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ガウス年譜 - オイラー研究所
ガウス年譜 (Johann Carl Friedrich Gauss,1777-1855) 1621 年 1748 年 バ シ ェ (Claud Gaspar Bachet de M éziriac ,1581-1638)がディオファント オイラー (Leonhard Euler , 1707-1783)が スの『算術』の原典にそのラテン語 『無限解析入門』を発表する。 訳をつけて刊行した。 eiθ = cosθ + isin θ が述べられた他、 無限級数や無限乗積をたくみに使っ て、それらの間の様々な恒等式を発 1630 年 見した。 こ の 頃 、 フ ェ ル マ ー (Pierre de Fermat,1601-1665) が バ シ ェ 版 の 『 算 1773 年 術』を読み研究を始め、1636 年頃ま でには「欄外ノート(marginal note)」 ラ グ ラ ン ジ ュ (Joseph を書き終わる。 Lagrange,1736-1813) が 『 ア リ ト メ テ Louis ィカの探求・第 1 部』(全集,第Ⅲ巻 1640 年 pp.695-738)を出版する。 10 月 18 日、この日付きのフレニク 1775 年 ルに宛てた手紙の中でフェルマーが ラグランジュが『アリトメティカの 「フェルマーの小定理」を発表する。 (フェルマーの小定理) 探求・第 2 部』 (全集,第Ⅲ巻 pp.739-795) p は素数、 a は p で割り切れない整 を出版する。 数とすると次の合同式が成り立つ。 a p−1 ≡ 1 (mod. p ) 1777 年 ガ ガウス誕 生 4 月 30 日、ドイツのブランシュベイ 1670 年 フェルマーの長男のサミュエル ク(Braunschweig)公国に煉瓦職人の父 (Samuel de Fermat,1630-1690)がバシェ ゲプハルト・ディートリヒ・ガウス 版の『算術』を再版し、父の書き込 と母ドロテア・ベンッエの間にガウ み(「欄外ノート」)を付録としてつ スが生まれる。 けた。この中で「フェルマーの最終 1783 年 定理」以外に「4n+1 型の素数はどれ もみな二つの平方数の和として書き オイラーが平方剰余相互法則、その 表される」(直角三角形の基本定理) 第 1 補充法則、第 2 補充法則を発見 を発見した。 し発表する。(「素数による平方数の わり算に関する様々な観察」、『解析 178 小品集』、第Ⅰ巻、pp.64~84、オイラ であった。そのおかげで、先生が問 ー全集、Ⅰ-3、pp.497~512 参照) 題を書き終わらないうちに答えを提 1784 年 出することが出来た。 ブランシュベイクの聖カタリーナ国 ここで、ガウスが発見した方法を考 民学校に入学。 えてみることにする。先ず、1 から 100 までの数を次のように並べてみる。 1+ 2 + 3 + 4 + L + 97+ 98+ 99+ 100 1786 年 同校校長のピュットナーの算数のク (①式) ラスに入る。 今度はこれを①式とは逆に次のよう に並べてみる。 100+ 99+ 98+ 97+ L + 4 + 3 + 2 + 1 1787 年 (②式) ピュットナーの助 手であるマーティ ン・バーテルスと親交を結ぶ。一緒 ここで、①式の最初の数 1 と②式の に二項定理や無限級数を研究する。 最初の数 100 の和はもちろん 101 で この年、次のような中学校の英語の ある。又、①式の 2 番目の数 2 と② 教科書にも載った有名な逸話をガウ 式の 2 番目の数 99 の和も 101 である。 スは残している。 又、①式の 3 番目の数 3 と②式の 3 ガウス達はいたずらをしてピュット 番目の数 98 の和も 101 である。又、 ナー先生に怒られて次のような課題 ①式の 4 番目の数 4 と②式の 4 番目 を与えられた。 の数 97 の和も 101 である。又、①式 「1 から 100 までのすべての数を足し の 5 番目の数 5 と②式の 5 番目の数 た和を求めよ」 96 の和も 101 である。 ・・・。結局、 この問題は他の生徒にも与えられた。 ①式と②式の同じ順番にある数の和 このピュットナーという教師はこの は皆 101 になっている。そして、こ ような小学生にとっては非常に時間 れが 100 個ある。つまり、①式と② のかかる計算問題を出すのが好きで 式を足した和は次のようになる。 あった。生徒は、答えを出すと先生 100× 101 の机の上に答えを書いた石板を置く (③式) ことになっていた。 つまり、10100 になる。しかし、こ ピュットナー先生がこの問題を書き れは、あくまでも①式と②式を足し 終わらない内に、ガウスは石板を先 た和であるので、1 から 100 までの 生の机の上に置いたのであった。し 和を求めるにはさらに③式を 2 で割 かも、ガウスの答えは正しかった。 る必要がある。そうすれば、1∼100 これには先生も他の生徒も驚きを隠 までの数を足した和が求まる。した すことは出来なかった。実は、ガウ がって、1∼100 までの数を足した和 スは毎回このような計算問題を先生 は次のようになる。 は出すので、何とかして簡単に計算 100× 101 2 する方法はないかと常日頃から考え ていた。そして、なんとガウスは簡つ したがって、1∼100 までの数を足し 単に計算する方法を発見していたの た和は 5050 になる。ガウスはこのよ 179 うなことをわずか 10 歳で考えたので ン、オイラー、ラグランジュの諸作 あった。 品を研究。 「平行の公準は保持されないが論理 1788 年 的に一貫性のある幾何学が存在しう バーテルスがピュットナーの学校を る」という非ユークリッド幾何学の 去る。 概念が芽生える。 ガウスはギムナジウムの2年級に入 り、語学に秀でた才能を発揮。 1793 年 素数の分布に関する発見。「 n 以下 1790 年 の素数の個数はおよそ ギムナジウム最上級に進む。 最優秀生徒として表彰される。 n 102 103 104 105 106 107 108 1791 年 ブラウンシュヴァイク公国のフェル デ ィ ナ ン ド 公 (Kal Wilhelm Ferdinand ,1735-1806)の官邸に参上。 国務大臣兼枢密顧問官フェロンセ・ フォン・ローテンクライツから対数 n 個 」 logn 素数の個数 誤差 (%) 21 25 16 144 168 14 1085 1229 12 8685 9593 9 72382 78499 8 620420 664579 7 434294493 45505212 5 n logn 表を送られる。 1794 年 算術幾何平均を考え始める。その意 算術幾何平均の特殊な場合とある種 味は、 a,b を二つの正数とし、 a,b の羃級数との関係を発見。 a+ b 、幾何平均 ab を 最小二乗法を発見。 2 それぞれ a1 ,b1 とし、 a1 ,b1 の算術平 1795 年 均、幾何平均をそれぞれ a2 ,b2 とし の算術平均 て、次々に求めるならば、これらは カロリナ高等学校卒業。 共通の極限に近づく。その共通の極 3 月、 「 − 1が 4n+1 型の素数の平方剰 限値を a,b の算術幾何平均という。 余で 4n+3 型の素数の平方非剰余であ ガウスはそれを記号 M (a,b) で表現 る」ことを発見。今日ガウスの第一 した。 補充法則の名で知られている。現代 風に書けば次の式で表現できる。 1 − 1 (p−1) = (− 1)2 p 1792 年 2 月 18 日、 カロリナ高等学校(Collegium Carolinum) に 入 学 。 カロ リ ナ 高 等 学 又、帰納法によって平方剰余相互法 校 の 数 学 教 授 チ ン メ ル マ ン (August 則をオイラーとは独自に発見。 (ガウスの平方剰余相互法則) Wilhelm Zimmermann) の紹介で、ブラウ ンシュヴァイク公の援助を受ける。 p が 4n + 1 型 と い う 形 の 素 数 な ら 古代語(ギリシャ語)や近代語(ラ + p は、又 p が 4n + 3型という形な ら − p は、正に取るときに p の剰余 テン語)をマスターする。ニュート 180 となる任意の素数の剰余であり、正 数学日記」は『ガウス整数論(D.A)』 に取るときに p の非剰余となる任意 の形成過程を明らかにする覚書集と の素数の非剰余である。 見なせる。実際、これを通して『ガ ルジャンドルの記号を使い現代的な ウス整数論』の個々のテーマの研究 表記でかけば次のようになる。 を開始した日時が相当に特定される。 又、オイラーの影響を大きく受けて ( 現 代 的な 表 記 に よ る 平 方剰 余 相 互 法 書かれている。 則) 1 1 (p−1)⋅ (q−1) p q 2 = (−1)2 p q 同じ 3 月 30 日、正 17 角形の作図法 を発見する。この記念すべき出来事 が「ガウスの数学日記」の第 1 項と ここで、 p,q は相異なる奇素数。 して次のように記されている。 「正多角形の中で三角形、五角形、 ただし、この現代的な平方剰余相互 十五角形および辺数を次々に 2 倍し 法則の表記は実際のガウスの相互法 て生ずるものの作図が可能であるこ 則よりも守備範囲が狭まっている点 とは幾何学の初歩を学んだものは誰 に注意が必要である。ガウスは p,q でも知っていることで、そこまでは の一方または両方が負の場合も考え 既にユークリッドの時代に出来てい ている。 たのであるが、その後は初等幾何学 10 月 11 日、ブランシュベイクを去る。 10 月 15 日、ゲッチンゲン(Go&& ttingen) ではそれ以上には出来ないことと一 般に信ぜられていたように見える。 大学学生として登録。最小二乗法の 少なくとも私はこの方面において更 応用。 に一歩進める試みの成功したことを 聞かないのである。この故に、今上 1796 年 記の正多角形の外になお多くのもの, 3 月 30 日、この日から「ガウスの数 例えば 17 角形などの作図が可能であ 学日記(Nachbildung des Tagebuchs)」を ることの発見は注意に値するものと 書き始める。この日記は、この日か 考える次第である。 ら 1814 年 7 月 9 日に渡り書かれた。 この発見は実は一層広汎なる或る理 この日記は、ガウスの生前の備忘録 論の系題に過ぎないのであるが、そ (Notizen-journar)のことで、1898 年に、 の理論はなお少し未完成の所がある ガウスの孫のカール・ガウス(1847- から完成の上で速やかに発表するで 1927) が 保 管 し て い た も の を 、 パ ウ あろう。 」 ル・シュテッケル(1862-1919)が発見 この日記は現在『ガウス全集』の第 した。 10 巻の第 1 分冊の pp.483-574 にその 内容的には、総計 146 項目の項目が 解説と共に収録されている。又、原 ある。大半は初めの 2 年間に集中し 文そのものを写した写真が PDF ファ ている。1796 年は 49 項目(全体の イルの形でも収録されている。 33.6%)、1797 年は 33 項目(全体の 」 4 月 8 日、 「 − 1が 4n+1 型の素数の平 22.6%)で、この 2 年間だけで全体の 方剰余で 4n+3 型の素数の平方非剰余 約 56%を占める。つまり、 「ガウスの である」との証明を発表。 181 平方剰余相互法則の第 1 証明を初等 的な方法で行う。 dx ∫ 1− x4 4 月 12 日、円周の角の余弦に関する に関してレムニスケート関数に関す 公式を発見。この部分は『ガウス整 る研究を始める。レムニスケート的 数論 D.A.』の第 7 章に関する発見で サイン s(u)、レムニスケート的コサ ある。 イン c(u)をレムニスケート積分の逆 4 月 29 日、剰余の法則の不可分とは 関数として求めた。因みに、ガウス 限らない剰余と量への拡張。つまり、 がレムニスケート積分の意義を認識 平方剰余の定理の複素数への一般化。 する契機として作用したのはオイラ この項目は『D.A』の第 4 章に所属 ーの加法定理である。 する。 これを裏付ける基礎的な資料文献と 6 月 22 日、2 元 2 次形式の研究を始 して高瀬正仁は以下のものを挙げて める。 いる。 6 月 27 日、平方剰余相互法則に関す 「レムニスケート関数の最も古い研 る第 2 証明を始める。 究 」 (Älteste 7 月 10 日、どんな整数も多くとも 3 lemniskatische Funktionen) つの 3 角数の和で表されることを発 ( ガ ウ ス 全 集 、 第 10 巻 の 第 1 分 見する。 冊,pp.145-171) Untersuchungen über 7 月 27 日、2 次形式論の概要がまと まる。 9 月 2 日、ガウス和により平方剰余 相互法則に関する第 7 証明を完成。 Proprietates) 1− x4 dx 1− x3 が ∏ :x = z お よ び x = Φ :z と 定 め (ガウス全集、第 3 巻,pp.404-412) 「レムニスケート曲線」 られるならば、 (De Curva Lemniscata) (ガウス全集、第 3 巻,pp.413-432) 1 1 7 1 10 z − z + Φ :z = z− z4 + 8 112 1792 又、「レムニスケート関数の最も古い 研究」の論文の pp.154-155 の中には 3 3⋅ 185 z18 − z16 1792⋅ 52 1792⋅ 52⋅ 14⋅ 15⋅ 16 次のような虚数乗法に関する公式も のようになることを計算した。 出てくる。 10 月 1 日、円周等分方程式の 3 次分 ( ) sint+ costsinu cosu − 1 ( ) cost− sintcosu sinu − 1 sint+ u − 1 = 解式の発見。 10 月 9 日、素数次円周等分方程式の cost+ u − 1 = 既約性について研究する。 cosu − costsinu sint − 1 cosu − sinu costsint − 1 1 月 10 日、「オイラーの基準」と呼 1797 年 dx ∫ ついての発見。内容は、もし ∫ の優美な諸性質」 1− x4 (Elegantiones Intergralis 9 月 9 日、オイラー積分の逆関数に dx 「積分 ∫ ばれている式をガウスは独自に発見 1 月 8 日、レムニスケート積分 182 した。この「オイラーの基準」の内 (c) ここで、弧 π に対応するこの分 容は不明である。しかし、ジュレジ 母を θ と置くと、弧 kπ のレム ンガーの注記によると、二項積分と ニスケート正弦の分母は θ いわれる積分 等しい。 m −1 ∫x l l (a + bx ) dx θ = 4.810480 である。 基準」を指すという。 (e) この θ の双曲線対数は 1 月 12 日、完全積分 1.570796 dx n である。すなわち 1− xn π 2 が円の求積に帰着されることを考量 である。 した。 2 月 4 日、平方剰余の相互法則に関 この年、複素関数論の考察始める。 する第 2 証明が完成する。又、平方 10 月 、「 代 数 学 の 基 本 定 理 剰余相互法則に関する二つの補充法 (fundamental theorem of algebra)」の証 則の証明に成功した。 明完成する。 3 月 2 日、今日的な表記で表すと、 (代数学の基本定理) 次のガンマ関数とベータ関数の関係 「複素数係数の(1 次以上の)代数 式を独自に発見した。 方程式は少なくとも 1 つの複素数根 B (p,q) = Γ(p)Γ(q) Γ (p + q) を持つ」という定理のことである。 この主張は体論の言葉で言い換えれ 3 月 12 日、 「ガウス整数論 D.A.」の ば 「複素数体は代数閉体である」 と 原稿の初めの部分が仕上がる。 述べることもできる。 3 月 19 日、レムニスケート曲線を n に (d) ここで、 µ n ν の可能性に関する「オイラーの判定 ∫ kk x2 = −1 個の部分に分けると n2 次の方程式が というただ 1 つの方程式の根(虚数 導かれることを発見した。 単位)を実数に付け加えた体系(複 3 月 21 日、レムニスケートを定規と 素数)を考えるだけで、どんな代数 コンパスのみで幾何学的に 5 等分す 方程式(しかも複素数係数のそれ) る。 でもその体系内で根を持つようにな 3 月 29 日、ガウスはレムニスケート るというのは、驚くべき事実である。 曲線に関する事柄で以下のものに注 この定理の主張は、因数定理などを 目した。 用いて帰納的に「複素数係数の任意 (a) 二倍弧のレムニスケート正弦を の n 次方程式 分数の形に分母と分子に分けて 表示するとき、その分子は、単 an xn + an−1xn−1 + LL + a1x + a0 = 0 弧のレムニスケート正弦の分 は複素数の中に重複度をこめて n 個 子・分母×レムニスケート余弦 の根を持つ」 という事実を導くので、 の分子・分母の 2 倍に等しい。 このことを指して代数学の基本定理 (b) 分母=(分子)4+(分母)4 183 あろう」と考えた。 と呼ぶこともある。 7 月 16 日 、 ヘ ル ム シ ュ テ ッ ト (Helmstedt)大 学で欠席 のまま哲 学博 1798 年 7 月、レムニスケートの研究に関し 士の学位を受ける。博士論文は代数 て大きな成果を上げる。主な結果と 学の基本定理の最初の証明に関する して 論文「1 変数の任意の実多項式が 1 1− 2e−π + 2e− 4π − 2e−9π + ⋅ ⋅ ⋅ = 次または 2 次の実多項式の積に分解 2ω π しうることの新しい証明(Demonstratio nova 1 − π 4 e 9 − π 4 +e − +e 25 π 4 + ⋅⋅⋅ = theorematis omnem functionem algebraicam rationalem integram unius 1 2ω 2 π variabilis in factores reales primi vel を導いたことが挙げられる。 secundi gradus resolvi posse)」(ガウス全 9 月 29 日、ゲッチンゲン大学を去り、 集、第 3 巻、pp.3-30)を含んでいた。 ブラウンシュヴァイクに帰り、整数 後に 1815 年、1816 年、1849 年にも 論に関する大作の準備にあたる。パ 同じ定理に関する別の証明を行って ッフの家に滞在してヘルムシュテッ いる。これらの証明も『ガウス全集、 ト大学の図書館を利用し、またパッ 第 3 巻、pp.31-122』に載っている。 フと一緒に仕事をする。 1800 年 この年までに、ほぼ「ガウス整数論 D.A.」の原稿完成。 1 月、整数論に関するルジャンドル の論文を受け取る。 ル ジ ャ ン ド ル (Adrien-Marie Legendre,1752-1833) が 『 数 論 の エ ッ 2 月 13 日、最も単純な 3 元 2 次形式 の整数が有限であることを発見。 セイ(Essai sur la théorie des nombres)』の 春、一般楕円関数及びモジュラー関 初版を発表する。 数を発見。ガウスは 1799 年 π 2 M (1, 1+ µ ) 2 月 14 日、3元2次形式に関する研 = ω~ π 究を開始。 2 M (µ , 1+ µ ) 5 月 30 日、レムニスケート関数に関 して現代の表記で書けば、 π = ω~′ として、 dϕ π 4sinπυ 4sin3πυ − 2 + ⋅ ⋅ ⋅ S(u)= ~ 1 ∫ 0 4 3 1 1 2 2 − µω 2 1− x 0 1− sinϕ h + h− 2 h3 + h 2 2 を「広義に於けるレムニスケートサ という関係を発見。 4ω はレムニス 1 ω=∫ dx = 1 2 イン(sin.lemn)」と称した。ここで、 ケート関数の周期である。ここでガ u ウスは M (1, 2)= π 2ω iω~′ υ = ~ , τ = ~ , h = eπiτ ω ω とおくと、 µ = 1 のとき S(u)は「レ になることがもし証明されるならば、 ムニスケートサイン(sin.lemn)」にな 「確かに解析の新分野が開かれるで る。 184 ここで、 M (1, 2)= π 4 1 {1 + 2hcos2πυ + ω~ 1+ u2 W (u)= π 2ω が一般化されたのである。 2h cos4πυ + 2h cos6πυ + ・・・} 4 9 T (u)= 春、2 次形式の理論完成する。 1 π = 2 ~ ω µ (1+ µ 2 ) 5 月、復活祭の日取りを計算するた めの公式を発表。 9 4 1 4 { 2h sinπυ − 2h sin3πυ 5 月 6 日、超越的な量 25 4 + 2h sin 5πυ + ・・・} ∫ とおけば、 S(u)= dx 2 (1− αx )( 1− β x2 ) の理論を極めて一般性のある地点ま T (u) W (u) で押し進めた。 が成立する。ここで、 11 月 30 日、二次形式理論の類数公 式の発見。 ϕ = µ 、 C = 1 M (1,cosϕ ) µ 1801 年 とすれば、 T (u)= C ϑ1 (υ ) 、 1 月 1 日、ピアッツィがセレスを発 見。 W (u)= C uϑ3 (υ ) 4 月 6 日、円周等分を我々の理論が明 ω~ T ( − u)= C ϑ 2 (υ ) 2 ω~ W ( − u)= C uϑ (υ ) 2 示しているよりも低い次元の諸方定 式に還元することは不可能であるこ とを証明した。365 条のガウスの言 葉「そうして我々は、これらの高次 ガウスは T (u), W (u)を無限積に展開 方程式はどのようにしても回避でき ω~ 2 ないこと、又、より低次の方程式に し 、又 T (u)、 W (u) 、 T ( − u) 、 帰着させるのも不可能であることを ω~ W ( − u) の 平 方 及 び T (u) 、 2 ω~ W ( − u)の間の関係を出している。 2 ~,ω ~′ は そして、 ω π ω~ = ∫ 0 π ω~′ = ∫ 0 完全に厳密に証明することができ る」。この還元が不可能であることが 証明されて『ガウス整数論 D.A.』の 第 7 章の円周等の理論が完成された。 5 月中旬、ガウス和の符号決定を通 じて平方剰余相互法則の証明が得ら dϕ れるということを発見した。 2 1+ u2 sin ϕ 9 月 29 日 、『 ガ ウ ス 整 数 論 (Disquisitiones arithmeticae), ガウス全 dϕ 集第Ⅰ巻』を発行。この中で、平方 u2 + sin2 ϕ 剰余相互法則を初めて証明した第 1 である。これは 証明と二次形式論による平方剰余相 互法則の第 2 証明を発表した。しか 185 し、この本は、あまりにも時代をぬ の円周等分の理論が成立する。つま きんでた難解な著作であり、その上 り、原始根を使用して円周等分方程 出版社の問題から発行部数が相当低 式の解を示す。 かったこともあって、実際には当時 (フェルマーの小定理) 理解できるものは誰もいなかったと p は素数、 a は p で割り切れない整 数とすると次の合同式が成り立つ。 考えられる。結局それがようやく理 解されるようになるのは、それを詳 a p−1 ≡ 1 (mod. p ) しく解読し講義したディリクレの時 (原始根) 代になってからである。 12 月、最小二乗法を駆使して小惑星 a が p 乗してはじめて 1 と合同にな ケレスの楕円軌道計算を初めて行っ るとき、 a を p を法としての原始根 た。最小二乗法は現在の科学ではほ という。略して p の原始根ともいう。 ぼすべての分野でデータを取る際に、 誤差修正法として用いられている。 第 4 章 例えば、人工衛星を追跡する際に使 「二次合同式」 われている。 (Congruentiis Secundi Gradus) 平方剰余相互法則の第 1 証明及びそ のために必要な基本事項。数学的に (ガウス整数論の各章の内容) はそれ程重要ではない。 第 1 章 「数の合同に関する一般的な事柄」 2 2 二 次 合 同 式 x − ay = 1 は (Numerorum Cngruentia In Genere) a を連 分数に展開すれば解けることを発見 整数論の最重要事項である素元分解 する。 の一意性を証明した。又、数の合同 の記号 ≡ を初めて導入し合同算術の 第 5 章 明確な表現を与える。 「二次形式と二次不定方程式」 (Formis Aequationibusque 第 2 章 Indeterminatis Secundi Gradus) 「一次合同式」 ここで扱われる二次形式は (Congruentiis Primi Gradus) 2 一次合同式の解を連分数で解く方法 を発見した。つまり、 は 2 ax + 2bxy+ cy (a,b,c∈ Ζ) の形 であ る。 これ を簡 単に (a,b,c) ax+ by = c で表す。 D = b2 − ac をその判別式 b を連分数に展開したら解ける。 a という。2 つの二次形式 2 2 Fi(x,y)= aixi + 2bixiyi + ciyi (i= 1,2)において、 第 3 章 x1 = αx2 + β y2 , y1 = γx2 + δy2 「羃剰余」 (α ,β ,γ ,δ ∈ Ζ) という変数の変換に (Residuis Potestatum) よって、 F1 (x1 ,y1 )= F2 (x2 ,y2 )にな フェルマーの小定理の証明及び原始 るとする。このとき、もしも 根の存在を初めて証明した。原始根 αδ − βγ = ±1 であれば、 F1 と F2 は が存在することを元にして、第 7 章 186 同値 (aequivalent) であるという。この 「円の分割を定める方程式」 とき、 F1 と F2 の判別式は等しい。 (Aquationibus さらに、 αδ − βγ = 1 の場合は F1 と Definientibus) F2 は固有に同値であるという。 Circuli Sectiones 円周等分方程式の既約性、つまり「有 二次形式論の種の概念を駆使した平 理数の範囲で F (x)は因数分解できな 方剰余相互法則の第 2 証明(261 条) 。 い」ことの証明。ここで、 F (x)とは 二次形式の合成により、当時、一般 p を素数とし、方程式 xp − 1= 0 を 考える。このとき、 的には知られていなかった群演算の p 概念の実例を構築する。 x − 1 = (x − 1)F (x) より、 F (x)は次のようになる。 主イデアルの考え方も示した。 第 182 条のⅠでは、 「 4n + 1型の素数 2 F (x)= x 2 p−1 + xp−2 + L x + 1 は x + y という形に一意的に書き 又、円周の17等分が定規とコンパ 表される」という直角三角形の基本 スでできることを示した。一般にフ 定理が証明され、Ⅱでは「 8n + 1 型 ェルマー素数( p = 2 2r + 1型の素数) もしくは 8n + 3 型の素数は x + 2y に対しては、円周の p 等分は作図可 という形に一意的に書き表される」 能であるが、その他の素数に対して こ と 、 Ⅲ で は 「 3n + 1 型 の 素 数 は は作図不可能であることが述べられ 2 2 2 2 ている。 x + 3y という形に一意的に書き表 される」ことが確立される。このよ 1802 年 うな諸例から分かるように、一般に ax+ b という一次式の形で提示され 夏、パラスの観測。 9 月 5 日、ペテルブルク天文台の台 た素数の線形的形状を表現する二次 長のポストを提供される。 形式を見つけることが試みられてい る。つまり、ここには素数の形状理 1803 年 論の基本構想が見られる。 1 月 20 日、ブラウンシュヴァイクに 留まる決心をする。 第 6 章 「これまでの研究の様々な応用」 夏、ブレーメンに親友のオルバース (Variae Disquisitionum (Heinrich Wilhelm Matthias Olbers , Praecedentium 1758-1840) を訪 問 。オ ルバ ー スは 、 Applicationes) ブレーメンで開業医をしながら、天 第 5 章の様々な応用を取り上げてい 文学を研究し、ガウスの小惑星セレ る。例えば、不定方程式 2 2 mx + ny = A スに関する軌道計算が正しいことを というディオファントス方程式の解 実証した。オルバース自身は、小惑 法について詳しく論じられている。 星パラスとヴェスタ、その他 4 つの 又、分数の単純分数への分解、分数 彗星を発見した。 の小数への変換、合同式 x2 ≡ ± A の 解法を示す。 1804 年 天文台の仕事続ける。 第 7 章 187 1805 年 この年、3 次及び 4 次剰余の理論の 1 月、「アリトメティカの一定理の新 し い 証 明 (Theorematis arithmetici 研究を始める。(「4 次剰余の理論・ demonstratio nova)」(ガウス全集、第 第 1 論文より」 ) 2 巻、pp.1-8)で、ガウスの補題によ 8 月 30 日、ガウス和により平方剰余 るガウス記号の計算に終始する初等 相互法則に関する第 4 証明を完成。 的な証明方法で平方剰余相互法則に 10 月 9 日、 ヨハ ンナ・ オスト ホフ 関する第 3 証明を証明し発表した。 (Johanna Osthoff)と結婚。 2 月 29 日 、 娘 ヴ ィ ル ヘ ル ミ ー ナ (Wilhelmina、愛称:ミンナ)誕生。 1806 年 4 月 14 日、父亡くなる。 8 月 21 日、息子ヨゼフ(Joseph)誕生。 秋、シューマッハがガウスのもとで 11 月 10 日、ブラウンシュヴァイク 学ぶためにゲッチンゲンに来る。 公国のフェルディナンド公が対ナポ 5 月 10 日、円周等分方程式における レオン戦争で受けた重傷がもとで亡 3 つの周期に分ける理論(D.A の 358 くなる。 条)が、格段に簡単な土台に帰着する ことを導く。 1807 年 8 月 、「 あ る 種 の 特 異 級 数 の 和 2 月 15 日、3 次及び 4 次剰余に関す (Summatio quarumdam serienum る理論の研究を始める。(「ガウスの singularium)」(ガウス全集、第 2 巻、 数学日記」より)特に、ガウスによ pp.9-45)で、ガウス和の符号決定の様 るとこのとき既に 3 次と 4 次に関す 式により、平方剰余相互法則に関す る何らかの相互法則を発見している。 る第 4 証明を発表。 証明はこの時点では未完である。 12 月 23 日、三次形式の理論と、方 程式 5 月 6 日、平方剰余相互法則に関す x3 + ny3 + nnz3 − 3nxyz= 1 る第 3 証明を完成。 の解法に着手する。 7 月 25 日、ケレス (小惑星)の軌道決 定の功績が認められてゲッチンゲン 1809 年 大学から公式に天文学教授兼新しい 天文台の台長に招聘され、これを受 天文学上の主要業績「太陽の周りの 諾。その後も、測定用機材の開発(ガ 円錐曲線に沿う天体運動論」 (Theoria ウス式レンズの設計)、楕円関数の惑 motus corporum coelestium in sectionibus 星の摂動運動への応用など、数々の unicis solem ambientium、Hamburug,『ガ 発見を行った。以後 40 年同職につく。 ウス全集』7 巻、pp.3~280)上梓。こ 11 月 21 日、家族と共にゲッチンゲ の中でガウス分布の応用発表。又、 最小 2 乗法についても述べられてい ンに到着。 る。 『 ガ ウ ス 整 数 論 (Disquisitiones arithmeticae) 』の Poullet-Delisley 訳 9 月 10 日、息子ルイス(Louis)誕生。 のフランス語訳が出版される。 10 月 11 日、妻亡くなる。 1808 年 1810 年 188 3 月 1 日、息子ルイス亡くなる。 1 1 1 = F , ,1;x2 M (1+ x,1− x) 2 2 8 月 4 日、フリーデリカ・ヴィルヘ ルミーネ・ヴァルトエック(Friederica Wilhelmine Waldec 1 1 3 −1 sin x = xF , , ;x2 2 2 2 log( 1+ x)= xF(1,1,2;− x) 愛 称 ミ ン ナ:Minna)と結婚。 となる。 秋、ガウスのもとで学ぶためにゲル リンク、ニコライ、メビウス、エン 1813 年 ケ来る。ベルリン大学教授のポスト をガウスに受けさせるための運動起 10 月 23 日 、 息 子 ヴ ィ ル ヘ ル ム こる。光学に興味を示す。 (Wilhelm)誕生。この日、ガウスによ ると 4 次剰余相互法則が完成した。 1811 年 1814 年 夏、彗星についての研究。 7 月 29 日、息子オイゲネス(Eugene) 7 月 9 日、ガウスは帰納的に行われ 誕生。 る極めて重要な観察を通じて、4 次 ガウス平面の概念できあがる。 剰余の理論はレムニスケート関数と 今日「コーシーの積分定理」といわ 極めて優美に結びついていることを れている定理の概念を発見する。 発見した。すなわち、 a + b ⋅ i は 素 数 と し 、 a −1+ b ⋅ i は 1812 年 2+ 2iで割り切れるとする。このと 1 月 30 日、 「無限級数 き、合同式 2 2 2 2 α ⋅β α (α + 1)⋅ β (β + 1) 2 1 ≡ x + y + x y (mod. a + b ⋅ i) 1+ x+ x + のあらゆる解の個数は 1⋅ γ 1⋅ 2 ⋅ γ (γ + 1) (a − 1) + b2 α (α + 1)( α + 2)β (β + 1)(β + 2) 3 x +L に等しい。ただし、 1⋅ 2 ⋅ 3⋅ γ (γ + 1)( γ + 2) x = ∞ , y = ±i ; x = ±i, y = ∞ 2 の一般研究(Disquisitiones generales circa も解に含める。 この年、外積分の新しい方法の論文 seriem infinitam 1+ 「ガウス積分法」発表。 α ⋅β α (α + 1)⋅ β (β + 1) 2 x+ x +L) 1⋅ γ 1⋅ 2⋅ γ (γ + 1) 1815 年 」(ガウス全集、第 3 巻、pp.123-162) という超越幾何級数に関する論文を 代数学の基本定理に関する第 2 証明 を発表。 (ガウス全集、 第 3 巻、 pp.32-57) 発表。この級数は F (α ,β ,γ ;x) と表され、 1816 年 1+ x + x2 + x3 + L = F (1,β ,β ;x) 3 月 21 日、オルバースへフェルマー になる。つまり、幾何級数(等比級 の最終定理に関する手紙を書く。内 数)を含むことが分かる。又、 容は「貴方のパリ賞金についてのお 知らせありがとうございます。実を 189 言えば、私はフェルマーの最終定理 2 月、論文「平方剰余の理論におけ には、孤立した命題として余り興味 る基本定理の新しい証明と拡張 がありません。それは、証明もでき (Theorematis fandamentalis m doctrina de なければ、否定もできないような、 residuis この種の多くの命題を容易に挙げる ampliationes novae )」(ガウス全集、第 2 ことができるからです。ただ私は、 巻、pp.47-64)において平方剰余相互 それによって、昔の考えに高等数論 法則に関する第 5 証明と第 6 証明を の大きい拡張を行わせることを期待 発表。第 5 証明はガウスの補題に基 させます。勿論、この理論が、この づき、第 6 証明はガウス和による証 はっきりしない目標に到達するため 明である。 に、どこまで成功するのかどうかを、 (ガウスの補題) 予見できない種類のものです。幸運 quadraticis demonstrationes et p を素数、 ξ p を 1 の原始 p 乗根、 の星が支配することに違い在りませ 例えば ん。私の現状や、多くの仕事は、勿 2π i p 論、かつて『ガウス整数論』の主要 ξp = e 部分を成し遂げた、あの幸運な とする。このとき、次の(1)、(2)、(3) 1796-1798 の年々のように、瞑想に耽 の補題が成立する。 ることを許しません。もしも、運命 (1) a ≡ 0 (mod. p )のとき が私が期待する以上に助けてくれる p−1 ならば、この理論への大きい一歩を ∑ξ t= 0 進め、フェルマーの最終定理が、そ の最も興味の少ない応用と思われる at p =p (2) a ≡/ 0 (mod. p )のとき ようになることを確信したいと思い p−1 ます。(ガウス全集、第 10 巻の第 1 ∑ξ t= 0 分冊,pp.75-76)」この手紙の中でガウ at p =0 スはフェルマーの最終定理を解決す (3) るには新しい理論の構築が必要不可 p−1 欠ということを述べている。平方剰 ∑ p = 0 t= 0 余相互法則が 2 次の合同式の解の判 定公式にもなっていること、既にガ t ただし、 t≡ 0 (mod. p )のときは ウスが 4 次剰余相互法則を発見して いることを考え併せると、ここで示 唆されている新しい理論とは n 次羃 t =0 p とする。 剰余理論のことだといえる。 6 月 9 日、娘テレーゼ(Therese)誕生。 (ガウス和の定義) 9 月 17 日、新しいゲッチンゲン天文 p−1 t at ga = ∑ ξ p t= 0 p 台に移る。 をガウス和という。 1817 年 母を引き取る。 190 を発表。 (ガウス和の基本性質) (1) 「非ユークリッド幾何学」の概念を完 成させる。 a ga = g1 p 1825 年 4 月 5 日、 「4 次剰余の理論・第 1 論 (2) 1 (p−1) g 2 = (−1)2 文」の完成及びその要約 p 「4 次剰余の理論・要約Ⅰ」 (Theoria. residuorum.biquadraticorum . Comm. Ⅰ ,Werke, volume : bd. 2 (3) p−1 ga = ∑ ξ s= 0 pp.165-168)を発表。 s2a p ただし、 p /|a 1827 年 10 月、論文「曲面に関する一般的考 察 1818 年 (Disquisitiones generales circa ハノーバー領の測量を委任される。 superficies curvas)」(ガウス全集、第 そのために、後に大きな影響を与え 4 巻、pp.217-258)の発表。この論文 た正規分布についての研究を始めた。 は、測量と微分幾何学への興味から、 これは測量結果の誤差に関する興味 曲面論を創始し、ガウス曲率が等長 からであった。 写像に対する不変量であることを発 楕円関数に関する研究成果を発表。 見したものである。この発見は、曲 代数学の基本定理に関する第 3 証明 面が持つ内在的性質の研究の道を開 を発表。 (ガウス全集、 第 3 巻、 pp.57-70) き、リーマン幾何学へと発展した。 1828 年 1819 年 最小二乗法に関する論文を発表。 ベルリンにおける学術会議に出席。 アレクサンダー・フォン・フンボル ト家の客となる。正教授に任ぜられ 1820 年 ゲッチンゲン天文台の新しい子午環 る。 この年、 「4 次剰余の理論・第 1 論文 に関する論文を発表。 (Theoria. residuorum.biquadraticorum 1821 年 . Commentatio prima , Werke , volume : bd. 回光機の発明。 2 pp.67-91) 」を発表。この論文の中 でガウスは自らが発見した 4 次剰余 1822 年 の補充法則の証明を行った。 ハノーバー領の測地学的調査を始め、 1826 年まで続ける。 (ガウスの 4 次剰余の第 1 補充法 則) A は 1 と p − 1の間にある 4 k +1 型 の素数 p の全ての 4 次剰余の集まり 1823 年 とし、その上 e は無作為に抽出され 「誤差を最小限に抑える観測の理論」 191 た p の平方非剰余とする。つまり、 1 (N π −1) − 1 = (−1)4 π 4 e は 1 と p − 1の間にある p の平方非 剰余ならば何でも良い。さらに、B は法 p に関して積 epから生じる正の 最小剰余のあつまりとする。そして、 (ガウスの 4 次剰余の第 2 補充法則 C、D も同様にそれぞれ法 p に関し Ⅰ) 3 p は 4 k + 1 型 の 有 理 素 数 で て積 eep、 e p から生じる正の最小 あつまり A に所属する。つまり − 1 p = a2 + b2 と分解され、a が奇数で、 b が偶数のとき、次が成立する。 a が 8m+1 型又は 8m+7 型になるた は 4 次剰余になり、 p が 8n+5 型の びに、数 2 はあつまり A に含まれ、 素数ならば常に − 1はあつまり C に 反対に、 aが 8m+3 型 又は 8m+5 型 所属する。 になるたびに、数 2 はあつまり C に 剰余のあつまりとする。このとき、 p が 8n+1 型の素数ならば常に − 1は 含まれる。 これを、4 次剰余記号を用いて表す と次のようにいいかえることができ これを、4 次剰余記号を用いて表す る。 と次のようにいいかえることができ (ガウスの 4 次剰余の第 1 補充法則) る。 ガウス整数 π = a + b ⋅ iが、 a が奇数 (ガウスの 4 次剰余の第 2 補充法則 で b が偶数になる素元のとき、つま Ⅰ) りπ が ガウス整数π = a + b ⋅ iが、 a が奇数 で b が偶数になる素元のとき、つま (1+ i) 以外の素元のとき、π のノルム りπ が (1+ i) N π = a2 + b2 は N π = 4k + 1型の素数 以外の素元のとき、π のノルム になり、以下が成立する。 N π = a2 + b2 は N π = 4k + 1型の素数 (ⅰ) N π が 8n+1 型の素数のとき、 になり、以下が成立する。 (ⅰ) − 1 =1 π 4 aが 8m+1 型又は 8m+7 型のとき、 2 =1 π 4 (ⅱ) N π が 8n+5 型の素数のとき、 (ⅱ) − 1 = −1 π 4 aが 8m+3 型 又は 8m+5 型のとき 2 = −1 π 4 したがって、(ⅰ)、(ⅱ)より次のよう に定式化できる。 192 したがって、(ⅰ)、(ⅱ)より次のよう (ⅲ) に定式化できる。 数 1 (a2 −1) 2 8 = (−1) π 4 1 b が 4m + 2 型のとき、 2 2 = −1 π 4 (ⅳ) (ガウスの 4 次剰余の第 2 補充法則 数 Ⅱ) p は 4 k + 1 型 の 有 理 素 数 で p = a2 + b2 と分解され、a が奇数で、 b が偶数のとき、次が成立する。 1 b が 4m + 3 型のとき、 2 2 = −i π 4 したがって、(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ) 1 b が 4m 型、 4m + 1 型、 4m + 2 2 型または 4m + 3 型になるのかに応じ 数 より次のように定式化できる。 1 b 2 2 i = π 4 て、数 2 はそれぞれあつまり A 、B 、 C または D に所属する。 因みに 4 次剰余の補充法則を現代風 に書くと次の 2 式である。 これを、4 次剰余記号を用いて表す (現代的な 4 次剰余の補充法則) と次のようにいいかえることができ π = a + b ⋅ iは primary prime とする。 る。 (ガウスの 4 次剰余の第 2 補充法則 1 − (a−1) i 2 = i π 4 Ⅱ) ガウス整数 π = a + b ⋅ iが、 a が奇数 (第 1 補充法則) で b が偶数になる素元のとき、つま りπ が (1+ i) 1 以外の素元のとき、π のノルム Nπ = a + b は N π = 4k + 1型の素数 2 2 {(a+ b)−(1+b)2 } 1+ i 4 =i π 4 (第 2 補充法則) になり、以下が成立する。 (ⅰ) 1 数 (a−1) − 1 2 = ( − 1 ) π 4 1 b が 4m 型のとき、 2 2 =1 π 4 (第 1 補充法則の系) (ⅱ) 数 1829 年 1 b が 4m + 1型のとき、 2 2 =i π 4 力学および平衡状態にある液体の研 究。 こ の 年 、 ヤ コ ビ (Carl Gustav Jacob 193 Jacobi,1804∼1851)が楕円関数の研究 論 文 (Fundamenta nova (ガウスの 4 次剰余相互法則) theoriae functionum ellipticarum 1829 , Jacovi[1] 1 1 (N α −1)• (N β −1) β α 4 = (−1)4 α 4 β 4 全集Ⅰ , pp49-239)を発表し、一躍名 声を上げた。 こ こ で 、 複 素 素 数 α、 β は primary prime とし N はノルムとする。 1830 年 息子オイゲネス、米国に渡る。 磁気および電気についての研究。 毛細管現象についての研究。 1833 年 1831 年 復活祭、ヴェーバーと協力して電磁 4 月 15 日、 「4 次剰余の理論・第 2 論 気的通信の実験を行う。 文」完成及びその要約である 「4 次剰余の理論・要約Ⅱ」 (Theoria. residuorum.biquadraticorum 7 月、哲学部部長となり、一年間務 める。 . 1834 年 Comm. Ⅱ ,Werke, volume : bd. 2 8 月 31 日、ゲッチンゲン天文台のハ pp.169-178)を発表。 ルディンク死す。 ヴィルヘルム・ヴェーバー、ゲッチ 12 月 19 日、ゴルトシュミットがゲ ンゲン大学物理学教授に任命される。 ッチンゲン天文台のポストを受ける。 この年、ヴェーバーとの共著を行い、 磁気学について多くの回答を与えた。 1835 年 ガウスの定理・ガウスの法則・ガウ ス(磁束密度の単位)・ガウス単位系 磁気学的観察に関する論文の発表。 は彼の名にちなむ。電気でのキルヒ ホッフの法則にあたるものを発見し、 1836 年 磁力協会の設立。 電信装置を作り上げた。 ニ本吊り磁力計の発明。 結晶学についての研究。 9 月 12 日、2 番目の妻亡くなる。 1837 年 9 月、ゲッチンゲン大学創立 100 周 1832 年 年祭。フンボルト、ガウス家の客と この年、 「4 次剰余の理論・第 2 論文 (Theoria. residuorum.biquadraticorum なる。 . Commentatio secunda,Werke, volume : bd. 10 月 29 日、息子ヴィルヘルム、米 国に渡る。 2 pp.95-148) 」 を発 表。こ の論 文の 12 月、女婿エヴァルト亡命。 中でガウスは 4 次剰余相互法則を帰 ヤコビが 3 次剰余相互法則を発表。 納的に定式化したが、証明は与えな ・・ (Uber die Kreisteilung und ihre かった。又、この論文でガウス整数 は理論的にも完成された。4 次剰余 Anwendung auf die 相互法則を現代風に書くと次のよう Zahlentheoria,Berlin.Monatsber . になる。 194 この年、親友のオルバース亡くなる。 pp.166―174 (Werke Ⅵ , pp.254―274)) 1841 年 又、ヤコビはヤコビの平方剰余記号 を使い、平方剰余相互法則及びその 7 月、哲学部部長となり、1年間務 補充法則を次のように互いに素な数 める。 に 拡 張 し た 。 (Monatsberichte der 球面三角法に関するルジャンドルの Berliner.Akademie,Crelles.Journal 定理の証明を発表。 Bd.30) 1842 年 5 月、息子ヨゼフがハンブルクの大 (ヤコビ記号の平方剰余相互法則) 互いに素な奇数 P,Q に対して以下 火消防に活躍。 の相互法則及び補充法則が成立する。 1 1843 年 1 (P −1)⋅ (Q −1) Q P 2 = (−1)2 P Q 測地学の第一論文発表。 1 1844 年 (P −1) − 1 = (−1)2 P 1 2 (P −1) 2 = (−1)8 P こ の 年 、 ア イ ゼ ン シ ュ タ イ ン (F. gotthold M. Eisenstein, 1823-1852)が 4 次剰余相互法則の「ガウス和の拡張」 による証明と「楕円関数」を使った 証明を発表。又、3 次剰余相互法則 1838 年 をヤコビとは独立に発見し証明も発 ロンドンの王立協会からコプリー勲 章を受ける。 表した。この年アイゼンシュタイン 娘ミンナ、チュービンゲンに移る。 は『クレレ誌』に 25 編もの論文を掲 5 月 30 日、ミズーリ州セントチャー 載。 ルス近郊で最初の孫生まれる。 (Beweis des Reciprocitatssatzes fur die ロシア語を学ぶ。 cubischen Reste in der Theorie der aus dritten Wurzelen der Einheit 1839 年 zuasammengesetzten complexen Zahlen , 4 月 18 日、母亡くなる。 J .Reine Anbew. 12 月 6 日、ゲッチンゲン王立協会の Math. ,27 ,pp.289 ― 310 (Werke 1, 書記に就任。 pp.59_80) ) (EinfacherBeweis.und.Verallgem 1840 年 einerung.des.Fundamental-theorems サンスクリット語を学ぶ。 fur die biquadratischen Reste , J . Reine 『地磁気の地図(Erklärung der Karten und Anbew. Math. ,28 ,pp.223―245 (Werke Zahlentafeln)』(ガウス全集、第 12 巻、 1, pp.141_163)) フェイエの彗星の軌道の楕円要素を pp.335-408)を出版。 8 月 12 日、娘ミンナ亡くなる。 発表。 ポテンシャル論について研究。 195 とがガウスのもとで学ぶ。 1845 年 1 月、ゴルトシュミットが天文台の クンマー(Ernst Edward Kummer , 1810 ―1893)が次のような r 次剰余記号の 助教授に任命される。 相 互 法 則 を 発 表 。 (Allegemeine 7 月、哲学部部長となり、一年間努 める。 Reciprocitatsgesetze ガウスとヴェーバー共作の電線が雷 fur beliebig hote Potenzreste , Berlin . Monatsber . pp.145― のため破壊される。 165, 全集Ⅰ, pp345―357) (クンマーのr 次剰余記号の相互法則) 1846 年 r を正則な素数とし、円分体 Q(r )の r と素な理想的素因子 λ1 , λ 2 を取れ 測地学に関する第 2 論文発表。 リーマンがガウスのもとで学ぶ。 ば次が成立する。 デ ィ リ ク レ (Peter Gustav Lejeune Dirichlet , 1805―1859)が単数定理を λ1 λ 2 λ = λ 2 1 発 表 す る 。 (Zur Theorie der complexen Einheiten , Bericht uber Verhandl . d. Konigel . Preuss . Akad . Wiss . (Berliner 1851 年 Monatsberichte) 103―107(Werke Ⅰ , 639― 643)) 2 月 15 日、ゴルトシュミットが死亡。 (ディリクレの単数定理) 規則的な天文観測おわる。 クリンカーフェスがガウスのもとで 基本単数形(Fundamentaleinheriten)と 呼ばれるある k 個の単数 ε 1 ,⋅ ⋅ ⋅,ε k が 学ぶ。 存在して、任意の単数 ε は a 1 ε = ρε 1 ε 2 a2 ⋅⋅⋅εk 1852 年 ak エルンスト、シュリンクとアルフレ の形に一意に表される。ここで、 ρ ット、エンネパーがガウスの学生と は あ る 1 の 羃根 、 a1 ,a2 ,⋅ ⋅ ⋅,ak は あ なる。 る整数。 1853 年 サイキの観測。 1848 年 海王星とイリスの観測。 「テーブル叩き」という降霊術の不 思議を調べる。 ドイツ革命でガウスは保守派に味方。 1854 年 1849 年 7 月 16 日、博士号授与 50 周年を祝 6 月 16 日、ゲッチンゲンとカッセル う。この式典に際して、代数学の基 間の鉄道建設を視察。 7 月 31 日、ゲッチンゲンで鉄道開通 本定理に関する最後の証明を発表す 式に出席。 る。 8 月 7 日、兄ゲオルク・ハインリッ ヒ亡くなる。 1850 年 デデキントとモリッツ・カントール 196 アル(ideal)論 を導入するこ とにより 1855 年 ガ ガウス逝 言 い 換 え た 。 (Anzeige der zweiten く 2 月 23 日、ガウス逝く。享年 78 歳。 Auflage von Dirichlets Vorlesungen uber 2 月 26 日、Albanifriedhof の墓所に埋 Zahlentheorie , Gottingische gelehrte 葬される。 Anzeigen , Jahrang 1871 , pp14811491)(Werke Ⅲ, pp399-407) 1857 年 1873 年 クンマーがパリの学士院から「フェ ルマーの最終定理」に関する研究で シェリング編纂の『ガウス全集、第 賞金をもらう。 4 巻:確立論と幾何学』が出版され る 。 (Wahrscheinlichkeitsrechnung und 1863 年 Geometrie) シェリング編纂の『ガウス全集、第 1874 年 1 巻 : ガ ウ ス 整 数 論 (Disquisitiones arithmeticae)』と『ガウス全集、第 2 シェリング編纂の『ガウス全集、第 巻 : 高 等数 論 (Hoehere Arithmetik) 』 6 巻 : 天 文 学 論 文 集 (Astronomische が出版される。 Abhandlungen)』が出版される。 1876 年 1866 年 シェリング編纂の『ガウス全集、第 シェリング編纂の『ガウス全集、第 3 巻:解析学(Analysis)』が出版され 2 巻:高等数論(Hoehere Arithmetik)』 る。 の「第 2 版」が出版される。その中 で、 「第 2 巻の初版への補遺(Nachtrag 1867 年 シェリング編纂の『ガウス全集、第 zum 5 巻 : 数 理 物 理 学 (Astronomische Bandes)」が付け加えられた。 ersten Abdruck des zweiten Abhandlungen)』が出版される。 1889 年 1870 年 『 ガ ウ ス 整 数 論 (Disquisitiones シェリング編纂の『ガウス全集、第 arithmeticae)』の M.Maser 訳のドイツ 1 巻 : ガ ウ ス 整 数 論 (Disquisitiones 語訳が出版される。 arithmeticae)』の「第 2 版」が出版さ れる。 1897 年 1871 年 4 月 、 ヒ ル ベ ル ト (David Hilbert , 1861-1943)が「代数体の理論 シェリング編纂の『ガウス全集、第 (Die Theorie der algebraischen 7 巻 : 理 論 天 文 学 (Theoretische Zahlkorper,Jber,Deutsch.Math.Verin. Astronomie)』が出版される。 4,pp.175-546. (Werke Bd. 1 , 63-482))」 この年、クンマーの理想数に相当す を発表。 る概念を、デデキント(Julius Wilhelm この中でヒルベルトのノルム剰余記 Richard Dedekind , 1831-1916)がイデ 号及び積定理、ノルム定理を述べた。 197 又、これはこれまでの「高次羃剰余 る。この日記はガウスの孫のカール・ 相互法則に関する総合報告」になっ ガウス(1847-1927)が保管していたも ている。 のを、パウル・シュテッケル(1862- 1919)が発見した。現在『ガウス全集』 (ヒルベルトのノルム剰余記号) の第 10 巻の第 1 分冊の pp.483-574 に m ,n は 0 でない任意の有理整数で m その解説と共に収録されている。又、 は平方数ではなく、 w は有理素数と 原文そのものを写した写真が PDF フ する。このとき、 ァイルの形でも収録されている。 n,m w という記号は、 n が w の任意の羃を 法として 2 次体 Q ( m )のある整数 1900 年 クライン(Felix Klein , 1849-1925)とシ ュ レ ジ ン ガ ー (Lutwig Schlesinger , のノルムと合同であるとき、+1の 値を取り、その他の場合には − 1の値 を取るものとする。この記号をヒル ベルトのノルム剰余記号という。 1864-1933)編纂の『ガウス全集、第 8 巻:数論と代数学:全集 1∼4 の補遺 (Arithmetik und Algebra : Nachtrage zu このノルム剰余記号から、ガウスの Band 1 - 4)』が出版される。 2 元 2 次形式の指標系の理論が直ち 1903 年 に導かれる。 クラインとシュレジンガー編纂の『ガ (ヒルベルトの積定理) ウス全集、第 9 巻:測地学(第 4 巻 m ,n は 0 でない任意の有理整数で m の 続 き ) (Geodasie. Fortsetzung von は平方数ではなく、 w は全ての有理 Band 4)』が出版される。 素数を動くとすると次が成立する。 1904 年 n,m =1 w (w ) ∏ 1899 年ゲッチンゲン王立科学協会は 「相互法則を 2 以外の素数の羃に対 この積定理より、平方剰余相互法則 して詳細に考察する」懸賞課題を出 が導かれる。 し、この賞はフルトヴェングラー (ヒルベルトのノルム定理) (Furtwa&& ngler)の研究 『U&& ber die Reziprozita&& tsgesetze zwischen m ,n は有理整数で m は平方数ではな いものとする。もし、全ての有理素 l-ten Potenzresten in algebraischen Zahlko&& rpern 』(,Math.Ann.,58,1-50)に 数 w に対して n,m =1 w ならば、 n は体 Q ( m )のある数の 対して与えられた。 1906 年 ノルムになる。 クラインとシュレジンガー編纂の『ガ ウス全集、第 7 巻:理論天文学 1898 年 (Theoretische Astronomie) 』 が 出 版 さ 「ガウスの数学日記(Nachbildung des れる。 Tagebuchs) 」が 発 見さ れ、 公 表さ れ 198 1917 年 Geodaesie, Physik und Astronomie)』が クラインとシュレジンガー編纂の『ガ 出版される。 ウス全集、第 10 巻の第 1 分冊:純粋 数 学 に 寄 せ る 補 遺 (Nachtraege zur 1927 年 reinen Mathematik)』が出版される。 クラインとシュレジンガー編纂の『ガ 「Lehre von den Reste」の中の論文「剰 ウス全集、第 11 巻の第 1 分冊:物理 余の解析(Analysis residuorum)」(これ 学、歴学、天文学への補遺(Nachtraege zur は現在『ガウス 全集』の第 2 巻の Physik, Chronologie und Astronomie)』が出版 pp.199-242 に収録)で平方剰余相互 される。 法則に関する第 7 証明が発表される。 ア ル テ ィ ン (Emile Artin,1898-1962) が 「 一 般 相 互 法 則 」 (Bewis des 1922 年 「任意の代数体における相互法則に allgemenenReziprozita&& tsgesetzes ついて」 Hamburg,5 ,pp.353-363,全集、pp.131-141) (U&& ber das Reciprocit a && tsgesetz in einem の中で次の一般相互法則を発表する。 ,Abh. beliebigen algebraischen && rper,J.Coll.Sci.Imp.Univ.Tokyo, Zahlk o (アルティンの一般相互法則) k の H f によるイデアル類群と K /k のガロア群との間の同型は、 H f の 同手 f と素な各素イデアル p に対し、 K の各整数 A に対して 4,pp.1-50『全集,pp179-216』)におい て高木貞治は、任意のアーベル拡大 体に対する相互法則に「これまでに 発見された」一般の相互法則を包括 Aσ ≡ A N (p) (mod. p ) させた。 となるようなガロア群の元(置換) σ を対応させることによって表され る。置換 σ は p の属する H による クラインとシュレジンガー編纂の『ガ ウス全集、第 10 巻の第 2 分冊:純粋 類にのみ依存し、かつ類の積と置換 数学と力学の領域に寄せるガウス の積とが対応する。 科学上の業績に関する諸論文 (Abhandlungen ueber Gauss' ( ア ル テ ィ ン の 羃 剰 余 記 号 相 互 法 則 wissenschaftliche Taetigkeit auf den Ⅰ) Gebieten der reinen Mathematik und m 次剰余記号 Mechanik)』が出版される。 α B 1924 年 は k(m α )に対するイデアル類 H に よる類別のイデアル B の属する類に のみ依存する。 クラインとシュレジンガー編纂の『ガ ウス全集、第 11 巻の第 2 分冊:測地 学、物理学及び天文学の領域に寄せ (アルティンの羃剰余記号相互法則Ⅱ) るガウスの科学上の業績に関する諸 m k(m α ) の導手と k( β )の導手が互 論文 いに素であるとき、次が成立する。 (Abhandlungen ueber Gauss' wissenschaftliche Taetigkeit auf den Gebieten der 199 相対アーベル体 K /k及び k の素イデ α β = β α アル p とに対して、 K /k のガロア 群の元を値として取るノルム剰余記 高木貞治が次の高木の公式を発見す 号 る。 β ,K p (高木の公式) p は奇素数、 ξ を 1 の原始 p 乗根、 が定義される。 K = Q( ξ ), A は K の整数環、そして 即ち、 K /k の導手 f の p 成分を fp λ = 1− ξ と す る 。 こ こ で 、 α ,β ∈ A 、 gcd( Aα ,Aβ )= A で あ とし、 β に対して補助の数 β 0 を り か , つ β 0 ≡ β (mod.fp ) , 、 β 0 ≡ 1(mod.f / fp ) α ≡ 1(mod.Aλ ), β ≡ 1(mod.Aλ ) (乗法合同) とすれば、 α β β α にとる。 β 0 を、 β 0 ≡ pb B ( B は p に素)と分解し、 −1 = ξ −µ β ,K p となる。ここで、 µ = ∑ jt(α )t j K = B (アルティン記号) p−1 と定義する。このとき、 p が k のす (β ) p− j j=1 べての素イデアル(無限遠点も含む) とする。 を動くとき以下の積公式が成立する。 1929 年 クラインとシュレジンガー編纂の『ガ (Varia. Atlas des Erdmagnetismus)』が出 β ,K p ∏ ウス全集、第 12 巻:雑、地磁気地図 = 1 (ハッセのノルム定理) 版される。 巡回拡大体 K /kにおいて α ,K p = 1(すべての p ) c 1930 年 『Neue Begru&& ndung und Verallgemeinerung der Theorie des Normenrestsymbols , α は K /kのノルムである J.Reine Angew . Math. , 162 ,pp.134- 144 , 全集Ⅰ,pp.266-279』においてハ この定理によりヒルベルトのノルム ッセ(Helmute Hasse , 1898-1979)はヒ 剰余記号に関する諸性質は直ちに導 ルベルトのノルム剰余記号の積定理 くことができる。 を任意の基礎体と、その上の任意の アーベル拡大体とに対して、一般に 1955 年 次の定理が成り立つことを示した。 ダニングトン(Guy Waldo Dunnington)に よるガウスの伝記『科学の王者・ガ (ハッセのノルム剰余記号の積とし ウスの生涯(Carl Friedrich Gauss: Titan ての相互法則) of Science)』が出版される。 k の任意の元 β と、 k の上の任意の 200 19 世紀の数学-整数論』が共立出版社 1965 年 から出版される。 『 ガ ウ ス 整 数 論 (Disquisitiones 10 月 10 日、ガウスの平方剰余相互 arithmeticae)』の Arthur A. Clark , S.J. 法則の 7 つの証明の概容をまとめた 訳の英語訳が出版される。 倉田令二郎の『平方剰余の相互法則- トード・ハッル(Tord Hall)の『数学の ガウスの全証明』が日本評論社より アイディア-甦るガウスの夢』 出版される。 (Gauss,Matematikernas konung) が 出 版 される。 1995 年 6 月 30 日 、『 ガ ウ ス 整 数 論 1976 年 (Disquisitiones arithmeticae)』の高瀬正 4 月 15 日、 銀林浩日本語訳のトード・ 仁訳の日本語訳が朝倉書店より出版 ハッル(Tord Hall)の『数学のアイディ される。 ア - 甦 る ガ ウ ス の 夢 』 (Gauss,Matematikernas konung) が 東 京 図書から出版される。 1978 年 9 月 6 日、トード・ハッル(Tord Hall) の山下純一日本語訳『数学のアイデ (補記) ィ ア - 甦 る ガ ウ ス の 夢 』 尚、『ガウス全集 』はウェッブ上で (Gauss,Matematikernas konung) が 東 京 PDF ファイルの形式でゲッチンゲン 図書から出版される。 大学から公開されている。以下を検 索すると簡単にそのアドレスにたど 1988 年 り着く。 Niedersaechisische 9 月 20 日、『ガウス整数論』の前半 Staats-und 部分をまとめた倉田令二郎の『ガウ Universitaetsbibliothek ス初等整数論』が進学研究社から出 Digitalisierungszentrum 版される。 37070 Goettingen, Germany 1990 年 6 月 8 日、ガウスに始まるドイツ数 学史に関する高瀬正仁の『ガウスの 遺産と継承者たち-ドイツ数学史の構 想』が海鳴社より出版される。 1992 年 3 月 10 日、羃剰余相互法則及び一般 の相互法則の歴史と基本事項の概容 をまとめた河田敬義の『数学の歴史201 Goettingen -