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No.6
No.6 2015.7.19 学 校 報 仙北市立 西明寺小学校 歴史に名を残す名将、戸沢氏について! 戸沢氏祭が近づいて参りました。戸沢氏を特集した昨年の学校報と同じ文ですが、 再度、取り上げたいと思います。 遥か昔、鎌倉時代の頃、北浦地方と言われるこの地を含む仙北地方は、地方豪族が群雄 割拠し、領地拡大のため戦を繰り返していた。そんな中、登場した戸沢氏は、巧みな戦略 と勇猛果敢な実戦で勝ち抜き、この地を平定し、時代を生き抜いてきた。 ここに、地域のヒーローである戸沢氏の歴史を、かなり大雑把ですが記してみます。 (資料により年譜に若干前後がありましたが、そこはお許しを!) 戸沢氏の系譜 戸沢氏は桓武平氏の流れをくむ平衡盛(ひらもり)が興した一族の系譜である。そもそ も衡盛は木曽義仲に従っていたが、その行いに疑問を抱き服従することをよしとせず… 1184年 東北地方に向かい、現岩手県雫石町の戸沢郷に移り住んだ。 源頼朝の屋島の合戦に加わり、褒美としてこの地を与えられたという説も ある。いずれ、この地名から戸沢氏と呼ばれることになる。 1206年 1228年 1423年 1566年 1570年 諸説あるが…戸沢氏初代衡盛の子兼盛が南部氏と争い、形成が不利となり、 奥羽山脈を越えて玉川の鳳仙岱の館に移る。 その後、上桧木内戸沢~宮田~下桧木内相内~大台野と南下していく。 ※この頃、地域に金山を開発し財を蓄える。 西明寺地区の小山田の小館に移る。 兼盛(2代)門屋城を建てさらに南下する。 門屋城をかこむように小山田城、ワブロ城、佐曽田城などを築き一族や家 臣を配置し安定につとめた。 南北朝時代には門屋城を根拠地として各地で戦い、仙北地内の広い範囲に 君臨していた。 ※約200年間、門屋城を中心に仙北地方を治める。 家盛(13代)門屋城から居城を角館城に移す。 ※門屋城には引き続き一族を配し、地域を治めた。 道盛(18代)は後に「鬼九郎」の異名をとり、北奥羽に名称として知れ 渡った盛安(19代)を授かった。 道盛は近隣との戦いに勝利し、仙北地内(六郷・仙南・千畑・仙北・太田 ・大曲の一部)をほぼ平定した。 1590年 盛安は豊臣秀吉の小田原攻めにいち早く参陣し、脇差しを秀吉より賜る。 しかしながら、小田原の陣中で病にかかり、25歳の若さで亡くなった。 1600年 1602年 道盛(18代)や政盛(21代)関ヶ原の戦いで徳川方の西軍につく。 外様大名となった佐竹氏と入れ違いで常陸(茨城県)への国替えを命じら れ秋田(角館)を去る。 1622年 1625年 何かがあったのか…山形県の真室城に転封。 さらに新庄に移り住み、政盛以降の戸沢氏代々は明治維新までこの地を治 めた。 当日の日程は、後ほどお届けします。