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統一教会(氏族)を基台とするイエス様(神の息子)を中心とした摂理年表
1950
1954
1958
1976
1960
1980 1985 1988
1994
2000
2010
2025
2035
2050
2060
メシヤ誕生前 10 年
100 年
25 年
U
C
創
立
25 年
25 年
25 年
長成期完成級
前 7 年路程
3
0
前
三
年
路
程
イ
エ
ス
様
誕
生
後 7 年路程
3
16
20
エ
バ
復
帰
の
出
発
後
三
年
路
程
25 28
7年
子
羊
の
婚
宴
7 年路程
34
7年
65
75
7年
7年
7年
7年
三代王権完成
25 年(長成)
25 年(蘇生)
祝福家庭一世の路程
47 50
40
長成期完成級
25 年(完成)
36 家庭・72 家庭・124 家庭・430 家庭・43 家庭・777家庭
(カインのホームチャーチ)
祝福家庭二世の路程
25 年(蘇生)
25 年(長成)
長成期完成級
1800 家庭・6000 家庭・6500 家庭・3万双・36 万双・3 億 6 千万双
(アベルのホームチャーチ)
1
25 年(完成)
90
100
1950 年から 1960 年の期間は、1910 年から 1920 年を蕩減復帰する期間、つま
1960 年1月1日
り統一教会に送られるイエス様御生誕前 10 年間に該当する。1954 年のUC創立
は、イエス様誕生前 7 年であり、1958 年は、前 3 年に該当する。1957 年から 3
1960 年 3 月 27 日
(陰暦 3 月1日) 「父母の日」宣布
1960 年 4 月 11 日
(陰暦 3 月 16 日) 文鮮明先生・韓鶴子女史御聖婚
1960 年 4 月 16 日
(陰暦 3 月 21 日) 三家庭祝福式
みを体恤する期間である。文先生誕生の 1920 年が紀元であるように、歴史的に見
)
イ
エ
ス
様
誕
生
0
歳
第一次 7 年路程を設定
(
イ
エ
ス
様
の
年
齢
1960 年 4 月 17 日
「心情復活の日」宣布
れば、1960 年もメシヤ誕生の時であるがゆえに紀元が定められた年になる。三代
なる。歴史上初めてアダムの使命をもった人物が地上で二代の勝利圏を立てられ
1961 年 4 月 17 日「実体復活」の日
1961 年 5 月 15 日
自身も御生誕日に 3 年間断食をされた。つまり、メシヤ誕生のための産みの苦し
王権を中心として見れば、文先生とイエス様が父母と子女の位置で立たれた年に
1960 年 11 月 19 日(陰暦 10 月1日) 「子女の日」宣布
た年が 1960 年であった。
1960 年を中心として定められた 2000 年(正確には、1990
33 家庭祝福式
年)までの名節は、文先生とイエス様の父母と子女の勝利を中心として定められた
(
イ
エ
ス
様
0
歳
~
3
歳
年間韓国で飢饉があったように、統一教会員は、全員一週間断食を行い、文先生
1962 年 6 月 4 日
1963 年7月 24 日
ものと考えられる。言い換えれば、公式路程を歩むイエス様の年齢を中心として
72 家庭祝福式
定められたものであり、聖書史に例えれば、反逆するイスラエルに対して中心人
124 家庭祝福式
物(アベル)が祭物になることによってとりなされた期間ともいうことができる。復
帰原理の視点を通して見れば、1960 年から 2000 年までの 40 年間は、文先生(父
イ
エ
ス
様
3
歳
~
9
歳
1964 年 5 月 23 日
「象徴的な聖殿建築宣布式」
母・地上の神)が子女(イエス様)を祭物にすることによって万物(天使圏:イスラエ
1965 年1月 28 日
第一次世界巡回路程に出発。
ル)に対して救援摂理をされた期間になる。
(
)
1963 年7月 26 日(陰暦 6 月 6 日) 「万物の日」宣布
40 カ国、120 ヶ所聖地決定
1960 年から 1970 年までに立てられた祝福家庭(36、72、124、430、777)家庭は、
)
1966 年1月1日
心情のろうそく伝授
1966 年 5 月1日
「原理講論」初版出版
の幼少期から、青少年期をヨセフの氏族の位置で保護しなければならない責任があ
1967 年 6 月 12 日
日本巡回路程に出発
った。来られるイエス様に対して父母の心情、僕の体で侍らなければならない使命
1967 年 6 月 17 日
原理大修練会(日本)
1968 年1月1日
イエス様に対しては、キリスト教一世を蕩減復帰する立場に立つ。本来、イエス様
をもつ。イエス様の生活全体に責任を持つ立場、つまり衣食住から、教育にいたる
までの環境を整備しなければならない責任を持っていたのだ。しかし、統一教会に
「神の日」宣布
は、アダム家庭復帰のための天使長家庭という視点がなかったがゆえに、この重要
1968 年1月 13 日国際勝共連合創立
な使命を悟ることができずにこの重要な時期を完全に逃してしまった。文先生は、
1968 年 2 月 22 日
人間の責任分担という原理があるがゆえに、直接指示することができず、み言葉の
430 組祝福式
中でその内容を語られ、2000 年前イエス様を十字架につけた神の心情でこの時を
2
過ごされていたのだ。
1969 年 2 月 2 日
第二次世界巡回路程(21 カ国)
1969 年 5 月1日
43 組祝福式(13 組/米国・8 組/西独・22 組/日本)
1960 年、文先生は、40 歳で家庭を持たれた。本来原理的に見ればアダムは 20
歳の時に子羊の婚宴を行わなければならない。40 歳で家庭を出発された文先生の
(
イ
エ
ス
様
1
0
歳
)
祝福家庭婦人 3 年間開拓伝道出発
1971 年 12 月 5 日
第3次世界巡回路程に出発(15 カ国)
1972 年1月 8 日
位置は、神の息子の使命と、天使長(地上の神)の二重の使命をもたれていたのだ。
777 組祝福式
1970 年 12 月1日
そのような複雑な立場であっても文先生は、アダムが歩まなければならない公式
路程を示さなければならない。20 年延長したとは言え、1960 年から 1967 年まで
の7年路程は、アダムがエバを完成させていく期間を示している。文先生は、韓
ワシントンからニューヨークに到着、
鶴子女史(真の母)と祝福家庭の女性達を一つにするために様々な手法を用いられ
た。(ワカメご飯を共に食べたり、お母様をわざと遠ざけられたり、洪順愛ハルモ
統一十字軍編成
(
イ
エ
ス
様
1
2
歳
~
1
6
歳
1970 年 10 月 21 日
1972 年 6 月 23 日
ニに冷たくあたったり等)、このような内容を通して将来イエス様が新婦を迎える
最初の 12 名が米国開拓へ出発
時のための訓練をされたのである。祝福家庭は、文先生の三代圏を中心として祝
)
1973 年7月1日「勝祝日」宣布
福を三度(条件‘教会’祝福、国の祝福、世界の祝福)受けるという視点を持つことが
1974 年 5 月1日「勝根日」宣布
できず、メシヤを通して原罪が贖われるという視点でしか、捉えることができな
1974 年 9 月 18 日マジソン・スクェアガーデン大会
かった。つまり、個人復帰を中心に捉えてしまったのだ。祝福家庭の本来の使命
は、イエス様に対してヨセフの氏族の使命を果たさなければならなかったのだ。
1975 年1月1日世界日報発刊
(
イ
エ
ス
様
1
6
歳
~
1
8
歳
祝福家庭は、1960 年の祝福がザカリヤ家庭とヨセフ家庭の勝利圏によってなされ
1975 年 2 月 8 日 1800 組祝福式
たという原理的視点を持つことができず、イエス様が統一教会に誕生されている
1975 年 5 月1日総解怨式
など夢にも思わなかったのだ。つまり、祝福家庭は、ヨセフの氏族の使命を失敗
してしまったのだ。2000 年前のイエス様も 1920 年に生まれた文先生も、ヨセフ
1975 年 6 月 7 日救国世界大会(韓国・ヨイド広場)
1976 年1月 31 日
1976 年 6 月1日
)
1976 年 9 月 18 日
の氏族の位置に立つユダヤ教とキリスト教が使命を果たすことができなかったが
(陰暦1月1日) 統一式
故に、イエス様は十字架に架けられ、文先生は 6 度も牢獄に行かれたのだ。統一
ヤンキースタジアム大会
教会に誕生されたイエス様も統一教会が使命を果たすことができなければ、苦難
の道を歩まざるを得なくなる。年表を中心として見ると、1970 年文先生は、50
ワシントン大会
歳の時に、完全に天使長の位置に立ち、祝福家庭婦人を 3 年間開拓伝道に送られ
1976 年 10 月 4 日「天勝日」ホームチャーチ開始
る。そして御自身も 1972 年に渡米された。1970 年から 1976 年の「天勝日」ま
1977 年 2 月 23 日「天地勝利の日」宣布
での期間は、イエス様の年齢では、10 歳から 16 歳になる。つまり、
「天勝日」と
1978 年 2 月 12 日
は、文先生が 16 歳でイエス様と出会われた時と重なる。アダムの 16 歳は、堕落
御生誕日に氏族メシヤの推進を呼びかけられる
の年齢を超え、エバ復帰の出発をされる時なのだ。イエス様が 20 歳を迎える 1980
1978 年 1610 組約婚式
1978 年 11 月 2 日
年に統一教会祝福家庭を中心として子羊の婚宴がなされなければならなかったの
統一解怨式
3
である。
1980 年から 1988 年は、本来、文先生を中心として見れば、文先生を一代、イエ
1980 年 4 月 15 日
「父母の日」に第3次 7 年路程終了を宣言
1982 年 2 月 22 日
「霊肉界統一式」宣布
1982 年 5 月 17 日
ワシントンタイムズ発刊
1982 年 10 月 14 日
1983 年 3 月1日
(
イ
エ
ス
様
誕
生
2
0
歳
~
2
8
歳
ス様を二代、イエス様と新婦から誕生した文先生の孫を三代として三代王権が立て
られる期間であった。イエス様は、ザカリヤの位置にある文先生の男性の御子女様
を洗礼ヨハネの位置に立て、その姉妹の位置に立つ女性の御子女様を新婦として迎
えて子羊の婚宴を行わなければならなかった。しかし、祝福家庭に三代を象徴する
6000 組祝福式
女性の使命が果たされなかったがゆえに、子羊の婚宴は実現されなかった。イエス
3 年路程出発結団式
様が 20 歳で新婦を復帰できなければ、文先生と同じように7年延長し、1987 年か
1983 年 12 月 14 日
全国勝共決起大会(韓国 8 ヶ都市)
ら 21 年路程を歩まなければならない。文先生がキリスト教圏の中に氏族「父母(レ
ア・ラケル)、子女(カイン・アベルの子女)、万物(信徒・統一教会・祝福家庭)」を
1984 年1月 3 日「愛勝日」宣布
復帰したように、イエス様も統一教会の中に父母、子女、万物を象徴する氏族を 2008
1984 年 5 月 16 日「愛天日」宣布
年までに復帰しなければならなくなる。そして 25 年路程を中心として見れば、長
1984 年7月 20 日ダンベリー連邦刑務所に収監
1985 年 2 月1日「開天日」宣布
成期完成級に当たる 2010 年が最も重要な期間になる。イエス様は 2010 年 50 歳ま
でに神の息子の使命で統一教会を中心として完成させなければ文先生と同じよう
に、天使長の位置にたたざるを得なくなる。つまり、文先生が、40 歳でメシヤを準
)
1985 年 8 月 16 日「一勝日」宣布
備されたようにイエス様も 40 歳、つまり 2000 年にメシヤを準備せざるをなくなる
1985 年 8 月 20 日完全出監
のだ。このような立場で歩まれるイエス様は、文先生がキリスト教から異端あるい
1986 年 4 月 12 日祝福二世 36 組祝福式
1987 年 2 月 3 日
御生誕日に神様から授けられたすべての祝福を
祝福家庭を通して人類に相続されることを宣布
1988 年 10 月 3 日「世界統一国開天日」宣布
1988 年 10 月 31 日 6500 組祝福式
は、淫行のメシヤと呼ばれたように、イエス様も統一教会から見れば、羊泥棒と呼
ばれ、また異端的集団と呼ばれ、淫行のメシヤと呼ばれるようになるであろう。文
先生がキリスト教徒から牢獄に送られたように、イエス様も統一教会から同じよう
な迫害を受けることになるであろう。文先生が迫害するキリスト教徒に対してとり
なしの祈りを捧げられたように、イエス様も統一教会に対してとりなしの祈りをさ
れるに違いない。このように考えると、文先生の 2000 年までの 80 年の生涯は、2000
年に向けて文先生 40 年(旧約)、イエス様 40 年(新約)、そして 2000 年を中心として
1989 年1月 11 日祝福二世 72 組祝福式
再臨主(孫)40 年(成約)というように最初から計画されて歩まれているようにも思え
1989 年1月 12 日 1275 組祝福式
る。つまり 2040 年までが三代王権を中心として四代(ひ孫)の勝利まで考えて摂理さ
1989 年 8 月 20 日「天の真の子女権復帰時代」宣布
1989 年 8 月 31 日「八定式」宣布
れてきたと考えられる。つまり、天使長圏は、アダムの誕生をを中心として三度生
まれ変わり、四代目には、全く違う勝利圏をもって天国を建設していくようになる
のである。
1989 年 9 月1日「天父主義」宣布
4
1990 年から 2000 年までの期間は、文先生とイエス様の公式路程を歩まれ
1990 年 3 月 27 日
1992 年 4 月 18 日
「真の家庭復活の日」宣布
再
臨
主
誕
生
前
1
0
年
1992 年 4 月 21 日
訪韓氏族メシヤ修練会がスタート
るようになる。そしてメシヤの誕生は必ず国際情勢までも巻き込んでくるよ
1992 年 6 月 18 日
訪韓済州島修練会スタート
うになる。1990 年からの宣布式は、三代圏を中心として立てられるようにな
1992 年 8 月 24 日
メシヤ宣言
1992 年 8 月 25 日
3 万組祝福式
(
イ
エ
ス
様
3
0
歳
文総裁が韓鶴子女史の「真の母」としての勝利を宣言
1990 年 11 月 17 日
1991 年7月1日
れる前 10 年になる。この期間は、再臨主誕生のための準備期間になり、文先
「天地転換式」宣布
生の誕生前の 1910 年から 1920 年まで、イエス様の 1950 年から 1960 年まで
「7・1 節」宣布
と同じ期間になる。原理講論では、選民史を中心として同時性を説明してき
)
たが、メシヤも公式路程を歩まれるので、このような同時性として現れてく
る。そして 2000 年からは、再臨主の公式路程を歩む年齢を中心として立てら
れていくようになる。文先生は、2000 年に誕生される再臨主を迎えるために、
1993 年再臨主誕生の前7年から日本人女性を特別に訓練され、水澤洞修練所
1992 年 10 月 26 日「天上天下統一式」宣布
でみ言葉を語られたのだ。訪韓女性修練会のみ言葉を再臨主が来られるとい
1993 年1月1日
う視点に立ってもう一度読んでいただきたい。そうすれば、文先生の切実な
成約元年宣布
想いが伝わるはずである。文先生は、日本人の女性達に自分がいなくなった
1993 年 8 月1日「還故国」宣布(8・1 節)
再
臨
主
誕
生
前
7
年
た勝利権の基台の上に立たれる文先生の孫の位置に立たれる再臨主が誕生さ
後の事をすべてを託されたのだ。文先生は日本の女性に遺言を語られたと言
1993 年 8 月 9 日「日本女性幹部特別修練会」(アラスカ)
っても過言ではない。文先生は、1995 年「サンパウロ宣言」を宣布され、1995
1993 年 10 月 6 日「日本女性幹部特別修練会」(韓国・済州研修院)
年 5 月1日に第二次 40 年路程を出発された。つまり 2035 年までは第二次 40
年路程の期間なのだ。この 40 年路程の中心人物は、文先生の使命を引き継い
1994 年1月 8 日「日本女性指導者特別修練会」(韓国・ソウル)
だイエス様であり、イエス様の基台となるべきであった祝福家庭が歩む期間
1994 年 3 月 10 日「日本女性幹部特別修練会」(韓国・水澤洞中央修練院)
1994 年 5 月1日
だ。1960 年から 1970 年までに成された祝福家庭は、イエス様に対して一世
世界基督教統一神霊協会 40 周年記念式典
の位置に立ち、キリスト教一世を蕩減復帰する立場になる。1975 年から 1990
年までに立てられた祝福家庭は、イエス様に対してキリスト教二世を蕩減復
1994 年 11 月 19 日「日本女性幹部 16 万名教育大勝利」祝賀式
1995 年 3 月 30 日
1995 年 4 月 3 日
帰する立場になる。特に 36 家庭から 6500 家庭までの祝福家庭は、イエス様
「サンパウロ宣言」
の 50 歳、つまり 2010 年になるまでに天使長家庭としての使命を果たさなけ
「新しい希望農場(ニューホープファーム)」宣言
ればならなかった。2010 年までにイエス様の存在さえ知らなかった我々祝福
1995 年 4 月 7 日「祝福家庭に関する宣言」
家庭は、その使命を果たし得なかったと言わざるを得ない。しかし、神の摂
1995 年 5 月1日第二次 40 年路程出発、天地解放式を行う
理は、三代をもって成される。つまり、文先生は、アブラハムが失敗しても
イサク、ヤコブの勝利によってすべてを取り戻したように、三代目に来られ
1995 年 8 月 25 日 36 万組祝福式
5
る再臨主(孫)を中心としてとすべて解決されようとしていたのだ。
1990 年以後に立てられた 3 万双以後の祝福家庭は、世界的な背景をもって誕
1996 年 2 月 14 日
日本人を対象にした韓国清平特別修練会が始まる
1996 年 4 月 5 日世界平和島嶼国家連合創設大会(日本)
生される再臨主に対して一世の位置に立ち、キリスト教一世と祝福家庭一世の使
命を蕩減復帰する立場に立たされている。3 万双以後、世界的な規模で行われた
4 億双に至るまでの祝福家庭は、霊界解放にまで拡大され行われてきた。文先生
1996 年 11 月1日「世界平和家庭連合定着と蕩減解消宣布」(ウルグアイ) は、三代王権を中心としてキリスト教、統一教会、家庭連合の三時代の選民圏を
1997 年 7 月 15 日 360 万組祝福式
再
臨
主
誕
生
前
3
年
1997 年 8 月 9 日「天地父母天宙安息圏」宣布
1997 年 9 月 11 日「第四次アダム圏時代」宣布
準備されたのだ。つまり、文先生は、三代目に現れる再臨主の時代には、すべて
を収拾するために生涯をかけて整備されてきたのだ。1997 年に宣布された「7・
8 節」と「第四次アダム圏時代」は、再臨主の誕生前 3 年に定められた。この期
間は、文先生誕生前の 1917 年から 1920 年の期間、イエス様誕生前の 1957 年か
1997 年 10 月 13 日文先生が訓読会を命名された
ら 1960 年までの期間に該当する。つまり選民圏が産みの苦しみを味わう期間だ。
1997 年 11 月 29 日 4000 万組祝福式
おそらく 1997 年にイエス様が造られた氏族基盤の中で何かの条件(断食?)が行
第一次霊人祝福式
われたのではないだろうか?1998 年 2 月 3 日に宣布された「成約時代」は、再
臨主誕生に合わせて成されたものと思われる。文先生は、2000 年までに次々と宣
1997 年 12 月1日霊界祝福時代開門式
布式をなされた。1999 年までには、すべての摂理を終了させなければならなかっ
1998 年1月1日
たからだ。何故なら 1999 年と 2000 年では、再臨主の誕生を中心として紀元が変
日本が母の国となる
1998 年 2 月 3 日「成約時代」を宣布
1998 年 4 月 17 日「長子権、父母権、王圏開門宣布」(米国)
わるからである。文先生は、そのようなことをご存知であったがゆえに、世界各
地で宣布式をなされたのだ。このような文先生の三代王権の視点に立って第四次
アダム圏時代ということを考えてみたとき、文先生、イエス様、再臨主で縦的愛
1998 年 5 月 15 日「地獄の悪霊人達の解放式」(ブラジル)
を復帰し、再臨主が新婦を迎え子羊の婚宴を勝利し横的愛を復帰し、その新婦と
1998 年 5 月 26 日「奉献転換式」宣布
して復帰されるエバの胎中を通して生まれてくる再臨主の直系の子女(長子)まで
1998 年 6 月 13 日 3 億 6000 万組第一次世界祝福式
「告天文と霊肉界の統一祝福式」宣言(米国)
含めて語れているものと思われる。文先生のみ言葉で例えるなら、三度生まれ変
わって四番目に堕落の血統と完全に関係のない立場で生まれてくる子女を中心と
して復帰歴史を収拾しようという意味として捉えることができるのだ。これを年
1998 年 8 月 4 日第二次ジャルジン宣言
代で表すなら、2000 年に生まれた再臨主が 20 歳の時、つまり 2020 年に新婦を
1998 年 9 月 8 日「四・四節」を宣布(米国・アラスカ)
復帰して子羊の婚宴を勝利すれば、2025 年までには、その直系の長子が誕生し、
1998 年 10 月 5 日全体解放統一宣布
1999 年1月 7 日「復帰摂理完了」を宣布(ウルグアイ)
2028 年までには、直径の長子が祝福中心家庭となり、天使長圏が皇族圏となって、
三代王権と四代心情圏を中心とした神の創造理想は完成するようになる。
1999 年1月 8 日「真の祝福天宙化とサタン血統根絶完成解放」を宣布(天宙四・四節
6
ウルグアイ)
1998 年1月1日、文先生は、日本をエバから母の国になったというように語
1999 年 2 月 7 日 3 億 6000 万組祝福式
1999 年 3 月 21 日サタン完全(自然)屈伏の日(ルーシェルの謝罪)
られている。女性が母になるためには、子供を生まなければならない。これはま
だはっきりとは解らないが、少なくとも再臨主が基台にする国は、日本であると
いうことを文先生は、語られたのではないかと思われる。日本の統一教会員は、
1999 年 4 月 20 日全日本食口特別修練会
サタン側のエバ国家と言われ、神様と文先生に対して負い目を感じながら生きて
1999 年 5 月 14 日天宙解放式(ブラジル)
きた。すでに文先生のサタン側のエバ国家にという視点は、「本体論に迫る」に
1999 年 5 月 30 日真の御父母様地球星勝利祝賀宣布(米国・ベルベディア)
1999 年 6 月 14 日真の御父母様天宙勝利祝賀宣布(韓国・ソウル)
おいて説明したが、三代王権を中心として神の創造理想が完成するという視点に
立てば文先生の一代で摂理を完結することは原理的に不可能だ。文先生自身が何
よりもそのことをご存知であるがゆえに、この 2000 年を迎える前まで、日本を
1999 年7月 27 日「源焦聖地・根源聖地・勝利聖地奉献式」(ブラジル)
特別に指導してきたのではないだろうか?つまり、日本はこれからが神の摂理の
1999 年 8 月 17 日「神様の全体全般全権全能の日」宣布(米国・アラスカ)
本番を迎えるのだ。
1999 年 9 月 9 日真の父母の名により「天地父母天宙統一解放圏」を宣布(九・九節・韓国)
1999 年 9 月 10 日「3・10 節」を宣布(韓国)
1999 年 10 月 10 日「2・10 節」を宣布(ウルグアイ)
1999 年 10 月 23 日「総天宙祝福解放日」宣布(米国)
1999 年 10 月 24 日「第四次アダム圏時代到来」宣布(米国)
2000 年 2 月 13 日 4 億組第一次祝福式
2000 年 9 月 24 日に行われた「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」は、
2000 年 6 月 17 日「海洋還元式」宣布(米国)
文先生の三代圏と選民圏の三代圏を中心として成されたものと思われる。文先
2000 年 6 月 24 日「陸地還元式」宣布(韓国)
生はこの日を迎えるまでにすべての蕩減復帰を終えられた。文先生は、80 年間
(
イ
エ
ス
様
4
0
歳
)
2000 年 6 月 29 日「天宙還元式」宣布
(韓国、祝祷は 8 月 3 日、済州島、地帰島において行われた)
で神の復帰歴史 6000 年を文先生 40 年、イエス様 40 年の 80 年で旧約時代、新
約時代を蕩減復帰されたのだ。そして 40 年路程の二番目の位置である新約時代
の長成期完成級の位置に当たる 2000 年に再臨主を送られたのだ。
2000 年7月 24 日「入籍のための祝福家庭婦人特別 21 日修練会」(韓国)
2000 年 9 月 12 日「総解怨秋夕」(陰暦 8 月 15 日、米国)
2000 年 9 月 24 日「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」(韓国)
2000 年 10 月 14 日「興南収容所解放 50 周年記念及び霊界統一解放式」(宣布)
2000 年 10 月 27 日第 41 回「真の子女の日」に、真の御父母様の家庭定着王圏時代の出発を宣言
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イエス様誕生前の準備期間(1950 年から 1960 年)
すでに説明したように文先生は、2000 年間イエス様が準備された霊的世界的キリスト教の基台の上に神の息子として生
涯を歩まなければならない立場であった。しかし、キリスト教の基台が崩壊してしまったので、神の息子の使命と霊的イエ
ス様の使命、つまり、天使長の使命を兼ねて歩まざるを得ない立場に立たされた。天使長の位置に立たれた文先生は、復帰
の公式を中心として見れば、子女の位置で、父母(メシヤ)を迎えなければならない立場になる。そしてキリスト教の失敗に
よって代わりに立つ新しい天使長圏を準備しなければならなくなった。その使命をもっていたのが 1954 年 5 月1日に創立
された世界基督教神霊協会、つまり統一教会(UC)である。文先生が二重の使命をもっていたように統一教会もヤコブ路程
を歩む文先生の万物の位置と次のアダムを迎えるための天使長圏つまりヨセフの氏族の使命を持つようなる。ここで展開す
る内容は、来られるイエス様に対して統一教会はどのような原理的背景をもっていたか、あるいは、これからどのように進
んでいくのかを年表で整理したものである。文先生がキリスト教の基台を中心として歩まれていたように、1960 年に誕生
されたイエス様は、生涯を統一教会と共に歩む宿命が定められた立場だ。しかし、統一教会が使命を果たすことができなけ
れば、文先生と同じように苦難の道を歩まざるを得なくなる。つまり、統一教会の代わりになるような存在を造らざるを得
なくなるのだ。
キリスト教が文先生を迎えるために、文先生の誕生 10 年前から準備が始まったように、統一教会がイエス様を迎える準
備は 1950 年、文先生が、朝鮮動乱の最中、1950 年に釜山に金元弼先生を代表とする一人の男性と、池承道女史、玉世賢女
史、鄭達玉女史の三代を象徴する女性を中心として釜山にこられた時から始まるのである。
「先生が北韓を離れた時は、1950 年の冬でした。そして、1951 年に南海岸にある釜山まで下ってきました。その時から、
先生が勝利した 1960 年までの 10 年間、激しい迫害を受けてきましたが、私達の摂理は徐々に成長することができたのです。
復帰摂理は、カインとアベルの間の闘いです。そのため、摂理ではいつも文氏がカイン側で現われます。いつも先生を迫
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害する人は文氏です。家庭的レベルにおいても、国家的レベルにおいても、文氏が反対しました。統一教会を政府に登録し
ようとした時、文教部が登録を扱っていたのですが、当事文教部長官であった文氏が、私達の申請を拒否したのです。
私達はこれと闘わなければなりませんでしたが、一週間後にはその結果が覆されました。拒否された申請が覆されるまで
のその一週間は 70 年、700 年、さらには 7000 年に該当するのです。
その時、登録されていなかったら、私達はいかなる宗教的運動もできなかったでしょう。統一教会は 1963 年 5 月 31 日、
政府に登録されたのです。その前に、36 家庭と 72 家庭を祝福しました。」
(ファミリー94/5
41p~42p
統一教会史
1971 年
12 月 27 日
ワシントン)
文先生は、釜山で肉体労働をしながら伝道活動をされる。その時に李ヨハネ先生、姜賢実先生などの基督教伝道師を伝道
され、その後、ソウルに行かれ 1954 年に統一教会を創立される。これは、キリスト教を中心として文先生を迎える準備を
された第一次世界大戦の勃発の時期に該当する。同時にこの年は、1960 年に誕生するイエス様に対して前7年路程に該当
する。すでに説明したように、統一教会は、1955 年、文先生が西大門刑務所に送還されることによってキリスト教が一世、
二世共に完全に失敗してしまう。この事件によってキリスト教が文先生を迎えるための基台を完全に失敗してしまうことに
なる。文先生は、キリスト教が失敗しなかった形を取るために、統一教会を世界基督教統一神霊協会という名称をつけてキ
リスト教の代理使命を果たすように摂理された。そして 20 歳の時に理想相対を復帰できなかったがゆえに、自ら復帰され
た天使長の位置に立ち 27 歳から 48 歳までの 21 年路程を歩まれることになる。文先生は、神の息子としての使命と同時に
将来来られるアダムのために天使長の位置に立ち、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭の基台を立てるための準備を 1948 年から
1960 年にかけて準備されようとしたのだ。つまり、文先生は、ヨセフの位置に立つ一人の男性とエリサベツとマリヤの位
置に立つ二人の女性を中心として神の娘を準備するために歩まれたのだ。
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イエス様誕生後、幼少期から青少年期(1960 年から 1975 年)
1960 年は、文先生を中心とするザカリヤ家庭とヨセフ家庭が準備され、マリヤの位置に立つ女性を通してイエス様が誕
生した条件を中心として父母の日と子女の日が定められた。つまり、1960 年は、文先生を中心とする第三イスラエル選民
にメシヤが送られた年になる。言葉を変えればヨセフの氏族の使命をもつ統一教会にメシヤが誕生された年になる。つまり、
1960 年以前は、紀元前となり、以後は、紀元として摂理的に位置づけられることになる。そのマリヤを通してアダムが誕
生した条件で祝福家庭の編成が成されるようになる。そしてヨセフの氏族の使命を持つ祝福家庭、特に 36、72、124 家庭
は、それぞれ、縦的に父母、子女、万物を象徴として立てられ、文先生のキリスト教に対するカイン圏においての万物の位
置であると同時に、誕生されたイエス様を保護し守るためのヨセフの氏族の使命を持つ中心的立場になる。この三種の家庭
は、統一教会に誕生したイエス様が、2000 年前に十字架に架かって亡くなられたイエス様の幼少時代を蕩減復帰する使命
を果たさなければならなかった。つまり、イエス様が 2000 年前、孤独に育てられた環境を蕩減復帰するために、イエス様
の父母となり、兄弟姉妹となり、イエス様が思春期になるまでの期間を自分の生命をかけてでも守っていかなければならな
い期間であった。その期間は、文先生が 16 歳の時にイエス様と出会ったときのように、1975 年まで、つまりイエス様が
16 歳になりエバを復帰するための本格的な出発をするための期間までの使命を持つようになる。文先生は、1970 年まで、
36、72、124、430、43、777 家庭までを編成された。この 1970 年までに成された祝福家庭は、統一教会に誕生されたイ
エス様に対してキリスト教一世のつまり父母の位置で使命を果たすことができなかった立場を蕩減復帰するために立てら
れた祝福家庭だ。
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イエス様の思春期から子羊の婚宴、エバ復帰の7年路程の意味(1975 年から 1988 年)
1970 年までに立てられた祝福家庭は、イエス様の結婚式に対して責任を持たなければならない立場にある。イエス様の
幼少期は、イエス様に対して父母(僕)の立場で対さなければならない。つまり、ヨセフとマリヤが果たせなかった使命を果
たさなければならなかったのだ。イエス様が 16 歳になるときまで、祝福家庭の男性は、ヨセフの立場でイエス様を守るた
めの環境を準備しなければならなかった。祝福家庭の女性は、マリヤの立場を復帰するためにイエス様の新婦を準備しなけ
ればならなかった。そして、イエス様が 20 歳になるとき、つまり 1980 年に祝福家庭は、イエス様とイエス様の新婦から
生まれてくる直系の長子を中心として国の祝福がなされなければならなかった。イエス様の新婦がイエス様の子女を身ごも
り、子女が誕生した時にイエス様の誕生時に編成された祝福家庭一世は、二度生まれ変わった条件を立てるようになる。1980
年から 1988 年は、アダムの位置に立つイエス様が新婦を真の母の位置に立てるためにアダム自身がエバを直接教育する期
間である。この内容が 7 年路程であり、詳しく説明すれば前 3 年半、後 3 年半に分けられる。特に前 3 年半は、復帰された
新婦が完成したエバの位置をふっきするためにアダムに対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従で従っていかなければならない
期間だ。そしてこの期間を通して新婦は、正妻の位置に立ち、条件祝福家庭すべての女性がイエス様に対して妾の位置に立
つ。つまり、前3年半は、アダムを中心として女性たちが完成していく期間になる。その後アダムを中心として復帰された
女性達を通して、アダム以外の全男性は、天使長の位置に立ち、エバを通して繋がっていくようになる。文先生は、この内
容を 3 年半の万物復帰路程、3年半の伝道路程というように表現されたのだ。つまり祝福前7年路程は、天使長圏(新婦圏)
の中で女性達を中心としてエバ(新婦)を準備する期間であり、祝福後の7年路程はアダムを中心としてエバが教育され、
完成し天使長を生み変えていく期間になる。この内容を文先生のみ言葉で言い換えれば、母子協助時代と父子協助時代とい
う表現になり、また原理講論の創造原理に当てはめて表現すれば間接主管圏と直接主管圏というように表現することができ
る。
本来、1988 年は、統一教会に誕生したイエス様の年齢 28 歳を中心としてエバが完成し、アダムとエバから生まれた堕落
圏とは全く関係のない勝利した天使長の基台の上に完成したアダム家庭が立てられるときであった。1988 年に宣布された
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世界統一国開天日は、勝利した天使長、言葉を変えれば地上の神を中心として、立てられた復帰された天使長世界(復帰さ
れたエデンの園)の基台の上に立たれたアダムとエバとその子女の三代圏の勝利の基準をもって宣布される日であったのだ。
しかし、結果的に、統一教会の祝福家庭は、イエス様の存在さえ知ることができず、この内容を果たすことができなかった。
つまり、イエス様も文先生と同じく、子羊の婚宴を勝利しえなかった。そのように考えると、1989 年に制定された八定式
で語られた縦横の8段階の勝利とは、地上の神として立たれた文先生と 28 歳になるイエス様の二人のみが地上で公式路程
を勝利した基準で立てられたものと思われる。文先生とイエス様の違いは、文先生は、地上に勝利した天使長の基準がいな
い環境で公式路程を歩まれたことであり、イエス様は、地上に復帰された善の天使長が摂理を導いてくださっていたという
点では大きく異なる。単純に比較することはできないし、またその位置に立ったこともない者が軽々しく発言することでは
ないが、おそらく文先生が歩まれた道の方が、統一教会に誕生されたイエス様よりもはるかに困難であったであろう。しか
し、原理の道は、愛の復帰であり、愛は対象を通して完成せざるを得ない。1988 年、1989 年のイエス様の勝利を最も喜ば
れたのは他の誰でもない、文先生御自身であったであろう。しかし、神の原理は絶対である。地上に理想相対(子羊の婚宴)
を復帰しなければ、この統一教会内でイエス様の使命をもった方も、やはり文先生と同じ公式路程を歩まざるを得ない。つ
まり摂理を延長せざるを得ないのだ。
「先生は 1960 年に聖婚しました。それはすべての祝福の基台となるものでした。先生はヨセフとザカリヤの家庭が復帰さ
れた真の父母の基台のもとに一つになる、という基台をつくりました。私たちは七回追い出されても、七回蹴飛ばされても、
それでも八回目に挑んで勝利しなければなりません。それは皆さんもまた二十一年コースを歩まなければならないというこ
とを意味します。それが統一教会が二十一年路程を必要とする理由です。」
(祝福 34 号
19p
2075 双約婚前のみことば
1982 年
6 月 24 日
ワールドミッションセンター)
「皆さんは知らないかも知れませんが、1959 年下半期から 1960 年 4 月以前までの 7 ヶ月間は最高の受難期でありました。
この期間に、統一教会を信じていた人々が離れていき、十二弟子が反対したのと同じような数が結束して反対したのです。
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今までのそれらを見ると、先生は原理的におそろしいほどに打たれてきたのです。
内的な問題においては内的なサタンが、外的サタンと合図して対抗してくる戦いをしながら、複雑な渦中にあった 1960
年に聖婚式を行ったのであります。本来は 3 月 16 日ですが、4 月 16 日を選んで聖婚式をしたのは、最高頂の立場からその
ようにしたのです。どんなに十字架の迫害が大きくとも、私個人は鉄石のような信念を持って、反対する環境を踏み越えて
迎えたのが 1960 年の聖婚式でありました。そこではじめて一つの峠を越えたのであります。」
(祝福 3 号
170p
勝恨日のみことば
1974 年
5月
1日
本部教会)
「第一次七年路程中に「神の日」を設定することができたのは、家庭が内外共に一つになったという条件を立てて、宣布する
ようになったのであります。その「神の日」は原理によれば完成級ではありません。まだ完成期完成級が残されており、歴史
的な舞台を前にして宣布し、第二次七年路程と第三次七年路程に向かうようになるのであります。」
(祝福 3 号
171p
勝恨日のみことば
1974 年
5月
1日
本部教会)
「先生は個人の復帰路程を経て、60 年代から聖婚式を中心として家庭復帰の土台をつくってきました。イエスが家庭、即ち
エバを育てなければならないのと同じように、先生もお母様を育てなければなりません。先生が何故年若いお母様を選んだ
か分かりますか。先生が育てなければならなかったためです。二十代を越えればお母様になれないのです。アダム・エバが
十代圏において、即ちエバが十六歳頃に堕落したために、何も知らない十代圏にいる女性を選んで、天の法度を教えて、誰
も知らないうちに育てなければなりなかったのです。何も分からない十代から、夫が行く道の前に、絶対的に命を捧げて従
順であることを誓い、天を通して公約を立ててこそ、母親の立場に上がって行くのです。皆知っていてはならないのです。
何も知らない状態から上がって行かなければなりません。
お母様は何を分かっていたでしょうか。先生の年が四十代で、十八歳になった婦人を迎えたのでどれほど大変だったでし
ょうか。ご飯を食べる事と、神しか分からないお母様でした。しかし、そのお母様とその背後に神の摂理の御旨があったた
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めに、何も知らないお母様を連れてきて育てたのです。その期間が第一次七年路程でした。
神は女性を六日目に造られました。七日の期間を越えなければならなかったのですが、そのような安息の期間を越えるこ
とができませんでした。そのために、男性としての先生は勝利の基盤を整えましたが、女性としてのお母様はまだ勝利の基
盤をつくり得ませんでした。それで、女性としての勝利の基盤を越えるようにし、家庭の基盤をつくるその期間が第一次七
年路程なのです。
それ故に、お母様は泣きながらでも従順でなければなりませんでした。泣いたとしても、タマルのような心情、マリヤと
同じような心情を持たなければなりません。自分の一身は滅びたとしてもかまわない、肥料になろうという考えをもって、
国の為に、世界の為に、御旨の為に、祝福を受けた血族を残すために、どんな冒険でも成しうるという決意をする立場に立
たずしては、「お母様」の名を備えることはできないのです。先生がその教育をしてきたのが第一次七年路程でした。
そして第二次七年路程は何かと言えば、女性として行く道をつくる期間です。祝福を受けた男性達は何かと言えば、全部
が天使長型なのです。お母様が第一次として行かなければなりません。即ち、二次七年路程は子女の立場にいる家庭が位置
を立てる期間なのです。
その後に、三次からはどのような期間に該当しますか。その時は、祝福を受けた皆さんの子女達が十四、十五、十六歳を
越えるようになります。そうでしょう?第三次七年路程さえ越えるようになれば、祝福を受けた人達の中で、アダム・エバ
が堕落していった、その時の年令を越える子供達が現われるようになります。それ故に、その時からは統一教会が世界的に
伸びていくようになります。原理的に見るとき、そのようになっているでしょうか、なっていないでしょうか?(「なって
います。」)遠くありません。七年だけ過ぎてみなさいと言うのです。」
(祝福 68 号 159p~161p
根本復帰
前編
1970 年
12 月 1 日 江陵教会)
「1981 年度の神の日は、最も意義深い日です。きょう、祝賀する姿勢や心情について話しましたが、あなた方が疲れてい
るので、その心情を高めようとして、こういう話をしました。今度の 81 年度の神の日というのは、第二次第三次七年路程
14
が始まって初めて迎える神の日です。第二次第三次七年路程は、昨年 1980 年 2 月に発表しました。このように考える時、
先生が神の日を祝賀する、そのような心情と同じ心情を持って、あなた方がきょう、あなた方の第二次第三次七年路程にお
いて初めて迎えるべき神の日であるということを、あなた方が知らなくてはなりません。」
(59p
神の日と私の祝賀
1981 年
1月1日
ワールドミッションセンター)
「1968 年の 1 月 1 日が、神が初めて愛を中心として霊界を統合し、地上を統合するための着陸できた一つの記念の日であり
ました。愛を中心とした着陸記念の日だったのです。真の父母というのは、神の愛を中心として、父母の因縁が結ばれた父
母をいうのです。これまであなた方は、サタンを中心の堕落した父母でした。
1968 年 1 月 1 日は、初めて神が地上において、創造理想を通して希望されていたアダムとエバが一体となって、初めて
愛を中心として着陸できた。有史以来初めての喜びの日なのです。そのような日が「神の日」なのです。世間がいかに反対し、
既成教会が反対し、牧師や教皇が天下の人々がすべて反対したとしても、神においてこの事実だけは、歴史の創世以後にお
ける初めての喜びの日であり、神が喜ぶ日なのであります。」
(
54p~55p
神の日(1987 年) 1987 年 1 月 1 日
ワールドミッションセンター)
「ではなぜ、神の日が最初でなく、父母の日が先でなければならなかったのでしょうか。子女の日が先でなければならなか
ったのでしょうか、万物の日が先でなければならなかったでしょうか。このようなことを考えた時、これらの日々は本来一
つに日でなければならなかったのです。一日でなければならなかったのです。神の日であると同時に父母の日であり、父母
の日であると同時に子女の日であり、子女が生まれるべき日なのです。父母から子女が出発するのです。さらに万物の日は、
子女が主管するべき環境的土台なのです。ですから神に属すると共に、父母に属していたのです。このように父母の日や神
の日という各々の日は一つになっていたのです。こういうことを考えてみたことがありますか。それではなぜ父母の日を初
めに選び、次に子女の日、万物の日と決められたのでしょうか。こういう問題を考えた時、堕落は長成期完成級で起きたの
15
であり、本来の父母となるために必要な七年露呈を残した位置であったことを、皆さんは知らなければなりません。七年路
程が残っているのです。
三次七年路程。3 掛ける 7 イコール 21 年間を考えてみた時に、七年間を残した年齢で人類始祖は堕落したのです。それを
復帰するためにも、まず父母を復帰すべきなのです。」
(ファミリー89/3
8p~9p
神の日(1989 年) 1989 年
1月1日
ソウル本部教会)
「なぜ、1960 年度に先生が結婚しなければならなかったのか。なぜその前にはできなかったのか分かりますか、もし、この
国で迫害を受けたならば、最後まで法廷闘争を勝ち抜かなければなりません。法から解かれて解放されるまでです。そのよ
うな運命だったのです。ですから日本でも国家的戦い、アメリカでも国家的戦い、イギリス、フランス、イタリアはいうま
でもなく、すべての国の法廷で戦って勝利したのです。その過程で、そのままサタンが後退するのではありません。皆さん
はそれが分からなければなりません。先生は二十一年をかけて父母の日から、子女の日、万物の日、神の日まで捜し求めて
立ててきました。このような四大名節は先生の血のにじむ闘争史の記録なのです。分かりますか。父母という名前を得ても
子女を持てなかったのです。
子女の日を立てるためには、先生の子供たちに苦労させなければなりません。万物の日を立てるためには、先生に一切の
所有があってはなりません。私の家のものは私のものであってはならないのです。全部、神様のものなのです。負債を負っ
て私が使っているのです。今も莫大な負債を負っているのです。このように、先生も負債を負っていきますから、皆さん達
にも苦労をさせなければならないのです。それが分からなければなりません。父母の日、子女の日を立てるためにどこほど
血を流してきたかしれません。神様の家庭を捜し求めるためには、父母がこの地上で国の基準を越えて立つことができなけ
ればなりません。それが 1968 年 1 月 1 日の神の日なのです。その間にあって、先生の家庭と統一教会に対して、サタンが
行った凶悪な陰謀を皆さんは知っていますか。歴史を忘れてはなりません。分かりましたか?(はい)。
1960 年までの満十四年の間、これは蘇生、長成です。二次の七年路程と同じく、堕落した家庭の男性基準での責任分担
16
と女性基準での責任分担を果たす立場に立たなければなりません。世界のいかなる国家が反対したとしても、その本質的基
準において変わらない愛的伝統を備えた男になってエバを愛さずして創造することができません。神様はまずアダムを創り、
次にエバを創造したでしょう。ですから、何も分からないお母様を連れて教育してきたのです。最初から立派な女を得るこ
とができないのです。
その時、いかに女性が多かったことでしょうか。博士の女性、修士の女性、多くの有能な女性がいました。しかし、その
中で何も分からないお母様に侍って教育してきたのです。そのお母様の家庭においても、一族が多くてはいけなかったので
す。また、どんなにお母様も不自由だったことでしょうか。お母様をお母様として待遇することができなかったのです。三
年間は一緒に住みませんでした。外泊されていたのを知っているでしょう?(はい)。いい加減な多くの女性達を全部収拾
するために、お母様を後ろの部屋に住まわせながら、カインの女達をお母様以上に愛しました。それはこの世的な愛ではあ
りません。泣きわめく女たちが天的愛の因縁を失っての道です。「このお母様は偽者だから、私がお母様の位置に座らなけ
ればなりません。お母様の位置を渡しなさい」と、お母様の部屋に来て大騒ぎする女達がいかに多くいたことでしょうか。
当時の先生は霊的に美男子だったのです。(笑い)
錫温の老婆がいたでしょう。もし今生きているならば八十歳を越えているはずです。この老人は顔中皺いっぱいにして、
目が覚めればすぐにやってきて、部屋で待っているのです。私が出ていくと「先生、いらっしゃいませ。私は来ております」
と言うのです。「この老人め。誰がうれしいものか。なぜ早朝から来ていたのか。」と叱ると、「霊界から行けと言うのです。
他にどうすれば良いのですか?」と言います。また地方へ巡回に行けば、先生の行く先々を知って、さっと先に行って待ち、
「先生、今来られたのですか?私は先に来ていました」と、こうです。(笑い)それで「この老人め。」と悪口を言っても彼女
は嫌がらないのです。ですから「この老人め。」と目をいからせて親不孝な孫、親不孝な孫娘のように対処しても、喜ぶので
す。
私からひどい待遇を受け、たとえ鞭打たれても、自分の夫から鞭打たれるよりも良いと言うのです。そのような事情の蕩
減復帰歴史は実に複雑なのです。当人が知るか知らずにかかわりなく、すべてそのように処理して引っ張っていかなければ
ならないのです。ですから、今までこうして残っていられるのであって、そうでなければ皆、壊れていたのです。これは何
17
の話か分かりますか。「ああ、私はこのように精誠を尽くしたのです。お母様はこのようにしなければならないのではない
でしょうか?」と、こうなのです。この者。お母様は、神様が中心となってお父様が選ぶのでしょう。そうではありません
か。
すべてのありとあらゆることが皆起こりました。もし私が原理を知らなかったならば、どんな拍子にでも合わせて踊りを
踊らされ、吹っ飛んでいって小鬼の餌にでもなっていたことでしょう。先生が愚かでなかったので今日まで鬼の餌にもなら
なかったのですね。そうでしょう。何の話か分かりますか。ですから先生によく学んで、よく従って来なければなりません。
先生はほら吹きではありません。分かりますか?(はい)。ここにいるおばさんたち分かるでしょう。
お母様はアダムを通じて創られたエバと同じように、何も分からないところから出発しなければならないのです。親戚が
多くてはいけません。三代が後を付いてきてはいけないのです。他の縦的な基準があってはいけないのです。正常であって
はいけないのです。ですから、まさしく今のお母様がそのような方なのです。そうではありませんか。お兄さんもいないし、
お父さんもいないし、一人なのです。母娘の二人しかいません。また、その母親は主様に侍るために精誠を尽くすことにお
ける韓国の歴史を代表するおばあさんたちからすべての祝福を受けているのです。
そのようなお母様に皆さんはよく侍りましたか、侍りませんでしたか?(よく侍りました)。さらに、子供の数において
もお母様はチャンピオンになる資格があるというのです。そのように、十四人も生んだのに、子供達一人一人見ても全員が
立派なのです。(拍手)誉進(様)など、太りたいと思えば一週間で太るし、ほっそりしたいと思えば一週間でほっそりと
なるのです。その時は食べることをしないのです。それが普通なのです。子供達が皆そうなのです。そのように厳しい子供
たちなのです。一度決心すれば最後まで成し遂げるのです。
(ファミリー89/5
54p~57p (続)韓国統一
18
1989 年
1月1日
ソウル本部教会)
真の御父母様の生涯路程 3
「統一教会を中心として満四十歳の時である一九六〇年度までに、天的なプログラムを転換する基盤を築きました。それゆ
えに、世界は一九六〇年度から新しい歴史時代に入っていくというのです。歴史家たちは、外的な結果だけを見ていて、そ
の内的な動機がどうなっていたのかを知らずにいます。
一九六〇年度から今日まで、世界の多くの国の解放が起こったのです。国連に加入した三分の一近くの国家が、一九六〇
年度以降に解放されたのです。それはどうしてでしょうか。父母が来る時だというのです。そのことは人々には分かりませ
んでしたが、父母が来れば兄は弟を愛さなければ雷を落とされることを、その心で感じられる人を通じて、一九六〇年代に
異質的な歴史的転換期が到来したのです。
また、世界的な流れが、一九六〇年を基点として、主義を中心とした形態から国家を中心とした形態をもって現れるよう
になりました。世界的な共産主義が、国家的な共産主義と民族的な共産主義に分かれるようになったのです。それでソ連と
中共が争うようになったのです。
それで、一九六〇年度以降の世界は急変しました。今日まで急激に変化してきたのです。六〇年以降の二十年間は、歴史
上で類のないほど、そのような激動と変化を迎えた期間だと見るのです。
一九六〇年度からサタン世界は、激しく揺れ動くのです。一九六〇年度から四十年間、二〇〇〇年までそうなるはずです
が、なぜ大揺動が起こるのでしょうか。それは清算する期間だからです。六〇年度を中心として見ると、先生は四十歳なの
ですが、八十歳まで行かなければならないのではないですか。蕩減復帰路程四十年間の悲しい歴史の中で、神様との因縁が
結ばれたからには、神様が喜ばれる希望の基盤を私の一生でつくらなければならないのです。」
「私は今こうしてお母様と一緒に暮らしていますが、1960 年に結婚した後の三年間は、お母様に外泊させたのです。それ
はなぜかというと、統一教会の狼の群れのような女達を皆生かしてやるために、その十字架をお母様が背負われたのです。
そのような網を抜け出さなければなりません。
19
では、世界的な網をどうして抜け出しますか。このような環境をどのようにして抜け出しますか。この文総裁も同じなの
です。解放後すぐに結婚できれば良かったのに、なぜ 1960 年になって結婚したのでしょうか。解放後、李承晩政権が私を
支えなければならなかったのです。そうして十四年間訪ね求めて行かなければならなくなったのです。アダムとエバは、第
二次七年路程を経たのですが、第三次七年路程は越えることができなかったのです。そうして十四年後に、国を相手に戦い
ながら上がってきたのです。個人から、家庭、氏族、民族、国家と上がってきたのです。そのためには監獄に入ってもいろ
んなことをすべて成したのです。先生は結婚式の前日まで、内務部で調査を受けたのですが、よく考えてみみると、統一教
会を信じたことのある者たち十二名が反対していたのです。イエス様を殺すための十二弟子の反対をすべて蕩減復帰の原則
より受けて、激しく殴られなければならなかったのです。
そのような戦いを経て捜し出してこなければならないのです。36 家庭は戦って捜し出してきたのです。正に喧嘩なのです。
他人の息子、娘を連れてきてお父さん、お母さんには相談もさせませんでした。サタンは神様に相談しましたか。本来は神
様の息子・娘とならなければならないのに、サタンは自分勝手に繁殖させてしまったのです。ですから蕩減法則により、親
の最も愛する息子、娘を皆連れてきて祝福したのです。サタンの血統世界に因縁づけられてはなりません。それで結婚式の
一週間前に父母に招請状を出したのです。「お父さん、お母さん希望でしたらおいでください。参席する場合にはこれこれ
の条件があります。まず礼服を着てこなければ会場に入れません」というような内容なのです。世の中のどこに自分の息子、
娘が結婚するのに両親が式場に入れないなんていうことがあるでしょうか。今までは自分の息子、娘であったのですが、既
にもう出発が違ってきたのです。
愛する娘たちが、息子達が皆統一教会に入っていたことを知らなかったのです。まして自分の娘や息子が結婚するなんて、
正に青天の霹靂なのです。それも、誰が結婚式の通知を送ってきたのかというと、この文先生なのです。「お前のような者
が通知を出すなんて何だ。」と言うのですが、蕩減復帰の原則を知らなければなりません。私は神様が守ってくださってい
るのです。私は神様の命令に従って乞食をしたとしても、悪魔の命令には従わないのです。親達は皆「誰が何々を着て来い
と命令するのか。私の息子、娘なのに」と言いながらもやって来たのです。そこに反対派のおかしな連中が来たので、「龍山
署警察官達を連れてきて警護しなさい」と言ったのです。殺人事件でも起きたら警察署の責任だというのですから、警察官
20
も警護しないわけにはいかないのです。そこで見張り番を立てて、その中で結婚式を行ったのです。先生は、死んでいなけ
れば生きているだろうという賭けをして、多くの反対の中で生命を懸けて決行したのです。そのようにしてサタンは滅亡し、
天は発展したのです。反対する群れの中の四人から、先生はありとあらゆる悪口を言われました。しかし、今となっては悪
口を言われるのも悪いことではありません。ありとあらゆる悪口を言った人は、必ず罰を受けるのです。」
(ファミリー89/6
50p~52p
復帰と解放
1989 年
2 月 11 日
ソウル本部教会)
「日本の植民地から解放されて、七年、七年、ちょうど十四年が過ぎた年に聖婚式を行いました。これは、蘇生、長成旧約、
新約時代の基準を越えて、アダム・エバが結婚した長成期完成級、完成期蘇生級の立場を連結することのできる立場を意味
します。七年、七年たって国家基準を越えなければなりません。イエス様がユダヤ教とイスラエル国を越えることができな
かった、その基準を越えたという条件を立てて、聖婚するようになるのです。
十四年間は、あらゆる苦痛を受けながら、韓国において、法廷闘争を通して、監獄に出入りしながら越えてきました。恐
ろしいのは蕩減法です。蕩減法に合わせるために、イエス様に対して十二弟子までが反対したのと同じく、統一教会を信じ
ていた十二人から反対されたのです。彼らは聖婚式の前日まで、統一教会をなくそうとしたのです。そして、お母様まで、
治安当局に呼ばれて行きました。このような反対を受ける過程を経なければなりません。国家全体が殺そうとしたのです。
このような渦中で闘いを通して見分けなければなりません。
歴史的主人になるためには、歴史的基盤を備えなければなりません。先祖があるからです。旧約、新約時代を中心とした
アダム、ノア、ヤコブ家庭から、72 門徒を備えなければなりません。その 72 家庭は、36 家庭の二倍になるカイン、アベル
を中心とした 72 家庭になります。12 支派の十段階を越えるために 120 家庭になります。こうして世界的中心国家になるの
です。次に、世界を治めるために、4300 年を蕩減する 430 双を立てなければなりません。歴史は数と共にあります。蕩減に
は時があり、条件物があり、人が必要です。4300 年を蕩減するために、430 双を中心とした結婚が供え物になります。悪魔
が愛を汚すことによってサタン世界が現われるようになったけれども、430 数の祝福家庭が供え物となって、神と一体とな
ることによって、430 氏族を復帰することのできる門が開かれるようになりました。次の 777 双は世界的です。こうして天
21
の氏族編成を今までなしてきたのです。
十四年を経て聖婚式をした後、地上においてお母様を立てて、お母様を解放する期間として、七年路程が必要となりま
した。その間、父母の日、子女の日、万物の日、神の日を定めました。七年路程の中で、お母様は心情的十字架の道を歩ま
なければなりません。不平を言ってはいけません。お母様を中心として東西南北、十二人の女性が行く真珠門があるのです
が、その真珠門は何かと言いますと、愛の門です。本当に神を愛する人だけがその門を通過することができます。人間の愛
を知った人はその門を通過することができません。地獄に行かざるをえません。お母様ご自身、長い歴史において、女性達
が受けたあらゆることを背負いながらも、その十字架を恨んではいけないのです。感謝しなければなりません。あらゆる難
しい事情の中で、先生がいなかったら、お母様一人では行くことができないのです。
先生はこのようにすべてのことを知っていたが故に、お母様を立てた後、七年間あらゆる曲折を経なければなりません
でした。数多くの人達がお父様を連れて行こうとして、歴史上に未だかつてなかったほど嵐が吹いてきたのです。十二歳以
上八十歳までの女性達が、先生を自分の夫と思うのです。」
(祝福 68 号
28p~29p
第八回愛勝日
1991 年
1月2日
漢南洞公館)
「先生が成婚式をした 1960 年は、アダム家庭が堕落した長成期完成級の位置です。その位置で、完成期を連結させる出発
をするのです。その出発は、七年路程を中心として迫害を受けなければならないのです。そこで一つになれないときは、全
部蕩減しなければなりません。興進君がそのとき逝ったのも、皆さんの家庭が先生の家庭と一つになれなかったからです。
ご父母様の家庭は、全体家庭を代表してこの道を行きますが、符合し一つになることができる相対がなくなるときは、
相対の条件に該当する価値を、地を代身して蕩減しなくては進むことができないのです。」
(祝福 83 号
28p
22
完全な家庭理想
1994 年
10 月 4 日
漢南洞公館)
イエス様に対する祝福家庭(天使長家庭)の摂理的責任期間(1960 年から 2050 年)
すでに説明したように、1970 年までに立てられた祝福家庭は、統一教会に誕生したイエス様の前に父母の位置、つまり
キリスト教一世を蕩減復帰する立場であった。この一世の位置に立つ祝福家庭の使命は、25 年路程を中心として見れば、
1985 年までが蘇生期、2010 年までが長成期、2035 年までが完成期というようにイエス様を中心として行くべき原理的宿
命を背負っている。つまり 2010 年は、祝福家庭一世の長成期完成級となる。2010 年は、イエス様と祝福家庭一世にとって
非常に重要な年であった。文先生が責任をもつ祝福、つまり天使長圏の編成は、本来 777 家庭まででよかった。つまり祝福
家庭一世の基台があれば、イエス様は神の息子の使命を果たすことができるのだ。777 家庭の祝福以後 1975 年前まで祝福
は行われなかった。1975 年の 1800 家庭から文先生は祝福を再開されるようになった。1975 年から編成された祝福家庭の
使命は、統一教会に誕生したイエス様が 16 歳になる時、つまり、文先生が 16 歳の時に 2000 年前十字架で亡くなられたイ
エス様と出会われ使命を継承した時に該当する。つまり、1800 家庭以後の祝福家庭はキリスト教二世の失敗を蕩減復帰す
る使命を担っていた。この二世の位置は、イエス様に対して兄弟姉妹の立場になる。2000 前のイエス様の時代で考えるな
らば、洗礼ヨハネを中心としたバアル・アシラに屈しない 7000 名の基台に該当する立場だ。本来、この二世の中心、は文
先生の御子女様が立たなければならない。本来この中心に立つ男性の御子女様は、文先生の二番目の子女の位置に立たれた
喜進様であったと思われる。しかし、喜進様は、1969 年にキリスト教の失敗の上に犠牲となられた。孝進様は、この時ま
だ 14 歳だ。文先生は、聖進様を代表に立てられ日本の 777 家庭の基台の上に日本を中心としてイエス様を迎えるための基
台を造ろうとされたのではないだろうか?つまり聖進様を中心とする777家庭は、洗礼ヨハネを中心とした 7000 名の基
台と同じ意味を持つ。しかし、その基台も勝利することができず祝福家庭の二世の基台も文先生の時と同じようにできなか
った。二世の位置に立つ祝福家庭のイエス様に対する使命を、25 年路程を中心として見るならば、2000 年までを蘇生期、
2025 年までを長成期、2050 年が完成期ということになる。つまり、2025 年の長成期完成級の時がイエス様と 2000 年まで
23
に成された、1800 双、6000 双、6500 双、3 万双、36 万双、360 万双、3 億 6 千万双までの祝福家庭がこれから迎える最
も重要な期間になる。この中でも 1990 年までになされた 6500 双までの祝福家庭がイエス様に対して二世の基台としての
重要な使命を担うようになる。
「先生が 73 年 8 月にやって来て、文氏の氏族を解放する式をしました。まず文氏の氏族を解放しなければなりません。イ
エス様は洗礼ヨハネとヨセフ氏族を解放しなければイエス様の行く道がありません。そのために氏族を解放しなければなり
ません。
イエス様が恨みに思ったのは何かと言えば、洗礼ヨハネのザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つになって氏族的責任を果たせ
ないためにイエス様がひっかかったことであります。それを復帰時代において、ある氏族が神の前に解放してあげなければ、
イエス様の行く道はないのであります。
それ故に、第二次 21 都市講演を終え、74 年 2 月に帰ってきて、イエス様が二番目の息子であり、第二次的な立場である
ために、そこに連結された道主開放運動、イエス様を中心とした基督教であるので準備していた聖賢達を、イエス解放と共
に解放してあげるのです。このあいだ来て式をなして行ったのが道主開放式であります。
(祝福 3 号
174p
勝恨日のみことば
1974 年
5月1日
本部教会)
「すでに知っている通り 1972 年から 75 年までの四年間は、我々の摂理において最も重大な時であります。私の戦いはアメ
リカの国民とホワイトハウスに如何にそれを知らせるかでありました。」
(祝福 3 号
24
149p
祝福家庭へのみことば 1974 年
2 月 28 日)
「今日、神が勝利したという意味で、天勝日として決めました。」
(祝福 12 号
85p
天勝日のみことば 1976 年
10 月 4 日
ベルベディア)
「74 年のマジソン・スクエア・ガーデンの大会は、キリスト教の霊的世界的基盤であるアメリカにおいて霊的勝利の基盤を
整えて、国際機動隊を 1975 年に韓国に派遣する事によって、霊肉を中心とした国家的基準に、その勝利圏を連結させる基
盤となったのであります。
霊的にこの世界が肉的国家基盤を連結せずしては世界的国家基盤を形成できないゆえに、韓国において国家的基盤を霊肉
共に整えたとしても世界的な霊的キリスト教文化圏をここにおいて吸収する基盤をつくらなければならないのであり、それ
を通してのみ初めて肉的世界基盤を整える事ができるのです。そのような戦いが今の戦いなのです。何の話かわかりますか。
このようにして、韓国において勝利した霊肉の中心をもって、世界的実体的戦いであるアメリカを中心としたヤンキース
タジアムとワシントンの戦いが、その戦いの中心部なのであります。その戦いにいどむのであります。アメリカが黙ってい
るのに私が戦いをいどむのであります。反対なのであります。イエス様の時と反対なのであります。アメリカが大騒ぎをす
るし、アメリカと韓国が一つになってレバレンドムーンを追い出そうとアメリカが反対するし韓国と一つになって、レバレ
ンドムーンを追放しよう、また反対しようとするのであります。
ヤンキーは二度目のことですからイエス様が心霊復活したのと同じであり、霊肉が一つになりうるこのような一体的復活
圏における血を流すか、何かの事が起こると先生は思っていたのであります。また、そうならなければならないのでありま
す。
結局、レバレンドムーンが、死んでから復活するのであります。その為に、雤、嵐が吹きまくり大会をするどころでは
なくなりました。反対する人達は喜び、ヤァー、レバレンドムーンが今や、滅びたと喜んでいたのでした。
その日、悪い事をしようとする人が、嵐の為に帰ってしまった人が多いのであります。まことに蕩減復帰とうのは、どう
することもできないのであります。そうしたら神山君とかいろいろと入って来て泣いたり、全ての人が絶望したのでありま
25
す。そうしながら外においてはどういうことが起こるかというと、ザ・ゴーワールドブラスバンドが始まって、歌を歌い始
めて聴衆が一つになったのであります。これが素晴らしいことなのであります。
それは何かと言えば、イエス様が公判の場に立った時、来ていた聴衆達が全部一つになっていたのと同じなのであります。
イエス様が三時間ほど暗闇の中に立ったのと同じように、先生も同じ三時間、暗闇に立たなければならなかったのであり
ます。先生も苦悩の中に立たなければならないのであります。」
(祝福 12 号
88p~89p
天勝日のみことば 1976 年
10 月 4 日
ベルベディア)
「ワシントンの集会は世界史的な意義において、レバレンドムーンの位置、統一教会の位置をゆるぎないものにさせ、霊肉
界においては、世界史的なローマに入ってイエスが宣布式を行ったと同じものにさせたのです。」
(祝福 12 号
93p
天勝日のみことば 1976 年
10 月 4 日
ベルベディア)
「ようやく天勝日の意味がわかるようになりましたね。それは単に面白半分の言葉ではありません。これは本当に歴史的な
宣言であり、この日は歴史的な日です。先生はこの世にきて世界の負債を返済し、ちょうどヤコブがヤボク河での天使との
組み打ちに勝利したように、先生も最後の戦いに勝利しました。神は先生にイスラエルという名前を与えられました。イス
ラエルとは勝利という意味ですが、その勝利が世界的基準において得られたのです。それが天勝日のもつ意味なのです。
私達は地上天国の確固たる基台を築いたのです。たとえ私達が全部一度に死んだとしても、一人が生き残れば、天の御旗
を掲げて地上天国の実現に成功するでしょう。しかし、私達は死にません。勝利するのです。それ故、地上天国は現実とな
り、もはや夢ではないのです。天勝日の後、神、アダム、エバ、天使長は一つになりました。聖書の中のエデンの園では、
皆分裂してしまいましたが、ここでは皆復帰され一つになっています。アダムとエバは実体的な地上天国を象徴しています。
神と天使長は天上天国である霊界を象徴しています。この三者が一つになって、天上天国と地上天国の実現を意味していま
26
す。」
(祝福 25 号
292p
天勝日のみことば
1979 年
10 月 4 日)
「あなたたちに天勝日の本当の意味を理解してほしいのです。天勝日が宣言される前は神と天使達が主体で、私達のいる地
上界は受動的だったのです。しかし、この日の宣言以降はその位置が逆転しました。この地上が主体となり、天使界あるい
は霊界が対象になりました。私達が命令するのであって、霊界が命令するのではありません。
この時から統一教会に入教する人達は、熱烈な戦士となるでしょう。新しいメンバーが、古い者たちより大きな働きをす
るでしょう。古いメンバーたちに良く知ってほしいのですが、しっかり頑張らないと、あなたたちはアベルではなくカイン
の立場に立つようになるでしょう。ではカインとはどういう人でしょうか。カインの特徴は前線に出たがらず、後方に留ま
りたがります。これがカインです。先生はアベル勢力、CARP運動を前面に押し出します。彼らは先生の特殊機動部隊の
ようです。彼らは出かけていって、天国の前線を形成しているのです。」
(祝福 25 号
293p 天勝日のみことば
1979 年
10 月4日)
「1977 年 2 月 23 日に、先生は新しい時代、つまり地上天国の第一年を宣言しました。ということは、神が外的な基盤を完
全に打ち立てて、今祝福を通して内的な復帰をしようとしておられることを意味します。」
(祝福 26 号
212p
愛の種族
1975 年
5 月 13 日
ニューヨーカーホテル)
「1981 年は三次七年路程の最後の年であり、その年から 2000 年まで、全世界がホームチャーチ体制に編成されます。そう
すると、真の父母が 1960 年にたてられてから、四十年が完了します。私達がこの地上世界で多くの仕事をすればするほど、
地上におよぼす霊的現象はそれだけ多くなるでしょう。霊的協助は強くなるでしょう。
27
(祝福 28 号
254p
真のカップル
1979 年
5 月 27 日
ニューヨーカーホテル)
「最後の対決は、世界的レベルでなされなければなりません。韓国、日本、アジアのそれぞれの歩みは全部準備段階です。
最後の対決は世界的です。ですから、先生は 1972 年にアメリカに渡ってきたのです。その後の歩みは、皆さん知っている
ことと思います。先生は 1972 年 1 月 8 日にアメリカにやってきて、戦線を組織しました。しかし、本当の聖戦は 1973 年 4
月 30 日にはじまったのです。それから 1976 年 9 月 18 日のワシントン大会戦までの喜ばしいおよせ三年間は、世界的基準
で戦われた聖戦の時期でした。」
(祝福 25 号
285p
天勝日のみことば
1979 年
10 月 4 日)
「先生が韓国を発ったその次の日、政府は非常事態を宣言しました。これは単純な事件ではありません。また、先生は今年
(1971 年)が寒い冬にならず、川の水が凍らないように祈っています。それゆえに、今、皆さんは暖かい日々を過ごして
います。さらに、二週間が過ぎれば、天気の心配がなくなり、凍て付く寒さはなくなるでしょう。
1972 年 4 月 25 日は、金日成(主席)の 60 歳の誕生日です。サタンのための完成数が 60 です。1972 年を越せば、金日成
(主席)の運勢は徐々に下がっていくことでしょう。
1970 年から 1972 年までの三年路程はとても大切な期間です。第二次七年路程が 1974 年に終わります。私達はこの 1974
年まで南韓で、ある条件を立てなければなりません。これまで皆さんは、私達が一つの国を神側に復帰できないと、大きな
試練に直面するようになるということを知りませんでした。その一つの国は、先生が以前話したように、二つに裂かれた国
であり、さらに神様とサタンが互いに讒訴する、板門店のような所がなければなりません。」
(ファミリー94/5
28
44p
統一教会史
1971 年
12 月 27 日
ワシントン)
「80 年代からは、統一教会では、年でいえば(還暦すぎて)70 年に向かうのであり、共産世界のサタン数の 6 数を越えて
行くのです。6 数を越えて 7 数に向かうときが、今です。サタン世界はこれまで数多くの栄光を受けてきましたが、これか
らすたれていき、今からは神様の栄光の時であるので、1980 年代からは統一教会が栄光の中に入っていくことになるのです。
あなた方さえしっかりやれば、2000 年前に、みな終わります。」
(
42p~43p
感謝なる神の日
1980 年
1月1日
ワールドミッションセンター)
「イエス様を見てごらんなさい。イエス様は三年だけ活動されて亡くなりました。どうして 2000 年の話をするのかという
と、私が統一教会を始めたのが二十歳であるとすれば、60 年たてば 2000 年になるのです。今までで 40 年です。この 40 年
の間が、イスラエル民族のカナン復帰の途上における 40 年期間に該当することを知らなければなりません。彼らはエジプ
トを出て荒野を 40 年間放浪しました。それで私は、世界的規模で 40 年の間にしなければならなかったのです。」
(
43p
感謝なる神の日
1980 年
1月1日
ワールドミッションセンター)
「1960 年の 3 月 16 日は私が結婚した日です。昨日が陰暦の 3 月 16 日です。そして太陽暦では 4 月 30 日です。1973 年 4 月
30 日は、私がアメリカに到着し、公式的摂理の出発した日です。アメリカに到着してからの七年間と、結婚しての満二十年
が 4 月 30 日という一日に一致してしまった、これは不思議なことです。」
(
206p
迫害と祝福
1980 年
5月1日
ワールドミッションセンター)
「その歴史の最終的な転換時期としての二十年期間を経て、今、第二次の三次七年路程を中心にして、
(合わせて)四十年期
間に向かって前進しているのです。」
(
178p
父母の日と現世
29
1981 年
4月5日
ワールドミッションセンター)
「1983 年、84 年を中心として越えていくのです。これが、教会創立三十周年にあたっています。世界的な蕩減をして、三
年間の 1985 年 8 月 15 日までに、イエス様の 72 人の弟子と 12 人の弟子が反対した立場を蕩減しなければなりません。それ
をどこでなすかといえば、韓国の地において行うのです。」
(祝福 41 号
304p
愛勝日の原理的意義
1984 年
2 月 10 日
ベルベディア)
「1984 年、統一教会の創立三十周年が真にこの時なのです。イエス様は三十歳の時に家庭的出発をしましたが、私たちは
家庭ではなく、民族的出発を中心として国家に向かうのです。そのようにして三十歳の年に団体基準を中心とするようにな
ったのです。そのような民族的基準を中心として、国家に向かうことのできる世界的な時代に入ってきたということを知ら
なければなりません。」
(
23p
祖国創建
1984 年
1 月 1 日)
「それで 1984 年のきょう、先生は既に祈りの中で宣言しました。死の恐怖も愛でもって消化し、監獄の恐怖も愛でもって
消化し、今日の法廷闘争と地上の地獄を愛で消化するこのような式を先生は挙げました。『愛勝日』と『愛天日』を定めた
という事実は真の父母がいなくては不可能なことです。真の父母が現れて、歴史上にこのようなことをすべてなして、後代
の人々が行く道を高速道路のごとく付くってあげたという事実を、歴史をおいて永久に『愛天日』を誇りとして、
『愛天日』
を讃えつつ、記憶すべき日であることをこの時間宣言するのです。
親は息子を亡くした時ほど悲しいことはありません。しかし愛で越えたのです。すべてを愛でもって消化していく特権的
な日を定めて、勝利の楔を打ったのです。愛のみがすべてを主管することができるのです。皆さん、これから転機が始まり
ます。統一教会の喜びとなり、キリスト教の喜びとなり、自由世界に蘇生の光が差してくるのです。このような運動がこれ
から始まります。この誇り高き戦いと活動を展開していかなければなりません。既にイーストガーデンでは先生を中心とし
30
て、また家庭を中心として『愛天日』を宣布しましたが、きょうこの時間に世界的に宣布します。今後私たちは百戦百勝す
るでしょう。蕩減時代は終わりました。」
(
42p~43p
愛天日
1984 年
5 月 22 日
ベルベディア)
「新しい次元の一つの転換時点を迎えるようになった 1985 年代を過ごし、1986 年から新しい歴史的な摂理にページが始ま
るこの瞬間を迎えました。」
(ファミリー86/3
7p
天国創建
1986 年
1月1日
ソウル本部教会)
「それでは、祖国の統一はどこからするのでしょうか。世界を統一するにも、既にメチャメチャになっているので、ある一
ヶ所で統一しなければなりません。このような立場において、既に形態は韓国を中心として整えられています。これを統一
しさえすれば、世界を統一できる一つのモデルが生まれてくるのです。東西の分立も、南北の格差も、逆の立場で神が成さ
れた統一の形態をつくることによって、世界もこれに従えるという新しい運勢圏へと越えていくのです。韓国はセンターと
同じです。世界もこのようになっているのです。これが一つになるためには外的世界を一つにしなければなりません。(黒
板に図・Ⅲを書かれる)韓国を一つにしようとすれば、世界を動かさなければなりません。今、先生は世界を動かすことを
やっているのです。日本とアメリカを一つにするのです。
そのような背景を備えて環境を一つにする運動を今やっているのです。正に今年が、全体に影響を及ぼすことのできる年
です。これが四十年の荒野時代に匹敵します。この三年間はヨシュアを中心とした三日路程です。これは 86 年、87 年、88
年です。この三年間が重要です。」
(
33p
祖国統一
31
1987 年
1月1日
ワールドミッションセンター)
「そこで、先生は統一教会を立てて何をしてきたのかというと、1970 年代までは物質を中心とする摂理ではなく、まず父
母から始めたのです。父母の愛を中心として次に子女を重要視するのです。そこで、子女を探すためにはすべての物質を犠
牲にしなければならないのです。子女が尊いのであって、万物が尊いのではありません。統一教会の歴史は、1970 年代ま
では物質を尊ぶのではなく、人を尊く思ったのです。70 年代を越えて、神と父母が一つになった上で子女の基盤を拡大さ
せていきながら、物質に対する摂理が始まったのです。統一教会が今日の外的基盤を造ったのは 70 年代以後なのです。
昨夜も文社長が来て、「この十年の間に非常に発展しました」と言いました。それは摂理史から見て、1970 年および 73 年
からの発展なのです。なぜそうなるのかということは、先生が韓国において蕩減条件を立てて、韓国に先生がいなくても神
のみ旨を受け継ぐことのできる子女の基準を立てたので、先生が世界の舞台へ出た時には、もはや国家的背景ができていた
のです。既に万物の蘇生圏に入っていたのです。
その時代にあっては、西欧社会の経済と連結しなければなりません。西欧社会は天使長圏なのです。しかしこれまで、ア
ジアと西欧社会が異なっていたのはなぜかというと、西欧社会は外的すべてを探し求めてきたのであり、東洋社会は内的、
精神的な面を重要視してきたためです。精神的な面を重要視しようとすれば、外的な面を否定しなければなりません。西欧
社会は、神側の天使長なので、サタンのために失ったものを探す過程においての神側の天使長圏に該当する立場に立ってい
るので、今日まで万物に対しての祝福を受けて来たのです。
そのように物質の祝福を受けて来たキリスト教圏を中心として、西欧から出発して世界を一周し、アメリカを通過して、
アジアへ戻ってくるのです。人口問題一つを取ってみても、東洋には 30 億の人々が住んでいます。世界の人口を比較して
みても、3 分の 2 に近い人々が東洋に住んでいるのです。ですからすべての精神的な支柱は、東洋を中心として摂理されて
いるのです。宗教もすべてそうなっているのです。儒教、仏教、キリスト教、すべてが東洋を起源としているのです。回教
も東洋です。みんな東洋圏から出てきたのです。だからサタンは神側の物を奪ってこようとするのです。神とサタンの中に
あって、西欧文明は神側の天使長圏に立って物質面で対処しなければならないのです。内的な東洋世界は物質を退けてしま
うのですが、この中間に立てて、保護しつつ、歴史を通してアジアへ戻ってこなければならないのです。そこで初めてアジ
アと連結されるべき時が第二次大戦後の解放直後の韓国を中心としての一時だったのです。アジアと連結して、新しい文化
32
世界として出発するために、韓国を中心としてアメリカの天使長文化圏の物質を捧げていかなければならなかったのです。」
(ファミリー87/12
16p~18p
最後の祭壇
1987 年
6 月 14 日
ソウル本部教会)
「統一教会がこれまで歩んできた歴史は、1973 年以前までは旧約時代と同じです。すべての物質を犠牲にした蕩減復帰で
す。このように旧約、新約、成約時代の過程を経て、統一教会は地上における理想的家庭を中心として蕩減復帰をしなけれ
ばなりませんでした。人類始祖の堕落によって広まった世界を、逆に探し求めていったのです。旧約時代、新約時代、成約
時代へと本然の世界を探して行くのです。(黒板を示されながら)ここからでてきて、これらのすべての繁殖を再び接ぎ木
して、堕落以前の神の愛を中心とする所有決定基盤上ですべてを解放して、サタンを除去しなければなりません。サタンの
所有が地球上に残っていては神の国が成就しません。それで、統一教会自体の歴史においては、旧約時代の物質を重要視し
てはならない時があったのです。その時、統一教会は国からも家庭からも追われたのです。その当時、統一教会には何一つ
ありませんでした。しかし、私たちはお金のためには働きませんでした。どんなに反対され、どんなに貧しい生活をしてい
ても、父母に従って一つになろうとしてきたのです。そして自分の所有するすべてを犠牲にしても、この道を助けようとし
てきたのです。その次の新約時代の、旧約の蕩減時代と同じように、子女達、統一教会の食口全部が祭物の過程を経なけれ
ばなりませんでした。ですから村の中で犬に噛まれたり、馬に蹴られたりして、この世に起きているすべてのことを全部代
表して、統一教会の食口がサタン世界から打たれてきたのです。そして子女の祭物過程時代が 1970 年代以後です。そこで、
この大韓民国に子女の基盤を残しておいて、父母が世界の路程に出発したのです。
そして、サタンがキリスト教文化圏を中心として反対してきたその宗主国のアメリカを中心として、世界的な闘争時代へ
と越えてきたのです。その過程においては、父母がすべての迫害を受けて来たのです。世界的迫害を受ける先生の路程は、
豊かな環境の社会で生活するためでも、またアメリカ人や、西洋の人々のみを救うためでもありませんでした。それは韓国
人のこの東洋の先生による東洋文化圏が築いてきたキリスト教が、韓国キリスト教を中心として先生に反対したので、それ
を蕩減しなければならない路程が残されていたのです。それで 1984 年までアメリカで戦ったのです。そして初めはアメリ
カのすべての教会が歓迎しました。これも神の役事でした。
33
このようにして、1974 年には国とキリスト教との戦いが始まりました。そしてその戦場に統一教会が入り込んだのです。
これはイスラエルの国とユダヤ教の中に立ったイエス様と同じ立場です。政府とキリスト教が一つになれなかったので、そ
のことを統一教会が引き受けたのです。それは、ユダヤ教とユダヤの国がローマと一つになってイエス様に反対して、イエ
ス様を殺してしまったことと同じです。それを蕩減復帰しなければならないのです。それで政府と統一教会が一つにならな
ければなりませんでした。韓国政府の背後にはアメリカがついていたのです。このようにして、1975 年
7 月 6 日のヨイド
大会に向けて釜山、大邱、ソウルまでの三段階を越えて全面的な戦いをしてきたのです。その時、キリスト教の霊的基盤の
土台を実体基盤に連結しなければなりませんでした。実体の戦いを蕩減しなければなりませんでした。
イエス様の時代はユダヤとローマの国が一つになって、それにユダヤ教が加わってイエス様を打ってきたのですが、今度
は反対になったのです。イエス様の立場に先生が立って、韓国とアメリカのキリスト教文化圏と外的な基盤を完全に屈服さ
せたのです。そうすることによって、イエス様がユダヤ教の前に犠牲になったことが蕩減復帰されるのです。でなければ実
体路程が出発できません。そのようにしてヨイド大会が終わった後に、先生は手紙を書きました。今の世界の運命、国家の
運命がどうなっているのかということについて手紙を書いて、四十日間待ちました。国に対しての先生の責任を果たさなけ
ればなりませんでした。韓国の保安ということは一国の問題ではありません。
アメリカを中心として韓国が収拾されるその時が、7月18日でした。そして毛沢東が死んで、その葬式の日に先生は
アメリカに向かって新しい歴史を出発したのです。それからカーター政権を中心とした政府に対するようになったのです。
ニクソン、フォード、レーガンと、四代の蕩減歴史を通して勝利的基盤を造ったのです。また監獄にまで入って、勝利した
復活圏を中心として初めて国と世界が反対する環境圏を越えてきたのです。」
(ファミリー87/12
22p~25p
最後の祭壇
1987 年
6 月 14 日
ソウル本部教会)
「そのような世界的分別時代の 1988 年を中心として、世界の時代へと越えていくべき深刻なる時が来たのです。その前夜
に当たる今日、韓国のすべて朝野は混乱状態になり、誇りとしていた経済復興は労組問題で悩み、全国家体制もその土台が
揺れ出し、個人も、家庭も、氏族も、白衣民族である大韓民国のすべてが自信を持つことができず、いかなる富も、いかな
34
る主権も自信を失って、無気力な状態に落ちていくこの現実を前に、私たちは厳粛に統一氏族の団結を宣言すると同時に、
民族のために祭物として自分と全体を投入するという決意を固めて、民族解放を目標として最後の決定を宣布しなければな
らない時である事をはっきり知らなければなりません。分かりましたか?(はい)。
(ファミリー88/2
39p
最後の決定
1987 年
9 月 13 日
ソウル本部教会)
「怨讐であったその者を、本来ならば復讐すべきにもかかわらず、彼らを皆日本に返した。そういう後始末をして送ってあ
げたのです。その見返りとして、この日本の若者が先生のために命懸けで奉仕する。因果法則は厳格なものである。何故君
達はこういうようになったか。種をまいたその基準があるからです。わかりました?(「はい。」)日本は怨讐である。神の
愛に通じて愛したその愛に報いるために、末の時期、転換期において、日本の重要な若者や頭のいい者は先生に付くように
なる。それは、神の原理原則に通ずる真理である。それを知っておかなければならない。
今度祝賀に来た者達は、女も男も顔も良く芳しい姿をしている。皆韓国人のような顔をしている。それは、末の時期に、
日本の革新的な第二世を引っ張って韓国に引き付け、アジアの新しい天地の出発をなそうとするためである。分かりまし
た?(「はい。」)
先生がこの 10 月 3 日に、「世界統一国開天日」を発表した。これは「天を開く」という意味で、「紀元節」と同じです。歴史
以来初めてそういう発表をしたのも、蕩減条件を立てて国家を越えて世界へ進む時代になってきたからである。今からの統
一教会の交際や伝道は、頂点だけすればいいというのです。
だから、それを目指して、今、国家的次元に繋げなければならない。横的世界的基準に、天的心情、天と地を結びつけ
る両父母様の心情圏が、個人から世界に通ずる垂直線を下ろした。」
(祝福 59 号
72p~74p
35
聖酒式前の御言
1988 年
10 月 29 日
一和研修院)
イエス様の天使長家庭復帰摂理路程(1987 年から 2008 年までの 21 年路程)
1980 年20歳で子羊の婚宴を勝利できなければ、統一教会に誕生されたイエス様も、文先生と同じように 7 年後 1987 年
から 21 年の公式路程を歩まなければならなくなる。つまり文先生がカイン圏のキリスト教内に父母と子女と万物を象徴と
する統一教会(氏族)を 21 年間で復帰しなければならなかったようにイエス様もカイン圏である統一教会内に父母と子女と
万物を象徴する氏族を復帰しなければならない。1987 年からイエス様は、レア・ラケルの立場を象徴する二人の妻、カイ
ン・アベルの 12 人の子女、そして万物を象徴とする信徒(天使達)を統一教会内に復帰しなければならない。おそらくこのよ
うな路程をイエス様が歩むようになれば、間違いなく異端として扱われ、羊泥棒と統一教会から言われるようになるであろ
う。しかし、文先生が、キリスト教からどのような迫害を受けようともみ旨を歩み続けたように、文先生の使命を相続し得
る方であれば、統一教会からどのような迫害を受けようとも歩まれるはずだ。文先生が、1948 年からレアとラケルを探し
歩まれたように、2000 年まで同じ歩みをされるであろう。1987 年にレア・ラケルを復帰できれば、その後 14 年路程、つ
まり 2000 年で文先生の直系の位置に立つ孫が誕生し、祝福家庭は、キリスト教が果たし得なかった三代王権を中心とする
世界の祝福がなされるはずである。しかし、文先生と同じようにレア・ラケルの復帰が成されなければ、文先生と同じくど
んなに遅くても 40 歳になる 2000 年にヨセフの立場になる一人の男性と二人の妻の形態を整えた形で、文先生の孫の位置
に立つ人物を誕生させなければならない。イエス様の使命は、25 年路程を中心として見れば、長成期完成級にあたる 50 歳
になる 2010 年が最も重要な時になるであろう。イエス様が、文先生と同じ道を歩めば、2000 年にザカリヤ家庭とヨセフ家
庭の基台を勝利し、文先生の孫の位置に立つ人物(再臨主)を準備し、この再臨主の誕生を条件として、イエス様が造られた
集団の中で祝福家庭のような氏族編成がなされるはずだ。そして 2008 年までに、文先生と同じく善の天使長(地上の神)位
置を復帰するはずだ。そして 2000 年から 2020 年までの再臨主(孫)の年齢を中心として旧約時代を象徴とする統一教会と、
新約時代を象徴とするイエス様自身が造られた氏族圏と再臨主自身が立てられる直系のアダム家庭が繋がる時が来るはず
だ。
36
「1990 年になれば、私の年が 70 歳になります。2000 年が 80 歳になる年です。これはモーセの路程です。2000 年までに準
備作業をすべて成しておくのです。そしてお前達の時代には、天国が建設できるようにしてあげなくてはなりません。だか
ら、それだけ忙しいかというのです。」
(祝福 47 号
34p~35p
一勝日におけるみ言葉
1985 年 8 月 16 日
イーストガーデン)
「世界統一国開天日」は 1988 年に始まりました。これが 1950 年、韓国動乱を中心として、冷戦を経て回り回って、オリンピ
ックで終わるのです。韓国で始まったものが韓国で終わりました。冷戦を韓国で始めて、韓国で終わったのです。韓国のオ
リンピック大会が、今までのオリンピックの歴史で、最もたくさん集まった国として記録されたのです。
88 オリンピックに集まったすべての運動選手たちは、二世です。彼らが韓国で一つになった後、共産党が滅びたので、ア
メリカとソ連が対峙する相対的基盤がみななくなりました。統一的基盤しか残らなかったのです。これが歴史的にヘレニズ
ムとヘブライズムの対決です。
韓国動乱の時は十六ヶ国が参戦しましたが、オリンピック大会の時は 160 ヶ国が来ました。16 数です。国連軍が生まれた
のも韓国ゆえです。先生が巡回したのも 160 国家があり、今度の米国巡回講演会の 16 州です。これをみな連結するのです。
この時(1988 年)から十二年間が世界の大転換期です。12 支派の代わりに世界的 12 代表の国だけ一つにすれば、民主世界、
自由世界を統一できるのです。
この期間にこれを越え、1991 年には氏族メシヤを発表し、1992 年にはお母様を中心として、女性解放運動と、真の父母
と成約時代を発表して定着し、今年にはすべてのものを相続させてあげるのです。
氏族メシヤとして、カインとアベルが成立されるので、そこにお母さんが解放されなければならないのです。復帰路程
の公式がそうです。それで、今まで 160 国家で勝利したものを全部相続させてあげるのです。
37
(ファミリー95/12
14p
第 8 回「世界統一国開天日」
1995 年
10 月 3 日
ベルベディア)
「1999 年 3 月 21 日を期して、サタンが屈伏したその日から霊界の整備を急ぎ、2000 年の最後の日まで急いで、急いで、忙
しい日々を経て、きょう、新年の新しい日、2001 年、3000 年に向かって出発する新しい千年の解放的世界を迎えました。」
(ファミリー01/2
9p
第 34 回「真の神の日」午前零時の御言
2001 年
1 月 1 日 清平修練院)
「男性は天使長です。エバが天使長を生んだように、女性が母の立場で自分の夫を生んであげなければなりません。
四十日の聖別期間とは何でしょうか。堕落した女性が、本然的、霊的に新郎と一つになる期間です。一つにならないで息
子を生むことはできません。父と母が一つになる立場に立たない限り、天使長を息子として生むことはできないのです。聖
別期間がどれほど厳粛な期間であるのかを皆さんは分かっていません。皆、分からないままで過ぎてきました。分からなか
ったので大丈夫ですが、分かっていたら皆引っかかります。この期間は真の父母の実体につながる期間です。天と地すべて
を相続することのできるパイプが連結される、この驚くべき惠の時間を誰が分かったでしょうか。これは遊びではありませ
ん。原理を再度鑑定して、蕩減復帰の路程で、反対の経路で回っていくということを考えると確かなことです。
千辛万苦しながら、行くべき道を行こうとしている先生です。このように先生は、一人で戦争の場に出ているのに、泥棒
みたいなことをやっている統一教会の者たちは、骨も残さずきれいに清算するつもりです。先生はこれを正さないで進むこ
とができません。
これから、韓国から手をつけ始めて、無慈悲なことが起こったらどうしますか、それで、六年間という期間があるのです。
先生がやってきたのと同じく、皆さんも、そのような基準を中心として先生の代わりに六年間、今年を入れて 1994 年から
2000 年までの七年間でやっていかなければなりません。先生が御旨のためにひたすら真心で歩んできたことを、皆さんが
代わりに受け継いで、これを高く賛美し、伝授されるための行いをし、自分の子孫たちに伝えてあげるための公義の生活を
しなければいけないというのです。
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父母様のために苦労することに対して、感謝して歩まなければなりません。統一家の人は、口をもっていたとしても、
五官をもっていたとしても、自分の思いで不平を言うことができないことを伝統として伝えるべきです。コソコソと話した
りしてはいけません。
ご覧なさい。初めて歴史に真の父母の家庭が定着しました。では、真の父母の家庭とは何でしょうか。神様が創造される
時、創造物自体には何の観念もありませんでした。そのようなものをもってアダムをつくられました。だから、そのアダム・
エバも、自己観念があってはいけないのです。一心一体、一心一体は神様のみです。父母様のみです。他の心を持たないで、
ただ神様の愛を受けることのできる日だけを願っているべきです。
(祝福 83 号
37p~39p
完全な家庭理想 1994 年
10 月 4 日
漢南洞公館)
「摂理的な観点から見るとき、復帰摂理の時代は終わったと見ます。復帰摂理時代が終われば、本然の創造理想の世界に入
っていくようになるというのです。復帰摂理時代が終わるという話は、堕落した世界のサタン権限世界が終わり、神様が地
上と天上世界を直接管理する時代に入るということです。このような時が来るので、統一教会では「家庭盟誓」というものを
宣布しました。「家庭盟誓」は一般の人がするものではありません。「家庭盟誓」というものは、どんな人でもできるようには
なっていません。「家庭盟誓」の七大条件の先頭には、「私たちの家庭は真の愛を中心として」ということが前提となっていま
す。それはどういうことでしょうか。サタン世界と関係のない基盤だということです。
堕落することによって、偽りの愛を中心として、偽りの生命、偽りの血統が連結された世の中となりました。これを克服
して越えていくために、何を持たなければならないかといえば、真の愛と真の生命と真の血統の場を占めなければなりませ
ん。そうでなければ、これを克服することができないのです。皆さん、これをはっきり知らなければなりません。
なぜ、「家庭盟誓」に真の愛を前提条件としたのかといえば、エデンの園で堕落がなかった、本然の世界に入っていること
をいうためなのです。分かりますか。真の愛と真の生命と真の血統が、神様と共に一体的理想をなしたならば、そこには偽
りの愛と偽りの生命と偽りの血統がないのです。そのような人が地上で暮らすことによって、地上天国と天上天国がなされ
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るのであり、永遠なる世界の出発が形成されるはずだったのですが、これを堕落によって全部失ってしまったというのです。
それゆえ、歴史を通して、今まで数多くの宗教家や数多くの聖賢、賢哲たちが現れましたが、そのすべてが真の愛とは何
の縁もありません。このようなすべてのものを解決するために、イエス様がこの地に来て、新郎新婦の基盤を築いたのです。
メシヤが来てすべきことは、新しい家庭と新しい氏族と新しい国家と新しい世界をつくり、新しい皇族を設定することです。
皇族圏の先祖は誰でしょうか。堕落しない、神様の直系の子女として、真の愛を中心として、真の生命と真の血統の基盤
を中心とした人です。そのお方が種です。その種から根が出てくれば、中心の根になるだろうし、そこからの中心の幹、中
心の芽として大きくなっていくのです。これが縦的に大きくなるにつれ、それに対忚して横的に世界に拡大していく立場と
して、家庭と氏族が連結され、民族、国家、世界が連結されるのです。
ですから、真なる根、真なる芽を中心として連結された後も、真の愛の枝であるからには、そこで結ばれた実は本然的ア
ダム家庭になるのです。中心の根になることができ、中心の核になることができ、中心の芽になることのできる起源の種が
実として現れるとき、その幹になり、中心の芽になるようになっています。それゆえ、実は同じ価値があるのです。
このような観点から見るとき、今日、統一教会は「家庭盟誓」の二番目に出てくるように、神様と真の父母様を中心とした
代表的家庭となり、中心的家庭になるのです。自分の家庭は、ただ懸け離れた、金氏なら金氏の家庭ではありません。祝福
を受けた家庭が大韓民国の島の端で暮らすとしても、島の端で暮らす家庭ではありません。
(祝福 83 号
11p~13p
40
完全な家庭理想 1994 年
10 月 4 日
漢南洞公館)
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