...

自然の楽園アフリカ・ウガンダの今昔

by user

on
Category: Documents
26

views

Report

Comments

Transcript

自然の楽園アフリカ・ウガンダの今昔
◆同窓生サロン「山あり海あり 河あり野あり」◆
茨苑第5号
自然の楽園アフリカ・ウガンダの今昔
昭33工学部電気科卒 島 田 直 彦
今から30数年前、私は放送技術分野の技術
街が広がっています。
協力専門家として、日本政府から東アフリカのウ
国内には自然の観光資源も多く、世界第2位
ガンダ共和国に派遣され、家族と共に2年間滞
のヴィクトリア湖からナイル川が流出していますが、
在しましたが、それ以来現在にいたるも現地が懐
このナイルの源流は、英国の探検家スピークによ
かしく想い出されます。
り発見されたものです。また国立公園では湖水
現地の国営テレビ局の技術支援業務や、米
や滝が楽しめるとともに、象やライオン、かば、
ワニ、
の買出しに遠出したこと、海の新鮮な魚が食べ
キリンなど多くの野生動物が見られます。さらにザ
られないなど、苦労や不便なことは色々ありました
イールとの国境沿いにあり、赤道に近く万年雪を
が、テレビ局のスタッフたちは友好的であり、室
頂く5千m級のルウェンゾリ山 ( 月の山 ) には珍し
内の気温は一年を通して24度前後と心地よく、
い動植物が生息しており、その紀行番組は昨年
またいつでも野菜、果物が豊富なことなど、特に
NHKテレビでも放映されました。
気候、自然環境が素晴らしいことでした。
ウガンダの人たちは、一言でいえば友好的で
その昔ウガンダは、英国の保護領だったことも
おっとりしています。我が家のお手伝いおばさん
あり、チャーチル元首相をして“アフリカの真珠”
は、元気で働きものでした。日中の俄雨程度で
と言わしめたほどですが、アフリカのほぼ中央に
は洗濯物を取込みませんが、濡れてもまた晴れ
位置するウガンダは、ケニア、タンザニア、ザイ
て夕方までには乾くためです。また洗濯物は下着
ールなどに囲まれており、国土の面積は日本の約
でもすべてアイロン仕上げですが、これは屋外で
2/3、平均海抜は約1,
200mの高地です。こ
付着した虫を駆除するためです。一般的にウガ
のため赤道直下でも気候が温暖であるとともに年
ンダの女性たちは、カラフルなこざっぱりした服装
間を通して適当な降雨量もあり、肥沃な土地と相
で、褐色の肌によくマッチしていました。
まって常時豊かな緑に恵まれているのです。首
アミン大統領を記憶している方もいるかも知れま
都のカンパラ市は、ヴィクトリア湖畔の近くに位置
せんが、実は彼は当時のウガンダの軍人出身の
し、七つの丘に囲まれて起伏のある緑豊かな市
大統領で、ウガンダ経済の実権を握っていたイン
ド人の追放などを急いだため、私たちが帰国す
る頃には中心街の商店も閉店するところが増え、
食料や日用品も入手しにくくなっていました。その
後ウガンダ経済は停滞していくとともに、内戦が
発生し、発展途上国の宿命とはいえウガンダは
長年にわたり混乱が続いたのです。
*1
14
それから30年の長い年月が経過した一昨年
◆同窓生サロン「山あり海あり 河あり野あり」◆
茨苑第5号
の秋、どうしてもあの自然の楽園を忘れられず、
うで残念な状態でした。なお
休暇の取れた社会人の息子と共に、ウガンダ再
ホテルの部屋では、NHK
訪の旅に出発しました。
やBBC、CNN、CCTV
30年振りのウガンダは、快適な気候そして緑と
など世界の海外放送を見
湖水に恵まれた豊かな自然が以前のままでした。
ることができ、地球が狭くなり便利に
季節は雨季でしたが晴れれば真上の太陽が赤
なったことを痛感したものです。
道直下であることを実感します。 ウガンダの在留邦人は当時30∼
カンパラは人も車もビルも増え、商店には商品が
40人で、日本の大使館はなく私たち日
溢れ活気ある首都になっていました。特に自動車
本人は心細い思いをしましたが、すでに大使館
は大幅に増え朝・夕の渋滞は大変なものでした
は開設されており、在留邦人は青年協力隊員や
が、
目立つのは中古の日本車が多いことです。
「○
J
ICA専門家、民間人など約150人はいるとの
ことで、日本との結びつきが強化されていることに
意を強くしました。再会した日本人の一人で、K
さんはシャツ工場の現地化指導のために引続き
活躍していますが、今や大統領とウガンダ国民か
ら尊敬される日本人になっていました。
このウガンダ再訪の旅は、私たちには大きな収
穫でした。自然の楽園は想像どおり残っており、
*2
その自然の豊かさを再認識するとともに、ウガンダ
○商店」や「□□運輸」などのバンやトラックを
社会が大きく発展していることを確認できました。
見ましたが、日本語表示がステイタスシンボルにな
この発展は、十数年にわたる現在のムセベニ大
っているようです。野菜、果物は昔同様豊富に
統領政権の安定した統治によるものですが、今
ありますが、食料や日用品ほか欲しい物が今で
後ともこの国の安定が続いていくことを心から願う
は何でも売っており、大型ショッピングセンタ−もあ
ものです。今朝もまろやかなウガンダ・コーヒー(今
ります。多くのレストランができ日本料理店もあり、
では日本国内で電話購入できる)
を味わいながら、
昔とは様変わりです。現地ビ−ルも数種のブランド
自然の楽園に想いを馳せています。そして今後
が再開しており、夫々懐かしく美味でした。いく
機会があれば、孫たちを現地に案内したいもの
つかのホテルには外国からの多くの観光客が滞
です。
在していました。国立公園の一つを訪ねましたが、
湖を望む広大な眺めは昔のままでロッジは完備し
ており、野生動物は象やライオン、かば、ワニな
ど沢山いました。
テレビ放送の状況は大きく変わり、以前ウガン
ダでは国営局だけでしたが、現在カンパラには
数局の民放や有料の衛星テレビ局もあります。当
時日本のODAや我々日本人専門家が援助した
国営テレビ局は、現在は余り視聴されていないよ
*1 色とりどりの果物が並ぶ市場 *2 活気あふれるにぎやかな通り *3 息子と
*3
15
Fly UP