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JEF NEWS 創立50周年特別記念号

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JEF NEWS 創立50周年特別記念号
日本 教 職員バドミントン連盟 創立50周年特集
第 5 0 回 全日本 教職員バドミントン選手権大会特集
JEF NEWS 創立50周年特別記念号
日本教職員バドミントン連盟
平成23年
92
<□□□>
日本教職員バドミントン連盟とは
日本教職員バドミントン連盟とは
〔THE
BADMINTON
〔
THE JAPAN
JAPAN EDUCATORS’
EDUCATORS’
BADMINTON FEDERATION〕
FEDERATION〕
目 的
バドミントン指導の研修の場
バドミントンは学校の教育活動や生涯教育の一環として組み込まれ、年々発展し
ています。そこで正しい指導の体系を確立するため指導者同志の研修及び競技力向
上の場としています。
行 事
全日本教職員バドミントン選手権大会と研修会の主催
年1回、全日本教職員バドミントン選手権大会を(公財)日本バドミントン協会と
共催し、文部科学省が後援して行います。大会前日に研修会を主催します。
総 会
評議員は年1回の総会に出席
上記の大会の前日に総会を開催します。各都道府県より評議員が出席して連盟運
営の大綱を定めます。
役 員
会長は関場武氏、運営は常任理事会で
会長は関場武氏で、会務の運営は常任理事があたります。
会 員
教育機関の勤務者は誰でも
(公財)
日本バドミントン協会の会員で、学校教育法第一章第一条に規定する学校ま
たは第七章の二第八十二条の二に規定する専修学校または第八十三条に規程する各
種学校に勤務する教授・准教授・教諭・講師(非常勤も含む)・助教・助手・職員並
びに各地教育委員会の職員(非常勤を含む)の方なら会員になれます。また、永年
上記教育機関に勤務し、定年等で退職した方は、各都道府県連盟の推薦によって会
員に準じて加盟できます。
入 会
申し込みは個人単位で
申し込みは個人単位ですが、都道府県ごとにまとめて下さい。そして、代表連絡
者として評議員を1名決めてください。
会 費
団体登録費は年間 20,000 円、個人登録費は年間 2,000 円【平成 19 年度より】
毎年都道府県ごとに、団体登録費 20,000 円と個人登録費 2,000 円をまとめて連盟
事務局に納めてください。他に終身会員制(60 歳以上で 20,000 円)があります。
機 関 誌
JEF NEWSを年2回発行
全会員に各都道府県連盟を通して配布します。
連 絡
連盟事務局 〒 185-0003 東京都国分寺市戸倉 2-12-88 上田敏之気付
お知らせ
本連盟の公式ホームページへのアドレスは
http://www.jef-badminton.jp/
創立 50 周年特集/第 50 回大会特集
もくじ
ご挨拶
会長 写真編
関場 武… ………………………
02
第1回プログラム… ………………………………… 49
初代理事長 平田登志郎… ………………………… 03
20 周年表紙… ………………………………………… 70
現理事長 高橋 英夫… ………………………… 04
30 周年表紙… ………………………………………… 71
40 周年表紙… ………………………………………… 72
お祝い
優勝カップ… ………………………………………… 73
日本バドミントン協会 会長
綿貫 民輔…… 05
日本バドミントン協会 専務理事 関根 義雄…… 06
優勝者一覧
団体… ………………………………………………… 74
JEF50 年のあゆみ… …………………………………… 07
一般… ………………………………………………… 75
30 代以上… …………………………………………… 76
故 今井 先(はじめ)先生プロフィール……………… 24
40 代以上… …………………………………………… 77
50 代以上… …………………………………………… 78
特集:親子 2 代での出場者
栃 木 県 遠井 稔男・ 努……………………… 25
香 川 県 松村 伸二・咲希… ………………… 26
埼 玉 県 帰山 好和・広規… ………………… 27
新 潟 県 前田 邦光・ 幸……………………… 28
山 口 県 津守 幸介・真治… ………………… 29
兵 庫 県 西村 勝・ 哲……………………… 30
60 代以上… …………………………………………… 79
70 代以上・混合複… ………………………………… 80
第 50 回大会の模様… …………………………………… 81
派遣審判員一覧………………………………………… 82
特別寄稿:選手
歴代役員………………………………………………… 84
神奈川県
杉田 博… ………………………… 31
千 葉 県 田中 康二… ………………………… 32
新 潟 県 奥村 紀男… ………………………… 33
新 潟 県 佐藤 俊夫… ………………………… 34
石 川 県 原 栄一… ………………………… 35
加盟登録一覧…………………………………………… 86
第 50 回大会編
今大会を顧みて… …………………………………… 88
北 海 道 石井 仁… ………………………… 36
レフェリー報告… …………………………………… 89
東 京 都 関 一誠… ………………………… 37
成績表… ……………………………………………… 90
熊 本 県 工藤 勇参… ………………………… 38
総合順位… …………………………………………… 91
神奈川県
金子 澄子… ………………………… 39
岩 手 県 伊藤 張二… ………………………… 40
和歌山県
森 隆… ………………………… 41
千 葉 県 谷藤 千香… ………………………… 42
神奈川県
中山 紀子… ………………………… 43
教職員連盟登録一覧…………………………………… 92
特別寄稿:地区代表理事
北海道ブロック理事 奥山 和也(北海道)
……… 44
北信越ブロック理事 福嶋 康夫(新潟県)
……… 45
近畿ブロック理事
嘉生 寛(奈良県)
……… 46
四国ブロック理事
逸見 寛二(愛媛県)
……… 47
中国ブロック理事
中原 修二(岡山県)
……… 48
1
<ご挨拶>
50周年を迎えて
日本教職員バドミントン連盟
会長
関場 武
このたび日本教職員バドミントン連盟は、めでたく創立50年を迎えました。まさに慶賀すべきことであ
ります。これまで本連盟に対し長年に亘りご支援を賜わった文部科学省ならびに公益財団法人日本バドミ
ントン協会をはじめ、各都道府県の教職員バドミントン連盟、そして本連盟の会員各位に対し、深甚の謝
意を捧げる次第です。
本連盟を起ち上げた頃、競技スポーツとしてのバドミントンはまだ世間に広く認知されておらず、体育
館等の施設も数が少なく、決して良好とは言えない状況にありました。そしてスポーツというものに対す
る一般の認識も低く、スポーツに入れ込むことの出来る者は、抜きん出た才能を有する者に限られ、学校
体育はあっても、生涯スポーツといった観念は皆無に近いものでした。そのような中にあって本連盟を創
設してくださった方々の並々ならぬ情熱とご尽力には、今更ながら頭が下がります。そしてまた、それを
受け継ぎ発展させ、今日ある姿にまで築き上げて下さった数え切れないほどの多くの方々にも、心より御
礼を申し上げます。ほんとうに有難うございました。
東北大震災、それに続く原発事故を引き合いに出すまでもなく、この50年、世の中では様々なことが起
こり、人々を取り巻く環境は大きく変わりました。バドミントン界も然り。オリンピック正式種目として
の認定、ラリーポイント制の導入をはじめ、ルール、ラケット、ウェア等が大きく変わりました。ラケッ
トはスチールシャフト、カーボン、チタン云々と次々と新素材を使用した新製品が開発され、ウェアは白
一色からカラフルなものへと転換し機能も向上しました。そして、用具の進化・ルールの改訂に伴い、プ
レースタイルも大きく変わっています。練習や試合中に絶対水を飲むなと厳しく言われ、兎跳びは必須、
ラケットはちゃんと振りかぶれ、ポイントをコールするときは必ず当該サイドを指し示し点数を言うべし
などという指導を受けてきた小生のような者にとって、近年の様相はまさに隔世の感があります。
さて、会員の皆様は、日頃から、多忙な校務を縫って時間を作り、優れたプレーヤーの育成、バドミン
トン部の和の形成と実力向上に努めておられることと存じます。世の中の箍がすっかり緩み、学生・生徒
や選手・保護者の考え方・行動が急速に変化しつつある中で、皆様方のご苦労は如何ばかりかと拝察され
るところであります。我々教育に携わる者にとって一番大切なことは、真に広い教養とそれに裏付けられ
た他者に対する深い思いやりを、学生・生徒にしっかりと身に付けさせることであると小生は考えており
ます。たとえ世の中や教育界がどう変わろうとも、変えてはいけないもの、崩してはいけないものはそこ
にあると思っております。部活のほかにも学校体育としてのバドミントンがあります。多くの生徒・学生
にバドミントンの楽しさ、身体を動かすことの楽しさを覚えさせる。これぞ我々に課せられた大事な責務
のひとつであると思っております。
つきましては、皆様方におかれましては、今後とも根気よく地道な指導をお続け下さり、プレーヤーと
してのご自身の鍛錬にも努められますよう御願い申し上げる次第です。そして、本連盟の事業等に積極的
に加わっていただき、日本教職員バドミントン連盟がさらに強固なものになり、100年200年と存続・発展
して行けますよう、一層のご支援・ご協力を賜わりたく御願い申し上げます。末筆になりましたが、これ
までの皆様方のご芳情に再度感謝申し上げますとともに、今日ここに50周年というめでたい節目にめぐり
合わせた幸運を、皆様と一緒に喜び分かち合いたいと存じます。
2
<ご挨拶>
連盟50年 誕生の頃を回顧して
次の50年に向かって更なる前進を !!
日本教職員バドミントン連盟
初代理事長(現顧問)平田登志郎
いつの間にか半世紀。本連盟の設立に続いて初代理事長の大任を経験した私にとって、50年目という発
展と歴史の節目の年を迎えた事は誠に感慨深いものがあります。
連盟設立の頃の、今からみると神話的とも云える諸々の経過~新組織結成特有の生みの苦しみは、今は
80歳半ばを過ぎた私にとっては、30代半ばの血気盛んな頃の遠い思い出となりました。
「屋上屋を重ねる……」との批判が出たのも、反面には当時の日本のバドミントン界を引っぱっていた
のが、教員の方々であった事を物語っているものでした。しかし、私どもの「教職員連盟は日本のバドミ
ントン界にどうしても必要不可欠」という信念は月日とともに高まりました。
思えば当時、日バ副会長の森友徳兵衛氏の駿河台にあったご自宅に、故今井 先先生と私が招かれたの
が昭和36年(1961)の年の瀬も押しつまった頃だったと思います。そこで森友・今井両氏の「連盟発進」
の不退転の決意を承けたまりました。年あけて37年1月の日バ総会で満場一致の可決~同年4月1日、わ
が教職員連盟は、その新しいスタートを切ったのであります。
話は前後しますが、発足に先立って初代会長として栗本義彦先生をお迎えするべく、今井、森友、私の
3名で日本体育大学の学長室に参りました。最初は中々「うん」と云われなかったのが、「全国に在る先
生の、教職に在る教え子が待ち望んでいるのですから……」と心底からの説得に、にっこり笑って「よ
し」と受けて下さいました。今井、森友両氏の“ほっ”とされたお顔が印象深いものでした。また、昭和
31年頃からの同志里見・小泉(弟)や故池田・磯野諸氏と共に、森友(日バ理事長)、今井(常務理事)
のご紹介で、お茶の水駅東口の岸体育館(前体協本部)の一室にあった当時の日バ事務局で常務理事会の
皆さんに紹介されて、ご挨拶申し上げに参りました。席には岡山の毛利、故人となられた熊本の伊藤、福
岡の和田、新潟の市嶋の諸先生(屋上屋の方々)から、新規参入の後輩を暖かく迎える眼差しを感じたこ
とを記憶しております。
翌昭和37年8月(1962)第1回の大会と研修会を東京・文京区、地下鉄本郷三丁目駅前の、当時私の勤
務校であった文京二中(現区立本郷台中学校)のコート3面、参加16県の規模で開催にこぎつけました。
本年度の第50回の松山大会と比較すると誠に今昔の感ありで、50年の発展の歴史の重みを感ずるととも
に、JEFの今日あるを期して「連盟発進」の不退転の決意を実現させた今井先先生、森友元日バ理事長の
先見と、今は故人となられた諸先輩方や盟友の諸氏の霊に感謝と報告の辞とします。最後に次の50年目、
連盟発足一世紀に向かって、わが国、そして世界のバドミントン界に貢献することを祈る次第です。
3
<ご挨拶>
創立50周年にあたって
日本教職員バドミントン連盟
理事長
高橋英夫
まず1961年に設立された日本教職員バドミントン連盟の、半世紀50周年の記念すべき年に奇しくも不肖
私が理事長として迎えられたことを光栄に存じます。ことに黎明期において設立にご尽力賜った初代理事
長の平田登志郎先生を始めとする5名の歴代の理事長(2代里見光徳先生、3代小泉直坦先生、4代前田
耕作先生、5代稲石一雄先生)が今日に至るまで全員お元気で、現在も副会長、顧問としてご支援ご協力
を賜っておりますことは真に恐悦至極に存じます。さらに、連盟設立にご尽力賜った全ての諸先輩ならび
に、関係各位に深甚なる敬意と感謝を申し上げます。また、現在、連盟会長にはご自身でプレーされた
り、審判活動にも積極的に参加されたりする等、中でもバドミントンをこよなく愛しておられます慶応義
塾大学の元副塾長の関場武先生を仰ぎ、益々隆盛の一途をたどっておりますことは喜びにたえません。
去る3月11日の人知を超えた東日本大震災により被災された皆様方に衷心より哀悼の意を表します。現
在も日々の生活のみならず、愛するバドミントンの試合、練習なども覚束ない方も大勢いらっしゃると思
います。しかし、過去何百年に亘る被災の繰り返しの中にあってそれを乗り越えてきた我が国の人々の相
互扶助と自助努力という伝統の底力は、必ずや一日も早い復興発展に貢献することと確信します。この大
震災により、連盟発足50年目のこの年は奇しくも忘れることのできない一年になりましたが、同時に教職
員連盟の100周年に向けての新しい歴史が始まった年としても明記しておきたいと思います。
「光陰矢の如し」。時間は、かのアインシュタインも驚く程の光速以上のスピードで過ぎ去った感が致
します。40周年記念行事を、第40回全日本教職員大会開催地の福岡県北九州市で挙行したことが、つい昨
日のように思われます。50年という長い歴史の中、私達は競技会のみならず、一貫して連盟設立時の大
義、ジュニア世代の指導育成とバドミントンの研究研鑽、そして日本バドミントン界に果たすべき貢献、
使命を厳然と守り続けて参りました。昨今の教育界においては、学生には、単なる偏差値向上だけの学習
研鑽ではなく、強い探究心と美しい情操が求められています。単眼的思考でなく、複眼的思考が必要とさ
れています。思考の画一性は一面、人間をして動物的感情に支配されやすくなり、これが世相の荒廃の一
原因ともなっています。学問の向上練磨に励むと共に浪費し漫然と過ごす時間を省き、教養の重要性に着
目し「ゆとり」の時間を活用することの大切さを認識して欲しいと思います。このような観点から、人生
を豊かにするものとしてのスポーツ教育の使命には大なるものがあると考えます。
終りに我が日本教職員バドミントン連盟の一層の発展を期することは申すに及ばずですが、加えて将来
本連盟がどれだけ日本のバドミントン界の貢献に資するかが将来の課題として尚一層努力する覚悟でござ
いますので、関係各位に於かれましては今後共倍旧のご指導ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げ、50周年の
ご挨拶と致します。
4
<お祝い>
祝 辞
(公財)日本バドミントン協会
会長
綿貫民輔
日本教職員バドミントン連盟創立50周年を心よりお慶び申し上げます。連盟創立当初より今日まで50年
もの長きにわたり、連盟発展にご尽力された歴代の役員・会員の皆様の労苦に対し深甚なる敬意を表しま
す。奇しくも本年の3月には東日本を襲った未曽有の震災より多くの方々が被災されました。紙面をお借
り致しまして、改めて被災された方々に対し衷心より哀悼の意を表します。又、一日も早い復興発展をご
祈念申し上げます。
さて、日本教職員バドミントン連盟と私は少なからず因縁がございます。現会長の関場武先生とは慶応
義塾大学の同窓でありまして、そのような関係から、ここ数年全日本教職員バドミントン選手権大会の開
会式にはご挨拶をさせて頂いております。また理事長の高橋英夫先生は私どものいわば仲間でございまし
て、(公財)日本バドミントン協会の理事として長年本会の発展に寄与して頂き、現在も事業本部長とし
て活躍しておられます。
日本教職員バドミントン連盟は本会傘下にある7連盟の中にあって歴史的に極めて重要な使命を担って
参りました。本会の第1種大会である全日本教職員バドミントン選手権(50回)の開催を始め、競技規則
書編纂、数々の指導書、ルール100問集の発刊等、我が国のバドミントン界においてその貢献度は大なる
ものがあります。そして何より特筆すべきは、情熱をもって真剣に取り組んで頂いたジュニア育成指導で
あります。先生方が手塩にかけて育ててこられたジュニア選手の中から、世界に通用する多くの一流選手
を輩出してきました。そのご苦労ご尽力に心より感謝申し上げます。
最後に関係各位の変わらないご高配ご鞭撻と、バドミントンを愛する全ての皆様方のご協力をお願い申
し上げますとともに、日本教職員バドミントン連盟の益々のご発展を祈念致しまして、お祝いの言葉とさ
せて頂きます。
5
<お祝い>
JEF創立50周年によせて
(公財)日本バドミントン協会
専務理事
関根義雄
本会の傘下7連盟の中にあって歴史的に主要な位置を成し、数々のすばらしい功績を残してこられた日
本教職員バドミントン連盟が、本年を以て創立50年をお迎えになられる由、心よりお慶び申し上げます。
創立以来今日まで連盟の発展にご尽力をされた関係各位に篤く御礼申し上げます。中でも我が国の競技規
則書関係の編纂は伝統として教職員連盟が担うことが多く、感謝に堪えません。
昭和36年9月30日に日本教職員バドミントン連盟は正式に日本バドミントン協会に加盟承認されまし
た。時が経つのは本当に早いものです。この間我が国のバドミントンの普及発展に非常に大きな足跡を残
されましたことは誰もが知るところであります。連盟創立当時の初代会長栗本義彦氏(当時日本体育大学
学長)は私が尊敬して止まない大先輩であります。そのような関係から、短い期間ではありましたが、私
も教職員連盟の理事としてお手伝いさせて頂いたことがございました。振り返ればとても懐かしく、創立
当時の初代理事長平田先生が現在も連盟の顧問としてご活躍され、また現役の一選手としてもプレーされ
ていることは本当に嬉しく思います。
現在我が国のバドミントンの競技力向上は顕著なものがあり、昨年5月マレーシア・クアラルンプール
で開催されましたトマス杯、ユーバー杯共第3位に食い込み銅メダルを獲得しました。同年3月の第100
回全英選手権に於いては、男子単で田児賢一選手が44年ぶりにファイナリストとなり、準優勝に輝きまし
た。又同年開催されたアジア大会の女子単では広瀬栄里子選手が銅メダルに輝き、「スエマエ」こと末綱
聡子・前田美順組は同年のデンマークオープンで優勝し、その後数々の国際大会で実績を残し、現在世界
ランキング3位という堂々の位置につけています。「イケシオ」こと潮田玲子・池田信太郎組も2011ドイ
ツオープン優勝等、単に人気だけでなく実力も上昇しております。その他若手選手の台頭も著しくバドミ
ントン界全体が活気に満ちております。それも全てこれらの選手をジュニア世代より手塩にかけて指導育
成に励んでこられた教職員指導者の熱意の賜物と深く感謝致します。
今後の日本教職員バドミントン連盟の益々のご発展と繁栄をお祈り致します。最後になりましたが、本
年3月の東日本大震災で被災された方々へ衷心より哀悼の意を表しつつ、現在も大変な生活を余儀なくさ
れている方々の一日も早い復興発展をご祈念申し上げ50周年記念のご挨拶と致します。
6
日本教職員バドミントン連盟(JEF)の歩み
<略年表>
西暦
1959
年 号
昭和 34
1960
1961
昭和 36
昭和 36
1962
昭和 37
1964
1969
昭和 39
昭和 44
1970
昭和 45
1971
1972
1973
昭和 46
昭和 47
昭和 48
1974
1975
昭和 49
昭和 50
1977
1980
1981
1985
1989
1990
1991
昭和 52
昭和 55
昭和 56
昭和 60
平成 1
平成 2
平成 3
1994
1995
平成 6
平成 7
1996
1999
2000
2001
平成 8
平成 11
平成 12
平成 13
2002
2003
平成 14
平成 15
2004
平成 16
2005
平成 17
2007
平成 19
2011
平成 23
で き ご と
第 14 回国民体育大会(東京大会)に「教員の部」が設けられた。
日本バドミントン協会に加盟の申請をした。
会員資格として「教員」に「教育関係職員」を加え、広く会員の組織化を図る。
9 月 30 日 日本教職員バドミントン連盟誕生
会 長 栗本義彦氏(日本体育大学学長)
理事長 平田登志郎(東京・文京区立第二中学校)
10 月 7 日 日本バドミントン協会臨時総会で承認された。
8 月 10・11 日 第1回全日本教職員バドミントン選手権大会開催
会 場 文京区立第二中学校体育館(4面)
種 目 一般男子・女子単複 30 歳・40 歳以上男子単複 混合複
参 加 13 都道府県 60 名
4 月 20 日 「バドミントン体育」
(後の本連盟機関誌)創刊
第5回ユーバー杯(東京大会)で、監督・今井 先先生(東京・二階堂高校)
、コーチ・毛利清
志先生(岡山・山陽女子高校)のもと2連覇。
7 月 20 日 「バドミントン体育」を 22 号で廃刊して、
「バドミントン界」
(後の「バドミン
トンマガジン」
)の編集協力へ。1年後、編集方針が合わず決別。
10 月 25 日 バドミントン・ハンドブック(第Ⅰ編)発行
7 月 20 日 バドミントン・ハンドブック(第Ⅱ編)発行
第2代理事長に里見光徳就任
JEF マーク採用 デザイン:松本文夫先生(桐朋女子高校)
第2代会長に柴田勝治氏(日本大学理事長)就任
1 月 25 日 バドミントン・ハンドブック(第Ⅲ編)発行
10 月 20 日 機関誌「JEF NEWS」創刊
4 月 4 日 バドミントン・ハンドブック(合本)初版発行
10 月 28 日 バドミントン・ハンドブック(合本)再版発行
7 月 20 日 「JEF NEWS 第 24 号」
創立 20 周年記念号発行
第3代理事長に小泉直坦就任
第4代理事長に前田耕作就任
9 月 1 日 バドミントン・ハンドブック(合本)改訂発行
8 月 30 日 「JEF NEWS 第 47 号」
創立 30 周年記念号発行
研修会再開
8 月 20 日 会長・柴田勝治氏逝去、会長代行:平田登志郎
第5代理事長に稲石一雄就任
11 月 23 日 今井 先先生逝去
第3代会長に鯨岡兵輔氏(衆議院副議長)就任
派遣審判員制度が始まる。
8 月 1 日 「バドミントン 100 問集」<2000 年版 > 発行 年内に完売
2 月 1 日 「バドミントン 100 問集」<2001 年版 > 発行 5 月 7 日 ホームページ公開
7 月 1 日 「JEF NEWS 第 69 号」
創立40 周年記念号発行
総合優勝制度発足
故今井 先先生のご遺族よりの寄付をもとに「今井 先基金」設立
4 月 1 日 会長・鯨岡兵輔氏逝去、会長代行:小泉直坦
第4代会長に下村博文氏(衆議院議員)就任
文部科学大臣杯が従来の5杯(一般男子・女子単複、成壮年団体)から1杯となり、総合優勝に
授与することになった。
第6代理事長に高橋英夫就任
第5代会長に関場武氏(慶應義塾大学教授)就任
会員資格を各種学校まで門戸を広げる。
12 月 1 日 「バドミントン 100 問集」<2007-8 年版 > 発行 東日本大震災 第 50 回大会を山形県から急遽、愛媛県に変更。
10 月 1 日 「JEF NEWS 第 92 号」
創立 50 周年記念号発行
10 月 1 日 JEF 創立 50 周年記念の集い 開催
12 月 26 日~ 28 日 第1回全日本教育系学生バドミントン選手権大会開催(東京)
7
JEF誕生前から第 40 回大会まで
JEF NEWS 第 69 号(平成 13 年夏季号)より抜粋
文責 JEF顧問 里見光徳
1954年(昭和29年)
この年、東京都において高等学校ばかりでなく中学校にもバドミントンを始めた学校が出来たので、中学校の
バドミントン大会を開催することになった。聖学院中・高等学校でバドミントンを指導されていた今井先 ( はじめ )
先生が、その大会開催を呼びかけた。大会に参加した主なところは男子では聖学院中(今井先生)、台東区立竜泉
中(平田登志郎先生)、麻布中(安楽末夫先生)などで、女子では女子聖学院中(佐野美代子先生)、十文字中(大
塚直先生)など数校が集まってきたのである。
そこで東京都中学校体育連盟の傘下にバドミントン部を創立することとなった。今井先生を中心に平田先生な
どがその中心になったのである。また、都中体連の理事であった川上・古梶両先生の的確なご指導やご助言もあり、
また、今井・平田両先生の熱意によって加盟申請は都中体連理事会において、満場一致の承認が得られたのである。
時は昭和 30 年3月 30 日であった。このことがきっかけとなり、東京都内でバドミントンを指導している教員の
組織を結成する気運が高まってきたのである。
また一方では、大田区立大森第四中学校へ教育実習生として小泉伸坦氏が配属された。バドミントン部の顧問
であった池田昌道先生の依頼により、クラブ活動としてのバドミントン部を指導することになった。このことが
縁となり、教育実習終了後も引き続き指導を依頼された。小泉伸坦・里見光徳両名(東京学芸大学の同期生)が
出かけて指導したのもこの年である。このとき、この中学校の2年生に在籍していた少年に、後の本連盟機関誌
「JEF NEWS」編集長になった本間研一氏がいたのである。選手として活躍した人である。
1955年(昭和30年)
この年8月、東京奥多摩にある御岳山でレクレーションの指導者講習会が行われていた。その時、バドミント
ンを担当し指導された今井先先生の講習は好評を博し、もっとバドミントンをやりたいという人が多く出た。だ
が、スケジュールはすべて決まっており規定時間内には入れられなかった。そこで主催者側では希望者の要望に
こたえて「その日の予定に支障をきたさないならば」という条件で、早朝に許可されたのである。眠いのにもか
かわらず、明るくなるのを待ちかねた人々が、野外のコートでゲームに熱中し、嬉々としてプレーをしたのである。
その中にひときわ目立って上手な人がいた。佐々木寛治先生(当時北区赤羽中)で、学生時代選手として活躍し
た人である。このことが縁となり、彼が今井先生に紹介したのが同級生であった小泉・里見両名だったのである。
その年の9月、今井先生の勤務先である聖学院高校に平田、池田、大塚、小泉、里見の他数人の先生が招集され、
毎週土曜日に定期的に練習会を始めることになった。また、女性として諸田みやこさん(日本女子体育短大学生)
もおられた。この時集まったメンバーが後の BFC(Bird Friends' Club)の中心的人物になったのである。また、
後の東京都教職員バドミントン連盟(TEF)、日本教職員バドミントン連盟(JEF)の組織作りの原動力にもなっ
たのである。
1 956年(昭和31年)
東京都の教員の組織(BFC)は毎週の練習会で今井先生を中心に団結していった。だが、視野を東京ばかりで
なく、他の道府県にも向けなければならないという使命感があった。全国各地でバドミントンの普及発展に地道
な努力をされている人の中には、何といっても我々教員の仲間が多数を占めていることは言うまでもない。その
ような教員の指導者がお互いに連絡をとりあい、日頃の体験や研究を持ち寄って、指導者の研修をする場や組織
などを作れば、もっと日本のバドミントンは向上すると考えた。そのためには、その方々と直接お目にかかり、
技術や意見の交換をする必要があり、それには我々から積極的にそこに出かけ、意思の疎通をはかることに意義
を感じたのである。かくして毎年、夏休みを利用してラケットを持ち、各地を転戦しながら同好の志を求めるこ
とになったのである。
この年は、
仙台・室蘭・富川・札幌と北へのコースをとった。仙台では名門尚絅女学院で、室蘭では佐藤哲郎先生に、
また札幌では奈良岡健三先生を始め小飼栄一・神山周二諸氏に大歓迎を受けた。特に、この札幌での樽ごと出さ
れた生ビールの旨さは、今もって語り草になっている。富川では放歌的な富川高校体育館で合宿し、技術面ばか
りでなくバドミントン理論の研修にも励んだのである。
8
1 957年(昭和32年)
前年同様、夏休みになると早速ラケットを持ち、先ず岡山に出かけた。そこでの名門山陽女子高校にて毛利清志・
山上周之・西崎正明諸先生方と試合や懇談会を行なった。次に四国高松に渡って穐山正雄先生を訪たり、さらに
瀬戸内海を夜、航海しながら別府に上陸、宮崎・鹿児島と観光を楽しみながら熊本へと入った。ここでは伊藤基
記先生のお世話で試合やら交歓会など行ない、教員の組織を創ることに深い理解を示していただいた。このとき、
熊本商科大学の学生であった徳重氏(後にカールトン社勤務)には、我々一行のために付ききりで面倒を見てい
ただいたことを大変感謝している。その後、長崎に行ったが台風に遭い、旅館に閉じ込められ、日程を遅らせて
広島から松江へと向かい、全国高校大会を見学したのである。
1 958年(昭和33年)
この年の夏、新潟へ出かけて全国高校大会を見学し、さらにこの地で合宿をした。ここでは市嶋智三郎先生に
お目にかかり、新潟の先生方と交流を深めていった。その後、佐渡に渡りバドミントンに大変熱心な臼杵先生に
お会いできた。すっかり意気投合してバドミントンについて大いに語り、お互いに将来の日本教職員バドミント
ン連盟の結成を約束し、お別れしたのである。
聖学院における定例練習会に平田先生が新人紹介をした。当時、台東区立竜泉中学に赴任した前田耕作先生で
ある。その頃の組織 BFC のメンバーになるためには練習会でメンバーに紹介し、仲間として共にやってもらえる
かどうかを一定期間お付合いして入会を決めていたのである。少数精鋭で努力するしかない時代で、それまでに
も何人かが紹介されたが、長続きしなかった。その点、彼は素晴らしい才能とファイトで我々の一員となったし、
その後我々組織の重要な人物となったのである。
1959年(昭和34年)
我々のこのような地道な努力は、多少なりとも影響を及ぼしたのか、あるいは時代の趨勢によるものか、この
年から国民体育大会のバドミントン種目の中に「教員の部」が設けられ、ようやく一つの念願がかなったかのよ
うに思えた。
他の競技団体でも同様であるが、それぞれの競技での初期の段階では、というより昭和 20 ~ 30 年代では教員
に実力があり、普及の原動力でもあり、それに加えて練習時間が生徒指導という名目であれ豊富であり、一般の
者ではとてもかなわないという状況にあった。そのため一般男子の種目の中から締め出さないと勝負にならない
という一面もあったのである。
このような状況の中で、我々日本教職員バドミントン連盟は日本バドミントン協会に加盟申請をしたが、仲間
と思っていた教員から反対され受け入れられなかった。国体の「教員の部」があるのに、更にその上「教職員大会」
を開催する必要はないと言うのである。その時の反対理由の説明で“屋上屋を架する”と言う言葉が、今でも記
憶に生々しい。
1960年(昭和35年)
我が国のバドミントンの普及発展は目覚しいものであった。しかし、今日の発展は全国各地で地道に努力して
きた我々教職員指導者によるところ大であると自負している。『全国の教職員が一体となり、日頃の体験や研究を
持ち寄って研修の場と組織を作ろう』との声が各地であった。着々としてその基礎固めをしてきたし、全国各地
には教職員の全国組織の必要性を理解して活躍していた篤志家も多かった。それにもかかわらず“日本バドミン
トン協会”の承認を得られなかった理由は何であるかを検討せざるを得なかった。
この年には、地方に出ることなく都内の教職員の組織や関東の教職員の組織固めに努力した。特に国体では教
員の部の資格が小・中・高の常勤教員のみと限定されていた。それがあまりにも厳しいのでバドミントンを指導
している事務教員、教育委員会勤務者、大学教職員、その他教育機関なら講師でも助手でも参加できるようにし
ようと我々連盟の参加資格の共通理解を持ったのである。それ以来、広い範囲の指導者(教職員)で組織化する
連盟となるような基本構想としたのである。
9
1961年(昭和36年) 日本教職員バドミントン連盟(JEF)結成の年
昭和 21 年日本バドミントン協会が創設されて以来半世紀以上も経過した今日、わが国のバドミントンの普及発
展は目覚しいものであった。しかし、今日の発展は、全国各地で地道に努力してきた我々教職員指導者によると
ころが大であると、自負するものである。『全国の教職員が一体となり日頃の研究や体験を持ち寄っての研修の場
と組織をつくろう』との声は 1956 ~ 57 年頃から各地であったが、特に、東京都教職員バドミントン連盟(TEF)
や当時の
『同好の志の集い』であった BFC の間に活発化し、彼らは研修旅行と啓発を兼ねて全国各地を旅行し、着々
その基礎固めをしていたのである。勿論、これと時を同じくして全国各地に教職員の全国組織の必要性を唱えて
活躍していた篤志家も多かったのである。
時に、
1961 年(昭和 36 年)日本バドミントン協会の新理事長森友徳兵衛氏は意欲的に協会の機構作りに奔走し、
折から胎動しつつあったわが教職員連盟に対し、その労を惜しまずこの年の9月 30 日、遂に本連盟が誕生したの
である。
(同 10 月7日の日本バドミントン協会の臨時総会において正式に承認された)全国各地にある先達者諸
氏の営々孔々たる努力がついに実ったのである。
我々はわれらの組織を『日本教職員バドミントン連盟』
[JAPAN EDUCATORS' BADMINTON FEDERATION(略称 JEF)]
と名付けた。会長には栗本義彦氏(日本体育大学学長)を推戴、平田登志郎氏(当時文京区立第二中学校)が初
代理事長に就任した。
1962年(昭和37年)
第1回 全日本教職員大会
東京都文京区(文京区立第二中学校体育館)
参加都道府県 13
第1回 全国指導者研修会が同時に開催される
第1回全日本教職員大会は東京都文京区立第二
中学校体育館において、北海道、秋田、栃木、群馬、
千葉、東京、静岡、岐阜、石川、大阪、岡山、山口、
熊本の 13 都道府県からの精鋭が集まった。
第1回全国学校体育指導者研修会は第5次日本
協会指導者研修会として同校で開催、高倉正治氏
第 1 回大会 開会式
(日バ常務理事)から「バドミントンの国際関係」
について、今井先氏(二階堂高校教諭)から「競技規則と大会運営規定」について、平田登志郎氏(JEF 理事長)
から「中学校におけるバドミントンクラブの現状と展望等」について解説や講義、そして討論が展開された。また、
将来 JEF の二大事業として全日本教職員大会と全国指導者研修会が毎年行われることが可決された。なお、この
年に『バドミントン体育』(後に教職員連盟機関誌)が創刊された。
1963年(昭和38年)
第2回 全日本教職員大会 群馬県桐生市(桐生市立商業高校・桐生高校)
参加都道府県 15
第2回 全国指導者研修会を開催
群馬県桐生市立商業高校と桐生高校を舞台に開かれた。群馬県バドミントン協会の理事長増田保夫氏の積極的
な協力を得て女子の参加が増える。前回に加えて新潟と神奈川の両県が参加、かなり盛況であった。
1964年(昭和39年)
第3回 全日本教職員大会 三重県伊勢市(県立体育館)
参加都道府県 18
第3回 全国指導者研修会を開催
10
三重県伊勢市県立体育館において開催、参加都道府県は 18 であった。この大会の特徴は多くのニューフェイス
が登場した。男子に渡部・永井(新潟)、酒井(大阪)、佐藤(青森)、女子には高木・天野(岐阜)、小勝(栃木)
など、各種目にわって活躍し、大会の内容を充実させた。この年、高木・天野両選手はユーバー杯候補選手に選
ばれた。また、伊藤基記氏(熊本)は社会人大会 40 歳単において 10 連覇の偉業を成し遂げた。
1965年(昭和40年)
第4回 全日本教職員大会 大分県日田市(県立日田高校・昭和女子高校)
参加都道府県 20
第4回 全国指導者研修会を開催
大分県日田市県立日田高校と昭和女子高校において開催された。この回から従来の種目に男子団体と女子団体
が加わった。参加都道府県は 20 になる。男子団体戦出場は秋田、千葉、東京、富山、岐阜、大阪、岡山、愛媛、
熊本の9都府県、女子は1チーム(岐阜)であった。
第1回の男子団体は岡山県が優勝した。
1966年(昭和41年)
第5回 全日本教職員大会 北海道札幌市(札幌市体育館)
第5回 全国指導者研修会を開催
北海道札幌市体育館において開催される。冬季オリンピックを期して活況を呈していたこの地での大会は、い
やが上にも熱気を帯びていた。特に地元北海道は男子団体5チームを編成して参加した。
この年は、日本女子チームがユーバー杯に初出場し、10 年不敗のアメリカチームを5-2で下し、初優勝した
輝かしい年である。
また、開催県より大会と研修会を併設するのは負担が多いので免除してほしいとの要望があり、JEF 研修会は
日バ主催の研修会と合同主催することになり、日バ主催の時期と場所に参加することになった。
1967年(昭和42年)
第6回 全日本教職員大会 富山県高岡市(県立高岡高校・県立高岡工芸高校)
参加都道府県数 20
万葉の景勝地富山県高岡市の県立高岡高校と県立高岡工芸高校の両会場で行われたが、今回から成壮年代団体
が加わり参加者は空前の数にのぼった。初の成壮年代団体は東京都が優勝した。
『バドミントン体育』が本連盟の正式機関誌となり、発行責任者平田理事長が決まる。『バドミントン体育』も
第 13 号を数え、名実共に内容も充実して行った。
JEF の運営をより能率的にするため5専門部(普及、指導、審判、編集、事業)を設置した。これら専門部の
もとに 10 ブロック(北海道、東北、関東、京浜、東海、北信越、近畿、中国、四国、九州)に理事を置き、運営
に協力するという態勢が整う。
事業部がシャトルの斡旋をはじめる。水鳥シャトルが入手困難な地方の方々のため、廉価で送付することを業
者の協力を得て実施する。 『バドミントン体育』13 号(春季号)、14 号(夏季号)、15 号(秋季号)、16 号(冬季号)を発行
1968年(昭和43年)
第7回 全日本教職員大会 大阪府大阪市(大阪市立体育館)
参加都道府県 20
明年、東京で行なわれる第5回ユーバー杯防衛戦に本連盟関係者の今井先氏が監督に、毛利清志氏がコーチに
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就任、また、選手も高木紀子さん、天野博江さんが選手に選考された。
JEF マークを公募する。本連盟を象徴するいわゆる JEF マークを作るべく執行部で検討、機関誌「バドミント
ン体育」を通して公募したところ、4点を佳作とするが採択にはならなかった。採択は 1973 年。
小泉氏作品
高木氏作品
湯村氏作品
吉岡氏作品
1969年(昭和44年)
第8回 全日本教職員大会 埼玉県上尾市(上尾市運動公園体育館)
参加都道府県 23
第5回ユーバー杯争奪選手権大会は4ゾーンの勝者イングランド・アメリカ・インドネシア・タイとの間で争
われ、インドネシアが挑戦国になった。しかし、日本チームは高木紀子主将を中心にインドネシアを一蹴し、初
防衛に成功した。
日本バドミントン協会は、ユーバー杯に優勝したことを記念して『バドミントン界』を出版することになった。
その編集にわが連盟の機関誌『バドミントン体育』のスタッフが協力を求められ、協議の結果、これに協力する
ことになった。そのため連盟機関誌『バドミントン体育』は『バドミントン界』に吸収・合併することになり、
『バ
ドミントン体育』はこの年を持って廃刊とする。(しかし、一年後本連盟の編集方針と趣旨に合わず決別する。こ
の間機関誌途絶える)
『バドミントン体育』21 号(春季号)、22 号(夏季号)を発行し、終了する。
『バドミントン・ハンドブック』(第1編)…競技規則 100 問集…、初版発行(1969.10.25)
前列左:今井 先監督 中:毛利清志コーチ 後列左から3人目:中山選手 4人目:天野選手
1970 年(昭和45年)
第9回 全日本教職員大会 岐阜県岐阜市(岐阜県民体育館)
参加都道府県 23
昨年見事ユーバー杯を防衛した今井先、毛利清志、高木紀子、天野博江の4氏を教職員連盟より特別表彰をし、
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その功労を称える。
来年度より成壮年団体戦が日本バドミントン協会の正式種目に認められた。
1971年(昭和46年)
第10回 全日本教職員大会 岡山県岡山市(岡山県営体育館・岡山大学体育館)
参加都道府県 23
10 周年記念に当たり栗本義彦、今井先、森友徳兵衛、毛利清志の4氏に感謝状授与
乾英三郎、松本弘充、北方匡、毛利清志、西崎正明、宝来敏夫、宮脇正晴、北野敬四郎、片岡輝明、鈴木祐司、
以上 10 名を表彰する。
1972年(昭和47年)
第11回 全日本教職員大会 秋田県秋田市(秋田県立体育館)
参加都道府県 22
総会で、今年度をもって初代理事長平田登志郎氏が勇退し、第2代理事長に里見光徳氏を選出した。
『バドミントン・ハンドブック』(第Ⅱ編)…大会運営規定 100 問集…、初版発行(1972.7.10)
1973年(昭和48年)
第12回 全日本教職員大会 滋賀県大津市(滋賀県立体育館)
参加都道府県 27
先に公募した JEF マークは採択されないまま、保留となっていたが専門家(桐朋女子高等学校美術科教諭・松
本文夫氏)にそのデザインを依頼していた。出来上がりの作品を検討、理事会の承認を経て「JEF マーク」に正
式採択することにした。さらに、このマークで連盟旗を製作し、明年より JEF 大会の会場に掲揚し会員に披露す
ることになった。
1974年(昭和49年)
第13回 全日本教職員大会 熊本県熊本市(熊本市立体育館)
参加都道府県 34
本大会の成績に基づいて作製されるランキング中、個人戦一般の部、各種目8位以内にランクされた者は 1974
年度全日本総合バドミントン選手権大会への出場権が拡大された。
本連盟会長栗本義彦氏が亡くなられ、柴田勝治氏(日本大学理事長)が新会長に就任された。
『バドミントン・ハンドブック』(第Ⅲ編)…審判法 100 問集 ・‥、初版発行(1975.1.25)
1975年(昭和50年)
第14回 全日本教職員大会 栃木県小山市(県立小山城南高校体育館・昭和アルミ体育館)
参加都道府県 31
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総会において、表彰規定成立(1人 100 円)
昭和 37 年度に創刊された本連盟機関誌『バドミントン体育』は昭和 44 年に日本バドミントン協会機関誌『バ
ドミントン界』協力すべく、吸収・合併され発展的に解消したが、教職員としての立場から考え、やはり『バド
ミントン界』とは違ったものが要求されるようになった。
従来の大会開催の時だけが唯一の会員交流の場でなく、JEF 会員の研修の場、また情報伝達・交歓の場として会
員相互の親睦も併せて考えられるものとして、新たに『JEF NEWS』(年4回)を発刊することになった。発行
責任者として里見光徳理事長が、編集長に本間研一氏が就任した。毎年 10 月、1月、4月、7月の 20 日を発行
日とする。
『JEF NEWS』創刊号(秋季号)(1975.10.20)第2号(冬季号)を発行
1976年(昭和51年)
第15回 全日本教職員大会 東京都世田谷区ほか(駒沢オリンピック記念公園体育館、大田区体育館、
千代田区体育館、二階堂高校体育館)
参加都道府県 30
『JEF NEWS』3号(春季号)、4号(夏季号)、5号(秋季号)、6号(冬季号)を発行
1977年(昭和52年)
第16回 全日本教職員大会 山口県山口市(下関市体育館)
参加都道府県 35
大会期間中雷雨があり変電所が浸水したため、2時間ほど停電して競技が中止した。
『JEF NEWS』第9号(昭和 52 年秋季号)から、右綴じ縦書きの紙面を左綴じ横書きの紙面に変更し、英文な
どを入れやすくした。
『JEF NEWS』7号(春季号)、8号(夏季号)、9号(秋季号)、10 号(冬季号)を発行
『バドミントン・ハンドブック』(合併号)競技規則・大会運営規定・審判法を合冊した初版本発行(1977.4.4)
1978年(昭和53年)
第17回 全日本教職員大会 宮城県仙台市(宮城県スポーツセンター、尚絅女学院体育館、
仙台商業高校体育館、第一女子体育館)
参加都道府県 34 JEF 表彰は5年毎であったが、次回より毎年該当者を表彰することになった。
本年1月、世界バドミントン連盟(WBF)設立される。中国など 19 ヶ国で結成、国際バドミントン連盟(IBF)
と別個の組織が出来た。このためバドミントンはオリンピックに加盟することは不可能になった。
『JEF NEWS』11 号(春季号)、12(夏季号)、13 号(秋季号)、14 号(冬季号)を発行
1979年(昭和54年)
第18回 全日本教職員大会 福岡県北九州市(北九州市総合体育館)
参加都道府県 39
第1回懇親会を開く
昭和 34 年から国民体育大会バドミントン種目の中に設けられていた“教員の部”が本年度をもって廃止される
ことになった。その理由として国民体育大会は年齢・性別によって区分すべきであって、教員という職域で分け
てはならないという日本体育協会からの指示があったからである。日本バドミントン協会はその処置として本年
度(宮崎県)は教員の部を全都道府県の本大会出場をさせ終了し、来年度国体成年男子の部に教員を1名以上参
14
加させることが決まった。
『JEF NEWS』15 号(春季号)、16 号(夏季号)、17 号(秋季号)、18 号(冬季号)を発行
1980年(昭和55年)
第19回 全日本教職員大会 石川県金沢市(石川県体育館、金沢大学体育館)
参加都道府県 30
第2回懇親会を開く
総会で、次年度より個人登録費を 500 円とすることが承認される。
『JEF NEWS』19(春季号)、20 号(夏季号)、21 号(秋季号)、22 号(冬季号)を発行
『バドミントン・ハンドブック』(合併号)、第2版発行(1980.10.28)
1981年(昭和56年)
第20回 全日本教職員大会 福島県郡山市(郡山総合体育館、安積女子高校体育館)
参加都道府県 31
第3回懇親会を開く
JEF 大会テレビ放映される。約2時間に亘り、福島テレビから女子複決勝戦が3ゲーム全部放映された。
『JEF NEWS』23 号(春季号)、24 号(夏季号)、25 号(秋季号)、26 号(冬季号)を発行
JEF NEWS 24 号(夏季号)は創立 20 周年特別記念号となる。
1982年(昭和57年)
第21回 全日本教職員大会 佐賀県嬉野市(嬉野町体育館、嬉野商業高校体育館)
参加都道府県 31
第4回懇親会を開く
本年4月、日本バドミントン協会は財団法人となる。
『JEF NEWS』27 号(春季号)、28 号(夏季号)、29 号(秋季号)、30 号(冬季号)を発行
JEF NEWS 編集を充実させるため、新たに編集局を設け大塚直氏が編集局長になる。
1983年(昭和58年)
第22回 全日本教職員大会 静岡県沼津市(沼津市民体育館、沼津勤労者体育センター)
参加都道府県 33
第5回懇親会を開く
総会で、次年度より個人登録費を 1,000 円とすることが承認される。
大会期間中大きな地震があり、試合が一時中断した。地震直後自動的に体育館内各扉が閉まり、復旧するのに
30 分ほど時間を要した。
『JEF NEWS』31 号(春季号)、32 号(夏季号)、33 号(秋季号)、34 号(冬季号)を発行
1984年(昭和59年)
第23回 全日本教職員大会 青森県弘前市(弘前市民体育館、東奥義塾体育館)
参加都道府県 27
第6回懇親会を開く
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この年、来年度の JEF 役員改選にあたり、里見光徳理事長が日本バドミントン協会の常務理事(指導委員会委
員長)を兼務しているのはおかしいと言う理由で、どちらかを辞めるように緊急動議が出た。そこで、今年度を持っ
て JEF 理事長里見光徳氏が退任、新たに小泉直坦氏をJEF理事長に選任し、来年度の総会で諮ることになった。
『JEF NEWS』35 号(春季号)、36 号(夏季号)、37 号(秋季号)、38 号(冬季号)を発行
1985年(昭和60年)
第24回 全日本教職員大会 福井県福井市(福井県営体育館、県立科学技術体育館)
参加都道府県 34
第7回懇親会を開く
総会で、今年度をもって第2代理事長里見光徳氏が勇退し、第3代理事長に小泉直坦氏が選任される。
JEF NEWS 発行責任者は小泉直坦理事長に代わる。
『JEF NEWS』39 ・ 40 号(春・夏合併号)を発行
1986年(昭和61年)
第25回 全日本教職員大会 広島県広島市(広島サンプラザ体育館)
参加都道府県 32
第8回懇親会を開く
男子 50 才代参加数が増加し、来年度から男子 60 才以上単複の種目が新設された。ただし、この年代になると
職場を定年退職する人もあり、長年 JEF 大会に出場している人には、準会員として出場することを認めた。
『JEF NEWS』40 号(夏季号)を発行{本来は 41 号}
1987年(昭和62年)
第26回 全日本教職員大会 北海道苫小牧市(苫小牧市総合体育館・苫小牧工業高校体育館)
参加都道府県 30
第9回懇親会を開く
『JEF NEWS』38 号(夏季号)、39 号(秋季号)を発行〔本来は 42、43 号〕
1988年(昭和63年)
第27回 全日本教職員大会 奈良県奈良市(奈良市中央体育館・育英高校体育館)
参加都道府県 37
第10回懇親会を開く
『JEF NEWS』40 号(春季号)、41 号(夏季号)を発行
JEF NEWS 発行責任者は次年度より前田耕作理事長に代わる。
1989年(平成元年)
第28回 全日本教職員大会 香川県坂出市(坂出県営体育館)
参加都道府県 36
第11回懇親会を開く
総会で、今年度をもって第3代理事長小泉直坦氏が勇退し、第4代理事長に前田耕作氏を選出した。
『JEF NEWS』42 号(春季号)、43 号を発行
16
1990年(平成2年)
第29回 全日本教職員大会 岩手県盛岡市(岩手県営体育館、厨川体育館)
参加都道府県 36
第12回懇親会を開く
次回より本連盟の2大行事である研修会を復活、競技開始前に開催することになった。
『バドミントン・ハンドブック』(合併号)、改定版発行(1990.9.1)
『JEF NEWS』44 号、45 号を発行
1991年(平成3年)
第30回 全日本教職員大会 愛知県豊橋市(豊橋市総合体育館)
参加都道府県 39
同研修会「日本のバドミントンの将来と問題点」
講師:遠井稔男・片岡輝明・佐藤秀夫・藤上良信4氏共同講演 司会:平田登志郎氏
第13回懇親会を開く。
今年度を以って混合複の種目が廃止される。日本バドミントン協会から教員大会の種目が多く、個人戦は社会
人大会に参加し、団体戦のみにするよう言われていたが、教職員という特殊性より個人戦も団体戦も継続するこ
とになった。しかし、混合複のみは日バで新たに設けた混合複大会に吸収合併することになり、来年度の教員大
会からは廃止することになったのである。また、開催県からこの混合複のタイムテーブルが組みにくく、どうし
ても総ての個人戦が終わらないと出来ないという事情もあった。
特別功労賞(30 年連続大会参加)鈴木祐司氏(選手)、里見光徳氏(役員)
『JEF NEWS』46 号、47 号を発行
『JEF NEWS』47 号(H3.8.30 発行)は創立 30 周年特別記念号となる。
この号から発行責任者兼編集責任者前田耕作氏となる。
1992年(平成4年)
第31回 全日本教職員大会 熊本県熊本市(熊本県総合体育館)
参加都道府県 43
同研修会「メンタルトレーニングについて」
講師:岩崎健一氏(熊本大学教授)
第14回懇親会を開く
大会開催初日に熊本県地方台風に見舞われ、開催が危ぶまれたが特に会場等には支障なく、予定を多少遅らせ
た程度で行なわれた。しかし、沖縄からの交通が遮断され、その為選手が間に合わず参加できなかったのは残念
である。
『JEF NEWS』48 号(春号)、49 号(秋号)を発行
1993年(平成5年)
第32回 全日本教職員大会 神奈川県平塚市(平塚市総合体育館・平塚市見付台体育館)
参加都道府県 40
同研修会「指導者のあり方」
講師:杉田博氏・中山(高木)紀子氏対談講演
第15回懇親会を開く
『JEF NEWS』50 号(夏号)を発行
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1994年(平成6年) 第33回 全日本教職員大会 石川県金沢市(金沢市総合体育館・石川県体育館)
参加都道府県 38
同研修会「バドミントン競技に対する提言」
講師:金沢市立工業高校校長 河原山春夫氏
第16回懇親会を開く
総会で、今年度を持って第4代理事長前田耕作氏が勇退し、第5代理事長に稲石一雄氏を選出した。
『JEF NEWS』51 号(春号)
、52 号(夏号)を発行
JEF NEWS 発行責任者は次年度より稲石一雄理事長に代わる。
1995年(平成7年)
第34回 全日本教職員大会 鳥取県米子市(米子市民体育館・米子産業体育館)
参加都道府県 39
同研修会「身体のケアについて」
講師:境港市立第二中学校教諭 湊 英之氏
第17回懇親会を開く
個人戦2日目、落雷によりメイン会場の照明が落ちたが、競技は支障なく続けられた。
11 月 23 日 今井 先氏逝去
『JEF NEWS』53 号(春号)、54 号(夏号)、55 号(冬号)を発行
1996年(平成8年)
第35回 全日本教職員大会 千葉県千葉市(千葉ポートアリーナ・千葉公園体育館)
参加都道府県 40
同研修会「バドミントンの障害の分析、怪我について」
講師:川崎製鉄千葉病院整形外科・スポーツ整形外科部長 岡崎壮之氏
第19回懇親会を開く
本連盟会長柴田勝治氏が亡くなられ、鯨岡兵輔氏(当時衆議院議会副議長)が新会長として就任された。
『JEF NEWS』56 号(春号)、57 号(冬号)を発行
1997年(平成9年)
第36回 全日本教職員大会 和歌山県新宮市(新宮市総合体育館・新宮高校体育館・新宮商業高校体育館
新宮市立勤労者体育館)
参加都道府県 37
同研修会「体カトレーニングとバドミントン」
講師:新宮商業高校教諭 瀬古周作氏
第20回懇親会を開く
総会で、大会交付金を 40 万円とすることが承認される。
団体戦を初回戦から2点先取とする。
『JEF NEWS』58 号(春号)、59 号(秋号)を発行
1998年(平成10年)
組み合わせを現地で行うことにした。下見をする。
18
第37回 全日本教職員大会 愛媛県松山市(愛媛県総合運動公園体育館
松山市総合コミュニティセンター体育館)
参加都道府県 40
同研修会「バドミントンの障害と予防」
講師:NTT松山病院医師 喜多岡 健二氏
第21回懇親会を開く
地元の努力で、敗者審判を行わなかった。
総会で、来年度より敗者審判制度を廃止、派遣審判員規定制度を制定し明年より実施することを承認。
特別表彰 故鈴木祐司氏(秋田県)に授与、第1回大会から連続36回出場を称える。
『JEF NEWS』60 号(春号)、61 号(秋号)、62 号(冬号)を発行
1999年(平成11年)
第38回 全日本教職員大会 青森県青森市(青森市民体育館・青森県総合運動公園体育館
青森高校体育館)
参加都道府県 36
同研修会。古代ロマン「三内丸山遺跡の神秘」をさぐる。
第22回懇親会を開く
総会において、65 歳以上男子単・複、40 歳以上女子単・複の動議が出され、採用し、承認した。
第1回派遣審判員制度実施 派遣審判員は4人であった。
『JEF NEWS』63 号(春号)、64 号(秋号)を発行
2000年(平成12年)
第39回 全日本教職員大会 三重県伊勢市(三重県サンアリーナ体育館〔26面〕)
参加都道府県 41
同研修会「バドミントン競技の初期の歴史及びその当時のルールからバドミントンの原典を探る」
講師:東海女子大学助教授 蘭 和真氏
第23回懇親会を開く
第2回派遣審判員制度
『JEF NEWS』65 号(春号)、66 号(夏号)、67 号(秋号)を発行
『バドミントン・100 問集』、2000 年版発行(2000.8.1) 年内に完売
『バドミントン・100 問集』、2001 年版発行(2001.2.1)
2001年(平成13年)
第40回 全日本教職員大会 福岡県北九州市(北九州市立若松体育館・北九州市立総合体育館)
参加都道府県 41
同研修会「ジュニア育成と競技力向上について」
講師:遠井稔男・横溝安伸・能登則男3氏によるパネルディスカッション
司会:稲石一雄氏
第24回懇親会を開く
40 周年記念行事 大会レセプション(懇親会)を記念行事と兼ね、記念表彰を行う。
特別表彰 里見光徳氏(役員として連続 40 回参加を称える。)
ホームページ開設
総合優勝制度発足(優勝杯はかつての混合複のカップを使用し、1位から4位に盾を授与。どちらも持ち回り。)
19
第1回の優勝は東京都
役員ポロシャツを作る
総会で、次年度より派遣審判対策積立金を個人 1,000 円、団体 5,000 円にすること、60・65 歳以上男子は2つ
の年代にまたがって出場できることを承認。
第3回派遣審判員制度
開会式において前年度各種目優勝者に記念の写真を授与
『JEF NEWS』68 号(春号)、69 号(夏号)、70 号(秋号)を発行
『JEF NEWS』69 号(H13.7.20 発行)は創立 40 周年記念特別号となる。
2 月 3 日 『バドミントン・100 問集』2000 年版出版記念会開催 於:ニューオークラ
(ここまで文責 里見光徳/一部修正 編集部)
2002年(平成14年)
文部科学大臣杯問題勃発 文部科学省へ小泉・前田・稲石で交渉に行く。
従来の5杯を1杯に削減するという方針が告げられた。また、本連盟の大会に生涯ス
ポーツ課より文部科学大臣杯を出すのは筋が違う旨の説明を受けた。
第41回 全日本教職員大会 山梨県甲府市(小瀬スポーツ公園体育館)
参加都道府 41
同研修会「ルール研修会」
講師:日本教職員バドミントン連盟副理事長 高橋英夫氏
第25回懇親会を開く
総会で、今井基金設立(故今井 先氏の遺族から金 10 万円の寄付を受けて)の承認
今年度より 60・65 歳以上男子は2つの年代にまたがっての出場を認める。
第4回派遣審判員制度 今回より派遣審判員証明書発行(写真を添えて)
『JEF NEWS』71 号(春号)、72 号(夏号)、73 号(秋号)
2003年(平成15年)
4月1日 鯨岡兵輔会長逝去 会長代行 小泉直坦氏
常任理事会で第4代会長に下村博文氏(衆議院議員)を推挙、総会で承認を得ることにした。また、大会派遣理
事の数を5人以内とすることを可決する。
第42回 全日本教職員大会 宮崎県宮崎市(宮崎市総合体育館・宮崎県立体育館)
参加都道府県 42
同研修会「競技の勝敗は何によって決まるか?」
講師:宮崎大学教授 廣田 彰氏
第26回懇親会を開く
第5回派遣審判員制度
派遣審判員規程 一部改正(+表彰制度)
『JEF NEWS』74 号(春号)、75 号(夏号)、76 号(秋号)
2004年(平成16年)
第43回 全日本教職員大会 島根県三刀屋町(三刀屋町文化体育館「アスパル」・三刀屋町立三刀屋体育館
大東公園体育館)
参加都道府県 38
同研修会「ジュニア問題を引き受けるには」
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講師:筑波大学名誉教授 阿部一佳氏
第27回懇親会を開く
第6回派遣審判員制度
総会で下村会長留任の承認及び高橋英夫副理事長を次期理事長に選出。
9月に文部科学省より通達があり、下村博文氏が名誉会長となり、会長代行に前田耕作氏を選任する。(下村氏
が文部政務官となり特定の団体の会長職に就けなくなったため。)
今年度より文部科学大臣杯が1杯となり、総合優勝のチームに授与することとなった。
『JEF NEWS』77 号(夏号)、78 号(秋号)
今年度より JEF NEWS は年2回の発行となった。
2005年(平成17年)
第44回 全日本教職員大会 栃木県宇都宮市(栃木県体育館・宇都宮市立清原体育館)
参加都道府県 40
同研修会「長谷川に訊け!」
講師:尚美学園大学 長谷川博幸氏
第28回懇親会を開く
8月6日 全国ブロック理事会の開催
総会で、第5代会長に関場 武氏(慶応大学教授)が選任される。
第7回派遣審判制度
『JEF NEWS』79 号(夏号)、80 号(冬号)を発行 B5版からA4版にした
2006年(平成18年)
第45回 全日本教職員大会 京都府京都市・長岡京市(西山公園体育館・京都府立体育館)
参加都道府県 40
同研修会1「バドミントン競技におけるスポーツ障害と疾病」
講師:京都府高体連研究員 京都府立洛西高等学校 西村 元氏
2「新ルール勉強会」
講師 高橋英夫氏、今井正男氏
第27回懇親会を開く
総会で、規約(会員)一部改正(+各種学校)、規約(会費)一部改正
団体加盟負担金 20,000 円に、また表彰積立金を 1,000 円にする。
第8回派遣審判員制度
『JEF NEWS』81 号(夏号)、82 号(冬号)を発行
2007年(平成19年)
第46回 全日本教職員大会 長崎県大村市(シーハットおおむら体育棟)
参加都道府県 40
同研修会「バドミントン競技で勝つための筋力トレーニングの実践と実際」
講師:長崎県体育協会スポーツ医科学委員・マルヤジム代表 高西文利氏
第28回懇親会を開く
総会で、規約(会員)一部改正(+准教授・助教・非常勤を含めた教育委員会の職員)
次年度より、70 歳以上男子単複、50 歳以上女子単複をエキジビションとして開催することが承認された。
第9回派遣審判員制度
21
『JEF NEWS』83 号(秋号)、84 号(冬号)を発行
『バドミントン 100 問集』1007 - 08 年版発行(2007.12.1)
12 月 18 日 バドミントン 100 問集発刊記念報告会開催 於:ニューオークラ
2008年(平成20年)
第47回 全日本教職員大会 茨城県牛久市・土浦市(牛久運動公園体育館・霞ヶ浦文化会館体育室)
参加都道府県 42
同研修会「競技者育成をトレンドから再考する」
講師:筑波大学体育学系助教 吹田 真士氏
第29回懇親会を開く
第 10 回派遣審判員制度
団体戦の初回戦は3試合行い、以後は2点先取勝ちとする。また 70 歳以上男子単複、50 歳以上女子単複をエ
キジビションとして開催した。
『JEF NEWS』85 号(秋号)、86 号(冬号)を発行
2009年(平成21年)
第48回 全日本教職員大会 兵庫県神戸市(神戸市中央体育館・グリーンアリーナ神戸)
参加都道府県 42
同研修会「バドミントンの生い立ち」
講師:甲南大学スポーツ・健康科学教育センター教授 鵤木千加子氏
第30回懇親会を開く 会の中で地元の演歌歌手によるミニライブが行われた。
総会で派遣審判員規程一部改正(今年度より開催県に 20 万円補助する)
第 11 回派遣審判員制度
『JEF NEWS』87 号(夏号)、88 号(秋号)を発行
2010年(平成22年度)
第49回 全日本教職員大会 鹿児島県薩摩川内市(サンアリーナせんだい)
参加都道府県
同研修会「ゲーム分析から分かること」
講師:NPO 法人日本バドミントン指導者連盟理事長 渡辺雅弘氏
第31回懇親会を開く
総会において派遣審判員規定を一部改正
来年度より宿泊補助費を審判のみの人は1泊 15,000 円、試合のある人は 10,000 円とする。
第 12 回派遣審判員制度
『JEF NEWS』89 号(夏号)、90 号(秋号)を発行
2011年(平成23年度)
第50回 全日本教職員大会 愛媛県松山市(愛媛県武道館・北条スポーツセンター体育館)
参加都道府県 41
同研修会「目からウロコの“マッスルケアー”」
講師:キネシオテーピング協会 CKTI指導員 畑中亮一氏
第32回懇親会を開く
22
本来は山形県で開催する予定であったが3月 11 日の大地震の影響で、急遽愛媛県に依頼し、開催にこぎつけ
た。山形県が用意していた「50 回」のロゴを使用するなど、心温まる大会の開催となった。また今回は一般男子
団体と一般女子団体に県知事賞が授与された。ちなみに中村時広県知事は関場会長の大学の教え子であり、バド
ミントン部員であった。
総会において3連覇の永久杯をやめ、代わりにレプリカを授与することを承認した。
今年度より単複に年齢をまたがって出場できるようになった。(ダブルスは若いパートナーの年齢以下の部に出
ること。
)
70 歳以上男子単・50 歳以上女子単は参加数が8を超えた。(正式な認可はまだであるが、日本協会より金メダ
ルが授与された。)
従来より行われていた全関東教育系大学学生バドミントン選手権を、今年度より全日本大会として本連盟が主
催することになった。そのため、今井先基金に本連盟役員有志の寄付を足してカップを新調した。
第 13 回派遣審判員制度
公益財団法人日本体育協会創立 100 周年を記念して、平田登志郎・里見光徳両氏が功労賞を受けた。
『JEF NEWS』91 号(夏号)、92 号(秋号)を発行
『JEF NEWS』92 号(H23.10.1 発行)は創立 50 周年記念特別号となる。
10 月 1 日 「JEF 創立 50 周年記念の集い」開催 於:アルカディア市ヶ谷
第 50 回大会レセプション
左から:高橋理事長・桜内文城参議院議員・綿貫民輔日バ会長・中村時広愛媛県知事・野志克仁松山市長
(感慨一入の高橋理事長。実は松山出身である。)
23
今号に寄せられた記事の中で、多くの先生方が今井 先 先生のお名前をあげています。我々の大先達、今井 先
先生のプロフィールを龍井昇治副会長がまとめましたのでここに紹介します。
故 今井 先(はじめ)先生 プロフィール
2007 年4月 18 日作成、5月2日修正
1913 年(大正 2 年)2 月 20 日生れ、
三重県出身
1935 年 3 月
青山学院大学卒業、
横浜YMCAでバドミントンに触れる
1941 年 1 月
聖学院中学校・高等学校奉職
1946 年 11 月 2 日
日本バドミントン協会設立に貢献
以後理事として活躍
1947 年 5 月 15 日
東京都バドミントン協会設立に貢献
1949 年 4 月
日本バドミントン協会競技規則書編纂に協力
1951 年 4 月~ 1953 東京都バドミントン協会第5代理事長
1954 年
都中学校大会開催 都中体連加盟
1955 年
東京都教職員連盟設立に貢献
1955 年 8 月
聖学院高等学校バドミントン部顧問として
インターハイ完全制覇
1959 年3月
聖学院中学校・高等学校退職
1959 年 4 月
スポーツ新聞(長野県味噌新聞)編集長
1959 年後半
日本女子体育短期大学 バドミントン部監督
その後大学の監督、全日本・世界チャンピオンを数多く育成
1959 年 12 月
第1回東京都教育系学生バドミントン選手権大会開催に貢献
1961 年 9 月 30 日
日本教職員バドミントン連盟設立に貢献
1962 年 8 月 10 日
第1回全国教職員バドミントン大会開催に貢献
1963 年 4 月
二階堂高等学校奉職
1965 年
日本教職員バドミントン連盟機関誌「バドミントン体育」創刊
1965 年 12 月
第1回全関東教育系学生バドミントン選手権大会開催に貢献
1969 年
第 5 回ユーバー杯大会(防衛戦)で監督を務め優勝
1973 年 5 月
第1回全東京母と子どもの大会開催 入賞者と共に香港へ海外遠征
1975 年
日本教職員バドミントン連盟機関誌「JEF NEWS」(改称)創刊に貢献
1977 年 4 月 4 日
バドミントン・ハンドブック 100 問集初版発行(遊戯社)
1980 年 10 月 28 日
バドミントン・ハンドブック 100 問集再販発行(遊戯社)
1983 年 3 月
日本女子体育大学退職
世田谷区の「尾山台地域体育館バドミントン教室」開催
小冊子「きょうも たのしく バドミントン」発行
1995 年 11 月 22 日
逝去 享年 83
付 全日本教職員バドミントン選手権大会出場成績
回
期 日
開催地
種 目
1
1 9 6 2 . 8.10-11
東京都文京区
40MS 2位
種 目 パートナー
40MD 1位 伊藤 基記(熊 本)
2
1 9 6 3 . 8.10-11
群馬県桐生市
50MS 1位
50MD 1位 伊沢 三郎(神奈川)
3
1 9 6 4 . 8.13-14
三重県伊勢市
50MS 1位
50MD 1位 伊沢 三郎(神奈川)
4
1 9 6 5 . 8.09-11
大分県日田市
50MS 2位
50MD 3位 浅田 一雄(大 阪)
5
1 9 6 6 . 8.09-11
北海道札幌市
50MS 2位
50MD 3位 平田登志郎(東 京)
6
1 9 6 7 . 8.15-17
富山県高岡市
50MD 2位 江尻 桂三(東 京)
7
1 9 6 8 . 8.05-08
大阪府大阪市
50MD 1位 佐藤 哲郎(北海道)
8
1 9 6 9 . 8.09-12
埼玉県上尾市
50MD 3位 橘田 広国(東 京)
9
1 9 7 0 . 8.04-07
岐阜県岐阜市
40MD 2位 平田登志郎(東 京)
24
<特集:親子2代での出場者>
父を目 標 に
栃木県
遠井稔男・努
皆さん、こんにちわ。ご無沙汰しております。
はじめに、去る3月11日の東日本大震災に際し、お亡くなりなった方々のご冥福をお祈りすると共に、
被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。また、一日も早い復興を期待しております。
教職員連盟は、創立から50年を迎えました。私の入会の動機は、今井 先先生の鶴の一声でした。「関
東教職員をまとめてください。」と。今は感謝でいっぱいです。その後、昭和30年から40年ごろまで、機
会ある毎にご指導をいただきました。特に、日本バドミントン協会が年を経る毎に多くなった審判と選手
を、本格的に外国に向けて強化したのは、先生の影響が大きかったと思います。
全日本教職員大会は、先生方の指導力と技能の向上を目標にスタートしたことを思い出します。私も若
い時はよく大会に出場し、ゲームを楽しみ、年1回の仲間との再会と来年の出場の約束をしたものでし
た。ともに戦い、交流を深めることで、大会が思い出に残るすばらしい大会となりました。入賞もしたこ
ともよく覚えています。特に、第1回東京をはじめ、埼玉、山梨、富山、石川、青森、三重の大会は各地
の名所・名物とともに、記憶に強く残っています。
しかしながら、ジュニア層の強化は教職員にかかっています。今大会も大いに試合を楽しみつつも、先
生方が選手強化について真剣に話し合う場でもあると思います。今後も、優秀な選手の発掘とその指導に
情熱をかけてくれることを期待します。
息子の努です。父の影響で当然のように始めたバドミントンですどういう訳か、嫌いになることもなく
いまだに続けています。教職員大会
も、栃木県大会の視察をかねて出場
した千葉大会に初出場、以来、選
手・審判と参加すること4回です。
どの大会も栃木の先生方と大いに楽
しみました。なかなか遠くの大会に
参加することができませんが、今後
は是非、妻とも参加して、家族を連
れて各地を見て歩きたいと思ってい
ます。
なかなか父のようにはいきません
が、父を目標にこれからも頑張りた
いと思います。
25
<特集:親子2代での出場者>
親子二代での教職員大会
香川県
松村伸二・咲希
今年の教職員大会が、第50回という記念すべき大会となり、おめでとうございます。関係者の皆様に
は、今までのご苦労やご尽力に対し、感謝の気持ちでいっぱいです。
この記念すべき年に東日本大震災の影響で、会場が急きょ松山市に変更されましたが、被害を受けられ
た地域や教職員の皆様、今でもご苦労されている方々に心よりお見舞い申し上げます。
私が住む香川県の紹介を少しさせていただきます。日本一小さい県として、昔は讃岐国と言われ、波穏
やかな瀬戸内海に面し、青々とした山並みが優しく重なり合う美しい自然に恵まれ、田畑も多いところで
すが、昔から水不足に苦しめられ、数多くのため池を造りました。産業も発達し、特に「讃岐三白」の名
でよく知られている砂糖・塩・綿を始め、漆塗りやうちわなどの日用品や工芸品も多く作られていまし
た。現在は「さぬきうどん」が一番有名で、美味しくて安いのが定番です。
さて、私が教職員大会に初めて出場したのは、昭和55年に日体大を卒業して、二年目の佐賀県嬉野市で
行われた21回大会です。それから30年、半分くらいに参加しました。その中で一番の思い出は、平成元年
の28回大会を地元坂出市で開催したことです。香川県教職員連盟の理事長になったばかりで、全国大会の
開催も初めての経験の中、県協会や周りの先生方に助けられ開催することができました。そして、選手と
しての成績も成壮年団体で3位、30歳ダブルスで優勝でき、とても感動しました。
また、中学校の教員としても自分
の経験を生かし、生徒を指導して全
国大会に出場させることを目標に生
徒と一緒に汗を流していた時が懐か
しいです。最近は仕事の関係で、指
導者やプレーヤーから離れてしまい
寂しく思っていました。その中で10
年ぶりに平成21年48回神戸大会に開
催地が近いこともあり参加すること
にしました。それは、娘が両親と同
じ日体大を卒業して、同じ教職の道
を選んで香川県に帰ってきたことが
最大の理由でもあります。親としては、大変な仕事を選んで大丈夫かと心配な反面、嬉しい気持ちも強
かったです。仕事を忘れ、シャトルを追いかけ頑張り活躍している娘の姿を見て、頼もしく思いながら、
大人になった今でも、子どもの時の試合を見ているように、ハラハラ・ドキドキしながら応援し、親子一
緒にバドミントンができる幸せを感じていました。これからも娘の成長と活躍を期待しながら、バドミン
トンに関わっていきたいと考えています。
最後になりましたが、これからも全国の仲間と一緒に会員皆様の益々の活躍と教職員連盟や教職員大会
が、今まで以上に発展することを心より祈念申し上げます。
26
<特集:親子2代での出場者>
親子で参加した全日本教職員大会を振り返って
埼玉県
帰山好和・広規
私がバドミントンを始めたきっかけは、父がとても『かっこよく見えた』これに尽きます。これが原因
でバドミントン競技を開始、直ぐに私はバドミントンの魅力に引き込まれていきました。父のことなど考
える暇も無く、しゃにむに頑張った競技生活ですが、今思うと無意識に父の背中を追いかけてきたような
気がします、父は『もう、とっくに超えている』と言いますが……。日本体育大学卒業後、埼玉県の川口
幼稚園に奉職し職員になった私は全日本教職員大会に出場できることなど夢にも思っていませんでした、
というのも当時は参加資格が無かったわけです。しかし、規約が改定され参加資格が得られることになり
ました、幼稚園は夜遅くまでの勤務になりますが、合間を縫って県の教員練習会に参加させていただきま
した。動かなかった体も少しずつ動くようになり、いよいよ父と一緒に全日本の大会に参加することにな
りました。父も立場上の仕事や小松原高校バドミントン部が今上昇気流に乗っている事もあり、『参加記
録はもっと伸ばしたいが、いつまで参加できるものか?』と時々心配していました。こんな話を聞くと1
年も無駄には出来ないという思いに駆られました。そして、2007年 第46回長崎大会・2008年 第47回茨城
大会に私が一般団体・父が壮年団体へと出場しました。種目の違いはあっても、試合をしたり応援をした
りと本当に楽しい時間を過ごすことが出来ました。結果は父が2年連続・準優勝、自分が第3位という結果
でした。CMにも出てくるようなお金では絶対に買うことの出来ないすばらしい思い出を手にすることが
出来ました。当然、その夜は父と傾
けるグラスのつまみは試合の話で格
別なものになりました。親子で参加
の機会がある皆さん是非味わってみ
て下さい、私も父もさらに機会が増
やせるように努力します。最後にこ
んな素敵な機会を与えて下さった役
員の皆様本当にありがとうございま
した。
前列中央:父 好和、右から 2 人目:息子 広規
27
<特集:親子2代での出場者>
親子二代での出場
新潟県
前田邦光・幸
この度は50周年記念号に拙文を載せて頂くことになり、心から感謝しております。これと言って書く程
のものを持ち合わせておりませんが、ありがたい機会ですので少し書いてみたいと思います。
一、親子で出場させて頂いている娘のこと。
三女幸が初めてラケットを握ったのは確か3才の頃だったと記憶しています。家の中にはラケットや
シャトルがゴロゴロしていましたし、天井からはシャトルがゴムで吊ってあり、それをめがけてラケット
を振っていたものでした。娘が小学校3年生の時に、有志でジュニアクラブを立ち上げ、彼女も第1期生
として参加しました。その当時のメンバーにも恵まれ、県内はもとより全国大会でも優勝するなど大活躍
の小中学生時代でした。
高校は名門新潟青陵高校で、日本的は名指導者、佐藤秀夫先生に薫陶を受けました。インターハイや国
体にも出場させて頂き、大変充実した高校生活だったようです。大学でも、社会人になってからも続けて
おり、バドミントンに対する情熱は並々ならぬものがあると感じています。私が何よりもすごいと思うの
は全国各地にバド仲間が居て、それらの人々と試合に、練習に、飲み会にと交流を続け、その輪を広げて
いることです。かく言う私も、恐る恐る娘の後ろにくっついて行っては、無理矢理仲間に入れてもらい、
生きる喜び、バドをする喜び、飲む喜びを感じさせてもらっています。
二、ダブルスのペア奥村紀男君のこと
教職員大会に出場するようになってから30年以上になりますが、その大半を彼と組ませてもらっていま
す。年令別ダブルスではほとんどの年令で優勝していますが、それは完全に彼のおかげです。彼は私とは
全く正反対の性格で、沈着冷静、沈思黙考、虚心坦懐、用意周到、不言実行、明鏡止水、粉骨砕身、遠謀
深慮を絵に描いたような男です。彼は高名な高校教師でサウスポー、私はしがない幼稚園理事長で右き
き。共通点は新潟高校の同期であること、バドと妻をこよなく愛していること。これだけ素晴らしい彼で
すが、私にはどうしても納得できないことがあります。それは私は中学・高校・大学とバド部一筋、彼は
高校では柔道部、バドは教師になってバド部の顧問になってから始めたというのに、彼の方がうまいこ
と。いわゆる天才というやつなのでしょう。しかし何と言っても、彼の私に対する寛容と忍耐の精神のお
かげでここまでやって来ることが出来たのだと心から感謝しています。
三、妻のこと
これが又素晴らしい。彼女の献身的な内助の功なしには4人の子どもの子育ても、幼稚園経営も、バド生
活も成立しなかったと思います。全国大会にはマネージャー兼トレーナーとして必ず付き添って行ってく
れ、私を支えてくれています。子どもたちが成人した頃からバドをやり始めて、今では私の立派な練習相手
をやってくれています。彼女もサウスポーで最近は私を追い越す程に上達してしまいました。サウスポー恐
るべしです。親子、夫婦、家族チームでやるような大会があったら参加してみたいと思っています。
四、最後に私のことを少し
中学校からバドを始めて約60年もやっているのにさっぱり上達しませんが、生きる楽しみのひとつで
す。特に教職員大会は一年の最大目標で、年間の走り込みや計画的はトレーニングなどに余念がありませ
ん。今回は70ダブルスが無くなったので少し残念ですが、高校の先輩、佐藤俊夫先生が出られる間はなん
としても出場し続けたいと思っています。
28
<特集:親子2代での出場者>
北海道大会の思い出
山口県
津守幸介・真治
昭和62年8月、全日本教職員バドミントン連盟大会が、北海道苫小牧市で開催されることになった。こ
の年4月に新採用で教員となった息子が出場したいといい、それぞれのパートナーとも了承を得て、申し
込みをした。
せっかく北海道に行くのなら、観光も家族でしようとなり、旅行業者に計画を依頼した。
私は東京で開催された第1回のこの大会に出場している。山口県でも下関市でこの大会を開催している
し、いろんな県に出場していた。息子は当然初出場ということだ。昭和38年に山口国体が開催されたが、
この前年に誕生した息子は、私の練習会場に来てラケットを握っていた。また息子が小学生の時、下関市
親子バドミントン大会が開催されたが、私と組んだ息子は優勝したのだった。
さて、実家のある山口市に転勤していた私は、マイカーで行くことにした。但し息子は新採研のため、
一緒に行けなかった。8月9日、女房と娘、3人で山口を出発。舞鶴から新日本海フェリー「あかしあ」
に乗船、11日朝、小樽に上陸、飛行機できた息子を千歳で迎え、苫小牧の宿に入った。
一般男子単に出場した息子は、1回戦何とか勝ち、2回戦はスタミナ切れで敗れる。翌日復に出場、か
なり健闘したが負ける。
13日、50代復に出場した私達は、1回戦、誠に調子よく、うまく動けて楽勝。2回戦は、前年度この種
目で優勝している第1シード熊本の元田組、これはなかなか手強い。ゆっくりかまえたのではダメと思
い、積極的に動き回り打ちまくったのが功を奏し、1セットを先取した。これは予想外。2セット目に
入ったら、あれだけ動いていた脚が止まって、遂に心配していたケイレンがきた。これからは相手のなす
がまま、3セットは棄権するしかなかった。大変残念だった。
この夜は、札幌市泊、センチュ
リーロイヤルホテル・14日から、
マイカー「コロナ」で家族4人、
層雲峡、ウトロ、摩周湖、然別湖
を回って札幌に帰って小樽から
カーフェリー、舞鶴から山口へ、
帰着は19日。
特に、美幌峠から摩周湖にかけ
て、くもりからどんどん晴れ、素晴
らしい景色。最高だった。大会参加
と、マイカー約三千キロに及ぶ旅
行、素敵な思い出となっている。
29
<特集:親子2代での出場者>
息長く続けたい
兵庫県
西村勝・哲
40歳前後から12月に兵庫県教職員、1月に近畿教職員の各大会に参加になり、全日本教職員大会には
50歳過ぎから参加しています。初めて参加した米子大会(第34回)で、50代ダブルスで2位となりまし
た。頑張れば優勝できるのではないかと、それ以来毎年8月にはシングルスを中心に各地を巡っています
が、はかない夢に終わっています。60代シングルスで3位入賞があるのみです。
一番印象深い大会は、2位になった米子大会です。1日の試合数も多く、ユニフォームが足りなくて、
あわてて買い求めました。試合ごとに水分をとりすぎて、大量の汗をかき、全身水をあびたように、着替
えた短パンの裾からも、汗がポタポタと流れ落ちるようになったのは、初めての経験でした。
千葉大会では、まだ学生であった息子が、応援に来てくれたことがありました。最近は、全日本教職員
で京都、茨城、神戸、鹿児島の各大会に親子でお世話になっています。高齢になり、12月の県教職員大会
の夜の懇親会で、「父がお世話になっています」と冗談をいわれるような年齢になりました。
とはいっても、日常は県の北部と南部に分かれて生活していて、一緒に練習をすることもありません。
大会で会って、夜一緒にビールを飲みながら情報交換をするのが楽しみな時間です。今は、小学生の孫が
ジュニアの大会に参加するようになり、自分たちよりも孫の成績が気になる年齢になりました。
何歳までプレーできるかわかりませんが、今は、県北部の協会のお世話をさせていただいていているこ
と、一般の部のスピードがありレベルの高いゲームを見るのを楽しみに、全日本教職員大会に参加を続け
ることなどによって、バドミントンにかかわり、1年でも長く続けたく思います。
開催地兵庫県が総合優勝
30
<特別寄稿:選手>
JEF NEWS 92号・50周年記念号
発刊に寄せて
神奈川県
杉田 博
JEF NEWS 92号・50周年記念号発刊を心からお祝い申し上げます。半世紀に亘り連盟の発展にご貢献
されてこられた先輩の諸先生方、また、それを引き継いでますますのご発展に寄与されている先生方のご
努力に深甚の敬意を表します。
暑さ嫌いな私が、第2回大会から連続49回も出場していられるのも、連盟の先生方の温かい心遣いのこ
もった運営と、開催地の先生方のご努力があり楽しめる大会の賜物だと感謝に絶えません。
バドミントン大好き・旅行大好きで、その都度機微に触れ交流が深められ、生徒の指導や自己の向上の
ために多くの先生方から教えていただくことが多々あったことが大きな要因と考えられます。
毎年、夏期休暇に入り合宿・インターハイ・教職員大会と続く生活も、生徒達の励ましや周囲に見守ら
れているという感覚から辛くても厭だと思ったことがなかったことが不思議に感じられます。
振り返ってみますと、この大会が一種大会でベスト8に入るとその年の全日本総合選手権大会に出場で
きたことから、殊の外思い入れが深く28年間も連続で全日本総合に出場できたことも皆様の応援のお陰と
感謝しております。
先輩の伊藤(熊本)・山上(岡山)先生や、凌ぎを削った良きライバルの鈴木(秋田)・南(熊本)・
杉原(山口)・中嶋(富山)等、多くの先生方が鬼籍に入られたことが大変残念でなりません。この50年
を思い出しながらお喋りをしてみたかったなと感じます。心からご冥福をお祈りしたいと思います。
大会の思い出は毎年数多くあるのですが、一番印象に残った試合は第35回千葉大会の時です。
成壮年団体戦で、東京との決勝戦1対1で50歳以上に優勝がかかりました。東京の関・戸塚組と近藤・杉
田組でファイナルゲーム14オールのセティングとなり1時間半近くの死闘でした。試合終了が夜の9時近
く、勝ったという嬉しさよりも終わったというホッとした瞬間の脱力感、「時間だぞ・早く出ろ」という
警備員の怒声に我に返り荷物をまとめるのもそこそこに体育館を裸足で出たことを覚えています。
コートに入れば自分との戦いだと言いますが、1打ごとの応援合戦は団体戦ならではの力の結集が戦意
を高め存分に力を発揮できることをつ
くづく感じました。
翌日のダブルスも近藤さんのお陰で
優勝し、3日目のシングルスもベスト
4に残りましたが疲労困憊、空中でも
よい・水上でもよい身体を浮かせて
漂っていたい気持ちでいっぱい、こん
な気持ちになったことは自分自身はじ
めてであり不思議な感覚でした。
暑い最中の大会運営にご努力されて
いる先生方に感謝し、連盟のますます
のご発展を祈念いたしまして寄稿文と
させていただきます。
31
<特別寄稿:選手>
第50回大会に思う
千葉県
この記事は聞き書きの形をとりました。(JEF 理事 前田正志)
田中康二
第5回大会から連続46回出場している。第5回大会(札幌)大会に参加し、行くだけで丸1日を費やした。当
時、青森まで11時間、青函連絡船約4時間、函館から札幌まで急行で5時間を要した。よく札幌まで行ったと思
う。札幌だけあって、天然クーラーで寒いくらいだった。試合結果はダブルスベスト8。シングルスでベスト4
に出るときに1ゲームリードしていたのに、2ゲーム目で痙攣をして、棄権した。当日寒かったからかも……。
年齢は25才頃での話。全国教職員大会を知らなくて、知ったのがその年、当時は、ベスト8以上が全日本総合選
手権に出られた。教職員大会が総合に一番出やすかった。その時はダブルス、シングルスに参加した。次の年
は、富山県高岡市で行われ、福井国体のために福井へ行った日本体育大学(キャプテン)出身の山谷さんと初回
戦で対戦することになり、基本を打っているのを見てこれはすごいなと思った。俺は何しに来たのだろうと思っ
たけど、せっかく試合に来たのだからと思い直して頑張った。そして、その試合をものにすることができ、勝ち
残っていって、ベスト4を取るところで富山県の清水氏とフルゲーム戦った。1ゲーム取られて、2ゲームの途
中で、彼が気持ち悪くなり、コートに戻したりしていた。しかし、当時は事故タイムというルールがあり、新婚
の奥さんが応援に来ていたからか、2ゲームは取ったものの、3ゲームで負けてしまった。新婚の強さかな? 準決勝で清水氏は棄権して、その時は、もう一つの山も棄権して、準決勝はやらないで、工藤氏・杉田氏の決勝
となったエピソードがあった。
大会に参加するときは、いつも観光をしようと思っているが、試合後、疲れ切ってしまい、毎回そのまま帰る
ことが多い。気力と体力がなくなってしまい、結局帰ることになってしまう。それに若い頃はお金もなかった
し、余裕もなかった。夏のボーナスを試合に使ったようなものだった。安全ピンでネームをつけていたし、当時
のユニフォームは、白一色だった。今のユニフォームでも、白にこだわる理由は、シャツもあまり毎年買わない
からだ。イメージ的に白しか着ていないような気がする。杉田氏のように自分より若い年齢の試合に出るわけで
はなく、年齢に応じて出場している。今後も続けられる限り出場していきたい。できるだけ病気しないように心
がけて出場したいと思っている。今までも、大会に合わせて健康管理している。これまでいろいろな病気をして
きたが、試合の合間をみて、手術をしたりした。今は、膝も痛いし、頑張っているが、歳が歳だけに厳しい。
試合前のこだわりとして、走ることを心がけている。走った年は、結果もついてくるが、やらなかったときは
ふるわなかった。試合の1ヶ月前にはトレーニングをしたり、練習に専念したりすることがある。しかし、最近
は走らなくなった。練習はというと、若いときは週3回やっていたけど、現在は2回程度になった。学生と打つ
ことにより、速さについていけて練習になる。特にレシーブがよくなる。動きは鈍くても、レシーブだけはできる
ようになる。
近年のルール改正によるラリーポイントについては、変わったばかりの時は前の方がよかったけど、常に試合
は、2、3ポイントリードしていれば何とかなると思う。
今大会では、46回出場であると思われるが、石川県の原氏と同じだろうと思う。出場回数では20回でもうやめ
ようかなと思ったが、もうちょっとやってみようと思ってやったら、次にまた、もう少しやりたいとなって、現
在に至った。
仕事も忙しく、県の理事長や中体連、関東、全国の委員長をやり、日本協会の指導員もやってきた。学校の仕
事との両立で大変な時期がたくさんあった。部活やその他でも大変だった。
ところで、ラケット2本持ってプレイしていいの?使っていいの?という質問があったりするが、僕は2本もって
試合に出たいなと考えている。なあんてね……。
以前はミックスでも全国大会にいったこともあるが、なぜ
なくなったのかなあ?いろいろあると思うけど、また、やり
たいね。
今後の教職員連盟に対する要望としては、たとえば50回記
念大会であるので、記念式典も一緒にやるとよかったと思っ
た。全国大会のときにやるといいね。今後検討してほしい
ね。地方の人はなかなか集まれないのではないかな?今回は
震災の関係で急だったのでやれなかったんだよね。それと何
か総合優勝は東京都のためにあるんじゃないのと僻んでみた
りしている。国体みたいに開催県でとれるといいよね……
32
<特別寄稿:選手>
創立50周年を祝う
新潟県
奥村紀男
日本教職員バドミントン連盟50周年 おめでとうございます。
研修と競技力向上の場という目的のもと、運営に携わってこられた歴代の役員並びに関係者の方々の熱
意とご努力、さらにそれに賛同して連盟を支えてこられた全国の教職員の皆様に心から敬意を表したいと
思います。
振り返りましと、私はバドミントンの経験がなく、高校のクラブ顧問に任命されたことをきっかけに40
才から始めました。「門前の小僧習わぬ経を読む」のたとえのように、全く見様見真似、我流もいいとこ
ろでした。誘われて「教職員バドミントン連盟」に加盟しましたが、最初はとても敷居が高かったことを
覚えています。ましてや「全国」の名のつく大会に出場することなど思いもよらぬことでした。恐る恐る
最初に出場した「弘前」の大会で屈辱的敗北を喫し、「無理、もう出場しない!!」と誓ったものでした
が、ほとぼりが冷めると、大会の緊張感、全国の先生方との交流の魅力、新潟県選手団の雰囲気の良さに
誘われ夏の定例行事になってしまいました。更には大会終了後家族で開催地を出発点として旅行する楽し
さも加わり、全国各地を旅することもできました。
新潟県の選手団は少人数の参加から徐々に充実し、団体戦全種目にエントリー、更に入賞をはたすなど
輝かしい成績を上げたこともありました。しばらく県の評議員を仰せ付かり、大会には初日から出席しま
したが、総会、研修会の出席者の少なさに戸惑ったものでした。せっかくの本部並びに開催県の努力にも
拘わらず申し訳ない気持ちに駆られたことを記憶しています。役員を若い方に引き継ぎ、又県の選手不足
から団体戦のメンバーも組めなくなった最近は、自分の試合のみに合わせ参加するようになってしまいま
した。もっとも団体戦をエントリーできない県は初日からの参加はきびしく、せっかくの総会、研修会も
主催者のご努力にむくいられず寂しい結果となっているのではないでしょうか。いい工夫はないかといつ
も思っています。
年令が進みかつて対戦させていただ
いた方々もポツリポツリ姿を消し寂し
い限りです。個人戦ダブルスは同県の
パートナーでないと出場できません
が、前田邦光先生と同年令で、ずっと
組ませて頂き、彼に支えられこの年令
までプレーでき感謝しています。今後
いつまで続けられるかわかりませんが
充実した「全国の夏」を迎えるため健
康維持に努めたいと思っています。
33
<特別寄稿:選手>
忘れられない新宮大会
新潟県
佐藤俊夫
全日本教職員バドミントン大会には、34回出場させていただいた。その中でも特に忘れることができな
いのは、定年退職して60歳以上の部に出場した平成9年の第36回新宮大会(和歌山県)だ。
8月9日はダブルス。3面だけの小さな体育館は、蒸し風呂のように暑苦しかった。初めてペアを組ん
だ島谷先生(北海道)とは1回戦で息が合い、準決勝で前年優勝の鈴木(秋田)・東(北海道)ペアと対
戦した。
鈴木先生の体調が良くないという噂は聞こえてきたが、半信半疑で試合に臨んだ。先生はやはり本調子
ではなかった。3ゲームに入ると、先生の脚は縺れ、ショットは乱れ、呼吸は喘いだ。それでも、まだ私
たちは勝利を確信できず、容赦なく攻め続けた。先生は体力の限界を超えても、気力でラケットを杖にし
て身体を支えながら応戦する壮絶な戦いとなった。結局、試合は私達が勝った。試合が終わると、先生は
奥様に付き添われて、フロアの隅で横たわっておられた。
その年の11月、先生は亡くなられた。バドミントンをこよなく愛し、第1回の大会から36回連続出場を
果たして「生涯現役」という信念を貫き通してバドミントンに散った。正に最後の試合だった。合掌。
翌10日はシングルス。第1シードの鈴木先生は棄権。私は準々決勝で柳田先生(東京)を破って、準決
勝で東先生と対戦した。1ゲームは取ったものの、2ゲームを落とし、3ゲームも5-10と追い込まれ
た。しかし、私の方がスタミナがあると信じ、そこから必死に粘って差を詰め、追い付き、逆転して勝っ
て決勝に駒を進めることができた。
準決勝が終わると、すぐ外へ出て、水道のホースから頭・肩・脚に水を掛けて冷やし、スポーツ飲料を
飲んで決勝戦に備えた。しかし、120くらいの速さで打っている心臓の鼓動が治まらないうちに試合が始
まってしまった。相手は中村(恭)先生(埼玉)。1ゲームを15-7で取り、2ゲームも14-7でマッチポ
イントを迎えた時、内心、7点・7点で勝ったと思った。が、数回のチャンスをことごとく逃し、逆に14
-16でゲームポイントを握られてし
まった。私は疲れ果て、相手はまだ元
気に見えた。3ゲームになったら勝て
ないかも知れないと不安が過ぎる。又
とない優勝のチャンスを逃す手はない
と、2ゲームに全てを懸け、集中して
プレーに打ち込んだ。
マッチポイントが決まった瞬間、
「やった!」と思わずラケットを高く
放り上げていた。永年の夢が叶った初
優勝だった。
34
<特別寄稿:選手>
1点の重み
石川県
原 栄一
日本教職員バドミントン連盟が創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。
私が初めて全日本教職員バドミントン選手権大会に出場したのは、第4回大分(日田市)大会です。以
来、平成9年三重(新宮市)の第36回大会を除いて毎年出場してきました。
大会の思い出はたくさんありますが、何といっても初優勝の感動・感激です。昭和42年第6回富山(高
岡市)大会で、一般男子複で北方先生(尾山台高校、当時藤花高校)と組ませていただき(私にとっては
こういう表現になります)初優勝したことです。そしてこれが私にとって全国大会での初優勝となった記
念すべき思い出となったのです。
昭和47年第11回秋田市の大会での一般男子団体初優勝、平成15年第42回宮崎の大会での男子成壮年団体
の初優勝、特に平成16年第43回島根(三刀屋町)大会で、我がチーム石川は初の総合優勝を勝ち取ったこ
とは忘れることができません。総合表彰制度を取り入れてから4年目にしての快挙でした。しかも得点は
なんと1点差(石川県は123点、2位熊本県は122点)での優勝、さらに60歳男子単での私の初優勝がなけ
れば、総合優勝はなかったのです。プレッシャーのかかった苦しい試合で勝利は大変感慨深い、うれしい
ものでした。
実は、前年の第42回大会で、石川県は総合2位(石川県127点、1位東京都128点)という成績でした。大
会最終日、石川県は3種目準決勝に残っており、1種目でも決勝戦にでれれば、総合優勝のチャンスが
あったのですが、残念ながら1種目も決勝戦に進出することができませんでした。その3種目に私も入っ
ており、実に悔しい思いをしました。こういうことがあっての総合初優勝ということでは思い出深いもの
となりました。
振り返ってみますと、このように私が続けられたのは、先輩たちが残してくれたチーム石川の雰囲気
が大好きで毎年大会でチームの皆といっしょに、全国のいろいろな選手とバドミントンの試合ができる
ことが楽しみでありました。気が
ついたらこのように長くバドミン
トンを続いていたということで
す。健康が許す限り今後も続けた
いと思っています。
最後に、日本教職員バドミントン
連盟のますますの発展をお祈り申し
上げます。
第 43 回島根大会で総合優勝
35
<特別寄稿:選手>
大会に初参加した時の「思い出」
北海道
石井 仁
私が日本教職員バドミントン大会に出場するようになったのは、東京の平田登志郎先生の強い勧誘によ
るもので、第2回群馬の桐生大会が最初の出場でした。参加人数も少なく、家庭的な雰囲気でした。
北国育ちの私は、暑いところが苦手で大変な暑さに驚きました。インカレとか国体なんかは秋ですの
で、暑い感覚は理解してませんでした。
私の住んでいる札幌は、1年を通して気温が30℃を越す日は1週間ぐらいで、しかも朝夕は気温が下が
り、空気がからっとして清々しいのです。新聞報道によると札幌は若者が「住みたい都市」の1位になっ
ていて、大変良い所なのです。札幌に住む私が、1年で一番暑い8月上旬の試合に初めて出場して、大変
な経験をしました。まず、試合会場の蒸し暑さに驚きました。私の試合が始まると、足の裏が暑くて暑く
て、フライパンの上でバドミントンをしているみたいで、大変暑く辛かった。足の裏が暑くなったのは、
はじめてでした。一試合終わると、ポロ、パンツ、短パンまで汗に濡れ、全部取り替えなければなりませ
んでした。試合前の練習で腕時計をしたまゝ練習したら、時計に汗が入り、文字盤が変色し、ついに止
まって、分解掃除をする羽目になりました。試合中は、顔の前に空気の壁があるみたいで、空気をうまく
吸えないで、呼吸困難者が試合をやっているみたいで惨めでした。
この大会で大変良かった事は、研修会があった事でした。今と違ってバドミントンの解説書は殆どな
く、ましてやCD等全く無い時代でした。研修会には日本を代表する方々が来られて、幅広く多岐にわ
たってお話をしていただき、本当に参考になりました。
私はこの計画は素晴らしいと、感心いたしました。又、夜はビールを飲みながら、熊本の故伊藤基記先
生、東京の故今井先先生・平田登志郎先生等とバドミントン談義をして、それぞれの先生方のバドミント
ンに対する世界を知る事が出来て、私にとっては大変楽しい場でありました。
あれから50年、今では暑さ対策も少しばかり上手になり、勤務校であった北海道教育大学(札幌校)の
バドミントン部の指導を、未だに続けて57年目に入りました。
もう、そろそろですね。
36
<特別寄稿:選手>
教職員連盟に感謝
東京都
関 一誠
日本教職員連盟50周年おめでとうございます。
長いこと連盟から離れていた私に原稿依頼をいただいたときは、正
直、大変な戸惑いがありました。特に連盟に対しての貢献度となると皆
以前訪れた Badminton Castle にて
無と言ってよいほどなので申し訳ない気持ちでいっぱいです。そんなことから、原稿を書くに当たって記
憶を辿るのに少しの時間と資料の見直しが必要となりました。
私は、昭和43年に大学を卒業し、その年の夏の教職員大会に新人として参加しました。確か第7回の大
阪大会であったと記憶しています。まだまだ、規模の小さい大会でしたが、そのことがかえって出場して
いるほとんどの先生方のお顔を直接拝見することができ、多くの方々と親交を持つことが出来ました。特
に、県別団体戦においては、対戦した数々の先生方の指導者としての姿勢、考え方など多くのことを学ぶ
ことができました。試合に臨むまえに、わくわくするほど興奮し、楽しく競技することが出来ました。
また、中学・高校時代にご指導いただいた恩師とも言える先生方が、はつらつとプレーされていらっ
しゃるお姿を拝見し、私が同じ会場に居てバドミントンをしていることが奇妙に感じるとともに、たいへ
ん感激した次第です。
教職員大会は、全国の教職員が一同に集い、「意見交換する場」と心得ておりますが、元来、試合の勝
ち負けにさほど頓着する性格ではないので、とにかく対戦する相手と良い試合、フェアーな試合が出来る
ことを望み、懇親を深めることを第一目標にしておりました。
口下手な私にとって全国の先生方との一球一打のラリーが、対戦者との対話する手段と心得、そのこと
が喜びであり、大会ごとに友人をつくれる新しい発見でもありました。
そこで、記憶を紐解くには何と言ってもJEF NEWSが一番の参考資料である考えました。幸い、手元
にほとんどのJEF NEWSが揃っていました。創刊号は昭和50年秋季号として発刊され、表紙を飾ったの
は、上原・名和(岐阜)選手でした。第2号は原・長谷川(石川)選手、第3号植野(大阪)選手、第5
号石田(岡山)選手と続き、それらの選手から、美しく、激しく、厳しく、正しいバドミントンを教えて
いただきました。同時に教職員大会を通じて得た最大の親友でもありました。
JEF NEWSの2号に私の最大の恩師である今井先先生が「指導とは?ささやかな告白に寄せて」と題
し寄稿されておられます。冒頭に「指導とは教えることか、育てることか……優れた指導はこの両面を備
えていなければならないと思う。」と書かれていらっしゃいます。私はというと、どちらも落第です。こ
れだけバドミントンに関わってきた時間が誰よりも長いと自負しているのに関わらず恥ずかしい限りの一
言で、今井先生の言われる指導者に近づくことがいまだ出来ていない状況で反省すること頻りですが、改
めてJEF NEWSを繰って見ると先人の残された言葉の遺産に深く敬服しているところです。
それでも、教えていただいたことは私の活動の場である大学体育で少しは生かすことが出来たと思いま
すし、バドミントンの普及にほんの少し貢献できたかなと思っております。何よりバドミントンを愛する
仲間である教職員連盟に深く感謝している次第です。
37
<特別寄稿:選手>
連盟50周年に寄せて
熊本県
工藤勇参
日本教職員連盟50周年、誠におめでとうございます。振り返りますと私が教職員としてデビューしたの
が昭和42年8月の高岡大会、第6回大会からです。何も分からぬまま熊本より恩師伊藤基記、本郷節生、
沢田昭臣、南直治、西田寿明各先生方に連れられて出場し、団体とシングルスに優勝することが出来、高
岡名産青銅のレプリカ計13枚を戴き、帰途のJRの「チッキ」便で西田先生と最後まで残り荷造りをして、
大変なデビューでありました。私は神様と仰ぐ杉田博先生のプレーにあこがれ、毎年毎年今でいう追っか
け的にバドミントンの勉強をさせて戴いたものでした。
回を重ねるうちに教職員のレベルも向上をし、インカレチャンピオンが仲間入りするようになり、これ
まで生徒指導の延長で年に一度の息抜き大会、暑中見舞的な考えで夏の行事の一大イベントでありまし
た。今もそうですが、インターハイが終了した一両日中に近県での開催、我が熊本県教職員チームは、成
壮年と団体個人で優勝を狙えるチームになり、私もインターハイの帰りに部員を先生方のチームマネー
ジャー(実は洗濯、食糧、飲料水の調達係)として全国を巡った思い出は今でも私の教職員時代の大きな
財産であります。チームもいつしか年令が上がり成壮年団体13連覇は今の熊本県バドミントン協会競技成
績の中でも偉大な記録であります。
私の部も昭和50年代から60年代半ばまで全国制覇の出来るチームに育ってきたお陰で教職員チームから
足が遠のき、今は若い先生方に引き継ぎ、今でも毎年多くの選手を大会に派遣しております。デビューの
頃は人数も少なくアットホーム的な大会であり、今の数・質とは比べ物になりません。その間教え子達は
それぞれの先生方の良きご指導のお陰で日本を代表する選手が数多く育っておることも事実であります。
教職員連盟立ち上げから今日の隆盛まで携わって頂いております教職員連盟の役員の皆様に遠く熊本の地
で感謝を致しております。
バドミントン界も特にタレントの発掘と競技力向上によりオリンピックでメダルに手の届く所まで生
長・発展してきたこの裏には、教職員の貢献が大であると皆様と喜べることではないでしょうか。我々を
今日まで引き上げて頂いた先輩方、そして、これから我々以上にバド発展に貢献する教職員を一人でも多
く仲間に入れることも大切なことであると痛感する今日です。この連盟そして大会が益々発展することを
祈って止みません。
これまで歩んでこられたことと、これから更なる発展を期待いたします。
38
<特別寄稿:選手>
日本教職員連盟50周年によせて
神奈川県
金子澄子
日本教職員連盟50周年お喜び申し上げます。
1961年に連盟が立ち上げられ、翌1962年第1回教職員バドミントン選手権大会が開催されています。当
時の参加選手60名と記録があります。連盟のホームページでは当時の諸先生方の連盟に対する並々ならぬ
思いを知ることができます。その思いのつながりに関わってバドミントンができていることを幸せに思い
改めて感謝いたします。
第8回上尾大会(1969年)~第10回(1971年)に長崎県の新卒教師で参加しました。第8回9回は、団
体、ダブルス、シングルス、ともに、ユーバー杯選手の高木紀子先生、天野博江先生と対戦する機会に恵
まれました。勝敗はともかく、世界の強さを生で体験できたことが大きな財産です。
熊本の高校でバドミントンに出会い、大学まで熊本です。熊本では伊藤基記先生はじめ当時の先輩方の
熱がすっかりうつってしまいました。長崎の教職で3年間の後に、結婚を機に横浜に移動しました。その
神奈川県では、大先輩の杉田博・良子御夫妻と出会い、バドミントン熱はますます加速する事になりま
す。大会に出るのはしばらくお休みになりましたが細々とシャトルを打って楽しんでいました。
私にとってバドミントンは教師を続けるエネルギーにもなりました。また夏の教職員大会を励みにバドミ
ントンを続けることができています。大会では熊本の訛も聞けるし、名物先生のプレーも楽しみです。最
近はなによりも女性の選手の増加に目を細めています。
教職員として、バドミントンに関わっている事の意味は何でしょうか。強いことは素晴らしい。でも生
徒全員が強くはない。そんな当たり前のことの現場で私たちは求めていきます。卒業生がバドミントンを
好きになっているなと感じる今日この頃、若いときとは違った幸せを感じています。
2000 年度 三重県伊勢市
39
<特別寄稿:選手>
私を育ててくれた
全日本教職員バドミントン大会
岩手県
伊藤張二
JEF NEWS92号 50周年記念号の発刊おめでとうございます。
また、全日本教職員大会も今年第50回を数えるということで、節目の記念すべき大会を迎えられたこ
と、心よりお祝い申し上げます。
私がこの大会に初めて参加したのは昭和51年の東京都の駒沢体育館で開催された第15回大会からでし
た。事情により参加できない大会もありましたが、教員生活37年目で31回参加しております。その間、あ
りがたくもシングルス、ダブルス合わせて優勝7回、準優勝7回、3位9回も入賞することができ、今振
り返っても幸せなことと感じております。
もともと、私は高校まで水泳をやっており、大学入学後にバドミントンを始めたものですから、大学時
代は全く勝てませんでしたし、教職についてからも20歳代では入賞することすらできませんでした。その
私が30歳代以降、何度も入賞することができるようになったのは、目標を全日本教職員大会で入賞する
ことにしっかりと定めることができたからだと思います。また、そのことが、その後の部活動指導に大い
に役立つものとなりましたし、私のバドミントン指導者としての基礎がそこで養われたものと感じていま
す。
その後、県の高体連バドミントン専門部委員長、東北の委員長などを経験し、平成11年には岩手イン
ターハイの開催に直接携わることができ、貴重な体験をさせていただきました。また、今年度より岩手県
高体連バドミントン専門部長と東北の部長を引き受けることになり、責任の重さを実感しております。教
職も定年まであと2年と迫ってまいりましたが、責任を全うするよう努力する気持ちでいっぱいです。
この全日本教職員大会の果たす役割は非常に大きいものがあると思います。この大会を目標とすること
により、競技力が向上するとともに、指導力も向上すると思います。
また、この大会で全国の先生方と交流することにより一人ひとりの指導者としての幅が広がっていくも
のと感じています。
教職員連盟、大会運営の関係者の皆様に心から感謝申し上げます。
40
<特別寄稿:選手>
思い出深い第36回大会新宮市開催
和歌山県
森 隆
第9回岐阜大会に和歌山県勢として、初めて団体・個人戦に参加。翌年の和歌山国体に向けてのスター
トでもありました。この大会で私はシングルスでベスト4に入りましたが、準決勝で熊本の工藤先生にな
すすべもなく完敗し、全国教職員大会のレベルの高さを思い知りました。この時参加された諸先輩の先生
方は、私がまさか最終日の準決勝に残るとは思ってなく、私を残して和歌山にかえってしまい、応援もな
く、だった一人残されたことも苦い思い出です。以後和歌山県では選手強化がすすみ団体優勝2回、個人
戦ではシングルスで門間幹夫、山本茂樹が優勝、ダブルスで米山正和・山本茂樹組が優勝するなどおおい
に気をはいた時代でした。
そして何といっても思い出深いのは第36回(1997年)が新宮市で開催されたことです。この2年前米子
大会に参加した時、東京の本部役員の先生方から、和歌山開催を打診されました。私は地元に帰ってOB
や高体連などと相談の上返事をすると回答しました。第9回大会以来参加している私としては、無理かも
知れないが断ることができませんでした。後から聞いた話ですが、東京の役員の先生方は和歌山の
「NO」の返事を予測し、開催はおそらく無理で、その場合には別の県を予定していたということでし
た。私は和歌山に戻り、OBや高体連の了承をとりつけ準備に入りました。資金面、分散会場、宿舎、大
会運営スタッフ、中高生の補助員、地元の民間クラブの協力取り付けなど、さまざまな難問をひとつずつ
クリアし、わずか3万人の小さな新宮市開催にこぎつけました。大会中これという失敗もなく無事終了す
ることができましたが、ただ一つミスが出てしまいました。東京の役員先生方に着ていただくため確保し
ていたスタッフTシャツを臨時手伝いの地元のOBが舞台袖に置いてあった段ボールの中から勝手に取り
だして着てしまったのです。仕方なくSサイズの予備のTシャツを先生方の奥さんか娘さんにお土産とい
うかたちで持ち帰ってもらいました。とても辛かったことを記憶しています。大会中、私の自宅に工藤先
生(熊本)、佐藤先生(青森)、杉原先生(山口)、矢野先生(山口)方に泊まっていただき、試合に参
加されたのもいい思い出になりました。
現在は昼間は地元の新翔高校のコーチをし、夜は民間のクラブでバドミントンを楽しむ毎日です。最後
になりましたが、50周年記念号に寄稿させていただく機会を与えてくださった日本教職員バドミントン連
盟副会長稲石一雄先生に感謝申し上げます。有り難うございました。
41
<特別寄稿:選手>
世代を越えて、時代を超えて
千葉県
谷藤千香
日本教職員バドミントン連盟50周年とのこと、創設はもとより、永年連盟の活動にご尽力下さった方々
に深く御礼申し上げます。
私が教連に初めて登録したのは1991年度、早いもので今年度で21年目になりました。学生時代に当時教
職員大会等で活躍されていた白松千加子さんにお世話になっていたことから、教職員大会は憧れの大会で
もあり、教員になったその年から迷わず参加しました。教職員大会は全日本総合出場権獲得のための重要
な大会で、大きな目標でした。また、バドミントンを始めたばかりの高校時代の憧れだった豊田由美子さ
んにペアを組んで頂き、お世話になった千葉県の先生方との遠征は、新米教員が気軽に相談事を持ちかけ
られる貴重な機会でもありました。さらに6年目には、地元千葉県での開催となり、プレイに専念優勝目
指して、という周囲の配慮で運営に大きくは関わらなかったものの、この大会が多くの方々に支えられて
いることを感じました。研修会や会議等にも参加し、直接対戦することのない多世代の方々と接する機会
にも恵まれ、教職員大会が大会以上のものとなり、多くの方々との出会いの場になってきたのもこの頃で
した。
あれから十数年。県教職員連盟の総会に始まり夏の全国大会まで、毎年、気を引き締めて臨んでいま
す。さすがに優勝目指して、とはいきませんが、私が生きてきた年数を連盟に関わってこられた方々にお
会いすること、同世代の指導者として活躍されている方々にお会いすること、そして一緒にプレイして下
さる若い方々にお会いすること、どれをとっても楽しく刺激的なビッグイベントです。年齢こそ違ってい
ても同じバドミントン指導に携わる者同志が単に大会参加に留まらない交流を持てる場、このことをしっ
かり後世に伝えていきたいと思うのです。
実はこうした思いは数年間心の中に留めていましたが、昨年の研修会でNPO法人日本バドミントン指
導者連盟の渡辺雅弘氏から「第1回は『全国バドミントン指導者講習会』だった」という話を伺い、改め
てJEF NEWSを見ると、連盟の目的はバドミントン指導の研修の場であり、正しい指導の体系を確立す
るため指導者同志の研修及び競技力向上の場と記載されてもおり、50年もの間変わらず担い続けているこ
の役割の大きさを再認識しています。私自身、千葉大学で教鞭をとり指導者であるばかりでなく、指導者
を養成する指導者でもあります。50周年の節目に、この連盟が担うべき役割を全うできる人材を育成すべ
く再度気を引き締めなければと思います。
42
<特別寄稿:選手>
教職員連盟50周年を祝う
神奈川県
中山紀子
教職員連盟が50周年を迎えられますことを心からお祝い申し上げます。教職員連盟と聞きますと、まず第
一に今は亡き恩師の今井先生を思い出します。今井先生は、当時の東京近辺の熱心な先生方を結集して連盟
を設立されたことと伺っております。先生はこれからのバドミントン界は指導者達(教職員)が力を合わせ
て盛りたてていかなければいけないと口ぐせの様におっしゃっていらしたのを鮮明に記憶しています。
大学を卒業して岐阜の東海女子短大(現東海学院大)に勤務し、初めての教職員大会は、伊勢市でした
が、とても印象深く思い出されます。優勝することが絶対条件でしたので、多少緊張もしましたが、パー
トナーの天野さんや先輩でありいろいろ面倒みて頂いた中大卒の渡部さんと、トレーニングと称して無計
画に伊勢神宮の内宮から外宮まで走ったのはよかったのですが、帰りは疲れてしまいタクシーで旅館に
戻ったりしたなど、昔はとてものんびりした大会でした。
教職員大会は、日頃生徒達に頑張れと言っているだけではなく、先生自ら必死に頑張っている姿を生徒
達に見せる機会としての役割もありますが、勝敗を競う大会というよりむしろ参加した先生方が、お互い
に仲間として、日頃のいろいろな問題点を話し合ったりできることがとても素晴らしいと感じました。そ
の後四条畷学園の黄金時代を築かれた片岡先生に初めてお会いしたのもそうでしたが、とても情熱的でユ
ニークな先生だなと感じました。
ところで私が世界チャンピオンになれたのも、素晴らしい先生方にめぐり合うことができ、育てていた
だいたお陰と思っております。特に中学や高校時代は先生方の指導によって、一人の生徒の運命を変えて
しまうほどの影響力があります。
最近の教職員連盟は組織が大きくなり、大会も盛んであると伺っておりますが、日本の現状は、まだま
だ学校関係者が中心ですので、責任の重さを今一度かみしめて、日本のバドミントンをさらに良い方向に
導いていっていただきたいと願っております。教職員連盟の益々のご隆盛をお祈り申し上げます。
第5回ユーバー杯合宿風景
43
<特別寄稿:地区代表理事>
教職員大会に思う
北海道ブロック理事
奧山和也
北海道はご存じの通り広大な土地であるため、選手が全道大会に参加するとなると、移動に時間がかか
り大変です。たとえば、根室に在住していると釧路まで出てから飛行機で札幌に来るか(出費がかさむた
めほとんどいません)、列車、または、自動車(これが一番多い)で移動となります。少なくても半日以
上はかかるのです。大抵は車で10時間近くかけて札幌の大会などに出場するわけです。前日の朝に出発し
なければ出場できないし、大会が終わって帰るとなると、確実に次の日になってしまうのです。それが、
全国の大会に出場となると、もちろん時間もかかりますが、遠征費がかさみます。しかし、私たちは、移
動距離の問題やそれに伴う出費などの条件に決して負けずに全日本教職員大会に出場し、かけがえのない
ものを得ていきたいと考えています。北海道からは全日本教職員大会に、毎年20~30人位出場していま
す。特に近年は若い教職員が、声をかけ合って参加する状況が続いています。総合優勝制度の結果を見て
も昨年は3位そしてここ5年くらいの間に2位(京都大会)5・6位(長崎大会・神戸大会)という結果
を残しています。また、一般女子の団体戦では、この5年間で2位・1位・3位・3位という結果を残し
ました。女性の場合、結婚や出産を機に出場が途切れるということもあるのですが、年齢別の種目にも毎
年誘い合って出場しています。また、3年ほど前から成壮年団体にも毎年出場しようと話し合い、参加を
続けています。継続する中で、若い人たちが得るものを見つけてくれればという思いです。我が北海道
チームは第2・3回大会から出場された石井仁先生、第4回大会からの杉田茂良先生・笹森剛先生以来、
毎年、欠かさず全日本教職員大会に出場してきたのです。北海道の諸先輩方が得られてきた栄光と、この
大会で得られるすばらしさを、今後も後輩の教職員に受け継いでいきたいと思います。
44
<特別寄稿:地区代表理事>
北信越・新潟県について
北信越ブロック理事
福嶋康夫(新潟県)
北信越ブロック理事の新潟県の福嶋です。17年度より依頼を受け努めてきました。しかし、ブロック内
での交流に関しては残念ながら進んでおりません。来年の全日本教職員バドミントン選手権大会がブロッ
ク内の長野県で開催が予定されておりますので、これを契機に交流が深められればと思っています。新潟
県内の活動は例年通りの活動をこなしているという状況ですが、昨年会長と理事長の交代を行い、新体制
に移行しました。会員は毎年60名超の登録になっています。多いときは70名位になったこともありました
が、現在は60名程度で安定をしております。この人数をキープしているのは、連盟主催の高校生の初心者
大会を行っていることが大きいと思います。4月は総会準備と県大会兼全国大会の予選会準備、第1回目
の練習会。5月は県大会兼予選会、総会。7月は第2回目の練習会、第3回目の練習会と全国大会に向け
ての結団式。8月は全国大会参加。最近は団体戦に参加できず、個人戦のみになっています。ただし、派
遣審判員を送っています。11月は、高校生の初心者大会を行っています。これは、連盟に登録をしている
先生の学校の生徒のみで、高校に入ってきて初めてバドミントンをした、1年生のみの参加になります。
少しでも多くの試合経験ができればということで18回目を迎えます。12月は、東京都の連盟の方々との
交流会があり、試合と懇親会、講習などを行っています。これも10年以上行っています。以上が、新潟県
の連盟の活動となります。
ブロック理事になって6年目となりますが、年1回の会議に参加するのがやっとで申し訳なく思ってい
ます。ただし、30歳より全国大会に参加しているので、1日早く出発すればいいので何とか出席出来てい
ます。
全国大会への参加がこれほど続くとは、私自身思ってもいなかったことでした。全国大会ということ
で、敷居の高い物と思っていましたが、人数合わせの初参加以来、試合以外の楽しみを見つけることが出
来、今日に至っております。今後は、私のような人たちに面白さを伝え、参加していただけるように少し
でもお手伝いが出来ればと思っております。
今後ともよろしくお願いいたします。
45
<特別寄稿:地区代表理事>
50周年おめでとうございます
近畿ブロック理事
嘉生 寛(奈良県)
50周年おめでとうございます。また、ありがとうございます。
長年近畿ブロックをまとめていただいておりました宝来敏夫先生が一昨年お亡くなりになり、世代交代
を感じているところです。
近畿ブロックでは6月に団体戦、1月に個人戦を開催し交流を深めてまいりました。6月の団体戦は昔
さながらの2複3単のルールで若い選手とシニアが混ざって試合を行っています。ケガ人が出ないのが不
思議なくらいです。
近畿からは滋賀の西村龍・西村金・北橋、大阪の谷田、京都の村尾・山本・杉本といった名選手を輩出
してきましたが、この近畿のまとまりを支えていただいているのは養父一太先生を中心とする大阪の先生
方、そして松永正雄先生・松原孝範先生を中心とする京都の先生方ではないかと思います。
年2回の集まりではありますが原則必ず参加なのです。何かしら家族的な仲間意識を持っているのは私
だけではないと思います。
教員の採用が増え、最近では兵庫の細川泰大選手、そしてシニアの部で奈良の平岡篤司・千田宏之選手
が全国大会でも活躍してくれています。頼もしいかぎりです。
私がデビューした頃は群馬県の全盛期で今井・栗原・鏑木・秋庭選手たちと坂井(福井)、権藤(熊
本)といった他府県の強豪との激戦を目の当たりにし胸を熱くしたことを思い出します。選手数も多かっ
たですし全国大会開催時には日体大のOB会も併せて行われていて関西出身の私は居場所の無さを感じた
ものです。大会のレベルも1回戦から高くて「まるでインカレだな」くらいに思っておりました。
当時の小飼専務理事がいつも「今日のバドミントン界は先生方の生徒へのご指導の賜物」と挨拶されて
おられましたが、今は小学生のジュニアチームを一般の方が教える時代になり私たちが中学や高校から教
える選手たちでは間に合わない時代になりましたね。小さい頃から強くなるがゆえにいろんな問題も増え
たように思います。
新しい苦労もあるわけですが、教職員連盟で手に入れたつながりを大切にしながら、今後も活動してい
きたいと考えております。
46
<特別寄稿:地区代表理事>
創立50周年を迎えて
四国ブロック理事
逸見寛二(愛媛県)
日本教職員連盟が創立50周年を迎え、ますます発展されていることを心からお祝い申しあげます。
愛媛県の全日本教職員大会への参加が定着したのは、平成3年の第30回大会からです。それは愛媛県教
職員連盟が創立した年でもあります。それ以降、毎年参加を続け、昨年3名が20回出場の技能賞を受賞し
たのを含め、合計7名の者が10回以上出場の技能賞を受賞しています。今後さらに受賞者が増えることを
私たちは大きな目標としており、そのことが県教職員連盟の発展につながると信じています。一方、実力
の面は、この20年間に年齢別の個人戦で、第44回大会の50歳以上単の優勝を筆頭に、準優勝が6回、3位
が19回と健闘しています。しかし、団体戦や、個人戦一般の部での入賞がまだありません。この点が現在
のわが県連盟の大きな課題となっています。ベテラン選手の意欲と行動力は、他県の皆さんと同じく、高
いと自負していますが、若手選手の台頭が望まれるところです。
さて、本県教職員連盟が初めて全日本教職員大会を主管したのは、平成10年8月の第37回の松山大会
でした。約500名の監督、選手が参加した大会で、2会場で行ないましたが、当時は県教職員連盟のス
タッフも少なく、ほとんどの役員が選手を兼ね、企画・準備・運営と大変厳しい状況でした。県協会・
市協会との連携のおかげで、何とか開催にこぎつけた感じでした。エアコンの設備もない体育館での開
会式は、プラカード係の補助員が暑さのため座りこむなどのアクシデントもあり、参加した皆さんに御
心配をかけたこともありました。しかし、地元の審判団は充実しており、プレーヤーの試合後の負担軽
減対策として、敗者審判制を採用せず大会を実施したことは画期的であり、その後の全国大会のモデル
となりました。
さて本年4月、開催予定の山形県が、東日本大震災のため変更になり、愛媛県が急きょ2度目の開催を
することに決定しました。私たちも、こういう形で災害復興支援に協力できることを誇りに思い、年度始
めの校務の忙しい時期ではありまし
たが、大会実行委員会を立ちあげ、
大急ぎでその準備に取り掛かりまし
た。体育館の確保や、プログラムの
準備、関係団体との打ち合わせな
ど、現在ようやく大会の準備が最終
段階になろうとしています。何かと
不十分なこともあると思いますが、
50回の記念大会が無事終わることが
できるように精一杯頑張りたいと思
います。
愛媛県教職員連盟会長として、また選手として大活躍
47
<特別寄稿:地区代表理事>
中国・岡山県について
中国ブロック理事
中原修二(岡山県)
はじめに私事で恐縮ですが、私が全日本教職員バドミントン選手権大会に初めて出場させていただいて
から、もう少しで20年になろうとしています。その間、出場できなかった年もありますが、日本各地を訪
れ、おいしい料理やお酒をいただきながらプレーを楽しめたことは大変幸せなことで、毎年大会を開催し
てくださっている先生方に心から感謝申し上げます。また、同県の先輩方の車に同乗させていただいての
青森や宮崎、鹿児島など開催地への長旅も、疲れを忘れるほど愉快で、思い出深いものとなっています。
本当にありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします。
今年度予定されていた山形県での開催も楽しみにしていましたが、3.11の東日本大震災によって東北地
方は大変な状況になってしまいました。被災された皆様方には、心よりお見舞申し上げます。その心中を
察するとやりきれない思いではないかと思いますが、「がんばろう、日本!」の合い言葉のもと、一日も
早い復興を願っています。
さて、中国ブロックでは、昨年度20回目の中国地区教職員バドミントン選手権大会を岡山県で開催する
ことができました。このところ参加者が徐々に少なくなり、先々が心配されていたのですが、新種目とし
て年齢別の混合複を設けたこともあって参加者も前年を上回り、成功裏に大会を終えることができまし
た。ありがとうございました。特に、若い選手の参加が増えたことがうれしかったです。反面、近年は学
校現場が何かと忙しいご時世で、お互いに親睦を深める機会が減っているのが残念に感じられています。
最後に、私もそろそろ大会を運営する立場になり、今後の課題として二つのことを考えています。一つ
目は、長年岡山県のみならず日本のバドミントン界を牽引してこられた毛利先生からご指摘いただいたこ
とですが、競技力の向上です。トップ選手も指導者になるとプレーを続けたり、大会へ参加したりするこ
とができにくくなるようです。せっかく素晴らしい技術を持たれているので、大会日程を工夫するなどし
て、ぜひプレーを見せてもらいたいと思っています。もう一つは、みんなで大会を活性化させていくこと
です。せっかくここまで続いてきている大会なので、規模を縮小したり、無くしてしまったりしてはさび
しい限りです。年に一度は顔を合わせるつもりで大会に参加し、みんなでプレーを楽しみたいと思ってい
ます。そして、それだけの余裕をもって仕事に取り組めるようになりたいです。
48
<第 1 回プログラム>
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
< JEF NEWS 創立20周年記念号>
70
< JEF NEWS 創立30周年記念号>
71
< JEF NEWS 創立40周年記念号>
72
<優勝カップ>
総合優勝文部科学大臣杯・盾
一般男子単 会長杯
(長崎県 林貴昭氏所蔵)
文部科学大臣杯 成壮年団体(旧)
文部科学大臣杯 成壮年団体(新)
文部科学大臣杯 一般男子単
文部科学大臣杯 一般男子複
文部科学大臣杯 一般女子単
文部科学大臣杯 一般女子複
73
<優勝者一覧>
一般男子団体
一般女子団体
成壮年男子団体
1回(1962)
2回(1963)
3回(1964)
4回(1965)
岡
山
県
岐
阜
県
5回(1966)
岡
山
県
岐
阜
県
6回(1967)
熊
本
県
岐
阜
県
東
京
都
7回(1968)
熊
本
県
岐
阜
県
岡
山
県
8回(1969)
熊
本
県
岐
阜
県
岡
山
県
9回(1970)
熊
本
県
岐
阜
県
熊
本
県
10 回(1971)
滋 賀 県 A
東
京
都
岡 山 県 A
11 回(1972)
石
川
県
秋
田
県
岡
山
県
12 回(1973)
石
川
県
岐
阜
県
岡
山
県
13 回(1974)
滋
賀
県
富
山
県
熊
本
県
14 回(1975)
石
川
県
岐
阜
県
大 阪 府 A
15 回(1976)
滋 賀 県 A
岡
山
県
大 阪 府 A
16 回(1977)
和 歌 山 県
東
京
都
熊 本 県 A
京
17 回(1978)
和 歌 山 県
東
都
大
阪
府
18 回(1979)
石
東 京 都 A
青
森
県
19 回(1980)
石 川 県 A
栃
木
県
熊 本 県 A
20 回(1981)
群
馬
県
宮
城
県
熊
本
県
川
県
21 回(1982)
群
馬
県
千
葉
県
熊
本
県
22 回(1983)
群
馬
県
東
京
都
熊
本
県
23 回(1984)
滋
賀
県
石
川
県
熊
本
県
24 回(1985)
東
京
都
北
海
道
熊
本
県
25 回(1986)
熊
本
県
石
川
県
熊
本
県
26 回(1987)
福
井
県
東
京
都
熊
本
県
27 回(1988)
熊
本
県
京
都
府
熊
本
県
28 回(1989)
京
都
府
東
京
都
熊
本
県
29 回(1990)
熊
本
県
京
都
府
熊
本
県
30 回(1991)
東
京
都
東
京
都
熊
本
県
31 回(1992)
福
井
県
熊
本
県
熊 本 県 A
京
32 回(1993)
東
都
東
京
都
香
川
県
33 回(1994)
熊 本 県 B
富
山
県
福
井
県
34 回(1995)
福
島
県
東 京 都 A
熊
本
県
35 回(1996)
熊
本
県
千 葉 県 A
神 奈 川 県
36 回(1997)
熊
本
県
千
葉
県
東
京
都
37 回(1998)
熊
本
県
千
葉
県
千
葉
県
38 回(1999)
熊
本
県
千
葉
県
青
森
県
39 回(2000)
高
知
県
東
京
都
青
森
県
40 回(2001)
熊
本
県
東
京
都
青
森
県
41 回(2002)
茨
城
県
熊
本
県
熊
本
県
42 回(2003)
茨
城
県
石
川
県
石
川
県
43 回(2004)
福
島
県
石
川
県
青
森
県
44 回(2005)
福
島
県
石
川
県
熊
本
県
45 回(2006)
福
島
県
石
川
県
熊
本
県
46 回(2007)
長
崎
県
千
葉
県
熊
本
県
47 回(2008)
福
島
県
北
海
道
熊
本
県
48 回(2009)
福
島
県
石
川
県
熊
本
県
49 回(2010)
福
島
県
鹿児島県A
熊
本
県
50 回(2011)
福
島
県
石
東
京
都
74
川
県
一般男子単
一般男子複
一般女子単
一般女子複
北方 匡・河原山晴夫(石川)
安田知子(岐 阜)
江口 静・岸川礼子(東 京)
1回(1962)
北方 匡(石 川)
2回(1963)
杉田 博(神奈川)
北方 匡・河原山晴夫(石川)
諸田みや子(東京)
諸田みや子・柏原千恵子(東京)
3回(1964)
永井 司(新 潟)
渡部紘一(宮城)・永井 司(新潟)
高木紀子(岐 阜)
高木紀子・天野博江(岐 阜)
4回(1965)
渡部紘一(宮 城)
杉田 博(神奈川)・鈴木祐司(秋田)
高木紀子(岐 阜)
高木紀子・天野博江(岐 阜)
5回(1966)
杉田 博(神奈川)
清水芳隆・川田史郎(富 山)
高木紀子(岐 阜)
高木紀子・天野博江(岐 阜)
6回(1967)
工藤勇参(熊 本)
北方 匡・原 栄一(石 川)
高木紀子(岐 阜)
高木紀子・天野博江(岐 阜)
7回(1968)
工藤勇参(熊 本)
杉田 博(神奈川)・渡部紘一(宮城)
高木紀子(岐 阜)
高木紀子・天野博江(岐 阜)
8回(1969)
関 一誠(東 京)
北方 匡・原 栄一(石 川)
高木紀子(岐 阜)
高木紀子・天野博江(岐 阜)
9回(1970)
工藤勇参(熊 本)
三宅 勝・柳本堯敏(岡 山)
高木紀子(岐 阜)
高木紀子・天野博江(岐 阜)
10 回(1971)
関 一誠(東 京)
関 一誠・瀬戸 孝(東 京)
鎌田光子(秋 田)
光中博美・宮本とよ子(埼玉)
11 回(1972)
森田 昇(栃 木)
河田 満・上原 章(岐 阜)
小片千恵子(香川)
米谷光子・中田良子(秋 田)
12 回(1973)
工藤勇参(熊 本)
藤原健二・藤上良信(滋 賀)
堀川栄美子(新潟)
天野博江・広沢功子(岐 阜)
13 回(1974)
門間幹夫(和歌山)
藤上良信・藤原健二(滋 賀)
北島稔子(島根県)
芳田三輪子・塩崎睦子(富山)
14 回(1975)
門間幹夫(和歌山)
木戸純一・渡部紘一(宮 城)
堀川栄美子(新潟)
広沢功子・名和和子(岐 阜)
15 回(1976)
山本茂樹(和歌山)
今井勇司・桐生台次郎(群馬)
石田雅子(岡 山)
石田雅子・林寿美子(岡 山)
16 回(1977)
舛田吉光(石 川)
山本茂樹・米山正和(和歌山)
松田敦子(青 森)
功刀淑江・村田嘉江(東 京)
17 回(1978)
山本茂樹(和歌山)
山本茂樹・米山正和(和歌山)
松田敦子(青 森)
功刀淑江・村田嘉江(東 京)
18 回(1979)
長谷川 進(石川)
工藤勇参・稲津 悟(熊 本)
松田敦子(青 森)
大嶌和代・金田里子(栃 木)
19 回(1980)
長谷川 進(石川)
神戸 照・高岡 桂(福 井)
大嶌和代(栃 木)
本吉登美栄・豊田由美子(千葉)
20 回(1981)
北橋 進(滋 賀)
北橋 進・西村金治(滋 賀)
伊東ひとみ(石川)
松枝睦子・藤井良子(東 京)
21 回(1982)
鏑木智博(群 馬)
今井勇司・秋庭克行(群 馬)
南雲栄子(群 馬)
藤井良子・松枝睦子(東 京)
22 回(1983)
鏑木智博(群 馬)
今井勇司・栗原恒夫(群 馬)
南雲栄子(群 馬)
藤井良子・松枝睦子(東 京)
23 回(1984)
西村龍夫(滋 賀)
今井勇司・栗原恒夫(群 馬)
野口英代(群 馬)
長岡裕子・野口英代(群 馬)
24 回(1985)
権藤浩二(熊 本)
今井勇司・栗原恒夫(群 馬)
野口英代(群 馬)
小野順子・小路和代(石 川)
25 回(1986)
鏑木智博(群 馬)
権藤浩二・堺 圭一(熊 本)
野口英代(山 梨)
広瀬公代・原田裕子(富 山)
26 回(1987)
権藤浩二(熊 本)
村尾 勉・山本裕幸(京 都)
野口英代(山梨県)
原田祐子・広瀬公代(富 山)
27 回(1988)
坂井茂則(福 井)
村尾 勉・山本裕幸(京 都)
野口英代(山 梨)
白川由理・北川恵美子(京都)
28 回(1989)
杉本吉男(京 都)
山本裕幸・村尾 勉(京 都)
野口英代(群 馬)
野口英代・中島真美(群 馬)
29 回(1990)
堺 圭一(熊 本)
落合久夫・高橋英治(東 京)
今川真理子(富山)
野口英代・一倉正美(群 馬)
30 回(1991)
高橋英治(東 京)
村尾 勉・山本裕幸(京 都)
木暮英代(群 馬)
田代裕子・波辺喜美子(熊本)
31 回(1992)
岩佐延寿(山 梨)
権藤浩二・堺 圭一(熊 本)
鵤木千加子(兵庫)
久光由紀・川本光佐子(香川)
32 回(1993)
金子隆男(群 馬)
鶴見和彦・中家友彦(神奈川)
谷藤千香(千葉) 中尾仁美・川本光佐子(香川)
33 回(1994)
高村誠也(熊 本)
鶴見和彦・中家友彦(神奈川)
鵤木千加子(兵庫)
福田晴世・千葉昌恵(東 京)
34 回(1995)
木船栄士(福 井)
高村誠也・前田尚史(熊 本)
佐々木道子(茨城)
谷藤千香・桜井亮子(千 葉)
35 回(1996)
桐原 健(熊 本)
大堀 均・平野泰宏(福 島)
佐々木道子(東京)
谷藤千香・櫻井亮子(千 葉)
36 回(1997)
桐原 健(熊 本)
高村誠也・前田尚史(熊 本)
佐々木 忍(富山)
佐々木 忍・横山里美(富山)
37 回(1998)
林 貴昭(長 崎)
林 貴昭・西山勝也(長 崎)
佐々木道子(東京)
櫻井亮子・谷藤千香(千 葉)
38 回(1999)
林 貴昭(長 崎)
尾藤伸治・三浦公雄(岐 阜)
津田藍子(東 京)
菅野純世・津田藍子(東 京)
39 回(2000) 林 貴昭(長 崎)
林 貴昭・西山勝也(長 崎)
土屋藍子(東 京)
土屋藍子・菅野純世(東京)
40 回(2001)
林 貴昭(長 崎)
林 貴昭・西山勝也(長 崎)
土屋藍子(東 京)
谷藤千香・櫻井亮子(千 葉)
41 回(2002) 林 貴昭(長 崎)
42 回(2003) 齋藤 亘(福 島)
林 貴昭・西山勝也(長 崎)
土屋藍子(東 京)
吉田優美・堀 哲子(石 川)
林 貴昭・西山勝也(長 崎)
土屋藍子(東 京)
吉田優美・堀 哲子(石 川)
43 回(2004) 茂見祥平(長 崎)
茂見祥平・西山勝也(長 崎)
松尾美穂子(長崎)
吉田優美・堀 哲子(石 川)
44 回(2005) 茂見祥平(長 崎)
片岡直茂・西山勝也(長 崎)
松尾美穂子(長崎)
堀 哲子・奥村亜紀代(石川)
45 回(2006) 茂見祥平(長 崎)
46 回(2007) 茂見祥平(長 崎)
清水隆志・佐藤伴哉(鳥 取)
松尾美穂子(長崎)
山田朋世・田村美幸(北海道)
松川大記・尾崎勝久(岡 山)
松尾美穂子(長崎)
福井奈美・中村恵子(広 島)
47 回(2008)
内藤祐輔(神奈川)
清水隆志・佐藤伴哉(鳥 取)
磯下由貴子(茨城)
福井奈美・吉岡知香(広 島)
48 回(2009) 細川泰大(兵 庫)
西田祐二・八重倉里史(福岡)
伊東可奈(石 川)
清水寛子・白山麻衣子(神奈川)
49 回(2010)
三浦時央(愛 知)
二宮和敬・山本敏雄(香 川)
松村咲希(香 川)
楠 尚子・松村咲希(香 川)
50 回(2011)
笹木里司(福 井)
堂下智寛・片岡智也(埼 玉)
村松瑞恵(静 岡)
楠 尚子・松村咲希(香 川)
75
30 歳以上男子単
30 歳以上男子複
1回(1962)
本郷節生(熊 本)
本郷節生・沢田昭臣(熊 本)
30 歳以上女子単
2回(1963)
毛利清志(岡 山)
毛利清志・山上周之(岡 山)
3回(1964)
毛利清志(岡 山)
毛利清志・山上周之(岡 山)
4回(1965)
鈴木祐司(秋 田)
鈴木祐司・脇坂安隆(秋 田)
5回(1966)
鈴木祐司(秋 田)
鈴木祐司・脇坂安隆(秋 田)
6回(1967)
鈴木祐司(秋 田)
南 直治・本郷節生(熊 本)
7回(1968)
鈴木祐司(秋 田)
鈴木祐司・脇坂安隆(秋 田)
8回(1969)
鈴木祐司(秋 田)
鈴木祐司・脇坂安隆(秋 田)
大坪弘子(兵 庫)
9回(1970)
鈴木祐司(秋 田)
南 直治・西田寿明(熊 本)
鳥井治子(兵 庫)
10 回(1971)
西田寿明(熊 本)
南 直治・西田寿明(熊 本)
鳥井治子(兵 庫)
11 回(1972)
鈴木祐司(秋 田)
小松 貴・藤井英雄(岡 山)
12 回(1973)
鈴木祐司(秋 田)
南 直治・西田寿明(熊 本)
13 回(1974)
香島正佳(長 崎)
南 直治・西田寿明(熊 本)
14 回(1975)
伊勢田善明(大阪)
南 善雄・大世古吉弘(三重)
15 回(1976)
西田寿明(熊 本)
香島正佳・浜司 晃(長崎)
宮崎満子(静 岡)
16 回(1977)
原 栄一(石 川)
北方 匡・原 栄一(石 川)
永原敦子(富 山)
30 歳以上女子複
西田和子・元田絹子(熊本)
17 回(1978)
和田 修(石 川)
原 栄一・和田 修(石 川)
永原敦子(富 山)
18 回(1979)
森 隆(和歌山)
藤原健二・藤上良英(滋 賀)
永原敦子(富 山)
19 回(1980)
平松孝孔(愛 知)
原 栄一・和田 修(石 川)
国門登美恵(滋賀)
江尻悠喜子・枝畑満枝(石川)
20 回(1981)
原 栄一(石 川)
原 栄一・和田 修(石 川)
国門登美恵(滋賀)
不成立
21 回(1982)
和田 修(石 川)
工藤勇参・稲津 悟(熊 本)
不成立
不成立
22 回(1983)
斎藤和則(青 森)
佐藤光伸・斉藤和則(青 森)
山崎真知子(新潟)
荒木房子・山崎真知子(新潟)
23 回(1984)
斎藤和則(青 森)
工藤勇参・稲津 悟(熊 本)
藤島百子(北海道)
吉村恭子・藤島百子(北海道)
24 回(1985)
工藤勇参(熊 本)
工藤勇参・稲津 悟(熊 本)
金子澄子(神奈川)
杉田良子・金子澄子(神奈川)
25 回(1986)
工藤勇参(熊 本)
工藤勇参・稲津 悟(熊 本)
金子澄子(神奈川)
金子澄子・杉田良子(神奈川)
26 回(1987)
工藤勇参(熊 本)
工藤勇参・稲津 悟(熊 本)
杉田良子(神奈川)
杉田良子・金子澄子(神奈川)
27 回(1988)
伊藤一郎(岩 手)
上田 勉・中村新一(千 葉)
金子澄子(神奈川)
杉田良子・金子澄子(神奈川)
28 回(1989)
浅沼正義(三 重)
金崎孝二・松村伸二(香 川)
金子澄子(神奈川)
杉田良子・金子澄子(神奈川)
29 回(1990)
西村龍夫(滋 賀)
帰山好和・中山和宏(埼 玉)
金子澄子(神奈川)
杉田良子・金子澄子(神奈川)
30 回(1991)
西村龍夫(滋 賀)
峰 寛文・六川利康(香 川)
千葉陽子(福 島)
杉田良子・金子澄子(神奈川)
31 回(1992)
江藤正治(熊 本)
江藤正治・三次圭介(熊 本)
伊東ひとみ(石川)
桶谷千鶴子・伊東ひとみ(石川)
32 回(1993)
江藤正治(熊 本)
江藤正治・三次圭介(熊 本)
伊東ひとみ(石川)
桶谷千鶴子・伊東ひとみ(石川)
33 回(1994)
矢野 潤(山 口)
葛葉昌彦・高須一郎(福 井)
高 美鳳(福 島)
千葉陽子・高 美鳳(福 島)
34 回(1995)
荒木秀文(福 岡)
荒木秀文・目野俊昭(福 岡)
吉田こずえ(北海道)
桶谷千鶴子・伊東ひとみ(石川)
35 回(1996)
荒木秀文(福 岡)
上田敏之・田部井秀郎(埼玉)
稲積祐子(富 山)
金子澄子・石井綾子(神奈川)
36 回(1997)
下平研二(長 野)
上田敏之・田部井秀郎(埼玉)
稲積祐子(富 山)
桶谷千鶴子・伊東ひとみ(石川)
37 回(1998)
赤川雅美(広 島)
三次圭介・江藤正治(熊 本)
稲積祐子(富 山)
桶谷千鶴子・伊東ひとみ(石川)
38 回(1999)
青木真也(千 葉)
疋田博之・嘉生 寛(奈 良)
遠江久美子(東京)
桶谷千鶴子・伊東ひとみ(石川)
39 回(2000) 江藤正治(熊 本)
佐々木 力・由町弘樹(青森)
藤本三津子(北海道)
太田睦子・遠江久美子(東京)
40 回(2001)
由町弘樹(青 森)
佐々木 力・由町弘樹(青森)
山上紋子(北海道)
蔵谷千晶・山上紋子(北海道)
41 回(2002) 横田寿弘(岡 山)
42 回(2003) 桐原 健(熊 本)
佐々木 力・由町弘樹(青森)
若月美智子(東京)
橋本仁美・藤原多佳子(香川)
佐々木 力・由町弘樹(青森)
津島みなと(千葉)
若月美智子・長谷詔子(東京)
43 回(2004) 桐原 健(熊 本)
佐々木 力・由町弘樹(青森)
津島みなと(千葉)
井家晴美・長丸貴子(石 川)
44 回(2005) 桐原 健(熊 本)
佐々木 力・由町弘樹(青森)
中林明子(愛 知)
中林明子・近藤小有里(愛知)
45 回(2006) 桐原 健(熊 本)
46 回(2007) 桐原 健(熊 本)
佐々木 力・由町弘樹(青森)
中林明子(愛 知)
中林明子・近藤小有里(愛知)
佐々木 力・由町弘樹(青森)
中林明子(愛 知)
田中愛子・原田智美(福 岡)
47 回(2008)
桐原 健(熊 本)
佐々木 力・由町弘樹(青森)
長谷川知香(熊本)
長丸貴子・吉田優美(石 川)
48 回(2009) 黒石雅宏(高 知)
川添周三・小賀元裕(高 知)
市川敬美(群 馬)
石原裕子・小林陽子(岡 山)
49 回(2010)
黒石雅宏(高 知)
中原 学・黒石雅宏(高 知)
市川敬美(群 馬)
石原裕子・小林陽子(岡 山)
50 回(2011)
桐原 健(熊 本)
中原 学・黒石雅宏(高 知)
飯田香里(愛 知)
石原裕子・小林陽子(岡 山)
76
40 歳以上男子単
40 歳以上男子複
1回(1962)
伊藤基記(熊 本)
伊藤基記(熊本)・今井 先(東京)
2回(1963)
伊藤基記(熊 本)
伊藤基記(熊本)・今井 先(東京)
3回(1964)
伊藤基記(熊 本)
伊藤基記(熊本)・山上周之(岡山)
4回(1965)
伊藤基記(熊 本)
伊藤基記(熊本)・布引修二(福島)
5回(1966)
平田登志郎(東京)
島谷 勲・高橋政一(北海道)
6回(1967)
毛利清志(岡 山)
伊藤基記(熊本)・山上周之(岡山)
7回(1968)
毛利清志(岡 山)
毛利清志・山上周之(岡 山)
8回(1969)
毛利清志(岡 山)
毛利清志・山上周之(岡 山)
9回(1970)
畑 忠雄(福 井)
毛利清志・山上周之(岡 山)
10 回(1971)
毛利清志(岡 山)
毛利清志・山上周之(岡 山)
11 回(1972)
脇坂安隆(秋 田)
本郷節生・沢田昭臣(熊 本)
12 回(1973)
畑 忠雄(福 井)
毛利清志・山上周之(岡 山)
13 回(1974)
毛利清志(岡 山)
毛利清志・山上周之(岡 山)
14 回(1975)
鈴木祐司(秋 田)
鈴木祐司・松橋 裕(秋 田)
15 回(1976)
鈴木祐司(秋 田)
毛利清志・西崎正明(岡 山)
16 回(1977)
鈴木祐司(秋 田)
本郷節生・南 直治(熊 本)
17 回(1978)
鈴木祐司(秋 田)
鈴木祐司・松橋 裕(秋 田)
18 回(1979)
佐々木堅治(北海道)
南 直治・西田寿明(熊 本)
19 回(1980)
西田寿明(熊 本)
南 直治・西田寿明(熊 本)
20 回(1981)
佐々木堅治(北海道)
南 直治・西田寿明(熊 本)
21 回(1982)
杉田 博(神奈川)
南 直治・西田寿明(熊 本)
22 回(1983)
杉田 博(神奈川)
南 直治・西田寿明(熊 本)
23 回(1984)
24 回(1985)
25 回(1986)
杉田 博(神奈川)
北方 匡・松本忠之(石 川)
杉原哲彦(山口県)
野見山弘次・鎗水浩吉(福岡)
葦原健身(熊 本)
西田寿明・葦原健身(熊 本)
26 回(1987)
葦原健身(熊 本)
永沢和彦・佐々木邦夫(岩手)
27 回(1988)
葦原健身(熊 本)
杉原哲彦・三井 裕(山 口)
28 回(1989)
葦原健身(熊 本)
藤田明男・遠藤 隆(千 葉)
29 回(1990)
葦原健身(熊 本)
瀬戸 孝・松本友行(神奈川)
30 回(1991)
葦原健身(熊 本)
瀬戸 孝・松本友行(神奈川)
31 回(1992)
伊藤張二(岩 手)
松本友行・瀬戸 孝(神奈川)
32 回(1993)
伊藤張二(岩 手)
佐々木邦夫・伊藤張二(岩手)
33 回(1994)
伊藤張二(岩 手)
神戸 照・高岡 桂(福 井)
34 回(1995)
今井勇司(群 馬)
能登則男・帰山好和(埼 玉)
40 歳以上女子単
40 歳以上女子複
座間登代子・鈴木節子(神奈川)
35 回(1996)
高田 満(岩 手)
伊藤張二・高田 満(岩 手)
36 回(1997)
帰山好和(埼 玉)
中村新一・丸山秀之(千 葉)
37 回(1998)
淺沼正義(三 重)
金崎孝二・松村伸二(香 川)
38 回(1999)
山田武行(長 崎)
北橋 進・高嶋敬治(滋 賀)
39 回(2000)
奥山和也(北海道)
北橋 進・高嶋敬治(滋 賀)
金子澄子(神奈川)
40 回(2001)
奥山和也(北海道)
帰山好和・中山和弘(埼 玉)
金子澄子(神奈川)
桶谷千鶴子・伊東ひとみ(石川)
41 回(2002)
江藤正治(熊 本)
江藤正治・三次圭介(熊 本)
遠江久美子(東京)
桶谷千鶴子・東 順子(石川)
42 回(2003) 江藤正治(熊 本)
43 回(2004) 江藤正治(熊 本)
岩井 淳・笹口浩基(広 島)
遠江久美子(東京)
桶谷千鶴子・東 順子(石川)
江藤正治・三次圭介(熊 本)
遠江久美子(東京)
狩野千晴・池田久美子(鳥取)
44 回(2005) 江藤正治(熊 本)
江藤正治・三次圭介(熊 本)
遠江久美子(東京)
桶谷千鶴子・伊東ひとみ(石川)
45 回(2006) 田中章裕(愛 知)
江藤正治・三次圭介(熊 本)
金子澄子(神奈川)
桶谷千鶴子・伊東ひとみ(石川)
46 回(2007) 田中章裕(愛 知)
江藤正治・三次圭介(熊 本)
遠江久美子(東京)
遠江久美子・若月美智子(東京)
47 回(2008)
金山紀幸(島 根)
江藤正治・三次圭介(熊 本)
若月美智子(東京)
遠江久美子・若月美智子(東京)
48 回(2009) 金山紀幸(島 根)
平岡篤司・千田宏之(奈 良)
若月美智子(東京)
遠江久美子・若月美智子(東京)
49 回(2010)
江藤正治(熊 本)
平岡篤司・千田宏之(奈 良)
若月美智子(東京)
遠江久美子・若月美智子(東京)
50 回(2011)
江藤正治(熊 本)
平岡篤司・千田宏之(奈 良)
坂﨑美奈子(熊本)
坂﨑美奈子・木下八枝子(熊本)
77
50 歳以上男子単
50 歳以上男子複
2回(1963)
今井 先(東 京)
伊沢三郎(神奈川)・今井 先(東京)
3回(1964)
今井 先(東 京)
井沢三郎(神奈川)・今井 先(東京)
4回(1965)
伊藤基記(熊 本)
市嶋智三郎(新潟)・伊藤基記(熊本)
5回(1966)
佐藤哲郎(北海道)
奈良岡健三・佐藤哲郎(北海道)
50 歳以上女子単
50 歳以上女子複
1回(1962)
6回(1967)
伊藤基記(熊 本)
伊藤基記(熊本)・佐藤哲郎(北海道)
7回(1968)
佐藤哲郎(北海道)
今井 先(東京)・佐藤哲郎(北海道)
8回(1969)
伊藤基記(熊 本)
伊藤基記(熊本)・佐藤哲郎(北海道)
9回(1970)
伊藤基記(熊 本)
伊藤基記(熊本)・佐藤哲郎(北海道)
10 回(1971)
坂田治夫(大 阪)
坂田治夫・浅田一雄(大 阪)
11 回(1972)
佐藤哲郎(北海道)
佐藤精一(秋田)・佐藤哲郎(北海道)
12 回(1973)
佐藤哲郎(北海道)
榎本彦次・田中多喜造(滋賀)
13 回(1974)
成井政一(福 岡)
14 回(1975)
筧 順(静 岡)
成井政一・筧 順(静 岡)
15 回(1976)
平田登志郎(東京)
吉持節夫(兵庫県)・島谷勲(北海道)
16 回(1977)
畑 忠雄(福 井)
竹内正久・斎藤良二(大 阪)
17 回(1978)
柳田直規(東 京)
平田登志郎・柳田直規(東京)
18 回(1979)
柳田直規(東 京)
平田登志郎・柳田直規(東京)
19 回(1980)
柳田直規(東 京)
斎藤良二・竹内正次(大 阪)
20 回(1981)
柳田直規(東 京)
本郷節生・沢田昭臣(熊 本)
21 回(1982)
柳田直規(東 京)
柳田直規・三須徳次(東 京)
22 回(1983)
柳田直規(東 京)
本郷節生・元田敦海(熊 本)
23 回(1984)
柳田直規(東 京)
本郷節生・元田敦海(熊 本)
24 回(1985)
元田敦海(熊 本)
福嶋武良・元田敦海(熊 本)
25 回(1986)
杉田 博(神奈川)
元田敦海・福嶋武良(熊 本)
26 回(1987)
杉田 博(神奈川)
岡 明弘・小向利威(北海道)
27 回(1988)
杉田 博(神奈川)
南 直治・西田寿明(熊 本)
28 回(1989)
杉田 博(神奈川)
南 直治・西田寿明(熊 本)
29 回(1990)
杉田 博(神奈川)
服部竜一・辻 弘章(東 京)
30 回(1991)
杉原哲彦(山 口)
藤原和文・喜岡恒雄(香 川)
31 回(1992)
杉原哲彦(山 口)
藤原和文・喜岡恒雄(香 川)
32 回(1993)
杉原哲彦(山 口)
藤原和文・喜岡恒雄(香 川)
33 回(1994)
杉田 博(神奈川)
藤原和文・喜岡恒雄(香 川)
34 回(1995)
杉原哲彦(山 口)
藤原和文・喜岡恒雄(香 川)
35 回(1996)
葦原健身(熊 本)
杉田 博・近藤勇司(神奈川)
36 回(1997)
杉原哲彦(山 口)
杉田 博・近藤勇司(神奈川)
37 回(1998)
葦原健身(熊 本)
関 一誠・平井克英(東 京)
38 回(1999)
平井克英(東 京)
関 一誠・平井克英(東 京)
39 回(2000) 平井克英(東 京)
関 一誠・平井克英(東 京)
40 回(2001)
平井克英(東 京)
原 栄一・高來秀夫(石 川)
41 回(2002) 葦原健身(熊 本)
42 回(2003) 伊藤張二(岩 手)
平井克英・近藤良二(東 京)
43 回(2004) 伊藤張二(岩 手)
平井克英・近藤良二(東 京)
44 回(2005) 逸見寛二(愛 媛)
西岡 誠・谷口榮史(長 崎)
45 回(2006) 高岡 桂(福 井)
46 回(2007) 福田光博(山 口)
高橋尚夫・広岡 光(北海道)
47 回(2008)
高岡 桂(福 井)
松下芳朗・田代昌昭(熊 本)
光田洋子(愛 知)
桶谷千鶴子・伊東ひとみ(石川)
48 回(2009) 高岡 桂(福 井)
廣岡 光・高橋尚夫(北海道)
澄川稔子(兵 庫)
桶谷千鶴子・伊東ひとみ(石川)
49 回(2010)
奥山和也(北海道)
大阪哲嗣・近藤祥夫(愛 知)
佐藤安子(群 馬)
桶谷千鶴子・宇都宮明子(石川)
50 回(2011)
高岡 桂(福 井)
大阪哲嗣・近藤祥夫(愛 知)
茂木幸子(群 馬)
藤田景子・白井直子(千 葉)
佐藤 正・水上英二(東 京)
水上英二・佐藤 正(東 京)
78
60 歳以上男子単
60 歳以上男子複
26 回(1987)
27 回(1988)
柳田直規(東 京)
柳田直規・平田登志郎(東京)
柳田直規(東 京)
柳田直規・平田登志郎(東京)
28 回(1989)
柳田直規(東 京)
柳田直規・平田登志郎(東京)
29 回(1990)
柳田直規(東 京)
柳田直規・平田登志郎(東京)
30 回(1991)
柳田直規(東 京)
柳田直規・平田登志郎(東京)
65 歳以上男子単
65 歳以上男子複
柳田直規(東京)・住澤幸男(北海道)
1回(1962)
2回(1963)
3回(1964)
4回(1965)
5回(1966)
6回(1967)
7回(1968)
8回(1969)
9回(1970)
10 回(1971)
11 回(1972)
12 回(1973)
13 回(1974)
14 回(1975)
15 回(1976)
16 回(1977)
17 回(1978)
18 回(1979)
19 回(1980)
20 回(1981)
21 回(1982)
22 回(1983)
23 回(1984)
24 回(1985)
25 回(1986)
31 回(1992)
柳田直規(東 京)
藤木隆寛(大阪)・元田敦海(熊本)
32 回(1993)
柳田直規(東 京)
東 健治・島谷 勲(北海道)
33 回(1994)
柳田直規(東 京)
窪田 薫・葛巻礼滋(北海道)
34 回(1995)
柳田直規(東 京)
窪田 薫・葛巻礼滋(北海道)
35 回(1996)
鈴木祐司(秋 田)
東 健治(北海道)・鈴木祐司(秋田)
36 回(1997)
佐藤俊夫(新 潟)
柳田直規(東京)・中村恭治(埼玉)
37 回(1998)
柳田直規(東 京)
柳田直規(東京)・中村恭治(埼玉)
38 回(1999) 佐々木堅治(北海道)
東 健治・佐々木堅治(北海道)
39 回(2000)
佐藤俊夫(新 潟)
中村恭治・中村祐康(埼 玉)
杉田 博(神奈川)
40 回(2001)
田中康二(千 葉)
中村恭治・中村祐康(埼 玉)
柳田直規(東 京)
住澤幸男(北海道)・柳田直規(東京)
41 回(2002)
田中康二(千 葉)
中村恭治・中村祐康(埼 玉)
杉田 博(神奈川)
住澤幸男・東 健治(北海道)
42 回(2003) 廣田 彰(宮 崎)
43 回(2004) 原 栄一(石 川)
奥村紀男・前田邦光(新 潟)
杉田 博(神奈川)
中村恭治・中村祐康(埼 玉)
奥村紀男・前田邦光(新 潟)
杉田 博(神奈川)
中村恭治・中村祐康(埼 玉)
44 回(2005) 廣田 彰(宮 崎)
中嶋三郎・柳瀬昭二(富 山)
杉田 博(神奈川)
中村恭治・中村祐康(埼 玉)
45 回(2006) 近藤勇司(神奈川)
杉田 博・近藤勇司(神奈川)
杉田 博(神奈川)
中村恭治・中村祐康(埼 玉)
46 回(2007) 廣田 彰(宮 崎)
杉田 博・近藤勇司(神奈川)
杉田 博(神奈川)
田中康二・米本雅男(千 葉)
47 回(2008)
平井克英(東 京)
杉田 博・近藤勇司(神奈川)
原 栄一(石 川)
田中康二・米本雅男(千 葉)
48 回(2009) 平井克英(東 京)
平井克英・水上英二(東 京)
黒﨑二男(神奈川)
黒﨑二男・宮崎茂樹(神奈川)
49 回(2010)
平井克英(東 京)
平井克英・水上英二(東 京)
副島 力(福 岡)
広瀬勇雄・副島 力(福 岡)
50 回(2011)
片山雅博(岡 山)
平井克英・水上英二(東 京)
広田 彰(宮 崎)
黒﨑二男・宮崎茂樹(神奈川)
79
70 歳以上男子単
70 歳以上男子複
混合複
1回(1962)
小泉伸坦・岸川礼子(東 京)
2回(1963)
鈴木祐司(秋田)・諸田みや子(東京)
3回(1964)
佐藤弘次・小勝紀子(栃 木)
4回(1965)
尾藤宏治・高木紀子(岐 阜)
5回(1966)
尾藤宏治・高木紀子(岐 阜)
6回(1967)
岡村英男・功刀淑江(東 京)
7回(1968)
北方 匡・鎌田光子(石 川)
8回(1969)
清水芳隆・硲恵美子(富 山)
9回(1970)
清水芳隆・飯田恵美子(富山)
10 回(1971)
清水芳隆・飯田恵美子(富山)
11 回(1972)
清水芳隆・谷沢三輪子(富山)
12 回(1973)
上原 章・天野博江(岐 阜)
13 回(1974)
佐藤利昭・三原登美子(茨城)
14 回(1975)
上原 章・名和和子(岐 阜)
15 回(1976)
今井勇司・秋山晴江(群 馬)
16 回(1977)
須藤 茂・松田敦子(青 森)
17 回(1978)
仲尾信一・北村寿弥子(大阪)
18 回(1979)
村元秀美・松田敦子(青 森)
19 回(1980)
仲尾信一・北村寿美子(大阪)
20 回(1981)
工藤吉彦・大嶌和代(栃 木)
21 回(1982)
山下圭一・土田理恵子(新潟)
22 回(1983)
山下圭一・土田理恵子(新潟)
23 回(1984)
上田敏之・本橋佳代子(埼玉)
24 回(1985)
舛田吉光・小路和代(石 川)
25 回(1986)
神戸 照・井上美智代(福井)
26 回(1987)
斉藤 郁・井上美智代(福井)
27 回(1988)
高岡 桂・山内美子(福 井)
28 回(1989)
鵤木秀夫・鵤木千加子(兵庫)
29 回(1990)
大島正志・平間真由美(栃木)
30 回(1991)
高橋英治・長谷詔子(東 京)
31 回(1992)
32 回(1993)
33 回(1994)
34 回(1995)
35 回(1996)
36 回(1997)
37 回(1998)
38 回(1999)
39 回(2000)
40 回(2001)
41 回(2002)
42 回(2003)
43 回(2004)
44 回(2005)
45 回(2006)
46 回(2007)
47 回(2008) 佐藤俊夫(新 潟)
48 回(2009) 杉田 博(神奈川)
49 回(2010)
広瀬勇雄(福 岡)
50 回(2011)
田中康二(千 葉)
吉川知之・奥本秀明(広 島)
田中康二・米本雅男(千 葉)
80
平成23年度 第50回全日本教職員バドミントン選手権大会の模様
81
<派遣審判員>
大 会
38 回
青森県
青森市
39 回
三重県
伊勢市
40 回
41 回
42 回
43 回
44 回
45 回
46 回
47 回
福岡県
北九州市
山梨県
甲府市
宮崎県
宮崎市
島根県
三刀屋町
栃木県
宇都宮市
京都府
京都市
長崎県
大村市
茨城県
土浦市
氏 名
賀谷 正志
若園 久志
賀谷 正志
武藤 芳紀
小山 朗
賀谷 正志
小山 朗
上田 勲
松本 克芳
淵上 竹見
満行 孝一
賀谷 正志
奥村 紀男
若園 久志
秋元みや子
加瀬 恵
沼田 昭子
美川 久子
高木 真人
野崎 眞
嶋野 洋子
諸星 孝子
小野 将道
賀谷 正志
上田 勲
宮路 秀憲
福嶋 康夫
廣崎 貴雄
賀谷 正志
森本 俊彦
松本 克芳
辻中 孝彦
森田 結城
賀谷 正志
宮路 秀憲
秋元みや子
古賀 広行
福田 栄記
冨田 明
岡田 時彦
黒田恵美子
賀谷 正志
森本 俊彦
三王 知治
荒木 房子
殿内 境
藤上佐千子
賀谷 正志
森本 俊彦
福嶋 康夫
黒田恵美子
松永 昌範
松田 克彦
賀谷 正志
藤井 弘行
荒木 房子
樋地 正秀
塚原美津子
日高 善治
菅野 英美
原 正人
保刈 梢
回数
1
1
2
1
1
3
2
1
1
1
1
4
2
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
5
2
2
1
1
6
3
2
1
1
7
3
2
2
1
1
1
1
8
5
4
2
1
1
9
6
5
3
1
1
10
7
4
3
2
2
1
1
1
所 属
広 島
神奈川
広 島
岐 阜
宮 城
広 島
宮 城
神奈川
山 口
長 崎
宮 崎
広 島
新 潟
神奈川
東 京
東 京
東 京
東 京
神奈川
新 潟
静 岡
静 岡
宮 崎
広 島
神奈川
東 京
新 潟
長 崎
広 島
東 京
山 口
鳥 取
広 島
東 京
東 京
長 崎
東 京
埼 玉
東 京
新 潟
広 島
東 京
広 島
新 潟
兵 庫
滋 賀
広 島
東 京
新 潟
新 潟
新 潟
熊 本
広 島
東 京
新 潟
東 京
東 京
福 岡
東 京
東 京
新 潟
氏 名
笠原 英知
回数
1
所 属
神奈川
氏 名
吉川 隆明
回数
1
所 属
神奈川
笠原 英知
藤井 弘行
2
1
神奈川
東 京
吉川 隆明
横田 和長
2
1
神奈川
東 京
笠原 英知
藤井 弘行
古谷 文明
三井 房子
切道 恵ニ
柳川 正紀
吉川 隆明
藤井 弘行
三王 知治
蓼沼 康史
鳥越 俊秀
野津山恵美子
保田 秀行
石井 一行
入沢百合子
鈴木 光子
林 睦代
藤崎 康雄
小山 朗
三王 知治
大島 正志
日高 澄具
田中 昌樹
小山 朗
蓼沼 康史
三井 房子
三井 裕
森 政夫
藤井 弘行
三王 知治
保田 秀行
廣崎 貴雄
柴田シズ江
関根 忠
鈴木 忍
3
2
1
1
1
1
4
3
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
4
2
1
1
1
5
3
2
1
1
4
3
2
2
1
1
1
神奈川
東 京
山 梨
山 口
熊 本
長 崎
神奈川
東 京
広 島
東 京
東 京
東 京
東 京
新 潟
静 岡
静 岡
静 岡
宮 崎
宮 城
広 島
栃 木
福 岡
吉川 隆明
森本 俊彦
奥村 紀男
的場 武
橋口 俊彦
3
1
1
1
1
神奈川
東 京
新 潟
佐 賀
宮 崎
3
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
3
2
1
1
1
4
2
1
1
宮 城
東 京
東 京
東 京
東 京
東 京
東 京
新 潟
静 岡
静 岡
静 岡
宮 城
東 京
山 口
山 口
小山 朗
森本 俊彦
宮路 秀憲
塚原美津子
中林 和男
樋地 正秀
横田 猛
星野 正
川村 里美
高山恵里子
山本 秀和
山下 直也
奥村 紀男
蓼沼 康史
遠井 努
古賀 広行
牧下 雅洋
奥村 紀男
福嶋 康夫
中川 憲昭
中島 和也
東 京
広 島
東 京
長 崎
埼 玉
東 京
東 京
森本 俊彦
福嶋 康夫
樋地 正秀
慶野 誠
小形 浩
有村 英泰
荒木 房子
4
3
2
1
1
1
1
東 京
新 潟
東 京
茨 城
埼 玉
東 京
新 潟
小山 朗
奥村 紀男
福嶋 康夫
黒田恵美子
松井 英司
6
5
4
2
1
宮 城
新 潟
新 潟
新 潟
兵 庫
藤井 弘行
宮路 秀憲
上田 勲
大塚 省一
松村 一三
5
4
3
1
1
東 京
東 京
神奈川
長 崎
大 阪
小山 朗
宮路 秀憲
上田 勲
横田 和長
日高 善治
岩下 太郎
小山 朗
福嶋 康夫
黒田恵美子
保田 秀行
鈴木 忍
白鳥 卓
山口 律子
工藤 弘明
高松 聡美
7
5
4
2
1
1
8
6
4
3
2
1
1
1
1
宮 城
東 京
神奈川
東 京
福 岡
大 分
宮 城
新 潟
新 潟
東 京
東 京
東 京
東 京
東 京
新 潟
藤井 弘行
三王 知治
荒木 房子
江澤 曜子
堀野 雅裕
6
5
3
1
1
東 京
広 島
新 潟
東 京
熊 本
森本 俊彦
上田 勲
秋元みや子
江澤 曜子
松永 昌範
青木 康敏
水上 英二
伊藤 晶子
7
5
3
2
2
1
1
1
東 京
神奈川
東 京
東 京
新 潟
東 京
東 京
新潟
82
新 潟
東 京
栃 木
長 崎
新 潟
新 潟
北海道
大 会
48 回
49 回
50 回
兵庫県
神戸市
鹿児島県
薩摩川内市
愛媛県
松山市
氏 名
賀谷 正志
福嶋 康夫
荒木 房子
横田 和長
中島 真実
山本 慎二
賀谷 正志
福嶋 康夫
荒木 房子
松本 克芳
江澤 曜子
中島 真実
殿内 境
合田 洋平
原 賢一
関 辰夫
賀谷 正志
宮路 秀憲
松本 克芳
松永 昌範
原 賢一
橋口 俊彦
利行 好男
宮﨑 邦雄
回数
11
7
5
3
1
1
12
8
6
4
3
2
2
1
1
1
13
8
5
4
2
2
1
1
所 属
広 島
新 潟
新 潟
東 京
東 京
和歌山
広 島
新 潟
新 潟
山 口
東 京
東 京
兵 庫
東 京
愛 知
大 分
広 島
東 京
山 口
新 潟
愛 知
宮 崎
山 口
山 口
氏 名
小山 朗
宮路 秀憲
黒田恵美子
日髙 義治
上假屋淳一
釜瀬 洋一
小山 朗
宮路 秀憲
黒田恵美子
日髙 義治
松永 昌範
上假屋淳一
堀野 雅裕
竹内真知子
宮本 行庸
回数
9
6
5
3
1
1
10
7
6
4
3
2
2
1
1
所属
宮 城
東 京
新 潟
福 岡
神奈川
福 岡
宮 城
東 京
新 潟
福 岡
新 潟
神奈川
熊 本
新 潟
兵 庫
氏 名
森本 俊彦
三王 知治
松本 克芳
白鳥 卓
矢代 譲
回数
8
6
3
2
1
所 属
東 京
広 島
山 口
東 京
新 潟
藤井 弘行
三王 知治
横田 和長
白鳥 卓
古賀 広行
矢代 譲
須田 和裕
疇地 俊宏
西村 撤
8
7
4
3
3
2
1
1
1
東 京
広 島
東 京
東 京
長 崎
新 潟
東 京
三 重
兵 庫
藤井 弘行
三王 知治
日髙 義治
堀野 雅裕
関 辰夫
岡崎 好宏
藤﨑 綱夫
森 豊幸
9
8
5
3
2
1
1
1
東 京
広 島
福 岡
神奈川
大 分
福 岡
鹿児島
滋 賀
福嶋 康夫
荒木 房子
白鳥 卓
須田 和裕
釜瀬 洋一
尾崎 広明
藤澤 直方
森山ふくえ
9
7
4
2
2
1
1
1
新 潟
新 潟
東 京
東 京
福 岡
長 野
長 野
福 岡
最終日の審判団
国際審判員の三王知治氏
13 回皆勤の賀谷正志氏
83
<歴代役員>
年
回数
開催地
会 長
副会長
理事長
1962(昭 37) 第1回
東京都文京区
栗本 義彦
森友徳兵衛 今井 先
平田登志郎
1963(昭 38) 第2回
群馬県桐生市
栗本 義彦
平田登志郎
1964(昭 39) 第3回
三重県伊勢市
栗本 義彦
平田登志郎
1965(昭 40) 第4回
大分県日田市
栗本 義彦
平田登志郎
1966(昭 41) 第5回
北海道札幌市
栗本 義彦
平田登志郎
1967(昭 42) 第6回
富山県高岡市
栗本 義彦
平田登志郎
1968(昭 43) 第7回
大阪府大阪市
栗本 義彦
村上平一郎 小林 茂
平田登志郎
1969(昭 44) 第8回
埼玉県上尾市
栗本 義彦
村上平一郎 小林 茂
平田登志郎
1970(昭 45) 第9回
岐阜県岐阜市
栗本 義彦
村上平一郎 小林 茂
平田登志郎
1971(昭 46) 第 10 回
岡山県岡山市
栗本 義彦
村上平一郎 小林 茂
神谷 一三 伊藤 基記
今井 先 河田 勇
大島 韓一 平田登志郎
平田登志郎
里見 光徳
副理事長
1972(昭 47) 第 11 回
秋田県秋田市
栗本 義彦
村上平一郎 小林 茂
神谷 一三 伊藤 基記
今井 先 川田 努
大島 韓一 1973(昭 48) 第 12 回
滋賀県大津市
栗本 義彦
伊藤 基記 今井 先
神谷 一三 平田登志郎
1974(昭 49) 第 13 回
熊本県熊本市
柴田 勝治
1975(昭 50) 第 14 回
栃木県小山市
柴田 勝治
伊藤 基記 今井 先
神谷 一三 平田登志郎
松井重次郎 毛利 清志
里見 光徳
池田 昌道
1976(昭 51) 第 15 回
東京都世田谷区
柴田 勝治
伊藤 基記 今井 先
神谷 一三 平田登志郎
松井重次郎 毛利 清志
里見 光徳
池田 昌道
1977(昭 52) 第 16 回
山口県下関市
柴田 勝治
伊藤 基記 今井 先
神谷 一三 平田登志郎
松井重次郎 毛利 清志
里見 光徳
池田 昌道
1978(昭 53) 第 17 回
宮城県仙台市
柴田 勝治
伊藤 基記 今井 先
神谷 一三 平田登志郎
松井重次郎 毛利 清志
里見 光徳
池田 昌道
里見 光徳
池田 昌道
里見 光徳
池田 昌道
里見 光徳
1979(昭 54) 第 18 回
福岡県北九州市
柴田 勝治
伊藤 基記 今井 先
神谷 一三 平田登志郎
毛利 清志 高橋 豊次
布引 修二 1980(昭 55) 第 19 回
石川県金沢市
柴田 勝治
伊藤 基記 今井 先
神谷 一三 平田登志郎
毛利 清志 高橋 豊次
布引 修二 1981(昭 56) 第 20 回
福島県郡山市
柴田 勝治
里見 光徳
1982(昭 57) 第 21 回
佐賀県嬉野市
柴田 勝治
伊藤 基記 今井 先
神谷 一三 平田登志郎
毛利 清志 中束 武夫
布引 修二 1983(昭 58) 第 22 回
静岡県沼津市
柴田 勝治
伊藤 基記 神谷 一三
平田登志郎 毛利 清志
中束 武夫 布引 修二
里見 光徳
1984(昭 59) 第 23 回
青森県弘前市
柴田 勝治
伊藤 基記 神谷 一三
平田登志郎 毛利 清志
里見 光徳
1985(昭 60) 第 24 回
福井県福井市
柴田 勝治
1986(昭 61) 第 25 回
広島県広島市
柴田 勝治
里見 光徳
小泉 直坦
伊藤 基記 里見 光徳
池田 昌道 平田登志郎
毛利 清志 84
小泉 直坦
年
回数
開催地
会 長
副会長
理事長
副理事長
1987(昭 62) 第 26 回
北海道苫小牧市
柴田 勝治
伊藤 基記 里見 光徳
池田 昌道 平田登志郎
毛利 清志 小泉 直坦
1988(昭 63) 第 27 回
奈良県奈良市
柴田 勝治
伊藤 基記 里見 光徳
池田 昌道 平田登志郎
毛利 清志 小泉 直坦
1989(平元) 第 28 回
香川県坂出市
柴田 勝治
伊藤 基記 里見 光徳
池田 昌道 平田登志郎
毛利 清志 前田 耕作
1990(平 2)
第 29 回
岩手県盛岡市
柴田 勝治
伊藤 基記 里見 光徳
池田 昌道 平田登志郎
毛利 清志 小泉 直坦
前田 耕作
1991(平 3)
第 30 回
愛知県豊橋市
柴田 勝治
里見 光徳 池田 昌道
平田登志郎 小泉 直坦
前田 耕作
1992(平 4)
第 31 回
熊本県熊本市
柴田 勝治
里見 光徳 池田 昌道
平田登志郎 小泉 直坦
前田 耕作
1993(平 5)
第 32 回
神奈川県平塚市
柴田 勝治
里見 光徳 池田 昌道
平田登志郎 小泉 直坦
前田 耕作
1994(平 6)
第 33 回
石川県金沢市
柴田 勝治
1995(平 7)
第 34 回
鳥取県米子市
柴田 勝治
小泉 直坦 前田 耕作
稲石 一雄
高橋 英夫
1996(平 8)
第 35 回
千葉県千葉市
鯨岡 兵輔
小泉 直坦 前田 耕作
稲石 一雄
高橋 英夫
1997(平 9)
第 36 回
和歌山県新宮市
鯨岡 兵輔
小泉 直坦 前田 耕作
稲石 一雄
高橋 英夫
1998(平 10) 第 37 回
愛媛県松山市
鯨岡 兵輔
小泉 直坦 前田 耕作
稲石 一雄
高橋 英夫
1999(平 11) 第 38 回
青森県青森市
鯨岡 兵輔
小泉 直坦 前田 耕作
稲石 一雄
高橋 英夫
2000(平 12) 第 39 回
三重県伊勢市
鯨岡 兵輔
小泉 直坦 前田 耕作
稲石 一雄
高橋 英夫
2001(平 13) 第 40 回
福岡県北九州市
鯨岡 兵輔
小泉 直坦 前田 耕作
稲石 一雄
高橋 英夫
2002(平 14) 第 41 回
山梨県甲府市
鯨岡 兵輔
小泉 直坦 前田 耕作
稲石 一雄
高橋 英夫
2003(平 15) 第 42 回
宮崎県宮崎市
下村 博文
小泉 直坦 前田 耕作
稲石 一雄
高橋 英夫
2004(平 16) 第 43 回
島根県三刀屋町
下村 博文
小泉 直坦 前田 耕作
稲石 一雄
高橋 英夫
今井 正男
2005(平 17) 第 44 回
栃木県宇都宮市
関場 武
龍井 昇治 稲石 一雄
高橋 英夫
水上 英二
今井 正男
2006(平 18) 第 45 回
京都府
京都市・長岡京市
関場 武
龍井 昇治 稲石 一雄
高橋 英夫
水上 英二
今井 正男
2007(平 19) 第 46 回
長崎県大村市
関場 武
龍井 昇治 稲石 一雄
高橋 英夫
水上 英二
今井 正男
2008(平 20) 第 47 回
茨城県
土浦市・牛久市
関場 武
龍井 昇治 稲石 一雄
高橋 英夫
水上 英二
今井 正男
2009(平 21) 第 48 回
兵庫県神戸市
関場 武
龍井 昇治 稲石 一雄
高橋 英夫
水上 英二
今井 正男
2010(平 22) 第 49 回
鹿児島県
薩摩川内市
関場 武
龍井 昇治 稲石 一雄
高橋 英夫
水上 英二
今井 正男
2011(平 23) 第 50 回
愛媛県松山市
関場 武
龍井 昇治 稲石 一雄
高橋 英夫
水上 英二
帰山 好和
前田 正志
前田 耕作
85
<加盟登録一覧>
1
北海道
2
青 森
3
岩 手
4
宮 城
5
秋 田
6
山 形
7
福 島
8
茨 城
9
栃 木
10
群 馬
11
埼 玉
S45 S46 S47 S48 S49 S50 S51 S52 S53 S54 S55 S56 S57 S58
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神奈川
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16
新 潟
17
長 野
18
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28 兵 庫
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30 和歌山
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32
島 根
33 岡 山
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35 山 口
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高 知
40 福 岡
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43 熊 本
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加盟支部
23
登録人数
349 336 225 424 460 482 563 634 774 713 755 751 757 874
86
810 874 899 976 993 872
H3
H4
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H8
1
北海道
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1012 1002 1034 987 999 921 792 732 674 679 678 736 665 693 679 710 612 667 757 761 681
87
平成23年度 第50回全日本教職員バドミントン選手権大会
今大会を顧みて
日本教職員バドミントン連盟
副会長
稲石一雄
まず、3月の大震災において被害を受けたすべての方々に哀悼の意を申し上げます。私の勤務する学校でも埼
玉にある系列校は校舎の一部が破損しました。また、本校にも自宅が損壊したご家庭の子女が通学していますの
で、人ごとではなく心を痛めています。そのような中、無事に50回大会を開催できたことは大変喜ばしく、また
価値あることだと思います。ご存じの通り、当初予定していた山形県から急遽愛媛県松山市に変更しました。愛
媛県では山形県の「思い」を受け継ぐ形で「シャトル」のロゴを使用したそうです。「がんばろう日本」の合い
言葉のもと、東北各県からの参加を得、昨年以上の参加数で開催できました。本当にありがとうございました。
“流れる雲よ城山に のぼれば見える君の家 灯りが窓にともるまで 見つめていたっけ逢いたくて ああ青
春の思い出は 我がふるさと 城下町”梶光夫でヒットした名曲です。2番の歌詞に「白樺」と出てくるので松
山ではないと思いますが、朝食時、ホテルから眺める松山城を見ていると何故かこの曲が頭の中を流れていきま
した。松山のイメージは小柳ルミ子の「わたしの城下町」ではないんです。13年前に松山で開催されたときに
は、開会式は団体戦の前に行っていました。プラカードを持って入場行進です。式の途中、暑さで体調を崩す補
助役員生徒が多数出たため、急遽生徒を引っ込めてプラカードは選手に持ってもらいました。選手は(先生達
は)誰一人厭な顔をせず、にこやかにプラカードを持ってくれました。翌年から、着席での開会式になりまし
た。このころ本連盟は派遣審判員制度導入を決め、この年の総会で承認を得ました。そこで愛媛県では先取りす
る形で敗者審判を行わないで運営をしてくれました。このように思い出の多い松山大会です。
今回は一般男子に若く生きのいい選手が多かったような気がします。また、70MS・50WSの参加数が8を超
え、いよいよ正式種目としての成立が現実味を帯びてきました。今後とも若手からベテランまで幅広い層で益々
盛り上がっていきたいものです。
団体戦では一般男子は福島県が連覇、一般女子は石
川県、成壮年は東京がそれぞれ優勝しました。今回は
一般男子・女子団体に愛媛県から県知事賞が授与され
ました。選手には大変なサプライズでした。(中村時
広知事は綿貫日本協会会長・関場教職員連盟会長の大
学の後輩であり、バドミントン部で活躍した経歴の持
ち主です。平成19年に松山で行われた全国レディス大
会の開会式では始球式としてロングハイサービスを打
ち上げています。愛媛県協会のHPでその見事なフォー
ムが紹介されています。)
個人戦においては今年も新チャンピオンが多数誕生
しましたが、この2・3年、30歳以上男子の部で高
知県勢の活躍が目を引きます。30MDではベスト4のう
ち3組が高知県でした。
総合優勝制度は例年、開催地が上位に入ってきま
す。今回も愛媛県が9位となりました。さて、優勝は東京都でした。成壮年団体で優勝、女子が2位、男子がベ
スト8と点数を稼ぎ、個人戦においても一般男子単3位を筆頭にこつこつと勝ち抜き点を拾っていきました。そ
の結果、勝ち抜き点でも1位となり、参加点と合わせて2位の熊本県を50点近く引き離して優勝しました。
今回は昨年に比べ参加数が増加をしましたが、交通の便も勿論のこと、別の年代にまたがって出られるという
ことも要因の一つと考えられます。16名がこの制度を活用しました。連盟は参加資格の見直しをはじめとして、
より多くの先生方が参加できるよう検討を続けています。各都道府県連盟においても本連盟の活動を広報して、
より多くの選手・人材の発掘をお願いします。
最後に今回の準備をしてくださった山形県の関係者の皆様、そしてそれを受けて短時間の準備にもかかわらず
見事に開催・運営してくださった愛媛県の皆様、そして今回この大会に関わったすべての皆様に厚く御礼申し上
げます。本当に有り難うございました。
88
平成23年度 第50回全日本教職員バドミントン選手権大会
第 50 回全日本教職員バドミントン選手権大会
レフェリー報告
教職員大会 競技役員長
吉川隆明
第50回全日本教職員バドミントン選手権大会が無事終了したことを、今大会の開催県である愛媛県教職
員バドミントン連盟、愛媛県バドミントン協会の皆様をはじめ、松山市他、大会運営にご尽力いただいた
方々に心よりお礼申し上げます。この大会は当初、山形県山形市での開催が予定されていましたが、3月
の東日本大震災のため開催を危ぶまれた大会でした。しかし、50回という記念の大会が中止となることを
避け、ぜひ今年度中に実施したいという要望に愛媛県教職員連盟が応えていただき、急な開催のお願いの
要請にもかかわらず、周到の準備をしていただいたことを真に感謝申し上げます。
メイン会場となった愛媛県武道場は、施設もたいへん整い、夏の大会では欠かせない空調も安定してい
て、選手のみなさんにとってはプレーしやすい環境であったと思います。サブ会場となった北条スポーツ
センターは、自然光を取り入れたエコシステムの体育館であるため、照度が明るすぎた面もありました
が、シャトルを追うみなさんからの不満は聞こえてきませんでした。今年はフロアーが広い会場であった
ため、出入口付近に選手待機所を設置させていただきました。プレーヤーとして試合の準備、心構えをす
る上でもよかったことのひとつです。残念ながら、けがや登録ミスによる棄権者が数人でましたが、大禍
なく大会が終了いたしました。それは50回という記念大会であり、参加者の多くが震災による開催地変更
でも、「がんばろう!日本」の掛け声のもと、日本がひとつになろうという思いを共有していた大会だっ
たからだと思っております。
そのことを象徴するものとして印象に残ったことがあります。それは線審を担当する高校、中学生のみ
なさんが着用していたオレンジ色のTシャツのデザインです。前面に山形と愛媛の県の形が配置され、2
つの県が日の丸で結ばれているものでした。また、背面には「50」をシャトルの形でかたどった数字がプ
リントされていました。これは山形でデザインされていたものだそうです。今年は41都道府県から今大会
に参加がありましたが、大震災による国難にある状況の中、私たち日本はひとつだという気持ちが表され
ているように感じられました。大会参加者数も、前年度に比較して増加しているように、多くの教育関係
のバドミントン選手が集い、大会を盛り上げていこうという気持ちが表れていた大会であったと感じてい
ます。
マナーの面でも、多くの選手の方々には守っていただいたように思います。コーチ席にシューズを着用
せず座られる方が若干お見受けしましたが、注意を促せばご理解いただけました。残念だったことは、細
かいことですが、コート周りに選手のタオル・飲料を入れておくカゴの取扱い方のことです。タオル等を
すべてカゴの中に入れてほしいのですが、タオルがカゴからはみ出していたり、ペットボトル等の飲料が
外に置いてあったりしたことが多かったものです。タオルも散らかさないで置き入れていたほうが、紳士
淑女のスポーツらしいと思います。
最後になりましたが、大会の組合せ会議や大会運営では、事務局担当の樽島氏らと大会直前まで周到な
連絡協議をさせていただきました。また、大会期間中はディプティーレフェリーの戸崎氏にたいへんお世
話になりました。短い準備期間でありながら、無事に終了できたことは、何より地元の事務局をはじめ、
多くの方々のお力の賜物でございます。あらためて、皆さまのご尽力に敬意と感謝の意を表したいと存じ
ます。
89
平成23年度 第50回全日本教職員バドミントン選手権大会 成績表
1位
2位
3位(3 ~ 4)
5位(5 ~ 8)
一般男子団体
福島県
広島県
鹿児島県
熊本県
神奈川県
埼玉県
茨城県
東京都
一般女子団体
石川県
東京都
香川県
熊本県
茨城県
広島県
千葉県
埼玉県
成壮年
男子団体
東京都
熊本県
島根県
高知県
石川県
埼玉県
長崎県
神奈川県
一般男子単
笹木 里司
(福井)
小川 量平
(長崎)
西村 昭彦
(東京)
三浦 時央
(愛知)
二瓶 良
(福島)
川口健太郎
(熊本)
細川 泰大
(兵庫)
堂下 智寛
(埼玉)
一般男子複
堂下 智寛
片岡 智也
(埼玉)
谷口 宏紀
平野 晃一
(和歌山)
丸永 幸則
笹木 里司
(福井)
高野 純平
工藤 慶祐
(北海道)
小吹 公彦
中岡 晃啓
(茨城)
守口 昌
小林 和弘
(東京)
田村 隆志
古賀 久臣
(福岡)
源口 哲史
多久島一慶
(愛知)
一般女子単
村松 瑞穂
(静岡)
松村 咲希
(香川)
磯下由貴子
(埼玉)
山下 紋可
(北海道)
明田 由佳
(東京)
金山 友萌
(神奈川)
野村このみ
(兵庫)
矢田部真奈
(大阪)
一般女子複
楠 尚子
松村 咲希
(香川)
南出なつき
長谷川加奈
(石川)
谷藤 千香
宮澤 礼
(千葉)
笠原 唯
石塚 祐香
(栃木)
堀 江梨香
白江 暢美
(石川)
中村 恵子
大田 佳奈
(広島)
阿部 則子
松井 知菜
(茨城)
中田 順子
山下 紋可
(北海道)
30 歳以上
男子単
桐原 健
(熊本)
黒石 雅宏
(高知)
清水 誠司
(愛知)
小賀 元裕
(高知)
中原 学
(高知)
岩瀬 久芳
(東京)
小吹 公彦
(茨城)
矢野 宏和
(高知)
30 歳以上
男子複
中原 学
黒石 雅宏
(高知)
川添 周三
小賀 元裕
(高知)
矢野 宏和
大﨑 武
(高知)
境 恵司
永松勇一郎
(熊本)
後藤 智彦
石澤 博
(千葉)
武井 英樹
駒木 健志
(神奈川)
小川 壮司
岩瀬 久芳
(東京)
松尾 必勝
辻村 昌彦
(北海道)
40 歳以上
男子単
江藤 正治
(熊本)
金山 紀幸
(島根)
嘉生 寛
(奈良)
野中 宏修
(福岡)
横田 寿弘
(岡山)
大浦恒一郎
(長崎)
松本 芳郎
(大分)
中原 修二
(岡山)
40 歳以上
男子複
平岡 篤司
千田 宏之
(奈良)
江藤 正治
三次 圭介
(熊本)
金山 紀幸
青木 聡
(島根)
横田 寿弘
中原 修二
(岡山)
田中 藤夫
蓼沼 康史
(東京)
芦澤 康宏
谷口 紀夫
(東京)
武田 高穂
源 大輔
(神奈川)
藤井 弘行
高橋 智朗
(東京)
50 歳以上
男子単
高岡 桂
(福井)
井原 孝夫
(島根)
奥山 和也
(北海道)
清水 邦浩
(富山)
岩城 保久
(静岡)
藤巻 克
(長野)
南澤 浩幸
(長野)
岸本 誠一
(高知)
50 歳以上
男子複
大阪 哲嗣
近藤 祥夫
(愛知)
清水 邦浩
古畑 明
(富山)
奥山 和也
青木 弘行
(北海道)
田部井秀郎
鈴木 守
(埼玉)
田代 昌昭
松下 芳朗
(熊本)
落合 久夫
関根 忠
(東京)
井原 孝夫
日笠 和雄
(島根)
岩田 昭志
川原 昌彦
(富山)
60 歳以上
男子単
片山 雅博
(岡山)
近藤 良二
(東京)
平井 克英
(東京)
逸見 寛二
(愛媛)
佐々木邦夫
(岩手)
佐藤 秀
(岩手)
黒瀬 剛
(長崎)
水上 英二
(東京)
60 歳以上
男子複
平井 克英
水上 英二
(東京)
今里 敏喜
黒瀬 剛
(長崎)
辻村 敏
福貞 能章
(長崎)
佐藤 秀
佐々木邦夫
(岩手)
65 歳以上
男子単
廣田 彰
(宮崎)
近藤 勇司
(神奈川)
黒﨑 二男
(神奈川)
宮崎 茂樹
(神奈川)
原 栄一
(石川)
副島 力
(福岡)
山浦 和男
(長野)
西村 勝
(兵庫)
65 歳以上
男子複
黒﨑 二男
宮崎 茂樹
(神奈川)
杉田 博
近藤 勇司
(神奈川)
出村 久治
深栖 久幸
(北海道)
70 歳以上
男子単
田中 康二
(千葉)
杉田 博
(神奈川)
奥村 紀夫
(新潟)
佐藤 俊夫
(新潟)
中田 稔
(静岡)
守屋 健
(愛知)
廣瀬 勇夫
(福岡)
米本 雅男
(千葉)
70 歳以上
男子複
田中 康二
米本 雅男
(千葉)
奥村 紀男
佐藤 俊夫
(新潟)
守屋 健
菱田 肇
(愛知)
吉川 知之
奥本 秀明
(広島)
30 歳以上
女子単
飯田 香里
(愛知)
中林 明子
(愛知)
長谷川知香
(熊本)
石原 裕子
(岡山)
小林 陽子
(岡山)
金子真梨子
(埼玉)
関 里枝
(埼玉)
谷 順子
(東京)
30 歳以上
女子複
石原 裕子
小林 陽子
(岡山)
中林 明子
飯田 香里
(愛知)
中村富美子
神田いずみ
(静岡)
長谷川知香
中島 小巻
(熊本)
谷 順子
江澤 曜子
(東京)
関 里枝
金子真梨子
(埼玉)
前田 幸
保苅 梢
(新潟)
栄代 哲子
岡山 奈々
(石川)
40 歳以上
女子単
坂﨑美奈子
(熊本)
木下八枝子
(熊本)
平山久仁子
(東京)
大西満里子
(愛媛)
津島みなと
(千葉)
若月美智子
(東京)
蔵谷 千晶
(北海道)
岡野恵聖子
(東京)
40 歳以上
女子複
坂﨑美奈子
木下八枝子
(熊本)
若月美智子
遠江久美子
(東京)
平山久仁子
岡野恵聖子
(東京)
安藤志津子
竹内ひろみ
(愛知)
橋本 仁美
山野 園子
(香川)
坂田 万里
寺田 明美
(高知)
井家 晴美
長丸 貴子
(石川)
伊勢元るり子
大西満里子
(愛媛)
50 歳以上
女子単
茂木 幸子
(群馬)
奥山 悦子
(北海道)
永田 悦子
(北海道)
佐藤 安子
(群馬)
堀口 節子
(岐阜)
菱田 和枝
(愛知)
光田 洋子
(愛知)
荒木 房子
(新潟)
50 歳以上
女子複
藤田 景子
白井 直子
(千葉)
桶谷千鶴子
宇都宮明子
(石川)
森 やよい
菱田 和枝
(愛知)
佐藤 安子
茂木 幸子
(群馬)
90
平成23年度 第50回全日本教職員バドミントン選手権大会 総合順位
結果 8月4日終了
東京
参加点
順 位
勝ち抜き点
順 位
総合得点
順 位
72
1
108
1
180
1
熊本
37
5
92
2
129
2
高知
42
3
62
3
104
3
神奈川
41
4
48
6
89
4
北海道
35
6
48
6
83
5
埼玉
31
8
52
4
83
5
愛知
28
9
52
4
80
7
石川
34
7
36
9
70
8
愛媛
55
2
12
25
67
9
千葉
23
12
32
10
55
10
広島
25
11
28
13
53
11
福島
12
17
38
8
50
12
岡山
15
16
30
11
45
13
福岡
27
10
16
20
43
14
長崎
19
14
22
16
41
15
香川
12
17
28
13
40
16
福井
11
19
28
13
39
17
島根
9
26
30
11
39
17
長野
19
14
16
20
35
19
鹿児島
11
19
20
17
31
20
静岡
10
23
18
18
28
21
茨城
11
19
16
20
27
22
奈良
11
19
16
20
27
22
京都
20
13
6
29
26
24
富山
6
27
18
18
24
25
和歌山
10
23
14
24
24
25
新潟
10
23
6
29
16
27
兵庫
4
30
12
25
16
27
群馬
4
30
8
27
12
29
大阪
6
27
6
29
12
29
宮城
1
38
8
27
9
31
宮崎
2
37
6
29
8
32
栃木
3
33
4
33
7
33
鳥取
6
27
0
37
6
34
山形
3
33
2
36
5
35
山梨
1
38
4
33
5
35
大分
1
38
4
33
5
35
岐阜
4
30
0
37
4
38
岩手
3
33
0
37
3
39
佐賀
3
33
0
37
3
39
三重
1
38
0
37
1
41
青森
0
42
0
37
0
42
秋田
0
42
0
37
0
42
滋賀
0
42
0
37
0
42
山口
0
42
0
37
0
42
徳島
0
42
0
37
0
42
沖縄
0
42
0
37
0
42
91
平成23年度 日本教職員バドミントン連盟 登録一覧
1
北海道
会 長
理事長
評議員
事務局
上 山 功 夫
山 内 哲 夫
後 藤 貴 宏
後 藤 貴 宏
2
青 森
花 田 康 夫
八 島 隆 朗
八 島 隆 朗
八 島 隆 朗
3
岩 手
伊 藤 張 二
佐 藤 秀
佐々木 邦 夫
柳 原 賢
大 沼 良 彰
深 瀬 潤 二
4
宮 城
白 岩 良 治
5
秋 田
米 川 一 郎
大 沼 良 彰
伊 藤 健 吾
6
山 形
鹿 野 昭 男
横 山 正
島 貫 祥 寿
高 橋 克 彦
7
福 島
永 井 祥 一
橋 本 遊 二
齋 藤 清 人
朝 倉 裕 朗
8
茨 城
緒 方 和 也
志子田 勝 敏
淀 縄 将 人
淀 縄 将 人
9
栃 木
別 井 晃
大 島 正 志
舘 野 政 男
大 島 真由美
10
群 馬
増 田 芳 之
板 垣 巌
加賀美 隼 人
加賀美 隼 人
11
埼 玉
帰 山 好 和
田部井 秀 郎
矢 島 貴 夫
高 崎 道 治
12
千 葉
米 本 雅 男
中 野 富 夫
森 俊 樹
櫻 井 美智子
13
東 京
水 上 英 二
須 田 和 裕
森 本 俊 彦
森 本 俊 彦
14
神奈川
石 塚 昭 司
吉 川 隆 明
林 直 樹
堀 井 和 弘
15
山 梨
保 坂 和 也
滝 川 修
日 原 明 仁
日 原 明 仁
16
新 潟
佐 藤 俊 夫
橋 﨑 則 宗
福 嶋 康 夫
福 嶋 康 夫
17
長 野
荒 井 和 人
新 井 研 二
藤 澤 直 方
藤 澤 直 方
18
富 山
佐 竹 隆 太
高 橋 一 誠
宮 腰 亨
高 橋 一 誠
19
石 川
浦 上 光太郎
寺 西 了
水 内 浩
髙 本 洋
20
福 井
高 岡 桂
坂 井 茂 則
宮 本 右 京
平 井 香 充
21
静 岡
齋 藤 俊 仁
岩 城 保 久
大 澤 俊 幸
岩 城 保 久
22
愛 知
下 込 貞 司
原 賢 一
藤 巻 裕 昌
原 賢 一
23
三 重
平 田 欽 也
服 部 久 生
服 部 哲 也
疇 地 俊 宏
24
岐 阜
森 晟 二
武 藤 芳 紀
谷 斉
武 藤 芳 紀
25
滋 賀
藤 上 良 英
北 橋 進
小 田 隆 司
上 田 晋 也
26
京 都
山 本 博
松 原 孝 範
中 村 稔
松 原 孝 範
27
大 阪
伊勢田 義 昭
養 父 一 太
当 山 哲 司
養 父 一 太
28
兵 庫
北 中 英 武
殿 内 境
西 村 哲
宮 本 行 庸
29
奈 良
榊 章
千 田 宏 之
嘉 生 寛
千 田 宏 之
30
和歌山
武 藤 隆 志
山 田 和 将
山 田 和 将
山 田 和 将
31
鳥 取
庄 司 毅
辻 中 孝 彦
森 政 夫
辻 中 孝 彦
32
島 根
山 本 篤 治
金 山 紀 幸
森 脇 敦 志
33
岡 山
柳 本 堯 敏
中 原 修 二
片 岡 光
阿 部 秀 一
34
広 島
吉 川 知 之
賀 谷 正 志
奥 本 秀 明
中 前 好 雄
35
山 口
津 守 幸 介
福 田 光 博
松 本 克 芳
高 木 恵 子
36
香 川
竹 内 秀 夫
松 村 伸 二
飯 野 馨
飯 野 馨
37
徳 島
38
愛 媛
逸 見 寛 二
樽 島 博 幸
逸 見 寛 二
逸 見 寛 二
39
高 知
谷 岡 敏 男
川 添 周 三
谷 岡 敏 男
谷 岡 敏 男
40
福 岡
釜 瀬 洋 一
平 田 勝 敬
釜 瀬 洋 一
日 髙 義 治
41
佐 賀
大 野 信 義
諸 富 茂 文
諸 富 茂 文
諸 富 茂 文
42
長 崎
里 脇 清 隆
福 貞 能 章
中 尾 勘 治
小 川 量 平
43
熊 本
富 田 浩
茂 見 茂
板 井 宏 基
板 井 宏 基
谷 上 和 年
松 本 芳 郎
谷 上 和 年
44
大 分
佐 藤 紘 一
45
宮 崎
山 内 勇 紀
46
鹿児島
椎 原 和 郎
47
沖 縄
崎 原 盛 豊
小 野 将 道
平 岡 旭 洋
平 岡 旭 洋
野 原 欣 一
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92
平成23・24年度 日本教職員バドミントン連盟役員一覧
会 長
関場 武 ( 東 京 都 )
地区代表理事
副 会 長
龍井 昇治 ( 茨 城 県 )
北海道
奥山 和也 ( 北 海 道 )
副 会 長
稲石 一雄 ( 東 京 都 )
東 北
大沼 良彰 ( 宮 城 県 )
顧 問
平田登志郎 ( 東 京 都 )
関 東
堀井 和弘 (神奈川県)
北信越
福嶋 康夫 ( 新 潟 県 )
顧 問
里見 光徳 ( 東 京 都 )
東 海
原 賢一 ( 愛 知 県 )
顧 問
小泉 直坦 ( 東 京 都 )
近 畿
嘉生 寛 ( 奈 良 県 )
顧 問
小泉 伸坦 ( 東 京 都 )
中 国
中原 修二 ( 岡 山 県 )
顧 問
前田 耕作 ( 東 京 都 )
四 国
逸見 寛二 ( 愛 媛 県 )
九 州
谷上 和年 ( 大 分 県 )
監 事
佐藤 正 ( 東 京 都 )
──────日本協会関係役員──────
◇理事
理 事 長
高橋 英夫 ( 東 京 都 )
副理事長
水上 英二 ( 東 京 都 )
◇事業本部長
高橋 英夫
副理事長
帰山 好和 ( 埼 玉 県 )
◇評議員・地区連盟代表者協議会委員
上田 敏之
帰山 好和
副理事長
前田 正志 ( 東 京 都 )
事務局長
上田 敏之 ( 埼 玉 県 )
常任理事
吉川 隆明 (神奈川県)
常任理事
後藤 哲 ( 東 京 都 )
常任理事
青柳健太郎 ( 東 京 都 )
◇全国高体連バドミントン専門部副部長
帰山 好和
常任理事
笠原 英知 (神奈川県)
◇東京都高体連バドミントン専門部委員長
関根 忠
常任理事
関根 忠 ( 東 京 都 )
常任理事
平井 克英 ( 東 京 都 )
常任理事
須田 和弘 ( 東 京 都 )
◇関東教職員バドミントン連盟
会 長 保坂 和也(山梨県)
理事長 水上 英二(東京都)
理 事 稲石 一雄(東京都)
◇日本協会公認レフェリー
高橋 英夫
上田 敏之
吉川 隆明
◇国際レフェリー・審判員(BWF・BAC)
高橋 英夫
上田 敏之
笠原 英知
谷上 和年
◆編集後記
今回の編集をするにあたり、連盟の歩みを読み直し内容を整理しました。そして改めて感じたことは、本連盟の担ってきたバ
ドミントン界での重要性です。どの時代でも、どのような場面でも必ず指導者はいるものです。現在はITの発達もあり、イン
ターネットやビデオでその指導方法なども簡単に見ることができます。しかし、その画像の中で動いているのは“人”です。そ
の画像を見ているのも“人”。選手もまた“人”です。人から人へ思いが伝えられていきます。本連盟はその橋渡しをしたり、
交流の場を作ってきました。歴史とは、ただ昔のことを知ることではなく、その中に現代につながる知恵が含まれている、その
ことに思いを致すことに意義があるのです。50周年という契機に過去を知り、次の50年への知恵を膨らませてほしいものです。
この冊子を作るにあたり浅見勇氏や本連盟の龍井副会長より多くの資料を提供していただきました。また、多くの方々から記
事や写真をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
JEF NEWS 第 92 号
発 行 日
平成 23 年 10 月 1 日
編 集 者
稲石一雄・後藤 哲・前田正志
発 行 人
日本教職員バドミントン連盟 高橋英夫
発 行 所
JEF NEWS 編集部
03 − 3844 − 9739
東京都台東区西浅草 3 − 10 − 9
制作印刷
㈱ブレインズ・ネットワーク
(稲石一雄)
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