Comments
Description
Transcript
バンコクの地域住民組織―地域社会開発とカナカマカーン・チュムチョン
バンコクの地域住民組織 (ケオマノータム)― 23 【研究会報告】 バンコクの地域住民組織 ― 地域社会開発とカナカマカーン・チュムチョン ― マリー ケオマノータム 1 バンコクの都市化と地域社会開発政策 報などあらゆる面でタイの中心であり、第 2 位以下の都市との間に圧倒的な人口格差をも 1.1 都市化とスラム問題 この報告の目的は、タイとりわけバンコク つ「首座都市」です(図 1)。2003 年現在、バ ンコクの人口は 584.5 万人であり、タイの全 における地域社会開発政策の展開とそのもと 人口の 9.3%が集中しています(表 1、表 2)。 で組織化が進んできた地域住民組織の現状を バンコクの人口は、60 年の 213.6 万人から、 概観し、その意義と課題を明らかにすること 1970 年には 307.7 万人、1980 年には 471.1 万 にあります。従来、タイ社会については、タ イ人の個人主義的な傾向の強さが指摘され、 その人間関係の基本は、パトロン―クライア ント関係に代表されるパーソナルネットワー クにあると理解されてきました。このためタ イ社会においては、地域を単位とする住民組 織は看過され、とくに都市においてはその存 在すら疑問視されてきました。しかしバンコ クをはじめとするタイの都市では、スラムを 中心に 70 年代からカナカマカーン・チュムチ ョンと呼ばれる住民組織が存在していました (タイ語でチュムチョンは地域、カマカーン は委員、カナは集団・会という意味ですので、 カナカマカーン・チュムチョンは地域委員会 という意味になります)。そして、とくにバン コクにおいては、急激な都市化の進行とそれ にともなう都市・地域問題の激化のもとで、 パ ッ タ ナ ー ・ チ ュ ム チ ョ ン ( community development=地域社会開発)政策が展開され、 その受け皿として、1980 年代半ば以降、スラ ム以外の地域でも、カナカマカーン・チュム チョンの組織化が進められてきました。 バンコクは、政治、経済、行政、交通、情 図1 タイ全図 24 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) 表1 タイの産業別就業人口構成 年次 就業者数 第 1 次産業 第 2 次産業 うち製造業 第 3 次産業 1960 年 13,749 82.4 4.1 3.4 13.5 1970 年 16,652 79.3 5.7 4.1 15.0 1980 年 23,281 72.2 7.5 5.6 20.3 1990 年 30,844 63.9 13.5 10.2 22.6 2000 年 32,470 56.3 12.6 9.4 31.1 注:不明、分類不能を除いて集計 出所:1990 年までは Ministry of Labour and Social Welfare,Year Book of Labour Statistics 2000 年は National Statistical Office [NSO], Population and Housing Census 表2 タイ・バンコクの人口の推移 全国 バンコク 人口密度 人口増加率 (人/km 2 ) (%) 2,136,435 1,361.9 - 31.0 3,077,361 1,961.7 44.0 28.7 4,711,000 3,003.1 53.1 109.4 27.2 5,546,937 3,535.9 17.7 61,878,746 120.2 9.9 5,680,380 3,621.0 2.4 63,079,765 122.5 1.9 5,844,607 3,725.7 2.9 人口密度 人口増加率 (人/km 2 ) (%) 26,257,916 51.0 - 1970 年 34,397,374 66.8 1980 年 44,278,000 86.0 1990 年 56,303,273 2000 年 2003 年 年次 人口(人) 1960 年 人口(人) 出典:バンコク都政策企画局『バンコク 1984 年』p.52、同『バンコクの統計 1996 年』p.13、 バンコク都ホームページより作成 人へと急増しました。インフラ整備をともな です。この 2 つをそれぞれさらに 2 つに分け、 わないこうした人口急増は、スラムの拡大な 全体を 4 つの時期区分として、その展開過程 ど深刻な都市・地域問題をもたらしました。 をまとめたのが表 3 です。以下これにしたが とりわけ問題が集約的に現れたスラムにおけ って概要を述べます。 る地域改善は緊急の課題となり、制度的な対 応を迫られるようになった政府は、1972 年、 (1)初期 住宅整備公団を設立し、スラム対策に乗り出 第一は、1960 年頃から 1970 年代初頭にか しました。しかし、都市化の圧力はさらに強 けての時期であり、これを「初期」と呼ぶこ まり、都市問題はスラムをこえてバンコク全 とにします。政府は緊急避難的なスラム対策 域に拡がりました。地域社会開発政策は、こ に着手するとともに、その担当機関として住 うした事態への制度的対応であるということ 宅整備公団を設立しました。なおすでにこの ができます。 時期からスラムにおいては住民と NGO や行 政とのパイプ役として、自然発生的なリーダ 1.2 地域社会開発政策の展開 バンコクにおける地域社会開発政策の展 開過程は、大きく 2 つの時期区分で捉えるこ とができます。1960~80 年代半ばまでの模索 の時期と 80 年代後半からの本格的な展開期 ーを中心として自主的な住民組織がつくられ ていました。これがバンコクにおけるカナカ マカーン・チュムチョンの原型です。 バンコクの地域住民組織 表3 (ケオマノータム)― 25 バンコクにおける地域社会開発政策の展開 時期 年次 区分 項目 内容 初期( 〈この期の概要〉 スラム対策への着手と住宅整備 公団の設 立。スラムにおいては NGO や行政と 住民との間のパイプ役として、自 然発生 的リーダーを代表に自主的な住民組 織 がつくられてい た 。これがカナカマカーン・チュムチョンの原型である。 ~ 1960 1958 首都開発計画(~60) 王宮周辺 のスラム改善について内務省が関心を示 す。首 都開 発計画における土地 利用調査 は、バンコク(トンブリを除く)の人口 160 万人のうち 74 万 人 がスラムに居住と報 告。 1960 大バンコク計画 トンブリを含む開発 計 画 ) 72 スラム改善局の設置 王宮周辺スラムのクリアランスを実施(1,320 世帯 10,600 人対 象) 1964 衛生課によるスラム改善 の 実施(~65) 1972 政府による住宅整備公団の設立 設立の目 的はスラム改善と集 合住宅 の提 供。政府がスラム対 策に本格的に着 手。 〈この期の概要〉 住 宅整備公 団は、住民 とのパイプ役として住 民を代表 する組織 の必要に迫ら れたことから、組 織・運営ともに民主的 要 件を備 えたカナカマカーン・チュムチョンの設立を促 進 した。地 方自治 体としてのバンコク都 の成立とともに、公 団と都が「社会 福祉」の観点からスラム 改善に取り組むことになった。 1975 バンコク都行政制度の発 バンコク都行 政組織 法の制定により、地方 自治体としての現在 のバンコク都が成立。住宅・スラ 足 ム改善が都の任務となる。 変動・協同期( 1977 第 1 次バンコク開発計画 計画の柱 として、1.土 地利用・インフラ開 発、2.環境 改善、3.都 の財政改 善、4.社 会 ・経済開発 、 (~81) 5.行政運 営の改善 をあげ、スラム改善 等への言及はあるが、物 理的改善 の視点が強く、計画全 ~ 1973 1981 地域社会開発連絡協議会 スラム改善にかかわる機関 ・組織の運営 や連絡の基準を定める。啓 蒙活動、データ収集、政府 と の 設置 民間の協 力計画の策定、成果 の把握 と評価、広報 を担 う。 ) 83 社会福祉 局社会 事 業課(スラム改善係、地域社会 開発係、職 業開発係)を責 任部 署として、チ ュムチョンの秩序形 成と開発 が社会 福祉 の理念と方法により実施される。具体的 には、カナカマ カーン・チュムチョンの設置、環境 改善、職 業援助金、青少年 活 動の促進、家族計 画 と麻薬防 止にたいする知 識提 供、婦人会 の設置 などを実施。 1982 公団と都によるスラム改 都は経済 的・社 会的 改善、公団 は物 的改 善を担うことを確認 善協力協定の締結 <おもな内容> ①スラムの定義と立 地図 の作成、②地域社 会 開発への民間 の参 加の促進、③ 体への地域社 会開 発政策の位置づけはみられない。 1979 地域社会開発専門職員の配置 都内各区(当時 24 区)に地域社 会開発 専門員各 1 名を配 置 カナカマカーン・チュムチョンに関する規 定を策定 するためのワーキング・グループの設置、④成 果と計画に関する資 料やデータの交換、⑤ワーキング・グループによる社 会的・経 済的計画 の策 定、⑥任務 の分担 ・協力として都 は経 済 的・社会的 改善、公 団は物理 的改善 を担う、⑦改善さ れたチュムチョンに住民が定住 できる方 策 の検討、⑧効率的 運 営のために高次の権 限をもつ委 員会を設 置する。 第 2 次バンコク開発計画 地域社会 開発政 策 が都の開発 計画に位 置づけられる 〈計画の実 施方針 〉 ①スラム拡大の防止 、②住民自 身による地域社会 開発の促 進と住民 代表 (~86) であるカナカマカーン・チュムチョンの設 置 の支援 、③スラム、郊 外チュムチョンの経 済的・社会 的 改善 〈この期の概要〉 バンコク都の地 域社会 開発政策 が本格 的 に展開されるようになり、都はスラム 以外の市 街地や郊 外部へのカナカマカーン・チュムチョンの組織化を進めていく。地域社会 開 発政策の原理として住民の「自 助」と「参 加」が据 えられるようになった。 1984 バンコク都地域社会開発 地域社会 開発連 絡 協議会(81 年発足)の発展的 解消。おもな任務 は、①地 域社 会開発の方針 策定、②事 業計画 の立案と認 定、③事業 の実施状 況の監督 と評価 委員会の設置 発展期( 〈地域社会 開発の方 法〉 ①スラム、郊外 チュムチョンの開発 方針の策 定、②「地 域社会開 発の 手引」の作 成、③地 域社会開 発に関係 する都職員の研修の実施、④地 域社会 開 発に関係する 都機関の役割・実 施 方法の決 定、⑤地 域 社会開発 のスローガン、シンボルの作成、⑥都と公 団 のスラム改善費用の分担の検 討、⑦事 業 ・予算の検 討、⑧各 年度の優 秀なチュムチョンの選 定、⑨チュムチョンへの備品・消 耗品の提 供方法の検討、⑩カマカーン・チュムチョンへの報 酬・ 手当の検 討(医療 費 補助) ~ 1984 1985 カマカーン・チュムチョンに関 バンコク都による初めての規約 の制定 す るバンコク都規約の制定 ) 95 1987 第 3 次バンコク開発計画 地域社会 開発政 策 が都の重要 な政策 課題として位 置づけられる <計画の実 施方針> ①スラム問題の予防 と解決、基本的 ニーズを満たす生活 水準 の確保、② (~91) 地域社会 開発の原 理とプロセスによるスラム改善の実施、③地域社会 開発 への住民の参 加の 促進と支 援、④自助 のための相互扶 助組 織の形成 1988 バンコク都地域社会開発 全 24 区(当 時)の区 役所に地域 社会開 発課を設 置。なお 1989 年には 36 区 と 2 つの準区に再 編 されたが、これらにも設置。 課 の設置 地域社会開発連絡センタ 〈センターの任務〉①都と内外 の政府・民 間組織、および都内 各関係機 関の連 絡 協議、②地 域 社会開発に関する情 報や統計 の収集 、③地域社会 開発委 員 会や都知 事のワーキング・グルー ーの設置 プ 26 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) 時期 内容 年次 項目 区分 1989 バンコク都チュムチョン ユニセフの協力により 5 年間の試行。1 チュムチョンにつき 1 万バーツの補助 とチュムチョンが用 意する 1 万バーツの計 2 万バーツで基金 を設立。年間 20 チュムチョンで計 100 チュムチョンの 基金の試行 計 画のところ、60 チュムチョンで実施。貯 金 会、小売業 、職業グループなどが受け皿 になった。 1990 チュムチョン調査の実施 過密無秩 序チュムチョンが 981 あり、その人口は 946,839 人で都の人口の 15%に当たることが ( バンコク都) 判明 1991 カマカーン・チュムチョンに関 これがほぼ現 行の規 約である す るバンコク都規約の改訂 1992 第 4 次バンコク開発計画 地域社会 開発の政 策的比重 が高まる 〈地域社会 開発の目 的〉①低所 得者の住 宅の確保、②スラムと郊外チュムチョンの物的・経済 (~96) 発展期(続き) 的・社会的 環境の改 善、③地域 社会開 発 に関与する行政 機関 および住民組 織の能 力の向上 〈計画の実 施方針 〉①年間 160 チュムチョン(スラム全体の 15%)の改善、②年間 30 ライ(48,000 ㎡)のリロケーション用 地の確保、③民間 組 織との協 力による不 法占拠地 域の保 健 衛生教育 の 促進、④参 加と自助 のための住民組 織の役割の強 化(すべてのチュムチョンにカナカマカーン・ チュムチョンを設置 し、住宅建設 を目 的とする「貯金協 同組合 」を設立 する)、⑤地 域社会開 発 のための「チュムチョン基金」の設 立など 〈計画の実 施方法 〉①都や区 はチュムチョンの基本的ニーズ調査に関してカナカマカーン・チュ ムチョンと協議し、またさまざまな機関 と協 力する、②区 はスラム、郊外、新 興住宅 をはじめとする すべてのチュムチョンにカナカマカーン・チュムチョンの形態をとる住民 組織の設立を促進・支援 する バンコク都地域社会開発 チュムチョンの改善 計画の策 定、住宅 問 題、職業開 発に関 する責任 部署。事務局 、地域社会 開 発課、職業 促進課 。 局の設置 地域社会 開発課 の任務は、①住民 の啓 蒙と支援 、②過 密無 秩序チュムチョンの防止と解 決、③ 関係諸機 関への情 報提供、④居住権に関する規定 や法律 面 での改善 の促進 と支 援、⑤チュム チョンのリロケートと新 しい住宅 の提供に関 する連絡協 議。職業 促進課の任務は、職 業開発と所 得向上 への支 援、職 業訓練や市場開 拓 に関する情報提 供、郊外区における農業 に関する職業 促進 なお 2004 年現 在の地域社会 開発局 の構成は、社会開 発課 、調査研究 課、職 業 促進課である 都市コミュニティ開発事 政府による都市貧 困 者開発 プログラムの実施主体 として住宅 整備公団 のもとに独 立機関とし て設立。チュムチョンにおける貯蓄・信用 組合の設 立を支 援し、政府基金による低 利融資を行 務所(UCDO)の設立 い、貧困層 への無担 保融資を実現 することを目的 とする。 1995 地域社会開発基金に関す 基金管理 委員会 の管理とカナカマカーン・チュムチョンによる監査を規 定。 またこの規約制 定にともない、地域社 会開 発促進費 として各区 役所からチュムチョンへの費 用 る都規約の制定 弁償が可 能になった(月額 2,000 バーツ)。 〈この期の概要〉地 域 社会開発 政策のさらなる展 開のもとで、カナカマカーン・チュムチョンは住民 の「参加」と「自助 」の媒体としてのみならず、「市 民社会 」の基 礎を担う組織として位置づけられ る ようになった。 1996 カマカーン・チュムチョンに関 タイにおける選挙 権 を「満 20 歳 以上」から「満 18 歳 以上」とする法律改 正に連動 した部 分修正 するバンコク都 規約の 改訂 のみ 1997 第 5 次バンコク開発計画 地域社会 の全面 的 な組織化 および住民 組織の役 割と住 民の参加の強 化 (~01) 〈地域社会 開発の目 的〉①バンコクを全住 民のコミュニティとし、住民が自 ら開発 する力を備 える 定着期( ~) 1996 こと、②計 画立案から成果の評 価に至るまで、住民 とチュムチョンに対して広く参加 の機会と権 限を与 える、③チュムチョンにおいて児 童・青少年、女 性、老 人、地域リーダー、ボランティア、職 業などによるさまざまな集団を組織 し、地 域問題の予防と解決 のための重要かつ強 力なメカニ ズムとして住民組 織 を育成 する 〈地域社会 開発の目 標〉①住民 組織 を核 とする地域における「市民社会」としての参加の促 進、 ②経済、社 会、物 的、保健衛生、精神面における住民 生活の改 善、③低所 得層の住 宅の安定、 ④職業の安定、⑤行 政による地 域社会 開 発のシステムと組 織 の改善 〈具体的 な施策〉①スラムにおける住 民 組織の公 認とカナカマカーンの役割の強 化、②民間 と行 政の連携の強化、③地域子どもセンター(託児所)の建設、④都有地における公共 住宅の建 設 と 立 ち退 き問 題への対応、⑤職 業訓練 の実施 2002 第 6 次バンコク開発計画 地域社会 開発は持 続可能な開発、居住 環境の改 善、住民 の生活向上に寄与し、バンコク開発 の鍵となる (~06) 〈地域社会 開発の前 提条件〉①地域組 織 を開発の中心に据 える、②家族関 係の強 化とタイ的 生活様式 の維持、③参加の原 則によるチュムチョンと市民社 会 の強化、④中庸の経 済という哲 学に合致した経済 開 発、⑤バンコク都と内 外諸組織 との協 力の深化 〈地域社会 開発の目 的〉①チュムチョンの自立と家 族の養 育のための仕 事・職 業・所得の創 出、 ②地域社 会開発における住民 の参加 の促進、③合 法的 で安 定した住宅の確 保とチュムチョン の環境の改 善、④都 の地域社 会開発の管理システムの効 率 化 〈地域社会 開発の目 標〉①6 割のチュムチョン住民が所得と安 定した職業が得 られること、②地 域社会開 発への住 民の参加が年に 10%高まること、③地域 社会開発に関するバンコク都の基 準に合致する住 み良 いチュムチョンを年 5%増加する、④都市 の地域社 会開発に関する知識 を 深める、⑤政 府機関、民間および住 民組織 の地域社 会開発 への参加を年 5%増加 する 注:1992 年までの時期区分についてはバンコク都政策企画局『バンコク都地域社会開発の手引』(改訂版)1992 年を参考にした 出典:バンコク都政策企画局『バンコク都地域社会開発の手引』(改訂版)1992 年、各次バンコク開発計画、行政関係者からのヒ アリングなどから作成 バンコクの地域住民組織 (2)変動・協同期 (ケオマノータム)― 27 りました。同計画は、実施方針として、①ス 第二は、1970 年代半ばから 1980 年代初頭 ラム問題の予防・解決および基本的ニーズを にかけての時期であり、これを「変動・協同 満たす生活水準の確保、②地域社会開発への 期」と呼ぶことにします。住宅整備公団は、 住民の参加の促進・支援、③自助のための相 住民とのパイプ役として住民を代表する組織 互扶助組織の形成をあげています。これを受 の必要に迫られたことから、独自の規約を用 けて、1988 年、各区役所に地域社会開発課が 意し、スラムにおいて組織・運営ともに民主 設置されました。住民の「自助」と「参加」 的な要件を備えたカナカマカーン・チュムチ を地域社会開発政策の原理として掲げ、都は ョンの設立を促進しました。また 1975 年に地 スラム以外の市街地や郊外部にもカナカマカ 方自治体としてのバンコク都が成立し、その ーン・チュムチョンの組織化を進めていくこ もとに社会福祉局が設置され、社会事業課に とになりました。 スラム改善係、地域社会開発係、職業開発係 1992 年の「第 4 次バンコク開発計画」で地 が置かれました。チュムチョンの秩序形成と 域社会開発の政策的比重はさらに高まること 社会開発が「社会福祉」の理念と手法により になります。同計画は、参加と自助のための 実施されることになりました。1979 年には、 住民組織の役割の強化を目標に掲げ、スラム 各区役所に地域社会開発専門職員が配置され のみならずすべてのチュムチョンにカナカマ ました。1982 年には公団と都による「スラム カーンを設置するとしています。同計画は、 改善協力協定」が締結され、都は経済的・社 地域社会開発の目標として、①低所得者の住 会的改善、公団は物的改善を担うことが確認 宅の確保、②スラムと郊外チュムチョンの物 されました。また同年、 「第 2 次バンコク開発 的・経済的・社会的環境の改善、③地域社会 計画」が策定され、地域社会開発政策が都の 開発に関与する行政機関および住民組織の能 開発計画の体系に初めて位置づけられること 力の向上を掲げています。具体的には、①年 になりました。同計画は、施策の実施方針と 間 160 チュムチョン(スラムの 15%)の改善、 して、①スラム拡大の防止、②住民自身によ ②年間 30 ライのリロケーション用地の確保、 る地域社会開発の促進とカナカマカーン・チ ③民間組織との協力による不法占拠地域の保 ュムチョン組織化の支援、③スラムおよび郊 健衛生教育の促進、④参加と自助のための住 外チュムチョンの経済・社会的改善をあげて 民組織の役割の強化(このために、すべての います。この「初期」および「変動・協同期」 チュムチョンにカナカマカーン・チュムチョ までがバンコクにおける地域社会開発政策の ンを設置し、住宅建設を目的とする「貯金協 いわば「模索期」であり、地域社会開発政策 同組合」を設立することとしています)、⑤地 は「第 2 次バンコク開発計画」の策定を契機 域社会開発のための「チュムチョン基金」の に本格的に展開することになります。 設立などを挙げています。また政策の実行方 法として、①都や区はチュムチョンの基本的 (3)発展期 ニーズ調査に関してカナカマカーン・チュム 第三は、1980 年代半ばから 1990 年代半ば チョンと協議すること、②区はスラム、郊外、 にかけての時期であり、これを「発展期」と 新興住宅をはじめすべてのチュムチョンにカ 呼ぶことにします。1984 年のバンコク都地域 ナカマカーン・チュムチョンのような住民組 社会開発委員会の設置、1985 年の「カマカー 織の設立を促進・支援することなどが記され ン・チュムチョンに関するバンコク都規約」 ています。 の制定を経て、1987 年の「第 3 次バンコク開 発計画」において地域社会開発政策は都の重 要な政策課題として位置づけられることにな (4)定着期 第四は、1990 年代半ばから現在までの時期 28 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) であり、これを「定着期」と呼ぶことにしま このように地域社会開発政策は、当初は社 す。1997 年の「第 5 次バンコク開発計画」 ( 1997 会福祉の観点にたったスラム対策として提起 ~2001 年)は、地域社会の全面的な組織化を されましたが、その後、その対象はバンコク 明確に打ち出しています。同計画によれば、 全域へと拡大されてきました。またその住民 地域社会開発政策は、バンコクを全住民のコ 側の受け皿として位置づけられたのがカナカ ミュニティとし、住民が自ら開発する力を備 マカーン・チュムチョンであり、住民による えることを目標とします。そのために、計画 「参加」と「自助」が地域社会開発の原則と の立案から成果の評価に至るまで、住民とチ なりました。こうした住民の組織化の背景に ュムチョンに対して広く参加の機会と権限を は、限られた財政のもとでの行政効率の追求 与えます。また、チュムチョンにおいて、児 (「自助」)と地域社会開発政策の「正当性」 童・青少年、女性、老人、地域リーダー、ボ の確保という政策的な要請があったとみなす ランティア、職業などによるさまざまな集団 ことができますが、それはまた近年のタイ社 を組織し、地域問題の予防と解決のための重 会における民主化・分権化の潮流を反映する 要かつ強力なメカニズムとして住民組織を育 ものでもあるといえます(「参加」から「市民 成するとしています。そのうえで同計画は、 社会」へ)。 地域社会開発の目的として、①住民組織を核 とする、地域における「市民社会」としての カナカマカーン・チュムチョンの 組織と類型 2 参加の促進、②経済、社会、物的、保健衛生、 精神面における住民生活の改善、③低所得層 の住宅の安定、④職業の安定、⑤行政による 2.1 バンコクの住民組織の歴史 地域社会開発のシステムと組織の改善をあげ カナカマカーン・チュムチョンは、もとも ています。また具体的な施策としては、①ス とスラムで組織されたものです。切実な地域 ラムにおける住民組織の公認とカナカマカー 問題を抱えるスラムでは、多くの場合、自然 ンの役割の強化、②民間と行政の連携の強化、 発生的なリーダーが存在しています。住民が ③地域子どもセンター(託児所)の建設、④ 自ら環境の改善を試みるためにも、地主の退 都有地における公共住宅の建設と立ち退き問 去要求に対抗するためにも、住民の要求を行 題への対応、⑤職業訓練の実施などをあげて 政に伝えるためにも、住民をまとめるリーダ います。このように第 5 次バンコク開発計画 ーの存在は欠かせないからです。また、NGO では、バンコク全域にわたる地域社会の全面 や行政からの援助を受けるに際しても、住民 的な組織化および住民組織の役割と住民の参 の意向をまとめ、住民を代表するリーダーの 加の強化が謳われ、地域社会開発の目標とし 存在を欠くことはできません。それゆえ、多 て「市民社会」の形成が据えられました。こ くのスラムでは、リーダーたちを中心とする うしてカナカマカーン・チュムチョンは、住 住民組織が自主的につくられてきたのです。 民の「参加」と「自助」の媒体としてのみな 1970 年代に入って、住宅整備公団が設立さ らず、バンコクを単位とする全住民の自覚的 れ、スラムの環境改善に着手すると、住民を なコミュニティ(=「市民社会」)形成の基礎 代表し、両者の連絡役となる組織が「公式に」 を担う組織としても位置づけられるようにな 存在することは、公団にとっても、また住民 りました。この方向は、2002 年の「第 6 次バ にとっても、欠くことのできない要請となり ンコク開発計画」でも継承されています。バ ました。このため公団は、カナカマカーンに ンコク都によると、地域社会開発は、経済、 関する独自の規約を用意し、スラムの環境改 社会、物的、保健衛生、精神のすべての面に 善に取り組むいわば前提として、組織と運営 わたる地域社会開発政策です。 のうえで一定の民主的な要件を備えた住民組 バンコクの地域住民組織 表4 (ケオマノータム)― 29 バンコク都におけるチュムチョンの類型 類型 定義 過密無秩序 建物が無秩序に密集し、人口も過密で、安 チュムチョ 全・衛生面で問題の多い地域 ン 1 ライ(1,600 ㎡)あたりの家屋数が 15 軒以上 郊外チュム 郊外の農村的性格を残した地域 チョン 排水路や歩道などが整備されておらず、洪水 などの被害を受けやすい 新興住宅チ 民間業者によって開発された一戸建、タウン ュムチョン ハウス、集合住宅などの住宅地 排水路、ゴミ、歩道などの面で改善が必要 公団住宅チ 公団が建設し管理する公団住宅(中層アパ ュムチョン ート)が建ち並ぶ地域 都が排水路、ゴミ、歩道、経済、社会、保健衛 生その他の面で関与 市街地チュ 市街地にあって上記のいずれの類型にもあ ムチョン てはまらない地域 家屋密度は過密無秩序チュムチョンよりも低 く郊外チュムチョンよりも高い 出典:バンコク都政策企画局『バンコク都地域社会開 発の手引』(改訂版)1992 年、p.2 より作成 写真 1 過密無秩序チュムチョン (ワット・ユアンクロンランパック) 写真 2 郊外チュムチョン(ペッサヤーム) 織の整備を促進しました。公団はまた、 スラム・クリアランスなどによって新た に建設した公団住宅(中層アパート)に ついても、カナカマカーン・チュムチョ ンの組織化を行ってきました。 1980 年代半ば以降、バンコク都による 地域社会開発政策が本格的に展開するな かで、その対象もスラムにとどまらない 広がりをもつようになりました。そして、 都もまた同様の理由から、公団の方針を 受け継ぎ、1985 年には「カマカーン・チ ュムチョンに関するバンコク都規約」を 策定し、これに基づいてカナカマカーン の組織化を進めてきたのです。 2.2 チュムチョンの類型 バンコクのチュムチョンには、5 つの 類型があります(表 4、写真 1~5)。①過 密無秩序チュムチョンは、建物が無秩序 に密集し、人口も過密で、安全・衛生面 で問題の多い地域です。1 ライ(1,600 平 方メートル)あたりの家屋数が 15 軒以上 であることが、その基準となります。② 写真 3 新興住宅チュムチョン (第 3 アンマリンニウェート第3期住宅) 30 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) 郊外チュムチョンは、郊外の農村的性格 を残した地域であり、決して過密ではな いが、都市計画がなされていないために 排水路や歩道などが整備されておらず、 洪水などの被害を受けやすい地域です。 ③新興住宅チュムチョンは、民間業者に よって開発された一戸建、タウンハウス、 集合住宅などの住宅地ですが、排水路、 ゴミ、歩道などの面で改善されなければ ならない地域です。④公団住宅チュムチ ョンは、公団が建設し管理する公団住宅 (中層アパート)が建ち並ぶ地域であり、 写真 4 都が排水路、ゴミ、歩道、経済、社会、 公団住宅チュムチョン (ディンデーン第一公団住宅) 保健衛生その他の面で関与している地域 です。⑤市街地チュムチョンは、1 ライ あたりの家屋数が 15 軒未満で過密無秩 序チュムチョンよりも低いけれど、郊外 チュムチョンよりは家屋密度が高い地域 であり、上記のいずれの類型にもあては まらない地域です。 なおチュムチョンの地理的な境界は 明確であり、地域社会開発政策のもとで その範域を認定するのは行政です。しか し、チュムチョンはもともと運河や道路 などの自然的条件によって区画され、一 写真 5 市街地チュムチョン(ソーイ・ソーダ) 定のまとまりをもった範域であることが 多く、その境界の決定や変更は、必ずし も行政の恣意によるのではなく、チュムチョ ュムチョン認定のバンコク全域への拡大にあ ンの実態と住民の意思を反映して行われてい ることを反映して、チュムチョン人口の割合 ます。 は年々高まってきており、バンコクにおける チュムチョンはすでに限られた「問題地区」 2.3 カナカマカーン・チュムチョンの組織状況 とはいえない状況になっています。 バンコク都の行政区分とチュムチョンの 組織状況を図 2、表 5 に示します。2004 年現 2.4 カナカマカーン・チュムチョンの組織的特性 在のチュムチョンの類型別内訳は、過密無秩 チュムチョンにおいて設立される住民組 序 810、市街地 190、郊外 365、新興住宅 295、 織がカナカマカーン・チュムチョンです。チ 公団住宅 85 の計 1,745 チュムチョン、総世帯 ュムチョンの指定とカナカマカーン・チュム 数 411,432( 1 チュムチョンあたり 236 世帯)、 チョンの組織化の手順を理念的に示せば、以 総家屋数 331,175(同 190 家屋)、 チュムチ 下の通りです。各区役所の地域社会開発課は、 ョン人口は 1,657,778 人(同 950 人)であり、 物理的・経済的に改善の余地があり、好まし バンコクの人口に占める割合は 28.4%となっ くない状態にある地域を地域社会開発政策の ています。地域社会開発政策の基本方針がチ 候補地域とし、専門職員を派遣します。専門 バンコクの地域住民組織 表5 No. (ケオマノータム)― 31 バンコク都のチュムチョンの概況(2004 年) 区名 1 バーンスー 2 ドゥシット 3 パヤータイ 4 ラーチャテーウィー 5 パトゥムワン 6 プラナコーン 7 ポームプラーブ 8 サムパンタウォン 9 バーンラック ワンルアン・ブロック 10 ドーンムアン 11 ラックシー 12 バーンケーン 13 サーイマイ 14 チャトゥチャク 15 バーンカピ 16 ワントーンラーン 17 ラードプラーオ 18 ブンクム ブーラパー・ブロック 19 ミーンブリー 20 クロンサームワー 21 ノーンチョーク 22 ラートクラパン 23 スアンルアン 24 プラウェート 25 サパーンスーン 26 カンナーヤーオ シーナカリン・ブロック 27 ディンデーン 28 フォイクワーン 29 クローントゥーイ 30 ワッタナー 31 プラカノーン 32 バーンナー 33 サートーン 34 バーンコーレーム 35 ヤーンナワー チャオプラヤー・ブロック 36 バーンクンティエン 37 バーンボーン 38 チョームトーン 39 ラートプーラナ 40 トゥンクル 41 トンブリー 42 クローンサーン 43 バーンケー クルントンタイ・ブロック 44 パーシーチャルーン 45 バーンプラット 46 タリンチャン 47 タウィーワッタナー 48 バーンコークノイ 49 バーンコークヤイ 50 ノーンケーム クルントンヌアー・ブロック バンコク都 人口(A) (2003 年) 158,079 150,365 90,557 101,892 97,533 76,230 72,040 35,547 60,300 842,543 157,643 121,815 178,864 160,170 176,501 149,747 111,978 115,656 141,465 1,313,839 112,734 117,060 109,789 132,027 116,961 135,549 79,974 82,573 886,667 155,766 79,916 133,131 82,582 101,370 102,777 106,333 113,781 92,110 967,766 123,525 89,140 173,133 97,273 101,254 175,768 107,150 183,809 1,051,052 140,051 116,271 104,254 61,177 152,867 85,075 123,045 782,740 5,844,607 チュムチ ョンの 類 型別内訳 過密 無秩 序 市街地 郊外 新 興 住 宅 公 団 住 宅 計 46 1 0 2 0 49 15 23 0 0 2 40 13 3 0 3 2 21 20 0 0 0 1 21 11 1 0 0 2 14 7 14 0 0 0 21 10 6 0 0 0 16 1 20 0 0 0 21 1 14 0 0 1 16 124 82 0 5 8 219 19 1 1 43 0 64 16 11 0 9 32 68 12 3 5 29 5 54 5 15 6 33 3 62 25 2 0 7 1 35 6 1 4 8 2 21 14 0 0 2 0 16 5 0 2 14 0 21 18 0 1 16 0 35 120 33 19 161 43 376 0 1 31 15 1 48 0 0 51 11 0 62 0 0 60 2 0 62 0 0 31 3 17 51 29 5 2 5 0 41 3 0 24 6 0 33 6 0 14 1 1 22 10 0 5 13 0 28 48 6 218 56 19 347 5 8 0 3 2 18 21 1 0 2 0 24 28 5 0 2 5 40 16 0 0 2 0 18 28 1 0 12 0 41 17 16 0 5 0 38 18 1 0 6 0 25 26 3 0 0 0 29 17 5 0 0 0 22 176 40 0 32 7 255 6 4 24 10 5 49 1 0 7 3 0 11 39 1 6 4 0 50 28 0 0 1 0 29 17 1 8 0 2 28 44 0 0 0 0 44 34 11 0 0 0 45 26 0 9 7 0 42 195 17 54 25 7 298 33 2 1 4 0 40 40 2 0 0 0 42 5 0 26 1 0 32 0 0 5 4 0 9 32 7 1 1 1 42 32 1 0 1 0 34 5 0 41 5 0 51 147 12 74 16 1 250 810 190 365 295 85 1,745 世帯数 家屋数 11,169 7,837 4,165 4,119 8,572 5,345 2,835 2,272 4,524 50,838 17,861 15,545 16,819 16,502 7,466 5,170 3,249 5,474 7,836 95,922 7,751 7,356 7,818 13,987 9,043 6,263 8,378 4,659 65,255 3,928 4,366 21,853 2,954 6,580 11,926 7,479 11,916 4,765 75,767 10,950 1,275 9,200 5,520 6,396 13,053 10,942 9,076 66,412 6,862 11,969 4,460 1,908 18,873 5,660 7,506 57,238 411,432 7,781 5,774 3,408 2,759 4,621 3,551 2,165 2,251 2,811 35,121 16,969 14,804 15,226 14,740 5,791 4,275 2,324 4,637 7,412 86,178 7,736 6,486 6,734 15,125 6,173 5,387 7,646 4,478 59,765 3,560 3,285 17,396 1,700 4,616 6,941 5,154 7,378 3,400 53,430 10,406 1,663 7,359 3,934 4,963 10,718 8,290 6,397 53,730 5,155 9,114 3,869 1,664 12,095 3,840 7,214 42,951 331,175 チュムチョン 人口比 人口(B) %(B/A) 38,533 32,592 17,002 16,998 36,751 25,538 10,253 8,111 15,784 201,562 79,064 61,944 69,561 72,233 29,936 23,032 10,924 18,697 28,280 393,671 32,819 32,138 37,119 41,514 40,103 27,688 31,089 17,762 260,232 15,531 16,970 93,633 10,330 21,817 30,956 34,034 44,580 11,646 279,497 46,634 6,990 41,334 19,760 22,345 58,095 42,615 30,342 268,115 26,995 48,693 18,464 7,447 93,969 20,364 38,769 254,701 1,657,778 出典:バンコク都地域社会開発局資料(チュムチョン統計)、バンコク都ホームページ(人口統計)より作成 24.4 21.7 18.8 16.7 37.7 33.5 14.2 22.8 26.2 23.9 50.2 50.9 38.9 45.1 17.0 15.4 9.8 16.2 20.0 30.0 29.1 27.5 33.8 31.4 34.3 20.4 38.9 21.5 29.3 10.0 21.2 70.3 12.5 21.5 30.1 32.0 39.2 12.6 28.9 37.8 7.8 23.9 20.3 22.1 33.1 39.8 16.5 25.5 19.3 41.9 17.7 12.2 61.5 23.9 31.5 32.5 28.4 32 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) 注:区名は表 9 を参照(本図と表 5 の番号が対応している) 出典:バンコク都政策企画局『バンコクの統計 1998 年』p.5 の地図をもとに作成 図2 バンコク都行政区分図 職員は、住民との話し合いを通して、チュム 都の定めた規約(表 6)に則って運営されて チョンの指定を受けることのメリットを説明 います。これをもとにカナカマカーン・チュ します。チュムチョンの指定を受け、カナカ ムチョンの組織的特性を素描することにしま マカーン・チュムチョンが組織されることに しょう。まずカナカマカーン・チュムチョン よって、地域社会開発政策の対象として正式 は、バンコク都によってチュムチョンとして に位置づけられるとともに、住民を代表し、 認定された地域において、18 歳以上のすべて 住民と行政を媒介する組織が存在するように の住民を有権者とする選挙によって選出され なることが最大のメリットです。チュムチョ ます。メンバーシップの単位は世帯ではなく ンの指定を受けるには、住民の同意が必要で 個人です。カナカマカーンはチュムチョンの す。このため、専門職員は、地域のリーダー 成員の代表です(第 7 条)。カマカーンは最低 的存在あるいは将来リーダーになりうる人物 7 名。140 世帯を超えるチュムチョンの場合は、 に働きかけ、チュムチョンの指定を求める住 20 世帯につきカマカーン 1 人を増員しますが、 民の署名を集めてもらうことになります。住 その最大数は 25 名です(第 8 条)。カナカマ 民をまとめるリーダーが存在すること、チュ カーン・チュムチョンの役職は、会長、副会 ムチョンの指定を支持する住民の署名が集ま 長、書記、会計、登録、広報のほか、カナカ ることが、行政によるチュムチョン指定の要 マカーンの判断によりその他の役職を置くこ 件です。チュムチョンの指定を受けることに とができます(第 9 条)。会議はカマカーンの より、都の規約に基づいて、カナカマカーン・ 2 分の 1 以上の出席で成立し(第 38 条)、議 チュムチョンの選挙が行われることになりま 決は多数決で行います(第 41 条)。カナカマ す。ただし、こうした手順はあくまでひとつ カーン・チュムチョンの義務と権限は以下の のモデルであり、実際には地域の実情に応じ とおりです(第 25 条)。①国王を国家元首と てさまざまなケースがみられるようです。 する民主的政治体制を支持すること、②行政 カナカマカーン・チュムチョンはバンコク 機関・民間組織との協力によって住民の利益 バンコクの地域住民組織 表6 カマカーン・チュムチョンに関するバンコク都規約の概要 第5条 第7条 第8条 第9条 第 第 第 第 第 第 10 12 14 18 19 25 条 条 条 条 条 条 第 28 条 第 第 第 第 第 第 第 29 30 31 32 33 34 37 (ケオマノータム)― 33 条 条 条 条 条 条 条 第 38 条 第 41 条 チュムチョンは、都の告示によるものであり、過密無秩序チュムチョン、郊外チュムチョン、公団住宅チ ュムチョン、新興住宅チュムチョンおよび市街地チュムチョンとする。 チュムチョンの成員は、当該チュムチョンに住民登録をしているものである。 カマカーンはチュムチョンの成員の代表である。 チュムチョンに選挙によるカマカーン・チュムチョンを置く。 カマカーンは 1 チュムチョンに最低 7 名とする。 140 世帯を超えるチュムチョンの場合は、20 世帯につきカマカーンを 1 名増員する。 カマカーンの最大数は 25 名とする。 カナカマカーン・チュムチョンの役職は、会長、副会長、書記、会計、登録係、広報・渉外係のほか、カ ナカマカーンの判断によって必要な役職を置くことができる。 被選挙権は、当該チュムチョンに 180 日以上居住している満 20 歳以上のタイ人が有する。 選挙権は、当該チュムチョンに 90 日以上居住している満 18 歳以上のタイ人が有する。 カマカーン・チュムチョンの任期は 2 年とする。 立候補者が定数に満たない場合は無投票当選とする。 選挙方法はバンコク都行政次官の決定による。 カナカマカーン・チュムチョンの義務と権限は以下の通りである。 ①国王を国家元首とする民主的政治体制の支持 ②行政機関・民間組織との協力による住民利益の拡大 ③住民参加と地域資源の活用によるチュムチョンの物理的・経済的・社会的開発 ④住民の団結と秩序の強化 ⑤文化、道徳、良俗の維持 ⑥チュムチョンおよび公共の財産の管理 ⑦チュムチョン内の諸組織の活動の把握とその成果の区長への報告 ⑧相談役、ワーキング・グループの選任 区役所長は、議長として各役職を選任するために、カナカマカーン・チュムチョンの最初の会議を当選日 より 30 日以内に開く。 会長の任務(条文略) 副会長の任務(条文略) 書記の任務(条文略) 会計の任務(条文略) 登録係の任務(条文略) 広報・渉外係の任務(条文略) 議事は以下の順に行う。 (1)会長からの連絡事項、(2)議事録の確認、(3)報告事項、(4)前回会議からの継続審議事項、 (5)審議事項、(6)その他。 会議はカマカーン・チュムチョンの過半数の出席をもって成立する。 議決は多数決とする。賛否同数の場合は会長の決定をもって議決とする。 出典:「1991 年カマカーン・チュムチョンに関するバンコク都規約」(1996 年改訂)より抜粋 を拡大すること、③住民参加と地域資源の活 地域代表性を備えた地域共同管理組織である 用によってチュムチョンの物理的・経済的・ ということができます。なお、各区役所では、 社会的開発を行うこと、④住民の団結と秩序 月に1回、原則として区内のすべてのカナカ を強化すること、⑤文化・道徳・良俗を維持 マカーン・チュムチョンの会長と書記が出席 すること、⑥チュムチョンおよび公共の財産 するカナカマカーン・チュムチョン連絡会が を管理すること、⑦チュムチョン内の諸組織 開かれています。会議を召集し、議長を務め の活動を把握し、その成果を行政に報告する るのは区長です。連絡会は、①行政からの連 こと、⑧必要に応じて相談役やワーキング・ 絡、②議員の活動報告、③チュムチョンの要 グループを選任すること。 望伝達を内容としており、チュムチョンと行 以上が規約からみたカナカマカーン・チュ 政・議員とのフォーマルな協議の場です。ま ムチョンの組織の概要です。このようにカナ た、インフォーマルには、カナカマカーンが カマカーン・チュムチョンは、地域区画性と 互いに知り合い、情報交換する場ともなって 34 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) 出所:ドゥシット区役所地域社会開発課資料より筆者作成 図3 チュムチョン・ソーイ・ソーダの区画図 います。 ット区のほぼ中心部に位置しています。図 3 なお、一般にカナカマカーン・チュムチョ に示すように、その区画は明確です。この土 ンが住民から会費を徴収することはなく、カ 地はかつては畑や果樹園であり、ソーダ工場 ナカマカーンは無報酬です。バンコク都は、 の敷地に接していました。ソーイ・ソーダの カナカマカーンのメンバーには、身分証明書 住民は 60 年ほど前に移り住み始めました。住 を発行し、本人の医療費を補助する支援策を 民の多くは都内の他の区から移ってきました。 とっています。また、1995 年からは、区の連 ソーイ・ソーダの土地は王室の所有地であり、 絡会に出席するための実費弁償として、1 回 住民はこれを借りて住んでいます。ソーイ・ につき 200 バーツを支給しています。さらに、 ソーダの地理的な境界は、もともと自然的条 1996 年 か ら、 消 耗 品 等の購 入 に 限 り、月 額 件によって区画され、一定のまとまりをもっ 2,000 バーツを上限とする「地域社会開発促 た範域をふまえて行政が認定したものです。 進費」が支出されるようになりました。使途 1993 年には、区域外ではありますが、行事等 は自由ですが、区に会計報告をする義務があ には参加していた、スパン通りを隔てて西側 ります。 の隣接地域の住民がソーイ・ソーダへの編入 を希望し、カナカマカーン・チュムチョンを 3 カナカマカーン・チュムチョンの実態 ―事例調査をとおして― 通して行政に要求した結果、編入が認められ たという経緯もあります。このようにチュム チョンの区画を正式に認定するのは行政です 3.1 市街地チュムチョン―ドゥシット区 が、その決定や変更は、チュムチョンの実態 チュムチョン・ソーイ・ソーダ と住民の意思を反映して行われています。ソ (1)地区の概況 チュムチョン・ソーイ・ソーダは、ドゥシ ーイ・ソーダの面積は約 7 ライで、1994 年 9 月現在、家屋数 114、家族数 187、人口 626 バンコクの地域住民組織 (ケオマノータム)― 35 人です。しかし、会長からの聞き取りでは、 りしているものです。同センターには、救急 1995 年 7 月現在、家屋数 144、家族数 350 で、 医療品が常備されているほか、都が派遣する 人口は約 3,000 人とのことです。住民の職業 医師や看護婦によって月に 1 回、無料の健康 としては、雇用者と商業自営業が多くなって 相談が行われています。 います。 街灯の管理、道路や運河に架かる橋の整備 と補修、運河の掘削、運動広場の整備、緑化、 (2)カナカマカーン・チュムチョンの組織と活動 公衆電話の設置などインフラ整備の一切に責 カナカマカーン・チュムチョン・ソーイ・ 任を担っているのもカナカマカーン・チュム ソーダは、1989 年、区からの働きかけで発足 チョンです。住民の要求はすべてカナカマカ しました。1995 年 9 月に選出されたカナカマ ーン・チュムチョンに集約され、これを通し カーンのメンバーは 7 名であり、会長、副会 て区の地域社会開発課に伝えられることにな 長、書記、会計、登録係、広報係、スポーツ・ ります。しかし、区には地域社会開発のため 青少年部長(会長が兼任)、防犯部長(会計が の特別な予算があるわけではありません。し 兼任)、清掃・衛生部長が置かれています。こ たがって要求は通常の行政の範囲で地域社会 のうち、副会長と書記が女性です。カナカマ 開発課から関係部局へ伝えられます。もし要 カーン・チュムチョンの会合は、行事にあわ 求が認められれば、チュムチョンに対して、 せて随時開かれています。 インフラ整備に必要な木材や鉄やセメントな 活動は多岐にわたります。まず、住民の親 どの資材が提供されることになります。行政 睦を図る行事としては、食事と音楽を楽しむ が提供するのは物品のみであり、労力を提供 野外パーティを年1回開いています。仏教や するのはあくまで住民自身です。 王室に関わる行事としては、正月の托鉢やソ ところで、ソーイ・ソーダにおいて、カナ ンクラーン(水かけ祭り)のほか、国王・王 カマカーン・チュムチョンからの情報は有線 妃の誕生祝いなどがあります。このほか、ス 放送を通して住民に伝えられています。チュ ポーツや健康づくりのための活動があります ムチョン内の数カ所にスピーカーが設置され が、これらはカナカマカーン・チュムチョン ており、マイクやアンプなどの機材はサムラ を母体に新たに結成された老人会、婦人会、 ン会長の自宅に置かれています。有線放送で 青少年会によって担われています。 は、毎朝、チュムチョンのニュースやカナカ 防災面では、チュムチョン内の随所に消 マカーンと行政からの連絡事項などが放送さ 火器を設置しているほか、独自に火災報知器 れています。なお、有線放送の設備について を設置しています。この費用は、チュムチョ も、行政が機材を提供し、スピーカーの設置 ンの予算と住民からの寄付で捻出し、装置の や配線は住民が行ったということです。 据え付けや配線は住民が行いました。また、 消火器や消火ホースの使い方を学ぶ消防訓練 を実施しています。防犯活動としては、自警 団を組織し、夜間パトロールを行っています。 (3)新しい地域組織とカナカマカーン・チュ ムチョン ソーイ・ソーダの老人会は、45 歳以上の個 このほか住民から夜間警備員を雇用していま 人による任意加入の親睦組織として以前から すが、その費用は住民からの寄付でまかなわ 活動していましたが、1995 年 10 月に行政の れています。 正式な認可を得ました。95 年 7 月現在、53 保健・衛生面では、排水路を管理するほか、 名だった会員は、その後順調に増え、96 年の 都や理髪業界の協力のもとに無料散髪を実施 8 月には 82 名となりました。老人会は、親睦、 しています。チュムチョン内に地域保健セン 健康保持、病気保障などを目的としており、 ターがありますが、これは商店の一部に間借 入会金 120 バーツ、月会費 20 バーツを収める 36 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) ことにより、入院時の見舞い金(1 人年 2 回 います。住民および諸組織からの要求の窓口 ま で 各 500 バ ー ツ ) や 葬 式 費 用 の 援 助 金 をカナカマカーン・チュムチョンに一元化す (1,000 バーツ)を受け取ることができるな るというのは、行政の方針でもあります。ソ ど、互助組織としての性格をもっています。 ーイ・ソーダにおいて、住民を代表する組織 老人会では、月例の懇談会をもつほか、毎朝 はカナカマカーン・チュムチョンであり、こ 太極拳の集いを開いています。 のもとに老人会、婦人会、青少年会が活動し 婦人会は、1995 年 12 月の結成で、96 年 8 ているのです。 月現在、42 名の会員がいます。バンコクの婦 人会は、基本的に低所得者向けの職業訓練を 行うことを目的としています。ソーイ・ソー ダでも、区の派遣する指導者のもとで、仏教 3.2 郊外チュムチョン―バーンケーン区 チュムチョン・ペッサヤーム (1)地域の歴史と概況 行事に用いる飾物を作る技術を習得するため チュムチョン・ペッサヤームは、バンコク の講習会を開く準備を進めているほか、婦人 中心部に位置するフォイクアン区のスラムの 会は、青少年会の組織化とその活動にも深い 住民が土地を追われ、郊外に集団で移住する 関わりを持っています。 ことによって成立した地域です。まずスラム 青少年会は、子どもから 25 歳までの青年 を対象とする組織であり、ソーイ・ソーダで 時代のペッサヤームの動きを振り返ってみま しょう。 は、1995 年 12 月に結成されました。96 年 8 1958 年、約 12 ライの農地に 200 人ほどの 月現在、会員は 60 名です。バンコクの青少年 人々が住みついたのがペッサヤームの始まり 会は、青少年を麻薬から守ることを主な目的 です。やがて周辺に道路が整備され、市場や のひとつとしており、余暇時間を有効に過ご 映画館ができ、人口も増えると、ペッサヤー すための文化・スポーツ活動のほか、行政の ムはたびたび洪水に見舞われるようになりま 補助により、麻薬やエイズ問題に関する啓蒙 した。住民たちはコンクリート歩道を整備す 活動や合宿研修などを行っています。ソー るなどして対応しましたが、1985 年、バンコ イ・ソーダの青少年会は、バドミントンやサ ク都によって排水用の貯水池が整備されると ッカーなどのスポーツ活動のほか、麻薬問題 洪水問題は解決しました。しかし、これは地 に関する見学会や合宿研修に参加しています。 価の高騰を招き、ペッサヤームは立ち退き問 バンコク都は、チュムチョンの指定とカナ 題に直面することになってしまいました。 カマカーン・チュムチョンの組織化に続く住 1987 年 3 月、ペッサヤームの地主は、一方 民の組織化のいわば第 2 段階として、1990 年 的に借地契約を破棄し、土地を売却してしま 代以降、老人会、婦人会、青少年会の組織化 いました。5 月には、新しい地主が 30 日以内 を積極的に奨励しています。ソーイ・ソーダ に退去するよう要求しました。7 月、新しい においても、これらの新しい組織は、いずれ 地主は、退去を求める裁判所への訴状を示し、 もカナカマカーン・チュムチョンが行政から 移転補償として 1 軒あたり 4,500 バーツを支 の勧めを受け、それぞれの対象となる住民に 払うと申し出ました。この結果、経済的に余 呼びかけて結成されました。カナカマカー 裕のある住民、別に土地をもっている住民、 ン・チュムチョンは、これらの組織化のプロ そして脅迫された住民や警察の逮捕を恐れる セスに深く関わってきたのみならず、現在も 住民はペッサヤームを出ていき、従来のカナ これらの組織と緊密な連絡を保っています。 カマカーン・チュムチョンは解散してしまい そして、これらの組織からの行政に対する要 ました。全 290 世帯のうち貧しく他に行き場 求は、すべてカナカマカーン・チュムチョン のない 105 世帯が残されました。10 月に出さ に集約され、これを通して行政に伝えられて れた判決は、11 月中に退去しなければ、一切 バンコクの地域住民組織 (ケオマノータム)― 37 の補償はないという内容でした。 けれども住民はあきらめず、スラ ム支援の NGO などに支援を求め ました。そして、9 人の臨時カナ カマカーンを選出しました(会長 はオー氏)。10 月下旬、住民はデ モ行進し、退去までの猶予期間と 移転補償の増額を要求しましたが、 拒否されました。首相や国会にも 訴えましたが実らず、やがて警察 と軍がやってきて、住宅を排除し 始めました。カナカマカーンは、 関係する政府機関に要求書を送付 しましたが、これも無駄でした。 最後の手段として国王に救済を訴 えたところ、国王は、事実調査が 終わるまで、立ち退きを停止する という命令を発してくれました。 臨時カナカマカーンは、新しい 土地を購入することを決め、購入 費の頭金をつくるため、チュムチ ョンとしての貯金を始めることを 決定しました。家族を単位として、 まず 100 バーツで銀行に個人口座 出所:土地登録簿をもとに筆者作成 図4 チュムチョン・ペッサヤームの区画図 を開設し、月に最低 300 バーツを それぞれ貯金します。通帳はカナカマカーン 画、計 105 区画を住民に無料で提供しました。 が保管します。こうしてチュムチョンの全 場所はすべて抽選で割り当て、残りの 50 区画 105 世帯は、2 年間で 50 万バーツの資金をつ は、1 区画あたり 38,500 バーツで売り出しま くることができました。これは、土地購入費 した。土地売却による収入(計約 193 万バー の頭金として十分な額でした。1989 年 1 月、 ツ)は、チュムチョンの基金に組み入れ、諸 カナカマカーンは、総会を召集しました。住 経費その他の支払いに充てることにしました。 民は、バーンケーン区の新しい土地約 20 ライ 6 月に入ると、新しい土地への移転が始まり を 450 万バーツで購入することを決定しまし ました。住民は、チュムチョンの名前をいま た。3 月には、地主に 400 万バーツの立ち退 までどおりチュムチョン・ペッサヤームとし き補償を認めさせるとともに、住民は 6 月ま ました。新しい土地は、雑草が生い茂る低湿 でに退去するという契約を結びました。 地帯の一角で、地域内の最小限のインフラこ カナカマカーンは、新しい土地の中心部に そ住宅整備公団とバンコク都によって整備さ 約 4 ライの共有地を確保しました。これは小 れていましたが、排水路はなく、周辺地域に 学校や広場、子どもセンターなどのための用 アクセスするための道路もありませんでした。 地です。そのうえで、土地を 155 区画(1 区 チュムチョン内の道路も板を渡しただけの貧 画は 32 タランワー=128 平方メートル)に分 弱なものでした。したがって、これらの環境 けました(図 4)。そして、1 家族につき 1 区 改善がまず住民の仕事となりました。住民は、 38 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) 建築資材や労力を出し合って道路を整備し、 決します。総会は、夕方に開催されますが、6 次いで子どもセンターと地域保健センターを ~8 割の家族が参加するということです。総 自力で建てました。 会は、通常は月に 1 回、多いときには月に 2、 移転当初のペッサヤームには、105 家屋が 3 回という頻度で開かれています。道路の補 あり、130 世 680 人が住んでいました。現在 修や子どもセンター、地域保健センターの運 (1996 年)では、166 世帯約 800 人が住んで 営など、住民全体に関わる案件、とりわけペ います。住民の職業としては、現業部門など ッサヤームの「地域社会開発基金」に関わる の公務員、雇用者、小売業などが多いという 案件については、常に総会で決めています。 ことです。 ペッサヤームでは、チュムチョン会費とし て、全世帯から月に 25 バーツを集めています。 (2)カナカマカーン・チュムチョンの組織と財政 タイにおいて、チュムチョンの会費は一般に 臨時カナカマカーンは、移住とともに解散 存在しないので、これは全く例外的です。会 し、都の規約に則って、新しいカナカマカー 費は、地域の行事や会議費などに充てられて ンが発足しました。顔ぶれはほとんど変わり います。また、この会費とは別に、ペッサヤ ませんでした。定数は 7、その役職は、会長、 ームには、 「地域社会開発基金」があり、地域 副会長、書記、会計、登録、広報・渉外のほ 全体に関わる事業に用いられています。基金 か、独 自に 庶 務を置 いて い ます。 全員 が 50 は、移住してきた 1989 年に設立されました。 歳以上であり、男性が 3 人、女性が 4 人です。 その原資となったのは、スラム時代の住民の カナカマカーンの定例会議は、毎月最終日曜 貯金(50 万バーツ)、立ち退き補償(400 万バ にオー会長の自宅あるいは地域保健センター ーツ)、土地の売り上げ(約 193 万バーツ)を で開かれています。ただし、緊急の議題があ 合わせた約 643 万バーツです。ここから、新 ったり、地域の行事が近づいてきたりすると、 しい土地の購入費(450 万バーツ)および諸 臨時の会議が随時開かれるので、実際には、 経費(約 90 万バーツ)のほか、子どもセンタ 週に 2、3 回は会議が開かれています。議題は、 ーの建設費(約 11 万バーツ)、道路整備費(約 ゴミ、雑草、道路などチュムチョンの問題の 20 万バーツ)、電気・水道の整備にかかる借 全般にわたります。議事録が作成されており、 地料(40 万バーツ)が移転当初に支出されま 住民は希望すればいつでもこれを見ることが した。そして、その残額(約 32 万バーツ)を できます。カナカマカーン・チュムチョンか もとに基金が運用されてきました。この基金 らの情報は、おもに有線放送で住民に伝えら には、 「貯金会」から利子収入の 1 割が組み込 れます。地域内には数カ所にスピーカーが設 まれることになっており、ペッサヤームの「パ 置されており、毎朝 7 時から 1 時間ほど、地 ッタナー・チュムチョン基金」は、現在 100 域や行政の情報を伝える放送をしています。 万バーツを超える規模になっています。 放送施設には、係が常に詰めるようにしてい タイにおける「貯金会」は、任意加入の会 るので、緊急の場合は即座に情報を流すこと 員がお金を積み立て、必要に応じて融資を受 ができます。 けたり、利子収入の分配を受けたりする相互 地域全体に関わる重要な案件がある場合 扶助の組織です。一般に、タイでは、銀行融 は総会を召集しています。総会の参加単位は 資の金利が高く、資格審査も厳しいため、低 家族です。有線放送で住民に呼びかけ、子ど 所得層が銀行融資を受けることは容易ではあ もセンターやその前の広場を会場として開催 りません。 「 貯金会」を組織することによって、 されます。カナカマカーンがあらかじめ検討 急な出費や家の建築・修繕その他にかかる費 した複数のプランを提示し、質疑応答の後に、 用を低利で融通しあうことができ、またその 家族の代表者の挙手による多数決をもって議 利子が「貯金会」のものになるメリットが生 バンコクの地域住民組織 (ケオマノータム)― 39 じるのです。ペッサヤームの「貯金会」は、 民が協力して建設しました。地域保健センタ 1989 年に設立され、全世帯が加入しています。 ーには、救急薬品が常備してあるほか、住民 そして、 「貯金会」の利子収入の1割は基金に のための図書コーナーも設けられています。 組み込まれることになっています。チュムチ センターでは、区の派遣する医師や看護婦が ョン会費、地域社会開発基金、貯金会の会計 定期的に巡回して、保健・衛生に関する指導 は、すべてカナカマカーンの会計係が担当し、 や健康相談が行われています。地域保健セン その運営についてはカナカマカーンが管理し ターは、住民のボランティアで管理・運営さ ています。各会計簿が住民に公開されている れています。 ことはいうまでもありません。このほかペッ また、子どもセンターは、都の補助を受け サヤームでは、1992 年に、NGO からの資金 1 ながらチュムチョンが運営しています。子ど 万バーツをもとに、低所得者向けの職業開発 もセンターは、日本の保育所と幼稚園を合わ のための基金も設立されています。 せたような性格の施設であり、3 歳から 6 歳 までの子どもを預かり、学齢期前の教育を行 (3)カナカマカーン・チュムチョンの活動 っています。地域内外の幼児約 100 人を預か カナカマカーン・チュムチョンは、地域の っています(1995 年)。子どもセンターには、 さまざまな問題に対応しています。草刈りに 4 人の職員がいますが、いずれも地域の人で は、ほぼ 8 割の家族が参加しますが、不参加 す。子どもの親が負担するのは給食費だけで の家族からはペナルティとして 100 バーツを あり、幼児 1 人につき年間 150 バーツです。 徴収し、参加した人々の食事代にしています。 ペッサヤームでは、カナカマカーンの呼び カナカマカーンは、地域内の清掃・美化運動 かけによって、1993 年に老人会、婦人会、青 にも力を入れています。住民に呼びかけて地 少年会が組織されました。地域内のインフラ 域内の随所にごみ箱を設置しました。また、 整備が一段落したことから、地域活動をもっ 区から提供された消火器を設置し、日常的に と盛んにしようと考え、また同時に、カナカ 管理しています。また青少年が麻薬に手を出 マカーン・チュムチョンは地域全体のことを さないよう常に監視しています。ペッサヤー 扱い、個別の問題については新しい組織をつ ムでは、住民が亡くなるとその遺族に、地域 くってそれぞれ分担しようと考えたためです。 内のすべての家族からそれぞれ 100 バーツの 各組織の役員は、カナカマカーンの会議にも 見舞金を出すことにしています。葬儀費用の 出席しています。したがって、会議の出席者 援助が目的です。地域内の道路と歩道につい は 30~40 人の規模になりますが、議決権を持 ては、ほとんど住民が整備し、維持してきま つのは、いうまでもなくカナカマカーン・チ した。住宅整備公団や区からの援助はあった ュムチョンのメンバーだけです。 としても、材料など物品に限られるので、労 このように、ペッサヤームは、多くの困難 力は常に住民の提供でした。セメントを練り、 に直面してきましたが、カナカマカーン・チ コンクリートの道を造ることも住民がやって ュムチョンのもとに団結し、これらを乗り越 きました。湿地状の土地なので、浸水しやす えてきました。リロケーションにあたっては、 く、道路の維持は大きな仕事です。公共性の チュムチョンの公共用地をあらかじめ確保し、 高い道路の整備にかかる費用は、チュムチョ 子どもセンター、地域保健センターを自力で ンの基金から支出しています。 建設し、区画を抽選で割り当てるなど、土地 ペッサヤームには、地域保健センターと子 所有にまで踏み込んだ地域共同管理を実践し どもセンターがあります。これらの土地と建 てきました。貯金会やチュムチョン基金の運 物はいずれもチュムチョンの所有です。木材 営、子どもセンターの経営にみられるように、 や鉄など建築材料の多くは住民が提供し、住 効率的でありながら、同時に高い次元の公共 40 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) 性をもった地域経営を実現しています。カナ 井戸水の汲み上げで地盤沈下が起こり、10 数 カマカーン・チュムチョンの運営は、規約に 軒に被害が出ましたが、開発業者はこの訴え 基づき民主的に行われ、住民総会も頻繁に開 を無視しました。このため、住民が自分たち 催されるなど、公開と公平の原則が貫かれて の代表を選び、団結して交渉するために組織 います。 したのです。 こうしたペッサヤームの活動を支えてい カナカマカーンは 7 人で、その役職は、会 るのは、オー会長の卓越したリーダーシップ 長、副会長、書記、会計、広報、庶務、そし です。オー氏は、調査時点で 66 歳、定年まで て顧問です。委員の選出は、正月の托鉢の集 国鉄に勤めた年金生活者です。国鉄時代に労 まりの時に、住民が会長を選びます。立候補 働組合の活動に関わっていた経験がいまに生 や推薦が 1 人なら無投票で当選、2 人以上な きているといいます。貧しい人々は団結しな ら挙手で投票を行います。ここで選ばれた会 ければならない。チュムチョンの住民は助け 長が他の 6 人の役員を任命します。任期は 1 合わなければならない。そうした信念とペッ 年、再任は可能です。カナカマカーンの規約 サヤームに対する深い愛着がオー氏を動かし は一応ありますが、緩やかなものでとくに成 ています。 文化はしていないとのことでした。 調査当時、アンマリンニウェートのカナカ 3.3 新 興 住宅 チュムチョン―バーンケーン区 マカーンは、やや複雑な事情を抱えていまし 第 3 アンマリンニウェート第 3 期住宅 た。というのは、その 2 カ月ほど前に前任の (1)地域の概況 第 3 アンマリンニウェート第 3 期住宅は、 カナカマカーンが全員任期途中で辞職してし まい、サティアン氏らのグループがこれを暫 タウンハウスが連なる住宅地であり、2 階建 定的に引き継いでいたからです。辞職の理由 ての細長い団地風の建物が立ち並び、一つの は、 「住民が協力的ではなく、とりわけ会費を 建物が壁仕切で 10 数軒に仕切られています。 収めてくれないから」というものでした。サ 敷地面積は約 56 ライ。家屋数は 304 で、1988 ティアン氏らのグループが暫定的だというの 年に入居が始まり、調査時点の 1995 年 8 月現 は、公認カナカマカーンへの移行を準備中で 在、220 世帯、約 750 人が住んでいました。 あり、都の承認と選挙を控えていたからです。 投機目的で購入されたものも少なくなく、空 7 人の暫定委員は、30~40 歳代の人が中心で、 き家も多い。住民は 20~30 歳代の比較的若い 60 歳以上が 2 人、女性は 1 人です。 層が多く、職業的には、会社員、国営企業従 財政をみましょう。会費は「警備費」の名 業員、小売業などが中心です。都の調査によ 目で一戸あたり月額 150 バーツを集めていま れば、世帯収入は月額で平均 9,000 バーツ(約 す。というのも、アンマリンニウェートでは、 3 万円)ということであり、アンマリンニウ 5 人の警備員を雇っているからです。バンコ ェートは、新中間層のなかでは比較的下層の クの新興住宅地では、防犯上の理由から、敷 人々が住む地域です。タウンハウスという形 地をフェンスで囲い、入り口には遮断機のあ 式は新興住宅地のグレードとしては下の方に るゲートを設置し、警備員が人の出入りのチ なります。このため一戸建てへのステップア ェックを行っているのが普通です。アンマリ ップをめざす人もおり、定着率は必ずしも高 ンニウェートでも、当初は開発業者が警備員 くありません。 を雇っていたのですが、やがて廃止され、し ばらくは警備員がいない状態が続いていまし (2)カナカマカーン・チュムチョンの組織と活動 た。しかし、1992 年には泥棒の被害が相次ぎ アンマリンニウェートのカナカマカー ました。そこで、住民たちは、最終的には自 ン・チュムチョンは 1992 年に設立されました。 分たちがお金を出しあって警備員を雇い入れ バンコクの地域住民組織 (ケオマノータム)― 41 ることを決定したのです。この警備員の問題 のないカナカマカーンへのいわば補償として、 もアンマリンニウェートの住民がカナカマカ この連絡会への出席手当の支給と医療費の補 ーン・チュムチョンを設立するきっかけの一 助を行っています。しかし、未公認のカナカ つになったということです。 マカーンはこの特典を受けることができませ サティアン氏らのグループは、暫定委員を ん。また、都の地域社会開発政策の制度化が 引き受けるにあたり、チュムチョンの環境改 進むにつれて、情報伝達や予算、行政施策の 善を公約とするビラを全戸に配布し、会費を 優先順位などの面で、徐々に非公認であるこ 従来の 100 バーツから 150 バーツに引き上げ との不利益が生じるようになってきました。 る提案をしました。公約は大きく 3 つありま また、公認カナカマカーンへの移行は、都や した。第一は、警備員を 3 人から 5 人に増や 区の方針でもあります。こうした理由から、 すこと。第二は、ゴミの回収について、本来 アンマリンニウェートでも公認化への準備に はチュムチョンの入り口までしか回収に来な 入ったところでした。なお、国会議員は、裁 いところを各戸の前まで回収に来てもらう契 量の余地が大きい地域社会開発予算をもって 約を業者と結ぶことです。第三は、交通安全 います。アンマリンニウェートの有線放送の のために、車の速度を落とすための障害物を 設備は、国会議員への陳情により実現したも 道路に設置することです。これらの提案は住 のです。 民に受け入れられ、会費の値上げが実現しま さいごに、カナカマカーン・チュムチョン した。会計報告は文書にして全戸に配布しま に関する、サティアン氏の評価を紹介します。 した。なお、カナカマカーンのメンバーには アンマリンニウェートでは、地域活動に住民 一切報酬はないため、電話代やガソリン代な は一般に無関心であり、積極的に取り組もう どは持ち出しになるとのことです。 という人も多くありません。サティアン氏の カナカマカーンの会議は、必要に応じて、 好きな中国のことばに「棺が見えないと涙が おもに日曜日の夕方、メンバーの自宅で開か 出ない」というのがあるそうです。つまり、 れています。議題となるのは、これまでみて 大きな問題が起きなければ、住民は団結する きたような防犯やゴミの問題のほか、青少年 ことの重要さがわからないということです。 の麻薬、地域内に入ってくる移動販売の車の アンマリンニウェートの住民は定住の意思が 騒音、近所の犬の鳴き声など、地域で起きて 弱く、地域よりも私生活を重視する傾向が強 いる問題の全てです。 くみられます。近所づきあいはあまりなく、 アンマリンニウェートの行事としては、新 近所に泥棒が入っても知らんふりです。しか 年会やソンクラーンなどがあり、僧侶の托鉢 し、サティアン氏は、地域にともに暮らして が行われますが、地域独自の行事は少なく、 いる以上、住民組織と住民の代表は必要であ 住民の参加も 3 割ほどでしかないとのことで ると強調します。地域にはさまざまな問題が した。住民に情報を伝える手段として有線放 あり、自分たちの利益は自分たちで守る以外 送があります。このほか、会費の値上げなど、 にないのだから、住民は団結することが必要 重要な問題に関してはチラシを作って全戸に なのです。たとえ「棺が見えない」としても。 配布しています。 以上のように、アンマリンニウェートでは、 行政との関係をみておきましょう。バーン 住民の無関心と非協力的な態度に悩まされな ケーン区役所では、他の区と同様、月に 1 回、 がらも、カナカマカーン・チュムチョンのメ 区内のカナカマカーン・チュムチョンの会長 ンバーは、住民組織が存在することの意義を と書記が集まる連絡会が開かれています。こ 強調し、多くの地域問題に取り組んできまし の連絡会には、非公認のカナカマカーンも出 た。都の公認カナカマカーンへの移行が実現 席することができます。バンコク都は、報酬 すれば、組織の形式的な要件は今よりも整う 42 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) ことになります。その後、アンマリンニウェ 民側にも乱立するグループを一本化したいと ートのカナカマカーン・チュムチョンはどう いう要望がありました。カナカマカーンは、 いう方向へ向かうのでしょうか。住民の協力 各棟の代表 1 名を選挙で選び、計 32 名で構成 と参加を得て、より実質的な自治を実現して することにしました。ところがこのカナカマ いくでしょうか。それとも、一部を除き、い カーンは、1985 年に「都規約」が制定される っそう住民の無関心が深まってしまうのでし と、都行政との関係からは「未公認」の立場 ょうか。バンコクにおける新中間層の地域活 になってしまいました。当初はそれでもとく 動への参加を占う意味でも、今後の動向が注 に不都合はありませんでしたが、地域社会開 目されるところです。 発政策が本格的に展開するなかで、カナカマ カーンの制度化が進むと、 「未公認」であるこ 3.4 公団住宅チュムチョン―ディンデー との不利益が次第に生じるようになってきま ン区ディンデーン第一公団住宅 した。それはチュムチョン連絡会の出席手当 (1)地域の概況 や医療費補助の特典ばかりではなく、行政か ディンデーン公団住宅は、1963 年に内務省 らの情報伝達や施策の優先順位などの面でも 社会福祉局が建設に着手し、1973 年に住宅整 顕著になりつつありました。また「公認」へ 備公団に引き継がれ、翌 1974 年に完成しまし の移行は、都や公団の意向でもあります。そ た。一帯はもとはゴミ処理場と水田だったが、 こでディンデーン第一公団住宅のカナカマカ 1951 年 に 社会 福 祉 局 が低所 得 層 向 けの公 共 ーンは、1996 年の改選を機に「公認」として 住宅として木造 2 階建の集合住宅を建設しま 改組することを決め、同時に人口規模と地理 した。これが老朽化しスラム化していたのを 的な条件から、チュムチョンを 2 分割するこ クリアランスし、建設したのが現在のディン とにしました。 デーン公団住宅です。ディンデーン公団住宅 新しいチュムチョン名は、ディンデーン公 は、鉄筋コンクリート 5 階建の集合住宅 64 団住宅(以下「ディンデーン」と略記)と従 棟のほか、住居兼用の商業ビルや分譲の高層 来の名称をそのまま引き継いだディンデーン 住宅などが建ち並ぶ住宅地ですが、このうち 第一公団住宅(「ディンデーン第一」)としま 初期に建設された住宅 32 棟がディンデーン した。前者は 1~20 号棟(1998 年現在、1,312 第一公団住宅です。区の調査によると、住民 部屋、1,300 世帯、5,500 人)、後者は 21~32 の職業は雇用者と商業自営が 8~9 割を占め、 号棟(672 部屋、750 世帯、3,200 人)です。 公務員、公営企業勤務などが 1 割程度います。 カナカマカーンは、従来の各棟 1 名の選出で 平均世帯月収は約 12,000 バーツで中程度で はなく、都規約にもとづき各 25 名の定員とな あり、40 歳代の世帯主を中心とする家族が多 りました。ディンデーンは 18 名の立候補で無 くなっています。ゴミと衛生状態に問題があ 投票当選、ディンデーン第一は 40 名が立候補 り、また蚊の発生にも悩まされています。 し選挙となりました。ディンデーンは欠員選 挙を実施しなかったので、新しいカナカマカ (2)カナカマカーン・チュムチョンの組織と活動 ーンは、ディンデーンが 18 名、ディンデーン さて、ディンデーン第一公団住宅のカナカ 第一が 25 名での再出発となりました。ディン マカーンは、1977 年、公団からの呼びかけで デーンの会長はルアンヨット氏。露店商を営 設立されました。以前にも多くの住民グルー む 49 歳の男性で居住歴 13 年です。ディンデ プがあり、自然発生的なリーダーたちが地域 ーン第一の会長はサニット氏。63 歳の男性で をまとめていました。正式なカナカマカーン 居住歴 21 年。これまで 1 期 2 年を除きカナカ の設立は公団の方針であり、公団からの呼び マカーンの会長を務めてきました。 かけが設立の直接の契機となりましたが、住 ここではおもにディンデーン第一の活動 バンコクの地域住民組織 (ケオマノータム)― 43 を紹介することにしま しょう。定例会は各委 員に招集状を出し、年 4 回、土曜の夕方に管 理事務所の会議室を借 りて開催しています。 議事は、会長報告、議 事録確認、事業報告な どです。おもな行事に は、正月の托鉢やソン クラーン、国王・王妃 の誕生日祝賀会などが あります。これらの行 事は現在もディンデー ンと合同で実施してい ます。毎週金曜には、 管理事務所や区と協力 してチュムチョンの清 掃を行っています。ま 出典:筆者撮影 図5 ワット・ユアンクロンランパックの概況図 た、カナカマカーンは、 都・区議会議員に環境 改善のための予算請求を行っており、1997 年 ン」として都から、また「きれいなチュムチ には、各棟の屋上にある貯水槽の清掃と各棟 ョン」として区から、それぞれ表彰されてい に置かれたゴミ箱にフタを設置することが実 ます。ディンデーン第一において、住民の要 現しました。防災面では、防火訓練を行うほ 求はすべてカナカマカーンに集約され、区や か、区から提供された消火器 52 個を各棟に設 公団、議員に伝えられています。 置し、そのメンテナンスをしています。 カナカマカーンは、露店商の支援策をめぐ る公団と商店主との交渉を仲介するほか、チ ュムチョンにある「子ども基金財団」の運営 3.5 過密無秩序チュムチョン―ドゥシット区チ ュムチョン・ワット・ユアンクロンランパック (1)地域の概況 にも関わっています。この基金は成績優秀な ワット・ユアンクロンランパックは、運河 貧困家庭の子どもに奨学金を提供するもので および運河沿いの都有地を不法占拠して形成 す。会長をはじめとするおもな委員は、都や されたスラム地域であり、T 字型の形状をし 区が主催する研修会に出席するほか、宿泊を ています(図 5)。東西、南北とも 800m ほど ともなう研修旅行への参加も多くなっていま で、面積は 8 ライ、2004 年現在の家屋数は 300、 す。研修のテーマは、地域社会開発や「市民 世帯数は 600、人口は 3,000 人ほどであり、 社会」、住民参加に関するものです。チュムチ バンコクのチュムチョンの平均的な規模より ョンには、スポーツ、健康づくりや職業訓練 かなり大きいといえます。運河に人が住み着 のための活動もありますが、これらはカナカ くようになったのは 1930 年代半ばとのこと マカーンを母体に新たに結成された老人会や ですが、1970 年代後半に北部および東北タイ 婦人会によって担われています。なお、ディ の農村が干ばつに見舞われると、これをきっ ンデーン第一は、1996 年に「優秀チュムチョ かけにバンコクに流入してきた人々が集まっ 44 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) 表7 ワット・ユアンクロンランパック関係年表 未組織の時代 時期区分 年次 1930 年代 〈スラムの形成〉 自主的組織化の時代 〈立ち退き問題とインフラ整備〉 1978 年頃 1982 1986 1987 1988 1990 K 会長の時代 〈公認化への移行と経済開発の試行〉 1991 1992 1993 1995 1996 S 会長の時代 〈地域環境の改善と地域活動の拡充〉 1997 1998 2000 現在 項目 運河に人が住み始める 人口が増加しスラム形成 自主的なカナカマカーン・チュムチョンの設立 統一スラム開発協会に加盟 子どもセンターの建設 (タイ・ワールド・ビジョン財団、スラム子ども保護財団の支 援) 上水道整備の完了 仮番地の交付 電気整備の完了 婦人会の発足(供物用の花作りなど) 貯金会の設立(→後に運営に失敗・解散) 区による地域社会開発専門職員の派遣 K 氏(女性)が会長に就任(~2000 年) 貯金会の再設立(ワールド・ビジョン、UCDO の支援)、UCDO 登録 排水問題発生 (20 家屋の火災発生→建替にともないチュムチョンから外部 への排水口が塞がる) ドゥシット区スラム・ネットワークの結成 婦人会の改組(料理店経営) カナカマカーン・チュムチョンの公認化 青少年会の発足 S 会長の就任(~現在) 歩道のコンクリート化の完成 貯金会・婦人会解散、スラムネットワーク脱退 月例地域一斉清掃の実施 スポーツ・健康活動(サッカー、タクロー、エアロビクス) 出典:K 会長(1995 年、2000 年)、S 会長(2004 年)からの聞き取り、遠州(1997)により作成 て住むようになり、100 家屋ほどのスラムが 役のほか、日雇の現場労働などが多いとのこ 形成されるようになりました。その後、行政 とです。しかし失業者も多く、環境・衛生問 当局による不法占拠の取り締まりは厳しくな 題と並んで深刻な地域問題となっています。 りましたが、それでもスラムは拡大し、住民 麻薬問題に関しては、数年前までは子どもを は増え続けてきました。 含めて深刻でしたが、近年はやや落ち着いて ワット・ユアンクロンランパックの家屋は、 きているとのことです。 つぎはぎだらけの密集したバラック状であり、 人がようやくすれちがえる程度の歩道を除け ば、オープンスペースはほとんどありません。 (2)カナカマカーン・チュムチョンの設立と公認化 ワット・ユアンクロンランパックとカナカ 当初は電気も水道もなかったのですが、これ マカーン・チュムチョンの沿革を表 7 に示し らは 1990 年までにほぼ整備されました。老朽 ます。ワット・ユアンクロンランパックにお 化していた木製歩道のコンクリート化は いてカナカマカーン・チュムチョンが設立さ 2000 年までに完了しましたが、生活排水はい れたのは 1982 年のことです。当時はバンコク まだ溝を穿っただけの排水路に垂れ流しにな 都による追い立てが厳しく、カナカマカーン っており、いたるところで水がよどみ、汚水 は、住民の団結と行政への対抗をおもな目的 が床下を覆っています。住民の職業としては、 として、住民を代表する組織を求める住民の 屋台での小売・飲食業や隣接する市場での雑 自発的な動きとスラムを支援する NGO の呼 バンコクの地域住民組織 (ケオマノータム)― 45 びかけが相まって設立されました。それ以前 ーバー参加だった区役所でのカナカマカー にもたとえば高齢者同士の助け合いなどの関 ン・チュムチョン月例連絡会へも正式な参加 係はみられましたが、特定の住民組織は存在 となって、出席者 2 名(多くの場合会長と書 していなかったとのことです。 記)には 200 バーツの費用弁償がなされるこ 立ち退き問題への対応と並んで、カナカマ とになったのです。また、カナカマカーン・ カーン・チュムチョンが取り組んだ重要な課 チュムチョンのメンバーとしての身分証明書 題が地域生活基盤の整備です。不法占拠地域 が発行され、医療費の補助を受けられるよう であるがゆえに正式な住所(「番地」)も与え になりました。 られていなかった当時のワット・ユアンクロ ンランパックにおいて、定住の基本条件であ (3)カナカマカーン・チュムチョンの組織と活動 る水道や電気を整備することは容易な課題で 2004 年現在、カナカマカーンのメンバーは はありませんでした。そうしたなかでまず水 11 名であり、都規約にある会長、副会長、書 道は、スラム対策の一方の責任機関である住 記、会計、登録、広報渉外のほか、独自にス 宅整備公団に支援を要請し、これを介してバ ポーツ担当、児童青少年担当、高齢者担当を ンコク都に働きかけるという手順を踏んでよ 置いています。このうち女性は書記と高齢者 うやく整備されることになりました。1987 年 担当の 2 名です。会長のソムポップ氏をはじ のことです。電気は、有力者に働きかけ、初 めとする主要なメンバーは 2 期目となってい 期費用を個人負担の原則とすることで整備が ます。なお前会長のクロンシン氏は女性であ 実現しました。まず 40 家屋に 1 戸あたり 3,800 り、公認化前の 1992 年から 4 期 8 年間、会長 バーツの自己負担金で電気が引かれ、その後 を務めました。公認後初めてのカナカマカー 3,600 バーツの自己負担となって 1990 年まで ンである 1998 年選出のメンバーは 13 名中 10 にはほぼすべての家屋に普及しました。この 名、続く 2000 年選出のメンバーは 9 名中 8 ようにカナカマカーン・チュムチョンが組織 名が女性であり、前会長の時代には女性が中 されることによって住民要求の集約と代表が 心となった運営がなされていました。 可能になり、インフラ整備をはじめいろいろ なことが実現できるようになったのです。 行政による追い立ては断続的に続き、住民 立ち退き問題が深刻だった時期には「会 費」として各戸から月 20 バーツを集めていま したが、これは強制退去という緊急時に備え の「権利」は無視されてきましたが、地域社 るための積立金という性格をもっていました。 会開発政策が本格的に展開されるようになり、 いまは行事などの際に必要に応じて寄付を募 1988 年 に 各区 役 所 に 地域社 会 開 発 課が設 置 るようになっています。カナカマカーンの会 されると、その対応は現実をふまえた方向へ 議は、前会長の時代には 2~3 ヶ月に 1 回の頻 と変化しました。1988 年には「番地」が与え 度で会長宅または子どもセンターで開かれて られ、1991 年には区役所から地域担当の地域 いましたが、現在は月に 1 度、土曜の午前に 社会開発専門職員が派遣されるようになりま 近くの寺院の講堂を借りて開かれています。 した。そして 1997 年、カナカマカーンは都に カナカマカーン・チュムチョンは地域問題 よって「公認」されるにいたりました。これ 全般にわたって住民の啓発活動を行っていま は行政が不法占拠地域の存在を「公式」に認 す。保健・衛生に関する情報を提供し、行政 め、他のチュムチョンと同等の扱いをするこ 主催の研修会にメンバーを派遣しています。 とを意味します。これをもってワット・ユア 情報の伝達や地域行事の告知には、有線放送 ンクロンランパックは、他のチュムチョンと や掲示板を用います。ソムポップ会長の時代 同様、月 2,000 バーツを上限とする「地域社 になってから、月に 1 度、排水溝をはじめと 会開発促進費」の配分を受け、従来はオブザ するチュムチョンの一斉清掃を住民総出で行 46 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) うようになりました。住民の参加状況は良好 これにはカナカマカーン・チュムチョンの主 であるとのことです。またカナカマカーンは、 要メンバーも出席していました。このように ドゥシット区からの委任を受け、高齢者や障 貯金会の実質的な運営母体は当時のカナカマ 害者に対する生活保護の受給者の推薦も行っ カーン・チュムチョンでした。また婦人会は ています。 NGO と行政の勧めによって 1990 年に発足し チュムチョンの親睦行事としては、新年会、 ました。当初は供物用の飾り花づくりの習得 ソンクラーン(これは敬老会を兼ねています)、 と販売など、女性たちの雇用創出と職業訓練 こどもの日の祭り、王妃・国王誕生日祝賀会 が目的でしたが、販路などの面で発展が望め などがあります。これらを主催するのもカナ ないところから、1996 年に改組し、2000 年の カマカーン・チュムチョンです。 時点では約 20 人のメンバーがチュムチョン 援助基金も活用して屋台による飲食店を経営 (4)住民自治組織としてのカナカマカーン・ チュムチョン カナカマカーン・チュムチョンと他組織や していました。店の利益はメンバー間で分配 するほか、地域内にある「子どもセンター」 で雇用している 2 人の保母の人件費にも充当 行政・NGO との関係をみていくことにしまし していました。「チュムチョンの店」(クロン ょう。 シン 前会長)であり、前会長を含め当時のカ 第一に、カナカマカーン・チュムチョンは、 ナカマカーン・チュムチョンのほとんどは婦 地域組織の設立と運営の母体となっています。 人会のメンバーでもありました。このように 青少年会は、麻薬対策を含め青少年の健全育 ワット・ユアンクロンランパックの青少年会、 成を目的とする組織であり、1997 年に発足し 貯金会、婦人会はいずれもカナカマカーンの ました。100 人近いメンバーがおり、サッカ 主導のもとに設立され、その運営にもカナカ ー、タクロー、セパタクローなどのスポーツ マカーンが深く関与していることがわかりま を楽しんでいます。チュムチョン内にはスポ す。なお、これらのうち貯金会と婦人会は、 ーツのできるオープンスペースがないため、 カナカマカーンがソムポップ会長を中心とす カナカマカーンの会合も開かれる寺院の駐車 るメンバーに交代した後にいずれも解散して 場の一角を借りてミニサッカーコートなどを おり、現在は存在していません。 常設しています。青少年会の会長は、カナカ マカーンの副会長の兼任となっています。 第二に、カナカマカーン・チュムチョンは、 行政や NGO との関係において住民を代表す そのほか前会長の時代までは「貯金会」と る組織です。カナカマカーンを窓口として、 「婦人会」がありました。貯金会は、会員が ハード面では、水道、電気、コンクリート歩 お金を積み立て、必要に応じて低利・無担保 道などのインフラ整備が実現しました。水道 で融資を受ける互助組織です。貯金会は政府 と電気については前述したとおりですが、歩 の外郭団体である「都市コミュニティ開発事 道については、木製歩道が老朽化し傷みが激 務所」にも登録し、政府基金による融資も受 しくなったことから、カナカマカーンは都議 けていました。利子収入は地域活動にも使わ 会議員に陳情を行いました。その結果、1992 れていたところから「チュムチョンの銀行」 年にセメントなど現物の提供がなされること (クロンシン前会長)という性格も有してい になり、住民の労力奉仕によって徐々に整備 ました。2000 年の時点で会員は 85 人、預金 が行われてきました。歩道のコンクリート化 高は 33 万バーツほどでした。会員の互選によ がすべて完成したのは 2000 年のことです。 る運営委員が 5 人選出されていましたが、こ また、チュムチョン内にある「子どもセン のうち 2 人はカナカマカーン・チュムチョン ター」は NGO(タイ・ワールド・ビジョン財 のメンバーでした。運営委員会は毎月開かれ、 団、スラム子ども保護財団)の支援によって バンコクの地域住民組織 (ケオマノータム)― 47 建設されたものですが、こうした援助の受け いる現在の仕事と生活を放棄することを意味 皿もまたカナカマカーン・チュムチョンです。 します。したがってとうてい受け入れられな 子どもセンターは、保母 2 人体制で 30 人ほど いというのが住民の立場です。ドゥシット区 の子どもを預かる託児所の機能をもつほか、 役所によると、不法占拠地域のカナカマカー 乳幼児を対象に栄養改善や子育て教育のボラ ンについても都の方針により公認化する方向 ンティア活動が行われる場ともなっています。 にありますが、それは不法占拠を容認すると その運営は現在もカナカマカーンが担ってい いうことではなく、リーダーを中心に住民を ます。 組織化して、リロケートのまとめ役および交 ワット・ユアンクロンランパックは、バン 渉窓口とし、最終的にはスラムの解消に資す コク都のスラムの連合組織である「統一スラ るためです。現在の居住地での生活と環境改 ム開発協会」に加盟しています。またいまは 善を望む住民と行政の立場の違いは依然大き 脱退してしまいましたが、1996 年にドゥシッ いといわなければなりません。 ト区内の 12 の過密無秩序チュムチョンが連 さて、ワット・ユアンクロンランパックの 絡会を立ち上げた時の設立メンバーでもあり これまでの歩みは、4 つの時期に区分するこ ました。この連絡会はチュムチョンに貯金会 とができます(表 7)。第一はスラムの形成期 があることが加入の条件であり、貯金会の存 であり、この段階では住民の組織化はなされ 在は貧困地域でありながらも一定の管理能力 ていませんでした。第二は自主的なカナカマ を有することを意味します。この連絡会の目 カーン・チュムチョンの時代であり、この時 的はスラム地域の連帯の強化であり、毎月会 期には行政による追い立てへの対抗と基本イ 合を開いていました。これも前会長が中心に ンフラの整備が重要な課題となっていました。 なっていたので、会長の交代とともに脱退す 第三は、クロンシン前会長の時代であり、行 ることになったようですが、こうした連合組 政との一定の緊張関係のもとで公認化への移 織への加入・脱退もまた住民の意向をふまえ 行がなされる一方、結果的に実を結ばなかっ たカナカマカーンの意思決定によるものです。 たものの女性たちによる経済基盤の確立が試 第三に、立ち退き問題への対応は、カナカ みられました。そして第四は、現在のソムポ マカーン設立の契機となったばかりではなく、 ップ会長の就任以降であり、行政との協力関 いまなお住民の最大の関心事であり、カナカ 係を背景にした地域環境改善と地域活動の拡 マカーンが取り組むべき最重要課題のひとつ 充が図られています。ワット・ユアンクロン であり続けています。立ち退き問題は一時ほ ランパックのカナカマカーン・チュムチョン ど深刻な状況ではなくなっていますが、けっ は、その発足以来、それぞれの時期に固有の して解決したわけではありません。ワット・ 地域課題に取り組む住民組織であり続けてき ユアンクロンランパックが都有地の不法占拠 たということができるでしょう。 によって成り立っていることから、カナカマ カーンは行政のスラム政策の変遷に無関心で はいられません。ピチット元都知事(1996 年 4 タイの都市社会における 住民組織の意義と課題 就任)は、都有地の不法占拠をほぼ黙認し、 スラムの環境改善を進める政策を取っていま 以上みてきたように、タイの都市における したが、サマック前都知事(2000 年就任)は、 カナカマカーン・チュムチョンは、①行政に スラムの郊外へのリロケートを促進する政策 よって制度的に認知された「地域区画性」と、 を打ち出しました。郊外へのリロケートは、 ②住民と行政を媒介する組織として住民と行 もしそれが資金等の面で可能だとしても、利 政の両者から正当性を付与された「地域代表 便性の高い中心部であるがゆえに成り立って 性」をもち、③地域社会開発のための行政的 48 ―ヘスティアとクリオ Vol.4(2006) 必要から組織化された「行政末端組織」であ 進み、都市・地域問題がスラムに集約的に現 ると同時に、④経済、社会、物的、保健衛生、 れ、やがて全域に拡大していきました。制度 精神という各面にわたる包括的機能を担う 的な対応を迫られた政府およびバンコク都は、 「地域共同管理組織」であるということがで 限られた財政のもとでの行政効率(「自助」) きます。行政との緊張関係をもたざるをえな と地域社会開発政策の正当性の確保という観 い不法占拠地域のスラムもまた例外ではなく、 点から、住民の組織化を要請しました。これ むしろカナカマカーンの原型として、住民自 がチュムチョン組織化の政策的背景です。し 治組織としての性格をより強く有しています。 かし、それはまた、近年の民主化・分権化の この意味で、カナカマカーン・チュムチョン 潮流を反映するものでもありました(「参加」)。 は、日本の町内会と比較可能な住民組織です。 カナカマカーン・チュムチョンの組織化によ また、チュムチョンはコミュニティにあたり、 り、住民組織という自治の器は整いつつある カナカマカーンはこれを母体とするアソシエ といえます。そして、行政と地域社会の状況 ーションであるということもできるでしょう。 を概観してきた限りにおいて、タイの都市社 チュムチョンの組織化をめぐっては、もち 会はいまや内実をともなった自治への段階を ろん問題点も指摘されています。第一に、住 展望できる地点に到達したといえるのではな 民の組織化にともなう「政治的問題」があり いでしょうか。 ます。国会議員、都議会議員はそれぞれの裁 付 量で使える予算をもっているため、特定のチ 記 ュムチョンに利益を誘導することで、まとま った票を期待することができます。こうして、 本稿は、コミュニティ・自治・歴史研究会 チュムチョンが圧力団体になると同時に、住 第 6 回研究会(2006 年 7 月 23 日)での報告 民の政治家への依存が強まるという指摘です。 をもとに加筆・修正したものである。また本 たしかにこうした問題は存在するようです。 稿は、以下の文献リストに掲げる複数の既発 しかし、タイの民主化と分権化の現状をふま 表論文の内容(筆者名による単著および共著) えるならば、これはいわば過渡的な現象であ に多くを負っていることをお断りしておきた り、地域社会開発政策およびチュムチョンの い。 組織化の展開のうえで、致命的な問題とはい えないと思います。 文 第二に、とくにバンコクの場合、都が一律 献 的な規約を用意し、 「上」からの組織化を進め ている事実を重視し、チュムチョンおよびカ 遠州尋美, 1997,「内発的発展への参加型アプロ ナカマカーンは行政の下請組織または住民要 ーチ—貯蓄・信用組合と主体形成:タ 求の表出の媒体でしかなく、自治組織たりえ イ UCDO の挑戦」『日本福祉大学経済論 ていないという批判もあります。これもまた 集』第 14 号, pp.1-38. 理念としては正当であれ、やや厳しすぎる評 藤井和佐, 2004,「バンコク都中間層居住地域に 価であるように思われます。なによりこうし お け る 地 域 力 の 担 い 手 —文 化 変 容 と た制度論に偏った立場からは、多くの問題を ジェンダーの観点から」岡山大学大学院 はらみながらも、いま蓄積されつつあるチュ 文化科学研究科『文化共生学研究』第 2 ムチョンでの豊かな実践を見据えることが困 号, pp.21-33. 難になるでしょう。 牧田実・マリー ケオマノータム, 1997,「バン まとめに入ります。バンコクでは、都市政 コク中心部の地域住民組織―カナカ 策・行政が不在のままに、爆発的に都市化が マカーン・チュムチョン・ソーイ・ソー バンコクの地域住民組織 ダの事例」『名古屋大学社会学論集』第 マリー 18 号, pp.15-32. マリー マリー ケオマノータム・牧田実, 1998,「バン ―アジアと欧米の国際比較』自治体研 コク郊外部の地域住民組織―カナカ 究社, pp.33-57(= Malee Kaewmanotham, マカーン・チュムチョン・ペッサヤーム MAKITA Minoru and FUJII Wasa, 2003, の事例」 『宇都宮大学国際学部研究論集』 “Community-Based Organization in Urban 第 5 号, pp.1-15. Thailand: Community Development and the ケオマノータム・牧田実, 1998,「バン Khana Kammakan Chumchon”, NAKATA コクにおける地域社会開発政策の展開 Minoru ed., Building Local Autonomy: A と地域住民組織」中田実・板倉達文・黒 Sociological Study of Community-based 田由彦編著『地域共同管理の現在』東信 Organization among 11 countries, Tokyo: Jichitai-Kenkyusya Publishing, pp.52-79.) ケオマノータム, 1998,「バンコクにお ケオマノータム・牧田実, 2005,「バン ける地域住民組織と新中間層―新興 コクのスラムにおける地域住民組織― カナカマカーン・チュムチョン・ワッ ン」 『宇都宮大学国際学部研究論集』第 6 ト・ユアンクロンランパックの事例」 『宇 都 宮 大 学国 際学 部 研 究論 集』 第 20 号 , ケオマノータム(訳), 1998,「タイ」 pp.1-13. 資 松園(橋本)祐子, 1999,「バンコクの都市住民 料集』 (平成 7~8 年度科学研究費補助金 組織―プロジェクト協力型から自助 (国際学術研究)研究成果報告書), pp.6 的開発型組織へ」幡谷則子編『発展途上 中田実編『住民自治組織の比較研究 -30. マリー マリー 住宅地のカナカマカーン・チュムチョ 号, pp.27-39. マリー ケオマノータム・牧田実・藤井和佐, 2000,「タイ」中田実編『世界の住民組織 堂, pp.232-245. マリー (ケオマノータム)― 49 ケオマノータム, 2000,「タイにおける 構造変動と地域運動」古屋野正伍・北川 国の都市住民組織―その社会開発に おける役割』研究双書№493, アジア経済 研究所, pp.125-152. 隆吉・加納弘勝編『アジア社会の構造変 動と新中間層の形成』こうち書房, pp.148-166. (宇都宮大学国際学部・助教授/地域社会学)