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佛教大学社会学部論集
第 60 号(2015 年 3 月)
「恥」と表象
──ドキュメンタリー『夷
列像
秘められた悲劇』を中心に──
崔
〔抄
銀
姫
録〕
本稿の狙いは,北海道の 4 つのローカル民間放送局が 1950 年代に開局してから
2000 年代まで放送してきたテレビドキュメンタリーの年表を作成・記録・保存する
ことと,そのなかでアイヌに関連するドキュメンタリーを素材に表象の歴史にみる民
族の問題や文化資源の問題を考えることである。本稿では特に芸術的価値の高い美術
品でありながら貴重な歴史的資料である「夷
列像」をアイヌのデザイナーのまなざ
しからとらえ直した番組を取り上げ,現代の日本社会で「夷
列像」が投げかける
様々な「問い」を浮き彫りにしつつ考察した。
キーワード 「夷
列像」,ドキュメンタリー,アイヌ,表象
1.は じ め に
2006 年に北海道ローカル局で放送されたテレビドキュメンタリー『夷
悲劇』は,日本の放送史において「夷
列像
秘められた
列像」を中心素材とした初の番組であり,また「夷
列像」を重点的に取り上げた最後の番組でもある。「夷
クナシリ・メナシの戦い(1)を歴史的背景とするが,「夷
列像」は,今からおよそ 225 年前の
列像」の華麗な色彩や高価な服装,
誇張された風格の 12 人のアイヌの長たちの肖像画における「アイヌ」と「和人」との歴史
は,演出と改竄によって彩られていたのである。そもそも二組制作された「夷
列像」の一組
は現在フランスの地方にある博物館(2)に所蔵されており,日本ではもう一方の『夷
列像』
のなかの 2 枚だけが残っている。
番組『夷
列像
秘められた悲劇』(2006 年 3 月 25 日放送・札幌テレビ)では,アイヌの
血を受け継いだ女性で,現在アイヌ文様を活かしたデザイナーとして活躍している貝澤珠美氏
(当時 31 歳)が番組のナビケーターとして登場する。彼女がアイヌ人のまなざしから,アイ
ヌの芸術家として『夷
列像』に向き合い,自然に湧いてくる様々な疑問に対する答えを探し
― 41 ―
「恥」と表象(崔
銀姫)
な が ら 旅 す る 物 語 形 式 で 展 開 し て い く 。 こ のドキュ メ ン タ リ ー を 制 作 し た 札 幌 放 送 局
(3)を見ても分かるように,北海道ローカ
(STV・1959 年開局)は,文末に付け加えた「年表」
ルの民間放送局のなかでもアイヌを素材にしたドキュメンタリーを比較的多く制作してきた。
特に同局では,2001 年に放送された『アイヌブランドを作りたい:デザイナー貝澤珠美の挑
(4)で既に本稿で取り上げた番組の主要登場人物である貝澤珠美氏に焦点を当て,新しいア
戦』
イヌ象を呈示していた。
一方,制作当時からその評判が全国に轟いており,今なお高い芸術性を讃える声が後を絶た
ないほど文化的な価値が高く,また過去を知るための貴重な歴史資料でもある「夷
列像」
は,日本から遠く離れた外国に行かなければ見られないのが現状である。番組では貝澤氏がフ
ランスのブザンソン博物館に保存されている「夷
列像」に初めて対面することで,「夷
列
像」が日本の電波を通じて一般に広く公開された。
ところで「夷
列像」に関する先行研究は,人類学の領域において既に行われてきた。2005
年にはシンポジウムと公開フォーラムが国立民族博物館で同館の主宰によって開催され,菊池
勇夫や井上研一郎,小林真人などの「夷
列像」に関連する各方面の研究者らと秋辺日出男や
小川早苗などのアイヌの人たちによる研究報告と討論が行われた(5)。最近の先行研究の論文
では,大塚和義(2011)「『夷
「夷
(6)があり,
列像』から読む道東アイヌの経済的ポテンシャル」
列像」の詳細な検証と当時ロシアや中国,朝鮮半島などとのアイヌの物資の交易や経済
的な側面を明らかにしつつ,「夷
る。また「夷
列像」に関連するこれまで大塚氏の研究成果をまとめてい
列像」を描いた蠣崎波響の人物研究としては中村(1989)『蛎崎波響の生涯』
が役に立つ。なお,マクロな観点から寛政時代の国際情勢やその最中で誕生した「夷
列像」,
そして家老としての波響の政治的な側面が理解できる歴史書も多く残っている(7)。なお僥倖
なことに,筆者は 2013 年冬に訪ねたブザンソン博物館で本物の「夷
稿ではその経験を活かすべく,ドキュメンタリー『夷
を中心にしながら,夷
列像
列像」に出会えた。本
秘められた悲劇』の言説の解釈
列像の歴史的背景やアイヌと和人,画家「波響」の心の掛合い,表象
の真と歪みの問題,文化資源としての「夷
列像」の意義,アイヌ文化の海外流出等の問題に
ついて検討する。
2.「夷
「夷
列像」の歴史的背景と「恥」の共同体
列像」が制作された歴史背景については,番組の導入部分からナレーションで紹介さ
れている。和人の死者が 71 人となったと言われる寛政元年のアイヌの若者たちによるクナシ
リ・メナシの蜂起を収拾したのは,他ならぬアイヌの長たちであったのである。
ナレーション:アイヌの若者の蜂起に,松前藩は狼狽えました。直ちに 260 人の鎮圧隊
― 42 ―
佛教大学社会学部論集
第 60 号(2015 年 3 月)
が松前を出発。鉄砲 85 丁,大砲 3 門の重装備でした。この事態を収集しようと奔走した
人たちがいました。夷
列像はこのとき,収拾に当たった長,指導者たちの姿だったので
す。長たちは襲撃事件を起こした若者たちに松前藩の取り調べに従うように呼びかけま
す。説得に応じ,若者が根室,ノッカマップに集まります。そして,鎮圧隊が 37 人の首
をはね,事件は幕を閉じます(中略)
アイヌ民族の歴史の中で,クナシリ・メナシの蜂起は民族として最後の戦いとなりまし
た。夷
列像が描かれたのは松前藩主の命によるものでした。何の目的で夷
たのでしょうか。松前藩きっての学者
列像を残し
松前廣長はその理由を書き記しています(8)。道
東で起こった事件は長たちの協力により速やかに鎮圧できた。その中でとくに働きがよか
った者,12 人の功績を讃え肖像を留める。松前藩は絵を他のアイヌたちに見せつけて,
その指導者たちのように藩に協力することは名誉だと知らしめ,その後の反乱を防ぐため
に利用したと伝えられています。藩主の命を受け描いたのは絵師
蠣崎波響。当時 26
歳。
上記のナレーションで下線が引かれた内容で分かるように,「夷
列像」は,アイヌの長た
ちと松前藩の政治的な駆け引きのなかで,悲惨な出来事の本質を隠蔽したまま,プロパガンダ
的な発想で巧みに演出され,誕生させたイメージであった。
田端宏(歴史研究家):異民族らしく描く。かつ,とても立派に,威風堂々と描く。この
ような立派な異民族を松前藩はきちんと配下においている。だから,大きな騒ぎが起きた
けれども,立派に治めた。
(中略)
ナレーション:松前藩は事件の真相を隠して,アイヌの指導者たちである長を屈強な異民
族として描いたのです。異民族であることをことさら強調する,蠣崎波響の描き方。描か
れた背景が見えてくるほどに,珠美さんの胸に重いものが鬱積していきました。
「夷
列像」に秘められていた過去のアイヌ民族の悲劇は,アイヌの長たちによる苦渋の決
断を知ることで終わりではなく,アイヌの人々の姿そのものが政略的に改竄されて,歪められ
た歴史になっている点であろう。鬱憤さえ覚えた貝澤氏は,「波響が描いた 12 人の長たちの
なかで実際に会ったのは 5 人だけだった」という記録を発見,さらに「夷
列像」に対する
疑問を佐々木氏に問う。
佐々木利和:波響も何人か書いているうちに自分の頭の中でアイヌの長たちのイメージっ
てできあがっていったんじゃないかと思う。(中略)波響自身が実際にモデルを前にして
描いていることは間違いないと思う。あるものに惚れ込まなかったら絵って描けないんじ
― 43 ―
「恥」と表象(崔
ゃないかな。どう?
銀姫)
作品なんか作る場合でも。ひとつのものに惚れ込んでいくって制作
のひとつの動機にならない?
貝澤:うーん。そういう感覚で作る人はすごく多いと思うんですけど。私の場合はちょっ
と違う。自分の中のアイヌ民族っていうものの,幼いことを小さいころ,若い頃は自分が
アイヌってことはすごく嫌で,嫌でたまらなかったので,それとの戦いみたいなこともあ
るので。ほんとに,うちの母親とかは他所から来て,アイヌ文化見てもらって素晴らしい
って素直に思うじゃないですか。それがないんですね。だから,アイヌ文様とかアイヌの
文化に惚れ込んではたぶんいない。
番組の中盤に登場する上記のシーンで偶然に発した(と思われる)会話は,この物語の非常
に重要なターニングポイントであり,本稿で筆者が「夷
列像」に注目する理由の説明も含ま
れている。つまり,佐々木氏が考えるように「アイヌの長たちに惚れ込む」ことが波響には可
能だったかもしれないが,それは「外から来た人(外の人=和人)だからこそ可能な発想」だ
と貝澤氏は思ったのである。佐々木氏や波響に同感できない貝澤氏は,自分の生い立ちと外か
ら嫁いだ母親(日本人)のことを重ねていた。アイヌの血を継いでアイヌの伝統文様を活かし
たデザイナーとして活動をしている彼女の表の顔には,「アイヌに惚れ込んだ」からではなく,
「自分がアイヌってことはすごく嫌で,嫌でたまらなく」「それとの戦い」みたいなものが彼女
を駆り立てたという心境が秘められていたのである。その後彼女はフランスに旅立ち,本物の
「夷
列像」に向き合う。しかしながら内面で強く拒否した彼女の「恥じる心」は一体どこか
ら来たものなのか。幼い心になぜ「アイヌは嫌だ」という反応が埋め込まれたのか。日本人の
「恥じる心」との差異は何なのだろうか。いわゆる「外」と「内」における「恥」について,
少し考える必要があると思われる。
そもそもアイヌの人たちの「恥」の根幹になるものは何だろうか。既に冒頭で取り上げた史
実から考えると,和人による搾取や暴力,強姦,差別に対し,アイヌの若者たちが立ち上がっ
たクナシリ・メナシ蜂起の真相が解明されず,彼らはあたかも和人を殺害した「暴動」を起こ
した罪人として扱われた。しかも同族のアイヌの長たちによって処刑されるという悲劇は,一
般のアイヌにとっても,「夷
列像」に演出された姿で描かれた長たちにも,「アイヌ」という
自分への挫折や鬱憤としての「恥」を十分に思わせる出来事だったに違いない。その後,「夷
列像」の完成から 8 年後の 1798 年には,幕吏・近藤重蔵が択捉に目標を建立して択捉島ま
でを日本の領土であると宣言し,さらに翌 1799 年には,徳川幕府によって東蝦夷地が幕府の
直轄地になるにつれて,いわゆる幕府の「和風政策」が強制的に行われた。アイヌにとってア
イヌの全てを日本風にしなければならず,当時の社会政策と和人教育はアイヌそのものを「恥
じる」ように仕向けたと思われる。
一方で日本人にも「恥」の体験がある。酒井直樹氏は論文(9)で,日本のナショナリズムが 21
― 44 ―
佛教大学社会学部論集
第 60 号(2015 年 3 月)
世紀の今になって「国辱」を厭わない国民主義者が掃いて捨てるほど増えていると言及し,そ
の「恥を見てみぬ振りをしながら醒めたまなざしを持たぬ,酔っているただの仲良しの同胞と
しての日本人」を指摘した。酒井氏の論考は「自分に都合良く恥を見てみない振りをする『優
しい』他者ではなく,自らを非日本人あるいは日本人のなかの非国民のまなざしに曝す勇気が
アジアの共存の条件である」と結ばれていた。そこで何回も取り上げられていたが,いわゆる
日本人の「仲間」「同胞」「国民」の語彙に「アイヌ」は含まれているのか。氏が論文で書いた
日本人の「優しさ」がアイヌの「恥」に繋がるのではなかろうか。内と外の境界線をしっかり
引いておいて,外(アイヌ)には「恥」を,内(日本人)には「見てみぬ振りの仲間意識の優
しさ」といった社会の構図が堅く構築されているのではなかろうか。酒井氏の論考は,方向性
が異なるにせよ,番組で貝澤氏が「(アイヌ)作品を作るのはアイヌを恥じることとの戦い」
だと語ったことから,今を生きる若手のアイヌデザイナーの言葉に重なってみえて,共感を呼
ぶのである。今こそ,アイヌも日本人も同じく「恥の共同体」として,「仲間」「同胞」「国民」
といった空想的なシナリオに纏われずに互いに「開かれた他者」になる時だと信じるのである。
3.終わりに代えて:文化と「資源」
フランスの博物館で「夷
列像」に対面し,それがフランスに流出された経緯について色々
と説明を聞いた貝澤氏は,番組の最後で次のように語った。
貝澤:自分がアイヌだっていうことをまだ隠したいって思ってる人もいますし,やっぱり
まだ恥ずかしいっていう思いとか,私もまったくそれがないわけではないので。そこを拭
い去れるときがいつかきてほしいと思っていますし。私の場合,モノを作ったりとか,そ
ういうもので表現したりということを,それをたくさんの人に,少しでも多くの人たちが
見て触れて,そしてそれをまた感じて,そしてそれをまた伝えていくっていうこと。それ
の繰り返しができればいいなと思っているんですけど。
アイヌに関連する重要な文化である「夷
列像」が詳細な経緯も明らかにされないまま海外
に流出しているが,このように流出したアイヌ文化は実に多いのが実情である。近年は文化を
「資源」として捉える動きが世界各地で見られる(10)。特に先住民による文化が国際的に認めら
れて重要な国家の資源に化されたケースが報告されている(11)。それは他ならぬオーストリア
のアボリジニ民族の美術である。「夷
列像」はアイヌによる作品ではないが,今も日本各地
ではアイヌの若手のアーティストたちがアイヌ伝統の工芸や踊り,美術等の活動に専念してお
り,その技術も年々磨かれている。そういった人たちがただ伝統を守るのではなく純粋な芸術
家として成熟できるように,より現実的な環境と国レベルの政策を提供することが求められる
― 45 ―
「恥」と表象(崔
銀姫)
と思われる。
以上,『夷
列像
秘められた悲劇』のドキュメンタリーを中心に,今から 200 年以上前の
歴史に隠されていた事実を確かめながら,そこで浮き彫りとなったアイヌ人の「恥」論やそう
いったアイヌ文化の未来のためにできることについて簡略にまとめてみた。「夷
列像」には
いくつかの「恥」が含まれていた。それは,本文で説明したように,やむを得ず同族を殺すこ
とで蜂起を鎮圧した長たちの恥や演出であることを知りながら筆を動かした波響の恥,結局幕
府から認められず野心が実らなかった松前藩の恥,そして現在の貝澤珠美の内面に深く宿るア
イデンティティーをめぐる恥であろう。しかしながら「夷
列像」が語る表象の世界は「恥」
だけではないはずである。番組最後のエンディングは下記のようなナレーションで締め括られ
ていた。
ナレーション(中略)アイヌ民族と和人が鋭く交差した一瞬,クナシリ・メナシの蜂起。
夷
列像は,その事実を現在に伝え,民族が存在する意味を問いかけています。夷
列像
は描く者と描かれる者。双方の複雑な思いと,いまだ解決されることのない多くの謎を秘
めています。描かれた姿だけから長たちの思いを完全に汲み取ることはできません。ただ
夷
列像は謎のアイヌ絵であることであの時代を語り続けるのです。(了)
47 分の尺で構成された特番(12)の狙いは,おそらく「未来を開けるのは開かれた他者(=列
像の前の人々)である」と声をかけるかの如く,「夷
列像」の様々な表象を想像してほしか
ったのではなかろうか。地方発のドキュメンタリー『夷
列像
秘められた悲劇』は,200 年
以上の歳月が過ぎたにもかかわらず,現代の日本社会にたくさんの問題を問いかけている「夷
列像」の価値をオーディエンスに有効的に覚醒させたといえよう。
〔注〕
⑴ 「寛政元年に場所請負人である飛騨屋久兵衛雇いの和人たちによる,メナシ地域を含むキイタップ
場所を中心としたアイヌに対する著しい不正や収奪や暴力に対して道東各地のアイヌが立ち上がっ
た戦い」である:大塚和義「『夷酉列像』から読む道東アイヌの経済的ポテンシャル」,佐々木史
郎・加藤雄三編(2011)
,95−100 pp.
⑵
⑶
ブザンソン博物館。文末付録の写真を参照すること。
北海道民間放送局のテレビドキュメンタリーの系譜(1951 年−2002 年)。北海道在民放各局から
資料を提供してもらって筆者(崔)が作成したものなので多少不備な箇所が考えられる。しかし,
こういった資料はこれまで無かったものでドキュメンタリーを中心とした地方の各民放局の歩みを
比較できる点では有効的だと思われる。
⑷
2006 年 3 月 26 日放送。番組の詳細は崔銀姫(2007)で紹介している。
⑸
国立民族学博物館(2005)
⑹
佐々木史郎・加藤雄三編(2011)
,95−100 pp.
⑺
参考文献に取り上げた磯崎(1986)や菊池(2013)など。その他の一般的な日本史や世界史に若
― 46 ―
佛教大学社会学部論集
第 60 号(2015 年 3 月)
干の記述と『夷酉列像』の一部の挿入等での記述があるケースは多数ある。
⑻
本稿の文末付録(P 60)のブザンソン博物館から提供貰った本物(松前廣長のテキスト)のスキャ
ン写真を参照してほしい。
⑼
酒井直樹(2013)
,218−237 pp.
⑽
現在文化資源学では「文化資源」と「文化資本」とは異なるファクターとして捉えている傾向であ
る。筆者はそういった見解に異論が無く,アイヌの文化を権威や差異,社会的階層の概念を省いた
ものとしての「文化資源」として解釈したので本稿でも「資源」と書いている。
⑾
窪田幸子「アボリジニ美術の変貌:文化資源をめぐる相互構築」山下(2007)181−208 pp.
⑿ 「札幌映像プロダクション創立 30 周年記念作品」である。
〔参考文献〕
ASSOCIATION DES CONSERVATEURS DE FRANCHE-COMTE ( 1984 ) ART DE I’ANCIEN
JAPON : Collections de musées de Belfort Besançon et Dole, musée des beaux-arts et
d’archéologie de Besançon
青木保(1999)
『「日本文化論」の変容:戦後日本の文化とアイデンティティー』中公文庫
Bourdieu, Pierre ( 1979 ) LA DISTINCTION : Critique Sociale du Jugement = 石 井 洋 二 郎 訳
(1990)
『ディスタンクシオン:社会的判断力批判上・下』藤原書店
崔銀姫(2007)
「『他者』としてのアイヌ:ドキュメンタリーにおけるアイヌの表象にかかわる小考察」
佛教大学社会学部論集第 45 号 19−36 PP.
磯崎康彦(1986)
『松前藩の画人と近世絵画史:蛎崎波響と熊坂適山・蘭斎兄弟』雄山閣
金森正也(2011)
『藩政改革と地域社会:秋田藩の「寛政」と「天保」
』清文堂出版
Kern, Stephen(1983)THE CULTURE OF TIME AND SPACE=浅野敏夫訳(1993)『時間の文化
史:時間と空間の文化 1880−1918 年』法政大学出版局
国立民族学博物館(2005)『シンポジウム・公開フォーラム『夷酉列像』を読み解くプログラム・抄
録』国立民族学博物館
菊池勇夫(2013)
『アイヌと松前の政治文化論:境界と民族』校倉書房
中村真一郎(1989)
『蛎崎波響の生涯』新潮社
酒井直樹(2013)
「帝国の喪失と引きこもりの国民主義」
『現代思想』2013 年 12 月号
vol.41−17, 218
−237 pp.
榎森進・小口雅史他編(2008)
『北東アジアのなかのアイヌ世界:アイヌ文化の成立と変容:交易と交
流を中心として下』岩田書院
作田啓一(1967)
『恥の文化再考』筑摩書房
佐々木史郎・加藤雄三編(2011)『東アジアの民族的世界:境界地域における多文化的状況と相互認
識』有志社
山下晋司(2007)
『資源人類学 02:資源化する文化』弘文堂
〔謝辞〕
「夷
列像」の閲覧等ブザンソン博物館のキューレーターの Agnès Petithuguenin 氏のご協
力に感謝する。なお,本稿は科学研究費(平成 24−26 年/課題番号:24617021/基盤 C/代
表)の支援を得て行われた研究成果の一部である。記して謝意を表したい。
(ちぇ
― 47 ―
うんひ 現代社会学科)
2014 年 10 月 23 日受理
「恥」と表象(崔
銀姫)
付録 1.北海道民間放送局のテレビドキュメンタリーの系譜(1951 年∼2002 年)
年/局
北海道放送(HBC)
札幌テレビ(STV)
北海道テレビ(HTB)
1951 年
1952 年 ラジオ局開局
1953 年
1954 年
1955 年
1956 年
1957 年
テレビ局開局
記録録画「鮭の愛情」
1958 年
1959 年
「北国の野鳥たち∼ユルリ・モユルリ島の鳥」
「北国の野鳥たち∼知床の尾白鷲」
テレビ局開局
フィルム構成「おらが春」
1960 年 「くろしお号 津軽海峡の海底を探る」
「泥炭地は生きる」
私は知りたい「失われゆくアイヌ民族の風習」
1961 年
「嫁っ子」
「雪を除く人々」
「噴火湾」
「いかを釣る少年」
1962 年 「いとっぺ先生」
「丹頂鶴」
1963 年 「次郎」
「18 年目の安定・ノサッ
プのこの 1 年」
1964 年
「零下の海」
「アッツ島の戦跡を訪ねて」
「狩勝トンネル」熊谷
光平
「山に祈る」
1965 年
「ひとりぼっちの修学旅行」
「あぁアッツ島」
「選挙∼候補者を追って」
「シベリア」全 4 回
「雪は暖かかった」
「交通戦争の奇妙な戦士」
「森とネズミと人間たち」
「ドキュメンタリー・陳情」
1966 年 「W.S.クラークの故郷」
「北海道 1966−フィルム組曲展覧会の絵」
「説明のない雪まつり」
「霧はいつ晴れる」
「追分のふるさと」
「ドキュメント・車なんか」
「かつぎ屋」
「ぼくも日本人∼ある少年の集団同化の記録」
「鱒の川」
「祭り」
1967 年
「風雪百年・フロンティアとその孫たち」
「たのむぜヒゲ爺」
「美しき雪の結晶」
「オリンピックの都市・グルノーブル」
「北欧の都市を訪ねて」
「北海出稼ぎ船団」
サハリン取材特別番組「オルジョニギーゼ号の
「ああ、わんぱく特攻隊」
人」
テレビ局開局
「開拓者の二世たち」
1968 年
「いも」
「よみがえる生命」
「風雪の百年」
「鹿打ち」
「ペウレ・ウタリ」
「われら一族∼アシリ・ウタリ」
「われら一族∼北海道家庭学校」
「われら一族∼屯田兵の末裔」
1969 年
「われら一族∼雪を求めて」
「かえれ!故郷の海と島」
「父祖の築いた北の島々」
「かえれ北方領土」
「ある転身∼紙谷ミヨさ
ん母娘」
「一つの生命」
「海と老人」
「花子とおじさん」
「ただいま 42 人 ∼ 花 木
家の系譜」
「太平洋無医船団」
「屏風立てのこどもたち」
― 48 ―
北海道文化放送(UHB)
佛教大学社会学部論集
第 60 号(2015 年 3 月)
「心臓移植」
1970 年
ドキュメンタリー
世の場合」
今・この時に「ある日系三
「父ちゃんのおみやげ」
親の目子の目「自然に生きるつるとこども」
「原子力発電を考えるⅠ」
「原子力発電を考えるⅡ」
「北限の米・減反初年度
の記録から」
札幌オリンピック記念番組「ウィンター・ワン
1971 年 ダーランド」全 13 回
「ある青春」
親の目子の目「国境の街の子どもたち」
「北方領土・父祖の島々」
「生存者なし∼ばんだい
号遭難の記録」
「ドキュメンタリー・選挙」
テレビルポルタージュ「シレ・ウトク∼地の
涯」
テレビルポルタ−ジュ「江差追分」
テレビルポルタ−ジュ「それでも汽車は走る∼
1972 年
「白銀の栄光」
赤字でも開通する政治路線」
終戦記念日特集「白い手首の傷跡」
親の目子の目「走れ 子うま」
ふるさとの詩「さっぽろの夜明け」
「原子力時代を迎えた国々」
テレビルポルタージュ「北の海∼第 101 明星
丸同乗記」
テレビルポルタージュ「青春ばんざい∼北大応
援団」
「ナイキの町と憲法」
テレビルポルタージュ「新幹線の通りみち∼北
海道赤井川村」
「島は還らなかった」
テレビルポルタージュ「われら道産馬∼家族の
一員・農耕馬」
「ドキュメンタリー・北
「長沼判決と自衛隊」
海道」
1973 年 カメラリポート「北方海域」
親の目子の目「牧場に育つ子」
「海は見えない∼知里真
新・歴史を旅する「蝦夷紀行∼松浦武四郎」
志保の記録」
新・歴史を旅する「幻の共和国」
新・歴史を旅する「ユーカラの伝承者」
「差別と偏見の谷間から
新・歴史を旅する「樺戸集治監」
∼アメリカインディアン
新・歴史を旅する「日本女医の曙∼萩野吟子」 とアイヌ」
「われらの道産馬∼家族の一員・農耕馬」
「おーい太陽っ子∼跳べ大空に」
「沈黙の島々∼北方領土」
ドキュメンタリー現代
「走れエゾノコックス」
テレビ局開局
ドキュメンタリー現代
「子馬に賭けた」
「われらの北方領土」
テレビルポルタージュ「深名線・朱鞠内駅」
テレビルポルタージュ「ある町長選挙∼北海道
虻田町」
テレビルポルタージュ「世界の国の 40 歳」
テレビルポルタージュ「原野の革命家たち∼ヤ
「牛飼い受難」
マギシズム北海道試験場」
ドキュメンタリー「北方圏」全 6 回
1974 年
「日本の農業はいま」
ドキュメンタリー現代
「大自然に遊ぶ」
「海底のヤマ男」
「29 年目の勲章」
ドキュメンタリー「続・北方圏」全 8 回
親の目子の目「はっちゃんとリリー∼盲導犬を
「冬の村から∼農村離脱」
育てて∼」
新・歴史を旅する「鉄鎖の開拓者」
「道産子の見た東南アジア」
「おーい太陽っ子∼森と湖と少年と」
ドキュメンタリー「わが島々・北方領土」
― 49 ―
「恥」と表象(崔
銀姫)
テレビルポルタージュ「利尻岳南稜∼札幌山岳
「最後のサコロベ」
会登頂の記録」
テレビルポルタージュ「ムツゴロウ氏の生活と
「さらば SL」
意見」
テレビルポルタージュ「今、農業は∼北海道か
「タコ部屋」
ドキュメンタリー現代
らの報告」
「暴落の報酬」
テレビルポルタージュ「青年市長奮闘記」
「“スキー野郎“赤道直下を滑る
1975 年
「あの海にこだまして∼
ドキュメンタリー「北方圏・総集編」
∼キリマンジャロ大滑降」
泰東丸捜索の記録から」 「北方領土・空白の土
ドキュメンタリー「シベリア」全 4 回
地」
親の目子の目「この道をゆく」
「戦後 30 年∼あ の 海 に
ドキュメンタリー「わが町∼漁夫画家のまち・
こだまして」
岩内」
ドキュメンタリー「ふるさとの海と島∼歯舞・
「きいろい恐怖」
色丹・国後・択捉」
「智の四季∼手記『つかのまの生命なりとも』
「きかんしゃ慕情∼D
より」
51・12 人兄弟の生涯」
テレビルポルタージュ「抗道水没∼幌内炭鉱事
故」
「白い栄光」
テレビルポルタージュ「北洋」
ドキュメンタリー「北転船第 86 恵久丸∼北洋
「八雲町 203 日間∼ある
操業の記録」
ミサイル基地計画」
テレビルポルタージュ「被害者∼北海道庁爆破
1976 年 事件の波紋」
「慟哭の海」
ドキュメンタリーあしたば「ミニ老人ホーム」
北大開学百年記念特別番組「ドキュメンタリ
「ベルーガの河から」
ー・エルムの森の一世紀」
親の目子の目「歌声の村」
「昭和開拓流転」
「ふるさとのなぞ“北海道編”
」全 13 回
「北方領土・根室海峡からの報告」「返せ北方領
「栄光のゴールをもぎと
土∼歯舞・色丹・国後・択捉」
れ」
「わが北の島々∼歯舞・色丹・国後・択捉」
「蒸気機関車 9600 幌内を走る」
「失われたもの∼道庁爆破被害者の 400 日か
ら」
「ばんどう先生の選挙のてんまつ」
ドキュメンタリー「地底からの帰還」
「有珠山噴火∼噴煙と鳴動の一週間」
「明日を創る∼ボストンにかける青春・女性ラ
「ふるびらソーラン節∼
ンナーの挑戦記録」
北洋ソー ラ ン 漁 民 の 記
「漁獲ゼロ∼苦境に立つ北洋漁業」
録」
「新時代の北洋漁業」
「200 カイリの中間報告」
「33 回忌の夏・だれが海
テレビルポルタージュ「山子たちの哀歌∼白ろ
終戦記念ドキュメンタ
で哭いた」
「タンチョウの詩∼イルカは歌
う病の波紋」
リー「泰東丸海底の 33
1977 年
う」
テレビルポルタージュ「流氷の詩」
「 19 歳 ∼ 中 弥 光 広 の 場 回忌」
テレビルポルタージュ「この海は誰のもの」
合」
テレビルポルタージュ「本当に有珠は怒った
か?∼噴火 2 週間の洞爺湖畔」
「蒼茫の海」
テレビルポルタージュ「遥かなるサハリン∼旧
樺太墓参団取材メモから」
「根室海峡冬景色」
親の目子の目「かあさんの童話集」
「ふるさとのなぞ“北海道編”第 2 シリーズ」
全 13 回
「私にとって米は……私的稲作論」
ドキュメンタリー「あなたはそこにいた」
「声よとどけ我が島に」
「その日野地は哭いていた∼釧路第一高校の終
焉」
「君は何を言いたい?∼函館少年刑務所のども
り矯正の記録」
「みそぎー女神と人間たちの祝祭」
開局 10 周年ドキュメ
テレビルポルタージュ「ジャンプ台の青春」 「ドキュメンタリー・大
1978 年
ンタリードラマ「赤い 「馬よ、おまえは・・・」
土曜どきゅめんと「連休ってなんだい?」
地からの伝言」
靴はいてた女の子」
土曜どきゅめんと「太朗は山にのぼれるか」
「200 カイリ・新しい時代への胎動」
「交通遺族は今」
親の目子の目「つまずき、さまよう中学生」
「沈黙の世界∼北の海底・湖底を探る」
― 50 ―
佛教大学社会学部論集
第 60 号(2015 年 3 月)
土曜どきゅめんと「亡者は語らず」
土曜どきゅめんと「恵の学校は誰が決める」
土曜どきゅめんと「サーモン・コネクション」
「おかあさんすべれたよ∼札幌身障者スキー愛
好会」
1979 年
「汝、豚を憐むなかれ」
親の目子の目「母子里のこどもたち」
親の目子の目「かあさんは名監督」
年録「国際児童年・みんなむかし子供だった」
ドキュメンタリードラマ「望郷」
「されどわが島∼かえれ北方領土」
「ドキュメント・函館大火∼幻
のニュースフィルム公開」
「写真のふるさと函館」
「『第九』を歌った町∼北海道・清水町」
「与三郎が育った町∼石狩町汚職事件」
土曜どきゅめんと「知床・通院 300 キロ∼北
の家族の一週間」
土曜どきゅめんと「黒い海図∼レポ船に乗った
スパイ」
「丸木舟 159 キロの大冒
1980 年
「釧路 100 年の歩み」 「望郷の歌が聴こえる」
親の目子の目「祐美走ろう!」
険」
「ふるさと人間記」全 13 回
「しれとこの詩∼この原始と野性の地」
「北方圏カナダ・アラスカを行く」
ドキュメンタリードラマ「えとろふへの道・高
田屋嘉兵衛」
「崩壊∼岩沢靖の栄光と失墜」
「大志と野望∼ウイリアム・S・クラークの生
涯」
「三浦雄一郎とその冒険
「ニューフロンティアよしえ」
1981 年 「坑道水没」
家族∼キリマンジャロに 「豊平川にサケ帰る」
親の目子の目「転校・そして……」
挑む」
「おめでとう横綱・千代の富士」
「HBC 報道 30 年の記録」
「われらの北方領土∼海に浮かぶ島影」
「地底の葬列」
「閉山−’82 夏ゆうばり」
「続・地底の葬列」
1982 年
「岬のキタキツネ」
テレビシティ「キタキツネ・母と娘の物語」
親の目子の目「かもめ便り」
1983 年
「総集編 地底の葬列」
「激突!跡目争い」
「大韓機撃墜捜索の記録」
「海底の道に賭けた男たち」
「白いオホーツク・流氷の詩」
「裁きの跡∼梅田事件 30 「サケ帰る日」
「空と湖と鳥たちと」
年目の検証」
「アラスカの白い夏∼少年交流
「北都の叫び!カムバ
キャンプから」
「母は海峡を越えた」
ックサーモン」
「釧路湿原をゆく」
「厳冬ダウラギリを征服∼北大
隊の記録」
「愛の流浪・啄木青春の
足跡」
「オルン・パヨカ∼旅する家族」
「畑の中のコンビナート∼日本一の農協・土幌」
親の目子の目「このニワトリどうしよう」
「阿寒の母∼前田光子さんの生
涯」
「ザ・ドキュメント∼最後の一
頭カラフト犬物語」
「阿寒の四季∼生き物たちの詩」
「狼がやってくる?∼さまよえる福祉施設」
「そこは戦場だった∼KAL 機撃墜事件から 1
年」
「洞爺湖エゾシカ騒動記」
「謎の寄生虫を追う∼エキノコックスの恐怖」
テレビシティ「ヒグマが襲った!秘境日高山脈 「蝶と貝殻∼画家三岸好
にみる野生の恐怖」
太郎の世界」
「海の墓標∼泰東丸捜索
1984 年
「この鹿たちはどこへ」
39 年の記録」
「カウボーイ達の夏」
「遠いヒロシマ∼北海道
親の目子の目「5 人きょうだいだけの小学校」 被爆開拓者の軌跡」
「男たちの祭り」
「ジョイスの住む町」
「北海道の港の旅」全 13 回
― 51 ―
「たんちょう国体」
「’84 夏・小樽∼どっこい運河
は生きている」
「海と大地の詩・きりたっぷ」
「さつきちゃん 1 年生」
「恥」と表象(崔
銀姫)
「核と過疎∼幌延町の選択」
「俺たちは生きた∼日東丸乗組員生還の軌跡」
「最終列車は野分に消えた∼美幸線始末記」
「再審∼33 年目の春」
「回想・母を求めて∼佐藤リツ子・苦難の軌跡」「みんな輝いていたよ∼
「旅路∼空白の樺太終戦秘話」
熱中先生 ふ れ あ い の 記
「雪と氷∼石狩湾低気圧に挑む」
「そして子供達は英才になった∼驚異の実験教 録」
室から」
「ロウ管をうたった∼
「沈黙のモニュメント∼本郷新
1985 年 そこが知りたい「カムイ・イオマンテ 天界へ 「 40 年 目 の 踏 み 絵 ∼ 検 オペレッタと子供たち
わだつみの声」
還る熊の霊」
証・日の丸、君が代」
の 115 日」
テレビシティ「地の涯・知床∼極北の自然は人
「南北の塔∼沖縄のアイヌ兵士」
を拒む」
「軍拡の構図∼北海道
テレビシティ「大草原の少女みゆきちゃん」
発・自衛隊はいま」
「漂白」
親の目子の目「キタキツネの子育て論」
親の目子の目「『いけません!』からの解放∼
ばんけい幼稚園∼」
「えん罪・梅田義光さんの 34 年」
「君は故郷が好きか∼いま一村一品運動は」
「三浦雄一郎・世界 7 大
地球発 22 時「北洋漁業最前線」
陸最高峰スキー滑降の記
テレビシティ「大草原の少女みゆきちゃん∼厳
録」
冬編∼」
「大草原の少女みゆきちゃん・総集編」
「今・森の奥がおもしろ
1986 年 「ロマンススペシャル・義経北走」
い」
「友、遠方より来る∼北海道観光の課題」
日本ふるさと自慢「オホーツクの春ほのぼの
「200 海里すり身戦争∼
と」
報 告 ベ ー リ ン グ 海 86
日本ふるさと自慢「原始のふところ大雪山」
年」
親の目子の目「野性を見つけた」
「北方領土・道は険しくとも」
「少年の船 ’86 友情の軌跡∼洋
上編」
「少年の船 ’86 友情の軌跡∼南
の島編」
「少年の船 ’86 友情の軌跡∼総
集編」
「盲導犬物語・わが友バロン」
「北海道物語・消える円形校舎」
「海よ輝け∼父さんからの最後
の手紙」
「森林よみかえれ COMEBACK
FOREST」∼富良野森林フェス
ティバル ’86」
「函館オーシャン∼いつか見た
青い空」
「誤判の終幕∼梅田さんの出発」
ドキュメント「君は炭労を知っているか」
「少年の船 ’87 釧路は遥か南の
「私はアイヌ∼民族復権の叫び」
島∼サイパン編」
ドキュメンタリー「知床からのメッセージ」
「少年の船 ’87 釧路は遥か南の
「童は見たり∼世界最大のビット曲『野ばら』
島∼グアム編」
の謎を追う∼」
「母さんが死んだ∼生活
「少年の船 ’87 釧路は遥か南の
「山田洋次の北海道ロマンチック街道」
報道ドキュメンタリー
保護の周辺」
島∼サブリーダー奮闘記」
1987 年 親の目子の目「宛先のない手紙∼子供にとって
「中ソ国境をゆく」
「JR 北海道∼分割・民営化の
の親∼」
「汽笛よ高鳴れ」
軌跡」
日本ふるさと自慢「シバレ!酷寒の北の旅路」
「すすきのサバイバル」
日本ふるさと自慢「積丹そーらんライン」
日本ふるさと自慢「幻想・初夏の釧路湿原」
「ヤマが消える」
日本ふるさと自慢「天高し初秋日高路」
「世界地図に描かれた北方領土」
「負債の構造∼ある農民の死」
「遥かなる航跡∼いま甦る青函連絡船戦災悲話」
「アンニョンハシムニカー海峡を越えた子供た 「海峡を渡った流行歌∼
ち」
道産子作詞家・心の歌」
「二風谷∼この土地は誰のもの」
「長大 4 線政治決着の構図」
「C 62・故郷に帰る∼SL
「食の祭典∼巨額赤字を斬る」
復活物語」
「大草原の少女みゆきちゃん∼ロッキー山脈を
行く∼」
「ザ・代議士∼ ’88 春・
1988 年 地球浪漫「山よ友よ僕はまた登る∼松田宏也・ 十勝発永田町」
厳冬の斜里岳に挑む」
「時間よとまれ∼僕らは聖なる火となった」
「白球は国境を越えて・
「シロクニ発進す∼C 62−3 号機復活」
スタルヒン物語」
「みつばち族の青春ロード∼啄木のロマンを走
る」
「はるかなる祖国・サハ
「森と風のハーモニー∼大地知床」
リ ン 残 留 韓 国 人 の 43
親の目子の目「あした天気になあれ∼ヤマの子 年」
どもたちは今∼」
「ヤルタの選択∼歴史が明かす北方領土」
― 52 ―
「少年の船 ’87−’88 500 人のト
ム・ソーヤたち“旅立ち”」
「少年の船 ’87−’88 500 人のト
ム・ソーヤたち“南の島へ”」
「少年の船 ’87−’88 500 人のト
ム・ソーヤたち“小さな冒
険”」
「ドキュメント富良野塾∼遅れ
てきた青年」
「越せない海峡∼サハリン残留
韓国・朝鮮人」
「26 年目のプレーボール」
佛教大学社会学部論集
第 60 号(2015 年 3 月)
「未完の馬∼農民画家・神田日
勝」
「ヒーローの蹉跌∼迷走する横路道政」
「少年の船 ’88−’89 3500 マイ
「翔べ!もう一度∼北星余市高校一年の記録」
ル・僕らの航海日記:前編」
地球発 19 時「高校中退ツッパリ熱血宣言」
「頑張れ!雄蔵くん∼父さんも母さんも同級生」
「火の山の麓で∼十勝岳の 1 ヶ
「いつも音楽が聞こえていた∼オットービット
月」
「国鉄は精算されたか∼
の人生」
検証・分割民営から 2
「風吹くままに∼俵万智の大雪山歌紀行」
「少年の船 ’88−’89 3500 マイ
年」
「真野響子の父と娘のアメリカ旅物語」
「40 枚の卒業証書 北 ル・僕らの航海日記・後編」
「2 月、ただいま世界はまつり∼雪像・氷灯・
星余市高 3 年 D 組」 「北の賛歌」(はまなす冬季国
1989 年
「反古にされた 90 万 人
カーニバル」
体)
署名∼北海道原発議会の
北国ロマン物語「小説∼女が訪ねる女の旅」
「とび出せ!宇宙へ」 「1989札幌ユニバーシアード冬季
3 日間」
「札幌・ポーランド姉妹都市∼30 年の絆」
大会∼世界の若者が札幌に!」
「親爺のソーランが聞こ
「サハリン縦断歴史紀行」
「羊蹄は友達∼洞爺香川小の作
える」
ドキュメンタリー「ソロバンにかける青春」
文集」
「北国発 自作ソリ奮闘記」
「44 年ぶりの国号」
親の目子の目「言葉の壁をこえる日∼ある中国
「太陽を走った日∼夢人類たち
のサロンード・ハネムーン」
帰国孤児二世の場合∼」
「北方領土・北欧からの報告」
「北の賛歌」
(秋のはまなす国体)
「アラスカでハート to ハート
∼教育大生どきどき実習」
「オンヤンコネクション∼赤い星のサケマス船団」
「票田∼農業王国の政治と金」
「妻たちの清算事業団」
「電車通り青空市場∼意地と人情の 1 年」
「少年の船 ’89−’90
だ・ち:前編」
「氷河は流れて∼ミニヤコンガ再登の記録」
「北からの挑戦∼反・東京集中論」
地球発 19 時「激闘!高校中退ツッパリ戦争」
「誰が田んぼをつぶした
「大草原の少女みゆきちゃん∼知床 ’90 編∼」
か」
「真野響子の父と娘のスペイン旅物語」
1990 年 「大地に花が歌う∼富田勲の旅」
「二つの旗の下で」
「君よ今、北の大地の風になれ」
「倉本聡の世界∼歩く老人(ひと)」
「空白の島・樺太」
「歌はともだち LaLaLa∼札幌こどもミュージ
カル ポーランド公演旅行より」
「おお、友よ!10 年目の第九」
「がんばれシルバーエイジ∼吉村明宏の元気の
モトどこだ」
ふるさと讃讃「走ればんえい」
親の目子の目「君は 72 キロを走れるか∼」
「揺らぐヤルタと北方領土」
「イフンケ∼都会砂漠の子守歌」
「差別は生きている」
「ふるさと・ローシナ∼爺爺岳に抱かれたふた
つの国の人々」
「サムライは死んでいた∼ノモンハン事件・52
年目の追跡」
「過ぎてゆく風景∼夕張新鉱事故 10 年の軌跡」
「最北からのシュプレヒコール」
「全力投球!青春の報道日誌∼14600 日のニュ
ース記録から」
「がんばれ!だったひとりの一年生」
「母たちの海峡」
「G パンがはきたい∼肥満児急増!現代子ども
1991 年 事情」
「野性と命の大地・国後
親の目子の目「転職教師ツッパリ見習中」
島」
親の目子の目「ヒロタン!生きる喜び」
「人生廻り舞台∼開幕!キートン故郷に帰る」
そこが知りたい「厳寒!北の動物園」
「ニューヨーク・シティ・ウーマン」
「自分らしく女らしく∼女たちの東京・ニュー
ヨーク」
「北のハイテク先進都市∼道央テクノポリス・
取り組みと課題」
ふるさと讃讃「初夏・湿原の輝き」
「サハリン夏紀行∼少数民族を訪ねて∼」
「ペレストロイカと北方領土」
― 53 ―
と・も・
「ヒコーキに乗りたかった∼夢
の 1000 勝 ! 千 代 の 富 士 の 軌
跡」
「スーパータイムスペシャル
北方領土の行方∼激動するソ連
からの報告」
「スーパータイムスペシャル
残留∼サハリンの日本人」
「国境を越えた医療∼コースチ
ャの 87 日間」
「少年の船 ’90−’91 水平線の
かなたに:前編」
「少年の船 ’90−’91 水平線の
かなたに:後編」
「90 日米交流キャンプ∼アメリ
カ西海岸の思い出」
「蝦夷錦の来た道∼北のシルク
ロード」
「恥」と表象(崔
銀姫)
「FNS・NONFIX ピリカの里
の子供たち∼明子ちゃんとやん
ちゃな 7 人」
「少年の船 ’91−’92 心の旅∼
’ 92 テ レ メ ン タ リ ー
「恨(ハン)の海を越えて」
僕らの航海日誌:前編」
「遠すぎたふるさと」
「少年の船 ’91−’92 心の旅∼
「源さんと生きてみた∼ある精神薄弱者の共同
僕らの航海日誌:後編」
HTB 人間ビジョンス
生活記録」
「N 43°圏発見の旅 大地が響
ペシャル「カムイ・ミ
「転職教師ツッパリ見習中」
く∼アジア音の旅・18000 キロ」
ンタラ∼神々の遊びの
「夢見るころに教わりし歌∼世界の子供たちは
「N 43°圏発見の旅夢の子供∼
庭・阿寒」
何を歌っているか」
1800 キロ」
「タンゴに生きて∼あるドイツ人音楽家の愛の 「かくて、田舎は甦るか」
「日米交流キャンプ ’92∼カリ
HTB 人間ビジョンス
世界」
フォルニアの思い出」
1992 年
ペシャル「4000 キロ
「女が描く女の肖像∼日本・ポーランド」
「テレビマン決意の立候
「平成開拓民∼牛飼いになりた
雁渡る∼小さな沼とシ
補」
い ある一家の脱サラの記録」
ベリアと」
「ウインターワンダーワールド∼国際冬の都市
「ウェディングバルはトランペ
ビエンナーレ」
ットだった∼札響 30 歳」
「毛利さんのふわっと
「清水国明のワンパク宣言∼子供にかえって北
「非別 N.Y へ行く∼富良野塾海
宇宙!いま夢実現へ」
海道」
外公演の 30 日」
親の目子の目「日本一周親ガニ紀行」
「N 43°圏発見の旅 ヨーロッ
テレメンタリー「ある
親の目子の目「人と土に触れて育つ」
パ編∼道を走れば愛」
帰還∼毛利衛さんの宇
「ソビエト連邦崩壊∼どうなる北方領土」
「キャメラを持ったイルボンニ
宙」
ン(日本人)∼映画『ミュンジ
ャ・明子・ソーニャ』をめぐって」
「N 43°圏発見の旅 北米編∼
アンドレの見た亜米利加」
「少年の船 ’92−’93 ぼくらの
約束:前編」
テレメンタリー「湿原
「少年の船 ’92−’93 ぼくらの
が涸れる」
約束:後編」
「N 43°圏発見の旅 総集編∼
テレメンタリー「異
地球一周のポートレイト“夢の
変!車が止まらない」
子供”」
「ニンニンケッポの少女たち」
「タンゴに生きて・総集編『天国から届いた手
紙』」
テレメンタリー「泰東 「ゆうばり国際冒険ファンタス
丸 撃 沈 48 年 目 の 真 ティック映画祭 ’93 僕らはみ
相」
んな生きている」
「物語を探して∼小樽夢探検」
「倉本聰・野田知佑湿原に
「絶筆・神田日勝の世界」
音楽ドキュメンタリー て・・・。釧路川カヌーエッセイ」
1993 年
「前田吟ぶらり旅情∼再発見・ローカル路線バ
「 PMF 1993 青 春 シ 「ムッカ・ペ∼135 km 鵡川の
「石狩川・かつて川は道
スの旅」
ンフォニー∼伝説の誕 一滴」
だった」
生」
「クラシーバ!素顔の千島と海
親の目子の目「ふるさとは遥か彼方」
の仲間たち」
テレメンタリー「奥尻 「増毛発・天才料理人∼シェフ
「ゆがめられた国境線∼揺らぐロシアと北方領
に生きる」
三国は凄い奴!」
土」
「泉谷しげる・奥尻島を救え!
HTB 人間ビジョンス
愛はすべてをとり、すべてを与
ペシャル 「森が歌う
える」
魚が帰る」
「Born to Run∼’93 と価値モー
ターパークの軌跡」
「三浦雄一郎の豪快!シレウトク大冒険」
「巨大地震の襲った街」
「少年の船 ’93−’94 冒険 PART 1」
「少年の船 ’93−’94 冒険 PART 2」
「今夜は!好奇心∼オホーツク
冬物語∼流氷の来る町・枝幸の
120 日」
「青苗・冬日記∼再建にかける奥尻の人たち」
「人生のプラットホーム∼二葉あき子
挑戦」
1994 年
80 歳の
「この島が僕の家^奥尻 島 10
人の子供達の春」
「過疎を喰った病院」
「冬の鼓動∼マニュアルにない北海道絶景の旅」
「流星の如く・シンザン」
「釧路川・悠々たる鼓動」
「好奇心 HOKKAIDO 追跡!
密着!北海道警察 24 時」
「狙え!カズ 2 世∼ブラジルサ
ッカ∼留学サバイバル」
「好奇心 HOKKAIDO 泉谷し
げる・奥尻島を救え ’94 夏」
「未来につなげ∼倉本聰・ニン
グルの声を聞きながら」
「好奇心 HOKKAIDO 唸らせ
ろ!∼道東発・シェフ三国 海
と土を料理する」
親の目子の目「姉弟 2 人だけの小学校」
「日ロ新時代∼北方領土返還への助走」
― 54 ―
佛教大学社会学部論集
第 60 号(2015 年 3 月)
「少年の船 ’94−’95 ぼくたち
の旅行大作戦:前編」
「少年の船 10 年の軌跡∼思い
「保護か差別か∼北海道旧土人保護法の百年」
出は潮風にのって」
「嵐のち快晴!北星余市旅立ちの春」
「少年の船 ’94−’95 ぼくたち
「記者が見つめる戦後 50 年」
の旅行大作戦後前編」
「赤い夕日・小 沢 征 爾 、
「野生を見つけた∼C. W. ニコル厳冬の釧路湿
「わが妻なれば∼作家・三浦綾
故郷の指揮台に立つ」
原を下る」
HTB 人間ビジョンス 子をささえる愛」
「物語を訪ねて∼幻伝説の旅 小樽夢探検」
ペシャル「風の王国生 「そこで何が起こったか?アッ
1995 年
「アイヌ萱野茂・国会へ」
「北の大地の夢人交遊録∼大仁田厚 幻の巨大
命の森∼大雪山・四季 ツ・小樽・アトカ追跡∼抑留さ
魚を追う」
の小宇宙」
れた四十名のアリュート人」
「天塩川・大いなる最北
「大地の歌∼道東初秋旅行・オカリナの調べが
「 CHANG & ASUKA ス ー パ ー
の母」
聞こえる」
ライブドキュメンと ・ 札 幌 5
「疾走!オホーツク大雪原」
DAYS」
「置き去りにされた風景∼19 歳
親の目子の目「父へのインタビュー」
の夏が見た戦後」
「ウィ!シェフ桧山のおいしさ
ミクニの皿ののる」
「少年の船 ’95−’96 船がボク
らの合言葉」
「暴かれた官の金庫∼北海道庁 20 億円不正経
「友情は海を越えて∼15 歳の白
理の構図」
い冬」
「DEER C. W. ニコルが見たエゾシカの世界」
「好奇心 HOKKAIDO 手の記
「C. W. ニコルの未来への約束∼ユーラシアを
録∼北に生きる枝を訪ねる」
つなぐ森の文化」
「イサム・ノグチ∼地球 HTB 人間ビジョンス 「保育器の向こう側∼小樽・新
「ハナさんの旅立ち」
を彫刻した男」
ペシャル「流氷 白い 生児病棟から」
1996 年
「もう一つの阿寒に果つ∼氷の自画像を尋ねて」
海∼オホーツクの遥か 「はるかなるヒマラヤ∼8000 メ
ートル登頂の記録」
「水の惑星∼川の未来は人の未来」
「水の大樹・十勝川」
な旅人」
「オラが町に J リーグがやって
「流氷の旋律∼オホーツク厳冬紀行」
きた」
親の目子の目「親子 4 人、犬 7 匹」
親の目子の目「ぽこ・あ・ぽこ∼子育ては自分
「ザ・ノンフィクションススキ
探し」
ノ・ダンス∼最果ての人間交差
点」
「凍える礫∼豊浜トンネル崩落事故から 1 年」
「ハラボジ(おじいさん)を掘る」
「少年の船 ’96−’97 海に描い
「天使の矛盾∼さまよえ
「過ぎし日のブラームス∼没後 100 年に聴く幻
たグラフティ」
る准看護婦」
のピアノ録音」
HTB 人間ビジョンス
「母校∼北星余市高校・中退者受け入れから 10
「帰郷∼日本で一番老いた街に
「彼方にはフロンティア、 ペシャル「クリル遥か
1997 年 年」
生まれて」
広井勇・青春編」
なる半島知られざる光
親の目子の目「ツッパリ教師の卒業式」
と影の島々」
「ツッパリ教師の卒業式」
「北の交響曲(シンフォニー)∼
「網走川・われわれ川と
「栄光と鎮魂の頂き∼札幌山岳会ミニヤコンカ
映画音楽『ゴジラ』のもう一つ
生きる」
登頂の記録」
の顔」
「ふるさと幻の国∼サハリン残留日本人の戦後」
「C. W.ニコルのヒトとクマの物語」
「銀行崩壊∼拓銀破たんから 3 カ月」
「孵化せず∼拓銀インキュベーター路線の失敗」
「学校とは何か?ツッパリ・中退・不登校と格
闘した 10 年」
「おばちゃんありがとう∼ツッパリと寮母の格
闘 365 日」
1998 年
「大いなる山と渓∼日高山脈夏紀行」
「聴衆のいないピアノコンサート」
「がんと歩いた 300 キロ∼落語家笑福亭小松の
旅日記」
親の目子の目「発明対決!老人 VS 子供」
親の目子の目「もうひとりの恩師」
親の目子の目「退職校長の新たな挑戦」
「あなたはどこで死にますか∼
旭か岡の家の四季」
「晴れたら金メダル!∼モーグ
HTB 人間ビジョンス ルとともに・素顔の里谷多英」
ペシャル「雪花咲く大
地なり∼大雪山と北極 「歌姫とシェフとバンドマン∼
と」
涙と汗の YOSAKOI 物語 190
日」
「こどもミュージカル 1998 夏
∼むかし地球のどこかで」
― 55 ―
「恥」と表象(崔
「それでも私は林檎の木を植えたい」
「輪転機再び∼北海タイムス廃刊から 9 カ月」
JNN 報道特集「43 歳新米教師の格闘・ふくろ
う病の生徒」
「母校 ’99 巣立つ春揺れる春」
「故郷がくれた卒業証書」
「世界を創った鳥∼C.W.ニコル・ワタリガラ
1999 年
スの神話を追う」
「新ロシア紀行・大オホーツク∼知られざる海
の絆」
「北海道発 デビューの夢に向かって・・・
Believe in love」
親の目子の目「ひらふの冒険学校」
「動き出す!北方領土 21 世紀」
銀姫)
「高度 1 万メートルの挑戦∼エ
ア・ドゥ就航の真実」
HTB 人間ビジョンス
ペシャル「カムイの鳥 「少年の船 ’98−’99 新しい船、
生命の原野∼シマフ 新しい出逢い」
クロウとタンチョウの
四季」
「FNS ソフト工場サハリンスキ
ー・ブイヤベー ス ∼ 北 緯 53°
食の楽園を行く」
「密葬・東苗穂 2 条 1 丁目∼ある死刑囚の自
殺」
「老いの食卓∼2000 年ニッポンの配食事情」
「(NOT)カリスマ」
「ガイアの囁き∼C.W.ニコルの新極北紀行」
JNN 報道特集「人は変わる!蘇る!転職教師
涙の卒業式」
「大仁田厚の俺たち『傷だらけやり直し』組」
「喜びも悲しみもこの大地にあり∼20 年目の
『第九を歌った町』」
2000 年 「新ロシア紀行・大オホーツク∼知られざる三
都物語」
「新発見!北方見聞録」全 11 回
「北欧からのメッセージ∼創ろう!新世紀の北
海道」
「インターネット革命∼快適ネットライフ宣言」
親の目子の目「ボクは芸術家の卵」
親の目子の目「うたえ!ルピナスの丘」
親の目子の目「帰り道」
「越前屋俵太が見つけた北方領土・21 世紀への
手紙」
「少年の船 1999−2000 STAND
BY ME 2000 年のともだっち」
「スポーツが見える街に∼岡田
監督 in ヨーロッパ・コンサド
ーレ 2000 始動」
「蜃気楼の彼方に消えた街キラ
HTB 人間ビジョンス ク」
ペシャル「日高大いな 「俺たちの絶食ブラザーズ∼な
る山脈∼立松平和が行 ぜ彼らは歌うのか・クローン病
患者の闘い」
くカムイの山々」
「FNS ソフト工場大草原に夢が
咲く」
「ししゃもとサムライと甲子園
∼鵡川高校野球部の三年間」
「大いなる野生天売島∼海鳥の
島」
「 少 年 の 船 ’ 00 − ’ 01 南 の 島
の・・・木のはなし」
「この子たちのために 検証
「外国人お断り∼平成浮世風呂の湯加減」
有珠山噴火から 1 年」
「ダンサー・オン・ザ・チェア」
「『 廃 部 』 食 中 毒 事 件 か ら 1
「ヤンキー母校に帰る」
年・揺れた企業チーム」
JNN 報道特集「元不良生徒・母校で格闘」
「アイサー!ガンバです。茶髪
「日本で一番美しい森∼富良野から地球を救お
HTB 人間ビジョンス とロン毛と車イス・・男 5 人
う」
ドキュメンタリー 2001 ペシャル「知床 悠久 の全道キャラバン」
2001 年 「オーロラの微笑み∼地球最北・炎と氷の国か 「アイヌブランドを作り の半島
「報道スペシャル∼北海道発 21
ら」
たい」
∼森繁久彌が語る、日
運河のマチの誤算∼どうなる
「HBC きょう創立 50 年」
本最後の秘境」
マイカル小樽」
親の目子の目「6000 坪の子供部屋」
「心のままに∼あるガン患者の
親の目子の目スペシャル「縄文浪漫∼ボクと父
生き方」
さんのアンデスふたり旅」
「報道スペシャル∼北海道発 21
「北方領土新世紀∼歌声は海を越えて」
高架下の人生∼札幌・ホーム
レスの秋」
「海を渡ったぼくらのシュー
ト!2001」
「異国で聞いたアンコール∼
2001 札響英国公演」
「春高バレーコーチングキャラ
バン∼大懸郁久美と虻田高校の
HTB 人間ビジョンス 挑戦」
ペシャル「日本最北愛 「報道スペシャル∼北海道発 21
しき野生たち∼加藤登
壊れた国境∼広がるロシアマ
紀子が語る、日本最北 フィアの影」
の 2 つ の 離 島 と 大 湿 「大いなる野生 釧路湿原∼水
原」
の大地を見つめて」
「球春への夢切符∼鵡川高校野
球部 1400 日」
「自分らしくいきるために い
ま、風を切って」
「原野に吠える∼政治家「ムネオ」の理念と利
権」
「LOVE OIWAKE∼江差追分三姉妹物語」
「い っ て き ま ぁ す ∼ 19 人 の ト ー キ ョ ー 大 作
戦!」
JNN 報道特集「北星余市高校 大麻に揺れる」
「本当のことを言ってくれ∼北星余市高校大麻
2002 年
に揺れる」
「ヤンキー母校で吠える」
「サーモン・・森と海の絆」
「立松和平・知床 2002 未来へ育てる緑の心」
親の目子の目「父親に返り咲く」
「北方領土 21 世紀・ジャパン偉人伝∼うじき
つよしとゴンザの夢」
― 56 ―
佛教大学社会学部論集
第 60 号(2015 年 3 月)
付録 2.『夷 列像』11 枚と『夷 列像』関連記録(au musée des beaux-arts et d’archéologie
de Besançon(The museum of fine arts and archeology in Besançon)
, France)
ツキノエ
ノチクサ
イコトイ
ションコ
― 57 ―
「恥」と表象(崔
銀姫)
チョウサマ
マウタラケ
イニンカリ
シモチ
― 58 ―
佛教大学社会学部論集
ポロヤ
第 60 号(2015 年 3 月)
ニシコマツケ
チキリアシカイ
― 59 ―
「恥」と表象(崔
松前廣長(1790 年)
― 60 ―
銀姫)
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