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PDF版 - 消費者の窓

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PDF版 - 消費者の窓
第2部
様々な学問領域からの分析
第3章
1.
公法学からの分析
事前規制(主に基準認証制度)における行政の責任論と各種認証制度の評価
(1)基準認証制度に関する行政法上の論点整理
基準認証制度(基準・規格及び検査・検定制度を総称するものとして用いる)につい
ては、近時の政府における規制改革の流れの中で、その見直し作業が進められてきた。
そもそも、基準認証制度の見直しの必要性について、各種の政府文書等から読み取れる
事柄は、基準認証・検査検定に係る業務が一定の主体に独占されていることに伴う社会
的コストの上昇や、本来は事業者等が有すべき責任意識の希薄化といったものである。
そして、自己確認・自主保安、民間検査機関等による第三者検査、事前規制から事後的
チェックへの移行等々のスローガンの下に規制改革政策が具体化されてきたわけである
1。
同時に、従来、わが国の検査検定制度における典型的な法的仕組みのパターンとして、
行政事務委託型の公益法人等を利用する指定検査機関・指定法人の制度が存在し、設立
根拠法令上は民法等を根拠とする民間法人と主務官庁との組織法上の関係が問題とされ
る一方、指定法人等が国の補助金に依存したり、恒常的に特定官庁出身者が「天下り」
として役員に就任したりといった現状がマスコミ等をさわがし、主権者あるいは納税者
としての国民よるガヴァナンスのあり方も問題とされ、その抜本的改革という文脈での
規制改革も進められることとなった。
指定法人・指定検査機関については、行政手続法制定の際に主務官庁との手続的関係
をめぐって立法論上の大きな課題として議論され、続いて、情報公開法制を整備する際
に、行政事務委託型指定法人に係る説明責任・国民の開示請求権制度のあり方という観
点から議論がなされた。前者については、行政手続法 4 条の適用除外規定という形で一
応の立法的解決がなされているが、後者については、現時点で立法化はなされておらず、
基準認証制度の改革については、平成 11 年 3 月 30 日に閣議決定された「規制緩和推進 3 か年計画
(改定)」の中で、「基準・方法等に関し、各省庁において、政府の直接的な規制を必要最小限とする
ことを基本として、別表 2 の指針に基づく見直しを行う。同見直しは、計画期間内に完了することを
目指し、国が関与する基準認証等の範囲の見直し及び自己確認・自主保安を基本とした制度への移行、
基準の国際整合化・性能規格化、外国データの受入と国際的な相互承認及び重複検査の排除等を推進
する。その際、業界団体、公益法人など民間を活用した認証及び検査・検定については、競争原理の
導入を図ることを基本とする。」と定められている。
1
- 51 -
政府部内で検討が進められているという状況にある 2 。行政事務委託型公益法人改革につ
いては、検査検定、推薦、資格制度、登録といった行為形式ごとに政府部内での検討が
行われ、制度の廃止、自己確認・自主保安への移行、第三者認証への移行、指定法人の
公益法人要件の撤廃、あるいは、国又は独立行政法人による実施といった形での全面的
な見直しがなされたところである 3 。なお、民法に基づく公益法人法制それ自体の見直し
も政府部内で始まっており、公益法人という法的フレームそのものが改変される可能性
もあろう。
本章は、基準認証制度に関する行政法的分析を行ったり、当該主題に関する規制改革
に関して行政法学的見地からの批判ないし提言を行うことを目的とするものではないが、
もっぱら「消費者の安全」という主題との相関の下での行政の責任のあり方という観点
から、基準認証制度について簡単な検討を試みることとしたい。
基準認証制度として総称される仕組みについて法的分析を行うためには、それぞれの
基準認証制度の根拠法令を個別に検討することが唯一の方法となる。しかし、ごく一般
的に総括するならば、基準認証制度は、当該基準認証(ないし検査検定)を経ない商品
やサービスの流通につき法的な禁止をかけたうえで、基準認証・検査検定を受けたもの
につき個別的に当該禁止を解除するという命令的効果を持つ法的行為形式である、と一
応の性質決定ができよう。強いて伝統的行政行為論の用語法に当てはめるならば、一般
的禁止の個別的解除ということから「許可」に近いということになるし、行政法学上「許
可」との異同という観点から分析が加えられたこともあった。
しかしながら、基準認証・検査検定という法的仕組みは、伝統的な行政法学上の行政
行為論の分類基準に照らした場合に、明快な位置づけが非常に困難なものと考えられる。
まず、基準認証(一応の総称として用いる)は、伝統的理論のいう法律行為的行政行為・
準法律行為的行政行為の区分に乗りにくい(裏からいうとこの伝統的区分の弱点を示す)
ものの典型であるし、それが命令的法効果を有するという言い方も、基準認証により特
権(あるいは一種の「お墨付き」)を付与するという形成的法効果を排除するものでない
ことは明らかであろう。さらに、基準認証制度の前提として国民に課せられている禁止
が、国民の本来的自由の規制なのか、という軸を立てても、それは個別法の仕組みの解
釈に帰着せざるをえない事柄であろう。
以上要するに、基準認証・検査検定と呼ばれる行為形式は、これらを括って法的カテ
ゴリーとして立てようとする場合に、伝統的な行政法学上の道具概念が「無力」な領域
の一つの典型である。議論の方向性としては、おそらく、基準認証・検査検定という新
しい行為形式のカテゴリーにつき新しい行政法学上の理論的構築を模索するか、あるい
2
現段階で、行政管理研究センターによる総務省の委託研究「指定法人等の在り方に関する研究会報
告」が取りまとめられている。
3 政府は、行政事務委託型公益法人について、平成 14 年 3 月 29 日に「公益法人に対する行政の関与
の在り方の改革実施計画」を閣議決定したところである。
- 52 -
は、技術的基準や規格への適合性審査という行政過程全体を捉えた行政法学上の思考枠
組みを構築するか、という二つがありうるところである 4 。執筆者としては、行政行為論
とは異なる理論的な基軸を立てることにより基準認証・検査検定という法的仕組みを一
つの行為形式のカテゴリーとして括り、法治主義の観点から必要と考えられる法的な準
則を仕組んでいくことが重要な課題であると考えるところであるが、ここでそれを展開
する余力はない 5 。
いずれにしても、基準認証制度は、禁止の個別的解除という命令的法効果のみではな
く、基準認証を与えられた主体に対して一定の規範を守らせる、さらにその裏側として
基準認証を与えられた主体に一定の地位(お墨付き)を与えるという形成的効果を有し
ていることであり、そこから、基準認証を与える主体につき一定の法的責任がリンクす
る可能性があること、さらに、技術的基準の設定とその当てはめという行政過程は、法
規の具体的当てはめという伝統的な法律による行政のモデルと一致するものではないが、
それに類比されるものとして現代的な重要性を持っていることについて、改めて確認す
ることが必要といえよう。さらに、規制改革論の前提となっている「事後チェック」の
強化は、基準認証制度の形成的効果を実効あらしめるために不可欠の構造的要素である
ことについても、見落とされるべきではなかろう。
(2)基準認証制度に関する規制改革と行政の責任論
基準認証制度につき規制改革が行われ、国又は独立行政法人による基準認証・検査検
定制度から、自己確認・自主保安、民間検査機関等による第三者検査といった制度に移
行した場合、一方で、当該規制が消費者安全に影響を及ぼすような場合に、国等の行政
主体による規制権限行使の法的義務のあり方・行政責任のあり方が問題にされるのは当
然であろう 6 。この問題は、第一義的には、具体的にどの領域・制度について規制改革を
実施するのか、という政策判断に関わる。政府における基準認証制度の見直しの実施状
況を一瞥すると、そこには、行政主体や指定法人による検査検定から自己確認・第三者
認証への移行が進められつつあるものの、国民の生命・身体の安全確保や、災害防止と
いった観点からなされる規制については、行政機関による検査検定が維持されている例
が見られるところであるし、基準認証制度を改革する際の政府の方針としても、「国民の
4
示唆に富む論究として、米丸恒治『私人による行政』71 頁以下(1999)、多賀谷一照「規格と法規
範」金子宏先生古稀祝賀『公法学の法と政策・下巻』423 頁以下(2000)。行政法研究者による比較
法研究として、米丸恒治「グローバル化と基準・規格、検査制度の課題」鹿野菜穂子・谷本圭子編『国
境を越える消費者法』117 頁以下(2000)。
5 問題状況の概観として、北島周作「基準認証制度」本郷法政紀要 10 号 155 頁以下が便宜である。
6 当研究会でも、廣瀬委員長より、薬品や食品については、
「特に多くの人間の身体生命にかかわる」
のであるから、国の規制権限行使に対する期待可能性という点では、「十分権限を行使してもらいた
いし、それが不十分だったら責任も負ってもらいたい、という考え方もありうる」という指摘がなさ
れている(2002 年 11 月 29 日付検討用メモ)。
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生命、身体、財産の保護等」が制度目的であるか否か、あるいは、各制度の「保護法益」
からみた「危険度」や「違反による危害発生の蓋然性」が、自己確認や第三者認証への
移行の可否の目安として示されているところである 7 。
規制改革により、元来行政機関の行う事務であったものが民間組織体へ移管された場
合に、元来の行政的システムに備わっていた行政責任が不明確になるのではないか、と
いう問題の解決の方向を探る場合に、わが国の行政法学界では、主としてドイツ行政法
学上の新しい理論状況を参考に議論されることが多い。たとえば、ドイツで議論される
制度的留保(institutioneller Gesetzesvorbehalt)の理論では、民間機関に任務を委ね
ることにより行政責任が不明確にならないように当該民間機関に係る組織・手続につき
法律で定めなければ成らないことを、立法者の義務として要求する 8 。また、ドイツの場
合、わが国の指定法人制度と類比が指摘される特許者(Beliehene)は、行政手続法・
行政裁判法・国家責任法上行政庁として扱われることから、国民の側からは先の諸法規
範による権利・利益の保護が可能になる。そして、このベリーエネという行政手段は、
ある特定の私人(私的法主体)が行政権限を委任されてこれを行使する場合の解釈論的
な定型となっている。これらドイツの基本的な行政法理論は、日本の指定検査機関制度・
行政事務代行型指定法人制度が個別バラバラの法制度に留まり、行政責任のあり方、公
私協働という枠組みでの法治主義のあり方という統一的な法的観点を欠いている現状と
比較して、その示唆するところは非常に大きいと考えられる 9 。
このような「公私協働」の法的コントロールに係るドイツ行政法学上のドグマーティ
シュな議論を総合的に分析したものとして、山本隆司氏の論文「公私協働の法構造」が
7
平成 11 年閣議決定の別紙 2 には、基準認証制度の見直しにつき「国民の生命、身体、財産の保護
などそれぞれの制度が本来目的としている様々な政策目的の達成に支障が生じないことを前提とし
て」なされること、国が関与する基準認証等の範囲の見直しにつき各基準認証制度の「政策目的には、
事 故又 は 災 害 発 生時 の 社 会 ・ 経済 的 影 響 等 から 国 が 関 与 しな け れ ば 達 成で き な い も のが あ る 」 こ と 、
自己確認・自主保安を基本とした制度への移行について「自己確認・自主保安を基本とする場合にお
いては、消費者等の市場に参加する各プレーヤーへの十分な情報提供が前提となることから、行政庁
における情報公開はもとより、事業者側においても情報提供を促進する等の取組を行うことが期待さ
れる」といった記述がある。
さらに、平成 12 年 3 月 31 日に閣議決定された規制緩和推進 3 か年計画(再改定)の別紙 3 では、
自 己確 認 ・ 自 主 保安 、 第 三 者 認証 へ の 移 行 に係 る 具 体 的 方向 性 に つ い て、「 検 査 検 定制 度 の う ち 、 保
護法益の面からは比較的危険度が小さいものであって、かつ違反による危害発生の蓋然性も小さいも
のについては、基本的に政府が関与した検査検定制度を維持する必然性に乏しい」とされ、また、「あ
る程度の危険度やある程度の危害発生の蓋然性が認められるものについては、国民の安全を確保する
ために、事業者だけでなく、第三者も関与した仕組みを設けることが必要であるが、この場合であっ
ても、直ちに国又は国を代行する機関による検査の受検を義務付けるのではなく、あくまで事業者の
自己確認・自己保安を基本とし、これを補完する意味で、第三者の検査を受検すること(お墨付きを
うけること)を義務付ける形にするように検討する」とされている。
8 大橋洋一「誘導手法と行政法学」
『対話型行政法学の創造』220 頁(1999)、米丸・前掲書 52 頁等。
9 フランスの場合には、私的法主体に対する「公役務の委託」という法技術が用いられることになり、
「公役務」に関する行 政 作 用 法 的 な 一 般 的 規 律 が か ぶ さ る と い う 構 成 に よ っ て 問 題 が 扱 わ れ て い る 。
組織法的に理論構成するドイツとは比較法モデルとして対照を成すが、いずれにしても、行政法的規
律が及ぶことは共通しており、日本の問題状況を浮き彫りにすることには変わりない。
- 54 -
ある 10 。同論文では、国と私人とが「協働」する現代的法現象について理論的分析枠組
みを精密に画定したうえで、法治国原理・民主主義原理・基本権防御といった現代ドイ
ツ公法学の基本的理念から、「公私協働」の組織法的・手続法的コントロールとて導かれ
るべき法的装置が鮮やかに描き出されている。ここで山本論文及び当該領域に関するド
イツ公法学の議論に深く立ち入ることはできないが、いずれにしても、国等の行政主体
が私人(私的法主体)の自立的活動にその事務の一部を委ねるという法現象(私的組織
体による検査・認証はその典型の一つとされる)につき、民主主義や基本権といった観
点から法的統制枠組みが必要であり、とりわけ、情報の流れに関する一定の法的コント
ロールが重要になるといったドイツ行政法理論の帰結は、わが国にも重要な示唆を与え
るものということができよう。
これらの議論から、消費者安全の領域について、規制改革の進展を経た各種基準認証
制度については、個別の基準認証制度の行政法的分析を前提に、消費者法に求められる
べき法益・関連した行政責任(国民の救済)の特性を踏まえて、あるべき姿につき規範
的評価を行う必要がある。その場合に、基準認証が何がしかのレベルで私的法主体に委
ねられている場合には、当該私的法主体に対する行政手続法的規律が十分であるか、当
該法主体の内部及び外部における情報の加工・流通につき必要な法的規律が及ぼされて
いるか、基準認証制度が機能しなかった場合の救済システム(国家賠償責任等)の点で
十分な処理がなされているか、規制改革の大前提である事後チェックの強化という側面
で私的法主体に対する組織的ガヴァナンス・実効的な監督措置が十分であるか、といっ
た要因につき、基本的には立法者の配慮が行き届いているのか、精査する必要があるこ
とになる。そして、従前の国等の行政主体による直接的規制システムが内臓していた行
政責任が薄められてはならないことは、議論の大前提として留意されるべき事柄といえ
よう。
そこで、次に、もう一段階具体的なレベルの議論として、消費者安全の領域での基準
認証制度の改革との関係で、(1)情報管理行政に係る法的コントロールの法政策的課題、
(2)当該法領域に関する国家賠償法の解釈論上の課題、という 2 点を取り上げ、節を
改めたうえで若干の検討を行うこととしたい。
2.
消費者安全に係る情報の管理・流通における行政の役割
(1)情報管理行政と消費者安全
情報の流れという観点から行政過程をとらえる場合には、行政機関による情報の収
集・加工・利用・管理・開示といった流れを「情報管理行政」として把握しようとする
10
山本隆司「公私協働の法構造」金子宏先生古稀祝賀『公法学の法と政策・下巻』531 頁以下。
- 55 -
のが通常である 11 。そして、これらの行政過程を大括りに見るなら、行政機関と国民と
の「外部関係」と、行政機関内部での情報の流通・加工・管理といった「内部関係」と
に分けることが便宜である。
消費者法という視点からは、まず、行政主体が消費者等から商品・サーヴィスの安全
に関する情報を収集する・提供を受けるという「外部関係」の局面がまず問題になる。
消費者側からの情報収集・提供としては、行政機関による「苦情処理」ないし「苦情相
談」というインターフェイスがまずは存在する。これは、行政機関によるフォーマル又
はインフォーマルな紛争処理の一環ということになる。また、この場合、国・地方公共
団体等の統治主体のみならず、国民生活センターや消費生活センター等の公的組織体、
さらには業界団体等の民間組織体(公益法人等)への相談・駆け込みというインターフ
ェイスが重要になり、こういったインターフェイスへと集積された消費者安全に係る情
報を、しかるべき権限のある行政機関へと流通させるという「内部関係」の仕組み、さ
らに、そこから国民に向けて情報を加工・提供・開示するという逆向きの「外部関係」
の制度的仕組みの構築が課題となる。私的組織体を消費者安全情報の集積・発信のター
ミナルとして用いることは、「縦割り行政」として日本の行政機構にしばしば見られる権
限分配の垣根を取り払い、広く情報を収集することが期待できるほか、事業者・生産者
に近い部分で組織体が構築されることによって事業者・生産者に消費者保護の意識を高
めるという機能も期待できる。
一方で、私的組織体内部での情報の加工・流通については一定の手続的法規範を課す
必要があるし、当該組織体のガヴァナンスについても一定の民主的コントロールを及ぼ
す必要が生じるであろう 12 。情報ターミナルをサイバー空間に設定するところまで進め
ば、消費者安全に関するデータベースやネットワークの構築という形をとるのであろう
が、その場合も、民主主義原理や基本権保護といった公法的原理に裏打ちされた法的統
制の道具立てが必要になるであろう。
さらに、行政主体による「行政調査」という、より積極的な情報収集の行政手法の利
用ということが考えられる。これは、法的根拠に基づいて行われる法的規制の実効性確
保のための検査・立入調査等が典型であるが、現代行政活動における情報収集の重要性・
多様性という観点からすると、個々の国民に対する侵害的行為としてなされる「行政調
査」のみではなく、非権力的事実行為としての意味しか有さないと考えられる一般的な
情報収集活動や、逆に典型的な権力的法行為である許認可制に付随してなされる行政機
関への情報集積といった事柄まで、トータルに視界に入れたうえで、行政機関による情
報の収集・加工・流通について分析対象にする必要があろう。「行政調査」という手法は、
一般的な行政法学上なじみのある行為形式であるとともに、日本の実定法上もしばしば
11
12
芝池義一『行政法総論講義・第 4 版』268 頁(2001)。
大橋洋一「事業者団体の活動」前掲書 255 頁。
- 56 -
仕組まれたものということができる 13 。しかし、「行政調査」のシステムは、情報を行政
主体の中に取り込むことを本質としており、国民ないし消費者に情報を加工・流通させ
るという消費者安全上重要な側面を含んでいない。一方で、「行政調査」によって収集・
集積された情報をどのように国民に「情報提供」ないし「公表」していくのか、他方で、
行政を経由せずに事業者から消費者に直接情報を流通させることを法的に義務づけると
いうシステムとの関係をどう整理するのか、といった課題が残されることになろう 14 。
行政主体(公的法主体)が情報を外部に流通させるための法的仕組みとしては、情報
公開法に基づく開示請求権制度と、情報提供ないし公表の仕組みがある。開示請求権制
度の場合、個別の国民がアドホックに開示請求をすることになり、消費者安全の観点か
らその重要性は高くないものと思われる。問題は、行政が収集・加工した安全情報を、
国民一般に情報提供する、という局面に存するものと思われる。ここでは、提供される
情報の正確性の確保が問題になるし、情報提供の結果として行政主体の側に国家賠償責
任の問題が生じる可能性もある 15 。さらに、情報提供・公表には、制裁措置としての意
味がありうることから、法律の留保理論上法的根拠の有無が問題になり、手続法的・救
済法的整備が必要になる。もちろん、情報提供ないし公表が制度的前提となった場合に、
情報の収集が困難になることが予測されるのであり、情報全体の流通過程をどのように
構築するのか、という問題が生じる。
この点について、日本の法制度上参考になるものとして、気象業務法及び PRTR 法(特
定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律)について簡
単に整理しておきたい。両者とも、公益性を有する一定の領域につき、その政策目的を
達成するためにトータルな情報流通コントロールの法的仕組みが構築されている。
まず、気象業務法は、気象庁長官は、必要な場合に政府機関・地方公共団体・会社そ
の他の団体又は個人に対して、「情報の提供を委託」することができるとし、気象観測の
方法に係る技術上の基準を法定して民間団体や個人にもこれを適用し、一定の船舶や航
空機について「気象」及び「水象」の観測を義務づけ、その結果を気象庁長官に報告す
る義務を課している。気象庁以外の者が気象観測を行う場合には気象庁長官への届出が
13
たとえば、阿部泰隆『行政の法システム(上)』309 頁以下(1992)を参照。
なお、商品等の表示に関する法的システムは、生産者・事業者から消費者への情報流通のための重
要なシステムであり、消費者安全の向上のための「誘導」の法的手法として有意味なものであり、か
つ、行政法学上の分析対象ともなっているものである。消費者に対して危険情報を流通させ、商品購
入に対する積極・消極のインパクトを与えるという意味で、表示の制度はきわめて重要であるが、本
報告での検討は割愛する。
15 情報提供と国家賠償責任については、次項において論じる。なお、行政責任と 情報提供の関係につ
いて、たとえば、ハザ ー ド マ ッ プ に よ り 河 川 の 浸 水 ・ 氾 濫 の 危 険 情 報 に つ き 提 供 が 行 わ れ た 場 合 に 、
河川管理瑕疵に係る国家賠償責任にどのような影響を与えるのかという議論がある(問題状況の簡単
な整理として、角松生史・演習・法学教室 253 号 134 頁)。この場合に問題は二つの側面があり、危
険情報を提供したからといって直ちに河川管理者の管理責任が縮減するものではないが(具体的事例
においては被害者の過失相殺の問題になると考えらえる)、危険情報の誤りにより被害が生じたよう
なケースについては「 情 報 の 過 誤 」 に つ き 管 理 責 任 を 構 成 す る 要 素 と し て 考 慮 し な け れ ば な ら な い 、
と論じられている。
14
- 57 -
義務づけられ、届け出た者には気象庁長官に対する観測成果の報告義務が課される。そ
して、気象庁には、収集された観測成果や情報を直ちに発表することが公衆の利便を増
進する場合に、これを発表して公衆に周知させることが努力義務として課されている。
気象業務法のシステムは、公共的性格の強い「気象観測」について、それに関する情
報の収集・加工・流通につき一定の法的規範によるコントロールを行うものの、いわば
古典的モデルということができる。もちろん、消費者安全についても、気象に関する国
民生活上のリスク管理という部分と共通するものがありうるならば、気象業務法は情報
管理の法的仕組みのモデルとしての意味を持ちえるであろう。
次に、PRTR 法は、事業者物質の自主的な管理の改善を促進し、環境保全上の支障を
未然に防止することを目的とする法律として、1999 年に成立したものである。同法の基
本的システムは、環境に対するリスクを有すると判断される指定化学物質について、当
該物質の取扱事業者に対し、当該化学物質の環境への排出量・移動量を把握したうえで、
主務大臣(事業所轄大臣)に届け出るというものである。届出によって集積された情報
は、営業秘密につき確保したうえで、経済産業大臣及び環境大臣に通知され、両大臣の
下でファイル化される。両大臣は、届出によって収集された情報の他に、家庭・農地・
移動発生源等からの指定化学物質に係る排出量を推計し、両者を公表する。また、ファ
イル化されたデータを事業所ごとに整理した情報については、主務大臣に対する開示請
求権の仕組みが設けられ、何人も情報の開示を求めることができる 16 。
PRTR 法は、化学物質の有するリスクに対応するため、化学物質の生産者たる工場・
事業者等から行政機関への情報の流れを法的に義務付け、さらに行政機関に一定の情報
収集・加工の法的仕組みを構築したうえで、国民一般に対する情報提供制度と、個別事
業所情報に対する開示請求権制度を法定した、極めて注目に値する法制度である。環境
へのリスク軽減という制度目的のために、情報の流通につき法的コントロールを仕組み、
事業者側に対して環境リスク削減のための「誘導」を行うという考え方は、消費者安全
という観点からの公的政策を考える場合に、消費者行政の領域においてリスク管理・危
険予防のための行政的コントロールの法的システムの必要性という共通項があるため、
消費者安全に係る情報管理行政のあり方を追求する場合にもモデルとして示唆するとこ
ろが大であろう。
(2)食品安全情報の「公表」と国家賠償責任
行政機関が、消費者の安全(ことに食品安全)に関わる情報を収集・分析した結果の
「公表」については、薬品・食品等の安全性に関わる多くの事件の教訓もあって消費者
(広く国民)の側からそれが社会的に要請される反面、事実の公表がときに国民の過剰
16
PRTR 法の基本的仕組みについては、大塚 直『環境法』330 頁以下(2002)を参照。
- 58 -
な反応を引き起こし、安全性に係る情報の流通により関係者や関係業界に不測の損害を
もたらすおそれがあることもまた否定できない。この点について、平成 8(1996)年夏
に大阪府堺市で発生した病原性大腸菌 O-157 の集団感染事件をめぐって厚生大臣が行
った原因調査の結果の「公表」に関して、極めて注目される裁判例が出されている。本
章でも、上記 O-157 集団感染事件に係る裁判例を素材に、検討を進めることとしたい。
O-157 集団感染事件に係る厚生大臣の「公表」については、「公表」において食中毒の
汚染源と疑われた特定施設(かいわれ大根の生産施設)が原告となって国の国家賠償責
任が争われた大阪地裁の事例に係る判決(大阪地判平成 14 年 3 月 15 日・判例時報 1783
号 97 頁)と、「公表」により汚染原因として疑われたことによりかいわれ大根の売上激
減が生じたとして生産者団体(日本かいわれ協会)及びその構成者が国に対して国家賠
償請求をした東京地裁の事例に係る判決(東京地判平成 13 年 5 月 30 日・判例時報 1762
号 6 頁)の、二つの判決が出されている 17 。
このうち、東京地裁判決の事案の特色は、厚生大臣による当該公表により食中毒の原
因者として疑われた施設が原告となった国家賠償請求ではなく、公表による一種の「風
評」被害を受けた団体等が原告になった国家賠償請求であることにあり、同判決では請
求棄却の判断が下されている。これに対して、大阪地裁判決は、同じ集団感染事件につ
き原因者と疑われた者の請求が一部認容されていて、結論が分かれている。原因者に対
する案件において、「公表」につき相当性を欠く部分があるとされて名誉毀損による損害
賠償請求が一部認容された一方、間接的被害を被ったと主張する本件原告の請求につい
ては、「公表」に係る行政庁の注意義務違反がなかったとして請求棄却の判決が出された
ことについては、判決全体に立ち入った総合的分析が必要なのであるが、ここでは、本
報告書全体の趣旨に照らし、行政機関による「公表」という行為形式に関する法的評価
の問題に絞って両判決の検討を行うこととしたい。
従前、行政機関による「公表」を巡る国家賠償請求事件は、「公表」された情報により
名誉毀損等を被ったと思料する原告の請求に係るものが多く、「公表」された情報の「真
実性の証明」のテストが、法的判断の決め手となる場合が通例であったということがで
きる。また、消費者法との関連でいえば、行政機関ではない民間機関等が製品の性能・
能力に関するテスト結果等を公開・公表した場合に、当該製品の製造者・販売者の側が
名誉毀損等を理由に損害賠償請求をする事例が見られたところであった。
これと比べて、今回の O-157 集団感染事件では、行政機関が調査・収集した食品(学
校給食)の安全に関する情報について、これを広く国民に知らしめるという行政側の「情
報提供」義務のあり方がより正面から議論された点に、特色を見出すことができよう。
17 なお、本件事件の被害者が学校給食の提供主体である堺市を相手に提起した国家賠償請求訴訟につ
いては、原告勝訴の第一審判決が出されているとのことである。また、東京地裁判決について、久保
茂樹・「行政判例研究[472]」・自治研究 79 巻 1 号 122 頁(2003)が公刊されている。
- 59 -
これは、現代の食品安全行政における情報流通の重要性という点から、非常に重要な論
点にかかわっているということができるし、とりわけ本件東京地裁判決は、行政法理論
上も極めて興味深い判断内容を含むものとなっている。以下、本報告では、上記裁判例
について、行政上の行為形式たる「公表」をめぐって、①「公表」の法的根拠の要否、
②「公表」の相当性に関する違法性判断の基準、③行政機関の「公表」義務の射程の設
定、という三つの分析視角から、簡単な考察を加えることとしたい。
①
「公表」の法的根拠の要否について
上記東京地裁判決は、本件「公表」の法的根拠について、原告らの「営業の自由を侵
害するものであるから、法律上の根拠が必要であるのに」「被告の本件各公表は、法的根
拠を欠く違法な行為である」との主張に対して、本件各公表は「被告が、国民に対し、
本件集団下痢症例の情報を提供し食中毒事故の拡大及び再発を防止するという観点から、
本件集団下痢症の原因として疑いのある食材の生産主体を直接明示することなく公表し
たものであり、食品衛生法 33 条に基づく都道府県知事による営業停止処分や国土利用
計画法など各種法律で定められている行政上の規制や勧告に従わない者に対する制裁な
いし強制手段として行われる公表とは異なり、公表の対象となっている本件特定施設に
対して貝割れ大根の販売等の営業を禁止する趣旨を何ら含むものではなく、まして、原
告業者ら……に対してかかる営業を禁止するものではなく、行政上の規制や勧告に従わ
ない者に対する制裁ないし強制手段としての性格を有するものでないから、法律上の根
拠なくして行うことができない権力行為とみることはできず、いわゆる非権力的な事実
行為にすぎないと認められ、本件各公表に必ずしも法律上の明示の根拠は必要とは考え
られない」と判示する。また、同裁判例は、原告の受けた被害についても、「本件公表行
為、それに引き続く報道機関における報道によって、事実上不利益を受けたにとどまる」
とする。
「公表」行為に係る法律の根拠の要否は、行政法学上、しばしば議論される論点であ
る。一般的には、「公表」は国民に対する情報提供として国民の権利・自由を侵害するも
のではないとして法律の根拠は不要であるとしつつ、現代社会における情報の重要性か
ら、国民に対する制裁ないし強制としての意味を有する「公表」については、法律の根
拠を要すると解されている。とりわけ、「公表」が、行政指導に対する実効性確保の手段
として用いられることに対しては、その制裁的機能に注目して、法治国家原理により法
律の根拠を要すると考えられることが多い。
この点、本件の事例において、行政機関は、集団食中毒の原因を調査し、その予防を
図り、国民の不安を解消させようという趣旨から「公表」がなされたのであり、行政側
が国民に対して一定の義務を履行させるための制裁的・強制的手段として「公表」がな
されたわけではない。この点で、東京地裁判決の判旨は正当であろう。問題は、本件「公
- 60 -
表」が原告らの財産的利益に損害を与え、現実にその営業活動にダメージを与えたこと
の法的評価ということになる。本件「公表」が、原告らについて直接的にその営業活動・
事業活動を侵害するのであれば、当該行為形式が国民の自由を侵害するものとして、法
律上の根拠が必要という帰結が導かれる可能性がありそうだからである。
この点、本件判決では、原告の受けた被害は「公表」行為とその報道による「事実上
の不利益」に留まるという理由により、法的根拠は不要と判断している。確かに、本件
の場合には、「公表」によって原因者と名指しされた業者以外の者が原告となっているの
であり、それらの者との関係で「公表」につき法的根拠が必要とは評価し難い部分があ
る。すなわち、かいわれ大根業界全体が受けた被害は、本件「公表」の直接の法的効果
として生じたのではなく、あくまでも消費者等が自発的に「公表」された情報を解釈し
たうえでの買い控え行動の結果なのであり、本件「公表」の法的根拠の必要性を導く要
素とは言いがたいであろう。仮に、行政機関が、消費者に対して特定の商品に対する不
買をストレートに警告するといったものでない限り、これは「事実上の不利益」にとど
まるのであろう。もっとも、集団食中毒の原因の「公表」という事柄の性質上、本件「公
表」にはまさに「事実上の」効果として消費者の不買行動に結びつく蓋然性は当然に高
いのであり、問題がすべて説明できるわけではなかろう。
他方で、「公表」により名指しされた特定業者との関係では、「事実上の不利益」とい
う根拠のみで割り切れまい。そこで、前記大阪地裁判決に目を転ずると、本件「公表」
の法的根拠については、「厚生大臣がその所管する事務の範囲内において行い、かつ、国
民の権利を制限し、義務を課すことを目的としてなされたものではなく、またそのよう
な効果も存しない本件各報告の公表について、これを許容する法律上の直接の根拠がな
いからといって、それだけで直ちに法治主義違反の違法の問題が生じるとはいえない」
と判示し、「制裁としての公表制度と本件各報告の公表とを同一に論じることはできな
い」と述べる。大阪地裁判決は、本件「公表」が「原告の社会的評価及び経済的信用を
低下させるものであった」ことから、本件「公表」が原告の名誉・信用を毀損する違法
なものであったか否かという違法性判断を行っているが、少なくとも本件「公表」に係
る法的根拠の要否については、不要と判断していることが確認できる。
食品安全に係る行政情報の「公表」の法的根拠の要否という問題についても、ドイツ
行政法学上、消費者に対するある製品の不買勧告につき法律の留保の要否という形で議
論されている事柄と、比較法的な検討を行うことが有意義であろう。とりわけ、消費者
に不買勧告をする医薬品リストの公表に対して製薬会社が予防的不作為訴訟を提起した
事例に関する 1985 年 4 月 18 日の連邦行政裁判所判決において、基本権侵害を理由に法
律を要求する判断が示されたことは、日本にも紹介されて議論の起点となるものであっ
た 18 。同判決では、消費者の行動を介在させる事実上の侵害であっても、「公表」行為に
18
大橋洋一『現代行政の行為形式論』132 頁以下(1993)。
- 61 -
つき基本権侵害であることを認め、そこから法律の留保が要求されたわけである。
翻って、本件東京地裁判決・大阪地裁判決とも、「公表」につき法的根拠を要求してい
ない。このことについて、ドイツ行政法上の議論に立ち入ることは避けるが、「公表」と
被害との間に消費者・流通業者等の自発的行動が介在している点の法的評価、右の法的
評価と「公表」の有する制裁的機能とのバランスといった事柄が問題の核心であり、報
告者としても、本件「公表」につき法律の根拠が必要とまでは言い切れないように思わ
れる。そして、久保茂樹氏が正当に指摘されるように(脚注
17
参照)、スモン訴訟にお
ける撤回の根拠をめぐる議論を参照するならば、国民の生命・健康の保護を目的とした
公表について、法律の根拠を欠くことによりこれを違法と見るのは適切でないという一
般論が成り立つものと思われる。
②
「公表」の相当性に関する違法性判断の基準について
①の議論とは関係なく、本件「公表」が事実として何者かに損害を生ぜしめたとすれ
ば、そこで「公表」の違法性の問題が生じることは明らかである。そこで、「公表」につ
き、国家賠償法上の違法性判断の基準が、次の論点となる。
本件東京地裁判決では、本件「公表」について、ア)
たものであるか、イ)
公表行為が法律の趣旨に沿っ
公表に必要性ないし合理性があるか、ウ)
公表方法が相当で
あるか、という観点から諸事情を吟味し、「その公表行為が法律の趣旨に反したものであ
ったり、公表の必要性や合理性が認められず、又は公表方法が不相当であって、その結
果国民の経済的利益や信用を侵害した場合には、当該公表行為が職務上通常尽くすべき
注意義務に違反したものとして、国家賠償法上違法と評価されるべきである」という基
準を示す。そのうえで、右判決は、「本件各公表は、本件集団下痢症に関して重大な関心
を寄せていた国民に対する情報提供と食中毒事故の拡大防止及び再発防止の観点から行
われたものであり、それは食品衛生法の目的及び各規定……の趣旨に沿った措置であり、
本件集団下痢症の原因究明のための調査結果が判明次第、上記のような目的を持って速
やかにその結果を国民に公開することは、当然に必要な事柄であり、公表の目的に合理
性がなく、不相当なものであったとは認められず、また、その公表方法も、本件調査の
結果に基づく疫学的判断を正確に公表し、本件中間報告の内容が正確に報道され、社会
的混乱を避けるための一定の配慮が行われていると認められるから、不相当な公表方法
であったとは認められ」ない、とする。
他方、本件大阪地裁判決では、本件調査そのものについて「原因食材を特定するとい
うところまでの正確性、信頼性を有するとは認められない」と判断し、本件「公表」の
相当性についてこれを否定し、結果的に「原告の名誉、信用を害する違法な行為である
といわざるを得ない」、とする。同判決は、「公表」の違法性判断の基準として、「公表の
目的の正当性をまず吟味すべきであ」り、「次に、公表内容の性質、その真実性、公表方
- 62 -
法・態様、公表の必要性と緊急性当を踏まえて、本件各報告を公表することが真に必要
であったかを検討し」、「公表することによる利益と公表することによる不利益を比較衡
量し、その公表が正当な目的のための相当な手段といえるかどうかを判断すべき」とし
ている。
両判決における違法性判断の理論枠組みを比較すると、東京地裁判決では、国家賠償
法 1 条 1 項の違法性判断の基準として判例法がしばしば用いている「職務行為基準説」
をベースにしているのに対して、大阪地裁判決では、民事法的な「比較衡量」論と行政
法一般理論にいう「比例原則」をミックスしたものを用いている。行政作用につき国家
賠償法上の違法性要件を当てはめる場合に、行政活動については特別な法律の根拠が不
要なものであるとしても、一定の法的規範による縛りがかかることを前提にする必要が
ある。この点については、国家賠償法の理論的把握の投影という側面があり、論者によ
り多様な見解が見られるところであるが、元来は司法警察員や検察官の職務行為に係る
国家賠償請求事案において生じた「職務行為基準説」の枠組みによる東京地裁判決が違
法性を否定し、比較衡量・比例原則の要素を持ち込もうとした大阪地裁判決が違法性を
肯定したことは、非常に興味深いものといえる。
本件「公表」については、国民全体に対する「説明責任」に照らした行政機関の行動
準則が違法性判断の対象となるのであり、いずれにしても行政機関の「注意義務」の範
囲の法的画定が必要になる。この場合には、民事不法行為法的な解釈論のみではなく、
行政法一般理論に照らした解釈論が必要になるはずであり、比例原則の応用という枠組
みは一つの方向性として説得力がある。この場合は、行政機関の側の裁量権行使につい
て、いわば行政法理論に翻訳された「比較衡量」論を用いて違法性判断を行うことにな
り、そこには、当然「公表」によって保護される法益・回避されるリスクも考慮要素と
されなければならない。
③
行政機関の「公表」義務の射程の設定について
本件両判決は、「公表」に際して、行政機関の側に、「公表」により間接的な影響を被
るであろう第三者あるいは広く国民・公衆の利益につきどこまで配慮する法的義務を負
うのかという一般的問題を含んでいることはいうまでもない。
この点について、東京地裁判決では、「施策、社会に生じた出来事及び社会的に影響を
与える問題などについて、ありのままの事実を国民に伝え、説明することが重要かつ必
要」であることが「時代の流れ」としつつ、「情報を公開することにより……そのことに
関係する者に損害が発生するという事態が生じないでもない」が、「そのような自体が生
じることを恐れて情報の公開を控えるべきであるという方向にすすむのではなく、なお
情報を公開すべきであるというのが時代の要請である」とする。さらに、「情報を公開す
る者において第三者に損害を生じないように十分な配慮を行うとともに、公開された情
- 63 -
報を報道する報道機関並びに情報を取得した国民及び事業者がその情報を適切に受け止
め、社会的混乱や損失、さらには第三者に無用な損害が生じないように良識ある行動を
とることが望まれる」と判示している。
大阪地裁判決については、②で述べたように、情報公開に際しての比較衡量・比例原
則という考え方がとられ、情報公開の側にウエイトを置いた価値判断は示されていない。
いずれにしても、消費者安全に関して、行政機関又は公的法主体が、一定の情報管理
作用の担い手となる場合に、国家賠償責任における違法性要件の解釈論の土俵に乗って
争われることは、蓋然性の高い事柄である。国家賠償法の領域では、規制権限不行使の
違法に関する議論や、違法性の人的相対性に関する議論の蓄積が応用される領域である
が、管見によれば、国家賠償責任に関する違法性の判定(行政機関の作為義務の判定)
の場面において、民事法的な利益衡量的解釈方法と、行政法的な比例原則的解釈方法の
バランスが必要となるので一つのパターンであると考えられる 19 。
情報公開法制一般についても同様の問題はありうるところであり、情報公開法(行政
機関の保有する情報の公開に関する法律)では、いわゆる第三者意見聴取手続が法定さ
れ、一定の立法的な解決が図られているが、同法 13 条 1 項は第三者意見聴取手続を行
政機関の長の権限として定めたため、同項のいわゆる任意的意見聴取における行政裁量
の範囲という解釈論上の問題が解消されたわけではない。また、同法 13 条 2 項の適用
がある場合(製品安全の点からの裁量的開示という状況は、本報告書の観点からは、よ
り現実的重要性があるとも考えられる)には、情報開示により影響を受けると思料する
第三者が反対意見書を提出のうえ、同法 13 条 3 項による開示中断中に裁判所に執行停
止の申立を行うといった形で法的な開示停止を争うことが考えられる。情報公開法の仕
組みにおいても、情報開示により影響を受ける第三者の関わり方は、立法により解決さ
れたわけではなく、具体的な解釈論上の問題となる。
いずれにしても、情報開示を行う行政機関について、当該情報開示ないし「公表」が
特定のマイナスのインパクトを与えることについて考慮しなければならないか、という
問題は、消費者安全に係る情報流通のあり方という平面で、避けて通れない重要なテー
マであるといえよう。上述した O-157 のケースでは、食品衛生法等の実定法令上手がか
りとなる行政の行為規範がないまま、消費者の生命・身体という守るべき法益と、行政
機関の情報流通に関する法的義務(それと牽連関係にある事業者・生産者の利益)とが、
ぶつかってしまったものと見ることができる。この点について、行政の裁量判断の手が
かり、あるいは、違法性判断の手がかりについて、立法的な対処をすべきことが要請さ
19
橋本博之「判例実務と行政法学説」塩野宏先生古稀祝賀『行政法の発展と変革・下巻』375 頁以下
(2001)。
- 64 -
れているように思われる。
- 65 -
第4章
1.
経済法学の観点からみた安全性規制の問題
安全性確保のための自主規制と独禁法
(1)独禁法上の違法性判断における安全性の考慮
「安全性確保のための自主規制と独禁法」というのは、たとえば安全性のために業界
団体で基準を作りその基準を守らせたり、個別の企業が場合によっては競争を制限する
ような一定の措置をとったりしたときに、そのことが独禁法上どのように評価されるか
という問題である。規制主体論からは、民間に自主規制をさせた場合に、どのような問
題が発生するかということである。
まず、独禁法上の違法性判断において安全性がそもそも考慮されるかというと、従来
は、独禁法は競争を制限するのか否かという観点から違法性判断をするのであり、安全
性は考慮しなくてよいという考え方が主流であった。しかし、最近では、安全性という
ものも考慮すべきとの主張もなされている。その場合の法律構成として、以下の 3 点を
あげることができる。
①
安全性=「公共の利益」という構成
安全性はまさに「公共の利益」なのだから、「公共の利益」のために必要な行為は、独
禁法違反とはしないというものである。これは、昭和 59 年の石油価格協定事件の最高
裁判決 1 を根拠としている。同最高裁判決は、独禁法の直接の保護法益は自由競争秩序で
あるけれども、違反であると主張された行為によって守られる利益もあり、それらを比
較衡量したうえで、最終的には「一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民
主的で健全な発達を促進する」という角度からみて、そのような独禁法の究極の目的に
実質的に反しないと認められる例外的場合は、「公共の利益」に反しないものとして許さ
れるという一般論を打ち立てた。
この事件は、まったく安全性がかかわる事件ではなく、単に価格カルテルが問題にな
った事案だったのだが、最高裁が一般論を打ち立てたことに依拠して、松下満雄教授 2 は、
「公共の利益」を企業の利益を越えた社会的利益を意味し、具体的には、環境、製品・
食品の安全等がそれに含まれると主張した。すなわち、環境、製品・食品の安全等を守
1
最高裁判決昭和 59 年 2 月 24 日刑集 38 巻 4 号 1287 頁
2
松下満雄『経済法概説[第 3 版]』83 頁(東京大学出版会、1986)
- 66 -
るために一定のカルテルを行う場合、「公共の利益」に反せず許される場合があるという
のである。同教授は、具体例として、(それ自体は法律で禁止されていない)人体に有害
なものを販売しない協定は「公共の利益」に反しないから、合法であると述べている。
ただし、この考え方の問題点としては、独禁法上「公共の利益に反して」という構成
要件が出てくるのは不当な取引制限と私的独占のみであり、それ以外の違反については
「公共の利益」に反しないから合法とすることはできない、つまり 3 条後段違反の場合
しか使えないということが指摘できる。
②
「競争の実質的制限」の縮小解釈
次に、比較的最近出てきた考え方として、「競争の実質的制限」の縮小解釈というもの
がある。この考え方を初めて打ち出したのが、平成 7 年のバス協会事件についての公取
委の審決 3 である。
同事件では、道路運送法上貸切バスについては幅運賃制度が採られており、その加減
を下回る運賃については刑事罰が課されるようになっていたところ、実際には刑事罰が
課されるような非常に低い運賃だったのが実勢であったのだが、バス協会がそれを引き
上げるというカルテルを行ったというものである。
公取委審決は、刑罰をもって禁止された行為に係る競争を制限する行為に排除措置を
命じても、確保されるべき一般消費者の現実の利益はなく、国民経済の民主的で健全な
発展に資するものではなく、要するに独禁法の目的に沿わないことが通常の事態に属す
るから、そのような競争制限行為は、特段の事情がない限り、「競争の実質的制限」に該
当しない、と判断した。
この考え方によれば、刑事罰で禁止されているような食品・薬品等をお互いに売らな
いようにするというような行為は、「競争の実質的制限」に該当しないことになる。また、
これをもっと一般化して、保護に値しない競争を制限しても、「競争の実質的制限」にあ
たらないのだから違反ではないし、また保護に値しない競争を阻害しても、「公正競争阻
害性」の要件も満たさないというような考え方(「保護に値しない競争」論)が一部の学
説 4 で唱えられた。
この考え方の問題点としては、審決の厳密な解釈をすれば、刑罰を持って禁止された
物や価格等による競争の制限は原則として合法といっているに過ぎず、保護に値しない
競争を制限してもよいといっているわけではなく、保護に値しない競争の制限は競争の
実質的制限ではないとして一般化すると、何が保護に値しないのかが主観的な判断に左
右され、カルテル禁止が骨抜きになってしまうおそれがあるということが指摘できよう。
刑罰をもって禁止されている物や価格等による競争の制限が許されるのはある意味当然
3
4
公取委審判審決平成 7 年 7 月 10 日審決集 42 巻 3 頁
白石忠志『独禁法講義』172 頁(有斐閣、1997)
- 67 -
のことであるが、一般化すると問題が生じるのではないかと思われる。
③
「不当性」の要件における公益の考慮
「不当性」の要件のなかで公益を考慮し、その公益の中に安全性を含めるという考え
方がある。これは、平成 5 年のエレベーター事件についての判決で大阪高裁が述べたも
のである 5 。
大阪高裁は、安全性の確保は、直接の競争の要因とはその性格を異にするが、一般消
費者の利益に資するものであり、広い意味での公益にかかわるものであるから、当該取
引方法が安全性の確保のために必要か否かは「不当に」の要件を判断するにあたり、考
慮すべき要因の一つであると述べた。つまり、安全性確保のために必要であれば、場合
によっては「不当性」がなく許されるのだ、ということを判決が正面から認めたのであ
る。
この判決以降、どのような判断基準であるかはまだ明確になっていないが、「不当性」
の要件で安全性を考慮することについては学説では異論がないという状況である。
(2)自主規制をめぐる独禁法の適用事例
以下、法律構成はいろいろあり若干複雑ではあるが、企業が単独で行ったものも含め
て、自主規制をめぐる独禁法の適用事例を紹介する。
①
エレベーター事件(前掲③判決と同一)
本件は、抱合せ販売が問題となった事件である。具体的には、メーカー系列のエレベ
ーター保守会社が、エレベーターの修理用部品を一手に扱っていたのだが、エレベータ
ーのオーナーが修理を必要としているときに、修理用部品のみでは売らず、それと込み
で取替え調整工事も同会社から引き受けてくれたときのみ修理用部品も売るという抱合
せ販売を行っていたというものである。
これに対して、独立系の(メーカー系列ではない)保守会社が独禁法違反を理由に不
法行為に基づく損害賠償請求を請求した。裁判所は、安全性確保のために必要であるか
否かということは「不当性」の要件で考慮するということは言っているが、当該事件に
ついては、独立系の保守会社もかなり技術力があること、情報交換により各社のエレベ
ーターのこともよく知っていること、海外ではほとんど独立系が修理を行っていること
などから、両者一体の抱き合わせの供給でなければエレベーターの安全を確保すること
ができないと認めるべき証拠はなく、抱き合わせに当たり独禁法違反であるとした。
ただし、判旨が一般論で述べていることからすれば、抱き合わせで販売することが製
5
大阪高裁判決平成 5 年 7 月 30 日・判例時報 1479 号 21 頁
- 68 -
品の安全確保のために不可欠なのであれば、合法とされる余地があることになる。
②
エアーソフトガン事件 6
エアーソフトガンの製造業者が協同組合を作り、通産省の指導の下にエアーソフトガ
ンの安全基準を作っていた。たとえば、弾の威力や弾の大きさ等である。そして、安全
基準を満たしていた製品には ASGK シールを貼付していた。
同協同組合に入っていなかったある会社の製品は確かに安全基準を満たしていなかっ
たのだが、同社の製品は優秀な製品であるとして消費者から人気が高かった。そこで協
同組合が、安全基準を満たしていない非組合員である同社の商品を取り扱うな、という
ことを卸売業者や小売業者に文書で要求し、それにより同社は損害を被ったため、損害
賠償請求をしたという民事事件である。
判決は、結局は独禁法違反を認めたのだが、その中で、自主基準の目的が競争政策の
観点から見て是認でき、基準の内容および実施方法が自主基準の目的を達成するために
合理的なものである場合には、正当な理由があり、(不公正な取引方法を事業者団体がさ
せる行為を禁止する)独禁法 8 条 1 項 5 号に違反しない余地があると述べた。また、(事
業者団体による競争の実質的制限を禁止した)独禁法 8 条 1 項 1 号との関係でも、独禁
法の究極の目的に反しない場合には、同号に違反しない余地がある、と述べた。
ただし、本件では、確かに安全性を確保するという自主基準の目的は正当なものであ
り、基準の内容も一応は合理的なものであるが、本件妨害行為はその目的達成手段とし
て相当とはいえないとした。なぜ相当とはいえないと判断されたかというと、一つには、
業界団体に属する製造業者は誰一人として基準を守っていなかった(いったん基準に適
合すれば以後はフリーパスで何の検査も行われなかった)こと、また基準の内容も恣意
的であったこと、それから卸売業者や小売業者に対して文書で同社製品の不取扱いを要
求するのはいき過ぎであったことが理由としてあげられている。
他方で判決は、但し書き的に、仮に同社の銃が危険なものであり、危険を防止するた
めに他に適当な方法がない場合には、卸売業者や小売業者に対し、その銃の取扱いの中
止を要請することはやむをえないのであって、正当な理由があり、公共の利益に反しな
いことを、一般論としては認めている。
③
石油給湯器の窒素酸化物の排出基準に関する事前相談
石油給湯器については窒素酸化物の排出基準は定められていなかったのだが、業界団
体が 130ppm 以内を合格とする、というように自主基準を定めた。公取委は、自主規制
基準については、事業者団体ガイドラインの中で、三つのファクターを考慮して判断す
るとしていた。すなわち、i)競争手段を制限し需要者の利益を不当に害するか、ii)事業
6
東京地裁判決平成 9 年 4 月 9 日・判例時報 1629 号 70 頁
- 69 -
者間で不当に差別的なものではないか、iii)社会公共的な目的等正当な目的に基づいて合
理的に必要とされる範囲内のものかという基準である。
公取委は、本件は三つの基準に照らしていずれも問題がないと回答した。しかし、そ
の中で、これを強制すると独禁法上の問題が出てくるから、その基準を会員に強制しな
いように留意されたいという注意書きが付されていた。
以上をまとめると、安全性確保のための自主規制において、安全性確保のために必要
かつ合理的であるということは、独禁法上の合法性を基礎づける要因として考慮される
ということは今日異論がない。その背景には、安全性というものの価値を重視するとい
う傾向がある。ただし、安全性確保のためには本来は国の法律を用いるべきであって、
業界団体の自主規制というものはあくまでも法律ができるまでの過渡期対策という面が
あることは否定できない。したがって、業界団体が定めた自主規制基準を強制するとい
うことには問題があり、慎重に対応せざるをえない。
2.
不当表示の規制と安全性
(1)景表法による不当表示規制
安全性の規制が、景表法による不当表示規制とどのようにかかわっているかという観
点である。一つは、優良誤認表示(4 条 1 号)というもので、「商品又は役務の品質、企
画その他の内容について、実際のもの又は当該事業者と競争関係にある他の事業者係る
ものよりも著しく優良であると一般消費者に誤認されるため、不当に顧客を誘引し、公
正な競争を阻害するおそれがあると認められる表示」は景表法で禁止されている。
具体的には、食品等の原産地や賞味期限につき消費者を誤認させる表示等である。こ
のようなものを優良誤認表示として排除命令を出せば、間接的にではあるが、消費者の
安全性に関連する誤認を防ぐ効果がある。肉の原産地表示や弁当・パン等の製造日時表
示では、実際にこのような排除命令や警告が出されている。ただし、これはやはり直接
安全性を確保するための表示規制ではなく、限界があるということは否定できない。
もう一つ、景表法の中に、4 条 3 号が「前 2 号に掲げるものの他、商品又は役務の取引
に関する事項について一般消費者に誤認されるおそれがある表示であって、不当に顧客
を誘引し、公正な競争を阻害するおそれがあると認めて公正取引委員会が指定するもの」
を禁止している。一種の委任立法の仕組みである。有名なものとしては、色のついた清
涼飲料水で果汁の入っていないものについては、「無果汁」という表示をさせ、その表示
がない場合には、指定に違反しているとして排除命令の対象となる、というものがある。
この考え方を一歩進めて考えると、一定の危険性を有する商品についてその危険性を
示すデメリット表示を義務づけ、そのデメリットを表示しない行為を違反とする告示を
- 70 -
出せる、という考え方が採れる(もっとも、そのためには、公取委のほうで告示を出さ
なければならない)。たとえば、タバコについて、健康に有害である旨の表示を義務づけ
たとすれば、現在の「吸いすぎに注意しましょう」程度の表示では、不当表示の規制に
のってくるといえるのではないか。ただし、そうするためには、景表法自体の改正が必
要ではないかという指摘もできる。というのは、景表法は、厳密には表示について規制
しているのであり、不表示については何も定めていないのである。ジュースのように、
色をつけていることが表示であるといえるケースはいいかもしれないが、何も表示して
いないこと自体を表示として禁止するのは無理ではないかという疑問もある。この点、
アメリカの FTC 法 5 条は、表示ということに限定せず、misleading practices/conduct
が違反であるとしているので、不表示でも違反とできる。また、景表法の問題点として、
不当表示の規制に違反した場合、公取委が排除命令を出せるのみで、不当表示を直接処
罰する規定や課徴金等はなく、うそつき表示の「やり得」ということが起こりうる(抑
止効果がない)ということがある。また、アメリカではそのような場合、代金返還命令
を FTC が出せるということになっているが、日本の景表法にはそのような規定がない。
(2)不正競争防止法による不当表示規制
不正競争防止法にも、景表法による規制と重なる形で不当表示規制の条文がある。不
正競争防止法 2 条 1 項 13 号は、単に「誤認させる」ような表示を禁止しており、「著し
く優良であると誤認させる」ものを禁止する景表法よりは適用範囲が広い。ただし、2
条 1 項 13 号違反の効果としてどのようなものがあるかといえば、営業の利益を害され
る者による差止(3 条)及び損害賠償(4 条)請求に限られており、消費者や消費者団
体には訴権は与えられていない。この点において、ドイツはまさに、消費者団体に差止
請求権が与えられており、現実に大きな効果を有している。日本の不正競争防止法はそ
うはなっていないがために、あまり機能していないのが現状である。
ただし最近は、刑事罰を適用する例が増えてきているような印象がある。2 条 1 項 13
号違反に対しては、不正競争防止法上刑事罰が課されうるようになっている(そのため
には「不正の目的」や「文書」によることが必要ではある)。食肉の原産地虚偽表示や中
古車のメーター巻き戻しの事例では刑事罰が課されている。そうはいってもやはり、消
費者団体や消費者自身の訴権が認められていない点では限界がある。
- 71 -
第5章
比較法学からの分析
EU・イギリスの法制度からの示唆
1.
はじめに
本章では、製品・食品の安全規制に関する法制度の設計において、EU 1 (欧州連合)
とイギリスの法制度の参考となる点を考察する。本論に入る前に、なぜ EU やイギリス
の法制を見ることが、また、EU とイギリスの法制を併せて見ることが、日本の法制度
設計において参考になるのかを、まず略説しよう。
第一に、EU、イギリス、日本は、食品分野では BSE(牛海綿脳症、いわゆる「狂牛
病」)汚染牛肉事件 2 を深刻に抱え、食品のもつ、科学的に現段階では不確実なリスク(人
の生命または健康に重大な悪影響を及ぼす危険)の国際的な広がりに対して対応を迫ら
れた点で共通である。人の生命・健康への不確実なリスクの分析においても、また、か
かる商品の国際的流通に対する実効的な規制方式を工夫するうえでも、BSE 事件以後の
EU・イギリスの法制度改革は学ぶところが多い。
第二に、食品に限らず製品についても、EU と構成諸国は域内貿易の自由化を率先し
て進めており、WTO(世界貿易機関)体制の下で同様の貿易自由化を進める日本と類似
の問題をつねに抱える。例えば、一ヵ国単位の貿易規制を緩和ないし撤廃する場合、同
時に製品や食品のもたらしうる人の生命・健康へのリスクについても、一ヵ国単位の規
制を中心に制度を構築・運用していた視点を脱却して、国際的な単位の規制体制を構築
しその運用に協力する視点をもつことが課題となる。EU と構成諸国はそれを主として
EU の法制度の構築と各国法の改正によって行っている。たしかに日本は EU に相当す
る地域国際的な立法組織に属するものではない。しかし、食品や製品のリスクについて
は、例えば WTO の SPS 協定(衛生植物検疫措置の適用に関する協定)や OECD(経済
EU(欧州連合)は、法的には①EC(欧州共同体、第一の柱)、②共通外交・安全保障政策に関する
政府間協力(第二の柱)、③刑事司法・警察に関する政府間協力(第三の柱)、の 3 分野から構成され
る。EU 自体には法人格は明文では付与されていない。これに対して、EC は独立の国際法人格を明文
で与えられた団体であり、法制度の独自の性質をもつ点で EU の第二・第三の柱とは区別される。ゆ
えに法的には EU と EC は区別される。
そこで本章では、EC の法令や法的に厳密な記述を要する文脈では EC を用いる。例えば、EC の設
立条約や EC が採択する指令や規則を記述する場合は EC 条約、EC 指令、EC 規則等と表記する。し
かし、構成国と区別された法的団体という程度の一般的な意味合いの文脈では、とくに EC に限定す
る必要がないので、EU という。
2 EU・イギリスでの BSE 事件をめぐる訴訟を紹介したものとして、拙稿「EU 法の最前線
第1回
1
- 72 -
協力開発機構)のガイドラインを形成し解釈し運用する立場にあり 3 、またアジア太平洋
地域諸国間の協議の場である APEC (アジア太平洋経済会議)においても、各国の法
制度上の工夫を公表し、また相互に学びうる立場にある 4 。したがって、日本も、輸出入
の関係諸国との間で確認すべき行為原則や構築しうる法的枠組みや制度について、EU
と構成諸国の試行は示唆を与えうる。
第三に、本章では EU だけを扱わず、構成国であるイギリスの法制度も併せて取り上
げるが、これは製品・食品安全規制の分野については、EU(とくに EC)法が自己完結
的ではなく、構成国の法と相互補完的に成立しているからである。わが国において従来
のヨーロッパ諸国・EU の比較法制研究は、各国単位または EU だけを取り出して行わ
れることが多い。しかし、製品や食品の越境的な安全規制については、EC 法が各国法
の上位にたつ共通法として存在するものの、それ自身で網羅的に完結するものではなく、
構成国の法や制度に依存するところが多い。ゆえに、EU(とくに EC)法と構成国の法
の両方を併合して見て初めて、今日のヨーロッパ諸国での製品・食品安全規制法制の全
貌が浮かび上がる 5 。そこで EU 法と構成国法を同時に取り上げる必要がある。理想的に
は主要な構成諸国の法制度を取り上げるべきであるが、本章では、BSE 事件を深刻に抱
え、以後、製品・食品安全規制の法制度整備をめぐる論議が活発に行われてきたイギリ
スに絞って取り上げる。
なお、本報告書では、第 3 部において、製品・食品安全規制に係る EU とイギリスの
各法制度の概要が整理されている。そこで本章では、その概要の背後にある、EU・イギ
リスの法制度の改革を導いた経緯、基本的な発想や着眼点を浮き彫りにしながら、規制
法制度の公法的な設計と私法的な設計に大別し、それぞれの局面から学ぶべき点を考察
する。
2.
EC・イギリスにおける近時の法改正の経緯
食品
2000 年前後に EU およびイギリスで行われた食品安全法制度の改革は、1990
年代半ばに急速に問題化した BSE(牛海綿脳症、「狂牛病」)問題が直接の契機となって
狂牛病事件」貿易と関税 47 巻 9 号 95-92 頁(1999 年)。
3 遺伝子組み換え作物のリスクを規制するための国際法規範としての「予防原則」の形成を推進する
EU と、それを抑制しようとするアメリカの、様々の国際的な討議の場での対立を分析するものとし
て、拙稿「遺伝子組み換え作物規制における「予防原則」の形成―国際法と国内法の相互形成の一事
例研究―」社会科学研究 52 巻 3 号 85-118 頁(2001 年)。また、遺伝子組み換え作物の EU 域内での
規制をめぐる、EU と構成国政府と様々の利害関係者の論争について、拙稿「EU 法の最前線 第 15
回 EU の遺伝子組み換え体(GMO)規制の動向」貿易と関税 49 巻 3 号 99-94 頁(2001 年)。
4 APEC における大局的な政策の方向付けやガイドラインの形成について、拙稿「APEC の政策形成・
実現過程の特徴と限界―法的視座からの分析―」社会科学研究 52 巻 2 号 147-167 頁(2000 年)。
5 消費者法分野について、EU 法と各国法を個別に理解するのではなく、相互補完的な一体として理解すべ
きことについて、拙稿「消費者契約法とヨーロッパ法」ジュリスト 1200 号 141-145 頁(2001 年)。
- 73 -
いる。
人に対する BSE 牛肉リスク(BSE 罹患牛を食用して人の疾病 vCJD[変異型クロイツ
フェルト・ヤコブ病]を発病する可能性を否定できないこと)は、1980 年代以降の諸々
の研究に示唆されていた。1990 年代前半にはイギリス政府の委員会でも議論されていた。
しかしイギリス政府のリスク対策(BSE 牛肉リスクの公表と BSE 罹患牛の廃棄および
罹患牛肉・牛製品の流通排除)は 1996 年 3 月までなされなかった。EU においても、
BSE を人の食品リスクとして捉えず、あくまでも牛の疫病として捉えて、飼料規制等を
したに止まった。人の健康を阻害する危険をもつ食品・製品として、牛肉および牛付随
物(ゼラチン等)の EU 域内自由移動を阻害しうる規制措置が発動されたのは、1996
年 3 月のイギリス政府発表直後からである。
このように科学的に不確実性が残るものの人の健康に重大な悪影響をもたらしうる食
品リスクに対して、実効的な公法的な規制措置を適切に策定できず、対応も遅延した。
このことへの反省が、その後の EU とイギリスの食品規制法制の改革を導いた。EU・イ
ギリスそれぞれに遅延や規制の実効性不足の原因を究明する公式調査が行われた。イギ
リスの公式調査は議会に指名を受けた独立の調査委員会(委員長フィリップス卿)が行
い、調査報告書(「フィリップス報告書」) 6 をまとめ、EU では、欧州議会の臨時調査委
員会(委員長オルテガ議員)が報告書(「オルテガ報告書」) 7 を公表した。
製品
製品の安全確保に関する法の改正も、EU と各国で 1990 年代末に行われた。し
かしこれは、BSE 事件のような事件を契機としてはいない。累積的なものである(ただ
し、1999 年に行われた EC 製造物責任指令の改正は BSE 事件を契機としている)。EC
の消費者保護政策の権限は 1970 年代までは明確には認められてはおらず、むしろ各国
法に委ねられていた。EC において、消費者保護が「行動計画」として法的拘束力を伴
わない政策として登場するのは、1970 年代後半からである。その後、EC の消費者保護
政策の権限が安定的に各国から認められるようになると、ようやく EC 次元の立法措置
を伴うようになり、1980 年代から製品の品目別に安全確保のための指令がいくつか採択
されるようになった(化粧品、薬品、自動車等)。1980 年代の指令は、対象品目につい
て EC 指令が包括的・網羅的な規制規定を置く「完全調和方式」8 をとるものが大多数で
あった。1985 年の EC 製造物責任指令 85/374 号 9 もその一つである。1986 年以降、市
場統合立法を構成国の特定多数決で可決できる新たな立法根拠(当時の EC 条約 100a
条[若干の改正をへて現 95 条])が EC 設立条約に追加されたため、「完全調和方式」の
The BSE Inquiry Report. Vols.1-15 (2000).
Report on alleged contraventions or maladministration in the implementation of Community
law in relation to BSE (Temporary committee of inquiry into BSE ) A4-0020/97 (1997).
6
7
8 構成国は EC 指令に完全に適合するように国内法の改正を義務づけられ、構成国法で EC 指令と異
なる内容の規制を維持・導入することは、それを認める明文がない限り、禁じられる方式。
9 [1985] OJ L 210/29.
- 74 -
ほかに、最小限の必須の安全基準・要件のみ指令で示す「新方式」 10 による安全指令も
いくつか採択されるようになった(玩具、ガス器具等) 11 。
このように各国法を調和させる程度の違いはあったものの、1990 年代初頭までの EC
の製品・食品安全立法の方針は、なべて単行法の林立という立法のやり方であった。と
ころが、この立法方針では、EC 法が各国法に局所的に介入することになり、各国の規
制法の体系性を損ねる。しかも EC 法としても横断的な消費者法の原則が示しにくい。
このような問題点が次第に自覚されるようになり、1992 年には品目横断的な EC 製品一
般安全指令(92/59 号、以下 92 年指令) 12 が制定された。この 92 年指令は、既存の単
行指令の内容を補完強化し、かつ単行指令の対象外製品にも一般に及ぶ横断的な基本法
となるべきものであった。しかし 92 年指令は、その意図通りには各国で実施されなか
った。とくに単行指令がある品目はすべて 92 年指令の対象外という解釈が多くの構成
国政府によって採られたため、現実には、多くの構成国で、玩具、化粧品、薬品、自動
車等主要な日常使用製品が 92 年指令の対象外と扱われる結果になった 13 。そこで製品一
般の横断的・基本的な指令であることを一層明確にする方向で 92 年指令の改正が行わ
れ 14 、2001 年に EC の製品一般安全指令 2001/95 号(以下、2001 年製品安全指令)15 が
採択された。
以上に概観したように、食品と製品では、それぞれに異なる経緯から、近時の改革が
進められた。そのため改革の主眼も、食品と製品では重なり合う部分もあるが異なる点
もある。鳥瞰すれば、食品安全法制の改革は、(ⅰ)EC と各国の規制機関の組織変更(リ
スクの評価、管理、伝達の区分を組織構成や運営に反映させる)、(ⅱ)規制機関間の国
際相互協力体制の強化(リスク情報交換の実効向上)、(ⅲ)規制の諸原則の明確化(予
防原則等の行動規範による人の生命健康保護の優先)であった。他方、製品安全法制の
改革は、(ⅰ)安全確保義務が製品横断的な義務であることの明確化、(ⅱ)製造者と販
売者の責任の明確化と強化、(ⅲ)製品の危険情報と対策情報の確保強化および規制機関
間の国際相互協力体制の強化(Rapid Alert System の拡充等)、が主たる内容となった。
必須の安全基準等について EC 指令に規定をおき、他の詳細は業界団体の基準に委ねる方式で、か
つ原則として構成国はより高水準の安全確保・消費者保護措置を維持・導入できる方式。
11 Directive 88/378/EEC [1988] OJ L 187/1(玩具安全指令)、Directive 89/106/EEC [1989] OJ
L40/12(建材安全指令)、Directive 90/396/EEC [1990] OJ L196/15(ガス器具安全指令)等。
12 [1992] OJ L 228.
13 各国での実施状況と問題点に関する民間研究機関の調査として、Centre de Droit de la
Consommation, Louvain-la-Neuve, The Practical Application of Council Directive 92/59/EEC on
General Product Safety (2000).
<http://europa.eu.int/comm/dgs/health_consumer/library/surveys/sur13_en.html>。
EC 委員会がまとめた、92 年指令の各国実施状況の問題点と法改正の必要性について、COM(2000)
140 final も参照。
14 そこで、2001 年製品安全指令では、全製品(サービス提供者が用いる、または消費者に用いさせ
る製品を含む)を対象にすることを明記している(2001 年指令 1 条、2 条)。
15 [2001] OJ L 11/4.この指令の概要については、内閣府委託調査「製品安全に係る情報開示のあり方
に関する調査」(商事法務研究会、2002 年)第 1 章を参照。
10
- 75 -
3.
公法的規制
(1)公的規制機関の組織変更―食品分野
食品
EU およびイギリスの公式調査報告書において、改革を要する行政組織法上の
問題点として指摘された主要点は、次の通りであった。
(ア)人の健康をおかす食品のリスクの規制に複数の省庁・機関が関与しており、かつ
当該省庁・機関間の協力が乏しかったため、人の健康保護を最優先にした明確な措
置をとるまでに時間がかかったこと 16 。
(イ)科学専門的なリスクの評価と、その科学的評価に社会的諸利益の考慮を加えた行
政上の規制措置(リスク管理措置)の採択とが渾然一体となっていた(決定手続が
不透明であった)ので、科学的にも社会的にも最終措置は説得的に説明できる内容
やタイミングで出されず、関連する科学情報も適時に公表されず、措置決定にいた
る各局面での責任者も特定しがたくなっていたこと 17 、である。
そこで BSE 事件の後、EU・イギリスのいずれにおいても、消費者の生命・身体・健
康に悪影響を及ぼしうる食品のリスクについては、科学的な意味でのリスク「評価」の
段階と、社会的な統制を行うリスク「管理」の段階と、利害関係者(生産者、消費者、
流通業者等)に正確な科学情報を「伝達」する側面との三局面を観念的に区別し、この
区分を制度の設計や運用に意識的に反映させ、各局面の独立性、説明責任、透明性、公
開性を高めるような改革が進められた。また EU ではとくに「予防原則」を明示して、
被害発生の可能性について科学的な確証が得られない段階であっても、人の生命健康の
保護を優先させる見地から、被害の未然回避のための措置をとりうるものとした。
①
イギリス:食品基準局(Food Standard Agency, FSA)
イギリスにおいては、1999 年の食品基準法(Food Standards Act 1999、以下 1999
年法)により、食品基準局(Food Standard Agency、FSA)が設置された。これは、食
品の安全規制については、科学的「評価」(専門家の委員会による検討)、社会的なリス
ク「管理」(とくに食品の安全基準の設定)、そして、食品の安全性情報の一般への「伝
達」(および関連国際機関や EU の欧州食品安全庁との情報交換による新情報の獲得)を
行う機関として、新設されたものである。
イギリスについて、フィリップス卿の調査報告書 The BSE Inquiry Report vol. 1, pp.242-244.
vol.15, paras 3.10-3.19 なお、日本について、BSE 問題に関する調査検討委員会「BSE 問題に関する
調査検討委員会報告」(平成 14 年 4 月 2 日)とくに 21 頁。
17 決定過程の不透明性をとくに批判するのが、欧州議会の BSE 問題臨時調査委員会(オルテガ委員
会)報告書である。Report on alleged contraventions or maladministration in the implementation
of Community law in relation to BSE (Temporary committee of inquiry into BSE ) A4-0020/97, at
1.C).
16
- 76 -
こ の 食 品基 準 局 の特色 を あ げ ると 、 第 一に、 食 品 の 安全 に つ いては 、 か つ て保 健 省
(Department of Health, DoH)と農業省(Ministry of Agriculture, Food and Fishery,
MAFF)とに分散していた人の健康と食品の安全に関する所掌事務をできるだけ統合し、
少なくとも食品から生じる人の健康リスクの規制については、食品基準局が集中して取
り扱う体制として、省庁縦割りの対応から生じがちな決定の遅延を克服しようとするも
のである。そこで農業省の食品・畜産行政業務がほぼすべて食品基準局に移管され、そ
のうえで、食品基準局と保健省、食品基準局と農業省の間で事務協力覚書が交わされた 18 。
その後、2001 年 6 月に農業省は環境食糧地域省(Department for Environment, Food
and Rural Affairs, DEFRA)に改組された。
第二の特色は相対的独立性である。食品基準局は相当程度の独立性を政府との関係で
は保つ。なるほど食品基準局は、行政組織法的には保健省(およびウェールズ、スコッ
トランド、北アイルランドの保健担当行政庁)から主たる役員が任命され、当該省庁の
長に対して説明責任を負う外局として構成されている。具体的には、食品基準局は、運
営役員会をトップに、その下に食品基準局の日常的な業務を統括する業務長官(Chief
Executive)を置き、さらにその指揮のもとに各部局に分かれるという組織構成である
が、運営役員会の正副議長は、保健省大臣、スコットランドの地域保健大臣、ウェール
ズ議会、北アイルランドの保健社会保障局が合議で任命し、その他の役員(8 名以上 12
名以下)は、ウェールズ議会(これは「議会」といっても立法権はなく、当該地域の行
政を監督する)が 1 名任命、スコットランド地域保健大臣が 2 名、北アイルランド保健
社会保障局が 1 名任命し、残りを保健大臣が任命する(1999 年法2条)。食品基準局の
業務長官およびスコットランド、ウェールズ、北アイルランドの各地方業務部長は、初
代について保健省大臣が任命するが、その後は食品基準局が保健省の承認を得て任命す
る(1999 年法 3 条)、という構造になっている。
しかし、食品基準局は、具体的な活動目標の設定や食品安全情報の公表等、設置法の
規定する所掌事務範囲内の活動事項については、相当程度に自律的な意思決定が可能で
ある。ここに特徴がある。食品基準局の業務長官とその下の部局の運営は、保健大臣の
指示や監督によるのではなく、食品基準局の運営役員会が指示し監督する。年次活動計
画や中期の活動方針を決定するのも運営役員会である。この役員会の役員は、任命こそ
保健省大臣等が行うのであるが、食品安全分野の専門知識をもつ者が任命されるものと
されており(1999 年法 2 条)、任命後は、食品安全規制の専門機関の役員会として専門
自律的な意思決定能力をもちうる。国会との関係では、食品基準局は保健省大臣に説明
責任を負う機関と位置づけられ、保健省大臣が食品基準局の業務活動についての責任を
“Concordat between the Food Standards Agency and the Ministry of Agriculture, Fisheries
and Food” <http://www.foodstandards.gov.uk/multimedia/pdfs/concordatmaff.pdf>;
“Concordat between the Food Standards Agency and the Department of Health”
<http://www.foodstandards.gov.uk/multimedia/pdfs/concordatdh.pdf>.
18
- 77 -
国会に対して負うのであるが、食品基準局はリスク情報の公衆への「伝達」を政府と独
立に自律的にしうるので、消費者との関係で情報公開法の適用を受け、直接の説明責任
を負うことになる。
第三に、情報の公衆への伝達機関として重要である。この食品基準局は、食品安全に
関する科学情報と規制法執行情報を、政府等公的機関に提供するばかりでなく、独自の
判断で政府からは独立して、公衆一般や個人・団体に伝達することも任務とされる(1999
年法 6 条、7 条)。こうして各省庁の活動目的間に緊張関係がある場合でも、公衆の健康
保護が優先されるべく、重要な科学的情報は公表され一般消費者に伝達される仕組みに
なっている。
この点をやや詳しく紹介しておくと、1999 年法 6 条は、まず、食品基準局の任務と
して、あらゆる公的機関に対して食品安全に関する助言、情報提供等を行うことを定め
る。1999 年法に関する政府の立法趣旨説明書(Explanatory Notes to Food Standards
Act 1999)24 段によれば、1999 年法 6 条での食品基準局の任務は、具体的には、新た
な立法の勧告や提案、あるいは食品安全基準の細則の起案に及ぶ。そしてこの食品基準
局がイギリス全土における食品安全に関する政策助言の源となることが予定されており、
「政府機関が利用する食品安全分野の関連専門知識の大多数は、食品基準局に集中され、
各省庁において類似の情報が並行収集されることはない」(立法趣旨説明書 24 段)。
さらに食 品基準局 の 情報提供任 務は、一 般 公衆や個人 ・団体に 対 してもある 。1999
年法 7 条 1 項 a 号および 2 項によれば、「食品についての情報を得て各自で決定を行う
能力に大きな影響を与える(significantly affect)と食品基準局の考える事柄について、公
衆一般が十分に情報を提供され、かつ、十分に助言を受けることを保障するために」食
品基準局は、一般公衆に対して食品安全および食品に関する消費者の関心を寄せるその
他の問題について、助言と情報を提供する任務を負うのである。また、食品基準局は、
公的機関ではないあらゆる個人や団体に対して情報提供・助言を行う任務も負う(199
年法 7 条 2 項、立法趣旨説明書 25 段)。
政府の立法趣旨説明書 26 段は、この一般公衆や公的機関ではない個人・団体への情
報提供・助言活動の具体例として、次のようなものを掲げている。
・現在、関心を集めている問題や重要な問題についての情報提供キャンペーンをする。
・研究または調査で得られた科学データの公表とそのデータの解釈についての助言。
・法の執行活動(例えば BSE および汚染牛肉排除活動等)に関する情報の公表。
・食品衛生、ラベル等のパンフレット作成。
・消費者相談(ヘルプライン)の運営。
・食品アレルギーのある人々への助言。
・食品科学の新展開情報を一般公衆および食品業者団体にも伝える。
・食品安全問題について食品業界にガイダンスを行う。
- 78 -
・具体的な問題について公衆の注意を喚起するために、食品危害警告を発する。
現に食品基準局は、インターネットのホームページ(http://www.foodstandards.gov.uk/)
も開設し、BSE や遺伝子組み換え食品をはじめ様々の食品安全問題について科学情報や
法執行状況の情報を提供している。
②
EU:欧州食品安全庁(European Food Safety Authority, EFSA)
EU においても、イギリスと同様に、科学専門家によるリスク評価と社会的なリスク
管理(具体的措置の採択)との分離独立性、科学専門家の討議過程の透明性、科学情報
の公開性が強調された。これは BSE 食品リスクが 1990 年代に生じていた当時、EC 委
員会の下にあった科学専門小委員会の構成員の利害偏頗や審議過程の不透明性、重要情
報の公表遅延等が、政策の遅延や実効性欠如を招いたと欧州議会の調査報告書で指摘さ
れたからである。
そこで、リスク「評価」と「伝達」については、専門行政機関たる「欧州食品安全庁」
(European Food Safety Authority, EFSA)が設置されることになる。また、リスク「管
理」のための政策・措置提案をする EC 委員会は、内部組織を再編成し、消費者の健康
保護を目的に明示する「健康・消費者保護総局」を設置した。この改組以前は、EC 委
員会内の農業総局(食品・飼料の安全も畜産振興とともに扱う)が生産段階の安全を、
域内市場総局(市場統合とともに消費者健康保護一般も扱う)が流通段階の安全を扱う
縦割り体制になっていた。そのため BSE 問題のように食品生産から消費までの全過程
の総合的リスク管理が要請される場面では、EC 委員会内部の総局間の情報交換不足が
起こり、また EC 委員会としての総合的施策形成の遅延が生じた。このような失敗を克
服しようとしての改組である。
しかし、今回の改革の中心は、2002 年の EC 食品一般原則規則 178/2002 号 19 (以下
2002 年食品規則)の制定であり、独立の法人格をもった「欧州食品安全庁」の設置であ
る。この欧州食品安全庁は、イギリスの食品基準局と同様に、リスクの「評価」「管理」
「伝達」というリスク分析の三局面の区別をできるだけ組織構造にも反映させるべく設
計されたものである。ただし、イギリスの食品基準局と異なり、食品の健康リスクの科
学的「評価」と「伝達」に特化した機関であって、リスクの「管理」には基本的に関わ
らない(イギリスの食品基準局は、飼料についてリスク管理も行う)。リスクの「管理」
は、従来どおり、EC 委員会および理事会(各国政府閣僚で構成)が決定し、具体的な
執行は構成国政府が行う。このように「管理」面が欧州食品安全庁の所轄外とされたの
は、現行の EC の法制度構造において、EC 事項の執行は原則として各国政府が担当す
る構造になっているからであり、この大枠を変更せずに今回の改革が行われたからであ
る(各国政府は EC が構成国から独立に執行権限を行使できるタイプの食品安全執行庁
19
Regulation (EC) 178/2002
[2002] OJ L 31/1.
- 79 -
の出現を警戒した)。
欧州食品安全庁の組織体制は、①「運営役員会」(Management Board、業務執行長
官を任命し、庁の運営を監督する)、②「業務執行長官」(Executive Director)とその
下の部局(庁の通常業務を業務執行長官の指揮により遂行する)、③「助言委員会」(欧
州食品安全庁と類似の業務を担当する各構成国機関の代表者の委員会で業務執行長官に
助言する)、④「一つの科学委員会および複数の科学パネル」(科学的意見を欧州食品安
全庁に提供)で構成される(2002 年食品規則 24∼28 条)。これまで EC 委員会の下に
設置されていた科学専門小委員会(食品の健康リスクを評価し EC 委員会に助言してい
た小委員会)は、この欧州食品安全庁の科学委員会および科学パネルとして再編成され
ることになった。
この欧州食品安全庁の設計においては、科学評価機関としての信頼性、独立性、透明・
公開性の確保に意が用いられた。この三要素は相互に補完的に関連している。
第一の信頼性については、欧州食品安全庁の運営役員会役員や業務執行長官は、高度
の専門性と経験を資格要件とし、かつ利害の偏頗なく選び任命する手続を保障している。
例えば、運営役員会は、EC 委員会代表 1 名と 14 名の任命役員の計 15 名で構成される
が、任命役員 14 名(うち 4 名は、消費者団体または食品産業団体の経歴をもつ役員)
の任命は、EC 委員会が作った候補者リストに対して欧州議会が意見を述べ、理事会が
任命する(2001 年食品規則 25 条 1 項)。この任命に際しては、役員会が「最高級の能
力を備え、業務に必要な専門知見を幅広く確保しつつ、かつ、EU 内の地理的配分もで
きるだけ均等になる」ことを考えて行われる(同規則 25 条 1 項)。また業務執行長官は、
EC 委員会が公募をして候補を選定し、選定された候補者は欧州議会において議員によ
る質疑を受けた後に、運営役員会により任命される(同規則 26 条 1 項)。科学委員会・
パネルの委員も公募により、業務長官が候補者リストをつくり、運営役員会が任命する
(同規則 28 条5項)。
第二に、個別の委員の独立性については、運営役員、業務長官、助言委員は、「公益の
ために独立に行動する」ことを、また科学委員会とパネルの委員は「公益のためにあら
ゆる外部の影響から独立に行動する」ことを確約しなければならない(同規則 37 条 1
項、2 項)。そして、運営役員・業務長官・助言委員・科学委員会・パネルの各委員は業
務遂行に影響を直接または間接に及ぼしうる利害の有無を毎年宣言する義務が課されて
いる(同規則 37 条 1 項、2 項)。加えて、個々の会議が開催されるごとにその会議の議
題についての利害関係の有無を、運営役員・業務長官・助言委員・科学委員会・パネル
の各委員と当該会議への外部からの参加者は、毎回、宣言しなければならない(同規則
37 条 3 項)。
第三に、組織としての独立性については、独立の法人格をもつ組織として設立された
点に端的に表現されているが(同規則 46 条 1 項)、実際の運営においても、とくに情報
- 80 -
収集と伝達の自律的決定権の保障を通して、EC の諸機関や構成国政府や利害諸団体か
ら距離をおいて活動することが確保されている(同規則 29 条、40 条等)。そのため、組
織としての独立性は多くが決定過程の透明性・情報の公開性の確保という考慮と重なり
合いながら(同規則 38-42 条、すぐ後に述べる)、実質的にも保障される仕組みになっ
ている。
第四に、意思決定の透明性と情報の公開性についても工夫が多い。具体的には、科学
委員会およびパネルの議題と議事録と意見(少数意見を含む)の公表、意見の基礎にな
った情報や欧州食品安全庁の科学的研究の結果、年次報告書等の「遅滞なき」公開を義
務づけている(2002 年食品規則 38 条)。さらに、欧州食品安全庁は、独自の判断でそ
の所掌事項について情報伝達を行う権利を認められており(同規則 40 条)、その保有す
る文書に対するアクセスも広く認めるものとしている(同規則 41 条)。これらの一連の
情報開示・公開の権利義務は、食品リスク情報を一般公衆に客観的に、適時に、分かり
やすく公表すべきとの考え方を反映している(特に同規則 40 条 2 項)。
さらに注目しておいてよいのは、BSE 事件で典型的に現れたように、科学的にも不確
実なリスク問題(牛の病気 BSE が人の病気 vCJD と関係があるかどうかなど)につい
ては、同じ専門の科学者の間でもリスク評価について意見の対立がありうるのであって、
そのような対立があることを公表することを義務づけ(同規則 30 条 3 項、4 項)、また
欧州食品安全庁内の科学委員会や科学パネルの少数意見も公表することを義務づけてい
る(同規則 38 条 1 項b号)。このように科学評価自体も不確実であるという情報までも
広く一般公衆に知らせ、多様な立場からの科学的検証に耐えうる水準を維持しようとす
る工夫もなされている。
ここまで情報の開示や公開に積極的なのは、2002 年食品安全規則が、消費者に食品に
ついて「十分な情報を得たうえでの選択の基礎を提供する」ことを目的とするからであ
る(同規則 7 条)。
第五に、欧州食品安全庁は、各構成国の同様の所轄機関(イギリスの食品基準局等)
や他の国際機関や消費者団体等との情報交換やリスク情報の「伝達」も行うハブとなる
ことが予定されている。そこで、食品・飼料の人の健康に直接間接に与える「重大な」
リスク情報の相互連絡ネットワーク(Rapid Alert System)を構築し、欧州食品安全庁
をそのネットワークの中心にすえて、各国や各関連団体との情報ネットワークを展開す
るものとしている(2002 年食品規則 35,36 条、50 条以下)。欧州食品安全庁は消費者
代表、生産者代表、加工業者代表、その他のあらゆる利害関係者との実効的なコンタク
トを発展させる義務も課されている(同規則 42 条)。
以上のような特色をもつ EU の欧州食品安全庁は、イギリスの食品基準局よりも組織
としての法的独立性が高く、またリスク評価と伝達に特化していることが特徴である。
さらに、リスク伝達面において、科学専門家間の見解の対立を含めて重要なリスク情報
- 81 -
を広範に、即時に、一般公衆に提供することを重視していることや、各国機関や利害関
係団体等との実効的コンタクトを、人的にも物的(コンピュータ・ネットワーク等)に
も構築することを明示的に目的としている点も特徴的である。
製品
以上の食品安全規制と異なり、製品安全規制については、リスク評価・管理・
伝達を行う公的機関の工夫は EU でもイギリスでもさほど議論されていない。しかし、
これは製品の場合、業界の自主的な安全評価・管理組織が存在する品目もあるから、製
品ゆえに安全確保のためにリスク評価や管理の組織化が不要であるということにはなら
ない。
ただし、公的な機関を設置してまで国が規制的に介入する必要が大きいかどうかの差
は、製品と食品とで一般論としては、ありうるかもしれない。例えば、①食品は、それ
なしには人間生活が成り立たないほど基本的なものであり、かつ、そのリスクが顕現す
れば人の生命・健康に直接的に影響する。②日常の消費生活に使用する製品は、製造販
売までに安全検査が可能であり、リスクが顕現した段階でも回収や修補が可能な場合が
多い。食品の場合、人為的に開発された新奇食品(novel food、遺伝子組み換え食品や
特定物質を加えた強化食品等)の安全検査や環境影響評価を除けば、食品自体の安全検
査はほとんどなく、あるとしても添加物や農薬等の人為的追加物の含有量・残量等の検
査等が主である。また、生ものに近いほど食品はいったん人の生命・健康リスクが顕現
した場合の回収可能性は低い。これらの違いは、製品と食品とで程度の差にすぎない場
合もあるが(薬品に近い食品等)、食品の人身リスクへの公的介入が要請される度合いは
一般論としては大きいとはいえるであろう。そのため、省庁縦割り的な組織を超えて、
横断的な協力体制を組み、かつ、科学的に不確定な段階から、リスク管理を図る制度的
な工夫は、製品よりも食品のようにより大きく要請されると一般的にはいえるのかもし
れない。
とはいえ、製品の場合も、業界での自主的なリスク評価・管理・伝達の組織化が図ら
れている場合がある。その場合、そのような団体を通した自己規律を、はたして、また
どれほど、公的な食品リスク評価・管理・伝達の組織の設計にあった考慮に類比して考
えるべきかという点は、検討すべき課題として指摘できよう。
(2)公的規制の運営上の新たな工夫
①
情報ネットワークの構築:国際的なリスクの広がりへの対策
食品・製品
食品安全分野の組織改革は、EU の欧州食品安全庁を中心とした、EU 諸
国の食品安全規制の所轄機関や利害関係団体の情報ネットワークの構築という大きな構
図も見せている。これが現在の EU と構成国の間で相互補完的に生じている、規制機関
間の国際相互協力体制の強化である。この点は、すでに製品安全分野でも同様の動きが
- 82 -
あり、それと連動している。
EU・構成国はすでに製品の「重大で切迫した(serious and immediate)」リスク情報
については、1984 年以来、EC 委員会をハブとして各国の所轄庁との間での情報ネット
ワーク(RAPEX)を構築してきたが 20 、1992 年の製品安全指令でこれが制度的に認知
されて確立した(1992 年指令 8 条および Annex)。さらに 2001 年製品安全指令では、
切迫していなくても「重大な(serious)」リスク情報に範囲が拡大された(同指令 10 条
∼13 条、同指令 Annex II)。食品・飼料のもたらす人の健康に対する直接または間接の
「重大な(serious)」リスク情報についても、2002 年食品規則で Rapid Alert System が
EC と構成国の間で構築されることになった(2002 年食品規則 50 条以下)。構成国の特
定機関をコンタクト・ポイントとして指定し、常時重大な直接間接のリスク情報の収集
と伝達を図る(2002 年食品規則 50 条)。こうして EU にあっては、製品の RAPEX と
食品の Rapid Alert System とにより、消費者安全のためのリスク情報の総合情報シス
テムが次第に展開されている。
この情報ネットワークの構築は、新たな規制手法として評価できる。EC はそれ自身
の執行権限をほとんどの分野でもたない。それゆえ EC から構成国への「指令」と EC
委員会による「実施監督」という「指令・監督」型の規制を行わざるをえず、かつ、構
成国政府からの重大リスク情報の提供に依存していた。ところが、1999 年にベルギーで
おきた鶏肉・鶏卵のダイオキシン汚染事件で、かかる重大な健康被害を生じかねないリ
スク情報をベルギー政府が EC 委員会への通報を数ヵ月も遅延していたことが明らかに
なった。この事件の反省から、情報ネットワークにおいて切迫していなくても「重大な」
情報の提供をつねに各国所轄庁に求めておくことによって、迅速確実なリスク情報の収
集を可能にするという「情報収集・伝達」中心型の規制方式が導入されることになった。
これは一方で、独自の執行機関と執行権限をほとんどもたない現在の EU の法制度に
おいて、構成国の規制機関・執行機関の協力を取り付けながら、域内全体の安全規制を
実効的に行わなければならないという制度的な制約から編み出された工夫である。しか
し、他方で、これは国境を越えて広がりうる食品・製品の健康リスクに複数の国・機関
が対応しなければならない状況に実効的に応じる規制方式とも見ることができ、この視
点から日本においても参考になるであろう。
②
製品
リスク情報の伝達と収集
2001 年の製品安全指令は、流通する製品は安全であることを第一とする(同指
令 3 条)。そして、製造者に製品に内在するリスク情報の消費者への伝達義務を課して
いる。このときの製造者のリスク情報提供義務を基礎づける考え方は、十分な情報を得
Council Dec. 84/133/EEC [1984] OJ L 70/16 で初めて導入された。危険になりうる可能性(hazard)
の情報の交換制度は、Council Dec. 93/580/EEC [1993] OJ L278/64 以来、試行されている。
20
- 83 -
たうえでの選択を消費者に可能にするという考え方である。そこで、同指令 5 条 1 項は、
「製造者は、その活動の範囲内で、製品の通常かつ合理的に予見可能な使用期間中に、
当該製品に内在するリスクについて、そのリスクが十分な警告なくしては直ちに明らか
ではない場合、消費者に関係する情報を伝達し、消費者がリスクを評価して予防するこ
とができるように図られなければならない。」と規定している。さらにリスクのある製品
のリコールをする責任も、最終手段としてであるが、製造者にある旨を明文で認めた(同
指令 5 条 1 項)。
また、流通過程にある販売者は、安全ではない製品を流通におかないよう注意し、販
売者各自の「活動の範囲で市場におかれた製品の安全の監視に参加する」義務がある(同
指令 5 条 2 項)。そして、製造者・販売者はその管理下にある製品にリスクがあること
を発見した場合や業者としての情報収集からリスクを知りえた場合は、当該製品の製造
元、流通経路、現在の所在、リスクの内容といった被害回避・被害拡大防止のための必
須の情報を、迅速かつ確実に収集し、各国の所轄庁に直ちに通報する義務(同指令 5 条
3 項)と官庁と協力してリスクを回避する義務が課されている(同指令 5 条 4 項)。この
販売者や製造者のリスク防止・拡大防止協力義務は、製品を扱う現場にある者が最も製
品危険情報を掴みやすく、かつ、防止しやすい(被害回避に最も実効的な行動を採りう
る)という考慮に支えられている。
食品
BSE 事件で露見したことは、製品流通と異なり、食品(少なくとも牛肉)は、
生産地から消費地までの生産・流通過程の各段階の情報が相互に連携するように管理な
いし収集整理されていない、という実態であった。そこで、農作物についてはとくにリ
スクが生産地に遡及的に追跡できるよう「経路特定性」(traceability)の確保が訴えら
れるようになり、2002 年食品安全規則 18 条にこれが明文として規定された。この「経
路特定性」の確保という規範は、製品安全指令にいう、製造者や販売者の情報収集・伝
達義務がより一般的な行為規範として提示されたと考えてよいであろう。いうまでもな
く、リスクの拡大や防止を実効的に行うための前提となる情報をまず確保するという考
え方であり、この情報に基づいて実効的なリスク排除措置が採られることになる。
また、食品の場合、製品以上に流通経路が多様であるため(例えば、ヨーロッパでは
スーパー等の販売者もあるが、他方で、町の広場で開催される土曜市露店等の伝統がま
だ続くところも多い)、経路特定性を確保して情報を、各国の所轄庁(イギリスの食品
基準局等)と EC の欧州食品安全庁に収集して、そこから消費者に即時に実効的に伝達
されることが必要になる。それゆえ、欧州食品安全庁等の情報伝達任務が強調されるの
である(2002 年食品安全規則 9 条、10 条)。いうまでもなく、これも、消費者が十分な
情報を得て選択ができるように情報提供を保障するという考え方(同規則 8 条)に基礎
づけられている。
- 84 -
(3)規制の実体原則の明確化
①
高水準の健康保護と「予防原則」
1980 年代半ばからの「市場統合」政策が進められた当時以来、人の生命・健康の高水
準での保護(当時の EC 条約 100a 条 3 項、現 EC 条約 95 条 3 項)は、EC 法上も明文
に登場していた。そして 1990 年代に入って BSE 事件をめぐり、科学的に人の健康を害
することが不確実である段階で、畜産業・食品産業の経済振興という目的と消費者の健
康保護という目的のうち、どちらを優先するかという実体的な価値判断を EC・各国政
府は求められた。EC は人の健康被害を予防する措置を優先させ、EC 裁判所も、このよ
うな場合、人の健康利益を経済的利益よりも優先させることが、EC 条約にいう「高水
準の健康保護」の趣旨であると解した。
この解釈を最初に示したのが、1998 年に下された EC 裁判所の一連の「狂牛病」判決
である。この事件は、1996 年 3 月に EC 委員会が BSE の頻発していたイギリス産の牛
肉・牛関連製品の全世界禁輸措置を発動したとき、イギリスの畜産業者連合やイギリス
政府はこの禁輸措置が人の健康保護や消費者不安の沈静化という目的に対して過度に広
範な手段であって比例性を欠き違法であると主張して EC 裁判所に取消訴訟を提起した
ものである 21 。しかし、EC 裁判所は、人の健康・生命身体に対するリスクが科学的に不
確実な段階であっても、EC 条約が環境政策の分野で高水準での健康保護のために予防
的措置をとることを認めており、それが EC のほかの政策領域においても尊重されるべ
きことを定めているので、本件のような農産物(商品)の自由移動を規制する政策分野
においても、畜産業界の利益よりも人の健康保護のための予防的な措置が合理的な範囲
で優先的に取れるのであり、牛製品の経路特定性がイギリス国内において確立していな
い間は、一律の規制もやむをえないのであって、合理的な範囲であると判示し、EC 委
員会の措置を合法と判断した 22 。
この訴訟の係属中の 1997 年、アムステルダム条約で EC 条約が改正され、同条約 152
条 1 項で高水準の人の健康保護が EC の全政策領域において確保されるべきことが規定
された(改正条約の発効は 1999 年)。さらには 1990 年代後半の EC 委員会の遺伝子組
み換え食品をめぐる国際規制条約交渉での立場形成 23 等にも予防原則が EU の立場とし
て主張され、対内的にも・対外的にも健康リスクの疑念がある食品の流通規制上の行為
規範として「予防原則」が次第に定着してきた。このような展開があって、2002 年の食
品一般規則においては、科学的な証拠が不確実な段階であっても、予防的な措置を導入
することは妨げられないこと、ただし、科学的な情報のアップデートを必ず行い、それ
21 Case C-157/96, R v. Ministry of Agriculture, Fishery and Food, ex p. National Farmers Union
[1998] ECR I-2211; Case C-180/96, UK v. Commission [1998] ECR I-2265.
22 詳細は、拙稿「EU 法の最前線
第 1 回 狂牛病事件」貿易と関税 47 巻 9 号 95-92 頁(1999 年)。
23 拙稿「遺伝子組み換え作物規制における「予防原則」の形成――国際法と国内法の相互形成の一事
例研究――」社会科学研究 52 巻 3 号 85-118 頁(2001)。
- 85 -
に応じて規制措置も変更すること、といった「予防原則」を定式化した明文(2002 年食
品規則 7 条)がおかれることになった。今日の EU・構成国では、「予防原則」は科学的
なリスクが不確実な政策領域・事項についての規制担当者の行為規範として定着してい
るといってよかろう。
その後、2002 年に EC 第一審裁判所は、EC 委員会による薬品の販売許可の更新拒否
処 分 の 取 消 を 製 薬 会 社 が 求 め た ア ル テ ゴ ダ ン 対 EC 委 員 会 事 件 ( Artegodan v.
Commission) 24 において、予防原則が EC 条約の諸規定(EC 条約 3 条 p 号「健康の高
水準の保護」、同 153 条の高水準の消費者保護、同 174 条 2 項の高水準の環境保護、同
6 条および 152 条 1 項の環境と人の健康の高水準の保護が EC の他の政策にも編入され
るべきものとする規定など)から生じる自律的な原則であって、公衆の健康、安全、環
境の保護という EC の諸活動において EC 諸機関がそれを遵守しなければならないと述
べた(判決 183−184 段)。
さらに EC 第一審裁判所は、「科学的評価においてリスクの存在を十分な確実性をも
って決定することができないときは、予防原則に訴えるかどうかは、一般的には、所轄
機関がその裁量権の行使により選択する保護の水準に依存する。ただし、その選択は、
経済的利益よりも公衆の健康・安全と環境の保護が優先するという原則、および比例性
の原則と無差別の原則に従わなければならない。」(判決 186 段)と述べている 25 。
②
消費者の情報利益の保護:十分な情報を得たうえでの選択の保障
近時の EU やイギリスの製品・食品安全法制改革に共通して見られる、もう一つの実
体的原則は、消費者が十分な情報を得て選択ができるように情報提供を保障するという
考え方である(EC の 2002 年食品安全規則 8 条、イギリスの 1999 年法 7 条 1 項 a 号お
よび 2 項)。この考え方から、消費者への諮問、消費者への情報開示・公開が確保され
るよう法制度が整備されたことはすでに述べたとおりである。消費者の選択権行使の前
提となるリスク情報の開示義務や公開請求権はすでに EU 法やイギリス法として存在し
ているといえる。
Cases T-74/00, T-76/00, T-83/00 to T-85/00, T-132/00 and T-141/00, Artegodan v. Commission
[2002] ECR II-(未登載)(2002 年 11 月 26 日 EC 第一審裁判所判決).
25 この他、同判決は、いったん許可されていた薬品の販売許可を後に許可庁が取り消し、あるいは更
新拒否する場合、不許可事由を立証する責任は許可庁にあるという立証責任の配分は、予防原則によ
り転換されることはないが、許可後に新たな科学的データが現れて、当該薬品の薬効ないしは健康リ
スクに重大な疑念が生じたため、販売許可に否定的な判断に至った場合は、十分根拠付けられた説得
的な科学的な証拠を示して、科学的な不確実性を払拭するところまでは達しないにしても、当該薬品
の薬効または安全性に合理的な疑念があることを立証すれば、立証責任は果たしたものと解すべきで
ある、と述べた(判決 192 段)。
24
- 86 -
4.
私法的規制
(1)EC 製造物責任指令と 1999 年改正
1980 年代末まで EC は、消費者保護のための立法権限を EC 条約の明文では正面から
は付与されていなかった。そこで消費者保護目的の立法は、公法領域も私法領域も、域
内市場の運営に必要(現 EC 条約 308 条)、あるいは域内市場の競争条件を均等化する
ために必要(現 EC 条約 94 条、95 条)といった理由づけで、(例えば化粧品等)製品品
目ごとに、あるいは(例えば製造物責任等)法律問題ごとに局所的に採択されるにとど
まっていた。「消費者保護」政策(現 EC 条約 153 条)や「公衆健康保護」政策(現 EC
条約 152 条)が、一定の制約を伴いつつも EC の権限であることが明文で認められるよ
うになったのは、1990 年代以降である。ゆえに、EC の消費者法制は、とくに私法の分
野はきわめて非体系的であり、各構成国の実体法と手続法に大部分が依存している。む
しろ各構成国法が私法領域の消費者法制については中心であり、EC 法は部分的にそれ
を補完するものという位置づけになる。
このように EC の局所的で非体系的な消費者立法の中でも、重要な成果は 1985 年の
EC 製造物責任指令 85/374 号 26 (以下、EC 製造物責任指令)の採択であった。各構成
国はこの指令の範囲でそれに即して各国法を改正する義務を負わされた。この EC 製造
物責任指令は、EC 条約の旧 100 条(現在の 94 条)に基づいて EC 理事会の全会一致に
より採択されたものであり、かつ、当該指令自体もごく一部の論点以外は構成国に国内
実施裁量を認めていなかった(例外的に、「開発危険の抗弁」等は各国が実施するにあた
り採否の裁量が認められていた)。つまり、この EC 製造物責任指令は、そこに規定され
た法的内容のほとんどについて、もはや構成国が変更する自由を留保しているとはみな
されない「完全調和方式」によるものであった。そこで 2002 年の EC 裁判所の一連の
判決によれば、構成国はたとえ EC 製造物責任指令が保護する以上に消費者保護的な国
内法を整備していたとしても、それが指令の明文で国内実施裁量を認められた事項でな
いならば、当該指令の誠実かつ完全な国内実施義務の違反をおかしたことになる。例え
ば、一連の判決の一件では、フランス法が EC 製造物責任指令と異なり、当該製造物責
任を生じる最低損害額を設定せず、また製造者のみならず販売者についても製造物責任
を負いうるとしていたが、このいずれも EC 製造物責任指令の文面に反するとの理由で
違法とされた 27 。
ただし、これは 1980 年代までの EC 法における消費者保護法制の立法根拠や調和立
[1985] OJ L 210/29.
Case C-52/00, Commission v. France [2002] ECR I-(未登載); Case C-154/00, Commission v.
Greece [2002] ECR I-( 未登載); Case C-183/00, Gonzarez v. Medicina Asturiana SA [2002] ECR I(未登載)(いずれも 2002 年 4 月 25 日 EC 裁判所判決).
26
27
- 87 -
法方式の制約という歴史的性格からくる、今日ではやや特異な結果である。というのは、
EC 製造物責任指令よりも後の、1990 年代の条約改正で明文化された消費者保護政策の
ための立法措置は、ほとんどが EC 条約 95 条(旧 100a 条)に基づく立法措置であり、
この場合は、(構成国に立法実施裁量を残さない)「完全調和方式」をとらないことが多
く、かつ、構成国は消費者保護水準の高い国内立法を維持したり新規に導入したりする
ことが許されるからである(EC 条約 95 条 4 項、5 項)。したがって、1980 年代までの
EC 立法を除けば、1990 年代以降に成立した EC の消費者安全を促進する立法は、基本
的に構成国の法を補完するものとして作用するものがほとんどである。
ところで、1990 年代後半の BSE 事件は、私法的規制の局面にも影響を及ぼした。1985
年の EC 製造物責任指令は、第一次農産物を「製造物」から除外していた。しかし欧州
議会の BSE 問題臨時調査委員会の報告書(「オルテガ報告書」)28 において、第一次農産
物についても製造物責任を問いうるように法を改正して消費者保護を拡充し、消費者の
食品への信頼を回復すべきとの勧告がなされ 29 、欧州議会本会議もこの勧告を実施する
よう決議した 30 。この勧告を受けて、EC 委員会は製造物責任指令の改正案を提出し 31 、
1999 年に採択された改正指令(EC 議会・理事会指令 1999/34 号) 32 で、第一次農産物
を「製造物」から除外しないことになった。
EU 構成国は、当該 EC 製造物責任指令を国内実施するために、法を改正ないし採択
してきたのであるが、これまで各国内の実施法と EC 指令との齟齬を解釈論上の争点と
して EC 裁判所に先決裁定を求める例はまだでていない。それゆえ、現実に EC 指令が
各国の裁判においてどのように解釈されているかを、各国法レベルで見る作業が必要に
なる。
(2)イギリスの裁判例:C 型肝炎輸血事件
こ の 点 で イ ギ リ ス の 2001 年 の 事 案 、 A 対 国 立 血 液 局 事 件 ( A v. National Blood
Authority) 33 は注目に値する。本件の原告らは 1988 年 3 月 1 日以降、手術中等に用い
られた輸血用血液または血液製剤が血液提供者の C 型肝炎ウィルスに汚染されており、
そのために C 型肝炎に罹った。そこで EC 製造物責任指令を国内実施したイギリスの
28 Report on alleged contraventions or maladministration in the implementation of Community
law in relation to BSE (Temporary committee of inquiry into BSE ) A4-0020/97 (1997).
29 Id . para. 6.3 (b)(
「1997 年 9 月までに製造物責任に関する EC 法を改正し、第一次生産物の責任も
扱われるように確保」するように構成国諸政府と欧州議会の専門委員会に勧告する。).
Parliament resolution on the results of the Temporary Committee of Inquiry into BSE,
[1997] OJ C 85/61(「 BSE 問題 臨 時調 査 委員 会 の勧 告 を実 施 する 適 切な 措 置 を EC 委員 会 、理 事 会、
構成国諸政府が採るように欧州議会は強く要請する。」).
31 [1997] OJ C 337/54; COM(97) 478.
32 [1999] OJ L 141/20.(指令の前文 5 段、6 段からも改正経緯が婉曲表現ながらうかがえる。
「消費
者の信頼を回復するため」に改正が必要であり、「現在の状況が」製造物責任指令の改正により欠陥
農作物による健康被害の正当な賠償を促進することを、消費者の利益のために、必要としている、と
いった説明がなされている。).
30
- 88 -
1987 年の消費者保護法(Consumer Protection Act 1987、以下 1987 年法)に基づいて
原告は、汚染血液が欠陥製造物であるとして国立血液局に損害賠償を求めた。被告も、
輸血や血液製剤が「製造物」であることは争わなかった。
最も問題になったのは、原告らが輸血を受けた 1988 年から 1991 年にかけての当時、
A 型でも B 型でもない C 型肝炎が存在することは医療関係者一般に知られていたが、C
型肝炎ウィルスが 1991 年まで同定されておらず、そのため輸血が C 型肝炎ウィルスに
汚染されていることを発見することもできず、輸血による C 型肝炎への感染のリスクを
回避することが不可能であった点である。被告の国立血液局は、原告らへの輸血当時、
感染リスクの回避が不可能であった範囲で、そもそも当該血液を「欠陥」というべきで
はないと主張した。すなわち、公衆は 100%清潔な血液を期待する権利はもたないし、
現に期待してもいなかったのであるから、被告が当時正当に期待できた事前の注意を尽
くせば、本件当時の輸血用血液等には「欠陥」はないと言うべきだと被告は主張した。
そこで本件の主要な争点は、次の 2 点になった。①原告に供給された輸血用血液・血
液製剤に「欠陥」があったかどうか。とくに EC 製造物責任指令は、「諸般の事情」を考
慮できると規定しているが、リスク回避不可能性を「欠陥」の存否判断において考慮し
てよいかどうか。また、輸血用血液・血液製剤について、当時の一般消費者が病気感染
リスクを含んだ製品と考えるものであったかどうか。②仮に「欠陥」があったとしても、
本件の輸血用血液・血液製剤には「開発危険の抗弁」(EC 製造物責任指令 7 条 e 号、1987
年法 4 条 1 項 e 号)が適用されるのではないか。
イギリスの高等法院(High Court)は、イギリスの 1987 年法が EC 製造物責任指令の
国内実施法であり、当該指令に即して解釈適用されるべきものであると指摘して、当該
指令の規定を直接に解釈して、本件の争点を考察した 34 。それぞれの点への判断の概要
は次の通りである。
まず、「欠陥」の存否判断において、高等法院はリスク回避可能性については考慮に入
れてはならないと判断した。もし、国立血液局の論法を使うと、被告(製造者)側が製
造当時入手可能な最高の品質管理体制により製造していても、品質管理でも検知できな
[2001] 3 All ER 289 (QBD).
EC 設立条約は、各構成国の裁判所がまちまちに EC 指令等の EC 法規を解釈せず、統一的に解釈
することを確保するために、国内訴訟で EC 法規の解釈上の争いが生じたときは、終局判決に先立っ
て EC 裁判所に法律上の争点を付託でき(国内最終上訴審の場合は付託が義務づけられ)、EC 裁判所
の先決裁定(当該法律問題に対する判断)を得ることができると規定している(EC 条約 234 条)。本
件のイギリスの高等法院は第一審であるから、この先決裁定手続を利用して、EC 裁判所に EC 製造
物責任指令の解釈を問うこともできた。しかし、本件の高等法院は先決裁定を求めず、イギリスの学
説だけでなく、ドイツ等他国のコンメンタールや論文をも参照しながら判断を下した。イギリスの裁
判所が、他の EC 構成国の学説を参照して判断を下すのは、コモン・ロー裁判所の伝統からすれば新
機軸であり、あたかも EC 裁判所と同様の見地から EC 製造物責任指令の解釈を試みたものと見うる。
しかし、EC 裁判所における EC 製造物責任指令の解釈判例が当時皆無であったことに照らせば、本
件は EC 全域の法の統一的適用を確保するために、先決裁定を求めてしかるべき事件であったともい
えるであろう。
33
34
- 89 -
い危険製品が製造されてしまう場合は、その製品はそもそもリスク回避不可能な製品な
のだから公衆はそれ以上のレベルを期待するのは正当ではない、という論法になる。こ
の論法は、製造者側の非難可能性に着目するイギリスの従来のコモン・ロー上のネグリ
ジェンス(過失にもとづく責任)に酷似する。しかし EC 製造物責任指令は、まさにこ
のネグリジェンスによる責任論を脱却して、より消費者を厚く保護するための立法であ
った。ゆえに、かかる論法は認められるべきではない。このように高等法院は述べたう
えで、次のような状況は「欠陥」の存否判断において関連性がないので考慮に入れては
ならないと論じた(判決 68 段)。
「(i)危害性の回避可能性
―
すなわち、事前の注意措置の不可能性や回避不能性
(ii)事前の注意措置をとる達成不可能性、費用、諸困難。
(iii)当該製品の社会への利益または効用(ただし、完全情報と適切な知識がある場合
に、公衆が当該リスクを受け入れるか受け入れるべきかの文脈を除く)」
また、高等法院によれば、そもそも血液というのは感染リスクを含んだ製品であって、
そのようなものも正常の規格内の製品であるという論法も、誤っている。肝心なのは、
一般消費者たる通常の患者が輸血によって新たな病気になると期待するかどうかであっ
て、それは何人も期待しない。ゆえに、本件の血液・血液製剤は、EC 指令 6 条・1987
年法 3 条にいう「欠陥」があると判断した。
第二の争点である「開発危険の抗弁」については、本件の場合、製品の一般的性質と
して感染リスクがあることは知られていたが、しかし個々の具体的な製品についてその
リスクの存否を検定する方法がなかった、という状況であって、このような状況に当該
抗弁を認めることが妥当かという問題であると高等法院はいう。そして、結論としては、
抗弁を認めないのが妥当であるとした。高等法院によれば、この抗弁が主として想定す
るのは、製造者が設定したとおりの製造工程により規格内の標準製品として製造された
にもかかわらず、製造者も予期しなかった欠陥があったような場合である。ところが本
件の場合は、製造者が医科学情報により、輸血血液や血液製剤に A 型でも B 型でもない
新たな肝炎リスクがあることは認識しえたのであり(=規格外製品が出うることを認識
してきたのであり)、その認識がありながら製品から健康被害が生じるかどうかわからな
いという理由から供給し続けていた。このような場合にこの抗弁を認めることは、消費
者の保護を強化するという EC 指令の全般的な目的にそぐわない。これが裁判所の判断
であった。
この A 対国立血液局事件判決の意味合いは大きい。例えば、BSE 汚染食品との関係で
いえば、1990 年代前半は BSE が牛の疫病として蔓延していた時期で、人の病気 vCJD
(変異型クロイツフェルト・ヤコブ病)と関係のないものとして一般に受け止められて
い た 時 期 で あ っ た が 、 す で に BSE が 異 種 間 で 伝 染 す る 実 験 結 果 が 獣 医 学 会
誌”Veterinary Record”に報告されており(1993 年)、人の健康被害(vCJD 発病)への
- 90 -
含意が関知可能であった 35 。イギリス政府が 1996 年にようやく公式に BSE と vCJD の
関係を否定できないと発表するのであるが、このような事実関係は、C 型肝炎ウィルス
があることは科学的にわかりながら、それを検知する方法がなかった時期にも製造物責
任を認めた本件の事実関係と本質的に重なり合うとも論じえよう。
5.
むすび:いくつかの示唆
BSE 事件以降の EU・イギリスの法制度改革は、食品分野について展開が大きいが、
製品安全分野においても、最終手段としてのリコールの義務づけを認めるなど、規制の
実効性を高めようとする工夫が見られる。
公法的な規制組織も、省庁横断的な機関を、相当程度、政策当局からは独立したもの
として設置し、そこに少なくとも評価とリスク伝達機能を持たせるという特徴がある。
その際に EU・イギリスが留意してきたのは、第一には、科学的な情報にも争いがあり
え、多数意見と少数意見の対立がありうるため、決定過程の情報を可能な限り公開して、
特定の利害や情報だけに決定過程が偏らないようにすることであった。決定過程の透明
性と公開性がより徹底されている。第二には、相当に独立で専門的な知見をもつ人々に
より運営される自律的な機関が、消費者・生産者等の利害関係者、あるいは他国や EU
の 同 様 の 機関 と の 常時の 情 報 の 交換 や 提 供を行 う こ と が確 保 さ れてい る 点 で ある 。 即
時・適時のリスク情報の消費者への伝達が、リスク評価を消費者がして自律的な選択を
する消費者の権利を実質的に保障するうえで不可欠であるという考え方が根底にある。
そして越境化・国際化する製品・食品流通に対応して、越境的情報ネットワークの構築
も強調されることになる。これらの点は、日本においても参考になるであろう。第三に
は、組織法のみならず実体法原則や行為規範も明確化されてきており、それを食品につ
いては一般原則として提示するところまで EU は進んだ。食品はそれの飲食が不可避の
消費物であり、またそれゆえ生命・身体・健康への影響度が、製品以上に大きいという
ことが一般的には言えるであろうから、食品についてとくに EU が予防原則にも踏み込
んだ手厚い保護を考えていることも参考になろう。
私法的な面でも、EU・イギリスの動きは(法の解釈の局面だけをみれば地味であるが)
画期的である。なぜなら、イギリスの高等法院の判断は、すでに製品安全法制が、一ヵ
国の法を超えて、ヨーロッパ共通の法であるとの認識をうかがわせるからである。EC
の製造物責任指令が、それよりも消費者保護に厚い構成国の法を排斥するという負の面
もあるが、EU 諸国の共通法として、過失責任を脱却して、より消費者の保護を高めよ
35
The BSE Inquiry Report , vol.1., para. 714.
- 91 -
うとする方向で解釈され展開する余地もある。
- 92 -
第6章
1.
行政学の観点からみた安全規則
はじめに
この章では、行政における制度や運用のあり方を考察の対象としている行政学の観点
から、安全性や快適さ、市場秩序の維持等の社会的目的を達成するために設けられてい
る政府規制のメカニズム、とりわけ消費者の安全確保のための制度について若干の考察
を加えることにしたい。
ただし、このようなテーマについて、行政学において確立された理論や学説が形成さ
れているわけではない。したがって、以下で述べることは、法学、経済学、政治学等の
諸理論を取り入れつつ構成された一つの考え方にすぎないものであることをあらかじめ
お断りしておきたい。
2.
行政の役割─政府と共同体と市場
(1)行政活動の必要性
現代国家においては、国民生活における安全の確保や経済秩序の維持のために、政府
による規制が行われている。これは経済学の説くところでは、市場の失敗によるもので
ある。
すなわち、そもそも市場が完全に機能して競争が存在し、生産者と消費者が対等な関
係にあって、消費者が財やサービスの品質を的確に評価でき、商品についての情報を充
分にもっているならば、それらの財の供給を市場に委ねておくことが最も効率的な資源
の利用と消費者の効用の最大化を実現することになるはずである。
市場を通した経済活動の理想の一つは、消費者のニーズに最もよく応える財・サービ
スの生産が行われること、要するに、「消費者主権」が実現されることである。その場合、
もし消費者がその期待を満たされず、不満をもつ場合には、消費者は、その苦情を裁判
を通して事後的に解決することになる。紛争解決の方法としては、このような通常の事
後的方法で充分であり、政府が市場に介入することは効率的な資源利用を妨げることに
なる。
しかし、現実には、このような理想的な競争市場は存在しない。また、現代において
は、大企業からなる強力な生産、流通業者と、無力な一般消費者の関係は対等とはいい
- 93 -
がたい。さらに、大規模な交通事業やエネルギー産業のように、それが供給する財やサ
ービスの公共性が高い場合や、医薬品の製造販売のように高度な技術を伴い、かつ危険
性の高い製品の場合には、完全な市場による供給は、公共性を損ない、大きな社会的危
険をもたらす可能性がある。そこで、それらの財やサービスの生産販売に関しては、政
府が規制等によって介入を行い、公共性、安全性を確保する必要があるとされている。
しかし、政府の規制や介入の形態には、多様なものがある。そもそもここでいう政府
も一義的に明確な存在ではない。何らかの公共的な規制が必要な場合であっても、それ
を政府が、必ず権力的に実施しなければならないというわけではない。安全性や品質に
関する情報自体の生産を民間の機関が担い、その機関が販売する情報に基づいて消費者
が賢明な判断をなしうるような環境を形成することもありうる。安全情報の生産自体が
サービスの生産となる場合である。また、公権力の主体である政府によるのではなく、
たとえば地域住民や同業者が構成する共同体や NPO 等が、その共同体の構成員の安全
や幸福を守るために、自律的に規制を行うこともありうるであろう。
そのように考えてくれば、政府による規制が行われるのは、そうした民間ないし共同
体による自律的制御が不可能な場合、あるいは充分ではない場合、要するに、他の方法
による制御が充分な効果を発揮しない場合であり、その規制の形態も、目的や対象の性
質に応じて、実際にはさまざまなものがある。
(2)政府規制の類型
政府による規制が行われる理由としては、通常、次の二つの形態があるといわれてい
る。
① 社会的規制(安全規制)
商品自体が危険であったり、誤った用法が危険や損害を発生させる可能性を有してお
り、消費者が自らその危険性を判断できない場合に、政府が当該商品の質について規制
を行い、安全性を確保しようとするもの。
② 経済的規制
自由市場に任せておくと、市場独占が生じたり、過当競争が展開される可能性があり、
国民生活にとって必要な財・サービスの供給が阻害されたり、損害が発生する場合に、
安定した価格と質、量の供給を確保するために、政府が市場に介入するもの。要するに、
市場に一定の秩序をもたらすか、あるいは、市場の健全性を維持するために行われるも
の。
現実には、これらの社会的規制と経済的規制を区別することは容易ではない。不必要
- 94 -
に過度の安全規制を行うことによって、現実には、効率的な経済活動が阻害されている
ケースがあるといわれている。しかし、その最小限の必要性を判断することはきわめて
難しいのが現実である。
こうした政府規制には、民間の活動や市場に対する規制の程度、規制によって企業活
動やサービスの提供行為等を制御する方法等によって多様なものがある。そこで、規制
の性質とメカニズムについて検討することにしたい。
3.
行政規制のメカニズム
(1)規制の類型
安全性や品質の確保等の政策目的を達成するために、生産者や国民の行為をどの程度
規制するかという観点から、規制のメカニズムを考察するならば、それには類型として
概ね次の四つがあるといえよう。
① 安全網(セーフティ・ネット)
生産活動や経済活動は、原則自由であるが、安全性や品質の最低限の基準を守ること
を要求するもの。一般に社会的規制はこのタイプが多い。一定の行為基準の遵守を義務
づけ、違反状態をモニターし、違反者に制裁を加えることによって、安全性や秩序を維
持しようとする方法である。
② 市場の制御
①に加えて、活動は原則自由ではあるが、危険な状態や無秩序が生じ始めたときに、
政府が介入して、その活動を制限ないし禁止するもの。一定の状態の発生をモニターし、
その状態が生じたときには、積極的な市場への介入や規制を行う。商品等の価格が急騰
したときに、事業者等に対して発動される買い上げ、備蓄放出の指示や、あるいは便乗
値上げの取締りなどがその典型例である。
③ 管理された市場
競争市場による供給は認めるが、市場への参入の制限、価格、生産量の統制による需
給調整が行われる場合。かつての食糧管理制度や交通事業が典型であるが、一般的な許
可事業、認可事業も、この類型に属するということができる。規制緩和は、こうした市
場管理的な規制を緩和し、①の形態に近づけようとするもの。
④ 政府機関による供給
安定供給、普遍的サービスの必要性や市場が成立しない財の供給等のために、政府が
- 95 -
自らの機関によって、直接生産供給を行うもの。かつての鉄道や電気通信事業等がこれ
に相当する。近年、規制緩和や技術革新等によって、削減されてきている。その理由は、
独占による非効率等の弊害の除去や民間企業的経営の導入による消費者のニーズに応じ
た財とサービスの多様で柔軟な生産の促進等である。なお、この類型の場合、政府の公
権力の行使による民間企業等の統制という意味での規制ではない。
いうまでもなく、原則として、①から④に向かうにつれて、政府による関与の程度は
強くなる。④は市場は形成されたとしても、ほぼ全面的に人為的にコントロールされた
ものといえる。逆に民営化を含む広義の規制緩和は、④から①の方向での改革である。
消費者の安全の意味を、薬品や食品の安全性の問題から、契約における安全性、さら
には生活に必要な物資の確実で合理的な価格での購入の可能性まで広く捉えるならば、
その規制や政府の関与の形態には、①から④の類型に当てはまるものがある。
(2)制御の方法
政府による規制や関与、介入等が行われる場合、その基本的な手法には3つのタイプ
が考えられる。これは、行政機関がその相手方である自然人、法人を含む国民に対して、
一定の行動をとらせるべく、その行動を制御する方法である。
a.権力的統制
公権力の行使によって、私人に対し一定の義務を課し、それに違反した場合制裁を加
えることによって、義務の履行を担保する方法。
b.経済的誘因の提供
一定の行為をなす場合に補助金を付与するなど、経済的なインセンティブを提供し、
その見返りとして、行為のあり方を制御しようとする方法(課税は、むしろ a.権力的
統制のタイプといえようが、税の減免措置等は一種のプラスの経済的インセンティブと
いうことができる。)。
c.情報提供
制度によって期待されているのが国民の行動の変化であることから、国民の認識や動機
を情報の提供操作を通して変えることによって、行動を制御しようとする方法。これに
は、事実情報の提供によるもの、国民の評価基準や感性に訴えるものなど、多様なバリ
エーションがある。
これらの類型は、もちろん基本類型であり、現実には、多様なバリエーションがあり、
またこれらを組み合わせた手法が用いられている。
消費者の安全確保等の実際の行政活動においては、対象となる社会的行動は複雑であ
- 96 -
り、多数のアクターがそれに参加している。したがって、これらの規制が実際に行われ
るときには、多数のアクターの多様な行為に対して異なる方法による制御が行われるこ
とになる。それらの多様な規制が体系的に組み合わされて、一つの制度を形成している
と考えることができる。
(3)制御手法の性質
上記の 3 種の制御の方法はそれぞれ性質が異なり、それらを用いるときの行政上のコ
ストも異なる。それらの手法の選択にあたっては、それぞれの性質とコストを考慮する
必要がある。
a.権力的統制は、最終的には強制を伴う方法であるため効果は大きいが、実際に取締
りを行って違法状態を把握する必要があり、そのためのモニタリング・コストは少なく
ない。さらに制裁を加えるための法的手続に伴うコストも大きい。概して、消極的な義
務履行の方法であるため、義務が履行されても、自発的な履行ではないことが多く、コ
ンプライアンスのコストは高い。
b.経済的誘因の提供は、資金や物資の給付という方法であり、相手方の任意の申請を
前提としている点、また経済的誘因を提供する点でソフトな方法であり、誘因が働く限
り効果がある。しかし、それには、相当額の原資が必要であり、また、提供される経済
的対価が誘因となりうるに充分な額である必要がある。
c.情報提供は、相手方の心理に働きかける方法であるために、その効果は他の手法と比
べて確実性においては劣る。有効な場合は、少ないコストで大きな効果が期待できる。
しかし、情報への反応が必ずしも予測できないため、アクターの反応を期待通りに引き
出すことは難しい。この方法を有効ならしめるためには、多数の対象に充分かつ正確に
情報を提供しなければならず、そのためのコストは場合によっては大きい。
(4)消費者行政の構造
以上に述べたような手法によって構成される消費者行政の制度構造は、次のように理
解できる。
- 97 -
行
政
①
②
③
企
業
① 企業活動に対する規制
消
費
者
<直接的行政活動>
② 消費者に対する支援(情報提供、消費者運動等の支援)
③ 当事者間の紛争解決制度の整備(紛争調停、消費者訴訟)
<直接的行政活動>
<間接的行政活動>
ここで<直接的行政活動>と呼ぶのは、行政機関が直接、対象者に対して働きかけ、
その行動を制御する場合を意味しており、<間接的行政活動>は、直接の働きかけ、交
渉は当事者間で行われるが、それが行われる制度を制御することによって、政策目的を
達成する場合を意味している。
4.
規制改革の考え方
(1)行政改革の潮流
1980 年代以降、わが国でも行政改革、規制緩和が推進されている。これらの改革がめ
ざしているのは、政府による規制が、競争や市場への新規参入を抑制し、経済活動が本
来もっている活力の発揮を阻害しているという認識に基づくものであり、規制を緩和し、
市場原理を一層導入することによって、経済活動の活性化を図り、それによって、産業
の国際競争力を向上させ、消費者に対してもより多様で安い商品を供給することができ、
国にとっても、消費者にとっても望ましい状態を作り出すことである。
しかし、規制は、前述のように、社会で生じる可能性のある危険を回避し、経済活動
に秩序をもたせるためのものである。したがって、規制の緩和は、それによって抑制さ
れていた危険性を増加させ、経済活動の秩序を失わせることになりかねない。そのため
の規制緩和、とくに社会的規制の緩和に対しては、慎重な意見も多い。
それに対して、この主張に対する改革論者の反論は、健全な市場を育成することによ
り、むしろ市場原理によって経済活動の秩序は保たれ、競争によって商品の安全性も確
保されるというものである。仮に、不幸にも商品等の欠陥によって事故が発生したとし
- 98 -
ても、そのことが公表されると、事故を起こした企業は市場から淘汰される以上、企業
に、規制以上に安全性に対して配慮しようとする誘因が働くはずである。また、規制を
行う必要がある場合にも、従来のような事前規制ではなく、事後的是正ないし救済によ
って、充分に被害者の救済および市場秩序の維持を図ることができるというものであり、
それは結果として、より少ないコストで社会全体としての安全性、信頼性を向上させる
ことになるというものである。規制擁護論者は、このような見解は、市場原理について
あまりにも楽観的な見解であると批判する。
(2)規制の有効性と社会的コスト
こうした規制緩和論、規制擁護論の対立する論点をより明確にするために、安全性、
経済効果、そしてそれらに伴うコストの関係を、簡略化して図式的に示すことにしよう。
その前提となる基本的な考え方は以下の通りである。
① 安全性や経済秩序を維持することは社会にとって利益であり、このような便益を生
み出すために政府による規制が行われる。逆にいえば、政府による規制がなければ、社
会において危険や事故、経済的不正行為等による損失、すなわちコストが発生する。
ここで、政府の規制によって得られる便益を B1 と表し、さらにこの便益が増加する
場合を B1↑ 規制の緩和によって社会的にコストが発生する場合を B1↓ と表す。
② 民間における経済活動が活性化すると、社会的な便益は増える。この便益は、政府
が規制を行うと減少する。これが経済の活性化のために規制緩和が必要とされる理由で
ある。このような経済活動の活力によって得られる便益を B2 と表す。
③ B1+B2 を合計したものがトータルな社会的便益であり、その減少は社会的コスト
となる。この合計値を最大化することが、総合的にみて、その社会にとってベストであ
る。
④ 他方、政府が規制を行うことには当然にコストが伴う。規制という行政活動を行う
ために生じるコストである。これを C で表す。
このような前提に基づいて、規制と社会的便益との関係を検討するならば、一般的な
規制の考え方は、行政活動のコストを払って規制を行うことによって、社会的な安全性
が向上するというものである。すなわち、 C↑ → B1↑ ということであり、要するに、
コストをかけて規制を行えば、その分安全性等の向上により社会的便益が増加する。逆
- 99 -
にいえば、この分野については、規制のコストを減らし、規制緩和すれば、それだけ社
会的危険性は増すことになる。
他方、経済活動の活力に関しては、規制は企業活動のコストを増加させるから、規制
緩和すれば、その分企業活動は活性化し、それによる社会的便益は増加する。この場合
には、規制のコストを下げる方が、社会的にはよい結果を生むと考えられる。(C↓
B2↑)、したがって、規制を強化すれば、経済の活力は減退する。(C↑
→
→
B2↓)
規制によってこのように異なる効果が生じるとすると、実際には、規制によって得ら
れる安全性等の便益と、規制によって失われる経済的活力の減少分とどちらが大きいの
か。この推論に単純に従うならば、規制のプラスの効果(B1↑)とマイナスの効果(B2
↓)を比較し、均衡点で規制を行うのがベストということになる。
今日、規制緩和が叫ばれ、行政コストの削減が、同時に経済的活力の増加をもたらす
と主張されているが、現実はそれほど単純ではない。行政コストの節約による経済的活
力の増加の反面において、安全性等の低下による社会的コストが増加するのであり、社
会的に最適状態を作ろうとするならば、両者の均衡点を探り、規制をその地点を維持す
るために必要な程度で行うのがベストということになろう。
しかし、それも社会的便益やコストをマクロ的にみた場合の話であって、現実には、
規制緩和によって、全体として社会的便益が増えるとしても、それによって発生するコ
ストが社会的における特定部分(たとえば弱者)に重く負荷される可能性がある。逆に、
弱者に対するセーフティネットを厚くすると、平等化は進み、公正さも担保できるかも
しれないが、社会全体として得べかりし便益を失い、社会の活力が減退するというコス
トを払うことになりかねない。要するに、B1 と B2 は、単に総計としてではなく、社会
的の諸セクター間でも、トレードオフの関係になる可能性があるのである。
(3)規制改革の方向
この問題を解決する方法は、安全性等の社会的便益を損なうことなく、規制に用いて
いるコストを縮減し、経済的活力の増加を図ることである。現在の規制改革がめざして
いる方向は、基本的にこのような方向であるが、縮減する行政コスト、確保される安全
性等の便益、得られる経済的効果の量的関係は多様であり、規制コストを減らして、同
時に安全性等の便益と経済の活性化を図ることがベストであるにせよ、現実にはそれは
難しい。経済的活性化を狙うのであれば、規制緩和をするものの、安全性等の水準を現
状で維持できるかが課題となる。
現実的に考えられる方法としては、これまでの①事前規制から、②事後規制、ないし
③司法的規制へシフトさせることを念頭に置いて、ケースごとにそれら3者のバランス
をとりつつ制度設計を行うことである。
- 100 -
① 事前規制は、許可制、免許制等、事業への参入を制限するものである。生産・販売
等の事業者の質の管理が容易であり、モニタリングコストも相対的に少ない。しかし、
競争が制限されるため、生産の社会的コストは高く、その事業の活性化には結びつきに
くい。しかし、事故が起こったときの社会的コストが巨額に上るような製品等には、こ
の事前規制が適しているといえる。
② 事後規制は、市場への参入を自由に認める反面において、事業者に対して義務を課
し、その違反を取り締まることで安全性や秩序の確保を図ろうとする方法である。悪質
な事業者を事前に排除できないため、当然、事業や事業者に対する事後的なモニタリン
グに要するコストは増大し、その最終的な効果は、どの程度違反行為を抑制できるか、
コンプライアンスをどの程度確保できるかにかかっている。充分に取締りが行われず、
違反行為が多発するようでは、かえって社会的コストは高くなる。
③ 司法的規制は、消費者自身が、民事訴訟等を通して加害者から救済を求める仕組み
を前提として、弱体な消費者が企業に対して不利にならず、対等な条件で争えるように、
消費者にハンディをつけ、救済のコストを軽減する制度を設ける方法である。とくに訴
訟等で負けた場合のダメージを大きくすることによって、企業に対しても規律を求める
インセンティブが働くことが期待される。しかし、基本的に消費者がこの制度を用いる
かどうか、それによって充分な救済を得られるか否かが問題である。一度制度が形成さ
れると行政コストは軽微なものであるが、実際に救済されない場合には、社会的コスト
は大きく、しかも被害者に負担が集中する可能性がある。
5.
消費者の安全確保の制度
諸外国においても消費者保護のための規制の制度は多様であり、また規制緩和も進め
られている。規制緩和の進め方については、単に緩和すればよいというものではもちろ
んない。事前、事後、そして司法救済の制度と相俟って、全体として少ない行政コスト
で安全性はもとより、経済的なメリットが得られるように、緩和のあり方、制度の設計
がなされるべきである。そのような観点からみたとき、わが国のこれまでの改革の方向
は、どのように評価することができるか。
厳密に検証してみないと断言はできないが、わが国においては、もっぱら事前規制の
緩和が行われており、全体として適正な状態を作るために必要な事後規制についての配
慮が充分になされていないように思われる。換言すると、安全性にしても、経済秩序に
しても、事前規制を緩和したのであれば、その分事業者等に対する事後規制の強化を伴
わなければ、悪質な事業者の跋扈を抑制することができない。
- 101 -
そもそも規制緩和とは、社会全体としての秩序を少ないコストで維持し、反面におい
て、企業の自由な活動による経済の活性化を図ろうとするものである。したがって、秩
序を維持するための充分な手当を欠いた規制緩和は、一見活力を生み出すようにみえる
かもしれないが、違法行為の増加によって、その効果が減殺されてしまう可能性もない
とはいえない。つまり、行政コストを減らし(C↓)、活性化を図ったにもかかわらず、
現実には市場の混乱や違法行為の増加から、製品等の危険性が増加するとともに(B1↓)、
経済の活力も充分には期されないという最悪の事態(B2↓)が発生しかねない。事前に
おいて規制緩和を行うのであれば、事後的に充分な取締り等の事後規制を行うために必
要な人員、装備等を手当てすべきであって、それ無しに規制緩和を行うことは、むしろ
問題を拡大させ、行政コストではなく、社会的コストを全体として増加させることにな
るであろう。
したがって、規制の形態がどうあるべきかについては、以上に述べた点をよく勘案し
て、制度設計を行うべきであると思われる。事後的な規制が財政的にも行政的にも困難
であり、不充分な規制が、社会に害悪をおよぼす可能性がある場合には、事前規制を強
化すべき場合もあるといえよう。いずれにしても、このような全体としてのコストと効
果を充分に検討したうえで規制のあり方を決定すべきである。ただし、最後に付言すれ
ば、規制制度が実際にどのような効果を発揮し、コストを必要とするかについての事前
評価は非常に難しく、政策決定が、リスクについての過大な評価に基づいたものになる
傾向を有していることは忘れてはならない。
- 102 -
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