Comments
Description
Transcript
中国マスメディアの実態と微博革命 - 中国の科学技術の今を伝える
中国マスメディアの実態と微博革命 新浪財経日本支局長@蔡 成平 ―日本科学技術振興機構中国総合研究センターにて ―2013年3月21日 一 マスコミかマスゴミか? 中国にはジャーナリズムはあ るか。そういう質問を受けるこ とがある。私はまだ、ない、と 答える。なぜなら、私が北京 駐在記者として仕事をしてい た2002年-2008年、中国マス コミはマスコミとしての責務を 果たしていないようにおもうこ とが多かったからだ。(序・冒 頭) 中国にはマスコミは あるか。 「南方週末 真のメ ディア、価値ある前 進」 坂尻信義/『 朝日新聞』1月28付 環球時報2010年2月9日 中国マスメディアの変容 ►誰の喉舌か?党、人民? 1949年、中国の新聞紙281種類 →1950年代から60年代、1700種類まで急増 →1970年代文革で、人民日報、解放軍報など党と軍の機関紙に限定され 、種類は42にまで減った →1980年、382種類に回復。1989年、1618種類に達した。発行部数も1980 年の7415万部から、1989年の1億5148万部へと倍増。 ⇒倍増の原因は? ①文革が終わり、改革開放政策が導入。 ②1981年から経営請負制の導入。新聞は依然党の指導の下に置かれてい たが、その経営は次第に独立採算制度に組みこまれ、広告、販売政策の 転換や多角経営化が進行。つまり、従来のような「政策宣伝のための新 聞」ではなく、「買って読むに値する新聞」を作る必要性が生じてきた 。 党機関紙の減少 ⇒党機関紙 新聞紙数全体の数字に占める比率、急減 1978年、95%以上→1991年、27.1%まで転落。 発行部数も急減 1978年、5500万部(中央、地方合わせ)→1985年、2800万部 。 『人民日報』:1979年、600万部超→1991年、200万部まで転 落。 ⇒「青年報」、「経済日報」などの専門紙、庶民生活を中心 とする夕刊紙、海外情報を転載する「参考消息」などが急増 。 朱家麟『現代中国のジャーナリズ ム』(田畑書店、1995年) 都市報の勃興 ►「1999年、中国国内の新聞業界の広告収入はほぼ110億元に達し、1983年 の145倍。新聞業界の産業化の趨勢は日増しに強まっている。1990年代前 半5年間の広告収入の年平均増加率は60.9%で、5年間に5.7倍に増えた」 。 ►1990年代後半、成都、武漢、広州など各地で「都市報」が刊行。 新聞社が独自の販売網を整備し、景品付きや値引きなどで激しい販売合戦 を演じながら部数を伸ばしていった。 「人民日報」も、上海地区で「華東版」、広東地区で「華南版」を発行。 中央の新聞も地域のニュースを盛り込まなければ、広告面でも販売面でも 取り残されてしまう恐れがある。 宣伝機関の時代なら、人民日報は党の機関紙であり、中央紙、全国紙と称 することができたが、市場経済時代に入って、北京に鎮座しているだけで は済まされなくなった。 報業の集団化 ►競争が激化→弱小新聞の経営が悪化→新聞の整理統合=集団化の方針。 一部には株式化を進め、株を公開したり、民間からの投資を引き込む新 聞社も現れた。有力新聞を中心に各地で集団化の動きが進んだ。 広東、「広州日報」集団、「南方日報」集団、「羊城晩報」集団が形成 され、三つ巴の戦いを演じている。 上海、「文匯報・新民晩報」集団と「解放日報」集団が激しい競争に入 って、朝刊、昼刊、夕刊と一日3回発行する新聞まで現われた。 1999年10月南京では、激しい価格合戦の結果、通常価格の1/5、一部0.1 元の新聞まで登場し、当局が0.3元という最低価格を設定して収拾に動い た。 庶民に身近な事件、小さな汚 職や不動産や物価のような社 会ニュースが中心 公称250万部と自称、党機関や学校、国 有企業の半ば強制的な公費購読、 1993年創刊、中国の『産経新 聞』と呼ばれている。国際時 事紙、党の宣伝的内容に沿い ながらも、庶民受けする反日 的論調などで部数を稼ぐ人気 紙。ナショナリズムを利用。 通信社:新華社/中新社 発行部数287万部、中国最大の 日報。「環球時報」とともに 唯一外電を転載できる新聞紙 の一つ。 南方報業伝媒集団(南方系) 都市報の現状図 目前,旧有体制壁垒尚未完全打破 ,区域市场格局中,强势媒体优势 明显。 北京、上海、广州的报纸相对具备 全国或跨区域的优势影响力。 市场主体更加明确,有效开辟市场 化融资渠道。 地域特色 北京、上海、广州がリードー。 北京:官製多、保守→北方系 -北京 上海: ビジネス紙 -上海 -广州 广州:市場化、リベラル→南方系 二 ネットメディアの発展 ►日本→重視していない。 取材の経験(人民日報、新華社、中央テレビなどより難しい。 ) 取材原稿をネットメディアに転載していけないとか。 ポータルサイトYahooジャパン、livedoor、excite、gooなど。 中国と比べにならない。 ►中国→最も重視しているメディアであろう。 急激な変貌を遂げる中国社会のスピードに唯一対応できるメデ ィアがネットと言っても過言ではないだろう。 ネットメディア ►1990年代(特に1995年以降)、中国メディア界の特徴はインターネット 報道が急速に発展した。 ネットユーザが年々倍増し、2000年までに2000万人を超え、主要な新聞や テレビ、さらにネット接続業者がホームページでニュース報道を開始して いる。例えば、1999年5月に発生したNATO軍機による在ユーゴスラビ ア中国大使館の誤爆事件でインターネット報道が定着した。 ⇒ ①完全に当局の管轄下にあった新聞、テレビ、ラジオ以外のメディアによ る報道が始まったこと。 ②読者がネット上で自由に意見を発表する場が与えられた。 ③読者自身が情報を発信することにもなった。 ポータルサイトの発展 1995年01月 初めての電子版雑誌『神洲学人』 (http://www.chisa.edu.cn/) 1995年12月 China Daily ウェーブ版 1996年01月 《広州日報》電子版 1996年04月 四通利方サイト開始(新浪前身) 1997年06月 網易サイト開始 1998年02月 搜狐サイト開通 1997年01月 人民日報ウェーブ版 1997年11月 新華社サイト開通 1998年11月 騰訊開通 ―新浪网1997年4月3日历史页面 ―搜狐1999年1月25日历史页面 ―网易1999年历史页面 ―人民网2000年11月9日历史页面 ―第14页 三 産業化と規制のはざ間 ►改革開放の導入以来、中国マスメディアの「市場化」、「産業化」の方 向は疑いない。 当局でさえ否定のしようのない現実、それを指導、推進しているのも当 局自身である。 ―2010年度の売上総額は5808億元、成長率は17.8%、6年間で倍増。 ―1、出自:『2010年中国メディア産業発展報告書』、映画など省略。 ―2、中国インターネット情報センター(CNNIC)1月15日の報告書によれば、中国のネットユーザーは2012 年12月末の時点で、前年比5090万人増の5億6400万人に達した。インターネット普及率は42.1%に達し、 2011年末比で3.8ポイント上昇した。 類型 売上-億元 (広告+発行) 成長率(%) 新聞紙 439 18.50% 図書出版 612.9 5.50% 雑誌 200.4 2.00% 9851種類、印刷総数31.53億部 ラジオ 96.3 34% ラジオ局234、カバー範囲96.31% テレビ 2238 20.78% テレビ局247 ネット 648.6 37.95% ネット普及率34.3%、ネット人口4億人 規模 1937種類、439.11億部 出版社580、図書301719種類、印刷総数70.37億部 「宣伝機関」からの脱皮 ►マスメディアの「社会監督」機能の強化も大きな課題となっている。 依然として一党制が続く中国であるから、その「世論」が当局と対立する といった性質ではないだろう。 しかし、当局の立場に立っていたり、あるいは当局の一宣伝機関であって は、「監督」機能を発揮できるはずがない。 ►「市場化」に伴って多様化せざるを得ないマスメディアの論調を、画一 報道の枠に閉じ込め、マスメディアの発展を阻害する要因になっている。 中国マスメディアは「宣伝機関」から脱皮しつつあるだろう。 四 微博の勃興 ►微博とは? 「中国版ツイッター」と言われるが。。。 →微博がTwitterと重なるのは「フォローする/フォローさ れる」という部分だけ。微博=「Twitter+Facebook+独 自サービス」。 四大微博と言われるが。。。 →中国で、微博と言ったら、殆どの場合は「新浪微博」を 指す。 今の中国では、最も人気なプラットフォーム。 新浪の資産価値は36億ドルと言われ、その中、新浪微博の 資産価値は23億ドルに当たるという。 李小牧と共著、阪急コミュニケ ーションズより 社会の役割 民意反映、収集 監督/民主化を促す 社会公益 新聞双軌制(二重性)の可能性 ►双軌制とは、旧制度は残したまま、新たに加える部分には新体制を導 入し、全体に占める新体制の割合が増えるに従って徐々に改革を進め 、最終的には新体制へと全面的に移行すること。 ►漸進改革の基本的な考え方ではないか? 政府定 政府が決まる価格 市場定 市場定 社会主義 社会主義公有制 ・国有企業 ? 資本主義 新聞双軌制(二重性)の可能性 官製・宣伝 市場化・自由化 官製・宣伝 市場化 ? 谢谢! ご清聴ありがとうございました! 21