. 73 Ibid., 111-112 74 UNDP, UNDP Thematic Trust Fund: Democratic Governance, 2001 [http://www.undp.org/trustfunds] 2001/11/18 75 ガバナンスへの支援については、例えば、UNDP Management Development and Governance Division, UNDP and Governance: Experiences and Lessons Learned, 1999 [http://magnet.undp.org/Docs/gov/Lessons] 2001/02/28 より入手;大芝、1994 年、前掲、 86 3 章;大芝亮「国際金融組織と『良いガバナンス』」『国際問題』No.422、1995 年、18-30 頁参照。 76 大芝、1994 年、前掲、140-144 頁. 77 Diamond, 1999, op.cit., pp.96-111. 78 See, Carothers, op.cit., ch.6. 79 Putnam, Robert D. with Rovert Leonardi and Rafaella Y. Nanetti, Making Democracy Work: Civic traditions in modern Italy, Princeton: Princeton University Press, 1993(河田潤一訳『哲学する民主主義-伝統と改革の市民的構造』NTT 出版、2001 年). 80 See, Payne, Leigh A., Uncivil Movement: The Armed Right Wing and Democracy in Latin America, Baltimore and London: The John Hopkins University Press, 2000. 81 Blair, op.cit. pp.26-27. 82 Potter, Goldblatt, Kiloh, Lewis (eds.), op.cit., p.267;岩崎育夫「開発体制の起源・展開・ 変容-東・東南アジアを中心に」東京大学社会科学研究所編『20 世紀システム4 開発主 義』1998 年、115-146 頁;木村幹「脱植民地化と「政府党」-第 2 次大戦後新興独立国の 民主化への一試論」『国際協力論集』第 9 巻第 1 号、2001 年、137-165 頁参照。 83 Munck, Gerardo, “Democratic Transitions in Comparative Perspective”, Comparative Politics, Vol.26, No.3, 1994, pp.363-364;Linz and Stepan, op.cit., ⅩⅣ. 84 Potter, op.cit., pp.24-26. 85 Almond and Verva, op.cit.;Diamond, 1999, op.cit., ch.5. 86 Potter, op.cit., p.22. 87 See, UNESCO, World Plan of Action on Education for Human Rights and Democracy, adopted at the International Congress on Education for Human Rights and Democracy in Montreal from 8 to 11 March 1993, [http://www.unesco.org/human_rights/hrfe.htm] 2001/11/17. 88 Potter, op.cit., p.26;Leftwich, op.cit., p.531. 89 レイプハルトの多極共存型民主主義の議論を参照、Lijphart A., Democracy in Plural Societies: Comparative Explanation, Yale University Press, 1977(内山秀夫訳『多元社会 のデモクラシー』三一書房、1979 年) 90 See, UNDP Management Development and Governance Division, op.cit. 91 国連においては、1992 年 12 月に「民族的、エスニック、宗教的、言語的マイノリティ ーに属する人々の権利に関する宣言」が総会決議 47/135 で採択され、その後、その促進の ための総会決議が採択されている(総会決議 48/138;49/192;50/180;51/91;52/123; 54/162)。また、「民族的、あるいはエスニックな宗教的・言語的マイノリティーに属する 人々の権利」と題される決議が、人権委員会でも採択され、「差別の防止とマイノリティー の保護の関する小委員会」を通じて、それらの保護が試みられている(人権委員会決議 1994/22;1995/24;1996/20;1997/16;1998/19;1999/48;2000/52;2001/55)。マイノ リティーの政治的参加については、小委員会のワーキング・ペーパーを参照 (U.N.Doc.E/CN.4/AC.5/1998/WP.4)。 92 Lipset, Seymour Martin, Political man: the social bases of politics. London: Heinemann, 1960(内山秀夫訳『政治のなかの人間: ポリティカル・マン 』東京創元新社、 1963 年;ハワード・J・ウィーアルダ著、大木啓介訳『入門 比較政治学-民主化の世界 的潮流を解読する-』、2000 年、第 7 章。 93 Potter, op.cit., pp.24-25;Sørensen, op.cit., 26 and ch.3. 94 Diamond, 1999, op.cit., pp.78-88;山口、前掲、終章。 95 Diamond, 1999, op.cit., pp.242-243. 96 Haggard and Kaufman, op.cit.;Leftwich, op.cit., pp.530-531. 97 Cerny, Philip, “Globalization and the erosion of democracy”, European Journal of 87 Political Research, Vol.36, No.1, 1999, pp.1-26. いわゆる民主化と経済の自由化の「二重の移行」 (dual transition)である、Encarnación, Omar G., “The Politics of Dual Transitions”, Comparative Politics, Vol.28, No.4, 1996, pp.477-492. 99 Huber, Rueschemeyer, and Stephens, op.cit., pp.329-330. 100 Munck, op.cit.,pp.366-367. 101 See, Report of the Secretary-General, Agenda for Democratization, U.N. Doc.A/51/761, 20 December 1996. 102 岩崎正洋、 「民主化支援と国際関係」、前掲、142 頁。 103 See Youngs, Richard, The European Union and the Promotion of Democracy. Oxford: Oxford University Press, 2001, pp.21-26. 下村・中川・齊藤は、人権・民主化の 促進を含む ODA 大綱 4 原則の運用方法として、政治的コンディショナリティと外交圧力、 直接支援に分類している。前二者が、ここでの制裁的支援にあたる。下村恭民・中川淳司・ 齊藤淳『ODA 大綱の政治経済学-運用と援助理念』有斐閣、1999 年、110-112 頁。 104 ただし、下村・中川・齊藤は、政治的コンディショナリティを「ネガティヴ・コンディ ショナリティ」と「ポジティヴ・コンディショナリティ」に区別する。前者は、条件が満 たされなければ援助を停止するが、後者は、むしろ満たされれば援助を拡大するものであ る。下村・中川・齊藤、同上、17 頁。後者は援助の条件として明文化されることは少ない ため、ここでは、前者をもっぱら政治的コンディショナリティとして扱う。 105 世界銀行について、大芝亮、1994 年、前掲、第 3 章参照 106 See, Thomas, Christopher R. and Juliana T. Magloire, Regionalism Versus 98 Multilateralism: The Organization of American States in a Global Changing Environment., Boston/Dordrecht/London: Kluwer Academic Publishers, 2000, ch.1. 107 Ibid., p.44. 108 上村直樹「冷戦期からポスト冷戦期のラテンアメリカ政策」五味俊樹・滝田賢治編『現 代アメリカ外交の転換過程』南窓社、1999 年、163 頁 109 AG/DEC.4 (XXIII-O/93). 110 Declaration of Principles, at First Summit of the Americas, Miami, Florida, December 9-11, 1994. 111 星野俊也「クリントン政権の国連政策」『国際問題』No.443、1997 年、57 頁。 112 Declaration of Santiago, at Second Summit of the Americas, April 18-19, 1998. 113 Declaration of Quebec City, at Third Summit of Americas, April 22, 2001. 114 Boniface, op.cit., pp.369-376. ペルーについては、村上勇介「ペルーの「自主クーデタ」 に対するアメリカ外交」大津留(北川)智恵子、大芝亮編著『アメリカが語る民主主義― その普遍性、特異性、相互浸透性―』ミネルヴァ書房、2000 年、269-291 頁参照。 115 Cooper, Andrew F. and Thomas Legler, ‘The OAS in Peru: A Model for the Future’, Journal of Democracy, Vol.12, No.4, p.126. 116 OAS による選挙監視団の派遣は、1998 年 7 件、99 年 8 件、2000 年 6 件である。 [http://www.upd.oas.org/EOM]を参照。 117 例えば、1999 年に採択された OAS 総会決議「参加型デモクラシー」 (AG/RES.1684 (XXIX-O/99))を参照。 118 Pevehouse, Jon C., ‘Democracy from the Outside-In? International Organizations and Democratization’, International Organization, Vol.56, No.3, 2002, pp.524, and 526-527. 119 アムステルダム条約及び 2001 年に調印されたニース条約のデモクラシー原則について は、山本直「EU と民主主義原則―EU 条約 7 条をめぐって―」『同志社法学』53 巻 6 号、 2002 年、614-644 頁参照。 120 2000 年版『加盟進捗状況報告書』の邦訳について、europe, winter 2001, 14-15 参照。 88 121 山本直、前掲、637 頁。 Crawford, Gordon, European Union Development Co-operation and the Promotion of Democracy, in Burnell (ed.), op.cit., p.92 123 Youngs, Richard, op.cit., p.35. 122 124 Ibid. Annual Report on the Implementation of the European Commission’s External Assistance, pp.20-23. 126 Crawford, op.cit., p.100 も参照。 127 Ibid., p.94;Youngs, op.cit., pp.32-33. 128 SN 1401/02. 129 Youngs, op.cit., p.38 130 OSCE, OSCE Human Dimension Commitments, 2001,p.79-81. 131 宮脇昇「民主的平和と民主化支援-民主制度・人権事務所を中心に」吉川元編『予防外 交』三嶺書房、71 頁参照。 132 OSCE, op.cit., 2001, XV;宮脇、同上、72-73 頁も参照。 133 宮脇、同上、76 頁。 134 宮脇、同上、78 頁。 135 リトアニアの例、宮脇昇「エストニア・ラトヴィアにおける予防外交」吉川元編、前掲、 234 頁。 136 Fox, Gregory H.. “The Right to Political Participation in International Law”. Yale Journal of International Law, Vol.17, No.2, 1992, p.568. 137 Diamond, 1995, op.cit. 138 De Coning, Cedric. “The Role of the OAU in Conflict Management in Africa”, April 1997, [http://www.iss.co.za/Pubs/Monographs/No10/DeConing.html] 2003/06/23. 139 U.N.Doc. A/56/499, para.29. 140 Declaration on the framework for an OAU response to Unconstitutional Changes of Government, AHG/Decl.5 (XXXVI), July 2000. 141 New Partnership for Africa’s Development (NEPAD), Declaration on Democracy, Political, Economic and Corporate Governance, July 2001. 142 OAU/AU Declaration on the Principles Governing Democratic Elections in Africa, AHG/Decl.1 (XXXVIII), ch.V. 143 [http://www.idea.int/press/newsflash/update_20030416.htm] 2003/06/24. 144 Gutto, S. “Constitutinalism, Elections and Democracy in Africa: Theory and Praxis”, p.6. [http://www.election.org.za/AfricaConference] 2003/06/22 より入手。 145 June Thomas, “The OAU Is Dead, Long Live the AU”, Slat, July 9, July, [http://slate.msn.com/id/2067862] 2003/06/23. 146 Carothers, op.cit., p.3. 147 Ibid., pp.22-24. 148 NED について大津留(北川)智恵子「米国の民主化支援における QUANGO の役割」 『国際政治』第 119 号、1998 年、127‐141 頁参照。 149 同上、129-130 頁。 150 USAID, Democracy and Governance: a Conceptual Framework, 1998, [http://www.usaid.gov/democracy/pubsindex.html], p.1. そのことより生じる問題につい ては、大津留(北川)智恵子「民主主義の普遍性とアメリカの利害」大津留・大芝編著、 前掲参照。 151 See, Crawford, 2001, op.cit., ch.5. 152 Gills, Barry, Joel Rocamora, and Richard Wilson, ‘Low Intensity Democracy’, in Barry Gills, Joel Rocamora, and Richard Wilson (eds.), Low Intensity Democracy: Political Power In the New World Order, London; Boulder, Colo.: Pluto Press, 1993, 125 89 pp.9. 153 Ibid. 154 大津留(北川)智恵子、2000 年、前掲、330-331 頁。 155 下村・中川・齊藤、前掲、153 頁。運用状況については、同、第 3 章参照。 156 支援の対象及び内容については、国際平和協力本部のホームページを参照。 [http://www.pko.go.jp] 157 国際協力事業団、2002 年、前掲、8 頁。 158 同上、81 頁。 159 国際協力事業団「平和構築―人間の安全保障の確保に向けて―」報告書、2001 年 3 月 参照。 160 以下、Mair, Stefan, “Germany’s Stiftungen and Democracy Assistance: Comparative Advantages, New Challenges”, in Burnell (ed.), op.cit., pp.128-149 参照。 161 Ibid., p.134. 162 Ibid.,p.132. 163 Ibid.,p.132 164 See, Election observation as an instrument of democratization aid, [http://www.auswaertiges-amit.de/www/en/aussenpolitike/] 2002/09/24. 165 See, Fifth Report by the Government of the Federal Republic of Germany on Human Rights Policy in its Foreign Relations, 2000. 166 以下、増島建「民主化と援助-政治的コンディショナリティをめぐるフランスの事例か らの教訓」『平和研究』第 24 号、1999 年、43-53 頁参照。 167 国連との提携については、総会でのオブザーバー資格が IDEA 加盟諸国より求められ、 現在検討されている。See, U.N.Doc.A/55/617. 168 International Institute for Democracy and Electoral Assistance (International IDEA), Democracy and Global Co-operation at the United Nations. Stockholm: International IDEA, 2000. 169 See, International Institute for Democracy and Electoral Assistance, Work in Progress, December 2001, [http://www.idea.int/ideas_work/WIP_December_2001.pdf] 2001/10/01. 170 インターバンドのホームページ、[http://www2.gpl.com/users/interband/]参照。その活 動の様子として、首藤信彦、松浦香恵『国際選挙監視と NGO』岩波書店、2000 年も参照。 171 ANFREL のホームページ、[http://www.forumasia.org/anfrel/]を参照。 172 See, [http://www.ccd21.org/conferences/ministerial]. 90 第4章 1 国連の民主化支援活動の形成(1)―選挙支援活動の形成 序論 前章では、国家の民主化の過程と国際的な民主化支援活動を整理した。しかし、国際機 構は、常に民主化のために行動するわけではない。加盟国間の力関係や国際機構の持つ機 能、価値・規範、国際社会の構造、組織としての特性といった多様な要因の影響を受ける 複雑な政治過程を通じて、デモクラシーの概念と支援活動が国際機構において形成されて いく。そこで本章と次章では、国連の加盟国への民主化支援活動の歴史的な形成過程をみ ていく。 ただし、国連を含めた国際機構は、国家の民主化に対して、直接的な民主化支援活動を 行う以外にも様々な形で関係している。第 1 に、国際機構の意思決定の問題と関わる。あ る国際機構が、どのような民主化支援活動を、どの国に行うか、あるいはどれくらいの資 源を使うかは国際機構内部で決定される。そこでは国際機構自体の民主化と関係する。逆 に、民主化を進めて加盟国が増えることは、民主的な政府を代表する者が国際機構の意思 決定に参加するので、国際機構自身の民主化につながりうる。さらに、国際機構自身の民 主的正当性の向上によって、国際機構による国家への強制措置を含めた民主化支援活動の 実効性や正当性が向上する、というように国家の民主化と国際機構自体の民主化が相互に 連関しあう1。第 2 に、国際機構は、国家の民主化に影響を与える国際的な環境や構造の維 持・形成・変化に関わる。例えば、経済協力は、経済発展の国際的な不平等の是正に関わ る2。しかし、逆に、経済の不平等拡大しかねない世界銀行等の構造調整プログラムのよう に、国際機構自身が国家の民主化を阻害するような環境を生み出す場合もある。 本章では、このような国家と民主化と国際機構の多面的な関係も視野に入れつつ、デモ クラシーや民主化の概念の発展・変化と、明確に民主化に関わる目標を対象にした支援活 動の形成に注目する。本章では次のように議論を進める。まず、国際機構の活動に影響を 与える諸要因について簡単にまとめる。民主化支援活動の形成過程の考察においても、そ れらに注目することが今後の変化を予測するために必要である。次に、脱植民地化での人 91 民(住民)投票の監督に始まった国連の選挙支援活動の形成についてみる。さらに、選挙 支援が国際紛争解決の個別の文脈で行われるようになった過程を追う。最後に、国連にお いて選挙支援活動の一般化・制度化が急速に進み、同時に、民主化への支援として明確に 位置付けられるようになっていった歴史的過程をみていく。 2 国際機構に働く諸要因 現在、国際機構研究は、 (新)現実主義や国際レジーム論、グローバル・ガバナンス論と いった国際関係の諸理論・諸アプローチの中に埋もれ、国際関係論における独立した研究 分野としてのアイデンティティーを失っている状態である。しかし、これまでの研究成果 を整理することで、期待される国際機構の役割や機能、国際機構の制度や活動の変化の特 に強調される要因及びその分析方法について、いくつかの国際機構研究の「アプローチ」 としてまとめることができる3。それら諸アプローチは、必ずしも矛盾・対立しあうもので はなく、国際機構の役割・機能及びそれらが形成・変化する際に働く要因について、別々 の側面に焦点を当てるものである。それぞれのアプローチを組み合わせることで、国際機 構を有効に分析することが可能になる。 「現実主義的アプローチ」は、国際関係における行為主体を主権国家のみとする。主権国 家は、自らの利益の増進と生存のために「権力政治」を行わざるをえない。ただし、アナ ーキーな環境下での権力政治は無秩序と同義ではない。国際関係において優位に立つ覇権 国は、自らの利益を維持するためにそのような国際的なルールや制度を生み出すことがあ る。国際関係は、国際社会に存在する所定のルールの下で、主権国家による権力政治が行 われているものとみることができる。以上のような性質をもつ国際関係のもとで、国際機 構は、国家の利益を増大するための道具とみなされる。そこでの国際機構の活動や制度は、 国家間の力関係によって変化する。 「自由主義的アプローチ」では、国際関係における主体として、主権国家のみならず、多 国籍企業や国際機構、NGO など非政府的な主体も含まれる。国際関係の構造について、現 実主義的アプローチと同様に、国家の上位に立つ権威は存在しないとする。しかし、覇権 国が存在しなくとも国際協力は可能であり、国際的な自由市場の維持や環境問題の規制な 92 どのために必要な国際(地球)公共財が、国家間の協力によって提供されるとする。継続 的な国際協力のために、国際法や国際レジーム、国際機構などの国際制度が設けられ、そ れらによって国家等の行動は規律される。このような国際関係の性質のもとで、国際機構 は、情報の収集・分析や解決法の提示、国家の監視などを通じて、国際的な問題を解決し 国家間の協力を促進する役割を担うものとされる。国際機構は、金融問題や環境問題など、 加盟国間の利害対立が少なく、専門的で、上記の機能が有効に使える「ロー・ポリティク ス」において、特に大きな役割を果たしうる。国際機構の活動や制度は、国際社会で生じ ている問題の性質と、その解決を求める国家や非政府的主体の期待や需要、解決にかかる コストに応じて形成・変化するとされる。 「構造主義的アプローチ」は、国際関係は国際的な経済構造によって規定されていると する。国際関係の行為主体は、経済的な「階級」であり、国家は、階級の利益を実現する ための道具に過ぎない。国際機構は、そのような国際的な経済体制・構造を支える制度で あるとされる。その一方で、国際機構は国際的な経済構造を変革するための道具となるこ ともある。国際機構の制度や活動の形成・変化は、国際的な経済体制・構造の変動によっ てもたらされる。 「社会学的アプローチ」では、国際関係における行為主体について、国家だけとする場合 もあれば、その他の非政府的主体も含む場合まで様々である。しかし、このアプローチで は、それら国際関係における行為主体の選好は、所与のものではなく社会的・歴史的に構 築されかつ変化するものであり、社会に存在する他の価値や規範の影響を受けるという点 で共通している。国際関係においては、それら価値や規範といったものの役割が重要とな る。上位の強制的な手段をもつ権威が存在しない国家を超えた場においても、国際的な規 範や価値が、国家やその他の行為主体を「拘束」しうる。そこでの国際機構は、新たな価 値や規範を生み出し、それを維持・促進する場とされる。国際機構の制度や活動の変化は、 自らもその生成・維持に関わる国際社会における価値や規範の変動によってもたらされる。 「組織論的なアプローチ」は、経営学や社会学における組織論の知見を借りつつ、国際 機構を国際「組織」としてみて、その「組織」としての特性に焦点を当てる。国際「組織」 の構成員は、国際官僚や、各国政府からの全権代表や出向者、提携している専門家や NGO などである。それらの行動は、組織内の各構成員の選好・価値観や行動は、組織内部の権 93 力関係、組織としてもつ能力や財政事情、組織独自の手続き、惰性やルーティン化、組織 内文化などの影響を受ける。また、組織全体や内部の各部局は独自の利害を持ち、自己の 存続・保身や拡大を図る傾向がある。国際機構もまた、このような組織としての特性の影 響を受けつつ、その活動を形成し、機構を変化させる。 以上の諸アプローチから、国際機構の制度や活動の形成・変化に働く要因として、加盟 国間の力関係、国際機構が持つ機能、国際社会の構造、国際機構内外で広まっている価値・ 規範及び国際機構の「組織」としての特性を導くことができる。次にそれらの諸要因に注 目しつつ、国連の民主化支援活動の形成過程をみていく。 3 脱植民地化と選挙監督 第 3 章でも見たように「自由で公正な選挙」は、民主主義体制のすべてではないものの、 それを形成する重要な一部である4。法的拘束力を持たないものの、すでに 1948 年に採択 された世界人権宣言第 21 条において、「定期的で真正な選挙」を通じた人民の意思を政府 の権威の基礎にするという規定がある。しかし、実際に最初に国連が選挙に関わったのは、 脱植民地化が国連の重要な任務となった 50、60 年代において人民の自決に際し行われた人 民(住民)投票への「監督」 (supervision)からである5。 人民(住民)投票(referenda, plebiscite)を国際的に支援・監督することは、国境をめ ぐる国際紛争の解決や住民の自決権行使の文脈で、古く 19 世紀には行われていた。特にヴ ェルサイユ諸条約のもとでは、ルール地方など主としてヨーロッパで頻繁に行われた6。 第 2 次大戦後、自決の概念は国連憲章第 1 条におりこまれたが、法的な権利として明確 には規定されなかった。また、植民地は国連憲章において非自治地域(11 章)と信託統治 地域(12・13 章)の 2 つの範疇に分類されたが、それらはむしろ植民地の保有を憲章上認め るもので、自決権を実現する手段とは言えないものであった7。しかし、植民地主義の廃絶 を求めるアジア・アフリカ諸国が次第に加盟国として数を増やし、憲章を政治的に解釈し ていった8。さらに、冷戦が深まるにつれ、ソ連もアメリカも脱植民地化を支持するように なった9。1960 年の「植民地諸国諸人民に対する独立付与に関する宣言」(通称「植民地独 立付与宣言」 )の採択と、翌年の「植民地独立付与宣言履行特別委員会」の設立は、その流 94 れを決定的なものとした。宣言採択後、植民地地域の独立は急速に進んでいく。この文脈 の中で、自決権の行使の手段として人民(住民)投票が実施され、国連がそれを支援・監 督するようになっていった10。 信託統治地域については、国連憲章 76 条 b において「人民が自由に表明する願望に適合 するように」 、自治または独立が促進されることを規定している。その願望を確認する手段 として、国連の監督下で普通選挙権に基づいた自由で公正な人民(住民)投票が行われるよう になった。1956 年のイギリス施政下のトーゴランドが最初の例である11。続けて 1959 年と 61 年のイギリス施政下のカメルーン、61 年から 62 年のベルギー施政下のルアンダ-ウル ンディと、国連による人民(住民)投票への監視が続けられた。非自治地域についても、信託 統治地域と同じ方法が採用されるようになった。選挙への監督の最初の事例は、65 年のニ ュージーランド施政下のクック諸島における人民(住民)投票の監督である。 1956 年から 1990 年までに、信託統治地域、非自治地域合わせて 30 回の人民(住民)投 票への国連による監督が行われた12。いずれも、施政国からの要請、または信託統治理事会 等の国連機関より事前に派遣される訪問団の推薦、あるいは総会や安保理による決議によ って派遣が決定された13。ただし、いずれの場合であれ、必ず施政国や現地指導者等の当事 者の承諾を前提とし、国連の機関によって一方的に決定されることはなかった。このよう に、脱植民地化の過程において自決権の行使のために行われる人民投票を国連は監督して いった。 しかし、自決の概念は、デモクラシーとはそもそも異なった概念であり、自決の促進が、 必ずしも民主化の促進につながるとは限らない14。特に国連による自決の促進は、脱植民地 化の文脈の中で行われたため、独立と領土保全を中心とする「外的自決権」の達成に重点 が置かれ、「内的自決権」、すなわち、人民の民主主義的な権利としての自決権はないがし ろにされてきた15。結局、自決権の行使は、民主主義体制への移行には必ずしもつながらな かった。むしろ、外的自決権の重視によって内政不干渉の原則が強化され、国連による選 挙・民主化支援の制約となった面すらある。同時に、グローバル・デモクラシーのウェス トファリア・モデルや、国家を超えた場の民主化として「国際(国家間)民主主義」の強 化にむしろ貢献したといえる16。 それにもかかわらず、脱植民地化の過程での経験は、その後に国連の選挙支援活動が制 95 度化される上でいくつかの意義があった。第 1 に、加盟国が国内で行う選挙に対して国連 の関与を求める動機の一部を形成した。すなわち、脱植民地化の過程での監督は、国連が 選挙に国際的な正当性を与え得ることを証明したため、加盟国は、自国の民主的選挙の実 施を国際的にアピールする際に、その最も効果的な方法として国連を利用することを考え るようになった。第 2 に、事務局が選挙に関与することによって、選挙に関する知識・技 術が習得・蓄積され、加盟国へ選挙支援を行う際の技術的な基盤が形成されることとなっ た。第 3 に、自決権を行使する際、国際的に監督される自由で公平な選挙を通じて住民自 らの自由な意思で将来が決定されるべきという考え方とその実践は、世界人権宣言やいわ ゆる B 人権規約にある「自由で公平な選挙原則」の内容を明確にし、国家が実現しなけれ ばならない人民の「民主主義への権利」とも言うべき国際的な規範の形成に貢献した17。 4 冷戦の終結と国連の選挙支援の展開 冷戦の終結によって、国連の選挙支援は、脱植民地化とは違う文脈で行われるようにな った。ここでは冷戦後の民主化の波を受けた国連の選挙支援活動の展開をみていく。 (1)民主化の波と国際的な民主化支援 1985 年、ソ連においてゴルバチョフが政権に就き、東西の緊張関係は次第に緩和へと向 かい、89 年には冷戦はついに終結した。冷戦の終結は、90 年のヒューストン・サミットの 宣言に見られるように18、議会制民主主義と経済自由主義を柱とする西欧型の「自由民主主 義(体制)」の勝利とみなされた19。86 年のフィリピン革命からアフリカ・アジア・東欧諸 国の民主化に至るまで、民主化の波が世界を覆った20。この世界的な民主化の流れの中、各 国は国内選挙に対する監視や技術支援を西側先進諸国や国連など国際機関に求めるように なっていった。 その求める理由としては、第 1 に、現実の技術・財政の不足がある。第 2 に、国際開発 援助において、西側先進国、国際機関ともに、何らかの形でコンディショナリティとして 民主化を求めるようになったことが挙げられる21。そのために、国際的な第三者による選挙 96 監視を通じてその自由と公正さを確認してもらうことで、国際的な正当性を獲得する必要 が生じた。第 3 に、国際的な選挙監視で獲得される国際的な正当性は、政治的に不安定な 政権が多い中で、自らの国内的な正当性も高める効果があった22。 これらの理由で民主化支援を求める諸国家に対して、国際社会も応えていった。前章で 見たように、西側先進国や国際機構は、選挙の実施などに関する技術的な支援や、選挙監 視団の派遣を行うようになった。国連もまた、人権、民主主義と経済的自由主義を基盤と する冷戦後の新しい国際秩序へ対応を模索した23。しかし、すんなりと民主化支援が行われ るようになったわけではない。旧植民地諸国が大半を占める国連加盟国内では、内政干渉 への恐れは依然として強く、1990 年代前半までは、明確に「民主化」への支援を謳った援 助は行われなかった。先に述べたように、国連による選挙の監視は、脱植民地化の文脈で 行われ、独立国への選挙の監視は原則として行われてこなかった24。その一方で、冷戦の終 結は、同時に世界各地の多くの国際紛争に和平をもたらしたが、国際紛争の解決という特 殊な文脈において、国連の使節団による選挙監視を中心とした選挙支援が実施されるよう になった。 (2)国際的な紛争の解決と選挙支援 東西間の緊張の緩和とソ連の国連重視の外交政策への転換によって25、国際紛争の調停・ 周旋活動に J・P・デクエヤル国連事務総長が重要な役割を果たすようになり、1980 年代後 半より平和・安全保障の分野での国連の活動は活発になっていった26。紛争解決の過程で、 対立していた紛争当事者間の和解の手段として、国連の使節団(あるいはその一部)によ る監視のもと、民主的な政府を樹立するための選挙が実施された。 まず、中米和平プロセスにおけるニカラグアへの支援が、独立国に対して国連がはじめ て行った選挙支援の例となった。その支援は、民主化の過程からいうと、民主主義体制へ の移行の段階(準備段階、決定段階、最初の選挙の実施)すべてに関わるものであった。 ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラ等の中米諸国では、長らく冷戦の影響を受けて、 国際的な関与を伴う内戦が続いた27。しかし、1980 年代半ばには、東西の緊張の緩和によ って、ラテンアメリカ諸国による地域全体の包括的な和平の模索が行われ、国連のデクエ 97 ヤル事務総長と米州機構(OAS)による調停努力もあり、87 年 8 月 5 日にニカラグアを含 めた中米諸国は「中米の確固とした永続的な平和の確立のための手順」(通称エスキプラス Ⅱ)を締結した。その協定の中で、国民和解のために、武装解除のほか、民主化と自由で 複数主義的かつ公正な選挙を実施することが定められた。紆余曲折を経た後、89 年 2 月 14 日のコスタデソル宣言で、中米諸国によってエスキプラスⅡが再確認され、ニカラグアで 民主的な選挙を実施するための具体的タイムテーブルと、国際的な選挙監視を国連、OAS 等に求めることが定められた。これを受けてニカラグア政府は、89 年 3 月 3 日に選挙プロ セスの監視を行う監視グループの設置をデクエヤル国連事務総長に正式に要請した。 デクエヤル事務総長自身は、国連による選挙監視に関して、内政不干渉の原則に抵触す る恐れがあるとして、もともと消極的であった。しかし、この要請を受けた際、中米和平 プロセスに関わるもので特別の要素があるとして、前年に採択された総会決議 43/24 に基 づいて、89 年 7 月に「ニカラグアにおける選挙過程を検証するための国連選挙監視使節団」 (ONUVEN)を設立した28。ただし、デクエヤル事務総長は同時に、「国連がこの要請に合 意するとしても、何ら確立された慣行(practice)とはならないし、これからの要請にとっ ての先例ともならないだろう」として、今回の選挙監視が、国連にとっては国際的な和平 に関わる特別なものであり、国連の選挙支援が一般化しないことも強調した29。90 年 2 月、 ONUVEN や OAS の監視団などによる国際的な選挙監視のもと選挙が実施された。国連は、 総会決議 45/15 で、今回の選挙がおおむね自由で公正であったという結論を下した30。 ニカラグアと同様、国際的な紛争の解決の文脈で行われた選挙監視は、1992 年のアンゴ ラ31、93 年のカンボジア32 と続いていく。また、ニカラグアと時を同じくして、むしろ自 決権の行使の文脈ではあるが、国際的な平和にも関わるものとして、ナミビアでも、「国連 ナミビア独立支援グループ」(UNTAG)によって、1989 年 11 月に選挙の「監督」 (supervision)が実施された33。 1990 年 12 月には、ハイチで国連の支援のもと民主的選挙が実施された。これは国際的 な紛争解決に関わらないで、独立国に対し選挙支援が行われたはじめてのケースである。 ただし、その後の一般的な独立国への選挙支援と異なり、難民問題の解決等、民主的選挙 の実施が国際的な影響が理由とされている点で、依然として特別なケースとして扱われた34。 1990 年 3 月、まずハイチ政府は UNDP に対して選挙実施のための技術支援を要請し、 98 ただちに使節団が UNDP より派遣された35。このハイチのケースが UNDP による本格的な 最初の技術支援である36。ところで、ハイチにおける民主的な選挙の実施の試みは、既に 87 年にも行われたが、そのときは激しい選挙妨害のため失敗に終わっている37。そこで、 90 年 7 月には、国際社会のプレゼンスによってそのような選挙妨害をなくすため、ハイチ 政府は国連に選挙監視員の派遣を正式に要請した38。しかし、国連においては、国際的な紛 争とは直接関わりのない、しかし治安要員の派遣を伴うハイチへの選挙支援について、そ の決定権の所在が安保理にあるのか総会にあるのかが議論になった39。これは、米国が主導 権を握る安保理による選挙監視の決定が、今後も政治的な内政干渉の道具として利用され るのではないかという、ラテンアメリカ諸国や中国など発展途上国の警戒によるものであ った40。8 月と 9 月に、ハイチ政府は事務総長に再度要請し、中国が安保理での拒否権の行 使を示唆したこともあり41、10 月になって、ハイチへの選挙支援は国際的な平和・安全保 障と関係のないものとして、ようやく総会で決議 45/2 が採択された。決議に基づいて、「ハ イチにおける選挙を検証するための国連選挙監視団」(ONUVEH)が設立され、12 月に選 挙が実施された。ONUVEH は OAS とともに選挙を監視し、国連総会は、総会決議 45/257 A でその成功を歓迎した。 以上のように、脱植民地化に次ぐ国連の選挙支援は、冷戦の緊張緩和の中で、国際的な 紛争の解決あるいは国際的な側面を有する特別なケースとして実施された。それにもかか わらず、これらの選挙支援の実施は、その後の選挙支援活動が形成されていく上で、以下 の点で重要であった。第 1 に、いまだ特殊な文脈ではあるものの、それまで内政事項とさ れた独立国の選挙に国連が参加できるという前例ができた。第 2 に、ニカラグアやハイチ 等の実績により、国連の選挙支援は、国連の創設の目的である国際的な平和・安全保障に 実際に貢献するものであるという認識ができ、その後の国連の選挙支援を正当化する根拠 の一つとなった42。第 3 に、脱植民地化での選挙監督と同様、支援が実施されていく中で「自 由で公正な選挙」の規範の内容が明確となり、国際的な規範としての選挙原則の正当性を高 めた。第 4 に、選挙支援についての技術が国連内部に積み重ねられた。それらとは別に留 意すべきことは、ニカラグアやハイチでの国連の選挙支援では、公正で自由な選挙が行わ れることそのものに重点が置かれており、支援は、技術支援よりも、国連自身が選挙監視 団を派遣してその選挙の正当性を判断する選挙の監視活動がメインであったことである。 99 5 国連の選挙支援活動の一般化・制度化と変化 紛争解決、あるいは国際的な側面を有する個別のケースにおいて選挙支援が行われてい く一方で、国連の選挙支援活動をすべての加盟国に行う一般化と、そのための制度を作る 制度化の動きも始まった。既に、1948 年の世界人権宣言の第 21 条に「定期的で真正な選 挙」に関する規定が存在し、また 66 年に採択され 76 年に発効した「市民的及び政治的権 利に関する国際規約」(以下、B 人権規約)の第 25 条においても、同様に真正な選挙へ参 加する権利に関する規定が存在する43。国連の選挙支援活動の一般化・制度化は、直接的に 民主化への支援を目的としたわけではなく、人権の分野におけるこれらの参政権に関する 規定の実施を促進するという形で行われた。すなわち、人権問題を扱う総会第 3 委員会を 中心に議論が行われ、88 年よりほぼ毎年採択される「定期的かつ真正な選挙原則の実効性 の 向 上 」( Enhancing the effectiveness of the principle of periodic and genuine elections)(以下、「選挙原則」)と題される決議と、それを受けて 91 年よりほぼ毎年、事 務総長から同タイトルの報告書が提出されるという過程を繰り返すことで、その一般化・ 制度化が行われた44。 この選挙支援の一般化・制度化の過程で特徴的なことは、その他の分野では国連に必ず しも協力的とは言えないアメリカが、デモクラシーは推進すべき価値であるという認識か ら45、国連の選挙支援活動の一般化・制度化に関しては、積極的にリーダーシップを発揮し 続けたことである。他方で、このアメリカのリーダーシップは、レーガン政権下で中南米 等に「民主化」支援の名を借りた内政干渉を行ってきたこともあり46、総会で多数を占める 多くの途上国をいっそう警戒させた。そのため、選挙支援の制度化を支持する国々は、総 会での議決の過程で一定の妥協をせざるをえなくなった。 (1)選挙支援活動の制度化 1988 年に、総会第 3 委員会で、アメリカによって「選挙原則」決議案がだされ、総会本 会議においてコンセンサスで決議 43/146 が採択された。しかし、この決議では、一党支配 100 体制や権威主義体制をとる加盟国が依然多いこともあり、国連による選挙支援が内政干渉 につながるのではないかと恐れる加盟国が多く47、世界人権宣言や B 人権規約における参政 権の規定を改めて確認するだけのものとなった。翌年 5 月、この決議を受けて、国連人権 委員会は先の決議と同タイトルの決議 1989/51 を採択した48。そこでは、将来の努力の枠組 みとして、普通選挙権や集会・結社、言論の自由などが挙げられ、また、国際的な協力と して、国連などの国際機関からの選挙監視団や技術的な助言の提供が求められた。しかし 同時に、特定の政治システムは存在しないことも明記された。この決議も、国連の選挙支 援活動の制度化に関して具体的に規定しないものであった。 1989 年の総会でも再び「選挙原則」が取り上げられた。しかし、決議に至る議論におい て、中国が特定の選挙システムの押し付けは内政干渉であると主張するなど49、特定の政治 体制を押し付けられるのではないかという警戒が依然強くあった50。このような反発や警戒 に対して、決議案を提出したアメリカは、単一の政治システムや選挙方法は存在しないと いう規定(前文 7 項)や、選挙原則の実効性を向上するための国際社会による努力が独自 の政治的システムを選ぶ各国の主権を脅かすべきではないとする規定(4、5 項)を修正で 挿入するなどの妥協を行い51、決議 44/146 がコンセンサスで採択された。しかし、具体的 な選挙支援活動の制度化に関する言及はやはり織り込まれなかった。 同じ総会では、「選挙原則」決議における主権尊重の規定の存在にもかかわらず、中国や キューバらの主導で「選挙プロセスにおける国家主権及び諸国の国内事項への不干渉の原 則の尊重」という決議 44/147 も採択された。この決議では、内政不干渉の原則を規定した 憲章 2 条 7 項が強調されている。以降、ほぼ同内容の決議が、「選挙原則」決議の採択にあ わせて採択されている52。 翌 1990 年は、先にも述べたように、ヒューストン・サミットにおいて、西側先進国の間 でデモクラシーの理念が国際的に重要なものとして確認された年である。国連においても 選挙支援の制度化に向けた動きが見られた。まず、この年の総会本会議において、アメリ カのブッシュ大統領が、専門家から構成される「選挙委員会」によって補佐される選挙支 援に関するコーディネーターの設立を提案した。同会期の「選挙原則」の決議案において も、アメリカは当初、選挙に関する特別コーディネーターの設置を盛り込んでいた53。しか し、そのような制度化・一般化への動きに対して、国連の選挙支援活動は脱植民地化や国 101 際紛争の解決の文脈に伴う例外的なものであるとして、やはり多くの諸国が反発した54。そ のため、最終的な決議 45/150 では、具体的な制度化に関しての規定は織り込まれず、その かわりに事務総長に対し、この件に関して加盟国の意見を徴集することと(10 項)、事務総 長自身がこれまでの選挙監視の経験から発見したことを次の総会に報告することが求めら れる(11 項)にとどまった。 デクエヤル事務総長自身も、国連の選挙支援活動の一般化に対しては依然として慎重で あった。例えば、エルサルバドル大統領からの国連による選挙監視の要請に対して、アメ リカ、ソ連ともに積極的であったにも関わらず、「国連は原則的に国内管轄事項である選挙 プロセスには干渉しない」と返答した55。支援する場合は、国際平和の促進といった国際的 な側面を持っていることと、当事者が合意していること、全過程に参加することが条件で あり、エルサルバドルは政情が不安定で、先の条件を満たし得ないとして、支援を拒否し た56。90 年のルーマニアからの支援の要請も、権限がないとして拒否した57。このように、 この段階では、デクエヤル事務総長と途上国の多くは、選挙支援活動の一般化・制度化に対 して消極的であった58。 前年の決議を受けて、1991 年 11 月には、国連の選挙支援に関するはじめての体系的な 研究として、事務総長より「選挙原則」に関する報告書が総会に提出された59。この報告書 は、事務局によって集められた加盟国の国連の選挙支援活動に対する意見を元にしている。 この報告書自体は選挙支援活動に依然慎重な姿勢を示したものであるが、これを契機に、 急速に国連の選挙支援の制度化・一般化が進められることとなった。 上 記 の 報 告 書 で は 、 国 連 の 選 挙 へ の 関 わ り に つ い て 、「 選 挙 検 証 」( electoral verification)と「選挙支援」(electoral assistance)に分類された60。前者は、国連自体が 派遣する監視員のプレゼンスを伴うもので、ナミビアや西サハラへの支援も含めた脱植民 地化での選挙の「監督」 (supervision)や「監視」(observation)と、ニカラグアとハイチ における選挙の「検証」 (verification)が含められた。後者は、多様な技術的、助言的サー ビスの提供を含むが、前者のような選挙の検証の機能を伴わないものである。それは、人 権センターや、事務局内の開発技術協力局、UNDP によって提供されてきた。また、選挙 検証について、それまでの経験より導かれたこととして、平和的な環境、十分な準備期間、 準備チームの派遣、総会・安保理等の承認の要らない技術支援の先行の必要性が挙げられ 102 た。 また、今後のあり方に関して、多くの加盟国の意見は、国連の選挙への更なる関与は望 ましいが、同時に、内政干渉の危険性が強い「選挙検証」は例外的な活動であるべきであ るとしているとまとめ、その意見について事務総長も賛成であるとした。制度作りに関し て報告書では、国連の選挙支援活動の「フォーカル・ポイント」(focal point)となる高級 官僚として「選挙事項のコーディネーター」の指名が提案された61。それは、選挙支援活動全 般に関わり、選挙支援の技術の「制度的記憶」 (institutional memory)を行い、小規模な スタッフによって補佐されるものである。選挙とデモクラシーの関係については、選挙そ のものはデモクラシーの一段階に過ぎず、民主化の強化にとって経済発展が不可欠である とされた62。国連の選挙支援活動が加盟国の民主化にどのように関わるのかについては、そ れ以上の検討はない。 この報告書を受けて、その年の総会では、事務総長の報告書で提言された「選挙コーデ ィネーター」の指名、新しい部局の創設や、自主的拠出からなる基金の設立が特に議論の 対象となった。それら国連の選挙支援の制度化への動きに対する反対が、これまで同様、 内政干渉を恐れる理由からなされた63。それ以外にも、当時の国連は、財政難から事務局の 部局の統廃合など行財政改革が焦眉であったが64、その観点から新しいポストや部局の創設 に反対する国もあった65。基金の設立についても、日本やドイツ、スウェーデンが反対した。 このような反対に対して、アメリカも、事務総長のコーディネーターの指名には賛成する 一方で、新しいオフィスの創設は必要ないとした66。 結局、最終的に採択された決議 46/137 では、「国連による選挙検証は例外的な活動であ るべき」(前文 11 項)されつつ、事務総長によるフォーカル・ポイントの指名(9 項)は認 められた。ただし、この指名は現行の制度(アレンジメント)に取って代わったり、特定 の制度に偏ったりするものではないとされた(10 項)。決議は、自主的基金の創設も事務総 長に求め(13 項)、さらに、地域的機関、NGO との協力を確認した(15、16 項)。最後に、 事務総長に詳細な選挙支援に関するガイドラインを次の総会までに提出するよう求めた。 この年の一連の報告書と決議を通じて、その後の国連の選挙支援に一貫する基本的な分 類ができあがったといえる67。すなわち、一方で、条件が厳しく例外的で、総会や安保理の 授権が必要であり、大規模な使節団を伴い、選挙の監視を行って選挙の正当性を国連自身 103 が判断するために、国連自身の信頼性に関わる、いわば「政治的な」選挙支援の制度が存 在する。他方で、特別な授権が必要ではなく、国連は選挙自体については監視しない「非 政治的」な選挙支援ができた。同時に、議論の過程でもみられたように大規模な選挙監視 に対して不安を抱く途上国は依然多く、また国連の財政危機という状況もあり、国連の選 挙支援活動は、反対が少なく経済的な「非政治的」な支援が好まれるという方向性がここ で現れることとなった。 1992 年 1 月、デクエヤルに代わって B・ブトロス=ガリが事務総長に就任した。ブトロ ス=ガリは、同年 6 月に出された「平和への課題」や 9 月の年次報告書で民主主義(体制) の重要性と国連の関与を述べるなど、国連の民主化への支援に関して積極的であり68、選挙 支援活動の制度化も積極的に進めていった。まず、前年の決議を受けて、事務総長は、政 治問題局の事務次長をフォーカル・ポイントとして指名し、選挙支援活動全般を管轄させ た69。4 月には、後に述べるように決議の授権があるがどうか疑わしいとされたものの、そ れを補助するものとして事務局の政治問題局内に「選挙支援ユニット」(the Electoral Assistance Unit)を新設した70。8 月には、選挙支援の財源の一部として、「国連選挙監視 信託基金」(the United Nations Trust Fund for Electoral Observation)が設立され、 UNDP でも「選挙プロセスへの技術支援のための信託基金」(Trust Fund for Technical Electoral Processes)が設立された71。 このように選挙支援のための制度が整えられたことと、いっそう世界的な民主化への流 れが進んだことによって、国連に選挙支援を求める国は大幅に増加することとなった。前 年の総会の開始時期まで国連に対して 5 つの要求しかなかったのに対し、1992 年の 10 月 までの 1 年間では 31 ケースにまで増大した72。 1992 年 11 月には、先の報告書での選挙支援の分類をより精緻化した類型を含む、選挙 支援のガイドラインが提示された73。以後、多少の変化はあったものの、基本的にはその内 容が、その後の選挙支援活動の骨格となった74。 まず、カンボジアで行われた選挙過程の(A)「組織化と実施」(organization and conduct of an electoral process)と、脱植民地化の過程で行われた形態である選挙過程の (B)「監督」(supervision)、ニカラグア、ハイチで行われた形態である(C)「検証」 (verification)がある。これらでは、有権者の登録から、投票後の結果までの全ての選挙 104 プロセスについて立ち会って検証を行う。これらの実施には、(a)状況が明確な国際的次 元を有していること、(b)モニターは選挙プロセス全体をカバーすべきであること、(c) より広い国内の公的・政治的支持と、関係する政府からの特定の要求があること、(d)(総 会、安保理等の)権限を持った国連の機関から授権されること、以上が条件とされた75。し かし、以上のうち、(c)政府の要求の条件は絶対不可欠であるものの、他の3つの条件は必 ず揃うとは限られず、「国連が民主化の諸過程に最も効果的に貢献するためには、より柔軟 性が必要」76なので、以下のタイプの選挙支援が過去の経験より提示された。 (D)「監視」(observation)(又は「フォローと報告」(follow and report))は、各国に 滞在する国連システム全体の常駐調整官(a resident coordinator)(多くは UNDP の常駐 代表(a resident representative)が兼任)が、実施された選挙について事務総長に簡単な報 告をするものである。その他のタイプの支援が準備時間の不足等で行えない時に、国連の 存在を示すために行われる。しかし、この支援のタイプは、選挙の正当性を完全に保障し 得るものではなく、むしろ国連の信頼へのリスクが伴うとして事務局自身の評価は低く77、 実際、このタイプの選挙支援は次第に行われなくなり、要求そのものが拒否されることが 多くなった78。 (E)「国際的な監視員の調整と支援」 (coordination and support for international observers)は、国連ボランティア(UNV)や国際的 NGO などと協力して、国際的に選挙 の監視員の募集や調整を行うものである。経済的に効率的で効果的として、一貫して報告 書での評価が高い79。1994 年にメキシコで行われた「国内の選挙監視員への支援」(support for national observers)をこの分類から分ける場合もある80。 (F)「技術支援」(technical assistance)は、選挙支援ユニットのみならず、事務局内 の経済社会開発局(現、経済社会問題局)や UNDP、人権センター(現、国連人権高等弁 務官事務所)によっても行われる81。選挙法の改正への助言から、投票箱の提供まで多岐に わたる。 以上の分類は、先に述べた「政治的」選挙支援と「非政治的」選挙支援に大きく分ける ことができる。(A)から(D)までが「政治的」選挙支援にあたり、(D)から(F)までは、 安保理や総会等の承認が不要な「非政治的」選挙支援になる。安保理や総会等の授権の必 要とかかる費用以外の重要な両者の違いは、選挙後、国連としてその選挙の評価について 105 公式の声明を出すか否かである。「政治的」な選挙支援では、国連自前の選挙監視団を派遣 し、選挙の終了後にその選挙が自由で公正であったかどうかの判断を行う。この判断は、 国際社会における国連自身の中立性や信頼に関わる問題であり、国連としては支援を慎重 に行わなければならない82。そのため、「政治的」選挙支援では、基本的に全ての選挙過程 への国連の監視を求める。他方、「非政治的」な選挙支援については、例えば「国際的監視 員の調整と支援」ではその判断は監視員を出した各団体に委ねられるなど、「国連として の」選挙の正当性の判断はなされない83。万一、選挙の自由と公正さを保証するために必要 な時間や権限が得られないときは、支援を拒否するか、「非政治的」な選挙支援に支援を限 定する。この違いは、国連が関わった選挙後のフォローの問題でも重要となる。すなわち 国連の公式の表明によって選挙結果の正当性が認定された場合、国連は、選挙結果の承認 とそれに基づく政権の樹立を全ての当事者に求め、万一、1991 年のハイチや 93 年のアン ゴラのように当事者の一部が結果を認めず政権の転覆を試みる事態が生じたときには、国 連としての対応が求められることとなる84。以上のような政治的な負担の違いが、国連が選 挙支援を「非政治的」なものに重点を置き、「政治的」選挙支援について消極的となる理由 の一つとなった。この傾向は、その後の民主化支援活動の方向性に大きな影響を及ぼした。 1992 年の末の総会では、以上の制度化の進展を記載した報告書をもとに議論がなされた が85、依然として多くの加盟国が国連の選挙支援の制度化・一般化に対して懸念を表明した。 まず、選挙支援ユニットの設立について、前年の決議で委任された権限を越えているので はないかという疑念が提示された86。また、提示されたガイドラインや設立された基金につ いても懸念が示された。しかし、結局、採択された決議 47/138 では、選挙支援ユニット、 基金の設立、ガイドラインのいずれも認められることとなった。 以上のように、1992 年には、アメリカの後押しを受けたブトロス=ガリ事務総長が、そ もそも内政干渉に不安を抱く途上国のみならず、その性急さに懸念を抱く一部の西側先進 国さえも押し切って、選挙支援の制度化を急速に進めていった。ここまでの段階で、フォ ーカル・ポイントの指名や選挙支援ユニット、信託基金といった国連の選挙支援活動を受 け持つハード面と、ガイドラインといったソフト面の双方が整えられ、国連の選挙支援活 動の一般化・制度化がほぼ完成することとなった87。しかし、同時に、国連にとって政治的 なリスクが少なく、要する費用も低い「非政治的」な選挙支援に重点が置かれる傾向も現 106 れることとなった。 (2)民主化支援としての位置付けと長期的な支援へ 以上述べてきたように、国連の選挙支援活動の急速な発達は、冷戦の終結に伴う国際的 な平和・安全保障の活動から始まった。しかし他方で、そもそも「選挙原則」の議題が人 権を扱う総会第 3 委員会で取り上げられ、支援の法的根拠を世界人権宣言や B 人権規約に 置くなど、人権分野の活動とのつながりもそもそも深い88。1993 年 6 月、総会決議 44/155 に基づいて、ウィーンで世界人権会議が開かれ、ウィーン宣言とその行動計画が採択され た89。そこでは、デモクラシーの理念が、発展や基本的自由と共に国連憲章に記された原理 として国際的に確認され、国連も含めた国際社会に、それらの原理を推進するためへのさ らなる支援が求められた90。このウィーン宣言以降、国連の選挙支援活動は、これまでの脱 植民地化や国際紛争の解決の文脈だけでなく、広く人権や発展、さらに民主化の一環とし ての位置付けが明確になっていった91。 その一方で、多くの国家が、最初の競合的な選挙が実施されて数年が経つ中で、経済的 な困難や政治的な不安定に陥り、人々の間では一時期の自由民主主義(体制)への楽観的 な気分は失せ、デモクラシーへの幻滅とその普遍性への疑念が生じつつあった。 以上の状況から、国連の選挙支援活動にも変化が生じた。すなわち選挙後の支援、広く 民主主義体制の定着への支援が注目されるようになった。1993 年 12 月に提出された事務 総長の報告書では、選挙後の民主化プロセスを定着させるために、民主的社会・政府を支 える諸制度の創設と定着・強化を含めたプログラムの実施が必要であり、選挙の実施その ものに限られない長期的かつ包括的な支援の必要性が認識された92。特に、選挙の実施を外 部からの支援に依存しないような選挙実施機関の制度化と定着・強化へ支援することが強 調された。しかし他方で、90 年の国連による選挙監視後、翌年のクーデターによって民主 政府が転覆したハイチや93、選挙結果を元の反政府勢力が受け入れなかったアンゴラに対し て94、国際社会や国連が強制措置を伴う対応を行ったことについては、例外的な事例とされ た95。このように、国連が支援した選挙の後も総会や安保理による勧告・制裁も含めてその 民主的な政権を支えることについては、一般化・制度化する方向へとは向かわなかった。 107 この報告書を受けて、キューバなど依然国連の選挙支援活動の拡大に反対する加盟国が あったものの96、1993 年の総会では決議 48/131 が賛成多数で採択された。決議では、まず、 ウィーン宣言とその行動計画の求めに応じることが確認された(前文 1 項)。その上で、「国 連は、支援を求める加盟国の民主化プロセスの持続と定着・強化を確保するために、選挙 の前後に支援を提供する」とし、加盟国からの支援の要求後に選挙支援ユニットよりどの ような援助が適切か判断するために派遣される「必要評価使節団」(need-assessment mission)が民主化プロセスの定着・強化に役立つ選挙後のプログラムも推奨することが求 められた(4 項) 。このように、1993 年の決議以降、選挙は民主化の一過程として明確に位 置付けられ、同時に、最初の競合的選挙の実施段階のみならず、民主化の定着の段階も視 野に入れた長期的な支援が重視されるようになった。 1994 年初頭には、選挙支援ユニットは、「選挙支援部」(the Electoral Assistance Division)と改称され、政治問題局から平和維持活動局へと移された。同時にフォーカル・ ポイントも政治問題担当事務次長から平和維持活動担当事務次長へと移され、同事務次長 であるコフィ・アナン(Kofi Annan)が指名された97。この改編について、事務総長は、 選挙支援分野での選挙支援部と平和維持活動局との協力関係を強めるためであるとして98、 依然、国際紛争の解決の文脈での選挙支援の役割を重視していることを示した。しかし、 ソマリアや旧ユーゴスラビアでの失敗によって99、国連の平和維持活動は縮小を余儀なくさ れる中、結局、選挙支援部は 95 年 7 月にもとの政治問題局へと戻された100。また、それら ソマリアや旧ユーゴスラビアでの失敗は、国連の軍事介入による「デモクラシーの拡大」 を考えていたクリントン政権の方針転換を招き101、国連の選挙支援活動は、いっそう監視 団の調整や技術支援による「非政治的」な支援に重点が置かれることとなった。 民主化の定着段階を視野に入れた長期的な支援と、「非政治的」な支援の重視への流れは、 UNDP の役割をいっそう増大させた。当時、UNDP など国際的な経済援助に関わる機関は、 「ガバナンス」や「グッド・ガバナンス」の考えを唱え始めていたが102、国連の選挙支援 活動にもそれらの概念が反映されるようになった。すなわち、長期的に安定して選挙を実 施し得る選挙機関の構築という、ガバナンス=政府の統治能力を向上させるための技術的 な支援に重点が置かれるようになったのである103。選挙支援活動に長期的な視点が組み込 まれ、選挙支援自体が民主化支援の一部として明確に位置付けられるというこのような変 108 化は、後に述べる 94 年 7 月に開催された民主化支援に関する国際会議とそれに対する国連 の対応と連動したものでもある。 1994 年 11 月に提出された報告書でも、ガバナンスを重視する傾向が明確に現れた104。 民主主義体制の定着はあいまいで支援が難しく、選挙支援部の選挙後の支援活動は、選挙 機関を発達させるための支援などへ注意深く活動を限定するべきとされた。また報告書は、 選挙支援の究極の目的は自体が必要でなくなることであり、「国連は、選挙と民主主義体制 への移行への圧力がなくなり、注意がグッド・ガバナンスの長期的な問題へと向かうこと を望むつもりである」とした105。さらに、同報告書の附属文書では 92 年のガイドラインが 一部修正され、「選挙後の支援」の項目が加えられたが、そこでは選挙支援部がグッド・ガ バナンスのためのプログラムを用意しつつあることが述べられた106。同年 12 月には、「選 挙原則」決議 49/190 が、題名を「定期的かつ真正な選挙原則の実効性の向上と民主化の促 進における国連の役割の強化」に改名された上で、ほとんど反対のないまま採択された。そ こにおいても、公務員改革やガバナンスのための UNDP による支援が推奨された(7 項)。 翌 95 年 11 月の報告書でも同様である107。将来の活動の見通しについて、同報告書は、 同年までには多くの国が最低 1 回の選挙を経験し、政府の既存の能力への支援とその強化 を目指した特定されたタイプの支援の需要へと移行しつつあり、このタイプの支援の要求 が増加していることは、選挙支援における新しい「第 2 世代の」段階の始まりのシグナルで あるとした108。同年以降、「選挙原則」に関する討議は 2 年に 1 度となり、97 年の報告書109 と決議 52/129、1999 年の報告書110と決議 54/173 でも内容にはほとんど変化がなくなった。 以後、基本的に変化はないものの、2001 年 10 月に提出された「選挙原則」報告書では、 支援の実情から、選挙支援の段階にあわせて、「専門家助言サービス」(expert advisory services)の実施、「必要評価使節団」の派遣、「選挙の監視とモニタリング」、「過程への支 援 」( process assistance )、「 能 力 構 築 」( capacity-building )、「 制 度 構 築 」 (institution-building)「システムの建築」(system architecture)という 7 つの活動へと 整理が行われた111。その内容については、他の民主化支援活動とともに第 6 章でまとめる。 さらに、同報告書では、かねてより問題とされてきた国連事務局内の政治問題局と UNDP との間で選挙支援活動の役割分担と調整について 2001 年 1 月に両者の間で拘束力のある覚 え書が締結されたことと、その内容が記載された112。 109 6 小括 脱植民地化過程における選挙監督に続き、平和・安全保障活動の一環として特別な形で 始まった国連の選挙支援活動は、事務総長及びアメリカ(及びその関係諸国)のリーダー シップと、民主化支援への加盟国の要求の増大によって一般化され、制度的な枠組を備え ていった。しかし他方で、依然として内政干渉を警戒する途上国への配慮と、関与した選 挙のフォローアップの問題及び、国連の財政難及び平和維持活動の縮小によって、国連の 選挙支援活動は、自前による大規模な選挙監視団の派遣よりも、国際的な選挙監視員の派 遣と受け入れの調整や技術支援に重点が置かれることとなった。ウィーン人権宣言の採択 以後は、選挙支援活動は、人権の促進としての側面と共に広く民主化支援の一手段として 明確に位置付けられるようになった。同時に、1994 年に 92 年の選挙支援のガイドライン に「選挙後の支援」の項目が加えられたことに象徴されるように、民主化の定着段階も視 野に入れたより長期的な選挙の実施能力の向上、すなわち選挙機関の定着・強化という政 府のガバナンス能力の向上に支援の重点が置かれることとなった113。 それでは、国連において選挙支援活動が「民主化」支援活動の一部と位置付けられたな らば、国連にとって「民主化」とは何で、最終的な目標としての「デモクラシー」どのよ うな内容であろうか。その基本的な方向性は、選挙支援活動の形成過程において既に現れ ている。しかし、さらに正確にその方向を理解するためには、「選挙原則」とは別に、1994 年の国際会議を受けて総会で議題となり、以後毎年採択されるようになった「新しい、ある いは回復された民主主義体制を促進し定着・強化させる政府の努力への国連システムによ る支援」(Support by the United Nations system for the efforts of Government to promote and consolidate new or restored democracies)に関する諸決議と、それに応えて 事務総長が提出してきた報告書を中心に、国連の民主化支援活動の形成過程全体をみる必 要がある。それを次章で検討したい。 1 国際機構の活動の実効性と正当性の関係について、城山英明「国際統治の実効性と正当性」 井上達夫、島津格、松浦好治編『法の臨界Ⅱ秩序像の転換』東京大学出版会、2000 年、51-71 頁参照。 2 国家間の不平等の是正をめぐる動きについて、磯崎博司「新国際秩序と平等(一)」 『法学 110 会雑誌』第 21 巻、第 1 号、1980 年、63-136 頁参照。 3 以下、杉浦功一「国際機構研究の諸アプローチに関する一考察」 『国際研究論叢』第 16 巻第 2 号、2003 年、221-235 頁を参照のこと。国際機構への諸アプローチの分類について、 Archer, Clive, International organizations, 3rd (ed.) London; New York: Routledge, 2001, ch.4;Cox, Robert W., “Multilateralism and world order”, Review of International Studies, 18, 1992, pp.161-180;Jacobson, Harold K., Networks of Interdependence: International Organizations and the Global Political System, 2nd ed. New York: Knopf, 1984, ch.4;Taylor, Paul, “Prescribing for the reform of international organization: the logic of arguments for change”, Review of International Studies, Vo.13, No.1, 1987, pp.19-38;最上敏樹『国際機構論』東京大学出版会、1996 年、7 章も参照。また、国際機 構研究は、国際制度の一つとして国際レジームへのアプローチと共通する部分が多い。国 際レジームへの諸アプローチも参照のこと。See, Hasenclever, Andreas, Peter Mayer and Volker Rittberger, Theories of international regimes. Cambridge: Cambridge University Press, 1997. 4 Center for Human Rights, Human Rights and Elections, New York and Geneva: United Nation, 1994, p.1. 5 脱植民地化の過程での選挙の監視・支援では、 「監督」の語が多く使われてきた。 6 See, Wambaugh, Sarah, Plebiscites Since the World War, Washington, 1933;Fox, Gregory H., “The Right to Political Participation in International Law”, Yale Journal of International Law, Vol.17, No.2, 1992, pp.571-572;桐山孝信『民主主義の国際法』有斐 閣、2001 年、1 章。 7 家正治「非植民地化と住民意思」香西他編『国際法の新展開』東信堂、1989 年、189 頁。 8 El-Ayouty, Yassin, The United Nations and Decolonization: The Role of Afro-Asia, Hague: Martinus Nijhoff, 1971. 9 Kay, David A., “The Politics of Decolonization: The New Nations and the United Nations Political Process”, International Organization, Vol.21, No.4, 1976, pp.786-811. 10 家正治『非自治地域制度の展開』神戸市外国語大学研究所、1974 年、115-132 頁;家、 1989 年、前掲、208-211 頁。 11 具体的な実施の過程について、United Nations Department of Political Affairs, Decolonization, No.19, December 1983, p.11 参照。 12 監督が行われた人民(住民)投票の一覧については、U.N.Doc.A/46/609, ANNEX 参照。 13 United Nations Department of Political Affairs, op.cit., pp.2-3. 14 Franck, Thomas M., Fairness in International Law and Institutions, Clarendon Press, Oxford, 1995, p.92. 15 家、1989 年、前掲、197 頁;松井芳郎「友好関係宣言と自決権の普遍的適用」香西他編、 前掲、172 頁;Gassama, Ibrahim J., “Safeguarding the Democratic Entitlement: A Proposal for United Nations Involvement in National Politics”, Cornell International Law Journal, Vol.30, No.2, 1997, pp.301-307. 16 桐山、2001 年、前掲、序章及び 18 頁参照。 17 Franck, Thomas M., “The Emerging Right to Democratic Governance”, American Journal of International Law, Vol.86, No.1, 1992, p., 69;Franck, 1995, op.cit., pp.92-93;Fox, Gregory H., “The Right to Political Participation in International Law”, Yale Journal of International Law, Vol.17, No.2, 1992, pp.570-579;桐山、2001 年、前掲、 第 1 章。 18 宣言の邦訳は『世界週報』1990 年 8 月 14 日号を参照。 19 Fukuyama, Francis, The end of history and the last man, New York: Free Press, Toronto: Maxwell Macmillan Canada, 1992(渡部昇一訳『歴史の終わり(上)(下)』三笠書 房、1992 年) ;桐山孝信「冷戦終結と新国際秩序の模索-「人権・民主主義・市場経済」宣揚 111 のイデオロギー-」『外国語研究』第 32 号、1995 年、1-16 頁参照。 20 Fox, op.cit., p.543;Theuremann, Engelbert, “Legitimizing Governments through International Verification: The Role of the United Nations”, Austrian Journal of Public and International Law, Vol.49, 1995, pp.135-137. 21 下村恭民・中川淳司・齊藤淳『ODA 大綱の政治経済学-運用と援助理念』有斐閣、1999 年、第 1 章参照。 22 See also U.N.Doc.A/46/609, para.58. 23 Barnett, Michael N., “Bringing in the New World Order: Liberalism, Legitimacy and the United Nations”, World Politics, 49, 1997, pp.526-551. 24 例外はパナマ海峡条約に基づくパナマでの住民投票への検証(verification)である。See, U.N.Doc.A/32/424;U.N.Doc.A/46/609, para 25. 25 ソ連の対国連政策の転換については、 吉川元「ソ連の対国際連合政策の転換」『国際問題』 No.365、1990 年、50-64 頁参照。 26 事務総長の周旋活動については、林司宣「国連事務総長に周旋活動(1)(2)」 『国際法外交 雑誌』第 90 巻第 1 号、1-29 頁;第 3 号、31-62 頁、1991 年参照。 27 以下、桐山、2001 年、前掲、149-166 頁参照。 28 De Cuéllar, Javier Pérez, Pilgrimage for Peace, London: Macmillan Press, 1997, pp.412-414. 29 事務総長からニカラグア大統領への書簡、U.N.Doc.A/44/210. 30 See U.N.Doc.A/46/609, para.33. 国連や OAS、NGO は、選挙についてその自由さと公 正さについて各自で評価を下した。OAS から派遣された選挙監視団について、Padilla, David and Elizabeth Houppert, “International Election Observing: Enhancing the Principle of Free and Fair Elections”, Emory International Law Review, Vol.7, No.1, 1993, pp.108-110 参照。 31 アンゴラにおける国連の選挙監視活動について、U.N.Doc.A/47/668, paras.37-41; Ottaway, Marina, “Angola’s Failed Elections”, in Krishna Kumar (ed.), Postconflict Elections, Democratization, and International Assistance. London: Lynne Rienner Publishers, pp.133-151;大芝亮『国際組織の政治経済学』有斐閣、1994 年、101-108 頁参 照。 32 カンボジアにおける選挙監視活動については、U.N.Doc.A/47/668, paras.28-36; U.N.Doc.A/48/590, paras.21-23;大芝亮、1994 年、前掲、61-72 頁参照。当時のカンボジ アでは選挙そのものの実施だけでなく、政党の結成への支援などより広い包括的な民主化 への支援が行われた。ただし、それらの民主化支援は、依然、紛争当事者間の合意に基づ いた個別のケースであり、国連の民主化支援活動の一般化を示すものとは言えない。 33 See U.N.Doc.A/46/609, paras.15-23;大芝、1994 年、前掲,72 頁以下参照。この選挙 支援はもともとナミビアの脱植民地化の過程に関わっているため、「監督」の語が使われた。 34 See, U.N.Doc.A/46/609, para.39. 35 ハイチへの選挙支援の大まかな事実過程について、U.N.Doc.A/46/870, pp.4-6. 36 U.N.Doc.A/46/609, para.54 参照。 37 翌 1988 年には軍隊の後押しによる選挙が行われたが、 同じ年のクーデターで選ばれた政 権は転覆した。クーデターで成立した政権に対し、アメリカが圧力をかけ、民主化へと再 び向うことになった。 38 大芝、1994 年、前掲、85-86 頁。 39 De Cuéllar, op.cit., pp.441-443;大芝、1994 年、前掲、87-88 頁。 40 同上、88 頁。 41 Franck, 1992, op.cit., p.81. 42 1995 年と 1996 年の事務総長の年次報告書で選挙支援は、「紛争後の平和の構築」 (post-conflict peace-building)のための手段として位置付けられた。See, Annual Report on 112 the work of the Organization 1995, paras.962-968;1996, paras.1099-1110. 43 人権委員会を中心とした参政権に関わる進展については、Center for Human Right, op.cit.参照。 44 桐山孝信「国際社会における「定期的かつ真正な選挙原則」の意義と国連によるその支援」 『神戸外大論叢』第 43 巻、第 6 号、1992 年、47-65 頁も参照。 45 例えば 1989 年の総会でのブッシュ大統領の演説、U.N.Doc.A/44/PV.4;また、USAID のホームページの戦略計画も参照、U.S. Agency for International Development (USAID), USAID Strategic Plan, [http://www.info.usaid.gov/pubs/strat_plan/index.html] 2000/04/19.。 46 アメリカ国内の人権推進団体からの指摘、 Carothers, Thomas, “Democracy and Human Rights: Policy Allies or Rivals?”, The Washington Quarterly, Vol.17, No.3, 1994, pp.109-120 参照。 47 例えば、ガーナや ザンビアの発言を参照。U.N.Doc.A/C.3/43/SR.57, paras.4 and 45. 48 U.N.Doc.E/1989/20, chap.Ⅱ, sect.A. 49 総会第 3 委員会での議論を参照、U.N.Doc.A/C.3/SR.41 and 48. 50 他にも、カメルーンは複数政党制を求めるような決議案の語句に反発した。 U.N.Doc.A/C.3/SR.54 and 59. 51 U.N.Doc.A/C.3/SR.56, 26 and 28. 52 総会決議 45/151;46/130;47/130;48/124;49/180;50/172;52/119;54/168。 See, also, U.N.Doc.A/48/425. 53 総会第 3 委員会におけるキューバ代表の発言より、U.N.Doc.A/C.3/45/SR.25. 54 例えば、キューバ、U.N.Doc.A/C.3/45/SR.42, para.91;コロンビア U.N.Doc.A/C.3/45/SR.61, para.5; 中国、ibid., para. 17;メキシコ、ibid., para.18;ニカラ グア、U.N.Doc.A/C.3/45/SR.62, para.4; ボリビア、ibid., para.62. 55 De Cuéllar, op.cit., p.426. 56 Ibid. Franck, 1992, op.cit., p.75. また、この年の総会では、1990 年 5 月に起きたビルマ(ミャンマー)での軍事クーデタ ーについて、「選挙原則」と同じ議題で取り上げられたが、断固たる姿勢をとることができ ないまま日本の提案で議論が先延ばしされた。U.N.Doc.A/C.3/45/SR.57, para.38. 59 U.N.DocA/46/609, Corr.1 and Add.1. 60 Ibid., paras.5-55. 61 Ibid., para.81. 62 Ibid., para.75 and 76. 63 例えば総会第 3 委員会における議論での、アルジェリア、U.N.Doc.A/C.3/46/SR.59, para.58;リビア、ibid.,para.60;コートジボアール、ibid., para.61;マレーシア、ibid., para.63;フィリピン、ibid., para.79 参照。 64 国連の財政難について、田所昌幸『国連財政-予算から見た国連の実態』有斐閣、1996 年、74-79 頁。行財政改革について、猪又忠徳「平和のための行政管理」『国際問題』No.404、 1993 年、50-74 頁を参照。 65 例えば、日本、ibid., para.71;ドイツ、ibid., para.76 参照。 66 Ibid., paras.5 and 7. 67 See U.N.Doc.A/47/668, paras.53-55. 同様に性質の違いを指摘するものとして、White, Nigel D., “The United Nations and Democracy Assistance: Developing Practice within a Constitutional Framework”, in Peter Burnell (ed.), Democracy Assistance: International Co-operation for Democratization, London: Frank Cass, 2000, pp. 80-83 参照。 68 例えば、Report of the Secretary-General, Agenda for Peace, 57 58 113 U.N.Doc.A/47/277-S/24111, 1992, para.81; Annual Report on the work of the Organization 1992, para.166. 69 U.N.Doc.A/47/668, para.9. 70 Ibid., para.10. 選挙支援ユニットの役割については、(a)援助国との情報交換やコーディ ネート、(b)専門家・コンサルタントのロスターの発展、(c)選挙に関するデータバンクや情 報システムの設立、(d)将来の活動に必要な人材を育てるためのハイレベルなトレーニング やワークショップの組織化、(e)選挙機関のネットワークをアフリカで作るのを支援するこ と、(f)実施のためのガイドライン等を発展させることが挙げられている。U.N.Doc.A/47/668, para.12. 71 Ibid., paras.19-21. 72 Ibid., para.3. 73 Guidelines for Member States considering the formulation of requests for electoral assistance, U.N.Doc.A/47/668/Add.1. 74 Ibid. の他に、U.N.Doc.A/49/675, ANNEX; U.N.Doc.A/50/332, paras.44-77;The Office of International Oversight Services, In-depth evaluation of the electoral assistance programme, U.N.Doc.E/AC.51/1999/3, 23 March 1999, paras.54-60 も参照。 75 U.N.Doc.A/47/668, para.53. 76 Ibid., para.59. 77 例えば 1993 年の報告書のコメントを参照。U.N.Doc.A/48/590, para.72 and 73. 78 このタイプは年々減り、97 年に 1 件行われて以降、98 年と 99 年は行われていない。ま た、拒否された要求の割合について、the Office of Oversight Service, op.cit., para.53 の表 を参照。1992 年に要求が何らかの形で受け入れられたのが 9 割であったのに対し、年々割 合が減り 1996 年以降は 5 割程度になる。 79 例えば、1992 年の報告書のコメント参照。U.N.Doc.A/47/668, para.62. 80 1994 年の報告書 U.N.Doc.A/49/675, paras.26-28 参照。 81 U.N.Doc.A/47/668, paras.48-52. 1991 年のハイチへの支援以前でも 76 年よりすでに少 数ながら UNDP によって行われていた。U.N.Doc.A/46/609, para. 53. 82 選挙監視における選挙の正当性の判断に伴う困難について、依田博『紛争社会と民主主 義』有斐閣、2000 年の OSCE のボスニア=ヘルツェゴビナ使節団の実例を参照。 83 U.N.Doc.A/47/668/Add.1, para.21. 84 例外としては、1993 年のブルンジへの対応がある。同年 6 月に行われた選挙では、国連 は技術支援と国際選挙監視団の調整をしただけであった。しかし、選挙後、10 月にクーデ タ―で大統領が殺害された際には、総会は決議を採択し、安保理は議長声明を行って、民 主的政権の転覆を非難し民主主義体制の復活を求めた。総会決議 48/17, 3 November 1993;U.N.Doc.S/PRST/26631, 25 October 1993. ただし、この背景には隣国ルワンダで既 に生じていた民族紛争があり、本書でも述べるように、このような国連の対応は一般的に はなっていない。なお、その後は、「民主主義の進歩を定着することは、民族的緊張の長期 的な解決に好ましい環境を作るのを助ける」として民主化を視野に入れながらも(人権委 員会決議 1994/86、前文)、激化する民族紛争と内戦の終結への対処に追われている。 85 U.N.Doc.A/47/668 and Corr.1. 86 例えば、総会第 3 委員会での議論での、キューバ、U.N.Doc.A/C.3/47/SR.58, para.13; フランス、ibid., para.15;中国、ibid., para.16;日本、ibid., para.25. 87 1992 年 10 月~93 年 9 月には、合計 36 カ国で選挙支援が行われ、うち「組織化と実施」 が 2 件(カンボジア、西サハラ)、「検証」が 4 件、コーディネートと支援が 9 件、「フォロー と報告」が 7 件、技術支援が 26 件であった(重複も含む) 。Annual Report on the Work of the Organization 1993, p.159. 88 人権の分野での選挙に関する規定や判例について、 Center for Human Right, op.cit.参照。 89 U.N.Doc.A/CONF.157/24. 114 90 同宣言及び行動計画では、「デモクラシー、発展、人権および基本的自由の尊重は、相互 に依存し、かつ補強し合うものである。デモクラシーは、自らの政治的、経済的、社会的 及び文化的体制を決定する、自由に表明された人民の意思、並びに生活のあらゆる側面へ の人民の完全な参加に基礎をおく。…(略)…国際共同体は、全世界におけるデモクラシ ー、発展、並びに人権及び基本的自由の尊重の強化及び促進を支持すべきである。」と規定 する(Ibid., Ⅰ, para.8)。さらに「世界人権会議は、その多くがアフリカにある後発途上国 であって民主化及び経済改革への取り組みを誓約した国が民主主義体制及び経済発展への 移行に成功するように、国際共同体が支援すべきことを確認する。」と規定する(Ibid., para.9)。訳は大沼保昭・藤田久一編『国際条約集』2000 年版を元にしているが、一部変更 している。See also, ibid., paras.66-77. 91 See Report on the Work of the Organization 1993, paras.2, 3 and 159. 92 U.N.Doc.A/48/590. 93 ハイチへの国際社会の対応については、二宮正人「国連の対ハイチ政策に関する一考察」 『外交時報』No.1306、1994 年、47-59 頁を参照。 94 アンゴラについては、Ottaway, Marina, “Angola’s Failed Elections”, in Kumar (ed.), op.cit., pp.133-151 参照。 95 U.N.Doc.A/48/590, para.51. 96 総会第 3 委員会における議論を参照、U.N.Doc.A/C.3/48/SR.52, paras.99-103. 97 これらのことは事務総長の判断で行われた。U.N.Doc.A/49/PV.94 を参照。 98 U.N.Doc.A/49/675, para.5 and 6. 99 転機となったソマリアでの国連の活動について、則武輝幸「国連とソマリア内戦-「平和 執行舞台」構想の挫折-」 『外交時報』No.1306、1994 年、17-46 頁;旧ユーゴスラビアに ついて、滝澤美佐子「旧ユーゴスラビアにおける国連の活動」『外交時報』No.1306、1994 年、60-75 頁を参照。 100 U.N.Doc.A/50/736, para.5. 101 1993 年 8 月ごろ検討されていた「大統領政策再検討指令第 13 号(PRD-13) 」では、国 連の平和維持活動等を通じた「デモクラシーの拡大」戦略への転換が目指されていたが、 ソマリアからの撤退を機に、結局、平和維持活動への慎重な関与をおりこんだ 1994 年 5 月 の PDD-25 が出されることとなった。星野俊也「クリントン政権の国連政策」『国際問題』 No.443、1997 年、52-65 頁;『世界週報』1993 年 2 月 1 日号、66-68 頁を参照。 102 UNDP の「ガバナンス」「グッド・ガバナンス」の概念とその発達については、以下を参 照、UNDP Management Development and Governance Division, UNDP and Governance: Experiences and Lessons Learned, 1999 [http://magnet.undp.org/Docs/gov/Lessons] 2001/02/28. UNDP のグッド・ガバナンス関連 の活動は、90 年代以降急速に発達し、92 年から 96 年までの UNDP の予算の 28%が使わ れた、ibid., Box 2.3 を参照。 また世界銀行の「ガバナンス」の概念との違いについては、開 発援助の「受け皿」としての政府機関の能力を高め、援助の実効性を高めるという視点が 強い世界銀行の「ガバナンス」の概念に対し、UNDP の「ガバナンス」の概念は、「持続可能な 人間開発」(sustainable human development)のための条件とみなされる。See, ibid., Preface. 大芝亮・山田敦「グローバル・ガバナンスの理論的展開」『国際問題』No.438、1996 年、2-14 頁も参照。 103 UNDP において選挙支援活動の責任は、 地球・地域間プログラム部(Division for Global and Interregional Programmes)からマネージメント開発・ガバナンス部(the Management Development and Governance Division)に移動された、U.N.Doc.A/49/675 para. 7。実際の UNDP の選挙支援活動については、UNDP, 1999, op.cit., para. 4.2 参照。 104 U.N.Doc.A/49/675 and Corr.1. 105 Ibid., para. 34, 35 and 47. 115 106 Ibid., ANNEX Ⅲ. U,N.Doc.A/50/736. Ibid., para.25. ただし、緊縮財政のあおりを受け、1995 年に初代の選挙支援部のディ レクターが定年退職した後、後任が 98 年 7 月まで補充されず、その間、他の国際機関や NGO が選挙支援の分野で活躍するなど、選挙支援部自身はこの変化に十分対応していない ことが指摘されている。The Office of Internal Oversight Service, op.cit., para. 9 and 71. 109 U.N.Doc.A/52/474. 110 U.N.Doc.A/54/491. 111 U.N.Doc.A/56/344, paras.34-48. 112 Ibid., Annex Ⅱ, Department of Political Affairs of the United Nations Secretariat and the United Nations Development Programme: note of guidance on electoral assistance. 113 See the Office of International Oversight Services, op.cit., para.6 and 71;Annual Report on the work of the Organization 1999, para.109. 1998-2001 年までの国連の中期 プログラムも参照、U.N.Doc.A/51/Rev.1, Vol.1, paras. 1.13-1.15. 107 108 116 第5章 国連の民主化支援活動の形成(2)―より広い民主化支援へ 1 序論 前章では、1980 年代終わり以降、国連の選挙支援活動が形成され、それが次第に「民主 化」の支援の一つとして位置付けられていく過程を追った。本章では、選挙支援を超えて 民主化への広い支援が形成されいく過程をみていく。国連の民主化支援活動の枠組作りは、 一部の加盟国が集まって開催された国際会議の要求を受けて、国連事務局が報告書を提出 し、それを受けて総会でコンセンサスによって決議するという過程を経て主として行われ た1。この過程においても、ブトロス=ガリ事務総長は先の選挙支援と同様、国連の民主化 への関わりをそもそも強く支持しており、そのリーダーシップは国連の民主化支援活動を 促進する原動力の一つとなった2。しかし、選挙支援の推進では主要な役割を果たしてきた アメリカは目立たなくなり、国際会議に参加した途上国や、先進国では EU 諸国が中心と なった。 2 マナグア会議と「民主化への課題」 1994 年 7 月にニカラグアの首都マナグアで、東欧や中南米諸国などの発展途上国を中心 に 74 ヶ国が集まり、第 2 回「新しい、あるいは回復された民主主義国家の国際会議」(the International Conference of New or Restored Democracies)(以下、マナグア会議)が開 催された3。この会議は、民主主義体制への移行後、様々な問題を抱えている国々が集まっ て各自の経験を交換し協力し合うことでそれぞれの民主化をいっそう進め安定させること を目指し、同時に、国際社会に対して民主化への支援をアピールする事を目的としたもの である。扱われるテーマは、参加国は民主主義体制への移行は済んでいるため、もっぱら 民主主義体制の定着の問題に関わるものであった。 マナグア会議ではマナグア宣言とその行動計画が採択された4。宣言では、まず、「民主主 義と発展は、国際平和・安全保障の主要な柱である」とされ(前文 5 項)、民主主義と発展、 117 平和の相互連関が強く強調された。特に民主化と経済発展とのリンクが強調され、発展途 上国の主張が強く現れたものとなっている。また、当時、国際的に広まりだしたガバナン スの考えが採り入れられ、「効果的で、有能、透明な公務員と、人々が全ての法的手段を使 ってそれら官僚の決定に挑戦し改善する権利と機会」と定義される「グッド・ガバナンス」 が、民主主義体制の定着と経済的・社会的発達の問題への解決に不可欠とされた(10 項)。 行動計画では、民主化まもない国々に共通する構造的な弱さが指摘された5。まず、国内 的な問題として、民主的な制度・メカニズム・経験・伝統や、真に民主的な心情や態度の 欠落が指摘された。それらの問題に対処するため、自由で公正な選挙へのいっそうのコミ ットメントや、公的行政機関の効率化と公開性の向上を通じた民主主義体制の統治能力の 強化、政府と市民社会との連携、教育等を通じた民主主義への広い理解の促進といった対 策が挙げられた6。これらを国内レベルでの民主化に関わるものするならば、行動計画では 同時に、経済的な困窮をもたらしている国際的な経済環境との連関も指摘された。この点 は国際レベルの民主化に関わるものであり、特に国連の内部での民主性の問題や、IMF・ 世界銀行のコンディショナリティの問題が指摘され、その改善が求められた7。また、この 会議で決定されたことを実現するために、閣僚の非公式会議の開催を含めたフォローアッ プ・メカニズムを作ることも合意された8。 このマナグア会議を受けて、その年の総会では、会議の参加諸国が決議案を本会議に提 出し、中国などが採決に参加しなかったものの、「新しい、あるいは回復された民主主義体 制を促進し定着・強化させる政府の努力への国連システムによる支援」(Support by the United Nations system for the efforts of Government to promote and consolidate new or restored democracies)と題される総会決議(以下「民主化」決議)49/30 がコンセンサス で採択された。決議では、マナグア宣言と行動計画の重要さが確認され、事務総長に対し て国連システムとして協力できることを研究することが求められた。 それを受け、翌年 8 月に出された同名の報告書(以下、「民主化」報告書)は、まず、「デ モクラシー」について、「ある国家によってコピーされるモデルではなく、全ての人民によ って獲得され、全ての文化によって吸収されるものである」ため、「私はデモクラシーを定 義することは試みずに、民主化に言及する」とした9。その「民主化」については、「ある権 威主義的な社会が、代表機関への定期的選挙、公的オフィシャルのアカウンタビリティー、 118 透明な行政機関、独立した司法、自由な報道機関といったメカニズムを通じて、次第に参 加的なものになっていく過程」と定義した10。このように報告書では、おおむねデモクラシ ーを国家の民主主義体制として扱った上で、その民主主義体制及び民主化について、特定 の政治モデルはないという選挙支援活動から続く国連の立場を踏まえて定義している。 続いて報告書は、国連が既に行ってきた支援活動から得た経験より、民主化に必要とさ れるものを提示した。すなわち、大きく、「デモクラシーの文化」(a democratic culture) の促進と、「選挙支援」、「デモクラシーのための制度の構築」(building institutions for democracy)に分けた。まず、「選挙支援」に関しては前章で記したものとほぼ同じである11。 次に「デモクラシーの文化」とは、民主化にとって必要な政治、社会、文化的な条件であ り、政党と政治運動や自由で独立したメディアの存在、市民教育を通じた政治文化の構築 が含まれる12。それらに対しては、NGO と協力しながら UNDP やユネスコが支援を実施し てきたとする。最後に「デモクラシーのための制度の構築」は、権力分立の確立や地方分 権など政府の構造や機能の構築、法の支配の向上、公的セクターの運営におけるアカウン タビリティー・透明性・質の改善、能力の構築(capacity-building)と官僚のリフォームを 求めるものである13。国連の支援として、UNDP 等によって発展の分野で行われてきたグ ッド・ガバナンスや能力構築への支援や、人権センターや国際労働機関(ILO)による人権 機関や労働組合への支援を挙げている。 このように、最初にデモクラシーについて特定のモデルを定義しないとしながらも、実 質的には、選挙の実施とそれを支える制度という、本書でいうところの手続き的な最小限 の民主主義体制を民主化の目指す目標として挙げている。 この報告書を受けて 95 年 12 月にコンセンサスで採択された総会決議 50/130 では、まず ウィーン宣言とほぼ同内容でデモクラシーについて規定した上で(前文 8 項)、各自の発展 の文脈で民主化を達成しようとする加盟国政府の努力への支援において国連が重要な役割 を担っていることを認め(3 項)、 事務総長に対し、報告書で考察された民主化支援のため の活動を要求する加盟国政府に対して行うよう勧めた(2 項)。ただし、国連によって引き 受けられる活動は、憲章に準拠しなければならないことを改めて強調している(4 項)。こ のように、国連は、民主主義体制についての単一のモデルを定義することを避け、さらに 支援はあくまで加盟国の要求に基づくという原則を維持しながらも、国連としてより包括 119 的な民主化の支援に関与することとなった。しかし、報告書においても決議においても、 マナグア会議で要求された国際レベルでの民主化に対しては何も言及されなかった。 翌 1996 年 9 月には、先の国際会議をフォローアップするために、ニューヨークで非公式 の閣僚会議が開かれた14。また、ガバナンス・プログラムの調整を改善するために、ACC (行政調整委員会)の内部に UNDP を議長とする「能力の構築(capacity-building)に関 するサブグループ」がつくられた15。続いて、昨年同様、事務総長より報告書16が提出され た。前年の報告書と比べて内容に大きな変化はないが、特に NGO を意味する「市民社会」 との協力が強調された17。最後に「国連の目的と原理を完全に実現するために、平和や発展 と同様に、包括的で統合された民主化へのアプローチに将来挑戦する価値がある」と結ん でいる18。その年の総会では決議 51/31 が採択されたが、基本的な決議の内容は前年と変わ らない。 この決議採択後の 12 月 20 日には、これまでの 2 つの「民主化」報告書の補遺として、 また平和への課題」「発展への課題」につぐものという位置付けで、「民主化への課題」 (Agenda for Democratization)が出された19。そもそも、ブトロス=ガリ事務総長自身は、 前の2つの民主化支援に関する報告書以上に国連が民主化に関わることを望んでいた。し かし、「『デモクラシー』という語は、国連憲章には現れていない。国連とデモクラシーに 関する報告しようという私の意図は、それゆえ、国連システム内部の文化と政治の文脈で は危険な行為である」として控えていた。実際、95 年の最初の報告書を出す際も、自らの 考えを出すことを試みたものの、周囲の強い反対にあって断念したが、既に事務総長の座 を追われることが決まっていたブトロス=ガリ事務総長は、周囲の反対を押し切る形で「民 主化への課題」を発表したのである20。 「民主化への課題」は、まず「民主化」を「よりオープンに、より参加的になり、より 権威主義的な社会ではなくなっていくこと」とし、「デモクラシー」については「様々な制 度とメカニズムにおいて、人民の意志に基づいた政治的権力の理念を具現化した統治のシ ステム」とした21。その上で、これまでの国連の民主化支援活動について総括した。 しかし、「民主化への課題」の最大の特徴は、「国際レベルでの民主化」の必要性の指摘で ある22。ブトロス=ガリ事務総長には、民主化は国内、国家間双方で必要なものであるとい う認識が当初よりあった23。「民主化への課題」ではそれがさらに発展されることとなった。 120 国際的な民主化について、事務総長は大きく 3 つの方向があるとする24。第 1 に、国連自身 の構造が民主的なものになることである。第 2 に、国連に限らず、国際舞台において国家 以外の新しいアクターが参加することである。第 3 に、国際レベルでの「デモクラシーの 文化」、すなわち、国家から成る社会だけでなく国家や超国家、地域などあらゆるところに 国際的な市民社会が関わり、同時に民主的な原理と過程が適用されることを求める。特に、 経済や環境の問題などグローバルな問題に関わる決定において、貧しい国家や非国家的ア クターの声が反映されることが必要であるとした。 これらブトロス=ガリ事務総長による国際レベルでの民主化の要求のうち、国際レベル の意思決定のおける国家間の平等や、経済的な不平等の是正に関わるものは、マナグア会 議での途上国の主張と共通する部分であった。しかし、それらは、そもそも「新国際経済 秩序」以来ずっと南北間で対立してきた争点である。また、ブトロス=ガリ事務総長と(彼 にとっては国連において強権をふるうことから「非民主的」に映る)アメリカとの直接的 な確執もあり25、その後のアナン事務総長の報告書では、この「国際レベルでの民主化」に ついての言及は見られなくなった。ただし、市民社会など非国家的なアクターの国連の活 動への参加については、「国際レベルでの民主化」という言葉そのものはなくても、第 8 章 でもみるように引き続き模索されていく。 このように、マナグア会議を受けて始まった「民主化」決議と、それを受けた事務総長 の報告書の提出という過程によって、国連にとっての「デモクラシー=民主主義体制」や 「民主化」の内容が明確となった。また、選挙の実施のみならず、民主主義体制の定着た めに必要な社会、経済、文化的側面へのより包括な国連の支援の必要性も強調された。そ れらは、第 3 章で検討した、国際的なものも含めた民主主義体制の定着に関わる要因をほ ぼ網羅したものである。 しかし、民主主義体制の単一のモデルは存在しないということ、民主主義体制が平和や 人権、発展と強く連関しているという基本的な考え方は、すでに選挙支援活動の形成過程 においても現れていたことである。また、国連が民主化を促進するための手段についても、 既存の活動を民主化支援の観点からまとめただけであって、新たな活動が開始されたわけ ではない。また、このマナグア会議や「民主化への課題」では、発展途上国の視点が強く 現れており、経済の不平等の是正や国際機構における意思決定の民主化といった「国際レ 121 ベルの民主化」も主張されていた。しかし、国連の民主化支援活動の発達では、それらの 論点はほとんど取り入れられないままに終わった。 3 ガバナンス支援との連関へ 1997 年にはコフィ・アナンが事務総長に就任した。民主化支援に関する報告書では、問 題の多い「国際レベルの民主化」への言及がなくなり、新たに実施された事実のみが書か れるだけとなった。しかしそれでも、民主化支援に関わる制度作りは少しずつ進展してい く。まず、97 年 9 月、国連の事務局と UNDP の協力のもと、ルーマニアのブカレストで 81 カ国の代表と 14 の国際機関、47 の NGO を集めて、第 3 回「デモクラシーと発展に関す る新しい、あるいは回復された民主主義国家の国際会議」 (以下、ブカレスト会議)が開催 された。会議では、前回の会議からの進展と今後の方針について検討され、進展のレヴュ ーと勧告(以下、ブカレスト文書)が出された26。既に会議の名前において、最後に「デモ クラシーと開発に関する」(on Democracy and Development)が加えられたことにも象徴 されるように、会議では発展や政府のガバナンス能力の問題がいっそう取り上げられるこ ととなった。さらに、同文書では、この会議のフォローアップのメカニズムあるいは事務 局を作ることが提案された。このメカニズムは、参加国間の情報の交換と理解を容易にし、 各国の民主化とガバナンスでの進展を体系的にに共有することを目的とするものである。 この会議の直後の 10 月に出された国連事務総長の民主化支援に関する報告書でも、デモ クラシーとガバナンスが並べて論じられた27。まず、昨年の「民主化への課題」は柔軟な概 念的枠組として考えられるべきで、その枠組はガバナンスの概念に基づくべきであり、民 主化とガバナンスへ支援は一貫し効率的で統合されなければならないということが「民主 化の新しい理解」として述べられた28。同報告書では、また、昨年 ACC 内部につくられた 「ガバナンスのための能力構築に関するサブグループ」より提示された 11 のグッド・ガバ ナンスの原理を正確に記している29。このように、国連の民主化支援活動は、ガバナンスへ の支援と強く結び付けられるようになった。その年に採択された総会決議 52/18 も、民主 化と共にグッド・ガバナンスへの支援を求めている(2、9、12 項)。 翌 98 年には、先のブカレスト文書で提案された「民主化」国際会議のフォローアップに 122 関して議長国であるルーマニア政府と国連諸機関との間で会談が行われた。また同年から は、関心を持つ国家の代表と、国連システム、学界、NGO が参加する「フォローアップ・ メカニズム」が開催されるようになった30。フォローアップ・メカニズムとして具体的に、 例えば、UNDP の公式ホームページに民主化とガバナンスに関するウェブ・サイト31を開 くことや、民主化の経験について共有したり議論したりするための機会を提供するなど議 論のプラットフォームとなる「デモクラシー・フォーラム」(democracy forum)の創設が 提案された32。また、翌 98 年に開かれた ACC の最初の定例会議では、各専門機関内に民 主化とガバナンスに関するフォーカル・ポイントを任命することが合意された33。さらに、 ブカレスト会議の閣僚会議が同年 9 月に開かれ、フォローアップ・メカニズムの一部とし ての専門家レベルでの会議をブカレストで開くことを決めた34。上記の進展を記述した提出 された報告書を受けて35、同年の総会決議 53/31 は、先の ACC の合意と共に(5 項)、フォロ ーアップ・メカニズムの設立も歓迎した(6 項)。 専門家会議は翌 99 年 5 月に開催され、「民主的行動規則」(a code of democratic conduct) の最初の草案を導入した36 。ほかにも同年には、引き続きデモクラシー・フォーラムが開 催された。同時に、ベナンのコトゥヌで開催される予定の第 4 回「民主化」会議の準備が 国連の手によって進められていった37。10 月には、これらの動きを記載した事務総長の報 告書(U.N.Doc.A/54/492)が出され、翌月、総会決議 54/36 が採択された。 1999 年 11 月と 2000 年 6 月には、フォローアップ・メカニズムの会合が開かれた。特に 2000 年の会合では、事務総長より加盟国に前年の報告書に関する意見を聞くために送られ た口述ノート(a note verbal)について議論が行われた。 このように、マナグア会議から 1999 年の報告書にある中間概観の段階までに、国連の民 主化支援の枠組は、各 2 回の「民主化」国際会議と閣僚会議とそのフォローアップ・メカ ニズム及び、事務総長の報告書と決議、国連システム内での民主化に関する情報の蓄積 (inventory)、デモクラシーや民主化に関するセミナー、フォーラム、ウェブ・サイト、ネ ットワークといったものを通じて、着実に発達してきた38。しかしその一方で、この枠組の もとでの国連の民主化支援活動は、強制措置や国際的な非難など国連の強いコミットを伴 わないものであり、ガバナンスの向上への支援と強く結び付いていった。第 3 章でまとめ た国家の民主化の過程からみたとき、ガバナンスは、重要ではあるものの、民主主義体制 123 の定着に必要な要素のうちの一つに過ぎない。その点で、国連による民主化支援活動は、 肝心の「民主化」支援としての特徴が薄らぎつつあったといえる。 4 新たな動き 一方で、1999 年以降、国連人権委員会を中心に新たな動きが生じた。国連人権委員会で は、既に 95 年 3 月に「民主的社会の構築への障害を乗り越える方法・手段と、デモクラシ ーの維持に必要な条件」 (Ways and means of overcoming obstacles to the establishment of a democratic society and requirements for the maintenance of democracy)と題される 決議 1995/60 が採択されていた。それは、総会決議 49/30 やウィーン人権宣言と関連付け ながら「民主的社会」に必要な要件について具体的に検討するものであった。その後は、 人権委員会内の「差別の防止と少数者の保護に関する小委員会」で、3 回ワーキング・ペー パーが提出されて検討された39。ワーキング・ペーパーは、デモクラシーの具体的な定義は 避けるとしながらも、公的機関、議会、司法、軍、女性の地位、メディア、経済、社会関 係にまで及ぶ広範なものであった。ワーキング・ペーパーの提出と新たなペーパーを求め る決定が繰り返されたあと40、「民主的社会」のテーマを発展させる決議や報告書は作成さ れず、立ち消えになっている。 しかし、1999 年 4 月には、再び国連人権委員会において「デモクラシーへの権利の促進」 (Promotion of the right to democracy)という名の決議 1999/57 が採択された。決議は、 「新しい世紀と千年紀の始まりにおいて、全ての人民が与えられた基本的民主的権利と自 由を確保するように、人民の権力の中で全ての手段を取ることを決意する」(前文 6 項)とし、 その上で、「民主的統治への権利」に含まれるものとして、メディアを通じて公正な情報を 享受する権利、法の支配、普通選挙権、被選挙権を含む政治的参加の権利、透明で責任を 持つ政府の諸機関など列挙している(2 項)。そして、国連システムを含む国際社会に対して、 民主主義を強化し、民主的政治文化を構築するための活動の継続と拡大推進を求めた(4 項)。 この決議は、アメリカを中心に多くの加盟国(当初 46 カ国)によって決議案が提出され、 賛成多数で可決されたものである。しかし、審議の過程では、「デモクラシーへの権利」が 法的権利かどうかや、それが社会・経済・文化的権利や発展の権利を含むのかどうかなど、 124 あいまいな点が多いことが指摘された41。また、多くの発展途上国は、それを発展の権利と 結び付けることと、単一の民主主義体制のモデルが存在しないことを改めて主張した42。 2000 年 4 月には、先の決議を受けて、再び人権委員会で「デモクラシーの促進と強化・ 定着」(Promoting and consolidating democracy)と題される決議 2000/47 が採択された。 それは、すべての人権と基本的自由、法の支配、選挙システム、市民社会の構成員の広い 参加、グッド・ガバナンス、持続的開発、社会的団結と連帯、それぞれについて促進する ことを加盟国に求める広範な内容となっている。さらに、総会においても同タイトルの決 議 55/96 が採択され、同様の内容が記載された。 また同会期の委員会では、先の決議に対する対抗するものとして、「民主的で平等な国際 秩 序 へ の 権 利 の 促 進 」( Promotion of the Right to a democratic and equitable international order)と題される決議 2000/62 が採択された。それはキューバや中国など発 展途上国が中心となって提案したもので、自決権(3 項(a))、天然資源への権利(同(b))、 発展の権利(同(c))、意思決定への平等な参加に基づいた国際経済秩序への権利(同(e))、 平等の原理の実施を通じた、透明で民主的で公正かつ責任ある国際制度への権利(同(g)) などを掲げている。それは、依然として一部の途上国の間では、政治体制の特定のモデル が押し付けられることに対する反発や恐れと、不平等な国際経済構造による経済格差の拡 大に対する不満が依然根強いことを示している。同時に、採択をめぐる審議過程にも現れ たように43、民主的な国際秩序のあり方に対する加盟国間の構想の相違自体も浮き彫りにし たといえよう。この決議は、個人ではなく国家の権利に基づいたものであり、本書でいう ところのグローバル・デモクラシーウェストファリア・モデルを、発展途上国の立場から 強調した内容となっている。なお、この決議と同内容のものが総会決議 55/107 として採択 され、その後も人権委員会と総会で、同タイトルのほぼ同内容の決議が毎年採択されてい る44。 全体的な流れとしては、国連の内外での決議・宣言を受けて、国連における民主主義体 制としてのデモクラシーの概念は、 「民主的統治への権利」としてより具体的な内容が規定 されていった。同時に、国連による民主化支援活動も、民主化に関する国際会議のプロセ スを通じて、民主化そのものへの支援へ回帰する兆しが見られるようになった。2000 年 10 月に出された事務総長の報告書では、民主化と、人権やグッド・ガバナンス、開発、平和 125 といった諸価値は互いに連関するとしながら、民主化やデモクラシーそのものの価値が強 調された45。民主化支援の目標については、民主主義体制の定着が明確に意識されている。 すなわち、「民主化とは、単なる新しい手続きや制度の創設ではなく、価値の変化を示唆す るものである」とし、その成功は「民主的理念と実践が市民的行為にとっての規範となっ て い る 程 度 に よ る 」 と し た 46 。 さ ら に 結 論 に お い て 、 国 際 民 主 主 義 選 挙 支 援 機 関 (International IDEA)による国連と民主化支援活動に関するセミナーの報告書の推薦を 多く引用しながら、国連の民主化支援活動の強化が提案された。すなわち、国連の民主化 支援への関与へのおもな 3 つの課題として、(a)現在の技術的なものだけではなく、包括 的で全体的なデモクラシーへのアプローチの必要性、(b)民主化に関わる複雑な変化を明 確にし支援すること、(c)民主化の早急な固定は存在しないことを理解することが挙げられ た47。その上で、IDEA の提案が列挙された48。その中で重要なものは、フォーカル・ポイ ントの指名、民主主義の発達を目的とする信託基金の設立、事務局内に民主化支援活動の 「全体像」を描く戦略ユニットの設立である。それらの提案について事務総長も支持する とした49。ただし、同年の総会決議 55/43 では、それらの制度改革についてはほとんど触れ られないままに終わった。 2000 年 12 月には、国連の全面支援のもとに50、ベナンの首都コトヌゥで第 4 回「デモク ラシーと発展に関する新しい、あるいは回復された民主主義国家の国際会議」(以下、コト ヌゥ会議)が開催された。そこで採択されたコトヌゥ宣言では、これまでの様々な国際会 議で積み重ねられてきたデモクラシーに関する規範及び、民主化への国際協力が改めて強 調された51。同時に、具体的な措置については明記されていないものの、「すべての軍事的 クーデターと、すべての形態の民主的で自由に選ばれた政府に対するテロや暴力、権力の 奪取・行使・維持のための非民主的なすべての手段、政権の非立憲的なすべての改変を厳 しく非難する」とされた(14 項)。他方で、国際関係や国際制度の意思決定の民主化も求め られた(19 項)。さらに、開発と貧困の撲滅について別に 1 節が割かれるなど、民主化を取 り巻く経済的な環境・構造に注目する途上国の意向がやはり現れた。最後に、市民社会組 織、私的セクター、ドナー国家と国際共同体、国連システムそれぞれが行うべき支援に関 する勧告とフォローアップ・メカニズムについて述べられた。その中で国連については、 先の事務総長の報告書で挙げられていたものと同様の事項が述べられたが、特に(自発的 126 拠出を中心とする)予算外財源を使用して、統合された民主化支援プログラムを発展させ ることが求められた。 翌 2001 年 4 月には、国連人権委員会で、決議 2001/41「デモクラシーを促進し定着・強 化させる手段についての対話の継続」(Continuing dialogue on measures to promote and consolidate democracy)が採択された。そこでは、特に目新しい内容はないものの、これ まで総会で採択されてきた「民主化」決議にも言及するなど(前文 4 項)、国連の民主化支 援活動の統合へ向けた動きがみられた。 同年 10 月の事務総長の「民主化」報告書では、コトヌゥ会議の内容が要約された52。民 主主義体制の定着の障害となっている構造として、ローカルな構造、ナショナルな構造、 国際的な構造を挙げているが53、国際レベルの民主化についてはやはり触れられていない。 「所見」の節では、デモクラシーは選挙以上のものとし、法の支配、人権、持続的開発と の結び付きを強調している54。また、ここで重要なことは、コトヌゥ宣言を受けて、「政権 の非立憲的な打倒や民主主義体制の不当な転覆を非難する、強くなりつつある国際的な傾 向は、歓迎すべき発達である」としていることである55。コトヌゥ宣言に関する言及以外に も、99 年 7 月のアフリカ統一機構(OAU)のアルジェ・サミットで非立憲的な手段で政権 に就いた指導者の参加が拒否されたことや、00 年 6 月にワルシャワで開催された「民主主 義諸国の共同体」国際会議のワルシャワ宣言において、政権転覆による民主主義体制への 脅威に対する協力が織り込まれたことが挙げられた56。その報告書を受けた決議 56/96 では、 フォーカル・ポイントの指名を含めた選択肢を事務総長に検討するよう求められた(9 項)。 2002 年には再び人権委員会で「デモクラシーを促進し定着させる更なる手段」(Further measures to promote and consolidate democracy)と題される決議 2002/46 がコンセンサ スで採択された。特筆すべきは、「デモクラシーの本質的な要素には、人権と基本的自由の 尊重、結社の自由、表現と意見の自由、権力へのアクセスと法の支配に沿ったその行使、 普通選挙権と秘密投票による人民の意志の表示としての定期的な自由で公正な選挙の実施、 政党と政治組織の多元的なシステム、権力の分立、司法の独立、行政における透明性とア カウンタビリティー、自由で独立した多元的なメディアが含まれる」と明記されたことで ある(1 項)。さらに、地域的な機構による民主的制度を脅かす事態を防ぎ、民主主義体制 を集団的に防衛する手段の採用と実施を歓迎した(5 項)。 127 同年には、UNDP は 2002 年度の『人間開発報告書―分裂した世界においてデモクラシ ーを深める』を提出して、人間開発におけるデモクラシーの重要性を強調し、国際社会に よる民主化の現状と支援の必要性を述べた57。そこでは、国家の民主化だけでなく、NGO の国際的な意志決定過程への参加拡大と民主的な国際機構が「グローバルなレベルにおけ るデモクラシーを深めること」として求められた58。また UNDP はオスロに「オスロガバ ナンスセンター」を設立し、民主的ガバナンスにおける UNDP の活動を補助させている59。 このように、国連にとっての民主主義体制の構成要素がいっそう明確となるとともに、 一時期、ガバナンスへの支援と同化し独自性を失いつつあった国連の民主化支援活動は、 国連の内外で民主化を支援する国際協力が発達する中で、再び「民主化」への支援そのも のが目的として前面に押し出すようになった。その内容は、ガバナンスのみならず、法の 支配や人権、持続的開発など、バランスを備えた包括的なものになりつつある。加えて、 具体的な制度はいまだ出ていないものの、強制的な措置の可能性をもつより強い支援へと 向かう傾向がみられるようになった60。 5 小括 以上、まず、民主化支援の実践と、一連の国際会議や総会、人権委員会の決議を通じて、 「民主主義体制」の要件に関する規範作りが進んだ。自由で公正な選挙に基づいて政権が 樹立されることと、それを保障するための人権や政治制度の制度的保障を基本とした「手 続き的な最小限の民主主義体制」が国連にとっての国家の民主化目標となっていった。 選挙支援活動が制度化・一般化された後、民主化支援活動については、1994 年のマナグ ア会議を機に、国連は、選挙支援活動を超えてより広い包括的な支援が目指されるように なった。しかし同時に、発展途上国が中心である新興民主主義国と先進民主主義諸国の間 で方向性の違いが顕在化した。一方で途上国は、経済的な不平等が特に民主化の定着を妨 げているとして、国際援助機関に存在する意思決定の不平等の解消を「国際レベルの民主 化」として要求し、開発援助の更なる拡大を求めた。他方で先進民主主義諸国は、経済援 助や国際経済の構造と民主化を直接結び付けることには消極的であり、民主主義体制の手 続き的な側面を重視した。結果として、経済発展にも不可欠であり、民主化の定着にもつ 128 ながるガバナンスへの支援が民主化支援と特に結び付けられることとなった。同時に、コ トヌゥ宣言をはじめとして一定の動きはみられるようになったものの、現段階では非合法 的な政権転覆が行われた場合の対応手続きは制度化が進んでいない。 前章と本章でみてきた国連の民主化支援活動の形成過程では、加盟国間の力関係、国際 機構が持つ機能、国際社会の構造、国際機構内外で広まっている価値・規範及び国際機構 の「組織」としての特性という国際機構に働く諸要因がやはり働いていた。まず、民主化 への関与をめぐって欧米先進諸国と一部発展途上国間で対立が見られた。それはまた、グ ローバル化によって不平等さを増す国際経済構造によって民主化が困難に陥っているとい う認識によってさらに強められた。同時に、国連が持つ正当性付与の能力や選挙関連の蓄 積された技術は支援活動の増加を促した。また、ガバナンスといった新しい概念は、民主 化支援活動の内容に影響を与えた。さらに、歴代の事務総長のデモクラシーや民主化への コミットの違いや財政難といった組織的な要因も支援活動の形成に変化を与えてきた。こ れらの要因が今後どのように変化するかによって、国連の民主化支援活動の行方も決まる。 次章では、このようにして形成されてきた国連の民主化支援活動が、国際的な民主化支 援活動としてどのような特徴をもち、加盟国の民主化に具体的にどのように貢献してきた か、そしてグローバル・デモクラシーの観点からどのように位置付けることができるかを 検証する。 1 この過程は、選挙支援活動と違い委員会を経ずに直接本会議で扱われた。 See, Boutros-Ghali, Boutros, Unvanquished: a U.S.-U.N. saga, New York: Random House, 1999, pp.319-320. ガリの民主化に対する考え方は、Boutros-Ghali, Boutros, “Democracy: A Newly Recognized Imperative”, Global Governance, 1, 1995, pp.3-11 参照。 3 第 1 回は、1988 年にフィリピンのマニラで 13 カ国を集めて開催された。 4 ニカラグア政府から国連宛てのレター、U.N.Doc.A/49/713, ANNEXⅠandⅡ. 5 Ibid., ANNEX Ⅱ, paras. 2-4. 6 Ibid., para.7 and 8. 7 Ibid., para.9, 10 and 11. 8 Ibid., para.11 and 12. 9 U.N.Doc.A/50/332 and Corr.1, para.5. 10 Ibid., para.6. 11 Ibid., paras.39-77. 12 Ibid., paras.11-38. 13 Ibid., paras.78-120. 14 総会決議 51/31、前文 7 項。 15 U.N.Doc.A/51/512, para.52. 2 16 Ibid. 129 17 18 Ibid., paras.63-67. Ibid., para.73. Report of the Secretary-General, Agenda for Democratization, U.N. Doc.A/51/761, 20 December 1996.(以下、Agenda for Democratization) 20 以上、Boutros-Ghali, 1999, op.cit., pp.318-320. 21 Agenda for Democratization, para.1. 22 Ibid., paras.61-115. See also, Archibugi, Daniele, Sveva Balduini and Marco Donati, “The United Nations as an agency of global democracy”, in Barry Holden (ed.), Global Democracy, London and New York: Routledge, 2000, pp.125-142. 23 See, Annual Report on the Work of the Organization 1992, para.9 and 166;Annual Report on the Work of the Organization 1993, para.10; Annual Report on the Work of the Organization 1994, para.793. 24 Agenda for Democratization, para.61. 25 ガリ自身の回想録より、Boutros-Ghali, 1999, op.cit., pp.319-320. 26 U.N.Doc.A/52/334, APPENDIX. 27 U.N.Doc.A/52/513. 28 Ibid., para.23. 29 Ibid., para.24. 30 以上、U.N.Doc.A/53/554, paras.5, 6 and 7. 31 http://www.un.org/Depts/dpa/docs/democratization.htm. 32 U.N.Doc.A/53/554, para.9 and 10. 第 3 章でも述べた国際民主主義選挙支援機構 (International IDEA)は、「デモクラシー・フォーラム」に参加するなど国連との結び付 きの強い。 33 Ibid., para.14. 34 Ibid., para.13. 35 U.N.Doc.A/53/554. 36 U.N.Doc.A/54/178, Annex; U.N.Doc.A/54/492, para.6 and 7. なお 1999 年の「民主化」 の総会決議 54/36 では、「民主的行動規則」については、議論が先送りされた。Press Release GA/9670 参照。 37 準備状況については、1999 年の報告書を参照、U.N.Doc.A/54/492, Ⅲ. 38 U.N.Doc.A/54/492, Ⅳ. 39 Working Paper on democracy and the establishment of a democratic society submitted by Mr.Osman El-Hajjé, U.N.Doc.E/CN.4/Sub.2/1995/49, 22 August 1995; Working Paper on the promotion and protection of human rights by the exercise of democracy and the establishment of a democratic society submitted by Mr.Osman El-Hajjé in accordance with Sub-Commission decision 1995/116, U.N.Doc.E/CN.4/Sub.2/1996/7, 30 May 1996;Working Paper on the promotion and protection of human rights by the exercise of democracy and the establishment of a democratic society submitted by Mr.Osman El-Hajjé in accordance with Sub-Commission decision 1196/117, U.N.Doc.E/CN.4/Sub.2/1997/30, 5 June 1997. 事務 総長のノート、U.N.Doc.E/CN.4/1996/49 も参照。 40 人権委員会差別の防止と少数者の保護に関する小委員会決定 1995/116;1996/117 参照。 41 法的権利はないとする意見は、インド、U.N.Doc.E/CN.4/1999/SR.57, para. 8;ロシア、 ibid., para. 29 など参照。 42 例えばインド、ibid., para.9 and 10;パキスタン、ibid., para. 11;エクアドル、ibid., para.16; キューバ、ibid., para. 23;中国、ibid., paras.41 and 42. 43 決議案をめぐる討議では、ドイツの代表が、 「民主的な国際秩序」の概念がそもそもあい まいで、決議にあるような意味以外にも多様な内容がありうることを指摘している。同代 19 130 表は、例として、民主国家からなる共同体や、国家が民主的に行動すること、地球規模で の直接民主主義を挙げている43。また、イギリス代表は、決議案は国家の権利について述べ たものであり、人権に関する当委員会には持ち込むべきではないとしている(ibid., paras.59-60)。アメリカ代表は、かつての「(新)国際情報通信秩序」や「(新)国際経済秩 序」のリサイクルであるとして批判している(ibid., para.68)。決議は、ほとんどの先進諸 国と一部の途上国が反対し、賛成 30、反対 17、棄権 6 で採択となった。 44 人権委員会決議 2001/65;2002/72;2003/63、総会決議 56/151;57/213。 45 U.N.Doc. A/55/489. 46 Ibid., para.26. 47 Ibid., para.31. 48 Ibid., para.33. 49 Ibid., para.34. 50 コトヌゥ会議については、2000 年 7 月 13 日の宮崎での G-8 外相会合でも、支援する意 思が示されている。See Conclusions of the G8 Foreign Ministers' Meeting Miyazaki, 13 July 2000, para.17. 51 U.N.Doc.A/55/889. 52 U.N.Doc.A/56/499. 53 Ibid., para.11. 54 Ibid., paras.26-28. 55 Ibid., para.29. 56 Ibid. UNDP. 2002. Human Development Report 2002: Deepening Democracy in a Fragmented World. New York: Published for the United Nations Development Programme by Oxford University Press. 58 Ibid., ch.5. 59 センターのホームページは、[http://www.undp.org/oslocentre/index.htm] 2003/06/30. 60 この点、先の人権委員会 2001/41 をめぐる議論で、キューバは、主要国が規定する意味 での「デモクラシー」の不在が、憲章で認められていない内政干渉である、いわゆる「人 道的介入」へとつながることを懸念している。U.N.Doc.E/CN.4/2001/SR.72, para.46. 57 131 第6章 国連による民主化支援活動の暫定的評価 1 序論 第 4 章と第 5 章では国連の民主化支援活動の歴史的な形成過程をみてきた。形成されて いく過程では、加盟国間の力関係、事務局に蓄積された情報や技術、国連内外でのデモク ラシーの規範の広まり、南北の不平等、事務総長のリーダーシップといった多種の要因が 働いていた。その中で国連は、手続き的な最小限の民主主義体制を民主化の目標とし、ま た包括的な民主化支援活動を目指しつつあることがわかった。本章では、まず、2002 年末 段階での国連の民主化支援活動の枠組みを民主化の段階別に分けて整理する。その上で、 国連の民主化支援活動の内容とその特徴を、第 3 章で整理した一般的な民主化の過程と要 因及び国際的な民主化支援活動と比べつつ明らかにする 次に、独自の特徴を持つ国連の民主化支援活動が、実際の加盟国の民主化に具体的にど のように影響を与えているかをみるために、カンボジアの事例を取り上げる。カンボジア では、周知の通り、1993 年に大規模な国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が派遣さ れ民主主義体制への移行がなされた。ここでは UNTAC 撤退後、定着段階に入ったカンボ ジアの民主化の過程への国連の関与に焦点を当てる。最後に、グローバル・デモクラシー の視点とあわせて第Ⅱ部の考察の結果をまとめる。 2 現行の国連による民主化支援活動の枠組み ここでは、現段階での国連の民主化支援活動について、民主化の段階に応じて、移行の 準備段階、決定段階、最初の競合的選挙の実施段階、定着の段階に分けてみていく。 (1) 移行の準備段階 移行期の準備段階においては、民主化を「促進」しようとする勢力とそれを「阻害」し 132 ようとする勢力が競い合う。国連は、紛争解決の過程において、紛争当事者が民主化へ向 かうよう働きかける場合がある。そのような働きかけは、事務総長による調停、あるいは、 安全保障理事会や総会の決議に基づく国連諸機関や加盟国の行動を通して行われる1。モザ ンビークのように和平プロセスに当初より深く参加する場合もあれば、中米和平プロセス のように地域や国内で既に行われていた和平協議に求められて参加する場合がある。 1989 年のニカラグア、1990 年代前半のアンゴラ、モザンビーク、カンボジアなど、いず れも、国連の関与の下で和平協議が行われ、和平プロセスの一環として民主的な選挙の実 施が決定された。しかし、国際平和を脅かす程の人権侵害や国際紛争の解決に関わる場合 以外、国連が民主化を加盟国に直接働きかけることはほとんどない。 他方で、国連は、加盟国政府や当事者に民主化を直接に働きかけるのではなく、民主化 を促すような環境作りを行う場合がある。その例としては、UNDP による、市民社会組織 を育成する支援がある2。また、UNDP はガバナンスへの支援も行い、不正を無くし政府関 係者が国民に責任をとるような法制度構築を支援する3。他にも、国連人権高等弁務官事務 所(UNOHCHR)や人権委員会は、参政権や結社・言論の自由への権利を含む人権諸条約・ 規定の遵守を求め、人権 NGO への支援を行う4。国連教育科学文化機関(UNESCO)は、 人権や平和を含めたデモクラシーに関わる教育への援助を行う5。 ただし、これらの支援は、結果的に民主化の促進につながるものの、それ自体は必ずし も民主化を第一の目的とするわけではない。その理由として、国家主権や内政不干渉の原 則のため、民主化を明示的に目的とした支援が難しいということが第一にある。 (2)移行の決定段階 民主主義体制への移行は、権威主義体制側の一方的な決定や、体制側と反体制勢力間で の交渉による合意、あるいは民衆による革命によって開始される。この段階において国連 は、国際的な側面を持つ国内紛争において当事者が民主化を含む和平協定の締結へ向けて 具体的な交渉を行う際に、事務総長の特別代表等を派遣する場合がある。和平協定では、 武装解除や難民の帰還、武装勢力の政党化及び、選挙の日程といった民主化の過程が具体 的に決定され、国連の支援内容も決まる。そもそも国連が和平交渉の段階から関与した場 133 合は、後にみるカンボジアの事例のように、準備段階から決定段階、さらに選挙実施まで 連続的に関わることが多い。しかしながら、民主主義体制への移行へ向けた決定に国連が 積極的に関わることは、紛争解決に関わる場合を除いて稀である。 (3)最初の競合的選挙の実施段階 民主主義体制への移行の決定や合意が成立した後は、民主的な政権の発足へ向けて、憲 法や選挙法の制定・改定、中立な選挙管理委員会の設立・改革、選挙監視人の選定・教育、 市民教育、政党の形成、報道の自由化、軍隊の民政移管、反政府武装勢力の武装解除など が行われる6。 選挙の実施に対する支援活動は、国連の民主化支援の中では最も発達している7。2001 年 10 月の選挙支援に関する事務総長の報告書に準拠して、選挙支援の決定・実施過程と支援 の種類を整理すると次のようになる8。ただし、実際の過程では、部分的実施にとどまった り、順序が入れ替わることもある。 支援の準備段階として、加盟国からの正式な要請の前に、「専門家助言サービス」 (expert advisory services)を通じて国連内部での情報交換が行われる場合がある9。平和 維持活動で近い将来選挙支援を行うことが予見されるときなどに行われる。 第 1 段階として、加盟国政府より、国連事務局の選挙支援に関するフォーカル・ポイン トである政治問題局担当事務次長に対して選挙支援が要請される。その後、事務局より「必 要評価使節団」(need assessment mission)が派遣され、支援が可能かどうか、どのよう な支援が望ましいかの評価が行われる。使節団は、政府だけでなく、主要な政党や市民社 会の諸代表が国連の関与をその程度支持しているかについても調査し評価を行う。ただし、 十分な支援を行うために、支援要請は、選挙の最低 4 ヶ月前になされるのが望ましいとす る10。準備時間の不足などの場合、加盟国が望む支援がなされなかったり、支援そのものが 断わられることもある。 国連が加盟国の最初の競合的選挙に関わるのは、その選挙が紛争後の和平プロセスの一 環である場合が多い。その場合、当事者間の敵愾心が強いため、選挙実施の前の段階で、 各勢力の武装を解除し、難民・国内避難民の投票を保証することが重要となる11。概して、 134 これらの活動は、和平協定と安保理決議の規定に従い、平和維持使節団が UNHCR などと 協力して行う。 第 2 段階として、上記の評価を踏まえた上で、安保理や総会の決定後、あるいは授権が 必要でない場合は、支援が適切とフォーカル・ポイントが判断した段階で、実際に支援が 行われる。その支援には、選挙過程そのものを監視する支援と、選挙の実施を補助し長期 的な選挙実施能力を構築する技術的な支援とがある。 選挙そのものを監視・モニタリングする支援には、次の 4 つの形態がある。(a)「国際監 視団の調整と支援」では、国連は、国連ボランティア(UNV)、国際的 NGO、加盟国政府 などと協力して、合同国際選挙監視団の募集や調整を行う。この支援は、国連事務局の判 断のみで行いうるが、国連自体は、選挙の自由・公正さについての判断を下さない12。(b) 「国連選挙監視員の派遣」では、総会または安保理による決定に基づいて、平和維持使節 団に新たに選挙監視をマンデートに加えられたり、別に選挙監視使節団を派遣されたりす る。この場合は、本書でいうところの「政治的」な選挙支援にあたり、国連自身が選挙の 自由・公正さを判断する。(c)「選挙過程の専門家によるモニタリング」では、実施過程の 技術的・専門的な観察が行われる。 (d)「国内的選挙監視への支援」では、国内の選挙監視 NGO への育成・訓練が行われる。政府の要請を受けて正式に行われたのは、1994 年のメ キシコのみである。ただし、後のカンボジアの事例でもみられるように、人権高等弁務官 事務所によって、選挙監視活動に関わる人権 NGO へ実質的な支援がなされる場合がある。 これらの監視を経て実際に選挙が終了した後は、(b)「国連選挙監視員の派遣」以外、選挙 の自由・公正さに関して国連自身の正式な判断はなされない。この違いは、選挙後の国連 の関与の程度に反映される。 選挙の過程の監視に対する支援と並行して、あるいは別に、選挙の実施を補助する技術 的な支援が行われる。これらの支援は事務局の選挙支援部と UNDP が協力して行う。(a) 「過程への支援」(process assistance)では、選挙の実施に際して、選挙システムの形成や 改正、実施計画、市民教育など、選挙に関わること全般について専門的な助言が行われる。 (b)「能力構築」(capacity-building)では、長期的な選挙実施能力の向上に必要な選挙行政 に 関 わ る 人 員 の 知 識 と 技 術 を 向 上 さ せ る た め の 支 援 が 行 わ れ る 。 (c) 「 制 度 構 築 」 (institution-building)では、選挙の管理に関わる主要な制度的構成部分を創設・改革す 135 るための支援が行われる。(d)「システムの建築」(system architecture)は、その国の政治 的・社会的構造、文化的規範・伝統をすべて考慮に入れた上で、選挙法の制定から実施計 画の作成すべてに国連が関わるものである。実例として、2001 年 8 月の東ティモールの選 挙が挙げられるが、関与の広範さから、現段階では一般的な支援ではない。 これらすべてのタイプの選挙支援は、複合的に行われることが多い。その場合、「国連選 挙支援事務局」(United Nations Electoral Assistance Secretariat; UAEAS)と呼ばれるも のが現地に作られ、それが国際監視員の調整と技術支援を行うことがある13。例えば、1998 年のカンボジアの総選挙では、現地につくられた国連選挙支援事務局を通じて、国連諸機 関や他の国際機構、NGO より構成される合同国際監視団(Joint International Observer Group)の調整を行った。 これら多様な選挙支援のうち、選挙監視関連の活動の多くは、民主化の移行段階におけ る最初の選挙の実施段階で行われる。さらに国連自体が選挙監視団を派遣し、選挙の公正・ 自由さを判断する活動については、国際的な紛争解決の場合を除いて、そもそも避けられ る傾向が強い。国連による選挙支援活動全般について、現在では 2 度目以降の、すなわち 定着期における選挙への支援の比重が高まっている。 (4)民主化の定着段階での支援 定着は長期的な過程であり、促進・阻害する多種多様な要因が働いている。しかしまず、 軍隊によるクーデターや民主的に選ばれた大統領の専制化を防ぐことが必要である。民主 的政権の非合法的な転覆に対して、国連は強制的措置をとる場合がある。例えば、ハイチ では、1990 年 12 月と翌年 1 月に国連ハイチ選挙検証団(ONUVEH)のもとで競合的総選 挙が実施されたが、同年 9 月に軍事クーデターによって民主的政権が打倒された。対して 国連は、92 年 11 月に総会が総会決議 47/20 で軍事勢力を非難し、OAS が 91 年 10 月より 採用した経済制裁を支持した。さらに、93 年 7 月に安保理決議 940 によって、憲章第 7 章 下での経済制裁及び多国籍軍の創設と使用が認められた。結局、多国籍軍の上陸直前に、 軍事政権は民主的政権の回復を受け入れた。ただし、その安保理決議採択までの期間、国 連による民主的政権の回復へ向けた積極的な対応はなされなかった14。 136 シエラレオネでも同様に、国連によって調整された国際選挙監視団のもとで民主的に選 出されたカバー政権がクーデターによって転覆されたのに対して、1997 年 10 月、安保理 は決議 1132(1997)で経済制裁を決定し、それに必要な強制的権限を西アフリカ経済共同 体(ECOWAS)に与えた15。結果として、カバー政権は翌年 3 月に復活した。ただし、ハ イチやシエラレオネの例は、国際の平和の維持に関わるものとして国連憲章第 7 章を根拠 に行われたものであり、民主化をもっぱら目的としたものではなかった。 民主政権の回復に向けた、このほかの比較的緩やかな措置としては、国連の代表権の停 止や継続がある。後にもみるように、カンボジアでは 1997 年 7 月の政変に際し、国連信任 状委員会は、当事者両派が推す国連大使の信任を留保した16。ハイチの場合、91 年の民主 政権に対するクーデター後も、亡命した大統領側の大使が正統な代表として認められ続け た。しかし、これらの措置をどのような場合に行うかについて、定まった基準や手続きは 存在していない。米州機構(OAS)やアフリカ連合(AU)で、政権の非合法的な転覆が起 きた際の手続きが定められているのと対照的である17。国連では、前章でみたように、2001 年の事務総長の報告書では若干言及されたものの、そのようないわゆる「デモクラシー条 項」の制度化は以前進んでいない。 国連は、定着の段階でも、上記で述べた選挙支援を引き続き行う。現在、移行後の選挙 に国連自前の選挙監視団が送られることはほとんどなく、国際選挙監視団の調整や行政的 な選挙の実施能力を向上させる技術的支援に重点が置かれる。 定着の段階では、選挙のほかに、国家(政府)のガバナンスや、市民社会の発達状況、 政治文化、経済発展など、政治・社会の構造的・環境的な要因も重要である。国連は、ま ず民主化を支える政府機関の強化への支援を行っている。UNDP は、民主的ガバナンスに 関する「テーマ別信託基金」を設立している18。それは、従来から行われているガバナンス 支援の延長上にあり、立法、選挙システムと過程、司法と人権へのアクセス、情報へのア クセス、分権化と地域的ガバナンス、公共行政と公務員の改革、という 6 つの分野からな る。 一定の経済発展や、市民社会及び政治文化の育成に対しても、国連は、先にも述べたよ うに、経済開発協力や人権・平和教育という形で、専門機関やプログラムを通じて支援を 行っている。しかし、それらは、一部の平和維持に伴う支援を除いて、民主化支援という 137 観点からの体系だった支援ではない。 (5)まとめ 以上と第 3 章における国際的な民主化支援活動と比較すると、国連の現在の民主化支援 活動には、次のような特徴がみられる(前章の図 5-1 参照)。第 1 に、現在では、多くの加 盟国が最初の自由選挙を経験していることを理由に19、民主化の定着段階にもっぱら支援の 焦点が当てられ、最初の選挙実施段階以外の、移行の準備や決定段階を促進する手段は制 度化されていない。実際には、国連の加盟国の約 3 分の 1 がデモクラシーの手続き的な最 小限の条件をいまだ満たしていない20。 第 2 に、定着段階における民主的政府への非立憲的な転覆行為や政府の権威主義化に対 する、強制措置を含めた明確な対応手続きは発達していない。平和への脅威と認定された、 限られた事例においてのみ、民主主義体制の回復を目的に憲章第 7 章に基づく強制的措置 がなされる場合がある。 第 3 に、段階を問わず選挙の実施に支援の重点が置かれ、民主化を支え促す、政治や社 会、文化的な環境・構造の構築に対する支援は、十分には制度化されていない21。しかも、 国連は、選挙結果について国連自体が判断を下し、その後の過程にも一定の責任を負わな ければならない自前の選挙監視団の派遣には消極的である。 第 4 に、民主化に必要な環境・構造のうち、政府機関の能力構築といった政府のガバナ ンス能力に支援の重点が置かれている。それに比べると、政党の育成及び、下からの民主 化運動を担う市民社会に対する支援の比重は少ない。経済発展についても、民主化支援と して目的付けられた支援はほとんどなされていない。 第 5 に、民主化に影響をもたらす国際的な要因への配慮が少ない。特に、国家間の経済 的不平等の是正など、途上国が要求する国際レベルの民主化の問題と国家の民主化が関連 付けは、加盟国から求められながらも十分な配慮がなされていない。 国連が、民主主義体制の具体的内容の合意を形成し、民主化を積極的に支援しようとし ているならば、以上のような特徴を持つ加盟国への民主化支援の枠組みはどの程度有効で あろうか。上でまとめた国連による民主化支援活動の特徴が加盟国の民主化に実際にどの 138 ように反映されるかをみるために、カンボジアへの支援の事例を取り上げたい。 3 カンボジアへの支援の事例 カンボジアでは、1991 年の和平合意、93 年の自由選挙の実施、97 年のクーデターから という過程を経て今なお民主主義体制の定着段階にある。この全段階に国連は関与し続け ており、国連の民主化支援活動の特色と問題点がよく現れている。 (1)民主主義体制への移行期―UNTAC 撤収まで カンボジアでは、1979 年 1 月に、ベトナム軍の支援を受けヘン・サムリンの勢力がプノ ンペンを制圧し、ヘン・サムリン政権が発足した。北京に逃れていたシアヌーク、ソン・ サン元首相派及び、ポルポト派は 82 年 6 月反ベトナムの「民主カンボジア連合政府」(90 年 2 月に「カンボジア国民政府」に改名)を樹立し、以降、内戦が激化した。 その後、1980 年代を通じて解決への模索が行われた22。国連もまた、81 年に総会がカン ボジアに関する国際会議を開き、事務総長による周旋活動を行ったが、功を奏さなかった23。 それでも次第に和解へ向けた動きは活発になり、89 年 7 月には、事務総長も含めた関係国・ 勢力が一堂に会して、第 1 回のカンボジアに関するパリ会議が開かれた。一時行き詰まっ たが、90 年 9 月に、カンボジア紛争の当事各派の背後にいる、アメリカ、中国、ソ連とい った有力国家が含まれている国連安保理で、(1)カンボジア最高国民評議会(SNC)の早 期設置、(2)国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)による停戦監視と総選挙実施などを 定めた、和平のための包括的枠組みが合意された24。紛争当事者 4 派も、同月 10 日のジャ カルタの非公式会議でその枠組みを受諾した。 この段階で、国連によるカンボジアの民主化過程への全面的な関与が決定されたといえ る。翌 91 年 7 月、北京の SNC 非公式会合で元国王シアヌークが議長に選出された。9 月、 SNC は事務総長に対して、国連の停戦監視要員の派遣を要請し、それを受けた事務総長の 報告に基づいて、10 月 16 日、安保理は決議 717(1991)を採択し、国連カンボジア先遣 隊(UNAMIC)の派遣をひとまず決定した。10 月 23 日には、第 2 回パリ国際会議で、SNC、 139 安保理 5 常任理事国、日本など 18 カ国が「カンボジア紛争の包括的政治解決に関する協定」 (パリ和平協定)に調印した。 パリ和平協定は、カンボジアの新憲法が、カンボジアの中立的地位のみならず、人権及 び基本的諸自由に関する基本的諸原則を盛り込むものでなければならないとする(協定第 23 条)。さらに、その付属書 5 において「憲法は、カンボジアが多元的な自由民主主義のシ ステムを採用しなければならない。憲法は、定期的かつ真正な選挙を規定するものとする」 と定めている(前文第 4 項)。しかも、協定は、協定上の義務違反があった場合、安保理を 含む国連機関がその是正のために適当な行動を取り得る旨を謳っている(同第 5 条)。 1992 年 2 月には、国連安保理は、決議 745(1992)で UNTAC の設立と約 2 万 2000 人 の要員派遣を決定した。3 月 15 日に明石康代表が着任し、UNTAC は活動を開始した。 UNTAC の職務権限は、人権、選挙、軍事、文民行政、文民警察、難民帰還、復興の 7 つ の部門からなり、有権者登録や政党結成と選挙運動への支援といった自由で公正な選挙そ のものの準備から、秩序の維持や経済復興、NGO など市民社会の育成、市民教育など、選 挙に必要な環境作りまで行った。また、安保理は、選挙過程から結果までの状況を事務総 長からの報告を通じて逐一確認している。場合によっては、選挙過程を妨害するポルポト 派を非難するなど、決議を通じて働きかけを行った25。 93 年 5 月に、UNTAC のもとで、制憲議会議員を選ぶ総選挙が、比例投票制度に基づい て実施された。ポルポト派は参加せず、シアヌーク派の民族統一戦線(FUNCINPEC)が 第 1 党、旧プノンペン政権の人民党(CPP)が第 2 党、ソン・サン派の仏教自由民主党が 第 3 党となった。6 月には、総選挙によって選出された制憲議会は、シアヌークを国家元首 に選び、翌月、共同首相制の暫定国民政府が発足、9 月 24 日、新憲法が公布され立憲君主 制の新生カンボジア王国が誕生し、シアヌークが再び国王に即位した。制憲議会は国会へ と移行した。国王の息子ラナリット民族統一戦線党首を第 1 首相、フン・セン人民党副党 首を第 2 首相とする連立政権が成立し、UNTAC は 12 月 31 日に終了した。 このように国連によるカンボジア初の競合的選挙は、一応の成功を収めたものの、ポルポ ト派の動向への強い関心もあり、カンボジアの政治構造における権力のバランスの偏り、 すなわち人民党の影響力の強さにまで手が付けられることがなかった26。 140 (2)民主主義体制の定着期(1)―UNTAC 終了から 1997 年の政変まで 紛争当事者同士の対立は根深く、国連も含めた国際社会の介入とその監視下での最初の 競合的選挙の実施では、それは解消されていなかった。すなわち「1993 年の憲法で成文化 された多元的な政治システムと代議制政府は、計画された通りにはカンボジアの政治シス テムの一部にはなら」ず27、デモクラシーのルールが根付いたとはいえなかった そもそも、ラナリット率いる民族統一戦線が選挙では勝利し、第 1 首相になったものの、 地方も含めた政府機関の大半で、プノンペン政権時代から引き続いて人民党の影響力は強 いままであり、連立政権は次第にフン・セン第 2 首相主導となっていった28。97 年 2 月か ら、民族統一戦線がポルポト派との帰順交渉を独自に進めることで、この政権内の対立は 暴力を伴いながらいっそう拡大していった29。 UNTAC 以後の国連による民主化への支援は、人権関連の活動を中心に行われた。 UNTAC のもとで既に人権に関わる活動が行われていたが30、その解散の後でも、カンボジ アにおける人権状況の向上に貢献し、国連のプレゼンスを示すために、人権委員会は 93 年 2 月に決議 1993/6 を採択し、事務総長は特別代表を任命した31。特別代表は定期的にカン ボジアを訪問し、別に現地に設立された国連人権センターのカンボジア事務所(後に、国 連人権高等弁務官カンボジア事務所(COHCHR))と協力しながら、政府関係者だけでな く、「カンボジアにおける公正で自由な選挙委員会」(Comfrel)などの現地 NGO とも接触 して情報を収集し報告を行った32。人権委員会と総会はその報告を受けて、「カンボジアに おける人権の状況」と題される決議を毎年採択した33。また、カンボジアの国連人権センタ ーは、情報の収集とともに、人権に関わる制度や法構造の構築、司法制度の整備、市民社 会の強化、人権教育に対して支援を行った 34 。このように特別代表や人権センター・ COHCHR は、基本的に、自由で公正な選挙の実施やそれに必要な権利といった民主化に関 わる要素を、人権における政治的権利の問題として取り扱い支援してきた35。 人権関係以外にも、UNDP が、カンボジアの復興のために、援助ドナー諸国・機関の調 整、貧困の緩和や分権的で参加型の開発への実施・支援、マクロ経済の管理能力や選挙の 実施能力も含めた制度改革及び、ガバナンスの向上への支援、といった活動を行っている36。 ただし、援助の性質の違いがあるものの、1992 年から 95 年にかけて、国際社会全体とし 141 て約 13.4 億ドルの援助があったが、そのうち国連システムとしての援助金額は 1 億ドル弱 に過ぎなかった37。 また、政府機関や軍、警察に影響力を持つ人民党によると目される事件や妨害が特別代 表によって指摘された。例えば、97 年 3 月 30 日には、クメール国民党(KNP)による合 法的な政治的デモに対して手榴弾が投げ込まれ、死傷者が出る事件が起きた。しかし、警 察や軍はそもそも必要な警備を行わず、事件後も十分な捜査が行われなかった38。ほかにも、 特別代表の報告書では、軍隊が非政治化されていないことや、総選挙の準備が遅れている こと、多くの新政党が申請後も長期間合法化されないこと、内閣による選挙法の原案では 国家選挙委員会(NEC)の独立と中立性が保証されえないこと、各政党の国営のマスメデ ィアへのアクセスが平等でないことが指摘された39。 このような状況に対し、国連は、人権センター・COHCHR と特別代表による働きかけ、 事務総長による報告書の提出、人権委員会や総会の決議などを通じて、その改善をカンボ ジア政府に勧告してきた40。選挙法の問題は、Comfrel が提案とロビー活動を行ったことも あり改善された41。 しかし、そのような内外の努力によっては、国内の政治的不安定は収まることがなかっ た。他方で、国際社会の関心全体は、カンボジアの地政学的な重要性の低下により、年々 薄くなっていった42。このような状況の中、97 年 7 月 5-6 日にかけて、フン・セン第 2 首 相による実質的なクーデターが発生し、ラナリット第 1 首相らとの間で武力衝突が起きた43。 この事件によって、フン・センが実権を掌握し、ラナリットをはじめ有力政治家達は亡命 した。ラナリットは自らの正統性を主張し、海外で活動を行った。 この事態に対して多くの援助国は、人道援助以外の援助を停止し、世界銀行も新たなプ ロジェクトを差し控えた。カンボジアに対する援助ドナー諸国・機関の調整メカニズムで ある「カンボジア支援国(Consultative Group)会議」も、前身のカンボジア復興国際委 員会から 93 年以降ほぼ毎年開かれていたが、97 年 7 月以降、99 年 2 月まで開催されなか った44。ASEAN も、7 月に予定されていたカンボジアの加盟を延期した45。同時に、パリ 和平合意に関わった諸国は「カンボジアの友人」と称される非公式の外交グループを形成 し、ASEAN とともに紛争の調停を行った46。 国連では、安保理が議長声明を行い、上記の仲介と対話を支持するにとどまった47。また、 142 9 月より、国連信任状委員会は両派からの国連大使の信任を留保し、同国の代表権を一時停 止した。人権に関する特別代表はこの事件について報告書でクーデターと断定したが、フ ン・センは、むしろラナリットによる軍事的蜂起への対処であると主張した48。同年、12 月に採択されたカンボジアにおける人権状況に関する総会決議 52/135 では、特定の勢力へ の非難はなされなかった。 (3)民主主義体制の定着期(2)―1998 年の第 2 回総選挙と新たな連合政権樹立まで 1998 年 1 月、日本政府が、武力衝突の停止やラナリットの帰国の保証など政情安定化に 向けた 4 項目の提案を行い49、それを両派が承諾することで事態は収拾へと向かった。ラナ リットもその後帰国し、総選挙に参加した。 98 年に入ると、同年 7 月に予定されるカンボジア自前による初の総選挙へ向けて国内外 の動きが活発になった。国連は、97 年より前年の政府の要請を受けて、UNDP を通じて技 術支援を行った50。COHCHR も、例えば、前年 10 月に議会で採択された政党法や選挙法 が正しく実施されているか監視したり、選挙に関する教育に必要なカリキュラムを作成し、 NGO とともに教育活動を行うといった支援を行った51。UNDP は、98 年の選挙の実施を 支援するために数百万ドル程度の信託基金を創設して、投票箱の購入といった選挙費用の 負担、国家選挙委員会の職員や投票教育員の訓練などへ支援を行った52。98 年 4 月には、 事務総長はカンボジア政府から国際選挙監視員の調整への支援の要請を受けた。それに基 づいて、5 月には選挙支援活動全般を統括・調整する国連選挙支援事務局(UNEAS)が設 立された53。6 月には、日本など関係諸国や EU のほか、国連ボランティア(UNV)からも 派遣された選挙監視員から成る国際合同監視団(JIOG)が結成され、EU の代表選挙監視 員がその議長を務めた54。 他方で、諸政党の選挙活動も活発に行われるようになった。その過程において、先ほど も指摘されたようなマスメディアへのアクセスが人民党にコントロールされて不平等であ ることや、一部の市民が特定の政党へ投票するよう脅迫されたといった不正が存在したこ とが特別代表により報告されている55。それでも、5 月 18 日に始まった有権者登録は、技 術的な問題を除いて、比較的暴力を伴わず行われ、6 月 25 日より始まった公式の選挙運動 143 も、相手陣営の選挙活動への妨害は比較的控えられた56。 7 月 26 日に行われた選挙の結果は、フン・センの人民党が国会の 122 議席中 64 議席を 獲得して勝利した。JIOG は、選挙過程全体を監視し、最終的に選挙を自由で公正であった とし、Comfrel も、様々な人権侵害や妨害を踏まえた上で、自由で公正ではないものの「適 当に信頼しうる」(reasonably credible)と評価した57。国連は、特別代表が選挙実施前後、 カンボジアを訪問し、政府関係者、政党の代表、選挙管理委員会及び、NGO を訪ね、また 各地の投票所も訪れたが58、UNTAC の場合と違い、国連自体はこの選挙の自由と公正さに 関する判断は行わなかった。 しかし、選挙に破れた側の諸政党は納得せず、選挙過程での不正を指摘して争った59。不 正への申し立てに対する選挙管理委員会の対応の拙さもあり、対立は暴力を伴って拡大し 長期化した60。ようやく 11 月になって、国王主宰の党首会談で人民党と第 2 党、民族統一 戦線はフン・センを首相、ラナリットを国会議長として再び連立政権を組むことで合意し、 同 30 日、連立内閣が発足した。政情安定を受けて 12 月、カンボジアの国連代表権が回復 した61。国連総会は、カンボジアの人権状況に関して 12 月 9 日の決議 53/145 で、この総選 挙の実施を歓迎し、政党間での新政権についての合意の成立を歓迎した(4・5 項)。また、 有権者の教育と監視員の提供で国内の NGO が果たした役割を歓迎し、カンボジアの市民社 会の発達において NGO が果たす重要な役割を認めて、NGO と協力し続けるようカンボジ ア政府に促している(7・8 項)。 1999 年 3 月 9 日の改正憲法発効を受け、25 日には上院が発足した。対立を繰り返してき た人民党と民族統一戦線は、2000 年に入っても人民党優位の下での蜜月が続いた。それぞ れ内部に軋轢があるが、01 年末現在、政治状況は安定している。02 年 2 月には地方自治体 の統一選挙が行われ人民党が圧勝した。 しかし、特別代表が報告するように、政治的な動機に基づく暴力や人権侵害は 99 年以降 も続いている62。前回の総選挙に比べると、98 年の総選挙では選挙そのものの実施過程で の暴力が少なくなり、デモクラシーのルール定着について前進が見られた。しかし、その 前後では、対立勢力への妨害や選挙結果をめぐる対立が依然生じた。人民党への権力の集 中も見られる中、カンボジアにデモクラシーのルールが定着したとは言いづらい。 引き続き、人権関係については、特別代表と COHCHR が情報収集と支援活動を行い、 144 開発やガバナンスは、UNDP が中心に支援を行っている。特に後者について、先にも述べ たように、UNDP は、民主的ガバナンスに関する「テーマ別信託基金」の設立を目指して いるが、カンボジアに対しても支援が予定されている63。 (4)まとめ 以上のように、内戦の終結から最初の競合的選挙の実施、さらにその後の定着段階まで、 国連はカンボジアの民主化一貫して関わり支援を行ってきた。 移行段階では、国連における有力諸国が関わったことから、パリ和平協定と安保理決議 において国連の積極的な関与が決定づけられた。そのため国連は、最初の競合的選挙の実 施からポルポト派による妨害への対応や選挙後の政権作りまで、UNTAC や安保理決議を通 じて積極的に行動した。その甲斐もあって移行はおおむね成功したといえる。 以後の定着段階でも、特別代表や人権センターを通じて人権の状況の監視と支援を継続 し、UNDP 等を通じて政府や経済、社会の再建に支援を行った。しかし、国内の政治的対 立や人権侵害が繰り返し指摘されたにも関わらず、UNTAC の時と比べると、国連として積 極的な対応がなされたとは言い難い。そもそも、新憲法制定後の時期では、カンボジアの 主権が確立したことから、国内での民主化の後退を口実に国連が関与する手段は限定され た。しかし、国連の諸活動の目標設定が十分でなく、具体性及び包括性が欠けていたこと も問題であった。そのため、国連だけの責任ではないものの、政治的リーダーや支援者の 民主的な手続きへの理解と尊重は十分には促進されず、1997 年 7 月の政変と暴力の発生と いう事態が生じることとなってしまった。この民主化そのものを脅かす政変の解決に関し ても、国連の影は薄かった。98 年の第 2 回の総選挙でも、国連は、国際選挙監視団の調整 など側面的な支援を行っただけであった。 このように、UNTAC の段階では民主主義体制の移行へ向けて包括的で積極的な支援が なされたものの、その後の定着へ向けた過程での国連による民主化支援は、各機関による 個別的で限定的なものであり、定着に十分な役割を果たすことができなかった。平和維持 活動に付随する形で行われる個別的な民主化支援のケースに比べて、国連による民主化支 援活動の一般的な枠組みが未だ不十分であることを、カンボジアの事例は示している。 145 4 小括 以上、第Ⅱ部でみてきた現行の国連による民主化支援活動の特徴を、最初に述べたグロ ーバル・デモクラシーの視点から評価すると次のようになる。 急激な民主化の波という世界秩序の変化を受け、国連は、選挙支援・民主化支援活動を 拡大し、国家の民主主義体制に関する規範を形成してきた。その点で、国連は、民主主義 体制の具体的な内容を定めず、民主化は各国に委ねるグローバル・デモクラシーのウェス トファリア・モデルを従来志向してきたが、冷戦後はその姿勢を変化させつつあるといえ る。しかし、他の国際的行為主体と比べる時、グローバル・デモクラシーの自由主義的民 主主義諸国共同体モデルを国連が強く押し進めているといいうる程度には、国連の民主化 支援活動は十分に制度化されていないといえよう。 このような状態の背景には、何よりも加盟国間での民主化(支援)への態度の相違があ った。民主化の目標自体には賛成しつつも、それをどのように支援するかについて、内政 干渉につながることを恐れる声が強かった。また、民主主義体制の手続き的な側面を重視 する主として欧米先進諸国と、経済発展といった構造・環境的側面を重視する途上国との 間で意見が分かれた。それが自前の選挙監視団の派遣を手控えさせ、非立憲的な民主政権 の転覆への対応手続きの発達を遅らせている。加盟国間の関係のほかにも、支援の実践を 通じた技術の蓄積や、ガバナンス概念の普及の影響、事務総長のリーダーシップ、財政難 といった国連の組織としての事情といった多様な要因も働いていた。 そのような背景を踏まえて、今後、国家の民主化に国連が十分貢献できるようにするに は、民主的であることを判断するための明確な基準作りや、包括的な支援プログラム及び、 非合法的な民主政権の転覆が起きた際の対応手続きが必要であろう。また、具体的な予算 プログラムと活動を担当する責任ある役職と部局を作ることも必要である。資源の不足に 悩む国連にとっては、市民教育や選挙監視などで市民社会と連携することも必要があろう。 同時に、国家の民主化への国際的な関与の正当化の必要と、グローバル化による国内の 民主化への影響を踏まえると、『民主化への課題』でも指摘されたように、国家の民主化を 促進するためには、国際的な意思決定も視野に入れられなければならない。これは、国家 146 を超えた場の民主化というグローバル・デモクラシーのもう一つの課題に関わる。第Ⅲ部 では、国家を超えた場の民主化の一つとして国連自体の民主化の動きを検証する。 林司宣「国連事務総長に周旋活動(1)(2)」『国際法外交雑誌』第 90 巻第 1 号、1-29 頁;第 3 号、31-62 頁、1991 年参照。 2 UNDP/CSOP, UNDP and CSOs-Building Alliances for development, 1998. [http://www.undp.org/csopp/CSO/NewFiles/docbuildall.htm] 2001/04/18. 3 See, UNDP Management Development and Governance Division, UNDP and Governance: Experiences and Lessons Learned, UNDP, 1999 [http://magnet.undp.org/Docs/gov/Lessons] 2001/02/28. 4 See, Gaer, Felice D., “Reality Check: Human Rights NGOs Confront Governments at the UN”, in Thomas G. Weiss and Leon Gordenker (eds.), NGOs, the UN, and Global Governance, Boulder: Lynne Rienner Publishers, 1996, pp.51-66. 5 See, UNESCO, World Plan of Action on Education for Human Rights and Democracy, adopted at the International Congress on Education for Human Rights and Democracy in Montreal from 8 to 11 March 1993, [http://www.unesco.org/human_rights/hrfe.htm] 2001/11/17. 6 See, United Nations Department for Development Support and Management Services, Elections: Perspectives on Establishing Democratic Practices. United Nations Publication, 1997. 7 数え方は難しいが、1999 年 6 月までに 84 カ国に支援を行い、92 年から 98 年までに 105 の支援任務を行った。国別支援一覧表、[http://www.un.org/Depts/dpa/ead] 2000/02/13 と The Office of International Oversight Services, In-depth evaluation of the electoral assistance programme, U.N.Doc.E/AC.51/1999/3, 23 March 1999, Table 2 参照。99 年 9 月から 2001 年 9 月までは、選挙支援部は、37 カ国に対し 53 の支援プロジェクトを行った。 See, U.N.Doc.A/56/344, para.27. 8 U.N.Doc.A/56/344, paras.34-48, and AnnexⅡ, para.5. 9 U.N.Doc.A/56/344, para.30-31. 10 Ibid., para.28. 11 See, Kumar, Krishna, “International Assistance for Post-Conflict Elections”, in Peter Burnell (ed.), Democracy Assistance: International Co-operation for Democratization, London: Frank Cass, pp.195-196. 12 選挙支援での役割分担に関する国連事務局と UNDP との間での覚え書でも、 「独立した 監視グループは、選挙について声明を行うかもしれないが、国連は、促進的な役割を果た すだけであり、自身は(選挙の)過程や結果について意見を表明するものではない。」と明 記されている。U.N.Doc.A/56/344, Annex Ⅱ, para.5. 13 例えば 1993 年のマラウィ、U.N.Doc.A/48/590, paras.41-44;1998 年のナイジェリア、 U.N.Doc.A/54/491, para.34. 14 一連の過程は、Byers, Michael and Simon Chesterman, ““You, the People”: pro-democratic intervention in international law”, in Gregory Fox and Brad R. Roth (eds.), Democratic Governance and International Law, Cambridge: Cambridge University Press, 2000, pp.284-288;大芝亮『国際組織の政治経済学』有斐閣、1994 年、 97-101 頁参照。 15 Byers and Chesterman, op.cit., pp.288-290;酒井啓亘「シエラレオネ内戦における「平 和維持活動」の展開(1)―ECOMOG から UNISAL へ―」『国際協力論集』第 9 巻第 2 号、 2001 年、97-126 頁参照。 16 Report of Credentials Committee, U.N.Doc.A/52/719, 11 December 1997, paras.3-5.; Murphy, Sean D., “Democratic legitimacy and the recognition of States and 1 147 Government”, in Fox and Roth (eds.), op.cit., pp.147-148. 17 See, Working paper by Mr. Manuel Rordríguez Cuadros on the measures provided in the various international human rights instruments for the promotion and consolidation of democracy, U.N.Doc.E/CN.4/Sub.2/2001/325 July 2001. 18 UNDP, UNDP Thematic Trust Fund: Democratic Governance, 2001, [http://www.undp.org/trustfunds] 2001/11/18. 19 1995 年の「選挙原則」報告書、U.N.Doc.A/50/736, para.25. 20 例えば、 フリーダムハウスによると 121 カ国が「民主主義国家」である、Freedom House, Freedom in the World 2001-2002. ただし、カンボジアなど評価で本書と異なる部分がある。 21 International Institute for Democracy and Electoral Assistance, Democracy and Global Co-operation at the United Nations. Stockholm: International IDEA, 2000, p.9. 22 パリ和平会議までの経緯は、Acharya, Amitav, Pierre Lizee, and Sorpong Peou (eds.), Cambodia--The 1989 Paris Peace Conference: Background Analysis and Documents. Millwood, N.Y.: Kraus International Publications, 1991, pp. xxiii-xlviii 参照。1981 年の 段階で、ASEAN は、国連のもとでの自由選挙を提案している。Ibid., pp. xxix-xxx. 23 以下の過程と資料について、Department of Public Information, The United Nations and Cambodia: 1991-1995, New York: United Nations, 1995 参照。 24 U.N.Doc.S/21689. 25 安保理決議 783 (1992). 26 Peou, Sorpong, Intervention & Change in Cambodia: Towards Democracy? Chiang Mai, Thailand: Silkworm Books, Pasir Panjang, Singapore: Institute of Southeast Asian Studies, 2000, ch.6. 27 Brown, Frederick and David G. Timberman, “Introduction: Peace, Development, and Democracy in Cabodia-Shattered Hopes”, in Frederick Brown and David G. Timberman (eds.), Cambodia and the International Community, New York: Asia Society, Singapore: Institute of South Asian Studies, 1998, p.21. 28 See, Brown, Frederick, “Cambodia’s Rocky Venture in Democracy”, in Krishna Kumar (ed.), Postconflict Elections, Democratization, and International Assistance, London: Lynne Rienner Publishers, p.100. 29 See, Roberts, David W., Political Transition in Cambodia 1991-99: Power, Elitism and Democracy, Richmond: Curzon Press, 2000, ch.7. 30 Report of the Secretary-General, Situation in Cambodia, U.N.Doc.E/CN.4/1993/19, 14 January 1993. 31 国連の人権促進活動の、国連人権高等弁務官事務所が提供する人権分野における技術協 力を受ける地域に関する独立専門家による定期報告システムに該当する。(財)アジア・太 平洋人権情報センター編『アジアの文化的価値と人権』現代人文社、1999 年、181 頁。 32 例えば、1997 年の総会への特別代表の報告書参照。U.N.Doc.A/52/489, para.6. 33 総会決議 48/154;49/199;50/178;51/98;52/135;53/145 及び、 人権委員会決議 1993/6; 1994/61;1995/55;1996/54;1997/49;1998/60 参照。 34 例えば、U.N.Doc.A/52/489, para.4 及び、事務総長が総会と人権委員会に提出したカン ボジアの人権センターの活動に関する報告書、U.N.Doc.A/49/635/Add.1, 3 November 1994;A/50/681/Add.1, 26 October 1995;E/CN.4/1996/92, 2 February 1996; E/CN.4/1997/84, 31 January 1997 参照。 35 ただし、1995 年の総会決議 50/178 以降、カンボジアの人権状況に関する総会決議に、 カンボジア政府に、「多党制民主主義(multi-party democracy)の効果的な機能」を促進し支 えるように促す文言が含まれるようになった。 36 See, UNDP: Country Cooperation Framework and Related Matters, First Country Cooperation Framework for Cambodia (1997-2000), U.N.Doc.DP/CCF/CMB/1, 3 July 1997. カンボジアへの国際的な経済援助全体は、大隅宏「破綻国家からの脱却をめざして 148 ―グローバル・ドナー・コミュニティ VS.カンボディア政府」『成城法学』第 60 号、1999 年、1-37 頁も参照。 37 Peou, op.cit., p.269. 38 Report of the Secretary-General, Situation of human rights in Cambodia, U.N.Doc.A/52/489, 17 October 1997, paras.32-38. 39 Ibid., paras.32-56 40 1994 年から 97 年までは、注 34 の報告書を参照。 41 The Committee for Free and Fair Election in Cambodia (Comfrel), 1998 National Assembly Election in Cambodia, [http://www.bigpond.com.kh/users/comfrel/general_election.htm] 2001/12/01, 4.2. 42 例えば、国際社会全体の援助について、当初の 23 億ドルの約束に対して、1992-95 年の 間に実際に支払われたのはその 58.9 パーセントであった。Peou, op.cit., p.269. 43 Ashly, David W., “The Failure of Conflict Resolution in Cambodia: Cause and Lesson”, in Brown and Timberman (eds.), op.cit., p.70. 44 大隅、前掲、23 頁。 45 Lao Mong Hay, “Building Democracy in Cambodia: Problems and Prospects”, in Brown and Timberman (eds.), op.cit., p.171;Murphy, op.cit., p.148. 46 Brown, Frederick and David G. Timberman, op.cit., pp.23-24. 47 Statement by the President of the Security Council, U.N.Doc.S/PRST/1997/37, 11 July 1997. 48 U.N.Doc.A/52/489, para.41. 49 Peou, op.cit., pp.397-398. 50 U.N.Doc., DP/CCF/CMB, 3 July 1997, para.28. 51 COHCHR の活動に関する事務総長の報告書、U.N.Doc.E/CN.4/1999/100, 3 February 1999, paras.16 and 62. 52 See, Assistance to the 1998 Cambodian National Elections funded through the “UNDP Open Trust Fund for Support to Local and National Elections in Cambodia”, United Nations Development Programme Project of the Kingdom of Cambodia Project Document, CMB/98/A/01/A/1S/31. 53 国連の 1998 年の選挙へ向けた支援全般は、U.N.Doc.A/54/491, Annex 参照。 54 Commission of the European Communities, Communication from Commission on EU Election Assistance and Observation, COM(2000) 191 final, Brussels, 11.4.2000, p.29. 55 Report of the Secretary-General, Situation of human rights in Cambodia, U.N.Doc.A/53/400, 17 September 1998, paras.42-67. 56 Comfrel, op.cit., 4.8.;U.N.Doc.A/53/400, para.56. 57 Comfrel, op.cit., 1 and 4.9 58 U.N.Doc.A/53/400, paras.24-25. 59 Ibid., 9. 60 Comfrel, op.cit., 9. 選挙後の政治的暴力について、人権委員会への特別代表の報告書参 照、U.N.Doc.E/CN.4/1999/101, 26 February 1999, paras.21-35. 61 Report of Credentials Committee, U.N.Doc.A/53/726, 4 December 1998. 62 1999 年と 2000 年の政治的暴力は、人権委員会への特別代表の報告書参照、 U.N.Doc.E/CN.4/2000/109, 13 January 2000, paras.23-29;U.N.Doc.E/CN.4/2001/103, 24 January, 2001, paras.24-30. 63 UNDP, UNDP Thematic Trust Fund: Democratic Governance, op.cit. 149 第7章 国際機構の民主化の諸目標 1 序論 第Ⅲ部では、民主化の課題の一つである国家を超えた場の民主化として、国連は、自身 の民主化にどのように取り組んできたかを検証する。元来、国家を超えた場については、 国家のみに関わるものとしてそもそも「民主化」の対象とされないか、せいぜい平等に基 づく国家間関係が「国際民主主義」として認識されるにとどまってきた1。しかし、特に 1990 年代以降、国際機構を含めた国家を超えた場の民主化が改めて模索されるようになった。 その理由について、本書でのこれまでの議論も踏まえて、特に次の 2 つがいえる。 第 1 に、国家の民主化を進めるために、国家を超えた場の民主化が必要であるという認 識の高まりである2。各国の民主化における国際的な要因の影響力はますます強くなりつつ ある。 国際的な要因には、まず国際的な民主化支援活動がある。冷戦後、各国で民主主義体制 への移行は急速に進んだものの、サブサハラ諸国をはじめ多くの国家でその定着に困難が 生じている3。そのような事態に対して、国際的な民主化支援は、選挙支援を超えて多様性 を増しながらますます必要とされている。しかし、どのような民主化支援をどの程度行う かは、国際的な場で決定される。例えば国連では、平和維持使節団を派遣されて民主化支 援が行われる場合や、反民主的な行為に対して強制的な措置が行われる場合には、安保理 で意思決定が行われる。それがどのような過程を経てどのような決定がなされるのか、ま たその決定がどれくらい国際社会や世界の人々全体の意思を反映しているかが問題となる。 特に相手国への影響が大きい手段については、それを実施する側に民主的な正当性がいっ そう求められる4。 また、グローバル化も国際的な要因として国家の民主化に大きな影響を与えているとさ れる。なかでも経済のグローバル化は、多国間会議や経済協力開発機構(OECD)、世界銀 行、世界貿易機関(WTO)など、先進諸国が決定権を握る国際制度によって支えられてい る。民主化が停滞する原因の一部には、各国自身が平等に自らの運命を決することができ 150 ない、国家を超えた意思決定の不平等なメカニズムにあるとされる。そのことから、国家 の民主化を促進するためにも、国家を超えた場の民主化が求められることとなる。 第 2 に、国家そのものがデモクラシーの器としての不十分になりつつあるという認識か ら、国家を超えた場の民主化が求められるようになった5。既に民主主義体制が定着してい る先進民主主義諸国でも、民主制度の機能不全が指摘され、直接民主主義の制度や新しい 社会運動といった新しい民主的制度の模索が行われている6。議会制度など従来のデモクラ シーの理念や制度は、そもそも国家を前提に発達してきた。現在、グローバル化によって 国家そのものが変容し、同時に多国籍企業や海外投資など国家を超えた活動が活発化して いる。しかし、「選挙区」(constituency)が国家の領域に限定された民主的制度では、市民 はそのような活動を十分にコントロールすることができなくなりつつある。同時に、国際 制度の活動が人々の生活へ直接影響を与える程度はますます大きくなりつつある。そのよ うな状況から、国際制度のアカウンタビリティーの向上といった国家を超えた場の民主化 が模索されるようになった7。 これらの背景を踏まえて、現在では、国家を超えた場の民主化の(再)検討が盛んであ る。その動きに対して国際機構は大きく次の 2 つの点で関わる。第 1 に、国際機構は、国 家を超えた場の民主化を促進したり、あるいは阻害したりする主体として活動する。経済 協力を進めて国家間の平等を促進したり、自身の意思決定の場や主催する国際会議で NGO の参加を促すことで、国際機構は国家を超えた場の民主化を促進しうる。しかし他方で、 経済の自由化を国際機構が進めることで国家間の経済格差を広げ、国家を超えた場の民主 化を阻害していると考えられる場合もある。国連もまた、国際関係の「民主化」を試みて きた。1974 年の新国際経済秩序宣言では、経済構造の変革を通じた国家間の平等の追求が 試みられた。あるいは、1993 年の国際開発環境会議(UNCED)など国連主催の国際会議 を通じて、NGO の参加を積極的に促してきた。 第 2 に、国際機構自体が、国家を超えた場の一つとして民主化の対象となる。そもそも 国際機構は、国際社会共通の問題を実効的に解決するというその機能的な役割と、構成員 が国家のみであることから、その民主的な運営のあり方に関して関心が集まることは稀で あった。むしろ、専門家や国際官僚によって技術的あるいは「非政治的」に運営されるこ とがむしろ望ましいとさえされた8。しかし、先にも述べたように、国際機構の決定の影響 151 が、自らが所属する国家の意思に反してまで人々に直接及ぶ場合が増えるようになった。 そのため、国際機構は、次第に自らの意思を直接伝える「民主化」の対象となるようにな った9。国連の「民主化」を求める議論も、1990 年代以降急激に活発になった10。そもそも、 国連は、そのメンバーシップの普遍性と活動分野の包括性から、国家を超えた場の民主化 の最も重要な対象の一つとされ、見習うべきモデルとされてきた11。第Ⅲ部では、この民主 化の対象としての国連に焦点を当てる。 しかし、本書で再三述べてきたように、国際機構の民主化を含めて国家を超えた場の「民 主化」の目標については、国家の民主化の目標に比べると、いまだ国際的な合意の到達に は程遠い状態である。むしろ、国際会議における政府代表と NGO の間での対立のように、 誰が国際社会の意思を代表するかをめぐって大きな断裂が存在する。多様な目標が存在す るということ自体が、国家を超えた場の民主化を難しくしている。そこで第Ⅲ部の本章で は、議論を国際機構に限定して、国際機構はどうであれば民主的であるといいうるか、す なわち「機構内民主主義」の目標について12、地域的な国際機構や国際会議などでの実践や 議論から整理する。この作業は、国際機構を中心とした国家を超えた場の民主化の議論の 多様さを把握し、国連における「民主化」の動きを理解するために不可欠である。ただし その作業では、多くの困難が伴うものの、「治者」は「被治者(の代表)」に責任を負うこ とが少なくとも必要という、第 1 章で議論した民主的といいうる最低限の条件が極力意識 されなければならない。 「民主化」の名が付く多くの議論があるが、すべてが先の基準から みて「民主的」といいうるわけではない。 また、国家を超えた場の民主化に関する従来の議論の別の問題点は、もう一つの民主化 の課題である国家の民主化と切り離されて議論されてきたことである。例えば、仮に国連 安保理の拒否権が廃止されて国家の平等が進んだとしても、加盟国の一部が民主的ではな いとき、国連が「民主化」されたとはいえないかもしれない。ここで整理される国際機構 の民主化の諸目標は、国家レベルのデモクラシーも含めた第 2 章でみたグローバル・デモ クラシーの各モデルと結び付けられなければならない。それによってはじめて、第 1 章で みたデモクラシーの基準を用いて、ある国際機構や国際制度が民主的であるかどうか議論 を開始することができる。それぞれのモデルごとに、一つないし複数の国際機構の民主化 の目標が求められる。本章では、整理した国際機構の民主化の諸目標がグローバル・デモ 152 クラシーの議論にどのように位置付けられるかも改めて述べたい。 さらに、国家を越えた場の民主化の議論に欠けているのは、どのようにその目標が実現 されるのかという「民主化の理論」である。例えば、ある国際機構が民主化の目標にかな うよう制度を形成したり改編する際には、加盟国の意思や事務局のイニシアティヴ、その 背景にある国際情勢の変化、組織としての財政事情といったものの影響を受ける。この第 Ⅲ部の次章では、国連の場において国際機構の民主化の諸目標がどのように追求されてき たかを、様々な要因に注意を払いながら検証する。それによって「民主化の理論」の構築 につながる知見を得たい。 2 国際機構の民主化をめぐる議論 国際機構を含む国家を超えた場の民主化の目標をめぐっては、多彩な議論と実践が存在す る。それでも、国際機構の民主化の目標は、その特徴から、大きく「国際(国家間)民主 主義」、「超国家的議会制民主主義」、「直接民主主義」、「アウトプット指向のデモクラシ ー」に分類することができる。それらは様々な国際機構や国際制度の実際の改革で実現が 試みられてきた。国連の民主化においても、次章で詳しく見るように、例えば「国際民主 主義」に基づく安保理改革、「超国家的議会制民主主義」に基づく「人民総会」案、「直接 民主主義」に基づく NGO の参加の拡大、「アウトプット指向のデモクラシー」に基づく行 財政改革といった具合に、それぞれの目標が同時に求められてきた。 ただし、全体としての国家を超えた場の民主化の問題と、個々の国際機構の民主化の問題 は必ずしも同じではない。国際機構はそれぞれ独自の機能と構造を有する。他の国際機構 と補完し合うこともあれば、機能や財源で重複や対立することもある。そのため、ある国 際機構の民主化が他の国際機構の民主化やひいては国家を越えた場の民主化全体に悪影響 を及ぼす可能性もある。各国際機構の民主化と国家を越えた場の民主化全体の調和に関す る問題は、やはりグローバル・デモクラシー全体の視点から考察される必要がある。それ にもかかわらず、国際機構の民主化と国家を超えた場の民主化は共通する部分が多い。こ こではその多様さと特徴を掴むために、国際機構の民主化の諸目標を整理する(表 7-1 を参 照)。それぞれについて、大まかな特徴とその実現に伴う問題点や議論されている点をみて 153 いくが、その際第 1 章でまとめたデモクラシーの中心原理の枠組みを用いる。すなわち「参 加の主体」「参加の対象」 「参加の方法」「政治的平等のあり方」に沿ってまとめたい。 (1)国際(国家間)民主主義 「国際(国家間)民主主義」は、国際機構の民主化の目標としては、おそらく最も古く より追求されてきたものであろう13。 その特徴を簡単にまとめると、参加する主体は主権国家及びその代表に限られる。ただ し、国家の政治体制が民主的であることが求められるかどうかは、グローバル・デモクラ シーの構想によって異なる。参加の対象に関して、国際機構の主たる意思決定機関は、政 府間の枠組みに基づいて構成されることが要求される。最終的な意思決定権は国家に与え られなければならない。すなわち、最高意思決定機関は、原則としてすべての加盟国が参 加する「総会」であることが求められる。日常的な決定のために加盟国の一部で構成され る「理事会」については、その選出は地理的な衡平に基づくものでなければならない。参 加の方法については、政府代表が直接参加する。 国家間の参加の平等に関しては、一国一票制のように形式的平等を主張するものと、国 際機構の果たす役割とその実効性への貢献度に対応して機能的平等ないし相対的平等を求 める議論とが存在する14。国連など多くの国際機構は国家間の形式的平等に基づくものが多 いが、世界銀行や IMF などでは出資額に応じて票数を与える加重表決制度が導入されてい る15。これらをめぐって争われることもある。例えば、アメリカは、1986 年のカッセバウ ム修正以降、相対的平等の視点から、総会へ拠出金額に応じた加重表決制の導入を求めて 国連の分担金の支払いを保留するようになった。以降、国連は財政難に陥っている16。他方 で発展途上国は、1974 年からの「新国際経済秩序」以来、国際経済体制の抜本的な変革や 経済協力の大幅な増額を求めるとともに、国際経済機関での加重表決制度の修正を求めて きた17。さらに、一部の国家に特権を与える拒否権の制度の廃止を求める声も昔から根強い。 「国際(国家間)民主主義」は、国際機構の意思決定に実際に導入され、さらなる実現 が追求されてきた。実際、多くの国際機構の最高意思決定機関は、国際労働機関(ILO)な どを除いて、加盟国のみによって構成される「総会」である。さらなる意思決定における 国家の平等を求めて、表決制度における一国一票制の導入や拒否権や加重投票のような特 154 定国家の特別待遇の廃止・改変が主張されてきた。国連においても、この目標に基づいた 民主化が求められてきた。例えば、国連の安保理改革においては、地理的や南北諸国間の バランスに配慮した常任理事国の拡大・改編や、一部の国家に特権を与える拒否権の廃止 が、安保理の「民主化」として主張されてきた。 同時に、もともと民主的でない国家が、国際的な場では「国際(国家間)民主主義」を 主張することに、そもそも矛盾が指摘されてきた。しかし、冷戦終結以降は、加盟国の民 主化の進展によってその矛盾は解消しつつある。その一方で今度は、NGO の国際機構への 参加が拡大するにつれて、「選挙で選ばれた」代表としての政府と NGO との間でどちらが 民意を代表しているかという「正当性」争いが激しくなりつつある18。 (2)超国家的議会制民主主義 「超国家的議会制民主主義」もまた、古くより主張されてきたものである19。加盟国から なる総会に置き換えて、あるいは並行して、人々より直接選挙によって選ばれる議員から なる議会の設立が主張される。超国家的な議会制は、国内における議会制民主主義を範と して、それを国家を超えた場へ応用するものである。この制度を通じて国際機構の民主化 を求める背景には、公的な権力が存在するところには民主的な原理が導入されなければな らないが、それには国家で実績のある制度を適用するのがよい、とする「国内類推」の発 想がある20。 国際機構の意思決定過程への主たる参加者は、人々を代表する議員である。参加の対象で ある超国家議会は、国際機構における最高意思決定機関たることが望まれる。人々にとっ ての国際機構への参加の方法は、人超国家議会議員を選ぶ際に行われる選挙が中心である。 近い実例としては、欧州連合(EU)の欧州議会がある。欧州議員は、加盟国それぞれに おいて各国が決めた選挙制度に基づいて直接選挙で選出され、選ばれた議員は EU 全体を 代表する。現在の EU ではいわゆる「欧州政党」が発達しつつある。イギリス労働党など 左派系の政党の連合である欧州社会党と、ドイツのキリスト教民主同盟など右派系の欧州 人民党を中心とした政党政治が行われている21。 ほかに超国家的な議会の設立への過渡的なものとして考えられる制度としては、 、各国議 155 会の議員の代表より構成される総会がある。既に、欧州審議会では「議員総会」 (Parliamentary Assembly)や西欧同盟では「総会」(Assembly)が存在している。アフ リカ統一機構(OAU)を前身とし、2000 年のロメ首脳会議でその制定法が採択され、2001 年 に 発 足 し た 「 ア フ リ カ 連 合 」( AU ) で も 、「 汎 ア フ リ カ 議 会 」( the Pan-Africa Parliament)が設立された22。具体的な仕組みは議定書で定められ、今後 5 年は、各国よ り 5 人の国会議員が集められ、AU の活動について助言を行う予定である23。2003 年 6 月 現在、汎アフリカ議会設立議定書の発効へ向けて、各国が批准を行いつつある。 しかし、それらの超国家的な議会や各国議員からなる総会が持つ権限は、国家における議 会の同程度の権限が望まれてはいるものの、国家主権との関係から依然として諮問的なも のにとどまっている。最も権限の強化が進む欧州議会でも、EU 諸機関への各国からの権限 委譲に伴う加盟国議会の民主的コントロールの喪失に比べて、その民主的コントロールの 権限はいまだ不十分であり、「民主主義の赤字」が指摘されている24。 国連に関しても、このような超国家的な議会の創設は、「人民総会」あるいは「第 2 院」 案として、たびたび提案されてきた25。しかし、加盟国の多さと多様さから、議員の選出方 法について、単純に人口比にするのかそれとも小国の国民に極端に不利にならないように 加重して国別に議員を割り当てるのか、といった難題が存在する26。 (3)直接民主主義 「直接民主主義」の議論では、人々やそれらを代表する NGO あるいは「市民社会(組織)」 が、国際機構の意思決定へ参加することが求められる27。国際機構への NGO の参加は、19 世紀の国際機構の誕生から行われていることである28。しかし、人々あるいは NGO など人々 の自発的結社より構成される「市民社会」が直接国際機構に参加することが、グローバル・ ガバナンスや国際機構の民主化として盛んに主張されるようになったのは、特に冷戦終結 以降である29。 その理由としては、第 1 に、上で述べた超国家的な議会の設立が実現困難であるためであ る。すなわち、超国家的議会の設立へ向けた第一段階、あるいはその代用として、主権国 家の壁を破るために人民の国際機構への直接参加が提唱されるようになった30。第 2 に、国 156 際機構の意思決定が特定の人々の生活に直接影響を与えるのであれば、国家と同様に、影 響を受ける人々の意思が決定に直接反映されるべきであるという、いわばデモクラシーの 規範の国家を超えた場への浸透といえるものがある31。第 3 に、グローバル化によって国家 以外の個人や集団が力をつけ、国境を超えた活動が増大し、それらが国家と同様に国際機 構へもアクセスを求めるようになったという現実の状況がある32。また、2 点目と 3 点目に ついては、国家の民主化による NGO の活動の自由化やデモクラシーの価値の高まりがその 背景にある。第 4 に、加盟国政府間の対立による活動の行き詰まりを乗り越えるために、 その正当性や資源を直接に人々から得ようとする国際機構側(特に事務局)の意図がある。 ただし、この目的で NGO の参加を求める場合、既に政府間の場で決定されたことを実施す る段階での参加が限定される傾向がある。 「直接民主主義」での参加主体は原則として人々自身であるが、実際には NGO がその代 理として行動することが予定される。その NGO については、それが具体的に何を指すかに ついて多様な議論が存在する。まず、国際 NGO のみか、それとも国内の NGO や地域的共 同体までも含むのかで議論が分かれる33。 しかし、その参加が国際機構の民主化に貢献するためには、参加する NGO 全体が幅広く 国際社会を代表していることが重要である。そのためには、第 1 に、地域的なバランスが とられなければならない。いわゆる「北」の NGO の偏重が指摘されることから、特に先進 諸国と発展途上国のどちらを NGO が拠点とするかが問題である34。ただし、超国家的議会 構想と同様、国家単位かそれとも人口に比例すべきかは未解決である。また、本拠地がそ のままその NGO の代表する利益の偏向を意味するわけではない。第 2 に、参加する NGO の機能が重要である。アドボカシー(政策提言)活動を目的とする NGO の方が、意思決定 への参加を目標とするため、現業をもっぱらとする NGO よりも民主化に貢献する程度は高 いといえよう。第 3 に、NGO がどのようにしてつくられたのか、その設立の由来や財政基 盤も重要である。ある NGO が実質的に政府によってつくられた場合や、活動資金の大半が 政府やその関連財団経由であり自律性が疑わしい場合は、それらの NGO が国際社会全体の 意志を代表する程度は低くなる。第 4 章で見たように、全国民主主義促進財団(NED)な どアメリカの民主化支援活動に従事する NGO は、政府から全面的な財政支援を受けている 35。第 4 に、参加の方法にも関わる問題として、多数の NGO が参加するときに、NGO の 157 集団内部での交渉の日程の調整や情報の共有及び意思の集約が課題となる。NGO の持つ意 見や利害は多様であり、対立することも多い36。 やはり参加の主体としての NGO に関して、最近 NGO 内部の民主性あるいはアカウンタ ビリティーの問題が取りざたされている37。そこでは、個々の NGO 内部の民主性を向上す るために解決しなければならない様々な問題が指摘されている。第 1 に、NGO 自体が代表 し責任を負うべき「主権者」を特定する問題がある。NGO の活動資金の提供者、援助先で のパートナーや利益を供与する人々、あるいは NGO の職員というように、NGO は複数の アカウンタビリティーの対象を抱えている38。誰をどの程度代表し、また責任を負うのか決 定することは困難を伴う。特に、複数の NGO からなる組織やネットワークの場合、状況は より複雑となる39。もともと NGO には市民運動に近い比較的緩やかな組織も多く、関係者 が複数の組織に所属するなどにより、外部との境界線が曖昧となることが多い。また、NGO の組織規模が大きくなるにつれて、構成員全員の直接参加かそれとも間接代表かといった 民主的参加の方法に関する問題が生じる。 第 2 に、NGO 全体としての国連の民主化への貢献と、個々の NGO 内部の民主化が対立 する可能性がある。個々の NGO は自らの具体的な「主権者」を持つ。そのために、国際社 会全体の意思と、自ら直接代表する「主権者」の意思との間で、時に矛盾や対立が存在す る可能性がある。そもそも、国際機構と加盟国の関係も同様の問題を抱えてきた。NGO の 場合も、個々の NGO が民主的であるからといって、その参加が国際社会全体の意志を代表 し、国際機構の民主化を進めることにはならないかもしれない。 参加の対象について、NGO の参加が国連の民主化につながるためには、国連の意思決定 の場に NGO が参加し、その声が政策の決定に反映されなければならない。ただし国際機構 の政治過程は複雑であり、「意思決定」の場の特定は、国内の政治過程と同様に多くの困難 が伴う。 国際機構の政治過程は、基本的に事務局職員や加盟国代表からの提案に基づいて、総会 など適切な意思決定機関の小委員会を経て本会議で決定される。決定は、加盟国政府や下 部の専門機関や部局を通じて実施される。1992 年に開催された国連主催の国連環境開発会 議、いわゆる地球サミットのように、アドホックな国際会議で重要な国連の政策が決定さ れることもある。しかし、主要な意思決定機関は国際機構の総会や理事会だが、そこで決 158 定される決議の案の実質的内容は、総会内の委員会や事務局の部局あるいは加盟国内部で 事前に作成される。逆に、総会や理事会の決議では大まかな枠組みだけ決められて、具体 的な計画内容は実施する過程で決められることも多々ある。また、非公式な交渉での意思 決定も多い。そのため、NGO は、公式な参加が制限されていたとしても、原案の作成に一 定の影響を及ぼす機会は様々に存在する。実際、NGO は意思決定に影響を与える多様な方 法を有する。 その参加の方法について、NGO の参加が国際機構の民主化につながるためには、国際機 構の意思決定にその意思が反映される必要がある。もともと NGO の国際機構への参加の手 段としては、政府代表団に混じっての票決への参加から、オブザーバー参加、さらには非 公式的な接触などが指摘されてきた40。公式な参加については、多くの国際機構では、意思 決定機関へのオブザーバー参加か、あるいは事務局内の NGO 部局との関係にとどまる。ま た、NGO による意思決定への影響力では加盟国や事務局との影響力の対比も重要であるが、 現在のところ、加盟国と対等の参加の権限を持つケースは極めて限られている。それにも かかわらず、国際的な意思決定への NGO の非公式の影響力が指摘されている41。NGO は、 政府代表団のメンバーに加わったり、政府代表へのロビーイング、会場近くでデモを行う ことなどを通じて、国際機構を含む国際的な意思決定の場で一定の影響を及ぼしてきた。 対人地雷禁止条約をめぐるいわゆるオタワプロセスのように、NGO がある政策で主導的な 役割を果たす場合さえある42。しかし、国際機構の民主化として機能するためには、NGO 参加の制度化・公式化が不可欠である。 これらの参加方法を通じて、NGO の意思が実際の国際機構の意思決定に効果的に反映さ れるためには、先にも述べたように NGO 集団内部での調整が必要とされる。まず、多くの 国際機構や機関において、NGO 全体が国際社会の意志を反映するように、NGO を地域や 関心のある問題ごとにまとまる「コーカス」が作られている43。さらに、NGO 全体として 政府代表や事務局との交渉をしたり、NGO 間の日程を調整する運営委員会を設けるといっ た工夫がなされている。 「直接民主主義」における政治的平等について、大きく二つの次元の問題がある。第 1 に、そもそも加盟国や国際機構の官僚など他の行為主体と比べて、NGO 全体がどの程度国 際機構の意思決定過程に影響力を有しているかである。そもそも、NGO が影響力を有すべ 159 き内容と程度は、グローバル・デモクラシーの構想によって異なる。コスモポリタン・モ デルやラディカル・モデルは、NGO を国際社会全体の意志を代表するデモクラシーの担い 手として捉えており、影響力をもつことは好ましいとする。 第 2 に、主体のところで触れたように、NGO 間での問題である。平等の種類には、大き く形式的な平等と相対的(機能的)な平等及び実質的な平等がある。形式的平等には、各 NGO あたりの表決での票数をはじめ、オブザーバー参加でも発言時間や回覧のために提出 できるペーパーの字数などがある。しかし、個々の NGO が持つ能力は様々である。そのた めに、例えば国連本部における会議に頻繁に参加できる NGO もあれば、財的な理由から支 援なしには参加できないものもある。そのために形式的平等が実現されても、会議への出 席のための資金やスタッフの数などによって、NGO の間で政治過程へのアクセスの実際の 能力に著しい差が生じる。特に、南北 NGO 間で影響力の大きな能力の格差が存在している 44。そこで、例えば会議への参加の費用を基金によって補うなど、実質的な平等の確保を目 指す場合がある。 他方、相対的(機能的)平等の観点では、そのような資金力や能力の違いから生じる発言 力の差を、国際機構への貢献の程度を反映するものとしてむしろ妥当とする。実際、国連 の経済社会理事会の NGO 協議制度では、国連の活動への貢献の程度に応じてカテゴリーが 分けられ、発言できる程度や提出できる意見書の字数が異なる。結局、その機関が行う活 動の性質や参加する NGO の状況によって、平等の内容は変化する。最も客観的に観察しう る形式的な平等を中心に、その分野や参加の対象に応じて、実質的平等や相対的平等がど の程度達成されているかも評価の際に考慮に入れる必要がある。 国連については、NGO の参加制度は、国連憲章第 71 条に国連経済社会理事会での協議 資格が認められるなど古くより存在してきた45。さらに、冷戦終結以降、多数の国連会議が 開かれる中で NGO の参加は拡大し、1996 年には協議的地位も拡大された(経社理決議 1996/31)46。その規定には、NGO 自身の民主性が協議制度が資格付与の要件として織り込 まれている(同 12 項) 。基本的には国家の代表が議決権を持ち、NGO はオブザーバーとし ての参加にとどまっている。そもそもその参加は、国連の活動の実効化・効率化に貢献し うるものとしての役割を期待する側面が強かった。それでも近年では、国連において、NGO は「市民社会」を代表するものとしてほぼ同義で扱われ47、その参加は人々の意志を伝える 160 ものであり、国連の「民主化」につながるものとして注目が集まっている48。 (4)アウトプット指向のデモクラシー 「アウトプット指向のデモクラシー」は、主権者が望む問題の解決や利益を国際機構が実 現するという「結果」の側面を重視するとともに、結果や行動に対するアカウンタビリテ ィーを国際機構に求めるものである。 もともと国際機構の形成には、先にも述べたように、人間・政府の必要を満たすという機 能主義的な思想が強く働いていた。そこではむしろ、国際機構の問題解決能力や実効性、 効率性が重視され、国際官僚によるテクノクラティックな運営が望ましいとされてきた。 そのため実効性や効率性を向上させるために、自律し中立的な官僚制の強化といった行政 改革が求められた。最近の NGO や地域的国際機構への「下請け」あるいは役割分担を求め る議論の高まりも、実効性や効率性向上の観点から説明できる49。むしろ、このような国際 機構の効率化や実効化を、加盟国及びその国民の要求を満たすためというデモクラシーの 観点から捉えるのが、この目標の基本的な考え方である。すなわち、意思決定への参加が 民主的な政治システムの「インプット」の側面なら、人民の意志を満たす結果の追求を「ア ウトプット」の側面と捉えるものであるといえよう50。 このような側面から見る場合、政策の実施過程や予算の決定メカニズムといった国際機構 の行財政的側面に特に注目することとなる51。しかし、単に国際機構の行財政能力を高める ための改革だけでは、国際機構の「民主化」としては不十分である。第 1 章のデモクラシ ーであるための条件に関する議論でみたように、政策の決定から実施までの過程を説明し、 結果について具体的に責任を問うアカウンタビリティーのメカニズムが存在しなければな らない。 実際、国際機構の活動が拡大し活動の専門性も高めるにつれて、加盟国によって構成され る総会や理事会では、国際機構の活動を完全にコントロールすることは次第に困難になり つつある。シャルプは、EU の「民主主義の赤字」の問題に焦点を当てた論考で、加盟国議 会によるのコントロールが難しくなりつつあり、欧州議会も未発達である現状では、イン プットの側面から EU の民主化を進めることは困難であり、アウトプットの側面に注目す 161 べきであるとした52。国際機構に対する民主的なコントロールの現実的な方法として、この 「アウトプット指向のデモクラシー」は注目を集めつつある53。 アカウンタビリティーの対象である加盟国が、この目標における参加の主体となる。ただ し、最近では、人々や NGO が直接国際機構の活動に関わる事が多いことから、彼(女)らへ アカウンタビリティーを負わなければならない可能性が指摘されている54。アカウンタビリ ティーを追及する対象は国連の諸機関全体であるが、特に政策の実施に関わる事務局が重 要となる。アカウンタビリティーを追及するための具体的な制度としては、例えば情報の 公開や行政監査などが考えられる55。 政治的な平等については、「国際(国家間)民主主義」と同じ問題を抱えている。すわな ち、形式的な平等を重んじて個々の加盟国に対して均等にアカウンタビリティーを負うの か、それとも機能的平等にのっとって、分担金といった資源をより多く提供している程度 に応じてそれを負うのかで議論が分かれる56。 この目標での NGO や市民社会は、国際機構がもつ資源がそもそも限られている現状では、 情報を収集し、公共サービスの供給を実効的かつ効率的に供給するなど国際機構の機能を 補完する存在として位置付けられる。 国連においても、後にみるように、1980 年代後半以降の行財政改革では、行政監査など、 盟国が事務局にその活動についてアカウンタビリティーを追及する制度の構築ないし改善 が求められてきた。 3 グローバル・デモクラシーと国際機構の民主化の諸目標 以上のように、国際機構内部の民主化の目標は、大きく、「国際(国家間)民主主義」、 「超 国家的議会制民主主義」、「直接民主主義」、「アウトプット指向のデモクラシー」に分ける ことができる。それぞれは、一つないしは複数が、各グローバル・デモクラシーのモデル で求められる。 グローバル・デモクラシーのウェストファリア・モデルでは、国際機構に「国際民主主義」 が求められる。国際機構は、国際社会においてそれを促進し維持する役割を担うと同時に、 自身が「国際民主主義」に基づいて運営されなければならない。また、国際機構を含めた 162 国際制度は、基本的に国家のために国際的な問題を解決するための手段とされる。そのた め、インプットの側面に重点を置く「国際民主主義」とともに、国際的な問題解決の実効 性・効率性の程度とその結果に対する責任を重視する「アウトプット指向のデモクラシー」 も求められる。ただし、どちらがより重視されるかは、その国際機構の性質による。より 専門的な機関の場合は、後者の方が重視される。NGO を含めた市民社会など国家以外の主 体が国際制度・機構へ参加することについては、情報の提供や、決定の実施、国際的取り 決め遵守の監視など、アウトプットの側面の向上に貢献するという観点から評価される。 世界連邦モデルでは、世界政府が存在する国家を超えた場で人々より代議員が直接選出さ れる単一の超国家的議会が設けられる。このモデルの実現が求められる場合、国際機構は 世界政府(の一部)となるが、まずはその機構において「超国家的議会制民主主義」が求 められる。 自由主義的民主主義諸国共同体モデルでも、国際機構においては、ウェストファリア・モ デルと同様に「国際民主主義」が求められる。ただし、加盟国が手続き的な最小限の民主 主義体制を採用するよう求められる。政府代表が国内の民主制度を通じて各国国民の意志 を代表することによって、国際機構における加盟国代表による集団的決定は、加盟国全体 の意志を反映したものとなる。また「アウトプット指向のデモクラシー」も求められる。 コスモポリタン・モデルでは、各国際機構で「超国家的議会制民主主義」が求められると ともに、NGO の参加を通じて人々の意思が直接反映される「直接民主主義」も必要とされ る。さらに「アウトプット指向のデモクラシー」も追求される。 ラディカル・モデルでは、「直接民主主義」が求められる。国際機構へは、NGO を通じ た直接的な人々の参加が要求される。そこでの NGO は、国際機構を含めた国家を超えた場 の民主化を積極的に働きかけることが期待される。ただし、コスモポリタン・モデル以上 に、NGO あるいは市民社会は、国家や国際機構における既存の支配権力とは対抗的であり、 これまでのあり方とは異なるオルタナティヴな政策の提言を積極的に行うことが望まれる 57。また、特に少数民族、経済的・社会的弱者など社会的に弱い立場にある人々や集団の意 思を伝え実現する役割を担うことが期待される58。例えば国連では、人権委員会のもとに先 住民に関する非公式の作業部会が設けられ、先住民の団体からも意見を聞き、「先住民の権 利に関する宣言」の採択を目指されている59。場合によっては、デモなどを通じて政府や国 163 際機構へ対抗する場合もある。 4 小括 以上のように、国際機構内部の民主化の目標は様々に存在する。グローバル・デモクラシ ーのモデルごとに、国際機構内部の民主化の目標は異なるため、それぞれがどの位、追求・ 実現されているのかによって、その国際機構がどのグローバル・デモクラシーを促進しよ うとしているか、その一端を知ることができる。 しかし、最小限の要件に関する合意が形成されつつある国家の民主化の目標と異なり、国 際機構の民主化の目標自体が争われている。国際機構の民主化へ向けた実際の動きでは、 たいてい同時にいくつかの目標が追求される。例えば、EU では、閣僚理事会の表決制度に おいて加盟国の平等を維持するように特定加重表決制度が工夫されると同時に、欧州議会 の権限の拡大が図られている。 また、国際機構の民主化の動きがデモクラシー以外の他の重要な価値と対立する場合があ る。例えば、国際的な地理的配分に配慮した安保理の常任理事国の増加は、安保理を国際 社会全体の意思を反映するものにし「国際(国家間)民主主義」の理想により近付ける。 しかし同時に、意思決定の効率性や強制措置の実効性が低下する恐れがある60。それは結果 を重んじる「アウトプット指向のデモクラシー」の追求にとってマイナスである。 国連自体の民主化もまた複数の目標が同時に追求され、複雑な対立が生じている。そこ で、次章では 1980 年代後半以降の国連改革の歴史的過程をみることで、国連自体の民主化 への動きをみていきたい。 「国際民主主義」については、序章注 23 の文献参照。 See, Report of the Secretary-General, Agenda for Democratization. UN General Assembly. U.N. Doc.A/51/761, 20 December 1996.;UNDP, Human Development Report 2002: Deepening Democracy in a Fragmented World. New York: Published for the United Nations Development Programme by Oxford University Press, 2002, ch.5. 3 Diamond, Larry, Developing Democracy: Toward Consolidation. Baltimore, Md.: Johns Hopkins University Press, 1999, ch.2;青木一能「アフリカにおける民主化とその 後」『法学研究』第 71 巻第 1 号、1998 年、255-276 頁;青木一能「アフリカ諸国の民主化 とその課題」 『国際問題』No.460、1998、2-20 頁;大串和雄「序論「民主化」以後のラテ 1 2 164 ンアメリカ政治」『国際政治』131 号、2002 年、1-15 頁参照。 4 White, Nigel D., “The United Nations and Democracy Assistance: Developing Practice within a Constitutional Framework”, in Peter Burnell (ed.), Democracy Assistance: International Co-operation for Democratization, London: Frank Cass, 2000, pp.68-69. 5 本書序章参照。 6 本書第 1 章参照。ほかに、賀来健輔、丸山仁編著『ニュー・ポリティクスの政治学』ミネ ルヴァ書房、2000 年参照。 7 Woods, Ngaire, “Making the IMF and the World Bank more accountable”, International Affairs, Vol.77, No.1, 2001, pp.83-100. 8 United Nations Research Institute for Social Development(UNRISD), What Choices Do Democracies Have in Globalizing Economies: Technocratic Policy Making and Democratization, Report of the UNRISD International Conference, 27-28 April 2000, Geneva, [http://www.unrisd.org], p.7. それはそもそも国際関係の機能主義の思想の中に 根ざしたものでもある。大隅宏「世界の機能的協力と平和-機能主義の思想と実践-」日 本平和学会編集委員会編『平和学-理論と課題』早稲田大学出版部、1983 年、193-223 頁 参照。 9 Woods, op.cit., p.84. 10 例えば、Archibugi, Daniele, “From the United Nations to Cosmopolitan Democracy”, in Daniele Archibugi and David Held (eds.), Cosmopolitan Democracy: An Agenda for a New World Order, Cambridge: Polity Press, 1995, pp.137-143;Barnaby, Frank (ed.), Building A More Democratic UNITED NATIONS, Proceedings of CAMDUN-1, London: Frank Cass, 1991;Imber, Mark, “Geo-governance without democracy? Reforming the UN system”, in Anthony McGrew (ed.), The Transformation of Democracy? Cambridge: Polity Press, 1997, pp.201-230;Krasno, Jean E., “Democratizing and Reforming the United Nations”, Democratization, Vol.3, No.3, 1996, pp.328-342;ダニエレ・アルチブギ 「国連での民主主義」猪口孝, エドワード・ニューマン, ジョン・キーン編、猪口孝監訳『現 代民主主義の変容―政治学のフロンティア』有斐閣,1999 年,171-181 頁;リチャード・ A・フォーク、最上敏樹「民主的・人間的マルチラティラリズムに向けて―「国連改革」に 関するいくつかの原理的考察」『平和研究』第 18 号、1993 年、51-63 頁;渡部茂己「新国 際秩序と国連総会の意思決定手続き」『国際政治』第 103 号、1993 年、43-56 頁。 11 例えば、see, Archibugi, Daniele, Sveva Balduini and Marco Donati, “The United Nations as an agency of global democracy”, in Barry Holden (ed.), Global Democracy, London and New York: Routledge, 2000, pp.125-142;Falk, Richard, “The United Nations and Cosmopolitan Democracy: Bad Dream, Utopian Fantasy, Political Project”, in Daniele Archibugi, David Held and Martin Köhler (eds.), Re-imagining Political Community: Studies in Cosmopolitan Democracy. Cambridge: Polity Press, 1998, pp.309-331 12 最上は、国際機構内部の運営に関わる「機構内民主主義」と、国家間関係と国家の政治 体制の民主化に関わる「機構外民主主義」を挙げている、最上敏樹「思想としての国際機構」 『社会科学の方法第 2 巻』岩波書店、1994 年、177-209 頁。 13 注 1 参照。 14 磯崎博司「新国際秩序と平等(一)」 『法学会雑誌』第 21 巻第 1 号、1980 年、63-136 頁; 大谷良雄「国際組織と国家平等理論」『国際法外交雑誌』第 68 号第 2 巻,1969 年,98-116 頁参照。 15 国際機構における表決(票決)制度については、位田隆一「国際機構における表決制度の 展開」『国際法の新展開』東信堂、1989 年、115-151 頁参照。 16 McDemontt, Anthony, The New Politics of Financing the UN, London: Macmillan Press, 2000;田所昌幸『国連財政-予算から見た国連の実態』有斐閣、1996 年参照。 165 1970 年代の状況について、磯崎、前掲参照。 “NGO Legitimacy: Voice or Vote? “, BOND, Feburuary 2003. 19 Clark, Grenville and Louis B. Sohn, World Peace and through World Law, Cambridge, MA: Harvard University Press, 1966;三上貴教「地球人民議会あるいは国連 第二総会創設構想の位相」『修道法学』第 23 巻第 2 号、2001 年、251-274 頁;リチャード・ フォーク、アンドリュー・ストラウス「グローバル議会の設立を提唱する」『論座』2001 年 4 月号、238-245 頁;渡部茂己、「新国際秩序と国連総会の意思決定手続き」『国際政治』 第 103 号、1993 年、43-56 頁。 20 国内類推の理論とその歴史について、H・スガナミ著、臼杵英一訳『国際社会論-国内 類推と世界秩序構想』信山社、1994 年参照。 21 小川有美「ヨーロッパ民主主義」 『EU 諸国』自由国民社、1999 年、156-162 頁参照。 22 See, the Constitutive Act of African Union, adapted at 36th Ordinary Session of the Assembly of Heads of State & Government, 4th Ordinary Session of the African Economic Community, 10 - 12 July 2000, Article 17. 23 See, Protocol to he Treaty Establishing theAfrican Economic Community Relating to rhe Pan-African Parliament. 24 「民主主義の赤字」については、第 2 章の注 25 の文献を参照。欧州議会は、条約や議定 書の採択ごとに権限が強化され、現在では国家代表よりなる閣僚理事会に対して一定の拒 否権を持つ。児玉昌己「アムステルダム条約と欧州議会」 『純心人文研究』第 4 号、1998 年参照。各国議会による EU のコントロールへの努力については、荒島千鶴「構成国国会 の審査制度による EC 立法過程の民主的統制」 『日本 EU 学会年報』第 21 号、2001 年、 222-266 頁参照。 25 注 10 と注 19 の文献のほか、グローバル・ガバナンス委員会著、京都フォーラム監訳『地 球リーダーシップ-新しい世界秩序を目指して-』NHK 出版、1995 年、310 頁。 26 See, Clark and Sohn, op.cit. 27 ここでは「NGO」と「市民社会(組織) 」は同義のものとして扱う。序章の注 2 も参照。 28 Charnovitz, Steve, “Two Centuries of Participation: NGO and International Governance”, Michigan Journal of International Law, Vol.18, No.2, 1997, pp.183-286. 29 See, Scholte, Jan Aart., “Civil Society and Democracy in Global Governance”, Global Governance, Vol.8, No.3, 2002, pp.281-304;UNDP, op.cit., ch.5. 30 例えば、グローバル・ガバナンス委員会は、 「人民議会」までの経過的措置として、NGO からなる「市民フォーラム」の創設を提案している。グローバル・ガバナンス委員会、前 掲、310-312 頁。 31 Krut, Riva, with the assistance of Kristin Howard, Eric Howard, Harris Gleckman and Danielle Pattison, Globalization and Civil Society: NGO Influence in International Decision-Making. Discussion Paper No.83, April 1997, Geneva: United Nations Research Institute for Social Development, [http://www.unrisd.org] 2001/0717, ch.1. 32 ロズナウ(ローズノー)は、国連における市民の重要性が増大した理由として、その分 析能力の向上を挙げている、ジェームズ・N・ロズナウ「激動の世界と国連」ジェームズ・ N・ロズナウ/イーアン・ジョンストン著、功刀達朗監訳『国連-地球社会の選択1 激動 の世界と国連/湾岸戦争の教訓』PHP 研究所、1995 年、78-83 頁参照。See also, Wapner, Paul, “Politics Beyond the State: Environmental Activism and World Civic Politics”, World Politics, Vol. 47. No.3, 1995, pp.311-340. 33 UNDP は「市民社会組織」 (CVO)として、いわゆる NGO、人々の組織、労働組合、協 同組合、消費者・人権グループ、女性組織、青年クラブ、メディア、近隣あるいは共同体 ベースの連合体、宗教グループ、アカデミック・研究機関、先住民の草の根運動・組織を 含むとしている。UNDP/CSOP, UNDP and CSOs-Building Alliances for development, 1998, Ⅰ [http://www.undp.org/csopp/CSO/NewFiles/docbuildall.htm] 2001/04/18. 17 18 166 三上貴教「不均衡の国連 NGO-本部所在地の分析を中心に―」『修道法学』第 22 巻第 1・ 2 合併号、2000 年、255-275 頁。 35 NGO 大津留(北川)智恵子「米国の民主化支援における QUANGO の役割」 『国際政治』 第 119 号、1998 年、127‐141 頁。NGO の自律性と資金調達との関係について、アン・C・ ハドック著、中村文隆・土屋光芳監訳『開発 NGO と市民社会―代理人の民主政治か?』人 間の科学社、2002 年参照。 36 Gale, Fred, “Constructing Global Civil Society Actors: An Anatomy of the Environmental Coalition Contesting the Tropical Timber Trade Regime”, Global Society, Vol.12, No.3, 1998, pp.343-361. 37 Edwards, Michael and David Hulme (eds.), Non-Governmental Organisations: Performance and Accountability, London: Earthcan Publications. Edwards, 1995;Peter J., “New Global Communities: Nongovernmental Organizations in International Decision-Making Institutions”, The Washington Quarterly, Vol.18, No.1, 1995, pp.51-52;Imber, op.cit., p.210. 複数の NGO のネットワークからなる NGO の場合は、責 任の所在や相互の関係が問題となる。See, Jordan, Lisa and Peter Van Tuijl, “Political Responsibility in Transnational NGO Advocacy”, World Development, Vol.28, No.12, 2000, pp. 2051-2065. 38 Edwards and Hulme, op.cit., p.9;野田真里「NGO マネジメントにおけるアカウンタビ リティーと組織学習」『国際開発研究フォーラム』18 号、2001 年、183-194 頁。 39 Jordan and Van Tuijl, op.cit. 40 Spiro, Peter J., “New Global Communities: Nongovernmental Organizations in International Decision-Making Institutions”, The Washington Quarterly, Vol.18, No.1, 1995, pp.49-51. 41 Mathews, Jessica T., “Power Shift”, Foreign Affairs, January/February 1997.;Van Rooy, Alison, “The Frontiers of Influence: NGO Lobbying at the 1974 World Food Conference, The 1992 Earth Summit and Beyond”, World Development, Vol.25, No.1, 1997, pp.93-114;毛利聡子『NGOと地球環境ガバナンス』築地書館、1999 年参照。 42 目加田説子『地雷なき地球―夢を現実にした人々』岩波書店、1998 年。 43 例えば持続可能な開発委員会について、Dodds, Felix, “From the Corridors of Power to the Global egotiating Table: The NGO Steering Committee of the Commission on Sustainable Development”, in Michael Edwards and John Gaventa (eds.) Global Citizen Action. Boulder, Colo.: Lynne Rienner Publishers, 2001, pp.203-213 参照。 44 デヴィッド・ヘルド編、中谷義和監訳『グローバル化とは何か―文化・経済・政治』法 律文化社、2002 年、157 及び 164-165 頁。 45 Charnovitz, op.cit.;馬橋憲男『国連と NGO-市民参加の歴史と課題』有信堂高文社、 1999 年;鈴木淳一「国連経済社会理事会と NGO との協議取決めの改定―グローバルな『市 民社会』の国連への参加―」『獨協法学』第 44 号、1997 年、379-425 頁参照。 46 現在の国連システムにおける NGO の参加制度については、1998 年の事務総長の報告書 を参照。U.N.Doc.A/53/170. 47 「NGO は、市民社会として言及されるもののもっとも明確な現れである」とする、国連 システムへの NGO の参加に関する事務総長の報告書でのコメントを参照、Ibid., para.3. 48 See, Riddell-Dixon, Ellizabeth, “Social movement and the United Nations”, International Social Science Journal, No.144, 1995, pp.291-293. 49 See, Weiss, Thomas G. (ed.), Beyond UN Subcontracting: Task-Sharing with Regional Security Arrangements and Service-Providing NGOs, Basingstoke, Hampshire: Macmillan, Press New York: St. Martin's Press, 1998. 50 Easton, David, A systems analysis of political life, New York: John Wiley, 1965(片岡 寛光監訳『政治生活の体系分析(上)(下)』早稲田大学出版部、1980)。 34 167 51 この点、国際行政(学)における国際機構の役割を参照。城山英明「国際行政-グロー バル・ガヴァナンスにおける不可欠の要素」渡辺昭夫・土山實男編『グローバル・ガヴァ ナンス』東京大学出版会、2001 年、146-167 頁;福田耕治『国際行政学―国際公益と国際 公共政策』有斐閣、2003 年参照。 52 Scharpf, Fritz W., Governing in Europe: Effective and Democratic? New York: Oxford Press, 1999, p.2. 53 See, Woods, Ngaire, “Good Governance in International Organizations”, Global Governance, Vol.5, No.1, 1999, pp.39-61;Woods, Ngaire and Amrtia Narlikar, “Governance and the limits of accountability: the WTO, the IMF and the World Bank”, International Social Science Journal, No.170, 2001 54 世界銀行や IMF では既に問題となっており、プロジェクトの影響を受ける人々が参加で きる「査察パネル」が設けられた。See, Woods, 2001, op.cit. 55 Woods, 1999, op.cit.;Woods and Narlikar, op.cit.;船尾章子「国連行政の適正な制御に 向けて-行政監査機能の展開と背景-」『国際政治』第 103 号,1993 年,28-42 頁参照。 56 Imber, op.cit., pp.223-226. 57 例えば、経済成長を重視する政府や政府間国際機構が行う開発に対して、環境や住民の エンパワーメントを重視する「オルタナティヴ」な開発を担う能動的な存在として NGO を 捉えた議論として、ジョン・フリードマン著、齊藤千弘・雨森孝悦監訳『市民・政府・N GO―「力の剥奪」からエンパワーメントへ』新評論、1995 年を参照。 58 Cox, Robert W., “Civil society at the turn of the millennium: prospects for an alternative world order”, Review of International Studies, Vol.25, No.1, 1999, pp.3-28.;佐藤幸男「NGO と国際協力の政治学」西川潤・佐藤幸男編著『NPO/NGO と国 際協力』ミネルヴァ書房、202-251 頁。 59 Working Group on Indigenous Populations of the Sub-Commission on Prevention of Discrimination and Protection of Minorities and the International Decade of the World's Indigenous People. 人権委員会決議 1997/32 を参照。See also, Falk, op.cit., p.325. 60 ラセットは、国連改革の際、そのバランスを考慮すべきものの一つとして「パワー(有 効性)」と「正当性(正義)」を挙げている、ブルース・ラセット著、 鴨武彦=西谷真規子 訳「『自由主義的国際主義』の基準-国連改革案の評価のために-比較考量すべき均衡緊張 の論点 10 選-」鴨武彦、伊藤元重、石黒一憲編『リーディングス 国際政治経済システム 4 新しい世界システム』有斐閣、1999 年、68-71 頁。 168 表 7-1 国際機構内部の民主化の諸目標 国際民主主義 超国家的議会制 直接民主主義 民主主義 (a)参加の主体 (b)参加の主たる 対象 (c)参加の主たる 方法 加盟国の代表 総会 議員 超国家議会 (d)平等のあり方 形式的平等(一国 形式的平等(一人 形式的平等と実 一票)と相対的平 一票) 質的平等 等 特に関連するグ ローバル・デモ クラシー諸モデ ル ウェストファリ 世 界 連 邦 モ デ ア・モデル、新 ル、コスモポリ 自由主義的民主 タン・モデル 主義諸国共同体 モデル 特に NGO 意思決定機関 意思決定への直 選挙による代議 意思決定への直 接参加 員の選出 接参加 (筆者作成) 169 コスモポリタ ン・モデル、ラ ディカル・モデ ル アウトプット指 向のデモクラシ ー 加盟国の代表 事務局を中心に 各機関 会計監査、アカ ウンタビリティ ーの追求 形式的平等と、 提供する資源に 応じた相対的平 等 ウェストファリ ア・モデル、新 自由主義的民主 主義諸国共同体 モデル 第8章 国連自体の民主化への動き―1980 年代後半以降の国連改革から 1 序論 本章では、前章で見た国際機構の民主化の目標が、1980 年代後半以降の国連の改革にお いてどのように追求されてきたかをみる。必ずしも民主化を明確に掲げていないものも含 めて、一般的なあるいは個別分野や制度における改革の動きから、本書で設定した民主化 の目標に関わる動きを抽出して検討する。 また、国際機構における政治過程は、先の民主化支援活動の形成と同様に、加盟国間の 力関係や国際機構の持つ機能、国際的な価値や規範の変化、国際社会の構造、組織として の特性といった多様な要因の影響を受ける。それが、国連の改革の過程においてもみられ た。ここでもそれらの要因に注目する。 そもそも「改革」の意味には、すべての制度的な変化を含めるものと、意図的な制度・ 政策の重要な変化を目指す議論とそれに基づいて実際になされた変化に限定するものとが ある1。ここでは後者の意味で用いる。また基本的に国連の場で総会や作業部会で公式に扱 われたものを取り扱う。必要に応じては、国連の内外からの私的な改革の提案も取り上げ る。 また改革には、その方法の違いから、既存の法的・制度的枠組の中でその改良を目指す漸 進的な改革と、国連の基本的な原理の変更も含めた抜本的な改革とがある2。前者は、予算 やポストの増減、国連憲章に記載済みの活動に関するプログラムの立案や廃止といったも のであり、頻繁に行われる。後者は、安保理拡大・拒否権の廃止や人民議会など新しい基 本機関の設立といった、国際機構の基本構造や目的そのものの変更に関わるものであり、 多くは憲章の改正を必要としまれにしか行われない。国連自体の民主化を含む国連改革に おいても、この両者を区別することは、各目標の実現の方法やその可能性を考えるにあた って意義があろう。ただし、これらの改革の方法は明確に区別できるわけではない。 以上のような意味での「改革」を国連に対して求める議論は、設立当初より存在し、実際 に数多くの改革が実行されてきた3。例えば、1963 年には安全保障理事会、1963 年と 71 170 年には経済社会理事会を拡大するために憲章改正が行われた。しかし、特に「改革」の議 論が活発になったのは、国連を取り巻く環境が急変した 1980 年代に入ってからである。以 後の国連改革は、時期的に大きく、第 1 に 1986 年の行財政改革、第 2 に 92 年から 97 年 にかけてのブトロス=ガリ事務総長を中心とした断続的改革の試み、第 3 に 97 年のアナン 事務総長による改革、第 4 にミレニアム・サミット開催をきっかけとする改革に分けるこ とができる。 国連改革の主なテーマは、①事務局を中心にした行政改革、②財政難に対応するための財 政改革、③開発協力について国連システム全体での強化・調整の問題、④安保理の構成・ 運営や拒否権の問題、⑤環境、エイズ問題など新しい地球的課題への対処、⑥NGO の参加 など市民社会との関係、に分かれる。1986 年の改革では、①と②の行財政改革が中心とな り、ブトロス=ガリ事務総長の改革では、引き続き①と②がなされる一方で、③以下の国連 のより抜本的な改革が試みられた。アナン事務総長の改革では、特に⑤と⑥に重点が置か れている。ミレニアム・サミットでは③から⑥までが包括的に取り上げられた。国連の民 主化の動きは、このような改革の文脈の中で行われてきた。 2 1986 年の改革 1980 年代後半の改革は、①行政改革と②財政改革を中心としたものである。その契機と なったのは、アメリカの国連に対する態度の変化である。その変化の原因は、加盟国にお ける途上国の急増による支配力の低下による苛立ちと、新保守主義のイデオロギーの高揚 による国連事務局の非効率性への不満であった。アメリカ上院は、1985 年にカッセバウム 修正を可決し、国連に対して分担金の支払いを留保した。支払う条件として、総会等の国 連諸機関の意思決定方式を分担金に応じた加重票決制に変更することや、組織を効率化す ることを求めた4。 その事態を受けて、国連では、同年に日本の提案より「高級政府間専門家グループ」(the Group of High-Level Intergovernmental Experts)、いわゆる「18 人賢人グループ」(G-18) が設立された5。G-18 より事務局のあり方や財政についての改革の提言がなされ、その一部 が実施された6。例えば、事務局の人員の削減が行われたり、途上国が多数である総会から 171 主要拠出国が有力である計画調整委員会(CPC)へと予算の決定過程の比重が移され、CPC で予算案が承諾される際にコンセンサスが要求される等の変更が行われるなどした。 しかし、それらはあくまでも事務局の運営や予算の決定・執行過程など、国連の行財政的 側面を中心とした改革であり、安保理の構成など国連の根本的な構造には手が付けられな かった。また、大幅なポストの削減等によって事務局内部の士気が低下したことを理由に、 デクエヤル事務総長は 1990 年に一連の行政改革を終了させたが、それは大口拠出国の失望 を買った7。 この一連の改革では、国連の改革を求める超大国アメリカの影響力の強さがみてとれた8。 また、この改革の建前は経済学的な見地から国連の効率化・合理化であった。そこには、 当時世界的に広まった小さな政府を志向する新保守主義のイデオロギーの影響が存在した。 同時に、組織内部の反発や財政難、事務総長のリーダーシップといった組織自身の事情や 政治過程という組織論的な側面も存在した。 国連の民主化の観点から一連改革を評価すると、第 1 に、アメリカによる加重票決制度の 導入の要求は、「国際民主主義」と関連して、国家間の形式的平等か相対的(機能的)平等 かという、機構の意思決定における平等をめぐる南北諸国間での争いが現れたものであっ た。第 2 に、事務局の実効性・効率性の向上と加盟国に対するアカウンタビリティーとい う「アウトプット指向のデモクラシー」に関わる問題も問われた。結果的には、前者の票 決制度の改変はなされずに、後者に関して財政破綻の回避と大口拠出国の国連への信頼回 復に一定程度成功しただけであった9。 3 1990 年代初頭の国連の拡大と「改革」ブーム ここでは、1990 年代初頭から半ばにかけての国連改革を取り上げる。それは、冷戦の終 結という国連を取り巻く環境の激変を受けて国連内外で多種の提案が行われ、その根本的 な変革が求められた時期であった。 1989 年の冷戦終結後、国連への期待は大きく高まり、その活動は急激に拡大していった。 東西対立が緩和するにしたがって各地の紛争が終結へと向かい、それに伴い国連の平和維 持部隊が次々と派遣されていった。同時に、平和維持活動の内容自体も大きく変化した。 172 第 4 章でもみたように、ニカラグアにおいては、これまで内政事項とされてきた選挙実施 に関して選挙監視などの支援が行われるようになった10。平和維持活動のほかにも、人権問 題など従来内政に関わる事項とされてきたことについても、国連は次第に関与するように なった。冷戦下で国連を機能不全に陥らせていたイデオロギーの対立が終わり、デモクラ シーや人権、自由市場など西側諸国が持つ価値や規範について、国際社会に広い合意がで きたことにその一因がある11。 国連への期待と実際の活動の拡大と並行して、M・ベルトランや、B・アークハートと E・ チルダースといった国連に関わりの深い知識人や、北欧といった国連に好意的な諸国、途 上国の意見を代弁するサウス・センターなど、国連の外部からも様々な改革の提案がなさ れた12。これらの提案は、行財政改革に重点を置くものから、新しい基本機関の設立も含め た国連の抜本的改革に至るまで様々であった。しかし提案の多くは、多様な利害をもつ加 盟国から多くの支持を得ることができず、実現しなかった。それでも改革の気運は盛り上 がり、実際に国連の改革を目指す動きが国連内部で起きるようになった。 (1)活動の拡大と行財政改革 1992 年に事務総長に就任したブトロス=ガリは、さっそく国連への新たに課せられた役 割を効果的に実行できるように、信託統治局を廃止して政治問題局や平和維持局を設立し、 事務局の部局の統廃合や人事異動を実施した13。他にも、専門機関との調整を行うために行 政調整委員会(ACC)の強化を行った。この行政改革には、大口拠出国の要求や合理化・ 効率化の必要性、事務総長のリーダーシップの発揮という、1986 年の改革と共通する要因 が働いていた。 ブトロス=ガリ事務総長の就任にあわせて、国連の活動はさらに拡大していく。1992 年 に、事務総長は「平和への課題」(Agenda for Peace)を安保理の求めに応じて提出し14、 「平和強制部隊」を提案したように、平和維持活動の分野での国連の役割の積極的な拡大 を図った15。この動きの背景には、アメリカをはじめ多くの加盟国の強い支持があったこと や、冷戦終了後からの一連の周旋活動や平和維持活動において国連が一定の成功を収め、 その道具としての有効性を示したこと、この分野での国連の役割を強く制約してきた東西 173 対立がなくなり、普遍的な国際機構としての正統性がいっそう期待されたことなどがある。 第 4 章でも述べたように、「平和への課題」では、平和構築の課題の一つとして国家の民主 主義体制の必要性が主張された16。選挙支援活動の制度化・一般化もこの流れに並行して行 われた。総会は、「平和への課題」の提出を受けて、「平和への課題に関する非公式の全員 参加の作業部会」(Informal Open-ended Working Group on an Agenda for Peace)を設け た17。作業部会は 96 年まで議論を続けた。 活動拡大の一方で、国連の財政問題は再び深刻化していった。1992 年 9 月には、平和維 持活動の費用の弁済が遅れていることへ、一部加盟国から不満がでるようになった。それ を受けて事務総長はフォード財団に協力の要請を行って、「国連財政に関する独立諮問グ ループ」(Independent Advisory Group of United Nations Financing)、いわゆる 「緒方・ ヴォルカーグループ」(Ogata and Volcker Group)を設けた18。翌年には、事務局を通して 総会へ報告書が提出されたが、事務総長の財政支出の裁量を増大させることについて主要 拠出国間で合意に達しなかった19。 1993 年 8 月には、事務総長によって「監査・調査事務所」(the Office for Inspection and Investigation)が設立された。12 月には総会決議 48/218A によってその権限が変更され、 94 年 7 月には「内部監査サービス事務所」(the Office of Internal Oversight Service, OIOS)と改名された20。その機関の目的は、国連の行財政活動の効率性を向上するために、 事務局の活動をチェックすることである。 12 月には、総会決議 49/143 によって、総会議長を議長とする「国連の財政状況に関する 高級作業部会」(High Level Open-ended Working Group on Financial Situation of the United Nations)が設けられ、財政問題が検討されることとなった。しかし、部会はほと んど進展のないまま、休止状態になった。そもそも、国連の財政難は、アメリカの滞納が 最大の原因であり、アメリカの対国連政策に変化がない限り改善するのは難しい21。しかし、 アメリカは、先にも述べたように、滞納金を支払う条件として貢献度に見合う発言権を要 求している。それは途上国の多くが望む加盟国の形式的平等の原理と対立するものであり、 その要求を満たすことは実際には困難であった。 一連の国連の活動拡大は、国連を重視することへの各加盟国間の利害一致とブトロス=ガ リ事務総長のリーダーシップによるところが大きかった。同時に、それによって生じた財 174 政難は、国連にいっそうの行財政改革を求めることとなった。加えて、このような国連の 行財政の効率化・合理化は、先の事務局改革と同様に、主要拠出国である欧米先進諸国で 既に行われていた新自由主義的な行政改革の思想・制度が国連にも反映したものでもある22。 国連の民主化という観点からは、一連の改革は、拠出金に応じた発言力を求めるいう「国 際(国家間)民主主義」での相対的な平等の追求が行われたものといえる。また、やはり 大口拠出国の要求に基づいて国連の実効化・効率化と加盟国へのアカウンタビリティーが 求められることで、「アウトプット指向のデモクラシー」がいっそう追求された。 (2)国連会議と NGO の参加拡大 平和維持活動の分野での活動の拡大と並行して、1992 年リオデジャネイロでの国連環境 開発会議(UNCED)、93 年ウィーンでの世界人権会議、95 年コペンハーゲンでの国連社 会開発会議、同年北京での第 4 回世界女性会議と相次いで国連主催の大掛かりな国際会議 が開かれた23。この動きの背景には、冷戦終結による加盟国間の分断の解消や、国際社会の 国連の持つ能力への期待の高まり、冷戦後の国際社会における価値や規範の変化への対応 の必要、グローバル化が進展したことによるグローバル・イシューの急増、ブトロス=ガリ 事務総長によるリーダーシップなどがある。国連環境開発会議後に持続的開発委員会 (CSD)が設立されたように、これら国際会議が行われた後にはそこで決定された条約の 遵守や実施をフォローアップできるように、国連の制度が改編された。 一連の国連会議を契機とした国連の重要な変化としては、国連の活動そのものが深化・拡 大したことのほかに、NGO の参加が顕著になったことが挙げられる。国連主催の国際会議 において、NGO は、従来の経社理における協議制度よりも参加資格や発言権の点でより広 い参加が認められた24。経社理の協議資格を持つ NGO のほかに、会議のテーマと関わりの ある NGO の参加が準備委員会の審査を経た上で可能になった。準備委員会や本会議、テー マ別の委員会における発言や文書の回覧のほかに、国連会議に並行して開催された NGO フ ォーラムでの議論や、マスメディアやデモなどを通じた国際世論へのアピール、一部加盟 国政府の代表団への参加、政府代表へのロビー活動といった方法を通じて、NGO は会議の 結果へ一定程度影響を与えた25。国連会議終了後も、フォローアップのメカニズムに積極的 175 に取り込まれ、NGO の国連における役割はいっそう重要になっていった26。このような NGO、あるいはそれを含む「(地球)市民社会」の勃興は、冷戦終結以降の国際関係全体に みられる傾向であるが27、国連もまたその影響を受けると同時に、逆に国連が会議への参加 を促すことでその傾向が促進された28。 国連の加盟国や事務局が NGO の参加を促す理由は、第 1 に、会議の決定に国際社会全体 の意思が反映されていることをアピールして、会議の正当性を向上させたいためである。 第 2 に、国連の活動での NGO の重要性そのものが増し、NGO との協力が不可欠であるた めである29。人権や環境問題でみられるように、国連の活動はますます国内問題と関わるよ うになった。そのため、情報の収集や援助の実施において、地元に活動基盤を持つ NGO の 能力は不可欠な存在となっていった。 また、国連主催の一連の国際会議では、冷戦下でのイデオロギー対立に代わって、冷戦後 の国連内の政治過程に大きな影響を与える新たな政治的関係が現れることとなった。すな わち、従来の加盟国間の南北対立に加えて、国連の事務局と NGO がそれぞれの立場や利害 を主張する状況である。先進国は、経済のグローバル化・自由化を進めつつ、それに伴い 発生する問題を、国連も含めた多国間の枠組みで解決しようとする。他方、途上国は、経 済発展を求め、グローバル化に伴う不平等の拡大への補償を要求しつつも、国内政治への 介入を嫌う。ともに、それぞれの目的を果たすの効率的で実効的な手段として、限定的に NGO を利用しようとする。対して NGO 自身は、グローバル化にともなう弊害への救済を 先進諸国へ求めつつ、人権・環境などの国際的規範の遵守を途上国に求める。ただし、政 府と同様、南北 NGO の間でも意見の相違がみられる。それらに対して、国連、特に事務局 は、加盟国間の南北対立を調停しながら自らの存在価値を高め、国際的な決定を遵守させ る能力と問題解決能力を向上させるために、NGO の持つ正当性や資源・能力を利用しよう とする30。それぞれ、国連自体の制度のあり方や、国連が行う活動の内容や実施方法をめぐ って協調・対立する。この政治状況は、国連の至る所でみられるようになり、その後の国 連の改革にも大きな影響を及ぼし続けた。 このような国連会議における NGO の参加拡大の波を受けて、従来の経済社会理事会の NGO 協議制度の改革が検討されるようになった。1993 年 2 月に、経社理は NGO 協議制 度を改定することを決め31、7 月には自由参加型の作業部会が設立された32。改革の主たる 176 目的の一つは、それまで圧倒的に多かった北の NGO だけではなく、南の NGO の参加を拡 大し、NGO の代表性を高めることであった33。長い議論を経て、1996 年 7 月に経社理決議 1996/31 が採択され、従来の NGO の参加基準(経社理決議 1296(XLIV), 1968)が変更さ れた。先進諸国を拠点とする NGO が大半を占めることになる「国際的」NGO という基準 が緩められ、国内的 NGO の参加への道が開かれることとなった。 しかし、多くの途上国が求めた経社理以外への NGO の参加の制度は実現しなかった。 アメリカ等の一部加盟国が、安全保障理事会へ NGO の参加が拡大することを恐れ、総会に 同様の協議制度を設けることにも反対したためである34。結局、経社理の従来の協議制度が 改定されるにとどまった。それでも経社理は、同月に決定 1996/297 を採択し、総会への NGO の参加問題の審議を総会に求める決定を行った。 このように、NGO の参加は国連主催の会議や 1996 年の経社理の協議制度改革を通じて 拡大し、国連にとって NGO は不可欠な存在となった。しかし、発言力を失いたくない加盟 国の思惑によって、総会や安保理といった主要機関へは、NGO の参加制度は拡大されるこ とはなかった。それでも、NGO による「直接民主主義」を通じて国連を民主化しようという 主張は強くなっていった35。 (3)主要機関の改革への取り組み 冷戦終結による国際環境の変化と国連の活動の拡大に合わせて、平和・安全保障や開発協 力など主要な活動の見直しと、経済社会理事会や安保理、総会といった国連主要機関の構 成や機能の再検討が行われるようになった。 経済社会理事会については、1991 年からその運営のあり方の再検討がなされた36。1992 年 4 月には、経社理の本会期で設けられる部会の編成を替えることが総会で決議された37。 92 年 7 月には、西側先進諸国主導であった「平和への課題」と同程度に開発協力分野の強 化を求める途上国からの強い要請を受けて、経社理内部に経社理改革のためのアドホック の作業部会が設立された38。その後、92 年 12 月の総会決議での正式な要求を受けて、事務 総長から 1994 年 5 月「開発への課題」が提出された39。世界の官民より広く先の報告書に ついて意見を聞く「世界公聴会」(a world hearing)と経社理での議論を経て、11 月に「開 177 発への課題:提言」が事務総長より総会へ提出された40。94 年 12 月には、それを議論する ためのアドホックな全員参加の作業部会が総会につくられた41。 しかし、経社理と開発協力活動の改革は、国内の民主化、市場、人権の重要性を強調す る先進国と、国家間の平等、経済成長のための援助の拡大、ブレトンウッズ機関への国連 のコントロールの拡大を求める途上国とで意見が合わず、十分な改革にはつながらなかっ た。1997 年 6 月、総会は、それまでの議論をまとめた「開発への課題」と題する総会決議 51/240 を採択し、その後作業部会は休止状態になった。 総会についても、1992 年 11 月には、総会議長のリーダーシップの下に、「総会の再活性 化についての全員参加の作業部会」(Open-ended Working Group on Revitalization of the Work of the General Assembly)が設立され、その活性化が検討された42。93 年 9 月に は、この作業部会の議論を受けて、その内部の委員会である脱植民地化委員会(the Decolonization Committee)と特別政治委員会(the Special Political Committee)が「特 別政治脱植民地化委員会」(the Special Political and Decolonalization Committee)へと 統廃合された43。しかし、この内部委員会の統廃合でも途上国の強い反発がみられたように 44、途上国は、自らが多数派を構成する総会の権限が縮小する恐れがある改革には消極的で あった。その後、総会改革は十分な進展はみられなかった45。 安保理の構成や機能についても、この時期に本格的に再検討された。1993 年 11 月の総会 決議 47/62 によって、「安保理のメンバーシップの衡平な代表と増加の問題に関する全員参 加 の 作 業 部 会 」( the Open-ended Working Group on the Question of Equitable Representation on and Increase in the Membership of the Security Council)が設けられ た。そもそも、改革の必要性と議席数を拡大させることについては、加盟国の間で広い合 意が存在していた。その上で、改革の議論を容易にするために、理事国の拡大の問題(ク ラスターⅠ)と透明性の向上などの問題(クラスターⅡ)とに議題が分割されたり46、97 年には部会の議長でもあるラザリ=イスマイル総会議長によって精力的な調整が行われる など、合意にむけて様々な努力が行われた。しかし、増加させる議席数や、どの国、ある いはどの地域がどれだけ議席が増加されるのか、さらには新しい常任理事国には拒否権が 付与されるのかいった具体的な点でまとまらず、2002 年末現在、いまだに最終的な合意に は至っていない47。 178 このように安保理の抜本的な改革が停滞している理由には、第 1 に、加盟国間での対立が ある。一方で、現在の常任理事国は、改革によってこれまで持っていた影響力が低下する こと懸念し、他方で、ドイツ・日本は、現在の国際社会における地位に見合う待遇を要求 する。それらに対して、発展途上国側は自らの声が今まで以上に安保理に反映されること を願いつつも、どの国が各地域を代表するかについて争いがあるという状態である。 第 2 に、実現が求められるいくつかの価値観が同時に存在し、それらの間での矛盾・対立 が安保理改革を難しくしている48。例えば、理事国を発展途上国にまで拡大させると国家間 の平等や地域のバランスという「代表性」が高まるかもしれないが、強制的措置の実施も 含めた安保理の「実効性」と審議・決定の「効率性」が低下する恐れがある。日本とドイ ツに限定した拡大は、実効性と効率性を損なわないかもしれないが、代表性という点で問 題がある。また軍事的な強制措置まで考えた場合、両国は海外派兵をめぐる国内問題を抱 えており、実効性の点では問題があるかもしれない。どちらを重視するかで、加盟国間で 意見が分かれている。それぞれ国連自体の民主化の観点でいうと、代表性は「国際民主主 義」に関わり、実効性や効率性は「アウトプット指向のデモクラシー」に関わる。 第 3 に、改革を困難にする組織の手続きの存在である。抜本的な改革のためには憲章の改 正が必要であり、安保理自身の合意が求められるが、権限が縮小する当の常任理事国が拒 否権を持つ。このように、国連の設立当時の国際情勢を反映した手続きが、環境が変化し た後も組織を拘束しつづけ、環境に対応するための変化を困難にしている。 これら国連主要機関の改革の議論が行われる間に、1993 年のソマリア、92 年から 93 年 にかけての旧ユーゴスラビアでの平和維持活動の失敗によって国連の能力に限界がみられ るようになり49、国連への期待は次第に収縮していった。特に、国内の財政赤字に苦しむア メリカは国連への態度を大きく変化させ、アメリカとブトロス=ガリ事務総長との関係は 急速に悪化していく50。 1995 年 9 月には、アメリカの強い支持を受けて、総会は「国連の強化に関する全員参加 の高級作業部会」(Open-ended High-level Working Group on the Strengthening of the United Nations)を設けた51。その際、EU 諸国と G77 諸国は、ほかの国連改革のための 作業部会との重複を避けるため、総会と事務局の再活性化に関連する問題に限定すること を求めた52。 179 経社理の決定 1996/297 によって、経社理 NGO 協議制度の見直し過程でも問題となった 総会における NGO の参加問題が、この作業部会で審議されることとなった53。国連改革に 積極的なラザリ=イスマイル総会議長(部会の議長も務める)のアイデアで、NGO の参加 問題を検討する NGO 分科会が設けられた。途上国が総会や安保理、国際経済機関へも NGO の参加を拡大することを要求したのに対して、欧米諸国は総会にのみ参加の拡大を限定す ることを主張して対立した。NGO 自身は、経社理の協議的地位をもつ NGO を暫定的に総 会へ招聘するなど妥協策を提示し、合意するようロビー活動を積極的に行ったものの54、97 年 7 月の総会への部会の最終報告書では、総会の運営上の効率化をもっぱら述べただけで、 NGO の参加問題に関する合意はなされなかった55。結局、部会は、同月に先の報告書を認 める総会決議 51/241 を採択して終了した。 (4)まとめ 以上の 1990 年代半ばまでの改革について国連の民主化の観点からまとめると、 「アウト プット指向のデモクラシー」が目的とする実効性と効率性の向上については、行財政改革 が行われ一定の成果を収めた。しかし、行財政改革はもっぱら大口分担国の意向に従った ものであり、加盟国全体への事務局のアカウンタビリティーを高めるという肝心な点は達 成不十分なまま終わった。 一連の改革は「国際(国家間)民主主義」が求める加盟国の平等の追求という点でも不十 分であった。経済援助を拡大して実質的な平等を求める途上国に対して、先進諸国は乗り 気ではなかった。代表性を高めることを目指した安保理改革も進まなかった。他方で、国 連会議を機に NGO の役割に注目が集まったが、「直接民主主義」に関しても、NGO の参 加の制度化は、経社理の協議制度の部分的な改定にとどまった。 ところで、以上のような国連における実際の改革と並行して、より包括的な多様な提案が 引き続きなされた。代表的なものとしては、1994 年に出された国際的な有識者からなるグ ローバル・ガバナンス委員会の提案があった。そこでは、自由主義的な発想に基づきなが らも、「経済安全保障理事会」の設立といった抜本的な改革の提案がなされた56。その中に は「人民の議会」の設立と、その過渡的措置としての「市民社会のフォーラム」の提案が 180 含まれていた。しかし、特にアメリカをはじめ、多くの加盟国の国連に対する姿勢が、ソ マリア、旧ユースラビアでの失敗以降、既に消極的なものになっていたこともあり、提案 の多くは単なる構想にとどまり、実際の改革にはほとんどつながることがなかった57。しか し、その一部は 1997 年以降のアナン事務総長の改革へと受け継がれた。 4 1997 年以降の改革 (1)1997 年の改革 1997 年 1 月にアナン事務総長が就任した。同年 3 月には、先の「国連システムの強化に 関する作業部会」の要請を受ける形で、事務総長より国連改革に関する報告書である「国 連システムの強化」(Strengthening of the United Nations Systems)が提出された58。報 告書は、改革を「二通りの(two-track )改革過程」として、事務総長自身の権限で可能な ことと、総会や安保理など加盟国による決定が必要なものとに分けた。その上で、主に前 者について、既に実行済み、あるいは計画中である事務局の合理化と管理・調整能力の向 上の取り組みについて述べたものであった。 具体的には、事務局長を議長とした「政策調整グループ」 (Policy Coordination Group) と、主要 4 部門に「執行委員会」(Executive Committees)を設立し、事務局内部の調整を 改善することが試みられた。また事務総長は、「国連改革執行調整官」(the Executive Coordinator for UN Reform)に 1992 年の国連環境開発会議(UNCED)の事務局長など を歴任した M・ストロングを任命し、行政管理局に「管理改革グループ」(Management Reform Group)の設置を行った。さらに事務局内部のポストを 100 削減し、部局の統廃合 を行い、それによって生じた余剰資金を開発協力にあてた59。 さらに 7 月には、事務総長は、行政の側面に限られないより包括的な改革を扱った報告書 「国連の刷新―改革のためのプログラム」(Renewing the United Nations: A Programme for Reform)及びその追加提案の提出を行った60。そこでは、事務総長の権限で可能な改革 とともに、総会等加盟国の合意が必要なより抜本的な改革の提案が行われた61。 事務総長の権限で可能な改革については、先の主要 4 部門の「執行委員会」に加えて、事 181 務局の能力と事務局長のリーダーシップを向上させるために、事務総長を中心にした「上 級管理グループ」(Senior Management Group)が設立された。また、国連の活動の国家 レベルでの調整を改善するために、多くは国連開発計画(UNDP)の常駐代表が兼務する 常駐調整官(Resident Coordinator、)の権限強化と、国連諸機関の現地事務所が入る単一 の建物である「国連ハウス」(UN house)の設立の推進が計画された。開発協力を優先的 に行うために、開発に関わる基金やプログラムを「国連開発グループ」(United Nations Development Group)にまとめることも提案された。さらに、「市民社会」とのつながりを 深めるために、国連の各部局に NGO 担当官を置くことも述べられた62。他にも、事務局の 運営を効率化し、人権や開発、軍縮、平和維持活動、犯罪・薬物・テロリズムなど各分野 の活動について実効性や効率性、調整能力を向上させるために、細々とした改革の実行と 計画が述べられた。しかし、これらの実行・計画は、従来の改革に比べて特に目新しいも のではなかった63。 加盟国の合意が必要な改革の提案には、次のようなものがあった。まず、事務局の効率化 や能力の向上を目的とした改革について、開発協力などを担当する「副事務総長」(Deputy Secretary-General)のポストの設立が提案された64。それは、後に総会によって了承され た65。また、行政コストの削減で浮いたお金で作る「開発勘定」(development account)も 提案され、設立されることになった66。 さらに財政難への対策として、新たな自発的拠出による「回転信用基金」(revolving credit fund)が提案されたが67、1997 年の総会の議論では、日本や EU 諸国など大口拠出 国が、すでに多くの滞納がある中で基金に拠出を行う加盟国があるかどうか疑問であると 懸念を示し68、合意が得られなかった。 他に、地球公共財を扱うように信託統治理事会を改編すること提案されたが、既存の活 動・組織との重複の懸念から、多くの加盟国がそれには慎重であった69。予算プログラムで 一定期間後の再検討において認められなければ継続されない「サンセット規定」(sunset provision)70と、実績を厳しく問う「結果重視の予算システム」(result-based budgeting system)については71、合理化・効率化の名のもとに開発援助に関わる既存の制度・政策が 廃止されることを一部加盟国が懸念し、いずれも決定が持ち越された72。別に、ミレニアム 総会とミレニアム・フォーラムの開催が提案され73、総会決議 53/239 でミレニアム総会が、 182 総会決議 53/202 でミレニアム・サミットの開催が決定された。 以上の 1997 年からのアナン事務総長主導の改革の全体的な特徴として、第 1 に、これま での改革と同様に、行財政面の改革が中心であり、「実効的で効率的な国連」が目標とされ た74。特に事務局の調整・管理能力の向上が中心となった。これは、アメリカなど主要分担 金負担国からの事務局の非効率性や調整の不足の批判に応えるものである。しかし、同時 に、事務総長の権限で可能な改革以外の「回転基金」などの改革は、加盟国間の意見の相 違によってあまり進展しなかった。安保理改革など主要機関の抜本的な改革については、 直接には手が付けられなかった。 第 2 に、途上国が要求する開発協力の促進とのバランスの追求である75。国連の効率化に おいて、従来の開発協力活動が削減されることへの不安が途上国には強い。行政改革によ り生じたお金を開発勘定にあてる提案をしたように、国連改革へ途上国の支持を取り付け る試みがなされた76。 第 3 に「静かな改革」と呼ばれる改革の手法である77。ガリ前事務総長の下でなされた改 革は、野心的ではあったものの、事前の相談のないポストの削減・配置転換と強引な側面 があった。そのため、人事の強引さについて内部告発がなされたように、改革への事務局 内部の反発が強かった78。対して、アナン事務総長の改革は、改革担当の事務次長補を置き、 事務局内部からも意見を聴取したように、よりコンセンサスを重視する柔軟な手法が採ら れた 79 。総会での決定過程においても、総会議長のもとで「議長の友人」(Friends of President)グループとして改革に熱心な先進国と途上国のそれぞれ代表 2 カ国が選ばれ、 非公式な話し合いがもたれ、決定の前に十分な根回しがなされた80。このように、事務総長 の改革に対するリーダーシップの違いが現れている。 第 4 に、国連の民主化とのつながりで最も重要な点として、市民社会との関係の強化の 模索がある。「市民社会」について、事務総長は、「社会運動が諸目的、コンスティテュエ ンンシー、テーマ別関心の周りに、自らを組織する領域」とし、NGO はその明確な現れと した81。その上で、「民主的統治の探求と市場ベースのアプローチの優位という相互に連結 した過程において、活発な市民社会は、民主化とエンパワーメントの過程に重要である」 と述べた82。ここでの「民主化」とは主として国家の民主化のことを指している。しかし、 人々の意見を代表する民主化の主体としての NGO・市民社会という見方は、事務総長が、 183 NGO との関係の強化が国連の民主化にもつながると認識していることを示唆している。た だし、アナン事務総長が NGO を含む市民社会との関係を深める理由には、市民の意志を国 連が吸い上げたいという国連の民主化につながる理由以外に、これまでも触れてきたよう に、国連の活動の実施における実効性と効率性を向上させることや、ソマリアでの失敗以 降傷ついた国連の正統性を回復させたいという理由がある。事務総長は、事務局各部局に NGO 担当課を作らせ、事務局と NGO の関係を強化した83。 以上の 1997 年にはじまる改革全体について国連自体の民主化の観点からまとめると、加 盟国の意志を重んじ、行財政改革を通じて国連の実効性と効率性の向上させ、加盟国への アカウンタビリティー高めることで「アウトプット指向のデモクラシー」を追求しつつ、 「直接民主主義」による国連の民主化も模索されたといえる。 (2)NGO の参加をめぐって 一連のアナン事務総長主導の改革と並行して、 「国連の強化に関する全員参加の高級作業 部会」終了後も、総会への NGO の参加について引き続き非公式な協議が続けられていた84。 1997 年 12 月には、カナダやオランダなど 50 カ国と、35 の NGO が集まり非公式会議を開 き、NGO の総会参加を暫定的に認める決議案について話し合いを行った。しかし、アジア、 アフリカ諸国を含めた非同盟諸国がその決議案に反対し、結局、総会では事務総長に国連 システム全体での現在の NGO 参加の状況について報告するよう求める内容の総会決定 52/453 が採択されるにとどまった。 これまで NGO の国連機関全体への参加に積極的だった途上国が一転消極的になった理 由には、NGO の多くが先進諸国を拠点とすることによる主権侵害への懸念・不満があった 85。このような途上国の態度は、総会の政府間機関としての性格が強調された 1998 年の非 同盟諸国運動の会議でもみられた86。対して、NGO 自身が改革を議論する作業部会等への 参加できるよう働きかけたものの、 「改革の交渉は、国連システム内における反民主的圧力 の縮図である」87といわれるほど、それらは非公開であり、情報が十分に NGO に提供され ることはなかった。 結局、1998 年 8 月に、総会に事務総長の報告書が提出されたが88、12 月、その報告書に 184 ついて、各国政府や国連機関、NGO の見解を盛り込んだ報告書を提出するよう事務総長に 求める決定 53/452 が採択されるにとどまった。その翌年に同報告書が提出されたが89、そ の後目立った動きはない。 NGO 参加の公式の制度化が進まない一方で、安保理や総会も含めた国連全体での NGO の実質的な参加は拡大していった。もともと、人権問題や選挙監視活動、環境問題といっ た活動の実施段階において、国連システム全体で多くの NGO が参加するようになった90。 加えて、「直接民主主義」にとって重要な意思決定過程への NGO の参加も拡大していっ た。まず総会について、自決権を扱う「特別政治・脱植民地委員会」 (第 4 委員会)では、 請願者として少数民族を代表するいくつかの NGO が参加した91。 また、UNCED の 5 年後の進捗状況を扱う「アジェンダ 21 の全面的なレヴューと評価の ための特別総会」(通称、地球サミット+5)など、1990 年代前半に開かれた国連会議のフ ォローを担う国際会議や特別総会では、UNCED を範とした NGO の参加が行われた。そこ では同時に、最終的な議決権は相変わらず得られないものの、参加の実質的な拡大も見ら れた。例えば、1996 年 6 月の国連人間居住会議(HabitatⅡ)へ向けた準備会議では、NGO は文書案の修正に関する非公式協議に参加することが許された92。その修正案は事務局によ って回覧され、国連の正式な文書として収録されることとなった93。さらに、97 年の地球 サミット+5 では、通常総会も含めて 12 の NGO がはじめて総会の本会議に正式に招かれ、 声明を行った94。以後、99 年 6 月から 7 月にかけての「人口・開発国際会議に関する特別 総会」、2000 年 6 月の女性 2000 特別総会(北京+5)と、一定の制約を設けられながらも、 特別総会への NGO による参加が広範に認められるようになった。すなわち、特別総会への NGO の参加について、あくまでも個々の開催ごとに手続きが定められるのが建前であるも のの、一定の形態が慣習化していった。まず、本会議へは NGO の代表が選ばれて発言を行 う。ただし、その代表が平等で透明かつ地理的な衡平に適ったなやり方で選ばれたことが 加盟国へ示さなければならない。また、その他の委員会へはすべての NGO がオブザーバー としての参加が認められる95。 安保理へも、例えば NGO は対人地雷やアフリカに関わる人道問題に関する公式・非公式 協議へ議長による招待という形で参加するようになった96。さらに、現在では「安保理に関 する NGO 作業グループ」(NGO Working Group)が定期的に安保理の議長や理事国大使 185 と会合を行っている。 先にみた 1993 年からの安保理改革を機に、まず 95 年にグローバル・ポリシー・フォー ラ ム ( Global Policy Forum ) や ア ム ネ ス テ ィ ・ イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ( Amnesty International)、世界連邦主義者運動(the World Federalist Movement)など有力 NGO が、一部加盟国の国連大使の協力のもと「安保理に関する NGO 作業グループ」を結成した。 グループは、安保理の理事国の大使や安保理議長と会合を定期的に持ち、情報の交換を行 うようになった。一時期、中国など一部常任理事国の反対により安保理議長はグループと 公式に会わないことが決められたもの、大使としての資格で個人的に会合に参加すること 99 年には 32 回、2000 年には 33 回の会合がもたれた。 によりその決定は有名無実化した97。 グループに参加する NGO は、先の設立に関わった NGO に加えて、国境なき医師団やオッ クスファム(Oxfam)など、いずれも有力で国際的な 20 前後の NGO に限定されている。 そのうちグループの議長と副議長及び他の 6 つの NGO が「運営グループ」(steering group)として選ばれ、調整を行う98。 このような協議の仕組みが発達した理由には、一方で NGO は、安保理の決定によってそ の活動が影響を受けるために安保理の動きに関心があり、他方で安保理のメンバーもまた、 価値ある現地の情報や分析能力、大衆とのリンク、会合から受ける刺激を NGO に見出した ことがある99。ただし、メンバーがあらかじめ一部の有力 NGO に制限されていることから、 「直接民主主義」の観点から見たとき、グループが国連に関わる NGO の代表とみなしうる かには疑問がある。その点、グループ自身は、 「いかなる公式の意味でも代表であると主張 するつもりはない」と認めつつも100、メンバーのいずれの NGO も人道援助や人権、軍縮な ど安保理の実際の活動のとのつながりが深く、多忙な大使たちの関心と時間を引き付ける ことができることことを挙げ、メンバーの限定を正当化している101。 参加する NGO の数が増大し、影響力に関する NGO 間不平等が拡大する中で、NGO 間 の調整のメカニズムも発達していった。例えば、経社理の機能委員会である「持続可能な 開発委員会」 (CSD)では、1993 年、最初の CSD で調整メカニズムの必要性が合意された。 第 2 回の CSD では、南北間の不信がありメカニズムの設立には難航したものの、「NGO 運 営委員会」に関するガイドラインが締結された。その目的は、加盟国や事務局との折衝、 NGO グループ内部での調整である。運営委員会の構成については、国際的なジェンダーバ 186 ランスとともに、南からの NGO が多数参加することが保証されることとなった102。1999 年段階で、80 以上の NGO が委員に選出され、内 36%が北アメリカ及び西ヨーロッパ、残 りが発展途上国を中心とした国々からの NGO であった103。ただし、NGO 運営委員の役割 は、何千という NGO が活動できるように調整を行うことであり、NGO 全体の意志を集約 し代表することではないとされた104。運営委員会は、調整の方法として、争点や領域ごと に作られる NGO のコーカスを重視している。コーカスごとに意見を集約し、加盟国政府等 と交渉を行っている。この他にも、NGO 間の不平等を和らげるための取り組みとして、2001 年 6 月に開催された「人間居住に関する国連会議の結果の実行に関する全面的なレヴュー と評価のための特別総会」では、後進発展途上国とその NGO の参加のための財政的な支援 が行われた105。 本書における「直接民主主義」の観点からは、以上の NGO の「参加」についてその性質 が問題である。どの程度、意思決定過程に影響を与えたのか、それとも政府間での決定事 項の実施に単に「下請け」として関わっただけなのか、どれだけ自律性を保っているかを みなければならない。その点からは、決定の実施過程に比べると、主要機関の意思決定過 程については、従来からの経社理も含めて、公式にはオブザーバー的な参加のみであり、 制度化された非公式の参加をあわせても不十分にしか参加できていない。また、UNESCO のように、機関自身が NGO を作り、さらに財政面で優遇するなど、自律性が疑わしい場合 さえある106。 5 ミレニアム・サミット 改革が一段落ついた後の新たな動きは、ミレニアム・サミットをめぐるものである。まず ミレニアム・サミットに向けて、2000 年 5 月には「われら人民」(’We the Peoples’)と題 する事務総長の報告書が出された107。そこでは、国連が取り組まねばならない多くの課題 とともに、「静かなる改革」の継続を唱えられた。また事務総長は、先の改革で懸案となっ ていた「サンセット・プログラム」の承認を求めるとともに、「より人民中心の国連になる ためには、より結果に基づく組織にならなければならない。」108として、「結果重視の予算 システム」を総会が支持してくれるよう望んだ。 187 ミレニアム・サミットに先立つ 2000 年 6 月には、事務総長の主催によって、広く NGO を集めてミレニアム・フォーラムが開かれた。そこでは、ミレニアム・サミットに提出す るために、今後の国連のあり方について NGO の意見を集約することが行われた。採択され た「われら人民-ミレニアム・フォーラム宣言と 21 世紀のために国連を強化する行動課題」 は、政府と国連、市民社会それぞれにグローバル化によってもたらされる多種多様な問題 への対策を呼びかけている。 注目すべきは、その中の「F. 国連と国際機構の強化と民主化」という節である。そこで は、安保理をより世界を代表するものにすること、特に、拒否権の廃止が求められた。他 にも、国連の議会的な機関の創設を検討することや、途上国からの NGO の参加を保証・促 進することが、国連の民主化のために求められた。また、市民社会に対して、今回と同様 のフォーラムを定期的に行えるよう、「グローバル市民社会フォーラム」の創設と基金を呼 びかけられた。 ミレニアム・サミットに続いて総会で採択された「ミレニアム宣言」 (総会決議 55/2)で は、国連憲章の目的と原則が確認されると同時に、グローバリゼーションに伴う不平等の 問題や開発・貧困が取り組むべき重要な課題として取り上げられた。国家における民意に 基づく民主的で参加型の統治としての「デモクラシー」もまた、加盟国や国連が推し進め るべき価値として織り込まれた。しかし、ミレニアム・フォーラムでの国連の民主化の要 求については、特に言及されなかった。期待されていた総会や安保理への NGO の参加の拡 大についても言及はなかった。むしろ、国家の主権的平等と内政への不干渉の原則ととも に(4 項)、「国連の主たる審議機関、政策形成機関、代表機関としての総会の中心性を再確 認」された(30 項)。それでも、国連の強化の一環として、列国議会同盟(IPU)を通じて 各国議会と国連との協力関係が唱えられていることは(30 項)、国連の民主化の観点から注 目すべきことである109。 国連の民主化という点で一連の動きをみると、NGO を含めた市民社会の参加に基づく 「直接民主主義」110、あるいはより弱い意味での「超国家的議会制民主主義」が、事務局 と市民社会自身によって明確に求められたが、 「国際民主主義」や「アウトプット指向のデ モクラシー」を重視する加盟国によって、その動きは進まなかったといえる。 188 6 小括 1980 年代後半以降の国連改革を、国連の民主化という観点からみてきた。改革そのもの は、総会や安保理の承認が不必要で、事務総長自身の権限で可能かつアメリカの支持を得 やすい行財政改革でのみ一定の成果が上がった111。結局のところ、国連内部の加盟国の合 意が必要な抜本的な国連改革はなされず、漸進的な改革にとどまった。小手先だけの「対 応」(adaptation)のみが行われ、国際社会の変化に十分対応しうるように、基本原理そのも のからの変化である「学習」(learning)はほとんど実行されなかったといえる112。 国連の民主化についても同様に、小手先だけの「民主化」の動きがみられただけである。 先に設定した国連の民主化の目標いずれも十分に実現に向かったされたとは言い難い。 「アウトプット指向のデモクラシー」を目指して、加盟国に責任を持ち実効的で効率的な 国連が目指された。事務局に関しては、人員削減や部局の統廃合といった一定の合理化が 行われた。しかし、国連の財政難自体はいまだに解決していない。また、国連を実効的で 効率的にするための主要機関の改革も進まなかった。国連の活動全体の調整に関する問題 も未解決である。さらに、アカウンタビリティーを追及するための新しい予算制度もいま だ模索の途上にある。そもそも「誰」に対する責任かについて、大口分担国なのか加盟国 全体なのか不明瞭な状態である。 「直接民主主義」については、1990 年代の国連主催による会議の開催を期に、国連への NGO の参加が活発になり、経社理では協議制度が改定された。しかし、総会や安保理への 公式の制度化は進んでいない。また、NGO 間の平等の問題も解消されたとはいえない。 「超国家的議会制民主主義」については、ミレニアム・フォーラムに実施でようやく兆し が見られるようになったものの、会議自体が事務総長の権限によって開催された諮問的な ものでしかなく、ほとんど実現へと向かわなかった。ただし、列国議会同盟との協力関係 の強化は注目しうる動向である。 「国際(国家間)民主主義」については、依然として途上国が強く求めた。しかし、国家 間の平等に基づいた安保理改革については、大きな変化はみられなかった。むしろ、国家 主権が強く主張されることで、NGO を含めた市民社会の参加の障害となり、 「直接民主主 義」を阻害している側面もあった。 189 このように国連自体の民主化に関するどの目標も十分な実現には向かわなかった。グロ ーバル・デモクラシー全体と結び付けてみると、そもそも国連は、伝統的にグローバル・ デモクラシーのウェストファリア・モデルを目指し、その機構の運営については「国際(国 家間)民主主義」を目標としてきた。他方で、冷戦終結以降は、グローバル・デモクラシ ーのコスモポリタン・モデルやラディカル・モデルの思想が盛んに主張されるようになり、 国際関係の実状もそれに向かっていった。国連に対しても、「直接民主主義」や「超国家的 議会制民主主義」に基づいた国連の民主化の要求が強くなった。しかし、加盟国が正式な 権限を握る国連においては、「国際民主主義」、あるいは加盟国に責任を負う「アウトプッ ト指向のデモクラシー」を求める傾向が強く、NGO を含む市民社会の参加に基づく民主化 を阻むという結果が見られた。 このような結果に終わった一連の国連改革の過程では、加盟国間の関係、国際機構の持つ あるいは期待される機能、国際社会の価値・規範の変化、国際社会の構造、「組織」として の特性といった国際機構に働く多様な要因が複雑に絡んだためである。 第 1 に、加盟国間の力関係である。アメリカを中心に国際社会全体が国連の機能・役割の 拡大に利益を見出したことによって、国連の活動は急激に増大し、改革に積極的な姿勢が 生まれた。しかし、ソマリアでの失敗を契機にアメリカの態度が変化し、国連の拡大と改 革の気運は退潮を迎えることとなった。 各種の改革の進展も加盟国間の力関係の影響を受けた。一方では、アメリカをはじめと大 口拠出国の意向に従って行財政改革が行われ、他方では、多数を占める途上諸国によって 開発協力の改革が求められた。しかし結局のところ、比較的進展を見たのは行財政改革だ けであった。この点、主権国家の平等規範に従って一国一票制をとる総会と実際の国際社 会における諸国間の力関係の乖離が国連改革の行方にも現れた113。安保理改革についても 同様である。大国が占める現常任理事国が拒否権制度の改革や常任理事国の拡大に消極的 であったため、なかなか進まなかった。NGO の参加に関しても、発展途上国は安保理や総 会にまで NGO の参加を拡大することを要求したが、一部先進諸国が消極的であったため進 まなかった。その後は、発展途上国も消極的になり、NGO の制度化は行き詰まっていった。 第 2 に、国際機構が持つ機能への期待である。冷戦終結後の国際社会において、国連が持 つ国際的な正当性付与能力や、情報収集能力、国際的取極めの遵守確保能力といったもの 190 に加盟国の期待が集まった。そのように加盟国から求められる機能・役割が増大する中で、 国連がより効果的・効率的に活動できるように行財政改革が行われた。また、NGO に「下 請け」させた方が国連の活動にとって実効的で効率的であることから、主として実施段階 での参加が促されることとなった114。必ずしも人々とその代表としての NGO の参加を促す という視点からではなかった。そのために意思決定段階への参加は進まなかった。 第 3 に、国際社会の構造の変化である。国連の活動の拡大と改革の行き詰まりは、南北間 の不平等を拡大する(新)自由主義的な国際経済構造が大きな影響を及ぼした。冷戦の終 結によって、新自由主義的な経済体制の必要性に関する広いコンセンサスはできたものの、 発展途上国は現実に広がる経済格差に依然強い不満をもっていた。そのため、発展途上国 の多くは、国連に対して経済協力をいっそう促進することを要求した。しかし、日本も含 めた欧米先進諸国は、国連の経済協力に関する権限が世界銀行・IMF にまで及ぶような改 革には反対であり、事務局を中心とした小規模な改革にとどめようとした。 第 4 に、国連内外での価値・規範の変化である。国連自身が生み出したものも含めて、冷 戦の終了に伴う国際社会における規範や価値の変化が、加盟国を通じて間接に、あるいは 直接に、国連の改革に影響を及ぼした。環境や人権、デモクラシーといった価値の世界的 な普及は、国連に新たな活動や制度が求められるきっかけとなった。しかし他方で、先進 諸国政府を中心に広まっていた新自由主義的な「小さい政府」の理論も、先進諸国によっ て求められる国連改革の内容に大きな影響をもたらした。 第 5 に、国連の「組織」としての特性である。デクエヤルとブトロス=ガリ両事務総長自 身のリーダーシップは改革の過程に影響を与えた。また財政難という組織の事情も改革の 内容に大きな影響を与えてきた。 これらの要因が働いた結果、全体として国連の改革はなし崩し的になり、国連自体の民 主化の諸目標の実現は進展しなかった。国連の効率化・合理化や開発協力分野の改革、主 要機関の組織改革、NGO の参加拡大は、いずれも十分な成果を収められなかった。 この状態の根本には、そもそも国連の「主権者」は加盟国であるか、それとも人々であ るかについて合意が確立していないことがある115。そのために国連の「民主化」の目標が 定まらない。それは、国連における NGO の役割について、政府間機構としての国連の活動 への情報提供や実施の請負といった「下請け」に過ぎないとみるのか、それとも政府のチ 191 ャンネルとは別に人々の声を国連に直接届ける「代表」としての役割を果たしているとし てみるのかについて見解が分かれていることにも現れている116。この問題を考察するため には、国家の民主化への国連の関与の姿勢とあわせて、国連はどのようなグローバル・デ モクラシーを目指しているのかという本書における最初の問題へと再び戻らなければなら ない。 1 ナイトのすべての修正、調節、変革を含む「変化」(change)と、変化の特定の戦略であ る「改革」(reform)の区別を参照。Knight, W. Andy, A Changing United Nations: Multilateral Evolution and the Quest for Global Governance, New York: PALGRAVE, 2000, p.43. 2 ナイトは、小手先だけの変更を「対応」(adaptation)とし、国際社会の変化に十分対応し うるように、基本原理そのものからの変化を「学習」(learning)と呼んでいる。Ibid., ch.2. 3 Müller, Joachim (ed.), Reforming the United Nations: New Initiatives and Past Effort, Hague, London, Boston: Kluwer Law International, 1997, pp.1-77. 4 渡部茂己「新国際秩序と国連総会の意思決定手続き」 『国際政治』第 103 号、1993 年、 49-50 頁 5 総会決議 40/237 参照. 6 総会決議 41/213;42/234;43/286;Kanninen, Tapio, Leadership and Reform: The Secretary-General and the UN Financial Crisis of the Late 1980s, Hague: Kluwer Law International, 1995, part2;Müller (ed.), op.cit., pp.63-68;猪又忠徳「平和のための行政 管理」『国際問題』No.404、1993 年、71 頁を参照。 7 同上。 8 庄司真理子「国連の機構改革構想」『国際政治』第 103 号、1993 年、16 頁。 9 Müller (ed.), op.cit., p.68. 10 桐山孝信『民主主義の国際法』有斐閣、2001 年、第 5 章参照。 11 Barnett, Michael N., “Bringing in the New World Order: Liberalism, Legitimacy and the United Nations”, World Politics, 49, 1997, pp.526-551;Fukuyama, Francis, The end of history and the last man, New York: Free Press, Toronto: Maxwell Macmillan Canada, 1992(渡部昇一訳『歴史の終わり(上)(下)』三笠書房,1992 年);桐山孝信「冷戦 終結と新国際秩序の模索-「人権・民主主義・市場経済」宣揚のイデオロギー-」『外国語研 究』第 32 号、1995 年、1-16 頁。 12 Childers, Erskine with Brian Urquhart, “Renewing the United Nations System”, 1994, in Müller (ed.), op.cit.;South Centre, “For a Strong and Democratic United Nations: A South Perspective on United Nations Reform”, 1996, in Joachim Müller (ed.), Reforming the United Nations: New Initiatives and Past Effort. Hague, London, Boston: Kluwer Law International, 1997;モーリス・ベルトラン著、横田洋三監訳『国連 再生のシナリオ』国際書院、1991 年参照。ほかにも、Müller (ed.), op.cit.所収の改革提案 を参照。 13 Report on the Work of the Organization 1992, para. 28 and 86;庄司、1993 年、前掲、 14 頁;吉村祥子「アナン事務次長と国連改革」『海外事情』第 46 巻 1 号、1998 年、13 頁。 14 Report of the Secretary-General, Agenda for Peace, U.N.Doc.A/47/277-S24111 15 庄司、1993 年、前掲、17-19 頁. 16 Agenda for Peace, op.cit., para.59. 17 総会決議 47/120A。 18 U.N.Doc.A/48/460;Müller (ed.) , op.cit., p.146, and PartⅢ. 34;吉村、前掲、12-13 頁。 192 Müller (ed.), op.cit., p.146. 総会決議 48/218B;Müller (ed.), op.cit., p.128. 21田所昌幸『国連財政-予算から見た国連の実態』有斐閣、1996 年参照。 22 Paul, James, UN Reform: An Analysis, [http://www.globalpolicy.org/reform/analysis.htm] 2000/08/22. 欧米先進諸国では、新自由 主義に基づく行政改革の一つとして政策評価や結果重視の予算プログラムの作成を含む 「新行政管理」(NPM)を導入する動きが、既に 1980 年代より盛んになっていた。NPM については、笠京子「NPM とは何か―執政部、市場、市民による民主的行政統制―」『香 川法学』第 21 巻、第 3・4 号、2002 年、159-208 頁参照。 23 一連の国連会議について、Schechter, Michael G. (ed.), United Nations-sponsored world conference: Focus on impact and follow-up. Tokyo, New York, Paris: United Nations University Press, 2001 参照。 24 国連会議それぞれにおける NGO の参加手続きについては、Reference document on the participation of civil society in United Nations conferences and special sessions of the General Assembly during the 1990s, version 1, August 2001, [http://www.un.org/ga/president/55/speech/civilsociety1.htm] 2001/10/21 を参照。 25 例えば、1993 年の国連環境開発会議(UNCED)における NGO について、毛利聡子『N GOと地球環境ガバナンス』築地書館、1999 年参照。See also, Coate, Roger A. , Chadwick F. Alger, and Ronnie D. Lipschutz, “The United Nations and Civil Society: Creative Partnerships for Sustainable Development”, Alternative, Vol.21, No.1, 1996, pp.93-122. 26 Riddell-Dixon, Ellizabeth, “Social movement and the United Nations”, International Social Science Journal, No.144, 1995, pp.293-300;Schechter (ed.), op.cit.;Spiro, Peter J., “New Global Communities: Nongovernmental Organizations in International Decision-Making Institutions”, The Washington Quarterly, Vol.18, No.1, 1995, pp.49-51;馬橋憲男『国連と NGO-市民参加の歴史と課題』有信堂高文社、1999 年;福 島安紀子「国際連合とNGOのパートナーシップ」『計画行政』第 21 巻第 2 号、1998 年、 15-20 頁。 27 Lipschutz, Ronnie D., “Reconstructing World Politics: The Emergence of Global Civil Society”, Millennium: Journal of International Studies, Vol.21, No.3, 1992, pp.389-420. 28 Coate, Alger, and Lipschutz, op.cit. 29 Willetts, Peter (ed.), The Conscience of the World: The Influence of Non-Governmental Organisations in the UN System, London: Hurst & Company, 1996;馬橋、1999 年、前掲、103 頁。 30 Coate, Alger, and Lipschutz, op.cit., p.117;Martens, Kerstin, ‘Non-governmental Organisations as Corporatist Mediator? An Analysis of NGOs in the UNESCO System’, Global Society, Vol.15, No.4, 2001, p.391;馬橋憲男「国連と NGO」西川潤・佐藤幸男編 著『NGO/NGO と国際協力』ミネルヴァ書房、2002 年、109 頁。 31 経社理決定 1993/214。 32 経社理決議 1993/80。これら改定の過程については、Otto, Dianne, “Nongovernmental Organizations in the United Nations System: The Emerging Role of International Civil Society”, Human Rights Quarterly, Vol.18, No.1, 1996, pp.109-125;馬橋、1999 年、前掲、 第 6 章;鈴木淳一「国連経済社会理事会と NGO との協議取決めの改定―グローバルな『市 民社会』の国連への参加―」『獨協法学』第 44 号、1997 年、379-425 頁参照。 33 協議制度に登録された南北 NGO の数における不平等については、三上貴教「不均衡の 国連 NGO-本部所在地の分析を中心に―」『修道法学』第 22 巻第 1・2 合併号,2000 年, 255-275 頁参照。 まず、南北諸国間の不均衡がある。1997 年当時で、世界銀行が規定する全国家のおよそ 18%の高所得国に、全 NGO の本拠地の 8 割(1040 組織)が集中していた。他方、世界の 19 20 193 33%を占める低所得国には、6%の NGO(83 組織)しか存在していなかった。また、地域 間の格差も存在する。1997 年時点では北アメリカとヨーロッパにおよそ 8 割が集中してい た(以上、同、263 頁) 。 34 馬橋、1999 年、前掲、136-137 頁。 35 グローバル・ガバナンス委員会著、京都フォーラム監訳『地球リーダーシップ-新しい 世界秩序を目指して-』NHK 出版、1995 年、310-312 頁。 36 総会決議 45/264。 37 総会決議 46/225;庄司、1996 年、前掲、56-57 頁 38 Müller (ed.), op.cit., pp.130-131. 39 U.N.Doc.A/48/935. 40 U.N.Doc.A/49/665. 41 総会決議 49/126. 以上の過程について、Müller (ed.), op.cit., pp.129-145 参照。 42 Ibid., p.128;神余隆博「国連総会機能の再活性化-国際平和に関する総会の役割の再検討 -」『阪大法学』第 44 号、1994 年、30-33 頁。 43 総会決議 47/233。 44 藤田久一『国連法 = United Nations law 』東京大学出版会、1998 年、410-411 頁。 45 後の小さな改革としては、総会決議 55/285 参照。 46 U.N.Doc.A/49/965 参照。 47 この安保理改革の過程については、作業部会の毎年総会に提出されている報告書 (U.N.Doc.A/48/47;A/49/47;A/50/47; A/51/47, A/52/47;A/53/47;A/54/47;A/55/47) と Fassbender, Bardo,UN Security Council Reform and the Right of Veto, Cambridge: Kluwer Law International, 1998, ch.9;R・ドリフテ著、吉田康彦訳『国連安保理と日本』 岩波書店、2000 年を参照。 48 Fassbender, op.cit., ch.10. 49 滝澤美佐子「旧ユーゴスラビアにおける国連の活動」 『外交時報』No.1306、1994 年、60-75 頁;則武輝幸「国連とソマリア内戦-「平和執行舞台」構想の挫折-」『外交時報』No.1306、 1994 年、17-46 頁。 50 原田勝久『国連改革と日本の役割』日本経済新聞社、1995 年、6 章;ジェシー・ヘルム ズ「ガリ国連事務総長への最後通牒」『中央公論』1996 年 11 月;星野俊也「クリントン政 権の国連政策」『国際問題』No.443、1997 年、52-65 頁参照。 51 総会決議 49/252。 52 Müller (ed.), op.cit., p.198. 作業部会の報告書 U.N.Doc.A/50/24;U.N.Doc.A/51/24 も参 照。 53 その経過については、馬橋、1999 年、前掲、157-159 頁。 54 Willetts, Peter, “From “Consultative Arrangements” to “Partnership”: The Changing Status of NGOs in Diplomacy at the UN”, Global Governance, Vol.6, No.2, 2000, p.200;馬橋、1999 年、前掲、158-159 頁。 55 U.N.Doc.A/51/24. 56 グローバル・ガバナンス委員会、前掲。 57 Müller (ed.), op.cit., p.152. 58 U.N.Doc.A/51/829. 59 Ibid.;吉村、前掲、16-19 頁。 60 U.N.Doc.A/51/950 and Add.1 to 7. 61 Ibid.;吉村、前掲、19-24 頁も参照。 62 Müller (ed.), op.cit., pp.207-216. 63 吉村、前掲、19 頁。 64 U.N.Doc.A/51/950/Add.1. 194 総会決議 52/12。 U.N.Doc.A/51/950/Add.5. 事務局の予測では、経費の 10 パーセントほどで、次の 2 年で 3~4 千万ドル程度捻出しうるとした、United Nations Focus Series, No.3, September 1998, [http://un.org/reform/focus3.htm] 2000/06/13. 67 U.N.Doc.A/51/950/Add.4. 68 審議過程での各国のコメントを参照。U.N.Doc.A/52/PV.83. 69 事務総長の報告書についての審議過程でのブラジル(U.N.Doc.A/52/PV.78) 、日本 (U.N.Doc.A/52/PV.83)のコメント参照。 70 U.N.Doc.A/52/851. 71 この結果重視の予算システムをめぐる動きについては、城山英明「国連財政システムの 現状の課題」 『国連研究』第 3 号、2002 年、209-211 頁参照。 72 例えば、 結果重視の予算システムについて、総会における審議でのキューバのコメント、 サンセット規定についてはパキスタンのコメントを参照。U.N.Doc.A/52/PV.78. 73 U.N.Doc.A/51/950, Add.7. 74 1997 年 7 月 16 日の事務総長による総会演説を参照。 「国際連合の改革と刷新-コフィ ー・アナン事務総長の報告書および関連資料」国際連合広報センター、1997 年 8 月所収。 75 吉村、前掲、25 頁。 76 実際に、G-77 と中国は事務総長の報告書へのコメントの中でこの提案を特に歓迎してい る。U.N.Doc.A/52/663, pp.12-13. 77 Annan, Kofi, “The Quiet Revolution”, Global Governance, Vol.4, 1998, pp.123-138. 78 Müller (ed.), op.cit., p.128;猪又、前掲、71 頁。 79 United Nations Focus Series, No.2, January 1998, [http://www.un.org/reform/!focus.htm] 2000/06/14. 80 United Nations Focus on Reform, No.1, November 1997 [http://www.un.org/reform/focus.htm] 2000/06/13. 81 U.N.Doc.A/51/950, para.207;U.N.Doc.A/53/170, para.3. 82 Ibid.,para.208. 83 U.N.Doc.A/53/170, paras.11-14. 84 以下の過程については、馬橋、1999 年、159-161 頁参照。 85 同上、161-162 頁。 86 Willetts, op.cit., p.201. 87 ある協議的資格を持つ NGO のメンバーの言葉を参照、Paul, op.cit. 88 U.N.Doc.A/53/170. 89 U.N.Doc.A/54/329. 90 上記の報告書のほかにも、Weiss, Thomas G. and Leon Gordenker (eds.), NGOs, the UN, and Global Governance, Boulder: Lynne Rienner Publishers, 1996, pp.51-66; Willetts (ed.), op.cit. 91 U.N.Doc.A/53/170, 10;Willetts, op.cit., pp.200-201;馬橋、1999 年、前掲、175-176 頁。 92 Reference document on the participation of civil society in United Nations conferences and special sessions of the General Assembly during the 1990s, op.cit., 8. 93 [http://habitat.igc.org/csdngo/surviving.htm#PARTICIPATION%20IN%20CSD-6] 2003/07/27. 94 Dodds, Felix, “From the Corridors of Power to the Global egotiating Table: The NGO Steering Committee of the Commission on Sustainable Development”, in Michael Edwards and John Gaventa (eds.) Global Citizen Action. Boulder, Colo.: Lynne Rienner Publishers, 2001, pp.208-209. 95 Reference document on the participation of civil society in United Nations conferences and special sessions of the General Assembly during the 1990s, op.cit., 65 66 195 13-20. 96 Willetts, op.cit., p.200;馬橋、1999 年、176 頁。 97 以上の歴史について、Paul, James A., A Short History of the NGO Working Group on the Security, April 2001, [http://www.globalpolicy.org/security/ngowkgrp/history.htm] 2003/05/16 参照。 98 Global Policy Forum, NGO Working Group on the Security Council Information Statement, December 2000, [http://www.globalpolicy.org/security/ngowkgrp/statements/current.htm] 2003/05/16. 99 100 Ibid. Ibid. Paul, 2001, op.cit. Dodds, op.cit., p.205. 103 Ibid., p.206. 104 Ibid., p.207. 105 Reference document on the participation of civil society in United Nations conferences and special sessions of the General Assembly during the 1990s, op.cit., 18. 106 Marten, op.cit. 107 U.N.Doc.A/54/2000.この題名は、国連憲章の前文より取っている。従来、the United Nations と合わせて、「我ら連合国の人民」と邦訳されている部分である。しかし、事務総 長は、「国連の人民」という意味合いで自然に用いている。その理由は、元来、原文では連 合国=国際連合であるためである。日本では、邦訳する時、あえて名称を変えたという歴 史的背景がある。色摩力夫『国際連合という神話』PHP 研究所、2001 年、58-65 頁参照。 108 Ibid.,73. 109 列国議会同盟は NGO として経社理の協議的地位を得ている。ほかにも、特別に「国連 と列国議会同盟の間の協力」と題される総会決議 50/17;51/7;52/7;53/13;54/12;55/19 を採択し協力関係を築いてきた。また、一連の決議を受けた事務総長の報告書も参照。 U.N.Doc.A/51/402;U.N.Doc.A/55/996;U.N.Doc.A/56/449. 協力の形態は、民主化支援に 限定されず、むしろ平和、開発、環境といった国連の活動全般に同機構が協力するという ものである。列国議会同盟については、参議院国際部国際会議課『IPU(列国議会同盟)の 組織と機能』議会制度研究資料第 36 号、1998 年を参照。 110 なお、事務総長は、経済のグローバル化や自由市場は原則として好ましいものとし、そ こでの企業などビジネス・コミュニティー、あるいは「私的セクター」の役割を重視して いる。1999 年 1 月のダボスで開かれた世界経済フォーラムで事務総長は主要な経済団体・ 企業と「グローバル・コンパクト」と呼ばれる協力関係の構築を提唱し、人権、労働基準 および環境分野に関する 9 つの原則を企業の活動に適用するよう呼びかけてきた。2000 年 7 月にはグローバル・コンパクトに関するハイレベル会合を行っている。 さらには、ミレニアム宣言でも、開発と貧困の撲滅のために私的セクターとの協力が謳 われ(20 項)、それを受けて「グローバル・パートナーシップへ向けて」という題名で総会 決議 55/215 と 56/76 を採択し、私的セクターと国連とのいっそう密接な協力関係の構築を 図っている。この動きが、国連の民主化、特に「直接民主主義」にどのような影響をもた らすかについて、注目しなければならない。 国連とビジネス・コミュニティーの関係については、Guidelines: Cooperation between the United Nations and the Business Community, [http://www.un.org/partners/business/guide.htm] 2001/01/12 とグローバル・パートナー シップに関する事務総長の報告書(U.N.Doc.A/56/323)を参照。 111 庄司、1993 年、前掲、23 頁;藤田、前掲、411-412 頁。 112 Knight, op.cit., ch.2. 113 この乖離と南北間の対立について、最上敏樹「国連システムの動揺と国際統治機構の変 101 102 196 容」杉原他編『平和と国際協調の憲法学-深瀬忠一教授退官記念-』勁草書房、1990 年、 3-25 頁参照。 114 Weiss, Thomas G. (ed.), Beyond UN Subcontracting: Task-Sharing with Regional Security Arrangements and Service-Providing NGOs, Basingstoke, Hampshire: Macmillan, Press New York: St. Martin's Press, 1998. 115 ビーナンらは国連が「国家」と「個人」という二つの範疇の主体から構成されているこ とを「二重の主体のステータス」(Dual Subject status)と表現している。See, Bienen, Derk, Volker Rittberger and Wolfgang Wagner. 1998. Democracy in the United Nations System: Cosmopolitan and Communitarian Principles. In Daniele Archibugi, David Held and Martin Köhler (eds.) Re-imagining Political Community: Studies in Cosmopolitan Democracy. Cambridge: Polity Press, p.290-291. 116 最近国連に公式文書では、 国連と NGO との関係をあらわす言葉として、 「パートナーシ ップ」という語が頻繁に用いられている。馬橋、1999 年、前掲、173-175 頁参照。しかし、 加盟国と NGO なのか、事務局と NGO なのか、何と何が「パートナー」として対等なのか、 また、対等であるのは実施過程でなのか意思決定過程でなのか、どのように対等なかのか が不明である。 197 終章 1 結論と展望 民主化の諸課題 本書は、世界中で国家の民主化が進み、国家を超えた場でもデモクラシーが 求められる中で、国連がどのようにデモクラシーの理念を世界全体に広め、ど のような民主的な世界秩序、すなわちグローバル・デモクラシーを構築しよう としているのか考察するものであった。最後に、本書における議論を要約し、 結論と展望を示したい。 序章でみたように国家の民主化と既存の民主主義体制の現状、国境を超えた 活 動 が 活 発 化 し て い る 状 況 か ら 、3 つ の 民 主 化 の 課 題 を 導 き 出 す こ と が で き る 。 すなわち、第 1 に、国家の民主化である。それは、国家の政治体制を「手続き 的な最小限の民主主義体制」へと移行させ、定着させることを目標とする。第 2 に、既存のデモクラシーを再活性化させ、人民の支配というデモクラシーの 理念の更なる実現を目指すことである。いわゆる参加型民主主義の推進などが ある。第 3 に、国家を越えた場の民主化を模索することである。 それぞれの課題について多様な議論が存在するが、第Ⅰ部第 1 章で示したよ うに、ある政治制度が民主的といいうるためには、被治者(の代表)に対して 治者が責任を負う必要が最低限必要である。国家の民主主義体制については、 自由で公正な選挙の実施など具体的要件が比較的明確であるが、デモクラシー の 深 化 や 国 家 を 超 え た 場 の 民 主 化 に 関 し て は 、そ の 要 件 は 明 確 で は な い 。結 局 、 民主化の各課題の目標や取り組み方は、デモクラシーの理念が地球全体で実現 された状態であるグローバル・デモクラシーの構想によって変化する。 第 2 章 で み た よ う に 目 指 す グ ロ ー バ ル・デ モ ク ラ シ ー の あ り 方 は 多 様 で あ る 。 主権国家システムをどの程度重んじるかどうか、グローバル化に対してどのよ うな態度を示すかなどから、ウェストファリア・モデル、世界連邦モデル、自 由主義的民主主義諸国共同体モデル、コスモポリタン・モデル、ラディカル・ 198 モデルに分類することができる。その中で国連は、どのようなグローバル・デ モクラシーを、どのように実現しようとしているのか、また、そこではどのよ う な 争 い が あ る の か を 知 る た め に 、本 書 で は 、第 1 と 第 3 の 民 主 化 の 課 題 へ の 国連の取り組み、すなわち、第Ⅱ部では国連による民主化支援活動、第Ⅲ部で は国連自体の民主化の動きに焦点を当てた。 2 国家の民主化に対する国連の取り組み 冷戦終結以降、国連は、加盟国の民主化を支援するようになった。まず、選 挙支援活動に関して、国連は、既に旧植民地における民族自決権の行使に関わ る住民(国民)投票への監督活動を行っていたが、冷戦終結前後からは、国際 平和に関わる例外的な活動として民主化に関わる選挙へ支援を行うようになっ た 。1990 年 代 半 ば に は 、選 挙 支 援 活 動 の 制 度 化 ・ 一 般 化 が 進 ん だ 。さ ら に 、選 挙支援活動は明確に民主化の一部として位置付けられるようになり、民主化の 定着段階を想定した長期的な選挙実施能力への支援が行われるようになった。 しかし同時に、国連自身が選挙の正当性を判断し責任を負う自前の選挙監視団 の派遣は避ける傾向が現れた。 1994 年 に マ ナ グ ア で 開 催 さ れ た 第 2 回「 新 し い 、あ る い は 回 復 さ れ た 民 主 主 義諸国の国際会議」を契機に、選挙支援を超えてより広い民主化支援活動が形 成されていった。このマナグア会議では、発展途上国が多数を占めたこともあ り、国際的な経済の不平等や国際的な場の民主化の問題が取り上げられた。し かし、これら会議をうけて国連総会で採択された決議では、必ずしも途上国の 意 見 は 受 け 入 れ ら れ な か っ た 。さ ら に 、97 年 の ア ナ ン 事 務 総 長 就 任 以 来 、民 主 化支援活動はガバナンスへの支援と一体化する傾向がみられるようになった。 そ れ で も 、2000 年 の コ ト ヌ ゥ で の 第 4 回 会 議 以 降 、ア フ リ カ 連 合 な ど で の 非 立 憲的な民主的政権の転覆への対応措置が言及されるなど、再び「民主化」その ものが注目されつつある。 民主化支援活動とは別に、国家の民主化に関する国連内部の規範の形成も進 199 んだ。総会及び人権委員会並びに、例外的ではあるがいくつかの強制措置を伴 う安保理の決議を見る限り、国連が国家の民主化を促進することは望ましいと いう合意に既に十分到達した。国家の民主化の具体的な目標についても、特定 の民主主義体制をモデルとしないという原則を維持しつつも、総会決議や人権 委員会決議、民主化支援の実践を通じて、少なくとも公正で自由な選挙の実施 に基づいて政権が樹立されること及びそのための制度的保障が存在する、いわ ゆる「手続き的な最小限の民主主義体制」を最小限の要件とすることで合意が 実質的に形成されつつある。それらの決議は国連内部の組織を拘束するもので あり、強制か加盟国の要請に基づくものかを問わず、国連による民主化への支 援は、手続的な最小限の民主主義体制としての条件を満たすために必要な内容 に限られることになる。結果として、国連は、望ましい政治体制として手続的 な最小限の民主主義体制への移行と定着を加盟国に広めていくこととなる。 このように発達した国連の民主化支援活動を、他の組織によって行われてい る国際的な民主化支援活動と比較すると、その特徴として以下が指摘できる。 第 1 に、現在では、多くの加盟国が最初の自由選挙を経験していることを理由 に、民主化の定着段階にもっぱら支援の焦点が当てられ、最初の選挙実施段階 以 外 の 、移 行 の 準 備 や 決 定 段 階 を 促 進 す る 手 段 は 制 度 化 さ れ て い な い 。第 2 に 、 定着段階における民主的政府への非立憲的な転覆行為や政府の権威主義化に対 する、強制措置を含めた明確な対応手続きは発達していない。第 3 に、段階を 問わず選挙の実施に支援の重点が置かれ、民主化を支え促す、政治や社会、文 化的な環境・構造の構築に対する支援は、十分には制度化されていない。しか も、国連は、政治的責任が重い自前の選挙監視団の派遣には消極的である。第 4 に、民主化に必要な環境・構造のうち、政府機関の能力構築といった政府の ガバナンス能力に支援の重点が置かれている。それに比べると、政党の育成及 び市民社会に対する支援の比重は少ない。経済発展についても、民主化支援と して目的付けられた支援はほとんどなされていない。第 5 に、民主化に影響 を もたらす国際的な要因への配慮が少ない。特に、国家間の経済的不平等の是正 など、途上国が要求する国際レベルの民主化の問題と国家の民主化が関連付け 200 は、加盟国から求められながらも十分な配慮がなされていない。 このような特徴が、民主主義体制の定着を国際的に支援する上で、国連によ る貢献の程度をどのように制約しているかを、カンボジアを事例にとって説明 し た 。 十 分 な 支 援 が な し え た UNTAC 下 で は 民 主 主 義 体 制 へ の 移 行 を 比 較 的 順 調 に 行 い え た が 、 UNTAC 後 の 定 着 期 に お い て は 不 十 分 な 役 割 し か 果 た す こ と ができていなかった。 以上より、国連が目指すグローバル・デモクラシーは、国家への民主化支援 活動を見る限り、設立当初の、国内の政治体制の選択に国際社会が干渉しない 「ウェストファリア・モデル」から離れて、国家に手続的な最小限の民主主義 体制への移行を求め、国際的な民主化支援が行われる「自由主義的民主主義諸 国共同体モデル」を目指す方向へと向かいつつある。ただし、民主化を十分に 支えるための支援は、民主化の過程及びほかの国際機構による支援と比較して みる限り不十分な点が見られるということになる。 3 国連自体の民主化への動き 第 7 章 で み た よ う に 、国 際 機 構 の 民 主 化 に つ い て は 、多 様 な 目 標 が 存 在 す る 。 その中で、国連の機構内部のデモクラシーとして、そもそも国家の平等に基づ く「 国 際( 国 家 間 )民 主 主 義 」が 求 め ら れ て き た 。そ れ は 、1980 年 代 後 半 以 降 の国連改革においても、安保理改革での途上国のさらなる常任理事国入りや拒 否 権 の 廃 止 の 要 求 と 、経 済 社 会 理 事 会 と 経 済 社 会 協 力 活 動 の 改 革 で も み ら れ た 。 しかし、安保理改革の焦点である理事国拡大と拒否権の問題は解決されなかっ た 。途 上 国 が 国 家 の 平 等 を 求 め て 要 求 し た 経 済 社 会 協 力 活 動 の 改 革 も 、「 開 発 へ の課題」が採択されたものの十分な成果を生み出されてなかった。 1990 年 代 に 入 る と 、「 国 際( 国 家 間 )民 主 主 義 」と は 別 に 、NGO を 含 む 市 民 社会の国連への直接的な参加を求める「直接民主主義」も国連の民主化の目標 と し て 主 張 さ れ る よ う に な っ た 。 1993 年 の 国 連 環 境 開 発 会 議 ( UNCED) に 代 表 さ れ る よ う に 、 国 連 主 催 の 国 際 会 議 で NGO の 参 加 が 急 激 に 拡 大 し た 。 そ れ 201 を 受 け て 、 ま ず 1996 年 に は 経 済 社 会 理 事 会 の 協 議 制 度 の 改 革 が 行 わ れ た 。 さ ら に 、 特 別 総 会 や 安 保 理 に お い て も 、 NGO の 参 加 に 関 し て 一 定 の 慣 習 化 ・ 制 度 化 が み ら れ る よ う に な っ た 。 2000 年 に は 、 国 連 ミ レ ニ ア ム 総 会 に 先 行 し て 、 NGO が 参 加 す る ミ レ ニ ア ム ・ フ ォ ー ラ ム が 事 務 局 に よ っ て 開 催 さ れ た 。 こ の よ う に 国 連 と NGO の 関 係 は 、ま す ま す 緊 密 に な り 、NGO の 参 加 拡 大 の た め の 制度改革が行われた。しかし、常設で公式の協議制度は、結局、依然として経 済 社 会 理 事 会 及 び そ の 関 連 機 関 の み に と ど め ら れ る こ と と な っ た 。ま た 、NGO は議決権を持つことなく、あくまでも諮問的な役割に限定されたままである。 さ ら に 、 参 加 す る NGO に は 数 や 影 響 力 に お い て 南 北 間 の 格 差 が 存 在 す る 。 そ も そ も 、加 盟 国 の 多 く が「 国 際( 国 家 間 )民 主 主 義 」を 重 視 し 、そ も そ も NGO の声が自らの声以上に反映されることに対して依然として消極的であった。 「 直 接 民 主 主 義 」と 同 様 に 、人 々 の 意 思 を 国 際 機 構 に 反 映 さ せ よ う と す る「 超 国家的議会制民主主義」の議論も、国連においてながらく主張されてきた。し か し 、 実 際 の 動 き と し て は 、 ミ レ ニ ア ム 宣 言 で 列 国 議 会 同 盟 (IPU)と い っ そ う の協力を目指すことが明記されたことや、先にも述べたミレニアム・フォーラ ムといった動きでその実現の兆候がわずかにみられたに過ぎない。 これらの国連の民主化の主張とは別に、国際機構をより実効的で効率的なも のとしてその能力を高め、なおかつ加盟国への結果責任とアカウンタビリティ ー を 追 求 す る 「 ア ウ ト プ ッ ト 指 向 の デ モ ク ラ シ ー 」 も 求 め ら れ て き た 。 1980 年代以降の国連改革では、事務局を中心とした行財政改革が最も進展した。国 連を実効的で効率的なものとし、加盟国へのアカウンタビリティーを高めるこ とがその目的であった。しかし実際には、行財政改革がそもそもアメリカをは じめとした先進諸国の要求に応じて行われたものであり、その目指す目標は不 明確であった。途上国の不満へも配慮しながら行われた一連の行財政改革が、 国連の民主化に貢献したとは言い難い。 こ の よ う に 国 連 の 民 主 化 に 関 す る ど の 主 張 も 、1980 年 代 以 降 の 改 革 を み る 限 りでは、十分な実現に向かわなかった。そもそも国連は、ウェストファリア・ モデルを目指し、その機構自体の運営については原則として「国際民主主義」 202 を理想としてきた。冷戦終結以降は、グローバル・デモクラシーのコスモポリ タン・モデルやラディカル・モデルの思想が盛んに主張されるようになり、国 連 に 対 し て も 、 活 動 が 活 発 化 し た 人 々 や そ れ を 代 表 す る NGO が 参 加 す る 「 直 接民主主義」や「超国家的議会制民主主義」に基づいた国連の民主化要求が強 くなった。しかし、国連はそれら民主化の要求を吸い上げて制度改革に反映さ せることができなかった。そこには、民主化の各目標間の矛盾や加盟国間の対 立、財政難といった国連自身の組織的な事情などが原因として存在していた。 4 結論と展望 以上、まず、国連の加盟国の民主化への取り組みについては、民主主義体制 の要件に関する規範が形成され、民主化支援活動が発達しつつある。また、国 連 自 身 の 民 主 化 に つ い て は 、 加 盟 国 間 の 平 等 の 追 求 だ け で な く 、 NGO の 参 加 に よ る 民 主 化 も 模 索 さ れ つ つ あ る 。そ れ ら の 点 か ら 、第 2 章 で み た グ ロ ー バ ル・ デモクラシーの諸モデルと照らし合わせるとき、国連は、内政不干渉と国家間 の平等の追求を柱としたウェストファリア・モデルから、その目指すグローバ ル・デモクラシーのあり方を変化させつつあるといえる。しかし、現在のとこ ろ加盟国への民主化支援で制度が発達しているのは、選挙支援活動とガバナン ス支援に限定されている。また、国連自体の民主化も、その方向性が明確でな く目標間での矛盾が現れている。よって、国連は、特に自由主義的民主主義諸 国共同体モデルあるいはコスモポリタン・モデルへ向かう傾向が見られるもの の、明確なグローバル・デモクラシーの構想を形成し、それを十分に追求する までには到っていないといえる。 それでも、デモクラシーの理念である「人民の支配」を世界全体で広めるべ きであり、国連もその理念を広めかつ自身もそれに基づいて運営されるべきで あ る と い う 規 範 自 体 は 、ミ レ ニ ア ム・サ ミ ッ ト に 向 け た 事 務 総 長 の 報 告 書 の「 わ れら人民」という題名に象徴されるように、国連で確立しつつある。そうであ るならば、国連は、今後、進めるべきグローバル・デモクラシーのあり方につ 203 いて明確な構想を構築し、民主化の各課題への取り組みを通じて、その実現に 務めなければならない。 では、今後の民主化の課題への取り組みへ向けた国連の活動の発達において 何が重要であろうか。国連の民主化支援活動の形成と国連改革の歴史的過程の 検証で明らかになったように、加盟国間の力関係、国際機構の持つ機能、国際 的 な 価 値・規 範 、国 際 社 会 の 構 造 、国 際 機 構 の「 組 織 」と し て の 特 性 と い っ た 、 国際機構一般に働く多様な要因が、それぞれの民主化への取り組みにも影響を 与えてきた。それらがこれからも、国連の活動と機構変革に影響を与えるであ ろう。最後に、特に重要な要因を指摘しておきたい。 加盟国間の力関係について、特に加盟国の南北関係が重要であった。国家へ の民主化支援について、経済的不平等を問題視して経済発展への国際的な協力 が民主化に不可欠とする発展途上国と、それよりも政府の汚職や弱い官僚制や 司法制度に問題があるして、ガバナンスへの支援を民主化支援として重視する 先進諸国との間に対立が生じていた。国家を超えた場の民主化についても、意 思決定のメカニズムを利用、あるいは変更して、国際経済構造の改革と開発協 力に重点を置こうとする途上国と、むしろ国際制度の効率化・実効化に焦点を 当てようとする先進諸国の間に対立があった。ただし、この南北対立は加盟国 の 間 だ け で な い 。北 と 南 の NGO の 数 や 能 力 の 格 差 は 、NGO の 参 加 問 題 を 複 雑 にしてきた。 国連の持つ機能については、国家の民主化に関する国連の正当性付与機能と 実際の支援から得た経験の蓄積は、加盟国の支援の要求拡大につながった。地 域的な国際機構の持ち得ない国連のこれらの機能は、今後も国連の民主化支援 活動の拡大を促すであろう。国連自体の民主化についても、国連の機能の実行 に お い て NGO と の 協 力 関 係 が 不 可 欠 で あ る こ と か ら 、「 直 接 民 主 主 義 」に 発 達 が見込まれる。 国際的な規範に関して、デモクラシーの規範の発達は、国家の民主化への国 連の関わりを不可欠にした。同時に、国連自身もデモクラシーに関する国際規 範を生み出していった。他方で、ガバナンスの概念の発達は、民主化支援活動 204 におけるガバナンスへの支援の重点化をもたらした。国連の内外でのデモクラ シーや民主化に関わる規範の形成が今後どのように行われていくかが注目され る。国連自体の民主化については、特にグローバル・ガバナンスの概念による 主権国家システムに関わる概念の変容や、グローバル化の賛否をめぐる国際世 論の動向が、今後の民主化の方向性に影響を与えるであろう。 国際的な構造については、グローバル化によってもたらされる国内外での経 済的な不平等の拡大が、国連の民主化支援活動の内容や国連自体の民主化の目 標に影響を与えてきた。不平等の拡大が続く限り、民主化支援と国際経済構造 の改善を連関させる要求は強くなるであろうし、国連自体の民主化の目標につ い て も 、 南 の 諸 国 や そ れ ら の 人 々 を 代 弁 す る NGO の 参 加 要 求 が 強 く な る で あ ろう。 最後に、国連の「組織」としての特性について、まず事務総長のリーダーシ ップが重要である。見てきたように、事務総長のデモクラシーや民主化に関す る姿勢は、民主化支援活動の形成や国連自体の民主化の方向性に影響を与えて きた。今後、事務総長がデモクラシーや民主化をどのように捉え、国連がそれ にどのように関わるべきと考えるかは、国連と民主化との関わりに多大な影響 を与えよう。他方で、国連の財政状況は、改善されない限り、今後も加盟国へ の民主化支援活動に制約を与えるであろう。それは同時に、国連自体の民主化 に お い て 、「 ア ウ ト プ ッ ト 指 向 の デ モ ク ラ シ ー 」を 要 求 さ せ る こ と に な る で あ ろ う。 これらの要因が国家の民主化と国連自体の民主化、ひいてはグローバル・デ モクラシーへの国連の取り組みに影響を及ぼし、さらに今後も影響を与え続け るであろう。 し か し 、こ れ ら の 要 因 は 、国 連 に の み と ど ま る も の で は な い 。「 組 織 」と し て の特性を除いては、国際関係全体に影響を及ぼしているものばかりである。そ れらは、いずれのグローバル・デモクラシーの構想であれ、その追求の際に考 慮されなければならないものばかりである。その点で、グローバル・デモクラ シーへ向けた世界秩序の「民主化理論」の構築の際に見逃せない要素を、国連 205 の事例は示唆しているといえる。 最後に残された問題があるとすれば、今後の世界秩序の「民主化」への取り 組 み に お い て 、そ も そ も 国 連 は ど の よ う な 役 割 を ど の 程 度 果 た し う る か で あ る 。 現 在 、国 連 の 国 際 政 治 に お け る 重 要 性 自 体 が 、2003 年 の イ ラ ク 戦 争 と そ の 後 の ア メ リ カ の 国 連 離 れ に 見 ら れ る よ う に 、低 下 す る 傾 向 に あ る 。し か し 、国 連 は 、 実際に民主化の課題に取り組み、グローバル・デモクラシーの実現へ向けて活 動を続けてきた組織である。これからもその活動において多くの困難が予想さ れるものの、国連は、ほとんどすべての国家とすべての人類が参加しうる貴重 な場であり、その困難がまさに「民主的に」取り組みうる唯一の場である。国 連の場でグローバル・デモクラシーの統一された構想の形成され、国連が中心 となってその実現が試みられることは望ましいことであろう。国連の取り組み の内容とその方向性を示した本書の考察は、その試みに微弱でも貢献しうるも のである。 206 あとがき 学問的な精緻さを無視して述べると、筆者は「デモクラシー」を、冷たい社 会において温かさを常に生み出す装置だと考えている。あくまで人工的な装置 であり、装置自体は人間的なぬくもりには欠けている。しかし、それは、孤独 であろうが貧しかろうが関係なく、すべての人々に平等に温かなさを提供する ことができる。個々の人々が持つ気まぐれな優しさを集めて、安定した温かさ を生み出し続けるのである。権威主義的な社会においては、社会的に弱い立場 にある人々は他者の気まぐれな優しさ以外で心配されることはない。民主的な 社会であればこそ、人々の同情を意識した政治家が法案を通して、目の不自由 な人のための音声案内装置が街中に作られるのである。人々は、デモクラシー の 装 置 を 通 じ て 、見 ず 知 ら ず の 他 人 に 常 に 優 し さ を 施 す こ と が で き る の で あ る 。 もちろん、装置が壊れたり、出る水が濁ったりすることはある。しかし、人間 の恣意性に頼らずに社会に優しい温かなものを生み出しうる点で、人間の作り 出 し た 装 置 の 中 で 最 高 傑 作 の 一 つ で あ る と 筆 者 は 考 え る 。そ の 装 置 を 完 成 さ せ 、 壊れた部分を直すことに微弱ながらも貢献することが筆者の研究の目的である。 本書は、その研究の最初の一歩である。 本 書 は 、2002 年 3 月 に 神 戸 大 学 へ 提 出 し た 平 成 13 年 度 博 士 学 位 請 求 論 文「 グ ローバル・デモクラシーへ向けた国連の取り組み―加盟国への民主化支援と、 国 連 自 体 の 民 主 化 へ の 取 り 組 み を 中 心 に ― 」を 大 幅 に 加 筆 修 正 し た も の で あ る 。 ま た 、各 章 は 大 学 紀 要 や 学 会 報 告 な ど で 個 別 に 公 表 さ れ た も の を 元 に し て い る 。 本書の執筆においては、実に多くの諸氏の忌憚なき助言や支援を頂いた。紙 面の都合上、すべての方々の名を挙げることはできないが、デモクラシーへの 関心の最初の導き手となってくださった大阪経済法科大学教授(神戸大学名誉 教 授 )犬 童 先 生 、国 際 関 係 論 の 奥 深 さ を 教 え て い た だ い た 京 都 女 子 大 学 教 授( 神 戸大学名誉教授)初瀬龍平先生、国際機構の実状を外交官の立場から教えて下 さったコスタ・リカ大使(元神戸大学教授)猪又忠徳先生、いろいろな人々の 視点から国際政治を見ることの大切さを教えて下さった神戸大学教授ロニー・ 207 アレキサンダー先生はじめ、皆さんにこの場を借りてお礼を申し上げたい。ま た法律文化社の小西英央さんにはこの駆け出しの弱輩に出版の機会を与えて下 さったことのお礼を申し上げたい。最後に、ここまでの研究生活を支えてくれ た両親はじめ多くの親類・友人に感謝したい。 20 代 の 最 後 の 月 に 、 阪 神 タ イ ガ ー ス の フ ィ ー バ ー の 続 く 大 阪 に て 、 杉浦功一 208