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8 規制改革と競争政策 - 内閣府経済社会総合研究所

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8 規制改革と競争政策 - 内閣府経済社会総合研究所
8 規制改革と競争政策
上杉秋則
要 旨
市場競争を有効に活用する政策である規制改革は,競争政策の強化策と並
行的に実施されなければ,期待された効果を発揮することができない.
日本では,そもそも規制改革の本格的推進が 1990 年代にずれ込み,英米
に 10 年以上の遅れをとったという問題があった.しかし,競争政策の強化
策は,それからさらに 10 年以上遅れた 2001 年以降に本格化したという問題
を抱えた.
バブル発生・崩壊からデフレの克服までの期間に見られたこの問題は,日
本経済のパーフォーマンス劣化の大きな要因である.このため,規制改革の
推進と競争政策の強化策は一体のものとして推進されるべきとする公正取引
委員会の声が,政府全体の声にならなかったことの意味は,十分に検証され
なければならない問題である.
規制改革は,資源の効率的利用を図り,日本経済のパーフォーマンスを改
善するうえでの重要な政策であるが,その効果は競争政策の強化策と相互補
完・補強の関係にあることが,日本国内ではあまり理解されてこなかった.
そこで,この相互補完関係の理解が重要であることを実証するため,公正取
引委員会の規制改革に向けての取組みの状況を,米国・EU の状況と対比し
310
つつ検討し,どのような遅れが見られたかを示す.そして,それが日本経済
のパーフォーマンスの低さの要因となっていることを示す.また,とくに競
争政策の強化が求められる公益分野における取組みを例にとって,単なる規
制改革にとどまらず,競争政策の強化を図ることがとくに重要であることを
示す.
最後に,競争政策の強化は,規制改革と同様,即効性のある政策ではない
が,必ずや経済のパーフォーマンスの改善に資すること,そして,着実に実
施されれば,手遅れということはないことを主張する.
8
規制改革と競争政策
311
1 はじめに
規制改革と競争政策との関係は,それほど自明ではない.日本では,これ
までこの 2 つの政策は,別々の政策と認識され,推進されてきた.担当する
行政機関も別々であったし,十分な連携が図られてきたとは評価できない.
その理由は,日本では,競争政策がもっぱら独禁法の執行(エンフォースメ
ント)の問題として取り扱われ,いわば非政策的な位置づけしか付与されて
こなかったことに求められる.
しかし,規制改革が競争政策の強化策と連携しつつ推進された場合を想定
すると,規制改革の効果がより大きく,かつ,より早く実現することは明ら
かである.規制改革をすれば,おのずと市場における競争が開始され,市場
パーフォーマンスの改善につながるというものではないことは,本来,規制
改革を推進する際に十分に想定されておくべき問題であった 1).規制改革が
市場における競争を活性化するためには,事業者による競争の顕在化を妨げ
る行為を排除しなければならない.また,長年の規制のもとで形成された業
界慣行が,競争の顕在化を妨げるという問題にも配慮しなければならない.
競争政策は,中長期的にしか効果の発揮できない政策である 2).そのため,
短期的な政策目標が優先されがちになるという問題を抱えている.わが国に
おいて,このような状況が生まれたのは,その効果の検証が具体的に行われ
なかったことにも一因がある.今後の課題は,競争政策の遂行によって経済
全体の効率性の向上効果が生まれているか否かを検証する作業である.
これらの問題を検証するため,以下では,まず,第 2 節において,公正取
引委員会による規制と競争政策に関する取組みから明らかになった問題を取
り上げ,次に,第 3 節において,米国,EU における競争政策強化に向けた
1)
2)
この点は,2.2 で検討している.
この点は,5.1 で検討している.
312
取組みを紹介し,それとの対比で,日本では,なぜこの面での取組みが遅れ
たのかを分析する.そして,第 4 節では,公益事業分野の競争政策執行体制
のあり方という問題を取り上げ,第 5 節では,これらの検討を材料にして,
競争政策の効果の検証の重要性を指摘する.
結論として,競争政策の強化は,規制改革と同様,即効性のある政策では
ないが,必ずや経済のパーフォーマンスの改善に資すること,そして,着実
に実施されれば,手遅れということはないことを主張する.
2 競争政策と規制改革の関係のあり方
2.1 1990 年までの公正取引委員会の取組み
公正取引委員会による規制緩和への取組みは,1979 年の OECD の規制緩
和に関する理事会勧告 3) を受けて,1981 年に公表した報告書 4) が最初であ
る.
本報告書は,公正取引委員会自身による調査・検討を踏まえ,公正取引委
員会の見解として公表したものであったが,当時の状況下では当然のことで
あったとはいえ,まったく関係省庁の理解を得ることはなかった.むしろ,
他省庁の権限に対する不当な介入として,強い反発と警戒感をもたれてし
まった.この関係各省の反応を受けて,公正取引委員会は戦略転換を余儀な
くされた.
まず,公正取引委員会自らの見解を表明する方式から,学識経験者等によ
る研究会を開催し,その取りまとめ結果を提言する方式に転換した.また,
規制緩和に取り組む権限問題が指摘されたことに配慮して,独禁法適用除外
分野の見直し作業から取り組むこととした.
このように,公正取引委員会による規制緩和への取組みが,独禁法適用除
外制度の見直し作業から始められたということは,いかに日本の対応が後ろ
向きの対応であったか,日本における規制改革への取組みが,いかに困難な
環境のもとで行われ始めたかを物語る.
3)
4)
競争政策と適用除外または規制分野に関する OECD 理事会勧告(1979)
.
公正取引委員会[1982],
「政府規制等に関する見解」
.
8
規制改革と競争政策
313
公正取引委員会による適用除外制度の見直し作業
規制改革への取組み
公正取引委員会の規制改革への本格的取組みは,
上記のとおり適用除外制度の見直し作業から始まった.公正取引委員会は,
1988 年に政府規制と競争政策に関する研究会(規制研)を設置し,そこで
の検討を開始した 5).このような作業を開始して,法改正に結びついたのは,
7 年後の 1997 年であった 6).もう 1 点,重要なことは,1981 年の提言から,
規制研のスタートまでの約 10 年間,公正取引委員会における規制改革に向
けての対外的取組みがストップしてしまったことである.この間,公正取引
委員会は,適用除外制度の実態に関する詳細な調査を行うにとどまった.
これは,経済の基本ルールである独禁法がすべての業界にあまねく適用さ
れるという普通の姿に戻すことに,公正取引委員会として多大のエネルギー
を使わねばならなかったことを意味する.これは,米国・英国が規制改革の
成果を着実に上げ始めていた 1990 年ごろに,公正取引委員会としてようや
く旧領地を回復する作業に着手したことを意味する.途中で,数年の足踏み
をしたことを加えると,最初の取組み開始から 15 年以上の歳月を要したこ
とになり,これは,米国・EU に比べてあまりにも後ろ向きの取組みであっ
た.欧米が競争政策の強化に疾走している 1997 年の段階で,ようやく本来
の独禁法の姿かたちを取り戻せたにすぎない 7).このことだけを見ても,日
本で規制改革の効果が十分に発揮できなかったのは当然といえよう.
規制改革とは,独禁法の適用分野の拡大を意味するから,もちろん,この
独禁法適用除外制度の撤廃は,日本の競争政策の強化という観点からは,大
きな意味を有した.また,行政指導と独禁法の関係に関する東京高裁判決お
よびその後の最高裁判決 8) は,これと並ぶ大きな意味があった.主務官庁
による不当な事業活動への介入を否定する効果があったからである.
独禁法適用除外制度の問題性
独禁法適用除外制度の怖さは,実際に利用
された適用除外カルテル件数だけに示されるものではない.問題は,主務官
5)
6)
7)
政府規制等と競争政策に関する研究会[1989],
「競争政策の観点からみた政府規制の見直し」
.
平成 9 年法律第 87 号.
平成 9 年法律第 87 号は,20 の法律で規定されていた 35 の独禁法適用除外制度につき,その
廃止等の措置を講じたものである.
8) 東京高判昭和 55 年 9 月 26 日・審決集 28 巻別冊 p. 289,最高判昭和 59 年 2 月 24 日・審決集
30 巻 p. 237.
314
庁にとって,公正取引委員会の介入(違反事件の摘発)を阻止する根拠を提
供し,その業界に所属する企業にとっては,独禁法の存在感を低いものにす
る効果を有したという事実である.ある業界で,独禁法適用除外制度が一部
でも認められておれば,主務官庁もそこに所属する企業も,あたかも業界全
体が適用除外されたかのごとくに受け止めていた.行政指導でカルテルが実
施されるくらいであったから 9),独禁法適用除外制度が一部でもあれば,そ
の業界に属する企業がカルテルを交通違反程度にしか思わなかったのは,理
の当然であった.このような業界において,まともな独禁法コンプライアン
スが行われることを期待する方が無理である.
さらに大きな問題があった.それは,適用除外制度は独禁法自体に規定さ
れていたのではなく,他省庁の所管法令のなかに規定されていたという事実
である.わが国では,公正取引委員会といえども,他省庁の所管法の改正を
提案できないという仕組みになっている.公正取引委員会ができることは,
世論に訴えるなどして,その改廃を主務官庁に働きかけることであり,主務
官庁の理解を得られなければ,適用除外制度の見直しは実現できない.しか
も,主務官庁は当然のように関係業界の意見を踏まえて行動するから,主務
官庁として適用除外制度の改廃に賛成する意見は,なかなかまとめられない
という仕組みになっていた.これは,事実上,主務官庁に拒否権を付与して
いるに等しい.
幸いなことに,カルテル適用除外制度それ自体は,1990 年代に入るとそ
の機能を完全に失っていた.独禁法に基づく最後の不況カルテルが廃止され
たのは,1989 年 9 月であった 10).日米構造問題協議 11) の進行で,適用除外
制度の活用を図るような雰囲気ではなくなったからである.必要性の乏しい
適用除外カルテルは新規に認可されなくなっただけでなく,既存の認可カル
テルについても,それを継続させる必要性があるか否か厳しい見直しが図ら
れるようになった.
しかし,適用除外カルテル制度の問題点は,実際に利用されなければよい
9) 行政指導カルテルの違法性が争われた事件として,石油連名ほか 2 名独禁法違反刑事被告事件,
東京高判昭和 55 年 9 月 26 日・審決集 28 巻別冊 p. 177.
10) 鋼船および船用大型ディーゼルエンジンの生産数量制限カルテル.本カルテルは,2 回の延
長認可を受けた後,認可期間の途中である平成元年 9 月 30 日付で廃止された.
11) 上杉[2000], p. 309.
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規制改革と競争政策
315
というものではない.そのような制度が存続すること自体が,市場競争を妨
げるからである.適用除外制度の存在が,企業人の意識に及ぼす効果や企業
行動に及ぼすマイナスの影響は,1990 年代を通じてまだかなり残存してい
た.カルテルというものが,場合によっては例外が認められる程度の軽い問
題であると日本企業に認識されていたからである.
適用除外制度の改廃から適用分野の拡大へ
競争政策を強化するには,独
禁法適用除外制度の改廃にとどまらず,従来規制により競争が排除されてい
た領域に,独禁法の原理・原則が適用されるようにしなければならない.こ
のように,規制改革の推進と独禁法の適用対象の拡大は裏腹の関係にある.
また,規制改革の推進にともなって競争政策の強化が必要とされるのは,
せっかく可能になった競争が,カルテル等によって顕在化しないおそれがあ
るからである.適用除外制度の改廃にとどまらず,規制改革の推進において
公正取引委員会が果たすべき役割が大きいのはこのためである.
独禁法の適用が排除される場合には,①法律により適用除外制度が設けら
れているものと(法律に根拠のない行政指導カルテルは,そもそも問題外で
ある),②規制法と独禁法の関係上,規制法が優先することで,独禁法の適
用が事実上排除されるもの,がある.
適用除外制度がないのに独禁法の適用が排除される場合とは,規制により
競争が排除されている場合である.規制は,必ずしも競争を全面的に排除す
るとはかぎらないが,事業者が規制に従うことにより,そのかぎりで競争の
余地がなくなることになる.参入規制が課されておれば,潜在的な競争圧力
は格段に低下し,既存企業は新規参入を懸念することなく,その行動を選択
できる.価格が規制されておれば,カルテルを結ぶ必要はない.
電力事業を例にとると,料金の認可・参入規制が緩和され自由化されれば,
自由化された事業に関しては,独禁法が適用されるようになる.逆にいえば,
適用除外法の改廃以外に,規制範囲の縮小によっても,独禁法の適用分野は
拡大することになる.自由化以前には,自社の区域外で発電した電力をその
近隣のユーザーに供給していけないのは,規制の結果であって,市場分割カ
ルテルによるものではない.
この問題は,独禁法と他法令との関係の調整に関する法理論として処理さ
れる.ある行為が法令の命ずるところであれば,それが外形的に独禁法に違
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反するとしても,違法とされる余地はなくなる.これは,ある行為に当ては
まる複数の法律の適用関係を見て,その適用の先後関係を検討して判断され
る.優先適用されるのは,独禁法に対して特別法の関係にある規制法である.
ただし,この優先関係は,法の趣旨・目的に照らして,厳格に行われなけれ
ばならないことは当然である 12).
この問題は,米国では,政府強制理論または政府行為論の問題として処理
されている 13).たとえば,規制により,企業が一定の行為を採るよう義務
づけられている場合に,企業が当該規制に従って行う行為は,反トラスト法
の定める構成要件に当たるとしても,同法違反とはならないとする理論であ
る.これは,法律により義務づけられているとはいえない場合(主務官庁が
推奨または了解しているなどの場合)には適用されない.政府の行為と評価
される態様で行われていることが必要とされるため,当該規制が存在するだ
けではなく,しっかり運用されていることが求められる.政府強制理論と呼
ばれているのは,このためである.
従来厳しい規制のもとにあった事業分野では,規制改革により,独禁法適
用分野が拡大される.しかし,従来規制のもとに置かれてきた事業分野に競
争を導入することは容易ではなく,単に規制を取り除くだけでは,実際に市
場競争が始まることを意味しない.これが,規制改革と競争政策との関係を
理解する鍵となる点である.
1995 年の規制緩和推進計画
実現しなかった競争政策の強化策
1995 年 3 月に作成された「規制緩和
推進計画について」は,
「規制緩和に伴い競争政策の徹底を図り,公正な競
争を確保する観点から,公正取引委員会の組織,人員等の面で体制を強化す
る」と閣議決定した 14).しかし,この短い表現を計画に記載するうえで公
正取引委員会として多大の努力を強いられたにもかかわらず,政府の内外を
問わず,その意義を真に理解する者はきわめて少なく,一般にはこの記述は
12) これが問題となったのが,大阪バス協会事件(平成 7 年 7 月 10 日審決・審決集 42 巻 p. 3)
である.
13) 上杉[2007b], p. 496.
14) 内閣[1995].
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規制改革と競争政策
317
ほとんど注目されなかった.なぜ,規制改革とともに競争政策の徹底が必要
であるのか,競争政策を徹底するためには何をするべきかが,公正取引委員
会の外部ではほとんど理解されなかったのである.
また,今から振り返ると,これは「お題目」にすぎず,具体的な公正取引
委員会の体制強化策に結びつくことはなかった.日本の競争政策を強化する
には,公正取引委員会の人員の増加と法執行権限の強化策しかない.それは,
警察部門の強化策と同じく,機械化・合理化策で対応することは難しい問題
だからである.公正取引委員会の権限強化への抵抗感が強かった当時の状況
を考えれば,人員の強化策がもっとも選択しやすい道であったことも明らか
である.しかし,この体制強化という当然の試みすら,行政改革の必要性と
いう声の前に押しつぶされてしまい,公正取引委員会の抜本的な体制の強化
には至らなかった.
競争政策の強化は,低コストで実現可能
公正取引委員会については,小
泉政権・安部政権下の 2002 年から,2007 年までの 6 年間に,194 人の定員
増が図られた 15).これは,年平均 32 人の定員増であり,600 人の組織を,
年 5%超のスピードで増強させたことを意味する.新人を採用し,内部での
トレーニングを通じて必要な人材を育成するという日本の行政組織では,こ
れ以上のスピードで組織を強化することは不可能といえるくらいのスピード
であった(米国では,外部から専門家〔弁護士〕を雇用する方式を採用する
ので,これ以上のスピードで組織を拡大させた時期がある)
.
規制緩和推進計画が作成された 1995 年当時,公正取引委員会の体制強化
を図るという閣議決定があったにもかかわらず,それが具体的な大幅人員増
に直結しなかったのは,厳しい財政事情にあったことを理由とする.しかし,
公正取引委員会の審査部門の増強は,課徴金収入に直結するという事実を考
えると,財政に及ぼす負担はゼロであり,そのような理由は正当性を有しな
いものであった.
100 人の審査官を増強するコストは,約 5 億円になると想定される.しか
し,100 人の審査官を追加投入してカルテル規制を強化すれば,それにとも
なう課徴金徴収予想額は,当時の 6%という課徴金算定率のもとにおいても,
15)
2001 年度末の公正取引委員会定員は,571 人,2007 年度末の定員は,765 人であった.
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5 億円を上回ることは確実である.ここ 2,3 年の課徴金徴収額は,公正取
引委員会全体の予算額を大幅に上回るようになっている 16).わが国におい
ても,競争政策の執行経費は,課徴金徴収額でまかなって余りある時代がき
たことは確実である.2006 年 1 月から実施された課徴金の算定率の引上げ
およびリニエンシー制度の導入の影響は,2007 年度以降の数字にしか反映
されないことにも留意する必要がある.
近年における公正取引委員会の審査部門の人員増は,権限強化との相乗効
果により,競争政策の遂行に要する経費を上回る効果を発揮しているが,米
国・EU では,1995 年ごろにはすでに,カルテル参加者に科される罰金や制
裁金の額が,競争政策の執行経費を上回る状況が見られるようになってい
た 17).
以上のとおり,1995 年当時の状況下で公正取引委員会の十分な定員増が
実現できなかったのは,財政事情が真の理由であったといえず,政府全体と
しての競争政策に対する理解の低さが原因であったことが明らかである.財
政上は,公正取引委員会の定員を大幅に増やすことは可能であったが,公正
取引委員会を例外扱いすることが,他の行政官庁の定員削減努力を阻害する
ことをおそれたものと思われる.その後,小泉内閣のもとでの政治的イニシ
アティブにより,上記のとおり,公正取引委員会の大幅定員増が実現したこ
とを見れば,財政事情は関係ないことが明らかである.
また,公正取引委員会の人員増は,組織全体を活性化し,職員の志気を高
めるので,カルテル以外の問題への取組みという新しい問題へチャレンジす
る意欲も高まる.このように競争政策の強化はよいこと尽くしの政策であっ
たが,その人員増の実現は,2001 年まで,また,公正取引委員会の権限強
化策の実現は,2005 年まで待たなければならなかった.
2.2 なぜ,表裏一体で推進されるべきなのか
規制改革と競争の活性化の関係
規制改革は,いわば市場の環境整備策であって,実際に市場における競争
が活性化されるかどうかとは別問題である.規制が,事業者の参入意欲や,
16)
17)
上杉・山田[2008], p. 197.
同上,pp. 19,276.
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規制改革と競争政策
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事業拡大意欲を減殺している場合,あるいは,規制が大きな企業負担になっ
ている場合には,規制を緩和することによって,すぐにも競争促進効果が生
まれることが期待できる.日本の場合,過当競争を緩和することを目的とす
る規制が多かったから,このように,規制が競争をせき止める役割を果たし
ていた分野においては,規制を緩和することですぐにも競争促進効果が生ま
れた(タクシー・ハイヤーの参入規制緩和,小売業の参入規制緩和)
.また,
このような業種では,参入障壁がきわめて低かった.
しかし,規制が競争を抑止する要因の 1 つにすぎない分野,あるいは,規
制が長期にわたって厳格に施行されてきたために,競争を回避することが業
界慣行となっている事業分野においては,規制を緩和してもすぐには競争促
進効果が生まれないという問題がある.また,入札制度のあり方のように,
規制とはいえない形で競争を阻害する要因が見られる業界も存在するし,規
制の存在を前提に構築された業界慣行が,規制改革後においてもそのまま関
係企業の行動を強く律している業界も見られる.業界団体が,加盟企業の行
動に強い影響力を有している業種も見られる.
これらの業界においては,規制改革に即応して競争を仕掛ける企業は,業
界の秩序を乱すトラブルメーカーと受け止められてしまう.公正取引委員会
の違反摘発能力を高めないと,小さな業界における法違反行為しか摘発でき
ず,大きな業界の法違反が見過ごされてしまうおそれもある.そこで,これ
らの諸問題にも配慮した,幅広い競争政策強化策が必要とされるのである.
これが,規制改革と競争政策の強化は,一体として取り組まれなければなら
ないとする意味である.
なぜ競争政策の強化が必要なのか
規制改革により独禁法の適用の余地が拡大することだけを考えても,公正
取引委員会の体制を強化する必要性は明らかであるが,市場の競争を十分に
活かすには,業界慣行により競争が抑止されているという問題を認識する必
要がある.この場合を,独禁法違反に問えないからである.規制が,このよ
うな業界慣行を裏打ちしている業界も見られる.
たとえば,既存顧客の尊重が慣行として確立している業界では,他企業の
既存顧客には手を出さないということが業界の暗黙の了解となっており,こ
320
れを守ることが業界の倫理と認識されている.この場合には,誰かこの慣行
を破る企業が現れないかぎり,競争は生まれない.また,各企業が既存の顧
客を尊重しているという状態が見られるだけでは,独禁法違反を構成しない.
規制改革論が前提としていたのは,規制改革にともない堰を切ったごとく
競争が生まれることであったが,残念ながら,これをビジネスチャンスとと
らえ,新規参入したり,業務拡大を図る企業が現れるまでは,競争という市
場の歯車は回転し始めない.それも,1 社だけでは周囲からつぶされてしま
う危険性があるので,ある程度の数の企業が出現しなければならない.誰か
元気のよい企業(マーベリック)が出てくることで,ようやく市場の競争が
回転し始めるのである 18).
ゲームのルールの変更
規制改革にともない,競争を仕掛ける企業が現
れたり,既存の秩序を打ち破る企業が出現するようになり,それに対して既
存秩序維持サイドによる対抗手段が採られると,これが独禁法違反行為を立
証する有力な証拠になる.逆に,この段階にまで達しないと,独禁法違反事
件としての摘発は難しいケースが多い.もちろん,規制改革により,市場環
境が厳しくなることで,業界関係者が既存の慣行を打ち破る方向にインセン
ティブが働き,競争が開始される場合も出てくるし,時間の経過とともに既
存の秩序が崩れる可能性が高まることも事実である.
「A 病院は X の取引先」という認識が関係者の間で確立していると,顧客
争奪競争は生まれない.ゲームの理論でいう,ナッシュ均衡になっている場
合である 19).このような市場に競争を導入するには,ゲームのルールを変
更することが必要である.発注者側が,随意契約を取りやめ,競争入札に
よって受注者を決めるようにルールを変更すれば,競争の機会が生じてくる.
供給者側に生じているナッシュ均衡を,需要者側が打ち破ることが可能とな
る.指名競争入札の要件を緩和すれば,すぐにも競争が始まるのは,それに
よって参入が抑止されているからである.日本の場合,入札談合の実効性は,
政府による参入規制に大きく依存していたのである.
18) マーベリックの概念は,合併規制の際の重要な概念となっている.米国司法省・連邦取引委
員会が連名で公表した,1992 年水平合併ガイドラインを参照.
19) 他社の既存顧客に売り込もうとすると,自分の既存顧客に対して売り込みをかけられること
が避けられない.このため,既存顧客の尊重が関係事業者にとって最適戦略となってしまう.
8
規制改革と競争政策
321
このような新たな競争が生まれることを阻止する行為は,カルテル・入札
談合や不公正な取引方法として摘発できる.入札談合は慣行的に行われてい
るものではあるが,その実施のためには必ず個別物件の調整行為をともなう
ので,独禁法違反に問うことができる.また,発注者側が入札ルールを変更
すると,これに対抗するためにこれまでの談合ルールの変更が試みられる.
この,既存の談合ルールの修正行為が新たな合意の形成ととらえられ,独禁
法違反行為としての摘発が可能となる 20).
このように,規制改革によって市場競争のルールが変わったことが関係者
によって明確に認識されないと,競争が始まらない場合が多い.供給者側で,
市場環境が変わり競争のルールも変わったという認識が生まれるか,需要者
側で競争のルールを変えるような取組みを進めることが,競争が開始される
契機となる.近年,ようやく発注者側に競争を利用しようとする意識が見ら
れるようになったが,これが実現するまでには,規制改革の本格化から 10
年以上の歳月が経過したのである.
また,規制を緩和すれば,おのずと競争が生まれるはずであり,これを制
限する行為が見られた段階で独禁法違反として取り締まればよいとする楽観
的(受動的)な見方が,政府部内には見られた.また,競争阻害行為を排除
することは,すでにある独禁法を執行するという,いわば当たり前の業務で
あるから,公正取引委員会が適正に行うはずくらいの認識であり,政府とし
てとくに何らかの対策を必要とするという認識が生まれなかったものと思わ
れる.この点の改善が図られたのは,2001 年以降であった.
製品・役務市場の特質による相違の軽視
規制改革にともなってどれだけ
市場競争が活性化するようになるかは,市場の特質・性格により大きく異な
る.市場によっては,規制の緩和だけで,十分に競争が促進されるものがあ
る(タクシー,大規模小売店,ガソリンスタンド,酒屋)
.これは,規制が
参入を制限する目的で実施されてきたためであって,いわば規制改革の当然
の結果である.また,これらの業種では,新規参入や業務拡大が相対的に容
易である.他方,公益事業分野のように,規制が長期にわたり厳格に実施さ
れてきた分野においては,一定の競争促進策が必要となる.しかし,このよ
20)
この点は,構成要件を厳格に解する独禁法刑事被告事件ではとくに重要な問題となる.
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うな問題の所在が理解されるまでは,相当の時間がかかってしまった.従来
競争が排除されてきた公益事業分野では,どのようにして競争導入を図れば
よいのかは,公正取引委員会にとっても未知の問題であった 21).
3 日本の競争政策の強化が遅れたのはなぜか
3.1 日本の状況
あるエピソード
日本では,規制改革と競争政策の 2 つを,別物とする受け止め方が強かっ
た.これは,わが国においては,政府が課している事業活動遂行上の負担軽
減という観点から,規制改革を支持する受け止め方が主流であったからであ
る.規制改革を,市場における競争の促進策,あるいは独禁法のルールを徹
底させる動きととらえる理解は希薄であった.
糸田省吾元公正取引委員会事務総長は,1995 年ごろの経団連の正副会長
と自民党幹部との朝食会でのエピソードとして,橋本元総理が,「規制が緩
和されると,独占禁止法が前面に出てくるから,企業は独占禁止法をきちん
と守らないと公正取引委員会の取り締まりを受けることになる」と発言した
ところ,経団連側から,
「独占禁止法で取り締まられるのは困る.してみる
と,規制緩和は考え物かという発言」が相次いだとの逸話を,本人から聞い
たこととして紹介している 22).1995 年の時点においても,日本ではまだこ
の程度の認識が見られたことになる.
当時,橋本元総理のように,規制改革と競争政策の強化を表裏一体の関係
にあるものととらえる考え方は,政治家にはほとんど見られないものであっ
た.また,その場合に,競争政策の強化の中身として,市場の競争が激化す
るので,それにともない公正な競争ルールの確立が急がれるというイメージ
で考える者がほとんどであり 23),市場における競争を活用して,日本経済
の再生を図るというイメージで考える者はほとんど見られなかった.
21) 公正取引委員会は,このような理由から,情報通信分野競争政策研究会を設けて必要な検討
を行った.今日の目から見ると,研究会の取りまとめ内容は,本文で示したような問題意識が不
鮮明であった.
22) 糸田[2007],
「公正取引委員会事務総局の誕生」
,公正取引委員会『独占禁止政策の歩み』
.
23) 上杉[2000], p. 115.
8
規制改革と競争政策
323
日本の規制改革論は企業の負担の軽減という発想で始まり,経済界には,
市場競争の活性化を図るものとする認識がほとんどなかったことは,このエ
ピソードからも明らかである.むしろ,規制改革の時代なのであるから,独
禁法も緩和すべしとする意見が 1980 年代央まで強かったし,競争政策の強
化の必要性は,1995 年当時においても,一部の識者の見解にすぎなかった.
経済活動の邪魔物を排除するという単純な規制改革論が広く見られ,それゆ
えに公正取引委員会の外部では幅広い支持を得ていた.もし市場競争の活性
化が真の目的であるとすれば,1995 年当時ですら,本音では規制改革に反
対する意見が多かったのではないかと思われる.
規制改革の推進にともない,公正な競争ルールの確立を図る必要性が増大
することはたしかであるが,これでこと足れりというものではない.規制改
革にともない,市場における競争が再活性化され,非効率な企業の退出と効
率的な企業の参入をうながし,経済全体としての効率性を高めるというとこ
ろまでこなければ,規制改革としては十分とはいえない.
3.2 1980 年代の米国反トラスト政策変貌の意味
米国の競争政策の変更
この分野で先行したのは米国である.規制改革の取組みは,カーター政権
時代から開始されていたが,1981 年のレーガン政権の誕生とともに,競争
政策の大胆な変更が開始された.当然,規制改革のスピードも加速された.
競争政策の大胆な変更とは,簡単にいえば,カルテル規制を強化し,独占規
制・合併規制を緩和するという方向での変更を意味する 24).これは,独占
規制・合併規制を緩和することにより,市場における競争がより活発に行わ
れるようにするための政策変更であった.しかし,これは従前の反トラスト
政策の緩和という外見を取るため,なぜ,従前の反トラスト政策を変更する
ことが,市場における競争を活性化させることになるのかが理解される必要
がある.
この政策変更には,従来の,寡占的な市場構造の形成をできるだけ阻止す
ることが合併規制の目的であり,市場を独占する企業の行動を厳しくチェッ
24)
上杉[2007a], p. 103.
324
クするのが独占規制の目的であるという,従来の通念の大幅な転換を必要と
した.これは,当時の米国においてすら専門家の間でいろいろ議論のあった
パラダイムの転換であったから,日本でその意味を的確に理解できるはずも
なく,逆に,日本では,規制改革とともに,米国にならい独禁法の運用の緩
和が必要とする主張の根拠に使われたほどであった 25).
米国の競争政策転換の意味
米国では,大企業の潜在的な競争力を押さえ込むような反トラスト政策が,
かえって効率性の発揮を妨げることを,1970 年代央までの反トラスト政策
から実体験し,その反省の上に立って,企業の効率性を高める行動を許容す
る方向へと,反トラスト政策の舵を大きく切ったことになる.その中心が,
合併規制と独占規制の変更にあった.他方で,規制改革で活性化するはずの
市場競争を,カルテルによって阻止することを許さないという意味で,カル
テル規制は格段に強化された.これらは,一貫した考え方に基づく政策変更
であった.
米国では,1970 年代央までは,企業がその競争者に比べて格段に競争力
を強化するような合併は,市場における競争を減殺してしまうとの想定のも
とに,そのことを理由に阻止するという合併規制が実施されていた.これは,
結局,規模の経済性・範囲の経済性に対する過大評価(つまり,大規模な企
業の優位性)や,市場の寡占化により必然的に競争の減殺がもたらされると
いう思い込みに基礎をおくものであった.つまりは,市場の寡占化により必
然的に市場の競争圧力は減退し,合併自体によって効率性向上効果が生まれ
るとしても,それが消費者に還元されることはないと想定していたことにな
る.このため,寡占的市場の形成を未然に防止する「萌芽理論」が,幅広い
支持を得ていた 26).
かかる可能性は否定できないが,常にそうなるとはかぎらない.合併が阻
止されること,あるいは競争当局から阻止されるという想定のもとに,その
ような合併が企業により試みられないということは,市場の競争を活性化さ
25) 上杉[1983], p. 78.この動きを反映する法律が,
「産業構造改善臨時措置法」(昭和 62 年法律
代 24 号)である.
26) 上杉[2007a], p. 103.
8
規制改革と競争政策
325
せるチャンスを失うことを意味する場合も多い.いい換えれば,1970 年代
央までは,競争者への悪影響に配慮して合併を阻止する政策,あるいは企業
規模の拡大に否定的な合併政策が是認された時代であったことになる.
米国は,このような政策を明示的に放棄し,この時期,市場の寡占化の進
行よりも,効率性向上効果を重視する反トラスト政策へと転換した.寡占的
な市場では競争が制限されるという想定のもとに市場に介入することで,か
えって市場競争の活性化を妨げる結果をもたらしていた可能性が高いことを
反省し,政策転換を図ったのである.
これは,独占規制にも現れた.独占企業に対しては,企業分割を含む厳し
い措置が講じられるというイメージを与えたことにより,独占企業が競争的
行動を差し控えてしまうという弊害を生んだのである.
この政策転換により,効率性の高い企業がより効率的になる行動が慫慂さ
れることになるから,非効率な企業や低生産性部門の企業への影響が大きく
なることは避けられない.また,企業の効率性の向上を積極的に評価する政
策により,必然的に企業間の格差は拡大することとなる.米国ですら,その
評価が分かれる政策転換であったから,格差の拡大に敏感な日本社会では,
それだけこの方向への政策転換(舵切り)は難しい問題なのである.
経済分析の深化の影響
1970 年以降に見られた産業組織論の進展の影響も見逃せない.それ以前
の理論は,基本的にスタティックなモデルに依拠しており,一定の想定のも
とに物事を割り切るタイプのものであった 27).しかし,このアプローチは,
外形的な判断を可能とすることで,抽象的な独禁法の規定の運用を容易化す
る側面があったから,実務を遂行するうえでの利用価値も高く,世界の競争
当局に及ぼした影響も大きかった.この Form based approach は,法的安
定性を高めるとともに,法執行の実効性も高まるとして,競争当局から幅広
い支持を受けていた.
その後,産業組織論の分野で,市場支配力の評価方法が高度化し,経済分
析を用いた市場の分析方法が実務での使用に耐えられるようになった.この
27)
上杉[2007a], pp. 123 135.
326
ように,市場の分析方法が高度化することで,ようやく実際の市場の働きに
即応した市場支配力の規制(独占規制・合併規制)が可能となったのである.
3.3 1990 年代における EU の競争政策強化の動き
EU では,1990 年代に入ると,競争政策の強化が着々と進められた.EU
の競争政策の強化を象徴する出来事としては,1990 年から施行された合併
規則の制定を指摘できる 28).
1991 年のマーストリヒト条約以降,EU における競争政策の強化は,加盟
国の競争法に対する EU 競争法の優位性の確立という方向に進まざるをえな
かった.EU の採用する補完性(Subsidiarity)の原則によっても,競争政
策は,加盟国においては十分に対応できない問題であり,EC 委員会に必要
な権限を付与するしかない問題である.このため,欧州における競争政策の
強化は,EU レベルでの競争政策強化という形で進行したのである.それま
で英国,フランス等,EU 競争法と異なる体系の競争法を有していた国は,
2000 年までには,EU 型の競争法に改める作業を完了した 29).3.2 で述べた
米国の政策転換から約 10 年遅れた EU の競争政策の強化は,この困難な政
策転換を図るために,さらに 10 年の歳月を要したのである 30).
カルテル規制の分野に関しては,1996 年のリニエンシー告示の制定,
1998 年の制裁金の算定方法に関する告示の制定,2002 年のリニエンシー告
示の改訂が重要である.つまり,1996 年のリニエンシー告示の効果が,
1998 年以降,実際のカルテル事件の摘発として現れるようになり,これを
受けて同年には制裁金の算定方法に関する告示が制定された 31).つまり,
リニエンシー制度が EU 企業に定着し,これを受けて,カルテルに対する制
裁金水準の予測可能性を高めるべく,制裁金の算定方法に関する告示が制定
されたことになる.この 2 つの措置が相乗効果を発揮するようになったのが,
1998 年以降と見ることができる.
28) EU が合併規制権限を付与されることは,それだけ各国競争当局の重要な合併に対する規制権
限が縮小することを意味するし,合併規制には産業政策上の重要性もあるので,それだけ重要な
出来事といえる.
29) 上杉・山田[2008], pp. 37 44.
30) 上杉[2008], pp. 34 35.
31) 上杉・山田[2008], pp. 277 286.
8
規制改革と競争政策
327
そして,この間,もっとも困難な作業である,EU 競争政策のモダニゼー
ションに向けた作業が着々と進められた.これは,強化された EU 競争法の
執行権限を,各国競争当局や裁判所にも認めるとする政策転換である.この
EU 競争政策のモダニゼーションの方向性は,2000 年ごろにはほぼ固まって
いたが,その施行は,10 カ国の新規加盟にあわせ,2004 年 5 月からとされ
た 32).
EU の場合,ヨーロッパが 5 億人の人口を有する真の共通市場となるため
には,企業が加盟各国の国境を越えて自由に競争するようにならなければな
らず,したがって,企業が私的な国境を築くことを可能とするカルテルには
厳しく対応するしかない.これは,高いレベルの政治的コミットメントが見
られないとできないことである.だからこそ,1998 年の時点で,米国を上
回るようなカルテルに対する制裁金の強化策を,特段の反対論もなく導入で
きたのであろう.
3.4 日米欧間の相違をもたらしたものは何か
米国,EU に遅れた日本
2000 年の時点で世界の競争政策を眺めてみると,日本は,先頭集団(米
国および EU)から 1 周遅れのところを,後ろから来たランナーに追い抜か
れながら走っていたような状況にあった.しかし,注目すべきは,むしろ,
市場の活用策で先行した米国に比べ,日本と EU は,1990 年の時点でとく
に差がなかったという点である.
日本では,1990 年まで合併や私的独占の規制事例もほとんどなかったが,
これは,EU でも,多かれ少なかれ同じ状況であった.EU の合併規制が始
まったのは,1990 年からであり,それ以前の加盟各国における合併規制に
も見るべきものはなかった.つまり,1990 年以前は,本当に市場競争を活
かそうとして競争法を執行している国は,米国だけであり,他の国では,競
争当局にその意欲があっても,その手段・権限あるいは執行体制が付与され
ていないという状況にあったのである.
32)
上杉・山田[2008], pp. 37 44.
328
この動きを大局的に眺めてみると,1995 年という時点が重要であること
がわかる.1989 年のベルリンの壁の崩壊を受けて,東欧諸国および旧ソ連
邦諸国がいっせいに競争法の導入に踏み切り,この流れに,社会主義的経済
政策を志向していた後発経済国の一部が呼応する動きに転じたのが,1991
1995 年ごろであった 33).
日本では,日米構造問題協議を受けて作成された 1990 年の日米合意文書
のなかで,相当の競争政策強化策が盛り込まれ,一見,この波に乗ることに
成功したかのように見えた 34).しかし,1990 年代後半になると再度大きく
差が開いてしまった.1995 年は,日本で規制緩和と競争政策の強化に取り
組むことが閣議決定された年である.この閣議決定が文字どおりに理解され
たとすれば,この時点で EU と同じ歩みを開始することは,不可能なことで
はなかったと思われる.1990 年代前半に世界で進展した市場化の動きと,
このようなグローバル化される市場のなかで生き残るにはどうすればよいか
を冷静に分析すれば,すでに新しい波が生まれていたことがわかるはずであ
る.しかし,1990 年の時点で日本が乗った波は,それ以前に発生した古い
波にすぎず,上記の市場化の流れを踏まえた新しい波ではなかった.にもか
かわらず,日本では,公正取引委員会を含めて,1990 年の段階で世界の
トップレベルの競争政策に並んだとの思いをもってしまった 35).
この新しい波に乗れなかった日本が,
「失われた 10 年」を無為にすごして
いる間に,世界の先頭集団から 1 周遅れの状況が生まれてしまったのである.
また,この動きを重視し,この事実に警鐘をならす知識人はほとんど見られ
なかった.少なくとも具体的な処方箋を示して,その必要性を提示する意見
は皆無であった.問われるべきは,その原因である.
日本の抱えるパラドックス
わが国の独占・合併規制政策が弱かった時代においては,本来規制されて
然るべき合併や独占行為が行われたとしても不思議はないが,そのような事
態が生まれたようには見えない.わが国では,独禁法で規制する必要がある
33)
34)
35)
上杉・山田[2008], p. 346.
上杉[1992], pp. 312 317.
上杉[2000], pp. 320 328.
8
規制改革と競争政策
329
ような合併が企てられることはほとんどなく,私的独占として問題とされる
ような行動もほとんど見られなかった.これらの企業単独で行う行為は,自
分 1 人が突出することを許さないという業界ごとの強い絆によって回避され
てきたように思われる.いわば,
「出る杭は打たれる」時代であったといえ
よう.
日本の事態はきわめて矛盾したものであったと思われる.つまり,競争当
局や経済法学者には,市場集中が高まり,競争者数が減少することに対する
強い懸念があったが,これを実現する政策基盤が弱かったために,そのよう
な政策は実施されなかった.しかし,企業の側では,米国企業に見られたよ
うなアグレッシブな合併や独占行為が行われることもなく,結果として,厳
しい独占行為規制・合併規制にともなう弊害もまた回避できたように思われ
る.
それでは,結果オーライではないかと思われるかもしれないが,そうとも
いえない.厳しい競争行動を試みるという企業文化が育たなかったとすれば,
今後とも市場競争が低調のままに推移するおそれがあるからである.米国で
は,反トラスト法が厳しく執行されたことを通じて,企業間の活発な効率性
向上競争まで抑止するという問題を生んだとされたが,これは規制方針を改
めることにより是正可能な問題である.規制方針を改めれば,企業間の活発
な競争は復活するからである.
市場重視の考え方が強い米国においては,仮に問題となる行為があるとし
ても,そのために市場介入的な是正策を講ずるよりは,介入しない方がよい
という考え方が発展してきた.また,競争政策が強化されるにつれて,外形
により判断する Form based approach から,市場に及ぼす影響を見て判断
する Effect based approach を採用する方向に進んでいった 36).
しかし,突出を回避するという企業文化が見られる日本では,そのような
行動が企業自身によって抑止されてしまうために,規制すべきでないものま
で規制してしまうという問題(False positive 問題あるいは,過剰規制問題)
が発現することはなかった.これは,今後とも日本企業の行動が変わらない
可能性があることを示唆する.わが国において緩い独禁法の執行状況が長く
36)
上杉・山田[2008], pp. 388 393.
330
続いたことが,日本企業の独占・寡占的行動を誘発するのではなく,かえっ
て大人しい企業行動を生んだということは,皮肉なことである.
日本では,市場構造が重視され,静的な市場評価をする時代が長く続いた
が,競争当局が脆弱な時代には,ある程度外形的な判断を許容しないと,そ
もそも独禁法の運用が困難である.また,法的安定性や予測可能性を高める
との観点から,このような手法が産業界からも容認されてきた.これは,あ
る程度やむをえない選択であったといえる.しかし,このような法運用が長
く続くことで,新しい競争のあり方に適合する政策転換を図ることは容易で
はないという問題を生んでいる.
また,わが国では,市場が寡占化しても,多くの場合市場における競争は
確保できるという考え方は,専門家を含めてほとんど支持を受けなかっ
た 37).これは,日本の企業行動のあり方と関係があるのかもしれない.市
場そのものに内在するはずの競争を動機づけるシステムが想定どおりの機能
を発揮するかどうかは,その当事者たる企業関係者の意識に大きく依存する.
市場に対する国民の信任が低いことも,わが国の企業行動の特質と関係があ
るかもしれない.そうだとすると,市場機能のさらなる活用を図るには,こ
れらの意識を改めることから始める必要があることになる.
カルテルの弊害に対する認識の甘さ
以上のような事態をもたらした重要な要因が,日本におけるカルテルの弊
害に対する認識の甘さという問題である.
カルテルに寛容な企業文化の国であった日本が,戦後,厳しいカルテル規
制を有する独禁法を制定したことで,この原則をなし崩しにするために,各
種適用除外法の制定という方向に舵が切られ,適用除外カルテル王国を作っ
てしまった 38).わが国における適用除外カルテル認可件数が 1,000 件を超
えたという事実は(1965 年度末現在)
,世界の競争法の歴史に残るであろ
う 39).それ以上に問題であったのは,合法的なもの以外に,政府主導の行
37) この事実は,日本では,市場シェアによる合併規制を支持する見解が根強いことに表れてい
る.
38) 1996 年 3 月時点で,独禁法自体に規定されているものを除く独禁法適用除外制度の数は,28
法律 49 制度もあった.
39) 1966 年 3 月末の適用除外カルテル件数は,1,079 件であった.
8
規制改革と競争政策
331
政指導カルテルが多数利用され,これが大企業のカルテルを独禁法の規制対
象から除外する役割を果たしたことである 40).これらの事態は,1970 年ま
でには解消されたものの,かかる歴史が,わが国企業のカルテル・入札談合
のもたらす弊害の大きさに対する認識を,国際的に見て相当低いものにして
しまった.
そもそも,産業政策官庁からカルテルを締結するよう慫慂されたり,手続
きさえ踏めば適用除外を受けられるような行為であれば,それを遵守するた
めに,企業がわざわざ多大の労力を投入してカルテル防止に努める(独禁法
コンプライアンス)ことを期待する方が無理である.かくして,カルテル適
用除外制度や行政指導カルテルの長期にわたる活用が,日本企業の独禁法コ
ンプライアンスへのインセンティブを低めるという弊害をもたらし,その残
存効果は,これらの制度が利用されなくなって以降 20 年以上も経過した最
近まで残ったように思われる.
日本企業に欠けていたものは,カルテルが企業にとってのがん細胞である
という認識である.これを社内で放置すると,企業の競争力を減殺してしま
うという問題である.このような認識を有している企業は,現在ですらどれ
だけ存在するのか疑問であるが,1995 年当時はほとんど皆無であったこと
は間違いない.1995 年当時においてすら,カルテルや入札談合行為が自由
経済体制を脅かす重大な違反行為であるとの認識はきわめて弱く,1990 年
以前においては,自らのコンプライアンス努力により根絶しなければならな
いような行為であると認識する企業はほとんどなかったといえる.
1990 年ごろ以降,日米構造問題協議の影響を受けて,独禁法コンプライ
アンス・プログラムを導入する企業が増えたが 41),その後もカルテルで摘
発される大企業が絶えなかったことを見ても,この事実が確認できる.この
カルテルの弊害に対する日本企業の認識の甘さが,最近における米国・EU
競争当局による日本企業のカルテル摘発につながっていることは明らかであ
る.同業者との接触に関する問題意識が希薄な企業文化のままで,この高ま
る法務リスクを回避することは不可能である.
EU と同じ歩みができなかったのは,カルテルの弊害の大きさに対する認
40)
41)
上杉[2007a], pp. 54 59.
上杉[2000], pp. 193 196.
332
識が低かったことが原因である.EU のような共通市場化の推進という政治
的動機づけを有しなかった日本では,1990 年代の 10 年間の経済パーフォー
マンスのあまりの低さを見て,ようやく 2001 年以降に政策転換が行われた
にすぎない.
EU 並みの強化を図った場合の影響
日本も,EU と並行して,1995 年ごろからカルテル規制強化策の検討を開
始し,1998 年から EU 並みのカルテル規制強化策を実行できたものと仮定
し,その効果を予測してみるのも有益であろう.
EU 並みの制度という場合に,課徴金(制裁金)の額の引上げとリニエン
シー制度の導入が重要な要素となる.基本となる算定率の高さよりも,累犯
事業者に対する制裁金を 2 倍とする加重制度と,カルテルの継続年数ごとに
10%を加算する制度,そして,企業全体の世界市場での売上高の大きさに応
じて,制裁金を 2 倍にまで加算することのできる制度の存在が重要である.
カルテルの場合,制裁金の基本額が 2,000 万ユーロ(約 30 億円)であった
から,普通の企業でも数十億円,多い企業で 100 億円台という金額になる.
いろいろな仮定をおいて算定すると,EU のカルテルに対する制裁金は,日
本の課徴金の約 10 倍に相当すると見ることができる 42).これは,最近の
EU のカルテル事件に対する制裁金の水準を見て受ける感覚に近いと思われ
る.
EU の 2006 年告示のもとでは,累犯加重は 1 回ごとに 100%加算とし,カ
42) EU のカルテルに対する制裁金の基本的算定額である 2,000 万ユーロに等しい課徴金の算定率
を,カルテル対象売上高の 20%と仮定する.これは,参加企業のカルテル対象売上高が 1 億
ユーロ(約 150 億円)超の場合には,20%の方がこの金額を上回るレベルである.このような事
件は日本ではまだ稀であるから,この想定は,わが国に当てはめた場合まだかなり低目に設定し
ていることとなる.この 2,000 万ユーロという水準は,2006 年以降,カルテル対象売上高の
30%に改訂されており,この場合同等の水準となるカルテル対象売上高は 6,666 万ユーロ(約
100 億円)となる.日本でも,個別企業のカルテル対象売上高が 100 億円程度の事件は存在する
し,米国でも罰金刑のスタートラインとなる基本的算定率は,カルテル対象売上高の 20%であ
ることを考慮すると,この 20%という想定は,かなり説得力を有するといえる.この改正によ
り課徴金の算定率は 6%から 20%へ 3.3 倍増となるが,これに,累犯加算制度により 2 倍,10
年間継続したカルテルの場合で 3 分の 2(カルテルを 10 年間継続すると制裁金が 2 倍になるの
で,3 年分徴収する日本と比較すると,3 分の 2 となる),全世界の売上高を考慮することで 2 倍
となるので,全体として約 3 倍程度となる.これに,3.3 倍を乗ずると,課徴金の水準が 10 倍
程度となる.
8
規制改革と競争政策
333
ルテル継続期間も 1 年ごとに 100%加算となる制度に改められた.この改正
により,EU の制裁金は,平均でさらに 2 倍から 3 倍に引き上げられること
になると見込まれる 43).
日本は,2004 年の独禁法改正で,累犯加重 1.5 倍,課徴金の算定率 1.67
倍としたので,悪質な事業者の場合には,課徴金は 2.5 倍となった 44).し
かし,この改正により実現した課徴金額の引上げは,EU が 2006 年告示で
示した制裁金の 2 倍ないし 3 倍増と同じ水準なので,日本がせっかく 2004
年改正で実現した課徴金引上げ効果が相殺されてしまい,再度 EU の 10 分
の 1 の水準に戻ったと見るべきである.大企業で見ると数億円規模という日
本の課徴金の水準は,EU では,制裁金数十億円という数字になる.これも,
最近の制裁金水準を見て受ける印象と合致している.
数十億円という制裁水準であれば,リニエンシー制度の重みは格段に上昇
し,企業はカルテルの摘発を回避するために,全力を尽くさざるをえなくな
り,結局は,社内でカルテルの端緒を見つけ次第,リニエンシー制度の利用
を図らざるをえなくなるであろう.
また,企業単位では数億円程度の負担であるとしても,リニエンシー制度
の導入により違反行為が摘発される可能性は格段に高くなり,そのことが被
疑事実を自ら申告するインセンティブを高めるという相乗効果が働く.結果
として,カルテル・入札談合が摘発される可能性は格段に高まることになる.
つまり,カルテルが摘発されることにより企業が受けるマイナスの利得の大
きさは,2004 年以前の水準の 30 倍程度に上昇すると見てよい.これは,リ
ニエンシー制度の導入により,摘発確率が約 3∼4 倍になったと想定するも
ので,いい換えれば,企業は課徴金が 30 倍になったものと想定して行動す
るのが合理的になることを意味する 45).日本の企業単位の課徴金の平均値
は数千万円であり,大企業にかぎって見ると数億円規模であるから,日本が
EU と同等の制度を導入するということは,大企業に関しては数十億円の課
徴金水準となることを意味する.
43) 上杉・山田[2008], pp. 107 124.
44) 大企業の場合で比較すると,課徴金は,6%から 15%(累犯加重が適用された場合)への引
上げとなる.
45) 上杉・山田[2008], pp. 275 277.
334
以上の動きが,EU グローバル企業に対して,競争法コンプライアンス努
力を格段に強化させる契機となったことは明らかである.もちろん,EU で
もカルテルや入札談合の摘発はいまでも続いているから,以上で説明した措
置によって,EU がカルテルの一掃に成功したといえないことはたしかであ
る.
現在摘発されているのは,2006 年以前に実行されたカルテルであり,
2006 年告示の公布後も,カルテル事件が同じ頻度で摘発されるかどうかを
見る必要があろう.それがわかるのは,まだ先のことである.また,カルテ
ルの場合,参加企業のなかに,競争法コンプライアンスに真剣に取り組む企
業が現れ,カルテルが崩壊することが重要なのであって,その意味でも,さ
らなる競争法の強化策が 1998 年時点で実施できたかどうかは,決定的に重
要なことである.
カルテルが崩壊することによる,競争促進効果,すなわち効率性向上効果
については,あえて詳論する必要はあるまい.企業は,競争水準以上の価格
設定を維持できなくなり,市場価格に見合う費用構造を必死に模索すること
を余儀なくされる.それができない企業は,M&A 等を通じて市場から撤退
し,自分の優位性の発揮できる市場にその資源を振り向けることを迫られる.
これらの選択と集中行為が,資源の有効利用に資することはいうまでもない.
競争マインドの重要性
競争に対する評価や市場に対する信任が低いという現象は,日本に古来か
らあったというわけではない.わが国経済が発展途上にあった段階では,国
民にも企業にも,あり余る競争マインドがあった.高度成長期には,競争マ
インドにあふれる企業家が数多く羽ばたいたことはいうまでもない.隣の者
が成功すれば,自分も成功したいと思うのは自然の現象である.発展途上の
段階では,国民は政府に過大な期待をしないし,できないことは国民に十分
理解されていた.したがって,自分で努力するしか方法がないと考えている
企業により市場が構成されることとなる.市場は,このような場合に,より
大きな機能を発揮できる.
この競争マインドが,1970 年ごろまでの日本企業にも満ちあふれていた
はずである.競争マインドは,競争社会を生き抜く知恵であり,これを体得
8
規制改革と競争政策
335
していない者は,競争社会においては損をするだけである.現在でも,競争
マインドにあふれた企業家が生まれていることは疑いない.競争マインドを
失った企業がその数を上回ることが問題なのである.
日本が 1990 年代の政策転換に失敗したのは,いろいろな要因が考えられ
るが,その 1 つに競争政策に対する抵抗感の存在を指摘しないわけにはいか
ない.この重要な時期にわが国において競争政策の強化が困難であったのは,
競争政策に対する反対論が強かったというよりは,その裏側の問題が生まれ
ることへの懸念が強かったからであると思われる 46).多くの日本人は,競
争政策の強化によって,これまで形成してきた日本的なよさが失われてしま
うことを危惧した.これまで構築してきた安定性重視のシステムが,効率性
を追求する競争政策により壊されてしまうことを危惧する者が多かったと思
われる.
これは,感覚的な問題であるから,それが誤りであることを証明すること
は難しい.ある程度時間が経てば国民も理解し始めるが,変化の途上ではな
かなか理解できない.そして,そのような主張が幅広い国民の共感を獲得す
るからこそ,その実現が困難なのである.このように,日本では,安定性の
追求という日本的システムが,効率性の犠牲の上に成り立っていたことが理
解されず,その結果,競争政策が軽視されてきたものと思われる.
結局,米国・EU と比べて,日本に欠けていたのは,市場への信任であっ
た.逆に,政府に対する信任は高かったので,何らかの問題の処理を政府に
委ねることに対する問題意識は低かった.問題があるとしても,それを政府
が処理することで,より大きな問題が生まれるという発想は生まれなかった.
自分で努力するよりも,うまく立ち回って美味しい思いができるのであれば,
同じように甘い汁を吸いたいと思うのもまた自然な現象である.政府に多く
のものを期待できた時代の記憶はなかなか消し難い.これは,繁栄を経験し
た国にだけ見られる,豊かな国特有の病理現象である 47).
日本は,残念ながら,競争政策の有効性に関して国民に対する強力な唱導
活動(Advocacy)を必要とする国なのである.
46)
47)
上杉[2007a], p. 298.
上杉[2007a], p. 300.
336
4 公益事業分野における競争政策の評価
4.1 公益事業分野における競争政策執行体制のあり方
この問題については先行研究も多く,また,日本では決着済みの論点と
なっているので,結論だけを記述すれば十分であろう 48).先行研究に追加
すべき論点も見当たらない.
米国では,公益事業分野別に設置された行政委員会が存在し,早い時期か
ら規制改革に主導的な役割を果たしたこと,また,その際に競争当局との協
働作業がなされたことが重要である 49).
英国では,規制改革への取組みを開始した時点で,新しい規制当局を設立
し,そこに競争政策に関する権能を付与したこと,その際,競争当局にも一
定の権限を付与し,協働作業のシステムを構築したことが特色である 50).
英国と米国の差は,新たにシステムを構築するか否かの差の反映と思われ
る.1990 年ごろまでは競争政策が弱かった英国では,競争政策の強化策と
規制緩和の推進が同時に進行したことで,このような仕組みができあがった.
米国では,新しい規制当局の設立は 1930 年代後半,規制改革の進展は 1970
年代後半と分かれたので,その相互関連のなかから協働関係が生まれてきた.
英国では,これが同時に進行したことになる.
4.2 日本での規制の枠組みのあり方
わが国では,既述のとおり,公正取引委員会が競争政策に関して十分の力
を有するようになる前に,規制改革の時代を迎えてしまった.このため,既
存の規制官庁が競争政策に関与する方式が採用され,英国方式の採用は見送
られた.これは,規制官庁の影響力が強かったことの反映でもある.日本の
場合は,規制官庁とは,産業官庁そのものであり,規制権限と産業政策権限
という,ときに利益相反に立つ権限が同じ組織に並存する形で発展してきた.
これは,産業政策がその機能を喪失する時代の到来を見て,これらの産業官
庁が規制官庁に脱皮する形で発展してきたことを意味する.そして,産業官
48)
49)
50)
江藤[2002], pp. 30 59.
江藤[2002], pp. 36 42.
江藤[2002], pp. 42 50.
8
規制改革と競争政策
337
庁のイニシアティブのもとで規制改革が進められたために,産業規制官庁が
競争の維持・促進に関する機能を委ねられることとなった.
規制権限と産業政策権限という,ときに利益相反関係にある権限の並存問
題についても,産業政策的観点が後退した時期に生まれた問題であったので,
大きな利益相反の問題を生ずることなく,産業官庁が規制官庁化することが
できたものと思われる.ただし,ときに利益相反関係に立つ権限を組織の内
部に抱えた形が維持されているので,組織内部の調整によりこの問題を適正
に処理する必要がある.組織内の機能配分を適切に行えれば,それなりに機
能しえないわけではないから,実際の事務が適正に処理されているかどうか
を検証する作業が不可欠となる.
4.3 競合方式の問題点とその解消策
以上のとおり,わが国では,規制官庁と競争当局が並存する仕組みを採用
したので,この間に必然的に権限の重複関係が生まれる(競合方式)
.これ
は,規制官庁を主務官庁から切り離して設置した場合においても生じうる問
題であり,規制官庁と競争当局の間でどのような関係を構築するのがよいか
が問われなければならない.規制官庁を主務官庁から切り離して設置させた
モデルの場合には,利益相反問題が生じないために,問題の程度が低くて済
むというメリットがある.
競合方式から生まれる問題に対応するには,2 つの方法がある.第 1 は,
重複しないように,両機関の権限配分をあらかじめ明確に規定しておく方式
である.この場合,通常,一定の範囲内の行為については,競争法の適用を
除外することになる.この方式は,理由は異なるものの,米国の連邦取引委
員会(FTC)と他の独立規制委員会の関係において採用されている 51).競
争政策機能を他の独立規制委員会に付与するために,権限の重複をそもそも
排除しておく必要があるとして導入されたものである.幸い,米国の場合,
この方式が FTC にのみ適用されたことから,もう 1 つの競争政策官庁たる
司法省反トラスト局には,重複的に権限が残され,その後重要な規制改革推
進の役割を果たすことを可能とした 52).
51)
FTC 法 5 条⒜⑵.権限から除外されたのは,金融業,陸海空の運送業などである.
338
もう 1 つの方法は,重複関係を維持し,一般的な独禁法理論(規制官庁が
法律に基づき具体的な行為を指示・強制した場合には,その行為が外形上独
禁法に違反する場合であっても,独禁法の適用が排除されるとする考え方)
を適用することで,この重複関係から生まれる問題を解決するものである.
この方式のメリットは,カテゴリカルな適用除外ではなく,ケース・バ
イ・ケースの適用除外となることにあり,個別事案の処理にあたり,柔軟性
を確保できることである.規制される企業は,2 つの異なる行政機関から,
異なる方向の命令や指示を受ける事態を回避することができる.
しかし,この方式のもとでは,同じ事実に関して異なる命令を受けること
はないとしても,異なる時点で発生する問題については,いずれの機関が当
該事案を担当するかで結論が異なる可能性があり,これを適正に処理するに
は,行政調整という方法を採用するしかない.通常の場合であれば,事件の
調査の開始時や措置を講ずる時点で行政調整を図るという方法が考えられる
が,公正取引委員会には職権行使の独立性という問題があることに加え,こ
のような個別の行政調整という方法が,個別に事件処理をする場合において,
常に好ましい結果を生むとはかぎらないという問題がある.
これに有効なのが,重複関係が存在することを前提に,両機関による個別
事例の事後検証作業を行うことである.それぞれの遂行する競争政策に,基
本的なずれが生じていないかを検証することが重要である.市場の競争を有
効に活かそうとする競争政策の基本が貫かれておれば,両機関の処理に若干
の齟齬があっても,許容範囲内であると考える.若干の齟齬の例としては,
たとえば,講ずべき措置の強弱に差が生ずることもあろうし,行為の不当性
の評価に若干の差が生ずることがあるかもしれない.このような相違は,競
合する方式を採用する場合にはどの国でも見られることである.競合方式の
メリットは,このようなプロセスを通じて,相互にラーニングが働くことに
ある.
同じ方向性を志向するかぎり,複数の行政機関が重複する権限を有するこ
と自体に問題があるとはいえない.問題は,この同じ方向性が共有されるこ
とをどのようにして担保するかである.規制官庁と競争当局と間に良好な関
52) 2 つの競合する競争当局の並存は,米国反トラスト法の重要な特色の 1 つである.機能を分
担する複数の競争当局の例は,比較的多い.
8
規制改革と競争政策
339
係の構築ができない場合には,規制を受ける企業の対応に困難を生ぜしめ,
本来の競争促進効果が得られなくなるおそれが出てくる.
4.4 今後の課題
この検証作業は,第三者も参加して行えることが望ましい.それには,両
当局の下した判断事例が,可能なかぎり詳しく公開されることが不可欠であ
る.これは,市場の競争を有効に活用するという競争政策が,それぞれの機
関において十分に活かされているかを検証する作業である.また,規制官庁
において,一般的な規制権限の行使にあたり,可能なかぎりで市場競争を最
大限に活かす方策が講じられているか否かの検討も必要とされよう.このよ
うなプロセスを通じたチェックが働けば,英国のような,専門的な行政機関
に規制行政を担当させる方式を採用しなくとも,競合方式のメリットを活か
しつつ,そのデメリットを最小にできるものと思われる.
もう 1 つの課題は,規制の見直し作業のあり方である.競合方式を採用す
るメリットは,この点にも現れる.その理由は,産業所管権限と規制権限が
同じ行政機関内に並存することにともなう欠陥を補完するには,競争当局に
よる規制改革への関与・発言権を確保することが重要であることにある.こ
れは,補完関係にあることが重要である.たとえば,独禁法の施行を図る過
程で,規制のあり方が競争を必要以上に歪めている事実が判明することがあ
る.この場合には,それを規制の見直しに速やかに反映させる必要がある.
これが競合方式のメリットともいえる.
また,規制分野と非規制分野の関係が明確になっていないことで,あるい
は,その区別が関係企業に十分に理解されていないことで,競争が活性化し
ないという問題が生ずる場合も想定される.これを回避するには,規制分野
については規制目的に適合した対応が図られ,非規制分野については競争政
策的観点から諸施策を講ずるという良好な関係が構築されていなければなら
ない.
340
5 競争政策の効果の検証
5.1 TFP データの検証
競争政策は,市場競争を通じた非効率な企業の撤退と,効率性に優れた企
業の参入が促進されることを通じて,関係企業の効率性の向上,ひいては経
済全体の効率性向上を促進させる政策である.すなわち,競争政策の成果は,
直接的には独禁法違反で摘発された事件の件数や講じられた各種措置の件数
に表れるが,それが実効性のあるものかどうかを検証するためには,経済全
体または特定の業種全体の効率性の向上につながっているかどうかを見る必
要がある.
これを見るのに一番近い指標が,現時点では,TFP(Total factor productivities)ではないかと思われる.競争政策の効果は,新規参入・退出を通
じて,生産性の低い産業から生産性の高い産業への資本および労働力の移動
をうながすことで TFP に反映されるし,競争がイノベーションを促進する
ことで,TFP の向上に資することになる.少なくとも,より的確な指標が
見出されるまでは,この指標によるしかないように思われる.
設備投資による労働生産性の向上(資本装備率の上昇)を重視する立場か
ら,労働生産性指標で見ることも有益であり,
『平成 19 年版経済財政白書』
はこの指標を使った分析を試みている 53).一長一短があるが,競争政策の
効果を検証するには,より近い指標である TFP を用いるのが妥当と思われ
る.
まず,全体の動向を見ておくと,
『平成 19 年版経済財政白書』が指摘する
とおり,わが国では,1990 年代に入ると,1980 年代に比し TFP の寄与度
の顕著な低下が見られた(前半と後半に分けると,後半の落ち込みが大き
い).
競争政策のような構造政策は,その効果が発現するまでに最大 10 年くら
いのタイムラグが発生することを考えると,第 2 節で指摘したとおり,わが
国では,1980 年初頭には英米において顕著になった政策転換の判断が遅れ
たことにより,市場競争の有効利用を図る政策を採用した国々に比べ,労働
53)
内閣府編[2007]「第 2 章今後の成長に向けた生産性向上と企業行動」pp. 95 169.
8
規制改革と競争政策
341
生産性の向上が遅れ,それが TFP の寄与度の低さという数字に反映されて
いるのではないかと思われる.また,製造業と非製造業に区分して見ると,
その差が大きく現れることも,以上の分析と整合的である.非製造業におけ
る 1990 年代の寄与度はマイナスであった.
米国における TFP の寄与度の大きさが,1995 年から 2005 年の数字で見
て,わが国を大きく上回っていること,わが国の TFP の寄与度が,2000 年
代に入ると 1990 年代よりも改善していること,非製造業の TFP がきわめ
て低い伸びにとどまっていることも,以上の分析と整合的である 54).
内閣府が行った「構造改革評価報告書 6 ――近年の規制改革の進捗と生産
性の関係」では,規制水準の変化と TFP の関係を分析しているが,その関
係が薄い分野があることを指摘している 55).これは,先に見たように,規
制改革が実際に市場競争を促進する結果を生んでいない分野があることの現
れであると思われる.
規制改革と TFP の寄与度の間には,
「規制改革→市場競争の活性化→非
効率企業の撤退・効率企業の参入→生産性指標の変化への反映」,という関
係が見られることが必要であり,とくに最初の,「規制改革→市場競争の活
性化」という関係が現実化しているか否かの検証が重要である.少なくとも,
規制改革により市場競争が当然に活性化されるという前提に立つことは不適
切であり,競争回避行動に対する規制強化をともなわないと,そのような結
果が生まれないことは,第 2 節で強調したとおりである.規制改革と競争政
策の強化の時期に大きな差が見られたわが国では,この想定は現実的な想定
とはいえないからである.
また,規制改革をともなわなくとも,単なる競争政策の強化,具体的には,
リニエンシー制度の導入やカルテルに対する制裁の強化策によってカルテル
があぶり出され,競争が激化するというルートによっても,TFP の向上が
図られることを認識することが重要である.むしろ,規制改革が市場競争の
活性化に結びつくというルートは,全体の一部であるとの視点に立つことが
重要と考える.
規制改革をともなわなくとも,経済のグローバル化にともなう市場競争の
54)
55)
内閣府[2007], pp. 97 99.
内閣府[2006], pp. 10 16.
342
激化により,その影響を受けた業界の生産性の向上がもたらされるので,そ
れらの効果も検証する必要がある.
競争政策が実効性を有して実施されれば,産業間の資源の移転がより大き
くなるはずである.また,イノベーションを重視する競争政策の遂行によっ
て,技術革新の影響という形で TFP の数値に出てくるに違いない.1990 年
代の経済不振に対応すべく企業が実施した各種の合理化策やリストラ策の影
響も,これらの数値の分析を通じて検証する必要がある.
必要な改革の実施と改革の効果の発現には,最大 10 年くらいのタイムラ
グが発生すると考える理由は,規制改革や競争政策の強化策の導入から,生
産性を示す諸指標に反映されるまでの間には,かなりの期間の経過が必要と
されるからである.米国で 1980 年代の 10 年間をかけて実施された競争政策
の強化策が,1990 年代の米国における TFP その他の指標に現れてきたと考
えられるので,私は,この事実を,競争政策の効果は 10 年タームで発現す
るとする根拠に使用している.この想定が正しいとすると,その進展スピー
ドの低い日本では,10 年ではなく 15 年程度のタイムラグが必要とされるか
もしれない.
これらの関係を検証するには,TFP をさらに要因に分けた分析が必要と
されようが,それは,筆者の能力の及ぶところではない.競争政策が実効性
を有して実施されているかどうかがより端的にわかる指標の検討が待たれる.
このような分析が可能になれば,2001 年以降に進行したわが国における
競争政策の強化策により,地下に埋もれていたカルテルが摘発され,あるい
は業界に見られた協調的行動パターンが変革を迫られることを通じて,どの
程度当該産業,ひいては日本経済の効率性向上効果を生んでいるかがわかる
ようになる.建設業においては,2004 年以降この面での構造転換がかなり
大規模に進行していると考えられるので,それは数字に表れるくらいの大き
さになるかもしれない.
このような手法を通じて競争政策の効果が検証できれば,競争政策に対す
るさらなる国民の支持の拡大を得ることができよう.また,それがどの分野
では不十分であるかを見ることで,より重点的な競争政策の実施を図る道が
開ける.また,公益事業分野については,おおむね改革すべき点は改革され
たとの感じを与えるが,それが数字になって現れているか否かが検証できる
8
規制改革と競争政策
343
かもしれない.
5.2 ベンチマークの活用
高度成長の時期がほぼ終了する時期(1970 年ごろ)まで,わが国では,
政府により日本企業を海外の競争圧力から隔離する政策が公式・非公式に採
用されていた.また,日本市場が開放性を強め,きわめてオープンな市場に
なったと評価できるのは,1990 年代以降にすぎない 56).
しかし,このような状況が長く続いたとはいえ,それゆえに日本企業,と
くに輸出企業がぬるま湯につかってしまい,その生産性向上努力を怠ったわ
けではない.少なくとも,海外企業との競争を意識せざるをえないから,程
度の差はあれ海外との競争は潜在的な競争圧力として機能したし,また,日
本企業は将来の目標を欧米企業に定め,その水準に到達するよう企業努力を
続けてきた.少なくとも,輸出企業はそうであった.これは,海外企業をベ
ンチマークとすることで,潜在的な競争圧力がかなり有効に働いたと評価す
ることができよう.
問題は,その結果,先端的輸出企業と,そのような競争圧力をほとんど感
じない国内産業という,二重構造が形成されてしまったことである 57).そ
して,この二重構造が先端的輸出企業の競争力を阻害するところまできてし
まった.競争政策を強化する意義は,この二重構造の緩和に役立つことにも
見出される.
経済のグローバル化の進行により,多くの分野で,それまで潜在的な競争
関係にあった海外企業が,国内市場における競争者として顕在化してきた.
今後とも,日本市場に参入する海外企業が減少することはあるまい.競争政
策の観点からは,遠くに存在するライバルよりは,近くにライバルが存在し,
目に見える形で切磋琢磨する場合の方が,競争促進効果が大きい.しかし,
不幸にしてそのようなライバルが国内市場に存在しなければ,ベンチマーク
を海外に求め,たえず自分の力を向上させていくしかないであろう.
以上ことは,競争政策のあり方に関しても当てはまる.今日,世界の競争
政策のリーダーは,米国・EU であることは疑う余地のない事実である.た
56)
57)
上杉[2007a], p. 129.
上杉[2007a], p. 289.
344
えず,これらの競争当局の動向を把握し,緊張感をもって政策を見直してい
くことが必要である.間違っても,競争政策の「失われた 10 年」を,20 年
にしてはならない.
6 結語
本稿で論じたように,規制緩和策と競争政策の強化策がそれほどのタイム
ラグなく一体のものとして実施できた米国と,規制緩和の本格化が米国に比
し 10 年から 15 年程度遅れ,競争政策の強化がそれからさらに 10 年も遅れ
た日本とでは,その経済のパーフォーマンスに及ぼす差が大きく現れるのは
当然であろう.EU は,ほぼその中間に属すると評価できる.
米国や EU における競争政策の強化策が進行し,また,新興国が競争法の
世界に参入してきた 1996 年から 2005 年までの 10 年間が,私の定義する
「日本の競争政策の失われた 10 年」である.
「失われた 10 年」という言葉は,
回復可能というコンテクストで使用されるものである.回復不能な遅れであ
れば,「失われた 10 年」とはいわない.
それでは,日本の競争政策は,その地位の回復は可能と見るべきであろう
か.答はイエスである.競争政策の強化は,何らの財政負担を生じさせるこ
となく実施可能な政策である.企業に対する負担も,ゼロどころかプラスで
ある.カルテルに関与しない企業は,制裁強化の影響はゼロであるし,カル
テルなしでは市場で存続できないような企業は,速やかに退出させた方が日
本経済の成長力は高まるはずである.そのような事業部門は,他企業に譲渡
し,より適切な経営者に当該事業を経営させた方が,経済全体のパーフォー
マンスは確実に改善する.
いまごろ政策転換をしても手遅れではないかという疑問に対する答えも明
らかである.もちろん,1 周遅れという状況を打開するには,スピードを上
げなければ追いつけないことはたしかである.この場合の問題は,米国・
EU がこのところ競争政策をいっそう強化しているので,いくら日本が競争
政策を強化したところで,米国・EU に追いつけるものではないということ
であろう.私も,競争政策において米国・EU に並ぶことは,達成不能なこ
とと認識している.
8
規制改革と競争政策
345
しかし,競争政策の強化の効果という観点から見ると,事情は異なってく
る.わが国経済が効率性向上策において米国・EU に大きく遅れをとってい
るということは,そのような政策に切り替えた場合の効果が格段に大きいと
いうことを意味する.乾いた雑巾を絞るのと,濡れた雑巾を絞るのとでは,
搾り取れる水の量がまったく異なるからである.
しかし,搾り取れる水の量に比例して,国内に多大の調整コストを生ずる
こともたしかである.したがって,問題は関係する部門でこの調整コストに
耐えられるかということである.遅れがあまりに大きくなってしまった段階
での調整策の導入は,調整にともなうコストの大きさを半端なものではなく
するからである.これを可能とするのは,EU 並みの強力な政治的コミット
メントである.
1998 年時点で政策転換が図られておれば,調整コストはかなり低くてす
んだであろう.しかし,このような指摘は,議論のためにのみ有益であって,
実際には何の足しにもならない.調整コストは遅らせれば遅らせるほど,大
きくなるのは当然のことである.
大きな経済は,それだけそれを動かすエンジンも大きい.いったん市場の
力を有効活用する方向に舵を切ることができれば,その効果も大きいはずで
ある.急に舵を切ることが難しくとも,ある程度の時間をかけつつ前進でき
ればその効果は大きい.問題は,正しい方向に経済運営が向いているか否で
ある.
1990 年以降,競争政策の分野に多くの新興国が参入してきた.そして,
現在,競争政策の展開をめぐって激しい競争を繰り広げるようになっている.
日本の独禁法の歴史は世界でも指折りの長さを誇り,2007 年に還暦を迎え
たほどであるが,その実力は,もはや世界に誇るような状況にないことは明
らかである.本稿で論じた諸問題の反省のうえに立って,さらなるわが国競
争政策の展開を急がないと,後から来た競争当局に追い越されることは避け
られないであろう.
参考文献
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346
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糸田省吾[2007],『独占禁止政策の歩み(平成 9 年 19 年)』公正取引委員会.
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内閣府[2007],『平成 19 年版経済財政白書』.
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