Comments
Description
Transcript
koiutairenshi_2 3
… 一高稜の体’育・ ! −2・3号一 群馬縣高等学校体育連盟 ・ … … 〃サラ卓排バ陸 ニ ス コじ コニ …地ツグ ケ上 巻 … ヨ ツ ヨ 記部 : 古 三 同 i校 i体 i育 i大 iム : 試 田 … 村… ...... の連 の り ヰ 2219191341 . に一 _____.、._._、、、.∼__^∼ 基 ダスス体水ノ・ソ 次 … : = . ● ンフ : : …… ン「ケキ : ドト 操泳ボボ 蓮i … 事i … ノγノレ 長 =、 会 … 部ト部部部部部 … ::::::: 茂長 ……. ::::::: 大… 奏≡ 52 51 42393735323026 66夫 … ‘、 、へ、 研究・指導欄 近代社会におけるスポーッの方法⋮・⋮−・..⋮⋮⋮⋮⋮−藤 口 末 光56 国くop 一けの九題−−−⋮−⋮−−−⋮−⋮⋮−⋮⋮⋮・野 生鵬 本校生徒の活動能力の一考察−・−−.・⋮.・−−⋮⋮⋮⋮−㈱静㎡等篠鰍58 体操競技審判法の解説⋮−⋮.−・⋮−⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮−60 蜘欄感 想㎜㎜ 巡廻藩の感想−三⋮三⋮−−−−−群大鞭学灘敏鞭喜雄蕊 ・專閂部報告・ 球 グ カ ゼ 轡蕪蕪一一蓑塑体 脚韮巽誉一一韮鰻娼 日 麟刈轡一“一巽一一巽漉 操部⋮⋮−⋮・⋮−㎜ 昼 9 上 競 技 立−..−−−−−⋮−㎜牝ド瀦τ”轡蕪一韮一巽鹸 籠 陸 排 球 球 ラ ツ 卓 サ 部: −⋮ −⋮ ・⋮ −・ −: −⋮ .⋮ −⋮ −9 −6 −−懲柔 濫 部⋮⋮:⋮●⋮⋮動 ンフトボτル部∵⋮ 1 西部地区体育大会⋮⋮⋮⋮⋮::・ ・:::::⋮・⋮:⋮.⋮:⋮⋮:::⋮●⋮⋮肪 1 昭和二十八年度淋馬縣高等学綾体育連盟役員一覧表⋮! : : ・ : 4 : : ・ ; : : : “ : : : f 曙 ! ハU 3 1 ︽\、. N、 ﹄ ︷ 怖 諭悲 駒 {1!llll[田則剛出ll酬田酬li腿[!liliil1閨11……田i照朋[1田ll剛1田田田1田m1田lli!i閲ll田11mllmltl1田剛1鼎田Ili翻ll…田ll…照ll!!照!串1甜照ll鰍1州珊!!臨 問屈1校 我課無盟 徹てう 本点 高 学なて力七東辛が をのと各とはツ吾に をとな々はのく分にた的墾ポをだ義Vと 迎明ら実終大一で我。な塗1とけを一宴 え朗ばを了会歩あ等各運局ツりが理と脈 んな’結しだ一るの方営体のまも解でな と室茨んなけ歩と現面に連施くつ』あ之 す気のでけで前か状のよの設環文 低フ るo)道いれも進’に方つ大や境化ス ン 本中もるば四を選は々てき器ののポ近置 連に自こな種し手反の’な具清一1頃か 盟次らとら目たの省御高責のらつツの出 に々開はな・い健す協校務完かでマ生来 対とか誠い本。康べ力生で備なあン徒 し解れに。県 管きに徒なをこるシは壮 ・決て喜こが 理点よのけ目と。ツ実麗 今さ行ばの会 ががつ体れ指がこプにな 後れくし様場 不余て育ばす必れを恵屋 とてでいなに 徹りこに.なと要を体ま内 もいあ。行な 底にXよら共でよ得れ体 で多まりなにあ皇して頁会 各るろス事る 方・うポに予 あすで多い’る高てい餌 ト こ置くいるが長 面 。1追定 るギ生く。 とる長の のとよると建 の 幸ツわで 御 いでれあ か。し教 理本養なり’体た育 解連わが’色育こ的 と 盟れら国 々行と効 御 のたも体 の事は果 指 結フ’が 批の誠を 美最りで思て し近美あうら い発しろ。れ大 ス表いうしつ ポさもかカ・』 1れの。しあ村 ツたと 此る 導 束工連八 評スに得 マスす 等。 御 はア盟月 はケ感よ の之 協 釜プの行 一ジ謝う ンポる 施ぼ武 カ 々レ諸わ 応ユのと シ1に を 固イ君れ 御1極し ツツは お くののる 尤ルみて フマ 願 ’精理た もにで誕 をンス い あ神想め で追あ生 生綱ボ し らと的に あわりし 徒領下 た ゆ不な全 るれ’た 一はツ い る携ス国 が’感本 般述を 。 難不ポ高 ’正慨連 にべ行 設ス をポ 利1男 用ツ すの る普 者及 がの 体 蓮 の 前 途 H をの事県る前れへも校然 う一同 の今加面でと陸橋てのの、しそ三途r関 優後え目あし協市、奮で高其し:に冬東 勝はるをつての’グ起、工のて四集季1 を一も発たの全高ラを埼が結七月中の饗 悲層の揮。面面体ン期玉綜果月のし体か 駆い麹蟹ど霧皇窺鞭惣査 し部て年松責力’コのし位れ六戦春実で ’強 ての、一本任と主ンでてにたの、未に実 高年のをま壁デあ名辛本関五だは施 霧些鐘犬禽智薗ζ鷲揚魏誉講流 専 墜 上 競 門 部 報 告 技 郡 期関為て場て会をう面つの瓶く六のば 待東慶行選’が発るにたみにら月グく選 田 し1賀く手比終揮に於Qと於ののラ’手 たHに事よの了し県て涙云て精関ン総は 塞磯鰭躰擁響餅・護墨騎縄仙 零講終袋耀蕎馨義麓穫響鞭関 あ全。のと嬉・に貝に明くのだ予習東係平 る国 希しし主於会恵年な優つ選会大者 。1 望てい催け’ま度い勝た会か会一 ⑲6月7揖 ◇百十H①鈴木(高高)16秒4 ② 成瀬一高工) 関東I H予選会按高校選手権 ◇八百R①高工1分38秒4 敷島グラソド 【男子】 ③高僑(前高) ②前工 ③太高 ◇百 米 ① 成瀬1高工)12秒0 ◇走巾跳 ① 鈴木(高高を 6米76 ② 斎藤(沼高ソ ② 斎藤バ沼高) 12秒4 ③ 井上’、高商) 12秒5 ◇二百米①成瀬こ高工)24秒4 ② 宮本〔太高)25秒2 ③栗原(前高) ③大川〔前工)25秒3 ◇走高跳①斎藤(前高)1米卵 ② 毒島(太高) ③ 追川(高商) く>四百米①茂木(前高)図秒2 ◇三段跳①追川(高商)13米40 ②下田で勢農)54秒3 ③鷹野(安高)54秒7 ③栗原(前高) ◇八百米 ① 金井〆伊高)2分10秒3 ◇棒高跳①高橋二前高)3米21 ②茂木・.前高) ③ 狩野(渋高) ③ 加藤〔桐商) ◇千五百米 ① 長沢(大高)4分22秒4 ② 江原く大高) ◇砲丸投 ① 岩弁〔下慌) 王2米21 ◇円盤投 ㊤ 岩非下高)33米46 ②鯨調・(桐高) ① 松本(高商) . ③古谷(松高) ◇五千米①関江太高)17分13秒6 ② 江原(大高) ③ 瀬下(前高) 〔1〕 ◇走高跳① 滝(館女)1米44 瀬間(下高) ② ③ 今泉(中高) ◇砲丸投① 島村(中高) 8米97 ② ③ 高瀬〔高女) 新津〔高女) ◇円盤投① 瀬間(下高)2う米70 ② ③ ◇槍 投① 追川(高商)46米09 ② 岩井〔下高) ③ 萩原(高工) ◇ハソマー投 ① 大沢(佐農)31米47 ②角田(尚》(渋高) ③ 角田(輝X渋高) 【女子】 島村(中高) 高瀬、高女) ◇槍 投① 一場(吾高)30米72 ② 清水(下高) ③ 高瀬〔高女) ●7月5。6日 ◇百 米 大矢(中高) 13秒3 ① 秋山(桐女) ② 上和田(高女) ③ ◇二百米 常見(高市女) 29秒6 ① 武藤(高市女) ② 大矢(中高) ③ ◇八十II 真下(高市女) 14秒0 ① 上和田(高女) ② 野島(前女) ③ ◇四百R ① 市高女56秒0 関東I H陸上競技大会 敷島グラソド 成瀬芳冶(高工)百米…4位(11秒6) 二百米…4位(24秒1) 百十米障碍…2位(1う秒7) 茂木 幸夫(前高)四百米…5位(55秒8) 島田正二(高工)八百米…5位(2分8秒6) 高工(千木良・土川・島田・成瀬) 高 女 ② ,③ 中 高 ◇走巾跳 八百継走一・5位(1分37秒0) 岩崎(吾高) 4米94 ① 小池(中高) ② 新津〔高女) ③ 入賞者は個人16名、継走4チームにし 前高(中・高僑・小野里・齋藤) て、高橋(前高)、岩井(下高)、成瀬(高 八百継走…6位(1分38秒1) 工)・鈴木(高工)、追川(高商)、滝〔館女) 鈴木 修(高高)走高跳2位(6米57) の敢闘が目についた。 追川 善夫(高商ン三段跳…3位(13米39) 高僑 克俊〔前高)棒高跳…優勝(3米41) ●8月g●10目 高橋 毅(太高) ヂ’…3位〔3米20) 全国I H陸上競技大会 岩井光三郎(下高)砲丸投…6位(i2米10) 長野県営競技場 〆ノ 槍 投…優勝(51米99) 鈴木 修’高高)走巾跳…6位(6米35) 高橋 克俊、前高)棒高跳…3位(3米45) 滝 作子(館女)走高跳一・優勝(1米48) 中高(西村・戸谷・小池・大矢) 四百継走…5位(53秒7) 滝さんの走高跳全国二連覇遂に成る。 都道府県綜合得点…t5点3分の1(第B位) 政信こ桐高)円盤投…5位(34米57) 秋山 照子、桐女)百 米…4位(13秒5) 大矢 修子(中高)百 米…5位(13秒5) 二百米…4位て28秒6) 眞下絹江(高市女) 八十米障碍6ノ位(記録ナシ) 中高こ西村・戸谷・小池・大谷) 四百継走…4位(54秒7) ●11月1●2日 県下高校対抗 敷島綜合グラソド ム男子一部 1位高商(92・0) 2位高工(77、5) 〔マ 高市女〔瀬間・常見・武藤・輿下) 〆ノ …6位(56秒1) 滝 作子\館女)走高跳…優勝(1米4分 瀬間きよ子(下高) 〃 …3位(1米40) 高瀬 曲子(高女)砲丸投…5位〔9米35) 一場光江(吾高)槍投…4位(30米33) 2 〕 のむののののの レののの − ︶ 3 ノ つフ ︶’︶・︶/ 9生︵7.7. つジ えユ 0 901 02 ︶、ノ、フ︶︶︸︶︶︶︶︶ にンにノずフのののの ㍉ノ︶︶︶︶︶︶ ︵︵︵︵︵︵︵︵︵︵︵下 ︵︵女︵︵ 女高市高高 高中高下吾 子 位位位位位 0 ∩V −← 2 男味味 全子 高 国 校 10 22 高記 9 5 最 秒 厚 録︵ −藤谷藤 皿清高清 調亨城亨 m 美 △ 4 06 1 78 女19 23 41 5 1 2 3 5 1 位位位位位位位位位位位 伊高太渋佐蚕下大松安勢 筒高高高農筒高高︷局 高 農 以 瓶肱鋤凪鉱靴⑳皿巴凪丘略 硲覧兇既現既卸 ︵︵︵︵︵︵︵ 商高高工高高高 前 中桐前沼富館 部 二 位位位位位位位 子 3456789 男 △ ︶︶略 ﹄つ下 8以 1︵ 1 ︵ 東女 富前 位位 67 卒魂、 目ちに、 種勝部高 ス引代 て 各をの中 ︻督県 し コ監のず が勝子、。 ン村屈ら 商優女しる 商て叉なす 走ソ内不あ。 砒肌ラ は 、 利 た 鏡に。をと 伝マ校加いつ 新点る覇偉 駅目高参戦終 、得す連は 校毎業にもに て量価四の 商会る位 於大に々た 高 にの目堂え 崎大す33 国 高本斗、 校点注がさ 部9 2、女お 日 全 、躍奮中 一、は高を 6 表勇“46 子躍のは女 2 代 、揮県 県下発加 男活たて市 月 橋得於高 12 のを参 ● 治男治 完順賢 木除井 赤水石 〃 厚 城 明 弘 明き 城ノ 弦 御田御鴻原花 61525555 8 8︵︵︵29587012 厨中厨池 房 臨黒臓講臨顯鎌韻驚 る レ の 〃 4 投 1 3 [ R 跳跳跳跳投投投マ R R O 巾高段高九盤 ソ 秒 μ厚厚κ 厚げ9秒而m厚厚μμ厚厚厚 6 ΩU 戸フ ー 7 6秒強別71143B445654 てノ にノ む エ すフ 呂2 分庁芹〃 3 分 2 ︻フ ー 1 4 1 3 米 米米味味。・HH O O OO O O O O O ︻ノ 0 0 1 0 O O 0 0 4 8 ∩∪ 6 走走三棒砲円槍ハ 4815112 1 番 し ︶ こ づ ︵ 073 78 8 5 rフ 翔ぴ 厚 m厚 秒 5 1 1 51 稔 n∠ − 3 5 厚 1 Ω∪ 0 ﹃フ ノ ノ ノ ’1 4 0 1⊥ 3 4 ー 7 2 投投投 考習 参練 跳跳 砲円槍 て 丸盤 走走 oo 4 R 巾高 て下 しで 記ん にげ では まに 大菊 見さ 美玲美愛尾小芳ミ作2順妙明 ︶ 一 ﹀ 子子子子田原子ネ子7 子子子 目楓 子 米 緯 女 防H ㎜208・ 、ー 3 ’L れの国体では近畿代表神戸高校を敗り全国第五位に入嘗すると云う 輝かしい記録を樹立したo 合し、高崎高校チームが三連覇の偉業を樹立して前途に光明を与え 高崎市に於て開催され.地元県として他県を完全に抑えて堂々と試 五月中旬、シーズン壁頭を飾つた第四回北関東高校選手槽大会は ムが輝やかしい 幾 つ か の 成 績 を 残 し た 年 で あ り ま し た Q 数年の間にめきくと実力がつき、のし上つてきた男子高校チー 群大バスケット部が関東大学戦などで優秀なる成績を牧めたので今 中学校時代に正しい基礎練習を眞面目に修得してもらいたい。幸い 高校在学三ケ年でまとめることは極めて困難な間題である。せめて 最後にバスヶツトボールは特に長い経瞼を必要とするので現在の に有意義であつた。 加を得講習員百名に達する盛況で此の面でも一般の飛躍を見せて誠 バスケツトボール部 以上の様な輝かしい成績を牧めた蔭には各大会に四地区の委員が 平素からパスケット部運管に壷した賜である。 ました。七月の県下高校選手権大会は予想通り一回職より一点を争 後此の線から基礎技術を築き上げていた▽きたいと念願L希望する 委員長 清 水貞保 ふ接職、熱職が展開されたが再度高高対桐工の決勝職となり高高チ 次第であります。 省本年四月に開催された審判講習会は県下小・中・高・て般の参 ームは桐工を敗つて本年度の選手権を獲取した。 り、九月に行はれた関東ブロック予戦に出場男子前工チームが強豪 て高女が代表となつたQ国体は今年からブロック代表制に制度が変 かつた。しかし前工が善職して県代表となり、女子は高市女を敗つ 共一、二年生のメソパーに切り替えてしまつたことは何となく淋し 続いて行われた国民体育大会県予選には男子高高、桐工両チーム 喰い込んだが惜敗したo 子高市女が群馬県代表として出場夫々善職し全国十六チームの中に 八月酒田市で開催された全日本高校選手椹大会には男子高高、女 子に比し見劣りしたo 栃木県⋮︵男子︶宇商、宇工、足工 ︵女子︶浦和、熊谷、秩父 埼玉県⋮ρ男子︶本庄、児玉、浦和 ︵女子︶高女、高市女、前女、前市女、伊女、藤女、太女 出場校名 群馬県⋮︵男子︶高高、桐工、前商、前高、前工、太高、伊工 参加県 群馬、埼玉、栃木、茨城各県 第二日 高女 期日五月十七日十八日 会場第一日高高、高女、高市女 ㊦第四回北関東高校バスケツトボール選手権大会 女子高校チームは各大会共に高市女、高女両チームの健斗位で男 古豪をおさえて代表に選ばれ群罵県のために萬丈の気を吐いた。晴 4 ︹ ︵女子︶水戸、下館 茨城県︵男子︶⋮水商、日立、土浦高 栃 木 県⋮︵女子︶栃木、宇都宮、 足 利 前半a115と有利に試合を進め後牛は桐工の焦り ワークに勝つた高高の速攻が良く、これを追抜き 桐工出足良くリードを奪つたのもつかの問チーム 男子決勝︵詳︶ 気昧からシユートきまらず却つて高高に得点機を ⑨第四回北関東高校パスケツトボール選手権大会 男子之部 与えた。 高高は見事な球さばきでコートを縦横に麗乱し悠 悠引離して三連覇の榮冠を獲取した。 一 ︵ i 藤岡︵群︶ 宇都宮 栃 ︶窮 − 19 谷︵埼︶2 6 1釘前市女︵群︶ 4足 利︵栃︶ 水 戸︵茨︶5612 ヒ験 ム貝 工︵栃︶ 栃 戦 6太 田︵群︶ 和︵埼︶51ーー2 館︵茨︶46−27前−橋︵群︶ 木︵栃︶54t伽伊勢崎︵群︶ 工︵群︶ 下 浦 栃 水 和︵埼︶3 3高市女︵群︶ 7t3 木︵栃︶舅ー31下 館︵茨︶ 戸︵茨︶男ー42熊 谷︵埼︶ ︵ 3 高崎︵群︶ 宇都宮 栃 ︶4 − 41 回 高︵群︶ 商︵群︶ 商︵栃︶ 浦 二 ︵ 群 6 秩父︵埼︶ 高 崎 ︶ 舅 ー3 回戦 女子之部 4土 高︵茨︶ 高︵群︶鬼12 戦 高︵群︶6 3 −3 2宇 商︵栃︶創i40前 勝 高︵群︶夘ー4 7宇 工︵群︶1 6134前 高︵群︶ 商︵群︶47ー現本庄高︵埼︶ 高︵群︶2 9−25足 工︵栃︶ 7日立高︵茨︶ 高︵群︶射ー1 工︵群︶32−16浦高︵埼︶ 商︵栃︶47ーー40水 商︵茨︶ ●第四回北関東高校パスケットボール選手灌大会 工︵群︶ 工群︶50138児玉高︵埼︶ 一 回 戦 工︵栃︶兜130伊工︵群︶ 宇 高 前 宇 桐 太 前 前 高 桐 勝 決 桐 工 ︵群︶64−25太 9前 前 商ハ群︶54−2 宇 高 二 回 準 決 高高癖︶輩矧H讐編 ﹁メ 5 ︹、 準決 水 栃 決 きだと思います。 大会には十分各チームの実力が発揮出来る様に練習方法を考えるべ 戸︵茨︶努−ー33宇都富︵栃︶ 勝 ●第五回県下高校バスヶツトボール選手権大会 一 回 高 二 回 高19−8伊 高 工男16松井田高 高63−16富岡東 職 職 商22!婚太高︵定︶ ●群馬県高等学校パスケットボール選手灌大会 男子之部 参加校 男子⋮⋮三十三校 女子⋮⋮十三校 第二日−高高 会 場 第一日⋮高高、高女、高市女、前高、前市女 期 日 七月二十日、二十一日 木︵栃︶勢i32浦和︵埼︶ 勝 ︵評︶ 栃 木︵栃︶轟口嬰水戸︵茨︶ 女子決勝 前半出足の悪かつた栃木が後半に入つて立直り息 で延長戦に持ち込 0i03 づまる攻防の熱戦を展開3 高崎高等学校パスケット部 んだが、栃木増山のシユートが良く極り3 2で 4−3 栃木が優勝した。 ㊤北 関 東 高 校 籠球選手椹 群馬、埼玉、栃木、茨城四県の精鏡が火花を散らして職つた北関 東大会は五月に高崎の会場で行われましたが、春季大会の為どのチ を欠き実力を十分発揮出来ませんでしたQすなわち不必要なドリブ ︶ 珍 前高︵定 ー 1 8 藤 高 高43−7伊奈良高 ル・パス・ボールのキープそういつた事が原因でさして強力と思わ 前商︵定︶7 2 −23蚕糸高 高市高3 7−B安 高 高 高 渋 前 れない相手のデイフエンスに苦しんでいた事叉デイフエンスからオ 前 商2 8−H沼高︵定︶ 1ムも個人技には秀れたものを持ちながらチームとしてのまとまり フエソスに移る間の動作が遅すぎる為速攻のチヤソスを自らつぶし 前 工2 7111勢農高 桐 高9 2 −26小泉高 桐市商侶ー34前工︵定︶ ていたこと、その他ノーマークシユート・イージーシユートを思わ ぬ時に落し自軍を苫境に陥し入れていたことが多かつた檬です。こ れからも毎年北関東大会は行われますが冬期練習はどのチームも個 富 高27−22太 高 人技を磨くと共にチームプレイを早くものにして春に行われるこの 、、 6 r﹂ ’ 伊 館 桐 高 三 回 高 前 エ1 4 ー男沼 高 女子之部 一 回 戦 藤女34−B沼女 0渋高︵定︶ 桐市商22118小泉高 高2 912 工43;14藤高︵定︶ 吾 女2 2−12太 女 伊 女2 6f9富岡東 二 回戦 高市女 tI 桐市商 前市女 i 吾 女 準決 勝 5前女 高市女弼−13 決 勝 高要蚤u誓高 女 9前市女 高 女39ーー2 伊女 藤 女 前市女3 01晦渋 女 1伊 工 高3313 商4 0ー禦前商︵定︶ が非常に広かつた事であるo群馬県のチームは県内のコートが狭い に出場して感じた事を二三述べて見ようQ第一に感じた事はコート 八月初旬山形県の酒田市に於て開催された全日本高校選手灌大会 ●全目本高校選手権大会 前女 高女 商32ーβ吾妻高 識 高娼122高工 9渋 高 高40−1 8高市高 商路I11 前商︵定 ︶ 4 0 ー 錦 前 高 ︵ 定 ︶ 前 前 工471−16桐 高 館 工 ー高 商 富 高男ー4 4桐市商 桐 四 回 戦 前 工犯f24富 高 為にゾーンを操用する事が多いが前述の様なコ;トでは非常に不利 肯阿 2 −24﹄削 ︷局 7 前 工好ーー賀館 高 である、やはりデイフエソスは基礎のマンツーをしつかり身につけ る事が一番大切であろう。次は反則が厳格であつた、特にフアールは 準決 高 厳格終、無意識的なブロッキングなどが非常に多くとられていた。他 ール位の差は一挙に盛り返す実力を養つておきたいものであるQ最 反面粘りという点が少々劣つている様な感じがした。四ゴール、五ゴ 県のチームと比較して群馬県のチームは積極性に富んでいるがその 高釦f32前商 勝 桐 高 工 工男ー兇前 工 勝 塁刎H卿︸篇 桐 決 高 ︺ 7 ︹ に巻き込まれることなく逝に相手を常に自軍のぺースに巻き込む様 後に攻守共に変化を多くつけてどういう時でも決して相手のぺース 私達もその強いチームに追いつける様、井の中から抜け出る様頑張 全国のAクラスチームは毎日々々嚴しい練習をすることでしよう 達も自分の実力がわかつて幸福だと思いましたQ 走り方又スピードのあるパスとその球さばき、どれも実に良く練習 な、にわか技術ではなく、基礎的な事、つまりル!ズボールや速攻の 致しませんでした。しかし今反省して見ると相手チームは私達の様 ら覚悟していましたものの六〇対四二と云う大差で敗れるとは想像 してきたという長野県代表岡谷東校なのです。実力の相異は初めか 期日昭和二十七年十二月二十八日ー二十八年一月十八日 会場桐高、桐工、太女 − 東部地区 ◎新人地区別りーグ戦 ︵関東ブロツクより三チ!ム出場︶ 前工チーム関東ブ・ヅク代表となる。 前工謬R響法竺高 三位決完戦 長野北兇ー3 8前 工 二 回戦 前 工49−ー48本庄高 一 回 戦 四、成績 一〇チーム 三、参加県 関東地方ハ東京都を除く︶山梨、長野、新潟各県の代表 二、場所長野市 一、期日九月十三、十四口 ◎国体関束ブロツク予選 りましよう。 に心がけてプレイをするべきであるという事を痛感しました。 高崎高等学校パスケット部 ⑳窟日本高校パスケットボール選手灌天会に出場して 古同崎幽巾立女子古同島枚パスケツト部 福島市民の徴迎振りにも口を見張つている私達にとつて全然末知 の第一回戦は恐いものだつたQしかし皆で励し合つて対滋賀県代表 との試合にのぞみましたQゲームが始まると私達のチームワークが 大きかつた為かとにかく六二対三三と云う大差で樂勝しました。 第二回戦は気の弛みもあつた為か対大阪代表戦に思はぬ苦境に追 いこまれてしまいました。私達のシヨツトは全然きまらずぞの上フ アイブフアゥルで退場する選手も出て精神的にも弱つてしまいまし たが、タイムアツプ三秒前のシヨットが幸運にもきまつて勝ち進む ことが出來ました。 がつんでいました。とにかく完全に近い基礎の上に立つ試合技術と 参加校 男子⋮⋮館高、桐工、太高、桐高、太高︵定︶、桐商、 三回戦は昨年度全国優勝した染ケ谷岡を県内予選で十点もりード 云うものを見せてくれましたので大変勉強になりました。そして私 ︺ 8 , ﹂ 成績 2 中部地区 桐工︵定︶、伊奈良高、館高︵定︶、小泉 女子⋮ ⋮桐女、太女、館女、小泉、桐商 ︵九勝O欺︶ ︵八勝一敗︶ ︵七勝二敗︶ ︵男子︶ 一位館高 二位桐工 三位太高 一位桐女 二粒太女 三位館女 ︵女子︶ ︵四勝O敗︶ ︵二勝二敗︶ ︵一勝三敗︶ 期 日 昭和二十七年十二月二十八日ー二十八年二月一日 会 場 前商、前工、伊工、前市女 参加校 男子⋮⋮前工、伊工、勢農、前商︵定︶、前高︵定︶、前商 前高、伊高、前工︵定︶ 一位 前工︵七勝一敗︶ 前市女 二位 前女 勢農︵五勝三敗︶ 伊工︵七勝一敗︶ 一位 三位 二位 女子⋮⋮前市女、前女 ︵女子V 成績︵男子︶ 西都地区 期 日 昭和二十七年十二月二十八日!一月十七日 会場高高、高女 参加校 男干⋮高高、高工、高商、高市高 二位 一位 高工︵二勝一敗︶ 高高︵三勝○敗 ︶ 高市女︵二勝O敗︶ 高商︵一勝二敗︶ 一位 三位 女子⋮⋮高市女、高女、藤女 成績︵男子︶ ︵女子︶ 部 之 子 女 名 ム 將 主 並 長 部 問 チ 名 將 主 二位高女︵一勝一敗︶ 三位 藤女︵○勝二敗︶ 君 益 直 和 克綾 キ節敏サ 枝 代 子 子 子子 枝子子ヱ 原 藤 藤 野 村田 田野星島 ユ 7 篠 佐 須 狩 中岩 柴井諸矢 費滋護響梓痒鋤纏欝馨 名 長 部 女女女女女︶女高女女女商高高高女女 4 5 6 7 0厚厚〃−κ23〃珍3 〃3 2 8 月 月 月月 075厚猷 日 日 日目 太吾桐伊高館沼安前館高桐中富小前渋 B距%%砂籾姻解襯窟捌籾酬嬰鴛η1 科 庭 家 中市 市市 東泉 ︵ 女 稀鮒灘鯉臨羅罐藩 名 校 学 在号 現番 付 日 受 登録 月 ︺ 9 ,L 安治行 璋敬康 沢原崎 宮神川 日 也じ輔治生治 睡同俊昭書恵 津匡に坂上塚野 中左織井飯 埣 、、釧,、q,到,,3,ー6、,3 、4﹁ ’ , 1〆 13 0 ,2 24 28 2 1﹁ 2⋮ 博 敷 屋 口原に 関栗左 茂作じ 金同 島松 豊古 夫男 信茂 上部 池阿 精雄 真只 名,[8,,,7,、−σ 郎郎 三八 善喜 藤藤 須近 じ夫 同元 に村 左松 明 泉静 研 行郎三壽男夫 信太信慶出正 清 日 森木村城島川 江茂松結寺西 κ 中 水戸 田 清船 2,,旦﹂判6 4 9 5 7 65 6列η釧ー8 ⋮﹂ 目 日 0κ 厚1614153042 月 5 6 月 月 7 812μ厚か〃厚 〃か252 ヨ 1111122222223333334444444 ー纂、釧 蚕前高新沼伊藤吾高桐利安伊前館桐中前前太高館安富勢前小前渋渋松高富沼桐 高高蓉高高高高工高縮工商高鯖高工劇高高灘高総論高摺商魏工 部 繕酬麟罰欝綴鰍錨轄淋.欝詠繧辮響謡 長 一ー 長﹃ 部﹁ 一 学 校 名 チ・ ム 名言 將 將﹁ 年 ︷主 27 主 和 並 昭 ぐ、 部 之 子 男 在号 現番 日 月 1721 水商、日立、土浦高 4 ●第四回北関東高校バスケットボール選手権大会 女子之部 高女、高市女、前女、前市女、伊女、藤女、 月 期 日 五月十七日、十八日 太女︵群馬︶浦和、熊谷、秩父︵埼玉︶栃木、宇都宮、足利 付 受 録 登 会 場 第一日⋮高高、高女、高市女 第二日:高女 宇工兜ー釦伊工 高高男i24土浦 男子之部 一回戦 ︵栃木︶水戸、下館︵茨城︶ 試合経過 参加県群馬、埼玉、栃木、茨城各県 出場校名 男 子 之 部 高高、桐工、前商、前高、前工、太高、伊工 ︵群馬︶本庄、見玉、浦和︵埼王︶宇商、宇工、足工、︵栃木︶ ︺ 沁 ︹ 前高29!乃足工 前商47ー斑本庄 桐工貌ー16浦和 太高引117日立 前工釦i3 8児玉 宇商47140水商 決 勝 水戸努ー努宇女 栃木めー32浦和 準決勝 ﹁評﹂前半出足の悪かつた栃木が、後牛に入つて立直り、息 栃木鍛︵9113・2 9︶32水戸 5−1 高高%ー3 2宇工 宇商θー如前工 0で延長戦に入つたが づまる攻防の熱戦を展開、豹13 二 回戦 桐工64125太高 前商 舅 ー 2 9 前 高 クに勝つた高高の速攻が、良くこれを追抜き、前牛 ﹁評﹂桐工出足良くりードを奪つたのも束の間、チームワー 高高好︵21ー捗●2 6!16︶1 3 桐工 決 勝 4前商 高高50!4 7宇商 桐工6113 参加校数 男子 三十三校 女子 十三校 第二日⋮高商 会 場第一日⋮高高、高女、高市女、前高、前市女 期 日 七月二十日、二十一日 ●第五回県下高校パスヶットポール選手権大会 をもたらしたQ 2で栃木が優勝 栃木増山のシユートが良く決り、34−3 別ー珍と有利に試合を進め、後牛は桐工の焦り気味から 試合輕過 男子之部 一 回 戦 準決 勝 シユートきまらず、却つて高高に得点機を与えた。 高 工男ー6松男田 高 商22116太田︵定︶ 高 高63−16富岡東 前 高弔!7伊奈良 高高は、見事な球さばきでコートを縦横に麗乱し、悠々 女子之部 一 回戦 渋高19−8伊高 二 回戦 高崎舅ー36秩父 宇女牙−珍藤岡 前高︵定︶191B藤 引き離して、三連覇の榮冠を獲得したQ 熊谷2 6 1 13 前市女 水戸%i24足利 高市高刃ー13安 高 高 館 富 桐 前 商32115吾妻高 高2 9−20渋高︵定︶ 2太 高 高2 7!2 6小泉高 高2 9−2 商洛!H沼高︵定︶ 前商︵定︶7 2 ∼%蚕糸高 栃木曳ー2 1伊女 下館46i29前橋 前 工2 71n勢農高 高 浦和到126太田 伊 工41−33沼 高 4前工︵定︶ 桐市商44−3 宇女43!4 1高崎 水戸男i42熊 谷 桐工43−14藤高︵定︶ 二 回戦 栃木男ー31下館 浦和賀i33高市女 ∼− ” rし 三 回戦 高 高 4 3 − 2 2 高 工 工 高 7前高︵定︶ 前商︵定︶40−3 前 工47−16桐 館 高努−現伊 四 回 戦 勝 商 高 高 高7 2 f 42 前 高 前 工50−2 4富 準 決 高 高兜ー3 2前 決 前 前 富 桐 前 桐 桐 高舅144桐市商 商2 8−18高市商 高40ー砂渋 高 成 績 一回戦 前 工49−48本庄高 参加県 関東地方︵東京都を除く︶山梨、長野、新潟各県 場 所 長 野 市 期日 九月十三日、十四日 ●国体関東ブロック予選 工 !高 商 三位決定戦 前工42︵乃12 8・17−13︶41法政二高 二回戦 長野北男!3 8前 工 7前商︵定︶ 商菊12 ◎前工チーム 関東ブロック代表と成る。︵ブ・ックより三チーム︶ 会 場 期 日 ︵男子︶館高・桐工、太高、桐高、太高︵定︶・桐商、桐工︵定︶ 桐高、桐工、太女 二十七年十二月二十八日≧二十八年一月十八日 ︵女子︶桐女、太女、館女、小泉商、桐商 伊奈良高、館高︵定︶、小泉高 参加校 ●新人地区別リーグ戦 東部地区之部 工49−7 3 館 高 工努!兇前 工 勝 工 高 高 4 3︵烈ー17 22−21︶8 3桐 女子の部 一 回 戦 4 1 B 沼 女 桐市商箆ー18小泉高 藤女3 市 女 3 女 吾女2 前 2 太 女 0−14渋 2 − 1 三位太高︵七勝二敗︶ 会 場 期 日 ︵男子 前工、伊工、勢農、前商︵定︶、前高︵定︶、前商、前高 前商、前工、伊工、前市女 二十七年十二月二十八日∼二十八年二月一日 伊高、前工︵定︶、︵女子︶前市女、前女 参加校 三位館女︵一勝三敗︶ ︵男子︶ 一位館商︵九勝O敗︶ 二位桐工︵八勝一敗︶ 伊 女2 619富岡東 二 回 ︵女子︶ 一位桐女︵四勝○敗︶ 二位太女︵二勝二敗︶ 成績 女 ー 桐市商 前女 ー 藤女 高 市 中部地区之部 戦 市 女 − 前 吾 女 高 女i 伊 女 準 決 勝 女 4 高市 5 前 女 高 女39−29前市女 8 ; 3 決 高市女43︵2 1−9 勝 ー釦︶39高女 22 ︺ 2 1 ’L 会 場 期 日 ︵男子︶ 一位高高︵三勝○敗︶ 二位高工︵二勝一敗︶ ︵女子︶高市女、高女、藤女 ︵ 男 子 ︶高高、高工、高商、高市商 高高、高女 二十七年十二月二十八日ー二十八年一月十七日 西部地区之部 ︵女子︶ 一位前市女 二位前女 三位勢農︵五勝三敗︶ ︵男子︶ 一位前工︵七勝一敗︶ 二位伊工︵七勝一敗︶ 第一のフアイトの問題であるが、どこまでも必勝の信念を以て最後 チームの試合をよく見、模範とすべき処を学びとる様 第四 お互にラインズマンをし合い、その技術を練ると共に、他校 貰いたい。 第三 技術面の向上に留意し、群馬バレーの︼段の向上に努力して トマナーに一段の留意をして欲しい。 第ニ バレーボールを通じてスポーッマソシッブの発揚、特にコー レーに終始して貰いたい。 第一 選手諸君は高校生らしく元気濃渕、最後までフアイトあるプ 諸君に申し述べたことを想い起す。 成績 参加校 三位高商︵一勝二敗︶ まで敢斗することこそ高校生の身上であると思う。九人が一丸とな 成績 ︵女子︶ 一位高市女︵二勝○敗︶ 二位高女︵一勝一敗︶ に於て立派な成績を牧め得た一つの原因がここにあると思つている のは桐生工業であつたと思うQ桐工が本年度県下に於て又関東大会 も牧め得るものと思う。この点本年度高校チームでよかつたと思う つてフアイトに燃え行動する処にチ!ムワークも生れ、立派な成果 部 三位藤女︵○勝二敗︶ 球 の桐工はフアイトに於て高商に圧倒されていた様に感じているのは 排 この桐工が県下に於て二回敗比を喫しているが、それは県選手権 昭和二十七年度高校バレーボールの行事も、十]月十五日の新人 一人私のみであろうか。 と国体予選であつた。その敗因は種々挙げられると思うが、この時 戦を以て一段落したQここに一年間の県下高校バレー界について、 第このスポーッマソシツプ。これは常に誰からも云われていること 繁次郎 種々反省して見ることにする。然し私はバレーボールについて纏験 であり耳にたこが出来るというかも知れないが、バレーに志す者は 井 も少く全く素人と云つてよいので、適当な事柄も記せないと思うが パレーボールを真に正しく実行することによりその必然の結果とし 金 只現在高体連バレーボール委員長という立場にある関係上、当を得 処から生れて来るのである。昨年度はこの点に於てとかくの批評を て、人格的諸要素を獲得出来るのであるQ立派なコートマナーも此 ない事もあるかも知れないが感じたま玉を記して見ようと思う。 私はこの記述に当つて本年度壁頭の県下高校春季大会に於て選手 ︺ 13 ’ L 第四、ラインズマソの件、これは本年初めて実施したものでなく あつた。県下各高校の一層の努力を望む次第である。 は高技をして常勝軍の名をほしいま二にさせたことは淋しい限りで を一度でも破つたというチームがなく、女子に至つては遂に本年度 に於ては桐工と五戦二勝三敗の高商チームがあつたが、他には桐工 あると思う。只このニチームに匹敵するチームが蝕りに少く、男子 美事なバスワーク等共に本年度に於て現われた技術面向上の好例で サーブ・桐工板垣の猛烈なスパイク、主將猪瀬の好レシーブとその めて破つたりバソド識法、又他校の追従を許さぬ程の全ナイソの強 他綜合選手権に今まで高校チームが破つたことのない新町鐘紡を初 もその一つである。高技深沢のスバイクは定評ある処となり、その 国制覇の藤沢高校、横須賀高校に次いで第三位を勝ち得ていること も顕箸な実績である。又男子に於て桐生工業が関東大会に於て、全 堂々準々決勝にまで進出し全国ベストエイトに入つたのは、その最 つけた。全日本に於ては不覧の敗北を喫しはしたが、国体に於ては 力が結実し、全国大会に於ても常にダークホースと云われる実力を 喜ばしい次第である。則ち女子の高崎技芸は監督吉田氏の不断の努 には末だしであるが、Bクラスに入る実績を挙げて来たことは誠に 次に技術面についてであるが、群馬高校バレー界も全国Aクラス 一段と御指導あられん事を監督の先生方にお願いする次第である。 一段とよくなつて来ていると思うQ今後一暦の向上が見られる様に の喧曝さも昨年程でなく、特に審判に対する質間の際の礼儀等も、 して何れも向上したという感じが持たれ嬉しく思つているQ試合中 受けたチームもあつたのであるが、本年度はどのチームも昨年に比 桐高2tO中高 高商2−0藤高 小泉2−0富高 2 回 戦 桐高210太高 伊高2−0沼高 勢農2−0伊工 1 回戦 △男子の部 ●県下高校春季大会昭巧・5・3 於高崎商業 昭和二十七年度記録 次に本年度各大会の戦跡を記述することとするQ を得ていない点もあるであろうが御寛客を請う次第であるQ 以上本年度をふりかへり簡単に反省事項を記したのであるが、当 で、この点反省して頂ぎたいと思う。 もう一つ呼ばれなければ中々出て来てくれなかつた人々もあつたの たので、この点高校選手諸君の一段の研究を希望して止まない。叉 餓り知らず、審判員の判定を不安なものにしていた人も見受けられ く感謝している次第である・而し一面ライソズマンの任務、方法も る。幸いにして高校生各位はよく協力して下さつたので、この点深 を見ることにより、技術面のプラスになることもあると思うのであ うし、又ラインズマソをしながら自分等が敗れたチームの試合振り した者は、ラインズマソ位正確に出来る様でなければならないと思 いしている次第である。然し叉考えようによつてはバレーボールを しなければ大会の運営が出来ない現状であり選手諸君の協力をお願 場者をかく労せしめるということは誠に忍びないのであるが、こう チームよりということで実施し本年に至つたと思つている。試合出 一昨年あたりから、第一試合はシードチーム、第二試合以降は敗者 ﹄ー’ 徊 ’ L 高工210利農 伊高210前商 桐工2!0前高 幕薬意越・渋川女高 決 勝 戦 県立前婆211氏家山。同︵栃木︶渋川高2き−新名山.羅奈川︶ 竹早ハ東京︶210伊勢崎女高 館林211富士︵東京︶ 一 回 戦 △女子の部 昭2 7・6・21・22 於埼玉県大宮公園コート 桐生工業姦些・宇都篁業 三位決定戦 桐圭・︷響響舞暮 準決勝戦 桐生工2−0神奈川商工 準々決勝戦 桐生工211浦和高 高崎商0−2水戸商 3 回 戦 高崎高112東京工 桐生工2−0石和高 高崎商2−0栃木商 2 回 戦 桐生高0−2藤沢商 高崎商210足利工 ー 回 戦 △男子の部 昭27・6。1 4・珍 於千葉県四街道県営コート ●関東高校パレーボール選手権大会 前 工 2 10安高 高高2−0勢農 準々決勝戦 高商2−1桐高 小泉農2−1高工 桐工2i1伊高 高高2−0前工 準決勝戦 同商孟量・高工璽孟H”︸・藩 決 勝 戦 桐圭業益些・高崎粟 △女子の部 − 回 戦 館林女2−1小泉農 伊 女210沼田女 太女2−0松高 2 回 戦 前橋女2−1館林女 高崎技211安中高 高商2−0中高 高崎女210伊勢女 桐生女211室田高 藤女211吾高 高市女2−0前市女 澁川女211太田女 準々決勝戦 高崎技2!0前橋女 高市女2−0高商 高崎女210桐女 澁川女2−0藤岡女 準決勝戦 霧諭蝕・婁渋川女−︷鵬τ曇 2 1山 ︺ 5 1 ︹ 川越女子︵埼玉︶2−1小泉高 前橋市女211成田︵千葉︶ 高崎市2−1水海道︵茨城︶ 桐工2iO渋高 高高210蚕糸高 準々決勝戦 館高2−0沼高 高商2−0伊商 高高2!0太高 桐高210前高 安高210藤高 お茶の水2tO高崎女高 木更津二︵千葉︶2−0桐生市 二回戦 中村︵東京︶2−0館林女 桐高2−0安高 高商2−0館高 小泉農2−1富東高伊女高210大間々高渋女高2!0藤女高 高技芸2−0館女高 前市女211安中高 高女高2−0境 高 2 回戦 吾妻高210沼田女高 藤女高211利根農高 1 回戦 △女子の部昭27・6・8 2 於高崎市立女高 桐工論些・蔑 決 勝戦 璽︷㎜品︸薯醤孟些・饗 準決勝戦 児玉︵埼玉︾iO渋川女 高崎技芸2−1お茶の水附属 高崎技芸210熊谷ハ埼玉︶ 高崎技芸2−0小松川︵東京︶ 横浜李治2−1県立前橋女 三 回戦 高崎市女2!0鷺宮︵東京︶ 水戸第三︵茨城︶210前橋市立 四 回 戦 松原︵栃木︶2−1高崎市立 準々決勝 6 高崎警︷槻︸・墾女 2 1∴ 準決勝 久喜︵筆姦邑・藷技甜寛 高市女2fO吾妻高 準々決勝戦 ●全日本バレーボ:ル高校選手権大会予選会 △男子の部昭21・6。跨於 高崎 商業 嚢芸姦些・要塑ロ同要2︷響那︸・渋蕎 準決勝戦 高市女210小泉農高 高抜芸2−0前市女 前女高2−0高女高 渋女高2−0伊女高 蚕高2−0高市高 太高2−0大間々高 1 回 戦 伊工210前商 渋高2−0利農 繭高2− 1 前 工 伊 高 2 − 0 高 工 2 回 戦 桐工2−0伊工 渋高2fO小泉農 ︺’ 6 1 ︹ 決勝戦 嚢至響早高要 同 ㊤昭和二十七年度県下パレーボール高校選手権大会 △女子の都昭2 7。8・7 於高崎市立女高 1 回 戦 松井田高2−0沼女 安中高2−0吾妻高 藤女2−0蚕糸高 2 回 戦 高崎技210松井田高 伊女2−0室高 高女2−0中之条高 館 女2−0富東高渋女2−0安高高商210利根農 前市女2iO小泉農高 高市女2−0藤女 館女2iG高女 準々決勝戦 高崎技2−0伊女 高市女2−0前市女 高要塩蛙・渋女 渋 女 2 −0高商 準決勝戦 高甕轟量・嬰 決 勝 職 高綾姦 晶 ︸ ・ 高 要 於高崎商業高校 伊高211前工 小泉農2−0佐農 沼田高211中之条高校 △男子の部 昭 π ・ 8 ・ 8 1 回 戦 館高2−0蚕糸高 2 回 戦 桐工2−0館高 高高2−0前商 伊工2−1掴高 高工2−0渋高 太高2−1安中筒高商210沼高 準々決勝戦 桐工2−0伊高 高商2−0小泉農 高工2−0伊工 高商2−0太高 準決勝戦 翌拠 墨㎜田曲董 決 勝 .戦 高夏膿評工 2 i ●第六回県民体育大会娘第六回国民体育大会県予選 △女子の部 昭2 7・8・30 於高崎市立女高 1 回 戦 吾高210安高 高女2−0境高 2 回戦 高市女2−0吾高 伊女2−0沼女 前市女2−0藤女 館 女2−G室高 渋女2−0富東 小泉農2−0蚕糸 前 女2!0利農 高技2−0高女 準々決勝戦 高市女2iO伊女 館女2−0前市女 小泉農2i1渋女 高技2−0前 女 準決勝戦 高要孟些・嬰高高襲9・︷響B一・小餐高 、﹂ 7 ー ︹ △男子の都 昭27● 1 回 戦 前高2iO 沼 高 前商2−0 高 市 於高崎商業 前高2−0高高 富高2−0安高 佐農211勢農 伊工210蚕糸 桐高2−0藤高 2 回戦 館高2−0藤高 8・31 前工2−0富高 吾妻高2−0藤岡高 高技2−6太女 館女2−1高商 小泉農2−i前女 1 回 戦 △女子の部 藩蘂姦邑・桐隻業 決 勝 戦 塑工業論些・伊謬嚢 高崎粟孟越・畜蔑 準決勝戦 高商210太高 前高2−1渋高 伊工210佐農 桐工2−0桐高 準々決勝戦 前高2−0前工 澁高2−0富高 桐工2−0大高 高商2−0前商 太高210伊高 高高ー館高 勢農2−1蚕糸 太高2−0渋高 桐工2−o勢農 小泉2−0安中 高商2−0 前 高 伊工2−0利農 2 岡 戦 高工 ー前商 準々決勝職 高 商 2 i O 太 高 高高 − 高 工 ! 桐工2−o伊工 準決勝戦 高崎粟轟馳︸・塵綾 桐圭業 轟 三 ・ 薦 嚢 決 勝 戦 ク 高崎商業斎嬰・桐圭芙 ワひ 館女2−1桐生商藤女2−0安中高富岡東2−1小泉農 2 回 戦 ●昭 和 二 十 七 年 度県下バレーボール高校新 人 大 会 渋女2−0沼女吾妻高2fO中之条高高女210松弁田高 高崎商業国民体育大会高校男子の県代表となるQ △男子の部昭2 7・n・.” 於高崎商業 前市女2−0利根農 高抜2−0伊女 藤岡女2−1館林女 富岡東2!1渋川女 準々決勝戦 − 回 戦 勢農2−0新島 伊工211沼高 桐高2−0高工 桐工210利農 前商2−1中高 伊高210館高 ︺ 8 1 ︹ 高崎女2−0吾妻高 高崎技2−0前市女 3 ー3前 女 学校対抗 笙位沼高︵駿品、兵晒 第四位 第二位 佐農︵釧講 篶︵醤治談 学校対抗何れも成績芳しからず・ 前 記 メ ン バー必勝を期して出場したが武運拙なく単、複、 学校対抗 論3館 高 ⋮2下2前 商 桐高⊥ 言f3桐 高 皿−﹁2訂 .百け 高 六月七、 八 日 全関東高校卓球選手権大会 会場 千葉県東全高校 第三位前高︵錨灘 複出場資格獲得者︵第四回県下高校複選手権を兼ねる︶ 栗田洋ス桐高︶ 金子 正︵高高︶ 金井 荘六︵桐工︶ 笛木 政昭︵館高︶ 葉賀 忠幸︵前商︶ 井田 雄幸︵前高︶ 武井 康︵沼高︶ 小貫治三郎︵館高︶ 単出場資格獲得者︵八人︶ 会場前橋高校 五月三日 全関東高校卓球選手権予選 男子高校の部 ﹁3前市女 F﹁・沼女 前女ー 一 ﹃﹁&女 準決勝戦 轟餐2︷響早薩蕎 高崎葵柔概警、高崎女高 壺−些 決 勝 戦 日浪のため中止、優勝は預りとなるQ 卓 球 部 部長 石 井 好 男 昭和二十七年度高体連卓球部行事 四月二十九日 全関東高校卓球選手灌予選 女子高校の部 会場 前 橋 高 校 単出場資格獲 得 者 ︵ 六 人 ︶ 海老沢マヤ︵前市女︶ 古稲 浩子︵前女︶ 鈴木かづ子︵前女︶ 若井壽子、前女︶ 長井美恵子︵利農︶佐々木怜子︵沼女︶ 複出場資格獲得者へ第四回県下高校複選手権を兼ねる︶ 笙位前女︵難韓 第二位前要︵鷺轄脅 篁位前女︵磐か響 ︺ 9 1 ’ し 海老沢マヤ︵P前市女︶ 今弁フジ子︵前市女︶ 武井 康︵沼高︶ 国司︵沼高︶ 立石 一枝︵前市女︶ 然し男子高校では館高、沼高、女子高校では前女、 前市女 牧 盛六︵桐工︶ 金子 ︵富高︶ 昇︵桐高︶ 正︵高高︶ 女子之部 ︵単︶ 第三回戦 群馬三ー二岩手 仙台市レジャーセンター 今井 会場 男子之部 ︵単︶ . 忠信︵利農︶ 1 弁田 雄幸︵前高︶ 2 武井 康︵沼高︶ 3 小貫治三郎︵館高︶ 4 牧国司︵沼高︶ 5 金井 荘六︵桐工︶ 6 金井喜兵衛︵沼高︶ 7 桑原 弘︵沼高︶ 黒沢 9 稲原 8 野中 0 1 1 1 0 1 1 ー 9 湯浅 智子︵高市女︶ 新井 ︵渋 女︶ 海老根笑子︵桐 女︶ 1 古稲 浩子︵前 女︶ 2 海老沢マヤ︵前市女︶ 3 金子 明ヱ人前女︶ 4 今井フジ子︵前市女︶ 5 立石 一枝︵前市女︶ 6 佐女木治子︵前市女︶ 7 若井 壽子︵前 女︶ 8 貫井 ︵藤 女︶ 昭和二十七年度ランキング 第一回戦 群馬01三愛知 女子高校 第四回戦群馬一ー三北海道 第二回戦群馬三ー一佐賀 男子高校 第七回国民体育大会 金子 明子︵前女︶ 会場 高崎女子高校 十月二十目 小貫治三郎︵館高︶ 校 など頑,張る。 六月十四日 全国学校対抗卓球大会県下予選 会場前橋高 倒﹁3前市女 ゆ口類 前市女1 ユ3館高 10沼女 3﹁2沼高 館高﹂ ユf3前商 ー2桐高 全 国 大 会 は 七 月 二 十 七 、 八日の両日福井市公会堂にて開催、男子 は館林高校、女子は前橋市立女子高校夫々出場す。女子は鹿幅島代 表を敗つて二回戦で山形県鶴岡高校に敗れる。男子館林高校は破竹 の勢で富山、岡山、大阪の各代表を敗つて準決勝に進み、神戸高校 八月十六、十七日 県下高校新人大会 i2今井︵前市女︶ と手に汗する接戦を演じて敗れる。 ︺2牧︵沼高︶ ﹁0小泉︵前市女︶ ー一 2﹁﹁ 。 土 罐 高 ︶ 2 12金井ハ高商︶ 浩子︵前女︶ 会場前橋高校 、﹁﹁2立石︵前市女︶ ﹁0廣瀬P藤 女︶ 牧± 今井ー −㎝⊥−。業桐工︶ 八月二十︸二、 二十四日 第七回国民体育大会県下高校予選 出場権獲得者︵男女各五人︶ 井田 雄幸全則高︶ 古稲 ︺ 20 ’1﹂ 狩野れい子︵渋 女︶ したから早くAクラスに入ろうと一生懸命に練習した甲斐あつて二 物に過ぎませんでした。敗ける事は誰れでも嫌う様に私も大嫌いで 松田 ︵前商︶ 大賀美智子︵伊 女︶ 年の始めにはAクラスに入りレギユラーとなつたのがその年の秋で 金井 康栄︵ 高 商 ︶ 内田 那夫︵伊工︶ L∼ 浩ス佐農︶ 男子之部 ︵複︶ 5 i 6 1 4 1 ︸ つ2 廣瀬 ︵藤女︶ した。その頃から前高の牧野さんに、フツトワーク、フオアハソド 2 1 宮沢か.つ子、高 女︶ のフオームについて、又サーヴ℃レシーヴの出し方、かまえ方など 島野 和夫︵ 館 高 ︶ 高橋八千代‘渋 女︶ 色々注意されてやっと卓球人らしくなつて来ましたり三年の時県下 6 2 1 3 1 4 1 5 1 女子之部 ︵復︶ 新制中学校対抗で沼田中学に決勝で破れたのが中学時代の一番印象 ー工 浩子・ 女︶ 1 壽子./ OJ 4 ︵賠フ棄︵前要︶ 5 ︵醸かづ子︵高き 叉卓球群馬の名を天下に響かせて下さい。それが皆さんには出来る 宣しきコーチを受け、練習練習にを重ね術と心を磨ぎ群馬卓球界を 現在部に属している人叉これから入部し様とずる皆さんは先輩の 忘れられません。 は一日八時間以上の練習でしたがそのあとの食事のうまかつた事は し練習のきびしい処で牧野さんの在校中は特にきびしく合宿中など 他校の皆さんより樂に卓球をする事が出来たのは幸いでした。Lか 受けて現在に至りました。前高は先輩に良い人が多く居るおかげで に残る出来事でした。高等学校に入つて牧野、翻沢さんのコーチを 1 ︵糾貫髄沼高︶ 2 ︵鮪額軌︵箒女︶ 雄幸︵前高︶ 胃弘 掌 ︵ 佐 農 ︶ i 冒︵館高︶ 攻召 ︵磐か響︵前女︶ 2︵錨治談︵講 、 喜’\ ー ー ︵、 ∼ ー ー フ 3 ︵繍 4 ・r・ ノ﹂ノ τノ 5 ︵鎌 正 ︵高高︶ のです。練習する事によつて︵但し頭をカソを使う事によつて︶可 6 能となるのは火を見るより明らかだと私は信じているのです。今年 荘六 ︵ 桐 工 ︶ 7 “車球生活の笈省” 前橋女子高等学校 古 稲 浩 一般の耳にはとかく娯楽として入りがちであつた卓球は昨年に於 子 こそ皆さんの頭上に勝利の榮冠が輝きます事を信じてやみません。 8︵鏑難︵轟 車球部 生 活 の 想 い 出 前橋高等掌校卓球部主將非田雄幸 私が卓球を始めたのは前橋一中一年の時、卓球部というものに入 つたのがその第一歩でしたo当時はCクラスに属して一個の浮遊動 ﹁’ 餌 rL、 ける世界選手権参加、英米選手来日と狭い口本内だげで競う技術に と罫まらず国際的スポーヅとしてその一線に立ちましたo私はこの 專を報道機関を通して叉自分の目ですばらしい試合を見て目本卓球 の水準が世界的といつても過言でない地位をしめているという事を はつきり意識する事が出來ましたoこの様に卓球は国外的に発展し じました。 ラグビ 部 大 木 村 俊 正 武 部長 茂 田 博 叉国内では特殊ラバ!台頭とそれに対する対策と多くの卓球人が最 富 島 理事長 田 田 事 か 菱 坂 理 厚 赤 好 厚 高度のレベルを目ざして練習にはげんでいます。私達高校生徒もヱ、 の中の一人です。昨年又三年間の卓球生活を通Lて最も強く感じた 事は群馬の高校女子のレベルの低いという事です。県予選を通りさ て本大会に望んで身をもつて感じる事は﹁井の中の蛙﹂の諺通り大 海をしらない事でした。出場しては一回戦と同じ事をくり返し進歩 することも出来ず高校の卓球をはなれなければならないのは残念で 夫︵高 武︵桐 卓︵桐 一ハ高 夫︵前 高︶ 工︶ 工︶ 高︶ 高︶ 高︶ 男︵前高校長︶ 隆︵藤 しようか、技術に大差がない時はそのチームワークの一つで試合は 個人戦で彊い選手がいても団体戦に敗れたチームがどれほどあるで ので個人的になりやすくチームワークが取りにくいとされています 手の試合を見るのも良いでしよう。卓球の練習は二人で十分出來る す。それには近県の試合を見に行くのも良いでしようし、又良い選 所にだけと璽まつていないで積極的に他県の車球と接鰯することで 生かしてスケールの大きな選手にならなければなりません。一つの な練脅はマイナスの結果だけで向上はのぞめません。個人の特徴を 私はレベルの向上は練習にたくされていると思いますが非合理的 橋中学校の先生として来られ同氏の御骨折で前中が始めたのが群馬 な事です。其の後昭和の初期現桐生高等学校長野村吉之助先生が前 と云う事も群馬縣に僅か六校しかやつて居ないと云う事も実に遣憾 常な勢で益々増加して來て居る時歴史上有名な太高にチームが無い 念なことでした。今日全国の高校で何百と云うチームが出來て爾非 であります。それが同校燐、永続き出来に潰えて仕舞つた事は誠に残 の二つと云う事で日本のラグビー史上にも永く残る我が群馬の誇り 明治四十年頃迄は日本でラグビーをする学校は慶応と太田中学校と のチームが無かった頃我が群馬県が太田中学校によつて始められた 義熟大学で姶め、其の後明治三十五、六年頃全国で慶応以外日本人 厚 井 上 日本にラグビーフットボールが傳つたのが明治三十二年先づ慶鷹 ぎまつてしまいます。技術の進歩を願うと同時にチームワークを固 縣に於けるラグビーの復興で其の頃の前中は関東の勇として斯界に す。 めるという事も考えなければならないと三年間を通してつくぐ感 幅ヌ 既 ︹ 岸 野 田 坂 岸 ヒデ ニ﹁口女善 i︸t 〃 ! 高 ﹂U 、百ロ ー9 友 田 艮 え 岸 高 高 厚 ー−1 岡 工 桐 ○ 高 前 ← 厚 高工 桐高 ▲ ﹁ ▲ ,\ 〇 ▲ ▲ 5 ー \ 二勝三敗 ﹃−︸ 工 ﹂1 11 ︸士 雪一5 勝敗数 −ー!1!︸ 四勝一敗 ー﹄︸︸工 ー− =千− ﹃ ﹄ ︸一 ﹃ ξ 五敗 ▲ ▲ ︸ 五勝 、i\ 一‘一 1ー I I[ ヨ ﹃ー \ ! O 二勝三敗 ▲ O ▲ E︸ −ii 三勝二敗 O区“ ⋮ 0 ○ ▲ モ ▲尽ー 11 ﹃ 工 桐 ○ ︸ 高 高 f−一 ︸ ▲ 高 桐 O0 高 藤 ○ 高 高 レ 前 卜 \ ヌ0 O O O O卜 ▲ ﹁︼ [−1噌ト 一 ﹁11 藤高 高高 前高 名 校 学 となり関東地区予選に出場することになつた。 〃 高 藤 i △ 3 ∼ ∼ 0 〃 大 高 桐 高 桐 6 8 ︸ξ− 1 工 高 4 3 鯉 ∼ 3 工 高 16 ﹃ 厚 ▲ に関東代表として出場し全国的に大に気を吐いて居ることは喜こば 田 艮 オ 〃 −Itl 赤 ︸ ︷ 高 工 桐 高 高 f] ﹂目一 高 藤 厚 録 5 桐工 名声を挙げたものでした。ところが現在は前高、高高、藤高、桐高 友 肩 工 ︷ 高 仁月 前 高 ︷i﹂ k一 ﹂ 工 高 2 3 6 0 2 ∼ ∼ ∼ ∼ 3 2 2 6 2 高 高 厚 fI] 12 工 桐 ﹁1 ] 〃 ○ しい次第であります。 田 根 高 桐 4 2 5 ▲ 桐工、高工の僅か六校にしかチームが無く全国的に見て実に淋しい 田 岡 F ← 前 高 11 !ー 大 厚 −tt 高 ○ 高 前 ︷ホ! 厚 ﹃ 葛 高 高 藤 前 藤 △ 珍 ∼ ∼ 3 厚 岡 工 卜 i I 桐 高 ︷ ︸−, μ 一1 ■ lIし1一 高 ∼ 藤 高 塙 0 9 2 ∼ 5 6 ∼ 珍 厚 高 伺 オ 工 桐 ︸I I 工 高 ー 5. 〃 和 ヒ 上 昭和二十七年度高校春季リーグ戦 一 友⋮田 ﹃ う 11 17 岡 状況です。然し高崎高校が最近国民体育大会や全国大会に毎年の様 U 孚 1 ‘ー 太⋮山、同 ] 高皿高 審 大・和 所 場 桐.前 唄副 −1ー ヤ ︸ 点 拘㎜ ﹄ 厚 II酢−i ーヒ電f 高]高 桐い高 △、25 得 O、0 ∼﹄∼ 及 山父ネ対 ー 日 月 2 国民体育大会県内予選 国体予選は春季リーグ戦の結果上位四チームがトーナメソトに依 り県の代表となるきめであるが今年は四位が高工と桐工との二校出 来てしまつて都合が悪くなつたので五敗の藤高も加え、一位の高高 と二位の前高を不戦一勝としてシ;ドして抽籔の結果次の様な組合 せに依り八月十八日から五試合をして結局高高が優勝して県下代表 ︺’ 23 rし @ ︸8 ?ーし認高︶ ” ▲ ㊧ す 亮尚t−、2 /︵高高︶ 8 ⑩・ ①ー⊥躍︵前高︶ ㊧ 3 岡民体育大会関東地区予選 ⑥ 一8 置︵桐高︶ ㊧ー⋮ ⑳ 置︵桐高︶ 一8 ①,ー!−ー、⋮ 高高 桐工 藤高 桐高 高工 前高 嵩高は九月十四日新潟へ遠征し白山綜合運動場で濠雨の中で新潟県 代表新潟県立工業高等単校と対戦。此の日前日来の雨は一層強さを 増しゲラソドは泥除と化し、殆ど敵味方の見分けのつかぬ程選手は 泥だらけとなる有様の試合であつたが九対○にて高高勝つ。 九月二十向日敷島綜合蓮動場に於て茨城県代表水戸農業と対戦。 敷島綜合運動場の競技場の中に新らしくラグビー場をつくり立派な 芝生は近県に誇り得る立派なものである。其の日県下中単校の陸上 競技会あり多数中単生が観覧したことは今迄ラグビ丁試合を見た事 の無かつた中学生には大に参考になつた事と思う。結果は二十四対 ○にて高高校の一方的勝となる。次いで東京都代表日大二高を迎へ 九月二十八日同じく敷島に於て対戦、前半六対六とリードして居た 高高も後半貝大に得点を許し結局二十四対六にて敗れ三年間適続出 場して居た国体も今年は涙を呑むo り 山 梨︵山梨工高︶ 玉︵浦和高校︶ 茨 栃 群 24 木︵宇都宮高校︶ ︺ 馬︵高崎高校︶ ⋮ー;新 潟ハ新潟工高校︶ 古木肯爪B︵口目ム八二高︶ 東京A︵豊多靡高校︶ 神奈川︵慶応高校︶ ー−ーーIi埼 O O醐ー− ︹。 O 鵬 臭二 向誌 ζ ーー軸 O旨 田 4 秋 季 リ 判 田 仔 審⋮山、 翼.﹄ グ 戦 田 . 友 ㎝ 岸 皿 田 田 高腐 ﹂ 一 − ﹄ 厚 ノ ノ 高 藤 ⋮ 高 前 桐 藤 8 ﹁ 淫 エ 工 高 ⋮ 一 コ鞠 信 桐 高 ﹃ 桐 同 高 ・ △ 6 皿 0 捗 25 ∼ − ∼ 、 ∼ ∼ ∼ の ○ . 6 ㎜ 4 2 ら 高 . 高 ﹄ 高 高 ﹄” 桐 藤.桐 一厚 山筒同τ口同 岡 ㎜ 大 皿 根 ︸ 山 岡 田 心 ㎜ 工 宇 高 場 ﹄ 渦 ・ .高 脚噛週型 ロ ベ ヨ 高 ﹂ エ エ ユ コ ル 高 崇 ﹂詣 伺 ⋮ ∼ ラ 五 ㎜ 9 ] 2 校 で 高 ⋮ 高 ぎ 笹 対 蘇 前 う 、お皿 .﹃扇⋮ 日 2 一 厚 ﹃だ皿 ︸0 . 月。1 ﹁ii 田 一 野 田 笠工 一比 艮 岡 ∼ 日 i 局 一 営 高 引 二 ㍑ 赫 ・ 県 桐7 高 ︸ 高 高 、 工 藤一桐 桐 . 高﹃ の ヨ ∼ ∼天 〃 1 9 珍 工 高 ﹁ 彪 高 高 桐 、 前 藤= 創ー う ロワね ﹂一 i﹄ 日 野 比 田 江 前 高 〃 工 〃 高 の ∼ ⊥牛 ﹃ ﹂.螺 ∼ 努 娼 高 高、 同一 ㎜桐工 ー⋮﹂ 四謄趣 五敗 一 明 \ = 勝四敗 △ 企ム⋮○﹁1 瓜 3 ﹃ A 刺 、 ㎜ も 高工 △ , \ ム \ ㎜ 懸 酬盟 ▲ , 、 ○ 桐高一〇. 、 \製\◎ ム\ ㎜ \ 泌 、 ○ ○ \,ー⊥ \ \一、II⋮㎜,⋮1111ー O O ○ ㎜ ○ △ . 古同高]O 高 A 高 ⊥ 工 高 二 、ー!−一 堕 〇 ○ 三勝二璽 三 〇 局 \\ 保つて居るのも部員の団結と陰の先輩の力が多い事と思われる。県 下リーグ戦では常に優勝し続けて居る高高が今年も県下では優勝は したもの玉国体の予選で、は準決勝で東京代表日大二商に敗れ叉全国 大会予選の決勝では慶応高校に負けて共に全国酌試合に出られなか つたのは幾念であつたが日大や慶応が共に全国大会に出て相当な成 績を示して居ることから見ても数こそ少ないが我が群馬のラグビー 高 ㎜む 君 司 高 藤 ﹃ 桐 一 ﹄目 様になつたためである。桐工、高工が共に五位、六位となつた事は が全国的の水準に迄なつて来た事を館しく思うのであるQ か 同校の上級生が工場実習とか就職試験とかで比較的練習も不足して 只県下を通じて僅か六校にしかチームが無いと云う事が残、念であり 厚 居るし試合当日不参加するものが多くあつての結果で、単校の性質 青年学徒のスポ;ッとしてカと団結と、気力と体力とを思う存分発 軋 上止むを得ない事ではあるが同情に堪えない。春季リーグですばら 気し勝敗を度外して公正に行うことをモットーとするこのブレーの 秋季リーグ戦では藤高が高工、桐工に勝つて第三位に進出した事 しいスタートを見せた前高が秋季リーグには思つた程の進歩を見せ ︸般への普及を念願してやまないQ をして居た各。フレーヤーが自信を得叉強固な団結を以てプレーする ムは射中休暇の合宿で其の実力を増し、今迄何となく不安なプレー は今迄常に最下位にあつた同チームだけに喜びに堪えない。同チー なかつたのも淋しいo棚高が常に確実なプレーをしていつも二位を ︺一 飾 f サ ツ カ 部 島 徳 治 この大会の準決勝、決勝は高崎高校、館林高校、藤岡高校、勢農 高校の間に展開し、藤岡高校の優勝となり、第︻回朝目新聞社寄 9 2 1 1 りO 贈の盾は高体連サッカー部長の手より藤高主将に授与されたo 準決勝 六月一目 太田高校にて 館林高校611高崎高校 飯 サッカー委員 長 決勝六月七日太田高校に於て 1 5 01 ! 2 3 4 6 7 8 9 1 館高崎永井野戸木塚山野田岸⋮ 柴松藤藤岡鈴石米飯富根 1 4 ﹂上 0 P 藤横須清関清飯本萩塚中塚 K GK CK FK P 高尾田水原水塚村原本島越 T S 藤岡高校3−0勢農高校 一、県下高校新人サヅカーりーグ 昭和二十七年度の指標をもつこの新人戦は、二十七年の新春開幕 し、ある日は雪の上、上州特有空つ風の中を共々高校フアイトに燃 えて戦つたが、やはり戦跡は館林高校全勝で第一位となり閉幕した 例年になくスタートから本年は北関東高校サッカー大会が本県に主 催される関係もある為か、選手活躍の幸先まことによかつた。 二、群馬県高校 春 季 サ ッ カ i 大 会 決勝戦にふさはしい元気なプレイであつた。 然し一部粗暴な 許 プ レ ー に な ら な か つ た か 。個人技の未執川の故ファールが多かつ 期日 五月班一日、六月十七日 会場 太田高校、高崎高校 た こ と 。 怪 我 人 を 出 し た こ と 。今後、基礎的技術の完全マスー 県教委と蹴球協会の主催で開催した。 三、第七回国畏体育大会群馬県予選︵高校の部︶ の素材にしたいと思う〇 智性の命ずるまNに体現の域にトレーニソグし、社会生活訓練 練に、争、して習慣形成までの入間のスポーヅにもつてゆきたい 校生は精神力で自在にピチくと活動し得られる。練習より訓 智性と体力のマッチした文化技術の高いスポーッとしたい。高 ッカーであつてはならない、どこまでも人間形成を目的とした ということと、個人技の完成を希望したい。野を走る動物的サ 例年春季に於けるサッカー選手権をめぐつて戦跡を訪ねてみれば 数段の向上がみられた。こ玉にその二、三をかかげて今後の奮闘 の資料にLたいと思う。 3 K K S CK PG O K P 0 雪⊥ 2 1 F 2 2 3 喬 井 井 塚 田 q﹂ 山 下 藤 島 場 野 ﹁ 8 伊米三瀬荒佐飯中内馬早古 3 1 O 2 O 0 1 5 1 KKKK S 2 8 4 6 7 8 901 1 農鳥井井井地庭尻田塚沢井 FC P GC P 勢 羽 金 新 筑菊間野町志信今 1 5 O 1 2 4 部 高曲名我川庭池木田野口水 5 0 3 ︹U l 高太浜曾堀真姻茂和禦山清 12345678910H 槁小 川柿 沼村 岡町 田山 口加 藤山 田沢 口森 田宮 崎吉 田 太 、!ン 26 rk 戊績左記の通り 墾綾嵩品︸・鶴高校 σ品︸ 勢農癬函野奪校 ※涙 勝︵群馬県高校代表に館林高校と決定す︶ 館林穰論品︸・勢馨校 島 崎 井永野戸木藤山野田 岸 飯柴藤松藤岡鈴安米飯富根 督KFFHHHRIFlL 監GR L Q C L O R C L O ※決勝戦は県営綜合グランドに於て館林高校と勢農高校の問に優 勝をかけて展開した。 尚この両校は十二月六、七日に開催される。北関東高校サッカ ー大会への出場権を獲得する両校のメソパーと成績次の通り。 高崎井永野戸木藤山野田岸 3 館柴藤松岡藤鈴安米飯富根、︶飯島徳治 ⋮⋮−−−丑︾二鎌顯騨 農鳥井井井地庭田尻塚沢井㎜⋮︵淺見一也 勢羽金新筑菊間町野志信今一 1 会場 期日 茨城県高校代表 水戸工業高等学校 蕾剛橋綜Aロが・ラソド 昭和二十七年十二月六、七日 ※北関東高校蹴球大会 代表 栃木県高校代表 真岡高等学校 群馬県高校代表 館林嵩等学校 術中央大会への出場権をかけて栃木代表宇都宮工高校と九月十四 R、宇都宮市綜合グラソドにて対戦し敗れ去つた。 準決勝 謙薩9︵妨品︶・難蔭 灘藤3︵晋助︶2鱗醸校 群馬県高校代表 勢多農林高等学校 ︵鍵穐慧膜墨。緩︶ 決 勝 栗袋面昂一驚袋 つり モのヨ 真岡高校 ’0−−一館林高校 荘北関東高校代表 舜真岡高校と決定す。 四、全日本高校蹴球大会兼北関東予選兼群馬県予選 勢曲蕎岩品︸&勢篶校 館楚尭品︸・疇高校 太田高市︸ 校 勢農高器品︸・沼鴇校 館林高倉品一・畜高校 ︺ 7 2 ごー㌃ 高崎井永木戸野藤山 田 館柴藤松鈴岡藤安米岡蜜 ←ヒ ロア 黍 艮− 2 5 8 0 1 3 4 6 7 9 1 岡水本関 林崎竹山田本沢柳 小御都横和橋羽青 坂大 石川 正次 徳治 評 館林高校は前日水工高の対戦でスタープレーヤー飯野︵C。F︶ の足負傷にて出場不能のため新人岡を起用し、決勝戦の真岡高校 に対載したQ試合前後半ともシーソーゲームに入り同点となりつ いに延長戦を迎えたQ延長に入るや二分たら梓.︺のうちに連続二点 という猛攻にあいひるんだかにみえた館林高校は追繋の手をゆる めず攻撃したが、僅に一点のみかえしただけでタイムアップ、全 口木高校蹴球大会︵中央大会西宮市︶の出場は本年またしてもは ばまれたQ 然しこNに偉大なる戦跡をみのがしてならないことは群馬県高校 代表はいまだ各県の代表校を斤ぞげたことがないことである。そ れを本年は館林高校メンバーによつて茨城代表の水戸工高校を完 五、県下高校新人りーグ 現在開始されているこのリーグに参加チームの意外に多かつたこ と、それに熱心に試合がす∼められているあたり、昭和二十八年 度も群馬県の戦跡には新しいものが植え替えられることと信ずる 沢 田 市次郎 ︵骨八・二‘一・記︶ ㎜ソフト丁ル囲 、昭和二十七年度行事記録 一 ラ ー 第三回全日本高校女子ソフトボール選手権大会群馬県予選会 ︵ 会場 高崎女高、高崎市女高 期日 六月二十一日、二十二日 ラ α 群馬県ソフトボール協会と共催 切 ︵ 参加校 十二校 の 全に斤ぞけてくれたことであるo爾その上に決勝では栃木代表の 二回戦勝者 前橋市女、桐生女高、高崎市女、下仁田高 ⑭ .戦績 一回戦勝者 前橋市女、松井田高、沼田女高、下仁田高 ㈹ 準決勝 桐生女高1iO前橋市女 眞岡高校に対し、延長戦にまで追いこみ、群馬県高校のために新 意気を創始し、爾且最後まで試合を捨てず敢闘、につぐ敢闘全く 高崎市女8f1下仁田高 結 果 、 桐 右の 生 女 高 、高崎市女の二校北関東大会に出場権を得て 破れてもくいない試合に始終した奮闘精神は心から敬意を表する スタートと新しい段階に入つた技術と精神の高揚を企図されて、 七月初の大会に出場し、桐生女高は埼玉、茨城の強豪を破つて優勝 決 勝 桐生女高2−1高崎市女 来る今後の試合に勇猛心を喚起したゆまざる闘志と技術の把握に し晴の全目本大会出場権を獲得した。全日本大会には、地元の強象 ものであるQこの機会から群馬県の各高校サッカー選手の新しい 爾一暦の希望を期待をかけているものであるQ ︺∼ 認 , ︹ 芦屋 高 校 と 一 回 戦 で 対 戦 し 惜 敗 す 。 ③ 国体予選兼県下高校選手権大会 ↑り 期日 八月二十日、二十一日 @ 会場 前橋商高、前橋城南小 @ 参加校 十七校 群馬県ソフトボ!ル協会主催 会場 下仁田高 ︶ で 期日 九月二十八日 ρ ラ 日 ︵ の 高体連後援 ⑭ 参加チーム、九チ1ム 戦績 一回戦 下仁田高珍iO太日女高 二回戦 館林女高 12−0佐波農高 前橋女高 ー 沼田女高︵両校棄権︶ 梱生女高8!1高崎女高 高崎市女8t1鐘紡新町 高崎市女21A10前橋女高 下仁田高︵不戦勝︶.松井田高 二回戦 安中高︵不戦勝︶小泉農高 高崎市女3−1下仁田高 爾 前橋市女 811境 高 桐生女高︵不戦勝︶ ⑲ 戦績 一圓戦 沼田女高3A−0太田尾島分校 桐生女高︵不戦勝︶藤岡女高 高崎市女、梱生女高の二校県代表となるo然し桐生の棄簿申込に 高崎市女8−1桐生女高 松井田高 n!6伊勢崎女高︵延長十一回︶ より高酪.女高代表となるo 決 勝 高崎女高HAi1沼田女高 甲府に於ける関東大会に於いては、高崎女高は一回戦で敗れ去り 下仁田高HA∼2太田女高 三回戦 高崎女高8A13餓林女高 二、反省及び感想 高崎市女県代表に決定し且つ選手椹を獲得す。 決 勝 高崎市女 1−0桐生女高 桐生女高 310下仁田高 下仁田高1 1A−0松井田高 高崎市女 211高 崎 女 高 公認審判員︵一種、二種︶を早急に養成してその名簿を作製し、確 ので、協会と連絡して審判員養成を高体連、中体連、一般に轍底し この問題については、ソブトボール協会に公認審判員の制度がある 中体連の協力により実施して来たが、常に不足を来たして困難した る。審判員については二十七年度は各出場校より一名依頼し、且つ たるも高崎市女は良く奮斗し準決勝にて惜敗す。 高崎市女 1 010安中高 桐生女高5A−0前 橋 市 女 碕、国体に於ては、一回戦に熊本市女と対戦し惜敗す。 固たる審判制度の下に、試合を運営して行くことが望ましい。二十 各大会を通じて痛感されたことは審判員の不足と会場の間題で、あ ⑬ 第二回関東綜合選手権県予選兼第一回群馬県綜合選手権大会 ︺ 29 一ー、 れなかつた関係で、その準備に不便を感じ、旦つその交渉に困難を 又会場については、二十七年度は会場が大会責任者の学校で行わ 八年度は此の点を研究して実施して行きたい。 然と保ち、学生スポーッの眞騰を発揮して戴きたいと思います。 旺惑なるフアイトで試合に臨み、而も女子高校生としての品位を嚴 十八年度に於いては此の点を充分各スボーッ人が慎んで戴きたいQ ル部 高体連ソフトボール部委員長 ンドボ ハ 昭和二十七年度ハンドホール部の足跡 ハソドボール部委昌誉長 町 桐生工H−4藤岡高 田 歳 雄 来し、爾会場校に幾多の迷惑をかけて來たが、地理的の関係で止む を得なかつたが、此の点二十八年度はもつとスムースに運営出来る よう研究したい。然し会場校及び地元の各校の積極的援助に対して は、深く感謝すると共に、今後もかNる場合は更により一暦の協力 を御願いする次第である。本県に於ける、現在では、ソフトボール 專用球場を持つ事は困難であろうが、全国的に見て、そのレベルの 向上と発展の為に・関係諸団体と連絡協調して・将来は専用球場建 その他の件につき二、三感じた事を述べると、それは登録につい 富岡高13−2桐生高 六月十四日 春季リーグ戦 てであるが、二十七年度はその時期がばらばらで期日まで登録した 桐生高5!1藤岡高 1 学校は極めて少なかつたが、二十八年度は期日まで必ず登録して戴 桐生工9−3富岡高 設の実施を念願してゐる。 きたい。事務の処理整理上困難な点があつたり、叉不備な点が出来 桐生工業高校優勝 七月二十九、三十、三十一目︵三日間︶ たりするので此の点は特に留意して戴きたい。 更に各種会議に出席者が少くないので、行事運営が満足に行われ 事であり、旦っ結構な事であるが、それが行き過ぎて高校生の品位 して旺盛なるフアイトを以つて戦うのは試含をする以上当然必要な 最後にこれは各試合を通じて痛感して来た所であるが、試合に際 富岡高8−1安積高︵福島︶ 第二回戦 桐生工10−2向陽高校︵愛知︶ 富岡高7−4静岡農高︵静岡︶ 第一回戦 桐生工U−4鎌倉高校︵神奈川︶ 東日本高校ハソドボール選手権大会︵於一の宮市︶ を失なうような態度、行動に出る事は嚴に戒しむべき事であります 準々決勝 桐生工5−4清水商︵静岡︶ 2 この様な熊度は高校生の健全なスポーッ精神の高揚と瀟養のさまた 足利高10−8富岡高 ない点が多いので、会議には必ず出席されるように要塑します。 げとなり、本来の高校スポーッの目的にもとるものと思います。二 、﹂ 30 ヂし 3 桐生工1416富岡高 富岡高1 2i1桐生高 桐生高614藤岡高 全日本高校選手権大会県予選 準決勝桜台高311桐生工 決 勝足利高816桜台高 足利女子高姓10桐生女子高 女子之部 桐生工業よく東日本の覇者足利高校を敗り優勝すQ 桐生工14!7石岡高︵茨城︶ 男子之部 第二回戦 桐生工1 0−4函館 工 ︵ 北 海 道 ︶ 桐生工H14甘日市高︵広島︶ 五日間些且り福島市に於て行われた。此の大会を通じて特記すべき 第七回國民体育大会のハンドボールは十月十九日より二十三日の 7 第七回國民体育大会 於 福 島 市 ヨ 3 足利女子高校優勝 足利女子高7−4太田二高︵茨城︶ 桐生工1 2−9足利高︵栃木︶ 九月二十三日 富岡中学校︵高校女︶ 桐生工業高校全日本高校選手権大会に出場権獲得 4 八月二十四 日 i 二 十 七 日 第三回戦 桐生工10−2桜台高︵愛知︶ 事項は十九日の綜合開会式直後三万の観衆の前で天覧の栄に浴した 全日本高校ハンドボ!ル選手権大会 準々決勝 桐生工3i2足利高︵栃木︶ ︺ 準決勝 行われたoさて桐生工業の出場した高校男子の部に於ては ︹ 全国の精鋭を集めた本大会に本県代表桐生工業高校は右の如ぎ戦 第二回戦桐生工珍!5松尾高へ長野︶ 事であつて、此の時の試合は山ロー東京の対戦であり、全国中継も 跡を残して堂々全国制覇をなしとげ、本県体育界の為に偉大なる貢 準々決勝桐生工1611福陵高︵福岡︶ 桐生工9t7清水商︵静岡︶ 献をなした事は特筆大書すべき事項であろうQ 準決勝桜台高14−11桐生工 決 勝 5 国民体育大会県予選 優勝候補と目された桐生工業も速攻を武器とする桜台を相手にょ 優勝戦桜台高7−6濟々幾︵熊本︶ 桐生工12−0藤岡高 く敢斗したが、桜台のパックの守り堅くまた金子もマークされて十 富岡高1413桐生高 富岡高彪ー1桐生高 分の活躍が出立がず大接戦の末遂に桜台に名をなさしめたのは残念で 禽この国体に日本ハンドボール協会より桐生工業の金子善治、中 あ うた。 桐生工呂16富岡高 桐生工業高校國体ブ・ック予選に出場権を得る 6 第七回國体北関東ブ・ック予選於富岡高等学校︵高校男︶ 島英次郎、廣町賢二の三君が最優秀選手の十名の中に名をつらねて 各誉ある表彰を受けたことは眞に喜ぱしい事である。 8 ハンドボール競技規則の改正 咋二十六年ハソドボール競技規則が改正されたが二十七年度に於 ても競技規則の大改正が行はれて一九五〇年度國際ルールが適用さ れることになつて今度の國体から実施された事である。 即ち規則の改正は九月一日より行う事に決定され、その内容とし ては今迄のルール中オフサイドに関する事項は全部創除するもので あり、又ラインズマソを置かなくとも良いとしている。爾ゴールェ リヤより外側六米の所に点線でフリース・ーライソを引ど、様にも決 められているQ以上がその改正の大署であるQ 9 新人リーグ戦兼選手権大会 昭和二十八年二月二十一日 於 桐生高等学校 桐生工7−1富岡高 桐生高 6 1 4 藤 岡 高 桐生工めi2藤岡高 桐生高7−3富岡高 新人りーグの結果二十七年度に引続き依然として桐生工が強力振 りを発揮している。桐生高も選手の卒業か殆どない為に第二位を獲 得している。本年は東日本大会が桐生市に於て行われる予定になつ ているので各チームの今後の層一層の練磨を希望し以て郷土の期待 ⋮嚢﹄一き旨 ∼ 7一 ﹂刀 髭 承 軒ーー!ーi⋮§ だ 撒 .搭﹂ 津 田 貞 本年はオリソビヅク大会の年でもあるし県高校水泳も相当の向上 を期待された訳であるが男子では清水︵高高︶伊高の服部、駒沢、 白川、沼高菊池、女子では糊丘の新非、伊女平野等の活躍が目立つ たが中でも喜ばしいことは短蹟離の清水の進境著しく県としては初 の東西対抗選手に選ばれ⋮分一秒二という大挙級の記録を出して璃 目せられ、叉国体には第六位となり県高校として初入賞する等山国 群馬からでも努力次第ではオリソピック候補の一人位はと満吏夢で もなさそうになつて来たこと、前記の諸君達が主力となつて山梨、 群馬、長野の三県対抗には優勝旗賞杯総ざらいの.阪績をおさめたこ と、又清水、新井、卒野の三選手が昭和二十七年度日本高校競泳廿 傑に入つたこと等であるが其の他一般の諸君は余り進歩の跡が見ら れず努力不足の感が潔い。昭和二十八年度は各校選手部員諸君の奮 起に期待する所大なりである。同時に高校を強くするにはどうして も小中学の水泳を盛にしなければならないというのが私達水汰関係 者の持論であるが水泳層を振げ良き後継者を作るという意味からも 是非後輩の指導ということに御協力を御願いする次第てありますQ ㊤七月二十六、七臼 関東高校水上競技大会 大宮県営ブール ︵津田 貞︶ × X 本県より高高、伊高、伊工、伊女、桐丘の各校参加、高高の清水百 にそわれる様努力して貰い度い。 以 上 × ㌔ノ 2 3 ︹ ①清水 健︵高高︶1分0 2秒8 ︵県新記録︶ 百米背泳予選 平野 富子︵伊女︶1分34秒8 は惜しくも準決勝に於て失格したが廿傑中に入る優秀記録を出L共 百 米自由形 ⑤清水 健、高高︶2分2 7秒8 五十米自由形 新井美登重︵桐丘︶ 努秒6 米自由形に県新記録で優勝、桐丘の新井二種目優勝、伊女李野の二 二百米自由形 ⑥駒沢 寛︵伊高︶3分02秒2 ︵県長水新︶ に群馬女子の名、を揚げた。 二百米背 泳 ⑦服部 良和︵伊高︶2分男秒2 全國級の清水健、新井美登里、平野富子の三選手が全日本高校大会 種目二位、予選、に於ける伊高服部の平泳県新記録等可成の成績を挙 二百米亭泳 ①新井美登里︵桐丘V 36秒2 に出場して居る爲此の大会は若干精彩を欠いた感はあつたが学校対 百 米自由形 ①清水 健︵高高︶1分田秒2︵県新記録︶ 五十米自由形 ①新井美登里︵桐丘︶1分26秒4 げることが出来た。決勝記録左の如し。 百 米自由形 ②平野 富子︵伊女︶ 43秒2 ︵予2分覧秒新︶ 0八月二十三日 第五回県下高校選手権︹学校対抗︶伊勢崎プ!ル 抗に相応しく各選手共母校の爲に必死の奮斗をし幾つかの新記録も して伊女の李野富子、桐丘の新井美登里の三選手出場、清水選手は 本県よりは東西封抗選手として選抜された高崎高校清水健、女子と ●八月二十三、四日 全日本高校選手権 於奈良天理プール 日百米李 泳 ⑧服部 良和︵伊高︶2分覧秒8 百 米 自 由 形 ②清水 健︵高高︶1分0 2秒8 れ山國群馬の為に萬丈の気を吐いたことは特筆に値する。 位で優勝を逸したが群馬県としては初の東西封抗選手として選抜さ 高崎高校及伊勢崎高校参加高高の清水選手百米自由形に惜しくも二 ●八月十六、十七目 東部男子高校選手権大会 千葉館山プール 百 米 平泳 ①服部 良和︵伊高︶1分18秒8︵県新記録︶ 予選に於ける県新記録 工︶③梅山︵高高︶ 千五百米自由形①白川喜一郎︵伊高︶23分01秒︵県新記録︶②福田︵伊 U分2 9秒4︵大会新︶③小川︵高工︶ 八百米自由形①白川喜一郎︵伊高︶H分29秒2︵大会新︶②菊池︵沼高︶ 工︶ 0秒6②白川︵伊高︶③福田︵伊 四百米自由形①菊池梅夫︵沼高︶5分3 二百米自由形①菊池梅夫︵沼高︶3分32秒②福田︵伊工︶③梅山︵高高︶ 9秒4②福田︵伊工︶③梅山︵高高︶ 百 米自由形①荒井武︵高商︶1分0 1秒②熊沢︵高高︶③山口︵高高︶ 五十米自由形①荒井武︵高商︶3 ◇男子成績︵四位以下署︶ 高校がそれにもめげす奮斗して伊高を脅かした意気は賞されて良い 優勝は順当であるが清水選手を全国に送つて手痛い穴の明いた高崎 生れて盛会裡に終つたことは喜ばしい。優れた持駒を持つた伊高の 百米自由形に県新記録を以て堂々第三位に入賞し将来を期待される 五十米背 泳①駒沢寛︵伊高︶37秒②小野塚︵沼高︶③庭山︵前商︶ ︵県新記録︶ 五十米背泳 ⑦奉野 富子︵伊女︶ 43秒2︵県新記録︶ 五十米背泳 ︵ μ ︶ 百 米 背泳 ②平野 富子︵伊女︶1分3 7秒0 ことになつた。軍野選手は決勝に於て五十米背泳第七位、新井選手 ︺ 3 3 ︹ 四百米リレー①増田、服部、栗原、白川︵伊高︶4分舅秒2 ②伊工 ③ 高 商 ③高商 5秒4 ②伊工 二百米リレー①板垣、増田、栗原、白川︵伊高︶2分0 ③吉田︵前商︶ 四百米自由形予選C組⑨5分%秒 同 F組⑨1分珍秒8 菊池 白川喜一 郎 ︵伊高︶ 4 3 荒井 武 ︵高商︶ ︺ 於て第六位に入賞したことは誠に賞讃に値する。 梅夫︵沼高︶ r㌧ 秀夫︵前商︶ 本県高校代表選手の成績は左の通りであるが高崎高校清水が決勝に ⑱第七回國体夏季大会︵九月二十日−二十三日︶宇都宮プール △男子綜合得点 三百米混継泳①駒沢、服部、白川︵伊高︶3分釦秒︵県高校新︶②高高 同 H紺⑥5分41秒 庭山 寛︵伊高︶ 百 米 背泳①駒沢寛︵伊高︶1分22秒6②庭山︵前商︶③小野塚︵沼 ③ 前 商 百米背泳予選 C組⑧1分2 8秒8 駒沢 瑞穗︵高高︶ 一位 伊高︵九七点︶二位 高高︵五三点︶三位 沼高︵三八点︶ ◇女子成績 同 B組⑨1分24秒8 熊沢 良和︵伊高︶ 高︶ 五十米自由形①岩内正江ハ桐丘︶佃秒②菊地︵高女︶②新藤︵高女︶ 二百米平泳予選 E組⑥3分0 8秒4 服部 四位 伊工︵三七点︶五位 高商︵三七点︶六位 高工︵二五点︶ 百 米自由形①岩内正江︵桐丘︶1分36秒8 同 G組⑤3分02秒 五十米平 泳①服部良和︵伊高︶努秒②鴨田︵伊高︶③熊沢︵高高︶ 二百米自由形①岩内正江︵桐丘︶3分4 8秒4 混 継 泳 予 選 C 6 ︵県高新︶駒沢、服部、清水 三 百米 組 ④ 3 分 4 7秒 七位 前商︵一八点︶八位 前工︵三点︶ 五十米背 泳①山田かつ子︵高女︶1分05秒②長井︵高女︶ 百 米 李泳①服部良和︵伊高︶1分19秒8︵県新記録︶②熊沢︵高高︶ 百 米 背泳①久保田馨子︵高女︶2分08秒②植原︵高女︶ 由 形 予 選 B 組 ⑦ 1 分 2 秒 4 新井美登里︵桐丘︶ 百 米自 7 泳 予 選 秒 6 李野 富子︵伊女︶ 百 米背 C 組 ③ 1 分 36 △女子綜合得点 五十米手 泳①山田かつ子︵高女︶兇秒2徳光︵高女︶ 形 決 勝 第 六 位 1 分 0 2 秒 8 清水 健︵高高︶ 百 米 自由 ③大島︵高商︶ 百 米 李泳①齋藤逸子︵高女︶2分09秒2②高柳︵高女︶ O昭和二十七年度全日本高校競泳廿傑︵日本水泳連盟発表︶ 一位 高女︵八三点︶二位 桐丘︵二一点︶ 二百米平 泳①齋藤逸子︵高女︶4分40秒②高柳へ高女︶ 本県関係左の如し 二百米李 泳①服部良和︵伊高︶3分0秒2︵大会新︶②熊沢︵高高︶ 二百米リレー①高女チーム3分0 9秒6 百米自由形④清水健︵高高︶1分伍秒2天理8月別日 東西高校 百米自由形予選H組①1分02秒8︵予選通過︶清水 健︵高高︶ 三百米混継泳①久保田、斎藤、立木︵高女︶6分17秒8 五十米自由形⑭新井美登里︵桐丘︶35秒6天理8月お日 日本高校 辛米背誘霧田子︵婁︶鴛三歎響朋箪膣離 百 米背泳⑯亭野富子︵伊女︶−分34秒8天理8月24日 日本高校 需李野の五十米背泳は全日本競泳女子廿傑の第十八位である。 曜酌発展の機会である。このチヤンスを逸してはならない、万全の 準備をととのえ、群馬体操の力強い歩みをつづけたい。 体操はむずかしいものというものの順を追つて練習すればさほど むずかしいものではない。やれぱやる程味があり深みのあるもので ある。又誰でも一応は小中単校で脛験したことであるから一種でも よい、跳箱一つでも大会に出場できるのである。先づ一人でも多く 実施してほしい。本県では二部制を実施しており、これは行う動作 で一位、全目本の大会に十位までに団体でニチーム六位までに個人 殊に本年特筆すべきは女子の進出であろう。関東の大会には団体 あるものの、もう一段の努力を希望して止まない。 ような好成績を残し、体操群馬の意気盛なるは誠に力張い限りでは の大会は衰5に及はず、全日本の大会に、又国民体育大会に別記の 伝統を誇る本県の体搏競技も相変らず好調をつづけている。関東 二位 前橋工業高校︵二三一、七五︶ 一位 高崎工業高校︵二五七、三五︶ ●一部団体綜合 男子の部 場所 前橋市立女子高校 期日 昭和二十七年十一月八日 一、昭和二十八年度高校選手権大会 ー1幅 二人も入賞し、又国民体育大会には団体で五位に入賞していること ●一部個人綜合 搾皿 のやさしいものが二部で、日本体操協会の制定した種目を実施する は誠に賞讃に値する。今後共団結を強固にしてよりよい伝統を作ら 一位 相原信行︵高工︶九三、四〇 二位 山崎 登︵前高︶九〇、一 体 もので網定したものである。二十八年度も二部制を実施してゆく計 れたい。 三位 小林英明︵高工︶八六、六〇 四位 福島正夫︵前工︶七八、三 画であるから奮つての参加を期待して止まないQ 本年度本県高校選手権大会を省みて、技術的には幾分の進歩を認 五位矢島敏男︵高工︶七六、四〇 六位 金井安之助︵前工︶ 二 めるも、参加チームの至つて少ないのは一抹の淋しさを感ずる。何 ●一部個人種目別 正 れの種目も同じこと層を廣く持つことと多くの理解者を持つことは 徒手1相原信行︵高工と八、九〇 2山崎 登︵前高と八、三〇 上 その種目の発展上極めて大事である。昭和二十八年度には関東高校 3小林英明︵高工︶一七、七〇 井 の大会が本県に於て開かれることになつてゐるQ本県にとつては飛 ︺ 5 3 ︹ 3小林英明︵高工と七、四五 跳箱 −相原信行︵高工と八、二五 2山崎 登︵前高と八、0 3町田章嘉︵前工︶一八、〇五 吊環1相原信行︵高工︶一八、七五 2山崎 登︵前高と八、二〇 3小林英明へ高工と七、四五 平行棒1相原信行︵高工と八、七五 2山崎 登︵前高と七、九〇 3小林英明︵高工︶=ハ、四〇 徒手 1松田千代子︵高女と七、八六 2岡村 瞳︵前女と七、二 △一都個人種目別 五位青木 緑︵前女︶六四、四五 六位村田紀子︵前女︶六二、四〇 三位山下公子︵前市女︶六五、八七 四位上原恵美子︵高女︶六五、四四 一位松田千代子︵高女︶六九、三三 二位岡村 瞳︵前女︶六七、五五 △一部個人綜合 一位 高崎女子高校一九七、五四 二位 前橋女子高校一九五、五[ △一部団体綜合 女子之部 ㊤二部団体綜合 3青木 緑Ω剛女と七、○二 鉄棒 1相原信行︵高工︶一八、七五 2山崎 登︵前高と七、七〇 一位 高崎工業高校一九六、九〇 二位 前橋高校一八六、三五 平行棒1松田千代子︵高女︶一七、四〇 2岡村瞳︵前女︶一六、八四 一位前橋女子高校Ω七三、六六︶ 二位前市女高校︵一七一、四六︶ △二部団体綜合 3上原恵美子︵高女と六、三四 準均台1松田千代子︵高女と七、一七 2岡村 瞳︵前女と六、五〇 跳箱 1岡村 瞳︵前女︶一七、一〇 2松田千代子︵高女と六、九〇 3山下公子Ω剛市女と六、八四 三位 高一崎商業詣局校一八六、三〇 ㊥二部個人綜合 一位 高橋 修︵高工︶六六、五〇 二位 干川吉信︵高工︶六六、三五 三位森 昭男︵前高︶六四、一〇 四位松田信吉︵高商︶六三、七五 五位 角田和雄︵前工︶六三、二〇 六位 尾林行雄ハ藤高︶六三、二〇 ◎二 部 個 人 種 目 別 徒手 修ハ高工︶一六、九五 2渡辺久治︵高工と六、四〇 3森 昭男︵前高と六、〇五 平行棒1高橋 修︵高工︶一六、三〇 2尾林行雄く藤高と六、〇五 3本・郷三男︵館古同︶一六、六五 鉄棒 1松田信吉︵高商︶一七、四五 2干川吉信︵高工と六、九五 徒手 1女屋壽子︵藩型巾女と五、六〇 2木村朝子︵前女︶一五、三〇 △二都個人種目別 五位荒木壽江︵前女︶五四、四〇 六位角田房江沿前市女︶五四、〇一 三位柴田久子︵前女︶五五、九三 四位中野珠子︵前市女︶五五、〇六 一位女屋壽子︵前市女︶六二、八四 二位木村朝子︵前女︶六一、七三 ムニ都個人綜合 跳箱 1高橋 修︵高工︶一七、二五 2干川吉信︵高工︶一七、0 中山とみ子︵藤女︶一五、二九 3干川吉信︵高工︶一六、四 3松田信吉︹高商︶一六、八五 ︺ 6 3 ︹ 跳箱1女屋詳子︵前市女︶一五、七三2角田房江︵前市女︶一五、四六 3中野珠子︵前市女︶一四、九〇 平行棒−女屋壽子︵前市女︶一五、九四 2木村朝子︵前女と五、八三 3中野珠子Ω剛市女︶一五、二七 李均台1女屋壽子︵前市女︶一五、五七 2木村朝子︵前女︶一五、四七 同 個人綜合 同 団休女子 器械 団休男子 松田千代子︵高女︶六四、七〇 相原信行︵高工と〇二、八五 高崎女子高校 一八五、二〇 前橋女子高校 一八六、一五 高崎工業高校 二三九、八五 第四位 第三位 第八位 第七位 第七位 期日 昭和二十七年六月十四、五日 二、第一回関東高校選手権大会県入賞者 男子 団 体 綜 合 第三位群馬チーム 相原信行︵高工︶小林英 四、国民体育大会 集団体操男子 第六位 場所 東京学芸大学体育館 明 ︵ 高 工 ︶ 山崎登︵前高︶町田章嘉︵前工︶監督 松井国平 山下公子︵前市女︶六三、三〇 団体優勝 高崎工業高等学校 女 子 団 体 綜 合 第五位 群馬チーム 松田千代子︵高女︶ 3木村朝子︵前女︶一五、ご二 個人綜合 一位相原信行︵高工一︶六位小林英明︵高工︶ 青木緑Ω則女︶岡村瞳︵前女︶山下公子︵前市女︶ 第三位 種目別徒手一位相原信行 李行棒一位相原信行 監督 北井柳太郎 高崎工業高校 四九、二〇 吊環一位 相原信行 鞍馬二位 相原信行 集団体操男子 第七位 高崎工業高校チーム 千輝 実、渡辺嘉 之、監督 大橋文夫 脚 ス キ ぬ 鴻 魂 鵬 部 高体連スキー部の活躍 千 春 で二十八年度として行事を行つている。高体連でも連盟と関係が籍 年度では二十七年度であるが、スキー連盟では冬だけの行事なの 林 久治、藪塚政男、荒木照夫、齋藤 毅、高橋 修、新井浩 跳箱一位 相原信行 二位 小林英明 三位中村 女子団体優勝 前橋女子高校 三位 高崎女子高校 女子個人綜合 二位松田千代子 三位岡村 瞳 四位村田紀子 五位渡辺僖佐子 六位鈴木正美 女子種目別 徒手二位松田千代子 三位 青木 緑 李均二位青木 緑 三位 鈴木正美 平行棒二位 松田千代子 三位 鈴木正美 低鉄籏二位 岡村 瞳 二位 松田千代子 三、全日本高等学校選手権大会 期日 昭和二十七年八月二十三、四日 場所 京都同志社大學体育館 短− 37 ’︸、 を考慮してはみたものの日時が無いので強行した。案外に面白く然 上大穴会場で開催してみた。學年末又考査等の関係で出場者の多少 県内行事としては今年始めて一部、二部とに区別して先づ二部を水 るところである。 とつては大いに喜こぶべきであり高体蓮スキー部の気をよくしてい 余り期待出来そうもなかつただけに斯の様な成績は群罵スキー界に 女吾女共に好成績であつた。 すべぎであり、女子林和子さんは全国一の技傭を示し継走女子の沼 国体に於ても男子は入賞は出来なかつたが上位に食入つた事は偉と 男子沼田高校は廻転第四位入賞等輝しい記録であつた。 十四県八五校参加の全国高校大会で沼女第二位並に二つの優勝杯と 群馬の名をとどろかせたのは実に立派な成績であつた。 全国高校大会大鰐会場に於て爾国体大館、大湯会場に於てもスキー 国体予選も、青年組、少年組に、叉女子と夫々優秀な成績を挙げ叉 ーズソに入ると予期以上の成績が挙げられて嬉しかつた。 今年のスキーレベルは昨年に比べて淋しいと始めは思つていたがシ い 爲 二 十 入 年 度として参加している。 一九五三 スキー委員長 林 千 春 大いにおす﹄めする。 腰の柔軟性を糞点として練習をしてもらい度い。縄跳、跳躍競技.等 尚スキーは夏秋のシーズソに身体を錬えておくことで脚力の強さと ない。 も多く群馬の名を母校の名を全国に挙げられることを希望して止ま がなされることx決定Lた。是非一部校も二部としての各校も一名 た。来年は福島県猫苗代即ち会津磐梯山の山で第三同全国高校大会 女が地元の学校と共に青森県迄参加して活躍をみせたのは嬉しかつ た。其の点群馬勢等は恵まれた地であると考える。今年は前商、吾 全国大会では雪を探して汽車に四時間もと言う高校生が参加してい い高校生諸君よ是非参加を希望する。 直滑降の出来る程度の技術で結構競技に参加出来るのであるから若 の競技と全く別な競技であることにも氣づくと思う。 味のあることに気づくと思う。叉若い高校生で無けれぱ味えない他 女性味のあるスキーは競技に参加してみて又異なつた勝敗を越えた したり競技会にも参加する様進めたい。剛快な男性味又一面優秀な も丁度適当な大会になり好成績の得られたことは大牧獲と言はねば ならない。爾役員の方々の絶大な骨折りの賜を深く感謝いたしてお り来年度は禽]層上手に育て玉頂く様楽しみにしている次第です。 前橋、高崎等から多数の参加を欝李担部の學校からも多く参加して この二部大会を雪の無い學校の大会とし度い。 本年度は指導部会︵高体連︶等の計画でスキー講習も平担部の學校 生徒等を対称に行われることになつている故大いに参加して練習を ︺ 8 3 ’1㌧ ス ケ 卜 郡 録を昂して団体に参加した。二月の高校選手権大会成績次の通 り。 ︵優勝者︶ Aクラス︵一、二年の部︶ 五百米 山田︵渋高︶2鶴田︵前高︶3半田︵渋高︶ 千五百米 山田︵渋高︶2鶴田︵前高︶3半田︵渋高︶ Bクラス︵一二年︶ 孝 県スケート連盟と共に発足し、ようやく第三回スケート大会を迎 千五胃米 一場︵渋高︶ 正 えたQ若き高体連スケート部は、めぐまれた環境と、若人の熱意と 五千米 門倉︵前工︶ 原 に依つて、逐年会員は増加し、技術的にも飛躍的な進歩を示しなが リレー 優勝 渋高チーム 2室高チーム 塩 ら、県連盟の中核とし、母体となつて、着実なコースをたどつて居 ニ、女子の部 を得て、短距離︵五百米、千米︶のみに限定したが、 女子高校スケート陣は、渋川女高、高崎両女高より、若干の参加 る。幸い参百に近い高体連スケート部員が、優秀な氷質と、遅い結 氷期と云う。予盾した中にあって、より高きを求める真摯な研究と 努力の前には、全国的水準への到達も、近きを思はせるものがある 渋女の橋本、大塚、高橋、羽鳥、練習不足にもか﹄わらず、よ く頑張つた。殊に大塚が五百に相当の實力を有しながら、不運 ︸、男子の部 男子は各種目共、参加選手極めて多く、毎年記録を更新して居る 然し女子スケート界は、全国的レベルも割合に低く、︵特に高校は の転倒は、記録の上からも残念であつた。 昭和二十七年二月の高校選手権大会は、次の様に渋高校の圧倒的 低い︶、今年新しく入学した、室高の岩沢、渋女高の門倉は、本県 が、全国の水準は高く、不断の研究と精進が必要である。 な 優 勝 に 終 つ た 。 ︵ 優 勝 者 ︶ スヶート界のトツプを切つて、全国大会で入賞する可能性が強い 岩沢は女子に珍しく、長距離のスケーターであり、今から不断に 五百米 渋高 植田洋子 渋女高 千五百米 木暮佑 渋高 短距離疾走の訓練を積んでピツチをあげたら、今年の全国高校ス ケート選手権の入賞は確実であろう。 五千米 木暮 佑 渋高 ︼ 萬 米 斎藤 も、千五百米は李気で滑れる体力を養成しなくてはなるまい大会 門倉は相当なスプリントの持主だが、持久力に乏しい、少なくと 然し、昭和二十八年一月の大会は、前工校の赤城を利用した早期 の脛験がないので、何とも云えないが、大いに将来性は期待し得 リレー 渋高チーム 練習が結實して、躍進を示し、門倉、斎藤、高橋等、揃つて新記 、ノ 39 し ’ 備 考 片品山岳会、地元山小屋及び東武の協力にょり比較的廉 価に出来たことは謝しているが、配車の関係等で自動車 る。結局は五百米のスヶーターであろう。 高校スヶート選手権︵女子の部︶ 二八、 二、二一 の出発の遅れたことは一層の連絡と努力を要する所であ 七月二十九ー三十一日 ︵第二班︶ 期 日 七月二十五i二十七日 ︵第一班︶ ω 谷川登山講習会︵二泊三日︶ 言えるであ.ろう。 ものかをよく体験したことは何といつても大きな牧∼⋮穫と 然し、幽遽境尾瀬の大自然に燭れて、自然美のいかなる 五百米 優勝 斎藤︵渋女高︶ 2鈴木︵渋女高︶ 三四郎 つた。 部 浦 3羽鳥︵渋女 高 ︶ 岳 千六百リレー 優勝 渋女高チーム 山 ー モ ヲ 沼田”丸沼−菅沼−金精峠ー根名草山ー加仁湯ー鬼怒沼ー黒 B 健脚向コース ︵三泊四日︶ 肉ー山ノ鼻小屋鳩待峠ー戸倉“沼田 沼田η大清水ー三平峠ー尾瀬沼ー檜枝岐小屋ー尾瀬原−至佛 A 一般二同コTス︵二紬掴三日︶ ① 尾瀬山旅の会 した所、多数の参加を得て、昨年以上の成果を挙げたと思う。 沼︶、登山講習会︵谷川連峯縦走︶、キヤンプ講習会︵赤城山︶を開催 、岳、蓬峠を経て湯檜曾川を下つたが、之も悪天候の蝪合 第二班は降雨のため、肩の小屋から一ノ倉、茂倉、武能 ているので、高校生徒の訓練には最適と思う。 ○備考このコースは豪快な縦走コースでしかも指導標が完備し 同 中島喜代志 ○りーダー 岳連常任理事 川浦三四郎 高。沼田高◎高崎工高。高崎市高 ○参加校 渋川高。太田高・中之条高・安中高・伊勢崎高・利根農 法師混泉野後閑 ○行 程 土合山の家ー谷川岳ー肩の小屋ーオジカ沢の頭ー萬太郎 岩山ー尾瀬沼ー長蔵小屋−三平峠−大清水“沼田 には㎝逃げ路として適当である。 昭 和 二 十七年度山岳部行事 期日七月十八日ー八月四目 ⑧ 赤城山一キヤンプ講習会 登山精神の酒養と登山技術の錬磨を目的として、山旅の会︵尾瀬 参加校 勢多農高・前橋女高・渋川女高・桐生高◎伊勢崎女高・ ○期 日 八月二十二、三臼︵一泊二円︶ 山ー毛渡越路ー仙ノ倉山ー平標山i李標小屋上二国峠ー 伊勢崎高・利根農高。安中高櫛沼田高 ︺ 0 4 ’し ない所なので、講習の成果はすこぶるあがるであろうo 山、白砂由を擁しているし、都会的風紀の全然入つてい 降雨の際の避難所や交通の不便はあるが、附近には八間 いから来年は野、反池でや力たい。 便宜上、赤城山を選んでいるが、どうも環境が面白くな ○備 考 各校の集注登山によつて開催されるこの講習会は交通の 副委員長 松尾 八郎 ○りーダー 岳連常任理事 吉田 元 高崎工高・桐生高。大間々高 ○参加校 伊勢崎女高・松井田高・渋川高。沼田高.伊勢崎高 一位 高崎女子高校 一、体操競技国体縣予選 九月七日 以上が推薦をうけて大会︵八月下旬 京都︶に出場した。 二蹴 高崎方く子高校 一位 前橋女子高校 一、全日本高校体操競技縣予選 八月一日 た。 以上が推薦をうけて大会︵七月二十七口 竹早分校︶に出場し 三位 藤岡女子高校 二位 高崎女子高校 一位 前橋女子高校 ー 9︺ つU 荒城の月 青春の賊 桐生女子高校 前橋女子高校 前橋女子高校 藤岡女子高校 館林女子高校 富岡東高校 高崎女子高校 高崎.市立女子嵩佼 4 コ 5 乙女のいのり 6 波蒋をこえて 7 輸のながれ 8 碧きドナウ あかつきの海 プログラム 一、第三回ダソス発表会 十一月二十九日 葛崎女高体育館 をか玉げた。 以上は体操競技大会のうちダンス部に関係ある団体徒手の部のみ 関東ブロック予選に推薦をうけ出場した︵九月下旬 大宮︶ 山岳部委員長 川浦三四郎記 を ぬ ぽ ﹂潤ンス置 阿 部 ふき子 順に[記しで、みたいと思う。 二十七年度ダソス部に関係のある行事、叉ダソス部として行つた か有事を 一、二十七年度国体規定種目講習会 四月二十七日 東京女子体育短期大学教授伊沢ヱイ先生を講師として小中学校 教負を主どした学校ダンス講習会が開催された機会に女子高校 のダソス部員のため団体徒手体操の御指導をお願いした縣下高 校ダソス部員約百名程参加して熱心に御指導をうく。 一、体操競技関東大会縣予選 六月二十二日 、ノ コ 4 ︹ 森の精 泉のほとり アルプスの夕映 富岡東高校 高崎女子高校 高崎市立女子高校 桐生女子高校 方々にも都合がよい。 事とかち合わなくて参加が多くなるだろうし見に来られる 日時 今年は土曜日であつたが、これを日曜日にすれば学校の行 時期 この時期が適当 曲数 やはり一校二曲位がよいo 会場 いつも同じところでなく各地区にまわつた方がよい。 時期が各校の体育行事や文化祭等秋の催しのすんだ頃を見はから 発表会を数多くすることはのぞましい。せめて一年二、三回位は 館林女子高校 い大体に於て忙しくないときであつたためか、昨年に比較して参加 という聲も参観して下さつた先生方の間には出たが来年はやはり 碧きドナウ 9 波濤をこえて 0 1 1 1 2 ! 校も多、−、人員も七〇余名で各校とも日頃の練習ぶりを充分に発揮し ︼回で多数参加して行うようにしたい。 通知等 なるべく早目にしてもらいたい。 楽な気持で思う存分おどり叉参観者も楽しいとぎを過したようであ 今後も発表会形式で行いたい。関東予選とか国体予選のように競 藤岡女子高校 る。指導者及ダンス部員の熱心な研究によつて一年毎にみがかれて 技として行うとどうしてもかたくなつて何となく重荷に感ずるよ チヤルダス ぎていることがうかがえる。 うであるQこのような会であれぱ生徒も伸びノ\と動けるし氣分 3 1 4 1 基礎練習に重きをおいていること、動きの研究、そして心にみなぎ がらくなように思う叉各校の親睦もはかれる。 ] 蔚ド;上劃 る情熱を、若さを上品な美しい動ぎにあらわして参観者でさえも清 らかな乙女のもつ雰囲気へとさそいこんでしまつた。 一曲一曲が凡て私達の勉強となつたが、慾を云えばもつと多くの学 校に参加してもらいたかつたことである。 そのあと参加校のダンス部長が集つて反省会をもち、この度の発表 指導者の少ないこのバド、、・ソトソ競技が渚、玉まで発展してきたの 次 意見をのべ合つたQ は、実際に行なつている生徒諸君が.ハド、、・ントンのよさを正しく認 敬 こNに主なものを記して参加出來なかつた学校の部長先生及ダンス めたことによると同時に関係者一同の熱心な御指導と御援助による 田 部員の方に見ていた黛き今後の参考となれば幸いと思5。來年度は ものと思い感謝に堪えないQ群馬縣のバド、・・ントン競技の実力は全 上 今年以上の盛んな会にしてお互に研究を、もちよつて勉強してゆき 国的なレベルからいうと中以上の成績のところにいることは判然と 会について、又来年度の行事について、学校ダソスについて色々と たいと田心う。 ︺ 42 ︹ 会を富高・渋女・前女・桐高の四会場をお借りして行なつた。この によつて、全国制覇を目標に進みたいと思うQ今年は又初心者講習 しているQ今後とも関係者各位の一段の御指導と生徒諸君の猛練習 種目 場所 期日 男子複二 単三 前橋商業高校体育館 昭和二十七年六月十四、 十五日 七校 女子 複一 単二 参加 講習会には指導者の方々がたくさん参加してくれたので敷果が充分 あつたことを確信する。 男子 優勝 桐高 第二位前商 第二位渋女 成績 女子 優勝 桐女 第五位 太女 一、第二回縣下新人選手権大会 期日 昭和二十七年六月十四、五日 第四位 前女 ︵短評︶ 場所 前橋商業高校体育館 種目男女単 第三位 前市女 男子では桐高の力がものをいつて楽勝しているが、前商の新人の この大会の結果男子では桐高前商女子では桐女、澁女が県代表とし 参加 七校︵前商、桐高、前女、前市女、渋女、桐女、太女︶ 準決勝︵女子︶ て全国大会に出場の権利を獲得Lた。 練習如何によつては、來年は伯仲するであろう。女子では桐女が断 準決勝︵男子︶ 小倉︵桐女︶2iO飯塚︵前市女︶ 三、高松宮同妃杯雫奪第三回全国高校パドミソトソ大会 男子 廿五名 女子 七四名 井上︵前商︶2−0根岸︵前商︶ 青木戸桐女︶2f1佐藤︵桐女︶ 期目 昭和二十七年八月八、九、十日 然強味を示している。続く渋女、前市女、前女の精進を期待したい 笹原︵前商︶2−1面川︵桐高︶ 決 勝︵女子︶ 場所 四國 香川縣善通寺町︵中学、中央、墨誠学園、東部の諸 成 績 決 勝︵男子︶ 青木︵桐女︶2−0小倉︵桐女︶ 成績 学校︶ 井上︵前商︶2−1笹原︵前商︶ ︵短評︶ 実力を或程度以上備えた選手を除いてのこの大会に、参加男子二 將来有望である。女子では桐女のひとり舞台という結果になつたが であることを再確認した。前商の井上、笹原・根岸、桐高の面川は 第二回職 第二回戦 前橋商校︵不戦勝︶呉港高校 桐生高校4−1明善高校 桐生女高3−0倉繋青陵 第一回戦︵男子︶ 第一回戦︵女子︶ 前市女の飯塚の今後の精進に期待したいQ 金沢二水310桐生高校 札幌東校211桐生女高 五人女子七四人とい5盛況,で、この種の大会が非常に効果的なもの 二、 全 国 高 校 バ ド、・・ソトソ学校対抗縣予選 会 ︺ 3 4 ︹ 高 松 高 校 3 ⋮ o前橋商校 ︵短評︶ 桐高は補欠を入れた全員出場によつて明善に楽勝Lたが、二回戦 で石川金沢二水に完敗した。金沢二水は結局参加六二校中優勝の栄 冠を獲得している。桐女は昨年優勝校札幌東高校と二回戦に於て顔 が会い、複式では楽勝したが単式で敗れ惜しいことをした。この大 会によつて今後試合の数をこなすこと、叉特に単式に充分努力せね ばならぬことを痛感した。 四、第七回国民体育大会県下予選会 期日 昭和二十七年八月二十三、二十四日 場所 桐生高校体育館 参加 七校 勇子 三十三名 女子 四十八名 青柳仁三 和田豊太郎 青木栄子 塚本 飯鳥嘉,子 ︵女子︶ 和田 宗牛 五、国民体育大会関東予選会 期日 昭和二十七年 ︵男子︶ 場所 千葉県木更津高校体育館 成績 群馬県21i千葉県 塚本Ot2金子 群馬県310千葉県 和田2−0茂木 居上2tO水河原 ︵継2よ繍 金沢2−0田辺 群馬県2−1栃木県 ︵瀦そ・︵翻 群馬県3−0栃木県 青木112大沢 ︵鯖趾2to︵劉総 準決勝︵女子単︶ 青柳2−o芝溺 ︵鹸そ・︵編 準決勝︵男子単︶ 居上︵桐女︶210青木︵桐女︶ 成 績 金沢︵桐高冒2−0唐沢︵前商︶ 塚本2−0尾野 ︵短評︶ 和田2−o中沢 決 勝 期日 昭和二十七年十月十九ー二十三日 上ハ、第七回園⋮県へ体よ目ふ天八蝋 が少いので真蝋に練習すれば全国制覇も可能なわけである。 なかつた。即ち勇子は差が大きく開いているが、女子はそのカの差 葉、栃木共に一名ず&強い選手がいたので楽勝というわけにはいか て実施した。群馬勢は千葉、栃木を問題なく完封したが、女子は千 今年より勧まつた関束予選は千葉県が.フロックの世話をしてくれ 飯島︵桐女︶2−6塚本︵渋女︶ 決 勝 居上︵桐女“︶2−0飯島︵桐女︶ 青柳︵廻局︶2−i和田縮高︶ 金沢︵桐高︶2∼1青柳︵桐高︶ ︵短評︶ この大会に於て特に男子の万は四位になつた唐沢︵前商︶と和田 桐高の実力が問題となり、日を没めて試ムロを行つた結果次の者が国 体選手に選抜されたo 監督 上田 敬 次 男子 金沢 武 女子 居上 和子 ︺ 4 4 ︹ 場所 成績 東北大学体育館 ︵罐2ー︵舗 石川県 3 ; 0 群 馬 県 西尾2−0飯島 広瀬211居上 ︵噸2支鰻 兵庫県3−0群馬県 女子 一回戦 居上2−0和田 山本2−0金沢 男子 一回戦 ︵短許︶ 男子は叉もや全国大会で当り昨年も全国大会の第一回戦に組合せ になつた彊剛石川県と顔が合い、和田、青柳がよく敢闘したが惜敗 した。女子は兵庫西の物すごいスト・iクに悩まされ遂に惜敗した 七、県下高校選手権大会 期日 昭和二十七年一月三十一臼。二月一臼 場所 桐生高校休育館 参加 七校 男子 二十名 女子 四十名 成績 叢決勝︵男子単︶ 準決勝︵女子単︶ 金沢︵桐高︺211和田︵桐高︶ 居上︵桐女︶2−0諸田︵渋女︶ 和田豊︵桐高︶2−0青柳ハ桐高︶ 飯島へ桐女︺2−0青木、桐女︶ ︵醸桐高︶2支蘇憩︶︵謙禦マ・︵酷︵翠 決勝 決勝 ︵醸桐高︶2支萬︵桐高︶︵鯖鷺女㌘・︵醗︵禦︶ ︵短評︶ この大会に初めて優勝杯を男女に出すことになった予想通り男子 偲 灘 では金沢和田組、女子では居上飯島紺が優勝したQ 肖転車競技 5 4 ︺ 昨年第一回が東京後楽園競輪場で行われたが本県からの参加はな ︹ 第二回全国高等学校 対校選手権白転車競技大会 かつた。本年は第二固目で自転車部も設置され参加した。時は暑さ の最も嚴しい七月二十八日、二十九日の両日、大津市琵琶湖競輪場 で次の六君が参加した。田中豊、大間々高等学校、高橋登、高崎市 立高等学校、田中六郎、渋川高等学校、井上和三,藤岡高等学校、 選 中 甥 A組 二泣 一泣 三位 二位 中 六郎 c組 上 和三 F甜 橋 登 β組 一〇〇〇米速度競走で 田中愛造、高崎商業高等学校、芦谷次雄、富岡高鯨単校 成績は、 一 予 田 決勝 決 勝 和田豊ハ桐高︺2fO金沢︵桐高︶ 居上︵桐女︶2!0飯島︵桐子︶ 高 テ ﹄ 卜 田 準決勝︵男子複︶ 準決勝︵女子複︶ ︵礪︵桐高︶2−・癖︵前商︶︵錘︵嬰︶2−・︵舗︵禦︶ 芦谷次雄 橋 登 B組 A組 二位 一位 三位 二位 高 上 和 三 B組 G組 井 中 六 郎 二準決勝 田 井 高 中 六 郎 上 和 三 勝 橋 登 六位 四位 三位 三 決 田 決勝は六名で行われたがそのうち三名が本県であつたのは、 先輩 の築いた自転車群馬の名に恥じなかつた。 ボートが浮び、岸辺には水浴の群が赤、白、黄⋮⋮⋮の水着に水面 を流れる冷風にひたつて戯れているのに、此処競輪場はコンクリー ト作りの底なので、アイスクリームや、水菓子などいくら口にして も数果はない仕末であつた。 此の大会は学校であるため、本県としては選手のまとまつた学校が なかつたため、自然個人競技となつたのも止むを得ない。更に蜜用 車のレースに一名の参加もなかつたのは遺憾であつたQ 県自転車連盟の高橋氏が同行してコ!チに当つてくれたが、終つ て﹁今年の国民体育大会は本県高校生の活躍が頼もしい﹂ともらし た。 国民体育大会 B組 A組 三位 一位 二位 田中六郎、渋川高等学校、秋山光男、藤岡高等学校の七君が出場し 学校、高橋登、高崎市立高等学校、田中愛造、高崎商業高等学校、 雄、富岡高等単校、井上和三、藤岡高等学校、田中豊、大問々高等 山隣県防府市競輪場で行われた。先に全国大会に参加した芦谷次 C組 二、 三、 旧OOO米時聞競走 芦 谷次雄 優勝 記録 一分三十二秒二 五〇〇米速度競走 田 中 墜 予選にて 落選 一〇〇〇米速度競走 井上和三が出発直後前走車の落車に追突し、落車失格 一 、 成績を種目別にながめると た。 一位 二位 D組 次の一〇〇〇 〇 米 ポ イ ン ト 競 走 は 一 予 選 田 中 愛造 高 橋 登 田 中 聾 芦 谷次雄 二 準決勝 芦谷次雄 君組 他の三名は僅かな差で落選となつた〇 三 決勝は出場権をもちながら体の不調で棄権しなければなら なかつた。芦谷は何といつても惜しい事であつたo 以ヒの結果であつたが、何分にも七月末の日照りで選手一同はレ ース後殆んど暑さ負けの気味であつた。湖上には遊覧船、ヨツト、 ︺ 46 ︹ 四、 五、 五〇〇〇米速度競走 一位 落選 高橋 登予選 三位 田 中 愛 造 予選にて 決勝 四 〇 〇〇米実用車競走 秋 山 光 男 予選にて二位であつたが内線突破にて失格 田 六 予 中 郎 選 ︻位 決 勝 二位 た。この大会は選手権を兼ね都県対抗で、高校之部は三名と決った 出場種目及び成績は次の通りである。 一、一〇〇〇米スクラッチ 原英之三位 芦谷次雄 五位 二位 英之 二分五十二秒三 二、二〇〇〇米速度競走 原 高橋 登 三、五〇〇〇米速度競走 高橋登、芦谷次雄、田中豊、田中愛造の四名 予選 一位 四、四〇〇〇米団体追抜競走 高 橋 登 二位 47 四〇〇〇米団体追抜韓走 準決勝 ︻位 芦谷次雄、高橋登、原英之の三名で編成し予選を通過し、 ︹ く、 決 勝 優 勝 記 録 五 分 三 十 秒 二 決勝は千葉と組み五分二十秒で追い抜き勝となり優勝 七分五十二秒六 乙の記録は日本新記録 各種目共予選は難なく通過し、決勝も地元の応援に充分にこたえ 芦谷次雄 結果は二種︵千米独走、四千米団体追抜︶に優勝・四千米実用車 ることが出来た。その他一般之部も、女子之部も優秀な成績をおさ ﹂/ で二位、五千米で三位の成績であつたo綜合得点三十三点高校の部 め、綜合之部に於いて群馬優勝となり、栄ある優勝旗、優勝杯は本 櫻花咲きほこる四月十二日、十三日、前橋競輪場で一都七県の精 県仙台市に於て行われたQ昨年は全国優勝という輝かしい成績であ 第七回国民体育大会は十月二十九日より十月二十三日まで、宮城 ︺ で優勝を遂げたのである。 ︵二七、﹃二五︶ 県に授与された。 鎗が集り大会が開催され、今年よりは新たに高校之部が加えられた つたが、昨年の選手は全員卒業又はプロヘの転向で、全員新人の編 国民体育大会 昨年の国体の出場選手、芦谷次雄、富岡高等学校、高橋登、高崎 成で出場しなければならなかつた。 第五回関東自転車競技選手権大会 市立高等学校、それに新八原英之、伊勢崎高等学校の三君が出場し ご、五〇〇米速.度競走 一分二十六秒五で着外となる 宮 一 高 渋川高等単校 一、 一〇〇〇米時聞競走 場したが、次のような結集となった。 いう状況であつた。せめて昨年の成績までと練習に練習を積んで出 しかも県下の予選会に参加した選手は七名、その中六名が選抜と 今目は吾々の足として実用化されている機械である故充分に研究 のある変化に富んだ競技である。 マチユアー競技で、極めてスピードのあるoしかも力と策戦の好昧 プロと混同されている向があるようであるo本競稜は純然たるア 成績をあげているが、高校生の本競技については一般に関心が薄く 奮闘の跡は以上であるが、自転車競技について毎年本県は優秀な 得した。 大 谷 武 予 選 に て 落 選 と な る 関 口 史 朗 桐生工業高等学校 四〇∩︶○米実用車競元 予選は二位であつたが決勝は着外となる 群馬県柔道蓮盟 群馬県教育委員会 主催 群馬県高等学校体育連盟 兼第一圓全国高等学校柔道大会県下予選 第二回群馬県高等学校柔道大会 昭和二十七年七月十二日 利 して本競技を認識してもらいたい。 ︵二八、二.一〇︶ 不参加となる 後援 伊勢崎市体育協会 国 石 倉 晃 佐波農業高等単校 予選に於いて四位となり落選となる .§勧β蓑旨旨曇⋮硅恥 皿 柔 蓮 部㎜ 三 、 二 〇 〇〇米速度競走 林稔渋川高等学校 嘔旨窪⋮⋮‘薯蓄き海 森 宮 一 高 二人とも予選にて落選となる 四〇〇〇米団体追抜競走 朝日、新聞社 高体連柔道部二+七年度行事記録 宮一 高、櫻弁元治、林稔、石倉晃の四名で編成し、予 上毛新聞社 櫻 非 元 治 前橋商業高等学校 四、五〇〇〇米速度競走 ♂、、 ﹂ノ 七、 準決勝、決勝とすすみ、第三位となり貴重な四点を確 ︺ 8 4 〆し 試合成績 第一回戦 高商4−1沼高 渋高︵全︶4−0中高 富高5iO室高 小泉農4i1佐波農 伊工3i2館林︵定︶ 補木暮郷三年初段 二位 一位 幅永弘之 小川 素一 講引分︸国体選手§ 一勝三敗三引分 尾内三千男 荻野武夫 阿部秀功 一勝四敗一分 二勝三敗一分 五位 松島 佐治 六敗 国民体育大会柔道の部 四位 六位 古井戸広夫 三位 以上七名にてリーグ戦の結果次の成績となる。 尾内三千男︵前高︶ 以上七名 松島佐治︵太高︶ 荻野武夫︵佐農︶ 阿部秀功︵桐高︶ 福永弘之︹高高︶ 小川泰ス富高︶ 小井戸廣夫︵甘農︶ 第二次予選出場者 第二次予選 九月六日 同 期日 第一次予選 八月二十四日 前橋警察学校 五十六名出場 第七園国民体育大会予選 にとぼしい。 三校リーグの結果仙台一校がこのグループより出て準決勝戦迄進 前商4−1高工 勢農410伊高 桐高510室田高 太高4−1館林︵全︶ 高高4−1館林︵定︶ 前商211甘楽農 渋高4−1高崎市立 前高311佐波農 む。高崎高校も決して実力に劣るのでなく試合が非常に正直で斗志 沼高411新島高 勢多農2−1太高 伊高3−−渋高︵定︶ 桐高311前商 沼高212前商 桐工2−2館林︵全︶ 高高4−1渋高︵全︶ 高高3−0沼高 代表戦 勢多農211桐高 第二回戦 準決勝戦 高高2−1勢多農 第三回戦 決勝戦 二日 第一回全国高等学校柔道大会 会場 水戸市体育館 期目 昭和二十八年八月二、一 七位 四日市高3−0高崎高 高 校 出 場選手名 期日 昭和二十七年十月二十二日 四目市高0−2仙台二局 仙台一高212高崎高 1三浦 正 二年初段 2眞下昌幸 三年初段 第一回戦我が群馬県は北海道に対戦し幅永、 尾内、小川三君奮戦 場所 福島県会津若松市 3須藤裕久 二年一級 4鈴木元一 二年初段 5福永弘之 三年二段 補矢島道章三年初段 ︺ 9 4 ︹ ない。そう言うと柔の理に反するが実際は力なくしては戦えないo いが力のあるのが特徴で我が三君はそれに対抗するだけの力を持た したけれども残念ながら敗退する。敵の按術はそんなに上手ではな 勢農510桐 工 準決勝戦 高高1−0渋高桐高4−1小農富高2−1館高︵全︶ 三 回戦 二段 前高 高高 柔道部委員長 森 国 利 優勝高高 二位富高 三位桐高 三位勢農 勢農阿久津実初段 以上五名 高高 鈴木 元一 初段 桐高 栗原 肚吉 初段 高高 幅永 弘之 二段 冨高 小川 素一 初段 敢斗賞 二段福永 O跳腰 樋口 厚 厚 須藤O優勢勝中山 κ 厚 鈴木 払腰○ 小川 κ 初段三浦 引分け 白石初段 初段小暮 引分け 高橋初段 高高2!1富高 決勝戦 代表 戦引分 桐高1−1勢農 両チーム三位とゴる 三位決定戦 代表戦引分 抽せん〇 言いかえれば強い練習が足りないのである。県外試合に於ける群馬 先峰福永 弘 之 初段 富高 利 出場選手名 桐高2−2高高 富高2−1勢農 国 県の選手の悪い点を此所にも現れているようだつた。それは斗志に かける所であるQ 監督 森 中堅 尾内三千男 初段 館高︵定︶4−0室高 大将小川素一 第二回県下高校柔道選手権大会 期日 昭和二十七年十一月十五日︵土︶ 場所前橋高等学校 試 合 成 績 一回戦 前 商5tO高 商 渋 高 ︵ 全 ︶ 3 1 1 太 高 伊工311松高小泉農4!1富岡東前 高211甘農 館高︵全︶4−1伊高 利根農3−2渋高︵定︶ 富岡3−6桐市商 伊工4t−小農 農211新島 高市高3−1蚕糸桐工3−1中高佐 二 回 戦 高高3−1前商渋高︵全︶312館高︵ 定 ︶ 桐高4t1前高館高︵全︶3−1沼高︵全︶ 高510利農 桐工窺酷薯勢農2︷佐農 ︺ 0 5 ︹ 若き熱と力の も一般市疑の見物人の増加したことである。しかもこれらの見物人 を分折してみると、﹁ただ面白いから行く﹂とか﹁ひやかしに行く﹂ という単純な彌次馬的な考えでないことを統計によつて探知するこ とが出来たのである。次に掲げるものは某中学校に依頼して得た結 目 時 昭和二十七年五月十日︵土︶・十七目︵土︶ 午前九時 問劇 なぜ見物に行つたか 思つてはいないo 二一% 東部高校体育大会 会 場 太田高等学校。太田女子高等学校 面白いから見物に行つた 二五厚 一八厚 四〃 二六% 一二〃 二〃 嘱九厚 二三厚 一二% 一六〃 一九厚 一〇厚 四三厚 C A \B心 D .奎D A C 一ーら, E 、\ 、 \、 華B 果であるが、しかしかかる調査方法が必らずしも当を得たものとは 威 績 五位迄記載し以下省略するQ 太田高校の応援に行つた 問三 規則をいくつ知つたか ルール一●二知った 三・四知った 五。六知つた 七・八知つた 九以上知つた 三二厚 A A B C D E A 自分一人で行つた B 兄姉と一緒に行つた C 両親と一緒に行つた D 近所の友達と行つた E 先生に連れられて行つた 問二 誰と行つたか C に行つた D 太田女高の応援に行った 知人の応援に行つた E ︵太田以外の学校︶ 自分のすきな運動を見るため B 六二・五 O男子の部 一位 桐生高等学校 七六・〇 二位 館林高等学校 五〇・○ ︸九・五 四三・五 三厚 桐生工業高校 五四・〇 四庁 太田高等学校 五厚 桐生商業高校 三一・O O女子の部 一位桐生女子高校四七・五 二位太田女子高校 三μ 館林女子高校 三七・五 四位 金山高等学校 五厚 小泉農業高校 一七・五 ︵ 所 感 ︶ 第 一 旧 制 中 学 校 ︶ で挙行された当時 回 大 会 が 太 田 高 校︵ の 暗 黒 時 代 か ら 解 放 さ れ て 、 スポーッ界にも黎 は 、 永 い 太 手 洋 戦雫 ら れ た だ け に 、 一般市民はただこの種の大会が太田で開催 明 を 与え されることを一種の興昧を以て見物に来たものであつたが、本大会 も回数を重ねること七回、三たび太田高校に巡り來たり無事盛大裡 に幕を閉じたのである。第七回大会は勿論頭初よりは遙かに種冒、 出場人員等は幅を増してその規模も拡大している関係上、応援団な どに於ても勢い活気をみせて來ているのも当然であるが、それより ︺ 51 ︹ これによつて明かのように問囎のC﹁自分のすきな蓮動を見るた めに行つた﹂及び問三のE﹁ルール九以上知つた﹂の項は圧倒的に 多数を占めていること、また間二のB﹁兄姉と一緒に行つた﹂Eの ﹁先生に連れられて行つた﹂の項が比較的多いことなどは、果して 何を物語つているのであろうか。これは云うまでもなく本大会に深 い関心をもつていることである。⋮⋮⋮⋮と解釈するならば、スポ ーツは単なる遊びではなく、教養を高める一種の文化材であること が自ら再認識されるのである。また本大会の開催の意義目的は最初 のぞ、れよりも遙かに拡張されて、地域杜会にも大いに貢献すること が出来るものであるQ斯る見地からすれば、如何に地区大会の重且 大なる意義をもつかが痛感され、今後ともより盛大裡により立派に 終了することを切に念願するのである。 太高 新 井 喜 雄 挙 詠 早 ☆ ☆ ☆ 中部地区大会よ砂 ヘルシンキオリンピツクを夏に控え、五月晴のスポーッ日和に、 若魚の如くぴちくと張り切つた。中部地区高等学校生徒の体育大 会が、伊勢崎会場で開催されたQ伊勢崎は会場を分散させる不便が あり、選手諸君や役員の先生方に大変御迷惑をおかけしたが、我々 一同自主蜀立性を発揮して、挙校一致、融和の中に相互の技術と友 誼を交換し、楽しい一口を過す事が出來た事は喜びに絶えない。 男子優勝杯 前橋高等学校 女子優勝杯 県立女子前橋高等学校 で全般的に記録よりみた成績は、余りかんばしくなかつたが、自分 のものだからといつて、自分の懐にかくまつて人の前に出さなかつ たり、他の者に一指ふれさせないという考えが、下級生や、技術の 末熟な者にばや﹄もすればありがちであるが、地区大会は、定時制 の諸君をはじめ、多人数が楽な気持で、参加出來ることは、誠に喜 こびに絶えないと共に、今後も益々盛大に行うべきだと思う。 最後に中部地区は、毎年優勝校が同一なのには、いささか淋しい感 泰 がする。來年度は各校大いに頑張つて、優勝旗を移動させよう! 昭和二十七年度西部地区大会記 高崎商業高校 田 村 高体蓮西部地区大会も回を重ねる事六回、各地区の中でも一番大 世帯である西部地区に於ては一箇所にて同一日に全種目開催は困難 であろうと云う各校代表者会議にて各種目別に運営委員を澤出し、 ︺ 駆 ︹ チームが優勝す。一方女子の部に於ては高技高と高市女が順調に に於ては高商と高高の決勝戦に於て予想逓り二対○をもつて高商 男子七校、女子十校の参加と云う非常な盛会であつた。男子の部 ㊧ 排球︵五月三十一日︶高商 が優勝す。 高と高商の決勝にて高高が優勝し、女子は、りTグ戦に於て高女 男子十校、女子三校の間に覇が争われ男子はトーナメントにて高 ◎ 、 ︵ 五 月二十五日︶高女、市立女 持に目立つた。 最高レベルを行く様な好記録が続出、中でも高閥、高工の活躍が 男女併せて十九校の参加にて非常な盛会を極め記録的にも県下の e 陸上競技︵五月十八日︶城南競技場 次に種目別にその概要を示すこと鼠する。 種目別に開催した。 年度に比し実力的には若予見劣りがする様であつた。 に高商定に敗れると云う番狂わせを生じ中々の塾戦であった。昨 定が夫々勝ち残り、決勝に於ては優勝候補の高高が三対一にて遂 た︺高高対宥里局は三対二て高高、甘偲︵対肯圃商定は三対一にて高商 甘黛峨とBリーグの山局高、商定との上位四校でトーナメソトを行つ 参加八校を四校づ﹄二細に分けてリーグ戦を行いAり,、グの高高 ㈹ 柔道︵五月二十五日︶ 多くする様に考えたいと思う。 ても輝かしき伝統を有するこの種目をより普及させもつと参加を 操競技は各学校共仲々練習が困難の様であるがオリムピツクに於 部優勝は松田︵高女︶と云う成績であつた。設備器具その他で体 に於ては男子一部優勝相原︵高工︶同二部優勝中村︵高工︶女子 部に於ても同じく高崎工、女子は高市女であつた。一方個人の部 て一寸淋しい感じであつた。学校対抗に於ては一部優勝高崎工二 他の種目に較べて体操競技は参加校少なく男子三校.女子三校に ︹ 53 ¢9 参加六校にてトーナメント職で行われ、有望説された高市女が下 高チームが決勝に進み熱戦の末三対二にて遂に高商に凱歌が挙が 中々好試合であつたが地元高女の応援が功を奏して結局二十三封 われた。 ︺r 勝進み二対○にて高技が優勝と予想通りであつた。 男女併せて十五校の参加にて一寸淋しく、男子に於ては富高が優 仁田高に十四対十一にて欺れ去り、下仁田が熱戦の末安中高に敗 ソフトボール ︵五月二十五日︶山局商 勝し、女手の部 に 於 て は 高 女 が 優 勝 す 。 れると云う混戦であつた。一方に於ては高女が松井田を破り、準 ㈲ 庭球︵五月十八日︶高商 飼 卓球︵五月三十一日︶高女 るQ一方女子の部に於ては高市女と藤女との間で決勝が争われ遂 十五にて高女に凱歌があがる。善戦した安中高も中寿良くチーム 決勝では藤女をコールドゲ!ムにて破り安中高との間で決勝が争 に高市女が優勝と決定。 ワークがとれて良いチームであつた。 男子十五校、女子八校が参加。男子の部に於ては高商チームと高 爾 体 操 ︵ 五 月 十八日︶高工 ハンドボール、サッカi︵五月二十五目︶高高 σ⇒ ハソドボールは富岡高と藤岡高の二校、サッカーは藤高と高高の 二校の参加であつた。富高到藤高のハソドボールは熱戦の末富高 が優勝。サッカ;に於ては高高が優勝するoこの種のボール.ゲ ームスもより一層普及徹底を計りより多くの学校に於て実施され 北部地区体育大会 日 昭和二十七年五月二十四日 期 場 渋川高等学校 会 績 0 陸上競技の部 成 競抜会と云う気軽さで行うのが地区大会の趣旨であると思うo げれば開催出来ないと云う事はなく正式予選会ではないので親睦 を巡回する訳であるが、陸上、器械等は会場が必ずしも高崎でな は誠に喜ばしい事である。明年度の会場は藤岡地区と順次各地区 うが兎角西部地区大会が年と共に参加校も増加して盛会となる事 高勢が優勢であつた。設備その他の点で惑まれて居る関係もあろ 別には公式に野抗戦としなかつたが総括して県下の上位を行く高 以上の九種目にわたつて夫々種目毎に優勝校を決定したので学校 三位 二位 優勝 女 子 五位 四位 三位 二位 優勝 沼田女子高等学校 澁川女子高等学校 吾妻高等学校 中之条高等学校 利根農林高等学校 吾妻高等学校 沼田高等学校 中之条高等学校 渋川高等学校 二十点 二十九点五 五十五点 七十一点五 二十二点 二十三点 五十九点 八十六点 九十五点 男 子 纏費の面に於て高崎会場は一寸費用がかkり過ぎると云う様な声 四位 七点 る事が望ましいQ も若干有つた様であるが参加人員の年毎の増加と会場が諸処に分 利根農林高等学校 排球.の部 五位 ⑭ れ城南競技場、市体育会館等の借用等の諸種の点で他の会場より も運営費の多くか﹄る事は止むを得ざる事実だと思う。 最後に西部地区大会開催の為に御彊力下さつた方々に厚く御禮申 二位 沼田高等単校 優勝 渋川高等学校 子 男 善を計りつX益々この大会を意義あらしめるべく御研究下さる様 三位 利根農林高等学校 上げると共に今後合理的な運営と各競技の普及に努められ共々親 切望して止みません。 四位 中之条高等学校 子 女 ︺ 4 5 ︹ 三位 二位 優勝 中之条高等学校 吾妻高等学校 沼田女子高等学校 渋川女子高等学校 男 子 爾卓球の部 四位 沼田女子高等学校 三位 渋川女子高等学校 ㊧庭球の部 四位 三位 二位 優勝 吾妻高等学校 利根農林高等学校 中之条高等学校 沼田高等学校 利根農林高等学校 男 子 沼田高等学校 渋川高等学校 伊 優勝 三位 渋川女子高等学校 ︺ 利根農林高等学校 子 優勝 沼田女子高等学校 5 5 二位 二位 利根農林高等学校 渋川高等学校 渋川女子高等単校 三位 吾妻高等学校 三位 優勝 沼田女子高等学校 四位 中之条高等学校 女 二位 中之条高等学校 五位 女 子 三位 利根農林高等学校 籠球の部 三位 二位 中之条高等学校 沼田高等学校 渋川高等学校︵定時制︶ ︹ 三位 ㈲ 男 子 揮 吾妻高等学校 渋川高等学校 子 女 優勝 中之条高等学校 優勝 二位 研究・指導欄 近代社会におけるスポーッの方法 末 光 ことそのことに意味があるので、遊びながら自然に成長していく。 この成長にともない遊びもまた発達していく。スポーッはその遊び が組織化され、形式化されたものと考えられる。 このことはまた、原始社会から近代社会への人間の生活について も言えるであろう。 原始人の或る二人が川のほとりで石を投げていた。二人は川の向 う岸まで石を投げようとしているのである。投げても投げても、石 口 近代社会におけるスポーッの発展は、まことによろこばしい。し はなかなかと穿かないoしかし二人は石を投げ続けている。もはや 藤 かしスポ︸ッが発展すればする程また、問題も多いQその間題がど この二人には石を遠くへ投げようという欲求があるのみである。し かしまた石を投げることは生活の手段として、獲物を得るためにも んな点から問題にされるのか、問題にされる焦点は何か、問題があ れぱまた進歩もあると思う。勿論、問題を問題としておくだけでは まことによ/スポーッを表現しているQたしかにスポーッは個人の ずれもスポーッにっいてよく言われる言葉である。これ等の言葉は ﹁スポーッは遊びにはじまる﹂﹁ω男○図目H日ω国ピ國﹂これ等はい スポーヅヘの転換 e 個人の行動としてのスポーッから、社会的価値観における る ス ポ ー ッ に 、 次に述べる二つの方法が認 め ら れ る o 極めて常識的、直観的ではあるかもしれないが、近代社会におけ ポーッの方法を、社会的背景においてながめてみることにした。 は本來遊びやスポーッを欲求しているoこれは人間の基本的欲求で つてスポーッが行われることは事実である。子供のみならず、入聞 これはいずれのスポーッについても言えることで、個人の欲求によ いられる円盤や槍に変り、直接生活の手段でなくなつたのである。 ある。また獲物を得るためにも用いられた石が、スポーッのみに用 る方法が規定され、ルールをもつた客観化された遊びに変つたので メートルという単位によつて計測される距離に表わされ、更に投げ 近代社会におけるスポーッは、石が円盤や槍にかわり、川の中が た遊びのほんの一例である。 用いられたであろう。原始社会においては、遊びも生活も一つであ 意志や感情に根ざしているQこのように個人の行動からスポーッを ある。このように個人の行動の面からのみ・スボーヅを考えるなら 進歩はない。問題の背景をなす焦点をつかむことが必要ではないだ 考えてみるならば、遊びと全く同じであるQ子供は遊びを求めて成 ばω回、バ︶葛、門一臼議ま﹂閃こそスポーツなのであみうo つたにちがいないQこのたわいもない事がらは、原始社会を想像し 長のかてとしている。やむにやまれぬ要求によつて遊、ぶのであるり しかL社会をぬくにして個八の存在を考えることのできない現在 ろうか。しかし私にはその焦点をつかむ自信はない。そこで近代ス なんのために遊びを求めるのか、そんなことはどうでもよいo遊ぶ ︺ 56 ︹ 近代社会のスポーッに封する要求はたくさんあるけれども、最も ㊤ 近代スポ!ッを支酎する興行的要求を教育的要求 はつきり近代社会に位置づけられていることがわかるのであるo に述べた.ことくスポーッがレクリエーシヨソの価値という観点から ソの手段﹂ということはまことに大きいスポーツの転換である。前 として競技を行うもので⋮⋮⋮⋮﹂となつている。﹁レクリエーシヨ 定︶に﹁アマチユアとはスポーツを愛し、レクリエーシヨソの手段 関する規程の第一項︵一九五〇年国際陸上競技連盟会議によつて決 昭和二十七年五月改正による日本陸上競技連盟規約競技者の資格に 明するまでもなくこの規程はの勺○國弓属舩国ぴ男である。しかるに た虻運勤競技を愛するが故にのみ競技するものをいう﹂とある。説 る必要がある。従來のアマチユア規程の第一項に﹁アマチユアとは 更にこれを裏ずける事実としてアマチユア規程の転換を考えてみ よう。 転換である。これは近代社会におけるスポーッの宿命とも考えられ の行動としてのスポーッから、社会的価値観におけるスポーッヘの きにしては考えられないことを物語る事実なのである。まさに個人 値観より批判される問題である。これはスポーッが社会的背景をぬ 問題等これ等あまりにも多い問題は、いずれもヌポーッの社会的価 題即ち、学徒のスポーッ問題、運動選手の健康問題、競輪の八百長 の価値を肯定すればこそ云えられるのであつて、近代スポーッの問 ことは当然である。近代社会におけるスポーッの存在は、スポーツ において、スポーツもまた社会の背景をぬきにしては考えられない れる。要は主体のおきどころの問題である。興行的弊求により学徒 てみると、スポーッの間題はいずれもこ玉に蹄結されるよろに思わ このようにスポーッを近代社会の要求として二つの立場から考え 生活の一部分になっている。 ともまた当然である。もはやスポーッは近代人の教養であり、人聞 スポーッの教育的成果を期待すればする程教育的要求が強くなるこ なお更大きい。これが即ちスポーッに対する教育的要求なのである 在が更に大きいのである。学校のスポーッにおいては、この要求は 考えれば、近代肚会の機能としての教育の手段としてスポーッの存 に主体があることを忘れてはならないはずである。この意味を廣く く体育の手段として用いられている。あくまでもスポーッを行う人 述べた通り、スポーッはレクリエーシヨンの手段であり、また、廣 チユアスポーッの立場はこれと全く異なるものであるQ即ち前にも な立場は職業的スポーッについてのみ認定されるのであつて、アマ ポーッの手段としてつかわれるものと考えざるを得ない。このよう 人にあるので、スポーッは見せるための手段であり、選手はまたス ポーッが発達するのは当然である。この場合主体はあくまでも見る 手段なのである。人聞の興行的要求が強くなればなる程、職業的ス ので、人間の官能的欲求を、比較的健康な方法によつて満足させる ている。いうまでもなく職業的スポーツは、見ることに盆限がある の要求は経済的政策と相まつて、いやが上にも靖、の癸達をうながし も大きい。その最も代表的なものは、職業的スポーッであつて、こ 本的欲求に根ざしての行動であるだけに、その興行酌価値はあまり 先ず興行的要求について考えてみようoスポーヅが本來八間の基 ︹ 57 ︺ 大きいLかも相矛盾する要求は興行的要求を教育的要求であろう。 のスポーッが行われるならば、職業的スポーツとは何等変りがない であろう。たしかに、スポーッが人間の基本的欲求にねざしている だけに、教育的要求より興行的要求が強くなる危険性は十分認めら れるのである。近代枇会においても、スポーッに対する興行的要求 がいかに強いか。 こ鼓においてスポーッを行う人、行わせる人、いずれも理性の要 求を持たなければならないo教育的要求が理性的要求であるとすれ 国お昌津 ㊦計醐 ※保健を語り、体育で破壌がなかつたら。 ︹踊臨型︺ ※歩一歩に教育あり、体育あり体育の理想もこの一歩からあやまり なかつたら。 ※道義をといて協調にあやまりなかつたら。 ※高い知性から実踵にあやまりなかつたら。 るための興行としてスポーッが行われたからである。歴史が証明す 代オリソピックが何故亡びたのか、言うまでもなく官能を満足させ ※レコードに忠實なるように、我が生活の判断にもあやまりなかつ ※スポーッの平和性をはぐくみ、指導にあやまりなかつたら。 ※人格を助長し・徳育の期待にあやまりなかつたら。 ※正しい意志の助けで、強い行為にあやまりがなかったら。 る如く、現代スーポッが、いつ古代オリンピツクに見られるような たら。 ば、興行的要求は、情況要求と考えられよう。あのけんらんたる古 末路をくり返さないともい玉きれない。前にも述べた通り職業的ス ※スポーッの外交を語り、プレイに正義のあやまりがなかつたら。 ”本校生徒の蓮動能力の一考察4 ポーッは、興行的要求的満足させる手段として価値があるので、い やしくもその他のスポーッを興行的手段としてのみ行つてはならな い。現代スポーッに教育的要求を期待してやまないQ 群馬県立 桐生高等学校体育研究室 ーまえがきー 昨年教育委員会より配布をうけた文部省学校体育実態調査報告書 第一集は、全国的な資料として貴重なものであり、叉科学的手続に よる運動能力検査の標準化一般的運動能力と︸般運動素質、或いは 可能性︵鼠9霞○巷器一蔓︶の大規模な同時測定など実に意義あるも のであるo ︺ 58 ︹ この要領にならつて昨年四月本校一年二年生合計五六八名について / ノ 一■ /! / 誰蝕、 /、 鑛 田 ⋮¢・U\ヨ 湯 薄 獣 倒。止81 這鳶一 ︻ 剣 熾叫=α蛙 [ 薄 τ ︻一u土一ひ愚 S認切 ⋮,−魁ー!剣、 ON℃oQ・O一℃全 ﹂ ﹁ G” Q ︸ 皿 O焔NO o鵠す謡べすひぽ ρo 豆・ ・G・︷§・・図下図面。、 一図旦 § N.U燈題 一Nψ悼∼隔。ゆN︻ 耳一奪 腰 團 測定した結果を整理して今後の指導計画の上に生かすため、高校の / 温皿 讃>竺 7三 8ヨ瀬法7ー一 簗u⋮ 一 一 二影 宮漕o。u L﹁ ︸ レト 婁劉。 。一器輩ハ難﹁。紺 u8N ひ9里 ・轟一籍ひ︸ ﹃・ 9・ 沖u一ひ・切 ド旦篶℃ひ 轟沖一 心℃・一 9ひ 9酪9泌 9も匪9竃切﹁9立 ,一 .・ 一9N PO二も ︷ ︸ 玉・ひ 頓●ω ムNU 本ふ●轟 豆轟 、一ひτ蕊S切︻9﹃ 。切一9趙。︸o 8ψo 沖N旦 ﹂ 。●ムoΨ 2℃す還遮墨§・. 営 u9ひ燈幸℃ゆゆ下一・遣u宝相ひ φd 施ー︾懲ー⋮ 昌] dま童とα。マ。・&慧心。 粛脚︵回︶汗! ⋮oQ‘ [ ム9Uc o℃心沖Pひ口 ふρ一ひ噛“轡㊨﹃ひ 。 ・心。すひ・・ひ、8量9盗 。。一一まひ。 沖c 9・ ヨ 一 脚回婁副 虐 U ︵備考︶ この統計はすて耶均値の差の有意検定法をとつた。 本論 一、本校一、二年生の比較 本校一年二年生についての比較をしてみると各テスト種目の平均 は、二年の方が良く、且つ李均分の標準偏差はボール投と敏捷性の み二年生が大である、即ち散らばりが大きいのである。他種目では 二年の方が平均値もよく且つ散らばりも小さい。 このボールの散らばりが大きい原因は二年生が一年生の時代に体育 指導者が後期になつて休職したxめ室白があり、叉指導者が変つて この間相当長期間ハンドボールを自主的に練習自習せしめた玉め、 9 5 幅︺ 捷性について一年二年生は偶然何らかの原因で平均値に差が出来た ︹ 生徒の能力に相当の力の差がついてしまつた事と考えられる。敏 ものらしく、他の種目は偶然のちがいでなく、能力が明らかに二年 の方が良いと考えられる。 かくの如く一年より二年の方が李均値も高く散らばりも小さい事は この時代の生徒の身体の発達進歩の甚しい事を物語るものであると 同時に必修時の体育の援業が運動能力の上に及ぼす影響の大である ことを如実に示している。 二、全国との比較 年令別にみると一年二年生共に十五才十六才が九五%或はそれ以 上であるから、一年生は十五才二年生は+六才として比較してみた この場合全国平均は廣範囲に亘つているので充分本校と比較する 慧評 体育にも掲載しで、諸賢よりの御批判をいた黛き更に正確な生徒の ことが困難であるので平均の比較だけにとヤめた。この平均の比較 ρ㊨悼ユ一・.切. − ︻一・。。Ψτ−,すひ“嘗・ 能力の実態を把握したい考えである。 、 他の種目は充分良い成績であつた。但し五十米疾走は修正値でない これ以上やる必要があると考える。 於て、八週の予定で行つて来た結果がこの通りであるので、将来は この事は来年度の体育計画の上に参考になつた。即ち体操は一年に をしてみると、一年生も二年生も懸垂︵回数︶が見おとりがする。 部平八郎君の積極的な協力を深く喜ぶものであるQ 氏の深き御理解と御指導を感謝し、叉本校生徒である石川嗣郎君岡 この調査研究をす鼓めるに当つて、本校教諭松尾八郎氏神山まさ いと考える。 が出来たので、今後の本校の体育計画と指導の上に具現してゆきた 究の結果実に正確な科学的根櫨が得られ生徒の実態を把握すること 均斉円満な身心の発達を目指して、生徒の能力興味教材の配分等 総括 い る と い う こ と が理解出来る。 内より通学しているのでその生活様式から上肢の発達は相当涯れて していても本校のように都會にある学校に於ては、生徒が殆んど市 て来た能力︵垂直跳︶は、はつきりとよくなつて居り、或程度努力 えられる。この結果をみて考えられることは、指導者が特に強調し が反対に懸垂は相当悪い戊績である。即ち脚は強いが腕が弱いと云 生二年生共に懸垂である。垂直跳は相当な聞きがあつて優れている 二年生では立巾跳と垂直跳である。又本校の劣つている種目は一年 本校の優れた種目は一年生に於ては五十米疾走と垂直跳であり、 すべて差があるとみられる。 二年生の五十米疾走と一年生の立巾跳のみは差がない。他の種臼は を省き・中の二人の得点の差が九点未満の得点に対しては一点・ のを任務とする。﹁その隈界とは四人審到の中両極限の二人の得点 された限界を越えた操点の差異があつた場合に、︸致点を見出す 二、この四人の審判員の外に主任一名を置き、この主任は規則に示 する。 行い、標準を定め、以後は打合せすることなく互に搦立して採点 の標準を決定するため、競技会の最初の演技者に対して打合せを 一、各演技は四人の審判員に判定させ、これら四人の審判員は判定 つている。 上で多く処置を講じたので、口本体操協会も之を採用して審判を行 するため国際体操連盟︵国体連︶に於ては既に次のように、規則の 点数に差異の生ずるのは避けられない。この判定の差異を最小限に ら、審判員の能力資格及公平にも拘らず、審判員の個性のために、 わが体操競技会に於て、その演技の採点は判定により行われるか 体操競技審判法の解説 と一年生は悪いが、全国李均の五十米疾走はおかしな値であるので 修正値をとつた。 三、埼玉県との比較 を考慮して実施して来たわけであるが、た黛この間にも懸垂力は相 九点以上の得点に対しては、○・五以上の差夜生じた場合をいう﹂ 群馬県と同様な状態にあると思われる埼玉県との比較してみると 当劣つているのではないかという直観はあつた。而し今後の調査研 ︺ 60 ノーし の一時的過誤の影響を、出來るだけ避げることとする。 三、こうしてできた四つの得点中、両極限の二得点を省き、審判員 に従い○乃至五点を与える。 上記基準と同様に、自由問題の価値及実施の両要素には、各次の表 その評点を行うため一層強固な基礎を与え、又体操競技者は、これ 方法改善のため新しい進歩の穀階を示すもので、審判員に対しては この採点規則は、国際競技の場合にも、国内競技の場合にも、採点 う、規則上に明示しておく。 良好のもの 巾等のもの 中等以下のもの 明らかに不十分のもの 不実施 四、五点 四点 三点 二点 一点 O点 ︵点数︶ 優秀のもの 良好のもの 満足すべきもの 中等のもの 甚しく欠点あるもの 不実施 ︵実施︶ ︵価値︶ によつて競技の準備上貴重な指針を求めることが出來る。 佳良のもの 四、能力不十分な審判員は、直ちにこれを解任することができるよ 第 二 条 完全なもの 満足すべき実施 中等の実 施 著 し い 欠点ある実施 不実施 八点 六点 四点 二点 ○点 C D 釧 ︺ 完全な実施。最高点を与えるべき完全な演技とは、姿勢、実施 ノL の比例が不良の場合には、Aに述べた完全な実施よりも争、の価 にも、調子が早過ぎるか、遅すぎる場合、もしくは力の入れ方 一般にきれいさに対する欠点、演抜が欠点なく実施された場合 各部分毎に、その価値に比例し、最大限十点として採点する。 演技の分解Q採点の必要上、規定問題を数個の部分に分解し、 点数叉はその分数の減点を行う。 欠点ある実施、実施及態度の欠点に対しては、欠の標準に従い 度を以て、きれいに、楽々と、確実に実施されたものである。 共に全く欠点なく、審美的演按の性質によく適応した調子及態 第三条規定問題の採点 五点 A 完全なもの 良好な実施 九点 B 剣定により採点する競技たると、測定により採点する競技たるとを 問わず、各演技はO乃至十点、及一点の十分一の分数で採点する。 体操競技の採点は次の判定基準てよる。 優秀な実施 一〇点 A 規定問題 完全な実施 B 自由問題 五点 値は低く、○・三まで、減点ナ・ることができる。 三点 組合せ 二点︶ 五点 演技の価値︵難易度 実施 停止、中止 一〇点 E 計 1 器械を放さぬ場合。規定にない停止には、その演技の部分に これに反する場合には、この運動に与えられた点数の四分一乃 鞍馬及平行棒の移行運動。鞍馬の移行運動は、連続的な脚を伸 通三秒で減点は次に示す通り。 姿勢、規定された姿勢の継続時間ρ水平懸垂、倒立等︶は、普 至四分三を減点するQ H 説明に違反した實施。輕妙に行うべぎ運動を力を以て行い、又 1 比例して減点を行う。若しこの停止のため、次の部分の実施 を容易ならしめる場合には、追加減点を行う。重要でない場 合︵躊躇の場合︶の減点は○・二点Q停止が一番大きい場合 の.減点は○・五点。更に重大なる減点は、不正確に実施した 部分に相当する点数の三分一以内。 ばして行わなければならない。減点は次の通り。 實施間、足又脚が馬体に触れた場合 ○・一点 ﹂ とはならないQ競技者は、少しの遅滞もなく、中止した点か 停止となるような一番重大な欠点 ○・二ーO・五点 2 完全に器械を放した場合。完全に器械を放しても演按の終了 ら演技を継続するため、直ちに再び器械についてよい。停止 更に重大な欠点で、例えば目立つように腰掛けた場合 ○・六ー一〇〇占隔 倒立のとき︵縣蠣鮫櫻鞭講飴。。”言。。“蕪 吊環では 腕の曲つた場合 O・一10・二点 脚が離れ又は曲つた場合 ○・一ー○・二点 足先及頭の姿勢の不良 O・一ー○・二点 K 足、腕及脚その他の姿勢等 手を放さず、明瞭に停止もせず、地上に飛降りた場合 ○・五一一・O点 いのに、移行運動間、棒叉は地面に鰯れた場合〇二lO・二点 平行棒でも、同じ標準で減点する。例えば規定に示されていな 完全に器械を放し、又はこれを離れた場合﹁E﹂の2、3による た場合 ○・五t一・○点 手を放さず、旦つ明瞭に停止もせず、片足又は両脚を地に着け に対しては上記の標準に従い、一・五乃至二・○点を減点する。 3 器械を離れた場合。器械から遠ざかるように数歩を歩んで器 械を離れた場合には、演技の終了となる。実施された部分の みに対して採点する。 ︵競技者が失敗したと判断した場合に、規定問題を復行する ことを競技者に許してあるが本項の標準は、この点に束縛を 加えるものでない︶ F 蝕分の運動。規定外の運動をした場合には、その一運動毎に○ ・三乃至○・五点を減ずるQ倫これら鯨分の運動が次の部分の 実施を容易ならしめたものでないかを到断し容易ならしめた場 合には更にO・一乃至O。五点を減ずる。 G 実施しない運動。実施しない運動に対しては、先づこの運動に 与えられた点数を失うことxする。爾この為、次の運動の実 施を容易ならしめたものでないかを到断し、容易ならしめた 場合には︸・○点以内の追加減点を行うo ︺ 62 ︹ L A B 足数多く動き又は大きく跳上つた場合 O・二10・三点 ○●一iO。二点 演技の始めでも、着地の際でも、姿勢の悪い場合 着地の際小足で動ぎ、叉小さく跳上つた場合 ○←ー○・二点 減点は 殊に着地はきれいに、且つ確実に行われなければならない。 終らなければならない。 前後の姿勢及着地Q演技は総て立派な姿勢で始め、旦つこれを 度に長距りを走つた場合 ○・一−○・三点 徒手体操で宙返り、又は後方宙返りの前に勢をつけるため、過 安定または傾斜しているとき ○・一−○・三点 一般に、倒立水卒懸垂又は水李姿勢の場合に、身体の姿勢が不 十字懸垂の場合 ︵右に同じ︶ 止り方が悪く且つ腕の曲つた場合 O・六t一・○点 止り方が悪いか、腕の曲つた場合 O・二IO・五点 下向水耶懸 垂 の と き 4 徒手体操の継続時間が上述の規定に合しないときには、減点 3 器械特有の演技の種類に適応しない組合せ○・二10・五点 2 鯨分の振動、価値のない部分又は連絡、勢をそぐような動作 ○●一ーO●三点 難易度が低ければ追加減点を行うことを忘れてはならないQ 1 過度に規定間題に似ている場合 一。○点 減点 ︵徒手︶ 体操の継続時間は、最小限一分、最大二分である。 べきでない。 つていれば、そのため必ずしも減点を要する組合せの欠点とす た捨し規定問題の一部が含まれていても、その前後の連繋が違 に終了の動作が違つている必要がある。 自由間題は、明らかに規定問題と違つていて、且つ組合せ、殊 技に比し過度に容易な部分のないことを要する。 され、鯨分の振動、不必要な繰返し、要求されている一般的難 であることを要する。主要な部分は、きれいに、順序よく連繋 美しい開始、価値ある終了を表現する、よく紺合せられたもの ︹ 63 れである。 べき他の要素がある。演技の価値、即ち組合せと難易度とがそ 演技の価値。自由問題の評価には、完全な実施以外に、考慮す 第四条自由問題 C 難易度。難易度に対しては、自由問題は規定よりもむずかしく 5 欠点ある組合せに対する減点の最大限 二・O点 いようにする必要がめる。減点 O・一−O・三点 施の欠点に因るものであるから、審判部は理屈に走り過ぎな 度に於て欠けるところがあり、長さに過ぎる演技ば、通常実 ︺ 轡、膝又は手をついた場合 O・五!○.六点 組合せ。演技は、国際体操連盟の規則に従い、器械特有の﹁性 その継続時間ば、規定問題と同様であることを要求する。 を行うのは勿論である。た虻し短かさに過ぎる演技は、難易 質﹂に合致する必要がある。演技は、独創的な部分叉は連絡、 完全ではあるが、規定問題と同程度の難易度を呈する組合せは 一般に、最大限九五点とする。 D 実施。自由間題の実施に当つては、第三条に列挙した法則を指 針とすべきである。 完全な容易さ、完全な技術とに対し、特別の注意を払う必要が ある。競枝者が辛うじて実施し、叉不完全に実施し得るに過ぎ ない、過度に困難な演技は嚴重に採点すべぎである。蓋し体操 競技に於ては、きれいに且つ確実にその身体を支配し得なけれ ばならないからである。 E 自由問題の採点。第二条に、演技の価値と実施とが同等の重要 度のある二要素であることを述べた。 点数をきめるには次の二方法によることができる。 1 この要素の各々に与えた点数を加える方法。 例 価轟鰻然墨︶既ち苓9、−蕊 実施︵鑑敷藩般欠陥。。書急・?箒爵. 点数 t。。ヒ 実施した演技︵実施が完全なものとして︶に、その価値に相 ウ一 当する最大限の点数を与え、次いで実施の欠点を減点する方 法。 例 価値。難易度完全︵組合せの欠点︶ 点数 実施の欠点︵畿敷鼎蝶。。一畑︶ 跳馬の難易度の標準 減点計Oも :倒嘲 ← 次の標準表には完全に実施した跳越に与えらるべき点数の最大限 1開脚跳 九。〇 七・〇 4半挾跳 2閉脚跳 八・五 七・五 を、各跳越の下に記してある。︵縦跳の場合である︶ ノニ レb 3り等 鍔 一〇。〇 6体前屈跳 ︺ 九。五 一〇・〇 5挾 跳 8伸膝跳 64 m倒立側転跳 1 し 九・○ 一〇◎〇 一〇.O 七・〇 7転回跳 9斜仰向跳 H側転跳 跳馬は 霧朧謙轍嘉り叉種目にょって標準が 帥想“ 柳 沢 利喜雄 以上日本体操協制定採点規則に依る 一感“ 巡廻講演の感想 群大医学部教授 今回高体連の依頼にて県下男女高等学校に於て公衆衛生に関する になってきた感が深、v。 一、高等学校教育が終戦後の混乱期を経過し非常におちついて順調 ままの感想を記してみることとする。 れた事は感謝のほかはないり今こ∼に全般の巡廻を終つて思い浮ぶ 多端の際よく講演会虎催の爲にその趣旨を遵守せられ万端準備せら くせつに厚く関係各位に謝意を表する。特に関係学校に於ては業務 講演を試みる機会を得た事は自分の勉強の為にも非常に益する点多 われた。 性の話などはあまり多数の人では不徹底になる憾みがある様に思 六、出来れば講演には人数があまり多くない事を願わしく思う特に ところを見聞して興味深く覚えた。 五、ある学校では生徒自治会が講演の進行を自治的にすすめていた を工夫して欲しいと考2られた学校も見受けられた。 四、遺憾乍ら高等学校教育の重要性を深く反省せられ責任ある指導 上されたい様に思われたQ ︸入 一8 ︸o o 二、生徒の態度が概してよくなつて來ている事を感ずる。特に男子 人r人 ︸砕ー降 10 oo oo・oo 人 七、今回の如き催は講演する者にも非常に勉強になるり出來れば質 へ㎜ 0 高校に於ては何か力強い将来えのたのもしい気力が濫れて来た様 \ ノ 0/ oo 10 10 10 \ 人 人 人 ノ 0 oo oo oo 0 疑応答になれて講演の趣旨が一般に徹底する工夫がされれば良い .■ \ 人 人 oo oo に感じた。 人 %ーP 人 ヘ 一人 ノ 人 O o o の oo o o と思う。 人 0 0 む 0 8 oo oo m 4 田 ﹄! 三、一般に普通高校に比して職業過程の高校では生徒の向学心を高 講数 表 聴者 程 ヨ 年 月 日 f聞, の 間、、 引ー − 矧ー ,矧モ 6. 6. −P卓 の 10 10 ﹄隔ー .衆諸 い睡 可 珍 遡 2 9 12⋮到α、 司 剖6 αα 乳 9 ほ 丘 α ◎ ら α 2 6 2 2 2 2 2 26 ︸b1 の 厚 づ﹃ 到− ー 校・ ﹁間﹃. 、,剰♂ ,、瑞ー Z Z ほ 1 .ハム 7. ︸時 皿bl 乳 乳 22 1 7 2 丘 2 2 α α 6 2 2 2 λ 、、,劃ー ド 高ー 津 窟 ー.富 師 伊 伊 匹 ﹃ 灰 ︻尉ヒ 周 月ー旧︸ d矧 − 珍 、跨 1 4 π 可 乳 幻 α 11 11 6. 2 糧、同 間 問 ︸剛 間 [岡 一間 商 f 演間 岡剛 間 剛 間 間 間 間 間 時 時 時 時 演 講時 時 時 時 時 時 時 時 時 時 時 時 時 時 時 2 桧 ー−PL2 2﹁P 2 2 ﹃旨 酔 b L 講 bー 2 P 生 題 生題生題 生題 生 題 生題 題 生題 題 生題生題 生題 生 涯題 軽 衛間衛問 衛閲 迎 題 虫 話 話 話衛問 衛 問 衛 問 話 話衛問 衛問 衛問衛問.衛問衛問 衛問 衆 生 話 聚諸 衆 諸 の 衆諸 衆諸 衆諸衆諸 衆諸 諸衆諸 衆諸 の 性 .饒購 公の公の の 陰甕 の 性 鮪 演 寄の 校性 性 校性 於校 撰 劇 校 除 校の陰業校子校 陰 校 校 校 校 , 、 学 学 子学 学 子学 工学女学 騨 子学手学 学 業学 業飼 学 学 一学 学 騰 所 副 等 女等 等 等 工等 商等 等 筆等 女等 等 女等 崎箋崎等 麦 高 林高 林高 生高 生高 勢高、勢高 高 高 岡高 岡 田 高中 田 高.崎高仁 鞭 橋瀞 橋高 橋高 川高 藻 倖 鱈 場 儲 副 前 前 曲隣 籍 酒 ー 開ー 劃 ー館d ︷桐局 鞭 欝 ㍉﹂ 65 ︹, ’︾ ﹁===引=一= 爾 其の他本連盟の目的達成に必要なる事項 4=一=二一=帽 先にコ局校の体育﹂第一号をまとめ、続いて第二号、第三号と発 とあるがこの意義が活かされているだろうか。 ζ 行するようになつていたのであったが、いろ/\の事情で合併号と 先般の全国高体連の理事会の席で、文部省の西田先生より、﹁高体 夫 なりました事について、責任者としてお詫び申し上けますo 連は事業関係でなく、他の体育団体に見られない性格をもっところ 正 第一号では、高体連とは如何なる組織で、どんな活動をする団体 に特徴があるのであるから、それを活かすことが生命ではないか﹂ 木 であるかを認識してもらい、第二号、第三号では実際の活動駄況を というような御指導があり、更に同席上文部省の佐々木先生よりも 理事長 茂 紹介して、伸びゆく高体連の実態を把握していただき度いと存じま ⑭ 高等学校職員生徒の体育大会の開催 e 高等学校体育運営方針の審議確立 事業を行うとして 本連盟の規約第四条に、本連盟は前条の目的を達するために左の 一、規約について 上げ、本連盟三万有余の方々に御批判をお願いする次第であります ければならない面が多々ある事を感じ、鼓にいくつかの問題を取り の仕事に関係して來た今日﹁本連盟の在り方について深く反省しな 指導、助言をいただき、軌道にのつてまいりました。然し永い間こ 誕生以来満五年を終ろうとした本県高体連も、各方面の方々より に質の向上発展をするには、普通科の教官でこれに関心をもたれる ら止むを得ないと思うが、高体連がその性格を充分活かし、内容的 見ている向があるのではなかろうか、主体が体育科の教官が多いか 高体連というと兎角体育科の教官の﹁玩弄物﹂の様に見られ、亦 二、運営について 方向にゆくことこそ本連盟の使命であろう〇 本県としても6、的等に就いては、膚︸層真創に考え、望ましい 必要があるのではなかろうかo があつた。両先生の御意見こそ、高体連としては充分吟味して見る 場の声を活かして審議すべぎではなかろうか﹄という意味の御指導 本体育協会がやつたが、このような間題こそ高体連が取り上げ、現 ﹃先般の﹁学徒スポーッの在り方﹂というような事については、日 ㊧ 高等学校体育研究会の開催 方々、更に学校蓮営の立場にある校長先生の深い理解と、県教育委 す。 ㈲ 高等学校体育運動に関する諸団体との連絡 ︺ザ 66 ︹ るから、技術の向上と相侯つて、本人の身体、学校の経費等とにら ないという事も聞いているQこれらは特殊な例の甚だしきものであ いる。ある競技の某選手の如きは十数回以上になり、殆んど休日も 年間に開催される度に参加しているならば相当な出場回数になつて のであつて、高体連は後援叉は承認しているだけである・確かに、 連盟の開催するもの、叉は国及び特殊な事情のもとに開催されるも 新人大会がある位で、他の大会は殆んどが県体育協会に属する各種 会の予選を兼ねて実施するよう考慮してある、︶その他種目によつて 抗並に選手権の県下大会︵これは大部分が、ブ・ック・叉は全国大 判るが決して多くはないQ春の地区別体育大会、各種目別の学校対 という声を耳にするが、高体連の主催する大会を取り上げて見れば ﹁高体連は大会を開くのが仕事か﹂、コ局体連は大会が多くて困る﹂ 三、各種スポ;ッ大会の開催について いわけではないからあらかじめの御了承をお願いします〇 役員も現場の教官が担当している関係上多少支障を來たすこともな 更に此処で一言しておきたいことは、事務局の職員も、その他の であります。 さん、体育協会の方々の、より潔き御理解と御援助をお願いする訳 極的な参画、評議員及び各種目別の部長に立たれておられる学校長 実際に活動する各部生徒の熱烈なる現場の声、普通科の教官の積 体連が育つてゆく事であるo に於いて初めて高体連の歩みも、課題も簡単に解決されよりよき高 員会の体育係の方々との密接不離の活動こそ絶対必要であり、こ﹄ を実施したが積極的に協力していただけた、今後も経続していろい 先般県教育委員会学校保健課と共催で各部運動部選手の結核検診 われ勝になり、この問題を忘れている訳ではないが忘れられ易い。 兎角スポーッの面が華やかで面白いがため自然この方面にカが奪 五、保健間題について 技・明朗な精神に恥じない行動が望ましいQ どこまでも三Kを組合せた深紅の色彩の、全国高体連マークの力 た面が気付かれたQ 員を怒号⋮⋮⋮⋮⋮oこれが高校生の集りであるかと冷々させられ ︵室内︶団体で応援歌を合唱したり、下品なやじ、見物席より審到 残がい、又は卵の殻はそのま﹄に散らして帰る。亦柔道の試合中 られても泥のついたまkの下履きで出入し、弁当の残り屑や果物の の聞柄であるからよろしく頼むと、いふ風に。教室を控え室に当て 締切期日までになつても申込みをしないで、当日になつてお互い はなかろうか。 控席の後仕末等について、一般の大会と違つた雰囲気があるべきで とは大切であるが、選手の申込み方法、応援の態度、服装、態度、 違いからかんばしからぬ面君あつた。大会であるから試合に勝つこ ことを参加する教官、生徒は考えるべきである。自由と放縦の考え 本連盟が主催する大会は、正課体育及びクラブ活動の延長である 四、本連盟が主催する大会についで. 歌況であります。 合し、而も遂年向上するような生徒を育成すべく努力を払つている 高体連としての大会は、学校の実情に則すようなるべく整理、統 ︹ 67 ㍉ノ みあわせて、その学校の指導者が責任をもつていただきたい。 ろの角度より研究を進めて見度いo 亦指導部に於いては、群大の教授柳沢博士に巡廻講演の計画を願 い県内高等学校の生徒のこの方面に関する関心を深めるよう努力を 払つている訳である。二十六年度、二十七年度と二年連続している が、全県下の高校は未だ終つてはいない。 その他、大会参加生徒は必ず校医の健康診断書、学校長の出場認 知書を出して貰うようになつているが、うるさい書.類と思わないで 一人一へが健全にして有能な身体の持主となり、善良な公民として 立つようお願いしたい。 六、研究機関について 前に﹁高体連は大会を開くのが仕事か﹂、﹁高体連は大会が多くて 困る﹂、という事から内容の一部、大会の運管について述べたが、更 に内容を紹介しますと、調査研究部、編集宣伝部という組織も出來 ているが、未だ軌道にのつているとは思われない。これにはいろい ろと考えさせられる面があるが、これこそ高体連の生命とも申した いのである故、今後の活躍を期待していただぎ度い。 以上気のついたところを述べてまいりまLたが、役員の先生方は よくやつて下さると思う、会議、大会といつても何等報いられる事 もなく、手弁当で、全くサービスだけである。 高体連を何か自分達とは全く違つた対称のものとして考えるので なく、高体連を我々であると考え、余り間口を広くせず、よく現駄 を見つめ、より立派な姿になるようお願いする次第であります。 鍵!グ / , ! きオ 〆んε 皿 あ 置 −〆 68 !、 門部報告 專 大部分が、充分とはいわれない迄も、一応その線に到達し得た様に 思うので、第二次計画の第一歩として本年度は次に掲げる事.項の実 現に遭進したいものである。 一、県民性の短所排除 こつておつた、県高校陸上競技部の念願であつたが、いざふたをあ 関東大会には一校でも入賞校を出したい。これは久しく不振をか の希望の二、三を綴つてみよう。 は充分に達し得たであろうか。これを振りかえり、去る二十七年へ 十七年度を迎える様になつてしまつた。果して二十六年度への希望 まだ此の開の様に思われたのに、目まぐるしい一年を脛過して、二 本誌創刊号に於て、二十六年度に希望するの一文をか&げたのは それでこそ、良き先輩に封する、良き後輩の道であり、先輩より、 覚して、し&として、グラソド上に、努力すべきである。 きずいた・輝しい土台に、立派な戦跡を・きざみこむの・責任を自 かと危惧するものである。緊揮一番、全国征覇を夢みて、先輩達の れで萬事終りと考え、その後中だるみ的なところが出て来はしない 必ずしも立ちあがりが早いとは言い得ないが、一度頂点に立つとそ 以來、第四年にして、関東征覇の偉業を成し逐げたのであるから、 陸上部としては、功を急がず、着々とその強化を図り、専門部発足 rL 69 部 けてみると、綜合点に於て高崎工業の男子優勝、高崎女子高校の第 後輩へ、更に後に続く後輩達へと、良き陸上入を、続々と生みうる 陸上 競技 由來群馬県民は、何事をなすにあたつても、立ちあがりは早いが 二位入賞、個人に於てはトラック全種日入賞と云う、輝しい成績を の道である。今年度こその意気をいよく熾烈に持ち続け、頑張り 其の後に続くもの、つまり後援者が続かないきらいがある。高校 もつて関東に君臨し得た。吾々の念願は以外に早く実現した。続く たいものである。 平 全国大会は?、関東大会の好成績に気を良くし、意気昇天、此処で 二、全国級選手の出現期待 仙 も大いになすあるを期待したのであつたが、さすがに全国は強豪ぞ 年來の希望を達して、関東に陸上群馬ありを認めしめた今、関連 田 ろい、綜合入賞校を出す事を得ず、全国への野望は淡雪の如く消え クラスの選手で満足していてはならないQ今年は一つ、全国級の選 下 さつてしまつた。然し八OO米継元に於ける高崎工業の優勝、走高 手を多数輩出して、全国人に﹁陸上群馬あり﹂と刻みこまねばなら 的に見れば必ずしも瀾足すべき成績ではなかつたが、昨.年度に比較 きもない、血みどろになつて練習に、研究と、努力、叉努力すべき ない。それには、今迄位の努力と研究では、到底ぞ、の望みを達すべ ︺ の滝さんの優勝、松本さんの走巾跳、ハ!ドルの入賞等々、結果 する時、陸上群馬の片鱗を、北陸金沢の地に示し得たのは、二十七 である。⋮⋮⋮そしてこそ初めて希望の彼岸に到達し得るのである 跳、 年度への期待を大にするものがあつた。陸上部第︸次計画は、争.の 関東大会も敷島県営競技場で行はれる本年、地もとの利、ホーム たい も の で あ る 。 がこんな風になったら、どんなに楽しい事だろう。こんな風になり 会から愛される様になるのではないだろうかQ総べての学徒競技人 的である時、陸上人は、社会から愛され、陸上競技は今より一層社 態度に、そして学園内のすべての場に於て、陸上人の行動が、模範 はせ参じて來るのではないだらうか。競技場での言行に、練習中の り、陸上を志ざす入々は一層、多くなり、次から次へ、陸続として 解の目を開かしめ、陸上人をみる、社会の目も、今より一層よくな 陸上人H模範生、そんな風になつて來た時こそ、文化系の生徒に理 知らず、徐々に記録的向上を來たして、大成するものである。 程、自重すべきである。自重してよく勉学したものこそ、はじめは 陸L人は総べて学校に於ける模範生たれ。記録が向上すればする 三、眞の意味の学徒陸上人たれ 、 各地区共 気 勢 大 い に 挙 り 、参 加 者 非 常 に 多 数 、 好記録が続出し 0五月中 旬 地区別陸上 県下四地区 槍 館 高 ︶ ②依田桐高︶ 投 ①吉 田 明 保ハ 朋 米 60 円盤投 砲丸投 棒高跳 三段跳 走高跳 走巾跳 ①鯨井︵桐高︶2 6米70 ②山岸∼桐市商︶ ①吉田善治︵桐高︶11米且 ②鯨井︵桐高︶ ①高橋毅︵太高︶2米茄 ②加藤︵桐市商︶ ①白石徳一︵館高︶12米41 ②村松︵太高︶ ①川邊将憲︵館高Y米7 0 ②毒島︵太高︶ ①石原一夫︵桐高︶5米89 ②白石︵館高︶ ②中村︵小農︶ ③山岸︵桐市商︶ ③寺田︵館高︶ ③川邊︵館高︶ ③坂庭︵太高︶ ③小川︵館高︶ 千六百米継走①桐高4分0秒6 ②館高 ③太高A 四百米継走 ①館高A舅秒5 ②太高 ③大高 ③吉田桐高︶ 百十米中障害 ①石原一夫︵桐高︶珍秒②大塚︵桐高︶③安原︵大高︶ 五千米 ①角田環男︵渋高︶17分20秒 ②鈴木︵沼高︶ ③荒木︵藤高︶ 千五百米①斎藤徳雄︵高商︶4分賀秒8②岡田︵前商︶③長沢︵大高︶ 八百米 ①斎藤徳雄︵高商︶2分B秒5②大木︵藤高︶③長沢︵大高︶ 〇五月二十六日 関東IH県下予選会兼高校選手権 高崎城南 た。 グラソドの有利を十二分に発揮して、是が非でも、関東再征覇を狙 いたいQ全国大会にも、全国初征覇校を本県から出したい。⋮⋮こ んな事を本年度の夢としたいものである。 天候に恵まれた城南競技場、少し乾燥していたが、良いコンデイ シヨソQ関東大会への出場権を得べく、各選手の意気、誠に旺ん、 次に挙げるような記録を生み、関東大会への自信を高めることが出 高崎競技場 ︵高校の部︶ 來た。 〇四月十五日第三回県下新人大会於 △男 子 二百米 ①本多考順︵沼高︶乃秒7 ⑭井上︵高商︶ ③大谷︵勢農︶ 百 米 ①鈴木修︵高高︶12秒2 ②大川︵前高︶ 二百米 ①岡田弘︵高工︶2 4秒0大会新②関口︵前高︶③藤井︵前高︶ 百 米 ①岡田弘︵高工︶11秒7 関口︵前高︶ ③田村︵沼高︶ △男 子 ③笠原︵藤高︶ 四百米 ①相川宣次︵獺糸︶刃秒0 ②松本︵富高︶ ①小島︵沼高︶ ︺ 70 ︹ 四百米 ①松本幸男︵高工︶努秒2 ②島田︵高工︶ ③萩原︵前高︶ 八百米 ①松本幸男︵高工︶2分9秒8②都木︵桐高︶③小林︵館高︶ 千五 百 米 ① 池 原 透 ︵ 澁 高 ︶ 4 分 2 2秒8大会新②長澤︵大高︶ ③阿部︵桐高︶ 五千米 ①青木幸男︵中高︶17分0秒4大会新 ②角田︵澁高︶ 岡田弘︵高工︶ 百米⋮⋮ 四位︵十一秒六︶ 二百米− ・三位︵二十三秒三︶ 関口爾則︵前高︶ 百米:・⋮ 五位へ十一秒六︶ 二百米・ :四位︵二十三秒四︶ 松本幸男︵高工︶ 四百米− ・二松︵五十二秒四︶大会新 八百米継走①横尾、成瀬、松本、岡田︵高工︶1分男秒0大会新 百十米障碍①関根勝男︵伊高︶17秒0 ②鈴木︵高々︶ ③石原︵桐高︶ 関根勝男︵伊高︶百十中障碍 :一位︵十六秒二︶ 五千米⋮ ⋮四位︵十六分三十九秒六︶ 池原 透︵澁高︶千五百米 ⋮六位︵四分二十六秒六︶ 八百米⋮ 三位︵二分六秒六︶ ②前商 ③沼高 鈴木 修︵高高︶〃 ③ 池 原 ︵澁高︶ 走巾跳 ①横尾修︵高工︶6米37大会新②宮森︵中高︶①鈴太︵高高︶ 八百米継走 高工⋮⋮:: :優勝︵一分三十七秒四︶ 砲丸投 棒高跳 三段跳 ①宿谷保則︵中高︶努米% ②田島︵富高︶ ③畑野︵佐農︶ ①畑野善卒︵佐農︶ロ米20 ②小菅︵中高︶ ③吉田︵桐高︶ 0大会新②高橋︵富高︶③眞島〆伊高︶ ①小澤紀夫︵富高︶3米2 ①横尾修︹高工︶b米17大会新②木暮高商︶③小菅︵中高︶ 小澤紀夫︵富高︶棒高跳⋮ 木暮敏︵高商︶三段跳⋮⋮ ⋮ミ位︵二二米三四︶ 宮森賢一︵中高︶走巾跳⋮: ⋮五位︵六米二七︶ 三段跳⋮⋮ :二位︵十三米四︶ 横尾修︵高工︶走巾跳⋮⋮ ⊥二位︵六米三十五㌧ ⋮五位︵十六秒九︶ 走高跳①春原利夫︵松高Y米ゆ大会新②小河原ハ甘濃︶③中村︵中高︶ 円盤投 ①小澤紀夫︵富高︶47米鈴大会新②岩井︵下高︶③主代︵前高︶ ⋮三位︵三米二〇︶ 槍投 於 て は 全 種 目 に 入 賞 し 、 フイールドの部に於ては、砲 ラックの 部に 於 け る 、 本 県 選 手 の 活 躍 目 ざ ま し く 男 子 十 六 種 目 中 、 ト 本大会に 十 三 、 四日 関東IH陸上競技大会 千葉県鶯競技場 〇六月二 大矢修子︵中高︶百 米⋮⋮ ⋮四位︵一三秒六︶ 二百米⋮ 溝水俊子︵高女︶百米⋮・⋮ よ二位︵二二秒六︶ 田島輝男︵富高︶円盤投⋮⋮ ⋮二位︵三七米二三︶ 槍投⋮⋮ :六位︵四五米〇二︶ 丸、ハンマーを除く種目に入賞、女子九種冒中トラックに全種目、 二百米⋮⋮ ⋮三位へ二八秒二︶ ①池田市江︵沼高︶30米07②鈴木︵沼高︶③宿谷︵中高︶ ンマー投 フイールドに円盤を除いての入賞は偉とするにたる。 松本フサ︵高女︶八十障碍⋮ ⋮二位︵一二秒七︶ ハ 更に綜合に於て高工の男子優勝、高女の女子二位入賞は特筆に価し 走巾跳⋮⋮ :二位︵四米九二︶ ⋮五位︵二八秒四︶ 富高、中高ハ女子︶も今一歩で入賞のところをおしまれてならない。 ︺ ハ ノし ︵中高︶砲丸投⋮⋮⋮六位︵九米〇四︶ 瀬間きよ子︵下高︶走高跳⋮⋮六位︵一米三五︶ 瀧作子︵館女︶走高跳⋮⋮⋮二位︵一米四〇︶ 四百米継走 高女⋮優勝︵五三秒九︶ 中高⋮三位︵五三秒九︶ 百 米 △女 槍投 円盤投 田島︵冨高︶予選ラインを通過せず。 小澤︵富高︶予選パス。決勝にて惜敗。 子 大矢︵中高︶二八秒二にて入選、準決にて落選。 四百継走 高女、中高共第一予選通過、準決にて落選Q 清水︵高女︶予選にて落o 関東大会の意外な好成績に、気を良くした 群馬勢男子二二名 八十障碍 松本︵高女︶予選一二秒七にて第一位、準決二位にて ○八月四、五日 全国IH陸上競技大会 金澤県営競抜場 女子ご二名、勇躍肚途につく。結果は過去三回大会に比較する時、 松本︵高女︶四米七二にて五位入賞。 決勝に進み、ニニ秒フラツトで第三位。 走巾跳 滝︵館女︶優勝 記録一米四〇。 数種目に進境振りを示した。 百 米 岡田︵高工︶、関口︵前高︶、共に準決勝にて失格。 走高跳 瀬間︵下高︶落選Q 二百米 岡田︵高工︶、関口︵前高︶共に二三秒三〇、二三秒五と大 会新記録にて予選を通過するも、準決勝には今一歩とい 〇十月十四 、 ,丁五日 県下高校対抗陸上 敷島県営競技場 rし 72 ︺ 松本︵高工︶第一予選で五三秒五で入賞、準決勝で落選。 高 校 対 抗 陸 四 名 、 参加校四二に及 第四回県下 上 は 参 加 選 手 数 四六 島村︵中高︶予選ライソを通過せず。 四百米 松本、 高 工 ︶ 予 選 に て 落 選 。 び名実共に高校陸上都本年度の最後を飾るにふさわしいものがあつ 砲丸投 八百米 池原︵渋高︶第一予選を四分二一秒にて通過、決勝に欺る うところで失格。 千五百米 優勝 高崎工業高校 得点 八三、〇 た。 八百米継.矩 高工︵横尾、成瀬、杉本、岡田︶予選を一分三五秒五 二位 沼田高校 仔 五七、〇 池原︵渋高︶落選 の本県新記録にて通過、準決勝を一分三四秒五にて第心 三位 前橋高校 厚 五二、⊥2 五千米 位、決勝一分三四秒五にて優勝⋮⋮大会新記録。 男子二部 男子一部 横尾︵高工︶宮森︵中高︶出場共にパスラインを通過せ 優勝 富岡高校 得点 六一、〇 関根︵伊高︶鈴木︵高高︶予選にて惜敗。 ずやむQ 二位 館林高校 厚 三五、7 百十障碍 横尾︵高工︶木暮︵高商︶共に入賞をなすQ 三位 前橋工業高校 猷 三一、○ 走巾跳 三段跳 小澤︵富高︶惜敗す。 10 棒高跳 第二十位にて本県の為に気をはく。 本県代表渋川高等学校、勇躍参加 全国6強豪を相手によく奪斗 〇十二月二十六日 全国高校駅伝 大阪毎日マラソンコース 渋高・大高・中高・桐高・高商⋮:関東大会出場権を獲得。 渋高⋮⋮一位にて全国大会出場権を獲得 。 好天気に恵まれ参加校多数、なかくの盛会であつた。結果は 新前橋、高崎間往復 〇十二月五日 全国高校駅伝兼関東高校駅伝予選会 三位 下仁田高校 厚 二四、○ 二位中之条高校 存 四三、〇 優勝 高崎女子高校 得点 六一、〇 女子の部 ラミヅトは高く出来ます。私達は高校生諸君の土台が廣かつたから 育ち、栄冠を勝ち得る事が出来たのですQ土台が廣ければ廣い程ピ して高校生諸君の友愛である日光、水、肥料ーがあつたから私達は 関係者のよき理想があり、先生諸先輩の貴い努力の開拓があり、そ このように私達をリードして下さつたのでしようかそれは群馬陸協 東の覇者へ、これは私達にはあまりにも早い幸幅だつた。一体誰が “石の上にも三年”と云いますが、過去二年の群馬の覇者より関 ぬれた目は誰にも負けない母校愛に燃えていた。 捨てなかった責任感、この外に何ものが映るであろうか。その涙に に欠くことの出来ない固い團結、協力の精神と各人が最後の一秒迄 つたものが浮び、何が映つていたことであろうかoそれはスポ!ツ ち勝つて来た人達ではあるが、ト・フイーを囲んだ喜びの目には光 れた楽しい連想だ。日頃の練習の苦しさ、敗因の悲しみにはよく打 rし 73 ㍉﹂’ O二十七年一月 県下高等駅伝 県駅伝コース こそ高くなれ、理想の雲にと黛くことが出来ましたことは深く感謝 つ玉貧しい筆を置かせて頂きます。 輩、並びに高校生諸君に今一度“有難う御座いました”と感謝致し に努力しようではありませんか。最後に陸協関係者、諸先生、諸先 精神1を胸にいだいて“高校陸上群馬”を全国に知らせるようお互 いたして居りますQ来年度こそは高体連マーク三K力、技、明朗な 三位︵渋高︶A 一位︵大高︶ 二位︵中高︶A 四 位 ︵ 桐 高︶ 五位︵高商︶ 六 位 ︵ 前 高 ︶ 関東大会に優勝して 高工 横尾 修 ﹁おい良かつたな。﹂﹁よかつた。﹂八百米継走の直線、線に囲まれ た新設千葉県営グラソド内、一角に湧き上るたつたこれだけの言葉 この中に何万語に匹適する意味がある事だらうか。 過去五年間の出來事が一杯に充備しているのだ。先生に手を取つ て教えて戴いたあのフオーム、先輩と共に流した僥けつく様な苦し い日の汗⋮⋮⋮走馬燈の如く走りすぎる思い出。苦しみの中から生 傑 五 鼓 高 度 隼 26 瀦 昭 の モノ 3 β工高高工高 崎橋田崎橋 24 23 年年僑揃紹幅揃 ドフ 彦㎏ 弘 則 雄 治 人 爾武芳隼 6則弘一雄江司 乃2 均 田口村瀬井 李 岡関田成藤 ヨ エ の 口田森村瀬藤 , 平均 関岡宮田成斎 の/ー\爾 賢武芳仁 傷 フ 1 1 ︸− 盤 ロ マ 舅53 百 リス う キデしノ 議⊃響懸彊㈲舗留 穐 そ むぺえ 米 秒〃厚俘厚 珍別222 6 32 源羅鱗 珠飾男雄二瞭透聯碓、透鳳雄彌充 覇 八 ◇ ワロ 障 中 秒厚厚厚〃 む エ のフロ 男ぐ 治修弘夫 均 勝芳 一 李 根瀬木原原 碍 関成鈴萩石 ぺ イ ヤ 年年透彌雄正充 よ じフ 文幸 タ 原木木木部 池鈴青荒阿 覇 秒庁厚厚厚 90132 米 3男 掩16偽1 1 2 3 4 5 12345 12345 12345 12233333 12345 L 74 ︺ 百 分厚厚厚窪 7 71 2222百五2分〃厚〃厚 千 分〃か厚ロ厚ー7 米十 4 4 、 4 4 4 五 16 16 17 百 130D45 5 12345 1234◇千5 ◇1234◇ よブのクク ロ 米 秒〃厚〃厚 のワ よ ハ 犠響源 陰︾幸徳正正 G 重徳文 號麟麟甥薪燗勲 ぐ 帰⊥234rD 米 ゑ 6 雄勲二郎 巧2 男 幸武 正三 均 本村原田田 李 松田萩島下 年年 工高高工農 崎田橋崎多 高沼前高勢 0︶ 4 働牲謬軸 米 秒〃厚厚か 秒厚厚厚厚 四 繭 百 秒〃厚厚厚ヶ 2努男男 5 ◇ 鍛2 罪5 ◇ 23 2323 ◇ 12345 113453 レボ ヤヤヤ ヤヤ 均瀬原多藤多 均融沙蟹追 南成萩本痴本 平瀬多原須上 刀マ ・、・・、 本井林川澤 走松藤小追入 な ロ ハ 12り︶45 妊撚姻雛11111鍵6666⑥餓縁揚備3⑧333333◇HnHnu 罧蕪案齋 百拶嘱怨 0 丸0 η0 君努鉤22 72617跳男70292778跳0 3 1000 000 0 百4202応棒7070κ・フ6565跳61舅2 0 0 0 四鷹嘱僧 ヰ 却働誹勤◇m〃〃多巾mZ窪段mZZ高m〃多Z多砲m髭Z ◇覆肩雑 4444囲笠 ◇56677 12345 撒灘麟 つジ3︵︵d﹃︵︵ ヂ ヒ 投1291勢8873 平 均小主萩岩追 澤代原井川 G 光 舞翻麟麓 舞鯵戴談 ¢ 均田池池畑鯨 島田谷野井 平 投2352乃5737 33 ◇ n厚厚〃〃 盤m厚μπ厚 3 槍8 4 1 円3 4妬砺め 73 353 3 ◇ ク ヤうノ イもヤ 径 田 紀 平 ◇新 米52578 百秒厚厚厚厚 二2 7282929四 均大清上森織 矢水和田茂 譲欝影獄 舞欝欝嬬 ¢ 平 均清大秋森野 子 水矢山田島 女 ︻ 米44569 秒び仔厚ヴ 百Bβ131313 ◇ ノ 諭臨勢賭 1234 5 12345 123451234一b 難麟巌 2 2 ︵ d ︵ ↑ ︵ 6巧25 均一島田清高 場村村水瀬 平 ◇ こ 22 ヒヒ ムロ 均清二局岩樺 水場瀬井澤 平 1 ◇新 r ノ ’ 12345 1234 5 12345 ◇ で 投弥3 07 30 投釘297 1 7361 7 06 3 5 88 06投195 3 盤m厚ザ厚厚 丸m厚〃〃厚 包99988 6乃 槍35努302 円8 27 22 李 均高島一新外 瀬村場井処 ¢ あ千 G 越 舞鑛鵜齪 舞聾藷群 轟薪鷺蔚 イし 繍欝 鋤騰謝 下σ百中G イに イヤ 子子子子江 よ越 順 修 光 き 瀬山齋大一 下口 藤 矢 場 0戸フ[︶︻ノ﹁フ ォη33つフ3 n〃仔〃厚 −嘱⊥11﹁⊥ 新 23つ﹂33 へ ザ ヤジ 降麻サ子撫代孔嵐孜 ひ 佐 Gア澄絹ろ明久順 ブ 22 よ ︵ 均松岩宮小山 本崎崎池口 李 ヒ 44600 跨 99777 巾mκ俘〃〃 走44444 47 ︶女 1 1 ︵ 7高 3,館 李 高m 跳46 走1 ◇新 75 1134 4 − 、ノ ◇ 均滝 舞辞騙謝 舞好 こ 獅縷鰍 高高︶女女 女条馬市崎 翁崎之群崎高 ﹂而︵中全高︵ 男巧水︵︵︵田 清矢矢貝和 降歌汰汰畿止 走本村田間津 ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ 朝蹴誘 均本岸下島崎田藤 ¢和池山下井 平松根真野宮富齋 上小秋真新 碍 障5881777 米秒ザ厚厚厚伊庁 唖米粥鍔卵 十彦B13婦4 1 14 41縫松西森瀬新 望 1224555 ◇55555 12345 ︹ 籠 球 部 溝 水 貞 保 学生スポーッの理想は云うまでもなくスポーッと学問とが併行し て、はじめて教育的効果があがる所以である。然るに最近その実施 方法が再反省されつ﹄あることは注目すべき事項であるo 全国高体連会議に於ても理想、現在両論の主張があつてなかく 一致点が出てこない。しかし両論のへだたりを最少限にとどめ運営 の妙を得て最大効果をあげるよう努力がはらわれている。 全国高校選手権も与論に訴え慎重協議の結果二十六年度より取り 上げて第一回大会を既に実施し、時期も暑中休暇中にきめたことは 極めて機を得たこと玉思う。 さて昭和二十六年度に於ける日本パスケット・ボール界はアメリ カチーム、フイリッピンチーム、或はアジァ大会等の影響を受け国 際的にも漸く重、きを加える様になつたことは誠に喜ばしいことであ 校選手権大会が本県高崎市に於て行われるのでどの高校チームも張 り切って練習を積んでいるので戦後最大の進歩がなし途げられるも のと特に明るい希望に充ち盗れている。 男子高校では高高、前工、前商、桐工、高工、太高、伊高、富高 などがあげられるoその中でも高高は国体連続四出場の伝統を受け ついで貫録のある処を見せているQ前工は充実したOBを﹁バック に懸命の努力が物を云い予想以上に伸びるチ!ムであろうQ しかしどのチームにも今年はずばぬけた長身のプレヤーがいない ので決定的な得点をあげるまでには今後余程の練習がなされねばだ めだo 女子高校チームはいずれも入れ替りが激しかつたので今年も叉混 戦が予想される。高市女、前女、高女のAクラスについで藤女、太 女、伊女あたりが考えられる。 男女両チームを通じて云えられることは高校在学三ヶ年間と云う 短い球歴であるからどのチームも特に今後計画的な練習を切望した い。 次に昭和二十七年度の県下高校チームの予想を展望して見よう。 は 本 年 度 の 大 き な所産であつたo が進歩がもたらされた。特に一般チ!ムの実力が目,立つてぎたこと 群馬県下のバスケット界も年々の努力が累積され漸進的ではある 最後に県螢総合グラソドにも綜合の名に恥じぬスポーッセンター 事である。 れるように聞いているので此の面でも本年度は愈希望に充ち濫れた を与えた。叉二十七年度にも県下で二、三の学校の体育館が新設さ 前橋市立女子高校に体育館が新設されパスケット競技に明るい希望 設備の点に於ては昭和二十六年度に高崎女子高校、高崎技芸高校 だが予想程難かしいものはない・此の様に考えている間でも刻々に るQ 実力が向上し変動しつNあるのでシーズン初めの予想は余程心蔵を の実現を是非共懇願し切望したい。 ︹清水 貞保記︺ 強くしないと到底書けない。しかし本年度は五月に第四回北関東高 ︺ 76 rk ● 第 四 回 県 下 高 校 選 手 権 大 会 期日七月二十一日・七月二十二日 場 女子 前橋女子高校 男子 桐工高、桐高、前高、県立高女高 成績 女子準決勝 男子準決勝 前女犯ー19高市女 高女わーB藤女 κ 決勝 厚 決勝 記録紛失︵但シ事ム局に報告済のもの︶ ●第六回国体群馬県予選 高女37−30太女 績 女子︸回戦 8伊女 藤女20−1 高女49111渋女 二回戦 決 勝 前女32126高市女 高女罪ー35藤女 準決勝 日 九月一、二、八日 期 場 女子 高市女高 高女高 会 男子 前商 高女高 成 渋女29−9中女 ︵キケン︶ 高市女 ー館女 高市女36i1前市女 伊女44−10桐市商 第一位桐工第二位高高 館女2 5!6沼女 前女37−29高女 桐工 − 高高 ●高校選手権大会に優勝した桐工高、前女高チームは夫々群馬県 高女3513 3 前女 代表として︵八月九日−−八月十三日︶名古屋市金凶体育館にて開催 富女2 4i14小泉高 高女チーム国体に出場 男子一回戦 二回戦 準決勝 前女鍍120富女 された全日本高校パスヶツトボール選手権大会に出場した。 藤高30t6伊高 桐工6 6!9藤高 前商4 藤女3017吾女 ●高校選手権大会成績順位により男子桐工高、高高、前商高、女 吾高20−16高市高 前高72ーπ吾高 高高留−弱前工 渋高3 6i20富高 中高381算小泉高 勢農40112渋高︵定︶ 館高32−15藤高︵定︶ 安蚕31−0 3 桐高 伊工3 7130渋高 前工6 前商3 8110館高 高高チーム国体に出場 勢農菊ー19前高︵定︶ ︵連続四出場︶ 高高男ー48前商 決勝 82 中高 71 桐高鋤−鍋沼高 高高4 2126高工 安蚕2 前工︵定︶ 6t22 高工27−19太高 83 桐工 7i 子高、高市女、,藤女高の六チームは県代表として︵七月三十一日! 八月一日︶水戸市にて開催された第三回北関東高校パスケット・ボ ール選手権大会に出場し左の成績を獲取した。 男子 優勝 高高 第三位 前商高 ︵第二・三回と二年連続優勝す︶ 女子 第三位高市女高 、t 7 7 一ik 一 三回戦 桐工弔ー3 9前高 高高図!6安蚕 9伊工 前商互ー36勢農 前工男ー2 ●第二回五市選抜高校バスケツトボール大会 三位高 富 七勝二敗 二位翠工高 八勝一敗 一位高 高 九勝零敗 西部地区︵男子︶ 三位藤女 二位高女高 一位高市女 西部地区︵女子︶ 一勝二敗 二勝一敗 三勝零敗 昭和二十六年度群馬県バスケットボール綜合選手権大会 一、期 日 一月十六日、十七日︵昭和二十七年︶ 一、期日十月十三日 二、場 所 伊工高体育館 前市女、高市女コート 二、場 所 高女高、前高コート 男子決勝 三、成績 三、成績 女子決勝 1前商 高高%!3 七勝零敗 高高男ー3 9前商 4前商OB 前工OB63−4 一位前女 一勝一敗 二勝零敗 なつたらと思つて書いてみます。 前女OG刃t22高市女OG 6前 女 高市女鍛i2 我々の歩んだ道又考えていた事をここにあげその一端でも参考に 4高市女 前女OG3412 勝 決 準 決勝 前商2 4!19太高A 前 女跨ー伊女クラブ 高高2 52 前工 高市女3 6−30全高女高 6i 前商OB2 0i12伊クラブ 前女OG舅;22前市女 前工OB⑳ー18前高YHC 高市女OG3 1−22藤女 準々決勝 準々決勝 男子之部 女子之部 前女男1 2 5 高 女 ●昭和二十六年新人地区別リーグ戦 昭和二十六年十二月下旬より 一月中旬までに四地区別にて実施 した。 北 部 地 区は実施せず 成績 一位前工高 六勝一敗 決 勝 準決勝 九勝零敗 二位前商高 四勝二敗 中部地区︵男子︶ 一位桐工高 八勝一敗 三位前 高 東部地区︹男子︶ 二位太 高 七勝二敗 四勝零敗 二位前市女 O勝三敗 4高高 前工OB44−3 三位桐 高 ︸位太 女 三勝一敗 三位伊 女 厚 ︵ 女 子 ︶ 二位小 泉 二勝二敗 仔 ︵女子︶ 三位大間々 、ーフ 8 7 ,L 攻でした。このように高校に於てはどちらか一つに重点を置き、そ 速攻一本やりと言つてもよい位です。又国体優勝の福高はむしろ渥 ることは不可能に近いと思います。高校選手権で優勝した北越商は る事が出來ればそれに越した事はありませんが、完全にマスターす つてきめてしまうことです。速攻チーム、遅攻チームの両方を備え 先ず年度が変り新メソパーになつたなら、チ!ムの性質を思い切 高崎高校鈴木武文 ソトだと思います。終りに後輩諸君の御健斗を念じて止みません。 を補ぎなつて下さい。努力こそそのチームの勝利をにぎるキーポイ 良い試合を見、研究し、それによつてチームの、ハンデイキヤップ 群馬に居ては良い試合は余り見る機曹がありませんが、つとめて 器>.するチームも出てもらいたいと思います。 もわかりませんが逞攻が多い様でしたり今年度あたりから速攻を武 北閨東大曾県予選という新しいシーズソの序曲を前にして、僕は のつまつた時に抜ける事の出来る程度のプレーを用意したらいいと 思います。そのようにしてチームの方針をきめたらコーチや場所が 問題になります。コーチヤーは良い人を持つに越した事はないので ハソデイキヤップはのぞかれるでしよう。よい意味の自分がコーチ 名の三年生部員と共に、コーチである僕の生涯の一頁に忘れがたい き、幾度か放棄しかけつ玉、遂に最後の勝利を得た時の感激は、六 今、歩んで来た一年半の道を静かに振り返ってみる。幾度かつまづ になることだと思います。一例を挙げてみますと、うまいなあとた 想い出として残るものであろう。然しそれだけに遠い苦難の道でも すが、それでなくても練習する選手の努力と研究心によれば、その だ漫然と試合を見るのでなく自分のボジイシヨンの所の選手の動き 災によりアウトドアでやつてみましたが。しかし慶応のチームに優 トよりインドアの方が確かにこまかなプレーが出来ます。我々も火 いてくれる事があるでしようQ又コートの問題ですが、これはアウ 堆積のみが一勝を決定する。奇蹟は起らないQしかし奇蹟を起すこ はない。勝利のための準備と科学的態度と旺盛なドリルヘの意志の つた。最後の線に於て勝利をつかむということは、決して偶然事で たゆまない研究心を除いては、到底達することの出来ないものであ あつた。高高OB諸君の援助と、部員達の全てを犠牲にした努力と るとも劣らぬ立教はアウトの練習をやつているではありませんか。 とは出来る。 を終始見ていて下さい。必ず何か自分の行きづまつた考えを悟り開 強引なプレー、大学一のフオ・iはアウトのたまものかもしれませ みました。我々の主眼は遅攻でしたが相手により速攻も出しました 話が前にもどりますが、身近かな例として昨年のチームを考えて たからである。それはバスケツトボールというチ!ムプレイの中に を固めたQそれは本県女子パスケットチ!ムに共通な欠陥を発見し あつた。成績は不振だつたがこの一年に僕は次年度の優勝への自信 一昨年度は誕生後間もない高女籠球部にとつて一つの準備期間で しかしむしろスタコラという速攻の様でした。前商はやはり遅攻で 個人々々の特殊性を生かすことを知つていないということであつた ん。 相手の。ヘースを乱して成功しておりました。桐工は一口にどちらと ㍉ノ 79 f ノ﹂ 即ち、ショット・アソド・フオ・1の練習に於ける具現としてのリ ヨット・更に僕のバスケット︵高校程度︶に封する根本的な考え方 ソピネーシヨソ︵GとC・CとF⋮⋮ETC︶の養成やセット・シ ること、この方針は練習にもそのまま現はれ、練習の主眼は專らコ 六人のレギユラーを各々にその特殊性においてチームの中に活用す 月になり新しいシーズンを迎えた時の僕の方針のすべてであつた。 めこまれたチームより倍以上のチームカを作り出すこと。それが四 個人の特殊性を百%生かしながら、チームとしても、一つの枠には を終る。 更に一段と跳躍しなくてはならない。希望と決意をもつてこの小文 チームも、今年は技術的にも又本県パスケツトの発展のためにも、 甘んずることなく、大きな眼で斯界を眺めて貰いたい。僕も、高女 の開催は非常に有意義とは思うが、願わくば、各チームとも小勝に 国的にまだまだの感が潔い。その点、来るべき北関東大會の本県で て一回戦は勝つことは出来たが、本県の女子パスケットの水準は全 についてはここであまり多く語る必要はないように思う。幸いにし とは今後に於ける僕の自信をも強めてくれるものであるQ国体出場 略その最後の形態を具えることが出来るようになつたのは、国体予 事実である。叉その間幾多の先輩の努力が繰り返され、中でも新町 本県に於げるパレーボールの歴史は、相当古いものであることは 部 選も間近い頃であつた。即ち、C塚越、G桂川を中心として、桂川 鐘紡チームの最後の明治神宮国民大會に於ける優勝、高崎高女及富 球 ー片野ー塚越のコソビ。桂川ー塚越−星のコンビ・叉ピソチに於け 岡、伊勢崎高女の輝かしい短跡や、これらプレーヤーの卒業後編集 排 高女橋爪記 ヴァンドに対するフオローに注がれた。 ぞしてチームとして最初の試金石たる関東大會に於ては、一回戦 に延長で破れたとはいえ、僕の計画の一端が漸く根をおろし得た感 を深めた。七月のイソターハイ県予選では決勝で前女に敗れはした ものの、却つてチームの中に一種悲批な復讐心を燃えたNせ、益々 部員の結束を固めた。更に北関東大會、両毛大會、それに夏休みに るフアイヤ:マソとしての川端の進境・そして不可能とされた速攻 した玉曜、松柏両クラブの実績等、全国的にも相当高く評償されて 治 を塚越、星のフオ・−から、桂川ー片野ー塚越のライソで出るよう いるのである。 初 になり、新人佐藤のF陣への参加はこの速攻能力を倍加した。 然し群馬パレーと云えば、当時は専ら女子に限られ、男子に於て 藤 かくて予選決勝には、僕の最初の方針、個人の特殊性が最高度に は二を数える倶楽部を除き、殆んどその存在は皆無に等しい状態 須 発揮されて前女に勝つことが出来た。人は幸運といい偶然というか であつた。か﹄る現状はやがて群馬県人の間にバレーは女子の専用 於ける前後二凹の合宿によつて、僕の計画した高女チームとしては も知れない。然し僕は勝つべくして勝つたと思つている。叉このこ 、,、 r﹂ 80 高崎技芸高校の一躍全国ベストテン圏内への躍進それに続く高高、 高校選手権、及国体でのたくましい健斗、女子に於ては群馬の至宝 本年度の成績を捨つて見ても男子に於ては高崎商業チームの関東 望も近き将来必ず来ることを確信しているのである。 い息吹をあちこちに感じ、やがて全国的な水準、いや全国征覇の野 厚く拡がりつxあり、そしてむしろ力強い明日への前進のたくまし 私はかXる現状を決して悲観的にはみていないo現在益々底辺は を絡いて見れば自と欠ける点であると思う 。 不良を挙げることが出来るQこれらは皆本県のバレーボτルの歴史 不足が第一に考えられ、次に群馬県に於けるバレーボールの現境の その原因として挙げられるものに、男子高校に於てよき指導者の より見れぱ末だ描藍期にあるという見方が正しいと思う。 扱こXに於て現在の高校バレーの展望を試みるに、全国的レベル ぼす影響を考へ、実に重大な意義を持つものであると私は考える。 るのである。故に高校バレーの在り方はその直結する肚會体育に及 くところ必ずパレーの発展を見るに至り、今後益々盛になりつ玉あ 高等学校に普及したその結果、高校を基盤とし、その卒業生のゆ 発達し、数年ならずして現在の如き興隆を見るに至つたのである。 的種目とまで考へられていた。このスポーッも高校男女間に急激に ッが勃然として普及発達し、本県バレーに於てもかつて女子の独占 然るに終戦と共に期せずして、先づ第一に国民の各位からスポー となつていたのであるQ スポーッにして、男子のなすべき業でないとの見解を持つのが常識 高商2!0小泉 高工2−0勢農 桐工2−0藤高 高高210館高 太高2!0沼高 耕工2−−前商 前工210前高 一一回戦 桐工2−1渋高 小泉2−1安中高 前高2−G富高 高高210中之条高 一回戦 男子高校之部 昭和二十六年五月三日 ●春季県下高校排球大會 昭和二十八年度記録 い研讃の結果あるものであることを選手は肝に銘ずべきである。 て成るものでなく日々の苦しい練習に獣・々として精進し、涙ぐまし れる総和力との差が勝敗を決定するので、これらは決して一日にし 体力技術気力と、同時に九名の選手と監督とが一体となつて形成さ 相手と抜を競うことによつて自ら勝敗が決するので、相手に対して 点とも云える特徴であると思う。パレーもスボーツであつて見れば かな無理なプレイを真似たがる、以上の三点が全般的に見られる欠 もいうべき、地味な守備的方面の軽硯、次に基礎的按術以上の華や 少いこと、又チームの全般的傾向として、パレーの初歩的な特徴と 唯私はこXに苦言を呈したいと思うのは群馬のAクラス校の数の である。 前女等々盛り上るこの厚きを想えば益々有望と断ぜざるを得ないの 於高崎工業高校 桐工、伊高チーム、及女子に於ては伊女、富女、小泉農高女子部、 ︺ ヱ 8 ︹ 二回戦 高女2−1吾妻 前女2iO境女 一回戦 高高210桐工 女子高校之部 決 勝 高高2!0伊工 桐工2t−高高 桐 工 2 11高工 高商2− 1 高 市 高 準決勝 伊工2!0前工 高高21 0 太 高 三回戦 男子高校之部 第六回国斑体育大會県下予選會 於高商 昭和二十六年九月八日 練習に万全を期せられたい。 全般的に前女チームを除き他は皆新人の域を脱しきれず、今後の 技、渋女と、最近頓に躍進を途げた高崎市女、高女の活躍に今後の した前女の存在が、殊に栗原、林選手が光つていた。次に伊女、高 が本年の話題をさらうであろう。女子高校に於ては断然頭角を表は 夫選手の存在が光つた。昨年同様高商、桐工と三チームの三つ巴戦 かつたことである。新人戦の観があり、技術的にも末熟な中に柳和 大量八名のレギラーを出した、高高チームの優勝は誰も考えられな 決 勝 伊女210渋女 前女2−0高抜 準決勝 前女2−0富岡東 高技2−0高商 伊女2t1小泉 渋女2−0藤女 三回戦 高高2−0前市女 前女210藤女 高技2−6高市女 二回戦 吾女2−0沼女 藤 女210高商女 藤高女2−0前市女 一回戦 女子高校之部 高商2−0高高 決 勝 高商2i1桐工 高 女2iO館女 安中女2−0中農女 室田女210桐女 期待がかけられる。 伊女2−0桐女 小泉2−1高女 前女2−0伊女 前 女210藤高女 富東女2−0藤女高 渋女211中之条 富岡東2−0松井田女 本年度最初の大會につき、各校の実力打診、及今後対戦法研究の 小泉農女2−0室田女 高高2iO伊高 好機曾につき、意義ある大會であつた。男子高校については昨年度 ︺ 2 8 ︹ 一年の山をこの大會に目ざして・血の出る様な精進を続けて来ただ 誰もが国体を夢みて若き血潮をたぎらせた、そしてどのチームも 高技2−0前女 決 勝 前女211小泉農女 高 技2−0伊 女 準 決 勝 伊 女2−1高市女 高 技2!0渋 女 前 女210高 女 小泉女2−1富東女 三回戦 渋 女210利農女 高技2−0吾女 高市女2t 安中女 伊女2−0松井田女 桐高2−0中之条高 前高2−1太高 伊高2−0渋高 富高2!1利農 高高2−0大間々高 高高2−0館高 桐工2−0群蚕 高高2−0高市高 二回戦 太高210伊工 高商2−0前工 伊高210高工 一回戦︵男子之部︶ 昭和二十六年十一月十︸日 県下高校選手権大會 今後の活躍を期待するものである。 外に第二陣として目立つたチームに高市女に渋女チームであつた 桐工2−0高高 前高2−0桐高 高商2−0高高 於高崎商業高校 けあつて、技術的にも叉精進的にも、最高を行く活気潅れる大會で 男子高校については、春の新人戦以来昨年同様高高、高商、桐工 伊高210富高 準決勝 伊高2−1前高 三回戦 の三校の箏覇戦は誰もが一応は考える︸般的の予想である。 桐工2i1高商 決 勝 あつた。 準決勝は、本大會中最も高校生らしい見栄えのある力のパレ、を再 桐工210伊高 スイクに悩まされ、辛勝のうき目に逢つている。一方高高対桐工の 高高はくじ運に恵まれ楽に準勝へと進み、かえつて伊高の飯島の 現したものとして高く評価されよう。決勝に於ては商業のサーヴと 室田2f1太田 桐女210中之条女 渋女211前市女 一回戦︵女子之部︶ 女子は結論から言えば誰が抜芸が勝つとは思わなつたであろうQ 高技2−0伊女 高商210沼女 フオーメイシヨソのうまさに一方的の試合であつた。 いまにして思えば矢張り勝っだけの事はしていると考えられるの 高市女2−0富岡東 高女2−0境女 である。只無条件に日頃の精進に頭の下る思いがする。そして誰も が群馬パレーの飛躍に驚きの目を見張つた 事 で あ ろ う 。 、ノ 83 ︹ 尾を飾るにふさわしい見ごたえのある試合であつた。叉渋女の進境 芸は言ふに及ばず、高女、高市女の手に汗にぎる好試合は本年の樟 人大会の観を呈し、だれた大会であつたo然し女子に於ては高崎抜 高校選手権といつても国体後の大会につき、精氣なくあたかも新 高技2−6高女 決 勝 高技2∼0渋女 高女2−0高市女 準決勝 高市女2−0桐女 高女2−0高商 渋女2!1室田女 高技2−0前女 二回戦 録すると、次の通りであるQ い次第である。本部の二十六年度の大会を其成績の主要なものを記 に優秀な選手を送り出すよう、立派な、単球人養成を念願してやまな いことである。此の上は更に按術の練磨をはかつて、世界の檜舞台 にスポーッマソシップが遺憾なく発揮されている点は、誠に嬉ばし を奪敬する態度も、極めて立派でいつの競技会に於ても、明朗闊達 表する次第である。特に今年念願していた選手の品性の面も叉相手 叉反面各校卓球部長の指導よろしきを得たる所と、蔭ながら敬意を ているが、之は選手各人の精進努力による所、大なるものがあるが に本県選手の抜能は全国に於いてもそうひけ目をとらぬ所に到達し 勝まで進出したことは、今年度の特筆すべきことである。このよう 男子高校︵複︶ ・万 ﹁劃劇割劉郵禦欝蝋蟄、輩曇.肇封τ 高 男子高校︵単︶ 関東大会には五組出場 ︵県下高校複の選手権を兼ねる︶ には敬意を表するo 卓 球 部 前高︵翻?・高高︵鶉 決 勝 功︵前高︶ 準決勝 準々決勝で試合中止して左記十名 柳沢 英一︵沼高︶ 関東大会︵小田原会場︶に出場 河合 康夫︵前商︶ 男 を送った。一九五二年しかも代表の面々はニウデリーに於て目覚ま 田中 洋一︵館高︶ 好 しい活躍をして、四種目優勝という世界を驚嘆させる輝かしい記録 渡辺 三郎︵沼高︶ 井 を樹立したが、県下に於ける高校生の卓球競技は如何か⋮⋮⋮八都 小淵 康︵沼高︶ 石 県の小田原大会に、前高︵井田、柳沢組︶が美事優勝し、神戸に於 武非 雄幸︵前高︶ 吾等卓球人の宿望であつた世界卓球選手権大会に、日本代表選手 ける全国高校インターハイに前市女の海老沢、持田組が準決勝まで 井田 盈纂2︷沼高︵熱 薯︵韻?・前轟盆 進み、前商︵田中、田畑組︶前高︵井田、柳沢組︶が、夫々準々決 ︺ 4 8 ︹ 工藤 慶三︵桐高︶ 清水 ︵ 伊 工 ︶ 五位決定職 回戦 和歌山高校三ー一勝 二 三回戦 都立第一商業三ー○敗退 女子高校 墨顯2︷桐高︵瀦 女子高校︵複︶ 男子高校 圏一劇濁新肉困八早六・+吉 女子高校︵単︶ 関東大会は四組出場 栗田 ︵桐高︶ 関 東 大 会 は 左記八名出場 於高崎女子高校 丸山︵沼女︶2−1吉村︵高市女︶ 決 勝 籔木︵館高︶2−1金非︵桐工︶ 準決勝 決 勝 準決勝 丸山︵沼女︶2−0中村︵富女︶ 決 勝 笛木︵館﹂高︶2−1須田︵高商︶ 笙位森千代子︵讐事一舞国畿藝羅 第三位 第四位 田中 河合 笛木 つ﹂ 十二月一日 於 前 高 田中 中村 1 河給112帯賀 2 工藤1−2占部 ︻一 r吟噛属笹噂逮選逐権汰法環斥幅腋序選 薩、 笙 位毒 癖 藤 離課驚満譜昌 耀兎 第二位 3 唐沢 佐藤 第四位 若井 ︵前女︶ 2 古稻0!2高橋 灘離な難鍵雇人国体、森ー編杣︶ 準決勝に残つた左記四名りーグ戦により国体行を決定す。 ⋮!ーtII一!ー ﹁12﹃一111⋮[ー−−−ーーー−1−−i﹃ 九 一第六回国体県下高校卓球予選︸ 月 一 ・九日於繭高 吉村︵高市女︶2−0.長門︵利農︶ 小林千代子︵館女︶ 沼女3i1富女 金井へ桐工︶2−0金非︵沼高︶ 古稻 浩子︵前女︶ 決 勝 女子高校 六月十六日 於 前 高 婁撒?・婆︵繋 婁︵蟹畢6婁︵福 嬰︵難−・婁︵燦無 持田 まず︵前市女︶ 李野 直子︵前市女︶ 鈴木かづ子︵前女︶ 海老沢マヤ︵前市女︶ 高橋美智子︵沼女︶ 金谷 節代︵沼女︶ −皿 全国高校掌 校 対 拡 県 下 予 選 一 決 勝 沼女3−2館女 田力ワ十・育同は栂ハ 前高3− − 桐 高 前高3∼2前商 館女3−2前市女 準決勝 桐高3− 0 沼 高 ハききルじ ゆラモコ ネ 七月二十八・二十九日 、全国大会 ︵名古屋金山体育館︶ ︵男子高校︶前橋高校出場 ︵女子高校︶沼田女子高校出場 戦 兵庫県篠山高校三ー○敗退 一回戦 不戦一勝 一回 ㍉﹂ 5 8 一L 男子高校輩四人神戸大会に出場 井田雄幸︵前高︶二回戦神奈川に敗退 複二組出場 8柳沢 功︵前高︶ 7 澄岡 忠憲︵桐高︶ 6 金井 荘六︵桐工︶ 5 森 孝男︵前商︶ 4 笛木 政昭︵館高︶ 3 河 合 英 一︵沼高︶ 2 田中 康夫︵前商︶ 1 工藤 慶三︵桐高︶ 男子高校︵単︶ 9 小野里 8 海老沢マヤ 7 鈴木 5 長門 5 植田洋子 4 若井 3 古稲浩子 2 唐沢なる子 − 小林千代子 女子高校︵単︶ ︵前女︶ ︵高女︶ ︵前市女﹀ ︵前女︶ ︵利農︶ ︵渋女︶ ︵前女︶ ︵前女︶ ︵伊女︶ ︵館女︶ 3 小淵 三郎︵沼高︶ 武井 康︵沼高︶ じ 高橋 4 笠原 3 原田 和子 ︵高市女︶ ︵高女︶ ! 井田雄幸︵前高︶ 高高 2︵揉蜘要 薯︸ 封 橋 沼女 井 前女 稲 谷 沼女 橋 田高女 江 橋 2 ︵金 子 !丸 6嘉 5 ︵ ロ口 圭 ﹃ ト薄 にし 4︵融 3︵顯 井 沼高 淵 い 前商 前商 ロ 藤 桐高 田 丈 3︵欝川 4︵賦 5︵關 6︵脆 三、 二、 県下高校新人卓球大会︵八月十六、十七︶ ︵高女︶ 本大会は七月二十七、二十八 福井市 奄協国古同梼い堂’梼一対抗県州トマ了選︵六月十四、率−五︶ 本大会は六月七、八 千葉県東金町 一、 関東高校卓球選手権県下予逡.︵五月三、四︶ オド トト上 富女 7︵叢 辺 館高 7︵触 竹 藤 植 田 渋女 8︵硝 橋 高商 8 ︵ ド ⊥ ﹂デ一 矛 田 野 爾新年度 ︵二十七年︶度の行事予定をあげると次の通りですQ 見 ︵沼女︶ 4 1 女子高校︵複︶ 前高︵縄︶期羅罐轡敗 ︵複︶ ・︵樹琳 柳沢 功︵前高︶二回戦山梨に敗退 退 四回戦迄進み 男子高校 前商 9 葉賀 忠幸︵前商︶ 0 新 井 雪 枝 ︵館女︶ 6 梁瀬昌恵 工藤慶三︵桐高と向戦岐阜に敗退 前商︵騨顛庫尼ケ晦高・に敗 ・︵糊瞭 0 所見 譲二︵桐高︶ 桜井まつ子 ︵高市女︶ 長谷川 ︵前商︶ 河合英ス沼高︶二回戦宮城に敗退 複 二組出場 5 1 6 1 女子高校単四人神戸大会に出場 要︵舞評羅敗退 前婁︵穫噸︶蕪蠣罐灘 小林千代子︵館女︶二回戦埼玉に敗退 海老沢マヤ︵前市女︶二回戦京都に敗退 古稲 浩 子 へ 前 女 ︶ 一 回 職 東 京 に 敗 退 唐沢なるみ︵伊女︶三回戦京都は敗退 久保田 ︵高商︶ 2 木村 昭和二十六年度県下高等学校生徒卓球順序 2 六本木 ︵藤高︶ ︺側 6 8 ’し 成することと、年令は当該年度四月一日現在満十九才末満であるこ たから、此のこと御知らせ致します。但しチームは定時制だけで編 れませんでしたが、今年度から全日制同様出場資格を認められまし 次に碕高体連主催の全国的大会には、定時制高校は出場を認めら 本大会は十二月下旬 福島市 五、全国高校選手権県下予選︵十一月二十二︶ 本大会は十月下旬 仙台市 四、第七回国体高校県下予選︵八月下旬より九月上旬︶ 徹しなければならぬ。上へ上へと望む自分の気持が変つてしまい、 になってしまつた。一考させられる事だQやり始めたら、初一念貫 やつていたのであるが、一月、二月、三月、半年と経ると、七人位 時同級生が五、六十人はいたであろう。桐のパットを持つて夢中で な事に将來自分が選手になろうとは夢にも想像しなかつた。一年当 部に入部したのであつた。選手になろうとは夢にも思わず、不思議 卓球を好みた黛カントゥを取り、ラケットをにぎり、伝統ある卓球 クリエーシヨソの代表的快音であつたからであるQ私がこんな所に されたのであろう。実に今になつて自分ながらよくやつたと感ずる 倒れる様になつても、一心に猛練習し口で言えない不屈の魂に左右 桐高一年の時選手生活に入り、代表選手としての責任に疲れても、 更痛切に感じるo誠に十二分に味うべきは、先輩の奪い忠告である 達者をよく見ろといつただけであるが、いかに影響が大であるか今 術を読み取り身につけようと真剣に研究したものだつた。先輩が上 年中かかさず必ず試合場へ行き、そして多くの試合を見、多くの技 先輩の檬な選手になる為に、満三年間先輩の弁当持ちであつた。一 藤 慶 三 とを 附 記 し て お き ま す 。 卓球生活を省りみて 桐高卓球 部 工 過去六年聞卓球生活を回顧する時、種々の蓬きせぬ想ひ出が切々 入学当時、ある町角でどことなく快音が聞えて来る。その時は社会 その流れ去つた足跡をたどつて反省をしてみよう。終戦直後、桐中 叉それ以上に育てあげなくてはならぬ。六年問流水の如く去り、今 果して守れるだろうか疑問であつた。よき伝統は忠実に守るべし、 かみしめて努刀した先輩、しかもよき伝統を我々に残して下さり、 る迄必ず優勝するぞと、内心に誓つたのである。桐高は卓球部創立 前高の選手と合い、惨敗を喫した。あの時よし学校対抗には卒業す 心よく思告して臭れるのだつた。初出場県下学校対抗で、準決勝で すべて気を付けるが、時々失敗をするQすると良き友︵卓球人︶が なければならぬ。汽車の中であれが卓球の選手かと言われない様に る必要があると認識した。試合に行くと、各校の選手と挨拶を交え 按術向上ばかりでなく、選手になると一言語、作法等、色々気を付け 人が娯楽として栄えたのであつた。た黛それだけなのに深く印象に 以来団体対抗に一度も優勝しておらず、勝ちそうでいつも決勝で敗 と胸に迫る。桐中時代水害の爲卓球場が全滅となり、これでも歯を 残る、何故であろう。実にそれは真に楽しむ所から湧き出ずる、レ ﹂︺ ず 87 一し 考えも及ばなかつたが、個人ゲームの悲しさである。同級生が同じ 年は必ず出場するぞと誓うのであつた。二年の時主將がいなくなり つた母親に見せてやりたかつたo若人の喜びをこNに味い、再び來 国歌君が代を合唱した時は、倒れる程感無量であり、援助して下さ 式に入揚し日本最高のスポーッの祭典にスポーッマソとして参加し に初出場し県の期待にはずれたのはまことに残念であつたが、開会 きをした。これ以上の幸福があるかと疑う程であつた。第五回国体 来たのである。まるで夢の様だ、感激に胸がなり心が震えうれし泣 つた先輩にはげまされて、県第三位に入賞し、晴れの国体に出場出 自分でも信じなかつたか希望はあつたQ高校二年蔭で応援して下さ 誰れが私が国体の代表選手になろうとは、卓球人は信じなかつたo を行つた。同時に関東予選、東毛地区と連続勝利を得たのであ.つた いて一諸にやつた冬の最中にも、雨や雪が降つても欠さず必ず練習 でマラソンQ縄飛び後練習にか玉つたQこれには二、三の共鳴者が 猛練習を実行した。実につらかつた。朝五時半起床六時より、学校 者がなかつた。結局最後迄残つたのが二人であつた。国体を目指し 勝手な皐をやり、上級生として掃除を命じても、自から進んでやる 生かと思う程苦しい体験をしたのであつた。合宿練習中七人が自分 らなかった、私が、相当期待していたにもか&わらず、これが下級 下級生を知つたのである。教育制度切り換えで、四年間下級生を知 な事を過し、副主將として責任者の一負担を与へられた時、始めて た。敗れてはあの事、この事と一歩一歩と反省した。丸一年この様 国体予選と見事に敗れ去り、着々と敗れた原因をつかもうと努力し れてしまう。先輩が幾して異れた随一の課題であつた。関東予選、 この様に卓球生活五年間を送り高校生活最後の一年間、有意義に送 が何のこだわりもなく無事終了出来たのは責仔者として嬉しかつた 出來ず全敗に帰してしまつたが、誰一人不李はいわなかつた。試合 片道二十五分の道程をリヤカーで運搬した、全員疲勢の為全然活躍 の朝練習も出来ず、部員全員で体中が痛いのを何も言わず女学校迄 夜八時迄かかつてLまい、それでも卓球台不足の為翌日︵試合当日︶ 最高の責任者としてマラソン終了後、休まず会場用意に中食ぬきで 日が全日本選手潅第一次予選を、本校で行う專であつたので自分が ても何事にも感じなかつた事がある。それは校内マラゾソ大会の翌 の価値は生れると、自分が初めて体験したのであつた。試合に敗れ で物事を解決し、牽先的に部員を導かなければならぬ、こ玉に主將 であり、自己の思つた通りに責任をもつて進むべきだ。正しき判断 の関連をうまくやつて行き、一部員団体の意見をまとめるのが主将 い、このスポーッを後輩に残した随一の経験であつた。主將は縦横 り、チームワークの方が第一だ個人ゲームである故に自分勝手が多 眞剣に練習をした。五人が心一つになつた。これでいい勝利などよ 優勝しなければならぬ義務があつた。部員はわずか五名になり互に 先輩が慰めて呉れた。責任軍大だぞ“来年はケそ5だ自分は団体に るかつたと一一、員えばすむことなのに、この様な悲劇を生んでしまつた ずかの原因で四年間一緒に練習して来たが云つてしまつた。私が悪 絶体服従すべきだQお互に若かつたo自分も個人主義であつた。わ り、言う時は言う、こうでなくては駄目だ。主將になつたら部員は 価しすぎ自分勝手な行動をしている者は一入前に言う。やる時はや 技量があつた場合、必ず内雫か生じるのである。自己の腕を高く評 転︺ r楓 88 卒業出来るここに部長先輩高体連役員の諸先生、及び卓球協会の人 るQ先輩の残した義務を万分の一でも返す事が出来たので安心して 都し心を合はせ県下倶楽部対抗に初優勝し、再び手を握つたのであ 最後に私の義務であった団体対抗に、一年前去つた友が、再び入 好する限り目的を冒指し。 必ず初一念を貫徹したい、一般人になつてからでもよい。卓球を愛 つても其の機会はすでにない。全日本制覇を夢みてもう一度立直り 試合経験を生かし理想的練習法により最大能力をあげるのだがと思 台で実力を出しきらず敗れ去つてしまい若しもう一年許されるなら 会には無惨にも敗れ去つてしまつた。最大の努力をしてみたが檜舞 全日本高校選手権、第六回国体、全日本ジユニアi選手権、関東大 恵まれた環境を持ち、弱い自己を鞭打ち最後迄努力をして来たが、 ろうと覚悟し、今迄の倍以上猛練習したのであるが、練習場として でともしびにたどりつく事が出來、出場権を獲得する事が出来たの 起し、落胆せずに、碕も続けて参’りましたQ争、の結果ようやくの事 按術こそ大きな条件である﹂とコーチヤーから教えられた事を思い とさえ思いました、けれども、いつか﹁試合に勝つと云う事は単に 信を失つてしまい、劣等感を持つようになり、断念してしまおうか かえつてやればやる程むずかしくなり、苦しくなつて来て、全く自 ある時には、いくら練習しても練習しても上達の跡は見られず、 持つ事は出来ない程の忙しい毎日を送つて來たのでした。 も、卓球のための練習日に、合宿日にとあて鼓少しも目由な時間を よそに日のある限りは練習を続け、叉学生としで、一番楽しい夏休み 数の予選やら、大会をめざして、さえずる小鳥や、喫き匂う花をも 先ず、希望に満ち浦ちた、新学期早々から、これから開かれる、数 いで参りました。 れない、彼方のともしびを目標に、学業のかたわら、一心に力を注 りませんでしたQ は及ばず、何時の大会にも二回戦、三回戦位の低いレ.ヘルでしかあ びつつ、出場は致したものの、私の技術は、とうてい他県の選手に いよいよ、自分の力を表で試みる機会を得られへ不安の中に本士暑 でした。 人の厚き御援助を感謝し、今後共に御鞭達をお願いし、後輩達に “何事でも誠実にやれ”この一言を送つて愚筆をおわる。 卓球生活を返りみて 館林女子高校 れしかつた事、苦しかつた事、くやしかつた事、様々な事柄が今と 学校を離れるに当り、過去三年間の卓球生活を返りみますと、う つて、群馬の名を高く融えして頂きたいものです。 この汚名をまだ学校に残れる皆様に、是非と本挽囲して私達にかわ 後迄芽を出す事が出来ず残念でなりません。 今度は、今度はと大きな望みはかけて居りましたが、とうとう最 なつては皆なつかしい想い出として、胸をかすあますo スポーッを通しての、喜び、苦しみ、悲しみは捜術の高底にかかわ 小 林 千代子 何気なく始めた卓球も、いつの間にか慾も深まり、達せないかも知 ㍉ノ 89 ゴし られ、試合に於いて栄冠を得られた以上に、輝かしいものとなる矯 でも通りぬけられるならば、その時こそスポーッマンの価値を認め この感激多い、スポーツ精神が何事にも応用出来、いかなる茨の道 らず、スポーッマソでなければ味わえない、美しく、奪いものです 況になつてきます。この様な情勢では講和条約が成立すれば、日本 ド大掌チームを、招聴する計画とか聞いており、国際試合も年々盛 ンド軍︵在鮮︶チームを、叉秋頃には本場の英本国オックスフオー チームを迎え、東京と大阪で四試合をし、叉春頃にはニユージーラ う〇 チームの外国遠征の計画される日も遠い將來のことではないでしょ スポーッ精神をもつて、社会にスタートする私も歩んで来た過去の 一九五一年度本県高校ラゲビー界の足跡を回顧すれば、その進歩 せう。 道から得られた何物かが、人格修養の一端ともなければ幸せです。 は目醒しく各校のレベルも精々均衡化して來ましたo芳・の長足の進 歩は、本年度の県下県外の全試合を通じて、負傷者の皆無と試合の スピーデイーがよく証明しています。ラグビー競技は互にフルスピ ﹁喰わず嫌い﹂と云う言葉がありますが、先入観的に観戦もしな の研究と理解の成果でありますo蛇に多数の人々から考えられてい ルールの理解、試合の運び方等各校部長先生の好指導と、選手各自 ラ グ ビ いのに過激な乱暴な競技で、ラグビーをすれば死んだり大怪我をす た、﹁ラグビーは怪我をする危険な運動である﹂と云う定義は完全に ードの闘に、肉体相打つ猛烈な競技であるから、基礎練習の充実、 るものであると考える人が多いようですが、そんなことは全く考え 覆えされた事は高校ラグピー界にとつて、 一九五一年度の大きなプ 一九五一年度の香校チームの戦績ぽ ラスで、真に嬉ばしいことであります。 られない。もつと死亡牽の多い蓮動は他に沢山あります。それをラ グピーのみに強調されるのは不思議と申す外ありません。 ラグビーは英国の国技の一つで、過激な競技であるため特に精神 ◎春季県下リーグ戦 五月五日 面に重点をおき、規則の遵守を彊調している競技で、レフエリi︵審 判︶はその試合の絶対権限を有し、他人の容啄を許さない。選手も 於高崎工高庭 レフエリー赤坂好夫氏 T G レフエリー 岡朋由重氏 0 0 6 4 ユ オズ 冠 計反則 0.q 124 そのジヤッヂ︵到定︶には絶対服従することになつております。 るそうです。 .藤 高 11 00 高工と30U 英国ブロック及び敵洲各国では盛んに行われ、日本でも終戦後急 同 於棚生高庭 英国では、、葬這饗二のQ。巣す壽ロ”、と、一口に言いならされてい 激に盛んになつてきました。最近︵一月下旬︶全香港︵駐華英軍︶ 幅fノ 90 ’し 63 11‘2 G 高高3ゼ0T T G 0σ.013 R.計反則 桐高0σ0σ 五月十二日 於 高崎高庭 レフエリー 岡田由男氏 5 う 0 1 0 G 計反則 高高5イ0ヲ T G O 万 0 4 0σ 611 計反則 H 6 0 σ 333 レフエリー 岡田由重氏 0σ一2 レフエリー 岡田由重氏 0 ㎜0 つ﹂ 6 P. G 計反則 68 O 一 〇つ辺 rフ R G 計反則 レフエリー 大友正巳氏 −一〇 R G レフエリー 岡田由重氏 R 高 工 OU Oσ 五月十九日 1 0.O 於前橋高庭 肯同 ︸上 −i T G 桐工910τ 五月二十ムハロ目 於桐生高庭 桐工2万 三 2 T G 藤 高 10 0 ㎜ 0 同於桐生高庭 桐高2σ 2 牙 T G 高 工 1σ Ob 山ハ月二十︸二日 於高崎高庭 藤 高 oo T 0 0 訓.反則 の ぴむ 0 0 35 ﹄一 7 E ︻ G ⋮一 G 2Qノ レフエリー 岡田・由重齢へ 桐 高 42 同 於 同 ﹃Q/ O 〇 P. oσ︸99 て コ G 畜反則 ︸ 一 10 一1’ 4 高高92 丁 桐 工 3じ 以上の通り高高四勝零敗、桐高二勝二敗、桐工二勝二敗、高工一勝 三敗、藤高零勝四敗、前高不参加で高々優勝 ◎国民体育大会県下予選 群馬県ラグビi協会の規約に依り、春季りrグ戦に於ける上位四 91 ﹁ノ 桐生工業高校・高崎工業高校が出場、トfナメソト式による試合を ,し 校が出場資格を得ることになつているので、高崎高校、桐生高校、 行い、次の成績により高崎高校が優勝、群馬県代表として関東地区 0 0 E ﹁ ︹ .計反則 00 9 5 レフエリー 岡田由重氏 予選に臨むことになりました。 ●県下予選準決勝 八月二十六日 桐 工 2。− 於高崎高庭 丁 00︸3 う 一4 レフエリー 岡田由重氏 1σ一8 2 00﹄08 P ︸ ︸ ︸3 1菩 ∫ 計反則 ハUムU G 2]3 G 桐 高 1玄 同 於 同 o 高 山尚 41 丁 高 工 o ●県下予選決勝 九月一日 於高崎高庭 レフェリー 岡田由重氏 G 高高200じO歪H− o︸89 T G 計反則 P. 高崎高校 豊多摩高 12 ︵U・1 00 G G T R O石 00 1百 1 5 [4 許反則 3 4 以上の戦績を以て高崎高校が関東地区代表とたり、第六回広島県の 大会に出場灌を獲得しましたoこれで高崎高校の関東地区代表とな ること、全國高校選手権大会を合せて五度、うち昭和二十四年秋以 来関東四連.覇の大偉業をなし遽げました。 桐高Of二〇〇 ●國民体育大会関東地区予選 ●国民体育大会 十月二十七日 一計反則 一3 6 レフェリー 鈴木素雄氏 − 於広島県大学江波分校庭レフエリ!丸岡隆二氏 Q 0 0 6 0︻ 九月二十三日 於高崎高庭 高崎高校 歪3 圭O G P. T G 計反則 高崎高校 0 〇 〇口 T G G P 秋田工高 2 2 01 圭o ﹄204 高崎高校が関東地区代表として国民体育大会に出場すること三度 昭和二十三年の福島大会では、九州地区代表修献館高校と対戦、3 レフエリー 川田大介氏 0 31 対Oで惜敗、昭和二十五年名古屋大会では、優勝校強豪東北地区代 ︵水戸︶ 0 176 新潟工高 00 0石 0[ 九月三十日 於 水府グラウソド 計反則 8対3で残敗、本年は叉広島大会で宿敵秋 表秋田工業高校と対戦、3 P. G レフェリー 木村 力氏 手全員相当の自信を持ち、昨年の仇をとよく奮戦、敗れて悔なき試 0封3で敗れましたもの、此の試合には選 田工業高校と再び対戦、2 旦0[07 高崎高校 0丁 OO OU T G 水戸農高900石 十月七日 於高崎高庭 合をした事は、關東代表としての名をはずかしめないものと思いま ●秋季県下リーグ戦兼全國高校選手権大会県予選 す。 6 0 高崎高校 工0 0U 0 G T G 計反則 R O 3珍 ︵ U 千歳高校 O 1 0 σ 於桐生高庭 レフエリー大友正巳氏 十一月三日 レフエリ ー 小 林 氏 十月十四日 於東京ラグビi場 ㌧3 2 9 r㎏ 高高2︷301 T G 高工00 0σ 十一月三日 0 1 G レフエリー大友正巳氏 十一月十七日 於桐生高庭 お2 計反則 1 ⋮2 213 RO O 桐高of圭2 G。 計反則 E 珍3 1 0 レフエリー 岡田由重氏 。罰反則 G 、。嘱2 T G 〇σ﹂0 9 レフエリi 斎藤和衛雪比 つ辺 4 R 一 前高0︸0 0σ 〇一〇 計反則 fフ 3 G. EO O レフエリー 岡田由男氏 G 計反則 0 百 115 T G 0 . 08 πフ R 前高−.0 去0 レブェリ、 岡田由男氏 0〇↓36 G詐蚤 レフエリー 岡田由重氏 賑。田7 同於藤岡高校 計反則 藤高〇一〇〇σ ㎎亙。う 高高歪2⊥4 礎。蕾9 T G 桐 高 2丁 0τ T G 高工1石0百 同 於 同 桐工旦20.− 於 前橋高庭 高 工 0σ 04 十一月二十三日 藤 高 ⊥0 0一〇 T G 同於藤岡高庭 高高三42強 同於高崎高校 桐工0玄1丁 T G 一〇 7 レフェリー 岡田由男氏 0石一〇 2 G 塁計反則 1T o℃房7 於桐生高庭 桐 工 4了 丁 O︷0 レフエリー 岡田由男氏 G 計反則 エリー 岡田由重氏 0 ﹄ 00 rフ G ﹁計反則 レフ 0 0 O 4 OO E G .2 0 〇2 1 220 0 藤高0.0 同於 同 桐 高 2 丁 前高00 十一月+日 0百 G レフエリー 岡田由男氏 0、− . 3313 2T E 於桐生高校 高 工 oσ 丁 桐 工 芝2 同 於 同 計反則 G 0 σ 8 2 T G O 〇 9 一〇 高 高 01 1σ 桐高0石00 レフエリー 斎 藤 郷 和 衛 氏 0 ︵ U O 6 R G 計反則 6 7 0 、0 P 同 於 藤岡高庭 前高皇2 皇 O T G 藤高0℃ 00 ︺ 3 9 一し 十一月二十五日 於前橋高庭 前 高 0σ 丁 高 工 o万 同 於 同 高高42 丁 桐 工 oび 0茗 レフエリi 岡田由重氏 高崎高校 水戸農高 0 0 丁 重丁 2000石4 ね。鄭。臨 椀に惜敗し、関東地区五連覇の夢もついえたが、F・Wの残敗をT 160 1 一− 3 ぴ 156 ・Bよくこれをカパーしたがカつき試合終了後皆疲労困懲し、満足 全国大会関東地区予選は・以上の成績で決勝戦で宿敵水戸農業高 レフエリ玉 根豊序繁氏 水 野 T・B 越沢塚口閑塚森田 H・B 清吉 校 見 後 高 塚高飯出.新大小安 崎 〆量’壼ー¥ 高 F。W 水 プし F●B 橋 内木野口 高 戸岩 竹植星河 H・B 野 島 徳高、長山 山橋谷崎 青 木 二 黒 館 毒 T●B を H・B 遠 藤 F●B ︷ F・B F・W 田 橋 井賀山辺 久美 津大李渡 ダTし ●B 倉口村屋上内沢石 山 高 ヂし OB ToBF 校 高 秋田酒西小中小新 水 ノぎぢききき ミしう 桐 F◎W 山村井田川島林井 保 沢沢 林 新 深相 一九五一年度各校のメンパー次の如L しい試合でありましたり に歩行出来る者はありませんでした。然しこの試合は敗れて眞に惜 0一〇 石山木古池伴石明 H。R 井 部林掛崎見田 高⋮ 堀 エ一 金 岡小藤岩鶴蓮 生︸ ,15曇ノ重嚢雫 稜︸ 高[ 桐︸ FのW 喬⋮ /ξヒ屋¥ 負一 野 0 σ 781 G 計反則 G R 3σ 互7 0 4 計反則 G G E O0 O万 以上高高五勝零敗、桐高四勝一敗、桐工三勝二敗、前高二勝三敗、 高工一勝四敗、藤高零勝五敗の成績で高崎高校が再優勝し、全国高 校大会関東地区予選に出場資格を得ました。 29 レフエリー根本弘道氏 ●全国高校選手権大会関東地区予選 十二月一目 於 高 崎高庭 高崎高校 工 2 2 至 G 8 5 計反則 一 ﹁ 7 T G P. 〇一〇 レフエリ1 品田通世 宇都宮高校 Of OT 十二月九日 於新潟県営グラウンド 高崎高校 32 0⋮3 0 レフエリー 梅 本 二 郎 氏 ︸0 1 27 G 計反則 T G E 新発田高 00 00 o∬ 010 十二月十五日 於東京ラグビー場 ︺ 4 9 ︹ 卸口井謁林塚井戸 高 ︵ ズ\ 事 富田 俊 一 F●B チし 平 野 ︷ 尼岡 井倉川沢 原 桜沼相大 H・B 石越非林 中 大 F・W 田 中 フ イ Tく oBF●B 谷田櫻山前原根田 T●B 白塚桜小 H●B プヤし 原 田 工− 水 水 ヲ 清田平清小大新小 崎一 高⋮ 校 高 針山井春宮岩関吉 岡 F。W 藤 附 記 −三点 得点に就いて T︵トライ︶⋮⋮⋮⋮ :五点 智 :⋮⋮一二点 G ︵ ゴール︶:・・ L ︵︵ペナルテイーゴール︶ サ ツ カ は嬉れしかつた。 A 群馬県高校サッカー春季大会 於 高崎高校 期日六月ニニ百 県内七チームをAB二組に分け︵オープン抽籔︶各組内でリーグ 戦によりニチーム宛を選抜、トーナメソトにより優勝大会を行つ た。成績左の通りQ 一ー3藤岡高校 [ ー3高崎高校 高崎高竿﹁r・勢多憩辰林山、同校 ︺ f2館林高校 予 選 B 第六回国民体育大会群馬県 会 於 太 高 高高 館中 95 ’し 期日 九月一・二。九日 一回戦 館林喬校510太田高校 沼田高校3−0伊勢崎高校 勢多農林4!0藤岡高校 塗決勝 館林高校5f1沼田高校 高崎高校2!1勢多農林 館高、高高雌雄伺れとも決しなかつたがチームワークに一日 決 勝 館林高校1iO高崎高校 全国の雄埼玉、栃木に挾まれながら、さ程の進歩の見られなかつ 長ある館高に凱歌が挙つた。 治 た群馬のサッカーも、昨年︵昭和二十五年︶に於ては、﹁全國大会よ 国体北関東予選は九月二十九日、三十日茨城県日立市会瀬グラン 徳 りも北関東予選の方が手強い。﹂と言われる程に向上したが、本年は ドに群馬、埼玉、栃木、茨城、各県一チーム宛参加して挙行、館高 島 幾分低調であつた様に思われる。ただ十二月の全国高校北関東予選 はよく戦つたが宇高CFの彊引なシユートよく決り途に9封0で破 飯 に真岡高校と互格の試合をしてその技緬の向上を裏づけてくれたの ﹁0館林山口同校︵群馬︶ 一ー0水戸工業高校︵茨城︶ 校ー﹁。﹁9宇都宮山、同校︵栃木︶ ドに於て四チーム滲加して挙行。 6]!2館林高校 きコ ︸ .i3値岡高校 浦和高校は広島市に於ける第六回国体に決勝で大阪代表三国 重の一点を献上惜しくも破れた。 館高Gに 君が隣接グラウンドのフオイスルを聞き誤り貴 ︵抽籔勝︶ 丘高校を破り輝く全国制覇を途げた。 真岡高は昭和二十七年一月西宮に於ける全国大会に、九州 轟高校﹂ 群馬県高校 サ ッ カ i 選 手 権 大 会 代表熊本高校を二封○で、東京代表大泉高校を6対2で破つ Otl水戸工業高校 一ー ー1宇都宮高校 第三十回全国高校サッカー選手権大会及び第三回関東高校サツ たが準決勝に大阪の三国岡商校と対戦三対○で破れた。 ー5﹁9浦和高校︵箋︶ カー選手罐大会の群馬県予選を兼ねて十一月十・十一・十七日 南関東から出場した浦和高校は、決勝は又も三国岡高校を れた。 e 太高、高商グラソドに於て挙行、館林高校が優勝した。 寛 一対Oで破り、輝く六十連勝を記録したQ 晃 10伊勢崎高校 ﹄,− ル部 谷 ソフトボ 池 皿Ω 6・ー1沼田高校 ㎜.± 一 .!6高崎高校 一 一ー1太田高校 皿 i2一 館林高校上 ﹁5館林高校 ー○ 子を九月二日開催予定であつたが、一般女子の参加がなかつたため 第五回県昆体育大会兼第六回国民体育大会群馬県予選 関東高校選手灌大会は十咽月二十三・二十四・二十五日神 高校の部を県立会場と、市立会場に分けて同日実施した。一会場で ︸ ー1藤岡高校 奈川県湘南高校にて挙行。群馬県代表館林高校は一回戦に宇 七試合づ&実施したので、試合前の練習時間も少なく、その上決勝 県立高崎女子学校庭で、高校女子、高崎市立女子高校庭で、一般女 都宮高校と封戦、よく戦つたが5iOで敗退。 まで進んだヂ!ムの選手は、一日に四試合もやつたのて、この様な ﹁。﹁2勢多縣高校 全国高校選手権北関東予選は十二月一日宇都宮総合グラン ︺ 96 ︹ ろで、今後の練習によつて、來るべき秋の選手罐大会には、いづれ 仁田高校、高崎市立女子商校の三チームは、実力伯仲と云つたとこ 上手で、コーチの力が相当加わつていたようだQ桐生女子高校、下 次にその成績を発表するが、優勝した高崎市立子女高校は、試合 い た 事 で あ る と思われる。 してくれた事と、記録でもわかる如く、各チームの実力が伯仲して も出ず、一日で十四試合実施出来たのは選手各位が統制ある行動を 拘らず﹂態手の方々のスポーッで鍛えられた寛容の徳に依り、文旬 計劃をした事を経費の都合とはいえ申訳なく思つている。それにも だチームである事を考える時、本県は国体には参加出来なかつたが 膚須賀女子高校は、尾道で開かれた。国民体育大会で決勝まで進ん 栃木県須賀女子高校6−3高崎市立女子高校 選の成績を附記する。 次に本県予選会で優勝Lた、高崎市立女子高校の関東ブロック予 菖崎市立女子高校2ーー1桐生女子高校 決勝戦 桐生女子高校3Af−2下仁田高校 高崎市立女子高校7−i4前橋市立女子高校 群㌧ ・マ一、マロn”、目ヨ したものと云えようQ ︵委員長 沢田市治郎︶ 記録の上からは、本県のソフトボールも、一応全国の水準に迄到達 が覇 権 を 握 る か 、 疑 問 で あ る Q 第一回戦 高崎市立女子高校9ーー1藤岡女子高校 前橋市立女子高校5−4澁川女子高校 次に本県予選で優勝した高崎市立女子高校の主将鼓に投手の抱負 を披露するQ 私達の学校は、ソフトボールが学校体育として登場した。ソフト は他の運動と比較して、とかく興味が深いようである。総べてスポ 前 橋 市立女子高校4−0館林女 子 高 校 高崎市立女子高校珍A10利根農業高校 第二回戦 い、何時も優しい先生に働まされ、毎日練習をした。いよく県下 ている。県下大会を眼前に控えて、炎天下を汗とあぶらに全身を被 私達ソフト部は、鈴木先生監督のもとに、一年生により紺織され 養を高めることに他はないと思う。 ーッの精進は、健康で有能な身体を育成すると共に、良い性格と致 下仁田高校9−1前橋商業高校 大会に出場し、私達はやがて榮冠を獲得することが出來た。成績は 館林女子高校恥f5伊勢崎女子高校 下仁田高校8ーー7高崎女子高校 前橋商業高校7−3私立常盤高校 桐生女子高校3i2沼田女子高校 太田女子高校4−3安中高校 桐生女子高校11−5太田女子高校 ︺ 97 ︹ 最善をつくして、頑張る不屈の精神と、ルールに正しく從い、勝負 度で、学校社会のすべてに向つて、努力して行きたいと思つたo 残念ではあつたが、私達はスポーッマソとして、名に背かざる態 の向上にも大いに役立つ事であろうo はたとえ破れたにしても、倖があつたように思えた。これからの部 くも惜敗した。然し此んな名巻ある学校と接戦することが出來たの 只私達は協同精神にて優勝を目標に、全力を墨した。然し折り悪し 県の須賀女高と対戦した。此の学校は前年度の優勝チームであつた 次いで間もなく関東大会が、水戸市に於て行われた。私達は栃木 前に掲載されているので、略させていたΨく。 高崎市立投手品川 これから一日々々の練習が大切だと思つて居りますo 試合の運行もただく十分でなく、其の球技を良く理解する様に、 フトボ!ルはなんと云つても此の二、三年のことで、抜術上にも、 は余りにも少なく身近なところで、プレーする事が不可能です。ソ りませんか。しかし残念な事には、ソフトボールを楽しむ女の人々 ーッを愛する皆様によつて、今から良い部を編成して行こうではあ けであります。しかし設備など不完全なのが遺憾であります。スポ はスポーッの一つである、ソフトボールと云う新しい部に入つたわ スポ、ツマン・シップとしてのあじわいをうけたのです。そこで私 たいQ 感謝し、本校の体育並に部の発展に、たゆまざる努力を続けて行き して熱心に御指導下された、鈴木先生を始め、諸先生の蔭のお力に その上、国民体育大会本県予選で優勝し、関東ブロック予選に出場 昨年の同大会に比較すると、滲加校が少なかつたのでさびしかつた 十二月八日安中高等学校庭に於て実施した。時期が悪るかつたため 第二回群馬県高等学校ソフトボール選手権大会 にこだわらぬ正々堂々たる態度を、実生活に生かして行きたいQそ 高崎市立主将 福 田 玲 子 した感はあつたが、東西の両勇、桐生女子高校、下仁田高校の参加 した、高崎市立女子高校の参加がなかつたのは、一層さびLざを増 ﹁健全なる身体に健全なる精神が宿る。﹂我が国のスポーツはあら があつたため、本大会の意義は充分あつたと思うQ 子に適当するところのスポーッも盛んになり、今日はソフトボール 不仁田高校12−1前橋女子高校 太田女子高校14−6安中高校 第一回戦 次にその記錬を発表するQ ゆるところに発達し、戦争中出来なかつたスポーッも戦争後は具体 化し、老人に至るまでスポーッを愛し、興味を持つようになつた。 という女子野球も生まれ、健全な身体を作る、私達にとってより艮 準決勝戦 それはすぐ手近にあるところのスポーッ野球であるoそれと共に女 い運動の一つとなつたのですo 桐生女子高校6A−4太田女子高校 ツ ゲ、れはあくまでも勝負を目的とずるのではなく、どこまでも健全な ︺ 8 9 ︹ 下 仁 田 高校︵不戦勝︶ー沼田女子高 校 決勝戦 下仁田高校12−5桐生女子高校 0 1 三 〇 一 7 0 三・ 2 0 0 計 12 0 0 0 5 筒優勝戦の下仁田高校対桐生女子高校の記録を、詳述する次の通 りで 桐生女子高校 下仁田高校 豆A慰 1 2 3 4 5 6 7 ︼回の表、下仁田高校の攻撃の際、下仁田の打撃が振つた事と、桐 生女子高校のエラ⋮で、一挙七点と云う、大量を下仁田高校は、か せいでしまつた。これが桐生の敗因になつた事は、申すまでもない 事であるが、二回以後は、攻守共、実力伯伸、一回の大量得点がな かつたなら、国体予選の、高崎市立女子高校対桐生女子高校の試合 の如く、観客は・おそらく手に汗して、観戦した事であろうQ 委員長 沢 田 市治郎 ンドボ㌃ ル部 ハ 昭和二十六年度活動状況一覧表 町 四月二十七日 八月十一日 田 歳 雄 一広島ー背美高校 十月二十一日 第四回定例委員会 ﹁駒沢大学 蕩議事項 ① 高松宮賜杯 一①上記事項の報告 一協議事項 臨時絡会 第三回定例委員会 場所ー岸記念体育会館 協議事項 ①二十年年度役員改選 ω二十六年度行事予定 全国大会の ⋮ ⋮図第三回全日本選 準備に就て ﹃手権に就いて ω優勝旗負担 ⑧東西対抗開催の件 ㈲高松宮賜杯全高体連 是非に就いて .⑬東西対抗開催の 選手権大会の件へ第二回︶、 金 ③ 東西対抗 ⑤優勝旗作成の件 競技活動 二 日 高松宮賜杯第二回 東京 出場 e 八 月 十 ↑ 全日本塙校ハソド →駒沢競技場 富岡高 五 日 ボール選手権大会 ︵三回戦︶ 十 ㊧ 十 ︸ 月 二 十 三 日 第五回全国高校 →今治市 東西対抗 ︵愛媛︶ 七月二十九日 第三回東日本 →福島市︵第三位︶富岡高 昭和二十七年度行事予定︵県外関係︶ ◆ ハン一卜一ホールの近況 三十一日 ︵一回戦︶藤岡高 ㊧ ↑ 高校選手灌大会 ︵四回戦︶桐工高 1 ︺ 9 9 ︹ e 第三回全国高校選手灌大会←県予選を行い優勝校が出場する 期日u八月二十三日∼二十七日 場所肩大阪藤非寺 ◎ 第四回東日本選手椹大会⋮⋮⋮⋮⋮←自由参加︵県で予選を するか否かは自主的に決定する。 期日u七月二十八日ー三十一日 場所肩愛知県一の宮市 ㊧ 第七回国民体育大会⋮:⋮・:←関東ブロックより三チーム・ 小ブロックに分けるか否かは未だ決定しない。 期日巽十月十九ー日二十三日 場所裡福島市 2 国際関係に就いて 先般スエ;デソサッカーチーム訪日の際、副団長りーベエル氏︵国 際ハソドボール連盟会計︶、が十二月三日午前九時より駒沢ハソドボ 、ル競技場に於て、巨本の指導者を集めて講習会を開催したのを機 会に国際的に活動を開始し、今般六月八日ー十五日の間、スイスの バーゼルで世界ハンドボール選手権大会が挙行され、六月十四日に はスイスのマグリソゲソで会議が開催され、叉九月十九、二十日に 水 泳 i旭 部 津 田 貞 ●第六回県選手権兼国体選手第一次候補決定会 高崎プール 七月二十二日此の大会に於て、高校選手は各種目共十名内外宛の 候補が選抜せられ、第二次決定会に臨むことになつた。左の県新記 録生る。 五十米自由形 清水健︵高高︶ 二八秒二 百 米目由形 鞭 ︵ザ︶一分四秒四 五十米耶 泳服部良和︵伊高︶ 三四秒O 百米背泳 二百米 仔 百 米 厚 五+米自由形 ⑤栗原 等︵伊 工︶ ③午野 雅子︵伊 女︶ ②新井美登田工 ︵加梱ケ丘︶ 一分三二秒八 ①岩内 正江︵桐ケ丘︶ 三分三二秒二 ③平野 雅子︵伊女︶ 一分七秒六 一分二八秒二 三七秒四︵県新︶ .七月二+八.一一+九日第需関東山、同笑会宇都寅フール ム決勝 百米自田形 ル氏のお話によつて、目本でも之を実施すべく室内競技規則も只今 爾酉欧に於ては室内ハンドボール競抜が行われているとのリーベエ 表者が派遣されることになつて着々準備が進められている。 女子選手李野雅子へ伊女︶新非美登里︵桐ヶ丘︶岩内正江︵桐ケ ⑳八月二十三・二十四日 全日木高校選手権大会 神宮プール 米自由形に、十一分四十二秒の県長水路新記録を樹立した。 米平泳︸分二十秒八、二百米平泳琶分四秒○、島崎一郎選手は八百 筒決勝には洩れたが、予選及準決勝に於て伊高服部良和選手は、百 醗訳中で、やがて皆さんの前に現れる事であろうQ尚りーベエル氏 丘︶の三選手出場し、夫々大活躍をしたが中でも新井嬢は予選に一 はザールブリユツヶソで年次総会が開催されるので、日本からも代 は巳本のハンドボールは世界的水準に達していると語つてもいたり ︺ 0 0 1 玉 ’ 、 ③島崎︵伊高︶ 9秒4︵縣新︶①清水︵高高︶ ▽二百米自由形①栗原ゆ寺︵伊工︶2分2 ▽百米自由形①清水健︵高高︶1分4秒9②栗原ハ伊工︶㊦高橋︵桐工︶ 8秒2②高橋︵桐工︶③板垣︵伊高︶ ▽五十米自由形①清水健︵高高︶2 ◇ 男 子 之 部 ●九月二日 第三回県下高校選手灌兼学校対抗 伊勢崎プール 五十米自由形 新井美登里︵桐ケ丘︶ 三五秒四 7秒0②中沢︵高女︶③久保田︵高 ▽百米背泳①平野雅子︵伊女︶1分3 ▽五十米背泳①平野雅子︵伊女︶菊秒0②新井︵桐ケ丘︶③中沢︵高女︶ ︵前女︶ ▽二百米自由形①平野雅子︵伊女︶3分碍秒②岩内︵桐ヶ丘︶③堀口 ︵桐ヶ丘︶ ▽百米自由形①李野雅子︵伊女︶3分肩秒②新井︵桐ヶ丘︶③岩内 ︵前女︶ ▽五十米自由形①新井美登里︵桐ヶ丘︶36秒2②平野︵伊女︶③板山 ◇女子之部 8秒4②清水︵高高︶③菊地 ▽四百米自由形①島崎一郎︵伊高︶5分2 女︶ 着を占め、素晴らLい県新記録を樹立し群馬の為に気を吐いた〇 ▽八百米自由形①島崎一郎︵伊高︶翌分娼秒8②栗原︵伊工︶⑤西谷 ③平野︵伊女︶ ▽五十米平泳①新弁美登里︵桐ヶ丘︶列秒9︵県新︶②平野︵伊女︶ ▽五十米背泳①小森谷忠︵高高︶37秒6②島崎︵伊高︶②庭山︵前商︶ ▽二百米平泳①上利鮪子︵高女︶4分6秒0②平野︵伊女︶ ︵高工︶ ▽百米背泳①小森谷忠︵高商︶1分23秒0②島崎︵伊高︶⑤駒沢︵伊高︶ ︵高女︶ ③板山︵前女︶ ▽五十米手泳①服部良和︵伊高﹂努秒2②森山︵前工︶③武井︵伊高︶ ▽二百米リレi①高女A3分乃秒0②高女B ▽千五百米自由形①、栗原等︵伊工︶路分13秒8②清水︵高高︶③西谷 ▽百米平泳①服都良和︵伊高︶1分24秒6②間中ハ高商︶③片山︵高工︶ ▽三百米混継泳①高女︵中沢、上利、浅見︶5分め秒9②前女 ▽百米平泳①上利誌子︵高女︶1分男秒8︵県新︶②新升︵桐ヶ丘︶ ▽二百米李泳①服部良和︵伊高︶3分7秒8②片山︵高工︶③山田︵伊 ︻得点︼▽①伊高87②伊工賀③高高50④高商41⑤高工男 ︵高工︶ 工︶ ●九月二十一日 第六回国昆体育大会夏季大会 呉市営プール ▽女子①高女52②伊女4 8④前女36 7③桐丘女3 ▽二百米リレー①伊工︵福田、下山、内田、粟原︶2分3秒2︵県 高新②高高③伊高 百米自由形予A組①清水 健︵高高︶1分4秒0︵県高校新記録︶ 四百米自由形予B組⑦島崎 一郎︵伊高︶5分39秒3 同 H組⑥栗原 等︵伊工︶1分6秒4 ▽四百米リレー①高高︵梅山、卒野、馬場、清水︶4分男秒4②高 商③伊高 ▽三百米混継泳①伊高︵駒沢、服部、島崎︶4分0秒②高高③伊工 ヨ 無 一 戸L マ 0 1 百 米 −分3秒8 栗原 伸一 伊水協 伊 工 同 D 組⑧栗原 等︵伊工︶5分 4 7 秒 0 等 伊水協 伊 工 栗原 伸一 伊筒 等 02分2 9秒8 栗原 一郎 栗原 5分29秒8 島崎 一郎 2分3 0秒4 05分2 3秒2 島崎 伊水協 巖 等 伊 工 厚 厚 1 1分42秒O O11分28秒0 6秒0 24分4 橋本 一郎 二百米 厚 四百米 か 八百米 厚 千五百米 栗原 ロ目n∠ 刀阿6 猷 厚 刀口﹁フ 臼n∠ 刀口4 Rけ2 ロロn∠ 刀口6 刀口r 日2 つ 刀ロ6 日n∠ n口q∠ ル目6 良和 伊高 昭26 0お分13秒8 服部 良和 伊 高 厚 厚 五十米 34秒0 服部 厚 橋本 1分め秒8 厚 努秒0 6秒0 01分1 ケ 厚 2分兇秒8 3 4秒 ㎝背鯉 五十米 μ 百 米 猷 二百米 凱旨一 巖 摩 〃 伊水協 ロ目2 刀口3 〃 厚 n口n∠ η阿6 R”ハ∠ 刀口5 二百米 3分2秒0 山崎 善作桐水協 〃 厚 02分刃秒6 服部 良和 伊 高 μ 百 米 −分20秒8 同国 島崎 百米背泳予 F組⑥小森谷忠︵高商︶1分22秒0 二百米李泳予 G組 服部 良和︵伊高︶急性盲腸炎により棄権 二百米混継泳予C組⑦小森谷、服部、清氷 3分釦秒8︵県高新︶ 百米自由形予 D組④新非美登里︵桐丘︶1分鍛秒2 同 F組③平野 雅子︵伊女︶1分2 2秒0 百米背泳予 A組②平野 雅子︵伊女︶1分録秒6︵県女新︶ ●昭和二十六年度全日本競泳二十傑表 日本水泳連盟公認 ◇女子競泳之部 ▽五十米自由形 全日本第十二位、高校第六位 新井美登里︵桐 3日 丘︶35秒4︵神宮︶日本高校選手権 8月2 ▽百米自由形 高校第十八位、平野雅子︵伊女︶1分22秒0 ︵呉︶国体 9月刀日 ▽百米背泳 全日本第十八位、高校第十位 平野雅子︵伊女︶1分 録秒6︵臭︶国体 9月23日 ◇男子競泳之部 健高高昭距 ︵○印短水路記録︶ ▽百米自由形 高校第二十位と同記録 高高清水健︵︶1分4秒0 ︵呉︶国体 9月2 3日 秒2 清水 28 群馬県水泳 最 高 記 録 ◇一般男子 [圓遡 五十米 ︺ 2 0 1 ︹ 01分男秒0 二百米 2分0秒0 同 04分4 8秒4 四百米 4分%秒2 同 010分弼秒0 八百 米 1 0 分 4 3 秒 8 同 難方畢水協 n口つ一 刀目5 6 昭2 昭茄 高 昭2 4 〃日6 体 昭飾 刀ロー n臼2 β2 体 昭% 表 塾選 抜校麗 難一高 ︷麟喜華、、卸 ︷鷺 菊地 福田 島崎 栗原 高水協チーム バ島崎 磁細 百五十米 1分男秒8 伊水協チーム 圏 01分鬼秒0 三百 米 3 分 妬 秒 6 同 03分引秒2 ◇高校男子 百 米 五十米 2分30秒4 1分4秒0 2 8秒2 栗原 ρ 清水 ㎜棉遡 二百米 μ 島崎 O11分8 2 秒O 栗原 存 厚 O23分B秒8 H分42秒o 05分%秒2 5分32秒3 02分鍛秒8 同 四百米 同 八百米 同 千五百米 r 蠕 遡川、﹄ 健 等 ︷郎 等 高 俘 伊 厚 高 工 伊 高 6 昭2 刀μ6 口円2 〃 口6 日〃” 2 〃 刀口rフ 日n∠ 日2 刀口4 仔 〃 口目2 刀口3 か か 〃 刀り0 02 刀口6 96∠ 召一う R h2 刀口6 口H2 工 厚 猷 伊 服部 良和 伊 高 厚 仔 十米 男秒0 百米 3分3秒8 岸 〃 二 θ 厚 五 米 1分20秒8 百 02分刃秒6 厚 〃 小保方敏夫 伊 工 同 同姻 十米 努秒7 五 03 5秒2 同 ︺ 一i、 3 0 1 百 米 −分19秒0 同 01分16秒4、 二百米。03分0秒0 臼U 02分3秒2 二碍米 2分4秒2 同 04分弼秒4 四百米 5分π秒0 同 010分43秒0 八胃米 10分43秒8 同 〃 h目ワ一 刀ロ4 R”2 刀μ3 μ 刀且6 β2 高昭24 工昭勝 工昭26 工昭忽 小保方敏夫 伊工 厚 厚 秀之’ 墜 酸伊 細蜘︸高 厚 福田 下山 内田 栗原 ︷鷺 ド の 菊地 福田 島崎 栗原 昭擁 三百米多轍谷良響 ◇一般女子︵中学高校を含む︶ 岩内正江 桐ケ丘 伊南中 刀H6 〃口4 体 昭26 表 新井美登里 伊女 間由遡 雅子 桐ケ丘 二百米 茂呂中 刀口6 〃口2 〃目6 0口2 刀口5 R口2 刀口6 日?μ 刀口5 日n∠ 臼”n∠ n日n∠ 016秒4 平野 正江 二十五米 五十米 努秒4 岩内 雅子 同 1分21秒0 3分兇秒2 平野 雅子 百 米 03分m秒7 平野 粟原燈子 前三中 畢’ 和子 〃 厚 が η目6 日ワ和 ロ甘り∠ 口員ワ倒 柳岡利志子 前水協 愉ア 与才乳ユ 駄千ンプ 撃財∫ 女 日2 刀口5 〃 丁まつ ノ 〃巨 H2 ! 予 有 げ ぐ鴇 司雛♪ 一乙 ’︾﹂ ヒ認 和子 和子 伊女 伊女 7分3秒8 四百米 岡㎜ ヤ サ 4分2彩5 01分舅秒2 1分協秒4 049秒0 二十五米 ○”秒8 に 2ノ 少不0 五十米 同 百 米 二百米 ︸圭﹄∼“‘§旨㌘ 二十五米 ○勿秒〇 月L 廷蕎籍 リリ6 辛∼ イ∼t﹁︻ 日2 五+米 48秒0 雅子 伊 女 昭わ 漂、島ゴ 同 ○艦紗4 帆︷ rし 4 0 1 研ド’ズチT−ム 百 米 −分雛秒6 平野 雅子 伊 女 単 く ︵ ︶−分招秒0 ︸柵︷ ︸臼 痢 ニ百米多斐鵬垂蕎 鴛■き︷ 楓 へ、、.\ 三百米−曾秒織舞膿 〃“6 口“n∠ ロワμ 〃目6 B9飼 刀口2 績つ4 6 昭2 貞 二四三、一〇 橋 文 夫 津 田 岬糠 ー樺ー ー線コ 蘇 嘩ー 除陶 ﹂ 大 一、昭和二十六年度県下高校選手権大会 第 一 部 第一位 高崎工業高校 二三二、八五 男子綴合選手権 第 二 位 前 橋 高 校 第一部 第三位 藤岡高校 二二五、九五 第一μ ・ 一八六、三五 第二μ 一七五、七五 第三ヴ 校 一七五、四〇 一 一 第一位 高崎市立女子高校二・一、三五 第二〃 一九六、二〇 第三〃 前矯市立女子高校一九四、一五 第矧位 前橋女子高校 一八九、七〇 女子一部 高市女 第二厚山齪崎幽m山乱壷ハ子肯同校一八議ハ、 六〇 個人綜合男子一剖∼ 口HYい ︸一一薦、一﹂ ズ・ ・﹃D 洗ン ムu ベコ 女屋寿子 天.田和子 梅沢琿江5 0 雪‘ 第二厚 松田千代子 .L 第六厚 第三俘 桜非華.子 第五ツ 第六μ †見雅子 青木 緑 第四〃 第二厚 第︸位 前女高 二部女子 前市女 第一位高工 ま丁廷 イソイ 第二厚藤高 宮崎政己 第三厚 市川登美子 ﹂き、ム戸fJ ヤコ・L− 第四〃 −“ノ﹂ヨ 絆、 見幸雄 川浦 貢 拍又ド、、、 ア葭字 田中佐吉 今非和郎 第三々 第四ヴ 前高 木暮利夫 高工 銘六厚 高商 厚 高工 高鼻、繭 個人綜合第二部男子 第一万 第三存 第四厚 第五仔 第六ヴ 徒手第一位 相原信行 高工 吊環 跳躍 種目別選手権︵ 男 子 一 部 ︶ 鉄棒.厚 厚 厚 平行棒〃 厚 び 第一位相原信行 高工 滑える頃になつてほつと我に返つた。倉賀野を過ぎた頃はだんく 夕暗に包まれて来たo 各選手は種々な事を語り合つている。東京着東京駅にて各県選手 と合流し、十時臨時列車にて東海道を一途広島に向つた。東海道の 平行棒厚 川浦 貢 高工 徒手第一位 田中佐吉 高高 ︵女子第二部︶ 跳躍 厚 設楽文喜 鉄棒 第一位 田中佐吉 合の事などを思うと一層眠られないQ他の人も私と同じ思いとみえ 県送別会での県知事さんの御言葉などが想い出される。又近ずく試 トソノ\と列車の音ばかり私の心をしめつける。高崎駅での出発、 厚 μ 厚 夜は更けて行く末だあちらこちらで話し声が聞える、中にはもう眠 種目別選手権︵女子第︸部 徒手第一位鈴木 正美 て、声こそ出さないが洗面所へ出掛けるもの等がいるoかれこれ考 種目別選手権︵男子第二部︶ 徒手第]位 梅 沢 琴 江 平均台厚 近江悪美子 えている内にいつ眠つたともなく眠つてしまつた。翌朝あたりの騒 つているものもある、其の内に話し声も聞えず、唯聞ゆるものはゴ 平均台摩 由崎美代子 平行棒厚 鈴木 正美 がしさに目をさました。六時半瀬戸内海関ケ原駅に到着、寝苦しい 高高 平行棒ケ 梅沢 琴江 跳躍 厚 桜非 墓子 夜も過ぎ車窓より眺める景色は、何んと形容してよいか解らない山 又山、其の山は小高くて美しい山と山との聞より出ずる太陽を眺め ながら朝食をとつた。いよ/\京都へ着いたQ京都へ天皇皇后両陛 各種目選手は、十月二十四日夕方多数県民の御見送り、学友の唱え 第六回国体は原爆の町広島にて開催されたQ私達体操選手を初め 車する選手団もあつた。御互いに働まし合つて別れ、五時三十五分 為にトレーニングをしている、いよく廣島に近ずいた。途中で下 だ。このころから各選手は停車ごとにホームヘ下りて、体をならす 操 跳 躍 炉 厚 体 下が御宿りに成つてこれから広島へ立つので京都駅を過ぎる頃より 百米置位に警官が警備に当つている。道々では学生等が迎え家々に る校歌、応援歌、其の他の激励の声の内に車内の人となつた。汽車 高崎出発より約蓋旦夜振りに目的の地廣島に着いた。各種目ごとに 国体に参加して は徐々に動き出すホームの学友はわれんばかりの声援、﹁しつかりや 明日の試合を約して別れ、私達は駅より程近い丸中旅館へ行つて、 は臼の丸の旗がひるがえつているQまるで私達が迎えられている感 つて来いよ﹂、﹁頑張つてくるぞ、﹂と車窓より握手をかわす、何とも 寝不足と汽車での疲れた体を清め風呂にしたつた。其の夜はぐつす 吉 井 房 司 云いようのない気持、汽車はホ⋮ムを離れ見送りの入の姿が小さく ㌔﹂ 6 0 1 一 ︹ 中が何んとも云い様のない、この場に望んだ人以外に味おう事の出 名群馬入場観鷺席はこの頃より一層拍手の音高まるoもう私達は体 足並を合せて入場、アナソウサーの声、唯今桑原団長以下二百四十 観集の猛烈なる拍手、警視庁のプラスバンドに依る君が代行進曲に を先頭、に入場一歩会場へ入つたら驚いた。 北の国北海道を先頭に次ぎ/\に入場し、栃木いよく群馬、県旗 いた。会場へ入らずに場外の廣場に各県毎に整列したQ時間と共に は、其の時のま玉原爆の恐しさを物語っている。其の内に会場へ着 ない復興振りを見せているQしかし投下中心地と云はれる産業会館 り眺めたQ原爆前の様子は知らないが今見ると原爆の町とは見られ に揺られて、程遠い開会式会場へいそいだ。途中廣島の町をはつぎ り眠つて次の日はいよノ\開会式だQ廣島の夜はあけ、私達は乗物 第二位と云う好成績を残Lた。高工チームは二十四年、東京大会で チームとよく闘つて、わずかの差で優勝を新潟に渡し、こΣに全国 た。強敵毎年優勝の新潟高田高校と、全日本選手権で優勝した盛岡 手である、群馬からは高工チ!ムが関東地区予選で優勝して出場し 六位に入賞互いに喜こびの声をあげた。これで器械は終つて団体徒 表を待つた。いよいよ発表を開始した。一位新潟、六位群馬、あ玉 棒をトツブに開始し、徒手を最後に終つた。矛、うして点数順位の発 てやつたり第二日目は彊敵揃いの十チームで決勝、今日は私達は鉄 が器械体操は気を落つけなければいけない故、お互いに注意し合っ じた。同時に郷土の事を思うと必ず勝たねばならないと思つた。だ した。余中県の人が応援に来てくれた。其の時など非常に力強く感 いつて自分の最も得意とするものを行う。第一日私達は九位に入賞 依つて全国十チームを予選通過として、第二日に今度は自由選揮と 第二位、名古屋大会で第三位、こ&に第二位と云う成績である。今 来ない気持、県旗の合図と共に、天皇皇后両陛下に目礼の内にトラ ックを半周して中央に整列L︶た。地元廣島を最後に、聖火が前大会 迄書いた事はほんの国体の体操競技の一部にすぎないが’他の競技 す。 マソとして国体に出場出來た事をこの上もなく果報者と思つていま でも相当頑張つた様だ。要するに私蓬掌生生活のうちに、スポーツ 名古屋よりこXに到達して、牛周の後聖火は燈火台に点された。聖 火の炎は廣島の青空をこがし其の時数十羽の鳩が飛ばされ、数知れ ぬ風船が放された。この様な雰園気の内に開会宣言続いて国旗が君 が代の合唱の内に揚げられ、国体旗それに続いて一斉に各道都府県 の旗が会場の周園に、間隔をおいて揚げられた。天皇陛下の御言葉 其の他各関係者の挨拶の内に式は進み式は終つた。陸上をトップに 試合の幕は切り落された。体操は廣島大附属小学校庭にて、高校男 女器械を最初に開始された。この競技は各県三名出場して、全種目 徒手、平行棒、鉄棒、吊環、飛馬を行い三名の合計点をもつて順位 を決定する第一日は日本体育蓮盟で決められたものを行い、これに ,ー、 ・︺ 7 0 1 ド 噛 ス キ 胆 部 林 千 春 本年度のスキi部は大競技会全国大会を地元に開催し術盛大に終 了の運びに導いた享は大きな業績であつた と 思 い ま す Q 叉この大会から得たものは各競技者を始め役員其の他の者も大いに 参考となつた事であろうと感じます。 其の外の競技会に於いても相当な活躍をなす明るい希望の持てる足 三位 三位 三位 沼高小野 四位 四位 四位 同 鈴木 女子之部に於ては、沼女林、吾高加島、沼女阿部︵啓︶の三人以外 四位 藁位 國体予選 六位 五位 四位 関東選手権 八位 七中 六位 五位 沼高チーム 利農松本 同佐藤 コ円 縫︵卜 沼高田村 にはみるべきものがなかつた様だ。 ※長距離 五位 八位 二位 匡 ↓単↓フ 高校選手権 少年剰 七位 五位 一位 女子は沼女の凋走であつた。 長ノ ︸ ニ 何卒今年の跡を記録によつて思い起L更に精進と努力を願い度い。 二・三月八日から十日迄 跡を数多く残されましたQ 一、二月一日から三日迄 於草津町 群馬県スキー選手権兼第三回県下高校スキー選手権大会 同 同 ※大廻転 三位 二位 少年組︵高校 選 ︶ 一 位 青年組 四抗 五位 国体予選 五位 四位 三位 二位 一位 十位 関東選手権 高校選手権 五位 四位 三位 二位 一位 渋高山口 沼高園都 渋高市川 同 林 沼高小野 沼高大竹 少年組︵高校︶ 一位沼高園部 二位沼高林 三位沼高小野 青年組 五位沼高大竹 女子は沼女林、吾女加島、沼女阿部の順であつた。 少年組︵高校︶ 一位沼高小野 二位沼高園部 三位前商荒木 青年紺 三位沼高大竹 於水上町 国体予選繋関東選手権関東高校選手権大会記録 同 五位 関東選手権 沼高大竹 ※滑降 同 國体予選 十位 高校選手権 ※廻転 七位 少年親︵高校選︶ 一位 二位 一位 二位 渋高市川 一位 沼高園部 女子は沼女林、吾女加島、吾女池上の順であつた。 少年純︵高校︶ 一位沼高小野 二位沼高園部 三位前商荒木 青年組 四位沼高大竹 ※新複合 ※廻 転 青年紐 二位 ﹁イ ,し 8 0 1 第一回全国高雄ヲ学校スキー大ム瓜 三、二月十四臼がら十七日迄 於水上町 沼高小野、園部、利農石坂以外みるべき者は無かつた。 ※ 飛 躍 少年組︵高校︶ 一位沼高藤井 二位沼高林 三位沼高田村 青年組 一三位沼高阿都 ※ 長 距 離 男子沼高 女子沼女 ※ 継 走 しなければならない事だと思う。 言うことは全く本人の精進は勿論であるが後援団休の勢苦にも感謝 競技と異つて容易なものでない。全國高校や、國体に入賞出來たと スキー程纏費と練習場の限定とに狭められるこの種目の成長は他の 要するに 女子陣として大きなプラスだと思う。 は一層大きい。爾沼女初陣の継走競技が実を絃んだことも群馬の 精進が望ましい。沼女林和子さんの成績も入賞Lた将來への期待 今迄不振だつた新複合競技への牧穫は大きい。距離、飛躍競技の 青年組に出場した大竹清君も廻転競技へ参加資格を得たのは案外 沼高園部勝君が七位入賞したのは大したものだつた。 ※飛 距 女子は繊走で沼女、高崎女子高が得点をなした。 共に得点に至らず。 ※長距、離継走 他吾女、加鑑、同池上さんが七位十位と夫々得点をした。 女子に於ては林和子へ沼女︶さんが滑降二位廻転一位となつた其の 園部勝ハ沼高︺君が一位其の他は入賞出来なかつた。 ※廻転 大竹清A沼高︶君が=二位其の他は二〇位以下となる。 しよう。群馬の高校陣は今年の成績からみて男女共優位な地位を占 でならない。スキー部長の先生方も又︸段と、協力が加わることで 私は來年は必ずスキー陣の飛躍は大なるものがあると今から楽しみ 術やら審鋼等について勉張なされた事も今迄にないことだつた。 高校生以外でも高校スキーに関係のあった先生方も今年程スキi技 刺激の多かつた年で誰しも来年はと鉢巻を引しめた事でしよう。 術今年はオリソピックヘの日本の参加成績も発表となつたし随分と で高校スキーのレベルも大要はつかめたと思う。 北海道の参加はあり其の他雪國と思われるところはこんど集つたの スキーの今後の発展の為に大いに参考になつたことである。 第一回全図高校スキー大会が幸にも地元県で開催された事は高校 山尚校スキーに望む 種目制限及出場制限があり新複含及複合種目を変更し単独種目とし た。 四、三月四臼からの國民体育大会 於 北海道小樽市 めたQそれには地元の強さが力揃をカパーしたとしても滴足出來る ※滑 降 沼高園部勝君が少年組滑降で優勝したのは大したものだつた。禽 ︺ ︹ 9 0 1 であるが用具さえ揃えば誰しも入り易い種目ではあるQ山形県以北 しも練習をする必要がある。非常な忍耐力とつらい練習はこの種目 ればなるまい。地昧で興味は少いが実用として役立つこの種目は誰 合の加わる可能性が強い。女子陣にも長距離が加えられるとみなけ はこの点を十分研究と努力をしてもらい度いし、爾叉種目として複 げる様一段の努力を望むものであります。兎に角長距離に弱い群馬 ことは相当な困難があると考えるQ選手諸君には先輩の跡を築き上 成績であつたことを喜びます。然し來年度は今年の成績を維持する 林 千 蓉 も代表選手として是非送り度いと念願いたしますo らい度いものです。需次回オリンピツクには県内の今の高校陣から 全国高校ぼ二回三回と必ずありますから來年度は大いに頑張つても たらと言う様な人も出て來てますo たらと言う案がある。場合によつては國体も高校部を除いてもらつ は高校対抗なり高校選手権なりそれのみ、と二本建位な試合数にし 学年末で学業の点も考慮される様に県外関係は全国高校だけ、県内 の県ではむしろこの距離の選手は多すぎる程養成され叉練習されて 次に全国高校スキー部ではスキi競技について次の様な考え方もし の努力をしない限り芽がとまつてしまうような気がする。 メンパーではどうにもならない。数の問題のようだ、各校とも一層 女子陣は末だ末だの感が深い。数の点から言つても僅か五、六人の に柔軟性の練習が必要である。 して転倒している者が多いo夏の中に徒手及器械体操を行つて十分 スピードに乗り切れないで転倒すると言うよりも腰のもろさが原因 く、悪くと選んで変化と腰の強さを練習すべきだと思う。 を選んで廻つているだけの様だ新雪旧雪何れでもよいQコースを悪 へ行つでもこの練習を余りしていないQ踏みならされた斜面ばかり 次には滑降競技に弱いQこれも練習不足だ。どうも私達がスキー場 われた。 不定額は地元負担で発足をみました。事務局は年内は高体連事務局 総予算六四万五五〇〇円とし県三〇万全国高体連一万県高体連一万 於てもたれ予算等の件について検討が行はれました。 ねること数回に及び十二月二十七日遂に第一回準備委員会が県庁に 帰県後高体連、地元水上.県、教育委員会、スキー連盟等会議を重 ことになり第二、第三、の候補地も決定の運びとなりました。 果交通の便と中央との連絡上群馬の地に開催地を引受ける様にとの に議題の第一線として取上げられました。種々な事情と話し合の結 を全国高体連として開き度い意向であつたので常任理事会では直ち として開催されました。其の折りに兼で一から全国高校のスキー大会 昭和二十六年五月東京岸体育館に於て第一回常任理事会がスキー部 の好結果に終つた本大会について報告いたします。 昭和二十七年二月+四日から四日間水上町に於て開催され予期以上 第一回全国高等学校スキー大会開催概要報告 ている。 とし二十七年一月一日より水上町観光協会内に移りました。 いるそうである。本県では全く其の影が無いのは不思議な程だと言 期間が短かくて試合数と費用の点に於て非常な負担がか玉ること玉 ︺ ︹ 0 1 1 の丸山梅次氏が常務されましたQ ん、事務局長として地元の木村宣司氏が執務され専任として筒地元 不備や其の他で協力団体の絶大なる好意に感謝せずには居られませ に余りあるものがございました。交渉に齢臨を起したり或は連絡の 大村会長始として理事長、事務局員、部長の先生方の御心配は想像 に加えて全國的な大会の経験も又スキーの状況も余り知らない故に 兎に角第一回のこととて如何様な大会になるのか全く未知である為 して盛大な開会式が知事始め多数の来賓を集めて出來たことは本当 結局不参加校も出て六一校選手監督合せて五〇〇名の多きに達しま 式、終了後選手会と次々に大会は続行されましたQ 二月十三日監督会議、十四日午後一時町内行進、入場式同二時開会 の選手を第一陣に亥々と到着が始められました。 次第でした。水上町の観迎準備も着々と進み二月十二日には長野県 難しい規則を現地で実地に勉強なされて出來るだけの準備を整えた に全国高校スキーの発展の為に行き先きよい出発であると誰Lも感 と思いますQ 主催 全国高等学校体育連盟、群馬県教育委員会、群馬県 ました所五〇校程度に及びました。五〇校五百人の予定で事務局の これ迄の蔭には種々な涙ぐましい努力はあるにしても、先ずく第 じられたことと思います。 仕事は開始されたのでした。其の後水上事務局にて高体連事務局員 一に御協力をいた穿いた他団体のお蔭で高体連濁自での運営は全く 主管 群馬県高等学校体育連盟、群馬県 ス キ ー 連 盟 を始めとし関係者が何回か会合をなし一月末日〆切二月一日は新潟 微々たるものであつたでしようか、事務局員や地元の高等学校沼高 十五日滑降、長距離大穴会場、十六日廻転大穴、継元湯原会場、十 県小千谷高校長の加治千三郎氏︵全国高校スキー部長︶等の参会を 沼女利根農、の先生方生徒諸君の御努力は感謝の限りでございまし 後援 全日本スキー連盟、全日本学生スキ;蓮盟、群馬県体育協 得て抽せん会が行はれました。当日は四六校二六〇名の参加申込み た。事務局長をなされた県スキー連盟副会長木村宣司氏の如きは全 七日飛躍競技と、天候と好い降雪に恵まれ役員の一致協力のお蔭に でございました。其の後延着があつて遂に一都一六県七〇校延五二 くにあの多忙な身であつたら寝食を忘れて二ヶ月間高体連の為に御 会 、 水 上 町 四人と言う国体を凌ぐ盛大なものとなりましたQ 努力下されまして微に入り細に亘つた明折な計画と進行に私逮は何 て何一っ疑議も起らず、又プ・の変更も僅かに、然も事故等も見当 尚スキー王国の北海道の参加もあり益々第一回からして華々しい大 と御礼申してよいかこの大会の成功の鍵はこの方によつて握られた 右の様な組織で発足になり、要項は十二月末に各県に発足いたしま 会が予想されて参りました。 と感謝の外もございませんでした。 らずに終始盛大に終結をみたことは誠に大成功と言わねばならない 高体連としても大会役員の問題や審判員の養成もあり全く其の後の 賞品としては優勝杯として全国高体連杯を男女夫々に総合優勝校に した。爾高体連事務局としては各県に参加申込みの予約を申し入れ 忙殺は非常なものでございましたQ審判の方々も不馴れなスキーの ︺ ︹ 1 1 1 十七臼午後三時一には行事一切が終了され大会旗の降下と共に解散さ に よるものが援与 さ れ ま L た 。 授与され、各種目互に優勝者には永久杯として個人に各名志の寄贈 第六位 前橋女子高校 . 第五位 丸亀藤弥高校︵香川︶ 艶四位 ︵愛知︶ 第三位 宮城第二女校︵宮城︶ 第三位 誹、 チヤルダス 挫死一俘⋮ 晶削橋寿く子山局校 銀漉涙 参加校 九校 、 九月九日 第六回国民国体県予選︵於高女︶ 以上入賞チーム れ各競技者香々が水上町の好印象に別れを告げ館主に送られて帰途 ふさ子 につく姿はこの大会の発展を意昧するものと考えられましたり ︹林記︺ サ いきにシロヌぎニドき キ そ ザ き さ ト ハ き ド ま モ さ レ ざ も き ゆ セ ゲ ン ス 郡 “” 嚇藁ー§ー多 ー 多 ー ー ー ー セ き 聲 き 5 r “ ビか ゴF 第一位、第二位のチームが関東国体予選の参加権を獲得す 第一位 、. ].、︵東京︶ 阿 第二位 、 ︵茨城︶ 九月三十日 関東団体徒手体操選手権大会兼国体予選会 一、五月二十六a、二十七日、第二回学粒ダンス、並団体徒手体繰 一、 規完種目指導講習会開催︵於高女︶ 第三位 前橋女校 昭知習二十六年虚反ダンス部か有事 講 師 伊沢エイ、小林キク先生 第一位の藤村高校が第六回国民体育大会の参加権を獲得す 三月八日 第二回学校ダンス発表会兼二十七年度規定種目練習 一、八月二十五日、全国団体徒手体操選手糎大会︵於水戸︶ 事はよろこばしい。 ダンスの中にも大いに見られた。咋年度より参加人員が多い 昨年よりも向上の一途をたどつていることは疑う余地もない ダンスのあり方についていろノー\とお話を伺つた。 県の指導課の熊倉先生御指導のもとに基礎練習と今後の学校 参加人員 五十名 、 一 参加校 十五校 参加人員 二百六十名 参加校 二十一校 が、紛練習を怠る事なく、ダソスの発展を期待LているQ 本年度から児定種目が出来、新しい体の動き、程度の向上が 第一位 静岡城北高校︵静岡︶ 第こ位 沼津西高校 ︵静岡︶ ︺ 一L 2 1 1 て行く事により、 一つの作晶が出来上る9それは言うまでもなく、 反対に、振付けをしてから題目をつける。いずれが良い、いずれが はまず題目を決めて、それから合つた振付をする。他の一つはその 達がやり得るものを、大別して二つの方法があると思う。その一つ よりも勝ることを、信じている。普通﹁創作﹂と呼んでいるが、私 正し体の動き、そして力強い美Lさは自分で創り出す事が他の何物 ス﹂はや㌧もすれば、その目的からはずれ勝ではなかろうか。 のは、決して美しいとは云えないであろう。私達の持つ﹁学校ダン の模倣をし、何時になつても︸つの形式にはまつて新鮮味のないも 自から生み出すもの、それは真の生活であり、真の美である。人 のではなかろうかQ今後の発展にちなんで、大いに活躍し、共に研 いこなす技巧は、学校ダンスにして、創作にして、始めて生まれる ある。蛇動、脱力、緊張等、非常にむずかしい動きをいろ−くに使 までもなく、衣裳や背景で、体力の消耗をおぎなうのではないので チームがあつた。学校ダソスは、ステーヂダソスと異なる事は云う があるか知れない。県予選、関東大会等、半数は創作をしていない 品を仕上げた時の喜び.価値は人のそれを踊るよりも、何倍の効果 人もいる。確に、創作する事は、容易ではない、Lかし、一つの作 せる人、のびそうになつている芽生えを自分で摘んでしまうような が創作力を持つているのであるo唯その芽生えを、どんどん成長さ 生々とし、希望に満ちた若人の様なダンスである。私達は、誰れも 悪いと言うのではない。が、一般的に前者の方がやり安いと思うo 創作について まず一枚の曲が与えられ、リズムに合つたものを創作するわけであ 蓼 究する熊度を忘れず、新しいダンスを生み出す事に私達は協力しよ う。 前女高三年 大 谷 幸 恵 るが、全体の流れをつかむ事が必要である。この曲がどんな感じを 与えるか、それによつてムつの題目を得るのである。しかし、その 題目のみにこだわる必要はない。体操でも、ダンスでも、強弱すな わち、アクセントは必要である。山があり、谷があり、そこに変化 に富んだ面白さが生じるのであるQ基礎練習が、相当に積まれて居 なければ、創作もそれに応じて苦労であるQ学校ダンスは形式にこ だわる事なしに、新しいポーズを作るのである。手、足のみならず 体のあらゆる連動を惜まないことが大切である。曲を聞いて頭の中 で構成を考えるのもよかろうoしかし、実際に踊る薯が、それ以上 に必要なのである。何回も踊つているうちに、その曲によく合つた 所は度を重ねても、動きが浮んで來るであろう。だんだん積み重ね ︺ 3 1 1 ︹、 バドミントン 部 橋本︵桐高︶2−0古美門︵桐高︶ 並木︵前女︶210中里︵前女︶ 決勝 決勝 青柳︵桐高︶210橋本︵桐高﹂ 並木︵前女︶2−0居上︹桐女︶ 並ぷ関係者を驚嘆せしめたo本県の気候の特殊性からもこのパド、、、 力は、この競技の最も隆盛を誇る石川、福島にたびく肉迫し、居 期に入つたといえる。即ち昭和二十六年広島で行われた国体での実 備期間を終えて、愈々昭和二十七年度からは本格的な実力養成の時 ドミントソ競技は、こ&一、二年問のたゆまぬ努力の結果、漸く準 群馬県バドミソトン競技、この中で中心をなしている高等学校.ハ 女子軍二複一 種目 男子単三複二 場所 桐生高校体育館 期日 昭和二十六年六月十六日 二、第一回高校学校対抗戦 居上、中里、戸崎の活躍に期待したい。 楽しんでいる者が百名以上参加して誠に盛大であつたo新人並木、 ︵短評︶ 今年より新人選手権を行つた。予想通り平常この競技を ントソ競技は、東北、北海道の如く隆盛になる原因が判然としてい 成績 上 田 敬 治 るり今後益々委員会の活動を活発にして有為な青年の育成を期した 男子 女子 人員 男子冊九名、女子六八名 参加 参加校 七校︵桐高、前商、前女、桐女、渋女、前市女 太女︶ 種目 男女︵単︶ 場所 桐生高校体育館 期日 昭和二十六年六月十六日 一、第︻回高校 新 人 選 手 権 大 会 好試含をみせ、女子に於ては渋川が光つている。 実力を瘤養するために実施したQ前商、桐高の実力は接近していて る学桜を選定する参考にするためと、この大会に備えて優秀選手の 渋女3!0前市女 決勝 前市女2i1桐 女 澁女2−1前女 い。 成績 三、第五回県民体育大会兼第六回国民体育大会県下予選会 前 商312桐 高 準決勝 準決勝︵男子︶ 準決勝︵女子︶ 期日 昭和二十六年九月一、二匿 ︵短許︶ 八月に札幌で行われる全日本高校選手権大会に出場出来 青柳︵桐高︶2!0八十島︵桐高︶ 居上︵桐女︶2iO戸崎Ω剛女︶ ︺ ︹ 4 1 1 参加 高校七校 団体二 種目 男女単 複 場所 桐生高校体育館 期日 昭和二十六年十月二十八日 場所 廣島市東雲町廣島大掌東雲分校体育館 四、第六回国民体育大会 中島誠子 凡見美代子 今成恵美子 男子︵複︶ 今泉︵桐高︶210西村︵桐高︶ 決勝 西村︵桐高︶2−1中村︵桐高︶ 今泉︵桐高︶2−0山内前商︶ 準決勝 男子︵単︶ 準決勝 女子︵複 ︶ 中島︵渋女210凡見︵渋女︶ 決勝 中島ρ渋女︶210高橋︵渋女︶ 凡見︵渋女︶2−0川野︵前女︶ 準決勝 女子︵複︶ 群馬3−o宮城 石川3;0群馬 群馬2−1京都 二回戦 二回戦 一回戦 男子高校 女子一般 成績 一般女子複一単二 種目高校男子複一軍二 成績 準決勝 ︵簾婆︶ヤ・︵講前暮 場所 北海道札幌市 期日 昭和二十六年八月十七、十八、十九日 五、第二回全日本高校選手権大会 川、福島に肉迫しよく敢闘した。 ︵短評︶ 前述の如くスコアーそのものは3!0であつても度々石 福島310群馬 三回戦 ︵辮桐高︶2去翻︵前商︶ 決勝 ︵郷前商︶?・︵鵬誓︶ ︵騒婆︶ヤ・︵難︵桐女︶ 決勝 男女共に高校生が大部分を占めている本大会は他の種目 ︵辮桐高マ・︵響前商︶ ︵嬢婆そ・︵簾︵渋女︶ ︵短 評 ︶ ︵短評︶本県からは桐高、前高、渋女、前市女が参加している前商 がよく敢闘して三回戦まで進んだが他は早く敗退した。然しいつも には見られない現象である。 大会終了後詮衡委員会を開き次の選手を国体に出場させることに決 六、第三回高板選手権大会 ので実力としては差はなかつた。 組合せが強剛に当つてしまうことや、試合不慣れとて敗退している 中村正夫 定した。 監督 上田敬次 神保廣至 選手 今泉正行 西村彰司 ︺ ︹ 5 1 1 期田 場所 種目 新学校柔溢の實施につ ︶ 6 、 ’ 柔謙奢貝長森 国 利 中村︵桐高︶2−0西村︵桐高︶ 今 泉 ︹ 桐 高 ︶ 2−1黒崎︵桐高︶ 準決勝 男子戸単︶ 決 勝 凡見︵渋女︶2−0川野︵前女︶ 居上︵桐女︶2−0中里︵前女︶ 準決勝 女子︵単︶ 教材として柔道のスポーッ性を強調し、民族の中にはぐくまれ育っ 新生日本の教育精神と内容を、整えようとする一連の教育改革の一 時代を経ながら腕出したQ学校柔道が軍国主義的色調を一掃して、 女子四十名 昭和二十七年︸月十二、十三日 参加 七殻 男子班六各 決 勝 凡見︵渋女︶211居上︵桐女︶ た、親しみ深いスポーッとして採揮され、再発足を許された事は、 昭和二十年+二月六日付で文部次官通牒により、体錬科武道の指 中 村 ︷ 桐 高 ︶ 2−1今泉︵桐高︶ 女子︵複︶ 成績 男子︵複︶ 準決勝 環とて、学校教育から除外されて以来、約五年にして学校体育の新 って、新しい姿の体育教材として復活されるまで、学校柔道は空白 導が中止されて以来、昭和二十五年十月+三日付文部次富通牒にょ 準決勝 柔道に親しみこの道を歩んだ者にとつて此の上もない喜である。 私達新しい学校柔道の指導に当る者は、誤られた日本教育を革新 ︵罐婁マ・︵舞前婁︶ 心構えを作つておかねばならない。即ち柔道指導のどの面が改革さ 道実施に迄到達した事を深く留意して、新学校柔道指導者としての するために、空白時代を通して脱皮作用が行われて、今日の学校柔 ︵翻 ︵ 桐 高 ︶ 2 6︵朧︵桐高︶ 決 勝 ︵鯖︵禦︶そ・︵翻桐高︶ ︵購︵婁︶?・︵韓萎︶ 決 勝 れねばならぬのか。柔道の本質が鄙ち嘉納先生の唱道された柔道の 少数であつた事は残念であつた。而し前橋女子高校の地味な精進振 短 評︶ ︵ 本年度よく敢闘をして他を引き離していた渋女の参加が 校教育の方向に対して木に竹をつぐの類となるであらう。 て単なる柔道の復活と考えることは誤を重ねる事であり、新しい学 し、誤らしめた原因をつきとめておく必要がある。この反省なくし 本質的なものの中に改革されねばならぬ面があるのかについて反省 りと、太女の参加は喜ばしかつた。叉桐生女子高校の居上を始め、 新学校の柔道に当つては幾多の課題があるQそしてこれは今後吾 ︵醤婆¥・︵耀要︶ 部員がよく熱心に練習していることも判然として、来年度に頼もし 吾指導者に当る者の努力によつて・解決しなければならない宿命的 ︵鯖︵桐高︶?・︵瀦︵桐高︶ い限りであつた。 ︺ 1 6 1 ︹ 戦争中の柔道の指導が、柔道の持つ歴史性の故に、科学の力を過 れ批到を加えた上の戦争でな︶限り許さるべきではなからうか。 の戦雫に引ずり廻されたものであつて、民主的に戦争目的を知らさ 途行能力ある者を一人でも多く育成しようと協力する事は、此の度 能力を高度に発揚する為に、志気を鼓舞し、身体を錬磨して、戦事 戦時中戦争に参加した国民としての愛国心のほどばしりが、織闘 は何もないと考えている。 ないし、旧学校柔道の指導者がすべて過誤を犯したと断定する論擦 私は旧学校柔道が全面的に否定され捨て去られるべきものとは考え 校柔道の課題解決の方途が発見されるであらうことを確信する。 が、創志の当時に苦心され工夫されたその精神に帰つてこそ、新学 講道館柔道の創始者として、又偉大なる教育家としての嘉納先生 命の息吹の為の契機を作るものとしての経過をとる。 なものである。﹁温故知新﹂は言い古された言葉であるが、常に新生 に発展させたいと言ふ氣持が強まりつつある時、体育の一 すぐれた欧米の教育原理と、制度と、方法論を学びつつ、これを世 革新田本の教育の本当の姿は、大地に根を張るものでありたい。 櫻閣に過ぎないQ かに見える、勝れた教育原理と方法論も、現実を無視しては砂上の らう。革新日本の教育も、終戦後七年にして反省期に到りつつある 学校教育の本質にふれた考察に立つて、ぞの方途を見出すべきであ の精神と発展の跡を回顧すると同時に、新しい社会に於ける新しい 持つた教育方法論でなければならぬ、この意味からしても柔道創始 導であつてはならぬ。科学的に合理的にして、しかも哲学的背景を の濁りよがりであつてはならぬし・﹁勘﹂と﹁骨﹂とに依存する指 促すようなものでななければならない。それは柔道指導に当る教師 教育であるように、学校教育の中に融け入り、且つその進歩癸展を 確固たる地値を占めると共に、人間教育の勝れた方法としての柔道 に於ても樹立されて行くべきである。新学校教育の方法原理の中に によって、嘉納先生の進歩的な柔道の精神が無暴にも引ずり廻され その原因を更に追求してみると、余りにも狂信的な国家主義者達 行機を落そうとした愚をここでも繰返していたのである。 舞つて、武術面を強調しすぎた事は否めない事実であり、竹槍で飛 気の昴揚という立場から技術のみに走り、基礎的訓練を飛躍して仕 中に入れて行きたい。 らすものでなければならない。柔道を此の様な観点から学校体育の ある。そして日本の学校体育そのものにも、生々とした息吹をもた の契機となるべきであると信じてゐる。それは復活でなくて脱皮で おける日本の教育というものが、現実のものとして確立されるため 教材にすぎない柔道を指導し実践する姿の中に、真に世界史の中に 界史の中 少評価し、嘉納先生の進歩的な指導精神を忘れ、実陵的訓練と、志 て、先生の進歩性が一世紀以上の後退を余儀なくされたのである。 新学校柔道の指導上の課題は、嘉納先生の精神に帰る事だけでな い。新しい日本の学校教育に調和をもたらし、進歩をうながすよう な教育方法原理の基となるべく、柔道指導原理が理論的にも実践面 ︺ 7 1 1 ︹ 講師 参加校 橋爪 能登 村浩︵館高︶ 国利︵伊高︶ 桑進︵伊高︶ 叉吉︵柔連︶ 勢農は中村を桐高は能登を送り、決戦を展開、どちらもすきなく万 決勝戦には桐高と勢農が熱戦し、二対二の同点となつた。代表戦に 四組のりーグ戦の結果、桐高、渋高、太高定、勢農が勝ち残つた。 の姿である。 し斗志満々に何事も忘れて相手に組ついて行く姿こそ、若人の本然 ている程度で、学校にして育てられたと思える者は少かつた。しか 森 野木 広司︵中之条高︶ 場集目のうちに、約三分にして中村の大外刈きまつて勢農の優勝と 於前橋警察学校 福島 宥範︵県教育委︶ 学校柔道 会 五月二十六●七目口 講 習 大村 之条高、前橋商、沼田高、館林高、佐波農 以上十七校 商、前橋高、勢多農、冨田高、太田高、桐生高、新島学園中 場所前橋高等学校 期日 昭和二十六年七月二十日 第一回群馬県高等学校柔道大会 OO㎜\万 ヨ なつた。柔道連盟寄贈の優勝カップが勢農に贈られた。 参加人員 九十六名 教官十名 試合成績 高崎高、高崎工、佐波農玉村分校、室田高、伊勢崎高、高崎 柔道実施状況調査 A組 O勝△負×引分 B組 ︹\ ○ 一ー ○ O ﹃○団\日一④ 0 O Jー 副 l I一ド﹁ー﹃ ︸! △︸△ △ 皿 !r! r 一 \ \ △ △一△ ト ー O ㎜卜 桐工 △ 0 △ △㎜\ U ︸ー, O 桐高 3 ㎜O ○ O、q臥疹[竺臣 ¶ー 窒 高1 ﹃ ー刈 い 島ーヨ! 室適 局市 園卜 ︸ ﹁⋮、 佐農 一 ◎隊−− “ △ ﹁ ○ 創ー 高高 同可 、ー\ 工 高 高 前 桐 高 桐 工一計 臥 f i コリヒトヨ ⋮ 一 △ △ 到 ﹁﹂ ⋮¶ー 琳 調査校 二十二校 正課に実施 し て い る ○ 校 課外に実施している 八校 其の他には町道場にて行つている者が大部分で、これをみる に早期に道場を造る必要が大いにあると思ふo 第一回群馬県高等学校柔道大会 戦後六年間見られなかつた高校生の柔道試合が、十八チームの多数 の参加を得て盛大に開催された事は、柔道が如何に根強く青年に愛 好されて来たかを物語つていると思ふo 試合は町道場で許可されない前から練習をして居た者が優勢をしめ ︺ 8 1 1 ︹ c組 一, 舅 、 ㎝\ . ○ O 区﹂o ∼釧−、 τ ー ー ㎜,\ー;一引 〇 ﹃ △ ∼△㎜\ 万、 醒一〇 一 埜・ ー 凛[ ﹁I− D組 利 農 △ ・ \ \ ﹄ △ △ ・ ㎜−1, 太 高︸△ ㎜ ム \\ 一f ユ 日 0 1 第六回国民体育大会 二六年一〇月二八、二九日 贋島県福出市 高校代表 勢多農林 中村栄彌二段 団体一回戦は埼玉県と対戦、深谷商業千村良雄初段と対戦優勢勝 にて勝つ、しかし群馬は三対一にて惜負する。 府県対抗個人高校の部に於て、中村君は全国第四位の好成績を残す 第一回戦愛媛の清水を破り、第二回戦は昨日と同じ埼玉の千村に優 勢勝にて勝つ。第三回戦は岩手の海上と対戦、延長戦の結果勝とり 桐高4−1渋高 藤井○ー小森谷 勢農312太高︵定︶ いた程度で惜しい/\。敵も憤然と攻勢に出て内股の連発、さすが 中村立っや左大内刈にてさつと刈る。きまつたかに見えたが尻をっ 裏をかしたがきまらず、中村優勢の中にタイムとなる。更に延長 ﹄\ 2 qu 堂々準決勝に進む。相手は団体戦に優勝した本大会に技の光ってい 能登Oi 角田 阿久津01 高 山 に中村連続の試合に疲労の色濃く二回ばかり横倒しになつてタイム 計 る久保山初段、相手にとつて不足はないo組むやたちまち飛ばされ るかとはらくしたが、中村もさるもの、ずぶとい程に落ついた態 竹内Oー樋口 小野里 ー○細 堀 優勢勝をとられる。三位決定戦は福井県の五十嵐に背負投にて破れ 斎 ,釧! 割る 屋ゆ 高 商一△ O﹁O O ト; △ ﹃△広 × d﹂ 勢 濃\一烈 ㎜〇 一〇一〇 劃 対 − “ 卜 △ ㎜△い ﹁欝 喬ヨ商天高 利農 酬 × トー モ定E. 前商 コ沼葛 丁高工.前高 天高マ、ー 阿部Ol 福島 関根10栗田 る。欲を言えば中村に決定的な攻繋技がほしい。しかし不屈不擁の 度には感心せざるを得ない。数度の内股も輕くうけて動かず、二回 水谷○ー都丸 中村Oー山 口 準決勝 村田!O橋本 斗志は高校生の範とすべきである。父中村六段は新聞を見て大いに 桐高2− 2 勢 農 能登 代表戦 勢農 三位 太高︵定︶ 10中村 秋の選手権大会を一層意義潔からしめた。 本大会には特に上毛新聞社長より立派な優勝旗とカップが寄贈され 決勝戦 能登1 0 藤 井 竹内Ol阿久津 優勝 桐高 三位 渋高 喜んだに違ひないQ 阿部 × 小野里 二位 前回の優勝校をめぐつて、何校が此の優勝旗を獲得するか。この優 第一回群馬県高等学校柔道選手権大会 水谷○ー関根 村田10中村 ︺ 1一 9 1 ︹ 館林高2!0高崎商 第一回職 桐生工3−2佐波農 渋川高4−1太田高︵定︶ 勝旗をになう選手は、必ずや正々堂々と戦つた眞のスポーッマソで あらねばならぬQ 前橋商3−2伊勢崎高 農、桐高、高商、前高の四校をシートしたのであるが、第︼回戦に 中之条高211利根農高 勢多農3−1桐生工 前橋工210富岡高 館林高3!−館林高︵定︶ 高崎高312沼田高 第二回職 参加チームは前回よりもニチーム増えて二〇チームの多数にのぼ塑 於て高商は館高に善戦したが2対0にて敗退したQ第二回戦前高は 桐生高5−0前橋商 渋川高312前橋高 トーナメント式にて試含を進めたのである。組合せ会議にては、勢 渋高に3対2の接戦にて破れた。第三回戦にては優勝候補勢農は高 太田高510室田高 ︵土︶ 高崎高2−2勢多農高 ○代表戦 渋川高3−2太田高 館林高3i1中之条高 準決勝 送足払 大内刈 福永ー○小林 竹内 ー○ 下裟固 ○ー 優勢 橋本 角田 大井 ー○越澤 棄権不職勝 能登 引分 阿部 − 中村 引分け 岸 村田 藤野○ 小外刈 竹内 O i 送足払 水谷 ○ー 樋口 大外刈 館林高1!2桐生高 決勝戦 桐高 311 渋高 眞下Oi藤野 桐生高4−1前橋工 第三回職 高に対戦し、大将大井が負傷して痛みがあつたため2対2の同点と なつた。 さて代表戦に勢農中村、高高は福永を送りどちらも負けられない︻ 職となつた。どちらもよくせめて善戦したが福永の優勢勝となり、 高高が準決勝に勝進んだ。準決勝は桐高対渋高3対1にて桐高の勝 高崎高113館林高 高高対館高は高高大將大井欠場のため四名にて奮斗したが、3対1 にて館高が決勝に進むQ決勝戦は桐高に一日の長あり2対1にて桐 矢島 ー○筑比地 大内刈 昭和二十六年+一月十七日 勅使河原ー染谷 高が勝ち優勝旗は同チームに贈られた、 新年度は指導者、道場、柔道衣を先ず学校にては出来るだけ完備し て、多数の生徒にやらして戴きたいものであるQ廣い基盤の上に立 つ学 校 柔 道 で あ り た い も の で あ る 。 期日 伊勢崎 市 立 北 小 学 校 体 育 館 第一回群馬県高等学校柔道選手権大会 場所 試合成績 ︺ ︹ 0 2 1 筑比地 優勢 ○阿部 小林 巴投 ○能登 染谷 引分 水谷 越沢 引分 村田 利根農林A211勢多農林B 二位 勢多農林B 利根〃 BO−3勢多μ B 三位 利根農林A 勢多厚 A2−1勢多厚 B 利根厚 A1−2厚 厚 A 高崎高 212 渋川高 眞下 内股 ○角田 矢島 引分 中島 福永○ 内股 橋本 勅使河原○ 優勢 樋q 大井 不職勝 O岸 個人リーグ職 三位決定職 代表職 一位藤井恒雄︵勢農︶ 二位石原茂太郎︵勢辰︶ 三位生方貞雄︵利農︶ 敢斗賞 水谷碩︵桐高︶ 能登紀明︵桐高︶ 染谷三郎︵館高︶ 優勝桐生高 二位 館林高 三位 高崎高 中堅藤井恒雄 同 先鋒 石原茂太郎 勢多農林 第六回国民体育大 会 廣 島 利根厚 A2i1利根厚 B 福永○ 足払ひ 橋本 小林朝幸︵館高︶ 福永弘之︵高高︶ 大將藤川邦夫 同 O 一 N O O 一 O o o 蔦 振u。 .聾 富岡高校811桐生高 二月二十四日 一、県下新人リーグ職 富岡高校3!2藤岡高 高体連ハンドボール部. 昭和二十六年度競技記録 補欠 眞下 武志 同 群馬県高等学校柔道選手体重集計表 二六年十一月十七日測定 ω ω ㎝ 鼻 刈 凶鵬 轟N 心co ムゆ ㎝O 図 噛⑬ Uψ U轟 ゆU Ψひ 噛司 Ψo o Uゆ = oo 刈 oo ひ一 ひ口 Oω ひ轟 ひU ひひ α﹃ αQo ひO ↓O >抽.ω ω N o o oo ︸ ひO O 相撲部委員長 森 国 会場 勢多農林高等学校 桐生工高4−2富岡高 期 日 昭 和 二十六年八月一日 桐生工高 −桐生高 桐生工高 −藤岡高 利 団体リーグ職 優勝 桐生工業高等学校 県下高等学校相撲選手権大会 利根農林BO13勢多農林A 一位 勢多農林A ﹁、一 ヨ 2 ー ヂ㌧ 二、県下選手権繋 東 日 本 選 手 権 県 予 選 五月二十七日、六月十六日、六月二十三日 4!∼OQ 壊 イ ーつ﹂ 肯D︻¶上 藤岡高 桐生高 富岡高 藤岡高 桐生高 冨岡高校 6iO 藤岡高 富岡高校 ︵ 一 桐生高校 桐生工高 桐生工高 、 綱生工高、桐生高の三校同率の為更に三校による 宮高 第二口 第三目 富岡高H17 課難川博5 岡崎高︵愛知︶ 足利高︵栃木︶ 藤岡高 第二回職 第一回職 準決勝 同 第三回職 同 桐生工 8!4 富岡高 桐生工 015掛川高︵静岡︶ 富岡高 2 ︵静岡︶ 清水商915 ︵愛知︶ 桜台高珍14 四、第﹂一回全日本高校ハンドボール選手権大会 富岡高10−7 岡崎市高︵愛知︶ 三位決定戦 富岡高等学校三位に入賞本県の為万丈の気をはく 富 岡 高 校 6⋮5 桐生工高 高松宮賜杯の本大ム誤は酷暑の八月十二日ー十五日までQ リーグ職の結呆 富岡高校優勝し選手権を獲得する。 嫉ー5 桐生高校 東京駒沢のハソドボール競按場に於て挙行された。 都に惜敗したのであるが、その敢斗精瀞は感嘆すべきものがあ 桐生女子高は県内に相手校がない為に、試合数が少く老練の京 接戦の結操3−0で.敗れた。 術女子代表綱生女子高は、第一回職に京都代表家政高と組んで 第三回職 山口高校 6−3 富岡高 第二回職 富岡高校 H−2 那賀高︵和歌山︶ 本県代表富岡高校は、第一回不職勝その後の職跡左の如し。 桐生工高珀ー5桐集員校 三、全日本高校選手権大会県予選 七 月 十 九 日 一 , ー ヨ 、 i 9 − 7 桐 生 工 高 桐生工高 8−4 桐生高校 富岡高 校 9 − 0 藤 岡 高 校 優勝 富岡高等学校 全日本高校選手権大会︵東京︶に出場権獲得 七月二十九日−七月三十一日 魂、月一日ー二日 五、第六回国体県予選 つた〇 第“旨 1411 土浦一高︵茨城︶ 第一回職 9−3 鋼生高校 四、東日本ハソドボール選手権大会︵福島市︶ 桐生工 13⋮1 北佐久農︵長野︶ 同 ﹁〆 ーt ’ ∼ 2 2 1 桐生工高 富岡高校 桐生工高 ≡二日f二七日 全日本選手権大会︵大阪︶ 八月 全日本選手権県予選 藤岡高校 九月中 国体県及ブロック予選 7iO藤岡高校 7−2 1 富岡高校 ﹁東日本大会に出場して﹂ 二月 新人りーグ職 十一月 県選手権 十月一九日ー二三日 国昆体育大会︵福島市︶ 3−0 藤岡高校 413 桐生高校 桐生高校 311 1 桐生工高 優 勝 桐 生工業高等学校 県代表として国体関東プロヅク大会出場権獲得 尚女子は 桐生女子高 1−0 富岡高で桐生女子高校代表校となる 男子桐生工は鎌倉高校 女子は東京代表太田校と組む ールチームは、年明けと同時に、新チームを編成し﹁今年こそは﹂ 昭和二+五年度対県外試合に相当の成績を牧めた本県各ハソドボ 坦 鎌負高校716桐生王局 の意気に燃えて夫々猛練習を開始した。日頃幾多の困苦に耐えて練 富岡高等単校ハソドボール部 佐 俣 太田高校 210 桐生女子高高 磨したる技術を、今こそ県外に発揮すべく、七月二十九日より三十 六、国体プロック大会︵九月二十九日〇三十日︶ 七、新人選手権大会 一日迄三日間、福島市で開催された﹁東日本高校ハソドボール選手■ 7fO藤岡高 焼くかの知き酷暑に烈々たる気魂と、もえ必勝の意気物すごく、特に 本六十錬校と共に福島大学に覇を競つた。熱風膚をつんざぎ炎熱 権大会﹂に、本県より桐工藤高及び富高の三チームが参加し、東日 富岡高 本県勢は当るべからざるものがあつたQ大会の幕が切つて落される 藤岡高 桐生高 や、富岡高校は第一日大会トツプを飾つて、茨城代表土浦高校を [∼ー6 7−0 藤岡高 Q﹂︷ハU +一月二+四日 富岡高 桐生工 桐生工 富岡高 桐生高 対1と軽く一蹴し、続いて先年度イソターハイ優勝校足利高校と 六月 春期リーグ職 職であつた。一方桐工は北佐久農高︵長野︶を1 3対1、岡崎高︵愛 対職、之をH対7と降したがこの一職こそ実に手に汗を握る物凄い 14 七月 講習会 知︶を8対4で破り、富高と共に第二日目に試合を進めた。叉藤岡 ▼昭和二十七年度行事予定 二九日−三一日 東日本選手権大会︵一ノ宮市︶ ﹄︺ 3 2 雇 ,ー㍉ した。続く二日目には、富高は静岡の強敵掛川沼津両校と交職、夫 高校は二回職迄敢斗し、翠嵐高校︵神奈川︶と交職し6対5と惜敗 りゴールジヤッヂの持つ白旗をあげさせ、先取得点を敢行、意気を 突入したQ先ず味方の最初の攻撃でウインゲの巧妙なシユートによ 進んだ。次に桐工は優勝候補清水商校と組み9対5で敗れ去つたが の後しばしば我がバックを苦境に落し入れたoそのうち又味方が一 とめたQしかLながら岡崎のホワードは非常にスピードがあり、そ 増々高めた。家いで敵の攻撃を昧方バツクの猛烈な守備によりくい 本県勢は本県の名誉のためよく奮斗することを得た。 点を追加したQこれを見た岡崎は突然反撃に出し﹁あつ﹂という閻 夫20対5・H対7と破り、破竹の勢を以て堂々三日目の準優勝職に 第三日目は優勝候補の随一愛知の櫻台高校に一職を挑んだ。しか で、彼等を考えると、本校チームは大きな威圧を感じ、観衆も叉大 喫し、全員キレイに断髪した可愛らしき頭で東日本大会に臨んだの 藩し、全日本選手権県予選に優勝はしたが、不覚にも一敗を桐高に にくらべて富高は小粒であつて・貧弱な半袖の青色のユ﹂一ホームを 胴に入つた軽快なユ芦ホーム、全員揃つて大柄な身体と長髪、これ リッポイ試合場に整列した。岡崎高の茶色の地に太い白線が二本、 はと互に球友をはげましあいつつ、連鼠の試合に荒れ果てたホコ 対愚久知県岡崎市立高校職にのぞんだ。石にかじりついてもこの︸職 勝職の汗を澱ぐいほつとする間もなく、我等十一人は続く三位決定 凹凸の激しい福島大学々芸学部のグランドの片隅の木蔭で、準決 に敗れ去つた。 日本の覇権を握つた桜台だけに、実力の相異如何ともなし難く完全 大敗を喫し、遂に東日本制覇の夢も跡かたなく清えてしまつた。全 てくいざるように職い得た事、本県勢の態度は実にスポーッマンシ 始全勢力をもつて相手校に対したことである。勝つてお、こらず敗れ 爾本大会を通じて特に感じたことは、たとい相手が弱敵でも、終 勝利を得て全国制覇の夢へ一段と近づけることが出来た。 と勝つことができた。実に苦しい試合であつた。しかしこの︷職に かし勝運は遂に我に幸してか、後半わずかの差で岡崎を破り1 0対7 母校の名讐の爲有終の美を飾るべく夫々勝敗を越えて頑張つたoし。 互に一点を取りつ取られつのシーソーゲTムが展開されたoそして 鳴を上げる程だつたQ時間も終局に迫るや敵味方勇然と更に奮起し は得点される毎に高まり、相手のホワードは味方の猛烈な守備に悲 際今までの試合に見られない気魂がチーム全員にみなぎつた。闘志 かりにその守備に攻撃に全力を注げば、相手も後牟こそと力み、実 よく後半のゲームが始まつた。全員福島に於ける最後の25分とば 点、計四対二と前半を終えた、10分間の休憩に充分作験を練り、い にその鏡い攻撃で一点を返したQその後富岡は二点。岡高一点を得 人と子供の差に見えたであらうQ特に場なれのしない二年の選手達 ツプの本領を発揮したものといえよう。 し、ここに於て不運にも我がチームの虚を巧みにつかれ、14対4と は一沫の不安さえも感じた。 さてレフリーにより試合開始のホイスルが真夏の青空に高らかに 響き渡つた。準決勝で辛酸をなめた我々は、猛然と先攻の岡崎高に ︺ 4 2 1 rk ◎印は 主将 特に籠球、排球より受けた・てれは格別であつたろうと想像するQ淘 に本地区将來のため、よろこぴに堪えないと同時に、あらゆる面か 岡田 武夫︵3年︶ 戦法を習慣づけたチームが優秀な成績を挙げたことに疑いは無く、 高崎在の高校チームが羨望の的となつたがその結果のみに心を奪は れることなきよう、一言を加えたい。 次にその成績を発表するQ O男子籠球の部︵蚕糸高校︶ 第一回戦 高商高 鈴16 安商︵定︶ 藤高 呂i7 富東高 蚕高 ︵不戦勝︶ 安高 富 高 26114 新島高 一致の奉仕的精神に依つて、体操、陸上競技及女子籠球︵高崎会場 つた。偏遊な片田舎、碓氷郡の分散的会場ではあつたが、全員和協 めて安中地区で開かれたのは、六月二日、好天に恵まれた一日であ 第三回大会を富岡地区に譲つた第四回西部地区体育大会が、はじ 高崎高等学校 39i 高崎工業高等学校 決勝戦 高高42−19蚕高 高工高男ー13藤高 準決勝戦 藤高18i⑳藤高︵定︶ 高工高3 2−3松高 俣 坦 各種目を通じ、シ!ズンアップ中獲得した基礎体力と技術の上に ハーフパック ︵3年﹀ ら見て、本大会のねらいの外れなかつたことを確信する。 伸栄︵〃︶ 四番 多胡 芳信︵厚︶ ︵か︶ 朗郎︵3年︶ 番号は守備位 置 ︵ 背 番 ︶ 当時の冨高のメソバ1 ホワード 七番 柳沢 八厚 前田 松男︵ザ︶ 五〃 上村 坦︵2年︶ 一〇厚 井上 清策︵μ︶ 九厚 佐俣 今井 国男︵3年︶ 六厚 大塚 一番 ゴ蓄ルキーパー 二俘◎伊藤 ルバツク フ ニ番 萩 原 清︵2年︶ 入 江 孝一︵厚︶ 三番 安 藤 和好︵厚︶ 昭和二十七年三月四日記 藤高︵定︶Bi7 高市高 に委任︶を除く他の種目中、男子の部を蚕糸高校、安中保健所、女 三位決定戦 佐 第二回戦 子の部を安中高校会場で敢行することが出 来 た 。 蚕高241珍藤高 西部地 区 体 育 大 会 かxる種の大会に恵まれる機会を得なかつた当地区学校関係者は 十三チームの参加を得しかも楽な気持で、試合が進行出來た事は 高 高 3 618 高商高 蚕 高 24ーπ 富 高 もとより、一般スポーッ愛好者に、与えた感銘は、末だ前例が無く ︺ ︹ 5 2 1 地区大会でなくては見られぬ雰園気であつた。 決勝戦 より望みたい。 関東女子バスケツト選手権大会のため、女子バスヶットは、延期して 藤女37ー珍富岡東 高市女 2 6−19 富岡東 ○男子排球の部︵蚕糸高校︶ 行つた。 三位決定戦 高商封高高の準決勝戦が事実上の決勝戦と見られ、高工を降した高 高市女、高女、藤女は大体実力接近しているので今後の練習如何に しかし技術的には、高高を除いて、どのチームも基礎練習の不足 商に優勝の幸運が恵まれたQ よつては、どのチームが伸びるか楽しみである。 が目立つた。今後は冬季練習の期間に体力と基礎練習を充分にやる O男子卓球の部︵蚕糸高校︶ ○女子排球の部︵安・中高︶ 第一回職 高崎地区の狗占舞台となり、一位高商、二位高高、三位高工、四位 蚕高、高崎地区に比L碓氷甘楽多野の卓球術術は、末だしの感があ た試合を散見したことは、高校生のプライドの上から遺感の極みで 種目に比較して末だしの感があつた。むしろ精神的にあきらめに似 一般に単調な試合で、技術の不確実さ、運行の粗漏さが目立ち、他 コートの状態恵るく、各選手共充分の試合が出来なかつたと思うが O男子庭球の部︵保健所︶ 決勝戦 高技210冨岡東 高女210安中高 準決勝職 安中高2−0藤女 高女2!0藤岡高 高技2−0高商 第二回職 富岡東211室田高 藤 女 2−i 松 女 室 高 2−0 下仁田高 あつた。傑出したチームとしては高商及高高が挙げられるo 高女2!−高技 つた。 優勝は高商校チームで、伝統のねばり強さの片鱗を見ることが出来 高女弱⋮10松女 第 一 回 職 ○女子唐龍球の部︵高市女高︶ であるQ く今後の精進によつては、いずれが選手権大会に覇を握るか、疑問 優勝した高女と、決勝で敗退した高技との実力の差は、ほとんどな 安中高2−−富岡東 第三位決定職 第二回戦︵準決勝︶ O女子卓球の部︵安中高校︶ た。 富岡東 おi27 高 女 高市女 2 0 藤 女 6−2 ︺ 6 2 確 ︹ 第二回職︵準決勝︶ 安高3t2下高 富岡東3−0室高 高 女 3tO 松 高 高市女 3−0 藤岡女 第一回職 を欄くQ 尚関係者諸賢の本大会に待つ望みの、益々大ならんことを期して筆 を附記する。 終りに女子の部では各種目を通じ高崎女子高校が優秀であつた事 論ずる事は出来ない。 場所 館林高等学校々庭 主催 群馬県高体連 群馬県東部地区高校体育大会の便り 第六回 ︵ ︶ 高 女 3;1 高市女 富岡東 3−1 安 高 決勝職 富岡東3i1高女 第三位決定戦 高市女 3−2 安 高 優勝した富岡東高校は、ずばぬけた選手は居なかつたが、粒揃であ つたのが、冨岡東 を 優 勝 さ せ た 結 果 に な つ た Q Q女子庭球の部︵安中高校︶ 第一回職 高女411高商 ︵男子之部︶ 一七・五点 陸上競技大会 球技大会 優勝 桐生高等学校 一七・ 点 会期薦埜廿醗蕩籠日 藤女4t1安高 高市女︵不職勝︶ 室高4!−松高 高女312下高 準優勝 館林高等学校 一六・ 点 第二回職 準決勝戦 三 位 太田高等学校 綜合威績 藤 女 5−0 高市女 高 女 312 室 高 決勝載 藤岡女子高校は伝統の粘ばり強さを示し、圧倒的に威績を納めて優 館林女子高等学校 優勝 桐生女子高等学校 九。 点 一九・ 点 一九。 点︵優勝種目勝︶ ︵女子之部︶ 勝したが、当日は東日本予選会があつたため、学校によつては、選 三 位 太田女子高等学校 藤女5−0高女 手が区分された処もあるので、本大会の成績を以て各校の庭球部を ︺’ 7 2 1 ︹ 第六回東部地区高校体育大会は、めぐまれた春の日盛りのうちに完 結した。 昭和二十六年東部地区大会は館林高校に決定し、グランドの関係か ら陸上競技大会だけ凋立開催し、ついで球技を主体とした、籠.排 庭・野・卓球にソフトボ!ル・ラグビー・サッカi・ハソドボール バト、・・ソトソ・ダンス。体操・柔道の十三種目を開催したo準備会 の折、二校以上の競技種目は全部公開し、競技内容を認識させると 共に、その競技の宣伝と普及を主眠とした。同一のグランドに時間 的に編成されたプラソがグラソドに展開した大会は実に国体にもに た牡観そのものであつた。それに加え、若き学生がとくに情熱を傾 注しての赫技態度、叉スポーッのもつその特性を発揮しての敢闘振 の絵雀は眼頭の熱い印象と若き日によつて第六回東部高校体育大会 の記念樹は樹立された。 館高飯 島 徳 江 ● 、㌦ 、“∼ 迄 レ7 .囲 く、、 ㌔、争 、焦 叙 ︺ ’し 8 2 1 1 ー ラ ー ド ‘ ︸ ﹄ ー 1 ︸ [ し ﹂ 車 , と 当 1 一 , 1 ラ ︷ ー ’ 諾 書 L 虹 1 1 1 L − 1 毒 昭和二+八年度 長 き ン 市川彦太郎︵佐農︶ 浅見 一也︵勢農 ︶ 中部地区 ︶ 北部地区 坂爪 榮二︵利農︶ 池谷 君夫︵吾高 ー コ し ニ “ ﹂ “ U 昌 U H 目 U U 目 h 下田 仙、李︵高工︶ 群馬縣高等学校体育連盟役員一覧 ︵昭和二+八年九旦日現在︶ 一 千春︵渋女︶ 新井 善雄︵太高︶ 上田 敬次︵桐高 ︶ 東部地区 富田 俊一︵高崎高︶ 正二︵前市女︶ ︶ 西部地区 田村 泰ス高商︶ 沢田市治郎︵安高 正木徳次郎︵前商︶ 平野 武夫︵前女高校、長︶ 岩根 義成︵前商高校長︶ 大村 武男︵前高校長︶ ︸い 会 長 長 副 事 会 理 材 井上 徳治︵館高︶ 正木徳次郎︵前商︶ 井 上 正二︵前市女︶ 茂木 正夫︵前高︶ 常務理事 飯島 歳雄︵富高︶ 下田満寿男︵前女︶ 荻原 ド 1 1 1 1 1 1 − 1 1 1 − l i 1 1 ー 町田 国平︵前工︶ 北井柳太郎︵高女︶ i 1 松井 泰ス高商︶ ∼ 1 ’ 理 事 田村 “ 月 ” ” 口 U 森 木暮 恒夫︵沼女︶ 得雄︵常盤︶ 国利︵伊高︶ 柳沢 坂爪 浅見 津田 廣治︵新島︶ 栄二︵利農︶ 一也︵勢農︶ 貞︵伊工︶ 町田 町田 池谷 静野 神谷 猛雄︵境高︶ 歳雄︵富高︶ 君夫︵吾高︶ 寛へ室高︶ 賢男︵伊女︶ ︵新農︶ 飯島 徳治︵飴高︶ 武井源三郎︵富東高︶ 原田 志郎︵甘農︶ 神戸 義夫下高︶ 中沢角太郎︵中高︶ 沢田市治郎︵安高︶ 塩原 正孝へ渋高︶ 林 千春︵渋女︶ 市川彦太郎︵佐農︶ 新井 善雄︵太高︶ 窪庭 昭男︵蚕糸︶ 山口 由治︵沼高︶ 天笠 正男︵太女︶ 関口 閲,重、桐市商︶ ︵桐丘︶ ︵樹徳︶ 坂爪 太郎︵松高︶ 清美︵藤女︶ 滋︵桐女︶ 房夫︵高市女︶ 清水 貞保︵高高︶ 高橋 三郎︵市高︶ ︵学校代表︶ 生駒由三郎︵桐工︶ 富田 長坂 正久︵太高︶ 卦コH﹁ 敬次︵桐高︶ 判 廿 “ 新島庫一郎︵藤高︶ 木村 津田 貞︵伊工・水泳︶ 富田俊ス高高・ラグピー︶ 田部井蒜、作︵前工・軟式庭球︶ ︵部代表︶ 下 田 仙平︵高工・陸上競技︶ 塩原 井上 飯島 石井 清水 正孝︵渋女・スヶート︶ 正二︵前市女・体操︶ 徳治︵館高。サッカー︶ 好男︵前高・卓球︶ 貞治︵高高・籠球︶ 川浦三四郎、︵大高・山岳︶ 淺見 一也︵勢農・相撲︶ 町田 歳雄︵富高・ハンドボール︶ 池谷 晃寛︵ド︷局●ソフトボール︶ 須藤 初治︵高高・排球︶ 新島 三郎︵館女︶ 茂木 英雄︵小農︶ 一ーノ 上田 目 目 “ 目 ー1 林 千春︵渋女・スキー︶ U H U n U “ H 一 H U ” H ■ U U U U U “ n ” け 目 一 “ ” U n U H 目 U n “ “ U “ ロ H 勧 目 日 ” H 打 H ︺ 1し 9 2 1 阿部ふさ子︵藤女。ダンス︶ 上田 敬次︵桐高・バドミソトン︶ 茂木 正夫︵前高。自轄車︶ ⋮監 査 ⋮評 議 員 田島 辰次︵県教委︶ 藤口 末光︵県教委︶ 石田 久弥︵輿教委︶ 山本六十二︵勢農︶ 下田満寿男︵前女︶ 各高等学校長 上田敬次バ桐高。編集部︶ ㎜指導黍員 黒沢 得男︵教育長︶ 篠原 秀吉︵県体協長︶ 中村 武雄︵前会長︶ 森国利︵伊高・柔道︶ 北非柳太郎︵高女・指導部︶ ⋮顧 問 田中友家郎︵指導課長︶ 武光多四郎︵学校保健課長︶ 清水 右李︵群大︶ 柳沢利喜雄︵群大︶ 安田 昭信公局工・陸競︶ 田中 悦平︵高高・籠球︶ 沼賀 健次︵高商。排球︶ 大村 武男︵前高・卓球︶ 天田 裕康︵自轄車連︶ 阿部 一美︵山岳連盟︶ 関口林五郎︵体操連盟︶ 阿部 一美︵スキi連盟︶ 黛 三衛︵相撲連︶ 水谷 嚴︵バド、、・ントン部︶ 遠藤仁之輔︵サッカ・,協会︶ 千明三衛門︵スヶート連盟︶ 柳沼六七八︵ハソドボール協︶ 板垣源一郎︵水泳蓮盟︶ 宮沢 租︸︵排球協会︶ 河野 孝︵卓球協会︶ 境野 清雄︵軟庭連︶ 岡田 由男︵ラクビー協︶ 黛 朝得︵県高教組︶ 原田 三闘︵濁立高教組︶ 詫摩 治利︵陸協︶ 井上卯一郎︵籠球協会︶ ㎜参 与 ⋮部 長 田中憧平︵高高・ラグビー︶ 門伝誠吾︵館高・サッカi︶ 柳沼六七八︵富高・ハソドボ!ル︶ 高橋 正衛︵下高・ソフトボール︶ 田代猪之助︵伊工・水泳︶ 長谷川喜重︵前市女・体操︶ 山本六十二︵勢農・相撲︶ 直田 昇︵渋女eスキー︶ 狩野 道美︵渋高・スケート︶ 李野 俊雄︵大高・山岳︶ 坂口偉太郎︵藤女・ダソス︶ 野村吉之助︵桐高・パドミントン︶ 川村義雄︵伊高・柔道︶大村武男︵前高・自轄車︶大島 礼弥︵前工。軟庭︶ 森野 善ス高女・指導︶ 野村吉之助桐高・編集︶ ︺ ︹ 0 3 1 ヤ ︶ V ソ V ザ ︶ ザ 事務局興 事務分掌 事務局長 正木徳次郎 庶務主任 高橋 バスケツト ボール 。 ∼、 ー㌔ 謡 ∼ , 2 W 潔 ヤ 高橋・正木 会計主任石田 元夫書 記 竹田 芳文 石田。山本 軟式庭球 書 記 山本義男 陸上競技 竹田・高橋 竹田.石田噛 山 岳 ス キ ー 体 操 ハンドボ葺ル サツヵ蓋 卓 球 石田。高 橋 竹田。山本 石田。正木 正木。石田 高橋。山本 石田・竹田 山本・竹 田 自転 車 ダ ン ス スケート 相 撲 水 泳 藩●果㎜ 石田・正木 山本・石田 ソフトボール 山本・高橋 竹甲幕㎜ バドミントン 山本・正木 蕊 高橋・正木 W ︸ φ 正木・施 柔 道 ラグビヨ バレボール 全般事務分掌 W 机 蝋 ︸ ︸種 目 別 皿連絡係分掌 ヂ い 風 ∼ V ∼ 斌 皿 M ︵ヤ ︸ ︸ κ へ い 斌 へ 賦 V ノ ㌦燕 卿繊 ﹁掃 一 ハ 一 沼騨 、︶ モ 3 1 ∼ L 0 お わ び ● 取急ぎ編集を致しましたので排球部の記録中、昭和二十六年が三号 に昭和二十七年が二号に入れ替つてしまいました。其の他不備の点 についても深くお詑び致します◎ ヨ づニ ロ しヨ ニ ロゴ ニ ニ ガ ごユ も コロ ニ しし ヨ てヨ ゴ ニコ ヨ ニニ し ヤて ゴ しザ ロ ロニ ド コニ モ ニニ こ ヘニ し メヒ ニ ニヌ こ ニヨ つ ココ ド もロ マ ヨタ こ ニペ ガ ニリ ヨ コロ ご つし こ ヨ づニ ニ ロモ ヘ ラ わ ニニ ヨ タ ヨ ニ タ こ ヘ こ し ぜ デ ニ こ エ コ ド モ ゴ づ コ リ ニ コ ガ ヤ ニ ニ リ ヨ ニ ロ キ 岡 ・−−−ーー ﹄ー ⋮,−・ノー’ー、−−﹃−−∼,− 一 咽 ⋮ ・一編集後配一. 囲 ﹄ 、≦∼タ∼多∼︺‘∼∼≦旨’多− u ハ 昭 ﹁創刊号﹂に引続いて年一回発刊する予定で﹁第二号﹂発行を計画し、その計画について、 団 囲 原稿御提出の連絡をしたのは昭和二十七年の三月頃だつたろう。早い方は四、五月中に提出し 陶 岡 て下さつたが、仲々全部集らず、編集部としては非常に困り、集らないまxに再三部会を事務 一 ロ ヨ 隔 局と合同で開催し、方針やら,内容等について検討し、原稿が集れば直ちに発刊する段取まで ” リ ロ L に至つたが、結局﹁第三号﹂作成の時期に至つてしまいましたので﹁第二、三号﹂として一冊 ︸ “セ に取纏め、発刊することに決定いたしました。 い ︸ 昭和二十八年は事務局の火災やら、事務局の移転やらで再び事務が停滞し編集部の方々の御晶 幣 努力にも拘らず、進捗せず、事務局として申訳なく思つておりましたが、ようやく発刊の運び 晒 ︸ に至りました。 鰍 ヤ い 甲 ﹁第二、三号﹂は各部会の記録を中心にし、御寄贈下さつた研究文を加えて編集しました。 ﹃ 繍 編集に不慣れの事務局員の手によつたもので読み難い点が多いと思いますが御宥謝の程お願い 隔 ヤ 鱒 いたします。御送稿下さつた藤口先生、柳沢先生、茂木先生、桐生高校、各部委員長の方々、 ・ 嚥巻頭を飾つて下さつた大村会長さん及び種々御骨折下さつた前事務局の茂木、中山、池谷、多賄 叩 胡,内田各先生に心より厚く御礼申上ます。尚全文の校正を一手に引受けて下さつた前橋商業・ ぴ 嚇 高校臼田先生にはお礼の言葉もありません。 砧 喰 ﹁第四号﹂も間近に編集するることになりますが、私達編集に当つたものとしてお願い致し 岬 勘ぜ た い の は 、 原稿 し い と は 存 じ ま す が 是 非 お 願 い し ㍉ m を 期 日 ま で に 御 送 附 願 い た い こ と で す 。 お 忙 ﹂ ます。 岬 ︷ 又﹁第二、三号﹂についての御批判を積極的にお願します。 ﹁第四号﹂−第五号﹂と吾々の機関 嶋 岬 誌をよりよいものにして行きたいと思つています。 ︵正木徳次郎︶ 岬 隅 倫編集に当つて下さつた方々は次のとおりです。 ﹄ 副 上田敬次・新井 喜雄・井上正二・林 千春・市川彦太郎・田村泰一︵以上編集部︶ 叩 隔 北井柳太郎︵指導部︶正木徳次郎・石田元夫・竹田芳文・山本・義男・高橋潔 噺 ⋮ ︵ 以 上 事 務 局 ︶ ハ 、 .’レ三朝¶−’一三‘1哩.−劃昌書﹃11一一=4﹄三ロー1’二F、‘..三馳、−.一引.’島・⋮﹁4’三﹃覧﹄一.三﹄t−.二、’し・■三Jj5﹃、1一、5︻ー=.一一’1ぞ二﹄1一三一魅1、ロ﹂曇r三−一1’∋=1■二三r1∈・一﹃﹃三=■f ﹂ ﹄ 、 隔 昭和廿八年十一月廿五日印刷 昭和廿八年十二月 五日発行 ︻非賀品︼ ︻高校の体育︼ 編 集人兼大村武男 発行 前橋市市之坪四一番地 群馬県立前橋商業高等.学校内 発行所礪憩、薗磯、鰍 印刷人長張知市郎 前橋市堀川町四八 印刷所三共印刷株式会社