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第18号 - 浜松医科大学

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第18号 - 浜松医科大学
ISSN 0914-0174
浜松医科大学紀要
一 般 教 育
第 18 号
2004 年 3 月
浜松医科大学
目 次
競馬データにみられる統計的偏りについて(1) ……………………… 野田 明男 ……………… 1
コンゴ森林農耕民ボイエラの運搬活動
………………………………… 佐藤 弘明 …………… 13
Doctor-Patient Communication:
An Introduction for Medical Students …………………………… Gregory V. G. O’Dowd …………… 39
関口存男における前置詞 in ……………………………………………… 佐藤 清昭 …………… 53
付録:浜松医科大学紀要一般教育の編集、刊行に関する申し合わせ
…………………………… 81
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
競馬データにみられる統計的偏りについて(1)
野田 明男
(数学)
On the Statistical Bias Found in the Horse Racing Data (1)
Akio NODA
Mathematics
Abstract: The purpose of the present paper is to report what type of statistical bias the author has found
in the horse racing data (based on [3]).
In order to explain the type of statistical bias, let us consider a racing with m participants. We denote by
{a, b, c}(1 ≦ a < b < c ≦ m) a set of numbers of the first, second and third racehorses to reach the goal.
The number of each participant is determined by lot, which leads us to the following null hypothesis:
H0: A set {a,b,c} is nothing but a result of random sampling from the set {1,2,…,m}.
Studying the probability distributions of various random variables arising in the random sampling of H 0 ,
we are in a position to examine, by means of the chi-square test, how frequency distributions observed in
the data mentioned above deviate from the expected ones under the null hypothesis H0 .
Our method of contracting the original data consists of studying two random variables, R = c - a (the
range) and D = min {b - a, c - b} (the adjacent interval of three numbers), as well as the following pair
of partitions of the total event:
A0 = {2b = a + c}, A1 = {2b < a + c} and A2={2b > a + c} ;
B0 = {a + b = c}, B1 = {a + b < c} and B2 = {a + b > c}.
In this paper (1), we take up three racetracks, Chukyo, Hanshin and Kyoto, to examine all racings of
m = 16 (and also m =14) carried out on these racetracks. Indeed, we sum up the original data into two
kinds of contingency tables, the one corresponding to the joint probability distribution of (R,D) and the
other to the 3×3 probability table of the product events Ai ∩ Bj (i, j = 0, 1,2). Performing the chisquare tests for these contingency tables, we are able to detect some types of statistical bias for each
racetrack. Furthermore, these results tell us interesting dependency of the type of detected bias upon the
racetrack, which suggests that the individual character of racetrack can be extracted from the long-term
racing files [3].
Keywords: contingency table, chi-square test, random sampling as the null hypothesis, adjacent interval
of three numbers.
1
On the Statistical Bias Found in the Horse Racing Data (1)
§ 1. 序 : 帰無仮説とその下での確率分布
競馬レースに興味を覚えて約5年が経ち、その間の成績データ
([3]参照)
の中に潜む知の一つとし
て、統計的な偏りを発見する;見出された偏りのパターンをレースが行われる競馬場間で比較し、
有意差を検出すれば競馬場の「個性」
が見えて来る。著者が表題の論文シリーズで実践して行きたい
と思うデータ解析の目標は、データから如何にして個性を抽出するか、という研究課題の解明であ
る。
競馬レースの成績表はさまざまな面を合わせもち、情報量の大きなデータであるが、3 連複の馬
券方式が導入されて競馬ファンに歓迎されたことに示唆されて、われわれは 1、2、3 着に入った馬
番だけに目をつける:m 頭出走のレースにおいて、上位3頭の組合せ{a,
b, c}(1≦ a < b < c ≦ m)
はどのような頻度分布を示すのか。この問題に限定してデータを縮約し、集計作業を行う。
さて、1からmまでの馬番は、公正なくじによって出走馬に割り当てられる点を考慮すれば、次の
帰無仮説 H0 が、頻度分布における偏りを見出すための自然な基準を形作ることがわかる(医学統計
学でよく出会う帰無仮説とその検定は、丹後俊郎氏の著作(例えば[2])から学ぶことができる)。
H0 :1から mまでの番号の中から、{a, b, c}はランダムに選ばれる。
m( m − 1)( m − 2)
ここで、{a, b, c}の組合せの総数は m C3 =
であり、同程度に確からしいと考える
6
のがH0 に他ならぬ。
偏りのパターンを発見するための予備調査の結果から、上位3頭の馬番間の隣接の度合いに着目す
る:
R = c − a(範囲の幅)、 D = min{b − a, c − b}(隣接間隔)。
また、D の最小値の決まり方に応じて、3つの事象に分割する:
A0 = {2b = a + c}, A1 = {2b < a + c}, A2 = {2b > a + c} 。
さらに、これらの事象と1対1対応がつけられる事象
B0 = {a + b = c}, B1 = {a + b < c}, B2 = {a + b > c}
も合わせて考察する。上位3頭の馬番間の差によって定まる確率変数
R, D と事象 Ai に対比して、事
象 Bj は内枠・外枠の差異に敏感な面を有することに注意しよう。すなわち、内枠の 2 頭が上位 3 頭
の中に入れば B1 が起こりやすく(京都競馬場の特色の1つ)、他方外枠の 2 頭が入れば B2 が起こり
やすい(中京競馬場の特色の 1 つ)。帰無仮説
H 0 の下での( R , D ) の同時確率分布と、積事象
Ai ∩ Bj (i, j = 0, 1,2) の確率表は、この節の後半で記述する。
この論文(1)では、中京、阪神、京都、3 つの競馬場における約5年間のレース成績を分析する。
出走頭数 m はレース毎に変化するが、最多レースの m =16 に焦点をあてる;[3]に記載されたレー
スの総数は、
(イ)中京では N1 =1428、(ロ)阪神では N2 = 2292、(ハ)京都では N3 = 2396である。
このうち、m =16 のレース(出走取消の入った少数のレースは除く)の回数は、(イ)n1 =616(全体
の中の43.14%を占める)
、
(ロ)n2 =656(28.62%)
、
(ハ)n3 =590(24.62%)
となっている。このよう
2
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
な nk 個のレース結果 {a,b,c} を各 k
(k = 1, 2, 3) 毎に集計し、Ai ∩ Bj の確率表に対応する分割表
Ⅰと(R,D)の確率分布表に対応する分割表Ⅱをそれぞれ作成する(§2[Ⅰ]
[Ⅱ]を参照)。得られた分
割表に χ 検定を実行し、H 0を棄却できるかどうか調べる。H 0 からの偏りを見出した後さらに、
2
3つの競馬場間で有意差検定を実行し、偏りの出方に差異があるかどうか判定する。次節で詳述され
るこのような偏りと差異は、競馬場の個性が長期間にわたるレース結果に反映したものである、と
受け取ることができよう。
[3]に記載されているレースはすべて、6 ≦ m ≦18 の範囲に入るが、m
= 16 に次いで多いのは
12 ≦ m ≦15 の範囲内の m の値である。出走取消によって欠番が生じたレースはわれわれの集計
作業から除外する。§2の最後の部分
[Ⅲ]で m =14の場合(レースの回数は、(イ)
中京では
(総数
n1′ = 140
N1で割れば9.80%)、(ロ)阪神では n2′ = 267 (11.65%)、(ハ)京都では n3′ = 225(9.39%)と
なっている)だけ検定結果を報告し、前記の m =16 の場合と対比させる。{a,b,c} の頻度分布は m
の値が変わるとどのように反応するのか、という難問および、東京、中山、新潟など他の競馬場に
おいてはどんな偏りパターンがわれわれを待ちうけているのか、という課題は、データに潜む知を
引き出すための新しい視点(レフェリーから指摘された「内枠・外枠の問題」に切り込む方法など)を
模索しつつ、同一表題の(2)として取り組む計画をたてている。
この節の残りは、帰無仮説 H0 に基づく確率計算の結果を示す(証明は容易であり、省略する)。
次節の χ 検定において、期待度数を算出するのに必要である。正の実数 a に対し、 a  は小数点
2
以下切り捨てた整数、 a  は切り上げた整数を表す。
命題1. 2 ≦ r ≦ m –1, 1 ≦ d≦
 m − 1
 2  に対し、R = r かつ D = d となる場合の数 x は、次式で
与えられる。
r −1
r +1
なら x = 2 (m – r); d ≧
なら x = 0 。
2
2
r
r
(2)r が偶数のとき: d ≦ − 1なら x = 2 (m – r); d = なら x = m – r ;
2
2
r
d ≧ + 1なら x = 0 。
2
m = 16 の場合に、(R,D)の H 0 の下での同時確率分布表を記す(すべての場合の数560で割算する
(1)r が奇数のとき: d ≦
形)。
Rの値
2
3
4
5
6
7
8
9
D=1
D=2
D=3
D=4
14
26
24
22
20
18
16
14
0
0
12
22
20
18
16
14
0
0
0
0
10
18
16
14
0
0
0
0
0
0
8
14
計
14
26
36
44
50
54
56
56
3
On the Statistical Bias Found in the Horse Racing Data (1)
Rの値
10
11
12
13
14と15
計
D=1
D=2
D=3
D=4
D≧ 5
12
10
8
6
6
196
12
10
8
6
6
144
12
10
8
6
6
100
12
10
8
6
6
64
6
10
12
12
16
56
計
54
50
44
36
40
560
命題2.(R,D)の周辺分布は次の通り:
P( R = r ) =
P( D = d ) =
6(r − 1)( m − r )
(2 ≦ r ≦ m – 1)
m( m − 1)( m − 2)

6 ( m − 2 d )2
 m − 1

1≦ d ≦ 
m( m − 1)( m − 2) 
 2 
積事象 A i ∩ B j の場合の数をかぞえるため、まず単純な 1 対1 対応
( a, b, c) a (α , β , γ ) を4種類
構成する。整数 a に対し、a を2で割った余りを a'と書く。
(イ)α
= m + 1 − c, β = m + 1 − b, γ = m + 1 − a によって定まる全事象上の1対1対応 f は A0を
不変にし、A1 を A2 に、A2 を A1 に写す。
(ロ)α
=
a + a′
3a + a ′
, β = 2b −
, γ = c によって定まる和事象 A0 ∪ A1 上の 1 対 1 対応 g 1
2
2
は、 A0を B0 に、A1 を B1 に写す。
(ハ)α
c − a
=
, β = b, γ = c によって定まる A0 ∪ A2 上の1対1対応 g2は、A0を B0 に、A2 を
 2 
B2 に写す。
(ニ)α
= b − a, β = b, γ = c によって定まる A0 ∩ ( B1 ∪ B2 ) 上の1対1対応 h は、 A0 ∩ B1 を
B0 ∩ A1 に、 A0 ∩ B2 を B0 ∩ A2 に写す。
(イ)
(ロ)
(ハ)の対応によって、
者の確率
P( A0 ) = P( B0 ) と P( A1 ) = P( A2 ) = P( B1 ) = P( B2 ) が導かれ、前
P( A0 ) = P( B0 ) = pm とおくと、後者の確率はすべて
命題3.
m m − 2
6  
 2   2 
が成り立つ。
pm =
m( m − 1)( m − 2)
4
1 − pm
となる。
2
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
最後の対応(ニ)を用いると、 P( A0
∩ B1 ) = P( B0 ∩ A1 ), P( A0 ∩ B2 ) = P( B0 ∩ A2 ) が得られ、
P( A1 ∩ B2 ) = P( A2 ∩ B1 ) が従う。こうして Ai ∩ Bj (i, j = 0,1, 2) の確率表を作成するには、3つの
∩ B0 , A0 ∩ B1 , A2 ∩ B2 に関する場合の数 y, z, w を求めればよい。なお、表記の簡便化か
1
2
3
ら、 a = a( a + 1), a = a( a + )( a + 1) と書く。
2
積事象 A0
命題4. 次式が成り立つ。
(1)y =
m
 3 
1 m − 2
(2)z =
2  3 
1
(3)w = m
2
2
 m − 3   m − 2   m − 3   m − 2 
+ ( m − 3) 
−
+
−
  2   3   2   3 
2
 m  − 1 +  m − 3  m − 2 
 3 

2   3 
2
2
2
m
m 
 m

 m
2
+   −   − 1  m − 1 − (2 m − 1)   +   
  2   3   
  2   3  
 m − 3   m − 2  
 m − 3   m − 2   
2
+ 
−
+
+ 1
m − 2 − (2 m − 3) 


  2   3  
  2   3   
2 m
m − 3
+    −1 + 
 2 
3   2 
3
3
m
−
3
3
3
m − 2 

−

 3  
3
3
5  m   m   m − 2  
− 
−
+

6  3   3   3  
m = 16 の場合に、Ai ∩ Bj の場合の数を3×3の表の形に示して、この節を終える。
B0
B1
B2
計
A0
5
16
35
56
A1
16
169
67
252
A2
35
67
150
252
計
56
252
252
560
5
On the Statistical Bias Found in the Horse Racing Data (1)
2
§ 2. 中京・阪神・京都競馬場でのレース成績に対する χ 検定
この節では、(イ)中京(ロ)阪神(ハ)京都、3 つの競馬場における m
績を取り上げて、前節で述べた視点から
χ2
= 16(および14)のレース成
検定を実行し、その結果を詳述する。
初めに、m = 16 のレース結果 {a,b,c} を、取り扱いやすさから[Ⅰ]積事象 Ai ∩ Bjへ3×3の形に
分類して、集計した分割表Ⅰを提示し、これに対して帰無仮説 H0 が棄却できるかどうか調べる。
m = 16 のデータを、[Ⅱ](R,D)の同時
2
確率分布表に対応した形式に集計した分割表Ⅱを作成し、これに対して χ 検定をいろいろな視点
さらに、3つの競馬場間の有意差検定を実行する。次に同じ
から実行する。
最後の[Ⅲ]の部分は、m = 14 の場合にあてられる;上記[Ⅰ]
[Ⅱ]と対比させる形で、検定結果
をそれぞれ簡潔に述べて行く。他の m の値および他の競馬場のレース成績については、次の論文
(2)において分析して行く予定である。
[Ⅰ]出走取消により欠番が生じたレースは除外して、m = 16 のレース結果を[3]により集計し、次
の分割表Ⅰに至る。
Ⅰ
B0
B1
B2
計
A0
5
6
60
71
12
22
41
75
11
16
39
66
19
188
94
301
21
213
79
313
19
210
61
290
28
45
171
244
43
58
167
268
35
72
127
234
52
239
325
616
76
293
287
656
65
298
227
590
A1
A2
計
上段の数字は(イ)における度数
中段の数字は(ロ)における度数
下段の数字は(ハ)における度数
を示す。以下同じ方式を採用する。
6
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
前節の H0 の下での確率表から期待度数を各欄で求めて、χ 統計量を導く(流布している χ 分布
2
2
表に従って、小数第4位まで出す)。計算結果は
(イ)39.6820 (ロ)14.3014 (ハ)19.9286
となる。この値への寄与は、(イ)では対角線上にある Ai ∩
Bi (i=0,1,2) と A1 ∩ B0 以外のすべて
の欄で大きく、反対に(ハ)では対角線上の3つの欄での距たりが大きい。(ロ)では A0 ∩ B0 が起こ
りやすく、A2 ∩ B1 が起こりにくい点が目につくけれども、自由度 v=8 で調べると、P 値は5%と
10%の間に入り、H0を棄却できぬ結果に終わる。
結論Ⅰ-1. Ai ∩ Bj
(i, j = 0,1,2) の3×3の形に分類するとき、
(イ)中京競馬場では、有意水準0.1%で帰無仮説 H0を棄却する。
(ロ)阪神競馬場では、有意水準5%で帰無仮説 H0を採択する。
(ハ)京都競馬場では、有意水準2.5%で帰無仮説 H0を棄却する。
次に、偏りのパターンが(イ)と
(ハ)であざやかな対照をなす事実に留意して、3群間の有意差検定
(一様性検定)を行う。つまり、Ai ∩ Bj の起こる確率は、その欄の3つの度数の和とレースの総数1862
との比で推定する。このとき、 χ
2
=40.5315 と計算される。 v=16 なので、検定結果は次のように
まとめられ、われわれの目的が達成される。
結論Ⅰ-2. (イ)
(ロ)
(ハ)3群間に有意水準0.1%で有意差が認められる。
[Ⅱ]m=16 のレースを[3]に基づき集計して、次の分割表Ⅱを得る。
Ⅱ
R=2
R=3
R=4
R=5
R=6
R=7
R=8
R=9
D=1
24
35
23
21
29
19
19
24
26
34
32
30
23
31
18
16
27
34
25
17
30
19
10
18
25
30
22
21
21
16
20
39
20
34
16
14
15
25
19
18
17
15
7
23
15
15
6
24
19
18
7
17
18
11
8
13
7
16
6
12
D=2
D=3
D=4
計
24
35
48
51
58
63
63
68
26
34
52
69
49
89
60
64
27
34
40
42
56
54
51
56
7
On the Statistical Bias Found in the Horse Racing Data (1)
つづき
R=10
R=11
R=12
R=13
R≧14
計
D=1
8
11
17
8
5
243
15
10
7
6
6
254
12
10
9
4
5
220
10
16
8
5
5
179
12
9
7
5
6
182
13
4
9
7
10
152
12
8
5
4
1
90
12
11
5
5
5
105
13
7
14
5
4
96
13
10
4
7
7
62
17
9
9
2
8
68
13
15
5
6
7
64
5
9
6
8
14
42
6
7
13
10
11
47
6
12
12
11
17
58
48
54
40
32
32
616
62
46
41
28
36
656
57
48
49
33
43
590
D=2
D=3
D=4
D≧5
計
2つの確率変数 RとDをともに考える今の場合、次の3つの視点から分割表Ⅱを分析しよう。
1.
Dの値による分類 2. Rの値による分類 3. (R,D) 両者の値を対にした45の欄への分類
[Ⅱ-1]われわれは D≧5 を1項目にしたため、自由度は v=4 である。χ 統計量を計算すると、
2
(イ)17.0366 (ロ)10.8247 (ハ)1.9054を得る。
結論Ⅱ-1. Dの値によって5つに分類するとき、
(イ)中京競馬場では、有意水準0.5%で、H0 を棄却する。
(ロ)阪神競馬場では、有意水準5%で、H0 を棄却する。
(ハ)京都競馬場では、有意水準5%で、H0 を採択する。
いずれの競馬場においても、D≦2 の頻度が期待値よりも高く、D ≧3 の頻度は低い;Dの値を2
以下と3以上に2分割して、χ 検定を実行すると、χ 統計量はそれぞれ、
2
2
(イ)15.6811 (ロ)9.0904 (ハ)1.3505となる。
結論Ⅱ-2. D≦2 と D≧3 との2項目に区分するとき、
(イ)中京競馬場では、有意水準0.1%で H0 を棄却する。
(ロ)阪神競馬場では、有意水準0.5 %で H0 を棄却する。
(ハ)京都競馬場では、有意水準5%で H0 を採択する。
8
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
ところで、帰無仮説 H0は忘れて、3つの競馬場間の有意差検定を行うと、[Ⅰ]とは異なり、有意
差は検出されない;Dの値に基づく偏りパターンが3つの競馬場でそろっているためと考えられる。
[Ⅱ-2]Rの値による分類では、14と15の値を1つにまとめたので、v=12 となり、χ 統計量は次の通
2
り。
(イ)17.6300 (ロ)38.9499 (ハ)15.1080
結論Ⅱ-3. Rの値によって分類するとき、
(イ)中京競馬場では、有意水準5%で H0を採択する。
(ロ)阪神競馬場では、有意水準0.1%で H0を棄却する。
(ハ)京都競馬場では、有意水準5%で H0を採択する。
偏りが検出された(ロ)の場合、R≦5 の頻度は期待値よりも高く
R≧8 の頻度は低い;特筆すべ
きは R=7 の度数が異常に大きいことであり、隣の6の度数は期待値より下がる。これに対比して、
(イ)の場合は R≦9 が起こりやすく、R≧10 は起こりにくい;試みに、9以下と10以上とで2分して
みると、χ
2
=11.0400 となって、H0を有意水準0.1%で棄却できることになる。また、(ハ)の場合
R=2 の頻度が異常に高い。
次に(イ)
(ロ)
(ハ)共通の特徴として、R≦4 の度数が期待値より大きい点に着目して、Rの値を4
と5の間で切断すれば、χ はそれぞれ
2
(イ)7.5782 (ロ)6.8579 (ハ)6.3292
と計算される。
結論Ⅱ-4. R≦4 と R≧5 の2項目に区分するとき、
(イ)中京競馬場では、有意水準1%で H0を棄却する。
(ロ)阪神競馬場では、有意水準1%で H0を棄却する。
(ハ)京都競馬場では、有意水準2.5%で H0を棄却する。
ところで、Rの値に基づいて、3つの競馬場間の有意差検定を行うと、χ
2
=23.8924 を得る。v=24
で、有意差は認められないという結果に終わる。
[Ⅱ-3](R,D)両者の値を対にすると、分類項目は45にも上り、細分し過ぎの恐れがあるが、前節で求
めた同時確率分布表から期待度数をそれぞれ求め、分割表Ⅱの χ 統計量を導く。
2
(イ)62.9768 (ロ)52.9222 (ハ)42.5855
結論Ⅱ-5. (R,D)両者の値に基づいて分類するとき、
(イ)中京競馬場では、有意水準5%で H0を棄却する。
9
On the Statistical Bias Found in the Horse Racing Data (1)
(ロ)阪神競馬場では、有意水準5%で H0 を採択する。
(ハ)京都競馬場では、有意水準5%で H0 を採択する。
m=16 のレース成績について[Ⅰ]
[Ⅱ]
の結論を要約する:
(イ)の偏りは顕著であり、いろいろな
方法で検出できる。(ロ)
の偏りは、R
(および D)の値に基づくとうまく検出できる。(ハ)
の偏りは、
Ai ∩ Bj の3×3の表への分類が検出方法としてすぐれている。競馬場に適した検出方法を見出す必
要がある。
[Ⅲ ]m=14 の場合は、16の場合と比べるとレース数が大幅に減少する:(イ)140
(ロ)267(ハ)
225。
集計結果を
[Ⅰ]
[Ⅱ]のように分割表の形で提示することは省略し、χ 検定結果を箇条書きに述べて
2
行く。
1. Ai ∩
Bj による分類では、 A0 ∩ B0 の期待度数が小さく、 A1 ∩ B0(または A0 ∩ B1 )と合併す
るとv=7 である。
(イ)
(ロ)に対しては有意水準5%で H0 を棄却できないけれども、(ハ)
について
は有意水準2.5%で H 0を棄却する。
A2 ∩ B2 の度数が期待値よりも極めて小さい( m=16 でも
この通り)点が目立つ。
2. Dの値による分類では、(イ)
(ロ)
(ハ)とも有意水準5%で H0 を棄却できぬ。しかしながら、(ロ)
では D=2 の度数が異常に小さい点に着目する; D=2 と D ≠ 2 とに分けると、
χ2=6.3305 を
得、有意水準2.5%で H0 を棄却する。
3. Rの値による分類では、(イ)
(ロ)
(ハ)とも χ の値は小さく、
2
がら、(ロ)
において期待値からの偏差の符号を調べて、
H0を採択せざるを得ぬ。しかしな
R≦ 3, 4≦ R≦ 5, 6≦ R≦ 9, 10≦ R≦
11, R≧ 12, という風に5つに区分すると χ2=9.8958 を得て、有意水準5%で H0を棄却できる。
4. (R,D)両者の値を対にする分類では、レース数の少なさと分類項目の多さが災いして、めぼしい結
果を導くのが容易でない。しかしながら、(イ)における不思議な偏りのパターンが R=4と5の部
分に出現する:(R,D)が(4,1)と(5,2)の欄は期待値よりも度数が高く、(4,2)と(5,1)の欄は反対に度数
が低い。残りを一つにまとめると( v=2 )、χ
2
=13.9668 を得、有意水準0.1%で H0を棄却する。
なお、
(イ)の m=16 の場合には、(4,2)と(5,2)の欄で度数が高く、(4,1)と(5,1)の欄で度数が低くなっ
ている。同様に残りを一まとめにすると、
χ2=9.3724 を得、有意水準1%で H0を棄却する。
12≦ m ≦ 15 の範囲のレース結果に関しては、
m の値の変化に応じて偏りのパターンがどう変
わるかに留意しつつ、総合的に分析しなければならぬ。ひき続く(2)でこの研究課題に取り組む計
画である。
謝 辞
著者の競馬のおもしろさへの開眼は、研究室の隣接間隔Dが小さい佐藤弘明教授と旬の魚を食べ
させてくれる町随一の店主金原慶彦氏、御二人の導きに負っている。また、競馬データの解析に本
腰を入れるキッカケは、平成14年度の基礎配属で研究室に来てくれた新海宏明君と岩川恵美さんの
10
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
おかげである。
この夏、集計作業の一部を娘の紗希が手伝ってくれた。最後に、〆切りの迫る最中、手間のかか
る表の作成を鴨藤江利子さんにお願いした。以上の方々に深謝する次第です。
参考文献
[1]B.S. Everitt: The Analysis of Contingency Tables, 2nd edition. Boca Raton: Chapman & Hall/CRC, 1992.
[2]丹後俊郎:統計モデル入門. 朝倉書店, 2000.
[3]レーシングファイル(中央競馬全レース成績収録),No.22∼41. ケイバブック, 1999∼2003.
11
12
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
コンゴ森林農耕民ボイエラの運搬活動
佐藤 弘明
浜松医科大学社会学教室
Load Carrying Behavior among the Boyela, a Horticulturalist Group in
the Middle of the Congo Forest
SATO Hiroaki
Hamamatsu University School of Medicine Division of Sociology
Abstract: Carrying loads on the human body is one of the characteristics of human beings in the wild.
Load influences the carrier’s body construction, his/her posture and his/her body economy, so carrying
loads without disadvantage would be valuable for human beings, especially, for early human beings. In
this paper the author describes and analyzes the load-carrying behavior of the Boyela, a horticulturalist
group inhabiting the middle of the Congo (ex-Zaire) Forest. The postures of carriers carrying load on
their own bodies were classified according to four criteria: what kind of objects were carried, where was
the position of the objects carried on the carrier’s body, what was the body part supporting the load, and
whether tools for supporting the load were used or not. The postures for carrying general goods, such as
commodities, were classified into 26 types and those for carrying infants or babies into 9 types. There
were striking differences between both sexes in frequency, measure of load, and posture type adopted in
carrying objects on his/her own body. There were also differences between two ethnic groups in posture
type and carrying tools used. The author considered that these differences did not resulted from
physiological or anatomical factors, but ecological, socio-cultural or psycological factors. From the
viewpoint of the evolution of bipedal locomotion, the author evaluated the significance of shoulders as
the most principal body part for supporting load, as well as hands and arms which contributed to the
occurrence of various posture types in carrying objects, and carrying tools which would make transport
efficiency progress dramatically.
key words: Boyela, carrying load on human’s body, posture of carriers, bipedal locomotion, sexual
distinction
13
Load Carrying Behavior among the Boyela, a Horticulturalist Group in the Middle of the Congo Forest
はじめに
本稿の目的は,人力運搬しか運搬方法をもたない人々の日常生活における人力運搬行動にヒトの
身体がどのように使われているか,そして,それにいかなる要因が関与しているかを明らかにする
ことである。
今からおよそ半世紀前,アメリカの人類学者 Hewes が興味深い論文を発表した 1)。Scientific
American 誌に掲載された”姿勢の人類学(The anthropology of posture)
”と題するその論文は,人類
が示す無数の姿勢は解剖学的,生理学的要因のみならず,生態学的,社会・文化的要因が関与する
人類学にとってきわめて重要な課題であるにもかかわらずこれまでほとんど関心を呼ばなかったと
指摘し,著者自ら世界各地で見られる多数の立位と座位の姿勢パターンを記載し,なぜ,地域,民
族によって姿勢が異なるのかについて検討したものである。Hewes の論文以後も長い間人類学的観
点からの姿勢研究が乏しいという状況に変わりはなかった。しかし,近年,川田は西アフリカ住民
が示す特徴的な姿勢の人類学的意義に着目し 2),西アフリカ・ニジェール地帯住民を対象とする文
化人類学的研究
3)
を実施する中で自然人類学と文化人類学協同の姿勢に関する学際的研究を行い,
日常生活の中で見られる住民のいくつかの姿勢が経験を通して獲得された身体技法の例であること
を明らかにした 4)。これは野外におけるヒトの姿勢に関しておこなわれた数少ない貴重な研究成果
である。とはいえ,野外における姿勢研究はまだまだ不十分である。本稿は,このような姿勢研究
の現状を踏まえ,とくにこれまでまったくと言っていいほど省みられなかった人力運搬について取
り扱う。
人力運搬姿勢(ここでは,簡単な用具は利用するとしても,もっぱら運び手の身体で支え,人力
のみを使ってものを運ぶことを人力運搬と呼び,その際の運び手の姿勢を人力運搬姿勢と呼ぶ)は
人間の立位,あるいは歩行姿勢のカテゴリーの一つである。野外にあっては,人間が何も運ばない
で歩くことがむしろまれであることを考えると,人力運搬をともなった歩行姿勢は人類が歩行する
場合の一般的姿勢とも言えよう。しかも,ほとんど運搬をしない,したとしても口でくわえる,歯
で噛んで引きずるなど洗練されているとはおよそ言い難い方法で運搬するしかない他の動物に比べ,
人類ははるかに多様な運搬姿勢のレパートリーをもっている。しかし,誰もが同じようなレパート
リーを持ってはいないし,同じものを運搬する場合でも誰もが同じ姿勢で運ぶとは限らない。運び
手がある運搬姿勢を採用するにあたってどのような要因が関与しているのであろうか。第一に考え
られることは,生物学的・物理学的要因である。すなわち,運び手の解剖学的生理学的機能を超え
る負荷や大きさをもつ運搬対象は運べない。運べるものには限りがあるし,選べる運搬姿勢にも限
界がある。しかし,その範囲内にあってもなお多様な運搬姿勢があり,運び手はそのどれかを採用
する。その際,運び手は何の要因の影響も受けずにその運搬姿勢を選んでいるのか,それとも,何
らかの要因の影響を受けているのであろうか。すでに Hewes1)や川田ら 4)は姿勢という身体現象が
生物学的要因だけでなく,社会・文化的要因もまた関連していることを指摘した。人力運搬姿勢も
また同様に考えることができるかどうか,検証が必要となろう。
14
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
これまで人類学者や探検家が残した多数のスケッチや写真は人類の開発してきた人力運搬姿勢の
範囲を教えてくれる貴重な資料であるが,人力運搬姿勢に関わる要因について検討するには限界が
ある。人々が日常どのような人力運搬姿勢を採用しているか,それにはいかなる要因が関連してい
るかを明らかにするには,生活や文化を同じくする集団における人力運搬活動に関する野外観察研
究が必要である。香原は早くから人力運搬に関心を寄せてきた数少ない人類学者の一人である5)。香
原は,人力運搬は人類を特徴づけるものであり,人体との関わりだけでなく,経済的にも社会的に
も大きな影響を人類に及ぼしてきたきわめて重要な人類学的問題であると指摘し,彼自身,頭上運
搬姿勢に関する生理・生態人類学的報告をした 6)。しかし,それ以後,このような観点からの人力
運搬に関する野外研究は行われていない。
人力運搬に関する野外研究は人類進化上の重要な問題にも貢献しうる。すなわち,直立二足歩行
と分かち難く結びついた人力運搬の進化的意義に注目した人類学者は,運搬こそ人類の直立二足の
獲得7)8)や完成化 9)の要因となったと考えた。強靱な身体をもたない霊長類にとって子どもや食物
をより安全により容易に運搬できる個体は有利であっただろう,二足歩行者の解放された手は安全
で効率の良い運搬に貢献したであろう,というのである。確かに,安全で効率の良い運搬が高い生
存価をもったであろうことは疑いないが,二足歩行への進化をもたらしうるほどであったかどうか
が検証されねばならない。それには,人類の進化段階の初期において,人類がいかなる環境で生存
していたか,いかなる生活をしていたか,いかなる運搬姿勢を採り得たか,運搬対象は何か,運搬
距離はいかほどであったか,など初期人類の運搬活動に関する資料が必要となる。直接それを得る
ことができない現在,自然に強く依存した生活をおくり,ほとんど人力運搬しか運搬手段をもたな
い現存する人々の運搬活動を観察し,その資料から推測することは有力な一つの方法である。
10)
Watanabe
はこのような資料が人類のロコモーションの進化を考える上で欠かせないことを早くか
ら指摘していた。
本稿は,日常の運搬手段がほとんど人力運搬に限られるアフリカ中央部熱帯雨林地帯に住む焼畑
農耕民を対象にして,彼らの人力運搬活動においてどのような運搬姿勢が誰に,どのような場面で
よく利用されるのか,また,各運搬姿勢と身体,運搬対象,および道具との関係について検討し,運
搬姿勢とその関連要因について分析するものである。
調査地域と人々 調査は,1976 年 9 月から 1977 年 2 月まで,コンゴ盆地中央部,コンゴ川の支流チュアパ川上流の
小村イエレ村でおこなった(図Ⅰ)。イエレ村の主たる住民はコンゴ盆地中央部の熱帯雨林地帯に広
く分布するバンツー語族に属するモンゴ系のボイェラ人である。イエレ村はボイェラの分布域の東
南端に位置し,東はバンボレ人,南はバテテラ人の分布域と境界を接し,イエレ村を通る道路はボ
イェラ人ばかりでなく,バンボレ人,バテテラ人もまた往来する。
村は,約 5 キロメートルの間に道路に沿って点在する 6 集落から成っていて,調査当時の人口は
15
Load Carrying Behavior among the Boyela, a Horticulturalist Group in the Middle of the Congo Forest
およそ 190 人であった。集落の背後と道路の両側には焼畑とその休閑地である二次林が帯状に分布
し,その奥に樹高 30 ∼ 40 メートルの一次林が広がる。このような景観はコンゴ盆地中央の熱帯雨
林地帯ではどこでも見られる。土地は全般に平坦で,海抜 500 メートルほどである。一日の最高気
温が摂氏約 30度,最低気温が摂氏約 20度,湿度 60∼100パーセントという日々が年間を通して続く。
村人の主な生計活動
11)12)
は,集落の周囲に開く焼畑農耕と,その奥に広がる森でおこなう狩猟と
漁撈である。したがって,集落からせいぜい 30分ほどの焼畑を中心として,狩猟や漁撈の舞台とな
る集落から 1 ∼ 2 時間以内の森が村人の日常の生活圏となる。
調査当時,貨幣経済は浸透していて,衣服の他,刃物や鍋類など金属製品は外部から購入するか,
贈与によって入手されていた。しかし,高価なラジオや自転車を持つものは少なかった。籐や蔓製
の簡単な生活用具は自作されるのが普通で,食物は塩以外ほとんど自給されていた。
調査方法
イエレ村の 6 集落の一つ,エフェンジョルンブ集落において人力運搬の観察調査を実施した(図
Ⅱ)。観察対象は日常活動と旅行における人力運搬姿勢の違いを想定して村人と通行人の二つに分け
た。通行人については,著者の住居であったエフェンジョルンブ集落のゲストハウスからその前の
街道を行き交う通行人の性,年齢層,運搬道具,運搬対象,運搬姿勢を野帳に記録した(図Ⅲ)。期
間は 1976 年 10 月 15 日から 1977 年 1 月 21 日までであった。この観察は著者が村に居るとき不定期
におこなったもので,完全なランダム試行ではない。そこで恣意的サンプリングの可能性を少なく
するために連続 30分以上の観察試行で得られた資料を分析に使用した。なお,通行人すなわち旅行
者とは限らないが,その確度を上げるためにイエレ村住民と判明した例は記録から除外した。その
結果,合計 56 回,延べ 131 時間 52 分の観察試行により,397 の観察例を得た。観察時間帯は早朝か
ら夕方まで日中の全時間帯をカバーした。村人については,1977 年 1月24 日から 30 日まで連続 7日
間,日の出前から日の入りまで,
エフェンジョルンブ集落の内外を出入りしようとするエフェンジョ
ルンブ集落の住人をゲストハウスから観察し,通行人の場合と同様の記録をした。村人の集落内に
おける人力運搬行動は分析からは除外した。
16
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
表Ⅰは観察対象となったエフェンジョルンブ集落の住民リストである。ボイェラ人父祖(故人)と
その妻(バンボレ人女性A1)によって創設されたこの集落の住民は,彼らの 4 人の息子家族が中心
となっている。調査対象者の民族構成は,ボイェラ人が男性 7 人,女性 7 人,バンボレ人が男性 1
人,女性 5 人であった。
通行人,村人とも子どもの観察例が少ないので分析の際には年齢層から子どもは除外した。また,
村人の場合,何人かの客がエフェンジョルンブ集落に当時滞在していたが,これも少数であること
と,日常活動の質や強度が住民と異なる可能性もあるので分析からは除外した。なお,通行人から
17
Load Carrying Behavior among the Boyela, a Horticulturalist Group in the Middle of the Congo Forest
イエレ村住民を分かる範囲で除外したが,完全には除外し切れていない可能性がある。とくに調査
初期においては。しかし,調査地域の人々は自分の集落のまわりの森を切り開き,焼畑を造るのが
普通で他の集落を越えた遠いところにわざわざ切り開くようなことはあまりしない。また,魚捕り
や狩猟のときも,自分の集落や畑の背後にある森に入るのが普通である。こうして各集落の人々は
あまり重なることのないようにそれぞれ独自の生活圏を自分の集落を中心に形成する。
それゆえ,
エ
フェンジョルンブ集落前の道をエフェンジョルンブ集落以外のイエレ村住民が通行するのはそう頻
繁にはない。しかも,分かりうる限り村人は除外しているので通行人のほとんどは村から村へと行
き交う旅人と考えてよい。
結 果
運搬用具
人力運搬にはさまざまな道具が使用される。それらは機能的観点から二つに分けることができる。
一つは運搬物の負荷を支えるために使われる道具,これをここでは支持道具と呼ぶ。もう一つは,運
搬物をまとめることによって運搬を容易にするための道具,これをここでは梱包道具と呼ぶ。以下
に調査地で見られたこれらの道具について述べる。
支持道具:支持道具には大別して二つのタイプがある。一つは天秤棒に代表されるような棒であ
る。棒の使い方は,棒のどこかに運搬対象を固定し,その棒を肩や頭や手で支えて運ぶというもの
である。ここではこのような棒を支え棒と呼ぶことにする。支え棒に利用される材は樹木や竹ばか
りであった。これらは,熱帯雨林地帯のただ中にある調査地域では必要なときいつでも入手でき,日
本の天秤棒のように専用に作られたものは調査地では見られなかった。もう一つは,紐・帯の類で
ある。これらの使い方は,やはり運搬対象にそれらを結んで固定し,肩や,頭,腰,腕,手などに
かけて運ぶというものである。腰に巻く帯も刃物をさして歩くときのように運搬に使われる場合は
支持道具として取り扱う。ここではこれらの支持道具を掛け紐(掛け帯と呼んだ方がふさわしい場
合もあるが,ここでは断らないかぎり掛け紐は掛け帯も含むことにする)と呼ぶことにする。掛け
紐の材もさまざまであるが,調査地では,樹皮や植物の茎から取った繊維や,籐や蔓などを利用す
ることがほとんどであった。この他の材に布がある。布は次に述べる梱包道具の一つであるが,そ
の一部を結んで掛け紐として使うのである。
支持道具を使うことによって運び手は運搬対象の位置や重心の位置を変え,運搬をより容易にし
たり,より重いものを運べるようにすることができる。それゆえ,支持道具は,運搬対象をどのよ
うな運搬姿勢で運ぶかに大きく関わる要因となる。
梱包道具:さまざまな梱包道具のうち,もっとも重要なものは森の植物で作られる伝統的運搬籠
である。伝統的運搬籠は女性の道具とされ,調査地の女性にとって日常生活に欠かせない道具であ
るばかりでなく,婚資としても使われる社会的にも重要な道具である。調査地における主要な運搬
籠には,
“bongoli”
,
“ekala”
,
“elimba”とボイエラ語で呼ばれる 3 タイプがあった。表Ⅱに,これら
18
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
の運搬籠についてエフェンジョルンブ集落女性住人の所有状況を示している。“bongoli”は籐製の
運搬籠である(図Ⅳ)。ボイエラ地方でもっともポピュラーな梱包道具で,エフェンジョルンブのす
べての成人女性がこれを一つ以上所有していた。
“ekala”
(図Ⅴ)は背負い子タイプの籐製の運搬籠
で,もともとはボイエラの道具ではなく,バンボレ地方から伝えられたということである。今では
ボイエラ地方でも普通に見られる。エフェンジョルンブでも一人を除いてすべての成人女性がこれ
を持っていた。エフェンジョルンブの男性住人のうち二人(P0と S0)がこれを作ることができ,彼
らの妻の“ekala”はいずれも夫からもらったものであった。籠タイプの“elimba”
(図Ⅵ)は“bongoli”
と同様の大きさであるが,少し,口が広く,奥行きが短い。また,籐製の枠以外はクズウコン科の
植物の茎から採った柔らかい繊維で編むので籠の目が細かく,籠自体も柔らかい。これもバンボレ
地方の伝統的運搬籠で,ボイエラ地方では“ekala”ほどポピュラーではない。ただし,エフェンジョ
ルンブでは二人を除いた成人女性のすべてがこれを持っていた。エフェンジョルンブの住人のうち
二人のバンボレ人女性がこれを自ら作っていた。この例以外,3種類の運搬籠は購入か,贈与によっ
て入手されていた。以上の伝統的運搬籠の他に植物を利用する梱包道具には“botete”というアブラ
ヤシの葉を舟形に編んだ籠がある(図Ⅶ)。アブラヤシの木は村や道沿いのどこにでもあり,誰もが
簡単に作れ,利用できる“botete”は便利な使い捨ての梱包道具である。また,大きくて柔らかい数
種のクズウコン科の植物の葉やバナナの葉は森や畑でこまごまとしたものを包む梱包道具としてし
ばしば使われる。その他の梱包道具としては,布をあげなければならない。調査地の人々は,男女
とも普段の衣装として敷布ほどの大きさの布を身体に巻き付けることがあるが,ときにこの衣装用
の布がそのまま,あるいは,切れ端が風呂敷のようにものを包む梱包道具としても使われる。他に
は,すべての住民が持っているものではないが,麻袋も梱包道具として使われる。
19
Load Carrying Behavior among the Boyela, a Horticulturalist Group in the Middle of the Congo Forest
以上の他に,支持道具でも梱包道具でもないが,運搬用具として重要なものに頭に敷くパッドが
ある。これはボイエラ語で“likata”と呼ばれ,調査地でしばしば見られる物を頭にのせて運ぶ頭上
運搬の際に,緩衝用に,また,頭上の運搬物の安定性を高めるために使われる。“likata”の材には
布やヤシの葉が利用される。
運搬姿勢の分類
分類基準
人類が示す運搬姿勢はさまざまである。このような運搬姿勢を記述し,分析するためには何らか
の基準で分類する必要がある。
運搬姿勢とは,運搬対象との関係の中で採られる運び手の身体の運動様式である。それゆえ,単
に身体のみに注目するだけでは不十分で,運搬対象と身体の相互関係という観点から検討されなけ
ればならない。引きずる,転がすというのもしばしば見られる人力運搬の方法であるが,ここでは
運搬対象を人体だけで支えて運ぶ際に見られる運搬姿勢だけにしぼって分類を試みる。しかし,そ
れにしても多様で,香原
13)
は 46の一般物資の運搬方法と 12 の人間の運搬方法をあげている。彼の
描いた全部で58のプロフィールは人類の人力運搬のもっともポピュラーなタイプをほとんど網羅し
ているのではないだろうか。香原もまたこれらの運搬タイプの分類を試みている。それは運搬に用
いられる身体の部位によって 1:頭上運搬,2:背負運搬,3:肩運搬,4:腰運搬,5:手持ち運搬
の 5 つに分けるというものであった。しかし,この分類では運搬対象の負荷を支える部位と,運搬
対象が位置する部位との区別が考慮されていないので,身体の運動様式が異なると思われる運搬姿
勢でも同じ運搬姿勢として分類されるおそれがある。たとえば,荷物を背中に負う形式の背負運搬
の中に,一つは前頭部に掛け紐をかける,もう一つは両肩に掛け紐をかけるという荷物の重さを支
える部位がまったく異なる運搬姿勢が同居している。また,香原は,運搬用の小道具,運びやすさ,
荷物の重量と荷姿,手その他による補助の必要,身体の重心と荷物の重心との間の距離なども人力
運搬に影響を及ぼす重要な要因であると指摘をしているが,分類規準の要素としては考えていない。
そこで著者は香原の指摘に注目して,1)運搬対象は何か,2)運搬対象は相対的に身体上のどこ
に位置するか,3)運搬対象の負荷を身体上の主にどこで支えるか,4)支持道具は使うか,という
4 つの項目を運搬姿勢の分類規準の主要要素として選定した。
1)運搬対象については,一般物資と人間に分けた。運ぶとき運搬者が一般物資よりも気をつける
であろうし,運搬者に対する働きかけが想定される人間の運搬の場合は,一般物資の運搬とは区別
する必要がある。
2)運搬対象が身体上のどの場所に位置するかは,運搬の安定性,運搬対象の扱いやすさ,運びや
すさに関わるし,運搬対象の重心の位置とも密接に関係するので運搬者の身体の運動様式に影響す
る。運搬対象の身体上の位置は 3 次元で表す。一つは身体の前後方向で,身体の前面,後面,およ
び,その間の胴体上,もう一つは水平方向で,体側より外側,および両側の肩峰より内側,最後は
20
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
垂直方向で,肩から上,肩から腰(腸骨稜)まで,腰から下,である。
3)運搬対象の負荷を身体上の主にどこで支持するかは,身体の運動様式にもっとも影響すること
から重要であるが,判定上難しい点が二つある。一つは,負荷を支持する場所は 1 カ所とは限らな
い運搬方法が少なくなく,どこを主な支持部位とするかという点。たとえば,前述の香原の背負運
搬の中で前頭部に掛け紐をかけ,荷物は背に置くという運搬姿勢の場合,荷の負荷の支持部位は前
頭部と背の 2 カ所あると考えられる。このような場合,ある部位の支持がなければ運搬は不可能に
なるという部位を主な支持部位と考える。上の場合であれば,荷の位置はどこであろうとも,すな
わち,背であろうと,腰であろうと,前頭部に掛け紐を掛けなければ,運搬できないので,この場
合の主な支持部位は前頭部ということになる。もう一つの問題点は部位の分類である。あまりに細
分しすぎると,煩瑣になり,あまりに大まかにすると,分類の意味が薄れる。しかも,人類はさま
ざまな部位を支持部位として開発している。そこで,支持部位をいくつかに大きく分け,次に,そ
の必要がある部位については細分した。すなわち,支持部位を頭,肩,上肢,胸,腰の 5 部位に大
分類した。これに下肢が加われば,一般的な人力運搬の支持部位としてほぼすべてを満たすことが
できると思われるが,下肢を支持部位とする運搬姿勢が観察されなかったのでここでは下肢は除外
している。次に,頭については,頭頂部と前頭部とに細分した。肩については,首,首根,肩(ど
ちらか片方),両肩に細分した。肩の範囲は,肩峰から首根までとする。首と首根と肩を区別した理
由は,掛け紐を首にぐるりと回し掛け,運搬対象は胸前に置くという運搬姿勢と,掛け紐をたすき
のように首根に掛け,運搬対象を背や反対側の脇に置く運搬姿勢と,掛け紐を肩に掛け,運搬対象
を同じ側の脇や腰に置くという運搬姿勢とでは明らかに身体の運動様式に違いが見られるからであ
る。また,肩を支持部位とする運搬姿勢についても片一方と両方を使う場合では身体の運動様式が
異なることから区別した。上肢については,腕と手を一つの支持部位とした。手,指を含む上肢を
支持部位とする運搬姿勢は無数にあると言ってよく,上肢だけの運搬姿勢をテーマに研究すること
も可能であろう。しかし,ここではその余裕がないので,その必要性を指摘しておくにとどめ,腕,
手を一つの支持部位として取り扱うことにする。胸については,胸と腹を一つの支持部位とした。こ
の場合は腹を支持部位とする運搬姿勢がまれなので胸と一緒にしてもそれほど問題がおきない。腰
については,前後か横かなど位置の問題はあるが,腰を支持部位とする運搬姿勢自体それほど頻繁
に観察されるものではなかったので細分せずひとまとめに扱った。
4)支持道具については,支持道具を必要とするか不要かに分けた。すでに述べたように支持道具
は運搬対象の位置や重心の位置を変え,運搬をより容易にしたり,より重いものを運べるようにす
ることができ身体の運動様式に大きく影響する。
運搬姿勢タイプ
以上の分類基準にしたがって分類された各運搬姿勢タイプを図Ⅷと表Ⅲに示した。ここには分析
対象となっている観察期間以外で観察された運搬姿勢も含まれている。以下では,一般物資と人間
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Load Carrying Behavior among the Boyela, a Horticulturalist Group in the Middle of the Congo Forest
の運搬対象別に,各運搬姿勢タイプを負荷の支持部位によって頭運搬,肩運搬,胸運搬,上肢運搬,
腰運搬の 5 つにまとめ,順を追って説明する。
1.運搬対象が一般物資の場合の運搬姿勢
頭運搬
H-1:頭頂部に物資を置いて運ぶいわゆる頭上運搬。パッドの使用,手の補助の有無などによって
多少のバリエーションがある。物資の重心と運搬者の重心が重なるか,ごく近くに位置するので身
体は直立する。
F-2:運搬対象に両端を固定した掛け紐を前頭部に掛け,運搬対象を背に置いて運ぶ姿勢。運搬者
は前傾姿勢を必要とする。
F-3:運搬対象に両端を固定した 3 本の掛け紐の内 1 本を前頭部に 2 本を両肩に掛け,運搬対象を
背に置いて運ぶ姿勢。運搬者は前傾姿勢を必要とする。
肩運搬
S-4:運搬対象を首を巻くように肩に載せ,両方の肩の前方にある運搬対象の両端を手で保持する
運搬姿勢。調査地では生きた山羊をこのように運ぶ例が観察された。
S-5:肩に運搬対象をかついで運ぶ姿勢。運搬対象の形状,手の補助の有無によるバリエーション
がある。運搬対象の重さによっては,運搬者は上半身を運搬対象の反対側に傾斜させる必要がある。
S-6:柔らかい運搬対象を肩の前後に振り分けるように載せて運ぶ姿勢。
S-7:支え棒の一端に運搬対象を固定し,運搬対象が背の後方に位置するように支え棒を肩にかつ
ぎ,支え棒の一端を手で支える運搬姿勢。運搬対象の重さや位置によって身体の前傾を必要とする。
S-8:支え棒の両端に運搬対象を固定し,支え棒を肩にかついで運ぶ姿勢。いわゆる天秤棒図Ⅷを
使った運搬姿勢である。普通,手の補助を要する。運搬対象の重さによっては,運搬者は上半身を
運搬対象の反対側に傾斜させる必要がある。天秤棒を使った運搬姿勢では,かつて日本でもよく見
られた天秤棒を両方の肩にかついで運ぶ姿勢もあるが,調査地では観察されなかった。
S-9:支え棒の中央部に運搬対象を固定し,二人の運搬者が支え棒の前端,後端をそれぞれ肩にか
ついで運ぶ姿勢。これは観察された運搬姿勢の中で二人の運搬者を要する唯一の運搬姿勢である。
S-10:掛け紐の一端に運搬対象を固定し,運搬対象を背に置くように掛け紐を肩に掛け,もう一
方の端を手で持つ運搬姿勢。
S-11:掛け紐の両端にそれぞれ運搬対象を固定し,それらを身体の前と後ろに振り分けるように
掛け紐を肩に掛けて運ぶ姿勢。
S-12:両端を運搬対象に固定した掛け紐を肩に掛け,その運搬対象を掛けた肩と同じ側の体側に
位置するように運ぶ姿勢。
S-13:両端を運搬対象に固定した掛け紐を肩から反対側の脇に回すように掛け,運搬対象を背に
置いて運ぶ姿勢。
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浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
S-14:二つの掛け紐の各両端を運搬対象に固定し,それらを両肩に掛け,物資を背に置いて運ぶ
姿勢。これは籠に掛け紐を取り付けた運搬籠やリュックサックを背負う場合の運搬姿勢で,もっと
もポピュラーな運搬姿勢である。
胸運搬
C-15:両端を運搬対象に固定した掛け紐を胸に掛け,運搬対象を背に置いて運ぶ姿勢。これは梱
包道具に布を利用する場合によく見られる。
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Load Carrying Behavior among the Boyela, a Horticulturalist Group in the Middle of the Congo Forest
上肢運搬
A-16:運搬対象を背に置き,後ろに回した両手を運搬対象の下に置いて負荷を支える運搬姿勢。
重さによっては前傾姿勢を要する。
A-17:運搬対象を脇に置き,腕と脇腹ではさむように運ぶ姿勢。単にはさむだけから腕や手を物
資を支えるように補助的に使うまでバリエーションがある。
A-18:運搬対象を片方の下腕に置き,落ちないように手で保持する運搬姿勢。運搬対象の位置は
身体の斜め前方,腰より上方が普通。
A-19:運搬対象を身体の前方,腰より上方に位置するよう両手・腕で保持して運ぶ姿勢。A-18 と
異なる点は,支持部位が両方の手・腕であること,および,運搬対象が身体の正面前方に位置する
ことである。
A-20:運搬対象を胸や腹に置いて手や腕で抱くように運ぶ姿勢。腕の場合でも多くは手の補助を
必要とする。胸から腹まで運搬対象の位置によって,また,支持部位である手・腕が片方か両方か
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浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
によってバリエーションがある。運搬対象の負荷が大きい場合には身体は後傾する。
A-21:運搬対象を手で保持して運ぶ姿勢。いわゆる手持ち運搬としてもっとも普通に見られる運
搬姿勢。支持部位が指(どの指か)か掌か,また,手・指の使い方(物資をつかむか,物資を支え
るかなど)によってさまざまなバリエーションがある。
A-22:運搬対象を身体の前面,腰より下方に置き,両手で保持する運搬姿勢。負荷が大きい場合
には,身体は後傾する。
A-23:杖や棒などの一端を手で保持し,もう一端を地面につきながら歩行する運搬姿勢。杖をつ
いて歩くことを運搬とみなすかどうかについては異論があると思うが,棒の運搬は人類進化史的観
点から重要な問題なので運搬姿勢の一つとして取り扱う。
A-24:運搬対象を片手の掌に載せ,肩の上方で保持して運ぶ姿勢。もう一方の手の補助の有無に
よるバリエーションがある。
A-25:掛け紐の両端を運搬対象に固定し,手に掛けて運ぶ姿勢。これはバッグなどを持ち歩く運
搬姿勢であり,A-21同様手持ち運搬の一つとしてもっともポピュラーな運搬姿勢の一つ。支持部位,
すなわち掛け紐をどこにかけるか,指(どの指か)か,掌か,手首か,によってバリエーションが
ある。女性がハンドバッグを腕に掛けて持ち歩くという日本ではポピュラーな運搬姿勢は調査地で
は観察されなかった。
腰運搬
W-26:掛け紐を腰に巻き,それと身体の間に運搬対象を刺して運ぶ姿勢。
2.運搬対象が人間の場合の運搬姿勢
肩運搬
Sb-1:いわゆる肩車。人間を運搬者の肩に載せ,首の両側から肩前方に下ろさせた両足を手で支
える運搬姿勢。運搬される人間は運搬者の頭部を手で持つのが普通。
Sb-2:両端を運搬対象(人間を包んだ梱包道具)に固定した掛け紐を首に回し,運搬対象を胸前
に抱くように支える運搬姿勢。この運搬姿勢は布を支持道具と梱包道具として使うことが多い。
Sb-3:両端を運搬対象(人間を包んだ梱包道具)に固定した掛け紐を肩に掛け,運搬対象を掛け
紐を掛けた肩と同じ側の体側に位置するように運ぶ姿勢。これも布を支持道具と梱包道具として使
うことが多い。
Sb-4:両端を運搬対象(人間を包んだ梱包道具)に固定した掛け紐を肩に掛け,運搬対象を掛け
紐を掛けた肩と反対側の体側に位置するように運ぶ姿勢。これも布を支持道具と梱包道具として使
うことが多い。
Sb-5:両端を運搬対象(人間を包んだ梱包道具)に固定した掛け紐を肩から反対側の脇に回すよ
うに掛け,運搬対象を胸前に位置するように運ぶ姿勢。これも布を支持道具と梱包道具として使う
ことが多い。
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Load Carrying Behavior among the Boyela, a Horticulturalist Group in the Middle of the Congo Forest
胸運搬
Cb-6:両端を運搬対象(人間を包んだ梱包道具)に固定した掛け紐を胸に掛け,運搬対象を背に
置いて運ぶ姿勢。これも布を支持道具と梱包道具として使うことが多い。
上肢運搬
Ab-7:運搬対象を背に置き,後ろに回した両手で運搬対象の負荷を支える運搬姿勢。運搬される
人間が両足で運搬者の腰をはさむ,または,手で胴を抱くという協力がありうる。
Ab-8:胸前の運搬対象を手や腕で抱くように運ぶ姿勢。これも運搬される人間の側からの足や手
を使った協力がありうる。
腰運搬
Wb-9:両足が運搬者の腰をはさむように運搬対象を腰にのせるように置き,同じ側の手,あるい
は両手で運搬対象を支える運搬姿勢。手の支えは必要であるが,運搬者が腰を突きだし,身体を少
し傾斜させるだけで負荷は主に腰で支えることができる。
運搬姿勢の分析
人力運搬の頻度
通行人の移動モードを見ると(表Ⅳ),自転車で移動する者は,ほぼ成人男性に限られ,観察され
た全成人男性の 18.7%を占めていた。何の運搬もしないで手ぶらで歩行する者は,成人男性で 11.8
%,成人女性で 5.1%といずれも少なかった。自転車通行人を除いた何かを人力運搬する通行人は男
性で 165 人中 141 人(85.5%)
,女性で 155 人中 147 人(94.8%)といずれも多いが,とくに女性は男
性に比べ高い割合を示した。
次に,村人の移動モードを見ると(表Ⅴ),成人男性の場合,観察できなかった例が出村時、帰村
時とも成人女性の場合よりも多く,全観察例の 2 割近くになっている。これは,村を出入りする時
は,ほとんど何かを運搬している女性に比べ,集落内をぶらぶら歩いていていつの間にか姿が見え
なくなるという例がしばしばあったように,手ぶらで歩くことの多い男性は,目立たず,観察もれ
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浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
が生じ易かったからと思われる。観察できなかった例を除いて,成人の移動モードを見ると,成人
男性では出村時,67 人例中 54 人(80.6%)
,帰村時,68 人中 53 人(77.9%)
,成人女性では出村時,
152 人例中 140 人(92.1%)
,帰村時,154 人中 150 人(97.4%)と,いずれの場合においても,何ら
かの人力運搬をしているものが多かった。また,
ここでも女性の方が男性より高い割合を示している。
運搬姿勢の観察頻度
調査期間中に通行人と村人の成人男女で観察された運搬姿勢タイプの出現頻度を表ヲに示した。運
搬歩行をする場合,通行人も村人も一人で二つから三つの運搬姿勢タイプを組み合わせることがよ
くある。たとえば,女性に多い運搬歩行の姿であるが,運搬者が背負籠を背負い(S-14),さらに,
片手に小物を持つ(A-21)という場合,S-14 と A-21 の観察頻度をそれぞれ 1 として集計した。ま
た,手持ち運搬(A-21)については,一人の運搬者が両手にそれぞれ何か物を持って運ぶことがあ
るが,この場合,A-21 の観察頻度は 2 として集計した。
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一般物資の運搬姿勢の概要:通行人の場合,男性では 12の運搬姿勢タイプが観察されたが,その
うち A-21(57.2%:一般物資の運搬姿勢全観察例に対する割合,以下同じ)がもっとも観察頻度の
高い運搬姿勢タイプであった。次いで,H-1(13.8%)
,S-8(8.2%),A-23(5.7%)
,A-25(4.4%)
であった。女性では 11 タイプ観察され,なかでも S-14(72.3%)が非常に高い頻度で観察された。
これに A-21(11.5%)
,H-1(5.4%)
,S-12(4.1%)が続く。村人では出村時と帰村時で分けて見る。
男性の場合,出村時,わずか 5タイプの運搬姿勢しか観察されず,しかも A-21(79.7%)とS-5(15.3)
だけで観察された運搬姿勢のほとんどを占めている。帰村時も,わずか 4 タイプのみ,A-21(59.6
%)とS-5(35.1)とで大部分を占めるというように出村時と同様の傾向であった。一方,女性では,
出村時,9 タイプの運搬姿勢が観察された。そのうち,S-14(46.2%)の観察頻度がもっとも高く,
次いで,A-21(20.2%)S-12(18.5%)A-17(9.8%)と続く。帰村時では,13 タイプ観察され,S14(61.4%)がもっとも高い頻度で観察されている。以下,A-21(15.3%),H-1(9.0%)
,A-17(4.8
%)の順であった。
村人と通行人の運搬姿勢:男性では村人,通行人とも手持ち運搬(A-21)が,女性では村人,通
行人とも背負籠を使った肩運搬がもっとも高い頻度で観察され,明らかに運搬姿勢における性差が
認められる。しかし,男性の場合,村人と通行人とでは異なる運搬行動をしていることが目を引く。
村の男性の運搬姿勢タイプ構成はきわめて単調で,高い頻度で観察された運搬歩行の姿も蛮刀を手
に持ち(A-21)
,斧を肩にかつぐ(S-5)というものであった。せいぜい薪を肩にかつぐ姿をときお
り見るくらいで,村の男性がそれら以外の何かを運搬する機会はきわめて少なかった。一方,通行
人の場合,手持ち運搬(A-21)以外に,頭上運搬(H-1)が高い頻度を示し,肩にかつぐ運搬におい
ても S-5 ばかりでなく,支え棒を使った運搬姿勢タイプ(S-7,S-8)もかなりの頻度を示しているよ
うに多様な運搬姿勢タイプが観察されている。女性の運搬姿勢タイプ構成は村人と通行人の間でそ
う大きな違いはない。とくに帰村時と通行人の間では,八つの共通した運搬姿勢タイプ(村人:13
タイプ中 8 タイプ,通行人:11 タイプ中 8 タイプ)が観察されているし,観察頻度の高い運搬姿勢
タイプも共通している。これは,男女とも旅をする場合はある程度の荷物の運搬を余儀なくされる
こと,村では女性がになう日常活動の方が男性のそれより荷の運搬をはるかに多く伴うからであろ
う。村の男性が従事する生計活動は狩猟と焼畑のための樹木の伐採である。森の中での弓矢猟と罠
猟は小型,中型のアンテロープ類を主に狙うが,幸運に恵まれることはめったにない。また,1 ∼
2ヶ月間で終わる伐採仕事にしても斧以外運搬をほとんど伴わない。
運搬をともなうそれ以外の男の
仕事に家造りがある。森の樹木を伐ってきて家の柱や梁など枠組み作り,ヤシの葉で屋根を葺くこ
とが家造りにおける男の仕事である。何十本もの樹木やヤシの葉を何束も採集し,村へ搬入するこ
とは確かに大変な労働であるが,家造りは 5,6年に一度しかおこなわない。村の男性が日用道具以
外の何かを日常的に運搬することはまれなのである。一方,村の女性が従事する仕事は,焼畑農耕,
採集,漁労などの生計活動,他に薪集め,水汲みもある。焼畑農耕では,女性は伐採以外の農作業
のほとんどを担う。とくに,収穫は年中続く作業である。この地方の主食であるキャッサバ芋は,
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浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
週に 1 ∼ 2 度必要な量だけ畑から掘り出され,無毒品種の場合,そのまま調理加工される。有毒品
種の場合には,毒抜きのため水場にいったん浸けられ,4 ∼ 5 日後に取り出され,調理加工される。
芋の搬入,水場への搬入,取り出し後の搬入,いずれも 10 ∼ 20 キログラムの運搬を伴う。森の中
での魚捕りやキノコ,木の実,食用昆虫の採集活動は,男の狩猟と異なり,当たりはずれが少なく,
森に出かければ,必ずなにがしかの収穫物を運び帰る。また,畑からは薪用の焼け残った木々を,水
場からは飲料水をほとんど毎日運び帰らねばならない。こうして村の女性の日常活動は,少なくと
も帰村時には何らかの物資の運搬を伴うのが普通なのである。
運搬姿勢の性差:男性では村人,通行人とも A-21 が,女性では村人,通行人とも S-14 がもっと
も高い頻度で観察されたことはすでに述べた。注目すべき点は,A-21が女性でも比較的高い頻度で
観察されている一方,S-14 は男性ではほとんど観察されていないことである。村の場合,男性が運
搬を要しない仕事に従事していることが起因しているかもしれないので,男女とも旅の荷物の運搬
を余儀なくされていると考えられる通行人の場合にしぼって検討する。通行人の女性で 107 回観察
されたS-14のほとんどすべては伝統的運搬籠を両肩に掛け紐を掛けて背負う運搬であった。この運
搬姿勢タイプが男性で観察されたのはわずか 3 回だけであった。これは男性が伝統的運搬籠を運搬
用具として使用しないことを意味するものではない。男性の頭上運搬(H-1)の観察例 22 回のうち
8 回は伝統的運搬籠を梱包道具として使っている。ただし,彼らはそれを女性がするように背負わ
ずに頭上に載せたのである。一方,女性の場合,頭上運搬は 8 回観察されているが,その場合に梱
包道具として伝統的運搬籠を使用し,頭上運搬した例は一度もない。彼女らが梱包道具として伝統
的運搬籠を使うのは,掛け紐を伝統的運搬籠に取り付け,両肩に掛けて背負う(S-14)場合か,片
方の肩に掛ける(S-12)場合かなのである。このことは村のある男性の言明に現れる社会文化的要
因が関係しているのであろう。彼は著者に以下のように語った。
“bongoli”のような運搬籠は,森の
中では背負うかもしれないが,村や道では背負わない,なぜなら,そんなところを他の男に見つか
ると,女のようだと冷やかされるから,と。通行人の女性では,観察された 156 人中,107 人(68.6
%)が,村の女性では,彼らが村に帰るとき,166 人中,116 人(69.9%)が S-14 の運搬姿勢タイプ
を示した。調査地域の女性がどこかに出かけるとき,種類は何であれ伝統的運搬籠は必携の道具で
あり,それを背負う姿(S-14)は女性の象徴にすらなっているのである。一方,男性のもっともポ
ピュラーな運搬姿勢タイプはいわゆる手持ち運搬A-21であったが,この運搬姿勢で運べる物資は大
きさや,重さに限りがある。A-21では運べないような物資を運搬する際,運搬籠を背負う肩運搬(S14)をしない男性が採用する運搬姿勢は,頭上運搬(H-1)や肩運搬( S-5,S-8)が主要となる。頭
上運搬は男性も女性も採る運搬姿勢タイプであるが,物資を肩にかつぐ(S-5),物資を結んだ支え
棒を肩にかつぐ(S-8)運搬姿勢タイプは女性ではほとんど見られない。運搬籠を携帯する女性には
そのような必要がないからであろう。
使用する運搬籠の民族差:性以外に年齢、出身民族集団などの要因についても検討したが、運搬
姿勢に差はなかった。しかし、どの種類の運搬籠を使用したかについては民族間で違いがあった。す
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でに述べたように 7 人のボイエラ人と 5 人のバンボレ人からなるエフェンジョルンブ集落の成人女
性のほとんどは 3 種類の運搬籠を少なくとも 1 個は持っている(表Ⅱ)。にもかかわらず、帰村時に
使用された運搬籠の種類を調べると(表Ⅶ)、ボイエラ人女性はボイエラ地方伝統の運搬籠“bongoli”
を、一方、バンボレ人女性はバンボレ地方伝統の運搬籠“ekala”や“elimba”を使用する頻度が高
かった。
運搬対象が人間の場合の運搬姿勢の概要:合計 9 タイプの人間を運搬する場合の運搬姿勢が観察
された。そのうち男性では通行人でいわゆる小児の肩車(Sb-1)が2例観察されただけであった。通
行人の女性では 9 タイプすべて観察された。とくに梱包道具としての布で小児を包み,その一部を
結んで掛け紐として肩や,胸に掛ける運搬姿勢が 13 例中 9 例と多かった。村ではわずかに女性の運
搬者による小児の腰運搬(Wb-9)が見られたにすぎない。しかし,観察を村外活動にしぼったため
に観察例としてはあがってないが,実は,村内では小児の運搬姿は頻繁に観察されている。また,運
搬者も女性に限らず,少年少女,男性も小児の運搬に従事する。その場合の運搬姿勢は Wb-9 が多
い。
運搬対象と運搬姿勢
運搬対象の形状と運搬姿勢:運搬者が何を運んでいるかは直接目に見える物以外は判定できなかっ
た。とくに通行人の女性の場合,運搬籠の内容はほとんど不明である。村人の女性は運搬籠に収穫
物,採集物を直接入れることが多いので概ね判定可能であった。男性の場合は,運搬籠を使用しな
い場合が多く,判定は比較的容易であった。このような限界はあるが,運搬対象の形状と運搬姿勢
の関係について検討する。女性の場合,通行人にしても村人にしてもほとんどの女性が運搬籠を使
用している。女性たちのもっとも主要な運搬姿勢は運搬籠の掛け紐を肩にかける肩運搬( S-12, S14 )である。運搬対象がどんなものであれ,籠に積んで運ぶことのできる女性の場合,運搬対象が
何かによって採りうる運搬姿勢が変わることはあまりない。ただし,後述するように,運搬対象の
重さは運搬姿勢に影響する。男性の場合,通行人,村人とも手持ち運搬(A-21)が多かったが,こ
れで運ばれる物資は蛮刀や弓矢などの武器,生活用具がほとんどであった。これらはこの地方の男
性が森や畑に行くときはもちろん,旅に出るとき,あるいは,隣の集落を訪れるときでさえ持ち運
ぶいわば男性必携の道具である。村の男性が運ぶ道具は他に斧がある。伐採や薪用の丸太を切り出
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浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
す際に持ち運ぶ。斧の運搬は手持ちか肩に掛ける肩運搬(S-5)である。また,切り出した丸太を運
ぶ際にもこの運搬姿勢が観察された。調査期間中,観察された数少ない生活用具以外の物資運搬の
多くがこれであった。通行人では杖を突く(A-23)歩行者が全部で 11例観察された。杖は歩行の際
に身体を支える道具であるが,杖をつくために杖をもった手を前方に出す際には,何らかの負荷が
かかる。通常,杖ほどの細長い棒を運搬する場合,引きずるか,手持ち運搬であろうが,それとは
異なる様式で棒を運搬していると考えられる。初期人類の最初の道具の可能性が高い堀棒の運搬姿
勢の一つであったかもしれない。通行人の男性の運搬物に“nkonga”と呼ばれる直径 30 センチメー
トルを超える銅製の大きな輪がある。これは婚資に使われるこの地方の伝統的貨幣である。調査当
時,新しい婚資として現金やラジオなどが使われるようになっていたが,
“nkonga”は依然として
もっとも重要な婚資で,その交換や調達で道行く多くの通行人がこれを運んでいた。もっとも多い
“nkonga”の運搬姿勢は,支え棒の両端を“nkonga”の中空の穴に通し,縛って固定した支え棒を肩
でかつぐ(S-8)というものであった。村では女性しか見られなかった頭上運搬が通行人では男性で
むしろ多数観察されている。その運搬物の多くは換金用に採取し,裁断し,干した樹皮を入れた麻
袋であった。そう重くはないが,大きくて柔らかい麻袋は頭上にのせてもバランスが取りやすく,頭
上運搬姿勢に適している。
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運搬姿勢と運搬対象の重量:運搬姿勢と運搬対象の重量との関係について全般的に検討できる資
料はないが,村のある家族の一人の成人男性と彼の二人の妻の帰村時における運搬姿勢,運搬対象,
その重量を調べた。それによると(表Ⅷ),男性はほとんど何も運搬していない。村の男性は手ぶら
歩行やせいぜい蛮刀や弓矢などの生活用具を手持ち運搬(A-21)するくらいである。男性が重量物
を運搬する場合,多くは肩にかつぐ運搬姿勢を採る。調査期間外にこの表中の男性 D0が罠猟で中型
ダイカー(15 キログラム前後)1 頭とヤブイノシシ(50 キログラム前後)1 頭を仕留め,それらを
支え棒に結び,肩にかついで(S-8)およそ 1 時間ほどかけて運び帰ったことがある。しかし,こう
いうことはめったに起こらない。また,これもそうあることではないが,薪用に切り出した丸太を
運び帰る場合,やはり肩にかつぐ運搬姿勢(S-5)が採られる。一方,二人の女性は帰村時に食物,
水,薪などを毎日 2,3 回搬入している。しかも,毎回平均 20 キログラム前後運び込んでいると推
定された。若い方の D2 はある日 60 キログラム近くの薪を運び帰ったことすらある。村の女性は従
事する日常活動の性質から毎日のように重量物の運搬を余儀なくされる。さまざまな物資や重量物
を搬入しなければならない女性は,掛け紐を常時固定した運搬専用の梱包道具をどこに出かける際
にも持ち運ぶのが普通である。帰村する時は,数 10キログラムに達する物資を運搬籠に積み,両肩
に掛け紐を掛けて背負う運搬姿勢(S-14)で帰ってくる。ただし,出村の際には蛮刀などの日用道
具を積むだけであるから,ショルダーバッグのように運搬籠を肩に掛ける運搬姿勢(S-12)もしば
しば見られる。重量物の運搬では他に水を搬入する際の頭上運搬(H-1)がある。重さは 15 キログ
ラム前後である。水を張った大鍋を頭に載せ,しかもたいてい背にはひょうたんや瓶に詰めた水を
積んだ運搬籠を背負い,
水場からの坂道をほとんどこぼさずに帰ってくるのは神業のように思える。
運搬物の重量を計測できなかった通行人については,目測による運搬物の重さと運搬姿勢の関係
について記述する。通行人の男性が大きな物資や重量物を運搬する場合,直接,肩にかつぐ運搬姿
勢(S-5)や支え棒に物資を固定して肩にかつぐ運搬姿勢(S-8),および,頭上運搬姿勢(H-1)が
多かった。前述の“nkonga”は肩運搬(S-8)で運ばれることが多かったが,支え棒の前後に重さ 2,
3 キログラムの“nkonga”を 2,3 個ずつ結ぶので,8 ∼ 15 キログラムほどになる。生きた山羊を首
に巻く独特の肩運搬(S-4)の例が通行人で 2 例あった。山羊の重さは 15 キログラム前後である。頭
上運搬で運ばれることの多かった乾燥樹皮を入れた麻袋の重さはそれほど重くなくおそらく10キロ
グラムを超えることはないであろう。手持ち運搬でも可能な重さであろうが,そのサイズは中型の
リュックサックくらいあるので手持ち運搬には大きすぎる。そこで頭上運搬されるのであろう。通
行人の女性の場合,村の女性と同様運搬籠を背負う肩運搬姿勢(S-14)が非常に多かった。運搬籠
の中身を推し量るのは難しいが,村の女性の運搬と違って長い距離を歩かねばならない旅では20キ
ログラムを超える重量物の運搬は少ないのではないだろうか。通行人の女性が小児を運搬する場合,
布を使った肩運搬,胸運搬が多く見られた。重量はそう重くなくとも,寝込んでぐったりした小児
を安全に運ぶのは容易なことではない。しっかりと,しかし,柔らかく包め,それを運搬者の身体
にぴったり密着できるように掛けられる布は運搬用具として適している。
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考察とまとめ
1.人力運搬の強度における性差
イエレ村住人の日常生活において観察された人力運搬の強度(より重いものをより頻繁に運搬し
ているという意味で)は女性の方が男性よりはるかに高かった。通行人(その多くは旅行者と考え
てよい)の場合も,何かを運搬する頻度は女性が高かった。また,負荷の大きさは不明であるが,運
搬姿勢から判断する限り,すなわち,男性では手持ち運搬,女性では運搬籠を背負う運搬姿勢が多
数であったことから,通行人においても女性の方が運搬強度は高そうである。村人の場合,これは
男女が分担する生計活動の性質の違いに依っている。男性が従事する焼畑農耕における伐採は斧以
外運搬を伴わないし,狩猟においても 10 キログラムを超える獲物を持ち帰ることはめったにない。
一方,女性が従事する作物の収穫,薪集め,水汲みはほぼ毎日相当の重さの運搬を女性に課すこと
になる。通行人の場合,旅行にともなう運搬に男女間にそう違いがあるとは思えないので,何か他
に理由が考えられねばならない。おそらく,女性すなわち運搬者という社会通念が有力な一つの要
因であろう。日常従事する仕事柄,自前の運搬籠をいつも持っている女性は,いかなる場合でも運
搬者としての役割を担わされているのではないか。たとえば,夫婦で畑に出かけ,いっしょに帰る
ときも,また,夫婦で旅行するときも,重い荷物,たくさんの荷物を当然のごとく妻が運搬する。西
アフリカでも女性,とくに農耕民の女性は同様の傾向を示すようである
14)
。このような運搬におけ
る性役割は著者の知る限り,アフリカ社会では一般的であるように思われる。
2.運搬姿勢における性差
一般物資で 26 タイプ,小児で 9 タイプの運搬姿勢がイエレ村で観察されたが,各運搬姿勢の観察
頻度は性によって甚だしく異なっていた。しかし,これはある運搬姿勢が生理的,形態的にどちら
かの性に特異的だというのではない。ほとんどの運搬姿勢は実際に男女共に観察されている。イエ
レ村の運搬姿勢における男女間での差異は,主として日常従事する生計活動の違いや,運搬対象や
使用する運搬用具の違いによる。さらには,運搬籠を背負うと女性のようだと冷やかされるので,た
とえ運搬籠を使う場合でも背負いはしないという男性の行動規制など,生態的,文化的理由によっ
ている。
3.運搬姿勢の民族差
わずかな例であるが,運搬姿勢における民族間差が認められた。ヘッドバンドを支持道具に使う
運搬籠の背負い運搬(F-3)が一人のバンボレ人女性に見られたが,ボイェラ人女性ではまったく見
られなかった。そのバンボレ人女性によれば,この運搬姿勢は重量物を運搬するときバンボレ地方
では普通に見られるという。ヘッドバンドは他の樹皮製の帯と同様の材であり,ボイェラ人女性も
利用することはできる。しかし,ボイェラ人がそのように使用した例をイエレ村でも他の村でも著
者は観察したことはない。ヘッドバンドを使った運搬姿勢(F-2,F-3)はアフリカ,その他の地域
33
Load Carrying Behavior among the Boyela, a Horticulturalist Group in the Middle of the Congo Forest
では一般的な運搬姿勢である。現在,著者が調査を続けているカメルーンの狩猟採集民バカ人では
男女とも運搬対象に直接ヘッドバンドを結ぶ(F-2)か,運搬籠にヘッドバンドを取り付け,前頭部
にかける運搬姿勢が普通である。本稿で記述している運搬姿勢は分類基準の要素の一つに支持道具
を含めてあるので,その支持道具が利用できるかどうかは運搬姿勢の違いに影響する。したがって,
生活や生態学的環境が異なる民族の間で運搬姿勢が異なるのはむしろ当然なのだが,居住域が隣接
するボイェラ人とバンボレ人の間にはそれらにそう大きな相違はない。また,運搬姿勢における違
いではないが,イエレ村に住むボイェラ人女性とバンボレ人女性の間では,日常使用する運搬籠が
異なっていた。それぞれの運搬籠の形態や材質に大きな違いは無いように思えるが,使用者は微妙
な違いを感じるのだろう。いずれにしても,人力運搬のような身体の運動様式には,慣れ,あるい
は馴染むというような用語が相応しい心理的な要因も働いていることは疑いない。
4.ヒトの身体特性と運搬姿勢
人類は何千年,何万年もの間にわたって自分の身体だけを使って物や人を運んできた。イエレ村
の住人や道を通り過ぎる旅人の物や子供を運ぶ姿は,人類の長い運搬の歴史を一部ではあるが、示
しているのではないだろうか。ここでは人類進化史的立場からいくつかの重要な運搬姿勢を取り上
げ,それらと直立二足というヒトの身体特性とがいかに結びついているかを考える。
1)肩と運搬
もっとも頻繁に観察された運搬姿勢は肩を支えにする運搬であった。物を肩に直接のせる,天秤
棒を肩に担ぐ,運搬容器に支持道具の帯紐を着け,それを肩にかける等々。この肩を支えにする運
搬姿勢はもっとも重い負荷を運ぶことができる。軽い物ならば肩に掛けられる形状であれば,ある
いは紐を取り付ければいくつでも運搬できる。ヒト以外の動物には見あたらない横に張った独特の
肩は運搬にぴったりではないか。まさに運搬のために肩はあると言っていいほどである。イエレ村
の道を男性通行人が生きた山羊を首に巻くように両の肩に載せて運ぶ姿(S-4)は,ニューギニア低
地人が獲物の火喰い鳥を運び帰るときの姿
15)
と同じである。また,カメルーンの狩猟採集民バカの
男性も獲物のアンテロープを森から運び帰るとき,この運搬姿勢をときおり採用する。このような
肩に物をのせる運搬は、格別な用具を必要とせず、人類のもっとも古い運搬姿勢の一つであろう。
2)頭と運搬
頭部を支持部位とする運搬姿勢はいくつかあるが,ここでは頭に運搬対象を載せるいわゆる頭上
運搬について述べる。頭上運搬姿勢(H-1)は直立二足歩行をする人体には合理的な運搬姿勢であり
16)17)
,世界中どこでも見られるもっとも一般的な人力運搬姿勢の一つである。これこそまさに直立
するヒトならではの運搬姿勢と言えよう。
イエレ村でも大人はいうに及ばず小さな子どもでさえグァ
バやパイナップルの丸い果実を頭に載せたまま手もふれずに歩く姿がしばしば見られた。しかし,
ヒ
トならではの運搬姿勢とはいえ,誰でもこの運搬姿勢を採ることができるのであろうか。少なくと
も著者にはイエレ村の子ども達のような芸当はできない。頭上運搬ができるとしても,必ず手の支
34
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
えを必要とするだろう。頭上運搬姿勢は合理的ではあるが,バランス感覚を身につけるためある程
度の習熟期間を要する運搬姿勢であろう。このような頭上運搬はヒトの祖先が完全な直立二足歩行
を完成させた後,始まった運搬姿勢の一つではないだろうか。
3)背と運搬
背に運搬対象が位置する運搬姿勢は支持道具を使用するかどうかで二つに大別できる。梱包道具
に支持道具としての帯紐などを固定し,それを肩や額にかけて背負う運搬姿勢は,アフリカの熱帯
雨林でも砂漠でも,さらには,ヒマラヤでも東京でも見ることができる世界でもっともポピュラー
な,かつ重要な運搬姿勢である。もっともその梱包道具の形態、性状はさまざまで、熱帯雨林では
籐製の篭、都会ではしゃれたデイバッグなど自然環境や地域によって異なる。イエレ村の女性はど
こに出かけるにも籐製の背負い篭を手放すことはなく,彼女らのそれらを背負う姿は,女性の象徴
にもなっていた。背中の赤ん坊を布でくるみ,両端を結んで肩や胸にかける運搬姿勢もこのタイプ
である。また,支持道具の帯紐を直接運搬対象に結び,肩や額にかけ,運搬対象を背負う運搬姿勢
もしばしば見られる。一方,支持道具を使用しないで運搬対象を直接背に置いて運ぶ方法は人体の
構造上容易ではなく,ポピュラーな運搬姿勢ではない。直立歩行する人間の背は少し前屈みになる
ことで運搬対象を支えるしっかりとした構造物となるが,それを効果的に運搬に利用するには支持
道具としての帯紐や梱包道具などの用具を必要とする。おそらく,支持道具を要する背負い運搬は
人類進化史上比較的新しい時代に始まった運搬姿勢であろう。
4)上肢と運搬
ヒトの祖先が立ち上がることによって,移動のために使わないですむようになった、いわゆる解
放された上肢は、さまざまな機能を担ったはずであるが、運搬はとくに重要なものであっただろう。
子供を安全に運搬できること,食物を容易に運搬できることはとりわけ初期人類の生存に大きな利
点をもたらしたに違いない。それゆえ,Hewes
16)
やLovejoy19)は運搬が初期人類の直立二足獲得に
関連した重要な要因と考えたのである。この仮説を検証するには,野外の運搬において上肢がいか
に使われているか,上肢の運搬における意義の検討が必要となる。
手で直接運搬対象をもついわゆる手持ち運搬(A-21)は、地域、民族、性、年齢、場所を問わず
に見られるもっとも普遍的な運搬方法である。おそらくこれは人類のもっとも古い運搬姿勢の一つ
であることは疑いない。しかし,手持ち運搬によって一度に運べる運搬対象の大きさや重さには限
りがある。したがって,手持ち運搬を直立二足の獲得要因に結びつけるのは無理があると思う。そ
れでは,
直立二足の獲得の要因だと考えられるほどの運搬における上肢の意義はあるのだろうか,あ
るとすればそれは何であろうか。著者は,それは上肢を使うことによって多様な運搬姿勢が開発で
きたことだと考えている。香原が網羅した人力運搬図 20)にも示されているように,支持道具を使用
しない運搬姿勢に限ってみても,上肢は多様な運搬姿勢に使われている。イエレ村の観察例をみて
も,それだけで多様な方法がある手持ち運搬(A-21)や手で支える運搬(A-18,A-19,A-24)はも
ちろん,運搬対象を腹や胸において抱える(A-20,Ab-8)
、背や腰において支える(Ab-7,A-17,Wb-
35
Load Carrying Behavior among the Boyela, a Horticulturalist Group in the Middle of the Congo Forest
9)、また,脇にはさむ(A-16)などの運搬姿勢がある。これらはいずれも手や腕の支持がなければ
運搬できない運搬姿勢である。さらに,肩や頭に運搬対象を載せる運搬姿勢(H-1,S-4,S-5)の場
合でも,上肢の補助がないと運搬は難しい。このように支持部位として,あるいは,補助的に,手
や腕を使う運搬姿勢は実に多様なものがある。上肢を使うことによって開発されたこのような多様
な運搬姿勢は,
比較的軽いものに限られるがさまざまな運搬対象を容易に運べる手段を用意した。
ま
た,どんな運搬姿勢にしろ手を使えることは安全を必要とする小児の運搬にはとくに大きな意義を
もったのではないだろうか。
5)道具と運搬姿勢
直立二足歩行開始の段階では,運搬用具(支持道具および梱包道具)はなかっただろうとの判断
からそれについては触れてこなかった。しかし,運搬姿勢を決める重要な要素であることは確かな
ので最後に,道具について触れておきたい。
アウストラロピテクス類や初期のホモ属が運搬用具を使用していたという証拠はもちろんない。
し
かし,石器に先んじる人類最古の道具としてしばしば考えられている堀棒は,天秤棒のような支持
道具と形態的には類似しているので偶然に運搬用具として使用される可能性はある。たとえば,果
実か肉を突き刺して肩にかつぐというように。しかし,突き刺せるものは柔らかく,あまり大きく
ないものに限られるから,その運搬姿勢が手持ち運搬以上に有利な運搬姿勢とも思えない。結局,堀
棒から天秤棒への機能転化は起こらなかったであろう。堀棒が天秤棒として使われるにはもう一段
階乗り越えなければならない知的レベルの壁がある。それは結縛である。堀棒が支持道具としての
天秤棒になるためには運搬対象を堀棒に固定しなければならない。それも突き刺すというような安
易な手段ではなくしっかりと固定されてはじめて支持道具としての天秤棒になる。それには結縛が
必要となる。しかし,これも証拠は残らないので結縛の起源がいつ頃かは分からない。少なくとも
チンパンジーでは知られていない。おそらく人類進化段階のかなり後になってからであろう。しか
し,いったん結縛が開始されると,運搬においては革命的効果をもたらしたことは疑いない。この
頃には,毛皮や植物の葉などで包むというような梱包道具の使用も始まっていたかもしれない。包
みをほどけないように手で持って運搬するしかなかったことから,包みを紐で縛り,さらに天秤棒
や紐に結んで頭,肩,手,腰にかけて運搬することへの変化の意義はとてつもなく大きかったと思
われる。
500 万年前、ヒトの祖先がアフリカの森かサバンナで立ち上がったときにはもう頭,肩,背,腰,
胸,手のどこかに食物や子を持っていたか,担いでいたに違いない。かつて,ヒトが自然の中で生
きていた時代,ヒトが何も運ばずに歩くことはめったになかっただろう。肩にめり込むほどのもの
を長時間かつぐことも珍しくなかっただろう。採った果実を両手に持ち,頭にも載せて歩く姿はそ
こかしこで見られたであろう。今でも,ヒトが何も持たずに戸外に出ることはまれである。しかし,
ショルダーバッグを肩に掛け,ハンドバッグを手に提げる姿から何かを運搬しているというイメー
ジは湧いてこない。運搬仕事はもっぱら機械にまかせ,必要最小限のものしか運ばなくなった現代
36
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
社会では,いずれ,天秤棒をかつぐ姿や頭上運搬は博物館の展示でしか見られなくなるだろう。技
術の進歩が人類に便利さをもたらし,過酷な負担を軽減したことは確かである。その一方,身体経
験を通して知覚や感覚を獲得する機会を人類は次第に失っていくこともまた事実であろう。
謝 辞
この論文は,琉球大学加納隆至助教授(現京大名誉教授)を代表者とする 1976 年度文部省科学研
究費補助金の援助を受けて初めてアフリカを訪れた時の資料に基づいている。加納先生に心から御
礼申し上げます。また,怠惰な私を最後まであたたかく指導してくださった故伊谷純一郎先生,お
よび故渡辺仁先生に感謝申し上げます。
30年近くも前の調査資料に基づく論文の掲載をお許しいただいた浜松医大紀要編集委員会の御寛
容に感謝申し上げます。
最後に,突然の来訪にもかかわらず私をあたたかく迎え入れてくれたイエレ村の友人たちに心か
ら御礼申しあげます。二度目で最後の訪問となった 1979 年 3 月からすでに四半世紀,旧ザイールで
は政変とその後の内戦があった。今はただ,イエレ村が平穏で,すべての村人が無事であることを
祈るのみであります。
文 献
1):Hewes GW: The anthropology of posture. Scientific American 196: 122-129, 1957.
2):Kawada J: Notes on メ The Techniques of the Body モ among West African peoples. J. Anthrop. Soc.
Nippon 99(3): 377-391, 1991.
3):川田順造(編):ニジェール川大湾曲部の自然と文化.東京大学出版会,1997.
4):川田順造,保坂実千代,芦澤玖美ら:第 3章生活の中の技術と身体.川田順造(編)
:ニジェー
ル川大湾曲部の自然と文化.東京大学出版会,1997.p315-422.
5):香原志勢:人類生物学入門.中央公論社,1975.
6):香原志勢:人力運搬の人類学的・働態学的研究.昭和 56 年度科学研究費補助金研究成果報告
書,1982.
7):Hewes GW: Food transport and the origin of hominid bipedalism. American Anthropologist 63: 687710, 1961.
8):Lovejoy CO: The origin of man. Science 211: 341-350, 1981.
9):渡辺仁:ヒトはなぜ立ち上がったか.東京大学出版会,1985.
10):Watanabe H: Running, creeping and climbing: a new ecological and evolutionary perspective on human
locomotion. Mankind 8(1): 1-13, 1971.
11):SATO H: Hunting of the Boyela, slash-and-burn agriculturalists in the central Zaire Forest. African
Study Monographs 4(1): 1-54, 1983.
37
Load Carrying Behavior among the Boyela, a Horticulturalist Group in the Middle of the Congo Forest
12):佐藤弘明:ボイエラ族の生計活動:キャッサヴァの利用と耕作.伊谷純一郎,米山俊直(編)
アフリカ文化の研究.アカデミア出版,1984.671-697 頁.
13):香原志勢:同上,1975.107-111 頁.
14):保坂実千代,川田順造:身体技法と生業形態−西アフリカの5つの集団の例−.川田順造(編)
:
ニジェール川大湾曲部の自然と文化.東京大学出版会,1997.359-396 頁.
15):渡辺仁:同上,1985.61 頁.
16):香原志勢:総括.香原(編)人力運搬の人類学的・働態学的研究.昭和 56 年度科学研究費補
助金研究成果報告書,1982.5-17 頁.
17):富田守,真家和生:運搬物と運搬方法の関連の実験的研究.香原(編)人力運搬の人類学的・
働態学的研究.昭和 56 年度科学研究費補助金研究成果報告書,1982.38-46 頁.
18):Hewes GW: Food transport and the origin of hominid bipedalism. American Anthropologist 63: 687710, 1961.
19):Lovejoy CO: The origin of man. Science 211: 341-350, 1981.
20):香原志勢:同上,1975.108 − 109 頁.
38
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
Doctor-Patient Communication:
An Introduction for Medical Students
Gregory V. G. O’Dowd
English
Abstract: Based on observations and evaluations of the various approaches and interactions between
medical practitioners and their patients, both in Japan and in Australia, this paper offers some insights for
medical students into the processes and problems experienced in this unique communication relationship.
This paper also outlines how medical students and practitioners can raise their awareness of the dynamics
of their relationships with their patients and increase their effectiveness in their chosen calling of
medicine.
Key words: communication skills, conversation strategies, doctor-patient, relationship building.
Introduction
Throughout a doctor’s medical education, internship, and practice, the emphasis is mostly on acquiring
detailed knowledge of the human body and achieving excellence in the technical aspects of medicine —
providing an accurate diagnosis, conducting the most appropriate treatment, and keeping up to date with
the latest clinical information. However, communication skills are rarely taught or even considered
during medical training. This is a serious oversight, considering that medical practice centers on dealing
with patients and their various complaints. Indeed, numerous studies have shown that doctors are not
always good communicators; a common finding is that doctors often tended to be authoritarian or even
patronizing when dealing with patients. In the past, patients accepted this behavior because of the great
respect accorded doctors in society, but times have changed; more and more, patients are exerting their
rights and are no longer tolerating such behavior from their doctors. Patients have the right to be partners
in their care and to receive a clear explanation of the doctor’s findings, proposed treatment and treatment
options. There is no good reason why a doctor cannot provide this by learning to communicate more
effectively with patients.
A special relationship
The “doctor-patient” relationship has traditionally been treated by societies as a sacred (and legally- and
morally-bound) relationship. The basis for this relationship is commonly regarded as the patient’s ability
to trust the doctor with their well-being, and even their lives. However, the exact nature of this special
relationship has been more difficult to define, and many models have been theorized. Amongst the
earliest has been attributed to Parsons in 1951 (cited in Vafiadis, 2001). Parson’s theory mainly focused
39
Doctor-Patient Communication: An Introduction for Medical Students
on illness as the basis of the relationship. Later models focused on control aspects, who was the more
active, and from which viewpoint the relationship was being examined. All of these models suffered from
the same fault; they could not account for the dynamic nature of the doctor-patient relationship as it has
evolved over time. Therefore, research has shifted its focus to examine how doctors and patients interact
in their clinical relationship. This important step has helped facilitate the rediscovery of elements of
healing outside the confines of standard clinical practice, e.g. empathy.
The importance of talking
“Talking to the patient is clearly the most important thing we doctors do,” said Dr. F. Ameer, medical
practitioner at the Bardon Clinic in Brisbane. “We do it (talking) more than anything else in our daily
practice.”
The most powerful diagnostic tool available to any doctor is communication; talking to the patient. It has
been estimated that approximately 80% of the information a doctor needs to make a correct diagnosis
comes from what the patient says to him or her. The remaining pieces of the puzzle are found when the
doctor makes their examination and have tests performed. Thus it can be seen just how critical it is to
making a correct diagnosis the preliminary stage of talking with the patient is in the consultation process.
The consultation process begins with the doctor collecting needed information from the patient directly.
This verbal information, called ‘the history’, is very important and is obtained primarily in two ways. The
first is when the patient answers the doctor’s questions, and the second is when the patient tells the doctor
things without being asked. Although this may seem elementary and simple enough, in fact, this is where
many problems lie. Three factors that doctors often fail to consider are: (1) the doctor may not be asking
the right questions to the patient, (2) the doctor may not give the patient the opportunity to speak freely
about their problems or concerns, and (3) the doctor may not be really listening to what the patient is
trying to tell them.
In my classes at Hamamatsu University, School of Medicine, I have tried to teach my students about the
importance of communication between doctors and patients by using as many real-life examples as
possible to illustrate the points I’m trying to make. For the first year students, I am using a text written by
Dr Edward Rosenbaum (Rosenbaum,2000) that details many of his experiences as a doctor communicating with patients and the problems that have arisen. He has given excellent examples on each of the three
problem factors given above; here is an example for the first factor:
In the case of a patient named Al Cann, many doctors were unable to diagnose his problem, although they
asked all the standard questions for taking a case history. When Dr Rosenbaum met with the patient, he
quickly found the root of the patient’s problem be asking a few simple questions, and here is what was
finally said:
Dr Rosenbaum: Did you ever tell that to the psychiatrists?
Patient: No.
Dr Rosenbaum: Why not?
Patient: They never asked me. (Rosenbaum, p.32)
40
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
Often it’s a little piece of information that the patient may feel is irrelevant that cracks the diagnosis for
the doctor. Even trained professional can make communication mistakes that will hinder their progress in
caring for their patients. Doctors are human too and may forget to ask their patients about even the
simplest of things.
If doctors thought a little more about the questions they ask before they give patients instructions or
advice, they could avoid some of the common pitfalls that hinder successful outcomes. For instance,
doctors often need to know what medications a patient has been taking so that they can make an accurate
diagnosis, or so they can avoid prescribing a new drug that will interact with the others. But simply
asking, “What other medications are you taking?” often fails to elicit a complete response. Many patients
wouldn’t think to tell the doctor about the vitamins they take, or about the herbs or home remedies or
even other available medicines they use to self-medicate themselves. A much better way to ask would be,
“Tell me about all of the pills you put in your mouth.”
These days, there is also a lot of pressure on both doctors and patients from the health system that affects
the quality of their communication. Doctors are often pressed for time as they see more patients, and time
is a critical factor in each consultation. The one thing doctors dread to hear from the patient at the end of
the consultation is, “Oh, by the way ... ,” That’s because ‘Oh, by the way’ is usually a worry or concern
that the patients really wants to talk about but takes more time. The key to solving such a problem is to try
to discover the patient’s concerns at the beginning of the consultation. When the patient says they have
come in because of a sore throat or a cold, the doctor should first ask, “Is there anything else?” In this
way, the doctor gets everything at the beginning.
As can be seen for the points mentioned here, talking with patients is definitely not as easy as most
doctors imagine. Fortunately, improving conversation skills is something that can be taught, even to
doctors.
Why Don’t Doctors Talk To Patients In Language They Can Understand?
In actual practice, it is the doctor who usually does most of the talking during a consultation. What
doctors do a lot of everyday is tell people their diagnosis and what they should do. One of the problems is
that doctors are trained as scientists. Doctors live with medical terminology so much, thinking about it
every day, that when they finally sit down with a patient and have to explain to them the intricacies of
what’s going on, they tend to use the technical terms they have been taught. And doctors admit that they
often don’t stop to think, “This word could not possibly mean a lot to the patient”, but this is how they
have been trained in their years at university.
Good communicating is a conscious effort that doctors should and do make, to explain things in terms
patients can understand. Often patients don’t want to ask, “What’s that word?” or say, “I don’t understand,” because of time constraints or other reasons. So it’s incumbent on doctors to explain things in lay
terms. Nevertheless, one of the biggest problems most doctors have is getting information across so that
patients can understand it and making patients comfortable enough so that if they don’t understand, they
will say so.
41
Doctor-Patient Communication: An Introduction for Medical Students
There was a survey on doctors in the United States that showed only one third of doctors will ask, “Do
you have any questions?” after an explanation. This may seem very surprising but there are many reasons
for this. Often, the doctor probably thinks he has covered everything and there is nothing more to tell.
Also, doctors assume that patients will ask questions if they need to; however, they may rarely do so if
they feel pressed for time. Even so, it is probably the most important question doctors can ask, because
frequently, if asked at the end of an explanation, the patients will ask about at least one thing that still
concerns them.
For example, a patient came to the clinic in Brisbane with a bump or a lump, and the doctor examined it.
The doctor asked the appropriate questions as he carefully went over the lump, and then told them it was
a minor injury and there was no need for concern. Then the doctor asked, “Do you have any questions?”
and the patient replied, “Yes, could this be cancer?” It was then the doctor realized what the patient’s
main concern was. It was never a concern in the doctor’s mind, but it was the main reason the patient
called to see the doctor in the first place. And if the doctor hadn’t asked the follow-up question, the patient
would have left the surgery without the answer to their one real concern.
Given the increasing trend towards patients being equal partners in decision-making, it is crucial that
doctors learn the best communication style they can. Sometimes just being more aware of what they say
to patients and how they are speaking can bring a big improvement.
Why the patient doesn’t understand what the doctor is saying
In everyday life it can be easy to misunderstand something and get the wrong end of the stick completely.
In medicine this can be frighteningly easy and have terrible consequences. It is naturally assumed that
patients and doctors are speaking the same language but often they are not.
Doctors often speak in mysterious ways. They use technical language, acronyms, and words that mean
one thing to the doctor but mean something totally different to the patient. Doctors have been trained in
technical terminology but patients have not. This is why it’s important for doctors to spell things out and
create an atmosphere where patients are not embarrassed to ask for clarifications if they don’t understand.
It makes everyone’s life easier in the long run and avoids potential problems.
Why is it then that, more often than not, medical consultations end in confusion or dissatisfaction; it’s
partly because doctors and patients are on different ends of the same problem. Consider the following
points:
* To the doctor, illness is a disease process that can be measured and understood through laboratory tests
and clinical observations. To the patient, illness is at least a disruption of their life and possible a threat to
it.
42
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
* The doctor’s focus is more on the science of the medical problem than on trying to understand the
patient’s feelings and concerns. Yet patient satisfaction comes primarily from a sense of being heard and
understood and being treated as a person with feelings.
* Many doctors do not see the role of physician as listener, but instead view their function more as a
human car mechanic: find the problem and fix it. Yet patients often feel their humanity devalued when
their illness is reduced to a mere mechanical or biological process.
* Doctors feel frustrated when patients withhold (intentionally due to embarrassment or unintentionally)
pertinent information. Yet patients may not reveal all the details of their lives to their doctors for fear of
ridicule or being labeled as flaky or gullible.
* Doctors feel hurt, even betrayed, when patients question their diagnosis or treatment options and ask for
a second opinion. On the other hand, patients are often consumed with their own health problems and
getting the best help available to them and will even openly question their doctor’s advice if they feel
dissatisfied with what the doctor says to them; this could also involve the degree of trust that exists
between them.
A changing relationship
Earlier in this paper, I explained how the doctor-patient relationship has always been regarded as
“special”; nevertheless, even this special relationship is subject to change. In the past, patients often
unconsciously placed their doctor in the role of parent, coming to the doctor feeling sick and frightened,
putting themselves in a position of particular vulnerability. Patients looked to their doctor to protect them
from the illness that afflicted them and nurture them back to health. Doctors, by training and frequently
by personal nature, were drawn to this role; a position of power and of benevolent superiority. They were
trained to take control of the situation and use their extensive knowledge to cure disease and save lives.
What was often forgotten was that doctors were still human beings, no different form their patients. And
over time, this relationship has been subjected to many different pressures, resulting in changes unheard
of a generation ago.
Even so, in some ways, people these days have become more doctor-dependent because they choose to
see doctors much sooner than people did 50 years ago (Korsch, 1997). Yet at the same time, people are
becoming less dependent on the doctor for information and decision-making. The Internet, informed
consent, and second-opinions have all had significant influences on this special relationship. In addition,
the economic and social pressures on medical care providers, with cost-cutting strategies shortening
office visits, threaten to reduce the traditional doctor-patient relationship to that of a mere business
contract. Such fast-paced changes are unsettling for both doctors and patients.
43
Doctor-Patient Communication: An Introduction for Medical Students
Who’s to blame?
Then there’s the blame factor. When problems do arise, doctors often blame patients for the communication break down. However, researchers have found that problems rest mainly on the doctor’s side, most
commonly because many doctors have poor interviewing skills to begin with, simply because they were
never taught such skills in the first place. Here are some of the important findings from various studies on
this issue:
* Doctors do more talking than listening. (Korsch et al, 1998). A study published in 1999 in the Journal of
the American Medical Association (JAMA) found that 72% of the doctors interrupted the patient’s
opening statement after an average of 23 seconds. Patients who were allowed to state their concerns
without interruption used an average of only 6 seconds more. (Marvel et al, 1999)
* Doctors often ignore the patient’s emotional health. A study of 21 doctors at an urban, university-based
clinic found that when patients dropped emotional clues or talked openly about emotions, the doctor
seldom acknowledged their feelings. Instead the conversation was directed back to technical talk.
(Suchman et al, 1997)
* Doctors underestimate the amount of information patients want and overestimate how much they
actually give. In a study of 20-minute consultations, doctors spent about 1 minute per visit informing
patients but believed they were spending 9 minutes per visit doing so.
* Doctors who can’t communicate are more likely to have a malpractice case brought against them. An
analysis of 45 malpractice cases in the United States found that many of the doctors being sued delivered
information poorly and devalued the patient’s views. (Beckman, 1994)
Patients aren’t perfect either. One survey found doctors rated 15% of their patients as “difficult” (Hahn et
al, 1996). Disagreements involve everything from expecting an instant cure to demanding prescriptions.
While one doctor’s difficult patient may be another doctor’s favorite, researchers have identified common characteristics of patients that everyone agrees are hard to manage. Patients described as “frustrating” by doctors often:
* do not trust or agree with the doctor.
* present too many problems for one visit.
* do not follow instructions.
* are demanding or controlling. (Levinson et al, 1993)
Patients labeled as “difficult” are more likely to be single and often have a history of unexplained
physical symptoms, depression, panic states, obsessive-compulsive disorders, or physical abuse, according to a study of rheumatology patients at the University of Washington Medical Center. (Walker, 1997)
44
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
In addition, patients who present themselves as overly helpless risk turning the doctor off, (Korsch,
1997). Another finding suggested that the more melodramatic the patient’s description of pain, the more
likely the doctor would discount it.
Patients who use the doctor as a scapegoat for their anger at the illness are less likely to get good care.
Rotter and Hall (1992) noted that doctors were profoundly influenced by the demeanor, comments, and
attitudes of their patients. In addition, patients who were consistently rude and irritable would almost
certainly not receive the same degree of medical care as patients who conveyed more positive attitudes.
In spite of all these problems, the doctor-patient can be saved and helped to blossom. Although doctors
and patients will always be on opposite ends of healthcare matters, this doesn’t mean they can’t pull in the
same direction. Doctors need to take the lead in positively promoting better communication and this in
turn will encourage patients to become more willing partners in their own care.
Don’t assume patients always understand
It is important for doctors to find out early on in their contact with patients how much they understand
about their illness. This will allow the doctor to correct any misconceptions that they have, frame
treatment in terms that are clear to them, and, when necessary, begin to prepare them for an unfavorable
outcome when the prognosis is not good. In short, “Hope for the best, prepare for the worst.”
Patients may not be able to absorb all the information they are given at the time of diagnosis. A follow-up
appointment is a good way to assess a patient’s emotional state and understanding of the situation. The
use of simple diagrams, charts or other graphic representations might also help patients assimilate
information more easily.
A common problem is that when the doctor asks the patients if they understand the information they have
just been given, most of the time they will say they do. And, although it may have at least seemed clear to
them at that moment, later their recall of the information is often sketchy or confused. The likely cause of
this confusion has usually attributed to the emotional shock of the diagnosis or bad news. In some cases,
the disease itself or current medications may cause cognitive impairment and contribute to a patient’s
confused state. Unfortunately, doctors are rarely aware that their patients have misunderstood the
information they are given. The use of communication feedback strategies by the doctor to ensure that
patients have understood the information provided to them can:
* reduce the need to repeat the information later,
* reduce the patient’s anxiety because the information is accurate and clear,
* reduce the blame apportioned to the physician,
* reduce the likelihood of patient dissatisfaction and later claims,
* build trust and enhance the relationship with the patient,
* increase the doctor’s professional satisfaction and sense of pride.
45
Doctor-Patient Communication: An Introduction for Medical Students
What can doctors do?
Doctors need to work at cultivating a patient-centered partnership based on talking to and listening to the
patient. Here are some conversation techniques that I have introduced to my students during their course
work:
* Check posture and body language. These are just as communicative as words, if one understands what
they are seeing. Other simple gestures, such as leaning forward towards the patient or even smiling, can
help the patients relax.
* Solicit the patient’s concerns and opinions through open-ended questions, such as “What’s been going
on since you were here last?” In a JAMA study, last minute questions, a pet peeve for many doctors,
occurred less frequently when the patient was invited to talk earlier in the consultation. (Marvel et al,
1999)
* To improve patient compliance with medical instructions, doctors need to work on developing mutual
trust. Research confirms that the health of the doctor-patient relationship is the best predictor of whether
the patient will follow the doctor’s instructions and advice. (Korsch, 1998)
* Develop a system to communicate test results to patients. Patients often assume that “no news is good
news”, but according to a survey published in Archives of Internal Medicine (Boohaker, 1996), one in
three doctors do not always inform patients of abnormal test results, especially if the results were only
mildly abnormal. About half the doctors surveyed thought it was important to inform patients of normal
results, but only 28% always did so.
* Respect patients as experts in the experience of their illness. Traditionally, doctors have been taught to
view the patient as “an unreliable narrator” and to chart patient observations in subjective language that
implies a degree of skepticism, such as “the patient believes” or “the patient denies.” (Toombs, 1992)
However, Rotter and Hall (1992) argue in favor of a patient-centered relationship that accepts the
patient’s unique knowledge as just as important to their outcome as the doctor’s scientific knowledge.
They conclude, “The medical visit is truly a meeting between experts.” ( p.12)
The doctor’s role
Before the parameters of a relationship can be set, it is first necessary to define the roles each participant
should play. This is no easy task as there are so many elements and permutations that enter into the
equation. Therefore, for the sake of simplicity, listed here are some of the most important aspects of the
doctor’s role in their relationship with patients.
46
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
•
The doctor needs to pay full attention towards patient’s symptoms, their story and above all
their anguish and sufferings.
•
Listening to the patient is very important even if the diagnosis is clear. This is one of the failings
which a doctor should avoid as this would leave the patient dissatisfied. After the clinical
examination and required investigations, the doctor should spend time in analysing the patient’s
problems and come to a tentative diagnosis depending upon the situation.
•
Maintenance of patient’s confidentiality is absolutely essential and should never be breached
without proper cause.
•
Maintaining accurate and complete patient records is absolutely necessary both for the doctor
and the patient, perhaps even more so for the doctor.
•
Patient should be offered choice and alternatives, not in a superficial manner but in a very
formal manner so that the patient can feel a part of the decision making process. Of course, this
will to some extent depend upon the patient’s age, intellectual capacity and social background.
•
Doctor should never put their own prestige first by holding onto patients longer than required.
When necessary, patients should immediately be referred to an appropriate expert.
•
If the patient or their family must be given bad news about the nature of the disease, it should be
done in a way to minimize the trauma. It has been said, “The truth may be brutal but the telling
of it need not be”.
•
The consent taken for any procedure should not be a mere formality but should be explained to
the patient fully in clear language and at their own level. Special consideration needs to be given
to patients using a second language.
•
Doctor should concentrate on the problems before them and not be judgmental about a patient’s
personal habits or attitudes.
The patient’s role
Patients also have responsibilities and obligations associated with their role in this special relationship. In
particular, patients should look at their doctor with trust and hope but should understand the limitations
both of the doctor and of medical science; neither is infallible. Patients should:
•
choose their doctor or the hospital carefully and with awareness. Having done this, full trust and
faith should be reposed in the doctor.
•
provide full information about their illness and all the relevant social and family background.
•
not hesitate to ask for as much information as they want or clarify any instructions.
•
immediately report any adverse drug reactions they have or any other unforeseen happening.
•
understand the risk involved in a procedure or operation.
•
ask the doctor for any alternatives or choices available. This is their right.
•
know that medical science is a biological science and lots of decisions are made on the basis of
experience and personal judgment. Many things cannot be fully explained or predicted.
47
Doctor-Patient Communication: An Introduction for Medical Students
•
avoid seeing multiple doctors and trying to play one against the other.
•
refrain from experimenting with alternative medicines without the doctor’s knowledge.
•
avoid believing in hearsay or rumors and be skeptical of “facts” printed in advertisements or
non-professional publications.
•
carefully read the consent form for any procedure, try to understand its implications and ask for
clarifications if required.
•
differentiate between a complication or mishap and negligence, and not blame the doctor solely
for every thing that goes wrong.
It is indeed important that feelings of fear, embarrassment, or even resentment not be permitted to create
a barrier between the patient and their doctor. By adhering to their roles and taking their responsibilities
seriously, their special relationship will be enhanced and the health outcomes maximized.
Communication skills and strategies
Listed below are several communication skills and strategies that doctors should learn to master to
facilitate constructive patient interviews and make the most of the time allotted for each consultation:
•
Active listening
Active listening is often a better diagnostic tool than standard questioning and its importance
can’t be stresses enough. For example, the patient should first be encouraged to tell their details
of the illness, and then the doctor checks their understanding by restating the information in the
patient’s own words. The doctor would also use open-ended questions during the medical
interview to elicit as much information as possible for the patient.
•
Nonverbal communication
Nonverbal communication is often a forgotten element in most consultations. Effective use of
nonverbal communication can help develop an environment of support, comfort, trust, and
security. Frequent eye contact, nodding the head to show agreement or support, and even
periods of well-timed silence are examples of methods that can enhance the interview. Doctors
should note that patients are often very sensitive to the doctor’s own body language.
•
Agendas
Patients and doctors may approach the consultation with different agendas. The doctor’s agenda
may be to have patients accept the diagnosis made and to accept management of their treatment.
The patient, on the other hand, might come to the appointment seeking a specific diagnosis, a
cure, or the reassurance that they do not have some terrible disease. Ideally, both the doctor and
patient should communicate their agendas at the beginning of the consultation, but this would
be rare. Instead, the doctor could ask the patient such questions as: “What do you think is going
48
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
on, what are your concerns and fears, and how can I be of most help to you now?”, to try to
bring their concerns out into the open.
•
Empathize
Empathy means demonstrating a personal understanding of the patient’s situation, pain and
distress while attempting to help them. The doctor should acknowledge the difficulties patients
experience in trying to manage their condition as they struggle to live their normal lives,
perform jobs, and maintain their roles within the family. In particular, patients who have
experienced major psychosocial loss or trauma, e.g., child abuse, might find it embarrassing to
discuss such issues. For this reason, it is important for the doctor to consider these feelings
without making a personal judgment or offering rash solutions.
•
Educating patients
Education plays a crucial part in a good doctor-patient relationship. Education involves a dialog
where the doctor elicits the patient’s thoughts, feelings, and beliefs and then provides new
information consistent with the patient’s needs and interest. Providing written materials can
supplement and enhance the verbal information given by the doctor.
•
Reassurance
Reassurance builds trust. Identifying a patient’s concerns and worries without offering false
reassurances can indeed help comfort the patient. This puts them at ease by knowing that the
doctor has a commitment to them, recognizes their emotions as important, and believes their
disorder are real and not just “in their head”.
•
Agreeing on a treatment plan
After the medical consultation and the physical examination are completed, it is important for
the patient and doctor to agree upon a treatment plan. Doctors need to take into account the
patient’s personal experiences and life style and provide choices that are consistent with these
factors.
•
Taking responsibility
It is important to have the patient acknowledge their role in managing their pain, symptoms and
treatment. For example, a doctor could ask the question, “how are you managing with your
medications?”, rather than, “ are you feeling better now?” as this shifts the responsibility from
the doctor onto the patient and helps patients to acknowledge their role in their own care.
•
Avoid Overreacting
Everyone can have a bad day, and both doctors and patients can find themselves pushed to their
49
Doctor-Patient Communication: An Introduction for Medical Students
limits and ready to burst at the slightest provocation. Some patients may indeed be demanding,
childish or even belligerent. It is the doctor’s responsibility to not overreact to these situations.
Addressing such feelings and emotions honestly facilitates communication between the doctor
and patient on a positive level and helps to avoid conflict behaviors.
Learning to cope
It is a sad fact of life that many chronic diseases can be managed, but not cured. And especially in this age
of hi-tech, fast-paced affluence, many patients have come to expect the impossible from their doctors. At
times, doctors may seem to be grasping at straws or groping in the dark for solutions, not because they are
poor doctors or lack knowledge, but simply because the medical science needed does not exist.
In the English courses I teach, I try to introduce most of these concepts and skills to my medical students
in the hope that they will graduate better prepared for the communication challenges that lie ahead of
them when they enter general practice. As a brief summary, here are just a few of the points I try to cover
in my lessons:
•
Listen to your patients. It has been reported that doctors listen to patients for 18 seconds before
interrupting. Listen carefully or you will miss very important information that could make your
job much easier.
•
Listen to your patient’s family members or friends. They are also a valuable source of patient
information.
•
Find out what this illness has done to your patient and the family. Don’t assume that understanding the disease process is enough. A patient with cancer should not be defined by its size and
grade. Although that patient’s cancer might look the same on a CT scan as any other patient’s,
each person’s experience and situation will be different and their outcomes may be different as
well.
•
Ask about your patient’s home life. Some problems can be attributed to what has gone on at
home. And just because your patient makes it to your office for their consultation, don’t assume
all is well. Perhaps your patient is more dependent on others than you can imagine.
•
Ask how your patient’s work life has been affected by their illness. Could their illness be related
to their work? Is this a long-standing illness? Is the patient still able to work? If the patient is
having financial troubles, it can add greatly to the stress they are already experiencing from
their illness.
It is my hope that through learning about such things, more and more of our graduate doctors will begin to
see the value of understanding their patients beyond their physical symptoms. It is this understanding and
empathy that will bring joy back into their careers and make them better healers.
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浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
Conclusion
Good communication skills are important for doctors to gain their patients’ trust and build a better
relationship. Indeed, improved communication skills can make a huge difference in doctor satisfaction,
patient satisfaction and other patient outcomes such as compliance with treatment approaches and
participation in important treatment decisions. Doctors, therefore, cannot afford to ignore this important
aspect of their dealings with patients, for to do so would certainly reduce their effectiveness as healers as
well as their satisfaction in their career choice.
Doctors, for their part, must be open to their patient’s discourse and feedback. Doctors should listen to
them, share information with them and encourage mutual trust and decision-making. This might be seen
as daunting for the doctor who is used to taking charge of the medical evaluation based on their training in
a specific field of learning largely obscure to the patient. It may involve courage on the part of the doctor
to suspend their scientific medical knowledge and traditional belief systems, at least temporarily, to allow
them to really communicate with their patients. It will also involve courage on the part of the patient to
fulfill and uphold their part of the relationship and patiently follow through with their doctor. These are
things that must be discovered, practiced and nurtured if they are to become the new standard of practice.
But before this can happen, it must be constantly remembered that nothing will change unless doctors
first learn how to talk with their patients.
References
Boohaker, E.A.,et al.. Patient notification and follow-up of abnormal test results: A physician survey.
Archives of Internal Medicine 1996 February;156(3):p.327-31.
Barbara Korsch, M.D., The Intelligent Patient’s Guide to the Doctor-patient Relationship. Oxford:
Oxford University Press, 1997.
Hahn, S.R.,et al. The difficult patient:prevalence, psychopathology, and functional impairment. Journal
of General Internal Medicine, 1996;11(1):p.1-8.
Marvel, K.M., et al. Soliciting the patient’s agenda:have we improved? Journal of the American Medical
Association (JAMA), 1999, p.283-287.
Rosenbaum, E.E.,MD. The Doctor Tells the Truth. Tokyo: Nan’Un-Do Publishing Co.Ltd., 2000.
Rotter, Debra and Judith Hall, Doctors Talking with Patients/Patients Talking with Doctors. Auburn
House, 1992.
Suchman, A.L., et al. A model of empathic communication in the medical interview. Journal of the
American Medical Association (JAMA), 1997, p.678-682.
Toombs, Kay. The Meaning of Illness: A phenomenological account of the different perspectives of
physician and patient. Kluwer Academic Publishers.1992
Vafiadis, Platon. Mutual Care in Palliative Medicine: A story of Doctors and Patients. Sydney:
McGraw-Hill Book Company, 2001.
51
Walker, E.A., et al. Predictors of physician frustration in the care of patients with rheumatological
complaints. General Hospital Psychiatry, 1997 Sept;19(5):p.315-323.
52
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
関口存男における前置詞 in
佐藤 清昭
(日本語・日本事情)
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
SATÔ Kiyoaki
Japanisch u. Japanische Angelegenheiten
Zusammenfassung
Der japanische Philosoph und Sprachwissenschaftler SEKIGUCHI Tsugio (1894-1958) wollte nach
seinem monumentalen Werk "Der Artikel" (Tokyo 1960/61/62, 3 Bde., insgesamt 2 301 Seiten) Arbeiten
wie "Die Präpostion", "Das Adjektiv", "Das Adverb" u. a. schreiben, die aber wegen seines Todes nicht
ausgeführt werden konnten. Uns, die ihm nachfolgenden Forscher, interessiert nun, was für Werke über
diese Themen in Bezug auf Inhalt, Form und Umfang entstanden wären.
Die Absicht der vorliegenden Arbeit besteht darin, die Bedeutungstypen ("imi keitai") der Präposition
"in", die sich bei SEKIGUCHIs Werken und bei seiner Sammlung der Beispielssätze, Collectanea,
befinden, aufzuzählen und ordnungsgemäß darzustellen.
Es lassen sich bei SEKIGUCHI 25 Bedeutungstypen von "in" feststellen, die teilweise in Über- und
Unterverhältnissen stehen.
key words: SEKIGUCHI Tsugio, grammar, preposition, German preposition "in"
キーワード: 関口存男,意味形態,前置詞,in
53
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
0. はじめに
0. 1. 関口存男(1894 − 1958)は文法研究において,「前置詞」という品詞を重要視していた。そ
れは例えば次の点から主張できる。
1) 関口の遺作となった「冠詞」1) のいたるところに前置詞についての詳しい記述が見られること 2)
2) 関口が,
「冠詞」に続く著作のひとつとして「前置詞論」を考えていたこと 3)
3)「ドイツ語前置詞の研究」4) の「序 (2)」に次のような言葉があること
「いまちょうど冠詞論をやっていますが,ひょっとすると冠詞論だけでおしまいになるかも知
れません。つまり,計画したことの十分の一ないし二十分の一で人生がおしまいになるわけ
です。/ ところで,冠詞論を書いている最中,たびたび問題になるのが前置詞の用法で,これ
だけは,せめて此の書その他でいろいろな印象的な普通の場合だけでもチョッチョッとまと
めておいてよかったと,つくづく思います。たとえ,ごく啓蒙的な,不完全な説き方である
にせよです。」
0. 2. 「前置詞論」は執筆されることなく終わった。しかし,関口の個々の著作に認められる前置詞
についての詳しい記述,そして Collectanea の中の膨大な前置詞の文例は,
「前置詞論」の概要を示
していると思う。
ただし,この概要が単に個々の前置詞の「意味内容の羅列」に終始するのではなく,そこに学問
5)
的な秩序を与えるためには,以下の関係,あるいは区別が考慮されなければならない。
1) それぞれの前置詞が「それ自体」としてもつ意味内容(System-Bedeutung)と,そこから「派
生した」意味内容という「上位と下位の関係」
2) System-Bedeutung から派生した「意味内容」の間で認められる「上位と下位の関 係」
(「Aと
いう意味項目はBに包摂される」という関係)
3)「具体的な文脈」に無関係な意味内容と,
「具体的な文脈」内ではじめて生じる意味内容との
区別
0. 3. 前置詞の用法は,動詞との関係から研究されるべきである。そのことを関口は次のように説
明する。
「前置詞研究は,動詞の前置詞支配なる現象をば,逆に,前置詞の意味形態を明確に把捉することに
よつて段々と系統付けて始めて真の研究たり得るのです。その方法は,極くわかり易く云へば
Typologie(類型論)と名づけることも出来ませう。
」6)
「以下の實例においては,何時も申すことですが,單に an だけではなく,その an とどういふ種類
の動詞が結びつき得るかという事に特に注目して頂きたいと思ひます。つまり結局は廣い意味での
54
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
動詞の前置詞支配に關する研究ですから。」7)
「驗證の an は,或點に於て,しばらく前に述べた『仕打ち』の an とよく似てゐるから注意を要し
ます。... かういふ場合にはすべて動詞がどんな意味であるかを基準にして分類すべきで,動詞の意
味によつては中間現象も生ずる譯です。」8)
しかし前置詞の「意味形態」が,一方的に(それを支配する)動詞の影響のもとに生じるわけで
はない。そこには当然,
「前置詞の側からの働きかけ」も存在するはずである。当該の前置詞の「本
質」から生じる「意味形態」である。9)
0. 4. 本稿においては前置詞 in について,関口存男が確認した意味形態(意味内容の類型)を挙げ,
その間の相互関係を求める。
1. 前置詞 in の意味形態
10)
① 同一視の in 【3 格】
●
A = B,すなわち A が B であるという論理関係を前置詞で言い表すときの筋道。
Früher sah man in Kometen Vorboten schrecklicher Ereignisse.「昔は彗星は凶事の前触れであった」︱
Wir leben in unsern Kindern und Kindeskindern weiter.「私たちは私たちの子々孫々となって生き続け
るのである」︱ Ich möchte so sehr, daß der alte Mensch in mir abgestreift würde. わたしは,わたしと
いう者の中にある所謂る「旧きアダム」を,なんとかして脱却したいと思っています︱ Ich vermute,
Sie sind Witwe und leben in einem Kreis wahrscheinlich älterer Personen, wo Sie nur zur Erfüllung Ihrer
Pflichten kommen und wo der Mensch in Ihnen ganz und gar erstickt wird. (Zeitung) あなたはおそらく未
亡人の方で,あなたよりは年上の人たちの所に厄介になっておいでになって,お勤めがはげしく,打
ち明けた話をなさる相手がおありにならないのでしよう︱ Der Grieche, oder der Griechensüchtige in
Nietzsche schämt sich des dem Christen eingeborenen gotischen Ideals, das ein Ideal des Leidens und der
Entleiblichung ist; und selbst der christliche Mensch in ihm empfindet dunkel, daß das Leiden allein noch nicht
rechtfertige vor dem sinngebenden Blick der Gottheit. (Bertram)
Nietzsche のギリシャ人気質,というよ
りはむしろギリシャかぶれした一面は,すべての基督教徒が生れながら持っている,苦難の理想,蝉
脱の理想たるゴチック的理想を内々気恥かしく感じている。また,かれの裡なる基督教人さえも,上
帝の哲眼に見裁かれた日には,
苦難を楯にとったぐらいのことで片付く幕ではないということは薄々
感づいてはいるのである︱ Ich warnte mich vor mir selber, vor dem Illusionisten, der in mir steckt. (Franz
Werfel) わたしは,わたし自身というものにはうっかり心を許すわけには行かないと思った。とい
うのは即ち,わたしという男はどうも少しすぐ好い気になってしまうところがあったからである︱
55
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
GENOVEVA: Zurück! Und ehrst du nicht das Weib in mir, / So ehr' in mir die Mutter, denn ich bin's! (Hebbel:
Genoveva)
GENOVEVA: へんな真似をしないで下さい!女としてのわたしを甘くごらんになるな
ら,それはそれでよろしい。しかし,母としてのわたしに対しては,少しはお気兼ねというものが
あってもよろしいのではないでしょうか。何をかくしましょう,わたしは母になったのです︱ Nun
steckt in Uli noch immer der einige zwanzig Jahre alte Bursche, der beim Flattieren warm wird und ein hübsches
Mädchen lieber hat, als ein wüstes. (J. Gotthelf) ところが此の U1i という男,見かけによらず,まだ二
十才そこそこの青年みたいなところがあって,ちょっといちゃいちゃされるとすぐ鼻の下が長くな
り,縞麗でない娘さんよりはどっちかといえばやはり縞麗な娘さんの方が好きだった︱ "Die ganze
Forst hierherum ist Reiher-Forst. Ueberhaupt ein rechter Jagdgrund, Schwarzwild und Damwild in Massen,
und in dem Schilf und Rohr hier Enten, Schnepfen und Bekassinen." "Entzückend," sagte Botho, in dem sich
der Jäger regte. (Th. Fontane) 『此のあたり一たいの森は,湿森といって,とにかく猟にはもってこ
いだ,野猪や鹿なんかうんといる,此の葦の生えたあたりなんか,鴨でも鴫でも,何だっているよ。』
『好いなあ!』
猟の話となると矢も楯もたまらぬ Botho の眼は光った︱In Fiesco siegt, als er die Macht
hat, der Herzog über den Republikaner, und darum stürzt ihn Verrina, der starre Demokrat, ins Meer. (Zeitung)
Fiesco は,政権を手に握ると,たちまち共和党員たることを忘れて公爵風を吹かせはじめる。だか
ら一徹の民衆党員 Verrina のために海中に突き落されるのである︱ Das Tier kommt in ihm zum
Durchbruch. (Duden: Stilwörterbuch) かれの心には鎌首をもたげた野獣性がいよいよその無軌道振り
を発揮しはじめる︱ In jedem genialen Mann steckt ein Stück Philister. (Zeitung) 天才にも,みなそれ
ぞれ,多少俗物的な一面がある︱ In jedem Jungen steckt ein Stückchen Soldat. Er will marschieren,
trommeln, trompeten, präsentieren, schießen. (Marie Grimm) 男の児はみんな多少兵隊がすきで,おい
ちにをしたり,小太鼓を叩いたり,ラッパを吹いたり,捧げ銃をしたり,射撃をしたりすることを
好む︱ Möglicherweise steckt ein Dichter in ihm. (Th. Mann) ひょっとすると,かれには詩人的素質が
あるかも知れない︱ In mir nämlich leben zwei völlig abgesonderte Wesen. Ein Dichter von der
übergreifendsten, ja sich überstürzenden Phantasie, und ein Verstandesmensch der kältesten und zähesten Art.
(Grillparzer) 私という男は,二つの全然別々な面を持っている。一つは,最も無軌道な,ひどい暴
走ぶりを発揮する空想力を備えた詩人的一面,他の一つは,最も冷静且つねばりこい性の「頭の人」
という一面である︱ Dem Prinzen starb eine Braut in seiner jungen Mutter. (Schiller) 王子にして見れ
ば,彼女を若き母として迎えたということは,つまり花嫁を喪ったということになるのだ︱ Unter
den neuen Einwanderern, die zumeist Briten waren, erwuchs "Ohm Krüger" aber ein gefährlicher Gegenspieler
in Cecil Rhodes. (Zeitung) 大部分英人であった新入国者のうちで,Cecil Rhodes という男が Ohm
Krüger にとっては侮りがたい仇役となった︱Wir ziehen uns in Rudolf einen Mustermenschen auf. (B. v.
Suttner) 今に見ていてごらんなさい,うちの Rudolf は立派な人間になりますよ︱In Oesterreich war
in Joseph II. ein Aufklärer auf den katholischen Kaiserthron gekommen, der zwar mit seinen allzu kuhn sich
überstürzenden Reformen scheiterte. (Th. Ziegler) 墺国では Joseph 二世という啓蒙運動者が加特力教
56
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国の王位を継承したが,惜しい哉その革新政策は,大胆無謀な強行のために失敗に帰した
♥
in はもちろん「中」という原意を保有している。例えば次の例文では,表面 (außen) は未知の人
で,よく見たら内部 (innen) は市長さんであったという概念機構である: Sehe ich in Ihnen den
Bürgermeister dieser Stadt? あなたはこの市の市長さんでいらっしゃいますか?
♥
この in は,時には同時性を表現する mit であってもよいことがある: Mit ihm ist einer der größten
Staatsmänner dahingegangen.「彼が亡くなったことにより最も偉大な政治家の一人が失われた」︱
In Oesterreich kam mit Joseph II. ein Aufklärer auf den katholischen Thron.「オーストリアではヨーゼ
フ 2 世が啓蒙主義者としてカトリックの王座についた」
♥「同一視の
in」は,ほかに Identitäts-in, Persönliche Identität とも名づけられる。
【冠詞 I: S. 481-483, 487-489, II: 294-297; 和文独訳の実際: S. 68-70; 文例集 (29) 前置詞: S. 609-613, 624633】
② 従事方面の in 【3 格】
●
従事方面,活動領域,没頭事項を示す。
Er übt sich im Schießen. かれは射撃の練習をしている︱ Sie unterrichtet mich im Tanzen. 彼女が私
にダンスを教える︱Ich versuche mich im Maschienenschreiben. 私はタイプライターをやってみる︱
Er hat sich im Schönschreiben ausgezeichnet. かれは書道で名を揚げた︱ Er will sich im Komponieren
weiterbilden. かれは作曲の方で修業を積もうとしている︱Im Dichten wirst du es nie zu etwas bringen.
詩の方は,おまえなんかいくら作ってもだめだ︱ Der Lärm hier nebenan stört mich im Denken. 隣の
さわぎがえらいので,おちおち物が考えられない︱ Sie blickte nicht einmal auf und fuhr im Stricken
fort. 彼女は眼も上げず,相変らず編物をしていた︱ Sie läßt sich im Lesen nicht unterbrechen. 彼女
はそしらぬ顔をして本を読んでいる︱ Im Sammeln war er unverdrossen. かれは丹念に蒐集した︱
Lachend und Schweiß vergießend, konnten die beiden nur langsam in dem Geschäft fortschreiten. (Tieck)
二人は,笑ったり汗を流したりで,仕事の方は一向はかが行かなかった︱ Er ist in allen Sportarten
sattelfest.「彼はスポーツにおいてはなんでも来いだ」
♥
in の後の名詞は原則として定冠詞を伴う。
♥「従事方面の
in」は,その能力を評価したり,他と比較したりする場合には,次項の「見地の in」
として現れる。
♥「従事方面の
in」は一部,「従事対象の mit」と合致する。
♥「従事方面の
in」は,
「進行過程の in」と一致する場合がある: Ich will niemanden in der Ausführung
seiner guten Vorsätze hindern. (Sudermann) 私は他人が殊勝な心掛けを実行するのを妨げようとは
思わない
57
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
♥
文例集 (80) in の 167 ページには「没入・耽溺の in」として次の例があがっている: sich in ein Experiment verbeißen「実験に熱中する」
【冠詞 I: S. 792-795, 954, 966-970; 文例集 (82) 前置の in: S. 3-23】
③ 見地の in 【3 格】
Die Butter steigt im Preis. バターの値段が上がる︱Im Erraten bin ich kein Meister. 謎を解くのは得
意じゃありません︱ Im Sprechen ist er gewandt. 喋舌る方はお得意だ︱ Im Trinken sei mäßig. 飲む
方は程々にせよ︱ Im Bedienen ist man hier so langsam. 此処はサービスがのろい︱ Er ist im
Verschwenden so leichtsinnig. かれは金の使い方が軽率だ︱Du kennst seine Stärke im Auswendiglernen.
君はあの男の暗記力のすばらしいことは承知だろう︱Im Bezahlen sei pünktlich. 金払いは几帳面に
せよ︱ Er ist nur im Auftreten bescheiden. かれは素振りだけが謙遜なんだ︱ Die meisten Autoren sind
im Interpungieren sehr unsicher. 大抵の著書は句読点の打ち方が非常にあやふやだ︱ Das japanische
Volk ist flink im Nachahmen der fremden Sitten. 日本人は外国の習慣を真似することにかけてはすばし
こい︱ Die Luft besteht im Wesentlichen aus Stick- und Sauerstoff. 空気は主に窒素と酸素からなって
いる︱Jedes Bier ist im Geschmack verschieden. どのビールも味が違っている︱Die Eltern sind uneinig
in der Meinung. 父兄たちは意見がまちまちである︱ Zwei Wurzeln kann man nur dann multiplizieren
oder dividieren, wenn sie im Exponenten übereinstimmen. 二つの根は,指数が同じ場合にのみ割った
り掛けたりすることができる︱ Das Prädikatsnomen richtet sich im Genus wie im Numerus und Kasus
nach dem Subjekt. 述語名詞の性数格は主語によって決まる︱Als Diogenes einst einen Knaben aus der
Hand trinken sah, soll er seinen hölzernen Becher aus dem Ranzen genommen und ihn mit den Worten "Ein
Kind hat mich in der Genügsamkeit geschlagen" weggeschleudert haben. (Wolf u. Schweizer) かつて
Diogenes は,一人の少年が手で水をすくって飲むのを見たとき,ずた袋の中から木製の杯を取り出
して,
「わしは無慾活澹の競争で子供に負けたわい」と言いながら,これを捨てたという︱Wenn der
Morgendunst sich verzogen hatte, sah ich den Steinadler reglos in der klaren Luft stehen, den Räuber mit
neidenswerten Augen, herrlich im Niederstoß und königlich im Aufflug. (Thieß) 朝霞があがると,
清く澄
んだ空中に大鷲が羽根をひろげて凝と浮かんでいるのが見えた。大鷲は,羨ましいほど立派な眼を
した猛禽で,急転直下,襲い来たるや颯爽,飛び去るや悠々たるものがある︱ Wenn schon im Umriß
mehr oder weniger sämtlich einförmig, weichen nämlich die Schädel voneinander in Länge und Breite doch
beträchtlich ab. (Heilbronn) というのは,いったい人間の頭蓋は,輸廓においてはいずれも多少卵形
をしているにかかわらず,長さと幅では各々相当のひらきを見せている︱... als er aber die Stufen des
Thrones erstieg, sank er immer tiefer im Werte; man konnte von ihm sagen: er ist die rote Treppe hinaufgefallen.
(Heine) ...ところが,いよいよ玉座の階段に足をかけて登極すると同時に,沽券の方はガタ落ちの
状態に陥入った。紫金のきざはしを下から上へ転落したというのが此の人の身の上である︱Bis jetzt
58
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
hab' ich den ungeheuren Quader ohne Menschenhilfe gewälzt; hart am Ziel soll mich der schlechteste Kerl in
der Rundung beschämen? (Schiller) おれはただ今まで此の巨大な石材を誰の力をも借りず此の腕一
つで山の上まで転がし上げて来たんだ。今ひと息と云う所で根負けして,そのへんの大馬鹿野郎に
画竜点睛のお手本を示されて男を下げるなんてことが出来ますかッてんだ︱Jeder suchte den andern
in Emsigkeit zu übertreffen. (Tieck) みんなが競って一生懸命になった︱ Chaucers "Canterburysche
Erzählungen" sind in Anlage und zum Teil auch im Inhalte Nachbildungen von Boccaccio's Decamerone.
(Weber) チョーサーのカンタベリー物語は,構想に於ても,また一部は内容の点でも,ボッカッ
チョの十日物語の模倣である︱ Nur in Entwürfen bist du tapfer, feig / In Taten? (Schiller) あなたは,
ただ計画ばかりが御勇敢で,
実行になると急に怖じ気づくのですか?︱im Grundsatz (= grundsätzlich)
原則として︱ in der Theorie (= theoretisch) 理論的には ♥
前項の「従事方面の in」は,その能力を評価したり,他と比較したりする場合には,この「見地
の in」として現れる。
♥「見地」の表現には,
「見地の
an」,
「見地の nach, hinsichtlich, in Hinsicht auf, in Ansehung des, in (mit)
Rücksicht auf」など多くの前置詞があるが,名詞が不定形名詞の場合は「見地の in」に限る。
♥
in の後の名詞は原則として定冠詞を伴う。
♥「見地の
an」との違いは,in が「領域」または「従事方面」の含みをもった見地であるのに対し,
an は「性質」,「具有性」の含みをもっている。
♥「見地」を表す文肢は,とかく動詞と一体となって一つのまとまった観念をなすことが多い。例え
ば jemanden in seiner Arbeit stören は,stören の側から考えると,
「stören という動詞が in を支配す
る」という関係になってくる。
【冠詞 I: S. 793-794, 947-954, 962-966; 文例集 (82) 前置の in: S. 24-51】
④ 局限化の in 【3 格】(「見地の in」の一種)
●
見地をある一部分に限定する。
Die Diktatur ist in ihrem Prinzip kulturfeindlich. 独裁政治はその根本精神が反文化的である︱Er ist in
seiner Gesinnung kleinbürgerlich. 彼はその了見においてプチブル的である︱ Seine Ausführung ist in
ihrem Ausgangspunkt verfehlt. 彼の論述は出発点が間違っている︱ Der Krieg ist vor allem in seinen
Folgen furchtbar. 戦争は何よりもその後が恐ろしい︱ Die tierische Zelle ist in ihrem Aufbau von der
Pflanzenzelle wesentlich unterschieden. 動物細胞はその構造が植物細胞とは本質的に相違している︱
Nicht jeder kann diese Philosophie in ihrer ganzen Tiefe erfassen. この哲学がどんなに深遠であるかと
いうことは,必ずしも誰もが把捉できるわけではない︱ Wollt ihr diese Vorschriften in ihrer ganzen
Strenge befolgen? 諸君はこのクソやかましい規則を文字通り守ろうというのか?︱Nichts soll mich
59
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
in meinem Vorsatz wankend machen ! (Keller)「何ものも私の決意をぐらつかせるものではない」︱Die
Magensenkung stört die Leber in ihrer Funktion.「胃下垂は肝臓の機能をそこなう」︱ Es liegt hier eine
Schizophrenie im Anfangsstadium vor.「これは精神病の初期段階である」︱ Jeden in seiner Eigenart
zu verstehen und ihm gerecht zu werden, das ist seine Art und seine Freude gewesen.「誰でも,その個性に
おいて理解し,正当に評価すること,それが彼のやり方であり,喜びであった」
♥「局限化の
in」は「一つの見地に局限する」という意味で,前項の「見地の in」の一種である。
♥
主語をそのまま繰り返す所有冠詞が入るのが普通。
♥
in の次に来る名詞は,先に立つ主語,または 4 格名詞の概念を,いずれかの「一部分」に局限す
るか(Seine Ausführung ist in ihrem Ausgangspunkt verfehlt.),またはその「一性質」に限る(Wir
haben die Weltkrise in ihrer ganzen Schärfe erfahren.)。
♥
in の句とそれが関係する語との間は,2格を使って表現することができる: Die Diktatur ist in ihrem
Prinzip kulturfeindlich. = Das Prinzip der Diktatur ist kulturfeindlich.
【冠詞 I: S. 969-970; 和文独訳の実際: S. 71-74; 文例集 (29) 前置詞: S. 586-600】
⑤ 進行過程の in 【3 格】
●
ドイツ語には英語のような進行形がないが,自動詞の場合には「進行過程の in」と不定形名詞と
によって同じことが表現できることが多い。この場合,不定形名詞には定冠詞がついて im とな
る。
Sie liegt im Sterben. 彼女は死にかかっている︱Der Feind ist im Vordringen. 敵はどんどん進出しつ
つある︱Ein neues Werk ist im Werden. 新製品ができあがりつつある︱Das Wasser ist jetzt im Sieden.
水は今や沸騰しつつある︱ Das Wetter ist stets im Wechseln. 天気は常に変わりつつある︱ Er grüßte
mich im Vorrübergehen. かれは通りすがりに私に会釈した︱Im Reden stieg meine Begeisterung. 喋っ
ているうちに私は夢中になってしまった︱ Er saß lange im Nachsinnen da. かれは長らく考え込ん
だまま腰をおろしていた︱I m Weggehen sagte er mir etwas Wichtiges. 出かける間際にかれは私に重
要なことを言った︱ Ich bin nun einmal im Erzählen. どうせこうして話しはじめた以上はついでだ
♥「進行過程の
in」は,
「従事方面の in」と一致する場合がある: Ich will niemanden in der Ausführung
seiner guten Vorsätze hindern. (Sudermann) 私は他人が殊勝な心掛けを実行するのを妨げようとは
思わない
♥
厳密な「進行過程」の表現には im ... begriffen を用いる。
♥
動詞の意味がすでに進行的,あるいは状態的の場合は in を用いる必要はない。He is dying. は Er
liegt im Sterben. 以外に,単に Er stirbt. でよい。また動詞付加的・副詞的な場合には現在分詞も
可: Er stand im Nachsinnen. = Er stand nachsinnend.
60
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
【冠詞 I: S. 795-796, 849-852, 968-969】
⑥ 付帯描写の in 【3 格】
●
主体の一部をなしている「属性」,「特色」,「性質」を描写する
Sie in Ihrer mehr äußerlichen Art werden nichts Rechtes zustande bringen. あなたのやり方はどっちか
というと形式的で,
それでは到底ろくなことはできませんよ︱"Wir kommen, Ihnen in Ihrer Einsamkeit
die Zeit kürzen zu helfen," sagten die Abderiten. –– "Ich pflege in meiner eigenen Gesellschaft sehr kurze Zeit
zu haben," sagte Demokritus. (Wieland) 『あなたは,見たところ一向お話し相手もおありにならない
ようですから,少しでもお退屈しのぎにでもなればと思って出かけてまいりました』とアブデラ市
の人たちは言った。––『私は,話し相手といえば自分一人が話し相手ですが,退屈はもう十分しの
げております』とデモクリトスは言った︱ Die bisherige Methodologie hat sich bemüht, die Kunstregeln
des Denkens in ihrer Vollständigkeit zu sammeln und systematisch zu verarbeiten. Nicht so bei vorliegendem
Werke. 従来の方法論は,思惟の定則を網羅するごとく蒐集し,それに系統的な加工を施そうと努
めてきた。本書は違う︱ Auf ihn machte diese Mitteilung in ihrer Einfachheit einen tiefen Eindruck. こ
の報告は,すこぶるあっさりしていて,彼にはとにかく非常に深い印象を与えた︱ Das vorige
Jahrhundert in seinem Idealismus sah die Welt aus der Vogelperspektive an; dieses in seinem Spezialismus
sieht sie aus der Froschperspektive an; hoffentlich wird das nächste in seinem Individualismus sie aus der für
den Menschen einzig berechtigen: nämlich aus der menschlichen Perspektive ansehen. (Langbehn) 前世紀
は理想主義の時代であったので,人生を鳥瞰していた。今世紀は専門主義の時代だから,人生を蛙
仰している。来世紀は願わくば個性主義の時代となって,人間として至当なる唯一の観方,すなわ
ち人生を人観することになりたいものだ︱Das deutsche Volk in seiner geradezu unglaublichen Zähigikeit
und Ausdauer überwand nach der Niederlage auch diesen Schock. (Zeitung) 「ドイツ国民はそのまさに信
じがたいほどのねばり強さ,そして忍耐力をもって,敗戦の後もこのショックを克服したのである」
︱
Es ist kaum anzunehmen, daß die Pyramide in ihren gewaltigen Ausmaßen nur dem Zweck dienlich sein
sollte, eine Grabkammer für einen König zu beherbergen.「巨大な規模をもつピラミッドがただ,一人の
王の墓室のためという目的のためだけであったというのは,ほとんど考えられないことである」︱
Gefährlich ist's, den Leu zu wecken, / Verderblich ist des Tigers Zahn; / Jedoch der schrecklichste der Schrecken /
Das ist der Mensch in seinem Wahn. 「ライオンを起こすのは危険である / 虎の歯は破滅をもたらす /
しかし恐怖のうちでもっともおそろしいもの / それは狂気をもった人間だ」︱ das Kind in seiner
ahnungslosen Unschuld 小児とその頑是なき無邪気さ︱er in seiner mehr gelehrtenhaften Art あの人
はどっちかというと学者肌の人で
♥「付帯描写の
in」は,直前の名詞を受ける所有冠詞 (sein, ihr など) を伴うのが原則である。
♥「付帯描写の
in」で導かれる句は,たいていの場合名詞付加的 (adnominal) である。
61
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
♥「付帯描写の
in」で表される関係は,空間的関係で表そうとすると,
「ちょっとどう言って良いか
分からない」ほど,主体の一部をなしている「属性」である。
♥「付帯描写の in」は,④
の「局限化の in」,あるいは「主観的原因を表す in」に近づこうとする
傾向がある。
♥「付帯描写の
in」は,
「具性描写の in」とも呼ばれる(独作文教程: S. 423)。
♥「付帯描写の
in」は,「性格描写の in」とも呼ばれる(冠詞 I: S. 234)
。 【冠詞 I: S. 969-970, 234-235; ドイツ語前置詞の研究: S. 45-59; 独作文教程: S. 423-425; 文例集 (80) in:
S. 224-230】
⑦ 結果の in, 結果挙述の in 【4 格】
●
動詞によって示された動作が行われた後にはじめて生まれ出る「結果」をあらわす。ある動作の
結果としてできあがる状態を表す。
Die einzelnen Arbeitseinstellungen gehen in einen Gesamtstreik über.「あっちこっちでストライキ騒ぎ
をしていたのが,段々と一斉ストライキに移っていく」︱ Zwischen zwei wahrhaften Gegensätzen ist
in alle Ewigkeit hinaus keine Vermittlung möglich. Die wahre Vermittlung ist die Auflösung der Gegensätze in
ein höheres Drittes. 真に相反する二つの事柄の間には未来永劫にわたっていかなる調停も不可能で
ある。
真の調停はこの対立を解いて以て一段高き第三のものに変えることでなければならない︱ Die
ganze Fabrik war im Nu in hunderttausend Stücke zerflogen. 全工場は見る見るうちに木葉徴塵となつ
て飛散した︱ Er versteht die teuflische Kunst, Feinde in Freunde umzukrempeln. かれはまるで着物を
裏返すように敵を変じて味方にするという悪辣な腕前を持っている︱Die häßlichen Raupen verwandeln
sich in Schmetterlinge und Falter. みにくい芋虫が一変しては蝶となり蛾となる︱Jetzt wollen wir das
Gesagte in eine Definition zusammenfassen. では今まで申し述べた所を要約して定義を作つてみましょ
う︱ In einen Strauß gebunden, sehen auch die Feldblumen sehr schön aus. 束ねて花束にすると野の草
花も非常に美しく見える︱Das Rampenlicht verzaubert Lumpen und Fetzen in kostbare Gewänder. フッ
トライトは不思議な魔力でボロをも錦と見せる︱ Der anfängliche Eifer artet schließlich in eine flaue
Schlenderei aus. 最初の熱心が段々とだらけて遂にずるずるべったりになつてしまう︱ Zwei gerade
Linien, welche zwei Punkte gemein haben, fallen in eine zusammen. 共通の二点を持つ二個の直線は合
致して一個の直線となる︱Er hat nur den wohlbekannten, alten Stoff in eine moderne Form umgegossen.
彼はよく知れている古い題材を現代的な形式に焼き直したに過ぎない︱Auf ihrem höchsten Gipfel geht
Philosophie in Religion, Religion in Philosophie über. 最後の所へ行くと,哲学も宗教に,宗教も哲学
に移っていく︱ich fing an, die Geschichte des jungen Mannes weniger anziehend zu finden, weil sie mir in
eine gewöhnliche Liebesgeschichte auszuarten schien. (Hauff)「私は,その若い男の話すことが,普通
の好いた惚れたの話になっていってしまうようだったので,それほど魅力的なものと思わなくなり
62
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
始めていた」︱ Jede Diagonale teilt ein Parallelogramm in zwei kongruente Dreiecke.「二本の対角線は
それぞれ,平行四辺形を二つの合同の三角形に分割する」︱ Läßt man Sonnenlicht auf ein Glasprisma
fallen, so wird es nach seinem Durchgange in ein farbiges Band, das Spektrum zerlegt. (J. B. Messerschmidt)
太陽光線をプリズムにあてると,それはプリズムを通過した後で色彩のついた帯,すなわちスペク
トルに分解される」︱Man kann unter bestimmten Verhältnissen Kochsalz durch den elektrischen Strom in
metallisches Natrium und Chlor zerlegen. 「一定の条件のもとで食塩は,電流を通すことによってナ
トリウムと塩素に分解することができる」︱ Die Speicheldrüsen produzieren das Ptyalin, das die Stärke
in Traubenzucker überführt. 「唾液腺は,澱粉をブドウ糖に変えるプティアリンを作り出す」︱ Er
versteht es, sein Können (seine Beliebtheit) in klingende Münze umzusetzen. (Duden)「彼は自分の能力
(人気)をお金に変えるすべを心得ている」︱Der schwedische Naturforscher Linné ordnete vor über 200
Jahren alle lebenden Wesen nach ihren verwandtschaftlichen Beziehungen in ein System.「スウェーデンの
生物学者リンネは,200 年以上も前にすべての生物をその親縁関係にしたがってひとつの体系に整
理した」
♥「結果の
in」とともに用いられる動詞は,
「意味」はそれぞれ違っても,
「意味の型」は machen ま
たは werden である。
♥「結果の
zu」と同じ用法である。ただし: 1) in は,変化する「経過」と「移り行き」をじょじょ
に進んでいく過程として表現するが,
zu は移り変わって到達した最後の状態におもに注目させる;
2) in は到達の目的がハッキリしないで,時には無限なることを思わせるが,zu は,到達すべき
ところに到達すればそれでハッキリと形がつくことを思わせる。
【和文独訳の実際: S. 65-67; 独作文教程: S. 451-453; 文例集 (83) 従事方面の in: S. 2-26】
⑧ 転化終結の in 【3 格,4 格】
in etwas enden「... の結果となる」︱ in etwas gipfeln「... で頂点に達する」︱ in etwas münden「... に
流入する」︱ beide Eltern vereinigten sich in der Zufriedenheit mit ihm. (Kleist: Der Findling)「両親は意
気投合して彼に満足した」︱und der in zwei gewirbelten Spitzen auslaufende schwarze Schnurrbart wirkte
nicht nur gefärbt, was er natürlich war, sondern zugleich auch wie angeklebt. (Th. Fontane)「そして二つの
グルグルと巻かれてとがった先っぽで終わっている黒い口ひげは,染めてあるような印象を与えた
だけでなく(もちろん染めてもあったのだが),同時にのりで貼りつけたように見えた」︱Hier endete
der Steilhang des Ufers in einer Hügelzunge, (Ernst Wiechert)「岸の急斜面はここでずっと伸びた丘に
なっていた」︱ Auch Comtes "positive" Soziologie endet also in einer Utopie. (Hans Freyer)「コントの
『実証的』社会学も,そういうわけで夢物語に終わっている」︱ Zwei Kasus fielen durch lautliche
Vorgänge in einer Form zusammen. (Karl Brugmann)「二つの格は音声上のプロセスによりひとつの形
となった」︱ Die beiden kurz von uns angedeuteten Richtungen der Vernunftphilosophie münden in der
63
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
Hegelschen Philosophie zusammen. (Georg Lasson)「簡単に触れた理性哲学の二つの傾向は,ヘーゲル
の哲学において一つになった」︱ Das Ergebnis läßt sich in drei Punkten zusammenfassen. (Zeitung)「結
果は 3 つの点に要約することができる」︱ Der ansteigende Gang hat an einem Punkt eine Abzweigung
in einen waagerecht verlaufenden Flur oder Korridor. (Willy Bischoff)「登りになっている通路は,ある
ところで水平に走る廊下あるいはホールへと分かれている」︱ Der Unwille brach zuletzt in ein
allgemeines Murren aus. (Schiller)「不機嫌はついには全員の不満となって爆発した」︱Plötzlich brach
er in ein konvulsivisches Gelächter aus. (Heyse)「突然彼はけいれん性の大笑いを発した」︱ Dieses
unerwartete Schauspiel zog die jungen Gemüter mit Gewalt an sich; besonders auf den Knaben machte es einen
sehr starken Eindruck, der in eine große langdauernde Wirkung nachklang. (Goethe)「この予期しなかっ
たお芝居は,若者たちの心を強烈に引きつけた。特に少年たちに強烈な印象を与えたが,その印象
は大きな長く続く効果となって心に残ったのだ」
♥
4 格支配は「運動型」であり,3 格の場合は「力が入る」:
4 格支配 3 格支配 【文例集 (28) 前置詞(一般)
: S. 76; 文例集 (83) 従事方面の in: S. 27-41, 42-53】
⑨ 展張方向の in 【4 格】
●「展張方向」とは,
「運動方向」
・「成長方向」
・
「拡大方向」・
「傾向」と言ってもよい。
「展張(sich
erstrecken, sich ausdehnen)」という概念は,この用法の一つの特殊な場合にすぎないが,この用法
全部に対して最も代表的なものである。
Die Zeit erstreckt sich sowohl in die Vergangenheit als auch in die Zukunft. 時間は過去の方に向かって延
びていると同時にまた未来の方にむかっても無限である︱ Die Kurve der Lebensmittelpreise geht steil
in die Höhe. (Zeitung) 食料品の価格曲線ははね上る︱Ade nun, ihr Berge, / du väterlich Haus! / Es treibt
in die Ferne / Mich mächtig hinaus. (Justinus Kerner) 故郷の山よ,いざさらば,/ わが生れ屋よ,いざ
さらば,/ 動きてやまぬ旅心,/ 牽かるるままに出で立つわれ︱ Ich schweife mit meinem Blick in die
Runde. (Goethe) 私は彼方此方と周囲を見渡した︱ Es war ausgemacht worden, daß jeder in die Runde
seinem Liebchen mit einem kleinen, improvisierten Liedchen zutrinken solle. (Eichendorff) みんな,順々
に立って,自分の愛人に向かって何かちょっとした即興の小唄を歌って乾杯するということに話が
きまっていた︱ Das Gesicht des Oberförsters zog sich in die Länge. (Ebner-Eschenbach) 林野局長さん
の顔は見る見るたてに長くなつた︱ Darum so mache dich auf, und zeuch durch das Land in die Länge
und Breite; denn dir will ich's geben. (1. Mose 13, 17) されば汝等出で行きて彼の地を縦横に跋渉すべ
64
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
し。われ之れを汝等に与えんと欲す︱ Viele waren mächtig in die Länge geschossen, sehr auf Unkosten
der Breite. (Hesse) かなり多くの者は,横の分まで縦に伸びたものと見えて,ひどく背が高くなっ
てしまっていた︱ Der Doktor ging immer mehr in die Breite, und fast schien es, als ob er kleiner würde.
(Ebner-Eschenbach) 博士殿はだんだんと横に背が伸び,縦の方は殆んど縮んで行くのではないかと
さえ思われた︱Lies viel, nicht vielerlei, d. h. mehr in die Tiefe als in die Breite. (Zeitung) 多く読め,多
くの物を読むな,というのはつまり,広く読むよりはむしろ深く読めということである︱ ... sein
Körper war noch so groß, als vor sieben Jahren, da er zwölf Jahre alt war, aber wenn andere vom zwölften bis
ins zwanzigste in die Länge wachsen, so wuchs er in die Breite. (Hauff) ... かれの身体は,かれがまだ十
二歳であった当時と同じ位の大きさであったが,他の者は十二歳から二十歳にかけて上下に伸びた
のに,かれは前後左右に延びてしまったのである︱Der Angeklagte steht da wie hergeweht. Aus welcher
Richtung man ihn auch betrachtet, er neigt sich beängstigend in die Schräge. (Zeitung) 被告は,まるで風
のまにまに吹き寄せられてやって来たような恰好に見える。どっちの側から眺めても,今にも倒れ
そうに傾いた姿だ︱"Ich werfe!" Mit einem Ruck löst sich die Last. Wir gehen in die Kurve zur Beobachtung
und fliegen unser Ziel von neuem an. (Zeitung) " 投下! " 機を一揺り揺って爆弾は機体をはなれる。
それから着弾観測のために旋回,次いで再び目標に向う︱ Die Bäurin konnte nicht ins Klare kommen,
was das Gerede in die Kreuz und in die Quere bedeuten solle. (Jeremias Gotthelf) いったい何のためにコ
ウ話が縦横十文字にガヤガヤと乱れ飛ぶのか,百姓のおかみさんには全然腑に落ちなかった︱ ...
einige Episoden hätten kürzer sein können und das Detail war manchmal etwas zu üppig ins Kraut geschossen.
(Spielhagen) ... そのうちの二,三の挿話は少し冗漫にすぎ,時として細部があんまり詳しく発展し
すぎる嫌いがあった
♥「展張方向の
in」は,具体的な in die Höhe, in die Runde, ins Kreuz, ins Unendliche などの表象から出
立している。
♥
zum Stehen bringen「動きをとめる」と in Bewegung setzen「動かす」の違いに注目。zu は達すべ
き状態に達すればそれで一応けりがついて動作が一完結することを意味するが,
「in と 4 格」は,
その状態に達した後といえどもまだしばらく動作が継続され,
そこにまだ程度や激しさや方向や,
その他いろいろな複雑な要因が残ること,いわば方向としては無限に続くことを考える。つまり,
それから先が問題だ,ということを意味する。
♥「展張方向」とは,
「無限一方向運動」と言ってもよい。
♥「展張方向の
in」という広い意味形態にあっては,
「外部とか内部とか」いう考え方を離れ,ただ
「方向」と「勢い」の二つの Momente のみがその本質である。
♥「展張方向」も後出の「展張限度」も,in と 4 格の持つ指向性と運動惰性をさらに一層強く表現し
ようとして,句の最後(または最初)に hinein, hinaus がつけられることがある: Wir planen in das
Zukünftige hinaus.
♥「展張方向の in」
が修辞的贅句として用いられる場合: 無目標な展張方向の
in は,die Welt, das Land,
65
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
die Nacht, der Tag, die Luft, das Meer, das Feld, die Gegend, die Stille その他と結合して,
単にある動作
や状態の描写に修辞的指向性を与えて,その空間的あるいは時間的背景を生動せしめるための装
飾として用いられることが多い: Das Kind schaut gar unschuldig aus seinen kleinen Augen in die Welt
hinaus. その子は無邪気な目つきをしている︱ Die Glocken tönen dröhnend ins Land hinaus. 鐘の
音が殷々と響きわたる︱ Die Kinder wachsen und gedeihen munter ins Leben hinein. 子供たちが元
気良く育っていく
【冠詞 I: S. 801, 1001-1020; 文例集 (80) in: S. 168-182】
⑩ 激突急停止の in 【4 格】(「展張方向の in」の一種)
●「展張方向の
●
in」における「勢い」が,名詞によって示された物体に激突して急停止する場合。
まるで大きなものが小さなもの「の中へ」突入するように思われるが,この「...の中へ突入する」
という考え方は,ここでは適しない。
「突入」の「入」を捨てて,
「突」を採った考え方がすなわ
ち「展張方向の in」である。
Varus stürzte sich in sein Schwert. (Duden: "stürzen") Varus は剣に身を投じて自刃した︱Wenn Ajax in
sein Schwert fällt, so ist es die Last seines Körpers, die ihm den letzten Dienst erweiset. (Goethe) Ajax は剣
に身を刺して自刃したが,その際かれの介錯役を承わるのはとりもなおさず彼の体の重量である︱
Ich werfe mich ins Schwert! (Grabbe) 余は自刃するぞ ︱ ... noch einmal beugte er sich über den toten
Kleomenes, den geliebten Freund, und küßte die geliebten Lippen, und stürzte sich dann in sein Schwert.
(Heine) ... さらにもう一度,かれは親友 Kleomenes の亡骸の上に身をかがめ,なつかしの唇に口づ
けしたのち,おのが剣に身を刺して自刃したのである︱ ... es ist dann besser für dich, du öffnest dir die
Adern oder du stürzest dich in dein Schwert. (Sienkiewicz) ... そうなると,おまえとしては,むしろ動
脈を開くなり,剣に身を刺すなりして自害した方がよい︱ Er hätte den Bauern Hühner stehlen wollen,
und wäre erwischt. Auf der Flucht wäre Er in eine Sense gefallen, davon käme das kurze Bein. (Iffland) 君
は,なんでも,農家から鶏を盗み取ろうとして,つかまったと云うではないか。そして,逃げる最
中,倒れて鎌で怪我をし,そのために一方の足がびっこなのだと人は云っているぞ︱ Tot fiel sie ins
Küchenmesser, / Fritzchen war ihr letzter Hauch. (Wilhelm Busch) こけたら庖丁が刺さった,/ Fritzchen!
と云ったまま死んじゃった
♥「激突急停止の
in」の次におかれる名詞は,何でも,その急停止によって最も激しい衝撃をこうむ
る一部分でありさえすればよいので,空間的な論理は完全に無視される。
Er lief nach der Wohnstube. Die Sannel eilte nach, aber die Tür war hinter dem Schneider ins Schloß gefallen.
(O. Ludwig) かれは居間の方へと駈けて行った。Sannel はかれの後を追って馳せつけたが,時既
におそく,仕立屋先生,扉をピシャンと締めて彼女を入れなかった︱ Es kommt bei allen
66
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
Schlachtenentscheidungen darauf an, den Feind an seiner verwundbarsten Stelle so zu treffen, daß er unrettbar
in die Knie bricht. (Benary) 決戦の要諦は,敵の最も急所とするところを衝くことによって之れを
一敗地に塗れて再び起つ能わざらしめるにある︱Ewald Wiskotten warf trotzig den Kopf in den Nacken.
(R. Herzog) Ewald Wiskotten はふんぞり反ってツンとした︱Als ein rechter Bursch, der keinem Mädle
gegenüber blöd ist, warf sich der Hannes in die Brust und ging auf die Schwarzhaarige zu. (O. Ludwig) 女
の子ぐらいに怯気がついてはにかむような兄さんではない,とばかり,Hannes は大いに胸を張っ
て,颯爽と黒髪の彼女に近寄った︱ Da wurde er unruhig und legte sich gewaltig in die Riemen, ob er
den Deich nicht wieder erreichen könnte. (Frenssen) そこで彼は急に心配になって,力にまかせて漕
ぎ出し,
なんとかして土堤のところまで船を近づけようとした︱Er kam richtig in den Strom, achtete
genau darauf, daß die Lichter von Hilligenlei in der richtigen Stellung blieben und warf sich in die Ruder.
(ibid.) ちょうど思った通りの流れの場所に来たので,Hilligenlei の人家の灯が或る一定の関係に
見えるように注意しながら,力にまかせて漕ぎまくった︱Kurze Kommandos, da poltert auch schon
der erste Brecher der Brandung gegen den Bug. Hoch richtet sich das Boot auf, noch ein Brandungsbrecher,
noch einer und noch einer ––, Back- und Steuerbord nichts als weißer Gischt. Das ist die See, wie sie am
furchtbarsten ist. In die Riemen, Kameraden! und dann waren wir durch. (Zeitung 1938) 簡単な号令が
数度発せられる,するともう早速岸辺の浪の初くずれがドッと船首におっかぶさる。ボートは殆
んど垂直,するとまた崩れ浪,またもう一つ –– 右も左も真白な泡で眼も昏むばかり。海は此処
が親知らずの難所だ。" さあ漕いだ!" –– 漕いだの漕がんの,そうしてやっと激浪を乗り切ったの
であった︱Und seiner gesprengten Fesseln sich freuend, ließ er ein Jodeln ertönen, daß seine Kühe in den
Bahren [= in die Raufen] fuhren, die Pferde in die Zügel schossen, die Katze von dem Ofen sprang, der
Hund aus seinem Stalle kroch. (J. Gotthelf) 鎖を破って自由の身となった嬉しさのあまり,かれは
思わず声あげて Jodler を奴鳴ったので,牛はびっくりしてまぐさ槽の横木に鼻をぶっつけ,馬は
あわてて駈け出しそうになって轡を噛み,猫は暖炉から下へ飛び降り,犬は犬小屋からはい出し
て来た︱ Der lahme Schuster Hagel kam auf seinem Tretwagen vorüber: "Eine Million!" schrie er, und
warf sich mit Macht in die Speisen. (Frenssen) するとちょうどびっこの靴屋の Hagel が足踏み車を
踏んで傍を通りかかり," 百万円だ!" と怒鳴りさま,勢い込んで頬張りはじめた︱ "Fertig?" fragte
der Fluglehrer. / "Fertig!" / Die Starter legten sich schwer in das Seil. Wie junge Pferde, die zum erstenmal
angeschirrt sind, stampften sie los. Sie keuchten und feuerten sich gegenseitig durch Zuruf an. Die beiden
am Schwanzende konnten sich kaum halten ... / "Los!" (Zeitung) " 用意はできたか? " と飛行教官が
訊いた。/ " できました!" / 綱を引く連中は力の限り綱を引いて駈けはじめた。まるで初めて車を
曳く馬のように我武者羅に駈ける。息を切らしながら,しかもお互いに掛け声をかけて励まし
合っている。尾の所を持って走る二人は段々と持ち切れなくなる ... / "よ一し!" ︱ Legt sich der
Zögling dauernd zu stark ins Halsband, muß ihm dies sehr lästige Ziehen mittels des Korallenhalsbandes
abgewöhnt werden. (Theodor Zell) 犬がどんなにしても索を張って駈け出そうとして仕様がなけれ
67
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
ば,このうるさい癖をやめさせるためには,突起のついた首輪を掛けるの外はない
【冠詞 I: S. 1002-1006; 文例集 (80) in: S. 184-192】
⑪ 傾向の in, 趨行の in 【4 格】(「展張方向の in」の一種)
●「展張方向の
in」の本質はその指向性と「勢い」とではあるが,その「勢い」が,必ずしも「激し
い勢い」ではなく,「趨向」,あるいは微妙な「傾向」になったもの。
●
in の次には形容詞から作る抽象名詞が来る。
●
in と4格の持つ指向性と運動惰性をさらに一層強く表現しようとして,句の最後(または最初)に
hinüber をつけることがある: Das Rot schießt (sticht, spielt) ins Grünliche hinüber. この赤は少し緑
に近寄って見える気味がある。
ein Blau, das Gott weiß wie ins Rötliche hinüberspielt どうも何となく赤の方に近寄って見える気味の
青︱ mit einem Zug ins Spöttische ちょっと皮肉味を帯びた調子で︱ mit leichtem Einschlag ins
Sentimentale やや感傷的な調子の織りこまれた︱Es ist mit dem Menschen wie mit dem Baume. Je mehr
er hinauf in die Höhe, ins Helle will, um so stärker streben seine Wurzeln erdwärts, abwärts, ins Dunkle, Tiefe.
(Nietzsche) 人の心は,喩えて云わば樹のごとし。高きを望み,明るきを志すにつれて,その根はい
よいよ地下に,下方に,暗きに,深きに向わざるべからず︱ Wir sehen heute nichts, das größer werden
will, wir ahnen, daß es immer noch abwärts, abwärts geht, ins Dürre, Gutmütigere, Klügere, Behaglichere,
Mittelmäßigere, Gleichgültigere, Chinesischere, Christlichere –– (Nietzsche) 現今ではもはや偉大にな
りそうなものと云っては何一つ眼に触れて来ない。凡てがまだ相も変らず低落転落の一路を辿りつ
つあることを感ずる。乾燥無味と,お人好さと,小ざかしさと,イージーゴーイングと,凡庸と,ナ
ンセンスと,中国式と,クリスチャン式に向って停止するところを知らず転落してゆくことを︱Wir
machen viel zu viel Veranstaltungen, um zu leben. Wir planen in das Zukünftige hinein, kehren dabei so vielen
Herrlichkeiten, uns nahe zur Hand, den Rücken. (Grüne Post) 我々は,生きるための下準備がそもそも
大袈裟すぎる。遠い将来に向って計画するのは好いが,すぐ手元にある沢山の好いことは弊履の如
く捨てて顧みないのである︱Denn indem man die Kinder für einen weiteren Kreis zu bilden gedenkt, treibt
man sie leicht ins Grenzenlose, ohne im Auge zu behalten, was denn eigentlich die innere Natur fordert.
(Goethe) 子供の視野を広くしてやるという教育は,
ややともすると彼等を無軌奔放なものにしてし
まう。そもそもかれらの内性が何を要求しているかということも考慮に入れなくてはなるまい︱
Jeder Fortschritt der Technik steigert den Reichtum der besitzenden Klasse ins Unangemessene, in schamlosem
Gegensatz zum Elend breiter Gesellschaftsteile. (Döblin) 技術の進歩はすべて所有階級の富を不当に増
進せしめるにすぎず,一方一般世間の大部分が塗炭の苦しみにあえいでいることを思えば,その対
称は言語道断である︱ Sozialismus nenne ich die Gesamtheit der Theorien, welche das Sozialprinzip ins
Extreme verfolgen, d. h. das Thema, daß der einzelne um des Ganzen willen da sei. (Diehl) 私は,社会原
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浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
則,すなわち個人は総体のために存在するに過ぎずという定則を徹底的に追いつめる学理学説の総
体を社会主義と呼びたい︱ Wird lediglich der letztere (= Verstand) geübt, indes der erstere (= Wille)
vernachlässigt bleibt, so entsteht nichts weiter, als eine Fertigkeit, ins unbedingt Leere hinaus zu grübeln und
zu klügeln. (Fichte) ただもっぱら後者(悟性)のみが働いて,前者(意志)が等閑に附せられるよ
うになると,其処から生ずるものは,全然無対象なる思惟の空転と詮索の遊戯を事とする頭の好さ
である︱Ich schieße nur mit meinem Urteil ins Blaue hinein. Treffe ich, so ist es gut; wo nicht, so ist an dem
Schuß nichts verloren. (Kleist) 私のこの推定はほんの盲撃である。まぐれ中ればそれでよし,はずれ
ても,射ったことに損はない︱ Wenn wir in Europa mit Hunderten von Kilometern rechnen, muß man im
Stillen Ozean in Tausenden denken. In diesem Meer, Pazifik genannt, steigern sich alle Maße ins Ungeheuerliche.
(Zeitung) こちらのヨーロッパでは高々何百キロメートルが問題になるにすぎないが,事太平洋と
もなれば千キロが単位である。太平洋と呼ばれる此の大海では,すべての寸法がとてもでっかいこ
とになって来るのだ︱Die Obrigkeit selbst hielt es ihrer Aufmerksamkeit nicht für unwürdig, den Künstler
mit Gewalt in seiner wahren Sphäre zu erhalten. Das Gesetz der Thebaner, welches ihm die Nachahmung ins
Schönere befahl und die Nachahmung ins Häßlichere bei Strafe verbot, ist bekannt. (Lessing) 当局も,た
とえ実力を行使しても芸術家をしてあくまでもその本分を恪守せしめるように対処することを,必
ずしも大人げない処置とは考えなかったらしい。芸術家は人体を美しく表現して見せるべきで,醜
く表現したものは刑罰に処する , ということに決めた Thebae 市の法律は周知の通りである
【冠詞 I: S. 1011-1016; 文例集 (80) in: S. 149-162】
⑫ 経過遷延の in 【4 格】(「展張方向の in」の一種)
●
時間の経過を表す。
(時間の経過は,およそ無目標な指向性の典型的な場合とも言うべきものであ
るから,終止点を考えない「展張方向の in」で表現するには最も適している)
Schon in den sechsten Mond liegt er im Turm / Und harret auf den Richterspruch vergebens. (Schiller) 牢に
投ぜられてからもはや六ヶ月にもなり,なおいまだに判決の沙汰もございません︱ Ins zweite Jahr
schon schleicht die Unterhandlung. (Schiller) 交渉は荏苒として長引き,
これでもう二年目になる︱Das
Wetter dauerte jetzt in den dritten Tag. (Storm) こんな天気になってからこれでもはや三日目である︱
Hierzu kam noch die langweilige Belagerung des Kapitols, vor dem sie nun schon in den siebenten Monat
untätig lagen. (Plutarch) かてて加えてカピトールの丘の包囲戦が気の長い話で,睨み合ったままこ
れでいよいよ七ヶ月目となっていた︱ Georg hatte vielleicht lange gearbeitet und schlief nun in den
Vormittag hinein. Er wollte ihn ohne dringenden Grund nicht stören. (Kapeller) Georg は夜おそくまで仕
事をしたらしく,今日は朝寝をしていた。だからかれは,よほどさしせまった用事でもないかぎり,
起したくなかった︱Der Marquis, sein Vater, in dessen Hotel er gebracht ward, rief, da seine Wiederherstellung
sich in die Länge zog, Ärzte aus allen Gegenden Italiens herbei, (Kleist) かれは父公爵の邸に運び込まれ
69
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
たが,公爵は,かれの回復が長引くのを見て,イタリアの各地から医師を召し寄せた
●
特に in den Tag hinein(その他 in den Augenblick hinein ほか)という句だけは特殊な意味を帯び
て,いわば「大した考えもなく」
(gedankenlos),
「ぼんやりと」
(vor sich hin),
「ふらふらと」,
「浮
ついた調子で」,「無我夢中で」,「無計画に」などの意味になる。
JULIANE : Was meinst du damit? / HENRIETTE : Muß man denn immer etwas meinen? Du weißt ja wohl,
Henriette schwatzt gerne in den Tag hinein, und sie erstaunt allezeit selber, wenn sie von ohngefähr ein Pünktchen
trifft, welches das Pünktchen ist, das man nicht gerne treffen lassen möchte. (Lessing) JULIANE: それはど
う云う意味で仰言るの? / HENRIETTE: どう云う意味なんて,そんな事をいちいち考えていたら,
口が利けなくなっちゃうわ。私は別に何も考えずに喋舌るのが好きなの。何も考えずに喋舌ってい
るうちに,壷にはまった事を言っちゃうと自分でもビックリしちゃうんですよ。殊に其の壷という
のが,はまっちゃあ不可なかった壷だったりすると,なおさらよ︱ Und so verschloß ich mich früh in
mir selbst und gelangte bald zu einer vorzeitigen, altklugen Resignation, in der ich mich endlich fast behaglich
fühlte, zumal ich wohl bemerkte, daß ich dadurch über gewisse Täuschungen und kindische Leiden
hinausgehoben wurde, die der ganz naiven, in den Tag hinein lachenden Jugend nicht erspart bleiben. (Heyse)
と云ったようなわけで私は早いうちに私自身の中へ引っ込んでしまって,そのうちやがて,年の割
にしてはとてもませた大悟徹底の心境に辿りつき,ついには其の心境が気に入り出した。というの
は,普通の純情な,大した考えもなく笑って暮している若い者達の陥り勝ちな或種の幻滅と幼稚な
悩みをそれによって超越することが出来ることに気がついたからである︱Und an dem Exempel da kann
Sie's ersehen, daß der liebe Gott die Welt nicht so in den Tag hinein hat erschaffen, sondern hat sich was dabei
gedacht, warum er reiche Leut' und arme Leut' hat erschaffen. (Luidwig) 此の例に徴しても明らかである
ごとく,神様は此の世の中を決して何の考えもなくお創り遊ばしたのではなく,それぞれちゃんと
何かわけがあって金持と貧乏人とをお創りになったのだ︱ Man giebt die Herzen jetzt nicht mehr so in
den Tag hinein weg. (Lessing) 今日ではモウ,大した考えもなく男の人に惚れるなんていうことは
流行りませんよ︱ Wer immer für den Tag arbeitet, ist es bei dem nicht auch natürlich, daß er in den Tag
hineinlebt? その日稼ぎをしていると,考え方までその日暮らしになるのは,こりゃまことに無理も
ないことですよ
【文例集 (80) in: S. 198-203, 204; 冠詞 I: S. 1017-1020】
⑬ 展張限度の [bis] in 【4 格】
●
上記の「展張『方向』の in」は,徐々に「... に至るまでも」という「展張『限度』の [bis] in」へ
と移行して行く。
●
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そのもっとも典型的な場合が in die Huderte gehen「数百におよぶ」,in die Tausende gehen「数千に
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
およぶ」という成句である。数名詞の複数形を用いて,しかも必ず定冠詞を伴うのが特徴。
Sie verlangten ungeheure Summen, die mindestens in Zehntausende gingen. (Zeitung) かれらは,すくな
くとも数万マルクに達する巨額を要求した︱In der amerikanischen Großstädten dagegen gehen die Zahlen
hoch in die Hunderttausende. (Zeitung) それに反して,アメリカの大都市では,無慮数十万という
数字を示している︱ Die Unterzeichnung jener Riesenschecks, die in die Milliarden gehen, steht
verständlicherweise noch aus. (Zeitung) 数十億マルクにも及ぶと言われるこの巨額の小切手の署名が
いまだもって行われていないのは無理もないことである︱Die Gesammtsumme der vom thermidorischen
Rückschritt Vernichteten genau oder auch nur annähernd genau anzugeben, ist keine Möglichkeit vorhanden.
In der Provence allein belief sie sich in die Tausende. (Joh. Scherr) テルミドール反革命の際に殺された
者の総数を詳細に,否,たとえその近似数をすら挙げることは到底できた話ではない。プロヴァン
ス地方だけでも数千に及んだ︱ Wenn auch die neugeborenen Kinder nicht allzu teuer waren, –– aus einem
besonderen Fall erfährt man, daß der Mutter etwa fünfzehn Francs für ihr Kind bezahlt wurde, –– so verlangten
die Arrangeure doch um so größere Summen: Beträge, die wenigstens in die Tausende gingen. (Fuchs) 産児
の相場そのものは別にそう大したものではなくても –– ある特殊な一例について見ると,産児一人
を売って 15 フランの支払いを受けた母親の例がある –– 世話人は相当の額を要求した。少なくとも
数千フランに達する額だったらしい
●「展張限度の
[bis] in」の次には,とにかく「領域」として考えられる名詞(したがって定冠詞)が
要求される。以下の形容詞の中性名詞化は,
「域」を考え,
「世界」を脳裏に描いて用いられてい
る。
Die Gerichtsakten vermehren sich [bis] ins Unermeßliche. 裁判書類はほとんど数えきれないほど膨大
になる︱ Die Spannung wächst mit der Zeit [bis] ins Unerträgliche. 緊張は時と共に耐え難きほどの程
度に達する︱Die Unordnung um ihn her wuchs [bis] ins Erschreckende. かれの身辺の乱脈は恐る可き
状態にまで増大した︱Die Gefahren der Nationalisten stiegen [bis] ins Beängstigende. 国粋主義の危険
は相当憂慮すべき状態に達した︱ Er übertreibt die Wirkung des Mittels [bis] ins Grenzenlose. かれは
この薬剤の効き目を無際限に誇示する︱ Die Kindererziehung darf sich nie ins Kleine und Äußerliche
verlieren. 子供の教育は,あまり細かな外形的な問題にこだわってはいけない︱ Sein Pessimismus
versteigt sich geradezu [bis] ins Krankenhafte. かれの悲観論も,こうなるとむしろ病人じみて来る︱
Seine Eifersucht verläuft sich nachgerade [bis] ins Absurde. かれの嫉妬も,こうなるとモウむちゃく
ちゃだ︱ Die Geschäfte häufen sich bei mir direkt [bis] ins Schwindelerregende. 私は,仕事がたくきん
重なって,ほとんど目が廻りそうです︱ Die lage hat sich plötzlich bis ins Atemraubende verschärft. 局面がたちまち重大化して手に汗にぎらせる状態となった
●「展張限度の
[bis] in」は,必ずしも数名詞と中性名詞化形容詞だけと用いられるとは限らない。一
71
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
般に「... に至るまでも」の意味でいかなる種類の名詞とも結合し,時とすると bis zu ... と何の差
もないことがある。
So ging das Leben Kants durchgängig wie das regelmäßigste aller Zeitwörter; alles war überlegt, durchdacht,
nach Regeln und Maximen bestimmt und festgesetzt, bis in die kleinsten Umstände, bis in den täglichen
Küchenzettel, bis in die Farbe jedes einzelnen Stücks seiner Kleidung. (Fischer) かくのごとく Kant の日
常生活は最も規則正しい規則動詞のごとく規則的であった。諸事万端が最も些細な点に至るまで,
そ
の日その日の献立表,衣類の一つ一つの色彩に至るまで,すべて予めよく考慮され,考え尽され,規
律と信条とに従って決定確立されていたのである︱So vereinigen sich alle Charakterzüge Kants, denen
wir absichtlich bis in ihre geringfügigen Äußerungen nachgegangen sind, zu einer seltenen und wahrhaft
klassischen Übereinstimmung: der tiefe Denker und der einfache schlichte Mensch! (ibidem) カントの人格
の,一見何でもないつまらない現われ方に至るまで詳しく取り上げて来たのには大いにわけがある,
というのは即ち,かれの凡ての性格特徴は翕然として古来稀に見る,真に模範的な一致,即ち深き
哲人と素朴単純なる一私人との一致へと集成しているからである︱Die beiden Grundzüge, welche den
Charakter Kants bis in seine Einzelheiten hinein ausprägen ... (ibidem) 零細な事柄に至るまでカントの
性格を特徴づけている所の此の二つの基本的な点は ...︱ Dort lautet es, mit dem jugendlichen Lyrismus
der "Geburt", aber fast bis in den Wortlaut hinein identisch: (Bertram) 其処には,もちろん悲劇の誕生を
書いた当時のような抒情調ではあるが,しかし用語にいたるまでほとんど全然同じ用語でこういう
風に書いている: ︱Denn trotz aller Abneigung dagegen war er bis in die Abschweifungen hinein methodisch.
(Zeitung) というのは,そういう事が頭っから嫌いであったくせに,かれは殆ど行き過ぎとも思わ
れるほど系統的であった
♥
上記の「⑫ 経過遷延の in」が bis をともなうことにより,
「展張方向」は「展張限度」へと移行
していく。
Am 14. Oktober anno domini 1806 braute bis in den Vormittag hinein ein häßlicher Nebel. (Bleibetreu) 千
八百六年の十月十四日は,なんだか厭な霧が立ちこめて,午前に入っても晴れやらぬ日であった︱
Hernach schlief ich sehr ruhig und bis in den hellen Tag hinein. (Heyse) それがすむと私はぐっすり安
眠して,すっかり明るくなってもまだ起きなかった︱ Man vergleiche z. B. die englische
Fabrikgesetzgebung unsrer Zeit mit den englischen Arbeitsstatuten vom 14. bis tief in die Mitte des 18.
Jahrhunderts. (Karl Marx)たとえば現代の英国の工場法と,十四世紀から初まってずっと十八世紀
の半ばにまで及ぶ労働法規とを比較して見るが好い︱ Die Abstimmungen zogen sich noch bis in die
späten Abendstunden hinein. (Zeitung) 票決はなお深更にまでも及んだ
♥「展張限度」も上記の「展張方向」同様,in
と 4格の持つ指向性と運動惰性をさらに一層強く表現
しようとして,句の最後(または最初)に hinein, hinaus がつけられることがある。
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浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
【冠詞 I: S. 1014, 1017-1018, 1035-1042】
⑭ 着用・装身の in 【3 格,4 格】
●
tragen(
「身につけている」)の意味。
eine Dame im Grün「緑色の服を着た婦人」︱ ein Mann in groben Stiefeln「ごつい長靴をはいた男」︱
ein Herr in Hut und Stock「帽子をかぶりステッキを手にした紳士」︱ Männer in Hemdärmeln 上着
を脱いだ姿の男たち︱ ein Greis in grauem Vollbart「顔一面に白髪まじりのひげを生やした老人」︱
in weißem Gewand「白い服を着て」︱ Er ist in Zylinder und Gehrock.「彼はシルクハットをかぶり,
フロックコートを着ている」︱ Der alte Wittig, ein grauhaariger Schmied, ohne Mütze, in Schurzfell und
Holzpantinen, rußig, wie er aus der Werkstatt kommt, ist eingetreten. (Hauptmann)「白髪頭をした鍛冶屋
の老 Wittig が入ってきた。仕事場からやってきたままに,帽子をかぶらず,毛皮の前掛けをつけ,
木のサンダルをはいて,すすにまみれていた」︱ Gefällt Ihnen das Kleid? Sie müssen entzückend darin
aussehen.「このドレスがお気に入りですか?これを着たらきっと皆うっとりいたしますよ」︱ Lilli
setzte ihren Hut auf und schlüpfte in ihre Jacke. (Westkirch)「リリは自分の帽子をかぶりサッと上着を
着た」︱ Er stand auf und half ihr höflich in die Jacke.「彼は立ち上がり,礼儀正しく彼女が上着を着
るのを手伝った」︱ Als ich mit Wang die Theatergarderobe betrat, sah ich die Schauspieler vor den großen
Spiegeln stehen, sich schminkend oder in ihre bunten Prachtgewänder aus Brokatseide steigend. (Weisenborn)
「Wang と一緒に楽屋に入ってみると,俳優たちが,化粧をしたり,色とりどりの絹の豪華な衣装を
身につけながら,大きな鏡の前に立っているのが見えた」︱ j-n in Ketten (または in Fesseln) legen 人を鎖で完全にしばって身動きできぬようにする ♥
「着用・装身の in」は,「保有描写の mit」で表現することもできる。
【冠詞 I: S. 256, II: S. 23; 文例集 (80) in: S. 353-364】
⑮ 配量の in 【3 格】
●「一つ一つを別個のものとして」という「配量(Dosierung)
」を表す。
"Ja, was ist dabei zu tun? ... Na, gut! ... Ich werde alles tun ... Sei nur beruhigt!" sprach er in Absätzen. "だっ
て,こうなりゃモウどうにもなるまい ...まあまあ,いいじゃないか! ... 出来るだけのことはやって
みる ...心配するな!" とかれはポツリポツリ言った︱ Zigarren in Stücken verkaufen シガーをバラで
売る︱in großen Tropfen ボタボタと︱in langen Zügen グーッと(飲む)︱in kleinen Schlückchen
チビリチビリと
73
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
♥
最初の例の in Absätzen は,absatzweise または Absatz für Absatz とも,またふたつ目の in Stücken
は stückweise とも言うことができる。
【冠詞 III: S. 206-207】
⑯ 帰依信奉の in 【3 格】
●
主として聖書の用語で in Gott, im Herrn, in Jesu Christo, in Christo などとして現れる。
Sie ist entschlafen in dem Herrn. (Raupach) 彼女は主に在りて身まかりぬ
(主に在りて=神を信じて,
よきクリスチャンとして)︱ Und wie die Harmonie des einzelnen Menschen gestört ist, wenn er nicht in
Gott lebt, so sind alle menschlichen Ordnungen davon vergiftet, ... (Zeitung)「一人一人の人間が,もし神
を信じて生きないのならばその調和が乱されてあるように,人のすべての秩序は以下のことによっ
て毒されてあるのである」︱ Aber welch köstliche, hinreißende und doch wohlbedachte Worte waren das!
So kann bloß ein Mädchen schreiben, das völlig ungeteilt in dem Geliebten lebt und webt. (Mörike)「なんと
素晴らしくてうっとりするような,それでいてよく考えぬかれた言葉だろう!こういう風に書くこ
とができるのは,愛する人と全く一体となって生きる娘だけである」︱ im Namen des ... ... の名に
おいて︱ im Interesse des ... ... の利害を代表して,... のために︱ im Sinne des ... ... の意味で︱ im
Geiste des ... ... の精神を体して
♥「帰依信奉の
in」が,
「名」と「実」が一致することを示すのに対して,
「名」と「実」が一致しな
いことを暗示するのが「偽装韜晦の unter」である: unter dem schönen Namen des ...「... の美名に隠
れて」
【冠詞 I: S. 904; 文例集 (80) in: S. 139-148】
⑰ 占拠領有の in 【3 格】
●
単に或る状態にあるのではなく,その状態を己が利として占拠領有し,よってもって実力を発揮
しうること(あるいはその正反対)の含み。
Sei im Besitz, so wohnst du im Recht. 財を持て,然からば理を持たん︱ Ihr wollt gegen die andern "im
Rechte" sein. Das könnt ihr nicht, gegen sie bleibt ihr ewig "im Unrecht"; denn sie wären ja eure Gegner nicht,
wenn sie nicht auch in "ihrem Rechte" wären. (Stirner) 諸君は他の者達に対して言分を通そうとしてい
るが,それは出来ない相談で,彼等にとっては諸君の言分は永久に"間違っている"のである。とい
うのは,彼等にも彼等の言分があるので,言分があればこそ諸君の向うを張っているのではないか︱
dabei aber wegen des kleineren Deplacements und des fehlenden teuren Seitenpanzers bezüglich der
Neubaukosten dem gepanzerten Schlachtschiffe gegenüber im Vorteil waren. (Schwarz) しかし同時に,排
74
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
水量が少なく,費用のかかる側甲が無いために,新造の費用の点で装甲戦艦よりも有利であった︱
So war ich denn, Gott sei Dank, im Brote. (Eichendorff) そういったようなわけで,お蔭でまず食う方
の心配は解決した︱ Dann zündeten sie Feuer an, und die Rebstöcke rauchten, weil sie im Saft waren. (Tumler)
それから焚火をしたが,葡萄の蔓が生木だったので燻った︱ Aber wenn Euch nun bewiesen wird, daß
Ihr im Irrtume seid, haltet Ihr es da auch für eine Sünde, den Irrtum zu widerrufen? (Holberg, Übers. R. Prutz)
しかし,もし私があなたのお考えが誤であることを証明したら,その誤を誤として認めるというこ
とをも悪いことだとお思いになりますか?︱ Während in der Ebene noch der Spätherbst mit braunen,
roten und gelben Farbtönen unumschränkt im Regimente saß, lag im Quellenbayner Revier bereits eine leichte
Schneedecke. (Polenz) 平原の方では,或いは茶褐,或いは赤,或いは黄と,極彩色の晩秋がまだ時
を得顔に我が世の春を謳歌しているのに,
Quellenbayn の猟区ではもう雪が薄く地面を掩っていた︱
im Vorsprung sein 一歩先んじている,有利なハンディキャップがついている︱ im Nachteil sein 損な立場にある,見劣りがする︱ im Amte sein「在職している」︱ im Bild sein ピンと来る,わか
る︱ in Kraft sein「効力を有する」︱ in Macht sein ︱ in Gewalt sein ︱ in der Mehrheit sein「多数派で
ある」
♥
in の後の名詞は原則として定冠詞を温存する。
♥
この in とほぼ同じものに「所有の bei」がある。こちらは必ず無冠詞である: Er ist bei guter Gesundheit.「彼は健康である」
♥「占拠領有の
in」,
「所有の bei」の逆は aus, außer または von である: aus dem Gleichgewicht kommen
「バランスを失う」,außer Besitz bringen「財産を取り上げる」,von Sinnen sein「分別を無くして
いる」
【冠詞 I: S. 854-855; 文例集 (80) in: S. 300-307】
⑱ 用件の in 【3 格】
●
用件(Angelegenheit),用談(Geschäft),利害(Interesse),依頼(Auftrag),用務(Dienst),問題
(Sache)など「で」会ったり,話したり,発言したり,奔走する際には,これらの名詞には in を
用いるのが習慣。
Ich hätte Sie in einer äußerst wichtigen Angelegenheit zu sprechen. ちょっと非常に重要な用件でご面
会したいのですが︱ Wer in seinem eigenen Interesse handelt, ist immer erfinderisch; da kann man was
lernen. Wer aber in fremdem Interesse handelt, ist es im vollen Sinne des Wortes nicht, weil da der Egoismus,
diese Triebkraft allen Erfindungsgeistes, fortfällt. 自分自身の問題で何かやる時には誰でも頭が良く,
感心させられることも多いが,他人の問題となると,利己心というこのあらゆる頭の良さの原動力
が欠けてくるから,本当に頭が良いとは言われない︱Aus langjähriger Erfahrung kann seine Frau schon
75
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
dem Läuten der elektrischen Klingel anhören, ob einer im Auftrage irgend einer Körperschaft oder in einer
Privatangelegenheit kommt. 彼の細君は,多年の経験で,呼び鈴の音を聞いただけで,このお客は
何か公共団体の使いで来たのか,それとも使用できたのかということが判断できる︱ Heute morgen
habe ich Sie zweimal in Geschäftssachen angerufen. 今朝二度も貴君の所へ事務上の件で電話をした
♥
語によっては wegen を用いることもできる: Wegen dieser Angelegenheit habe ich Ihnen oftmals einen
Brief schreiben wollen. この件に関してはたびたびお手紙を差し上げようと思った 【独作文教程: S. 498-500】
⑲ 様式的手段の in 【3 格】
●「言葉で言い表す」
,「概念で考える」,
「喩えで話す」,「現金で支払う」,
「数字で示す」,「謎で話
す」,
「暗号で報告する」,
「手紙で伝える」などの「で」は,mit, durch が自然なように思われるが,
その他に主として「形」を思わせる in という,ごく自然な前置詞がある。
in Worten ausdrücken 言葉で言い表す︱ in Begriffen denken 概念で考える︱ i n Gleichnissen reden
比喩で説く︱in Bargeld zahlen 現金で支払う︱in Ziffern angeben 数字で示す︱in Rätseln sprechen
謎みたいな事を言う︱ in Chiff er n be r ic hte n 暗号で報告する︱ in e ine m B ri e f m it te il en
手紙で通知する︱ in Pros a s chr eiben 散文で書く︱ in Wasse rfar be n ma len 水彩で描く︱
Philosophieren heißt in Begriffen denken, was sich eigentlich nicht in Begriffen denken läßt, und in Worten
ausdrücken, was eigentlich nicht in Worten auszudrücken ist. 哲学するとは,本当は概念で考えられぬ
ことを概念で考え,本当は言葉で言い表し得ぬことを言葉で言い表すことである︱ Jeder, der zum
erstenmal in einem Opernhause sitzt, wundert sich über manches, was bei solchen Singspielen üblich ist; er
findet es z. B. sehr lächerlich, daß man seine Liebe in einem Liede erklären kann. 初めてオペラを観に行
くと,誰でもこうした歌劇というものの慣習を不思議に思って,たとえば歌で相手を口説いたりす
るのを可笑しく感ずるものである 【独作文教程: S. 511-512】
⑳ 現場の in 【3 格】
●「その現場を」
。
Ich war die Herrin heute, und niemand war da, mich in meinem Tun zu belauschen oder gar mich daran zu
hindern.「今日は私が主人だった。私が何かしているところを盗み聞きしたり,あまつさえその邪魔
をしたりする者なんか誰もいなかった」
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浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
♥
in の次には動作名詞が来る。
【文例集 (29) 前置詞: S. 506-508】
21
範囲・分野 【3 格】
Sonja Henie gewann 1936 in Garmisch-Partenkirchen bei den Olympischen Winterspielen die Goldmedaille
im Eiskunstlauf. (Zeitung)「Sonja Henie は 1936 年,ガルミッシュ・パルテンキルヒェンの冬季オリ
ンピックにおいてフィギュアスケートで金メダルを獲得した」︱ Auf Urlaub zu verzichten, ist im
Bankwesen verdächtig.「休暇に出ないというのは,銀行業においては疑わしい事態である」︱ Es
enthält obendrein gut reproduzierte Abbildungen der alten Kunstwerke und bietet ein Musterbeispiel
unterhaltender Belehrung, nicht nur in Sachen der Wissenschaft, sondern auch der bildenden Kunst. (Zeitung)
「さらに加えてこの本は,古い芸術作品の上質な複製図をのせており,単に学問の分野だけでなく造
形芸術の分野においても,楽しみながら学ばさせる模範的な例となっている」
【文例集 (80) in: S. 451-453】
22
Resignations-in 【4 格】
●「あきらめて」落ち着く先,
「甘んじる」対象を表す。
sich in das Unvermeidliche fügen「運命に甘んじる」︱ Es gibt nur einen Trost für mich –– das
mohamedanische Kismet, die Resignation in das Unabänderliche. (Blütgen)「私にとってはたった一つの
慰みがあるだけです。それはイスラム教の宿命です,避けられない運命に身をゆだねることです」︱
sich ins Unvermeidliche schicken「運命にしたがう」︱ sich in den Willen Seiner Majestät ergeben「運命
を国王陛下の意志にあずける」
【文例集 (80) in: S. 14, 165】
23
分析,分解 【3 格・4 格】
Die Welt ist in zwei Heerlager gespalten, in das demokratische und das kommunistische.「世界は二つの陣
営に分裂している。民主主義陣営と共産主義陣営である」︱ Um den Flächeninhalt aller gradlinigen
Figuren zu bestimmen und zu vergleichen, löst man sie in Dreiecke auf. (Marx)「あらゆる直線的な図形の
面積を求め,比較するには,その図形を三角形に分解するのである」︱ Die Partei hat sich in einzelne
Verbände aufgelöst.「党はいくつかのグループに分裂した」︱Durch Pepsin und Trypsin wird die Nahrung
in einfachere, löslichere Stoffe gespalten.「ペプシンとトリプシンによって食物は,より単純で解けや
77
Die Präposition "in" bei Sekiguchi T.
すい成分に分解される」︱ in Scheiben geschnittene Eier「輪切りにされた玉子」
【文例集 (29) 前置詞: S. 533-539, 541】
24
盲目的没入・信用・放任の in 【4 格】
Denn die Währungsunsicherheit ist der tiefste Grund für die allgemeine Unsicherheit, unter der die Franzosen
heute leiden. Der sparsame, auf die Sicherheit seines Lebens bedachte Franzose verliert mit dem Vertrauen in
den Franc das Vertrauen in sich selbst. (Die Zeit)「というのは,通貨が不安定であるということがフラ
ンス人たちが今日苦しんでいる不安のもっとも深刻な理由だからである。つつましく,自分の生活
が確かであることを心がけているフランス人にとっては,フランへの信頼を失うことは自分自身へ
の信頼を失うことになるのである」︱ Ich glaube gar, du setzest ein Mißtrauen in mich. Wart, laß mich
erst warm werden! (Schiller)「私にはそれどころか,お前が私に疑惑をいだいているようにさえ思え
る。待つがいい。私をまずは熱くさせるがいい!」
【文例集 (80) in: S. 165-166】
25
●
関係を表現する in 【3 格】
mit ...(
「相手の mit」
)をともなって,
「∼と関係している,争っている,齟齬する,一致する,接
触を保つ,諒解がある,同盟している,交際している,文通している」などを表現する。
Was er tut, steht mit dem, was er sagt, im Widerspruch.「彼はすることと言うことが矛盾している︱Was
er will, steht mit dem, was er kann, im Widerstreit.「彼が望むところは,彼ができるところと相反して
いる」︱ Die beiden Kräfte stehen miteinander im Gleichgewicht.「両勢力は均衡を保っている」︱ Alle
Parteien stehen miteinander im Antagonismus.「政党はすべて敵対している」︱ Der Mensch steht mit den
Naturkräften im Kampf.「人間は自然の力と戦っているのである」︱ Die Polizei liegt mit den
Rauschgifthändlern im Krieg.「警察は麻薬販売人と戦っている」︱ Seit Jahren liegen wir mit unserem
Nachbar im Prozeß.「何年も前から私たちは隣と裁判で争っています」︱Seine Taten stehen mit seinen
Worten im Einklang.「彼の行為はその言葉と合致している」︱ Der Verräter steht mit unserem Todfeind
im Bündnis.「裏切り者は我々の宿敵と通じている」︱ Meine Bedienten waren im Einverständnis
miteinander.「私の召使いたちは互いに合意していた」︱ Geschäftsfreunde müssen miteinander im (in)
Kontakt bleiben.「取引先の者たちは接触を保っておかなければならない」︱ Ich stehe mit meinen
Freunden in Amerika im (in) Briefwechsel.「私はアメリカの友達たちと手紙のやりとりをしている」︱
Für ihn steht alles mit den Atomexplosionen im (in) Zusammenhang.「彼にとってはすべてが原子爆発と
関係を持ってしまう」︱ Der Erfolg steht nicht im Verhältnis zum ganzen Aufwand.「その成功はつぎ込
んだエネルギーに見合うものではない」︱ Wir liegen mit unsern Arbeitgebern im (in) Streik.「私たち
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浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
は雇い主に対してストライキ中です」
【冠詞: S. 852-853】
〔注〕
1) 東京: 三修社 1960 / 61 / 62。全 3 巻, 総計 2,301 ページ。
2) 例えば以下の文例中,意味内容 ①∼ 25 のそれぞれ最後にある「冠詞」指示ページを参照。
3) 以下を参照: 冠詞 I, S. 483, 784。なお「冠詞」校正委員の一人である藤田栄は,第 3 巻の「あ
とがき」で次のように述べている: 「おそらく冠詞論のほかに前置詞論、形容詞論、副詞論など
も,意味形態論を展開するための好テーマとして先生の意図のなかにあったことは,いろいろ
な機会に先生の話された言葉,とくに『冠詞』の説明のなかから読みとることができます。」
(冠
詞 III,「あとがき」, S. 640)
4) 関口存男: 意味形態を中心とするドイツ語前置詞の研究。三修社 1933; 1984。
5) これについて詳しくは以下を参照: 佐藤清昭 (2000): 関口存男による前置詞の意味分類 −「激
突急停止の in」
(ほか)と「前置詞論」−(所収:ドイツ語学研究(冠詞研究会)10, 11-48 ペー
ジ),45-46 ページ。
6) ドイツ語前置詞の研究 , 60 ページ。下線佐藤。
7) 関口存男 (1939): ドイツ語学講話 1。三修社 1981, 376 ページ , 太字関口, 下線佐藤。
8) ドイツ語前置詞の研究, 100 ページ, 下線佐藤。
9) これについて詳しくは以下を参照: 佐藤清昭 (2002):前置詞研究のあり方。「関口存男:前置詞
論」試案 − an を例として(所収:浜松医科大学紀要 一般教育 16, 31-53 ページ)
,36-37 ペー
ジ。
10) 以下例文の訳文において,関口自身の訳と区別するために,佐藤による訳にはカギ(「」)を附
した。
79
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浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
浜松医科大学紀要一般教育の編集,刊行に関する申し合わせ
(平成15年3月3日改訂)
※平成15年度から適用
Ⅰ.紀要の発行
1.名称は「浜松医科大学紀要一般教育」とする。英語の名称は Reports of LiberalArts Hamamatsu
University School of Medicine とする。
2.発行者は浜松医科大学とする。
3.編集は研究成果等刊行物編集専門委員会(以下「編集委員会」という。)が行う。
4.投稿資格者は,本学の教官,非常勤講師(他に本務を有さない者に限る。
)並びに共同研究者又
は研究協力者とし,投稿論文は未公刊のものに限る。
5.収録範囲は一般教育科目等及び関連諸学科領域とする。但し,非実験系科目を優先的に収録す
るものとする。
6.発行回数は原則として年 1 回とする。
7.発行部数は 300 部とし,別刷は各 50 部とする。
Ⅱ.紀要の体裁
1. 誌面の大きさはA4判,組版は横1段とする。
2. 表紙には日本語で,裏表紙には英語で,次の事項を記す。
1)紀要名 2)号数 3)発行年月 4)大学名
3. 背表紙には日本語で次の事項を記す。
1)紀要名 2)号数 3)発行年月
4. 巻頭のページには目次を記す。
5. ページ数は,次のとおりとする。
1)ページは白紙を含めた通しページとすること。
2)白紙ページはページ数を記さないこと。
3)記す位置はページ下外側とすること。
4)横書き論文は巻頭から始めてアラビア数字とすること。
6. 論文は,奇数ページから始まるものとする。
7. 各論文の体裁は以下のとおりとする。
1)表題,著者名,所属
2)和文の場合は,1)の欧文訳
3)欧文の要約
4)欧文のキーワード
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5)本文
6)文献
8. 本文の組版は次のとおりとする。 和文 42字×34行×1段(1,428字)
欧文 84字×34行×1段(2,856字)
9. ランニング・タイトルは,奇数ページに紀要名と号数と発行年,偶数ページに論文題名を記す。
論文題名は,著者が短縮して,和文の場合は30字以内,欧文の場合は60字以内とする。
10. 奥付には次の事項を記す。
1)紀要名 2)号数 3)印刷年月日 4)発行年月日
5)編集者 6)発行者 7)印刷所
11. 別刷の表紙には,論文題名と著者名を上部中央に,紀要名,号数,
「別刷」,発行年月を下部中
央に記す。
Ⅲ.投稿の手引き
1. 原稿の体裁
原則として,ワープロによるものとし,和文原稿はA4版明朝体11ポイント42字×34行とし,欧
文原稿はA4 版Times New Roman 11ポイント84字×34行とする。
2. 表題,著者名,所属
1)原稿1枚日に記す。
2)表題は冒頭中央に書き,末尾にピリオドをつけない。サブタイトルを必要とする場合は次の
行に記す。
3)欧文表題は,第1語,名詞,形容詞,副詞の頭文字は大文字とする。
4)著者名は1行あけて,行の中央に記す。ローマ字の場合は,名は頭だけ大文字であとは小文
字,姓はすべて大文字とする。
5)共著のときは和文ならばナカグロ
「・」で連ね,欧文ならばandで連ねる。3名以上の場合はコ
ンマとandで連ねる。
6)所属は,和文ならば学科目名を書いて
( )
でくくり,欧文ならばイタリック体で書いて( )
でくくらない。
共著で各著者の所属が異なる場合は,それぞれの著者名の右肩に[*],[**]をつけ,所属
名の左肩に同じ印を入れ,間を和文ならばナカグロ
[・],欧文ならばセミコロン[;]で切る。
7)和文の場合には,原稿1枚日の下半分に,かさねて欧文で,表題,著者名,所属を記す。
3. 要 約
1)和文の場合も,欧文の場合も,欧文の要約を付ける。
2)原稿2枚日に要約を記載する。
82
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
3)見出しはゴシックで Abstract,Résuméなどとする。
4. 欧文のキーワード
キーワードは,要約の次に改行し,最適な4∼5語を記載する。
5. 本 文
1)原稿3枚目以下に記す。
2)和文の場合,
① 段落の始まりは1字分あけて書きはじめる。
② 句読点はコンマと句点(。)とする。
③ 句読点,カッコ等は1字分に書く。
④ 欧文文字及びアラビア数字は2字を1字分とする。
⑤ 外国の固有名詞は原則としてカタカナで表記し、特に明示する必要のある場合を除いて
欧文文字を用いない。
3) 欧文の場合,段落の始まりは3字あける。コンマ,セミコロン,コロンなどの文中の読点の
後は1字分をあけ,ピリオド,疑問符,感嘆符などの文末の句点の後は2字あける。
4)数 式
① 数式の上下にはスペースをとる。
② 文章中の簡単な分数式には/を用いる。
6. その他
1)注
① 原則として巻末注とする。
② 注の見出しは,本文該当箇所の右肩に,
( )を付し,その中に番号を順番に記入する。
③ 特に脚注を必要とする場合は,本文該当箇所に*)
を付し,本文中そのすぐ下に,上下を
横線ではさんで注を記入する。その冒頭に*)を付し,その左欄外に脚注と表記する。
2)文 献
① 引用文献を指示する場合には,原則として本文該当筒所の右肩に )を付し,その左に通
し番号をアラビア数字で記入する。
② 文献は一括して末尾の文献欄に列記する。
③ 記載の形式は,次のとおりとする。
A.雑誌論文の場合
著者名:論文題名,雑誌名 巻(号):最初のページ−最後のページ,発行年.
(和文例) 半田 肇,長沢史朗:脳死の診断とその問題点:脳神経外科医の立場から,臨成
人病14(4):30−31,2002.
(欧文例)Cranford RE, Jackson DL: Neurolongists and the hospital ethics commitee. Semin Neuro 4
(1) :15–22, 2002.
83
注 1.著者多数の場合は,鈴木二郎(他),Youngner SJ, et al.等としてもよい。
2.雑誌名の略記は慣行に従う。なお,欧文雑誌名はイタリックとする。
3.ページ数は通巻ページを記入する。各号ページの場合は14(4):30−31のように巻数
の後に号数を( )に入れて表示する。なお,巻数はゴシックとする。
B.図書の場合
a.図書全体を引用する場合
著
(編)者名:書名.[出版地:]出版者,出版年.
(和文例)河野友信,河野博臣(編):生と死の医療,朝倉書店,2002.
(欧文例) Bondeson WB, et al, eds: New Knowledge in the Biomedical Science. Boston: D.Reidel,
2002.
注 1.編者名には(編),ed[s]を付記する。
2.洋書の場合は書名をイタリックとし,出版地と出版著名をBoston: D.Reidelのように記
載する。
b.図書の一部分を引用する場合
分担著者名:論文題名.[In]
編者名:書名.[出版地:]出版者,出版年,引用ページ
(和文例)浜松太郎:現代医学と倫理.日本倫理学会(編):技術と倫理.以文社,2002,P173
−193.
(欧文例)Cassell EJ: Heart disease; the ethical quandaries of treated the aged. In Reiser SJ, Anbar M,
eds: The Machine at the Bedside. New York: Cambridge University Press, 2002, P327–331.
3)表,図,写真
① 表,図については可能な限り本文中に取込むものとするが,これによりがたい場合は,下
記のとおりとする。
② 写真については,A4版の台紙に1枚ずつ貼り,別紙とした表または図はA4版の用紙に,そ
れぞれ作成または貼るものとし,表は
表Ⅰ(TableⅠ)
,表Ⅱ(TableⅡ)
……………
図及び写真は
図Ⅰ(FigⅠ),図Ⅱ(FigⅡ)……………
と表記する。
③ 1枚ごとに著者名を表記する。
④ 本文中のおおよその該当箇所の枠取りをし,表Ⅰ,図Ⅰ・・・・・と表記する。
7.原稿の提出,受理
1) 原稿はフロッピーディスクとプリントアウトしたもの(2部)
を提出するものとし,次の順序に
並べて通し番号を付ける。
表題,要約,本文,注,文献,表,図,写真
84
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号(2004)
2)原稿の枚数制限は,図表,写真等を含めてA4版20枚以内とし,刷り上がりも同様とする。
なお刷り上がり1ページの体裁は,
和文 42字×34行=1,428字
欧文 84字×34行=2,856字
3) 原稿が制限ページを越える場合,あるいは特別の印刷(多色刷,別添図等)を要する場合な
ど,差額を著者負担とすることがある。
4) 提出された原稿は査読者に提出し,掲載の是非,修正の必要性及びその箇所を指摘した査読
意見書の提出を求める。査読者は正,副編集委員長が定める。査読意見書の書式は別に定め
る。
5) 受理年月日は,完成原稿を編集委員会に提出した日をReceived,査読者の同意を得て編集委
員長が掲載を決定した日をAcceptedとし,原稿の末尾に記入する。
6) 印刷の形式等で特例を必要とする場合は,原稿提出時に編集委員会にその旨連絡するものと
する。
8. 校 正
1)論文の著者校正は初枚のみとする。
2)別刷を所定の部数以上,実費著者負担において,要求する場合は第1校返却のとき,編集委員
会にその旨連絡するものとする
9.論文の公開
1)掲載された論文は,浜松医科大学ホームページ並びに国立情報学研究所が実施している
「研究
紀要ポータルシステム」及び「電子図書館サービス」により公開するものとする。
2)著者は,このことを了解したうえで原稿を提出するものとする。
85
Contents
On the Statistical Bias Found in the Horse Racing Data (1) ………………… AKIO NODA ……………… 1
Load Carrying Behavior among the Boyela,
a Horticulturalist Group in the Middle of the Congo Forest ……………… SATO HIROAKI …………… 13
Doctor-Patient Communication:
An Introduction for Medical Students …………………………
Die Präposition “in” bei Sekiguchi T.
GREGORY V. G. O’DOWD …………… 39
…………………………………… SATÔ KIYOAKI …………… 53
Appendix; Editorial Policy and Instructions
to Authors ……………………………………………… 81
浜松医科大学紀要 一般教育 第 18 号
平成 16 年 3 月 10 日 印刷
平成 16 年 3 月 29 日 発行
編集者 浜 松 医 科 大 学
研究成果等刊行物編集専門委員会
発行者 浜 松 医 科 大 学
〒 431-3192 浜松市半田山一丁目 20 番 1 号
TEL.(053)435 − 2169
印刷所 有限会社 ケーエス企画
REPORTS OF LIBERAL ARTS
HAMAMATSU UNIVERSITY
SCHOOL OF MEDICINE
NO.18
MARCH
2004
HAMAMATSU UNIVERSITY
SCHOOL OF MEDICINE
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