...

私たちの世代が子どもの頃、卒業式で必ず歌われて いたのが「仰げば

by user

on
Category: Documents
18

views

Report

Comments

Transcript

私たちの世代が子どもの頃、卒業式で必ず歌われて いたのが「仰げば
№81
平成27年3月16日
【発行】
豊橋市立栄小学校 校長室
[email protected]
私たちの世代が子どもの頃、卒業式で必ず歌われて
私が若かりし頃、卒業学年を担任すると決まってこ
いたのが「仰げば尊し」と「蛍の光」でした。新しく
んなことをしていました。卒業式を翌日に控えた夕刻、
付け加えて歌われた曲はあったにせよ、私が就職した
一人教室に行き、これまであったことや一人一人の子
あともこの2曲は外されることはありませんでした。
どもの顔を思い出しながらある歌の歌詞を背面黒板に
少なくとも昭和の時代まではそうでした。
したためたのです。佐野元春の「グッドバイからはじ
平成に入ると卒業式で歌われる曲が変わり始めまし
めよう」
。今でこそ佐野元春といえばビッグネームです
た。歌詞の内容が時代にマッチしなくなったというの
が、当時はまだデビュー間もない頃で、周囲の先生が
が原因の一つだったようです。
「我が師の恩」とか「蛍
たは誰も知っていませんでした。どれだけの子どもの
の光、窓の雪」は、確かに古めかしいですよね。
心に残ったかは定かではありません。私の自己満足だ
この2曲に代わって登場したのが「旅立ちの日に」
ったと思います。でも、それでいいと思っています。
です。人気グループ SMAP もカバーしたことのあるこ
教育というのは、いろいろな思いが込められた担任独
の曲には、次のようなエピソードがあります。
自の演出があっていいのではないでしょうか。私の卒
埼玉県秩父市立影森中学校校長だった小嶋登(作詞者)は、
業ソング「グッドバイからはじめよう」を紹介します。
荒れていた学校を立て直すために「歌声の響く学校」を目ざ
し、合唱の機会を増やした。最初こそ生徒は抵抗したが、音
グッドバイからはじめよう
楽教師の坂本浩美(作曲者、現 高橋浩美)とともに粘り強く
作詞・作曲
佐野元春
続けた結果、歌う楽しさによって学校は明るくなっていった。
「歌声の響く学校」
を目ざして 3 年目の 1991 年 2 月下旬、
坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、
「卒業する生徒た
ちょうど波のように
言葉はもう
さよならが来ました
何もいらない
ただ見送るだけ
遠く離れる者
ここに残る者
ちのために、何か記念になる、世界に一つしかないものを残
僕が決めても
かまわないなら
したい」との思いから、作詞を小嶋校長に依頼した。そのと
何も言わないけれど
きは「私にはそんなセンスはないから」と断られたが、翌日、
坂本のデスクに書き上げられた詞が届けられていた。その詞
どうしてあなたは
ぼくの手は
そんなに手を振るのだろう
ポケットの中なのに
を見た坂本は、「なんて素敵な言葉が散りばめられているん
だ」と感激し、さっそく。授業の空き時間に一人音楽室にこ
ちょうど波のように
言葉はもう
さよならが来ました
何もいらない
ただ見送るだけ
もり作曲に取りかかった。すると、旋律が湧き出るように思
遠く離れる者
ここに残る者
い浮かんできた。実際の楽曲制作に要した時間は、なんと 15
僕が決めても
かまわないなら
分程度だった。出来上がった曲は、最初はたった一度きり「3
何も言わないけど
年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けて歌うための
どうしてあなたは
サプライズ曲のはずであったが、その翌年からは生徒たちが
ぼくの手は
歌うようになった。ちなみに初めて披露した年度をもって、
ちょうど波のように
校長の小嶋は41年に及ぶ教師生活を定年退職。そのため、
あなたはよく
小嶋が披露したのはこれが最初で最後となったが、今では全
終わりは
終わりは
国で最も広く歌われている卒業式の歌となっている。
遠くに去って行くのだろう
ポケットの中なのに
さよならが来ました
こう言っていた
はじまり
はじまり
Fly UP