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韓国の通貨危機後の構造改革と日本への示唆

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韓国の通貨危機後の構造改革と日本への示唆
平成 14 年(2002 年)4 月 3 日 NO.6
東京三菱レビュー
東京三菱銀行
韓国の通貨危機後の構造改革と日本への示唆
IT 不況で世界経済が減速するなかで韓国経済の堅調ぶりが目立つ。特に日本では、
バブル崩壊後 10 余年にわたって経済の低迷が続く中で、韓国が構造改革を断行し再起
を果たしつつあることを再評価しようという動きが強まっている。
実際、韓国が取り組んだ構造改革の項目を並べてみると、企業の淘汰、銀行の不良債
権処理、賃金や為替相場の水準の問題、市場参入障壁の撤廃、そして新規雇用の創出な
ど、今日の日本の課題と重なるものが多い。
以下、日本経済への示唆という観点から、韓国の通貨危機以降の構造改革を再検証し
たい。
1.足許の韓国経済の底堅さ
韓国経済は、2001 年後半に日本、米国、他の NIEs 諸国が大きく減速するなか、個人
消費や建設投資を中心に底堅い推移を見せている。産業別には、建設部門とサービス部
門の堅調ぶりが目立っている(第1図)。雇用状況をみても、香港、台湾が 98 年のアジ
ア危機の時以上の失業率を記録するなかで、緩やかながらも失業率を低下させている
(第2図)
。
第1図:各国の実質 GDP 成長率推移
15
(前年比、%)
第2図:各国の失業率推移
9
韓国
7
日本
5
韓国
台湾
日本
米国
8
台湾
10
(%)
6
米国
5
4
0
3
-5
2
1
-10
97Q1
98Q1
99Q1
00Q1
01Q1
0
95/1
02Q1
(資料)各国統計局、中銀など
韓国は98年6月まで未季調値。
96/1
97/1
98/1
(資料)各国統計局、中銀など
1
99/1
00/1
01/1
02/1
また金融機関の不良債権比率も、
商業銀行 17 行ベースで昨年末現在 3.3%と低い(注)。
債権買取機構に売却したものを含めても6%台にまで低下しており、日本の都銀・長信
銀・信託 17 行ベース(2001 年 9 月当時)の不良債権比率が 7.1%にまで上昇しているの
とは対照的だ。
(第1表)
。
(注)但し、商業銀行以外の不良債権比率は、ピーク時より低下したとはいえ、20.4%と高く今
後の課題として残っている。
第1表:アジア諸国の金融機関の不良債権比率
条件緩和債権
の扱い
不良債権定義
韓国(商業銀行)
99年12月以前は3ヶ月超延滞債権、
99年12月からは「分類債権
(Substandard or Below Loans)」
分類債権
97/12
98/12
99/12
00/12
01/06
01/09
01/12
6.7
10.5
13.6
8.8
5.6
5.1
3.3
19.0
11.5
8.2
8.1
6.2
10.4
8.0
7.3
含むAMC移管不良債権
韓国(全金融機関)
同上
同上
4.4
9.9
45.0
19.7
4.9
10.5
38.5
40.5
13.3
5.3
7.7
17.9
26.8
11.1
6.5
10.3
7.8
7.5
12.7
28.3
12.9
29.7
10.5
28.9
13.6
11.0
9.7
11.4
11.7
11.5
15.8
49.0
16.2
38.7
14.4
18.8
57.1
16.6
16.6
54.9
16.7
14.7
54.4
12.0
52.9
10.4
12.3
15.1
17.0
17.9
含むAMC移管不良債権
台湾
シンガポール
タイ
商業銀行/3ヶ月超延滞債権
正常債権
3大商業銀行/3ヶ月超延滞債権
不良債権
商業銀行/3ヶ月超延滞債権
正常債権
3.7
2.6
含むAMC移管不良債権
マレーシア
商業銀行/3ヶ月、6ヶ月超延滞債権を
正常債権
それぞれ発表。右数値は3ヶ月超。
4.1
含むAMC移管不良債権
インドネシア
商業銀行/3ヶ月超延滞債権
不明
フィリピン
1ヶ月超延滞債権
不明
中国
4大国有商業銀行/中銀総裁発言値
検討中
含むAMC移管不良債権
4.7
26.6
リスク管理債権/2000年12月は翌年3 リスク管理債
権
4.0
6.3
6.2
6.1
7.1
リスク管理債権/2000年12月は翌年3 リスク管理債
月の実績
権
5.4
5.8
6.1
6.6
7.4
日本(都長銀11+信託6行) 月の実績
日本(全国銀行136行)
29.2
(資料)各国金融監督官庁、中央銀行、アジア開発銀行
2.堅調な経済の要因
こうした経済の好調さの要因として、通貨危機以降の様々な改革により韓国経済がよ
り生産性の高いものに変質したことが指摘されているが、以下では、韓国が具体的にこ
うした改革にどのように取り組んでいったのか見てみたい。
(1)非効率な企業と銀行の整理
最初に取り上げるのは通貨危機を契機に増大した不良債権問題への取組みである。不
良債権問題とは、競争力を失い支払い能力を失った債務企業と、こうした先の債権を多
く抱え健全性を損なった金融機関の問題であるが、韓国では政府の強力な主導の下、両
2
25.4
者の処理が同時に進められた。
①企業の淘汰
まず企業の淘汰であるが、通貨危機前から、財閥のフルセット主義や市場シェア優先
の経営姿勢などに起因する、韓国企業の借入過剰体質や収益性低下は問題視されていた。
実際、中堅財閥の経営悪化や、彼らに債権を多く持つ一部の銀行の資産劣化は、危機前
の 97 年初から徐々に始まっていた。こうしたなか、98 年初の通貨危機により外貨流動
性の逼迫が他の金融機関や企業の間にも一気に広まり、多くの企業が倒産し、債務超過
に陥る銀行が続出したのである。
従って、企業淘汰の最初の波というのは、計画的に推し進められたというよりは、危
機の到来でほとんど議論の余地なく多くの企業が整理されてしまったというのが実態
である。しかしその後、金融監督院主導により、問題企業の整理が強力に進められた。
これは、2000 年8月の第2次金融構造改革と呼ばれる政策に強く表れている。このと
き、政府の方針に基づき主要銀行 21 行が、建設、流通、製造業などの幅広い業種にわ
たって再建困難とみなした 52 の企業名を発表し、18 社が清算、11 社が法定管理(会社
更生法)、20 社が第3者への売却、3社が合併対象などと対応方針が発表された。実際、
この発表の数日後には、52 社の中に挙げられていた大宇自動車が法定管理(会社更生
法に相当)に入ることになった。その後も金融監督院はリストアップされた大小約 2000
社の問題企業の信用調査を定期的に実施し、経営状態に応じた対処方針を発表している。
特に淘汰が進んだ業界は、繊維・アパレル、金融、建設で、上場企業数にも淘汰の推
移が表れており、97 年末から 2002 年初にかけて、繊維・アパレルと金融部門での上場
企業数はそれぞれ約3割減少、建設部門で2割減少となっている。
足許では、非効率企業の整理が一巡したことや、マクロ経済全体が回復に向かってい
ることから倒産件数は月間 400∼500 件と、98 年の約1/4 まで減少した。その一方で、
開業件数は月 3000 件以上に達しており、マクロ全体として雇用環境は大幅に改善して
いる。
②金融部門の再構築
i)銀行の整理
次に金融部門の再構築についてだが、危機直後、最初に手がけられたのは第一銀行と
ソウル銀行であった。この2行は既に債務超過が明白であり、しかも規模が大きかった
ことから緊急性が高く、即座に公的資金が注入され国有化された。その後、第一銀行は
99 年 12 月に米系 New Bridge Capital に売却されたが、ソウル銀行については外資と
の売却交渉は不調に終わり今日に至っている。
次に、他の銀行についても金融監督院による厳格な検査が実施され、資産内容の実態
解明に力が注がれた。このときの検査結果の信頼性については、当時韓国は IMF の管理
3
下にあり、IMF との間で交わされた金融セクター再構築の細かい覚書に沿って進められ
ており、こうした国際機関のコンサルテーションにより裏付けされていた。
検査の結果、金融監督院は、BIS 基準自己資本比率8%を満たしているか否かを公的
資金投入の基準とし、投入行については経営陣の交代を求める原則で処理が進められた。
まず、BIS 基準自己資本比率8%を下回っていた 12 銀行について経営改善計画を要
求し、うち5行(大同、東南、同和、京畿、忠清)については、その後、経営改善が見込
めないとして閉鎖が決定された。これらは P&A 方式(Purchase and Assumption/資産・
負債継承)で、97 年末時点で BIS 比率8%を超えていた優良銀行である国民、住宅、
新韓、韓美、ハナの5行に一行ずつ合併された。
残る7行については、経営改善計画が条件付きながら当局に受理された。うち5行は
合併により2行に集約された。すなわち韓国商業銀行、韓一銀行は自主的に合併しハン
ビット銀行と名前を変えた。忠北銀行と江原銀行は金融監督院の指示により朝興銀行に
合併された。残る2行のうち外換銀行についてはドイツのコメルツ銀行が 3500 億ウォ
ン出資で資本参加し、平和銀行は国際部門からの撤退という規模縮小で再建を図った。
閉鎖5行と存続7行を分けた選別基準は、自己資本比率の高さを基準としつつも、銀
行の規模を見ながら社会的混乱と財政負担の最小化を目指した政治的判断だった模様
である。閉鎖された5行は比較的小規模であり、健全行による救済合併が可能、従って
公的資本の導入は極力抑えられるというという判断があったと言われている。
尚、救済した側の健全行5行については、救済合併の結果として自己資本比率が8%
を下回ったため公的資金が投入されたが、政府の方針による救済合併であり、経営陣の
交代はなかった。
商業銀行以外の金融機関については、まず総合金融会社(Merchant Bank)について
は、合計 30 行の総合金融会社から提出された再建プランの精査の結果、政府は 16 行を
再建不能としてライセンスを廃止し、その資産負債をブリッジ総合金融会社に移管した。
その他、証券会社、投資信託会社、投資顧問会社、生命保険会社、リース会社、相互
貯蓄金融会社、信用組合などの金融機関についても、再建計画の監査と統廃合が適宜進
められた。
ii)不良債権の処理
債権買取機構(KAMCO/Korea Asset Management Corporation)による不良債権買取も
比較的早いペースで進められた。まず危機直後、98 年中に 44 兆ウォンが買取られ、こ
れによって 20%を超える水準まで上昇した金融機関の不良債権比率は、10%台まで低
下した。その後も断続的に購入され、昨年末までに合計 101 兆ウォンが買取られた。
買取価格をどう決めるか
買取価格をどう決めるかは、不良債権買取の際にどこの国でも議論になる問題である
が、韓国の場合は時価買取であった(注)。時価評価額は、無担保の債権は額面の3%
4
とされた。有担保の債権は、原則、担保物権が生む将来のキャッシュフローを現在価値
に引き直したものの合計とされた。しかし、買取処理を早期に終了させるという強い要
請が政府からあったため、KAMCO は必ずしも適正価格査定に十分な時間を割けず、過去
の類似物件の競売時の回収率をそのまま適用した例も多かった。結果として、額面金額
101 兆ウォンの不良債権の買取の加重平均した割引率は 61.7%であった。
(注)他のアジア諸国の買取価格は、マレーシアが韓国と同じ時価買取である。比較的低い価格
で買取りが行われ、市場処分時に利益が出た時には 80%は売却した金融機関、20%は債権買
取機構の利益とされた。中国では簿価買取が行われている。タイでは原則簿価買取で、二
次損失が発生した場合は最初の 20%の損失までは当該債権を売却した銀行が負担し、次の
20%の損失は銀行と債権買取機構で折半、それ以上の喪失はすべて債権買取機構が負担と
いう条件が付いている。
いかに不良債権買取を促進するか
債権買取のスキームが出来上がった後、民間銀行にいかに買取に応じさせるかも議論
になる問題である。
韓国では、KAMCO は上述の買取価格を呈示し、その価格で売却するかどうかは銀行側
の自主的な判断に任された。買取の対象は、固定以下の債権(Substandard or Below)
と定義付けられたが、固定債権の定義自体、98 年半ばに6ヶ月の元利払い延滞から3
ヶ月の延滞に厳格化され、さらに 1999 年 12 月の発表数値から一段と厳格化されて元利
払い能力に懸念がある企業向け債権も含まれるようになった。結果的に言えば不良債権
買取合計 101 兆ウォンのうち 62%が 1999 年までに買い取られていることから、買取の
対象は、多くは3ヶ月あるいは6ヶ月の元利払い延滞債権だったと言える。
本当に銀行側の自主的な判断に任せて売却が進んだのかという疑問は残るが、国全体
が置かれた非常事態の程度が、当時の韓国と現在の日本では異なり、自主的であろうが
強制的であろうが、取り得る選択枝は少なかったのではないかと思われる。
一般に、通貨危機によって銀行の資産が、不良債権比率 15∼20%程度にまで急速に
悪化した国(韓国、マレーシア、インドネシア、タイ)では、国民全体に非常事態とい
う意識が広まりやすく、IMF の管理下(除、マレーシア)に入ったこともあって民間銀
行の不良債権の買取も比較的スムーズに進んだ。それでもマレーシアでは、買取価格が
あまりにも低すぎるとして民間銀行が売却に応じなかった例もあったと報告されてい
る。またタイでは、ノンバンクの不良債権買取は比較的迅速に進んだものの、商業銀行
の不良債権買取については、2001 年 7 月にようやく公的な不良債権買取機構が設立さ
れた。その後の買取も、国有銀行については比較的進展しているが、民間銀行について
はなかなか進んでいない。一方、フィリピンでは、通貨危機の当初の影響が比較的軽か
ったため、不良債権の増加のスピードも緩やかであった。そのため、不良債権買取など
の対応もこれまでのところ、政府からの決定的な対策は打ち出されておらず、民間銀行
の自主的な努力に任されている。結果として、不良債権比率はジリジリと上昇し続け、
5
現在では 18%と韓国、マレーシア、タイを上回っている(第1表)
。
KAMCO の市場処分の実績は、2001 年末までに、買取った債権の 58%に相当する 58 兆
ウォンが市場で処分された。処分された債権の買取時の割引率は平均 58.6%、市場処
分時の割引率は 54.0%であり、処分に際して KAMCO は若干の利益を計上している(第
2、3表)
。
第2表:韓国金融改革に投入された公的資金
(97年11月∼2002年1月)
目的
1997年11月
機関
1999年
2000年
2001年
2002年∼
単位:bilW
合計
∼1998年
韓国預金保険機構 資本注入
(KDIC)
損失補填
資産購入
預金払戻し
その他
小計
韓国債権買取機構 不良債権買取
(KAMCO)
韓国政府の財政
資本注入
資本注入(劣後債購入)
小計
韓国銀行
資本注入
合計
6,316
6,932
11,677
1,529
26,455
19,391
10,507
5,821
16,328
62,174
15,611
4,113
3,028
5,210
184
28,146
4,464
1,900
550
2,450
700
35,760
14,166
1,160
5,606
2,050
22,982
12,919
100
100
200
36,201
9,557
4,091
596
6,861
388
21,493
1,954
0
10
76
20
106
n.a.
n.a.
n.a.
n.a.
23,447
n.a.
n.a.
106
45,650
16,306
9,306
25,817
2,101
99,181
38,729
0
12,507
6,371
18,878
900
157,688
(資料)韓国銀行
第3表:KAMCO の不良債権買取と処分
(1997年∼2001年12月)
KAMCO(Korea Asset Management
Corporation/韓国債権買取機構)
KAMCOが買取った不良債権
うち、市場処分した不良債権
額面金額 買取金額
額面からの
割引率
市場処 額面からの
分金額 割引率
101,161
38,729
61.7%
58,487
24,239
58.6% 26,899
54.0%
(資料)韓国銀行
(2)規制緩和などによる起業促進とサービス部門の雇用の拡大
旧来の経済主体の改革は以上のように行われ、その結果として失業率は危機前の2%
台から一時8%近くまで上昇した。しかし今日では3%台まで再び低下している。その
間、新しい雇用はどのような産業や企業で創出され、またそのための制度的枠組みはど
のように作られたのであろうか。
①規制緩和の推進と税制上のインセンティブの導入
新規雇用の創出を目指し企業活動を活性化させるため、徹底した規制緩和が実施され
た。内容としては、市場参入障壁の撤廃や外資参入規制の緩和である。数値目標として、
既存の規制の 50%廃止が掲げられた。この目標達成のために、本来、消費者保護のた
6
めに必要だとされていた規制までもが一部撤廃されたという批判もあったようだが、目
標はほぼ達成された。
中小企業設立、技術開発・人材開発の促進などを目指した特別税制も導入された。内
容的には、中小ベンチャー企業設立のための税負担の軽減などが主なものである(第4
表)
。
第4表:景気対策のための特別税制(1999 年 5 月)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
中小企業のためのインセンティブ
・ 新規設立中小企業向け:設立後5年間の法人税と固定資産税の 50%免除。設
立後2年間の取得税・登録税の免除。
・ 製造業の中小企業の法人税 20%免除。
技術開発・人材開発のためのインセンティブ
・ 特許権の移転に伴う収入の 50%を控除。
・ ベンチャーキャピタル投資のキャピタルゲインの非課税
・ 中小企業やベンチャー企業スタートアップに投資する個人投資家の所得控除
・ 海外からの技術者の税免除
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(資料)OECD
また、外国人の株式取得については、97 年 12 月に投資限度額が発行済株式の 55%に
拡大されたのに続き、98 年に入り限度枠自体が廃止された。また、98 年 2 月には、こ
れまで発行済株式の 10%以上の取得については発行企業の承認が必要であったが、そ
の比率が 33%にまで引き上げられ、敵対的M&Aも行われうる環境になった。さらに
98 年 11 月には外国人投資促進法が施行され、外国人の投資を阻害してきた要因のほと
んどが取り除かれた。
こうした規制緩和や税制上のインセンティブ導入により、ベンチャー企業などの設立
が促され、マクロ的には店頭上場市場である KOSDAQ 上場企業の急増となって表れた。
98 年初には既存の KSE(Korea Stock Exchange)上場企業数約 800 社に対し KOSDAQ 企業
400 社弱であったのが、2002 年 1 月にはそれぞれ 688 社、760 社と逆転している。時価
総額で見ても、KOSDAQ 企業は KSE 企業の約 20%にまで成長している(第3、4図)。
7
第3図:韓国の株式市場の構造
(企 業 数 )
1000
400,000
800
(bilW )
(% )
30
300,000
25
250,000
600
20
200,000
15
150,000
400
10
100,000
200
5
50,000
0
0
98/1
99/1
00/1
01/1
35
350,000
0
98/1
02/1
99/1
00/1
01/1
02/1
K SE時 価 総 額
KSE上 場 企 業 数
K O SD AQ 時 価 総 額
KOSDAQ企 業 数
K O SD AQ /K SE時 価 総 額 比 率
第4図:日本の株式市場の構造
2500
(企 業 数 )
(% )
(bil円 )
500,000
35
30
2000
400,000
1500
300,000
20
200,000
15
1000
25
10
100,000
500
5
0
0
0
98/1
99/1
00/1
01/1
02/1
98/1
99/1
00/1
01/1
02/1
東 証 1・2部 時 価 総 額
M +N + J 時 価 総 額
東 証 1・2部 企 業 数
M +N+J 企 業 数
(M +N +J)/東 証 1・2部 時 価 総 額 比 率
M:マザーズ、N:ナスダックジャパン、J:ジャスダック
(資料)CEIC
また、主な優良韓国企業で外資の出資シェアが大幅に上昇したことも大きな変化であ
る。例えば、国民銀行 61%、サムスン電子 58%、POSCO(浦項総合製鉄)58%、SK テ
レコム 49%などである。株式市場全体でも、2001 年4月時点で 33.1%が外国資本によ
って占められる結果となった。こうした外資保有率の高まりは、即座に企業経営の効率
性向上や財務体質強化を保証するものではなく、また韓国の国家利益に沿う変化か否か
は今しばらくその推移を見る必要があるが、少なくとも従来以上に国際投資家の目から
みても説明のつく合理的な経営姿勢と経営効率を外に向かって示さなければならない
というプレッシャーは増していると言える。
②サービス部門での雇用の増加
このような新規企業の増加は、雇用面ではサービス部門の増加として表れている。危
機後の企業淘汰で雇用が大幅に減少したのは製造業と建設業であった。製造業の雇用者
8
数は 96 年までは 470∼480 万人であったが、通貨危機後の最悪期 98 年 8 月には 370 万
人まで約2割減少した。建設業も同期間に 200 万人から 120∼140 万人まで約4割減少
した。代わって雇用を増加させたのがサービス業である。特に、統計上「その他サービ
ス」に分類される様々なビジネスサービスが、危機直後の 430 万人から 2002 年初には
560 万人と3割弱も雇用を増加させている。雇用統計からはさらに詳しい業種の内容が
わからないが、生産指数などの動向から、こうした新規雇用の中心は、IT 関連サービ
スやそこから派生する様々なサービス業と推察される(第5図)
。
IT 関連サービス業の拡大は、供給側の要因と同時にインターネットユーザーの拡大
などの需要側の要因も働いている。韓国のインターネットユーザー数を日本との比較で
みると、2001 年8、9月現在で、韓国が 2412 万人、日本が 2047 万人であり、人口当
りの利用者数で韓国は日本の約3倍の利用者数となっている。その他、携帯電話でのイ
ンターネット利用者数が 1.4 倍、ブロードバンド契約数が 12 倍(どちらも人口当り)
となっており、利用者側の装備の充実も IT 関連サービス業の生産と雇用の拡大に寄与
している(第5表)
。
第5表:日韓のユーザー側の IT 関連指標
(韓国)
1996
1997
731
1.6
インターネットユーザー数(千)
人口比(%)
1998
1,634
3.6
3,103
6.7
(日本)
2001/8
1999
2000
2001/9
10,860
23.2
19,040
40.3
24,120
51.0
20,465
16.1
携帯電話インターネット利用者数(千)
人口比(%)
n.a.
n.a.
n.a.
n.a.
15,785
33.4
22,432
47.4
43,550
34.3
ブロードバンド契約数(千)
人口比(%)
(資料)韓国情報通信省、日本総務省
n.a.
n.a.
n.a.
n.a.
4,017
8.5
7,039
14.9
1,477
1.2
第5図:サービス業生産指数
180
(1999=100)
IT関 連 サービス業
運輸通信
160
卸小売
金融保険
140
120
100
80
99/1
99/7
00/1
00/7
(資料)CEIC
9
01/1
01/7
(3)労働力の旧産業から新産業への移動
マクロ的に見れば製造業・建設業からサービス業へ約 150 万人の労働力が3∼4年間
という比較的短い期間で移動していることになるが、こうした産業間、企業間のスムー
ズな労働力の移動を可能にしたものはなんであろうか。
第一に、そもそも韓国は、常用雇用については日本と同様に米国と比較して流動的で
はなかったが、パートを含めれば柔軟性の高い労働市場だったことが、労働力のスムー
ズな移動を可能にした。これは一般に受け取られている労働組合の強い韓国のイメージ
とは異なるが、組合の力が強いのは常用雇用者の部分であって、パートや日雇い労働者
などについてはこれは当てはまらない。その非常用雇用者の割合が、危機前から韓国で
は 43%と高かったのである。こうした素地のあるところに、危機による企業倒産で常
用雇用者の雇用が減少し、景気回復に伴う雇用拡大では非常用雇用者の部分が増加した。
このため現在の非常用雇用者の割合は 50%にまで上昇している(第6図、第6表)
。
第6図:韓国の常用雇用と非常用雇用の推移
8000
第6表:各国のパート比率
(千人)
1993
1995
1997
1999
2001
7000
6000
5000
常用雇用者
4000
韓国
39.6
40.7
43.3
48.6
50.2
日本
20.8
20.9
23.2
24.9
27.2
(%)
米国
18.1
17.9
17.4
16.5
16.4
(資料)各国統計
非常用雇用者
3000
91/1
93/1
95/1
97/1
99/1
01/1
(資料)韓国銀行
第二に政策対応が挙げられる。そのひとつは 98 年2月の整理解雇制の導入である。
これは、通貨危機により IMF 管理下に入ったという危機意識が政府、企業、労働組合
の間で広まり、三者の協調路線の下で、真にやむを得ない経営存続上の理由がある場合
には常用雇用者の解雇も認めるという内容の合意が行われ、常用雇用者の部分で労働市
場の柔軟性が以前より高まった。
政策対応のもうひとつは、政府の雇用対策の実施である。政府は、失業者の再就職促
進のための再就職訓練プログラムを実施し、98-99 年で合計 72 万人の労働者が参加し
た。また、失業者、中高年など採用した企業への給与補填、雇用者の転職トレーニング
を実施した企業の給与補填などといった、様々な雇用安定・促進プログラムも実施され、
98-99 年上期で合計 110 万人の労働者が参加した。こうした対策の効果は、景気後退期
での即効性は乏しく、例えば再就職訓練プログラムでは、72 万人の参加者のうち同期
間中に再就職に成功したものは9万人に過ぎなかった。ただ、その後の景気回復の中で
10
失業者の新規雇用への吸収にある程度寄与したと考えられる。
雇用対策にかかった財政負担は、98 年から 2000 年までの3年間で累計 31.6 兆ウォ
ン、GDP 比約7%に相当し、決して小さな額ではない。しかし、同じ3年間の日本の
公共投資額が累計 160 兆円、GDP 比 30%(予算ベース)であるのと比較すれば1/3
から1/4 の規模に過ぎない。しかも、日本の公共事業の拡大は、生産性の低い建設業に
労働を含む経済資源を益々滞留させてしまった。一方、韓国の施策は、労働力の成長産
業への移動という形で、継続的な経済成長につながるものに手が打たれており、より有
効な財政政策と言えるのではないだろうか。
(4)価格面の調整と国際競争力の改善
構造改革による一時的な雇用悪化をある程度和らげる役割を果たしたのが、為替相場
と賃金の下落という価格面での調整だった。
為替相場については、通貨危機で韓国ウォンは名目相場で4割、実質実効相場でも約
2割下落している。これに対し、日本円、台湾ドル、シンガポール・ドルの下落幅は実
質実効相場ベースで1割以内にとどまっている。当局による意図的なウォン安政策があ
ったかというと、為替相場の最初の大幅な下落は市場の投機によってもたらされたが、
その後 99-2000 年の経済回復の過程では、市場のウォン増価圧力に対しては、当局は
適宜ウォン売り介入を実施し、ウォンの相場水準を維持した模様である。但しこれは変
動相場制に移行したアジア通貨のほとんどで共通して見られたことであった。賃金につ
いても、先述の政府・企業・労働組合の三者協調路線の下で、98 年には実質ベースで
10%引き下げられた(第7、8図)。
こうした為替相場と賃金の双方の下落により、韓国は大幅な輸出競争力の改善を図る
ことが出来た。これは、当時アジア全体で輸出拡大の勢いを増していた IT 関連財ばか
りでなく、自動車、造船といった幅広い品目に渡って韓国製品の競争力を高め、生産と
雇用を押し上げる要因となった。実際、韓国第一の自動車メーカーである現代自動車は、
こうした好環境を活かして北米を中心に輸出を伸ばし、従業員も 98 年から 2001 年に
2割増となっている。IT 分野の企業では、こうした価格面での環境改善に IT ブームに
よる需要増が重なり、サムスン電子などは 2000 年から 2001 年にかけて従業員を 1 万
人強、約4割も増加させている。
尚、不動産価格については比較的調整幅は小さく、住宅価格を見ると 95 年の水準か
ら最安値圏の 98 年半ばで1割の減価であり、2001 年末には再び元の水準に戻っている。
この理由は、通貨危機前の資産価格上昇が、日本はもとより、香港、シンガポールと比
較して小さかったため、危機後の下落も小幅であったためと見られる。
11
第7図:韓国ウォンの下落
110
第8図:98 年に実施された大幅な賃下げ
170
(1996/Q1=100)
160
100
(実質賃金指数:1990=100)
150
90
140
130
80
シンガポール
70
120
台湾
日本
60
製造業
110
建設業
100
韓国
商業
90
50
96/1Q
97/1Q
98/1Q
99/1Q
00/Q1
1990
01/Q1
(資料)Bloomberg
1992
1994
1996
1998
2000
(資料)韓国中銀
おわりに
韓国の構造改革として、いくつかの側面を見てきた。中には、為替相場の下落という
他律的条件に支えられた面もあったものの、多くは、政府と民間の主体的な決断による
ものであり、そうした決断を促させる政治的な要因が強く関わっていた。ひとつは、通
貨危機後に陥った状況が IMF の管理下に入るという深刻なものであったため、国民の
改革の痛みのへの心構えが違っていたこと、もうひとつは、大統領制という権限集中型
の政治制度により、要所要所で早い決断が取れたという点である。この政治的枠組みが
必ずしも常に正しいとは言えないものの、少なくとも過去数年の韓国の経済には積極的
な役割を果たしたと言えるのではないだろうか。
(3.27
佐久間 浩司)
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