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第 3 8 巻 秋 号 - 社会福祉法人 新生会

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第 3 8 巻 秋 号 - 社会福祉法人 新生会
第38巻 秋 号
新 生
⑴ 2015年(平成27年)10月20日
作
佐藤幸代﹁東方から﹂
二〇〇七年
二〇〇号
第 3 8 巻
秋 号
新生会広報
「神言ひたまひけるは天の穹蒼に光明ありて昼と夜とを分ち又天象のための時節の
ため日のため年のために成べし 又天の穹蒼にありて地を照す光となるべしと即
ち斯なりぬ。」 −創世記第1章14-15節−
God said, Let there be lights in the firmament of the heaven to divide the day
from the night ; and let them be for signs, and for seasons, and for days, and
years : And let them be for lights in the firmament of the heaven to give light
upon the earth : and it was so. (GENESIS 1:14-15)
術館、大使館の多くあるブカレスト
科に学ぶ機会を得ました。大学は美
ア国立ブカレスト美術大学壁画修復
庁芸術家在外研修員としてルーマニ
私はEU加盟︵二〇〇七年︶前の
二〇〇二年一〇月から一年間、文化
の た め の 大 統 領 委 員 会 の 共 同 議 長。
ブカレスト美術大学DAN MO
HANU︵一九四九年生。歴史遺産
求められる命がけの日々でした。
からの冷風に揺れ、緊張と慎重さを
高さ一〇m の木製足場はウクライナ
た。修復家六人と司祭宅に間借りし
会堂︵一四九三∼九九年建設︶でし
らすバリネシティ村の聖ニコラエ教
クライナ国境沿いの村民二百戸が暮
います。私の留学の最終研修地はウ
イコンの修復、顔料の研究を行って
ロの修復家多数も中世フレスコ画や
占め、優秀な教授陣の指導の下、プ
は他の学科を圧して広いスペースを
役割も果たしています。壁画修復科
の修復プロジェクトの総指揮官的な
世界遺産を含む多くの修道院や教会
ざいます。
多くの皆様に観て頂ければ幸いでご
贈 し 収 蔵 し て 頂 く こ と な り ま し た。
らない﹂DAN MOHANU先生
作、布地の大きな版画を新生会に寄
のとして保つ努力を続けなければな
ものの記念として、遺産を命あるも
ものを保存し、過去に学び得られた
探求し続け、本物で美しい価値ある
保存に携わる者は、より良いものを
念 の 一 節 が よ み が え り ま す。﹁ 修 復
一九世紀の中ごろから伝わる修復理
加︶主任教授が繰り返し話された
遺跡保存修復国際プロジェクト参
が 伝 わ っ て く る 感 動 の ひ と 時 で す。
中心近くにあり、ルーマニア国内の
ての共同作業です。外壁フレスコ画
一九四五年福島市生まれ
洋 画 家、 文 化 庁 芸 術 家 在 外 研 修 員
︵ルーマニア︶
安井賞展、毎日現代美術展、昭和会
展、中之沢美術館個展、喜多方市美
術館個展
二紀会委員、日本美術家連盟会員
佐藤幸代︵さとう
さちよ︶
は風雪にさらされ傷みがひどい状態
です。現状を国際的な取り決めに従
い、五分の一の縮小図に記録し、角
度を変え表面の凹凸が分かるように
写真の記録を残します。中世に描か
れたままの壁画を傷つけないように
クリーニングを進めると、制作時の
コテの跡、下描き、制作者のミスも
現れてきて、中世の画家の息づかい
第38巻 秋 号 ⑵
新 生
2015年(平成27年)10月20日
光 景 ひ ら く
登れば
のぼっただけは高くなる
高くなれば
それだけ眼界がひろくなる
高いところには
平地に見られぬ花がさく
じんあい
高いところには
塵埃がない
高いところの叫びは
遠くへひびく
後藤静香著
﹁天よりの声﹂より
今何が必要か
原
慶子
話にもならない、全く理不尽のや
り方で、安保法案が可決された。強
制執行とも言える強行採決が平然と
まかり通る日本の国会はついに落ち
る所まで落ちた。日本の国会は今や
府機関と市民社会の間の断絶と乖離
は、戦後七〇年もはや絶望的状況で
ある。金権政治を平然と行う彼らに
欠 け て い る も の は﹁ 良 心 ﹂ で あ る。
同志社の創立者・新島襄は﹁良心の
全身に充満したる丈夫の起こり来た
らんことを﹂といって明日の日本の
近代化のために貢献できる理念
︶をもった若者を輩出するた
︵ idea
めに同志社を建学したのである。
通 ら な い か ら、 国 会 を 地 獄 に し て、
そしてなによりもパッションを失っ
と し て の 誠 実 さ、 神 を 仰 ぐ 謙 虚 さ、
戦後七〇年、日本は経済成長に反
比例して、人間としての良心、人間
地獄が支配できる社会を作ろうとし
﹂とは、日本語で﹁情
た。﹁ Passion
地獄である。権力の意志は天国では
ている。それが現在の日本の政府機
関の有様である。全国で多くの人々
﹂は同義である。
﹁ Patient
﹂
﹁ Patient
と は﹁ 忍 耐 深 い ﹂ で あ る。 一 方
熱 ﹂ と 訳 さ れ る が、
﹁
﹂と
Passion
が安保法案に対して大規模な反対運
動を展開している。良識では考えら
﹂ と い う 言 葉 が あ る。
﹁ compassion
こ れ は﹁ 憐 れ み の 気 持 ち ﹂ で あ る。
すなわち、他者︵隣人︶とともに忍
れないやり方で一応可決させたと言
耐強く生きる︱.という姿勢である。
っても、市民社会ではそれを認めて
ろう。安保法案だけでなく、派遣法
今日本人が失ったのは﹁憐れみのあ
や社会福祉法人の改悪法案も含めて
神野直彦︵経済学者︶は先般、渾
身 の 思 い を も っ て﹁﹃ 人 間 国 家 ﹄ へ
いないのである。権力と市民社会の
人間の良心的な営みを破壊するよう
の改革﹂︵NHK出版︶を出版した。
︶
る 生 活︵ The compassionate life
な法律をどうしてこれほどまでに推
闘いはこれからより一層激化するだ
進したがるのか。これらの法案の基
住谷馨先生は﹁人間福祉﹂と言っ
た。そして日本の政治が最も蔑ろに
あなた方も人間であるなら、人間
としての政治を行いなさい。
しているのは﹁人間﹂である。
準は人間社会ではなく、金銭至上主
義に基づくものである。なぜこれほ
どまでに金銭に執着・依存し、金と
金権政治に陥った現在の日本の政
権力を盲信してしまうのか。
で民主主義を育てようとする知識人
人間づくりをモットーに﹁知﹂の力
私立大学である。自分の頭で考える
材を育てようと強い理念をかかげた
戦後の民主主義の強い理念を担う人
に﹁鎌倉アカデミア﹂と命名される。
敗戦直後の昭和二十一年に鎌倉の
光明寺内に自由大学が開校した。後
田武彦、
シナリオ作家の廣澤栄等々。
作曲家のいずみたく、タレントの前
若き才能を輩出した。作家の山口瞳、
われないアカデミアの教育は多くの
人々に惜しまれた。既成概念にとら
年 半 で 閉 校 と な っ た が ⋮。 多 く の
の大学運営は厳しく資金難のため四
育理念であった。戦後の混乱の中で
の深い﹁知﹂を身につけるための教
なんと軽視していることか?憲法違
ないか。国の根幹を担う大学教育を
で全体主義国家になってしまうでは
ーで決めたという。これでは、まる
学者はわずか二人という構成メンバ
つとめ、八人の閣僚と十人の企業人、
立ち上げて、安倍晋三首相が議長を
した。安倍政権は産業競争力会議を
どの組織改革を進めるよう通知を出
ならないのが﹁知﹂ではないか。文
今日、若者たちの人間教育の荒廃
が叫ばれる中で、身につけなければ
が大学の真の教育であろう。
れる知の力のある批判精神を学ぶの
要ではないか。人文社会学系で磨か
を育てるのがグローバル化時代に必
れる鋭い批判的思考力を持った若者
国際感覚を持ち、社会的視野で見ら
化の分厚い、深い知識が必要なのだ。
育 て る に は、 芸 術、 文 学、
学なのだ。そして創造力を
もった人間を育てるのが大
に。好奇心の強い創造力を
専門馬鹿にならないため
反であると、知識人、大学生たちに
︱﹁鎌倉アカデミア﹂ありき︱
音楽を理解できなければ国
には、国文学者の西郷信綱が書いた
創った。鎌倉の天照山光明寺の境内
送り出し戦後の大学教育の一原点を
な集団として︵八〇〇名︶の生徒を
成果主義の考え方が見え見えであ
つ﹂﹁役に立たない﹂の市場原理主義、
ある経済再生戦略と称する﹁役に立
としているがアベノミクスの根幹に
化の社会変化に対応しての教育改革
高齢化、グローバル化、地域の衰退
しかりだ。背景には、急速なる少子
ノーを突きつけられている安保法案
切に切に願う。
来る知識人、経済人の現れることを
ければならない。文化社会を重視出
する﹁現代のアカデミア﹂を創らな
分の頭で考える人間づくり﹂を実践
人間教育ではだめだ。今日こそ﹁自
めて世の中を理解する電子メディア
る。自分で考える、いまある型には
際人として通用しなくな
﹁ここに鎌倉アカデミアありき﹂の
る。役に立たない人文社会科学系は
記念碑が建っている。
のこれからに期待したい。
福祉にアートを提唱している﹁新
生会﹂、文化の家としての﹁心泉の家﹂
戦後七十年、社会変化に対応が必
要としての理由から文部科学省は国
田 芳 保
後ずさりして未来をみなければ
﹁ 鎌 倉 ア カ デ ミ ア ﹂ は、 種 蒔 く 小 さ
たちの精神が躍動した。
学長には哲学者の三枝博音が推薦
され、教授陣には、林達夫、
西郷信綱、三上次男、高見
順、 宇 野 重 吉、 吉 野 秀 雄、
千田是也、邦正美、服部之
立大学八十六校に六月八日﹁来年度
元群馬県立土屋文明記念文学館館長 岡
総、村山知義らの活躍して
い る 一 流 人 が 迎 え ら れ た。
学校の入口には三枝博音が
ギリシャ語で刻んだ︱幾何学を学ば
ざる者は、この門に入るべからず︱
と い う プ ラ ト ン の 言 葉 が 掲 げ ら れ、
文学科、産業科、演劇科、映画科の
四 学 科 で 開 校 さ れ た。 各 学 部 で は、
研究討論、共同食事会︵シュンポシ
ス︶が開かれ、教育する者とされる
削 れ、 廃 止 せ よ と い う 考 え で あ る。
者 と の 一 体 感 の あ る 授 業 が 行 わ れ、
からの改革﹂として、人文社会科学
課題に対して自由に発言できるレク
いま大学に求められる役割は、広く
論 壇
系や教員養成系学部の廃止や削減な
チャーが行われた。今のシンポジュ
ームの原点である。学長の三枝博音
第38巻 秋 号
新 生
⑶ 2015年(平成27年)10月20日
バルナバ原正男先生・ルツ
原ツヤ先生の逝去記念礼拝
た く さ ん の 車 の 駐 車 に よ り、年 毎 に
駐 車 場 は ア ス フ ァ ル ト で 固 め ら れ、
桜・ え ご な ど の 落 葉 樹 で す。 ま た、
めに伐採されました。いずれも楢・
内の大木が、施設の新設・改築のた
らです。
この一〇年余の間に、榛名荘
それにはいくつかの理由があったか
応接机などを整えようと決めました。
います。欅でこれほどの大木はこの
欅が枝を四方八方に広げ生い茂って
加えて、元ヨセフ幼稚園園舎の一
角 に、 樹 齢 四、五 百 年 と 推 測 さ れ る
樹された事が確認出来たのです。
んだ職員の皆さんにより、植樹・育
ツヤ先生そして両先生と草創期を歩
樹は、バルナバ原正男先生、ルツ原
応不可能となりました。
は量的にあるいは衛生管理面から対
共に施設の発展により、この貯水槽
取水していました。榛名荘・新生会
であって、薬研堰水利組合水路より
この貯水槽は榛名荘・新生会が多
目的に水を利用するための貯水施設
の水で喉を潤したこともあります。
を満杯に湛える貯水槽があって、そ
で時々休息しました。境内近くに水
しかしそれに変わって両施設に水
を 安 定 的 に 供 給 す る 水 源 確 保 に は、
近 在 に は 見 ら れ ま せ ん。﹁ こ の 欅 を
気持ちが無ければ、これほどの老樹
育てよう、残しておこう﹂との強い
は存在しません。
花の数が少なくなり枯れ枝が目立つ
ようになります。やがて、空師によ
桜の老樹は生命力が落ちて行きます。
り大木が枝から少しずつ切り落とさ
人々のこころざしを察すれば、我が
﹁樹木に何を託そうとしたのか﹂﹁咲
どのような気持ちで植樹したのか﹂
こ れ ら を 眺 め る 時、
﹁ 榛 名 荘・ 新
生会の創設者バルナバ原正男先生は
するなど、創設者は水にも大変なご
送る、深井戸を掘削して水源を確保
湧水があり、それを集めて送水管で
をされていました。私の所有林内に
バ原正男先生が私の父親に水の相談
困難が伴ったようです。時折バルナ
身を切られるような気持ちになるの
き 乱 れ る 桜 花 や 欅 は、 た く さ ん の
れ て 行 く 光 景 に、 植 樹・ 育 樹 し た
を覚えるものです。毎年、荘内の大
人々に癒しと勇気を与えたことだろ
今日、榛名荘・新生会ともに上水
道 の 完 備 で、水 を 当 然のよ う に し か
木が伐採され、それらはどこかで廃
この晩秋には、大木の楢が応接机
や書架に変身して、榛名荘の応接室
苦労をされていました。
工、三∼四年間の月日を費やして乾
う﹂などと、想いは巡ります。
燥処理し、大切に保存してきました。
棄処分されています。私はその一部
榛名荘では本年の初夏以来、荘に
来られるお客様のおもてなしのため
しかし、上の原・荒神は古くから水
もふんだん に 使 う こ と が 出 来 ま す。
を引き取り、製材業者により板に加
に、
応接室改築を計画しております。
にお目見え予定です。創設者が慈し
です。それを最も深く認識し苦労を
み育てた木々は、永遠に榛名荘内で
創設者であるバルナバ原正男先生を
ある時、私は原慶子新生会理事長
に、﹁ 春 四 月、 榛 名 荘・ 新 生 会 の 庭
特に、役職員が荘に来られたお客様
に、
失礼の無いおもてなしを差し上げ
続いて、榛名荘・新生会の﹁水の
苦労﹂についてお話しします。昨年
忘れることはできません。
に苦労し、両施設を取り巻く水資源
の 九 月、
﹁ 水 の 苦 労 ﹂ を 物 語 る、 貯
の 環境は決して豊かではなかったの
母が下室田の金比羅神社の縁日で買
水槽の取り壊し工事が行われまし
重ねられたのが、榛名荘・新生会の
い求め、植えたそうです﹂と、ご説
し ま し た。 す る と 理 事 長 は、
﹁父や
明して下さいました。
生きて行きます。どうぞみな様、榛
熟慮の末、落葉樹を使った書架や
視に出かけると﹁上の原金比羅神社﹂
た。私は幼少の頃、父親と山林の巡
名荘へお出かけ下さい。
る応接室の建築は、とても大切なこ
ととかねてより痛感して来ました。
また、私はその部屋の中には、榛
名荘創設者・創設の理念・榛名荘の
未来、そして榛名荘創設来八〇年近
くの歴史について物語れる工夫を出
来ないものかとも、
考えてきました。
この説明に、榛名荘・新生会内の
桜や、周辺に育つ楢・櫟などの落葉
︵一般財団法人榛名荘
理事長 齋藤 直躬︶
に爛漫と咲き乱れる桜の花、その苗
奨励者齋藤理事長
木は誰が植えたのですか﹂とお聞き
ます。
本日は榛名荘・新生会の樹木・水
の歴史についてお話させていただき
せて頂くことに感謝申し上げます。
て、私が奨励者としてこの場に立た
奨
励
本日はバルナバ原正男先生、ルツ
原ツヤ先生の逝去記念礼拝におい
第38巻 秋 号 ⑷
新 生
2015年(平成27年)10月20日
第38巻 秋 号
自分らしく生きるために、支援を活
用するのが﹁自律﹂です。自律生活
﹁公開教養講座﹂開催②
生を講師に
奈倉道隆先
医師である
介護福祉
士・老年科
りません。介護者と利用者との関係
境を自分の意志で活用しなければな
周囲の状態のことです。次に社会環
度など、その人の生活に欠かせない
友人、人間関係、介護者、医療、制
境を言い、建物、用具、衣服、食事、
のためには社会環境の整備が必要で
お 迎 え し、
を 介 護 関 係 と 呼 び ま す が、﹁ 介 護 を
ました。以下、講演パンフレットよ
﹁公開教養講座﹂開催①
八月二〇日
提供する人・利用する人﹂という介
り一部をご紹介します。
社会福祉
法人十字の
︵木︶に﹃老
護関係から自律は生まれます。これ
え ず、 精 一 杯 工 夫 し て し ま う の で、
それぞれの場で重宝に用いられてい
るようです。人それぞれに人生とい
う﹁道﹂を歩いていますが、振り返
るとそこには一筋の道が見えます。
♪わが行く道/いついかに/
理事長を講
なるべきかは/つゆ知らねど/
師としてお
主はみこころ/なしたまわん/
迎えし、九
そなえたもう/主の道を/
月一〇日︵木︶に﹃福祉の道四〇年
踏みて行かん/ひとすじに♪
∼ こ の 道 よ り 我 を 生 か す 道 な し ∼﹄
︵讃美歌四九四番︶
と題する﹁公開教養講座﹂が行われ
私にとって﹁この道より我を生か
す道なし﹂だったのでしょう。私の
のです。自律をめざす介護から、利
り返ってみればあれから四〇年、
多く
の時に十字の園に就職しました。振
大学を卒業してから五年働いた楽
器会社を辞して、一九七五年、二七歳
っています。創立時にキリスト教精
文化である﹂の言葉が今でも心に残
いつかは覚えていませんが原慶子
理 事 長 の 講 演 を お 聞 き し、﹁ 福 祉 は
道はまだまだ続きそうです。これか
用者には﹁生きがい﹂が生まれ、介
の素晴らしい先輩に出会い育てられ
す。社会環境とは、人間が作った環
いの超越と望みの見取り﹄と題する
に対し﹁介護する人・される人﹂と
園の平井章
以下講演の内容を一部抜粋して記し
﹁ 公 開 教 養 講 座 ﹂ が 行 わ れ ま し た。
人間とは﹁どういう生き方をする
かということを自分で決める﹂もの
護者には﹁やりがい﹂が生まれます。
が 衰 え る と、 理 解 さ れ に く く な り、
力はよく保たれます。しかし表現力
構えを両面からお話くださいまし
提供する人と介護を利用する人の心
いただきました。奈倉先生は介護を
この講演は居住者、職員、ボラン
ティア学生等たくさんの方々に聴講
会 の 会 長、他 団 体 の 理 事・評 議 員・
体の総幹事︵事務局︶、静岡県給食協
本キリスト教社会事業同盟という団
さんを親同士で二〇年経営したり日
A会長をしたり、
障害者の働くパン屋
私的には、次女が知的に障害があ
り、その関係で特別支援学校のPT
ます。
ちました。その伝統は今も続いてい
って、仕事の最初に礼拝の時間を持
﹁伝道と奉仕の団体十字の園﹂と言
法人の話を耳にします。ハニ姉妹は
らも﹁この道を行く﹂ことでしょう。
です。年をとると生きたいという気
心身の健康は向上し、人間関係もよ
神で社会事業が始められても継承さ
人に敬遠されて苦しみます。そこで
た。 こ れ か ら 介 護 の 職 を 目 指 す 人、
同じキリスト教精神に基づいて歩
んでこられた平井先生のお話に、共
いました。
感し、使命感を改たにした時間とな
れないでキリスト教の旗印を捨てた
忘れてはならないのは意思表示をし
現在介護を提供している人、また今
幹事なども担うようになっています。
言う関係では、自律は生まれにくい
持ちが高まり、生きることの意味が
て福祉の道を歩むことができました。
ているということです。そしてうま
後介護を受ける人と、それぞれの立
記憶や見識が衰えても、感性や洞察
く自分で表現できない本人の意志を
場で思いを巡らせる良い機会となり
聞き、汲み取る必要があります。
思いながらも、頼まれるとイヤと言
りました。平井先生ありがとうござ
した。
ました。ご講演ありがとうございま
違い、
自分の意志で生きることです。
介護福祉の目標は自律生活の支援
を す る こ と で す。﹁ 自 律 ﹂ は 自 立 と
自分の﹁器﹂を考えると、今の自
分の存在が不思議です。分不相応と
ます。
平井章先生
くなります。
奈倉道隆先生
見えてきます。
精神は一生涯発達し、
新 生
⑸ 2015年(平成27年)10月20日
ファミリーサマーキャンプ
記念すべき一〇回目のファミリー
サマーキャンプが、七月三一日、八
月一日の二日間で行われました。
初日は開会式を終えるとすぐに体
育館に移動します。グループに分か
れ て レ ク リ エ ー シ ョ ン の 開 始 で す。
ジャンケンリレーにドッヂボールな
ど大人も子どもも汗を流して大盛り
いました。
ルト写真た
てなど創作
計画的に進めています誠の園修繕
工事。今期は四階の防水工事と三階
ールにて、織田修
さる八月一七
日、桜が丘芸術ホ
バリトンコンサート
のデイルームのダウンライト器具入
誠の園改修工事
れぞれ選ん
一さんと田中悠一
活動を行い
だプログラ
れ替え工事を八月に実施しました。
ました。そ
ムに集中し
﹁プロのバリトン歌手が歌いにく
る。ピアニストも男性らしい!﹂と
独唱会が開催されました。
郞 さ ん︵ ピ ア ノ ︶
取り組んで
によるバリトンの
全面張り替えを行いました。
なく、今回は大規模に防水シートの
ここ数年で漏水が目立ち、補修を
繰り返していましたがあまり効果が
選択プログラムを終えると、アト
ラクションへ突入です。すべてのゲ
遊びに向け
ワーに。水
ちは、お昼のカレーを食べてフルパ
こちで列
め、あち
握 り し
カードを
ポイント
と夏を満喫し、イベント盛りだくさ
てもらいました。食後はヤギと遊ん
だり、トラクターに乗せてもらった
りと最後の最後まで、楽しそうな笑
顔あふれる二日間となりました。来
年もお楽しみに♪
たくさん景品もらえたかな?
上がりです。疲れ知らずの子どもた
準備万端で
ができて
一 八 年 が 経 過 し た 桜 が 丘 で す が、
居住者の皆様が安心して過ごせるよ
奏会をすると、必ず聞きに来て下さ
身の演奏会。かつて高崎や富岡で演
ことができました。
うに、今後も計画的に修繕を行って
る女性がいて、きけば新生会にお住
がとうございました。
と届いたことでしょう。本当にあり
が大好きだったという彼女にもきっ
奏に皆様ご満悦。名曲﹁夏の思い出﹂
響きと男性ピアニストの迫力ある演
なりました。バリトンの深く豊かな
今回は、山田耕筰や、中田喜直の
作品から季節感あふれるステージと
ったのが始まりのようです。
とジョージが丘での演奏をして下さ
まいとのこと。それなら伺いますよ
いく予定です。
さんですが、新生会とのご縁はご自
台風前の大雨にも関わらず、駆けつ
す。連日の
い ま し
けた聴衆でホールはみるみる満席に。
猛暑も手伝
た。スイ
デイルームについても器具の劣化
ー ム の 合 計 点 で 景 品 が 変 わ る た め、
により照明が点灯しない箇所が目立
い、気温が
カ割りに
っておりましたが、LED器具へと
高く、冷た
毎年春に訪れる﹁安中市少年少女
合唱団﹂のご指導でおなじみの織田
い水が気持
花火大会
うのも束の間、すぐにびしょぬれに
んな一日目が終わりました。
ルなら大丈夫だと思いましたがそれ
は大きな間違いでした。
午後か
らはピカ
ピカどろ
だんご作
りやフェ
二日目は自然探しビンゴやオレン
チェクラブでうどん作り体験をさせ
⋮。カナヅチの私でもビニールプー
暑さを吹き飛ばせ!
大人気ぐんまちゃん写真たて
全面変更し、快適な住環境を整える
ちいいと思
光らせるのに真剣
第38巻 秋 号 ⑹
新 生
2015年(平成27年)10月20日
新生の園
介護付有料老人ホーム
迫真の演技に驚嘆、拍手喝采。居住
者のみなさんは、普段見られない職
が美味しいブドウとリンゴをゲット
マリヤ館
しました。今年の夏は雨ばかりで気
健康型有料老人ホーム
四〇年になりました
梅香ハイツは二一世紀における老
人福祉の対応として、原正男名誉理
持 ち ま で 沈 み が ち な 日 々 で し た が、
事長が将来日本にも年金による自己
快晴の秋空の下のバスハイクは身も
秋のバスハイク
シルバーウィークの最終日に沼田
へブドウ&リンゴ狩りに行って来ま
完結型のホームが必要になるとの想
員の一面が見られたと大変喜んでい
続いては、同志社女子大学の学生
さん達によるトーンチャイムと合唱
いでスタートした施設です。
党の親分に手込めにされそうになる
連れ去られた弥吉の娘・おタネ。悪
こ と で 悪 党 に 殺 さ れ て し ま う 弥 吉。
まずは職員による時代劇。今年の
演 目 は﹁ 座 頭 市 ﹂。 市 を か く ま っ た
かな午後のひとときを届けてくれた
に晴れたこの日。フレッシュで爽や
下さいました。雨が続き、久しぶり
﹁上を向いて歩こう﹂などを歌って
住者の隣で寄り添いながら﹁たきび﹂
色に癒やされました。合唱では、居
の形になりました。
一 〇 年 後 に 二・三 号 館 が 完 成 し 現 在
七 月 に マ リ ヤ 一 号 館 が 完 成、 そ の
タートしました。翌年の昭和五一年
バルナバ館が完成し梅香ハイツがス
﹁世話をかけず煩わしい監督なし
に﹂の精神を基とし、昭和五十年に
車内は溢れるようなお土産に囲まれ
べて買って歩いてきました。帰りの
うに、おもいっきり太陽を浴びて食
んです。憂鬱な日々を吹き飛ばすよ
そうなんです。ハイツの皆様は行
きと帰りでは手荷物の量が全然違う
した。長雨の影響が心配されました
のコンサート。トーンチャイムで﹁ふ
おタネ。
そこに現れるのが座頭の市。
同志社女子大学のみなさん、ありが
リヤ館に携わって下さいました全て
の皆様に感謝申し上げます。そして
これからも宜しくお願い致します。
◀真っ赤でしょ
▶最後でしたが
美味です
がりました。
︵カズlove ︶
産を積む車が欲しいねという声が上
足の踏み場がなくなりそうで、お土
心も懐まで軽くなります。
親 分、 手 下、 用 心 棒 を 次 々 と 倒 す。
を﹂などを演奏して頂き、美しい音
無事、おタネを助け出し、一件落着。
一緒に歌ってくれました
に﹁やくざな自分と一緒に居たんじ
来年も楽しんで頂ける敬老祝会を
ゃ幸せになれねえよ﹂
と立ち去る市。
行いたいと思います。 ︵吉田 渉︶
儚くも美しいエンディング。職員の
市 一騎打ち
これまでご利用下さいました三百
余名の方々を始め、四十年もの間マ
とうございました。
らっしゃいました。
るさと﹂や﹁見上げてごらん夜の星
慶子理事長のご挨拶
井殿様の乾杯ご発声
一緒に連れて行ってとせがむおタネ
た。今年も豪華二本立て。
敬老祝会
毎年恒例となったジョージが丘敬
老祝会が九月一一日に行われまし
第38巻 秋 号
新 生
⑺ 2015年(平成27年)10月20日
穏和の園・桜の園
介護付有料老人ホーム
誕生唱歌の会
﹁ ハ ッ ピ バ ー ス デ ー ト ゥ ー ユ ー﹂
毎月恒例&参加率ナンバー1の誕生
した。
軽費老人ホーム
バルナバ館
秋の歌を中心に皆さんの歌声が綺
麗に響く中、誕生日と百寿を一緒に
夏便り その一
お 祝 い さ せ て い た だ く こ と が で き、
夏はボランティアの季節です。
梅香ハイツでは平成一六年・一七
年の長期社会体験研修で研修された
嬉しく思います。改めまして心より
っかりとしたワークをしてくださる
お二人に感謝。このご縁を大切にし
ていきたいと願っています。
をさせてしまった方がいらっしゃる
今回の誕生唱歌の会では、席がい
っぱいになってしまい、窮屈な思い
ますが、その謙虚さと志の高さに頭
お二人とも小学校の教員をされてい
ン テ ィ ア に 来 て く だ さ っ て い ま す。
を機に一〇年にわたり継続してボラ
など時勢を反映したものが多くあり
た。短冊には﹁世界平和﹂への願い
ともに豊かな時が流れていきまし
での業、楽しみつつ少しの緊迫感と
上げていきます。限られた時間の中
手作業の中、心をこめて作品を作り
お祝い申し上げます。
今回もたくさんの方が参加して下
さり、おかげさまで満員御礼。少し
かもしれません。この反省を生かし、
が下がる思いです。いまさらながら
ま し た。 そ し て こ ん な 言 葉 も。
﹁今
唱歌の会。
窮屈な思いをさせてしまっているの
次回は場所を変えまして、二階芸術
更に星に願いをかくるかと青き短冊
夏便り その二
今年もまた恒例の有志による七夕
飾り作りを行いました。一つ一つの
で は な い か と 心 配 に な り ま し た が、
ホールにて行いますので、お間違え
した。
に感想を一言聞かせていただきま
書きなずみゐる﹂それぞれの思いが
なんと!今回六名の誕生者の中に
は一〇〇歳を迎えた方もいらっしゃ
叶いますように!
︵行雲流水︶
世話になる
新生会にお
文江さんがそれ
皆さんの楽しそうにされている姿が
松村さん
百歳おめでとうございます !!
松村択応さんと宮
見えてほっとしました。
のないように足を運んでくださいね。
﹁そろそろ
︵坂本恵︶
もステキなひとときでした。
おいしいお菓子と懐かしい歌の
数々。皆さんの笑顔に囲まれ、とて
り、また、一一二歳の方︵一〇月で
いつもステキなご夫妻です
一一三歳になります︶もお祝いに参
加され、よりにぎやかな会になりま
年になって
さん
しまいまし
た。﹂
宮
﹁毎年居住
者の方とお
会いできる
のを楽しみ
にしていま
す。皆さんの感謝を忘れない姿勢を
みて私自身もそういう人でありたい
猛暑の中、さりげなく、そしてし
と思っています。﹂
七夕飾り、完成です!
第38巻 秋 号 ⑻
新 生
2015年(平成27年)10月20日
榛名春光園
軽費老人ホームA型
楽しいひととき
夏といえば夏祭り、
今年も恒例
﹃榛
名春光園夏祭り﹄が八月五日に行わ
れました。
賑やかな飾り付け。所狭しと並ん
だバイキング料理。さあ、始めまし
ょう!生ビールで乾杯です。
春光園ならでは。調理スタッフもご
今年も、楽しく踊れました !!
キレイに盛り付けられたお料理が
﹁ あ っ﹂ と い う 間 に な く な る の も、
満悦♡
そして夏祭りをさらに盛り上げて
くださるのは、玉川聖学院ボランテ
│今年で三五回目の来園。何と先
ィアワークの先生と生徒さん。
生は生徒の時にボランティアに来て
下さっているのです│
生徒さんの歌声は毎年の楽しみで
一緒に歌う懐かしのメロディーは心
を穏やかに、そして、優しい気持ち
にさせてくれるそうです。
祭りのしめは皆で踊る盆踊り。ワ
ーク中に時間を惜しんで練習した成
果はどうだったでしょうか?
輪に参加する方、その場で踊る方、
参加者の多い今年は特に賑やかでし
た。そして生徒さんの浴衣姿につら
れてなのでしょうか、若さと活気が
あふれていました。
最後の曲が終わっても笑顔と笑い
声がその場を包んでいました。猛暑
をも吹き飛ばす夏祭り、今年も大盛
季節はあっという間に流れ⋮秋の
バスハイキングでは、榛東村のぶど
ち上げて頂こうとすると﹁重くて持
の大きさ。記念写真を撮るために持
養護老人ホーム
サマフェス&ぶどう狩り
今年のテーマは﹁熱き魂∼ジョー
ジ が 丘 夏 の 陣 ∼﹂。 オ ー プ ニ ン グ を
てないよ!﹂と言われてしまいまし
飾ったのは、本物の御輿!法被を着
た。せっかくなので、二種類を食べ
う園へ。どれが一番甘いかな∼と真
た男性職員が力強く担ぐ姿に﹁わっ
恵
泉
園
しょい!わっしょい!﹂と皆さんの
くらべ。大粒で甘酸っぱい巨峰の方
各施設の代表が参加し、熱唱バトル
がら、次はカラオケのど自慢大会♪
焼き鳥・焼きそば・もつ煮にかき
氷など、お好きなつまみを頬張りな
えがあり、満足して頂けたようです。
賞を頂いた代物とか。どれも食べ応
はず、今年の品評会で金賞・県知事
に入りのようでしたが、それもその
が食べ慣れていることもあってお気
剣に選んだぶどうは、なんと顔以上
掛け声も大きくなります。
わっしょい!
が繰り広げられました。そして、日
も暮れた頃開催されたのが、職員に
よる初っ切りパフォーマンス。手作
り懸賞幕に氷の塩をまいて雰囲気は
バッチリ!少し照れながらもコミカ
ルな演技をやりきったお相撲さんに
皆さん大喜び。暑さを吹き飛ばす熱
い祭となりました。
こんなに大きいよ!
盆踊りで、みんなリハビリ
況でした。
︵やあだ︶
う∼ん、甘い♪
第38巻 秋 号
新 生
⑼ 2015年(平成27年)10月20日
榛名憩の園
特別養護老人ホーム
とNさんが必死です。なかなか貴重
な表情をみることができました。ス
ーパーボールすくいではSさんが大
活躍。お椀から溢れるほど取ってい
ます。真剣な表情がとてもかわいら
特別養護老人ホーム
誠
の
園
﹃見上げてごらん頭上の梨を﹄
ふなっしーが起こした梨ブームよ
りもずっと以前から、榛名の梨は日
﹃トワにライトを照らす夏祭り﹄
七月も下旬となれば夏真っ盛り!
桜が丘では毎年恒例の伝統行事とな
ったトワイライトフェスタが盛大に
にスイカ割り。
どれも涼しげです。
皆
マトにかき氷、
ノンアルコールビール
ません。時間はあっという間に過ぎ
が割れた時の盛り上がりは忘れられ
と戦います。パンパンパン。スイカ
そして、メインイベントのスイカ
割り。皆さんの力を合わせてスイカ
そ う だ な ぁ﹂﹁ こ っ ち の 梨 の 方 が で
ど き を 受 け、﹁ あ そ こ の 梨 が う ん ま
です。もぎ方から優しく丁寧に手ほ
された梨園は車いすでもへっちゃら
世紀が食べ頃でした。きれいに整地
今回お邪魔した時期は、まさに二〇
は お 馴 染 み の﹁ 悴 田 農 園 ﹂ さ ん へ。
今回は自家製うちわが手土産という
交い、素敵な夏の一夜となりました。
めは花火大会。皆さんの歓声が飛び
は最高潮!そしてもちろん祭りの締
一緒に盛り上がり、夏祭りの雰囲気
び、カラオケや盆踊りでは皆さんと
き鳥やたい焼き、かき氷の屋台が並
勇ましい声が響き渡り、御神輿が
登場すると会場は熱気ムンムン!焼
行われました。
様に楽しんでいただこうと職員も力
て一人一人が太鼓をたたいて夏祭り
っけえなぁ﹂と、皆さん上手に梨狩
本一。ということで、恒例の梨狩り
が入ります。Sケアワーカーの和太
は閉幕です。少しではありますが夏
しいですね。
鼓を合図に、
いよいよ始まりました。
を感じられ、たくさんの思い出がで
小粋な計らいもありました。
ていただく為に用意したのは、
流しト
まずはOさん。
ビールを片手に
﹁ハ
イ、 チ ー ズ ﹂。 と て も 素 敵 な 笑 顔 を
りができました。
いただきました。後ろを振り向くと
これからも桜が丘にはトワにライ
トがいつまでもいつまでも照らし続
Mさんが、かき氷をパクパク。見て
その後はお待ちかねの試食タイ
︵おとみさん︶
ム。色々な種類の梨を食べ比べ、梨
けることでしょう。
︵長坂︶
いるだけで頭がキーンとなりそうで
汁ぶっしゃ∼。最後はどの種類の梨
味しいから堅い話はなしにしよう
梨好き御一行様
⋮。
︵小野沢︶
﹁これにすんべぇ﹂
楽しい夏祭りとなりました
す。少し遠くに目をやると、水とと
乾杯∼!
見事なバチさばき
なのか⋮。もうわからないけど、美
仲良くピース♡
もに勢いよく転がるトマトを取ろう
きた二〇一五年の夏でした。
を開催しました。皆さんに夏を感じ
﹁夏の思い出﹂
セミの声が鳴き響く、八月八日土
曜日の昼下がり。毎年恒例の夏祭り
第38巻 秋 号 ⑽
新 生
2015年(平成27年)10月20日
エンジェルホーム
特別養護老人ホーム
楽しい
時間はあ
ぎ、最後
ある居住者の方は、お皿に山盛りの
食べ物は、枝豆、ラムネ、スイカに
かき氷と、
夏らしい食べ物を用意し、
と、何とも言えない達成感と一体感
ると、みんなヘロヘロになってきて
踊り続けます。一〇分近く踊り続け
参加いただき、みんなで円を作って
大好物のコーラとラーメン‼
HALC自然学校
はるな自然体験クラブの﹁お出か
け自然体験﹂は、七月二一日に神津
牧場と軽井沢へ出かけました。避暑
目的でもありましたが、軽井沢は平
日にもかかわらず大勢の人出でした
ので、暑苦しく感じた方々もおられ
実 施 と し、
回数を増や
しました。
今夏のフ
ァミリーサ
マーキャン
プでは、自
然 学 校 は、
を山々に囲
した。周囲
へ出かけま
条の野反湖
して、中之
八月一八日、避暑のやり直し企画と
ンチェクラブ︵主宰清水評議員︶へ
自然観察ビンゴをしながら榛名オレ
然 観 察 ゲ ー ム を、 そ し て、 翌 朝 は、
の森の夜の自然観察と桜公園での自
︵ 金 ︶ 第 一 部 が 解 散 し た 後、 マ リ ア
た ち も 参 加 し ま し た。 七 月 三 一 日
ラムを担当し、神愛エコクラブの子
宿泊プログ
まれた、標
た こ と で し ょ う︵ 反 省 ︶。 そ こ で、
湯ノ湖にて
っという
ついに来ました!納涼祭
エンジェルホームでは、
毎年八月、
ご家族をお迎えしての納涼祭を行っ
の出し物
間 に 過
ております。今年は、
八月二二日に、
踊り。今
は、毎年
年は八木
恒例の盆
ご家族も四〇名近くご参加くださ
り、居住者、職員と合わせると、総
盛大に行いました。
勢百名近い人数が集まりました。
枝豆を三皿も召し上がりました!
が生まれて、とても良い顔になって
節と炭坑節です。これもご家族にご
余興は、ご家族と職員対抗のフラ
フープくぐりと、職員による二人羽
いました!
きますが、曲が終わり、踊り終える
織。二人羽織ではかき氷の載ったト
メートルの
高一五一三
楽しみました。
移動して、うどん作り体験と昼食を
湖 周 辺 は、
とても涼しく、快適な時を過ごしま
した。車椅子用に整備された小道が
◀うどん作り体験
レーをひっくり返してしまうアクシ
また来年もみんなで元気に集まれ
るように、毎日を大切に過ごしてい
きたいと改めて思いました。
あり、眺めのよい湖畔への散策を楽
しむこともできました。
九月一五日、片品村を通っての山
越えで、初秋の湯の湖へ。昼食後は、
男体山を眺められる湖畔で散策、そ
して戦場ヶ原を経て、中禅寺湖に至
る バ ス ツ ア ー と な り ま し た。 な お、
﹁お散歩自然観察会﹂は、九月から、
月三回︵午前の部はお散歩中心、午
後の部は施設周辺での自然観察︶の
自然観察ビンゴ▶
デントもありながら、サブチーフケ
アワーカーは、夜勤のたびに二個ず
つ平らげるほどの好物のカップラー
︵ラファエル︶
野反湖にて
‼
メンをあっという間に見事完食。
なかなか難しい
最後は盆踊り♪
第38巻 秋 号
新 生
⑾ 2015年(平成27年)10月20日
心泉の家
ボランティア研修宿泊施設
ある。参加している学生たちは、福
く金沢大会は終了してしまいまし
が二度出塁するに留まり、あっけな
連続。終わってみれば四死球の走者
その日の慰労会は、来年の全国大
会開催地﹁広島﹂を目指して一から
た。
祉専門職として他者の役に立つため
︱職員の広場︱
に学んでいるのだが、居住者の大き
な包容力にすっかり魅了され癒され
てしまったというのである。まった
力は最高だよね﹂
ということになる。
に換言すると﹁お年寄りの人を癒す
が、その間もなんともいえない温も
なり暫く訪れるチャンスはなかった
ねたのは大学一年のとき。社会人に
めて新生会をボランティアとして訪
斯く言う私も、新生会の癒し力に
魅了されているのかもしれない。初
目︶しました。
ック代表として出場︵三年連続八度
会福祉軟式野球全国大会に関東ブロ
九月三〇日から一〇月一日石川県
金沢市で開催された第三三回全国社
をあげられるよう皆で力を合わせて
感じています。来年は、広島で祝杯
ださる方からのご声援をありがたく
が、その度に野球部に心を寄せてく
く立場が逆である。
毎夏、大学で福祉を学ぶゼミ学生
と新生会を訪ねることが恒例となっ
りが忘れられなかった。そして様々
結果は、中国ブロック代表の広島
養護に〇対七で完敗。毎回得点を重
のスタートを誓う会となりました。
ている。本ゼミのテーマは﹁老いと
な縁を辿り再び学生と一緒にこの地
ねられて序々に離される展開で、緩
新 生 会 野 球 部
全 国 大 会 出 場
死を学ぶ﹂である。新生会での合宿
に立っている。今年も新生会に学び
新郎
神戸裕行さん
新婦
︵旧姓
上原︶沙弓さん
︵穏和の園︶
しくお願い致します。
頑張りますので今後共ご声援の程宜
おかげさまで昨年に引き続き全国
大会に出場させていただきました
では、居住者の方へのインタビュー
と、そして癒しを求めて⋮感謝⋮
ち崩す糸口さえ掴めないまま凡打の
を通して、自分の家族以外の高齢者
林 和歌子
の方の人生を学ぶ。私たちの生まれ
てこれからの人生をどう過ごしてい
こうと思っているのか、ありのまま
の姿を理解することを目的にしてい
る。失礼のないように話しを聞くに
はどうすればいいのか、学生たちは
おっかなびっくりでインタビューに
臨む。
文 頭 の﹁ 癒 し 力 っ て や ば い ﹂ は、
そんなインタビューをお受けくださ
り一時間じっくり話をきかせてくだ
さった居住者の方に、翌日もお会い
し、気軽に声をかけてくださったこ
とに感激した学生から漏れた言葉で
カップル紹介
どのように過ごしていたのか、そし
急織り交ぜる制球の良い好投手を打
新生会旗を囲んで
城西国際大学福祉総合学部准教授
林ゼミ見参
る前の時代を人々は何を考えながら
した一言だ。念のために正確な表現
した学生が、帰りの電車の中でこぼ
﹁新生会の癒し力﹂
﹁お年寄りの癒し力ってやばいよ
ね﹂今年の八月に新生会におじゃま
第38巻 秋 号 ⑿
新 生
2015年(平成27年)10月20日
創 立 五 八 周 年
記 念 式 典・ 祝 会
去る七月三〇日にホテルメトロポ
リタン高崎にて新生会創立五八周年
記念式典並びに祝賀会が多数の来賓
彰を行っています。今年の永年勤続
者は勤続五年が一三名、勤続一〇年
が一〇名、勤続一五年が七名、勤続
二 〇 年 が 六 名、 勤 続 二 五 年 が 一 名、
勤続三五年が二名、総勢三九名が原
理事長より賞状と記念品の授与が行
われました。
田 ん ぼ に、 根 っ こ に、 育 て る
子と書いて、田根育子。まさに、
草花を育てるために生まれて来
た よ う な こ の 名 前 の 持 ち 主 が、
榛 名 憩 の 園 の 園 芸 療 法 士、 荻 野
育子、旧姓田根育子さんである。
二 〇 代 か ら 三 〇 代 の 頃 は、 植
田根育子さん
の方々にご出席を賜わり、共にお祝
受賞者を代表して法人本部に勤務
している勤続二〇年の高瀬京子さん
らこれまでのご苦労や喜び、感謝を
が謝辞を述べました。就任されてか
述べられ、新生会の一員として、気
いをしました。
新生会ではこの記念式典におい
て、職員︵短時間勤務者を含む︶の
受賞者と記念撮影
永年に亘る勤続を称え、永年勤続表
持ちを新たに一層の努力をしてまい
りたいと締め括られました。
そ れ か ら 五 年、 園 芸 療 法 士 も
板 に つ き、 独 身 の ま ま 榛 名 の 地
に 骨 を 埋 め る べ く、 高 原 邑 に 自
宅 ま で 購 入 し た 矢 先、 合 コ ン で
知 り 合 っ た 男 性 と、 出 会 っ て か
らわずか五か月で入籍。さらに、
そ の 四 か 月 後 に は 妊 娠 が 発 覚 し、
入 籍 か ら ち ょ う ど 一 年 後、 四 四
歳 に し て 出 産。 四 〇 代 半 ば で の
初 産 に 不 安 も あ っ た が、 無 事 に
元 気 な 女 の 子 を 出 産 し、 子 ど も
が 一 歳 を 迎 え、 保 育 園 に 入 園 し
たのを機に、職場復帰となる。
四〇歳を過ぎてからの電撃的
な結婚と出産に、一躍﹃独女の星﹄
となった田根さんだが、﹁居住者
の笑顔を見るのが一番のやりが
い ﹂ と 言 う 田 根 さ ん が、 園 芸 療
法 士 と し て さ ら な る 経 験 を 積 み、
次は、﹃園芸療法士の星﹄となる
ことを期待してやまない。
・井上 友蘭
(いのうえ ゆら)ちゃん
8月 25 日生まれ
(誠の園
井上和也さん第1子)
もうひとりの私
・野口 虹斗
(のぐち ななと)くん
8月1日生まれ
(エンジェルホーム
野口信一ラファエルさん第2子)
榛名憩の園 園芸療法士
・水多 凰介
(みずた おうすけ)くん
5月 15 日生まれ
(エンジェルホーム
水多征典さん第2子)
表彰された職員の方々の凛とした
立ち姿がとても印象の残る記念式典
「誕生日誌」
となりました。
カップル紹介
物 と 触 れ 合 い つ つ、 種 苗 会 社 な
ど様々な会社を渡り歩く中で園
芸療法と出会い、今から八年前、
前 任 の 関 口 園 芸 療 法 士 の 紹 介 で、
三 八 歳 の と き に、 榛 名 憩 の 園 の
園芸療法士として新生会に就職。
新郎 内山貴雄さん
新婦 (旧姓 伊藤)里紗さん(誠の園)
第38巻 秋 号
新 生
⒀ 2015年(平成27年)10月20日
第38巻 秋 号 ⒁
マリヤ館
の聖書から生きる道標を得る
事ができ、養父母への恩返し
は﹁世の為人の為につくすこ
と﹂と心に刻みその後の人生
ふれあいを求めて
エフディジョン
福田美紀子さん
た。小学校に上がる前に股関節カリ
を予感させる話に引き込まれまし
何やら波乱
第一声から
し た ﹂ と、
惑をかけま
には随分迷
気がちで親
﹁子ども
の頃から病
などをされていましたが、体調が思
ちの為に学校を建てたり学費の援助
遣したり、海外の恵まれない子供た
として東北地方の過疎地に医師を派
群羊会福音診療所﹂を開設。事務長
四八年に埼玉県北本市に﹁医療法人
合 い の 医 師 達 と 立 ち 上 が り、 昭 和
療過疎の問題が社会化する中で知り
人太平洋放送協会に就職。その後医
昭和三四年に﹁世の光﹂という伝
道放送を全国に発信していた財団法
して勤務されていた。出会いの不思
の園で若きケアワーカーのホープと
田さんは三五年前、新生会・榛名憩
いるかもしれない。何を隠そう、福
というと何のことと疑問に思う方も
届 く。 そ の 笑 顔 は 昔 と 変 わ ら な い、
ャー福田美紀子さんの素敵な笑顔も
さん。美味しいパンと共にマネージ
ディジョン
有名なエフ
石窯パンで
れ る の は、
を学んだが、その後の看護の道や現
新生会では、親身になってお世話
する介護や心で接することの大切さ
があるという。
上げたパンを届けたい﹂そんな願い
足を運べない方にもその日の朝焼き
め 病 院 や 老 人 ホ ー ム 等 巡 る。﹁ 店 に
エフディジョンでは移動販売をはじ
めた。紆余曲折もあったが、現在の
てて、共に会社を立ち上げるべく努
人と共に看護師の道をあっさりと捨
その後、二九歳で結婚。脱サラを
してパン屋を起業したいというご主
ハードなものだったに違いない。
エスを発症し一年入学が遅れ、旧制
わしくなく退職され平成一四年にマ
前田 耕作さん
︵八三歳︶
中学校受験を目前に担任教師から
週に二回
新生会を訪
﹁お前は受験できない﹂と言われ先
をして苦労をかけてもその関係性は
が長子として遇され、どんなに病気
に預けられ、妹や弟ができても自分
になる前に亡くなり前橋市の養父母
そしてその頃ご自身の身の上を知
る事になりました。産みの親は一歳
学校に入学しました。
しかし翌年受験でき無事前橋商業中
う 時 代 が そ う さ せ た と 諦 め ま し た。
な肢体不自由児は進学させないとい
を切に願っています。
し車で散歩される姿が見られること
今はまだ体調が万全ではありませ
んが、また麦わら帽子をかぶり手押
のライフワークになっています。
で今も続いており、前田さんの生涯
まれない子ども達への援助という形
や兄弟への感謝の思いは、海外の恵
もない乳飲み子を育ててくれた父母
口調で話されましたが、縁もゆかり
いにより今が有ります﹂と穏やかな
﹁養父母の存在や自分の体が特別
に弱かった事、キリスト教との出会
した。働きながら学ぶ日々はかなり
護学校に入学、看護師の資格を取得
激され、三年後高崎市立医師会の看
働きながら看護学校に通う先輩に刺
大学卒業後は老人福祉に携わりた
いと考え、新生会に就職した。当時
に色々なことを感じたのだという。
の時付き添うことがあり、子供なり
の頃、親類に車椅子の子がいて通学
ん。福祉に関心をもったのは小学生
新島学園高校を経て淑徳短期大
学・社会福祉学部を専攻した福田さ
縁を大切にしていきたいと思う。
活躍にエールを送り、今後もこのご
させる素敵な人になった。今後のご
歳を重ねて人間としての深みを感じ
福 田 さ ん も か っ こ よ か っ た が、 今、
の本の一節﹁謙虚にして驕らずそし
座右の銘をお聞きした。人生の壁
にぶつかった時よく読んだ稲盛和夫
てさらに努力を⋮﹂だ。三五年前の
と仰る。嬉しいお話である。
分があることの原点になっている﹂
お り、
﹁ 新 生 会 で の 学 び は、 今 の 自
変わる事はありませんでした。また
生を恨んだが、戦争に行けないよう
在の仕事においても大きく役立って
を歩まれました。
和
議、ご縁の深さを感じる。
の
リヤ館に入居されました。
ひと
家にはなぜか聖書や賛美歌がありそ
新 生
2015年(平成27年)10月20日
第38巻 秋 号
新 生
⒂ 2015年(平成27年)10月20日
母の押し花展
吉澤 守
汐子
さこ
のの
てるか
せい
誠の園
ケアサービス課課長
梅香ギャラリー
国安俊夫さん
句
歌
を思ひ出しをり
おお
歌誌潮音青を湛へし表紙なり小樽の海
骨三郎氏
こつ
正木みち先生憶ふ父君は唱歌選定の乙
おも
でリズム取り居り
小学唱歌思ひ出すとも声出でず頭の中
咲けり初秋となる
こぼれたる種の芽生へて蔓のばし朝顔
より多し
朝顔
山田 藤市
競ひ咲く朝顔今朝は白五つ紫八つ唱歌
短
新生会に就職して一九年目にな
﹁大事な人﹂と考え、その人のこと
ります。誠の園の歴史とともに介
を常に気づき・心配し・考え︵思い︶
・
護 職 と し て 歩 ん で ま い り ま し た。
行動することを心がけ、今の時間
入職当初を振り返れば、
介護の﹁か﹂
を共に生きていくことです。
︵何か
の字も解らず、右も左も何ひとつ
また “May I help you?”
お手伝いすることがありますか?︶
知らず夢中で毎日を過ごしていま
の思いで、あなたは一人ではない、
ともに生きていきましょうという
気持ちを大切にしています。人は
一人では生きられない、支え合う
ことです。今、改めて思うことは、
誠 の 園 を﹁ 最 上 の 天 国 の 待 合 室 ﹂
とそれと同時に、﹁第二のふるさと﹂
にすることです。
した。
そのために、常に前向きに、そ
今は徐々に居住者の年齢に近づ
して謙虚に、日々居住者と生きて
いてきて、ようやく居住者の気持
いけたらと思います。思い通りに
ちが僅かながら理解できるように
ならない人生をあるがままに受け
なってきました。ケアについての
入れていければと⋮
私の信条は、居住者を﹁大切な人﹂
俳
(118回)
老衰死テレビに見入る夜長かな たづ子
鍵一つ探す独りの秋の夜
身に沁みる都は遠し日に月に
豪雨去り暮なずむ原虫時雨
ふくよかに挨拶の人秋豊か
燕去り空どこまでも青きかな
ケアに生きる
HALCセンター建設のための特別募金総額
11,836,214円(平成27年9月末日現在)
新生会後援会加入のご案内
○個人会員 年間会費 1口 1,000円以上、
毎年ご寄付してくださる方。
15
13
27
in
所得税等の減免手続きをご希望の方は、ご寄付くださる際
にその旨を申し出てください。社会福祉法人新生会より寄
付金領収書をお送り致します。
ホームページ http://www.sinseikai.org/
E-mail [email protected]
10
40
11
27
郵便局からの振込み 振込口座 00160−6−48594
加入者名 社会福祉法人新生会後援会
銀行からの振込み 群馬銀行室田支店普通預金0075469
名義 新生会後援会会長 中澤宏則
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誌
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寄付方法
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募金の結果や使途につきましては小冊子「感謝録」にて毎年報
告させていただきます。
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○法人会員 年間会費 1口 10,000円以上、
毎年ご寄付してくださる方。
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−新生会後援会便り−
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秋の深まりを感じる季節となりました。
永年にわたり後援会副会長の労をおとりくださっ
た井殿園様が8月にご逝去されましたことご報告申
し上げます。
事務局は、これから平成27年版感謝録の作成準
備に入ります。新生会の働きのために引き続きご支
援を頂けますようお願い申し上げます。
福 祉 専 門 学 校 喀 痰 吸 引 等 研 修︵ 第一号・第二
号︶
︵群馬社会福祉専門学校
2名参加︶
︿9月﹀
1日
平成 年度主任介護支援専門員研修第9回︵県
産業技術センター
1名参加︶
2日 平成 年度主任介護支援専門員研修第 回︵県
産業技術センター
1名参加︶
3日
就職説明会
平成 年度主任介護支援専門員研修第 回︵県
産業技術センター
1名参加︶
憲 法 条に基づく権利としての福祉を守る学
習決起集会︵衆議院第一議員会館
3参加︶
4日
県老施協養護老人ホーム県 内視察研修︵前橋
老人ホーム、明光園
3名参加︶
5日
県 老 施 協 主 催 平 成 年 度 群馬 県 介 護 就 職面 接
会︵J Aビル
1名参加︶
9日∼ 日 見学⋮社会福祉法人九州キリスト教社
会福祉事業団
2名来会
日
公開教養講座
章先生︵社会福祉法人十字の園
講師 平井
理事長︶
演題 ﹁福祉の道 年
この道より我を生かす
道なし﹂
日
IPEP 周 年記 念シンポジウム︵憲政記 念
会館
1名参加︶
日∼ 日
平 成 年 度 福 祉 施設 等 指 導 的職員研 修
︵県社会福祉総合センター1名参加︶
日
行き
H ALC 自 然 学 校 お 出 掛 け 自 然 体 験
先 戦場ヶ原
日
職員採用試験
日∼ 日
事業所内メンタルヘルス推進担当者養
成研修︵千葉県経営者会館1名参加︶
日
中央労働災害防止協会腰痛予防対策講習会︵前
橋テルサ
2名参加︶
日 県 老 施 協 西 毛ブロック〝 知ってる? 介 護の仕
事〟
︵高崎市総合保健センター
4名参加︶
日
睦会旅行
茨城県 大洗アクアワールド那珂湊
ツアー
名参加
県老施協介護研究部会合同ブロック研修会︵県
市町村会館
2名参加︶
日
秋の墓参会
県老協看護研究部会︵県社会福祉総合センタ
ー 1名参加︶
日∼ 日
ピースセミナー 沖 縄2015︵ひめ
ゆり記念資料館、嘉 手納・普天間基地見学 等
4名参加︶
編
集
後
記
﹁政治の役割はふたつあります。一
つは、国民を飢えさせないこと。安全
な食べ物を食べさせること。もう一つ
は、これが最も大事です。絶対に戦争
をしないこと﹂
。
昨年亡くなった元俳優、菅原文太さ
んの言葉である。
ここ数か月、新聞やテレビを賑わし
ていた安保法制が、九月一九日の未明、
とうとう成立した。
安保法制自体の是非は横に置いてお
くとしても、憲法学者の九五パーセン
ト以上、最高裁の元判事までもが違憲
と判断するような法案が通ってしまっ
たことは、異常な事態と言わざるを得
ない。
世の政治家たちが、菅原文太さんの
言う、政治の役割を果たし、数年後、
370
6日
バルナバ原正男・ルツ原ツヤ逝去記念礼拝
第2回理事会並びに評議員会
日
平成 年度主任介護支援専門員研修第5回︵県
市町村会館
1名参加︶
平 成 年度学校法人昌賢学園群馬社会福祉専
門学校喀痰吸引等研修︵第一号・第二号︶
︵群
馬社会福祉専門学校
2名参加︶
日
平成 年度主任介護支援専門員研修第6回︵県
市町村会館
1名参加︶
日
平成 年度主任介護支援専門員研修第7回︵県
市町村会館
1名参加︶
日 平 成 年度第1回雇用管理改善等支援セミナ
ー︵県公社総合ビル
3名参加︶
日
H ALC 自 然 学 校 お 出 掛 け 自 然 体 験
行き
先 野反湖
日
職員採用試験
平 成 年度福祉施設等中堅職員研修ⅡA日程
︵県社会福祉総合センター
1名参加︶
日
平 成 年度福祉施設等中堅職員研修ⅡB日程
︵県社会福祉総合センター
2名参加︶
福祉ハートフルフェア2015︵ヤマダグリン
ドーム前橋
2名参加︶
公開教養講座
講師 奈 倉道隆先生︵介護福祉士・老年 科医
師︶
演題 ﹁老いの超越とののぞみの看取り﹂
日∼ 日
平 成 年 度 学 校 法人昌 賢 学園 群馬 社 会
福 祉 専 門 学 校 喀 痰 吸 引 等 研 修︵ 第一号・第二
号︶
︵群馬社会福祉専門学校
2名参加︶
日
全国軽 費 老人ホーム協 議会関東ブロック平 成
年 度 第1回 総 会︵アルカディア市ヶ谷 1
名参加︶
日
平 成 年 度 人 材 育 成 研 修 会︵ 県 市 町 村 会 館
1名参加︶
平成 年度主任介護支援専門員研修第8回︵県
社会福祉総合センター
1名参加︶
日∼ 日
平 成 年 度 認 知 症 地域 支 援 推 進 員 研 修
︵社会福祉法人浴風会
認知症介護研究・研修
センター
1名参加︶
日
平 成 年度給食従事者研修会︵高崎市総合保
健センター
1名参加︶
日∼ 日
龍 谷大 学 大 学 院見 学研 修 受入
5 名来
会
日 平 成 年度第1回就労推進勉強会∼障害者の
雇用を考える∼
︵高崎市役所
1名参加︶
日∼ 日
平 成 年 度 学 校 法人昌 賢 学園 群馬 社 会
数十年後に、今年、二〇一五年が、戦
争と平和の分岐点の年だった、などと
言われるようなことにならないこと
を、切に願う。
︵吉川幸二郎︶
新 生
第 巻
秋
号
発行日
平成二七年一〇月二〇日
編集兼 社会福祉法人新生会
発行人
原
慶
子
〒 ︱ 群馬県高崎市
中室田町五九八三
電話 〇二七︵三七四︶一五一一
38
3347
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生
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in
10
︿7月﹀
1日
睦会ソフトバレーボール大会
︵公財︶日本電信電話ユーザー協会マルチメデ
ィア研修会︵まちなかふぇ
1名参加︶
2日
アクティビティ・サービス協 議 会 調 査 研 究 事
業 委 員 会︵ Cafe Miyama
高 田 馬 場 マ イ スペ
ース3号館
1名参加︶
平 成 年度福祉施設等中堅職員研修ⅡA日程
︵県社会福祉総合センター
1名参加︶
3日
平 成 年度福祉施設等中堅職員研修ⅡB日程
︵県社会福祉総合センター
2名参加︶
平 成 年度学校法人昌賢学園群馬社会福祉専
門学校喀痰吸引等研修︵第一号・第二号︶
︵群
馬社会福祉専門学校
2名参加︶
5日
群馬県理学療法士協会第 回公開講座︵公立
富岡総合病院
1名参加︶
6日
障害者就労支援セミナー︵高崎高等特別支援
学校
1名参加︶
平 成 年度学校法人昌賢学園群馬社会福祉専
門学校喀痰吸引等研修︵第一号・第二号︶
︵群
馬社会福祉専門学校
2名参加︶
7日 高崎労働基準監督署調査
平成 年度主任介護支援専門員研修第1回︵県
市町村会館
1名参加︶
9日
平成 年度主任介護支援専門員研修第2回︵県
市町村会館
1名参加︶
日 平 成 年 度 学 校 法人昌 賢 学園 群馬 社 会 福 祉 専
門学校喀痰吸引等研修︵第一号・第二号︶
︵群
馬社会福祉専門学校
2名参加︶
日
県レクリェーション研究集会︵県総合スポーツ
センター
1名参加︶
日 平成 年度主任介護支援専門員研修第3回︵県
市町村会館
1名参加︶
平 成 年度学校法人昌賢学園群馬社会福祉専
門学校喀痰吸引等研修︵第一号・第二号︶
︵群
馬社会福祉専門学校
2名参加︶
日
権利としての福祉を守る関係団体共同実行委
員会︵衆議院議員会館
1名参加︶
日
職員採用試験
平成 年度主任介護支援専門員研修第4回︵県
市町村会館
1名参加︶
日
平 成 年 度 学 校 法人昌 賢 学園 群馬 社 会 福 祉 専
門学校喀痰吸引等研修︵第一号・第二号︶
︵群
馬社会福祉専門学校
2名参加︶
日
平 成 年度福祉施設等中堅職員研修ⅡA日程
︵県社会福祉総合センター
1名参加︶
日
就職説明会
日 県老施協生活相談員研究部会西毛ブロック分
科会︵特別養護老人ホームポピ園
1名参加︶
日
平 成 年 度 学 校 法人昌 賢 学園 群馬 社 会 福 祉 専
門学校喀痰吸引等研修︵第一号・第二号︶
︵群
馬社会福祉専門学校
2名参加︶
日 平 成 年度福祉施設等中堅職員研修ⅡB日程
︵県社会福祉総合センター
2名参加︶
平 成 年度福祉・介護人材定着支援セミナー
︵県青少年会館 1名参加︶
日
創立 周年記念式典並びに祝会
名、勤続
永年勤続表彰者
勤続5 年
年 名、 勤 続 年
7 名、 勤 続 年
6 名、
勤続 年
1名、勤続 年
2名
日∼8月1日
ファミリーサマーキャンプ 新生会
︿8月﹀
3日 平 成 年度学校法人昌賢学園群馬社会福祉専
門学校喀痰吸引等研修︵第一号・第二号︶
︵群
馬社会福祉専門学校
2名参加︶
平 成 年度福祉施設等新任職員研修A日程3
日目︵県社会福祉合センター
1名参加︶
5日
平 成 年度福祉施設等新任職員研修C日程3
日目︵県社会福祉総合センター
2名参加︶
27
日
35
新
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第38巻 秋 号 ⒃
新 生
2015年(平成27年)10月20日
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