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保険金請求権の消滅時効の起算点

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保険金請求権の消滅時効の起算点
生命保険論集第 183 号
保険金請求権の消滅時効の起算点
―民法(債権関係)改正を射程にして―
野口 夕子
(近畿大学 教授)
Ⅰ はじめに
保険金請求権の消滅時効期間は、3年である(保険法95条1項)
。消
滅時効期間の起算点については、
保険法に規定されていないことから、
民法の一般原則に拠る。そこで、保険金請求権の消滅時効期間は、民
法166条1項に定める「権利を行使することができる時」から進行する
こととなるが、その起算点を巡っては、学説上、争いがあり、判例の
見解も分岐している。この論争は、しかしながら、民法166条1項に定
める「
『権利を行使することができる時』とは、権利を行使するのに法
律上の障害がなくなった時である」1)と解されてきたことに起因する
ものである。
民法166条1項に規定する「権利を行使することができる時」とは、
一般に、権利を行使するのに法律上の障碍がなくなった時であり、権
利者の一身上の都合で権利を行使できないことや、権利行使に事実上
1)我妻榮=有泉亨=清水誠=田山輝明『我妻・有泉コンメンタール民法―総
則・物権・債権〔第2版追補版〕
』320頁(日本評論社、2010年)
。
―61―
保険金請求権の消滅時効の起算点
の障碍があることは、消滅時効の進行には影響しない。したがって、
権利者が権利の存在を知らない場合にも、原則としては、時効は進行
する。
保険金請求権にあっては、保険事故の偶発性故に保険金請求権者が
その事実を知らないことが往々にして存するにも拘わらず、その間に
も消滅時効は進行することになる。保険金請求権者の保険事故発生の
了知や主観的事情は、単なる事実上の障碍に過ぎないからである。こ
のような事情から、
保険金請求権の消滅時効期間の起算点については、
保険事故発生時説が通説とされる一方で、保険金請求権者による了知
や個別主観的事情を起算点の要件として加味すべきであるとの主張も
なされているところ、その解決は、やはり容易ではない。
そのようななかで、2013(平成25)年2月26日、法制審議会民法(債
権関係)部会(以下、
「民法(債権関係)部会」という)第71回会議に
おいて、
「民法(債権関係)の改正に関する中間試案」
(以下、
「中間試
案」という)が決定、翌月11日、法務省ホームページを通じて公表さ
れた。また、同月19日には、法務省民事局参事官室によって、中間試
案について、項目ごとにそれぞれそのポイントを要約、説明した「民
法(債権関係)の改正に関する中間試案(概要付き)
」
(以下、
「中間試
案(概要付き)
」という)が作成・公表されている。
債権の消滅時効について、民法(債権関係)部会では、当初から時
効期間のできる限りの統一性を実現するために、原則的な時効期間の
短期化を目指す一方、債権者保護にも適切に配慮したものでなければ
ならないという観点から、
総合的な検討が進められてきた。
なかでも、
債権の消滅時効における原則的な時効期間と起算点については、債権
の原則的な時効期間を10年とする民法167条1項の見直しと関連して、
その起算点を「権利を行使することができる時」と定めた民法166条1
項に債権者等の認識を基準とする主観的起算点を導入することも視野
に検討されてきた。
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生命保険論集第 183 号
ここに民法(債権関係)部会がその審議を開始した2009(平成21)
年11月24日から3年余りを経て決定をみた中間試案には、債権の消滅
時効における原則的な時効期間と起算点について、二つの案が示され
ている。以下では、中間試案に提示されるこの二つの案を中心に、民
法(債権関係)の改正が保険金請求権の消滅時効期間の起算点を巡る
従来の議論、ひいては保険法95条1項に如何なる影響を及ぼすことに
なるのかについて検討していく。本稿は、保険金請求権の消滅時効期
間の起算点を巡って、解釈論上、未だ一致をみない現状に鑑み、民法
(債権関係)部会とそれを取り巻く議論の中にその活路を開こうと試
みるものである。
Ⅱ 判例・学説法理の変遷
1 判例の動向
(1)旧来の下級審裁判例
ここでは、まず、最高裁平成15年12月11日判決(民集57巻11号2196
頁)
(以下、
「最高裁平成15年判決」という)に至るまでの下級審裁判
例において、保険金請求権の消滅時効期間の起算点が如何に解釈され
てきたのかを概観する2)。
損害保険分野において、保険金請求権の消滅時効期間の起算点が争
点となった下級審裁判例は、①東京高裁昭和41年4月18日判決(下民
集17巻3・4号301頁)及び②東京地裁昭和61年3月17日判決(判タ599
号67頁)の2件である。
2)裁判例の分類並びに検討にかかる先行研究として、甘利公人「判批」保険
事例研究会レポート169号7頁(2002年)
、木下孝治「判批」保険事例研究会
レポート196号12頁(2005年)、遠山聡「保険金請求権の消滅時効の起算点
―例外的処理が許容される「特段の事情」について―」生命保険論集151
号77頁(2005年)
。
―63―
保険金請求権の消滅時効の起算点
①東京高裁昭和41年4月18日判決は、ビルマの真珠貝採取船が海賊
に襲撃されたが、被保険者は、当初、当該事故が共産主義者による内
乱又は暴動ではないかと推測していたところ、2ヶ月余り経過後に現
地警察部長より公式文書をもって海賊による事故である旨の証明書の
交付を受けたという事実の下で、同裁判所は、遠隔の外地において発
生した事故にあっては、当該事故発生地の官憲による公式証明を受け
るまでは、事故に関する報告は単なる情報に過ぎないことから、公式
証明書の交付を受けた日をもって事故を覚知したものと認められると
して、この日をもって消滅時効期間の起算点とした。他方、②東京地
裁昭和61年3月17日判決は、火災保険契約がいわゆる他人の為にする
保険契約であったところ、他人の為にする保険契約についてのみ消滅
時効期間の起算点を保険契約の存在を知った時と解すべき合理的理由
はないとして、
保険事故の発生時を消滅時効期間の起算点としている。
損害保険に関する事案が上記2件であるのに対して、生命保険分野
において、保険金請求権の消滅時効期間の起算点が争点となった事案
は6件ある。③浦和地裁越谷支部昭和63年12月23日判決(生保判例集
5巻391頁)では、被保険者死亡の日から起算しても、保険金受取人が
被保険者死亡の事実を知った時から起算しても3年を経過した後に保
険金の支払を求めて提訴したと認められることから、保険金請求権は
時効により消滅したと判示した。また、④旭川地裁平成3年9月25日
判決(生保判例集6巻388頁)は、被保険者の死亡後、適時に保険金を
請求したものの、被保険者が飲酒の上での自動車運転により交通事故
を惹起したもので、保険者免責事由に当たるとの理由で支払を拒否さ
れて以降、7年にわたって裁判上の保険金請求を行わなかったという
事案であるが、同裁判所は、消滅時効は被保険者が飲酒をしていなか
った事実を保険金受取人が知った時から起算すべき旨の主張を斥け、
保険金請求権の消滅時効期間の起算点を「権利を行使するについて法
律上の障害がないこと」とした上で、
「原告らが本件保険金請求につい
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生命保険論集第 183 号
て支払免責事由があると思ったということは、権利を行使するについ
て事実上の障害にすぎない」と判示して、その請求を棄却している。
⑤長崎地裁平成4年2月24日判決(生保判例集7巻29頁)及びその
控訴審である⑥福岡高裁平成4年7月16日判決(生保判例集7巻112
頁)では、他人の為にする生命保険契約であったことから、保険金受
取人が、当該保険契約の存在を知らず、その後の税務署の調査によっ
てその存在を知ったという事案において、保険金受取人が保険契約の
存在を知った日を消滅時効期間の起算日とすべきとの主張を斥け、
「消
滅時効は権利行使に法律上の障害がなくなれば進行を開始するもの」
であり、保険金請求権は支払事由発生の日の翌日からその日を含めて
3年を経過したときは時効によって消滅する旨の約定は公序良俗に反
しないと判示して、
保険事故の発生日の翌日から消滅時効を起算した。
保険金受取人が、被保険者の入院給付金の請求の為に保険証券を保
険会社に提出したままになっていたことから、保険金受取人になって
いることを知らず、被保険者の死亡後、3年2ヶ月余りの間、死亡保
険金の請求ができなかった旨主張した⑦福岡地裁小倉支部平成8年2
月27日判決(生保判例集8巻373頁)もまた、保険金請求権の消滅時効
期間の起算点を支払事由の生じた日の翌日とする約定は、
民法166条1
項の趣旨に沿うものであり、かつ、同項は「権利行使につき法律上の
障碍がなくなった時と解するのが相当」とされることから、約定に従
い、支払事由の生じた日の翌日を消滅時効期間の起算点としている。
最後に、⑧東京地裁平成11年5月28日判決(判時1704号102頁)であ
るが、同事件は、生命保険契約の被保険者兼保険金受取人に保険金支
払事由に該当する高度障害が発生したが、
同人に禁治産宣告がなされ、
かつ、後見人が選任されたのが、高度障害の発生時より4年3ヶ月が
経過していたというものである。保険金請求権の消滅時効期間の起算
点は、
「被保険者に禁治産宣告がされ、
後見人選任の審判が確定した時」
とする主張に対して、同裁判所は、
「民法166条1項にいう『権利を行
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保険金請求権の消滅時効の起算点
使することを得る時』とは、権利の行使について法律上の障碍がなく
なったとき、すなわち権利の内容、属性自体によって権利の行使を不
能ならしめる事由がなくなったときをいうものであって、権利者の疾
病等主観的事情によって権利を行使し得ないとしても、右は事実上の
障碍にすぎず、時効の進行を妨げる事由にはならない」から、かかる
起算点は「高度障害が発生したとき」であるとした上で、民法158条を
類推適用して、
「時効期間満了の前六か月内に事実上禁治産宣告を受け
たに等しい状態にある者、すなわち心身喪失の常況にある者について
は、その者が禁治産宣告を受け、後見人が法定代理権を行使し得るよ
うになったときから六か月は時効が完成しないものと解する」と判示
している。
保険金請求権の消滅時効期間の起算点を判断するに当たって、下級
審裁判例がほぼ一貫して保険事故発生時説を採用していることは、一
目瞭然である。保険契約においては、保険事故の発生時、保険事故の
発生という事実は基より、保険金請求権者が、保険事故の発生という
事実や保険契約の存在を知らない、あるいは、自己が権利者であるこ
とを知らないままでいることは、少なくない。しかしながら、保険金
請求権の消滅時効期間の起算点との関係からは、これらは全て事実上
の障碍に過ぎない(上記②⑤⑥⑦判決)
。また、保険事故の発生原因が
保険者免責事由に該当すると誤信したために、保険金を請求しなかっ
た場合も、同様である(上記④判決)
。更に、上記⑧判決によれば、高
度障害の為、事理弁識能力を欠くに至っているにも拘わらず、後見人
が付されていないという場合にあっても、それは保険金請求権者の個
別主観的な事情であり、事実上の障碍に過ぎない。
このようななかで、上記④判決と同様、保険事故の発生原因が免責
事由に該当すると誤信したために、保険金を請求しなかった事案があ
る。上記①判決である。しかしながら、上記①判決では、保険事故の
発生時ではなく、
「ビルマ官憲から事故につき公式証明書の交付を受け
―66―
生命保険論集第 183 号
た」日をもって消滅時効が開始すると判示している。上記①判決は、
保険事故の発生は認識されていたが、それが保険者免責事由に該当す
るか否かというところで、保険者及び被保険者双方がその事実関係を
覚知し得ず、保険事故の該当性を判断し得なかったものである。外国
公館による公式証明書は、理論上、数ある証拠の一つに過ぎないにも
拘わらず、保険金請求権の消滅時効期間の起算点を保険事故の発生時
とせず、かかる証明書の交付を受けた日をもって消滅時効期間が開始
するとした同判決は、権利行使が現実に期待可能となった時点を消滅
時効期間の起算点とする実質的な先例と捉えられている3)。
(2)最高裁平成15年判決
民法166条1項に定める「権利を行使することができる時」に「権利
行使が現実に期待可能になった時」を考慮しようとする事案が散見さ
れるものの4)、従来の下級審裁判例にあってはやはり保険事故発生時
説に依拠するものが主流であったところ、その転機となったのが、最
高裁平成15年判決5)である。
3)木下・前掲注2)17頁、遠山・前掲注2)85頁。
4)他の法分野においては、このように「権利を行使することができる時」に
「権利行使が現実に期待可能になった時」を考慮した判例が、既に存する。
例えば、供託者と被供託者の間に争いがある場合の弁済供託金の返還請求権
については、
「権利の性質上、その権利行使が現実に期待のできるものである
ことも必要である」と判示した最高裁昭和45年7月15日大法廷判決(民集24
巻7号771頁)である。判例は、同判決以降、法律上の障碍に対する例外を認
めるようになっていった。
5)本判決の評釈として、出口正義「判批」民商法雑誌131巻1号40頁(2004
年)
、森義之「判批」ジュリスト1270号181頁(2004年)
、坂口光男「判批」判
例時報1858号191頁(2004年)
、松本克美「判批」法律時報76巻12号89頁(2004
年)
、大澤康孝「判批」
『平成15年度重要判例解説(ジュリスト1269号)
』119
頁(2004年)
、清水俊彦「判批」保険事例研究会レポート195号1頁(2005年)
、
木下・前掲注2)12頁、吉井敦子「判批」山下友信=洲崎博史編『保険法判
例百選(別冊ジュリスト202号)
』178頁(2010年)
。
―67―
保険金請求権の消滅時効の起算点
【事実の概要】訴外Aは、保険会社Y(被告・控訴人・上告人)と
の間で、Aを被保険者、Aの妻であるX(原告・被控訴人・被上告
人)を保険金受取人とする生命保険契約を、平成2年5月1日、平
成3年11月21日にそれぞれ締結した。これらの保険契約にかかる保
険約款には、保険金請求権の消滅時効に関して、保険金支払事由が
生じた日の翌日からその日を含めて3年間請求がない場合には、保
険金請求権は消滅する旨の約定が設けられていた。
Aは、平成4年5月17日、自動車を運転して自宅を出たまま帰宅
せず、同月19日には家族から地元警察に捜索願が提出されたが、そ
の消息については何の手がかりもなく、その生死も不明のまま、時
が経過した。
その後、3年余りが経過した平成8年1月7日、Aは遺体で発見
された。現場の状況並びに遺体の状況等から、その死亡時期は平成
4年5月頃と推定され、また死亡原因については自殺でないとの事
実認定がなされている。
Xは、平成8年11月7日、保険金の支払を求めてYを訴えたが、
Yは、Aの死亡の日から3年が経過するまでの間に本件各契約に基
づく保険金の請求がなされなかったことから、消滅時効を主張した。
第一審(東京地裁平成11年5月17日判決(判時1714号146頁)
)で
は、保険金請求権に短期消滅時効を設ける趣旨やその時効期間を3
年に延長した保険約款の有効性、また一般的な時効制度の趣旨をも
踏まえた上で、「単に主観的に知らなかったのではなく、客観的に
も知りようがなかったのであって、その間、Xには他に取りうる手
段が全くなかった」ことから、
「原則的には、約款の定めるとおり、
保険事故発生の翌日から時効期間を起算すべきであるとしても、権
利者において、およそ権利行使を期待することが不可能な場合には、
法律上の障碍が存在する場合に準じて、その障碍が除去されたとき
から時効が進行する」と判示し、Xの請求を認容した。
―68―
生命保険論集第 183 号
原審(東京高裁平成12年1月20日判決(判時1714号143頁)
)もま
た、「少なくとも本件においては、短期消滅時効に関する起算点で
ある『保険金の支払事由が生じたとき』とは、単にその権利の行使
につき法律上の障害がないというだけでなく、本件各契約に基づく
請求権という権利の性質上、その権利行使が現実に期待できるもの
であることをも必要と解するのが相当であ」るとして、Xの請求を
認めた。Y上告。
【判旨】上告棄却。
「本件消滅時効にも適用される民法166条1項が、消滅時効の起
算点を『権利ヲ行使スルコトヲ得ル時』と定めており、単にその権
利の行使について法律上の障害がないというだけではなく、さらに
権利の性質上、その権利行使が現実に期待することができるように
なった時から消滅時効が進行するというのが同項の規定の趣旨で
あること……にかんがみると、本件約款が本件消滅時効の起算点に
ついて上記のように定めているのは、本件各保険契約に基づく保険
金請求権は、支払事由(被保険者の死亡)が発生すれば、通常、そ
の時からの権利行使ができると解されることによるものであって、
当時の客観的状況等に照らし、その時からの権利行使が現実に期待
できないような特段の事情の存する場合についてまでも、上記支払
事由発生の時をもって本件消滅時効の起算点とする趣旨ではない
と解するのが相当である。そして、本件約款は、このような特段の
事情の存する場合には、その権利行使が現実に期待することができ
るようになった時以降において消滅時効が進行する趣旨と解すべ
きである。
……Xの本件各保険契約に基づく保険金請求権については、本件
約款所定の支払事由(Aの死亡)が発生した時から、Aの遺体が発
見されるまでの間は、当時の客観的な状況に照らし、その権利行使
が現実に期待できないような特段の事情が存したものというべき
―69―
保険金請求権の消滅時効の起算点
であり、その間は、消滅時効は進行しないものと解すべきである。
そうすると、本件消滅時効については、Aの死亡が確認され、そ
の権利行使が現実に期待できるようになった平成8年1月7日以
降において消滅時効が進行するものと解されるから、Xが本件訴訟
を提起した同年11月7日までに本件消滅時効の期間が経過してい
ないことは明らかである」
。
生命保険契約において、被保険者は自動車転落事故によって既に死
亡していたものの、当該事故から3年8ヶ月が経過してはじめてその
死亡が明らかになった事案にあって、最高裁平成15年判決は、民法166
条1項の趣旨を単にその権利の行使について法律上の障碍がないとい
うだけでなく、更に権利の性質上、その権利行使が現実に期待するこ
とができるようになった時から消滅時効が進行すると解した上で、当
時の客観的状況等に照らし、その時からの権利行使が現実に期待でき
ないような特段の事情の存する場合には、その権利行使が現実に期待
することができるようになった時以降において消滅時効は進行すると
判示したものである。
最高裁平成15年判決に対しては、保険金請求権が、
「権利の性質上」
、
保険事故の発生時から権利行使が現実に期待し得ない権利であるかど
うかが明らかでなく、また、保険金請求権の消滅時効期間の起算点を
保険金支払事由の発生の日の翌日と約定する保険約款の解釈論として
判旨を展開していることから、その射程を巡って評価が分かれる。し
かしながら、同判決が、結論として妥当であることには異論はないよ
うに見受けられる。
近時の判例は、消滅時効期間の起算点に関して、従来の通説からは
事実上の障碍に過ぎないと解される場合であっても、権利の性質から
みて、権利の行使が現実に期待できるか否かを問う余地を残す傾向に
あるが、最高裁平成15年判決もまた、こうした判例理論に依拠した一
―70―
生命保険論集第 183 号
事例であると解される6)。
2 学説の展開
民法166条1項に定める「権利を行使することができる時」とは、従
来、権利を行使するのに法律上の障碍がなくなった時とされている7)。
かかる規定及び解釈を踏まえて、
保険法95条1項に定める保険金請求権
の消滅時効期間については、保険金請求権が、保険事故の発生もしく
は保険事故による損害の発生によって具体的な権利として確定し、行
使し得べきものとなるから8)、保険事故の発生時もしくは保険事故に
よる損害の発生時から消滅時効が進行すると解されてきた9)。いわゆ
る保険事故発生時説である。
しかしながら、保険金請求権にあっては、保険事故の偶発性故に保
6)木下・前掲注2)15頁。
7)
「権利者の一身上の都合で権利を行使できないこと」は、単なる事実上の障
碍に過ぎず、また、
「権利者が権利の存在を知らない場合にも、原則としては、
時効は進行する」
(我妻=有泉=清水=田山・前掲注1)320頁)
。
8)
「保険契約の本質的構造からすれば、保険者は、約定事故による損害発生を
条件とする保険金支払義務を引き受ける(危険負担)ことにより、確定的な
契約上の出捐をなす(期待権給付)ものである。そして、保険事故により被
保険利益につき損害が発生することによって、右の出捐は確定的な保険金支
払義務として具体化される。そこで、保険事故による損害の発生という客観
的事実によって、保険金債権はそれが行使されうる状態に入ったものと見る
ことができる」と、その論拠を説く(倉沢康一郎「保険金債権の時効起算点
について」同著『保険契約の法理』所収213頁(慶応通信株式会社、1975年)
)
。
9)大森忠夫『法律学全集31 保険法』158頁、296頁(有斐閣、1957年)
、大森
忠夫「保険金請求権の消滅時効期間の始期」大森忠夫=三宅一夫『生命保険
契約法の諸問題』181頁(有斐閣、1958年)
、倉沢・前掲注8)214頁、島原宏
明「4 保険金支払義務」倉澤康一郎編『生命保険の法律問題』金融・商事
判例986号123頁(1996年)
、坂口光男「六 保険金請求権の消滅時効期間の起
算点」同著『保険契約法の基本問題』129頁(文眞堂、1996年)
、山下典孝「判
批」判例時報1734号190頁(2001年)
、坂口・前掲注5)195頁、山下友信『保
険法』539頁(有斐閣、2005年)
。
―71―
保険金請求権の消滅時効の起算点
険金請求権者がその事実を知らないことが往々にして存するにも拘わ
らず、前説によれば、その間にも消滅時効は進行することとなる。そ
の不合理さに加え、
「権利の上に眠る者を許さず」という消滅時効制度
の趣旨と両々相俟って、保険金請求権の消滅時効は、保険金請求権者
が保険事故の発生もしくは保険事故による損害の発生の事実を知った
時、又は、知り得べかりし時までは進行しないと解すべきであるとの
主張が出現する10)。当事者が債権の発生を未だ知らない以上、その者
は決して「権利の上に眠る者」とはいえないとの観点から展開される
この保険事故発生知了時説に対しては、
「保険契約においては、保険事
故の発生により保険金請求権が発生ないし具体化していることが知ら
れない場合があること、このような場合には保険金請求権を行使しな
くても不利益は受けないという観点に立っており、そのかぎりにおい
て評価される」ものの11)、唯一の消滅時効が主観的了知の時を起算点
とするものとすれば、当事者が了知しない限りは永久に時効によって
消滅しないことになるとの批判は大きい12)。
そこで、保険金請求権の消滅時効期間の起算点については、原則的
には保険事故発生時説に立ちつつ、客観的にみて、保険金請求権者が
保険事故の発生もしくは保険事故による損害の発生を知らないことも
やむを得ない事情があれば、保険事故の発生を知った時をもって消滅
時効が進行すると解する説がある13)。同説は、保険金請求権者による
保険事故の発生もしくは保険事故による損害の発生についての了知や
個別主観的事情を保険金請求権の消滅時効期間の起算点の要件として
10)野崎隆幸『保険契約法論』131頁(大同書院、1936年)
。
11)坂口・前掲注9)119頁。
12)大森・前掲注9)
(大森=三宅)177-178頁、倉沢・前掲注8)215-218頁、
島原・前掲注9)123頁、坂口・前掲注9)119-120頁。
13)石田満『現代法律学講座19 商法Ⅳ(保険法)
【改訂版】
』189頁(青林書院、
1994年)
。
―72―
生命保険論集第 183 号
加味するに当たって、何らかの客観性の下にこれを判断することによ
って、保険金請求権の消滅時効期間の起算点に例外的な処理を施そう
という考え方に拠る。
また、立法論としては、保険事故の発生時を起算点としながら、保
険金請求権者がその不知を立証したときは、例外として保険事故知了
時より消滅時効が進行するとすべきであるとした上で、不法行為債権
の消滅時効に関する民法724条にならい、
保険事故発生後5年を経過し
たときは、保険金請求権者の知不知に関わらず、保険金請求権は消滅
するとする案が提示されている14)15)。しかしながら、同説のように、
契約に基づく債権である保険金請求権を不法行為に基づく損害賠償請
求権と同列に置くことは適切を欠くというべきであり、また、権利の
発生を知らないまま時効が完成し、権利を喪失することは、契約一般
でもあり得ることから、保険契約についてのみ例外を認めることは問
14)金澤理「保険契約上の請求権の消滅時効」財団法人損害保険事業総合研究
所編『創立四十周年記念 損害保険論集』268頁(財団法人損害保険事業総合
研究所、1974年)
。
15)損害保険法制研究会によって作成され、1995年に公表された損害保険契約
法改正試案(以下、
「1995年損害保険契約法改正試案」という)は、
「損害て
ん補を請求する権利は、保険事故発生の時から2年を経過した時に、時効に
よって消滅する。ただし、被保険者が保険事故発生の当時その発生を知らな
かったことを立証したときは、その発生を知った時をもって時効の起算点と
する」とした上で、
「被保険者が保険事故の発生を知らなかった場合でも、損
害てん補を請求する権利は、保険事故発生の時から5年を経過した時に消滅
する」旨提案する(損害保険法制研究会編『損害保険契約法改正試案 傷害
保険契約法(新設)試案理由書1995年確定版』72-73頁(財団法人損害保険事
業総合研究所、1995年)
)
。かかる提案に対して、
「損害保険契約法改正試案の
ように、……権利者の知・不知を一般的な起算点のレベルで考慮することは
疑問の余地があるが、
『その発生を知らなかったこと』を『客観的に知り得な
かったこと』
、
『発生を知った時』を『発生が客観的に認識可能となった時』
と解することを前提として、損害保険契約法改正試案の立法論を支持したい」
との見解がある(遠山・前掲注2)106頁)
。
―73―
保険金請求権の消滅時効の起算点
題であるとの批判がある16)。
Ⅲ 保険法95条1項と中間試案
1 中間試案に示す各案の検討
近時、判例は、保険事故発生時説によれば事実上の障碍に過ぎない
と解される場合であっても、権利の性質からみて、権利の行使が現実
に期待できるか否かを問う余地を残す傾向にあり、学説もまた、保険
事故発生時説に立ちつつも、保険金請求権者の了知や主観的事情を考
慮に加えようとの見解が有力視されるなかで、しかしながら、保険金
請求権の消滅時効期間の起算点については、解釈論上、未だ一致をみ
ないことから、かかる紛争を未然に防止すべく、立法によって解決す
べきとの意見も少なくない17)18)。
このようななかで、民法(債権関係)の改正に向けた中間試案には、
既述のように、債権の消滅時効における原則的な時効期間と起算点に
ついて、二つの案が提示されている。
「
『権利を行使することができる
16)山下(友)
・前掲注9)539頁。
17)石田・前掲注13)189頁、西島梅治『保険法〔第三版〕
』82頁(悠々社、1998
年)
、潘阿憲「保険金支払義務と免責事由」倉澤康一郎編『生命保険の法律問
題〈新版〉
』金融・商事判例1135号108頁(2002年)
、福田弥夫「第4章Ⅱ.損
害保険関係」石山卓磨編著『現代保険法』95頁(成文堂、2005年)
。
18)法制審議会保険法部会では、保険金請求権の消滅時効期間の起算点につい
ては、その当初から民法166条1項が適用されることを前提に審議が進められ
ており、論点としては取り上げられていない(保険法部会資料2「保険法の
現代化に関する検討事項(1)
」12頁、法制審議会保険法部会第2回会議議事録
25頁、保険法の見直しに関する中間試案第2-3(8)・第3-3(3)・第4-3(3)
(萩本修編著「保険法立案関係資料―新法の概説・新旧旧新対照表―」別冊
商事法務321号67頁・76頁・81頁(2008年)
)
、法務省民事局参事官室「保険法
の見直しに関する中間試案の補足説明」第2-3(8)(萩本修編著「保険法立
案関係資料―新法の概説・新旧旧新対照表―」別冊商事法務321号115頁(2008
年)
)
)
。
―74―
生命保険論集第 183 号
時』
(民法第166条第1項)という起算点を維持した上で、10年間(同法
第167条第1項)
という時効期間を5年間に改めるものとする」
甲案と、
「
『権利を行使することができる時』
(民法第166条第1項)という起算
点から10年間(同法第167条第1項)という時効期間を維持した上で、
『債権者が債権発生の原因及び債務者を知った時(債権者が権利を行
使することができる時より前に債権発生の原因及び債務者を知ってい
たときは、権利を行使することができる時)
』という起算点から[3年
間/4年間/5年間]という時効期間を新たに設け、いずれかの時効
期間が満了した時に消滅時効が完成するものとする」乙案である19)20)。
甲案は、債権の消滅時効期間の起算点については現行の規律を維持
した上で、商事消滅時効(商法522条)を参照し、民法167条1項に定
める10年間という原則的な時効期間を5年間に短縮するものである21)。
債権の消滅時効期間の起算点に関して現状維持を提案する甲案の下で
は、
保険金請求権の消滅時効期間の起算点に変更はない。
換言すれば、
かかる起算点をめぐる解釈論上の論点は、何ら解決されない。
債権の消滅時効について、現行の消滅時効制度の変更を最小限に留
めつつ、時効期間の単純化・統一化を図る甲案に対して、現行法の時
効期間と起算点の枠組を維持した上で、原則的な時効期間の短期化に
当たっては、債権者の認識等、主観的な事情を考慮した起算点―主
19)中間試案10頁。
20)これに先立って、民法(債権関係)部会では、2012(平成24)年12月4日
に開催された第64回会議における「民法(債権関係)の改正に関する中間試
案のたたき台(1)」を皮切りに、2013(平成25)年2月12日の第69回会議に至
るまで、中間試案の取り纏めに向けたたたき台を5回に分けて提示、検討を重
ねている。債権の消滅時効における原則的な時効期間と起算点については、
2012(平成24)年12月18日、第65回会議において示された「民法(債権関係)
の改正に関する中間試案のたたき台(2)(概要付き)
」に包含されているが、
中間試案のそれに変更はない(民法(債権関係)部会資料54「民法(債権関
係)の改正に関する中間試案のたたき台(2)」12頁)
。
21)中間試案(概要付き)25頁。
―75―
保険金請求権の消滅時効の起算点
観的起算点―によることを提案しているのが、乙案である。乙案に
よれば、現行の規律に加え、新たに「債権者が債権発生の原因及び債
務者を知った時」を起算点とする短期消滅時効期間を設け、いずれか
の時効期間が満了した時に消滅時効が完了することになる。併せて、
主観的起算点からの短期消滅時効期間については、3年間、4年間又
は5年間という案が示されている22)。
主観的起算点から始まる短期の時効期間とともに、従来の「権利を
行使することができる時」
(民166条1項)を起算点―客観的起算点
―とする長期の時効期間を組み合わせる乙案には、「主観的起算点
の要件が満たされない限りいつまでも時効が完成しないこととなるの
「このような
は適当でないという考慮に基づく」ものであり23)、また、
長短2種類の時効期間を組み合わせるという取扱いは、不法行為によ
る損害賠償請求権の期間の制限(民724条)と同様のものである」との
説明が付されているが24)、同様の考え方は、保険金請求権の消滅時効
にかかる時効期間及び起算点をめぐる議論においても、以前から主張
されてきたものである25)。
主観的起算点の導入はまた、解釈論上、保険金請求権の消滅時効期
22)中間試案並びに中間試案(概要付き)には特に説明は付されていないが、
民法(債権関係)部会資料52「民法(債権関係)の改正に関する論点の補充
的な検討(3)」によれば、乙案を前提に、
「
[3年間]という期間は、不法行為
に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間を参照したものであるが、これを4
年間又は5年間とする考え方もあり得るので、ブラケットで囲んで提示」し
ている(民法(債権関係)部会資料52「民法(債権関係)の改正に関する論
点の補充的な検討(3)」15頁)
。
23)民法(債権関係)部会資料31「民法(債権関係)の改正に関する論点の検
討(4)」7頁。
24)民法(債権関係)部会資料31・前掲注23)7頁、民法(債権関係)部会資
料52・前掲注22)14-15頁、民法(債権関係)部会資料54・前掲注20)13頁、
中間試案(概要付き)25頁。
25)金澤・前掲注14)268頁。かかる見解は、既述の如く、1995年損害保険契約
法改正試案に収斂されている。
―76―
生命保険論集第 183 号
間の起算点を巡って例外的な処理を求める近時の流れにも合致するよ
うに思われる。しかしながら、他方、民法166条1項に定める「権利を
行使することができる時」を前提として3年という単一の消滅時効期
間のみが認められている保険金請求権に、従来の客観的起算点による
長期の時効期間と、主観的起算点から始まる短期の時効期間を組み合
わせる乙案の、その起算点を如何に適用すべきかという問題が生じる
こととなろう。
2 保険法95条1項に定める短期消滅時効期間と乙案
更に、乙案が採用された場合に、保険金請求権の消滅時効期間の起
算点の問題と相俟って、新たに論点として浮上してくるのが、保険法
95条1項に定める短期消滅時効期間との関係性である。
乙案では、
「権利を行使することができる時」
(民法166条1項)とい
う起算点から10年間、又は、
「債権者が債権発生の原因及び債務者を知
った時(債権者が権利を行使することができる時より前に債権発生の
原因及び債務者を知っていたときは、権利を行使することができる
時)
」という起算点から3年間、4年間あるいは5年間という二種類の
時効期間を併置し、いずれかの時効期間が満了した時に消滅時効が完
成することになる。そこで、まず問題となるのが、
「債権者が債権発生
の原因及び債務者を知った時」には、客観的起算点から既に9年を経
過していたような場面にあっても、短期消滅時効はその時点から新た
に進行することとなるのかという点である。
民法(債権関係)部会による審議が開始して以降、中間試案に至る
まで、この点について特に説明はない。しかしながら、乙案に示され
る考え方は、民法(債権法)改正検討委員会による「債権法改正の基
本方針」
(以下、
「基本方針」という)による提案を基本的に維持した
ものとなっている。
基本方針では、まず、
「
〈1〉債権時効の期間は、民法その他の法律に
―77―
保険金請求権の消滅時効の起算点
別段の定めがある場合を除き、
債権を行使することができる時から
[10
年]を経過することによって満了する」とともに、
〈2〉として「
〈1〉
の期間が経過する前であっても、債権者(債権者が未成年者または成
年後見人である場合は、その法定代理人)が債権発生の原因および債
務者を知ったときは、その知った時または債権を行使することができ
る時のいずれか後に到来した時から[3年/4年/5年]の経過によ
り、債権時効の期間は満了する」とする、乙案とほぼ同様の提案をし
た上で、
〈2〉の時効期間を3年とする場合には、
「
〈1〉にもかかわらず、
債権者(債権者が未成年者または成年後見人である場合は、その法定
代理人)が債権を行使することができる時から[10年]以内に債権発
生の原因および債務者を知ったときは、その知った時から[3年]が
経過するまで、債権時効の期間は満了しない」旨、併せて提案してい
る26)。この基本方針の考え方に拠れば、乙案において、主観的起算点
から3年間という時効期間が採用された場合にのみ27)、かかる時効が
新たに進行することになる(図1参照)
。
26)民法(債権法)改正検討委員会編『詳解・債権法改正の基本方針Ⅲ―契約
および債権一般(2)』166頁(商事法務、2009年)
。
27)基本方針によれば、
「
〈3〉は、
〈2〉の期間を3年とする場合に限っての提案
である。
〈2〉の期間をそれよりも長期とする場合にも〈3〉のような規定を設
けることは、事実関係の曖昧化による負担と危険への債務者および取引社会
の拘束が重くなりすぎるという判断による」
(民法(債権法)改正検討委員会
編・前掲注26)174頁)
。
―78―
生命保険論集第 183 号
(筆者作成)
保険法95条1項によれば、
保険金請求権は、
「三年間行わないときは、
時効によって消滅する」こととなる。同項は、既述のように、民法166
条1項に定める「権利を行使することができる時」を前提とするもの
であるが、ここでは「債権者が債権発生の原因及び債務者を知った時」
にも同様と仮定する。
保険契約にあっては、保険事故もしくは保険事故による損害が発生
し、保険金請求権の消滅時効が既に進行しているところ、保険金請求
権者がその発生を知るという場合が、寧ろ通常である28)。加えて、保
28)
「契約上確定的かつ具体的に発生している債権においてその弁済期が到来す
る場合とは異なり、保険契約の場合には、偶然の事故による損害の発生とい
う事実が、具体的な保険金債権そのものを発生せしめる契機をなしている点
が問題となりうる。この点で、保険料債権と保険金債権とはその性質を異に
する。すなわち、前者においては、当事者はあらかじめ債権の存在を確知し
ており、単に時間の経過のみを待っている状態にあるのに対して、後者にお
―79―
保険金請求権の消滅時効の起算点
険金請求権にあっては、保険法95条1項によって短期消滅時効期間が
設けられていることから、保険金請求権者による権利行使の機会が奪
われかねないとの指摘がある29)。主観的起算点の導入によって、かか
る懸念が払拭されることが期待されるが、保険法95条1項を前提とす
るならば、基本方針のように、保険金請求権者が権利を行使すること
ができる時から3年以内に保険事故の発生を知ったときは、その知っ
た時から3年が経過するまで、保険金請求権の時効期間は満了しない
と考えなければ、全く意味をなさない(図2参照)
。
図2:保険法95条に定める保険金請求権の消滅時効期間と乙案
保険事故発生時
3年
客観的起算点
6年
主観的起算点
or
(筆者作成)
いては、当事者があらかじめ具体的な保険金債権の発生ならびにその時期を
知るなどということはありえないことであるから、客観的な保険金債権の発
生時期と、当事者がその発生を知る時期とは異なりうるものなのである」
(倉
沢・前掲注8)213頁)
。
29)大澤康孝「第5章 保険金請求手続、保険金債務の履行期と消滅時効」竹
濵修=木下孝治=新井修司編『中西正明先生喜寿記念論文集 保険法改正の
論点』78頁(法律文化社、2009年)
。
―80―
生命保険論集第 183 号
他方、
基本方針の考え方に拠れば、
保険金請求権の消滅時効期間は、
最長で6年となる。保険金請求権者にとっては短期消滅時効故にかか
る権利行使の機会が奪われやすいという問題点は解消されようが、保
険金請求権は、その有無や内容についての保険者による早期の調査が
不可欠であるにも拘わらず、
保険事故の発生から長期間が経過すると、
保険給付のための調査に必要な証拠が散逸してしまう恐れがあるこ
と30)、保険制度の技術性・団体性からして、相当期間経過後に過去の
保険金の請求を認めることは、保険事業の円滑な運営の障害となり得
ることに加え31)、保険者の財産状態の明瞭性を確保する必要性から32)、
保険法95条1項をもって保険金請求権に短期消滅時効を定めている趣
旨が達成され得ない虞は否めない。
基本方針ではまた、前掲の提案のうち「
〈3〉は、
〈1〉の原則的な債
権時効期間の経過にもかかわらず、債権行使の具体的可能性を得た時
期が遅かった債権者を特に保護する提案である。そのため、その要件
の充足は、
〈1〉の期間の経過にもかかわらず債権時効期間の満了とい
う効果を阻止しようとする者が主張立証しなければならない」ことと
なる33)。保険金請求権者の主観的な了知の時を起算点とすることには、
従来、その知不知を巡る争いの種になるとの指摘がなされてきた
が34)35)、基本方針の下での乙案の採用がこれに拍車を掛けることにな
30)金澤・前掲注14)268頁、山下(友)
・前掲注9)537頁、萩本修編著『一問
一答 保険法』212頁(商事法務、2009年)
。
31)大森・前掲注9)162頁、金澤・前掲注14)261頁、倉沢・前掲注8)213
頁、潘・前掲注17)107頁。
32)大森・前掲注9)162頁、金澤・前掲注14)261頁。
33)民法(債権法)改正検討委員会編・前掲注26)174頁。
34)生命保険法制研究会(第二次)編『生命保険契約法改正試案(2005年確定
版)理由書 疾病保険契約法試案理由書(2005年確定版)理由書』142頁(社
団法人生命保険協会、2005年)
、大澤・前掲注29)77頁。
35)民法(債権関係)部会においても、
「主観的起算点に関して、第12回会議に
おいては、起算点がいつであるかについての判断が難しくなるのではないか
―81―
保険金請求権の消滅時効の起算点
らないかとの懸念を抱かざるを得ない。
加えて、保険事故が発生した時もしくは保険事故による損害が発生
した時―客観的起算点―から3年間が経過した後、保険金請求権
者がその事実を知った場合―主観的起算点―には、既に客観的起
算点による時効期間が満了し消滅時効が完成することになる為、最高
裁平成15年判決のようなケースにあっては、乙案の下でも解決は図れ
ないことになる(図2参照)
。
今回の民法(債権関係)改正作業において、民法(債権関係)部会
では、消滅時効については、当初から、短期消滅時効制度を廃止して、
できる限り時効期間の統一化ないし単純化を図るべきであるという考
え方を採用する方向で、主として債権の消滅時効にかかる総合的な検
「乙案を
討が進められている36)。かかる見直しの趣旨に照らし、また、
提案する立場からは、……不法行為等による損害賠償請求権の期間制
限(民法第724条)を削除して統一化を図ることを併せて提案するもの
もある」ことに鑑み37)38)、3年間、4年間又は5年間という提案のう
との懸念が示された」が、
「これに対しては、現在でも不法行為に基づく損害
賠償請求権について債権者の認識を要件とした起算点で運用されているのに、
特段の問題を生じていないことから、契約に基づく債権などについても主観
的な要素を取り込んだ起算点を設けることに支障はないとの指摘」がなされ
ている(民法(債権関係)部会資料31・前掲注23)7-8頁)
。
36)民法(債権関係)部会資料14-1「民法(債権関係)の改正に関する検討事
項(9)」商事法務編『民法(債権関係)部会資料集 第1集〈第3巻〉―第
11回~第13回会議 議事録と部会資料―』426頁(商事法務、2011年)
。
37)民法(債権関係)部会資料31・前掲注23)7頁。
38)これに加えて、不法行為等による損害賠償請求権が論点となる場面でも、
「民法724条は、不法行為による損害賠償請求権について、損害及び加害者を
知った時を起算点とする3年の時効期間と、不法行為の時から20年という期
間制限を設けているところ、この規定に対しては、債権一般についての原則
的な時効期間の見直しと合わせて、廃止するか、又は3年の時効期間を5年
とすべきであるなどの考え方が提示されている」
(民法(債権関係)部会資料
14-1・前掲注36)427頁)
。
―82―
生命保険論集第 183 号
ち、短期消滅時効期間については「3年間」が有力視されている39)。
乙案において、「3年間」という時効期間が採用された場合には、
保険金請求権のみならず、
「保険料の返還を請求する権利及び第六十三
条又は第九十二条に規定する保険料積立金の払戻しを請求する権利は、
三年間行わないときは、時効によって消滅する」旨規定する保険法95
条1項との関係性の明確化を要することとなろう。
Ⅳ おわりに
保険金請求権の消滅時効期間の起算点を巡る従来の議論、ひいては
保険法95条1項に民法(債権関係)の改正が如何なる影響を及ぼすこ
とになるのかについて、民法(債権関係)部会による中間試案に示さ
れた二つの案を中心に検討してきた。保険法分野において、保険法95
条1項に保険金請求権にかかる短期消滅時効期間を設けながらも、そ
の起算点を巡っては、解釈論上、未だ決着をみない現状にあって、今
回の民法(債権関係)改正が一つの解決策を提示するものとなろうと
いう期待も含めて、である。
しかしながら、既述のように、債権の消滅時効期間の起算点につい
ては現行の規律を維持した上で、時効期間を5年間に短縮する甲案に
あっては、保険金請求権の消滅時効期間の起算点に変更はない。した
がって、起算点を巡る解釈論上の論点はそのまま残ることとなる。
そこで、債権の消滅時効について、現行法の時効期間と起算点の枠
組を維持した上で、主観的起算点と主観的起算点から進行する短期の
時効期間を併置する乙案に、その解決が託される。保険金請求権の消
滅時効期間の起算点を巡る立法的解決策として、乙案とその考えを同
39)民法(債権法)改正検討委員会編・前掲注26)171-173頁。
―83―
保険金請求権の消滅時効の起算点
じくする主張もあり40)、かつ、主観的起算点の導入は、解釈論上、保
険金請求権の消滅時効期間の起算点を巡って例外的処理を求める近時
の流れにも合致する。
その一方、従来の客観的起算点による長期の時効期間と主観的起算
点から始まる短期の時効期間を併置する乙案の採用は、保険法95条1
項をもって、客観的起算点を前提として3年という単一の短期消滅時
効期間のみが認められている保険金請求権に如何に適用すべきかとい
う問題を生ぜしめる。また、保険法95条1項の下では、客観的起算点
と主観的起算点のいずれにあっても保険金請求権の消滅時効期間は3
年となるが、基本方針のように、保険金請求権者が権利を行使するこ
とができる時から3年以内に保険事故の発生を知ったときは、その知
った時から3年が経過するまで、保険金請求権の消滅時効期間は満了
しないと考えなければ、全く意味をなさない。他方、基本方針の考え
方に拠ると、保険金請求権者による権利行使の確保は図れる一方、保
険金請求権に短期消滅時効期間を定める保険法95条1項の立法趣旨が
損なわれる虞は否めない。加えて、最高裁平成15年判決のような事案
は、乙案の下でも解決が図れないことは、既述の通りである。
ここに中間試案に提示された各案に鑑み、保険金請求権「は、三年
間行わないときは、時効によって消滅する」旨定める保険法95条1項
を前提にするならば、かかる起算点については、
「権利を行使すること
ができる時」
(民166条1項)とする現行の規律を維持する甲案の下で
対応していくことが、同項をもって保険金請求権に短期消滅時効期間
を設ける趣旨を達成することとなり、また、事案に応じて具体的妥当
性が図れるものと考える。
保険金請求権の消滅時効期間にかかる起算点についてはまた、解釈
40)金澤・前掲注14)268頁。かかる見解は、既述の如く、1995年損害保険契約
法改正試案に収斂される。
―84―
生命保険論集第 183 号
論上の議論に終止符を打つべく、立法による明文化が求められている
一方、その解決策として、従来、保険約款をもってかかる起算点を明
示すべきとの見解がある41)。保険実務では、保険金の支払を請求する
権利は、支払事由が生じた日の翌日から起算して3年間請求がないと
きは消滅するとする生命保険にかかる約款をはじめ、このような約定
を設けていることが少なくない。しかしながら、保険金請求権の消滅
時効期間についての特約はともかく、消滅時効期間の起算点について
特約することは認められないとの見解もあり42)、その有効性が問題と
なる。甲案の採用は、保険約款をもって保険金請求権の消滅時効期間
の起算点を明示すべきとの見解と相俟って、このような保険約款の有
効性、ひいては保険約款に起算点を約定することの妥当性を改めて検
討する必要を生ぜしめる可能性がある。
民法(債権関係)部会では、当初、債権の消滅時効について、消滅
時効期間とその起算点とともに、当事者間の合意で法律の規定と異な
る時効期間や起算点を定めることの可否に関する明文の規定を置くこ
とが検討されていた43)。2011(平成23)年5月の「民法(債権関係)
の改正に関する中間的な論点整理」の後、合意による時効期間等の変
更に関する四つの具体案が提示されたが44)、中間試案では、かかる論
41)西島・前掲注17)86頁注(10)。
42)山下(友)
・前掲注9)539頁。
43)民法(債権関係)部会資料14-2「民法(債権関係)の改正に関する検討事
項(9)詳細版」商事法務編『民法(債権関係)部会資料集 第1集〈第3巻〉
―第11回~第13回会議 議事録と部会資料―』453頁(商事法務、2011
年)
。
44)具体的には、
「
【甲案】時効期間を延長する合意[その他時効の完成を困難
にする合意]は無効とする旨の規定を設けるものとする。
【乙案】時効期間を短縮する合意が許容される旨の規定を設けるが、その
際に、①弁済期から1年に満たない時効期間の合意は無効とすること、②時効
期間の短縮が濫用的に行われることが想定される一定の債権を対象から除外
することを併せて規定するものとする。
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保険金請求権の消滅時効の起算点
点は取り上げられていない45)。時効制度の公益性や、債務者の窮状に
乗じて時効の完成を困難にする特約がなされることを懸念したものと
思われる46)。
民法(債権関係)の改正に関する審議は、現在も継続中である。本
稿での検討の中心となった中間試案を基に、パブリック・コメントの
手続が、2013(平成25)年4月16日から6月17日までの期間に実施さ
れる。そのうえで、かかる審議は、第3ステージへと進み、本年秋頃
には要綱(案)が公表されることが、今後、予定されている。
「民事基本法典である民法のうち債権関係の規定について、同法制
定以来の社会・経済の変化への対応を図り、国民一般に分かりやすい
ものとする等の観点から、国民の日常生活や経済活動にかかわりの深
い契約に関する規定を中心に見直しを行う必要があると思われるので、
その要綱を示されたい」との諮問を受けて、2009(平成21)年11月24
日に開始された民法(債権関係)改正にかかる審議は、民法第3編「債
権」を中核とする部分について抜本的に見直すものであり、その検討
対象も民法第3編「債権」に関する規定は勿論、
「民法のうち債権関係
の規定について、……契約に関する規定を中心に」とする諮問事項に
照らし、同法第1編「総則」のうち法律行為(同5章)や期間の計算
【丙案】債権発生の時までに限り、時効期間の延長・短縮や起算点を変更
する合意が許容される旨の規定を設けるが、その際に、①合意で定める時効
期間は債権を行使することができる時から[1年/6か月]以上、10年以下
でなければならないこと、②合意で定める起算点は、債権を行使することが
できる時以後でなければならないことを併せて想定するものとする。
【丁案】合意による時効期間等の変更に関する規定は設けないものとする」
(民法(債権関係)部会資料31・前掲注23)16頁)
。
45)中間試案の取り纏めに向けて検討された中間試案のたたき台の段階で、既
に、取り上げられなかった論点の一つに「合意による時効期間等の変更」と
明示されている(民法(債権関係)部会資料54・前掲注20)19頁)
。
46)民法部会では、前掲注43)に掲げる丁案の支持が多かったようである(法
制審議会民法(債権関係)部会第34回会議議事録32-45頁)
。
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生命保険論集第 183 号
(同6章)
、時効(同7章)を含む非常に広範・多岐にわたる47)。
私法の一般法である民法(債権関係)にかかる改正が、その特別法
たる保険法に及ぼす影響は、決して少なくはない。民法(債権関係)
の改正は、保険法にとっても看過できない。今後、進行していく民法
(債権関係)の改正作業の中で、保険法の分野からも積極的に発言し
ていくことが重要であろうことを指摘して、本稿のまとめとしたい。
(2013(平成25)年4月15日脱稿)
付
記:
本稿は、2013(平成25)年1月26日、生命保険文化センターにおい
て開催された保険学セミナー(東京)東西交流会での報告に加筆・修
正したものである。当日、司会をお引き受けいただきました日本大学
の福田弥夫教授をはじめ、諸先生方から貴重な御意見並びに御教示を
賜りました。ここに記して、感謝の意を表します。
なお、本稿でその検討対象とした中間試案について、脱稿後、法務
省民事局参事官室によって、その全文と「(概要)」欄を掲載した上で、
項目ごとに詳細な説明を付した「民法(債務関係)の改正に関する中間
試案の補足説明」が作成、公表されている。
47)同様に、
「
『契約に関する規定を中心に見直しを行う』こととの関係で、民
法第3編債権のうち第3章(事務管理)
、第4章(不当利得)及び第5章(不
法行為)の規定は、検討対象に含まれるものの、主たる対象ではなく、契約
関係の規定の見直しに伴って必要となる範囲に限って見直しをするものとす
る」
(民法(債権関係)部会資料4「民法(債権関係)部会における今後の審
議の進め方について」商事法務編『民法(債権関係)部会資料集 第1集〈第
1巻〉―第1回~第6回会議 議事録と部会資料―』375頁(商事法務、
2011年)
)
。
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