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2000年大統領選挙と新政権の外交・安全保障政策の展望 ―W.ブッシュ

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2000年大統領選挙と新政権の外交・安全保障政策の展望 ―W.ブッシュ
2000年大統領選挙と新政権の外交・安全保障政策の展望
―W.ブッシュ政権の課題―
佐 藤 丙 午
はじめに
2000年のアメリカの大統領選挙は、史上稀に見る接戦として、長くアメリカ史の中で語り継
がれることであろう。アメリカの選挙人制度(Electrical College)は、「建国の父」達が、州
の権利の平等化を目的として選挙システムの中に組み込んだ一種の装置である。2000年選挙に
おいて、この装置は、フロリダ州での混乱を引き起こす触媒の役割を果たし、その混乱の中に、
アメリカ社会に潜む対立を、おそらくは意図せざる形で顕在化させたのである。フロリダ州の
幾つかの地方で投票の再集計が行われていた最中、Washington Postのコラムニストは、2000
年の大統領選挙を評し、「アメリカは70年代の社会的分裂を修復できていない」と指摘した1。
このコラムが意味するところは、ヴェトナム反戦運動と公民権運動などで生じたアメリカ社会
の対立は、いまだその亀裂を埋めるに至っておらず、それが冷戦の終焉を見た後に亡霊のよう
に出現したとするものであった2。
もし、このコラムが示唆するように、アメリカがこのような社会的亀裂を抱えているとすれ
ば、それは今後のアメリカの外交・安全保障政策にどのような影響を与えるのであろうか。し
ばしば、国家の外交・安全保障政策の起源の一部は、その社会的背景に求めることができると
される3 。アメリカ史の周期性に着目したアーサー・シュレシンジャー(A r t h u r M .
Schlesinger)は、アメリカでは政治思想的に社会的目的と個人的利益の周期的サイクルが見ら
れ、現実の政治の担い手として保守勢力と革新勢力が交互に力を持つとしている4。このサイク
ル説は、社会に内在する自動的な矯正反応に注目したものであるが、その前提として、シュレ
David S. Broder, “Polarized Baby Boomers,” The Washington Post , November 14, 2000.
チャールス・クック(Charles E. Cook Jr.)は2000年の選挙における民主、共和両党の得票の分布を分析
し、民主党は大都市(Urban America:人口50万人以上)、共和党は地方(Rural and Small Town
America)で強かったとしている。しかし、従来共和党が優位を保っていた郊外(Suburban America)
において、両党の得票は拮抗していたことも同時に指摘している。もっとも、南部の郊外における共和党の
得票は、民主党を圧倒している。クックは、郊外地区で共和党の優位がなくなった理由として、この地区
に住む中間層以上の国民が、社会や文化的な要素を重視した結果と分析している。Charles E. Cook, Jr.,
“How Does 2000 Stack Up,”The Washington Quarterly, Vol.24, No.2 (Spring, 2001), pp.231-216.
3
Charles W. Kegley Jr. and Eugene R. Wittkopf, The Domestic Sources of American Foreign Policy:
Insights and Evidence (New York: St. Martin’s Press, 1988).
4
A.M. シュレシンジャー『アメリカ史のサイクルⅠ』(パーソナルメディア、1988年)、35−73頁。
1
2
『防衛研究所紀要』第4巻第1号(2001
40
年8月)40 ∼ 58 頁。
佐藤 2000年大統領選挙と新政権の外交・安全保障政策の展望
シンジャーは、社会に固有に存在する二つの政治的立場を認めている。もしこれに立脚するの
であれば、このような政治的立場の差が、外交・安全保障政策においていかなる影響を与える
かに着目する必要があろう。
もちろん、国家に内在する政治的立場の相違が、外交・安全保障政策の全てを説明するもの
ではない。たとえば、国家を単一のアクターと仮定し、パワー環境の中で自動的に生存を企図
して行動する主体と考える現実主義の立場においては、国家の内的ダイナミズムはブラック・
ボックス化して考察を進めるため、その内部の構成がそれほど注目されることはない。また、
冷戦期のアメリカの外交・安全保障政策を、二極構造で帰納的に説明する論者にとって、アメ
リカの内的ダイナミックスは変数としてそれ程重要でない現象と写っていたことは想像に難く
ない。
しかし、クリントン政権とブッシュ政権(George W. Bush政権)の外交・安全保障政策の間
に、有意的な差を認めるのであれば、冷戦後の国際システムだけでは説明できない要因が存在
することを推察せざるを得ないであろう。特に、クリントン政権のアジア政策に対する批判に
は、アメリカの対外関与のあり方の根幹にかかわる問題が提起されている。たとえば、ブッシュ
政権の国務次官のリチャード・アーミテッジ(Richard Armitage)は、クリントン政権のアジ
ア外交を「六歳児のサッカー試合」と評している5。すなわち、アーミテッジは、クリントンの
アジア政策が全体的な構図無しに全員が一つの目標を追いかける様であると、皮肉を込めて批
判しているのである。ここで注意すべき点は、クリントン政権の対外政策のスタイルは、クリ
ントン(William Clinton)大統領個人の資質にその原因を帰するべきなのか、それとも冷戦後
の国際環境の中で、アメリカが政策を遂行する際に、内外の反応や政策の影響に留意しなくて
よいという贅沢を享受した結果なのか、ということである。
この問題を解明するために、われわれはいくつかの問いを設定することができる。「ゴア政
権」が成立しなかった現在において、その成立を仮想した議論は、想像と架空の産物であるこ
とは言うまでもない。しかし、たとえば、クリントン政権と「ゴア政権」の間で外交・安全保
障政策に差はあったのか(民主党政権同士の政権継承で政策に差が生じたか)、クリントンと
ブッシュの政権において中国の台頭が及ぼす影響は何か(システムレベルの変化が両政権の政
策の差を生み出す主因となるか)、ブッシュ政権と「ゴア政権」の外交・安全保障政策の差は
何か(共和党と民主党の政策の差が、両政権の政策の差を導き出すのか)、そして、政策決定
Quoted in The Honorable Doug Bereuter, The B.C. Lee Lectures, Perspectives on U.S. National Interests
5
in Asia, The Heritage Foundation, 2001, p.3.
41
者のパーソナリティが外交・安全保障政策に及ぼす影響は何か6、などの問いは、先の問題を解
明する上で大きな手がかりを与えてくれるのである。
本稿は、90年代のアメリカ政治の潮流を振り返り、特に2000年の大統領選挙におけるブッ
シュとゴア(Albert Gore, Jr.)の外交・安全保障政策をめぐる主張の相違を見ることで、アメ
リカ外交・安全保障政策に対する社会的背景の状態を探る。この問題意識を背景に、2000年の
大統領選挙を分析する際、まずアメリカの社会的亀裂がもたらした影響や国際システムの変容
などの要素を考察する必要がある。次に、2000年の選挙で外交、安全保障問題が、税制や、経
済・財政政策、また社会福祉政策等、その他の国内問題の争点に比して重視されなかったこと
をふまえ、それぞれの候補者及び政党が大統領選挙を通じて主張した論点が、安全保障問題に
対するアメリカ政治のいかなる現状を顕しているのかを概観する7。そしてこれらから導き出さ
れたことから、最後に東アジアの安全保障関係に関連する問題に当て、この選挙を通じて推察
できるブッシュ政権の東アジア安全保障政策を述べる。
1 90年代のアメリカ政治と2000年の大統領選挙
民主、共和両党の生い立ちは、それぞれ国内問題での対立を淵源とする。しかし、対外的な
危機が存在する際、両党は超党派的に政権の政策を支持することが知られている。冷戦期は、
民主、共和両党共に、対ソ封じ込め政策を遂行することに一応のコンセンサスが見られた。そ
れゆえ、冷戦後に対外政策でのコンセンサスが失われた中で、冷戦期に見た超党派的な雰囲気
が失われ、国内対立が政治の表面に出るのは自然の現象であるといえよう8。特に、アメリカに
対する直接的な脅威が存在せず、またその経済が好況を維持していたクリントン政権の8年間を
通じ、両政党の対立は深まっていった。アメリカの選挙制度研究において、政党支持と投票行
動が異なる分割投票(Spirit Vote)の現象が注目を集めるが、2000年の大統領選挙において、
この分割投票の割合は過去数度の選挙に比べて少なかった。これは、それぞれの政党支持者が
6
ブッシュの政策決定スタイルも、クリントンのように「常在選挙戦」であるとして批判する意見もあ
る。これは、クリントンが、政策決定を支持者のバランスに配慮するとともに、世論調査の結果を政策決
定に反映させたのと同様な手法を、ブッシュがとりつつあるとの批判である。”Clintonesque Balancing
of Issues, Polls: Role of Politics Evident In Bush’s White House,”Washington Post , June 24, 2001.
7
外交・安全保障政策が重視されていなかった点については、ビル・マッキンターフ(Bill McInturff)、
グレン・ボルガー(Glen Bolger)、ニール・ニューハウス(Neil Newhouse)らがPublic Opinion
Strategies社で行った、選挙結果の分析にも現れている。2000 Post-Election Analysis には、詳細な分析結
果が出されている。http://www.pos.org/presentations/pospost-elect.ppt.
8
国内対立の構造については、佐藤丙午「米国の政治変動と日本」藤本一美・秋山憲治編著『「日米同盟
関係」の光と影』(大空社、1998年)、13−32頁参照。
42
佐藤 2000年大統領選挙と新政権の外交・安全保障政策の展望
政党に対する忠誠度が高かったことを意味する9。
両党の政治対立は、直接的にはクリントン大統領の個人的資質や、政治倫理問題という形を
とっていた。クリントン政権の誕生以降噴出した、ホワイト・ウォーター疑惑やクリントン大
統領個人の女性問題、また政治献金疑惑などの問題に対し、議会の共和党を中心とする勢力は、
大統領府の権威が汚されたとして政権を批判してきた10。共和党は、1994年の中間選挙において
ニュート・ギングリッジ(Newt Gingrich)の指導のもと、両院で多数を回復し、さらに『アメ
リカとの契約(Contract with America)』の発表をもって、政策面でのイニシアチブをとろう
とした11。しかし、共和党の挑戦は、国内世論の動向を注意深く観察し、その選好性に適合した
政策をとるクリントンを乗り越えることができなかったのである12。94年の中間選挙以降、クリ
ントンは中道寄りに政策をシフトさせ、同じく中道寄りの政策を打ち出していた共和党に対抗
した結果、政策争点における両党の差が薄まり、クリントンは個人的カリスマに優れた大統領
として支持率を維持していったのである。この結果、96年の大統領選挙において、ロバート・
ドール(Bob Dole)上院議員は大統領選挙に敗れ、98年の中間選挙においても、民主党が議席
数を伸ばし、共和党との差を縮める結果となった。
共和党にとって、94年の中間選挙から4年間において、クリントンを追い詰める決定的機会
は幾度かあった。たとえば、不倫偽証問題において、上院が弾劾決議を行うまでに至り、CTBT
の批准では、政治的根回し不足により、ウィルソン(Woodrow Wilson)大統領時代の国際連盟
決議否決以来の外交的な失策を犯すことになった。しかし、クリントンに付けられたカム・バッ
ク・キッド(Come Back Kid)のあだ名の通りに、クリントンはこれらの政治的危機を乗り越
えていったのである。この理由として、アメリカ経済の好況が1991年4月より続いている事実
は、重要な意味を持ったと考えてよいであろう。経済が良好な状態において、社会は継続性を
重視するという経験則は、クリントン政権においても当てはまったのである。また、すでに述
べたように、民主、共和両党が中道寄りの政策をとった結果、これに反対する勢力は政治的に
Martin P. Wattenberg, The Decline of American Political Parties, 1952-1996 (Cambridge: Harvard
University Press, 1996), pp.7-17.
10
ウィリアム・ベネット(William J. Bennett)は、クリントン・スキャンダルにおいてアメリカは「政
治と権力、美徳と悪徳、法に対する国民の信頼と畏怖、性道徳と品行の規範」についての見識を問われる
ようになっている、としている。William J. Bennett, The Death of Outrage: Bill Clinton and the Assault on
American Ideals (New York: Free Press, 1988).(邦訳『義憤の終焉:ビル・クリントンと踏みにじられた
アメリカの理念』、草思社、1999年、22頁)
11
メディアを通じて喧伝された、ギングリッジ「革命」がどれだけ革命的であったのかは、評価の分か
れるところである。しかし、吉原が主張するように、共和党がイニシアチブを発揮する上で必要な条件で
あった、従来の民主党の利益集団政治を打破する面で政治改革を進めたことに関しては、従来のアメリカ
政治との違いを見ることができ、「革命的」であったとの評価も妥当であろう。吉原欽一「共和党多数議会
と『新しい権力構造』の創出−アメリカ政治の新しい局面」『国際問題』No.491、2001年2月。
12
この手法は、クリントンの政治コンサルタントのディック・モリス(Dick Morris)のアドバイスによ
るところが大きい。Dick Morris, Behind the Oval Office: Getting Reelected Against All Odds (New York:
Renaissance Books, 1998).
9
43
周縁化された。民主党においては、労働組合を中心とした勢力と、環境運動派
(Environmentalists)が中道寄りのクリントン政権に対する反対勢力であり、共和党議会の主
流派に対しては、保守派(Conservatives)や宗教右派などが批判勢力として存在していた。彼
らの主張は理解しやすかったものの、政治的に両政党の主流派を突き動かすだけの力を持つこ
とはなかった。
このような環境のもとで、クリントン政権の支持率(job approval rate)は維持されたもの
の、クリントン大統領個人に対する批判はアメリカ社会に深く沈殿していった。この背景には、
90年代を通して高まっていたアメリカ社会の分裂に対する危機感を解消する試みにおいて、ベ
ビー・ブーマー世代のライフスタイルを正当化し、それを自らのカリスマに統合する形で社会
的安定を演出するクリントン大統領に対する反発があったといえる。この反発には、世代的な
ものから、社会階層的なもの、ひいては地域的なものまで存在した。しかし、クリントン大統
領は、その類希なる政治的資質で、自らをアメリカの新たな価値感の中心に位置付けたため、
彼自身に対する反発はアメリカの政治社会文化の中で異端のもの、もしくは党派性にのっとっ
た政略的なものに還元されていったのである13。
したがって、2000年の大統領選挙が党派色の濃いものになることは、事前にある程度予想で
きたものであった。事実、民主、共和両党の支持者は忠実に、選挙戦の早い時期にそれぞれの
党の候補者を決めたとされる14。また、実際の選挙では、民主と共和両党は従来の支持基盤の忠
実な支持を集めている。ジェンダー・ギャップでは、ブッシュ対ゴアの比率は男性で53%対42
%で、中でも既婚男性では58%対32%なのに対し、独身女性では32%対63%とゴアがブッシュ
を圧倒している。人種比率では、ブッシュ対ゴアの比率は白人で54%対42%、黒人で8%対90
%、ヒスパニックで31%対67%、アジア系で41%対54%であった15。この他、共和党は保守派
及び白人プロテスタントから、また民主党はユダヤ系アメリカ人とリベラル勢力から大きく支
持を得ている16。
民主党と共和党の支持基盤の基数が、元々民主党に大きく振れていることを考えると、2000
年の大統領選挙を決したのは、無党派層の投票行動であったと言ってよいであろう。経済好況
期に政権にあった民主党にとって、その実績をもとに政策の継続を主張すれば、無党派層の多
くの支持を得る蓋然性は高いと考えられていた。したがって、ゴアは、スキャンダラスという、
13
Arlie Russell Hochschild,“A Generation Without Public Passion,”The Atlantic Monthly, (February,
2001).
14
クックによれば、ブッシュとゴアは、それぞれの党の党大会までには、それぞれの党の支持者を固め
ていたとされる。いわゆるブッシュ・デモクラッツ、ゴア・リパブリカンとされる分割投票者は、2000年の
選挙においては少なかった。選挙結果が近接した理由は、無党派層が、選挙の最終段階において社会保障
政策などへの支持からゴアに流れたためとされる。Cook, “How Does 2000 Stack Up,” p.219.
15
http://www.cnn.com/ELECTION/2000/results/index.president.html
16
New York Times, November 12, 2000.
44
佐藤 2000年大統領選挙と新政権の外交・安全保障政策の展望
クリントン政権の負の遺産に加え、その政権における現職の副大統領というイメージと、大統
領候補としての自身を如何に切り離すかが、選挙戦術の大きな焦点であったと言って過言では
ない。これに対して、ブッシュは、クリントンとは異なる清新な「人柄」を前面に打ち出して
いった。この戦略の成果を振り返ると、それぞれの思惑は十分成果をあげたといってよい。世
論調査会社のパブリック・オピニオン・ストラテジース(Public Opinion Strategies: POS)の
分析によると、ブッシュに投票した55%が「大統領に必要な誠実さと堅実さを持ち、行政府に
尊厳を回復する」ことを投票の理由としており、以下、「世界中に存在するアメリカの利益を
守る」と「社会保障とメディケア」、そして「税金を低く抑える」が19%で続き、「公教育の
質の改善」が17%という具合になっている。これに対してゴアへの投票は、32%が「公教育の
質の改善」、31%が「社会保障とメディケア」、21%が「健康保険需給可能性を高める」など
であり、人格に関する回答は、上位8項目には見られない17。
一般的に、無党派層の投票行動は互角であったと評される。結果的に5票差の選挙人選挙で
敗れたものの、ゴアは一般投票でブッシュを54万票近く上回っている18。民主と共和の党勢の差
を考えると、この票差は理解できる差であろう。しかし、選挙人制度によるフィルターを通し
た後の各州別の選挙結果は、非常に興味深いものであった。両大洋沿岸の大州と、中西部の人
口密集州の幾つかを固めて選挙人を獲得したゴアに対し、ブッシュは主に南部と西部の人口密
度の希薄な地域を中心に、幅広く支持を集めている19。
ブッシュの勝因の分析は、今後の研究の主題となるであろうが、今回の選挙で特に注目され
るのは、ブッシュが「思いやりある保守主義」を主張し、黒人層やマイノリティ層にアピール
したことである20。これにより、伝統的に共和党右派が主張する、社会保障や政府が高齢者医療
制度や貧困層救済制度に対して政府資金を供与することへの反対意見を、民間活動に対する政
府の資金協力を促進するという折衷案を出すことで乗り越え、ニクソンの「南部戦略」(特に
南部で、民権運動に対する白人の反発を利用する戦略)を転換させ、幅広く支持を訴えること
が可能になったのである。共和党は、必ずしも黒人票やマイノリティ票までも取り込むことは
できなかったものの、白人の穏健派を引き付けるには、効果的な戦略であった。
また、副大統領の人選も、結果的にブッシュに有利に働いた。ブッシュが指名したチェイニー
(Dick Cheney)は、先のブッシュ政権の国防長官であり、出身はワイオミング州であるが地
POSの選挙分析については、以下のHP参照。 file:///C:/WINNT/Profiles/ar019/Temporary%20Internet
%20Files/Content.IE5/I0EE T3IH/322,14,スライド 14.
18
2000年の大統領選挙の主な候補者の公式結果は、一般投票でブッシュ(George W. Bush: 共和党)
50,456,167票(選挙人271票)、ゴア(Al Gore: 民主党)50,996,064票(選挙人266票)、ネーダー
(Ralph Nader: 緑の党)2,864,810票、ブキャナン(Patrick Buchanan: 改革党)である。
19
ワシントン・ポスト紙の2000年大統領選挙特集参照。http://washingtonpost.com/ wp-srv/onpolitics/
elections/elections2000.htm.
20
New York Times, October 28, 2000.
17
45
域的な色彩は薄い人物であった。ブッシュは、チェイニーを副大統領候補に選んだことで、国
内の様々な争点に中立的な立場で臨むという姿勢を鮮明にすると共に、共和党の政策の連続性
をアピールできたことにより、経験の欠如という民主党による最大の批判をかわすことが可能
になったのである。
これら、選挙において見られた様々な特徴から、ブッシュは、選挙期間中の主張通り国内の
コンセンサスを重視すると共に、先のブッシュ政権で達成できなかった様々な課題に取り組む
姿勢が明らかになったのである。しかし、選挙期間中にゴアとブッシュとの間で論議となった
のは、減税や教育問題など、国内問題であった。外交・安全保障に関しては、第二回目に大統
領討論で議題となったが、双方の主張の間に目立った違いは見られなかったのである。見え難
かった外交・安全保障問題はこの選挙でどのような特徴をもち、それが新政権の政策にどのよ
うに反映されるのであろうか。次節では、これを分析する。
2 大統領選挙における外交・安全保障問題
2000年の大統領選挙における外交・安全保障問題の重要性を考察する際に、まず、冷戦後に
この主題がどのように扱われてきたかを見てゆく必要がある。
冷戦の終焉以降、2000年の大統領選挙を含め三回の大統領選挙が行われてきた。過去二回の
大統領選挙において、外交・安全保障問題への関心は低く、先のPOSのデータによれば、有権
者は選挙の候補者の主張における外交・安全保障問題への関心は、92年と96年の順で8%と4
%に過ぎない21。これは、経済や雇用への関心の比率が、それぞれ42%と21%であることと比較
すると、際立った関心の薄さを表している。特に92年の大統領選挙では、クリントンはブッシュ
を外交政策に力点を置き過ぎであり、国内経済政策に焦点を向け直すべきであると批判し、こ
れが功奏して当選している。クリントン政権は、主要な外交上の危機がない限り、有権者は外
交・安全保障問題に関心を持たない傾向にあると判断し、内政問題を選挙戦術の中心に据え
た22。90年代に入り、冷戦後の国際環境のもと、アメリカに対する直接的で緊急の脅威は無いと
する空気は強く、現実主義的な外交・安全保障政策を追及する傾向を持ち、冷戦を終焉に導い
た成果を国内政治上利用したい共和党にとって、歴史の進展に役割を果たしたことのメリット
file:///C:/WINNT/Profiles/ar019/Temporary%20Internet%20Files/Content.IE5/I0EE T3IH/322,15,ス
ライド 15.
22
Morris, Behind the Oval Office.
21
46
佐藤 2000年大統領選挙と新政権の外交・安全保障政策の展望
を強調しにくい環境にあった23。そして、クリントンは92年に続き、96年においてもこの姿勢を
維持し、大統領選挙で共和党の挑戦を退けている。
しかし、これは、外交・安全保障の問題が、大統領選挙の争点として消滅したことを意味す
るわけではない。2000年の大統領選挙においては、先のPOSのデータによれば、外交・安全保
障問題への関心は12%で、経済や雇用への関心は18%となっている。アメリカ国内において経
済面への懸念が弱まるなか、外交・安全保障の問題は、その存在理由に対する再定義を求めら
れるようになったといえよう。ここでは、この特徴を二つあげる。第一に、国内政治と外交・
安全保障政策の間の境界が曖昧になったため、それぞれの問題のプライオリティをアプリオリ
に想定することが困難になった。たとえば、デビッド・ヘンドリックソン(D a v i d
Hendrickson)は、「外交政策と国内政策の優先順位を、国内問題(たとえば経済的競争力、金
融問題への影響、環境破壊、貧困国における爆発的人口増加に伴う移民圧力など)が国際的ど
れだけ直接的な適合性を持つかどうかを基準に判断しなければならなくなった」としている24。
したがって、国際問題に介入する場合、それぞれの問題がアメリカの利益に及ぶ影響や、アメ
リカの国内政治に及ぶ影響を考慮しなければならなくなった。
この現象は、外交・安全保障政策に、微細ではあるが重要な影響をもたらすものとなった。
ジェームス・シュレシンジャー(James Schlesinger)が「われわれの恒常的利益は定義し難く
なり、それらを峻別することも困難になった」とするように、国際問題は国内問題との有機的
な繋がりが存在する場合にのみ争点化するようになったのである25。この結果、たとえば、アメ
リカは介入する際の正統性を、アメリカ社会のアイデンティティに基づく一般的原理に普遍化
したものに求め、国家の「自決権」は国家が主張するものではなく、「市民」ないしは「個人」
が行使するものと定義し直すことで、国家主権の「壁」を乗り越えるようになった26。この点に
ついては、90年代を通じ顕著になっていったグローバリゼーション(Globalization)と呼ばれ
る現象及び、アメリカ社会のアイデンティティである民主主義が世界的に拡大
Sam C. Sarkesian,“The Strategic Landscape, Domestic Imperatives, and National Security,” in Sam
C. Sarkesian and John Mead Flanagin, eds., U.S. Domestic and National Security Agendas: Into the TwentyFirst Century (Westport: Greenwood Press, 1994), pp.3-25.
24
David C. Hendrickson,“The End of American History: American Security, the National Purpose,
and the New World Order,” in Graham Allison and Gregory Treverton, eds., Rethinking America’s Security:
Beyond Cold War to New World Order (New York: Norton, 1992), p.403.
25
James Schlesinger, “Quest for a Post-Cold War Foreign Policy,” Foreign Affairs, Vol.72, No.1 (1993),
p.28.
26
この問題については、入江昭『戦争のない世紀のために(NHK人間講座)』(日本放送出版会、2000
年)参照。
23
47
(Democratization)したことが、大きな影響を及ぼしている27。
外交・安全保障問題の再定義に関する、二つ目の特徴は、安全保障の概念自体への問い掛け
がなされたことである。これまで安全保障では、軍事を中心としたパワーの管理に関心が集中
していた。冷戦期において、これはソ連及び共産主義諸国との軍事的対峙の中で、アメリカの
安全と生存を軍事的手段で如何に確保するか、より具体的には核兵器の管理を通じて如何に戦
争を防止するかに重点が置かれてきた。しかし、ジョセフ・ナイ(Joseph Nye)は、「パワー
の定義において、軍事力が強調されることは少なくなってきている」とし、技術、教育、経済
成長などが新たなパワーとして重要になってきているとするように、軍事力以外の要素が国家
のパワーを規定すると考えられるようになってきたのである28。
このように、外交・安全保障政策における軍事力の役割が相対的に下がったため、軍事力の
意義を再定義し、軍隊の役割を規定する必要が生まれたと言えよう。これは、冷戦期に組み立
てられてきた、各種軍事態勢や、これまで構想されてきた戦略の大幅な変更を行う必要が生ま
れたことを意味する。たとえば、アシュトン・カーター(Ashton B. Carter)とウィリアム・
ペリー(William J. Perry)は、冷戦後のアメリカに対する脅威を、そのアメリカの生存に及ぶ
影響を基準に階層化し、アメリカの安全保障戦略は下層に位置する脅威が上層に上がらないよ
うに予防することであるとしている29。そして、彼らは、予防のために必要な軍事力と、予防が
失敗し、現実の脅威に変化した相手に対する抑止力とを整備すべきであるとしている。
これら、外交・安全保障政策をめぐる環境の変化を見る限り、アメリカが、いわゆる「孤立
主義」に回帰する傾向は薄いと考えられる。事実、2000年の大統領選挙において、民主、共和
両党の候補者は対外関与に積極的な姿勢を保持していた。また、第三の政党である改革党(The
Reform Party)のブキャナン(Patrick Buchanan)は、新孤立主義的な主張を繰り広げたにも
かかわらず、過去共和党の大統領候補として得た評価を再び受けることはなかったのである30。
次に、ゴアとブッシュの外交・安全保障問題における主張の差と、それぞれの主張の意味を
考察しよう。ゴアは、ヴェトナム戦争に陸軍報道官として従軍した実績を持ち、民主党の中で
27
グローバリゼーションは、経済の相互依存の進行と共に情報通信技術の発展による国際社会の一体化
の現象を指す。しばしば、グローバリゼーションはアメリカナイゼーションと批判されるが、アメリカ国
内においてもグローバリゼーションに対する反発は存在する。これは、グローバリゼーションの結果、国
際社会に普遍的に受け入れられた規範が、アメリカ国内社会に適応された際、軋轢を起こすためである。
”Saving the World from Ourselves?” Atlantic Monthly (April 28, 1999).
28
Joseph S. Nye, Jr., “Soft Power,” Foreign Policy, No.80 (Fall, 1990), pp. 155-157.
29
Ashton B. Carter and William J. Perry, Preventive Defense: A New Security Strategy for America
(Washington D.C.: Brookings Institution Press, 1999), pp.9-14.
30
ブキャナンは多くの州で選挙人選挙の得票比率0%を記録し、全米における得票率は3%であり、選挙
人の獲得はできなかった。改革党が92年の大統領選挙でペロー(Ross Perot)の下、一般投票の19%を獲
得したことを考えると、ブキャナンの下での退潮は著しいものであった。また、改革党はラルフ・ネーダー
(Ralph Nader)の緑の党(The Green Party)に対しても、大きく得票数で差をつけられている。
48
佐藤 2000年大統領選挙と新政権の外交・安全保障政策の展望
アメリカの価値と利益を守るための人道介入と「前方関与」を積極的に肯定する立場にたつ。
クリントン政権の副大統領を務めた関係で、クリントン政権の介入主義を肯定すると同時に、
安全保障を広義な文脈で捉え、紛争予防の観点から、アメリカが問題発生前に関与することを
主張している。ゴアは、アメリカの強さは道徳的な正当性に基づいて行動することから発生す
るのであり、価値中心的な外交・安全保障政策を追及することを主張している31。
これに対してブッシュは、ヴェトナム戦争の時代にはテキサス州のナショナル・ガードのパ
イロットを務めた経験を持つ。かれは、共和党の孤立主義的な勢力と、国際主義的な勢力を融
和させた上で、「アメリカ固有の国際主義」を主張している。この主張の意味するところは、
クリントン政権をはじめとする民主党の介入積極主義が、アメリカの利益に関連しない領域に
まで拡大されたことで、それらの活動を支える国内基盤の侵食と疲弊を招いたので、これを適
度な規模まで縮小するというものである32。
彼らの基本的な主張は、アメリカ政治に伝統的な国際主義と孤立主義の伝統で説明されるの
ではなく、アメリカが国際問題に関与することを前提とした上で、その程度と方法について意
見の相違があると解釈すべきであろう。たとえば、ゴアは、人道介入において「国家建設
(Nation Building)」まで視野に入れているのに対し、ブッシュは消極的であるが、これを政
策の選択肢として排除しているわけではない33。また、ロシア問題で、ゴアがチェルノムイルジ
ン(Viktor Chernomyrdin)元首相との間に特別な関係を築き、アメリカの民主化支援資金の
不明朗な流れの原因を作ったことに対し、ブッシュは政権中央に対する支援の有効性に疑問を
呈し、経済社会システムの構築と、経済界への直接支援を重視すべきであるとしている。この
ように、ブッシュはゴアと比較して、民間部門を中心とした総合的な関与を指向するのに対し、
ゴアは政治指導部に対する直接的な働きかけを中心とした手法に期待するのである。
両者の思考の差は、対外政策のアプローチにおいて最も明らかなものになる。ゴアは、国連や
軍備管理条約など、多国間における枠組みを重視し、アメリカの関心と世界全体の利益を連関
させたアプローチを主張するのに対し、ブッシュは、一方的な核兵器の削減や京都議定書
(Kyoto Protocol)からの離脱など、アメリカ自体の利益の推進を優先させる主張を繰り広げ
31
http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/choice2000/issues/defenseforeign.html .
op.cit.
33
ブッシュは、クリントン政権がハイチに対して派兵したことに反対しており、彼の安全保障担当補佐
官のコンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)は、NATOがバルカン半島に派遣している平和維持部隊
からアメリカを撤退させることを検討すると発言している。もっとも、ゴアはあらゆる国家建設に関与す
ることを主張しているのではない。彼は、ルワンダ、シエラレオーネ、そして東チモールへの派兵には消
極的であった。
32
49
た34。
国際問題に対する対応に差が見られるもう一つの主題が、対中政策である。もっとも、両者
の対中政策の目標は同じことに留意する必要があろう。両者ともに、中国が自由貿易体制のなか
に組み込まれ、その副作用によって民主化が進むことを期待している。民主、共和両党の選挙
綱領の中には、中国がWTOに早期に加盟することに対する支持が盛り込まれており、対中政策
の進め方に関してはアメリカ国内にはコンセンサスがあることが伺える35。しかし、その手法に
は大きな隔たりがある。もちろん、実際ゴアが大統領に就任した場合にどのような対中政策を
とったかということは、推測の域を出ない。にもかかわらず、彼が現職の副大統領であり、ク
リントンとの違いをあまり強調できない立場にあったことを差し引いても、ゴアの政策は穏健
なものであったことが予想できる。これは、ブッシュが同盟国との関係強化を通じて中国に「環
境の圧力」を加え、中国の行動を規制する方針を明確に打ち出していたのとは対照的であった。
ブッシュが構想する「環境の圧力」のうち、最も重視されるのは日本の軍事協力であろう。た
とえば、2000年10月に発表された国家戦略研究所(Institute for National Strategic Studies:
INSS)の対日政策に関する報告では、アメリカの尖閣諸島防衛への関与を提言するなど、対中
政策を視座に入れた対日政策の色彩は色濃く反映されている36。この報告書は、アーミテージを
中心として超党派の研究者及び実務家を集め、次期政権の対日政策を提言したものである。こ
の集団からは、多くがブッシュ政権の外交・安全保障政策を担当するスタッフとして政権入り
している。
両候補者の主張で、さらに興味深い点は、いわゆる「ならず者国家」に対する対応である。
ブッシュ政権で国務長官に就任したパウエル(Collin Powell)は、「ならず者国家(rogue
state)」の呼称を「懸念国家(states of concern)」へと呼び変えることを再確認している。
呼称の変更以上に重要なのは、ブッシュ政権が発足した直後に対イラク政策を再検討し、湾岸
戦争以降拡大されてきた経済制裁を一部緩和したことに見られるように、これらの国家に対す
る政策が変更されることが伺えることである。特に、イラクに対する経済制裁の緩和が、ブッ
シュ政権初の軍事力行使であるイラクのレーダー施設の空爆と組み合わせるような形で行われ
外交問題評議会(Council on Foreign Relations)は、両者の主張の相違を対比した表をまとめてい
る。http://www.foreignpolicy2000.org/library/index.html .
35
もっとも、中国を「戦略的パートナー(strategic partner)」ではなく「戦略的競争者(strategic
competitor)」とするブッシュと、クリントン政権の下での包括的関与政策を主張するゴアの対中政策の
間に、レトリック以上に実質的な差がないことは良く知られている。しかし、対台湾政策に関しては、
ブッシュ陣営からイージス艦の売却やTMDの供与などについて、積極的な意見が聞かれた。米国の中国
に対する見方として、Richard K. Betts and Thomas J. Christensen, “China: Getting the Questions
Right,” The National Interest No. 62 (Winter 2000/01), pp.17-29.
36
INSS Special Report, The United States and Japan: Advancing Toward a Mature Partnership , October 11,
2000.
34
50
佐藤 2000年大統領選挙と新政権の外交・安全保障政策の展望
たことに注目すべきであろう。
ブッシュが、就任直後にこのように大胆な政策変更を行った背景には、冷戦後の国際紛争の
変化がある。ブッシュのアプローチは、たとえ超大国であっても、アメリカがその意思を他国
に強制することは困難であるという現実に対応して、アメリカ本土に直接的に脅威が及ばない
限り、それぞれの地域安全保障秩序形成にアメリカが主導的役割を果たすのを止めるというも
のと考えられる。このアプローチは、相手国の国内問題に対しても同様に適用され、健全な民
主主義と市場経済の育成を、経済交流などで促進することができるのであれば、アメリカが直
接的に「指導」する必要はない、との考え方に帰結しよう。
このような間接的手法において、アメリカの軍事力は、秩序を犯す国家や集団が実力行使に
訴えるのを抑制させるために、示威的、もしくは象徴的な意味で大きな役割が期待されること
になる。ゴアとブッシュの双方が主張した軍事力強化の方針は、軍隊の施設や軍人の待遇改善
に出費を増加させる点で同じものを目指したものと解釈できる。しかし、兵器調達に関して両
者には著しい相違が見られた。
ゴアの提案は、基本的にクリントンの政策を踏襲するもので、兵器調達のペースは緩やかな
ものであった。クリントン政権は、調達予算として97年会計年度で430億ドルを、2001年会計年
度で600億ドルを計上している。ゴアの提案は、この増加率を今後10年間維持し、軍への予算配
分は待遇改善を重視するとするものであった。これに対し、ブッシュの提案は装備調達を重視
するものであった。ブッシュの関係者が言及した装備には、陸軍の近代化、新しい戦術航空機
の導入、そして攻撃型潜水艦艦隊の新設などがあった。ブッシュは、次世代の装備更新を見送
り、次々世代の装備開発と調達を主張している37。
さらに、ブッシュはNMDシステムの創設を明言している。ブッシュは、クリントン政権が陸
上配備のNMDシステム開発に600億ドルの予算を計上しているだけの事実を批判し、宇宙配備
や海上配備のものを含めて再検討し、できるだけ早期に、全米50州と、韓国、日本、欧州の同
盟国、そして海外に駐留している米軍がカバーされるシステムを開発するとしている。NMDに
関しては、ゴアもその必要性と開発を主張しているが、ゴアの計画では既存の軍縮・軍備管理
条約(具体的にはABM条約)との齟齬をできるだけきたさないようにすることに言及してお
り、ブッシュに比べて控えめなものになっている38。
37
ブッシュは、どの兵器の更新をスキップするのか、また科学技術の発展により、次々世代の兵器開発
と生産が可能になるまで、どれだけ待つのかは述べていない。しかし、この可能性を評価するために、
チェイニー(Dick Cheney)を中心として包括的な軍事力の見直し”a comprehensive military review to
develop a new architecture for American defense designed to meet the challenges of the next century,”
を行うと明言している。Gov. George W. Bush, “A Period of Consequences,” Speech at The Citadel,
Charleston, SC, September 23, 1999.
38
2000年4月30日にボストンでの講演。
51
ブッシュの軍事予算に関する奇妙な点は、NMD開発はブッシュが当初主張している以上の金
額になるであろうこと39、ライス安全保障担当補佐官が軍事予算の増額を示唆していること、
ブッシュ自身が核戦略の見直しを提言していること、そして次々世代の兵器開発の間、劣った
(時代遅れの)装備の使用を余儀なくされることである。これらの要素を勘案すると、果たし
て、450億ドルの予算でブッシュの主張するように「軍を再建する」ことが可能なのかどうか不
明である。ゴアが主張するように、冷戦後の緊縮された軍事予算の中でアメリカが世界最強の
軍事力を保持するに至った結果を見ると、ゴアの「前方関与」政策の下でも「軍の再建」は可
能なのではないかとの見方もあろう。
しかし、ここにゴアとブッシュの差を見ることができる。アメリカでは、人道介入などを進
めることを逆転させることは困難になっているなかで、それをどれだけ効率的に行うかが焦点
になっている。ゴアは、従来の人道介入を選択的に行うとの方針を示しているが、選別の基準
を明言しておらず、クリントン政権期のように、なし崩し的に人道介入の事例が拡大する可能
性がある。これに対し、ブッシュ政権は同盟国の活用と、間接的なアプローチの活用、さらに
は現時点でアメリカへの直接的な脅威が少ない環境を利用し、新たな安全保障環境への準備を
進めようとしているのである。そして、それまでの過渡期的な対応として、ブッシュは一国主
義的な態度を示していると解釈できるのである。
では、新たな安全保障環境とはいかなるものであろうか。そのなかで、ブッシュ政権が構想
する安全保障政策とは何であろうか。次にこれを概観したい。
3 21世紀の安全保障環境とアメリカ
21世紀初頭のアメリカの安全保障認識を物語るものに、1947年の国家安全保障法(the
National Security Act)の見直し作業のなかで発表された報告書がある。ゲーリー・ハート
(Gary Hart:元民主党上院議員、84年の大統領選挙における民主党予備選挙に出馬)とウォー
レン・ラドマン(Warren B. Rudman:共和党上院議員、湾岸シンドロームに関する調査委員
会の委員長を務めた)が主催する、「21世紀の国家安全保障に関する委員会」は、1999年5月
と2000年4月に中間報告書を発表し、最終報告書を2001年2月15日に発表している40。この委
39
特に、海上配備や宇宙配備のNMDシステムが、実際にどれだけの金額で配備可能なのかは不明であ
る。
40
The United States Commission on National Security/21st Century, New World Coming: American
Security in the 21st Century, The Phase 1 Report on the Emerging Global Security Environment for the First
Quarter of the 21st Century, (September 15, 1999); The United States Commission on National Security/
21st Century, Seeking a National Strategy: A Concert for Preserving Security and Promoting Freedom, The
52
佐藤 2000年大統領選挙と新政権の外交・安全保障政策の展望
員会は超党派で構成されているため、現時点におけるアメリカのコンセンサスと解釈し得る。
問題提起といえるフェーズⅠ報告書の結論では、アメリカが直面する脅威に対して、必ずしも
軍事力の優越は安全を保障するものではないとすると共に、生物科学などを含めた科学技術の
発達が、経済活動などに大きな影響を与えること、国家の解体に直面する国が出現すると共に、
それらの問題に対してアメリカの介入を求める国際社会の声は大きくなるとしている。
したがって、新世紀におけるアメリカの外交・安全保障政策の課題は、第一に、アメリカの
関与を求める声にどれだけ応えていくか、また、その声に応えるためにどのような準備を、国
内政治的にも軍事的にも行うかということことになる。この問題の根幹には、アメリカはなぜ
これらの声に応えなければならないのかという問が常に横たわっている。アメリカの中に存在
する、その歴史を民主主義と価値多元化の成功と、多民族・多宗教の国家としての統合の成功
と位置付け、そのモデルを世界に普遍化するという衝動が、アメリカの人道介入を正当化する
一つの理由となっていることはよく知られる41。しかし、冷戦の終結とグローバリゼーションの
進展と共に、アメリカの国家としての凝集力が薄れるなか、二つの問題が生起している。
一つの問題は、70年代を境に出現した麻薬や暴力、銃などに関する問題と、マイノリティの
アイデンティティ高揚による社会的緊張関係の出現により、人道介入を正当化する根拠が揺ら
いでいることである。人道介入が、道徳的な優越性と国際的な普遍性を前提としている以上、
アメリカが国内での病巣を抱えた状態で「民主主義と多元主義の推進」などのような曖昧な目
的を追求することに疑問が呈されることになる。もう一つの問題は、アメリカの歴史を見ても、
国家統合で自発的に「アメリカ化」が進んだのではなく、ネイティブ・アメリカンや分離主義
者を強制的に統合することで国家を形成してきたことから、上からの統合と「民主主義と多元
主義」の間に生ずる緊張関係を解決するための論理を、普遍主義と人道主義に求めることは困
難であるということである。
しかし、人道問題への対応を求める内外の声の高まりにより、アメリカはこれらの問題に明
確な解答を下さないまま、関与を増加させざるを得ない状態に陥っている。アメリカの外交・
安全保障政策の大きな危機は、先に述べた二つの問題が冷戦に基づいた行動準則の中で顕在化
しなかったことの幸運が、急速に失われつつあることである。この状態を前提とした外交・安
全保障政策を考案しなければ、国際的には反アメリカの機運が高まり、国内的にはアメリカの
対外関与に対する疑問が噴出する可能性があったのである。
ゴアの外交・安全保障政策の提案を見る限り、環境問題や開発問題を人間の安全保障として
Phase 2 Report on a U.S. National Security for the 21st Century, (April 15, 2000); Road Map for National
Security: Imperative for Change The Phase III Report of the U.S. Commission on National Security/21 st Century
(February 2001).
41
Benjamin Schwarz, “The Diversity Myth: America’s Leading Export,” Atlantic Monthly (May, 1995).
53
政策課題に含めるなど、アメリカがそれまで掲げてきた理念を拡張しようとしている。これに
対し、ブッシュはこれらの問題に消極的で、安全保障問題を伝統的なものに限定しようとして
いる42。このように、ゴアはここで指摘した危機が顕在化する時期を更に先と見ているか、それ
とも国際的にアメリカの主張する民主主義と人道主義が「上から」の改革で普遍化されること
を期待しているようである。ブッシュはアメリカの限界を認めた上で、これらの問題への政府
の関与を限定しようとしているのである。
新世紀におけるアメリカの外交・安全保障政策の課題の第二は、アメリカが単独で国際問題
に介入できない以上、同盟国や協力国との関係を密接にし、アメリカの戦略の中で相手国のコ
ストと分担を決める、いわゆるバードン・シェアリングから、双方のコンセンサスの元での共
同政策決定を前提としたパワー・シェアリングを行わなければならないにもかかわらず、これ
を各国に受け入れさせることがどれだけ可能かという問題がある。国連などのような国際組織
とアメリカの関係を考察する際、アメリカでは主権問題やアジェンダ・セッティングのイニシ
アチブ、問題解決とその手法の正当性を巡る問題が常に議論になってきている43。この議論で
は、アメリカの利益に反する国際組織や社会の動きに対し、アメリカはどのような態度で臨む
べきかという点が問題であったのである。さらに、この問題の背景にはアメリカの優越性
(primacy)を減じない程度に関与を限定し、同時に各国がアメリカの優越性に協力するために
は何が必要がという問いがあるのである。
これには二つの問題が含まれている。一つは、アメリカと国際組織との関係をどのように再
定義するかである。先のブッシュ政権においては、湾岸戦争などを見る限り、国際組織はアメ
リカの行動の正当性を保障する手段として活用されていた。しかし、NATOのコソボ空爆におい
ては、国連の場を利用して問題解決を図ると、中国やロシアの拒否権の行使を招く恐れから、
クリントン政権は国連の利用には消極的であった。90年代を通じ、国連の場を通じたバードン・
シェアリング、もしくは役割分担は、アメリカの行動の自由を妨げるものとして敬遠されるよ
うになっていったのである。しかし、NGOを含めた多くの集団が国連に期待をかけているのも
事実であり、アメリカが単独で行動する傾向を強めると、それが逆に反動となってアメリカの
行動を規制する恐れがある。
二つめの問題は、パワーをシェアする相手を決定する基準は何で、それにどの程度の協力を
求めるかである。パワー・シェアリングを行う場合、アメリカの利益を中心に考えると、安全
保障利益の衝突がお互いに無いことが前提条件となる。しかし、冷戦のくびきから開放された
42
ブッシュは就任直後にNSC改革を断行し、環境や開発、そして疾病など、いわゆる人間の安全保障に
関連する部門を廃止している。
43
Jesse Helms, “American Sovereignty and the UN,” The National Interest , No.62 (Winter 2000/01),
pp.17-34.
54
佐藤 2000年大統領選挙と新政権の外交・安全保障政策の展望
各国にとって、アメリカの主張に無条件に同意する可能性は少なくなっている。同盟国の協力
には、アメリカの関与が攻撃的なのか、防御的なものなのかも大きく影響する。国際システム
のもとで、国家のパワーの拡張が一定の条件の下でしか行われず、最も強い国の外交、経済、
軍事的な政策により、現状の変更を求める国の行動は抑制できるとする「防御的現実主義
(Defensive Realism)」の主張によれば、アメリカは穏健な覇権国として行動し、防御的な体
制を強めることで安全保障秩序を構築することができる44。しかし、アメリカが防御的な体制に
シフトすると、同盟国・協力国はアメリカの関与の信頼性に疑問をもつことになり、協力に対
するインセンティブが大きく阻害されることになるのである45。
ブッシュは、NMDの開発と配備を通じて防御的な体制を強めると同時に、アメリカの関与の
信頼性を高めて、同盟国・協力国の不信を解消しようとしている46。また、国際組織との関係で
は、ゴアに比べてブッシュは国際組織の権威の強化には消極的な姿勢を示している。これらの
要素を考察すると、ブッシュが冷戦後のアメリカの安全保障政策の再構築を試みる中で、民主
党政権下の国際主義から離れ、普遍主義的なアプローチではなく、個別的なアプローチが採用
されるであろう。この個別的アプローチでは、争点別、また地域別の戦略が構築されることが
予想される。
この中でアジア政策は、特別な意味を持って扱われることになる。特別というのは、相対的
に安定している欧州の情勢に比べ、アジア太平洋地域、特に中国をめぐる国際環境は流動的で
あり、将来的に様々なパターンで不透明な情勢が予想されるためである。大統領選挙中、両候
補は中国問題への言及を巧みに避けている。特にブッシュは、ゴアを攻撃する場合、ゴアの不
正献金問題や中国人スパイ問題など、中国に対して融和的としてゴアを攻撃することは可能で
あった。にもかかわらず、選挙戦で中国は焦点とならなかった。これは、ゴアを攻撃すること
で、ブッシュの父親がデュカキス(Michael Dukakis)との大統領選挙において個人攻撃を行
い、ネガティブ・キャンペーン戦術を取ったことを国民が想起する危険性を避けた面もあるが、
むしろ、中国問題を議論する場合、中国を「敵」か「見方」のどちらと判断するかという、き
わめて単純な対立構造に陥るのを避けるためでもあった。この背景には、中国はロシアと異な
り、アメリカとの間で戦略的な駆け引きを行うだけの力を保有していないのに加え、中国の将
来的な方向性に依然不明確な部分があり、「信頼」も「嫌悪」も不適当であるということがあ
Jeffrey W. Taliaferro, “Security Seeking under Anarchy: Defensive Realism Revisited,” International
Security Vol.25, No.3, (Winter 2000/01), p.129.
45
David A. Lake, Entangling Relations: American Foreign Policy in its Century (Princeton: Princeton
44
University Press, 1999), pp.165-192.
46
ブッシュの核政策に関しては、2001年5月1日に国防大学において見直し方針と、その概要を発表して
いる。”Remarks by the President to Students and Faculty at National Defense University,” The White
House, Office of the Press Secretary, (May 1, 2001).
55
る。これに加え、中国の市場としての重要性は、全ての経済活動において高まっており、それ
に対する配慮無しに中国を敵視することは、政治的に大きなマイナスとなるためである。
このような状況で、米国は中国をソフトな形で封じ込めることに、安全保障上の利益を感じ
るであろう。ソフトな形とは、人権、不拡散、経済問題、そして社会問題や環境問題など、国
際的に受け入れられている規範を中国に適用するものである。これは、ゴアが強く主張してい
た政策であった。しかしブッシュは、軍事力の活用という点でゴアと異なった主張を繰り広げ
ている。これを見る限り、ブッシュは軍事について、ニクソン政権の初期に構想された「総合
戦力(Total Force)」に類似した思考を持っていると言えるのではないか47。すなわち、同盟国
の活用と、軍事協力のネットワーク化が、アメリカの力を補うものとする考えである。ゴアは、
クリントン政権の継続性の観点から、これを明確に戦略構想の中に組み込むことができなかっ
た。したがって、ブッシュがゴア自身の中国との関係を選挙戦の焦点としなかったにもかかわ
らず、対中政策においては明確な政策を提示するには至らなかったのである。
2001年1月20日に発足したブッシュ政権は、「新出発の青写真(A Blueprint for New
Beginnings)」と題した予算編成方針で、主要な政策イニシアチブを7つあげている。それら
は、連邦負債の償却、減税、教育改革、社会保障制度改革、医療制度改革、防衛の再活性化、
思いやりある保守主義の実現、である48。
そのなかで、ブッシュ政権の安全保障政策は、三つの目標を掲げている。それらは、大統領
と軍の間の信頼関係の回復、アメリカ国民のミサイル攻撃やその恐怖からの解放、新世紀にお
ける脅威に対抗するだけの軍事力の構築、である。そして、これに基づいてブッシュ政権が進
める安全保障政策のアジェンダは、大きく分けて二つある。一つは、米軍の能力向上である。
これを行う上で、ブッシュ政権は、軍のモラルの回復と、21世紀の脅威に対応するために適し
た軍事力の構築を具体的な目標として掲げている。もう一つのアジェンダが、核政策の転換で
ある。ブッシュ新政権は、旧ブッシュ政権で発表された『地域防衛戦略(Regional Defense
Strategy)』が暫定的な戦略であったことをふまえ、アイゼンハワー政権のニュールック戦略
以降、アメリカの核政策の基盤をなしてきた抑止戦略を転換することを明言している49。
同時に、ブッシュは2001年2月13日にヴァージニア州ノーフォークの海軍基地での演説で、軍
事技術における革命の動向とそれに対応した軍事力整備の問題点に言及している。個別の目標
について、陸軍については重装備から配備と駐留が容易な軽装備にする、海軍については、情
“A Republican View: Managing Relations with Russia, China, India: Interview with Ambassador
Richard Armitage,” U.S. Foreign Policy Agenda(Foreign Policy and the 2000 Presidential Election), An Electronic
Journal of the U.S. Department of State, Vol.5, No.2 (September, 2000), pp.9-15.
48
A Blueprint for New Beginnings: A Responsible Budget for America’s Priorities (Washington D.C.: U.S.
Government Printing Office, 2001).
49
Op.cit., pp.47-48.
47
56
佐藤 2000年大統領選挙と新政権の外交・安全保障政策の展望
報と兵器を結ぶ新しいシステムを構築する、空軍については、有人機または無人機により世界
中でピンポイント爆撃が可能になるようにする、宇宙軍については、死活的に重要な衛星通信
網の防御を強化する、としている。これは、防衛の再活性化の重点分野を示すものと理解でき
よう。この演説から、ブッシュ政権は軍事力の行使の規模及び損害を限定し、効率的な軍事力
に展開しようとしていることが伺えるのである。
効率的な軍事力とは、政治目的を軍事的に達成する上で、最もコストの低い手段の活用と解
釈できよう。そうなると、戦略から前方展開のあり方の変更までも視野に入れなければならな
い。すでに述べたように、ブッシュ政権はMADを前提とした抑止戦略の変更を明言し、NMD
を導入することで攻撃・防御のバランスを補正するとしている。もし、ブッシュ政権が攻撃・
防御バランスを補正し、軍事技術革命による軍事力の効率化を達成し、先の節で述べたように、
関与政策の見直しと同盟協力の強化を進めるということになると、21世紀のアメリカの外交・
安全保障政策は、クリントン政権に比べて「控えめ」になると予想できる。これに加え、各地
域の安全保障秩序をアメリカが形成するのではなく、当該地域の同盟国のイニシアチブに任せ
る面が見られるであろう。
おわりに:新政権の安全保障政策
2000年の大統領選挙でのブッシュの勝利は、一面奇妙な勝利であった。大統領選挙で民主、
共和両党は拮抗状態に陥り、議会選挙においても上院で50対50の均衡状態、下院で9議席差にま
で共和党のリードが縮まるなど、有権者の真の意図を推し量るには、更なる分析が必要である
ことは言うまでもない50。
90年代に入って、上下両院を共和党が独占する状態になり、民主党の大統領との分割政府状
態が出現した。2000年選挙では、共和党の大統領と下院、そして民主党が多数を占めた上院
と、新たな政治的地図が出現することになったのである。アメリカの議会選挙システムは小選
挙区制度であり、現職の再選率が90%を超えることはよく知られている。それゆえ、94年の議
会選挙以来漸減傾向にあった共和党の議会勢力は、「過去の選挙の遺産」と、国民の間でクリ
ントン個人の「人格」に対する不信が高まっていたということに助けられた面がある。大統領
選挙においてもこれは同様であり、共和党は経済好況期の現職副大統領に挑戦するというハン
選挙後に、バーモント州の上院議員ジム・ジェフォーズ(Jim Jeffords)が離党し、上院は民主党が多
数党を回復した。この結果、上院のルールで各種委員会の委員長は民主党が担当することになった。ジェ
フォーズは、共和党が保守派に偏っているとして離党し、独立派の議員となった。Statement of Senator
James M. Jeffords, Burlington, Vermont (May 24, 2001)参照。
50
57
デを覆すことができたのである。フロリダ州の問題の手集計では、手集計を行ってもブッシュ
が勝利していたとの結果が一部で公表されているが、この過程において大統領の正統性が傷つ
いたのはいうまでもない。ある意味で、現在のアメリカは、傷ついた正統性、分裂した国民、
そして分裂して党派対立を強めた立法府をいかに修復するかが大きな問題となっているのであ
る。
ブッシュ政権が選挙期間中に行った政策提言が、国内の厳しい社会対立を背景としてどれだ
け実現できるかを、現時点で判断するのは非常に困難である。したがって、あらゆる予想は推測
の域を出ないとの留保を付けつつ、新政権の外交・安全保障政策を展望すると、ブッシュが直
面する多くの政治課題において、選挙期間中に顕在化した国内の社会対立が大きな影響を及ぼ
すことが推測できる。
まず、ブッシュ大統領は、自身の持つ中道寄りの政治哲学、そして国際政治における現実主
義的な傾向が、国際問題に対して発言力を強めた国民にどれだけ受け入れられるかという問題
に直面するであろう。既に述べたように、ブッシュ政権がアメリカの外交・安全保障政策にお
ける指導力の基盤を、普遍的な規範でなく、曖昧にしか定義できない「国益」に求めるのであ
れば、それは孤立主義的、もしくは単独主義的な特徴を帯びることは避けられない。クリント
ン政権のもとで、アメリカの国際的な優位性、及び道徳的な普遍性に慣れ、なおかつどれを自
己の問題として積極的に問題提起してきた国民にとって、アメリカの国際的関与の縮小にも似
た政策をどれだけ受け入れることは非常に困難になる。さらに、ブッシュ政権が、このような
対立が生じるのを受け入れた上で政策を遂行する決意を持っていたにしても、国内での政治的
対立を抱えた政権が、その融和を呼びかけつつ政権の政策アジェンダを実行する政治力を確保
することは非常に困難になろう。この問題については、ゴアが政権に就いていたとしても、反
対の保守派を中心とした勢力から、「国益」に対して忠実ではないとの批判を受けていたであ
ろう。そして、クリントンほどの個人的カリスマに欠けるゴアは、国内世論の支持を背景に、
国内政治において共和党に対して優位な立場を確保することが困難であったと推測される。
この社会的亀裂を修復する手段は存在するのであろうか。換言すると、アメリカ国内の社会
対立はどのようにしたら解決に向かうのであろうか。もちろんこの問題に対して、正鵠を得た
解決策が提示できないことは言うまでもない。しかし、平和な時代のアメリカにおいて、この
解決策を模索する試みが今後とも続けられていくことであろう。なぜなら、この問題は、大幅な
国際環境の変化がない限り、21世紀初頭のアメリカの大統領が常に問われるものであるためで
ある。
(本稿は、2001年6月に脱稿したものであり、9月11日のアメリカにおける同時多発テロの発生前のもので
あることを付言する。テロを憎みつつ、テロの犠牲となった多くの人々に心より哀悼の意を捧げたい。
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