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途上国大都市の交通公害の診断と対策立案のため
研究 途上国大都市の交通公害の診断と対策立案のための支援システム 開発途上国大都市では交通公害問題が顕在化しており,その対策立案及び実施は急務である.し かし,交通公害の発生から波及までのプロセスが広い分野に及ぶ上に,対策の効果影響発生メカニ ズムが複雑なことから,総合的・包括的な対策立案が困難であった.そこで,交通公害の調査・診 断及び対策立案のプロセスを「人間ドック」のアナロジーとして整理するとともに,調査マニュアル や既往対策事例に関する知識データベースを組み合わせたGUI型エキスパート・システムとして,支 援システムを構築した.このシステムにより,途上国の交通及び環境専門家にとって,より簡便・ システマティックに現状診断と対策立案が可能となった. キーワード 途上国援助,人間ドックのアナロジー,交通公害の診断及び対策立案, エキスパートシステム,知識データベース 表 明榮 工博 (財)運輸政策研究機構運輸政策研究所研究員 加藤博和 工博 名古屋大学大学院工学研究科助手 (財)運輸政策研究機構運輸政策研究所客員研究員補佐 林 良嗣 工博 名古屋大学大学院工学研究科教授 (財)運輸政策研究機構運輸政策研究所客員研究員 中村英夫 工博 (財)運輸政策研究機構運輸政策研究所所長 1 ――研究の背景と目的 応が不可能であり,交通管理機関や環境所管官庁だけ でも困難である. 1980年代以降,アジア地域を中心に,開発途上国の 一方,先進各国は,1960年代以降,深刻な交通公害 経済は大きな発展を遂げ,大都市への人口集中及びモ とその克服の過程を経てきており,多くの経験と知識を ータリゼーションが急速に進展してきた.その結果,バ 有している.また,開発途上各国の交通問題について ンコク,ジャカルタ等の大都市では,道路交通の混雑と は,日本をはじめとする先進国や国際機関によって様々 それに伴う大気汚染等の交通公害が,極めて深刻な問 な開発調査援助プログラムが実施され,また,途上国独 題として露呈してきた.これは,鉄道・道路等の整備の 自でも調査がなされており,既に相当の経験や知識が蓄 遅れや公共交通機関の軽視といった交通インフラ供給 積されている場合も少なくない.その意味からも,先進 側の要因と,車齢が高く大気汚染物質を高率に排出す 国等の経験を生かした,開発途上国の環境改善への援 る車の存在,車検制度の未整備などの自動車側の制度 助の意義は大きいが,そのためのシステマティックな方 的諸要因が,住民の環境問題に対しての認識の少なさ 法論は,先進国側にもまだ存在しない. に重なって生じていると言えよう.交通公害は,途上国 そこで本研究では,交通公害の程度を簡便な方法で の都市住民の健康,国及び都市の健全な経済発展を阻 把握・分析し,先進国等の経験も参照しつつ,対策とそ 害するほどの重大な社会問題にまで至っており,早急に の改善効果を容易かつシステマティックに提示できる,交 改善することが求められている 1), 2). 通公害診断・対策立案支援システムを構築することを目 しかし,開発途上国においては,交通公害を効果的 的とする.さらに,システムの適用可能性を検討するた かつ効率的に改善するための対策を立案し実施するた めに,名古屋市 3)をレファランス都市に選ぶとともに,ケ めのノウハウ・人材・技術・資金等が不足しているのが ーススタディ対象都市としてインドネシアのジャカルタ,中 現実である.途上国大都市の交通公害問題は,以上の 国の大連,エジプトのカイロを選び,システムを適用し 多種の要因群が,気候,地形,交通慣習等の,国や都 ている.本論文では,特にジャカルタの分析結果を用い 市固有の要因と複雑に作用し合って生じている.対策 ながら支援システムの機能を説明する.なお,交通公害 の範囲も,自動車・燃料・交通・法律・経済などの多岐 には大気汚染,騒音,振動等があるが,本研究では開 にわたっており,その効果も対策間で複雑に連関してい 発途上国で特に問題視されている大気汚染に対象を絞 る.したがって,以上を考慮した総合的なパッケージと って分析を行う. して策定しなければ政策は意味をなさないことが一般的 である.このような作業は,個々の分野の専門家では対 研究 Vol.1 No.1 1998 Summer 運輸政策研究 002 作業段階 1. 概 略 調 査 調 査 ・ 診 断 プ ロ セ ス ︵ 2. 現 地 調 査 (検診過程) (問診) (検査) 3 章 ︶ 対 策 立 案 プ ロ セ ス ︵ 4 章 ︶ 3. 状 況 分 析 と 原 因 推 測 (診断) 4. 対策抽出と優先度判定 (処方) 作業内容 知識データベース 1-1 概略的な交通公害分析と 都市比較による大まかな判定 概 略 調 査 の 判 定 基 準 2-1 簡易大気汚染測定調査 簡易大気汚染調査マニュアル 2-2 大気汚染原因調査 都市交通状況調査マニュアル 2-3 対策実施状況調査 対策実施状況調査マニュアル 3-1 大気汚染状況把握 シ ミ ュ レ ー シ ョ ン モ デ ル 3-2 原因診断 大 気 汚 染 原 因 の 判 定 基 準 3-3 対策実施状況判定 交 通 公 害 対 策 メ ニ ュ ー 4-1 実施・検討を要する対策の抽出 原因一対策対応マトリックス 4-2 優先的に実施・検討すべき 対策の抽出 対 策 相 互 関 係 図 4-3 対策初案の作成 5-1 都市の実状を考慮した 5. 対策案提案と現地協議 (相談) 対策最終案の検討 対策実施事例データベース 5-2 対策実施のための 具体的プログラムの提案 6. 対 策 実 施 (治療) ■図─ 1 交通公害の調査・診断及び対策立案プロセス 2 ――支援システムのコンセプト 交通環境の評価とそれをもたらす原因の推測を従来の 経験を基にして行う.次いで診断結果に対する処置案 2.1 システム構築の方針 の提出,すなわち「処方」に当たる4) 「対策立案」を行う. 2.1.1 交通公害の調査・診断及び対策立案プロセスのとらえ方 ここでは,状況改善のための対策の優先度を,既にシ 対象都市の交通公害を把握し,複雑な因果関係の中 ステムの知識データベース内に整備されている交通公害 から原因を見いだし,有効な対策を抽出して提案するこ 対策メニューや,交通公害の原因と対策間,及び対策相 とは容易なことではない.したがって,可能な限りこれ 互間の因果関係情報を用いて判定し,必要な対策を選 を簡単化する方法が必要とされる.考えるに,交通公害 定・提示する.最後に,処置についての患者との「相談」 調査・診断及び対策立案プロセスは,人間の身体を対 に相当する段階へ進む.この5)現地担当者への「対策 象に検査を行い診断・処方していく 「人間ドック」4)での 案提案と協議」では,選定・提示された対策についての 健康診断に類似している.永年の経験をもとに改善が進 社会的合意の可能性などについての検討を加えて,対 められ,合理化された人間ドックの方法がシステマティ 象都市の事情に基づいて対策の実行可能性を検討し, ックで分かりやすいことに倣い,ここで構築する大都市 対策最終案をまとめる.これらが終わった後, 「治療」に 交通公害の診断・対策システムは,人間ドックでの被験 当たる6) 「対策実施」に移ることになる. 者を調査対象都市と見なして,その健診プロセスのア ナロジーとして考えることとする. 2.1.2 GUI型エキスパート・システム 5) 全体のプロセスは,具体的には図―1のように示され 本システムの設計にあたっては,交通公害対策の経験 る.まず,健康診断での「問診」に当たるのが1) 「概略 が浅い途上国の交通及び環境専門家にも容易に利用可 調査」であり,都市の環境状況や対策の現状の概要が質 能となることを念頭に置いている.そのため,人間ドッ 問に答える形で整理される.次に「検査」 として,2) 「現 クでの方法と同様に,調査・診断及び対策立案プロセ 地調査」が行われ,検査項目について既存の資料を収集 スをエキスパート・システムとして組み立てるのが適当で するとともに,必要な測定が現地での観測をも含めてな あると思われる. される.検査結果にもとづいて健康状態の「診断」がな 支援システムの概念は,図―2のように示される.本 されると同様に,システムに入力された調査結果にもと システムは,システムの管理者により,レファランス都市 づき,大気汚染の3) 「状況分析と原因推測」が行われ, をはじめ,各都市の環境状況・対策の経験・知識が知識 003 運輸政策研究 Vol.1 No.1 1998 Summer 研究 データベースに収納管理され,また,シミュレーション・ 議に用いる. モデルが整備される.一方,システム利用者は,システ 以上の知識データベースを組み込むことによって,交 ムの知識データベースに保有されている調査マニュアル 通公害改善対策立案時の参考書として使うことが可能で に沿って現地状況調査を実施し,その結果をシステムに あり,交通公害に関する経験の必ずしも多くない途上国 入力する.そして,この知識データベースを用いつつ, の専門家による対策立案にとって有用であると考えら エキスパート・システムによって診断され,処方が提示さ れる. れてゆき,さらにこの都市のデータも蓄積されてゆく. このシステムは,コンピュータに習熟していない人でも 2.2 エキスパート・システムを用いた対策立案プロセス 容易に利用可能な GUI( Graphic User Interface)型と 本システムにおける,エキスパート・システムを用いた し,システムと利用者の情報のやり取りによって診断及 交通公害対策立案プロセスの全体についての概念的な び対策選定プロセスが進められるように設計する. 理解を得るために,簡単な記号を用いて説明する.図 ―3はこれを図示したもので,以下の手順として説明さ れる. 2.1.3 交通公害対策知識データベース 本システムには,日本など先進国や途上国各国におけ (1)原因−対策対応マトリックス [R] 対策iが,原因 jの除去に対して,どれほどの効果を有 る既存の経験や知識に基づいた情報を蓄積し,必要に 応じて引き出し,参照できるような機能を持たせている. するかを表示したマトリックスである. 本研究では,その知識情報を以下の4種類に整理して Rij = 2(大きな効果あり) ,1(小さな効果あり) , いる. 0(効果なし) a)調査方法データベース (「2現地調査」で使用) :交通 公害の症状・原因・対策実施の現状に関する簡便な調 査方法をマニュアル化したもので,対象都市の現地調 Rij は,どの都市に対しても共通の値をとるものであり, 4.2節に示す「対策相互関係図」より求められる. (2)原因診断結果ベクトル[c] と対策実施状況ベクトル 査に用いる. [m] b)診断基準データベース (「3状況分析と原因推測」で [c] と [m]の両ベクトルは,それぞれ,対象都市にお 使用) :調査結果の判定基準を先進国のデータを利用し ける交通公害原因の深刻度と,既に対策がどの程度実 て設定したもので,対象都市の現状判定に用いる. 施されているかを示す.これらは,都市ごとに異なる固 c)対策間相互関係データベース (「4対策抽出と優先度 有の値をとるものであり,現地調査は,これらの値を与 判定」で使用) :各対策どうし,あるいは対策と交通公 害原因との間に存在する因果関係や,ある対策を実施 対 策 項 目 1 するための前提として必要な対策の情報であり,対策 対策実施状況 ベクトル m1 m1 の必要性や実施優先順位を決定するために用いる. d)対策データベース (「5対策案提案と現地協議」で使 用) :各対策の内容,効果,必要な費用,フィージビリ 原 因 原因診断結果 項 ベクトル 目 2 ‥ ‥ j ‥ N m1 ‥ m1 原因一対策対応マトリックス ティ,実施手順などといった,対策の実施検討にあた 1 C1 R11 R12 ‥ R1j ‥ R1N って参考となる,各国の類似の対策実施経験をはじめ 2 C2 R21 R12 ‥ R2j ‥ R2N ・ ・ ・ ・ とするデータをまとめたもので,対策案の検討や現地協 システム利用者 現地状況 調査 対策決定 に利用 支援システム (エキスパート・システム) システム構築・管理者 i Ci Ri1 Ri2 ・ ・ ・ ・ M CM RM1 RM2 ・ ・ ‥ Rij ‥ RiN ・ ・ ‥ RMj ‥ R MN 知識データベース 対策の 情報蓄積 対策の 経験・知識 シミュレー ション 対策有効度ベクトル e1 e2 ‥ ej ‥ eN 現状の診断 対策実施優先度ベクトル 処方の提示 ■図─ 2 支援システムの概念 研究 p1 p2 ‥ pj ‥ pN ■図─3 対策立案プロセスの全体概念 Vol.1 No.1 1998 Summer 運輸政策研究 004 えるために実施される.また,その値が直接に与えられ ない場合には,シミュレーションによって求められる場合 もある. 3.1 概略調査[図―1の1-1参照] 概略調査は,対象都市における交通公害状況を概略 的に調査し,大まかな診断を行うことによって,対象都 (3)対策有効度ベクトル[e] 市の交通公害調査・診断及び対策立案の必要性の有無 原因−対策対応マトリックス [R] を用いて,各対策と関 を判定することを目的としている. 係のある原因項目を参照し,その診断結果が悪いものが この段階で利用するデータは,各都市における既存資 多いほど,対策の有効度が高くなると考えられる.そこ 料,現地での簡単なヒアリング調査,あるいは,現地で で,下式を用いて対策有効度ej を定義する. の専門家の直感的な判断結果である.概略調査項目は, [e]=[c]T・ [R] 表―1に示す7つの大項目に分けられ,その中にそれぞ ここで,ci = 0, 1, 2, 3, 4 れ個別項目がある. (診断結果は5段階で,値が大きいほど悪い) (4)対策実施優先度ベクトル[p] 対策 j の有効度e j と,対策実施コストk j,対策の即効 3.2 現地調査[図―1の2-1∼2-3参照] 現地調査は,対象都市における交通及び大気汚染状 性 f j から,対策実施優先度p j が判定される. 況を観測,または既観測資料を入手するもので,交通公 pj = p(e j, k j, f j)= p1(ej)+ p2(kj)+ p3(f j) 害の状況と原因分析,対策立案,シミュレーションモデ ここで,p1(ej): e j の単調増加関数 p2(kj): k j の単調減少関数 p3( f j): f j の単調増加関数 ル作成等の基礎資料とする. 調査内容は(1)大気汚染測定調査, (2)原因調査, (3) 対策実施状況調査の3種類である.これらの各調査マニ ュアルは,システム内の知識データベースに収納・管理 3 ――調査及び診断プロセス されている.調査は,マニュアルに示された方法に従っ て, (1)大気汚染測定結果表, (2)原因調査表, (3)対策 本章では,システムの前半部分を構成する,対象都市 における現地調査と,その結果の診断に関するプロセ 実施状況調査表の各記入項目を埋めればよいようになっ ている. (1)大気汚染測定調査 スを説明する. 途上国大都市の交通起源の大気汚染把握では,従来, 1)測定されたデータが少ないことと,2)測定されていて ■表─1 概略調査の項目 個 別 項 目 大項目 も,各都市がそれぞれ異なった方法で測定してきたた め,値の比較ができず,深刻度合の比較評価が難しい, 1. 社会・経済 ・都市の主たる機能 ・人口・人口増加率 ・平均所得水準 2. 自然環境 ・砂塵の多さ ・地形条件(大気汚染物質の滞留しやすさ) ・夏季等,2次大気汚染(O3,NO2等)の発生しやすさ 3. 大気汚染対策・意識 ・市民・マスコミ等の大気汚染問題への意識の高さ ・大気汚染測定局の整備 ・大気汚染発生源への規制の厳しさ を実施する.これによって,大気汚染状況を短期間で簡 4. 土地利用 ・土地利用の密度 ・工場等の固定発生源の多さ ・緑被の多さ との濃度レベルの比較も可能となる.調査期間は平日2 5. 交通施設 6. 交通状況 7. 大気汚染度 005 運輸政策研究 ・都心部の道路網の整備度 ・都市外周部の道路網の整備度 ・交通管制施設(信号機,交通標識等)の整備度 ・幹線道路の平均幅員(車線数) ・バス路線網の密度 ・軌道系路線網(鉄道,地下鉄等)の充実度 ・モータリゼーションの進展度 ・交通手段構成 ・都心部の交通渋滞度 ・都市外周部の交通渋滞度 ・混合交通の度合 ・大型貨物車の混入率 ・運転者の交通モラル ・路上駐車の多さ ・都心部の幹線道路周辺の大気汚染度 ・都市外周部の幹線道路周辺の大気汚染度 ・工場等の周辺の大気汚染度 ・住宅地の大気汚染度 ・スモッグの発生度 ・大気汚染関連の健康被害度 Vol.1 No.1 1998 Summer という問題点があった. そこで,本システムでは,二酸化窒素(NO2)及び浮遊 粒子状物質(SPM) について簡易測定器により濃度測定 便に把握するとともに,同一測定法の使用により都市ご 日間・休日1日間(祝祭日・雨季等の特別な期間を除く) と する.調査地点としては,高濃度が予想される都心部や 繁華街の道路・渋滞のひどい幹線道路端,また,バック グラウンド濃度計測のために,道路や工場等の発生源か らの影響が少ない住宅地を選定する. ジャカルタ市においては,NO2 を23地点,SPMを4地 点で測定した.さらに主要道路の断面交通量について も,3地点で3車種(バイク,乗用車,バス・トラック) の上下線の交通量を,毎時間5分間ずつ測定した.結果 の概略は,次の通りである. a)NO2:道路近傍のほとんどの測定地点で,インドネシ アの環境基準(日平均50ppb) を上回っている.最も濃 研究 度の高い交差点では,環境基準の2∼3倍程度である. 対策が示されている.これら項目の具体名については, 最も濃度の低い住宅地でも,環境基準をやや下回る程 後出の図―8に例示されている.対策実施状況調査表 度である.休日と平日の比較では,地点ごとに傾向が には,各個別対策項目についての,a)実施の有無(○: 異なるが,全体的には平日の方がやや高い濃度を示す. 実施済,△:計画中,×:考慮なし),b)具体的な実施 b)SPM:住宅地は,道路端に比べやや濃度が低い.時 状況,c)課題を記入する. 刻別では,午前の弱風時に濃度が高く,午後に海風が 吹き始めると濃度が下がり,夕方に再び風が弱まり濃 度がやや高くなる.休日と平日の比較では,各地点とも 3.3 状況分析と原因推測[図―1の3-1∼3-3参照] 現地調査の結果を分析し,対象都市の交通公害状況 休日のほうがやや濃度が低い.交通量との関係では, の把握を行う.また,その都市における交通公害の発 交通量の少ない休日に濃度がやや低くなるものの,交 生原因診断と対策実施状況判定を行う. 通量とSPM濃度の明確な関係は見られない. (2)原因調査 (1)交通公害状況の把握 対象都市の大気汚染状況は,3.2節の(1)大気汚染測 原因調査は,交通公害の状況とその原因解明,シミ 定調査のデータからだけでは,限られた地点の汚染濃 ュレーションモデルの作成等の基礎資料を得ることを目 度しか分からない.そこで,対象都市における任意地 的とする.原因調査項目は,1)都市背景,2)発生源・ 点の濃度を推定する方法として,簡易大気汚染測定調 車両,3)交通状況,4)その他,の4大項目に分けられ, 査の結果と,現地で収集した交通量や気象条件等のデ その下に中項目,小項目,さらに個別項目がある.原因 ータから,公害研究対策センターの窒素酸化物総量規制 調査の必要なデータはインドネシア現地での既存資料6), マニュアル 7)を参考に,交通起源大気汚染シミュレーシ または直接の調査結果から求めたものである. ョンモデルを作成した.シミュレーションモデルは,図― なお,これら項目の具体名は,後出の図―8に例示さ 4に示すように,交通量配分モデル,汚染物質排出量モ デル,気象モデル,汚染物質拡散モデルの4つの計量モ れている. デルから構成される. (3)対策実施状況調査 対策実施状況調査は,各種交通公害対策が実施済・ 構築したシミュレーションモデルの精度を確かめるた 計画中か否か等を把握するとともに,具体的な実施状況 めに,レファランス都市である名古屋に適用した結果, や検討内容を把握し,今後の対策立案等の基礎資料と 図―5に示すように,実際の測定値とモデルによる推計 することを目的とする. 値の相関係数として0.80を得た.このことから,現況把 対策実施状況調査項目は,1)発生源対策,2)交通量 対策,3)交通流対策,4)その他,の4大項目に分けら れ,それを分類した中項目,さらに細分化した小項目の 握・将来予測や交通公害対策案の効果検討への適用に 耐えうるものと考えられる. このモデルを途上国に適用する場合には,その都度, 単位:ppb 16 交通状況 気象状況 14 交通量配分モデル 気象モデル 12 予 10 測 8 値 y 6 排出量算定モデル 拡散予測モデル 予測拡散濃度 y=0.83x + 4.59 相関係数 : 0.80 4 簡易大気汚染 測定調査データ No. 2 再現性の検討 Yes. 0 0 対策 対策効果シミュレーションの実施 ■図─ 4 シミュレーションモデルの全体フロー 研究 2 4 6 8 10 12 14 16 測定値x(現地観測3日間平均値) ■図─ 5 名古屋でのシミュレーションモデルの検証 Vol.1 No.1 1998 Summer 運輸政策研究 006 対象都市でのモデル予測結果と現地でサンプル収集・ ては,新たな対策を実施しない場合,100ppbを超える 測定した汚染濃度データとを突き合わせ,モデルの現況 地域も多く出現する状況が予測された. 再現性を再度確認する必要があることは言うまでもない. (2)原因診断 このことに留意して,ジャカルタ市においても,シミュレ 交通公害発生の原因を把握するために,3.2節の(2) ーションモデルのキャリブレーションを行っている.図― 原因調査の結果を用いて,図―8(a)に示す原因診断表 6に示すように,実測値とモデル推計値との相関係数は がシステムによって作成される. 0.52であり,3日間の簡易測定値との比較としては相関が まず,原因調査における各個別項目の調査結果から, よい.したがって,現況把握や対策案実施効果の検討 原因診断表の各小項目の値が求められる.各小項目に に適用可能と考えられる. ついては,あらかじめ日本の主要15都市データの平均と 作成したシミュレーションモデルを適用した結果,現 標準偏差から,最悪をE,最良をAとする,A,B,C, 状(1995年)及び将来(2000年:現状以外の特別な対策 D,Eの5段階の判定基準が作成されており,この基準を なし) における,自動車寄与のNO2 年平均濃度分布推計 用いて小項目の判定を行う.さらに,数個の小項目をま 値が,図―7のように求められた.現状においても,中 とめた中項目の評価値として,中項目に含まれる各個別 心部や幹線道路周辺の多くの地域でインドネシアの環境 項目の平均値をとる. 基準(日平均50ppb) を超えており,さらに2000年におい 図―8(a)の原因診断表には,ジャカルタにおける大気 汚染原因の診断結果が記入されている.結果は以下の ように解釈される. 単位:ppb 予 測 値 y 200 190 180 170 160 150 140 130 120 110 100 90 80 70 60 50 40 30 20 10 0 1)都市全般の状況分析 ① 人口増加・都市圏拡大・自動車交通集中が激しく,大 気汚染や交通渋滞が問題になっており,この状況は 今後も続くと思われる. ② 都市圏の適切な土地利用計画がなく,民間業者によ y=1.27x + 1.3 相関係数 : 0.52 る無秩序な開発によるスプロール現象が発生して いる. ③ 交通公害対策に関する社会的・行政的・技術的能力 や意欲がある. ④ 大気汚染発生源として,移動発生源である自動車が 多い.工場等は周辺都市に立地しているため,固定 発生源によるものは少ない. ⑤ 乾季と雨季がはっきりしており,乾季には大気汚染が 0 10 20 30 40 50 60 70 80 90 100 110 120 ひどい. 測定値x(現地観測3日間平均値) ■図─ 6 ジャカルタでのシミュレーションモデルの検証 (a)1995年 (b)2000年(追加対策無しのケース) ■図―7 ジャカルタにおける自動車の寄与濃度予測値(NO2,年平均) 007 運輸政策研究 Vol.1 No.1 1998 Summer 研究 2)交通関連大気汚染原因の分析 <交通発生量> <発生源> ⑤ 中産階級の増加に伴い,乗用車の増加が激しい(4年 ① 有鉛燃料が使用されており,燃料中の硫黄分も高く 間で登録台数40%増) .乗用車は国産車で,メンテナ なっている. ンスも良好である. ② 細街路には,パジャイ,ヘイチャ,オジェク等が活躍 ⑥ 都心部における乗車人員下限制限が実施されている しているが,これらはメンテナンスが悪く,排気ガス ものの,子供がアルバイトで乗車することが横行して の排出が多い. おり,交通量削減にはつながっていない. ③ バス,トラック等の大型車には中古車が多く,黒煙の <交通流> 排出が多い. ⑦ 総合的な道路網整備が行われていないため,高速道 ④ 5年間有効の車検制度が存在し,排出基準の検査も 路等の整備された道路と,整備が進んでいない道路 行われることになっているが,そのための設備と態勢 との境界で,交通容量の差に起因する交通渋滞が発 が不足しており,規制の実効力がない. 生している. (a)原因診断表[c] 大 中項目 ガソリン 中の鉛分 成 分 燃料中の 硫黄分 発燃 生料 販売シェア 源 使 用 量 価格・税金 :: : (b)対策実施状況判定表[m] 小項目 販売燃料の平均鉛分 有鉛ガソリン中の平均鉛分 販売燃料の平均硫黄分 ガソリン中の平均硫黄分 軽油中の平均硫黄分 有鉛ガソリン販売量/全ガソリン販売量 軽油販売量/全ガソリン販売量 軽油価格/ガソリン価格 ガソリン価格/1日最低賃金 ガソリン税/1日最低賃金 軽油税/1日最低賃金 : 診断結果 E E E E C E E E - E E - : : : 大 中 1 小 項 目 判 定 1.1 燃料の改善 2 3 4 5 燃 料 中 の 硫 黄 分 規 制 設硫 備黄 の分 整低 備減 の た め の × × 6 1 発生源 1.2 排ガス規制の導入・強化 1 2 3 4 5 6 ガ の無 及低 優無 新 ソ 整鉛 び公 遇鉛 車 リ 備ガ 関害 税ガ へ ン ソ 連燃 ソ の の リ 設料 リ 規 無 ン 備へ ン 制 鉛 製 への 仕 実 化 造 の税 様 施 規 設 補優 車 制 備 助遇 の 使 用 過 程 車 へ の 適 用 適 用 車 種 の 拡 大 △ ○ ○ △ △ △ ○ × 1.3 車検・整備制度の導入・強化 1 2 3 4 5 6 規 制 値 の 強 化 税規 優制 遇対 及応 び車 補開 助発 へ の 優規 遇制 税対 制応 車 購 入 へ の ︵交 排通 気取 ガ締 スり ︶の 強 化 型 式 認 証 制 度 の 実 施 車 検 制 度 の 強 化 △ △ △ △ △ △ △ ・・ 1.4 低公害車の導入 ・・ 1 2 3 4 ・・ 車 両 検 査 場 の 整 備 車 両 整 備 事 業 制 度 の 実 施 組 織 の 整 備 ・ 要 員 の 育 成 税低 優公 遇害 及車 び開 補発 助へ の △ △ △ △ △ 低 充低 優低 公 実公 遇公 害 害 税害 車 車 制車 の 関 購 開 連 入 ・・ 発 施 へ 設 の の △ △ △ ・・ △ ・・ 効果が大きい (c)原因-対策対応マトリックス[R] 効果がある 中項目 対策項目 原因項目 大項目 燃 発 生 源 車 料 両 個 人 交 通 交 通 公 共 交 通 量 貨 物 交 通 交 通 規 制 交 道 路 整 備 通 流 交 通 管 理 そ 道路沿道施設 の 他 モニタリング 発生源対策 排ガス 燃料の 規制の 小項目 改善 導入・ 強化 中項目 成分 使用量 排ガス規制値 整備水準 車齢分布 乗用車 モーターサイクル・自転車 バス 軌道系 タクシー・パラトランジット トラック 交通量規制 道路網 交通流管理 歩行者分離 沿道土地利用 環境植樹帯 モニタリング 判定 E E E E A E D E E C C C D D × △ △ (d)対策優先度判定表(中項目) 大項目 中項目 対策実施状況 判定結果 △ △ △ ○ ・ ・ ・ ・ 関連があり, 診断結果が悪い 原因項目の数 3 4 2 0 2 ・ ・ ・ ・ 対策実施費用 中 小 中 大 小 ・ ・ ・ ・ 対 策 実 施 優 先 度 中 高 中 △ ○ × △ △ 交通流対策 その他対策 交通取締 タクシー ターミナ 大気汚染 都市計画 交通施設 とパラトラ ル機能の 道路の りの強化・ 交通管制 に関する の の 交通法規 の充実 社会意識 環境配慮 環境配慮 ン ジ ッ ト 改善 整備 の改善 の確立 向上 × △ △ △ △ △ × × (e)対策優先度判定表(小項目) [p] 1. 発 生 源 2. 交通量 2.1 1.2 排ガス 1.3 車検 1.4 1.1 ・ ・ ・ 燃料の改善 規制の強化 整備制度の 低公害車の 都心部の ・ 導入・強化 導入 交通流入制限 × 交通発生量対策 都心部の 自動車保 バス輸送 軌道系 車検・ 整備制度 低公害車 交通流入 有台数の サービス 交通機関 の導入・ の導入 規制 抑制 の向上 の整備 強化 不要 高 (要再検討) ・ ・ ・ ・ 中 項 目 小 項 目 対策実施状況判定結果 2. 排ガス 1.1 燃料の改善 1 燃料中の 2 硫黄分低減 3 ガソリン 4 無鉛化の 5 無鉛ガソリン 6 無鉛ガソリン 1 新車への ・ ・ ・ 硫黄分規制 のための の無鉛化 ための設備 の燃料税 仕様車の 規制適用 ・ 設備の整備 規制 の整備 優遇 優遇税 × × △ 既実施の 0 上位対策なし 対 策 相 互 上位対策数 上位対策なし 関係図 よ り 既実施の 0 2 下位対策なし 下位対策数 △ △ △ ○ 0 0 0 1 ・ ・ ・ ・ 2 2 2 0 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 対 策 実 施 費 用 小 中 小 中 小 小 小 ・ ・ ・ ・ 対 策 の 即 効 性 大 大 大 大 中 小 中 ・ ・ ・ ・ 対 策 実 施 優 先 度 高 低 高 中 中 中 上位対策 未実施 ・ ・ ・ ・ ■図―8 対策立案プロセスを構成する諸表の関係 研究 Vol.1 No.1 1998 Summer 運輸政策研究 008 ⑧ 幹線道路の60%の区間では,交通量が交通容量を 上回っている. の原因,対策実施状況の良否を明確にするいわゆる診 断プロセスであった.これに対して,本章で説明する立 ⑨ 商業・宿泊施設等の複合施設は大量の交通量を発生 案プロセスは,これら判定結果をもとに,ある原因の解 する一方,駐車規制が整備されておらず,渋滞を引 消に対して有効な対策の抽出を行ったり,対策間の優先 き起こしている. 順位をつけることにより,対象都市で実施・検討が必要 ⑩ 不適切な信号制御及び鉄道踏切による交通遮断に起 因する渋滞が多い. な対策を「絞り込む」プロセスであるといえる. 対策の絞り込みは,各対策間あるいは対策−原因間 ⑪ 駅へのアクセスとして,非軌道系の接続等が悪い.ま に存在する因果関係や,ある対策を実施するための前 た,鉄道の定時率も,出発69%,到着6%と低い.こ 提として必要な対策をフローチャートにまとめた「対策相 のため,鉄道の利用率が低くなっている. 互関係図」 (図―9) を用いて行う.これにより,未実施の ⑫ 駅前には人家が迫っており,ターミナル機能はない. 対策の中から早急に実施すべきものを抽出したり,既実 ⑬ 軌道系の車両は車種が多く,維持修理のための機材 施の対策のうち実施方法を見直す必要があるものを抽出 調達が困難なため,車両の休車率が20∼40%と高い. したりすることにより,対策実施の優先順位を決定する ことができる. <その他> ⑭ 連続大気汚染測定は6∼8日毎に行われている.しか また,エキスパート・システムにおいては,以上の対 し,一部測定局は予備部品がなく,測定を再開する 策立案プロセスがIF∼THENルールとしてあらかじめプ ことができないなど,測定機器の整備,維持・管理 ログラムされており,施すべき対策が自動的に見出され 状況が悪い. るようになっている.したがって,システムの利用者は, (3)対策実施状況の判定 3.2節の(3)対策実施状況調査の結果を用いて,図― 8(b) に示す対策実施状況判定表が作成される.小項目 3.2節における現地調査の結果をシステムに入力するだ けで,各項目の診断・判定結果と対策選定結果を自動的 に得ることができる. の判定には,対策実施状況調査表に記入した実施の有 無が入る.中項目の判定は,各中項目内に含まれる小 項目の判定結果の平均値をとる. 4.1 「原因−対策対応マトリックス」による実施必要対策の抽出 [図―1の4-1参照] 図―8(b)の対策実施状況判定表には,ジャカルタに 原因−対策対応マトリックス [R]は,2.2節でも述べた おける対策実施状況の判定結果が記入されている.判 ように,対策項目ベクトル[m] と原因項目ベクトル[c] と 定結果は以下のように解釈される. の間に因果関係があるかどうかを表現したものである 1)発生源対策では,現在排ガス規制が実施されており, (図―8(c)).マトリックスの縦に原因項目,横に対策項 規制値の強化に向けてガソリンの無鉛化も計画されて 目が並んでいる.そして,マトリックスの各成分は,各原 いる. 因項目と強い因果関係があり,したがって改善に対して 2)車検制度自体は実施されているものの,車両検査場 効果的である対策項目について,その度合がここでは色 が不足し十分な検査が実施されていないため,検査 の濃淡で識別されている.この原因と対策との因果関 場の新設,検査機器の整備が計画されている. 係は,いずれの都市についても共通である.そのため, 3)交通量対策では,都心部への乗り入れ規制・大型車 原因−対策対応マトリックスの内容は,システムの中にあ 通行時間規制が実施されている.バスや軌道系(地下 らかじめ組み込まれる.なお,原因−対策対応マトリッ 鉄等)の路線網整備は計画中である. クスでは対策実施必要性に関する大局的な検討を行う 4)交通流対策では,道路網整備計画が検討中である. また,交通法規の整備,交通管制システムも計画中で ある. ため,原因・対策項目とも,数個の小項目をまとめた中 項目の単位で扱っている. 図―8(a) (b) , には,ジャカルタにおける原因診断結果 5)大気汚染モニタリングシステムについては,計画中で ベクトルと対策実施状況ベクトルへの記入結果が示され あるものの,都市計画や交通施設計画における環境配 ている.これらの値と,原因−対策対応マトリックス (図 慮は極めて不十分である. ―8(c)) とから,以下のことが明らかとなった. 1)発生源対策に関して,排ガス規制は導入されている 4 ――対策立案プロセス が規制値は緩く,関連する原因項目である燃料成分・ 自動車整備水準の判定結果も極めて悪い.したがっ 3章で説明してきたのは,交通公害の状況(症状) ,そ 009 運輸政策研究 Vol.1 No.1 1998 Summer て,燃料対策・規制値強化・規制徹底のための自動車 研究 対策相互関係図には, 「対策項目」が長方形で, 「原因 検査や整備制度の導入が急務である. 項目」が角のとれた長方形で表示されている.また,矢 2)交通量対策に関しては,都市規模に見合う,公共 交通機関の整備が全体的に不足している状況であり, 印にも2種類あり,実線は「前方対策要求項目」 (上位の 都心部乗り入れ規制が有効に働いていない.公共交 対策を実施しないと,下位の対策を実施しても効果が生 通機関輸送網を整備し,自動車交通量を削減すること じないもの) を,点線は「後方対策促進項目」 (上位の対 が追加対策として必要である. 策を実施すると,下位の対策や原因への誘因となるもの) 3)交通流対策に関しては,ボトルネック混雑解消及 を表す.対策相互関係図は,次のように用いられる.ま び乗り換えモード間の接続施設改善に向け,現在計 ず,各項目に対策実施状況の判定結果を記入する.次 画中の対策実施に加え,総合交通的な視点からの対 に,各対策項目について,その上位及び下位にある対 策実施が急がれる. 策項目の判定評価を調べる.例えば,図―9に示す例で は,車検制度は実施されているにもかかわらず,その 結果としての車両整備水準が「E」 (非常に悪い) と判定さ 4.2 「対策相互関係図」を用いた対策間の因果分析 [図―1の4-2参照] れている.この理由として,車検制度の「前方対策要求 原因−対策対応マトリックスは,対策を中項目のレベ 項目」 となっている排出ガス規制や車両検査場の整備が ルでとらえているため,さらに詳細な小項目のレベルで 未実施であり,そのために車検制度が有効に機能してい 検討するためには,より詳細に小項目相互間,あるいは ないことが分かる.したがって,この2つの対策を実施 対策小項目と原因小項目との関係を知る必要がある.そ すれば既に実施されている車検制度が有効に機能する こで,本システムには,これらの関係をフローチャート形 ことになり,2つの対策の優先度を高くすべきであるとい 式でまとめた「対策相互関係図」が組み込まれている. うことになる.逆に,車検制度は既に実施されているが, 対策相互関係図も,原因−対策対応マトリックスと同様 実際にはその優先度は低かった,ということになる. に一般性を持ち,いずれの都市についても共通である このように,対策相互関係図からは,着目する対策に と考えられる.対策相互関係図のうち「発生源対策」に 対して上位や下位にある対策が実施されている場合に, 関連する部分を図―9に示す. その優先度を高くするという判定ができる.これについ 道路交通 法規の整備 1-1 交通警察官 の増員 燃料改善 ガソリンの 無鉛化規制 無鉛ガソリン車 の優遇税制 1-4 低公害車 の普及促進 3-2 交通取締り の強化 無鉛ガソリン 仕様車の開発 交通取締り 自動車保有 登録制度 路上排ガス 取締り実施 型式認証 制度 無鉛ガソリン 仕様車の販売 整備事業 制度 排出ガス 規制 車検・整備制度 排出ガス検査 (車検制度) 規制対応車 の開発 E 自動車保有費用 の増大 ? 車両整備水準 の向上 車両使用年数 の低下 低公害車開発 への補助 無鉛ガソリン の販売 低公害車の 販売補助金 ・優遇税制 燃料の硫黄分 の規制 排出ガス規制 硫黄分低減 設備の整備 規制対応車 開発への補助 規制対応車 の優遇税制 ? 整備工場 の充実 低公害車の 販売比率 義務づけ 1-2 1-3 組織・要員 の整備 無鉛ガソリン の燃焼税優遇 無鉛化設備の 整備 E 車両検査場 の整備 低公害車導入 低硫黄燃料 の販売 低公害車 の開発 低公害車 の販売 関連施設の 充実 規制対応車 の販売 A 自動車保有台数 の抑制 ? ? 規制対応車 の増加 E 無鉛ガソリン 仕様車の増加 交通取締り 実 施 中(○) の強化 ? 低硫黄燃料 の普及 排出ガス 規制 計 画 中(△) 低公害車 の増加 型式認証 考 慮 な し(×) 制度 ■図─ 9 対策相互関係図(ジャカルタの例,発生源の部分) 研究 Vol.1 No.1 1998 Summer 運輸政策研究 010 ても,エキスパート・システムの中に,各対策の上位・下 である発生源/交通量/交通流/その他の各カテゴリ 位にどの対策が位置するかが組み込まれているために, の中で,優先度の高い順から「高」 「中」 「低」 「不要」の4 自動的に判定が行われるようになっている. 種類に分類し提示している. さらに,対策相互関係図は,互いに前提関係や因果 関係を持つ対策群の中で,どの項目がクリティカルであ 4.4 主要対策の効果予測[図―1の4-3参照] るかを視覚的に表現するという役割も持つ. 実施優先度が高いと判定された対策項目については, さらに,その実施による効果を定量的に推計することに より,有効性を検討する必要がある.そこで本システム 4.3 対策実施優先度の判定[図―1の4-2参照] 原因−対策対応マトリックス及び対策相互関係図によ では,主要な対策について,3.3節の(1)で構築されて って,各対策の実施/未実施が大気汚染の原因項目に いるシミュレーションモデルを用いて,その効果を,都 対してどのように影響を与えているか,あるいは密接な 市内の大気汚染濃度の平均値や空間分布,及び環境基 関係を持つ他の対策の実施を阻害したり,または阻害さ 準不適合面積と暴露人口という形で予測することができ れたりしているかについて,把握することができた.こ るようになっている.これを,3.3節(1)で求めた現在及 の情報を基本として,さらに,あらかじめ専門家の意見 び将来の大気汚染予測結果と比較することにより,対策 を総合して決定・蓄積されている,各対策の実施に必要 実施効果を定量的に把握することができる. ジャカルタのケーススタディでは,実施優先度が高か な費用・効果の即効性に関する情報を合わせて考慮す ることにより,各対策の実施優先度を判定する.なお, った主要対策のうち,a)排ガス規制実施,b)地下鉄の ここで効果としては,汚染濃度減少による影響・被害の 建設,について,具体的な予測条件を設定し,シミュレ 減少を,費用としては対策実施に直接必要な分を考える. ーションによる改善効果の予測を行った.その結果,以 以上の分析作業を行うのが,図―8(d) (e) , に示した 対策実施優先度判定表(図―3の[p] に対応)である.対 下のことが判明した. a)排ガス規制実施 インドネシア環境管理庁で提案されている,アメリカ 策実施優先度は,まず点数として表し,さらに,大項目 ■表─2 協議のための対策提案表 大 優 項 先 目 度 高 問題点 判定結果 対策 実施費用 対策の 即効性 1-1 燃料中の硫黄分規制 ※ ※ × 小 1-3 ガソリンの無鉛化規制 ※ ※ △ 小 2-4 車両整備事業制度の実施 実施により 有効となる既対策 実施における 留意点 大 なし ※ 大 2-1 新車への規制適用 ※ ※ ※ △ 中 中 2-1 新車への規制適用 ※ : : : : : : : ※ ※ △ 中 大 2-1 新車への規制適用 ※ ※ ※ △ 小 中 2-1 新車への規制適用 ※ : : : : : : : : 1-2 硫黄分低減のための設備の整備 ※ ※ × 中 大 なし ※ : : : : : : : : : 1 1-4 無鉛化のための設備の整備 発 生 1-5 無鉛ガソリンの燃料税優遇 中 源 低 対策実施状況 現 状 対策項目 ※印は,文章により記述 (a)2000年(1998年排ガス規制実施のケース) (b)2000年(1998年地下鉄完成のケース) ■図―10 ジャカルタにおける自動車からの寄与濃度予測値(NO2,年平均) 011 運輸政策研究 Vol.1 No.1 1998 Summer 研究 EPAの1988年排ガス規制に準拠した規制を1998年1月1 5 ――むすび 日より実施することを想定して,大気汚染の改善効果の 予測を行った.NO2 濃度の予測値の空間分布を示す図 本研究では,対象都市の交通公害の状況・原因・対 ―10(a) より,汚染物質の排出量が減少した結果,市内 策実施状況を簡便な方法で把握・分析し,今後必要と 全域で濃度が減少し,市街地では25ppb程度減少して なる対策とその改善効果をシステマティックに提示する いることが分かる. ことができるGUI型エキスパート・システムの構築を行っ b)地下鉄の建設 た.さらに,インドネシアのジャカルタをケーススタディ 計画が検討されている,Koto駅∼BlockM駅間の地下 鉄が供用された場合の大気汚染への改善効果の予測を 行った.もしこの地下鉄が完成し,運行していたならば, 都市として,開発されたシステムを実際に適用し,本シ ステムの交通公害問題解決への有効性を検討した. 本システムの開発過程において,交通公害対策立案 NO2濃度の予測値の空間分布を示す図―10(b)より,市 プロセスを任意の都市に適用する方法論を構築してきた 内中心部の南北方向の交通量が減少し,市街地の濃度 ことにより,システムは交通公害対策の網羅的なチェック は4ppb程度減少していることが分かる. リストとしての機能を果たすものとなった.今後は,シス テムの適用と改良を繰り返しながら,より現実的な交通 4.5 対象都市への対策案の提案と協議[図―1の5-1参照] 本システムによる対策選定プロセスは,いずれの都市 においても普遍的と考えられる各対策間や原因−対策 公害対策を提案できるシステムへとアップグレードするこ とを目指している. 途上国大都市における交通起源の大気汚染の改善は, 間の因果関係に基づいている.すなわち,システム化に その地域だけではなく,地球レベルでの環境の改善に 当たっては,対策の網羅的把握や対策優先度の判定に も大きく貢献するものである.したがって,本システムの 広く用いることのできるシステマティックな方法論の構築 利用によって交通公害対策策定を進めることは,人々が を第一義としているために,都市間で異なる事情は捨象 将来にわたって高いモビリティを享受するためにも,ま されている.したがって,対象都市の担当者と協議を行 た,日本が積極的な国際貢献を果たすという面からも, うことによって,システムにより導かれた対策素案を,よ 極めて重要な意義をもつと考えられる.今後,本システ り実施可能性の高いものとする必要がある. ムが多くの都市で適用され,その結果が援助プロジェク そのための資料として,現地調査及び対策選定プロ トに反映されるようになれば誠に幸いである. セスの結果をまとめた「協議のための対策提案表」 (表― 2) を作成する.この表には,対策の各小項目について, 謝辞:本研究は,運輸省が進めてきた, 「開発途上国交 システムの対策立案プロセスによって得られた対策実施 通公害対策協力計画」の一部として,平成5年度から行 優先度の順に,現地調査によって得られた対策実施状 われた「環境保全対策協力調査」の一部として行われた 況や,システムが持っている対策実施費用・即効性の大 ものである.著者らはその調査に当たった交通公害対 小,及び図―9の対策相互関係図から分かる,各対策の 策支援委員会のメンバーとして加わり, 「途上国大都市の 実施によって有効となる既実施対策をまとめている.こ 都市環境診断と対策への支援システム」の開発を行っ の表と対策相互関係図を合わせて提示し,それを参考 た.開発グループには,運輸省運輸政策局国際業務第 にして,現地での対策実施上の課題を打ち合わせし,対 二課, (社)海外運輸協力協会,名古屋大学,日本気象 象都市の事情を反映した最終対策案の具体的プログラ 協会,運輸政策研究所からのほか,東京大学生産技術 ムの提言を行う. 研究所の二瓶好正教授,東北大学の宮本和明教授等が 協議においては,特に対象都市の専門家から,既存 の実施例について具体的に知りたいという要望が生じる ことが多い.そこで,エキスパート・システムには,さまざ まな都市における既存の実施事例が蓄積された「対策実 施事例データベース」が内蔵されている.その内容は,a) 対策の実施内容と具体的手順,b)実施の背景,c)予想 される効果,d)費用とフィージビリティ,e)実施前後の市 民等の反応,f)対策実施効果予測のための手法と必要 データの紹介,などである.これらのデータをシステム内 部から引き出し,対策案と一緒に提供することができる. 研究 参画し,そのアイデアを提供されたことを述べ,それら の方々への謝意を表したい. 参考文献 1)中村英夫編 [1992],「都市と環境」 ,ぎょうせい. 2) WHO/UNEP [1992], Urban air pollution in megacities of the world, Blackwell, Oxford. 3)名古屋市公害対策局[1991],「自動車公害ハンドブック」. 4)日野原重明,田島基男[1996], 「人間ドックマニュアル」,医学書院. 5)OHM編集部[1987],「エキスパートシステムの実務」 ,オーム社. 6) BAPEDAL [1993], Environmental Protection and Pollution Control Strategy and Action Plan in the third JABOTABEK Urban Development Project - part B, State Ministry of Environment and Environmental Impact Control Agency, Indonesia. 7)公害研究対策センター[1995],「窒素酸化物総量規制マニュアル」,環境庁 大気保全局. Vol.1 No.1 1998 Summer 運輸政策研究 012 Computer-Aided Diagnosis and Prescription System for Traffic-Related Environment in Metropolises of Developing Countries By Myoung-Young PIOR, Hirokazu KATO, Yoshitsuga HAYASHI and Hideo NAKAMURA Traffic-related air pollution has been worsening rapidly in many metropolises of developing countries. The main issue is to develop and implement a set of effective and comprehensive countermeasures as a matter of urgency in those cities where even the experts do not have enough knowledge and experiences to examine the complex relationships of causes and results of phenomena. To help solve this problem, an expert system is developed in this study using an analogy to the medical health check process whereby a city is regarded as a patient. Experiences of developed countries and some technical knowledge are systematically integrated in the system to give diagnosis and prescriptions. A user-friendly GUI is also used to easily handle the processes required. This system will help traffic and environmental officers in developing countries understand the comprehensive situation and establish most appropriate countermeasures for their cities. Key Words ; aid for developing countries, analogy to the medical examination, diagnosis and prescription, expert system, knowledge-based database この号の目次へ http://www.jterc.or.jp/kenkyusyo/product/tpsr/bn/no1.html 013 運輸政策研究 Vol.1 No.1 1998 Summer 研究