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No.26 - 日本バプテスト連盟

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No.26 - 日本バプテスト連盟
第26号
日本バプテスト連盟 宣教部 教会音楽室
2009年11月12日
コラボレーション(協働)で豊かに
江原 美歌子(教会音楽室長)
コラボレーションという言葉がよく使われるようになってから、
時久しい。 今では和製英語
化され、「コラボする」など、動詞でも使われるようになり、特に、音楽の分野で多く用いられ
るようになったように思う。 よく見られるのは、日本古来の伝統楽器と西洋楽器との「コラ
ボ」、三味線、和太鼓、尺八など、聴くたびに新しい世界が開け、その音の融合は視聴者の私た
ちを存分に楽しませてくれる。 それまで、共演したことのない、違うジャンルのかたとの出会
いから、その楽器の持つ魅力を演奏者達も新たに見いだしているのかもしれない。
さて、このコラボレーションは、カタカナにすると洒落た響きがするのだが、日本語にすると
「協力」「協同」「共同研究」、異なる分野の人や団体が協力して制作することで、私たちが日
常行っていることだということに気づかされる。 家庭内での協力、学校や職場での共同学習や
作業、地域の協力、実に私たちの生活はこの協力と協同との業に囲まれて生活しているように思
う。 そして私たちの教会においても、まさにこのコラボレーションによって、礼拝、教会が形
成されているのだ。
連盟では、今年度から地域協働プロジェクトが始まった。 様々な形をもって新たなコラボ
レーションが生まれ、展開していくことに期待している。 また、すでに連盟全体の組織の中に
おいても、多くのコラボレーションがある。 女性連合は連盟との協働で、国外伝道支援を長年
行っているし、壮年会連合は神学校、神学生を支える体制を整えてくださっている。 さて、教
会音楽室は誰と何ができるのだろうか?
『新生讃美歌』は、その協働によって完成に導かれたもので、今度は推進の中で、さらなる広
がりが求められているのだろう。 新たな歩みも始まっている。去る9月には、教会学校研修会
で協力させていただいた。 教会教育に携わる方々、全国教会学校研修会に集まった参加者との
話し合いや交わりを通し、教会音楽の教育的要素も引きだされて、3日間の賛美が豊かにされ
た。 また、来年2月に行われる宣教研究所主催「神学セミナー」のプログラムを協働で計画し
ている。第1回準備会の宣研スタッフとの話し合いから、すでに多くを学ばせていただいてい
る。これから、様々な「コラボ」を通して、さらに教会音楽の可能性が広がっていくことだろう。
次は何が起こるのだろうと胸を弾ませ、協力の業に取り組んでいきたい。
♪♪
第7回全国礼拝音楽研修会
♪♪
2010年8月23日∼25日(月∼水) 於:天城山荘
基調講演講師: 濱野道雄(日本バプテスト連盟宣教研究所 所長)
たくさんのご参加をお待ちしています!
Page 2
新生讃美歌と私
∼新生讃美歌50年のあゆみから∼
第10回
「新生の歌」
寺園喜基
『新生讃美歌』第三次編集委員
私がバプテスマを受けてクリスチャンに
この当時の印象は、現行の『新生讃美歌』
なったのは、1956年の高校2年生のときでし
(2003)においても色濃く残っており、むし
た。そして、『新生讃美歌Ⅰ』が出版されたの
ろこの賛美歌集の特徴と言ってもいいよう
は翌年の1957年です。そのころ教会では、特別
に思います。すなわち、神を神自身として賛
集会・伝道集会が年に1回か2回は開かれていま
美という面よりも、人間の信仰という側面が
したが、そのときにはこの新生讃美歌が、わた
強調されているということです。
しの鹿児島教会でも、用いられていました。少
神賛美というとき、二つの側面があると思
し甘くてバターの匂いのするような感じの多
います。一つは、神を賛美することであり、
くの曲は、礼拝で使用されていた『教団讃美歌』
これは神が神であることが素晴らしいとい
とは違って、高校生には魅力的でした。
う、「神ご自身としての神」(デウス・プロ・
高校を卒業し神学校に入学して4年間、福岡
セ )を称賛する歌という意味です。二つ目は、
教会で神学生時代を過ごしましたが、そのころ
これに対して、「私達にとっての神」(デウ
も特伝ではこの新生讃美歌が歌われていまし
ス・プロ・ノービス)、「私にとっての神」
た。それに当時は連盟の新生運動の時代でもあ
(デウス・プロ・メ)、神との関係、神の働
りましたから、「新生讃美歌は新生運動の歌」
きかけ、神存在の意義を強調するという側面
として、信仰決心へのうながしの歌というよう
です。すなわち、人間の信仰の強調です。
に受け止めました。歌は神の呼びかけに対する
ルターの高弟メランヒトンは「キリストを
人間の応答、信仰とバプテスマへの決断、新生
知ること、それは彼の恵みを知ることであ
の喜びと献身などが、中心にあることが感じら
る」と言っていますが、キリストについての
れました。
客観的認識(それ自体としてのキリストご自
Page 3
∼ 新生讃美歌のあゆみ
日本バプテスト連盟創立
「新生讃美歌Ⅰ」
「新生讃美歌Ⅱ」
「新生讃美歌Ⅱ」改訂版
「新生讃美歌Ⅲ」
「新生讃美歌Ⅳ」
「新生讃美歌」
「新生讃美歌増補Ⅰ」
「新生讃美歌増補Ⅱ」
「新生讃美歌」改訂版
ハイライト:
特に読者の 注意を引きたいポ イントを記入します。
特に読者の 注意を引きたいポ イントを記入します。
特に読者の 注意を引きたいポ イントを記入します。
特に読者の 注意を引きたいポ イントを記入します。
∼
1947年
1957年
1963年
1966年
1982年
1984年
1989年
1997年
1999年
2003年
身)と主観的認識(キリストとわたしの関係)
ことは、ここに強調があるということであり、
とは一枚のコインの両面をなしています。もと
それは神賛美において人間の主観的側面に強
もとバプテスト主義は近代の敬虔主義(ピエ
調があるということを示しています。
ティスムス)の運動の一環をなすものであり、
ときどき、
「『新生讃美歌』には神学がない」
「救いの確信」を求めた運動であり、主観的認
とか、「これにはバプテスト主義が出ていな
識を強調してきましたから、讃美歌においても
い」、という声を聞きます。はたして、そうで
人間的側面、人間の内面性が強調されることは
しょうか。そういう人は、神学とかバプテスト
自然のことだと思います。
主義をあまりにも狭く理解しているのではな
以上のことは現行の『新生讃美歌』において
いでしょうか。神の語りに人間が応え、神の働
も当てはまっています。現行の『新生讃美歌』
きかけに人間が従うとき、そして、その応答・
では、曲が5つの大項目に分類されています。そ
服従が歌で表現される、その歌は「新生の歌」
れは(Ⅰ)礼拝、(Ⅱ)神の働き、(Ⅲ)教会
ということができます。また、神に感謝し、喜
の働き、(Ⅳ)新生、(Ⅴ)応唱です。この内
び、哀訴し、懺悔し、そして回心し、新生を歩
で、曲数が最も多いのは「(Ⅳ)新生」で、全
みだすとき、
すなわち神は私に大いなることを
体のおよそ三分の一を占めています。大項目
してくださったと歌うとき、その歌で人間の側
「新生」はさらに中項目「信仰生活」と「応答」
の信仰的側面が表白されているということが
に分類され、これはさらにまた詳しく、信仰へ
できます。このことは、私達がまさしく、バプ
の招きから新生者としてのキリスト者の生き
テスト主義の良き神学と伝統の中にいるとい
方というような、小項目へと分類されていま
うことを示していないでしょうか。
す。大項目の「新生」の曲数が最も多いという
(西南学院理事長・院長)
新生讃美歌紹 介
Page 4
8番
「主の呼びかけに」 作者クルト・ロンメルについて
クルト・ロンメルは、戦前戦中という時代の中で学生時代をおくりました。大学入学試験の
後に徴兵され、恐怖を耐え忍ぶ体験の中、終戦の年を迎えます。1945年にフランスで捕虜となっ
た彼は、モンペリエの捕虜収容施設で神学を学ぶという大きな幸運に恵まれます。1947年に釈放
された後、テュービンゲンとハイデルベルクで学びを続け、1951年に最初の神学の試験を受けま
す。バイヤースブロンとシェーンアイヒで、牧師補を勤めた後、1953年に2回目の資格試験を受
け、1954年まで牧師補として働きました。後にフリードリヒスハーフェンとバートカンシュタッ
ト及びシュベニンゲンで牧師となります。彼は、牧師職に加えて、青少年伝道と音楽・文化教育
の分野に従事しました。その後、1956年∼60年に、ラーベンスブルグの地区青少年担当の牧師
として働き、1963年にドイツ都市青少年担当牧師協議会の議長となります。同時期にドイツ プ
ロテスタントの青年の音楽・文化教育委員会の一員として働きました。彼は若いキリスト者との
関わりを通して、若者には両親とは別に、対話する相手が必要であることに気づきました。この
ことを多くの著作に記しています。
出典: Komponisten und Liederdichter des Evangelischen Gesangbuchs
訳
645番
: 富田詩生(横須賀長沢教会)
「すべてをくださる恵みの神」
田中
恵(田隈教会)
1966年の夏、アメリカ ノースキャロライナ州リッジクレスト・バプテスト・アッセンブリー
に於いて、バプテスト・ユース・カンファレンス(ユースキャンプ)が行われました。そのテー
マ
God s World Today に即して、講師であったエド・シーバゥ(Ed seabough ,1932−)が
プログラム委員会の求めに応じて、その年の早春に作詞したものです。現代の日本でも、隔年
で全国少年少女大会が天城山荘で行なわれ、そのテーマソングが作られていますが、それと同
じような感じですね。当時エド・シーバゥはユース世代から非常に支持されていたメッセン
ジャーでした。英語で書かれた原歌詞は、各節の最後を
my place in God
s world today.
(今日あなたの世界に、私の役割を…) と結んでいます。1966年のアメリカといえばベトナ
ム戦争の頃…。若い参加者たちはどのような思いで讃美したのでしょうか。
曲のEL DORADOはウィリアム・J・レイノルズ(William J.Reynolds)がこの詞のために同年
作曲しました。シーバゥからの作曲依頼を受けた時、彼は第一バプテスト教会で行われる伝道
集会の賛美リードのために、アーカンソー州エル・ドラード(El Dorado)にちょうど到着した
ところでした。滞在中に作曲したとのことで、曲名はそこに由来しています。また、心を一つ
にして、一致して讃美することを大切にしたかったシーバゥは「ユニゾンの曲にするように」
という注文をつけていたといいます。
この讃美歌の「今日神様の世界で、私の果たすべき役割を…」という献身の祈りは、混迷を
深める現代の私たちにも力強いメッセージとなって語りかけてきます。
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